(解説)エシュロン

●はじめに

エシュロンというコードネームで呼ばれている通信盗聴システムの起源をたど
ると、第二次世界大戦中にまで遡れる。当時、英国、米国が枢軸国側に対して
行っていた通信盗聴が、戦後の冷戦体制のなかで組み替えられ、英語圏を中心
とした、通信や信号を盗聴、監視して諸外国の軍事等の動静を捉える諜報体制
が作られた。イルカさんが、講演で触れているUK-USA協定(「ユクーザ」と読
む)と呼ばれる秘密協定がこれである。

エシュロンは、このUK-USA協定にる国際的な盗聴ネットワークである。米国
の国家安全保障局(NSA)が中心となり、イギリス、カナダ、オーストラリア、
ニュージーランドの英語圏4ヶ国が第二グループを構成し、事実上この五ヶ国
がエシュロンの正式なメンバーと言われている。しかし、さらにこれに加えて、
イルカさんも指摘するように、第三グループとして参加している諸国が存在す
る。米国の国家安全保障アーカイブのジェフェリー・リッチェルソンによれば、
この第三グループには、日本をはじめ、オーストリア、タイ、韓国、ノルウェ
イ、デンマーク、ドイツ、イタリア、ギリシャ、トルコが含まれている。また
後に触れるように、スペインのように第三グループに名前の挙っていない国も
協力関係にあるようだ。この第三グループなどの役割は明らかではないが、エ
シュロンの問題は、日本が一方的に盗聴、監視されるという問題にとどまらず、
日本もまたエシュロンのネットワークの一部に組み込まれているということを
意味している。往々にして、エシュロン問題を日本の国家安全保障強化の口実
に用いようとする傾向がみられるが、これは日本を一面的に被害者とするまち
がった理解を根拠にしている。

●衛星通信盗聴の歴史とエシュロン

エシュロンで主として盗聴の対象になってきたのは、インテルサットなどの通
信衛星を使ったコミュニケイションだといわれている。実際には、その他の通
信も含め、もっと広範囲であるが、通信衛星の盗聴については、比較的よく知
られているので、この点について紹介しておこう。

最初にエシュロンの存在について詳細な取材を行ったのは、ニュージーランド
の反核運動の活動家でジャーナリストでもあるニッキー・ハーガーである。彼
が1996年に出版した『Secret Power』(Craig Potton Publishing, 1996)とい
う本では、実際に諜報機関で働いてきた人たちへの取材をふまえて、詳細にエ
シュロンをはじめとして、ニュージーランドを舞台とする国際的な諜報機関の
連携が分析されている。ハーガーがこの問題に大きな関心をよせた一つの理由
に、1984年に南太平洋非核地帯条約が作られ、86年に発効するなど、南
太平洋諸国による核実験反対運動など非核運動が活発化するなかで、こうした
動向を監視しようとする米国などの動きへの危惧があったからだ。

国際的な通信盗聴は、通信技術の変化に伴って、変化してきた。通信衛星に対
するUK-USA協定諸国による盗聴は、70年代はじめ、つまり最初の商業通信衛星
が打ち上げられたすぐ後の時期にまで遡る。当時、インテルサットは、大西洋
上と、インド-太平洋上に各々一基打ち上げられていたにすぎない。同時に、
この通信衛星の盗聴基地も、イギリスの南西部にあるGCHQ(英国通信諜報部)の
基地と合州国西部のNSA(国家安全保障局)のヤキマ基地の二カ所だけだった。
この初期の通信衛星は、通信ビームをあまり絞り込む能力がなかったので、こ
の通信衛星にアンテナを向ければかなり広範囲の場所から通信を盗聴すること
が可能であった。イギリスが大西洋上のインテルサットを、合州国がインド-
太平洋上のそれを各々盗聴した。その後、通信衛星の数が増え、また衛星の通
信ビームの焦点が狭まり、捕捉が難しくなるにつれて、アンテナが増え、捕捉
可能な地域に新たな基地が次々と設置された。南北アメリカ大陸をカバーする
目的で新たに合州国のウエスト・バージニアのジョージワシントン国立公園の
すぐ脇にシュガーグローブ基地が、また、東アジアなどをカバーする目的で英
国によって香港に新たに基地が設置された。(香港の基地は、中国への返還に
ともなって閉鎖され、その機材はオーストラリアのショール・ベイ基地に運ば
れ、ここから中国の通信盗聴に利用されるだろうとハーガーは述べている)

こうした通信衛星の盗聴は、通常指摘されるような軍事目的のスパイ活動を大
きく越えて私たちの市民的な活動に深く影響をおよぼしてきた。例えば、ハー
ガーは、1995年にヤキマ基地を訪れている。この時には当初の二基から5基に
アンテナが増設され、3基は西側(太平洋方向)に、2基は東側に向けられてお
り、さらに、太平洋方向に向けられていたアンテナのうちの一つは、他のアン
テナと異り、太平洋上の移動体通信を中継するインマールサット-2を盗聴する
目的のものであると判断している。そしてハーガーは、「もし、そうだとすれ
ば、[ヤキマ基地は]たとえば、1995年にムルロア環礁の周辺水域で核実験抗議
行動をとったグリンピースの船の通信を監視していた基地だということになる」
(p.31)と述べている。このことは、軍や諜報機関が衛星通信への諜報活動を可
能とする技術をもっているということは、この技術を用いさえすれば、外国の
政府や軍隊の動静だけではなく、環境、平和などの運動に対しても容易に盗聴
が可能だということを示している。このことは、軍や諜報機関がどのような技
術をもっているのか、この技術の使用にどのような法的な規制や監査がなされ
ているのかに大きな関心をもつ必要があるということを意味している。

70年代から続いている通信衛星の盗聴は、当初、各基地や各国ごとに通信内容
の解析が行われ、必要に応じてその結果が同盟国に送られるという体制だった。
この場合も、コンピュータによって通信内容について検索や解析が行われてい
た。たとえば、オーストラリアで盗聴された米国に関する通信は、オーストラ
リアの諜報機関が処理したうえで、米国に渡すことになる。エシュロンと呼ば
れるシステムは、こうした従来の情報収集と共有の仕組みとは異り、諜報機関
のコンピュータを相互に接続して各基地が、全体の一構成部分として機能する
ようにより高度に統合された通信盗聴システムである。ハーガーはこの点を次
のように説明している。

「エシュロンシステムでは、各個別基地の辞書コンピュータ[通信内容を検索、
解析するのに用いるキーワードなどを管理するコンピュータ]は、その基地の
属する組織が選んだキーワードだけでなく、他の四ヶ国の諜報機関の各々のキー
ワードのリストももっている。例えば、ワイホペイ[ニュージーランドのエシュ
ロン基地]のコンピュータは、自国の諜報機関用に加えて、NSA、GCHQ、DSD[オー
ストラリア、防衛通信本部]、CSE[カナダ、通信安全保障局]用の検索リストを
別々に保有している。各基地は、そのコンピュータが全ての同盟国のために収
集するようにあらかじめプログラムした電話、ファックス、テレックス、イン
ターネットのメッセージなどその他の電気通信全ての通信を集め、それを自動
的に同盟国に送付する。これは、ニュージーランドの基地は、その自動収集の
ために外国の諜報機関に利用されているだけでなく、ニュージーランドは、自
国の基地を通じて同盟国が盗聴した情報がどのようなものかすら知らないとい
うことを意味している」(前掲書、p.29)。

ネットワーク上で分散処理され、共有されるデータベースがパソコンレベルで
も容易になっている現在、上記のような情報処理のネットワークシステムは、
大掛かりではあっても、十分理解可能なものだ。少なくともエシュロンの主要
5ヶ国のなかでは、こうした情報の共有が可能なネットワークが構築されてい
るとみてよさそうである。しかし先にも述べたように、日本のような「第三グ
ループ」がこのネットワークにどのように関与しているのかについては、ハー
ガーの本だけでなく、本書に収録されているEUの報告書でも明確なことは出て
こない。まだまだ解明されなければならない不明確な問題点が多く残されてい
る。

●日本とエシュロンの接点

いままでわかっている日本のエシュロンへの協力は、青森県の三沢米軍基地が
NSAのエシュロン基地として活動しているという点に限られている。先に触れ
たリッチェルソンは、この三沢基地について、次のように書いている。

「日本の三沢空軍基地の施設もまた[アンカレッジのエルメンドフ空軍基地と
ならんで]極東ロシアとおそらくは北朝鮮、中国をターゲットにしている。三
沢の4マイル北西にある「丘」には、100フィートのAN/FLR-9アンテナが設置さ
れている。(略)三沢は大きな基地で、四つ全ての暗号解読の部隊の代表が働
いている。空軍情報局(AIA)の第6920エレクトロニック・セキュリティ・
グループから900名の分遣隊、海軍セキュリティグループの司令部(NSGC)から
700名の分遣隊、陸軍の諜報セキュリティ司令部(INSCOM)から700名の代表、
海兵隊支援歩兵大隊E中隊から80名の代表がいる。

三沢は、また、プロジェクトLADYLOVEの基地でもある。このプロジェクトはモ
ルニーヤ、ラドゥーガ、ゴリゾントを含む複数のロシアの衛星システムの通信
傍受を行っている。」(Jeffrey T. Richelson, The U.S. Intelligence
Community, 4th edition, 1999, westview, p.198)

三沢基地は、米軍の基地だが、自衛隊の活動との関わりはどのようなものがあ
るのか。エシュロンに関する自衛隊との関わりに言及した文書を私は目にした
ことがないが、米軍との間で、様々な情報交換が組織的に行われてきたことは
知られている。リチェルソンによれば、70年代以降、米国の海軍情報司令部は、
CIA、NSA、国防情報局(DIA)と協議の上、ソ連、中国の海上活動についての
情報交換を日本の海上自衛隊とのあいだでもおこなっているという。加えてプ
ロジェクトCOMETにおいて、日本が日本海で収集した外国に関する情報を米国
に提供することになっている。そしてリッチェルソンは、太平洋艦隊と海上自
衛隊とのあいだの情報交換会議(CINCPACFLT-JMSDF Intelligence Exchange
Conference)が設置されているとも書いている。

上に述べたLADYLOVEというプロジェクトには、三沢基地だけでなく、英国のエ
シュロンの中継基地でもあるメンウィズ・ヒルの基地も含まれいる点は興味深
い。エシュロンはさまざまなその他の軍事、諜報関係のプロジェクトともなん
らかの関わりをもちながら運用されているのだろう。後にも述べるように、エ
シュロンの「頭脳」はキーワードの構築にあるから、様々な情報機関等と接点
をもつことは重要な意味をもつ。と同時に、このことは市民のプライバシーの
権利をよりいっそう侵害する可能性を高めることにもなる。

他方で、エシュロンによって日本がターゲットになるケースについてはいくつ
か具体的な報告がある。EU報告書の産業スパイに関する項目に付属している表
のなかでも、日本の通産省などがCIAや米国政府によって、日米自動車貿易に
関して情報収集が行われたという指摘がある。

もっとも詳細な記述は、ハーガーの『Secret Power』のなかに見いだせる。ハー
ガーによればUK-USA加盟五ヶ国が世界中の日本の外交通信を組織的に盗聴し、
これらの盗聴データにはJADとsれに続く四桁の数字による分類番号がつけられ
て利用されてきたと述べている。ハーガーによれば、ニュージーランドの諜報
機関GCSBは、日本在外公館のビザの発給や文化活動などの外交事務やあらゆる
種類の通常の外交報告書を盗聴対象としたという。

UK-USAの加盟国は、相互に作業を分担しており、ニュージーランドは、東京と
日本の太平洋のいくつかの在外公館との通信を担当していた。特に、貿易、援
助、漁業、会合などの情報がターゲットとなった。このGCSBによる日本の在外
公館の盗聴は、80年代には、国外の同盟国の基地から送られてくる日本に関す
る生データの解析が主であったが、90年代に入って、ワイホペイに衛星通信盗
聴基地が設置されてからは、直接GCSBが盗聴を行うことができるようになった。
こうしたデータのなかには皮肉なことに、日米安保条約で設置された三沢基地
が傍受した日本政府の通信ももちろん含まれる。さらに、この時期のニュージー
ランドにおける日本の外交通信の盗聴では、トップシークレットに属する情報
も、暗号を解読した上で同盟国のネットワークに流されていた。この暗号解読
のプログラムはNSAが提供したものだとハーガーは述べている。

こうした日本の在外公館へのエシュロンによる盗聴だけをみると、日本が一方
的に被害者であるように見える。しかし、他方で日本もまた諜報活動を行って
いる。その一端が実は1995年にオーストラリアで露呈している。95年当時、オー
ストラリアでは日本によるオーストラリアへのスパイ活動が大きな問題になっ
ていたのだ。95年5 月24日付の『シドニー・モーニング・ヘラルド』によれば、
オーストラリアのジャカルタ大使館が日本の大使館関係者によって室内盗聴さ
れていたという。ジャカルタ大使館から600メートルはなれた日本の大使館か
ら職員が、室内の会話を傍受できる特殊な赤外線を用いた盗聴装置を操作して
いるところをオーストラリアの諜報機関が確認したという記事である。

この日本大使館による盗聴事件は、オーストラリアではテレビでも報道され、
日本の外務省への取材も行われ、注目されたが、日本ではほとんど報じられな
かったのではないかと思う。共産党緒方盗聴事件、社民党保坂盗聴事件など国
内での盗聴事件だけでなく、海外でも日本政府が様々な盗聴行為を実行してい
ると疑うに十分な事件だ。外務省の不祥事がさまざまにとりざたされているが、
こうした日本政府が組織的に遂行していると思われる対外的なスパイ活動の実
態を明らかにすることも非常に重要となっている。

●技術開発を重ねる諜報機関

通信衛星の傍受、盗聴には巨大なパラボラアンテナが必要なために隠しにくい。
こうした「物的証拠」も踏まえて、EU報告書は、エシュロンのシステムが世界
中の通信衛星を経由する通信を盗聴できるだけの能力をもっていることはほぼ
間違いないと結論づけている。三沢基地も、巨大なアンテナ群の存在から、通
信傍受基地としての性格をあらわにせざるをえなかったともいえる。ところが
それ以外の海底ケーブルとか、私たちが日常的に使っている電話であるとかに
関しても、エシュロンのシステムが用いられているのかどうかについては、不
明と言わざるを得ない。不明なのは、有線の通信盗聴には、隠しようもない巨
大な施設は不要であり、実態が掴みにくいということと、技術的に、衛星通信
のように網羅的に捕捉するためにはより大きな技術的な制約があるからだ。だ
から、EU報告書は、ケーブルによるインターネット通信は「ごく限られた部分」
しか盗聴できないだろうと述べている。

もし、エシュロンが衛星通信を対象とするコンピュータネットワークを駆使し
た盗聴システムを指す限定されたコードネームであるとすれば、現在インター
ネットによる国際的な通信を担う海底ケーブルなどは、捕捉対象とすらならな
いということになり、エシュロンそのものはインターネット時代の盗聴システ
ムとしては時代遅れということになるかもしれない。しかし、私たちは、コー
ドネームの定義や、いままで明らかとされた「物的証拠」にあまり拘泥するべ
きではないと思う。むしろ、国家の諜報機関の基本的な性格とはどのようなも
のか、そしていままでの諜報機関の盗聴活動がどのような変遷を遂げてきたか
により大きな関心を抱く必要がある。

この私の解説の冒頭で、70年代初めの通信衛星の盗聴に言及した。衛星通信盗
聴は、UK-USA協定の延長線上にあると同時に、この初期の国際的な衛星通信盗
聴をコンピュータのネットワークシステムを用いて、よりシステマティックに、
かつ統合的に実行できるようにしたものがエシュロンであった。このことは、
何を意味しているのだろうか。戦後のUK-USA協定出発時にはもちろん通信衛星
はなかった。しかし、その時代においても諜報機関は有線、無線を問わず、ま
た、室内外の会話や郵便を問わず、軍事、外交、政治、経済などいわゆる「国
益」にかかわるようなあらゆる通信を盗聴、監視しようとしてきた。今世紀は
じめの電話は、今よりずっとハイテクな存在であり、いわば今の時代のインター
ネットのような存在だったといっていいだろう。その当時の諜報機関がこのハ
イテクの電話をどうやったら盗聴できるか一生懸命考えただろうことは想像に
難くない。同様に、通信衛星の商業利用が開始されてほどなく、
これらを捕捉する盗聴基地が次々と設置された。諜報機関は、新しい情報通信
技術に対して、すみやかに対応して、これらを盗聴、監視できる体制を作り出
そうとする。

とすれば、通信衛星について起きたことと同じように、90年代に急速に普及し
はじめたインターネットによる通信を網羅的に盗聴可能な技術を諜報機関がも
ちたがっていることだけは確実である。問題は、それが可能かどうかというこ
とだけであり、可能性の是非は、有線のインターネットの通信盗聴のためにど
れだけの資金を投じ、どれだけ各国の諜報機関が協調できるかといった条件に
かかっている。すでに衛星通信の情報の解析や共有を通じて、基本的なインフ
ラはできあがっていると考えていいわけで、そうだとすれば、インターネット
の通信のバックボーンや、国外に通じるケーブルをどのようにこの諜報機関の
盗聴ネットワークとつなぐかという技術上のことだけが残された問題なのだ。
事実、光ファイバーによる海底ケーブルの盗聴について、ダンカン・キャンベ
ルに取材した毎日新聞は、次のように報じている。

「 同氏[ダンカン・キャンベル]によると、エシュロンを統括する米国家安全
保障局(NSA)が申請した光ファイバー技術の特許資料などを分析した結果、
光ファイバーケーブルの傍受計画が確認された。米軍関係者の話も総合すると、
海底の傍受作業を担うのは、建造中の米海軍原子力潜水艦「ジミー・カーター」
(全長108メートル)。潜水作業員の出入り用の特殊潜水室を艦尾に設置す
る設計変更を経て、04年に就航するという。

NSAは90年代後半から、特別研究室を設置して光ファイバーの通信傍受
技術の開発を模索してきた。実現の見通しが立ったことから原潜ジミー・カー
ターに海底ケーブルに傍受機器を据え付ける特殊任務が課された。艦体の改造
は米コネティカット州グロトンで行われ、技術開発費を含め総額24億ドル
(約3100億円)が計上された。」(2002年3月18日、
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/nybomb/tero/4/1.html)

旧来の海底ケーブルが潜水艦によって長期にわたり盗聴可能であることはよく
知られており、EU報告書にも証言者として登場するジェームズ・バンフォード
の新著『Body of Secrets』(Doubleday, 2001)でも、1975年にオホーツク
海でカムチャッカ半島とウラジオストックのソ連太平洋艦隊司令部を結ぶ海底
ケーブルを盗聴するNSAと米海軍の活動が詳細に記述されており、EU報告書で
も言及がある。しかし、光ファイバーケーブルについては、EU報告書では、そ
の技術的な困難から「報告者の見解では、国際電話通信を日常的に監視するの
に、潜水艦を利用することはほぼあり得ない」(3.3.1.1)と述べられ、否定的
であった。上記毎日の記事はこの報告書の評価を大幅に改訂する必要があるこ
とを示唆してる。まだ報告書が公表されてから一年も経っていないのに、であ
る。このように、いかに困難にみえてもその盗聴と解析を行おうとする諜報機
関の技術的な開発力はきわめて大きく、決して軽視すべきではないのだ。

もうひとつの重要な観点は、諜報機関の性質の変化である。UK-USA協定は冷戦
時代の産物であるが、エシュロンは当初から狭義の冷戦対応のシステムではな
いといわれている。諜報機関は冷戦後の情勢にあわせた対応を取ろうとしてき
た。それがはからずも今回のEU議会報告書を生み出すきっかけにもなった民間
の経済活動にたいする産業スパイ活動である。しかし、さらに問題はこれにと
どまらない。欧州議会がエシュロンのための特別委員会を設置するきっかけと
なるレポートを書いた英国のジャーナリスト、ダンカン・キャンベルは、エシュ
ロンによる情報の提供を受けている国の一つに、スペインがあるとした上で、
バスクの分離独立を主張する武装組織の摘発にエシュロンが利用されていると
して次のように述べている。

「昨年[2000年]秋、『バスク祖国と自由』の活動家20人以上を追跡するのに、
米国の国家安全保障局(NSA)によるエシュロンの諜報システムが使われた。2
000年9月16日の土曜日、フランスとスペインの警察が南西フランス一帯
の拠点を襲い、テロ活動家と見られる人たちを逮捕した。(中略)作戦終了後、
ワシントンの高官は、国際諜報作戦を法的に統制しようとする欧州諸国の企み
を阻止したと喜んだ」(ダンカン・キャンベル「閉鎖されるエシュロン主要基
地」、寺中誠訳、『世界』2001年8月号)

こうした事例だけでなく、網羅的な盗聴は、様々な市民運動や社会運動、政治
運動などを対象としている。EU報告書に引用されている複数の関係者の証言等
からも明らかなのだが、グリンピース、アムネスティ・インターナショナル、
クリスチャン・エイドなどの国際的な団体が明らかにターゲットにされている。
米国同時多発テロ以降、いわゆるテロリズムへの軍事的報復措置が積極化する
とともに、米国ではFBIによる通信盗聴機能とエシュロンとを関わらせて論じ
る報道が増えている。エシュロンはこうした事態のなかでは、産業スパイの機
能よりもテロ対策のためにより多く活用されるかもしれない。さらに、テロ組
織の資金源問題がこれに絡ませられれば、経済活動が治安・軍事目的で監視さ
れることがあってもおかしくない。そもそも、何がテロリズムなのかについて
明確な定義がなく、事実上「米国とその同盟国に敵対する組織、個人」を暴力
の行使の有無にかかわらずテロリストと呼ぶことがまかりとおるような現状の
なかでは、エシュロンがきわめて大きな関心をもって国際的な市民運動、社会
運動などをターゲットするであろうことはほぼ疑いのないことだといえそうだ。
グリンピースなどの環境保護団体が、保守的な米国の政治家たちに「エコテロ
リスト」といった不当なレッテルを貼られたことを忘れるべきではない。

●キーワードの収集から見いだせる網羅的な監視志向

ハーガーが『Secret Power』で述べていたように、諜報機関の盗聴は、ビザの
発給や文化活動などまで文字通り網羅的だった。しかしこの網羅的な盗聴が有
効に機能するためにはその強力な検索、解析機能に関わる。「辞書」と呼ばれ
るキーワードを有するデータ解析プログラム(あるいはコンピュータ)は、機械
的網羅的に収集した通信記録をキーワードによって検索にかけたり、どの同盟
国に関わる情報なのかなどの分類整理を行うが、全てがこのコンピュータによっ
て達成されるわけではない。

キーワードはコンピュータが自動的に生成できるわけではなく、「誰か」があ
る「目的」をもってコンピュータに入力することで成り立っている。(近年m
「ファジー・コンピューティング」などのあらたな手法によって、コンピュー
タ自身にこうした作業をやらせる試みが開発されつつあるが)このキーワード
の選定や変更などの作業を行うには、諜報機関が日常的にどのような対象を諜
報対象とするかと深く関わることになる。

EU報告書は、元カナダの秘密情報機関職員、マイク・フロストがテレビとのイ
ンタビュー内容を紹介して次のように述べている。

「オーストラリアのテレビ番組とのインタビューでは、[フロストは]実例を挙
げて、CSEが実際に一人の女性の名前や電話番号を、テロリストの可能性のあ
るデータベースに加えたと語っている。というのは、彼女は、友人との電話で
の何気ない会話で、曖昧な言葉を使用したからだった。」(5.7.3)

つまり、データベースに何かのキーワードや人名、電話番号などを加えるかど
うかの判断をするのは、対象についての事情を知った人間だということである。
このデータベースが充実したもので、より確度の高い内容をもつためには、諜
報機関は様々な情報を利用して、このデータベースの充実をはかるように試み
るだろうということも想像に難くない。911同時多発テロの際にも、エシュロ
ンの存在がとりざたされつつ、結局米国の諜報機関が未然に事件を防げなかっ
たことからエシュロンの限界が指摘されたりした。しかしこの限界からエシュ
ロンが時代遅れと決めつけることは間違いだ。むしろ、エシュロンはますます
時代に追い付こうとやっきになり、キーワードの性能向上をめざして、ますま
すその網を拡げるに違いない。この意味で、警察がもっている盗聴捜査能力と
その法的な権限や技術は、諜報機関にとってもきわめて大きな意味をもってい
るように思われる。

日本の場合も諜報機関と呼んでよい組織は、複数存在する。警察庁の警備公安
部門、公安調査庁、内閣調査室、それに海上保安庁や自衛隊の諜報部隊など、
その範囲も防衛、軍事から刑事部門まで幅広い。これらの部門は相互に異る情
報をもっており、また法的に可能な強制手続きの範囲も異る。エシュロンのよ
うなシステムがこうした他の諸組織が有する個人情報と結びつけられるとすれ
ば、個人の自由は国境を越えて、国際的にも抑圧される可能性をもつことにな
る。

この点でエシュロンと盗聴法との関係がどのようなものかじゃ、大きな関心事
の一つとなる。

言うまでもなく、盗聴法にもとづく捜査を行えるのは、警察であって、自衛隊
でもなければエシュロンに参加している外国の諜報機関でもない。また、盗聴
捜査は、スパイ活動には利用できない建前だから、形式的には盗聴法によって
警察がエシュロンと直接関わるような捜査を行うことはできない。

しかし、日本の盗聴法が諜報機関と何らかの関わりがあるかもしれないと推測
させる事実も存在する。その一つは、1999年春に、米国のACLU(自由人権協会)
が情報公開法に基づいて、日本の盗聴法制定と米国政府との関わりに関する公
文書の開示請求を行った際の米国政府の回答に見いだせる。この開示請求に対
する米国政府側の回答文書は、警察機関ではなく、CIAから行われている。そ
して回答内容は、この件についての回答は、米国情報公開法のに基づいて国家
安全保障上の理由から拒否する、というものだった。盗聴法は日本の国内法で
あり、しかも一般の刑事事件で組織犯罪に適用されると説明されてきた法律で
ある。それが、米国安全保障や、諜報機関のCIAといったいどのような関わり
があるというのだろうか?その内実は明らかではないものの、盗聴法は単なる
刑事事件の捜査にのみかかわるものではないという認識が米国政府側にあると
いうことを傍証する反応であることは明らかである。となれば、盗聴法が何ら
かの仕掛けを通じてエシュロンのような軍事・諜報機関による地引き網的なネッ
トワークと関わりがあるといえるかもしれないのだ。

先に述べたように、エシュロンはデータベースに組み込むキーワードがもっと
も重要なのである。このデータベースに加える情報が警察から提供されること
が諜報機関にとって有利であることは間違いない。警察は、盗聴捜査の権限を
もち、特定の人物を長期にわたって盗聴するだけの技術的な条件も持ち合わせ
ている。海外の諜報機関が日本の電話会社に、電話会社の一切の協力なしに盗
聴装置を設置することは不可能に近い。しかし、日本国内の通信のなかには、
海外の諜報機関が関心をもつにちがいないと思われるものが多く含まれている
だろう。同様に、日本の諜報機関も国外の通信に関心をもっているにちがいな
い。

キーワード検索によって国際的な通信を網羅的に盗聴するエシュロンのシステ
ムからある疑わしき人物が浮かび上がったとして、この人物の日常的な動静や
国内の通信を詳細に監視することはエシュロンのシステムでは難しい。むしろ
こうした監視には警察がもっている盗聴装置や通信事業者への協力義務権限を
駆使することが効果的かも知れない。また、こうした警察の捜査で新たに浮か
び上がった人物などがエシュロンの「辞書」に反映できることを諜報機関側は
望むかも知れない。

法的、制度的には盗聴法とエシュロンとを結びつけるものは存在しないとはい
え、双方の機能や役割をふまえれば、両者をまったく無関係ということはでき
ないかもしれない。むしろ、テロ対策といった最近の治安対策の方向性は、軍
と警察の活動領域の境界線をかなりあいまいにしてきており、しかも、米国の
ように国内での諜報活動を禁じられていたCIAなど諜報機関に国内活動を許す
など、国内、国外の区別もあいまいになるなかで、エシュロンのようなグロー
バルな監視ネットワークは、警察などが有する毛細血管のような情報収集網と
接合されてさらに強大な情報監視能力をもつようになる危険性がある。

●諜報機関の廃絶は反戦平和運動の重要な課題

欧州議会のエシュロン報告書は、軍事諜報機関が現在有している盗聴の実態を
明らかにする重要なもので、盗聴行為が、欧州の人権規約等にてらしてプライ
バシー侵害を構成するかどうかについて詳細に検討している。そして「EU加盟
国の一部ではいまだに秘密諜報機関の活動の精査に責任をもつ立法府の監視機
関が存在していないという事実は、懸念を抱かせる」と指摘しているように、
秘密諜報機関への監視手続きを議会などにもたせることを強く勧告しており、
この点は諜報機関へのチェック機能が明確でない日本の現状にとっては、おお
いに示唆的である。

プライバシーの権利は、個人のコミュニケーションの発達とともに、大きく変
化してきた。伝統的なプライバシーの権利は、他者から私生活を覗かれたりし
ないで一人にしておいてもらう権利として出発した。ここでは、身体そのもの
に関わる権利が主要に関心の対象とされていた。これに次いで、通信のように、
身体とかかわりなく当事者の個人の情報に関わる権利がプライバシーの権利に
加えられた。つまり、人に知られたくないこととは、人に見られたくないとい
うことだけでなく、人に知られたくない私に関する情報も含まれることになる。
諜報機関の存在は、そもそもこうしたプライバシーの権利をまったく無視する
ことで成り立っている。この点で、あきらかに基本的な人権を侵害する組織で
あることがむしろその本質なのである。

さらに情報化社会は、この両者について従来の社会では考えられない様々なあ
らたなプライバシー問題をもたらすことになった。情報が紙から電磁的な記録
に変ることによって、複製や改変が容易になり、さらにネットワーク化が進む
ことによって、同一のデータを共有したり、分散的に処理するなどが可能になっ
た。そのために、個人のデータがどこでどのように管理されているかが当事者
には把握できなくなった。さらにそれが国境を越え、みずからの市民的な権利
や主権者としての権利行使の及ばない外国にまで個人情報が拡散して蓄積され
るようになっている。そのため、情報ネットワークの普及とともに、プライバ
シーの権利は、第三者が保有する私に関する個人情報を私がコントロールでき
る権利を含むべきだという考え方(自己情報コントロール権)が主張されるよう
になった。現在ではこの自己情報コントロール権を含めてプライバシーの権利
を理解する方向に向いつつある。しかし、この自己情報のコントロール権は、
通常の政府や民間の個人情報にはある種の有効な抑制力をもつかもしれないが、
諜報機関にはまったく通用しないだろう。諜報機関が蓄積するデータもまたエ
シュロンのように世界規模でデータベース化され、さらに各々の諜報機関が独
自に解析を加える個人情報のファイルは、その所在の全てを特定することすら
できない。ハーガーが述べているように、エシュロンシステムでは、自国内の
基地を利用して国外の諜報機関がどのような個人情報の収集を行っているかは
わからない。このように意図的に秘密のうちに収集された個人情報を蓄積して
いるた諜報機関が国境を越えて連携している場合、個人情報の廃棄は、もはや、
どこかの事務所の紙のファイルさえ廃棄すればそれで済むという段階を越えて
おり、諜報機関のネットワーク全体を解体する以外にないのである。言い換え
れば、諜報機関それ自体を廃棄することなくして私たちのプライバシーの権利
は保護されないのだ。

しかし、EU報告書の主要な関心は、米国を頂点とするエシュロンという巨大な
国際的ネットワークが、ヨーロッパのとりわけ企業に対する産業スパイをやっ
ているという点にあり、これに対してEUはエシュロンを廃止するというより、
逆に、域内の共同の安全保障政策のためには秘密情報機関は不可欠であるとし
て、米国に対抗できるような諜報機関の必要が強調されている。つまり議会の
監視機能を担保しつつも、強力な諜報機関の必要を勧告しているのである。

日本におけるエシュロンへの関心のなかには、米国が国際的な情報収集能力を
独占することが日本の国家安全保障にマイナスの影響を与えていると指摘し、
日本の諜報機関の機能強化を強調する主張がすくなからず見いだせる。しかし、
諜報機関が平和や安全を実現できたことはまずない。むしろ国家間の緊張関係
を生み出すことにしかなっていない。諜報機関がやることは、わたしたちの日
常生活になぞらえれば、隣近所の家を密かに覗き回り、弱みや他人に知られた
くない情報を探ることを通じて、近所のひとたちと友好な付き合いをしようと
いうようなものだ。私たちの日常感覚からして、このような腹の探り合いが、
相互の友好な関係にプラスになることは決してない。これは国家間であっても
同じことではないだろうか。地域の安全保障は、諜報機関を強化することでは
達成できないばかりか、逆にこれは地域の政治的軍事的な緊張を助長する。と
りわけ、軍事の正面装備がIT化されればされるほど、事前の諜報活動は軍事的
な作戦行動とより密接に関わることになる。元自衛官の鍛冶俊樹は『エシュロ
ンと情報戦争』(文春新書、2002年)できわめて率直に、「これは戦争なのであ
る」と指摘しているように、あきらかに戦争活動の一環にあるのだと位置づけ
る必要がある。

実はこの点では、日本の反戦平和運動は、残念ながら十分な取り組みができて
いないように見える。一発の銃弾もミサイルも飛ばず、一台の戦車も動かない
にもかかわらず、諜報活動は明らかに日本の戦力と不可分の一部をなしている
という観点が忘れられがちだ。これは、現代のIT時代に固有のことではなく、
戦争に普遍的に付随することであって、この諜報活動のありかたいかんは、日
本の憲法による戦力の保持の禁止規定と抵触するということを十分深刻に受け
止める必要がある。この点でも反戦平和運動側の「戦争」認識の再検討が非常
に重要な課題になっていると思う。自衛隊が海外に派兵されるという事態は、
こうした情報戦争のなかでは、実体としての艦船や航空機、部隊が派遣される
ことだけを意味しない。その目と耳だけが国境を越え、その結果か米国の軍事
作戦の事実上の目と耳となり、軍事行為の不可分の一部をなしているという点
がきわめて軽視されている。この点をはっきり見据えれば、日本の諜報機関や
日本にいる米国など国外の諜報機関の基地、施設などは、明らかに戦力を保持
すべきでないという日本国憲法の規定に違反する。反戦平和運動にとって、諜
報機関問題は憲法の基本理念とも関わる重要な課題になっているのである。

初出:『エシュロン』七つ森書館、2002