「戦争はなぜに」――アインシュタインとフロイト往復書簡への批判
目次
- 1. はじめに
- 2. 法と動物――暴力の場所
- 3. 感情的な絆と暴力――なぜ戦争に熱狂するのか
- 4. 理念・理性と破壊欲動
- 5. 全ての戦争が否定されるべきものとはいえない
- 6. 破壊欲動と生物の宿命
- 7. 物質的な充足と平等による攻撃性の消滅は錯覚である
- 8. 神話と文化
- 9. 文化の所産
- 10. 落とし穴――死の欲動で戦争は理解できない
- 11. 社会集団による目的意識的な殺傷行為
- 12. 書簡にみられる戦争と平和をめぐるフロイトの振れ幅の意味
- 13. おわりに
1. はじめに
ここでは、アインシュタインとフロイトの間で交わされた戦争をめぐる書簡をとりあげて、戦争を廃棄するための前提となる問題について考えてみたい。1
1932年7月30日、国際連盟の国際知的協力機関の提案を受けてアインシュタインは、戦争をテーマとした書簡をフロイトに送る。この書簡のなかでアインシュタインは、数世紀もの間、平和を希求する試みがありながら達成できていない背景として「人間の心自体に問題がある」のではないかと問い、心理学者のフロイトに次のように書いている。
なぜ少数の人たちがおびただしい数の国民を動かし、彼らを自分たちの欲望の道具にすることができるのか?戦争が起きれば一般の国民は苦しむだけなのに、なぜ彼らは少数の人間の欲望に手を貸すような真似をするのか? (中略) 国民の多くが学校やマスコミの手で煽り立てられ、自分の身を犠牲にしていく――このようなことがどうして起こり得るのだろうか? 答えは一つしか考えられません。人間には本能的な欲求が潜んでいる。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が!2
アインシュタインは、人間の心の問題こそが戦争を考える上で重要なことであり「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」と自問し、フロイトにこの問いへの答えを期待した。この書簡でアインシュタインは、フロイトが「この焦眉の問題に対してさまざまな答え(直接的な答えや間接的な答え)を呈示なさっているのは、十分に知っている」とも述べている。アインシュタインがフロイトのどの著作に接してこう述べたのかは具体的には語られていない。たしかにフロイトは第一次大戦以降、戦争の問題に関心を寄せて時評3を書き、「死の欲動」という新たな概念を提起してきたことが念頭にあったのかもしれない。
これに対して、フロイトは返信の冒頭でアインシュタインの問いを「心理学者の立場から考察するなら、戦争を防止するという問題はどのような様相を呈するかを述べるのが期待されている」4と要約している。しかし、書簡の内容は、自身の主観(あるいは戦争体験)と交錯する形で論じられている。5彼は、書簡執筆時点では平和主義者を自認するが、第一次大戦に反対したことはない。戦争を嫌悪する者という基本線をとりながらも、論旨は戦争をやむなく肯定せざるをえない場合があることも率直に認めるなど、相対立する観点や感情が交錯しながら展開されてゆく。つまり、かつての戦争に反対しなかったのにはそれなりの理由があり、同時に、だからといって賛成していたわけでもないのにもそれなりの理由がある、ということを、第一次大戦という言葉を避けながら、語っている。
フロイトの議論は、アインシュタインの問いを踏まえて、これまでの人類の歴史的な経緯と現在について、どうして戦争が防止できないのか、この点を個人と集団としての人間について、心理学者がとりうる観点というところから議論を試みるが、その背後に、彼自身が実際に戦争に対してどのような心理で向き合ったのか、という個人の経験や感情を払拭しきれていない。この個人的な経験と心理学者としてこれまで行なってきた研究とが交錯するような彼自身の複雑な心理状態が書簡に反映している。だから、戦争を防止するという問題を、心理学者として、こうすれば防止できると答えられているわけではない。もし答えられるのであれば、とっくにそのように発言しているはずだ。しかしまた、戦争を肯定し戦争が人類にとって宿命であり回避不可能だとも答えてはいない。このような惨劇が文明(フロイトのいう文化)の帰結であるとは認めがたいことだという実感を持ってはいる。だからこそ、戦争を防止することも必然とすることも、ともに可能な選択肢としてあると言う以外にない、というのがフロイトの答えである。その上で、彼は心理学者としての理論的帰結としてではなく、ひとりの人間の選択として、戦争を防止することこそが平和主義者としての自分のとる態度であるという決断を示す。
フロイトはこの書簡で何度かアインシュタインが想定するような都合によい戦争を防止するための心理学的な答えなどはありえないということを、時にはかなり悲観的に、あるいはあたかも戦争を必然とみなして肯定すらしているかのようにすらみえる表現で述べてもいる。アインシュタインの一般論としての戦争についての問いを、より具体的に、「フロイトさん、あなたは平和主義者であるということですが、なぜ第一次大戦に反対しなかったのですか?その理由を心理学者としてのあなたの専門に即してお答えいただくことは可能ですか?」とでも問えば、彼が戦時中戦争をどのようなものとして経験し、何を考え、なぜはっきりと反対の意思表示をしなかったのか、といった一連の事柄にもはっき答えたかもしれない。
この意味で、この往復書簡から、平和の理論的な根拠のようなものを期待することはできない。しかし、戦争へとひきずりこまれる個人と集団が陥りやすい罠がどのあたりに潜んでいるのかについては、いくつかの示唆を得ることができる。フロイトのこの書簡は短かいものであり、これだけでフロイトの戦争論――暴力論といった方がより妥当かもしれない――とでもいうべき議論全体が網羅されているわけではない。しかし、書簡での議論をひとつのきっかけにして、戦争を廃棄するという問題へのアプローチにとって、必須の課題が何なのかを知るための重要ないくつかの論点は得られるだろうと思う。
2. 法と動物――暴力の場所
アインシュタインが戦争を主題として取り上げたとき、彼の念頭には、紛争解決の司法と立法の権限が与えられうるようなある種の世界政府のような統治機構が創出されれば戦争を防止しうるかもしれない、という思いがありつつも、他方で、こうした権力を有する国際的な司法権の確立が困難だという悲観的な現状認識が述べられている。その上でアインシュタインは、だからこそ平和を阻害する人間の心の問題に関心をもち、フロイトの答えを期待した。
フロイトは、このアインシュタインの法と権力の問題の枠組みを受け入れつつ、権力と法を暴力と言い換えうるものと冒頭で断っている。つまり、法は暴力から生まれ、暴力も法から生まれる。両者は相対立する概念ではなく、相互依存、あるいは相互に相手を前提・根拠としている、という見方が示される。第一世界大戦が法治国家の枠組みのなかで法認された暴力として展開されたことを想起する必要があるだろう。
その上で、フロイトは、本来(つまり原始時代の、と言いかえられるような時代が想定されていると思われる)人間相互に利害の衝突があったときの問題解決の手段は「原理的に」暴力であったとし、「動物界全体でも同じで、人間は自分がこの一部であることを自覚すべき」であり、こうした光景が「もともとの状態」「暴力による支配」だという。いわばフロイト流の自然状態ということだろうか。人類は、このもともとの状態から変化してきたが、これが「暴力から法に通じる道」であり、「唯一これを措いてはほかにないそんな道」でもあるという。6法を暴力とみなしている観点を念頭に置くと、これは、暴力から暴力の潜勢力としての法へ、という過程でしかなく、暴力に抗する過程だというわけではない。法は常に暴力が顕在化する契機をはらむものであり、合法的な暴力としての軍隊や警察、あるいは監獄のような刑罰の制度は、戦争の前提をなすことはあっても戦争を廃棄する契機をはらむものとはいえない。この限りでフロイトは、利害の衝突を広義の意味での暴力以外の方法で解決するという具体的な選択肢は一切与えていない。7 この意味で、フロイトはアインシュタインのようなある種のコスモポリタンの理想主義者としての立場をとらない。
この書簡でフロイトは、暴力に属する殺害行為に格別な位置を与えているようにみえる。殺害によって「相手を永続的に除去するとき、すなわち殺してしまうときに」相手の異論や要求の排除が「最も徹底したかたちで達成される」のであり、これが見せしめとなって、他の者も殺害を恐れることになる。しかし、これは単なる実利的な振舞ではなく「ひとつの欲動的な傾向を満足させ」る行為でもあるとする。他方で、殺害ではなく生かしておく場合は、ここに服従の関係が生まれる。この服従関係は「敵に対する容赦の始まり」となるが、同時に「勝者はこれ以後、敗者の内に潜む復讐心を考慮に入れねばならなくなり、自分自身の安全の一部を放棄することになります」2と述べている。8
フロイトは、唯一絶対の強大な力を持つ者に対して、団結してこれに立ち向かう弱者の集団という対抗関係を経て、人類は、暴力が抑制される道を歩んできたという。「暴力は団結によって打破され、この団結した者たちの権力が、一転、個人の暴力に対抗して法となって現れるのです」と言う。だが、先に指摘したように、フロイトは権力や法という概念をあえて「暴力」と置き換えることを意図的に表明していた。だから法と暴力の関係は次のようになる。
法とはひとつの共同体の権力なのです。法はあくまで暴力であり、共同体に逆らう個人がでてくれば、いつでもそれに対抗する用意ができており、暴力と同じ手段を使い、同じ目的を追求します。実際のところ違いは、言い分を押し通すのが、個人の暴力ではなく、共同体の暴力であるという点に尽きます。9
剥き出しの暴力から法の外皮を纏った潜勢力としての暴力へという歴史的な展開が文字どおり史実であったかどうか、私は疑問に思うが、他方で、革命から革命後の安定した秩序構築へ、といった社会過程を念頭に置いてみた場合、暴力による秩序から法による秩序――潜勢力としての暴力の秩序――へと移行する過程をたどる歴史は近代史のなかでも珍しくないだろう。
3. 感情的な絆と暴力――なぜ戦争に熱狂するのか
フロイトの記述は法や暴力が個人とどのような関係にあるのか、という問題には曖昧さを残しているが、これは意図的だと思う。つまり、剥き出しの暴力を抑えこむ潜勢的な暴力としての法を確立するには、共同体を構成する多数者が団結堅固であることによって独裁的な個人による暴力を抑制する必要がある、というわけだが、どうして諸個人が「多数」となり、この潜勢的な暴力=法を承認することになるのか。
共同体は永続的に維持され、組織化されねばならず、懸念される反乱を予防するための規則を作成し、この規則――法律――の遵守を監視し法に則った暴力行為の執行を担当する機関を設置しなくてはいけません。このような利害の共同体を承認することによって、団結した人間集団の成員たちのあいだに互いを拘束しあう感情の絆、共同体感情が出来上がってきます。共同体の本来の力は、この感情によるものなのです。10
フロイトは権力の暴力自体は否定せず「暴力行為の執行を担当する機関」の必要性を認め、この承認を前提として、共同体を維持する多数者の「互いを拘束しあう」「感情の絆」ができるとみているところに注目したい。共同体の感情、よりわかりやすくいえば、近代国家であれば、ナショナリズムの感情がもたらす諸個人相互の絆は、フロイトによれば「拘束しあう感情の絆」であって、彼がいう肯定的な欲動、快原理に基くものではない。このフロイトの発想は、家族関係のなかでの暴力の位置に関するフロイトの枠組みを国家に横滑りさせているに過ぎないようにも思われる。つまり、家族のなかで夫であり父である男が暴力の潜勢力を独占する一方で、この暴力を前提として家族相互を束縛する感情の絆による家族感情が構築される。これに不可欠な要素として「愛」が絡みつく。確かに、この枠組みでは、暴力は顕在化せず、家族の「永続性」は維持されるが、これが平和の内実をもつものではないことを、私たちはよく知っている。近代家族のイデオロギーはこれをロマンチック・ラブのイデオロギーで正当化する。フロイトの上の議論は、この構図がそのまま国家とナショナリズムとして横滑りさせられている。フロイトにとって近代家族の暴力の潜勢力を説明することはできても、これを克服する道を与えることができていない。同じことは国家と戦争(暴力)についても言いうることだ。11
この感情の絆は共同体内部の治安には貢献するかもしれないが12、外部に対する暴力を否定するものではない。共同体の外部から共同体に対して振われる暴力の問題は、共同体の成員間で形成される感情の絆の外にある集団からの脅威であるから、感情の絆という条件は、戦争のような他者に対する暴力を回避する目的には寄与するとは限らず、むしろ感情の絆が戦争へと集団を駆り立てかねないという問題に着目すべきだった。
しかし、フロイトは「成員たちの感情の絆という拘束によって結束が保たれるひとつのより大きな統一体に権力を委譲することによって、暴力は克服されるのだ、ということです」と述べて、彼が言いたい「本質的なところはすべて出そろった」13と結論してしまう。人間から暴力あるいは戦争そのものを完全に排除することはできないが、剥き出しの暴力を法という暴力の潜勢力に置き換えることによって暴力を回避することは可能であるというだけでは、法によって正当化される戦争に関する問いには答えたことにはならない。事実、フロイトの書簡は、この後もかなり長く。
感情の絆は戦争への人々の感情的な動員にも寄与する。フロイトはアインシュタインへの返信のなかで次のように書いている。
あなたは人間を戦争に熱狂させることが実に容易であるのを不思議に思っていらっしゃる。そして、人間の内には、何か憎悪や殲滅への欲動といったものが作用しており、これがそのような扇動に迎合するのではないかと推測していらっしゃいます。ここでもまた、私は何の留保もつけずにご意見に賛同するほかありません。14
フロイトは人間の欲動には二種類しかない、と断言する。「維持し結合しようとする欲動群」あるいは「エロース的な欲動群、あるいは通俗的な性の概念を意識的に広げて性的欲動」と呼ばれるものと「破壊し殺害しようとする欲動群」である。フロイトの学説のなかでもその評価が分かれる「死の欲動」がここに関わる。15これらの二つの欲動は相互に連携しながら作用する。「これら二つの欲動のうちいずれもが必要不可欠なのです。両者が協働したり対抗しあったりする中から様々な生の現象が生じてきます」。16 だからこれらの欲動が単独で作動することはほとんどない、ということが前提にされている。そして、他方で、性的欲動と破壊欲動が相互に矛盾するわけではない点も指摘する。
たとえば自己保存欲動は、たしかにその本性がエロース的なものとはいえ、自らの意図を貫徹することになるなら、それ自身、攻撃性を備えている必要があるのです。同じように、対象に向けられた愛の欲動も、そもそも自らの対象を手に入れようというなら、征服欲動の援軍を必要とするのです。17
この指摘は重要な観点を提起している。性的欲動は自衛のためには相手を攻撃する性質を備えているという。攻撃=破壊欲動と性的欲動は一体となって、自己保存を確立することになる。他者の死と自己の生という関係がここでは肯定されることになる。言うまでもなく、この関係は相手にも言えることだから、結果として、自他の間には性的欲動にそそのかされた破壊欲動の衝突が避けられないことになる。
フロイトは欲動がエロースと破壊性の合成と捉えているから、人間の行為とは、そもそも、複数の動機が出会うことが必然であるという理解になる。だから、戦争へと向かう人間の欲動を、たとえそれが破壊欲動であったとしても、「快」の欲動に分類することができるものでもあり、戦争の動機は人それぞれであり、ひとつではない、ともいう。
攻撃と破壊に興じる快は、間違いなくそういった動機のひとつであり、歴史上の、あるいは日常の数えきれない残虐行為は、これらの動機が存在し、またいかに強力であるか裏付けています。この破壊追求が別の追求、たとえば性愛や理念の追求と混汞すると、当然、満足が得られやすくなります。18
攻撃や破壊に快を割当てるのはなぜなのか。なぜこうした行為を抑圧するように、つまり不快を割当てないのか。いや、実際には、ある人達には快を、別の人達には不快を割り当てるのであって、同じ共同体のなかでも、その反応は同一にはならない。なぜ、そうなのか。快によって促される残虐行為は、こうした行為を抑制する契機を見出せない、ということになるように思われるが、しかし、他方で、こうした残虐行為が、ある時点で反省され抑制へと転換することもよくみられるように思う。軍であれば、兵士の残虐行為を上官が抑制する、逆に上官の残虐行為命令を部下の兵士が拒否する、といった対立する判断が生まれることもある。なぜ、そうなのか。また、残虐行為の現場では、同時にレイプなどの性犯罪も随伴することがよく知られている。フロイトの上の指摘はまさに、この点を指摘しているのだが、残虐行為が快であり、快である以上性的欲動(エロース)を動員するだろうという筋道はその通りだとしても、そもそも残虐行為に快を割当てるメカニズムが不明なままだ。父の暴力が父にとっての性的欲動に基いていることは理解できるが、このことが、国家レベルの軍事組織の暴力を支え、更に「国民」としてのアイデンティティへの統合の背景にある、ということだとしても、このようにはフロイトは端的には表明していない。これ以外に別の答えがあるとは思えないが、なぜフロイトは端的な答えを避けたのか。あるいは、私が推測するこの答えはそもそも間違いなのか。この問題は、厄介な問題を提起する。戦争を廃棄し暴力の契機を排除するためには、人々の生育環境のなかで潜勢的な暴力を制度化する家父長制的な家族関係そのものの廃棄を伴う必要があり、このことは、フロイトが意図的に回避しようとした幼児期の性的暴力を構造化させてきた近代家族の抑圧という問題を蒸し返す必要がある。暴力の問題が、ここまで人々の生育環境と私的で親密な人間関係にまで降りてこない限り、自衛を含む暴力を肯定する心理に抗うことはできないのかもしれない。
なぜ戦争の残虐行為に性的欲動が動員され「快」が割り当てられるのかは、父-母-子のエディプス・コンプレクスのなかの暴力と抑圧の構造の延長線に――あるいは類推に――よっては理解しえない別の要因があると思う。この点は、アインシュタイン=フロイトの書簡を対象とする本稿の範囲を越えるので、一言だけ述べるにとどめたい。戦争の残虐行為を可能にするメカニズムに不可欠な条件は、端的にいえば人間の物象化である。他者を「物」あるいは「物」になぞらえうるシンボリックな存在にすることによって、殺傷行為はあたかも「物」の破壊であるかのような心理的処理を可能にする仕組みが存在する。とりわけ近代の戦争は、物象化の構造によって凄惨かつ大規模なものになり、そのための技術もまたこの線に沿って開発されてきた。人権や人道が普遍的な価値の位置を占めた近代世界が人類史上稀にみる大量殺戮の時代であるのは、他者を物とみなすことを可能にするようなメカニズムが作用しているからだ、とみる以外にない。「物」には人権はない。人間を物とみなすということは、当の人間に人権を認めないということでもある。ここには近代世界に特有の物象化と疎外のメカニズムがある。相手を人間でありながら人間ではないものとして扱かう特異な認識枠組がどのようなものなのか、それがどのようにして心的外傷を回避する作用をもたらすのかなど、様々な課題は別稿に譲ることになる。
自衛のための破壊欲動の正当化といっていい破壊欲動と性的欲動の共犯関係は、戦争を論じる場合のひとつの核心をなしている。日本のなかで、繰り返されてきた自衛のための戦力を肯定する主張が次第に多数派を形成し、平和憲法を擁護して9条改憲を否定する人達の中にすら、自衛のための殺傷行為を現行憲法9条の文言のなかに読み取ろうとする場合が少くない。9条を心情的には支持しても、戦争に伴なう被害者不安は拭い去ることができないからだ。だから国家による自衛権行使までは否定しがたい感情に囚われることになる。ここには、国家の自衛権行使の意図の見誤りがあるように思う。この問題を考える上で、個人の心理に焦点を当てたフロイトの破壊欲動とエロース的な自己保存欲動の不可分一体性という理解は示唆的だ。この議論は、個人の情動に根差した感情に関わる。個人の感情が個人を越えて集団的な心理として構成され、それが法や制度の構造と絡みあう。このように、私たちひとりひとりの心理は、ナショナリズムに収斂されるような集団的アイデンティティへと媒介される回路に組み込まれている。法制度や軍隊の問題と、この国に暮す人々ひとりひとりが、自分を「日本国民」と自認してアイデンティティを形成することが当然とされる枠組みのなかにあるという問題は、戦争を論じる場合の二つの極をなすものだ。この構図のなかで、人々は不安感情を煽られ、自己保存の欲動を私的な情動のなかで内面化する物語(フィクション)を作りだす。自分の国(この「の」が曲者だ)は正義を体現し、その周辺には虎視眈々とこの国を侵略しようと狙う不正義な国々がある――これはフロイトが第一次大戦初期に抱いたイギリスへの敵意にもみられる――かのような「物語」だ。これが、国家の物語としてではなく、私的な一個人の心情の物語として実感される。戦争が悲劇に終わろうともこの物語は容易には否定されない。フロイトですら悩まされたに違いない経験的実感は、理論的な客観視を獲得できても実感を記憶から消し去ることはできない。とりわけナショナリズムは戦争の勝敗に関わらず強固に人々の社会心理の核心を支配しつづける。
4. 理念・理性と破壊欲動
フロイトは、破壊欲動と性的欲動の共犯関係とは別に、歴史上の様々な蛮行への理念の共犯関係も指摘する。
私たちは、歴史上の蛮行を耳にするとき、理念的な動機は破壊的な情欲によって単に口実として利用されたにすぎないという印象を受けることがままあります。別の場合にはまた、たとえば異端審問における残虐行為では、もろもろの理念的な動機が意識の前面でわれ先にひしめく一方、破壊的な動機がそれらに無意識的に加勢していると思われたりもします。いずれもありえます。19
破壊的な情欲――欲動と言い換えてよいだろう――を正当化するために理念的な動機が持ち出される。逆に、理念に破壊欲動が加勢して、この理念的な動機の達成を促す。前者の場合、破壊欲動を誘引する事態が何かなければならない。その何らかの事態が破壊欲動をもたらすためには、この破壊欲動を抑制する反対の欲動が抑え込まれる必要がある。こうした欲動のベクトルの弁証法がどのようなメカニズムをもっているのかは、ここでは語られていない。異端審問のばあいは、理念的な動機が破壊欲動へと導かれる過程がこれまでの研究でも取り上げられてきた。こうした組織的な処刑の行為を遂行する教会などの組織がもつ破壊欲動は、いわゆる怒りや激情に根拠をもつものというよりも、理念が駆動力になっているのであって、理念が殺害の破壊欲動を導くことに寄与している。個人の破壊欲動が感情的な要素(怒りなど)を不可欠の条件にしているとすれば、軍や教会などの支配的な組織が破壊の主体になるときには感情的な要素は必ずしも必要条件ではない。しかし、こうした組織は、自らの行為を正当化するために、人々に対しては理念だけではなく憎悪の感情を煽る。実際の虐殺を組織化する当事者ではない傍観者たちは感情的な要素が支配的な破壊欲動の主体となることによって、加害に手を貸すことになる。異端審問であれ集団虐殺行為であれ、実際には、この両極のなかで展開されるような理念と情動の弁証法が機能しているに違いない。
5. 全ての戦争が否定されるべきものとはいえない
この書簡でフロイトは自衛のための戦争を肯定する。ここに、戦争の是非についての曖昧さがかなりはっきり示される。
共同体が個々人の生を処する権利を持つべきでないかどうかは疑問です。またあらゆる類いの戦争を一律に弾劾するわけにもいきません。折あらば容赦なく他を殲滅するつもりでいる帝国や国が存在する以上、他の国々としては戦争に備えて装備を整えておかなければなりません。
婉曲な言い回しだが、個人が生きるか死ぬかの決定を共同体に委ねることがありうると述べている。つまり野蛮で残酷な帝国の侵略のような場合には、個人が自らの生死を国家に委ねることを否定せず、自衛のための戦争の必要を肯定する。残虐な国家と、これに侵略される残虐ではない国家、このありがちな対比のモデルが前提されているが、自分が帰属する国家が果たして残虐な国家ではないということをどのようにして間違いなく判断できるのだろうか。多くの戦争は、敵を残虐とし自らを正義あるいはその被害者と位置づけることによって、自衛のための戦争行為を正当化する。こうした世界理解が虚偽であるか真実であるかは重要な問題であるとしても、破壊欲動を動員し諸個人をナショナルなアイデンティティに同一化させる枠組が功を奏するかどうかという点に関しては、真偽の問題は関係がない。世界理解は真実であれば人々の情動を動員することに成功する、ということはない。世界理解の枠組は真偽の二元論でもない。真とは言い難いが虚偽とも言い難い理解の領域があり、ここでは宗教や神話といった要素が人々の世界理解と欲動のベクトルに重要な役割を果す。また、それだけに留まらない。理念的な動機が破壊的な情欲によって口実として利用されうるのだから、理念や理性すら破壊欲動に加担する。暴力的な国家を構成する人々や権力者はなぜ破壊欲動を権力の具体的な制度として実体化するところにまで至ることが可能なのか、こうした問題にここでは応えていないが、その答えは、情念ではなく理念的な支えの存在だろう。それは哲学や美学であるかもしれないし、歴史学であるかもしれない。フロイトはこの点に気づいてはいても深追いをしていない。
浮世離れした理論家ではなく現実主義的な一個人としてフロイトは、自らの専門性をこうした現実にある権力の破壊欲動の根源にあるものを探ることも断念し、また、これを回避する上で必要な心的な構造の模索も断念している。フロイトが精神分析の専門家であって政治や社会を対象とする学者や活動家であるわけではないのだから、こうした問いをフロイトに投げかけるのは、御門違いだという批判がありうるかもしれない。しかし、フロイトは、社会のありようと自分の専門性との関係に無関心ではなかったし、むしろ社会と個人の心的な状況との関係こそが彼にとっての関心を支える背景に一貫してみられるものでもあった。ただ単に禁欲的な研究者であり分析家であったわけではない。だから、とくに第一次世界大戦を契機に「戦争神経症」について関心を寄せ、共同研究を残し、集団心理についても独自の考え方を示してきたのだと思う。
他方で、フロイトが社会(共同体)と個人の関係を理解するために利用可能な持駒には独特な偏りがあることも確かだ。それは、個人と社会(共同体)との繋がりを構成する枠組には、個人が家族関係を介して家族の外部にある、より大きな社会集団と繋がりをもつことを、個人の出生から成人に至る成長過程を視野に入れて自我形成を理解しようとする側面と、他方で、私からすると大きな飛躍があると感じるのだが、「原父」といった概念に示されているような太古の時代へと遡及するような半ば遺伝的な系譜を含んだ歴史的な時間のなかで個人のパーソナリティの宿命的な側面――これを「エス」と名付けるようになるが――があるのだが、この両者を媒介するより精緻な歴史と個人の関わりを架橋するような枠組みが欠如している。だから近代国民国家という歴史的な権力の構成のなかで戦争が組織化され、人々が動員されるという構造もまた不十分なままになる。
とはいえ、家族関係のなかでの生育環境がパーソナリティにもたらす影響――ここには個人が意識することのできない無意識の領域も含まれる――という微視的な個人の特性に焦点をあてることにおいては、フロイトの枠組は比類のない重要なパラダイムであることは間違いない。ここを出発点として、近代国民国家の歴史のなかで演じられてきた破壊欲動の構造化とでもいいうるような戦争と個人の関わりをめぐる多くの重要な業績がフロイト以後に生み出されることになった。だから、フロイト以後の戦争や暴力をめぐる議論が、家族と国家の歴史認識のミッシング・リンクを繋ぎあわせるための様々な試みとして展開されてきたことは当然の成行きともいえる。私がここで念頭に置いているのは、たとえば、エーリッヒ・フロム、ウィルヘルム・ライヒといった同時代といっていい人達から、ハーバート・マルクーゼ、(ライヒを踏まえた)ドゥルーズ=ガタリ、あるいは、スラヴォイ・ジジェクやジュディス・バトラーといった現代の理論家たちまで、フロイトと戦争や暴力の問題への関心は途切れることがない。
6. 破壊欲動と生物の宿命
フロイトの破壊欲動が戦争と関連づけられるとき、破壊欲動が人間に生来備わっている欲動であるということから、戦争を回避できないという理屈が生まれがちだ。いわゆる人間には破壊本能があるのだから戦争という破壊行為を避けることはできない、といった俗説的な戦争宿命論の類いだ。フロイトは次のように書いている。
[破壊]欲動が生あるものすべての内に働いており、さらに、その生体を崩壊に至らせ、生なき物質の状態に連れ戻そうという志向を備えているという見解に至ったのです。この欲動は、文字どおり死の欲動という名に値します。(略)死の欲動は、特別な器官の助けを借りて外部へ、対象へ向けられると、破壊欲動となります。生物はいわば異物を破壊することによって自分自身の生を維持します。しかし、死の欲動の一定部分は生物の内部に残存し働きつづけます。20
上の文脈では、「死の欲動」とは、生命体が死す運命にあるということの言い換えにすぎないものになっている。ここでは、自然死を受け入れさせるメカニズムが人間のなかには存在する、という以上のことを意味していない。その上で、フロイトは、この死の欲動が「特別な器官の助けを借りて外部へ」向かうことによって、破壊欲動になるという。私は、この議論には疑問がある。ここで「特別な器官」と呼んでいるのは、「生物はいわば異物を破壊することによって自分自身の生を維持」すると例示しているように、たとえば口を使って獲物を咀嚼して食う行為のような場合だろう。死の欲動がこの意味に限定されるなら、主題になっている戦争や残虐行為の説明からはかなり程遠く、この説明は、戦争という手段を選択する理由としては説得力に欠ける。戦争もまた自己保存の一つの現れ――いわゆる自衛のための暴力――だとしても、戦争は、生物としての生存を維持するための食糧の獲得、あるいは飢餓⇒死を予想しての自己保存の手段としての獲物の捕食行為に類するもの、とはいえない。この意味での死の欲動を戦争の文脈でもちだされてしまうと、戦争はなくても生きられる方策はいくらでもあるはずではないか、という素朴な疑問にすら答えられないことになる。
フロイトはこうした生物学的な観点に後段で再度言及し、「人間の中にある醜く危険な志向」としての破壊欲動を「なんとか打破できないものか」と自問しながらも、この破壊欲動が生物学的な根拠をもつ以上避けえない性向であることを認め、破壊欲動への志向「のほうが、それに対する私たちの抵抗よりも自然本性に近いというのは認めざるをえません」21とまで述べる。戦争もまた生物学的な宿命にその根拠があるかのようなこの言い回しによって、破壊欲動から派生する戦争へと向かう動きは、ある種の悲観論的な宿命論になってしまう。
そもそも戦争というものは自然の道理に適い、生物学的にも歴とした基礎を持ち、実際面ではほとんど避けられそうにありません。私の問題提起に驚かないでください。(略)右の問いに対する私の答えは次のようなものでしょう。いわく、なぜなら、人間は誰しも自分自身の生にこだわりそれを処する権利を持つからであり、また戦争は希望に満ちた人生を破滅させ、個々人をその尊厳を辱めるような状態に追いやり、彼らをして、望んだわけでもないのに他人を殺害するように無理強いし、人間の労働によってもたらされた成果である貴重な財貨を破壊するからだ。そればかりではない。たとえば、戦争も現代のような形態になると、昔の英雄的な理想を充足する機会を与えてくれないし、また招来の戦争は、破壊手段が完成し、敵対する陣営の一方だけではなく、もしかすると双方の側もろともの根絶を意味することになるだろう….。22
この悲劇的な結末が自明であるにもかかわらず破壊欲動を抑制できないでいることについてフロイトは「挙げて人類が一致して戦争遂行を棄却していないのを不思議に思うほかありません」と述べている。彼が持ちだした破壊欲動の仮説をもってしても戦争がなぜ存在しつづけるのかを説明できていない、ということを率直に認めた形だ。
この引用文に続けてフロイトが次のように述べているところに注目したい。
私たちは相当数の正常な現象や病的な現象をこの破壊欲動の内面化から導き出すことを試みました。良心の成立を、攻撃性が内部へ向けられることから説明するという異端に手を染めさえしました。 お察しのとおり、この現象があまりに大規模に行われると、まったく危なげないとは言えません。端的に不健全であります。23
破壊欲動の内面化と良心という問題は、性的欲動に含まれる近親相姦のような逸脱を抑制し自らに欲動断念を強いる超自我がもたらす社会規範への従属の問題でもある。破壊欲動の内面化は破壊欲動を抑え込むが、フロイトは、これが「危なげないとは言えません」とか「不健全」だと言うのは、これが精神的な疾患となることがありうるからだろう。しかし、破壊欲動の内面化は、別の道を見出して露出することがある。つまり、内面化は、暴力という手段を選択しなように人間の行動を規制することを意味するのではなくて、逆に、破壊欲動が自己の欲動の基本的な性質として自らの自我を乗っ取り支配し、破壊欲動が人格を支配してしまうような状態になる場合がありうるからだ。しかも良心は、ここでは暴力や破壊欲動を断念させるものではなく、逆に、破壊欲動を発動させることを禁欲しようとする傾向を断念させ、暴力へと差し向けようとすることに加担するようになる。多くの人々が国家のために戦場に赴き敵を殺害して歓声を上げ、自らの命も国家に委ねることこそが良心が命ずることなのだ、というふうに、超自我の構成も性的欲動も破壊欲動に加担することができるように転換することにもなる。フロイトがあえて「この現象があまりに大規模に行われる」場合に言及しているのは、個別に見いだされる破壊欲動の断念をめぐる個人の葛藤や良心に由来する強い抑圧とは逆に、大規模な集団的な現象になったときには、良心による歯止めは効かずに破壊欲動の内面化が容易に外部へと方向転換しうる事態がありうる、ということを示唆していると解釈したい。そう解釈したとして、なぜ大規模な現象においてはこうした事態が生ずるのか、その理由については述べられていない。
7. 物質的な充足と平等による攻撃性の消滅は錯覚である
貧困と不平等が社会的な摩擦の背景にあり、戦争もまたその現れである、という考え方はフロイトの時代にも根強くあった。これに対してフロイトは、平等で物質的に充足された社会こそが平和の到来の前提だするボルシェビキの主張には同意しない。フロイトは、平等と物質的充足によって「人間の攻撃性を消滅させることができる」というのは「錯覚」に過ぎず、この考え方ではせいぜいのところで「なるべく別の方向に誘導して、攻撃への傾向性が戦争で表現される必要がないようにすることぐらい」24だという。戦争が抑制されるだけでも重要な転換だと私は考えるが、フロイトはこれを重視せず、人間の攻撃性の消滅に繋がらないことを重視する。
フロイトは、戦争ではない状態が人間にとって文字どおりの意味での平和ではないと考えている。フロイトが重視するのは社会の平和ではなく個人の「平和」なのかもしれない。フロイトは「好んで戦争へと向かう態度が破壊欲動の発露ならば、この欲動に対抗するには、それに対立する存在たるエロースに声をかけるというのが当然、考えられるところです」25という。エロースとは戦争に抗う感情の絆のことだが、これには二種類ある。ひとつが「愛する対象へ向かうような関係」であり、もうひとつが「同一化による一体感」だという。しかしフロイトは、エロースは自己保存の欲動によって自衛のための暴力に加担する、と指摘していたのではなかったか。愛する対象に向かう場合であれば、この愛する対象の生存の危機に対して、この危機を招来する者への攻撃が動機づけられるだろう。同一化の場合も、同一化の対象の危機は自らの危機でもあるから、こうした危機を招来する者への攻撃をもたらすだろう。いずれも攻撃である以上破壊欲動に主導され、結果として破壊欲動に帰結してしまい、破壊欲動に対抗するという目的には寄与しない。
これに対してアインシュタインに示唆されて、フロイトは、「理想的な状況」と断わりながら「自らの欲動生活を理性の独裁に服従させた人間たちの共同体」26であれば「完全で抵抗力を持つ、人間の結束を呼び起こしうるもの」であって、感情の絆が断たれても、結束は揺がないのではないか、と指摘する。しかしこれは「九分九厘、ユートピア的な希望」に過ぎないとして自ら却下してしまう。
結局フロイトは紆余曲折を経つつ、自らの専門性からの回答を断念している。「浮世離れした理論家」という自らに向けたかのような皮肉まじりの言い回しをしつつ、「いま手許にある手段でもって、それぞれ個別に危機に対処するように努めるほうがいい」27という現実主義に軍配を上げてしまう。
同時に、更に「なぜ私たちは戦争に対してこれほどにも憤慨するのでしょうか」「なぜ私たちは人生の数ある辛い窮境の何かほかのひとつのように、戦争を堪え忍ばないのでしょうか」28とすら自問する。特別に憤慨すべきことではないかのような言い回しだ。ここにはフロイトのアンビヴァレントな感情が滲み出ている。彼は直感的に自らの率直な感慨として、戦争を否定しようという気持を抱いていることは間違いないが、こうした「平和主義者」の態度を最初から持っていたわけではなく、むしろ戦争に熱狂した自分をも経験している。この経験は、彼の心理学者としての専門家の知見に基いて選択されたものではない。フロイトは、この書簡の中で、なぜ自分は戦争を肯定しオーストリア人としてのアイデンティティに同一化したのか、なぜ自分は戦争への熱狂から覚めて冷静な判断を取り戻すことになったのか、という自らの経験の振れ幅のなかで揺れ動いている。
8. 神話と文化
フロイトはこの書簡の最後で、破壊欲動をある種の生物学的な必然の側に置きながら、人間には、これに抗う可能性があることを示唆する。この可能性とは、人間にしかない文化的な条件である。そして、自然本性ともみなされる破壊欲動に対して、これに抵抗する自己の存在が由来するものとして「神話」に言及するやや不可解な一節がある。
「 もしかするとあなた[アインシュタイン]は、私たちの理論が一種の神話だ、しかも神話であるにしてもいささかも悦ばしい神話ですらない、という印象をお持ちかもしれません。しかし、すべての自然科学は最終的にこのようなある種の神話に行きつくのではないでしょうか。今日、あなたがたの物理学では事情は異なるでしょうか。」29
こう述べた直後に「とりあえず人間の攻撃的な傾向を廃絶しようと望んでも見込みがないということを引き出しておきましょう」と書いている。これは、攻撃的な傾向を廃絶することは不可能な目標だが、これを抑圧することはできるという含意を残した言い回しである。フロイトがここで神話と呼んでいる意味内容をやや論旨から外れて飛躍的に解釈しておきたい。30ここで「神話」と呼んでいるのは、エディプス・コンプレクスのようなギリシア神話をモチーフにした暴力の物語が念頭にあってのことなのか、あるいはより一般的にフロイトがトーテミズムやその他の古代あるいは原始社会について抱いている事柄に関わるのか、それにしてはあまりに無限定な表現だ。しかも神話という概念は、フロイトにとってはかなり重要な位置を占めていることを念頭に入れると、ここで精神分析理論がある種の神話だ、という大胆な断言を含んでいるので余計謎が深くなる。31とはいえ、神話をもちだすことで生物由来の破壊欲動に抵抗する何らかの対抗的な立場が想定されていることは理解できる。
神話や儀礼にみられる象徴的な破壊行為やその表象は、現実の破壊行為を回避するものであり、暴力を内包しながらもこれを廃棄できないからこそ、これを抑圧する人間の心的な構造の発達として捉えることもできる。たとえば、家父長制的な家族制度のなかであれば、父の絶対的な権力を背景にして、暴力の実際の行使に至らない抑圧的な秩序の形成によって、子どもたちはエディプス・コンプレクスを内面化することで暴力は潜勢化し「平和」的な外観の均衡が確立される。しかし、この枠組みの外部には、この均衡に還元できない複雑な欲動のベクトルによって、結果的に暴力の実際の発動を促す力が出現する。家族関係の内部に潜在的に内包されている暴力を顕在化させない権威主義的な抑圧の構造は、その外部に対しては機能しない。私の疑問は、こうした象徴的な側面は何も「原父」を持ち出したり、古代や原始の神話を参照する必要はなく、むしろ近代世界が生み出した象徴的な権力の構造で十分説明できるし、説明しなければならない事柄だ、という点にある。むしろ近代の権力は、古代や原始に時代、あるいは神話的な物語を想起させることによって権力の歴史的な正統性を示す必要があることの現れなのではないか。
9. 文化の所産
これまで私は、破壊欲動に焦点を当て述べてきたために、破壊欲動が人間にとって支配的な欲動だというのがフロイトの主張の基調にあるという誤解を生みそうだが、もちろん、そうではない。フロイトに一貫しているのは、むしろ快原理こそが人間の欲動の基調をなすといってもいいものだとみなしている。だから戦争に憤慨することは当然の感情だということ、「私たちが平和主義者であるのは、もろもろの器質的な原因からしてそうあらざるをえない」32とも言うが、しかし、そうであっても破壊欲動は消し去ることができない。
フロイトは、戦争が常態化しないのは、快と不快とは不可分一体のものとして存在しながらも、この対立するベクトルから合成される現実の行為の方向性が、快を求め不快を回避する「平和主義者」の性向が支配的だからだ、考えている。しかし、重要な観点は、「平和主義者」であることが人間の基調にあるとしても、それが戦争を否定したり拒否すること、あるいは戦争を廃棄することを意味してはおらず、戦争を回避できる道筋には位置していない、という点なのだ。人間社会は、日常的な暴力を介して共同体を構成し、その構成員を支配しているわけではなく、暴力によらない統治――潜勢的な暴力による統治――が共同体の紐帯や支配の基本的な支えになりつつも、間欠的に顕在的な暴力の行使が不可避なものとして登場することが許される。フロイトの文脈でいえば、それが法によって定められた暴力だということになる。共同体そのものが外部の他者に対して、同じ人間としての尊厳を認めず、むしろ「物」であるかのようにみなして支配を当然とする価値観をもつばあいであれば、暴力はより頻繁に他者への支配の手段として行使されるだろう。
なぜ戦争を回避できないのか、という問いへのフロイトの答えは、ある意味で人間の生物学的な器質に根拠をもつ暴力へと立ち戻ってしまうために、宿命的であり回避不可能性が答えになってしまう。これが人類の将来にまで該当するものだと宿命論として前提されてしまえば、戦争を廃棄すること、あるいは暴力による権力支配を廃棄すること、という将来に向けた課題を設定すること自体を無意味なものにしてしまう。33
さて、フロイトのアインシュタイン宛の書簡に戻ろう。この書簡は「文化」の問題への言及で終えられている。ここに、快原理の衰退とも受けとれるような歴史の経緯についてのフロイトの理解が示されている。フロイトの快原理の基本にあるのは性愛であり、性的な欲望の充足がもたらす快への肯定的な価値観だ。性的欲動が戦争に加担し共犯関係をもつことは先に指摘した通りだが、今、この議論は脇に置いておこう。フロイトは、性的な快楽の枠組みが、一方で近親相姦へのタブーにみられるような社会的な禁忌による抑圧――近代家族はこれをエディプス・コンプレクス、つまり家父長制として制度化する――と同時に、社会的に容認あるいは推奨されるような性的快楽の充足のルール、社会的規範としての近親相姦のタブーに抵触しない性的な諸関係の構築によって形成されるとみている。性愛の快楽は、性器性交に収斂するかのようにみえるが、そうとは限らず、異性愛に限定されることもなく、人間には本来多様な性的嗜好が存在することをフロイトは肯定する。性道徳の社会的な規範は、こうした人間が本来もっている快原理を何らかの形で抑圧せざるをえない。従って、人間の性的嗜好や実際の性行動は、この規範とこれからの逸脱の弁証法的な構造をもつ。この規範がもたらす抑圧と自己の内面にある規範を逸脱する快への志向の間の摩擦こそが心的な疾患の根源にあるものだともいえる。
その上でフロイトは、この書簡の最後に、文化的な過程が「性的な機能をいくつかの点で損って」34いると指摘している。いわゆる文明化された社会になればなるほど出生率が下がる、という今現在でもよく指摘されるような傾向が当時からあり、このことをフロイトは指摘している。そしてこうした出生率の低下は「特定の動物種の家畜化に比べることができるかもしれません」「この過程には身体的変化が伴うのは疑いないところです」とまで指摘し、「文化の発展がこのような器質面での変化の過程」であり「この変化とは、欲動の目的の遷移」の進行であるとも書いている。こうした変化はフロイトにとっては「文化の発展に伴う心的な変化は顕著で、紛れもない事実」とすら言う。器質的変化が具体的に何を指すのかは明示されていないが、文脈上からすれば、性的な器質の変化だろう。性的な欲動が何か別の破壊的な欲動ではないものへと「遷移」しつつあるという判断だが、ここで二つの点が重要だという。つまり「欲動の活動を支配しはじめる知性が強まること」であり、もうひとつが「攻撃的な傾向性の内面化」35だという。そして後者は「有用な帰結も危険な帰結も多々伴います」と補足する。欲動を支配しはじめる知性とは、欲動を制御する超自我の言い換えだろう。アインシュタイン宛の書簡であることを踏まえれば、この知性とはある種の科学的な認識とでも括ることができる人間の知的な活動一般を指しているのかもしれない。欲動がもっぱら生物学的な器質に基づく人間の感情に属する領域を占め、これに対峙する超自我が道徳や倫理、あるいは宗教的な教義といった価値観に体現されるものとみなされがちななかにあって、人間の出生から成人に至る発達過程に占める親と子の関係のなかで構成される欲動の抑圧よりももう一段社会性をもって欲動を抑える要件として、知性が示唆されているのかもしれない。
文化の発展に伴なう器質変化過程が欲動の目的の遷移を伴うとして、それが戦争とは真逆の方向へと人類を導くことになる、というフロイトの考え方には納得しがたいものもある。というのも、人類史をある種の文化の発達――「発達」とは何なのかは今は問わない――の歴史であるとみるとして、この歴史が戦争を抑制する方向をとって進化してきたと判断する二つの方法がある。ひとつは、経験主義的に――あるいは帰納主義的に――事実の積み重ねから戦争の抑制傾向を証明できるとする方法。もうひとつは、快原理のように、何らかの人間の本性のなかには戦争や暴力を忌避する性向があり、これを実現する方向で歴史は進化するだろうと判断する方法だ。いずれにも難点がある。前者は、データのとりかたから戦争や暴力の定義と現実の事象との対応の手法まで、様々あり、恣意的になりやすい。後者もまた、人間の歴史的な進歩や発達についての一定の価値観なしには成り立たない。この問題は、人類史の長期的な趨勢を暴力が抑えられる方向で発展してきたと理解することができるかどうかにかかっている。36フロイトの観点に即してみると、たぶん、個人であれ集団であれ、自己の性的欲動を維持する手段として、自らを脅威に晒す他者に対する破壊欲動が強化され他者を駆逐するか従属させることを通じて自らの性的欲動を充足させる方向が、人類史のこれまでの歴史がとってきた方向ということになる。この方向は、同時に、文化的な要素のなかで知性や理性への比重が高くなればなるほど、性的欲動も抑圧されるが、より脆弱になった性的欲動を防御するためには、従来以上により強力な破壊欲動を他者に向ける必要がでてくる。この流れでは、戦争はますます蔓延し、破壊欲動を実現するための手段(兵器や武器など殺傷技術)はますます高度化することになる。そうでなければ脆弱な性欲動を防衛できない。そしてこの関係のなかで、破壊欲動の発動を正当化するための普遍的な言説を理性が担うことになる。たぶんフロイトの文脈のなかで、彼が見逃したのはこうした筋書きのなかで戦争が肯定され蔓延する方向がありうるという観点だったのではないだろうか。
フロイトは「文化の過程が私たちに強いる心理的な態度に真っ向から楯突くのが戦争です」37と述べているのだが、ここで言われている戦争と対立する文化の側につく心理的な態度の核心にあるのは、「知性」であり、また有用な帰結をもたらすような「攻撃的な傾向性の内面化」だ。つまり、戦争を抑止する傾向は、一方に「知性」として示されている理性的あるいは合理的な人間の判断や行為規範と、他方で人間の攻撃や破壊の欲動を抑制する知性や理性にはなしえない別の人間の側面、情動そのものの内部にある破壊や攻撃とは真逆のベクトルをもつものであり、快の欲動が攻撃的な傾向を抑圧する方向で抑え込む。攻撃欲動の自己制御の可能性が示されている。暴力を抑制する主体の確立の可能性が文化の発達や知性の傾向のなかから生み出されうるものとみているように思う。
しかし他方で、この同じ主体は、まさに主体的な選択として攻撃欲動を選びとる、ということにもなりかねない。この攻撃欲動には知性が関わるのであって、合理的な判断を背景として手段としての攻撃や破壊が選択される。欲動の蠢きは、ある意味では知性的な制御を受けつつも攻撃や破壊を回避する方向には向かわずに、むしろ自己保存と快の欲動を味方につけて、より一層強力な力を発揮することになりかねない。
フロイトの観点は常に相対立しあうベクトルの複雑な組み合わせの上に人間の感情や行動を捉え、矛盾した条件が並列して提示される。これは、論旨の破綻ではなく、固有の弁証法である。フロイトにとって、戦争とは不可避だが、同時に「憤慨せざるをえない」対象でもある。戦争は不可避であるが、同時に「戦争に耐えることなど、私たちにはもはやそもそもできなくなっています」とも書くように不可避であることに抗う傾向が必ず存在することに確信を持つ。そしてほぼ最後に近い箇所で次のようにも言う。
それ[戦争の拒否]は単に知的で情動的な拒否ではありません。それは私たち平和主義者にあっては、器質的な不寛容であって、ひとつの特異体質がいわば極端に肥大化したものなのです。また、残酷であるのに加えて、戦争が美的な観点からしてこき下されているのも、私たちが戦争に反発を覚える大きな理由のひとつではないかと思われます。38
平和主義者となることが特異体質の極端な肥大化だという言い回しは、平和主義者であることが社会のなかの異端であることの表明だが、しかし、他方で、「文化的な態度と、将来の戦争が及ぼす影響に対する当然の不安」が他の人々をも平和主義者につくりかえて「近いうちに戦争遂行に終止符が打たれるであろうというのは、ひょっとすれば単にユートピア的な希望ではないかもしれません」そして「文化の発展を促すものはすべて、戦争に立ち向かうことにもなるのだ」39とあえて楽観的な見通しを述べてはいるが、私はこの言葉を額面通りには受けとれない。
10. 落とし穴――死の欲動で戦争は理解できない
アインシュタインは人間の本能的な欲求のなかに憎悪に駆られる破壊衝動があり、これが多くの人々を戦争に抗うのではなく、むしろ自発的にすら動員される根源にあるのではないか、という深い絶望的な人間への不信ともいえる認識を示していた。だから、戦争を阻止するためにこうした破壊欲動を阻止する方法をフロイトに問い掛けた。フロイトの回答は上にみたように紆余曲折し、端的には答えていない。平和主義者を自称するフロイトは願望としての平和、嫌悪の対象としての戦争を語りはするが、社会はむしろ戦争を肯定し破壊欲動を正当化しようとする傾向があることも認める。人間は平和を選択することもあれば戦争を選択することもあり、この選択肢から戦争を除外することはできない、どちらに転ぶかは、誰にもわからない。
フロイトは死の欲動という新たな概念を戦後になって導入するが、これは戦争をめぐる人間の心理への答えにはなっていない。戦争が最も深刻な問題として人々の間で議論になるのは、戦争行為が人間による人間に対する目的意識的な殺傷行為だからだ。殺傷行為は死の欲動に根拠をもつと解釈することはできるが、死の欲動が必ず殺傷行為を伴うわけではない。殺すことと殺されることはともに殺傷行為であっても同じではない。死の欲動は、そのいずれにも関わるが、それが性的欲動のベクトルとの間で形成される情動のあり方は基本的に異なるように思う。フロイトは死の欲動を論じてはいても、どのようにしてこの欲動から殺傷行為が発動されるのか、その道筋を明かにはできていない。むしろフロイトは、死の欲動と殺傷行為を同じこととして扱ってしまったために、殺傷行為が人間の器質的なレベルにまで遡って不可避であるかのような印象を与えてしまうことがある。しかし、常に、こうした印象は打ち消されもするのだが、その打ち消しには説得力が欠けてしまう。俗な言い回しをすれば、本能vs文化あるいは野蛮vs文明といったつまらない二項対立の通俗的な歴史観にフロイトもまたどこか囚われている印象を拭えない。
私は、死の欲動を肯定するが、それは、生命体である以上避けられない「死」にかかわる心理的な機制であって、それが暴力と関わるかどうかは、一概には決められないものだと思う。逆に、性的欲動は、死と対極にあるのではなく、自らの性的欲動を発動あるいは防衛するために他者に向けた暴力を積極的に肯定する(サディズムとも関わりがあるとみてもいい)側面があり、この意味では性的欲動は死の欲動の担い手にもなる。殺傷行為がこうした欲動の構造とどのような関わりをもっているのかは、フロイトの議論だけでは理解できない。この短かい書簡だけでなく、他の彼の著作を通してみても、殺傷行為を、個人であれ共同体全体についてであれ、直接現代の戦争を対象にして論じたものはほとんどないのではないだろうか。むしろ殺傷行為に関わる議論は神話や人類学に関連する文献のなかで登場し、これが現代の社会や人間の心理を理解するための手引きとされるという迂回路を通っている。なぜだろうか。
もうひとつのフロイトの理解に関する問題は「文化」についての評価にある。彼は、この書簡の最後で、文化の発展が戦争に立ち向かう方向をとることにかなりの確信をもって断言している。全体として未開社会と比べて文化的に発達した社会の方が暴力への傾向が低減するとみている。この理解については、ひとつだけ反論を挙げておく。なぜ、近代以降、殺傷力の高い兵器が次々と開発されてきたのか、その根拠をフロイトの文化論の枠組みでは十分には答えられない。兵器の高度化は、とくに近代社会に入って目立っており、第一次大戦はその惨劇を典型的に示した。文明国が最も野蛮な大量破壊兵器を投入し続けた事態をフロイトは十分に知っている。そうであっても、文化の発達に期待したとすれば、それは何故なのだろうか。
フロイトに欠落していたのは社会に対する批判的な認識の枠組みであり、これが文化をめぐる評価を誤らせたと思う。同時に死の欲動をはじめとして、人間の心理を、太古の時代の原父のイメージへと還元しがちなところにも、家族関係(制度)とその外にあって家族制度とその成員のイデオロギーを構築している社会関係への心理学的な関心が十分ではなかった、ということにも繋っている。こうした課題は、後の世代に委ねられることになる。
11. 社会集団による目的意識的な殺傷行為
そもそもアインシュタインの書簡は、国家などの社会の統治機構が軍隊のような殺傷行為を目的とした組織を構築し、更に殺傷能力を高度化するような技術の開発が意図的に図られるような社会のありかたを的確に捉えていない。むしろ、彼は、こうした社会組織がもたらす暴力を個人の憎悪の感情に還元してしまっている。その結果、暴力の問題をある種の人間の本能由来のものではないかと捉え、戦争を廃棄する出口を自ら塞いでしまった。フロイトの応答の基本的な枠組みもほぼ同様だ。アインシュタインもフロイトも軍事組織という特異な集団が破壊欲動に支配されるメカニズムのなかに冷徹な理性的な判断が貫徹していることにほとんど関心をもっていない。関心は、組織ではなく、組織を構成する個人の心理に向けられており、個人の心理に潜む破壊欲動の問題を捉えさえすれば、その総和としての集団の心理も把握できるかのようですらある。軍を組織し、兵士を教育する体系は、憎悪によっては不可能だ。個人と社会を繋ぐ位置にフロイトは文化を置き、個人の破壊欲動の抑制機能を与えようとした。原父の物語を背景としたエディプス・コンプレクスによる家族の抑圧――父の権威=力の潜勢力による暴力の抑制メカニズム――は、それだけでは近代国家の軍事組織の発展も兵器技術の開発への動機も説明するにはかなりの媒介項を必要とする。
フロイトには集団心理について、しかも軍隊を事例にした著作があるので、安直な個人主義にはならないはずではある。40しかし、フロイトは、個人が集団に同一化するメカニズムの説明には苦慮しているようにみえる。集団それ自体が、一種の「主体」とみなしうる自律した心理を構成するかどうかは、フロイトの時代にあっても重要な争点だったとはいえ、フロイトは明確な答えを提起しているとは思えない。
戦争や暴力に関して引き合いに出される破壊(死)欲動に限らず、欲動という概念で括られる人間の情動は、理性的で合理的な冷静な判断、あるいは良心に代表されるような性向とは別のものとして分類されがちだ。こうした区分けをしてフロイトの理論を解釈することはフロイトの問題意識に反するだろう。実際にはこれらの様々な要因が同時に作用しているはずであって、このことは戦争行為にあってもいえることだ。戦場で敵と対峙する兵士は、破壊欲動だけに支配されているわけではない。正確に照準を合わせて最適の瞬間に引き金を引く行為は、客観的な状況判断がなければできないし、軍隊が厳格に守らせようとする指揮命令系統に従属する意志のなかには、組織に関する合理的な認識が前提になる。だが同時に、多くの兵士は、殺傷行為を忌避したいという感情も抱くし、逆に見境のない憎悪に駆られることもあるだろうし、絶望的な恐怖によって深刻な心的外傷を被ることもあるだろう。このように考えると、戦争や暴力が国家や社会の集団的な意志として発動される場合には、破壊欲動の役割は、実は小さいのかもしれない。むしろ大規模な殺傷行為が首尾よく具体化されるのは、破壊欲動によるのではなく性的欲動に淵源をもつ自己保存欲動の過剰な発動を軍という組織理性が巧妙に制御することによるのかもしれない。このとき、個体の自己保存欲動と社会集団の自己保存――これに「欲動」と呼びうるものがなければならないのだが――とを混同してはならないだろう。社会集団の自己保存メカニズムのなかに諸個人が自己同一化することによって、社会集団の自己保存メカニズムには自己保存欲動と呼んでもさしつかえないような集団心理が構成されるのだろう。しかもこの欲動は、合理的で客観的な判断や良心や道徳といった社会的な個人を縛る価値観を根拠にして構成される。理性的であることとは暴力的であることを意味するが、しかし、そうであるにもかかわらず、この暴力は理性の名において正当化される。
問われるべきなのは、社会集団が目的意識的に殺傷行為を目的とする組織を構成しないために必要なことは何なのか、ということである。これに対して人間の器質的な破壊欲動をもちだしてきて、こうした殺傷目的の社会集団の形成を回避することは不可能だ、と論ずるのは妥当とはいえない。殺傷を目的とする社会集団は個人の破壊欲動にのみ基づくものではないからだ。ましてや死の欲動とはますますベクトルが異なる。人間集団が社会性を帶びざるをえず、私たちが今直面している戦争が、近代世界に基盤を置くものであることを念頭に置くとすると、アインシュタインの問いもフロイトの返答も、問題の核心を突くことができないものだったと結論せざるをえない。
では、この往復書簡は全く無意味なものだったといえるかというとそうではない。戦争には、国家理性が動員される冷静な計算に基く殺傷の組織化がある一方で、個人のレベルに焦点を当てれば、あきらかに熱狂的な愛国主義による戦争を支持する感情なくして戦争を遂行することはできない。大衆の感情と支配層や統治機構の冷徹な計算理性との間には真逆のベクトルが作用している。フロイトの返答は、むしろこうした熱狂する個人の心理を明かにすることには何らかの寄与がありうると思う。なぜ、戦争を支持し、さらに、より積極的に戦争に加担しようとする個人心理がいかなるものであるのかを解明することは戦争批判の議論にとって重要である。とりわけ民主主義的な意思決定を経て軍事力の保持や戦争を国家の政策として承認するばあい、個人のなかにある破壊欲動と理性的な判断、プロパガンダや偽情報に煽られる感情の動揺、プロバガンダや偽情報を情報戦として冷静に組織化する集団心理、不合理な社会理解への集団的な同調など、様々な要因が個人を襲い、その経過のなかで、戦争に同意・加担する意志が形成されるとすれば、個人が直面する問題に焦点を当てて、戦争に抗う判断と情動を組織することもまた反戦運動にとって重要な課題になる。戦時体制にある国家の中で、戦争に抗う対抗的な下位の社会集団が形成できるかどうかは、戦争を阻止する上で重要な必須条件だ。そのためには、こうした集団に帰属意識をもつ対抗的な集団心理が生み出されなければならない。戦争に向うそれらを打ち消すように、欲動のあらゆるベクトルや合理的な判断を組織しれなければならない。これは社会運動の組織論であり政治過程だが、同時に、社会を構成する人々のなかに、対抗する社会心理の弁証法を打ち立てることでもある。
集団的な殺傷行為を人類の器質的な要因に還元して宿命とみなすことは、事実上戦争の不可避性を承認することでもある。しかし、私はこうした宿命論には多くの問題があり、戦争を廃棄する可能性を断念すべきではないと強く考えている。私たちには常に戦争以外の可能な選択肢が与えられていることを忘れてはならないと思う。
12. 書簡にみられる戦争と平和をめぐるフロイトの振れ幅の意味
この書簡では、フロイトが個人的な経験や現実主義的な観点に立って議論しようとしている場合と、心理学者としての専門家の知見から導かれた理論から現実を判断しようとする場合があり、その振れ幅が大きい。
たとえば、フロイトは戦争が繰り返されてきた歴史的な事例を簡単に振返りつつ、戦争によって、外部の敵に立ち向かうことを通じて共同体内部の対立や紛争が逆に収められる場合があることを次のように指摘する。
戦争は、強大な中央権力によって内部でのそれ以上の戦争が不可能となるような強大な統一体を創り出すことができるゆえに、人々の待望する「永遠の」平和を打ち立てるための手段として不適格ではないというのは認めなければなりません。41
これは現実主的な戦争観だろう。だが、すぐ続いて「戦争はやはり平和樹立の役には立ちません」と上の議論を打ち消し、戦争で得られた成果や共同体の統一は早晩瓦解するだろうともいう。その理由は「暴力的に統合された各部分を結束させることができなかったから」42だという。これは彼自身の主観的な経験に基く判断に影響されているのかもしれない。フロイトは第一次大戦の開戦当初、この戦争を熱狂的な肯定感をもってみていた。アーネスト・ジョーンズは、伝記のなかで、開戦当時「私の全リビドーはオーストリア・ハンガリアに与えられた」というフロイトの言葉を紹介している。ジョーンズは「彼は30年来はじめて自分がオーストリア人であるのを感じた」瞬間でもある、とも書いている。43 彼がドイツ・オーストリアのナショナリズムと戦争イデオロギーから脱却するには、それなりの時間を要している。その経緯をジョーンスは以下のように書いている。
戦争のはじめの二、三年は、フロイトはむろん完全に中欧諸国に同情していた。それは彼があれほどまでに密接に結びつき、彼の息子達がそのために戦っている国であった。彼は愛するイギリスを嫌うようにさえなった。イギリスは今は「偽善的」になったのだ。明らかに彼はドイツは、ドイツを亡ぼそうとたくらんでいる嫉妬深い隣人達に「包囲されて」いるのだというドイツ側の説明を受け入れていた。戦時中ずっと後になってはじめて、連合国の「宣伝」が戦争に関連する道義上の問題について彼に疑問を生ぜじめ、その結果、彼はその時に両方の言い分を共に疑う気持になり、論戦を抜けだしてそれより高いところに立ちうるようになった。 44
フロイトは、一般的なオーストリア人が抱いたであろう戦争のナショナリズムを自らの経験=実感として内面化していた時代があるが故に、戦争を肯定する観点を了解することができた。同時に、その後の彼の戦争否定の道をとらせた経緯を通じて、戦争が平和に至る道にはなりえないということもまた、自らの経験=実感としてきた。この戦争の不可避性と否定のアンヴィヴァレンツな感情の揺らぎは、彼自身の経験そのものであり、これがそのままこの書簡に反映されている。
13. おわりに
フロイトは、1915年には、戦争が自らの想定を大きく越えるものだということを自覚し、「こんな戦争があろうとは信じられないような戦争が、今や勃発した」45と書くことになる。アインシュタインとの書簡のやりとりは1932年なので、そのずっとと後のことだ。更にその後ナチスが政権をとって以降の時期に、アインシュタインがルーズベルト大統領に出した手紙では大量のウランによる核分裂反応が爆弾の製造につながることを指摘し、ドイツに対抗して米国へのウラン鉱石の供給確保を提言した。46 平和主義者ですらナチスドイツの振舞いに対しては暴力の――しかも原爆の――必要性を論じざるをえなかった。このルーズベルト宛の手紙がひとつのきっかけになって、その後米国のマンハッタン計画が具体化していったと言われている。凶暴な侵略者を前にして、平和主義を主張する者が屈っしたひとつのよく知られた例だ。しかし、アインシュタインはこのルーズベルト宛の書簡を後に後悔することになる。とすれば、ナチスの核開発を目前に控えていた時代に、どのような他の選択肢がありえたのか。この問いへの答えは、私のようにいかなる場合であれ武器はとらない、と主張する者が示さなければならないだろう。その答えは、フロイトが試行錯誤しつつ辿り着いた「誤り」の教訓に学びながら、他方で、実際に、米国にあってすら、ナチスにも加担せず米国の参戦にも加担することを頑に拒否した人たちの思想に学びながら、獲得しうると確信している。
Footnotes:
アインシュタインの書簡は下記による『ひとはなぜ戦争をするのか』浅見昇吾訳、講談社学術文庫。フロイトの返信は「戦争はなぜに」『フロイト全集』第20巻、岩波書店、による。
『ひとはなぜ戦争をするのか』、p.15。
「戦争と死についての時評」『フロイト全集』第14巻、岩波書店。
「戦争はなぜに」p.258。
こうした記述方法はフロイトに特有のもののように思う。彼は、いわゆる客観主義的な対象の分析ではなく、常に自分自身の主観と経験を介していることを自覚した独自の解釈を加える。ここにフロイトの理論のある種の強さがあると思う。
同上、p.258-9。
私はこうしたフロイトの人間にとって暴力による決着が元々の人間に備わっている動物と共通する行動パターンだ、という認識には賛成できない。暴力を回避する様々なメカニズムが人間共同体には存在してきたことをフロイトは十分承知しているが、こうした「文化」とフロイトが呼ぶような人間の共同体がとる摩擦や抑圧を調整するメカニズムに先立ってある種の裸の人間が存在していたというようには私は考えない。人間の動物的な側面に由来する本源的な行動が暴力であるということは、人間であれ動物であれ、種としての集団性の維持にとってありえない想定だ。
同上、p.258-9。
同上、p.260。
同上、p.260
一言付言するが、上であたかも近代家族関係の内部には潜勢的な暴力しか存在せず、顕在的な暴力の存在が軽視されているような言いまわしになっているが、これはフロイトが想定した家族と暴力の関係の基本的な枠組がそうなっている、ということであって、私はこの前提を肯定していない。むしろかなり広範囲に近代家族の制度の内部には暴力が顕在化していることが今ではよく知られている。家族内部の暴力(とりわけレイプ)が精神疾患の原因となっているケースがフロイトの時代にもあり、このことをフロイトは幼児期の性的体験を扱かった『ヒステリーの病因』で気づいていたが、その後意図的にこの問題を回避しようとしたのではないかと、ジュディス・ハーマンは批判している。ジュディス・ハーマン『心的外傷と回復』、増補新版、中井久夫他訳、第1章参照。
こうした共同体が法の遵守の下にあっても「法に則った暴力行為の執行を担当する機関」つまり、軍隊や警察は不可欠だ。共同体を構成する諸個人になかには必ず法を逸脱する者がおり、だから法はこうした逸脱した者への処罰のルールを制定することになる。警察による力(暴力)の行使の正当化だ。
「戦争はなぜに」、p.260。
同上、p.264-5。
以下では「死の欲動」と「破壊欲動」を同義で用いている。とくに区別はしていない。「死の欲動」を戦争の文脈で議論する場合について、一言私の考え方を補足しておく。他者への殺傷を意図した行為の背景にある欲動としての破壊欲動と、死の欲動に含まれるであろう欲動、いずれ死すべき存在としての自己の生の最後の到達地点に待ちうける「死」を受容しうるような欲動とは同じものとは思えない。自死であれば自己に向けられた破壊欲動とみなせるが、これを自然死にあてはめることは無理がある。言い換えれば、死の欲動、あるいは破壊欲動一般を論じただけでは戦争という集団的な殺傷行為の目的意識的な遂行を支える心理を説明したことにはならない、ということだ。
同上、p.265。
同上、p.265-266。
同上、p.266。
同上、p.267。
同上、p.267。
同上、p.268。
同上、p.271。
同上、p.267。
同上、p.269。
同上、p.269。
同上、p.270。
同上、p.270。
同上、p.270
同上、p.268。 「すべての自然科学は最終的にこのようなある種の神話に行きつく」とは何を意図しての発言なのか、興味深い。
単なるフィクションの言い換えではないだろうということは推測がつく。理論一般を念頭に置いてここで「神話」と呼んでいる事柄が何なのかを推測することは私にはできない。
しかも、言うまでもなくここで言われている神話と精神分析との関連はユングのそれとは相容れないものとして理解されていると思う。
同上、p.271。
こうした宿命論は、暴力が目的を達成するための手段としては合理性を欠くという私の観点からすると受け入れがたい結論になる。本稿の議論の枠組みを越える課題になるが、国家が民衆をひとつに束ねて戦争へと合意を形成するメカニズムには、合理的な暴力の正当化と不合理な暴力の正当化の絡み合いがある。この絡み合いを、合理的あるいは法合理性のような観点から批判しても、不合理な正当化の領域を見逃してしまうか軽視してしまう。
同上、p.272。
同上、p.272。
この点については、いわゆる万人の万人に対する闘争状態から理性と法の支配へという流れで歴史を解釈するような考え方は、今では共通の了解事項にはなっていないだろう。近代世界は、それ以前の世界と比較して、戦争あるいは暴力の低減を実現できたかどうかについては、相対立する考え方がある。フロイトの破壊欲動が人類史のなかで次第に抑制されてきたといえるかどうか。つまり、人類は戦争や暴力を低減する方向に歴史を刻んできたのか。この点についてフロイトは明言を避けている。私は、近代資本主義が工業化として確立された時代をそれ以前の時代と比較した場合、非西欧世界の植民地化と植民地争奪の戦争が工業化技術と連動するなかで、兵器生産と殺傷力――兵器の殺傷生産性――の高度化は必然であり、この意味で、近代世界は、人類史において稀にみる殺傷性の高い技術の開発を促した時代だと考えている。こうしたマクロな軍事技術と殺傷生産性が軍に動員される人々や軍を指導・指揮する者達の欲動にどのような影響をもたらしたのか、このことは大きな課題だ。
同上、p.272。
同上、p.272。
同上、p.273。
「集団心理学と自我分析」『フロイト全集第17巻』。
「戦争はなぜに」、p.262。
同上、p.262。
アーネスト・ジョーンズ『フロイトの生涯』竹友安彦、藤井治彦訳、紀伊国屋書店、p.336。
ジョーンズ、前掲書、p.335。
「戦争と死についての時評(I)」、フロイト全集14巻、p.137
https://www.atomicarchive.com/resources/documents/beginnings/einstein.html この書簡とその後の核開発については、”It was the one great mistake in my life’: The letter from Einstein that ushered in the age of the atomic bomb’, BBC, https://www.bbc.com/culture/article/20240801-it-was-the-one-great-mistake-in-my-life-the-letter-from-einstein-that-ushered-in-the-age-of-the-atomic-bomb 参照。
Author: toshi
Created: 2024-12-22 日 00:20