「戦争はなぜに」――アインシュタインとフロイト往復書簡への批判

目次

1. はじめに

ここでは、アインシュタインとフロイトの間で交わされた戦争をめぐる書簡をとりあげて、戦争を廃棄するための前提となる問題について考えてみたい。1

1932年7月30日、国際連盟の国際知的協力機関の提案を受けてアインシュタインは、戦争をテーマとした書簡をフロイトに送る。この書簡のなかでアインシュタインは、数世紀もの間、平和を希求する試みがありながら達成できていない背景として「人間の心自体に問題がある」のではないかと問い、心理学者のフロイトに次のように書いている。

なぜ少数の人たちがおびただしい数の国民を動かし、彼らを自分たちの欲望の道具にすることができるのか?戦争が起きれば一般の国民は苦しむだけなのに、なぜ彼らは少数の人間の欲望に手を貸すような真似をするのか? (中略) 国民の多くが学校やマスコミの手で煽り立てられ、自分の身を犠牲にしていく――このようなことがどうして起こり得るのだろうか? 答えは一つしか考えられません。人間には本能的な欲求が潜んでいる。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が!2

アインシュタインは、人間の心の問題こそが戦争を考える上で重要なことであり「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」と自問し、フロイトにこの問いへの答えを期待した。この書簡でアインシュタインは、フロイトが「この焦眉の問題に対してさまざまな答え(直接的な答えや間接的な答え)を呈示なさっているのは、十分に知っている」とも述べている。アインシュタインがフロイトのどの著作に接してこう述べたのかは具体的には語られていない。たしかにフロイトは第一次大戦以降、戦争の問題に関心を寄せて時評3を書き、「死の欲動」という新たな概念を提起してきたことが念頭にあったのかもしれない。

これに対して、フロイトは返信の冒頭でアインシュタインの問いを「心理学者の立場から考察するなら、戦争を防止するという問題はどのような様相を呈するかを述べるのが期待されている」4と要約している。しかし、書簡の内容は、自身の主観(あるいは戦争体験)と交錯する形で論じられている。5彼は、書簡執筆時点では平和主義者を自認するが、第一次大戦に反対したことはない。戦争を嫌悪する者という基本線をとりながらも、論旨は戦争をやむなく肯定せざるをえない場合があることも率直に認めるなど、相対立する観点や感情が交錯しながら展開されてゆく。つまり、かつての戦争に反対しなかったのにはそれなりの理由があり、同時に、だからといって賛成していたわけでもないのにもそれなりの理由がある、ということを、第一次大戦という言葉を避けながら、語っている。

フロイトの議論は、アインシュタインの問いを踏まえて、これまでの人類の歴史的な経緯と現在について、どうして戦争が防止できないのか、この点を個人と集団としての人間について、心理学者がとりうる観点というところから議論を試みるが、その背後に、彼自身が実際に戦争に対してどのような心理で向き合ったのか、という個人の経験や感情を払拭しきれていない。この個人的な経験と心理学者としてこれまで行なってきた研究とが交錯するような彼自身の複雑な心理状態が書簡に反映している。だから、戦争を防止するという問題を、心理学者として、こうすれば防止できると答えられているわけではない。もし答えられるのであれば、とっくにそのように発言しているはずだ。しかしまた、戦争を肯定し戦争が人類にとって宿命であり回避不可能だとも答えてはいない。このような惨劇が文明(フロイトのいう文化)の帰結であるとは認めがたいことだという実感を持ってはいる。だからこそ、戦争を防止することも必然とすることも、ともに可能な選択肢としてあると言う以外にない、というのがフロイトの答えである。その上で、彼は心理学者としての理論的帰結としてではなく、ひとりの人間の選択として、戦争を防止することこそが平和主義者としての自分のとる態度であるという決断を示す。

フロイトはこの書簡で何度かアインシュタインが想定するような都合によい戦争を防止するための心理学的な答えなどはありえないということを、時にはかなり悲観的に、あるいはあたかも戦争を必然とみなして肯定すらしているかのようにすらみえる表現で述べてもいる。アインシュタインの一般論としての戦争についての問いを、より具体的に、「フロイトさん、あなたは平和主義者であるということですが、なぜ第一次大戦に反対しなかったのですか?その理由を心理学者としてのあなたの専門に即してお答えいただくことは可能ですか?」とでも問えば、彼が戦時中戦争をどのようなものとして経験し、何を考え、なぜはっきりと反対の意思表示をしなかったのか、といった一連の事柄にもはっき答えたかもしれない。

この意味で、この往復書簡から、平和の理論的な根拠のようなものを期待することはできない。しかし、戦争へとひきずりこまれる個人と集団が陥りやすい罠がどのあたりに潜んでいるのかについては、いくつかの示唆を得ることができる。フロイトのこの書簡は短かいものであり、これだけでフロイトの戦争論――暴力論といった方がより妥当かもしれない――とでもいうべき議論全体が網羅されているわけではない。しかし、書簡での議論をひとつのきっかけにして、戦争を廃棄するという問題へのアプローチにとって、必須の課題が何なのかを知るための重要ないくつかの論点は得られるだろうと思う。

2. 法と動物――暴力の場所

アインシュタインが戦争を主題として取り上げたとき、彼の念頭には、紛争解決の司法と立法の権限が与えられうるようなある種の世界政府のような統治機構が創出されれば戦争を防止しうるかもしれない、という思いがありつつも、他方で、こうした権力を有する国際的な司法権の確立が困難だという悲観的な現状認識が述べられている。その上でアインシュタインは、だからこそ平和を阻害する人間の心の問題に関心をもち、フロイトの答えを期待した。

フロイトは、このアインシュタインの法と権力の問題の枠組みを受け入れつつ、権力と法を暴力と言い換えうるものと冒頭で断っている。つまり、法は暴力から生まれ、暴力も法から生まれる。両者は相対立する概念ではなく、相互依存、あるいは相互に相手を前提・根拠としている、という見方が示される。第一世界大戦が法治国家の枠組みのなかで法認された暴力として展開されたことを想起する必要があるだろう。

その上で、フロイトは、本来(つまり原始時代の、と言いかえられるような時代が想定されていると思われる)人間相互に利害の衝突があったときの問題解決の手段は「原理的に」暴力であったとし、「動物界全体でも同じで、人間は自分がこの一部であることを自覚すべき」であり、こうした光景が「もともとの状態」「暴力による支配」だという。いわばフロイト流の自然状態ということだろうか。人類は、このもともとの状態から変化してきたが、これが「暴力から法に通じる道」であり、「唯一これを措いてはほかにないそんな道」でもあるという。6法を暴力とみなしている観点を念頭に置くと、これは、暴力から暴力の潜勢力としての法へ、という過程でしかなく、暴力に抗する過程だというわけではない。法は常に暴力が顕在化する契機をはらむものであり、合法的な暴力としての軍隊や警察、あるいは監獄のような刑罰の制度は、戦争の前提をなすことはあっても戦争を廃棄する契機をはらむものとはいえない。この限りでフロイトは、利害の衝突を広義の意味での暴力以外の方法で解決するという具体的な選択肢は一切与えていない。7 この意味で、フロイトはアインシュタインのようなある種のコスモポリタンの理想主義者としての立場をとらない。

この書簡でフロイトは、暴力に属する殺害行為に格別な位置を与えているようにみえる。殺害によって「相手を永続的に除去するとき、すなわち殺してしまうときに」相手の異論や要求の排除が「最も徹底したかたちで達成される」のであり、これが見せしめとなって、他の者も殺害を恐れることになる。しかし、これは単なる実利的な振舞ではなく「ひとつの欲動的な傾向を満足させ」る行為でもあるとする。他方で、殺害ではなく生かしておく場合は、ここに服従の関係が生まれる。この服従関係は「敵に対する容赦の始まり」となるが、同時に「勝者はこれ以後、敗者の内に潜む復讐心を考慮に入れねばならなくなり、自分自身の安全の一部を放棄することになります」2と述べている。8

フロイトは、唯一絶対の強大な力を持つ者に対して、団結してこれに立ち向かう弱者の集団という対抗関係を経て、人類は、暴力が抑制される道を歩んできたという。「暴力は団結によって打破され、この団結した者たちの権力が、一転、個人の暴力に対抗して法となって現れるのです」と言う。だが、先に指摘したように、フロイトは権力や法という概念をあえて「暴力」と置き換えることを意図的に表明していた。だから法と暴力の関係は次のようになる。

法とはひとつの共同体の権力なのです。法はあくまで暴力であり、共同体に逆らう個人がでてくれば、いつでもそれに対抗する用意ができており、暴力と同じ手段を使い、同じ目的を追求します。実際のところ違いは、言い分を押し通すのが、個人の暴力ではなく、共同体の暴力であるという点に尽きます。9

剥き出しの暴力から法の外皮を纏った潜勢力としての暴力へという歴史的な展開が文字どおり史実であったかどうか、私は疑問に思うが、他方で、革命から革命後の安定した秩序構築へ、といった社会過程を念頭に置いてみた場合、暴力による秩序から法による秩序――潜勢力としての暴力の秩序――へと移行する過程をたどる歴史は近代史のなかでも珍しくないだろう。

3. 感情的な絆と暴力――なぜ戦争に熱狂するのか

フロイトの記述は法や暴力が個人とどのような関係にあるのか、という問題には曖昧さを残しているが、これは意図的だと思う。つまり、剥き出しの暴力を抑えこむ潜勢的な暴力としての法を確立するには、共同体を構成する多数者が団結堅固であることによって独裁的な個人による暴力を抑制する必要がある、というわけだが、どうして諸個人が「多数」となり、この潜勢的な暴力=法を承認することになるのか。

共同体は永続的に維持され、組織化されねばならず、懸念される反乱を予防するための規則を作成し、この規則――法律――の遵守を監視し法に則った暴力行為の執行を担当する機関を設置しなくてはいけません。このような利害の共同体を承認することによって、団結した人間集団の成員たちのあいだに互いを拘束しあう感情の絆、共同体感情が出来上がってきます。共同体の本来の力は、この感情によるものなのです。10

フロイトは権力の暴力自体は否定せず「暴力行為の執行を担当する機関」の必要性を認め、この承認を前提として、共同体を維持する多数者の「互いを拘束しあう」「感情の絆」ができるとみているところに注目したい。共同体の感情、よりわかりやすくいえば、近代国家であれば、ナショナリズムの感情がもたらす諸個人相互の絆は、フロイトによれば「拘束しあう感情の絆」であって、彼がいう肯定的な欲動、快原理に基くものではない。このフロイトの発想は、家族関係のなかでの暴力の位置に関するフロイトの枠組みを国家に横滑りさせているに過ぎないようにも思われる。つまり、家族のなかで夫であり父である男が暴力の潜勢力を独占する一方で、この暴力を前提として家族相互を束縛する感情の絆による家族感情が構築される。これに不可欠な要素として「愛」が絡みつく。確かに、この枠組みでは、暴力は顕在化せず、家族の「永続性」は維持されるが、これが平和の内実をもつものではないことを、私たちはよく知っている。近代家族のイデオロギーはこれをロマンチック・ラブのイデオロギーで正当化する。フロイトの上の議論は、この構図がそのまま国家とナショナリズムとして横滑りさせられている。フロイトにとって近代家族の暴力の潜勢力を説明することはできても、これを克服する道を与えることができていない。同じことは国家と戦争(暴力)についても言いうることだ。11

この感情の絆は共同体内部の治安には貢献するかもしれないが12、外部に対する暴力を否定するものではない。共同体の外部から共同体に対して振われる暴力の問題は、共同体の成員間で形成される感情の絆の外にある集団からの脅威であるから、感情の絆という条件は、戦争のような他者に対する暴力を回避する目的には寄与するとは限らず、むしろ感情の絆が戦争へと集団を駆り立てかねないという問題に着目すべきだった。

しかし、フロイトは「成員たちの感情の絆という拘束によって結束が保たれるひとつのより大きな統一体に権力を委譲することによって、暴力は克服されるのだ、ということです」と述べて、彼が言いたい「本質的なところはすべて出そろった」13と結論してしまう。人間から暴力あるいは戦争そのものを完全に排除することはできないが、剥き出しの暴力を法という暴力の潜勢力に置き換えることによって暴力を回避することは可能であるというだけでは、法によって正当化される戦争に関する問いには答えたことにはならない。事実、フロイトの書簡は、この後もかなり長く。

感情の絆は戦争への人々の感情的な動員にも寄与する。フロイトはアインシュタインへの返信のなかで次のように書いている。

あなたは人間を戦争に熱狂させることが実に容易であるのを不思議に思っていらっしゃる。そして、人間の内には、何か憎悪や殲滅への欲動といったものが作用しており、これがそのような扇動に迎合するのではないかと推測していらっしゃいます。ここでもまた、私は何の留保もつけずにご意見に賛同するほかありません。14

フロイトは人間の欲動には二種類しかない、と断言する。「維持し結合しようとする欲動群」あるいは「エロース的な欲動群、あるいは通俗的な性の概念を意識的に広げて性的欲動」と呼ばれるものと「破壊し殺害しようとする欲動群」である。フロイトの学説のなかでもその評価が分かれる「死の欲動」がここに関わる。15これらの二つの欲動は相互に連携しながら作用する。「これら二つの欲動のうちいずれもが必要不可欠なのです。両者が協働したり対抗しあったりする中から様々な生の現象が生じてきます」。16 だからこれらの欲動が単独で作動することはほとんどない、ということが前提にされている。そして、他方で、性的欲動と破壊欲動が相互に矛盾するわけではない点も指摘する。

たとえば自己保存欲動は、たしかにその本性がエロース的なものとはいえ、自らの意図を貫徹することになるなら、それ自身、攻撃性を備えている必要があるのです。同じように、対象に向けられた愛の欲動も、そもそも自らの対象を手に入れようというなら、征服欲動の援軍を必要とするのです。17

この指摘は重要な観点を提起している。性的欲動は自衛のためには相手を攻撃する性質を備えているという。攻撃=破壊欲動と性的欲動は一体となって、自己保存を確立することになる。他者の死と自己の生という関係がここでは肯定されることになる。言うまでもなく、この関係は相手にも言えることだから、結果として、自他の間には性的欲動にそそのかされた破壊欲動の衝突が避けられないことになる。

フロイトは欲動がエロースと破壊性の合成と捉えているから、人間の行為とは、そもそも、複数の動機が出会うことが必然であるという理解になる。だから、戦争へと向かう人間の欲動を、たとえそれが破壊欲動であったとしても、「快」の欲動に分類することができるものでもあり、戦争の動機は人それぞれであり、ひとつではない、ともいう。

攻撃と破壊に興じる快は、間違いなくそういった動機のひとつであり、歴史上の、あるいは日常の数えきれない残虐行為は、これらの動機が存在し、またいかに強力であるか裏付けています。この破壊追求が別の追求、たとえば性愛や理念の追求と混汞すると、当然、満足が得られやすくなります。18

攻撃や破壊に快を割当てるのはなぜなのか。なぜこうした行為を抑圧するように、つまり不快を割当てないのか。いや、実際には、ある人達には快を、別の人達には不快を割り当てるのであって、同じ共同体のなかでも、その反応は同一にはならない。なぜ、そうなのか。快によって促される残虐行為は、こうした行為を抑制する契機を見出せない、ということになるように思われるが、しかし、他方で、こうした残虐行為が、ある時点で反省され抑制へと転換することもよくみられるように思う。軍であれば、兵士の残虐行為を上官が抑制する、逆に上官の残虐行為命令を部下の兵士が拒否する、といった対立する判断が生まれることもある。なぜ、そうなのか。また、残虐行為の現場では、同時にレイプなどの性犯罪も随伴することがよく知られている。フロイトの上の指摘はまさに、この点を指摘しているのだが、残虐行為が快であり、快である以上性的欲動(エロース)を動員するだろうという筋道はその通りだとしても、そもそも残虐行為に快を割当てるメカニズムが不明なままだ。父の暴力が父にとっての性的欲動に基いていることは理解できるが、このことが、国家レベルの軍事組織の暴力を支え、更に「国民」としてのアイデンティティへの統合の背景にある、ということだとしても、このようにはフロイトは端的には表明していない。これ以外に別の答えがあるとは思えないが、なぜフロイトは端的な答えを避けたのか。あるいは、私が推測するこの答えはそもそも間違いなのか。この問題は、厄介な問題を提起する。戦争を廃棄し暴力の契機を排除するためには、人々の生育環境のなかで潜勢的な暴力を制度化する家父長制的な家族関係そのものの廃棄を伴う必要があり、このことは、フロイトが意図的に回避しようとした幼児期の性的暴力を構造化させてきた近代家族の抑圧という問題を蒸し返す必要がある。暴力の問題が、ここまで人々の生育環境と私的で親密な人間関係にまで降りてこない限り、自衛を含む暴力を肯定する心理に抗うことはできないのかもしれない。

なぜ戦争の残虐行為に性的欲動が動員され「快」が割り当てられるのかは、父-母-子のエディプス・コンプレクスのなかの暴力と抑圧の構造の延長線に――あるいは類推に――よっては理解しえない別の要因があると思う。この点は、アインシュタイン=フロイトの書簡を対象とする本稿の範囲を越えるので、一言だけ述べるにとどめたい。戦争の残虐行為を可能にするメカニズムに不可欠な条件は、端的にいえば人間の物象化である。他者を「物」あるいは「物」になぞらえうるシンボリックな存在にすることによって、殺傷行為はあたかも「物」の破壊であるかのような心理的処理を可能にする仕組みが存在する。とりわけ近代の戦争は、物象化の構造によって凄惨かつ大規模なものになり、そのための技術もまたこの線に沿って開発されてきた。人権や人道が普遍的な価値の位置を占めた近代世界が人類史上稀にみる大量殺戮の時代であるのは、他者を物とみなすことを可能にするようなメカニズムが作用しているからだ、とみる以外にない。「物」には人権はない。人間を物とみなすということは、当の人間に人権を認めないということでもある。ここには近代世界に特有の物象化と疎外のメカニズムがある。相手を人間でありながら人間ではないものとして扱かう特異な認識枠組がどのようなものなのか、それがどのようにして心的外傷を回避する作用をもたらすのかなど、様々な課題は別稿に譲ることになる。

自衛のための破壊欲動の正当化といっていい破壊欲動と性的欲動の共犯関係は、戦争を論じる場合のひとつの核心をなしている。日本のなかで、繰り返されてきた自衛のための戦力を肯定する主張が次第に多数派を形成し、平和憲法を擁護して9条改憲を否定する人達の中にすら、自衛のための殺傷行為を現行憲法9条の文言のなかに読み取ろうとする場合が少くない。9条を心情的には支持しても、戦争に伴なう被害者不安は拭い去ることができないからだ。だから国家による自衛権行使までは否定しがたい感情に囚われることになる。ここには、国家の自衛権行使の意図の見誤りがあるように思う。この問題を考える上で、個人の心理に焦点を当てたフロイトの破壊欲動とエロース的な自己保存欲動の不可分一体性という理解は示唆的だ。この議論は、個人の情動に根差した感情に関わる。個人の感情が個人を越えて集団的な心理として構成され、それが法や制度の構造と絡みあう。このように、私たちひとりひとりの心理は、ナショナリズムに収斂されるような集団的アイデンティティへと媒介される回路に組み込まれている。法制度や軍隊の問題と、この国に暮す人々ひとりひとりが、自分を「日本国民」と自認してアイデンティティを形成することが当然とされる枠組みのなかにあるという問題は、戦争を論じる場合の二つの極をなすものだ。この構図のなかで、人々は不安感情を煽られ、自己保存の欲動を私的な情動のなかで内面化する物語(フィクション)を作りだす。自分の国(この「の」が曲者だ)は正義を体現し、その周辺には虎視眈々とこの国を侵略しようと狙う不正義な国々がある――これはフロイトが第一次大戦初期に抱いたイギリスへの敵意にもみられる――かのような「物語」だ。これが、国家の物語としてではなく、私的な一個人の心情の物語として実感される。戦争が悲劇に終わろうともこの物語は容易には否定されない。フロイトですら悩まされたに違いない経験的実感は、理論的な客観視を獲得できても実感を記憶から消し去ることはできない。とりわけナショナリズムは戦争の勝敗に関わらず強固に人々の社会心理の核心を支配しつづける。

4. 理念・理性と破壊欲動

フロイトは、破壊欲動と性的欲動の共犯関係とは別に、歴史上の様々な蛮行への理念の共犯関係も指摘する。

私たちは、歴史上の蛮行を耳にするとき、理念的な動機は破壊的な情欲によって単に口実として利用されたにすぎないという印象を受けることがままあります。別の場合にはまた、たとえば異端審問における残虐行為では、もろもろの理念的な動機が意識の前面でわれ先にひしめく一方、破壊的な動機がそれらに無意識的に加勢していると思われたりもします。いずれもありえます。19

破壊的な情欲――欲動と言い換えてよいだろう――を正当化するために理念的な動機が持ち出される。逆に、理念に破壊欲動が加勢して、この理念的な動機の達成を促す。前者の場合、破壊欲動を誘引する事態が何かなければならない。その何らかの事態が破壊欲動をもたらすためには、この破壊欲動を抑制する反対の欲動が抑え込まれる必要がある。こうした欲動のベクトルの弁証法がどのようなメカニズムをもっているのかは、ここでは語られていない。異端審問のばあいは、理念的な動機が破壊欲動へと導かれる過程がこれまでの研究でも取り上げられてきた。こうした組織的な処刑の行為を遂行する教会などの組織がもつ破壊欲動は、いわゆる怒りや激情に根拠をもつものというよりも、理念が駆動力になっているのであって、理念が殺害の破壊欲動を導くことに寄与している。個人の破壊欲動が感情的な要素(怒りなど)を不可欠の条件にしているとすれば、軍や教会などの支配的な組織が破壊の主体になるときには感情的な要素は必ずしも必要条件ではない。しかし、こうした組織は、自らの行為を正当化するために、人々に対しては理念だけではなく憎悪の感情を煽る。実際の虐殺を組織化する当事者ではない傍観者たちは感情的な要素が支配的な破壊欲動の主体となることによって、加害に手を貸すことになる。異端審問であれ集団虐殺行為であれ、実際には、この両極のなかで展開されるような理念と情動の弁証法が機能しているに違いない。

5. 全ての戦争が否定されるべきものとはいえない

この書簡でフロイトは自衛のための戦争を肯定する。ここに、戦争の是非についての曖昧さがかなりはっきり示される。

共同体が個々人の生を処する権利を持つべきでないかどうかは疑問です。またあらゆる類いの戦争を一律に弾劾するわけにもいきません。折あらば容赦なく他を殲滅するつもりでいる帝国や国が存在する以上、他の国々としては戦争に備えて装備を整えておかなければなりません。

婉曲な言い回しだが、個人が生きるか死ぬかの決定を共同体に委ねることがありうると述べている。つまり野蛮で残酷な帝国の侵略のような場合には、個人が自らの生死を国家に委ねることを否定せず、自衛のための戦争の必要を肯定する。残虐な国家と、これに侵略される残虐ではない国家、このありがちな対比のモデルが前提されているが、自分が帰属する国家が果たして残虐な国家ではないということをどのようにして間違いなく判断できるのだろうか。多くの戦争は、敵を残虐とし自らを正義あるいはその被害者と位置づけることによって、自衛のための戦争行為を正当化する。こうした世界理解が虚偽であるか真実であるかは重要な問題であるとしても、破壊欲動を動員し諸個人をナショナルなアイデンティティに同一化させる枠組が功を奏するかどうかという点に関しては、真偽の問題は関係がない。世界理解は真実であれば人々の情動を動員することに成功する、ということはない。世界理解の枠組は真偽の二元論でもない。真とは言い難いが虚偽とも言い難い理解の領域があり、ここでは宗教や神話といった要素が人々の世界理解と欲動のベクトルに重要な役割を果す。また、それだけに留まらない。理念的な動機が破壊的な情欲によって口実として利用されうるのだから、理念や理性すら破壊欲動に加担する。暴力的な国家を構成する人々や権力者はなぜ破壊欲動を権力の具体的な制度として実体化するところにまで至ることが可能なのか、こうした問題にここでは応えていないが、その答えは、情念ではなく理念的な支えの存在だろう。それは哲学や美学であるかもしれないし、歴史学であるかもしれない。フロイトはこの点に気づいてはいても深追いをしていない。

浮世離れした理論家ではなく現実主義的な一個人としてフロイトは、自らの専門性をこうした現実にある権力の破壊欲動の根源にあるものを探ることも断念し、また、これを回避する上で必要な心的な構造の模索も断念している。フロイトが精神分析の専門家であって政治や社会を対象とする学者や活動家であるわけではないのだから、こうした問いをフロイトに投げかけるのは、御門違いだという批判がありうるかもしれない。しかし、フロイトは、社会のありようと自分の専門性との関係に無関心ではなかったし、むしろ社会と個人の心的な状況との関係こそが彼にとっての関心を支える背景に一貫してみられるものでもあった。ただ単に禁欲的な研究者であり分析家であったわけではない。だから、とくに第一次世界大戦を契機に「戦争神経症」について関心を寄せ、共同研究を残し、集団心理についても独自の考え方を示してきたのだと思う。

他方で、フロイトが社会(共同体)と個人の関係を理解するために利用可能な持駒には独特な偏りがあることも確かだ。それは、個人と社会(共同体)との繋がりを構成する枠組には、個人が家族関係を介して家族の外部にある、より大きな社会集団と繋がりをもつことを、個人の出生から成人に至る成長過程を視野に入れて自我形成を理解しようとする側面と、他方で、私からすると大きな飛躍があると感じるのだが、「原父」といった概念に示されているような太古の時代へと遡及するような半ば遺伝的な系譜を含んだ歴史的な時間のなかで個人のパーソナリティの宿命的な側面――これを「エス」と名付けるようになるが――があるのだが、この両者を媒介するより精緻な歴史と個人の関わりを架橋するような枠組みが欠如している。だから近代国民国家という歴史的な権力の構成のなかで戦争が組織化され、人々が動員されるという構造もまた不十分なままになる。

とはいえ、家族関係のなかでの生育環境がパーソナリティにもたらす影響――ここには個人が意識することのできない無意識の領域も含まれる――という微視的な個人の特性に焦点をあてることにおいては、フロイトの枠組は比類のない重要なパラダイムであることは間違いない。ここを出発点として、近代国民国家の歴史のなかで演じられてきた破壊欲動の構造化とでもいいうるような戦争と個人の関わりをめぐる多くの重要な業績がフロイト以後に生み出されることになった。だから、フロイト以後の戦争や暴力をめぐる議論が、家族と国家の歴史認識のミッシング・リンクを繋ぎあわせるための様々な試みとして展開されてきたことは当然の成行きともいえる。私がここで念頭に置いているのは、たとえば、エーリッヒ・フロム、ウィルヘルム・ライヒといった同時代といっていい人達から、ハーバート・マルクーゼ、(ライヒを踏まえた)ドゥルーズ=ガタリ、あるいは、スラヴォイ・ジジェクやジュディス・バトラーといった現代の理論家たちまで、フロイトと戦争や暴力の問題への関心は途切れることがない。

6. 破壊欲動と生物の宿命

フロイトの破壊欲動が戦争と関連づけられるとき、破壊欲動が人間に生来備わっている欲動であるということから、戦争を回避できないという理屈が生まれがちだ。いわゆる人間には破壊本能があるのだから戦争という破壊行為を避けることはできない、といった俗説的な戦争宿命論の類いだ。フロイトは次のように書いている。

[破壊]欲動が生あるものすべての内に働いており、さらに、その生体を崩壊に至らせ、生なき物質の状態に連れ戻そうという志向を備えているという見解に至ったのです。この欲動は、文字どおり死の欲動という名に値します。(略)死の欲動は、特別な器官の助けを借りて外部へ、対象へ向けられると、破壊欲動となります。生物はいわば異物を破壊することによって自分自身の生を維持します。しかし、死の欲動の一定部分は生物の内部に残存し働きつづけます。20

上の文脈では、「死の欲動」とは、生命体が死す運命にあるということの言い換えにすぎないものになっている。ここでは、自然死を受け入れさせるメカニズムが人間のなかには存在する、という以上のことを意味していない。その上で、フロイトは、この死の欲動が「特別な器官の助けを借りて外部へ」向かうことによって、破壊欲動になるという。私は、この議論には疑問がある。ここで「特別な器官」と呼んでいるのは、「生物はいわば異物を破壊することによって自分自身の生を維持」すると例示しているように、たとえば口を使って獲物を咀嚼して食う行為のような場合だろう。死の欲動がこの意味に限定されるなら、主題になっている戦争や残虐行為の説明からはかなり程遠く、この説明は、戦争という手段を選択する理由としては説得力に欠ける。戦争もまた自己保存の一つの現れ――いわゆる自衛のための暴力――だとしても、戦争は、生物としての生存を維持するための食糧の獲得、あるいは飢餓⇒死を予想しての自己保存の手段としての獲物の捕食行為に類するもの、とはいえない。この意味での死の欲動を戦争の文脈でもちだされてしまうと、戦争はなくても生きられる方策はいくらでもあるはずではないか、という素朴な疑問にすら答えられないことになる。

フロイトはこうした生物学的な観点に後段で再度言及し、「人間の中にある醜く危険な志向」としての破壊欲動を「なんとか打破できないものか」と自問しながらも、この破壊欲動が生物学的な根拠をもつ以上避けえない性向であることを認め、破壊欲動への志向「のほうが、それに対する私たちの抵抗よりも自然本性に近いというのは認めざるをえません」21とまで述べる。戦争もまた生物学的な宿命にその根拠があるかのようなこの言い回しによって、破壊欲動から派生する戦争へと向かう動きは、ある種の悲観論的な宿命論になってしまう。

そもそも戦争というものは自然の道理に適い、生物学的にも歴とした基礎を持ち、実際面ではほとんど避けられそうにありません。私の問題提起に驚かないでください。(略)右の問いに対する私の答えは次のようなものでしょう。いわく、なぜなら、人間は誰しも自分自身の生にこだわりそれを処する権利を持つからであり、また戦争は希望に満ちた人生を破滅させ、個々人をその尊厳を辱めるような状態に追いやり、彼らをして、望んだわけでもないのに他人を殺害するように無理強いし、人間の労働によってもたらされた成果である貴重な財貨を破壊するからだ。そればかりではない。たとえば、戦争も現代のような形態になると、昔の英雄的な理想を充足する機会を与えてくれないし、また招来の戦争は、破壊手段が完成し、敵対する陣営の一方だけではなく、もしかすると双方の側もろともの根絶を意味することになるだろう….。22

この悲劇的な結末が自明であるにもかかわらず破壊欲動を抑制できないでいることについてフロイトは「挙げて人類が一致して戦争遂行を棄却していないのを不思議に思うほかありません」と述べている。彼が持ちだした破壊欲動の仮説をもってしても戦争がなぜ存在しつづけるのかを説明できていない、ということを率直に認めた形だ。

この引用文に続けてフロイトが次のように述べているところに注目したい。

私たちは相当数の正常な現象や病的な現象をこの破壊欲動の内面化から導き出すことを試みました。良心の成立を、攻撃性が内部へ向けられることから説明するという異端に手を染めさえしました。 お察しのとおり、この現象があまりに大規模に行われると、まったく危なげないとは言えません。端的に不健全であります。23

破壊欲動の内面化と良心という問題は、性的欲動に含まれる近親相姦のような逸脱を抑制し自らに欲動断念を強いる超自我がもたらす社会規範への従属の問題でもある。破壊欲動の内面化は破壊欲動を抑え込むが、フロイトは、これが「危なげないとは言えません」とか「不健全」だと言うのは、これが精神的な疾患となることがありうるからだろう。しかし、破壊欲動の内面化は、別の道を見出して露出することがある。つまり、内面化は、暴力という手段を選択しなように人間の行動を規制することを意味するのではなくて、逆に、破壊欲動が自己の欲動の基本的な性質として自らの自我を乗っ取り支配し、破壊欲動が人格を支配してしまうような状態になる場合がありうるからだ。しかも良心は、ここでは暴力や破壊欲動を断念させるものではなく、逆に、破壊欲動を発動させることを禁欲しようとする傾向を断念させ、暴力へと差し向けようとすることに加担するようになる。多くの人々が国家のために戦場に赴き敵を殺害して歓声を上げ、自らの命も国家に委ねることこそが良心が命ずることなのだ、というふうに、超自我の構成も性的欲動も破壊欲動に加担することができるように転換することにもなる。フロイトがあえて「この現象があまりに大規模に行われる」場合に言及しているのは、個別に見いだされる破壊欲動の断念をめぐる個人の葛藤や良心に由来する強い抑圧とは逆に、大規模な集団的な現象になったときには、良心による歯止めは効かずに破壊欲動の内面化が容易に外部へと方向転換しうる事態がありうる、ということを示唆していると解釈したい。そう解釈したとして、なぜ大規模な現象においてはこうした事態が生ずるのか、その理由については述べられていない。

7. 物質的な充足と平等による攻撃性の消滅は錯覚である

貧困と不平等が社会的な摩擦の背景にあり、戦争もまたその現れである、という考え方はフロイトの時代にも根強くあった。これに対してフロイトは、平等で物質的に充足された社会こそが平和の到来の前提だするボルシェビキの主張には同意しない。フロイトは、平等と物質的充足によって「人間の攻撃性を消滅させることができる」というのは「錯覚」に過ぎず、この考え方ではせいぜいのところで「なるべく別の方向に誘導して、攻撃への傾向性が戦争で表現される必要がないようにすることぐらい」24だという。戦争が抑制されるだけでも重要な転換だと私は考えるが、フロイトはこれを重視せず、人間の攻撃性の消滅に繋がらないことを重視する。

フロイトは、戦争ではない状態が人間にとって文字どおりの意味での平和ではないと考えている。フロイトが重視するのは社会の平和ではなく個人の「平和」なのかもしれない。フロイトは「好んで戦争へと向かう態度が破壊欲動の発露ならば、この欲動に対抗するには、それに対立する存在たるエロースに声をかけるというのが当然、考えられるところです」25という。エロースとは戦争に抗う感情の絆のことだが、これには二種類ある。ひとつが「愛する対象へ向かうような関係」であり、もうひとつが「同一化による一体感」だという。しかしフロイトは、エロースは自己保存の欲動によって自衛のための暴力に加担する、と指摘していたのではなかったか。愛する対象に向かう場合であれば、この愛する対象の生存の危機に対して、この危機を招来する者への攻撃が動機づけられるだろう。同一化の場合も、同一化の対象の危機は自らの危機でもあるから、こうした危機を招来する者への攻撃をもたらすだろう。いずれも攻撃である以上破壊欲動に主導され、結果として破壊欲動に帰結してしまい、破壊欲動に対抗するという目的には寄与しない。

これに対してアインシュタインに示唆されて、フロイトは、「理想的な状況」と断わりながら「自らの欲動生活を理性の独裁に服従させた人間たちの共同体」26であれば「完全で抵抗力を持つ、人間の結束を呼び起こしうるもの」であって、感情の絆が断たれても、結束は揺がないのではないか、と指摘する。しかしこれは「九分九厘、ユートピア的な希望」に過ぎないとして自ら却下してしまう。

結局フロイトは紆余曲折を経つつ、自らの専門性からの回答を断念している。「浮世離れした理論家」という自らに向けたかのような皮肉まじりの言い回しをしつつ、「いま手許にある手段でもって、それぞれ個別に危機に対処するように努めるほうがいい」27という現実主義に軍配を上げてしまう。

同時に、更に「なぜ私たちは戦争に対してこれほどにも憤慨するのでしょうか」「なぜ私たちは人生の数ある辛い窮境の何かほかのひとつのように、戦争を堪え忍ばないのでしょうか」28とすら自問する。特別に憤慨すべきことではないかのような言い回しだ。ここにはフロイトのアンビヴァレントな感情が滲み出ている。彼は直感的に自らの率直な感慨として、戦争を否定しようという気持を抱いていることは間違いないが、こうした「平和主義者」の態度を最初から持っていたわけではなく、むしろ戦争に熱狂した自分をも経験している。この経験は、彼の心理学者としての専門家の知見に基いて選択されたものではない。フロイトは、この書簡の中で、なぜ自分は戦争を肯定しオーストリア人としてのアイデンティティに同一化したのか、なぜ自分は戦争への熱狂から覚めて冷静な判断を取り戻すことになったのか、という自らの経験の振れ幅のなかで揺れ動いている。

8. 神話と文化

フロイトはこの書簡の最後で、破壊欲動をある種の生物学的な必然の側に置きながら、人間には、これに抗う可能性があることを示唆する。この可能性とは、人間にしかない文化的な条件である。そして、自然本性ともみなされる破壊欲動に対して、これに抵抗する自己の存在が由来するものとして「神話」に言及するやや不可解な一節がある。

「 もしかするとあなた[アインシュタイン]は、私たちの理論が一種の神話だ、しかも神話であるにしてもいささかも悦ばしい神話ですらない、という印象をお持ちかもしれません。しかし、すべての自然科学は最終的にこのようなある種の神話に行きつくのではないでしょうか。今日、あなたがたの物理学では事情は異なるでしょうか。」29

こう述べた直後に「とりあえず人間の攻撃的な傾向を廃絶しようと望んでも見込みがないということを引き出しておきましょう」と書いている。これは、攻撃的な傾向を廃絶することは不可能な目標だが、これを抑圧することはできるという含意を残した言い回しである。フロイトがここで神話と呼んでいる意味内容をやや論旨から外れて飛躍的に解釈しておきたい。30ここで「神話」と呼んでいるのは、エディプス・コンプレクスのようなギリシア神話をモチーフにした暴力の物語が念頭にあってのことなのか、あるいはより一般的にフロイトがトーテミズムやその他の古代あるいは原始社会について抱いている事柄に関わるのか、それにしてはあまりに無限定な表現だ。しかも神話という概念は、フロイトにとってはかなり重要な位置を占めていることを念頭に入れると、ここで精神分析理論がある種の神話だ、という大胆な断言を含んでいるので余計謎が深くなる。31とはいえ、神話をもちだすことで生物由来の破壊欲動に抵抗する何らかの対抗的な立場が想定されていることは理解できる。

神話や儀礼にみられる象徴的な破壊行為やその表象は、現実の破壊行為を回避するものであり、暴力を内包しながらもこれを廃棄できないからこそ、これを抑圧する人間の心的な構造の発達として捉えることもできる。たとえば、家父長制的な家族制度のなかであれば、父の絶対的な権力を背景にして、暴力の実際の行使に至らない抑圧的な秩序の形成によって、子どもたちはエディプス・コンプレクスを内面化することで暴力は潜勢化し「平和」的な外観の均衡が確立される。しかし、この枠組みの外部には、この均衡に還元できない複雑な欲動のベクトルによって、結果的に暴力の実際の発動を促す力が出現する。家族関係の内部に潜在的に内包されている暴力を顕在化させない権威主義的な抑圧の構造は、その外部に対しては機能しない。私の疑問は、こうした象徴的な側面は何も「原父」を持ち出したり、古代や原始の神話を参照する必要はなく、むしろ近代世界が生み出した象徴的な権力の構造で十分説明できるし、説明しなければならない事柄だ、という点にある。むしろ近代の権力は、古代や原始に時代、あるいは神話的な物語を想起させることによって権力の歴史的な正統性を示す必要があることの現れなのではないか。

9. 文化の所産

これまで私は、破壊欲動に焦点を当て述べてきたために、破壊欲動が人間にとって支配的な欲動だというのがフロイトの主張の基調にあるという誤解を生みそうだが、もちろん、そうではない。フロイトに一貫しているのは、むしろ快原理こそが人間の欲動の基調をなすといってもいいものだとみなしている。だから戦争に憤慨することは当然の感情だということ、「私たちが平和主義者であるのは、もろもろの器質的な原因からしてそうあらざるをえない」32とも言うが、しかし、そうであっても破壊欲動は消し去ることができない。

フロイトは、戦争が常態化しないのは、快と不快とは不可分一体のものとして存在しながらも、この対立するベクトルから合成される現実の行為の方向性が、快を求め不快を回避する「平和主義者」の性向が支配的だからだ、考えている。しかし、重要な観点は、「平和主義者」であることが人間の基調にあるとしても、それが戦争を否定したり拒否すること、あるいは戦争を廃棄することを意味してはおらず、戦争を回避できる道筋には位置していない、という点なのだ。人間社会は、日常的な暴力を介して共同体を構成し、その構成員を支配しているわけではなく、暴力によらない統治――潜勢的な暴力による統治――が共同体の紐帯や支配の基本的な支えになりつつも、間欠的に顕在的な暴力の行使が不可避なものとして登場することが許される。フロイトの文脈でいえば、それが法によって定められた暴力だということになる。共同体そのものが外部の他者に対して、同じ人間としての尊厳を認めず、むしろ「物」であるかのようにみなして支配を当然とする価値観をもつばあいであれば、暴力はより頻繁に他者への支配の手段として行使されるだろう。

なぜ戦争を回避できないのか、という問いへのフロイトの答えは、ある意味で人間の生物学的な器質に根拠をもつ暴力へと立ち戻ってしまうために、宿命的であり回避不可能性が答えになってしまう。これが人類の将来にまで該当するものだと宿命論として前提されてしまえば、戦争を廃棄すること、あるいは暴力による権力支配を廃棄すること、という将来に向けた課題を設定すること自体を無意味なものにしてしまう。33

さて、フロイトのアインシュタイン宛の書簡に戻ろう。この書簡は「文化」の問題への言及で終えられている。ここに、快原理の衰退とも受けとれるような歴史の経緯についてのフロイトの理解が示されている。フロイトの快原理の基本にあるのは性愛であり、性的な欲望の充足がもたらす快への肯定的な価値観だ。性的欲動が戦争に加担し共犯関係をもつことは先に指摘した通りだが、今、この議論は脇に置いておこう。フロイトは、性的な快楽の枠組みが、一方で近親相姦へのタブーにみられるような社会的な禁忌による抑圧――近代家族はこれをエディプス・コンプレクス、つまり家父長制として制度化する――と同時に、社会的に容認あるいは推奨されるような性的快楽の充足のルール、社会的規範としての近親相姦のタブーに抵触しない性的な諸関係の構築によって形成されるとみている。性愛の快楽は、性器性交に収斂するかのようにみえるが、そうとは限らず、異性愛に限定されることもなく、人間には本来多様な性的嗜好が存在することをフロイトは肯定する。性道徳の社会的な規範は、こうした人間が本来もっている快原理を何らかの形で抑圧せざるをえない。従って、人間の性的嗜好や実際の性行動は、この規範とこれからの逸脱の弁証法的な構造をもつ。この規範がもたらす抑圧と自己の内面にある規範を逸脱する快への志向の間の摩擦こそが心的な疾患の根源にあるものだともいえる。

その上でフロイトは、この書簡の最後に、文化的な過程が「性的な機能をいくつかの点で損って」34いると指摘している。いわゆる文明化された社会になればなるほど出生率が下がる、という今現在でもよく指摘されるような傾向が当時からあり、このことをフロイトは指摘している。そしてこうした出生率の低下は「特定の動物種の家畜化に比べることができるかもしれません」「この過程には身体的変化が伴うのは疑いないところです」とまで指摘し、「文化の発展がこのような器質面での変化の過程」であり「この変化とは、欲動の目的の遷移」の進行であるとも書いている。こうした変化はフロイトにとっては「文化の発展に伴う心的な変化は顕著で、紛れもない事実」とすら言う。器質的変化が具体的に何を指すのかは明示されていないが、文脈上からすれば、性的な器質の変化だろう。性的な欲動が何か別の破壊的な欲動ではないものへと「遷移」しつつあるという判断だが、ここで二つの点が重要だという。つまり「欲動の活動を支配しはじめる知性が強まること」であり、もうひとつが「攻撃的な傾向性の内面化」35だという。そして後者は「有用な帰結も危険な帰結も多々伴います」と補足する。欲動を支配しはじめる知性とは、欲動を制御する超自我の言い換えだろう。アインシュタイン宛の書簡であることを踏まえれば、この知性とはある種の科学的な認識とでも括ることができる人間の知的な活動一般を指しているのかもしれない。欲動がもっぱら生物学的な器質に基づく人間の感情に属する領域を占め、これに対峙する超自我が道徳や倫理、あるいは宗教的な教義といった価値観に体現されるものとみなされがちななかにあって、人間の出生から成人に至る発達過程に占める親と子の関係のなかで構成される欲動の抑圧よりももう一段社会性をもって欲動を抑える要件として、知性が示唆されているのかもしれない。

文化の発展に伴なう器質変化過程が欲動の目的の遷移を伴うとして、それが戦争とは真逆の方向へと人類を導くことになる、というフロイトの考え方には納得しがたいものもある。というのも、人類史をある種の文化の発達――「発達」とは何なのかは今は問わない――の歴史であるとみるとして、この歴史が戦争を抑制する方向をとって進化してきたと判断する二つの方法がある。ひとつは、経験主義的に――あるいは帰納主義的に――事実の積み重ねから戦争の抑制傾向を証明できるとする方法。もうひとつは、快原理のように、何らかの人間の本性のなかには戦争や暴力を忌避する性向があり、これを実現する方向で歴史は進化するだろうと判断する方法だ。いずれにも難点がある。前者は、データのとりかたから戦争や暴力の定義と現実の事象との対応の手法まで、様々あり、恣意的になりやすい。後者もまた、人間の歴史的な進歩や発達についての一定の価値観なしには成り立たない。この問題は、人類史の長期的な趨勢を暴力が抑えられる方向で発展してきたと理解することができるかどうかにかかっている。36フロイトの観点に即してみると、たぶん、個人であれ集団であれ、自己の性的欲動を維持する手段として、自らを脅威に晒す他者に対する破壊欲動が強化され他者を駆逐するか従属させることを通じて自らの性的欲動を充足させる方向が、人類史のこれまでの歴史がとってきた方向ということになる。この方向は、同時に、文化的な要素のなかで知性や理性への比重が高くなればなるほど、性的欲動も抑圧されるが、より脆弱になった性的欲動を防御するためには、従来以上により強力な破壊欲動を他者に向ける必要がでてくる。この流れでは、戦争はますます蔓延し、破壊欲動を実現するための手段(兵器や武器など殺傷技術)はますます高度化することになる。そうでなければ脆弱な性欲動を防衛できない。そしてこの関係のなかで、破壊欲動の発動を正当化するための普遍的な言説を理性が担うことになる。たぶんフロイトの文脈のなかで、彼が見逃したのはこうした筋書きのなかで戦争が肯定され蔓延する方向がありうるという観点だったのではないだろうか。

フロイトは「文化の過程が私たちに強いる心理的な態度に真っ向から楯突くのが戦争です」37と述べているのだが、ここで言われている戦争と対立する文化の側につく心理的な態度の核心にあるのは、「知性」であり、また有用な帰結をもたらすような「攻撃的な傾向性の内面化」だ。つまり、戦争を抑止する傾向は、一方に「知性」として示されている理性的あるいは合理的な人間の判断や行為規範と、他方で人間の攻撃や破壊の欲動を抑制する知性や理性にはなしえない別の人間の側面、情動そのものの内部にある破壊や攻撃とは真逆のベクトルをもつものであり、快の欲動が攻撃的な傾向を抑圧する方向で抑え込む。攻撃欲動の自己制御の可能性が示されている。暴力を抑制する主体の確立の可能性が文化の発達や知性の傾向のなかから生み出されうるものとみているように思う。

しかし他方で、この同じ主体は、まさに主体的な選択として攻撃欲動を選びとる、ということにもなりかねない。この攻撃欲動には知性が関わるのであって、合理的な判断を背景として手段としての攻撃や破壊が選択される。欲動の蠢きは、ある意味では知性的な制御を受けつつも攻撃や破壊を回避する方向には向かわずに、むしろ自己保存と快の欲動を味方につけて、より一層強力な力を発揮することになりかねない。

フロイトの観点は常に相対立しあうベクトルの複雑な組み合わせの上に人間の感情や行動を捉え、矛盾した条件が並列して提示される。これは、論旨の破綻ではなく、固有の弁証法である。フロイトにとって、戦争とは不可避だが、同時に「憤慨せざるをえない」対象でもある。戦争は不可避であるが、同時に「戦争に耐えることなど、私たちにはもはやそもそもできなくなっています」とも書くように不可避であることに抗う傾向が必ず存在することに確信を持つ。そしてほぼ最後に近い箇所で次のようにも言う。

それ[戦争の拒否]は単に知的で情動的な拒否ではありません。それは私たち平和主義者にあっては、器質的な不寛容であって、ひとつの特異体質がいわば極端に肥大化したものなのです。また、残酷であるのに加えて、戦争が美的な観点からしてこき下されているのも、私たちが戦争に反発を覚える大きな理由のひとつではないかと思われます。38

平和主義者となることが特異体質の極端な肥大化だという言い回しは、平和主義者であることが社会のなかの異端であることの表明だが、しかし、他方で、「文化的な態度と、将来の戦争が及ぼす影響に対する当然の不安」が他の人々をも平和主義者につくりかえて「近いうちに戦争遂行に終止符が打たれるであろうというのは、ひょっとすれば単にユートピア的な希望ではないかもしれません」そして「文化の発展を促すものはすべて、戦争に立ち向かうことにもなるのだ」39とあえて楽観的な見通しを述べてはいるが、私はこの言葉を額面通りには受けとれない。

10. 落とし穴――死の欲動で戦争は理解できない

アインシュタインは人間の本能的な欲求のなかに憎悪に駆られる破壊衝動があり、これが多くの人々を戦争に抗うのではなく、むしろ自発的にすら動員される根源にあるのではないか、という深い絶望的な人間への不信ともいえる認識を示していた。だから、戦争を阻止するためにこうした破壊欲動を阻止する方法をフロイトに問い掛けた。フロイトの回答は上にみたように紆余曲折し、端的には答えていない。平和主義者を自称するフロイトは願望としての平和、嫌悪の対象としての戦争を語りはするが、社会はむしろ戦争を肯定し破壊欲動を正当化しようとする傾向があることも認める。人間は平和を選択することもあれば戦争を選択することもあり、この選択肢から戦争を除外することはできない、どちらに転ぶかは、誰にもわからない。

フロイトは死の欲動という新たな概念を戦後になって導入するが、これは戦争をめぐる人間の心理への答えにはなっていない。戦争が最も深刻な問題として人々の間で議論になるのは、戦争行為が人間による人間に対する目的意識的な殺傷行為だからだ。殺傷行為は死の欲動に根拠をもつと解釈することはできるが、死の欲動が必ず殺傷行為を伴うわけではない。殺すことと殺されることはともに殺傷行為であっても同じではない。死の欲動は、そのいずれにも関わるが、それが性的欲動のベクトルとの間で形成される情動のあり方は基本的に異なるように思う。フロイトは死の欲動を論じてはいても、どのようにしてこの欲動から殺傷行為が発動されるのか、その道筋を明かにはできていない。むしろフロイトは、死の欲動と殺傷行為を同じこととして扱ってしまったために、殺傷行為が人間の器質的なレベルにまで遡って不可避であるかのような印象を与えてしまうことがある。しかし、常に、こうした印象は打ち消されもするのだが、その打ち消しには説得力が欠けてしまう。俗な言い回しをすれば、本能vs文化あるいは野蛮vs文明といったつまらない二項対立の通俗的な歴史観にフロイトもまたどこか囚われている印象を拭えない。

私は、死の欲動を肯定するが、それは、生命体である以上避けられない「死」にかかわる心理的な機制であって、それが暴力と関わるかどうかは、一概には決められないものだと思う。逆に、性的欲動は、死と対極にあるのではなく、自らの性的欲動を発動あるいは防衛するために他者に向けた暴力を積極的に肯定する(サディズムとも関わりがあるとみてもいい)側面があり、この意味では性的欲動は死の欲動の担い手にもなる。殺傷行為がこうした欲動の構造とどのような関わりをもっているのかは、フロイトの議論だけでは理解できない。この短かい書簡だけでなく、他の彼の著作を通してみても、殺傷行為を、個人であれ共同体全体についてであれ、直接現代の戦争を対象にして論じたものはほとんどないのではないだろうか。むしろ殺傷行為に関わる議論は神話や人類学に関連する文献のなかで登場し、これが現代の社会や人間の心理を理解するための手引きとされるという迂回路を通っている。なぜだろうか。

もうひとつのフロイトの理解に関する問題は「文化」についての評価にある。彼は、この書簡の最後で、文化の発展が戦争に立ち向かう方向をとることにかなりの確信をもって断言している。全体として未開社会と比べて文化的に発達した社会の方が暴力への傾向が低減するとみている。この理解については、ひとつだけ反論を挙げておく。なぜ、近代以降、殺傷力の高い兵器が次々と開発されてきたのか、その根拠をフロイトの文化論の枠組みでは十分には答えられない。兵器の高度化は、とくに近代社会に入って目立っており、第一次大戦はその惨劇を典型的に示した。文明国が最も野蛮な大量破壊兵器を投入し続けた事態をフロイトは十分に知っている。そうであっても、文化の発達に期待したとすれば、それは何故なのだろうか。

フロイトに欠落していたのは社会に対する批判的な認識の枠組みであり、これが文化をめぐる評価を誤らせたと思う。同時に死の欲動をはじめとして、人間の心理を、太古の時代の原父のイメージへと還元しがちなところにも、家族関係(制度)とその外にあって家族制度とその成員のイデオロギーを構築している社会関係への心理学的な関心が十分ではなかった、ということにも繋っている。こうした課題は、後の世代に委ねられることになる。

11. 社会集団による目的意識的な殺傷行為

そもそもアインシュタインの書簡は、国家などの社会の統治機構が軍隊のような殺傷行為を目的とした組織を構築し、更に殺傷能力を高度化するような技術の開発が意図的に図られるような社会のありかたを的確に捉えていない。むしろ、彼は、こうした社会組織がもたらす暴力を個人の憎悪の感情に還元してしまっている。その結果、暴力の問題をある種の人間の本能由来のものではないかと捉え、戦争を廃棄する出口を自ら塞いでしまった。フロイトの応答の基本的な枠組みもほぼ同様だ。アインシュタインもフロイトも軍事組織という特異な集団が破壊欲動に支配されるメカニズムのなかに冷徹な理性的な判断が貫徹していることにほとんど関心をもっていない。関心は、組織ではなく、組織を構成する個人の心理に向けられており、個人の心理に潜む破壊欲動の問題を捉えさえすれば、その総和としての集団の心理も把握できるかのようですらある。軍を組織し、兵士を教育する体系は、憎悪によっては不可能だ。個人と社会を繋ぐ位置にフロイトは文化を置き、個人の破壊欲動の抑制機能を与えようとした。原父の物語を背景としたエディプス・コンプレクスによる家族の抑圧――父の権威=力の潜勢力による暴力の抑制メカニズム――は、それだけでは近代国家の軍事組織の発展も兵器技術の開発への動機も説明するにはかなりの媒介項を必要とする。

フロイトには集団心理について、しかも軍隊を事例にした著作があるので、安直な個人主義にはならないはずではある。40しかし、フロイトは、個人が集団に同一化するメカニズムの説明には苦慮しているようにみえる。集団それ自体が、一種の「主体」とみなしうる自律した心理を構成するかどうかは、フロイトの時代にあっても重要な争点だったとはいえ、フロイトは明確な答えを提起しているとは思えない。

戦争や暴力に関して引き合いに出される破壊(死)欲動に限らず、欲動という概念で括られる人間の情動は、理性的で合理的な冷静な判断、あるいは良心に代表されるような性向とは別のものとして分類されがちだ。こうした区分けをしてフロイトの理論を解釈することはフロイトの問題意識に反するだろう。実際にはこれらの様々な要因が同時に作用しているはずであって、このことは戦争行為にあってもいえることだ。戦場で敵と対峙する兵士は、破壊欲動だけに支配されているわけではない。正確に照準を合わせて最適の瞬間に引き金を引く行為は、客観的な状況判断がなければできないし、軍隊が厳格に守らせようとする指揮命令系統に従属する意志のなかには、組織に関する合理的な認識が前提になる。だが同時に、多くの兵士は、殺傷行為を忌避したいという感情も抱くし、逆に見境のない憎悪に駆られることもあるだろうし、絶望的な恐怖によって深刻な心的外傷を被ることもあるだろう。このように考えると、戦争や暴力が国家や社会の集団的な意志として発動される場合には、破壊欲動の役割は、実は小さいのかもしれない。むしろ大規模な殺傷行為が首尾よく具体化されるのは、破壊欲動によるのではなく性的欲動に淵源をもつ自己保存欲動の過剰な発動を軍という組織理性が巧妙に制御することによるのかもしれない。このとき、個体の自己保存欲動と社会集団の自己保存――これに「欲動」と呼びうるものがなければならないのだが――とを混同してはならないだろう。社会集団の自己保存メカニズムのなかに諸個人が自己同一化することによって、社会集団の自己保存メカニズムには自己保存欲動と呼んでもさしつかえないような集団心理が構成されるのだろう。しかもこの欲動は、合理的で客観的な判断や良心や道徳といった社会的な個人を縛る価値観を根拠にして構成される。理性的であることとは暴力的であることを意味するが、しかし、そうであるにもかかわらず、この暴力は理性の名において正当化される。

問われるべきなのは、社会集団が目的意識的に殺傷行為を目的とする組織を構成しないために必要なことは何なのか、ということである。これに対して人間の器質的な破壊欲動をもちだしてきて、こうした殺傷目的の社会集団の形成を回避することは不可能だ、と論ずるのは妥当とはいえない。殺傷を目的とする社会集団は個人の破壊欲動にのみ基づくものではないからだ。ましてや死の欲動とはますますベクトルが異なる。人間集団が社会性を帶びざるをえず、私たちが今直面している戦争が、近代世界に基盤を置くものであることを念頭に置くとすると、アインシュタインの問いもフロイトの返答も、問題の核心を突くことができないものだったと結論せざるをえない。

では、この往復書簡は全く無意味なものだったといえるかというとそうではない。戦争には、国家理性が動員される冷静な計算に基く殺傷の組織化がある一方で、個人のレベルに焦点を当てれば、あきらかに熱狂的な愛国主義による戦争を支持する感情なくして戦争を遂行することはできない。大衆の感情と支配層や統治機構の冷徹な計算理性との間には真逆のベクトルが作用している。フロイトの返答は、むしろこうした熱狂する個人の心理を明かにすることには何らかの寄与がありうると思う。なぜ、戦争を支持し、さらに、より積極的に戦争に加担しようとする個人心理がいかなるものであるのかを解明することは戦争批判の議論にとって重要である。とりわけ民主主義的な意思決定を経て軍事力の保持や戦争を国家の政策として承認するばあい、個人のなかにある破壊欲動と理性的な判断、プロパガンダや偽情報に煽られる感情の動揺、プロバガンダや偽情報を情報戦として冷静に組織化する集団心理、不合理な社会理解への集団的な同調など、様々な要因が個人を襲い、その経過のなかで、戦争に同意・加担する意志が形成されるとすれば、個人が直面する問題に焦点を当てて、戦争に抗う判断と情動を組織することもまた反戦運動にとって重要な課題になる。戦時体制にある国家の中で、戦争に抗う対抗的な下位の社会集団が形成できるかどうかは、戦争を阻止する上で重要な必須条件だ。そのためには、こうした集団に帰属意識をもつ対抗的な集団心理が生み出されなければならない。戦争に向うそれらを打ち消すように、欲動のあらゆるベクトルや合理的な判断を組織しれなければならない。これは社会運動の組織論であり政治過程だが、同時に、社会を構成する人々のなかに、対抗する社会心理の弁証法を打ち立てることでもある。

集団的な殺傷行為を人類の器質的な要因に還元して宿命とみなすことは、事実上戦争の不可避性を承認することでもある。しかし、私はこうした宿命論には多くの問題があり、戦争を廃棄する可能性を断念すべきではないと強く考えている。私たちには常に戦争以外の可能な選択肢が与えられていることを忘れてはならないと思う。

12. 書簡にみられる戦争と平和をめぐるフロイトの振れ幅の意味

この書簡では、フロイトが個人的な経験や現実主義的な観点に立って議論しようとしている場合と、心理学者としての専門家の知見から導かれた理論から現実を判断しようとする場合があり、その振れ幅が大きい。

たとえば、フロイトは戦争が繰り返されてきた歴史的な事例を簡単に振返りつつ、戦争によって、外部の敵に立ち向かうことを通じて共同体内部の対立や紛争が逆に収められる場合があることを次のように指摘する。

戦争は、強大な中央権力によって内部でのそれ以上の戦争が不可能となるような強大な統一体を創り出すことができるゆえに、人々の待望する「永遠の」平和を打ち立てるための手段として不適格ではないというのは認めなければなりません。41

これは現実主的な戦争観だろう。だが、すぐ続いて「戦争はやはり平和樹立の役には立ちません」と上の議論を打ち消し、戦争で得られた成果や共同体の統一は早晩瓦解するだろうともいう。その理由は「暴力的に統合された各部分を結束させることができなかったから」42だという。これは彼自身の主観的な経験に基く判断に影響されているのかもしれない。フロイトは第一次大戦の開戦当初、この戦争を熱狂的な肯定感をもってみていた。アーネスト・ジョーンズは、伝記のなかで、開戦当時「私の全リビドーはオーストリア・ハンガリアに与えられた」というフロイトの言葉を紹介している。ジョーンズは「彼は30年来はじめて自分がオーストリア人であるのを感じた」瞬間でもある、とも書いている。43 彼がドイツ・オーストリアのナショナリズムと戦争イデオロギーから脱却するには、それなりの時間を要している。その経緯をジョーンスは以下のように書いている。

戦争のはじめの二、三年は、フロイトはむろん完全に中欧諸国に同情していた。それは彼があれほどまでに密接に結びつき、彼の息子達がそのために戦っている国であった。彼は愛するイギリスを嫌うようにさえなった。イギリスは今は「偽善的」になったのだ。明らかに彼はドイツは、ドイツを亡ぼそうとたくらんでいる嫉妬深い隣人達に「包囲されて」いるのだというドイツ側の説明を受け入れていた。戦時中ずっと後になってはじめて、連合国の「宣伝」が戦争に関連する道義上の問題について彼に疑問を生ぜじめ、その結果、彼はその時に両方の言い分を共に疑う気持になり、論戦を抜けだしてそれより高いところに立ちうるようになった。 44

フロイトは、一般的なオーストリア人が抱いたであろう戦争のナショナリズムを自らの経験=実感として内面化していた時代があるが故に、戦争を肯定する観点を了解することができた。同時に、その後の彼の戦争否定の道をとらせた経緯を通じて、戦争が平和に至る道にはなりえないということもまた、自らの経験=実感としてきた。この戦争の不可避性と否定のアンヴィヴァレンツな感情の揺らぎは、彼自身の経験そのものであり、これがそのままこの書簡に反映されている。

13. おわりに

フロイトは、1915年には、戦争が自らの想定を大きく越えるものだということを自覚し、「こんな戦争があろうとは信じられないような戦争が、今や勃発した」45と書くことになる。アインシュタインとの書簡のやりとりは1932年なので、そのずっとと後のことだ。更にその後ナチスが政権をとって以降の時期に、アインシュタインがルーズベルト大統領に出した手紙では大量のウランによる核分裂反応が爆弾の製造につながることを指摘し、ドイツに対抗して米国へのウラン鉱石の供給確保を提言した。46 平和主義者ですらナチスドイツの振舞いに対しては暴力の――しかも原爆の――必要性を論じざるをえなかった。このルーズベルト宛の手紙がひとつのきっかけになって、その後米国のマンハッタン計画が具体化していったと言われている。凶暴な侵略者を前にして、平和主義を主張する者が屈っしたひとつのよく知られた例だ。しかし、アインシュタインはこのルーズベルト宛の書簡を後に後悔することになる。とすれば、ナチスの核開発を目前に控えていた時代に、どのような他の選択肢がありえたのか。この問いへの答えは、私のようにいかなる場合であれ武器はとらない、と主張する者が示さなければならないだろう。その答えは、フロイトが試行錯誤しつつ辿り着いた「誤り」の教訓に学びながら、他方で、実際に、米国にあってすら、ナチスにも加担せず米国の参戦にも加担することを頑に拒否した人たちの思想に学びながら、獲得しうると確信している。

Footnotes:

1

アインシュタインの書簡は下記による『ひとはなぜ戦争をするのか』浅見昇吾訳、講談社学術文庫。フロイトの返信は「戦争はなぜに」『フロイト全集』第20巻、岩波書店、による。

2

『ひとはなぜ戦争をするのか』、p.15。

3

「戦争と死についての時評」『フロイト全集』第14巻、岩波書店。

4

「戦争はなぜに」p.258。

5

こうした記述方法はフロイトに特有のもののように思う。彼は、いわゆる客観主義的な対象の分析ではなく、常に自分自身の主観と経験を介していることを自覚した独自の解釈を加える。ここにフロイトの理論のある種の強さがあると思う。

6

同上、p.258-9。

7

私はこうしたフロイトの人間にとって暴力による決着が元々の人間に備わっている動物と共通する行動パターンだ、という認識には賛成できない。暴力を回避する様々なメカニズムが人間共同体には存在してきたことをフロイトは十分承知しているが、こうした「文化」とフロイトが呼ぶような人間の共同体がとる摩擦や抑圧を調整するメカニズムに先立ってある種の裸の人間が存在していたというようには私は考えない。人間の動物的な側面に由来する本源的な行動が暴力であるということは、人間であれ動物であれ、種としての集団性の維持にとってありえない想定だ。

8

同上、p.258-9。

9

同上、p.260。

10

同上、p.260

11

一言付言するが、上であたかも近代家族関係の内部には潜勢的な暴力しか存在せず、顕在的な暴力の存在が軽視されているような言いまわしになっているが、これはフロイトが想定した家族と暴力の関係の基本的な枠組がそうなっている、ということであって、私はこの前提を肯定していない。むしろかなり広範囲に近代家族の制度の内部には暴力が顕在化していることが今ではよく知られている。家族内部の暴力(とりわけレイプ)が精神疾患の原因となっているケースがフロイトの時代にもあり、このことをフロイトは幼児期の性的体験を扱かった『ヒステリーの病因』で気づいていたが、その後意図的にこの問題を回避しようとしたのではないかと、ジュディス・ハーマンは批判している。ジュディス・ハーマン『心的外傷と回復』、増補新版、中井久夫他訳、第1章参照。

12

こうした共同体が法の遵守の下にあっても「法に則った暴力行為の執行を担当する機関」つまり、軍隊や警察は不可欠だ。共同体を構成する諸個人になかには必ず法を逸脱する者がおり、だから法はこうした逸脱した者への処罰のルールを制定することになる。警察による力(暴力)の行使の正当化だ。

13

「戦争はなぜに」、p.260。

14

同上、p.264-5。

15

以下では「死の欲動」と「破壊欲動」を同義で用いている。とくに区別はしていない。「死の欲動」を戦争の文脈で議論する場合について、一言私の考え方を補足しておく。他者への殺傷を意図した行為の背景にある欲動としての破壊欲動と、死の欲動に含まれるであろう欲動、いずれ死すべき存在としての自己の生の最後の到達地点に待ちうける「死」を受容しうるような欲動とは同じものとは思えない。自死であれば自己に向けられた破壊欲動とみなせるが、これを自然死にあてはめることは無理がある。言い換えれば、死の欲動、あるいは破壊欲動一般を論じただけでは戦争という集団的な殺傷行為の目的意識的な遂行を支える心理を説明したことにはならない、ということだ。

16

同上、p.265。

17

同上、p.265-266。

18

同上、p.266。

19

同上、p.267。

20

同上、p.267。

21

同上、p.268。

22

同上、p.271。

23

同上、p.267。

24

同上、p.269。

25

同上、p.269。

26

同上、p.270。

27

同上、p.270。

28

同上、p.270

29

同上、p.268。 「すべての自然科学は最終的にこのようなある種の神話に行きつく」とは何を意図しての発言なのか、興味深い。

30

単なるフィクションの言い換えではないだろうということは推測がつく。理論一般を念頭に置いてここで「神話」と呼んでいる事柄が何なのかを推測することは私にはできない。

31

しかも、言うまでもなくここで言われている神話と精神分析との関連はユングのそれとは相容れないものとして理解されていると思う。

32

同上、p.271。

33

こうした宿命論は、暴力が目的を達成するための手段としては合理性を欠くという私の観点からすると受け入れがたい結論になる。本稿の議論の枠組みを越える課題になるが、国家が民衆をひとつに束ねて戦争へと合意を形成するメカニズムには、合理的な暴力の正当化と不合理な暴力の正当化の絡み合いがある。この絡み合いを、合理的あるいは法合理性のような観点から批判しても、不合理な正当化の領域を見逃してしまうか軽視してしまう。

34

同上、p.272。

35

同上、p.272。

36

この点については、いわゆる万人の万人に対する闘争状態から理性と法の支配へという流れで歴史を解釈するような考え方は、今では共通の了解事項にはなっていないだろう。近代世界は、それ以前の世界と比較して、戦争あるいは暴力の低減を実現できたかどうかについては、相対立する考え方がある。フロイトの破壊欲動が人類史のなかで次第に抑制されてきたといえるかどうか。つまり、人類は戦争や暴力を低減する方向に歴史を刻んできたのか。この点についてフロイトは明言を避けている。私は、近代資本主義が工業化として確立された時代をそれ以前の時代と比較した場合、非西欧世界の植民地化と植民地争奪の戦争が工業化技術と連動するなかで、兵器生産と殺傷力――兵器の殺傷生産性――の高度化は必然であり、この意味で、近代世界は、人類史において稀にみる殺傷性の高い技術の開発を促した時代だと考えている。こうしたマクロな軍事技術と殺傷生産性が軍に動員される人々や軍を指導・指揮する者達の欲動にどのような影響をもたらしたのか、このことは大きな課題だ。

37

同上、p.272。

38

同上、p.272。

39

同上、p.273。

40

「集団心理学と自我分析」『フロイト全集第17巻』。

41

「戦争はなぜに」、p.262。

42

同上、p.262。

43

アーネスト・ジョーンズ『フロイトの生涯』竹友安彦、藤井治彦訳、紀伊国屋書店、p.336。

44

ジョーンズ、前掲書、p.335。

45

「戦争と死についての時評(I)」、フロイト全集14巻、p.137

46

https://www.atomicarchive.com/resources/documents/beginnings/einstein.html この書簡とその後の核開発については、”It was the one great mistake in my life’: The letter from Einstein that ushered in the age of the atomic bomb’, BBC, https://www.bbc.com/culture/article/20240801-it-was-the-one-great-mistake-in-my-life-the-letter-from-einstein-that-ushered-in-the-age-of-the-atomic-bomb 参照。

Author: toshi

Created: 2024-12-22 日 00:20

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「いくさ世」の非戦論 ウクライナ×パレスチナ×沖縄が交差する世界

インパクト出版会から表記のタイトルの論文集が刊行されました。このなかで「暴力の人類前史の終りと社会解放に向けて」を寄稿しています。

この拙論で書いたことは、ブログでも何度か書いてきたテーマ(これとかこれ)を敷衍したものになります。論文のタイトルは「暴力の人類前史の終りと社会解放に向けて」と大風呂敷を拡げてしまったのだけれど、到底ののタイトルに相応しい内容とまではいっていないだろうと思います。拙論では、主に暴力を論じるときに、繰り返し参照される定番の議論のなかで、フランツ・ファノンの暴力論とベンヤミンの暴力批判論をとりあげました。そして、シモーヌ・ヴェイユにも紙幅を割きました。ヴェイユはともかくとして(それならアーレントを取り上げるべきだろう、という意見もあるでしょう)、ファノンとベンヤミンへのアプローチは、将来の社会変革の手段から暴力――ここでは主に人に対する殺傷力のある暴力――という選択肢を排除する必要性を述べる上で、避けられない議論だと私が考えたこの二人について、考え方を述べましたが、とくにファノンについての私の見解には、異論がありうるかもしれないと思っています。

ファノンの暴力論――ここでは主に『地に呪われたる者』の冒頭の論文――は、サルトルの序文の影響もあって、暴力による解放闘争の必要を主張したものと理解されてきました。たしかに暴力論だけを取り上げれば、この解釈に異論の入る余地はないと思います。しかし、『地に呪われたる者』全体を鳥瞰してみたとき、とくに、最終章に置かれた「植民地戦争と精神障害」と結びつけて暴力の問題を考えたとき、ファノンが諸手を上げて暴力という手段を肯定していたわけではない、ということにもっと関心が持たれていいのではないか、というのが私の一つの解釈になります。しかも、暴力が必然的にもたらす精神障害(いわゆるPTSDの問題として後に繰り返し議論されるようになった問題)の深刻さをファノンは精神科医として実地に体験しており、その症例研究が「植民地戦争と精神障害」だったわけですが、解放戦争であれば、こうしたPTSDを回避できるわけではなく、また植民地から解放されれば、PTSDも治癒可能になるということでもないことを、理解していたと思います。他方で、ベンヤミンの暴力批判論は、思想や哲学を好む人達によって繰り返し論じられてきた難解なテキスト(特に最後の方で論じられる神話をめぐる議論)について、私の論文では、ベンヤミンが一言漏らしたに近い、何ひとつ難解なところのない言葉、つまり、国家を別にして、民衆が自分達の日常の諍いを解決するために使う常識的な解決法として、心の優しさ、情愛などという陳腐な言葉を並べた箇所を、このベンヤミンの暴力批判論の核心だと述べています。

暴力が問題の解決になることはなく、単に問題を先送りにするだけに過ぎない、ということはこのブログでも繰り返し指摘しており、この拙論でもこのことを別の角度から述べたに過ぎません。暴力という手段と解放の課題をめぐる問題は、暴力が問題を解決することはありえない、ということの先にあります。問題の解決とは無関係な手段によって、あたかも問題が解決できるかのように信じ込むことが、国家レベルで、あるいは極めて大きな人間集団の間で、共有され、支持されるようなことがなぜ起きるのか、という問題です。この問題への答えを出すことは、手段としての暴力を選択肢から排除する上で必須の前提になります。このことに拙論では全く言及していません。

他方で、ヴェイユを取り上げたのは、組織された解放のための暴力という問題を考えたかったからです。社会解放にとっての暴力は、組織化された集団としての暴力を前提とします。ヴェイユはかなり早い時期にスターリン主義のソ連に疑問を呈していました。その後スペイン戦争に志願兵として、これまた内戦初期にアナキストのグループに参加してますが、組織による暴力の問題で失望を経験しています。社会解放の民衆的な力を構想するとき、ここに暴力(殺傷の手段)が介入した場合に何が起きるのか、という問題を実は考えたかったのです。拙論ではこの点を十分に議論するところまではいきませんでした。ヴェイユは晩年になって、神や信仰について多く語るようになったと言われています。しかし、そうだからといって彼女が労働者大衆のなかに自らの思想の根を張ることを断念したとは思いません。むしろ、社会的な解放の理論や思想と、そこから導かれる実践の枠組みでは、彼女が抱えたであろう苦悩を解決できなかった、ということだと思います。この問題は、世俗的左翼でしかない私にとってはとても重要な問題です。というのは、ヴェイユが抱えた問題は、社会を総体として変革するための思想や理論を標榜するほとんどのものは――マルクス主義であれアナキズムであれ――それ自体では、人々ひとりひとりの心的な抑圧からの解放を実現できるとはいえない、という問題だからだと私は解釈しています。この問題は、解放の道筋を世俗的な回路ではなく、宗教的な回路を通じて達成しようとする現代の政治的宗教(たとえば、米国の福音主義やイスラームの様々な復興主義など)の影響力の強まりのなかにあって、世俗的であること、無神論であることがもつ力の相対的な衰弱という問題でもあります。超越的な存在や唯一の絶対者といった観念に自らの解放を委ねないためには、今一度、世俗的な主体の存在理由を根本から再構築することが求められていると思います。こうした思いを拙論では十分には表現できませんでした。

以下、『「いくさ世」の非戦論』の目次を紹介します。

佐藤幸男[編]

「いくさ世」の非戦論 ウクライナ×パレスチナ×沖縄が交差する世界
目次

第1章 ウクライナで燃えあがった戦火とその後
 板垣雄三

第2章 グローバル・サウスの潜勢力とグローバリゼィションの顚末
 佐藤幸男

第3章 暴力の人類前史の終りと社会解放に向けて
 小倉利丸

第4章 今日のガザは明日の沖縄
 豊下楢彦

第5章 まっとうな「狂気の声」
 親川裕子

第6章 「台湾有事」と沖縄の人びとの安全保障
 星野英一

第7章 東アジアにおける琉球独立
 松島泰勝

第8章 屋良朝陳の沖縄構想が示す価値の反転と「へこたれなさ」
 上地聡子

第9章 東アジア民際交流が切り結ぶ世界
 野口真広

第10章 沖縄県のアジアにおける地域外交戦略と平和
 小松寛

第11章 東アジアにおける平和連帯と地域協力の模索
 石珠熙

2,500円 +税

ISBN: 978-4-7554-0352-1        2024年10月30日発行

能動的サイバー防御批判(有識者会議資料に関して)その2(終)

Table of Contents

能動的サイバー防御批判(有識者会議資料に関して)その1

1. (承前)サイバー安全保障分野での対応能力の向上に向けた有識者会議

以下では、前稿に引き続き有識者会議に内閣官房サイバー安全保障体制整備準備室1が提出したスライドの順番に沿って、ひとつづつ、論点を洗い出す。本稿ではスライド5以降を取り上げる。このスライドの多くが、22年12月に出された安保3文書の記述をそのまま引用するなど、ほぼ踏襲しており、その上でいくつかの解決すべき論点が出されている。

1.1. (スライド5) 国家安全保障戦略(抄)

このスライドで能動的サイバー防御という概念が登場し、この実現のための基本的な方向性を三点にわたって指摘している。この箇所が、有識者会議の基調になっており、第一回の会合冒頭の河野デジタル庁大臣の挨拶でもほぼこの三点のみを強調し、会合の最後に座長から、この三点についてそれぞれ個別の部会を設置して検討することが提案・了承されている。このスライドにある能動的サイバー防御という文言の定義は、「戦略」文書をそのまま引き写した文言であるため、その定義はあいまいなままである。

1.1.1. 先制攻撃そのもの

このスライドの文言でいう能動的サイバー攻撃の前提条件は、

  • 武力攻撃に至らない重大なサイバー攻撃のおそれ
  • 安全保障上の懸念に該当し、かつ「重大」である

であるが、「至らない」「おそれ」「懸念」という現実には未だに何も攻撃や武力行使などが起きていない状況のなかで、将来そうした事態がありうると予測された場合、先手を打って攻撃に出る、ということになる。

このスライドであれ国家安全保障戦略であれ、その文言のレトリックの力の呪縛から自由になって物事を理解するのは容易いことではない。「サイバー攻撃のおそれ」という言い回し自体が私たちの問題へのイメージを縛ることになる。もしサイバー攻撃があるとしたら、という仮定のもとで議論をするように誘導されてしまうからだ。議論の出発点は、「おそれ」や「懸念」ではなく、こうした予測を導いたそもそもの分析の妥当性を検証することから始めなければならないだろう。この予測をめぐる検証のプロセスがこのスライドでは全くとりあげられていない。つまり「おそれ」という結論そのものの検証と透明性が議論には欠けている。「サイバー攻撃のおそれ」を想定した議論に対して、あえて「サイバー攻撃は現時点で実際に行なわれていない」ということをもって反論とするという場合、こうした反証や状況の分析に対する別の解釈を問題の争点することが、安保3文書でもこのスライドでも、事実上排除されてしまっている。本来であれば軍事安全保障による対処ではない外交的な対処など様々な選択肢がありえるはずだが、こうした選択肢の多様性を奪い、最初からサイバー戦争に収斂する方向で全体の枠組を規定しようとする傾向が顕著だ。議会や世論がこうした方針を支持するかどうかは、不安感情を政府がどれだけ煽ることに成功するかどうか、という情報戦にかかることになってしまうのではないか。こうした次のような懸念が生まれる。

  • 現実の攻撃は存在しなくもよい。「懸念」「おそれ」があればサイバー攻撃を仕掛けるべきだ、という考え方は、先制攻撃そのものだ
  • 導入される能動的サイバー防御の定義がないから、恣意的に運用できてしまう

1.1.2. 国策に従属させられる民間企業

ここで能動的サイバー防御は、重要インフラを含めた民間事業者が、サイバー攻撃において様々な方法で積極的に関与する主体として位置付けられている。これは、サイバー領域全体の性格に共通する特徴でもある。民間インフラは、政府や自衛隊によって防衛される受け身の存在ではない。それ自体が国家安全保障を優先させ民衆の安全保障2をそこなう「自衛」の主体とされ、それ自体が攻撃の主体にもなるのだ。民間の情報通信インフラ企業は、国家の命令による攻撃の主体になることによって防御を実現する、という位置に置かれる。言い換えれば、サイバー領域の軍事安全保障分野が他の軍事領域と決定的に異なるのは、民間事業者が情報収集から攻撃に至るプロセス全体の主体となることなしには成り立たない、という点にある。このスライドで例示されているVolt Typhoonの事例はその典型でもある。(民間事業者についてはスライド8参照)3

このスライドで語られていない重要な問題がひとつある。それは、ここでは「サイバー攻撃」の「おそれ」のみが対象であるかのように語られているために、サイバーと実空間(キネティック)における「攻撃」がサイバー領域の行動においてどのような関係をもっているのかが、全く語られていない点だ。後述するスライド7の想定でもこの点が抜けている。その結果、能動的サイバー防御などサイバー領域での「戦争」が実空間での「戦争」と切り離されているかのような印象を与えている。サイバー領域での軍事作戦は実空間における武力行使と密接に関わる。サイバー領域で完結することはまずない、といっていい。この認識は防衛省の制服組は明確にもっている4。しかし、実空間との関連が問われることになると、該当する領域は極めて広範囲にわたり総力戦体制そのものとならざるをえず、当然憲法9条の制約問題が意識されるだろう。この問題化を回避する意図もあるのか、あえてサイバーと実空間とを横断する作戦の具体的な構造をあいまいにして、軍事安全保障の対処領域を意図的に狭くみせようとしている印象がある。現実の戦争では、こうしたことはありえない。戦争の攻撃目標が敵の社会インフラにある場合、これをサイバー領域を通じてサイバーの武器によって実現するのか、それ以外の方法で実現するのかは、戦略・戦術上の選択の問題でしかないはずだ。

1.2. (スライド6) 内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)の強化

内閣サイバーセキュリティセンターを政府全体のサイバー領域における司令塔にしようというのが国家安全保障戦略の思惑だろう。しかし、これらの内容の具体について公表されないなかで予算、人員の強化だけが先行している。

1.2.1. 莫大な経費?

上記のスライドでいう「「四経費」のうちサイバー安全保障に関する経費」という文言にある「四経費」が何なのか明記がないが、主計局主計官、渡辺公徳は「新たな国家安全保障戦略等の策定と 令和5年度防衛関係予算について」のなかで以下のように述べている。

「三文書」の検討の中で、整備計画の対象となる経費に加え、安保戦略において総合的な防衛体制を強化するための取組とした、(1)研究開発、(2)公共インフラ、(3)サイバー安全保障、(4)我が国及び同志国の抑止力の向上等のための国際協力の四つの分野を、防衛力の抜本的強化を補完する取組の中核をなすものとして新たに位置づけることとなった。その上で、歴代の政権で、これまでNATO定義を参考にしつつ、安全保障に関連する経費として仮に試算してきた際に含めてきたSACO・米軍再編関係経費、海上保安庁予算、PKO関連経費等に加え、四つの分野に関する経費についても、「補完する取組」として計上されることとなった。」(主計局主計官、渡辺公徳「新たな国家安全保障戦略等の策定と 令和5年度防衛関係予算について」、財務省『ファイナンス』、2023年4月号。

予算についても、スライドでは「サイバー安全保障に関する経費は 124.5億円 (他省庁計上分を含む)」とあるが、主計局主計官 後藤武志「令和6年度防衛関係予算について」(財務省『ファイナンス』、2024年4月号)の解説では2024年度防衛予算のうちサイバー関係は以下のように説明されている。

サイバー領域における能力強化
○ 防衛省・自衛隊全体の情報システムの合理化(クラウド化等)やセキュリティ強化に向け、必要なシステム経費(1,012億円)を措置。
○ 防衛省・自衛隊のサイバー分野における教育・研究機能の強化に向け、陸上自衛隊システム通信・サイバー学校や陸上自衛隊高等工科学校におけるサイバー教育基盤の拡充のための経費(20億円)、部外力を活用したサイバー教育のための経費(16億円)を措置

上にあるシステム、セキュリティ強化経費の1012億円は、戦闘機であれば10機近く購入できる莫大な金額5だ。しかし、更に、防衛省の資料ではサイバー領域における能力強化として2024年度予算は約2115億円という数字が示されている。

このようにサイバー関連の国家安全保障の予算は、それ自体が領域横断的で戦時と非戦時を包含する漠然とした領域に関わるので算定の詳細を開示されない限り、よくわからないというしかない。こうした予算の問題は、実体としてのサイバー領域の戦争と不可分である以上、詳細の開示は安全保障などを口実に非公開にされてはならないし、有識者会議に提出された予算など財政関連の数字は鵜呑みにできない。

1.2.2. 戦時と非戦時という漠然として領域

他方で、自衛隊の組織再編は、戦略の文書を踏まえると以下のようになるだろうか。この組織再編も名称や系統図のような組織の枠組だけではその実態はわかったとはいえない。

1.3. (スライド7) 全体イメージ

この「全体イメージ」では、通信情報の活用として「攻撃サーバ等を検知するため、明確な法的根拠を設けた上で、通信情報を活用」とある。つまり、現行法では違法とされるような手段で「敵」とみなされるサーバーを検知するなど、本来であればハッキング行為や違法行為とされる活動を合法化する内容を含んでいる。

1.3.1. 「社会の安定性」とは何なのか

サイバー攻撃の範囲は、従来の刑事司法が担当してきたサイバー犯罪をほぼ網羅している。スライドの見出しは、「国民生活の基盤をなす経済活動」や「社会の安定性」とされているが、これが文字通りの「全体イメージ」とはいえない。隠された領域がある。この全体イメージに決定的に欠落しているのが、いわゆる情報戦の領域だ。情報操作や偽情報など、情報戦は安全保障戦略のなかでも重要な領域とされているが、ここには描かれていない。例示されている「守る対象」は実空間の重要インフラだけだ。「国民生活の基盤をなす経済活動」はこれである程度カバーできているとしても「社会の安定性」の方は世論操作などプロパガンダ領域を含まないわけにはいかないはずだ。様々な紛争事態で、サイバー領域において、ほぼ共通して起きていることは、インターネットへのアクセスの遮断6、SNSなど情報発信のプラットフォーム企業を巻き込んだ検閲7、SNSのインフルエンサーを利用したプロパガンダ(偽情報や一方的な国威発揚)8、選挙への介入9などにおける国家における組織的な介入だ。

ある種の戦時態勢では「社会の安定性」とは国内の反政府運動を不安定要因として抑制することが一般的に行なわれる。したがって、国内の反政府運動もまた、サイバー防御の潜在的にターゲットになるという観点を持つ必要がある。というのも、スライド1で事例として挙げられている「他国の選挙への干渉」は、実際には自国政府による反体制派への弾圧の手段として用いられているケースが極めて多い。また、「偽情報の拡散」についてもガザ戦争で典型的に示されているように、イスラエル政府が国内世論を操作する意図をもって自国民に対して行なう情報戦となっている。このように、「社会の安定性」のターゲットの少なくない部分は自国の内部に向けられている。こうした現実に起きている事態について全くといっていいほど言及がない。

1.3.2. 無害化という名の攻撃

このスライドには「アクセス・無害化措置確認された攻撃サーバ等に対し、 必要に応じ無害化」という記述があるが、誰が無害化、つまり攻撃サーバへの攻撃の主体となるのかが曖昧にされている。全体イメージといいながら、ここでは領域横断的な対応については言及がないこととも相俟って全体の構造をはぐらかすかのような印象操作を感じざるをえない。

「全体」についてのイメージは、防衛白書(2023年)の次のような記述と比較するとかなりの違いがみられる。

万が一、抑止が破られ、わが国への侵攻が生起した場 合には、わが国の領域に対する侵害を排除するため、宇 宙・サイバー・電磁波の領域及び陸・海・空の領域にお ける能力を有機的に融合し、相乗効果によって全体の能 力を増幅させる領域横断作戦により、個別の領域が劣勢 である場合にもこれを克服しつつ、統合運用により機動 的・持続的な活動を行い、迅速かつ粘り強く活動し続け て領域を確保し、相手方の侵攻意図を断念させる。

ここでは実空間での陸海空の作戦との融合が明確に述べられている。以下のイラストを上の有識者会議に提出されたスライドのイラストと比較すれば一目瞭然だ。

1.4. (スライド8) 主要国における官民連携等の主な取組

高度な攻撃に対する支援・情報提供、ゼロデイ脆弱性の対処、政府の情報収集・対処等を支える制度の三項目について、英国、EU、米国、オーストラリアについて表で示している。

1.4.1. ゼロデイ攻撃

ゼロデイ脆弱性とは、何らかのプログラムのバグその他の脆弱性が存在していることが開発者にもセキュリティ企業にも知られていないときに、これに気づいた攻撃者が、このババクなどを利用しうる状態をいう。開発者側ではこの脆弱性に気づいていないか未だ対処がされていないために、対処のための修正がなされるまでは無防備となる。この脆弱性は、システムやプログラムを開発した企業がいずれは発見する確率が高いし、オープンソースであれば、コミュニティが発見する可能性がある。政府やサイバー軍などだけに発見の任務を担わせることは現実的ではない。このスライドでゼロデイを取り上げているのは、民間のIT企業を取り込むことが国家の防衛や重要インフラにおけるサイバー上の脆弱性の把握には欠かせない。

この点を踏まえて、この表が目論んでいるのは民間企業をいかにして巻き込むか、巻き込みの制度化(強制)をどのように構築するか、といったことにある。

  • 恒常的な情報共有基盤の構築
  • セロデイのような緊急に対応が必要な場合への対処
  • 製品の脆弱性についての企業責任の明確化
  • 「重要インフラ事業者の報告義務化」がどこの国でも記載されている。

民間を巻き込む構造を前提として、国家安全保障を理由としたハッキングなどを不正アクセスから除外する法制化が必要になる。その上で以下のような制度の枠組を構築することになるだろう。

  • 民間事業者等がサイバー攻撃を受けた場合等の政府への情報共有→民間の通信事業者が保有する個人情報を政府(自衛隊)に提供する
  • 民間事業者の情報を活用し攻撃者の利用が疑われるサーバ等を検知→監視と情報収集。民間事業者に協力させてサーバのデータに国の機関がアクセス。
  • 攻撃者のサーバ等への侵入・無害化。「検知」にとど まらず標的に対して攻撃を行なう。

こうした国策への強制的な協力の体制は、民間事業者のサービスに依存して私たちのコミュニケーションの権利が現実の土台を何とか確保できている現状を根底から脅かすことになる。民間事業者は私たち一般のユーザーのプライバシーや人権、自由の権利を侵害したとしても免責され、逆にこうした侵害行為を強制する国家の法によって、私たちの権利を防衛しようとする民間事業者や組織の行動や対処を犯罪化してしまう。メールやSNSのプライベートなメッセージ、暗号の使用など様々な領域のサービスが国策への強制的な協力によって突き崩される。それだけでなく、日本の国内に居住する外国籍のマノリティへの選択的な監視に民間事業者が加担させられ、結果として監視の強化にも繋がることになる。この点で有識者会議には民間事業者が何人か参加しているが、彼らがこうした政府の方針に明確に反対できるかどうかが問われている。

1.4.2. 脅威ハンティングとは

有識者会議に提出された資料には「脅威ハンティング」という概念が登場する。これは、あまり聞かない言葉かもしれないので、少し補足したい。脅威ハンティングについて、IBMのサイトでは以下のように説明されている。

脅威ハンティングは、サイバー脅威ハンティングとも呼ばれ、組織のネットワーク内に存在するこれまで知られていなかった脅威、あるいは現在進行中の未解決の脅威を特定するためのプロアクティブなアプローチです。 https://www.ibm.com/jp-ja/topics/threat-hunting

脅威ハンティングは組織内監視という性格が強くなり、労働者への監視強化になりかねない。目的は脅威への対処だとしても、何を脅威とみなすのか、脅威監視のためには、脅威ではないような事柄についても網羅的に監視することが必要になり、こうして収集されたデータが別の目的で転用されたり政権の政策や法制度の改悪によって権利侵害的な利用に転用される危険性がつきまとう。10

1.5. (スライド9) 主要国における通信情報の活用の制度概要

ここでいう通信情報とは、プライバシーに関わるような「通信の秘密」に該当する内容とみていい。いずれの国も国家安全保障の必要があれば通信の秘密を侵害していい、という法制度があることを強調している。これに加えて外国へのスパイ行為(米、オーストラリア)、ドイツは重大な危険分野に関する情報入手に必要であればよい、という記述だ。ただし、英国は「国内通信内容の分析を原則禁止」、ドイツは「自国民等の個人データの分析を原則禁止」とある。また米、豪は裁判での証拠としての利用禁止とある。これをどう理解すべきか。

この整理が妥当かどうかは精査が必要である。

ここでは通信の秘密に関する政府側の憲法21条についての見解だけを紹介しておく。憲法21条は以下だ。

第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

これに対して、近藤正春内閣法制局長官は2月5日の衆院予算委員会で以下のように述べた。

近藤政府特別補佐人 今お尋ねは、憲法第二十一条二項に規定する通信の秘密ということが中心かと思いますけれども、通信の秘密はいわゆる自由権的、自然的権利に属するものであるということから最大限に尊重されなければならないものであるということでございますけれども、その上で、通信の秘密につきましても、憲法第十二条、第十三条の規定からして、 公共の福祉の観点から必要やむを得ない限度 において一定の制約に服すべき場合があるというふうに考えております。

公共の福祉を持ち出して通信の秘密を制約する考え方に私は強く反対したい。後程スライド11について検討するところで詳しく述べる。

1.6. (スライド10) 外国におけるアクセス・無害化に関する取組例

ここでも再度、Volt Typhoonを例に、その無害化についてとりあげられている。Volt Typhoonについては本稿の前編でも無害化のプロセスについて若干言及したが、ここでも更に追加の議論をしておきたい。

1.6.1. FBIによるハッキング捜査

無害化のプロセスについて、米国司法省は、2024年1月31日にプレスリリースを発表し、同日テキサス州南部地区連邦検事局が連邦地方裁判所に捜索、差し押さえ令状発付の申請書を出す。この申請書には次のように書かれている。

  1. FBIは、この地区およびその他の地域のSOHO(スモールオフィス/ホームオフィス)ルーターに侵入し、マルウェアに感染させた外国政府支援のハッカー(以下「ハッカー」)を捜査している。このマルウェアは、SOHOルーターをノードのネットワーク、すなわちボットネットにリンクさせる。ハッカーは、このボットネットをプロキシとして使用し、身元を隠しながら、米国の別の被害者に対してさらなるコンピュータ侵入を行う。
  2. FBIは、添付資料Aに記載されているように、マルウェアに感染した米国ベースのルーターのリストを特定する予定である。FBIは、添付資料Bに記載されているように、連邦刑事訴訟規則41条(b)(6)(B)に基づき、これらのルーターを遠隔操作で捜索し、ハッカーの犯罪行為の証拠および手段を押収する許可を申請する。この捜索および差し押さえの一環として、FBIは感染したルーターからマルウェアを削除し、再感染を防ぐために限定的かつ可逆的な措置を講じる。

ここに述べられているFBIの令状申請の趣旨は、リモートからルータ(大半はサポート期間が過ぎたCiscoおよびNetGearのルーター)を捜索11し、マルウェアを削除するとともに、再度の感染を防ぐ措置をとる、というものだ。また、対象となるルータの数が数百(あるいはそれ以上)になるため、これらひとうひとつについて個別に令状を発付することを求めるのではなく、一括してたぶん単一の令状によってすべてのルーターへの捜索を可能にすることを求めている。

このVolt Typhoonについてのメディアの各種報道も、この令状申請書に記載されている以上の事実を報じているものはないように思う。

1.6.2. 中国犯人説をめぐる攻防

Volt Typhoonとは誰なのかについては、欧米や日本のメディア報道や今回の内閣官房のスライドの記述では、中国の国策ハッカー集団であるという判断がほぼ確定しているとしており、この犯人については疑問の余地がないような印象が与えられている。しかし、中国側は、この指摘を受け入れていない。それだけでなく、反論のレポート12まで公表している。タイトルがプロパガンダ色が強いので内容の信憑性に欠けるかのような印象をもつが、文面はいたって冷静ともいえるものだ。

この中国の報告書では、サイバー領域の「戦争」の難しさのひとつに、攻撃の責任主体を明確にすること――アトリビューションと呼ばれる――自体の困難さがある、と指摘している。この問題は立場の違いを越えてサイバー戦争に固有のリクスの大きな課題だとも指摘されている。そして、この報告書では、アトリビューションの難問が、Volt Typhoonでも生じていると指摘している。中国側の主張は、マイクロソフトや米国側が公表した資料を使いながら、IPアドレスを分析するなかで、Dark Powerというランサムウェアグループとの関わりがあるのではないかと指摘する。そして、分析結果として、国家を後ろ盾とはしない「サイバー犯罪グループである可能性が高い」と結論づけた。では、なぜマイクロソフトはじめ米国政府などが中国犯人説をとったのか、という理由として、IT産業や情報機関による国家予算獲得作戦の一環として、アトリビューションの決定的な証拠を掴む努力をせず拙速に走った結果だとした。この報告書の結論で以下のように述べている。

我々は、サイバー攻撃の帰属は国際的な難題であることを認識した。サイバー兵器の流出と攻撃・防御技術の急速な普及により、サイバー犯罪者の技術レベルは大幅に上昇している。2016年には、IoTボットネットの第1世代であるMiraiが米国で広範囲にわたるインターネット障害を引き起こし、また、ランサムウェアに感染したコロニアル・パイプラインが米国の一部で非常事態を招く事態となった また、ロシアとウクライナの紛争における親ロシア派と親ウクライナ派のハッカーグループの争いは、一部のランサムウェアグループやボットネット運営者が、一般的な国家よりも多くのリソースと技術的能力を持ち、サイバー戦争のレベルにまで達していることをはっきりと示している。同時に、ランサムウェア組織やボットネット運営者は、利益に駆り立てられ、成熟したアンダーグラウンドエコシステムを長年にわたって確立しており、これらのサイバー犯罪集団はますます横行している。 これらのインターネット上の脅威は、中国や米国を含む世界のすべての国にとって共通の脅威である。しかし、米国政府と政治家は常に「少数の結束」と「小さな庭と高い塀」政策を堅持し、サイバー攻撃の起源追跡を政治化し、マイクロソフト社やその他の企業を操って中国に対するメディア中傷キャンペーンを行い、ただ自分たちの懐を肥やすことしか考えていない。このような「Volt Typhoon」の物語は、国際的な公共のサイバー空間の正常な秩序に何の利益ももたらさず、米中関係を損なうだけであり、最終的には自らの苦い果実を食らうことになるだろう。

では、この中国のレポートは反論に成功しているのか。この点になると私のレベルの技術的な知識ではその判断がつかない。一般論としていえばIPアドレスだけからDark Powerという別の「犯人」を特定することには疑問がある。またIPアドレスの絞り込みの手続きが妥当かどうかも私には検証する技術がない。とはいえ、私が接した情報に限っていえば、マイクロソフトのレポートも含めて、中国がVolt Typhoonの後ろ盾となっているということを立証した資料をみていないと思う。マイクロソフトはアトリビューションの難しさがあるにもかかわらずハッカーなどの命名に国別分類を導入するなど、誤認した場合に先入見や偏見を固定化して紛争リスクが大きくなる対応をとっているように思う。この問題は未だに収束していないようだ。13

1.6.3. なぜVolt Typhoonにこだわるのか

Volt Typhoonが有識者会議の政府側資料のなかでかなりの比重を占めていることをどう判断したらいいだろうか。あるいはどのような点に注意すべきだろうか。

第一に、Volt Typhoonのアトリビューション問題は決着がついていない、ということだ。日本政府が中国犯人説を支持するのであれば、それなりの根拠と中国側の反論への反論くらいは公表する必要がある。サイバー領域の安全保障にとって最重要の課題がアトリビューション問題、つまり敵の誤認の回避といってもいいくらいセンシティブになるべき問題だ。サイバー領域では、お互いに攻撃の主体であることを偽装しながら作戦を展開する極めてリスクの大きな領域であるにもかかわらず、米国が言うことだから間違いないといった対応はすべきではない。イラクの大量破壊兵器をめぐる米国の情報戦を忘れてはならない。米国の思惑や戦略から導かれた行動に引きまわされる危険性がこの国の政府にはある。アトリビューションを確定できない場合に、サイバー領域も含めて軍事的な対処を回避することが何よりも重要な立ち位置になる。こうした態度がどうしたらとれるのか。その重要な条件は、そもそもサイバーを含めて武力行使の手段を保持しないことなのだ。つまり、武力ではない別の選択肢がいくらでもありうること、逆に軍事的な選択肢への依存はサイバー領域における私たちの権利を突き崩すことになることを忘れてはならない。

第二に、Volt Typhoonが無害化のひとつのモデルとして提示されているということであり、同じことを日本も実行できる法制度の条件が目論まれている、ということ。Volt TyphoonではFBIが取り組んだということの含意は、捜査対象が、国外ではなくグアムを含む米国内であった、ということとも関連している。つまり、国内であってもまた様々な手法による権力による私たちのコミュニケーション・インフラへの侵害行為がありうる、ということだ。サイバー戦争では、戦争=国外の「敵」との戦争という既成概念に囚われるべきではない、ということだ。この間もっぱら防衛省や自衛隊と安保3文書の関連に焦点が当てられてきた感があり(私の関心もそのような傾向があった)、法執行機関の軍事化が戦争と不可分であることを自覚する必要がある。これはいわゆる戦争に伴う治安弾圧という問題だけでなく、法執行機関自身が戦争に主体になる、ということでもある。言い換えれば、サイバー領域に関していえば9条問題=戦争放棄の問題であっても、司法警察組織も視野に入れる必要がある、ということだ。

第三に、FBIがとったリモートからの侵入捜査と無害化の処理という手法には、今後の日本の捜査機関がサイバー安全保障の分野でとりうるであろういくつかの問題が示されている。ひとつは、多数の捜索対象に対して一つの令状で処理したこと。つまり令状主義が大きく後退していること。もうひとつは、リモートからの捜索とハッキングによる無害化という処理である。今回は、捜査機関による何らかのソフトウェアのインストールなどより侵襲性の大きい行為のための令状ではないとあえて限定する文言がFBIの令状請求にみられるが、このことは裏をかえせば標的となったシステムへの何らかのソフトウェアなどのインストール(合法マルウェアなど)といった行動も令状さえ取得できればありうる、ということを意味している。米国の法令上では、こうしたFBIの捜査は国外で行なうことも令状が発付されれば認められる。有識者会議にこうした資料が出されたということは、政府側はこうした米国の手法を日本にも導入しようとしていることを暗示している。

1.6.4. 日本でも米国のような捜査手法は可能か

では日本では、こうした米国の対応がどの程度可能といえるのか。私はかなりのところまで技術的に可能であり、また現行法でも可能ではないかと危惧している。実際に2019年、総務省は、国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)による「IoT機器調査」を実施している。これは、NICTが各家庭や企業に設置しているIoT機器のリスク調査という名目で、リモートで侵入調査を行なった。こうした行為がハッキングとして犯罪化されないよう法的な措置までとられた。これは、日本もまた、ある意味でいえばVolt TyphoonについてFBIがやったことと類似した行動をとれることを意味している。

もうひとつ、日本の私たちにとって危惧すべきことは、Volt Typhoonが標的としたグアムの通信システムはNTTDocomoが100パーセント出資している現地法人ドコモ・パシフィックが運営しているものだった、ということだ。14 この意味でVolt Typhoonの問題は日本企業をも巻き込んでいたことになる。有識者会議では、NTTも委員として参加しており、こうした事例が有識者会議で議論される可能性がある。グアムで日本の関連企業が受けた被害、という構図は、日米同盟によるサイバー戦争の作戦の舞台としては格好のケースモデルを提供しかねない。とすれば、国家間の対立や緊張を煽る方向でより一層軍事・国家安全保障に傾いた法制度に有利な材料として利用され、結果として、お国のために個人の自由やプライバシーを我慢するというこの国に根深いナショナリズムに人々の感情が動員されることになるかもしれない。

1.7. (スライド11) 現行制度上の課題

このスライドで有識者会議での検討課題が再度三点にわたって列記されている。

ここでは以下の論点をめぐっての法制度の改悪が重点課題になる。いずれも重大な法制度の改悪であり、戦後の自由をめぐる私たちの基本的な権利を根底から覆すことになりかねない。

  • 政府による統制強化(サイバーセキュリティ基本法、各種業法)
  • 通信傍受(憲法21条)
  • 無害化などサイバー攻撃能力(不正アクセス禁止法)

この改悪を前提とした新たな「政府の司令塔機能」の構築が提案されている。しかし、現実には、内閣府と自衛隊との関連、あるいは司法警察やデジタル庁、総務省など電気通信関連省庁との関連をどう調整するのか、という問題が未解決の状態ではないかと思う。

1.7.1. 政府部内の思惑が統一されていない?

能動的サイバー防御を前提にして、民間企業が取得しているデータを政府に提供させるとともに、政府による命令権の強化が目指されていること、また政府が民間企業をまきこんでハッキングの手法をとることが可能なように不正アクセス禁止法など関連法において、国家安全保障を例外扱いするであろうことなどは想定できるが、実際に官僚機構がこうした構造に対応できているとは思えない。サイバーセキュリティに関連する分野について、各省庁の思惑や関心がバラバラであり、中核をなすデジタル庁はマイナンバーカード問題で忙殺状態のようにみえる。またサイバーセキュリティ戦略本部が2024年3月に改訂した「重要インフラのサイバーセキュリティに係る行動計画」においては、サイバー攻撃への言及は多くみられるにもかかわらず、自衛隊への言及はなく、防衛省については一箇所のみでほとんどその意義がみられない。これに対して警察への言及がかなり多くみられる。(だからVolt TyphoonのようなFBIが対処した事例が実は意味をもつのだと思う)。こうした事態に防衛省や軍事安全保障に関連する組織はある種の危機感をもっていてもおかしくない。

このようなちぐはぐな政府諸組織の連携の不十分さという現状は、組織再編のブレーキになるよりも、むしろ軍事安全保障に前のめりになる一部の政治家や官僚の独走=独裁を招く危険性の方が大きいのではないかと思う。既得権を保守しようとする官僚や政治家たちは世論からすれば評判はよくない。危機を煽り国家の体制を軍事安全保障の側に引き寄せて人々にありえない「夢」や「希望」を与えるようなポピュリズムの潮流は、国際的にも無視できない力をもちはじめている。日本も例外ではない。

1.7.2. 表現の自由、通信の秘密と公共の福祉

ここでは、スライドとの関連で、通信傍受に関わる憲法21条に関する事柄だけ簡単に述べておきたい。このスライドで、明確に憲法21条を改憲の柱のひとつに据えた。9条改憲とに比べて注目されてこなかった観点だ。これまで盗聴法の成立以降例外的に盗聴権限の拡大が進められてきたが、こうした小手先の対応ではなく、根本からの改正を検討するということだろう。

有識者会議の立ち上げによって、メディアも能動的サイバー防御について活発な報道をするようになった。そのなかで争点としてメディアが注目しているのは通信の秘密や透明性15 かもしれない。通信の秘密については、政府側は公共の福祉によって制約されるという立場を明かにしている。16 また、サイバー領域における日本の行動についてどこまで国会などがチェック機能を果たしうるのかも疑問点とされている。

自民党の改憲草案では21条の通信の秘密そのものに関しする条文特については明確な変更がない。ただし21条第1項が大幅に変更(2項が追加)されているので、事実上通信の秘密も明示的に公共の福祉によって制約されるものという位置づけになるのだろう。以下が自民党改憲草案21条である。

第21条(表現の自由)
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
3 検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。

サイバー領域の戦争といった事態について改憲草案あるいは伝統的な自民党の改憲派の念頭にはなかったと思われるので、今後の改憲プロセスでは、サイバー領域に関しては特に想定外の改変を政権側が提起する可能性がある。

言い換えれば、能動的サイバー防御は、私たちの通信の秘密を侵害することなしには成立しない手法である、ということでもある。もし通信の秘密が厳格に、例外なしに権利として確立された場合は、能動的サイバー防御ハ機能しえない、ということでもある。

ここで現行憲法21条の表現の自由について私の考え方を補足しておきたい。憲法21条は、憲法12、13、22、29条のように「公共の福祉」を理由とした制限を明記していない。憲法には「公共の福祉」による制限を明記している条文と明記していない条文がはっきりと分れている。この違いは興味深いのだが、私は、21条は、公共の福祉に反することがあっても表現の自由や通信の秘密を保護していると解釈すべきだ、という立場をとる。単なる「表現の自由」ではなく「一切の」とあえて強調している点は、通信の秘密を理解する上でのポイントにもなる。通信はプライバシーに関わるコミュニケーションを含む。プライバシーの概念に複数の人間が相互に関わるコミュニケーションのどこまでを包摂できるのかは難しい問題だが、集団とは、多かれ少なかれその内部だけで閉じられている関係があり、外部に対しては秘匿すべきコミュニケーションがあるだろうということは容易に想像できる。とはいえ人間の社会集団が絶対的な自由を表現の領域で実現することは不可能でもある。一定の規範的な(道徳的倫理的)制約がありながら、逸脱する表現領域がある。この逸脱を法のみが定めるべき問題かどうかは議論の余地がありうる。私は、法によって網羅的に、誰に対しても適応される(法の下の平等)とは限らない錯綜した規範の領域があると思う。社会のなかの様々な下位集団が共有するこの集団に固有の規範や共同の誓約が構成メンバーのコミュニケーションを制約することがありうる。これが法の枠組とは乖離あるいは抵触することも、あるいは他の社会の下位集団とも対立したり差異があったりすることもある。もちろんこうした下位の文化的な共同性ガ支配的な社会の価値観などとも乖離することは普通にみられる。人々は法だけでなく、時には法を逸脱しても自らが帰属する社会集団の規範に従うことがある。こうした領域は公共の福祉というたったひとつのモノサシでは計りえない規範の重層的で相互に摩擦をもつ構造のなかにあることになる。通信の秘密が重要なのは、こうした複合的で錯綜し相互に対立しうる複数の文化が構築するある種の規範の多様性にかかわるからだ。ここには、私が容認できない規範による言動を駆使する集団もある一方で、私にとっては容認できるが違法あるいは適法とはいいがたい言動を肯定する集団もある。

通信の秘密が遵守できないから能動的サイバー防御には反対である、という主張には、通信の秘密が遵守できるなら能動的サイバー防御には賛成である、ということが含意されかねない、ということだ。通信の秘密を遵守しながら能動的サイバー防御を実現するということはありえない。私たちは二者択一を迫られているのだ、ということを強く自覚した上で、通信の秘密の権利こそが私たちの基本的人権と自由の権利の礎であるとして、能動的サイバー防御を否定する立場を明確にとることが必要だ。必要になってくるのが原則的な立場をきちんととれるかどうかである。このときに、戦争放棄や通信の秘密といった統治機構の基本的な理念に関わるところでの私たちの立ち位置がとても重要になってくる。

本稿では立ち入れないが、通信の秘密に関連して明示されていない重要な問題として、通信の暗号化に関する問題があることを指摘しておきたい。通信がエンド・ツー・エンドで暗号化されてしまうと、サーバーでも経路上でも盗聴や監視が不可能になる。復号化のための高度な技術を用いるか、さもなければ、ユーザーが復号化してデータを読む行為をしている最中にこれを窃取できる仕組みを導入する必要17がある。法制度としては、政府が解読できない暗号を原則禁止する、通信事業者に協力させるなどで暗号化を弱体化させることも可能である。

こうした弱体化は、軍事が絡む国家安全保障領域を聖域として暗号化を弱体化させる特権を与えるだけでは十分ではない。軍事と非軍事が絡みあうので、警察などもまたエンド・ツー・エンドの弱体化の重要なアクターとなる。18

2. スライドの検討のまとめ

前稿も含めて、スライドで言及されていないが、重要な観点についても何度か指摘してきた。これまで私が指摘してこなかったことを一つだけここで述べておく。それはAIについてである。スライドではAIへの言及が極めてわずかだ。これは安保3文書のAIへの言及の少なさを反映している。安全保障戦略ではたった一箇所だけだが「我が国の安全保障のための情報に関する能力の強化」の項目で「情報部門については、人工知能 (AI)等の新たな技術の活用も含め、政府が保有するあらゆる情報 手段を活用した総合的な分析(オール・ソース・アナリシス)」を進めるとのみ述べられている。国家防衛戦略では「AIや有人装備と組み合わせることにより、部隊の構造や戦い方を根 本的に一変させるゲーム・チェンジャーとなり得る」とか「AIの導入等を含め、リ アルタイム性・抗たん性・柔軟性のあるネットワークを構築し、迅速・確実なI SRTの実現を含む領域横断的な観点から、指揮統制・情報関連機能の強化を図 る」などの文言が散見されるが、まとまった記述はない。防衛力整備計画も同様だ。また、AIを軍事安全保障の領域で用いる場合にありうる危険性の問題への言及は皆無といっていい。最近のEUによるAI規制法19をめぐる議論での争点のひとつは、安全保障分野でのAI利用については、利用規制の対象から外す方向をとったために多くの批判を浴びている20。また、現在のガザ戦争におけるイスラエルによるAIの利用の現実からは、殺傷力のある兵器との関連でのAIの利用が重要な争点になっている。21 AIの人権侵害やプロパガンダ、大量監視などの問題は、安全保障分野においてAIを網羅的な監視の手段として用いようという意図をもつ安保防衛3文書のスタンスからみたとき、EUで起きていることの数倍も悪条件をもって人権への侵害を引き起しかねないのが日本の場合だということを自覚しなければならないだろう。

その上で、大枠として有識者会議の資料で述べられていない重要な観点として、以下の点を挙げておきたい。

  • 政府は憲法9条を一切考慮していおらず、サイバー領域における武力行使の問題がほとんど論点としても考慮されていないが、領域横断的な作戦のなかで用いられるという現実を念頭に置けば、9条問題は無視できないだけでなく、むしろ9条の枠組では戦争を阻止するには不十分ですらある。
  • サイバー領域における自衛隊や日本の関連する省庁、企業の現状についての言及は一切ない。
  • 米軍など同盟国側のサイバー領域での作戦についての現状についての言及はなく、一方的にロシア、中国などから攻撃されるケースのみが取り上げられている。

一部のメディア22、財界23、右派野党24 は能動的サイバー防御に前向きである。他方で、慎重な姿勢を示すメディアは、通信の秘密への危惧を取り上げることが多いように思う。25 メディアの主張は、サイバー安全保障は必要であるという前提のもと、通信の秘密との兼ね合いで、どのようにバランスとるか、といったところに争点を設定しようとしている。これは政府の思う壺である。国家安全保障と私たち民衆の安全保障は両立しないのであって、妥協の余地はないが、これはサイバー安全保障においてもいえることであって、国家のサイバー安全保障と民衆のサイバー安全保障とは両立することはない。

3. 参考資料 (小倉のブログから)

https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism

サイバー領域におけるNATOとの連携――能動的サイバー防御批判
https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/blog/2023/10/11/jieitai_nato_cyber/

能動的サイバー防御批判としてのサイバー平和の視点―東京新聞社説「サイバー防御 憲法論議を尽くさねば」を手掛かりに
https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/blog/2023/09/24/cyber_peace_against_active_defense/

能動的サイバー防御批判(「国家防衛戦略」と「防衛力整備計画」を中心に)
https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/blog/2023/09/06/noudouteki-saiba-bogyo-hihan2/

能動的サイバー防御批判(「国家安全保障戦略」における記述について)
https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/blog/2023/08/20/3410/ サイバー戦争放棄の観点から安保・防衛3文書の「サイバー」を批判する(3)――自由の権利を侵害する「認知領域」と「情報戦」

https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/blog/2023/02/26/anpo-bouei3bunsho-hihan3/サイバー戦争放棄の観点から安保・防衛3文書の「サイバー」を批判する(2)――従来の戦争概念を逸脱するハイブリッド戦争

https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/blog/2023/02/17/anpo-bouei3bunsho-hihan2/
サイバー戦争放棄の観点から安保・防衛3文書の「サイバー」を批判する(1)――グレーゾーン事態が意味するもの https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/blog/2023/02/17/anpo-bouei3bunsho-hihan1/

Footnotes:

1

サイバー安全保障体制整備準備室が有識者会議の事務局をつとめているようだが、内閣官房のウエッブにも専用のウエッブページももたず、その業務内容についても説明がない。G-GOVポータルの行政機関横断検索 検索でも内閣官房のページ内検索でも該当するページは見当らないようだ。

2

民衆の安全保障は国家安全保障とは対立する概念であり、自国の軍隊であっても民衆を守らない、という歴史的な経験から提起された概念である。民衆の安全保障〉沖縄国際フォーラム宣言参照。https://www.jca.apc.org/ppsg/Doc/urasoede.htm

3

日本の民間企業は、すでに自衛隊などとともにNATOのサイバー軍事演習の正式に参加している。日本はNATOのサイバー防衛協力センター(CCDCOE)の正式メンバーでもある。小倉「サイバー領域におけるNATOとの連携――能動的サイバー防御批判」参照。https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/blog/2023/10/11/jieitai_nato_cyber/

4

「今後の戦いにおいては、従来のキネティック破壊が主流ではなく、宇宙 ドメインにおける衛星の無効化やサイバー及び電磁波を用いて武器の機能 を停止させるといったノンキネティックな戦いを組み合わせた作戦が主流 となってくるであろう。」中矢潤「領域横断作戦に必要な能力の発揮による海上自衛隊と しての多次元統合防衛力の構築について」海幹校戦略研究 2019年7月(9-1)https://www.mod.go.jp/msdf/navcol/assets/pdf/ssg2019_09_07.pdf ;「各国は今後、宇宙利用の拡大、通信技術の発展により多くの目標が探知でき るようになる。また、各国は AI 技術の発展に伴い、目標の存在だけでなく、活 動内容の類推、更には部隊等の練度が評価できるようになるだろう。さらに各 国は目標の特性に応じて、キネティック・ノンキネティック手段が複合された、 即時的で、連続的な打撃が可能となるだろう。よって、それに抗する防護 (protection)等のありようが変化するだろう。つまり、今後は全防護対象を防 護するには多大な部隊を要し、かつ彼の打撃手段の逐次の迎撃には多様な弾種 を実効的に発射する必要が出てくることから、より早く彼の企図を察知し、よ り効果的にその打撃の被害を局限するための新たな発想や手段が必要となるだ ろう。」陸上自衛隊の新たな戦い方検討チーム「陸上自衛隊の新たな戦い方コンセプトについて」https://www.mod.go.jp/gsdf/tercom/img/file2320.pdf 陸自のこのレポートでは次のようにも述べている。「陸上自衛隊はそれに適合するために、従前の役割に加え、今後は戦略レベル では有事以前や有事を問わず、非軍事分野を含め、より早期に、かつ積極的な 対処を実施する。また、作戦・戦術レベルを一体として捉えて、有事以前や有 事を問わず陸領域を基盤とし、警戒監視(situation awareness)、防護を行い ながら、陸領域から彼の重心を消滅させるよう役割を拡大させる必要がある。」

5

F35aは一機116億円といわれている。NHK「「F35A」は116億円 主要装備品の単価一覧公表」https://www.nhk.or.jp/politics/articles/lastweek/12870.html

6

紛争における政府などによるインターネット遮断について以下、いくつかの事例を挙げる。(Access Now, #KeepItOn)2023年の暴力とインターネット遮断:過去最悪の年となる https://www.jca.apc.org/jca-net/ja/node/359; #KeepItOn:戦時における スーダンの通信遮断を早急に撤回すべき https://www.jca.apc.org/jca-net/ja/node/340; すべての国際的なアクターへの呼びかけ:ミャンマーにおける放火と殺戮を覆い隠すインターネット遮断を止めるためにさらなる努力を https://www.jca.apc.org/jca-net/ja/node/200;Access Now、軍事クーデターによるミャンマーのインターネット停止を非難 https://www.jca.apc.org/jca-net/ja/node/101 ; (CNN、ICANN)ウクライナ政府、ロシアのインターネット遮断を要求 https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/1931/; (Access Now)パレスチナ・アンプラグド:イスラエルはどのようにしてガザのインターネットを妨害しているのか(レポート:抄訳) https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/access-now_palestine-unplugged_jp/ (SMEX)暗闇の中の虐殺―イスラエルによるガザの通信インフラ抹殺 https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/smex_massacres-in-the-dark/ #KeepItOn ガザ地区での通信途絶は人権への攻撃だ https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/keepiton-communications-blackout-gaza-strip_jp/

7

たとえば、2023年10月7日以降のイスラエルによるガザ戦争では、米国のプラットーマーを巻き込んでイスラエルが検閲や国策としてのヘイトスピーチを展開してきた。以下を参照。(smex.org)Meta、”シオニスト “という用語の使用禁止を検討する https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/smex-meta-contemplates-banning-the-use-of-the-term-zionist_jp/; (Human Rights Watch)Meta: パレスチナ・コンテンツへの組織的検閲 https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/human-rights-watch_meta-systemic-censorship-palestine-content_jp/; (7amleh)Metaは憎しみから利益を得るのをやめるべきだ https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/7amleh_meta-should-stop-profiting-from-hate_jp/; (7amleh)Palestinian Digital Rights Coalition、Metaにパレスチナ人の非人間化と声の封殺をやめるよう求める https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/7amleh_palestinian-digital-rights-coalition-calls-on-meta-to-stop-dehumanizing-palestinians-and-silencing-their-voices_jp/; (7amleh)Metaよ、パレスチナに語らせよ! https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/meta-7amleh-org_intro_jp/ ; (ARTICLE19)イスラエルと被占領パレスチナ地域: 言論の自由への攻撃を止め、市民を守れ https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/article19_israel-and-occupied-palestinian-territories-stop-the-assault-on-free-speech-and-protect-civilians_jp/; (EFF)プラットフォームはパレスチナ人による、あるいはパレスチナ人に関する投稿の不当な削除を止めなければならない https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/eff_platforms-must-stop-unjustified-takedowns-posts-and-about-palestinians_jp/ ; (Global Voices)デジタル・ブラックアウト:パレスチナの声を組織的に検閲する https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/global-voices_digital-blackout-systematic-censorship-of-palestinian-voices_jp/; 企業内部のパレスチナ支持者の声を弾圧する動きも無視できない影響を与えている。たとえば、以下を参照。(medium)イスラエルによるアパルトヘイトに加担するGoogle:Googleはいかにして「多様性」を武器にパレスチナ人とパレスチナ人権支援者を黙らせているのか?https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/medium_googles-complicity-in-israeli-apartheid-how-google-weaponizes-diversity-to-silence-palestinians_jp/ ; (wired)「ガザの投稿はSNSで“シャドーバンニング”されている」──パレスチナ人や支援者が訴え https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/wired_palestinians-claim-social-media-censorship-is-endangering-lives_jp/

8

例えば、以下を参照。 (Wired)Xはイスラエル・ハマス衝突の「偽情報」を溢れさせている https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/wired_x-israel-hamas-war-disinformation_jp/; 7amlehは12万件の投稿のうち、ヘブライ語によるヘイトスピーチや扇動が103,000件以上あったことを記録 https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/7amleh-s-violence-indicator-documents-103-000-instances-of-hate-speech-and-incitement-against-palestinians-on-social-media/ ; (7amleh)戦争におけるパレスチナのデジタル権利に対する侵害:声の封殺、偽情報、扇動 https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/7amleh_briefing-on-the-palestinian-digital-rights-situation-since-october-7th-2023_jp/

9

インターネットと選挙への介入に関しては、2016年の米国大統領選挙におけるケンブリッジアナリティカのスキャンダルが有名。この事件については内部告発者のブリタニー・カイザー『告発 フェイスブックを揺るがした巨大スキャンダル』、染田屋茂他訳、ハーパーコリンズ・ ジャパン参照。また選挙への政府などの介入とこうした動きへの批判については以下を参照。(PI) データと選挙 https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/data-and-elections_jp/; #KeepItOn: インターネット遮断に立ち向かうための新しい選挙ハンドブック https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/keepiton-new-handbook/; (PI) 選挙におけるプロファイリングとマイクロターゲティングを懸念する理由 https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/pi-why-were-concerned-about-profiling-and-micro-targeting-elections_jp/; (#KeepOnItl/AccessNow)インターネット遮断と選挙ハンドブック https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/keeponitl-accessnow_internet-shutdowns-and-elections-handbook/; (#KeepItOn)全く不十分。アップルとグーグル、政府の圧力に屈し、ロシアの選挙期間中にコンテンツを検閲 https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/keepiton_apple-google-censor-russian-elections/; (Access Now) KeepItOn ロシアの選挙期間中にインターネットのオープン性と安全性を保つための公開書簡 https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/russia-votes-bigh-tech-open-internet_jp/

10

脅威ハンティング関連資料 Threat Hunting Techniques: A Quick Guide
https://securityintelligence.com/posts/threat-hunting-guide/

Inside the DHS’s AI security guidelines for critical infrastructure
https://securityintelligence.com/news/dhs-ai-security-guidelines-critical-infrastructure/

DHS Publishes Guidelines and Report to Secure Critical Infrastructure and Weapons of Mass Destruction from AI-Related Threats
Release Date: April 29, 2024
https://www.dhs.gov/news/2024/04/29/dhs-publishes-guidelines-and-report-secure-critical-infrastructure-and-weapons-mass

FACT SHEET: DHS Advances Efforts to Reduce the Risks at the Intersection of Artificial Intelligence and Chemical, Biological, Radiological, and Nuclear (CBRN) Threats
https://www.dhs.gov/sites/default/files/2024-04/24_0429_cwmd-dhs-fact-sheet-ai-cbrn.pdf

MITIGATING ARTIFICIAL INTELLIGENCE (AI) RISK: Safety and Security Guidelines for Critical Infrastructure Owners and Operators
https://www.dhs.gov/sites/default/files/2024-04/24_0426_dhs_ai-ci-safety-security-guidelines-508c.pdf

11

この令状発付の申請書によると、米国のばあい、5つ以上の地区にまたがる捜索のばあいにはリモートによる捜索が認められるとの記述がある。(パラ7)

12

“<Lie to me/>、Volt Typhoon:Volt Typhoon:A Conspiratorial Swindling CampaigntargetswithU.S. Congress and Taxpayers conductedbyU.S.Intelligence Community”, https://www.cverc.org.cn/head/zhaiyao/futetaifengEN.pdf 以下の記事も参照。”GT exclusive: Volt Typhoon false narrative a collusion among US politicians, intelligence community and companies to cheat funding, defame China: report” https://www.globaltimes.cn/page/202404/1310584.shtml

13

最近、NATTO ThoughtsというサイトにWho is Volt Typhoon? A State-sponsored Actor? Or Dark Power?という記事が掲載され、これまでの経緯を検証しているが、この記事でもアトリビューションの問題は未解決だとしている。https://nattothoughts.substack.com/p/who-is-volt-typhoon-a-state-sponsored なお、このサイトの主宰者など背景譲歩を私は持ち合わせていない。

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Press Releases, DOCOMO PACIFIC responds to multiple service outage https://bettertogether.pr.co/224192-docomo-pacific-responds-to-multiple-service-outage

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毎日 2024/6/7 能動的サイバー防御、「通信の秘密」制約容認の局面か 透明性課 題https://mainichi.jp/articles/20240607/k00/00m/010/306000c

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2024年2月5日衆議院予算委員会 内閣法制局長官内閣法制局長官の自民党、長島昭久委員への答弁。

 ここが、能動的サイバー防御を可能にする法改正の肝の肝です。今、河野大臣がまさに言われたように、いや、これは憲法二十一条、通信の秘密の保障があるから、能動的サイバー防御の法制化、つまりは電気通信事業法や不正アクセス禁止法の改正はなかなか難しいんだ、こういう声が政府内からも実は聞こえてくるんですね。

 では、ここで、そもそも通信の秘密の保障とは何ぞやということで、内閣法制局長官に今日は来ていただいていると思いますので答弁をお願いしたいと思いますが、私から、一応、憲法学界多数説じゃなくて通説を御紹介申し上げますが、二十一条の一項はもちろん表現の自由ですけれども、二項は「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」。非常に端的な文章でありますけれども、「検閲は、これをしてはならない。」というのは、これは絶対的禁止。どんな理由があろうとも検閲は駄目だと。しかし、通信の秘密につきましては、憲法十二条、十三条に明記された公共の福祉による必要最少限度の制約を受ける、この解釈でよろしいですね、政府も。

○近藤政府特別補佐人 今お尋ねは、憲法第二十一条二項に規定する通信の秘密ということが中心かと思いますけれども、通信の秘密はいわゆる自由権的、自然的権利に属するものであるということから最大限に尊重されなければならないものであるということでございますけれども、その上で、通信の秘密につきましても、憲法第十二条、第十三条の規定からして、公共の福祉の観点から必要やむを得ない限度において一定の制約に服すべき場合があるというふうに考えております。

○長島委員 これは非常に大事な答弁だというふうに思います。通信の秘密は絶対無制限なものではないと。したがって、憲法に規定された公共の福祉による必要最少限度の制約を受けるということであります。

 実際、これはまさに常識でありまして、ほかの先進国、先進立憲民主主義国家でも、成文憲法があるなしにかかわらず、我が国と同様、通信の秘密あるいはプライバシーというのは憲法で保障されているわけです。それでも、ほかの国は、国家の安全と重要インフラを守るという公益の観点から、パブリックインタレストの観点から、つまり公共の福祉の観点から一定の制約を認めて、アクティブサイバーディフェンス、能動的サイバー防御が行われている、こういうことなんですね。

 私は今日二十一条を見せましたけれども、この二十一条は、特に日本に特有の条文でも何でもないんですね。日本国憲法の中で比較憲法学上特別な条文があるとしたら、憲法九条二項ぐらいですよ。しかし、憲法九条二項でも「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と書いてありながら、陸海空自衛隊の存在を合憲としているわけですね。したがって、解釈の余地はあるということなんです。もっと柔軟に解釈してほしいというのが私の要望です。

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以下を参照。
(プレスリリース)EUROPOLの報告書:セキュリティとプライバシーの均衡:暗号化に関する新しい報告書 2024年6月
https://www.europol.europa.eu/media-press/newsroom/news/equilibrium-between-security-and-privacy-new-report-encryption
(機械翻訳)
https://cryptpad.fr/pad/#/2/pad/view/8f5qn5o9TN4PvO7jrG9aKnI41zMenH5XRXV12v7GD-Y/

欧州警察本部長、エンド・ツー・エンドの暗号化に反対する措置を講じるよう業界と政府に要請
https://www.europol.europa.eu/media-press/newsroom/news/european-police-chiefs-call-for-industry-and-governments-to-take-action-against-end-to-end-encryption-roll-out
(機械翻訳)
https://cryptpad.fr/pad/#/2/pad/view/Y+Fz+IMqRtbcDdAOSAzrtaj0K8yPSE3JVo-iPGdGWFE/

18

政府などによる暗号化の弱体化という目論見は、インターネットやコンピュータ・ネットワークの草創期から現在まで絶えることなく続いている対立である。インターネット初期のころの米国政府による暗号規制との闘いについては、シムソン・ガーフィンケル『PGP 暗号メールと電子署名』、ユニテック訳、オライリージャパン。最近の状況については以下を参照。なぜ暗号化が必要なのか? https://www.jca.apc.org/jca-net/ja/node/143; (共同声明)大量監視と暗号化の脆弱化の問題の議論がEU理事会に依然として残されている https://www.jca.apc.org/jca-net/ja/node/350; 暗号規制に反対します―日本政府は「エンドツーエンド暗号化及び公共の安全に関するインターナショナル・ステートメント」から撤退を!! https://www.jca.apc.org/jca-net/ja/node/104; 暗号をめぐる基本的な仕組みと社会運動への応用については、グレンコラ・ボラダイル『反対派を防衛する――社会運動のデジタル弾圧と暗号による防御』、JCA-NET訳、https://www.jca.apc.org/jca-net/sites/default/files/2021-11/%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E6%B4%BE%E3%82%92%E9%98%B2%E8%A1%9B%E3%81%99%E3%82%8B(%E7%B5%B1%E5%90%88%E7%89%88).pdf

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P9TA(2024)0138 Artificial Intelligence Act https://www.europarl.europa.eu/doceo/document/TA-9-2024-0138_EN.pdf

20

以下を参照。EDRi and et.al., AI Act fails to set gold standard for human rights, https://edri.org/wp-content/uploads/2024/04/EUs-AI-Act-fails-to-set-gold-standard-for-human-rights.pdf ; Access Now, The EU AI Act: a failure for human rights, a victory for industry and law enforcement, https://www.accessnow.org/press-release/ai-act-failure-for-human-rights-victory-for-industry-and-law-enforcement/; Amnesty International, EU: Artificial Intelligence rulebook fails to stop proliferation of abusive technologies, https://www.amnesty.org/en/latest/news/2024/03/eu-artificial-intelligence-rulebook-fails-to-stop-proliferation-of-abusive-technologies/; Article 19, EU: AI Act passed in Parliament fails to ban harmful biometric technologies, https://www.article19.org/resources/eu-ai-act-passed-in-parliament-fails-to-ban-harmful-biometric-technologies/;

21

(Common Dream)イスラエルのAIによる爆撃ターゲットが、ガザに大量虐殺の ” 工場 ” を生み出した https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/blog/2023/12/03/common-dream_gaza-civilian-casualties_jp/; (+972)破壊を引き起こす口実「大量殺戮工場」: イスラエルの計算されたガザ空爆の内幕 https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/blog/2023/12/04/972_mass-assassination-factory-israel-calculated-bombing-gaza_jp/;

22

能動的サイバー防御を推進する主張として、例えば日本経済新聞社説2024年1月21日「能動的サイバー防御の始動を遅らせるな」 、読売新聞社説2024年1月21日「サイバー防衛 脆弱な体制をどう改めるか」 、読売新聞社説2024年6月9日「サイバー防御 インフラを守る体制整えたい」など。

23

経団連は2023年4月に安保3文書のサイバー安全保障に関連して内閣官房の担当者を招いて説明会を開催している。「改定安保3文書に関する説明会を開催-サイバー安全保障の今後について聴く/サイバーセキュリティ委員会」経団連タイムス、2023年4月20日。また経団連は2023年5月に開催した「サイバー安全保障に関する意見交換会」の記事で次のように述べている。

経団連として、当該組織の新設に向けた法制度整備の方向性や「能動的サイバー防御」のあり方など、政府の動向を注視することに加え、民間としていかに取り組むべきか実務的な検討を重ねていくことは、極めて重要な課題である。

以下も参照のこと。「国家安全保障におけるサイバー防御のあり方」経団連タイムス、2023年11月30日。

24

能動的サイバー防御やサイバー安全保障について、野党の一部がすでに法案を提出している。日本維新の会「サイバー安全保障態勢の整備の推進に関する法律案」国民民主の浜口誠「サイバー安全保障を確保するための能動的サイバー防御等に係る態勢の整備の推進に関する法律案」 https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/kaiji213.htm

25

毎日新聞2024年6月7日「能動的サイバー防御、秋にも法案提出 「通信の秘密」整合性が課題」(Yahoo経由) 、朝日新聞「通信を監視する「能動的サイバー防御」は必要か 専門家の見方」 日経2024年6月4日「能動的サイバー防御、問われる「通信の秘密」との整合性」毎日新聞2024年6月7日「能動的サイバー防御、秋にも法案提出 「通信の秘密」整合性が課題」

Date: 2024年6月22日

Author: toshi

Created: 2024-06-20 木 21:48

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能動的サイバー防御批判(有識者会議資料に関して)その1



Table of Contents

能動的サイバー防御批判(有識者会議資料に関して)その2

1. 能動的サイバー防御をめぐる有識者会議の何に注目すべきか

岸田政権は有識者会議を立ち上げて能動的サイバー防御についての検討を開始するとした。有識者会議は、政府が用意したこの議論の枠組に沿って議論を開始することになる。

第一回サイバー安全保障分野での対応能力の向上に向けた有識者会議(以下有識者会議と呼ぶ)に、会議事務局の説明資料として、内閣官房サイバー安全保障体制整備準備室が作成した資料「サイバー安全保障分野での対応能力の向上に向けて」が提出された。この資料の最後に「本有識者会議における、検討の進め方、重点的に検討すべき点、検討に当たって留意すべき点などについて、ご議論をお願いしたい」と記載されており、この資料はあくまで叩き台という位置づけである。また、河野大臣は、会議冒頭に以下のように述べた

この能動的サイバー防御に 関する法制の検討を進めていくことになりますが、国家安全保障戦略に掲げられて いる3つの観点、すなわち官民の情報共有の強化、民間に対する支援の強化というの が1点目でございます。2つ目として、通信情報に関する情報を活用した攻撃者によ る悪用が疑われているサーバをいかに検知していくか。そして、重大なサイバー攻撃 を未然に防ぐために政府に対する必要な権限の付与、この3点について重点的な御 議論をお願いしたいと思います。

これは国家安全保障戦略で強調された論点の引き写しにすぎないが、問題は、政府による民間への管理・監督あるいは指揮・命令の強化、民間の情報の吸い上げ、そして更に民間をサイバー攻撃(能動的サイバー防御)の事実上の主体とすることが目論まれたものだ。この点に踏み込んだ法制度改正が登場するとなると非常にその影響は深刻だ。第一回会議の最後に、官民の情報共有・民間支援、通信情報の利用、攻撃者のサーバ等の無害化の三つのテーマについてはテーマ別会合の設置が決まった。事実上これらが法制度改正の中心になるとみていいだろう。

能動的サイバー防御については、メディアの評価は明確に分かれており、世論調査1では能動的サイバー防御について肯定的な意見が全体の8割から9割と圧倒的に多いのが現状だ。世論調査では能動的サイバー防御の意味内容を回答者に説明することなく、十分に理解されていないままに、ある種の不安感情を巧みに利用して肯定的な回答を引き出したという印象が強い。しかも、こうした世論調査はさっそく有識者会議でも紹介されている。

しかし、同時に、政府内の安全保障関連省庁が能動的サイバー防御という定義の定かではない概念を用いながら、今後の法制度の構築のなかで中心となるのが、サイバー領域における諜報活動、民間の政府への情報提供や協力の義務づけ、そして標的となるネットワークへの攻撃の合法性の担保である。すでに有識者会議でも軍事と非軍事の境界線のあいまいさを前提とした認識がほぼ合意されており、問題は現行の法制度――とりわけ憲法――がサイバー攻撃の展開にとって障害になっているという認識から、世論を味方につけつついかにして法を国益のためのサイバー安全保障に寄与しうるように改変できるか、が焦点になるのではないか。

2. サイバー安全保障分野での対応能力の向上に向けた有識者会議

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/cyber_anzen_hosyo/index.html

以下では、内閣官房が提出したスライドの順番に沿って、ひとつづつ、論点を洗い出してみよう。このスライドの多くが、22年12月に出された安保3文書の記述をそのまま引用するなど、ほぼ踏襲しており、その上でいくつかの解決すべき論点が出されている。

2.1. (スライド1)国家安全保障戦略「サイバー安全保障分野での対応能力の向上」概要

このスライドでは、国家安全保障戦略からいわば現状認識といえる箇所が引用されている。いわば立法事実に該当する記述である。

2.1.1. あらゆる問題が軍事安全保障の文脈のなかに組込まれている

上記の記述は、文脈的にいえば、国家安全保障のリスクを自衛隊などの軍事安全保障に密接に関わる「リスク」とみなした記述だが、むしろこれまで「サイバー犯罪」として司法警察機関が取り組んできた領域が大半を占めている。だから、次のような疑問が浮かぶ。

  • いわゆる自衛隊が対応するであろう軍事安全保障の領域とはどれだろうか?
  • 攻撃者が優位であるというのは何を根拠にしているのか?
  • 他国の選挙干渉、身代金要求、機微情報の窃取も自衛隊が関与すべき「サイバー攻撃」なのか?
  • 情報戦もまたサイバー攻撃なのか?
  • 現在も頻繁に経験している「偽情報」の問題は情報戦なのか?
  • 武力攻撃の前の段階で行なわれる情報戦もまた「戦争」なのか?

こうした当然の疑問に気づいてすらいないように感じる。スライドでは(安保戦略文書もそうだが)軍事的なニュアンスを含む言葉が多用され、あらゆる情報通信やコミュニケーション領域における問題が国家安全保障の文脈に引き寄せられて再解釈されている。結果として、軍事的な領域の輪郭が曖昧にされ、非軍事領域もまた軍事的な対処を必要とするものとして捉え返され、警察の軍隊化が進み、情報通信関連省庁がおしなべて軍事化・警察化し、IT関連企業もまた同様の傾向をもつことになる。軍事安全保障領域は、人権の例外領域として私たちの権利をより一層狭める口実として用いられるのがある種の国際標準になっている。非軍事領域の軍事化は、私たちの生活世界全体を国家安全保障の枠組のなかで統制し規制する入口になる。しかも、IT関連の市場が軍事安全保障への国家の投資によって下支えされる構造が定着すると、資本は国家への依存なしには存立しえなくなるが、同時に国家もまたIT資本のインフラとノウハウなしには安全保障だけでなく国家の統治機構すら維持できなくなる。

このスライドでは、現行法では対処できない事態が発生している、ということがなければ新規立法や制度的な対処に必要性についての説得力が欠けるために、現状のリスクが強調される。これは、立法過程で通常みられる政府側のレトリックの常套だ。だから、このリスクが現実にある事実そのものであると理解する必要はない。むしろ能動的サイバー防御のための法制度構築という意図から逆算されて世論の説得材料として「リスク」を誇大に強調することになっている可能性に注意する必要がある。

他方で、今後の国会などでの争点が、自衛隊など武力・戦力部隊を動員しなければならないほどのリスクがあるかどうか、といった問題の立て方になってしまう恐れがある。リスクについては、政府は過剰に不安を煽ることに長けている。不安感情を喚起し、政府に保護を求める世論を形成し、政府は無防備な「国民」を保護するというパターナリズムの構図ができあがる。サイバー領域は私たちにとっては実感しづらく、しかも技術的にも理解を越えたものでもある。更に多くのブラックボックスがあり秘匿されている技術領域があるために、専門家ですら実態を把握できないなかで監視社会化が進んでいる。2 こうしたサイバー領域の特殊性を政府は巧妙に利用している。

実感しづらい、という点については、特に注意しておく必要がある。実空間における軍事行動のばあいであれば、自衛隊が武力行使しなければならないほどのリクスが本当にあるのかどうか、といった問いの立て方で検討や評価に十分必要な領域をカバーしている可能性が高いが、サイバー領域ではこのような問いの立て方では基本的な条件を満たすには不十分だ、ということだ。実際にサイバー領域におけるリスクに対処するのは自衛隊とは限らないからだ。むしろ民間の企業であったり、あるいは場合によっては一般の人々が関与することすらありうる。このことはウクライナのIT軍3が世界各国からボランティアを募り、サイバー攻撃に参加させる体制をとっていることで既に実績がある。サイバー領域における軍事安全保障の問題を把握する場合に、従来のように軍事組織に焦点を当てた取り組みだけでは不十分なのだ。日本には自衛隊、米軍基地現地の運動を含めて多くの反戦平和運動の草の根の力があるが、こうした運動がカバーしきれていない領域がサイバー領域における軍事安全保障の体制である。逆に、戦争という手段を放棄して国際関係であれ社会的な紛争に取り組むべきであるという立場の場合、従来の戦争のイメージを払拭することは是非とも必要なことになる。戦争は戦車やミサイルの世界でイメージするだけでは決定的に不十分だ。従来の言い方でいえば「銃後」が戦場になる、ということだ。しかも、その中核を担うのが、反戦平和運動もまた依存しているサイバー空間のコミュニケーション・インフラである。このインフラが丸ごと戦争に包摂されるとき、戦争に反対する言論や集会結社の自由を確保することそのものが困難になる。このことはウクライナでもロシアでも、イスラエルでもパレスチナでも、今現在起きていることだ。問題は、私たちの日常生活と不可分なものとして存在しているにもかかわらず実感しえない、という点で、より深刻なのだ。

国家安全保障上のリスクのもうひとつの問題は、リスクの存在そのものが、国家安全保障そののものによって誘発されている、というパラドクスだ。つまり、リスクと国家安全保障が相互にもたれ合う関係を通じて拡大再生産を繰り返す負のスパイラル構造をもっている、という点だ。

サイバー空間におけるセキュリティ・リスクは、セキュリティ防御技術高度化の結果として、この高度化した防御を回避あるいは突破するために、より高度なリスクを生み出そうとする。リスクとリスク回避(防御)はイタチごっこになる。リスクを犯す側には動機、目的があり、この目的を達成する手段としてサイバー領域を攻撃の「戦場」として選ぶのであり、「攻撃」側の目的の多くは、サイバー空間だけでは完結しない動機に基いている。サイバー攻撃のリスクがそれ以外の攻撃と比較して高ければ、他の選択肢を選択するだろう。だから、攻撃の目的とされている事柄に取り組むことなしに、手段としての攻撃やリスクにだけ注目して対抗的な軍事的暴力的な対処とったとしても、そもそもの目的それ自体が消えてなくなるわけではない。他のところで述べたように4 サイバー領域を含めて暴力という手段は、目的をめぐる問題を解決することはできない。同時に、日本側にも攻撃あるいは相手へのリスクを手段として、日本の国益やナショナリズムの権力目的を満たそうとする態度をとる。この目的は大抵の場合、普遍的な価値観などによって偽装されるが、支配的なイデオロギーにまどわされていない人達の目には、その欺瞞は明かであることが多いだろう。

サイバー領域の問題が議論されるときに忘れられがちなのは、社会を構成する人間はサイバー空間だけで完結できない存在だということだ。サイバー領域におけるリスクの深刻化という捉え方には、本来であれば論じられなければならないリスクの背景にある政治的社会的な事態への分析抜きに、リスクの押し付けがなされる。リスク圧力によって萎縮させられるのは、サイバー領域でのコミュニケーション活動だ。

2.2. (スライド2) サイバー攻撃の変遷

2.2.1. 米軍など「同盟国」のサイバー攻撃への言及がない

このスライドの記述では、米軍のサイバー・コマンドによるサイバー攻撃については全く言及されていない。日米同盟を前提としたとき、米軍サイバーコマンドがどのような攻撃を行なっているのかを知ることが必須なはずだ。あえてこれを隠蔽しているといえるのではないか。以下では、米軍のサイバー領域での対応について補足してみたい。

スライドでは言及されていない米サイバーコマンドについて簡単に言及しておこう。

2023年の米国防総省のサイバー戦略には以下のような記述がある。

2018年以降、国防総省は 前方防衛defending forwardのポリシーを通じて、悪意のあるサイバー活動が米国本土に影響を及ぼす前に積極的に破壊する、相当数のサイバー軍事作戦を実施してきた。

ロシアによる2022年のウクライナ戦争によって、武力紛争中にサイバー能力が大 幅に使用されるようになった。この飽和状態のサイバー戦場では、国家や非国家アクター による軍事作戦が多数の民間セクターによるサイバー防衛の努力と衝突するようになっている。こうした紛争は、サイバー領域における戦争の特徴を示している。

国防総省の経験によれば、予備的に保有されたり、単独で使用されたりするサイバー能力は、単独ではほとんど抑止効果を発揮しない。むしろ、これらの軍事能力は、他の国力の手段と連携して使用される場合に最も効果的となり、その総和以上の抑止力を生み出す。このように、サイバースペースの軍事作戦は、米国と連合国の軍事力にとって不可欠な要素であり、統合抑止の中核をなす。

国防総省はまた、 武力紛争未満のレベルでの敵対者の活動 を制限、挫折、混乱させ、有利な安全保障条件を達成するための行動を行うキャンペーンを目的として、サイバー空間での作戦を展開する。米サイバー軍(USCYBERCOM)は、抑止力を強化し優位に立つために、サイバー空間において、悪意あるサイバー行為者や米国の利益に対するその他の悪意ある脅威と粘り強く戦うことにより国防総省全体の作戦を支援する。

また「悪意あるサイバー攻撃者の能力を奪い、そのエコシステムに打撃を与えることで、先手を打って防衛(defend forward)する」とも述べられている。この前方防衛」(defend forward)という言葉は2018年のサイバー戦略で国防総省が打ち出した考え方だ。2018年のサイバー戦略では次のように述べられている。

国防総省は、サイバー空間において、 米国の軍事優位性 を維持し、米国の利益を守るために、日常的な競争の中で行動を起こさなければならない。特に中国とロシアといった、米国の繁栄とセキュリティに戦略的な脅威をもたらす可能性のある国々を重点的に監視する。我々は、 情報収集を行うサイバー作戦 を実施し、危機や紛争が発生した場合に使用する軍事サイバー能力を準備する。我々は、 武力紛争のレベルに達しない活動 も含め、悪意あるサイバー活動をその 発生源で阻止または停止 するために、前方防衛を行う。我々は、現在の、そして将来の米国の軍事上の優位性につながるネットワークとシステムのセキュリティと回復力を強化する。私たちは、 政府機関、産業界、国際パートナーと協力し 、相互の利益を促進する。(下線は引用者による)

CNNは、この「前方防衛」について、「外国政府が関与するサイバー攻撃への米軍の対応をより積極的にし、先制攻撃に踏み切る権限の拡大なども盛り込んだ新たなサイバー戦略」だと報じた

米国のサイバー戦略と日本の能動的サイバー防御のスタンスは非常によく似ていることに気づかされる。defend forwardは能動的サイバー防御といっていい意味を担っており、また、国防総省の守備範囲のなかには重要インフラの防衛だけでなく、相手が武力攻撃未満の対応している段階で専制的に攻撃を仕掛けるという含意がある。こうした対処を米軍のサイバーコマンドがとる場合、同盟国の日本がこの体制に歩調を揃えようとしているのではないか、と推測してもあながち間違いではないのではないか。サイバー領域における様々なリスクを立法事実として示してはいるが、政府の本音のところでの立法事実は、むしろ米軍のdefend forwardのような戦略への協調体制構築にあるのではないだろうか。

参考までに、米国によるサイバー攻撃についてのニュース報道ベースでの記事をいくつか列記する。(これらがdefend forwardの実践だということではない)

2016(cfr)マルウェアを送り込め米サイバー司令部がイスラム国を攻撃
2016年3月9日
https://www.cfr.org/blog/send-malware-us-cyber-command-attacks-islamic-state

2019(CNN)米、イランにサイバー攻撃で報復 タンカー攻撃に使われたソフト標的
2019年6月23日 Sun posted at 14:48 JST
https://www.cnn.co.jp/tech/35138883.html

2021(CNN)サイバーコマンドの攻撃の一例:CNN 米軍のハッキング部隊、ランサムウェア作戦を妨害するために攻撃行動を取ったことを公に認める
2021年12月5日
https://www.cnn.com/2021/12/05/politics/us-cyber-command-disrupt-ransomware-operations/index.html

2022(読売)アメリカ、ロシアにサイバー攻撃…ナカソネ司令官「攻撃的な作戦を実施」
2022年6月2日
https://www.yomiuri.co.jp/world/20220602-OYT1T50073/

2022(BBC)米軍のサイバーチームによるウクライナ防衛作戦の内幕
2022年10月30日
https://www.bbc.com/news/uk-63328398

2.3. (スライド3) ウクライナに対する主なサイバー攻撃(報道ベース)

2.3.1. 米国防総省の2023Cyber Strategy

前述したように、スライド資料では、米軍のサイバー部隊によるウクライナ側のサイバー攻撃への直接の関与については一切記載されず、もっぱらウクライナの被害だけが列挙されている。(米軍のサイバー攻撃に関する報道は前項参照)

米国防総省の2023Cyber Strategyにおけるウクライナ戦争についての記述から以下のようなサイバー領域での戦争の特徴が明かになる。

  • 武力紛争中にサイバー能力が大幅に戦争に使用されるようになった。
  • サイバー戦場では、国家や非国家アクターによる軍事作戦と、多数の民間セクターによるサイバー防衛が衝突。
  • サイバー能力は、単独ではほとんど抑止効果を発揮しない。むしろ、これらの軍事能力は、国力の他の手段と協調して使用するときに最も効果的であり、その総和以上の抑止力を生み出す。
  • サイバースペース軍事作戦は、米国と連合国の軍事力にとって不可欠な要素であり、統合抑止の中核をなす。

ウクライナにはIT軍があり、また米軍が支援してもいる。彼らが実際にサイバー戦争の領域でどのような攻撃あるいは前方防衛とか能動的サイバー防御といった範疇にあるであろう行動をとっているのかを知ることは、能動的サイバー防御の法制度の検討に際して最優先の現状分析対象であるはずだ。こうした実際の対処を有識者会議の討議資料に記載しない理由は一つしか考えられない。日本の同盟国の軍隊が実際にサイバー攻撃でどのような行動をとっているのかという問題は、自衛隊をはじめとする日本政府機関が実際にどのようなサイバー攻撃に関与するのかという問題と密接に関わって議論することになる。そうなれば、こうした実例を能動的サイバー防御との関わりで、日本のサイバー安全保障として妥当性があるかどうかという議論を避けることができなくなるだろう。政府の思惑は、自衛隊や日本のサイバー領域で行動する組織(官民双方が絡む)が現状の米軍(CYBERCOM)の行動と共同歩調を合わせられるような枠組を作ることにある。他方で、現実に米軍が加害者=攻撃者として取り組んでいることへの言及は、法制度の議論において歯止めを設定する議論につながりかねない。こうしたことは、軍事行動におけるフリーハンドを得たいという政府の思惑にとってプラスになることはない。しかし、現在の日米同盟を前提として、なおかつ指揮系統も含めて米軍との一体化が進むなかで、サイバー攻撃に関して更に積極的な先制攻撃を組織化しようとする日本政府の意図は、結果として、深刻な戦争への引き金となる危険性が非常に高い。だから、私たちが知らなければならないことは、いったい米軍やその同盟軍はサイバー領域でいかなる攻撃をしているのか、あるいはしようとしているのか、ということの検証の方が極めて重要なことであって、どれほど攻撃されて被害を受けたのか、ということにばかり関心が向けられようとしていること自体に、ある種の作為を感じざるをえない。

2.4. (スライド4) 最近のサイバー攻撃の動向(事前配置(pre-positioning)活動)

2.4.1. なぜVolt Typhoonなのか?

私は、内閣官房のスライドの説明がもっぱら中国のケースに集中しているところに違和感がある。ここで言及されているVolt Typhoonのような攻撃は、今後日本の能動的サイバー防御のひとつの手段になりうるかもしれない。中国がやっているこの技術を米国など他の諸国が真似しないはずがない。同様の仕組みの開発が進むはずだ。しかもVolt Typhoonのような機能は日本のように「防衛」を前面に出して監視するシステムを好む場合にはかなり有効な手段とみなしているのではないか。軍だけでは完結できないので、民間や政府の他の非軍事機関との連携が必須になる。その結果として、社会のシステム全体が軍事安全保障にひきづられることになる。

スライドではもっぱら中国の脅威として論じられているが、同じ技術を日本が使うことの方を懸念すべきだ。

このスライドには、Volt Typhoon、pre-positioning、Living off the Landといったあまり一般的とはいいがたい概念が何の説明もなく登場する。サイバーセキュリティに関心がなければ、これらの概念で語られようとしている問題の核心を理解することはほぼ不可能だろう。ここで含意されていることは、能動的サイバー防御の重要な柱のひとつが、極めて侵襲性の大きい諜報活動になるのではないか、ということだ。「通信の秘密」が第一回の有識者会議でも焦点の一つになったことでも関心の高さがうかがえる。そのターゲットは「敵国」ということになっているが、もちろん私たちも含む多くの人々のコミュニケーションが標的にされることは間違いない。

スライドのここでの議論に用いられているのは、掲載されている図版から判断して、以下の米国の報告書と思われる。 Joint Cybersecurity Adversary, PRC State-Sponsored Actors Compromise and Maintain Persistent Access to U.S. Critical Infrastructure, Release DateFebruary 07, 2024

上のスライドの記述からみて、米国のサイバー戦争の主要なターゲットはロシアと中国、とりわけ中国のようだ。特に中国のサイバー攻撃とみれれているVolt Typhoonへの関心が高い。Volt Typhoonは、長期にわたって標的のシステムに密かに潜伏して情報を収集する行動をとる。標的のなかには米軍基地のあるグアムも含まれていた。基地だけでなく、通信、製造、公益事業、交通、建設、海運、政府、情報技術、教育のインフラも狙われたという。Volt Typhoonは、上のスライドでも指摘されているように、マイクロソフトがその存在を把握して公表したことで知られるようになった。米国の場合ですら、サイバー領域のリスクや脅威を軍や政府の情報機関が網羅的に把握できるわけではない。

もうひとつ、このスライドで指摘されている「攻撃」の仕組み、Pre-positioningへの関心に注目したい。Pre-positioningとは、Volt Typhonnもこのカテゴリーに含まれると思われるが、長期にわたって標的とされるシステムなどに、事前に配置(pre-positioning)されることをいう。こうした行動によって、地政学的軍事的緊張や衝突の際に重要インフラなどへの破壊行動をとれるようにするものという。上記の米国の報告書では「ターゲットの選択と行動パターンは、伝統的なサイバースパイ活動や軍事作戦とは一致せず、米国当局は、Volt Typhoonのアクターが、複数の重要インフラ部門にわたるOT機能の破壊を可能にするために、ITネットワーク上にあらかじめ配置されていると確信を持って評価している」と述べている。5(下図参照)。

以下は図の各項目の日本語訳

  1. 組織の人間、セキュリティ、プロセス、テクノロジーについての予備調査(Reconnaissance)
  2. 初期アクセスのための脆弱性の利用
  3. 管理者資格の取得
  4. 有効な資格を有するRemote Desktop Protocol
  5. 発見
  6. NTDS.ditとシステム レジストリ ハイヴの取得6
  7. パスワードクラッキング
  8. 戦略的なネットワークprepositioning

Volt Typhoonについては饒舌なようだが、実は肝心な点への言及がない。それは、このVolt Typhoonをどのようにして撃退したのか、という反撃のプロセスだ。ロイター2024年1月の報道によると「米司法省と連邦捜査局(FBI)が同集団の活動を遠隔操作で無効化する法的許可を得たという」とあり、数ヶ月の作戦だったようだ。NTT(NTT セキュリティ・ジャパン株式会社、コンサルティングサービス部 OSINT モニタリングチーム)は『サイバーセキュリティレポート2024.02』でかなりのページを割いてVolt Typhoonに言及している。日本語で読める最も詳しい記述のひとつかもしれない。こうしたレポートが防衛省や政府機関ではなく民間の通信事業者から公表されているということがサイバー安全保障の重要な特徴である。従来は軍需産業とはみなされてこなかった民間通信事業者へに対しても関心を向けることが必要になる。NTTのレポートでは以下のように述べられている。

2024 年 1 月 31 日、FBI はこのボットネットを利用した攻撃を妨害するため、裁判所の許可を得て KV Botnet の駆除を実施したと発表した。この作戦では、ボットネットを管理する C&C サーバーをハッキングした後、米国内の KV Botnet に感染したルーターをボットネットから切り離して再接続ができないようにした上、当該ルーターにてマルウェアの駆除も行った。さらに同日、CISA と FBI は Volt Typhoon の継続的な攻撃を防ぐため、SOHO ルーターのメーカー向けガイダンスも発行し、開発段階で悪用可能な脆弱性を排除する方法や既存のデバイス構成の調整方法等を案内している。

米国ですら「無効化」に法的許可を必要とするようなハッキングを伴う作戦がネットワークを「戦場」として展開されたということだろう。ロイターが「無効化」として報じていることに注目しておく必要があるだろう。能動的サイバー防御においても「無効化」が重要なキーワードになっている。(この点については本稿の続編でスライド10に関して言及する)

以下、 Volt Typhoon関連資料を挙げておく。

Volt Typhoon targets US critical infrastructure with living-off-the-land techniques
May 24, 2023
https://www.microsoft.com/en-us/security/blog/2023/05/24/volt-typhoon-targets-us-critical-infrastructure-with-living-off-the-land-techniques/

People’s Republic of China State-Sponsored Cyber Actor Living off the Land to Evade Detection
https://media.defense.gov/2023/May/24/2003229517/-1/-1/0/CSA_Living_off_the_Land.PDF

その後以下のファクトシートが公表される。
CISA and Partners Release Joint Fact Sheet for Leaders on PRC-sponsored Volt Typhoon Cyber Activity
Release DateMarch 19, 2024 https://www.cisa.gov/news-events/alerts/2024/03/19/cisa-and-partners-release-joint-fact-sheet-leaders-prc-sponsored-volt-typhoon-cyber-activity https://www.cisa.gov/sites/default/files/2024-03/Fact-Sheet-PRC-State-Sponsored-Cyber-Activity-Actions-for-Critical-Infrastructure-Leaders-508c_0.pdf

以下、関連報道のいくつかを挙げておく。

(Forbesjapan)中国、グアムのインフラにサイバー攻撃 軍事行動への布石か
2023.05.26 10:15
https://forbesjapan.com/articles/detail/63432

(Gigazine)中国政府系ハッカー集団「ボルト・タイフーン」が5年間以上もアメリカの主要インフラに潜伏していたことが判明、台湾侵攻の緊張が高まる
2024年02月08日 12時30分
https://gigazine.net/news/20240208-china-volt-typhoon-infrastructure-5-years/

(Gigazine)FBIが中国政府支援のハッキング集団「ボルト・タイフーン」のサイバー攻撃用ボットネットの解体に成功したと発表 – GIGAZINE https://gigazine.net/news/20240201-chinese-hacking-network-critical-infrastructure/

(Trendmicro)Living Off The Land(LotL:環境寄生型)のサイバー攻撃~正規ログの中に埋没する侵入者をあぶりだすには? https://www.trendmicro.com/ja_jp/jp-security/23/h/securitytrend-20230825-01.html

(txone)Volt Typhoonのサイバー攻撃: 主要な懸念事項と業界への影響を考察
May 30, 2023
https://www.txone.com/ja/blog-ja/volt-typhoons-cyberattack/

3. 私たちが考えるべきことは何か

能動的サイバー防御がどのような制度的法的な枠組によって正当化されるのかは、以下の条件によって規定される。

  • 現状のサイバー安全保障上のリクス認識
  • 現に自衛隊が保有しているサイバー領域における制度と能力。
  • 自衛隊が同盟国との間でサイバー領域の作戦や訓練としてどのようなことを実際に行なっているのか。
  • 民間企業や通信インフラ企業がサイバーディフェンスについてどのような認識をもち、どのような行動をとっているのか。
  • 防衛省以外の政府各省庁は、防衛省あるいは日本の国家安全保障に関連したサイバーディフェンスにどのような体制をとっているのか。

現在すでに現実のものとなっている「サイバーディフェンス」から浮び上がるサイバー領域における事案と戦争遂行能力が、政府が目論む将来のサイバー戦争能力の高度化の前提になる。この前提となる現状の戦力――政府は自衛力と呼んで合憲と強弁するだろう――そのものを違憲とみて、戦力の高度化はおろかむしろその低下を求めるような観点は、最初から選択肢にはない。このこと自体が、この能動的サイバー防御を批判するときに自覚しなければならない批判の難しさ、あるいは落とし穴となる。私たちが目指すべきは、これ以上の軍事力の高度化を許さない、という観点では不十分であり、現在可能な軍事力の水準をむしろ後退させ、ゼロを目指すための現状認識でなければならない。能動的サイバー防御反対というスローガンが、この範疇に入らない範囲のサイバー防御に限定すべきだ、といった誤解を招くおそれがある。サイバー領域の軍事安全保障は、自衛隊の部隊として組織されて実空間での武力行使と直接連動する部分を除けば、その大半が非軍事領域と重なる。たとえていえば、道路は軍用車両も民間の車両も使えるように、ネットワークもまた技術的には、どちらにも使うことが可能だ。従来は軍用車両の通行は想定されていなかったり、事実上禁止されていたのに、これからは逆に軍用車両を優先し、民間の車両が軍の行動を妨げないように監視したり、民間の車両を軍用に転用することを強制するといった軍事優先で道路を使うように制度を整備する、というような事態だ。軍民共用の道路は、軍事インフラでもあり非軍事の社会インフラでもあるという曖昧な存在になる。このグレーゾーンが拡大されればされるほど、私たちの日常生活が戦争のための軍事インフラに変質し、社会全体が、戦争に加担する構造に巻き込まれることになる。道路なら直感的に何が起きているのか理解できるが、サイバー空間で起きていることは、ネットワークの管理者や技術者でもない限り直感的にはわかりにくい。わかりにくいからこそ、私たちはより一層の関心をもつ必要があるのではないかと思う。

もうひとつの留意点は、能動的サイバー防御のそもそも定義があいまいにされたまま、法制度の整備へと向っている点だ。法の言葉によって厳密に定義されるべき対象そのものが、あらかじめ明確に範囲が確定されて現実に存在しているわけではない。むしろ、この審議過程を通じて、能動的サイバー防御の輪郭が作り出され、法の枠組そのものが作られる。米国など諸外国の法制度が都合よく参照されることになるが、憲法の戦争放棄条項が有効な歯止めになることはまずないだろう。憲法による明確の枠組や歯止めが最初から外され、この意味での法を前提として新たなルールが策定されることはなく、むしろその逆になる。能動的サイバー防御の法制度が憲法の自衛権を措定するという逆転現象が起き、自衛権を合憲とみなす政府が恣意的に自衛権の範囲をサイバー領域に拡大することになる。つまり、政府が願望するサイバー攻撃の戦力的な優位を確保するための一連の制度や権限の現実化の意図がまず最初にあり、現実のサイバー領域の技術や戦力を合法とみなす前提を置き、その上で、政府が意図する制度の枠組に法の言葉が正統性を与えるプロセスが、これから有識者会議や法案審議の過程でとられることになる。政府は、法の言葉を自らの権力の意図に沿って生み出す。政府の行動を法が制約するという意味での法の支配は十分にその役割を果せていない。政府が法を支配することは日本では(諸外国でも同様だが)通常の権力作用となっており、法の支配の意味するところは、もっぱら人々の権利や自由を奪うための手段になっている。政府が法を支配し、法が私たちを支配する。こうして政府は、事実上法に縛られることなしに私たちを支配することになる。

能動的サイバー防御批判(有識者会議資料に関して)その2に続く

Footnotes:

1

読売新聞「「安全保障」全国世論調査 質問と回答」 2024/04/08 05:00 https://www.yomiuri.co.jp/election/yoron-chosa/20240407-OYT1T50069/

 政府は、国家安全保障戦略に、重大なサイバー攻撃を未然に防ぐ、「能動的サイバー防御」の導入を盛り込みました。その内容について、それぞれ、賛成か反対かをお答えください。
◇サイバー攻撃を受けた民間企業などと情報共有すること
・賛成   89
・反対    7
・答えない  4
◇攻撃者が使うサーバーを把握して被害を防ぐため、通信事業者から情報提供を受けること
・賛成   88
・反対    8
・答えない  4
◇攻撃元のシステムに侵入し、無力化すること
・賛成   82
・反対   12
・答えない  5
◆政府が、大学などの研究機関や民間企業の先端技術を防衛目的で活用することに、賛成ですか、反対ですか。
・賛成   75
・反対   20
・答えない  5

2

フランク・パスカーレ『ブラックボックス化する社会――金融と情報を支配する隠されたアルゴリズム』田畑暁生訳、青土社。

3

ウクライナIT軍公式ウエッブ https://itarmy.com.ua/ ;「サイバー攻撃「IT軍」、ウクライナ市民も参加…「武器なくても戦う」読売、022/03/11 07:57、https://www.yomiuri.co.jp/world/20220311-OYT1T50047/; NHK「“サイバー攻撃=犯罪だが…”ウクライナ「IT軍」の日本人 参戦の理由」2022年6月27日、https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pM2ajWz5zZ/ ;「ロシアによる侵攻に「サイバー攻撃」で対抗、ウクライナが公募で創設した“IT部隊”の真価」、Wired、2022.03.02、https://wired.jp/article/ukraine-it-army-russia-war-cyberattacks-ddos/ ;柏村 祐「ウクライナIT軍「サイバー攻撃」の衝撃~誰もが簡単に参加できるDDoS攻撃が拡大する世界~ 」、第一生命経済研究所、2022.05.11、https://www.dlri.co.jp/report/ld/186918.html 参照。

4

小倉「自衛権の放棄なしに戦争放棄はありえない」 https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/blog/2024/05/29/jieiken_sensouhouki/

5

PRC State-Sponsored Actors Compromise and Maintain Persistent Access to U.S. Critical Infrastructure, p.7 https://www.cisa.gov/sites/default/files/2024-02/aa24-038a-jcsa-prc-state-sponsored-actors-compromise-us-critical-infrastructure_1.pdf

6

以下を参照。「Domain Controllerに存在するedb.chkやntds.ditファイルとは何か?」https://macruby.info/active-directory/what-is-edb-chk-ntds-dit.html#toc2、 「レジストリ ハイブ」、https://learn.microsoft.com/ja-jp/windows/win32/sysinfo/registry-hives

Date: 2024年6月22日

Author: toshi

Created: 2024-06-16 日 11:57

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2024年6月18日 若干の加筆をしました。

自衛権の放棄なしに戦争放棄はありえない

1. 戦争放棄の例外

戦争放棄が近代世界において繰り返し世界の理想状態として論じられてきたという意味でいえば、戦争放棄は理念としての座を今でも維持しつづけている。しかし、この戦争放棄には例外がある。唯一「自衛」という条件がこの戦争放棄の例外として戦争を正当化する抜け道を作りだしてきた。だからこそ今私たちが明確に論じなければならないことは、戦争放棄の必須の条件とは、自衛権の放棄である、ということだ。この例外という抜け穴を塞がなければならない。

1795年に出版されたカントの『永遠平和のために』は、現代に至るまで、平和主義の有力なパラダイムとしての位置を占めてきたように思う。たとえば、常備軍の廃止を論じた条では、以下のように軍隊の本質を非人間的な存在であると明確に主張している。

「人を殺したり殺されたりするために雇われることは人間がたんなる機械や道具としてほかのものの(国家の)手で使用されることを含んでいると思われるが、こうした使用は、われわれ自身の人格における人間性の権利とおよそ調和しないであろう」1

人格における人間性の権利に反するものが軍隊であるというこの主張は、人間が物化することにその原因があり、物化するのは常備軍が兵士を金銭で雇うという形態によってもたらされるものだ、というところに根拠を求めている。言い換えれば、ここには、物化しない軍の組織がありえるという含意がある。カントは上の文章に続けて次のように書いている。

「だが国民が自発的に一定期間にわたって武器使用を練習し、自分や祖国を外からの攻撃に対して防衛することは、これとはまったく別の事柄である」2

こうしてカントは自衛権を肯定した。自発的であること、自衛のための武装であること、この二つの要件を満たすのであれば、カントは戦争行為を否定しない。このカントの戦争に関する例外規定は、戦争放棄を無力化するひとつの有力な主張だ。雇用関係を通じた「物化」という条件を除けば、国家の自衛のための武装は、現在の国民国家の武装を正当化する重要な要素であり、言うまでもなく、日本政府が自衛隊を正当化する論理の柱になってきたものだ。

カントとは全く異なる歴史的社会的な文脈から別の例を示してみよう。ヘンリー・ソローは、アナキストではないが統治機構を常置することに反対し常備軍にも反対した。

「常備軍<アーミー>とは常置政府がふりまわす腕<アーム>にすぎない。その政府にしても、人民がみずからの意思を遂行するために選んだ方式にすぎないのだが、人民がそれを通じて行動を起こすことができないでいるうちに、ともすれば政府そのものが常備軍とおなじように乱用され悪用されることになりかねない。」3

ソローはカントと同様、大多数の人間が国家に対して機械として仕えており、「それが常備軍、民兵、看守、警官、自警団などといわれるものの正体なのだ」4とし、ここには判断力や道徳心などが入り込む余地などないと批判した。しかし、彼は正義のために銃をもって立ち上がることを断固として支持したことは「ジョン・ブラウン大尉を弁護して」のなかで雄弁に語られている。だから、国家の常備軍は廃止されるべきであっても、民衆の武装抵抗の権利は堅持すべきだとした。それは正義のための武装だからだ。この観点を彼は一歩も譲ることはない。私はジョン・ブラウンの決起を支持するソローの弁護論をある種の感動の気持ちをもって読んだことを覚えているし、今でも心を動かされる。しかし、そうであっても(そうだからこそ、かもしれない)、正義の暴力という選択肢を継承しない、という道をとりたいと思う。

2. 民衆の安全保障の観点を深化させるために

これまでも、私は「いかなる場合であれ武器はとらない」ということを主張してきたが、この主張を理論的に裏付けて議論することは容易ではない。問題の焦点は、言葉の上での(つまり法的な制度における)自衛権ではない。自衛権として用いることができるあらゆる武力そのものが存在し増え続け、これを廃棄することがなぜこれほどまでに困難を極めているのか、を問うことである。同時に、歴史的に意義のある結果をもたらしてきた数々の解放のための武装闘争を私たちの将来の社会へと至る過程で選択すべき手段として維持し続けるべきなのかどうかをも同時に議論しなければならないだろう。

私は、現状では、法が戦争放棄を理念や理想として掲げることに歯止めの期待を持つことができない。法に戦争放棄や戦力の不保持などなど様々な文言が書かれていたとしても、戦争を可能にする手段が保持されている限り、法は実効性を伴うことができない。たとえば、法律上公道を走行する自動車のスピードの上限が時速80キロだと法律で定められていても、200キロ出せる自動車が実際に製造され販売されていれば、80キロという制限は実際には意味をなさない多くのケースを現実化できてしまう。平和を好ましい状態だとしながら、どこの国も戦力を維持している、というのはこうした状態だ。結果として、法は自衛のための戦力の保有を正当化する枠組として機能することになり、平和という言葉は、自衛隊が好んで主張するような武力を後ろ盾としてのみ可能な状態を含意するようになってしまった。敵を凌駕する戦力を保持することで敵の攻撃意欲を削ぐことができるという発想がここから生まれ、飽くなき軍拡が国家安全保障の当然の方向性をなす。

あらゆる戦争が自衛を口実とした侵略戦争になっている現代では、自衛の戦力はそのまま侵略の戦力として転用できる環境にあることを意味している。これは鉄砲一丁であっても当て嵌る。だから、自衛の範囲内での戦力の保持を肯定する憲法9条の支配的な解釈を私は認めることができない。

国連が2000年のミレニアムサミットをきっかけに人間安全保障に取り組み、その報告書5が日本でも公表されたこともあり、注目された。人間安全保障は軍事安全保障を補完するものとして、軍事的なプレゼンスを背後から支える役割を担うものと位置づけて、その限りにおいて、積極的な外交戦略の一部とみなす傾向が主流をなしてきた。こうした人間安全保障の国家=軍事安全保障補完機能に対して、人々の生存の権利を基盤に置く安全保障は国家=軍事安全保障と両立しえないということを明確に打ち出したのが「民衆の安全保障」という提起だった。これは2000年6月に沖縄、浦添市で開催された「民衆の安全保障」沖縄国際フォーラムで打ち出された立場である。沖縄の戦前・戦後の戦争をめぐる経験を踏まえて、このフォーラムで採択された宣言には以下のような文言がある。

国家の安全は民衆の安全と矛盾します。軍隊は民衆を守りません。軍隊は社会の安定を脅かします。私たちは、国家の安全からはっきり区別される民衆の安全保障を創り出すために、ともに活動します。私たちは、人種、宗教、エスニシティ、性差、性的指向の差、地域差などを越えて、合流し、民衆の連合をつくり、その中で不平等を永続化し維持するさまざまな構造を変革することで、民衆の安全を創り出そうとつとめます。民衆自身、とくに社会的に抑圧され、安全を奪われている人々こそが、恐怖と不安なく暮らせる民衆の安全保障を創り出す主役です。民衆の安全保障は、人権、ジェンダーにおける正義、エコロジーにおける正義、そして社会的連帯にもとづくものです。民衆の安全保障は非軍事化を要求します。そしてそれを達成する手段は非暴力的なものです。

軍隊は民衆を守らない、と単刀直入にいうこの宣言には、自国の軍隊であったも自国の民衆を守らない、ということが含意されている。沖縄で自衛隊基地が次々と建設されている現在、沖縄がたどってきた歴史的経験を背景として断固とした立ち位置を示したこの宣言の意義は、当時以上に重要性を増している。

同時に、上の宣言は、民衆自身による武力行使は民衆が抱える問題を解決する手段にはなりえない、ということも含意していると私は解釈するが、文言には明言がない。しかし、この点について明確な立場を表明することはとても大切なことでもある。もし民衆による武装抵抗という手段を否定する場合、二つの問題への答えを求められることになる。ひとつは、植民地からの解放、独裁からの解放などの歴史にみられるように、民衆自らが武器をとって自らの権利のために戦う場合をどのように「評価」するのか。これは圧政からの解放の権利を武力によって実現しようとしてきた数多くの歴史が教えるところでは、武装解放闘争の集団は、時には民衆を守ることがありうるし、歴史的にみてその意義を無視できない、というべきではないか、という問いにどのように答えるか、ということでもある。もうひとつの問いは、より理論的な議論になるかもしれないが、近代国家がなぜ自衛権としての暴力を肯定するのか、という問題である。軍隊は民衆を守らないという主張は、国家非武装を近代国民国家の体制の枠内で想定しているのか、あるいは国民国家を越えた統治機構を構想しているのか、という問題への答えを求めるものになる。この点については別に論じることにしたい。以下で、もっぱら自衛権に絞って議論したい。

3. 自衛権としての「ジェノサイド」?

個人に対しては暴力を違法化し国家には合法化するという二重基準は、「自衛」という観点でその矛盾が解消され、個人においても国家においても正当防衛としての暴力が容認されているように見える。その結果として「自衛」は暴力を正当化するために乱用され、実質的には無限定に暴力を肯定する足掛りを与えるものになる。私たちが今まさに経験しているイスラエルによるガザへの武力攻撃は、イスラエルの言い分では自衛のための正当な戦争行為とされ、この言い訳をイスラエルの同盟国である米国、英国をはじめとする諸国もまた受け入れ、自衛権行使の支援を口実に莫大な軍事的な支援を正当化してきた。国連の国際司法裁判所もまた、1月24日のジェノサイドの可能性についての暫定措置命令において、イスラエルのガザにおける軍事作戦を停止すべきだとする命令を出すことができなかった。6 5月になってやっとラファでの軍事作戦の中止を命じたのは、余りにも遅い判断だ。イスラエルの自衛権行使という言い分が、いわゆる国際社会なるものの支配的な勢力によって否定されていないのだと私は解釈している。自衛のためのジェノサイドが国際法上黙認されたともいえる。

こうして、ジェノサイドと自衛権行使とは矛盾しないところにまで自衛権は拡張され、ネタニヤフが旧約聖書のアマレクの物語を繰り返し言及しているように7、旧約聖書の神話は現代に生きるイデオロギーを構成している。実際の戦争の経緯をみると、ジェノサイドによってしか自衛しえない出来事があるかのような世界の捉え方というものが支配者たちには少なからずあり、こうした世界の見え方は思いのほか幅広く是認されてすらいることに気づく必要がある。そして広島や長崎への原爆投下を正当化する米国の論理や抑止力という考え方は、核兵器の存在もまた自衛のためのジェノサイドを潜在的に含意しているのだ、ということに気づかなければならない。ジェノサイドを自衛のための暴力の許容しうる最大値だという現実から自衛という概念を再定義するとすれば、自衛とは戦争の言い換えにすぎないことになる。どの政府の場合も自衛という言葉と戦争という言葉の意味内容にはほとんど差がないような国家=軍事安全保障の運用がなされている。

自衛権行使の現在のあり方を踏まえたとき、日本の平和運動は、憲法9条の改憲に反対しつつも自衛のための戦力の保持を否定しきれずに「自衛権」に明確な反対を表明できずに及び腰になり、結果として、自衛隊の存在を自衛権行使の範囲内であれば容認する空気が一部にはあるように思う。とりわけウクライナへのロシアの侵略以降こうした傾向が顕著になりつつあるように感じる。だから、国際法上自衛を口実にすればいかなる武力行使も正当化でき、ジェノサイドですら自衛権行使に該当するというこの時代の現実を自覚する必要がある。

4. 「正しさ」と暴力

紛争に直面したときに、合理的な判断を通じて紛争の解決を図ろうとする努力は、どの社会にもみられるが、だからといって合理的な判断と暴力とが相反する極をなしているということではない。むしろ、合理的な判断の帰結として暴力の行使を正当化する道筋が与えられるというべきだろう。私たちが求めなければならないのは、この種の「合理的な判断」を斥ける別の合理的な判断であろう。勿論非合理な判断――人間の情動や心理に関わる領域での判断――には戦争を拒否する重要な役割がありうることも留意する必要がある。

当事者の主観に即してみれば、むしろ自らの正義が理不尽で不合理な相手の立場によって侵害される事態に直面するなかで、不合理な相手に対して合理的な言葉が通用しない場合にとりうる唯一の手段として暴力の行使が正当化される。同様の道筋は、相手側にもいえることであって、双方が相手の主張を不合理で理屈に合わないものだとみなすが故に、こうした局面では合理的な判断は乗り越ええない壁に直面することになる。

暴力において優位にある者が正義を体現することは論理的には証明できない。にもかかわらず、なぜ人類の歴史のなかで、この錯誤が正されることがなかったのか。人類史などという大風呂敷を広げないまでも、近代社会において、宗教的な超越性や王に象徴される個人の主観を退けて合理主義と理性による判断が社会総体が取るべき選択の妥当性を支えるような社会においてすら、やはり、事実上、力において勝る者こそが正義を体現するという理不尽さを明確に否定しうる制度を確立できていない。

このようにして、戦争を紛争解決の手段から排除することができないでいる現状は、暴力という手段が正義と何の関係もないにも関わらず、正義の体現者であることを暴力という物差しによって事実上認めさせようとするものだ。この事実が示しているのは、近代合理主義や、その統治機構ともいえる「法の支配」に内在する論理によっては暴力は排除できない、ということでもある。理屈では説明しえない行為(暴力)が理屈によって正当化される仕組みがここにある。この仕組みに正当性を与えている唯一の「解」があるとすれば、力において優位にある者が、力それ自体においてではなく、この者が体現している考え方において正義あるいは真理であるという場合だけである。つまり、ごく単純な喩えでいえば、1+1=2と主張する者が1+1=3と主張する者を論理ではなく暴力においても凌駕するとは証明できない。1+1=2という正しい解答を、その理由も含めて受け入れることを拒み1+1=3に固執して譲らない者に対して、これを力でねじふせることで1+1=2の正しさを強要することができるときにのみ真理と暴力の優位がたまたま一致する。これは証明の力による真理の勝利ではなく、もっぱら力が真理の審判者になっているにすぎない。このことは、正しさの座を獲得するためには論理の力だけでは不十分だということを示している。論理の力は1+1=3を論理的に論破することはできても、1+1=3を「信じる」者の「信じる」という信念を否定できないからだ。「信じる」という感情は、不合理なものであるが、不合理であるということを指摘することによって、「信じる」感情を消し去ることはできない。消し去れないときに、なしうることは、1+1=3を内心で信じるにせよ、おまえが口に出して言えるのは1+1=2だけである、ということを強制する力を受け入れさせることだけである。同じことは、上の例とは逆に1+1=3という誤った解が力において勝る場合にも実は同じように生じる。だから、暴力という手段が選択肢のなかにある限り、物事の妥当性の選択や判断の決定にとっては、正義とか真理とかといった事柄はどうでもよく、力が最後の決定権を持ってしまう。だからこそ権力者たちは、暴力を選択肢とすることに固執し、私たちは暴力を選択肢から排除することが必要だと主張するのだ。こうして、私たちは、この世界には合理的な解と、情動的あるいは感情的な「信じる」という世界が与える解、という複数の真理が共存する世界に生きていることを自覚することが必要なのだ。こうした世界の許容が暴力を無意味化する契機を与えるだろう。

5. 暴力が社会に占める特異な位置

紛争解決の手段として暴力の行使を容認することが、人類史のなかで繰り返し制度化されてきたために、紛争において自らの正義の正当性を主張する最も手っ取り早い手法が、暴力において相手を駆逐するということになってきた。これが暴力が社会において占めるようになった特異な位置である。こうなったとき、いかに荒唐無稽な主張(戦前の日本の現人神のように)であっても、暴力で凌駕する立場を獲得し、それ以外の信条を排斥する力を持ちさえすれば、この荒唐無稽性に妥当性の護符を貼ることが可能になった。

国家間の紛争においては自衛権としての暴力行使は国際法の上でも許容され、ほとんどの国は常備軍を有している。国内の法制度においても、暴力の行使を法認されている警察や法執行機関があり、刑罰も懲役刑や日本のように死刑制度といった暴力的な刑罰が法の支配の下で、社会を防衛するための手段として正当な行為とされている。こうして暴力が問題解決の選択肢となっている限り常に上に述べたような暴力を最終的な決定権者とする道が残されることになる。

もうひとつ重要な暴力の問題を指摘しておきたい。殺傷行為は、対立や摩擦をもたらした事態の一方の当事者を物理的に排除するだけであって、対立や摩擦そのものが意味している問題それ自体に即して解決されたわけではない、という点である。暴力による「解決」では問題は解決される残されて先送りにされるだけでる。暴力による解決であ、同様の対立が再び繰り返される。暴力はいかなる場合においても問題を解決する正当な手段になることはありえない。この意味で殺傷行為はその原因となった事態に対して解決の本来の道筋から逸れて、そもそもの問題には含まれていない「力」を強引に持ち出すことで問題の局面を捻じ曲げてしまう。そのために、問題そのものは残される。上に述べた例をもう一度持ち出してみるが、1+1=3を主張する腕力のある者がこの算数の答えを正しいものとするためにこれを認めない者を殺したとしても、1+1=3の間違いは依然として残る。そのために、新たにこれに異論を唱える人がでてくるだろう。この人もまた殺され、暴力の上に1+1=3が正答として君臨する。こうして暴力による解決は解決ではなく、解決は先送りにされ、新たな暴力を生み出すだけなのだ。これが、「力」の行使を正当なことであり正しいことだとする暴力の世界である。実は1+1=2を正答としても1+1=3を「信じる」者を説得できなければ同じことは起きる。本来の解決方法は暴力ではなく別の方法に委ねるべきことはこうした単純な事例でみれば自明なのだが、現実世界で起きる暴力を正当化する事態は複雑な様相を呈するために、この単純な真理を見出せない状態に置かれる。

6. 自衛の暴力に合理性はない

自衛の暴力であっても、こうした暴力は、先に述べたように、紛争の合理的な解決とは全く次元の異なる手段であることに変りはない。暴力は力学的なメタファを人間集団間の現実の紛争に当て嵌める間違った手法でもある。力学的なメタファは、暴力を自己目的とする軍隊のような組織が、その存在理由を説明する場合に持ち出す理屈でしかなく、より幅広い政治的な交渉の場面では、他の様々な選択肢や応答関係がありえるはずであり、さらに背景をなす紛争の性格についても歴史的な経緯や経済や文化など様々な要因が絡みあうのが普通であって、これらを軍事的な観点(あるいはより口当りのいいゲーム理論など)に還元して集約することは、意図的に暴力以外の選択肢を排除しようという欲望によってあらかじめ規定されていることの方が多いのではないか。

あるいは、自衛権は、過去に暴力を被ったことを理由にその正当性が主張される場合がある。しかし、過去を持ち出して将来再び暴力を被ると断定することはできず、過去の事例の真摯な検証を通じて、将来において暴力の行使を招かない別の選択肢を模索することは常に可能なはずなのだ。暴力の危険があると予想する場合、それは予想に過ぎない。にもかかわらず、あたかも必然であるかのように装いたがる。むしろ自らが自衛権行使の口実を利用して相手への暴力を正当化して相手を支配することを目論むものである可能性も否定できない。

自衛の暴力は、上のような極端な場合だけでなく、むしろ相手が暴力に訴える可能性がゼロではない以上こちらも暴力という手段を放棄しない、ということを理由に、暴力を正当化しようとする曖昧な領域を含む。この場合であっても、相手が暴力に訴えることは「可能性」あるいは「蓋然性」でしかなく、決して必然とはいえない以上、こちら側もまた暴力を必然として前提することはできない。自衛の暴力は、まず最初に前提として、自衛の暴力を肯定する制度や法、暴力の具体的な体現物――軍隊とか警察など――を保有しており、この前提を正当化するために自衛という「物語」が構築される。この場合、暴力が自己目的になりがちだ。というのも、自衛の暴力は、本来多様な選択肢があるはずの未来を暴力による反撃にのみに絞り込んで正当化するという枠組のなかで組み立てられるからだ。私たちはこの暴力としての自衛の罠を回避し、紛争そもそもの対立や軋轢の問題を、その問題そのものを巡る議論のなかで解決するという本来の合理的な道筋に戻してやる必要がある。その最も確実な方法は、暴力の体現物を社会が保有しないことなのだ。つまり軍隊や警察といった暴力装置を持たないということが、暴力への依存という回路を断ち切ることになる。こうして権力が人々に抱かせる怒りや不安感情の現実の基盤を切り崩すことだ。武力を持ちながら冷静であったり理性的な判断に期待しようとする態度は、そもそも暴力への欲望を隠しもった卑劣な者の振舞いでしかなく、こうした態度は一切信用すべきではない。

自衛のための暴力という文脈では、暴力による応答が妥当だという「答え」は比較的理解されやすく、しかも合理的なもののように見える。差し迫った暴力や既に行使された暴力によって深刻な被害を被ったという事実があるとき、この先ありうる暴力に対して対抗しうるのは暴力を押し止めるだけの対抗的な力である以外にない、という判断は、直感的に受け入れられやすい。つまり、相手の暴力を阻止するための最適な手段は暴力による抑止以外になく、ここには因果関係のすり替えはないようにみえる。しかし、こうした判断を支えているのは、客観的な判断によるとは限らない。自衛の暴力を主張する側が、実は暴力という手段による相手への支配を望んでいる、ということは大いにありうることでもあるからだ。こうした一連の流れが外面的には法や論理の言葉によって、あるいは普遍的な倫理や道徳などの規範をも味方につけながら正当化を計ろうとするということが、国際関係ではよくみられる。人道的介入などはこの典型だろう。

Footnotes:

1

カント『永遠平和のために』、宇都宮芳明訳、岩波文庫、p.17。

2

カント、同上。

3

ヘンリー・ソロー『市民の抵抗』飯田実訳、岩波文庫、p.8。

4

ヘンリー・ソロー、同上、p.13。

5

人間の安全保障委員会『安全保障の今日的課題 人間の安全保障委員会報告書』、朝日新聞社、2003年。

6

国際司法裁判所、 2024年1月26日、仮保全措置命令。日本語翻訳チームによる日本語訳 https://www.jca.apc.org/jca-net/ja/node/348 英語正文 https://www.icj-cij.org/sites/default/files/case-related/192/192-20240126-ord-01-00-en.pdf

7

たとえば、2023年10月28日、ネタニヤフ首相の発言。“Israel-Hamas war: ‘We will fight and we will win’, says Benjamin Netanyahu”, Sky News (28 October 2023), https://news.sky.com/video/israel-hamas-war-we-will-fight-and-we-will-win-says-benjamin-netanyahu-12995212

Author: toshi

Created: 2024-05-29 水 23:20

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(+972magazine)誰もガザの訴えに耳を貸さない – 指導者たちも含めて


(訳者前書き)以下は+972マガジンに掲載された匿名の記事を飜訳したものだ。ガザに暮すジャーナリストからのレポートだが、状況の客観的な報告というよりも、むしろ、この破滅的な戦争を本気になって押し止めようとする統治機構そのものが不在であることを率直に嘆いている。元凶はイスラエルにあることは百も承知の上で、この元凶と闘う正義の旗印のもと、あらゆる民衆の犠牲をも殉教者として正当化して戦うハマースに人々の生存の権利を尊重しようとする意思を、この著者は見いだせないことを率直に語っている。同時に、PLO/ファタハがいったいどこにいるのかすらわからないとも言う。先進国や直接間接に利害をもつアラブの国々も結局のところパレスチナで暮す人々の生存の権利よりも国家間の戦争をめぐる利害あるいは力の誇示を優先しようとしているのではないか、この著者は深く疑っている。私も同感だ。

著者は一刻も早い停戦あるいは戦争の終結を希望しているが、そのために尽力しようとしている政府がどこにもないことに絶望しつつも、しかし、本来ならガザにいる自分たちが街頭に出て、生存の危機と戦争終結を訴えるデモができたら、というほぼ不可能な(なぜ不可能なのか、という問いが実は隠されてもいるが)願望を抱きつつ、必至に絶望を退けようと苦闘している。

私はこうした声をガザのなかから聞いたのは初めてのことだ。私は、イスラエルのジェノサイドをやめさせる唯一の手段はハマースがとっているような武力行使しかありえないとは思わない。他方で、今ある戦争を大国や利害関係をもつ国家や国際機関や大きな政治組織に代理させて解決を探るという、国際政治の教科書にありがちな手法が、武力行使に代わる唯一の方法だともより好ましい方法だとも思わない。こうした国家間の交渉は、多くの民衆の多様な生存の権利をないがしろにして、国益とナショナリズムに民衆の多様な声を回収するに違いないからだ。これらの方法は、この著者が最後に述べているように、非力な民衆一人一人を単なる「数字」としかみないという点では共通している。ひとりひとりの人間には固有の名前があり、そのひとりひとりを人殺しの尖兵にすることも戦争の犠牲にすることも、生存の権利に反することだということを、支配者たちは都合よく失念している。この記事では、すべての支配者たちへの絶望と、絶望をもたらすに至った支配者たちの民衆の生存の権利をないがしろにする態度が述べられている。だから、匿名でしか公表できなかったといえる。

そしてまた、この記事の最後の方で、ガザ在住のMuhammad Hani(仮名)の言葉として「私たちはイスラエル国内で起きていることを毎日追っている。おそらくイスラエル国内の危機が、政府に戦争を止めるよう圧力をかけるだろう」を紹介している。今唯一といっていい停戦の可能性は、イスラエル国内の人々によるパレスチナの人々へのジェノサイドへの内側からの拒否の声にかかっている。イスラエルのテルアビブに拠点をもち、イスラエル国内でも貴重な反政府の言論を展開してきている+972マガジンがこうした声を報じていることの意義は大きい。

この記事を掲載した+972マガジンは、以前、イスラエルのガザへの攻撃が、AIを駆使して民間人の被害もあらかじめ想定しての計画的なジェノサイドであることを暴露している。この記事は私のブログでも飜訳して紹介している。また、イスラエル国内の良心的兵役拒否を選択した若者たちの声も伝えている。この記事も私のブログで飜訳紹介してきた。(小倉利丸:2024年1月29日昼に若干加筆)

付記 +972マガジンについて、以下、ウエッブのaboutのページの記述を引用しておきます。

「+972マガジンは、パレスチナとイスラエルのジャーナリストグループによって運営されている独立したオンライン非営利のマガジンである。2010年に創刊され、イスラエル・パレスチナの現地から詳細な報告書、分析、意見を提供することを使命としている。サイト名は、イスラエル・パレスチナ全域にダイヤルできる電話の国番号に由来する。

私たちの基本的価値観は、公平、正義、情報の自由へのコミットメントである。占領やアパルトヘイトに反対するために活動している人々やコミュニティにスポットライトを当て、主流の報道では見過ごされたり疎外されたりしがちな視点を紹介する、正確で公正なジャーナリズムを信条としている。

+972マガジンは、いかなる外部組織、政党、アジェンダも代表していない。私たちのサイトでは様々な意見を掲載しているが、必ずしも+972編集チームの意見を代表しているわけではない。」

2023年12月15日、ガザ地区南部のラファで、イスラエル軍の空爆現場で目撃されたパレスチナ人男性。(Abed Rahim Khatib/Flash90)

イスラエルはガザの市民に激震をもたらした。しかし、私たちの生活を守るパレスチナの指導者も必要なのだ。

By +972マガジン 2024年1月25日

以下は、+972誌でも知られるガザ在住のパレスチナ人ジャーナリストが書いたもので、彼らの安全を懸念し、自身と取材対象者の匿名を希望された。

戦争は、100日以上たった今でも、私たちガザの市民に対して続けられている。私たちは今もなお、生活とは名ばかりの苦しい現実に苦しみ、痛めつけられ続けている。戦争終結の話はほとんどなく、疲れ果てた私たちの心を慰めるような噂すらない。停戦など、実現不可能な夢のように思える。

戦争がこれほど長く続くとは誰も予想していなかった。これほどの破壊と死がもたらされるとは誰も予想していなかった。私たちは皆、叫び、祈り、求めている、戦争は終わるのだろうか、と。

昨日、私は友人のひとりに電話して、彼と彼の家族の様子を確認した。私たちは笑い、冗談を言いながら、私たちを分断し、破壊し、夢を消し去った戦争を呪った。父親のことを尋ねると、彼は数秒間沈黙してから答えた。「僕の父は、兄のマリクとともに殉教した」と。

そのとき私は、父親のことを聞かなければよかった、このまま戦争を呪い続けていればよかったと思った。私は、9回目に携帯電話がつながらなければよかったと思った。電話の終わりに、彼は私に尋ねた: 「ハマースとイスラエルが停戦に合意する可能性はあるのか?ああ、神様、戦争が終わることを願っています」 と彼は言った。

パレスチナ人たちは、2023年12月12日、ガザ地区南部のアル=ナジャール病院で、先にラファでイスラエル軍の空爆で死亡した愛する人たちを追悼している。(Mohammed Zaanoun/Activestills)

ガザにいる私たちは、毎日、毎分、毎秒、文字通り死んでいる。私たちの生活は10月7日以来ひっくり返され、私たちは今、最も基本的なニーズを中心にしか回っていない。水はどこにあるのか?援助は来るのか?私たちはどこにそれを取りに行けばいいのか?今日の小麦粉はサラー・アルディン通りかアル・ラシッド通りか?戦車はこの地域から撤退したのか、それともまだそこにいるのか?自分の家の様子を見に行けるのか?子どもたちの部屋から服をかき集めても大丈夫だろうか。

今、私を支配している恐怖は、この現実が常態化してしまうことへの恐怖である。その恐怖は、私たちの苦しみに対して外国政府が恥ずべき沈黙を続けていることにも及んでいる。しかし、彼らだけではない。パレスチナ政府、いや、おそらく2つの別々の政府、そしてパレスチナの諸政党の不在でほとんど何も聞こえてこない。

私には、私たちの苦しみの責任は誰にあるのか、もうわからない、いや、おそらくわかりようがない。確かに、主な原因はイスラエル政府にある。しかし、私たちは疑問に思い始めている。世界は私たちを抹殺することにイスラエルと合意したのだろうか?ハマースはイスラエルに協力しているのだろうか?パレスチナ自治政府はどこにいるのか?なぜイスラエルとハマースはいまだに何らかの解決策に至っていないのか?アメリカ、カタール、エジプトの仲介だけでは不十分なのか。

ハマース政府やパレスチナ自治政府は、私たちの日々の疑問に対する答えを持っているのだろうか?彼らは私たちの基本的なニーズを満たす方法を知っているのだろうか?私たちの尊厳と生活は日々侵害されているのに、このことを彼らは知っているのだろうか、それとも気にも留めていないのだろうか。

イスラエルがガザに対して行ってきたことは、暴力的な震災であり、私たちの家や近隣を意図的に破壊する震災だ。しかし、ガザ市民は、少なくとも人々と連絡を取り合う政府、自分たちだけでなく私たちを守るためにイスラエルと交渉する政府を求めている。

2024年1月1日、ガザ地区南部カーン・ユーニスのヨーロッパ病院に避難するパレスチナ人。(Abed Rahim Khatib/Flash90)

私たちは流血を止める政府を望んでいる

「確かにイスラエルは、国際協定も人権も人道的なことも何も知らない国だ」と、ガザ在住のMuhammad Hani(仮名)は私に言う。「というより、イスラエルはすべてを知っているが、すべてを無視し、国際条約を尊重することも従うことも拒否している。問題は、ガザの政府はどこにいるのか、ということだ。国内の戦線を守るために、私たち政府の役割は何なのか?」

「私たち市民は、あらゆる力、装備、犯罪性を備えたイスラエル軍と戦争をしているの だ」「しかし、人々の利益を守り抜くとなると、ハマースはどこにいるのだろうか?少なくとも、私たちがバラバラになり何も知らされないのではなく、イスラエル軍がどこに駐留しているかを教えてくれる政府が欲しい。私たちは、ガザでの流血を止め、少なくとも私たちがどこへ向かっているのか、交渉があるのかないのかを明らかにし、示してくれる政府が欲しいのだ」とHaniは続ける。

「私は、この戦争が(ハマースのヤヒヤ・)シンワルと(イスラエルのベンヤミン・)ネタニヤフ首相の間のものであり、両者とも民間人を犠牲にして自分たちの強さを証明しようとしているように感じる」と、同じくガザに住むAbu Issam(仮名)は言う。「ハマースはガザの人々の犠牲者のことなど気にかけていないし、ネタニヤフ首相は人質や人質の家族のことなど気にかけていない。私たちはイスラエル国内で起きていることを毎日追っている。おそらくイスラエル国内の危機が、政府に戦争を止めるよう圧力をかけるだろう。」

「私たちが外に出て、戦争を止めるためにガザでデモ行進ができればいいの だが……」「でも私としては、もうたくさんなんだ。家も財産もすべて失った。もし戦争が終わるまで生きていられるなら、私は旅に出て、この国をハマースに任せ、ハマースは人々が愛さないものを愛するだろう」と Abu Ismailは続ける。

2023年12月22日、ガザ地区南部ラファのイスラエル軍空爆現場でのパレスチナ人。(Abed Rahim Khatib/Flash90)

何を書けばいいのか、自分の感情や意見をどう表現すればいいのか、いまだに混乱している。ハマースだけを責めるのか、イスラエルだけを責めるのか、それとも両方が犯人なのか。ハマースの10月7日の攻撃は、イスラエルのガザでの行動を正当化するものではない。私たちは皆、いずれ死者数に数えられるかもしれない数字なのだ。

https://www.972mag.com/gaza-suffering-hamas-leadership/

(QUDS New Network)Haidar Eid:ガザのパレスチナ人から南アフリカへの感謝

(訳者前書き)以下は、QUDS New Networkに掲載された記事の飜訳です。QUDS News Netwaorkは、2011年に創設されたパレスチナの若者の電子ネットークニュースで独立系のニュースとしては(イスラエルでは?)最大規模と自身の紹介サイトで述べています。(QUDSは最近大手SNSから標的にされ様々な迫害を受けています。この件については別途投稿しますが、QUDAの編集部によるメッージがあります。(小倉利丸)

ガザのパレスチナ人から南アフリカへの感謝
By Haidar Eid
January 12, 2024

南アフリカは、アパルトヘイト国家イスラエルがガザ地区で続けているパレスチナ人の大量虐殺に対する世界の耳に痛いほどの静けさにうんざりしてきた。

イスラエルが過去3ヶ月の間に、包囲された沿岸の飛び地で完全な刑事免責をともなって犯した前例のない数の戦争犯罪と人道に対する罪は、国際法の信頼性を危機にさらし、南アフリカを行動に駆り立てることになった。南アフリカ共和国の法律家たちは、これらの犯罪の証拠を詳述した84ページの文書を作成し、国際司法裁判所(ICJ)において、イスラエルが1948年のジェノサイド条約に反してジェノサイドを犯したとして、画期的な裁判を開始した。

これはパレスチナ人の耳には心地よく響くものだ。アラブであろうとムスリムであろうと、この「レッドライン」を越える勇気のある国はこれまでなかった。結局のところ、これがイスラエル、植民地支配の西側諸国の甘やかされた赤ん坊なのだ。西側諸国は、植民地主義の時代が終わった後も、啓蒙主義のスローガンでカモフラージュし、最高の武器で武装させながら、このプロジェクトを存続させようと主張した。地球上のあらゆる国家がイスラエルの犯罪を認識しているのは間違いないが、植民地支配の庇護者がどんな反撃をするか恐れて、あえてその責任を追及する国はない。

喜ばしいことに、アパルトヘイト後の南アフリカは最終的に「もうたくさんだ」と言い、イスラエルを国連の最高裁判所に提訴した。冷酷なアパルトヘイト政権を打ち破り、多民族で民主的な国家を建設したこの国は、国際社会の沈黙がいかにイスラエルの致命的な行き過ぎに道を開いているかを認識し、それに終止符を打つための重要な一歩を踏み出した。

実際、国際司法裁判所(ICJ)でイスラエルをジェノサイドの罪で告発すれば、イスラエルの刑事免責に終止符が打たれ、必要な軍事禁輸の条件が整い、イスラエルは世界の舞台で孤立することになる。さらに重要なことは、南アフリカの提訴が、即時停戦とガザへの十分な人道援助の受け入れを含む暫定措置につながる可能性があるということだ。ガザでは毎日、数千人もの人々が命を落としているのだ。すでに2万3,000人以上の人々が亡くなり、さらに数千人が瓦礫の下で行方不明になっている。この恐怖の犠牲者の約70%は女性と子どもである。

私はパレスチナ人であり、南アフリカ人でもある。私は長年にわたり、イスラエルの暴力によって多くの親戚、友人、同僚、学生、隣人を失ってきた。

ガザでは、2008年から2023年までアパルトヘイト・イスラエルによる5回の攻撃、より正確には虐殺を生き延びた。また、2006年以来、イスラエルがガザに課してきた致命的な包囲の結果も、身をもって体験してきた。私の居住区は、大虐殺が始まった最初の週に空爆で丸ごと破壊された。それ以来、私は4度避難を余儀なくされている。

この沿岸の飛び地[ガザ]の他の住民と同じように、私は虐殺のたびに同じ暗いシナリオを生きてきた: イスラエルは「芝生を刈る」ことを決め、いわゆる国際社会は都合よく見て見ぬふりをし、私たちは長い昼と夜の間、世界で最も不道徳な軍隊、つまり何百もの核弾頭と、メルカバ戦車、F-16、アパッチ・ヘリコプター、海軍ガンシップ、リン爆弾で武装した何千人もの引き金を引きたがる兵士を抱える軍隊と、たったひとりで向き合っていた。大虐殺が終わると、すべてが “通常 “に戻り、私たちの子どもたちが栄養失調になり、水が汚染され、夜が暗闇に包まれる息苦しい包囲で、イスラエルは私たちをゆっくりと殺し続けた。そして、この致命的なサイクルが何度も繰り返される中で、この世界のバイデン、スナク、マクロン、フォン・デル・ライエンから、私たちが同情や支援を受けたことは一度もなかった。

刑事免責のもとで行われたこれらすべての大虐殺は、イスラエルのアパルトヘイトが、ガザとその人々に対して好きなようにするために、白人で “リベラル “な西側諸国から明確な支持を得ていることを、まざまざと見せつけた。こうした大虐殺は、現在進行中の大量殺戮の予行演習だったのだ。イスラエルは、国際社会からの制裁や非難を受けることなく、戦争犯罪や人道に対する罪を犯すことができるのだということを示したのだ。結局のところ、2008年、2012年、2014年、2021年には誰も何も言わなかった。これが、イスラエルの指導者たちがここ数カ月、ガザのパレスチナ人を「絶滅」させるという意図について、これほど公然と語ることを許してきた論理なのだ。

実際、今回の大虐殺が始まって以来、大統領や首相をはじめ、政府、メディア、市民社会の著名なメンバーに至るまで、幅広いイスラエル政府関係者が、彼らの大虐殺の意図を明確に表明してきた。つい先週も、ガザ地区への核爆弾投下は「選択肢のひとつ」だと発言していたイスラエルのアミチャイ・エリヤフ文化遺産相が、パレスチナ人をガザ地区から退去させるために「死よりも苦しい」やり方を見つけるようイスラエルに求めた。

イスラエルがガザで大量虐殺を行おうとしていることは、今日、かつてないほど明確になっているかもしれないが、決して新しいことではない。2004年当時、イスラエル攻撃軍国防大学校長で、当時のアリエル・シャロン首相の顧問であったアーノン・ソファーは、イスラエルの新聞『エルサレム・ポスト』紙のインタビューで、イスラエルによる一方的なガザ撤退がもたらす望ましい結果をすでに明言していた: 「150万人の人々が閉鎖されたガザに住むようになれば、それは人間的大惨事になるだろう。その人々は、今よりもさらに巨大な動物になるだろう。国境での圧力はひどいものになるだろう。それは恐るべき戦争になるだろう。だから、もし私たちが生き残りたければ、殺して殺して殺しまくるしかない。一日中、毎日だ。…殺さなければ、我々は存在しなくなる。一方的な分離独立は「平和」を保証しない。…これは、圧倒的多数のユダヤ人を擁するシオニスト・ユダヤ人国家を保証するものだ」。

ソファーがイスラエルによる「殺し、殺し、殺す」という意識的な行動を明らかにして20年経った今、ガザは本当に死につつある。悲劇的なことに、歴史上初めて世界的に注目される大虐殺として、世界の国々の目の前で、人々が大量に殺され、傷つけられ、飢えさせられ、避難させられている。

私たちパレスチナ人は、この大量虐殺を許し、可能にした、いわゆる国際社会の病的な臆病さを忘れない。イスラエルの人種差別的指導者たちが、私たちパレスチナの先住民族を「アマレク」(律法によれば、神が古代イスラエル人に大量虐殺を命じた敵)だと公然と主張し、私たちすべてを「絶滅」させようと人種差別的で非人間的な探求に乗り出したのを、世界の国々が傍観していたことを、私たちは決して忘れないだろう。

しかし、南アフリカが私たちにしてくれたことも決して忘れないだろう。南アフリカが私たちに揺るぎない支持を示し、私たちの兄弟たちでさえ恐怖のあまり私たちに背を向けたときに、勇敢にも世界法廷で私たちのために身を挺してくれたことを、私たちは決して忘れないだろう。私たちの闘い、私たちの最も基本的な人権を、国際的な正義に結びつけ、国際社会に私たちの人間性を思い出させたことを、私たちは常に忘れないだろう。

イスラエルがガザで続けている大量虐殺は、公然と、刑事免責のもとに行われており、欧米主導のルールに基づく国際秩序の終焉を告げている。しかし、イスラエルに対して正義を貫き勇気をもって立ち上がり、国際司法裁判所に提訴したことで、南アフリカは私たちに別の世界が可能、つまり、いかなる国家も法の上に立つことはなく、ジェノサイドやアパルトヘイトのような最も凶悪な犯罪は決して容認されず、世界の人々が肩を並べて不正義に立ち向かう世界であることを示したのである。

ありがとう、南アフリカ!

本記事に掲載された意見は筆者のものであり、必ずしもQuds News Networkの編集スタンスと一致するものではない。

著者について
ガザのアル・アクサ大学でポストコロニアルおよびポストモダン文学の准教授を務める。Znet、Electronic Intifada、Palestine Chronicle、Open Democracyなどでアラブ・イスラエル紛争に関する記事を執筆。また、文化研究や文学に関する論文をNebula、Journal of American Studies in Turkey、Cultural Logic、Journal of Comparative Literatureなど多くの雑誌に発表している。著書にWorlding Postmodernism: Interpretive Possibilities of Critical Theory and Countering The Palestinian Nakba: One State For All.
(https://al-shabaka.org/profiles/haidar-eid/) 多分日本語に飜訳されているものはないと思います。

(EBCO、ObjectWarCampaign)ウクライナ、ロシアの平和活動家と良心的兵役拒否者と国際的な支援運動について

(訳者前書き)ロシアに侵略されたウクライによる自国の領土と「国民」を防衛する戦争は、抽象的な言い回しでいえば正義の側に立つ武装抵抗といえる。国家が他の国家の主権に対して武力あるいは暴力による侵略行為を行なったとき、それぞれの国の主権者でもある「国民」という集団に否応なく集約されてしまう人々がとるべき義務に国家を防衛する義務があるとみなすのが通説かもしれない。というのも、近代国民国家では、「国民」とされるその領土において暮す圧倒的多数の大衆が主権者とされる以上、国民とされた人々には国家を軍事的な意味で防衛すること、つまり、命じられれば敵とみなされた人々を殺害する行為に加担することを、正当化しうる価値観が主権者意識と一体のものとして構築される。そうでなければ、国民国家の軍隊は維持できない。

他方で、良心的兵役拒否、徴兵逃れ、軍隊からの脱走、国外への逃避など様々なかたちをとった戦争に背を向ける人々がおり、こうした人々に対して国民国家は、ある一定の条件のもとで、武器を取らないことを選択する権利を認める場合がある。こうした権利が憲法などで条文上で権利として認められていたとしても、実際にはこの権利が認められるのは容易ではない。多くの場合、宗教的な信条による兵役拒否を認める場合があり、ウクラインもロシアもこの立場をとる。しかし、ロシアでは、ウクライナ侵略が戦争ではなく「特別軍事作戦」であるという理由で良心的兵役拒否の権利行使に対象にならないという理屈を政府が主張してきた。ウクライナの場合も政府への批判的な思想信条をもつことは「良心」に基く兵役拒否には該当しないとみなされる。実際には、兵役を拒否する権利行使のハードルは非常に高く、ほとんど適用されない。だから、いずれの国でも多くの人々は、この権利行使ではなく、別の道を選択しようとする。軍や政府の目を逃れて「逃げる」という選択だ。これはロシアでもウクライナでもみられる無視すべきでない重要な現象だ。

ロシアのような不正義の戦争から逃げる人々とウクライナの正義の戦争から逃げる人々とでは、国際社会のみる目が違う。後者は、ウクライナの場合、ロシアの侵略者を武力によって押し返し反撃する行為が正義の側にあるとみなされているときに、こうした闘いに背を向けて、闘わないという選択をすること自体が、批判の対象になりやすい。しかし、国家にとって、あるいは私たちにとって正義を実現するために、あるいは正義を侵害されたことへの抵抗として、武器をもって立ち向かうことが唯一の正しい選択肢とみなすについて、私はこれまでも疑問をもち、ウクライナの「正義」の戦争に対しても、武器をとらないという選択肢をとっている人々を支持する発言をしてきた。

ウクライナの人々には多様な方向性があり、伝統的な言い回しで「ウクライナの民衆」といった括りをするとしても、「民衆」は複数形の集合名詞であることを忘れてはならないだろう。政府を支持して軍務につく人々、必ずしも政府を支持しないがロシアの侵略に武力で反撃すること選択する人々は、正義を力で回復(実現)しようとする人々として、正義のありかた として直感的に理解しやすい。他方で、侵略を許容できない不正義と判断しながら、武力による反撃という選択肢をとらない人々は、往々にして、正義と矛盾する行動をとっているようにみえ、さらに、兵役拒否や国外への逃避などの行為は、国家の主権者としての義務を果たしていないようにみえる。直感的にいえば、銃をもって戦場に赴き死に直面することを恐れる卑怯者とみなされる。とりわけ多くの若者たちが命をかけて戦場で戦っているなかで、自分だけは戦うことを拒否する行為は命乞いともみなされるかもしれない。正義の武装抵抗に身を投じる人達を支援する(国外の)多くの人々の目からみて、こうした兵役拒否者たちは、どのような論理だてで、武装闘争を戦う人達と同等の存在として支援することができるだろうか。(この問いは逆の場合にもいえる)

国民国家の主権者が、国家が武力行使を選択したとき(議会などの承認を得るなどの正当な民主主義的な手続きを経てのことだが)、これに異議申立てをする権利はもちろんある。ただじこの権利は、国家にとっては、法が認めた範囲内での異議申し立てに限られるとするのが一般的で、法は国家によって好都合に解釈され、法を手段として異議申し立て者を弾圧することが戦争の体制では一般的といえる。私は、法に対して自らの思想信条の優越を主張することは決して普遍的な価値を体現すると称する近代法の理念には反しないと考えている。ここには法をめぐる本質的なジレンマがあるが、そのなかで、国家が犯した過ちを自らが行動で示すこと、とりわけ非暴力不服従として実践することが、重要なことであって、これが国家を支えている大衆的な基盤をなしている大衆が戦争を肯定する意識、感情、理解に対する合理的な異論として示すことを意味するものであれば、それは国家の意思決定を覆す重要な契機になるに違いない。この意味で、私は、軍隊に動員されることを様々な理由で拒否する人達の様々な行為に含意されている、武器をらないという選択の意義に注目したいと思っている。

とはいえ、私のような「いかなる場合であっても武器はとらない」という考え方が、現在のガザへのイスラエルのジェノサイドなどの状況をみたときに、あたかも現状の暴力の不均衡を容認する敗北主義ではないか、という批判や、あるいは私の理論的バックグラウンドのひとつでもあるマルクス主義の解放の考え方とは真っ向から対立するのではないか、あるいは、議会主義による変革という―たとえば共産党や議会左翼―を評価するのか、といった幾つもの批判や疑問があることは承知している。こうした批判には真摯に向き合うことがなければならないと考えているが、その答えは、少しづつ可能な範囲で論じることになるだろう。(小倉利丸)


以下に訳出したのは、ウクライナとロシアに関する23年末の状況について、European Bureau for Conscientious ObjectionおよびObject War Campaignのサイトに掲載された記事である。

共同プレスリリース

ウクライナは平和活動家と良心的兵役拒否者の人権をあからさまに侵害している

2023年12月29日

European Bureau for Conscientious Objection(良心的兵役拒否欧州事務局、EBCO)、War Resisters’ International(国際戦争抵抗者連合、WRI)、the International Fellowship of Reconciliation(国際和解の友、IFOR)、Connection e.V.(コネクションe.V.、ドイツ)は、恣意的な訴追や不当な判決など、平和活動家や良心的兵役拒否者に対する嫌がらせが続いていること、またウクライナ軍が提案した2023年12月25日付の新動員法案10378号の不適切な条項について、深い失望と重大な懸念を表明する。平和活動家や良心的兵役拒否者に対するすべての告発を取り下げ、服役中の者は良心の囚人であることが明らかである以上、直ちに無条件で釈放すべきである。さらに、徴兵制に関する新法案には、良心的兵役拒否の権利を全面的に認める規定を盛り込むべきである。

4団体は欧州連合(EU)に対し、良心的兵役拒否の権利の承認が、ロシアの侵略による国家非常事態における民主主義の価値と原則の重要な保護として、今後の交渉においてウクライナのEU加盟の必要条件とみなされるよう強く要請する。良心的兵役拒否の権利は、とりわけEU基本権憲章(第10条-思想、良心および宗教の自由)で認められている。

以下の5つの事例は、ウクライナが最も明白な良心的兵役拒否者であっても起訴し、非人道的な禁固刑を宣告することに何のためらいもないことを示している:

  • セブンスデー・アドベンチストの良心的兵役拒否者ドミトロ・ゼリンスキーは、現在3年の実刑判決を受けている。45歳の彼は2023年6月に無罪判決を受けたが、検事は上訴した。2023年8月28日、テルノピル控訴裁判所は無罪判決を覆した。同裁判所はロマン・ハルマティウク検察官の請求を認め、ゼリンスキーに3年の実刑判決を言い渡した。ゼリンスキーはキエフの最高裁判所への更なる上告を準備している[1]。
  • クリスチャンの良心的兵役拒否者アンドリー・ヴィシュネヴェツキーは、良心的兵役拒否を宣言し、除隊を求めているにもかかわらず、ウクライナ国軍の前線部隊で兵役に就いている。彼は最高裁判所に、ゼレンスキー大統領に対し、良心を理由とする兵役免除の手続きの確立を命じるよう求める訴訟を提出した。2023年9月25日、最高裁判所はこの訴訟を却下した。ウクライナ平和主義者運動は最高裁大法廷に上告し、2024年1月25日に最終判決が発表される予定である。
  • 2023年12月13日に最高裁判所が命じた再審において、イワノ=フランキフスク州のイワノ=フランキフスク市裁判所は、プロテスタントのキリスト教良心的兵役拒否者ヴィタリ・アレクセエンコに懲役3年(執行猶予1年6ヶ月)の有罪判決を下し、原判決は懲役1年であり、彼は最初の有罪判決から2023年5月の最高裁判所の判決までの間に3ヶ月服役していた [2] 。この裁判のウェブキャストを求めるいくつかの国際的な要請は無視された。ヴィタリーは無罪判決を求めて控訴する予定である。
  • キリスト教平和主義者のミハイロ・ヤヴォルスキーは、2022年7月25日に宗教的良心に基づく理由でイワノ=フランキウスク軍募集所への動員召集を拒否したとして、2023年4月6日にイワノ=フランキウスク市裁判所から1年の禁固刑を言い渡された。[3] 彼はイワノ=フランキフスク控訴裁判所に控訴を申し立て、同裁判所は10月2日、判決を懲役1年から執行猶予3年、保護観察1年に変更した。第一審と控訴審の裁判所は、ヤヴォルスキーが兵役とは相容れない深く誠実な宗教的信念を抱いており、ウクライナ憲法第35条により兵役免除が与えられるべきであったと認定したにもかかわらず、これは情状酌量にすぎないとみなされた。ヤヴォルスキーは、現在、最高裁判所への上訴を準備している。
  • ウクライナ平和主義者運動事務局長Yurii Sheliazhenkoは、ロシアの侵略を正当化した疑いで刑事捜査の対象となったが、この犯罪は5年以下の懲役に処せられ、財産没収の可能性もある。皮肉なことに、これは2022年9月21日にウクライナ平和主義者運動が採択した声明「ウクライナと世界のための平和アジェンダ」に基づくもので、この声明は国連総会のロシア侵略非難を明確に支持している。[4] シェリアジェンコのアパートは2023年8月3日に捜索され、パソコンとスマートフォンが押収された。これらはキエフのソロミアンスキー地方裁判所が出した命令にもかかわらず返却されていない。8月15日、彼は夜間軟禁状態に置かれ、その後12月31日まで延長された。捜査によって開示された最近の文書によると、シェリアジェンコは良心的兵役拒否の人権を擁護しているという理由で、ウクライナ軍の「合法的」活動を妨害したとして起訴される可能性がある。このような疑惑は、より厳格な制限と、5年から8年の禁固刑という厳しい処罰を伴う可能性がある。ウクライナは、良心的兵役拒否に関する2022年10月2日の人権評議会決議51/6を共同提案し、特に良心的兵役拒否を提唱する者の表現の自由を保護するよう各国に求めていることに留意すべきである。

各団体はウクライナに対し、良心的兵役拒否の人権の停止を直ちに撤回し、良心の囚人ドミトロ・ゼリンスキーを釈放し、アンドレイ・ヴィシュネヴェツキー被告を名誉ある除隊とし、ヴィタリイ・アレクセンコ被告とミハイロ・ヤヴォルスキー被告を無罪とし、ユリイ・シェリアジェンコ被告への告訴を取り下げるよう求める。また、ウクライナに対し、18歳から60歳までのすべての男性の出国禁止と、徴兵者の恣意的な拘束や、教育、雇用、結婚、社会保障、居住地の登録など、あらゆる市民関係の合法性の前提条件としての軍登録の義務付けなど、ウクライナの人権に関する義務と相容れない徴兵制の強制を解除するよう求める。私たちは、良心的兵役拒否者に対していかなる例外も設けず、「徴兵忌避者」に厳罰を課す2023年12月25日付の動員法案第10378号について重大な懸念を表明し、ウクライナ議会の人権委員会が同法案の合憲性について精査するとの発表を歓迎する。

各団体はロシアに対し、戦争に参加することに反対し、ウクライナのロシア占領地域にある多くのセンターに不法に収容されている数百人の兵士や動員された民間人を、即時かつ無条件で解放するよう求める。ロシア当局は、脅迫、心理的虐待、拷問を使用して、拘束されている人々を戦線に帰還させていると報じられている。

各団体は、ロシアとウクライナの双方に対し、戦時中を含め、良心的兵役拒否の権利を保護し、欧州および国際的な基準、とりわけ欧州人権裁判所の定める基準を完全に遵守するよう求める。兵役に対する良心的兵役拒否の権利は、市民的及び政治的権利に関する国際規約(ICCPR)第18条で保障されている思想・良心・宗教の自由に対する権利に内在するものであり、ICCPR第4条2項で述べられているように、たとえ公共サービスが緊急の場合であっても、その権利を否定することはできない。

各団体は、ロシアのウクライナ侵略を強く非難し、すべての兵士に敵対行為に参加しないよう、またすべての新兵に兵役拒否を呼びかける。また、双方の軍隊に強制的に、さらには暴力的に徴用されたすべての事例と、良心的兵役拒否者、脱走兵、非暴力の反戦抗議者に対する迫害のすべての事例を糾弾する。EUに対し、平和のために機能し、外交と交渉に力を注ぎ、人権保護を求め、戦争に反対する人々に亡命とビザを交付するよう要請する。

詳細はこちら

ウクライナにおける良心的兵役拒否の権利侵害:2022年2月24日から2023年11月まで https://www.ebco-beoc.org/node/607

#ObjectWarCampaign のウェブサイト: https://objectwarcampaign.org/en/

EBCO のプレスリリースおよび欧州における良心的兵役拒否に関する年次レポート 2022/23 欧州評議会(CoE)地域およびロシア(旧CoE加盟国)、ベラルーシ(CoE加盟候補国)を対象 https://ebco-beoc.org/node/565

署名4団体に関する問い合わせ先

Alexia Tsouni, European Bureau for Conscientious Objection (EBCO), ebco@ebco-beoc.org, www.ebco-beoc.org
Christian Renoux, International Fellowship of Reconciliation (IFOR), office@ifor.org, www.ifor.org
Semih Sapmaz, 戦争抵抗者インターナショナル(WRI), semih@wri-irg.org, www.wri-irg.org
Rudi Friedrich, Connection e.V., office@Connection-eV.org, www.Connection-eV.org

ウクライナの状況についてのコメントは下記まで

Yurii Sheliazhenko, Ukrainian Pacifist Movement, yuriy.sheliazhenko@gmail.com, http://pacifism.org.ua/ までご連絡を。
ObjectWarCampaign を支援する: ロシア、ベラルーシ、ウクライナ 脱走兵と良心的兵役拒否者の保護と亡命

良心的兵役拒否のための欧州事務局(EBCO)は、基本的人権として戦争やその他あらゆる種類の軍事活動の準備や参加に対する良心的兵役拒否の権利を推進するため、欧州各国の良心的兵役拒否者団体の統括組織として1979年にブリュッセルで設立された。EBCOは1998年以来、欧州評議会の参加資格を得ており、2005年以来、同評議会の国際非政府組織会議のメンバーである。EBCOは2021年以降、欧州評議会の欧州社会憲章に関する集団的申し立てを行う権利を有する。EBCOは欧州評議会議人権法務総局に代わって専門知識と法的意見を提供している。EBCOは、1994年の「Bandrés Molet & Bindi決議」で決定された良心的兵役拒否と市民奉仕に関する加盟国による決議の適用に関する欧州議会の自由・司法・内務委員会の年次レポートの作成に関与している。EBCOは1995年より欧州青年フォーラムの正会員である。


国際戦争抵抗者連合(WRI)は、戦争のない世界を求めて共に活動する草の根組織、グループ、個人の世界的ネットワークとして、1921年にロンドンで設立された。WRIは、「戦争は人道に対する犯罪である。従って、私はいかなる戦争も支持せず、戦争のあらゆる原因を取り除くために努力することを決意している」との設立宣言を守り続けている。今日、WRIは世界40カ国に90以上の加盟団体を擁する世界的な平和主義・反軍国主義ネットワークである。WRIは、出版物、イベント、行動を通じて人々を結びつけ、地域のグループや個人を積極的に巻き込んだ非暴力キャンペーンを開始し、戦争に反対し、その原因に挑戦する人々を支援し、平和主義と非暴力について人々を宣伝・教育することによって、相互支援を促進している。WRIは、このネットワークにとって重要な3つの活動プログラムを実施している: それは、「殺人を拒否する権利プログラム」、「非暴力プログラム」、「青少年の軍事化に対抗するプログラム」である。


国際和解の友(IFOR)は1914年、ヨーロッパにおける戦争の惨禍に応えて設立され、その歴史を通じて一貫して戦争とその準備に反対する立場をとってきた。今日、IFORは全大陸の40カ国以上に支部、グループ、加盟団体を持ち、国際事務局はオランダに置かれている。IFORの会員には、すべての主要な精神的伝統の信奉者だけでなく、非暴力へのコミットメントに他の精神的源泉を持つ人々も含まれている。IFORは、国連ECOSOCおよびユネスコ組織のオブザーバーおよび協議資格を有する。IFORはジュネーブ、ニューヨーク、ウィーン、パリのユネスコに常設代表を置き、国連機関の会議や会合に定期的に参加し、さまざまな地域の立場から証言や専門知識を提供し、人権、開発、軍縮の分野で非暴力の選択肢を推進している。


Connection e.V.は良心的兵役拒否の包括的権利を国際レベルで提唱する団体として1993年に設立された。ドイツのオッフェンバッハを拠点とし、ヨーロッパを中心にトルコ、イスラエル、アメリカ、ラテンアメリカ、アフリカなどで戦争、徴兵制、軍隊に反対するグループと協力している。Connection e.V.は、戦争地域出身の良心的兵役拒否者に亡命を勧め、難民のカウンセリングや 情報提供、難民の自己組織化の支援を行っている。

[1] ウクライナ: 2023年11月1日、アドベンチストの良心的兵役拒否者に3年の禁固刑、https://www.forum18.org/archive.php?article_id=2871

[2] ウクライナ最高裁判所、良心の囚人を釈放:良心的兵役拒否者ヴィタリィ・アレクセンコ、2023年5月26日、https://www.ebco-beoc.org/node/572

[3] ウクライナ: EBCOはウクライナ平和主義者運動と会談し、すべての良心的兵役拒否者に対する迫害の即時かつ無条件の終結を求める(2023年4月19日)https://ebco-beoc.org/node/561.

[4] ウクライナ: 平和活動家Yurii Sheliazhenkoを釈放し、彼に対するすべての告発を取り下げよ。https://www.ebco-beoc.org/node/613


カントリーレポート:ロシア

(訳者注)このカントリーレポートはhttps://objectwarcampaign.org/に掲載されたもの。このサイトにはウクライナベラルーシのカントリーレポートもあるが、今回は割愛した。

マラ・フレッヒ 2023.10.08

ロシアでは、出生時に男性として認識されたすべての人に兵役の義務がある。私たちは、兵役には男性でない人や男性であることを自認していない人も含まれることを指摘したいので、ジェンダーに中立的な表現を使用している。

兵役と良心的兵役拒否

ロシアでは、出生時に男性とされた市民には兵役が義務付けられている。ウクライナ戦争以降、関連する兵役法が何度か改正された: 義務兵役は拡大され、現在では18歳から30歳までの出生時に男性であったすべての市民に適用される。さらに、予備役や元契約兵も戦争に招集される。彼らについては、2022年5月から65歳までという年齢制限が適用されている。出生時に女性とされた市民も募集されているが、ロシアでは兵役の対象外であるため、これまでのところこの規定から除外されている。医療分野など「戦争に関連した」職業に従事している場合は、徴用される可能性がある。しかし、これらの規制は戦争中いつでも変更可能であるため、より多くの人々が徴兵され、猶予などの免除が取り消される可能性は否定できない。すべての市民に兵役を義務づけることも考えられる。

ロシア連邦には良心的兵役拒否権があり、理論的には誰でも良心的兵役拒否を申請できる。しかし、良心的兵役拒否の申請ができるのは徴兵制までで、予備役や元兵士には良心的兵役拒否の権利はない。軍法の改正により、軍隊でも代替服務徴兵を使用することが可能になった。分離主義地域では徴兵が強制され、良心的兵役拒否者は前線に送られるか投獄される。良心的兵役拒否の権利は彼らには適用されない。

良心的兵役拒否の法的・社会的結果

徴兵に抵抗し、軍隊に入隊しない者は、数年の禁固刑という刑罰に直面する。特に戦時中の脱走は、さらに厳しく訴追される。さらに徴兵忌避者は、徴兵を免れることができた場合、「民間人の死」を宣告される: 例えば、雇用主は従業員の兵役状況を報告する義務があり、徴兵忌避者を雇用すると罰せられる。さらに徴兵忌避者は、とりわけ外国のパスポートの取得を拒否され、運転免許証の取得も許されない。

Mediazonaによると、ロシア軍法会議による良心的兵役拒否者に対する刑事訴訟の件数は、2023年には2022年の2倍に増加し、現在1週間に約100件の判決が下され、増加傾向にある。2023年上半期だけでも、無断欠勤(AWOL)したロシア軍兵士に関する2,076件の事件が法廷で審理され(337条5項)、主に動員された兵士に対するものであった。2022年10月以降、これは動員中の犯罪として起訴され、平時よりも厳しく処罰されるようになった。AWOL 事件の半数強では、刑の執行が停止されている。これにより、有罪判決を受けた兵士は(再び)戦争に駆り出されることになる。さらに、兵士のリスクも高まっている: 彼らはいつでも将校に報告することができるため、将校への依存度が高まる。そして、再び「不祥事」を起こした場合、執行猶予付きの判決は実際の実刑判決に変わってしまう。

2023年9月中旬、ロシア軍兵士マディナ・カバロエワは、妊娠を理由に軍部隊の医務課から服務免除を受けたにもかかわらず、出動中に軍当局への報告を怠ったとして、ウラジカフカズ駐屯地の軍事裁判所から6年の禁固刑を言い渡された。マディナ・カバロエワには未成年の子どもがいるため、刑の執行は2032年まで延期された。判決に対する控訴は失敗に終わった。同じ頃、21歳の契約兵士マクシム・アレクサンドロヴィッチ・コチェトコフは、ウクライナでの戦闘を拒否し、許可なく部隊を離脱したため、サハリンの軍事裁判所から最高セキュリティ刑務所で13年の刑を言い渡された。

部分的な動員・募集

ロシアによるウクライナ侵略戦争は2022年2月に始まり、そのわずか7ヵ月後にはロシア人が部分的に動員された。2022年9月以降、数千人のロシア市民が逃亡している。

その結果、急襲による勧誘が頻繁に行われるようになった。さらに、入隊年齢が延長され、脱退の罰則が強化され、軍事刑務所が増設された。一方、デジタル化された徴兵通知書は、送信後すぐに配達されたものとみなされる。以前の正式な手交書は、登録、健康診断、兵役服務期間が法律で義務づけられており、兵役対象者は署名で受領を確認しなければならなかった。ロシア連邦はいわゆる「特別作戦」として戦争を開始し、ウクライナには徴集兵は配備されず、契約兵のみが配備されると主張していた。しかし、その間に、徴集兵の兵士が強制的に軍事契約を結ばされ、ウクライナに派遣されたという事例が数多く報告されている。また、ロシア軍が契約を偽造したという報告も受けている。

例外

ロシアにおける徴兵にはいくつかの例外がある。たとえば、徴兵猶予の可能性があるが、これも汚職によって頻繁に行われている。トレーニングや 学業のために延期される可能性もある。

ロシアにおける法的状況の詳細については、 the International Fellowship of Reconciliation(国際和解の友、IFOR)のこのレポートおよびAnnual Report of the European Bureau for Conscientious Objection(良心的兵役拒否欧州事務局、EBCO)の2022/23年次報告を参照のこと。

海外への逃亡

私たちは、数千人の徴集兵がロシアから逃亡したことを知っているが、彼らはあまり政治化されていない集団である。脱走、良心的兵役拒否、徴兵忌避に関する正確な数字を入手することはできない。さらに、難民の動向は、政治情勢や、大幅に強化された反対勢力に対する規制の影響を受けている。戦争が始まった当初、多くの人々が街頭やソーシャルメディアで戦争に抗議し、それを理由に警察や治安当局から迫害を受けた。したがって、彼らもロシア難民の一人である。ロシア連邦において事業活動が制限または制裁されている国際企業の従業員も同様である。18歳から65歳までの市民は、たとえそれが逃亡の本来の理由でなかったとしても、軍の徴集兵として常に潜在的な徴兵対象者であることも事実である。

ある推計によれば、2022年9月までに少なくとも15万人の徴集兵が逃亡し、その後その数は大幅に増加した。2023年7月、野党の「分析とポリシーのためのロシア・ネットワーク」(Russian Network for Analysis and Policy RE: Russia)は、2022年2月24日から2023年7月までのロシアからのフライトに関する調査結果を発表し、それによると82万人から92万人がロシアを離れたという。これまでのところ、難民の大半はロシア南部を経由して出国しており、その内訳は、カザフスタンへ約15万人、セルビアへ約15万人、アルメニアへ約11万人、モンテネグロへ約6万5千人から8万5千人、トルコへ約10万人となっている。イスラエルも移住先のひとつである。イスラエル人口移住庁によると、2022年2月から2023年2月の間に、約5万900人のユダヤ系ロシア市民がイスラエルに入国し、さらに1万3000家族(約3万人)が資格取得を待っており、約7万5000人のロシア人がすでにイスラエルの市民権を取得している。

免除と延期の可能性を含めると、2022年2月から2023年7月までの期間では、戦争のための徴兵の可能性を避けるために、少なくとも合計25万人がロシアを離れたと想定される。これはロシアを離れた人々全体の約30%にあたる。

さらに、ユーロスタットEurostatは欧州連合(EU)27カ国の亡命申請に関する数字を発表した。この数字によると、2022年2月から2023年4月までの間にEUに亡命申請したロシア人は21,790人で、これは全出国者の2.65%に過ぎない。このうち、18歳から64歳までの出生時に男性に割り当てられた市民からの申請は9580件である。これはこの期間の亡命申請者の約44%に相当する。

ドイツにおける亡命

戦争が始まると、2022年9月のオラフ・ショルツ独首相をはじめ、さまざまな政治党派の政治家が、ロシアの良心的兵役拒否者や脱走兵に保護を提供すると宣言した。しかし、亡命申請の審査を担う連邦移住難民局(BAMF)は、ロシアの良心的兵役拒否者からの亡命申請を十中八九却下している。例えば、2023年1月末には、徴兵の可能性から逃れたロシア人良心的兵役拒否者の亡命申請が却下された。BAMFはこの決定について、「申請者が本人の意思に反して強制的に軍隊に徴兵される可能性は、かなりの確率で想定できない」と説明している。この声明は、前述の徴兵未遂事件や私たちが受け取った報告書に照らしても、現実を反映していない。

裁判権が良心的兵役拒否と脱走を保護に値すると認めているのは、次の2つの場合だけである: a) 罹患者に対する迫害が政治的行為とみなされる場合、b) “過剰な処罰 “がある場合、である。しかし、国際法に違反する戦争に徴用される可能性を証明する証拠がないため、軍事徴兵者にはまだ適用されない。ドイツでの難民保護が考えられるのは、徴兵や脱走を証明できる者に限られる。

それにもかかわらず、徴兵された者がロシアで政治的な活動をしており、それを証明でき、したがって政治的迫害を受ける恐れがある場合には、肯定的な判断が下される可能性がある。さらに、家族の再統合や就学・訓練・雇用の目的など、特定の場合には官僚的でない滞在許可を与えることができる。原則として、これらの滞在許可は入国前に申請しなければならない。EUとロシア連邦間のビザ円滑化協定の停止後、ニーダーザクセン州とチューリンゲン州が2022年春にロシア市民にこの可能性を導入したが、他の連邦州はまだ導入していない。

人道的ビザは現在のところ、わずかな役割しか果たしていない。ドイツ連邦議会の左翼党が発表した「Kleine Anfrage」によれば、これまでにロシア人に発給された人道的ビザは679件である(2023年1月13日現在)。

また、ダブリンIII規則に基づいて、多数の亡命申請が却下されていることにも留意しなければならない。これは、保護を求める者は、彼らが入国したEU加盟国で庇護を申請しなければならず、そうでなければ、そこに送り返されるというものである。したがって、ドイツ連邦共和国が亡命申請の責任を負うのはまれなケースにすぎない。


呼びかけ 兵役を拒否するロシア、ベラルーシ、ウクライナのすべての人々の保護と亡命を

国際人権デーまでの行動週間
2023年12月4日から12月10日の国際「人権デー」までの行動を呼びかける。

戦争は人類に対する犯罪である。国際法に反し、すでに数十万人の死傷者と数百万人の難民を出したロシアのウクライナ侵略戦争を非難する。

ロシアやベラルーシの人々だけでなく、ウクライナの人々も、兵役の脅しを受け、それを逃れようとしている: 彼らは人々を殺したくないし、この戦争で死にたくないのだ。前線にいる兵士たちは、恐怖を前にして武器を捨てようとする。彼らは皆、弾圧や投獄、ベラルーシでは死刑にさえ直面する。しかしだ: 良心的兵役拒否は国際的に認められた人権である!

  • 私たちはロシア、ベラルーシ、ウクライナの政府に要求する: 良心的兵役拒否者と脱走兵に対する迫害を直ちに停止せよ!
  • 私たちはEUに要求する: 国境を開けろ!戦争反対派にEUに入る選択肢を与えよ!ロシア、ベラルーシ、ウクライナからの良心的兵役拒否者と脱走兵を保護し、亡命を与えよ!

この目的のために、私たちは「国際人権デー」前の1週間(2023年12月4日から10日まで)に、ロシア、ベラルーシ、ウクライナの大使館前やEU代表部前での集会やデモ、脱走兵記念碑前での警戒行動、その他の創造的な行動を各地で行う。良心的兵役拒否は人権である!

ObjectWarCampaign #StandWithObjectors

私たちは何者か?
私たちは市民団体の連合体であり、戦争に反対するすべての人々と連帯する。私たちは、戦争反対、再軍備反対を願うすべての人々を招待する!私たちの行動には、ナショナリスティックで反民主主義的な人々やグループは参加できない。office@connection-ev.org、予定されている行動について私たちに知らせてほしい。

参加団体

Initiated by:

(972+)報復戦争への参加を拒否する: イスラエル、徴兵拒否の10代を投獄/独裁に反対する若者たち: イスラエルの新しい良心的兵役拒否者たちに会う

(訳者まえがき)以下に訳出したのはイスラエルの独立系メディア、972+に掲載された兵役拒否の若者たちの記事だ。10月7日以前、ネタニヤフの司法改革(司法の独立性を奪いネタニヤフ政権の独裁を強化する法改革)に反対する広範な運動のなかから、若者たちを中心に「反占領ブロック」と呼ばれる運動が急速に拡がりつつあった。2023年1月に開催されたネタニヤフ政権に反対する大規模な集会で、「アパルトヘイトに民主主義はない」、「他国を占領する国に自由はない」といったスローガンを掲げ、軍への入隊を拒否して刑務所に服役しているイスラエルの10代の若者たちを支持してシュプレヒコールし、「似非民主主義を嘆くのではなく、根本からの変革を求めよう!」と書かれたチラシを配った小さな集団―とはいえ数百人―がいた 。(この記事参照)主流の反ネタニヤフ、反司法改革運動は、極右の路線からかつての路線への復帰を主張しているに過ぎず、イスラエルが抱えている根本的な平等と民主主義の欺瞞の核心にあるパレスチアナ問題に目を向けていないことを鋭く批判した。

こうした運動から昨年9月にテルアビブ中心部にあるヘルツリヤ・ヘブライ・ギムナジウム高校の前で、” Youth Against Dictatorship(独裁に反対する若者たち)”の旗の下、良心的兵役拒否者の若者たちが学校や教育省の禁止命令や右翼の妨害にも関わらず集会を開催し、数百名が集まり、230名が公然と兵役拒否の書簡に署名するという出来事が起きた。以下に訳出した二つの記事のうちの二番目の記事「独裁に反対する若者たち: イスラエルの新しい良心的兵役拒否者たちに会う」にこの経緯の詳細と実際に兵役拒否を宣言した若者たち8名の発言が掲載されている。そして、この兵役拒否者のひとり、タル・ミトニックは、10月7日の戦争以後の最初の違法な兵役拒否者と宣告されて投獄されることになる。このタル・ミトミックへのインタビューなどが以下の最初の記事「報復戦争への参加を拒否する: イスラエル、徴兵拒否の10代を投獄」である。

どのような戦争も、当事国の内部にいる人々が戦争を拒否する行動をとることでもたらされる戦争の終結と、国際関係などマクロな地政学的な条件によって政府が戦争を断念することとの間には、結果が同じようにみえたとしても、本質的には全く異なう戦後の「平和」の構造が生み出されると思う。わたしは国家の内部から人々が戦争を放棄する多様な行動や意思表示をとることを通じて政府に戦争を断念させることが重要なことだと考えている。イスラエルによるパレスチナへの長年にわたる抑圧、アパルトヘイト、ジェノサイドにもかかわらず、イスラエルの多くの人々がイスラエルに正義があり、アラブ・パレスチナをテロリストあるいは人間以下の扱いをすることにさほどの疑問も感じていないという状況―こうした状況はどこか日本にもありえる状況と思えてならない―のなかで、イスラエルの本質的な矛盾を明確に示し、兵役拒否を選択している若者たちが少なからず存在すること、私はこのことにもっと注目してもよいはずだ、と考えている。以下のインタビューでもはっきり示されているが、まだ16歳から19歳の若者がパレスチナに対してイスラエルがとってきた対応の本質的な矛盾を的確に指摘している。極めて強力なシオニズムのイデオロギー教育が貫徹しているイスラエルで起きていることなのだ。彼等のような存在は、暴力という手段を介さないパレスチナの解放への一つの可能性を示していると思う。(小倉利丸)


「報復戦争への参加を拒否する」: イスラエル、徴兵拒否の10代を投獄

タル・ミトニック(Tal Mitnick)は、10月7日以降に初めて投獄されたイスラエルの良心的兵役拒否者である。彼は、なぜ現在の戦争が彼の信念を再確認させるにすぎないものなのかを説明している。
著者 オーレン・ジブ (Oren Ziv)
2023年12月28日

タル・ミトニック (オーレン・ジブ)

Local Callとのパートナーシップ記事

12月26日火曜日、テルアビブに住む18歳のタル・ミトニックは、イスラエルが80日以上前に、封鎖されたガザ地区への攻撃を開始して以来、義務とされている兵役を拒否した最初のイスラエル人となった。ミトニックはテル・ハショメルの徴兵センターに呼び出され、そこで彼は良心的兵役拒否者であることを宣言し、30日間の軍事刑務所に収監された。

ミトニックは、戦争が始まる前の9月上旬、イスラエルの極右政権による司法権制限の取り組みに反対する行動の一環として、徴兵命令を拒否する意思を表明する公開書簡に署名した230人のイスラエル人高校生の一人である。司法クーデターとイスラエルのパレスチナ人に対する長年の軍事支配を関連づけ、「Youth Against Dictatorship(独裁に反対する若者たち)」の旗の下に組織された高校生たちは、「イスラエル政府の管轄内に住むすべての人々のために民主主義が確保されるまで」軍隊に入隊しないと宣言した。

12月初め、ミトニックは軍の良心委員会(軍の代表数名と学識経験者1名で構成)に出頭する。委員会は、彼の兵役免除の要求を却下した。火曜日に兵役拒否を宣言すると、ミトニックは、処罰のために、直ちにネターニャ近郊のネヴェ・ツェデク軍事刑務所に連行された。その後彼は再び徴兵センターに報告を出すよう命じられることになるだろう。近年、良心的兵役拒否者は一定期間投獄され、中には100日あるいはそれ以上の投獄を経験した者もいる。

Mesarvotネットワークを代表してイスラエルの兵役拒否者を弁護しているノア・レヴィ弁護士は、+972とLocal Callに対し、戦争が始まって以来、軍は兵役拒否を表明した市民を投獄しない選択をすることがほとんどだったと語った。「入隊日が戦争開始後だった兵役拒否者は、タルが初めてではない」「彼以前にも、予備兵役拒否者も通常の兵役拒否者も、何十人もいた。しかし、軍は彼らに対処する別の方法を見つけ、刑務所に送ることはしなかった」と彼女は説明した。

ミトニックは、軍によるガザ攻撃が続く中で、またイスラエルで戦争に穏健な反対を表明する者が迫害弾圧に直面している今、イスラエルの主流的な言説とはかけ離れた次のようなメッセージを+972に語った。「私の拒否は、イスラエル社会に影響を与え、ガザで起きている占領と大虐殺に加担しないようにする試みです。これは自分だけのためにしているのではない、と言いたいのです。私はガザの罪のない人々との連帯を表明します。彼らは生きたいのです。彼らは、人生のなかでまた再び難民になる筋合いはないのです」。

タル・ミトニックは、「私たちは入隊する前に死ぬ」と書かれたプラカードを掲げている。テルアビブの反占領ブロック内での反政府デモで、(2023年4月29日)。(オレン・ジブ)

収監に先立って発表された拒否声明で、ミトニックは、ハマースが主導した10月7日のイスラエル南部への攻撃を「この国の歴史上類を見ないトラウマ」としながらも、軍のガザ砲撃は解決策ではないと主張した。「政治的な問題に軍事的な解決策はない」と彼は書いている。「だから私は、親しい者たちとの死別と苦痛を続けるにすぎない政府のもとで、真の問題をないがしろにできると信じる軍隊に入隊することを拒否します」と彼は書いている。

「私は、これ以上の暴力が安全をもたらすと信じることを拒否します」「復讐戦争に参加することを拒否します」と彼は続けた。

入獄直前、ミトニックは+972の取材に応じ、入隊拒否の決断、現在の政治情勢における入獄への懸念、そしてイスラエルとガザの市民に伝えたいメッセージについて以下のように語った。

入隊を拒否する決断をした経緯は?

最初の徴兵通知が来る前から、入隊する気はありませんでした。私は、ヨルダン川西岸地区でアパルトヘイトを永続させ、流血の連鎖を助長するだけのこのシステムで兵役に就く気はないと自覚していました。私は、支援してくれる家族や周囲の環境の恵まれた立場から、これを利用して他の若者たちに手を差し伸べ、別の道があることを示す義務があるのだということがわかっていました。

私の友人たち(兵役に就いている者もいれば、免除を受けた者もいる)に、私がなぜ軍隊に行かないのかを話すと、彼らはそれが相手を思いやるという人道的な観点から来るものだと理解してくれます。誰も私がハマース支持だとか、(友人たちに)危害を加えたいなどとは思っていません。軍隊活動が安全をもたらすと信じている人々がいます。私が公然と拒否することこそが影響を及ぼし、最も高い安全をもたらしてくれると私は、信じているのです」。

2023年4月1日、テルアビブで行われた政府への抗議デモで、イスラエル軍の徴兵命令を燃やす若者たち。(オレン・ジブ)

司法制度改革に反対する抗議活動は、あなたの世界観を形成する上でどのように影響しましたか?

この抗議活動が始まる前には、私は政治活動を縁のないものと考えていたし、個人が政治に影響を与えることなど不可能だと思っていました。デモが始まり、Knessetのメンバーも街頭に出ているのを見て、政治は思っていたよりも身近なもので、国の隅々にまで行き渡り、影響を与えることが可能なのだと理解しました。そこで私は、自分の行動がここで目にしている現実に影響を与えることができ、より良い未来のために行動する義務があるとわかったのです。

現在の雰囲気を考えると、今すべきかどうか迷いましたか?

ええ、迷いはありました。軍は良心的兵役拒否者に関して一貫したポリシーを持っておらず、あっという間に対応が変わる可能性があること、つまり、すべての拒否者を釈放することもあれば、長期間投獄することもあり得るということは常に知っていたし、その覚悟はしていました。10月7日以降、平和運動やユダヤ人とアラブ人の連携、ガザの罪なき人々への支援や連帯を表明するパレスチナ市民、さらにはデモに対しても(政府の)攻撃は、恐ろしいものになっています。しかし、今こそ私たちの存在を示し、政府とは反対の側を示す時なのです。

そんなメッセージに耳を傾けてくれる人が、今この国にいると思う?

特に10月7日以降、別の方法が必要なことは誰もが知っています。私たちま皆、うまくいっておらず、ベンヤミン・ネタニヤフ首相は “ミスター・セキュリティー “ではないことを知っています。紛争の管理は機能せず、最終的には破綻したになっています。

私たちは今の状況を続けることはできないし、今は2つの選択肢があります。右翼はガザのパレスチナ人の移送と大量虐殺を提案している。他方の側では、ヨルダン川と地中海の間に住むパレスチナ人がいて、彼らには権利があると言っています。Bibi(ネタニヤフ)に投票した人々でさえ、そして司法改革を支持した人々でさえ、誰もが正当に生きるに値し、誰もが屋根のある家に住むに値し、生存を共有することを支持するという考え方で繋ることができます。

10月7日以降、左派の多くは「酔いが醒めた」と主張しました。そのことがあなたに影響を与えたでしょうか?

罪のない市民に危害を加えることに正当性はありません。罪のない人々が殺された10月7日の犯罪的攻撃は、私の目にはパレスチナの人々の抑圧に対する正当性のない抵抗だと映ります。しかし、抗議行動のような正当な抵抗を非合法化したり、人権団体をテロ組織と決めつけたりすることは、人々が他者を非人間化し、民間人を標的にする行動につながります。

テルアビブのイスラエル軍本部前で、ガザ戦争の停戦を求めてデモを行うイスラエルのデモ隊(2023年10月28日)。(オーレン・ジブ)

10月7日になっても、私の考え方は変わりませんでした。ガザを包囲し、占領していながら、(その影響を)感じずに生きることはできないと、私は今でも信じています。私は、多くの人々がようやくこのことを理解したと信じています。「目に入らず、心に入らず」という考え方は機能しません。何かを変える必要があり、唯一の方法は話し合い、政治的解決を図ることです。それですべてが解決するとは言いませんが、正義と平和への新たな一歩にはなるでしょう。

良心委員会での経験は?

予備委員会の面接官は攻撃的でした。彼女は、私が政府の行動や占領に反対していることから、私の非暴力に疑問を呈しました。基本的に、私の意見が政治的であるため、良心的兵役拒否者ではないと言われました。

結局、私は予備委員会を経て、面接から1週間も経たないうちに委員会に呼び出されましたが、多くの人々は通常半年も待つものです。この委員会も敵対的な面接で、4人の人たちが私と対峙しました。

彼らは私の意見に攻撃的でした。彼らは、私だったら10月7日にどうしたか、どのように対処したか、と尋ねました。彼らは常に私の話を遮り、質問の言い回しを変えました。私は答え続けようとしましたが、彼らは私が答えていないと言うのです。私はイスラエルの指導者ではありません。彼らは私をそのような立場に置くことはできないのです。

https://www.972mag.com/tal-mitnick-conscientious-objector-israeli-army/


「独裁に反対する若者たち」: イスラエルの新しい良心的兵役拒否者たちに会う

新たに徴兵拒否者となった8人が、占領、反司法改革デモ、抗議の手段としての良心的兵役拒否について語る。

著者 オレン・ジブ
2023年9月5日

協力 Local Call

日曜日の午後、テルアビブ中心部にあるヘルツリヤ・ヘブライ・ギムナジウム高校の前で、” Youth Against Dictatorship(独裁に反対する若者たち)”の旗の下、良心的兵役拒否者の若者たちによる新たな書簡を発表するために、数百人のイスラエル人が集まった。極右や教育省からの圧力にもかかわらず、また高校の理事会が集会の中止を決定したにもかかわらず、何百人もの人々が、生徒たちが手紙を朗読するのを聞き、ワークショップに参加し、この手紙に署名しイスラエル軍への入隊を拒否することを計画している230人の若者を支援するために集まった。

これまでのいわゆる「兵役拒否書簡」とは対照的に、今回の手紙は、政府の司法改革への反対と占領を理由とする良心的兵役拒否を結びつけている。+972 が取材した署名者たちは、現政権が発足する以前から、占領に抗議するために軍への入隊を拒否するつもりだったと語った。

また、ここ数カ月で拒否を決意した者もおり、イスラエル史上最も極右の政府が、拒否の決め手となったと語った。彼らの中には、司法制度の大改革に反対する毎週のデモに「反占領ブロック」が参加したことが決断を後押ししたと説明する者もおり、今日の世論の雰囲気では、良心的兵役拒否は過去よりも広く受け入れられており、特に大改革に伴う軍の予備役による集団的拒否の影響を受けているという。

「イスラエル軍のサービスに徴兵されようとしている若い男女として、私たちはイスラエルとパレスチナ占領地における独裁政治にNOと言う。私たちは、イスラエル政府の管轄内に住むすべての人々のために民主主義が確保されるまで、軍に参加することを拒否することを宣言する」 とこの声明は述べている。「真の民主主義を求める私たちの6ヶ月間の断固とした闘いが、ほぼ毎日街頭で繰り広げられてきたにもかかわらず、政府は破壊的なアジェンダを追求し続けている。私たちは、自分たちの将来、そしてここに住むすべての人々の将来を本当に心配している。このことを考えると、私たちは究極の手段をとり、軍務に就くことを拒否するしかない。 司法を破壊する政府は、私たちが仕えることのできる政府ではない。 他の人々を軍事的に占領する軍隊は、私たちが入隊できる軍隊ではない」。

私たちは、この手紙に署名し、入隊拒否の決意を語った8人のティーンエイジャーにインタビューした。

Nuri Magenヌリ・マゲン、17歳

ヌリ・マゲン (オーレン・ジブ)

私は、政府が妥当性条項に法律を通し始める少し後まで、入隊しようと思っていました。それ以前から占領には反対していましたが、直接これに関わらないようなポジションに就こうと考えていました。海軍で働くことも考えたし、それを正当化することもできました。これは、彼らが法律の成立を試みようとする前のことでした。

何よりも、1年後、2年後、私が(軍隊から)抜け出せなくなったとき、どんな恐ろしいことが起こるのかが怖かった。私は、自分がこんなことに加担しているなんて思いたくない。状況がより極端になるにつれ、ノンポリの人々や中道的な立場の人々でさえも、つい最近まで「極端」とみなされていた意見を受け入れるようになってきています。2年前、良心的兵役拒否者はごく少数派でした。今、私たちは学校を占拠し、何百人もの人々とメディアを集めて集会を開催しており、これは前例のないことです。

Sofia Orrソフィア・オール、18歳

ソフィア・オール (オーレン・ジブ)

私がこの手紙に署名したのは、独裁政治に反対し、イスラエルでも占領地でも、すべての人のための真の民主主義のために闘いたいからです。私にとってこの手紙に署名するのは重要なことでした。司法改革と占領は切り離すことができないという、私にとっては自明な関連性を示すものだからです。

この集会と署名者の数は、このような意見が徐々に主流になり始めていること、少なくとも主流がこのような意見を聞き、関係をもつ用意ができていることを示していると思います。これは本当に喜ばしいことです。これは、ここで起こりつつある変化を示しています。私たちは続けていかなければならないし、彼らによって沈黙させられてはならない。私たちを黙らせようとすることは、私たちが反対する独裁的な政策の一部なのですから。

Itay Gavishイタイ・ガビッシュ、17歳

イタイ・ガビシュ (オーレン・ジブ)

デモの最中、私は反占領ブロックに入り、そこで占領に加担したくないこと、軍隊に入ることを拒否することを悟りました。私も、他の何百人もの若者たちも、占領軍には参加しないということを示すために署名しました。これらのデモを通じて、私は抗議をすることが正当なことだと感じました。

私はあまりにラディカルになりすぎることを恐れていたと思います。反占領ブロックは、他のシオニストたちと一緒にデモをし、さらに少し踏み込んだところへ行くことができる場所でした。司法制度の見直しに反対する闘いには、必ずしも占領に関係していない人々や必ずしも気にしていない人々や兵役拒否が抗議の重要な手段であるとは思っていない人たちもいるのです。

Lily Hochfeld リリー・ホッホフェルド 17歳

リリー・ホッホフェルド(オーレン・ジブ)

私は、自分の越えてはならない一線とは何なのか、どの国のどの軍隊にも喜んで従軍するのか、と自問しました。私には、兵役に就かないと確信する軍隊があるのだと確信しました。私にとって、入植者の暴力、数十年にわたる軍事支配、腐敗した政治家や聖職政治家にすべての権力を与える司法改革を全面的に支持することは、私の越えてはならない一線を完全に超えています。そのような軍隊に入隊することはできませんし、自分の将来と国の将来を心配しないわけにはいかないのです。

抗議行動は、すべての悪魔をクローゼットから連れ出しました。ある朝突然、目を覚ますと、右翼の中でもかつて非合法だった人々、たとえば(ミール)カーハネの足跡を継ぐ(イタマル)ベン・グヴィールが政府に居座るようになっていました。新政府はすべてをはっきりさせました。私たちは彼らの本心を理解したのです。

Tal Mitnick タル・ミトニック、17歳

タル・ミトニック (オーレン・ジブ)

私や他の若者たちは、イスラエルに存在する独裁政治と、占領地に何十年も存在する独裁政治は切っても切れない関係にあることに気づきました。政治家と入植者たちの大きな目標は、イスラエル国内と占領地におけるより多くの人々に対する占領と抑圧を深め、ヨルダン川西岸地区C(イスラエルの完全な軍事コントロール下にある)を併合することにあります。

私たちの多くにとって、こうしたデモは覚醒のきっかけとなりました。私はデモの前までは政治的な活動をしていませんでした。私は、徴兵された者として、入隊前の何百人もの人々とともにデモし、「私たちは兵役に就かない 」と言うことはどのようなことを意味るのかをデモで理解しました。

Ella Greenberg Keidarエラ・グリーンバーグ・ケイダー、16歳

エラ・グリーンバーグ・ケイダー (オーレン・ジブ)

私たちは今日の集会に先立ち、メディアのインタビューを受けました。ほとんどすべてのインタビューで、インタビュアーは一瞬の隙を突いて[次のように質問しよとしました]「占領に反対なのか、それとも改革に反対なのか?」というのも、彼らは占領反対は見当違いだ―それは昨日のニュースだ―と言うのです。私たちが関心を持っているのは、司法改革を拒否する人々です。司法改革と占領はどんな関係があるというのか?これは、イスラエルの国旗を掲げて反占領ブロックのところにやってくるデモ参加者から私が出会う言葉です。

占領反対は法改正反対なしには不完全であり、その逆もまた然りです。法改正を推進する人々–Simcha Rothman、Itamar Ben Gvir、Bezalel Smotrich–は入植者です。彼らのアジェンダは入植者のアジェンダであり、占領の拡大、民族浄化、追放です。この改革は、C地区からパレスチナ人を排除し、新たな前哨基地を合法化し、入植地と入植者に、法律に明記されたさらなる特権を与えることを意図しています。私は Kaplan のメディアと市民に、これらのことには関連性があることを伝えたいのです。

Ayelet Kovo アイェレット・コヴォ、17歳

アイェレット・コヴォ (オーレン・ジブ)

私がこの手紙に署名したのは、人々を抑圧するために使用される国家の暴力的武器の一部になる覚悟がないからです。私は、占領地でパレスチナ人を抑圧する者にも、イスラエルでのデモでユダヤ人やパレスチナ人を抑圧する者にもなる覚悟はありません。私は、ここに民主主義や平等な権利が存在したことがないことを知っているし、根本的に不平等な国に仕える覚悟もありません。

Iddo Elam イド・エラム、17歳

イド・エラム (オーレン・ジブ)

私は、この軍隊に入隊することに同意しないので、署名しました。ヨルダン川西岸地区と何百万人ものパレスチナ人を占領している軍隊であり、占領地からイスラエルに独裁政権を持ち込もうとしている極右政権の軍隊です。ギムナジウムでの私たちの集会に対する脅迫や、デモ参加者に対する警察の暴力など、ここ数週間でよくわかりました。


この記事は最初にヘブライ語でLocal Callに掲載された。ここで読むことができます。

オーレン・ジブ Oren Ziv

オーレン・ジブはフォトジャーナリストであり、『Local Call』の記者であり、写真集団Activestillsの創設メンバーでもある。

https://www.972mag.com/israel-refusers-youth-against-dictatorship/

(+972)破壊を引き起こす口実「大量殺戮工場」: イスラエルの計算されたガザ空爆の内幕

(訳者前書き)以下に訳出したのは+972とLocal Callの調査の全文です。この調査についてのわたしのコメントはここに書きました。関連する記事が次々登場しています。(小倉利丸)

(Common Dream)イスラエルのAIによる爆撃ターゲットが、ガザに大量虐殺の ” 工場 ” を生み出した

(MiddleEastEye)Israel-Palestine war: How the AI ‘Habsora’ system masks random killing with maths

‘(Gurdian)The Gospel’: how Israel uses AI to select bombing targets in Gaza

(DemocracyNow)“Mass Assassination Factory”: Israel Using AI to Generate Targets in Gaza, Increasing Civilian Toll


非軍事目標への大目にみられている空爆と人工知能システムの使用により、イスラエル軍はガザに対する最も致命的な戦争を遂行できるようになったことが、+972とLocal Callの調査で明らかになった。
ユヴァル・アブラハム
2023年11月30日

Local Callとの提携記事

イスラエル軍による非軍事目標への爆撃権限の拡大、予想される民間人犠牲者に関する制約の緩和、人工知能システムの使用によるこれまで以上に多くの潜在的標的の生成などが、イスラエルのガザ地区に対する現在の戦争の初期段階における破壊的性質に寄与している可能性があることが、+972誌とLocal Callの調査によって明らかになった。イスラエルの現・元情報部員が語るところによると、これらの要因は、1948年のナクバ以来、パレスチナ人に対する最も致命的な一連の軍事行動をもたらした。

972とLocal Callによる調査は、ガザ地区でのイスラエルの作戦に関与した軍事情報部や空軍の要員を含む、イスラエルの情報機関の現職および元職員7名との会話に加え、パレスチナ人の証言、データ、ガザ地区からの文書、IDF報道官や他のイスラエル国家機関の公式声明に基づいている。

イスラエルが「鉄の剣作戦Operation Iron Swords」と名付け、10月7日にハマスが主導したイスラエル南部への攻撃をきっかけに始まった今回の戦争では、これまでのイスラエルによるガザ攻撃と比べて軍は、軍事的性格のはっきりしない目標への爆撃を大幅に拡大している。これには、個人の住宅、公共施設、インフラ、高層ビル群などが含まれ、情報筋によれば、軍はこれらを「パワーターゲット」(”matarot otzem”)と定義しているという。

過去にガザでの爆撃を実際に経験した情報筋によれば、パワーターゲットへの爆撃は、主にパレスチナの市民社会に危害を加えることを目的としている。ある情報筋が言うように「衝撃を与える」ことで、とりわけその衝撃が強力に反響して「ハマースに圧力をかけるように市民を仕向ける」ためだ。

匿名を条件に+972とLocal Callに語った情報筋の何人かは、イスラエル軍は、ガザにある潜在的な標的(住宅を含む)の大半について、特定の標的への攻撃で死亡する可能性のある民間人の数を定めたファイルを持っていることを認めた。この人数は軍の諜報部門が事前に計算し、把握する。諜報部門もまた、攻撃を実行する直前に、どれだけの民間人が確実に殺されるかを知っている。

2023年11月11日、ガザ地区南部ラファでのイスラエル軍の空爆による惨状に反応するパレスチナ人。(Abed Rahim Khatib/Flash90)

情報筋が取り上げたあるケースでは、イスラエル軍司令部は、パレスチナ市民数百人の殺害を承知の上で、ハマースのトップ軍事司令官一人の暗殺を承認した。ある情報筋は、「これまでの作戦で、高官への攻撃の一環としての巻き添え被害として(許可された)民間人の死者数は数十人だったが、これが数百人に増えた」と語った。

「何事も偶然に起きているわけではない」と別の情報筋は言う。「ガザの民家で3歳の女の子が殺されるのは、軍の誰かが、彼女が殺されるのは大したことではないと判断したからだ。我々はハマースではない。ハマースのようにやみくもにロケット弾を打ち込んでいるわけではない。すべては計算づくで行われている。すべての家庭にどれだけの巻き添え被害があるか、我々は正確に知っている」。

調査によれば、多数の標的とガザの市民生活への広範な危害をもたらしているもう一つの理由は、「Habsora」(「福音」)と呼ばれるシステムが広く使用されていることだ。このシステムは、大部分が人工知能に基づいて構築されており、以前の可能性をはるかに超える処理速度で、ほぼ自動的に標的を「生成」することができる。このAIシステムは、元情報将校の説明によれば、基本的に “大量殺戮工場” を簡単に生み出すもものである。

情報筋によれば、HabsoraのようなAIベースのシステムをますます使用することで、軍はハマスの下級作戦隊員であったとしても、ハマースのメンバーが一人でも住んでいる住宅を大規模に攻撃できるようになるという。しかし、ガザのパレスチナ人の証言によれば、10月7日以降、軍は、ハマースや他の武装集団のメンバーであるとは知られていなかったり明らかにされていない多くの個人宅も攻撃している。+972とLocal Callが情報筋に確認したところによると、このような攻撃では、その過程で家族全員を故意に殺害することもあるという。

ほとんどの場合、このような標的にされた家からはハマースの軍事行動は行われていないと情報筋は付け加えた。「(イスラエル軍兵士が)週末に自宅に戻って寝るときに、(パレスチナ武装勢力が)家族の私邸をすべて爆撃するようなものだと思ったことを覚えている」と、このやり方に批判的な情報筋の一人は振り返った。

2023年11月11日、ガザ地区南部ラファで、イスラエルの空爆により破壊された建物の瓦礫を前にするパレスチナ人。(Abed Rahim Khatib/Flash90)

別の情報筋によると、10月7日以降、ある情報機関の幹部は、「できるだけ多くのハマースの要員を殺害する」ことが目的であり、そのためにパレスチナ市民を危険にさらす基準が大幅に緩和されたという。そのため、「民間人を殺害しつつ標的がどこにいるかを広い区画に焦点をあてて探知する場合がある。これは多くの場合、時間を節約するために行われることであり、より正確なピンポイント爆撃を行うためには、もう少し多くの作業を行う必要がある」と情報筋は言う。

こうしたポリシーの結果、10月7日以来、ガザでは驚異的な数の人命が失われている。この2ヶ月間で、イスラエル軍の爆撃で10人以上の家族を失った家族は300を超え、その数は、2014年にイスラエルがガザで行った戦争で最も多くの犠牲者を出した時の数字の15倍にもなる。この記事を書いている時点で、この戦争で約15,000人のパレスチナ人が死亡したと報じられている。

「これらすべては、過去にIDFが使用したプロトコルに反してなされている」とある情報筋は説明した。「軍の高官たちは、10月7日の失敗を自覚しており、イスラエルの世論の悪評判を回復させるために、いかにして(勝利の)イメージをイスラエルの人々に与えるかという問題に忙殺されている感がある」。

破壊を引き起こす口実

イスラエルは、10月7日のハマース主導によるイスラエル南部への攻撃の余波を受けて、ガザ攻撃を開始した。その攻撃中、ロケット弾の雨の中、パレスチナ武装勢力は840人以上の市民を虐殺し、350人の兵士と治安要員を殺害し、約240人の人々(市民と兵士)をガザに拉致し、レイプを含む広範な性的暴力を行ったと、NGO「イスラエルの人権を守る医師団」のレポートが伝えている。

イスラエルは、10月7日の攻撃直後から、これまでのガザでの軍事作戦とはまったく異なる規模での対応を公然と宣言した。IDFのダニエル・ハガリ報道官は10月9日、「重視するのは被害であり、正確さではない」と述べた。軍はこの宣言を速やかに行動に移した。

2023年11月11日、テルアビブの国防省で、ベンヤミン・ネタニヤフ首相、ヨアヴ・ギャラン国防相、ベニー・ガンツ無任所大臣が共同記者会見を行った。(マーク・イスラエル・セルム/POOL)

+972 とLocal Callの取材に応じた情報筋によると、イスラエル軍機が攻撃したガザの標的は、大まかに4つのカテゴリーに分けられるという。ひとつは「戦術目標」で、武装した武装勢力、武器倉庫、ロケットランチャー、対戦車ミサイルランチャー、発射台、迫撃砲弾、軍司令部、観測所など、標準的な軍事目標が含まれる。

もうひとつは「地下目標」で、主にハマスがガザ地区の地下に掘ったトンネルであり、民家の下も含まれる。これらの目標への空爆は、トンネルの上や近くの家屋の倒壊につながる可能性がある。

3つ目は「パワーターゲット」で、都市中心部の高層ビルや住宅タワー、大学や銀行、官庁などの公共施設などが含まれる。過去にパワーターゲットへの攻撃の計画や実施に関わった3人の情報筋によれば、こうしたターゲットを攻撃する背景には、パレスチナ社会への計画的な攻撃がハマスに対する「市民的圧力」になるという考えがあるという。

最後のカテゴリーは、”家族の家 “あるいは “作戦隊員の家 “である。これらの攻撃の目的は、ハマスやイスラム聖戦の作戦隊員であると疑われる一人の人間を殺害するために、個人の住宅を破壊することであるとされている。しかし、今回の戦争では、殺害された家族の中にはこれらの組織の作戦隊員は含まれていなかったというパレスチナ人の証言がある。

今回の戦争の初期段階では、イスラエル軍は第3、第4のカテゴリーに特に注意を払ったようだ。IDF報道官の10月11日の声明によると、最初の5日間、爆撃されたターゲットの半分、合計2,687のうち1,329がパワーターゲットとみなされた。

2023年11月28日、ガザ地区南部のハン・ユーニスで、イスラエルの空爆により破壊された建物の瓦礫の横を歩くパレスチナ人。(Atia Mohammed/Flash90)

「私たちは、フロア半分がハマースのものと思われる高層ビルを探すよう要請されている」と、イスラエルの過去のガザ空爆に参加したある情報筋は語った。「武装集団のスポークスマンのオフィスであったり、工作員が集まる場所であったりする。私は、このフロアは、軍がガザで多くの破壊を引き起こすための口実だと理解していた。それが彼らの言い分だ。

「もし彼らが、10階にある(イスラム聖戦の)事務所は、標的として重要なものではなく、テロ組織に圧力をかけるために、そこに住む民間人の家族を脅す目的で、高層ビル全体を崩壊させる正当な理由になっている、と全世界に言うならば、それ自体がテロとみなされるだろう。だから彼らはそうは言わない」と情報筋は付け加えた。

IDFの諜報部門に所属していたさまざまな情報筋によれば、少なくとも今回の戦争までは、軍の規定では、パワーターゲットへの攻撃は、攻撃時にその建物に住民が誰もいない場合にのみ可能だったという。しかし、ガザからの証言やビデオによれば、10月7日以降、これらの標的のいくつかは、居住者に事前通告されることなく攻撃され、その結果、家族全員が死亡している。

ガザ保健省は11月11日、保健サービスの崩壊を理由にガザでの死者数を発表しなくなったが、ガザの政府メディア事務所によると、11月23日の一時停戦までにイスラエルはガザで14,800人のパレスチナ人を殺害し、そのうちおよそ6,000人が子ども、4,000人が女性で、合わせて全体の67%以上を占めている。ハマス政府の管轄下にある保健省と政府メディアオフィスが発表した数字は、イスラエル側の推計と大きな乖離はない

さらにガザ保健省は、死者のうち何人がハマスやイスラム聖戦の軍事部門に所属していたかを明らかにしていない。イスラエル軍は、1,000人から3,000人の武装パレスチナ武装勢力を殺害したと推定している。イスラエルのメディア・レポートによると、死亡した武装勢力の一部は瓦礫の下、あるいはハマスの地下トンネル・システムの中に埋もれており、そのため公式の数にはカウントされていない。

2023年11月17日、ガザ地区南部の都市ラファにあるシャブーラ難民キャンプで、イスラエル軍による家屋への空爆後、火を消そうとするパレスチナ人。(Abed Rahim Khatib/Flash90)

11月11日までにイスラエルがガザで11,078人のパレスチナ人を殺害したことを示す国連のデータによると、今回のイスラエルの攻撃で少なくとも312家族が10人以上の人々を失った。これと比較すると、2014年の “Protective Edge “作戦では、ガザでは20家族が10人以上の人々を失っている。国連のデータによれば、少なくとも189世帯が6人から9人の人々を失い、549世帯が2人から5人の人々を失っている。11月11日以降に発表された犠牲者数の内訳は、まだ更新されていない。

パワーターゲットや個人住宅への大規模な攻撃は、イスラエル軍が10月13日、ガザ地区北部の110万人の住民(そのほとんどはガザ・シティに居住)に、家を出て地区南部に移動するよう呼びかけたのと同時期に起こった。その日までに、すでに過去最多のパワーターゲットが空爆され、数百人の子どもを含む1,000人以上のパレスチナ人が殺害された

国連によると、10月7日以降、合計で170万人のパレスチナ人(ストリップの人口の大半)がガザ内で避難している。軍は、ガザ北部での避難要求は市民の命を守るためだと主張した。しかしパレスチナ人は、この大量避難を「新たなナクバ」、つまりガザの一部または全部を民族浄化しようとする試みの一部とみなしている。

「彼らは高層ビルの倒壊を自己目的にしている」

イスラエル軍によると、戦闘開始から5日間で、ストリップ地区に6,000発、総重量約4,000トンの爆弾を投下したという。メディアは、軍隊が居住区全体を一掃したと報道した。ガザを拠点とするAl Mezan Center for Human Rightsによると、これらの攻撃は 「居住区の完全破壊、インフラの破壊、住民の大量殺戮 」につながったという。

Al Mezanが記録したように、またガザから発信された数多くの映像によると、イスラエルは、ガザ・イスラム大学、パレスチナ弁護士協会、優秀な学生のための教育プログラムのための国連の建物、パレスチナ電気通信会社の建物、国家経済省、文化省、道路、数十棟の高層ビルや住宅-特にガザの北部地区-を爆撃した。

2023年10月31日、ガザ地区南部のハーン・ユーニス難民キャンプ、10月20日のイスラエル軍の空爆で破壊されたアル・アミン・ムハンマド・モスクの廃墟。(Mohammed Zaanoun/Activestills)

戦闘5日目、イスラエル国防総省報道官は、ガザ市のシュジャイヤやアルフルカン(同地区のモスクにちなんだ愛称)など、ストリップ北部の近隣地域の「ビフォー・アフター」衛星画像をイスラエルの軍事リポーターに配布した。イスラエル軍は、シュジャイヤで182のパワーターゲット、アル・フルカンで312のパワーターゲットを攻撃したと発表した。

イスラエル空軍のオメル・ティシュラー参謀総長は軍事記者たちに対し、これらの攻撃はすべて合法的な軍事目標であり、また近隣全体が「大規模に、外科的な方法ではなく」攻撃されたと述べた。10月11 日までの軍事目標の半分がパワーターゲットであったことに触れ、IDF報道官は、「ハマスのテロの巣となっている地域」が攻撃され、”作戦本部”、”作戦アセット”、”住宅内のテロ組織が使用するアセット “に損害が生じたと述べた。10月12日、イスラエル軍は3人の「ハマス幹部」を殺害したと発表した(うち2人は同グループの政治部門に属していた)。

しかし、イスラエル軍の無制限な砲撃にもかかわらず、戦争開始から数日間、ガザ北部のハマスの軍事インフラへの被害はごくわずかだったようだ。実際、情報筋が+972とLocal Callに語ったところによると、パワーターゲットの一部である軍事目標は、以前から民間人を危害するための見せかけとして何度も使用されてきたという。「ガザのいたるところにハマスがいる。ハマスの何かがない建物はないから、高層ビルを標的にする方法を見つけようと思えば、できるだろう」とある元情報関係者は言う。

「軍事ターゲットと定義できるものがない高層ビルを攻撃することはない」と、パワーターゲットに対する攻撃を過去に行った別の情報筋は言う。「高層ビルには必ず(ハマスに関係する)フロアがある。しかし、ほとんどの場合、それがパワーターゲットになると、6機の飛行機と数トンの爆弾の助けを借りて、都市の真ん中にある空っぽのビル全体を崩壊させるような攻撃を正当化する軍事的価値がターゲットにないことは明らかだ”

実際、先の戦争でパワーターゲットの作成に携わった情報筋によれば、ターゲットファイルには通常、ハマスや他の武装集団との何らかの関連性が疑われるが、ターゲットを攻撃することは、主に “市民社会への被害を可能にする手段 “として機能する。情報源は、あるものは明確に、またあるものは暗黙のうちに、民間人への被害がこれらの攻撃の真の目的であることを了解していた。

2023年11月20日、ガザ地区南部のラファで、イスラエル軍の空爆で破壊された家屋の瓦礫の中から、パレスチナ人の生存者が運び出されている。(Abed Rahim Khatib/Flash90)

たとえば2021年5月、イスラエルはAl Jazeera、AP、AFPなどの著名な国際メディアが入居するAl-Jalaa Towerを空爆し、大きな批判を浴びた。軍は、このビルはハマスの軍事ターゲットだと主張したが、情報筋は+972とLocal Callに、実際はパワーターゲットだったと語っている。

「高層ビルが破壊されることは、ガザ地区で市民の反感を買い、住民を恐怖に陥れるので、ハマスにとっては大きな痛手だという認識がある」と、情報筋の一人は語った。「彼らはガザ市民に、ハマスが状況をコントロールできていないという感覚を与えたかったのだ。時にはビルを倒壊させたり、郵便サービスや政府の建物を倒壊させたりもした」。

イスラエル軍が5日間で1,000以上のパワーターゲットを攻撃するのは前例がないが、戦略的な目的のために民間地域に大規模な破壊を引き起こすという発想は、以前のガザでの軍事作戦で定式化されたもので、2006年の第2次レバノン戦争でいわゆる「Dahiya Doctrineダヒア・ドクトリン」によって洗練された。

このドクトリン(現在はクネセト議員で現内閣の一員であるガディ・アイゼンコット前IDF参謀総長が策定)によれば、ハマスやヒズボラのようなゲリラ・グループとの戦争では、イスラエルは民間人や政府のインフラを標的にしながら不均衡で圧倒的な武力を使用しなければならない。この「パワーターゲット」というコンセプトも、同じ論理から生まれたようだ。

イスラエル軍がガザにおけるパワーターゲットを初めて公に定義したのは、2014年の「Protective Edge」作戦の終了時だった。戦争末期の4日間、イスラエル軍はガザ市内の3棟の集合住宅とラファの高層ビル、計4棟を空爆した。治安当局は当時、この攻撃はガザのパレスチナ人に「もう何も免責されない」ことを伝え、ハマスに停戦に同意するよう圧力をかけるためのものだと説明した。「私たちは収集した証拠から、(建物の)大規模な破壊は意図的に、軍事的な正当性なしに行われたことがわかる」と、2014年末のアムネスティのレポートは述べている。

イスラエルの空爆により、AP通信やAl Jazeeraなど複数のメディアとアパートが入居するAl-Jalaaタワーが攻撃され、煙が上がっている(2021年5月15日、ガザ市)。(Atia Mohammed/Flash90)

2018年11月に始まった別の暴力のエスカレーションで、軍は再びパワーターゲットを攻撃した。このときイスラエルは、高層ビル、ショッピングセンター、ハマス系のアル・アクサTV局の建物を爆撃した。「パワーターゲットを攻撃することは、相手側に非常に大きな効果をもたらす」とある空軍将校は当時述べている。「われわれは誰も殺すことなくそれを実行し、建物とその周辺が避難したことを確認した」。

これまでの作戦でも、これらの標的を攻撃することが、パレスチナの士気を危害するだけでなく、イスラエル国内の士気を高めることを意図していることが示されている。Haaretzが明らかにしたところによると、2021年の「壁の守護者」作戦の際、イスラエル市民に対し、IDFのガザでの作戦とそれがパレスチナ人に与えた被害に対する認識を高めるため、IDF報道官部隊がイスラエルの市民に対して心理作戦を行ったという。私たちはキャンペーンの出所を隠すために偽のソーシャルメディア・アカウントを使用し、軍のガザ攻撃の画像やクリップをTwitter、Facebook、Instagram、TikTokにアップロードし、イスラエル国民に軍の実力を誇示した。

2021年の攻撃で、イスラエルはパワーターゲットと規定された9つの標的を攻撃したが、それらはすべて高層ビルだった。「ハマスに圧力をかけるため、また(イスラエルの)一般大衆に勝利のイメージを与えるために、高層ビルを崩壊させることが目的だった」と、ある治安情報筋は+972とLocal Callに語った。

しかし、「それはうまくいかなかった。ハマスに従ってきた者として、私は、彼らがどれだけ民間人や取り壊された建物のことを気にかけていなかったかを直接聞いた。時には軍が高層ビルでハマスに関係する何かを発見することもあったが、より正確な兵器でその特定の標的を叩くことも可能だった。要するに、彼らは高層ビルを倒す目的で高層ビルを倒したということだ」。

誰もが瓦礫の山の中で子どもを探していた

今回の戦争では、イスラエルがかつてない数のパワーターゲットを攻撃しているだけでなく、軍は民間人への危害を避けることを目的とした以前のポリシーを放棄している。以前は、パワーターゲットからすべての市民を避難させてからでなければ攻撃できないというのが軍の公式手順だったが、ガザのパレスチナ人住民の証言によれば、10月7日以降、イスラエルは、住民がまだ中にいる高層ビルを攻撃したり、住民を避難させるための重要な措置をとらないまま攻撃したりしており、多くの民間人の死亡につながっている。

2023年11月5日、ガザ地区中央部でのイスラエル軍の空爆後、破壊された建物の瓦礫の前にいるパレスチナ人。(Atia Mohammed/Flash90)

2014年の戦争後に行われたAP通信の調査によると、空爆で殺害された家族の約89%が非武装の住民で、そのほとんどが子どもと女性だった。

ティシュラー空軍参謀総長はポリシーの転換を確認し、軍の「roof knocking(屋根を叩く)」ポリシー、つまり空爆が始まることを住民に注意するために建物の屋根に小さな初撃を撃ち込むというものだが、「敵がいる場所では」もはや使用しないと記者団に語った。ティシュラーは、ルーフノックは「一連の(戦闘)に関連する用語であり、戦争には関係ない」と述べた。

パワーターゲットに携わったことのある情報筋は、今回の戦争の大胆な戦略は危険な展開になりかねないと述べ、パワーターゲットへの攻撃はもともとガザに「衝撃を与える」ことを目的としていたが、必ずしも多数の民間人を殺すことを目的としていたわけではなかったと説明した。「このターゲットは、高層ビルから人々が避難することを前提に設計されており、私たちが(ターゲットをまとめる)作業をしていたときには、どれだけの民間人が危害を受けるかについてはまったく懸念しておらず、その数は常にゼロであるという前提だった」と、この戦術に詳しい情報筋の一人は語った。

「この場合、(標的となった建物から)完全に避難することになるが、それには2~3時間かかり、その間に住民に(避難するよう)電話で呼びかけ、警告ミサイルを発射し、ドローンの映像で人々が本当に高層ビルから退去しているかどうかもクロスチェックする」と、この情報筋は付け加えた。

しかし、ガザからの証拠によると、パワーターゲットと思われる高層ビルが、事前の注意なしに倒されたことがある。+972とLocal Callは、今回の戦争で少なくとも2件、住居用の高層ビル全体が爆撃され、警告なしに倒壊したケースと、証拠によれば、中にいた市民の上に高層ビルが倒壊したケースを突き止めた。

2023年10月23日、イスラエル軍の爆撃後、ガザ市中心部のアル・リマル地区で壊滅的な被害が見られる。(Mohammed Zaanoun/Activestills)

10 月10日、その夜廃墟から遺体を救出したビラル・アブ・ハツィラの証言によると、イスラエルはガザのバベル・ビルを爆撃した。このビルへの攻撃で、3人のジャーナリストを含む10人の人々が死亡した。

10月25日には、ガザ市にある12階建てのアル・タージ住宅ビルが空爆され、中に住んでいた家族が警告なしに死亡した。住民の証言によれば、約120人の人々がアパートの廃墟の下敷きになった。アル・タージの住民であるユセフ・アマール・シャラフは、この建物に住んでいた家族のうち37人がこの攻撃で殺されたと以下のようにXに書いている。 「私の愛する父と母、愛する妻、息子たち、そして兄弟とその家族のほとんどが殺された」住民によれば、多くの爆弾が投下され、近隣の建物のアパートも損壊し、破壊されたという。

その6日後の10月31日、8階建てのアル・モハンドシーン住宅ビルが警告なしに爆撃された。初日に廃墟から30人から45人の遺体が発見されたと報道されている。両親のいない赤ん坊が一人、生きて発見された。多くの人々が瓦礫の下に埋もれたままであることから、ジャーナリストたちは150人以上の人々がこの攻撃で死亡したと推定している。

この建物は、ワディ・ガザの南にあるヌセイラット難民キャンプ(イスラエルがガザ北部と中部の自宅から避難したパレスチナ人を誘導した「安全地帯」とされる場所)に建っていたため、証言によれば、避難民の一時的な避難所として機能していた。

アムネスティ・インターナショナルの調査によると、10月9日、イスラエルはジャバリヤ難民キャンプの混雑した通りにある少なくとも3棟の雑居ビルとオープン・フリーマーケットを砲撃し、少なくとも69人の人々を殺害した。「遺体は焼け焦げていた……見たくなかった、イマドの顔を見るのが怖かった」と殺された子どもの父親は言った。「遺体は床に散乱していた。みんな、その山の中から自分の子どもを探していた。私は息子のズボンでしかわからなかった。すぐに埋葬したかったので、息子を担いで外に連れ出した」。

2023年11月16日、ガザ地区北部のアルシャティ難民キャンプ内にイスラエルの戦車が見える。(Yonatan Sindel/Flash90)

アムネスティの調査によると、軍は市場地区への攻撃は「ハマスの工作員がいる」モスクを狙ったものだと述べている。しかし、同調査によると、衛星写真には、その付近にモスクは写っていない。

IDF報道官は、特定の攻撃に関する+972とLocal Callの質問には答えず、より一般的に、「IDFは攻撃前にさまざまな方法で警告を発し、状況が許せば、標的やその近くにいる人々に電話を通じて個別に警告を発した(戦争中、25,000回以上の生の会話、数百万回の録音された会話、テキストメッセージ、住民に警告する目的で空から投下されたビラなどがあった)。一般的に、IDFは、ガザ市民を人間の盾として使用するテロ組織と闘うという困難にもかかわらず、攻撃の一環として市民への危害をできるだけ減らすように努めている」と述べた。

マシンは1日で100の標的を生み出した

IDF報道官によると、11月10日までに、戦闘開始から35日間で、イスラエルはガザで合計15,000の標的を攻撃した。複数の情報源によれば、これは過去4回のガザ地区での大規模作戦と比べても非常に高い数字だ。2021年の「Guardian of the Walls」では、イスラエルは11日間で1,500の標的を攻撃した。51日間続いた2014年の「Protective Edge」では、イスラエルは5,266から6,231の標的を攻撃した。2012年の「Pillar of Defense」では、8日間で約1,500の目標が攻撃された。2008年の「Cast Lead」では、イスラエルは22日間で3,400の標的を攻撃した。

また、以前の作戦に従軍した情報筋は、+972とLocal Callに、2021年の10日間と2014年の3週間、1日あたり100から200の標的を攻撃した結果、イスラエル空軍は軍事的価値のある標的が残っていない状況になったと語っている。では、なぜイスラエル軍は2カ月近く経っても、現在の戦争で標的を使い果たしていないのだろうか?

その答えは、11月2日のIDF報道官の声明にあるのかもしれない。それによると、IDFはAIシステムHabsora(「福音」)を使用しているという。「自動ツールを使用することで、速いペースで目標を作り出すことができ、(作戦上の)必要性に応じて正確で質の高い情報資料へと改善する機能を持っている」と同報道官は述べている」

2023年11月2日、イスラエル南部、ガザ・フェンス近くに駐留するイスラエル軍の大砲。(チャイム・ゴールドバーグ/Flash90)

声明文の中で、情報当局の高官は、Habsoraのおかげで「敵に大きな損害を与え、非戦闘員への損害を最小限に抑えながら」精密攻撃の標的を作ることができると述べている。ハマスの工作員は、どこに隠れていようとも逃れられない。

情報筋によれば、Habsoraはとりわけ、ハマスやイスラム聖戦の工作員だと疑われる人々が住む個人宅を攻撃するように自動的に勧告を出す。そしてイスラエルは、これらの住宅への激しい砲撃を通じて、大規模な暗殺作戦を実行する。

情報筋の一人は、Habsoraは「何万人もの情報将校が処理できない」ような膨大な量のデータを処理し、リアルタイムで爆撃場所を勧告すると説明した。ほとんどのハマス幹部は軍事作戦の開始とともに地下トンネルに向かうため、情報筋によれば、Habsoraのようなシステムを使用することで、比較的下級の要員の自宅を突き止めて攻撃することが可能になるという。

ある元情報将校は、Habsoraシステムによって軍は「大量暗殺工場」を運営できるようになり、そこでは「質ではなく量に重点が置かれる」と説明した。人間の目は「攻撃のたびに標的を確認するが、これは、そのために多くの時間を費やす必要はない」。イスラエルは、ガザには約3万人のハマスメンバーがいると推定しており、その全員に死のマークがついているのだから、潜在的な標的の数は膨大だ。

2019年、イスラエル軍はAIを使用して標的生成を加速させることを目的とした新しいセンターを創設した。「標的管理部門は数百人の管理者と兵士を含む部隊で、AIの能力に基づいている」と、元IDF参謀長のアビブ・コチャビは今年初め、Ynetの詳細なインタビューで語った。

2023年11月17日、ガザ地区南部ラファ市のシャブーラ難民キャンプで、イスラエル軍による家屋への空爆後、負傷者を探すパレスチナ人。(Abed Rahim Khatib/Flash90)

「このマシンは、AIの助けを借りて、人間よりも優れたスピードで多くのデータを処理し、攻撃目標に変換する」とコチャヴィは続けた。その結果、(2021年の)『Guardian of the Walls(壁の守護者)』作戦では、このマシンが起動した瞬間から、毎日100の新しい標的が生成された。過去には、ガザで年間50の標的が生まれたこともあった。しかし、この機械は1日で100個の標的を生み出したのだ」。

「私たちは自動的に標的を準備し、チェックリストに従って作業する」と、新しい標的管理部門で働く情報筋の一人は+972とLocal Callに語った。「本当に工場のようだ。私たちは素早く作業し、ターゲットを深く掘り下げる時間はない。私たちは、どれだけ多くのターゲットを生み出すことができたかによって評価される」 という。

標的バンクを担当する軍高官は今年初め、Jerusalem Post紙に、軍のAIシステムのおかげで、軍は初めて攻撃よりも速い速度で新しい標的を生成できるようになったと語った。別の情報筋によれば、大量の標的を自動的に生成しようとする動きは、ダヒヤ・ドクトリンを実現するものだという。

Habsoraのような自動化された意思決定システムは、潜在的な死傷者の計算を含め、軍事作戦中に決断を下すイスラエルの情報将校の業務を大いに促進している。5つの異なる情報筋によれば、個人宅への攻撃で死亡する可能性のある民間人の数は、イスラエル諜報機関には事前に知られており、標的ファイルには “巻き添え被害 “のカテゴリーで明確に記載されているという。

これらの情報筋によると、巻き添え被害には程度があり、軍隊はそれに従って、民家内の標的を攻撃することが可能かどうかを判断するという。一般指令が “巻き添え被害5 “となった場合、それは5人以下の民間人を殺すことになるすべての標的を攻撃することが許可されることを意味する–我々は5人以下のすべての標的ファイルに対して行動することができる」と情報筋の一人は語った。

2014年8月26日、ガザ・シティで、イスラエル軍の空爆によって破壊されたという目撃者の証言がある、事務所が入る塔の建物の跡の周りに集まるパレスチナ人たち。(Emad Nassar/Flash90)

「以前は、ハマスの下級メンバーの家を定期的に爆撃の標的にすることはなかった」と、過去の作戦で標的の攻撃に参加した治安当局者は語った。私の時代には、もし活動している家に “巻き添え被害5 “のマークがついていたとしても、必ずしも(攻撃が)承認されるとは限らなかった」。そのような承認は、ハマスの上級司令官がその家に住んでいることが分かっている場合にしか得られなかったと彼は言う。

「私の理解では、今日、彼らは(階級に関係なくハマスの軍事要員の)すべての家に印をつけることができる」と情報筋は続けた。「たくさんの家だ。何の役にも立たないハマスのメンバーは、ガザ中の家に住んでいる。だから家をマークして爆撃し、そこにいる全員を殺すのだ」

家族の家を爆撃するための組織的ポリシー

10月22日、イスラエル空軍はデイル・アル・バラのパレスチナ人ジャーナリスト、アーメド・アルナウクの家を爆撃した。アーメドは私の親友であり同僚である。4年前、私たちはヘブライ語のFacebookページ「アクロス・ザ・ウォール」を立ち上げ、ガザからイスラエルの人々にパレスチナの声を届けることを目的としていた。

10月22日の空爆は、アーメドの家族全員の上にコンクリートブロックを崩落させ、父親、兄弟、姉妹、そして赤ん坊を含む子どもたち全員を殺害した。彼の12歳の姪、マラクだけが生き残り、火傷に覆われた重体のままだった。数日後、マラクは死亡した。

アーメドの家族は合計21人が殺され、家の下に埋められた。いずれも武装勢力ではなかった。最年少は2歳、最年長の父親は75歳だった。現在イギリスに住んでいるアーメドは、家族の中でたった一人になった。

イスラエルの空爆で一夜にして死傷したパレスチナ人の遺体で溢れかえるハーン・ユーニスのアル・ナセル病院(ガザ地区、2023年10月25日)。(Mohammed Zaanoun/Activestills)

アーメドの家族のWhatsAppグループのタイトルは “Better Together “だ。そこに表示される最後のメッセージは、家族を失った夜の真夜中過ぎに彼が送ったものだ。”すべて順調だと誰かが知らせてくれた “と彼は書いた。返事はなかった。彼は眠りについたが、午前4時にパニックで目が覚めた。沈黙だ。そして、友人から恐ろしい知らせのメッセージを受け取った。

アーメドのケースは、最近のガザではよくあることだ。報道陣のインタビューに答えるガザの病院長たちは、同じような説明を繰り返している。家族が次々と死体となって病院に入ってくる。遺体はすべて土と血にまみれている。

元イスラエル情報将校によると、民家が爆撃されるケースの多くは、「ハマスやジハードの工作員の暗殺」が目的で、工作員が家に入るときにそのような標的が攻撃されるという。諜報機関の調査員は、もしその要員の家族や隣人も攻撃で死亡する可能性があれば、その人数を計算する方法を知っている。各情報筋によれば、これらは個人宅であり、ほとんどの場合、軍事活動は行われていないという。

+972とLocal Callは、今回の戦争で個人宅への空爆によって実際に死傷した軍事作戦要員の数に関するデータを持っていないが、多くの場合、ハマスやイスラム聖戦に属する軍事・政治作戦要員は一人もいなかったという十分な証拠がある。

10月10日、イスラエル空軍はガザのシェイク・ラドワン地区のアパートを空爆し、40人の人々(そのほとんどが女性と子ども)を殺害した。攻撃後に撮影された衝撃的なビデオのひとつでは、人々が悲鳴を上げ、廃墟から引きずり出された人形らしきものを手に取り、手から手へと受け渡す様子が映っている。カメラがズームアップすると、それが人形ではなく、赤ん坊の遺体であることがわかる。


2023年10月9日、ガザ西部のシェイク・ラドワン地区へのイスラエル軍の空爆で6人全員が死亡したシャーバン一家の遺体を撤去するパレスチナのレスキューサービス。(モハメド・ザアヌーン)

2023年10月9日、ガザ西部のシェイク・ラドワン地区へのイスラエル軍の空爆で死亡したシャーバン一家6人の遺体を撤去するパレスチナ人レスキューサービス。(モハメド・ザアヌーン)

住民の一人は、この空爆で家族19人が死亡したと語った。別の生存者は、瓦礫の中から息子の肩だけを見つけたとFacebookに書いている。アムネスティはこの攻撃を調査し、ハマスのメンバーがこの建物の上層階に住んでいたが、攻撃時には不在だったことを突き止めた。

ハマスやイスラム聖戦の作戦隊員が住んでいると思われる家族の家を爆撃することは、2014年の「防護のエッジ」作戦の際に、IDFの方針がより強化された可能性が高い。当時、51日間の戦闘で死亡した民間人の約4分の1に当たる606人のパレスチナ人が、爆撃を受けた家族の一員だった。国連のレポートは2015年、これを潜在的な戦争犯罪であると同時に、”家族全員の死をもたらす」行動の 「新しいパターン」と定義した。

2014年には、イスラエルによる家族の家への爆撃によって93人の赤ん坊が殺され、そのうち13人が1歳未満だった。1 ヶ月前、1歳以下の286人の赤ん坊がすでにガザで殺害されたことが確認された(ガザ保健省が10月26日に発表した犠牲者の年齢を記した詳細なIDリストによる)。その後、その数は2倍にも3倍にも増えたと思われる。

しかし、多くの場合、特に今回のガザ攻撃では、イスラエル軍は、軍事標的として知られていない、あるいは明確でない場合でも、個人宅を攻撃している。たとえば、ジャーナリスト保護委員会によると、11月29日までにイスラエルはガザで50人のパレスチナ人ジャーナリストを殺害しており、そのうちの何人かは家族と一緒に自宅で殺害されている。

ガザ出身でイギリス生まれのジャーナリスト、ロシュディ・サラジ(31)は、ガザで ” Ain Media ” というメディアを設立した。10月22日、イスラエル軍の爆弾が彼が寝ていた両親の家を襲い、彼を殺害した。幼い子ども3人のうち、ハディ(7歳)は亡くなり、シャム(3歳)はまだ瓦礫の下から見つかっていない。他の2人のジャーナリスト、ドゥア・シャラフサルマ・マカイマーは、自宅で子どもたちとともに殺された。

ガザ地区上空を飛行するイスラエル軍機(2023年11月13日)。(ヨナタン・シンデル/Flash90)

イスラエルのアナリストたちは、この種の不均衡な空爆の軍事的効果には限界があることを認めている。ガザ空爆開始から2週間後(地上侵攻の前)、ガザ地区で子ども1903人、女性約1000人、老人187人の遺体が確認された後、イスラエルのコメンテーター、アヴィ・イッサカロフはこうツイートした。「聞くのもつらいが、戦闘開始から14日目、ハマスの軍事部門が大きな危害を受けたようには見えない。軍指導部への最も大きな被害は、(ハマスの司令官)アイマン・ノファルが暗殺されたことだ」。

人間の動物と闘うために

ハマスの作戦隊員は、ガザ地区の地下に張り巡らされた複雑なトンネル網を使って定期的に活動している。これらのトンネルは、私たちが話を聞いたイスラエルの元情報将校によって確認されたように、民家や道路の下も通過している。そのため、イスラエルが空爆でトンネルを破壊しようとすると、多くの場合、民間人の殺害につながりかねない。これが、今回の攻撃で一掃されたパレスチナ人家族の数が多いもう一つの理由かもしれない。

この記事のためにインタビューした情報将校たちは、ハマスがガザのトンネル網を設計する方法は、地上の民間人やインフラを故意に利用するものだと語っている。こうした主張は、イスラエルがアル・シファ病院とその地下に発見されたトンネルに対する攻撃や襲撃に対して行ったメディアキャンペーンの根拠でもあった。

イスラエルはまた、武装したハマスの作戦隊員、ロケット発射地点、狙撃手、対戦車部隊、軍司令部、基地、観測所など、多数の軍事目標も攻撃してきた。地上侵攻の当初から、空爆と重砲射撃は地上のイスラエル軍を援護するために使用されてきた。国際法の専門家によれば、空爆が比例原則に従う限り、これらの標的は合法的なものだという。

この記事を執筆するにあたり、+972とLocal Callからの問い合わせに対し、IDFスポークスマンは次のように述べている: 「IDFは国際法を遵守し、それに従って行動し、そうすることで軍事目標を攻撃し、民間人を攻撃することはない。テロ組織ハマスがその作戦隊員と軍事資産を民間人の中心に置いている。ハマスが組織的に民間人を人間の盾として使用し、病院、モスク、学校、国連施設などの機密施設を含む民間建物から戦闘を行っている。”

+972 とLocal Callに語った情報筋は、多くの場合ハマスが “意図的にガザの民間人を危険にさらし、民間人の避難を強制的に妨げようとしている “と同様に主張している。2人の情報筋によれば、ハマスの指導者たちは、”イスラエルが市民に危害を加えることが、闘うために正当性を与えることを理解している “という。

2023年11月16日、ガザ地区北部のアルシャティ難民キャンプ内で、イスラエル軍の爆撃による破壊が見られる。(ヨナタン・シンデル/Flash90)

同時に、今では想像もつかないことだが、ハマスの作戦隊員を殺すことを目的とした1トン爆弾の投下が、「巻き添え被害」として家族全員を殺してしまうという考えは、イスラエル社会の大部分には必ずしもすんなり受け入れられるものではなかった。たとえば2002年、イスラエル空軍は、ハマスの軍事組織であるアル・カッサム旅団のトップだったサラ・ムスタファ・ムハンマド・シェハデの自宅を爆撃した。爆弾はシェハデと妻のエマン、14歳の娘ライラ、そして11人の子どもを含む14人の民間人を殺害した。この殺害はイスラエルと世界の双方で世論を騒がせ、イスラエルは戦争犯罪を犯したと非難され

この批判を受け、イスラエル軍は2003年、ガザの住宅ビルで行われていたハマスの幹部会議(アル・カッサム旅団のリーダー、モハメド・ダイフを含む)に、威力が十分でないとの懸念にもかかわらず、より小型の4分の1トン爆弾を投下する決定を下した。イスラエルのベテラン・ジャーナリスト、シュロミ・エルダーはその著書『ハマスを知る』の中で、比較的小型の爆弾を使用することにしたのは、シェハデの前例があり、1トンの爆弾では建物内の市民も殺されてしまうという恐れがあったからだと書いている。攻撃は失敗し、軍の幹部は現場から逃走した。

2008年12月、イスラエルがガザで政権を掌握した後、ハマスに対して行った最初の大規模戦争で、当時IDF南方軍司令部を率いていたヨアヴ・ギャランは、初めてイスラエルはハマス幹部の「家族の家を攻撃した」とし、その目的は家族を危害を加えることではなく、ハマス幹部を殺害することだったと述べた。ギャラントは、家族が「屋根へのノック」や電話によって警告を受けた後、ハマスの軍事活動が家の中で行われていることが明らかになった後、家が攻撃されたと強調した。

イスラエルが家族の家を組織的に空から攻撃し始めた2014年の「Protective Edge」の後、B’Tselemのような人権団体は、これらの攻撃を生き延びたパレスチナ人の証言を収集した。生存者たちは、家屋が倒壊し、ガラスの破片が中にいた人々の体を切り裂き、瓦礫は「血の匂い」を放ち、人々は生き埋めにされたと語った。

この致命的なポリシーは今日も続いている。破壊的な兵器やHabsoraのような高度なテクノロジーを使用していることもあるが、イスラエルの軍事機構に対する手綱を緩めた政治体制や安全保障体制のおかげでもある。軍は民間人への危害を最小限に抑えるよう苦心していると主張していた15年後、現在国防相を務めるギャランは明らかに態度を変えた。「我々は人間の動物と闘っており、我々はそれ相応に行動している」と彼は10月7日の後に語った。

https://www.972mag.com/mass-assassination-factory-israel-calculated-bombing-gaza/ ​

(Common Dream)イスラエルのAIによる爆撃ターゲットが、ガザに大量虐殺の ” 工場 ” を生み出した

(長すぎる訳者前書き)以下に訳したのはCommon Dreamに掲載されたAIを用いたイスラエルによるガザ攻撃の実態についての記事だ。この記事の情報源になっているのは、イスラエルの二つの独立系メディア、+972 MagazineとLocal Callによる共同調査だ。

私たちはガザへのイスラエルの空爆を報じるマスメディアの映像を毎日見せらてきた。私は、いわゆる絨毯爆撃といってもよいような破壊の光景をみながら、こうした爆撃が手当たり次第に虱潰しにガザの街を破壊しているように感じていた。その一方でイスラエル政府や国防軍は記者会見などで、こうした攻撃をテロリスト=ハマースの掃討として正当化し、しかもこの攻撃は民間人の犠牲者を最小限に抑える努力もしていることを強調する光景もたびたび目にしてきた。私は、彼等がいうハマースには、政治部門の関係者やハマースを支持する一般の人々をも含むからこうした言い訳が成り立っているのだろう、とも推測したりした。しかし、そうであっても、現実にガザで起きているジェノサイド、第二のナクバを正当化するにはあまりにも見えすいた嘘のようにしか感じられなかった。だが、事態はもっと厄介な様相を呈しているようだということがこの共同調査を読んで少しづつわかってきた。

今回飜訳した記事と、その元になったより詳細なレポートを読むと、上記のような一見すると矛盾するかのように見える二つの事象、一般の人々の犠牲を伴う網羅的な破壊とハマースを標的にした掃討の間の矛盾を解く鍵が示されていると感じた。その鍵とはAIによる標的の「生産」である。共同調査では、今回の作戦にイスラエルは「Habsora」(「福音」)と呼ばれるシステムを広く用いていること、そしてこのシステムは、「大部分が人工知能に基づいて構築されており、以前の可能性をはるかに超える速度で、ほぼ自動的に標的を『生成』することができる」ものだと指摘している。このAIシステムは、基本的に “大量殺戮工場” を容易にするものなのだ、という元情報将校の説明も紹介されている。

以下に訳出した記事や共同調査を踏まえて、今起きている残酷極まりない事態について、私なりに以下のように解釈してみた。

イスラエル国防軍や情報機関のデータベースには、殺害の標的として、ハマースの関係者戦闘員や幹部だけでなく下級の構成員なども含まれていると思われる。現代のコンピュータが処理する個人データの重要な役割は、プロファイリング機能だ。名前、住所、生年月日、性別などがデータ化されているのは紙の時代と同じだろうが、それに加えて、生い立ちや家族関係、友人関係、仕事の関係からイデオロギーの傾向、画像データや通信履歴など様々な事項がデータ化される。このデータ化がどのくらい詳細に行なえるのかは、ひとえにコンピュータの情報処理能力とそれ以外の諜報能力に依存する。かつて諜報員が一人で一日に紙ベースで標的の情報を処理する能力を、コンピュータの情報処理能力が大幅に上回ることは直感的にもわかる。そうでなければコンピュータは導入されない。この詳細なデータベースがあるとして、イスラエルはこれを標的の人間関係や行動予測などに用いることによって、標的がいる可能性のある様々な場所や人間関係を可視化し爆撃の標的にすることが可能になる。その結果、標的への攻撃の選択肢が拡がることになる。+972 MagazineとLocal Callによる共同調査では次のように述べられている。

情報筋によれば、HabsoraのようなAIベースのシステムをますます使用することで、軍はハマスの下級作戦隊員であっても、ハマースのメンバーが一人でも住んでいる住宅を大規模に攻撃できるようになるという。しかし、ガザのパレスチナ人の証言によれば、10月7日以降、軍は、ハマースや他の武装集団のメンバーであることが知られていない、あるいは明らかにされていない多くの個人宅も攻撃している。+972とLocal Callが情報筋に確認したところによると、このような攻撃は、その過程で家族全員を故意に殺害することもあるという。

このコンピュータによる情報処理能力の高度化が個人のプロファイリングに適用された場合の最も悲劇的なケースが今起きている戦争への適用に見い出すことができる。プロファイルが詳細になればなるほど、人々の瑣末な出来事や振舞いも記録され意味をもたされる結果として、それまでは問題にされなかった出来事や人間関係がみな「意味」を与えられ、監視や規制や抑圧の口実に、そして戦争であれば殺害の口実に用いられるような枠組のなかに入れられることになる。ハマースの戦闘員も負傷すれば病院で手当を受ける。この医療行為で戦闘員や家族と医師とは関係をもつことになるだろうが、この関係が把握されどのような意味づけを与えられるのかは、データを処理して解釈するイスラエルのAIのプログラム次第ということになる。たぶん、アル・シーハ病院に避難してきた数千の人々や医療従事者のプロファイリングが詳細になればなるほど、どこかで何らかの形でハマースとの関係が見出される人々がそこにいても不思議ではないし、それをもって病院が軍事施設と同等に扱われるべきでもない。勿論私はハマースであれば殺害してもよいという主張には全面的に反対だ。後述するように、イスラエル軍は巧妙に標的をカテゴリー化して軍事施設でなくても攻撃を正当化できるような枠組を構築した。膨大なデータとAIに基づく戦争では、AIが生成したデータが攻撃の正当化の証拠として利用されることになると同時に、精緻化されたデータが戦争の手段になればなるほど、より多くの人々が敵の標的になる確率も高まることになる。

他方で、以下の記事やレポートで触れられている重要なこととして、攻撃に伴う巻き添え死の可能性についての閾値を緩めている、ということだ。巻き添えを一切認めないのか、家族であれば許容するのか、あるいは、より一般的に巻き添えとなる人数を10人までなら許容するのか、50人までならよしとするのか、子どもの巻き添えを許容するのかしないのか。たとえば巻き添えが10人以下のばあいに攻撃可能な標的の数と50人以下の場合の標的の数を比べれば、当然後者の方が標的数は多くなるだろう。そして標的の数は、イスラエル軍が一日に消費できる砲弾や飛行できる航空機の数などによって上限が決まるが、供給可能な砲弾の数が多ければ、標的の数をこの上限に合わせて多く設定することになる。この作業がAIで自動化されて標的をより多く「生産」する。このAIが駆動する大量殺戮生産システムでは、質より量が重視され、いかに多くの標的を「生産」するかで評価されている。

上のような計算は、もともと標的が存在していることを前提としたジェノザイドの方程式なので、無差別だとかの批判を理屈の上で回避できる。同時に、巻き添えを最小化する努力という言い訳についても、無差別ではなく標的への攻撃に絞っているという説明で言い逃れできるということだろう。

こうしたあらゆるケースを人間が判断するばあいにはかなり慎重になり、様々な検討を加えることになりそうだが、これを攻撃の前提条件としてコンピュータのプログラムに組み込んで標的への攻撃の是非を判断するという場合、こうした一連のプログラムはコンピュータのディスプレイ上に表示される選択肢を機械的に選ぶような作業(オンラインショッピングで注文するときに、個数とか配達先とか支払い方法を選択するのとさほど変りのない作業)を通じて自動的に標的が決定されると考えてようだろう。標的が「生産」されるとか殺戮工場という言い回しが記事に登場するのはこうした背景があるからだ。そして、ここには一定程度AIによる評価がある種の判断の客観性を担保しているかの外観をつくろうことができるために、当事者たちも、子どもが殺害されたとしても、そのことに倫理的な痛みを感じないで済むような心理効果も生まれているかもしれない。この心理的効果を軽視すべきではない。

もうひとつ記事で指摘されていることとして、標的のカテゴリー化がある。+972 とLocal Callのレポートではガザへの攻撃には四つのカテゴリーがあるという。ひとつは「戦術目標」で一般に軍事目標とされているもの。もうひとつは「地下目標」で、主にハマスがガザ地区の地下に掘ったトンネルだがその上や近くの家屋も被害を受けることになる。3つ目は「パワーターゲット」と呼ばれ、都市中心部の高層ビルや住宅タワー、大学や銀行、官庁などの公共施設。最後のカテゴリーが「家族の家 」あるいは 「作戦隊員の家 」である。武装勢力のメンバーを殺害するために、個人の住宅を破壊するものだ。今回の戦争の特徴として、+972 MagazineとLocal Callによる共同調査では次のように述べられている。

今回の戦争の初期段階では、イスラエル軍は第3、第4のカテゴリーに特に注意を払ったようだ。IDF報道官の10月11日の声明によると、闘うために最初の5日間、爆撃されたターゲットの半分、合計2,687のうち1,329がパワーターゲットとみなされた。

言うまでもなくAIがこのように戦争で用いられる前提にあるのは、イスラエルの「領土」(その輪郭は明確ではない)からパレスチナの人々を排除一掃しようというシオニズムのイデオロギーを背景とした現在の国家の基本法体制、つまりユダヤ人のみが自決権を持つという国家理念と、極右を含む現在の政権の基本的な性格にあると思う。このイデオロギーを軍事的な実践において現実化する上で、AIによる標的の大量生産は必須のテクノロジーになっている。膨大な巻き添えがこれによって正当化されるわけだが、これが次第に戦闘の長期化に伴って、大量殺戮それ自身の自己目的化へと変質しかねないギリギリのところにあると思う。

戦争の様相は確実に新たな次元に入った。AIのプログラムは、殺傷力のある兵器として登録されるべきだ。現在のガザでの殺戮の規模を実現可能にしているのは、戦闘機や戦車や爆弾そのものではなく、これらをいつどこにどれだけ使用するのかを決定する自動システムとしてのAIにある。そしてAIをどのようにプログラムして戦争の手段にするのかという問題は、どこの国にあっても、その国のナショナリズムのイデオロギーや敵意の構図によって規定される。日本ももちろん例外ではない。むしろ日本政府はAIを国策として利用することにのみ関心があり、安保防衛三文書でもしきりにAIを軍事安全保障に利用することばかりが強調されている。AIの非軍事化の主張だけでは、軍事と非軍事の境界があいまい化されたハイブリッド戦争の現代では全く不十分だ。Aiのプログラムを含めて、その権力による利用をより根本的に制約するこれまでにはない戦争を阻止する構想が必要である。(小倉利丸)


イスラエルのAIによる爆撃ターゲットが、ガザに大量虐殺の ” 工場 ” を生み出した

ある評者は「これは史上初のAIによる大量虐殺だ」と語っている。

ブレット・ウィルキンス

2023年12月01日

イスラエルが金曜日、1週間の中断を経てガザへの空爆を再開する中、イスラエルの進歩的なメディア2社による共同調査は、イスラエル国防軍が人工知能を使ってターゲットを選定して、ある元イスラエル情報将校が “大量殺戮ファクトリー” と呼んだ事態を実質的に作り出しているということに新たな光を当てている。

イスラエルのサイト『+972 Magazine』と『Local Call』は、匿名を条件に、現在のガザ戦争の参加者を含む7人の現・元イスラエル情報当局者にインタビューした。彼らの証言は、イスラエル政府高官による公式声明、パレスチナ人へのインタビュー、包囲されたガザからの文書、そしてデータとともに、イスラエルの指導者たちが、どの攻撃でどれだけのパレスチナ市民が殺される可能性があるかをおおよそ知っていること、そしてAIベースのシステムの使用が、国際人道法の下で民間人保護が成文化された現代よりも、第二次世界大戦の無差別爆撃に似た非戦闘員の死傷率の加速度的な増加をもたらしていることを示している。

「何ひとつ偶然に起こっていることはない」ともう一人の情報筋は強調する。「ガザの民家で3歳の女の子が殺されるのは、軍の誰かが、彼女が殺されるのは大したことではないと判断したからであり、それは(別の)標的を攻撃するために支払うだけの価値のある代償なのだ」

「我々はやみくもにロケット弾を発射しているハマスろはわけが違う」「すべては意図されてのことだ。我々は、どの家庭にどれだけの巻き添え被害があるかを正確に知っている」と情報筋は付け加えた。

あるケースでは、ハマスの軍事司令官一人を暗殺するために、最大で数百人の市民を殺すことになるとわかっている攻撃をイスラエル当局は承認したと、情報筋は語っている。10月31日、人口密度の高いジャバリア難民キャンプに少なくとも2発の2000ポンド爆弾が投下され、120人以上の市民が死亡した。

ある情報筋は、「これまでの作戦で、ハマース高官への攻撃の巻き添え被害として民間人の死者数十人であれば許されていたのから、巻き添え被害数百人まで許されるようになった」と語った。

12月1日現在で15,000人以上、そのほとんどが女性と子どもである。この驚異的なパレスチナ市民の死者数の理由のひとつは、イスラエルがHabsora(「福音」)と呼ばれるプラットフォームを使用していることである。このプラットフォームは、その大半がAIで構築されており、このレポートによれば、「これまでの能力をはるかに超える処理速度で、ほぼ自動的にターゲットを生成することができる」のだという。

このレポートの中でインタビューに答えた情報筋は、「過去にはガザで年間50の標的を作り出すことがあった」が、AIを駆使したこのシステムでは、1日で100の標的を作り出すことも可能だという。

「本当に工場のようだ」と情報筋は言う。「我々は素早く作業することで、標的について詳細に調査する時間はない。私たちは、どれだけ多くの標的を生み出せたかによって評価されるということだ」と語った。

このレポートによると:

    ハブソラのようなAIベースのシステムを使うことで、軍隊は、ハマスの下級作戦隊員であっても、ハマスのメンバーが一人でも住んでいれば住宅を大規模に攻撃することができる。しかし、ガザのパレスチナ人の証言によれば、10月7日以降、軍は、ハマスや他の武装グループのメンバーが住んでいることが知られていないか、あるいは明らかにメンバーがいない個人宅も多数攻撃している。+972やLocal Callが情報筋に確認したところによると、このような攻撃は、その過程で家族全員を故意に殺害することもあるという。

ある情報筋によると、10月7日以降、ある情報機関の幹部が部下に、「できるだけ多くのハマスの作戦隊員を殺す」ことが目標であり、そのために「標的がどこにいるかを広範囲にピンポイントで特定し、一般市民を殺しながら砲撃するケース」がある、と語ったという。

「これは、より正確なピンポイント爆撃をするためにもう少し手間をかける代わりに、時間を節約するためにしばしば行われること」と情報筋は付け加えた。

別の情報筋は、「量に重点が置かれ、質には重点が置かれていない」と語った。人間は「各攻撃の前に目標を確認するが、これは、多くの時間を費やさなにですむのだ」。

イスラエルのこの新しい政策の結果、現代史ではほとんど例がないほどの割合で、民間人が殺され、傷つけられている。ハマス主導の攻撃でイスラエル南部で1,200人のイスラエル人らが死亡した10月7日以来、5万人近いパレスチナ人がイスラエル国防軍の攻撃で死亡、負傷、行方不明になっている。300を超える家族が少なくとも10人のメンバーを失っており、これは2014年の「Operation Protective Edge」時の15倍であると報告書は指摘しているが、当時、イスラエル国防軍はガザへの最も致命的な攻撃で2,300人以上のパレスチナ市民を殺害している。

10 月7日の恐ろしい攻撃―イスラエルの指導者たちはその計画を知っていたがあまりにも大胆だとして却下された、とニューヨーク・タイムズが新たに報じている―の結果の後、イスラエル政府高官たちは、どのように報復するかを公言し、時には大量虐殺を意図する言葉がはびこった。

イスラエル国防総省のダニエル・ハガリ報道官は10月9日、「正確さではなく、損害に重点を置いている」と説明した。

イスラエル軍は、ホロコースト以来最悪のユダヤ人の大量殺戮に対して、1947-48年のナクバ(大惨事)以来最悪のパレスチナ人の大量殺戮で答えたのだ。このナクバで、ユダヤ人(その多くはホロコーストの生存者)は、現代のイスラエル国家を樹立する一方で、15,000人のアラブ人を殺害し、75万人以上をパレスチナから民族浄化した。

イスラエル国防軍の爆弾と銃弾は、56日間でアメリカ主導の連合軍がアフガニスタンで20年間に行ったのとほぼ同じ数の市民を殺害した。最初の2週間のイスラエルの猛攻撃で、イスラエル軍によって投下された爆弾のほぼすべてが、アメリカ製の1000ポンド爆弾か2000ポンド爆弾だった。今世紀、世界のどの軍隊よりも多くの外国民間人を殺害してきたイスラエル軍だが、民間人居住地域でこのような巨大な兵器を使用することは避けている。

イスラエル軍当局者によれば、イスラエル国防軍は開戦から5日間だけで、総重量4,000トンの爆弾6,000発をガザに投下し、近隣地域全体を破壊したと述べた。

戦術目標や地下目標(多くの場合、民家やその他の民間建造物の地下にある)を爆撃するのに加え、イスラエル国防軍は、人口密度の高い都市の中心部にある高層ビルや住宅タワー、大学、銀行、官庁などの民間建造物を含む、いわゆる「パワー・ターゲット」を破壊している。報告書の中で情報筋が語ったところによれば、その意図は、ガザを統治する政治組織ハマスに対する「市民の圧力」を煽ることにある。

イスラエル国防軍は、ハマスやイスラム聖戦の関係者の家も標的にしているが、報告書の中でインタビューに答えたパレスチナ人によれば、イスラエル軍の爆撃で死亡した家族の中には、武装組織に所属しているメンバーはいなかったという。

「私たちは、ハマスのものと思われる高層ビルのフロア半分を探すように言われています」とある情報筋は言う。「時には、武装集団のスポークスマンのオフィスであったり、作戦隊員が集まる場所であったりする。私は、ガザで軍が多くの破壊を引き起こすことを可能にする口実にこのフロアが利用されたのだと理解しました。彼らが私たちに語ったのはこうしたことです」。

「もし彼らが、10階にある(イスラム聖戦の)事務所は標的としては重要ではなく、その存在は、テロ組織に圧力をかけることを狙って、そこに住む民間人の家族に圧力をかける目的で、高層ビル全体を崩壊させることを正当化するための口実だ、ということを全世界に言うとすれば、このこと自体がテロとみなされるでしょう。だから彼らはそうしたことを口にしないのです」と情報筋は付け加えた。


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ブレット・ウィルキンス
ブレット・ウィルキンスはCommon Dreamsのスタッフライターである。

https://www.commondreams.org/news/gaza-civilian-casualties-2666414736 ​

(LeftEast)私たちは問う:パレスチナ連帯への弾圧はドイツでどのように展開されているのか?

(訳者前書き)ヨーロッパにおけるパレスチナ支持の動きとして、私たちにメディアが報じているのは、日本ではなかなか見られない大規模なイスラエルの軍事行動への批判のデモであったりするが、以下で紹介するドイツの事態は、とても深刻だ。パレスチナに自由を、というスローガンさえ口に出すことが難しい状況があり、パレスチナ支持を公然と掲げるデモも禁止されているという。イスラエル批判をユダヤ人批判とみなす傾向が政府当局や警察の行動の基調になっているようだ。しかし、それだけでばない。下記のインタビューのなかで「Antideutsch」と呼ばれる左翼の潮流の問題にも言及されている。Antideutschという言葉には、反ユダヤ主義がドイツのナショナリズムの根源にあることへの批判が込められていると思うが、その限りで重要な観点を運動化しているともいえるのだが、しかし、これが、逆に、あらゆるイスラエルへの批判を容認しない反パレスチナ、反アラブのスタンスとして露出しているところが問題になっている。日本では、パレスチナ支持を掲げることが、あからさまな弾圧の対象にはなっていないように感じるために、こうしたヨーロッパの運動が抱えている問題は見過されやすい。しかし、実は、ドイツで起きている問題は、日本と東アジアの近現代史の文脈のなかでも別の形で表出している問題ともいえる。(小倉利丸)

2018年頃のベルリンでの抗議行動。写真:Hossam el-HamalawyCreative Commonsライセンス

私たちは問う:パレスチナ連帯への弾圧はドイツでどのように展開されているのか?

投稿者

Ansar Jasim 著
投稿日 2023年10月30日

ハマスの「アクサの洪水」作戦の開始と、包囲されたガザへのイスラエルの砲撃以来、ヨーロッパのパレスチナ人と親パレスチナ活動家は、前例のない検閲、取り締まり、嫌がらせ、逮捕、箝口令、脅迫に直面しています。私たちは、ヨーロッパ各地の左翼活動家からの報告をまとめることで、パレスチナ人と親パレスチナ活動家が直面している抑圧について、私たちの地域全体の活動家コミュニティに警告を発することを目的としています。私たちはまた、この抑圧のパターンが、人種プロファイリングや移民排斥政策のようなすでに存在する人種差別的実践を大きく誇張し、警察の脅迫、逮捕、嫌がらせのような人種差別的な制度的実践を活性化させることに基づいていることを示すことも目的としています。こうした慣行は新しいものではありませんが、その規模が拡大していることは憂慮すべきことです。LeftEast編集部

パレスチナ支持派の表現や抗議行動に対する弾圧について、あなたの国では何が起きていますか?

「10月20日に行われた左翼団体ローザ・ルクセンブルク財団の公開イベントで、名前を伏せた人物が「あなたはドイツでいつまでこのような発言を続けられると思っているのですか」と質問しました。この財団のラマッラ事務所の代表は、ガザ、ヨルダン川西岸、そして1948年にわたるイスラエルによるパレスチナ人に対する数十年にわたる暴力について説明しました。彼女はイスラエルの政治について、土地を奪うことを目的とする入植者の植民地国家であることの結果であると述べました。上に引用した匿名の人物は、まさにこのことを言いたかったのです。すべての事実を検証することにこだわる視点からパレスチナに関する物事を記述することは、今後ドイツではあまりできなくなるかもしれません。これは、言説のレベルで、つまりパレスチナについて語るときに起こっていることのほんの一端にすぎません。

パレスチナのために立ち上がることは、最近の出来事が起こる以前から、ベルリンではほとんど不可能でした。ドイツではこれまで、パレスチナ連帯のデモや集会はほとんどすべて禁止されてきました。警察は常に、一定の期日までこれらのデモを禁止するとの声明を発表します。それにもかかわらず、人々はデモを警察に申請し続けています。警察がデモを中止するのは、デモが行われる数時間前のことです。これは、人々が抗議行動を計画し、期待したのに、またしても保留にされるという、消耗戦の様相を呈しています。いくつかの抗議デモは、例えば “新植民地主義に反対するグローバル・アクション・デー “のような別の見出しのもと、より大きなデモの一部として行われました。

そして、ノイケルン(WANA出身者のコミュニティが多く住む地区)の人々から報告されたように、バルコニーなどからパレスチナ国旗を降ろすよう警察が要求した事件も数多くあります。このように、街の「公共的な外観」に影響を与えるような私的空間の利用を規制しようとする動きもあります。

最大の、そしてかなり前例のない取り締まりは、現在学校で行われています。直近の取り締まり以前から、イスラエルとパレスチナの問題にあまり詳しくない教師たちは、このトピックにどう対処すべきか、むしろ迷っていました。しかし、今私たちが目にしているのは、はるかに組織的なものです。学校は、パレスチナの出身である生徒や、アラビア語を話す生徒、イスラム教を背景に持つ生徒を抑圧し、統制するための道具となっています。

例えば、ベルリンのある学校でパレスチナの出身者がパレスチナとの連帯を表明し、教師が暴力的な言動でそれを禁止しようとした後、ベルリン上院教育・青少年・家庭局は10月13日に声明を発表し、生徒に対する差別的措置を発表しました。さらに、学校は禁止措置だけでなく、教育的・懲戒的措置をとることができます。特に懸念されるのは、上院議院運営委員会が、パレスチナとの連帯を表明した子どもや若者に対して警察に通報するよう学校に勧告している事実です。

この声明では、以下のことを禁止しています:

  1. 関連する衣服(クフィーヤなど)を目に見える形で着用すること。
  2. パレスチナの色(白、赤、黒、緑)を使った「パレスチナに自由を」などのステッカーやイスラエルの地図を掲示すること。
  3. 「パレスチナに自由を!」という叫びや、「ハマスとそのテロリズム 」への言葉による支持。

活動家たちはこの弾圧にどう対応しているのでしょうか?

現在、イデオロギー的で抑圧的な国家機構は警戒態勢にあり、教育部門、メディア、警察を含め、相互に連携して動いています。国家の激しい不釣り合いな暴力は、大規模なパレスチナ人ディアスポラの怒りを和らげるための選択肢を提供するものではありません。なぜ警察は、彼らが抗議行動で怒りをぶつけるのを許す代わりに、このようなことをするのでしょうか?この弾圧は、ドイツ国家の領域外でよく組織されたディアスポラ・コミュニティが動員を続けていることへの恐怖から来ているのでしょう。

10月13日のベルリン上院教育・青少年・家庭局からの書簡のわずか数日後、教師と生徒たちが自主的に組織した会議に集まり、パレスチナに関する差別や人種差別の事件を共有し、対決の戦略を話し合いました。これは、ドイツ国家が許容する空間がますます狭まっていく中で、新たな空間が生まれつつあることを意味しています。

Kifaya-Focal Point Against Anti-Palestinian Racism for Pupils and Parentsは、生徒、保護者、学校の教師、学生、研究者、弁護士、その他反差別やアート関係者のネットワークです。学校での差別に直面している生徒、教師、保護者を支援するために設立されました。彼らは、ベルリン上院教育・青少年・家族局からの声明撤回を要求し、さらにパレスチナ・イスラエルに関するコミュニケーションにおける生徒の権利に関するガイドラインを策定しました。また、その他の法的支援も行っています。

一方的な声明を出した大学では、パレスチナとの連帯を示すための創造的な方法を考えるために、学生や学生団体の責任者も集まっています。

人々はパレスチナとの連帯を示すだけでなく、ドイツ国家の抑圧的な政策に積極的に抵抗し、「イスラエルとの連帯」の意味を明らかにするために、街頭に出ているのに対して、平和的なデモ参加者に放水銃を向けているのです。

ドイツにおける親パレスチナ派への弾圧の背景について教えてください。

反パレスチナ弾圧は、いわゆる「BDS決議」(正式名称: 反ユダヤ主義と闘い、BDS運動に断固反対する決議案)が2019年5月にドイツ議会で可決され、ボイコット、投資引き上げ、制裁運動が反ユダヤ主義的であると宣言されたのです。議会は2021年、BDS運動支援の疑いで国家から財政支援を受けている団体が資金を失ったことはないと主張したにもかかわらず、雇用主側の過剰なコンプライアンスによって個人がフリーランスの職を失った事件は数多くあります。

さらに、反ユダヤ主義との闘いの姿勢で知られながら、BDS決議を批判していた個人も大きな影響を受けました。例えば、ベルリン・ユダヤ博物館のペーター・シェーファー館長です。2019年、シェーファーは、ある新聞記事を “読む価値がある “と示唆した同館のツイートに対する厳しい批判に直面し、辞任に追い込まれました。言及された記事は、連邦議会の決議を強く批判した240人のイスラエル人とユダヤ人科学者からの呼びかけについて言及したものです。

2022年と2023年、ベルリンはパレスチナの権利を求めるデモを予防的に全面禁止しました。さらに、この2年間は、特に5月15日のナクバの日の前後に、パレスチナと連帯するための抗議活動が、パレスチナ人個人によるものであれ、ユダヤ人の盟友によるものであれ、特にノイケルン周辺を中心とする抗議活動の想定地域で、大規模な人種プロファイリング・キャンペーンが行われたことをきっかけに禁止されました。2023年、ナクバの日の前後には、「パレスチナ人らしき」人々が捜索され、多くの場合、罰金を科せられたり、拘留されたりしました。このような状況からすると、現在のドイツでの大規模な取り締まりは驚くことではありません!

これからの方向性は?何をしなければなりませんか?

よく知られているように、ドイツの左派はパレスチナ問題をめぐって大きく分裂しています。1960年代から1980年代にかけては、激しい論争にもかかわらず、ドイツの左派ではパレスチナとの連帯の立場がむしろ優勢でした。しかし、ドイツの再統一を背景とした1990年代以降、この状況は一変します。台頭するドイツ・ナショナリズムに対抗するため、左翼に新たな言説的影響力を持つ潮流が生まれたのです。いわゆる “反ドイッチュ”(反ドイツ人)あるいは ” 反ナショナル” の立場です。反ドイッチュは、明確に親イスラエルの立場をとり、明確に反-反ユダヤ主義であると主張し、それゆえ、すべてのユダヤ人の生命をイスラエル国家とヒひとつのものとしています。彼等にとって、ユダヤ人であるということはイスラエルである、ということになります。したがって、彼らは、ユダヤ人国家としてのイスラエルを「害する」可能性のある政治的主張は、すべて反ユダヤ主義的であると考えています。これは、国連決議194号に謳われているパレスチナ難民の「帰還の権利」にまで及んでいます。

最近では、反ドイッチュはイスラエルと連帯する行為として、ヨーロッパ諸国がガザの全住民を受け入れることで「現在の危機」を解決できると示唆しました。反ドイッチュの立場は、例えば、1991年と2003年の湾岸戦争がイスラエルの安全保障の強化につながるとして、公然と支持を表明しているだけではありません。同時に、パレスチナのシンボルを身につけた人々への公然たる攻撃や、パレスチナ支持派のイベントの妨害も支持しています。しかし、不条理なことに、この反ドイツ左翼は、イスラエルの生存権とその防衛をあらゆる手段で擁護することで、ドイツ国家の立場をも擁護し、非常にナショナルに見えるのです。

はっきりしているのは、ドイツの左翼は落ち着いて深呼吸し、海外のジェノサイド的暴力と権威主義的軍国主義(つまり、彼らの多くが支持しているイスラエル国家の自衛権)が、ドイツ国内の人種差別racializedされた人々とその同盟者に対する権威主義的弾圧の激化を引き起こしていることを理解し始める必要があるということです。この展開はパレスチナ連帯活動だけにとどまるものではありません。私たちがドイツにおける気候変動活動家に対する不釣り合いな弾圧ではっきりと見たように、国家の弾圧は左翼活動家のあらゆる領域を侵食しています。パレスチナのために立ち上がること、そしてドイツでパレスチナの連帯を示す人種差別された人々のために立ち上がることは、今日、ドイツにおける私たちのスペースの縮小と国家暴力の拡大と闘うための中核的な課題であるように思います!この分析は、ドイツの左翼における私たちの活動の指針となるはずです。

Ansar Jasimは政治学者。シリアとイラクを中心に、理論的・実践的観点から市民社会運動と国境を越えた連帯に関心を持っています。

(PAAW)被抑圧者の側に立つ。ガザ、イスラエル、そして戦争の論理の否定

(訳者の長すぎる前書き)以下は、戦争に反対する恒久的なアセンブリthe Permanent Assembly Against the War(PAAW)が11月5日に出した声明だ。これまでも私のブログでPAAWの声明などを紹介してきた。この声明はTransnational Social Strike(TSS)のサイトに掲載されたものから訳した。TSSのグループが日本にあるのかどうかや、このグループの背景など詳細を私は知らないが、自己紹介のページ(日本語)では以下のように述べられている。

「私たちは日々、職場や社会の状況が変化していることを経験している。労働争議の組織は、同じ事業所、工場、学校、コールセンターなどで働く人々の間の分裂によって弱体化している。連帯は、国籍、契約、雇用期間、移民の居住許可などの政治的条件、女性に対する家父長制的暴力の違いによって挑戦されている。TSSプラットフォームは、このような状況を打開するローカルな方法はない。国境を越えたつながりを構築する政治運動のみが、このような状況を覆し、共通の力を蓄積することができる、という認識から生まれた。

私たちは過去10年間、ストライキが最も強力な闘争形態であり、さまざまな主体を結びつける道具として再び台頭してきたことを目の当たりにしてきた。移民ストライキ、フェミニスト・ストライキ、物流倉庫における組織的ストライキは、私たちがインスピレーションを得ている経験であり、私たちはその誘発と拡大を目指している。ストライキは私たちにとって、この不平等で不公正な社会の土台となっている柱にダメージを与えることを目的とする力の名称である。この力を行使するための条件を構築することこそ、使用者と政治家に従属する現状を打倒するために必要なことである。」

そして、TSSのプロジェクトとして、Amazon Workers International (AWI)、Climate Class Conflict (CCC)、E.A.S.T. (Essential Autonomous Struggles Transnational)、The Transnational Migrants Coordinationなどが挙げれらており、The Permanent Assembly Against the Warも、そのひとつだという。

私が、TSS-PAAWに共感をもったのは、ウクライナ戦争への彼等のスタンスだ。彼らは次のように宣言している。

「私たちは、戦争の論理と、それが押し付ける国家的・宗教的分裂を拒否します。私たちは、自らを守る人々とともに、徴兵制を拒否し、自分の国に従わず死なないことを決めたすべての人々とともに、立ち上がります。私たちは、戦争の代価を支払うことを拒否するすべての人々と共に立ち上がります。私たちは、すべての人に開かれた国境と移動の自由を要求します。」(「戦争を内部から拒否し、平和のために打って出る――ソフィアからの発信」)

私は国家のために死ぬ(殺す)ことをいかなる場合であれ選択すべきではないと繰り返し述べてきた。同時に、私は、確信的な無神論者として神への信仰を強いる一切の権力を支持することもありえない。私にとってウクライナとロシアの戦争において、何よりも、この戦争に抗うか、あるいは戦争に様々な手段で背を向け、国境を越えてでも殺すことも殺されることもよしとしない様々な人々に強い関心と共感を寄せてきた。

同時に、私は、武力行使(武装闘争)という手段が、民衆の解放のための手段として、これまで成功したことはなく(革命後の社会が解放された社会への必然の道筋だとはいえないということ)、他方で、いわゆる議会制民主主義と総称される手段による統治機構の平和革命もまた、革命の名に値する解放された社会への道筋を見出しえなかったという、人類前史の解放闘争の教訓を銘記すべきだとも考えてきた。よく知られているように、イスラエルのパレスチナに対する武力行使やガサのアパルトヘイトは10月7日に始まったことではない。ハマースの攻撃を私は不可解な武力攻撃であり、その軍事的な目的は全く理解できない。他方で、イスラエルのガザ侵略は、このハマースの攻撃を格好の口実としたホロコーストの実践であるだろうことは、この国の基本法の精神(シオニズム)の帰結として解釈可能だ。残酷極まりないことだが、ある社会集団を根絶やしにし、世代の再生産を断つためには、女性や子どもたちを殺すことは必須の条件でもある。この戦争は、これまでのパレスチナで繰り返されてきた出口のない悲劇のように感じられて胸がつぶれる思いだが、それ以上に、攻撃の苛烈さだけではなく、このガザ侵略の背景にあるイデオロギーが、支配層のみならずシオニズムの大衆的な受容のなかに(つまりSNSなどの投稿として)拡散していることに私は戦慄せざるをえない。

たぶん、唯一の出口があるとすれば、それは、イスラエルの国内での反戦運動とともに、パレスチナ側が武力に頼らない、「民衆的な要素を最大限に押し出す戦術と戦略を採用した大衆運動」の形成―エドワード・サイードが「悲劇は深まる」(『オスロからイラクへ』、中野真紀子訳、みすず書房所収)のなかで指摘したことだ―が、相互に有機的に繋がりあうことで構築される国境を越えた運動の形成ではないかと思う。こうした運動にとって、エスニシティや宗教の違いが足枷になると考えられてきたが、むしろそうではないかもしれない。これらに、階級やジェンダーや多様なマイノリティのアイデンティティの交錯がもたらす既存の闘争を支える枠組へのゆさぶりを通じて、これまで私たちが獲得しえなかった相互の連帯を可能にする未知のアイデンィティの獲得への道筋が見出しうるという期待を持つべきだと思う。以下の声明で「イスラエル側かハマス側か、ゼレンスキー側かプーチン側か、西側かそれ以外か、といった安易な分断の餌食にはならない。既存の戦線を拒否するということは、私たちの政治、すなわち国家、国民、民族、宗教といった地政学的想像力に乗っ取られない国境を越えた社会運動の政治のための空間を開こうとすることである。私たちは、不正や抑圧と闘うことが、他の不正や抑圧を受け入れることだとは認めない。戦争、女性に対する暴力、人種差別、搾取が続くならば、解放はない」と述べていることと、上で私が舌足らずに述べたこととの間に、共通した問題意識があると私は感じている。(小倉利丸)

2023年11月 5日

戦争に反対する恒久的なアセンブリ(PAAW)
2023年10月28日の声明

翻訳 アラブ語 – ヘブライ語 – ウクライナ語 – ギリシャ語 – ポーランド語 – イタリア語 – フランス語 – ルーマニア語 – ドイツ語

10月7日以来、私たちはイスラエル政府による長期にわたる搾取と暴力のシステムを支持するのか、それとも民族解放の名の下にハマスが主導する虐殺を支持するのか、どちらかの側につくよう再び迫られている。私たちはメディアやイスラエルの政策を支持するあらゆる機関から、パレスチナ人の大量殺戮を受け入れるか、イスラエルとユダヤ民族を滅ぼしたいかのどちらかを選べと言われてきた。戦争の政治は、侵略、防衛権、人道的介入といった言葉をほとんど無意味にしたさまざまな基準に根ざしている。ある占領は悪であり、別の占領は善である。戦争の政治は常にその正当性を見いだすが、私たちは闘い、私たちの国境を越えた平和の政治を推進する必要がある。

私たちは、ガザでの空爆を中止するよう求める。パレスチナの占領とアパルトヘイトに反対し、即時停戦を求め、軍事機構に反対するデモや行動を支持し、参加する。虐殺は止めなければならない。しかし、私たちは、この呼びかけが戦争の論理を崩壊させるのに十分でないことを知っており、私たちが望む平和とは、ひとつの戦争ともうひとつの戦争の間の期間ではない。

ウクライナでの戦争が始まって以来、そして今、パレスチナで激化している戦争で、私たちは、政府がいかに地政学的、経済的利益によって動かされる側に立ち、男性、女性、子ども、LGBTQIA*の人々の命に無関心で目を背けているかを目の当たりにしてきた。私たちは、戦争を支持する人々が移民を攻撃し、国境体制と暴力を強化しようとする人々であることを目の当たりにした。私たちは、エスカレーションを脅かす人々が、女性を従属的な立場にとどまらせようとする人々であることも知っている。戦争を支持する人たちは、戦争のためにもっと働くよう私たちに求める人たちであることもわかっている。この状況において勇敢であることは、戦争の論理が用いる二項対立を拒否することを意味する。それはまた、現在のガザにおける戦争において、二つの「側」が同じでもなく、均質でもないことを認識することでもある: パレスチナ人は避難し、分断され、占領されている。イスラム教徒であれキリスト教徒であれ、イスラエルのアラブ系市民とヨルダン川西岸地区のパレスチナ人は、反対意見を飲み込むか、発砲されたり、嫌がらせを受けたり、殺されたりする危険を強いられている。イスラエルはまた、見かけ以上に分裂している: イスラエル国内のユダヤ系市民は兵役を拒否し、戦争を非難し、他の人々はネタニヤフ首相の行動に抗議し、ガザ攻撃の中止を要求するために街頭に出ている。戦争の論理は、イスラエルとガザで起こっていた、ネタニヤフ首相の司法改革やハマスに対するデモやストライキ、そして宗教的急進主義のあらゆるプロジェクトに対する内部闘争を消し去ろうとしている。

既存の戦線を拒否するということは、どちらかの側につくことを拒否するということではなく、私たちに押し付けられた分断に沿ってそうすることを拒否するということである。イスラエル側かハマス側か、ゼレンスキー側かプーチン側か、西側かそれ以外か、といった安易な分断の餌食にはならない。既存の戦線を拒否するということは、私たちの政治、すなわち国家、国民、民族、宗教といった地政学的想像力に乗っ取られない国境を越えた社会運動の政治のための空間を開こうとすることである。私たちは、不正や抑圧と闘うことが、他の不正や抑圧を受け入れることだとは認めない。戦争、女性に対する暴力、人種差別、搾取が続くならば、解放はない。

私たちは戦争に反対し、この戦争が築いている障壁や国境を打ち破るトランスナショナルな平和政治を追求する。国境を越えた平和の政治とは、平和化でも単なる平和主義でもない。私たちは、戦線を越えた政治的コミュニケーションを確立し、社会的な闘いから出発し、戦争反対を意見の運動以上のものにするために、さまざまな主体の間で組織を生み出すことができるような視点を推し進めたい。私たちは、個人的・集団的な戦争拒否が起こっていることを認識している。私たちの戦争の論理に対する拒否は、私たちがどちらの側に立つべきかを理解することを可能にする。私たちは、抑圧された人々の側、死や抑圧、戦争によって生み出される貧困と闘っている人々の側に立つ。10月7日以降に起きていることは、ガザ、イスラエル、そして私たちのすべての文脈において、私たちの闘いを継続することをより困難にしている。この攻撃の後、イスラエルのガザに対する大量殺戮は、パレスチナ人の強制移動の継続とともに、苦しみと怒りの原因を増大させている。このことは、この地域で受け入れがたい人的被害をもたらし、軍事的対立のさらなる拡大を脅かしているが、この戦争の影響は、移民、女性、クィア、労働者の闘いを不可視化し、脅かしているにもかかわらず、その闘いは続いている。

私たちは戦争の常態化を拒否し、ウクライナと同様に、ガザでの殺害と破壊の終結を望んでいる。私たちは、人種差別、暴力、搾取に対抗するトランスナショナルな平和政治のために闘い、家父長的暴力、搾取、人種差別の根源を攻撃することによって、私たちに押しつけられた戦線を越えていく。トランスナショナルな社会的ストライキ・プラットフォームの戦争に反対する常設アセンブリの活動家として、私たちは、賃上げのため、気候正義のため、フェミニストと移民の動員のため、軍事化と国境体制に反対する行動のため、そして家父長制的暴力に反対する11月25日に向けた動員のため、3月8日のフェミニスト・ストライキのため、私たちが参加しているすべてのトランスナショナルなイニシアチブのため、私たちが関与しているすべてのローカルな闘いの中で、これを行うことを連帯して約束する。闘争を継続し、政治的コミュニケーションと組織化を強化することは、戦争を打撃し、私たちがどのような未来を求め、それをどのように築きたいかを明確にするための私たちの手段である。

緊急行動 パレスチナ人権団体は、第三国に対し、ジェノサイドからパレスチナの人々を守るために緊急に介入するよう求める

イスラエルの人権団体などが下記の声明(このメールの最後にあります)を出しています。このなかで、「第三国」に政府の責任を、国連のジェノサイド条約に基いて厳しく問いかけています。

日本はG7財務大臣会合の声明で「我々は、今般のハマスによるイスラエル国に対するテロ攻撃を断固として非難し、イスラエル国民との連帯を表明する」と表明しています。「イスラエル国民との連帯」を表明する一方で、パレスチナの市民との連帯は表明されておらず、事実上イスラエル支持を表明したものです。この支持を撤回させ、イスラエルについても断固として非難すべきと思います。

ひとりでもできることはあまりないですが、下記のメッセージを送りました。この内容でいいのかどうか、やや自信がない。もし政府に何かメッセージを送るときは、参考にしてみてください。

件名
イスラエル支持を撤回し、ガザへの戦争を終らせる国際的な義務を果すべきです
本文
前略、以下、強く要望します。
日本政府は、イスラエルのガザへの戦争行為を批判し、イスラエルを支持しない立場を明確にすべきです。日本政府は、スラエルが国際法の厳然たる規範に反してジェノサイド行為を継続的に扇動していることから生じる事態の終結に向けて努力すべきです。日本政府は、ジェノザイド条約など国際法上違法な状況に協力せず、違法行為を終わらせるために努力する義務があります。

小倉利丸

送り先
外務省:メールまたはフォーム
mail-han@mofa.go.jp
フォーム
https://www.mofa.go.jp/mofaj/comment/index.html
官邸
https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html

以下、パレスチナの人権団体からの呼びかけを訳しました。

Al-Haqは西岸の人権団体、Al Mezan Center for Human RightsとPalestinian Centre for Human Rightsはガザの人権団体だと思います。

原文
https://www.alhaq.org/advocacy/21898.html

以下はわたしの粗訳

2023年10月13日
緊急行動 パレスチナ人権団体は、第三国に対し、ジェノサイドからパレスチナの人々を守るために緊急に介入するよう求める

Al-Haq、Al Mezan Center for Human Rights、Palestinian Centre for Human Rights (PCHR)は、第三国に対し、ジェノサイドからパレスチナの人々を守るために緊急に介入するよう要請する。10月7日土曜日から13日午後10時までの間に、パレスチナ保健省は、ガザで少なくとも1,900人のパレスチナ人が殺害され、7,699人が負傷したと報告した。今夜、イスラエルはヨルダン川西岸一帯のバイパス道路を閉鎖した。10月7日(土)以降、東エルサレムを含むヨルダン川西岸一帯で暴力的な攻撃がエスカレートしており、イスラエル軍と入植者たちは、本日殺害された16人を含む51人のパレスチナ人を殺害し、950人以上を負傷させた。状況は劇的に悪化し、イスラエルは人口密度の高い北部ガザから110万人のパレスチナ人を同地区の南部に避難させるよう命じた。ガザにおけるパレスチナ人の強制移住は、イスラエルの政治・軍事の高官による大量虐殺的な発言に先行して行われた。

2023年10月9日、イスラエルの国防大臣ヨアヴ・ギャランはこう述べた。「我々は(ガザを)完全に包囲している。電気も、食料も、水も、燃料も、すべてが閉鎖されている。我々は人間の動物と戦っており、それに従って行動している」と述べた。これに続いて、領土政府調整官(COGAT)のガッサン・アリアン将軍が、「イスラエルはガザを完全に封鎖した。おまえたちは望み通り地獄を味わうことになる」と発表した。イスラエルのエネルギー・インフラ大臣であるイスラエル・カッツは、以下のように警告した。「何年もの間、我々はガザに電気、水、燃料を供給してきた。感謝の言葉を口にする代わりに、彼らは何千人もの人間の獣を送り込み、赤ん坊や女性、老人を殺戮し、強姦し、誘拐した。だから我々は、水と電気と燃料の供給を止めることにしたのだ」

私たちの組織は、ガザでの水、電気、インターネットの遮断や、ラファ交差点での食糧、医薬品、その他住民の生存に必要な物資の人道的輸送隊の入港拒否は、イスラエルがその扇動的なジェノサイド発言を実行に移そうとしている証拠であると警告している。ジェノサイドとは、以下の列挙されたいずれかの行為を意味する。(a)集団の構成員を殺害すること、(b)集団の構成員に身体的または精神的に深刻な害を与えること、(c)集団の全部または一部の物理的破壊をもたらすように計算された生活条件を集団に故意に与えること、(e)集団の子供を他の集団に強制的に移送すること。イスラエルがパレスチナ人に対し、その全部または一部の物理的破壊をもたらすような生活条件を意図的に与えていることは明らかである。

差し迫った大量虐殺を防ぐために、国際社会が介入することが今求められている。国際司法裁判所は、「国家の予防義務とそれに対応する行動義務は、ジェノサイドが行われる重大な危険が存在することを国家が知った瞬間、あるいは通常知るべきであった瞬間に生じる」と明言している。その瞬間から、国家は、ジェノサイドを準備していると疑われる者、または特定の意図(dolus specialis)を抱いていると合理的に疑われる者に対して抑止効果をもたらす可能性の高い手段を利用できる場合には、状況が許す限り、これらの手段を利用する義務を負う」[1]。

第三国はパレスチナ住民をジェノサイドから保護するために介入する義務を負うだけでなく、第三国責任は「国家がその力の及ぶ範囲内にあり、ジェノサイドの防止に貢献しうるジェノサイド防止のためのあらゆる措置をとることを明らかに怠った場合」に発生する[2]。 さらに留意すべきは、ジェノサイドの防止と保護する責任に関する国連事務総長特別顧問が2014年7月、保護されているパレスチナ住民に対するイスラエルの行為に対応して、以前にもイスラエルに対して警告を発していたことである。その際、特別顧問は「ソーシャルメディアにおける、特にパレスチナ人に対するヘイトスピーチの露骨な使用に心を痛めている」と警告した。特別顧問は、個々のイスラエル人がパレスチナ人の人間性を失わせるようなメッセージを流布し、このグループのメンバーの殺害を呼びかけていたことを指摘した。特別顧問は、残虐犯罪の扇動は国際法で禁止されていることを改めて強調した。

以上を踏まえ、私たちは第三国に対し、イスラエルが国際法の厳然たる規範に反してジェノサイド行為を継続的に扇動していることから生じる事態の終結に向けて協力するよう求める。第三国の義務には、このような違法な状況を維持することに協力せず、違法行為を終わらせるために協力する義務が含まれる。ジェノサイドは、国際法秩序の中で最も凶悪な犯罪であり、犯罪のヒエラルキーの頂点に位置する。第三国は国際法を遵守しなければならない。第三国は、パレスチナ人に対するジェノサイド行為を阻止するために、直ちに行動しなければならない。

[1] ジェノサイド犯罪の防止及び処罰に関する条約の適用に関する事件(ボスニア・ヘルツェゴビナ対セルビア・モンテネグロ)、判決、I.C.J. Reports 2007、パラ431。

[2] 同上。

https://www.alhaq.org/advocacy/21898.html

サイバー領域におけるNATOとの連携――能動的サイバー防御批判

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1. はじめに

安保・防衛三文書に記載された「能動的サイバー防御」という概念は、とくに敵基地攻撃能力(先制攻撃)との関連で、注目を集めるようになってきた。しかし、この定義もなしに唐突に登場する「能動的サイバー防御」の射程は、先制攻撃の枠を大きく越えるやっかいなものだ。

今年六月に、朝日は以下のように報じた。

政府は「能動的サイバー防御」を実現するため、電気通信事業法4条が定める通信の秘密の保護に、一定の制限をかける法改正を検討する。本人の承諾なくデータへアクセスすることを禁じた不正アクセス禁止法、コンピューターウイルスの作成・提供を禁じた刑法の改正も視野に入れる。

 また、通信や電力、金融などの重要インフラや政府機関を狙ったサイバー攻撃を防ぐため、海外のサーバーなどに侵入し、相手のサイバー活動を監視・無害化するため自衛隊法を改正するかどうかも検討する。

この報道が正しいとすると、能動的サイバー防御の具体的な実行には以下のような行為が必要になることを政府自らが認めていることになる。すなわち、

  • ユーザーの承諾なしにデータにアクセスする
  • コンピュータウィルスの作成や提供
  • 海外のサーバーに侵入して監視
  • 海外のサーバーに侵入して無害化

ユーザの承諾なしにデータにアクセスする行為は、リアルタイムでの通信の傍受に加えて、ユーザーがプロバイダーのサーバーに保有しているメールのデータやクラウド上に保存している様々なドキュメントへの密かな侵入による情報収集などがあるだろう。

コンピュータ・ウィルスの作成や提供は、いわゆる「敵」のネットワークや情報通信インフラを攻撃する上で必要になるプログラムの作成がウィルス作成の罪に問われないような例外を設けることを意味している。また、これは、いわゆる「合法(リーガル)マルウェア1」などとも呼ばれる手法としても知られている。捜査機関や諜報機関がターゲットとなる人物のスマホなどの通信を網羅的に把握するためのプログラムを密かにインストールするなどによって、あらゆる通信を常時把握しようというものだ。こうした手法は、すでにアラブの春が後退期に入った時期に中東諸国の政府が反政府運動の活動家を監視し拉致するために用いられていたことが知られている。(BBCの報道2) つまり、秘密裏にユーザーのデータにアクセスする手段は、プロバイダーに協力をさせるという正攻法の手法だけでなく、プロバイダーすら知らないうちにユーザーの通信を把握することができるようなプログラムを用いることも考えられることになる。

海外のサーバーへの侵入にはいくつかのケースが考えられる。たとえば、いわゆる「敵国」の領域内にあるサーバーに侵入して情報を収集するハッキング行為や、更にはシステムそのものに損害を与える無害化の攻撃などが思い浮かぶ。一般に、こうした行為は国家の情報機関が国外で展開するいわゆるスパイ行為も伴う。日本にはこうした諜報機関のスパイ行為を合法化する法制度がないが、安保防衛三文書は、これを制定しようということも含まれているかもしれない。こうしたスパイ行為には秘密裏でのデータへのアクセスやスパイ目的に必要な現行法では違法となるコンピュータプログラムの使用が不可欠になる。しかし、それだけではない。日本国内の反政府運動が海外にサーバーを設置して、そこにデータを保持しているような場合にも監視できるようにすることなどもありうる。つまり、相手国の法制度と抵触するような活動を行なうこともありうることになる。

こうした一連の行為が能動的サイバー防御の一環とされる一方で、まだこれらは法制度が確立されておらず、今後の立法化に委ねられる、というのが一般的な見方だろう。しかし、果して本当に、すべてが「これから」の事なのだろうか。今現在、上述したような事柄が全く手付かずのものといえるのか。本稿では、むしろ、かなりのところまで上述したような様々な対処が実践的なレベルにおいても実現可能なところにあることを論じてみたい。本稿では、この課題にアプローチするためにNATOのサイバー軍への日本の関与を取り上げる。日米安保条約においてもサイバーは条約でカバーされる領域であるとが確認3されたことも踏まえて、NATOへの日本の接近の問題は見過ごせない。

以下は、外務省欧州局政策課がまとめた「北大西洋条約機構(NATO)について」というスライドのなかにある日本とNATOの関係をまとめた時系列の年表だ。2010年の日・NATO情報保護協定以降、とりわけ安倍政権時、2017年に安倍がNATO本部を訪問して以降、急速に距離が縮まった印象がある。このときに安倍は「NATOサイバー防衛協力センター(CCDCOE)を通じた協力強化に言及」している。(本稿末尾の参考資料も参照)

2. NATOの軍事演習、ロックドシールズとは

NATOのサイバー防衛協力センターCooperative Cyber Defence Centre of Excellence(CCDCOE、本部はエストニアのタリン)は毎年春と秋に大規模なサイバー戦争の軍事演習を行なっている。春に開催される軍事演習はロックド・シールズと呼ばれ、2010年から毎年エストニアのタリンで開催されている。今年も4月に開催され38カ国から3000人が参加した。攻撃側と防御側の二手に分かれて、仮想の国のエネルギーや金融などの重要インフラや国境をめぐる攻防を展開する。各国は他の国とチームを組む。今回日本はオーストラリアと組んだ。

大西洋北部に仮想の島国を設定して演習(左地図) 多くの民間企業がスポンサーに(右図)

このロックド・シールズへの参加について、昨年11月、防衛省は以下のようなプレスリリースを発表した。

防衛省・自衛隊として、サイバー分野における諸外国等との協力の強化について取り組んできたところ、NATO承認の研究機関であるNATOサイバー防衛協力センターとの協力について、今年10月に同センターの活動への参加に係る手続が完了し、防衛省は正式に同センターの活動に参加することとなりました。

同センターは、サイバー行動に適用され得る国際法についての研究プロジェクトの成果として、「タリン・マニュアル」を発表しています。我が国は、サイバー分野における国際的な規範の形成に係る議論に積極的に関与する方針であり、同センターの取組は我が国の立場とも整合するものです。

防衛省・自衛隊は、2019年から同センターに職員を派遣しており、また、2021年以降、同センターが主催するサイバー防衛演習「ロックド・シールズ」に正式参加しています。これらのような取組を通じて、NATO諸国を始めとする諸外国等とのサイバー分野における協力を一層強化していきたいと考えています。

同センターにはNATO加盟国以外にオーストラリア、韓国などが参加。2019年から同センターに防衛省職員1人を派遣していた。

ここではCCDCOEはNATO承認の研究機関への参加という言い回しになっているのだが、純粋な研究機関ではない。センターのウェッブでは、「CCDCOEは、2008年5月14日に他の6か国–ドイツ、イタリア、ラトビア、リトアニア、スロバキア共和国、スペイン–とともにエストニアの主導で設立された。北大西洋評議会は、同じ年の10月にセンターに完全な認定と国際軍事組織International Military Organizatonの地位を授与することを決定した」とある。つまり、CCDCOEは、確かに研究やトレーニングの色彩は強いとはいえ、れっきとした軍事組織なのだ。この地位をNATOの最高意思決定機関である北大西洋評議会自身が授与しているにもかかわらず、防衛省は、「研究機関」と位置づけたのは、NATOの軍事組織への参加という重大な決定を意図的に隠蔽しようとしたことに他ならない。自衛隊が、NATO傘下の軍事組織への正式加盟などということが明らかになることを恐れたからに違いない。防衛省は、こうした虚偽ともいえる説明を平気でやる組織なのだということを忘れていはならない。とはいえ、CCDCOEのNATOのなかでの位置づけはNATOの指令部機構には直接帰属していないという曖昧な構造のなかにあることも確かだ。CCDCOEはNATOのCentres of Excellence傘下の組織という建前になっているからだ。このCenter of Excellenceは指揮系統に直結していないが「NATOの指揮系統を支えるより広範な枠組み」とされているものだ。こうした位置付けであることから、、NATO加盟国以外の諸国―韓国やスイスも含まれており、ウクライナも日本と同時に加盟している―を巧妙に抱えこむための枠組みにもなっている。

しかも、日本のCCDCOEへの正式加盟は、ちょうど22年11月は安保防衛3文書の議論の渦中の出来事なのだ。日本は以前からCCDCOEの軍事演習には参加しており、NATOの軍事組織に加盟するまでに数年の準備期間をもって慎重に事を運んできた。そして安保防衛3文書の検討の時期とタイミングを合わせるようにして正式加盟したのだ。つまり、NATOのサイバー戦争の一翼を担う軍事組織への関与を既成事実とした上で、安保防衛3文書の「サイバー」領域の防衛戦略が練られていたということでもあるのだ。

このCCDCOEへの正式加盟に際して、坂井幸日本大使館臨時代理大使は浜田防衛大臣からのメッセージとして以下のように述べたことがCCDCOEのウエッブに掲載されている。

日本にとって、サイバー領域における対応能力の強化は最優先事項の一つである。CCDCOEの一員として、日本は必要な貢献を継続し、NATOや志を同じくする国々とのサイバー領域における協力をさらに強化し、普遍的価値と国際法に基づく国際秩序を維持・防衛していく。

正式加盟を前提として、ここで言われている「必要な貢献」「サイバー領域における強力をさらに強化」といった文言が何を含意しているのかは、安保防衛三文書における「サイバー」への言及で明らかになったわけだ。

この日本のCCDCOEへの加盟のタイミングでもうひとつ重要なことがある。それは、日本と同時にウクライナも正式加盟したということだ。この点も防衛省のサイトでは言及されていない。ウクライナのマリアナ・ベツァ、ウクライナ大使は、センターへの加盟について、「ウクライナのNATO加盟への重要な一歩となることを深く確信している」と述べている。ウクライナはNATO本体への加盟がもたらす副作用を回避しつつもNATOとの連携強化の足掛かりとして「サイバー」領域という目立ちにくい領域を巧妙に利用した。同じことは日本にもいえるだろう。こうして、日本はCCDCOEを介してウクライナと同じ国際軍事組織に所属することになった。サイバー戦争は、実空間での戦争ほど目立たないために、日本もウクライナもサイバー領域をNATOとの軍事的な連携のための足掛かりとしている。サイバー戦争は、戦時の軍事活動にとって必須のものとして、総体としての戦争の一部をなしているのだが、反戦平和運動が、この領域での活動では現実に追いついていない。

3. ロックド・シールズの軍事演習への日本の正式参加

ロックド・シールズの演習に日本もここ数年毎年参加している。防衛省、自衛隊関連では防衛省内部部局、統合幕僚監部、陸海空のシステムや通信関連部隊、そして自衛隊サイバー防衛隊が参加している。後述するように、政府や民間からの多数の参加がある。

CCDCOEのサイトでは今年開催された演習について「世界最大規模のサイバー防衛演習Locked Shieldsがタリンで開幕」と題して以下のように報じている。

NATO Cooperative Cyber Defense Center of Excellence (CCDCOE) の年次サイバー防衛演習 Locked Shields 2023 がタリンで始まった。

4日間、38カ国から集まった3,000人以上の参加者が、リアルタイムの攻撃から実際のコンピュータシステムを守り、危機的状況における戦術的・戦略的意思決定を訓練します。システムの防御だけでなく、チームはインシデントのレポート、戦略的な意思決定の実行、フォレンジック、法律、メディアに関する課題の解決も求められる。

Locked Shieldsは、攻撃側のRed Teamと、NATO CCDCOE加盟国およびパートナー国からなる防御側のBlue Teamが対戦する訓練である。

この演習の拠点になっているのはエストニアのタリンにあるNATOのCCDCOEだが、演習の現場は、各国のチームをオンラインで結んで実施しているようだ。この演習では、サイバー領域での技術的なノウハウだけでなく戦略や協力の重要性も強調されている。そしてNATO CCDCOEのディレクター、Mart Noormaは「Locked Shields はサイバー防衛だけでなく、戦略ゲーム、法的問題、危機管理コミュニケーションにも焦点を当てている。大規模なサイバー攻撃が発生した場合、安全保障上の危機を拡大させないためには、迅速な協力が不可欠だ」とも述べており、軍事安全保障の枠組みを越えた取り組みを自覚的に追求していることがわかる。

今年のロックド・シールズの演習は、架空の国を想定して、参加各国がそれぞれチームを組み、かつ、敵、味方に分れて大規模なサイバー攻撃とその防御を実際に行なうもので、今回の主要な攻撃目標は模擬国家の情報システムや銀行システム、発電所などの重要インフラをめぐる攻防と関連する情報戦という設定になっている。

通常のリアルな世界(キネティックと表現される)での軍事演習との大きな違いは、参加者は殺傷能力のある武器を使わず、軍服も着用せず、ひたすらパソコンとモニターを相手にキーボードを叩く。そして、ここには各国のサイバー関連部隊だけでなく政府省庁や研究機関、そして多くの民間企業も参加する。4

4. 自衛隊以外からの軍事演習への参加

4.1. 政府および外郭団体

ロックド・シールズへの日本からの参加は、上述した防衛省、自衛隊の他に、防衛省のウエッブによれば、「内閣官房内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)、総務省、警察庁、情報処理推進機構(IPA)、JPCERTコーディネーションセンター(JPCERT/CC)、重要インフラ事業者等」である。

このうちNISC、総務省、警察庁5がどのような意図をもってこの演習に参加したのか、私が調べた範囲では、明確ではない。

いくつかの政府系団体や民間企業はウエッブ上でロックド・シールズへの参加について報じている。

独立行政法人、情報処理推進機構(IPA)はウエッブ上に「『ロックド・シールズ2023』に中核人材育成プログラムの修了者が参加しました」という報告記事(下記)を掲載している。IPAは毎年「中核人材育成プログラム」の修了者をこの演習に送り出しているという。今年は17名が参加している。

演習では5,500の仮想システムに対し8,000以上の大規模なサイバー攻撃が行われ、重要インフラ等のシステムを攻撃から防護する技術的な対処やインシデントの報告のほか、法務、広報、情報活動に関する課題への対処を含む総合的な対応スキルを24のブルーチームで競いました。

日本チームは官民や同志国との連携によりインシデント対応を演習し、日本国内の重要インフラ企業でサイバーセキュリティ戦略の実務を担う同プログラムの修了者たちは、約一年間のプログラムで習得した高度なセキュリティ技術に関する知見や、自社での実務経験などを活かしながらチームの成果に貢献しました。

JPCERTは下記の短い記事のみが「JPCERT/CC 活動四半期レポート」に掲載されているだけで、参加の実情はわからない。

4 月 17 日から 21 日にかけて、NATO サイバー防衛協力センター(Cooperative Cyber Defence Centre of Excellence:CCDCOE)が主催する国際的なサイバー演習 Locked Shields 2023 にオンライン参加しました。JPCERT/CC の職員 4 名は日本の政府や重要インフラ事業者の参加者とともにブルーチームの一員として、インシデントの対応および法務・広報の課題に取り組みました。

JPCERTは例年参加報告を掲載していた。昨年は「Locked Shields 2022 参加記」としてかなり詳細な報告がウエッブに掲載されていた。昨年の参加記によれば、参加の動機は「重要インフラのシステム等さまざまな相互依存性を持つシステムの防護にむけた理解を深めることにありました」とあり、たぶん今年もほぼ同様の目的をもって参加していると思われる。また昨年の記事では次のようにも報告されていた。

参加者は、技術的な課題として、サイバー攻撃を受けている情報システムや重要インフラを模倣した複雑なシステムの調査、保護、および運用に取り組みました。それと同時に、非技術的な課題として、国際法の観点からの分析、メディア対応などを行いました。

複数の国と組織が演習に参加していることもLocked Shieldsの特徴です。Locked Shieldsは、NATO、EU、および各国政府に加えて、制御システム、通信機器、サイバーセキュリティ、ソフトウェア、金融、宇宙分野の民間企業の協力を得ています。

Locked Shieldsは新しい技術やシステムを採り入れています。なかでも2022年のLocked Shieldsに新しく加わった要素は、金融分野のシステムでした。外貨準備や金融業務に関する通信システムが追加されました。また、フェイクニュースや情報操作への対応も演習の中で問われたのも、今年の特徴でした。

上の引用にある「非技術的な課題として、国際法の観点からの分析、メディア対応」についても取り組んだこと書かれていることは興味深い。国際法は、サイバー領域においては、重要な争点にもなるテーマであり、「メディア対応」とは、「フェイクニュースや情報操作への対応も演習の中で問われた」とも報告されていることから、文字通り情報戦領域での対応ということを含んでいるに違いない。

サイバー戦争cyber war/warfareの領域では、まだ「戦争」そのものが明確な国際法上の共通の了解事項を確立できていない。何が国際法上の違法な戦争行為なのか、という問題だけでなく、そもそも、サイバー上の行動が戦争行為なのかどうかの判断すら容易ではない。いわゆる重要インフラへのサイバー攻撃は、その意図が金銭目的であれば「犯罪」であり、政治目的であれば「戦闘行為」だといった判断は、見かけほど簡単ではない。犯罪を装った政治的な行為の場合もあるからだ。つまり意図を隠して相手を騙すことは実空間の戦闘行為でもありうるが、サイバー領域ではこうした騙しcyber deceptionはサイバー攻撃/防御の主要な手段でもある(deceptionそのものは古くからある情報戦の手法だ6)。ここには同時にメディア対応も含まれる。メディアを用いていかに敵の関心や判断を欺くか、自らの行動の違法性を隠蔽しつつ適法性を誇張あるいはでっちあげるか、こうしたことの全てが、自国民の士気に関わり、また実空間での戦闘作戦行動の成否を分けることにもなる。こういったことが伝統的なマスメディアだけでなくSNSも巻き込み―つまり一般の人々の情報発信環境そのものを戦争に利用し―、しかも生成AIなどの技術も駆使して展開されるのが現代のサイバー領域の特徴でもある。7

IPAやJPCERTは、マルウェアやソフトウェアのセキュリティ関連情報などの重要な情報提供源であり、その信頼は高い。こうした組織が、戦争に関わることになるとき、組織の性格が根底から変質しかねない。インターネット以前の時代の戦争であっても、戦時体制における情報はおしなべて信憑性に欠けるということを何度も経験してきた。8だからこそネットワークのセキュリティ組織が軍事安全保障に加担することは私たちのコミュニケーションのセキュリティを直接危うくすることになる。

4.2. NTTなど情報通信インフラ企業

ロックド・シールズに参加した民間企業としては、NTTの関連企業や電力インフラを担う企業などがある。NTTは多くの傘下の企業が大挙して参加した。NTTはウエッブ上で「国際サイバー防衛演習『Locked Shields 2023』にNTTグループが参加」と題して以下のように告知した。

「NTTグループは、4月18日から21日まで開催される、NATOサイバー防衛協力センター (CCDCOE: Cooperative Cyber Defence Centre of Excellence)主催の国際サイバー防衛演習「Locked Shields 2023」に参加します。

NTTドコモ、NTTコミュニケーションズ、NTTデータ、ならびにNTTセキュリティ・ジャパンにとって、今回は昨年に引き続き、2度目の参加になります。本演習は、約40か国が参加し、架空の国に対するサイバー攻撃を想定して行われるものです。

日本チームは、同志国や団体との連携を深め、サイバーインシデント対応能力を共同で強 化するため、今回は、オーストラリアとチームを組み、日本の政府機関や民間企業、オーストラリア国防省とともに参加します。」

中部電力関係では中電シーティーアイや中部電力パワーグリッドが参加している。中部電力パワーグリッドはプレスリリースで次のように公表している。

「ロックド・シールズ」は、世界最大規模のサイバー防衛演習であり、今回はNATO加盟国を含む約40か国が参加しました。日本からも防衛省・自衛隊を始めとする関係省庁や民間事業者などが2021年より参加しており、当社も2021年から今回で3回目の参加となります。

当社は、本演習にて得られたサイバー攻撃対応、技術などの知見を活用し、サイバーセキュリティ強化に努めることで、産業界のサイバーセキュリティ向上に貢献してまいります。

中電シーティーアイのプレスリリースもほぼ同文だ。

同様に東北電力参加の情報システム関連企業のToinxも「NATOサイバー防衛協力センター主催のサイバー防衛演習 『Locked Shields 2023』に当社社員が参加しました」としてウエッブで次のように述べている。

演習は架空国家へのサイバー攻撃を想定したもので、参加国はリアルタイムに行われるサイバー攻撃から情報システムや重要インフラを防御、維持することが求められます。

日本はオーストラリアとの合同チームとして参加し、演習では政府機関や民間企業が連携しながらサイバーインシデント対応能力向上を図りました。

日本の企業でロックド・シールズに参加した企業はこれらだけではなく、政府省庁と合わせてどれだけの参加があったのか、全体像は不明だ。しかし、こうした大規模の演習に参加するには、日常的な省庁と官民の連携体制が構築されていなければならない。こうした演習を繰り返すなかで、連携体制が水面下で繰り返し調整されてきたのではないか。自衛隊と官民の連携が軍事演習を目的としてすでに数年前から準備されてきたとすれば、安保防衛三文書での能動的サイバー防御は、実は物語の始まりなどという呑気なレベルではない。自衛隊の再編とサイバーを含む軍事安全保障に私たちのコミュニケーション空間を包摂する動きは、物語の最後の仕上げとしての法整備の段階に入っているとみるべきだろう。つまり現実の権力の振舞いが法を越えており、この既成事実を立法化を通じて正当化するという構図になっている。この国には法の支配はないといってもいい。

5. 軍事の非軍事領域への浸透が意味するもの

ロックド・シールズの演習は、そもそも自衛隊が民間の情報通信システムを何らかの形で利用できなければ成り立たない。自衛隊法では自衛隊が民間の電気通信設備を利用する場合の要件を次のように定めている。

第百四条 防衛大臣は、第七十六条第一項(第一号に係る部分に限る。)の規定により出動を命ぜられた自衛隊の任務遂行上必要があると認める場合には、緊急を要する通信を確保するため、総務大臣に対し、電気通信事業法(昭和五十九年法律第八十六号)第二条第五号に規定する電気通信事業者がその事業の用に供する電気通信設備を優先的に利用し、又は有線電気通信法(昭和二十八年法律第九十六号)第三条第四項第四号に掲げる者が設置する電気通信設備を使用することに関し必要な措置をとることを求めることができる。

ここでいう自衛隊法76条とは「防衛出動」の規定で以下のように定められている。

第七十六条 内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。この場合においては、武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(平成十五年法律第七十九号)第九条の定めるところにより、国会の承認を得なければならない。 一 我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態

NATOの演習の前提は、上記の自衛隊法でいう武力攻撃事態を想定したものだ。自衛隊法の前提では、通信インフラを利用する主体自衛隊と解釈できる。しかし、NATOの演習をみるとわかるように、むしろ民間の通信インフラ業者などが自衛隊とともにサイバー領域における防御や攻撃の主体となり、相互に連携しながら行動することが想定されている。これは一体どのようなことを意味しているのか。

自衛隊法104条で「電気通信設備を優先的に利用」とある。「優先的」というのはどのようにして可能になるのかはこの限りでは明確ではない。しかし、民間の通信インフラを自衛隊が占有して、事業者の技術者や社員を排除して、自衛隊員が全ての作業を行なうことなど不可能だ。しかし、サーバーなどの機器やネットーワークにアクセスする特権的なスーパーユーザーのパスワードなどアクセス権限を持たせなければ「優先的」な使用は実現できない。そうでなければ、通信事業者の社員が自衛隊と連携をとって自衛隊の業務の一翼を担うような体制がとられなければならない。これは容易なことではなく、だから、ロックド・シールズの演習では、こうした情報通信事業者の軍事的な役割を実戦的に経験できる機会を与えているのではないかと思う。

自衛隊が通信ネットワークへの特権を持つということは、プロバイダーのシステムは事実上自衛隊が掌握するということを意味する。そうなれば、標的となる「敵」だけでなく、プロバイダーと契約している全てのユーザーの通信もまた自衛隊の監視下に置かれることになりかねない。自衛隊だけでなく警察庁もまた特権的なシステムへのアクセスの権限を持ちたがることは目にみえている。実空間での武力攻撃事態やその前段にありうる様々な軍事行動・作戦とは違い、サイバー領域における戦争では、その参加者の顔ぶれは一気に広がりをみせることになる。実際には自衛隊がみずからの組織以外の国、民間の機関と連携してこれら自衛隊外のシステムを能動的サイバー防御で利用するためには、武力攻撃事態などに限定している自衛隊法の改正が必要になるだろう。

他方で自衛隊以外の国の組織や民間企業がNATOの正式の軍事演習に参加することについての「違法性」はあるのだろうか。実はこの点もまた私たちがきちんと議論すべき重要な課題になる。私は、そもそも一般論としては、日本は、戦力の保持も交戦権も放棄しているわけだから、政府機関であれ民間企業であれ軍事演習に参加することも認められていないと考える。これがサイバー空間においても適用可能かどうかという問題は、サイバー空間における武力行使とは何なのか、ここでの武器とは何なのか、戦闘行為とは何なのか、といった一連の戦争に関連する諸々の事柄が総体として再定義されなければならない、という問題に関連してくる。

19世紀から20世紀の2世紀の間の戦争は、人間の実感や経験から戦争の残酷さを可能な限り消し去り、機械化と距離を手段にして、殺戮の実態を非知覚化させてきた。サイバー領域の戦争は、こうした過程の延長線にある。サイバー空間のなかでは残酷に破壊されて肉片になるような事態は起きないために、その残酷さは隠蔽されがちだ。情報通信のネットワークには、諜報活動や偽旗作戦やGPSによる標的の把握やコンピュータを内蔵した戦闘機や戦車まで、多様な構成要素があるが、その一部は、これらを通じて、最終的に殺傷力のある兵器の引き金を引くようなプログラムと接続されて、実空間の破壊に結果する。別の一部は、ソフトターゲットを標的に間接的な死を将来するような脅威を実空間に与える。同時に情報戦を通じて偽情報を拡散し、憎悪と愛国心を増幅する。ロックド・シールズの演習についての複数の報告を読む限り、上述したようなサイバー領域の戦争のかなりの部分が演習に含まれている。「かなり」というのは、最終的な実空間で行動する部隊との連携についてはほとんど具体的な説明がないからあいまいな部分があるということだ。サイバー戦争の演習は、あたかもサイバー空間での戦闘行為で完結しているかのような印象を受けるが、これでは完結した演習にはならない。だが、この戦争の最もネガティブな側面―戦闘員だけでなく非戦闘員であれ子どもであれ敵を残酷に殺すことが勝利の条件であるという側面―を表に出さないことによって、民間のIT技術者などが、日常のセキュリティ業務の延長として軍事演習に参加できてしまうような敷居の低さを演出している、ともいえる。

そうであるとすれば、なお一層技術者たちに求められるのは、自分たちのコンピュータが結果として武器化し、プログラムが悪用されるという事態への、これまれ以上に敏感な警戒と自制の意思だろう。自分の作業が、プロジェクト全体の文脈のなかでどのような役割を担っているのか、という全体を俯瞰できることだけではなく、そもそものプロジェクトの社会的政治的な性格を理解して、参画そのものの是非を判断できなければならないだろう。言い換えれば、実空間の戦闘行為とは違い、サイバー領域における「戦闘」の文脈は極めてわかりにくいために、不可視の領域や非知覚過程を理解した上で、サイバー領域を平和の領域としてプログラムする意識が必要になる。こうしたことは、一部の技術者だけの問題ではなく、パソコンやスマホを道具とする私たち一人ひとりにも求められる意識である。

6. 武器・兵器の再定義

言うまでもなく、民間企業が武器を保有して戦闘行為を行うことはそもそも禁じられている。しかし、サイバー領域は、こうした法的な禁止の枠組を巧妙に回避し、コンピュータシステムを事実上武器化することが可能な領域として存在している。政府と重要インフラ関連の産業が結託して、サイバー領域におけるコンピュータの武器化に内在する違法性を阻却してしまうことが起きているともいえる。

防衛省の解釈では自衛隊法上の武器は「火器、火薬類、刀剣類その他直接人を殺傷し、又は、武力闘争の手段として物を破壊することを目的とする機械、器具、装置等」であり、コンピュータや情報通信機器は含まれていない。サイバー戦争は想定されていないか、あえてサイバー領域の武器を排除しているか、そのいずれかだろう。

実は、パソコンのような私たちの誰もが所持したり自由に使える道具が、サイバー領域における軍事行動―諜報活動や情報戦からドローンにミサイル発射を指令するコマンドまで―では主要な武器になる。しかし、政府も法律も、これを武器としての定義には含めていない。反戦平和運動の側でも武器の認識はない。

実際はどうかといえば、パソコンはすでに実空間の戦場でも戦闘行為に必須の機器になっているが、サイバー領域では、これが主役の武器と化す。ロックド・シールズの軍事演習で用いられたコンピュータは、敵のシステムを攻撃し、敵からの攻撃を防御する武器だ。この演習に参加した人達はどのような認識だったのか。推測でしかないが、少なくとも日本から参加した自衛隊を除く官民の参加者たちは、自分たちがそもそも軍事演習に参加しているという実感すらほとんど持てていないのではないだろうか。もし、これが、実空間の演習で、発電所をめぐる攻防として設定されたとすれば、この演習に参加した人達は確実に自分たちの行為が直接・間接に「戦闘行為」であることを自覚するだろう。しかし、同じことがサイバー領域で展開され、結果としてはコンピュータで制御されている電力インフラを遮断したり破壊することで、場合によっては物理的な破壊に結果する(原発の冷却系統を制御しているコンピュータを遮断して原子炉の冷却に必須の電源供給を停止させるなど)としても、こうしたサイバー領域での自分の行為が戦闘行為とは実感できていないのではないか。

私たちが日常の必需品として用いているパソコンやスマホは、サイバー戦争では武器になる、という認識を持つ必要がある。台所の包丁が料理にも殺人にも使えるのと似ているが、パソコンの場合は直感的には理解しづらい。だが現代の戦争は、この分りづらさのために、人々の戦争への警戒心を騙し、回避しやすいともいえる。戦争は、ネットワークをその一部とし、結果としてネットワーク化され、20世紀の前半までとは全く異なる構成をとって編成される新たな性格を有しながらも、究極の目的は、実空間における敵の人的物的な破壊を通じて国家や集団の政治目的を実現しようとすることにある。しかも、私たちのパソコンも通信デバイスも、それが戦争の武器になるかどうかは、私たちが自覚的に決定できるとは限らない。私たちが知覚しえないバックグラウンドで動作するプログラムがサイバー攻撃の一翼を担うことはありうるからだ。あるいは情報戦のなかで、ごくささやかなSNSでの悪意の呟きが、巨大な世論の一画をなしつつ言論空間におけるヘイトスピーチに加担したり、敵への感情的な憎悪を増幅することに加担するかもしれない。こうした戦争の広がりを、ロックド・シールズの演習は見据えている。

この意味で「戦争」の広がりは想像を越えている、と考えるべきだ。その上で、私たちのスマホやパソコンを非武器化することは急務であり、私たちの責任であり義務ですらあるところにきていると思う。だが同時に、このことは、戦争を拒否する私たちの権利の実現にとって必須の条件でもあるのだ。では非武器化とはどのようなことなのだろうか。この大きな問いは、別稿に譲りたい。

Footnotes:

1

「日本におけるリーガルマルウェアの有効性と法的解釈」https://www2.deloitte.com/jp/ja/pages/technology/articles/cyb/dt-arlcs-digest05.html%E3%80%81%E3%80%8CHacking Team社の情報漏えいで明らかになったリーガル・マルウェア」https://knowledge.sakura.ad.jp/3909/、 「合法マルウェアとサイバー傭兵」https://blog.kaspersky.co.jp/legal-malware-counteraction/5099/

2

How BAE sold cyber-surveillance tools to Arab states – BBC News, https://www.youtube.com/watch?v=u7eT-FboQIk

3

「閣僚は,国際法がサイバー空間に適用されるとともに,一定 の場合には,サイバー攻撃が日米安保条約第5条の規定の適用上武力攻撃を構 成し得ることを確認した。閣僚はまた,いかなる場合にサイバー攻撃が第5条の 下での武力攻撃を構成するかは,他の脅威の場合と同様に,日米間の緊密な協議 を通じて個別具体的に判断されることを確認した。」「日米安全保障協議委員会共同発表」2019年4月19日、https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000470737.pdf

4

CCDCOEのサイトでは2023年の軍事演習に「協力」した団体として、以下の名前が挙がっている。TalTech(エストニア)、Clarified Security(エストニア)、Arctic Security(フィンランド)、Bittium(フィンランド)、CR14(エストニア)、SpaceIT(エストニア)、Atech、cybensis GmbH(スイス)、Microsoft、SUTD iTrust Singapore(シンガポール国防省とSUTDが共同で設立)、Fortinet(米国、日本法人あり)、National Cybersecurity R&D Laboratory(シンガポール), Financial Services Information Sharing and Analsyis Center (FS-ISAC)(米国), HAVELSAN(トルコ), Deepensive(エストニア/トルコ), Estonian Defces, NATO Strategic Communications Centre of Excellence, Forestall(米国?), Rocket.Chat, Telial, VTT

5

2023年警察白書第3章サイバー空間の安全の確保の欄外のコラムで数行言及があるのみ。「サイバー防衛演習「ロックド・シールズ 2023」への参加 令和5年4月に開催された NATO サイバー防衛協力センター主催のサイバー防衛演習「ロックド・シールズ 2023」において、オーストラリアと我が国の合同チームが編成され、防衛省等と共に、警察庁からも職員が参加した。」p.110

6

情報戦の歴史については、トマス・リッド『情報戦争の百年秘史』、松浦俊輔訳、作品社、参照。

7

だから、戦争に加担しない、戦争を煽らない立ち位置をどう取るのかは、実空間の武器や戦力への注目に加えて、広範囲なコミュニケーション領域そのものの非武器化を視野に入れる必要がある。この意味で、戦争における「銃後」を支える民衆の憎悪とナショナリズムの問題への取り組みは非常に重要になる。

8

ウィンストン・チャーチル「真実が非常に貴重である戦争中には、真実は嘘のボディーガードが付き添わなければならない」 Kristin E. Heckman et.al., Cyber Denial, Deception and Counter Deception A Framework for Support, Springer, 2015より引用。


参考資料

https://www.mod.go.jp/j/policy/hyouka/rev_gaibu/pdf/2023_01_siryo_055.pdf
https://www.mod.go.jp/j/policy/hyouka/rev_gaibu/pdf/2023_01_siryo_055.pdf
「北大西洋条約機構(NATO)について」2023年4月 外務省欧州局政策課 https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100156880.pdf

Author: 小倉利丸

Created: 2023-10-11 水 22:22

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能動的サイバー防御批判としてのサイバー平和の視点―東京新聞社説「サイバー防御 憲法論議を尽くさねば」を手掛かりに

東京新聞が9月22日付けで能動的サイバー防御に焦点を当てた批判的な社説を掲載した。社説では、能動的サイバー防御問題点の指摘として重要な論点が指摘されており、好感がもてるものだったが、「情報戦」への対応についての指摘がないこと、自衛隊などの抜本的な組織再編への指摘がないなど、サイバー領域固有の難問に十分に着目できていないのは残念なところだ。以下、社説を引用する。

政府がサイバー攻撃を未然に防ぐ「能動的サイバー防御」導入に向けた準備を進めている。政府機関や重要インフラへのサイバー攻撃が多発し、対策は必要だが、憲法が保障する「通信の秘密」を侵し、専守防衛を逸脱しないか。憲法論議を尽くさねばならない。

 中国軍ハッカーが3年前、日本の防衛機密システムに侵入していたことも報じられている。

 現行法では有事以外、事後にしか対応できず、政府は昨年12月に改定した「国家安全保障戦略」にサイバー空間を常時監視し、未然に攻撃者のサーバーなどに侵入して無害化する「能動的サイバー防御」導入を盛り込んだ。近く有識者会議で議論を始め、関連法案を来年の通常国会にも提出する。

 ただ、常時監視やサーバー侵入が憲法に違反しないか、慎重に検討することが不可欠だ。

 例えば常時監視では、国内の通信事業者の協力を得てサイバー空間を監視し、怪しいメールなどを閲覧、解析するというが、「通信の秘密」を保障し、検閲を禁じる憲法21条や電気通信事業法に抵触しかねない。政府による通信データの収集が際限なく広がり、監視社会化が加速する懸念もある。

 サイバー攻撃を受ける前に海外サーバーに侵入し、疑わしい相手側システムなどを破壊すれば先制攻撃とみなされる可能性もある。憲法9条に基づく専守防衛を逸脱する恐れが否定できないなら、認めてはなるまい。

 能動的サイバー防御を具体化するには、ウイルス(不正指令電磁的記録)作成罪、不正アクセス禁止法、自衛隊法など多くの法律の改正が必要となる。政府はそれらを一括して「束ね法案」として提出する方針だというが、束ね法案では審議時間が限られ、十分に議論できない可能性がある。

 憲法との整合性が問われる重大な問題だ。国会はもちろん、国民的な幅広い論議を妨げるようなことがあってはならない。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/279002?rct=editorial

社説では、 「例えば常時監視では、国内の通信事業者の協力を得てサイバー空間を監視し、怪しいメールなどを閲覧、解析するというが、『通信の秘密』を保障し、検閲を禁じる憲法21条や電気通信事業法に抵触しかねない。政府による通信データの収集が際限なく広がり、監視社会化が加速する懸念もある」 と指摘しており、私もこの指摘は重要な論点だと思う。

しかし他方で、私たちにとって厄介なことは、サイバー空間を監視するということのイメージがなかなか把握しづらいことだ。自衛隊や米軍の基地を監視する、という場合のように直感的にわかりやすい話ではない。しかし、反戦平和運動をサイバー領域で展開する上では、

・サイバー空間を監視とはどのようなことなのかを具体的に理解する

・怪しいメールなどを閲覧、解析するとはどのようなことを指しているのかを具体的に理解する

ということがわからないと、そもそも憲法や現行法に関連して、政府や自衛隊が行なうどのような行為が現行法に抵触するのか、将来的にありうる法の改悪の意図も漠然としてしか理解できないことになる。

更には多くの人達に能動的サイバー防御反対を訴えるにしても、(私も含めて)反戦平和運動の側がこの問題についてちゃんと説明できるかどうかが問われる。ここが難問だと思う。

たとえば、政府や自衛隊や警察などがウエッブやSNS上に公開されている情報を見て回ることも「監視」だ。公開情報の監視については、法制度上は違法性を提起しづらいと考えられがちだし、実際そうだろう。しかし、現状は、こうした政府の監視の手法を許していいかどうかが問題にされるべきところにきている。たとえば、生成AI―そのデータの大半は公開されている膨大なデータの機械学習が前提―を駆使して、特定のサイトやSNSの発信者を監視する根拠として利用したり、情報戦の一環としての政府がプロパガンダとしての情報発信に利用するということが想定される。 安保防衛三文書では日本政府が国家安全保障に利することを企図して偽情報を発信することを明文で禁止していない。しかも公開されている情報と私たちが情報として実感できている事柄の間には大きな開きがあるために、私たちが「監視」と呼んでイメージしている事柄と実際に政府や自衛隊が行なう現行法上でも適法な情報収集の間にすら大きな開きがあるのだ。

一般に私たちは自分のパソコンがネットに繋がっているときに使用されているIPアドレスや、自分のパソコンが接続先に送信している様々な機器やソフトウェアの特性(メタデータやフィンガープリント)などは実感できず、知らないか関心をもたない。政府省庁のウエッブにアクセスしたときに、こうした私たちのデバイスの情報が自動的に相手に取得されることにも気づいていないことが多いと思う。こうした収集することについての法的規制はない。クッキーもそうしたものの一種として知られているがフィンガープリントはそれとも違う種類のものでアクセスする者が誰なのかを絞り込むための手掛かりになる。「監視」というと何か特別な権限をもった機関がひそかに一般の人達にはできない手法などを用いて覗き見るような印象があるが、現代の監視はそれだけではない可能性が大きいということだ。だから、政府や企業が公開情報を網羅的に収集すること、それらを生成AIに利用すること自体に歯止めをかける必要がある。 また、メールの閲覧なども、現行法の枠内でも、裁判所の令状によるもののほか、令状なしでも所定の手続きをとってプロバイダーからデータを取得することが頻繁に行なわれている。このこと自体が大問題にもかかわらず、更なる悪法が登場すると、現行法の問題が棚上げにされて、いつのまにか現行法を支持するように主張せざるをえない状況に追い込まれがちだ。

一般に、生成AIの普及とともに、政府や企業による過剰なデータ収集への危惧の意識が高まっているが、他方で、多くの国では、一般論として、民間企業が営利目的でAIを利用することへの規制を進めつつも、他方で、国家安全保障の分野は例外扱いとされる場合が多くみられる。日本の場合もこうなる危険性があるだけでなく、サイバー領域総体が国家安全保障の重要な防衛領域とみなされることによって、プライバシーや人権、通信の秘密といった重要な私たちの普遍的な権利がますます軽視されることにもなりかねないだけでなく、コミュニケーションの主体でもある私たちが、この国家安全保障のなかで「サイバー戦争」への加担者にされかねないという、リアル領域ではあまりみられない構図が生まれる危険性がある。

社説では以下のようにも指摘している。 「 サイバー攻撃を受ける前に海外サーバーに侵入し、疑わしい相手側システムなどを破壊すれば先制攻撃とみなされる可能性もある。憲法9条に基づく専守防衛を逸脱する恐れが否定できないなら、認めてはなるまい。 」 これも大切な論点だが、従来の取り組みでは刑事事件としてのサイバー攻撃と軍事上おサイバー攻撃の区別そのものが問題となるべきことでもある。サイバー攻撃を武力攻撃として格上げして、これに過剰に対処することがありえる。三文書や防衛白書などでもでてくる言葉に「アトリビューション」という耳慣れない言葉がある。(わたしのブログ注15参照)これは、そもそも「疑わしい相手側システム」の特定そのものが容易ではないことに由来する言葉で。攻撃相手を特定することを指す。サイバー領域では、誰が攻撃の責任を負うべき存在なのかの確認が難しいので、この確認を間違うと誤爆してしまう、ということからしばしば用いられる言葉だ。それだけ攻撃者の特定は容易ではないともいえる。

個別の事案として発生するサイバー攻撃を「武力攻撃」とみなしうるものかどうかの判断が恣意的にならざるをえず、しかも攻撃の相手の特定を見誤るリスクすらあるなかで、未だに攻撃がなされていない段階で、サイバー領域での「武力攻撃」を予知して事前に先制攻撃を仕掛けるとなると、幾重もの誤算のリスクによって、事態を必要以上に悪化させて、日本側がむしろ戦争を主導する役割を担うことになりかねない。サイバー攻撃はリアル領域における武力行使と連動するものでもあるので、相手からのリアル領域での攻撃を挑発することにもなりかねない。あるいは、こうした不確定な要素を折り込んで日本側が意図的にサイバー領域での「武力攻撃」を仕掛け、私たちには相手のサイバー攻撃への防衛措置だという「偽情報」で偽るという情報戦が組込まれることも想定しうる。

ウクライナのサイバー軍日本からの参加者もおり、世界中から参加者を募集して構成されている。実際に攻撃に用いられたサーバーは世界各地にあると想定されるが、これらのサーバーが置かれている国が攻撃の主体であるとは限らない。あるいは身代金目当てのようにみせかけて、実際には政治的な意図をもった攻撃も可能だ。軍隊が銀行強盗したり病院を襲撃すれば一目瞭然だが、サイバー領域における軍隊の動きは視覚的に確認することは難しい。

サイバー領域での戦争へに参加は、自分が普段使っているパソコンやスマホにちょっとしたアプリをインストールするだけでできてしまうことも社説では言及がない。これは瑣末なことではなく、むしろサイバー領域での戦争の基本的な性格を示すものだ。私たちのパソコンやスマホが「武器化」する、ということだ。自衛隊や日本政府が攻撃の主犯だとしても実際の実行犯は一般の市民だったり外国にいる人達だったりすることが可能になる。自分のパソコンの操作の結果として、相手(敵)国の一般市民の生存に深刻な打撃を与えることもありえるが、その実感をもつことはとても難しいので、戦争で人を殺す実感に比べれば、参戦のハードルは極めて低い。

わたしたちのパソコンやスマホが武器化することを断じて許さないためにも、サイバー戦争に対してサイバー平和の観点を積極的に打ち出し、政府や企業がサイバー領域で戦争行為を行うことだけでなく、国家安全保障目的で公開情報を含めて網羅的にデータを収集しこれをAIなどで利用することを禁じたり、情報戦の展開を禁じたり、戦争を煽る行為を規制して、サイバー領域の平和を確保することが重要になる。ヘイトスピーチの問題もまた戦争との関係で関心をもつことが必要だ。こうした取り組みは、リアル領域での戦争の枠組みを大幅に越えた領域での取り組みとなるために、従来の反戦平和運動ではなかなか視野に入りづらい論点にもなる。

以上のようなことは、現在検討されている国連のサイバー犯罪条約(この件については別に論じたい)の内容とも密接に関連する。とくに、サイバー犯罪とサイバー攻撃との区別が事実上ないなかで、条約案のなかのサイバー犯罪についてのネット監視の条項は、国家の安全保障への対応に転用可能だ。

能動的サイバー攻撃関連の法改正と国連サイバー犯罪条約関連の法改正は相互に関連するものとして通常国会にもでてくる可能性がある。 サイバー領域における戦争放棄と通信の秘密の権利の確保は今後の日本の反戦平和運動の重要な取り組み課題になるべきことと思う。

参考

JCA-NETのセミナーでの国連サイバー犯罪条約についての解説のスイライド

https://pilot.jca.apc.org/nextcloud/index.php/s/GqBN8EDJABDR7ak

ウエッブであちこちのサイトにアクセスしたときに、相手のサイトにどのような情報が提供されているかを知りたいばあい、以下のサイトで確認できる。

https://firstpartysimulator.org/ 「test your brouser」というボタンをクリックして1分ほど待つと結果が表示される。これが何なのか、英語なのでわかりにくいと思う。下記に日本語の解説がある。

https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/eff_coverfootprint_jp/

能動的サイバー防御批判(「国家防衛戦略」と「防衛力整備計画」を中心に)



本稿は、「能動的サイバー防御批判(「戦略」における記述について)」の続編です。

Table of Contents

1. はじめに

前回は、国家安全保障戦略における能動的サイバー防御の記述を中心にとりあげたが、今回は、国家防衛戦略(以下「防衛戦略」と書く)と「防衛力整備計画」(以下「整備計画」と書く)の記述を中心に批判的な検討を加える。前回検討した「国家安全保障戦略」が外交そのほか国家の統治機構総体を対象にして、国家の―民衆のそれとは対立する―安全保障全体を鳥瞰しつつ軍事化への傾向を如実に示したものだとすれば、「防衛戦略」は、もっぱら自衛隊の動員を前提とした記述だといえるのだが、以下にみるように、ここでの自衛隊の役割は従来のそれとは質的に異なるものになっている。

2. 国家防衛戦略における現状認識

「防衛戦略」のなかで「防衛上の課題」として次にような現状認識を示している。

ロシアがウクライナを侵略するに至った軍事的な背景としては、ウクライナの ロシアに対する防衛力が十分ではなく、ロシアによる侵略を思いとどまらせ、抑 止できなかった、つまり、十分な能力を保有していなかったことにある。
また、どの国も一国では自国の安全を守ることはできない中、外部からの侵攻 を抑止するためには、共同して侵攻に対処する意思と能力を持つ同盟国との協力 の重要性が再認識されている。
さらに、高い軍事力を持つ国が、あるとき侵略という意思を持ったことにも注 目すべきである。脅威は能力と意思の組み合わせで顕在化するところ、意思を外 部から正確に把握することには困難が伴う。国家の意思決定過程が不透明であれ ば、脅威が顕在化する素地が常に存在する。

つまり、

  • ウクライナのロシアに対する防衛力が不十分だったことが侵略を招いた。侵略を思い止まらせるだけの「能力」を持つべきだ。
  • 一国だけでの防衛は不可能だから同盟国との共同対処が重要である。
  • 高い軍事力をもつ国が侵略の意思をもつようになっている。

ウクライナへのロシアの侵略の原因が防衛力が不十分であるというのであれば、ロシアの軍事力との比較で劣位にある国は多くあるので、この理屈は成り立たない。むしろ、ウクライナがNATOに接近するなど、その防衛力を軍事的にも高度化させる傾向をもつことによって、ロシアとの緊張が高まり、人々は国家の安全保障戦略の犠牲となって生存のリスクを高めた。軍事的能力が高まれば高まるほど緊張関係が悪化し、武力行使のリスクが高まったのではないか。侵略を思いとどまらせることは、軍事的な能力ではなく、外交的な能力にこそあったと思うのだが、「防衛戦略」という文書の位置付けだからだろうが、軍事的な「能力」の高度化こそが抑止力となる、という認識が突出している。言い換えれば、ここには、国家安全保障戦略が本来であれば担うはずの、軍事以外の国家戦略がそもそもほとんど希薄なために、防衛戦略もまた非軍事的な防衛戦略が不在になった。これが戦後平和憲法の帰結であるとすれば、戦後の日本は、ほぼ平和戦略を何ひとつ持たないままずるずると軍事的な安全保障の砂地獄にはまりこんできた歴史を歩んだ、というしかない。

同盟国との共同対処に関する文言は、集団的自衛権を含意しているが、サイバー領域ではすでに実戦可能なところにまで進んでおり、「防衛戦略」のなかでも最も問題の大きいスタンスだといえる。

三番目の「高い軍事力を持つ国が、あるとき侵略という意思を持ったことにも注目すべきである」という文言は、言外にロシアのウクライナ侵略や中国の東アジアにおける動向を念頭に置いた言い回しを通じて、現状の軍事安全保障の中心的な課題のひとつにロシアや中国を焦点化させている。これは、この間繰り返し政府やマスメディアが煽ってきた日本をめぐる危機の構図のなかで、ロシアと中国がとりわけ侵略の意思を持つものだという主張を繰り返してきたことを反映している。1確かに、ロシアや中国の動向にこうした挑発的な言説の傾向がないとは言えないが、他方で、日本が同盟国とか有志国と位置付けている米国や欧米諸国が挑発的な態度をとってこなかったかといえば、そうではない。対テロ戦争を宣言したブッシュのイラクやアフガニスタンで遂行してきた軍事作戦にある種の「侵略」の要素を見出すことは難しくない。「防衛戦略」があえて無視していることだが、高い軍事力を持つ諸国として、ロシア、中国だけでなく欧米諸国もまた「侵略という意思を持つ」ことがありうるということにこそ私たちは注目しておく必要がある。

ここでは、「脅威は能力と意思の組み合わせで顕在化する」という文言も気になるところだ。一般に防衛力(軍事力、武力)を論じるときには軍事的な能力に注目が集りやすい。防衛予算や武器の調達などへの関心は高いが、「意思」への関心は低い。「防衛戦略」では、能力と意思の組み合わせを「敵」の能力として論じているが、これは軍事力のありかたとして、敵であれ味方であれ共通した条件である。意思とは、戦争を遂行するための明確な決意とそのための指揮命令への服従といった狭い意味から、「国民」の戦争を支持する意識といった戦争を支える大衆的な基盤まで幅広い。サイバー領域は、直接的な戦闘だけでなく、まさにこの「意思」に最も密接に関わる分野をも主要に担う。部隊が直接戦闘状態のなかで、敵の位置を把握したり電子的な技術と連携した武器を使用するなどという事態もあるが、それだけではなく、いわゆる情報戦と呼ばれる領域が重要な意味をもつようになる。同時に、直接人々の意思に関わるわけではないが、電力や金融などの経済活動から医療などのサービスに不可欠なコンピュータネットワークをターゲットにすることで、非軍事的な基盤への攻撃を通じて人々の戦争への「意思」を挫こうとする。こうした場合にサイバー領域は重要な役割を果す。

「防衛戦略」は、直接の武力行使を遂行することについては憲法上の制約など多くのハードルがあるために慎重な言い回しになるが、実際に同盟国との軍事的な協力については、サイバー領域では、「能動的サイバー防御」の文言にみられるように、より直接的に「攻撃」を担う可能性が極めて高い。この領域は、日本国内の反戦平和運動の弱点にもなっており、野党からの批判をかわしやすく、しかも、現行法の枠内でも十分に対処できるだけでなく、極めて秘匿しやすい行動でもある。戦車や戦闘機の行動は目につきやすいが、どこかの施設のなかでパソコンの端末からサイバー攻撃のコマンドを打ち込む作業は、一般の人々の目にすることはまずない。

3. 戦い方の変化

今回の「防衛戦略」の特徴は、これに加えて、「戦い方も、従来のそれとは様相が大きく変化してきている」とし、次のように述べている。(II「戦略環境の変化と防衛上の課題」3防衛上の課題」)

精密打撃能力が向上した弾道・巡航ミサイルによる大規模なミサイル攻撃、 偽旗作戦を始めとする情報戦を含むハイブリッド戦の展開、宇宙・サイ バー・電磁波の領域や無人アセットを用いた非対称的な攻撃、核保有国 が公然と行う核兵器による威嚇ともとれる言動等を組み合わせた新しい 戦い方が顕在化している。こうした新しい戦い方に対応できるかどうか が、今後の防衛力を構築する上で大きな課題となっている。

ここには幾つかの「戦い方」が列挙されている。

  • 精密打撃能力が向上した弾道・巡航ミサイルによる大規模なミサイル攻撃
  • 偽旗作戦を始めとする情報戦を含むハイブリッド戦
  • 宇宙・サイバー・電磁波の領域や無人アセットを用いた非対称的な攻撃2
  • 核保有国が公然と行う核兵器による威嚇ともとれる言動

そして、これらの「組み合わせ」による戦い方が顕在化しているという。

これらのなかの何が「従来のそれ」とは大きく異なるのだろうか。第一と第四は冷戦期から継承されているようにみえる。他方でハイブリッド戦や非対称攻撃はインターネットが支配的な社会インフラかつ軍事インフラになって以降の特徴になる。これらが個々ばらばらに存在しているのではなく、「防衛戦略」においてもこれらの組み合わせを念頭に置く必要がある、ということになる。この「組み合わせ」こそが曲者で、以下に述べるように、軍事安全保障が私たちの必須の権利を支えるコミュニケーション領域全体を覆うことになる。

つまり、「防衛戦略」では、新たな状況への対応として「平素から有事までのあらゆる段階において、情報収集及び共有を図る」と述べ、この一連の構造のなかに、防衛省・自衛隊を位置付けることになっている。

サイバー領域においては、諸外国や関係省庁及び民間事業者との連携 により、平素から有事までのあらゆる段階において、情報収集及び共有 を図るとともに、我が国全体としてのサイバー安全保障分野での対応能 力の強化を図ることが重要である。政府全体において、サイバー安全保 障分野の政策が一元的に総合調整されていくことを踏まえ、防衛省・自 衛隊においては、自らのサイバーセキュリティのレベルを高めつつ、関 係省庁、重要インフラ事業者及び防衛産業との連携強化に資する取組を 推進することとする。

ここでも、自衛隊は、それ自体で完結した取り組みの組織であるだけでなく、「関係省庁、重要インフラ事業者及び防衛産業との連携強化」が重視されている。

こうした全体の位置付けを踏まえて、「防衛戦略」では重視される七つの領域3のなかの「領域横断作戦能力」のなかで、能動的サイバー防御が以下のように論じられている。

サイバー領域では、防衛省・自衛隊において、能動的サイバー防御を 含むサイバー安全保障分野における政府全体での取組と連携していくこ ととする。その際、重要なシステム等を中心に常時継続的にリスク管理 を実施する態勢に移行し、これに対応するサイバー要員を大幅増強する とともに、特に高度なスキルを有する外部人材を活用することにより、 高度なサイバーセキュリティを実現する。このような高いサイバーセ キュリティの能力により、あらゆるサイバー脅威から自ら防護するとと もに、その能力を生かして我が国全体のサイバーセキュリティの強化に 取り組んでいくこととする。

「防衛戦略」には何度も「領域横断作戦能力」という言葉が登場する。戦略を掲げた文書になぜ作戦に関する事項が含まれるのかは、興味深い。作戦とは広義であれ狭義であれ、部隊による軍事行動を指す。4自衛隊が従来の軍事領域にとらわれずに広範囲にわたる―だから横断的と呼ぶわけだが―分野において、具体的に部隊を行動に移すことを念頭に置いているから作戦という文言を敢て採用したのだろう。つまり、自衛隊(防衛省)に「作戦」としての能力を明確に持たせ、このことを正当化するための文書として「防衛戦略」がある、ということだろう。

従って、サイバー領域において防衛省・自衛隊が、能動的サイバー防御だけでなく、サイバー安全保障全体に対して「政府全体での取組と連携」するという場合の「連携」とは、従来の軍事(防衛)領域を越えた部隊の作戦行動を遂行しうる能力を自衛隊に持たせることを意味しているといえよう。ここには二つの新しい観点がある。

ひとつは、従来のサイバー領域についての考え方のなかで、防衛省・自衛隊は中核的な役割としては位置づけられていなかったが、「防衛戦略」では、むしろ横断的作戦のための能力を保持するということによって、防衛省・自衛隊の役割が格段に強化された、ということだ。もうひとつは、従来のサイバー領域の部局横断的な連携の中核を担ってきた内閣サイバーセキュリティ本部の位置付けが変化せざるをえず、同時に総務省など既存の情報通信政策を担ってきた省庁の位置付けも安保戦略や防衛戦略に沿って見直しが必至だ、ということだ。つまり、政府の統治機構、とりわけ私たちにとって重要な情報通信の領域が安保防衛3文書を通じて根底から変質する可能性がある、ということだ。このためにはかなり抜本的な法制度などの変更が必要になり、省庁の利害も絡むために、現在まで特に目立った他省庁の防衛戦略を意識しての対応があるようにはみえないが、今後は法制度改革など国会を巻き込んだ動きが出てこざるをえない。こうした動きがどうなるかは、言うまでもなく、反戦平和運動がどれだけサイバー領域に関心をもって運動を構築できるかにもかかっている。

上に引用した箇所で、能動的サイバー防御を含めた「政府全体での取組と連携」は、実際にはこれから「取り組んでいくこと」と記述され、まだ実現できていない、という認識になっている。現状から「重要なシステム等を中心に常時継続的にリスク管理を実施する態勢に移行」するというが、ここで強調されているのは、単なるリスク管理体制ではなく「常時継続的」であることを可能にするようなリスク管理体制である。「重要なシステム」とは、政府の行政サービスや民間の事業分野など14分野5を重要インフラと位置付けているので、こうした分野が念頭にあるといえるが、これらのインフラはほぼ私たちの生活全体を覆うシステムでもあり、ここに常時継続的にサイバーの脅威からの「防護」を名目とした領域横断的作戦が展開可能な環境が整備されることになる。しかし、なぜ従来の重要インフラ防護では不十分なのか、なぜ領域横断的作戦能力に基づく能動的サイバー防御を自衛隊に委ねるような体制を整備するという選択肢をとる必要があるのか、他の選択肢の検討も一切なされていない。

4. 従来の重要インフラ防御とサイバーセキュリティ戦略から軍事突出へ

上述したように、自衛隊の領域横断的作戦能力を持たせ能動的サイバー防御を中核としたより攻撃的な手段に政府の統治機構全体を巻き込むようなスタンスは、3文書以前には明確ではなかった。

重要インフラのサイバーセキュリティ防護については2022年6月に「重要インフラのサイバーセキュリティに係る行動計画」(サイバーセキュリティ戦略本部、以下「行動計画」と略記)が公表されているが、ここには自衛隊の役割が明記されていない。たしかに防衛省は、警察庁、消防庁、海上保安庁とともに「事案対処省庁」のひとつとして記載されてはいる。しかし、重要インフラにおけるサイバーセキュリティ対応でリーダーシップをとることが期待される組織としては位置づいていない。(下図参照)

Figure 1: 情報共有体制(通常時) (出典:『重要インフラのサイバーセキュリティに係る行動計画』2022年6月 https://www.nisc.go.jp/pdf/policy/infra/cip_policy_2022.pdf )

Figure 2: 情報共有体制(障害対応時) (出典、同上)

「行動計画」は国家安全保障に関わるサイバー攻撃についても自覚して、次のように述べているが、3文書とは自衛隊に関するトーンがかなり異なる。

我が国を取り巻く安全保障環境は厳しさを増しており、サイバーセキュリティ戦略(令 和3年9月28日閣議決定)では、サイバー攻撃に対する国家の強靱性を確保し、サイバー攻 撃から国家を防御する力(防御力)、サイバー攻撃を抑止する力(抑止力)、サイバー空間 の状況を把握する力(状況把握力)をそれぞれ高めつつ、政府全体としてシームレスな対 応を抜本的に強化していくことが重要とされている。重要インフラ防護において、これ らを具現化していく。

ここでは、2021年のサイバーセキュリティ戦略を参照するかたちで、サイバー領域における防御力、抑止力、状況把握力を通じたインフラ防護が論じられている。このサイバーセキュリティ戦略では

「我が国への攻撃に際して当該 攻撃に用いられる相手方によるサイバー空間の利用を妨げる能力も活用していくとと もに、サイバー攻撃に関する非難等の外交的手段や刑事訴追等の手段も含め、然るべく 対応していく」

というように、「サイバー空間の利用を妨げる能力」に言及しつつも、これと平行して外交的手段などにも言及され、外交的対応の具体例が示されていた。能動的サイバー防御という文言はもちろんみあたらないが、全体として、日本による先制的なサイバー攻撃を強調するところにまでは至っていない。この点は、安保防衛3文書との決定的な違いであるのだが、この3文書が登場したことによって、それまでの全てのサイバー関連の国策の基本的な枠組みを見直さざるをえないことになってくるだろう。このときに、自衛隊は従来の軍事安全保障の枠を越えた組織としての力を付与されることになるが、それが、殺傷力のある武器・兵器のあからさまな強化を越えた領域において、いわば水面下で広がりをみせるに違いない、ということに気づいておく必要がある。

従来、自衛隊も警察も、サイバー領域における様々な「事象」に関しては、バイプレーヤーでしかなかった。むしろ民間の情報通信産業やセキュリティ産業が、インフラであれ技術的ノウハウであれ優位にあり、政府部内においても、主導権は内閣府の情報セキュリティセンター(サイバーセキュリティ戦略本部の事務局)にあった。私は、この体制がもたらした総体としての日本の監視社会化の問題は深刻だと判断しているので、これを容認するつもりは全くない。現状ですら容認できない監視社会化が進展しているなかで、さらに、これを上回る規模と体制で官民を一体とした監視社会化を軍事安全保障を主軸として再構築しようとするのが、サイバー領域における安全保障の深刻な問題なのだ。

5. 組織再編

こうして、防衛省・自衛隊の位置付けが根本から変更されたことによって、政府の統治機構は、総体として、軍事安全保障を中心とした構造へと転換されることになる。とくに特徴的なことは、国家の統治機構と民間企業とを包含した安全保障体制の再構築の要としてサイバー領域が位置付くようになっている点だろう。「防衛戦略」のなかの「領域横断作戦能力」の項では、具体的に次のような目標が掲げられている。

  • 2027 年度までに、サイバー攻撃状況下においても、指揮統制能力及び優先度の高い装備品システムを保全できる態勢を確立
  • 防衛産業のサイバー防衛を下支えできる態勢を確立
  • 今後、おおむね 10 年後までに、サイバー攻撃状況下においても、指揮統制能力、戦力発揮能力、作戦基盤を保全し任務が遂行できる態勢を確立
  • 自衛隊以外へのサイバーセキュリティを支援できる態勢を強化

また、能動的サイバー防御を念頭に自衛隊の情報本部の役割も大きく変えられる。

情報本部は、電波情報、画像情報、人的情報、公刊情報等の収集・分 析に加え、我が国の防衛における情報戦対応の中心的な役割を担うこと とし、他国の軍事活動等を常時継続的かつ正確に把握し、分析・発信す る能力を抜本的に強化する。

さらに、領域横断作戦能力の強化及びスタンド・オフ防衛能力の強化に 併せ、既存の体制を強化するとともに、関係する他機関との協力・連携 を切れ目なく実施できるように強化する。

防衛省・自衛隊においては、能動的サイバー防御を含むサイバー安全保 障分野に係る政府の取組も踏まえつつ、我が国全体のサイバーセキュリ ティに貢献する体制を抜本的に強化することとする。

情報本部は「防衛省の中央情報機関であり、我が国最大の情報機関」だと謳い、「電波情報、画像情報、地理情報、公刊情報などを自ら収集・解析するとともに、防衛省内の各機関、関係省庁、在外公館などから提供される各種情報を集約・整理し、国際・軍事情勢等、 我が国の安全保障に関わる動向分析を行うことを任務としており、カスタマーである内閣総理大臣や防衛大臣、国家安全保障局(NSS)、防衛省の内部部局等各機関や陸・海・空自衛隊の各部隊に対し、 政策判断や部隊運用を行う上で必要となる情報成果(プロダクト)を適時適切に提供」する組織であるとしている。6 しかし「防衛戦略」では新たに「我が国の防衛における情報戦対応の中心的な役割を担う」とその位置付けが強化された。同時に「AIを含む各種手段を最大限に活用し、情報収集・分析等の能力を更に強化する。また、情報収集アセットの更なる強化を通じ、リアルタイムで情報共有可能な体制を確立」することも目標として掲げられており、情報本部は陸海空などの部隊が実際に作戦行動をとる上で不可欠な役割を果すだけにとどまらず、何度も繰り返し指摘していることだが、従来の自衛隊の守備範囲を越えて政府機関やわたしたちの日常生活領域を網羅する監視の中心的な役割をも担おうとしている。7

このような「防衛戦略」が視野に入れている領域の幅広さを念頭に置いたとき、「防衛戦略」文書のなかで目立たないような位置に置かれている以下の文言は重要な意味をもつものになる。

「宇宙・サイバー・電磁波の領域において、相手方の利用を妨げ、又は無力化するために必要な能力を拡充していく。」

「妨げ」「無力化」することの意味は、サイバー領域における敵のシステムを物理的であれサイバー上であれ破壊することを含意している。言うまでもなく「領域横断的作戦能力」には、こうした意味での相手のサイバー領域の利用を妨害あるいは無力化する能力が含まれる。これまで争点になってきた敵基地攻撃能力と比べて、そもそもサイバー領域では地理空間上の「基地」概念が成り立たないから、ここで言われている「無力化」の範囲は、民間も含む「敵」の情報通信インフラ全体に及びうるものだ。本稿の最終章で述べるように、実際には情報インフラの領域では民間と政府の明確な切り分けはできないから、この分野では、容易に民間のインフラが標的になる。

6. 防衛力整備計画

更に具体的にサイバー領域で何を可能にするような取り組みをしようとしているのかをみるためには「防衛力整備計画」を参照する必要がある。ここではサイバー領域の脅威への対応の手段として以下のような記述がある。

最新のサイバー脅威を踏まえ、境界型セキュリティのみで ネットワーク内部を安全に保ち得るという従来の発想から脱却し、もは や安全なネットワークは存在しないとの前提に立ち、サイバー領域の能 力強化の取組を進める。この際、ゼロトラストの概念に基づくセキュリ ティ機能の導入を検討するとともに、常時継続的にリスクを管理する考 え方を基礎に、情報システムの運用開始後も継続的にリスクを分析・評 価し、適切に管理する「リスク管理枠組み(RMF)」を導入する。さ らに、装備品システムや施設インフラシステムの防護態勢を強化すると ともに、ネットワーク内部に脅威が既に侵入していることも想定し、当 該脅威を早期に検知するためのサイバー・スレット・ハンティング機能 を強化する。また、防衛関連企業に対するサイバーセキュリティ対策の 強化を下支えするための取組を実施する。

ここでは次のような指摘がなされている。

  • 境界型セキュリティのみで自衛隊の内部の安全は防御できない
  • ゼロトラストの概念に基づくセキュリティ機能の導入
  • 常時継続的リスク管理と「リスク管理枠組み(RMF)」を導入
  • サイバー・スレット・ハンティング機能を強化
  • 防衛関連企業に対するサイバーセキュリティ対策

これらの項目の多くは、一般の人々にとっては、用いられている言葉が何を意味しているのかを理解することがかなり難しい。敢えて理解困難な用語を多様しているともいえるのだが、こうすることによって、サイバー領域の軍事化の実態を隠そうとしている、ともいえそうだ。

6.1. 境界型セキュリティからネットワーク総体の監視へ

境界型セキュリティについて防衛白書には次にような説明がある。

さらに、2020年からの新型コロナウイルス感染症への対応の結果として、テレワークやICTを活用した教育、Web会議サービスなど世界的に新たな生活様式が確立された。一方で、これらのデジタルサービスの進展に伴い、従来型のサイバーセキュリティ対策の主要な前提となっていた「境界型セキュリティ」の考え方の限界が指摘されており、各国で新たなセキュリティ対策の検討が進められている。8

そして注記として、境界型セキュリティの意味とは「境界線で内側と外側を遮断して、外側からの攻撃や内部からの情報流出を防止しようとする考え方」であり、境界型セキュリティでは、「信頼できないもの」が内部に入り込まない、また内部には「信頼できるもの」のみが存在することが前提となると説明されている。そしてゼロトラストとは「内部であっても信頼しない、外部も内部も区別なく疑ってかかる」という「性悪説」に基づいた考え方だ。「利用者を疑い、端末等の機器を疑い、許されたアクセス権でも、なりすましなどの可能性が高い場合は動的にアクセス権を停止する。防御対象の中心はデータや機器などの資源。」と説明されている。

境界型セキュリティを採用する場合、自衛隊は自らの組織とその外部との境界をセキィリティの防衛線とし、境界の外部のセキュリティは他の組織に委ねることになるだろう。しかしこの考え方では防御が困難だとして、「整備計画」では境界型セキュリティではなく、境界を越えたセキュリティ、つまり日本国内のネットワークを総体として国家安全保障のサイバーセキュリティの対象にする、という方針を打ち出した。このことを踏まえて、自衛隊がコロナ感染症や教育、リモートワークの事例を防衛白書で例示したことにも注目しておく必要がある。これは「領域横断的作戦能力」が何を意味しているのかを理解する上でのひとつのヒントになる。同時に、ゼロトラスト概念の導入を打ち出したが、これについても上に引用したように、内部であっても信頼しない、外部も内部も区別なく疑ってかかるセキィリティ概念なのだが、ここでいう内部と外部とは、境界型セキュリティであれば自衛隊組織の内部と外部が問題の切り分けラインになるが、境界型セキュリティを採用しないことになれば、信頼の基本的なラインも変更されることになる。感染症の蔓延、リモートワークや教育もまた、自衛隊にとっては、領域横断的に取り組むべき作戦課題であり、ここでもまた、すべてを疑う「ゼロトラスト」で臨む、ということでもある。総じて、「外部も内部も区別なく疑ってかかる」というなかには、日本国内の情報通信のネットワーク全体を疑いの目でみることになり、疑うということは同時に、対象を監視して不審な挙動を把握する行動と結び付くことになる。これが常時継続的リスク管理とかリスク管理枠組み(RMF)として行なわれるべきこととして位置づけられるわけだ。

6.2. 性悪説に立ち、誰もを疑うことを前提に組織を構築

ゼロトラストとともに、前述の取り組みのなかで言及されている「サイバー・スレット・ハンティング」もまた、あらゆる状況を疑念をもって見ることを基本にした対処だ。スレットハンティング、あるいは脅威ハンティングについて、NTTDataは「従来のセキュリティ対策では検出できない潜在的で高度な脅威の存在を特定し、対応を検討する取り組み」」と定義している。9 NECのサイトでは次にように説明している。10

従来の脅威対策とは対照的なもので、自組織に既に脅威が存在することを前提として、セキュリティアナリストの知識や、ネットワーク上の各種機器のログなどを活用・分析して潜在的な脅威や侵害を洗い出す手法・活動である。

これまで脅威や侵害の調査は、セキュリティ対策機器などのアラートを元に受動的となるケースが多く、被害が既に広がっているケースも多い実態があった。 これに対して、脅威ハンティングは、自ら能動的に組織内でセキュリティ侵害が発生している仮説を立て、その仮説を元に調査、実証を行うことで侵害の早期発見に繋がったり、既存のセキュリティ対策の改善点などを明確にすることができるメリットがある。

またセキュリティアナリストと一緒に仮説の立案、侵害の調査を行うことで、自社組織のセキュリティ人材の育成に繋がる一面も持っている。 なお、脅威ハンティングを行うためには、各NW機器やセキュリティ対策機器のログが必要となるため、従来のセキュリティ対策も効果的に確実に実装・運用されていることも前提となる。

自衛隊が対象とする直接の脅威は、狭い領域では自らの組織内部ということになるだろうが、もともと領域横断的かつ国家の重要インフラをも視野に入れた「防衛」を構想するという前提からすれば、スレット・ハンティングの対象は日本全体のネットワークを包摂するものを構想している可能性が高い。また、「整備計画」では、上記のようなサイバーセキュリティについての考え方の基本を転換させつつ「我が国へのサイバー攻撃に際して当該攻撃に用いられる相手方のサイバー空間の利用を妨げる能力の構築に係る取組を強化」するとして、相手がサイバー空間を利用すること自体を妨害する能力の構築が企図されることになる。ここで登場するのが「防衛戦略」においても言及されていたハイブリッド戦などサイバー領域に固有の課題だ。整備計画では以下のように述べられている。

国際社会において、紛争が生起していない段階から、偽情報や戦略的 な情報発信等を用いて他国の世論・意思決定に影響を及ぼすとともに、 自らの意思決定への影響を局限することで、自らに有利な安全保障環境 の構築を企図する情報戦に重点が置かれている状況を踏まえ、我が国と して情報戦に確実に対処できる体制・態勢を構築する。

このため、情報戦対処の中核を担う情報本部において、情報収集・分 析・発信に関する体制を強化する。さらに、各国等の動向に関する情報 を常時継続的に収集・分析することが可能となる人工知能(AI)を活 用した公開情報の自動収集・分析機能の整備、各国等による情報発信の 真偽を見極めるためのSNS上の情報等を自動収集する機能の整備、情 勢見積りに関する将来予測機能の整備を行う。

上の引用の前段で、偽情報などをあたかも敵のみが行使する行動であるかのように記述し、「我が国として情報戦に確実に対処できる体制・態勢」については、後段で情報分析を行なうなどに限定された言い回しになっている。しかし、むしろ自衛隊や日本も「敵」同様に偽情報や戦略的な情報発信等を用いて他国の世論・意思決定に影響を及ぼそうとする行動をとるであろう、ということを念頭に置く必要がある。こうした情報操作を自衛隊が行なえば、厳しい批判に晒されるし、こうした行動を行なうことを宣言すること自体が情報戦ではとるべき態度ではないことを念頭に置いて読む必要がある。とすれば、「自らに有利な安全保障環境の構築を企図する情報戦」では、国家安全保障を有利な状況に導くという観点で、日本の安全保障や自衛隊への批判を展開する言論や運動は、たとえ、日本国内からの世論の主張であったとしても、常時継続的に収集・分析する対象となるだろうし、こうした反戦・平和運動の力を削ぐような情報戦が展開されるだろう、ということも想像に難くない。

だから、上記の文言とゼロトラストやスレット・ハンティングなどで言及されている対象は同じではないだろう。ゼロトラストやスレット・ハンティングではハッキングやマルウェア、DDoS攻撃などシステムの技術的な機能に直接関わる攻撃が主な対象だったが、ここでは、偽情報などの情報戦への対処こそが情報本部が担うべき任務だという指摘になっている。

こうして、能動的サイバー防御が、敵の攻撃を阻止したり無力化するという場合も、伝統的な武力攻撃能力への攻撃だけではなく、いわゆるサイバー攻撃と呼ばれる行為への阻止・無力化をも越えて情報戦といわれる領域における敵の偽情報や情報操作に対応する自らの側の偽情報や情報操作を可能にする領域が含まれる。しかも、こうした領域の全体にとって、重要になるのは、「敵」とは、敵の領土にある基地や部隊だけでなく、戦争の国家意思に抗う自国の民衆の言動をも視野に入れた行動となる。「防衛戦略」が「脅威は能力と意思の組み合わせで顕在化する」と述べていたことを想起する必要がある。意思とは、ある種のイデオロギーだったり価値観だったりするわけだから、これは自国の内部にあって自国の国家意思に背く民衆の意思をもまたある種の脅威とみなして対処すべきことも含意されている、と考えなければならない。

6.3. 統合運用体制―組織再編

こうして自衛隊の部隊の再編も、大幅なものになる。「整備計画」で述べられている点を箇条書きで列記すると以下のようになる。

  • ( 空自 ) 部隊の任務遂行に必要な情報機能の強化のため、空自作戦情報基幹部隊を新編。増強された警戒航空部隊から構成される航空警戒管制部隊を保持。11
  • ( 海自 ) 海上自衛隊情報戦基幹部隊を新編。12
  • ( 陸自 ) 領域横断作戦能力を強化するため、対空電子戦部隊を新編。情報収集、攻撃機能等を保持した多用途無人航空機部隊を新編。サイバー戦や電子戦との連携により、認知領域を含む情報戦において優位を確保するための部隊を新編。島嶼部の電子戦部隊を強化。
  • 情報本部 情報戦の中核部隊としての役割追加

自衛隊サイバー防衛隊等のサイバー関連部隊を約 4,000 人に拡充し、防衛省・自衛隊のサイバー要員を約2万人体制とする計画を打ち出している。ちなみに陸自は15万人、海自・空自は各45000人である。13

このほか「整備計画」では、日米同盟や防衛生産・技術基盤の強化や新技術の開発、防衛装備移転など多岐にわたる言及があるが、特にサイバー領域に特化した言及は少ないので、ここでは取り上げない。これらの組織再編の具体的な内容にまで立ち入るだけの情報がないが、防衛費問題が話題になるなかで、サイバー領域は莫大な予算を投入する分野ではなく、必要な開発やインフラの多くを民間や政府の他省庁に委ねつつ、これらの人的資源をも吸収して軍事的転用が可能な枠組みを構築することが中心になっている。そして、こうしたインフラを通じて収集された情報をサイバー領域における「偽情報」や情報操作に利用しつつ、サイバー領域を利用した敵―このなかには自国内部にある反政府運動や外国籍の人々への監視や情報操作も含まれる―の無力化が組織化される方向をとるだろう。

7. おわりに―サイバー領域の軍事化を突破口に統治機構の軍事化が進む

憲法では戦力の保持は認められない。私はこの戦力のなかに自衛力も含まれると理解するので政府の解釈とは全く異なるが、憲法の記述がどうであれ、暴力によって紛争解決を図るという国家の安全保障のスタンスそのものに、人間集団相互の間にある対立を解決する基本的な態度のあり方として、あるいは人間社会の統治の基本的な理念として容認できない。14 このことを前提として、以下、能動的サイバー防御批判の観点について、暫定的だが、述べておく。

殺傷力のある機器で敵と認定15した対象を攻撃したり、敵からの攻撃を防御するものを武器と呼ぶとすれば、兵器はより広範にわたるもので、直接の殺傷力をもたなくても、武器の使用に直接間接関わる一連の技術の体系をいうものと定義できる。日本の場合、憲法上の戦力の不保持を満たすために、戦力、自衛力、武器、兵器などの概念を巧妙に定義することによって、自衛隊は現行憲法の戦力に該当しないものとして憲法上の正当性を有するような言葉の枠組みができあがってきた。これは、言葉の詐術であり、私たちが直視すべきなのは、憲法や法律上の概念の定義の整合性ではなく、実際に自衛隊が有する殺傷能力のある兵器そのものと、この兵器を運用するための戦略、作戦、戦術と戦闘そのものである。安保・防衛3文書は戦略とこれに付随する文書でしかないが、一部「作戦」に言及する内容があるが、これが戦闘の領域でどのように実際に適用されるのかは、実はわからない。しかしどのように適用されても、政府は自衛権の行使であり合憲という立場を崩さないだろうし、改憲されれば、この制約はほとんど解除されることになるのは間違いない。問題の根源にあるのは、憲法でどのように規定されていようが、この文言とは相対的に切り離されたものとして、武器、兵器が存在してしまっている、というそもそもの齟齬だ。この問題をサイバー領域でどのように考えればいいのか。

サイバーの領域には、直接の殺傷力もなければ、直感的に武器・兵器とは認識することが困難な事態が多くあるだけでなく、それこそがサイバー領域の主要な特徴でもあり、だからこそ戦争のための国家の態勢としての議論としては焦点化されにくい。サイバー領域の行動が直接武器・兵器とリンクしている場合もあるが、安保・防衛3文書の特徴は、こうした伝統的な戦力の枠内にとどまらない自衛隊の行動を積極的に位置づけ、その結果として、すでに述べたように、自衛隊は、外形的にはいわゆる狭義の意味での武力の行使(自衛権の行使)とはみられない領域、とりわけ情報収集活動や情報戦などの比重が格段に他国の軍隊並に高度化されるだろう、ということだ。

サイバーと呼ばれる事柄は、日常生活のなかの人々の感覚が経験的に実感できるものではなく、かろうじてスマホやパソコンのスクリーン上のアイコンをタップしたり、SNSで交信したりするときに、漠然とした経験として捉えることができるようなものでしかない。しかし、実際の私たちの日常生活の大半は、サイバーと称されている情報通信のネットワークに覆い尽くされている。私たちの身体を直接支える食料は、確かに「サイバー」領域では育たないし、私の肉体もまたサイバーの産物でもない。しかし、農産物が卸売市場からスーパーに配送され、このスーパーの商品化された食品を買う私たちの消費者行動は、配送から価格の設定や広告に至るまでコンピュータが介在しないことはまずない。私の身体の状態を測定する医療機器はコンピュータそのものだ。また他方で、社会を支える基幹産業も伝統的な製造業から情報通信産業へと移行している。現代では、一国の経済的な土台となる産業と私たちの日常生活との接点は、工業化資本主義にはない特徴をもっている。つまり、工業化資本主義が物質的なモノを通じた生活の組織化によって、人々の生存を資本と国家に包摂しようとしてきたのにい対して、この構造を維持しながら、現代では、情報(知識)を通じて、生活を支える私たちの理解と感情の総体をより個別的・直接的に制御できるような構造をもつようになった。

このことは、政府などの統治機構にも根本的な転換をもたらし、官僚制が前提としている人間集団による権力行使の分業構造や、立法過程における人間集団による法規範の形成が、コンピュータを介した情報処理と意思決定にとって替わられつつある。特徴的なことは、こうした情報処理と意思決定のためのシステムが統治機構に内在していないことだ。これらの「サービス」を提供しているのは、情報通信産業、あるいはプラットフォーマーと呼ばれる一連の(多国籍)大企業だ。こうした資本は、ビッグデータを保有し、AIなどのテクノロジーを駆使して人々の情動に直接影響を与えようとする一方で、国家の統治機構の情報通信システムから政策立案に不可欠な情報の提供に至るまで必須の役割を担うようになった。必須の意味は、政策立案に必須のデータとその処理において国家の必要を補完している、という点にある。

19世紀の資本主義の時代に、マルクスはドイツ観念論批判を念頭に、経済的土台と法・政治・イデオロギーなどの上部構造の二階建の構造を資本主義社会の基本的な特徴として指摘し、二階建であるが故の土台と上部構造の矛盾が存在することを指摘した。しかし、現代の資本主義は、資本が上部構造領域にビジネスチャンスを見出すことを通じて土台の上部構造化が進む。他方で国家の統治機構もまた財政と法の便宜だけでなく政府しか保有しえない個人データをも資本に便宜供与することを通じて、膨大なビッグデータを資本と政府の双方で相互利用できる枠組みを構築してきたことだ。16

こうした構造全体のなかで、サイバー領域の軍事化を位置づけなければならない。安保防衛3文書における能動的サイバー防御が包摂する裾野の部分は、プラットフォーマーをはじめとする情報通信産業が包摂する領域―私たちの日常生活から政府の意思決定過程まで―と重なり合うような構造をもつことになる。領域横断的作戦能力の前提に現代資本主義における情報通信領域の資本が有しながら自衛隊や政府にはない情報の力があることを軽視してはならない。そして、また、ゼロトラストやスレット・ハンティングもまた、あらゆるサイバー領域を国家にとっての敵となりうる存在への監視や潜在的脅威への高度な監視に自衛隊が大きな資源を振り向けようとしていることがはっきり示されている。しかも、こうした力は、情報戦をも視野に入れていることは重要かつ最も危惧すべき点でもある。安保防衛3文書は、偽情報や戦略的情報発信をもっぱら「敵」の行動であるかのように記述して、自衛隊のこれらの領域における能動的な対応を隠蔽しているが、自衛隊もまた同様の偽情報や戦略的情報発信を通じて他国の世論・意思決定に影響を及ぼしたり、敵からの情報戦が自らの意思決定に及ぼす影響を局限するような行動をとることは間違いない。こうした領域が能動的サイバー防御なの重要な構成要素となる。こうして敵国にいる人々であれ私たちでは、民衆は相互に誤った情報に基く敵意の醸成に直面し、これが国家間の戦争の意思を支えてしまうことになる。

従来の武器であれば、その製造工程も含めて、原料などの生産手段や兵器産業の労働力といった上流から、これらが兵士に配分されて、部隊として実際の武力としての効果を発揮できる下流までの一連の体系は、それ以外の過程とはある程度明確な線引きができる。しかしサイバー領域を安保・防衛3文書のような位置付けで自衛隊の任務になかに組込むとすると、その裾野の部分は限りなく民間部門や政府の非軍事部門を否応なく巻き込むことになる。ここでの武器は、コンピューターのネットワークやシステムそのものであり、私たちが手にしているスマホやパソコンは、こうした軍事安全保障の領域からのサイバー監視の対象にもなるし、逆に人々もまた自らのデバイスを武器とするサイバー戦争の戦士に容易に変身することが可能になってしまう。

情報通信プラットフォーマーが国家の統治機構の上部構造の不可欠な存在になり、国家=軍事安全保障にとっても必須の役割を担う構造を前提にしたとき、戦争放棄を統治機構のなかで実現するという課題は、単に殺傷力のある武器・兵器や軍隊の廃棄だけでは済まない。サイバー領域の戦争warfareは、こうした条件がなくても成り立ってしまうからだ。ウクライナのサイバー軍に参加する人々が世界中に存在しており、彼等の武器は手元にあるパソコンだけだ。こうした参戦そのものを不可能にすることは容易ではない。しかも今、この国には、戦争放棄や非戦の主張のなかにサイバー領域での戦争放棄という明確な主張がない。殺傷力のある武器や兵器への批判は必須だが、このことだけでは能動的サイバー防御という日本政府や自衛隊の戦略への根底からの批判にはならない。これは、私のようにインターネットやサイバーと呼ばれる領域で活動している者が、反戦平和運動に対して問題提起することができてこなかったことの結果でもあり、反省すべき点だと痛感している。

その上で、サイバー領域をこれ以上戦争の手段、あるいは戦争warfareそのものにしないためには、国際法上もサイバー領域を戦争に利用すること自体を禁止させる枠組みが最低限でも必要になる。その前提として、未だに国際法上容認されている各国の諜報活動もまた禁止する枠組みが必要だろう。しかし、コンピューターには法律は理解できないし、AIもまた同様だ。法はあくまで、ひとつの目安でしかなく、しかも各国ともサイバー戦争や情報戦を否定するつもりがないという状況を踏まえたとき、国家の意思がどうあれ、サイバーに関わる産業界が軍事や防衛にどのように加担しようとも、国境を越えて人々が、自分たちの言論表現、思想信条の自由の権利―権力を批判する権利―のために、サイバー領域を戦場にしないための反戦運動の重要性は、極めて大きなものがあると思う。

本稿では、主に安保防衛3文書における能動的サイバー防御の問題について書いたが、まだ論じるべき論点はいくつもある。次回は、現時点における日本のサイバー領域での戦争への関与について述べてみる。

付記:当初の投稿の後で、誤記の修正と若干の加筆を行ないました。(2023年9月7日)

Footnotes:

1

本稿の主題とははずれるので、注記にとどめる。東アジアをめぐる緊張はウクライナの戦争と連動して理解する必要がある。ロシアはウクライナへのNATOの関与を警戒し、米国の関心を東アジアにも向けさせるための手法として、中国を巻き込んで東アジアの緊張を演出しようとしているように思う。しかし、太平洋での米国、オーストラリア、最近のカナダの動向などをみると、逆に、NATO側は、東アジア=極東ロシアに対する緊張状態が演出できれば、ロシアの軍事力を分散させる効果があるとみて、挑発しているようにもみえる。フランスがNATOの東アジアの拠点としての事務所を東京に開設することに反対したのは、NATOが二つの戦線で同時に戦うことによってNATOにとって最も重要なヨーロッパの覇権が手薄になることを危惧したのかもしれない。ロシアもNATOもウクライナの戦況との関係で、相手の戦力の分散を図るための揺動作戦をとっているともいえる。東アジアの軍事的緊張を真に受けるべきではない理由は以上だ。しかし日本には別の利害があり、この緊張をテコに改憲と自衛隊を正式の戦力=日本軍とするための絶好の条件だとみているように思う。日本は緊張が高まれば高まるほど改憲に有利になるとみて、意図的に緊張を煽るような情報戦を展開している。この全体状況のなかで、反戦平和運動は徹底した非武装を主張する勢力が非常に脆弱になっているのが最大の問題でもある。

2

非対称的な攻撃とは以下をいう。「軍隊にとって情報通信は、指揮中枢から末端部隊に至る指揮統制のための基盤であり、ICTの発展によって情報通信ネットワークへの軍隊の依存度が一層増大している。また、軍隊は任務遂行上、電力をはじめとする様々な重要インフラを必要とする場合があり、これらの重要インフラに対するサイバー攻撃が、任務の大きな妨害要因になり得る。そのため、サイバー攻撃は敵の軍事活動を低コストで妨害可能な非対称的な攻撃手段として認識されており、多くの外国軍隊がサイバー空間における攻撃能力を開発しているとみられる。」防衛白書2022年。https://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2021/html/n130301000.html

3

七つの領域とは以下である。 スタンド・オフ防衛能力
統合防空ミサイル防衛能力
無人アセット防衛能力
領域横断作戦能力
指揮統制・情報関連機能
機動展開能力・国民保護
持続性・強靱性

4

藤井治夫「作戦」日本大百科全書「旧日本陸軍では、師団以上の部隊のある期間にわたる対敵行動の総称として用いた。陸上自衛隊でも近接戦闘や火力戦闘、対空戦闘、兵站(へいたん)などの機能をもつ師団や空挺(くうてい)団以上の部隊によって遂行される一連の行動を作戦」 https://kotobank.jp/word/%E4%BD%9C%E6%88%A6-68713

5

14分野とは次である。「情報通信」、「金融」、「航空」、 「空港」、「鉄道」、「電力」、「ガス」、「政府・行政サービス(地方公共団体を含む)」、 「医療」、「水道」、「物流」、「化学」、「クレジット」及び「石油」

6

https://www.mod.go.jp/dih/company.html

7

「防衛戦略」では、この他情報本部については以下の記述がある。「これまで以上に、我が国周辺国等の意思と能力を常時継続的かつ正確に 把握する必要がある。このため、動態情報から戦略情報に至るまで、情報の収集・ 整理・分析・共有・保全を実効的に実施できるよう、情報本部を中心とした電波 情報、画像情報、人的情報、公刊情報等の機能別能力を強化するとともに、地理 空間情報の活用を含め統合的な分析能力を抜本的に強化していく。あわせて、情 報関連の国内関係機関との協力・連携を進めていくとともに、情報収集衛星によ り収集した情報を自衛隊の活動により効果的に活用するために必要な措置をと る。 これに加え、偽情報の流布を含む情報戦等に有効に対処するため、防衛省・自衛隊における体制・機能を抜本的に強化するとともに、同盟国・同志国等との情 報共有や共同訓練等を実施していく。」

8

https://www.mod.go.jp/j/press/wp/wp2022/html/n140303000.html

9

https://www.intellilink.co.jp/column/security/2021/033000.aspx

10

https://www.nec-solutioninnovators.co.jp/ss/insider/security-words/49.html

11

「いわゆるグレーゾーン事態等の情勢緊迫時において、より広域で長期間にわたり我が国周辺の13空域における警戒監視・管制を有効に行う」(整備計画)

12

「認知領域を含む情報戦への対応能力を強化し、迅速な意思決定が可 能な態勢を整備するため、所要の研究開発を実施するとともに、情報、 サイバー、通信、気象海洋等といった機能・能力を有する部隊を整 理・集約し、総合的に情報戦を遂行するため、体制の在り方を検討し た上で海上自衛隊情報戦基幹部隊を新編」(防衛力整備計画)

13

自衛隊サイバー防衛隊については以下の記述が防衛白書2022にある。

サイバー防衛隊を隷下に有する自衛隊指揮通信システム隊の体制を見直し、2022年3月17日、陸海空自衛隊の共同の部隊として、自衛隊サイバー防衛隊を新編しました。

この部隊の新編により、従来保有していたサイバー防護機能に加え、実戦的な訓練環境を用いて自衛隊のサイバー関連部隊に対する訓練の企画や評価といった訓練支援を行う機能を整備するとともに、隊本部の体制強化を図るほか、より効果的・効率的にサイバー防護が行えるよう、陸海空自衛隊のサイバー部隊が保有するサイバー防護機能を当隊へ一元化するなど、陸海空を統合した体制強化も図りました。

任務としては、主にサイバー攻撃などへの対処を行うとともに、防衛省・自衛隊の共通ネットワークである防衛情報通信基盤(DII)の管理・運用などを担っています。

ネットワーク関連技術は日進月歩であり、サイバー攻撃なども日増しに高度化、巧妙化していることから、迅速かつ的確な対応を可能とするため、同盟国などとの戦略対話や共同訓練、民間部門との協力などを通じ、サイバーセキュリティにかかる最新のリスク、対応策、技術動向を常に把握するとともに、サイバー攻撃対処能力の向上に日々取り組んでいます。

今後もサイバー領域を担任する専門部隊として、自衛隊の活動基盤であるDII、各種情報システム・ネットワークをサイバー攻撃から確実に防護できるよう、日々研鑽努力し、万全の態勢を構築していく所存です。

14

拙稿「戦争放棄のラディカリズムへ――ウクライナでの戦争1年目に考える戦争を拒否する権利と「人類前史」の終らせ方について」参照。https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/blog/2023/02/27/sensouhouki_radicalism/ 「いかなる理由があろうとも武器をとらない」https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/blog/2022/08/17/%e3%81%84%e3%81%8b%e3%81%aa%e3%82%8b%e7%90%86%e7%94%b1%e3%81%8c%e3%81%82%e3%82%8d%e3%81%86%e3%81%a8%e3%82%82%e6%ad%a6%e5%99%a8%e3%82%92%e3%81%a8%e3%82%89%e3%81%aa%e3%81%84/

15

サイバー領域において敵の認定は容易ではないために、「アトリビューション」という特有の取り組みが強調される。ネットワークを用いた攻撃は、攻撃に用いられたコンピュータが敵の実体であるとは限らず、ただ単に、攻撃のための踏み台として利用されたに過ぎないかもしれず、更にこのコンピュータに指示を与えている大元を把握する必要があり、しかも、これが複数の国にまたがることもある。ここでは、この点には深く立ち入らないが、アトリビューションは、ネットワーク監視を通じた私たちのコミュニケーションのプライバシーにも関わる問題だということだけを指摘しておきたい。

16

拙稿「パラマーケットと非知覚過程の弁証法――資本主義的コミュニケーション批判」『意味と搾取』第四章 https://yomimono.seikyusha.co.jp/imitosakushu/imitosakushu_05.html 参照。

Author: 小倉利丸

Created: 2023-09-06 水 15:38

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能動的サイバー防御批判(「国家安全保障戦略」における記述について)

本稿の続編があります。「能動的サイバー防御批判(「国家防衛戦略」と「防衛力整備計画」を中心に)」

Table of Contents

1. はじめに

安保・防衛3文書のなかで言及されている「能動的サイバー防御」という文言が、敵基地攻撃能力との関連も含めて注目されている。最初に確認しておくべきことは、これら3文書は、憲法9条と密接に関わる領域についての基本文書であるにもかかわらず、9条への言及はないという点だ。つまり、9条の縛りを無視し、武力行使を念頭に戦略をたてる、というのが基本的な立ち位置だ。この点を忘れてはならないだろう。その上で、このブログでは、これまで正面から取り上げてこなかった安保・防衛3文書における能動的サイバー防御を中心に取り上げる。

「能動的サイバー防御」という概念は、定義がなされないまま使用されており、今後いかようにも政府の都合で意味内容を組み換えることができるので、この概念についての政府による定義を詮索することはできない。だから、この文言が示されている文脈から、この文言の含意を探る必要がある。結論を先取りすれば、能動的サイバー防御とは、「防御」という文言にもかかわらず、攻撃を含む概念だと理解する以外になく、このことは「能動的」という形容詞が端的に示している。しかも、この防御=攻撃の主体は、自衛隊とは限らない。むしろサイバー領域で実質的にネットワークの管理に関わる政府機関や民間企業の協力なしには「サイバー防御」は達成できない、という点からすると、従来の捉え方からすれば武力行使や武器とは直接関わりをもたない民間企業―とりわけ情報通信関連企業―が「攻撃」の主体になりうるばかりか、ウクライナのサイバー軍のように、世界中から一般の市民をボランティアのサイバー軍兵士として動員するような事態に示されているように、パソコンやスマホを持ってさえいれば「攻撃」の主体になりうるような状況が現実に起きている。この点は後に具体的な事例で説明する。

同時に、サイバー領域に明確な国境線を引くことはできず、国内と国外の区別は曖昧であり、サイバー攻撃の手法、対象などは、いわゆる「サイバー犯罪」との区別も曖昧であって、この意味で、警察とも密接な関係をもつことになる。いわゆる軍事の警察化、警察の軍事化である。そして対テロ戦争以降、米国が率先してとってきた自国民をもターゲットにした「攻撃」を正当化する枠組が、戦争の様相を一変させてきており、これら様々な要因からなる従来にはなかった新たな「戦争状態」が出現しつつある。この点で、戦争と平和についての再定義が必須になっている。

2. 安防防衛3文書における記述

2.1. 巧妙な9条外し

サイバー攻撃に関する記述のなかでとくに、「能動的サイバー防御」に関連する箇所についてみておく。国家安全保障戦略(以下「戦略」と略記)のなかの第IV章「我が国が優先する戦略的なアプローチ」の「2 戦略的なアプローチとそれを構成する主な方策」の「(4)我が国を全方位でシームレスに守るための取組の強化」に、ある程度まとまった記述がある。やや長いが引用する。

サイバー空間の安全かつ安定した利用、特に国や重要インフラ等の 安全等を確保するために、サイバー安全保障分野での対応能力を欧米 主要国と同等以上に向上させる。

具体的には、まずは、最新のサイバー脅威に常に対応できるように するため、政府機関のシステムを常時評価し、政府機関等の脅威対策 やシステムの脆弱性等を随時是正するための仕組みを構築する。その 一環として、サイバーセキュリティに関する世界最先端の概念・技術 等を常に積極的に活用する。そのことにより、外交・防衛・情報の分 野を始めとする政府機関等のシステムの導入から廃棄までのライフサ イクルを通じた防御の強化、政府内外の人材の育成・活用の促進等を 引き続き図る。

その上で、武力攻撃に至らないものの、国、重要インフラ等に対す る安全保障上の懸念を生じさせる重大なサイバー攻撃のおそれがある 場合、これを未然に排除し、また、このようなサイバー攻撃が発生し た場合の被害の拡大を防止するために能動的サイバー防御を導入する。

この箇所から問題点を拾い出してみよう。「戦略」の上の箇所では「サイバー安全保障分野での対応能力を欧米主要国と同等以上に向上」と述べている。諸外国の「対応能力」には当然のこととして、武力攻撃による対応が含意されているから、当然武力行使や威嚇による対応が視野に入らざるをえない。諸外国と同じ軍事体制を前提にして、その優劣を比較していることは、現行憲法9条からは容認できない立場であることを忘れてはならない。専守防衛という従来の見解を前提にしたばあいであっても、これは取るべきではないスタンスである。いわゆる護憲派の主流の考え方では専守防衛までは合憲とするわけだが、こうした立場をとる人達が「サイバー安全保障分野での対応能力」をどう解釈しているのだろうか。この文言のなかに専守防衛を越える内容が含意されているということを見抜くことができているだろうか。付言すれば、私は、たとえ憲法9条が改悪されたとしても、一切の武力行使を容認するつもりはないし、私は専守防衛=合憲論には与しない。いかなる武力行使も否定する立場をとる。本稿ではこの点には深くは言及できない。(こちらを参照してください)

2.2. 「武力攻撃に至らないものの、国、重要インフラ等に対する安全保障上の懸念を生じさせる重大なサイバー攻撃のおそれがある場合、これを未然に排除」とは、どのようなことか。

能動的サイバー防御を実行に移すまでの経過についての「戦略」の想定について、もう少し詳しくみてみよう。上に引用した文章のなかに、「武力攻撃に至らないものの、国、重要インフラ等に対する安全保障上の懸念を生じさせる重大なサイバー攻撃のおそれがある場合、これを未然に排除」とあり。これは、端的にいえば敵の攻撃がなされる前に先制攻撃を仕掛けることを企図した文言だ。

ここで言及されている「武力攻撃に至らないものの…」の「武力攻撃」とは、実空間での武力攻撃1とサイバー空間における武力攻撃の両方を指すものと解釈できるのではないかと思う。サイバー空間にける武力攻撃を明示していないので、武力攻撃をサイバー領域に拡張して解釈していいのかどうかについては異論がありうるかもしれない。しかし、攻撃の手法をサイバー空間に対する場合と実空間で展開する場合の両方を含めて考えることが、現実に起きているサイバー戦争を理解する上で重要になると思う。言い換えれば、サイバー戦争という実空間から切り離された独自の戦争領域が存在するわけではなく、常に実空間との関連のなかでサイバー空間が攻撃のための媒介、手段、目標になる。この意味で、「戦略」では明言されていないが、サイバー空間における武力攻撃を含むものと解釈したい。実空間攻撃とサイバー攻撃の関係には二つのパターンがある。

(1)実空間攻撃を最終目標としつつその前段として敵の情報通信網などを遮断したり攪乱するためにサイバー攻撃を用いる場合がある。

(2)敵の情報通信網の攪乱を最終目標としてサイバー攻撃を仕掛かける場合もあり、この場合は実空間攻撃とは直接連動しない。

この区分けは機械的なもので現実には、「戦争」全体の戦略のなかで、実空間攻撃とサイバー攻撃は常に間接的な相互関係が存在するとみていいだろう。

たとえば、上の「戦略」の文言における「武力攻撃に至らないものの…」の「武力攻撃」を実空間攻撃として仮定してみよう。日本の原発が標的になる…などという場合だ。実際に原発への攻撃は実行されてはいないが日本政府が「原発に対する安全保障上の懸念を生じさせる重大なサイバー攻撃のおそれ」がある、と判断する場合だ。この場合は、たとえば、原発への攻撃に先立って日本の防空システムや原発施設のテロ対策防御システムを機能不全に陥らせるなどの行動を「敵」側―攻撃が現実に存在しないばあい、「敵」という認定そのものも疑問に付されるべきだが―がサイバー領域を通じて展開するという「おそれ」などとして考えられるかもしれない。しかし、重要な観点は、これはあくまで「おそれ」であって、実際のサイバー攻撃がなされているわけではない、という点だ。「敵」が、軍事演習として、原発のシステムへのサイバー攻撃というシナリオを作成して実施するということがあった場合、これは単なる「演習」なのか、「戦略」にいうところの「おそれ」とみなしうるのか。こうした微妙な事例において、政府が誤認し能動的サイバー防御を実施することで、戦争の引き金を引くことは大いに考えられることだ。

ここでは、日本政府が「おそれ」を予測するばあいに、建前としては、二つの前提条件が必要になる。

  • 実空間攻撃について、「武力攻撃に至らないものの」その攻撃が近い将来確実に起ることを予測できる客観的な事実を把握していること
  • 実空間攻撃と連動した重大なサイバー攻撃についても近い将来確実に起ることを予測できる客観的な事実を把握していること

しかし上の二つの条件以外により重要なことは、政府が戦争を企図している場合と、何とかして回避しようと努力している場合で、将来予測は大きく変りうる、という点だ。敵への(先制)攻撃の糸口を掴みたい場合、事実に基づくデータであったとしても、これを意図的に敵の武力攻撃の兆候として「解釈」される可能性がある。より悪質な場合――残念ながら歴史的な教訓からは、この悪質な場合が頻繁に起きるのだが――には、事実の捏造によって戦争を正当化することも充分考えられる。つまり「おそれ」とは、一般に、日本政府が戦争についてどのような物語を構築するのか、という問題そのものである。極悪非道で交渉の余地のない敵国へのイメージが戦争以外の選択肢を全て排除し、その上で、あらゆる敵国の動静を武力攻撃の兆候として解釈する一連の組み立てが、つねに戦争にはつきまとう。

「戦略」には、武力紛争の外交的解決についての文言はあっても、その具体的な戦略は一切記述されていない。下に引用したように、外交は日本の軍事力を背景にした威嚇の誇示の手段にすぎず、軍事に従属する機能になりさがっている。「戦略」では、外交の選択肢を事実上排除し、一足飛びに「能動的サイバー防御」を唯一の対処方法として論じているといっていい。国家安全保障の戦略としては、余りに好戦的なのだ。

防衛力の抜本的強化を始め として、最悪の事態をも見据えた備えを盤石なものとし、我が国の平和と安 全、繁栄、国民の安全、国際社会との共存共栄を含む我が国の国益を守って いかなければならない。そのために、我が国はまず、我が国に望ましい安全 保障環境を能動的に創出するための力強い外交を展開する。そして、自分の 国は自分で守り抜ける防衛力を持つことは、そのような外交の地歩を固める ものとなる。

抜本的に強化される防衛力 は、我が国に望ましい安全保障環境を能動的に創出するための外交の地 歩を固めるもの

いずれも、防衛力=軍事力の強化が外交の前提となっており、軍事力に依存しない外交のパラダイムが一切示されていない。政治が軍を統制する明確な枠組みが存在していない。これは9条の副作用とでもいうべきもので、憲法に軍の規定がないにもかかわらず、事実上の軍が存在しているということは、こうした意味での軍を政治の統治機構が承認しているために、軍が、憲法の統治機構の枠の外に、あるいは憲法を超越して存在する、ということが事実上正当化されているという側面がある、ということだ。この意味で、日本は、憲法を最高法規とする法治国家としての実体を逸脱している。

上に引用した箇所で想定されている状況をもういちど箇条書きで整理してみよう。

  • 現に武力攻撃は存在していない(事実)
  • 近い将来武力攻撃がありうる「懸念」「おそれ」(判断)
  • 安全保障上の懸念に該当し、かつ攻撃の規模が「重大」である(判断)
  • この判断を根拠に「未然に排除」する行動をとる(実行行為)

問題は、いくつもあるが、こうした武力攻撃があるかもしれない、という未だ起きてはいないが、近い将来起きうる事態である、という推測の妥当性を、私たちが判断できるのかどうか、である。軍事安全保障の分野で、判断材料の根拠となる証拠が明かになる可能性は低い。こうした証拠の是非について、安全保障上の機密情報などという理由を持ち出して判断の妥当性の検証が妨げられる一方で、政府や自衛隊の判断を「鵜呑み」にすることを強いられる。むしろ政府は、疑問視すること自体を敵対的な対応だとして(誤情報とか偽旗作戦などのレッテルを貼る)メディア報道やSNSの発信を規制しつつ、政府情報を一方的に拡散する可能性がある。

現在のいわゆる「台湾有事」や朝鮮によるミサイル試射をめぐる議論に典型的なように、まず不安が煽られ、事態を軍事的な解決という選択肢一択へと促すような政府やメディアの報道に包囲される状況のなかで、更に不安感情が煽られ敵意が醸成されてゆく。私たちが冷静な判断をすることが非常に難しい事態に追い込まれる。平和運動のなかの自衛隊容認論、とくに専守防衛を合憲とする主流の平和運動への切り崩しが起きる。残念ながら、9条護憲を支持し改憲に反対する人々のなかにも「台湾有事」などを煽る政府とウクライナへのロシアの侵略を経験して、動揺する人達がいることは事実だ。共産党が自衛隊による武力行使を容認する立場をとったことはその象徴ともいえる。平和運動が被害者運動である限り、この弱点を克服することはできない。問題の核心にあるのは、暴力による問題の解決という方法それ自体に含まれる不合理な判断そのものを否定する論理が平和運動では次第に後退してしまっている、ということにある。(この件についてもここではこれ以上立ち入らない。以前のわたしの記事を参照)

2.3. 軍事安全保障状況の客観的な判断の難しさ

武力行使に関わる事実については、歴史を振り返ると、武力行使を正当化するために持ち出された根拠が、後になって事実性を否定され、政府の意図的な誤情報の拡散であったり、逆に情報の隠蔽によって世論の判断を歪めるといった事態が、繰り返されてきた。2 戦争状態や戦争を見据えた平時における情報環境においては、政府などの公式見解は事実を反映しているとは限らない。だから、国際法などの法制度を政府や軍が遵守しているという前提を置くべきではない。

安保防衛3文書についても、書いてあることを批判しても、それが現実の国家組織の行動を適確に批判したことにはならない。敵とみなす相手国の動向に対して何らかの実力を行使するという判断は、国内法や国際的な規範に縛られて決まるわけではない。諜報活動。同盟国との関係など、秘密にされる事柄が多いことも念頭に置いておく必要がある。実際にどのようなことが起きるのか、その出来事がどのような意味をもつのかは、法だけでなく、世論の動向、政権の政治的な判断、外交関係、予測のシュミレーションなど様々な要因によって決まる。実空間での武力行使が適法かどうかは、適法であるように説明可能な物語を構築する政治権力の力にかかっている。この点では、戦争を支える物語が、法の支配を超越する国家権力と結びつく、という事態が生み出されることに注意する必要がある。この事態では、法の支配と呼ばれる「法」そのものの効果を国家権力が自らの利害に合わせて作り替える力を有していることを見逃さないようにする必要がある。この権力の超越的な力の行使の「物語」を人々に受け入れさせるための、メディア戦略が重要になる。現代では、この領域の大半はサイバー領域(コンピュータが介在する情報通信領域)が担うことになり、これが「情報戦」とか「ハイブリッド」とか「偽旗作戦」などと呼ばれて固有の戦争状態を構成することになる。これらが能動的サイバー防御なのか、そうとはいえない―たとえば受動的サイバー防御など―対処なのかの判断それ自体が議論になるが、どのような理解をとるにしても、能動的サイバー防御の背後にあってサイバー領域における攻撃を側面から掩護する役割を担うことは間違いない。後にみるように、この文脈のなかで、ネットを利用する私たち一人一人が否応無く戦争に巻き込まれる構造も作られることになる。

「戦略」で想定されている攻撃に至らない状況では、近い将来武力攻撃がありうる「懸念」「おそれ」という判断や、安全保障上の懸念に該当し、かつ攻撃の規模が「重大」だという判断を下すことができなければならないことが前提にある。こうした判断を下すためには、それ相当の情報収集が必要になる。サイバー領域を含む武力行使を予定した情報収集とはいかなるものになるのか、とくに日本ではどのようなものになるのかについては、自衛隊であれ、その他の国家の情報機関であれ、ほとんど情報がない。

3. 能動的サイバー防御の登場

「戦略」の上に引用した文章のすぐ後ろで「能動的サイバー防御」という言葉が登場する。

サイバー安全保障分野における情報収集・分析能力を強 化するとともに、能動的サイバー防御の実施のための体制を整備する こととし、以下の(ア)から(ウ)までを含む必要な措置の実現に向 け検討を進める。
(ア) 重要インフラ分野を含め、民間事業者等がサイバー攻撃を受けた 場合等の政府への情報共有や、政府から民間事業者等への対処調整、 支援等の取組を強化するなどの取組を進める。
(イ) 国内の通信事業者が役務提供する通信に係る情報を活用し、攻撃 者による悪用が疑われるサーバ等を検知するために、所要の取組を 進める。
(ウ) 国、重要インフラ等に対する安全保障上の懸念を生じさせる重大 なサイバー攻撃について、可能な限り未然に攻撃者のサーバ等への 侵入・無害化ができるよう、政府に対し必要な権限が付与されるよ うにする。
能動的サイバー防御を含むこれらの取組を実現・促進するために、 内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)を発展的に改組し、 サイバー安全保障分野の政策を一元的に総合調整する新たな組織を設 置する。そして、これらのサイバー安全保障分野における新たな取組 の実現のために法制度の整備、運用の強化を図る。これらの取組は総 合的な防衛体制の強化に資するものとなる。

「戦略」では、ここで唐突に「能動的サイバー防御」の文言が登場し、しかも明確な定義がない。「能動的サイバー防御の実施のための体制を整備」という文言は、

  • 能動的サイバー防御の実施そのもの
  • 能動的サイバー防御の実施を可能にする体制

という二つに分けて考えておく必要がある。

後者の実施を可能にする体制のなかに、上述した諜報活動などが含まれるだろうが、それだけでなく、サイバー領域を担う民間の情報通信事業者、官民のセキュリティ関連団体、警察など、かなり広範囲にわたる「体制」が必要になる。その理由は、サイバー領域は政府が独占的に管理する空間ではないこと、いわゆる戦争の一環としてのサイバー攻撃と警察が犯罪とみなして対処すべき事案との区別が明確ではないこと、など、自衛隊だけでは対処できず、対応を完結できないことが様々ある。このことが後に述べるように、戦争を私たちの日常的なコミュニケーション領域に浸透させ、結果として国家安全保障の観点から私たちの市民的自由を規制する「体制」をもたらすことにもなる。

より細かくみてみると上の(ア)では、民間事業者がサイバー攻撃を受けた、という事実が発生したことを前提に、政府と民間事業者との間の情報共有と政府による民間事業者への「対処調整」、つまりある種の指示や命令に属するような行動が想定されている。(イ)は、政府が民間事業者の保有するデータを活用して、攻撃者が利用しているサーバなどの特定を可能にする取り組みが想定されている。これはサイバー攻撃が既遂の場合に、攻撃者を特定するための取り組みのようにみえるが、そうとは限らない。(ウ)は、実際には攻撃が存在しない状況にあって、その「懸念」があるばあいに、未然に阻止するために「攻撃者のサーバ等への侵入・無害化」を、相手の攻撃に先立って実施できるような「権限」を政府に与えることが企図されている。(ウ)の体制の前提になっているのは、(イ)で言及されているような民間事業者のデータの政府による利用を可能にするような法制度と技術的な対処の構築だ。

つまり、能動的サイバー防御の前提には、民間の通信事業者のサービス(役務)に関するデータを政府が「活用」できる体制構築を足掛かりとして、この体制を用いて、実際にサイバー攻撃があった場合への対処と「懸念」の段階での先制攻撃の両方に対処できる体制を整備することが必要だ、という考え方がとられている。言うまでもなく、未だ攻撃がない段階での対処は、そもそも攻撃そのものが存在しないのだから、既遂の場合の対処とは根本的に異なる。

実空間攻撃とは違い、能動的サイバー防御を遂行する場合の主体が誰になるのかについては、いくつかの可能性が考えられる。実際の能動的サイバー防御、つまりサイバー攻撃を実行する組織が自衛隊だとしても、この攻撃を可能にするための情報通信インフラの体制の整備には、攻撃に必要なソフトウェアやプログラムの開発も含めて民間の通信事業者や専門家の協力が欠かせない。それだけでなく、攻撃の実行行為者が民間の事業者になる場合もありうるかもしれない。たぶん、最もありうる可能性は、官民が一体となって攻撃を分担する場合だろう。この場合には、平時においても、政府の関係省庁、自衛隊、民間の情報通信インフラ業者や重要インフラ業者との連携についての法的、制度的な枠組み構築が必須であり、同時に、こうした制度は、国家安全保障を口実にして、自由に関する人権やプライバシーの権利などを大幅に制約する例外領域を必要とすることになる。

警察官や自衛官が武器を携行したり使用することを合法とする法制度があるように、サイバー攻撃の手段や目的もまた合法とする制度的な保証が必要になる。すでに危惧されているように、こうした攻撃に必要な情報収集において民間の通信事業者に協力させるばあい、通信の秘密による保護に関して、国家安全保障上の理由がある場合には、例外を認めて、通信の秘密に該当するデータを政府等に提供したり、事業者間で共有するなど、サイバー攻撃に必要な措置がれるような制度を構築する必要がある。しかも、「懸念」段階での先制攻撃を認める場合、国家安全保障上の例外は歯止めなく拡大され、表向き例外とされならが実際には、これが通則になる危険性がある。

「懸念」→「防御」という名の攻撃という流れのなかで、「懸念」という物語を構築する上で必要な事前の情報収集と、この情報収集を支える対外的な状況認識が重要な意味をもつ。サイバー領域における攻撃と防御についての議論では、そもそも受動的防御と能動的防御をめぐる定義上の議論を踏まえた上で、これをサイバー領域にどのように適用するのかが検討・議論される必要があるが、こうした議論すらなく、唐突に能動的サイバー防御だけが突出して登場している。受動的サイバー防御では不十分であることが明確に立証されなければ軽々に能動的サイバー防御を発動すべきではない、という議論すらない。

戦争放棄の観点からは、実空間における保持すべきでない戦力の範囲を可能な限り大きく捉える必要があるが、「戦略」の文書をはじめとするサイバー領域をめぐる議論については、この可能な限り幅広く把握すること自体が非常に難しい。私たちがコミュニケーションの必需品として用いているスマホやパソコンそれ自体が武器に転用可能であり、私たちの不用意なSNSでの発信が「情報戦」のなかで戦争に加担することにもなる。実空間の武力行使とは違って、限りなく非軍事的な日常の領域に浸透しているために、直感的あるいは経験的な判断に委ねることのできない多くの問題を抱えることになる。実空間においても、武力行使の規模、目的、行為主体のイデオロギーなどを総合的に判断して、犯罪なのかテロリズムなのか、あるいは武力攻撃なのかを判断することは容易ではないように、サイバー空間においても、単なる犯罪なのか、武力行使の一環なのかの判断は難しいし、意図的に難読化される傾向が強まっている。こうしたなかで、サイバー領域における「攻撃」に対して、戦争放棄の立場に立つためには、従来の戦争概念を根本的に見直し、報復の攻撃をサイバー領域であれ実空間であれ、行うべきではないという観点を根拠づける基本的な理解の構築そのものから始めなければならない。「能動的サイバー防御」を批判することが、サイバー空間の平和のための基盤形成にとっての大前提になるだけに、この課題は重要だ。(続く)

Footnotes:

1

一般に、軍事用語としては、サイバー空間と対比して実空間をキネティックと表現するが、 本稿ではよりわかりやすいように実空間と表現する。

2

たとえば、以下を参照。ジェレミー・スケイヒル『アメリカの卑劣な戦争』、横山啓明訳、柏書房、ラムゼイ・クラーク編著『アメリカの戦争犯罪』、戦争犯罪を告発する会、柏書房、グレイグ・ウィットロック『アフgアニスタン・ペーパーズ』、河野純治訳、岩波書店。

Author: toshi

Created: 2023-08-20 日 16:01

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ユーリ・シェリアジェンコへの訴追(付録:ウクライナと世界のための平和アジェンダ、家宅捜索抗議)

(訳者前書き)ウクライナ政府は、ウクライナ平和主義運動(Ukrainian Pacifist Movement)の中心を担ってきたユーリ・シェリアジェンコをロシアの侵略を正当化した罪で正式に起訴したとWordl Beyond Warl.orgが報じ、ウクライナ政府に対する訴追取り下げの国際的な署名活動が始まっている。シェリアジェンコについては、このブログでも紹介してきた。

今回の訴追の詳細は不明だが、「ロシアの侵略を正当化する罪」という犯罪類型そのものが、戦争状態にある国家が、いかに言論表現の自由、つまり政府の政策への異論を主張することを困難にさせるかを如実に示している。しかも、彼が主張する「平和主義pacifism」の基本は、一切の武力行使の否定にある。だからシェリアジェンコがロシアの侵略を正当化したことはない。このことはこのブログで後に紹介する昨年9月に出された「ウクライナと世界のための平和アジェンダ」のなかでもはっきり述べられている。にもかかわらず、警察当局はこのアジェンダをロシアを支持した文書であると強引に解釈している。以下にアジェンダを掲載したのは、こうしたウクライナ当局の「解釈」がいかに間違っているかを読者が自ら直接確認することが大切だからであり、またその内容も重要だからだ。シェリアジェンコの訴追は、典型的な戦争国家による戦争を拒否する人々をロシアの侵略を容認したり支持する者であるという事実に反するレッテルを貼ることによって、自国が遂行している戦争に反対すること自体を容認しない、というウクライナ政府の態度を明確にしたといえる。

このやや長い前置きの次に掲載した「ウクライナと世界のための平和アジェンダ」にはいくつかの重要な問題提起が含まれているので、いくつか私にとって重要と思われる論点について簡単に述べておきたい。

このアジェンダの冒頭で「私たちの神聖な義務は、殺してはならないということだ」と自らの立場を明確にしている。平和を主張する場合、日本の戦後平和主義に典型だが、自分たちが戦争によって犠牲になること、つまり殺されることを否定することから戦争を否定するという回路をとる考え方の場合、殺されないためには、敵を殺せばよい、という殺すことを正当化する論理が明示的に含まれてない。これが現在の日本の自衛権を容認する多数派の平和主義がとる立場に繋っているのであり、結果として戦争を否定できず、次第に戦争そのものを容認する立場に陥ってしまう原因になっている。これに対して「殺してはならない」を義務とする平和主義は、そもそも武器を持つこと、使うことそれ自体を否定することになる。だから、「殺されない」「殺さない」のどちらを明確に主張するのかは、重要な問題であり、「殺さない」と明確にすることなくして戦争を回避することはできないと思っている。この意味で「アジェンダ」の立ち位置は重要だ。

アジェンダでは「自衛は、非暴力・非武装の方法で行うことができるし、またそうすべきである」とも述べている。日本では「自衛」といえば、自衛隊を連想し、何らかの武力行使を含意する言葉として通用しているので、非暴力、非武装の「自衛」という発想は、当然のことであるにも関わらず新鮮に感じてしまう。アジェンダでは非暴力、非武装による自衛とはどのようなことなのかを明言していないが、全体の文脈でいえば、国連をはじめとする国際的な枠組をフルに活用した停戦の可能性を追求する、ということかもしれない。むしろ私は、非暴力、非武装には、こうした国家をアクターとする国際関係よりも、ロシアとウクライナで暮す人々がそれぞれの国が遂行する暴力という手段による解決を拒否する下からの多様な運動を含意しているように思えてならない。戦争に加担しない、戦争を忌避したいという人々が、政府の戦争政策のかなで、自らの自由な選択を奪われ、より安全な場所への移動も許されない状況がロシアだけでなくウクライナでも起きている。ウクライナはロシアのような権威主義的で自由のない国ではなく、西側の民主主義や表現の自由の価値観を共有する国だとして、男性は出国が厳しく規制され、戦争反対を公然と明言することがウクライナの国内においても困難になっている。このことはロシア以上に私たちにとっては深刻だ。自由や民主主義を標榜する国は、果して戦争状態において、戦争に反対する自由、より安全な場所への移動の自由は保障されるのか、という問いが私たちにも突き付けられるからだ。

そして、アジェンダでは、「誰も、他人の悪行の犠牲者だと主張することで、自らの悪行に対する責任を逃れることはできない」と述べて、自分たちが侵略者の犠牲になっていることを理由に、「自らの悪行」つまり戦争行為や戦争に関連して遂行される様々な人権侵害を免責することはできない、と主張している。この箇所は、たぶんウクライナ政府にとって最も容認しがたい主張になるかもしれないが、むしろこの観点を私は支持したい。そしてアジェンダでは、戦争を生み出す敵とは交渉が不可能な存在であり、滅ぼす以外の選択はありえないという考え方を、敵についての「神話」だと指摘している。殲滅する以外にない敵というイメージの構築によって戦争が正当化され、戦争以外の解決の選択肢が排除され、「国民」を戦争に動員し、これに抗う者たちを犯罪化する、という一連の流れが形成される。こうしてウクライナ国内での人々の市民的自由の大幅制限も正当化されることになる。

最後にアジェンダは、ウクライナ国内の反戦運動や戦争忌避者への国際的にな関心が低いことを憂慮している。特にウクライナの軍事的な抵抗を支持する西側諸国の平和運動がウクライナ国内の反戦運動や平和運動いよるウクライナ政府批判にあまり大きな関心を持たず、平和構築に責任を負うべき様々なアクターが充分にその責任を果していないと批判している。とくにウクライナを支援する西側諸国では、政府だけでなく、NGOや様々な市民団体などが、明確に非戦の立場をとっていない場合が多くみられることへの批判が込められている。

このブログの最後に、シェリアジェンコが起訴される前に彼の自宅に対して行なわれた家宅捜索に対するシェリアジェンコ自身による報告を掲載した。家宅捜索は、明確な裁判所の令状に基くものかどうか不明のまま、ロシアに加担したことを容疑として行なわれたものだ。ウクライナ語からの機械翻訳(DeepL)に基づいており、正確性を欠くかもしれないが、大切な事柄でもあり、掲載した。

なお、シェリアジェンコへの訴追を取り下げるようにウクライナ政府に要請する国際的な要請運動が起きている。下記のサイトから署名ができる。(小倉利丸)

https://worldbeyondwar.org/tell-the-ukrainian-government-to-drop-prosecution-of-peace-activist-yurii-sheliazhenko/


ウクライナと世界のための平和アジェンダ

ヨーロッパ    

2022年9月21日、ウクライナ平和主義運動より

2022年9月21日国際平和デーの会合で採択されたウクライナ平和主義運動の声明。

私たちウクライナの平和主義者は、平和的手段によって戦争を終結させ、良心的兵役拒否の人権を守ることを要求し、努力する。

戦争ではなく、平和こそが人間生活の規範である。戦争は組織的な大量殺人である。私たちの神聖な義務は、殺してはならないということだ。今日、道徳的な羅針盤がいたるところで失われ、戦争と軍隊に対する自滅的な支持が増加しているとき、常識を維持し、非暴力的な生き方に忠実であり続け、平和を築き、平和を愛する人々を支援することが特に重要である。

ウクライナに対するロシアの侵略を非難した国連総会は、ロシアとウクライナの紛争の即時平和的解決を求め、紛争当事者は人権と国際人道法を尊重しなければならないと強調した。私たちはこの立場を共有する。

絶対的な勝利を得るまで戦争を続け、人権擁護者に対する批判を蔑ろにする現在の政策は容認できず、改めなければならない。必要なのは停戦であり、和平交渉であり、紛争双方が犯した悲劇的な過ちを正すための真剣な取り組みである。戦争の長期化は、破滅的で致命的な結果をもたらし、ウクライナだけでなく世界中で社会と環境の福祉を破壊し続けている。遅かれ早かれ、当事者は交渉のテーブルに着くだろうが、それが合理的な判断に基づいたものでないなら苦しみと弱体化という耐え難い重圧のなせる帰結であり、後者は外交的な道を選択することで回避すべきものだ。

平和と正義の側に立つ必要がある。自衛は、非暴力・非武装の方法で行うことができるし、またそうすべきである。いかなる残忍な政府も正統性がなく、領土の完全支配や征服という幻想的な目標のために人々を抑圧し、血を流すことを正当化するものは何もない。誰も、他人の悪行の犠牲者だと主張することで、自らの悪行に対する責任を逃れることはできない。いずれの当事者の誤った行為、さらには犯罪行為でさえも、交渉は不可能であり、自滅を含むいかなる代償を払っても敵は滅ぼさなければならないという、敵についての神話を作り上げることを正当化することはできない。平和への希求はすべての人の自然な欲求であり、その表明が神話上の敵との誤った結びつきを正当化することはできない。

ウクライナにおける良心的兵役拒否の人権は、戒厳令が敷かれている現状を見るまでもなく、平時でさえ国際基準に従って保障されていなかった。ウクライナ国家は、国連人権委員会の関連勧告や 一般市民の抗議に対して、恥ずべきことに数十年間も、そして現在も、まともな対応を避けている。この国は、市民的及び政治的権利に関する国際規約が述べているように、戦争やその他の公的緊急事態の時でさえ、この権利を剥奪することは出来ないにもかかわらず、ウクライナの軍隊は、普遍的に認められている良心的兵役拒否の権利を尊重することを拒否し、ウクライナ憲法の直接的な規定に従って、動員による強制的な兵役を代替的な非軍事的兵役に置き換えることさえ拒否している。このような人権を無視したスキャンダラスな行為は、法の支配の下にはあってはならない。

国家と社会は、ウクライナ国軍の専制主義と法的ニヒリズムに終止符を打たなければならない。このような専制主義は、戦争に従事することを拒否した場合の嫌がらせや刑事罰、民間人を強制的に兵士にする政策に現れており、そのために民間人は、たとえ危険から逃れるため、教育を受けるため、生活手段を見つけるため、職業的・創造的な自己実現のためなどの重要な必要性があったとしても、国内を自由に移動することも、海外に出ることもできない。

世界の政府と市民社会は、ウクライナとロシアの紛争、そしてNATO諸国とロシアと中国の間のより広い敵対関係の渦に巻き込まれ、戦争の惨劇の前にはなすすべもないように見えた。核兵器による地球上の全生命の破壊という脅威でさえ、狂気の軍拡競争に終止符を打つことはできなかった。地球上の平和を守る主要機関である国連の予算はわずか30億ドルであるのに対し、世界の軍事費はその何百倍も大きく、2兆ドルという途方もない額を超えている。大量の殺戮を組織化し、人々に殺人を強要するその傾向から、国民国家は非暴力的な民主的統治や、人々の生命と自由を守るという基本的な機能を果たすことができないことが証明されている。

私たちの見解では、ウクライナや世界における武力紛争の激化は、既存の経済、政治、法制度、教育、文化、市民社会、マスメディア、公人、指導者、科学者、知識人、専門家、親、教師、医学者、思想家、創造的・宗教的アクターが、国連総会で採択された「平和の文化に関する宣言と行動計画」にあるように、非暴力的な生き方の規範と価値を強化するという責務を十分に果たしていないことに起因している。平和構築の任務がないがしろにされている証拠に、終わらせなければならない古臭く危険な慣行がある。すなわち、軍事的愛国主義教育、強制的な兵役、体系的な平和教育の欠如、マスメディアにおける戦争のプロパガンダ、NGOによる戦争支援、一部の人権擁護者による平和への権利と良心的兵役拒否の権利を含めた人権の完全な実現を一貫して主張することへの消極的姿勢などである。私たちは、関係者に平和構築の義務を再認識させ、これらの義務の順守を断固として主張する。

私たちは、殺人を拒否する人権を擁護し、ウクライナ戦争と世界のすべての戦争を止め、地球上のすべての人々のために持続可能な平和と発展を確保することを、私たちの平和運動と世界のすべての平和運動の目標と考える。これらの目標を達成するために、私たちは戦争の悪と欺瞞についての真実を伝え、暴力を用いない、あるいは暴力を最小限に抑えた平和な生活についての実践的な知識を学び、教え、困っている人たち、特に戦争や不当な強制による軍隊支援や戦争参加の影響を受けている人たちを支援する。

戦争は人類に対する犯罪である。したがって、私たちはいかなる戦争も支持せず、戦争のあらゆる原因を取り除くために努力することを決意する。

https://worldbeyondwar.org/peace-agenda-for-ukraine-and-the-world/

人権侵害に対する異議および申し立て

今日03.08.2023の午前中、見知らぬ人々がFortechnyi Tupyk, ……にある私のアパートに押し入り始めた。私が彼らが誰なのか尋ねると、SBUだと言われた。彼らは自己紹介を拒否した。彼らは捜索令状を持っていると言ったが、それを読み上げることは拒否した。SBUではなく犯罪者だった場合に備えて警察にも電話したし、なぜか違法に名乗らない捜査官だった場合に備えてO・ヴェレミエンコ弁護士とS・ノヴィツカ弁護士にも電話した。また、見知らぬ番号から、警察の代表と名乗るが身元を明かさず、SBUの者と称して書類を確認し、ドアの前にいるとの電話を受けたが、SBUの者と称する人物の名前と階級を名乗らず、裁判所の命令書を読むことも拒んだので、本当に警察なのかと疑った。もし本当にSBUなら、弁護士が来るまで45分待ってほしいと頼んだが、彼らは待たず、自己紹介もせず、私がドアを開けられるように陳述書を読むこともせず、ドアを壊した。その後、彼らは弁護士の立会いなしに捜査(捜索)を開始し、私の携帯電話、オイクテルの番号……を強制的に取り上げた。これは、彼らが私のドアに押し入り、自己紹介をしなかったときに違法行為を記録するために使用したものである。

SBUのノヴァク調査官から、2023年7月5日付のペチェルスク地方裁判所の判決文の複写らしき文書を受け取った。そこには、ロシアの侵略を正当化する疑惑(侵略に対する非暴力的な抵抗を行使する際、私は常にこれに反対している、 私は平和主義者として、ロシアをはじめとするすべての軍隊を批判し、声高に非難しているが、ウクライナの刑法の関連条文に該当するような違法行為を行ったことはない。 п., を差し押さえることが許可された。

捜索中、ロシアの侵略を正当化する証拠や、私のその他の犯罪行為の証拠らしきものは何一つ発見されなかった。したがって、私はいかなる資料の押収にも反対する。発見されたいかなる資料や機材も、私が犯した犯罪の証拠とはならず、またなりえないものであり、これらの捜査行動中の私の権利侵害を考慮すれば、違法に入手されたものであり、証拠価値はない。

さらに、SBUのノヴァクO.S.調査官の証明書と同様の証明書を提示した人物の言葉から、私は、NGO「ウクライナ平和主義運動」の会議の決定によって承認された「ウクライナと世界のための平和的アジェンダ」と、この声明がウクライナ大統領府に送付された際のカバーレターを、「ロシアの侵略を正当化するもの」と捜査当局が不合理に見なしていることを知った。ノヴァク調査官はまた、この声明がロシアの侵略を正当化するとする専門家の意見があるとされているが、声明はロシアの侵略を非難しているのだから不合理であり、そのような意見が本当に存在するのであれば、それは無知であり、客観的現実と矛盾しているに違いなく、イデオロギーを理由に捏造された可能性があると述べた。平和主義に対するイデオロギー的憎悪を理由に捏造された可能性もあり、科学者としてはプロ失格である。したがって、このような結論の作成には、偽造、職権乱用、意図的な虚偽の専門家としての意見の兆候がある可能性が高い。一般的に、人権・平和運動の活動の犯罪性の疑いに関する捜査当局の立場を物語る判決から判断すると、この刑事手続きは違法、不法、政治的動機によるものであり、平和運動に対する弾圧の現れであると私は考える。私たちの組織は、国際平和ビューロー(1910年ノーベル賞受賞者)をはじめとする国際平和運動ネットワークのメンバーであり、その代表者は、ウクライナにおける平和運動が虚偽の誹謗中傷の口実のもとに迫害されていることについて説明を受けている。

以上を踏まえて

要求する:

私個人、NGO「ウクライナ平和主義運動」、平和運動全般の正当な人権活動を妨害することをやめること。平和主義者はあらゆる戦争のあらゆる側におり、プーチンのウクライナに対する犯罪的な軍国主義と残忍な侵略を含む、あらゆる人権侵害、戦争、軍国主義に対して、批判を含む非暴力的な抵抗を行っている。現在のSBUの行動の結果、私はロシアの侵略者だけでなく、ウクライナ国家の抑圧的な軍国主義マシーン、特に特殊部隊の犠牲者のように感じている。特殊部隊は、議会とウクライナ議会人権委員会の不備により、安全保障・防衛部門における民主的な文民統制の欠如のために、人権侵害に対して免罪符を得ている--ついでに言えば、私たちの組織の目標の1つであり、SBUによるこのような恥ずべき違法な抑圧が開始されている。

捜索中に私や他の誰かが違法行為を行った証拠は何一つ見つからなかったのだから、何も押収する必要はない。
私に刑事訴訟の資料、特にいわゆる鑑定書について知る機会を与え、法哲学博士としての専門的見地から私自身が研究・検討し、独立した専門家にこの文書を検討してもらうこと(もしその内容がノヴァク捜査官の言葉と一致するのであれば、この文書は非科学的であり、専門家による犯罪の証拠となるに違いない)。

Shelyazhenko Y.V.

https://worldbeyondwar.org/we-object-to-the-illegal-search-and-seizure-at-apartment-of-yurii-sheliazhenko-in-kyiv/

付記:2023/8/15 一部改訳

ロシア・フェミニスト反戦レジスタンスレポート

(訳者前書き)これまでもロシア国内の反戦運動を何度か紹介してきた。以下は、やや前になるが5月1日づけでフェミニスト反戦レジスタンスが出した活動報告の訳。私はロシア語ができないので機械翻訳(DeepL、Ligvanex)を用いている。不正確なところがありうることをご了承いただきたい。以下のレポートにあるように、直接的な行動だけでなく、調査、研究なども精力的にこなし、更に海外の運動との連携も活発だ。東アジアでは韓国との交流が報告されている。

以下のレポートは最近起きた極右ネオナチの軍事組織ワグネルの謀反などの事件以前に書かれているので、こうした最近の事態についてはまた別途紹介いたいと思う。私見だが、反戦運動の観点からいうと、プーチンもワグネルに共通しているのは、戦争遂行を前提としての権力争いだということだ。戦争を押し止める運動との接点はない。(小倉利丸)


フェミニスト反戦レジスタンスレポート
5月1日
FASレポート(28.03.23-27.04.23)

ロシア内外の活動家たちは、反戦活動、被害者支援活動、反戦プロパガンダの普及、公共キャンペーンの立ち上げなどを日々続けている。

FASには多くの活動家グループやプロジェクションをするチームや細胞があり、私たちはこの分散化と独立性を大切にしている。私たちは皆、フェミニスト反戦レジスタンスであり、私たちの仕事は目に見える重要なものである。FASの一員になる方法は、こちらで知ることができる。

以下は、2023年4月に私たちが行った活動である:

  1.     FASの心理部門は、動員の影響を受けた人々や、このテーマで行動している反戦活動家のためのサポートグループを定期的に開催している。このグループはプロの心理学者が指導している。1ヵ月で3つのグループを開催した。
  2.     一つは戦時下の復活祭、もう一つはロシアにおける家族と国家の関係、そして三つ目は春の徴兵制と電子召集令状に関する法律である。この号には、人権活動家とともに編集した「徴兵逃れ」のためのマニュアルが掲載されている。
  3.     私たちの活動家の一人が、抵抗と占領博物館で、トゥールーズにおけるロシアの反戦フェミニズム活動に関するレポートを読んだ。そのレポートは、プーチンの独裁政権に抵抗することを余儀なくされ、多大なリスクに直面しているロシアの反戦活動家たちによる生の演説で構成されていた。また、FASから博物館のコレクションに展示品が移された。それは「ザブゴール工作員」と刻まれた被り物で、私たちはウクライナや市民のイニシアチブを支援するチャリティーイベントで販売している。レポートには、活動家_女性たちによる発言が添えられている。
  4.     私たちはまず、ジェンダー研究の第一歩を踏み出したい人のためのストリーム・ディスカッション「私はジェンダー研究をしたい」シリーズを立ち上げ、実施した。海外出願について、大学院の選択肢について、若い研究者の不安について–4つのディスカッションがあった。活動家たちは、コースの付録として、ジェンダー研究入門に関する文献リストをまとめた。
  5.     現代の女性の政治戦略に関するオンライン講義シリーズを開始した。講義は女性のジェンダー研究者が担当する。講義の告知や講義へのリンクは、オープンで匿名のエレメント・スペースに掲載している。このスペースに入る方法については、こちらで読むことができる。
  6.     私たちのコーディネーターであり、新聞『Zhenshaya pravda』の編集者でもあるリリヤ・ヴェジェヴァトヴァが、DPDマヤークと「フェミニストと反戦のサミズダット-歴史と現代性」と題したオンラインミーティングを開催した。
  7.     「気前のいい火曜日」の習慣の一環として、私たちはトビリシ、ベルリン、チュメンで、人道支援のための資金集めや、ウクライナから強制移住させられた親子が交流するためのイベントやワークショップの開催などのボランティア活動を支援した。また今月は、戦争反対を訴え、迫害下に置かれることになった人々を支援する人権プロジェクト「連帯ゾーン」を支援した。私たちのボランティア部門は、ロシアに強制送還されたウクライナ人女性たちを支援し、人道支援物資の運搬、医薬品の引き渡し、プヴルでの宿泊先や被後見人のための法的支援先のアドバイスなどを行った。
  8.     第一弁護団の弁護士とともに、FASの「外国人工作員」事件と、私たちの活動家ダリア・セレンコの「外国人工作員」事件に対する控訴を準備している。
  9.     ビデオシリーズ「暴力の帝国」を完成させた。脱植民地運動家や活動家とともに、カルムイク語とタタール語のロシア帝国主義に関するビデオを発表した。
  10.     反戦の姿勢のために苦しんだロシア人女性たちについての私たちの展覧会は、パリの新しい場所に移った。展覧会とその最新情報はこちら

FASメディア

私たちはフェミニスト反戦メディアとしての仕事を続けている。今月は、活動家たちが他のリソースや活動家などと協力して、多くの重要な記事を書いたり制作したりした:

  •     人権活動家スヴェトラーナ・ガヌシュキナとの “ウクライナ人がロシアでどのように生きるか “についてのインタビュー
  •     サーシャ・タラヴェラがグラスナヤに寄稿したコラム「フェミニズムはロシアで禁止されるのか?
  •     ロシアのパルチザンへのインタビュー
  •     「軍隊の信用を失墜させた」「(同級生の糾弾について)テロを正当化した」という刑事事件の被告で、自宅軟禁から逃れたオレシャ・クリヴツォワへのインタビュー
  •     フランスの年金改革反対運動についてのレポート
  •     カザフのフェミニストアクティビスト、ジャナール・セケルバエワへのインタビュー
  •     「戦争の道具としての文化:文化的『統合』」についての論文研究

FAS細胞

FASタリン

タリン支部はブックウォークを開催し、本の交換や討論を行った。残った本はエストニアのVao Refugee Centerの図書館に寄贈される。

4月8日には、タリンのロシア大使館前で「戦争を忘れるな」「戦争は近い」というスローガンを掲げた反戦集会を開催した。

4月29日には、政治犯とAlexei Navalnyを支援する集会に参加した。

FASブラジル

ラブロフの南米訪問に関連し、ロシア領事館前で抗議活動を行った。

リオデジャネイロではロシア領事館前でデモを組織し、ブラジリアとサンパウロでは@slavaukraine_br@RussiansAgainstTheWar_Br抗議行動に参加した。
FASドイツ

ロシアの政治犯に手紙を送る夕べが22日、デュッセルドルフで開催された。

FAS韓国

ソウルのロシア大使館前で毎週反戦集会を開催した。ソウルのロシア大使館近くで、ブチ虐殺の犠牲者に捧げる写真展を3時間にわたって開催した。9つの大きなスタンドの中には、ロマン・ガヴリリュクとその弟セルゲイ・ドゥクリー、イリーナ・フィルキナ、ジャンナ・カメネワ、マリア・イルチュク、アンナ&タミラ・ミシェンコの個人的な物語が展示された。

多くの人々が足を止め、物語を読み、参加者に話しかけた。

FASチェコ共和国

4月15日、Hnutí pro životによる中絶禁止に反対する集会に参加した。

FASオックスフォード

バフムート、オデッサ、ザポロジエ、ケルソンへの人道支援のための寄付を集める募金活動「Crochet for Ukraine」を開始した(この支援は、英国のフェミニスト・ボランティア団体「Sunflower Sisters」によって組織されている)。寄付金と引き換えに、編み物ワークショップに参加し、ひまわりの編み方を学んだり、編み物の図案や既製品を購入することができる。

私たちは、ウクライナの難民女性がどのように人身売買に直面しているかについて、リサーチを行い、文章を書いた。

https://t.me/femagainstwar/8729