越境し共謀するアーティストたち(戦前編)

──エロシェンコと宮城与徳

スピーカー:小倉利丸(『絶望のユートピア』著者)

日 時:2017年7月1日(土)19:00~21:00/18:30 Open
場 所:素人の乱12号店|自由芸術大学
杉並区高円寺北3丁目8-12 フデノビル2F 奥の部屋
資料代:500円+投げ銭(ワンドリンクオーダー)

戦前から戦中の時代は今の日本よりも逼塞した暗い時代だったのだろうか。アクティビストたちは常時特高警察に監視され、集会もデモもままならない時 代だったが、そのなかで、思いの他したたかに権力に抗った者たちも多くいる。そうした人々のなかから、二人のアーティスト、ワシリー・エロシェンコ (1890年~1952年)と宮城与徳(1903年~1943年)に焦点を当てます。二人とも、周辺に生まれ(エロシェンコはウクライナ、宮城は沖縄)国 境を越えて移動しつつ、共謀の抵抗線を意図せざる結果として描いた人たちです。彼らの生き方とアーティストの表現について考えながら、過酷な時代ですら私 たちの今の時代を凌駕する、国家に抗する行動がありえたことを再認識しつつ、私たちにはまだまだ多くの共謀の可能性があるのだ、という勇気と展望を彼らの 生き方と表現から掴みたいと思います。

ワシリー・エロシェンコ:1890年~1952年 ロシア帝国領(現在ウクライナ)クルスク県生れ。幼くして盲目となり、楽師として生計をたてる。10代からエスペラトを学び、ロンドンでクロポトキンと出 会い、20代で日本語を学び、25歳で来日。2年間滞在。その後アジアを放浪し30歳で再来日。1921年、日本社会主義同盟大会に参加して逮捕、国外追 放。中国を経由してソ連に帰国。彼はシベリアや極東、アジアなど辺境をこよなく愛した。日本滞在中は多くの社会主義者やアナキストと交流し、音楽を演奏し 多くの文章を残す。彼の作品の大半は魯迅が中国語に訳した。(高杉一郎編『エロシェンコ全集』みすず書房など)

宮城与徳:1903年~1943年 沖縄県名護村生れ。16歳で渡米。沖縄出身の移民たちによる「黎明会」結成。宮城がサンディエゴ官立美術学校の学生、21歳のときに排日移民排斥を目的と した新移民法制定される。宮城は日本の無産者運動や、バクーニン、クロポトキンなどに触発されつつ作品を制作する。26歳、プロレタリア芸術研究会創設に 参加。29歳、米共産党南ロサンゼルス地区大会が官憲に弾圧され多くの沖縄出身者とともに逮捕される。30歳、ソルゲスパイ団として来日。以来38歳で検 挙されるまで日本で「スパイ」として活動。40歳、獄中で未決のまま病死。(野本一平『宮城与徳、移民青年画家の光と影』沖縄タイムス社など)

「英国のテロ: 首相は何を知っていたのか? 」ジョン・ピルジャー

以下に訳出したのは、Counter Punch に掲載されたジョン・ピルジャーによるマンチェスターの「自爆テロ」についてのエッセイである。日本では、共謀罪がテロ対策を口実に国会でも成立の瀬戸際という危うい状況にあることを念頭に訳したものだ。

ピルジャーは、マンチェスターの事件を対テロ戦争が引き起した帰結であるとはっきりと指摘している。特に、英国がリビアに対して行なった軍事介入における戦争犯罪(多数の民間人が破砕爆弾やクラスター爆弾の犠牲になった)と、カダフィを排除するためにイスラム主義者たちを利用してきた軍や諜報機関を批判する。英国のみならず米国やフランスも含めて、かつての植民地諸国を支配・従属しつづけようとする野望のために、西欧「帝国」の国益のためにイスラム主義者を使い捨ててきた歴史を視野に入れなければ「テロ」の問題は答えを見出せない。

日本も含めて、西側諸国は、みずからの歴史的な植民地支配とポスト植民地主義(新自由主義的な支配)に内在する国家の暴力や犯罪を一切反省することなく、こうした自らの犯罪を棚上げして「正義」の側に、彼らが「テロ」と呼ぶ対象を「悪」の側に分類する単純な善悪の構図に大衆の心情を動員する。かつての植民地地域を現在に至るまで支配・従属させつづけようとする野望と、米国のような新たな帝国の野望をアフリカに抱く諸国との複雑な利害を背景にしながらも、「テロ」については、その表面的な現象だけを歴史的文脈から切り離して取り出し、あたかも理解しえない非人道的な行為であるかのように決めつけて報復と厳罰化を正当化しようとしてきた。日本も含めて西欧諸国は、そもそも「テロ」を理解することを拒否し、「テロ」に関連すると彼らが考える社会集団を網羅的に監視して敵視し、排除し、基本的人権を剥奪し、ときには国外に追い出し、同時に、彼らの母国には軍事介入して内戦を助長する。

「テロ」には歴史的社会的な文脈がある。しかし、「テロ」を理解することは、この文脈に触れることになる。このことは、同時に、国家が隠蔽してきた権力犯罪、彼らがとってきた、「テロ」に帰結せざるを得ないほどのその何倍、何十倍にもなる殺戮と支配の歴史を明みに出すことになる。だから、「テロ」は理解ではなく無条件に「悪」のレッテルを貼って、根絶やしにしたいのだ。こうした経緯はピルジャーのこの短かいエッセイからも十分読みとれると思う。

同様に私たちは、共謀罪の立法事実として政府が持ち出す「テロ」をめぐる言説を、日本の植民地支配の時代から対テロ戦争における米国の侵略への加担に至るこの国の国家犯罪との関わり抜きには理解すべきではない。日本がテロの脅威に晒されるのであれば、それはテロリストと名指された「敵」の理不尽で理解を超えた「悪」の問題だと片付けるのではなく、テロを誘き寄せることになった(なるであろう)この国の不合理で理不尽な対外政策や覇権主義、排外主義という、この国の犯罪にも目を向けなければいけない。こうした国家犯罪や「経済進出」や「援助」なる言葉でごまかされてきた資本の犯罪が隠蔽され正当化されるだけでなく、さらに、対テロ戦争の泥沼に今以上に足を踏み入れることこそが、「テロ」を招き寄せる根源にある。

日本はかつての植民地支配や戦争責任はおろか、イラク戦争以降の戦争への加担と責任すら明確に自覚せず、きちんとした検証すら行なっていない。こうした日本の国家犯罪を文字通り放免する構造を共謀罪はより一層強化するものとして導入されることになる。戦前も含めた歴代の支配者たちの犯罪を見逃してきた責任は、この国の主権者にある。近代日本の侵略を国家犯罪としてきちんと処理し、対テロ戦争から撤退すること、日米同盟から離脱し、自衛隊を派兵せず解体すること、文字通りの意味での「非武装中立」という戦後反戦平和運動の基本原則に立ち返ることが、「テロ」対策の唯一の選択肢だろう。しかしこうした原則的な議論が国会の場ではもはやほとんど聞かれなくなっている。

ピルジャーのこの短かいエッセイは、日本のわたしたちがこの国の「テロ対策」や対テロ戦争について何を考えるべきかを示唆してくれると思う。


(2017年6月6日改訂:誤訳、不適切訳をご指摘いただいた皆さんに感謝します。読みやすくなったと思います。)
英国のテロ: 首相は何を知っていたのか?
ジョン・ピルジャー
2017年5月31日

英国総選挙で語られていないのはこのことだ。マンチェスターの惨劇──ジハディストによって22人の若者が殺害されたわけだが──の原因は、英国外交政策の秘密を守るために明かにされないままだ。

決定的な疑問──なぜ国家保安機関、MI5はマンチェスターのテロリストの「利用価値」を擁護し続けているのか、そして、なぜ政府は公衆のまっただなかにある脅威を警告しなかったのか──は、「内部監査」の約束なるものによってはぐらかされて、答えられないままである。

自爆攻撃の容疑者、サルマン・アベディは、過激主義のグループ、the Libyan Islamic Fighting Groupのメンバーであり、このグループはマンエスターで成長拡大し、20年以上にわたってMI5によって利用されてきた。

LIFGは、リビアで「強硬なイスラム国家」を目指すアルカイダに触発されたグローバルなイスラム主義過激主義運動に属するテロリスト組織として、英国では法的な保護の埒外に置かれてきた。

「動かぬ証拠」は、テレサ・メイが国家安全保障相であったときに、LIFGのジハディストがヨーロッパ中を自由に旅行できて、最初は、リイビヤのムアンマル・カダフィを排除する闘争に、次にシリアのアルカイダと関係するグループに参加するといった、「闘い」に従事するよう仕向けられていたということだ。

昨年、FBIは、アベディを「テロリスト監視リスト」に載せ、MI5に彼のグループが英国の「政治ターゲット」を探していると警告をしたと報じられている。なぜ彼は拘束されず、彼の周辺のネットワークは計画を阻止されずに5月22日の惨劇を起すことになったのか。

こうした疑問が湧くのも、5月22日の攻撃に引き続く単独犯という説がFBIのリークによって葬られたからだ。結果として、このリークによるパニック状態の激しい憤りは、ロンドンからワシントンとドナルド・トランプの弁解に向けられた。

マンチェスターの残虐行為は、英国外交政策が、過激なイスラムとの打算による同盟──とくに、ワッハーブ派あるいはサラフィズムとして知られる者たちであり、その主要な保護者であり資金提供者は、英国最大の武器輸出国、サウジアラビアである──であることを暴露するというやっかいな問題をもたらした。

こうした帝国の密接な関係は第二次世界大戦と初期のエジプトのムスリム同胞団の時代にまで遡る。英国の政策の目的は、汎アラブ主義の阻止であった。近代世俗国家として発展しつつあるアラブ諸国が西側帝国から自立して自らの資源への支配を確保しようとするのを阻止することにあった。強欲なイスラエルの建国には、この西側帝国の目論見を促進する意図があった。汎アラブ主義は以来押し潰され、今では西側の目標は、分割統治となった。

『Middle East Eye』によれば、2011年にマンチェスターのLIFGは「マンチェスターボーイズ」として知られていた。執念深くカダフィに反対していた彼らは、リスクの高い存在とみなされ、メンバーは、多くの部族対立のなかでまとまりをもってきたリビアで反カダフィのデモが起きたときには、内務省の統制命令下──自宅監禁──にあった。

突然、彼らへの統制命令が解除された。「私は外出を許され、何の尋問もなかった」とあるLIFGのメンバーは語っている。MI5は彼らにパスポ-トを返し、ヒースローの対テロ警察は、彼らを飛行機に搭乗させてよいと言われた。

アフリカ最大の石油埋蔵量を支配するカダフィ政権の転覆は、長年にわたってワシントンとロンドンが計画してきたものだ。フランスの諜報機関によれば、1990年代にLIFGは、英国諜報機関の後ろ盾を得て、何度かカダフィ暗殺を企てた。2001年3月に、フランス、英国、米国は「人道的介入」のチャンスを得てリビアを攻撃する。彼らは、国連の「民間人保護」決議に乗じて、NATO軍として参加した。

昨年9月、下院外交問題特別委員会の調査は、当時のデヴィッド・キャメロン首相は一連の「誤った仮定」にたってカダフィに対する戦争に(英国を)引き込み、「北フリカのイスラム国の勃興を招いた」と結論した。下院委員会は、リビアでキャメロンがやってきたことを「最低のショーだ」といったバラク・オバマの表現を「的確」として引用した。

事実、オバマは、好戦的な国務長官、ヒラリー・クリントンにせきたてられたこの「最低のショー」の主役であり、メディアは、カダフィが自国民に対する「ジェノサイド」を計画していると糾弾した。「我々は知っている…もし我々があと1日待てば、(ノースカロライナ州の)シャーロットほどの規模のベンガジは大量殺戮を被り、これが地域全体に拡がり、世界の良心にとっての汚点となるだろう」

この大量殺戮の物語は、リビアの政府勢力に追いつめられたサラフィストの民兵がでっちあげたものだった。彼らはロイターに「ルワンダで我々が目撃したような大虐殺がありうるかもしれない」と語った。下院委員会は「カダフィがベンガジでの民間人の大量殺戮を命じたかもしれないという仮定は、入手可能な証拠からは証明されなかった」と報じている。

英国、フランスそして米国は効果的に、近代国家リビアを破壊した。NATOは、自身の記録によれば、延べ9700回出撃し、その三分の一以上が民間人をターゲットにしたものだった。そのなかには破砕爆弾(fragmentation bomb)や劣化ウラン弾を搭載したミサイルが含まれる。

ミスラータやスルテの諸都市は絨毯爆撃を受けた。ユニセフは、なかでも10歳以下の子どもたちが多く殺されていると報じている。

イスラム国を「生み出し」ただけでなく──ISISはすでに2003年にブレアとブッシュ政権が侵攻したあとでイラクの崩壊のなかで根づいていた──、この本質的な中世主義者は、拠点として北アフリカ全体を確保している。その攻撃は、ヨーロッパへの難民流出に拍車をかけた。

キャメロンはトリポリで「解放者」として賞賛された。あるいは彼はそのようにイメージされた。群衆は彼を歓迎したが、そのなかには、密かに送りこまれ、英国の特殊部隊で訓練され、そしてイスラム国に触発された「マンチェスターボーイズ」のような者たちもいた。

米国と英国にとってカダフィの真の犯罪は、彼の因習を打破する独立と米帝国の柱たるオイルダラーを廃棄しようという計画にあった。彼は金に裏打ちされたアフリカ共通通貨を引き受け、全アフリカ銀行を設立し、貴重な資源を持つ貧困国の経済連合を促進することを大胆にも計画していた。こうしたことが実現できたかどうかは別にしても、こうした考え方そのものが、アフリカに介入し、軍事「パートナーシップ」という賄賂を渡してアフリカ諸国政府と組もうとしていた米国にとっては許しがたいことであった。

堕ちた独裁者は、命からがら逃亡する。英国空軍機が彼の車列を攻撃しシルテの瓦礫のなかで彼は、報道では「反逆者」とされるファナティックな人物によってナイフで陵辱された。

300億ドルのリビアの兵器廠の武器は略奪され、「反逆者」たちは南進し、町や村でテロ行為を行なった。砂漠を越えてマリのサブサハラ地域へ、彼らはこの国の脆弱な安定性を破壊した。かねてから熱心だったフランスは、かつての植民地に「アルカイダと闘うために」、あるいは自らがその誕生に加担した脅威と闘うために、空軍と地上部隊を送った。

2011年10月14日に、オバマ大統領はウガンダ内戦に参戦するために特殊部隊を送るとアナウンスした。続く数ヶ月、米国の戦闘部隊が南スーダン、コンゴ、中央アフリカ共和国に派兵された。リビアが確保されるにともなって、米国のアフリカ大陸への侵略が進行しているのだが、ほとんど報じられることもない。

ロンドンでは、世界最大の武器見本市のひとつが英国政府によって計画された。会場の宣伝文句は「リビアでのデモンストレーション効果」だった。ロンドン商工会議所は「中東:英国防衛・安全保障企業の巨大市場」という内覧会を開いた。主催はスコットランド銀行。リビアの民間人をターゲットとして広範囲に用いられたクラスター爆弾の主要な投資家だ。銀行の武器関連の宣伝文句には「英国防衛・安全保障企業にとってのまたとないチャンス」の賛辞がある。

先月テレサ・メイ首相はサウジ・アラビアを訪問し、英国の武器を20億ポンド以上も売り込んできた。サウジ・アラビアは英国からの武器でイエメンを攻撃してきた。リヤドの指令室を拠点に、英国の軍事アドバイザーが空爆を支援している。この爆撃で10000人以上の民間人が殺されているのだ。そして今はっきりと飢餓の兆候がみられている。イエメンの子どもたちは予防可能な病気で命を落しているとユニセフは述べている。

5月22日のマンチェスターの惨劇は、こうした遠い場所で、その多くが英国が支援して起こされている無慈悲な国家暴力の結果である。この遠い国での被害者の命と名前はほとんど私たちにはわかっていない。

ちょうど2005年7月7日に起きたロンドン地下鉄爆破の時と同じように、こうした真実に耳を傾けるような努力が必要だ。時折一般の人たちのなかで沈黙を破る人がいる。陳腐な常套句を並べたてているCNNのカメラクルーとレポーターの前に歩み寄ったイーストロンドンの住民は「イラクだ!我々がイラクを侵略したんだ、それでどうなると思ってたんだ、言ってごらん」と詰め寄った。

私が参加した大きなメディアの会議では、重要なゲストの多くは、彼らがプロフェッショナルとして、思いきって公然とは言えないことの代償であるかのように「イラク」と「ブレア」を口にした。

しかし、彼がイラクに侵略する前に、ブレアは統合情報委員会から「イラクへのなんらかの軍事行動の結果として、アルカイダからの脅威が増加する。…他のイスラム主義のテロリストのグループや個人からの世界規模での脅威が顕著に増加するだろう」と警告されていた。

ブレアが、彼やジョージ.W.ブッシュの血まみれの「最低のショー」の暴力を英国に痛感させたように、テレサ・メイに支えられて、キャメロンのリビア犯罪は、その後の流血事件や、特に5月22日のマンチェスターアリーナの事件でさらに劣悪な様相がはっきりしてきた。

単独犯説が再浮上しても驚くにはあたらない。サルマン・アベディは一人で行動した。彼はただのゴロツキで、それ以上ではなかった。昨週米国によってリークされた広範なネットワークは消滅した。しかし疑問は残されたままだ。

なぜアベディは自由にヨーロッパからリビアへ移動し、彼が関与した恐るべき犯罪のたった数日前にマンチェスターに戻ることができたのか。テレサ・メイは、FBIが政治的なターゲットへの攻撃を英国で計画しているイスラムの細胞の一部として彼を追跡しているとMI5から言われていたのだろうか。

現在の選挙キャンペーンで、労働党党首、ジェレミー・コービンが「敗北した対テロ戦争」に慎重に言及した。彼は分っているように、これは対テロ戦争ではなく、征服と服従を求める戦争なのだ。パレスチナ、アフガニズタン、イラク、リビア、シリア。イランが次のターゲットだと言われている。もうとつのマンチェスターが起きる前に、誰がこのことを指摘する勇気を持つのだろうか?