意味と搾取第五章が公開されました
青弓社のウエッブで連載している「意味と搾取」第五章が公開されました。この第五章でとりあえず連載は終了の予定です。以下は、あらためてこの連載の趣旨と第五章の目次のみ紹介します。本文は下のリンクから青弓社のウエッブにアクセスしてお読みください。
この連載の問題意識は、監視社会批判ですが、この批判の中心的な課題として、諸個人の意識の有り様そのものと、権力(つまり諸個人を自らの意思の下において自由に操作しようとする政治や資本の力)の関係を再定義してみたい、というところにあります。権力が目指す個人に対する究極の制御は、個人の意思や情動を直接何の媒介もなく支配下に置くことです。これは不可能な夢になりますが、20世紀以降の資本主義は、膨大な個人のデータを収集するという手法を通じてこの夢を実現しようとしてきましたし、この悪夢をかなりの程度まで実現しうるような可能性を獲得しつつあるように見えます。
私たちの抵抗や異議申し立ての意思は、私の内面にある価値観や感情や経験など様々な要因から組み立てらている「私」が、外部とのコミュニケーションのなかで受けとるメッセージとの間で生まれるものといえます。これに対して(政治的経済的な)権力は、こうしたコミュニケーションがもたらす摩擦を回避して、外部からの介入であるにも関らず、それがそもそも自分自身の内面からのものだと誤認させるような仕組みを通じて、人々の意思や情動を支配することができれば、民主主義的な合意形成や自由の権利と抵触することなく、コミュニケーションの摩擦は回避されるか最小化できると考えてきました。資本主義のコミュニケーション技術は、こうした方向をとって「発達」してきたと私は考えています。私は、この摩擦の回避の回路を「非知覚過程」と呼んでいます。この非知覚過程は、私たちの知覚域の外部で作用したり、知覚過程にある言葉や視覚イメージに密かに組み込まれたりします。
こうした非知覚過程が、コンピュータによる膨大なデータ処理を背景としたAIの技術に依存している、ということがもうひとつの重要なテーマになります。これまで、コミュニケーションについて議論する場合の典型的なモデルは、二人の人間が言葉や身振りを通じて意思疎通しようとする場面で生じる現象の分析だったといっていいでしょう。読書をするという場合でも、書かれた文字の背後には、この文字を書いた誰かがおり、その誰かが、ある文章を書くばあいでも、その発想の背後には更に誰か他の人の影響があったりする、というように、コミュニケーションを支える知識の源泉には人間が存在するはずだと、想定されていたと思います。しかし、ChatGPTのような対話型のボットの回答をオウム返しにして、誰かと話をするとき、この発話の源を遡っても、そこには人間はいません。存在するのは膨大なデータの蓄積と、これを処理するアルゴリズムであり、これらには対話が前提とする言葉の意味にあたるものがない、のです。しかし、相手がChatlGPTをおうむ返しにして話しているのかどうかは私には判断できません。同じように、書かれた文章についても、それが人間のものかどうかは判断できないのです。こうした事態がむしろ常態になりつつあるなかで、人間の意識や心理が、こうした状況に影響を受けることは明らかでしょう。こうなると、人間の意識や情動を対人関係だけで語ることはできない、ということになります。このやっかいな問題は、私たちの世界観や価値観が人間相互のコミュニケーションによって構築される、という前提をもはや当然のことにはできなくなった、ということをも意味しています。社会を変革する実践に不可欠な人間相互のコミュニケーションの信頼性や議論を通じた合意形成といった政治過程それ自体が、この非知覚過程を通じて、大きく歪められていることを踏まえる必要があると思います。この時代にあって、私たちは、この窮屈で抑圧的な世界からの開放/解放を従来通りの戦略で乗り切れるのかどうか、こうしたことを考えるためのささやかな試論として書きました。
第5章 パラマーケット/非知覚過程からの解放の条件
小倉利丸
目次
序章 資本主義批判のアップデートのために
第1章 拡張される搾取――土台と上部構造の融合
第2章 監視と制御――行動と意識をめぐる計算合理性とそこからの逸脱
第3章 コンピューターをめぐる同一化と恋着
第4章 パラマーケットと非知覚過程の弁証法――資本主義的コミュニケーション批判
第5章 パラマーケット/非知覚過程からの解放の条件
[第5章構成]
5-1 国家とパラマーケット
・マスメディアの時代と何が違うのか
・無意識の再編成としてのデジタル文化空間
・資本と国家の共同作業
・プラットフォーマーによって助長される敵対要因
・[補遺]市場の匿名性を市場が奪う
5-2 コミュニケーション労働と非知覚過程
・コミュニケーション労働の形式的包摂から実質的包摂へ
・コミュニケーション労働とデータ化する「私」
・デバイスとアプリと身体性
・自転車に乗るロボット
・非知覚の基本的な構造
・隠された過程と非知覚過程
5-3 資本と国家による意識の実質的包摂――資本主義のユートピア、私たちのディストピア
・さらにその奥にあるフロンティアとしての無意識
・非合理性という問いと社会の構造的一貫性