スペクタクルとサブカルチャーの価値崩壊

スペクタクルとサブカルチャーの価値崩壊

小倉利丸

六〇年代にシチュアショニストは、高度消費社会の出現を経験する中での資本主義の基本的な矛盾が、狭い意味での資本の生産過程における階級関係に見出せるだけではなくて、日常生活や消費社会の支配的な体制が擁護称賛する消費のあり方、あるいはライフスタイルを構成する商品の使用価値的な部分をめぐって拡張されるべきであると主張した。シチュアシニストは、その部分を問題の視野に入れながら、六〇年代のいわゆる高度資本主義の都市のライフスタイルや労働から芸術、文化、都市に込められた搾取の空間的な支配を根底からひっくり返し、解体していくという意図をもち、その中で特に資本による日常生活の支配の中心的なスタイルとしてスペクタクル的な生活様式に焦点を当てて、これを徹底して批判した。

ここでいうスペクタクル的とは、スペクタクルという言葉自体が持っているわくわくするような出来事の連続、あるいは劇的な日常生活といったようなものを想像しがちだが、むしろこうした意味でのスペクタクル性は表層的なものであって、人々の日常意識を支配するものではあるが、実体としていえば資本が生み出すきわめて退屈で抑圧的な日常を覆い隠す機能を果たすものだ。私たちは、子ども時代には学校で大半の時間を過ごすが、教育で学んだことのうち生活に不要な事柄はほとんど身につかず、無駄で無意味で最終的に点数という量的な評価に還元されるにすぎない作業に日常の大半を費し、その結果この無意味な学習作業を支えるためのスペクタクルが遊びとして与えられる。大人になっての労働の日常は、無意味な労働とこの労働を支えるための情緒的な気晴らしとしてのスペクタクルの繰り返しである。オフィス、工場、店舗などでの労働と週末のレジャーの繰り返しとして再現される。資本主義のスペクタクルがもたらしたのは、個人の人生の大半をこの異常な環境に適応させることである。ドゥボールは、資本主義的な日常生活の退屈さをある種の遊園地的な楽しさや興味関心で覆い隠す虚偽意識の装置としてスペクタクルの位置づけを与えた。マルクス主義の理論的な伝統を拡張し、商品の交換価値だけでなく使用価値に、労働過程だけでなく消費生活に深い関心を寄せた。これは、ルフェーブルによるところが大きい事はよく知られている。

こうしたシチュアショニストの基本的な考え方は、今現在の、日本も含めた先進国の中でどれだけ有効性があって、どういう限界があるのかということを、60年代のシチュアシオニストの運動から四半世紀を経た現在、さまざまな角度から再検討してみる必要がある。とくに、資本のスペクタクルに対して、対抗的なスペクタクルとして登場するサブカルチャーやカウンターカルチャーがはたしてそのまま資本主義に対抗的な価値意識の担い手となりうるのかどうかについては改めて検討する必要がでてきていると思う。とくに、対抗的な価値が左翼的な価値によって代表される時代が終りを遂げたかにみえる日本の状況をみたとき。「対抗」的な価値やライフスタイルをそれ自体として好ましいものとみなすわけにはいかないからである。

支配的な価値意識のなかに対抗的な価値意識が繰り込まれるケースはごく一般的に見出せる。たとえば、人種差別を否定する価値観や人権に配慮する価値観のように、長い闘いのなかで、その正当性と制度化が勝ち取られるケースはもっとも分かりやすいケースだ。しかしこうした価値意識の抱え込は、実体としての差別をなくし、人権への十分な取り組みを実現するといえるものではない。むしろ、場合によっては、差別意識の解消を促すかわりに、逆差別の意識を生み出したり、資本主義の制度的な矛盾の代償として人権という価値意識を拒否しようとする傾向すら生み出すことになる。このような場合、支配的な価値意識の中に差別批判や人権意識が配当され、マージナルな価値意識として、差別主義や人権否定の特権主義が配置されるということになる場合がある。たとえば、学校教育のなかで、反差別教育や人権教育が導入されればされる程、反差別や人権は学校教育のもつ憂鬱でエリート主義的な傾向におかされ、対抗文化のなかには差別主義や反人権意識が生み出され、しかもこうした対抗文化が対抗的なスペクタクルを伴い、また学歴社会からドロップアウトした若者の階層に大きな影響を与えることになる。この意味で対抗文化はそれ自体で私達が依拠しうる肯定的な価値をもつとはいえないばかりでなく、さらに、労働者階級のなかにぬきさしならない排外主義の文化を根付かせることにもなりかねないのだ。もっとも巧妙な文化支配は、一見すると対立するかにみえる対抗文化が実際には支配的な文化の補完となるような文化のヘゲモニー構造を持つ場合であるが、まさに日本的なスペクタクル社会は、こうした対抗的なスペクタクルによって補完されたある種の右翼性に覆われ始めている。

六〇年代の主流のシチュアシオニストの運動は資本主義のマーケットとは無縁な運動だったが、七〇年代にイギリスのパンクムーブメントのなかでセックス・ピストルズを生み出した、マルコム・マクラーレンが持ちだしたシチュアショニストの戦略のサブ・カルチャーへの転用では、音楽産業を巻き込むことによって否応無くマーケットの論理に関わらざるをえなくなった。パンクの運動は音楽の表現に政治的意図を重ね、ビラであるとかコラージュ的な作品であるとか、意図的なデマ、悪ふざけとかいった、今に続くストリートカルチャーを構成していくが、同時にこうしたスペクタクルの構築は、マスメディアによってセンセーショナルに話題にされることになる。パンク・ムーブメントは、シチュアショニストが持っていた、スペククタルを我々の側に取り返す、つまり資本の側が生み出すスペクタクルではない我々の側のスペクタクルへの流用あるいは転用の運動である一方で、市場の商品化のための恰好の文化的な資源となる危険性を常に持っていた。パンクは流行現象となることによって、若者の集団的な文化としての力を獲得したが、同時にたんなる一過性のファッションとして消費されることにもなった。

こうした政治的なカウンターカルチャーの制度の側への回収の経験を私達は何度も経験している。しかし、他方で、現在私達が直面している対抗的なスペクタクルの状況は従来の政治性とは全く異なった様相を呈している。とくに日本のサブカルチャーやストリートカルチャーは、そのスペクタクルといしての支配的な文化への対抗性を保持しながらそれがむしろある種の排外主義やナショナリズムと結び付いたものになっている。
日本においてもスペクタクル的なものをめぐる闘争は、七〇年代ころまでは、支配的な文化と左翼的な方向性を多かれ少なかれ内包したカウンターカルチャーとの間で展開されてきた。先に述べた音楽だけでなく、演劇や映画などの表現の分野からエコロジーやセクシュアリティなどライフスタイルの価値観に至るまで、国家や資本の価値意識との対決を意識する流れが見出された。しかし、全体を俯瞰するとすれば、アングラと呼べるような対抗文化の中にあるような対抗性やアナーキズム的なものを、対抗文化に本質的なものとして前提できるのはだいたい七〇年代くらいまでだろう。八〇年代をある種の転換期としながら、今現在のカウンターカルチャー、サブカルチャーはかならずしも左翼性に支えられたものとはいえない傾向をかなり濃厚に持ち始めている。
イギリスでパンクムーブメントが登場したときに、同時に白人労働者階級の対抗文化として、民族差別的な傾向を濃厚にもつオイが登場したり、合州国で女性たちによる中絶合法化の運動が進むと同時にキリスト教原理主義による中絶クリニックへのテロ活動が活発化するというように、対抗的な逸脱は、多くの場合、左翼性への吸引力に対抗して右翼的なラディカリズムを生み出してきた。しかし、現在の日本の状況はこうした左右の対抗のな対抗文化が展開されるといった状況にはかならずしもない。支配的な文化や価値観に苛立ちをもち抵抗しようとする若者たちの文化の基層をなしているのは、左右の対抗文化のポリティックスにはなく、明らかな左翼性の欠如とある種の右翼性の突出を特徴としたきわめて特異な現象を呈しているようにみえる。
たとえば、日本におけるポピュラー音楽のインディーズシーンの中心をなしているのはパンクであり、ポスト・ヒップホップ、ポストR&Bはパンクであるというのが音楽業界では有力だ。メジャーな音楽シーンに浮上するのはスタイルとしてのパンクである可能性が高いのだが、同時にメッセージ性のつよいパンクでかなりの人気を集めているバンドの多くは確実に民族派パンクあるいはオイの系譜をひくバンドによって占められており、左翼やアナキストのバンドは決して多くはない。ストリートの文化のなかで集団的な対抗文化として登場しているのは暴走族やチマーとよばれるような若者集団である。これらの集団は都市や都市近郊のプロレタリア層から構成されていることは明らかだとおもわれるが、同時に、こうした若者集団は、ヤクザなどとのつながりも持ち、排外主義的な民族観と家父長主義的なジェンダー観をもつ。このように現在の日本のとくにアンダークラスのカウンターカルチャーを支配しているのは多かれ少なかれ右翼的な傾向を持ったものであり、これに対抗する左翼的な文化がほとんどみいだせない。

ストリート系の雑誌でこうした若者を読者にもつと思われるものに『バースト』がある。この雑誌は、入れ墨、死体、スカトロ、ドラッグなどを扱い、ストリートカルチャーの現状をとらえるうえで興味深い内容をもっている。というのは、この雑誌では、左右に価値軸は完全に崩壊しているだけでなく、そのなかで結果的にある種の右翼的な価値意識に引き寄せられるような構成になっているからだ。たとえば、「ネオ・ナチロック」を特集したり、戦場を一種の冒険の空間とみなすような切口で取材したり、日本の伝統的な入れ墨に多くのページを費やす一方で、パリのスクウォッターの運動を紹介したり、日本で電車や街頭にスプレーで絵を描くグラフィティーアーティスト(スプレー缶テロリスト)を取材したり、野宿者のライフスタイルを紹介したり、大麻栽培の現場を取材したりもする。ヒッピー文化のなかから生まれたドラッグや、ヒップホップ文化から生まれたグラフィティと日本伝統的な入れ墨や暴走族の文化は私の価値観からは併存できるものではないし、スクウォッターの運動とネオナチロックが共存できるはずもないのだが、これらがおしなべて「反」体制的なものとして取り込まれる。この雑誌を中心に作品を発表してきた写真家に吉永マサユキがいる。彼は、アンダークラスの若者を撮る写真家だが、その対象となる若者は暴走族、チーマー、ヤクザ、民族派団体などの若者だ。集団としての若者のカウンターカルチャーやサブカルチャーは、こうした右翼的な傾向をもつ労働者階級によってもっぱら担われており、これに拮抗できる左翼的な若者の集団性、とりわけ労働者階級の若者の集団的な文化が日本では決定的に欠落している。

このような左右の価値軸の崩壊と、その結果として、右翼的な価値意識にひきずられるケースはさまざまなサブカルチャーのなかに見出されるよういなっている。学歴もなくドロップアウトした若者たちが集団性を持つときに、族や民族派としてしか集団性を持てないとか、族的なファッションにかっこよさを見出すという日本の状況は、多様な選択肢があらかじめはいじょされた結果として生み出されているがゆえにその問題の根も深い。逆に言うと、日本では階級としての若者文化が構築されてこなかったために、プロレタリアートの抱える階級的な問題を階級的な構想力によって解決する方向性へと導く力が決定的に欠落し、この欠如をファナチックな民族主義が埋めあわせるという最悪の状況を呈しているということだ。

こうした状況のなかで、ストリートの文化を再構築することがなによりも重要な課題になっていると思う。インターネットの普及のなかでバーチャルなサブカルチャーが注目を浴び、ますますこれが支配的な文化の装置へと組み込まれるようになればなるほど、逆にリアルワールドにおけるストリートの文化は、マージナルな存在となり、同時にその身体性をも含めて、対抗的な文化の重要な拠点をなすことになるはずだ。今更階級闘争なんて、というかのしれない。しかし、資本主義は明らかな階級社会であり、このことを身を持って実感しているのは、アンダークラスの若者たちだ。その彼らが持ち得る集団性が右翼的な集団性へと大きく傾いている現状は、極めて憂慮すべきことだ。ストリートの階級闘争、そこからはじめなければならない。(談)
(おぐら としまる・現代資本主義論)

出典:『現代思想』2000年5月