東部ウクライナの余計な人たち

(訳者まえがき) ここに訳出したのは、ウクライナ出身のアーティスト、Anatoli UlyanovのLeft Eastに掲載されたエッセイである。タイトルにある余計な人たちThe Superfluous Peopleとは、ロシア語話者でロシアに何らかの出自や関わりがある人達のことだ。ウクライナの政府にとって大切なのは、領土であり、こうしたロシア語話者の人達を本音では排除したいのではないかと、彼自身の経験を踏まえて判断している。もちろんロシアにとっても余計者であり、せいぜいでウクライナとの戦争で消費される戦力としてしか考えられていない。

ウリヤノフは、2004年のオレンジ革命以後、ウクライナの不寛容なナショナリズムとLGBTQコミュニティへの迫害を批判してきたアーティストで、ウクライナではゲイともみなされてきた。ウリヤノフのようなアイデンティティをもつ人達は、ウクライナでもロシアでも居場所を見出すのは容易ではない。ごく簡単にウリヤノフの経歴について紹介する。

2003年、アナトリ・ウリヤノフとナターシャ・マシャロワ(Natasha Masharova)は「プロザ」というウェブサイトを立ち上げ、とくに2004年のオレンジ革命以後、外国人嫌いで保守的なナショナリストのイデオロギーが世論を支配し、政府機関に根付いているのを見て、反ナショナリズムの主張を展開すると同時に、エロティックアート、同性愛の汚名に挑戦するエッセイなど、LGBTQ+ コミュニティを支援する仕事も発表し始めた。

2008年に「ウクライナの伝統的価値」を守るための検閲を任務とする政府機関「道徳委員会」の設置に反対する活動を開始する。この委員会のメンバーであるダニロ・ヤネフスキーは、「奴隷に言論の自由は必要ない」「口を閉じて座っている必要がある」のであり「検閲の実施に賛成する」と発言するなど、表現の自由に深刻な危機をもたらした。ウリヤノフへの繰り返しの暴力や脅迫に対して警察は何の手立てもとらず、道徳委員会設立の立役者の一人でもあったキーウ市長もまた事件を軽視する態度をとった。右翼・ナショナリストの反感を買い、暴力を振われたり脅されたりしてきた。繰り返される暴力と迫害のために、2011年、ウリヤノフとマシャロワは2009年4月にウクライナを出国し米国に渡り、亡命を申請する。ウリヤノフは、反ナショナリズムの政治信条やゲイ・コミュニティの一員であるとの判断から、過去の迫害や将来の迫害に対する十分な恐怖が証明されるため「難民」として認定され、2018年、人権団体などの支援を得て、米国への亡命を果し、現在米国在住。(以上は、アナトリのブログ記事「REFUGEE PROFILE OF ANATOLI ULYANOV」を参考にした)

ウリヤノフは、米国において、トランプ政権下で、労働者階級の中で生活した経験から、その見解はラディカルなものになってきたという。当初はナショナリズムに反対し、多様性と人権を尊重する立場――「ピンク・ソーシャリズムと呼んでいる――だったが、今では、傷つき赤い血を流すなかで、反帝国主義、反人種主義の赤い社会主義へと向かっている、という。(Left Eastのインタビュー)

私は、日本のメディアが「ウクライナ人」「ロシア人」といった呼称を何らの前提もなしに、用いるとき、国籍の概念としてこれらが用いられているとしたとしても、どれほどの多様性を自覚して用いられているのか疑問に思うことが度々あった。とくに東部ウクライナのロシア語話者や、親族などがロシアに出自をもつ人達もおり、また、ロマやユダヤ人、そして最近は、非西欧世界からの移住者や労働者も生活している。ロシアも同様で、極東ロシアは極めて多様性の大きい少数民族地域でもあるが、大抵は、ロシア=ヨーロッパロシアとみなしていると思う。同時に、ジェンダー・アイデンティティも多様であり、宗教の信条もそうだ。こうした多様性を前提とした社会が戦争に巻き込まれるとき、こうした多様性への寛容よりも効率的な戦争遂行のための人口管理が優先するために、自由は抑圧されることになる。

ウリヤノフは、この戦争で東部のロシア語話者の人達がいったいどのような処遇を受けるのか、という問題を自身の亡命を余儀なくされた経験を踏まえてかなり悲観的に書いている。西側メディアはウクライナのロシア語系住民や、ロシアの多く暮すウクライナ系住民の問題をとりあげることはほとんどない。ロシア語系住民にとって、戦争後の世界は、どちらが勝利しようと良い未来ではない。ウリヤノフは、彼らに残された選択肢は、より悪くない方を選ぶことしかできないのではないか、と述べている。そして、この見通しがまちがっていれば、そこにはまだより良い未来への可能性があるかもしれない、というやや自嘲的な文言で締め括っている。(小倉利丸)

東ウクライナの余計な人たち

Anatoli Ulyanov 著
2022年9月10日
あなた自身のことを、爆撃を受けた東ウクライナの都市で、解放されるのを待っているロシア語を話す人だと想像してみてほしい。その「解放者」のうちの何人かは、まずあなたのクローゼットをチェックして、Zブランドの間に合わせの砲兵として動員できる若者を探すだろう。別の解放者たちは、あなたを「vatnik」(ホモ・ソビエチス[ロシア人の蔑称])以外の何者でもないと見なしているのは明らかだ。あとは、あなたがどちらのナイフで解放されたいかだけだ。被害者の善のナイフか、それとも侵略者の悪のナイフか?

Emmanuil Evzerikhin, Stalingrad (1943)

ウクライナの国家安全保障・防衛会議事務局長のアレクセイ・ダニロフの話を聞いていると、「ドンバスの再統合」については誰も特に関心がないことがわかる。重要なのは領土であり、できれば「余計な」人口を排除することだ。民衆という存在は概して厄介なものだ。皆、それぞれの考え方やアイデンティティを持っていて、違いやニュアンスもある。それをどうにかして一つにまとめ、代表させる必要がある。皆これを面倒くさがる。

もし、あなたが占領地の住民と対話したいのなら、あなた方は「我々と共通言語を見出す必要があるのはあなた方であって、その逆ではない」などとは言わないだろうし、おばあさんがZトラックからの人道支援物資を食べたからといって反逆罪だと非難することもないだろう。あなたは、その破壊が政治的な復讐(脱共産化)というよりもむしろ社会的な排除を意味する程にまで、誰かのママやパパのアイデンティティの一部でもあるソ連のシンボル――もはやイデオロギー的なものではなく、社会的、文化的なものなのだが――に泥を塗るようなことはしないだろう。侵略者であるロシア人ですら、ケルソンの学校にウクライナ語を入れようと考えたのは、広報が重要だからだ。他方、ウクライナ側は、プロパガンダのレベルでも、寛容さや包容性のイメージを伝えることができない状態だ。

あなたが、侵略国の市民に政権に対して立ち上がることを期待するなら、たまたま生まれた場所が悪かったという理由で、彼らのビザを取り上げてプーチンの檻に閉じ込めるような要求はしないものだ。あなたは、例外なく全員が「そういう人たちだ」とは言わないし、文化の架け橋を焼いたり、ブルガーコフの額石を削ったり、腹立ちまぎれに自分を犠牲にしたりもしない……。

ロシアは侵略者だ。これは明らかなことだ。はっきりしないのは、この「余計な」ウクライナ人を、彼らの居場所を見つける努力しない国に引き寄せるのは何なのかということだ。それは、ロシアの恐ろしさ以外にない。ロシアはもっとひどい国だろう。もっと悪くなるのと悪くなるのと、どっちがいいんだ?悪い方がいいに決まっている。それが、与えられた選択肢のすべてだ。

「ここが嫌か?じゃあ、消せろ」。 そうか、ありがとう。少なくとも、あなたが育ち、かつて愛し、夢見た世界から離れることは許されている。彼らは、信頼できる市民でその空白を埋めることだろう。もちろん、あなたが徴兵年齢の男性でなければ、の話だ。徴兵年齢なら、あなたはどこへも逃げ出せない。

ウクライナの勝利を願っている。しかし、私は明るい未来について、無条件な楽観主義を抱いてはいない。

今はロシアの侵略と外敵の存在によって社会の一体性が確保されている。戦争が終わると同時に、内部矛盾が先鋭化するだろう。

戦争は世界共通の議論になる。戦争は、経済におけるあらゆる問題、抑圧、独断を正当化するために役に立つだろう。被害者は常に正しい。被害者はすべてを許され、何の責任も負わない。

ロシアが地球上から消えることはないので、ロシアに近いこと、侵略の記憶があるために、常に戦争の準備をすることが可能となり、必要でさえある。こうして戦争は、大いなる理由Great Reason、問いであり答えであり、統一して事を起こす力、国家の理念、私たちの運命そのものになる。一方、主要な外敵が手の届かないところにいるときには、手の届くところにいる内なる “敵 “に対処することになる。

あなた自身のこの部分の拒絶の一部としてソビエトのすべては消し去られるだろう。それは恥ずべきものとなり、抑圧され、文化の貧困化と結びつき、包摂性の低下、許容できるアイデンティティの範囲の縮小をもたらすだろう。ここで誰が罪を犯しているのか?ロシアだ。しかし、だからといって、「余計な」市民がそれで楽になるわけでもない。

多くの人々が有力な風向きに従うか、あるいは「祖母はロシア化されたのだから、自分は人前では自制しよう[ロシア語を話さずにウクライナ語を話す。原文は、人前で自分をレイプする]」というロジックに従うにつれて、私たちは「侵略者の言語」を拒否するというグロテスクなパフォーマンスを数多く目にすることになるだろう。

ウクライナでの戦争を生き延びたウクライナ人は、ベルリンでの戦争を生き延びた人たちよりもより多くの権利があると当然感じるだろうが、リヴィウやキーウの人たちは、戦争を最も身近に体験した国内避難民や占領地の住民にはこの論理を適用しないだろう。なぜなら、「私たち」と共通言語を見出さなければならないのは「彼ら」だからだ。

「余計な」市民の権利を守ろうとする訴えは、何か疑わしいもの、偽物、クレムリンの支援を受けたもの、そして作為的で非現実的、あるいは危険なものと見なされることになる。ウクライナ国家があまりにも長い間容認してきたもの、現在の戦争につながったもの、今こそこれらにきっぱりと対処する時なのだ。

私は、この「余計な」ウクライナ市民に、何も良いことはないだろうと思っている。せいぜい「愛国的基準」で黙々と同意を履行する二重生活のようなものになるだけだ。自分の国でよそ者であること。新しい抑圧は、古い抑圧によって正当化され、それらを継続的で、果てしなく、一見、正当なものにしてしまう。

未来は迫り来る靴音のようにも聞こえる。それでもまだ、希望はある。とりわけ、私が間違っていれば。

Anatoli Ulyanovは、ウクライナ出身でロサンゼルス在住のジャーナリスト、ビジュアルアーティスト、ドキュメンタリー作家である。彼のブログ、Facebook、Twitter、Instagram、Telegramで連絡を取ることができる。写真:Natasha Masharova。

出典:https://lefteast.org/the-superfluous-people-of-eastern-ukraine/

(OVD-Info)反戦弾圧のまとめ。戦争の半年間

(訳者まえがき)以下に訳出したのは、ロシアのOVD-infoが8月に公表した、ロシア国内の反戦運動への弾圧状況についてのレポート。レポートは6月以降毎月定期的に出されている。6月のレポートでは、反戦運動での拘束者数が16,309だったが、8月に16,437となっているように、拘束者の数はそれほど延びていない。このレポートでも触れられているように、圧倒的に多くの拘束が開戦直後に集中しているからだが、こうした事態をふまえて、日本のメディアなどでも、ロシアでの反戦運動がほとんどみられないかのように報じられることがあるが、逆に、弾圧が強化されて抗議運動がより一層困難になっているともいえる反面、抗議行動の側のねばり強い抵抗によって拘束をまぬがれつつ抗議を展開しているケースも少くない。このことは、反戦運動関連のロシアのTelegramの情報発信は、現在も活発だ。(たとえば、フェミニスト反戦レジスタンスストップ・ザ・ワゴンなど)また、アーティストのコンサートの中止が何件が報告されているが、大衆文化における反戦の雰囲気が根強くあることも示している。戦争を阻止する力は、外交だとしても、戦争当事国の民衆による戦争拒否の運動がなければ、政府は戦争を断念することはなく、戦争は止まらないと思う。この意味で、ウクライナとロシアの戦争を拒否する民衆の運動に注目していきたい。なお、インターネットの遮断やバイオメトリクスによる監視カメラの問題は別途紹介したい。今回紹介した以外のOVD-infoのレポートのリストが最後に紹介されています。(小倉利丸)

半年前、ロシアはウクライナへの軍事侵攻を開始した。ウクライナで民間人を殺害することに加え、ロシア国家は国内でも弾圧を続けている。ロシアにおける反戦姿勢の人々への弾圧について、主なデータをまとめて報告する。

集会の自由の制限

反戦デモに関連した拘束は少なくとも16,437件にのぼると言われている。この数は、街頭での拘束に加え、ソーシャルネットワークでの反戦投稿による拘束138件、反戦シンボルによる拘束118件、反戦デモ後の拘束62件を含んでいる。

この数字は2022年8月17日時点のものである。

算出方法についてここで詳しく説明をしている。


さらに、集会や集会後の拘束に加えて、当局が顔認識システムを使った「予防的」拘束も行われている。このシステムは8月22日の国旗記念日にも使用され、モスクワでは少なくとも33人が拘束された(他の都市でのこうした拘束については知らされていない)。

OVD-Infoは、このデータと未確認情報に基づき、反戦デモにおける弁護士と人権擁護者の迫害について、国連特別手続機関に文書submissionを送付した。また、平和的な集会で拘束されたクライアントに面会しようとした際、警察署で殴打されたアレクセイ・カルーギン弁護士に関する状況についても文書を送付した。

人権擁護者への迫害について国連から問われたロシアは、カルーギンがすべての責任を負うと主張し、言われているような問題はないと主張した。反戦活動家への迫害についての疑問は無視されたが、OVD-Infoが「外国のエージェント」であることに2ページが割かれ、このプロジェクトのウェブサイトはブロックされた。

立法レベルでの弾圧

2022年8月は、ロシア国会議員の休日のためか、新規立法はなかった。ウクライナ戦争が始まって以来、国会議員たちは合計で16の新しい抑圧的な法律や既存の文書の改正を採択した。

訳注:上図はオリジナルのスクリーンショットです。オリジナルデーターは表計算シートになっており、より詳細なデータが表示できます。データは、https://airtable.com/shr5LibdcC0yK4zSm/tblb1uvcX0EoITrgI でアクセスできます。

刑事事件

訳注:オリジナルの地図データのスクリーンショットです。オリジナルの地図では、各行政地域ごとに事件の件数が表示されるようになっています。ここにアクセスしてください。

OVD-Infoは、データを検証する機会を得るために、クリミアにおけるロシア当局の弾圧に関するデータを収集している。

182日間の戦争の間に、224人が反戦の刑事事件の容疑者または有罪者となった。

今月、OVD-Infoの弁護士は、新たに5件の刑事事件で被告人の弁護を開始した。Alexey Onoshkin、Ilya Gantsevsky、Marina Ovsyannikova、Andrei Pavlov、Sergei Veselovの5名だ。OVD-Infoの弁護士は、合計で22件の反戦刑事事件を抱えている。

8月24日の朝、エカテリンブルクの前市長Yevgeny Roizmanに対する、ロシア連邦刑法第280条第3項(軍隊の「信用失墜」に関するもの)の冒頭部分に基づく刑事事件が判明した。

行政事件

出典 メディアゾナ
更新日:2022.8.23

Code of Administrative Offences第20.3.3条の事件数による上位5地域。
モスクワ-517件。
サンクトペテルブルク-229件。
クラスノダールクライ-179件。
スベルドロフスク州…107件。
クリミア共和国…107
出典 メディアゾナ

私たちは、公然と戦争に反対する人々を超法規的に迫害した少なくとも7つの事例を知っている。たとえば、鮮やかな緑色を浴びせられ、襲われ、ドアに葬式の花輪をかけられ、郵便受けに脅迫状を入れられ、非難に関する事件に着手しなかったとして法務省や内務省から解雇され、警察は「Ukronaziがここに住んでいる」と書いた荒らしを捜索しないなどである。

「外国の諜報員」「好ましくない組織」。

8月は法務省の職員が休暇に入ったようで、「外国人エージェント」の登録に新しい人や組織は現れなかった。しかし、この月、検察庁は「ジャーナリスト労働組合」に対し、外国エージェンシー法の要件を満たしていないとして組織の清算を要求し、裁判所はラジオ・リバティの外国エージェント表示がないことによる罰金未払いによる会社破産手続を開始した。

8月23日、法務省はサンクトペテルブルクのGolosのコーディネーターであるPolina Kostylevaを「外国人エージェント」の登録から抹消した。これは同省のホームページに記載されている。

反戦弾圧に関する7月のまとめ」が発表されて以来、「The Ukrainian Canadian Congress」「The Macdonald-Laurier Institute」「Ukrainian National Federation Canada」という組織が「望ましくない組織」のリストに掲載されるようになった。このリストには、現時点で65件が掲載されている。

さらに、現時点では、検察庁はすでに、調査プロジェクト「The Insider」の19番目のドメインを禁止情報の登録対象に加えている。

独立メディアに対するブロッキング、検閲、圧力

Roskomsvobodaによると、約7000のサイトが「軍事検閲」によってブロックされたとのことだ。Igor Krasnov検事総長によると、ウクライナとの戦争が始まって以来、13万8000のインターネットリソースがブロックされ、削除されている。

今月、3つのメディアが「ロシア軍の信用を落とした」として罰金を科された(「ジャーナリスト・メディア労働組合Journalists’ and Media Workers’ Union」、「新物語-新聞(Novaya rasskaz-gazeta)」、2回目となる「夕刊Vedomosti(Vechernie Vedomosti)」。

8月には、アーティストYulia TsvetkovaMirror(Zerkalo)のVKページ、およびOVD-Infoがブロックされた。VKページのブロック理由は、「ロシア連邦軍が行った特別軍事作戦、その形態、軍事作戦の実施方法、また、民間インフラ施設への攻撃、ウクライナの民間人やロシア連邦軍の隊員の中に多数の犠牲者が出たこと、総動員に関する情報など、信頼性のない社会的重要情報を含む情報資料」であったという。

ルホヴィツキー地方裁判所も、OVD-Infoのウェブサイトのブロックを解除することを却下した。

この1ヶ月間、検事総長は、抑圧されたイスラム教徒を擁護する人権活動家Svetlana Gannushkinaが参加した記者会見と、様々なメディア、例えば「Culture of Dignity」、「Tell Gordeeva」、「Rain」等への彼女のコメントを登録対象に加えている。TJは、ホームページのブロッキング後、訪問者が著しく減少したため、閉鎖を発表した。

少なくとも5つのコンサートや反戦の立場を表明する人々のイベントが検閲された。当局はAloeVeraAsya KazantsevaKrovostokDoraAnacondazの公演を妨害した。

OVD-Infoのレポートとデータへのリンク。

出典:https://data.ovdinfo.org/summary-anti-war-repressions-six-months-war#2

ルスラン・コツァバに対するすべての起訴を取り下げよ

(訳者前書き) ルスラン・コツァバRuslan Kotsabaは2014年の「マイダン革命」後の最初の政治犯だとも言われ、アムネスティも「良心の囚人」としているジャーナリストだ。2015年1月23日、ルスラン・コツァバは、Youtubeでポロジェンコ大統領による東部内戦に関して、戒厳令と軍の動員を批判した。

「戒厳令 のもとで動員の宣言が出されていることは知っている。今、内戦に突入して東部に住む同胞を殺すくらいなら、刑務所に入ったほうがましだ。徴兵制に異論を唱えるな、私はこの恫喝戦争に参加しない」

その数週間後、彼は逮捕され、「反逆罪」と「ウクライナ軍の正当な活動の妨害」の罪で起訴され、16カ月間の公判前勾留の後、裁判所は彼に3年半の懲役を言い渡したが、控訴審で無罪になる。しかし、その後何度も起訴されてきた。そして現在も裁判が継続されており、以下に訳出したのは7月にEBCO、IFOR、WRI、Connection e.V.が出した共同声明である。(これらの団体のアクセス先などは最後に記載されている)裁判の最新の状況は、下記のアップデートの箇所にあるように9月4日に開かれたようだが、その内容は私には不明だ。

戦争状態にあるウクライナで、しかも、侵略された側の国にあって、戦争への動員を拒否し、兵役を拒否することは容易なことではない。コツァバの逮捕に関しては、2015年当時から、ウクライナのウクライナ独立メディア労働組合が抗議声明を出すなど、政府による言論弾圧を批判する声があった。コツァバのジャーナリストの評価としては、この独立系労働組合の声明でも手厳しく、ロシアのプロパンガンダに事実上加担したのではないかとし、また、徴兵制無視の呼びかけにも反対している。たとえばハルキウの人権保護グループのように、「私たちの多くは、コツァバの意見に強く反対し、ジャーナリズムではなくプロパガンダに従事するメディア[ロシア政府系メディアを指す:引用者注]との協力に反感を抱いている」と率直な批判を表明している。しかしそれでも、彼の言論活動を12年から15年の禁固刑を伴う国家反逆罪で告発することは妥当ではない、としている。このようなウクライナ国内の団体の態度をみると、戦争状態にある政府が、いかに逸脱した権力を行使し、反戦の声を重罪によって押し潰そうとしているのかが逆にはっきりしてくる。事実を正確に把握すること自体が困難だが、ウクライナ国内で軍事行動に反対することが、ロシアを利する行為とみなされて、過剰な弾圧の対象になりうるだろうし、逆に、ロシアはこうしたウクライナ国内の反軍運動や平和運動を自らの軍事的利益のために利用しうるとみなすだろう。ロシアでもウクライナでも戦争を拒否するという選択肢が権利として保障されなくなっている。コツァバのスタンスで重要なことは、戦争は拒否されるべきであり、人を殺すという選択はとるべきではない、という一点であり、この主張は、兵士となることを拒否する権利であり、軍隊に協力しない権利であると思うから、戦争当時国の戦争を支持する人達にはまず受け入れがたいことになる。だから弾圧の力が働くのだと思う。

ウクライナでは、正義の戦争に国民が一致団結して軍に協力しているかの印象があるが、実際はそうではない。2019年9月、キエフの軍事委員会は、徴兵忌避者34,930件を警察に報告し、警察がこうした人達の摘発に乗り出しているという報告がある。国連ウクライナ人権監視団は、2019年5月から8月にかけて、個人を逮捕する権利のない軍事委員会の代表者が徴兵者を恣意的に、路上などで強引に埒する事例を11件記録するなど、22年2月24日以前のウクライナにおける東部「内戦」(ロシアの介入をどうみるかで、内戦と呼べるかどうか判断が難しいので括弧つきにする)以降のウクライナ国内の人権状況は深刻だったと思う。しかも、良心的兵役拒否は極めて限定的にしか認められておらず、軍人や予備役には認められない。そのために、軍部隊の無断放棄や脱走、自殺なども頻発している。ロシアでも同様のことがいえる。いずでの側でも、戦時体制の下では、必要最低限の権利行使の枠組は、良心的兵役拒否しかないとしえるなかで、この権利行使そのものの主張が犯罪火化されている。ロシアの侵略に対して正義を掲げるウクライナは、正義を体現しうるような基本的人権を尊重した戦争行為で応じることは極めて難しい。正義が戦争という手段をとること自体が正義を裏切らざるをえないということだ。だからこそ私は、戦争の当事国にあって、戦争を拒否する立場をとる人達を支持したいと思う。(小倉利丸)

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EBCO、IFOR、WRI、Connection e.V.による共同プレスリリース。

2022年7月18日

ウクライナでは、ウクライナ人ジャーナリスト、平和主義者、良心的兵役拒否者であるはRuslan Kotsabaに対する裁判が2022年7月19日(火)に行われるが、これは単に彼が平和主義的見解を公に表明したという理由によるものである。

国際和解の友(IFOR)、戦争抵抗者インターナショナル(WRI)、良心的兵役拒否欧州事務局(EBCO)、コネクションe.V.(ドイツ)は、彼のケースは明らかに政治的動機による迫害で、市民的及び政治的権利に関する国際規約の18、19条、欧州人権条約の9、10条の下で保証される表現の自由、思想・良心・宗教の自由の権利を侵しているとみなしている。

各団体はRuslan Kotsabaへの連帯を表明し、ウクライナ平和主義者運動の活動家を含むウクライナの全ての平和主義者が自由に意見を表明し、非暴力活動を継続できるように保護するようウクライナ当局に要請する。

各団体はまた、ロシアのウクライナ侵攻に対する強い非難を想起し、兵士が戦闘行為に参加しないよう、またすべての新兵が兵役を拒否するよう呼びかける。

ウクライナ政府は、良心的兵役拒否の権利を保護し、欧州基準および国際基準、とりわけ欧州人権裁判所の定める基準を完全に遵守すべきである。

ウクライナは欧州評議会のメンバーであり、欧州人権条約を引き続き尊重する必要がある。ウクライナはEU加盟候補国であるため、EU条約で定義された人権と、良心的兵役拒否の権利を含むEU司法裁判所の判決を尊重することが必要である。

共同声明英文PDF

連絡先:

UPDATE

ルスラン・コタバの次回の審問は、2022年9月4日に予定されています。

前回の公聴会の前に収録されたビデオメッセージをご覧ください。[英語字幕付き]

詳細はこちらで確認ください。

行動を起こそう

国際的な連帯は非常に重要です。

例えば、以下のようなことが可能です。

  • ウクライナ大使館の前でメッセージを掲げ、写真や文章を公開する。
  • ルスラン・コタバを支援するために、あなたの国の政治家に働きかけてください。
  • あなたの国のメディアと協力して、ルスランのケースを報道してください。
  • 公開されたアピール文またはあなた自身のメモを、ウクライナ検事総長Andriy Kostin氏に送ってください。
    Riznytska St, 13/15
    Kyiv 01011
    Ukraine
  • ソーシャルメディアで共有し、ハッシュタグ#ConscientiousObjection #FreedomExpression(表現の自由)を使用する。

https://www.ifor.org/news/2022/7/19/ifor-joins-international-press-release-on-the-case-of-pacifist-journalist-ruslan-kotsaba

ロシアとウクライナ国内の反戦運動から―戦争で戦争を止めるべきではない

以下は、『市民の意見』2022年8月に寄稿した原稿に典拠のリンクと若干の加筆をしたものです。

1 危機的な日本の「平和主義」

2月24日に始まったロシアのウクライナ侵略からすでに半年になる。国会の与野党を含めて、おおかたの保守・右翼や保守メディアは、9条改憲反対の人々をターゲットに、覇権主義的な中国の動きを示唆しつつ「もし日本がウクライナのように侵略されたらどうするのか」と詰め寄っている。この詰問には、「ウクライナの人々は断固として武器をとって抵抗している」という自衛のための武力行使と、おびただしい非戦闘員の犠牲が強調される。非道なロシア軍、非力な市民、この市民を守るウクライナ軍という構図のなかに、国際紛争の解決の道は武力による決着以外にはないかのようだ。果してそうなのだろうか。

反戦平和運動のなかで、「侵略に対して武力による抵抗や反撃を選択しない」と断固とした態度で応える人達の声が確実に小さくなっているように感じている。ウクライナへのロシアの軍事侵略をきかけに、反戦平和運動のなかでも、自衛隊を完全に否定して文字通りの意味での非武装を主張する人達は、いったいどれだけいるのか。国会野党でこうした主張をする政党はもはや存在しない。立憲民主党は「自衛隊と日米安全保障条約を前提とした我が国の防衛体制というものを考えている政党」を明言しており、共産党は原則として「自衛隊=違憲」論の立場だが「自衛隊=合憲」の立場もとることを否定しておらず、社会民主党も「自衛のための「必要最小限度」の防衛力」を肯定している。自衛隊の争点は、自衛隊そのものの是非ではなく、自衛権行使の枠内での自衛隊の存在を容認しつつも、「自衛」の限度を越えて自衛隊を強化しようとする自民党の軍拡路線に焦点を絞って反対をするという現実路線が反戦平和運動の主流になっている。かつて自衛隊の海外派兵に反対する運動の一部に海外派兵されない自衛隊なら容認するような雰囲気があったように思う。そして今、海外派兵のタガはとっく外れている。敵基地攻撃能力をもたないなら、武力を保有することは容認するところまで野党の9条護憲の内実は後退してしまっているのではないか。紛争解決の手段としての武力行使をいったん認めてしまえば、暴力が正義を体現することになるのは必定であり、歯止めのない軍拡へと向うことは自明だ。

挑発的な想定問答、「もし日本がウクライナのように侵略されたら…」が繰り返されるなかで、これまで9条改憲反対を主張してきた政治家から学者や知識人、平和運動の活動家までがうろたえたり、言葉を濁すことがあれば、そのこと自体が、9条は理念としては大切だが現実はそうはいかないかもしれない…という戸惑いのメッセージになる。ウクライナの悲劇とロシアの暴挙を目の当たりにして、なんとかウクライナの人々を救わなければならないという切実な思いに駆られるとき、武力による反撃は致し方ないのでは、NATOなどの軍事支援も否定できないのでは、それがウクライナの人々の思いであり、最適な戦争終結への道だという方向に考え方が変わることはおおいにありうる。そうなると漠然と「平和」を指向しているリベラル寄りの世論は、現実主義的な発想に屈し、確実に9条改憲に流れるだろう。

しかし、「もし日本がウクライナのように侵略されたら…」という世間に蔓延している問いは、9条改憲や自衛隊の更なる強化に肯定的な側が、みずからの主張を正当化するために、9条改憲に反対の人達に無理難題を突きつけて「改憲もやむなし」ということをしぶしぶ認めさせるための方策のひとつになっている。こうした問いの対して私たちがとるべき「答え」はひとつだ。つまり、明確に武力による威嚇も武力の行使も紛争解決手段として選択すべきではないし、陸海空軍だけでなくいかなる戦力も保持すべきではないから、国家の交戦権も自衛権も否定する、と断固として答えなければならない。「あなたの最愛の家族が目の前で殺されたり虐待されても、あなたは武器をもって反撃しないのか」などという問いに対しても明確に「NO」と答えることだ。このような想定問答に応じる必要はない、とい態度もありうる。たぶん、反戦平和運動の担い手たちも含めて、この詰問を実は内心に抱えており、その答えを必要としていると思う。だからこそ「答え」を用意することは必要だと思う。同時に、戦争や武力行使をめぐる問題は、現実政治や国際情勢に対して、どのような原則的な考え方を示すのか、という問題でもある。すなわち、問題解決の手段として暴力を行使することは、いかなる意味で正当化できるのか。武力行使とは、敵とみなした人間を殺す行為を国家が公然と承認し、更には「国民」を――最近は外国人の傭兵すら動員されている――殺す行為の主体とすることだから、国家の名における殺人をはいかなり理由によって正当化しうるのか、という問いに答えることが必要になる。

2 圧倒的多数は戦わないことを選択している

ウクライナの圧倒的多数の民衆は武器をもって戦うという選択よりも、可能であれば戦闘地域から避難する、避難できなければ地下など爆撃から身を守れそうな場所に隠れることを選択している。国外避難ができない兵役年齢の男性のなかには、違法に国境を越えて国外に逃れる人もいる。こうした避難する人達が、なぜ武力による抵抗を選択しないのか、この行動を積極的に意味づけをすることが必要だ。そうしないと、こうした避難者の命を救うためにこそ軍が存在し、軍による敵への抵抗があってこそ避難もまた可能になっているのだ、というレトリックがまかり通ることになる。私たちは、彼らの行動から武力行使は紛争解決の手段にならないから「避難」という選択をしているのだ、ということを教訓として学ぶことが必要だ。

ウクライナの平和運動の中心的な担い手のひとり、ユーリイ・シェリアジェンコは、社会学者の世論調査では、実際に武装抵抗に従事している人達は全体の6%しかおらず、多くの人達は非軍事的な協力に関わっているが、それも積極的な意思に基づくかどうか疑問だと以下のように指摘している。

「戦争への全面的な参加は、メディアが伝えるところですが、それは軍国主義者の希望的観測の反映であり、彼らは自分自身と全世界を欺くためにこのような絵を描くために多くの努力を払っています。実際、最近の評価社会学グループRating sociological groupの世論調査では、回答者の約80%が何らかの形でウクライナの防衛に携わっているが、軍や領土防衛に従事して武装抵抗したのはわずか6%で、ほとんどの人は物質的あるいは情報的に軍を「支持」するだけであることが分かっています。それが本当の意味での支持かどうかは疑問です。」

3 ウクライナの戦争動員と「大きなイスラエル」

ウクライナは2014年にクリミアをロシアによって併合され、また東部における様々な反キエフ中央政府の動き(高度な自治の要求、ウクライナからの独立、ロシアへの併合など)がロシアの介入のなかで現在に至るまで長期の戦争状態になってきた。

ロシアの侵略によって、今や正義の軍隊であるかのようにみなされているウクライナ軍は必ずしも評判のよい組織ではなく、2014年以降ロシアの介入も含めて国内に深刻な武力紛争を抱えながら、徴兵制への反対が世論の8割を占めている。武力行使を選択するよりは別の解決を望む声が大きい。だから、クライナ政府はいわゆる義勇軍を各国の大使館を使って募集することまでやってきた。日本でもウクライナ大使館は以下のような募集を2月27日にツイッターに掲載し3月2日に削除している。

「ゼレンスキー大統領は27日、ボランティアとしてウクライナ兵と共にロシア軍に対して戦いたい格国[原文のママ:引用者]の方々へ、新しく設置されるウクライナ領土防衛部隊外国人軍団への動員を呼びかけた。お問い合わせは在日ウクライナ大使館まで。」

ウクライナでは、徴兵制が2012年に停止された後に2014年に再導入される。ウクライナでは徴兵に備えて、子どもへの軍事訓練が今回の戦争以前から行なわれてきた。18歳の徴兵年齢に先だって、徴兵制に備えた軍事的愛国心教育が学校のカリキュラムの必須項目となっている。この教育には野外訓練や射撃訓練が含まれ、極右団体は、子どもたちの軍事サマーキャンプ開催の予算を政府から獲得している。

ウクライナは徴兵制がある一方で良心的兵役拒否の制度によって兵役免除が可能な建前があるが、これが機能していない。非宗教的信念を持つ人には適用されず、兵役への代替服務も懲罰的または差別的だと批判されてきた。

ゼレンスキーは、4月初旬に「我々は間違いなく、独自の顔を持つ『大きなイスラエル』になる。あらゆる施設、スーパーマーケット、映画館に軍隊や 国家警備隊の隊員がいても驚くことはないだろう。今後10年間は、安全保障の問題が最優先課題になる」と述べた。このことはとくに中東のアラブ地域では衝撃をもって受けとめられた。イスラエルにとってのアラブ系住民への監視のシステムは、ウクライナにとってのロシア系住民の監視のシステムに転用できそうだ。実際にウクライナは欧米諸国では禁じられている高度な顔認証の監視技術を導入するなど、すでに軍事監視社会への道を進みつつある。

3.1 ウクライナ平和主義者運動の声明

2019年に設立されたウクライナの平和主義者運動が4月に声明を出し、そのなかで、ロシアとウクライナ双方が真剣に停戦の努力をしていないことを厳しく批判している。

「私たちは、双方の軍事行動や、民間人に危害を加える敵対行為を非難する。私たちは、すべての銃撃を停止し、すべての側が殺された人々の記憶を尊重し、十分な悲しみの後に、冷静かつ誠実に和平交渉に取り組むべきであると主張する。

私たちは、交渉によって達成できない場合、軍事的手段によって一定の目標を達成しようとするロシア側の発言を非難する。

私たちは、和平交渉の継続は戦場での最良の交渉ポジションを勝ち取ることにかかっているというウクライナ側の発言を非難する。

私たちは、和平交渉中の両陣営の停戦に対する消極的な姿勢を非難する。」

そして、ロシアもウクライナも人々の意思に反して、兵役や軍への支持を事実上強制しするような慣行は「国際人道法における軍人と民間人の区別の原則に著しく違反するもの」だと批判するとともに、ロシアとNATOによる武装過激派への軍事支援を批判している。

3.2 戦争の性格:ファシズムの戦争

この戦争は、ロシア側にもウクライナ側にも無視できない極右や排外主義的な愛国主義による影響がある。ウクライナに関していうと、最近やっと注目されるようになったネオナチを思想的背景にもつアゾフ大隊の問題は、その軍や政府への影響について、評価が分かれている。日本や西側のメディアは極力その影響を過少評価しようとしており、ロシア政府や政府系メディアは誇張することによって、「軍事作戦」の正当化を図ろうとしている。選挙結果をみる限りウクライナの極右の影響力は無視できるほどの大きさしかないが、東部の戦闘にとってアゾフ大隊の影響力は無視できない。アゾフ大隊は民生部門から政府機関に至る様々な関連団体を含むアゾフ運動のなかの軍事部門ともいうべきこのだ。Centuriaのような軍の幹部候補生のグループもあり、社会に浸透すればするほど、主流の政治システムとの見分けがつかなくなることは多くの欧米諸国における極右の主流化と共通した現象かもしれない。

他方でロシアの場合は、プーチンの最も有力な後ろ盾がロシア正教であり、有力者たちがこぞってウクライナへの侵略やウクライナのロシアへの併合を主張しており、これがロシアからのウクライナの正教会の離反(ウクライナ正教の成立)を招いたが、こうした人口の多数が信仰する宗教が絡むことを考えたとき、この戦争を単純にプーチンの狂気とか独裁には還元しない方がいいと思う。そしてロシアのウクライナ東部での戦闘の主要な担い手もまた、ロシアの極右武装集団であり、これにロシア政府もまた大きく依存している。たとえば、カトリック系のウエッブサイトLa Croix Internationalの記事によれば、ロシア正教会のキリル総主教は、ロシアのテレビ説教で、ウクライナの戦争を「神から与えられた神聖ロシアの統一」の破壊を目論む悪の力に対する終末的な戦いとし、ロシア、ウクライナ、ベラルーシが共通の精神的、国家的遺産を共有し、一つの民族として団結することを「神の真理」だと強調したという。戦争を擁護するこうした主張がロシア正教の最重要人物から出されているように、この戦争はプーチンの戦争に矮小化できない宗教的背景もある。

4 ロシアの反戦運動と弾圧

ロシアの政治犯の救援を行なっているODVinfoの報告書(別の記事「(ОВД-NEWS)ロシアの反戦、反軍レポート」など)によると戦争が始まって数週間の間に、ジャーナリスト、弁護士、医師、科学者、芸術家、作家など、さまざまなコミュニティの代表者がロシア軍の行動への反対を表明する公開書簡が何十通も送られており、ソーシャルネットワークには、戦争を非難する数千の記事が掲載され、反戦集会はロシア全土で開催された。また、ウクライナの住民を支援する団体への寄付が増え、ウクライナで被災した市民への個人寄付も大幅に増加したという。

戦争から2週間あまりの間だけでも、反戦デモでは、未成年者、弁護士、ジャーナリストを含む1万4千人以上が拘束され、活動家、人権活動家、ジャーナリストのアパートの捜索も相次いだ。そして、集会やデモといった集団行動はことごとく抑圧されるようになる。連邦のコミュニケーション・情報・マスコミ監督庁(Roskomnadzor (RKN))は、軍の公式記録を用いることを義務化し、違反した場合には、罰金が課され、更にサイトのブロックも可能になった。また非政府系メディアも次々に閉鎖されはじめ、Twitter、Facebook、TikTok、Google、Youtubeなどが相次いで規制されている。

こうした大規模な弾圧にもかかわらず、抗議行動は様々な創意工夫のなかでロシア全土で展開されている。集団行動が困難ななかで、一人でポスターやプラカードをもって抗議の意志表示をする一人ピケが次々登場した。たった一人のアクションでもネットで拡散されることでの影響力は大きい。街頭のグラフィティの数も多く、こうしたアクションのノウハウがSNSで拡散された。日本ではあまりお目にかかれないユニークな抗議の手法もある。花壇の植え込みの園芸用ラベルに反戦のメッセージ書いたり、店の商品に値札に模した反戦メッージを貼ったり、紙幣に反戦のメッセージを書くなどだ。封鎖をまぬがれたTelegramが、重要な情報発信の手段になっている。たとえば、フェミニスト反戦レジスタンスや上述したODVinfoなどが活発に抗議行動を写真や動画入りで発信しつづけている。

日本のメディアがロシア国内の動向で注目したのが5月9日のロシアの戦勝記念日だった。もっぱらロシア国内がプーチンとロシア軍賛美一色の記念パレードになったかのような報道があふれた。しかし、実際には、ロシア全土で様々な抗議のアクションが展開された。戦勝記念パレードにまぎれて戦争反対のプラカードを掲げるなど、多くの抗議があった。

また、人権団体や弁護士による兵役拒否者への組織的な支援運動も重要な抗議行動の一翼を担っている。どのようにしたら徴兵を忌避できるのかについての具体的な対処法が書かれたマニュアルも配布されている。ウクライナ同様、兵役拒否は極めて難しく、建前上は良心的兵役拒否が可能なはずだが、現実には厳しい規制があり、兵役拒否者に対する様々な制裁が課されている。

こうした合法的な抗議以外に、もっと大胆な行動もみられるようになっている。ロシア軍の軍需物資を運ぶ鉄道への組織的な妨害が、ロシアとベラルーシで頻発している。「ストップ・ワゴン」のウエッブページでは、戦争を阻止するために物資補給を断つ手段として鉄道への妨害があると述べている。このウエッブには、「妨害」に関するノウハウや情報が掲載され、そのSNSでは、脱線や線路の爆破のような目立つ行動はサボタージュの5〜10%程度に過ぎ、多様な妨害がある述べている。また、ロシア軍の兵士募集の施設が度々放火されている。人々は、ロシアの閉塞した状況に直面するなかで、19世紀のナロードニキの運動を想起しはじめている、ともいわれている。

特徴的なことは、ロシア国内の反戦運動で重要な役割を果たしているのが女性たちの運動だ。とくにフェミニスト反戦レジスタンスの活動は重要な意味をもっていると思う。このグループが戦争から100日目に、ロシアを「ファシズムの兆候のある国」だとして声明を出している。この声明の一部を引用しよう。(前文の日本語訳はこちら)

声明:戦争の100日-私たちの反戦抵抗の100日(抄)

「戦争の100日、戦争犯罪の100日、フェミニストの反戦抵抗の100日。あなたと私は、この100日間で戦争を止めることはできなかった。しかし、さまざまな時代や空間の反戦運動の歴史を研究すれば、反戦運動そのものが戦争を終わらせるわけではないことがわかる。では、なぜ私たちはこのようなことをするのか、なぜ街頭に出るのか、なぜ強権政治の中で新しい抗議戦略を考案するのか、なぜできる限りの人々を守るのか、なぜ手の届く被害者を助けるのか。

おそらく、すべてのロシア人反戦派は、この「なぜ」に対してさまざまな反応を示すだろう。ある者は道徳的義務として、ある者は自分たちの例が誰かに伝染すると信じて、ある者は子どもたちに自分は黙っていなかったと伝えることが重要で、他の者は失った声と失った主体性を回復するための方法として、この方法をとる。しかし、反戦運動は政治的にも考えなければならない。民主主義制度が解体され、政治が抹殺され、選択肢も選挙もなく、独裁がエスカレートしているこの国で、私たちロシア全土の反戦運動が草の根の主要な政治勢力にならなければならないのである。しかし、私たち反戦運動は、 党派的で目立たない抵抗のインフラを構築し、言語を変え、文化を変え、政治スペクトルの態度を変えつつある。私たちは、一般的な反プーチン急進派の重要なプラットフォームになることができる。私たちはすでに、全国に活動家と直接行動のネットワークを織り交ぜながら、そうなりつつあるのだ。(後略)」

彼らは、反戦運動を高齢者の市民たちにも拡げる努力をしている。そのためにSNSやインターネットでの発信だけでなく、ロシア政府系メディアにしか接する機会のない人達に対して、積極的に紙媒体の新聞を発行して配布するなどにも力を入れている。

5 おわりに―民衆が戦争を終らせる

戦争状態にある地域に暮す人々を、たとえば「ロシア人」「ウクライナ人」というように一括りにしてとらえることを私は避けたいと思う。いずれの国も多民族国家であり、様々な文化的背景をもつだけでなく、エスニシティ、ジェンダーから思想信条まで多様である。そのなかで私は、戦争を拒否する人達、つまり人を殺すことによって自らが殺されないことを選択しない人達の生き方は、いずれの国にあっても過酷であって、臆病者や反愛国者のレッテルを貼られてコミュニティから排除・迫害され、投獄や暴力にすら晒されながらも、その意志を守り通そうとする人達を支持したいと思っている。こうした態度を選択する人々の生き方や権力との対峙のなかに、必ず日本における殺さない選択をする場合に学ぶべきものがあるに違いないからだ。

ウクライナの戦争は、これまでになかった深刻な影響を私たちに残すかもしれない。ひとつは、この戦争の結果がどうなろうとも、戦争を鼓舞するウクライナ側とロシア側の極右にとっては更に大衆的な支持を獲得するチャンスになった、という点だ。いずれの国においても、極右に共通する暴力的な排外主義、家父長主義、差別主義がナショナリズムや愛国主義によって免罪され、更に、ウクライナや西側の極右にとっては、「正義」の担い手にすらなり、西側諸国の建前の人権尊重を退けて、政治の基本的な枠組を地政学的な軍事安全保障優先へと導くことになる。ロシアに関しても、日本国内の印象はアテにならず、G20の参加諸国の対応をみても欧米諸国が多数を占めることができなくなっており、まさに「正義」が二分した状態だ。この戦争をきっかけにして、グローバルに極右がメインストリームに浸透し、多くの人々が自覚しないままにメインストリームが極右化することになるのではと危惧する。

制度的には、戦争の終結は、外交交渉や政府の決断など、国家権力の意思決定に委ねられるし、歴史の正史では、そのように扱われる。しかし、民衆の行動も考え方も国家の態度によっては代表しえない多様なものだ。日本のばあい、民衆の戦争協力は決して積極的ではないが、公然と拒否するほどの力をもつには至っていない。リムパックのような大規模軍事演習で周辺諸国の脅威を煽りつつ、日本や米国の挑発については沈黙することによって、潜在的な厭戦気分を政府は必死になって繰り返し払拭しようと試みている。

私たちは、民衆のなかにある多様な言葉にならない戦争に背を向ける感情や態度が直面している不安や危機をそのままにしていていはいけない。戦争に背を向けること、いかなる軍事的な危機にあっても武力による解決は間違いであることを、情緒に訴えるだけではなく、明確な理論的な言葉にしなければならない。それなくしてナショナリズムや愛国主義といった戦争のイデオロギーを無化することはできない、と思う。国家に武力を行使させないためには、国家に武力を保持させないことが大前提だ。自衛隊も米軍も廃止以外の選択肢はない、ということを、戦争を目前としているからこそ言い切ることが必要だ。あいまいな「自衛力」の容認のような態度をとるべきではない。この意味で、戦争の渦中にある国で暮す人々がいかに戦争に背を向けようとしているのか、そこから一切の武力を否定する反戦平和運動の原則を再構築することが、日本の反戦平和運動では必要になっていると思う。