(972+)報復戦争への参加を拒否する: イスラエル、徴兵拒否の10代を投獄/独裁に反対する若者たち: イスラエルの新しい良心的兵役拒否者たちに会う

(訳者まえがき)以下に訳出したのはイスラエルの独立系メディア、972+に掲載された兵役拒否の若者たちの記事だ。10月7日以前、ネタニヤフの司法改革(司法の独立性を奪いネタニヤフ政権の独裁を強化する法改革)に反対する広範な運動のなかから、若者たちを中心に「反占領ブロック」と呼ばれる運動が急速に拡がりつつあった。2023年1月に開催されたネタニヤフ政権に反対する大規模な集会で、「アパルトヘイトに民主主義はない」、「他国を占領する国に自由はない」といったスローガンを掲げ、軍への入隊を拒否して刑務所に服役しているイスラエルの10代の若者たちを支持してシュプレヒコールし、「似非民主主義を嘆くのではなく、根本からの変革を求めよう!」と書かれたチラシを配った小さな集団―とはいえ数百人―がいた 。(この記事参照)主流の反ネタニヤフ、反司法改革運動は、極右の路線からかつての路線への復帰を主張しているに過ぎず、イスラエルが抱えている根本的な平等と民主主義の欺瞞の核心にあるパレスチアナ問題に目を向けていないことを鋭く批判した。

こうした運動から昨年9月にテルアビブ中心部にあるヘルツリヤ・ヘブライ・ギムナジウム高校の前で、” Youth Against Dictatorship(独裁に反対する若者たち)”の旗の下、良心的兵役拒否者の若者たちが学校や教育省の禁止命令や右翼の妨害にも関わらず集会を開催し、数百名が集まり、230名が公然と兵役拒否の書簡に署名するという出来事が起きた。以下に訳出した二つの記事のうちの二番目の記事「独裁に反対する若者たち: イスラエルの新しい良心的兵役拒否者たちに会う」にこの経緯の詳細と実際に兵役拒否を宣言した若者たち8名の発言が掲載されている。そして、この兵役拒否者のひとり、タル・ミトニックは、10月7日の戦争以後の最初の違法な兵役拒否者と宣告されて投獄されることになる。このタル・ミトミックへのインタビューなどが以下の最初の記事「報復戦争への参加を拒否する: イスラエル、徴兵拒否の10代を投獄」である。

どのような戦争も、当事国の内部にいる人々が戦争を拒否する行動をとることでもたらされる戦争の終結と、国際関係などマクロな地政学的な条件によって政府が戦争を断念することとの間には、結果が同じようにみえたとしても、本質的には全く異なう戦後の「平和」の構造が生み出されると思う。わたしは国家の内部から人々が戦争を放棄する多様な行動や意思表示をとることを通じて政府に戦争を断念させることが重要なことだと考えている。イスラエルによるパレスチナへの長年にわたる抑圧、アパルトヘイト、ジェノサイドにもかかわらず、イスラエルの多くの人々がイスラエルに正義があり、アラブ・パレスチナをテロリストあるいは人間以下の扱いをすることにさほどの疑問も感じていないという状況―こうした状況はどこか日本にもありえる状況と思えてならない―のなかで、イスラエルの本質的な矛盾を明確に示し、兵役拒否を選択している若者たちが少なからず存在すること、私はこのことにもっと注目してもよいはずだ、と考えている。以下のインタビューでもはっきり示されているが、まだ16歳から19歳の若者がパレスチナに対してイスラエルがとってきた対応の本質的な矛盾を的確に指摘している。極めて強力なシオニズムのイデオロギー教育が貫徹しているイスラエルで起きていることなのだ。彼等のような存在は、暴力という手段を介さないパレスチナの解放への一つの可能性を示していると思う。(小倉利丸)


「報復戦争への参加を拒否する」: イスラエル、徴兵拒否の10代を投獄

タル・ミトニック(Tal Mitnick)は、10月7日以降に初めて投獄されたイスラエルの良心的兵役拒否者である。彼は、なぜ現在の戦争が彼の信念を再確認させるにすぎないものなのかを説明している。
著者 オーレン・ジブ (Oren Ziv)
2023年12月28日

タル・ミトニック (オーレン・ジブ)

Local Callとのパートナーシップ記事

12月26日火曜日、テルアビブに住む18歳のタル・ミトニックは、イスラエルが80日以上前に、封鎖されたガザ地区への攻撃を開始して以来、義務とされている兵役を拒否した最初のイスラエル人となった。ミトニックはテル・ハショメルの徴兵センターに呼び出され、そこで彼は良心的兵役拒否者であることを宣言し、30日間の軍事刑務所に収監された。

ミトニックは、戦争が始まる前の9月上旬、イスラエルの極右政権による司法権制限の取り組みに反対する行動の一環として、徴兵命令を拒否する意思を表明する公開書簡に署名した230人のイスラエル人高校生の一人である。司法クーデターとイスラエルのパレスチナ人に対する長年の軍事支配を関連づけ、「Youth Against Dictatorship(独裁に反対する若者たち)」の旗の下に組織された高校生たちは、「イスラエル政府の管轄内に住むすべての人々のために民主主義が確保されるまで」軍隊に入隊しないと宣言した。

12月初め、ミトニックは軍の良心委員会(軍の代表数名と学識経験者1名で構成)に出頭する。委員会は、彼の兵役免除の要求を却下した。火曜日に兵役拒否を宣言すると、ミトニックは、処罰のために、直ちにネターニャ近郊のネヴェ・ツェデク軍事刑務所に連行された。その後彼は再び徴兵センターに報告を出すよう命じられることになるだろう。近年、良心的兵役拒否者は一定期間投獄され、中には100日あるいはそれ以上の投獄を経験した者もいる。

Mesarvotネットワークを代表してイスラエルの兵役拒否者を弁護しているノア・レヴィ弁護士は、+972とLocal Callに対し、戦争が始まって以来、軍は兵役拒否を表明した市民を投獄しない選択をすることがほとんどだったと語った。「入隊日が戦争開始後だった兵役拒否者は、タルが初めてではない」「彼以前にも、予備兵役拒否者も通常の兵役拒否者も、何十人もいた。しかし、軍は彼らに対処する別の方法を見つけ、刑務所に送ることはしなかった」と彼女は説明した。

ミトニックは、軍によるガザ攻撃が続く中で、またイスラエルで戦争に穏健な反対を表明する者が迫害弾圧に直面している今、イスラエルの主流的な言説とはかけ離れた次のようなメッセージを+972に語った。「私の拒否は、イスラエル社会に影響を与え、ガザで起きている占領と大虐殺に加担しないようにする試みです。これは自分だけのためにしているのではない、と言いたいのです。私はガザの罪のない人々との連帯を表明します。彼らは生きたいのです。彼らは、人生のなかでまた再び難民になる筋合いはないのです」。

タル・ミトニックは、「私たちは入隊する前に死ぬ」と書かれたプラカードを掲げている。テルアビブの反占領ブロック内での反政府デモで、(2023年4月29日)。(オレン・ジブ)

収監に先立って発表された拒否声明で、ミトニックは、ハマースが主導した10月7日のイスラエル南部への攻撃を「この国の歴史上類を見ないトラウマ」としながらも、軍のガザ砲撃は解決策ではないと主張した。「政治的な問題に軍事的な解決策はない」と彼は書いている。「だから私は、親しい者たちとの死別と苦痛を続けるにすぎない政府のもとで、真の問題をないがしろにできると信じる軍隊に入隊することを拒否します」と彼は書いている。

「私は、これ以上の暴力が安全をもたらすと信じることを拒否します」「復讐戦争に参加することを拒否します」と彼は続けた。

入獄直前、ミトニックは+972の取材に応じ、入隊拒否の決断、現在の政治情勢における入獄への懸念、そしてイスラエルとガザの市民に伝えたいメッセージについて以下のように語った。

入隊を拒否する決断をした経緯は?

最初の徴兵通知が来る前から、入隊する気はありませんでした。私は、ヨルダン川西岸地区でアパルトヘイトを永続させ、流血の連鎖を助長するだけのこのシステムで兵役に就く気はないと自覚していました。私は、支援してくれる家族や周囲の環境の恵まれた立場から、これを利用して他の若者たちに手を差し伸べ、別の道があることを示す義務があるのだということがわかっていました。

私の友人たち(兵役に就いている者もいれば、免除を受けた者もいる)に、私がなぜ軍隊に行かないのかを話すと、彼らはそれが相手を思いやるという人道的な観点から来るものだと理解してくれます。誰も私がハマース支持だとか、(友人たちに)危害を加えたいなどとは思っていません。軍隊活動が安全をもたらすと信じている人々がいます。私が公然と拒否することこそが影響を及ぼし、最も高い安全をもたらしてくれると私は、信じているのです」。

2023年4月1日、テルアビブで行われた政府への抗議デモで、イスラエル軍の徴兵命令を燃やす若者たち。(オレン・ジブ)

司法制度改革に反対する抗議活動は、あなたの世界観を形成する上でどのように影響しましたか?

この抗議活動が始まる前には、私は政治活動を縁のないものと考えていたし、個人が政治に影響を与えることなど不可能だと思っていました。デモが始まり、Knessetのメンバーも街頭に出ているのを見て、政治は思っていたよりも身近なもので、国の隅々にまで行き渡り、影響を与えることが可能なのだと理解しました。そこで私は、自分の行動がここで目にしている現実に影響を与えることができ、より良い未来のために行動する義務があるとわかったのです。

現在の雰囲気を考えると、今すべきかどうか迷いましたか?

ええ、迷いはありました。軍は良心的兵役拒否者に関して一貫したポリシーを持っておらず、あっという間に対応が変わる可能性があること、つまり、すべての拒否者を釈放することもあれば、長期間投獄することもあり得るということは常に知っていたし、その覚悟はしていました。10月7日以降、平和運動やユダヤ人とアラブ人の連携、ガザの罪なき人々への支援や連帯を表明するパレスチナ市民、さらにはデモに対しても(政府の)攻撃は、恐ろしいものになっています。しかし、今こそ私たちの存在を示し、政府とは反対の側を示す時なのです。

そんなメッセージに耳を傾けてくれる人が、今この国にいると思う?

特に10月7日以降、別の方法が必要なことは誰もが知っています。私たちま皆、うまくいっておらず、ベンヤミン・ネタニヤフ首相は “ミスター・セキュリティー “ではないことを知っています。紛争の管理は機能せず、最終的には破綻したになっています。

私たちは今の状況を続けることはできないし、今は2つの選択肢があります。右翼はガザのパレスチナ人の移送と大量虐殺を提案している。他方の側では、ヨルダン川と地中海の間に住むパレスチナ人がいて、彼らには権利があると言っています。Bibi(ネタニヤフ)に投票した人々でさえ、そして司法改革を支持した人々でさえ、誰もが正当に生きるに値し、誰もが屋根のある家に住むに値し、生存を共有することを支持するという考え方で繋ることができます。

10月7日以降、左派の多くは「酔いが醒めた」と主張しました。そのことがあなたに影響を与えたでしょうか?

罪のない市民に危害を加えることに正当性はありません。罪のない人々が殺された10月7日の犯罪的攻撃は、私の目にはパレスチナの人々の抑圧に対する正当性のない抵抗だと映ります。しかし、抗議行動のような正当な抵抗を非合法化したり、人権団体をテロ組織と決めつけたりすることは、人々が他者を非人間化し、民間人を標的にする行動につながります。

テルアビブのイスラエル軍本部前で、ガザ戦争の停戦を求めてデモを行うイスラエルのデモ隊(2023年10月28日)。(オーレン・ジブ)

10月7日になっても、私の考え方は変わりませんでした。ガザを包囲し、占領していながら、(その影響を)感じずに生きることはできないと、私は今でも信じています。私は、多くの人々がようやくこのことを理解したと信じています。「目に入らず、心に入らず」という考え方は機能しません。何かを変える必要があり、唯一の方法は話し合い、政治的解決を図ることです。それですべてが解決するとは言いませんが、正義と平和への新たな一歩にはなるでしょう。

良心委員会での経験は?

予備委員会の面接官は攻撃的でした。彼女は、私が政府の行動や占領に反対していることから、私の非暴力に疑問を呈しました。基本的に、私の意見が政治的であるため、良心的兵役拒否者ではないと言われました。

結局、私は予備委員会を経て、面接から1週間も経たないうちに委員会に呼び出されましたが、多くの人々は通常半年も待つものです。この委員会も敵対的な面接で、4人の人たちが私と対峙しました。

彼らは私の意見に攻撃的でした。彼らは、私だったら10月7日にどうしたか、どのように対処したか、と尋ねました。彼らは常に私の話を遮り、質問の言い回しを変えました。私は答え続けようとしましたが、彼らは私が答えていないと言うのです。私はイスラエルの指導者ではありません。彼らは私をそのような立場に置くことはできないのです。

https://www.972mag.com/tal-mitnick-conscientious-objector-israeli-army/


「独裁に反対する若者たち」: イスラエルの新しい良心的兵役拒否者たちに会う

新たに徴兵拒否者となった8人が、占領、反司法改革デモ、抗議の手段としての良心的兵役拒否について語る。

著者 オレン・ジブ
2023年9月5日

協力 Local Call

日曜日の午後、テルアビブ中心部にあるヘルツリヤ・ヘブライ・ギムナジウム高校の前で、” Youth Against Dictatorship(独裁に反対する若者たち)”の旗の下、良心的兵役拒否者の若者たちによる新たな書簡を発表するために、数百人のイスラエル人が集まった。極右や教育省からの圧力にもかかわらず、また高校の理事会が集会の中止を決定したにもかかわらず、何百人もの人々が、生徒たちが手紙を朗読するのを聞き、ワークショップに参加し、この手紙に署名しイスラエル軍への入隊を拒否することを計画している230人の若者を支援するために集まった。

これまでのいわゆる「兵役拒否書簡」とは対照的に、今回の手紙は、政府の司法改革への反対と占領を理由とする良心的兵役拒否を結びつけている。+972 が取材した署名者たちは、現政権が発足する以前から、占領に抗議するために軍への入隊を拒否するつもりだったと語った。

また、ここ数カ月で拒否を決意した者もおり、イスラエル史上最も極右の政府が、拒否の決め手となったと語った。彼らの中には、司法制度の大改革に反対する毎週のデモに「反占領ブロック」が参加したことが決断を後押ししたと説明する者もおり、今日の世論の雰囲気では、良心的兵役拒否は過去よりも広く受け入れられており、特に大改革に伴う軍の予備役による集団的拒否の影響を受けているという。

「イスラエル軍のサービスに徴兵されようとしている若い男女として、私たちはイスラエルとパレスチナ占領地における独裁政治にNOと言う。私たちは、イスラエル政府の管轄内に住むすべての人々のために民主主義が確保されるまで、軍に参加することを拒否することを宣言する」 とこの声明は述べている。「真の民主主義を求める私たちの6ヶ月間の断固とした闘いが、ほぼ毎日街頭で繰り広げられてきたにもかかわらず、政府は破壊的なアジェンダを追求し続けている。私たちは、自分たちの将来、そしてここに住むすべての人々の将来を本当に心配している。このことを考えると、私たちは究極の手段をとり、軍務に就くことを拒否するしかない。 司法を破壊する政府は、私たちが仕えることのできる政府ではない。 他の人々を軍事的に占領する軍隊は、私たちが入隊できる軍隊ではない」。

私たちは、この手紙に署名し、入隊拒否の決意を語った8人のティーンエイジャーにインタビューした。

Nuri Magenヌリ・マゲン、17歳

ヌリ・マゲン (オーレン・ジブ)

私は、政府が妥当性条項に法律を通し始める少し後まで、入隊しようと思っていました。それ以前から占領には反対していましたが、直接これに関わらないようなポジションに就こうと考えていました。海軍で働くことも考えたし、それを正当化することもできました。これは、彼らが法律の成立を試みようとする前のことでした。

何よりも、1年後、2年後、私が(軍隊から)抜け出せなくなったとき、どんな恐ろしいことが起こるのかが怖かった。私は、自分がこんなことに加担しているなんて思いたくない。状況がより極端になるにつれ、ノンポリの人々や中道的な立場の人々でさえも、つい最近まで「極端」とみなされていた意見を受け入れるようになってきています。2年前、良心的兵役拒否者はごく少数派でした。今、私たちは学校を占拠し、何百人もの人々とメディアを集めて集会を開催しており、これは前例のないことです。

Sofia Orrソフィア・オール、18歳

ソフィア・オール (オーレン・ジブ)

私がこの手紙に署名したのは、独裁政治に反対し、イスラエルでも占領地でも、すべての人のための真の民主主義のために闘いたいからです。私にとってこの手紙に署名するのは重要なことでした。司法改革と占領は切り離すことができないという、私にとっては自明な関連性を示すものだからです。

この集会と署名者の数は、このような意見が徐々に主流になり始めていること、少なくとも主流がこのような意見を聞き、関係をもつ用意ができていることを示していると思います。これは本当に喜ばしいことです。これは、ここで起こりつつある変化を示しています。私たちは続けていかなければならないし、彼らによって沈黙させられてはならない。私たちを黙らせようとすることは、私たちが反対する独裁的な政策の一部なのですから。

Itay Gavishイタイ・ガビッシュ、17歳

イタイ・ガビシュ (オーレン・ジブ)

デモの最中、私は反占領ブロックに入り、そこで占領に加担したくないこと、軍隊に入ることを拒否することを悟りました。私も、他の何百人もの若者たちも、占領軍には参加しないということを示すために署名しました。これらのデモを通じて、私は抗議をすることが正当なことだと感じました。

私はあまりにラディカルになりすぎることを恐れていたと思います。反占領ブロックは、他のシオニストたちと一緒にデモをし、さらに少し踏み込んだところへ行くことができる場所でした。司法制度の見直しに反対する闘いには、必ずしも占領に関係していない人々や必ずしも気にしていない人々や兵役拒否が抗議の重要な手段であるとは思っていない人たちもいるのです。

Lily Hochfeld リリー・ホッホフェルド 17歳

リリー・ホッホフェルド(オーレン・ジブ)

私は、自分の越えてはならない一線とは何なのか、どの国のどの軍隊にも喜んで従軍するのか、と自問しました。私には、兵役に就かないと確信する軍隊があるのだと確信しました。私にとって、入植者の暴力、数十年にわたる軍事支配、腐敗した政治家や聖職政治家にすべての権力を与える司法改革を全面的に支持することは、私の越えてはならない一線を完全に超えています。そのような軍隊に入隊することはできませんし、自分の将来と国の将来を心配しないわけにはいかないのです。

抗議行動は、すべての悪魔をクローゼットから連れ出しました。ある朝突然、目を覚ますと、右翼の中でもかつて非合法だった人々、たとえば(ミール)カーハネの足跡を継ぐ(イタマル)ベン・グヴィールが政府に居座るようになっていました。新政府はすべてをはっきりさせました。私たちは彼らの本心を理解したのです。

Tal Mitnick タル・ミトニック、17歳

タル・ミトニック (オーレン・ジブ)

私や他の若者たちは、イスラエルに存在する独裁政治と、占領地に何十年も存在する独裁政治は切っても切れない関係にあることに気づきました。政治家と入植者たちの大きな目標は、イスラエル国内と占領地におけるより多くの人々に対する占領と抑圧を深め、ヨルダン川西岸地区C(イスラエルの完全な軍事コントロール下にある)を併合することにあります。

私たちの多くにとって、こうしたデモは覚醒のきっかけとなりました。私はデモの前までは政治的な活動をしていませんでした。私は、徴兵された者として、入隊前の何百人もの人々とともにデモし、「私たちは兵役に就かない 」と言うことはどのようなことを意味るのかをデモで理解しました。

Ella Greenberg Keidarエラ・グリーンバーグ・ケイダー、16歳

エラ・グリーンバーグ・ケイダー (オーレン・ジブ)

私たちは今日の集会に先立ち、メディアのインタビューを受けました。ほとんどすべてのインタビューで、インタビュアーは一瞬の隙を突いて[次のように質問しよとしました]「占領に反対なのか、それとも改革に反対なのか?」というのも、彼らは占領反対は見当違いだ―それは昨日のニュースだ―と言うのです。私たちが関心を持っているのは、司法改革を拒否する人々です。司法改革と占領はどんな関係があるというのか?これは、イスラエルの国旗を掲げて反占領ブロックのところにやってくるデモ参加者から私が出会う言葉です。

占領反対は法改正反対なしには不完全であり、その逆もまた然りです。法改正を推進する人々–Simcha Rothman、Itamar Ben Gvir、Bezalel Smotrich–は入植者です。彼らのアジェンダは入植者のアジェンダであり、占領の拡大、民族浄化、追放です。この改革は、C地区からパレスチナ人を排除し、新たな前哨基地を合法化し、入植地と入植者に、法律に明記されたさらなる特権を与えることを意図しています。私は Kaplan のメディアと市民に、これらのことには関連性があることを伝えたいのです。

Ayelet Kovo アイェレット・コヴォ、17歳

アイェレット・コヴォ (オーレン・ジブ)

私がこの手紙に署名したのは、人々を抑圧するために使用される国家の暴力的武器の一部になる覚悟がないからです。私は、占領地でパレスチナ人を抑圧する者にも、イスラエルでのデモでユダヤ人やパレスチナ人を抑圧する者にもなる覚悟はありません。私は、ここに民主主義や平等な権利が存在したことがないことを知っているし、根本的に不平等な国に仕える覚悟もありません。

Iddo Elam イド・エラム、17歳

イド・エラム (オーレン・ジブ)

私は、この軍隊に入隊することに同意しないので、署名しました。ヨルダン川西岸地区と何百万人ものパレスチナ人を占領している軍隊であり、占領地からイスラエルに独裁政権を持ち込もうとしている極右政権の軍隊です。ギムナジウムでの私たちの集会に対する脅迫や、デモ参加者に対する警察の暴力など、ここ数週間でよくわかりました。


この記事は最初にヘブライ語でLocal Callに掲載された。ここで読むことができます。

オーレン・ジブ Oren Ziv

オーレン・ジブはフォトジャーナリストであり、『Local Call』の記者であり、写真集団Activestillsの創設メンバーでもある。

https://www.972mag.com/israel-refusers-youth-against-dictatorship/

(LeftEast)私たちは問う:パレスチナ連帯への弾圧はドイツでどのように展開されているのか?

(訳者前書き)ヨーロッパにおけるパレスチナ支持の動きとして、私たちにメディアが報じているのは、日本ではなかなか見られない大規模なイスラエルの軍事行動への批判のデモであったりするが、以下で紹介するドイツの事態は、とても深刻だ。パレスチナに自由を、というスローガンさえ口に出すことが難しい状況があり、パレスチナ支持を公然と掲げるデモも禁止されているという。イスラエル批判をユダヤ人批判とみなす傾向が政府当局や警察の行動の基調になっているようだ。しかし、それだけでばない。下記のインタビューのなかで「Antideutsch」と呼ばれる左翼の潮流の問題にも言及されている。Antideutschという言葉には、反ユダヤ主義がドイツのナショナリズムの根源にあることへの批判が込められていると思うが、その限りで重要な観点を運動化しているともいえるのだが、しかし、これが、逆に、あらゆるイスラエルへの批判を容認しない反パレスチナ、反アラブのスタンスとして露出しているところが問題になっている。日本では、パレスチナ支持を掲げることが、あからさまな弾圧の対象にはなっていないように感じるために、こうしたヨーロッパの運動が抱えている問題は見過されやすい。しかし、実は、ドイツで起きている問題は、日本と東アジアの近現代史の文脈のなかでも別の形で表出している問題ともいえる。(小倉利丸)

2018年頃のベルリンでの抗議行動。写真:Hossam el-HamalawyCreative Commonsライセンス

私たちは問う:パレスチナ連帯への弾圧はドイツでどのように展開されているのか?

投稿者

Ansar Jasim 著
投稿日 2023年10月30日

ハマスの「アクサの洪水」作戦の開始と、包囲されたガザへのイスラエルの砲撃以来、ヨーロッパのパレスチナ人と親パレスチナ活動家は、前例のない検閲、取り締まり、嫌がらせ、逮捕、箝口令、脅迫に直面しています。私たちは、ヨーロッパ各地の左翼活動家からの報告をまとめることで、パレスチナ人と親パレスチナ活動家が直面している抑圧について、私たちの地域全体の活動家コミュニティに警告を発することを目的としています。私たちはまた、この抑圧のパターンが、人種プロファイリングや移民排斥政策のようなすでに存在する人種差別的実践を大きく誇張し、警察の脅迫、逮捕、嫌がらせのような人種差別的な制度的実践を活性化させることに基づいていることを示すことも目的としています。こうした慣行は新しいものではありませんが、その規模が拡大していることは憂慮すべきことです。LeftEast編集部

パレスチナ支持派の表現や抗議行動に対する弾圧について、あなたの国では何が起きていますか?

「10月20日に行われた左翼団体ローザ・ルクセンブルク財団の公開イベントで、名前を伏せた人物が「あなたはドイツでいつまでこのような発言を続けられると思っているのですか」と質問しました。この財団のラマッラ事務所の代表は、ガザ、ヨルダン川西岸、そして1948年にわたるイスラエルによるパレスチナ人に対する数十年にわたる暴力について説明しました。彼女はイスラエルの政治について、土地を奪うことを目的とする入植者の植民地国家であることの結果であると述べました。上に引用した匿名の人物は、まさにこのことを言いたかったのです。すべての事実を検証することにこだわる視点からパレスチナに関する物事を記述することは、今後ドイツではあまりできなくなるかもしれません。これは、言説のレベルで、つまりパレスチナについて語るときに起こっていることのほんの一端にすぎません。

パレスチナのために立ち上がることは、最近の出来事が起こる以前から、ベルリンではほとんど不可能でした。ドイツではこれまで、パレスチナ連帯のデモや集会はほとんどすべて禁止されてきました。警察は常に、一定の期日までこれらのデモを禁止するとの声明を発表します。それにもかかわらず、人々はデモを警察に申請し続けています。警察がデモを中止するのは、デモが行われる数時間前のことです。これは、人々が抗議行動を計画し、期待したのに、またしても保留にされるという、消耗戦の様相を呈しています。いくつかの抗議デモは、例えば “新植民地主義に反対するグローバル・アクション・デー “のような別の見出しのもと、より大きなデモの一部として行われました。

そして、ノイケルン(WANA出身者のコミュニティが多く住む地区)の人々から報告されたように、バルコニーなどからパレスチナ国旗を降ろすよう警察が要求した事件も数多くあります。このように、街の「公共的な外観」に影響を与えるような私的空間の利用を規制しようとする動きもあります。

最大の、そしてかなり前例のない取り締まりは、現在学校で行われています。直近の取り締まり以前から、イスラエルとパレスチナの問題にあまり詳しくない教師たちは、このトピックにどう対処すべきか、むしろ迷っていました。しかし、今私たちが目にしているのは、はるかに組織的なものです。学校は、パレスチナの出身である生徒や、アラビア語を話す生徒、イスラム教を背景に持つ生徒を抑圧し、統制するための道具となっています。

例えば、ベルリンのある学校でパレスチナの出身者がパレスチナとの連帯を表明し、教師が暴力的な言動でそれを禁止しようとした後、ベルリン上院教育・青少年・家庭局は10月13日に声明を発表し、生徒に対する差別的措置を発表しました。さらに、学校は禁止措置だけでなく、教育的・懲戒的措置をとることができます。特に懸念されるのは、上院議院運営委員会が、パレスチナとの連帯を表明した子どもや若者に対して警察に通報するよう学校に勧告している事実です。

この声明では、以下のことを禁止しています:

  1. 関連する衣服(クフィーヤなど)を目に見える形で着用すること。
  2. パレスチナの色(白、赤、黒、緑)を使った「パレスチナに自由を」などのステッカーやイスラエルの地図を掲示すること。
  3. 「パレスチナに自由を!」という叫びや、「ハマスとそのテロリズム 」への言葉による支持。

活動家たちはこの弾圧にどう対応しているのでしょうか?

現在、イデオロギー的で抑圧的な国家機構は警戒態勢にあり、教育部門、メディア、警察を含め、相互に連携して動いています。国家の激しい不釣り合いな暴力は、大規模なパレスチナ人ディアスポラの怒りを和らげるための選択肢を提供するものではありません。なぜ警察は、彼らが抗議行動で怒りをぶつけるのを許す代わりに、このようなことをするのでしょうか?この弾圧は、ドイツ国家の領域外でよく組織されたディアスポラ・コミュニティが動員を続けていることへの恐怖から来ているのでしょう。

10月13日のベルリン上院教育・青少年・家庭局からの書簡のわずか数日後、教師と生徒たちが自主的に組織した会議に集まり、パレスチナに関する差別や人種差別の事件を共有し、対決の戦略を話し合いました。これは、ドイツ国家が許容する空間がますます狭まっていく中で、新たな空間が生まれつつあることを意味しています。

Kifaya-Focal Point Against Anti-Palestinian Racism for Pupils and Parentsは、生徒、保護者、学校の教師、学生、研究者、弁護士、その他反差別やアート関係者のネットワークです。学校での差別に直面している生徒、教師、保護者を支援するために設立されました。彼らは、ベルリン上院教育・青少年・家族局からの声明撤回を要求し、さらにパレスチナ・イスラエルに関するコミュニケーションにおける生徒の権利に関するガイドラインを策定しました。また、その他の法的支援も行っています。

一方的な声明を出した大学では、パレスチナとの連帯を示すための創造的な方法を考えるために、学生や学生団体の責任者も集まっています。

人々はパレスチナとの連帯を示すだけでなく、ドイツ国家の抑圧的な政策に積極的に抵抗し、「イスラエルとの連帯」の意味を明らかにするために、街頭に出ているのに対して、平和的なデモ参加者に放水銃を向けているのです。

ドイツにおける親パレスチナ派への弾圧の背景について教えてください。

反パレスチナ弾圧は、いわゆる「BDS決議」(正式名称: 反ユダヤ主義と闘い、BDS運動に断固反対する決議案)が2019年5月にドイツ議会で可決され、ボイコット、投資引き上げ、制裁運動が反ユダヤ主義的であると宣言されたのです。議会は2021年、BDS運動支援の疑いで国家から財政支援を受けている団体が資金を失ったことはないと主張したにもかかわらず、雇用主側の過剰なコンプライアンスによって個人がフリーランスの職を失った事件は数多くあります。

さらに、反ユダヤ主義との闘いの姿勢で知られながら、BDS決議を批判していた個人も大きな影響を受けました。例えば、ベルリン・ユダヤ博物館のペーター・シェーファー館長です。2019年、シェーファーは、ある新聞記事を “読む価値がある “と示唆した同館のツイートに対する厳しい批判に直面し、辞任に追い込まれました。言及された記事は、連邦議会の決議を強く批判した240人のイスラエル人とユダヤ人科学者からの呼びかけについて言及したものです。

2022年と2023年、ベルリンはパレスチナの権利を求めるデモを予防的に全面禁止しました。さらに、この2年間は、特に5月15日のナクバの日の前後に、パレスチナと連帯するための抗議活動が、パレスチナ人個人によるものであれ、ユダヤ人の盟友によるものであれ、特にノイケルン周辺を中心とする抗議活動の想定地域で、大規模な人種プロファイリング・キャンペーンが行われたことをきっかけに禁止されました。2023年、ナクバの日の前後には、「パレスチナ人らしき」人々が捜索され、多くの場合、罰金を科せられたり、拘留されたりしました。このような状況からすると、現在のドイツでの大規模な取り締まりは驚くことではありません!

これからの方向性は?何をしなければなりませんか?

よく知られているように、ドイツの左派はパレスチナ問題をめぐって大きく分裂しています。1960年代から1980年代にかけては、激しい論争にもかかわらず、ドイツの左派ではパレスチナとの連帯の立場がむしろ優勢でした。しかし、ドイツの再統一を背景とした1990年代以降、この状況は一変します。台頭するドイツ・ナショナリズムに対抗するため、左翼に新たな言説的影響力を持つ潮流が生まれたのです。いわゆる “反ドイッチュ”(反ドイツ人)あるいは ” 反ナショナル” の立場です。反ドイッチュは、明確に親イスラエルの立場をとり、明確に反-反ユダヤ主義であると主張し、それゆえ、すべてのユダヤ人の生命をイスラエル国家とヒひとつのものとしています。彼等にとって、ユダヤ人であるということはイスラエルである、ということになります。したがって、彼らは、ユダヤ人国家としてのイスラエルを「害する」可能性のある政治的主張は、すべて反ユダヤ主義的であると考えています。これは、国連決議194号に謳われているパレスチナ難民の「帰還の権利」にまで及んでいます。

最近では、反ドイッチュはイスラエルと連帯する行為として、ヨーロッパ諸国がガザの全住民を受け入れることで「現在の危機」を解決できると示唆しました。反ドイッチュの立場は、例えば、1991年と2003年の湾岸戦争がイスラエルの安全保障の強化につながるとして、公然と支持を表明しているだけではありません。同時に、パレスチナのシンボルを身につけた人々への公然たる攻撃や、パレスチナ支持派のイベントの妨害も支持しています。しかし、不条理なことに、この反ドイツ左翼は、イスラエルの生存権とその防衛をあらゆる手段で擁護することで、ドイツ国家の立場をも擁護し、非常にナショナルに見えるのです。

はっきりしているのは、ドイツの左翼は落ち着いて深呼吸し、海外のジェノサイド的暴力と権威主義的軍国主義(つまり、彼らの多くが支持しているイスラエル国家の自衛権)が、ドイツ国内の人種差別racializedされた人々とその同盟者に対する権威主義的弾圧の激化を引き起こしていることを理解し始める必要があるということです。この展開はパレスチナ連帯活動だけにとどまるものではありません。私たちがドイツにおける気候変動活動家に対する不釣り合いな弾圧ではっきりと見たように、国家の弾圧は左翼活動家のあらゆる領域を侵食しています。パレスチナのために立ち上がること、そしてドイツでパレスチナの連帯を示す人種差別された人々のために立ち上がることは、今日、ドイツにおける私たちのスペースの縮小と国家暴力の拡大と闘うための中核的な課題であるように思います!この分析は、ドイツの左翼における私たちの活動の指針となるはずです。

Ansar Jasimは政治学者。シリアとイラクを中心に、理論的・実践的観点から市民社会運動と国境を越えた連帯に関心を持っています。

ブラックメタルの未来に爆弾を落とす。Black Metal Rainbowsをめぐる対話

(訳者前書き)ブラック・メタルはネオ・フォークやノイズとともに、極右、ネオファシストの傾向をもつ文化に侵食される傾向が大きいとみなされることが多いジャンルだが――もちろんこれらのジャンルそれ自体が右翼だということは意味しない――、こうした傾向にシーンの内部から異議申し立てし、反ファシズムの音楽表現としてのブラック・メタルを真正面にかかげた本とコンピレーション、Black Metal Rainbows(e-bookなら8ドル95セント)が登場したことは嬉しい。Rainbowsとあるように、本書は、単なる反ファシズム大衆文化の表明だけでなく、LGBTQ+への強い連帯意識をもって編集されている。

ネオナチや極右にとって、文化戦争は主戦場のひとつだ。とくに大衆音楽は若者をライブイベントや政治集会に動員するための格好の手段として利用されてもきたし、極右の政治傾向をもつアーティストたちがこうした動きと連携する動きがあった。日本のように大衆音楽が脱政治化されることによって保守的なイデオロギーを支える環境のなかで、往々にして、サブカルチャーのなかにある良識や道徳や建前の正しさを嫌悪する感情が極右サブカルへの脇の甘い同調や、ネオナチやレイシズム、セクシズムを深刻なサブカルチャにおける反動・反革命の政治的なモチーフだとは把えずに、表象のかっこよさ――文化表現では重要な要素だ――やファッションとして許容する傾向があるのではと危惧することがある。私はデスメタルやブラックメタルなどのジャンルに詳しいわけではないが、最近の東欧や北欧の極右の浸透とメタルのバンドやファンの動向を気にかけてきた者としては、本書はとても刺激的だ。翻訳がでることを切に願っている。

日本のようにサブカルチャの反支配的文化や反体制のスタイルだけを模倣することを可能にするような場所では想像しづらいが、音楽はそもそもが政治的な表現としても位置づけられてきた多くの国や地域では、音楽文化そもののが闘争領域であり、何を聴くのかは、それ自体が政治的な態度表明にもなる。

私がこの本について知ったのは一昨年ころだと思う。たまたまPMプレスのサイトで予告がでていて、これは買いたいと思って予約したが、刊行年がたぶん1年くらい遅くなったと思う。しかし、本書と同時に出されたコンピレーションは130曲も収録されていて、値段は自分で決める(Bandcampのサイトではよくある手法だ)。ともかくも、130ものバンドが反ファシズムのブラックメタルの企画に賛同して集まったことだけでも快挙だと思う。以下は、以前紹介したAnti Fascist Neo-Folkのサイトに掲載されていたこの本の編集者へのインタビューの翻訳です。(小倉利丸)

ブラックメタルの未来に爆弾を落とす。Black Metal Rainbowsをめぐる対話

Black Metal Rainbowsのことを初めて知ったのは、数年前、彼らが本の資金調達のためにKickstarterキャンペーンを行ったときでした。この本は、ブラックメタルに関する文章のアンソロジーで、ブラックメタルシーンについて、明らかに反ファシズム、反人種差別、ラディカル、そしておそらく最も重要なのは、クィアであるという主張をしている。ブラックメタルは、極右やネオナチのアーティストやファンによって、しばしば汚されてきたという事実にもかかわらず(ネオフォークと同じように)、大規模な反ファシズム運動が勃興し、このジャンルの中心である創造的爆発を左側に引き戻している。

この本はPM Pressから発売され、 Margaret KilljoyやKim Kellyのような人々の素晴らしい寄稿や、美的感覚を超えた過激なアートワークが掲載されている。Black Metal Rainbowsは、ある意味、私たちがやろうとしているプロジェクトのブラックメタル版であり、最も争いの多いジャンルを取り戻しつつある反体制的な声にスポットを当てたものだ。この本の編集者の一人であるDaniel Lukesに、この本の意図、どのようにまとまったか、そして Black Metal と極右の介入主義を経験したすべての「エクストリーム」ジャンルの未来のために闘うことについて話を聞いた。

1: この本のアイデアはどこから来て、何が書かれているのでしょうか?

Black Metal RainbowsProjectは、2002年にイギリスのバンドAkercockeがロンドンで開催した大晦日パーティーを基にした夢として始まりました。

ブラックメタルがパーティーだったらどうだろうというのが、そこから得たアイデアです。そのイベントから何年も経った頃、夢の中で、夕暮れの地中海の丘の上にブラックメタラーが集まっているイメージがあり、グローバルなコミュニティとしてのブラックメタルのイメージが私の中に残りました。その最初のイテレーションが、2015年にダブリンのギャラリーXで開催された「Black Metal Theory Symposium」Coloring The Blackで、ブラックメタル理論という「パラ学術」分野にクィアアップして色をつけることを目的としたものでした。このシンポジウムでは、Drew Daniel (of Matmos/The Soft Pink Truth)が論文「Putting the Fag Back in Sarcofago」をcorpsepaintで読むという印象的な投稿や、「Lord of the Logos」によるcolour-the-logoコンテストなどが行われました。RihannaのロゴをデザインしたばかりのChristophe Spazjdelや、ナチスからの反発(と殺害予告)をたくさん受けた私たち。つまり、いい時代だったのです。

一息ついたら、次はそのエネルギーを一冊の本にまとめようということになりました。2017年に始まり、2023年1月にようやく出版された私たちの本『Black Metal Rainbows』には、エッセイと暴言、マニフェストと告白、グリッターとゴア、アートワークとコミック、デザインと危険性が書かれています。それはブラックメタルへのラブレターであり、ブラックメタルナチスへのファックユーであり、シーンの門番やブラックメタルがどうあるべきかについての退屈で古臭い考えを支持することに従事している人たちに対する中指を立てたものです。ブラックメタルとは、喜び、爽快感、自由、コミュニティ、愛であり、ステレオタイプが信じさせるよりも、はるかに多くのものがあります。そしてBlack Metal Rainbowsは、ブラックメタルの他の次元を祝福するものです。

2: 人々がブラックメタルを誤解しているのはどうしてだと思いますか?

必ずしもいつも間違っているわけではないと思います。ブラックメタルは極端な芸術であるため、その最も極端な要素で知られています。それは、重苦しく凍えるようなシナリオを好むことであったり、悲しいことに、最近ではナチスとの関係であったりします。私たちや他の多くの人々は、ブラックメタルをファシストや保守的な芸術様式に変えようとすることによって、このジャンルを軽蔑し制限しようとする人々と闘い、奪い返すべきものだと考えています。1990年代に育った私は、John Majorと灰色の冴えないToriesが、私の好きなブラックメタルアーティストたちと同じ側にいるなんて、決して信じなかったでしょう。ブラックメタルは宇宙を旅するような大きな夢を描いているのに、その実践者たちの中には、深い偏狭さを露呈している人がいるのですから。ブラックメタル・レインボウは、ブラックメタルが多面性を持っていることを示す試みです。派手で華やかであることもあれば、抑圧や不幸に対するツールであることもあり、コミュニティやケアであることもあるのです。

3: ブラックメタルの新しい過激な世界が出現していますが、どう違うのでしょうか?また、どのようなバンドがその道をリードしているのでしょうか?

メタルのクィアネスは常にそこにあり、ブラックメタルも同様です。 とはいえ、トランス、クィア、左翼、反ファシストのアーティストによって明示的かつ公然と作られたエクストリーム・メタルやブラックメタルの新しい波があるのは確かです。Vile CreatureのKW Campolがこの本の紹介文で言っているように、「ブラックメタルは究極のアウトサイダー音楽ジャンルであり、私たちクィアや変人がその不毛の地に家を建てることは理にかなっている。Black Metal Rainbowsは、ブラックメタルが織り成す強力な反抑圧的バックボーンを記録した、必要なアンソロジーである。

今日のバンドが他と違うのは、今、利害関係があまりにも激しいので、多くのアーティストにとって、政治的なことに口を挟むという選択肢はない、という感覚だと思います。世界的にファシズムが台頭し、資本主義が地球を焼き尽くし、国家権力がトランスやクィアの人々を新たな方法で抑圧し、マイノリティや貧しい人々に対する警察の残虐行為が野放しにされ続けています:未来は暗く、激動に満ちていることでしょう。事態は良くなる前に確実に悪化しているのです。ブラック・サバスの「War Pigs」以降、メタルは常に政治的であり続けてきましたが、数十年間は竜や 妖精の後ろに少し隠れすぎていました。特にブラックメタルは、そのよく知られたナチス問題から、脱/再領土化のための肥沃な土地です。ファシストから取り戻す必要があり、その闘いに従事している多くの素晴らしく勇敢なアーティストがいます。

ブラックメタルやそれ以外のバンドで、今日私が好きなバンドをいくつか紹介します。Penance StareGelassenheitBiesyDivide and DissolveEntheosBackxwashBody Void

4: この本に掲載されている多様な文章について、どのような内容のものがあるのか、少し教えてください。

高度な学術論文から個人的なエッセイ、ジャーナリスティックなものまで、多くの種類の文章を求めました。中でも、Joseph Russoがテキサスについて書いた「Queer Rot」という奇妙で楽しい理論・フィクションは、ブラックメタルを聴くことで得られるトランス状態のような効果を反映した、あるいは模倣したような文章になっているのが特徴です。音楽における悪の性質に関するいくつかの作品(Langdon Hickmanの「The Dialectical Satan」やEugene S. Robinsonの「When Evil Comes A’Calling」など)、Jasmine Hazel Shadrackによる魔術の実践としてのブラックメタルに関するエッセイ(「Malefica」)があります。また、Margaret Killjoyによる “You Don’t Win a Culture War by Giving Up Ground “と題された熱烈なマニフェストも掲載されています。私たちにとって重要だったのは、さまざまな声をさまざまなスタイルで紹介することでした。アートは、ブラックメタルの特徴的なビジュアル要素であるコープスペイントに始まり、ブラックメタルのさまざまなビジュアルの顔を示しています。デザインも重要な要素で、暗闇から虹を浮かび上がらせ、またグリッチな未来的シナリオを先取りしています。私は1990年代のモダニズム・ブラックメタルの大ファンで、エレクトロニカやインダストリアルと多くの融合を行い、今、大きく復活しつつあります。この本には、誰もが楽しめるものがあることを願っています。

5: ブラックメタルのようなサブカルチャーは、極右との闘いや ラディカルな空間の構築において、どのような役割を果たすとお考えですか?

ブラックメタルは極右の過激化のための勧誘の場ですから、もちろんその領域で闘うことは必要です。特に東欧に強い極右や親ナチのブラックメタルシーンがあるだけでなく、問題を両論併記し、無政治を主張し、反ファとファシストを同じように呼ぶ中道派のエッジロードがたくさんいる。私たちはこれをデタラメと呼び、Black Metal Rainbowsは、反ファシストとクィアブラックメタルのシーン構築で行われている活動に光を当てる私たちの方法である。反ファシズムのエクストリーム・メタルの世界的なネットワークは拡大しており、Antifascist Black Metal Network彼らのYouTubeもチェック)やRABM Redditのようなコミュニティはその証拠である。

6: ラディカルなブラックメタルファンは、どのようにして他のコミュニティと橋渡しをすることができますか?

クィアやトランスの文化は、主流メディアでは、ふわふわした、安全な、ポップな(あるいは「テンダークィア」)ものとして認識されることがあります。しかし、表面下に潜るとすぐに、ホラー小説、視覚芸術、過激な音楽など、多くの暗いサブカルチャーにクィア、トランス、左派が大きく投資していることが分かります。グレッチェン・フェルカー=マーティンの『マンハント』は昨年大きな話題となり、クィアやトランスのホラー小説は増加傾向にある。David Cronenbergの『Crimes of the Future』は、そのボディホラーのクィアネスが広く評価されましたが、これは彼のキャリア全般を振り返ったときに見えてくるものです。私たちの小さな方法ではありますが、『Black Metal Rainbows』は、クィアと左翼の政治と美学を結びつける空間を作り、シスである白人男性が、忌まわしく、醜く、暴力的な芸術を作ることにヘゲモニーを持っていないという事実に光を当てようとするものなのです。Black Metal Rainbowsの資料がクィアなスペースに出現したという報告を聞くのは素晴らしいことです。しかし、メタルスペースがよりクィア、女性、マイノリティに優しくなることは、間違いなくこのプロジェクトが目指すものです。

メタルシーンを超えた橋渡しという点では、ファンは、自分が夢中になっているアーティストがサポートし、宣伝している団体をフォローアップし、つながることができます。例えば、非営利のレコードレーベルFood Desert Recordings、「匿名過激派音楽集団」Non Serviam、動物愛護支援レーベルFiadh Productions、左翼革命的レコードレーベルRed Nebulaなど、この旅で出会ったエクストリームメタル関連の左翼やアナキストのイニシアチブ、レーベル、プロジェクトはとても素晴らしいものがたくさんあります。Bill Peelの近刊『Tonight It’s A World We Bury: Black Metal, Red Politics』は、ブラックメタルが資本主義を破壊するための道具として使えるという素晴らしい主張をしています。ブラックメタルがプロテスト・ミュージックとして生まれ変わるなんて、誰が想像できただろう?だから、お気に入りのブラックメタルアーティストの曲をかけ、自分の闘いを見つけ、戦術と安全性について下調べをし、それを実行に移すのです!」。

7: この本と一緒に発売されるアルバムについて教えてください。何が入っていて、どんなメリットがあるのでしょうか?

Black Metal Rainbowsコンピレーションアルバムは2022年の夏にまとまりましたが、こんなに大きくなるとは思ってもいませんでした。130曲、11時間以上の音楽、100人以上のアンダーグラウンド、ブラックメタル、ノイズ、エレクトロニックアーティストがLGBTQの若者を支援するために集結した。リリースと同時にBandcampのベストセラー第2位(The Mountain Goatsに次ぐ!)を記録し、2023年1月にはLGBTQの若者を支援するチャリティーのために10Kドル以上の資金を集めました。Trevor Project、Mermaids、Minus 18、The International Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender, Queer and Intersex (LGBTQI) Youth & Student Organisationなどです。ブラックメタルが中心ではありますが、このアルバムには、ブラック化したグラインドから壮大なブラックメタル、ブラックゲイズからダンジョンシンセ、ノイズからアヴァンギャルドまで、実にさまざまな音楽スタイルが収録されています。RABM(Red and Anarchist Black Metal)は基本的に黒化したグラインドコアだという先入観がありますが、このコンピレーションを作ることは、左翼BMや関連するジャンルの幅広い創造性を見るという意味で、大きな学びとなりました。アナーキスト・ポストブラック・メタル?コミュニストの鬱屈した自殺的ブラックメタル(DSBM)?社会主義的なダンジョンシンセ?探せばきっと見つかるはずです。

このコンピのハイライトは、Caïnaのトラック「Take Me Away From All This Death」のDepeche Mode風のリミックス、Darkthroneの「Transylvanian Hunger」のサーフロックのカバー、ジャパノイズの大家Merzbowのブラックメタル風のトラック、トロール、カボチャ、コウモリ、ヘビがいるゴブリン風の気味の悪いダンジョンシンセがたくさん入っています。また、モントリオール在住のアーティスト、Wesley Cunningham Clossによる素晴らしいカバーアートも特筆すべきもので、彼は屍体ペイント、虹、トップサージャリーの傷跡を組み合わせた見事で力強いイメージを作り上げています。


また、今週末からニューヨークで開催されるリリースコンサート(Imperial Triumphant、Couch Slutなどが出演)とオープニングブックイベントにぜひ参加してみてください!Black Metal Rainbowsのコンピレーションアルバムは、Bandcampから入手できます。

Black Metal Rainbows: A conversation with co-editors Stanimir Panayatov and Daniel Lukes (and Ravenna Hunt-Hendrix of Liturgy).

Center for Place, Culture and Politics, The Graduate Center

City University of New York

Room 6107

10 Feb, Friday, 4:30 PM

365 Fifth Ave New York, NYC 10016

Click Here to RSVP

Black Metal Rainbows: Book Launch and Panel Discussion

Housing Works Bookstore

11 Feb, Saturday, 5-7pm

126 Crosby St, NYC 10012

Click Here to RSVP

Black Metal Rainbows Book Release Show: Imperial Triumphant, Couch Slut, Sunrot, Diva Karr, Greyfleshtethered

St. Vitus Bar

12 Feb, Sunday, 7pm

1120 Manhattan Ave, Brooklyn, NYC 11222

Click Here for Tickets

出典:https://antifascistneofolk.com/2023/02/11/dropping-a-bomb-on-black-metals-future-a-conversation-on-black-metal-rainbows/

(LaCroix)ロシアのキリスト教ナショナリズム

(訳者前書き)以下は、カトリック系のウエッブサイトLa Croix Internationalの記事の翻訳です。私はキリスト者ではなく、キリスト教一般いついての理解も十分とはいえないが、ロシアのウクライナ侵略の戦争をもっぱらプーチンの「狂気」や個人の独裁に求めがちな日本のメディア報道に対するセカンドオピニオンとして、ロシアの宗教性とナショナリズムに関心をもつことは重要な観点だと感じている。宗教とナショナリズムの問題は、ロシアだけではなく、グローバルな現象として、米国の福音派から英国の君主制、そして欧州に広範にみられる異教主義的なヨーロッパへの回帰と排外主義など、いずれも多かれ少なかれ宗教的な心性との関りがある。日本の場合であれば天皇制ナショナリズムもこの文脈で把える必要があると思う。ほとんどの日本人は、この概念に違和感をもつだろうが、主観的な理解とは相対的に別のものとしてのナショナリズムの意識されざる効果があることに着目すべきだろう。以下で述べられているように、プーチンの戦争に宗教的な世界観が深く関わりをみせているとすれば、戦争の終結が国際関係のリアリズムの文脈によっては解決できない側面をもつということにもなる。グローバルな宗教ナショナリズムに対して、宗教者えあれば、宗教インターナショナリズムに基くナショナリズムの相対化の可能性を模索するのかもしれない。私のような無神論者は、宗教的な世界観や信条をもつ政治指導者や国家権力に対して世俗主義による解決を主張するだけでは十分ではないだろう。戦争放棄にとって「神」とは何なのかという問題は、同時に戦争にとってこれまでの人類の歴史が刻みこんできた「神」の加担の歴史を、信仰しない者の観点からもきちんと理解する努力が非常に重要になっていると思う。(小倉利丸)


ロシアのキリスト教ナショナリズム
ジョン・アロンソ・ディック著|ベルギー

聖なる金曜日に、私はイエスの人生経験における権威主義的な支配者と堕落した宗教指導者の不吉な協力にあらためて衝撃を受けた。そして、今日の多くの国々で見られる、宗教と政治の不吉な協力関係について考え始めた。

私の当面の関心事は、もちろんウクライナの戦争である。現在のロシア・ウクライナには、絶対に見落としてはならないキリスト教的な側面がある。復活祭の翌月曜日(正教徒にとっては棕櫚の日曜日の翌月曜日)、政治学者でロシア下院議員のヴャチェスラフ・ニコノフ(1956年生)は、ロシアのウクライナ戦争を賞賛した。

「実際、私たち(ロシア人)は、現代世界における善の力を体現しています。私たちは絶対悪の勢力に対抗する善の側なのです」「これはまさに私たちが行っている聖戦であり、私たちはこれに勝たなければならない。他に選択肢はない。私たちの大義は正義であるだけではありません。 私たちの大義は正義である。そして勝利は必ず我々のものになる」

これがキリスト教ナショナリズムである。

キーウが東欧正教会の中心地となる

歴史は、現在のロシア・ウクライナの出来事を理解するのに役立つ。980年頃、現在のウクライナの政治指導者たちが、コンスタンティノープルから来た正教徒に改宗させられた。キーウ周辺は、東ヨーロッパにおける正教会の中心地となった。しかし、それから約500年後、状況は一変する。1448年、モスクワのロシア正教会がコンスタンティノープル総主教座から事実上独立し、その5年後、コンスタンティノープルはオスマントルコに征服された。537年に帝都コンスタンティノープルの総主教座聖堂として建てられたアヤソフィアは、モスクとなった。このとき、ロシア正教会とモスクワ公国は、モスクワをコンスタンティノープルの正統な後継者と見なすようになった。モスクワ総主教はロシア正教会のトップとなり、ウクライナのすべての正教会はモスクワ総主教座の教会の管轄下に置かれるようになった。

1917年の10月革命後、1922年に共産主義国家であるソビエト社会主義共和国連邦が成立した。ソ連は既存の宗教を排除し、国家的な無神論を確立することを重要な目的としていた。1988年から1991年にかけてのソ連邦の崩壊により、ロシア正教会はその宗教的、国家的アイデンティティを再検討するようになった。

ソビエト連邦崩壊後のロシアにおける宗教復興

レニングラード司教アレクシー(1929-2008)は、1990年にモスクワ総主教アレクシー2世となり、70年に及ぶ弾圧の後、驚くほど迅速にロシア社会に正教会を復活させることを主導した。2008年のアレクシー総主教の任期終了までに、約15,000の教会が再開され、再建された。ロシア正教会の大規模な回復と再建は、アレクシーの後継者であるウラジーミル・ミハイロヴィチ・グンディアエフ(1946年生)―今日ではキリル総主教の名で知られている―の下で続けられた。2016年までにキリルの下で、教会は174の教区、361人の司教、3万9800人の聖職者が奉仕する34,764の小教区を有するに至った。926の修道院と30の神学院があった。

ロシア正教会は、総主教キリルのもとで、共産主義の崩壊による社会的・思想的空白を埋めるために、国家の宗教的・政治的権力の強力な代理人となるべく活動してきた。キリル総主教の下で、ロシア正教会はクレムリンと密接な関係を築いている。プーチン大統領(1952年生まれ)はキリルを個人的に庇護している。2012年のプーチン大統領選を支持し、プーチンの大統領就任を「神の奇跡」と呼ぶ。現在、彼はプーチンのロシアは反キリストと戦っていることを強調している。しかし、2014年にロシアがクリミアに侵攻したとき、プーチンには思いもよらぬことが起こり、彼とキリル総主教には気に入らないことが起こった。ウクライナの正教会の大きなグループが、モスクワ総主教庁から完全に独立することを主張する「ウクライナ正教会(OCU)」を結成したのだ。このクリミア半島侵攻後の歴史は、プーチンがロシアのアイデンティティと世界的な役割をどのように構想しているのかを示すものとして重要である。

「母なるロシア」の栄光を取り戻す

プーチンは、「母なるロシア」の栄光と地勢を回復させたいと考えており、それが西洋の世俗的退廃に対する「キリスト教文明」の保護であると強く主張している。1981年から2000年にかけて、ロシア最後の皇族であるロマノフ家がロシア正教の聖人に列せられた。つまり、ニコライ2世とその妻アレクサンドラ、そして5人の子供たち、オルガ、タチアナ、マリア、アナスタシア、アレクセイである。プーチンは、ロシア正教会とのイデオロギー的な同盟は、自分の目標達成のために不可欠だと考えている。プーチン大統領は、かつてのロシア皇帝と同じように、モスクワをロシア正教会の祝福を受けた政治的・軍事的帝国の中心に据えたいと考えている。これは、彼のロシアキリスト教ナショナリズムの重要な要素である。そのためには、自分がコントロールできるウクライナの正教会が必要なのだ。プーチンとウクライナの戦争が始まったとき、総主教キリルは説教で、神から与えられたウクライナとロシアの統一性を強調した。「抑圧されたロシア人の解放よりも、はるかに多くのものが危機に瀕している。人類の救済である」と3月6日の説教で強調した。「人々は弱い者で、もはや神の律法に従わない。 神の言葉や福音を聞かなくなっている。 彼らはキリストの光に対して盲目なのです」と総主教は述べた。

悪の力に対する黙示録的な戦い

ロシアのテレビで毎週行われる説教で、キリルは定期的に、ウクライナの戦争を「神から与えられた神聖ロシアの統一」を破壊しようとする悪の力に対する終末的な戦いとして描写している。彼は先月、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの人々が共通の精神的、国家的遺産を共有し、一つの民族として団結すべきは「神の真理」だと強調したが、これはプーチンの戦争擁護に直接呼応するものだ。キリルはしばしば、同性愛者の権利に対して怒りに満ちた暴言を吐きながら、これは神に対する大きな罪であり、「神とその真理の明確な否定」であるとし、人類の文明の未来そのものが危機に瀕していると語ってきた。ロシア政治において総主教は複雑な人物である。彼は頭が良く、カリスマ性があり、野心的な人物である。彼は旧ソビエト連邦の中心的な治安組織であるKGBと関係してきた。しかし、キリルは総主教に就任して数年後、3万ドルのブレゲの腕時計をしているところを写真に撮られ、ちょっとしたスキャンダルを引き起こしたことがある。その後、正教会の支持者によって、公式写真が都合よくフォトショップで修正された。彼とプーチンは長い間、緊密な同盟関係にある。プーチンは、レニングラード(現サンクトペテルブルク)の司祭だったキリルの父親が、母親の希望で1952年に秘密裏に洗礼を授けてくれたと語っている。プーチンとキリルは頻繁に一緒に公の場に姿を現わしている。たとえば、復活祭の礼拝、修道院の訪問、巡礼地巡りなど、プーチンとキリルは頻繁に公の場に姿を現している。

プーチンの精神的宿命:モスクワを拠点としたキリスト教団の再構築

プーチンのキリスト教に対する真摯な姿勢は、大統領側近だったロシア正教徒のセルゲイ・プガチョフ(1963年生)によってはっきりと否定されてきた。しかし、近年、プーチンは自らの宗教性を強調するようになった。銀の十字架を首にかけ、イコンにキスし、テレビカメラの前で凍った湖に身を沈めたのは有名な話だ。この氷漬けの儀式は、男らしさの誇示であり、正教会の祭日である「聖霊降臨祭」の儀式でもある。プーチンは、モスクワを拠点とするキリスト教国の再建を自らの精神的宿命としている。「ウクライナは我々の歴史、文化、精神的空間の不可分の一部である」と彼は昨年2月の演説で述べた。ロシア正教は何世紀にもわたって、西欧のカトリックやプロテスタントとは対照的に、「真の信仰」の守護者として自らを提示してきた。モスクワは、第2位のコンスタンチノープル、第1位の帝政ローマに続く第3のローマであり、今日の真のキリスト教の中心地であるという。

ロシアの再軍国主義化に対する教会の祝福

確かに、ロシア正教会がロシアの軍国主義の台頭に大きな役割を果たし、ウラジーミル・プーチンのウクライナ侵攻に道を開いたことは、歴史が長く記憶することになるだろう。すでに2009年8月、キリルはセベロドビンスクのロシア造船所で、原子力潜水艦の乗組員に聖母マリアのイコンを贈呈している。ロシアの軍隊は「伝統的な正教会の価値観によって強化される必要がある…そうすれば、我々のミサイルで守るべきものを持つことになるだろう」とキリルは述べている。プーチンとキリルはナショナリストのイデオロギー的価値観を共有しており、彼らの目にはウクライナでの戦争は正当化されるように映る。彼らはキリスト教徒であると主張するが、キリスト教の価値観について語ることはない。キリスト教的倫理観と病院への爆撃、アパートや学校への爆撃、そしてウクライナの民間人への計算された虐待と虐殺については決して語らない。歴史に「このキリスト教徒たちは互いに愛し合っている」と記録されることはないだろう。国民の4分の3が正教徒であると自認するこの国において、プーチンとキリル総主教およびロシア正教会とのパートナーシップは、プーチンの権力と国民的支持を強化するものである。興味深いことに、2022年のロシアのウクライナ侵攻の際、ロシア国外のロシア正教会(ROCOR)の総主教ヒラリオン(カプラール)大司教は、「テレビの過剰視聴、新聞やインターネットのフォローを控え」、「マスメディアによって引き起こされる熱狂に心を閉ざす」よう信徒に求める声明を発表している。声明の中で、彼はウクライナという言葉ではなく、ウクライナの土地という言葉を使い、明らかにウクライナの独立を意図的に否定している。1948年にカナダで生まれたヒラリオンは、東部アメリカやニューヨークを管轄している。クレムリンと密接な関係にあり、ウラジーミル・プーチンとは友好的な関係である。

同性愛嫌悪や反フェミニズムなどの「伝統的価値観」を復活させる

キリル総主教率いる正教会は、プーチン大統領と協力し、「伝統的価値観」の復権に尽力してきた。その「伝統的価値」の中でも重要なものは、同性愛嫌悪と、女性を「産む者」として強く擁護する反フェミニズムである。プーチンが大統領になった1年後のインタビューで、キリルはフェミニズムはロシアを破壊しかねない「非常に危険な」現象であると述べた。ロシアの独立系通信社インタファクスによると、「フェミニズムという現象は非常に危険だと考えている。なぜなら、フェミニスト組織は、女性の疑似自由を宣言しており、それはそもそも、結婚や家族の外で実現されるべきものだからだ」と述べた。プーチンの支持者は、彼はキリスト教ナショナリストであり、自伝で明らかにされているように、1998年に亡くなった母親からの形見である正教会の洗礼十字架をシャツの下に身に着けていると言う。米国の「宗教右翼」の多くにとって、プーチンは世俗主義、特にイスラム教に対するキリスト教文明の権威主義的擁護者として今も賞賛されている。しかし、それは本当にキリスト教的なものなのだろうか。そして、それは本当に文明なのだろうか。ロシアのキリスト教ナショナリズムを象徴する現代的なモニュメントといえば、2020年にロシア国防省によって建設されたモスクワの勝利教会かもしれない。ロシアで3番目に大きな正教会で、クリミア占領後に計画された。ロシアの軍用武器メーカーであるカラシニコフ社が100万個のレンガを寄贈している。教会内のフレスコ画には、中世の戦争から現代の紛争に至るまで、ロシアの戦士たちの偉業が讃美されている。それは、軍事力の非常に粗野な賛美である。イエスの像でさえ、剣を振り回す戦士として描かれている。ステンドグラスのモザイクには、帝政ロシア軍出身の著名な軍事指導者の顔が描かれている。ロシアのキリスト教ナショナリズムは、歪んだキリスト教と乱暴な政治権力という不浄な同盟に支えられている。それは危険なだけでなく、悪である。

著者:歴史神学者、元ルーヴェン大学アメリカン・カレッジ学長、ルーヴェン大学およびゲント大学教授。最新作は『Jean Jadot; Paul’s Man in Washington』(アナザーボイス出版、2021年)。

出典:https://international.la-croix.com/news/religion/russian-christian-nationalism/15989

愛国主義のイデオロギー装置としてのオリンピック:シモーヌ・バイルス途中棄権への右派メディアの非難

米国の体操選手、シモーヌ・バイルスが途中棄権したことは、たぶん、世界的にはトップの報道の出来事ですが、日本のメディアの関心は低いですね。

Daily Beastによると、米国内の右派メディアなどがバイルスに対して一斉に非難の声を上げているとのこと。 「保守的な評論家やライターの多くが、バイルスに「傲慢」「利己的」というレッテルを貼り、彼女が子どもたちの良いお手本にならないと主張」という記事のなかで、いくつかの右派の論客やメディアを紹介しています。

いずれも、メンタルの問題を理由に途中棄権するなどは許せないというわけですが、国を代表している選手が自分の都合で棄権し、しかも謝罪すらしない、結果として金メダルはロシアがさらった…といったことを罵っている。こうした人たちが複数の右派メディアなどで繰り返しているようです。(右派メディアそのものにアクセスして確認できていません)バイルスは、先に、自身の性的虐待被害とメンタルな問題を抱えてきたことを公表しています。彼女が黒人で最も人気のあるアスリートのひとりであることとともに、彼女のこれまでの行動にも右派にはがまんならなかったのかもしれません。

国際スポーツを国別の戦いとみなし、アスリートを国家の代表とみなすことに疑問の気持ちをもつ人は極めて少ない。スポーツは国別の競技でなければならない理由はないにもかかわらず、ほとんどの人が国別競技を肯定しています。なぜなのかを考える必要があります。 国別競技は、愛国主義と共振して増幅されるような心理構造をつくりだし、右派のアイデンティティでもある愛国主義がこの関係を率直に示しているように思います。表彰式はこの心理をシンボリックに可視化して再生産する仕掛けですから、もともと人々が本来的にもっている愛国心が表出したというよりも、オリンピックそのものが愛国心を生み出す装置の一翼を担い、アスリートがこの装置を表舞台で担うようにスポーツの教育や産業ができあがっているということでしょう。だから途中棄権などは愛国主義を刺激して攻撃される。戦争における徴兵拒否、敵前逃亡、戦線離脱などへの非難とほぼ同じ心理が作用していると思います。

バイルスのようなケースがでてきたので、ニュースになったわけですが、表面化されない形でオリンピックがナショナリズムや愛国主義を人々の心理に浸透させる効果が発揮されていて、このことをほとんどの人は気づかずに当たり前の感情として受け入れている。日本の場合ももちろん同じ構図があると思います。メディアのオリンピック中継は感情を愛国主義に動員する格好の手段になっています。だからボイコットなのですが、多くの人たちは、この感情に誘惑されて観て感動したい、ということになります。バッハも政府も広告代理店もテレビもネットも愛国主義の装置になりうるということを忘れてはならないと思っています。

抗議声明(名古屋:わたしたちの表現の不自由展中止問題)

名古屋市栄の市民ギャラリーで起きた展覧会の中止事件は、2019年の愛知トリエンナーレで中止のきっかけをつくった出来事とよく似ている。問題全体の構造をみると、公的な展示施設や行政vs脅迫・攻撃者という構図は「見かけ」であり、イデオロギーの構図がかすると、公権力と脅迫者の側には心情的な共同性があり(下記の声明では心情的共謀と表現されている)、むしろ展覧会の主催者との対立がはっきりしている。公権力があからさまな違法行為による弾圧を行使することは稀で、たいていは、こうした権力の意向を汲む者たちがテロや暴力の担い手になる。更んにその背景には、いまだに根強い「日本人は正しい」と信じる「日本人」たちの自民族中心主義だ。植民地支配や戦争責任を明確にできていないだけでなく、これらについて議論することすらままならない事態が、学校でも世論を代弁するとされるメディアにおいてもますます強まっている。こうした背景と公権力のサポタージュによる事実上の検閲の行使とは密接に関係している。日本の状況は理性や道理が通用しないナショナリズムに支配されてきたが、それが、もう一段強化されているように思う。しかも、上からだけでなく、下からも。

——————————————–

2021710

抗議声明

 202176日(火)から711日(日)までの会期で,名古屋市民ギャラリー栄において開催されていた展覧会「私たちの『表現の不自由展・その後』」は,「施設の安全管理のため」という理由で,78日(木)から711日(日)の間,市民ギャラリー栄が臨時休館となり中断させられている。

 その臨時休館の根拠は,市民ギャラリー栄の「職員が郵送された封筒を開けたところ,10回ほど爆竹のような破裂音がした」(東海テレビの報道より)という事態によるものと報じられているが,主催者側には何ら説明もなされていない。そもそも報道によると,問題の郵便物は,「施設職員が警察官立ち会いの下で開封した」(毎日新聞より)のであり,施設職員立会いの下で警察官が中身を検査したり,開封したりしたものではなく,当初より重大な危険性があるという認識ではなかったことがうかがえる。さらに,その後,ギャラリー栄と名古屋市中区役所があるビル全体は閉鎖されてもいない。このような子供だましの脅しに屈し,さらには,正当な理由も説明もなく展覧会を中止に追い込むことは,まさに,犯罪者の思うつぼであり,また,その犯罪行為に加担していることになるだろう。

 名古屋市は,2019年の表現の不自由展の中止の際と同様,行政が果すべき憲法上の責務を果さず,公権力によって十分に対処が可能な軽微な事案を展覧会中止の口実に利用した。今回も全く同様であり,公権力によるサボタージュであり,巧妙に攻撃者の行動を利用して,中止を正当化したものである。名古屋市の対処を客観的に判断するとすれば,攻撃者と名古屋市との間には心情的共謀関係があると判断せざるをえない。とりわけ名古屋市長河村は,いわゆる「従軍慰安婦」をめぐる歴史認識において容認しえない虚偽発言を繰り返し,大村県知事リコール運動の署名偽造についても,その道義的責任すら認めず,新型コロナ対策でも適切な対応をせずに犠牲を拡大するなど,そもそも憲法が義務づけている公権力の担い手としての責任を果していない。河村もまた,名古屋不自由展を中止に追いやりたいと願っている一人であることは間違いないだろう。だからこそ攻撃者と行政の間に心情的共謀がありえると私たちは解釈するのだ。

 直ちに,名古屋市は臨時休館を解除して,展覧会を再開すべきである。

 この展覧会は,あいちトリエンナーレ2019の企画であった「表現の不自由展・その後」が,今回と同様に,脅迫を主な根拠として中断させられたことを契機として企画されたものである。その展示作品の中には,民族差別的主張によって展覧会が中止させられたという経緯を持つものも含まれている。

 また,同時期に東京,大阪において開催予定だった「表現の不自由展」においても,これに反対する人々の大声や街宣車による抗議行動により,会場の使用が取り消され,延期に追い込まれているという状況である。つまり,安易に脅迫に屈するという判断・行動は,その脅迫や民族差別的主張こそが犯罪行為であるにもかかわらず,その実行者の思惑通りの結果を生み,公開することができない作品を作り上げてしまい,不当に公開を妨げる検閲的な行為となっている。このようなことは,絶対に止めなければならない。

 加えて,あいちトリエンナーレ2019における「表現の不自由展・その後」の中止に際しては,多くの平和的行動を取った市民による46000筆超の展示再開を求める署名が提出されているが,愛知県,名古屋市ともに,これらを全く無視してきた。その一方で,展覧会に反対する側のちゃちな脅しに屈して,次々と展覧会を中止に追い込むとは,いったい,どういう了見なのだ。

 これは,あいちトリエンナーレ2019における事態に続く「文化テロ」である。テロの脅しに絶対屈しないと主張したのは,日本政府ではなかったか。であるならば,「文化テロ」に屈しない姿を見せるためにも,名古屋市は,展示を再開すべきなのだ。

art4all

artinopposition

Artstrike

——————————————————————–

art4all

art4allは,あいちトリエンナーレ2019における「表現の不自由展・その後」の検閲に際し,再開を求める運動を開始し,その後も表現の自由を求める活動を続けている。

artinopposition

artinoppositionは,歴史的・社会的にも忘却されてしまう状況に抗い,問題提起を促し,アートの表現とは何なのか,なぜ表現があるのかを・思考・する場である。

Artstrike

Artstrikeは,1986年の富山県立近代美術館における検閲事件を契機として始まった運動である。

——————————————————————–

連絡先:jun@artstrike.info

パレスチナ闘争に連帯するLeftEast声明

パレスチナ闘争に連帯するLeftEastからの声明
2021/5/14

Original graffiti by Social Centre Dunja.

東エルサレムのシェイク・ジャラー地区からの家族の強制追放、ラマダン期間中のアル・アクサ・モスクでの礼拝者への攻撃、包囲されたガザ地区への残忍な空爆、イスラエル国内のパレスチナ人コミュニティを標的とした人種差別的な警察や暴徒による暴力など、最近のイスラエル国家によるパレスチナ人に対する入植者・植民地主義的な暴力が激化していることをはっきりと非難する。私たちは、ここ数日のあからさまに非対称な暴力の即時停止を要求するとともに、この地域の状況に対する唯一の正当な解決策は、自決権およびすべての難民の帰還の権利を含む、パレスチナ人の基本的人権の承認にあると主張する。

私たちは、この暴力が、パレスチナに対する英国の植民地支配から生まれた入植者植民地国家イスラエルの建国以来行われてきた、民族浄化、アパルトヘイト、収奪の文脈の中で展開されていると理解している。この植民地化のプロセスは、1948年にパレスチナ人が意図的かつ組織的に大量追放された「ナクバ」(大惨事)において頂点に達した。この収奪のプロセスは、軍事的侵略、占領、入植の連続した過程を通して、また、イスラエル国家の法体系によって支えられた法的なフィクションを通して、現在まで続いている。差別と暴力を立法化したこれらの行為は、かつての南アフリカ政権の「大アパルトヘイト」構想を反映したものであり、歴史的な故郷であるパレスチナ人の基本的人権を否定し、パレスチナ人よりもこの地域のユダヤ人住民を優遇する人口統計学的・法的現実を作り出すためのものである。この戦略は、イスラエル国家の強制機構によって管理されている狭いゲットー化されたバンツータンにパレスチナ人を閉じ込めることによって、パレスチナ人の国外移住の条件を事実上作り出すことを意味している。数十年に及ぶ既存の「和平プロセス」は、このことが存在する限り、この現実をほとんど変えることができず、かえってアパルトヘイトの力学を定着させ、入植活動の激化を許している。

また、私たちは、自分たちの地域である東中欧におけるファシズム、反ユダヤ主義、イスラム恐怖症の過去と現在が、イスラエルの国家設立に寄与していることを認識している。この歴史は、現在のイスラエル/パレスチナに対する国の政策に反映されている。しかし、進歩的なユダヤ人の声が常に指摘してきたように、シオニズムの植民地主義的、反動的な性格は、冷戦時代とその余波の中で、右翼的な、しばしば明確な反ユダヤ主義政権との協力に結びついてきた。1990年代初頭以降、何十億ドルにも相当する米国との外交的な連携や軍事的な結びつきによって、何十ものポスト社会主義国の政府が、イスラエル国家の軍事化や、パレスチナ人に対して恒久的に例外状態を課し、維持することに関与してきた。イスラエルは、1990年代のバルカン戦争から最近のナゴルノ・カラバフ紛争に至るまで、民族浄化や大量虐殺に従事する政権に武器を与えてきた。また、国境警備技術を提供し、ヨーロッパにおける現在の難民危機の人種差別的管理にも関与している。イスラエルとこの地域との二国間軍事援助の大部分は、ポーランド、ハンガリー、エストニア、ロシア、ウクライナ、ルーマニアなどの右翼政権と関連していることは、示唆に富むものである。

このような背景から、私たちはパレスチナ人の闘いを個別の原因に関連するものとしてではなく、より公正で公平な世界を目指す今日の反植民地的闘争の焦点として捉えている。暴力的な民族紛争と追放の歴史が続く地域から言えることとして、私たちはパレスチナにおける正義への道が複雑であることを認識しており、パレスチナ人の自決権こそが、パレスチナ人とイスラエル人双方の安全と尊厳をもたらす唯一の道であると考えている。この目的のために、LeftEastは、アパルトヘイトを終わらせ、自由、自決、難民の帰還を求めるパレスチナ人の正当な闘争を支援することを約束する。こうした線に沿って、我々はポスト社会主義地域の進歩的な集団と運動に以下のことを提唱したい。(1)国内およびヨーロッパ全土で反ユダヤ主義とイスラム恐怖症と戦い続けること。なぜなら、これらの形態の人種差別は、この地域で右翼やファシストの政治や運動が復活するための重要な燃料だからである。(2)連帯の具体的な行為として、ボイコット、投資引き上げ、制裁(BDS)を求めるパレスチナ市民社会の呼びかけに学び、これを採用することを検討すること。(3)東中欧とイスラエル/パレスチナの両方で人権侵害を同時に助長しているイスラエルとの既存の軍事貿易を終わらせるための調査と主張を継続すること。

LeftEast Statement in Solidarity with the Palestinian Struggle

欧州におけるFar Right政治テロ

以下は、ROARマガジン 10号のオンライン版に掲載されたLiz FeketeへのROARの編集者Joris Leverinkのインタビュー記事の飜訳です。文中、日本語ではほぼ一括して「極右」と訳される“extreme,” “far,” “hard,” “ultra”-right” が使い分けられているので、これらは原語のままとしました。(小倉利丸 2021年5月16日改訳)

フランスの大統領選に立候補したマリー・ルペン、ドイツのPEGIDA(ペギーダ)、ハンガリーのEU国境で移民を狩るファシスト集団など、過去20年間、欧州各地で過激な右翼政党や運動が復活している。こうした人種差別的なイデオロギーの人気が高まっている背景には、欧州の多くの政府が実施している新自由主義的な緊縮財政政策の結果、経済的な不安定さや社会的な不安定さ、政治的な偏向が高まっていることがある。

COVID-19のパンデミックは、草の根の連帯活動を通じて人々をひとつにまとめ、私たち全員の利益のために社会の中で最も弱い立場にある人々を守ることの重要性を再認識させた。しかし、このパンデミックは、移民や難民などの社会的弱者をスケープゴートにしたり、ますます不足する資源を獲得するための無価値な競争相手にしたりすることで、社会の断片化、個人化、偏向化をさらに進める可能性も秘めている。

ROARの編集者Joris Leverinkのこのインタビューでは、Institute of Race Relationsのディレクターであり、『Europe’s Fault Lines:Racism and the Rise of the Right』(Verso Books, 2019)』の著者であるLiz Feketeが登場します。リズ・フェケテは、人種差別と極右を研究してきた数十年の経験をもとに、ヨーロッパにおける至高主義イデオロギーの深い根源、far rightのさまざまな現れ方、extreme rightによる警察や軍への浸透、新自由主義、緊縮財政、権威主義、外国人恐怖症などとの関連性について説明している。

右翼からの脅威の高まりに対応して、彼女は 「文化的多元主義を守るために…ヨーロッパの人道的伝統の中で最も優れたものをすべてとり入れる 」反ファシスト運動の必要性を訴えている。

●この10年間で、極右の政党や運動の力、広がり、訴求力が恐ろしく高まっています。2011年のブレイビクの襲撃事件から、2017年のルペンのフランス大統領選への立候補、そして最近ではハヌアでの人種差別的な襲撃事件まで。しかし、これは新しい現象とは程遠いものです。あなたは、ヨーロッパには 「人種差別と権威主義の長い歴史がある 」と主張していますね。ヨーロッパ全体での右派の台頭を理解するのに役立つ、歴史的な背景を少し教えてください。

私は歴史家ではありませんので、ファシズムをめぐる活動や執筆活動の中で学んだことをもとにしています。

ヨーロッパの暗い過去は、通常、ナチスドイツやソ連の全体主義体制の観点からのみ理解されていますが、フランスやイギリスを中心とした植民地主義や、南ヨーロッパの独裁政権なども、ヨーロッパに長い影を落としています。

ナチス・ドイツやソ連を強調しすぎて、フランスやイギリスの経験を犠牲にすることは、我々の社会で中心的な地位を占めていた人々が犯した犯罪を忘れてしまうような、一種の歴史的近視を引き起こします。人種差別は、植民地時代と帝国時代の重要な組織メカニズムであり、南ヨーロッパの権威主義は、冷戦時代に西ヨーロッパの大国によって育てられました。アイルランド、バスク、カタルーニャなどの地域や民族自決運動の弾圧は、ヨーロッパの歴史の重要な部分を占めています。

1961年にパリで行われたフランスとアルジェリアの戦争に抗議した300人ものアルジェリア人が殺されたり、警察にセーヌ川に投げ込まれて溺れたりしたことも忘れてはなりません。

このように、ヨーロッパの歴史の中で極端な例外として描かれている2つの全体主義体制に焦点を当てることで、フランコのスペイン、(ゲオルギオス・パパドプロス)大佐政権下のギリシャ、サラザールのポルトガルにおける反共産主義の右派独裁政権に対する西欧列強の支援が見えなくなってしまうのです。また、戦後の人種科学や優生学プログラムへの継続的な熱意も記録から消えている(例えばスウェーデンでは、1976年までロマの女性に対する強制的な不妊手術が行われていた)。

私は、独裁政治、植民地主義、人種科学、優生学の遺産にますます興味を持っています。これを単なる歴史の問題としてではなく、「黄金の夜明け」に関する最近の記事で書いているように、この遺産は今も私たちの中にあると考えています。

独裁は、帝国と同様に、過去のものではなく、現在の私たちを支配する構造、政策、プロセス、政治文化にその痕跡を残す支配の構造です。

●21世紀の極右勢力にはさまざまな顔があり、その代表者はブリュッセルの欧州議会の廊下からヨーロッパ南部の国境のパトロールまで、どこにでも見られます。“extreme,” “far,” “hard,” “ultra”-rightの違いは何でしょうか。また、なぜこのような区別をすることが重要なのでしょうか?

誰もがナチスやファシストだと言うだけでは、効果がありません。彼らを本気で打ち負かそうとするならば、道徳的であるだけではなく、戦略的、戦術的である必要があります。

学者たちは、右翼をそれぞれの “ファミリー “という観点から研究しています。右翼のどのファミリー、傾向、異なるグループ、政党、組織から生まれてくるのかを理解することは重要です。しかし、学者は分類にとらわれる傾向があり、何が変化しているのかが見えてこないのです。私は『Europe’s Fault Lines』の中で、万華鏡のイメージを使って次のように論じています。「政党や傾向の形成と再形成は、万華鏡の中のガラスの破片の動きのようなもので、筒を回転させるたびに新しいパターンや形態をとる」。

私は、一見バラバラに見えるさまざまな選挙基盤が集まったときに生まれる新しいパターンを示すために、また、イギリスの保守党のようなかつての中道右派政党が極右のプログラムの要素を取り入れている様子をとらえるために、「強硬右派hard right」という言葉を使っています。

「極右extreme right」とは、伝統的な保守政党の右に位置する政党で、特に人種差別的な言葉やレトリックの使用をいとわず、民主主義の枠組みの中で活動し、選挙に参加し、暴力を主張するまでには至らない傾向にある政党を指します。

最後に、「極右far right」は、ごく少数の例外を除き、暴力を否定せず、その国のファシストやネオナチの過去とより密接に関連しているという点で、極右extreme rightとは区別されます。

1990年代以降、extremist政党は、社会の周辺部から中心部へと移動し、地方レベルでの権威を強化し、欧州各地の自治体や地域政府に権力基盤を確立してきました。私たちは、中心部と周辺部、そして極右extreme rightと新たに構成されたhard rightとの間の収斂と親和を目の当たりにしています。

●最近の著書の序文では、「今日の人種差別、ポピュリズム、ファシズムについて何が新しいのか、そして1930年代の古典的ファシズムと何が違うのかを発見したい」というニーズが執筆の動機になったと述べています。今日の人種主義、ポピュリズム、ファシズムについて何が違うのか、そしてこの違いを理解することがなぜ私たちの政治的組織化に重要なのか、説明していただけますか?

古典的ファシズムは、1930年代に国民国家間の帝国的な対立が激しかった時代に生まれました。今日では、国境を越えた資本の代理人となった国民国家の力がはるかに弱まっているため、状況は異なっている。古典的なファシズムも「国家の恐怖」によって運営されていましたが、今日の世界では、異論を唱える人々や過剰人口をテクノロジーによって選択的に抑圧することができるため、国家が大衆を見境なく抑圧する必要はなくなっているのです。

私たちが目にしているのは、警察が主導する、未登録の移民、多文化貧困層、黒人やますます増加する権利を奪われた白人に対する戦争です。忍び寄る流動化―テクノロジーを通じた政府―が舞台裏ですでに起きているために、型どおりの例外状態を設ける必要はもはやありません。

残念なことに、この「技術的フィックス」と権威主義的な漂流は、パンデミックによって激化しています。ロックダウンは、多文化が共存する地域での厳重な取り締まりをもたらし、ロマや移民のコミュニティは、対象を絞った隔離や軍事的な監禁区域に置かれています。国はこの危機を利用して、コロナウイルスのデータプラットフォームを構築し、警察産業複合体、特に移民局とつながりのある民間企業が、機密性の高い個人情報にアクセスできるようにしています。

ファシズムは、単なるイデオロギーや思想の集合体ではなく、人間の生活そのものに対する姿勢なのです。このような動きは、社会的、市民的、民主的な権利だけでなく、人間の尊厳をも脅かすものです。

なぜこれが組織化にとって重要なのか?私たちは、誰が最も抑圧され、最も監視されているのかを特定しなければなりません。国家権力の影響力は私たち皆に異なる影響を及ぼしていることを認識し、これに対応して行動し、社会で最も抑圧され、犠牲になっている人々を中心に組織化しなければならないのです。

最後に、私たちは、いわゆるナショナリストのたわごとを断ち切らなければなりません。国民国家の力が弱まっていることを理解すれば、これが偽のナショナリズムであることがわかります。hard rightはナショナリストを装っていますが、彼らはグローバリゼーションの恩恵を受けているグローバルエリートの一員です。ナショナリズムは、グローバルエリートの中での闘争という目的のための手段にすぎません。私たちはナショナリストの戦争を見ているのではありません。世界の舞台で影響力を競い合う、グローバリゼーションの対立軸を見ているのです。米国のヘゲモニーは衰退し、新たなヘゲモニー軸が形成されつつあります。

●先の質問に続いて、近年、政治的中道は「ポピュリズム」という言葉を使って、左派と右派の政治を非難しています。例えばイギリスでは、ジェレミー・コービンもナイジェル・ファラージもポピュリズムであると非難されています。しかし、これは政治的視点の重要な違いをなきものにしてしまう危険性があります。ポピュリズムという言葉は、今でも有効だと思いますか?新しいポピュリズムは必要ですか?

私はポピュリズムという言葉が好きではありませんし、ほとんど使っていません。ポピュリズムという言葉は、エリートが基本的に現状を維持するための強力なツールなのです。ジェレミー・コービンのプログラムは国際社会主義の要素を取り入れた社会民主主義的なものだったのに、彼をポピュリストと呼ぶのは馬鹿げています。ナイジェル・ファラージは右翼的な権威主義者で、ポピュリズムを手段として使っていますが、彼の政治は右翼的な権威主義の伝統にしっかりと根ざしています。

右翼的な文脈でポピュリズムという言葉を使うことにはまだ意味があると思いますが、私は「右翼ポピュリスト」と分類されるような政治的ファミリーを実際に見たことがありません。むしろ、ポピュリズムは権威主義のサブセットであると考えています。ポピュリズムとは、代表制民主主義の要素を排除しようとする極右勢力が採用する政治スタイルです。そのために、彼らは、民主主義の特定の側面を排除したいと考えているので、民意、フォルクvolk(民衆)、あるいは国民投票のより一層の必要性について語るでしょう。

実際、メディアで宣伝されている外国人嫌いのポピュリズムは、ネイティビスト(訳注1)の想像力の最悪の本能に訴えかけるように設計されているように思えます。その意味で、ポピュリズムは反民主主義的な動きの一部なのです。私は左翼的なポピュリズムを主張するつもりはありません。左翼は民主主義を放棄するのではなく、拡大するべきです。

●あなたは著作の中で、新自由主義、緊縮財政、そして右派のネイティビズムの受容の関係を指摘しています。どのようなメカニズムなのか、詳しく教えてください。

*写真キャプション:トリエステで行われたイタリアのネオ・ファシスト「CasaPound」のデモ。Photo by Erin Johnson / Flickr

欧州が中東やアラブ諸国での戦争を支援することで、イスラム教徒に対する敵対的なイメージが強まり、イスラム恐怖症が助長される一方で、世界経済のグローバル化や新自由主義の受け入れによって生じた不安感が、”自国民優先 “のネイティビズムを生み出す土壌となってきました。

EUが新自由主義を受け入れ、後には緊縮財政を導入したことで、加盟国レベルでも、強力な中核国がアジェンダを設定するEU内でも、欧州の権威主義が強化されました。

保守主義の主流の中にある超国家主義者の反乱によって強化された再構成されたhard rightが、ネオリベラリズムの宿敵を代表しているのか、それともその解決策を表しているのかは、決して明確ではありません。パンデミック前には、ナショナリズムとネオリベラリズムが融合し、少なくとも短期的には、EU加盟国の多くで政治文化の中心が非自由主義的な方向に向かうことが示唆されてましたが、これは移民への対応だけのことでありませんでした。しかし、逆説的ではありますが、パンデミックの発生により、この状況が変わりそうな兆しが見えています。人々は怯えており、市民的自由やロックダウンを破る権利に焦点を当てた far-rightの反応は、彼らが支持を失っていることを意味しています。全てがどうなるのか不確実なのです。

EUのポスト共産主義の国々では、民主化の名のもとに新自由主義的な市場改革が行われました。ここでは、共産党政権崩壊後に実施された「移行プロセス」の成果に対する広範な反発を利用して、権威主義的な右翼政党が躍進しています。

豊かな富と自由を約束する新自由主義は、もはや説得力のあるシナリオではなく、特に組織的な腐敗が政治プロセスの中で制度化されつつあリます。それゆえ、ナショナリズムの絆創膏や、反多文化主義や反移民のナラティブが心地よく感じられるのです。ハンガリー、ポーランド、スロバキアの主流の政治家たちは、権威主義、民族ナショナリズム、国民国家という使い古された言葉を口にし、19世紀風の社会ダーウィニズムや反ロマ、反移民の人種差別主義に口実を与えています。また、超富裕層のナルシスティックなライフスタイルに直面して、社会的コントロールを維持するために、カトリックやカルヴァン主義といった宗教の規律的な力が呼び覚まされてもいます。

新たな腐敗したエリートも、さほど新しくもない腐敗したエリートも、近代の移民をほとんど受け入れてこなかった国では、被害者感情を上手にあやつり、流入外国人が自国を占領するなどと言って恐怖 を煽りたてます。新自由主義の荒廃から国民を守ることができなかった自分たちの失敗や、今ではCOVID-19抑制の失敗した目を背けたあげくに中国叩きの口調が際だっています。

新自由主義のエリートたちは、かつては「地球村」の美徳を讃えていましたが、グローバル化をより愛国的で権威主義的な包装で包むことによって、ナショナリストの挑戦に応えようとしています。実際には、権威主義的な解決策は常に新自由主義の一面であり、その表面的なイデオロギーとは対照的に、その実践においてはナショナリストが構築可能なものが多くあります。弱者を処罰することは、ハンガリーの権威主義的ナショナリズム同様、イギリスの新自由主義にも内在しています。

ナショナリズム、ネイティビズム、軍隊精神、市民と移民の境界線の設定、イスラム教徒 を “内なる敵” に見立てた国家安全保障の約束、これらはすべて目的のための手段であり、市場―国家とともに成長してきた技術的な安全保障装置であり、この中で、民衆は自分で自分を取り締まることにひそかに手を染めているのです。この意味で、ナショナリズムは新自由主義との決別を表すものではなく、民主主義との決別を可能にする環境を提供しているのです。

●far-rightの武装勢力は、政治家、活動家、移民、難民、イスラム教徒などを攻撃したり、暗殺したりして、ますます殺傷能力のある武器をもつようになっています。あなたは ultra-rightの草の根の反乱」や 「人種差別の反乱」について書かれていますね。まず、ここで扱っている組織やイデオロギーの種類について説明してください。また、システムレベルでは安定と民主主義、ローカルレベルでは特定のグループや個人に対する脅威はどの程度のものなのでしょうか?

彼らの唯一の真のイデオロギーは人種差別と人種戦争です。しかし、この点において、彼らはインターネット上に出回っている様々な陰謀論を利用することが可能です。ユーラビアeurabiaから白人ジェノサイドGreat Replacementからオルタナティブ右翼の白人エスノナショナリズムや白人至上主義まで。

Ultra-rightの組織は、 far-rightの国境警備隊、組織化されたサッカーのフーリガン、コンバットスポーツグループ、 Autonomous Nationalists、アイデンティタリアンなど様々です。『Europe’s Fault Lines』の中で、私はultra rightは「流動的で、絶えず変化し、進化するシーンを構成している。その様々なイデオロギーの形成は、網の目のような関係でゆるやかにつながっており、音楽、サッカー、格闘技などの特定のサブカルチャーが提供する空間で、時には分裂し、時には集結する」と書いています。

国家がやるべきことをやっていれば、ultra rightは安定と民主主義の脅威にはならないはずです。ヨーロッパの国家は、ultra rightに対処するために簡単に展開できる膨大な力を持っていますが、問題はultra rightが彼らの視野に入っていないことです。その理由は、ultra rightの主な標的が国家や国家機関ではなく、少数民族だからなのです。

特定の国家体制にとって、このような非民主的な勢力は、危機の際には道具として頼ることができ、国家ができないような汚い仕事をするために利用することができます。しかし、その一方で、彼らは地域レベルで特定のグループや個人に対する脅威を増大させています。モスクやシナゴーグ、亡命者センター、ギリシャ・トルコ国境やギリシャの島々の人道支援者への攻撃が増えています。一つの人種差別が他の人種差別を引き起こすのです。このような状況は非常に憂慮すべきものであり、私が生きてきた中で、これほどまでに激しいものは考えられません。特に、ソーシャルメディアが緊張感を煽り、自警団の活動を短期間で動員する役割を果たしているためにそうなっています

●今日のヨーロッパでは、極右の武装勢力はどのような形で現れているのでしょうか?

ヨーロッパでは、政治的に組織化された、人種的な動機に基づいた明かに悪質な暴力が発生しています。それが最も顕著なのは、産業が空洞化した農業地帯であったり、港町や都市の保護・サポートの施設(lieux de vie)(訳注2)であったりするのですが、こうした場所では未登録の移民やロマの人々がキャンプをしたりする一方で、警察やfar-rightの自警団の残虐な暴力にさらされており、警察なのか自警団なのかの見分けがつかないことすらあります。

ザクセン州ケムニッツでネオナチ、サッカーのフーリガン、格闘技の狂信者の組み合わせによって追い詰められた「外国人」たちは、2018年8月にこの組織的暴力と警察の共犯関係を身をもって体験しました。ドイツ警察は2日間にわたって路上をほとんど統制できなかっただけでなく、連邦情報機関のトップであるハンス-ゲオルク・マーセンは、外国人排斥の暴力について「意図的な誤報」が流布されており、人種差別主義者が外国人を追い詰める様子を撮影したビデオは偽物であると訴えたのです。数カ月にわたってさらに扇動的な発言をした後、マーセンは解雇になりましたが、彼は依然としてアンゲラ・メルケル首相のキリスト教民主党のメンバーであり、首相の亡命政策に対する抗議として2017年に結成された党内グループ「Werteunion」の声高な支持者でもあります。

これはドイツだけの問題ではありません。ヨーロッパ全体で、警察や諜報機関は極右暴力の被害者を組織的に見殺しにし、ファシズムの成長と直接的または間接的に共謀しています。この共謀には、「陰謀を企てる、協力する」という積極的な意味と、「道徳的、法的、公式に」反対すべきことに「目をつぶる」「知らないふりをする」という行動の失敗の両方に理解されるなければなりません。

軍や警察の一部が極右勢力を支持している証拠は、明白です。英国では、軍人が極右テロリスト集団「ナショナル・アクション」に所属していたとして起訴されています。フランスでは、Jean Jaurès Foundationによる報告書「Who do the Barracks Vote For(兵舎は誰に投票するのか)」が、軍や準軍の存在感が強い地域でfar rightへの支持が高まっていることを警告しています。フランス議会のfar right に関する調査報告書の最初の提言は、far right グループに関与している軍人や元軍人の監視を強化することでした。

しかし、このような場当たり的な取り組みや遅々として進まない調査では、脅威のレベルに対応できません。当局は居眠り運転しているようなものです。ネオナチの「黄金の夜明け」がギリシャの警察や軍に深く組織的に侵入していたこと、その議員全員が現在アテネで裁判にかけられていること、そして最近ドイツで発覚した「Uniter Group」の陰謀について、警鐘を鳴らすべきだったのではないでしょうか?

ネオナチ政党「黄金の夜明け」は、クーデターを計画していた軍の精鋭部隊、国家情報局、反テロリスト特別部隊、移民警察、機動制圧部隊(Force of Control Fast Confrontation)などに侵入していたことが明らかになったときには、国会で第3党となっていました。

一方、Uniter Groupは、ドイツとオーストリアの現役・元兵士による極右ネットワークで、連邦軍の物資から武器・弾薬を盗み、Xデーに抹殺すべき政治家や左翼関係者のヒットリストを作成したとして捜査を受けています

●ヨーロッパには、人種差別や権威主義の長い歴史があるだけでなく、反ファシストや反権威主義の組織化の歴史もあります。ファシズムや外国人嫌いの暴力の復活に対して組織化することの重要性、どのような戦略や戦術を追求すべきか、そしてその目的は何か、あなたの見解を説明していただけますか?

民主主義の基本理念である文化的多元主義を守るためには、反ファシズム運動が必要ですが、それだけでなく、反人種主義的で、地域社会にしっかりと根付く必要があります。また、反ファシズム運動は、社会主義的な多元主義や左翼的な文化的民主主義の刷新の中心となり、ヨーロッパの人道的な伝統の中であらゆる最も優れたものを受け入れる必要があります。反ファシスト運動は、単にファシストに対抗して動員するだけではなく、ギリシャの反ファシストたちが主張するように、「私たちがどのような世界に住みたいかという政治的闘争であり、民主主義、連帯、社会正義のための闘いでもある」のです。

現在の反ファシスト運動は、1970年代の過去の抵抗運動の最盛期に比べて、人種的にもジェンダー的にもはるかにインクルーシブになっています。反ファシズムは、グローバルエリートが受け入れている多文化主義と機会の平等というおとぎ話のようなものに対するダイナミックな反撃として再浮上しています。

反ファシズムとは、進歩的で包括的なコミュニティに結集し、共通の敵に毅然と立ち向かう集団的な闘いです。しかし、現代の反ファシズムが新自由主義やファシズムに対する物質的・文化的な反撃として成長するためには、far rightに対する動員と、極右勢力を育てている制度や文化に対する批判を組み合わせなければなりません。私たちは、暴徒による暴力が発生するたびごとに、国レベル、ヨーロッパレベルで迅速に行動しなければなりません。

リズ・フェケテLiz Fekete

ロンドンのInstitute of Race Relationsのディレクターであり、Race & Class Journalの顧問編集者でもある。最新の著書は、『Europe’s Fault Lines: Racism and the Rise of the Right (Verso Books, 2019)』は、2019年のBread & Roses Award for Radical Publishingを受賞した。

訳注1:ネイティビズムnativism 。Liz Feketeは上記の著書のなかでこの言葉を「移民から生来のあるいはすでに定住している住民の利益を守るという考え方」と説明している。民族や人種といった概念を避けており、いわゆるレイシストと一括りにできない立場をとりつつ移民否定を主張する。エコロジストのなかにも移民は生態系に反すると主張して移民に反対する考え方がある。Alexandrer Reid RossはAgainst Fascist Creepのなかで、日本でも映画Endgameの原作者で知られているDerrick Jensenはネイティビズムの立場からメキシコ国境の閉鎖を主張したと指摘している。

訳注2:lieux de vie。wikipedia(フランス語)では以下のように説明されている。「家庭的、社会的、心理的に問題のある状況にある子供、青年、成人を少人数で受け入れ、個人的なサポートを提供する社会的または医療的な小規模施設のこと」

付記:読者の方から飜訳の不備をご指摘いただきました。いくつか重要な改訂を行いました。ありがとうございます。(2021年5月17日)

Far-Right Political Terror in Europe