刺青あるいはタトゥと表現の身体表現の自由
1. はじめに
2018年11月14日、大阪高等裁判所が画期的な判決を出した。これまで繰り返し警察が刺青師あるいあタトゥアーティストに対して医師法違反で摘発を繰り返し、一審大阪地裁は、医師法違反の適用を合法として刺青師側の主張を退けて有罪とした。この一審判決に対して、控訴審は判決理由の最後に結論として、次のように述べた。
「被告人の本件所為は医師法17条で禁止される医業に該当するとは認められないのであり、被告人に対する本件公訴事実については罪とならないことになるから、刑訴法336条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとして、主文[原判決を破棄する。被告人は無罪]のとおり判決する」
刑事裁判は、裁判所が憲法で保障されている基本的人権の剥奪に関わる。命を奪う(死刑)、自由を奪う(禁固刑や懲役刑)、財産を奪う(罰金刑)といった刑罰は濫用されてはならないという基本原則からすれば、医療行為を対象として制定された医師法を、医療とは全く異なる刺青あるいはタトゥに適用することは、法の濫用だと思うが、これまでそれが警察から裁判所まで常識として通用してこなかった。この従来の司法の横暴からみたとき、今回の判決は画期的といえる。
また、医師法を刺青あるいはタトゥに適用することが間違っていることを、その歴史的経緯にさかのぼって論じた上で次のように述べている。
「入れ墨(タトゥ)は、皮膚の真皮に色素を注入するという身体に侵襲を伴うものであるが、その歴史や現代社会における位置づけに照すと、装飾的ないし象徴的な要素や美術的な意義があり、また、社会的な風俗という実態があって、それが医療を目的とする行為ではないこと、そして、医療と何らかの関連を有する行為であるとはおよそ考えられてこなかったことは、いずれも明らかというべきである。彫り師やタトゥー施術業は、医師とは全く独立して存在してきたし、現在においても存在しており、また、社会通念に照らし、入れ墨(タトゥー)の施術が医師によって行われるものというのは、常識的にも考え難いことでもあるといわざるを得ない」
また、職業として彫師あるいはタトゥアーティストに医師免許を課すことについても次のように否定した。
他方で、被告側が無罪の主張の根拠として提起した彫師あるいはタトゥアーティストの表現の自由に関しては、「これらの点を検討するまでもなく、上記のとおり、タトゥー施術業は、医師法にいう医業に該当しないという前記解釈適用が妥当である」と述べるにとどまり、立ち入った判断を示さなかった。
しかし、そもそも、なぜ警察は繰り返し医師法違反での検挙を繰り返し、また、一審も追認してきたのか。「タトゥに医師法?おかしくない?」というまっとうな常識が通用しない背景は何だったのか。この背景に切り込まないと、表現の自由を確保する確実な基盤を獲得することもできないと思う。私は、この法の濫用を許してきた背景に明かな刺青あるいはタトゥへの根拠のない偏見があると思う。この偏見がどのようにして構築されてきたのか、それに対して、表現の自由の主張が刺青あるいはタトゥの自由を保障するためにはどのような観点が必要なのかについては、更に検討すべきことと思う。
以下の文章は、一審判決後に、被告弁護団から求められて書いたものについて、一部控訴審判決を踏まえて修正したものである。
本稿では、刺青あるいはタトゥと呼ばれる表現行為を医師法に違反するとする一審判決および検察側論告は、憲法が保障する表現の自由に反するものであることを明かにする。一般に皮膚を傷つけて色素を皮下に埋め込む行為に与えられた名称は、刺青やタトゥのほかに、彫り物、入れ墨、文身、刺文など日本語だけでも多くあり、それぞれに固有の意味や文化的な背景をもつ。本稿では、便宜上、これら全体を指す場合には「刺青あるいはタトゥ」と表記し、施術する者を「刺青師あるいはタトゥーアーティスト」と呼ぶことにする。刺青とタトゥを併記するのは、施術者の自己アイデンティに着目した場合、自分の行為を「刺青」であってタトゥではないと認識する人がいたり、「彫師」あるいは「刺青師」と呼ばれるよりもタトゥアーティストとかタトゥアなど欧米由来の名称にアイデンティティを持つ者もおり、両者の関係をどちらかの言葉で代表さでることが困難だからである。本稿では、刺青には日本の伝統的な「和彫り」の系譜をもつものを念頭の置き、タトゥという表現では、欧米由来のサブカルチャから世界各地にみられる伝統社会由来ものを念頭に置く。
両者は施術の側面からも、歴史的な相互の影響関係からも多くの共通性をもちながらも、表現の自由の観点から論じる場合には無視すべきでない違いがある。つまり、刺青とタトゥには、後述するように、身体観あるいは身体が纏う皮膚がもつ社会的文化的な意味づけに違いがある。そしてこの違いは、刺青師あるいはタトゥアーティストによる表現への関わり方、表現を支える知識や文化的な理解の違い、更には刺青やタトゥをとりまく社会・文化が身体に対してもっている関心や問題意識を反映しており、表現の自由を論じる場合には重要な観点になる。
日本では、和彫りの伝統が継承されるなかで「刺青」という言葉が用いられてきたと同時に、戦後、主に1980年代以降に欧米由来の文化的な表現としてのタトゥ(トライバルタトゥといった非西欧世界由来のスタイルもまた欧米経由で輸入されたのでこれに含まれる)が大衆文化の一翼を担うようになる。このように歴史的な経緯からみても両者の言葉の由来は異なる。例えば、柔道もレスリングも格闘技として一括りにすることもできるが、だからといってその歴史的文化的な背景や意味もまた同じものとはいえないから、レスリングも柔道と呼んでさしつかえないということにはなるまい。あるいは、髪を覆うスタイルに用いる布を「スカーフ」と呼ぶのか「ヒジャブ」と呼ぶのかはどうでもよい問題とはいえないし、「ヒジャブ」を偏見の眼で見る非イスラム圏のレイシズムは「布」をいくら凝視してもその意味は理解できない。スタイルをめぐる文化的な文脈を理解することなしにはスタイルが示す表現とその自由の権利問題を正しく扱うことはできない。同じことは刺青あるいはタトゥにもいえるのである。それぞれに固有の名称が与えられて文化として受容されてきたことには、それなりの背景があることに留意する必要がある。言い換えれば、身体を針で傷つけて色素を沈着させる技法は、技法としての共通性に還元できない差異があり、この差異の意義を評価することが、表現の自由を論じる上で不可欠な観点だということである。
付言すれば、アイヌの「パシュ」や琉球や奄美の「針突」など日本の支配的な文化のなかで消滅を強いられた少数民族の身体表現は、他の伝統社会の身体表現と同様に「タトゥ」としてとりあえず分類できるものとしておきたい。(本稿ではこうした分類の詳細は論じない)
以上の前置きをした上で、刺青師あるいはタトゥアーティストの表現の自由について以下の三つの観点から論じる。
- 刺青あるいはタトゥには社会の偏見がつきまとってきた。医師法違反での摘発にも論告や判決にもこうした偏見が背景としてあると思われる。そこでまず身体をめぐる偏見と表現の自由の観点について一般論を述べる。
- 本稿では、表現の本質を損うことなく判決でいう「保健衛生上の危険」を回避できる別の表現手法があるのかどうかを検討し、身体の皮膚に「彫る」という技法は必須であって、こうした手法を伴わない代替技法とは本質的に異なる表現であることを主張する。
- 本稿では、刺青あるいはタトゥの表現行為は医師の外科手術等の施術とは本質的に異なるものであって、外形的な施術の行為だけを切り離して、その事象によってその行為の意味を判断することはできないことを主張する。
結論として、刺青師あるいはタトゥアーティストの行為は、医師によってはなしえない文化的な表現行為なのであって、施術の場面に還元すべきではなく、文化的な文脈のなかで評価されるべき固有の熟練技能あるいは芸術表現であることを主張する。
2. 身体における自然と文化――身体は医学の領域を越える
2.1. ファッションと身体
身体表現は多様である。皮膚を傷つけることではないにしても、毛髪を切り取ったり、化粧をほどこしたりする場合のように、時にはみだしなみとか礼儀作法として、身体のありかたに対して一定のスタイルを社会が規範として要求することは、どの時代、どの文化にもみられる。あるいは、いわゆる「ボディペインティング」のように絵の具等で装飾をほどこすことも伝統社会の習俗からサッカーのサポーターなどスポーツ文化のなかにおいてもみられるし、ハロウィーンのように商業化された「祭り」のなかでファッションとして受容されるケースもある。
こうした皮膚そのものに装飾を施す文化あるいは身体そのものに変化を加える行為は、皮膚を隠す衣服のファッションと結びついており、皮膚を直接の表現の対象とすることと衣服とは相互不可分な表現の一体性をもって理解されてきた。19世紀西洋のコルセットは身体の骨格そのものを強制的に変形させる衣服であるし、近代以前の日本では女性の鉄漿は身分と関係し、着物にも一定のドレスコードが存在した。刺青についても、江戸期には鳶や駕籠舁きなど肌を露出する職業との相関関係がある一方、刺青を衣服の下に敢えて隠すことが文化的な表現としての意味をもつ傾向があった。刺青をあえて隠すことに価値を置く文化は現代まで継承されているが、その理由は、当事者の理解に即しても様々であり(忌避される表現だからという側面もあれば、逆に「美しいもの」を誇示する自己顕示を好ましくないとする価値観の側面もある)、誇示するものとしての欧米のタトゥとは一線を画すところがある。
このように皮膚が露出する箇所と衣服で覆われる箇所全体によって人の身体表現が構成され、しかもその表現は、人が、一方で自立した個人として自己の身体に向き合うばあいの「私にとっての好ましい身体表現」というレベルと、社会的な存在である以上、帰属する社会集団(国家や民族のような大きな集団から地域社会、職場、学校から家族のような親密な集団まで複数に帰属する)のなかで、他者が評価する私の身体表現への価値や評価のレベルとがあり、この双方を個人が引き受けることになる。
2.2. 支配的な身体表現と少数者の身体表現
どの時代にあっても身体表現は、社会の階層や階級、宗教的な信条などを反映するが、そこには必ず、支配的で多数の人々が肯定的に受容したり道徳的な規範として支持する身体表現と、その周縁に無視できないものとして多数者の表現から逸脱する少数者の身体表現という二重構造がある。近代社会においても、学校文化やマスメディア、商業化・都市化された消費文化のライフスタイルを前提とした支配的な社会規範に支えられた身体表現と、その周縁にあって様々な少数者が構築する様々なサブカルチャとしての身体表現とが重層的に存在している。重要なことは、近代社会における基本的人権としての表現の自由の意義は、この支配的な規範に対して、多様な少数者によるサブカルチャを排斥せず、文化的な表現の多様性として尊重するところに社会そのものの価値を置くというところにある。
このことは、刺青あるいはタトゥを纏う場合も留意すべきことである。近代社会では、一般に刺青あるいはタトゥの表現は、上記の図式でいえば周縁に属するものである。そのために、支配的な文化的価値判断からは貶められる位置にある。他者と異なる皮膚の表象が差異をもたらすだけでなく、差別をももたらす。仕事などで刺青あるいはタトゥを露出することがはばかられるとか、公衆浴場やプール・海水浴場などへの入場が禁じられるとか、就職で差別されるといったことが、「差別」とは意識されず、むしろ公序良俗に反することであるかのようにみなされる。刺青師あるいはタトゥアーティストもまたその職業の故に差別される。自らの意志で身体に装飾をほどこす行為は他人に危害を与えるものではないにも関わらず、偏見はなくならない。表現の自由の理念からすれば、個人の自由意志に基く表現だからこそ尊重され権利として保護されなければならないはずである。
2.3. 自然科学=合理主義の身体観と文化的な身体
近代における身体理解を支配してきたのは、自然科学による身体観と「美」についての文化的な規範が一体となったものだ。自然科学的な認識では、身体を他の自然現象同様科学的合理的に理解しうるものとみなす価値観に立つ。身体は、それ自体が「自然」であり、「自然」であるものはそれ自体で合理的であるとする近代自然科学の見方は、身体を人為的に加工する行為を忌避する価値観の底流を形成した。近代社会は「美しさ」を理解する場合にすら合理的的な根拠を与えようとしてきた。日本の近代化も近代合理主義と自然科学的な身体観を進歩と受け止め、江戸や大阪など近世都市の大衆文化のなかに根付いていた刺青の文化をあたかも野蛮なものであるかのようにして排斥して、道徳的に排斥し、違法とすらすることで、近代的な価値規範を強制しようとしてきた。
しかし、合理主義が支配的な近代にあっても、身体は「自然」な生物体としての存在に還元できないのであって、社会的な表現の「場」なのである。医療は、身体を生物学や生理学などが対象とする「肉体」とみたてて、その疾患に対処することを目的とするが、人間の身体はこうした生物学的な身体には還元できない。そして、この生物学的な身体という観点から排除されるところに、文化的な身体と呼びうる身体があるが、これは医学の側からは理解することができない身体である。
身体の表面を覆う皮膚は、この生理学的な身体と文化的な身体の境界をなすものであり、文化のなかの人間にとって皮膚に体現される外部や他者に対する表明と医学生理学のなかの人間にとっての皮膚に体現される病いとしての現象が相互にし共鳴たり干渉したり拮抗する「場」が皮膚である。刺青やタトゥと呼ばれるような表現は、医学生理学など自然科学が対象とする身体からは見えない文化的な身体の側に属する表現である。皮膚を傷つける行為を文化的な身体表現の側からみたとき、そこには、多様な表現の「場」を見出すことができる。刺青あるいはタトゥだけでなく、前述したように近代スポーツや身体芸術もあり、伝統社会にはピアシングや鉤で身体を吊す行為、皮下への埋め込み、焼印、身体を変形させる行為(纏足やコルセットは有名だろう)、身体の一部を切除する行為(割礼や性器切除など)がある。これらが広範な社会に見出されることは、人類学や民族学の研究が明らかにしてきたことでもある。こうした行為の一部は、近代社会のなかでも、近代社会の価値体系や文化構造のなかに転用されたりしながら受容されてもきた。
支配的な身体表現の規範は、身体表現の社会的歴史的な規定性を隠蔽して「自然なもの」として普遍化するイデオロギーを構築しようとする。支配者たちにとって好ましいとされる身体のありかたや身体表現が、それこそが神が与えたものとか親から授かったものなど様々な道徳的な意味づけをされ、礼儀作法などとして身体表現の規範が制度化される。こうして構築された支配的な身体表現から逸脱する身体表現は、不道徳であるとして排斥されたり、野蛮なもの奇妙なものとして見世物にされたり、時には自然に背く病的な兆候とすらみなされて「病い」としてカテゴリ分けされたりもする。しかし他方で、近代社会は、支配的な文化構造を中核にもちながらその周縁部にある少数者の表現の存在をかろうじて許容する規範を維持してきた。近代社会が伝統社会から自らを種別化する自己アイデンティティの重要な核に「自由」の価値観が据えられた。表現の自由の権利は、こうした多数者による少数者の表現への排除感情や差別感情を退けて、少数者の身体表現の存在意義を少数者のアイデンティティにとって必須のものとして保障する役割を担う。こうした自由の権利が保障されない社会を自由な社会ということはできない。
2.4. 合理主義身体観の破綻
そもそも文化的な表現の「場」としての身体(およびファッション)のスタイルを合理主義や自然科学の理解に還元することに、当の西洋世界すら成功しなかった。19世紀近代化の時代にますます人間の身体――とりわけ女性の身体はコルセットやハイヒールで絞めつけられるようになる――は人工的な加工の対象とされ、ファッションも合理主義とは無縁な装飾を競う流行現象となったことからも明かであるし、医学的な身体に還元できない人間の側面が精神医学の発達をもたらしたのも19世紀だった。19世紀から20世紀にかけて、芸術の世界が印象派を生み出したように、科学的な世界観とは異質な表現の可能性が西洋の芸術のひとつの潮流として登場する。日本の浮世絵などの表現に注目があつまったのもこの時代である。そして、日本の刺青もまた西洋によって「発見」され高く評価されることになる。明治期の刺青師は、刺青が違法とされながらも、その身体文化の固有のスタイルを世界に伝承する発信者となった。この西洋による日本の刺青の「発見」なしには和彫りは生き残れなかったかもしれない。
文化のグローバルな伝播のなかで、世界各地に残された伝統的な身体表現の多様性が人類学や民族学のなかで再評価されるのもこの近代という時代がもつ両義性と不可分だった。一方での植民地主義を内在させた異文化への好奇心と他方での近代合理主義への批判的なパラダイムとしての非西欧文化への関心、この二つがないまぜになりながら周縁部にある表現は、支配的な表現による排除と闘いながら自己のアイデンティティを確立してきたのである。こうした表現文化の構造は刺青あるいはタトゥという周縁に位置する身体表現の文化にも十分にあてはまるるものである。刺青は、その始まりから、近代社会にとって不合理な身体の象徴であり、その不合理性を意志によって選びとるという理性的な人間においてはあるべきではない行いを象徴していた。しかし、いかに周縁化され、あるいは偏見の眼に晒されてもタゥや刺青はサブカルチャとして生き延びたことに示されているように、そもそも合理的な身体などというものは近代の支配的なイデオロギーが構築したフィクションにすぎないものだった。この観点からすると、医師法を適用して刺青あるいはタトゥを文化的に根絶やしにしようとする発想の根源には――裁判においては考慮しえないことかもしれないが――合理主義的な身体から逸脱することを許さない権力の意志を感じないわけにはいかない。
2.5. 1980年代以降の身体表現の転換と刺青=タトゥカルチャー
身体を合理主義と自然科学の眼に縛る近代の価値観は、1980年代頃から明らかな揺らぎをみせはじめる。身体表現は多様性を再度獲得しはじめる。1980年代以降の欧米でのタトゥをはじめとする身体表現の新たな流行は、身体表現を通じて、自己のアイデンティティを確立しようとするマイノリティのサブカルチャにとって不可欠なスタイルとなる。こうして、欧米ではタトゥアーティストはサブカルチャの表現の担い手となり、文字通りの意味でのアーティストとしての創造性を担うことになった。
1980年代以降、近代世界の身体観が反省される時代になって、非西欧世界の表現のひとつとしての刺青と刺青師の存在もまた確立された身体表現の分野として評価が定まり、タトゥアーティストたちは、異文化のタトゥのスタイルを相互に取り入れるなかで新たな文化表現の世界を創造してきた。「和彫り」のスタイルもまた西欧のタトゥ文化の基盤をなす固有の身体表現の文脈のなかに組み入れられるようになっている。他方で日本のタトゥアーティストも、伝統的な和彫りだけでなく、世界各地のタトゥ文化との交流のかなで、グローバルなサブカルチャとしてのタトゥ文化の一翼を担うようになっている。
そしてまた、刺青やタトゥのどの基本文献をみても、和彫りのスタイルは、――既にほぼ消滅してしまったアイヌや沖縄・奄美のタトゥとともに――基本的な身体装飾の表現の重要なスタイルとして参照されるようになっている。国際的なタトゥコンベンションが毎年様々な国で数多く開催されているが、日本から招待される刺青師も少くないし、マシンによらない手彫りの施術を継承しながら高度な表現を維持している和彫りの評価は高い。
2.6. 医師法適用がもたらす表現の自由への侵害
こうして刺青あるいはタトゥの表現は、少数者の表現であり、サブカルチャとしての位置に変りはないものの、確固として確立された表現分野として、この分野に固有の熟練と創造性をもった制作者が担う構造が確立してきた。こうした文化的な背景と世界的な広がりに対して、これを一審判決のように医師法で禁止し、医師免許を持つ者にのみ刺青あるいはタトゥの施術を認めるということになれば、これまでの日本の刺青師やタトゥアーティストが築いてきた文化の多様性と質を権力が法の力を借りて奪うことになる。
ハワード・ベッカーが指摘しているように、表現文化のなかの表現の担い手は、個々人によって担われるだけでなく、コミュニティとしての集団的によっても支えられている。刺青師やタトゥアーティスト、かれらへの依頼者たち、デザインや絵画、音楽や映画などの文化との交流など、多様なアーティスト相互のコミュニケーションのなかで作品が生み出され、表現の創造/想像力が維持される。医師法による規制は、表現文化の文脈を断ち切り、刺青師やタトゥアーティストを犯罪者扱いし、依頼者もまた犯罪的な行為の加担者というレッテルを貼られることによって、刺青あるいはタトゥのコミュニティ全体を他の身体表現のみならず広範囲の文化的な表現のコミュニティから排除することになる。このような刺青あるいはタトゥの犯罪化は、この身体表現そのものを萎縮させる。一審判決は依頼者の表現の自由を認める一方で刺青師あるいはタトゥアーティストの行為を医師法違反としたが、依頼者の表現の自由は刺青師あるいはタトゥアーティストの表現行為に全面的に依存しており、後者が依頼者の身体を彫る自由なしには依頼者の自由もありえない相即不離の関係にある。
控訴審判決は、医師法違反を退け、刺青師を無罪とした。この限りでは、医師法違反のリスクは法的な根拠を失ったが、だからといって社会の偏見が払拭できたわけではない。とりわけ、控訴審判決が刺青師の表現の自由(クライアントの表現の自由と表裏一体だ)に関しては立ち入った言及をしていない。そもそも警察が繰り返し刺青師やタトゥアーティストを検挙してきた(多くは裁判で争うことなく罰金の支払いで決着を強いられてきた)経緯は、警察が事実上体現している社会の偏見の問題がある。言い換えれば、偏見が医師法違反という本来あってはならない法解釈の恣意的な適用を許してきたのではないか。この意味で、控訴審判決があえて言及するまでもないとして省略した表現の自由をめぐる問題は、法が社会常識に内在する偏見を排除できるかどうかに関わっており、警察・検察の偏見に基く法執行という問題は残されたままである。
3. 代替表現はありえない
3.1. 代替表現をめぐる基本問題――痛みと永続性
タトゥシールと呼ばれるようなシールを貼ることによっても、外見上は刺青やタトゥと同等の効果をあげることが可能だと主張されることがある。もし、ほぼ完璧にこうした手法が刺青あるいはタトゥの効果を代替できるのであれば、あえて皮膚に針を刺して傷をつけ色素を入れるといった行為は不要になるだろう。しかし、以下の点で、こうした代替的な手法によっては刺青あるいはタトゥの効果を実現できないのであって、皮膚に針を刺して色素を入れる行為は必須の条件である。
刺青あるいはタトゥは、皮膚を針等で傷つけて墨などの色素を注入する行為であり、生涯にわたってこの痕跡は保持されると同時に、出血や痛みを伴う。この痕跡の継続性と痛みこそが刺青あるいはタトゥがもつ他にはない本質的な性格の一部をなす。これらを纏おうと意図する者たちは、この永続性と痛みと向き合うなかで、刺青あるいはタトゥを入れる覚悟をすることになる。刺青師あるいはタトゥアーティストもまたこの性質を前提として「彫る」という行為の意味を担うことになる。刺青あるいはタトゥに関わる人々が共通して構築する意味の場のなかには、この「永続性」と「痛み」という要素が不可欠なものとして存在し、それこそが刺青あるいはタトゥに固有の表現文化を価値あるいは意義を与えてもいるのである。
3.2. 生涯保持される表現
刺青の彫師あるいはタトゥアーティストは、画家やデザイナーによる表現や、あるいは版画家のような「彫る」ことによる表現分野のアーティストと決定的に異なる固有の存在であるのは、身体に永久に残される「傷痕」をひとつの芸術作品とする点にある。この点は、彫師あるいはタトゥアーティストにとっても依頼者にとっても最も重要なこととして自覚されることのひとつである。だから、皮膚に傷痕としての痕跡を残さないペインティグやシールは刺青あるいはタトゥとは本質的に異なる表現である。
たとえば、中野長四郎(初代彫長)は、その著書のなかで次のように述べている。
「刺青を彫る」と一口に言っても、それは一度彫ったら「永久」にその人の肌に残るものだから、良くも悪くも、その人の人生を左右することは間違いない。刺青を彫っただけで、その人は適当に行きるわけにはいかなくなる。そうなると同じ人生を「良く生きるか」、「悪く生きるか」の問題になる。その人生の岐路をどう決めるかによって、「良い人生」か「悪い人生」かに分かれる。道は一つしかない。
刺青を彫る場合その岐路に立っていることを十分に考え、それでも彫ると、決心がついた人は、刺青を彫って「良い人生」に向ってほしいものである。
これは、彫られる側の心構えを述べたものであるが、人の個性がその人の容姿と切り離すことができないことからもわかるように、刺青あるいはタトゥを纏うことは、これを個性とすることを自らの意志で定め、自らの人格の一部となることを引き受けるということを意味している。後に述べるように、こうした皮膚の表象としての刺青あるいはタトゥを、物語を纏う(和彫りの典型)のか、記憶を纏う(欧米のタトゥは自己の記憶を、伝統社会は共同体の記憶を纏う)のか、という本質的な違いがある。前述したように、人間の身体は先天的なもので不変のものだという身体=自然とする見方が近代社会の支配的な身体観だとすると、刺青あるいはタトゥはむしろ、身体を人工的に(社会的あるいは個人的に)変容させることが可能な存在だとする価値観を前提としている。その上で、後天的かつ目的意識的に加えられた変更を生涯持ち続けるという意味において、人の後天的なパーソナリティの一部を構成して持続的に機能することになる。こうした機能は、医療行為による身体の疾患に対する外科的な施術にはない特徴である。
彫師あるいはタトゥアーティストは、この意味で、依頼者の社会的文化的なアイデンティティ構築にとって不可欠な個性を創造する共同作業者ともなる。だから、依頼者にとって刺青を彫る人がだれであってもいいというものではない。ましてや皮膚を傷つけるということのみをもって医療行為とみなす価値判断とは全く接点のないことである。長野は次のようにも述べている。
彫師に会ったときの心得。まず彫師になった動機を聞いておきたい。次にその人に刺青があるかも確かめる。人間の肌に生命があるように、人肌というものは生きるものである。生きた身体に彫るのだから、自分の肌に試してみねばらないと思う。自分が痛い所は他人も痛い。それを知ってはじめて、他人の肌に絵を刻み込まなければならない。
絵画や音楽に深い感銘を受けるとき、人はこうした作品を生み出した当の人物に対しても興味・関心を抱くものだ。その関心は、世間一般でいう技巧の巧拙に還元できるものではない。表現者がたどってきた人生そのものが表現行為に滲み出る言葉にしえない固有の何かであって、それが作品の個性となる。こうしたことは医師の行為には必要のないことであって、医師にもっぱら要求される資質は、正確で的確な診断と医療措置による病いの治療であり、傷痕の個性が目的にされることもなければ評価されることもない。
3.3. 皮膚を針等で傷つけ、痛みを伴う表現の自由とは
刺青あるいはタトゥは当然痛みを伴う。「痛み」を伴うことがいわゆる文化的な表現、芸術的な表現であるはずがないという先入観があるように思う。しかし、スポーツ文化では、格闘技だけでなくラグビーやサッカーなどの球技といった身体をぶつけあうものに限らず、肉体を極限まで酷使する身体技芸はおしなべて強度の痛みを伴う身体文化である。また、伝統文化においても、身体を痛みに晒す表現は広範囲に見い出される。例えばクラシックバレエにおける足先への過度な負担による痛みはその典型である。
宗教文化では、痛みを伴う修行が様々な宗教に見出される。たとえば、修験道や仏教などで日本でも有名な素足で火の上を歩く「火渡り」や冬の寒い時期に敢えて滝に打たれたり海に入るといった身体の酷使は、様々な宗教でみられるものだ。伝統社会が宗教儀礼の一環としてタトゥをとりいれている社会も少なくない。
芸術的な表現では、パフォーミングアートと呼ばれる身体芸術の分野では、身体を傷つける行為を芸術的な表現とするものがあり、伝統文化やアルカイックな社会の儀礼を近代社会の文脈に転用する「プリミティビズム」と呼ばれる一連の表現では、伝統社会の宗教儀礼や通過儀礼の形式を再現する行為もみられる。タトゥ、ピアシングや鉤で身体を吊す行為など様々な行為が、身体表現として行なわれてきており、パフォーミングアートの世界ではこうした身体を傷つける行為は確立したジャンルとさえなり、美術館、ギャラリーあるいは大学の講義などでも扱われるまでになっている。
また、大衆文化や大衆芸能の世界では、身体の痛みを伴う「芸」の例が多数ある。サーカスでも火渡りが行なわれるが、剣を呑む、針の上に横たわる、頭で固いレンガや瓦などを割る、あるいは日本の伝統芸かもしれないが、金魚を胃袋に入れて釣り針で釣るといった大道芸のような芸当もある。そして、傷や出血を伴うSMプレイや緊縛もまた痛みを伴うことなくしては成り立たないものだ。
このように痛みを伴う身体表現は、スポーツ、宗教、古典芸術から現代芸術、大衆文化まで広範に見いだされる。また、痛みを伴なう行為には、賞賛されたり教育制度のなかに取り入れられるものから、大衆の娯楽や趣味の類するもの、更には一般には「アブノーマル」とか「異常」などとの偏見に晒されるものまで、その評価もまた多様である。そしてその多くが、医師免許を持たない者たちによる行為であり、時には学校教育のなかで未成年にすら推奨される行為となってもいる。刺青やタトゥもまた上記のような痛みの文化のなかに含まれ、しかも、こうした広範な痛みを伴う表現における最も歴史も古く、人類の広範囲にわたる社会・文化に見出すことのできる表現だということを忘れてはならない。このように痛みを伴う身体行為全体を見渡したとき、とくに刺青あるいはタトゥを槍玉に挙げて医師法違反の行為とすることは明らかな法の濫用というしかない。
痛みは、医学において脳に神経伝達経路によって伝えられる特殊な刺激として捉えられるような、身体生理学的な理解に還元できるものではない。ディヴィド・B・モリスは次のように「痛み」について述べている。
私たちは単に私的な一個人としてだけではなく、文化あるいは下位文化の一員としても痛みを体験している。つまり私たちは、現在の自分を取り巻いているイメージによって形成され強化された様式に従って、痛みを体験しているのである。家族・友人・地域社会が、その行動と価値観において私たちの体験を形成する痛みの主たるイメージを与える。(中略)強調すべき点は広告から純粋芸術まで、痛みの表現における文化的変遷が、相互に影響しあいしばしば促進しあって、私たちの個人的体験にも重大な変化をもたらしているということである。
刺青師あるいはタトゥアーティストにとって、痛みは、皮膚に「彫る」という行為が不可避的に与える感覚であるということ以上に、その痛みを伴う経験を依頼者が自らの意思で引き受けることとの関係のなかでその意味が構築されるものだという点が重要だろう。刺青やタトゥーについて最もよく語られるのも痛み体験なのである。依頼者に痛みへの自覚を与えることは刺青師やタトゥアーティストにとって重要なコミュニケーションの条件となる。痛みは刺青あるいはタトゥの経験そのものであり、彫られた後の皮膚の傷痕によって描かれた作品と不可分な経験である。彫られる側にとっては自らの痛みを相手に委ねることであり、彫る側にとっては、この委ねられた痛みを前提として、イメージされた「絵」を現実のものにする。イメージの対象化の第一歩に痛みが位置することになる。モリスが言うように、痛みの体験は、生理学的なメカニズムに還元できない。彫師やタトゥーアーティストはこのような文化的な文脈のなかで個人の体験に重要な意味を与えるという役割りを担う。歯痛や骨折の痛みに耐えることはある意味では無駄な労苦だから麻酔によって痛みを緩和してしまうが、刺青やタトゥを彫ることから痛みを引き去ることはできないし、すべきでもないのであって、ここに痛みに対する肯定的な価値意識がある。ここにおいてもまた、医療行為とは本質的な違いが見出せる。
3.4. 傷痕の意味
痛みの問題は、傷痕をめぐる考え方にも関わる。彫師やタトゥーアーティストは傷それ自体が自己目的であり表現の核心にあるから、傷が依頼者のアイデンティティの一部となることの「意味」に配慮することになる。とりわけまずなによりも、刺青やタトゥを入れるよう依頼した当事者のイメージのなかで、人生の物語として構築されるものだという文脈のなかで傷痕はその意味を担い、配慮されるものとなる。この点で傷痕が刺青あるいはタトゥにおける本質となる。逆に医師にとって外科手術を行なったときに生じる手術跡は消し去ることができればそれが最上であるといったネガティブなものでしかない。医師にとっての痕への配慮は、隠すことの配慮でしかない。美容整形であっても、その手術の痕跡を悟られないように隠す技術が要求される。整形していることがあからさまであることは美容整形においてはマイナスにしかなるまい。従って、医師にとって傷痕は無意味なもの、手術の痕跡に過ぎず医師としての行為の本質ではない。あるいは消滅して自然な身体と区別のつかないものになることにこそその意味があるという点からすれば、傷痕の意味は完全にネガティブなものでしかない。しかし刺青やタトゥあるいはインプラントやピアシングのような様々な「ボディアート」や「身体変工」と呼ばれる表現行為は、医療における傷痕認識とは真逆だ。これらの表現では傷こそが残すべき価値のある個性なのである。傷が隠されることなく身体の表面に表出することこそが最も大切なことである。
刺青師あるいはタトゥアーティストは、傷痕に意味の全てを込める行為主体である。その傷と意味の関係は、美容整形を含めて医師とは全くそのベクトルが逆なのである。刺青師あるいはタトゥアーティストにとっても依頼者にとっても、傷痕の意味は、医療行為には見出せない刺青あるいはタトゥの本質なのだ。
4. 刺青師あるいはタトゥアーティストにとっての表現の自由とは
4.1. 歴史的背景
身体を針などでで傷つけて文字や文様、絵などを彫る行為は人類史全般にみられる行為だが、これが「アート」としての文脈で評価されるようになるのは、日本では18世紀末以降であり、欧米においても19世紀以降のことだ。欧米では船乗りや兵士たちがタトゥを入れる習慣があったが、19世紀末には王侯貴族らが日本の刺青文化に触れてこぞって刺青を入れるようになる。
身体への刺青は、歴史的にも考古学的な対象となる時代から、そしてまた、地理的にも人類学や民族学が対象とするようなアルカイックな社会において、歴史的にも地理的にもほぼ地球全体を覆う規模で見出される表現である。従って刺青あるいはタトゥの意味やその社会において果す機能、価値、評価なども極めて多様であって、一つではない。しかし、どの時代、どの文化においても共通していえることが一つある。それは、刺青あるいはタトゥの施術が医師によって行なわれるべきものとみなされる文化はない、ということである。皮膚を傷つける行為であり、保健衛生上のリスクのある行為であることはどの時代、どの文化でも知られていることであるにもかかわらず、これを怪我などで生じる傷を治療する行為と同等の行為とみなす文化はないということである。
刺青あるいはタトゥは、伝統社会においては宗教儀礼や共同体の通過儀礼、あるいはジェンダーアイデンティティに関わる儀礼などと位置づけられて、支配的身体表現の位置を占める場合が多いが、市場経済や世俗的な文化が浸透した社会では、刺青やタトゥはある場合にはこうした共同体の規範文化から離れて様々な意味作用をもつようになり、その社会との関わりもひとつではない。その結果として、刺青師あるいはタトゥアーティストの社会における位置や評価も多様である。
このようにタトゥは、地球上の様々な文化を横断して歴史的にも古くから見出せる身体表現であるが、これが近代以降、社会の支配的な身体表現からは排除されて周縁化される。これは、医学や保健衛生の観点から生じたことではなく、西欧のキリスト教文化が非西欧世界の世界観や共同体の伝統を忌み嫌って排斥したことによる。その結果ラテンアメリカで広範に見られたタトゥの伝統はほぼ消滅することになった。ポリネシアなど南太平洋の場合、キリスト教徒によるタトゥ排斥はラテンアメリカほど過酷ではなかったが、後に占領支配することになった日本がタトゥを厳しく排斥したとされている。日本がアイヌや琉球の刺青文化を嫌い排斥したこともよく知られているが、こうした日本の刺青排斥もまた、保健衛生の観点からではなく、西洋の価値観と儒教文化の価値観を至上のものとする近代国家のイデオロギーによる大衆文化への蔑視と異文化の排斥による画一的な支配的文化への同化という意図によるものであった。こうした支配的な文化価値が刺青を排除する一方で。前述したように西欧の貴族など上流階級の一部に刺青への強い関心が持続した理由は何か、別途検討すべき興味深い問題である。19世紀近代は、支配的な価値観が合理主義であるが、その裏面にオリエンタリズムやロマン主義を同伴しており、この複合的な近代の文化的な価値の構造を視野に入れる必要がありそうだが、これは私の能力を超える課題だ。
4.2. タトゥとアインデンティティポリティクス
こうした支配的な文化による周縁的な文化への蔑視と排斥や差別の感情は、西欧にもみられ、植民地主義が異文化を排斥し同化する一方で、この他者の文化を野蛮で珍しいものとして見世物にするといったことが20世紀初頭の頃までは見出すことができた。しかし、文化人類学や民族学などの研究の発展と多様な文化やライフスタイルを思想信条の自由、信教の自由、言論表現の自由として基本的な人権とする理解が拡がるにつれて、非西欧世界の身体表現の再評価がなされるようになるのが、20世紀後半から現代に至る大きな流れといえよう。
西洋においては船乗りや兵士のタトゥには死亡したときの身元の確認の意味が込められていたとも言われているが、とくに1980年代以降、ライフスタイルの多様性を重視する価値観が大衆文化のなかにも浸透し、非西欧世界の身体表現を「modern primitives」などとして再発見、再評価する動きが、サブカルチャのなかに一定の影響力をもつようになる。たとえばパンクロックの文化は、主流のファッションでは「汚い」とか「異様」などとして退けてきたモヒカンなどの個性的なヘアスタイルや奇抜なメイク、ピアス代りの安全ピンを自己のアンデンティティを表現する重要な手段として肯定する文化をサブカルチャのなかに構築した。また、1980年代以降のサブカルチャでは、タトゥは、ピアシングなどの他の身体変工body modificationと一体のものとして括られることも多い。現在の欧米のタトゥ文化の源流にはこうした80年代のサブカルチャ全体が与えた支配的な文化的価値への挑戦との接点がある。この点は日本の刺青文化とは異なる身体文化の背景をなしているだけでなく、文化的な多様性が歴史的に変容するなかで、タトゥという身体表現の意味作用それ自体もまた変容してきた。
この点は、女性の身体表象文化とタトゥとの関わりの変容のなかに端的に表われている。欧米では、女性のタトゥは、ワンポイントの「可愛いもの」としてわずかに容認される雰囲気が支配的であったなかで、全身をタトゥで覆う「ハードタトゥ」を選択する女性たちが登場する。19世紀以来の女性のタトゥの歴史のなかでハードタトゥの女性は極めて少数で、見世物とされてきたような歴史があるなかで、80年代以降のアイデンティティの多様化とフェミニズムの価値観の定着以降、女性のハードタトゥは女性の「美しさ」のステレオタイプを否定して、自己のアイデンティティを確立する重要な手段として一部のフェミニストたちによって積極的に受け入れられるようになる。こうしたタトゥの文化的な文脈における変化の一翼を担ってきたのは、女性のタトゥアーティストたちだった。ハードタトゥを選択する女性達は、女性で人たちと価値観を共有できるアーティストを選びたいという強い欲求があるからだ。ゲイ、レズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー、クィアといった性的マイノリティの人々もまた、他者との差異の表現の手段としてタトゥやピアシングなどの身体変工を積極的に取り入れるようにもなる。こうしたマイノリティの人々にとっても、アーティストは重要なコミュニティのメンバーであって、価値観を共有できない人たちに自分の一生を左右する身体の刻印を委ねることを快しとするものではない。
現代において、タトゥなどの身体表現は一方で大衆化して流行現象のようにまでなっているが、同時に、上述のように、一部の人たちにとっては、自己のアイデンティティにとって不可欠な表現手段となっており、そうであればあるほど、タトゥアーティストたちとの価値観の共有は必須の前提条件となる。
4.3. 刺青=物語る身体
表現のありかたとして19世紀以降の近代刺青あるいはタトゥに限ってみても、欧米と日本ではその表現の意味に大きな違いがある。江戸期に始まる全身に刺青をほどこすいわゆる「和彫り」と呼ばれる刺青は、統一された物語を彫ることに価値があるとされ、西洋のように様々な絵柄や文字が雑然と配置されるようなタトゥは高く評価されない。他方で、西洋では、タトゥはその人の人生の記憶の象徴としての意味合いが強く、一見すると不統一な様々な図像を「私」という身体の主体に表象された記憶によって統一されることによって、他者とは異なる自己のアイデンティティの証しとするという意味合いが強い。
和彫りの伝統に果す刺青師の役割りが、欧米のタトゥのそれと異なるのは、彫られる「絵」をめぐる物語の違いとして示すことができるだろう。明治期の刺青師のなかでも最も著名な一人、彫宇之について、玉林晴朗は次のように述べている。
彫宇之は文身の図の中の人物を知る事に勤めた。同じ豪傑を彫るにしても其の人の生ひ立ちなり性格なりに依って顔の相も変って来る訳である。老若貧富正邪それぞれの別を表はす事はなかなか用意でないが其の点に彫宇之は苦心した。其の為彫宇之は常に芝居を見、講談を聴き、文身の人物に就いて其の由来を知る事に意を傾け、又芝居で其の人物が見得をきったるする時其の形をよく見て文身に応用した。即ちこれ等は写実に留意したもので文身の人物がいきいきとして居るやうに彫らうと努力したのであった。
こうした和彫りの刺青師の努力は、現在にも生きており、伝統的な絵柄として知られている水滸伝などの作中人物の物語や浮世絵師たちの作品への造詣の深さなしにはこれを具体的な絵にすることはできないものだ。彫られる者にとってもなぜこの絵を彫るのかという動機の形成に彫師の知識は不可欠なものである。
名古屋の彫師、彫鐘は次のように述べている。
彫師といってもキャンバスはあくまでも客のからだだ。好き勝手に彫れるわけではない。客からお題が与えられ、客が指定したその場所に彫る。ときにはおまかせもあるが、それでも全身好き勝手にとはいかない。おまかせの場合、客の好みがわからなくて絵が描けなくなることもある。だから、おまかせも困る。
客をよく観察している。知らず知らず彫る相手の気質、好みを少しでも知ろうとしている。それもこれも相手が求めているものに少しでも近づきたいという彫師の習性みたいなものだ。
ここでイメージされている「お題」とか客の「好み」とは、刺青の彫り物として伝統的にとりあげられる物語の素材が念頭に置かれている。ここには刺青師と依頼者との間で共有される「物語」の伝統がある。こうした伝統は、刺青のコミュニティが継承してきた独特のものであって、こうした表現の世界を医学が引き受けることはできまい。
また、横浜の三代目彫よしのこととして前述の斎藤は次のように書いている。
刺青を見て、いい悪いというが、耐えて仕上げた人間の評価を先にしたい。上手い下手はそのあと、相手の価値観を尊重しないと。個人的な人間の評価につながってくる。(中略)
時間、お金、痛み、完成度、全部相手のものですよ。彫師が求めたいもの、お客様が求めたいもののあいだに、ギャップがあって当然本当の完成度を求めたらきりがない。要は自己満足の押し売りをしたくない。もしそんなことをしたらお客様に迷惑がかかる。デザイン、色、ボカシ、それぞれが完璧、それがすべて揃っての完成度。(中略)
本来筋一本にもむだな線はない。線一本が意味をもっている。意味のある線を引くためには勉強しなければ。絵画の世界にむだな線はない、勉強しなければだめだ。
松田修も次のように述べている。
刺青とは、もちろん被刺体(私の造語である)そのものの意志から、出発せざるをえない。構図は、当初においては被刺体に従属していた。しかし、それは作業の進行とともに物化して、ついには被刺体を圧倒してしまう。原構図が完結したとき、その絶対性はみせかけにすぎない。(中略)
刺青とは、絵と生命の双方にまたがった、曖昧な、それゆえにもっとも確実な存在なのである。(中略)
素材としての肉身が、キャンバス化し、幻影化、非実体化することは断じてさけねばならない。存在としての肉身の上に、今一つ重ねられた存在の確実さこそが、刺青なのである。その根源にひそむ素材としての肉身への、自虐的フェティシズムを忘れることは、まったく不当である。
刺青のプロセスは、刺青師と依頼者との間のコミュニケーションのプロセスでもある。こうした和彫りの刺青師の言葉や施術に向かう姿勢の基本は、依頼者がどのような物語を求めているのかを、依頼者との共同作業のなかで確定しながら、依頼者がイメージとして抱いている物語の登場人物や情景を具体的な「絵」として提示して、それを皮膚に彫り込む。この全体のプロセスは、身体を一つの物語に象徴される絵のキャンバスとすることを前提として、依頼者とコミュニケーションをとる。例えば水滸伝の魯智深を彫るというとき、魯智深をめぐる物語は刺青師にも依頼者にも共有する「物語」としてあらかじめ共有されるが、「魯智深」をめぐってその場で構築される共有される「物語」が、メタレベルの物語として生み出され、それが刺青師のイメージから依頼者の身体へと具体的な「形」となって可視化される場全体のプロセスがまさに刺青師と依頼者の相互行為としての刺青なのである。「彫師が求めたいもの、お客様が求めたいもののあいだに、ギャップがあって当然」という言葉は、刺青の本質を突いている。このギャップは人間が人間と向かい合うときに必ず生みだされる「イメージ」のギャップだが、このギャップを自覚しつつ双方が最適とみなす作品を皮膚に刻印することが刺青師の仕事なのであって、皮膚を傷つけて色素を埋め込む行為という表現によっ語りうるものではない。こうした依頼者との相互行為があるからこそ刺青師の刺青師としての主体性と個性が生きるのである。
4.4. タトゥ=記憶する身体
これに対して、欧米のタトゥの場合、このような物語を纏うような伝統のなかで展開されてきたものとはいえない。その時々において依頼者にとって人生の記憶として肌に記録しておきたい象徴的な「絵」こそがタトゥなのであって、その意味は和彫りがもつような物語によって決定される審級をもたない。ベバリー・イェン・トンプソンは「タトゥは人生の旅を可視化するもの」と述べ、身体に刻まれたある種の日記ともいえるし、節目となる出来事を記録したものともいえるという。「ブログを書いたり、スクラップブックを作ったり、編み物したり刺繍したりする人がいますね。こうしたことを私は自分の身体に纏うんです。」というヘビー・タトゥイストの言葉を紹介している。
タトゥアーティストに彫ってもらうとしても、身体に纏われた様々な人生のシンボリックな記憶の断片を繋ぐ物語を語りうる主体は依頼者の側にある。とりわけ80年代、90年代以降、欧米社会でタトゥがサブカルチャとしての評価を獲得しはじめた時代は、同時にLGBTなど性的マイノリィが自己のアイデンティティを取り戻す表現のひとつとして身体表現に新たな可能性を見出そうとした時代でもあり、パフォーマンスアートも含めて身体変工全体に高い関心が集る時代でもあった。トンプソンは「女性の身体が規範的な美の理念のなかで解釈される」ためにタトゥはマージナルな表現にとどまるにもかかわらず「自己をめぐる表現、パフォーマンス、政治、原理の観点として理解されるべきもの」であり、自己がタトゥを纏うことによって「美の規範によるプレッシャーや『正しい』女らしさの役割りを拒否」したり、「modern primitives」と呼ばれるような伝統社会における身体の使用や表現を用いて、「現代社会の諸問題から身体と自己を救済する方法」を見出そうとする流れの一環として位置づけられている。
紙に絵を描くように、人の身体に文字や図像を彫ることはできない。全く同じデザインであったとしても、対象が紙なのか人の皮膚なのかは本質的な違いがある。その違いは、いわゆる医学的あるいは保健衛生上の違いといった事柄ではなく、アーティストが作品を制作する上で避けられない作品の主題そのものに関わる。
4.5. 医師法適用は表現の自由を支える構造そのものの破壊である
タトゥアーティストにとって、作品は彫られる身体と不可分である。日本の伝統的な彫師であれ、タトゥーアーティストであれ、彫る者は、彫られる者との関係のなかでしか作品を完結させることができない。その作品は、固有名詞をもった特定の人物が生涯纏うことになるものであり、額装されて壁に飾られた絵画のように、取り替えがきくものではない。日本の刺青で「額彫り」という言葉があるように、身体それ自体がある種の「額」となる。画家がキャンバスに向うとき、そこには画家一人の世界があるのみだが、タトゥのばあいは、必ず、そこには他者が介在する。そしてその他者を介して彫る者は自らをアーティストとして成り立たせることになる。何をどこに彫るのかという選択は、この関係のなかでしか決めることができない。タトゥアーティストの表現は、この意味で、彫られる対象とのコミュニケーション抜きには成り立たない。このコミュニケーションには、二つの側面がある。ひとつは、文字通りの「言葉」の世界であり、もうひとつは、身体がタトゥーアーティストの手によって無数の針によって色素を刺し込まれるという身体の行為を介しての世界である。水滸伝や聖書の物語の世界から日本のアニメのキャラクターまで、身体に纏われる図像は意味を伴うわけだが、その意味は、アーティストと依頼者とのコミュニケーションのなかである着地点が見い出される。それなくしては、作品は生まれようがないのだ。
ハワード・ベッカーは『アート・ワールド』のなかでアートは個人のアーティストが生み出すというよりも「共同作業やものごとの段取りの相互に関連した知識によって組織化されたネットワークがアート作品を生み出す」と述べているように、作品を生み出すアーティストは、その「アート」を構成している世界なしにはありえないのである。刺青あるいはタトゥも同様である。彫る主体、彫られる主体、彫られる「絵」とそれが指し示す「意味」これらが織り成す刺青あるいはタトゥの作業の「場」の構造は、医療の「場」とは明らかに異なる。更に、こうした当事者が構成する関係の枠組を支える表現世界全体の構図のなかに刺青あるいはタトゥが存在するのであって、こうした刺青あるいはタトゥの表現世界を支える構造なしにはその表現もまた維持できない。だからこそ、文化の文脈を理解できる刺青師あるいはタトゥーアーティストでなければそもそも「彫る」ことの意味を構築することはできないのである。そしてこの意味の世界があって具体的な皮膚を傷つけて色素を埋め込むという施術が位置づくのである。刺青あるいはタトゥの表現の自由を支えているのは、刺青あるいはタトゥが歴史的文化的に構築してきた表現の構造なのだから、この構造を分断して医療のような別の構造のなかに組み込むこと自体が、表現の自由を破壊することになる。
医療行為は、「病い」を前提とした健康の回復を目的とし、あくまで医師が施術の主導権を全面的に握り、患者は医師にとって施術の客体にすぎない。美容整形であってもそうだ。美容整形の基本は、施術する側もされる側も、その双方が社会の支配的な「美しさ」の規範を前提として、痛みを必須の要件としない(むしろ麻酔などによって無痛であることが好まれる)。刺青やタトゥの表現は、他者からの差異のなかで自己のアイデンティティを確立しようとする方向をもつとすれば、美容整形はこれとは真逆に、社会の多数者がもつ「美的な存在」へと自己を同化させようとする同調効果としての表現であって、この両者には本質的な違いがある。この意味でも医師に刺青やタトゥの施術を委ねることはできない。
刺青やタトゥは、これとは全く異なり、刺青師やタトゥーアーティストの職人として、あるいはアーティストとしての主体は常に依頼者を介して、依頼者との相互行為のなかでしか実現できない特有のものである。三代目彫よしが「線一本が意味をもっている」と言うとき、その意味は、彫師がこの線に対して与える意味であるが、同時に、その意味を依頼者もまた依頼者なりに意味あるものとして解釈する。この彫る者と彫られる者がお互いに抱く「意味」の共感や交歓のなかに刺青やタトゥがひとつの表現として立ち上るある種のアウラが創造されるのだと思う。
5. おわりに
社会の大半の人々がその価値観として当然のこととして是認するような表現は、敢えて憲法が権利としてその自由を保障する必要もなく、自然のこととしてこうした表現の自由は享受しうるものである。むしろ、多くの人々にとっては、様々な理由で許容しがたいか価値観や道徳観に反すると感じられるような表現を、憲法は保障すべきこととしているのである。多数者が許容できない少数者の表現の自由を権利として保障することこそが、表現の自由の本質に関わることがらである。とりわけ、本件のように、自己の身体に対して自己の自由意志に基いて改変すること(身体変工body modificationと呼ばれる)は、他者の権利や思想信条を侵害することによって自己の表現の自由を保持しようという場合に問題となる自由の権利のトレードオフが生じているわけでもない。
刺青文化に造詣が深く、多くの刺青小説を書いた劇作家、飯沢匡は次のように書いている。
私が刺青小説を書いているのは、日本の文明のゆがみというか刺青なんていう個人の趣味に過ぎないものにも国家権力の圧力が加わったままになっている野蛮さが腹立たしいのである。日本人は一方では刺青を愛好し、いや熱愛し(その証拠は刺青映画が毎週量産され、大流行し圧倒的に支持されていることで判る)その一方では道徳家ぶって否定して刺青者を嫌悪し遠ざているのである。
飯沢のこの文章が書かれて半世紀近くになろうとしているが、本件裁判に端的に象徴されているように、権力が個人の趣味に公然と介入するこの国の悪しき伝統が未だに大手をふっていることに私は暗澹たる思いを抱かざるをえない。刺青あるいはタトゥは誰に迷惑をかけるものでもない。自身の身体を表現するために選択された手段のひとつに過ぎない。
戦前の刺青禁止の時代においては、官憲の摘発にさらされながら生き抜き、刺青の文化を支え、戦後は現代に至るまで、戦前の道徳的な偏見を払拭しえない人々の目にさらされながらも、その表現を発展させてきた刺青師やタトゥーアーティストの努力は並々ならぬものがあったと思う。憲法に「保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」(12条)とあるように、自由と権利は「不断の努力」を前提とするが、刺青師やタトゥアーティストはその仕事そのものにおいて日常的にこの不断の努力を遂行してきたともいえるのである。
本稿で述べたように、刺青あるいはタトゥは、皮膚を傷つけることによってのみ可能な固有の表現であって、他の表現で代替できるものでもなく、医師によって可能な表現でもなく、刺青師あるいはタトゥアーティストによって行なわれる以外にないものである。身体を傷つけることや苦痛を伴う行為がおしなべて人権に反するわけではなく、むしろ自らの身体をそのように用いる自由があることを、とりわけ刺青やタトゥのように長い施術の伝統をもつ分野においては常識として確立してきた。また身体を傷つける文化的な表現行為は、刺青に限らず多様かつ広範囲に見出されるものであるにもかかわらず、こうした表現行為のなかから刺青をとりわけ危険で医師による施術以外は認められないかのように主張することには合理的な根拠はない。一審判決の本質は、刺青あるいはタトゥに対する偏見や誤った道徳的な価値判断に基くものであって、戦後の憲法による表現の自由の権利を巧妙に回避する手段として医師法を利用したものであって、法の濫用であるだけでなく、刺青師あるいはタトゥアーティストの表現の自由を侵害することは明かである。