新たな都市プロレタリア像へ、主体=階級概念の変容と社会運動

現代資本主義の変容と新たな社会運動

変革の主体という意味での「主体」が見えにくくなってきている、ということがよく言われる。これは、本当に主体が喪失されてしまったということなのではなく、私たちが既成概念として持っている「主体」という概念の枠組におさまりきれなかったり、そうした枠組とは別の領域に変革の主体が転移しているとみた方がよい。こうした変革主体の転移は、階級闘争のなかで資本主義の体制が構築してきた支配の制度に対応したプロレタリアートの側の即自的な対応であるといえる。しかし、ここで最も深刻な問題は、こうした階級闘争の帰結として展開された新たな社会運動の領域と主体のあり様を捉える理論も、運動論もまだきちんとした形では提起されていないのではないか、という点にある。”都市とプロレタリアート”というテーマの設定は、実はこの点に関わって重要な問題を提起することになるが、この問題に入る前に、従来の現代資本主義論の枠組みについてごく簡単に問題点を述べておく。そして、この問題点に触れるなかから新たな変革主体の問題を考えてゆくことにしたい。

従来の現代資本主義論の枠組というのは、大ざっぱに言えば、重化学工業を中心とする産業、いわば基幹産業に正規に雇用された成人男性労働者を典型的な労働者——変革主体——のモデルに据え、資本と賃労働の階級関係を軸としたものであった。完全雇用を掲げるケインズ主義もそれを国家独占資本主義の視角から批判する様々なマルクス(主義)経済学もともに大枠としてはこの図式にのっている。しかし、七○年代前半の石油危機以降、この重化学工業中心の産業構造が成り立ちえなくなった。労働者の階級構成がそれ以降大きな変動を遂げる。いわゆるソフト化、サービス化、あるいはME化によって、生産の現場が自動化されて生産の現場から労働人口が排除され、労働者の主流が第三次産業にシフトし、完全雇用政策にかえて失業を前提とした労働者に対する社会管理的政策がとられるようになる。国際的にも、従来の帝国主義諸国対低開発諸国という世界システムに加えて、NICSの登場、「先進国」間貿易摩擦、といった新たな要素が加わってきた。そして、日本でも、欧米諸国ほどではないにしても、外国人労働者が、新たなプロレタリアートの一部分を構成する様になってきた。

こうした現代資本主義の変容——それを私は”ポスト国家独占資本主義”と呼んだことがあるが(拙著『ネットワーク支配解体ん戦略』、影書房参照)——のなかでも、資本主義である以上確保されねばならない基本的な条件がある。それは、〈労働力〉の商品化である。しかし、現代資本主義のなかでは、〈労働力〉商品の量的確保以上に、その質的確保が主要な課題となる。この”質″の問題は、従来のマルクス経済学では極めて軽視されてきた。『経済原論』と銘打ったテキストのどれを見ても、労働需給の逼迫や労働力不足の問題は、単なる量としての〈労働力〉不足しか意味していない。ところが、現実に起きている労働者と資本家との対抗関係や、いわゆる資本過剰(労働者の数に比べて稼動生産手段の規模が大きくなりすぎ、〈労働力〉不足という現象が生ずる状態)の中で見られる状況というのは、単なる量問題ではなく、質の問題、換言すれば労働意欲あるいは労働「能力」の問題としてあらわれてくる。六○年代末から七○年代にかけて、欧米の労働運動——そして都市での闘争——の重要なモチーフが、労働者自身が自らの〈労働力〉の発揮を抑えること、「労働の拒否」によるオルタナティヴな生活観、世界観の創造であった。資本過剰という状況の背後には、労働に背を向けるプロレタリアートや労働者たちの欲求の発露があったことを見落すことはできない.こうした状況を念頭におくならば、——あるいは、二十世紀初頭のアメリカ資本主義が対応を迫られた非英語圏からの移民労働者の”アメリカ化”を思い浮かべてもよい——資本‐賃労働の工場内の問題の軸は、〈労働力〉の発揮、労働意欲や労働倫理の維持、普及に関わり、それは当然にも工場外の日常生活のあり方をもまきこんで、〈労働力〉再生産領域の問題として問題を再設定しなければならないところへ行きつく。

この〈労働力〉再生産領域は、制度的なところで言えば、家族、教育、福祉、医療などであり、それらが配置されるのが、都市的な空間である。二〇世紀の資本が、ケインズ主義的な福祉国家という戦略のなかで、この生活=都市空間を資本蓄積の不可欠な領域とするのである。もちろん、資本主義の成立以来、これらは不可欠なものとして配置されてきたが、誰の目にもはっきりと見えるように制度化され、”市民”の権利と関わりをもつようになるのは戦後のことであるといってよい。

しかし、七○年代以降、ケインズ主義=福祉国家の戦略を支える財政的な基盤が崩壊し、カネで労働者を買収できなくなる。逆に、非貨幣的な包摂が不可欠な状況になってきている。一方で、デレギュレーション状況が進み、他方で、ネオコーポラテイズム状況がみられるということのなかには、こうした戦略的転換を迫られた資本主義の現地点がある。

こうした客観的な状況の変化に伴って、従来の労働運動や既成(新)左翼政党に指導される大衆運動という構図にかえて、いわば社会運動とでも言うべき運動のあり方が出現してきた。しかしこう言ったからといって、社会運動が政治運動から明確に区別された独自の領域を占めるというものではなく、社会運動は従来の政治運動が取り組めなかったにもかかわらず、資本と国家が戦略的に〈労働力〉商品化の維持に関わって制度化、組織化してきた領域をむしろ真正面に据えた。反公害、反開発の闘争、女性、「障害者」、少数民族、被差別部落の人々による解放運動から様々な草の根の運動まで、あるいはもっと広い視点にたてば、人間と人間の関係を従来の関係とは異ったものへと変えていく行為のすべてが、何らかの意味で社会運動と呼びうるものである。こうした視点から、更には「運動」を組織された目的意識的な闘争ばかりでなく、即自的な欲求の解放や抑圧に対する拒否——登校拒否、アブセンティイズムなどから、薬物中毒、キッチンドリンカー、更には自殺まで——を、「運動」の文脈で捉え返す方法を私たちが持てなければ、プロレタリアートの実相に即して、「運動」を語ることも生み出すこともできない。

構造概念としての”階級”

上に列記した即自的な異議申し立てともいうべき行為は、資本主義的な人間関係の規範的な枠を、即自的に逸脱してゆくものだと捉えることができる。狭い政治運動の認識では、”政治的”反体制に優越的な地位を与えるが、政治がまさにミクロポリティクスとして、諸個人の身体性の深部にまで食い入っている現状のなかでは、非政治的な行為さえ政治の回路を有している。一般「刑事犯」の「犯罪」者と政治犯は、裁判制度や監獄という空間のなかで、権力によって拘束され処罰される環境を共有するだけでなく、階級や搾取、富と貧困、抑圧的な家族関係、男性優位の暴力を是認する社会通念などの社会的諸構造やイデオロギー装置と不可分ななかで生み出されるという意味で、明瞭な差別を設定できない。つまり、資本主義が枠づける役割行動——学校では勉強し、会社では働き、家庭では女は家事育児といった役割に期待された行動——を壊してゆく運動、壊すことの欲求につき動かされた身体の運動として、社会運動をみてゆくことが必要なのではないかと思う。しかも現実に、資本主義を支える役割のあり様やそれを枠づけるために機能している諸制度は、常にそこから逸脱する諸個人(集団)によって脅やかされる。古典的な資本主義の時代には、この逸脱はまさに賃金労働者の役割それ自体にみられたが、労働基本権の法認、普通選挙権の確立、福祉・社会保障の制度化のなかで、賃金労働者という役割は、逸脱の余地のないほどに拘束され、多様な諸制度のよろいによってがんじがらめにされてきた。それは、裏面からみれば、賃金労働者となることが、資本主義のなかで最も安定した生活の方法であることを意味している。こうして、資本‐賃労働の相互依存関係のなかで、組織され制度の枠にはめこまれた賃金労働者は、ある種の階級的な腐敗と紙一重——あるいは腐敗そのものへと——陥ってゆく。これに対して労働の拒否を掲げることや、失業者たちがオルタナティブな都市の闘争を展開しはじめること、更には、先にみたような様々な逸脱行動は、こうした労働倫理に縛られ、資本に身も心も売りとばしてしまった労働者階級本隊に対する階級内部の自浄作用であるとみることもできる。

ここでも、賃労働であれシャドウワークであれ、資本の価値増殖に寄与せざるをえない労働や「労働する身体」を、いかにして裏切ってゆくかが重要なポイントになる。それは、資本や国家が繰り返し与える”労働の意味”と——場合によっては環境汚染、労働災害、精神病などのような”労働に基づく犯罪”——訣別する闘いをどのように構築できるかという問題とも関わってくる。この問題はある意味で極めてエコロジカルであり、またフェミニズムの問題提起とも重なるが、同時にマルクス主義が定位すべき基本的な原則をも提起する。その際マルクス主義にとって、労働論のコペルニクス的転回——「労働の拒否」論への転回——と同時に、階級概念をも根本的に再検討することが何よりも重要な課題となるはずだ。

従来のマルクス主義によれば、階級は属人概念であった。そして主流の社会科学においても同様に、階級とは「人口」によって構成される概念であった。賃金労働者であるということは、その人の全体が労働者階級に帰属してゆくことを自動的に意味した。しかし、労働者といっても、家庭では父親であったり夫であったりするとか、通勤途上では通行人であり、買い物の際には消費者と呼ばれ、テレビを見ているときには視聴者になり、病院へ行けば患者とみなされる。『資本論』的な世界がモデルとする労働者像のなかには、こうした残余の部分や、この残余の部分に関わって生ずる人間関係は捨象されてしまう。しかしそうした部分を含めた全体が賃労働者をとり囲んでいるのである。つまり、労働者が〈労働力〉となって、生産手段に接続され、資本の生産力となって価値を形成・増殖させてゆくということ、このことは自立した過程ではないということである。

この様に考えたとき、従来の階級概念が当然のこととしていた階級=属人概念という前提は捨てねばならない。むしろ階級とは、価値増殖システムにおける〈労働力〉商品の資本との関係という局面で資本主義を切り取ったばあいの構造なのだ。そして、この構造を横断し、この構造の維持・補完・動揺、崩壊に関わる役割—脱役割の総合的存在として諸個人が存在する。社会運動が固有名詞をもった諸個人の運動である限り、逸脱する身体性に依拠する以外にない。階級闘争とは、複合的な役割の集合的身体——それは究極的に「労働する身体」となるよう強制されるのだが——の逸脱した欲求の部分に依拠して、価値増殖の構造を揺るがし、解体へ追い込む闘争である以外にない。こうした闘争に勝利することは、”労働者階級の解放”というだけでは決定的に不十分であり、「労働する身体」からの解放であり、行為の意味と具体性が身体の欲求と接合することである、とさし当り言っておこう。

都市をめぐる階級闘争

右の様な見取り図をより具体的なところで論ずるときに、「都市」という空間は極めて重要な意味をもつ。「都市」とそこにおける闘争、そして変革の主体という問題にもう少し焦点を絞るために、ここでは若干のイタリアの都市社会学の議論を参照しつつ、論点を整理してみたい。

周知の様に、「都市」という空間が社会のシステムの中核となったのは資本主義の成立と工業化社会の到来によるものであった。大規模な工場の建設と労働者の集中が、工業都市という最も典型的な近代都市を形成した。更に農村から都市へと集中した工場労働者の日常生活を支えるために、パン屋、大工、仕立屋などの様々な生活関連の職業が配置されるようになる。こうして都市は同時に労働者のための消費市場としての性格をもち、更にこの集中した人口を管理するための様々な行政的な権力機関の集中、情報の集中と撒布という機能をもつようになる。しかし、こうした機能と人口の集中は地価と地代の高騰を招き、逆に、工場の都市郊外への分散化と、都市内部の貧富の差、民族間の差別などのヒエラルキーに応じての分化とゲットー化が進む。こうした都市の変容は、産業構造の変容と密接に関わるとともに、〈労働力〉政策のあり方とも関わる。都市的空間は、この〈労働力〉の生産と消費が展開される空間である以上、この空間を管理し規制する国家や資本の空間をめぐる戦略問題ぬきには資本主義批判を論ずることはできないハズなのである。しかし、必ずしもマルクス主義はこの面で十分な理論的作業を遂行してきたとは言い難い。例えばボッフィ=コフィーニ=ジャサンティは次の様に「古典的マルキスト」を批判している。

「古典的マルキストたちの住民l地域の関係への無関心さは産業革命の時代、資本主義組織発生の時代の生産関係の発展に完全に対応するものであった。資本が工場すなわち生産過程の拠点を組織しつつあったとき、資本は生産に間接的にしか関係しない都市、他の構成物、経済社会体制を全面的アナーキーの状態に見捨ててしまったのである。このために長期間都市の発展はただ資本主義利潤の選択によってだけでなく、寄生的地代、投機現象からも規定されることになった。そして家屋、工場民人間の集団は資本主義の論理にうまく噛みあわないで終った。(略)今日独占的、帝国主義的段階では、かって工場を合理化した資本がいま都市組織を生産関係の完全な発展に役立たせるために再組織化している。したがって都市計画について、都市の合理化について語られているときに、収奪について語られるのは偶然ではない。だがマルキスト達の考える意味での収奪について語られるためには、次のことが必要である。.すなわち都市は生産手段であること、そして資本家は地域の資本主義的使用によって、商品や貨幣の形で支払われない労働を、企業利潤や地代の結果として我がものにすることである」(M・ボッフィ、G・ベルゴラほか『現代都市論』、山田操編訳、恒星社厚生閣、三三—四ページ)

十九世紀の資本主義における主要な矛盾が、文字通り工場内部の資本家と労働者の関係に凝縮されていたが故に、「古典的マルキスト」たちは、都市への関心をことさらには抱かなかったのか、それとも現代と同様に存在したハズの都市空間のもつ資本蓄積に果す欠くべからざる価値増殖上の機能に気づかなかったということなのか、私には確信をもって判断できる材料はないが、後知恵と言われるかも知れないことを承知で言えば、やはり後者の見方に分がある様に思えてならない。もちろんエンゲルスの『住宅問題』はこの分野の古典としての地位を得ていることは周知のところであるし、また『イギリスにおける労働者階級の状態』でも「大都市」に関する詳細な記述があることも事実である。マルクスのパリ・コミューン論も都市闘争論として読めるのだが、しかしこうした現状分析的な記述が理論作業に媒介されたとは言い難い。狭く暗く、汚水や汚物が溜まり悪臭を放つ住居環境や、腐りかけた食べ物を売る裏通りの市場、汚染された大気、伝染病と高率の乳幼児死亡率、そして労働者じしんの短命化などの描写につづけて、「古典的マルキスト」は、こうした劣悪な生活状態の根源を、飢餓的な水準に賃金を抑えこもうとするブルジョワジーの姿勢に求める。資本—賃労働の搾取関係に一切の矛盾の根源を見ようとする。だから、工場での階級闘争こそがこの貧困からの解放の唯一の道とみなされる。この認識は一面において全く正しい。しかし、これは明らかに労働に富の根源をみる古典派経済学の枠組みが階級的搾取論に組み替えられつつも維持されたために、非労働領域にある都市空間やそこにおける人間関係も捨象されてしまったのだ、といえる。だから市場のシステムも極めて理念的な自由・平等・ベンサムの領域として描かれ、市場システムに隠された労働者からの搾取の仕組みは軽視され、家族における男と女、大人と子供、病者と健常者といった様々な差異を苧んだ非賃労働領域も、理論的な問題関心からは欠落させられてしまった。

だから、先の引用文中にもあったように、ポッフィ=コフィニ=ジャサンティが、「古典的マルキスト」に異論をさしはさんで、都市を「生産手段」とみる立場をとったことは、重要な意味をもつ。これは都市を社会的工場とみる認識であり、七○年代のイタリアのネオ・マルクス主義のすぐれた問題提起だった。この点をフェラロッティはもっと明確に次の様に述べている。

「(略)都市はすでに社会的な工場と考えることができる。工場での疎外された労働に、略奪的で投機的な都市が結びつく。都市的生活様式は、労働者がさらされている収奪過程を完成に導き、それを仕上げる。(略)工場での賃金や労働条件を通じて労働者から搾取できないものが、家賃を通じて、食料品の値段を通じて、さらにもっとわかりにくく論計にたけたやり方では、〈余暇〉利用へ娯楽、映画、テレヴィジョンを通じて、そしてあらゆる消費手段、とりわけ〈使い捨てのきく〉手段を通じて、うばわれるのである」(ブランコ・フェラロッティ『オルターナテイヴ社会学』古城利明訳、合同出版、一五五ページ)

ここに述べられていることは、労働運動として工場内の搾取に対する労働者の側の対抗関係が制度的に確立させられてきたことに対して、工場内で譲歩せざるをえなかった分を”再生産”領域で取り返す巧妙な装置が、都市には仕掛けられているということを示している。と同時にこの仕掛けに気づき、工場での闘争が単なる賃金を対象とするものではなく、労働時間の短縮(労働の拒否)や生活の質をも問題化するとき、闘争は工場から都市の闘争へと展開する可能性をもつことになる。そしてこうした展開をみるさいに、多くの「先進国」でみられる都市の闘争の基軸は、住宅(家賃)の問題である。これは利潤と地代に対する闘争を交差させることと同時に工場と社会を媒介する情報の回路、運動の回路が形成されねばならないことを示している。

アウトノミア運動の経験

イタリアのアウトノミア運動のなかで、住宅占拠は重要な意味をもった。第一に、南部からの移民労働者の住民が決定的に不足していたこと。その背景には南部出身者への差別があり、単なる物的なスペースの不足問題ではなかった。彼らの中には駅に寝泊りしたり、郊外で野宿する者もいた。第二に、住宅不足を尻目に投機目的で高級マンションが買い占められるなど住宅が本来の使用価値とは無関係な価値増殖手段となっていること、これらに対して、南部の移民労働者や失業者たちによる住宅占拠の闘争が展開された。また、アメリカの場合も、住宅占拠の闘争は、失業者やオルタナティヴな生活様式を求める若いプロレタリアートたちによって展開された(アメリカについては、拙稿「アメリカの住宅占拠運動」『群居』一二号、一九八六年参照)・いずれも最終的には警察権力との対時を招き、暴力的に排除され、弾圧されるということを繰り返してゆく。しかし、こうした暴力的な弾圧にもかかわらず、住宅占拠運動や家賃不払いのストライキといった運動がコミュニティに基礎をおいて展開されていることのなかには、都市という空間に凝縮された階級構造の断層の露出を見ることができる。ニューヨークのサウスプロンクスの荒廃して見棄てられた建築群や、ローアイーストサイドの朽ち果てたビルなど、人の住まない(住めない)建物が無数放置され、低所得者の住人を追い出すために、〃不審火“が、ひんぱんに起き、他方で、ホームレスピープルが万単位で街頭に放り出されたままでいるという風景は、空間や住宅が何のために、誰のために存在するかを実感的に教えてくれる。

住宅占拠にせよ家賃不払のストライキにせよ、これらを組織できるのはコミュニティで日常生活を営む人々である。女性や失業者、学生たちが、工場へ出かけてしまった男たちにかわって、コミュニティレベルの運動の重要な担い手となる。彼らは、このコミュニティで、別の回路で実質的な賃上げ闘争と、資本の搾取の回路を断ち切る闘争を展開する。

『世界』七九年十一月号で、マルセル・パドヴァーニが、イタリアの若者について短いが興味深いエッセイを寄せている。左翼系日刊紙『ロッタ・コンティヌア』を読む以外はほとんど読書をせず、定職にもつかないアントニオという二三歳の若者にみられる労働(勉強も含む)の拒否のライフスタイルを紹介しながら、資本の準備する正規の賃労働に依存せず、かといって失業に対して伝統的なスタイルで労働の権利を主張するわけでもないというあり方が、五○年代の若者と大きく異なるという。そして、更に生活手段の獲得について次の様な「方法」を紹介している。

「さらに予備的な生活手段として”無産者階級の消費”という方法がある。商品のショーウインドーをこわして中身をかっさらう。スパーマーケットの中でいくつかのグループに分かれ、ワゴンが商品で一杯になったら、金を払わずに、一斉にレジを通過する。このような営みにかなめは理論的背景があり、称して〃自立主義″の要たる”必要のテーマ研究”という。各人は自己の必要を正しく評価し、これを満足させるよう努力しなければならない。たとえそのために、社会もしくはその構成員と利害の対立を生じるとしても、である。ここではじめて力の闘争が起きる。しかし一部の若者は、自分たちに与えられた将来の展望に反感を抱き、あるいは絶望を覚えて、むしろ若き失業者の”徒党”を編成することを選ぶ。彼らは土地を占拠し”文化的共同組合”を標傍する」(工藤庸子訳)

ここには、スーパーマーケットでの代金踏み倒しの「運動」が描かれているが、その他には交通料金の不払いなどの運動が結びつき、それらが住宅闘争に連動してゆく。右のエッセイからはそうした都市闘争の雰囲気が伝わってくる。こうして、都市に配置された様々な資本の搾取にネットワークが喰い破られてゆくことになる。

同時に、工場‐街頭‐家族空間を媒介するマスメディアが重要な役割を果たすようになることによって、運動はまさに社会的工場としての拡がりをもつことになる。アウトノミア運動のなかでボローニャのラジオ・アリチェの果たした役割りはこのことを示している。(ラジオ・アリチェ二ついては、粉川哲夫『これが自由ラジオだ』晶文社、フェリックス・ガタリ『分子革命』法政大学出版局を是非参照してほしい)。

イタリアの都市闘争に関して、ペルゴラは『都市の権利と都市闘争』のなかで、幾つかの「最も普及した組織形態』を列挙している。幾つかの重要なものを拾ってみると、アパートの代表者によって選出される組織を創って、闘争を自己管理すること、この闘争形態を工場などへの拡げること、反対運動の最初の段階としての家賃不払ストとその家賃部分の逃走資金としての積み立て、空き家占拠、地区住民による都市施設管理などが挙げられている(前掲『現代都市論』所収、二四二~三頁参照)。

これらの都市への権利の自立した奪回闘争は、都市が〈労働力〉商品の再生産領域であり、その消費Ⅱ価値増殖と有機的な連関構造をもつなかで、ひとりの人間としては、諸々の役割行為の複合体へと分断され、自己自身の身体の内部においても、他者との関係においても相互に分裂と隔離を強いられているという現実に対する、トータルな異議申し立てである。

ミクロ・ファシズムとの闘争

実は、右にみた都市社会学による新たな都市論や都市闘争についての分析は、本稿の最初の節で述べたプロレタリアートの内的な構成をふまえると、なお不十分である。プロレタリアートの多様性が捉えきれていないし、逸脱する身体性に照準が当てられているとも必ずしもいえない。この点では、やはり右の諸著作が書かれたのとほぼ同時代の作品であるフェリックス・ガタリの『分子革命』の視点の方にずっと都市闘争にかくされたリアリティが描かれていると思う。ガタリはフロイトーラカン派の精神分析に対して反精神分析と反精神医療のラディカルな運動を展開してきたという経験と、イタリアのアウトノミア運動に関わったこととによって、変革の主体を見る視座が、一方での都市空間を横断する多様な被搾取者層11賃労働者、失業者、女性などなどlに置かれるばかりか、他方で精神病者犯罪者などのように従来は全く解放の主体には位置づけられなかった人々をも視野に入れた解放のあり様を模索する。ガタリによればこうした位置をとる理由は、資本主義による搾取が、賃金労働者の肉体労働能力に対するものから「彼らの適応力、技術総体、記号システム、労働の組織様式(略)といったようなものに従属する能力の方を搾取の対象とするように変化してきた」(杉村昌昭訳、九八頁)ことによる。換言すれば労働者の主要な労働のあり方が、物的生産からサービスや情報の生産、あるいは管理・教育的労働となるに従って、ヨリ一層人間の意識、心理、欲求を操作し(また操作される)ものとなってきたということを示している。だから、「身体、器官、機能、態度、個人間の関係などを支配的システムに従属させる」ために、相互監視と自己監視が不可欠となるとして次の様に述べている。

 「しかしこの同じ目的を達成するために補足的な迂回路の設定が必要となり、各個入の欲望や無意識の性、夢想、希望などへの権力の干渉が強まってきてもいる。かくして、いまや、統制は《あからさまな》監視システムや公的に組織された正常化施設への諸個人の直接的服従というよりも、無数に存在する多少とも私的な制度的操作主体(オペラトウール—ルビ)、スポーツ、組合、文化等あらゆる種類の団体、隣近所の集り(コミュニティ・グループ—ルビ)さらには若者グループ、宗教集団などへの帰属というかたちを通しておこなわれている」(前掲、九八頁)。

あくまでも問題の焦点は、”諸個人”にある。もっといえば、その諸個人を資本主義の欲望モデルにあわせて型どりし、「生産者Ⅱ消費者としての一定の型の個人を造形していくもの」(前掲、四四頁)なのである以上、こうした型からの逸脱《非(反)資本主義的な欲求の醸成は、重要な”戦線”を構成する。山猫スト、自主管理運動、移民労働者の闘争といった”戦線”に加えてガタリが「学校・牢獄・精神病院などの叛乱、性的自由への闘争」(前掲)を並列して挙げているのはこのことによる。したがって、既成の左翼のように「国有化企業を四十にするか六十七にするか決めてみたところで、事態は何ひとつ変わるものではない」(前掲一四四頁)のであり、「活動家たちは相変わらずブルジョア道徳の多くの偏見にとらわれ、また欲望に対する抑圧的な姿勢をひきずりつづけている」ということじたいが解決されるべき問題なのであり、「闘争はわれわれ自身の隊列のなかで、われわれ自身の内なる警察を相手に遂・行されねばならない」(前掲、二二頁)ということになる。だからガタリにとってオイディプスの三角形を破砕し、身体に喰い込むミクロ・ファシズムと闘うことと、マクロな政治的・社会的な変革は不可分な課題、ひとつのものなのである。

 「問題は何をもって革命とみなすか(1)という一点にかかわる。革命とはいっさいの、疎外関極叩11労働者にのしかかるものだけでなく、女や子供や性的少数者などにのしかかるもの、また異形の感性にもあるいは音や色彩や思想の好みにものしかかるものなどすべてひっくるめてIを断ち切ることをさしていうのか否か、という問題である。いかなる領域においても、革命というものはまずもって欲望のエネルギーの解放があって可能となる。そして既存の成層状分化を貫通する連鎖反応だけが、現在の社会をしばりつけている権力構成体の再検討をおこなう不可逆の過程の速度をはやめることができるのだ」(前掲、二五二頁)。

ガタリが語った革命のイメージは、現在でもその有効性を失っていないが、.しかし、ガタリが大きく影響されたイタリアのアウトノミアの運動は七九年の大弾圧によって敗北を強いられた。そして、こうした七○年代の都市の闘争がなぜ敗北したのか、ということを総括せねばならない位置に私たちはいる。運動の敗北は決してきれい事では済まない問題をはらんでいる。しかも、「草の根」とか「社会運動」といったイメージが生み出すある種の平和主義的な運動のスタイルとは無関係に、権力の弾圧は常に必ず暴力的であるということ、従ってこの権力の暴力という壁を打ち破るためにはどのようにプロレタリアートが自らの身体性を武器にできるかをいつか必ず真正面から問題にしない訳にはいかない時点が来る。ガタリが、アウトノミアの運動に関わった「圧倒的多数の青年は明らかに〔赤い旅団などによる〕個人襲撃を承認していない」「にもかかわらず彼らはそのような活動家たちも《運動》の一部をなすものだとみなしているのだ。そして個人襲撃というような型の実践をきっぱり否認しつつも、《運動》がこれらの活動家の決断に無関心ではなく、また弾圧を前にして彼らとの連帯を解くつもりもないのは明らかである」(前掲、一三六頁)と述べているが、これは大変重要な正しい考え方である。七九年の大弾圧が、自白、転向した「テロリスト」の罪を問わないという権力側のやり方によって、自白をもとに大量の人々が逮捕され、また大量の転向者を生み出したように、権力はこの”連帯”を切断しようとする。 たとえ武装闘争や非合法の闘争を自らの主体的な戦術としては否定するとしても、そうした闘争との関わりがどうあるべきかを、権力の弾圧は常に私たちに迫る。誰と誰がどのような関係にあるのか、”過激派””テロリスト”とは誰のことなのか、といったことを決定する権限は私たちにではなく、権力者の手にあるということを軽視してはならないだろう。日本でも昨年暮れから今年初めにかけての百数十カ所にわたる家宅捜索が、日本赤軍の丸岡。泉水両氏の旅券法違反を口実に行なわれたという権力の方法のなかには、彼らが草の根の運動を”テロリスト”にカテゴリー化する策略を見てとることができるが、”我々は彼らと無関係”だという主張は、”彼ら”への弾圧を強め、”我々”へのフレームアップを強めるだけである。

“部分的プロレタリアート”を媒介する回路

最後に都市それ自体が、大衆運動を常に分断解体する計画化によって変化を遂げてきたことに触れておきたい。工業都市と労働者の居住区が、幹線道路の建設や都市計画によって解体され、外側にその機能が分散化されてきた。職場と住宅地域が分離され、工場相互の関係も地理的に分断されてゆく。労働運動と居住地域の運動を共振させられない構造が生み出されてくる。こうした傾向は更に情報テクノロジーの進展とともに進み、地理的な空間は、デジタル化される。例えば五○○キロ離れた本社—工場間が光ファイバーや通信衛星で結ばれ、リアルタイムのコミュニケーションが可能な一方で、五○○キロの距離をコミュニケートする労働者たちの方は何十倍もの時間とコストを要することになる。マスメディアが、居住地域と職場を同時に覆う一方で、労働者たちのメディア(機関誌、ビラなど)は、半日から一日以上のタイムラグを余儀なくされる。運動の情報回路の能力に応じて描かれる地図と、ハイテックな情報回路をもつ資本や国家によって描かれる地図は大きなズレを生んでいる。この資本や国家によるデジタル化された地図は、くり返しアナログ地図上を移動する運動の流れを寸断し、だし抜いてゆく。革命が欲求の解放と不可分であるように、資本主義も繰り返し欲求や快楽を制度の枠のなかに放散しようとする。娯楽、スポーツ、ポルノグラフィ、そして繰り返し更新される「富かな生活」「家族団らん」が、労働する身体へと欲求や快楽をねじ曲げてゆく。だから私たちは、素朴に自らの欲求や実感を信頼する訳にはいかない。そこにも、思いがけい罵が待ち構えているかもしれないからだ。 都市という空間は、こうした罵に満ちた世界であり、私たちは私たちの身体をあたかも「モノ」の様に操り、眺める。雑踏を行きかう人々を私たちは人格をもつ個人としてではなく動く物体として感知し、接触しないように自分の身体を操作してゆく、コミュニケーションの回路は閉じられ、頭の中には、目前の風景とは別のもの——これから行く場所、会う人のこと、仕事のこと、などなど——が描き出されている。この閉じられたコミュニケーションの部分に、マスメディアや制度化された装置が喰い込み、デジタル化された空間に人々を押し込めてゆく。デジタル化された地図空間とアナログ化された地図空間の間に引き裂かれ た人々が、相互に再びコミュニケーションの回路を開くことは決して容易なことではない。しかも運動に保証されているメディアの中心は、一五○年前と変わらない活字のメディアなのだ。この点からいって自由ラジオやパソコン通信などが運動に果す役割は、大変大きいかもしれない。しかしこうしたハイテックな運動の情報回路が、アナログ地図上の移動に対して圧倒的に優位にたてるという保証もない。例えば、一九一八年七月二十二日夜に富山県魚津町で起きた民衆の蜂起(米騒動)が、東京の底辺労働者たちの蜂起を導くのに半月余りしかかかっていない。つい最近の伊方の出力調整実験反対運動で全国の運動を結ぶために活躍したファクシミリ、電話、そしてマスコミ報道が一カ月余りで一○○万の署名を集めたことと比較したとき、決して後者の方が圧倒的に優れた情報伝達力をもっていたとはいい難いだろう。これは、民衆の自立した、インフォーマルな情報の回路が解体され、逆に民衆の側が制度化された回路に統合された結果といえる。勿論「米騒動」の時点に後戻りすることはできない。現にあるデジタル化されつつある都市空間のなかで、新たなコミュニケーションの方法を見出す以外にないだろう。コミュニケーションは人間関係そのものであり、コミュニケーション回路の変革は、資本主義的にカーアゴリー化され、ゲットー化された諸々の逸脱した身体性を再び結びつけ、”部分的プロレタリアート”を相互に媒介し、資本から切断された文化や生活様式を埋め込む導体であり、新たな意味での階級闘争の土台を築く上で、必要不可欠な要素である。そして、この新たなコミュニケーションの装置と回路の線上に、都市の新しいプロレタリア像が結ばれてゆく。

出典:『クライシス』34号、1988年