天皇表現の検閲を許すな

1986年3月に、富山県立近代美術館で「86富山の美術」という美術展が開催された。この美術展に大浦信行氏が「遠近を抱えて」と題された10点の連作版画を出品した。この作品はレオナルド・ダビンチや光琳などの作品と人間の骸骨や内臓、あるいはマンダラをどを組み合わせたものなのだが、この作品の特徴はどの作品にも昭和天皇の写真が用いられているところにある。作者は、この作品によって、狭い意味での政治的を天皇批判を意図していたわけではなかった。しかし、作者が「結果として、その中に、声を大にして天皇批判を全面に押し出す以上に痛烈な多様性を持った天皇批判を内蔵し、人々のとまどいと再考をうながす要素をもたまた同時に合わせ持っていることは当然の帰結です」(「ニューヨークの織物」、『頚廃芸術の夜明け』所収))と述べているように、この作品は天皇にたいする多様な解釈の余地を許すものだ。しかし、この作品は保守的な県議会議員たち——そのなかには自民党議員ばかりか一部の社会党議員も含まれるが——によって議会でヤリ玉にあげられた。既に展覧会もとっくに終わってしまった八十六年六月に教育警務常任委員会で、さらに七月には本会議で繰り返し批判にさらされた。(詳しくは本誌の資料として掲載した議事録参照)さらに、この作品は天皇に対する不快な表現であると解釈され、右翼の攻撃的な非難も浴びた。こうした一連の動きの結果、美術館はこの作品を「美術資料」という名目で非公開にしてしまった。そして同時に、この作品が収録されている図録『86富山の美術』も販売禁止にされた。更にこの措置は県立図書館にまで波及し、図書館に所蔵されている図録も閲覧、貸し出しが全面的に禁止されてしまった。県教育委員会は宮内庁にも出向き、事態を説明したりしており、事態の決着が単に、県レベルだけで決められたものではないようだ。

この問題に対しては、行政にたいして、非公開の不当性を訴えて、審査請求を出したり異議申し立てを行うなど法的な抗議の手段をとっているが、私たちの主張は受け容れられていない。しかも、それだけでなく、この問題で情報公開条例を利用して公文書を請求したり、あるいは美術資料としての大浦作品を「公文書」として開示請求するなどの市民の側の動きに対して、県当局は公務員の守秘義務を遵守せず、こうした動きをした市民の勤め先の上司にそうしたことをしないようにといった脅しをかけたりしている。(この件についても資料を参照のこと)また、美術館や図書館は市民たちの直接交渉の要求に対しても、「審査請求や異議申し立てによって上級庁が検討しているので、直接会って話をすることは出来ない」とか、話し合いをするための条件として、異議申し立てなどを取り下げるように要求したり、私たちの法的な権利を逆手に利用する枝滑な態度にでている。

この問題は、現在の日本において未だに天皇はある種の「聖域」鐙なしているということを示している。それは、公然とした権力の弾圧という姿を取るというよりも行政による自己規制や配慮としてなされており、この暗黙の抑圧を受け入れる社会的な雰囲気がこれを支えている。事実、この事件の発端を報道したマスメディアは、議会の批判が重大な表現行為に対する干渉であり、抑圧となるということを見落し、むしろ、議会の論調に乗るような記事をセンセーショナルに載せた。戦後、天皇は、戦争責任を免れ、「日本国民統合の象徴」として生き延びた。アカデミズムによる天皇制批判はある程度の自由を得たが、その象徴性を文化的に無化するような、また大衆の意識を揺さぶるような、さかしまな笑いや踏みにじりは、未だに自由の領域を獲得できていない。今回の大浦作品はそれほどの過激さを持つとは言えないにもかかわらず、最大限の抑圧をうけたわけであって、ここにXデーIを控えた日本のうすら寒い現実がある。

私たちは、こうした富山の状況にたいして、十月一日に図書館、美術館へ直接交渉を試みるとともに、二日には集会を計画している.(詳しくは案内参照)

(この原稿は映画『母たち』の英文パンフに寄稿したものに若干の加筆をしたものです。〉

出典:国家秘密法に反対する市民のWA!機関誌(●年)