戦争放棄のラディカリズムへ――ウクライナでの戦争1年目に考える戦争を拒否する権利と「人類前史」の終らせ方について

Table of Contents

1. ウクライナ戦争の影響

日本の主な平和運動がロシアの侵略とウクライナの抵抗から受け取った教訓は、戦争放棄の徹底ではなく、侵略を阻止するための自衛のための戦力は必要だ、という観点だ。この観点は、憲法9条の改憲に反対する多くの平和運動の側が、自衛隊を専守防衛であれば合憲とみなす憲法解釈を支持してきた経緯の延長線上にあり、その意味では目新しいものではない。かつて反戦運動のなかで無視しえない有力な主張として存在していた非武装中立論が主流の平和運動ではもはや主張されることがなくなってしまった経緯や、更にもっと遡って、憲法制定当時の与党の憲法解釈がそもそも武力による自衛権を違憲とする解釈をとってきたにもかかわらず1、自衛隊の創設とともに、こうした議論はもはやとうの昔に、保守派のなかでは見出されなくなった。おなじ条文がこれほど真逆な解釈を可能にしているのは、憲法というテクストの解釈それ自体が唯一絶対に正しい解釈を獲得できず、常に権力者が――政府、裁判所、有力なアカデミズム――解釈の主導権を握ってきたことの証明でもある。この意味で日本は、法の支配の下にあるのではなく、法を超越する権力によって支配された社会なのだ。他方で反戦平和運動は、自衛隊が自明の存在になり、その廃止などは非現実的な要求であるとして要求項目にすら入らなくなるになるにつれて、戦争放棄は、ひとつの建前あるいは立場表明のための単なるスローガンとなっている。理念や理想を現実の世界に持ち込むことよりも、理念なきリアリズムの政治――選挙の得票数に還元される政治であり、この数字こそが政権を獲得する唯一の手段だとする政治――の罠に置い陥ってきたようにおもう。これで戦争に反対できるのだろうか。いかなる事態に陥ろうとも戦争という手段をとらない、という断固とした決意をどうしたら取り戻せるのだろうか。

2. 防衛予算は「ゼロ回答」以外に選択の余地はない

先制攻撃や敵基地攻撃能力の保有に反対することが現在の反戦平和運動の主要な関心であることに私も同意するし理解できるが、他方で、この主張と表裏一体をなすようにして、専守防衛であれば戦力を保持せずに武力による威嚇にもならずに9条の戦争放棄条項に抵触しないという含意があるのが一般的かもしれない。自衛隊の存在それ自体を容認した上での先制攻撃や敵基地攻撃能力保有反対は、私とは相容れない主張になる。自衛隊それ自体の是非を論じることを回避して、自衛隊の存在を暗黙の上で肯定して防衛予算の規模に着目し、GDP2パーセントはケシカランといいつつ1パーセントなら構わないかのような値切交渉に主な関心が移っているようにも思う。だから「軍拡反対」という場合も、自衛隊の専守防衛を容認して、ここからの逸脱としての「軍拡」に反対するのは、そもそも私にとっては受け入れがたい前提になる。自衛であれ先制攻撃であれ、戦車や戦闘機や武器弾薬の使用価値は、人を殺すことにあるから、防衛予算は人殺しの武器を買う予算なのだ。国家予算を使って人殺しの道具を買うべきではない、だから予算などつけるべきではない。防衛予算は「ゼロ回答」以外に選択の余地はない、これが平和主義が出すべき唯一の回答であるべきだ。だから防衛予算2パーセント反対を強調することによる誤解(1.5パーセントならいいのか、といって議論の矮小化)を避けるべきであって、防衛予算を計上するな、という原則を繰り返すべきなのだ。こうしたことが反戦平和運動の側がとるべき原則だと思うが、このような声はなかなか聞かれなくなっている。

そもそも私は、軍事領域で自衛に限定した武力行使で勝利することはまず不可能だとも考えている。戦闘が継続し、長期化すれば自衛と攻撃との区別をつけることはできない。自軍の犠牲を最小化するための攻撃の手段は、多くの場合、空爆やドローン攻撃など非人道的な武器の使用に依存することになる。その先に核の使用がありうることは誰にもわかることだ。

ロシアの武力による侵略は容認できないという点では、反戦平和運動に共通の了解があると思うが、対するウクライナによる武装抵抗やNATOをはじめとする西側の軍事支援については、賛否が分かれていると思う。ウクライナによる武装抵抗を暗黙のうちに支持し、その系論としてNATOや西側による軍事支援についても支持する立場をとる人たちもいる。戦争が長期化し投入される武器を高度化させてでも領土の完全奪還とロシア軍の撤退を譲れない線だとする立場をとる場合、NATOなど外国の兵器供与や軍隊による介入を否定する論理は見出しにくい。他方でNATOや米国のウクライナの戦争に懐疑的あるいは批判的な立場をとるという場合、これまでNATOや米国が繰り返してきた戦争や戦争犯罪からすれば、それ自体としてはまっとうにみえる主張であっても、ロシアによるウクライナへの侵略行為にほとんど言及しないというケースがありうる。たとえば2月19日にワシントンで開かれたRage Against the War Machineという集会ではNATOやCIAの解体やウクライナの戦争に税金を使うな、など10項目の要求を掲げているが、ロシアへの批判はほとんどみられない。2 この集会は、右派が左派の一部を巻き込んである種の反戦平和運動の統一戦線の体裁をとろうとしたもののように見える。私はこうしたスタンスにも懐疑的だ。

私は、プーチン政権の侵略を正当化する理屈を見出すことはできない。他方で侵略の被害者のウクライナの政権や軍部が正義の体現者だと評価することも難しいというのが私の見方だ。私は、暴力を行使した順番とか暴力の残虐さの程度とか、戦争を肯定した上での国際法違反とか、こうした様々な暴力(武力)行使の正当性がありうるという前提には立たない。後に述べるように、問題解決の手段としての暴力の正当性を認めないからだ。他方で、戦争を終結させるための様々な和平の可能性を探ることについても、実はあまり関心がない。和平の問題は権力者たちが正統性のある意思決定の手続きを伴いながら対処することであり、彼らが実際に軍の指揮権をもっている以上、彼らの動向は重要だが、彼らが言葉にする和平や正論にみえるようなメッセージも、近代国民国家の権力構造のなかから権力の力学による政治的な思惑や計算によってはじき出される「答え」であって、おなじ言葉に民衆が込めるであろう意味とは同じにはならない。私のように、政治評論家や政治組織に属さない者にはうまく論じることができない。関心があるのは、むしろ、戦争が継続している今、戦争に背を向けて戦場や戦争当事国から避難しようとする人達や、兵役を忌避したり軍隊から逃亡するなど、様々な手段で戦争に抗う人達だ。

メディアは毎日のように、中国、ロシア、北朝鮮を不条理な侵略者として報じている。人々は、日本をウクライナと重ねあわせて、侵略される恐怖を抱くような感情が形成されている。同様の不安感情は韓国にもいえるために、韓国では核武装論まで登場しはじめているという。こうして、ウクライナの戦争は、地域の人々の間に心理的な分断と敵意を醸成してしまった。他方で、日本がロシア同様、不条理な侵略者となる可能性を秘めていることにはまったく気づいていないように思う。日清、日露の戦争から1945年に終結した戦争まで、日本の戦争は常に、自衛を口実とした先制攻撃と侵略だったことを皆忘れてしまったようだ。だから、この国で専守防衛と敵基地攻撃の差を議論することにはあまり意味がない。国家の防衛という観点で領土や権益を推しはかろうとする地政学イデオロギーが突出する結果として、犠牲になるのは、権力者や金持ちではなく、関係する諸国・地域の民衆だ、ということが最大の問題なのである。日本の場合、沖縄はまた再びヤマトによって犠牲にされかねないのが「自衛」とか「専守防衛」の意味している現実的な内容だ。専守防衛を肯定する本土の平和運動は、このことをどのように理解しているのだろうか。

3. 国家と民衆の利害は一致しない

「日本が理不尽に他国から侵略されても、あなたは日本を守るために戦うつもりがないのか?」とよく問われる。私は、「国家間の諍いに私を巻き込まないでほしい」「It’s not my business」と考えるので、私には日本を守るという発想はない。そもそもこうした問いの前提にある「日本」や「日本人」という言葉に私は翻弄されたくない。私という存在を可能な限り、国家の利害から切り離したい。そのためには、私を日本人というアイデンティティのなかに押し込めて、国家のアイデンティティに収斂させるように作用する言説や心理と闘う必要がある。

戦争では、問題を、国家レベルで把えざるをえないように仕向けられる。あるいは、戦争をプーチンに代表されるロシア、ゼレンスキーに代表されるウクライナという単純化された枠組で把える傾向がある。中国といえば習近平、朝鮮といえば金正恩で代表させて政治を論じると、それぞれの国のなかで暮すひとりひとりの意思の多様性が無視されてしまう。こうした指導者=権力者をアクターとする国際政治の延長線上に国に分割されて色分けされた領土としての世界地図が描かれがちだ。わたしはこうした世界の論じ方、あるいは戦況を地図上に表示する陣取り合戦のような戦争の見方、あるいはひとりひとりの人間のかけがえのない命を単なる統計上の数字に還元して、どれくらいの戦死者までなら許容できるか、といった冷酷な数字の世界に加担したくない。

私は、武力による紛争の主体である国家と、それぞれの国のなかに暮す人々とは明確に区別すべきだ、と考えている。戦争とは国家による国家の都合で引き起こされる惨事であり、20世紀以降の国民国家では「国民」を主権者とすることによって国家間の戦争に「国民」とみなされる私たちが国家防衛に否応なく動員される理屈が支配的になった。わたしはこの意味での主権者としての国家防衛の義務を認めない。

ここで民衆の側に問われるのは、「私」という主体と私が帰属するとみなされている国家との関係だ。国家との自己同一化が強固であれば、「私」は国家の戦争を自らが命をかけて引き受けるべきものと感じるかもしれない。しかし、世界中の紛争地域で実際に起きているのは、多くの人々が武力=暴力を選択するのではなく、別の選択を必死で模索している、ということだ。地下で密かに隠れて戦闘が終息することを祈るか、わずかな可能性を求めて戦闘地域からの避難を試みる。自らの命を犠牲にするとしても、「敵」を殺すためではなく、誰も殺すことなくわずかな生き述びられる可能性を求めて場所を離れる。ロシアもウクライナも傭兵や強制的な徴兵に依存するのは、多くの人々が戦争という手段を望んでいないことの表れだ。このことは、近代国民国家において否応なく「国民」として主権者の義務を負わされるとしても、自らの生命をも犠牲にする義務や、「敵」を暴力(武力)によって殺害するという手段の行使を強制される、というところにまでは及ばない、ということを示してきたのだ。つまり、多くの民衆は、法や道義などではなく、むしろ民衆の生存の権利が国家による死の義務を超越することをその実践において示してきたともいえる。キリスト教徒であれば、汝殺すなかれ、という神の命令が国家の命令を超越するという主張は、良心的兵役拒否の歴史のなかで繰り返し主張され、また、法的な制度化すら獲得されてきた。同時に無神論者や無宗教の場合も、人間の生存の権利が国家の死の命令(殺すこと、あるいは殺されること)に超越する普遍的な権利である、という確固とした意識が存在してきた。国家は戦争機械でもあるにもかかわらず、その理念において、生存を保障すべきものともされており、この相矛盾する両者のせめぎあいのなかで、民衆に問われているのは、生存の権利を国境を越えて普遍的なものとして主張すべきであり、そのためには戦争機械と化している国家を否定することに躊躇してはならない、ということだ。しかし、現在のロシアやウクライナにおける徴兵拒否者への扱いをみればわかるように、現実の近代国家は、国家の生存を人々の生存よりも上位に置き、人々の犠牲によって国家の延命を図ってきた。

現在のウクライナの戦争は、1年を経て、領土と主権のメンツのために、双方の死者の数がどれほど積み上げられるまでなら耐えられるか、といった残酷なチキンレースにしか私にはみえない。これは、領土をめぐる争奪という観点からみた最適な武力行使の選択でしかなく、人間の命の犠牲を最小化するための最善の選択肢ではない。ロシアもウクライナも、政権が執着しているのは「領土」であり、そこに住んでいる人々への関心が本当にあるのかどうか、私には疑問だ。もし、その場所に暮す人々が本当に大切な人々であるのであれば、その命を犠牲にするような暴力という手段を選択できないと思うからだ。ウクライナの東部に住みロシア語話者で前政権を支持していたような住民をキエフの政権が積極的に受け入れたいと思っていのだろうか。他方で、東部に暮すキエフの政権を支持する住民をロシアの占領者たちは、平等に住民として扱う積りがあるのだろうか。ロマや非ヨーロッパのエスニシティのひとたち、LGBTQ+の人達、こうした社会の周辺部で差別されてきた人達に、この戦争に勝利することが新たな可能性を与えるとは思えない。

4. 難民について

戦争放棄の最大の体現者は、戦場から逃れる難民たちや、戦火にありながら武器をとらずに、命懸けで日常生活を送ろうとする人々だ。法制度上でいえば、兵役拒否を裁判で闘うとか、軍隊からの脱走を選択する人達だ。こうした人達が実は戦時における多数者でもあるはずなのだ。ロシアについては、15万人以上の動員対象者が出国し、ウクライナから西欧に入国した兵役義務者が17万5000人、ベラルーシについては、出国した兵役対象者が2万2,000人という推計もある。国家にとってはこうした人達は厄介だが、むしろこうした生き方を選択する人々のなかに、グローバルな国民国家の統治機構が実現できなかった平和の可能性があると思う。兵役を忌避したり軍から脱走したり、様々な手段を使って武器をとらない選択をして国外に逃れた人達は、出身国にとっては自国の危機を見捨てた裏切り者になる。他方で、難民がたどりついた国にとってもまた、本来なら出身国に帰るべき余所者として扱われる。どちらの国にとっても、そこに住まう者に国家へのアイデンティティを要求しようとする限り、国家に背を向けて生きる人達は厄介な存在だろう。だから極右は、彼らを追い返し、出身国でナショナルなアイデンティティを構築することを求めるのだ。

戦争に難民はつきものだが、難民は上の議論からみたとき、その存在にはもっと積極的な意味を見出す必要がある。彼らは、戦うことによって現にある事態に決着をつけるという選択をしない人たちだ。むしろ、戦わない選択をするために場所を離れるという決断をすることになる。自分たちの暮してきた土地を捨てて、見知らぬ土地へと移動する。その先で受け入れられるかどうかすらわからない不安がありながらも、彼らは戦うことに命を賭けるよりも、転覆して遭難するかもしれないゴムボートを選ぶ。敵とされる人達を殺して、国家が求める領土のための戦闘よりも、誰も殺さないが自分は死ぬかもしれないリスクを負いながらわずかの可能性に賭けるのだ。これは彼らをあまりにもロマンチックに描きすぎているかもしれないが、本質的な事柄は、暴力に対する向き合い方をめぐる、戦場で戦うことを選択した人達との違いにある。この対比を踏まえて、戦争を忌避する人々の生き方のなかにこそ戦争放棄の思想が体現されていると思う。それに比べれば、自衛権や専守防衛などの武力行使の肯定を読み込んだ日本国憲法9条は、戦争放棄とは無援の単なる「絵に描いた餅」にすぎない。この実効性を失なった文言にひたすらしがみつくことが平和主義なのではない。もし9条が文字通りの意味で戦争放棄を具現化するものになるとすれば、戦争を選択した国家を捨てる権利、あるいは戦争を拒否する権利もまた基本的人権として明文化すべきだろう。つまり、日本の軍国主義を防ぐ最大の条件は、日本の民衆が武力を保有する国家に協力しないこと、 民衆が戦力の主体にならない、戦争を支えるあらゆる活動に非協力になれるかどうかだ。このことは、日本の民衆が、「日本人」という擬制のエスニシティに基くナショナルなアイデンティティからいかに自らを切り離せるか、にかかっている。

この観点からみたとき、日本は平和主義に対して世界で稀にみるほど背を向けてきた国家だということが見えてくる。なぜならば、日本はほとんど難民を受け入れていないからだ。戦争から逃れようとする人びとには手を差し出さない日本の態度は何を意味しているのだろうか。日本のナショナリズムの特異性から容易に外国籍の人々を受け入れられないイデオロギー上の枠組がある。この点はやや説明が必要かもしれない。日本の平和運動や伝統的な左翼やリベラルの一般的な認識は、戦前の日本の帝国主義は、1945年の敗戦によって終結したと評価し、戦後の憲法は、戦前の帝国主義からの決別という意義をもつものだと肯定的に評価する。だから、政権政党の自民党による改憲に対して現行憲法の擁護=護憲が基本的なスタンスになる。しかし、私の考え方はちょっと違う。戦前から戦後にかけて、日本は一貫して資本主義国家であり、この国家の基本的な性格には変化はない。この意味で戦前から戦後、そして現在に到るまで同じ支配の構造を維持している。したがってここにナショナリズムとしての一貫性を支える構造があり、それが極めて特殊な「日本人」としてのアイデンティティ構造として構築されてきた、ということだ。このアイデンティティの中心にあるのが天皇イデオロギーとでもいうべき特殊な集団的な収斂システムだ。この意味で、私は、戦後日本の戦前からの連続性を強調する立場になる。私は、この意味での近代日本を総体として否定する観点がないと、戦争を廃絶する社会を実現できないと考えている。

他方で、その裏返しとして、日本の「国民」が戦争状態のなかで、戦うことや戦争に協力することを拒否して「難民」として避難するという選択をとることについて、個人の自由の権利行使だとみなす考え方は、国家の側にも民衆の側にもほとんどみられない。その結果、避難の是非はもっぱら国家が一方的に決めることだとされるのが基本になり、個人の権利とみなされない。このことは、福島原発事故による放射能汚染から自主避難した人々がたどった苦難の道をみればわかることだ。

だから戦争状態になれば、「日本国民」は国家のために戦うこと以外の選択肢は事実上封じられるに違いないと思う。日本政府は、戦争になれば国家のために戦うのが国民の義務であり、逃げ出すなどというのは「国民」のとるべき道ではないという態度をメディアなどを含めて宣伝し、戦争(協力)を忌避する人々を追い詰め、時には犯罪者扱いすることになる。

もし平和運動が専守防衛を肯定してしまうと、こうした戦争を拒否する人達の権利を正当なものとして理解できなくなり、政府の戦争に暗黙のうちに加担する道を選択することになるのではないだろうか。日本政府が「平和国家」などを口にすることがあるが、これは欺瞞以外のなにものでもないことは反戦・平和に関心をもってきた人々には自明だが、他方で左翼の平和主義は、こうした移民・難民を受け入れない日本政府には批判的でありながら、日本の移民政策が平和主義に対する敵対的な態度であると明確に指摘して批判したことを私はあまり思いつかない。

戦争状態が現実のものになってしまったとき、平和運動は極めて無力な主張のようにみえる。戦闘状況のなかで、「平和」を主張することのむなしさは、容易に想像できる。しかし、だからといって、この無力さを理由に、暴力に対して暴力で対峙することが唯一の選択肢になる、と判断していいのだろうか。ここで、やはり、どうしても暴力とはいかない意味での解決の手段になりうるのか、という根源的な問いに立ち戻らざるをえなくなる。

5. 暴力についての原則的理解

近代において、暴力の廃棄は、国家と資本の廃棄と同義だ。暴力の廃棄は、人類の前史に終止符を打つ壮大な挑戦であり、この理想主義なしには平和を実現できない課題でもある。

暴力の問題について、私たちが確認しておかなければならない原則がある。それは、力の強い者が正義を体現しているわけではない、という事実だ。もし力が正義であるなら、ドメスティックバイオレンスでは、加害者である男の暴力が正義になる。力と正義の間には、何の論理的な因果関係も存在しない。

私たちが日常的に経験している暴力について、たぶん、男性と女性では、その対処の選択肢や優先順位が違うように感じる。少なくとも、日本では、そういって間違いない。DVの被害者となる多くの女性たちは、実は、男性以上に日常的に殺傷力のある道具――つまり台所にある包丁や刃物などだが――の使用には長けている。DVの加害者を殺すことで問題を「解決」することは可能だということは誰でもわかることだ。しかし、実際にそうした手段を選択する人はごくわずかだ。多くの被害者は、別の闘い方を選択する。

DVの被害者を支援する活動家たちも、加害者を殺すことが問題の解決になるとは主張しない。むしろ、暴力に対して暴力で対処するのではなく、被害者のために避難場所を用意し、加害者が接触しないような防御策をとり、法的手段を駆使し、同時に、加害者の更生への道を探るのではないだろうか。こうした活動は、DVを引き起す社会的な背景にも目を向けることになる。家父長制的家族制度や資本主義の市場経済がもたらす性差別主義のなかに、暴力によって支配を貫徹させる不合理な欲望を再生産する社会的な構造がある。問題は、暴力による報復や復習では解決できないのだ。暴力をもたらす構造からの解放という目的は、暴力という手段によって実現しえない。人びと、とりわけ男性の意識や価値観を変えるための挑戦が必須になる。こうした身近な暴力の話題を戦争という暴力の文脈のなかに置き換えて考えてみることが必要なのだ。

この暴力と正義の関係は、難しい哲学や政治学の議論ではない。私たちの日常的な解放への実践の積み重ねのなかで理解できることでもある。しかし、国家間の戦争になると、この日常の知恵がすっかり忘れさられてしまう。国家間であっても、DV同様、正義と暴力の間には何の因果関係もない。力が強い者、戦争に勝利した者が正義であることもあれば、不正義であることもある。(何が正義か、という問いを脇に置いて、の話だが)いずでれあっても、多くの犠牲者を生み出す。そしてまた、正義の目的のために戦いながら、戦場で実際に戦争犯罪を犯すのも普通の人びとなのだ。つまり目的が正義であることは手段もまた正義であることを保証するものではないし、正義の装いの下に隠された不正義は戦争ではあたりまえに見出される非人道的な出来事でもある。

暴力と社会変革の関係についての私の現在の基本的な考え方は、以下のようになる。武力を用いた解放は、マルクスの言う人類前史における解放の手段として、その意義を否定することはできない。しかし、将来においても、同様に、武力による解放が必須の手段になるべきではない。現代において暴力に特権的な地位を与えているのは、壮健な成人男性が社会の理想モデルになるような暗黙の価値観に基くものだ。女性、高齢者、子どもよりも、力のある男性の方が正義において優るという価値観だ。戦争の武器や装備がこの価値観を体現し、軍隊の組織原理を規定する。ジェンダーは社会的な概念だから、たとえ女性が兵士として参加しても、その構造が女性にマスキュリニティとファロセントリックな男性性に自己同一化することを強ることになる。

女性は、このモデルを側面から支える。戦場で闘う夫や息子を鼓舞し、その死を意味づけする役割を担い、銃後の兵站の労働力となり、国家に忠誠を誓う次世代を生むことを義務とされる。こうした家父長制的な構造は、性的マイノリティに不寛容でリプロダクティブライツを否定する。こうした暴力による支配に対抗するために、解放の主体もまた暴力に依存するという場合、この力のモデルを受け入れなければ、武力による勝利は見込めない、という悪循環に陥る。だから、正義と暴力の不合理な結び付きを意識的に断ち切る必要がある。

つまり、私たちが目指さなければならない解放の手段は、壮健な成人男性が社会の理想モデルになるようであってはならないのだ。だから、必然的に、この意味での男性性の象徴的な行為でもある暴力を拒否し、非暴力であるべきだ、ということになる。

6. 9条の限界と戦争放棄の新たなパラダイム

日本が憲法で戦争放棄を明記していていも、実際に戦争放棄を体現する国になっていない。その理由は、日本が真剣に過去の侵略戦争の責任と向き合ってこなかったからだということはこれまでも繰り返し指摘されてきた。私もそう思う。戦争責任を負うべき最大の戦犯は天皇ヒロヒトだ。しかし戦後、ヒロヒトは戦争責任を問われることなく、憲法によって日本国家の象徴になった。そして戦犯だった人達が戦後日本の支配の中枢を担い日米同盟の基礎を築いた。他方で、民衆の平和への指向は、被害者意識に基礎を置いたままだった。日本の戦争における加害責任あるいは戦争犯罪は、平和運動の中核的な基盤をなしてはこなかったのではないか。

戦後日本の平和運動を支えてきた理念にはいくつかの特徴がある。第一に、憲法が明記している戦争放棄条項を根拠に、自国の軍隊についても否定的な理解が共通の「理念」として確立してきた。第二に、この理念が広く共有されてきた背景には、日本が関った戦争への反省の特殊性がある。日本は植民地主義の侵略者だったが、戦後の平和を希求する最大公約数は、広島、長崎の原爆や空襲の被害であり、侵略地での日本軍の玉砕に象徴されるような自国兵士の悲劇、植民地での日本からの開拓移民の悲惨な経験など、戦争被害体験だ。だから日本の戦争責任を問う声が政治を動かすほどの影響力をもったことはほとんどない。戦争の最高責任者であった天皇ヒロヒトは、民間の取り組みである女性国際戦犯法廷によって有罪判決が出されているが、一度も公的に戦争責任を問われず、戦犯としても裁かれていない。ヒロヒトは、戦後も国家の象徴として君臨し、戦犯たちが戦後政治の中心を担ってきた。自国の侵略や軍国主義への抑止となる平和主義は、自国の加害責任、侵略の責任に基く必要があるが、戦後日本の平和運動ではこの点が決定的に脆弱だった。とはいえ平和運動は、ここ半世紀近く、日本の戦争責任に注目するという変化を次第にみせてきた。これに対して、政府も右翼、保守派も日本の戦争犯罪、戦争責任を認めない態度は一貫している。

上の背景を踏まえて、9条の限界について四つの理由を述べたい。ここでの限界は、9条そのものではなく、なぜ戦争放棄を実現できないのかについて、戦後日本の統治機構全体の文脈を視野に入れての理由である。

ひとつは、死刑制度の存在だ。政府も世論も死刑存置が圧倒的な多数派を構成している。死刑は、国家が殺人によって正義を実現するという理不尽な法制度だ。世論の死刑への支持は圧倒的多数を占める。日本では、民衆のレベルで、暴力、報復によって「正義」を実現することが容認されている。3死刑制度とは、自国民を矯正できず、報復し抹殺することで秩序を維持しようとする制度でもある。このような国に、どうして戦争放棄など可能だろうか。

では、死刑廃止国であっても軍が存在するのは何故なのか。それは、殺害の対象が「他者」だからだ。では、殺してもいい「他者」とは、いったい誰にとっての他者なのか。それは、私にとっての他者でない。国家にとっての他者だ。私は、「他者」であれば命を奪うことが許されるという考え方に反対だ。ここには、西欧近代国家の普遍的な人権概念と近代国家が生み出す「他者」との間にある克服しがたい矛盾が存在する。

もうひとつは、日本のジェンダーギャップ指数が極端に低いということだ。世界経済フォーラムの統計では116位だ。経済力との関係を考慮すると異常な低さだと言わざるをえない。 日本では、同性婚もLGBTQ+の権利も法制度として認められていない。憲法では個人としての尊重を明記しているが、戸籍制度という世界に類をみない家族を中心とする公的な制度が存在しており、実際には、個人を超越する男性を中心とする家父長制意識を制度が支えている。こうした感情を女性もまた内面化するので、ここでの問題は、単純な生物学的な「性別」の問題ではない。暴力において優位に立つことができる男性性への同調の構造が問題なのだ。前述したように、こうした環境が暴力を正当化する枠組をなしてきた。

第三に、これも前述したように、日本はほとんど難民を受け入れていない、ということだ。法務省のデータによれば、2021年の難民認定数はたったの74人にすぎない。難民認定申請者は2413人だった。この数字は異常というしかない。また、人口1億4000万人のうち在留外国人は約280万人で西欧諸国より圧倒的に少ない。文化的多様性に欠け、他者への排除意識が作用しやすい環境にある。こうした環境は、自国の文化や伝統へのロマン主義的な傾倒を生みやすく、このことが戦争を美化し賛美する文化をもたらす。合理的な他者への評価よりも、感情的な美意識が排除と差別を生む。つまり、日本の平和とは、自民族中心主義がもたらす美学に支えられているので、この日本文化への侵犯への敵意が醸成されやすい。19世紀のヨーロッパのロマン主義も日本浪漫派も戦争の美学によって暴力を賛美した。

最後に、その上で、歴史の教訓として、近代国民国家が戦争なしで国際関係を構築することができたかどうかを問うことが必要だ。世界中に200近くの国家があり、この国家がお互いに、最高法規としての憲法を持ち、互いにその優位を競う世界体制と、家父長制的な暴力と温情主義の弁証法が支配するこの世界のどこに平和の可能性があるのだろうか。現実主義者は、この現実を肯定して、武力による解決を肯定する。上述したように、この解決方法に合理性はない。だから、私は未だ実現しえていない世界を夢想することになる。私は、ある種の理想主義を選択する以外にないと思っている。憲法に戦争放棄、あるいは戦争を拒否する権利を明記することは、このような国民国家の宿命的な暴力的性格を自己批判することでもある。そして、日本は、他者との関係構築において――つまり外交だが――武力を後ろ盾とした交渉とは全く異なる外交パラダイムを持つ必要がある。これは、国民国家の自己否定を内包するラディカルな立場だ。左翼がこうした立場をとることによって、暴力という手段によらない解放の可能性を模索することが、人類の前史に終止符を打つための重要な課題になる。

7. 二人のファノン――締め括りのためのひとつの重要な宿題として

このやや長いエッセイを締め括るにあたり、暴力と解放闘争の議論では避けて通れないファノンの『地に呪われたる者』を取り上げておきたい。解放の暴力を肯定する議論として、その第1章「暴力」はよく言及されるテキストだ。しかし、第1章と対をなす最終章、第5章「植民地戦争と精神障害」にもっと多くの注意を払うべきだと思っている。ファノンは、人種主義的な従来の精神医学を厳しく批判した。この指摘を可能にしたのは、植民地解放の闘いがあったからだ。第5章は、植民地精神医学の分野では、人種主義的な精神医学批判として高く評価されている。4 ファノンは次のように述べている。

「アルジェリア人の犯罪性、その衝動性、その殺人の激しさは、したがって神経系組織の結果でも、性格的特異性の結果でもなく、植民地状況の所産である。アルジェリアの戦士たちがこの問題を論議し、植民地主義によって彼らのうちに植えつけられた信条を怖れることなく疑問に付したこと、各人が他人の衝立であり、現実には各人が他人に飛びかかることによって自殺しているのだという事実を理解したこと――これは革命的意識において本源的重要性を持つべきことであった。」
「戦う原住民の目標は、支配の終焉をひきおこすことだ。しかし、彼はまた同様に、抑圧によってその肉体のうちにたたきこまれたあらゆる真実に反することを一掃すべく心を配らねなならない」(鈴木道彦、浦野衣子訳、みすず書房、p.179。ただし旧版による)

第5章に関して私が重要だと思うのは、こうした抽象的な議論の前提になっている具体的な症例についての詳細な記述だ。後に心的外傷性ストレス(PTSD)と呼ばれることになる戦争がもたらす深刻な被害は、解放戦争においても例外ではなかった。解放戦争そのものは、精神的な外傷を生み出すことがあっても、これを克服することはできない。だから症例と総括的な文章との間には、埋めなければならない大きな溝があると思う。そのことにファノンは気づいていたと思うが、残念ながら彼は1961年に他界した。アルジェリアの独立は翌年1962年だ。彼は、戦後を経験していない。

20世紀の戦争を遂行してきた主要な国々は、心的外傷の課題を残酷な戦争に耐えうる兵士のパーソナリティの構築と、そのための精神医学の動員として展開してきた。5これに対して解放戦争の側がオルタナティブを提起できているとは思えない。ファノンは、戦争で心を病んだ人達の回復を解放された社会に委ねているが、同時に、暴力の問題について「すでに解放されたマグレブ諸国でも、解放闘争中に指摘されたこの同じ現象が持続し、独立とともにいっそう明確になっているのだ」(前掲、p.178)という示唆的な文章を残している。

この第5章と暴力という手段によって解放を実現することを論じた第1章の間には、十分な整合性があるとはいえない。特に、第5章における個別の症例を論じている精神科医としてのファノンと、この症例を総括して植民地解放運動全体の文脈のなかに位置づけようとする解放戦争の闘士としてのファノンの間には未解決の溝があると思う。

戦争におけるPTSDの問題をDVにおけるPTSDとひつながりのものとして把えたジュディス・ハーマンの仕事に私は多くのことを学んだ。(参照文献をごらんください)また、最近沖縄の地上戦がもたらしたPTSDに注目したいくつかの著作によっても示唆を受けた。6専守防衛であっても戦争となれば、たとえ生き延びたとしても、このPTSDの問題は一生を通じて残ることになる。だから、PTSDを、解放実現のための止むを得ない犠牲と考えるべきではないと思う。殺すこと、殺されることだけではなく、戦争や暴力にはあってはならない多くの「止むを得ない」犠牲があり、これを代償としてなし遂げられる「解放」に私は未来を託す覚悟はない。これもまた、武器をとらない、という私の選択の重要な理由になっている。

8. 参照文献

ここに紹介する3冊の本は、この原稿を書くときに常に念頭にあった本だ。いずれも刊行年は古いが、今読むべき本だと思う。いずれもまだ書店で入手できる。

●トルストイ『トルストイの日露戦争論』平民社訳、1904年。

1904年6月27日のロンドンタイムズに掲載された長文のエッセイBethink Yourselves!を幸徳秋水らが翻訳した。日露戦争(1904-1905)が勃発すると、戦争に反対する幸徳秋水などの社会主義者が「平民社」を設立。平民社は、トルストイのエッセイ “Bethink Yourselves!”を翻訳し、出版した。トルストイはこのエッセイでロシア皇帝と天皇を同時に批判し、断固として戦争に反対した。幸徳は解説の中で、戦争のない社会としての社会主義の主張がないことを批判しつつもトルストイの主張をほぼ全面的に支持している。ウクライナで戦争が起きている今、非戦論の文献として最も優れたもののひとつと思う。 英語原文は下記で読める。(マルクス主義のアーカイブサイトにトルストイの文章が掲載されているのも珍しいかもしれない) https://www.marxists.org/archive/tolstoy/1904/bethink-yourselves.html 平民社訳は、国会図書館のオンラインで閲覧が可能だが、『現代文 トルストイの日露戦争論』として国書刊行会が2011年に出版しており、入手できる。

●ジュディス・ルイス・ハーマン、『心的外傷と回復』、中井久夫訳、みすず書房。1999年。

ハーマンはその序文で次のように書いている。(原書から小倉の訳)

『心的外傷と回復』は、性的暴力や家庭内暴力の被害者を対象とした20年にわたる研究と臨床の成果である。 トラウマと回復』は、性的暴力や家庭内暴力の被害者を対象とした20年にわたる研究と臨床の成果を示すものである。また、この本は、他の多くのトラウマを抱えた人たちとの経験の積み重ねを反映している。 また、他の多くのトラウマを抱えた人々、特に戦闘に参加した退役軍人や政治的恐怖の犠牲者に対する経験も反映されている。 政治的恐怖の被害者である。本書は、公的な世界と私的な世界、個人と個人の間のつながりを回復するための本である。 公私の間、個人と地域社会の間、男性と女性の間のつながりを取り戻すための本だ。

●デイヴィッド・デリンジャー、『「アメリカ」が知らないアメリカ―反戦・非暴力のわが回想』吉川勇一訳、藤原書店、1997年

武装抵抗の支持者の中には、非暴力主義者を臆病者と揶揄する人もいる。本書は、非暴力不服従としての平和主義の実践は議会主義や日和見主義とは全く異なる生き方であることをよく示した自伝。第二次世界大戦中、デリンジャーは、ファシズムやナチズムを完全に否定しながらも、徴兵を拒否し、ドイツ爆撃に反対し、そのために投獄された。第二次世界大戦後は、2004年に亡くなるまで、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争と、すべての戦争に反対し、何度も投獄を繰り返し経験した。日本では小田実らのベ平連の運動との交流があり、小田実との共著『「人間の国」へ―日米・市民の対話』ギブソン松井佳子訳、藤原書店、1999年がある。

Footnotes:

1

「自衞をする場合に、外交の力によつて自衞することもありましようし、或いは條約の力によつて自衞することもありましようし、その方式はいろいろありましようが、とにかく日本を守るということは、武力による自衞権を行使しないということははつきり憲法の條章によつて、この点は明らかである 」吉田茂 第7回国会 参議院 予算委員会 第18号 1950年3月22日

2

https://rageagainstwar.com/ この集会にはピンク・フロイドのロジャー・ウォーターやクリス・ヘッジスなども発言者として登場した。

3

「死刑制度に関して、「死刑は廃止すべきである」、「死刑もやむを得ない」という意見があるが、どちらの意見に賛成か聞いたところ、「死刑は廃止すべきである」と答えた者の割合が9.0%、「死刑もやむを得ない」と答えた者の割合が80.8%となっている。なお、「わからない・一概に言えない」と答えた者の割合が10.2%となっている。  都市規模別に見ると、「死刑もやむを得ない」と答えた者の割合は中都市で高くなっている。  性別に見ると、「死刑もやむを得ない」と答えた者の割合は男性で高くなっている。  年齢別に見ると、「死刑もやむを得ない」と答えた者の割合は30歳代で高くなっている。」2019年、基本的法制度に関する世論調査、https://survey.gov-online.go.jp/r01/r01-houseido/index.html

4

角川雅樹「Frantz Fanonと 植民 地心理〜マルチニークとメキシコの事例から〜」ラテンアメ リカ研究年報 No.11(1991年);「フランス植民地の精神医学」akihitosuzuki’s diary、https://akihitosuzuki.hatenadiary.jp/entry/2008/12/01/104634 ;Keller, Richard C., “Pinel in the Maghreb: Liberation, Confinement, and Psychiatric Reform in French North Africa”, Bulletin of the History of Medicine, 79(2005), 459-499 ;UNCONSCIOUS DOMINIONS, Edited by warwick anderson, deborah jenson, and richard c. keller, Duke University Press, 2011.

5

戦争による心的外傷についての最初のまとまった研究は、フロイトらの研究『戦争神経症の精神分析にむけて』である。フロイトの「緒言」が『フロイト全集』(岩波書店)第16巻に収録されている。フロイト後の経緯については、アラン・ヤング『PTSDと医療人類学』、中井久夫他訳、みすず書房、参照。

6

蟻塚亮二『沖縄戦と心の傷 トラウマ診療の現場から』、大月書店、2014;沖縄戦・精神保健研究会『戦争と心』、沖縄タイムス社、2017、参照。

Author: toshi

Created: 2023-02-27 月 22:49

Validate

変ってしまうと困る「社会」とは何なのか――戸籍制度も天皇制もジェンダー平等の障害である

荒井勝喜・前首相秘書官発言に対して、岸田が早々に更迭を決めた背景には、ジェンダーの多様性を本気で認めるつもりのない岸田が、これ以上傷口を拡げないための措置だと思う。 ジェンダーはG7の議題のなかでも優先順位が高い課題だが、日本はこれを、リップサービスだけで乗り切る積りだったと思う。

同性婚を法的に認めていないG7の国は日本だけだということがメディアでも報じられるようになった。岸田が「社会が変わってしまう」と発言したことも注目されている。この発言は、ほぼ荒井のオフレコ発言と主張の基本線に変りはないため、荒井が答弁原稿を書いたのではとの憶測があったが、朝日は、これを否定して岸田のアドリブだと報じている。ここで岸田のいう「社会」とは、法制度のことではない。法制度に同性婚を組み込むと変わる「社会」のことだ。ではその社会とは何なのか、このことをメディアは議論していないし、野党も議論できない?

岸田のいう「社会」とは、日本に固有だと岸田が考える伝統的な社会、つまり家族観のことだと解釈しないと、荒井=岸田が同性婚や性的マイノリティに否定的なのかを理解できない。どこの国にも伝統的な家族観はあり、それを変えてきたが、日本は変えられないでいる。これは、LGCTQ+の運動が非力だとかではなく、逆に、性的マジョリティがマイノリティの権利を理解して平等な権利主体として認識して行動することができないというマジョリティ側の問題なのだ。では、なぜそれほどマジョリティがマイノリティへの理解や共感をもてないのか、これを私のようなマジョリティが考えないといけない重要な問題だ。 荒井が語ったのは、理屈ではなく好き嫌いの感情だったことも、ここでは重要な意味をもつ。

どこの国でも資本主義的な家父長制が支配的なことには変りない。しかし、日本に固有なのは、個人よりも家族を優先させる特異な制度上の縛りがあることと、大衆的な婚姻文化――結婚式が両性の合意ではなく両家の合意として演出される違憲状態が定着しているとか――、そして何よりも戸籍制度だ。そしてこの国の強固な家父長制とセクシズム+レイシズムは、象徴天皇制を後ろ盾にした日本的な近代家族観と「日本人」のアイデンティティとも密接な関りがあると思う。 他方で、G7を舞台に、性的マイノリティの権利についての提言を主張するかもしれないが、「市民社会」組織のスタンスから戸籍制度と天皇制をジェンダー不平等の根源にある制度として廃止を提言できるかどうか、私はこの点に注目している。

荒井は秘書官室全員が同性愛嫌いだと発言してもいて、岸田も価値観を共有していることは明らかで、この価値観が戦後生れであってもしっかりと保守層い定着していることは注目すべきことだ。そして、旧統一教会など保守・極右の宗教団体や圧力団体もまた同性婚やジェンダーの多様性を嫌悪してきたことと今回の差別発言とはシームレスに繋がっている。

近代日本が戦前から構築してきた家族観が戦後民法によって改革されたかのように論じる向きもあるが、それは紙に書かれた法律の世界の問題であって、庶民の家族観は戦前からの明確な切断を自覚していない。核家族かどうか、とか専業主婦か共働きか、といった女性差別を解消するかもしれないと期待されてきた家族の変化も、実は期待外れで、戦後生れの核家族の男たちがしっかりと伝統的な家父長制意識を内面化しており、そのことが企業の「風土」を作り、労働運動や革新・左翼の運動もまた主流になればなるほどこの「風土」を共有している。あえて「庶民」と書いたのは、男性の所得が比較的低く共働きを必要とする世帯においても、家父長制意識は再生産されているし、結婚=入籍という等式が常識を形成しているからだ。女性の「社会進出」は自分の人生のために働くのではなく、「家」の家計のために働くことの結果にすぎない。女性の「社会進出」は日本ではジェンダー平等に寄与しているとは思えない。だから日本のジェンダーギャップは、あの不愉快な資本家クラブ、世界経済フォーラムの統計でも世界の120位なのも、こうした日本の現実を象徴している。ある程度の制度的な保障がある女性の場合ですらこうした状況だから、ましてや、権利を大幅に奪われている性的マイノリティの人達の場合の困難は、物理的にも精神的にも更に深刻だ。

たぶん、戸籍制度をなくさないと、多様な性的アイデンティティを平等に権利として保障できない。制度的には戸籍制度がかなりネックになっていると思う。こんな制度があるのは日本だけで、韓国も廃止した。戸籍制度は本来個人を基盤に人権を定義している憲法とは真っ向から対立しているが、このことに自覚的なのはむしろ保守派で、憲法の個人主義を家族主義に従属させる意図をもっているのが自民党の改憲草案だ。だから、今回露呈した問題は、荒井とか岸田といった個人の問題ではなく、政権政党をはじめとする保守派総体も問題であり、それは、価値観だけではなく、この国が近代の統治機構を構築する際に、その根幹に据えた戸籍制度と天皇制という奇妙な装置に由来するものだとはっきりと自覚する必要があると思う。

『戸籍と天皇制』の著者、遠藤正敬は、次にように書いている

「結婚の時には夫婦が氏を同一にしなければならないという面倒事がありながら、みんながそうしているから自分たちもと"自然"に婚姻届を役所に出す。戸籍に登録され、血縁や氏に帰属することを尊重する風潮は、自我の突出を抑制して集団への恭順ないし同調を美徳とする精神を内包している。
 戸籍制度に対する日本人のこうした無抵抗な順応は一体、何に由来するのであろうか。そう考える時、天皇制に対する国民意識のなかに、これと酷似したものを見出さざるを得ない。」

世論調査で同性婚やLGBTQを容認する人達が多数であるという結果が報じられているが、これも私は疑問だ。遠藤の言い回しを借りれば「無抵抗な順応」のなかで無自覚でいられる場合と、そうではなく自分事として身にふりかかっている場合とでは、回答が変わるからだ。たぶん回答者の多くは電通の調査でも示されているように「他人事」なので、容認しているにすぎず、性的マイノリティが抱えている日常的な偏見や制度的な差別を理解しているわけではないと思う。だから、たとえば、自分自身の「家」に関わる問題として自覚されると、この容認の数は、減るだろう。つまり、同性との婚姻ですら「本人が誰を好きになろうと構わないが、結婚は別だ。籍をどうするんだ」といった議論が必ず家族の誰かが持ち出して、入籍できないなら、結婚はできない、みたいな議論がでてきて紛糾するに違いないからだ。このときに、戸籍制度があることで個人の性に関わる差別が制度化されているということに気づくよりも、逆に、戸籍制度を容認・前提して「仕方がないこと」として婚姻の自由を抑制する判断が支配的になるだろうことは容易に推測できる。

実は、私達の日常生活いおいて戸籍も天皇も必需品ではない。ほとんど意識することにない、存在であるが、にもかかわらず廃止を主張することへの抵抗は極めて大きい。これは、戸籍制度と近代天皇制は表裏一体で家族観や価値観に関わるからだ。人々の価値観が変って戸籍も天皇も制度としては不要であるという方向に向かうことを保守派は異常に危惧しているようにめいるが、私は社会的平等い基く個人の自由が何よりも重要な人権の基礎だと考えているので、戸籍も天皇制も廃止すること以外の選択肢はありえないと思っている。

コロナとナショナリズム

コロナとナショナリズム

1 ワクチンをめぐるあまり論じられないやっかいなナショナリズム問題

やっとワクチン接種が日本国内でも開始され、このニュースで持ち切りだ。先進国なのに、接種が遅くなったことに不満をもらす大国主義丸出しの報道や論評が多いように感じる。

ワクチンが一部の富裕国によって事実上買い占められ、貧しい国、地域に行き渡らないという問題については、「ワクチン」ナショナリズムと呼ばれて話題になってきた。すでに様々な議論もネットに登場しているので、本稿ではこの問題にはあえて言及しない。1 ワクチン開発のもううひとつの問題として、製薬大手多国籍企業が開発競争をすすめるなかで、技術の公開性よりも特許や知的財産を念頭に置いた秘匿性が優位にたち、共同開発も進まず、貧しい地域、国が技術のノウハウを独自に活かす可能性を奪われているという問題がある。市場経済の競争原理が不平等と不効率をもたらす典型的な事例だ。この問題も本稿では取り上げない。この二つの問題はグローバルな社会的平等と、そのために必要な医薬情報と医薬品への自由なアクセスの問題として重要であり、私たちが目指すべき社会は、社会的平等に基く自由な社会であるべきだが、資本主義はこの条件を満たしていないことをCOVID-19パンデミックは端的に示した。だから、本稿で取り上げないからといって本稿の課題よりも軽い課題だということではない。この点に留意しながら本稿のテーマに取り組みたい。

日本へのワクチン供給は、いわゆる先進国全体のなかでも遅れぎみだということが様々に批判されている。国内での新薬の承認が遅れる現象を「ドラッグラグ」と呼ばれ、日本国内では以前から議論になってきた問題だ。遅れている理由はひとつではないと思うし、遅いことが悪いことかどうか、世界の平等なワクチンの配分システムがないなかで、我先にと買い占める行動をとらないことを意図しての遅れであれば、それもまた見識ではある。しかし、日本政府はそうした人道的な見地からワクチンの導入を控えているわけではもちろんない。ドラッグラグを引き起しているのは、国外で開発された新薬が日本国内で承認される手続きに、日本固有のナショナリズムの問題があるからだ。

たとえば昨年末にアストラゼネカが国内治験データの提出準備をしていると次のようにNHKは報じた。

2020/12/18 アストラゼネカは、国内で日本人に実施している治験のデータを2021年3月中に提出する方針で、厚生労働省は海外のデータと合わせて有効性や安全性を速やかに審査することにしています。

加藤官房長官は午後の記者会見で「今回の申請には海外試験の成績などは添付されているが、国内治験のデータなどは現在、整理中で、2021年3月中に追加的に提出される予定だと聞いている。今後、提出されたデータや最新の科学的知見に基づいて、有効性・安全性などをしっかり確認し、判断されていくものと承知している」と述べました。2

このように、「海外試験の成績などは添付されているが、国内治験のデータなどは現在、整理中」と述べられており、厚労省(以下、厚生省時代も含めて、厚労省と表記する。厚労省は2001年以降)が国内治験、あるいは「日本人に実施している治験のデータ」にこだわっていることがわかる。

NHKの別の報道をみると「政府によりますと、ファイザーは20歳以上の日本人160人を対象に行ってきた治験のデータについて…」とか「日本での治験の対象が20歳以上で、日本人の子どものデータが得られない…」といった表現が随所にでてくる。要するに治験対象者が「日本人」ではないことが、ワクチンの承認にとってよっぽど重要な問題らしい、ということがわかる。しかし、報道をみても、「日本人」であることがなぜ重要な問題なのかについて正面から説明されることはない。当然のように外国人のデータをそのまま日本人に当て嵌めることはできないかのようなニュアンスで報道されているのだ。

一連の報道で、海外で開発された医薬品を日本国内で使用する場合には、海外での臨床試験などのデータでは不十分で、国内のデータが必須だということを当然のようにして報じているのだ。とすれば、こだわる根拠は何なのだろうか。

東京新聞は、2月13日に次のようなワクチンの認可が遅い問題についての記事を掲載した。

米ファイザーは昨年12月18日、厚労省にワクチンの承認申請をした。通例、審査には1年ほどかかるが、今回は優先審査が行われたほか「特例承認」が認められ、2カ月という「スピード承認」の運びとなった。 それでも、欧米より動きは遅い。(略)

「遅い」理由を、厚労省幹部は「日本人のデータに基づく検証が必要だから」と説明する。海外とは感染状況やウイルス株、食生活などが異なる。昨年9月、ワクチンの承認審査をする独立行政法人・医薬品医療機器総合機構(PMDA)は原則、国内治験が必要とする指針を公表。ファイザーは国内で160人を対象に追加の治験を行い、1月末にデータを提出した。」l3

厚労省が「日本人」にこだわっていることが上の報道でわかる。「海外とは感染状況やウイルス株、食生活などが異なる」ということを「日本国内」の事情だと言うのであればわかるが、なぜ「日本人」なのだろうか。メディアもまたなぜ海外の治験のデータでは十分ではないのか、言い換えれば、なぜ、日本の地域性ではなく、「日本人」に関して固有のデータを収集しなければならないのか、どのような特段の事情があるのか。

本稿で考えてみたいのは、この問題だ。つまり、「日本人」というナショナリズムの観点とコロナパンデミックへの政府、業界、研究者の問題を考えてみたいのだ。

上の東京新聞の記事のなかに、医薬品医療機器総合機(PMDA)が国内治験の必要についての指針を公表したとある。この指針とは「新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)ワクチンの評価に関する考え方 令和 2 年 9 月 2 日 医薬品医療機器総合機構 ワクチン等審査部」4 だろうと思われる。この「考え方」のなかで、国内治験の必要に関連して「日本人」や「民族」に言及した箇所が以下のようにいくつかある。

海外で開発が先行し、海外で有効性及び安全性を評価する大規模な臨床試験が実施されている場合であっても、国内開発型のワクチン候補と評価の考え方は同様であるが、日本人における有効性及び安全性の確認のため、原則として、国内において臨床試験を実施する必要がある。

(略)

海外で発症予防効果を主要評価項目とした大規模な検証的臨床試験が実施される場合には、国内で日本人における発症予防効果を評価することを目的とした検証的臨床試験を実施することなく、日本人における免疫原性及び安全性を確認することを目的とした国内臨床試験を実施することで十分な場合がある。また、発症予防効果を目的としたグローバル開発(multiregional clinical trial)が計画されている場合には、日本から参画することによっても有効性を評価できる可能性がある。

(略)

SARS-CoV-2 ワクチンのベネフィット・リスクの判断については、各国・地域の状況によって異なる可能性がある。その他、民族的要因の差が SARS-CoV-2 ワクチンの有効性及び安全性に影響することも考えられる。

なぜあえて日本人というカテゴリーで「有効性及び安全性の確認」が必要なのだろうか。引用の二段目のように、海外の臨床試験結果を大幅に受け入れるということも「場合がある」という嫌々ながらの受け入れ表現になっていて、そのあとを読むと、無碍に外国の臨床試験を拒否すると日本の製薬資本が海外展開する場合に不利益になるかもしれないという配慮がうかがえる文言になっている。三番目は、「民族的要因の差」という言葉が登場しており、民族間でワクチンの影響に差がある「ことも考えられる」という全く曖昧な理由で「民族」が登場している。

こうした厚労省の「日本人」や「民族」という概念の使用に私は強い違和感と危惧を感じるが、医薬品の世界で、「日本人」や「民族」は頻繁に登場する常套句になっている。

医薬品のグローバル化のなかで、欧米の多国籍医薬品産業は、世界中に薬を売りまくってきた。日本の医薬品貿易も圧倒的に輸入が多く、輸出は横這いがここ20年一貫している。5 日本企業の海外売上高も年々拡大しており、国内売上高は頭打ちだ。つまり、日本の製薬大手は世界市場を獲得しなければ生き延びられず、国内市場をこれ以上外国資本に支配されないような戦略をとらなければならないところにきている。6 ここで、国内市場防衛のために、厚労省が(多分)かなり前から一貫してとってきた作戦が、海外で開発された医薬品は日本国内でそのまま使用することはできないことを「日本人」の「民族的要因」の強調で正当化しようということだったのではないだろうか。

ここでの「民族的要因」は、環境と遺伝子など内生的要因の両方を意味している。そして、この「民族的要因」の強調は、医薬品関連の学会や研究者が研究の前提として受け入れなければ研究もままならないような枠組になっていると感じる。医薬品関連のアカデミズムが研究で用いる「日本人」のカテゴリーは、私からみるととうてい科学的な証拠に基いているとは言い難い。逆にアカデミズムの研究が、虚構としての「日本人」を実体化することに寄与しているとも思う。以下で述べるように、科学がナショナリズムを無意識に受容し、科学的な研究がナショナリズムを強化するというナショナリズムの悪循環の典型である。そして、こうした事態が遺伝子関連の研究ともあいまって、ますます日本人を固有の民族とみなす「科学的な知見」らしきものがまかり通るようになっている。コロナとナショナリズムの問題は、医薬品をめぐる科学的な研究の根本に関わるところにまで浸透している問題としてみておく必要がある。

私のこれまでの理解では「日本人」というカテゴリーが医学的に意味があるものとして扱われてきたということ自体がこれほどまで浸透しているとは自覚してこなかったので、今回のコロナのワクチンの承認問題の報道に接して、厚労省とともに医学薬学において「日本人」という概念が実体概念として生き残っている状況は非常に深刻だと感じている。元凶は厚生労働省の一連のガイドラインにあり、これに製薬会社や研究者の利害が絡んでおり、政策やイデオロギーによって科学が影響を受けるという事態は、戦前戦中から現代まで一貫している。

2 「外国臨床データを受け入れる際に考慮すべき民族的要因について」

海外で開発されて医薬品の日本での承認をめぐる規制のありかたの問題は長い歴史がある。外国での医薬品の臨床データの扱いについて、厚労省によるいくつかの文書がある。よく引き合いにだされるのが1985年6月29日「外国で実施された医薬品等の臨床試験データの取扱いについて」(薬発第660号厚生省薬務局長通知)7である。後述するようにICH-E5の成立によって、この通知は現在では撤回されている。

この通知では次のように述べられている。

外国で実施された臨床試験データ(ただし、体外診断用医薬品にあっては、「臨床性能試験データ」をいう。)は、第三の各項に適合する場合は審査資料として受入れることとする。ただし、体外診断用医薬品以外の医薬品にあっては、必要に応じ、国内で実施された試験データの提出を求める。なお、吸収・分布・代謝・排泄に関する試験、投与量設定に関する試験及び比較臨床試験については、原則として国内で実施された臨床試験データが必要である。

基本的には外国の臨床データを受け入れることが原則となっているにもかかわらず、「吸収・分布・代謝・排泄に関する試験、投与量設定に関する試験及び比較臨床試験」は国内試験が必須とされ、それ以外でも「必要に応じ、国内で実施された試験データの提出を求める」というように厚労省の裁量が広い。

1992年以降、日米EU医薬品規制調和国際会議(ICH)8では「医薬品の作用に与える民族的要因の影響を科学的に評価し、外国臨床試験データの利用を促進するための方策が検討」され、1998年にICHのガイドラインとして「外国臨床データを受け入れる際に考慮すべき民族的要因についての指針」が出され、厚労省から各都道府県に通知が発出される。9 この指針がICH-E5と呼ばれるものだ。

従来まで、かなり厳格に国内臨床データの提出を求めてきたのだが、この条件を緩めてICH-E5では、「一定の条件に適合する外国臨床データについては医薬品の製造(輸入)承認申請書に添付される資料として受け入れる」と方針を転換した。ただし、「当該資料を申請医薬品の日本人における有効性及び安全性の評価を行うための資料として用いることが可能か否かを判断することが必要」だという条件がつけられた。そして「日本人」への影響を判断するために「国内で実施された臨床試験成績に関する資料を併せて提出すべき」とした。

要するに、従来よりは緩い基準で海外の医薬品の国内での認可を認めるが、それでも「日本人」に適合するかどうか、追加の国内臨床データを求めるというわけだ。この仕組みが、昨年厚労省が出した「考え方」のなかの「日本人」や「民族」の規定の前提にされているために、国内での治験のデータを一定数集めなければ承認できないとして、早期承認を妨げる要因になったのではないかと思う。

3 日本の医薬品承認プロセスは国際的なルールに基くもののように見えるが…

上述したように、この海外の医薬品の国内承認手続きは、ICH-E5に基いている。つまり、厚労省の文書では、民族的要因についての指針は、「日本EU医薬品規制調和国際会議(ICH)における合意に基づき作成されたもので、外国臨床データを利用して医薬品の製造(輸入)承認申請を行おうとする際に、医薬品の有効性及び安全性に与える民族的要因の影響を科学的に適正に評価するための基本的な考え方並びに当該外国臨床データの日本人への外挿可能性を評価するために国内で実施すべき臨床試験の内容を記述するものである」として、国際的なルールであるかの装いをとっている。

この指針でいう民族的要因(英文ではETHNIC FACTORS)の定義は「集団の遺伝的・生理学的(内因性)特徴と文化的・環境的(外因性)特徴の双方に関連した要因と定義する」である。そして更に詳しく次のように説明されている。

民族的要因(Ethnic Factors)
民族性(ethnicity)という語は、国家又は人々を意味する
エスノス(ethnos) というギリシア語に由来している。民族的要因は、共通の特性や習慣に基づきグループ分けされる人種又は大きな住民集団に関係する要因である。民族性は、遺伝的のみならず文化的な意味合いも有するので、この定義は人種的(racial)のそれよりも広い意味となっていることに留意されたい。民族的要因は内因性又は外因性のどちらかに分類されよう(補遺A) 。
・外因性民族的要因(Extrinsic Ethnic Factors)
外因性民族的要因とは、個人が住んでいる環境や文化に関連した要因である。外因性要因は遺伝よりも文化及び行動様式によってより強く決定される傾向がある。外因性要因には、地域の社会的及び文化的な側面に関係するものが含まれる。例えば医療習慣、食事、喫煙、飲酒、環境汚染や日光への暴露、社会経済的地位、処方された薬の服用遵守、並びに異なる地域の臨床試験の信頼性にとって特に重要なものとして、臨床試験の計画及び実施方法が挙げられる。
・内因性民族的要因(Intrinsic Ethnic Factors)
内因性民族的要因は、住民集団のサブグループを定義、同定する際に有用で、地域間の臨床データの外挿可能性に影響を与え得る要因である。内因性要因の例としては、遺伝多型、年齢、性、身長、体重、除脂肪体重、身体の構成及び臓器機能不全が含まれる。

上記で説明されている様々な外因性と内因性のなかで、あえて「民族」ぶ必然性のある要因は実はひとつもない。外因性の要因でいう環境と文化も内因性要因の身体的特徴も「民族」というカテゴリーで置き換えうるかどうかは民族の定義次第だが、その定義は抽象的であいまいなものだ。むしろ「日本人」というカテゴリーを実体化することが最初から目的とさていて、そのために、外国の政府や研究者との合意を得られるように「民族」というカテゴリーの定義が設定され、これをまず前提して、このカテゴリーに何らかの客観的な要因のようにみなしうるものを配置したに過ぎないのではないか。人種については、「内因性民族的要因」のなかの「遺伝的要因」として位置づけられている。つまり、遺伝学上の自他を区別する人間集団として人種の概念を認め、この人種の概念をその要因の一部として民族的要因が規定される、という構図になっている。後述するように民族の概念定義とともに、人種と遺伝的要因との因果関係は実は恣意的なものにしかなりえない。

厚労省のICH-E5の指針では、民族的要因の指針を設定した背景が次のように説明されている。

「民族的要因が新地域における医薬品の安全性、有効性及び用法・用量に影響を与え得るとの懸念から、これまで外国臨床データに頼ることが躊躇されてきた。このため、過去において、このことが新地域の規制当局が承認のために外国臨床データの全部又は多くを国内で重複して収集することをしばしば求めてきた理由の一つとなっていた。確かに、住民集団間の民族的な差が医薬品の安全性、有効性及び用法・用量に影響を与える場合があるものの、多くの医薬品は、どの地域でも類似した特性や効果を示している。全ての医薬品について臨床評価を広範囲に重複して行わせることは、新しい治療法の導入を遅らせ、また、医薬品開発における資源の浪費となる。」

厚労省のみならず国際機関が露骨に人種と民族の概念を持ち出していること、遺伝的な要因に「人種」概念が堂々と示されていることに驚かざるをえない。10 というのも遺伝学的にみて人種概念は否定されていると思っていたからだ。11

ここで、いくつかの疑問が生じる。なぜ欧米と日本によって構成されている国際機関ICHはこうした民族的要因にこだわるガイドラインを設置ているのか、である。

4 ICH-E5と世界市場争奪戦

外国での臨床試験データを事実上受け入れない1985年の方針から98年のICH-E5に至る経緯には興味深いものがある。厚労省の役人としてICHに実際に関与してきた土井脩は、次のように回顧している。

外国臨床試験データの新薬承認申請資料としての受け入れについては、1985年6月の薬務局長通知により、原則受け入れの方向を示していた.しかし、国内産業を保護するため、実態としてはほとんどの臨床試験を国内でやり直す必要があり、外国に門戸を閉ざしていたのが実態であった。

その後、1990 年に日・米・EC(現在の EU)間で ICH立ち上げのための話し合いが始まった。この時に、厚生省が 3 極間で話し合うべき重要課題の一つとして、GCP とともに外国臨床試験データ受け入れのための条件、すなわち、人種差や民族差をデータの評価にあたってどのように考慮すべきかを国際的にハーモナイズすることを提案した。

厚生省の提案に対しては、多人種、多民族国家である中で医薬品の承認審査を行っている米国や、多民族の集合体である域内での統一的な医薬品の承認審査制度の導入を目指していた EC からは、すぐには賛同が得られなかった。そこで、厚生省は日本が中心となってそのための研究班を組み、ICHでの検討を支援することを提案して、ようやくICHでの検討課題として採用された。

通常 ICH-E5 ガイドラインと呼ばれている「外国臨床試験データを受け入れる際に考慮すべき民族的要因についての指針」は、1998 年 2 月にようやく合意に達した。厚生省は 3極間の合意を受けて、同年8月には同指針に対するQ&A を付加して、局長通知の形で実施に移した。12

ICHは、グローバル化のなかで、欧米日の各国が医薬品の世界市場争奪戦のルールをいかに自国資本に有利なように展開するかという帝国主義的な世界市場分割の政治力学のなかで機能している機関だ。内田英二はICH設立当時の欧米日のスタンスについて次のように述べている。

ICH が組織された背景として当時の状況は下記のようなものでした。
・1980 年代、日米欧は臨床試験が実施された場所よりも、臨床試験の質(Quality)が外国臨床データの受け入れの決定要因であるとしながらも、新地域の住民集団と医療習慣に則したデータである場合のみ受け入れ可能と主張していた。
・米国が EU データを受け入れなかった理由:臨床試験方法、記録の正確性とアクセス方法、プロトコル遵守、患者の同意、薬剤の収支量等が米国基準を満たしていないと判断。
・日本では外国臨床試験データを日本人に外挿するのは不可能との判断:第Ⅰ相のADME、第Ⅱ相の用量設定試験、第Ⅲ相の比較試験は日本で実施[薬発第 660 号(1985 年)]。13

内田の整理が正しいとすると、各国政府とも、自国領土内への外国資本の参入を阻止を自由競争の建前を掲げつつ画策しようとしており、その有効な手法として住民集団や医療習慣など、領土内に固有の条件を提示して、この条件をふまえた臨床試験の重要性を主張しようとしたり、米国のように、自国のルールを盾にとって外国の臨床試験の妥当性を問題にする手法をとるなど、いずれにしても自国産業保護にこだわった。日本は上の整理でいうと、「日本人に外挿するのは不可能」という主張で産業の防衛を目論んだといえよう。とはいえ、「不可能」」という主張は極めて奇異だ。同じ人間であるにも関わらず「不可能」とまでいえるのだろうか。

そもそもICHという組織が学術機関ではなく「ヒトに使用される医薬品の承認に関する規制のハーモナイゼーションですので、行政サイドのもの」(内田英二14)だから、学術的な厳密さよりも、政策的判断が優先されるということだろうが、そうだとしても政策の科学的客観性を確保したいと各国政府は考えるだろう。このとき日本が持ち出した「民族要因」に果して科学的な客観性はありうるのか。

また、津谷喜一郎/中島和彦はICH-E5について次のように日本と諸外国の温度差について指摘している。

1998 年 2 月にICH-E5: Ethnic Factors in the Acceptability of Foreign Clinical Dataが、約 6 年の歳月をついやしてようやく step 4 に達した。この間、ガイドラインは draft 1 から draft 20 まで改訂されたものである。この ICH-E5 ガイドラインに基づき、日本の厚生省から「海外臨床データを受け入れる際に考慮すべき民族的要因についての指針」の通知が公布された。その後、日本では ethnic diference が多くの人によって議論され、bridging studyが開発戦略に組み入れられ、実施されるようになった。本通知に基づき承認された医薬品は 1999 年から 2005 年までで 41 品目と報告されている。一方、欧米での臨床評価やグローバル開発では ethnic diference はあまり考慮されていない。15

以上の経緯をふまえると、日本政府は、「人種差」や「民族差」を医薬品貿易のいわば非関税障壁として利用する一方で、「民族」ごとの臨床試験などが不可能な欧米は、むしろ「民族差」を排除した統一的な基準を要求することで多国籍資本にとって最も効率的な市場支配を維持するスタンスをとったわけだが、いずれの側にとっても、第一の動機は資本の利益と国益が優先されたものであり、ICH-E5はその政治的妥協の産物であるとともに、ここに学術研究が加担したということでもある。

5 厚労省の自民族中心主義によるレイシズム

「民族的要因」の主張を可能にする社会認識では、事実上、単一民族国家観に基いて民族差を強調することにならざるをえない。もし誠実に「民族的要因」への配慮を検討するのであれば、「民族的要因が新地域における医薬品の安全性、有効性及び用法・用量に影響を与え得るとの懸念」について、日本国内で暮す全ての「民族」ごとに臨床試験を実施しなければならないはずだ。「日本人」とは異なる「民族的要因」による影響を受けるという問題は、日本国内の外国人の人びとにも該当する問題であるから、日本国内のエスニックマイノリティについてもその「民族的要因」による懸念を検討すべきだろう。ところが、厚労省は、外国人を臨床試験から排除すればそれでよいと考えている。外国人の「民族的要因」には配慮をしていない。

厚労省は、「民族的要因」のうちの外因性要因として「外因性要因は遺伝よりも文化及び行動様式によってより強く決定される」を挙げているが、エスニックマイノリティの文化、行動様式が「日本人」のそれとは異なるものであるとするのであれば、臨床試験を日本に住む外国人のエスニックグループごとにきちんと実施する必要がある。もし逆に、こうした文化、行動様式が日本国内では外国人であっても、日本人と同様だというのであれば、外国人を臨床試験から外す理由はなく、そもそも民族的要因という概念に意味はないことになるか、エスニックマイノリティが「日本人」に同化しているかのようにみなすことになり、その固有の文化を否定することになる。いずれにせよエスニックマイノリティを正当にこの国に暮す人びととして認知していないことになる。このように厚労省はエスニックグループを無視、排除しつつ「日本人」のみを特別の存在として取り出す。これは自民族中心主義の典型であり、極めて巧妙に偽装された官製レイシズムである。

土井の文章には「厚生省は日本が中心となってそのための研究班を組み、ICHでの検討を支援することを提案」とあるが、この間の事情については、内田(前掲論文)がやや詳しく述べはいるものの、研究班の研究がどのようなものだったのかについて具体的なデータは提供されておらず、この点については、研究者がどのように「民族的要因」の科学的妥当性を論じようとしたのか、今後検討が必要だろう。

6 論理的一貫性に欠ける「民族的要因」を日本がゴリ押した?

ICH-E5をめぐる経緯をもう少し追ってみよう。上述のように、日本は、当初日本人の特異性を理由に外国での臨床試験を拒否するために、日本人の特異性を証明しようと研究者も動員してやっきになったようだが、結果として諸外国の政府や企業には受け入れられず、外国の臨床試験の結果を受けいれつつも、「外国で承認された薬物をそのまま承認することにはならない」という強引な主張となる。こうしたやりとりのなかで、「人種差要因をさらに細かく遺伝的要因と環境要因とに分けて検討してはどうかという提案」がなされこれがICH-E5にもりこまれることになる。その後も駆け引きは続き、トリアージに概念やブリッジングスタディ概念などが導入されて妥協が図られる。結果として6年が費された。

内田の論文は、ICH-E5の成立経緯についてかなり詳細に論じているが、しかし、そもそも民族や人種といった概念による人間集団をどのように特定するのか、というそもそもの議論がほとんどなされていないように思う。厚労省は、ICH-E5の指針の解釈についての問答集を作成し、更に問答集についての説明の文書も作成している。たとえば日本人という概念については次のように説明されている。

外国在住の日本人(日本人の両親を持ち、日本で生まれ育ち現在外国で生活している)、 あるいは日系2世、3世(外国で生活している日本人の両親から生まれ、又は祖父母が外国に移住しさらに両親が日本人で外国で生活している)などを対象に実施した薬物動態試験データは、日本人の薬物動態に関するデータとして利用可能であるのか。 (答) 食事や環境などにより薬物動態に差が出ることが想定される場合を除いては、利用可能である。

「日本人」の定義にもさまざまな議論があるところであるが、少くとも日系3世までなら、内因性要因からは日本人と同じと見なせるであろうとの議論に基づき作成された質疑応答である。外因性要因により薬物動態が変化するといった例外的な状況除いては、例えばカリフォルニア在住の日系3世を対象に行った薬物動態試験データを日本人の薬物動態データとして利用可能である。」

ここで日本人としての規定の基準になっている内生的要因は、家族の系譜を根拠にしていることから事実上「遺伝的要因」のなかの「人種」概念によって規定される要因を指していると解釈する以外にない。

7 遺伝子で「日本人」を特定することはできない

日本側の主張が成立つためには、日本人という純血種の存在が証明されなければならないが、そもそも純血種の遺伝子構造がどのようなものなのかを特定することは不可能だから、遺伝的要因といった内因性の民族的要因なるものの証明は不可能だ。外因性要因はますます不可能だ。環境要因は、同じ場所に暮す様々なエスニック集団が共有するからだ。日本には、「日本人」と自認する人びとが純粋な種として存在するという単一民族の神話を前提にすることでしかこうした議論は成立たない。このような虚構としての「日本人」を政府も製薬会社もみずからの利益のために構築してこれを利用し、これを欧米の政府が政治的な思惑から容認したということだろう。その結果として、医学薬学の分野で、人種や民族の概念がほとんど厳密な定義が不可能であるという根本的な理解が欠落したまま、研究者の日常生活における常識としての「日本人」意識がそのまま研究の前提となってしまったように思われる。これは、典型的なナショナリズムと科学的な研究がリンクする構図だ。

その後厚労省は国際共同治験に関する一連の文書を出す。

2007年 国際共同治験に関する基本的考え方について https://www.japal.org/wp-content/uploads/mt/20070928_0928010.pdf

2012 「国際共同治験に関する基本的考え方(参考事例)」 https://www.pmda.go.jp/files/000157901.pdf

2014 国際共同治験開始前の日本人での第Ⅰ相試験の実施に関する基本的考え方について https://www.pmda.go.jp/files/000157480.pdf

2018 国際共同治験の計画及びデザインに関する一般原則に関するガイドラインについて https://www.pmda.go.jp/files/000224557.pdf

上の最後の文書もまたICHのガイドラインでICH-17と呼ばれている。この文書では随所に「内因性・外因性民族的要因」への言及がみられる。国際共同治験そのものが医学薬学の分野における民族的要因を実体化することを前提とした枠組になっている。こうして、これまでのグローバル化のなかで地域の差異を無視した医薬品の効率的な輸出拡大を目指す傾向が、ここにきて変化をきたしてきたように思う。中島和彦は「最近になって欧米とも、民族的あるいは地域的な差異を考慮する必要性を認識しはじめているようである」と変化のあることを早い時期に指摘している。16

最近になっても「民族差」を肯定する議論は少くないように思う。たとえば頭金正博は次のように述べている。(論文の「要約」を引用)17

医薬品の有効性や安全性には、民族差がみられる場合があり、グローバルな多地域で新薬開発を進めるためには、医薬品の応答性における民族差に留意する必要がある。そこで、有効性と安全性の民族差の評価においてレギュラトリーサインス研究が必要になる。具体的には、薬物動態をはじめとして、効果や副作用における民族差がどの程度あるのか、また民族差が生じる要因は何か等の課題をレギュラトリーサインス研究18によって明らかにすることがグローバル開発では必須になる。グローバル開発戦略に関しては、日米 EU医薬品規制調和国際会議(ICH)E5 ガイドラインが公表されて以来、ブリッジング戦略が 2002 年頃までは多く用いられた。一方、ブリッジング戦略は、諸外国で開発が先行することを前提とした開発戦略であり、ドラッグ・ラグの問題が提起されるようになり、最近では、同じプロトコールを用いて複数の地域(民族)を対象にした臨床研究を同時に実施する、いわゆる国際共同治験が行われるようになった。近年の薬物動態での民族差に関する研究の進展により、遺伝子多型等の民族差が生じる要因が解明される例も多くみられるようになった。一方、有効性や安全性に関する民族差については、民族差が生じる詳細な機構は不明であるが、抗凝固薬の例にみられるように、定量的に民族差を評価することが可能になった。また、最近は有効性や安全性を反映するバイオマーカーに関する研究も進展しているが、バイオマーカーにも民族差がみられる可能性もあり、留意する必要がある。今後は、これらの知見を基にして効率的なグローバルでの医薬品開発の促進が期待される。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/fpj/148/1/148_18/_pdf/-char/ja

なぜこうした変化が起きているのか。これは政策の問題であると同時に学問領域の動向の変化でもある。政治的には、欧米の民族意識に何らかの変化がでてきているのかもしれない。医学薬学の分野における遺伝子研究の展開のなかで、遺伝的多型マーカーやヒトゲノムの解析などによって人間集団の再構築が人種や民族概念を実体化しうる根拠として利用されるケースがごく普通に登場してきている。欧米にけいる極右の台頭やナショナリズムに基くポピュリズムが政府や研究者の心情に影響がないとはいえないかもしれない。「民族的要因」が国際的なガイドライン策定の場で市民権を獲得してしまっているようにみえる。

8 民族・人種と医学・薬学研究

医学や薬学の分野の個別の研究では、民族や人種は実際にどのように扱われているのだろうか。厚労省が自国の産業保護のための口実として民族的要因などを持ち出したにしても、臨床試験の現場で民族的要因などを考慮するような科学的あるいは学問的な研究ははたして成立つのだろうか。現実にはどうも成立っているようなのだ。

たとえば「人種間の違いと人種内の違い―体内動態、薬効における遺伝子多型―」という論文では、つぎのような記述がある。

40 mg 単回投与後に得られる血中濃度には人種差が観察され、African Americans (AA、黒人)に比べ、European American (EA、白人)で高値を示す(Fig. 2)。(略)これらの頻度の違いが白人と黒人にみる体内動態の違いの大きな原因と考えられる。残念ながら、日本人(JP)での 40 mg 単回投与試験の報告がないため、単純な比較は難しいが、….19

あるいは、「公表申請資料にみる薬物動態の民族差」という論文では、

….民族間の薬物に対する感受性の相違による場合と、薬物動態の相違による場合がある。そこで、どのような場合に日本人において海外とは異なる用量を設定する必要があるのか、薬物動態的特性ついて検討した。20

とその研究対象を「日本人」とし、研究の結果として「日本人集団と外国人集団における薬剤吸収率の差が反映した。」「内因性民族的要因の影響も否定できない」とも述べている。ところが肝心の「日本人」集団のサンプルガ「日本人」であることの客観的な根拠が示されていない。

こうした個別研究だけではなくて、たとえば、日本製薬工業会医薬品評価委員会臨床評価部会の報告書「臨床パッケージにおける外国データの利用状況-国内承認品目を対象とした詳細調査・分析-」(2006)21でもレポートの目的に「国際共同治験を用いた品目について、昨年度と同様に、臨床データパッケージの構成、国内外での薬物動態の比較、内因性・外因性民族的要因及び一貫性評価に関する内容をまとめた」とあるにもかかわらず、用いられている分類は、日本人と外国人、日本人と白人、あるいは日本、台湾、韓国といった国・地域別の区別でしかなく、これに「民族」という概念を当てはめたり、「人種(日本、中国、フィリピン、台湾、マレーシア、インドネシア)」(同報告書55ページ)というように、国と人種を同一視するという社会科学であればありえない概念の利用法になっている。

こうした表現があたりまえに用いられている背景には、研究者自身が、一国家一民族という単一民族国家を前提にしてしまっているからだろう。これは研究者としての専門的な研究に、研究者が抱いている偏見が研究方法に影響している典型的なケースだ。ちなみにこの報告書で取り上げられた医薬品のほとんどが民族的要因に有意な差が明確に存在したという事例は報告されていない。内因性の差異を指摘している場合であっても体重などの差であって、これを「民族的要因」とするのは強引だ。

コロナのワクチンの治験の現場はどうなっているのか。治験者を募集しているサイトでは次のような条件で募集している。

https://gogochiken.jp/disease/corona/ 治験参加の条件 コロナ治験に参加する場合は以下の通り参加条件がございます。 日本国籍の方 ※注意:外国籍の方、またハーフ、クォーターの方の参加はできません。

国内臨床試験がICH-E5をふまえるとすると、国内の治験の対象者は「日本人」ということになるが、この条件を日本国籍で代用するやりかたは、はたして正しいのか。日本国籍を保有している者を民族のカテゴリーとしての「日本人」とみなすということは、国籍と民族、人種の関係に関する基本的な人権に関わる理解に反している。国籍法では、日本人の規定はなく、「日本国民」の規定だけだ。国籍を民族や人種と対応させることを正当化する制度はない。注意事項にある「ハーフ、クォーターの方」は、日本国籍を取得していてもハーフ、クォーターであるばあいは参加できないという意味だろう。この注意書きの前提は、日本国籍ではなく日本人と外国人との間に生まれた子どもを想定ている。このことからみても「日本国籍」といいながら実際は「日本人」を指しているのだろう。そもそも厳密に日本人を定義したり、人種、民族を定義することはできないのだが、こうした収集されたデータから、科学的な装いをもつ「日本人」が構築される。

自然科学は普遍的な真理への指向が強い。生物学も遺伝学も、客観的な事実として客観的に検証されることによって、ある種の事実の真実性を確証できるとみなす。民族や人種がこうした真理の言説とリンクされると、民族や人種が生物学的な真実として証明されたかのような体裁を獲得する。民族や人種に基づく政治は、こうした普遍的な真理の装いを欲がる。もしそれが自民族の優位性や普遍性を証明するのであれば、民族・人種が永遠の存在であることを科学的に証明されたとみなして利用するだろう。逆にある民族・人種の劣等生もまたこの意味で証明可能だということになれば、民族・人種間の優劣のヒエラルキーが構築され、科学の名のもとに固定化、実体化される。

遺伝学の研究を通じて、人種の違いを科学的に論証しようとする傾向へと研究がひきずられていく。しかし、こうした研究が前提にする人種としての人間集団が、純粋な人種集団であるという証拠はない。逆に、ある集団を「人種」としてひとまとめにして、この集団に共通する特徴を抽出して、他の集団との違いを特定することになると、この集団があたかも「人種」としての実体を遺伝子レベルで持つかのようにみなされる。

「民族」の場合も同様だ。日本人であることの遺伝子上の客観的な基準もなしに、本人の自己理解、見た目、居住している場所、言語や文化の共有といった曖昧な要因に基いて、とりあえずの日本人らしい集団をピックアップして、その遺伝子上の特徴を探ったとして、これが純粋な日本人の存在を証明することにはならない。日本人ではない人が混在する可能性を避けられないし、そもそも基準となる日本人の遺伝子上の特性は、こうした研究の前提には与えられておらず、サンプルとなった人間集団が純粋の日本人であるという証拠はどこにもなく、この研究の結果としてしか日本人の遺伝子なるものは構築されない。純粋な日本人は、こうした研究の結果、人為的に作り出されたものにすぎない。

こうした問題が等閑視されて、日本人とか人種を前提とした研究が繰り返されると、臨床試験の研究にあるように、極めてアバウトに日本人らしい集団で真の日本人を科学的に創作することに疑問を感じなくなる。そして科学的な客観性やデータを根拠に、人種や民族の差異が実在するかのようにみなされるようになる。差異は容易に差別や相互のヒエラルキーをともなう優劣へと結びついてゆく。

9 人種概念についての国際法と憲法

人種概念を用いることへの疑義は国連でも早い時期から提起されてきた。「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(65年採択)」では「人種的相違に基づく優越性のいかなる理論も科学的に誤り」any doctrine of superiority based on racial differentiation is scientifically falseと表現されて、人種にもとづく相違そのものの存在を肯定しているのだが、ほぼ同じ頃に出された「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際連合宣言(63年採択)」では「人種的相違又は優越性のいかなる理論も科学的に誤り」 any doctrine of racial differentiation or superiority is scientifically falseとして人種的相違の理論が科学的に誤りであるとする宣言を採択している。22

国連のアパルトヘイトに関するパンフレットでは次のように述べられている。

a 今日生きている世界中の人間は同じホモサピエンスに属するもので,もともと同一の祖先にさかのぼる。
b 人間を生物学的に「人種」に分けることは科学的ではなく、単に昔からの習慣によるものであって、これに上下の等級をつけるようなことは不可能である。多くの人類学者は、人間が様々に異なっていることの重要性をみとめてはいるが、「人種」に分けることには科学的いみを認めていない。 c 現在の生物学では,文化の程度の差を発生学的な差にもとめることを否定している。23

20世紀半ばのこうした議論は、現在極めて深刻な危機にある。社会的歴史的に構築されてきたイデオロギーが科学によって更に理論武装して、登場してきている。現在は、こうした傾向が情報科学とコンピュータの高度化に支えられて加速化している。

ナショナリズムの問題は、人種の実体化と文化や環境の要因が一体化した民族の概念を媒介として、国家の統治機構を支える「国民」の感情的な意識であるが、これが、それぞれの時代のなかで普遍性を司る科学や学問を味方につけて、正当化されている。

ICH-E5の考え方は、民族要因の一部に人種を組み込んでいる。結果として、民族は人種によって規定されることになり、人種と民族が生物学的な根拠をもつ概念とされる。臨床試験で民族ごとの特異性を科学的に主張しようとすればするほど、科学性を裏づける根拠として遺伝子などの生物学的な要因を重視することになる。文化や言語などの外因的要因は数値化したり統計的に処理したり、実験による再現性や検証可能性にもなじまない質的な性質をもっているために、その扱いについての方法は自然科学の方法では扱うことができないために、指針などで示されていても実質的には意味をなすものにはなっていない。

それでは、民族的要因を外因性要因に絞り、遺伝的要因などの内因性要因を排除すれば、それなりの妥当性を認めることができるのだろうか。医薬品の臨床試験に関しては、こうした方法で民族的要因を残すことにはほとんど意味がないように思う。臨床試験をめぐる民族的要因として議論になる問題に用量の妥当性が論じられたりする。しかし、こうした問題は、「民族」よりも個体差を問題にすべきだろう。

ICH-E5で指摘されている「民族的要因」が与える医薬品の安全性への危惧には疑問があるが、百歩譲って人種・民族的要因が重大な問題であって看過できないとしたばあい、なぜ「日本人」だけにしか臨床試験を行なわず、「日本人」以外の「人種」「民族」を無視してよい理由はどこにあるのだろうか。

憲法14条は「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と人種による差別を禁じている。憲法の規定をふまえれば、「日本人」だけを特別扱いする臨床試験や治験は憲法に反する扱いになる。こうした扱いを政府が行うことは明確な違憲行為だ。

10 見逃される科学のなかのナショナリズム―科学的合理性と科学的不合理性の共存

竹村康子は、「人種概念の包括的理解に向けて」のなかで、次のように日本の人種概念をめぐる研究の特異な状況について述べている。

「日本では、生物学的人種が破綻したことを積極的に提唱している研究者は例外で(略)厳密な境界線が存在せずとも生物学的実体までは否定できないとるす見解がひろく支持されている。国際的には、人種が生物学的に有効な概念ではないとする見解が通説であることの変りはない。しかしこの数年の間にヒトゲノムの集団病理学などの進展によって、一部の研究者によって人種実体論ともいえる説が劣勢を巻き返しており、問題はいっそう複雑化している」24

他方で、ゲノム解析によって、集団内の多様性のほうが集団間の多様性より大きいという研究も多く発表されている25(竹村、61)

国際的には人種の生物学的有効性に疑問がもたれているなかで26、なぜ日本で生物学的な人種が科学研究で生き延びてしまったのかは、日本の近代科学史と国策としての科学や学術との関係を戦前まで遡って検討しなければならないことだろうと思う。27

冒頭の新型コロナとワクチンをめぐる問題に立ち戻ると、今、日本で、人びとの生存や健康の権利が二つの側面から挟み撃ちにあっているのだということがわかる。

ひとつは、グローバル化のなかの製薬資本をめぐる市場争奪戦のなかで、いかにして日本の資本の利益を日本政府が防衛しつつ、世界市場への日本の製薬資本の侵出の足掛かりを構築できるか、という主としてグローバル資本主義の市場と地政学の領域が、人びとの生命を犠牲にする構図だ。ここでは、資本の論理と政府がもつ医薬品に対する許認可の権力がどこの国でも、国際関係の力学のなかで、自国の資本にとって最適となる「解」を模索して交渉する。この交渉のなかで、合意の正当性を保障しているのが、科学的な合理性の装いだ。ここに研究者が関与することになる。

もうひとつは、上記のプロセスのなかで、自国資本と自国政府の利害が最も共通する、自国内部の市場とその規制を自国第一主義で貫徹するために必要な枠組の構築だ。ここで、日本は民族と人種にこだわるイデオロギーによって日本の特殊性を正当化した。これが日本のナショナリズムの典型的な表出場面になるが、これが単なるイデオロギーではなく科学的な装いをもって正当化される局面では、遺伝学から最新のデータ解析の技術までを駆使する科学的合理性の領域が前面にでるので、人種、民族が科学的に立証されたかのような印象が与えられ、これがメディアや啓蒙的な科学の一般書の類いで流布されることになり、ここにも科学者が寄与することになる。ところが、この科学的な局面の前提には、科学者が憶測や偏見を含めて根拠以前に抱いている「日本人」とか「人種」についての「常識」があり、この常識なしには実は科学的な研究は成立たない構造になっている。そして、この科学と「常識」あるいは偏見を国家がひとつの「像」として束ねるところに、ナショナリズムの心情と信条が形成される。

この構造はとてもやっかいだ。学問研究の手続きや手法そのものやデータの処理は改竄があったり、恣意的な処理はなされていない。しかし医学薬学には民族や人種が社会的に構築されたカテゴリーであるということを理解できる方法がないのかもしれない。社会科学からすれば非科学的な概念が、熟慮されることなく研究の前提に置かれるような舞台装置が組み立てられている。こうした舞台は、科学的な研究に「日本人」のイデオロギーを持ち込む動機をもつ国家の思惑によって用意されているように思う。グローバル資本主義の市場の競争と国民国家相互の覇権の構造のなかで、「日本人」という観念が科学の装いをまとって実体化されるとき、ナショナリズムもまた科学を味方につけることになる。

今回は医薬学の領域とナショナリズムの問題について問題提起したが、こうした問題はあらゆる学問分野に様々にあらわれているのではないか。たぶん、近代科学と近代のナショナリズムがともに「近代」という時代のなかで形成されてきたことを念頭に置くとすると、ナショナリズムへの批判、つまりナショナリズムを克服した社会を構想するという課題にとって、自然科学の克服もまた重要な課題にならざるをえないように思う。

(付記)私は、エスニシティを自然科学的に根拠のあるカテゴリーとしては認めないが、何らかの人間集団が文化や歴史を共有するなかで、あるいは他の人間集団と交流することで変容しつつも集団としてのアイデンテイティをもちつづけ、集団への帰属意識をもつことを否定しない。こうした集団的なアイデンティティへの帰属は、だれであれ、複数の集団への帰属であることが普通だ。近代国民国家は、こうした人間集団を「国民」として統合しようとするとともに、日本の場合は「日本人」に支配的な集団としての正統性を与えてきた。集団のアイデンティティは社会的歴史的に構築・再構築・脱構築を繰り返すなか維持されるから、自然科学的な意味での科学的客観性にはなじまない。にもかかわらず社会集団に自然科学的な客観的な実体を与えることは社会集団を歴史を超越した普遍的な集団という地位を与えて特権の正当化を企図するものであって、わたしはこうした考え方をとらない。

(付記2)ワクチンの接種がはじまった現在でも、「日本人」を特別視する観点が隠然とした力をもっている。優先接種には、ワクチンが日本人に深刻な副反応を起すことがないかどうかを検証する目的もあるとされている。日本人に固有の影響があるのではないか、という根拠のない憶測がメディア報道の前提にあるように感じる。

(謝辞)本稿は、2021年2月14日に開催された「『日の丸・君が代』の強制を跳ね返そう!2.14神奈川集会とデモ」での講演をもとに、当日いただいた質問などを踏まえて加筆したものです。主催者と参加された皆さんに感謝します。

Footnotes:

1

ヴァジャイ・プラシャッド「ワクチンナショナリズム?希望という名の不治の病」https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/blog/2020/12/06/vaccine-nationalism/ 原文はThe Bulletに掲載。

5

『医薬品の貿易収支の推移 医薬品産業強化総合戦略~グローバル展開を見据えた創薬~』(参考資料) https://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-10807000-Iseikyoku-Keizaika/0000096429.pdf 医薬品産業強化総合戦略は、安倍政権の骨太の政策の一環として厚労省がとりまとめたもの。

8

ICHについて。「日米EU三極の医薬品規制整合化の達成のために、平成2年4月に運営委員会が発足し、日本、米国、EUの規制当局及び医薬品業界代表者を構成員とする会合として、ICH(International Conference on Harmonization)が創設された。以後、平成3年、5年、7年、9年、12年及び15年にICH国際会議が開催され、整合化ガイドラインの作成に成果をあげている。 」「日米EU医薬品規制調和国際会議(ICH)について 」 https://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/03/dl/s0329-13n.pdf 2015年に組織が再編、拡大されている。役割は「薬事規制の国際調和を推進するため、医薬品の承認審査や市販後安全対策等にかかる共通のガイドラインを作成すること」で設立当初から変らないという。 https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000102412.html

9

1998年8月11日 都道府県知事宛 「外国で実施された医薬品の臨床試験データの取扱いについて」厚生省医薬安全局長 医薬発第739号 同 各都道府県衛生主管部(局)長宛 「外国臨床データを受け入れる際に考慮すべき民族的要因について」厚生省医薬安全局審査管理課長 医薬審第672号 ICHをめぐる議論、とりわけ後述するICH-E5をめぐる議論については、本稿で直接言及した文献の他に、下記が重要である。『変わる新薬開発の国際戦略―ICH E5ガイドラインのインパクト』薬業時報社、1999年。

10

「人種」の概念、科学で使わないで 米で差別助長を懸念 Asahi 2019年3月27日 https://www.asahi.com/articles/ASM3P1P8BM3PUHBI002.html

11

磯 直樹 「「人種は存在しない、あるのはレイシズムだ」という重要な考え方 遺伝学では「人種」は否定されている」 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73415 磯は、2018年、米国人類遺伝学会(ASHG)は「人種」概念を用いないよう声明を出したこと、山川出版の高校教科書『新世界史 改訂版 世B313』でも「人種という区分に科学的根拠はない」との記述があることなどを紹介している。

12

土井脩(医薬品医療機器レギュラトリーサイエンス財団理事長)「外国臨床試験データの受け入れ」『医薬品医療機器レギュラトリーサイエンス』 Vol. 45 No. 1(2014) https://www.pmrj.jp/publications/02/pmdrs_column/pmdrs_column_49-45_01.pdf

13

内田英二「ICHでのエスニックディファレンスの議論の歴史」YAKUGAKU ZASSHI 129(2) 213―221 (2009)

14

内田英二 前掲論文「ICHでのエスニックディファレンスの議論の歴史」

15

YAKUGAKU ZASSHI 129(2) 209―211 (2009)

16

「ディファレンスからシミラリティへ」YAKUGAKU ZASSHI 129(2) 223―229 (2009)

17

「医薬品のグローバル開発におけるレギュラトリーサイエンスの役割」(日薬理誌 148 2016))

18

「レギュラトリーサイエンスとは我々の身の回りの物質や現象について、その成因や機構、量的と質的な実態、および有効性や有害性の影響をより的確に知るための方法を編み出し、その成果を用いてそれぞれの有効性と安全性を予測・評価し、行政を通じて国民の健康に資する科学です。

薬学の分野では、レギュラトリーサイエンスの対象として医薬品、食品、生活環境等があげられます。具体的には、医薬品・医療機器・化粧品等での品質・有効性・安全性確保のための科学的方策の研究や試験法の開発、さらに実際の規制のためのデータの作成と評価などです。」「レギュラトリーサイエンスとは」日本薬学会 https://www.nihs.go.jp/dec/rs/whats_rs.html

19

家入一郎、樋口駿、YAKUGAKU ZASSHI 129(2) 231―235 (2009)

20

小村 純子、伊藤達也、中井亜紀、緒方映子、今井麻貴、臨床薬理、2004 年 35 巻 1 号

22

50年代に次の声明が出されている。ユネスコ声明「人種問題についての専門家によるユネスコ声明―社会科学者による[見解]」1950 ユネスコ声明「人種問題についての専門家によるユネスコ声明―自然科学者による[見解]」1951

23

『人種差別の実体アパルトヘイトとは……』国際連合広報センター 1968

24

竹村康子「人種概念の包括的理解に向けて」、竹村編『人種概念の普遍性を問う』、人文書院、2005、58-9

25

竹村、前掲書、61ページ。

26

「人種の違いは、遺伝学的には大した差ではない」https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/101800399/ ナショナルジオグラフィック日本語版、英国人遺伝学者アダム・ラザフォードへのインタビュー。 ドロシー・ロバーツ: 人種に基づく医学の問題 | TED Talk https://www.ted.com/talks/dorothy_roberts_the_problem_with_race_based_medicine/transcript?language=ja

27

民族衛生学会が1930に設立されていることは記憶されてよいことかもしれない。「民族」という学会名は長年の議論を経てやっと2017年に日本健康学会に改称する。この学会の沿革を学会のウエッブから引用しておく。厚労省の民族や人種への執着とどこかで通底するところがあるのではないだろうか。

「学会設立の発会式には首相を含む政治家が多く出席し、設立趣旨としても「生命の根幹を浄化し培養せんとする・・・」「政治・経済・法律・宗教の浄化」も謳うなど、かなり思想的な動機を持った集まりであったことがうかがわれる。機関誌「民族衛生」の創刊号で、設立の中心的人物であった永井潜は、学会の使命を「民族としての人間本質の改善に外ならない」とし、その改善のためには環境の改善は無力であり、遺伝的性質に働きかけるべきという優生運動的主張を展開している。

学会は1935年からは、より啓蒙的・実践的活動を中心とするため「民族衛生協会」と改称、研究は協会内の「学術部」が担当した(この学術部の別名が民族衛生学会であった)。永井は1937年に同じ研究室の福田邦三に理事長を引き継いでいる。1958年に「協会」と分離し、学術に中心を置いた「学会」が復活するまで終戦を挟む25年間弱、断種法や日本民族優生保護法などの法案の案文作りに積極的にかかわったり、これらの法案を議論する政府委員会を支えるなど、一貫して優生思想を推進したことが指摘されている。

こうしたpro-優生思想的なスタンスは戦後にも残り、1946年の「民族衛生」の巻頭言において、永井は再び断種法や国民優勢法などの重要性を強調している。この間、1940年には「国民優勢法」が国会で成立、終戦をはさんで1948には同法を廃止して、「優生保護法」が制定された。前者の成立に民族衛生学会を含む協会が強くコミットしたことは間違いないが、後者の成立において積極的な関与があったのか否かは定かでない。永井は、終戦後も優生運動についての見方を変えることがなく、1956年に最後の著書「性教育」(雄山閣出版)を発刊し、1957年に亡くなった。永井の逝去と関係があると思われるが、翌1958年、民族衛生学会は協会と分離し、独自の会長・執行部と会則を持った学術団体となった。」 (歴史と沿革 https://jshhe.com/about/history) なお下記も参照。莇昭三「15年戦争と日本民族衛生学会(その1) 「15年戦争と日本の医学医療研究会会誌」3ー2 2003、5月。「15年戦争と日本民族衛生学会(その2)「15年戦争と日本の医学医療研究会会誌」4ー2 2004、6月。また日本のワクチンメーカーと戦争協力については以下を参照。田井中 克人「731部隊とワクチンメーカー」「15年戦争と日本の医学医療研究会会誌」7ー2 2007、6月。

政権の危機と運動の危機

私は政権交代にほとんど重要な意義を見出していない。なぜなら、政治権力の本質は、人格に依存するのではなく構造的な問題であり、人はこの構造の人格的な担い手に過ぎないからだ。とはいえ、政権を担う人間の人となりを人々はある種の感覚で捉えて判断することも現実的な政権支持の背景にあることも確かで、NHKの世論調査も毎回政権支持の理由で「他の内閣よりよさそうだから」といった極めて主観的な判断項目を入れている。こうした質問項目がメディアを通じて流されることによって、政治権力の本質を権力者のキャラクターに還元してしまうような政治や権力の理解が、社会を歴史的な構造物とみる見方を退けてしまっていると思う。とくにそう思うのは、トランプの奇矯なパフォーマンスとその陰謀論に基く世界観を彼ひとりの個性とみたのでは現在の米国の極右の感性を支える膨大な大衆感情を軽視してしまうし、トランプに投票した7000万以上の人間がみな陰謀論の信奉者とは思わないが、福音派からQアノンまで広範にわたる社会的平等を理念としても否定する大衆を生み出したのは、大衆ひとりひとりの個人的経験によってではなく、むしろ社会の制度がこうした人々の価値観や世界観を形成してきたことに目を向けなければならないと思う。

日本も米国と五十歩百歩であって、天皇をめぐって新旧メディアから人々の日常生活までを構成している世界感覚は、世界で最も成功した陰謀論のひとつといっても過言ではない。

*

発足間もない菅政権だが、戦後保守=右翼政権の性格と近代日本=資本主義が構造的にもつ本質的な問題が、既にいくつか露呈している。COVID-19対応では相変わらず経済ナショナリズムのために人々の生存を犠牲にする政策がとられており、感染爆発から命の選別へと向うことは必至だ。人的資源=<労働力>として、費用対効果でいえば若年層の救命の方が資本にとっても政府にとっても利益になるから高齢者はまともな医療サービスを受けられずに犠牲になっていくだろう。この冷酷なシステムの構造的な要請を政治がどのようなレトリックで誤魔化すか、これが菅政権に課されたある種の宿題だ。

菅政権発足直後にまずぶち上げたのが「デジタル庁」の設置だった。デジタル庁は、安倍がビッグデータ、AI、そして5Gネットワークを踏まえて凡庸な文明史観をもとにでっちあげたSociety5.0を継承したものといえる。デジタル庁の設置は、省庁横断とマイナンバーの普及がセットになっているように、次世代監視テクノロジーの政府組織への導入であって、これが私たちの市民的自由に及ぼす影響は深刻だ。

デジタル庁問題が深刻なのは、民主主義の基本をなす立法と司法がほぼ完全に解体する、ということだ。法のかわりにコンピュータによるコードの支配が進み、法は形骸化する。なぜならコンピュータに法を遵守する意志はなく、コンピュータのプログラムの適法性は、技術的な難解で国会でも司法でも判断できず、私たち一般の人間も理解できないからだ。政府だけが、民間IT企業と組んで統治の意図をコンピュータのコードに組み込むことができる。AIとビッグデータによる将来予測に政策が依存するようになり、国会での討議や司法による裁判という時間がかかるプロセスよくて現実の後追いがせいぜいのところとなる。機械は過去から社会の常識や規範を「学習」するために、差別、偏見やナショナリズムの偏りを学び、反政府的な言動を社会的なリスク要因としてプログラムされれば、弾圧を正当化する道具にもなる。

*

デジタル庁は市民運動からの批判がいまだ低調なままだが、日本学術会議の任命拒否問題では市民運動もメディアも大学や学会もおしなべて菅への批判を強め、任命拒否撤回の主張が大きくなっている。多くの市民運動も任命拒否を批判するとともに、学術会議擁護の立場をとっているように思う。しかし現場の大学教員としての経験でいえば、学術会議は学問の自由を侵害するような行動をとっており容認できないのだ。学術会議は多くの提言などを出しており、任命問題の是非以前に、そもそも任命された学術会議のメンバーたちがやってきたことをその活動内容に即して検証されるべきだ。

私の経験とは以下のことだ。学術会議は2008年の文科省から大学教育の分野別質保証の在り方について審議依頼を受け、大学教育のある種の学習指導要領作りを始める。教育内容に介入するようなことをやりはじめた。私の専門でもある経済学については、ここで詳細は述べられないが、全く容認しがたい内容で、このガイドラインに則せば私は大学教育での居場所は全くなくなる。私の人生の多くを教育に費してきた者として絶対に譲れない一線だ。学術会議を擁護するなど私にはできない。

それだけではない。出された提言のなかにはとうてい容認しがたいものがある。たとえば、小中高の学校教育への提言ではGIGAスクールの推進を前提としたIT教育の導入を積極的に推し進める提言を出し、生徒の成績などの個人データの収集を積極的に実施すべきだと主張している。また、新型コロナ対策としての医療データの活用のためにマイナンバーカードなどの行政システムを支えるデジタル環境の再整備を主張する提言を出したり、「行政記録情報の活用に向けて」の提言では、統計調査にマイナンバーを利用できるよう提言している。研究にビッグデータを活用するリスクはすでに指摘されている。2016年の米大統領選挙でFacebookの膨大な個人情報を研究目的で提供し、これがトランプ陣営に利用された。研究目的を隠れ蓑にこうした深刻な問題が起きることがありうるのだ。核問題についても原発容認の姿勢は崩れていない。今年9月「原子力総合シンポジウム2020」を「2050 年の持続可能社会の実現にむけたシナリオと原子力学術の貢献」のテーマで開催するが、とうてい反原発運動が容認できるような内容ではない。今年春に学術会議は2050年をみすえたレポートを公表する。「未来からの問い―日本学術会議100年を構想する」と題された400ページのレポートのなかで,安倍政権が政策として推進してきたSociety5.0といういかがわしい歴史認識をまるごと受け入れ、さらには「総務省が推進しているマイナンバー制度も、複数の組織に所属している個人情報を一元化してさまざまな申請をしやすくします。今後、情報管理を徹底することによって、情報の漏洩やなりすましなどの犯罪を防止できれば、もっと用途を拡大できるでしょう。」と礼賛している。今年の9月まで学術会議の議長は京大の人類学者で総長だった山極壽一だ。彼は日本の植民地主義と学術の責任に深く関わる京大の琉球人骨問題で一貫して消極姿勢をとりつづけてきた。その山際を学術会議は会員の互選で選んできたのだ。

学術会議を政府から独立させる議論もあるが、そうなれば学術会議は映倫のような自主規制団体になるだけであり、現状のままなら政権のアウトリーチとしての役割を担うだけだ。表現、思想信条の自由にとって必要なのは、自由に関わる制度を一つでもなくすことだ。私の30年の研究者、教育者の仕事のなかで必要と思ったことは一度もない。学術会議は学問研究にとって不要である。学術会議擁護の運動をしている市民運動などの皆さんには是非、学術会議は擁護すべき機関なのか、再度検証していただくことをお願いしたい。

*

市民運動をはじめとする社会運動は、私の目からみると、これまでにない危機的状況を迎えつつあるようにみえる。COVID-19に関していえば、政権の対応、医療と経済について私たちがどのような判断を下すべきなのかについて、政府や支配的な制度とは別の観点からの提起をすることができているだろうか。マスクを拒否するマッチョな極右の価値観とも自粛と自己責任を強いる政府とも立場を異にする私たちの分析が非常に足りないと思う。市民運動は政党の政策論議や国会政局から自由になり、資本主義経済の本質や身体と医への権利といった根本問題を問い、原則を貫くスタンスをとらなければならないのではないか。既存の教育制度や学者の権威を肯定しすぎてはいないか、とも思う。教育制度による差別と選別への根底からの懐疑を運動の基盤に据えるべきなのではないのか。菅政権と産業界のデジタルへの流れに対しても、デジタルの日常生活を問う運動に至っていない。ネットもパソコンも理解を超える難解な機械であること自体が支配のツールになっているわけだが、同時に、運動として使えるなら、FacebookであれLineであれ何でも使えばいいという安易な利用主義が、ネットに伏在している高度な治安弾圧を自ら呼び込んでいることになっていると思う。

さて、最後に天皇制について一言だけ述べておく。COVID-19と各国の王室動向をみると、いずれも危機にありながら国民統合の積極的な役割を果せていない。天皇制を現代的な問題として重視する意義が見出しにくい状況になっているともいえる。たぶん、これはCOVID-19だけの問題ではなく、社会のコミュニケーション環境がマスメディア中心からSNSなどネット中心へと確実に変化しており、この変化に旧来の統合装置が対応しきれていないことによると思う。この意味でいえば政権や支配層のとってもある種の天皇制の限界に直面しているともいえる。他方で、SNSは多様な極右の言説が流布する場にもなっており、どこの国でも移民・難民への差別と排外主義、様々な伝統主義的な価値観への回帰と宗教的な信条が目立っている。日本の場合も、多様な日本的なるものや日本文化から憎悪のヘイトスピーチまでが星雲状の言説空間を構成しながら、これらの帰結としてナショナリズムと「天皇」と呼びうるような象徴的な空間が、従来とは異なる性格をもって構築されるように思う。マスメディア時代とは根本的に違い、大衆自身がマスメデアやフェイクニュースの言説を受容しつつ、彼ら自身が更に発信主体となって支配的な価値観や心情を支える、といったメカニズムのなかでイデオロギー装置が構築される。この意味で、現実の空間での天皇ではなく、バーチャルな空間において、天皇という言葉すら明示されないような言論のなかに密かにもぐりこむようにして―とりわけリベラルな知識人やある種の左翼もどきの知識人の言説をも包摂しつつ―天皇制イデオロギーが表出するようになるのでは、と感じる。この意味で天皇制を支える構造そのものの変容にも注目しつつ天皇制批判のバージョンアップを図ることが必要になっていると思う。

初出:『反天皇制運動Alert』54号(若干加筆しました)

集団免疫とロックダウン解除!?―愛国主義の犠牲にはならない!!

新型コロナウィルスのパンデミック化は、ナショナリズムの本質がいったいどのようなものなのかを示している。

日本政府は人々を犠牲にして「国難」を乗り切る集団免疫路線をとっていると思わざるをえない

日本の検査数の少なさをどう判断するか―低コスト高リスクの集団免疫路線としか思えない。文字通りの野放しではなく、調整しつつ感染を拡大させるという綱渡りをしようとしているのではないか。この2週間ほどは引き締めへと向っているようにみえる一方で、政府は網羅的な検査へと転換しようとはしていないことの意味を見過すことはできない。

なぜ検査しないのか?自分の身体がどのような状態にあるのかを知りたい(これは私たちの権利である)というときに、知るために必要な検査を拒否する権限がなぜ保健所にあるのか。日本政府がとっている対応は、口では感染拡大防止を強調して、そのための外出自粛をなかば道徳的に脅かしながら、実際の対応は、感染拡大を事実上容認しているとしか思えない。その理由は

  • 最も感染リスクの高い医療関係者(医師、看護師、技師やヘルパーの労働者だけでなく事務職員も含む)への検査が実施されていない。
  • 福祉関連の施設の関係者への検査が実施されていない。
  • 学校など教育機関の関係者への検査が実施されていない。
  • 基礎疾患をもつ人たちへの検査が実施されていない。
  • 社会的なインフラや物流など人々の生存に関わる仕事を担う人たちの検査が実施されていない。
  • 感染者で軽症あるいは無症状の人の自宅で同居する人たちへの検査が(症状が出ない場合)実施されていない。
  • 症状のない感染者が多く存在していることを知りながら、こうした人たちの存在を把握するための検査をせず、よっぽど深刻な事態にならないと検査されない。

などなど、枚挙にいとまがない。無症状の人たちが多く存在し、こうした人たちからも感染することが知られながら、症状が出ていないことを理由に検査はされない。自宅軟禁状態を強いるメッセージが繰り返し出されるのだが、検査もされず、網羅的に自宅に閉じこめられることになる。本来なら、検査で陰性なら外出してもいいし自由にしていいはずだ。この自由を与えようとはしない。

結果として、検査されない人たちが自宅で3密状態になり、「家庭内感染」が増え、DVや家庭内の人間的なトラブルも深刻化している。やっと最近こうした問題に注目が集まってきたが、理屈からいえば、予測しえたことだ。

なぜ、検査せずに放置しているのか。考えられる理由は二つだ。

ひとつは、コストである。網羅的な検査に必要な投資を抑えたいという意図があるように思う。全員に行なえるだけの検査キットや検査装置、人員がいないという言い訳、あるいは医療崩壊の危機で世論を半ば脅すような宣伝は、責任逃れでしかない。前に書いたように、こうした検査の必要が新型インフルエンザのときに既に指摘さていた。そうであるのに、保健所を統合・削減し、パンデミック対策をサボった厚労省と政府の責任である。明らかに権力がまねきよせた「権力災害」である。政府はあたかも新型コロナ・パンデミックが天災であるかのように、あるいは中国がもたらした「外来種」被害であるかのようにふるまう。こうした振舞いは、検査体制に必要なモノとヒトを確保するポースだけをとり、本当にすべき政府の投資をサボる格好の隠れ蓑になる。

もうひとつの理由は、政府関係者は絶対に口に出しては認めないが、集団免疫を獲得することでパンデミックを収束させるという作戦(あえて意識して軍事用語を用いる)をとっているのではないかという疑念だ。この作戦はとても安上りだ。人々をどんどん感染させ、症状がでなかったり、軽症の場合は放置する。かれらは、働きながら、周囲に感染者を広げつつ、自分の身体を犠牲にして免疫を獲得する。政府はコストもかけずにパンデミック収束の手掛かりを握ることになる。ワクチン開発をまたずに、大半が免疫をもつことができると妄想しているのではないか。他方で、重症者はとりあえず隔離して治療するが生命を犠牲にする人がでる。政府は、これは集団免疫を獲得するためのいたしかたない犠牲だと考えているのではないか。医療関係者がクラスターで大量に感染し、一時的に病院を閉鎖してもその後再開したときには、免疫をもった多くの医療関係者が働くことになる。こうなれば効率的に感染を恐れずに治療ができるとでも考えているのではないか。この作戦ならワクチンの開発をまたずに、抗体をもつ者を増やすことができる。これなら来年のオリンピックに間に合う…とか考えているのかもしれない。またもやオリンピックの犠牲になるのか。私たちは御国のために自分の健康や生命を捧げるつもりは金輪際ない。他方で私たちが要求するのは、政府は私たち、国籍を問わず、この国で暮す人々の生存の権利を保障する義務があるということだ。集団免疫を目論んで権力が不作為に及ぶなどとんでもない!!!!しかし右派はこの集団免疫が大好きなようだ。橋下徹は3月初めに「元気な人はみんな感染してもいい」「元気な人たちが感染して抗体を持てば、集団免疫を持って落ち着く」と語ったことが報じられている舛添要一も「ワクチンや特効薬が開発されないかぎり、緩やかに感染を拡大させて集団免疫を獲得するという戦略も間違いではない」と容認する。国家が個人に優先する愛国主義者は、個人の犠牲など意に介さないのだろう。

集団免疫を密かに狙うという発想は、表に出てこないが、専門家も含めて肯定されているに違いない。ワクチンの発想もある種のコントロールされた集団免疫の発想の延長線にある。集団免疫獲得のために、人口の一部を敢えて犠牲にすること、そのためには検査をしないという戦術がとれらている。こうでも考えなければ、なぜ感染リスクの高い場所での検査が行なわれないのか、その理由が飲み込めない。網羅的な検査をやっている慶應病院は稀有なケースになるのでニュースになるわけだ。国難のために犠牲になってくれ、といういわば特攻隊を彷彿とさせる権力者の生命観だ。こうするためには検査しないことが必要になる。検査すれば法制度上、隔離が必要になる。集団免疫を獲得させるには、早期の発見と隔離をしてしまうと、集団免疫ができない。だから感染者を巧妙に放置しつつコントロールしようとしている。この集団免疫作戦で犠牲になるのは、人との接触が多い職業や、自宅の環境が狭小であり個室隔離などできない人たちなどになる。ここには階級や差別の格差が如実に反映されることになるのではないか。

保健医療の市場経済化や切り捨てのこの四半世紀の歴史のなかで、コストをかけない、制度がそもそも脆弱になっているという背景と一体となって集団免疫方針を密かに遂行してきたのが日本政府のやりかたではないか。権力者にとって私たちの身体は統計上の数字でしかなく、「国難」を乗り切るための捨て駒にすぎない。そう思わざるをえない。

自由も平等も民主主義もどこかに消えた

象徴的な出来事は、民主主義の政治体制を標榜してきた欧米諸国の対応のなかに端的に示された。ヨーロッパとくにイタリアで最初に感染者の拡大とパンデミックの危機が確認されたとき、他のEU諸国はほとんど支援の手を差し延べたようには見えない。EUが足並みを揃えはじめたのはごく最近のことにすぎない。スペイン、フランスなど他のEU諸国に広がりをみせたときも、なぜか国境を超えるウィルスの拡大に対して、EUとしての統一した措置はとられず、常に前面に登場してきたのは、国境を閉鎖する、自国民だけのための防護策、さらには政府が率先してマスクを奪い合うなど各国の政府のナショナリスティックな国民保護の政策だ。ドイツは新型コロナウィルスの対策で「優等生」として評価が高いが、逆に、EUという枠組でみたとき、ドイツと他のEU諸国の間の協調性のなさが目立った。EUという国家連合の統治機構が実際には、人々の生存権の最も基盤をなす保健医療や福祉といった分野では、ほとんど実効性ある機能を果しうるような制度をもてていないことを露呈した。

EU域内の相互の協力が希薄だっただけではなく、EU市民ではない難民の状況は深刻化し、各国の国民の保護が最優先された。ロックダウンのなかで、経済的に苦境に追い込まれる人々や感染率の高い人々の階層に、社会の階級的格差やエスニックグループ相互の力関係が如実に反映した。

同じことはこの東アジアにおいても顕著だった。中国、韓国、日本、台湾、極東ロシアの間にはディスコミュニケーションしかなく、安倍政権の露骨な韓国、中国への嫌悪感が目立つ。

同様に、米国もまた、露骨な自国民中心主義を掲げて国境を超えた人の移動、とりわけ移民の流入を大幅に制限した。トランプは繰り返しこのパンデミックの元凶が中国にあり、敢えて「中国ウィルス」という表現を使った。(麻生もまた「武漢ウィルス」を連発し、中国政府が抗議した)またフランスのマクロン大統領は3月の外出禁止令に際して「われわれは戦争状態にある」「直面しているのは他の国や軍ではない。敵はすぐそこにいる。敵は見えないが、前進している」(ロイター)と述べた。この戦争状態のたとえはその後、各国で一般化した。災厄は常に外部から来るのであって、善良な国民はその犠牲者であるか、外敵と闘う勇敢な戦士なのだ、といった雰囲気をともなって、戦争になぞらえた感情の動員が目立つ。露骨な愛国主義的プロパガンダに利用するのか、それとも婉曲な言いまわしを用いるのかの違いはあってもどこの国もナショナリズムを最大限に動員するようになってきた。

災厄が外部から来るなら、外部との接触を遮断する必要がある。外部は、当初国境だった。検疫によって、国籍による選別を行ない、自国民を保護し外国籍の人たちを排除する。こうした態勢がどこの国でもとられた。次に、国内の各地域ごとの人の移動が規制され、感染拡大地域を封鎖した。こうして感染が拡大していない地域にとって感染拡大している地域は潜在的な「敵」扱いされることになる。地域を越えて移動する者たちは、医学的な検証もなしに、監視され、ウィルスを拡散するリスクをもたらす者と疑われることになった。

他方でロックダウウンや都市の外出禁止などの措置がとられた国や地域では、人々が「自宅」に軟禁(この言葉は使われないが)されることになった。人々は、コミュニティや身近な人間関係のなかに、「敵」と「味方」の境界線を引くようになる。感染者とその家族や親密な関係にある人たちは、周囲から「隔離」されるだけでなく、周囲から災厄をもたらす疫病神であるかのように忌避されるようになる。「敵」とみなされるからだ。本来なら、厄介で死に至るかもしれない病を抱えた人たちをお互いに支えあう努力をすべきコミュニティの人々が、感染者を追い出すことでコミュニティの安全を守ろうする。この相互排除の連鎖は、人々を分断しながら権力の集中をもたらし、警察と軍隊が都市を制圧する構図をもたらした。他者への配慮と人権意識の高い人々の自制の受け入れを権力は巧みに利用してもいる。

国境封鎖―地域封鎖―都市封鎖―コミュニティ封鎖―家族封鎖という一連の流れが、国民を守れとか国難を強調するナショナリズムの構造のなかで循環している。

しかし、実は、事はそう単純ではない。外出禁止やロックダウンに抗議する運動が各国で起きている。フランスでは外出禁止に抗議する大規模なデモがパリで行なわれた。インドでは移民労働者による大規模な抗議が4月15日に起きている。ブラジルはじめラテンアメリカでも規模の大小、組織化のありかたは様々だが抗議の運動が起きている。誰がどのような政治的な意識をもって抗議を組織したおか、あるいは自然発生的であったとしても彼らの行動の政治性をみきわめることはとても大切だ。そしてまた、とても分りにくい。私たちの仲間なのか?

米国では急速な感染拡大とともに失業も拡大した。失業率は30パーセント、3000万人が失業保険を申請している。こうした中で、仕事への復帰とロックダウン解除を要求する抗議のデモがメディアでも報じられるようになっている。ロックダウンへの抗議の主体が誰なのかがわかりにくい。しかし、極右のニュースサイト、ブライトバードやフォックスニュースと左派メディアデモクラシーナウの報道を比べてみると背景がわかる。「ブライトバード」は「ロックダウン・プロテスト」という特設コーナーを設けて積極的に反ロックダウンの抗議デモを報じ、フォックスニュースも4月17日にケンタッキー州、メリーランド州、ミシガン州、オハイオ州、テキサス州、ウィスコンシン州で起きた反ロックダウンの統一抗議行動を大きく報じている。デモクラシーナウは20日に「右翼ロックダウウン抗議の全国行動」と報じ、この動きが右翼によるものだということを明示した。彼らの発想は、日本の右派と非常に似ている。ところが、日本のディアはこうした動きが右翼による抗議行動であることをはっきりとは示していない。映像で見るかぎり、星条旗が目立ち参加者も白人が中心に印象を受ける。ブライトバードもフォックスニュースモトランプ政権に強い影響力をもつ。こうした右派の反ロックダウンをトランプはツイッターで容認し、早々とロックダウン解除を宣言した。あきらかに右派の行動と共同歩調をとったものだ。こうした連携は、トランプ政権が繰り返してきた動員の仕組みであって自然発生的ではない。こうした一連の動きが秋の大統領選挙をにらんだ極右ポピュリズムの戦略の一環だと理解すべきだろう。こうした背景を抜きにして、しかもかなり規模が大きいかのような誤解を招く報道は、日本における経済の早期再開を模索する資本の思惑(スポンサーの思惑)と無関係なのだろうか。

こうしてみると、右翼は、ある種の戒厳令のなかで、敢えて反ロックダウンを掲げて失業と自宅軟禁でフラストレーションを溜めている人々の感情に焦点を当てつつストリートの主導権を握ろうとしているともいえる。この動きは、マッチョな愛国主義だ。私たちは、政府の言いなりになって自宅に軟禁されたくないが、だからといって、マッチョな連中のように感染なんか怖くねえ!と中指を立てるような虚勢を張るようなマネをしたくはない。

日本の運動状況がどうなっていくのか。集団免疫を画策する政府は、他方で、集会の場所を閉鎖し、デモも自粛させ、長年の文化とメディア運動の脆弱ななかでネットの空間に容易には移行できない左翼や反政府運動は、試行錯誤を繰り返す試練の時を経験している。緊急事態がもたらすナショナリズムと排外主義、相互扶助とは真逆の相互不審を募らせて権力への服従心理を刺激するパンデミックの構造と闘う工夫を、どのように生み出せるのか。現状は明らかに制度の危機だ。しかし、だからといってそれが反政府運動にとっての好機には絶対にならない。むしろ「国民」的な同調圧力のなかで、窒息しかねないところに追い込まれているようにみえる。街頭に出ることに躊躇する人々と、どのように連帯の回路を維持拡大できるか、この課題は運動の将来を左右する重要なものになっていると思う。(24日深夜加筆)

内田樹の天皇制擁護論批判――明仁の退位表明をめぐって――

目次

  • 1. はじめに
  • 2. 象徴的行為
    • 2.1. 象徴的行為の再定義?
    • 2.2. 代替わりの一連の儀礼と象徴としての機能は一体なのか
  • 3. 憲法の天皇条項と「霊的存在」
    • 3.1. 条文そのもの
    • 3.2. 「霊的」存在の肯定
  • 4. 「國軆」による国民統合と民主主義的な多様性のあいだの矛盾の弁証法的統一?
    • 4.1. 統合と民主主義
    • 4.2. 退位とシャーマン
  • 5. 合理的・科学的批判の限界への挑戦へ

1 はじめに

明仁が生前退位を公的に表明したときの発言については、様々な論者が見解を表明してきた。以下では内田樹の天皇制擁護論を取り上げて、私なりの意見を述べておく。内田の発言は、明仁が生前退位を表明した「おことば」についての独自の解釈を示しながら、かつては天皇制に懐疑的であった彼がなぜ天皇主義者に転向したのかを述べており、現代のリベラリストの天皇制擁護論の特徴を示している。彼の擁護論の特徴は、リベラルであることや安倍政権への否定的な評価に立ちながら、むしろそうであるが故に象徴天皇制を積極的に肯定するという観点を、論理を超越したある種の宗教性に依拠して論じている点にある。以下で引用している文章は「私が天皇主義者になったわけ」(『私の天皇論』、月刊日本2019年1月増刊号、2018年12月 所収)に掲載されたインタビューである。

2 象徴的行為

2.1 象徴的行為の再定義?

内田は、明仁が「象徴的行為」という言葉を用いたことに注目する。

象徴天皇にはそのために果すべき「象徴的行為」があるという新しい天皇制解釈に踏み込んだ。その象徴的行為とは「鎮魂」と「慰藉」です。

象徴的行為の中心をなすのが、鎮魂と慰藉だとし、憲法7条の国事行為「儀式を行うこと」を鎮魂と慰藉を行うこととして解釈する。

憲法第七条には、天皇の国事行為として、法律の公布、国会の招集、大臣や大使の認証、外国大使公使の接受などが列挙されており、最後に「儀式を行うこと」とあります。陛下はこの「儀式」が何であるかについての新しい解釈を示されたのです。それは宮中で行う宗教的な儀礼のことに限定されず、ひろく死者を悼み、苦しむ者のかたわらに寄り沿うことである、と。

ここで問題になるのは天皇にとっての「儀式」とは何なのか、「ひろく死者を悼み、苦しむ者のかたわらに寄り沿う」とはどのような意味をもち、それはどのような儀式的な行為を伴うものなのか、である。内田は7条の「儀式」を厳格に非宗教的な行事として解釈するのではなく、天皇という名称が本来もっている宗教性を内包するものだという「新しい解釈」を天皇が示したことを評価する。憲法でいう「儀式」=象徴的行為は従来、非宗教的な行事としての儀式であると解釈されきた。明仁が儀式に込めている象徴天皇としての内面の意思がどのようなものなのかは、この儀式を解釈する側に委ねられている。内田は、「儀式」に宗教性を読みとることを肯定した。内田は、あたかも明仁が「新しい天皇制解釈」を表明したかのように述べているが、実は、解釈の主体は内田にある。行為や言葉といったメッセージは、発信者と受信者双方がそれぞれにメッセージの意味を解釈しあうことの繰り返しを通じて、その行為の社会的な意味が形成される。天皇の国事行為としての「儀式」を宗教性のないものと解釈するのはメッセージの受け手の側であり、従来、憲法で定められた天皇の象徴としての行為は宗教性を持つべきではないとされ、だから実際の天皇の象徴行為も宗教性がないと解釈されてきたが、この解釈の枠組を否定し、天皇の象徴行為に宗教性を認め、これを積極的に意味ある行為として肯定した。この解釈の転換は、天皇の「おことば」が引き金になったとしても、この「おことば」を受信した側に、しかもリベラルな知識人の側に起きたということが重要なのである。意味を生成する場がある種の転換をみせたことを意味しており、天皇の象徴行為の宗教性が、たとえ憲法を逸脱しているとしても、肯定すべきとする主張が、解釈の通説になる兆候がある。同時に重要なことは、内田のような解釈は、天皇をめぐって、国事行為とこれには含まれない宗教儀礼という二分法がそもそも成り立たないことを指摘しているということだ。明仁は間接的にこのことを示唆し、内田は明示的にこの二分法を退けた。こうなると、そもそも象徴天皇制のもとで憲法20条が成り立つのかが疑問視されるということになる。

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

従来の通説では、憲法に定める象徴としての行為者としての天皇は、国の統治機関の一部だから宗教的活動はできない、だから、憲法7条の「儀式」も宗教儀式を含まないし含むことはできない、という解釈であろう。戦後、天皇の神道儀礼と国家との関係が繰り返し問題視されてきたのは、この憲法の縛りと天皇がそもそも天皇という命名の由来でもある神道と不可分な存在であることとの間に、憲法に内在する論理整合性をとることが必ずしも容易ではないという点にあった。神道儀礼が含意されるような儀式は、事実上これまでも天皇儀礼として排除されてはこなかったのだが、一見すると非宗教的とみなされる国事行為もまた、天皇に即せば、宗教的な意味を伴わないような行為はありえないことは自明である。「天皇」と命名された者の行為である以上、宗教性は払拭しえないからだ。政教分離を徹底させるのであれば、そもそも国家の象徴に「天皇」を位置づけること自体が矛盾なのだ。「天皇」という記号は、その意味内容が二重化されている。天皇からすれば、彼の象徴的行為は宗教的な行為と不可分だ。神道儀礼はこれが顕在的に示される場面だとすれば、正月や国体などの旅先での「おことば」から憲法に定められた国事行為は、宗教性を世俗的な装いの下に潜在させつつ維持されており、意味内容は受け手の側には世俗的なものとして解釈されているにすぎない。この意味の二重性は、従来であれば世俗的な意味内容が意味のヘゲモニーを握ってきたが、明仁の「おことば」はこのヘゲモニーを宗教性の側にシフトさせるものだった。このことを内田は敏感に読み取ったといえる。天皇を国家と国民統合の象徴としてしまえば天皇が出席する祝典、儀式はおしなべて宗教行為となり、国による宗教的活動となることが避けられない。つまり、憲法の象徴天皇の規定そのものが20条と矛盾する。護憲という立場は、この矛盾を、天皇の国事行為を非宗教的な行為であるハズだと「解釈」してやり過してきた。20条をとるか1条から8条をとるかは、二者択一である。だから「護憲」という立場は、現行憲法の象徴天皇制をめぐる内的な論理矛盾を糊塗してきたとはいえないだろうか。

このことは明仁の次の発言に露出している。

即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごしてきました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

2.2 代替わりの一連の儀礼と象徴としての機能は一体なのか

明仁から徳仁への代替わりの儀礼は、いわゆる国事行為であるのかそれとも皇室の宗教儀礼であるのかという議論に収斂させることのできない一体としての構造をもっている。そもそも憲法に定められた国家と「国民」統合の象徴は、「天皇」と呼称されることで宗教性と世襲性とが不可分な存在となる必然がありながら、他方で世俗的な統治機構を表向き標榜する国家の象徴でもあるという矛盾をもっている。この矛盾は、天皇の側からすると、神道祭祀と「日本」の伝統を継承し、その「祈り」の内実をシャーマンとして遂行する以外にない(そうでなければ自らの信仰を否定することになる)ものとして、この矛盾の辻褄を合わせる。他方で、世俗権力の体裁をとる統治機構の側は、逆に、天皇の神道信仰やシャーマンとしての鎮魂を隠蔽して世俗的で憲法に定められた国事行為の主体でしかない存在であるかのように装おうことを通じて、この矛盾の辻褄あわせをする。「国民」は、といえば、この二つの欺瞞の構造のなかで、自らの立ち位置を定める自由を持つにすぎない。

明仁は天皇なき日本は平和を保証できないということを、彼の祈りの現実的な効果として確信しているとすれば、内田は、こうした確信を「国民」の側から、下から支えるような心情を吐露することによって、平和構築の不可欠な存在としての天皇を確信する。いずれも、日本が天皇と「国民」が相互に依存しあいながら、この構図を再生産する以外の選択肢を否定する。

こうしてみると日本国憲法は、世俗的な装いをとりながら、国民が一体のものであって、この一体性が国民そのものによってではなく天皇によって表象される以外にないところで、その正統性のイデオロギー的な基盤を確保するという構造をもっていることがわかる。

3 憲法の天皇条項と「霊的存在」

3.1 条文そのもの

憲法の象徴天皇条項はかなり論理的に矛盾した構造をもっている。

  • 1条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」主権者の総意に基く国民統合を象徴する存在が「天皇」と呼ばれるのか、それとも、あらかじめ天皇と呼ばれた存在がおり、この存在をもって国民統合の象徴とし、国民の総意に基いたものとみなす、ということなのかで、天皇という存在の憲法上の規定が真逆になる。法の支配[1]が前提にあり、憲法を国家の統治規範とするのであれば、まず最初に、国民統合の象徴の意味する実質を国民が総意によって確認する手続があり、この手続きを経た存在が「象徴」となるはずだろう。しかし、この象徴が、まず最初に「天皇」という戦前の憲法由来の、更には神話に基く「日本」の伝統的な信仰と統治の主体を意味する内容と結びつけられる場合には、主権者の討議と総意の確認の手続きは、事実上排除されることになる。

日本国民の総意を確認する手続きを経て日本国民を統合する象徴となるものとは一体何なのか、という問題は、国家の正統性を支える重要な主題である。この場合、「日本国民統合」とは何のことなのか、なぜ「統合」という文言が必要なのかという問題は、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて」という前後の文脈との関連でいえば、「日本国の象徴」というだけでは足りずに、「日本国民」をこれに加え、更に「統合」という文言をも加えていることからすれば、民主主義が前提とする国民内部の相互に相対立する思想信条などを超越した国民としての一体性を表現したものともいえる。このような一体性を承認することを憲法が要請しているということは、日本という国家が階級、ジェンダー、エスニシティ、世代から宗教や思想の多様性による分断と矛盾を内包している社会であるということを否定するものだ。あるいは、こうした分断や矛盾があるとしても、これを「国民」として天皇に象徴されるものとして「統合」することを憲法が要請している。こうした国家観は、それ自体が擬制であり欺瞞ですらある。

  • 2条 「第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」

象徴が世襲であることは、「天皇」を伝統的な皇室として与件とする立場に立っており、国民の総意に基くとする1条の解釈からは導かれない。世襲であれば必ず総意が成り立つというのは論理的な構造をもっていない。2条は世襲であることを定めることによって事実上1条の「総意」の手続きもまた否定し、世襲がこれらにとってかわりうる手続きであることを宣言している。民主主義的な手続きを経て王政を選択するということはありうるが、こうした選択肢も「天皇」に関しては否定されている。「論理的ではない」とか「不合理な独断」といった批判は可能だが、有効ではない。「世襲」を正当化しているのは、憲法や法に内在する論理ではないために、論理的な批判をそもそも受けつけない。次元が異なるのだ。この論理や近代の法合理性とは異なる世界を「天皇」という概念そのものが内包している。

  • 4条「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」

天皇は、国事行為しか行なえないことを明文化している。国事行為の内容は7条に具体的に定められている。天皇が国事行為のみしか行なうことができないとすれば、天皇は一切の神道宗教儀礼を行うこともできない。宗教儀礼を行うのであれば、そのときには天皇という名前を用いることはできないはずである。しかし、天皇という言葉の由来が神道にあり、しかも神道の教義抜きには天皇とは何者なのかも定義できないのだから、そもそも4条を徹底するとすれば、天皇を主語に置くこと自体に根本的な矛盾がある。

天皇は実際には、国事行為以外の行為も行う「人間」であり神道の祭祀としての「伝統」の担い手でもある。一般に、人間が何らかの職務を担うとき、職務を指し示す言葉によって、職務にある者としての限定を付し、同じ人間であっても職務にない(プライベートとか言われるが)場合は、その職務の名称を避ける。これは、職務とその役割内容とが一体のものとしてあり、この職務に人間が時間と場所を限定して関与するということを念頭に置いている。ところが天皇という職務とその存在全体の関係はこういうふうにはなっていない。天皇の存在理由は、神道の宗教的な定義から導かれており、それ自体が宗教的な意味を帯びている。こうした存在を与件として国家の象徴機能がその一部をなすものとして組み込まれているといった方がよいようなありかたをしている。

天皇が一方で宗教的な主体であり、他方で憲法の規範に従属する国民統合の象徴的主体であるという二重性は、本質的に矛盾する。この矛盾は、神を否定して、神の座に国家という世俗的でありながら超越的で普遍的な価値の体現者を僭称する事実上の「神」を据えることで折り合いをつけてきたわけだが、どのような近代国民国家も世俗性の背後に何らかの宗教性をまとうことを否定することができていない。国家の観念を支える世俗的で合理的な普遍性としての価値や規範は、常に何らかの宗教的な「神」によって自らの存在理由を補完しなければ自己維持することができてこなかった。これは合理的な判断や推論から逸脱する人間の情動や無意識の世界が未だに「神」から解放されていないことを示している。この問題が最も端的に示されるのが「文化」の領域であるにもかかわらず、20世紀の左翼革命は「文化」の革命に失敗したために、人間の「神」からの解放にも敗北した。

3.2 「霊的」存在の肯定

内田は鎮魂と慰藉を象徴天皇制の再定義の核心に据えたのが明仁だと述べたわけだが、「鎮魂」について更に立ち入って次のように述べている。

どのような共同体にもそれを基礎づける霊的な物語があります。近代国家も例外ではありません。どの国も、その国が存在することの必然性と歴史的意味を語る「物語」を必要としている。天皇は伝統的に「シャーマン」としての機能を担ってきた。その本質的機能は今も変わりません。「日本国民統合の象徴」という言葉が意味しているのはそのことです。

霊的な物語は国家にとって必須であるとし、この物語の担い手がシャーマンでもある天皇であって、国民統合の象徴とはこのことを意味しているのだという。たぶん天皇が「祈り」を捧げるという行為が象徴的な行為であり、この行為をもって国民統合が体現されているのだが、この祈りという行為が霊的な物語によって裏付けられるのであり、世俗的で無宗教の行為としての「祈り」ではない、というのが内田の解釈であろう。わたしは、内田とは逆に、だからこそこうした「祈り」を否定しなければならないと思うわけだが、明仁に限らず、天皇の「祈り」とはどのような内実をもつものなのか、がここでは最も重要なことになる。たぶん、これまで天皇の宮中祭祀などの明らかな宗教儀礼を別にすれば、国事行為としての儀礼であれ慰霊の旅であれ、彼の「祈り」が宗教性をもつものではないという解釈は、内田にいわせれば間違っているということになる。

内田は、鎮魂が問題になることから、ここでの「物語」の中心をなすのが死者への慰霊ということになる。死者の鎮魂慰霊が国家という枠組によって規定されるべきことから、国民統合としての鎮魂慰霊の「象徴的行為」の目的はあくまでも国民の「霊的統合」だという。どこの国でもこうした霊的統合の物語があり、日本には日本の霊的統合の物語があるのは当然だともいう。

恨みを抱えて死んだ同報の慰霊を十分に果さなければ「何か悪いこと」が置きるということは世界のどの国でも、人々は実感しています。死者の切迫とは「これでは死者が浮かばれない」という焦燥のことです。そして、この感覚が現に外交や内政に強い影響を及ぼしている。「成仏できない死者たち」が現実の政治過程に強い影響を及ぼしているという・では、実は古代も現代も変わらない。その意味では私たちは今もまだ「シャーマニズムの時代」と地続きなのです。

内田は、次のように解釈している。

天皇の第一義的な役割が祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願すること、これは古代から変りません。陛下はその伝統に則った上でさらに一歩を進め、象徴天皇の本務は死者たちの鎮魂と苦しむ者の慰藉であるという「新解釈」を付け加えられた。これを明言したのは天皇制史上初めてのことです。現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。

内田は、憲法が天皇の機能として規定する国民統合としての象徴を「祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願すること」に繋げ、これを古代からの一貫した天皇の役割であるとするのだが、ここには日本という国家が世俗的な国家であることの余地はほとんど残されないような印象すら与えかねない言いまわしである。古代には「国民」など存在しなかったという揶揄は別にしても、この内田の立ち位置は、天皇の側にあり、自らをもっぱら天皇の振舞いに同期させることにのみ関心を持っていることが端的に示されている。

民衆の側からすれば、天皇の鎮魂や慰藉などという振舞と自らの心情との同期の構造はこれまで次のように想定されてきたと思う。天皇が祈りのなかで描く世界を日本の多くの知識人やメディアは、天皇の眼差しを内面化して理解し、咀嚼して、これを人々に伝える役割を担う。こうして民衆の世界は天皇の世界によって上書きされ、民衆の記憶もまた消去され、天皇の伝統が民衆の伝統を乗っ取る。こうして「国民統合」という観念が実体を伴うかのようにして民衆にも受動的に、しかしまた自発的に受容されてしまう。しかし古代から現代まで継承されているらしいシャーマンとしての天皇による鎮魂と慰藉の「祈り」があるとしても、その内実は闇の中であり、うかがい知ることができない。このような仮説はそもそも荒唐無稽だとして否定することもできるが、荒唐無稽なことがある種の力を発揮するとき、それは「オカルト」と呼ばれて少なくない人々の情動を支配する。代替わりの儀式をめぐる知識人や報道の内容を振り返ると、私は天皇制というカルトがこの国の大半の人々の情動を支配していることを軽視できないと思う。

4 「國軆」による国民統合と民主主義的な多様性のあいだの矛盾の弁証法的統一?

4.1 統合と民主主義

「日本国民統合」という表現は、国民としての一体性を強く印象づける表現である。国民である以上「一体」であるべきであるとい前提がある。しかも、この一体性は、憲法の後の条文にある基本的人権における自由に関する権利と矛盾する。多様な価値観や思想、信条などを国民が有するとすれば、一体性は存在しえない。一体性あるいは統合と呼ばれるような画一的な国家のありかたがなくても統治機構としての機能を果すことができるように設計されているのが民主主義による統治機構なはずだ。

内田はこの統合と民主主義の間にある矛盾に着目して次にように述べている。

天皇制と立憲デモクラシーという「氷炭相容れざるもの」が拮抗しつつ共存している。でも、考えてみたら、日本列島では、卑弥呼の時代のメヒコ制から、摂関政治、征夷大将軍による幕府政治に至るまで、祭祀にかかわる天皇と軍事にかかわる世俗権力者という「二つの焦点」を持つ楕円形の統治システムが続いてきたわけです。この二つの原理が拮抗し、葛藤している間は、システムは比較的安定的で風通しのよい状態にあり、拮抗関係が崩れて、一方が他方を併呑すると、社会が硬直化し、息苦しくなり、ついにはシステムクラッシュに至る。(中略)

だから今は、昔みたいに「立憲デモクラシーと天皇制は原理的に両立しない」と言う人には、「両立しがたい二つの原理が併存している国の方が住みやすいのだ」と言いたい。(中略)

「國軆」というのは、この二つの中心の間で推力と斥力が働き合い、微妙なバランスを保つプロセスそのもののことだと私は理解しています。「國軆」というものを単一の政治原理のことでもないし、単一の政体のことでもない、一種の均衡状態、運動家庭として理解したい。祭祀的原理と軍事的・政治的原理が拮抗し合い、葛藤し合い、干渉し合い、決して単一の政治香料として教条化したり、制度として惰性化しないこと、それこそが日本の伝統的な「国柄」でしょう。

内田が解釈してみせた明仁の象徴天皇の基本的な性格を鎮魂と慰藉にあるとする見方は、かなりのところまで正しい解釈だと思う。明仁が言外に留保して明言しなかったシャーマンとしての役割に踏み込んだ見解を示す一方で、これを復古主義的で反民主主義的な方向に還元することなく、民主主義との矛盾を内包することを社会の安定にとって不可欠な国家への国民統合の構造であるとするある種の弁証法的な理解は、現にある近代国家日本を、政権や目前に実際に存在する諸々の深刻な諸問題を棚上げして、これらを超越して絶対的に肯定すべき観念として、その必要性を強調してみせた。日本はなにはともあれ肯定される以外に選択肢をもたない絶対的な存在となる。[2]

内田は、「國軆」という観念を持ち出してきて、古代から現代まで一貫する「日本」の歴史的な連続的一体性を肯定する。この肯定を「物語」に基くものであって、史実に基づく必要性を認めない。明仁が「伝統」という文言で言わんとしたこともほぼ同義とみていいだろう。内田は、鎮魂と慰藉という象徴天皇の本質が現実の日本の社会の安定や平和に実際に寄与するものとはみておらず、むしろある種の日本人としてのアイデンティティの拠り所といった意味合いで述べている。明仁はそうではない。この点で内田と明仁との間には本質的に、天皇の象徴的行為の在り方の理解が食い違っている。明仁は次のように述べている。

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

4.2 退位とシャーマン

明仁は「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろう」と述べて国事行為と象徴行為の縮小に反対し、また摂政を置く可能性に言及しつつ、これを否定した。その理由は上の二段落目の最初に端的に述べられている。「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます」というのだ。この条はいったいどのように解釈すべきなのだろうか。つまり天皇が病などで危機にあることと社会の停滞や国民の暮しへの悪影響との間に関連があり、この関連は「これまでも見られた」というのだ。私には一体どのような関連があるのかにわかに理解できないが、明仁の観念のなかでは、天皇の象徴行為は、単なる「儀礼」ではなく、その行為が日本の発展や国民の生活に実際の効果をもたらしているという理解がある。これは驚くべき発言であって、社会の発展や平和は主権者である「国民」の主体的な行為などではなく、天皇の健康と相関するというわけだ。

シャーマンとしての実効性を確信して明仁は、その能力の衰えを恐れて代替わりを決意した。明仁にとっての健康問題というのは、国事行為ではなく(それなら摂政に委ねてもよいものだろう)、この国事行為と並んで天皇が果すべきシャーマンとしての役割と関わるものだ。

たぶん、こうしたシャーマンとしての祈りとむすびつけることは曲解であると思われるかもしれない。通説は、かつての裕仁の死去に至る騒動がもたらした影響をオリンピックなどのメガイベントを控えている現状とを重ね合わせての発言だという解釈だろう。しかし、果してそれだけだろうか。明仁は次のように述べている。

天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

日本全国を旅することを象徴的行為と位置づけているが、これは憲法に定められた国事行為になない。いわゆる慰霊の旅などと称されて海外も含めた「戦没者」を慰霊する旅は、国事行為ではない。とすれば、当然のこととして憲法に定められた象徴としての行為でもない。しかし、これを明仁は象徴的行為として、憲法の象徴天皇の機能を拡大して解釈した。この解釈の前提にあるのは、実際に裕仁の時代から行われてきた「旅」を象徴天皇のあたり前の行為として位置づけてきた事実の積み重ねである。

もしそうであるとすれば、「国民を思い、国民のために祈るという務め」として述べられている「祈る」とは何なのかもはっきりする。これは憲法が規定している世俗的でいかなる宗教性からも切り離された行事としての「祈り」のパフォーマンスではない。ローマ法王が世界中を旅して祈るときに、誰も彼が世俗的な祈りを捧げるとは思わないし、実際の祈りのありかたもローマ・カトリックの祈りであることが明瞭なものとして表現される。しかし天皇の「祈り」は、憲法の政教分離の建前のなかで、意味の二重性の構造をもつ。慰霊の旅などは「国事行為」として解釈改憲されるなかで、その祈りとしての表象は世俗的であたりさわりのない非宗教的な体裁をとるが、だからといって明仁の祈りが世俗的な祈りであるとみなすことは、そもそも「天皇」という象徴が負っている歴史的な経緯からみて無理な解釈なのだ。その文言がどうあれ、彼はその内面いおいて神道祭祀として、シャーマンとして祈る以外に祈りようがないはずであって、だからこそ天皇という象徴は二重の意味を担うことになる。

5 合理的・科学的批判の限界への挑戦へ

代替わり儀礼に限らず、天皇や皇室に関わる神道儀礼はほとんどの「国民」にとっては理解しえないばかりでなく、そもそも理解することそれ自体もまた求められていない。しかし、「国民」としての一体性を天皇によって表象されることを確認の手続きもなく「総意」としてあらかじめ与えられることに、ほとんどの「国民」は異議を唱えていない。

たぶん、合理主義的に統治機構を理解しようとする考え方からすると、天皇をめぐる宗教儀礼や信仰に関わる領域は、理解不能か科学的根拠のない神話的世界を、あたかも事実のように見做す荒唐無稽な欺瞞でしかないとして検討の俎上にも乗せないで却下されるか、歴史修正主義のレッテルを貼って歴史的事実や合理的な判断によってその不合理性を退けるというだけのことになる。こうした理解は、学術的でもあり、科学的でもある一方で、宗教的な信仰や神話の世界を肯定したり不合理な世界を受け入れる人間の心情や心理を軽視することになる。合理的で科学的な理解を獲得すれば天皇制の信仰に関わる不合理な世界は消滅するのだろうか。たぶんそんなことはないと思う。なぜなら、人間はその本質において非合理的な要素を抱えているからだ。

他方で、宗教的な信仰の世界、天皇の信仰の世界を内田のように慰霊と慰藉として掬いあげたり、明仁のように「伝統」として非合理的な世界の継承を肯定する場合、彼らは、現実の世界が抱えている深刻な問題を、この世界を構成している構造的な矛盾の問題――資本主義が抱える矛盾と言い換えてもよい――として理解することができていない。人々が抱える深刻な問題は、崇高な「国民」としての一体性の観念や連綿と続くと観念される「國軆」「伝統」によって解決可能であるに違いないという願望によって宙吊りにされてしまう。いやむしろ、現実が直面している諸問題への解決の鍵は「伝統」への回帰あるいは、伝統を想起することのなかにあるということが含意されてもいる。

世俗的な世界観と宗教的なそれとの対立は近代世界に共通してみられる。しかし一般に、大衆は宗教的な世界理解を妨げられることはなく、むしろ宗教的な信仰を支える教義に接近することを宗教者は積極的に試みる。世俗的で合理的な世界と宗教的で神話的な世界とは、可視化可能な対立を構成する。しかし、日本の場合は、戦前であれ戦後であれ、神道の教義は大衆化することはなく、国家神道として強制的に教育のなかに導入された場合であっても、それは信仰としては浅いものでしかなかった。普遍性を装うことに失敗したために、合理的な世界を説得することができず、「民族」の観念を超越した普遍性をついに獲得できずに世界宗教にはなりえなかった。

天皇制廃止を主張したマルスク主義者は、資本主義が階級社会として、社会内部に非和解的な対立の構造を持つことから、国家への国民の統合という観念は、階級意識に対する敵対イデオロギーだという理解を鮮明にもっていた時期があった。アナキストは、国家を権力支配の装置とみなして民衆に敵対するものと理解したから、天皇制は権力支配の制度であって、権力の廃棄=国家の廃棄=天皇制廃棄は民衆の権力からの自由にとって不可欠な条件だとみていた。いずれであれ、「国民」という一体化した社会集団は、資本主義(あるいは20世紀の社会主義)が国民国家としての自己の存在理由を正当化するために構築した社会意識でしかない。ここに憲法の限界もある。憲法は、現にある社会が抱える構造的な矛盾や敵対的な構造(階級、ジェンダー、エスニシティ、るいは自然と人間など)を積極的に肯定しない。むしろ国家の統治機構は、いかなる矛盾や対立があろうとも、それらが「国家」の統治機構を支える方向である種の合意が形成されうるし、形成されなればならないということを前提にしている。この意味で国家とその構成員である「国民」という観念は、近代世界が抱える諸々の対立と矛盾を抑え込む最終的な審級をなしている。多くの西欧諸国は、この最終的な国家の構成員のアイデンティティの収斂点に、人類の普遍的な価値を置くことによって、この収斂が普遍的に承認されざるをえないような体裁をとっている。日本は、その構成員の「国民」としてのアイデンティティを一義的に普遍的な価値には置いていない。恒久平和と国民主権、隷属からの自由といった普遍的な価値が象徴としての「天皇」とリンクさせられることによって、近代国家としての普遍と特殊を構成する特異な構造をもっている。

この特異な構造のなかで、憲法の枠組は、「日本」が抱える近代資本主義としての矛盾や問題をこの構造を解体する方向で模索する道を閉す制度として機能している。近代国家の秩序の枠組は否定しえない至上の価値を有するものであり、憲法前文が主張する普遍的な価値の実現の条件として象徴天皇制を置くことによって、普遍的価値の特殊「日本」的な表れに正統性を与えようとしてきた。繰り返すが、こうした近代国民国家の憲法の枠組は、社会的な矛盾の止揚を社会の構造を変えることによって矛盾そのものを廃棄するという弁証法の罠の外に出る選択肢を認めないのだ。[3]

近代日本は、近代国民国家としての「世界性」と「特異性」を表裏一体のものとしてきた。このいずれを欠いても近代国民国家としての一体性は維持できない。しかし、普遍的な構造と特異な構造という二重構造は常に矛盾を抱えこむことになる。その矛盾は、国家の歴史と神話(創生の神話か歴史の事実か)と、工業化が基盤とする科学と超越的な存在(検証可能性と神の存在)をめぐって、常に妥協の弁証法に苦しめられることになる。天皇制は、神話や非科学的な神観念を土台とした国民国家としての固有性に依存する。神話を科学や歴史的な史実を根拠に否定することは容易だが、人々が神話を明確に記憶から消しさることはなく、むしろ習俗として日常生活のなかに定着しているのは何故なのかを説明したことにはならない。神の存在は証明されたことはないが、多くの科学者たちは、この根拠のはっきりしない存在を信仰しているという事実があり、こうした近代的な個人はむしろ普通にどこにでもいる人々である。

近代天皇制への人々の不合理な肯定は、天皇制への合理的科学的な批判では覆せないということである。神話や神話に基く儀礼的な行為が体現する象徴作用を否定するとはどのようなことなのか、である。

天皇制を支える儀礼は、オカルトといっていい性質をもち、外部の人達にとって、この日本の儀礼は奇怪なbizarreな文化でしかないと思う。この世界を「日本人」というアイデンティティを直感的にもつ人々が共有している。天皇制は日本ではカルトとはみなされていない。そのことがむしろ問われるべき問題だろう。

注:

1

「法の支配」という表現は、法が支配するのであって、人が支配するのではない、というニュアンスをもっているが、「法」はそれ自体として社会の規範や秩序を物質化できるわけではない。「法」は書かれた文章から構成されるが、「法」が法を書いたのではない。書かれた文章である以上、誰かが書き、誰かが解釈し、誰かが「法」を実体化するような社会の構築物や人々の「理解」を生み出す。「法の支配」の背後にはこうした意味での「人間」がいるわけだが、この人間によって形成される社会は具体的な固有名詞をもった人間の集合であるという意味でいえば、具体的であるが、法は常に抽象的な概念によって文章化される。抽象的な法を具体的な個人に適用する過程を「法」それ自体が支配することはできない。現実に私たちが抑圧を経験するのは、「法の支配」のバックグラウンドで機能する力をもつ特定の人間(たち)の振舞いである。この意味で「法の支配」はそのままで民主主義を保証しない。

2

しかし私はむしろ、日本という観念の相対化なしに、民衆の自由はありえないと考えている。日本に限らず、国民国家が自らを普遍的あるいは歴史的に太古の昔にまでさかのぼりうるか、あるいは普遍的な価値によって基礎づけられるかして、歴史を超越する存在として正当化しようとする一般的な傾向を容認してしまえば、近代世界が陥った戦争と他者支配の歴史を肯定せざるをえなくなる。伝統主義をひっさげながら近代を超克しようとする発想を根底から否定して、将来社会の可能性の一切を伝統と近代からの明確な決別として描くことなしには、抑圧からの解放はありえない。

3

上であたかも合理性と非合理性が対立するかのような図式で述べたが、実際にはこの両者はさほど仲が悪いわけではない。この両者が馴れ合う場がある。それが学術を含む文化と呼ばれる領域だ。文学は神話と、哲学は宗教とそれぞれ踵を接しているだけでなく、政治や法学は国家という観念を前提にするし、経済学ですら「日本経済」というカテゴリーを無反省に用いる。

文化・伝統のレイシズム

1 生前退位「お言葉」のレイシズム

何度も議論され、批判もされてきた明仁の生前退位表明だが、あえてもういちど下記の文言をとりあげてみたい。

即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごしてきました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

明仁が「国事行為を行うと共に」と述べていることに注目したい。彼は天皇に国事行為以外に天皇の重要な役割があることを明言した。そのあとに「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索」と続ける。憲法では象徴天皇の国事行為は、内閣が責任をもって助言して行なわれる国事行為であるはずだ。しかし、明仁はそのようなものとして天皇の象徴的行為を考えていない。憲法の枠に縛られた国事行為の外にも、天皇が主体となる象徴的行為があることを明言した。これは、象徴としての天皇の行為は、憲法によって制約しえない領域を含み、憲法の外部にあって憲法を超越する、とも解釈できる言い回しだ。戦後民主主義を体現する天皇であるかのように解釈されてきたが、少なくとも、晩年の彼は天皇の象徴的行為の憲法超越性を自覚していたのではないか。ここでいう憲法を超越するといっても、それは、政治的な権力が法を超越するという意味ではなく文化や伝統に内在する象徴権力の超越性を含意させている。

「伝統の継承者」を天皇に与えられた役割だと述べているところは見逃せない。天皇が想定している聞き手はもっぱら日本国民であると同時に、その圧倒的多数を占める(構築されたものとしての)エスニック集団としての「日本人」である。「日本文化」に属さない「文化」や「伝統」は天皇にとって「守り続ける責任」を有さない。そして、「日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし」という皇室を主語とする表現は、日本文化総体を念頭に置きつつ、その中心に皇室の文化を据えた表現だ。ここには文化のヒエラルキーも含意されている。しかも、こうした伝統の継承者として「いきいきとして社会に内在」することを使命にするという。社会に内在した皇室は、当然のこととして、日本の文化や日本に固有の価値を伝統としつつ日本社会にこれを内在化させることを通じて「継承」を実現する主体になる。主権在民の理念はここにはない。ここに戦後憲法の本音が透けてみえる。

天皇が日本国民統合の象徴でありながら、同時に「伝統の継承者」でもあるということは、日本が天皇や皇室の伝統を共有する単一民族から構成されているという虚構を肯定した排除の言説、あるいは日本文化を最上位に置いて諸々の文化をその下位に位置づける差別の言説でもある。これを国民統合の象徴の役割としての天皇が担うということは、統治機構のあり方として、差別や排除が構造化されることを意味している。天皇が「伝統」を口にするということは、国民統合をいわゆる「日本文化」を共有する「民族」や社会集団に限定し、それ以外の社会集団の存在を排除するか差別するという構図を統治機構のなかに持ち込むことを意味している。「伝統の継承者」とは、異なる文化の排除の表明であって、レイシズムの言説なのだ。

この戦後の皇室の発言や振舞いに体現されている文化や伝統をめぐるレイシズムは、戦前戦後を通じて憲法が国民統合を、そもそも法によって規制することのできない特異な宗教的な主体である天皇の象徴機能を与えた結果である。この意味で問題の根源は、戦前であれ戦後であれ憲法そのものにある。

2 徳仁のばあい

現在の天皇、徳仁も皇太子時代に「伝統」や「文化」を次のように用いている。

京都府は、我が国の政治や文化の中心地として、千年を超える歴史を有し、海を越えて渡来する文化を取り入れながら、日本文化の基本を形成してきた「こころのふるさと」と言える地域です。また、長い歴史を通じて、常に時代の変化に対応し、今なお、伝統文化の中心であるとともに、新しい文化を創造し続けています。(中略) 京都では、「こころを整える~文化発心」という大変奥深いテーマを掲げて取り組んでこられました。日本文化と日本人の精神性を見直し、次の世代に継承するため、大切にしたい日本の「こころ」のメッセージを募集し発信するなど、多彩な取組が進められていると伺っています。(2011年国民文化祭、京都:宮内庁ウエッブより)

「海を越えて渡来する文化を取り入れながら」という文言は、文化的な多様性を肯定するかのようにみせながら、むしろ「日本文化」が様々な文化を同化させてきた優位的な位置にあることを評価している。上にあるように何度も「こころ」という言葉を使い「日本人の精神性」という表現すら用いている。皇室が「日本人の精神性」に言及したことはほとんどない。宮内庁のウエッブでみるかぎりこの一箇所だけだ。「物」を介した文化から人間の感性や心情に直接関わる文化領域へと踏み込んでいる。この言葉から戦前の「日本精神」を連想するのは過剰反応と思う一方で、かといって全く無関係と言いきれるかどうかは、この言葉が受け手によってどのように解釈されるのかによるだろう。今の日本には「日本精神」を許容する危うさがあるように思えてならない。

あるいは次のような徳仁の「伝統」という言葉の使い方にもレイシズムが隠されている。

現在の世界の水問題は、大変厳しい状況にあります。その解決は、世界の喫緊の課題であり、国際社会が一致し て、強固な連携を図りつつ、ことに当たることの重要さは今更言うまでもありません。しかし、その解決策は、その地方、その河川流域ごとに異なるはずです。その地域の先人達が、場合によっては数千年の歴史をかけて、営々として築きあげてきた流れにそって構築されるべきものでありましょう。それぞれの地域の歴史の流れと伝統が尊重されなければ、本当に地域に役立つものとはならないはずです。(第4回世界水フォ-ラム全体会合基調講演:宮内庁ウエッブより)

ここでは、ある地域に数千年の単位で生活してきた人々による「伝統」に注目している。言いかえれば、その地域に新たに居住するようになった人々を言外に伝統から逸脱する人々であり、 水問題の解決の主体になりえないかのような印象を人々に与えている。天皇や皇室が繰り返し口にする「お言葉」は、ほとんどの「日本人」にとって違和感のない、むしろ退屈ですらある「常識」の類いであることが多い。しかし、こうした日本の「伝統」や「文化」の言説がレイシズムを支える大衆意識の基層を構成してきた。

3 グローバル化する極右と天皇制

冷戦終結以降、世界規模で目立つ政治的な動きは、民衆の反グローバリゼーション運動が明確なオルタナティブを社会主義として掲げなくなるなかで、新自由主義グローバリゼーションを左翼とはある意味で真逆のベクトルで批判する極右の台頭である。明らかに左翼の衰退の隙をついて極右が政治的影響力を強めてきているのだ。

極右は、経済のグローバリゼーションを「マクドナルド化」にみられるような画一的な消費文化、格差、貧困、移民の流入によるコミュニティ固有の価値の破壊として批判し、テロリズムや法制度を通じた移民排斥を実現しようとする。人々は自分が生まれ育った場所で、その場所の文化や伝統を重んじながら暮すことが最も幸福なありかただとし、市場経済競争よりも、文化や伝統に依拠した民族的アイデンティティの再構築を通じたコミュニティの再建を主張する。近代科学技術を環境破壊の元凶とみなして伝統文化のなかに解決を探そうとする。リベラリズムと民主主義を敵視し、家父長制家族制や権威主義を肯定する。米国の福音主義がある一方で、ヨーロッパの極右の一部には近代世界に加担したキリスト教を否定し、キリスト以前へのヨーロッパの古層への回帰、ヨーロッパの原型を北欧やアラブ、インドなど非西欧文化や宗教に求める異教主義的な傾向もある。

「文化」が伝統主義や極右の政治運動と結びついて運動の駆動力として復興しつつあるとき、日本では、裕仁から明仁への代替わりが重なった。グローバルな極右の台頭のなかで、象徴天皇制が世界各地の資本主義延命の文化運動とシンクロしはじめていることに注目したい。天皇制の構造は、見掛けと違って日本に固有とはいえない側面がある。神話や伝統への回帰を武器にするレイシズムと闘う世界の運動と日本の反天皇制運動とが共通の課題を見出すことは難しくなくなっている。むしろ連帯の可能性が拡がっている。このことは、伝統主義と闘う左翼の運動にとって大きな希望だと思う。

出典:『反天皇制運動Alert』44号

【案内】「代替わり」に露出した「天皇神話」を撃つ! 2・11反「紀元節」行動

まずは、神話上の建国の日とされる2.11 反「紀元節」行動へぜひご参加下さい。

 

講 師 小倉利丸 さん(批評家)
[日 時] 2月11 日(火・休) 13:15 開場(13:30 開始)
[会 場] 文京シビックセンター区民会議室・4Fホール(地下鉄後楽園駅・春日駅)

*集会後デモやるよ!

主催 ●「代替わり」に露出した「天皇神話」を撃つ! 2.11 反「紀元節」行動