10万年を見すえた運動の民主主義–ガレキ問題再論

政府のガレキ拡散政策が進んでいる。この拡散に対して、ガレキ受け入れを表明した自治体では、住民たちによる受け入れ反対の運動も拡がりをみせている。特に脱原発運動を担ってきた人たちが同時にガレキ受け入れ反対運動を積極的に担っているように思う。しかし他方でガレキ受け入れの是非をめぐっては、脱/反原発運動のなかにも多様な考え方があり、意見の収束をみているとは思えないところもある。放射性物質で汚染されたガレキの問題について、受け入れに反対する場合、その結論を導く論理、ややおおげさに言えば、思想が問われるような問題である。

被災地のガレキ、特に放射性物質に汚染されているガレキを日本全国の自治体で広域処理させようという政府の方針、とりわけ、汚染されたガレキの安全性の基準については、脱/反原発運動の担い手たちの間で妥当だとする考え方をとる者はまずいないだろう。

野田総理大臣は3月!!日の会見で次のように述べた。

「ガレキ広域処理は、国は一歩も二歩も前に出ていかなければなりません。震災時に助け合った日本人の気高い精神を世界が称賛をいたしました。日本人の国民性が 再び試されていると思います。ガレキ広域処理は、その象徴的な課題であります。既に表明済みの受入れ自治体への支援策、すなわち処分場での放射能の測定、 処分場の建設、拡充費用の支援に加えまして、新たに3つの取組みを進めたいと思います。
 まず、第1は、法律に基づき都道府県に被災地のガレキ受入れを文書で正式に要請するとともに、受入れ基準や処理方法を定めることであります。
 2つ目は、ガレキを焼却したり、原材料として活用できる民間企業、例えばセメントや製紙などでありますが、こうした企業に対して協力拡大を要請してまいります。
 第3に、今週、関係閣僚会議を設置し、政府一丸となって取り組む体制を整備したいと考えております。」

上の発言に端的に示されているように、ガレキ受け入れ問題は「日本人の気高い精神」「日本人の国民性」を試す「象徴的な課題」だというのである。ガレキの処 理になぜ「気高い精神」や「日本人の国民性」が関係するのか、私には全く理解できない。そもそも原発事故がもたらした深刻な放射能汚染の事実を隠蔽して、 多くの福島県の人々を被曝させた政権には「助け合う精神」などどこにもなかった。むしろ、権力の安全のために民衆の安全を見捨てた冷酷さしか見いだすことができなかった。その政府が「気高い精神」を口にして広域処理の必要を訴えるのは、被災地の窮状の政治的利用以外のなにものでもなかろう。

ガレキの理にかなった処理は、精神や国民性の問題ではなく、どの「国民」であれ同じ状況であれば同じ答えになって当然の問題なのではなかろうか。にもかかわらず「気高い精神」や「国民性」が登場するということは、広域処理には合理的な解決とは関わりのない別の要素が絡んでいることを暗示しているといえる。危機に際して理屈抜きに心情によって人々を人々の生存の危機ではなく国家的危機への対処のために動員するやりかたは、私には、この国のファシズムの歴史を想起させる。理屈を後回しにし、討議に基づく合意形成を経ることなく、心情に訴えることで人々の自発的同調を強制する。これは仕組まれた踏絵である。被災地の窮状を見捨てるのかどうか、という問いが、ガレキを受け入れるかどうか、という問いにすり換えられ、ガレキ受け入れに反対することは同時に被災地を見捨てることを意味するのだ、というある種の権力による恫喝が作用するように仕掛けられてしまっている。この踏絵=罠に運動が嵌りこんではならないだろう。

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ガレキ受け入れ反対運動の基調は、ガレキに含まれる放射性物質がもたらす人体への悪影響への危惧を根拠として、放射性物質の拡散に反対するという主張を前面に出ている場合が目立ち、結果としては政府の情緒的動員への批判にはなっていても政府の思惑を的確に批判するものになっているかどうかは一概には何とも言えない。ガレキを被災地から外に出すべきではないという「拡散」反対の主張は、ガレキを被災地で処分すること、つまり、ガレキが元々あった場所での処分か、あるいは、福島原発付近の高濃度の汚染地域での処分を要求することを意味することになる。これは感情的な動員への即自的な拒否ではあっても他者(この場合は被災地の人々を指すが)への配慮はどれほどのものがあるといえるか。

もし、ガレキが人体に悪影響を及ぼすのであれば、被災地であれ他の場所であれ、人体への悪影響には変ることがない。だから被災地でのガレキ処理は、非被災地の人々の人体への影響を回避するかわりに、被災地の人々に対しては、逆に、人体への悪影響を強いることになる。だが、汚染されたガレキをすでに居住にふさわしくない福島原発の立地近隣の高汚染地域に移送するのであれば、これら地域が更に居住不可能な場所となるとしても、新な人体への被害は最小限に食い止められる。これは、現実的な選択のように思われる。たぶん、多くの汚染ガレキの拡散反対運動では、福島原発の敷地およびその周辺への汚染ガレキの集積を代替案として要求する主張が最も有力な考え方になりつつあるのではないかと思う。

しかし、住民運動であれ市民運動であれ、運動がガレキの拡散反対=汚染ガレキの福島原発近隣地域での処分を要求をするばあい、私は二つの重要な前提条件が必要だと考えている。

第一に、このような要求が、避難を余儀なくされている福島原発近隣住民の合意なしに主張されるべきではない、ということである。第二に、汚染ガレキを原発近 隣住民が受け入れなければならない責任を負うものではないこともまた明確にすべきであって、責任を負うべきではない人々に犠牲を強いる主張であるということに関して謙虚であるべきだ、ということでる。言い換えれば、自己の要求が責任を負ういわれのない者たちに不利益を負わせる結果になるような要求を本来であればすべきでないにもかかわらず、そうした要求をせざるをえないということに対する運動側の自覚が不可欠だということである。

運動がどのような名前で呼ばれようと、利益共同体を越えてある種の民衆的普遍性とでも呼びうるような内実を持つことができないならば、そうした運動は独善に陥いる 危険性を持つ。だから、ガレキ拡散反対の運動が被災地の人々、とりわけ被災地での運動を担っている人々にとっても了解可能な論理を内包しているかどうか、 このことの検証を欠かすことはできない。

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私は、社会正義にてらして、本来リスクを誰が負うのが妥当なのかという責任問題の根本を回避すべきではないと考えている。ふたつの例を出してみよう。

沖縄の米軍基地問題と今回のガレキ問題の政府による対応策の間には非常に共通した点が多いことはこれまでも指摘されてきた。沖縄への米軍基地の偏在を解決する方法として、県外移設があるが、これはリスクの拡散である。沖縄の世論にも沖縄以外の日本のどこかが引き受けるべきだという主張は決して小くはない。しかし、本土の反基地運動は米軍基地の本土拡散にははっきりと反対してきた。だが、かつて橋下元大阪府知事は基地の受け入れをいちはやく表明したことがあった。これはリスクを引き受ける「勇気」を表明することによって強い政治指導者を演出するポピュリズムの典型的な態度だったといえる。もちろん彼が個人的に 米軍のリスクに日々さらされることになるわけではない。暴力、騒音、事故、「敵」からの攻撃、化学物質による汚染などの被害は基地周辺住民が被ることになるのであって橋下が負うわけではない。

沖縄でもなく本土でもない場所への米軍基地移転として、グアムを有力視する声は随分前からあった。 しかし、グアムでも先住民をはじめとして米軍基地反対闘争があり、受け入れ反対の声がある。グアムも沖縄同様、米軍は強制的に土地を取り上げて基地を建設した歴史があるからだ。日本の反基地運動がグアムの反基地運動の人々と交流するようになってから、日本の反基地運動のなかでグアムへの移転を要求する声は 徐々にトーンダウンしてきたと思う。米軍基地は沖縄にも本土にもグアムにも、そして世界中どこにもいらないという主張がコンセンサスとなり、米軍基地は移転や移設ではなく廃止が原則的な要求になってきたと思う。このコンセンサスは、国境を越える反基地運動の連帯と共同作業なかで、相互の意見交換や議論を通じて徐々に形成されてきたものだと思う。

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鎌田慧は『原発列島を行く』(集英社新書)のなかで六ヶ所村に放射性廃棄物の処理を押し付けようとする政府、電力資本、財界の思惑に対して、「『NO』の声を、六ヶ所村だけにあげさせるのではなく、地域に原発を受け入れたひとびとが、あたかもツケを他人に押しつけるように、廃棄物を六ヶ所村にはこぶ政策を拒否できるかどうか。それが原発の増殖を断つ、もっとも明快な態度の表明である」と述べている。

ここで鎌田が指摘しているように、運動は「ツケを他人に押しつける」ようであってはならない。これは当たり前のようでいて容易ではない。「他人」の顔が見えない時には尚更である。

放射性廃棄物処理をめぐる問題について、原発立地現地は六ヶ所村での処理に賛成してきたわけではない。廃棄物を六ヶ所村にはこぶ政策を拒否する運動が原発立地現地でも取り組まれてきたし、重要な課題だと認識されてきたと思う。以下にやや長い引用をするが、これは能登原発(志賀原発)差し止め訴訟原告団のニュースの記事である。

「抜き打ちで使用済み核燃料を搬出!
専用輸送船六栄丸が泊原発にも寄港l
北電は、1号機の冷却プールに貯蔵されている使用済み核燃料三○二体のうち八四体を七~九月中に六ヶ所村へ搬出するとしていた.このため六月三十日、豪雨のなか羽咋郡市勤労協連合会と七尾鹿島平和センターの二百名が原発周辺をデモ行進し「青森に押しつけるな!」と訴えた。
 その直後の七月二日早朝専用輸送船「六栄丸」が入港して搬出典を強行し、昼過ぎに出港した。県平和運動センターは緊急声明を行うとともに、現地行動はとれなかったが同日、金沢で三五○名、松任で二百名の掃禁行進者が、抜き打ち搬出に抗議する決議を行いデモ行進した。
 六栄丸は四日朝、泊原発に寄港。使用済み核燃料輸送容器2基を積込み、六日に六ヶ閲に入った.今回北電は極めて姑息かつ秘密主義のやり方で階を強行した.北海道平和センタ‐の話でも、刈羽村の住民投票以後、逆に情報隠しが強まり、直前まで日時がわからない、という。
●十月、新燃料欄入反対行勤へ
北電は八月末日、十~十二月中に9×9新燃料九二体を搬入すると県に通知した.(来年一月からの定検で交換)冬季ひかえ十月中に搬入される見通しが高い。これに備え、搬入反対行動の準備を今からはじめよう。
昨年十二月から始まった「使用済み核燃料」の本格搬入は、毎月一回搬入され続け、七月六日には北海道電力臼原発から十一トンと北陸電力志賀原発から十一トン、日本原電敦賀原発から四トンが搬入された。この結果、総受入れ量は約二百七十一トンにも達した。
 青森県反核実行季員会は、七月三日に知事と日本原燃㈱に対して中止を申し入れるととに、六日当日は現地六ヶ所港で宣伝カーによる抗蟻行動と、県庁前での昼休み抗蟻集会を行った。
「核のゴミ」押しつけないで!青森現地の訴え
使用済み核燃料は再処理するな!
六ヶ所再処理工場は、二〇〇五年の稼働をめざして急ピッチで建設が進められているが、電力会社や推進派の学者からも「再処理をせず、中間貯蔵を」という声が多くなっている。当初建設を手がけた日本原燃サービス(株)の豊田正敏元社長や鈴木篇之東大教授らも『旧式で採算かとれない」として、中間貯蔵を提言している。推進派もここまで追い込まれている。核のゴミを出しつづける原発を廃止すれば全部が止まる。元からつつぶす活動をさら大きくしよう。」
『能登原発とめよう原告団ニュース』60号、2001年9月12日」

志賀原発反対運動は「核のゴミ、作るな、運ぶな、押し付けるな」をスローガンに掲げた。運動は核のゴミを生み出している現地でもゴミの受け入れを押しつけられる側でも連動して展開された。

しかし運動のなかで核のゴミをどこでどのように処分することが妥当なのかという点についての代替案が提起されていたわけではないが、運動は明らかに、ゴミを送る側でも受ける側でも問題意識の共有があったのだ。

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今回のガレキ処理問題で私がガレキ受け入れ反対運動に対して抱く一つの危惧は、運動のなかでの合意形成に関わる事柄である。ガレキ受け入れ反対とガレキ搬出反対が共鳴しあう関係のなかで運動が成り立っているとはいえず、被災地の運動と非被災地の運動の相互のコミュニケーションが見えない。言い換えれば運動の民主主義が成り立っていないのである。原発事故がもたらした未曾有の放射能汚染に対する解決の方途を見い出すことは容易ではない。脱/反原発運動にとって も簡単に合意に達することのできる問題でもない。だからこそガレキの問題にどのように取り組むべきなのかを、受け入れを強いられる側の住民や運動だけで決めるべきではないのではないかと私は考える。脱/反原発運動という共通の問題意識をもつ人々が、場所を越えたコミュニケーションとコンセンサスのとれない 状態のままであるべきではないだろう。

このことを強く感じたのは、3月10日、11日に郡山市で開催された311一周年目の集会に参加したときである。ガレキ問題はほとんど議論のテーマになっていなかった。日常的な被曝にさらされ、除染は一刻の猶予もない大問題であるにもかかわらず、福島 県や多くの県内自治体はリスクを過少に見積もり経済復興を優先させようとしている。強制避難区域の住民たちの不安定な生活が身近にあるなかで、この避難区 域をゴミ捨て場にするような合意がありえようはずもない。広範囲に汚染された物質に囲まれている経験を踏まえれば、そのような経験を非汚染地域の住民に押しつけることを福島の運動が課題にできるだろうか。福島が、あるいは原発が立地している近隣地域がガレキを引き受けることは、余りにも理不尽な仕打ちだと 感じているのではないかと思う。このようときに、ガレキは原発立地現地で集中して処理すべきだという主張は、運動が持つべき社会正義といったいどうやって 折り合いがつくというのか。誰もが納得できるように解決する道筋をつけることが困難な問題であればあるほど、当時者の間の議論は欠かせないのではないか。 福島や被災地を「他者」として討議主体から外してしまいがちな非被災地の都市部の運動は、運動が持つべき民主主義の条件を満していないのではないか。とりわけ自己のリスクと他者のリスクがトレードオフの関係にある場合(押しつけあいの関係になる場合ということだが)、他者の安全を犠牲にして自己の安全を確 保する運動はかならず「他者」とされた人々との間に深刻な摩擦や確執をもたらすだけでなく、運動の分断をもたらす。運動の民主主義が向うべき方向はこれと は真逆であるはずだ。

他方で政府や行政は被災地とその他の自治体相互の調整を着々とすすめてしまった。政府・自治体は原発政策について、 廃炉はおろか再稼動についても態度を曖昧なままにして、被災地の窮状を利用しながら「合意形成」の形式的な手続をすすめるだろう。この「合意形成」が実質 を伴なわない捏造された合意であるということを唯一白日のもとに晒すことができるのは運動の民主主義だけである。

このブログで、私はこれまでも運動が「仕方がない」を口に出すべきではないと述べてきた。何よりもはっきりさせるべきは、筋を通して考えるとすれば、どのように考えなければなら ないのか、である。ガレキの問題であれば、その責任の所在を明確にし、責任あるものに責任を取らせるということである。被災地や福島原発の強制避難区域に 住む人々に責任があるのではないことは明らかであろう。そうであるなら、彼らがガレキのリスクを負ういわれもないはずである。私は、リスクは原発のエネル ギー供給によって利益を得たものが負うべきから、東電管内で処理すべきだとさえ主張した。この考えを支持する人達は少ない。しかも、石原都知事や関東地方の首長たちがガレキ受け入れを表明するに至って、小倉の主張も石原の主張も理由はともあれ結論において一致しているのであれば、結果として政府や石原を利するだけではないか、という当然の批判がある。右回りであれ左回りであれ着地点が同じというのは気持ちのいいものではない。しかし実は着地点はまったく違う。私は福島原発の最もリスクの大きい汚染されたガレキをも引き受けるべきだと言っているのだ。このことは首都圏全体を人の住むことのできない場所にする可能性のある主張でもある。しかし、それだけの危険性をはらんだ施設を東電は福島に建設したのである。メガシティ東京の「豊かさ」が誰の犠牲によって享受しえてきたのか、その犠牲の大きさに愕然とすべきなのだ。

東電管内でガレキを引き受けるべきだという私の主張は非現実的だ、という反論を これまでも受けてきた。しかし、10万年もの間安全に保管しなければならないような放射性廃棄物を生みだし続ける原発が現実に存在することを非現実的とは言わないとすれば、10万年という物差しの現実性を前提すれば、福島が汚染されたガレキから解放される可能性は十分にあると思う。地震学者たちは数百年を 単位に原発の危険性を論じているように、脱/反原発運動の側も、その時間と空間の尺度を大きく変えなければならない。分単位で問題にされなければならない 原子炉内部の高濃度の放射能汚染による労働者の被曝から気の遠くなるプルトニウムの半減期の時間まで、また、ほんの数ミクロンが問題になる内部被曝から地球を何周もするような大気汚染に至るまで、運動がリアリティをもって獲得すべき時間と空間の座標軸を大きく変更しなければならない。敵が非現実極まりないものを現実のなかに拗じ込み、時間と空間を大きく歪ませできたのだから、運動の側がこの非現実的な現実を越える想像力を持てなくて、どうしてこの怪物に打ち勝つことができるというのだろうか。

このように考えたとき、原発の問題は、政府や極右の自治体首長たちが国益や「日本人の精神性」といったスタンスで乗り越えようとする時間と空間の幅がいかに狭いもにであるかは容易に理解できるはずだ。10万年という時間、地球規模の空間的拡がりを考 えれば、原発の問題は国家も民族も越えるところでしか解決しない。このことはほぼ確実なことである。運動の民主主義は10万年の民主主義を内包しなければならないし、国家も民族もありえないであろうような未来に負債を負っていることを自覚すべき問題なのではないだろうか。目前の喫緊の課題でもあるガレキの問題をこのような迂遠な議論で煙に巻くのは議論のすり替えだろうか。そうとは思わない。埋めようが燃やそうが10万年の問題は消えてなくなるわけではないからだ。
初出:ブログ2012-4-1 1:51

202年4月3日 日刊ベリタ http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201204032004142