EFFによる米国保健社会福祉省(HHS)の新たなCOVID-19監視システムへの意見書

米国保健社会福祉省(HHS)はCOVID-19を利用して広範囲にわたる個人情報収集システムを立ち上げています。これに対して、EFFが以下のような意見書を提出しています。訳したのは序文だけで、これには詳細なバックグラウンドについての説明がついていますが、これは訳せていません。日本でもHER-SYSが稼動しており、私は問題が多いのではつ推測しています。EFFの以下の文書は日本でも参考になると思います。
(参考)
EFFのCOVID-19監視社会問題のページ
No to Expanded HHS Surveillance of COVID-19 Patients
https://www.eff.org/deeplinks/2020/08/no-expanded-hhs-surveillance-covid-19-patients

意見書のページ
https://www.eff.org/files/2020/08/17/2020-08-17_-_eff_comments_re_hhs_regs_re_covid_data.pdf

Electronic Frontier FoundationによるSYSTEM OF RECORDS NOTICES 09-90-2001, 09-90-2002に関する見解

Document No: 2020-15380
85 Fed. Reg. 43243 (July 16, 2020)
85 Fed. Reg. 43859 (July 20, 2020)

Electronic Frontier Foundation(EFF)は、政府による疾病監視とCOVID-19に対処するための個人情報の処理に関する2つの記録システム通知(SORN)に応じて、米国保健社会福祉省(HHS)に次のコメントを提出する。通知番号09-90-2002(2020年7月16日)、通知番号09-90-2001(2020年7月20日)を参照

EFFは、メンバーによって支援されている非営利公益団体であり、デジタル時代のプライバシー、市民的自由、イノベーションの保護に取り組んでいる。1990年に設立されたEFFは、デジタル時代の法律の適用をめぐる訴訟および広範な政策論議の両方において、数万人の有料メンバーと一般市民の利益を代表している。EFFは、技術の進歩により政府による監視が強化されている時期におけるプライバシー保護に特に関心をもち、新たな技術が社会に普及するにつれてプライバシーをサポートし、個人の自律を保護するよう政府と裁判所に積極的に働きかけ、異議を申し立ている。

序論
2つの提案された新たなHHSのSystems of Recordsは、すべてのアメリカ人のデータプライバシーに重大な脅威をもたらす。これらは、連邦政府があらゆる種類の個人情報を収集、利用、共有する方法を大幅に拡大し、説明責任、透明性、プライバシーに関するプライバシー法が定めている厳格な義務に明らかに違反している。一般に5 U.S.C.§552aを参照。SORNは、収集されたデータのカテゴリ、データソース、および提案されたデータの日常的な使用法の説明が極めてあいまいである。(注1)したがって、SORNは、どのようなデータが収集されるのか、そのデータがどのように 使用され、誰と共有されるのかをアメリカ人に説明できていない。

(注1)2002年9月90日のSORN、「COVID-19 Insights Collaboration Records」は記録システムであると述べているが、「HHSは、 データベースを研究やその他の公衆衛生活動に使用するときは、個人識別子で記録を取得する計画はない」としている。HHSはデータベースを作成および保守しつつ個人識別で記録を取得するであろうということを前提すれば、HHSが個人IDで記録を取得できる限り、プライバシー法の権利を適用する必要がある。

疑いなく、進行中のCOVID-19危機は、政府の対応が必要であり、そのためには、病気の蔓延に関する確実なデータが必要だ。しかし、HHSは、米国疾病管理予防センター(CDC)が長年運営している連邦政府の既存の疫学データシステムがこの課題に対応していないということを明らかにしていない。SORNで提案されている次のHHSデータ処理は、プライバシーに大きな負担をかけるが、実際の公衆衛生保護には必要でもなければ釣り合いのとれたものともいえない。

・新たなデータ収集。SORNを使用して、身体的心理学的病歴、薬物・アルコール摂取、食事、雇用などに関する個人情報を収集できる。収集データには、「地理空間記録」も含まれる。多くの研究で示さているように、これでは匿名化は不可能である。データは、陽性者だけでなく、家族、陰性者、そしておそらくまったく検査していない人々についても収集される。データは、連邦政府、州政府、地方自治体、その請負業者、ヘルスケア業界、患者の家族など、数え切れないほどさまざまな資料から収集される。
・新しいデータ共有。 SORNを使用すると、これらの膨大なデータを、これまで以上の連邦政府機関、不特定の外部請負業者、さらには「学生ボランティア」と共有できる。この新たに追加されたデータ共有できる連邦機関は、請負業者とデータ共有が許される。この共有に患者の同意は必要ない。
・新たなデータ利用。SORNは、合衆国政府が「関心」を持つ場合はいつでも訴訟itigation「その他の手続き」でを通じてこのデータの利用を許可する(このような利用は現在は、HHSが訴訟の被告の場合にのみ許可されている)。
・新たなデータ保持。SORNは、「重要な歴史的および/または研究的価値」のあるデータの永続的な保持を許可する(現在は保持は4年に制限されている)。

したがって、EFFはHHSがこれら2つのSORNを撤回することを要求する。これらはプライバシー法を厳格に遂行する義務に違反し、公衆衛生上の利益となることも示されずにプライバシーに対する新たな脅威を生み出す。HHSが事案ごとに特定の種類の新たなデータ処理が公衆衛生を前進させ、プライバシー法を順守し、市民的自由に過度の負担をかけないことを示すことができない限り、COVID-19に対処するために、CDCがこれまで公衆衛生の危機に対処するために処理しなかった個人情報をHHSが収集、利用、共有、または保持すべきではなない。

CrimethInc:アナキズム関連をFacebookが禁止に―来るべきデジタル検閲

BLMが収束せず、大統領選挙が近づくなかトランプはますます横暴になっていますが、これにすりよるFacebookはもっと罪深いと思います。以下、CrimethIncの記事を訳しました。

アナキズム関連をFacebookが禁止に
来るべきデジタル検閲

Facebookは、アナキストおよび反ファシストのネット発信プロジェクト(原注)の中でも、彼らがcrimethinc.comおよびitsgoingdown.orgに関連すると考える(注)複数のFacebookページを削除した。
(原注)同じ口実で本日禁止された他のFacebookアカウントのなかには、ミュージシャンのMC Sole、Truthoutの作家Chris Steel、およびヨーロッパのニュースソースであるEnough is Enoughがある。

(注)https://twitter.com/nickmartin/status/1296175961260482560

彼らは、公式には「暴力を支持している」ことを口実にしている。この禁止措置は暴力を止めることとは無関係であり、社会運動とこれを報道するネット発信を抑えつけることがすべてだ。

(注)

ドナルド・トランプは、米国における警察の後をたたない暴力に対する全国規模の抗議の波に対して、一連のソーシャルメディアの投稿で、アナキストと反ファシストを非難し、数か月にわたって取り締まりを要求してきた。10年前、Facebookの代表は、エジプトでの民衆蜂起に果した彼らの役割を誇示していた。現在、積極的に社会運動を論じるネット発信を禁止する彼らの決定が示しているのは、ネットに登場を許される唯一の形態のアクティビスムとは、現在の当局に確実に利益をもたらす役割を果たすことが望まれているというこだ。

https://twitter.com/nickmartin/status/1296175961260482560
(訳注)8月20日、Nick Martinのツィッターのページ。(ここで、Facebookが禁止したサイトに言及されている)

暴力の定義は中立ではない。現在Facebookによる暴力の定義は、警察が年間1000人を殺害し数百万人を強制退去、誘拐、投獄することは合法だというものだ。攻撃者が政府を代表している限り、民間人を爆撃することは合法であり、白人至上主義者が群衆を襲撃するのを阻止したり、警察が撃った催涙ガス弾を警察に投げ返したりするのは「暴力」だとするものだ。体制や白人至上主義暴力からコミュニティを防衛しようとする人々の声を抑圧するのは、暴力を行使する者たちが制度的権力を保持している限り暴力行使を当然だとする意図的な決定だ。

現在の政権を明示的に支持する極右の民間武装勢力militiaとアナキストや反ファシストを一括りにするのは、問題を混乱させる戦略的な動きだ。これは、ウィリアム・バー(司法長官)が自称ファシストと反ファシストの両方を標的とする「反政府過激派」を標的にした司法省のタスクフォースを設置した際に行ったのと同じやり口だ。司法省の場合、極右の攻撃に対してコミュニティ防衛の最前線にいる人々を取り締まる人員や金を要求する口実として極右や民間武装勢力の攻撃を指摘しえた。バーと他のトランプ政権のメンバーは、ブラック・ライブズ・マターの活動家に対しても同様のことを行おうとし、BLMとネオナチスや白人ナショナリストを「人種的動機をもった過激派」として関連付けた。

シャーロッツビルでの「Unite the Right」の動員の最中に、自称ファシストがHeather Heyerを殺害(2017年8月)した後、ソーシャルメディアからファシストや白人至上主義者を排除せよという大きな草の根の圧力が発生した。現在、当時とは真逆にこの圧力は、抗議運動が国家の暴力と抑圧に関する全国的な対話を創出する上で不可欠な時期に、国家機構のトップから来ている。これは、シャーロッツビルのファシストに反対して結集した人々の見解を発表したWebサイトに対する権力からの反撃である。これが数週間の街頭闘争に直面してトランプが連邦の軍をオレゴン州ポートランドに動員した直後で、極右のスポークスパーソンが上院での証言で具体的にcrimethinc.comとitsgoingdown.orgに言及した数日後のことなのは偶然とはいえない。

極右のグループが引き続きFacebookを利用して組織し、COVID-19に関する危険な誤った情報を広めるなかで、Facebookはトランプ政権の合図を優先して反対意見を抑えている。間違いなく、これが問題にならないのであれば、将来はもっとひどいことになる。政府が社会運動を報道するネット発信を取り締まるノが当たり前になればなるほど、こうした検閲は社会のあらゆる部門に浸透し、政府が考え、想像するような事態を具体化するようになる。

この問題についてあなたが危惧するのであれば、このニュースを広く共有できるようあらゆる手段を駆使してほしい。Facebookがあなたに対して何が責任ある言論なのかを決定すべきではない。共に連帯するなかで、私たちは、より良い世界を作り出すことができる。こうした世界は、善意ある誰もが、ファシスト、政府、10億ドル規模の企業が脅したり沈黙させたりすることを恐れる必要のない世界だ。

「CrimethInc、それは、真に自由な社会の詩人や知識人たちだ。アナキストの発信に共通のテーマがあるとすれば、それは組織的暴力やシステムの暴力の脅威が存在せず、また、決してこのような状況が起き得ない社会を夢見ることだ。ここでは、棍棒、銃、爆弾を持つ男のグループが、他の人々を脅すようなことはない。これは正統性のある政治的立場というだけではなく、社会にとって必須であり、本質的かつ必要なものだ。私たちは平和で思いやりのある世界を夢見ることさえ禁じられている、と特に若者たちに語らざるをえないことほど、暴力的なことはない。」
-デビット・グレイバー、:ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス人類学教授、『債務』の著者、Facebook禁止のニュースに応答して。

反ファシストネオフォーク宣言

以下、転載します。

反ファシストネオフォーク宣言

解説:欧米のポピュラー音楽シーンが特に1980年代以降、極右、ネオナチなどによる若者のリクルートの重要な武器になってきたことが知られている。最も有名なのが、スキンヘッズによるOi!と呼ばれる音楽ジャンルだろうが、これに限らず、ロックからポップス、アバンギャルドに至る広範な音楽シーンに極右が介入してきた。なかでもネオフォークと呼ばれるジャンルは、極右の影響を非常に強く受けてきたジャンルとみなされている。実際に音楽の形式は、西欧の様々な非キリスト教的な伝統文化をも包摂しつつヨーロッパの白人文化の優位性をアグレッシブで暴力的なスキンヘッズなどとは逆にロマン主義的な傾向を強くもちながら感情を動員しており、嫌悪よりも情緒的な同調を得やすい音楽形式だ。私は、ヘイトが前面に出される音楽よりも、ネオフォークのような音楽の方が、人々をファシズムの心情に動員する上ではより効果的で厄介な存在だと感じてきた。ネオフォークのジャンルで活動するバンドやファンが皆極右だというわけではない。しかし、非政治的なネオフォークのバンドが無自覚に極右のネオフォークのバンドとコラボレーションしたりする状況や、極右が音楽シーンを主導することによって、若者たちの社会意識に白人至上主義が、非楽人への嫌悪ではなくて、白人ヨーロッパ文化の優位性というロマン主義によって醸成されうる可能性がある。ネオフォークのエンサイクロペディアのような本に、Andreas Diesel, Dieter Gerten, Looking for Eirope, The History of Neofolk, Index Verlag, 2013があるが、この本のなかでは、ネオフォークの源流には、単なる伝統主義的な復古主義があるのではなく、たとえばスロビング・グリッスルのようなノイズ・インダストリアルの源流でもあるバンドの影響もあることがわかかる。ネオフォークの政治的なイデオローグともいえるDeath In Juneは、まさにその典型的な位置を占めていたといえそうだ。Death In Juneとそのアルバムを多くリリースしているSoleilmoonは、米国の人種差別主義と闘うSouthern Poverty Law Centerから名指しで批判されてもきた。そもそもの出自はハイブリッドでありつつ、しかし事実上、白人至上主義という枠組が暗黙の共通項になってきたのがネオフォークの主流のように見なされがちだったかもしれない。ロックには左翼的な反体制の伝統がありつつ、極右ポピュリズムの台頭のなかでSkrewdriverのような極右バンドが登場したのとはわけが違う。ネオフォークにはそもそも左翼というスタンスを明確にしたシーンがほとんど目立たなかったように思う。フォークが60年代のベトナム反戦運動のなかで左翼の文化の一翼を担っていたのに、である。こうしたなかで、ネオフォークシーンから意識的に反ファシストネオフォークを掲げる運動が登場した。昨年のことだろうか。以下は、A BLAZE ANSUZ: ANTIFASCIST NEOFOLK: A BLOG RAISING UP ANTIFASCIST NEOFOLK BANDS FROM AROUND THE WORLD.に掲載された反ファシストネオフォーク宣言の訳である。シーンの状況がある程度わかると思う。しかし、以下の宣言には具体的な反ファシストネオークのバンドなどは登場しない。このサイトではバンドとのインタビューがかなり多く掲載されている。(daRarevo records)

https://antifascistneofolk.com/
またSpotifyで関連するバンドの音源が紹介されている。

https://open.spotify.com/user/blackcatfilmsltd/playlist/74snxst77irk3jahKNMupq?si=BMri_Nw7R-WeC2hQ_HkKQQ

反ファシストネオフォーク宣言

2019年7月29日

これは、反ファシストネオフォーク音楽コミュニティの人々と一緒に議論され、この新しい音楽トレンドが何なのか、その意図とビジョンを構築することを目的に、いくつかの点について書いたものだ。これは決して私個人の宣言でもなければ固定的なものでもない。この新たな地平に何があり得るかについての考え方だ。

1 ファシズムはネオフォークやその他の芸術形式を主張できるものではないし、このジャンルの発展の歴史は、ファシズムに当然の権利を与えもしない。ファシズムは、ロマン主義、ユートピア的理想主義、そして新しい世界を構築するための革命的精神への衝動を改竄するものだ。ファシズムはそれらのインパルスを保持するのではなく破壊するが、反ファシストネオフォークはこの精神を取り戻そうとするものだ。

2 ネオフォークは、複雑な過去を再考することに基づいて構築されたロマンチックな芸術形式だ。ファシストは、みずからのイデオロギーを、神秘的な過去の復古的なウルトラナショナリズムのビジョン、つまり、暴徒のナショナリズムの精神的情緒的モチベーションを創造してきたビジョンを物神化してこの音楽に埋め込んできた。反ファシストネオフォークは、異教、生態学的持続可能性、植民地の抑圧への抵抗をインスピレーションとして、芸術と文化の歴史を批判的に検討し、再考する。将来の私たちのビジョンを伝えることのできる記憶としてこうした考え方に立ち返りつつヒエラルキーと白人至上主義に反対する闘いを継続するために過去を見据える。美しい側面を維持しつつ、問題のある歴史を現実的に見て、抑圧の歴史を無視することを拒否し、代わりに、公正で公平な未来のビジョンに役立つ歴史的記憶を作りたいと考えている。

3 左翼は、それ自身の自覚的なロマンチックな芸術形式、つまり、正義、平等、自由に基づいて築かれた新たな世界の可能性を構想するに値するものだ。そのため、科学的あるいは法的思考だけでは革命運動を起こすことはできず、夢見る空間が必要だと考える。他の芸術運動と同様に、反ファシズムと革命的ネオフォークは、世界に変化をもたらし、白人至上主義に反対して団結して運動に情熱、ファンタジー、精神を注ぎ込こんで、意識的にこうした空間を構築する。

4 ネオフォークは、過去の世代の美学を現代の形に鋳直し、こうすることで、無数のフォークアートの形式から独特で現代的な感性を構築することを可能にする。フォークの伝統の継続は、キリスト教化と戦う異教の精神的音楽的伝統から、植民地の強制的な同化に対抗する先住民の言語を維持するための闘いや祖先の記憶を奪われた地域社会におけるアフリカの歴史の再生に至るまで、植民地主義に対する文化的闘争形態でもある。ネオフォークは、この闘争を、アイデンティティ主義のナショナリズムの反動的形態としてではなく、支配に抵抗し、その美しい多様性を維持する有機的な文化の上に展開する。

5 反ファシストネオフォークは、同時に国際的でコスモポリタンであり、文化的多様性の豊かさを維持するのにナショナリズムが必要だという考えを拒否する。ネオフォークはヨーロッパでのフォークミュージックの伝統の復活と見なされることが多いが、反ファシストネオフォークは必然的にこのヨーロッパ中心の視点を捨て、さまざまな伝統を利用する世界中のアーティストとつながりをもたらすることが必要だ。私たちは部族主義(トライバリズム)に反対し、これに替えて多様性、連帯、相互扶助を提起する。

6 反ファシストネオフォークは、政治的に動機付けられたネオフォークバンドのサブジャンルではなく、確立されつつある新たなスタンダードだ。ネオフォークには、ファシストのアーティストがこのシーンを政治組織化につながるメタポリティクスを構築する場として発展させてきた歴史があり、非政治的なバンドの間でも共犯の文化があった。反ファシストネオフォークのアーティストとファンは、許容できる新たな判断基準を確立しつつある。これは、この種の受動的なスタンスを許容せず、いかなる形であれ白人至上主義のプラットフォームを拒否する倫理的枠組みを実現してきている。

7 反ファシストネオフォークは組織化戦略であり、ファシストが意図的なサブカルチャーを構築しようとしている「闘争の場」として、ネオフォークを見ている。白人至上主義者とファシストはいかなる社会的文化的空間に対する正当な権利も持っていない。このことはネオフォークにもいえることである。このまま放置しておくと、新しい世界を切望している音楽ファンにファシストがネオドークを通じてアクセスできてしまい、ネオフォークがこうした若者をファシストにリクルートするための格好の道具にされてしまう。これに対して、私たちは、ネオフォークを闘争の場と見なす。反ファシストミュージシャンとファンは、この音楽のフレームワークを利用して、ファシストをこの音楽シーンから追い出し、彼らの存在を拒否する。音楽会場、レコードレーベル、出版物、そしてネオフォークが存在するすべてのエリアは、この闘争の場となり、音楽コミュニティの正当なメンバーである反ファシストネオフォークファンは、ファシストアーティストや運動とのいかなる共謀をも追い出す。まさにOi、ストリートパンク、ブラックメタル、その他の音楽のムーブメントで極右がこれらを囲い込もうとしたのと同様に、ネオフォークには闘うだけの価値があり、あらゆる機会に彼らを追い出すであろうと信じている。

8 反ファシストネオフォークは、ミュージシャンとレーベルの連合を構築し、極右のトレンドに逆行するシーンの構築に貢献する。反ファシストネオフォークのコミュニティを意識的に構築することで、ミュージシャンにとってポジティブな選択肢が生まれ、極右がネオフォークに押し付けようとしたイデオロギー上の覇権を破ることができる。(反ファシストネオフォークという)カウンターカルチャーが利用可能になる前は、極右はシーンの条件を設定して、バンドを強制的に適合させるか、活動できなくさせることができた。ネオフォークにおけるファシストの存在の現実を直視しつつ、オルタナティブは可能であり利用できることを示す対抗的なナラティブが今ここにはある。

9 私たちは反ファシストネオフォークのコミュニティの到来を信じている。反ファシストネオフォークのバンドは世界中に存在しているなかで、私たちは、これまで有機的に形成されてきたこのシーンを意図的に構築しつつある。ファンやミュージシャンとしてどのような音楽シーンを求めるのかを決定することで、そのビジョンを世界に投影する。私たちは反ファシズムと革命的なネオフォークシーンの存在を望み、それが自然に登場するのを待つのではなく、反ファシストネオフォークと名付けて構築することを開始した。

10 反ファシストネオフォークは、真の目標への途上に過ぎない。ネオフォークにおけるファシストの存在を排除し、平等主義と反人種差別に価値観を移すことだ。将来のネオフォークのビジョンでは、私たちの反ファシストネオフォークを他のネオフォークと区別する理由がなくなり、いつまでたってもネオフォークのなかのサブカルチャーであろうとは思っていない。私たちこそがネオフォークの全てを継承する者になるつもりだ。

出典:The Antifascist Neofolk Manifesto
https://antifascistneofolk.com/2019/07/29/the-antifascist-neofolk-manifesto/

パンデミックでも株式市場は最高値の米国―多国籍企業に儲けさせない文化闘争へ

メディアがいろいろ報じてるが、米国のS&P500が最高値をつけて注目されている。ニューヨークタイムスは米国の株式市場がbear market(弱気市場)からbull market(強気市場)へ転換しているかもとも報じている。

出典:https://www.nytimes.com/live/2020/08/18/business/stock-market-today-coronavirus#sp-500-hits-a-record-as-traders-look-past-economic-devastation

タイムス紙は、3月頃にはかなり落ち込んだがその後V字回復。連邦準備制度が3兆ドルを金融市場に投入していることや政府のコロナ対策支出が背景にあるとみている。アジアも株が上げている。まあ、日本も似たりよったりの政府の戦略なので、日本の株価も下らない。庶民は大打撃なのに。

この証券市場の動向でやはり注目したいのがハイテク株。いわゆるGAFAの株価。米国の巨大IT企業は、パンデミックでも一貫して株価上昇で、その上昇もこの1年でみると倍以上上げているところもあり、3月に一度落ち込んでもそのあとの回復が異常だ。あきらかにテレワークとオンラインへの依存のステージがワンランク上ったと思う。

GAFAであれIT企業の大半は私たちのコミュニケーションの権利のインフラを牛耳る企業。個人情報は、21世紀の石油といわれるように、こうした巨大企業の収益の基盤になっている。パソコンやスマホ、そしてネット環境はコミュニケーションの道具だが、この道具は同時にコミュニケーションの権利に不可欠な前提条件でもありつつ多国籍IT資本による個人情報=原油採掘場になっている。

資本主義グローバリゼーションの問題として論じられてきた第三世界の資源の問題、労働の問題、ポスト植民地支配の問題は、現在も重要な問題として存在しつづけているが、同時にこれに加えて、世界中の人口ひとりひとりがもっている個人情報が資本の利益を生む資源になっていること。この資源を採掘するメカニズムがコンピュータによるネットワークになる。わたしたちが日常的に使うパソコンやスマホ、スイカなどのカードから家にあるデジタル家電の類が収集する情報が、パンデミックや人々の失業と健康のリスクを格好のデータとして収集して利益に変えている。

この意味で、データ(個人情報)は、コミュニケーション領域を市場に統合した現代の資本主義にとってのフロンティアになっている。サイバーススペースにおける本源的蓄積といってもいい。この現代の大油田としての個人情報のなかから更にコロナパンデミックは新たな油田を開発するきっかけを与えた。これは上述したようなテレワークだけではない。感染予防、感染経路追跡などを口実とした政府による監視強化に伴う、政府全体の人々への監視インフラそのものがグレードアップしたということがある。

米国ではこれまで米国疾病対策センター(CDC)が管理していた個人情報追跡権限を保健社会福祉省が横取りして、HHSプロテクトなるものを立ち上げて新たな記録システムSORNを開始するようだ。SORNは心身の健康履歴、薬物およびアルコール使用、食事、雇用などの個人情報のほかに位置情報にあたるものも収集され、形式的には匿名であっても実質的には匿名化は不可能だとみられている。(注)日本でもHER-SYSが稼動しているが、こうした新たな情報インフラに政府の資金が投入されることになる。

(注)No to Expanded HHS Surveillance of COVID-19 Patients
https://www.eff.org/deeplinks/2020/08/no-expanded-hhs-surveillance-covid-19-patients

この文章の最後にGAFAとかの株価データにリンクを貼った。この大変な時期に、昨年の倍以上に株価高騰しているAmazonで買い物し、Googleで検索したりメールして会議して、Facebookで拡散する…これでいいはずはないと思うが、便利に屈している活動家たちが世界中にたくさんいる。どうしてもそうせざるをえないサービスもあるから絶対拒否はできないとしても、この生存の危機の時代に株価が高騰するような多国籍企業のサービスを見直すことが運動になっていない。しかし、できることはいろいろあるはずと思う。

GAFAをはじめとするグローバルなIT企業が個人情報という「富」で高収益を上げているのは、私たちひとりひとりが日常的に使うコミュニケーションのツールと、このコミュニケーションの環境を変えられない私たちのコミュニケーションの文化にもその責任がある。自戒を込めて、とりわけ左翼の活動家の責任は大きいと思う。このパンデミックのなかで、市民運動であれ労働運動であれ、敵は自分たちのコミュニケーションのツールそのもののなかにいる、というやっかいな事態を深刻に捉える必要がある。活動家がそのコミュニケーションの「武器」見直すことが、民衆のコミュニケーションの文化やライフスタイルを変えるきっかけになると思う。それ以外にライフスタイルにオルタナティブが生まれる余地はないと思う。この意味で、どのような手段で、どのようなネットのプラットームに依存して情報を提供するのかは、重要なコミュニケーション文化の闘いでもあると思う。

alphabet(Google)
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apple
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