911後のアート

昨年11月、丁度ブッシュがアフガンへの報復戦争を始めた直後に、サンフラン
シスコ現代美術館で偶然村上隆の作品を見た。「子供っぽさ」の世界がもって
いるポップで無邪気さを装った、しかしどこかしら狂気を秘めた作品に予想し
なかった意外な印象を得た。「意外」という意味は、もし9月11日とその後の
出来事がなければありえないであろう私の側の変化が、私じしんの実感以上に
大きかったのだということにそのとき初めて気づかされたということだ。私に
はこの作品を見る意味を突然見失ってしまったことに突然気づいたのだ。この
感覚は、明らかに私自身の側の社会的なコンテクストに大きな変調があり、村
上の作品の意味を生成してきた土台—つまり、あくまでも平和で安全で豊か
な世界を前提として、この世界が無意識に抱え込む狂気のような感情—がも
はや私にとっては見いだし得なかったのだ。世界が抱え込んだ狂気は別の場所
で別の形をとって、もっと露骨に表出して私たちに決断を迫っていると思われ
たからである。たぶん9月11日以前であれば、もう少し違う印象をもったに違
いないという確信がそのとき、私には感じられ、大きなけばけばしい毒キノコ
のようなマッシュルームのオブジェの作品を目の前にしながら、しばし自分に
訪れた感覚にたちすくんでしまった。

9 月11日を境に、世界は変ったのか、などということはありえないと私は考え
ていたし、今でもこの考えは正しいと思っている。テロで世界を変えることは
できないからというだけでなく、9月11日の出来事をそれだけ取り出して他の
社会的政治的な時代の経緯から切り離して捉える考え方それ自体に私は根本的
な疑問を抱いているからなのだが、私が村上の作品に戸惑いを覚えたのは、9
月11 日の事件それ自体ではなく、その後この事件に対して合州国や日本、EU
諸国がとった報復戦争のプロセスそのものが生み出した明らかな世界の変調の
なかに、村上の作品をうまく位置づけられず、戸惑ったのだった。

ブッシュ政権による報復戦争は、やはりこれまでの幾多の戦争状態と変ること
なく、さまざまな検閲をもたらした。検閲に反対する全国連盟(NCAC)が列挙
したアートに関する検閲では、つぎのような事例が挙げられている。

・2001年9月、バルチモア美術館は、現代美術棟から、「観客の感情に配慮し
て」「テロリスト」と題された1990年に収蔵された作品を撤去。

・ボストンシンフォニーは、2001年11月から12月にかけて上演予定だった
「Klinghofferの死」をフィーチャーした公演を中止。「Klinghofferの死」は、
1985年に起きたパレスチナのハイジャック事件を題材としたジョン・アダムス
のオペラである。中止の理由は、このオペラがハイジャックした者たちに同情
的な内容だからだという。

・ヒューストンのアートカーミュージアムが「EmpyTrellis」と題する作品を
展示した後に連邦捜査官が美術館関係者を調査。この作品は、美術館が企画し
た「Secret Wars」に出品されたもので、鉄格子に囲まれた演説台のブッシュ
大統領を描いた作品。作家のモチーフは、合州国の環境政策にあった。

・デイトナ・ビーチ・コミュニティ・カレッジのサウスイースト写真美術館の
ディレクターで上級学芸員が2001年12に辞任する。彼女が企画中だった2002年
1月のアフガニスタンの写真展が中止されたのが原因。美術館側は、展覧会は
中止ではなく、愛国主義を祝う展覧会と日程がぶつからないように、スケジュー
ルが変更されただけだと反論している。

・2002年2月のニューヨーク、アーモリー・ショウでのアメリカン・エアライ
ンがワールドトレードセンターに突っ込むシーンのビデオ・アートのインスタ
レーションが抗議のために撤去。

こうした展覧会などにかかわる問題だけではない。大衆文化はもっと大きな影
響を被ったようだ。新聞や商業メディアの政治漫画はそのなかでもかなりスト
レートな影響を受けた。政治漫画の描き手のなかでも、左翼的な立場にたつ者
たちは、9月11日を境にに、読者やスポンサーからのあからさまな攻撃にさら
された。英国の『インデペンデント』紙は、体制批判的な漫画家たちが、愛国
的な世論や広告主の圧力を受けて、自主検閲を強いられたり作品が掲載できな
いケースが生じており、合州国の政治漫画が危機に直面していると報じた。た
とえば、漫画家のスティーブ・ベンソンの漫画が『アリゾナ・リパブリック』
紙に掲載されたとき、読者が新聞社に押しかけて漫画の掲載を撤回するように
要求するといった草の根の愛国主義的な運動が起きた。マイク・マーランドが、
社会保障と書かれたツインタワーにブッシュの操縦する飛行機が突入するとい
う漫画に対しては、大統領の報道官が公然と批判をした。このマーランドの漫
画が配信された新聞社には多くの抗議が殺到し、マーランドは謝罪し原画を廃
棄してしまう。

2002年3月6日に『ニューヨーク・タイムズ』に「恐怖の未亡人」と題するワー
ルドトレードセンターで夫が犠牲になった妻がマスメディアを巧みに利用して
義捐金を集め、妻を失った夫は保険会社や航空会社から莫大な金を稼ごうとす
る有り様を描いたテッド・ロールの漫画がウエッブに掲載された。ニューヨー
ク・タイムズには、抗議の手紙が殺到し、この漫画をウエッブから削除してし
まう。しかし、ロールのその後の対応はマーランドとは違った。彼は、その一
週間後、インターネットを通じて、こうした検閲を批判し、さらに7 月に行わ
れた政治漫画家5名によるシンポジウムにパネラーとして参加して、再度自分
の作品を擁護した。また、合州国の政治漫画家の団体、The Association of
American Editorial Cartoonistsもロールの漫画を擁護し、どのような理由で
あれ検閲には反対であるという声明を出した。
(注)以上、漫画については、以下を参照した。
http://www.artistsnetwork.org/news4/news190.html
ロールの漫画は下記で見ることができる。
http://www.ucomics.com/tedrall/2002/03/04

しかし、検閲が一方的に進行したわけではない。アーティスト側による明確な
反戦や検閲に反対する意思表示も実は非常に活発に行われてきた。

https://web.archive.org/web/20061206143124/http://www.artistsnetwork.org:80/news/news33.html

明確な反戦の意思を表明したアーティストの行動になかでもっとも早い時期の
ものと思われるのは、ロサンゼルスを拠点に活動している女性のパフォーマン
スアーティストでオクシデンタル・カレッジのキュレターでもある、カット・
スクラバが昨年九月にハリウッドで行ったパフォーマンスだろう。スクラバは、
体を半透明の覆いでくるみ、星条旗の猿轡をはめて軍の傷病兵搬送用のストレッ
チャーで歩道を運ばれるというパフォーマンスを行った。彼女はこのパフォー
マンスについて「アメリカの自己満足、9月11 日の攻撃の原因の一つに、アメ
リカの政治的軍事的な海外侵略がある」ということを示すことを意図したもの
だと述べている。星条旗は愛国心の象徴であり、これを猿轡として利用するこ
とで見る者たちに伝えたいメッセージは、非常にわかりやすい。死や暴力を容
易に想像させるストレッチャーによこたえられた身体。しかし、ほんとうに私
たちはこのパフォーマンスを理解できているのだろうか。分かりやすさとは、
単に表現されたものを私たちの常識や便宜的な知識を参照して理解したつもり
になっただけのことではないだろうか。解釈を拒絶する現代美術の難解さはこ
うした罠を回避できるが、しかし、むしろ分かりやすさに接したとき、私たち
はこの理解を支えている世界を了解する枠組と再度向き合うべきであるという
問いかけを忘れてはならないのだ。自由の象徴はなぜ猿轡とならねばならなかっ
たのか、このなぜに答えるだけでも私たちは多大の思考を必要とするに違いな
いのだ。
(注)カット・スクラバについては下記を参照した。
http://www.artistsnetwork.org/news/news33.html

中東の現代美術をあつかっているロサンゼルスのレヴァンタイン・カルチャー
センターは昨年12月に、「新世紀プロジェクト」と題された9月11日をモチー
フとした演劇のイベントを企画し、さらにその後「A 9/11」という展覧会を企
画した。この「A 9/11」でのダグラス・フィッシュボーンの「文化的孤立」と
題されたパフォーマンス(図版)は、スクラバのそれ同様極めてわかりやすく、
説明の必要はあるまい。しかしこの分かりやすさもまた、9月11日以後の文脈
のなかでは、その意味は確実に変っている。たとえば、このパフォーマンスで
使われたフェンスをどのように解釈すべきだろうか。取り払えば容易に取り払
えそうな華奢なもので、しかもその高さも腰の位置くらいまでしかない。いく
らでも乗り越えてこの「孤立」を解消できそうだ。このフェンスをどのように
理解するか、これがたぶんこのパフォーマンスの重要なメッセージだと思う。
とすれば、このパフォーマンスは決してわかりやすいものではないのだ。パ
フォーマンスが分かりにくいのではなく、このように「孤立」を解消できそう
でできないという関係を生み出しているのが何なのか、そしてこのフェンスが
取り払われるということは、もしそれが自他の差異を解消し、支配的な文化に
呑み込まれることを意味するとすれば、これは、果たして「孤立」の解決なの
かどうか、こうした一連の問いをこの作品は問いかけている。この作品は決し
て見た目ほど容易な作品ではない。9月11日以降、イスラム圏からの移民を強
制収容し、排斥しはじめた合州国の現実と直面している人々にとっては、私が
問う以上にさらに多くの意味をこの作品から受け取るに違いない。

ニューヨークでは、昨年10月に「われわれの悲嘆は、戦争を求めない」という
路上パフォーマンスが行われた。マンハッタンのタイムズスクエアに100名を
越えるアーティストたちが集まり、黒いマントを着て防塵マスクをつけ、胸に
「我々の悲嘆は、戦争を求めない」と大きくシルクスクリーンで印刷されたプ
ラカードを掲げて、沈黙したまま立ちつくすというパフォーマンスを行った。
(図版参照)このパフォーマンスには、映画、ビデオ、ビジュアルアート、ダ
ンスなどさまざまな分野で活動するアーティストが参加し、ワールドトレード
センターのテロ攻撃に悲嘆する声を、アラブやイスラムとの戦争や攻撃に利用
することを断固として拒否するというものだった。

https://web.archive.org/web/20021012121648/http://artistsnetwork.org/news5/news235.html/
https://web.archive.org/web/20021220012732/http://www.artistsnetwork.org/news/news14.html

9月11日以降、ブッシュ政権やメディアはワールドトレードセンターの犠牲者
とこの悲劇を嘆く人々の心情を報復戦争を正当化するために繰り返し利用して
きた。こうしたやり方に対しては、遺族からもまた、紐育に住む多くの住民か
らも繰り返し批判の声が挙っていた。政府やメディアの宣伝にもかかわらず、
人々はなぜ合州国が攻撃の対象になっているのかを真剣に考えていた。99年の
シアトル以降合州国国内で繰り返されてきた数万人規模の反グローバル化のデ
モの高揚は、人々が合州国を途上国の貧困や経済的搾取の問題と結びつけて理
解するきっかけを与えており、テロの悲劇を感情的な報復戦争の文脈でのみ理
解しようとする考え方は、必ずしも十分な支持を得てきたとは思えない。「わ
れわれの悲嘆は、戦争を求めない」というスローガンはこうした人々の心情を
的確に表現したものだった。
(注)「われわれの悲嘆は、戦争を求めない」については以下を参照した。
http://www.artistsnetwork.org/news5/news235.html
http://www.artistsnetwork.org/news/news14.html

911以降の合州国のアートシーンで注目されざるを得なくなったアーティスト
の一人に、リダ・アブドゥラーがいる。アフガニスタン出身でインド、ドイツ
を経て合州国で活動しているで、パフォーマンスアーティスト、映像作家、イ
ンスタレーション作家など様々な顔を持つ。彼女の作品は、上に紹介した作家
たちにくらべて、もっと難解かもしれない。それは、あきらかに、私の側に、
彼女が持つ文化的な背景、を共有する素地がないために他ならないのだが、彼
女にとって、イスラム原理主義が女性の抑圧に果たした大きな意味を考える上
で、文化の問題はそのまま政治の問題と結び付いていることは、彼女の発言や
行動からも明らかだ。彼女は、アフガニスタンのタリバン政権や北部同盟など
イスラム原理主義による女性の抑圧と戦ってきた革命的アフガン女性同盟
(RAWA) の支援者として合州国で活動してきた。

Democracy When? Activist Strategizing in Los Angelesというロスを中心に
したアーティストたちのブッシュ政権による世界規模の戦争に反対してとりく
まれているプロジェクトに参加したアブドゥーラは、原理主義のタリバン
政権崩壊後数日にして、禁じられていた歌や踊りが街に戻ってきた光景を報じ
る『ニューヨーク・タイムス』の記事のなかで、取材に応じたアフガニスタン
の歌い手が「本当に唄ってもだいじょうぶなのだろうか」という不安を口にし
たというエピソードを紹介して次のように書いている。

「奇妙なことだが、アフガンの歌手の不安は私たちにもまたそのまま当てはま
る。 合州国のアーティストもまたこのような不安な問いかけをしてきたし今
でもそうだ。私はこの問いかけに、いつも「うたってだいじょうぶとは言えな
い」と答えるだろう。唄ったり、書いたり、アートを制作する安全はないのだ。
その存在について許可を求めなければならないような社会はアートを生み出す
のではなく、ずっと後になって気づくのだが、プロパガンダを生み出している
のである」

https://web.archive.org/web/20050410202603/http://artleak.org/democracywhen/abdullah.html

(注)Democracy When?とリダ・アブドゥラーの発言については下記を参照し
た。
http://artleak.org/democracywhen/abdullah.html
http://artleak.org/democracywhen/

ブッシュがテロリストの側につくのかそれともテロと戦う戦争に与するのかと
いう踏み絵を押し付けようとしたときに、日本のメディアが伝えるように、合
州国は決して一枚岩になったわけはなかった。アーティストたちは、9月11日
について多様な解釈と表現を提示し、アーティストの数だけ解釈も多様であっ
た。多くのアーティストたちは、この二者択一の強制を拒否した。9月11日以
降繰り返し多くの声明や発言がアーティストのコミュニティから発せられた。
なかでも、今年に春に出された声明「良心の声明」はもっとも多くのアーティ
ストたちの署名を集めたものの一つだろう。ノーム・チョムスキーやハワード・
ジン、エドワード・サイード、エマニュエル・ウォラースティンなど日本でも
有名な反体制知識人らとともに、アーティスト、美術批評家、美術館関係者、
アートディーラーなどが多数この声明に名前を連ねている。たとえば、現代美
術の関係者だけみても、デニス・アダムス、ジュディス・バリー、ホイット
ニー・チャドウィック、ドレッド・スコット、ブライアン・イーノ、ゲリラ・
ガールズ、ベル・フックス、アルフレッド・ジャール、バーバラ・クルーガー、
ルーシー・リッパード、クラウス・オルデンバーグ、エイドリアン・リッチ、
マーサ・ロスラー、ジェームズ・ローゼンクイスト、キャロリー・シュニーマ
ン、キキ・スミス、ナンシー・スペイロ、マイケル・スチュウアート、クリツィ
コフ・ボディツィコ、マックス・コズロフといった人たちの名前を見つけるこ
とができる。
(注)この声明については以下を参照した。
http://www.nion.us/nion.htm

この声明は、次のように述べている。

「良心ある者たちは、自らの政府がなすことに責任を持たねばならないと考え
る。私たちは、まずなによりも、私たちの名のもとになされる不正義に反対し
なければならない。わたしたちは全てのアメリカの人々に、ブッシュ政権によっ
て世界じゅうに蔓延することになった戦争と抑圧に_反対_することを呼かけ
る。これは不正義であり、不道徳であり、正当性に欠けるものだ。むしろ私た
ちは、世界の人々との間に共通の利害関係をうちたてることを選択しなければ
ならない。

私たちはまた、2001年9月11日の恐るべき出来事を衝撃を持って見守った。私
たちはまた、数千人の罪のない人々の死に哀悼の意を表明し、殺戮の恐るべき
光景を前に首を横に振った。同時に、私たちは、バグダッド、パナマ、そして
一世代前に引き起こされた、ベトナムでの同様の光景を思い起こした。私たち
はまた、なぜこんなことが起きたのかを問う何百万というアメリカの人々の苦
悩に満ちた疑問をも共有する。

しかし、哀悼がはじまったばかりというときに、この国の最高指導者たちは、
復讐の精神を発揮した。彼らは「善か悪か」という単純きわまりない脚本を持
ち出し、従順でいいなりのメディアがこれにとびついた。彼らは、私たちに、
なぜこのような悲劇が起きたのかと問うことは、国辱ものだと述べた。論争さ
れるべきではないとされた。本質的に意味のある政治的道徳的な疑問は存在し
なかった。唯一可能な答えは海外での戦争と国内での抑圧であった。

私たちの名のもとに、ブッシュ政権は、議会のほぼ満場一致に近い賛同によっ
て、アフガンを攻撃しただけでなく、自らとその同盟国が軍事力をいついかな
るところにも大量に投入する権利を不当に手にいれた。その野蛮な影響はフィ
リピンからパレスチナへと広がり、イスラエルの戦車やブルドーザーが死と破
壊の悲劇を通りに残していった。政府は今、公然と、イラクとの全面戦争を遂
行する準備に入っている。イラクは9月11日の惨劇と何の関係もないにもかか
わらず。」

こうしたアーティストたちの社会的、政治的な発言は合州国では長い歴史があ
る。ベトナム反戦運動、80年代のレーガン政権による「文化戦争」とまで呼ば
れたマイノリティ・アーティストへの弾圧との闘いや、アクトアップによる
AIDS問題やゲイ・レズビアン問題への取り組み、湾岸戦争時の反戦運動など、
階級、性、エスにシティ、戦争、環境といった社会問題をアートの不可欠な主
題として取り組み、アートもまた言語による思想や理論同様、社会を理解しま
た、社会のあり方を変えるための表現の力を持ちうるものとしてはっきりとそ
の役割が自覚されてきた。こうしたながい闘いを背景にして、今回の反戦運動
の動きもまた登場している。

日本では、9月11日以降の状況にアーティストが独自に取り組んだプロジェク
トはそれほど多くはない。丸木美術館が「Piece for Peace 2001、『Oh No!
報復戦争詩画展』」を昨年暮れから今年にかけて企画したことや、自由国際大
学の「プロジェクトイティファーダ」が都内各地でゲリラ的に、スライドプロ
ジェクターを用いたパフォーマンスを繰り広げたことなど、いくつか特筆すべ
き活動があったとはいえ、その広がりは決して大きいものとはいえない。
(注)丸木美術館については下記を参照した。

プロジェクション・インティファーダhttps://web.archive.org/web/20071016082744/http://fiu.jp/frame_jp/pijcols.html

https://web.archive.org/web/20110704014318/http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2001/pfp.htm
プロジェクト・インティファーダについては下記を参照した。
http://www.fiu.jp/frame_jp/pijcols.html

しかし、私たちは日本のアートシーンをとりわけあきらめの境地で見る必要は
ない。アジアの現代美術がその社会性を発揮しはじめたのは決して古くからの
ことではない。韓国の光州ビエンナーレのように、日本のアートシーンには見
られない社会性、政治性が示された背景にはあきらかに「光州」の歴史性があ
るように、アートの概念を変え、表現の力を回復する努力は私たちが暮すこの
社会を変える努力と深く関わるのである。

Douglas Fishbone, “Cultural Isolation” https://web.archive.org/web/20071212135201/http://www.levantinecenter.org/A911Gallery02/a911fishbone.html
出典は上図に同じ

初出:エラン・クリエイティブ、2002年