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小倉利丸著『絶望のユートピア』 (桂書房) を枕に 社会を変える夢を見るための連続講座 (第2期)

投稿日:

ATTAC首都圏主催の連続講座の二期目です。わたしの『絶望のユートピア』からいくつかテキストを選んで参加者のみなさんと議論します。以下案内を転載します。

会場は

ATTAC Japan (首都圏)
千代田区神田淡路町 1-21-7 静和ビル 1 階 A

第1回2018 年9月18日(火)19 時~

「オルタナティブの戦後 」
戦後の社会運動のなかで非主流ともいえる様々な運動を通じて、少数とはいえ彼らが切り開いてきた変革への問題意識を考えてみます。

第2回 10月2日 (火) 19 時~

「ナショナリズムの終焉へ向けて」
右翼の歴史認識の源流ともいえる林房雄の『大東亜戦争肯定論』批判の文章。世界規模で跋扈する極右やネオナチの「保守革命」にも通じる世界観について考えてみます。

第3回 11月13日 (火) 19 時~

「社会主義にとってフェミニズムとは何であったのか 」
資本主義の搾取の廃絶によって性差別も人種差別も解消できるほどジェンダーの問題は簡単なものではありません。階級と性の問題を、フーリエやエドワード・カーペンターなど
19 世紀の時代の社会主義の思想と運動に立ち返って考えます。

第4回 12月11日 (火)19 時~

「グローバル資本主義の金融危機と<労働力>支配 」
資本主義の基本的な問題でもある<労働力>の商品化と搾取は金融危機あるいは金融システムとどのように関連するのか。資本による<労働力>支配の一環としての金融について考えます。

第5回 2019 年1月15日 (火) 19 時~

「労働概念の再検討」なぜ人々は働くことを強いられて自殺するまでに追いつめられるのだろうか。労働を美徳とする倫理観がどうして成り立ってしまうのか、本当に「働く」ことの無意味さを生きざるをえない資本主義の問題を考えます。

◆参加を希望される方へ◆ 会場は attac 事務所です。事前に読んでくる必要はありません。1 話完結の 5 回連続。途中参加・途中欠席可。参加費は 500 円(attac会員は 300 円)。本をお持ちでない方は各回 1000 円で書籍がもれなくついてきます。申し込みは attac-jp@jca.apc.org まで。

主宰者からのお知らせ

はじめてのインターネットラジオ放送

投稿日:

実は、私自身、ネットラジオは全くの初心者です。ですので、参加される皆さんと一緒に、とりあえず「出きる」ところまでやれることをとても期待しています。ことばは、読むこと、書くことだけでなく、話すこと(歌うこと?)、聞くことも大切なことです。話す、聞くことでしかできない可能性をいろいろ工夫するきっかけになればと思います。ネットでラジオ局を開局するときに、iTunesとかYoutubeなど既存のインフラを使うのであれば、netにたくさん情報があります。簡単とはいいますが、文章を書く、メールを送受信する、ネットサーフィンをするといった使い方が中心のユーザにとっては、音声をコントロールして配信すること(特にライブでの配信)ということになると、けっこう厄介かもしれません。
たとえば、
そもそも音声をパソコンに録音したり編集することはどうやってやればいいのか。
複数の話し手の声をパソコンで録音するはどうしたらいいのか。(パソコン内蔵マイクでskypeみたいなのではラジオとしての「音質」にはなりにくいでしょう)
音楽などを流したいけど、どうやって著作権問題をクリアしたらいいのか
パソコンからネットにどうやってライブで「音」を配信し、それを記録するのか。
録音したものをネットに上げるにはどうしたらいいのか。
ストリーミングなどをやるにはサーバを借りなければいけない?
いったいどれくらいの予算があればできるものなの?
などなどいろいろな疑問があるかもしれません。原則としてオープンソースのソフトを使って、Linuxでも実現可能なシステムを作ることをやれればと思います。参加されたみなさんも、実際にパソコンを使ってネットラジオの環境を作れるようにできればと思います。12号店の機材(マイクなど)は使えると思います。それ以外に、小型のミキサーとかを用意してみたいと思います。参考までに、以下の案内の後ろに、8月にベルリンで開催されるCRITICAL ENGINEERING SUMMER INTENSIVES, BERLIN 2018の紹介もあわせて掲載します。このイベントでもラジオへの関心がかなり中心的な主題になっています。

はじめてのインターネットラジオ放送

プロプライエタリ社会をハックする ― インターネットラジオ・ワークショップ

3月に1970年代イタリアの自由ラジオ局ラジオ・アリチェの物語「あくせく働くな」を上映し、自由ラジオ運動について語りあうセミナーを開催しました。日本は未だに電波管理が厳しく「海賊放送」の余地が非常に狭いままです。他方で、ネットラジオは自由度が高く、ブログやSNSにはない可能性と拡がりがあります。音声や音楽など「音」には書き言葉にはない可能性があるのです。伝えたい事柄を四苦八苦して文章にまとめるよりも話す方がずっと迅速で容易で、複数の参加者での討論や議論も文字よりは言葉の方が有効なコミュニケーションの方法でしょう。ネットテレビのような「顔出し」もないので、バジャマで寝転がってでもオンネアは可能です。このあくせく働かなくてもやれてしまうメリットを最大限に生かし、ライブの醍醐味も加味できるネットラジオの実践ワークショップを開催します。

講師は西荻窪にあるインディペンデントで公共的な文化スペース「あなたの公-差-転」を拠点に月一度の放送を行う〈ラジオ交-差-転 (Radio Kosaten) 〉で活躍するジョン・パイレーツ (Jong Pairez)さん。GLOBAL INDEPENDENT STREAMING SUPPORT (G.I.S.S.) などのフリーなネットツールを使用して、機材の接続から配信までをレクチャーしていただきます。

日 時:2018年7月20日(金)19:00~21:00
場 所:素人の乱12号店|自由芸術大学
杉並区高円寺北3-8-12 フデノビル2F 奥の部屋
参加費:投げ銭+ワンドリンクオーダー
講 師:ジョン・パイレズ (Jong Pairez)
サポーター:小倉利丸、上岡誠二

講師:ジョン・パイレズ
マニラと東京在住のメディア・アーティスト。持続可能でオールタナティブな生活のリサーチやデザイン、または人災と天災の共有体験を通じて生き残る方法を探り、文明と繋がるための、戦略的なスペースCivilization Laboratory (CIV:LAB)の設立者。移住、変位、ジオグラフィー、異文化との境界線に関心を持ち、ディジタルとアナログのテクノロジーによって空間の論理と不合理に取り組む。ビデオ・ドキュメンタリー、8mmフィルムの作品制作や自由ラジオ放送を通じて、押し付けられた地理を再創造するために重要な音とイメージのある環境をつくろうと試みている。来日してから自分自身が失われた世代の「移民労働者」であることも主張してきた。


参考


オリンピック

(再録)大衆動員に使われた聖火——官僚の描いた日本地図の中心

投稿日:

近代オリンピックと聖火

オリンピックをはじめとする国際的なスポーツ競技は、なぜ国別に勝敗を争い、勝者の属する国家の国旗を掲揚し、国歌を演奏するという勝利の儀礼を行うのだろうか。このあまりにも当り前になっているスポーツ競技の儀礼風景は、観衆に向けられたナショナル。アイデンティティ確認の儀礼であるといっても間違いではない。オリンピックをこうした視点で見ると、すぐれて観衆に向けて組み立てられた動員のイベントであるといえる。オリンピックの競技それ自体は、選抜されたスポーツ選手による国家間の競争として展開されるわけで、競技に参加しない多くの人びとは、観衆として受動的な立場におかれる。これに対して、オリンピック競技に付随するさまざまな行事の中では、観衆が主役の位置をしめる仕掛けが登場する。とりわけ、聖火をめぐる一連のイベントは、その規模と動員のあり方からみて、大衆動員のメインともいえるものだ。

聖火が近代オリンピックに登場するのは、ナチスによるベルリン大会が最初だ。ナチス参謀本部は、聖火リレーコースを軍事侵略のためのルート調査として利用した。しかし、戦後、一時期廃止論も出たとはいえ、聖火リレーがもったこうした政治的軍事的な意図は無視され、逆に平和のシンボルのようにみなされて継続されていくことになる。。たとえば、六二年当時の組織委員会事総長の田畑政治はオリンピック東京大会の組織委員会の会報で、聖火について次のように述べている。
「当時はヒトラー全盛期で、国威宣揚を主眼にして、ドイツの財的・科学的。芸術的すべてのものを投入したのがベルリン大会である。しかし実際運営したのはヒトラーでなくスポーツ哲学者のカール・ディームで、東京大会における私のような立場にあって、彼の考えが表現されたのである。彼の一番の功績は、はじめてオリンピアの火をベルリンの競技場まで、地上を走って運んだことである。」(田畑政治「大会の象徴」『東京オリンピック」六二年二月二五日号)

ここには、政治とスポーツの関係についての月並みであるけれども、だからこそ半ば了解済みの政治とスポーツの間の暗黙の協調関係が表明されている。政治にとっての国威発揚になることを田畑は認めつつ、「しかし」という接続詞で形式的にはこの政治的な文脈をスポーツの文脈と切ってみせる。しかし、これはレトリックでしかない。いうまでもなくスポーツ競技としての最善の条件を整えるということと国家的な関与、政治的な調整、大衆的な動員は不可分だからだ。そのことは、聖火にはっきりとみてとれる。聖火それ自体はオリンピックのスポーツ競技とは何の関係もない。関係ないものがあたかも重要な意味をもつかのように意義づけられ、開会式・閉会式の儀式の中心をにない、オリンピックのシンボルとなる、そうした一連の物語に政治的な仕掛が隠されている。

東京オリンピックにおける聖火のルート選び

東京オリンピックの聖火はどのように準備されたのだろうか。当初、国外ルートは、ナチス大会の聖火ルートを考案したとされるカール・ディームがシルクロード説を唱えたりしたが、国際情勢から見て不可能と判断された。しかし、ルートについては、できれば陸路という希望が強かったようで、一九六一年から半年かけて「朝日新聞」が六名の踏査隊を組織して聖火の陸路コースを調査するといったことも行われたが、陸路の場合、「複雑な中近東、アジアの政治情勢や砂漠を越え、ジャングルを突破しなければならない等、相当の困難を覚悟しなければならない」(前掲)という判断がかなり早い時期に出され、空路ルートが有力と見なされるようになった。

では空路での聖火ルートがすんなり決ったのかというとそうではない。六二年八月に聖火リレー特別委員会による大綱が組織委員会で決まる。この大綱によると、アテネから空路で一九カ国二三都市を回り、沖縄から本土へという案で予算総額一億三五〇〇万円を計上していた。そして、「使用飛行機は可能な限り国産機が望ましい」としてYS11が想定され、それが無理な場合には自術隊のP2Vを使用することが計画された。このことを含めて、聖火の国外ルートに対する自衛隊の協力が当初の計画ではかなり積極的にうたわれたりしていた。かってのナチスの聖火に込めた軍事的な意味を思い起こすとき、こうした自衛隊の利用は——組織委員会の意図はどうあれ——自衛隊固有の意味付けや、任務を導き寄せるものであるといえる。しかし、この大綱は、六二年一二月二七日に政府側からクレームがついて修正きれる。組織委員会会報に掲載されている会議録に次のように記載されている。

「聖火リレーの計画案を松沢事務次官、藤岡競技部長から説明があり、福永委員から、①経費がかかりすぎる、②リレーする国にイスラエル、北朝鮮が含まれていないが、もう少し国際情勢を考えるべきだ、と発言。徳安委員(総務長官)からも政府にも計画を相談してもらいたいと発言があり、再検討することになった」(前掲、六三年二月二五日号)

結局、国外コースは、縮小して一二カ国一二都市を回ることになり、輪送機も日航のダグラスDC6をチャーターする計画に変更された。イスラエル、朝鮮民主主義人民共和国はともに国際政治上どのような扱いをするかが問題になる国だ。自衛隊機の利用や国産旅客機の利用を計画するということもオリンピックがどのような意味で国家的な威信を表明する場になっているかを明確に示している。

他方、国内ルートについても六三年三月二八日の組織委で、原案に対してJOCから異論が出てすんなりとは決っていない。異論の具体的な内容は会報の記事を見る限り分からないが、最終決定は、国内四コースに分けてすべての都道府県をまわるということに落ち着いている。国内ルートは、各ルートの起点への輸送を別にすればすべて陸路だから、どのようなコースを走るかによって通過する市町村、通過しない市町村という差がでてくる。

道路、鉄道建設と似たような誘致合戦が繰り広げられたということは想像に難くない。また、国内リレーでは、一六歳から二〇歳の「日本人」によるとわざわざ「日本人」規定を入れている。こうした「日本人」規定は、国際スポーツが国籍や国家的な威信を背景としたナショナリズムを暗黙の前提としたイベントであるという性格を主催当事者が当然とみなしていた証拠といえる。聖火リレーは、そのルート上の各地の若者が受け継いでゆくという建前でいっても国籍条件はまったく根拠のないものだ。逆に、「日本人」にだけリレーの権限を与えることによって、この列島を「日本人」という単一民族によって一色に塗り込め、国家イベントから外国籍の人びとを排除することを当然とする政策的意図が見える。こうした一見些細に見える規定によって、「単一民族」の神話が繰り返しすり込まれ、地域社会のなかに生活する外国籍の人びととの間に制度的な排除、区別、差別が形成きれてゆくのであって、決して軽視できることではない。

聖火コース国土美化国民大行進

この聖火の国内コース決定をふまえて、オリンピック開催の前年に「聖火コース国土美化国民大行進」が聖火と同じコースを聖火そっくりのトーチをもってリレーするという文字通りの予行練習が行われている。これは、財団法人・新生活運動協会が中心となったもので、この大行進のスローガンは、「紙くずのない日本」「行列を守る日本人」「国民各層の市民性、公衆道徳を高める」といったもので、その記録集には「みんなが力をあわせればどんなすばらしいことができるか、という自信をもつことができた」といった自画自賛がみられる。こうした準備の中で、聖火をタイムスケジュール通りに運ぶ段取りが周到に準備され、また、「親子清掃活動」「母子花いっぱい運動」など動員のための組織が作られていくことになる。総参加者は六〇〇万人、各県でオリンピック前夜祭を行い、そのしめくくりとして三月二日に国立競技場で中央前夜祭を七万人を集めて行うという大々的なものだった。

この予行演習のとき、各地で神社が聖火の受け入れ拠点になっている点が一つの特徴だ(たとえば、鹿児島照国神社、宮崎神宮が聖火の宿泊などの場所を提供している)。そして、全国各コースを回った「聖火」は、東京の明治神宮で集火された。オリンピック本番では、聖火の起源がギリシャと関わるということからか、これほど神社は全面に出ていない。逆にこの予行演習では、「聖火」の意味は、神社のかがり火に近いイメージがあるのかもしないし、地方の草の根の組織の核をなす神社が重要な動員の役割を担ったという印象がある。

聖火リレーの本番は、どうだったのか。直接オリンピックの競技を見る機会のない地方にとって、聖火は唯一、オリンピックのイベントを直接身近に感じられる行事だった。その意味で、聖火の受け入れと動員、それをめぐる地方の盛り上がりをどのように組織するかが、オリンピックの全国的な盛り上がりの演出にとって重要な前提条件をなしたといえる。ここでは、地方の様子の一例として、私の住んでいる富山の場合について、地元新聞『北日本新聞』の記事を参考にしながらみておく。富山県への聖火は石川県から受け継がれ、小矢部市、高岡市、富山市、滑川市、黒部市、朝日町などを通過して新潟県へ抜けるコースをたどった。

石川県から聖火を受け入れた小矢部市では、県境に歓迎の横断幕を揚げ、中学校のブラスバンド、小中学生七〇〇人の動員、沿道の会社、商店、体協、婦人会など二万人が動員されている。「沿道の各民家、商店、会社とも国旗を掲げる」(六四年一〇月二日)という町ぐるみの祝賀体制が組まれた。こうした歓迎体制が聖火の通過ルートの自治体でとられるわけだが、また、富山市では、この聖火の到着に合わせて中学連合運動会が開催され、会場に二万人を集め、聖火台を設けて聖火の分火を行い、オリンピックの開会式のまねごとが行われた。

また、県庁前広場にも二万人を動員して到着の儀式を行い、夜は富山市公会堂に三〇〇〇人を集めて「聖火をむかえる県民の集い」を開催、翌日にも出発式なる儀式を行っている。聖火は一九五六人によってリレーされ、この二日間で四二万人の人出であったとマスコミは報じている。メディアの報道は、オリンピック本番顔負けの派手さで、「沿道をうめる日の丸」などの見出しや、市町村ごとの細かな祝賀行事、沿道の風景、そして聖火ランナーになった人たちのエピソードなど、文字通り聖火一色に埋め尽された。聖火は、こうして、戦後の天皇の全国行脚に次いで、それ以上に大衆的な日の丸や君が代に接する機会を作り出したといえる。【注1】

沖縄から皇居前へ

先にも述べたように、聖火はまず、沖縄に上陸した。沖縄への聖火の誘致は六二年に決定されており、まだアメリカ合衆国の統治下にあった沖縄を日本の最初の聖火到着地とみなすことによって、沖縄返還への世論形成に利用しようという意図がかなりはっきりと読み取れる。

聖火が沖縄に与えた影響は、大きいものがあったのではないかと考えられる。聖火の沖縄でのルートは、ひめゆりの塔など南部の戦跡地巡りを一つのポイントとして打ち出すというものだった。聖火は「平和の火、戦跡地を行く」(『沖縄タイムズ』六四年九月八日夕刊一面見出し)という表現に見られるように、「平和」のシンボルに読み換えられてゆく。このことは、「日の丸」や「君が代」にもっと端的にあらわれている。聖火受け入れは、沖縄教職員会なども積極的に歓迎して「その日[聖火の沖縄入り]は各家庭とも国旗を掲揚し、全島を”日の丸”一色で塗りつぶそうとしているが、全琉小、中、高校でも、聖火が通る沿道を”日の丸”でかざろうとその準備もおおわらわ」(同上、六四年九月四日)といった記事が写真入りで大きく掲載されている。そして、聖火到着の儀式が行われた奥武山競技場で君が代とともに日の丸が掲げられた。

新聞報道も「日本の玄関、那覇空港へついた」「感激の”君が代”吹奏で日の丸が掲揚されたが”君が代”を聞く観衆の中には感激の余り涙にむせぶ風景もあちこちでみられた」といった記事が続く。

ここには、沖縄が日本との関係で被った一切の犠牲、沖縄の独自の文化、そういったものは見事に消し去されている。「復帰後」の沖縄が「日の丸」「君が代」に対して率直な批判をなげかけてきたことを考えると、「日の丸」「君が代」へのこだわりを心の奥に押し隠さざるをえなかった人びとが数多くいたのではないか。こうして、沖縄におけるオリンピックの大衆動員は、聖火リレーとそれをめぐる無視すべきでないさまざまなこだわりや違和感を画一的なナショナリズムによって排除し、島ぐるみを演出し、複雑で深刻な心情を押し殺さざるをえない巧妙な舞台装置となった。この意味でも、東京オリンピツクをめぐる沖縄の大衆動員の問題はもっと掘り下げて検討すべき課題だろうと思う。【注2】

野毛の報告【注3】にもあったように、広島でも聖火は平和のシンボルとして演出さた。こうして一〇月九日に全国を四コースにわかれてリレーされた聖火は東京に到着する。この四つの聖火は、皇居前で集火式を行って、一つにまとめられる。沖縄を出発点と位置付け、皇居を集約点として演出されたこの聖火コースに政治的な意図を読み取ることは容易だろう。当日の午後六時から後楽園球場で前夜祭が行われたわだが、このことを念頭に置いたとき、集火式は後楽園球場でもよかったわけだ。それをわざわざ別に皇居前に設定したというところに、皇居前という場所に対する格別の「意味付け」が感じられる。

聖火のコースが、沖縄から皇居へという形で構成されたことには重要な意味がある。愛知文部大臣は、集火式で「この聖火はアジアにはじめてはいった歴史的な火であるとともに、沖縄の本土復帰の悲願が込められ」ていると挨拶しているように、この聖火リレーは、沖縄の「復帰運動」と巧妙に連動したものになっていた。しかし、こうした聖火のルートに込められた意味を政府も組織委員会も大衆にアピールすることには失敗したといえる。聖火が沖縄に到着したことや、沖縄現地での歓迎などの報道は、沖縄を除けばほとんど報道されなかったし、集火式の模様についても新聞の報道は地味なものだった。この意味で、聖火は、各地方での動員を媒介にして、ナショナルな一体感を形成したとはいえても、天皇や皇室——それらを象徴する皇居——を「日の丸」や「君が代」と結び付けて押しだし、国家儀礼と国家イベントの中心的な舞台回しとして穂極的に位置付けるというところには至っていない。

聖火の意味

こうしてみると、聖火は、オリンピックのなかで非常に重要な大衆動員の仕掛けとして機能したといる。しかも、聖火は、たんなる動員の道具であるだけでなく、オリンピックをめぐる「伝統」と「正統性」についてのフィクションを巧妙に生み出す格好の道具でもあった。聖火のリレーの起源は、ナチスのベルリン大会に湖れるにすぎないものだ。しかし、聖火の火を太陽から採る古代ギリシャの様式を模した儀式は、あたかもこの聖火の儀礼が古代ギリシャのオリンピックの伝統を近代に受け継いでいるかのごとき錯覚を人びとに与えてきた。こうした「伝統」による正統性の物語形成は、オリンピックが時代を超越した普遍的な価値をもつものであるという装いをもたせるのに格好の方法だ。現実には政治と不可分の国家的な行事であるオリンピックは、こうした普遍性の物語をまとうことによって、国家の意志を巧妙にカモフラージュし、アマチュア・スポーツの最高の祭典という価値をまとうことになる。

そしてまた、聖火は同時に国際的な環境の中の日本の位置に正統性を与える役割を担うものでもあった。かつてのアジア侵略、植民地支配を行った国ぐにや第二次大戦で敵国となった国ぐにを通過することを通して、聖火は国際的な関係を象徴する道具として機能しまた。国際ルートの決定に当って、朝鮮民主主義人民共和国やイスラエルについて議論になったり、アジア諸国のどの国を通過するかという選択で論議が起きたのも外交が絡むからだ。

そして、リレーという様式は、継続、継承、連続を具体的に表現するものとして聖火のコースそのものがひとつの糸のように結びつけられ、オリンピックという物語に統合きれる、そうした物語を形作りやすい形式だといえる。そして、この物語の中心に東京、なかんずく皇居が位置し、そしてまた国立競技場の聖火台が位置することによって大衆の意識をオリンピックという行事に集中させ、そこにおいて中心的な役割を担う「日本」との同一化を巧妙に演出した。このことが、少なくとも日本に住む多くの「日本国民」に「日本国民」という自覚を繰り返し喚起するための条件を作り出した。それは、上からの押し付けとしては意識されない形での、しかし国家によって巧妙に演出されたナショナリズムの喚起のためのイベントであったといえる。【注4】

また、ほとんどの競技がテレビメディァを媒体として「経験」されたのにたいして、聖火は直接触れることの可能なオリンピック経験の装置であったという点でも、大きな特徴を持っている。この意味で、大衆動員を組織する絶好の仕掛けであるといえた。この聖火の経験、それに対する地域メディアの過熱報道、それが、なかなか盛り上がらなかったオリンピックを最後になっておおきく盛り上げることになった。

しかしまた、こうした戦後の大衆動員の最後のイベントがこの東京オリンピックの聖火であった、ということもいえるのではないかと思う。東京オリンピック以後、様々な国家イベントが繰り返し行われてきたが、動員の形式は明らかに変化した。多くの人びとは、直接会場に足を運ぶという形で動員されることから、家庭の中に入り込んだマスメディアを媒介に動員されるようになった。東京オリンピックは、ちょうどマスメディア媒介型の動員と直接動員の転換点に入ちしたイベントだったといえる。【注5】


1 文部省は、高校生から社会人向けのパンフレット『オリンピック読本』(一九六三年)のなかで「オリンピックを迎える国民のあり方」として次のように「国旗」「国歌」尊重を掲げている。
「次にたいせつなことは、国旗や国歌を尊重することである。どこの国でも、ひとりひとりが、よく国旗の意義をを理解して、国旗をあげる場合でも正しくあげ、また国旗をむやみに作ってそまつな取り扱いをすることのないような慎重な態度で望まななければならない」。
ここでは、あえて「日の丸」「君が代」という表現はなく、国旗、国歌一般という形で表現されているが、大多数の人びとがオリンピックを通じて最も頻繁に接する機会を持った「日の丸」「君が代」であることを思えば、ここでの表現は実質的に「日の丸」「君が代」に対する「意義」「厳粛な態度」の強調といえる。
2 この聖火リレーの最中に、米兵による「日の丸」破損事件が起きた。こうした事件やある意味での「日の丸」フィーバーのなかで、当時布令で制限を加えられていた「日の丸」掲揚の自由を求める運動が沖縄教職員会によって「抵抗としての”日の丸”掲揚」運動として提起される。(同上、六四年九月二二日号)
3 野毛一起「リニューアルされた日の丸・天皇」、『きみはオリンピックを見たか』一九九八年 社会評論社所収。
4 総理府内閣総理大臣官房広報室は「オリンピック東京大会に関する世論訓査」を大会をはさんで前後三回(六二年一〇月、六四年三月、六四年一一月)実施している。このなかに、オリンピックは国や民族の力を示し合うものか、選手個人の技艇などを競うものか、という質問があり、前者と回答したものが鮪一回調査で四三・〇%だったのが大会が近づいた第二回調査では四八・九%に上昇している。また、大会後の第三回調査で日の丸に対する「感じ」がオリンピックで変ったかどうかをきいており、「変った」という回答が二〇%、「変らない」が七二%ある。また、日本人としての認識を新たにしたことがあるかどうかという闘問もあり、「ある」が三四%、「ない」が三五%で、「ある」の内容としては「日本の力を感じた」「愛国心を感じた」といった回答が寄せられている。これらの数字は、オリンピックという国家イベントがナショナリズムの形成にある程度の効果を持ったことを推測させるものだが、それ以上に興味深いのは、オリンピックの世論訓在にかこつけてこうしたナショナリズムや愛国心についての露骨な質問項目に、当時の政府のオリンピックについての一つの隠きれた本音があらわれている点であろう。
5 本文では、メディアそのものについて言及できなかったので、簡単な補足をしておく。マスメディアの機能と意義については日本放送協会放送世論調査所『東京オリンピック』が詳細なメディア研究と各種世論調査の分析を行っている。本書の結論部分で、「東京オリンピックは、マス・メディアの媒介によって、はじめて(ナショナル)な規模の反応をよびおこすことができた」として、三二会場の競技を一つのブラウン管に集約し、ビデオを利用して現実の時間を再編集することが可能となり、こうして構成されたオリンピックが「大部分の日本人が接触することのできた、唯一のオリンピック大会であった」ということ、「マス・メディアとくにテレビは、それ独自のオリンピック像‐‐大部分の人びとにとってはテレビ中継されたオリンピックだけが、彼らの認知と評価の対象であった‐‐を作りあげることによって、オリンピックをまさにナショナル・イベントに仕立てあげたのである。そして二四日の閉会式とともに、オリンピックがマス・メディアの素材ではなくなるのと同時に、人びと異常な興奪も急速に冷却した」と述べている。この分析は妥当なものだろう、こうしたメディアによる動員と現実の動員の関係をさらに検討しておくことが今後の課題として残されている。

出典:『きみはオリンピックを見たか』1998年 社会評論社、のちに『絶望のユートピア』(桂書房)収録

主宰者からのお知らせ

弾圧に抵抗した100年前のアーティストたち――エロシェンコと宮城与徳と大杉栄

投稿日:
ふくおか自由学校から転載します。

tytle1.jpgアジア太平洋戦争前から戦中まで、活動家たちは国家権力側に監視され続けました。そんな弾圧のなか、したたかに抵抗をみせた二人のアーティストたちにスポットをあてます。盲目の詩人であるワシリイ・エロシェンコと、沖縄出身の移民青年画家・宮城与徳。更に、恋と革命に生きた大杉栄にもつながるのはアナキズム、そしてエスペラント語。100年前に描かれた言葉やキャンバスが現代に蘇り、希望が投射される時間です。

問題提起 小倉利丸(おぐら・としまる)さん
1951年生まれ。経済学者、評論家。富山大学名誉教授。
専門は現代資本主義論、情報資本主義論。監視社会に対する
批判的な視点から研究・発言を続ける。
著書に『絶望のユートピア』(2017年、桂書房)など多数。

日時   2018年 6月23日(土) 開場13:30、開演14:00、終了16:30

会場   あいれふ視聴覚室
福岡市中央区舞鶴2-5-1 あいれふ8F
福岡市営地下鉄空港線「赤坂駅」3番出口より徒歩約4分

定員   66名

参加費  一般 1000円   / 学生 500円

申込み方法こちら

PP21 Fukuoka Freedom School

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主宰者からのお知らせ

プロプライエタリ社会をハックする:セキュリティー・エデュケイション

投稿日:

当初、インターネットは社会を変える民衆のツールとして現れたように見えました。しかし、そのツールはどのような使い方も可能なものでした。猛威を振るう資本の流れは、ドットコムバブルを引き起こし、インターネットを資本に取り込んだのです。それは資本と政府が渇望する民衆管理のツールとして発展し始め、SNSの出現によってその能力は飛躍を遂げています。同時にインターネットの自由の保護に邁進する人たちも現れています。その最先鋒である「Electronic Frontier Foundation(電子フロンティア財団)」が進めるデジタル・セキュリティー・ラーニングサイト「Security Education Companion」を参照しつつ、そのノウハウを共有しましょう。

今回のセミナーの内容
・Security Education Companionの解説
・SNSの設定チェック(Facebookの設定)
Tailsの使い方(起動時に行う設定とデータの保存方法)
※PCとTailsのUSBをお持ちください。予備も用意します(USB代実費)。

日 時:2018年5月18日(金)19:00~21:00
場 所:素人の乱12号店|自由芸術大学
杉並区高円寺北3-8-12 フデノビル2F 奥の部屋
参加費:投げ銭+ワンドリンクオーダー
サポーター:小倉利丸、上岡誠二

監視社会

戦争を煽るJアラート

投稿日:

(転載に際しての前書き) 下記の文章は昨年(2017年)10月に執筆したものだ。丁度朝鮮半島情勢が緊迫していた時期に、戦争を煽る国内の動員体制の一貫としてJアラートに関心が良せられていた時期である。その後、朝鮮半島情勢の緊張が大幅に緩和されたにもかかわらずJアラートの体制が一貫して維持されている。こうした現状への批判の意味も含めて以下、文章を転載する。


現在日本政府が国内で対応している有事を前提とした「国民保護」を名目とした動員体制は、法制度の枠組も含めて、実質的には戦時動員体制といっていいものだ。この体制は、ポスト冷戦期のグローバル資本主義による旧社会主義圏と第三世界の統合過程がもたらした地域紛争と切り離せない日本の安全保障政策の変質に結果だが、その淵源は、1999年の周辺事態法に遡ることができる。「国民保護」は、2001年「同時多発テロ」を契機に日本が、対テロ戦争の参戦国として、主としてロジティクスの一端を担うことを鮮明にして以降の日米同盟の質的な変化に対応した国内体制の整備であった。法制度でいえば、2003年以降たてつづけに成立した武力攻撃事態対処関連法、有事法制関連法などだが、国民保護法(2004)もまた有事関連法に位置付けられて成立し、Jアラートはこの国民保護法を根拠として制度化された。

 

自然災害と戦争を同じ「災害」の枠組のなかで捉えて、「防災」という概念で一体化する動きは、国民保護法の制定以降顕著になってきた。そして、ここ数年、朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮と略す)によるミサイル発射実験のたびに、防災訓練などが、一気に戦争を前提とした戦災訓練へと転換してきた。毎年91日を防災の日として、この時期に繰り広げられてきた自衛隊、消防、自治体、学校、地域住民の防災組織やボランティア組織による防災訓練も、北朝鮮のミサイルへの対応を公然と掲げたミサイル防災の様相を帯びた。これまでも「防災」体制は、一貫していわゆる北朝鮮の脅威を口実として、治安維持の性格を色濃くもってきたが、昨年以降、戦争法制の整備とも連動して、自然災害に対する防災という建前をかなぐり捨てて、直截に戦争防災という様相を露骨に示しはじめたように思う。

 

通称「Jアラート」と呼ばれている全国瞬時警報システムは、消防庁が管轄しているにもかかわらず、実態として自然災害よりも治安維持を内包させた戦争対応といった性格を濃厚にもちはじめ、それに連動して消防そのものもまた、治安維持組織の性格を持ちはじめているようにみえる。

 

 銃後動員体制のインフラとしてのJアラート

 

Jアラートは、総務省消防庁側の配信設備で構成される送信局と、都道府県・市町村側の受信局で構成される。ミサイル発射など有事関連は、内閣官房から国民保護関係情報として発信され、気象庁からは気象関係情報が発信される。これらを消防庁が受け、通信衛星(SUPER BIRD B2)経由で各自治体などに配信する。その後、自治体などへの配信には、通信衛星に加えて、かの悪名高いマイナンバーカードの管理システムなどを担う地方公共団体情報システム機構が運営する総合行政ネットワーク(LGWAN)とインターネットの地上回線も加えられる。各自治体などの受信局設備でこれらの情報を受け、市町村防災行政無線、ケーブルテレビ、コミュニティFMなどに自動起動装置を介して住民に配信される。気象庁からは携帯電話会社を通じて、エリアメール、緊急速報メールが配信される。これを数秒から数十秒以内に実現しようというのがJアラートの目論見だ。

 

Jアラートと総称されているシステムは、実際にはいくつかの独立したシステムから構成されている。内閣官房からの「国民保護情報」と気象庁の災害情報それぞれが独立して有している監視と情報発信のシステム、これらを統合して運用する消防庁のシステム、通信衛星やLGWANなどを介して各自治体が受信するため受信システム、そして、この受信システムからの情報を受けて、情報の種別に応じた処理を行なうシステム、そして情報を受信すると自動的に起動して住民へ情報を配信するシステムなどに分けられる。これらのシステムは、誤作動やシステムの不具合がこれまでもあったように、決して単純な仕組みではない。

 

Jアラートの受信システムは、現在民間企業3社、センチュリー、理経、そしてパナソニックの寡占市場である。受信システムは、ミサイル発射などへのより迅速な対応のためという理由で、来年システム更新があり、パナソニックはこの市場から撤退すると言われており、将来的にはセンチュリーと理経の二者のみが受信システムを販売することになりそうだ。報道によれば現行機種は19年度以降、現行の受信システムは使用できなくなるというから、全ての自治体はシステムの更新投資を余儀なくされる。売り手にとっては、極めて旨味のあるビジネスになる。これまでも全ての市町村にもJアラートを配備するために、国の全額補助などが行なわれてきているので、受信システムメーカーの利権は大きい。適正な価格での市場競争などありえようもない寡占市場だから、まさに戦争や危機で越え太る死の商人が、戦場の兵器だけでなく、銃後の動員体制でも遺憾無く発揮されているといえそうだ。

 

災害から戦争対応へ

 

Jアラートは、設置当初自然災害への緊急避難対応を主とする位置付けだった。瑣末なことのようにみえるが、消防庁はこのシステムを立ち上げる際に「全国瞬時警報システム(J-ALERT)は、津波警報や緊急地震速報、緊急火山情報や弾道ミサイル情報といった対処に時間的余裕のない事態が発生した場合に、通信衛星を用いて情報を送信し、市町村の同報系防災行政無線を自動起動することにより、住民に緊急情報を瞬時に伝達します。」と述べていた。(『全国瞬時警報システム(J-ALERT)についての検討会報告書、実証実験結果及び標準仕様書』2006)

 

ところが最近では「弾道ミサイル情報、津波警報、緊急地震速報など、対処に時間的余裕のない事態に関する情報」というように弾道ミサイルがまずトップに表示されるようになった。いわゆる武力攻撃や有事といった事態で想定されている項目がいくつかあり、航空攻撃情報、ゲリラ・特殊部隊攻撃情報、大規模テロ情が列挙されているが、ミサイル以外の他の項目が「攻撃」を想定しているのに対して、弾道ミサイルに関してだけは「攻撃」の文言がない。そのためにミサイルに関しては、実験であれ演習であれ、攻撃でなくとも攻撃同様の緊急避難の体制をとることになる。このセコい制度上の些細な文言に、実はこのシステムの本質が図らずも露呈している。すなわち有事に対応するための、避難と動員を一体化させて、この枠組に地域住民の草の根の組織から巻き込むということである。そして、実際に、攻撃とも言い難いミサイル発射をあたかも「攻撃」ともみまがう不安と恐怖を煽ることで北朝鮮への敵意を醸成するための格好の口実として利用してきた。こうした動きに、冷静な状況判断をなすこともなく、自治体や企業が半ば自発的に巧妙に同調してきたといえる。

 

他方で、Jアラートでは、原発への攻撃や火災は想定されていても、現実に最も可能性の高い原発事故については例示すらされていない。自然災害と国民保護法が前提している武力攻撃事態のいずれにも該当しないからなのだろう。これまでの災害の実害からすれば、原発事故は地震とも連動する最も深刻な被害をもたらし、繰り返し人災としての事故を起してきたにもかかわらず、まるで原発事故など皆無であるかのような対応である。消防機関と原子力事業者との消防活動に関する連携強化のあり方検討会の「消防機関と原子力事業者との消防活動に関する連携強化のあり方検討会報告書」(http://www.fdma.go.jp/neuter/about/shingi_kento/h28/renkei_kyouka/houkoku/houkoku.pdf)をみても、原発火災を中心とした対応しか検討されていない印象が強く、とうてい東日本大震災と原発事故を正面から総括しているとはいいがたい。火災や自然害とは全く無関係といってもいい「国民保護」への消防庁の力の入れようはかなり異常なものと映る。まるで自衛隊や警察と一体となった治安機関であるかのようですらある。

 

ミサイルによる被害よりも交通事故で死亡する確率の方が格段に高いにもかかわず、この異常な危機の扇動は、言外に、日本の世論を感情に北朝鮮敵視へと誘導することになる。戦争に踏み切ることをより容易にし、改憲を必要とする立法事実を演出する上で、Jアラートは格好の舞台装置となっている。

 

戦争を回避不可能な天災とする発想

 

「国民保護」は、外部からの武力攻撃が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態(武力攻撃事態)と、武力攻撃の手段に準ずる手段を用いて多数の人を殺傷する行為が発生した事態又は当該行為が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態(緊急対処事態)に分けられている。武力攻撃事態の例示としては、着上陸侵攻、ゲリラ・特殊部隊による攻撃、弾道ミサイル攻撃、航空機による攻撃などであり、緊急対処事態の例示としては、原子力事業所等の破壊、石油コンビナートの爆破等、ターミナル駅や列車の爆破等、炭疽菌やサリンの大量散布等、航空機による自爆テロ等が挙げられている。(消防庁国民保護室「国民保護のしくみ」、消防庁ウエッブサイトから)こうした事態を一括して「武力攻撃災害」という珍妙な命名で「災害」と位置付けている。こうして戦争はあたかも天災であるかのように扱われることになる。

 

災害には幅広い意味があるが、災害基本法では異常な自然現象又は大規模な火事など自然災害を指すものとして定義されていた。こうした定義が明らかに、1990年代以降変質した。自然災害そのものも文字通りの意味で「自然」に起因するとはいえない事態であることは、気候変動が深刻化したり自然破壊という人為的な原因を抜きには語りえないことは明らかとはいえ、武力紛争や戦争は、意図的に災害をつくりだすことを目的とした行為であって、意図せざる副作用などといったものではない。にもかかわらず、台風のような自然現象は避けることができないように、戦争もまた避けようのない事態であるかのような認識を前提とした制度が国民保護法制なのである。

 

国民保護法制には、救援、救助、避難などについて国民への協力要請と称する事実上の動員の心理的な圧力も明文化され、地域防災組織やボランティア団体への支援もまた定められている。Jアラートは、こうした「国民保護」法制の枠組のなかで、これを具体的に実施する上で、必要になる緊急避難などの行動へと住民を誘導するためのインフラであるが、同時に、このシステムは、繰り返し避難訓練などにも用いられたり、今回の北朝鮮ミサイル発射に際しても発動されるなどを通じて、ある種の積極的な参加型プロパガンダの手段としても機能している。人々は、日常的に、マスメディアなどを通じて、北朝鮮への敵視感情が繰り返し醸成されるような環境に置かれているが、こうした受け身の態度からJアラートは必要な行動へと人々を促す効果をもつ。

 

実際、官民あげてのヒテリックなミサイル恐怖症を煽るような行動がとられてきた。JR東日本は列車を止め、文部科学省は、ミサイル発射の度に自治体の教育委員会を通じて小中学校など教育機関に注意喚起の通知を出し、一部の学校では休校などの措置がとられた。そして自治体レベルでのミサイル発射を想定しての避難訓練が頻繁にみられるようになってきた。

 

戦争を煽るJアラート体制への抵抗

 

北朝鮮のミサイル発射に対して、この国の住民たちに与えられた選択肢は、戦争を前提とした避難だけで、戦争を回避するという最も重要な選択肢は―あたかも台風が避けられないのと同じように―最初から放棄させられている。政府は、憲法が義務づけている国民の財産と安全を確保するために必要な措置をとっているかのような装いをとって、防災体制を正当化するが、むしろ戦争を煽る効果に軸足がある。というのも、政府はもっぱら北朝鮮に対する人々の不安感情を煽ることによって、軍事的緊張を正当化することしかしていないからだ。国民保護法制そのものが戦争(武力攻撃事態)を想定しての体制であるから、相手国にとっては、戦争を挑発されているに等しく、戦争準備のための国内体制であると解釈されてもおかしなこととはいえない。こうなればなるほどますます軍事的な緊張が高まることになる。しかも、「国民保護」の名目は、あくまで攻撃の主体は北朝鮮など他国であって、日本は一切の武力行使の挑発行為には加担していないかのポーズをとることのよって、正義の仮面を被りつづける。しかし、現実の東アジア情勢を客観的にみれば、朝鮮戦争の休戦以降、米軍は朝鮮半島から撤退せず、韓国と日本の米軍が恒常的に北朝鮮に対して挑発的な軍事演習などを行ない、日本もまた戦争のロジスティクスの一端を担ったり、あるいは偵察衛星を打ちあげるなどの挑発を繰り返してきた。挑発は双方にあるにもかかわらず、、日本のメディアは日本や米国の挑発を挑発とは報じない。東アジアからの米軍の撤退なしに北朝鮮に核の放棄を迫ることが地域の紛争解決をもらすとはとうてい思えない。

 

だから、本来、平和を希求する人々がこのような国民保護法制の制度に組み込まれることを拒否する態度をとることが重要なのだが、地域でも職場でも、徐々に国民保護体制への巻き込みが進んでいる。たしかに、現状では、Jアラートは半分笑い話のようでもあり、各自治体などのミサイル避難訓練や学校の休校措置なども、過剰反応ではないかという素朴な実感をもつ人々も少なくないが、こうした動員体制は、マニュアル化され、各組織ごとに詳細な防災計画が策定され、担当者が置かれることによって、動員が「仕事」とされ、万が一被害があったときの責任問題を恐れて、各組織ともに過剰な同調行動ばかりが促されて、こうした危機扇動体制への疑問や批判の意思表示すら抑え込まれる雰囲気が蔓延しはじめている。他方で「北朝鮮は何をしでかすかわからない国」という「話し合ってもムダ」とい感情的な嫌悪と不安の感情も広くみられるように思う。こうした感情がヘイトスピーチや排除だけでなく、文字通りの「戦時」となれば、暴力的な敵意にすらなる危険性がある。米国は真珠湾攻撃の後、本土への攻撃はなかったものの、米国在住の日本人をことごとく収容所に収容したように、具体的に目の前には危険な事態などなくとも、排除と敵意は、権力者が煽る不安に支えられて拡大する。その結果として、レイシズムをナショナリズムの名において正当化するような事態が起き、敵対的な感情の対立が、東アジア全体の民衆相互の分断ばかりか、国内の民衆相互の分断と敵対関係を形成し、こうした事態が治安維持活動に口実を与え、警察権力の肥大化に帰結する。こうし一連の動きにJアラートのようなアクティブ型の動員・誘導のシステムは最も効果を発揮してしまうかもしれない。

 

武力攻撃事態や有事への対応などという事態を想定することが現実主義的な政策対応だという誤った考え方がある。しかし、いかなる意味においても、国家が軍事力に依存した解決を図るとき、人々の安全が保障されたためしはない。この列島に暮す人々の安全と安心を確保するための必要条件は、この地域の軍事的なリスク要因を除去すること以外になく、それは、この地域からの米軍の撤退と日本国家の非武装という戦後のラディカルな平和主義が掲げた原点を堅持すること以外にない。どのような事態になろうとも、私たち一人一人が、政府の政策や思惑への同調を拒否して、武力行使は私たちの選択ではないという立場を堅持するという反戦平和運動の原則が再確認されるべきだろう。

(初出『季刊・ピープルズプラン』78号 2017年11月)

 

主宰者からのお知らせ

集会ご案内:5月12日(土)「安倍改憲」と「祝・明治150年」問題

投稿日:

手前味噌ですいません。以下、主催者からの案内を転送します。
お近くの方は是非いらしてください。わたしは憲法学者ではないので憲法
学的な話は一切しません。(できません) 突っ込みどころ満載な話しにな
ると思います。

2018年度 第1回「集い」 ご案内
「安倍改憲」と「祝・明治150年」問題
「安倍改憲」の強い意欲と、この「明治150年記念」キャンペーンをつなぐ串刺しは何?何やらら「におい」を感じませんか?
憲法記念日後ですが、論説・問題点指摘をいただき、共に考え交流してみませんか。
ぜひ、ご参加を!
■日 時 5月 12日・土  13:30~16:30
■場 所 市川市文化会館(下図参照) 第5会議室
■お 話 小倉利丸さん (富山大学名誉教授)
<プロフィール> 1951年~  東京都生れ 法政大学卒 東大大学院経済学研究科中
退 経済学者(現代資本主義論) 現代社会論研究者 教育者 評論家
富山大学経済学部教授(2005年~)
(著書)「多様性の全体主義・民主主義の残酷 9・11以降のナショナリズム」(2005年 インパクト出版社)「抵抗の主体とその思想」(2010年 インパクト出版社)  <共著>「東アジア 交錯するナショナリズム」(2005年 社会評論社) <編著>「危ないぞ!共謀罪」(2006年 樹花舎)

◇資料代   500円     4/19現在、安倍首相(内閣)の
「行政私物化」汚濁、官邸一強に蠢く財務省の「忖度政治」、防衛省の
「公文書」隠蔽他のモラルハザード等が、自浄作用の力なく多くが外部か
らの指摘が風穴を開けるという無様を晒し、「内閣総辞職も時間の問題」
との声も上がる情勢に。その渦中の安倍首相が政治的意欲を燃やし続ける
「憲法改悪」のタイムスケジュールが公表され、とりわけ「9条改悪」
(「新安保法制」下の現自衛隊の明文化)の是非が、私たち国民ひとりひ
とりに問われようとしています(国民投票)。安倍首相の「改憲」論拠は、
一貫して「戦後レジュームからの脱却」(=押し付けられたとする現「日
本国憲法」の否定)にあり、その基本理念は2012年の「日本国憲法改
正草案」に如実であり、「明治憲法」復活を想起させる内容と言えます。
その一方で安倍政権は今年、大々的な「明治150年記念事業」を計画し
ているといいます。官邸HPには「明治以降の歩みを次世代に残すことや、
明治の精神に学び日本の強みを再認識することは、大変重要なことです。」
「次世代を担う若者にこれからの日本の在り方を考えてもらう契機とす
る。」などとあります。

主催・戦争はいやだ!市川市民の会

共謀罪

声明 知的財産戦略本部・犯罪対策閣僚会議による「インターネット上の海賊版サイトに対する緊急対策」に反対する。

投稿日:

以下、JCA-NETの声明を転載します。海賊版サイトへのブロックの問題はこの声明のなかで指摘されていますが、こうしたブロックが公権力とプロバイダーによって恣意的に行なえる土台が構築されかねない極めて危惧すべき政策だと考えます。


声明
知的財産戦略本部・犯罪対策閣僚会議による「インターネット上の海賊版サイトに対する緊急対策」に反対する。
2018年4月23日
JCA-NET理事会
東京都千代田区外神田3-4-10 神田寺ビル4階D
問い合わせ先
小倉利丸(理事)
toshi@jca.apc.org

4月13日、政府の知的財産戦略本部・犯罪対策閣僚会議は「インターネット上の海賊版サイトに対する緊急対策(案)」を公表した。(以下「緊急対策案」と呼ぶ)

この緊急対策案は「昨今運営管理者の特定が困難であり、侵害コンテンツの削除要請すらできない海賊版サイト(例えば、「漫画村」、「Anitube」、「Miomio」等のサイト。)が出現し、著作権者等の権利が著しく損なわれる事態となっている」と現状を分析した上で、「インターネット・サービス・プロバイダ(lSP)等による閲覧防止措置(ブロッキング)を実施し得る環境を整備する必要」を提言するものになっている。

「緊急対策案」は、ブロッキングが憲法第21条第2項、電気通信事業法第4条第1項に定められている「通信の秘密」条項を「形式的に侵害する可能性がある」こと、また憲法21条の表現の自由への影響を「懸念」するとした上で、敢えて刑法でいう緊急避難(刑法第37条)に該当する案件であるとして、「違法性が阻却」されるという立場をとった。

JCA-NETは、この緊急対策案に対して明確に反対の態度を表明するとともに、この緊急対策案の撤回と、ブロッキングを合法化する法整備に反対する。以下、その理由を述べる。

(1)憲法で保障されている私たちの権利を侵害する政策であること。「緊急対策案」は、政府が自らの政策の策定によって憲法に保障された基本的人権を制約できるという憲法理解を前提にしている。政府は、憲法が定めている私たちの基本的人権としての通信の秘密や言論・表現の自由を尊重すべき義務を負うにもかかわらず、むしろ、その義務を放棄し、逆に私たちに権利の放棄を強いるものである。「海賊版」問題が現在いかなる状況にあろうとも、私たちの通信の秘密や言論・表現の自由を制約する理由にはならない。

(2)ブロッキングはアクセスの犯罪化に道を開きかねない。「緊急対策案」は、いわゆる「海賊版」サイトの閉鎖やコンテンツのアップロードの犯罪化ではなく、アクセスするユーザをブロックという手段を用いて事実上の行政処分と同等の効果を持たせようとしている。海賊版対策としてウエッブサイトを停止させる強制措置は、米国で2011年にSOPA法案(Stop Online Piracy Act、海賊行為防止法案)として立法化が図られたが、検閲に反対する大規模な運動が国際的に起き、頓挫した経緯がある。日本政府はこの経験を踏まえて、米国などに拠点を置くサイトを標的にするのではなく、日本国内のユーザをターゲットにしてその権利を制限する措置にでた。日本政府に従順なISPと市民的自由の権利意識が低いこの国のユーザたちなら容易に飼い馴らせると踏んだに違いない。なんとも馬鹿にされたものだ。日本のユーザは怒らなければいけない。アクセスは権利であり犯罪ではない。アクセスのブロックこそが憲法に保障された権利を侵害する権力犯罪である。

(3)ISPに違法行為を行なわせ、政府の管理下に置く政策である。「緊急対策案」は、ブロッキングをISPなど「あくまで民間事業者による自主的な取組として、民間主導による適切な管理体制の下で実施されること」としているが、これはISPを政府の管理・監督下に置く体制を構築することになる。ISPは憲法と電気通信事業法が保障している私たちの通信の秘密を遵守する責任を負う。ISPが逆に、この責任を放棄させられて通信の秘密を侵害し検閲行為を行なうことになれば、明かな違法行為の当事者となる。政府公認の犯罪がまかり通ることになる。ISPはユーザのプライバシーや通信の秘密を技術的にも保障すべきであり、政府の検閲の手先となるような政治的な圧力に屈するべきではない。

(4)ネットアクセスの監視を恒常化させ、自由なコミュニケーションを阻止することになる。サイトブロッキングでは、ネットのサイトアクセスをISPが監視し、違法性のあるコンテンツへのアクセスを検知した場合に、当該サイトへのアクセスをブロックすることになる。ISPは常時ユーザの行動を監視する一方で、アクセス先のコンテンツの違法性を判断してブロックを実施する。どのサイトを違法と判断するのかを個々のISPに委ねることは現実的ではないから、結局は政府が著作権等の業界団体を巻き込みながら、違法サイトの判断において主導権を握ることになるだろう。個々のISPは、政府や業界団体の指導のもとでユーザを監視する役割りを強いられる。このような体制のなかでユーザは、常に契約先のISPに監視の目に不安が感じなければならず、ネットにおける自由なアクセスやコミュニケーションを阻害されるようになるのは明かだ。

(5)ISPはユーザのプライバシー情報を政府に提供する目的で保有せざるをえなくなる。通信の秘密を保持するために、ISPは必要のないユーザの個人情報を保持すべきではない。しかし、ブロッキングが実施されることになれば、ISPは将来の訴訟等を前提にしてユーザのアクセスログなどを蓄積しなければならなくなる。しかも、このプライバシー情報は、政府や捜査機関等に開示することを目的として保持するということになる。言論・表現の自由は権力に対してプライバシーの権利、コミュニーションの自由が確立していることが大前提である。政府によるプライバシー情報の把握体制は、この前提そのものを崩すことになる。

(6)監視のない自由なコミュニケーション技術もまた規制される可能性がある。この制度が実効性をもつためには、ISPがユーザの行動を把握できないような技術をユーザーが用いることを規制する方向へと向いかねない。VPNの利用や端末間(エンド・ツー・エンド)の暗号化された通信、アクセス先を秘匿できるネットワークサービスなどがことごとく規制される恐れがあるなど、政府が把握できないようなユーザのネットでの行動が網羅的に規制されるか違法とされる恐れがある。

(7)より一般的なサイトブロッキングに道を開く危険性がある。サイトブロッキングはこれまで児童ポルノに限定されてきたが、それが今回は「海賊版」に拡大されたのであって、こうした規制拡大の傾向を踏まえると、サイトブロックの手法が今後も更に拡大される可能性があると言わざるをえない。「緊急対策案」は、当面の措置として、「『漫画村』、『Anitube』、『Miomio』の3サイト及びこれと同一とみなされるサイトに限定してブロッキングを行うことが適当」としているが、将来はこの限りではない。政府は、刑法の緊急避難条項を拡大解釈し、司法の判断も立法措置もなしで、政府が独断で違法と判断したサイトへのアクセスをブロックできるとした。これは、緊急避難条項の拡大解釈であり、法の支配をないがしろにする行政府の明かな暴走である。現政権は、権威主義的な改憲、秘密保護法、安保関連法制などの戦争法制、盗聴法の改悪、共謀罪新設、2020年の東京オリンピックを念頭においてのサイバーテロ対策など、立て続けに人権をないがしろにする法律や政策を打ち出している。共謀罪のようなコミュニケーションの犯罪化の法律を念頭に入れたとき、また世界各国の独裁的権威主義的な政府のネット規制の現状を踏まえたとき今回の海賊版問題への対処と同様の手段を用いて、違法行為の疑いを理由に、政府への異論や反対運動がブロックされる恐れがある。

(8)「緊急対策案」は政府の人権侵害を正当化し、憲法をないがしろにする法制度への道を開く。政府などの公権力による干渉や監視によって、その自由が侵害される危険性がどこの国でも高まってきている。インターネットにおけるコミュニケーションの自由は、ISPが通信の秘密を遵守しユーザのプライバシーの権利を最優先とすることでその自由なコミュニケーションが保障されるものだ。しかし、この体制は、公権力による介入や干渉に対しては脆弱だ。「緊急対策案」はまさに、コミュニケーションの自由を侵害する典型的な公権力による介入である。緊急対策として導入された制度が既成事実となり、それが立法事実としての口実を与え、結果として憲法をないがしろにする法制度を正当化する恐れがある。このような一連の流れに道筋をつけさせないためにも「緊急対策案」には断固として反対する。

以上の声明は下記を参考にして作成された。

知的財産戦略本部
第4回 検証・評価・企画委員会『模倣品・海賊版対策の現状と課題』内閣府 知的財産戦略推進事務局
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/tyousakai/kensho_hyoka_kikaku/2…
「インターネット上の海賊版サイトに対する緊急対策」(案)(概要)
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/180413/siryou1.pdf
「インターネット上の海賊版サイトに対する緊急対策」(案)
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/180413/siryou2.pdf
インターネット上の海賊版サイトに関する進め方について別ウィンドウで開きます
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/180413/siryou3.pdf

各団体が出した声明
一般社団法人インターネットユーザー協会
主婦連合会
「政府による海賊版サイトへのブロッキング要請に反対する緊急声明」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1804/11/news113.html

一般社団法人インターネットコンテンツセーフティ協会
(理事団体)
一般社団法人日本インターネットプロバイダー協会
一般社団法人テレコムサービス協会
一般社団法人電気通信事業者協会
「著作権侵害サイトへのブロッキングに関する声明」
http://netsafety.or.jp/news/info/info-026.html

一般社団法人モバイルコンテンツ審査・運用監視機構
「インターネット上の漫画海賊版サイトのブロッキング要請に対するEMAの意見」
http://www.ema.or.jp/press/2018/0411_01.pdf

情報法制研究所(JILIS)
「著作権侵害サイトのブロッキング要請に関する緊急提言の発表」
https://www.jilis.org/pub/20180411.pdf

共謀罪

私たちのサイバーセキュリティを! 共謀罪で萎縮しないための実践セミナー

投稿日:

以下の文章は4月2日に開催された同名の集会で配布したものです。発言の機会を与えてくださった主催者に感謝します。

1 はじめに

共謀罪反対運動は、下記のような批判を共謀罪に投げかけてきました。

「普通の市民団体や組合が組織的犯罪集団に!!
政府・法務省は、共謀罪はテロリスト集団や組織的犯罪集団が対象であり、普通の団体には適用されないといっていますが、これはウソです。法案には組織的犯罪集団とはどういう集団なのかなどの規定はありません。市民団体、組合、会社などの団体のメンバーが一度共謀したと判断されればその団体は組織的犯罪集団とされます。共謀罪は思想・意見・言論を処罰し、結社=団体を規制する、現代の治安維持法です。(2017年4月6日 日比谷集会呼びかけ)」

わたしは、こうした反対運動が提起した共謀罪反対の危惧を、共謀罪推進側が言うような、単なるプロパガンダだとは考えていません。皆さんもまたそうだと思います。わたしたちが市民的な自由や人権のために闘えば闘うほどわたしたちは組織的犯罪集団とみなされることになる。そうした環境のなかにいるのだ、ということを冗談でも誇張でもなく受け止めて、闘い方に創意工夫をこらすことが必要になってきたのです。

1.1 治安維持法の時代との違い

共謀罪は治安維持法の再来として批判されてきましたが、実態は戦前とはかなり違ってきています。特に、インターネットなどのコンピュータを介したコミュニケーションが与える影響は戦前にはないものです。実世界の私たちの行動にへばりついて、四六時中監視することはさほど意味のあることとは考えられません。私たちがどこにいるのかは、尾行しなくても常時持ち歩くスマホのGPSが教えてくれます。車に載ればNシステムが追跡する。ネットのメールやSNSでのコミュニケーションは通信事業者のログでほぼ把握できます。ウエッブで内閣、警察、自衛隊から企業までどこをチェックしても、必ず相手のサーバはこちらの行動を伺う技術を持っています。街中の監視カメラも次第に、ネットワーク化され、顔認証システムが搭載され、データベースと連動するようになっています。

膨大なデータを処理するのも人間ではなくコンピュータです。たった1ギガのメモリに日本語A4で40万枚から100万枚もの文書が収録できるのです。8ギガのメモリがたったの1000円程度です。しかも、政府やマスコミが警鐘を慣らす「サイバー攻撃」なるものの攻撃者になっているのは、どこの国でも政府、警察、軍隊であり、その攻撃の的は国内にいる反政府運動活動家や人権活動家なのです。

1.2 共謀罪でどのようにリスクが拡大したか

共謀罪は思想・信条を処罰する法律です。共謀罪の処罰を恐れて、私たちが思想・信条を曲げたり、反政府運動から撤退するようなことがあってはならないわけですが、同時に、共謀罪の成立によって、従来であれば違法とはみなされなかった事態が違法とされるために、捜査機関による捜査や検挙といった弾圧の可能性が拡がったことも事実です。共謀罪が前提にしているのは、会議などの議論が政府にとって不都合な異議申し立てや反政府運動などに繋ることを恐れています。他方で私たちは、行動の正当性を確保するために、仲間や多くの人たちと議論を重ね、合意を形成する過程を大切にしなければなりません。

もし、捜査機関などが、共謀罪の捜査を口実に、私たちの会議や議論の場に同席することがあるとしたら、私たちはそれでも自由な議論ができるでしょうか。言うべきことも言えなくなって沈黙する人、会議などにそもそも参加することを躊躇する人、権力の顔色をうかがいながら権力におもねるような発言をする人など、議論そのものが自由であることを阻まれて歪められるのではないでしょうか。もちろん、警察がいようといまいと、検挙される危険があろうとも、自由に自分の意見を言えるタフな人もいるに違いありません。しかし、多くの人々はそれほどタフではないのではないかと思います。

1.2.1 匿名であることの大切さ

たとえば、選挙の場合を考えてみましょう。私たちの社会では思想・信条の自由が憲法で保障されているにもかかわらず、選挙で誰に投票したのかを人に知られないように無記名で投票します。なぜ正々堂々と自分が誰に、あるいはどこの政党に投票したのかを言えないのでしょうか。自分の思想・信条を自由に表明し、その結果としていかなる意味でも社会的な不利益を被ったり差別や偏見にさらせれない社会ができない限り、無記名投票は民主主義を支える重要な条件です。「匿名」であることが自由を保障する重要な前提条件であるということは、選挙だけでなく一般に言いうることです。

あるいは、マイナンバー制度のように個人のプライバシー情報を網羅的に把握可能な仕組みは、思想・信条の自由など基本的人権が保障されているのであれば、政府がどのような個人情報を把握しようとも恐れることは何もないと言えるでしょうか。

1.2.2 萎縮効果は厳しいものがある(たとえばデモの場合)

あるいは、日本では、デモをするときに「デモ申請」なる手続を警察にする必要がありますし、デモコースやデモの時間、デモの隊列の組み方などをこと細かに指定されます。本来、デモも言論・表現の自由に属することですから、こうしたデモ申請という手続きやデモの規制は人権侵害ですから、こうした人権侵害のルールは無視してもいいはずです。しかし、実際にはなかなかそうはならず、無届けデモによる弾圧を恐れて(萎縮効果ですが)、デモ申請をし、デモの主催者もまたデモの参加者にルールを守らせるための一定の秩序維持の体制をとります。このように、私たちの自由は、憲法が謳うほど確固たるものではありません。非常に脆弱で、萎縮効果を繰り返し受けながらじりじりと自由の領域を狭めるように後退してきたのではないでしょうか。

1.2.3 警察の監視下で自由な議論はできない

このように、共謀罪がない時代であっても、萎縮しないで闘うことは決して容易なことではありませんでした。萎縮しないで闘うことは、決意表明の問題ではないと思います。今まで以上に厳しい状況を耐えながら断固として闘い続けることが必要になってしまえば、運動は大衆化せず、戦闘的な活動家たちが大衆から孤立して闘うことしか残されなくなります。社会を変える運動が大衆的な広がりを獲得するには、人々が自由闊達に、政府や権力や権威を批判あるいは否定し、未だ実現しえない社会を構想しながら、政府に対抗する日常生活の場を創出できなければなりません。このような議論の場を政府や警察の監視や圧力によって歪められないように防衛することは、私たちの基本的人権を確実なものとするために必要なことです。そして、その防衛の手段と方法は、政府や警察がどのような強制力をもって私たちの自由を奪いうるのか、という彼らの力の基盤によって規定されます。共謀罪がない時代と比べて共謀罪がある時代は、私たちがとるべき防衛の手段もまた、この悪法による影響を排除するための、今まではさほど重要とは思われなかったような条件を念頭に置いて再構築することが必要になります。

2 ネットやパソコンによるコミュニケーションと共謀罪

共謀罪の容疑を裏付けるためには、捜査機関は、実行行為以前の「話し合い」の段階での情報収集を行なう必要があります。「話し合い」の内が共謀罪に該当するのはかは、まだ検挙、起訴、裁判の実績がないので不明ですが、捜査機関や検察、裁判所が決めることになり、私たちは、「もしかしたら共謀罪で立件されるかもしれない」という不安を持てば、それが萎縮に繋ります。

2.1 これまでの捜査機関の強制捜査を踏まえると…

会議、メーリングリスト、メールでの意見交換などは一体のもので、ネットでのコミュニケーションと現実に顔を合わせての会議とが有機的に組合されて実行行為に必要な合意形成が行なわれると思います。これらの議論全体が捜査機関によって共謀を裏付ける証拠として強制捜査や潜入捜査、監視や盗聴の対象になるでしょう。裁判所もまた、共謀罪を前提として、強制捜査の令状を幅広く発付するでしょうから、共謀罪によって捜査機関は広範囲にわたって従来にはない捜査権限を手にすることになります。

従来から捜査機関による捜査の常套手段として次のようなことが行なわれてきました。

  • 家宅捜索におけるパソコン、住所録、メモなどの押収
  • 集会会場などの張り込み(場合によっては潜入)
  • デモでのビデオや写真撮影
  • 尾行
  • 職場などへの嫌がらせ的な聞き込み

以上のような捜査機関の行動は私たちにもある程度把握できますが、把握できな活動として以下の活動が行なわれています。

  • 盗聴法に基く通信の盗聴
  • プロバイダや金融期間などが取得している個人データの取得(任意あるいは令状による)

これらは、いずれも捜査に協力した(させられた)通信事業者は、当該のユーザに捜査機関による捜査があったことを告知してはならないという守秘義務が課せられるので、私たちには全く知らされません。これらを通じて、従来の捜査では、活動家の人間関係を洗い出すこと、住所録などから、職業や住所などの個人情報を取得すること、組織での役割りを特定することなどに使われてきたのではないかと推測されます。

2.1.1 捜査機関は共謀罪捜査でどのような「証拠」を欲しがるのか

共謀罪によって、捜査機関は、実行行為そのものだけでなく、「話し合い」が犯罪とされることから、捜査機関はこれまで以上に、保管されているデータの内容に関心をもつようになります。たとえば

  • 会議録や会議メモ どのような議論がなされ、誰が発言したのかなど。音声データがパソコンに残されている場合も多いと思います。
  • メーリングリスト 誰が何を発言したのか。メーリングリストのメンバーはだれか。
  • 会計関連のデータ。誰がカンパや会費を納入しているか。

こうしたデータを相互につきあわせながら、共謀罪に問えるターゲットを絞ることになるのではないかと思います。多分こうしたデータを長い期間にわたって膨大な分量を蓄積してデータベース化するだろうと思われます。ビッグデータの時代ですから、データがいかに膨大であっても、その解析技術も高度化しているので、膨大なデータであること自体は全く支障がありません。

捜査機関は、強制捜査だけでも運動への多きな威嚇になることを知っていますから、共謀罪で立件しないとしても、何年かたって共謀罪で立件されるといった事態になるための証拠を積み重ねるということになるでしょう。

裁判所の強制捜査を拒むことはほぼ不可能でしょう。プロバイダーが私たちの個人情報を提供したとしても、それが法令に基くものなら避けられないでしょう。実はもっと悪いことに日本のプロバイダーは法令に基づかない場合でも、任意で個人情報を提供する余地を残すような曖昧な「プライバシーポリシー」を掲げているのが一般的です。

2.1.2 どのようにして仲間や支援者たちのプリアバシーを防衛するか

私たちのパソコンにあるのは「私」の情報だけではありません。私のパソコンのデータのなかには、私宛に送られてきた知人、友人、あるいは活動仲間のメールや意見、思想・信条にかかわるものの含まれています。こうした第三者の思想・信条を「私」のパソコンを踏み台にして捜査機関が取得することになります。

米国の捜査機関は、捜査対象となっている人物の人間関係を「三等親」まで追跡すると言われています。つまり、私と直接コミュニケーションをとっている相手、その相手がコミュニケーションをとっている相手、さらにその相手がコミュニケーションをとっている相手まで追跡するというのです。たった1台のパソコンから把握できる情報は膨大なものになります。私個人の思想・信条が捜査機関に把握されるだけならいざしらず、何の強制捜査の対象にもなっていない人たちの個人情報まで取得されてしまうことを、萎縮しないで闘うぞ!という決意表明だけで済ますわけにはいかないと思います。

2.2 何がもできないのだろうか?

強制捜査の権限をもつ捜査機関に対して、私たちは何もできないのでしょうか?巨大な権力をもつ監視社会を敵に回して私たちは、それこそ完全に無力なのでしょうか?そうではありません。

2.2.1 私たちがすべきこととは

何はともあれ、私たちが挑戦しなければならないのは、次のような事柄です。

  • 強制捜査を拒否することはたぶんほとんど不可能だろうと思います。パソコンなどの押収は裁判所の令状があれば拒否できないでしょう。しかし、押収されたパソコンのデータに捜査機関がアクセスしようとしても技術的に困難であるような仕組みを使うことはできないものでしょうか?
  • 私たちが知らないうちに、プロバイダーなど私たちが契約している通信事業者が個人情報やメールを提供してしまう場合があります。しかし、捜査機関が押収したメールが捜査機関には読めないというような仕組みを使うことはできないのでしょうか。
  • たとえプロバイダーのメールや個人情報が押収されても、私たちは今まで通り必要な議論や運動のための戦略や戦術を議論しながらも、そもそもそこには肝心の共謀の容疑を裏付けるような捜査機関が欲しがるようなメールやデータが存在しないということは可能でしょうか。

これらはいずれも可能なのです。そしてその可能性については、広く知られてもいます。たぶんこうした技術の利用で最も先端をいっているのは企業でしょう。顧客の個人情報が漏洩しないように防御すること、競争相手から自社の社外秘の技術や経営戦略などを防御すること、国内外の本店と支店などとの間で盗聴などされないでコミュニケーションをとりこと、こうしたことが保障できるコミュニケーションの技術はインターネットのなかに長年にわたって確立されてきています。それを市民運動などは使ってこなかったのです。

2.2.2 世界中の活動家、ジャーナリスト、弁護士などの経験から学ぶ

世界中には、独裁的で抑圧的な国が多くあります。そうした国でもねばり強く抵抗運動を展開する人々や人権活動家、弁護士やジャーナリストがいます。当局の追跡や監視を逃れてネットにアクセスし情報を発信しつづける人々の数は決して少くありません。こうした人々はどうやって自分たちの言論の自由を確保しているのでしょうか?逮捕覚悟で、発信者や発信場所が特性できるような方法で発信しているのでしょうか?敵に知られずに情報発信を持続させることや、コミュニケーションを行動へと繋げる工夫を技術的なことも含めて、皆が必死になって模索しています。こうした人々の経験や知恵に私たちも学ぶべきではないでしょうか。

萎縮しないことは大切ですが、今まで通りの情報発信のスタイルを維持するのであれば、それは、私だけでなく仲間や支援してくれている人々皆をリスクに晒すことになります。こうした仲間を守り、コミュニケーションの回路を確保すること、そのために出来うる最大限のことを実践すること、それが今必要になっていることだと思います。

本日の集会では、次に二つについて、やや具体的にお話をして、当局の監視を排除して私たちの自由な空間を確保するための具体的な方法についても概略をお話します。

2.3 パソコンとネットのセキュリティの基本認識

パソコンであれネットであれ、わたしたちのセキュリティを防衛する手段の基本は、匿名性の確保と「暗号化」です。これ以外の方法はないと思ってください。

パソコンとネットのセキュリティについて次の点を常に念頭に置いてください。

2.3.1 メールは誰でも見ることができる。

宛先の人以外には絶対に知られたくないメールは電子メールで送るべきではありません。電子メールは契約しているプロバイダーのメールボックスに蓄積されます。プロバイダーのメールサーバの管理者はこのメールを読むことができます。インターネットは多くのサーバを経由して世界中と繋っています。場合によっては配送経路の途中で盗聴される危険もあります。

対策としては、重要なメールのやりとりは暗号化するか、自分の契約しているプロバイダーを使わずに、暗号化メールサービスを提供しているサイトを使う。暗号化メールサービスのサイトは世界中にいくつかありますが、以下のサイトは日本語の解説があります。

protonmail

https://protonmail.com/jp/

無料で登録ができます。個人情報は一切必要ありません。パスワードを紛失したときの回復に使うメールアドレスを別途一つ用意する必要があります。

インターネットの途中の経路での盗聴を防ぐ基本的な方法はVPN(バーチャル・プライバシー・ネットワーク)を使うことでしょう。このサービスは、多くの企業などが普通に利用しているものなので、サービスもいくつもあります。

2.3.2 パソコンのデータを暗号化する

パソコンのログインパスワードは気休めでしかない。パソコンの電源を入れたあとで、パスワードを入力しないとアクセスできないように設定していても、これはセキュリティとしてはほとんど意味がありません。このパスワードを回避してデータにアクセスすることは比較的容易です。

パソコンのデータを暗号化するには二つ方法がある。

  • ハードディスク全体を暗号化してしまう。(電源を入れたときに、ハードディスクの暗号は復号化する鍵を入力したあとで、通常のログインパスワードを入力する)
  • 暗号化して保護すべきデータを個別に暗号化する。住所録とか会議録など第三者に見られたくないデータを個々に暗号化する。

上記の二つを併用することもできる。

2.3.3 匿名でネットサーフィンする

インターネットのウエッブにアクセスするときは、かなりの個人情報が相手に取得されていると覚悟する必要があります。テレビと違って、自分の目の前にあるパソコンとアクセス先のホームページを運用しているコンピュータとの間では非常に多くのデータのやりとりがなされています。相手は私の固有名詞を知ることができない場合もありますが(ショッピングサイトでは固有名詞も判明してしまうでしょう)、調べることは不可能ではないと考えた方がいいでしょう。

最も有名な匿名でのウエッブアクセスの手段は、Torブラウザと呼ばれるホームページ閲覧ソフトを使うことだろう。このソフトは捜査機関が「闇サイト」にアクセスするために用いられているなどという風評を流して、その使用を抑制したがっているもの。しかし、これはネットでの尾行を阻止するためには必須の道具でしょう。

3 最後に:実際に日常のパソコンとネットで使えるようになることが大切

共謀罪の「効果」は長期にわたる捜査機関による情報収集と思わぬ時に思わぬ容疑で検挙や摘発へと向う危険性のあるものです。安倍政権が特に危険な政権なのではなく、今後どのような政権になろうとも共謀罪などの治安立法がある限り、警察は私たちへの弾圧の手を緩めることはないでしょう。私たちは、これに対して、出来る限りの方法で私たちの基本的人権を守るための手立てをとらなければなりません。悪法を廃止するには、大衆的な運動が必須です。その運動はどのようなものであれ、明確な反政府運動です。政府に抗うことなしに私たちの権利を回復することはできないからです。そしてこうした運動そのものを潰すことが共謀罪をはじめとする治安立法の趣旨でもあるわけですから、こうした悪法に立ち向かうことができる技術を持つこと必要でしょう。

なによりも、まず、私たちが日常的に使っているネットやパソコンの習慣をこうした共謀罪の時代に対応して変えなければなりません。コミュニケーションのライフスタイルを変えることは実は非常に難しいのです。つい慣れ親しんだこれまでと同じ環境でも大丈夫なのでは、と油断してしまいがちです。

今日の集会が終ってからが本番です。みなさんが帰宅し、まずやるべきは、自分と仲間のコミュニケーションを守り抜くために、できるこを始めることです。暗号化と匿名性を確保したネットとパソコンの利用へと是非一歩一歩進んでいってください。

3.1 (補足)わたしは何をやってきたか

共謀罪が成立して以降、上記のような危惧を抱いてわたし自身がやったことは下記です。(ネットやパソコンに関連して)

  • パソコンのデータのセキュリティの強化。(ハードディクスの暗号化)
  • クラウドサービスの見直し。(Dropboxから有料のTresoritに変更)
  • モバイル環境の見直し(タブレットの暗号化)
  • 暗号化メールサーバのサービスの利用
  • 匿名性を重視したブラウザの導入
  • VPNの導入(有料)
  • 一部のメーリングリスト管理のサーバの引越しと利用頻度の低いメーリングリストの廃止
  • 共謀罪を念頭にしたプライバシーの権利を具体的に防衛するツールの紹介サイトの開設
  • プライバシーとセキュリティについての実践セミナーの開催

まだ取り組めていないこと

  • まだ引越しできていないメーリングリストがある
  • プロバイダーの見直し作業(よりプライバシーの権利を重視するプロバイダーへの変更)
  • 何年も使用していない古いパソコンや記憶媒体のデータの保護措置

まだまだ不十分なのですが、できるところから、ネットの情報を調べたり、セキュリティの本を読んだり、パソコンやネットの初歩的な技術を学んだりしながら、右往左往しながら取り組んできました。

こうしたことは反対運動に取り組んでこられた皆さんそれぞれがなさっていることと思います。本日の集会はこれまでの対抗的な取り組みの知恵を出し合い、知識を共有しながら更に強固な私たちのプライバシーの権利を防衛するための相談の集まりにしたいと思います。

3.2 (補足)anti-surveilanceのウエッブ紹介

 

主宰者からのお知らせ

私たちのサイバーセキュリティ講座 共謀罪で萎縮しないために

投稿日:

市民活動、組合、会社などの団体のメンバーが一度共謀したと判断されれば、その団体は組織的犯罪集団とされます。私たちは、そうした環境の中にいるのだということを、冗談でも誇張でもなく受け止めて、闘い方に創意工夫を凝らすことが必要になってきたのです。

お話し: 小倉利丸さん (おぐら としまる)
批評家。専門は現代資本主義論、情報資本主義論。富山大学名誉教授。
共謀罪に対抗して私たちの自由を防衛するためのサイト
https://antisurveillance.researchlab.jp/
著書:『絶望のユートピア』 (桂書房) 共著:海渡雄一『危ないぞ共謀罪』(樹花舎)

2018年4月2日(月)19:00〜21:00
中野区産業振興センター2階セミナールーム1(45人)

施設概要・アクセス


会場の都合で先着順
資料代:500円
共催:安倍政権にNO!東京・地域ネットワーク
草の根市民広場
問合せ: 090-8311-6678