サイバー戦争放棄の観点から安保・防衛3文書の「サイバー」を批判する(2)――従来の戦争概念を逸脱するハイブリッド戦争

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サイバー戦争放棄の観点から安保・防衛3文書の「サイバー」を批判する(1)

1. 武力攻撃以前の戦争?

国家安全保障戦略にはハイブリッド戦という概念も登場する。たとえば、以下のような文言がある。

サイバー空間、海洋、宇宙空間、電磁波領域等において、自由なア クセスやその活用を妨げるリスクが深刻化している。特に、相対的に 露見するリスクが低く、攻撃者側が優位にあるサイバー攻撃の脅威は 急速に高まっている。サイバー攻撃による重要インフラの機能停止や 破壊、他国の選挙への干渉、身代金の要求、機微情報の窃取等は、国 家を背景とした形でも平素から行われている。そして、武力攻撃の前 から偽情報の拡散等を通じた情報戦が展開されるなど、軍事目的遂行 のために軍事的な手段と非軍事的な手段を組み合わせるハイブリッド 戦が、今後更に洗練された形で実施される可能性が高い。 p.7

ここでは、「武力攻撃の前 から偽情報の拡散等を通じた情報戦」などのハイブリッド戦に着目している。ハイブリッドが意味するのは、従来からの陸海空による武力行使としての「戦」とともに、これらに含まれず、武力行使のカテゴリーにも含まれないが戦争の一環をなす攻撃領域を指している。だから、「ハイブリッド戦」は、従来の武力行使の概念を越えて広がりをもつ特異な戦争=有事の事態の存在を示している。この観点からすると、情報戦は、ハイブリッド戦の一部として位置づけうるものだ。そして、前回論じたグレーゾーン事態の認識は、このハイブリッド戦を展開するための「戦場」認識になる。ここでは、平時であってもハイブリッド戦のなかの情報戦は遂行可能であり、これは有事(戦時)における情報戦とはその役割も行動も異なるが、平時だから「戦」は存在しない、ということにはならない、という語義矛盾をはらむ認識が、少なくとも国家安全保障戦略のハイブリッド戦理解の前提にはある。この矛盾を巧妙に隠蔽するのがグレーゾーン事態になる。ロシアのウクライナへの侵略に際してもハイブリッド戦という文言が用いられたが、この場合は、武力行使とほぼ同時に通信網へのサイバー攻撃や偽情報の拡散などによる攪乱といった軍事行動を指す場合になる。1他方で国家安全保障戦略のハイブリッド戦の概念は、戦時だけではなくグレーゾーンから平時までを包括して、そもそもの武力攻撃と直接関連しないようなケースまで含めた非常に幅広いものになっている。これは、9条の悪しき副作用でもある。戦争放棄の建前から、戦時(有事)を想定した軍事安全保障の組織的な展開を描くことができないために、むしろ災害を有事に組み込んで自衛隊の役割を肥大化させてきたように、本来であれば軍事安全保障とは関わるべきではない領域が主要な軍事的な戦略のターゲットに格上げされてしまっているのだ。

2. 戦争放棄概念の無力化

「武力攻撃の前」にも「情報戦」などのハイブリッド戦と呼ばれるある種の「戦争」が存在するという認識は、そもそもの「戦争」概念を根底から覆すものだ。憲法9条に引きつけていえば、いったい放棄すべき戦争というのは、どこからどこまでを指すのかが曖昧になることで、放棄すべき戦争状態それ事態が明確に把えられなくなってしまった。いわゆる従来型の陸海空の兵力を用いた実力行使を戦争とみなすと、武力攻撃以前の「戦」は放棄の対象となる戦争には含まれなくなる。しかし、武力攻撃以前の「戦」もまた戦争の一部として実際に機能しているから、これを国家安全保障の戦略のなかの重要な課題とみなすべきだ、という議論にひきづられると、ありとあらゆる社会システムがおしなべて国家安全保障の観点で再構築される議論に引き込まれてしまう。国家安全保障戦略では、戦力や武力の概念がいわゆる非軍事領域にまで及びうるという含みをもっているのだが、これに歯止めをかけるためには9条の従来の戦力などの定義では明かに狭すぎる。条文の再解釈が必要になる。9条にはハイブリッド戦を禁じる明文規定がなく、非軍事領域もまた軍事的な機能を果しうることへの歯止めとなりうる戦争概念がないことが一番のネックになる。政府の常套手段として、たとえば自衛についての概念規定が憲法にないことを逆手にとって「自衛隊」という武力を生み出したように、ハイブリッド戦もまた9条の縛りをすり抜ける格好の戦争の手段を提供することになりうるだろう。

つまりハイブリッド戦争を前提にしたとき、反戦平和運動における「戦争とは何か」というそもそもの共通認識が戦争を阻止するための枠組としては十分には機能しなくなった、といってもいい。あるいは、反戦平和運動が「戦争」と認識する事態の外側で実際には「戦争」が遂行されているのだが、このことを理解する枠組が反戦平和運動の側にはまだ十分確立していない、といってもいい。このように言い切ってしまうのは、過剰にこれまでの反戦平和運動を貶めることになるかもしれないと危惧しつつも、敢えてこのように述べておきたい。

だから、従来の武力攻撃への関心に加えて、武力攻撃以前の有事=戦争への関心を十分な警戒をもって平和運動の主題にすることが重要だと思う。今私たちが注視すべきなのは、武力攻撃そのものだけではなく、直接の武力行使そのものではないが、明らかに戦争の範疇に包摂されつつある「戦」領域を認識し、これにいかにして対抗するか、である。注視すべき理由は様々だが、とくに戦争は国家安全保障を理由に強権的に市民的自由を抑制する特徴があることに留意すべきだろう。また、ここでハイブリッド戦として例示されているのは、「他国の選挙への干渉、身代金の要求、機微情報の窃取」のように、従来であれば司法警察の捜査・取り締まり事案とされてきたものが、「戦」の範疇に含められている。これらすべてが、私たちの市民的自由の基盤になりつつあるサイバー領域での戦争事態であると位置付けられていることに注目する必要がある。いわゆる正義の戦争であって例外ではない。だから戦争の範疇が拡大されるということ――あるいは軍事の領域が拡大されるということ――は、同時に私たちの市民的自由が抑圧される範囲も拡がることを意味する。

3. サイバー領域を包摂するハイブリッド戦の特異性

ある意味では、いつの時代も戦争は、事実上のハイブリッド戦を伴なっていた。冷戦とはある種のハイブリッド戦でもあった。文化冷戦と呼ばれるように、米国もソ連も文化をイデオロギー拡散の手段として用いてきた。この意味で「軍事目的遂行 のために軍事的な手段と非軍事的な手段を組み合わせる」ことは新しい事態ではない。だが、今回の国家安全保障戦略は、サイバー領域をまきこんだ軍事作戦をハイブリッド戦と称して特別な関心をもつようになった。これまでの有事=戦時と平時の関係に対して、サイバー領域を念頭に置きながら、政府自らが、その境界の曖昧さこそが現代の戦争の特徴である宣言したこと、平時を意識的に有事態勢に組み込むことの必要こそが、安全保障の戦略であると宣言したこと自体が新しい事態だといえる。

一般に、有事と平時を大きく隔てる環境は、私たちの市民的な権利の制約として現われる。この権利の制約は、有事を口実として国家安全保障を個人の自由よりも優先させるべきだとする主張によって正当化される場合が一般的だ。ここでいう個人の自由のなかでも特に、有事において国家が人々を「国民」として統合して国家の軍事行動の遂行を支える意思ある存在へと収斂させようとするときに、これと抵触したり抵抗する自由な意思表示や行動を権力的に弾圧しようとするものだ。平時と有事の境界が曖昧になるということは、平時における市民的自由を有事を基準に抑制する法や制度が導入されやすくなることでもある。つまり例外状態の通例化だ。

しかし、サイバー領域を含む平時と有事の曖昧化、あるいはグレーゾーン事態なるものの蔓延は、これまでにはない特徴をもっている。それは、両者の境界の曖昧化が、マスメディアによるプロパガンダのような上からの情報操作だけではなく、私達の日常的な相互のコミュニケーション領域に深く浸透する、ということだ。サイバー領域そのものが双方向のコミュニケーション空間そのものであることから、この領域では、有事は、市民的自由を抑制して国家意思に個人を統合しようとする政府の強権的な政策を生みやすい。統制や検閲の対象は放送局や出版社などではなく、ひとりひとりの個人になる。だから、統制の技術も異なるし、その制度的な枠組も異なるが、伝統的なメディア環境に比べて、その統制の影響は私たち一人一人に直接及ぶことになる。ここに有事と平時をまたぐグレーゾーンというバッファが設定されることによって、統制のシステムはより容易に私たちの日常に浸透することになる。

4. サイバー領域と国家意思への統合

最大の問題は、にもかかわらず、ほとんどの人達は、このことを自覚できるような情報を与えられないだろう、ということだ。戦争を遂行しようとする国家にとっては、私達は、その戦争を下から支える重要な利害当事者――あるいは多くの場合主権者――でもある。国家の指導者層にとって民衆による支持は、必須かつ重要な武力行使正当化の支えだ。私たちが日常生活の感情からあたかも自発的に国家への自己同一化へと向っているかのような実感が生成されることが、国家にとっては最も好ましい事態だといえる。そのためには統制という言葉に含意されている上からの強制というニュアンスよりもむしろ自発的同調と呼ぶべきだろうが、そうなればなるほどサイバー領域における国家の統制技術は、知覚しえない領域で水面下で機能することになる。「民衆の意思を統治者に同化させる」ことが軍事にとって必須の条件だと述べたのは孫子2だが、この古代の教義はサイバーの時代になっても変らない。

国家による有事=武力行使の正統性が民衆の意思によって確認・承認されて下から支持されていることが誰の目からみても明らかな状況が演出されない限り、国家の軍事行動の正統性は確認されたとはいえない。インターネットのような双方向のグローバルなコミュニケーション環境はこの点でマスメディア体制のように、限定されたメディア市場の寡占状態――あるいは独裁国家や権威主義国家ならば近代以前からある広場での大衆敵な国家イベントによる可視化という手法もある――を利用して人々の「国民統合」を可視化することは難しくなる。マスメディアと選挙で民意の確認を表現する20世紀の同意の構造は、ここでは機能しない。SNSのような国境を越える双方向コミュニケーションを前提にして、民衆を「国民」に作り替えて国家の意思へと収斂する状況の構築は、民衆の多様な意思が星雲状に湧き出すようにして顕在化し露出するサイバー空間では制御が難しい。しかも、20世紀の議会主義として制度化された民主主義を、政府がいくら自らの権力の正統性の基礎に置き、法の支配の尊重を主張しようとも、実際の民衆の意思はこの既存の正統性の制度の掌からこぼれ落る水のようにうまく掬いとることができないものとしてSNSなどに流れることになる。だから政府は、こうした逸脱した多様な異議を再度国家による権力の正統性を支える意思へと回収するための回路を構築しなければならない。3これが有事であればなおさら、その必要が強く自覚されることになる。ハイブリッド戦とは、実はこうした事態――政府からは様々なグラデーションをもったグレゾーン事態――をめぐる「戦争」でもある。

5. サイバー領域における抵抗の弁証法

サイバーが国家安全保障における重要な位置を占めている理由はひとつではない。上述の民衆の意思の再回収という観点でいえば、SNSなどに特徴的なコミュニケーションのスタイルでもある極めて私的な世界から不特定多数へ向けての人々の感情の露出が、時には政府の政策と対峙するという事態が生じることになる。これは伝統的なマスメディア環境にはなかった事態だ。たとえば、インフレに直面しながら一向に引き上げられない賃金への不満は、SNSで日常生活に関わる不満として表現されるが、これが井戸端会議や労働組合の会議での議論と違うのは、不特定多数との共鳴や摩擦を通じて、時には大きな社会的な抗議や反発を生み出す基盤になりうる、という点だ。たった一人の庶民が被った権力からの不当な仕打ちは、それが映像として拡散することによって多くの人々に知られることになり、我がこととして受け取られて、抗議の行動へと繋がる回路は、アラブの春から#metooやBlack Lives Matter、香港の雨傘からロシアの反戦運動まで、世界中の運動に共通した共感や怒りの基盤となっている。これは「私」と他者との間の共感/怒りの構造がSNSを通じて劇的に変化してきたことを物語っている。このプロセスは、「偽情報」を拡散しようとするハイブリッド戦の当事者にとっても魅力的だ。このプロセスをうまく操れれば「敵」の民衆を権力者への同一化から引き剥がし攪乱させることができるからだ。こうして私たちは、ナショナルなアイデンティティから自らを切り離す努力をしないままにしていれば、否応なしに、この「戦争」に心理的に巻き込まれることになる。

もともと20世紀のメディア環境において言論表現の自由を権利として保障する体制は、金も権力ももたない庶民が政権やマスメディアのように不特定多数へのメッセージの発信力をもっていないという不均衡な力学を前提としたものだった。ところがインターネットは、この情報発信の非対称性を覆し、権力者と民衆の間の格差を大幅に縮めた。マスメディアの時代のように、無数の「声なき民」の実際の声を無視してマスメディアや選挙で選出された議員の主張を「世論」だと主張することはできなくなった。マスメディアや議員によっては代表・代弁されない、多数の異論の存在が可視化されているのが現在のコミュニケーション環境、つまりサイバーの世界だ。

だから、こうしたネット上のメッセージを国家の意思へと束ねるために新たな技術が必要になる。この技術は人々の行動を予測する技術として市場経済で発達してきたものの転用だ。自由な行動(競争)を前提とする市場経済では、自由なはずの消費者の購買行動を自社の商品へと誘導するための技術が格段に発達する。こうして、サードパーティクッキーなどを駆使したターゲティング広告やステルスマーケティングなどの技法によって、固有名詞をもった個人を特定してプロファイルし、将来の購買行動に影響を与えるように誘導する技術が急速に普及した。この技術は、選挙運動で有権者の投票行動の誘導に転用するなどの政治コンサルタントのビジネスを支えるものになったことは、2016年の米国大統領選挙、英国のEU離脱国民投票などでのケンプリッジアナリティカのFacebookデータを利用した情報操作活動で注目を浴びることになった。4

もうひとつの傾向が、事実をめぐる政治的な操作だ。権力による人々の意識や行動変容を促す伝統的な技術は、検閲と偽情報の流布だった。検閲は基本的に、権力にとって好ましくない表現や事実を事前に抑制する行為を意味する。偽情報は公表すべき事実を権力にとって都合のよい物語として組み換えたり改竄することを意味する。現代の情報操作の特徴は、これらを含みながらも、より巧妙になっている。ビッグデータの膨大な情報の取捨選択や優先順位づけなど人間の能力では不可能なデータ処理を通じて新たな物語を構築する能力だ。この取捨選択と優先順位付けは主に検索エンジンが担ってきたが、これにChatGPTのように双方向の対話型の仕組みが組み込まれることによって、コミュニケーションを介して人々を誘導する技術が格段に進歩した。検閲とも偽情報とも異なる第三の情報操作技術だ。

グレーゾーン事態への対処としての安全保障戦略は、国家が私たちの私的な世界を直接ターゲットにして私たちの動静を把握しつつ、私たちの状況に最適な形での世界像を膨大なデータを駆使して描くことを通じて、国家意思へと収斂する私たち一人一人のナショナルなアイデンティティを構築しようとするものだ。同時に、私たちは、自国政府だけでなく、「敵」の政府による同様のアプローチにも晒される。いわゆる「偽情報」や事実認識をめぐる対立は、それ自体が、国家のナショナリズム構築にとっての障害となり、この障害は戦時体制への動員対象でもある人々の戦意に影響することになる。

Footnotes:

1

たとえばマイクロソフトの報告書参照。The hybrid war in Ukraine、Apr 27, 2022 https://blogs.microsoft.com/on-the-issues/2022/04/27/hybrid-war-ukraine-russia-cyberattacks/

2

浅野裕一『孫子』、講談社学術文庫、p.18。

3

グローバルサウスや紛争地帯では、政権が危機的な事態になるとインターネットの遮断によって人々のコミュニケーションを阻止し、政府が統制しやすいマスメディアを唯一の情報源にするしかないような環境を作りだそうとする。米国や英国など、より巧妙な情報操作に長けた国では、情報操作を隠蔽しつつ世論を誘導するターゲティング広告やステルスマーケティングなどの技術が用いられる。

4

ブリタニー・カイザー『告発 フェイスブックを揺るがした巨大スキャンダル』、染田屋茂他訳、ハーパーコリンズ・ジャパン、2019; クリストファー・ワイリー『マインドハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』、牧野洋訳、新潮社、2020参照。

Author: 小倉利丸

Created: 2023-02-17 金 22:21

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サイバー戦争放棄の観点から安保・防衛3文書の「サイバー」を批判する(1)――グレーゾーン事態が意味するもの

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サイバー戦争放棄の観点から安保・防衛3文書の「サイバー」を批判する(2)

1. 未経験の「戦争」問題

昨年暮に閣議決定された安保・防衛3文書への批判は数多く出されている。しかし、「サイバー」領域に関して、立ち入った批判はまだ数少ない。日弁連が「敵基地攻撃能力」ないし「反撃能力」の保有に反対する意見書」のなかで言及したこと、朝日新聞が社説で批判的に取り上げたこと、などが目立つ程度で、安保・防衛3文書に批判的な立憲民主、社民、共産、自由法曹団、立憲デモクラシーの会、いずれもまとまった批判を公式見解としては出していないのではないかと思う。(私の見落しがあればご指摘いただきたしい)

サイバー領域は、これまでの反戦平和運動のなかでも取り組みが希薄な領域になっているのとは対照的に、通常兵器から核兵器に至るまでサイバー(つまりコンピュータ・コミュニケーション・技術ICT)なしには機能しないだけでなく、以下で詳述するように、国家安全保障の関心の中心が、有事1と平時、軍事と非軍事の境界を意図的に曖昧化するハイブリッド戦争にシフトしていることにも運動の側が対応できていないように感じている。この立ち後れの原因は、日本の反戦平和運動の側ではなく、むしろ日本のサイバー領域における広範な反監視やプライバシー、言論・表現の自由などの市民的自由領域の運動の脆弱さにあると思う。この意味で、こうした領域に少なからず関わってきた私自身への反省がある。

今私たちが直面しているのは、ネットが日常空間と国家安全保障とをシームレスに繋いでいる時代になって登場した全く未経験の戦争問題なのだ。戦時下では、個人のプライベイートな生活世界全体を戦時体制を前提に国家の統治機構に組み込むことが必須になるが、サイバーはその格好の突破口となりかねない位置にある。この点で、私たちのスマホやパソコン、SNSも戦争の道具になりつつあるという自覚が大変重要になっている。Line、twitter、Facebookを使う、YoutubeやTikTokで動画配信する、といった多くの人々にとっては日常生活の振舞いとして機能しているサイバー空間のサービスと戦争との関係に、反戦平和運動はあまり深刻な問題を見出していないように思う。SNSなどは運動の拡散の手段として有効に活用できるツールであることは確かだが、同時に、この同じツールが反戦平和運動を監視したり、あるいは巧妙な情報操作の舞台になるなど、私たちにとっては知覚できない領域で起きている問題を軽視しがちだ。

2. グレーゾーン事態、有事と平時、軍事と非軍事の境界の曖昧化――国家安全保障戦略の「目的」について

2.1. 統治機構全体を安全保障の観点で再構築

国家安全保障戦略の冒頭にある「目的」には次のように書かれている。

Ⅰ 策定の趣旨
本戦略は、外交、防衛、経済安全保障、技術、サイバー、海洋、宇宙、情報、 政府開発援助(ODA)、エネルギー等の我が国の安全保障に関連する分野 の諸政策に戦略的な指針を与えるものである。p.4

旧戦略では「本戦略は、国家安全保障に関する基本方針として、海洋、宇宙、サイバー、政府開発援助(ODA)、エネルギー等国家安全保障に関連する分野の政策に指針を与えるものである。」となっていた。今回の改訂で、外交、防衛、経済安全保障、技術、情報が明示的に追加されることになった。経済安全保障についての議論は活発だが、情報安全保障については、実はほとんど議論がない。しかし、情報産業が今では資本主義の基軸産業となっていることを念頭に置くと、旧戦略と比較して、情報と経済が明示されたことは大きい。今回の戦略は、以前にも増して国家の統治機構全体を安全保障の観点で再構築する性格が強くなっているといえる。

今回の国家安全保障戦略は、国家の統治機構全体の前提を平時ではなく有事に照準を合わせて全ての社会経済制度を組み直している。政府が有事と表現することには戦時が含まれ、軍事安全保障では有事と戦時はほぼ同義だ。グレーゾーン事態とか有事と平時、あるいは軍事と非軍事といった概念を用いて、国家安全保障を社会の全ての領域における基本的な前提とした制度の転換である。だから、今回の国家安全保障戦略は、有事=戦時を中心とする統治機構の質的転換の宣言文書でもある。

2.2. 恣意的なグレーゾーン事態概念

たとえば国家安全保障戦略には以下のような箇所がある。

領域をめぐるグレーゾーン事態、民間の重要インフラ等への国境を越えたサイ バー攻撃、偽情報の拡散等を通じた情報戦等が恒常的に生起し、有事と平時 の境目はますます曖昧になってきている。さらに、国家安全保障の対象は、 経済、技術等、これまで非軍事的とされてきた分野にまで拡大し、軍事と非 軍事の分野の境目も曖昧になっている。p.4

ここでグレーゾーン事態と呼ばれているのは、純然たる平時でも有事でもない曖昧な領域概念だ。防衛白書2では、国家間に領土、主権、経済権益などの主張で対立があるなかで武力攻撃には該当しないレベルを前提にして、自衛隊による何らかの行動を通じて自国の主張を強要するような行為をグレゾーン事態として定義している。従来自衛隊といえば陸海空の武力(自衛隊では「実力組織」と言い換えている)を指す。しかし、防衛力整備計画の2万人体制でのサイバー要員3とその任務を前提にすると、武力行使を直接伴うとはいえない領域へと自衛隊の活動領域が格段に拡大することになる。

従来、自衛隊が災害派遣として非軍事領域へとその影響力を拡大してきた事態に比べてサイバー領域への拡大は、私たちの日常生活とコミュニケーション領域そのものに直接影響することになる。自衛隊の存在そのものが有事=戦時を前提としており、その活動領域が非軍事領域に浸透することを通じて、非軍事領域が軍事化し、平時が有事へとその性格が変えられ、国家安全保障を口実とした例外的な権力の行使を常態化させることになる。

平時と有事を座標軸上にとり、その中間にグレーゾーンが存在するとみなすような図式はここでは成り立たない。なぜならば、グレーゾーンの定義はもっぱら政府の恣意的な概念操作に依存しており客観的に定義できないからだ。平時と有事、軍事と非軍事についても同様に、その境界領域はあいまいであり、このあいまいな領域を幅広く設定することによって、平時や非軍事を有事や軍事に包摂して国家の統制を社会全体に押し広げて強化することが容易になるような法制度の環境が生みだされかねない。

2.3. 変わらない日常のなかの知覚できない領域で変容が起きる

だから、法治国家であるにもかかわらず、今私たちが暮すこの環境の何が、どこが、グレーゾーンなのか、あるいは有事なのか、軍事に関わっているのか、といったことを法制度上も確認する明確な手立てがない。

たとえばJアラートの警報はどのように位置づくのだろうか。あるいは、次のような場面をイメージしてみよう。私のスマホは、昨日も今日も同じようなサービスを提供しており、私の利用方法にも特段の違いがないとしても、サイバー領域の何らかの事態によってグレゾーン事態や有事としての判断を政府や防衛省が下したばあいに、通信事業者が政府の要請などによって、従来にはない何らかの対処をとることがありえる。これは防災アプリのように明示的にユーザーに告知される場合ばかりではないだろう。昨日と今日のスマホの機能の違いは実感できないバックグラウンドでの機能は、私には知覚できない。しかし多分、サイバーが国家安全保障上の有事になれば、たとえば、通信事業者による私たちの通信への監視が強化され通信ログやコンテンツが政府によってこれまで以上に詳細に把握されるということがありうるかもしれない。次のようなこともありえるかもしれない。「敵」による偽情報の発信が大量に散布される一方で、自国政府もまた対抗的な「偽情報」で応戦するような事態がSNS上で起きている場合であっても、こうした情報操作に私たちは気づかず、こうした情報の歪みをそのまま真に受けるかもしれない。検索サイトの表示順位にも変更が加えられ「敵」に関するネガティブな情報が上位にくるような工作がなされても私たちは、検索アルゴリズムがどのように変更されたかに気づくことはまずない。4

上のような例示を、とりあえず「コミュニケーション環境の歪み」と書いておこう。「歪み」という表現は実は誤解を招く。つまり歪んでいないコミュニケ=ション環境をどこかで想定してしまうからだ。この「歪み」で私が言いたいことは、そうではなくて、従来のコミュニケーション環境――それはそれなりの「歪み」を内包しているのだが――に新たな「歪み」が加わる、ということだ。こうした「歪み」は、実感できるものではないし、これを正すこともできない。むしろコミュニケーション環境に対する私たちの実感は、この環境をあるがままに受けいれ、また発信することになる。自らの発信が再帰的に歪みの構造のなかで更なる歪みをもたらす。こうしたことの繰り返しにAIが深く関与する。軍事・安全保障を目的として各国の政府や諸組織が関与するサイバーと呼ばれる領域は、伝統的な人と人の――あるいは人の集団としての組織と組織の――コミュニケーションとは違う。ここには、膨大なデータを特定のアルゴリズムによって処理しながら対話する人工知能のような人間による世界への認識とは本質的に異なる「擬似的な人間」が介在する。しかし人間にはフェティシズムという特性があり、モノをヒトとして扱うことができる。AIは人間のフェティッシュな感性に取り入り人間のように振る舞うことになるが、これは、AIの仕業というよりも、人間が自ら望んだ結果でもある。たぶん、こうした世界では、AIが人間化するよりも人間がAIを模倣して振る舞う世界になるだろう。こうして「私たち」のなかに、AIもまた含まれることになる。

グレーゾーン事態は、私たちの市民的自由や基本的人権を侵害しているのかどうかすら私たちには確認できない事態でもある。このコミュニケーション環境全体の何が私のコミュニケーションの権利を侵害しているのかを立証することは極めて困難になる。権利侵害の実感すらないのであれば、権利侵害は成立しない、というのが伝統的な権利概念だから、そもそもの権利侵害すら成り立たない可能性がある。

Footnotes:

1

松尾高志は、「有事法制」とは戦時法制のこと。「有事法制」は防衛省用語。(日本大百科)と説明している。戦争放棄を憲法で明記しているので、「戦時」という言葉ではなく有事を用いているにすぎないという。憲法上の制約から戦時という概念を回避して有事に置き換えられる結果として、自然災害も戦争もともに有事という概念によって包摂されてしまう。この有事という概念には、本来であれば戦時に限定されるべき権力の例外的な行使が、有事という概念を踏み台にして、非戦時の状況にまで拡大される可能性がある。有事は、災害における自衛隊の出動と軍隊としての自衛隊の行動をあいまいにする効果がある。

2

防衛白書 2019年、https://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2019/html/nc007000.html

3

「2027 年度 を目途に、自衛隊サイバー防衛隊等のサイバー関連部隊を約 4,000 人に 拡充し、さらに、システム調達や維持運営等のサイバー関連業務に従事 する隊員に対する教育を実施する。これにより、2027 年度を目途に、サ イバー関連部隊の要員と合わせて防衛省・自衛隊のサイバー要員を約2 万人体制とし、将来的には、更なる体制拡充を目指す。」防衛力整備計画、p.6

4

たとえばGoogleは年に数回コアアップグレードを実施し、アルゴリズムの見直しをしているという。米国最高裁が人工妊娠中絶についての解釈を変えて中絶の違法化を合憲とした後で、米国ではオンラインで人工妊娠中絶のサポートサイトが、検索順位で下位へと追いやられる事態が起きた。「(Women on web) GoogleのアルゴリズムがWomen on Webのオンライン中絶サービスへのアクセスを危険にさらす」https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/googles-algorithm-is-endangering-access-to-women-on-webs-online/

Author: 小倉利丸

Created: 2023-02-17 金 13:08

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ロシアとウクライナ、良心的兵役拒否が機能していない!!

戦争状態になると、当然のように市民的自由の制約がまかり通ってしまう。それを、戦争だから、国家の緊急事態だから、という言い訳で容認する世論が後押しする。ロシアでもウクライナでもほぼ同じように、良心的兵役拒否の権利が事実上機能できない状態にある。両国とも良心的兵役拒否は法律上も明文化されている。また市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)18条の2「何人も、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由を侵害するおそれのある強制を受けない」によって、宗教の教義で殺人を禁じている場合は、この教義に基づいて軍隊で武器を持つことや武力行使の幇助となるような行為を拒否できる。日本もロシアもウクライナも締約国だから、この条約を遵守する義務がある。さらに、この自由権規約で重要なことは、宗教の信仰だけでなく「信念」もまた兵役拒否の正当な理由として認められている点だ。

しかし、実際には、ロシアもウクライナも良心的兵役拒否の権利が機能していない。現在、ロシアとウクライナでは兵役拒否の実態がどのようになっているのかについて、下記に二つの記事を翻訳して紹介した。いずれもForum18.org という自由権規約18条の思想、良心及び宗教の自由についての権利を守る活動に取り組むノルウェーに本部がある団体のレポートだ。

ロシア:動員中の代替役務に関する法的規定がない

ウクライナ:ヴィタリィ・アレクセンコに対するすべての告発を直ちに取り下げよ

それぞれの国の具体的な状況については、このレポートを是非読んでほしいのだが、少しだけ書いておく。別のブログでも言及したことだが、ロシアにおける兵役拒否あるいは徴兵や軍への動員を忌避して民間での仕事に振り替える権利は、不当に狭められ、正当な権利行使を違法行為として訴追されるケースがある一方で、人権団体や弁護士の活動で兵役拒否の正当性を裁判所に認めさせることができたケースもあり、法的な権利が大きく侵害されながらも、むしろ権力による人権侵害に対してはっきりと闘う姿勢をとる人達がいることで、権利の完全な壊死を免れている。ウクライナでは、正義の戦争にもかかわらず、この戦争を遂行する国内の動員体制や戦争協力を拒否する人達への締め付けは厳しく、正義が危機に瀕している状況だ。上の記事にあるアレクセンコは、良心的兵役拒否を申立てたが、認められず、有罪となった。ロシア侵略以降ウクライナの裁判で有罪判決を受けたのは彼で5人目だが、初めて実刑1年の判決が下された。兵役拒否裁判では執行猶予がついていたが、アレクセンコはそうならなかった。兵役拒否の問題は、自分の思想・信条を捜査官や裁判官が信じるかどうかにある、ともいわれている。単に、「殺したくない」とか「軍隊は嫌だ」ということでは理由にならない、とされてしまっている。しかし、わたしは、そもそも国家の命令で「殺す」という行為そのものが不条理である以上、単純に「殺したくない」という(信条というよりも)心情のレベルでの忌避感情であっても十分兵役拒否の理由として認めらるべきだ、と考えている。

自由権規約は国家の緊急事態、つまり戦争のような場合に、4条1稿で個人の自由権を一定程度制約することを認めている。

国民の生存を脅かす公の緊急事態の場合においてその緊急事態の存在が公式に宣言されているときは、この規約の締約国は、事態の緊急性が真に必要とする限度において、この規約に基づく義務に違反する措置をとることができる。ただし、その措置は、当該締約国が国際法に基づき負う他の義務に抵触してはならず、また、人種、皮膚の色、性、言語、宗教又は社会的出身のみを理由とする差別を含んではならない。

しかし、この国家による自由権規約に対する義務違反を認める条文は、第2項で18条には適用できないと定められているので、良心的兵役拒否の権利は例外なく常に国家がその義務として保障しなければならない。

ロシアでは、姑息な手段を使って、兵役拒否や代替役務の権利を認めない扱いが横行しているようだ。兵役拒否は、徴兵制に対応した制度であるというのがロシア政府の解釈だそうで、徴兵制とは別の動員体制の場合には兵役拒否の権利は適用できない、というのだ。実はウクライナも似たり寄ったりで、戒厳令と動員の法体系の条件下で、期限付き兵役への徴兵がないために、代替(非軍事)役務の憲法上の権利の実施は、適用されないという。上のレポートにあるように、このような法解釈などをめぐっても闘いが続いている。

社会の大半の人々が兵役拒否あるいは戦争への動員を拒否すれば戦争は遂行できない。人々の多数の意思が非戦であるなら、好戦的な政権を選挙で選ぶはずがないだろう(選挙のトリックは別にして)。だから、問題の根源にあるのは、むしろ政権の戦争指向を明確に否定する声の存在が希薄であり、戦争を拒否する人達が社会のなかの少数として様々な圧力に晒されて、戦争への同調を強制されるなかで、自由に自分の信条を表明できない状態がつくられてしまうことだ。

日本には、軍隊が存在しないという建前のために、良心的兵役拒否を明文化した憲法も法律も存在しない。しかし「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」(19 条)「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」(20条)があり、これらが殺さない権利のとりあえずの根拠にはなる。

また、一般に、軍隊や国家の戦力保有、あるいは自衛力の保持と個人の殺さない権利とは別とみなされるかもしれないが、国家が軍隊をもつことは、主権者としての私の良心や信仰の自由への侵害でもあるという観点は、重要だろう。

戦後の日本では良心的兵役拒否は遠い世界の議論のように感じられるかもしれないが、むしろ、きちんとした議論が今ほど必要になっている時はないのでは、とも思う。

「いかなる場合であれ武器はとらない」のは何故なのか

ロシアの侵略に対するウクライナによる武装抵抗をめぐって、左翼や反戦平和運動のなかに様々な立場や考え方の対立がある。私は、「いかなる場合であれ武器はとらない」という立場なので、ウクライナの武装抵抗あるいはロシア軍への武力による反撃を支持する人達からはこれまでも何度か批判されてきた。私なりに批判の内容を了解したつもりだが、残念ながら、だからといって私の考えを変えるということにはなっていない。

他方で、私の立場についても、ブログで書いたり、あちこちのメーリングリストに投稿したりして、お読みいただいている方は承知されていると思う。しかし、私の考え方も多くの皆さんの納得を得られていているとは判断していない。つまり、私はまだ、十分に納得を得られるような議論を展開することができていない、という自覚がある。だから、少なくとも、私がすべきことは、私とは異なる意見の人達をやりこめたり、一方的になじるような詰問を投げかけることではなく、自分の言葉がなぜ届かないのかということについて反省しつつ、自分の考えをよりきちんと述べる努力をすることだろうと思う。メーリングリストでの意見の対立はよくあることだが、意見の違いが解消することはまずない、というのが私のこれまでの経験だ。お互いの意見を知り、違いがあることがわかれば、それで十分メーリングリストの役割は果たせていると思う。いずれ場合によっては、熟考したりいろいろな人と議論したり、状況が変化する中で、自分の思い到らないことに気づいて見解を変えることもありえるだろう。なじられたり罵倒されて考えが変わることはまずない。

(注)わたしはブログで「いかなる理由があろうとも武器はとらない」と書きました。

「いかなる理由があろうとも武器はとらない」という立場は原則的な立場なので、ロシアの侵略戦争についても例外ではないということになる。だから、私のような主張は、結果として、ウクライナの武装抵抗を批判することになるので、武装抵抗を支持する人達にとっては許しがたい主張だということになる。なぜ私が武力を手段とすべきではない、と考えるのかをより突っ込んで説明しないと、たぶん同じ主張と批判の繰り返しにしかならない。今直ちに、説明できる余裕はないが、ロシアとウクライナに関連して私が重要だと感じていることをもう少し書いておきたい。

私は、基本的に、ウクライナで暮す人であれロシアで暮す人であれ、自らの意思に反して兵士として強制的に動員されないこと、戦争関連の労働を強制されないこと、戦場からの避難の権利が保障されること、つまり戦争によって国家間の問題を解決することに自分の命を賭けるつもりのない人たちの権利が尊重されるべきだ、と考えている。とりわけ明確に戦争に反対する主張をし、行動する人達の表現の自由は、権利として保障されるべきだ。私が注目するのはこうした人々になるが、どちらの国の政府にもこうした立場をとる人達へのリスペクトがなく、戦争する国では例外なく、こうした国家の戦争行為に背を向ける人々が様々な抑圧や時には命を奪われたり暴力の被害にあう事態がみられる。国家であれ何らかの集団であれ、軍事的な組織行動をとるときには、戦争を拒否する権利の保障がないがしろにされるのは、あってはならない市民的権利の侵害だと私は考えている。

今回のロシアとウクライナの戦争に関連していえば、

  • 兵士、戦闘員としての強制的な動員や事実上の道徳的倫理的な圧力による動員の体制がどちらの国にもあり、これは良心的兵役拒否国内法にも国際法にも反していると思う。
  • ロシアでは兵役、徴兵を忌避できても、懲罰的な代替労働や戦争に協力する銃後の労働に動員されることがあり、これも本人の自由意志に反している場合がある。
  • ロシアでもウクライナでも戦場からの離脱の自由が権利として保障されていない。部隊からの離脱は一般に「脱走兵」扱いで犯罪化される。兵士を辞める自由は重要な市民的自由の権利であり、会社を辞める権利と同様保障されなければならないと思う。
  • 学校や右翼団体の活動で軍事訓練戦争を賛美する教育や戦争を支える活動が行なわれているのは、子どもの権利の侵害だと思う。
  • どちらの国にも表現の自由を保障する憲法の枠組があるが、これが事実上機能していない。とくにロシアでは、軍へのちょっとした批判も許容されない厳しい言論弾圧体制がある。
  • ウクライナでは成人男性が国外に脱出できない状況は、私にとっては容認できない事態だ。
  • ロシアでは、高齢者や病気を抱えている人たちにさえ強制的に動員される事態になっている。
  • どちらの国でも、相手国に関連する言語や文化への不寛容が制度化され、著しく自由な表現への規制がみられる。
  • ウクライナでは政府に反対する政治活動や労働運動への規制が厳くなっている

ウクライナでもロシアでも、戦争に背を向ける人たちがおり、だから国内には戦争に関して相反する考え方をもつ人達がおり、こうした違いを棚上げにして、「ウクライナ人」「ロシア人」というような括りかたで論じることはできないと思う。自分が「日本人」として一括りにされてしまうことに違和感があるからかもしれない。

上に挙げたことは、一般的にいえば、国家安全保障領域においては人権が例外的に制約されてもいい、という考え方を国家がとっており、これを一般の人々もいつのまにか共有してしまっている、という問題だ。国家安全保障を別格扱いにする考え方は日本でも明白にある。軍隊は、企業以上に人権とはあいいれない組織であり、その行動や意思決定もまた人権とはあいいれない。力の行使は、軍隊であれDVを引き起こす家族制度であれ、刑務所であれ、みな同じように基本的人権とは矛盾する組織原理をとらないと、力での統制は見込めない。力=暴力とはそのような本質をもつものだと思うので、力による問題の解決は選択肢にはならない、と思う。

他方で、国家安全保障が突出している戦争体制でも、人々は唯唯諾諾として従属しているばかりではないし、抵抗とは武力の行使だというわけでもない。むしろ不服従や非協力、力の行使であっても、それは人を殺害する目的を伴わない行為の方が圧倒的に多い。ウクライナの状況はあまりよくわかっていないのでロシアについて例示する。

  • ロシアは、兵役忌避のための手続きなどで人権団体が精力的に支援をしており、忌避に必要なノウハウがネットで共有されているのは心強い。
  • ロシアはプーチンの独裁のような印象がありますが、徴兵など軍事動員については様々な法制度があり、動員しやすいように法改正を目論む政府ですが、国会では必ずしも政府の思惑通りに法案が通過しているわけではないようだ。
  • ロシアでは裁判で徴兵忌避や軍からの離脱が認められるケースがあり、一定程度の司法の機能が効いている場面もあるようだ。これも人権弁護士などの団体による努力が大きいように思う。
  • ロシア国内の情報統制は完璧ではないので若者たちは、政府寄りの情報だけでなく、かなり様々な情報に接することができており、ゲリラ的な抗議行動が続いている。

私は、ウクライナの情勢を、日本が今直面しているかなり危機的な「戦争」を扇動するような状況と重ねあわせて考えるべきだと思うが、他方で、ウクライナによる武力による反撃を支持することと日本の自衛のための武力行使の議論とは切り離して論じるべきだ、という意見があることも承知している。その上で以下のように考えている。

日本の反戦平和運動が、ウクライナの状況を経験するなかで、9条護憲を掲げてきた人達のなかにも、敵基地攻撃は憲法の枠を越えていて容認できないが、専守防衛としての自衛隊は必要ではないか、という意見をとる人達が増えているように感じている。

私は専守防衛という議論は、軍事論として成り立たないと考えている。防衛白書では「専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう」と定義している。攻められたときに最小限度の攻撃だけを行なう戦争で勝つことはほぼありえない。だから、自衛隊は肥大化してきた。専守防衛とか必要最小限などの言葉に平和や戦争放棄の可能性を期待すべきことは何もない。こうした言葉に惑わされるべきではない。だから、軍隊をもつか、もたないか、という二者択一の問題として考える必要があり、はっきりと軍隊は不要であると主張しないといけない。

いちばん問題なのは、軍事力を背景とした外交は、武力による解決を最後の手段だと前提しての交渉になるので、非武装の外交とは全く次元が異なるということを理解することだと思う。力による解決という選択肢がないばあい、解決は「対話」による以外にないので、「対話」がもつ問題解決の能力が問われる一方で、武力によらない解決の可能性がずっと大きくなる。こうした異次元の外交を日本が戦後やってきたことはない。外交のコンセプトがそもそも武力を背景としたものしかもっていなかったために、結果として、岸田のような力による脅しの外交しかできなくなるのだと思う。

だから、自衛隊も米軍も排除することが日本にとって必須だと思うが、同時に、どこの国の軍隊も、そしてまた傭兵や軍事請け負い会社もすべて廃止すべきだが、これがグローバルな反戦平和運動の共通の了解事項にまでなっていないのが現実ではないかと思う。

最後に、私は死刑廃止論者だ。欧米諸国の多くが死刑を廃止しているが、なぜか軍隊は廃止していない。死刑は廃止されてもなぜ国家の命令による殺人行為としての軍事行動の廃止が大きな声にならないのだろうか。ここに、たぶん、近代国家がかかえる本質的な矛盾があるように思う。ついでにいえばBlack Lives Matterをきっかけに警察廃止の主張をよく目にするようになったが、やはり軍隊の廃止という主張には繋っていないように思う。

このほか本当は書きたいこと(戦争とPTSDのこと、領土と近代国家のこと、ナショナリズムのこと、非暴力不服従のことなどなど)がいくつかあるが、別の機会にしたい。

ロシアの反戦運動2023年に入っても活発に展開されている(ビジュアル・プロテスト)

ロシアの反戦運動は、さまざまな不服従運動が小グループに分かれながら、したたかに繰り広げられている。以下は、「ビジブル・プロテスト」として、屋外や公共空間、店舗などで展開されている抗議の行動で、2023年になってhttps://t.me/nowarmetro に投稿されたものからいくつかを紹介します。こうした行動の担い手は、分散的だが、抗議に必要なノウハウ(ステッカーやグラフィティの方法、印刷の方法などから弾圧対策まで)についてはかなりしっかりとしたアンダーグラウンドの基盤があるように思います。これは、帝政からソ連時代、そして現在のロシアまで長い年月をつうじて受け継がれてきた民衆の「地下」活動の文化なしには成り立たないようにも思います。一人一人の行動のキャパシティが大きく、それを支える人的ネットワークや人権団体による弾圧への対処は日本よりずっと厚いと思います。日本は街頭の規制が極めて厳しく、ステッカーやグラフィティなどを政治目的で利用する文化がこの半世紀近く途絶えてしまった。戦争になったとき、私たちはこれだけの抗議を中央でも地方でも展開できるだろうか。

ベルゴロドやブリャンスクでも抗議!?

ボロネジ、プーチンと戦争に反対するキャンペーンを積極的に行っている

モスクワでは、反戦銀行券や緑のリボンが盛んに配布されている
エカテリンブルクの街には、反戦を訴えるグラフィティが随所に。
モスクワで。
クラスノヤルスクでも抗議は続いている!
サンクトペテルブルでも抗議は収まらない!
サンクトペテルブルクで
スィフティグカルでの抗議
サマラで反戦グラフィティが活発に
反戦モスクワ
サラトフは反戦グラフィティを精力的に展開している!
サンクトペテルブルクでは、リーフレットを配布し、独立系メディアへのリンクを共有

以下は https://t.me/nowarmetro/12869 から。

ビジブル・プロテストの10ヶ月間。私たちは、目に見えるアジテーションの統計を共有し、戦争と動員について情報を提供し続けることをお願いします。

今日は、私たちのストリートキャンペーンプロジェクト「Visible Protest」の新しい統計データを紹介することにしました。 (https://t.me/nowarmetro)本当に感動的!

戦争、動員、独裁政治に反対する声を上げている皆さんに感謝します。戦争や残忍な弾圧の時代にあっても、あなた方は本当に勇敢な人たちです。なぜなら、私たちの国に実際に何が起こっているのかについて、恐れずに抗議し、他の人たちに知らせることができているからです。

何千人ものロシア人がすでに戦争に反対する声を上げています。彼らと一緒に大衆的な反戦の姿勢を示そう! また、ビジュアルキャンペーンの配布は、最も効果的で安全な抗議の表現方法の一つです。

私たちのガイド(https://vesna.democrat/2022/03/18/kak-sdelat-protest-zametnee-polnyj-g/4)[日本語、ただし若干内容が違います]を読んで配布し、キャンペーンに参加し、あなたの家族や友人に、戦争、動員、当局の犯罪行為についての真実を伝えてください。そして、キャンペーンの方法をソーシャルネットワークで共有しましょう

選挙運動はしましたか?あなたの街を写した写真をボットに送信してください(完全に匿名で、写真のメタデータも消去されます)。@picket_against_war_bot

ウクライナ防衛コンタクトグループの会合を目前にして。あらためてG7も軍隊もいらない、と言いたい。

メディアでも報道されているが、20日からドイツのラムシュタイン米空軍基地でウクライナ防衛コンタクトグループ(NATOが中心となり、米国が議長をつとめてきたと思う)の会議がある。50ヶ国が参加すると米国防省が発表している。当然日本も参加することになるだろう。

これまでに、日本は防衛大臣や防衛省幹部が出席しており、事実上NATOに同伴するような態度をとっているので、とくに20日からの会議には、日本が安保・防衛3文書と軍事予算増額という方針を――国会での議論がないままに――既定の事実とみなし、かつ、G7議長国+安保非常任理理事国として参加するので、参加の意味はこれまでとは違って、とても重要なものになる。

この間のG7諸国のウクライナへの軍事支援は異例なことづくめだ。 英国が自国の主力戦車「チャレンジャー2」14台を提供したことはかなり報じられているが、それだけでなく、戦車は「AS90自走砲、ブルドッグ装甲車、弾薬、誘導多連装ロケットシステム、スターストリーク防空システム、中距離防空ミサイルなどの大規模な軍事援助パッケージの一部」である。(VOA報道 ) ドイツも主力戦車「レオパルド2」戦車、マーダー装甲兵員輸送車、パトリオット防空ミサイル砲台、榴弾砲、対空砲、アイリスT地対空ミサイルを提供。[日本報道では、戦車の提供については、保留と報じている。そのほかの武器については不明、21日加筆]ドイツの戦車提供は、ポーランドやフィンランドからの圧力があり、また武器供与に関しては、緑の党が極めて積極的な姿勢をみせている。 欧州連合(EU)理事会のシャルル・ミシェル議長も戦車提供を支持している。戦車提供の是非が議論になっていたが、英国が掟破りをしたことがきっかけで、戦車提供のハードルが一気に下がった。ウクライナは春までに戦車を数百台規模で必要としているといわれている。(上記VOA)

肝心の米国は、ニューヨークタイムスの報道では、かなり姑息で、中東での紛争に備えてイスラエルに供与した30万発をポーランド経由で提供されると報じられている。また、韓国にある米軍の備蓄もウクライナに送られているようだ。戦闘が膠着状態にあるなかで、ウクライナもロシアも砲弾不足とみられている。タイムズは「米欧の当局者によると、ウクライナ軍は月に約9万発の砲弾を使用しているが、これは米国と欧州諸国を合わせた製造量の約2倍に相当する。残りは、既存の備蓄や商業販売など、他の供給源から調達しなければならない。」と報じている。春までに供給を確保できるかどうかが勝敗の鍵を握るという専門家の話も紹介されている。 こうした報道では、砲弾の消費とは人の命の「消費」でもあり、どちらがより多くの人命を奪えるかが勝敗を決める、と言っているに等しい。しかし、あといったい何人が戦争で殺し・殺されなければならないのか、といった話はでてこない。むしろ、ロシアを凌駕する武器、弾薬の供給の必要、という話ばかりだ。

20日のドイツでの会議では、こうした武器弾薬の供給についての具体的な話になると思われ、そうなれば、日本は何も提供しない、などということは言えないということになるだろう。昨年から一貫して続いているNATOやウクライナからの武器供与の圧力を政府は見すえて、安保・防衛戦略と予算見直しをしているので、ウクライナの問題が重要な意味をもっている。それに加えて東アジアの「危機」キャンペーンで世論の不安を煽る。昨年、岸田は初めてNATOの首脳会議い出席する。また、日本は2014年からNATOのパートナーシップ相互運用性イニシアティブに関与してきているし、人的交流もある。日本がNATOとの関係をより具体的に緊密化するだけでなくアジア最初のNATO加盟国にすらなりかねない勢いとも感じる。

20日の会議がドイツで開催されるのは、米国の思惑として、NATOへのドイツの関与をより一層強固なものにしたい、ということもあるかもしれない。ドイツはもはや、かつての第二次世界大戦のホロコーストと戦争を反省したドイツではない。ウクライナへのロシアによる「ホロコースト」を許さないためには戦争も辞さない、というように世論も政党も、その態度が変化しており、これが平和運動の一部にも受け入れられてしまっている。スティーブン・ミルダーは、戦後ドイツの平和運動の変質を扱ったエッセイ「ウクライナと蝕まれる平和主義」(Boston Review)でこのことを指摘している。 ミルダーの指摘が正しいとすると、日本は、繰り返し朝鮮民主主義共和国による核の脅威や中国による軍事的な覇権といった危機の扇動を人々の心理に刷り込むことを通じて、核の脅威を抑えるためには(自衛のための)戦争以外の選択肢はない、だから戦争はやむなし、という世論を構築してきた。岸田が口にする「非核」は、核の脅威を口実とした平和の軍事化にほかならない。武力による反撃や先制攻撃を正当化するために、もっぱらロシア、中国、朝鮮の核の脅威が利用され、核抑止力の論理は、むしろ、通常兵器による際限のない殺し合い――核さえ使わなければいくら殺し合ってもいいだろう、というモラルハザード――を加速化してしまい、ここに日本も自ら積極的に加担しうるための理論武装をしてきた。こうして平和運動のなかですら非武装や自衛隊違憲論は少数派となり――わたしはこの少数派だが――「侵略されたら、攻撃されたら、核の先制攻撃をされたら、それでも非武装でいいのか」という脅しの前に、「それでも非武装であることがベストだ」という当然の答えを出せずに、武力による平和という欺瞞に屈服してしまった。

今年は広島でG7開催になるが、日本とG7との関わりは、同時にNATOとの関わりでもあり、安保・防衛3文書と軍事予算問題は、こうした国際関係の観点を抜きにはできない極めて大切な問題だと思う。20日の会議には注目したい。G7から芋蔓式にNATOへの関与や武力による解決へと引き込まれている現実をみたとき、私たちがとるべき主張は、G7の解体はもとより、外国であれ自国であれ軍隊を廃止すること、という当然の主張を何度でも繰り返す必要がある。

(Boston Review)ウクライナと蝕まれる平和主義

(訳者前書き) ここに訳出したのは、戦後ドイツの平和運動がウクライナの戦争のなかで直面している、平和主義そのものの危機、つまり、武力による平和の実現への屈服の歴史を概観したもので、日本の現在の平和運動が陥いっている矛盾や課題と主要な点で深く重なりあう。その意味でとても示唆的な論文だ。

ドイツは戦後ヨーロッパの平和運動の重要な担い手だった。ナチスによるホロコーストという戦争犯罪への反省から、二度とホロコーストを引き起こさないという誓いとともに、二度と戦争を引き起こさない、「武器によらない平和」という考え方を支えてきた。自らの加害責任を明確にすることから戦後のドイツの平和への道が拓かれる。これは、日本が戦争責任、加害責任を一貫して曖昧にしてきたのとは対照的な姿だと受けとめられてきた。一方で、ドイツは日本のような戦争放棄の憲法を持つことなく、軍隊を維持し、NATOにも加盟してきた。とはいえ、ドイツの民衆は米軍やNATOによる軍拡や核兵器反対運動の重要な担い手であり、それが、ドイツの議会内左翼や緑の党を一時期特徴づけてもいた。しかし、日本同様、ドイツもまた、ポスト冷戦期に、戦後の平和主義そのものが左翼のなかで事実上崩壊する。ただし、特徴的なことは、ホロコーストは二度と起こさない、という誓いが、ホロコーストを招来するような武力紛争い対しては、武力によって介入することも厭わない、というようになり、それが、コソボからウクライナへと継承されるとともに、国連の対応にも本質的な変化が生まれてくることを著者は指摘する。このあたりの著者の記述は、私たちにとっても重要だし、示唆的でもある。

決定的に軍拡に前のめりになったのがウクライナの戦争においてだった。以下でスティーブン・ミルダーが述べている平和主義が壊死するに到る経緯は、ある意味で、日本の護憲主義が絶対平和主義や非武装中立の理念を放棄して、9条護憲といいながら専守防衛と自衛隊合憲を当然の前提にするという欺瞞に陥いった経緯と多くの点で重なりあう。緑の党が平和主義を放棄して積極的な武力介入へと変質する経緯も他人事とはいえない。ウクライナへの軍事支援や武力抵抗の是非をめぐって日本の左翼のなかにも考え方の対立がある。同様のの対立がドイツでも起きている状況をみると、今日本で起きている軍拡と平和主義の解体的な危機の問題は、日本だけの問題ではなく、ある種の普遍的な問題でもあるということに気づかされる。私は、いかなる場合であれ、武器をとることは選択すべきではない、という立場だが、このような立場が日を重ねるごとに無力化される現実に直面するなかで、平和主義者が国家にも資本にも幻想を抱くことなく、国家と資本から解放された未来の社会の実現を暴力に依拠しないで実現するための構想ができていただろうか、ということをあらためて考えなければならないと感じている。平和主義(これは議会主義と同じ意味ではない)の敗北の歩みは、平和主義の破綻ではなく、そのパラダイム転換が求められていることを示している、と思う。(小倉利丸)

A mass peace demonstration in Bonn, Germany, on June 10, 1982, on the occasion of a NATO summit. Image: Wikipedia

ドイツの指導者たちは、戦争に対応して国防費を大幅に増やし、第二次世界大戦後に生まれた平和主義の文化との決定的な決別を示し、軍縮の大義に大きな打撃を与えている。

スティーブン・ミルダー
ヨーロッパ, グローバル・ジャスティス, 軍国主義, ウクライナ, 戦争と国家安全保障

    2023年1月11日

11カ月前、ロシアがウクライナに侵攻した日、Alfons Mais中将は自身のLinkedInアカウントにこう書き込んだ。「私が率いる連邦軍は、多かれ少なかれ破たんしている」「(NATO)同盟を支援するために政府に提示できる選択肢は、極めて限られている」と彼は書いた

ドイツの装備の悪い軍隊は、戦争を拒否するドイツの誇らしい象徴というよりは、西ヨーロッパが自らを守ることができないことの兆しと受け止められているのだ。

報道では、マイスの悲観的な見方は事実に基づくものだ。ドイツ連邦軍はNATOのアフガニスタン長期作戦に参加し、現在もドイツの兵士は国連平和維持活動の一環としてマリに派遣されているが、ロシアのような核保有国に対抗するには明らかに力不足だった。昨年2月現在、ドイツ連邦軍は40台の最新型戦車しか保有しておらず、ヘリコプターの約6割が戦闘不能とされている。一方、海軍は、新たな任務を担うことはおろか、以前から計画していた作戦を遂行するのに十分な艦船があることも確認されていない

これらの統計は、米国の莫大な国防費や軍事力とは対照的であり、ドイツが1945年以来数十年の間、攻撃的な軍国主義から平和主義的な抑制へと転じたことの証拠である。戦場で大国と対峙するつもりのない軍隊に、戦車やヘリコプターは何の役に立つのだろうか。しかし、ウクライナで戦争が勃発すると、不手際で装備の整わない連邦軍というイメージは突然、別の意味合いを持つようになった。それは、ドイツの誇り高い戦争拒否の象徴ではなく、西ヨーロッパの自衛能力の欠如の象徴として注目を集めるようになったのである。

ドイツ連邦軍の装備を改善し、ヨーロッパの安全保障に対するコミットメントを証明するために、ドイツの指導者たちが昨年精力的に行った努力は、戦後のドイツ史における劇的な転機と評されるようになった。オラフ・ショルツ首相は昨年2月、1000億ユーロという前代未聞のローンを組むと宣言し、それを正当化するために「必要な投資と軍備プロジェクト」のための「特別基金」といった言い回しを使った。軍備強化へのコミットメントを疑う余地のないようなものにするために、ショルツは国防予算の年次増額を発表した。戦争が始まって3日後、ショルツは国会で、ロシアの侵攻は「わが大陸の歴史の分岐点」だと述べて、この国防費のすさまじい増額を正当化した。この主張は、ドイツ人の歴史的想像力の大きな事柄との関連で理解されなければならない。すなわち、第二次世界大戦である。首相は、「私たちの多くは、両親や祖父母の戦争の話をまだ覚えています。そして、若い人たちにとっては、ヨーロッパで戦争が起こることはほとんど想像もつかないことなのです」と説明した。彼の主張は広く受け入れられた。6月までに連邦議会は、連邦軍資金の大幅増額というショルツの計画を実行に移すために必要な憲法改正案を可決した。

現実には、実際の分水嶺は、第二次世界大戦以来初めて「ヨーロッパでの戦争」が突然出現したことでは ない。それは、1990年代のユーゴスラビアでの熱い戦争だけでなく、冷戦時代の数十年にわたる軍国主義を消し去った、歴史的な記憶喪失の驚くべき一連の出来事である。真のより大きな変化は、ほとんど何も語られることはなかった。つまり、これは、この30年間、ドイツは、ポスト・ファシストの国――これは、歴史家Thomas Kühneが言うところの「平和の文化」によってナチスの過去を克服したかに見えたのだが――から、防衛費を増大させ、重武装の侵略者に反撃する態勢を伝えることに熱心なポスト平和主義の国へのこの30年間のドイツの変容の頂点をなすものなのである。確かに、東西ドイツは第二次世界大戦後すぐに再軍備を行い、冷戦時代には何十万人もの米ソの兵士を受け入れたが、この時期を通じて、二人の東ドイツ反体制者のよく知られた「武器なしで平和を作る」(Frieden schaffen ohne Waffen)という主張を熱心に支持するドイツ人もかなりの数にのぼった。この冷戦時代の平和主義は、1990年代以降、西側諸国が武力による自衛と人道的介入を広く求めるようになったことに直面するなかで転換に迫られ、ショルツのレトリックから消え去った。

過去75年間の戦争を無視することは、プーチンの侵略戦争の深刻さを伝えるのに役立つかもしれないが、ドイツ人の過去、特に第二次世界大戦の教訓に照らして戦争と平和について考える方法の大きな変化をも見落とすことになる。また、ウクライナ戦争に対するドイツのタカ派的な対応がもたらすリスクと結果も見えにくくなっている。かつて多くのドイツ人が第二次世界大戦を、あらゆる形態の軍国主義に反対する理由としてきた。しかし、今日では、これが、残虐行為を防ぐという名目で、国防費の増大を正当化する議論に利用されているのである。


軍国主義に対するドイツの反発は、1945年直後に生まれ、冷戦の間ずっと続いてきた。敗戦と占領の経験に懲りた西ドイツと東ドイツは、ともに平和な国として認識されることを望んだ。両国の憲法は侵略戦争を禁じ、軍隊の役割を平和維持に限定し、西ドイツの軍需メーカーが紛争地域に武器を輸出することを法律で禁止していた。しかし平和への誓いは、ここまでだった。ドイツは、いずれも冷戦時代の軍事同盟の再軍備や積極的なメンバーになることをおろそかにはしなかった。「鉄のカーテン」に沿って位置する両国は、何十万人もの米軍とソ連軍を受け入れ、徴兵制が採用され、冷戦の最盛期には50万人以上のドイツ人が現役兵として兵役についていた。それでも、公式の声明や政府のポリシーは、第三次世界大戦を防ぐことに期待をかけて軍事紛争を制限することに重点を置いていた。

かつて多くの人が第二次世界大戦を軍国主義に反対する理由とみなしたが、今では軍国主義を正当化するために利用されている。

このような態度は、ドイツ社会全体に見受けられた。冷戦時代には、一般の人々が民衆感情と草の根の活動を通じて、重要な「平和の文化」を築き上げた。第二次世界大戦末期にドイツ人が経験した悲惨さと、1945年の敗戦後に彼らが耐えた窮乏が、平和への抗議の第一波を促進したのである。戦争直後、一般ののドイツ人は、自国の再軍備に対して、下からの「私抜きで!」 (Ohne mich!)運動への参加を通じて、個人的に加担したくないという意思を表明した。1949年に西ドイツと東ドイツが成立すると、国家社会主義の東ドイツでは、草の根の抗議運動は難しくなった。しかし、西ドイツでは再軍備や核兵器に対する抗議が1950年代を通じて起こり、ある意味で再軍備や1955年の西ドイツのNATO加盟に影を落すことになった。確かに、スイス、オーストリア、スウェーデンといった中欧の隣国とは異なり、ドイツ連邦共和国は中立国ではなかったが、戦争反対のイメージを醸成することに成功し、この時期に生まれた抗議の文化は長期にわたって影響を与えることになる。

1980年代初頭、軍拡競争が再び激化し、歴史家が「第二次冷戦」と呼ぶ戦争が始まると、両国の市民は再びより積極的な平和推進派に転じた。彼らは、主に、NATOやワルシャワ条約機構による中距離核ミサイルのヨーロッパへの配備に抗議した。西側では、NATOの中距離ミサイル配備の根拠となった「デュアルトラック決定」への反対運動が起き、政治学者ペーター・グラーフ・キールマンゼグの言葉を借りれば「連邦共和国がかつて経験したことのない大衆運動」に発展していった。1983年10月22日、西ドイツの「暑い秋」の中で最大の抗議行動となったこの日、120万人のドイツ人が街頭に立っていた。反ミサイルの運動は、さらに広く、深く拡がった。西ドイツの人々は、多くの市や町に非核地帯を設けるよう地元当局に要求し、NATOのミサイル基地を封鎖するために市民的不服従の訓練を受けた。

社会運動というと「SA(ナチスの準軍事組織)の行進」を想起させ、民主主義秩序の全面的な否定と同一視されかねないこの国において、こうした広範な抗議行動は大きな進展であった。しかし、国会がミサイル配備を承認するのを止めることはできなかった。西ドイツ連邦議会は1983年11月22日、キリスト教民主・自由党の連立政権政党と一部の社会民主党の賛成で、ミサイル配備を容認する議決を可決した。米軍は翌日午前1時からドイツへのミサイル輸送を開始した。西ドイツの人々が、反対を貫きながらも議会の決定を受け入れたことで、ストリート・デモが議会制民主主義の枠内で存在し得ることを証明することになった。その結果、歴史家は1980年代の平和運動が西ドイツで抗議行動を「正常化」したと論じている。

東ドイツでも、核軍拡競争に反対する運動が、1980年代前半に大きな盛り上がりを見せた。ロバート・ヘーブマンとライナー・エッペルマンは、1982年の「ベルリン・アピール」で、社会主義政権に対し、「武器なしで平和をつくる」という平和主義の理想に忠実であるよう挑んだのである。東西に備蓄された兵器は「我々を守るどころか、我々を破壊する」と主張し、ハーベマンとエッペルマンは政府に「兵器を廃棄する」ことを要求した。牧師ハラルド・ブレットシュナイダーは、社会主義圏のスローガン「剣を鋤に」を軍事政策への批判に転化し、この言葉をプロテスタント教会の庇護の下で展開された初期の平和運動のモットーにした。ブレットシュナイダーのグループは、社会主義政権が独自の社会活動を禁止していたにもかかわらず、1982年に「平和フォーラム」を開催し、約6000人の参加者を得た。秘密警察の監視にさらされる中、東ドイツの平和活動家たちは、西ドイツの人々との間で個人として「個人的平和条約」を結ぶなど、平和に向けた新たな活動の方法を見出した。西ドイツの「緑の党」議員で平和活動家のペトラ・ケリーは、1983年10月の会合で東ドイツの指導者エーリッヒ・ホーネッカーに「個人的平和条約」に署名するよう求めたほど、この習慣は広く浸透し、注目されるようになった。しかし、側近の一人のささやかな仲介により、ホーネッカーはこの条約の最後の論点である「一方的な軍縮の開始を支持することをここに約束する」ことへの同意を拒否した。

冷戦時代、一般のドイツの人々は、民衆の感情や草の根の活動を通じて、重要な「平和の文化」を築き上げた。

両国の政府は、武力防衛政策を撤回して一方的な軍縮を進めることを拒否したが、平和活動家が形成したネットワークと彼らが提唱した批判は、深い意味を持っていた。西ドイツは多くの米軍基地とNATOの膨大な兵器を抱えていたが、強力な平和運動が民衆の平和主義的ムードをとらえ、草の根の政治的関与を促したように思われる。東ドイツでは、平和運動はより大きな影響を与えたと思われる。平和運動は、1989年秋の大規模な街頭抗議行動を組織するためのネットワークづくりに重要な役割を果たし、それがドイツ民主共和国の崩壊を促したのである。冷戦がほぼ非暴力で終結したことで、武力紛争のない未来像――戦争はもちろん暴力的な闘いではなく平和的な民衆の抗議が、地政学的変化を促す世界――が描かれるようになった。

国家社会主義が崩壊した後、統一されたばかりのドイツでは、熱い戦争とそれをめぐる論争が身近なものとなった。戦争が続く大陸で復活した大国の責任と、イラクやアフガニスタンに介入したアメリカとの同盟の責任に直面し、ドイツの反戦文化は揺らいだ。1990年8月のイラクのクウェート侵攻に対する米軍主導の対応に消極的だった。これが冷戦時代の平和主義の終りを意味するものだった。冷戦時代の軍拡競争の中で、表向きは武力紛争を否定し、その一方で誠実な軍事同盟メンバーであるという、一見逆説的な組み合わせに象徴される国になった。

1990年のペルシャ湾紛争は、イラクのクウェート侵攻で始まったが、多くのドイツ人は、イラクの侵略者に対して武力を行使する理由はほとんどないと考えていた。むしろ、イラク軍をクウェートから追い出し、イラク領内に深く侵入したアメリカ主導の「砂漠の嵐」作戦に反対し、統一ドイツ全土で抗議行動を起こし、反米感情を高揚させた。例えば、ペーター・シュナイダーは、ドイツ人が米国の介入を批判すると同時に、イラクのクウェート侵攻を非難することに消極的であることを懸念し、その姿勢は、戦争で危害を受けた米兵を看護しないことを宣言したドイツの看護師の行動などにも表れているとコメントした。

統一ドイツで抗議を呼び起こし、激しい論争を引き起こしたのは、海外への武力介入だけではなかった。ほぼ10年続いたユーゴスラビア戦争は、サラエボを4年近くも包囲し、スレブレニツァの虐殺を引き起こし、ついにはドイツ軍の1945年以来の海外派兵を引き起こすなど、恐ろしい事件を含んでいたが、こうした問題にも劇的な影響を及ぼした。特にボスニアとコソボの戦争は、ドイツ軍の海外派遣の可能性や平和維持活動における統一ドイツの役割といった根本的な問題をめぐる議論を引き起こした。このような議論の中で、冷戦時代に多くのドイツ人が抱いていた「戦争の火種を増やすべきではない」という反軍国主義的な考え方が変容していった。

武力介入に対するドイツの態度の変容を最も明確に示しているのは、おそらく緑の党だろう。緑の党は、平和運動が最高潮に達していた1983年に西ドイツ連邦議会に初めて議席を得た。反ミサイルデモへの広範な参加は、緑の党を国会に押し上げることにつながった。緑の党の有力者は、自分たちの党を平和運動の「議会の翼」(より具体的には、緑の党の有力議員ペトラ・ケリーの言葉を借りれば、運動において「立法の役割を演じることplaying leg」)とまで呼び、党の綱領は「連邦共和国が平和と軍縮のために単独で活動できるような政府」を呼びかけていた。1983年の選挙に向け、大西洋の両岸の政界は、緑の党の一方的な軍縮支持がドイツのNATOからの脱退になると警鐘を鳴らしていた。例えば、ロバート・ヘーガーはUS News and World Report誌に、「緑の党は急進的な社会主義者と組み、ドイツを中立主義に導く破壊的な少数派を形成する可能性がある」と警告している。このような大げさな懸念は杞憂に終わった。結局のところ、緑の党の獲得議席数は5%にとどまった。NATOの核ミサイルをドイツ国内に配備することを承認する議決を議会で阻止することも、ましてやドイツを同盟から完全に排除することもできる数ではなかった。

反軍国主義の文化は1990年代に変容し、軍事力が人道的利益のために展開されるようになった。

しかし、かつてドイツの草の根平和運動の議会的表現と理解されていた政党は、1990年代の戦争の中で、NATOを力強く支持する方向に向かう新たな立場を採択した。1998年、社会民主党のゲアハルト・シュレーダー首相の連立政権に緑の党が加わって外相となったヨシュカ・フィッシャーは、この変化の先頭に立ち、ドイツ人が第二次世界大戦から引き出した教訓も変化していることを示唆する発言を繰り返している。ボスニア・セルビア軍によって8000人以上のボスニア・イスラム教徒が殺害された1995年のスレブレニツァ事件直後のインタビューで、フィッシャーは、いつまでたってもぐずぐずしてボスニア・イスラム教徒の武装自衛に貢献しようとしない姿勢を「裸と血のシニスム」と表現した。彼は介入主義を糾弾したり、武力抵抗は紛争の火種になるだけだと主張するのではなく、ボスニアのイスラム教徒の「自衛権」を代弁したのである。

戦争を否定しながら、このように主張をするために、フィッシャーは相反する二つの原則を打ち出した。「二度と戦争はしない!」(Nie wieder Krieg!)と「二度とアウシュビッツを繰り返さない」(Nie wieder Auschwitz!)である。)である。 スレブレニツァの虐殺のような大量殺戮を防ぐために使われる可能性がある限り、フィッシャーにとって、戦争は許容できる――必要でさえある――ものであった。アウシュビッツへの明確な言及は、フィッシャーの主張がドイツの過去への熟考に基づくものであることを明らかにした。同時に、彼の考えは、脅威を受け搾取されている少数民族の武装自衛権、さらには武装蜂起を長い間受け入れてきた自民党の一部と一致するものだった。例えば、西ベルリンの緑の活動家で後に国会議員となったハンス・クリスチャン・シュトレーベレは、サルバドール内戦のさなか、明らかに軍国主義的なスローガンである「エルサルバドルに武器を」を掲げて資金調達キャンペーンの先頭に立った。

しかし、フィッシャーは、ボスニアに小型武器を送るような草の根の募金キャンペーンを考えてはいなかった。その代わりに彼が考えていたのは、ドイツ連邦共和国を含む国家の軍隊が、劣勢に立たされた少数民族のために海外に派遣されるべきかどうかということであった。大量虐殺には武力で対抗しなければならないと主張した同じインタビューの中で、フィッシャーは、ボスニアのイスラム教徒を保護するというプロジェクトにおけるドイツの役割を後悔し、「再びドイツが(戦争で)果す役割はない」(Nie wieder eine Rolle Deutschlands)と宣言している。他のヨーロッパ諸国が凶悪な戦争犯罪を防ぐためにボスニアに介入するのは良いことだが、フィッシャーの葛藤からすれば、自国固有の歴史的犯罪のため、大量虐殺を武力で止める努力にドイツが関与することは許されないのだ。

4年後、この問題が頂点に達した。緑の党が連立政権に入り、外相となったフィッシャーは、NATOのコソボ介入へのドイツの関与について党内の支持を取り付ける必要に迫られたのである。1999年5月13日、ドイツ空軍を含むNATO軍がボスニア・セルビア・インフラへの空爆でコソボ戦争に介入してから50日後、緑の党はビーレフェルト市で特別党大会を開き、NATOの行動とドイツの参加について過去に遡って議論した。

マスコミは、コソボへの武力行使に代表が同意するかどうかで、党が分裂するのではと推測していた。NATOの空爆中止を求めるデモ隊の群集から緑の党代表を守るために、1500人もの警察が出動したのだ。緑の党は崩壊するどころか、444対318という僅差でNATOの介入を遡及的に承認する票が投じられた。ビーレフェルト党大会の忘れがたいイメージは、デモ参加者が会場に押し入り、フィッシャーにペンキ爆弾で襲いかかり、彼の鼓膜を破ったことである。劣勢で脅威にさらされている集団の武力防衛に自国の軍隊が貢献することを激しく拒否するドイツ人は、依然として相当数いたのである。同時に、多くのドイツ人にとって、軍事介入の論理は変化しつつあった。旧ユーゴスラビアでは、この5年間で2度目となる西側の介入によって武力紛争の火蓋が切って落とされたのである。

1990年代の教訓は、ドイツだけでなく西側諸国でも急速に取り込まれた。戦争犯罪や大量虐殺を阻止するためには軍事力が最も有効であるという考え方が支持され、2005年に国連加盟国が全会一致で「保護する責任Responsibility to Protect」(R2P)という枠組みを承認したことで、国際社会は、国家が自国の住民を大量虐殺から守ることができない場合には集団行動が必要であるという考えを採択した。つまり、戦争犯罪やジェノサイドに対して、軍事介入を含む行動を起こすことが、新しい国際秩序の規範となったのである。


このレガシーは、現在に至るまで影響している。緑の党の有力政治家たちは、ショルツ内閣の閣僚として、ウクライナにドイツの武器を送ることを最も強く主張してきた。マスコミはこうした呼びかけを、かつて平和主義だった緑の党が突然の変化を遂げたかのように報じているが、実はこの変化は1990年代から進行していたのである。例えば、2022年4月の『シュピーゲル』誌のカバーストーリーでは、緑の党が「親平和の理想主義者から戦車ファンへ」と変化したことを理由に、緑の党のリーダーたちを「オリーブの緑」と呼んだ。この表現は、2001年11月に同じ雑誌に掲載された、米国のアフガニスタン侵攻への支持を強化するために精力的に活動した、「オリーブグリーン」アンゲリカ・ベア(緑の議会代表団の防衛担当報道官)を取り上げた記事の見出しと直接対応している。2001年、シュピーゲル誌はすでに、緑の党を「かつては平和主義者だった」と評していた。

2005年までには、戦争犯罪から防衛するための軍事化が、新しい国際秩序の規範となった。

ビールの活動の成果もあって、アメリカの侵攻を支持する投票を辞退した緑の議員はわずか4人で、緑の代表団の大多数がこの決定を支持し、ドイツ軍はアフガニスタンに派兵されたのである。フィッシャーは、再び軍事介入支持を主張し、投票後、「共和国を決定的に刷新した」と論じた。しかし、フィッシャーの政治キャリアを「ベルリン共和国の形成」と結びつける伝記を書いたパウル・ホッケノスにとっては、統一後のドイツの外交政策を規定したのは、転換といえるほどの刷新ではなかった。シュレーダー=フィッシャー政権の下で、ドイツは「自信に満ちた、時には独立心のある行動主体であることを示した」とホッケノスは主張する。「経済の巨人、政治の小人」と評された冷戦時代の西ドイツとは大違いである。こうして、統一ドイツは戦争を遂行することで平和をつくる道をとることになる。かつて平和主義者であった多くの人々が、あらゆる戦争反対から武装による自衛の支持に転じたのは、ドイツの敗戦と喪失よりもホロコーストの犯罪を重視する第二次世界大戦観の変化、「二度と戦争をしない!」という原則よりも「二度とアウシュビッツを繰り返さない!」という原則に一貫して重きを置いてきたためであった。

その結果、かつては外国の紛争に介入すること自体に反発があった国が、今では脅威を受けた集団の武装自衛を支援する姿勢を示すことに四苦八苦している。それが顕著になったのは、ロシアのウクライナ侵攻以降である。ショルツは防衛費の大幅な増額を主張しながらも、当初はウクライナへの武器供与をためらい、保守系野党だけでなく連立政権のパートナーからも繰り返し激しく非難された。ショルツ政権の外相である緑の政治家アナレナ・バーボックは、ウクライナへの「重火器を含むさらなる軍事物資」の送付を支持する太鼓を叩き続けている。(アメリカのジャーナリスト、スティーブン・キンザーによれば、ベールボックのタカ派的な発言は、「ドイツの前の世代を形成した恥や反軍国主義を埋め込まずに育った」若い世代の政治家の立場を象徴しているのだという。ベールボックのような政治家は、武力介入がボスニア戦争やコソボ戦争の終結に一役買った1990年代の経験により大きな影響を受けていると思われる)。ベールボックらの圧力に押され、ショルツは徐々に後退し、ウクライナへの武器輸送をどんどん許可していった。

7月までに連邦政府は戦車の納入を開始した。連邦軍にはほとんど装備がなかったため、政府はドイツの兵器メーカーからウクライナに17億ユーロで自走砲100基を売却し、今後数年間に渡って納入するよう取り計らった。ロシアの侵攻から1年近くが経過し、和平交渉に応じる兆しが見えない中、和平のための武器使用を否定する声は、ドイツの議論から消えている。国会では、2021年秋の選挙でNATOからの離脱を主張し、批判が殺到して支持率が半減した左翼党だけが、ロシア侵攻に対して武力闘争よりも平和を優先する立場を取り続けた。左翼党は引き続きドイツの軍備増強に反対し、「危機的地域や紛争地域に武器を送り込む」ことで「大火災を引き起こすリスク」を警告したが、党内は悲惨な危機に陥り、連邦議会の議論ではますます蚊帳の外的な存在に見えるようになってしまった。

議会外の「武器なしでの平和」の提唱者たちにとっても、状況はほぼ同じであった。著名なフェミニストのアリス・シュヴァルツァーは4月、28人の知識人や芸術家が署名したショルツへの公開書簡を、自身の雑誌『エマ』のウェブサイトに掲載し、ウクライナへのドイツの武器援助の中止を訴えた。「追い詰められたなかで行われているエスカレートした軍備増強は、世界的な軍拡スパイラルの始まりとなり、少なくとも世界の健康や気候変動に破滅的な結果をもたらすかもしれない」と、書簡は訴えた。「そして、「あらゆる相違にもかかわらず、世界平和のために努力することが必要である」と結んでいる。

プーチンの侵略をきっかけに、武力闘争の政策提言活動は、急速に新しい常識になりつつある。

10月に米国議会進歩的議員連盟 the Congressional Progressive Caucusが同様の書簡を発表し、米国内で論争が起きたことからも予想されように、エマ書簡の署名者は、緑の党をはじめドイツの政界全体から憤りの言葉を浴びせられた。緑の党の国会議長の一人であるブリッタ・ハッセルマンは、「プーチンが国際法に違反してヨーロッパの自由な国を侵略し、都市全体を破壊し、市民を殺害し、女性に対する武器としてレイプを組織的に展開しているのに」、平和を目指すという考え方自体がナイーブだと示唆した。一方、ラルフ・フックスとマリエルイーズ・ベックという二人のベテラン緑の党は、ショルツへの二番目の公開書簡を組織し、57人の署名を得てスタートすることで対抗した。シュヴァルツァーが「軍拡のエスカレート」に帰結すると注意したのとは正反対に、フックスとベックは「ウクライナに有利な軍事バランスへとシフトするために、武器と弾薬を継続的に供給する」ことを支持する。プーチンが「勝者として戦場を去る」のを阻止することによってのみ、「ヨーロッパの平和秩序」は保たれる、と彼らは主張した。つまり、平和は武器がなければ作れない、銃口で作るものだ、というのだ。

こうした態度は、ドイツの平和主義者の間で、侵略戦争、とりわけ大量虐殺の防止が武力闘争の回避に取って代わりはじめた1990年代の議論と明らかに連続性がある。シュヴァルツァーの手紙に署名したベテランの 緑の党員であるアンティエ・フォルマーにとって、この変化は、今日の緑の党員たちが「ヨシュカの子ども」であることの証拠である。フィッシャーは、”二度と戦争をしないNever again war!” と “二度とアウシュビッツは起さないNever again Auschwitz!” の対比で、戦争に対するドイツ人の態度の変化を見事に表現した。1945年の敗戦と戦後のドイツが置かれた荒涼とした状況が、かつて戦争を全力で拒否するきっかけになったとすれば、ホロコーストに対するドイツ人の責任を果たそうという意欲が高まったことは、別の教訓を引き起こすことになった。ウクライナ戦争をめぐる議論においてドイツの若い政治家が相対的に好戦的であるのは、戦争体験の欠如というよりも、むしろ戦争体験のおかげである。それどころか、ユーゴスラビアやルワンダなどで恐ろしい戦争犯罪が行われるのを見続けた経験が、ロシアの猛攻から自らを守ろうとするウクライナの人々に対する若い政治家の率直な支持を促す義憤を後押ししている。1990年代に10代だったベールボックは、4月にバルカン半島に足を運んだ。スレベルニツァの虐殺を記録した写真展を訪れた彼女は、この恐ろしい事件が「社会的にも政治的にも、ドイツにおける彼女の世代を形成した」とコメントした。

1990年代の教訓を生かすことは、今回の侵略者が膨大な核兵器を保有する主要な軍事大国であることを考えれば、より容易である。かつてフィッシャーは、「アウシュビッツを再び繰り返すな!」というスローガンを、彼にとっては戦争否定の残念な例外としてとらえたが、武力闘争の政策提言活動は、急速に新しい常識となりつつある。


ある者は、ドイツの平和主義の衰退をポジティブな展開と見るだろう。つまり、ドイツの平和主義の衰退は、国際舞台におけるドイツの責任を認め、ドイツ国内に保有するNATOとワルシャワ条約の膨大な兵器庫に支えられた冷戦時代の平和文化の偽善を認めたものだと考える。私たちは、ドイツにおける一般大衆の平和文化の終焉と、断固とした平和主義者の声を軽視することを、そう簡単に喜ぶべきではない。

武力勝利のために行進するのではなく、平和のために活動することについて議論することさえ論外になってしまうなら、あらゆる恐ろしい結果を伴う軍事力による威嚇が常態化することになる。

ひとつには、こうなることで、暴力の拡大が懸念される中で、新たな宿命論を制度化するリスクをはらむことになる。ウクライナにドイツが直接軍事介入することは、今のところ考えられていないのは事実である。ドイツ連邦軍の惨状を見れば、直接介入することで戦場に大きな変化がもたらされるとは到底思えない。しかし、武器がなくても平和は実現できるという考え方にドイツが消極的であることによって、せっかくの資源と権力を平和活動のために活用することが妨げられているのは間違いない。外交官トップのベールボックは「ウクライナに必要なだけ武器を供給する」と繰り返し公言し、同じ緑の党の政治家も停戦交渉は「ウクライナの立場を弱める」と主張するなど、誰も非軍事的解決の方法を考えていないようだ。

むしろ、「ウクライナは勝たなければならない」という感情がドイツや西欧諸国全体に広がっているのは、戦争に勝つことができるという信念と、平和ではなく勝利をドイツの政策の目標にすべきだという信念の表れなのである。プーチンの侵略戦争に対峙する外交にどのような限界があるにせよ、このような態度には、この姿勢には、強い諦めの気持ちと、銃声が止んだときに何が起こるのかを無視する姿勢が顕著に表れている。アドム・ゲタチュウがR2Pの失敗について書いているように。

「  人道的介入の批判者は、残虐行為に対して「何かする」ことを拒否していると常に悪口を言われるが、往々にしてその「何か」は軍事介入と同一視される。その代わりに、NATOのリビア空爆を引き起こしたような人道危機や内戦への対応は、地域のパートナーの役割を重視し、紛争のデスケーリングを目指し、政治的移行にすべての利害関係者を含める多国間・外交プロセスを優先させるべきだろう。… 究極的には、人道的危機の特定のケースに対するわれわれの対応は、より広範な非軍事化キャンペーンの中に組み込まれなければならない。集団的軍縮のための多国間の努力は、世界中の暴力的紛争に対するより広範な対応の一部でなければならない。」

もし、武力勝利のために行進するのではなく、平和のために活動することを話すことさえ、公的な議論の埒外であれば、あらゆる醜い結果を伴う妨害行為が常態化し、平和への努力は例外的なものとなってしまう。不都合なことに、このようなタカ派的な態度は、戦争犯罪や大量虐殺から身を守るための正当な責任なのだと訴えることで容易に正当化されてしまう。実際、ここには、優れた兵器、そして必要な場合には西側の軍事介入が、国際紛争を解決するための最も確実で正しい手段であるという考え方が根底にある。この考えは、「我々の兵器の提供が命を救う」というベーボックの最近の発言に要約される。このように西側の軍事力をもってはやすことは、戦争がもたらす悲惨な人的コストを帳消しにしてしまい、アウシュビッツの再び起こさない、という枠をはるかに超えて、軍事化の暴走を助長するおそれがある。

ポスト・ファシスト、そしてポスト・平和主義の国の観点からすれば、長い間発展してきたこの変化の頂点にあるのが、軍事化と戦争のために人道的懸念を運用することであり、これが歴史の分水嶺になるということである。

スティーブン・ミルダー

Stephen Milder フローニンゲン大学助教授(欧州政治・社会)、ミュンヘンのレイチェル・カーソン・センター研究員(Research Fellow)。著書に『Greening Democracy: Greening Democracy: The Antinuclear Movement in West Germany and Beyond, 1968-1983』の著者。

Twitterをめぐる政府と資本による情報操作――FAIRの記事を手掛かりに

本稿は、FAIRに掲載された「マスクの下で、Twitterは米国のプロパガンダ・ネットワークを推進し続ける」を中心に、SNSにおける国家による情報操作の問題について述べたものです。Interceptの記事「Twitterが国防総省の秘密オンラインプロパガンダキャンペーンを支援していたことが判明」も参照してください。(小倉利丸)

Table of Contents

1. FAIRとInterceptの記事で明らかになったTwitterと米国政府の「癒着」

SNSは個人が自由に情報発信可能なツールとしてとくに私たちのコミュニケーションの権利にとっては重要な位置を占めている。これまでSNSが問題になるときは、プラットフォーム企業がヘイトスピーチを見逃して差別や憎悪を助長しているという批判や、逆に、表現の自由の許容範囲内であるのに不当なアカウント停止措置への批判であったり、あるいはFacebookがケンブリッジ・アナリティカにユーザーのデータを提供して選挙に介入したり、サードパーティクッキーによるデータの搾取ともいえるビジネスモデルで収益を上げたり、といったことだった。これだけでも重大な問題ではあるが、今回訳出したFAIRの記事は、これらと関連しながらも、より密接に政府の安全保障と連携したプラットフォーム企業の技術的な仕様の問題を分析している点で、私にとっては重要な記事だと考えた。

戦争や危機の時代に情報操作は当たり前の状況になることは誰もが理解はしていても、実際にどのような情報操作が行なわれているのかを、実感をもって経験することは、ますます簡単ではなくなっている。

別に訳出して掲載したFAIRの記事 は、昨年暮にInterceptが報じたtwitterの内部文書に基くtwitterと米国政府との癒着の報道[日本語訳]を踏まえ、更にそれをより広範に調査したものになっている。この記事では、Twitterによる投稿の操作は、「米国の政策に反対する国家に関連するメディアの権威を失墜させること」であり、「もしある国家が米国の敵であると見なされるなら、そうした国家と連携するメディアは本質的に疑わしい」とみなしてユーザーの判断を誘導する仕組みを具体的に示している。twitterは、企業の方針として、米国のプロパガンダ活動を周到に隠蔽したり、米国の心理戦に従事しているアカウントを保護するなどを意図的にやってきたのだが、世界中のtwitterのユーザーは、このことに気づかないカ十分な関心を抱かないまま、公平なプラットフォームであると「信じて」投稿し、メッセージを受け取ってきた。しかし、こうしたSNSの情報の流れへの人為的な操作の結果として、ユーザーひとりひとりのTwitterでの経験や実感は、実際には、巧妙に歪められてしまっている。

ウクライナへのロシアによる侵略以後、ロシアによる「偽旗作戦」への注目が集まった。そして、日本でも、自民党は、「偽旗作戦」を含む偽情報の拡散による情報戦などを「新たな『戦い方』」と呼び、これへの対抗措置が必要だとしている。[注]いわゆるハイブリッド戦では「ンターネットやメディアを通じた偽情報の流布などによる世論や投票行動への影響工作を複合的に用いた手法」が用いられることから、非軍事領域を包含して「諸外国の経験・知見も取り入れながら、民間機関とも連携し、若年層も含めた国内外の人々にSNS等によって直接訴求できるように戦略的な対外発信機能を強化」が必要だとした。この提言は、いわゆる防衛3文書においてもほぼ踏襲されている。上の自民党提言や安保3文書がハイブリッド戦争に言及するとき、そこには「敵」に対する組織的な対抗的な偽情報の展開が含意されているとみるべきで、日本も遅れ馳せながら偽旗作戦に参戦しようというのだ。日本の戦争の歴史を振り返れば、まさに日本は偽旗作戦を通じて世論を戦争に誘導し、人々は、この偽情報を見抜くことができなかった経験がある。この意味でtwitterと米国政府機関との関係は、日本政府とプラットーム企業との関係を理解する上で重要な示唆を与えてくれる。

[注]新たな国家安全保障戦略等の策定に向けた提言(2022/4/26)

2. インターネット・SNSが支配的な言論空間における情報操作の特殊性

伝統的なマスメディア環境では、政府の世論操作は、少数のマスメディアへの工作によって大量の情報散布を一方的に実現することができた。政府だけでなく、企業もまた宣伝・広告の手段としてマスメディアを利用するのは、マスメディアの世論操作効果を期待するからだ。

しかしインターネットでは、ユーザーの一人一人が、政府や企業とほぼ互角の情報発信力をもつから、国家も資本も、この大量の発信をコントロールするというマスメディア時代にはなかった課題に直面した。ひとりひとりの発信者の口を封じたり、政府の意向に沿うような発言を強制させることはできないから、これはある種の難問とみなされたが、ここにインターネットが国家と資本から自立しうる可能性をみる――私もそうだった――こともできたのだ。

現実には、インターネットは、少数のプラットフォーム企業がこの膨大な情報の流れを事実上管理できる位置を獲得したことによって、事態は庶民の期待を裏切る方向へと突き進んでしまった。こうした民間資本が、アカウントの停止や投稿への検閲の力を獲得することによって、検閲や表現の自由の主戦場は政府とプラットーム企業の協調によって形成される権力構造を生み出した。政府の意図はマスメディアの時代も現代も、権力の意志への大衆の従属にある。そのためには、情報の流通を媒介する資本は寡占化されているか国家が管理できることが必要になる。現代のプラットフォーム企業はGAFAMで代表できるように少数である。これらの企業は、自身が扱う情報の流れを調整することによって、権力の意志をトップダウンではなくボトムアップで具現化させることができる。つまり、不都合な情報の流れを抑制し、国家にとって必要な情報を相対的に優位な位置に置き、更に積極的な情報発信によって、この人工的な情報の水路を拡張する。人びとは、この人工的な情報環境を自然なコミュニケーションだと誤認することによって、世論の自然な流れが現行権力を支持するものになっていると誤認してしまう。更にここにAIのアルゴリズムが関与することによって、事態は、単なる一人一人のユーザーの生の投稿の総和が情報の流れを構成する、といった単純な足し算やかけ算の話ではなくなる。twitterのAIアルゴリムズには社会的なバイアスがあることがすでに指摘されてきた。(「TwitterのAIバイアス発見コンテスト、アルゴリズムの偏りが明らかに」CNETJapan Sharing learnings about our image cropping algorithm )AIのアルゴリズムに影響された情報の流れに加えてSNSにはボットのような自動化された投稿もあり、こうした機械と人間による発信が不可分に融合して全体の情報の流れが構成される。ここがハイブリッド戦争の主戦場にもなることを忘れてはならない。

[注]検閲や表現領域のようなマルクスが「上部構造」とみなした領域が土台をなす資本の領域になっており、経済的土台と上部構造という二階建の構造は徐々に融合しはじめている。

3. ラベリングによる操作

FAIRの記事で問題にされているのは、政府の情報発信へのtwitterのポリシーが米国政府の軍事・外交政策を支える世論形成に寄与する方向で人びとのコミュニケーション空間を誘導している、という点にある。その方法は、大きく二つある。ひとつは、各国政府や政府と連携するアカウントに対する差別化と、コンテンツの選別機能でもある「トピック」の利用である。このラベルは2020年ころに導入された。日本語のサイトでは以下のように説明されている。

「Twitterにおける政府および国家当局関係メディアアカウントラベルについて

国家当局関係メディアアカウントについているラベルからは、特定の政府の公式代表者、国家当局関係報道機関、それらの機関と密接な関係のある個人によって管理されているアカウントについての背景情報がわかります。

このラベルは、関連するTwitterアカウントのプロフィールページと、それらのアカウントが投稿、共有したツイートに表示されます。ラベルには、アカウントとつながりのある国についてと、そのアカウントが政府代表者と国家当局関係報道機関のどちらによって運用されているかについての情報が含まれています。 」https://help.twitter.com/ja/rules-and-policies/state-affiliated

ラベリングが開始された2020年当時は、国連安全保障理事会の常任理事国を構成する5ヶ国(中国、フランス、ロシア、英国、米国)に関連するTwitterアカウントのなかから、地政学と外交に深くかかわっている政府アカウント、国家当局が管理する報道機関、国家当局が管理する報道機関と関連する個人(編集者や著名なジャーナリストなど) にラベルを貼ると表明していた。その後2022年になると中国、フランス、ロシア、英国、米国、カナダ、ドイツ、イタリア、日本、キューバ、エクアドル、エジプト、ホンジュラス、インドネシア、イラン、サウジアラビア、セルビア、スペイン、タイ、トルコ、アラブ首長国連邦が対象になり、2022年4月ころにはベラルーシとウクライナが追加される。こうした経緯をみると、当初と現在ではラベルに与えられた役割に変化があるのではないかと思われる。当初は国連安保理常任理事国の背景情報を提供することに主眼が置かれ、これが米国の国益にもかなうものとみなされていたのかもしれない。twitterをグローバルで中立的なプラットフォーマであることを念頭にその後のラベル対象国拡大の選択をみると、これが何を根拠に国を選択しいるのかがわかりづらいが、米国の地政学を前提にしてみると、米国との国際関係でセンシティブと推測できる国が意図的に選択されているともいえそうだ。他方でイスラエルやインドがラベルの対象から抜けているから、意図的にラベルから外すことにも一定の政治的な方針がありそうだ。(後述)そして、ロシアの侵略によって、このラベルが果す世論操作機能がよりはっきりしてくる。

ロシアへのラベリングは、ウクライナへの侵略の後に、一時期話題になった。(itmedia「Twitter、ロシア関連メディアへのリンクを含むツイートに注意喚起のラベル付け開始」)

上のラベルに関してtwitterは「武力紛争を背景に、特定の政府がインターネット上の情報へのアクセスを遮断する状況など、実害が及ぶ高いリスクが存在する限られた状況において、こうしたラベルが付いた特定の政府アカウントやそのツイートをTwitterが推奨したり拡散したりすることもありません。」と述べているのだが、他方で、「ウクライナ情勢に対するTwitterの取り組み」 では、これとは反するようなことを以下のように述べている。

「ツイートにより即座に危害が生じるリスクは低いが、文脈を明確にしなければ誤解が生じる恐れがある場合、当該ツイートをタイムラインに積極的に拡散せず、ツイートへのリーチを減らすことに注力します。コンテンツの拡散を防いで露出を減らし、ラベルを付与して重要な文脈を付け加えます。」

FAIRの報道には、実際の変化について言及があるので、さらに詳しい内容についてはFAIRの記事にゆずりたい。

4. トピック機能と恣意的な免責

ラベリングとともにFAIRが問題視したのがトピック機能だ。この機能についてもこれまでさほど深刻には把えられていなかったかもしれない。

FAIRは次のように書いている。

「Twitterのポリシーは、事実上、アメリカのプロパガンダ機関に隠れ蓑と手段を提供することになっている。しかし、このポリシーの効果は、全体から見ればまだまだだ。Twitterは様々なメカニズムを通じて、実際に米国が資金を提供するニュース編集室を後押しし、信頼できる情報源として宣伝しているのだ。

そのような仕組みのひとつが、「トピック」機能である。「信頼できる情報を盛り上げる」努力の一環として、Twitterはウクライナ戦争について独自のキュレーションフィードをフォローすることを推奨している。2022年9月現在、Twitterによると、このウクライナ戦争のフィードは、386億以上の “インプレッション “を獲得している。フィードをスクロールすると、このプラットフォームが米国の国家と連携したメディアを後押ししている例が多く、戦争行為に批判的な報道はほとんど、あるいは全く見られない。米国政府とのつながりが深いにもかかわらず、Kyiv IndependentとKyiv Postは、戦争に関する好ましい情報源として頻繁に提供されている。」

ここで「独自のキュレーションフィード」と記述されているが、日本語のTwitterのトピックでは、「キュレイーション」という文言はなく、主要な「ウクライナ情勢」の話題を集めたかのような印象が強い。Twitterは、ブログ記事「トピック:ツイートの裏側」 で「あるトピックを批判をしたり、風刺をしたり、意見が一致しなかったりするツイートは、健全な会話の自然な一部であり、採用される資格があります」とは書いているが、実際には批判と炎上、風刺と誹謗の判別など、困難な判断が多いのではないか。日本語での「ウクライナ情勢」のトピック では、日本国内の大手メディア、海外メディアで日本語でのツイート(BBC、CNN、AFP、ロイターなど)が大半のような印象がある。つまり、SNSがボトムアップによる多様な情報発信のプラットフォームでありながら、Twitter独自の健全性やフォローなどの要件を加味すると、この国では結果として伝統的なマスメディアがSNSの世界を占領するという後戻りが顕著になるといえそうそうだ。反戦運動や平和運動の投稿は目立たなくなる。情報操作の目的が権力を支える世論形成であるという点からみれば、SNSとプラットフォームが見事にこの役目を果しているということにもなり、言論が社会を変える力を獲得することに資本のプラットフォームはむしろ障害になっている。

しかも「トピック」は単純なものではなさそうだ。twitterによれば「トピック」機能は、会話におけるツイート数と健全性を基準に、一過性ではないものをトピックを選定するというが、次のようにも述べられている。

「機械学習を利用して、会話の中から関連するツイートを見つけています。ある話題が頻繁にツイートされたり、その話題について言及したツイートを巡って多くの会話が交わされたりすると、その話題がトピックに選ばれる場合があります。そこからさらにアルゴリズムやキーワード、その他のシグナルを利用して、ユーザーが強い興味関心を示すツイートを見つけます」

Twitterでは、「トピックに含まれる会話の健全性を保ち、また会話から攻撃的な行為を排除するため、数多くの保護対策を実施してい」るという。何が健全で何が攻撃的なのかの判断は容易ではない。しかし「これには、操作されていたり、スパム行為を伴ったりするエンゲージメントの場合、該当するツイートをトピックとして推奨しない取り組みなどが含まれます」 と述べられている部分はFAIRの記事を踏まえれば、文字通りのこととして受けとれるかどうか疑問だ。

トピックの選別をTwitterという一企業のキュレション担当者やAIに委ねることが、果して言論・表現の自由や人権にとってベストな選択なのだろうか。イーロン・マスクの独裁は、米国や西側先進国の民主主義では企業の意思決定に民主主義は何にひとつ有効な力を発揮できないという当たり前の大前提に、はじめて多くの人々が気づいた。Twitterにせよ他のSNSにせよ、伝統的なメディアの編集部のような「報道の自由」を確保するための組織的な仕組みがあるのあどうか、あるいはそもそもキュレイーションの担当者やAIに私たちの権利への関心があるのかどうかすら私たちはわかっていない。

もうひとつは、上で述べたラベリングと表裏一体の問題だが、本来であれば政府系のメディアとしてラベルを貼られるべきメディアが、あたかも政府からの影響を受けていない(つまり公正で中立とみなされかねない)メディアとして扱われている、という問題だ。FAIRは米軍、国家安全保障局、中央情報局のアカウント、イスラエル国防軍、国防省、首相のアカウントがラベリングされていないことを指摘している。

またFAIRが特に注目したのは、補助金など資金援助を通じて、特定のメッセージや情報の流れを強化することによる影響力強化だ。FAIRの記事で紹介されているメディアの大半は、米国の政府や関連する財団――たとえば全米民主主義基金(National Endowment for Democracy、USAID、米国グローバルメディア局――などからの資金援助なしには、そもそも情報発信の媒体としても維持しえないか、維持しえてもその規模は明かに小規模に留まらざるをえないことは明らかなケースだ。

5. 自分の直感や感性への懐疑は何をもたらすか

FAIRやInterceptの記事を読まない限り、twitterに流れる投稿が米国の国家安全保障の利害に影響されていることに気づくことは難しいし、たとえ投稿のフィードを読んだからといって、この流れを実感として把握することは難しい。フェイクニュースのように個々の記事やサイトのコンテンツの信憑性をファクトチェックで判断する場合と違って、ここで問題になっているのは、ひとつひとつの投稿には嘘はないが、グローバルな世論が、プラットフォーム企業が総体として流す膨大な投稿の水路や流量の調整によって形成される点にある。私たちは膨大な情報の大河のなかを泳ぎながら、自分をとりまく情報が自然なものなのか人工的なものなのか、いったいどこから来ているのか、情報全体の流れについての方向感覚をもてず、実感に頼って判断するしかない、という危うい状態に放り出される。このような状況のなかで、偏りを自覚的に発見して、これを回避することは非常に難しい。

こうしたTwitterの情報操作を前提としたとき、私たちは、ロシアやウクライナの国や人びとに対して抱く印象や戦争の印象に確信をもっていいのかどうか、という疑問を常にもつことは欠かせない。報道の体裁をとりながらも、理性的あるいは客観的な判断ではなく、好きか嫌いか、憎悪と同情の感情に訴えようとするのが戦争状態におけるメディアの大衆心理作用だ。ロシアへの過剰な憎悪とウクライナへの無条件の支持の心情を構成する客観的な出来事には、地球は平面だというような完璧な嘘があるわけではない。問題になるのは、出来事への評価や判断は、常に、出来事そのものと判断主体の価値観や世界観あるいは知識との関係のなかでしか生まれないということだ。私は、ロシアのウクライナへの侵略を全く肯定できないが、だからといって私の関心は、ウクライナであれロシアであれ、国家やステレオタイプなナショナリズムのアイデンティティや領土への執着よりも、この理不尽な戦争から背を向けようとする多様な人々が武器をとらない(殺さない)という選択のなかで生き延びようとする試みのなかにあるラディカリズムにあるのだが、このような国家にも「国民」にも収斂しないカテゴリーはプラットフォーム企業の関心からは排除され、支配的な戦争のイデオロギーを再生産する装置としてしか私には見えない。

国家に対する評価とその国の人びとへの評価とを区別するのに必要なそれなりの努力をないがしろにさせるのは、既存のマスメディアが得意とした世論操作だが、これがSNSに受け継がれると、SNSの多様な発信は総じて平板な国家の意志に収斂して把えられる傾向を生み出す。どの国にもある人びとの多様な価値観やライフスタイルやアイデンティティが国家が表象するものに単純化されて理解されてしまう。敵とされた国の人びとを殺すことができなければ戦争に勝利できないという憎悪を地下水脈のように形成しようとするのがハイブリッド戦争の特徴だが、これが日本の現在の国際関係をめぐる感情に転移する効果を発揮している。こうしたことが、一人一人の発信力が飛躍的に大きくなったはずのインターネットの環境を支配している。その原因は、寡占化したプラットフォーム企業が資本主義の上部構造を構成するイデイロギー資本として、政治的権力と融合しているからだ、とみなす必要がある。

6. それでもTwitterを選択すべきか

政府関連のツィートへのラベリングは、開始された当初に若干のニュースになったものの、その背景にTwitterと米国の安全保障政策との想定を越えた密接な連携があるということにまではほとんど議論が及んでいなかったのでは、と思う。さらにFAIRがイーロン・マスクのスペースXを軍事請け負い企業という観点から、その活動を指摘していることも見逃せない重要な観点だと思う。

情報操作のあり方は、独裁国家や権威主義国家の方がいわゆる民主主義や表現の自由を標榜する国よりも、素人でもわかりやすい見えすいた伝統的なプロパガンダや露骨な言論弾圧として表出する。ところが民主主義を標榜する国では、その情報操作手法はずっと洗練されており、より摩擦の少ない手法が用いられ、私たちがその重大性に気づくことが難しい。私たち自身による自主規制、政府が直接介入しない民間による「ガイドライン」、あるいは市場経済の価格メカニズムを用いた採算のとれない言論・表現の排除、さらには資源の希少性を口実にアクセスに過剰なハードルを課す(電波の利用)、文化の保護を名目としつつナショナリズムを喚起する公的資金の助成など、自由と金を巧妙に駆使した情報操作は、かつてのファシズムやマスメディアの時代と比較しても飛躍的に高度化した。そして今、情報操作の主戦場はマスメディアからプラットフォーム企業のサービスと技術が軍事技術の様相をとるような段階に移ってきた。

コミュニケーションの基本的な関係は、人と人との会話であり、他者の認識とは私の五感を通じた他者理解である、といった素朴なコミュニケーションは現在はほとんど存在しない。わたしは、あなたについて感じている印象や評価と私がSNSを通じて受けとるあなたについての様々な「情報」に組み込まれたコンピュータによって機械的に処理されたデータ化されたあなたを的確に判別することなどできない。しかし、コミュニケーションを可能な限り、資本や政府による恣意的な操作の環境から切り離すことを意識的に実践することは、私たちが世界に対して持つべき権利を偏向させたり歪曲させないために必要なことだ。そのためには、コンピュータ・コミュニケーションを極力排除するというライフスタイルが一方の極にあるとすると、もう一方の極には、資本の経済的土台と国家のイデオロギー的上部構造が融合している現代の支配構造から私たちのコミュニケーションを自立させうるようにコンピュータ・コミュニケーションを再構築するという戦略がありうる。この二つの極によって描かれる楕円の世界を既存の世界からいかにして切り離しつつ既存の世界を無力化しうるか、この課題は、たぶん武力による解放では実現できない課題だろう。

Author: toshi

Created: 2023-01-09 月 18:29

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私たちはハイブリッド戦争の渦中にいる――防衛省の世論誘導から戦争放棄概念の拡張を考える

戦争に前のめりになる「世論」

防衛省がAIを用いた世論操作の研究に着手したと共同通信など各紙が報道し、かなりの注目を浴びた。この研究についてのメディアの論調は大方が批判的だと感じたが、他方で、防衛予算の増額・増税、敵基地攻撃能力保持については、世論調査をみる限り、過半数が賛成している。(NHK毎日時事日経サンケイ) 内閣の支持率低迷のなかでの強引な政策にもかかわらず、また、なおかつ与党自民党内部からも批判があるにもかかわらず、世論の方がむしろ軍拡に前のめりなのではないか。与党内部の意見の対立は、基本的に日本の軍事力強化を肯定した上でのコップのなかの嵐であって、実際には、防衛予算増額に反対でもなければ、東アジアの軍事的な緊張を外交的に回避することに熱心なわけでもない。

私は、政権与党や右翼野党よりも、世論が敵基地攻撃含めて戦争を肯定する傾向を強めているのはなぜなのかに関心がある。政府とメディアによる国際情勢への不安感情の煽りが効果を発揮しているだけではなく、ウクライナへのロシアの侵略に対して、反戦平和運動内部にある、自衛のための武力行使の是非に関する議論の対立も影響していると推測している。私はいかなる場合であれ武器をとるな、という立場だが、9条改憲に反対する人達のなかでも、私のようなスタンスには批判もあり、専守防衛や自衛のための戦力保持を肯定する人達も少なくないのでは、と思う。こうした状況のなかで、鉄砲の弾が飛び交うような話でもない自衛隊による世論誘導の話題は、ややもすれば、問題ではあっても、核兵器やミサイルや戦車ほどには問題ではない、とみなされかねないと危惧している。実際は、違う。世論誘導という自衛隊の行動は、それ自体が戦争の一部をなしている、というのが現代の戦争である。戦争放棄を主張するということは、こうした一見すると戦争とは思えない事態を明確に否定し、こうしたことが起きないような歯止めをかける、ということも含まれるべきだと思う。

防衛省の次年度概算要求にすでに盛り込まれている

信濃毎日の社説では、世論誘導の研究を来年度予算案に必要経費を盛り、国家安全保障戦略の改定版にも明記する方針を固めていると書いている。防衛省の次年度概算要求書では「重要政策推進枠」としてサイバー領域における能力強化に8,073,618千円の要求が計上されている。AIに関しては『我が国の防衛と予算、令和5年度概算要求の概要』のなかに以下のような記述がある。

「指揮統制・情報関連機能
わが国周辺における軍事動向等を常時継続的に情報収集するとともに、ウクライナ侵略でも見られたような認知領域を含む情報戦等にも対応できるよう情報機能を抜本的に強化し、隙のない情報収集態勢を構築する必要。迅速・確実な指揮統制を行うためには、抗たん性のあるネットワークにより、リアルタイムに情報共有を行う能力が必要。
こうした分野におけるAIの導入・拡大を推進」

https://www.mod.go.jp/j/yosan/yosan_gaiyo/2023/yosan_20220831.pdf

上で「ウクライナ侵略でも見られたような認知領域を含む情報戦等にも対応」とある記述は、偽旗作戦と呼ばれるような情報操作、世論操作を念頭に置いていると解釈できる。そして情報機能の強化のために「AIを活用した公開情報の自動収集・分析機能の整備」とも書かれている。また民間人材の活用にも言及し「AI適用システムの構築等への実務指導を実施」と述べられている。民間とは日本の場合は、AIの商業利用におけるノウハウを軍事転用することが含意されるが、そうなればいわゆるステルスマーケティングなどメディアが報じた自衛隊による世論誘導技術が含まれて当然と思う。また、サイバー政策の企画立案体制等を強化するため、「サイバー企画課(仮称)」及び情報保証・事案対処を担当する「大臣官房参事官」を新設するとしている。

法的規制は容易ではないかもしれない:反戦平和運動のサイバー領域での取り組みが必須と思う

信濃毎日も社説で批判してように、政府が率先して虚偽の情報を拡散させたり、逆に、言論統制で自由な言論を抑圧するなど、世論誘導の軍事的な展開の危険性は問題だらけだが、政府側が言うように、民間資本がステルスマーケティングなどとして展開している手法であって、違法性はない、という主張に反論するのは、実はかなりやっかいかもしれない。倫理的に政府による世論誘導は認めるべきではない、という議論は立てられても、違法性や犯罪とみなすことは、戦前によくあった意図的な誤報や流言蜚語を流すようなことでもない限り、反論は容易ではない。政府が広報として政府の政策や主張を述べることを通じて、世論は常に誘導されている。この誘導技術をAIを用いてより洗練されたものにしようということであると解釈すると、現在の日本の法制度の枠組を前提として、防衛省の世論誘導技術の導入を効果的に阻止できる仕組みは果たしてあるのか。だからこそ、こうした行為を自衛隊が主体となって実施する場合、それが「戦争」概念に含まれる行為だという戦争についての新たな定義を提起しておく必要がある。言い換えれば、自衛隊がAIやサイバー領域で行動すること自体を違法とする枠組が必要だということだ。

しかし、法的な枠組が全くないともいえない。ありうるとすれば、特定デジタルプラットフォームの透明性及び公正性の向上に関する法律あたりかもしれないが、この法律は商取引を前提としたプラットフォーマーへの規制だ。こうしたプラットーマーに対する規制を政府の世論誘導や軍事安全保障の目的での不透明な世論誘導をも対象にするように拡大することは容易ではないとも思う。

今回のような防衛省の研究開発は、法制度上も、反戦平和運動や議会内の左派野党の問題意識と運動の取り組みという対抗軸の弱さからみても、野放し状態だといっていい。対抗運動による弁証法が機能していないのだ。

これまでの防衛省のAIへの関わり:ヒューマン・デジタル・ツイン

ターゲティング広告など企業の消費者誘導技術や、その選挙などへの転用といった、これまで繰り返し批判されてきたAIについての疑問(たとえばEFF「マジックミラーの裏側で」参照)があるにもかかわらず、こうした批判を自衛隊の世論操作技術研究はあきらかに無視している。

この報道があったあとで、岸田は、この報道を否定する見解を出したことが報じられた。 「岸田総理は、「ご指摘の報道の内容は、全くの事実誤認であり、政府として、国内世論を特定の方向に誘導するような取組を行うことは、あり得ません」と文書で回答」 とテレ朝 は報じている。しかし、上述の概算要求をみても、この否定は、それこそ意図的な官邸発のフェイクの疑いが拭えない。

概算要求の他に、防衛省のAIへの取り組みについては、すでに今年4月に イノベーション政策強化推進のための有識者会議「AI戦略」(AI戦略実行会議)第9回資料 として防衛省は「防衛省におけるAIに関する取組」という資料を提出している。 このなかで、「AI技術がゲームチェンジャーになり得る」という認識を示し、また「AIによる利活⽤の基礎となるデジタル・ツインの構築」という項目がある。曲者はこの「デジタルツイン」という一般には聞き慣れない言葉にある。デジタル・ツインとは、「現実世界で得られたデータに基づいて、デジタル空間で同様の環境を再現・シミュレーションし、得られた結果を現実世界にフィードバックする技術である。」(NTTdata経営研究所、山崎 和行)と説明されるものだ。現実空間とそっくりな仮想空間を構築して、現実世界を操作するような技術をいう。上の防衛省の資料のなかに「ヒューマン・デジタル・ツイン」という概念が示され「⾏動・神経系のデータと神経科学的知⾒に基づいてヒトのデジタル・ツ
インを構築し、教育訓練や診断治療への応⽤のための研究開発を推進する」とも書かれている。前述の山崎のエッセイによれば、ヒューマン・デジタル・ツインとは「人間の身体的特徴や、価値観・嗜好・パーソナリティなどの内面的な要素を再現するデジタルツイン」のことであり、「実際の人間の行動や意思決定をシミュレーション可能なヒューマン・デジタルツインが実現すれば、産業分野でのデジタルツインのようにビジネスに大きな変革を与える」と指摘している。こうした分野を軍事安全保障に応用しようというのが先の防衛省の資料である。ビッグデータを用いた行動解析や予測に基く世論操作技術そのものであり、防衛省としては、こうした研究は既に既定の事実になっている。もし私のこうした理解が正しければ、岸田の否定は意図的に虚偽の情報を流してことになる。

海外でのAIの軍事利用批判

AIの軍事利用の規制を求める国際的な運動はあるものの(たとえばこれとかこれ) EU域内市民への世論調査でも政府の国家安全保障のためのAI利用への危惧が金融機関での利用に次いで二番目に大きくなっている。(ECNLの調査)他方日本では反戦平和運動のなかでのAIやサイバーへの関心が極めて薄いために、取り組みが遅れているところを突かれた印象がある。

AIが悪用される危険性についてはかなり前から指摘さていました。たとえば、2018年に発行さいれた14の団体、26名が執筆しているレポート、The Malicious Use of Artificial Intelligence: Forecasting, Prevention, and Mitigation (人工知能の悪意ある利用。予測、予防、緩和)では次のように指摘されている。

「政治的な安全保障。監視(大量収集データの分析など)、説得(標的型プロパガンダの作成など)、騙し(動画の操作など)に関わる作業をAIで自動化することで、プライバシー侵害や社会的操作に関わる脅威が拡大する可能性がある。また、利用可能なデータに基づいて人間の行動、気分、信念を分析する能力の向上を利用した新しい攻撃も予想さ れる。これらの懸念は、権威主義的な国家において最も顕著に現れるが、民主主義国家が真実の公開討論を維持する能力も損なわれる可能性がある。」

https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/ecnl_new-poll-public-fears-over-government-use-artificial-intelligence_jp/

ここで危惧されていることがまさに今回露呈した防衛省によるAIを用いた世論誘導に当てはまるといえる。 (日本でも下記のような記事がずいぶん前に出ている。「 AIがフェイクニュース、自然なつぶやきで世論操作が可能に」 )以上のように、岸田が否定しているにもかかわらず実際には、世論誘導技術が防衛省で研究が進めらているのではないかという状況証拠は多くあるのだ。

防衛省の世論誘導研究は、あきらかに日本の世論を、軍隊が存在して当たり前という近代国家の定石に沿った価値観の上からの形成として構想されているに違いないと思う。自衛隊のアイデンティティ戦略としてみれば、まさに国民の総意によって自衛隊=人殺しができる集団への支持を獲得することが至上命題であり、改憲はそのための最後の仕上げでもあるといる。改憲のためには世論誘導は欠かせないハイブリッド戦争の一環をなすともいえる。

自民党「新たな国家安全保障戦略等の策定に向けた提言」は偽旗作戦もフェイクも否定しない

自民党は今年4月に「新たな国家安全保障戦略等の策定に向けた提言」を出した。そのなかに「戦い方の変化」という項目があり、サイバー領域にかなり重点を置いた記述になっている。ここで次のように書いていまる。

「今般のロシアによるウクライナ侵略においても指摘されるように、軍事・非軍事の境界を曖昧にした「ハイブリッド戦」が行われ、その一環としての「偽旗作戦」を含む偽情報の拡散による情報戦など、新たな「戦い方」は今、まさに顕在化している。」

https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/news/policy/203401_1.pdf

デマを拡散させることが新たな戦い方だと指摘し、こうした戦い方を否定していない。より具体的には「ハイブリッド戦」として次のように述べている。やや長いが、以下引用する。

「いわゆる「ハイブリッド戦」は、軍事と非軍事の境界を意図的に曖昧にし、様々な手段を複合的に用いて領土拡大・対象国の内政のかく乱等の政策目的を追求する手法である。具体的には、国籍不明部隊を用いた秘密裏の作戦、サイバー攻撃による情報窃取や通信・重要インフラの妨害、さらには、インターネットやメディアを通じた偽情報の流布などによる世論や投票行動への影響工作を複合的に用いた手法と考えられる。このような手法に対しては、軍事面にとどまらない複雑な対応を求められる。 こうした「ハイブリッド戦」は、ロシアによる2014年のクリミア侵攻で広く認識され、本年のウクライナ侵略においてもロシアがその手法をとっていると指摘されている。このような情勢を踏まえ、「ハイブリッド戦」への対応に万全を期すため、サイバー分野や認知領域を含めた情報戦への対応能力を政府一体となって強化する。」

「情報戦への対応能力(戦略的コミュニケーションの強化を含む。) 本年のロシアによるウクライナへの侵略を踏まえれば、情報戦への備えは喫緊の課題である。情報戦での帰趨は、有事の際の国際世論、同盟国・同志国等からの支援の質と量、国民の士気等に大きくかかわる。日本政府が他国からの偽情報を見破り(ファクト・チェック)、戦略的コミュニケーションの観点から、迅速かつ正確な情報発信を国内外で行うこと等のために、情報戦に対応できる体制を政府内で速やかに構築し、地方自治体や民間企業とも連携しながら、情報戦への対応能力を強化する。 また、諸外国の経験・知見も取り入れながら、民間機関とも連携し、若年層も含めた国内外の人々にSNS等によって直接訴求できるように戦略的な対外発信機能を強化する。」

自民党の提言は、偽旗作戦も情報操作も戦争の一環とみなし否定するどころか、これをどのようにして軍事安全保障の戦略に組み込むか、という観点で論じられている。こうした自民党の動向を踏まえれば防衛省がAIを用いた世論誘導を画策していてもおかしくない。

ハイブリッド戦争と戦争放棄

もうひとつ重要なことは、ハイブリッド戦では、軍事と非軍事の境界が曖昧になるみている点だ。こうなると非軍事技術が軍事技術と不可分一体となって、非軍事領域が戦争の手段になり戦争のコンテクストのなかに包摂されてしまう。戦争の中核にあるのは、戦車や戦闘機、ミサイルなどであるとしても、それだけが軍事ではない、ということだ。ハイブリッド戦を念頭に置いたばあい、いわゆる自衛隊の武力とされる装備や兵力の動員だけを念頭に置いて、戦争反対の陣形を組むことでは全く不十分になる。バイブリッド戦は現代の総力戦であり、前線と銃後の区別などありえない。とりわけサイバー空間は、この混沌とした状況に嵌り込むことになる。こうした事態を念頭に置いて、戦争放棄とは、どのようなことなのかを具体的にイメージできなければならないし、憲法9条は、こうした事態において、今まで以上に更に形骸化する可能性がありうる。9条をある種の神頼み的に念じれば、平和な世界へと辿りつくのではという期待は、ますます理念としても成り立たなくなっている。これは、9条に期待をしてきた人達には非常に深刻な事態だということをぜひ理解してほしいと思う。私のように9条は、はじめから一度たりとも現実のものになったことがない絵に描いた餅にすぎない(だからこそ、戦争放棄は憲法や法をアテにしては実現できない)、と冷やかな態度をとってきた者にとってすら、とても危機的だと感じている。

世論操作の技術が民間の広告技術であっても、それが戦争の技術になりうると考えて対処することが、平和運動にとっても必要になっている。そのためには、私たちが日常生活で慣れ親しんでいる、ネットの環境に潜んでいる、私たちの実感では把えられない監視や意識操作の技術にもっと警戒心をもたなければならないと思う。実感や経験に依拠して、自分たちの判断の正しさを確信することはかなり危険なことになっている。パソコンやスマホはハイブリッド戦争における武器であり、知覚しえないプロセスを通じて私たちの情動を構築することを政府や軍隊がAIに期待している。しかし、台所の包丁のように、デジタルのコミュニケーションを人殺しや戦争に使うのではない使い方を自覚的に獲得すること、私たちが知らない間に戦争に加担させられないような感情動員(世論誘導)の罠から逃れる術を獲得することが必要になる。しかし、反戦平和運動は、なかなかそこまで取り組めていないのが現状だろう。

サイバー空間は私たちの日常生活でのコミュニケーションの場所だ。この場所が戦場になっている、ということを深刻にイメージできないといけないと思う。サイバー戦争の放棄とは、自衛隊や軍隊はサイバースペースから完全撤退すべきであり、サイバー部隊は解体すべきだ、ということだが、これは喫緊の課題だ。戦争や武力や威嚇、あるいは自衛の概念は従来の理解ではあまりにも狭すぎて、戦争を放棄するには不十分だと思う。サイバー空間も含めて、「戦争」の再定義が必要だ。そのための議論が必要だと思う。コミュニケーションは人を殺すためにあってはならないと強く思う。

12・17「G7広島サミットを問う市民のつどい」キックオフ集会

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇      12・17「G7広島サミットを問う市民のつどい」キックオフ集会

No War No G7 戦争と軍隊は最大の人権侵害・環境破壊だ ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━      

2023年5月に岸田政権は、G7首脳会合を広島で、大臣級会合を全国各地14ヶ所で開催します。私たちは、主要な核保有国が核武装への反省も軍縮の意志もないまま、広島に集まることに強い危機感を感じています。

  G7は国際法上も何の正当性をもたない集まりです。G7はこれまでも世界各地で戦争や紛争の原因をつくりつづけ、グローバルな貧困や環境破壊に加担してきました。私たちは、こうした会合に、一切の決定を委ねるつもりはありません。

  私たちは、来年5月のG7サミットに対抗する運動のキックオフ集会を以下のように広島で開催します。オンラインでの中継も予定しています。多くの皆さんの参加を呼びかけます。

■日  時:12月17日(土)18時-20時
■場  所:広島市まちづくり市民交流プラザ北棟6階
      マルチメディアスタジオ

http://www.cf.city.hiroshima.jp/m-plaza/kotsu.html(地図)
      (袋町小学校の複合建物。電停「本通り」徒歩5分。電停「袋町」徒歩3分。

■カンパ :一口500円のカンパをお願いします。

地元の方には、できれば二口をお願いしたいのです。


      

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司会 岡原美知子さん

◆G7サミットとは何か?

 ■「戦争、貧困、差別、環境破壊を招くG7――民主主義を殺すボス交の仕組み」        
 
  ●小倉利丸さん(JCA-NET)

 ■「G7サミットと共に人類は滅ぶのか それとも、すべての生き物が生き残れる道を選ぶのか!」

  ●田中利幸さん(歴史家)(オンライン)

◆各地から

 ■「北海道をエネルギー『植民地』にさせない」
  
  ●七尾寿子さん(元G8洞爺湖サミットキャンプ実行委員会)(札幌・オンライン) 

 ■「首都圏からG7を問う」
 
  ●京極紀子さん(首都圏ネットワーク)(オンライン)

 ■「多国間安保の拠点となりつつある横須賀・厚木基地」

  ●木元茂夫(「自衛隊は何をしているのか」編集委員会)(オンライン)

 ■「茨城に三度も来るな!やめろ、内務・安全担当大臣会合!」

  ●加藤匡通さん(戦時下の現在を考える講座)(オンライン)

 ■「気候変動と途上国債務の被害はG7が賠償すべき」

  ●稲垣 豊さん(ATTAC Japan 首都圏)

 ■「戦時下のG7外相会合を問う」

  ●鵜飼 哲さん(一橋大学元教員)(長野・オンライン)

 ■「五輪・万博・G7、民衆不在のイベントはもうたくさん」

  ●喜多幡佳秀さん(関西共同行動)

 ■「米国の原爆投下の責任を問う」

  ●松村高夫さん(米国の原爆投下の責任を問う会、慶應大学名誉教授)(東京・オンライン)

◆広島から

  ●西岡由紀夫さん(被爆二世、被爆教職員の会会員、ピースリンク広島・呉・岩国)

  ●溝田一成さん(ヒロシマ・エネルギー・環境研究室)

◆5月行動提起

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■呼びかけ人

田中利幸 (歴史家)
豊永恵三郎(被爆者)
土井桂子 (日本軍 「慰安婦」 問題解決ひろしまネットワーク)
藤井純子 (被爆二世、第九条の会ヒロシマ) 
上羽場隆弘(九条の会・三原) 
小武正教 (浄土真宗本願寺派 僧侶) 
永冨彌古 (呉 YWCA We Love9 条)
木村浩子 (呉 YWCA We Love9 条)
中峠由里 (呉 YWCA We Love9 条) 
新田秀樹 (ピースリンク広島・呉・岩国世話人)
西岡由紀夫(被爆二世、ピースリンク広島・呉・岩国世話人) 
実国義範 (人民の力協議会)
日南田成志(ZENKO(平和と民主主義をめざす全国交歓会)・広島)
久野成章 (8・6ヒロシマ平和へのつどい)
岡原美知子
七尾寿子 (元G8洞爺湖サミットキャンプ実行委員会)
中北龍太郎(関西共同行動)
小倉利丸 (JCA-NET)

■オンラインでの視聴

https://vimeo.com/event/2622621
 下記の私たちのウエッブからも視聴できます。
 ウエッブ
 https://www.jca.apc.org/no-g7-hiroshima/

■問い合わせ

info-nog7-hiroshima2023@proton.me
 広島市中区堺町1-5-5-1001 〒730-0853 
 090-4740-4608(久野)

■「つどい」への個人・団体賛同を募集中

私たちの活動に是非賛同してください。
 賛同方法など詳しくはホームページをごらんください。
 https://www.jca.apc.org/no-g7-hiroshima/

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(参考)
G7サミット会合の場所と日程

●外務大臣会合            長野県・軽井沢町4月14日(金)~16日(土)
●気候・エネルギー・環境大臣会合   札幌市     4月15日(土)~16日(日) 
●労働雇用大臣会合          岡山県・倉敷市 4月22日(土)~23日(日)
●農業大臣会合            宮崎県・宮崎市 4月22日(土)~23日(日)
●デジタル・技術大臣会合       群馬県・高崎市 4月29日(土)~30日(日)
●財務大臣・中央銀行総裁会議     新潟県・新潟市 5月11日(木)~13日(土)
●科学技術大臣会合          仙台市     5月12日(金)~14日(日)
●教育大臣会合        富山市・金沢市 共催  5月12日(金)~15日(月)
●保健大臣会合            長崎県・長崎市 5月13日(土)~14日(日)
★G7首脳会合             広島市     5月19日(金)~21日(日)
 対抗アクションを                  5月13日(土)~14日(日)
●交通大臣会合            三重県・志摩市 6月16日(金)~18日(日)
●男女共同参画・女性活躍担当大臣会合 栃木県・日光市 6月24日(土)~25日(日)
●都市大臣会合            香川県・高松市 7月7日(金)~9日(日)
●内務・安全担当大臣会合       茨城県・水戸市 12月8日(金)~10日(日)

●貿易大臣会合            大阪府・堺市  不明

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(LeftEast)「戦争前に持っていた市民的、政治的、社会的権利を損なうことなく回復することが最低限の課題です」Serhii Guzへのインタビュー

(訳者前書き) 以下は、LEFTEASTに掲載されたインタビューの翻訳です。「正義の戦争」を遂行する政府は、あらゆる意味で正義の体現者であると誤解されがちです。しかし、戦争は、「正義の戦争」の側にも深刻な権利の後退をもたらすことは、これまでも知られていました。現実に起きていることは、「正義の戦争」に勝利するためには、戦争を遂行する上で最適な統治を実践しなければならない、ということです。そしてこの最適な統治は、民主主義よりも権威主義であったり、異論を排除し、権利を制限する体制をとるだろうということです。軍事作戦が優先され、民主主義や政府への批判、基本的人権の保障が後退することは、むしろこれまでの歴史でも繰り返されてきましたが、まさにウクライナでも同じことが起きています。ウクライナでは、戒厳令によって労働運動や左翼あるいは野党の組織が解体に追い込まれていますが、Guzさんは、これは、戦争前から歴代政権が目論んできたことであり、戦争がこの目論見に口実を与えたと指摘しています。また、控え目な表現ですが、「正義の戦争」を戦うウクライナの政府が労働運動や野党を弾圧している事態に対して、「米国や欧州の政治的パートナーの責任も大きい」と指摘しています。欧米諸国ではありえないような強権的な弾圧への、関心が薄いことへの批判であると同時に、こうした労働運動や左翼運動への支援の呼びかけだと私は解釈しました。ウクライナが戦争を契機に、再び権威主義へと回帰するとしたら、それはプーチンに責任があるといえるとしても、全ての責任をプーチンに負わせることに彼は反対します。なぜなら、この戦争以前からウクライナの政権に内在している、いわゆる労働運動への新自由主義的な敵対という土壌があったからです。インタビューの最後で、戦争へと突入してしまった社会が、戦争以前の権利水準を回復することすらいかに困難であるかを語っています。私もそう思います。私たちは、この話を、まさに日本のこととして受け止めなければならないと思います。(小倉利丸)

Mvs.gov.ua

ウクライナのジャーナリストであり労働組合活動家であるSerhii Guzへのインタビュー

Serhii Guz
2022年10月4日

LeftEast: 自己紹介をお願いします。

私は52歳で、27年間、ジャーナリストと編集者として活動してきました。私は公的な活動に積極的に関わっています。ウクライナ独立メディア労働組合the Independent Media Trade Union of Ukraine(2002年から2012年まで)の創設者の一人であり、代表を務めました。また、ジャーナリズム倫理委員会the Commission on Journalism Ethicsのメンバー(2003年から現在まで、委員会の最も古いメンバーの一人)でもあります。また、1998年からは、故郷のカメンスコエで環境保護団体「自然の声Voice of Nature」の設立に携わり、積極的に参加しています。

LE:戦争前の労働条件はどうだったのでしょうか?ウクライナの労働組合はどのようなものだったのでしょうか?

労働条件の悪さも労働組合への攻撃も、戦争のずっと以前から現実のものとなっていました。本当の災難は、ソ連が崩壊し、ウクライナが市場経済に移行した直後に起こりました。何千もの企業が閉鎖され、その他の企業も給与を期限通りに支払わず、物々交換や 不正な取引が盛んに行われました。当時、労働条件は崩壊し、安全衛生基準も満たされなくなり、社会保障も段階的に縮小されていきました。

2000年代に入って経済が回復してくると、企業に必要な資源が供給されるようになり、労働条件の状況も改善されるかと思われました。しかし、まさにその時、組合–旧ソ連の組合と新たな独立した自由な組合の両方–を貶めるキャンペーンが始まりました。

こうしたことへの闘いは、成功の程度の差こそあれ、2019年頃まで続き、「国民の僕」と呼ばれる政党が政権を握ると、労働組合や労働権に対する攻撃は急激に強まった。その理由は、与党とその政権が、露骨な自由主義的な改革路線に踏み出したからだと考えられます。

しかし、この改革を完全に実行に移すことができたのは、ウクライナで戦争が始まり、戒厳令によってストライキや集団抗議行動が禁止されたときでした。労働組合は、このような状況下で自分たちを守ることができなかったのです。

LE:戦争は状況をどのように変えたのでしょうか?具体的には、労働法・労働慣行の改革は今どうなっているのでしょうか?戦争中や戦争後の労働者にどのような影響を与えるのでしょうか?労働組合はそれに応えてきましたか?

この状況を利用して、政府は労働者の権利と組合活動の両方を大幅に制限する法律をいくつか成立させました。例えば、現在、労働者は組合の同意なしに解雇さ れる可能性がありますが、これは戦争前なら違法だったでしょう。また、使用者は一方的に労働契約を打ち切り、労働条件を変更する権利を与えられ、団体交渉協定の効力も大幅に制限さ れました。要するに、ウクライナ市民の労働権に関する社会的利益は、すべて新しい規範によって奪われてしまったのです。

大規模な抗議行動を避けるために、議会は、戒厳令の期間中、最も酷いノルマに規制をかけることに合意しました。しかし、騙されてはいけません。これらの法案は、ロシアの本格的な侵攻のずっと前に起草されたものなのです。そして、何十年も続くことを想定して起草されたものでした。だから、政府と企業経営者は、どんな口実であれ、これらの変更、特に労働組合の権利と労働協約の効力を制限する変更を全て維持しようとするであろうことを、私は信じて疑いません。

私は、現在の戦時中の圧力の下で、労働組合がこれに対して何かできるという幻想を抱いていません。戒厳令が終わるまでに、組合員の大部分とその活動を維持することができれば、それは奇跡と言えるでしょう。これまでのところ、組合はこうした新自由主義的な改革に対して目に見える抵抗はしていません。そして、既存のものは危機的状況にあるように思われます。おそらく、これらは新しい労働組合組織と労働組合の闘争方法に取って代わられるでしょう。これは間違いないでしょう。

LE:ここ数カ月、ウクライナのメディア界で何が起きているのか、教えてください。戦争前と戦争中のジャーナリストの役割は何だったのでしょうか?ジャーナリズムの組合は、ジャーナリストや報道をどのように助け、または阻んでいるのでしょうか?

私たちはまた、メディア領域で深刻な危機を経験しています。経済的にだけでなく、職業的にも、そしておそらくイデオロギー的にも。

「民主的」なジャーナリズムは、プロパガンダ、検閲、自己検閲、あるいは中途半端な真実といった概念とは相容れないという神話が、私たちの目の前で崩れ去りつつあります。戦争は、これらの現象がすべて、”愛国心 “という高貴な口実のもとに、私たちのジャーナリズムに急速に復活しつつあることを示しています。

正直に言うと、今日のウクライナのメディアは、戦争が起きていることと、メディア市場の状況が急速に悪化していることの両方によって、民主的な基準に従って機能することができなくなっているのです。広告市場は崩壊し、地方では事実上消滅しています。購読者数は減少しています。新聞社は閉鎖され、地方のテレビ局も閉鎖されています。真に独立したメディアはますます少なくなり、残っているメディアはほとんどが欧米の財団からの助成金で支えられています。そして、このことがまた彼らの活動にも影響を及ぼしています。

しかし、ウクライナのメディアを支援するどころか、政府はジャーナリストに対する国家統制を強化しようとしているのです。国会はすでに「メディアに関する」法律案の第一読会を開き、ウクライナのすべてのメディアを一国の規制当局に服従させることを議決しています。独裁・権威主義的な支配をしていたクチマやヤヌコビッチの時代にも、このようなことは起こりませんでした。

今、ウクライナでこの法律に反対しているのは、全ウクライナジャーナリスト組合the National Union of Journalists of Ukraineだけです。その結果、私たちは、極めて困難な戦争状況に置かれている何百何千ものジャーナリストを助けることと、自国政府のこのような立法措置と闘うことの間で板挟みにあっているのです。

LE:野党はどうなっているのでしょうか?

政府に反対する政党として残っているのは、オリガルヒで前大統領のペトロ・ポロシェンコの欧州連帯党だけです。また、ポロシェンコと同盟を結ぶことの多い、急進的な右翼民族主義政党も存在します。その他の中道・左翼の野党はすべて見事に敗北してしまっています。

つい先日も、国会で非常に大きな派閥を持っていた「野党プラットフォーム-生活のために!Opposition Platform – For Life!」党を禁止する判決が下されたのは注目に値します。そして同じ日、ウクライナのメディアは、この裁判所の判事がロシアのパスポートを持っていたというスキャンダラスな調査結果を発表しました。破棄院がこれまでの裁判所の判決に疑問を呈さず、同党の禁止決定を支持したのは驚くべきことではありません。しかし、彼らが何の罪を犯しているのか、社会的にはまだ謎だらけです。私たちは、同党が敵国ロシアの利益のために行動したのだと根拠もなく信じるほかありません。

同様に、最も古いウクライナ社会党もその一つに含まれるそのほとんどが左翼政党である何十もの政党についても、同様の理由で解散したことについてもまた根拠もなく信じる以外にありません。

LE: ウクライナがこの戦争のような存亡の危機にあるとき、戦争の支持者の多くは、当局の行動を批判しないことを選びます。しかし、あなたはそのようなときでも沈黙を拒否しています。それがプーチンを助けることにならないのでしょうか。

それは私のような多くの人にとって現在最も重要な大問題で、同じような非難をたくさん耳にします。

しかし、私は他の市民と同じようにウクライナを愛しています。そしてもちろん、プーチン側の、正当化できないこの途方もない侵略行為にショックを受けています。

友人や各国のジャーナリスト、労働組合活動家たちと、この件について何度も話し合いました。もちろん、ウクライナはこの戦争で支援を必要としており、特に人道的な支援を必要としています。

しかし、同じように、その民主的機関、つまり報道機関、政党や公的機関、人権、議会主義、その他多くが支援を必要としているのです。しかし、「支援」とはお金だけではありませんね。今ある問題について正直に話し、ウクライナですでに達成された民主主義の成果を損なわないような状況の打開策を集団で模索することでもあります。

もし私たちが問題から目をそらし、その問題について沈黙を守れば、問題はどんどん大きくなり、私たちの社会を内側からさらに蝕んでいくでしょう。だからこそ、職業的義務に徹したジャーナリストの誠実な活動が、今、とても重要なのだと思います。

LE:あなたは、戦争の過程で、ウクライナ政府だけでなく、ウクライナ社会が民主的でなくなったという、より大きな指摘もされていますね。これは戦時下の必然的な結果であり、プーチンが正面から非難されるべきことではないのでしょうか。このような事態がウクライナ社会にもたらす長期的な影響について、あなたはどのようにお考えですか?戦争前はどの程度民主的だったのでしょうか。

これは既存の「若い民主主義国」のパラドックスで、常に何らかの口実を設けて民主的な制度を後退さ せようとしているのです。例えば、経済危機のため、パンデミックのため、今度は戦争のため、そしてその口実はウクライナの経済を回復させる必要性があるからというものです。政府は、”最も民主的な改革 “のために一時権威主義的になるという口実を待ちかまえているように、私には時々思えるのです。

そして、今、ウクライナで民主主義の逆転現象が深まっているのは、もちろんプーチンと彼がウクライナに対して放った侵略行為が直接の原因です。以前、彼がベラルーシや他のいくつかのポストソビエト共和国の反民主主義的な流れを支持したように。

しかし、すべての責任をプーチンやロシアだけに転嫁するのは大きな間違いです。何よりもまず、自分たちの過ちに目を向けるべきです。その中には、いわゆる「革命的ご都合主義」がありがありました。これは、国が民主主義の原則からの逸脱を最も必要とするときに、この逸脱をその都度正当化するものでした。

そして今日、ウクライナ社会は、ウクライナの民主主義の最大の後退を、いとも簡単に受け入れてしまっており、与党はこれを戦争によって正当化しているのです。

このすべてが、特に戦争が何年も長引けば、ウクライナ社会にとって非常に悪い結末を迎える可能性があります。ウクライナ人は、社会を統治する権威主義的なスタイルで生活することに慣れるだけでしょう。まさに今これこそが戒厳令によって、この国が統治されるやり方なのです。そして、非常に多くの政治家や役人が、このような統治スタイルと別れたくないと思っているのは本当なのです。

だからこそ、この戦争が私たちの社会を内側から壊し、ロシアやベラルーシのような権威主義的な政権に変えてしまうことを許してはならないのです。

LE: 戦争中に市民権を制限することが正当化されるとお考えですか?ロシア連邦保安庁の諜報員(現地で多くの活動をしていることは間違いない)がウクライナのメディアや政治家をリクルートしたことはないのでしょうか?

いかなる告発も法廷で立証されなければならないし、いかなる権利の制限も正当なものでなければならず、社会への悪影響を防ぐためにまさに必要なものでなければなりません。人権宣言やウクライナ憲法にはそう書かれています。しかし、実際には、多くの派手な告発が証拠なしに行われ、裁判も秘密裏に行われ、社会は客観的な情報を奪われているのが現状です。

このような状況では、自分の本当の敵だけでなく、政敵をも簡単に告発することができます。このようなことは、見苦しいだけでなく、将来的にも非常に悪い影響を与えます。結局のところ、社会は、政治家を逮捕して投獄したり、政党を禁止したりするのに証拠など必要なく、声高に告発するだけで十分だという事実に慣れっこになってしまうのです。

残念ながら、米国や欧州の政治的パートナーの責任も大きいと思います。例えば、アメリカやドイツの政党が、公の裁判を受けることなく、シークレットサービスの文書だけを根拠に解散させられるというのは、私には想像しがたいことです。民主主義国家ではありえないことです。では、なぜウクライナではそれが可能なのでしょうか。政党が解散させられ、政治家が逮捕された根拠を、法執行当局が公表できないのはなぜでしょうか。

民主主義そのものの根幹を揺るがすこのような決定の透明性と公表がなければ、ウクライナの民主主義の成果すべてが破壊されることになります。そして、今日、人々が、「私たちは何のために戦っているのか」という問いを投げかけ始めたことは、決して無駄なことではありません。

LE:ウクライナの労働者と労働条件の未来はどうなっているのでしょうか?

この質問は最も難しいものです。というのも、現在の状況では、あえて未来を予測しようとする人はほとんどいないからです。私は、戦場ではウクライナ軍が勝利し、交渉の席で戦争が終わると信じています。しかし、その場合、ウクライナの市民社会、ウクライナの労働組合、そして一般的に民主的な市民が、どの程度まで自分たちの利益を宣言できるかにすべてがかかっています。最低限の課題は、戦争前に持っていた市民的、政治的、社会的権利を、損失なくすべて回復することです。しかし、主に労働権や社会権の領域で損失が生じると思います。ウクライナが次の社会実験の格好の場になる可能性は非常に高く、私はそれを見たくはないのですが。

戦争に勝ったとしても、非常に困難な未来が待っている、このことを私は信じて疑いません。

LE:あなたにとっての未来とは何でしょうか?

私の将来は、ジャーナリズムの世界です。この分野でも、戦争の影響とこの職業のグローバルな変化により、多くの困難が待ち受けていることでしょう。

LE: 私たちに何かアドバイスはありますか?

私はイギリスの友人たちに、自分たちの国が平和であることに感謝するべきだと言いました。平和であれば、交渉も、改革も、自分の権利を守ることも、将来の計画も、すべて可能になるのです。平和は民主主義の基礎であることは、いまや疑う余地もありません。

ですから、グローバルな意味での私たちの努力は、平和を実現し、真に公正な社会を構築することでなければなりません。

そして、軍拡競争に反対しなければなりません。なぜなら、今日のロシアのような軍国主義国家は、自分たちより弱いと考える相手に対して簡単に戦争を始めることができるからです。そして、もし私たちが軍縮の考えを放棄すれば、弱い国は医療や教育ではなく、兵器にますます多くの資金を費やさざるを得なくなるのです。例えば、ウクライナは来年、予算の50%を軍隊に使い、年金や医療・教育などの社会事業には30%しか使わない予定です。なぜこのようなことが起こるのかは理解していますが、戦争で貴重な資源を浪費していることも理解する必要があります。

ですから、私は平和と軍縮、民主主義と社会正義のために活動しているのです。

Serhiy Guz ウクライナのジャーナリストで、同国のジャーナリズム労働組合運動の創始者の一人である。2004年から2008年までウクライナの独立メディア組合を率い、現在はウクライナのメディアの自主規制機関であるジャーナリスト倫理委員会の委員を務めている。また、NGO団体「ボイス・オブ・ネイチャー」の評議員も務めている。

ルスラン・コツァバに対するすべての起訴を取り下げよ

(訳者前書き) ルスラン・コツァバRuslan Kotsabaは2014年の「マイダン革命」後の最初の政治犯だとも言われ、アムネスティも「良心の囚人」としているジャーナリストだ。2015年1月23日、ルスラン・コツァバは、Youtubeでポロジェンコ大統領による東部内戦に関して、戒厳令と軍の動員を批判した。

「戒厳令 のもとで動員の宣言が出されていることは知っている。今、内戦に突入して東部に住む同胞を殺すくらいなら、刑務所に入ったほうがましだ。徴兵制に異論を唱えるな、私はこの恫喝戦争に参加しない」

その数週間後、彼は逮捕され、「反逆罪」と「ウクライナ軍の正当な活動の妨害」の罪で起訴され、16カ月間の公判前勾留の後、裁判所は彼に3年半の懲役を言い渡したが、控訴審で無罪になる。しかし、その後何度も起訴されてきた。そして現在も裁判が継続されており、以下に訳出したのは7月にEBCO、IFOR、WRI、Connection e.V.が出した共同声明である。(これらの団体のアクセス先などは最後に記載されている)裁判の最新の状況は、下記のアップデートの箇所にあるように9月4日に開かれたようだが、その内容は私には不明だ。

戦争状態にあるウクライナで、しかも、侵略された側の国にあって、戦争への動員を拒否し、兵役を拒否することは容易なことではない。コツァバの逮捕に関しては、2015年当時から、ウクライナのウクライナ独立メディア労働組合が抗議声明を出すなど、政府による言論弾圧を批判する声があった。コツァバのジャーナリストの評価としては、この独立系労働組合の声明でも手厳しく、ロシアのプロパンガンダに事実上加担したのではないかとし、また、徴兵制無視の呼びかけにも反対している。たとえばハルキウの人権保護グループのように、「私たちの多くは、コツァバの意見に強く反対し、ジャーナリズムではなくプロパガンダに従事するメディア[ロシア政府系メディアを指す:引用者注]との協力に反感を抱いている」と率直な批判を表明している。しかしそれでも、彼の言論活動を12年から15年の禁固刑を伴う国家反逆罪で告発することは妥当ではない、としている。このようなウクライナ国内の団体の態度をみると、戦争状態にある政府が、いかに逸脱した権力を行使し、反戦の声を重罪によって押し潰そうとしているのかが逆にはっきりしてくる。事実を正確に把握すること自体が困難だが、ウクライナ国内で軍事行動に反対することが、ロシアを利する行為とみなされて、過剰な弾圧の対象になりうるだろうし、逆に、ロシアはこうしたウクライナ国内の反軍運動や平和運動を自らの軍事的利益のために利用しうるとみなすだろう。ロシアでもウクライナでも戦争を拒否するという選択肢が権利として保障されなくなっている。コツァバのスタンスで重要なことは、戦争は拒否されるべきであり、人を殺すという選択はとるべきではない、という一点であり、この主張は、兵士となることを拒否する権利であり、軍隊に協力しない権利であると思うから、戦争当時国の戦争を支持する人達にはまず受け入れがたいことになる。だから弾圧の力が働くのだと思う。

ウクライナでは、正義の戦争に国民が一致団結して軍に協力しているかの印象があるが、実際はそうではない。2019年9月、キエフの軍事委員会は、徴兵忌避者34,930件を警察に報告し、警察がこうした人達の摘発に乗り出しているという報告がある。国連ウクライナ人権監視団は、2019年5月から8月にかけて、個人を逮捕する権利のない軍事委員会の代表者が徴兵者を恣意的に、路上などで強引に埒する事例を11件記録するなど、22年2月24日以前のウクライナにおける東部「内戦」(ロシアの介入をどうみるかで、内戦と呼べるかどうか判断が難しいので括弧つきにする)以降のウクライナ国内の人権状況は深刻だったと思う。しかも、良心的兵役拒否は極めて限定的にしか認められておらず、軍人や予備役には認められない。そのために、軍部隊の無断放棄や脱走、自殺なども頻発している。ロシアでも同様のことがいえる。いずでの側でも、戦時体制の下では、必要最低限の権利行使の枠組は、良心的兵役拒否しかないとしえるなかで、この権利行使そのものの主張が犯罪火化されている。ロシアの侵略に対して正義を掲げるウクライナは、正義を体現しうるような基本的人権を尊重した戦争行為で応じることは極めて難しい。正義が戦争という手段をとること自体が正義を裏切らざるをえないということだ。だからこそ私は、戦争の当事国にあって、戦争を拒否する立場をとる人達を支持したいと思う。(小倉利丸)

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EBCO、IFOR、WRI、Connection e.V.による共同プレスリリース。

2022年7月18日

ウクライナでは、ウクライナ人ジャーナリスト、平和主義者、良心的兵役拒否者であるはRuslan Kotsabaに対する裁判が2022年7月19日(火)に行われるが、これは単に彼が平和主義的見解を公に表明したという理由によるものである。

国際和解の友(IFOR)、戦争抵抗者インターナショナル(WRI)、良心的兵役拒否欧州事務局(EBCO)、コネクションe.V.(ドイツ)は、彼のケースは明らかに政治的動機による迫害で、市民的及び政治的権利に関する国際規約の18、19条、欧州人権条約の9、10条の下で保証される表現の自由、思想・良心・宗教の自由の権利を侵しているとみなしている。

各団体はRuslan Kotsabaへの連帯を表明し、ウクライナ平和主義者運動の活動家を含むウクライナの全ての平和主義者が自由に意見を表明し、非暴力活動を継続できるように保護するようウクライナ当局に要請する。

各団体はまた、ロシアのウクライナ侵攻に対する強い非難を想起し、兵士が戦闘行為に参加しないよう、またすべての新兵が兵役を拒否するよう呼びかける。

ウクライナ政府は、良心的兵役拒否の権利を保護し、欧州基準および国際基準、とりわけ欧州人権裁判所の定める基準を完全に遵守すべきである。

ウクライナは欧州評議会のメンバーであり、欧州人権条約を引き続き尊重する必要がある。ウクライナはEU加盟候補国であるため、EU条約で定義された人権と、良心的兵役拒否の権利を含むEU司法裁判所の判決を尊重することが必要である。

共同声明英文PDF

連絡先:

UPDATE

ルスラン・コタバの次回の審問は、2022年9月4日に予定されています。

前回の公聴会の前に収録されたビデオメッセージをご覧ください。[英語字幕付き]

詳細はこちらで確認ください。

行動を起こそう

国際的な連帯は非常に重要です。

例えば、以下のようなことが可能です。

  • ウクライナ大使館の前でメッセージを掲げ、写真や文章を公開する。
  • ルスラン・コタバを支援するために、あなたの国の政治家に働きかけてください。
  • あなたの国のメディアと協力して、ルスランのケースを報道してください。
  • 公開されたアピール文またはあなた自身のメモを、ウクライナ検事総長Andriy Kostin氏に送ってください。
    Riznytska St, 13/15
    Kyiv 01011
    Ukraine
  • ソーシャルメディアで共有し、ハッシュタグ#ConscientiousObjection #FreedomExpression(表現の自由)を使用する。

https://www.ifor.org/news/2022/7/19/ifor-joins-international-press-release-on-the-case-of-pacifist-journalist-ruslan-kotsaba

リムパックに反対する二つの記事:リムパックとアメリカの対中戦争に対するフェミニストの反論/リムパック2022にノー、アロハ’Āinaと真の安全保障にイエス

(訳者前書き)世界最大規模の26ヶ国の海軍がハワイなどで実施しているリムパックに、日本の海上自衛隊も日本の米軍も参加しており、あからさまな太平洋地域での軍事的な挑発行為となっている。にもかかわらず、日本のメディアの報道はほとんどないに等しい。

以下、二つの記事を訳した。最初の記事は、Foreign Policy in Focus (FPIF)に掲載されたもの。FPIF1996年に設立された平和、正義、環境保護、そして経済的、政治的、社会的権利へのコミットメントに関して外交的解決、グローバルな協力、そして草の根の参加の視点から活動しているシンクタンクである。二番目の記事は、ハワイに拠点をおくWomen’s Voices Women Speakのブログの記事。ハワイの先住民が置かれている基地問題についてより具体的な指摘と行動提起などが書かれている。すでに終ったイベントもあるが、これから参加できるオンラインのイベントもある。すでに二つの記事を投稿している(これこれ)が、Cancel Rimpac 2022の署名運動はまだ継続中だ。是非署名を。

下記のメッセージにあるように、戦争の問題を気候変動や環境への深刻な破壊活動であること、米軍基地が先住民の土地や文化の収奪の上に成り立っていること、複合的な人権侵害を引き起こすことなどが提起されている。伝統的な平和運動のパラダイムと比べて、より包括的で体制そのものの転換への指向がはっきりしていると思う。また、ウクライナの戦争の真っ最中であることから、日本の平和運動が自衛隊の武力行使を容認しかねない危うい主張がみられるようになったのとは対照的に、ウクライナの戦争があろうがなかろうが、軍隊そのものを否定する意志が明確だ。しかも下記の団体はいずれも米国を拠点としているから、自国の軍隊や基地そのものを拒否する運動にもなっている。(小倉利丸)

(参考)日本のマスコミ報道

日経 多国間軍事演習「リムパック」開始 台湾は不参加

時事 海上自衛隊、リムパック演習に「いずも」派遣 陸自部隊も参加

読売 「史上最大」と中国が警戒、リムパックに日本は「いずも」派遣…台湾招待は見送り

神奈川 海自護衛艦いずも、横須賀出港 リムパック参加へ

リムパックとアメリカの対中戦争に対するフェミニストの反論

ハワイから沖縄まで、アジア太平洋地域の女性リーダーたちは、大国間競争に代わる選択肢を提案する。

クリスティーン・アーン|2022年6月28日号
6月29日から8月4日まで、米国は26カ国を率いて、ハワイと南カリフォルニア周辺で「リムパック」(RIMPAC)と呼ばれる大規模で連携した軍事演習を行う予定だ。世界最大規模の国際海上演習で、日本、インド、オーストラリア、韓国、フィリピンなどから、約25,000人の軍人、38隻の軍艦、4隻の潜水艦、170機以上の航空機が参加する予定だ。過去最大規模となる今年のリムパックは、米国の国防予算が膨れ上がり、「インド太平洋」における米国の軍事的プレゼンスを高めることが求められていることを背景にしており、すべて中国を封じ込めることが目的である。

しかし、アジア太平洋における軍事化の進展が、特に最前線の地域社会や海洋生態系に及ぼす非常に現実的な影響については、見過ごされがちだ。例えば、昨年のリムパック戦争では、オーストラリアの駆逐艦がサンディエゴでナガスクジラの親子を死亡させた。生物多様性センターのクリステン・モンセルは、「こうした軍事演習は、爆発やソナー、船の衝突によって、クジラやイルカなどの海洋哺乳類に大打撃を与える可能性があります」と語る

米国のパワーにまつわる攻撃的な言葉は、民主主義対権威主義(中国、ロシア、北朝鮮、イランなど)という誤った二元論を生み出し、緊張と軍事化、そして新たな戦争の可能性を増大させる。このような限定的な考え方は、気候変動やパンデミックなど、我々の存在を脅かす重要な問題に対する協力の機会を失わせ、一方で、健康、教育、住宅といった真の安全対策に利用できる資源を減少させる。

このため、今後数週間、フェミニスト平和イニシアチブ(Grassroots Global Justice Alliance、MADRE、Women Cross DMZの共同プロジェクト)は、Foreign Policy in Focusと協力して、この超軍国主義が彼らのコミュニティに与える影響について、太平洋とアジアのフェミニスト平和構築者と専門家の声を拡大し、米国と中国間の大国の競争に代わるものを提供しようとするものである。

米海軍のジェット燃料貯蔵によってオアフ島の帯水層が汚染されているハワイや、米軍の演習によってチャモロ人の先祖代々の土地が冒涜されているグアハン(グアム)の活動家から声を聞くことができる。沖縄の辺野古では、活動家たちが珊瑚礁と絶滅危惧種のジュゴンを守るために米海兵隊と闘い、韓国の済州島では、村人たちが中国に対して力をプロジェクションするために米軍の駆逐艦が停泊する海軍基地建設を阻止するために闘ってきた。

これらのコミュニティは一体となって、軍事化された安全保障に代わる、真の人間の安全保障を求めるオルタナティブな未来を訴えている。

米国の対中緊張を高めるもの

バイデン政権は3月、米国にとって中国はロシア、北朝鮮、イランに次ぐ安全保障上の最大の課題であると断言した

バイデン政権のアジア担当官カート・キャンベルによれば、米国がアジアでプレゼンスを維持する目的は、「シャツを売り、魂を救い、自由な思想を広める」ことだという。これは主に外交官、宣教師、ビジネスマンによって達成されてきたが、常に軍事力の脅威によって支えられてきた。

米国と中国の経済は非常に密接に絡み合っているため、潜在的な戦争はどちらの国にとっても利益にはならない。しかし、中国の台頭の脅威は、米国の軍産複合体にとって好材料でもある。パンデミックと20年に及ぶ「テロとの戦い」の失敗によるアフガニスタンからの撤退は、米国の外交政策に変化を求める貴重な機会となった。

党派を超えて米国のエリートの対中観を形成しているのは、トランプ政権の元国防省高官であるエルブリッジ・A・コルビーである。2021年に出版された『否定の戦略』(原題:Strategy of Denial: American Defense in an Age of Great Power Conflict)においてコルビーは、日本、韓国から台湾海峡を経てフィリピンに至る「防衛境界線」を提唱している。コルビーにとって、中国との平和を達成するには、「断固とした焦点を絞った行動と、この地域の国家に核兵器を与える可能性を含め、中国との戦争の明確な可能性を受け入れることが必要」なのである。コルビーは、力による平和は、「我々の繁栄と生活水準の低下の一因となる市場へのアクセスの減少 」を防ぐために必要だと言う。この地域、ひいては世界を支配する中国に対抗するために、米国はただでさえ殺傷力の高い軍事力に大規模な投資と近代化を行い、インド太平洋地域における同盟関係を強化しなければならないとコルビーは主張する。

中国がもたらす真の脅威は、コルビー の父親であるJonathan Colbyがシニアアドバイザー兼マネージングディレクターを務める非公開投資会社、Carlyle Groupのような米国の多国籍企業の収益にあるのだという。歴史家のLaurence Shoupによると、「アジアはCarlyleにとって非常に重要な市場であり、200億ドルの資産を持ち、多くは台湾に拠点を置いている」。2016年のBusiness History誌の調査によると、 Carlyleは中国最大の建設機械メーカーであるXugongを4億4000万ドルで買収する際に中国からの規制のハードルに直面し、台湾のAdvanced Semiconductor Engineeringの買収にも失敗していることがわかった。その結果、カーライルは、バイアウトを成功させるためには、より有利な国内制度の枠組みが必要であるとの結論に達した。「カーライルのような金融資本家たちは、制約なく企業を売買し、それぞれの企業の資源や労働者を利用して利潤のために好きなことができるようになりたいと考えている」と、Shoupは書いている。しかし、「中国はそのような無制限のアクセスを許さず、コルビー家のような新自由主義思想家が好む自由な資本主義に対して道を閉ざしている。」。

軍事的優位性を重視した結果、米国はロシアと中国に対してNATOとヨーロッパの同盟国を動員している。英国は14年ぶりに米軍の核兵器を貯蔵することになり、韓国は保守派の新大統領の下、半島への米軍の核資産の返還を求め、日本は今春、国会で2027年までの米軍駐留経費86億ドルを最終決定し、二国間同盟が深化していることを反映している。

しかし、このような軍事化の拡大は、インド太平洋における中国との危険な衝突の可能性を高めるだけである。中国を取り囲む290の米軍基地とリムパックのような挑発的な米軍演習は「中国のセキュリティ上の脅威を高め、中国政府が自国の軍事費と活動を高めることで対応するよう促す」とアメリカン大学の人類学者David Vineは言う。

大国間競争へのフェミニストの対抗策

これ以上悲惨な戦争を防ぐために、フェミニスト平和構想は、米国の外交政策を軍事優先のアプローチから、真の人間の安全保障を優先させるアプローチに転換することを目指している。そのためには、米国の戦争や軍国主義によって最も影響を受ける人々の声を中心に据えることによって、外交政策を形成するプロセスを民主化することが必要である。

フェミニズムは、米国の外交政策を再構築するための強力な枠組みを提供する。例えば、支配、競争、攻撃といった伝統的な男性的特質が、繁栄、相互扶助、協力といった女性的特質にしばしば取って代わられていることを思い出してみてほしい。そうではなく、すべての人々と地球の幸福に基づいたポリシーが優先されるとしたら、どうだろうか。

気候変動、パンデミック、貧困など、私たちの生存にとって最も緊急な脅威に対処するには、現在、連邦政府の裁量支出の半分以上を占める国防総省の予算を削減する必要がある。その代わりに、ヘッドスタート[米国連邦政府の育児支援施策]、低所得大学生のためのペル・グラント、女性・乳児・子どものための食糧援助(WIC)、その他集団的福利を増進するあらゆるプログラムへ回すことができるはずである。Cost of War Projectによれば、「米国防総省は世界最大の石油消費機関であり、その結果、世界最大の温室効果ガス排出機関の一つである」ため、これは特に緊急の課題である。

米国内外の黒人、褐色、先住民族のコミュニティは、米国の軍国主義による暴力の矢面に立たされることが最も多い。米軍は、契約金、教育の機会、世界旅行を約束して貧しい有色のコミュニティを大量に勧誘する。その一方で、兵士が戦争から帰還したときに家族が受けるトラウマは言うまでもなく、精神疾患、薬物乱用、ホームレス、PTSD、高い自殺率など、退役軍人の生活への巻き添え被害を隠す。これらのコミュニティは、サンゴ礁、森林、農地、聖地の破壊や米軍基地周辺での性的搾取や暴力など、米軍基地がいかに戦争前に米軍国主義の暴力が現れる場所であるかを直接目撃している。

私たちは皆、帝国の犠牲者でありアクセサリーなの だ。だからこそ、この横行する軍国主義を終わらせるために、海や国境を越えてつながなければならない。バイデン政権が中国の台頭に立ち向かうために積極的なポリシーを追求する現在、私たちの未来を脅かす時代遅れの安全保障の定義に異議を唱えることは、これまで以上に急務となっている。
https://fpif.org/the-feminist-response-to-rimpac-and-the-u-s-war-against-china/

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リムパック2022にノー、アロハ’Āinaと真の安全保障にイエス

2022年6月29日から8月4日まで、ハワイと米国西海岸沖で環太平洋演習(リムパック)が行われる。 軍によると、この戦争演習は「各国の軍隊の相互運用性と異文化協力を促進し、世界中の戦争の効率を高めることを目的としている」しかし、それが生態系の破壊、植民地暴力、銃崇拝を引き起こすことは分かっている。 これに対抗するため、ハワイの平和と正義の擁護者たちは、問題を横断する教育や異文化間の組織化を通じて、脱軍事化を支持するよう一般市民に呼びかけている。

リムパックの演習では、参加国から何万人もの軍人、艦船、潜水艦、航空機がハワイの海域にやってきて、「敵」に対する戦争計画をテストする。リムパック2022に参加する国は、以下の通り。オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、コロンビア、デンマーク、エクアドル、フランス、ドイツ、インド、インドネシア、イスラエル、日本、マレーシア、メキシコ、オランダ、ニュージーランド、ペルー、韓国、フィリピン共和国、シンガポール、スリランカ、タイ、トンガ、イギリス、アメリカです。

リムパックの船舶沈没、ミサイル実験、魚雷発射は、島の生態系を破壊し、海の生き物の幸福を妨げてきた。

このような軍人の集まりは、有害な男らしさ、性的人身売買、地元の人々に対する暴力を助長する。

リムパックは、米国、中国、ロシア、北朝鮮間の緊張の高まりを緩和するために、中止されなければならない。戦争への「備え」よりも、地球規模の気候危機、Covid-19の世界的大流行、米国における銃乱射の流行に立ち向かう「備え」が必要である。終わりのない戦争という失敗した外交政策は、将来の世代を破産させ、難民の危機に拍車をかけ、米国を笑いものにするものだ。

リムパックは、先住民の自決権を侵害する、ハワイの土地の継続的な軍事占領によって可能になった。また、Red Hill/Kapūkakīの危機に関して私たちが受けてきた虐待と嘘を考えると、リムパックを進めることは言語道断である。

2021年11月以来、ハワイの人々は、ホノルルの帯水層からわずか100フィートの高さにある80年前の海軍地下ジェット燃料タンクの漏出によって、軍人の家族や民間人の飲料水が汚染されたことに憤慨してきた。 コミュニティの強い圧力により、ハワイ州はついに米海軍にタンクを遮断し、燃料汚染を浄化するよう命じ、2022年3月7日に国防長官がこれに同意した。現在も水質汚染は続いており、軍の家族は家に戻ることを拒んでいる。燃料の流出は帯水層を越えて拡大し続け、島の水供給全体を危険にさらしている。

米軍の土地と水に対する無謀な扱いに影響を受けているのは、レッドヒルだけではない。たった1ドルで米軍は現在ハワイ州の土地を65年間リースしている。これらは、ポハクロア訓練場、ポアモホ訓練場、マクア軍事保留地、カフク訓練場である。 これらのリース契約は2029年に終了するが、陸軍はこれらのリース契約を更新することを目指している。不発弾、砲弾、化学物質がこれらの訓練場を汚染しており、除去されていない。 ハワイ州は、ポハクロアの保護が不十分であるとして提訴されている。市民は、文化目的でマクアバレー訓練場にアクセスすることを求めて米軍を提訴し、勝利した。現在および将来の土地への損害を阻止するため、これらのリースは更新されるべきではない

リムパックは、銃暴力が米国を苦しめる中で発展してきた。軍事兵器の研究開発への政府の投資は、古い武器や余剰武器がオンラインや銃器店で売られ、地元の警察署や他国の国軍に受け継がれることを意味する。 進歩的な連邦銃改革を阻止し続ける全米ライフル協会のロビイストたちは、武器の供給者として、また世界規模の戦争を推進する者として、リムパックと手を組んでいる。

リムパックは、多くの国の参加を必要とするプロセスであることに注意することが重要である。 リムパックは演習である。つまり、武器取引と戦争遂行に向けて、文化や国境を越えて活動するよう、各国は仕込まれている。真の安全保障のためのプログラム(教育、医療、気候変動への備え)に資金を提供するのではなく、大量破壊兵器に貴重な資源を費やすことになるのである。

ハワイ先住民が米海軍のカホオラウェ爆撃を阻止するために立ち上がって以来、ハワイの土地を軍事化から守るために、民衆を鼓舞する非軍事化運動が生まれた。カナカ・マオリの女性たちはこの運動の先頭に立ち、占領の廃止と非軍事化を結びつけている。

ハワイの平和と正義の組織は、リムパックの制度的暴力に対抗するために、人々に私たちの能力を発揮するよう呼びかけている。

この夏、安全保障としての軍事化を脱し、真の安全保障を推進するために、あらゆる年齢や文化のコミュニティーがオンラインや対面式で集う機会がある。

私たちは、軍隊が米国占領下のハワイと米国経済の主要な経済産業であることを認識している。 私たちは、多くの危害を引き起こす軍産複合体から労働力を取り戻すために、私たちの歴史から学ぶことができる。これは自由の学校スタイルの公教育、芸術キャンペーン、ゼネスト、環境保護裁判、文学作品の出版、風刺、そしてグリーン経済への移行を支持する進歩的な政治家を選ぶことなどで可能になるはずだ。

私たちの目標は、リムパックに参加する兵士を含むすべての人に働きかけることだ。軍隊のメンバーの多くは、強引なやり方によって労働者階級のコミュニティからリクルートされる。兵士たちは、家庭内暴力レイプ自殺といった複合的な被害を含む、仲間内での虐待を経験している。私たちは、軍隊が私たちの土地や海、そして自分自身をどのように傷つけているかを理解するために、すべての人々にこれらのイベントへの参加を呼びかける。帝国が作り出す偽りの自己中心的な見方を受け入れるのではなく、互いに関わり合いながら組織化することが必要だ。ぜひご参加ください。

一般向けイベント

ハワイ平和と正義、平和のための退役軍人、女性の声、女性の声が参加する太平洋平和ネットワークは、リムパックとその参加方法について地域と世界のコミュニティを教育するために一連のイベントを開催する予定。

あなたができる最初の行動は、リムパックの中止を求める国際請願書に署名することです。

6月12日(日)午後3時から5時、カイルアのアイカヒ・ショッピングセンター(25 Kaneohe Bay Dr, Kailua, HI 96734)で行われるCANCEL RIMPACの署名に参加する。

6月25日(土)午後1時~3時(日本時間)、ハワイ、グアハン、アラスカからの番組を含むワールドワイド・ピースウェーブに参加しませんか? 国際平和ビューローとワールド・ビヨンド・ウォー、そして地元ハワイではピース・アンド・ジャスティスが主催する24時間世界一周ピースウェーブへの参加登録はこちらでどうぞ。

8月4日(木)-5日(金)2022年9時 – Hawai’i Peace and Justice, Koʻa Futures and Veterans For Peace は、ホノルルの East-West Center や Pacific Forum を含む兵器メーカーや軍事戦略・政策団体が太平洋地域での更なる戦争を引き起こすための会議「インド太平洋海事交流会」でハワイコンベンションセンター前でのアクションを実施する予定。https://www.facebook.com/hawaiipeaceandjustice/ にてご確認ください。

Sierra Club of Hawaiʻi は、一連の zoom conversation を開催予定。

2022年6月17日(金)午後12時-1時30分 / 午後3時-4時30分 (PT) / 午後5時-6時30分 (CT) / 午後6時-7時30分 (ET) / 午後1時-2時30分 (AKDT) キャンプ・レジュン、アラスカ、フリントの水保護団体が、水を守るためにそれぞれのコミュニティが取った草の根主導のアプローチについて話す予定。登録はこちらから。

2022年7月1日(金)時間未定 – 主催者は太平洋を越えて、水の不公正に拍車をかけている社会的・人種的不平等について話し合う。詳細はこちらでご確認ください。

Women’s Voices Women Speakは2つのコミュニティイベントを開催予定。

2022年7月3日(日)午後3時(場所未定)-クムとハワイの主権活動家ハウナニケイ・トラスクの一周忌に彼女の遺志を称える。国際連帯、非軍事化、非核化という彼女のフェミニズムのビジョンについて話し合う。詳しくは、キム(Kcompoc@gmail.com)までご連絡ください。

2022年7月31日(日)11-17時、トーマス・スクエア・パーク – Women’s Voices Women Speakは、ハワイ王国の祝日、毎年恒例のLā Hoʻihoʻi Eaに私たちのテントを設置する予定。Wisdom Circlesとのコラボレーションによる新しい「本物のセキュリティブランケット」とワイを称える集団のファブリックアートを見に、ぜひお越しください。このテントでは、年齢、性別、文化に関係なく、ハワイの独立と本物の安全保障について考え、それを祝うアート制作に参加することができます。申し込みは不要。

また、カネオヘのパパハナ・クアオラで毎年開催される、ハワイ語のための詩とアートの祭典「Nā Hua Ea」にもご注目ください。日程は未定です。

https://wvws808.blogspot.com/2022/06/no-to-rimpac-2022-yes-to-aloha-aina-and.html

(Commondreams)過去最大規模の米海軍の太平洋戦争演習は、平和と海洋生物の両方への脅威だ―アジア太平洋における軍事態勢は、核戦争と人類滅亡の危険性をもはらんでいる。

以下は、Commondreamsの記事の翻訳です。この記事で紹介されているリムパック中止を求める署名(請願書)はここにあります。(日本語の記事はここ)


2020年8月21日、環太平洋演習(RIMPAC)中のハワイ沖で集団航海中の多国籍海軍の艦船と潜水艦が編隊を組んで蒸気を出す。(写真:Flickr/Coast Guard News/cc)

過去最大規模の米海軍の太平洋戦争演習は、平和と海洋生物の両方への脅威だ アジア太平洋における軍事態勢は、核戦争と人類滅亡の危険性をもはらんでいる。

アン・ライト

2022年6月20日

世界が残忍なロシア・ウクライナ紛争に注目している一方で、地球の裏側の太平洋では、中国や北朝鮮に対する米国やNATOの競争・対立がますます軍事的な様相を呈してきている。 北朝鮮、中国、ロシア、米国など、この地域のどの国が国家安全保障上の問題を認識した場合でも、軍事的に対応することは、地球上のすべての人々にとって悲惨な事態を招くことになる。 ハワイ州ホノルルに本部を置く米軍のインド太平洋司令部は、2022年6月29日から8月4日まで、ハワイ海域で26カ国38隻、4隻の潜水艦、170機の航空機、25000人の軍人が海軍の戦争演習を行う「リムパック」(RimPAC 2022)軍事戦争ゲームを実施する予定である。 さらに、9カ国の地上部隊が水陸両用でハワイ島に上陸する。

リムパックに反対する市民の声

リムパック参加26カ国の市民の多くは、リムパック戦争ゲームへの自国の参加に同意しておらず、地域にとって挑発的で危険なものであるとしている。

太平洋平和ネットワークThe Pacific Peace Networkは、国韓、済州島、韓国、沖縄、日本、フィリピン、北マリアナ諸島、アオテアロア(ニュージーランド)、オーストラリア、ハワイ、米国など太平洋の国・島々のメンバーで、海軍の艦隊を “危険、挑発、破壊的 “として、リムパックの中止を要求している。

リムパックの中止を求める同ネットワークの請願書は、「リムパックは、太平洋地域の生態系破壊と気候危機の悪化に劇的に加担する」と述べている。リムパックの戦力は、退役した船をミサイルで爆破し、ザトウクジラ、イルカ、ハワイモンクアザラシなどの海洋哺乳類を危険にさらし、船からの汚染物質で海を汚染する。陸軍は地上攻撃を行い、アオウミガメが繁殖する浜辺を荒らすだろう」。

請願書は、「人類が食糧や水など生命維持に必要な要素の不足に苦しんでいるときに、戦争行為に多額の資金を費やすことを拒否する。人間の安全保障は軍事的な戦争訓練に基づくものではなく、地球とそこに住む人々への配慮に基づくものです”。

太平洋地域の他の市民団体も、リムパックの中止を求める声を上げている。

ハワイに拠点を置くWomen’s Voices, Women Speakはリムパックに関する声明で、「リムパックは生態系の破壊、植民地暴力、銃崇拝を引き起こす。 リムパックの艦船沈没、ミサイル実験、魚雷発射は、島の生態系を破壊し、海の生き物の幸福を妨げている。このような軍隊の招集は、有害な男らしさ、性的人身売買、地域住民に対する暴力を助長する」と宣言している。

ハワイで唯一の州紙であるホノルル・スター・アドバタイザーに掲載された2022年6月14日の意見書では、フィリピンの人権のためのハワイ委員会の3人の地元活動家が、「私たちは、米国が主導する戦争に反対してハワイ州の人々とひとつになっているが、バリカタン(米比の地上戦演習)とリムパックがそのための準備作業なのだ。このように、私たちの政府はハワイの人々とフィリピンの人々を一緒にして、戦争と死と破壊の準備を進めている。

アジア太平洋における軍事的態勢は、核戦争と人類の種の絶滅の可能性をも危うくする。私たちは、気候変動や生物多様性の損失の脅威に対処し、平和、生命、共存を築くために、グローバルな協力に取り組まなければならない。」。

リムパックの中止を求める市民署名には、世界中から個人の署名と組織の賛同が寄せられている。

NATOは太平洋の軍事力になりつつある

2022年リムパックには、オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、コロンビア、デンマーク、エクアドル、フランス、ドイツ、インド、インドネシア、イスラエル、日本、マレーシア、メキシコ、オランダ、ニュージーランド、ペルー、韓国、フィリピン共和国、シンガポール、スリランカ、タイ、トンガ、英国、米国の軍隊が参加している。

リムパック参加国の40%はNATOに加盟しているか、NATOとの結びつきがある。リムパック参加26カ国のうち、カナダ、デンマーク、フランス、ドイツ、英国、米国の6カ国は北アトランティック条約機構(NATO)に加盟しており、他の4カ国はオーストラリア、日本、韓国、ニュージーランドというNATOのアジア太平洋地域の「パートナー」である。

ヨーロッパ全域、特にロシアとの国境でのNATO軍の演習と、ウクライナのNATO加盟の可能性に関する米国の終わりのない議論(ドアは決して閉じられていない)は、ロシア政府がウクライナへの戦争を正当化するために用いた2つの大きなレッドラインであった。

太平洋地域では、NATO軍の進駐が中国や北朝鮮との緊張を大きく高めている。

軍事行動により絶滅の危機に瀕する海洋哺乳類 軍事作戦は、実践でも戦争でも、人間にとって危険であり、海洋哺乳類にとっても危険である。ロシアとウクライナの戦争は、最新の例である。この戦争で、黒海の海岸で何頭ものイルカが死んでいることが判明した。

研究者は、黒海でイルカが死んでいるのは、ロシアの軍艦が大量に存在し、それに対するウクライナの反応がイルカのコミュニケーションパターンを混乱させているためではないかと指摘している。 「船の激しい騒音と低周波ソナー」が、イルカの主なコミュニケーション手段を妨害しているのだ。破壊的な水中音は、彼らが大きな漁網の中や黒海の海岸の周りで道を失ってしまうかのどちらかかもしれない。

英国ガーディアン紙の報道によると、研究者は、約20隻のロシア海軍の艦船と継続的な軍事活動によって引き起こされた黒海北部の騒音汚染の高まりが、イルカをトルコとブルガリアの海岸に南下させたかもしれないと考えているとのことだ。

トルコ海洋研究財団(TÜDAV)は最近、同国西部の黒海沿岸で80頭以上のイルカの死骸が発見されたと発表しており、例年に比べて「異常な増加」であるとしている。 黒海で最近撮影されたビデオには、80頭のイルカの死骸の一部が記録されている。

過去にいくつかの研究で、軍事用ソナーが海洋生物に危害を加えることが確認されており、多くの軍隊が野生生物を保護するために緩和策を採択している。 米軍の戦争演習では、ソナーや爆弾によってクジラやイルカが殺されている

2000年3月、米海軍は、高強度ソナーシステムの使用により、高強度ソナーを使用した米海軍艦船が通過した直後に、16頭のツチクジラとミンククジラがバハマの海岸に打ち上げられたことを認めている。このうち6頭が死亡し、解剖の結果、耳の中や脳から出血しているのが確認された。

10頭のクジラが海に押し戻されたが、ツチクジラの目撃情報が減少していることから、この地域で仕事をしている研究者は、さらに多くのクジラが死亡した可能性があるとみている。

海軍と全米海洋漁業局(NMFS)は一連の調査を開始し、その中間報告の概要は、出血は高強度ソナーから発生する音波が原因であると結論づけた。

ハワイ海域には、ロシア海軍の黒海における軍艦(20隻)の約2倍(38隻)が到着しており、リムパックの戦争演習がイルカ、クジラ、魚類に与える危険な影響は相当なものになると思われる。

リムパック戦争演習は、対話の代わりに軍事的対立を増大させる

リムパックの軍事戦争演習が太平洋地域の国際関係に及ぼす影響もまた、意図的であろうとなかろうと、この地域を対話ではなく、ますます激化する軍事対立に巻き込む危険な結果をもたらす可能性がある。

ウクライナの恐ろしい人命の損失と都市、農場、インフラの破壊を見れば、事故であれ故意であれ、ある事件がアジアで軍事的反応を引き起こした場合に何が起こるかを想像することができるだろう。

アジアの主要都市、北京、上海、香港、ソウル、東京、平壌、モスクワは、米国とNATOの弾道ミサイルによって狙われ、破壊されるかもしれない。

米国では、ホノルル、ハガートナグアム、ワシントンDC、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴ、シアトル、ヒューストンが、中国、ロシア、北朝鮮からのミサイルの標的となり破壊される可能性がある。

ヨーロッパの都市(ロンドン、パリ、ローマ、マドリッド、アムステルダム)は、損害を受けたり、破壊されたりする可能性がある。

平和のための戦争はもうしない

北朝鮮、中国、ロシア、米国など、この地域のどの国も、国家安全保障上の問題に対して軍事的な反応を示すと、地球上の人々にとって悲惨なことになる。 私たち市民は、政府が安全保障問題を解決するために、対話ではなく、対立を続けることを許してはならない。世界中の人々の命が危険にさらされている。戦争でお金や政治的地位を得る人たちを勝たせ、「平和」のためにまた恐ろしい戦争を始めさせてはならない。

著者について

アン・ライトは、29年間米国陸軍/陸軍予備軍に所属し、大佐として退役した退役軍人であり、元米国外交官で、イラク戦争に反対して2003年3月に辞職した人物です。 ニカラグア、グレナダ、ソマリア、ウズベキスタン、キルギスタン、シエラレオネ、ミクロネシア、モンゴルで勤務した。 2001年12月には、アフガニスタンのカブールにある米国大使館を再開させた小さなチームの一員でした。 共著に「Dissent: Voices of Conscience 」がある。

出典:https://www.commondreams.org/views/2022/06/20/largest-ever-us-naval-war-drills-pacific-threat-both-peace-and-marine-life

CANCEL RIMPAC 2022の署名運動

以下は、CANCEL RIMPAC 2022の署名運動サイトの翻訳です。このサイトでは、3000人を目指して署名運動が展開されています。以下にあるように、各国の反戦平和運動団体の連携となっていますが、日本からの参加はみられません。RIMPACは海軍による大規模な演習で2年に一回開催されていますが、現在のウクライナの情勢や中国との緊張関係のなかで、今年のRIMPACのもつ政治的な意味はこれまでになくリスクの大きなものとなりえるでしょう。以下の署名運動の趣旨のなかで、特徴的なことは、戦争や軍隊の行動を太平洋の環境問題とくに海洋生物い与える深刻な影響を強く意識いており、演習は私たち人間には「ごっこ」であってもそこに生きる者たちにとっては文字通りの破壊行為になります。(小倉)

以下の要請に賛同する場合下記から署名ができます。3000名を目標にしていて22日午前、現在2400名弱です。

https://diy.rootsaction.org/petitions/cancel-largest-naval-war-maneuvers-dangerous-rimpac-2022

また、アーティストたちによる抗議の表現の場が下記に設定されています。作品も公募中。

https://www.youngsolwarapacific.com/cancel-rimpac-exhibition.html

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宛先 参加 26 カ国の国会議員各位

世界最大かつ最も危険な海戦演習であるリンパック2022を中止してください。

請願書本文

リムパックを中止し、太平洋に平和地帯を築くことを求める請願書

パシフィックピースネットワークとその連携団体は、危険で挑発的かつ破壊的な環太平洋合同演習(リムパック)の中止と、非武装の環太平洋平和地帯を求める市民の働きかけを強化することを訴えます。

世界最大の海軍の戦争演習であるリムパック海軍戦争演習は、2022年6月29日から8月4日まで、ハワイと米国西海岸沖で行われる予定である。リムパック2022では、26カ国から25,000人以上の兵士、38隻の艦船、170機の航空機、4隻の潜水艦が、”敵軍 “と交戦する戦争シミュレーションの訓練を行う予定だ。

リムパックは、ハワイ、オーストラリア、グアハン、その他の太平洋諸国における米軍の能力拡張と相まって、米中間の武力衝突の可能性を高めており、意図的であれ偶然であれ、アジア、太平洋、世界の人々にとって思いもよらない結果をもたらす可能性がある。

ぜひこの呼びかけにご賛同いただきたい。パシフィック・ピース・ネットワークはこの請願書を共有し、リムパックの中止を各参加国の国会議員に呼びかけます。

なぜ重要なのか?

リムパックは、太平洋地域の生態系の破壊と気候危機の悪化に劇的に加担するものだ。リムパックの戦力は、退役した船をミサイルで爆破し、ザトウクジラ、イルカ、ハワイモンクアザラシなどの海洋哺乳類を危険にさらし、船からの汚染物質で海を汚染する。陸軍は地上攻撃を行い、アオウミガメが繁殖するためにやってくる浜辺を荒らすだろう。

私たちは、人類が食糧や水など生命維持に必要な要素の不足に苦しんでいるときに、戦争行為に多額の資金を費やすことを拒否する。人間の安全保障は、軍事的な戦争訓練に基づくものではなく、地球とそこに住む人々への配慮に基づくものである。

2022年リムパックには、オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、コロンビア、デンマーク、エクアドル、フランス、ドイツ、インド、インドネシア、イスラエル、日本、マレーシア、メキシコ、オランダ、ニュージーランド、ペルー、韓国、フィリピン、シンガポール、スリランカ、タイ、トンガ、英国、米国の軍隊が 参加する。

リムパック参加26カ国のうち、カナダ、コロンビア、デンマーク、フランス、ドイツ、イタリア、イギリス、アメリカの8カ国は北大西洋条約機構(NATO)のメンバーであり、オーストラリア、日本、韓国、ニュージーランドの4カ国はNATOのアジア太平洋地域の「パートナー」である。これは、リムパック参加国の45%がNATOとの結びつきがあることを意味し、NATOが太平洋の軍事力になりつつあることを示している。

現在、太平洋平和ネットワークのメンバーは、国韓、済州島、韓国、沖縄、日本、フィリピン、北マリアナ諸島、アオテアロア(ニュージーランド)、オーストラリア、ハワイ、米国など太平洋上の国・地域から集まっている。

賛同者

ハワイ

Hawai’i Peace and Justice

Veterans For Peace, Chapter 113-Hawai’i

Women’s Voices Women Speak

Oahu Water Protectors, Hawai’i

World Can’t Wait Hawai`i

Students and Faculty for Justice at the University of Hawai’i)

350 Hawaii

Our Revolution Hawaii

Hawai’i Committee for Human Rights in the Philippines

Malu ‘Aina Center For Non-violent Education & Action, Big Island, Hawai’i

フィリピン

Asia Europe Peoples Forum

Philippine Initiative on Critical and Global Issues

Peace Women Partners. Inc. Philippines

Philippine Women Network for Peace & Security

STOP the War Coalition Philippines

米国

Campaign for Peace, Disarmament and Common Security

CODEPINK: Women For Peace

Environmentalists Against War

Veterans For Peace, Phil Berrigan Memorial Chapter, Baltimore, Maryland

Veterans For Peace, San Diego chapter

Roots Action

オーストラリア

Independent and Peaceful Australia Network (IPAN)

Just Peace Queensland

太平洋地域

Youngsolwara Pacific

Prutehi Litekyan: Save Ritidian

Youngsolawara Pacific

Our Common Wealth 670

韓国

Inter-Island Solidarity for Peace of the Sea Jeju Committee

Gangjeong Peace Network

Association of Gangjeong Villagers Against the Jeju Navy Base,

Gangjeong International Team

People Making Jeju a Demilitarized Peace Island

Seongsan Committee against the Jeju 2nd Airport Project

Catholic Climate Justice Action

Center for Deliberative Democracy and Environment

Jeju branch of Service Industry Labor Union

St. Francis Peace Center Foundation

The Frontiers

Columban Justice and Peace

Jeju Green PartyGangjeong Catholic Mission Center

インターナショナル

International Peace Bureau

World Beyond War

Pacific Peace Network

No to NATO

Global Network Against Weapons and Nuclear Power in Space

キャンセル・リムパックに参加する方法

リムパックの危険性を訴えるアート、グラフィック、詩、歌をバーチャル展覧会「CANCEL RIMPAC-ONLINE EXHIBIT」に送ってください。-ビジュアルアート、詩、聖歌、音楽のパフォーマンスを公募しています。

音楽のパフォーマンスを募集しています。

画像、映像、文章を、氏名、年齢、タイトル、メディアを明記の上、koafuturesvirtualsubmit@gmail.com

までメールでお送りください。

提出期限 2022年6月30日

美しいウェブサイトをご覧ください。

https://www.youngsolwarapacific.com/cancel-rimpac-exhibition.html

資料

オーストラリアの最大の貿易相手国である中国に対する300億ドルの「防衛」政策に関するスプーフィング

https://youtube.com/watch?v=MTCqXlDjx18%3Fstart%3D6%26wmode%3Dopaque%26feature%3Doembed%26start%3D6

「リムパックのない世界」についての共同詩 ハワイ、アオテアロア、グアハンのオセアニア先住民の詩人13人が集まり、リムパックの中止と、生命、呼吸、主権である「ea」の回復を求める詩を書き、記録しました。

https://youtube.com/watch?v=UGmMOiLXBoI%3Fstart%3D11%26wmode%3Dopaque%26feature%3Doembed%26start%3D11

CANCEL RIMPAC声明 by Women’s Voices, Women Speak:

https://wvws808.blogspot.com/2022/06/no-to-rimpac-2022-yes-to-aloha-aina-and.html?m=1

スターアドバタイザー:リムパック、マルコス、そして中国との戦争

セイジ・ヤマダ、リチャード・ロスキラー、アルセリータ・イマサ著

2022年6月15日

13分ビデオ:軍事による環境破壊 by Koohan Paik

https://youtube.com/watch?v=QZa89k0c5yU%3Fwmode%3Dopaque%26feature%3Doembed

https://www.stripes.com/branches/navy/2022-06-10/north-korea-rimpac-missile-launches-6295074.html

北朝鮮、米国主導の大規模なリムパック海軍演習にソウルが参加することを非難

デイヴィッド・チェ、2022年6月10日

https://www.hindustantimes.com/india-news/rimpac-to-showcase-maritime-might-china-to-launch-third-aircraft-carrier-101654492239237.html

リムパックで海洋力をアピール、中国は3隻目の空母を就航へ 2022年6月14日

PH 海軍、リムパック’22 に派遣、2022/06/13

SL 海軍海兵隊、世界最大の海事演習リムパックに参加、2022/06/13

この請願はどのように送付されるのか

リムパックに参加する各国の団体が、直接、または記者会見やプレスリリースを通じて、各国の国会議員に嘆願書を届けます。

出典:https://diy.rootsaction.org/petitions/cancel-largest-naval-war-maneuvers-dangerous-rimpac-2022

(EBCO)ウクライナにおける兵役拒否の制度と兵役拒否者への不当な処遇

EBCOによるウクライナに関するカントリーレポートの最新版が公開されています。以下の記事はそれ以前の古い記事になります。最新版の飜訳への入れ替えを予定しています。いましばらくお待ちください。(2024/1/8)

(訳者前書き)以下は、ヨーロッパ良心的兵役拒否委員会のサイトに掲載されているウクライナにおける徴兵制度と徴兵に伴う人権侵害いついてのレポートである。このレポートは、2022年2月のウクライナへのロシアの侵略以前に作成されたものなので、現在の戦争の状況についての直接の言及はない。しかし、戦争以前にウクライナの徴兵制度と良心的兵役拒否の実態を理解する上での基礎的な情報である。この資料からもわかるように、ウクライナの若者たちの徴兵忌避傾向は無視できない影響があり、それ故に、ウクライナ政府は強引な徴兵政策をとり、人権侵害が繰り返されてきた。同時に、ウクライナ東部の分離主義者の支配地域においてもロシア側による徴兵強制が深刻な人権侵害を引き起こしていることも報告されている。今回の戦争前のウクライナの徴兵制をめぐる人権侵害については、国連や欧米諸国も危惧していたことがわかるが、今回の戦争によって全ての危惧は忘れさられたかのようになり、ウクライナの若者たちが侵略者と命を賭けて戦うことを当然のことのようにみなして賞賛して戦う若者の背中を押すかのような論調が支配的かもしれない。民衆はひとつではない。侵略者を目前にしても戦わないことを選択する者たちの選択の権利は、戦争が正義を纏っていればいるほど尊重されるべき態度だと思う。日本でいえば非国民と言われても武器をとらず、日の丸を振って出征兵士を送るなどという愚行を拒否することが容易ならざることだったことを想起すれば、ウクライナで非戦を貫くことは実は極めたタフな行為であり、その行為を支える思想性は強靭でなければ支えられないものでもあると思う。(小倉利丸)

以下はヨーロッパ良心的兵役拒否委員会のサイトから。なお、ウクライナの法制度には精通していないので、用語などで不正確なところがあるかもしれません。オリジナルのドキュメントでご確認ください。


徴兵制あり2014年に再導入(それ以前は2012年に停止)
良心的兵役拒否1991ウクライナ法「非軍事的兵役に関する法律」で初めて承認
兵役18ヶ月高等教育を受けた男性の場合、12ヶ月
兵役民間で勤務27ヶ月高等教育を受けた男性の場合、18ヶ月
ミニマム徴兵18ヶ月18-19歳で準自発的に召集、20-27歳で強制召集。
ミニマム任意加入17ヶ月兵学校は18歳未満。士官候補生は17歳
詳細https://ebco-beoc.org/ukraine EBCOの年次報告書2021年に関する質問状
に対する国防省の回答(2022年1月12日の電子メール)、EBCOの年次報
告書2021年に関する質問状に対するウクライナ国会人権担当委員事務局
の回答(2022年1月27日の電子メール)などを含む。

2020年5月~7月の春季軍事徴兵(COVID-19のため1ヶ月延期)で16,460人、2020年10月~12月の秋季軍事徴兵で13,570人の徴兵が行われた。つまり、2020年に強制的に兵役に送られた若者の総数は30,030人であり、2019年の徴兵(33,952人)の88,5%に相当する。ウクライナ国防省の情報によると、2020年には18ヶ月の任期を終えた4,166人の徴兵者と12ヶ月の任期を終えた300人の徴兵者が兵役から解放された。

地方行政機関がウクライナ平和主義者運動に提供した情報によると、2020年には約1,538人の良心的兵役拒否者が代替勤務を行い、その95%近くが27ヶ月の任期で勤務しているとのことである。例年、代替勤務の申請の約20%が手続きの遅れを理由に、約2%が宗教的信条の証明(教会員証など)がないことを理由に、そして約1%が代替勤務を管理する地方行政機関に申請者が出頭しないことを理由に拒否されている。こうした機関は通常、軍事司令部の将校を含み、ほとんどが公務員で構成されているが、中には軍の予備役がいることもある。

代替勤務は、1999年の政令で定められた10の宗派の宗教団体に所属する宗教的拒否権者のみが利用できる。良心的兵役拒否を訴える軍人には、その拒否を認めてもらう法的手段がなく、兵役からの任意離脱は通常不可能である。これは、本人の意思に反して軍に移送された徴用工にも当てはまる。

ウクライナに蔓延する汚職は、多くの若者にとって兵役を回避するほぼ唯一の方法として今も利用されている。多くの警察の報道発表によると、2020年には、徴兵忌避者から500ドルから2700ドルの賄賂を受け取ったとして、軍事委員会の役員や軍医が数十人逮捕された。また、2020年5月には、クメルヌィツキー州行政機関の対テロ作戦、統合部隊作戦、代替勤務の参加者の職業適応部門の責任者が、遅れて提出された代替勤務の申請を遡って登録し、申請を確実に許可するために1000ドルの賄賂、キャンディ1箱、コーヒーを強要した罪で逮捕された。

2020年、キエフとジトーミル州で徴兵軍人の自殺が3件、メディアで報道された。心理療法士のミハイロ・マティアシュは、Dzerkalo Tyzhnia紙の記事の中で、東ウクライナの武力紛争に参加した契約・徴用軍人の調査で自殺傾向が高いことが明らかになったと報告した。この主張は何度か公に異議を唱えられたが、ウクライナ国防省はいまだに徴用軍はドンバス紛争に参加しないとしているため、この専門家の発言は特に興味深いといえるだろう。

ウクライナ刑法335~337条、407~409条により、2020年1~11月に兵役忌避者に対する3361件の刑事手続が登録され、その中には自傷行為による18件が含まれている。同様の罪で、2019年には190人の徴兵忌避者と脱走兵が収監され、117人が逮捕され、24人が規律の大隊に拘束され、380人が裁判所から罰金を課された。

2020年 ウクライナのジャーナリスト、平和主義者、良心的兵役拒否者のルスラン・コツァバRuslan Kotsabaは、2015年に東ウクライナの武力紛争への動員のボイコットを呼びかけるビデオブログを公開したため、イワノ・フランクフスク州のコロミヤ市地裁で再び裁判にかけられた。反戦思想の表明のため、反逆罪と軍事作戦の妨害の罪に問われている。コツァバは524日間拘留され、2016年に正式に無罪となった。彼の現在の再度の裁判は、政治的動機に基づく起訴と司法に対する極右の圧力の結果である。検察官は、彼に財産の没収を伴う13年の禁固刑を宣告するよう裁判所に求めているが、これは明らかに公平性を欠く処罰である。EBCOはKotsabaに対する刑事訴追の即時かつ無条件の終結を求めた。[1] また、War Resisters’ International, Aseistakieltäytyjäliitto, Connection e.V., DFG-VK などがRuslan Kotsabaへの連帯を表明した。

2020年7月、修士課程の学生Igor DrozdとGeorgy Veshapidzeは、高等教育を受けるための徴兵延期権があったにもかかわらず、本人の意思に反してキエフのデスニアスキー地区軍事委員会から軍の部隊に移送され、不法に拘束された。彼らの話はメディアで取り上げられ、ウクライナ国会人権委員会(UPCHR)のアシスタントが軍事委員会を調査し、この他にも20歳未満の非自発的な徴兵などの違反があることが判明した。少年たちは釈放された。

2020年8月、UPCHR事務局は、Telegramのbotが個人情報を無断で使用して、軍を放棄した6907人の軍人のリストを公開したことを報告した。

ウクライナのいくつかの地域で、徴兵のコロナウイルス検査が導入された。2020年12月16日、ウクライナ軍医療部隊司令部は、ウクライナ軍で3,186人がSARS-CoV-2コロナウイルスによる急性呼吸器疾患COVID-19を発症し、12月31日には、1,937人の軍人が発症し、大流行期間中に、合計38人が死亡、12,026人が回復と報告した。

2020年4月8日、ウクライナ平和主義者運動のCOVID-19流行時の徴兵制中止の請願に回答したUPCHRの軍人保護問題担当のオレ・チュイコは、同委員が軍人の間のCOVID-19の蔓延防止について問い合わせをしたと伝えている。また、彼は、2019年に委員が徴兵者とその親族から50件以上の苦情を受け、軍事委員会の将校による100件以上の人権侵害について説明し、委員は侵害を止め、将来的に防止するために必要な措置を講じたことを伝えた。

エホバの証人のヨーロッパ協会は,2019年の国連人権委員会への提出書類の中で,ドニプロペトロフスク地方国家管理局が,これまでエホバの証人の代替的な市民奉仕の申請をすべて却下してきたと報告している。これは,代替的な市民奉仕の申請は大統領令が定める徴兵開始2カ月前までに行わなければならないことが法で定められているのに,近年は通常徴兵2カ月前より後に発行されているために申請が間に合わないことによる。[2] 2020年、政令は徴兵の3ヶ月前に発行された。ドニプロペトロフスク地方国家管理局がウクライナ平和主義運動に提供した統計によると,2015年から2020年にかけて68人の良心的兵役拒否者が代替奉仕活動を認められ,そのうち50人がエホバの証人だった。30の申請が拒否され,そのうち6件は時期尚早,4件は信仰心の純粋さを証明する証拠がない,10件は代替奉仕活動の仕事を忌避していたため,である。

2020年3月16日、EBCOのフリードヘルム・シュナイダー会長は、欧州評議会加盟国による義務と約束の遵守に関する委員会-監視委員会(Dzhema GrozdanovaとAlfred Heer)に対し、準備中の報告書草案について書簡を送付した。「ウクライナによる義務と公約の遵守」、また「欧州における良心的兵役拒否に関するEBCO年次報告書2019」を添付する。

2020年10月1日、人権理事会第45回定例会第31回会合で、国際和解の友(IFOR)は、現在のウクライナの良心的兵役拒否の権利の侵害について懸念を表明し、代替サービスの不釣り合いな長さと軍籍を持っていない人の雇用へのアクセスの欠如を確認し、国の領土保全のために憲法に明記されている義務は、良心的拒否に対する国際的に保護される権利に優先しないことを強調した。思想、良心、宗教の自由は、武力紛争の状況にかかわらず、無視できない権利であり、引き続き適用される。IFORはウクライナに対し、兵役に対する良心的兵役拒否の権利の完全実施を新たな人権行動計画に盛り込むよう促した。

また、2020年12月18日の人権理事会でIFORは、ウクライナの代替勤務は懲罰的で差別的な性格を持ち、ほとんどアクセスできないとの声明を発表し、リブネ州ホシュチャライオンで代替勤務の制限的な法的規制に適した雇用がないため代替勤務を開始できないペンテコステ派の良心的兵役拒否者24人の状況にも言及した。IFORは、国会が人権を侵害する法案3553を第一読会で採択し、2015年にウクライナ東部での武力紛争のための軍事動員に反対を表明した平和主義者ルスラン・コツァバの裁判を継続することに懸念を表明した。

ウクライナ大統領ヴォロディミル・ゼレンスキーが提案した法案3553「兵役遂行と軍籍登録のいくつかの側面の改善に関するウクライナの複数の立法措置の改正について」は、国会で第1読会が開かれ、採択さ れた。

以下のような雇用のための軍登録の義務化が含まれる。

●強制的な兵役登録や兵役に違反した場合の罰則をより曖昧にし、高額な罰金(現在の50~100倍に引き上げ)、TCRSSの罰金賦課権を強化した。

●行政違反者の逮捕とTCRSSへの強制的な移送。これは、警察や軍事委員会役員による街頭での徴兵狩りという現在の非公式な慣行の合法化とも考えられ、特に国連ウクライナ人権監視団によって報告された徴兵の恣意的な拘束である[3]。

●軍事登録、軍事訓練集会、「特別期間中の」徴兵(2014年のロシアのウクライナ侵略開始後に宣言)の忌避に対する刑事罰は、高額の罰金から最大5年の懲役までであり、強制集会や動員・徴兵から忌避した予備兵の処罰に焦点が当てられており、これは男性住民のさらなる強制的な軍隊化を意味しかねない。徴兵者は義務軍役期間を終えた後は予備兵として数えられるため、40%が軍役のための契約を結ぶように説得されているとされる。

●良心的兵役拒否者の兵役解除後の強制的な「軍籍」登録(今のところ、単なる「登録」と呼ばれている)。

●最高司令官であるウクライナ大統領が、予備役兵士を「特別期間」として最長6ヶ月間の強制兵役に動員する権限。

●国民の個人情報を本人の同意なしに徴兵者、軍事義務の対象者、予備兵の国家統一登録簿に含めることができる。特に、データは国家統一人口登録簿から自動的に移される(つまり、17歳以上のすべての男性人口を徴兵目的の軍事登録簿に自動的に含めることができる)。

●学生は「特別期間」に徴兵される可能性がある(現在は猶予の権利がある)。

●良心的兵役拒否者の公共サービスへのアクセスにおける差別。公職に就くすべての候補者に対する「兵役に対する態度の特別調査」と公共サービスでの求職に対する軍人IDの提出の要求によって導入された。

ウクライナのヴェルホヴナ・ラダ(国会)の中心的な学術専門家集団は、法案3553の採択は市民の権利と自由に悪影響を与える可能性があると警告した。

ウクライナ平和主義者運動による法案3553の撤回要求は拒否され、大統領府から国防省に宛てた公開書簡[4]は、法案を採択するために書かれたものであった。ヴェルホヴナ議会の国防委員会は、ウクライナ平和主義者運動の法案3553に対する異議申し立て要請を拒否した。

2013年の国連人権委員会は、義務的兵役に対する良心的兵役拒否の権利を良心に基づく非宗教的信念を持つ人に拡大する措置がとられていないようだと懸念を表明したが、ウクライナ平和運動と国際和解の会の、兵役に対する良心的拒否の人権の保護をウクライナの国家人権戦略および2021年から2023年の行動計画に含む提案も拒否された。また、代替服務の取り決めは、拒否を正当化する信念(良心に基づく宗教的または非宗教的な信念)の性質による差別なしにすべての良心的兵役拒否者が利用できるべきであり、兵役と比較して性質や期間において懲罰的または差別的であってはならないと強調している。[5] 2020年10月23日、UPCHRの外務代表ナタリア・フェドロヴィッチは、代替勤務に関する人権委員会のウクライナへの勧告は実現されておらず、委員はウクライナ憲法35条に従い、「代替(非軍事)勤務に関する」ウクライナ法を徹底的に更新・改善すべきと考えていると公式文書で述べている。

2020年12月25日、ゼレンスキー大統領はFocus誌のインタビューで、ロシアとの大きな戦争が起こった場合、総動員を計画しており、男女とも現役の軍隊に徴兵されると述べた。セルヒイ・クリボノス少将は、ゼレンスキーの計画は非現実的だと批判し、人々は戦いたくないと強調し、「徴兵の軍務はほとんどの場合、奴隷的だ」と述べた。この発言後すぐに、ゼレンスキーはクリボノスをウクライナ国家安全・防衛評議会の副書記のポストから解任している。

2019年に行われた3e! News Telegramチャンネル(1370人の有権者の87%が徴兵制に反対)、2020年キエフKRTテレビ電話世論調査(578人の参加者の91%がウクライナの兵役は任意とすることに同意)で、ウクライナでは徴兵制が非常に不人気であることが明らかになった。しかし、2020年7月17日の国会でアンドリー・タラン国防大臣は、ウクライナの徴兵制は当面継続されると述べ、前任のアンドリー・ザホロドニクによる徴兵制中止の可能性に関する発言を否定している。

2020年11月には、ウクライナ国家緊急事態局の職員を徴兵の対象から除外する法律が採択された。

ウクライナ領土の不法占拠が続く中、2020年、ロシア軍はジュネーブ条約第4条51項と国連総会決議に違反してクリミア住民3,000人の徴兵を発表した。欧州連合はこの徴兵の試みを非難し、ロシアに対してクリミア半島における人権と国際法のすべての侵害を停止するよう求めている。[6] 占領が始まって以来、ロシア連邦はすでに11回の徴兵キャンペーンを行い、その間に約25,000人がロシア軍に不法に徴兵された。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、刑事徴兵忌避事件に関するクリミアの裁判所の判決数十件を精査し、2017年から2019年の間に71件の刑事徴兵忌避事件と63件の有罪判決を確認した。すべての事件と判決が公開されているわけではないので、その本当の数はもっと多い可能性が高い。ほとんどの場合、被告人は5,000~60,000ルーブル(77~1,000ドル)の罰金を科された。[7]

ロシア占領下のクリミアでは、良心的兵役拒否者は国有企業の代替公務員として軍事委員会に申請することができるが、軍は彼らの信仰の「信憑性」を認めるか否かについて完全な裁量権を持つ。拒否は裁判所に訴えることができるが、勝算はほとんどない。良心的兵役拒否者は、手続き上の障害や宗教的、政治的、その他の理由による差別的な扱いを受けるなど、その拒否を認めるための厳しい障害に直面している。例えば,エホバの証人がロシアで禁止されていることから,バフチサライの軍事委員会が,エホバの証人に代替勤務を求めるために信仰を変えるよう要求したことが明らかにさ れた。クリミア人権グループの専門家アレクサンダー・セドフは,2020年にラジオ・リバティで,軍事委員会が代替勤務の申請を妨げ,自宅から非常に離れた他の地域での勤務や仮住まいの不衛生な状況など,耐え難い懲罰的条件に対する不満を犯罪として扱い,そうした不満を代替勤務からの逃亡として刑事罰で処罰すると述べた。

政府がコントロールできないウクライナ東部のドンバス地域では、ロシアが支援する分離主義勢力「ドネツク人民共和国」(DPR、推定兵力2万人)と「ルハンスク人民共和国」(LPR、推定兵力1万4000人)が、17歳の男性全員に軍登録を行い、軍隊やキャンプでの10日間の野外訓練を含む強制軍事行動に招集し、回避者は罰せられる制度を実施している。2020 年 9 月、DPR のデニス・プシリン党首は、具体的な詳細を伴わないまま、将来的な徴兵制を発表した。メディアは、LPRの軍事委員会が2021年にロシア軍への徴兵を組織し、特にこの地域の人々に大量に発行されたロシアのパスポートを持つ18歳以上の男性を対象にすると伝えている。ドンバスの分離主義軍とロシア職業軍への徴兵制導入の発表では、兵役に対する良心的兵役拒否の人権が尊重されるかどうかについては触れられていない。

[1] Brussels 8-12-2020 – OPEN LETTER to Court – EBCOはRuslan Kotsabaに対するすべての告発の取り下げを要求している。利用可能な場所: https://ebco-beoc.org/node/478

[2] 欧州エホバの証人協会、国連人権委員会への提出文書、ウクライナ、2019/09/23。利用可能なサイト: https://tbinternet.ohchr.org/Treaties/CCPR/Shared%20Documents/UKR/INT_CCPR_ICO_UKR_36874_E.pdf

[3] 人権理事会文書 A/HRC/42/CRP.7 “Report on the human rights situation in Ukraine 16 May to 15 August 2019”, 24th September 2019, para. 6, 49. 利用可能なサイト: https://www.ohchr.org/Documents/Countries/UA/ReportUkraine16May-15Aug2019_EN.pdf

[4] ウクライナ平和主義運動による声明。ゼレンスキーの軍事独裁に関する法案№3553は撤回されるべきである。利用可能なサイト: https://wri-irg.org/en/story/2020/statement-ukrainian-pacifist-movement-bill-no-3553-zelenskys-military-dictatorship

[5] 人権委員会、2013年8月22日のウクライナの第7回定期報告書(CCPR/C/UKR/CO/7)に対する最終見解、para. 19. 利用可能なサイト: https://undocs.org/CCPR/C/UKR/CO/7

[6] 占領地クリミアにおける違法な徴兵に関する EU 声明(2020 年 4 月 13 日)。利用可能なサイト: https://wri-irg.org/en/story/2020/eu-statement-illegal-conscription-occupied-crimea

[7] ヒューマン・ライツ・ウォッチ、「クリミア。徴兵制は国際法に違反する」。利用可能なサイト: https://www.hrw.org/news/2019/11/01/crimea-conscription-violates-international-law

出典:https://ebco-beoc.org/ukraine

(フェミニスト反戦レジスタンス)戦争の100日-私たちの反戦レジスタンスの100日

6月4日にロシアのフェミニスト反戦レジスタンスは以下の声明を出した。Telegramに投稿されたメッセージの機械翻訳(DeepL)を基にしたものです。わたしはロシア語を理解できないので、語彙やニュアンスでのまちがいがありえます。Telegram https://t.me/femagainstwar/1384 6月4日100 дней войны — 100 дней нашего антивоенного сопротивленияの原文を確認してください。


戦争の100日-私たちの反戦抵抗の100日

占領という帝国戦争は、毎日、ウクライナの女性とウクライナ人の命を奪っている。今起きていることは、将来、全世界がジェノサイドと呼び、この時代のロシアは、ファシズムのすべての兆候を持つ国家として研究されるだろう。

戦争の100日、戦争犯罪の100日、フェミニストの反戦抵抗の100日。あなたと私は、この100日間で戦争を止めることはできなかった。しかし、さまざまな時代や空間の反戦運動の歴史を研究すれば、反戦運動そのものが戦争を終わらせるわけではないことがわかる。では、なぜ私たちはこのようなことをするのか、なぜ街頭に出るのか、なぜ強権政治の中で新しい抗議戦略を考案するのか、なぜできる限りの人々を守るのか、なぜ手の届く被害者を助けるのか。

おそらく、すべてのロシア人反戦派は、この「なぜ」に対してさまざまな反応を示すだろう。ある者は道徳的義務として、ある者は自分たちの例が誰かに伝染すると信じて、ある者は子どもたちに自分は黙っていなかったと伝えることが重要で、他の者は失った声と失った主体性を回復するための方法として、この方法をとる。しかし、反戦運動は政治的にも考えなければならない。民主主義制度が解体され、政治が抹殺され、選択肢も選挙もなく、独裁がエスカレートしているこの国で、私たちロシア全土の反戦運動が草の根の主要な政治勢力にならなければならないのである。しかし、私たち反戦運動は、 党派的で目立たない抵抗のインフラを構築し、言語を変え、文化を変え、政治スペクトルの態度を変えつつある。私たちは、一般的な反プーチン急進派の重要なプラットフォームになることができる。私たちはすでに、全国に活動家と直接行動のネットワークを織り交ぜながら、そうなりつつあるのだ。

私たちはこの100日間で、戦争を止めることはできなかった。しかし、私たちは、強制的に排除されたウクライナ人がロシア連邦を去るのを助け、立場を理由に解雇されたロシア人への支援活動を行い、路上での大衆行動や単独行動、反戦宣伝活動や メール送付を行い、毎日膨大な宣伝活動をしている。私たちには、財政的・物質的資源がほとんどなく、国家がすべてを握っているが、それにもかかわらず、ロシアの反戦の声は世界中で聞かれ、抵抗、破壊工作、ストライキ、行動、党派の新しい形態が日々現れているのである。人々は、刑務所や拷問、そして少数派であるという感覚にもかかわらず、戦争に反対する行動をとり続けている。

私たちは、自分たちが少数派であるかどうかはわからない。戦争と独裁の条件下では、明確な社会学を持つことはできない。プーチンとそのプロパガンダは、私たちが少数派であると考えることを強く望んでいる。しかし、どんな抗議活動も、どんな人権運動も、どんな反戦運動も、いわゆる少数派から始まり、そして今も始まっている。私たちには、巨大で非常に重要な仕事を続ける力があり、ロシアの全都市に反戦の網を張り続ける力があり、ロシア連邦の情報封鎖を突破する共同戦略を考案する力がある。今、反戦運動にとって最も重要なことは、戦争の影響を直接受けているロシア人たちの活動と結びつけることである。引退した市民、戦死した兵士の母親や父親、戦争で医療を受けられなくなった人たち。このような人々を国家に委ねてはいけない。そうすれば、彼らは黙ってしまうだろう。彼らが声を上げるためのプラットフォームを作ろう。社会のバブルに閉じこもっていてはいけない。

戦争の100日、恐怖の100日、抵抗の100日。この悪夢がいつまで続くかわからないが、あきらめないでほしい。活動家になり、同じ志を持つ人を探し、反対運動をし、困っている人を助け、政治犯に手紙を書こう。今、予審拘置所や 刑務所にいる人たちは、彼らがそこにいる理由があることを知っておく必要がある。

(LaCroix)ロシアのキリスト教ナショナリズム

(訳者前書き)以下は、カトリック系のウエッブサイトLa Croix Internationalの記事の翻訳です。私はキリスト者ではなく、キリスト教一般いついての理解も十分とはいえないが、ロシアのウクライナ侵略の戦争をもっぱらプーチンの「狂気」や個人の独裁に求めがちな日本のメディア報道に対するセカンドオピニオンとして、ロシアの宗教性とナショナリズムに関心をもつことは重要な観点だと感じている。宗教とナショナリズムの問題は、ロシアだけではなく、グローバルな現象として、米国の福音派から英国の君主制、そして欧州に広範にみられる異教主義的なヨーロッパへの回帰と排外主義など、いずれも多かれ少なかれ宗教的な心性との関りがある。日本の場合であれば天皇制ナショナリズムもこの文脈で把える必要があると思う。ほとんどの日本人は、この概念に違和感をもつだろうが、主観的な理解とは相対的に別のものとしてのナショナリズムの意識されざる効果があることに着目すべきだろう。以下で述べられているように、プーチンの戦争に宗教的な世界観が深く関わりをみせているとすれば、戦争の終結が国際関係のリアリズムの文脈によっては解決できない側面をもつということにもなる。グローバルな宗教ナショナリズムに対して、宗教者えあれば、宗教インターナショナリズムに基くナショナリズムの相対化の可能性を模索するのかもしれない。私のような無神論者は、宗教的な世界観や信条をもつ政治指導者や国家権力に対して世俗主義による解決を主張するだけでは十分ではないだろう。戦争放棄にとって「神」とは何なのかという問題は、同時に戦争にとってこれまでの人類の歴史が刻みこんできた「神」の加担の歴史を、信仰しない者の観点からもきちんと理解する努力が非常に重要になっていると思う。(小倉利丸)


ロシアのキリスト教ナショナリズム
ジョン・アロンソ・ディック著|ベルギー

聖なる金曜日に、私はイエスの人生経験における権威主義的な支配者と堕落した宗教指導者の不吉な協力にあらためて衝撃を受けた。そして、今日の多くの国々で見られる、宗教と政治の不吉な協力関係について考え始めた。

私の当面の関心事は、もちろんウクライナの戦争である。現在のロシア・ウクライナには、絶対に見落としてはならないキリスト教的な側面がある。復活祭の翌月曜日(正教徒にとっては棕櫚の日曜日の翌月曜日)、政治学者でロシア下院議員のヴャチェスラフ・ニコノフ(1956年生)は、ロシアのウクライナ戦争を賞賛した。

「実際、私たち(ロシア人)は、現代世界における善の力を体現しています。私たちは絶対悪の勢力に対抗する善の側なのです」「これはまさに私たちが行っている聖戦であり、私たちはこれに勝たなければならない。他に選択肢はない。私たちの大義は正義であるだけではありません。 私たちの大義は正義である。そして勝利は必ず我々のものになる」

これがキリスト教ナショナリズムである。

キーウが東欧正教会の中心地となる

歴史は、現在のロシア・ウクライナの出来事を理解するのに役立つ。980年頃、現在のウクライナの政治指導者たちが、コンスタンティノープルから来た正教徒に改宗させられた。キーウ周辺は、東ヨーロッパにおける正教会の中心地となった。しかし、それから約500年後、状況は一変する。1448年、モスクワのロシア正教会がコンスタンティノープル総主教座から事実上独立し、その5年後、コンスタンティノープルはオスマントルコに征服された。537年に帝都コンスタンティノープルの総主教座聖堂として建てられたアヤソフィアは、モスクとなった。このとき、ロシア正教会とモスクワ公国は、モスクワをコンスタンティノープルの正統な後継者と見なすようになった。モスクワ総主教はロシア正教会のトップとなり、ウクライナのすべての正教会はモスクワ総主教座の教会の管轄下に置かれるようになった。

1917年の10月革命後、1922年に共産主義国家であるソビエト社会主義共和国連邦が成立した。ソ連は既存の宗教を排除し、国家的な無神論を確立することを重要な目的としていた。1988年から1991年にかけてのソ連邦の崩壊により、ロシア正教会はその宗教的、国家的アイデンティティを再検討するようになった。

ソビエト連邦崩壊後のロシアにおける宗教復興

レニングラード司教アレクシー(1929-2008)は、1990年にモスクワ総主教アレクシー2世となり、70年に及ぶ弾圧の後、驚くほど迅速にロシア社会に正教会を復活させることを主導した。2008年のアレクシー総主教の任期終了までに、約15,000の教会が再開され、再建された。ロシア正教会の大規模な回復と再建は、アレクシーの後継者であるウラジーミル・ミハイロヴィチ・グンディアエフ(1946年生)―今日ではキリル総主教の名で知られている―の下で続けられた。2016年までにキリルの下で、教会は174の教区、361人の司教、3万9800人の聖職者が奉仕する34,764の小教区を有するに至った。926の修道院と30の神学院があった。

ロシア正教会は、総主教キリルのもとで、共産主義の崩壊による社会的・思想的空白を埋めるために、国家の宗教的・政治的権力の強力な代理人となるべく活動してきた。キリル総主教の下で、ロシア正教会はクレムリンと密接な関係を築いている。プーチン大統領(1952年生まれ)はキリルを個人的に庇護している。2012年のプーチン大統領選を支持し、プーチンの大統領就任を「神の奇跡」と呼ぶ。現在、彼はプーチンのロシアは反キリストと戦っていることを強調している。しかし、2014年にロシアがクリミアに侵攻したとき、プーチンには思いもよらぬことが起こり、彼とキリル総主教には気に入らないことが起こった。ウクライナの正教会の大きなグループが、モスクワ総主教庁から完全に独立することを主張する「ウクライナ正教会(OCU)」を結成したのだ。このクリミア半島侵攻後の歴史は、プーチンがロシアのアイデンティティと世界的な役割をどのように構想しているのかを示すものとして重要である。

「母なるロシア」の栄光を取り戻す

プーチンは、「母なるロシア」の栄光と地勢を回復させたいと考えており、それが西洋の世俗的退廃に対する「キリスト教文明」の保護であると強く主張している。1981年から2000年にかけて、ロシア最後の皇族であるロマノフ家がロシア正教の聖人に列せられた。つまり、ニコライ2世とその妻アレクサンドラ、そして5人の子供たち、オルガ、タチアナ、マリア、アナスタシア、アレクセイである。プーチンは、ロシア正教会とのイデオロギー的な同盟は、自分の目標達成のために不可欠だと考えている。プーチン大統領は、かつてのロシア皇帝と同じように、モスクワをロシア正教会の祝福を受けた政治的・軍事的帝国の中心に据えたいと考えている。これは、彼のロシアキリスト教ナショナリズムの重要な要素である。そのためには、自分がコントロールできるウクライナの正教会が必要なのだ。プーチンとウクライナの戦争が始まったとき、総主教キリルは説教で、神から与えられたウクライナとロシアの統一性を強調した。「抑圧されたロシア人の解放よりも、はるかに多くのものが危機に瀕している。人類の救済である」と3月6日の説教で強調した。「人々は弱い者で、もはや神の律法に従わない。 神の言葉や福音を聞かなくなっている。 彼らはキリストの光に対して盲目なのです」と総主教は述べた。

悪の力に対する黙示録的な戦い

ロシアのテレビで毎週行われる説教で、キリルは定期的に、ウクライナの戦争を「神から与えられた神聖ロシアの統一」を破壊しようとする悪の力に対する終末的な戦いとして描写している。彼は先月、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの人々が共通の精神的、国家的遺産を共有し、一つの民族として団結すべきは「神の真理」だと強調したが、これはプーチンの戦争擁護に直接呼応するものだ。キリルはしばしば、同性愛者の権利に対して怒りに満ちた暴言を吐きながら、これは神に対する大きな罪であり、「神とその真理の明確な否定」であるとし、人類の文明の未来そのものが危機に瀕していると語ってきた。ロシア政治において総主教は複雑な人物である。彼は頭が良く、カリスマ性があり、野心的な人物である。彼は旧ソビエト連邦の中心的な治安組織であるKGBと関係してきた。しかし、キリルは総主教に就任して数年後、3万ドルのブレゲの腕時計をしているところを写真に撮られ、ちょっとしたスキャンダルを引き起こしたことがある。その後、正教会の支持者によって、公式写真が都合よくフォトショップで修正された。彼とプーチンは長い間、緊密な同盟関係にある。プーチンは、レニングラード(現サンクトペテルブルク)の司祭だったキリルの父親が、母親の希望で1952年に秘密裏に洗礼を授けてくれたと語っている。プーチンとキリルは頻繁に一緒に公の場に姿を現わしている。たとえば、復活祭の礼拝、修道院の訪問、巡礼地巡りなど、プーチンとキリルは頻繁に公の場に姿を現している。

プーチンの精神的宿命:モスクワを拠点としたキリスト教団の再構築

プーチンのキリスト教に対する真摯な姿勢は、大統領側近だったロシア正教徒のセルゲイ・プガチョフ(1963年生)によってはっきりと否定されてきた。しかし、近年、プーチンは自らの宗教性を強調するようになった。銀の十字架を首にかけ、イコンにキスし、テレビカメラの前で凍った湖に身を沈めたのは有名な話だ。この氷漬けの儀式は、男らしさの誇示であり、正教会の祭日である「聖霊降臨祭」の儀式でもある。プーチンは、モスクワを拠点とするキリスト教国の再建を自らの精神的宿命としている。「ウクライナは我々の歴史、文化、精神的空間の不可分の一部である」と彼は昨年2月の演説で述べた。ロシア正教は何世紀にもわたって、西欧のカトリックやプロテスタントとは対照的に、「真の信仰」の守護者として自らを提示してきた。モスクワは、第2位のコンスタンチノープル、第1位の帝政ローマに続く第3のローマであり、今日の真のキリスト教の中心地であるという。

ロシアの再軍国主義化に対する教会の祝福

確かに、ロシア正教会がロシアの軍国主義の台頭に大きな役割を果たし、ウラジーミル・プーチンのウクライナ侵攻に道を開いたことは、歴史が長く記憶することになるだろう。すでに2009年8月、キリルはセベロドビンスクのロシア造船所で、原子力潜水艦の乗組員に聖母マリアのイコンを贈呈している。ロシアの軍隊は「伝統的な正教会の価値観によって強化される必要がある…そうすれば、我々のミサイルで守るべきものを持つことになるだろう」とキリルは述べている。プーチンとキリルはナショナリストのイデオロギー的価値観を共有しており、彼らの目にはウクライナでの戦争は正当化されるように映る。彼らはキリスト教徒であると主張するが、キリスト教の価値観について語ることはない。キリスト教的倫理観と病院への爆撃、アパートや学校への爆撃、そしてウクライナの民間人への計算された虐待と虐殺については決して語らない。歴史に「このキリスト教徒たちは互いに愛し合っている」と記録されることはないだろう。国民の4分の3が正教徒であると自認するこの国において、プーチンとキリル総主教およびロシア正教会とのパートナーシップは、プーチンの権力と国民的支持を強化するものである。興味深いことに、2022年のロシアのウクライナ侵攻の際、ロシア国外のロシア正教会(ROCOR)の総主教ヒラリオン(カプラール)大司教は、「テレビの過剰視聴、新聞やインターネットのフォローを控え」、「マスメディアによって引き起こされる熱狂に心を閉ざす」よう信徒に求める声明を発表している。声明の中で、彼はウクライナという言葉ではなく、ウクライナの土地という言葉を使い、明らかにウクライナの独立を意図的に否定している。1948年にカナダで生まれたヒラリオンは、東部アメリカやニューヨークを管轄している。クレムリンと密接な関係にあり、ウラジーミル・プーチンとは友好的な関係である。

同性愛嫌悪や反フェミニズムなどの「伝統的価値観」を復活させる

キリル総主教率いる正教会は、プーチン大統領と協力し、「伝統的価値観」の復権に尽力してきた。その「伝統的価値」の中でも重要なものは、同性愛嫌悪と、女性を「産む者」として強く擁護する反フェミニズムである。プーチンが大統領になった1年後のインタビューで、キリルはフェミニズムはロシアを破壊しかねない「非常に危険な」現象であると述べた。ロシアの独立系通信社インタファクスによると、「フェミニズムという現象は非常に危険だと考えている。なぜなら、フェミニスト組織は、女性の疑似自由を宣言しており、それはそもそも、結婚や家族の外で実現されるべきものだからだ」と述べた。プーチンの支持者は、彼はキリスト教ナショナリストであり、自伝で明らかにされているように、1998年に亡くなった母親からの形見である正教会の洗礼十字架をシャツの下に身に着けていると言う。米国の「宗教右翼」の多くにとって、プーチンは世俗主義、特にイスラム教に対するキリスト教文明の権威主義的擁護者として今も賞賛されている。しかし、それは本当にキリスト教的なものなのだろうか。そして、それは本当に文明なのだろうか。ロシアのキリスト教ナショナリズムを象徴する現代的なモニュメントといえば、2020年にロシア国防省によって建設されたモスクワの勝利教会かもしれない。ロシアで3番目に大きな正教会で、クリミア占領後に計画された。ロシアの軍用武器メーカーであるカラシニコフ社が100万個のレンガを寄贈している。教会内のフレスコ画には、中世の戦争から現代の紛争に至るまで、ロシアの戦士たちの偉業が讃美されている。それは、軍事力の非常に粗野な賛美である。イエスの像でさえ、剣を振り回す戦士として描かれている。ステンドグラスのモザイクには、帝政ロシア軍出身の著名な軍事指導者の顔が描かれている。ロシアのキリスト教ナショナリズムは、歪んだキリスト教と乱暴な政治権力という不浄な同盟に支えられている。それは危険なだけでなく、悪である。

著者:歴史神学者、元ルーヴェン大学アメリカン・カレッジ学長、ルーヴェン大学およびゲント大学教授。最新作は『Jean Jadot; Paul’s Man in Washington』(アナザーボイス出版、2021年)。

出典:https://international.la-croix.com/news/religion/russian-christian-nationalism/15989