新しい枠組みへの試み
資本主義の国際関係を国家間の関係として理解しようとしてきた長い伝統が、この間様々な問題提起のなかで、再検討を要求されてきている。
伝統的な経済学は、安定した政府や政治権力を前提とした市場経済モデルを構築しようとしてきたし、逆に政治学も経済合理性に貫かれた市場経済を前提とした政治権力のモデルを模索してきた。しかし、現実の国際的な政治経済システムは、理論モデルが例外としてきた戦争や革命といった撹乱要因がむしろ常態であり、また官僚制などによって規制された権威主義と無関係な市場システムなどもありえない。したがって、国際的な資本主義の動向を従来のように、国家と経済組織としての企業に代表させて、政治と経済の多国間構造を記述すればそれであるていどの国際的な見取り図が描けたという時代ではもはやない。
このことは、国民国家の枠組みとして確たるものが存在するというある種の信念ともいうべき大前提をゆるがす問題提起ともなっている。国際政治経済学の代表的な研究者の一人でもあるスーザン・ストレンジは、現実主義者ですら「いまでは国家の政治的権威をどう正確に定義してよいか、また誰がその権威に服すると考えるか、についてはあまり確固とした信念をもってはいない」として、次のような疑問を提起している。
「アメリカの場合を考えてみよう。アメリカ政府が世界経済の多くの分野で最大の影響力を行使する権力であること、また、アメリカ政府がアメリカ国家の正当な代表だということについては、大方の異論はないだろう。だが、そもそも国家とは何か、わたしたちは正確に定義できるだろうか。国家とは、土地を指すのだろうか。資本の投資先で決まるのだろうか、それとも公けの領土内に居住する人民のことをいうのだろうか、アメリカの企業が他国に所有する工場、アメリカ市民が海外に持つ資産は国家外のものだろうか。これらは、アメリカの対外投資ストックとして統計上計算され、アメリカ政府がアメリカ国家を代弁して、それに対して何らかの権利を主張する資産ではないだろうか。」(スーザン・ストレンジ『国際政治経済学入門』、西川潤、佐藤元彦訳、東洋経済新報社、三三五ページ)
地理的な意味での領土によって国境の内外を区別する伝統的な国家の領域定義は、成り立たない。他国の領土内であっても、自国籍の住民や企業の財産の接収を行う例もあるし、海外企業の収益は企業の母国の国際収支に反映される。さらに、ストレンジは、従来のように製造業ばかりでなく、銀行、保険、広告、映画、コンサルティングなどのサービス業が国際化すると、より一層国家の範囲は暖昧になると指摘している。個人に即しても、権利義務関係がその個人の居住によって発生する場合と、国籍によって発生する場合があり、個人と国家の関係も一義的ではない。
ストレンジは、こうした国際関係の枠組みの構造的な転換に際して、新たな枠組みとして、従来のようなある国家が他の国家に対して影響力を行使してなんらかの行動を起こさせるといった「関係的権力」観に代えて、「どのように物事が行われるべきかを決める権力、すなわち国家、国家相互、または国家と人民、国家と企業等の関係を決める枠組みを形づくる権力」として「構造的権力」という概念を提起して、この構造的権力を規定する四つの源泉として、金融、生産、安全保障そして知識を挙げている。実証主義や新古典派の国際経済モデルとは明確に異なるアプローチだが、同時にマルクス主義のように生産を「土台」とする考えたかも否定して、右の四つの源泉の相互依存構造を重視する。こうしたアプローチが、伝統的な政治学や経済学のアプローチにくらべてずっと有効な枠組みであることは明らかである。特に国際的な政治経済的な構造をマクロレベルで捉えようとする場合に参考になる方法であることは間違いない。しかし、この方法の決定的な限界は、人間を扱えないということなのだ。カネとモノをめぐる国際的な構造は把握できても、人を巡る国際関係がトータルに把握できない。
では、伝統的なマルクス主義のように生産に依拠し、そこでの労働者に注目した分析であればこうした限界を補えるだろうか。ところが必ずしもそうとはいえない。その理由は、国際関係のなかで〈労働力〉は極めて多様になっているだけではなく、いわゆる狭義の意味での労働者——工場労働者や農民、あるいはそれに準ずる生産的な労働者——に着目したのでは不十分な事態が幾つか存在するからである。サスキア・サッセンのいまや古典的といっていい国際労働力移動に関する研究において、七○年代以降の中心部資本主義の脱工業化=サービス化に伴って、「極めて高所得の専門的・技術的な職種を生み出しているこの部門〔サービス部門〕は、同時にまた、ほとんど技能的熟練や言語能力を要求されず、労働組合組織化の歴史などもたないような低賃金職種をかなり大量に作り出している」(「労働と資本の国際移動」森田桐郎ほか訳、岩波書店、一八二ページ)と指摘した。これこそが、低賃金の移民〈労働力〉を吸収できる中心部資本主義の労働市場の特徴だった。サッセンは、高所得者の都市型の生活様式を支える広範囲なサービス労働への需要が増大するとして次のように指摘している。
「特別料理やグルメ料理の準備、装飾品、豪華な衣料、その他個人用特種仕様の商品の生産、清掃・修理・使い走りといったさまざまな種類のサービス等々。近代部門で生み出された需要は、製造業の格下げ現象とともに、非公式部門の拡大を刺激する」(同上、二一九ページ)
そしてこれとは逆に、製造業は国際分業によって国外に移転され、周辺部の新興資本主義諸国の工業化が促された。
では、第三世界の工業化といわゆる近代化は、一九世紀的な近代的な労働者層を形成したと見られがちであるが、実はそれだけではない。このことは、八○年代に盛り上がった従来の独裁政権に対する「民主化」運動の広範な盛りあがりを支えた大衆運動の基層がいわゆる労働者階級として集約できない性質を持っている点に端的に示されている。このことに着目した藤原帰一は、これを第三世界における市民社会の成立であると指摘した。
「それは権力は社会に対して責任を負うべきであるという主張と、国家に対抗する「国民」の社会連帯に支えられた、新しい社会意識の誕生であり、その社会を基盤として新しい政治権力を構成せよ、という要求であった」(「工業化と政治変動」坂本義和編『世界政治の構造変動」第三巻所収、岩波書店、一七ページ)
藤原はこうした民主化の主体を伝統的な労働者階級とかプロレタリアートといったカテゴリーで説明することもできなければ先進国に見出されるような環境、差別などの運動課題をになう新しい社会運動ということもできないという。民主化の主体を最もよく説明できる要素として彼は、サービスセクターの肥大化と大衆消費市場の形成を前提として成立した「消費過程の決定する帰属意識」としての「ミドルクラス」であるという。これは、伝統的な中産階級ではない。実際はきわめて低い所得水準であるにもかかわらず、外国製のテレビ番組やポップス、マクドナルドやコークなどの消費財によってライフスタイルのアイデンティティが形成されている大衆の意識を指している。この「絶対多数を占めながら政治的には組織きれない集団」の形成、これが前衛なき大衆運動としての民主化運動を支えた層であるというのである。藤原は、この無定型な消費者としての大衆が民主化運動を経由して結果的にゆきつくのが「国民」としてのアイデンティティの形成であるとも指摘している。これは、中心部資本主義がたどった、民主主義による政治的権力の正当化とそれに基づく国家による社会への統制というシナリオの再現である。藤原は、だからこそ実は「民主化」以降の課題として「民主制を民主化する展望はどこにあるのだろうか」という問いをなげかけることになる。
大衆運動の意識的な共同性を生産ではなく消費に置きなおして見直すということは、非常に重要な観点である。消費とは、いいかえれば日常生活であり、この生活を労働や生産に支配された世界であるとみなすのではなく、労働と生産をあくまでも生活の手段として、目標におかれる状況を消費生活とよびうるある種のライフスタイルにあるということは、行動様式と意識を理解する上で、もはや欠くことのできない条件になっている。こうした消費様式に基づくある種の一体性をもたらしたのは、中心部資本主義とその多国籍資本が生み出す国際的な商品群であり、マスメディアによる消費生活に対する「国際標準」の普及だったといっていいかもしれない。しかし、これは文字どおりのコスモポリタン的な消費様式を意味しない。むしろ多国籍資本が供給する商品はそれぞれの地域に独特な方法で吸収されて、大衆文化として根付いてゆく。マクドナルドもコーラも、あるいはロックやポップスのような音楽やジーンズなどのファッションの消費の意味と様式は、ニューヨークと北京では同じではあり得ないのだ。これは、理解不能の異文化ではないが、かといって一次元的な文化支配ともいえない。中心部の資本主義諸国に移動した移民は、この微妙な差異を踏み台として、支配的な文化を掘り崩す主体となった。多文化主義が支配的な文化にとって脅威なのは、移民たちが支配的な文化を自分の伝統や民族文化に接合しながら換骨奪胎する方法に長けているからなのだ。
難民から見える国境の揺らぎ
たとえば、難民の場合のように、帰属すべき国家ももたず、また日常生活の空間を日々安定的に再生産できない人々の場合には、右に見たような枠組みの新たな試みにおいてもなお捉えきれない側面を持つ。
今年一月に出された日本語版の『世界難民白書』(国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、読売新聞社刊)は、幾つかの興味深い分析を提示しているのだが、この白書を手がかりに「難民」というカテゴリーが私たちにつきつける世界システムの諸矛盾について述べてみよう。
白書の統計によると、難民の数は、一九九五年で一四四〇万人。一九九三年の一八二〇万人から年々減少している。しかし十年前の八五年には一〇五〇万人、さらにその十年前の七五年には二四〇万人であったことを考えれば、この二〇年間に一千万人以上の新たな難民が生み出されたことになる。ここ数年難民の数が減少しているが国境は越えていない国内難民と、国外から帰国した元難民、国外に出たものの難民認定を受けられない人々などUNHCRが対象とする人々の数でみると、一九九一年に一七〇〇万人、一九九三年に二三〇〇万人、一九九五年に二七〇〇万人と逆に膨大な数に膨れ上がってきている。言い換えると、少なくとも難民条約で定義された難民には当てはまらないが、しかし国際機関の援助が必要と認めざるをえない新たなカテゴリーの難民がここ数年で急増しているのである。
東西冷戦が局地紛争をもたらし、難民を生み出すという戦後の国際政治の定式が崩れ、それにともなって難民問題も解決に向かうという楽観論は今はない。白書は、カンボジア、モザンビーク、エルサルバドルなどの「和平」を成功例としてあげながらも、これらは「例外」だと指摘している。そして他方で、国外難民の減少が難民そのものの減少に結びつかず、むしろ国内難民などを増大させているというのはどのような事情によるのか。たとえば、ベトナム難民の場合、百万人以上が合衆国、カナダ、オーストラリアなどに定住している。これは一九七九年の第三国定住の決定に伴う措置だといわれている。この決定には政治的な側面と東南アジア諸国の利害が絡んでいる。つまり、社会主義ベトナムから脱出するボートピープルは、社会主義の破綻を印象づける格好のプロパガンダとして利用された。見方を変えれぱ、これは合衆国がベトナム戦争敗北後に仕掛けた第二次ベトナム情報戦争とでも言いうる性質のものだった。このボートピープルは、当初ベトナムに隣接する諸国からは上陸を拒否され、悲惨な漂流をつづけなければならなかった。こうした事態にたいして、「いずれ第三国に定住するもので、彼らが必要とするのは一時的庇護であるという保障を東南アジアの各国政府に与えた」(同上白書八九ページ)のである。そして難民を定期的に受け入れている十ヶ国余りの国へと移送されていった。
こうした第三国への定住政策は、受け入れ国の政策の転換によって、大きく変化しはじめる。もはや難民を〈労働力〉としても吸収しきれなくなるや、難民問題の解決は第三国への定住によるのではなく、むしろ難民の出身国において解決すべきであるという主張が有力になってくる。つまり、そもそも難民を生み出す原因となったのは難民の出身国側にあるのだから、出身国が責任を持って難民問題を解決すべきであるというわけである。白書は、「第三国への定住あるいは庇護国での定住が難民にとって好ましい解決とされた時代には、出身国はおおむね無視された。しかし、国際社会が自主帰還をもっとも重視するようになった現在、これが通用しなくなったのである」(四四ページ)と述べている。第三国定住としてベトナム難民の受け入れが初期の段階で進められる一方で、ベトナムに対する貿易、援助、外交の制限が徐々に撤廃されて、国際的な政治・経済システムに再統合されるにつれて、難民の国外流出が規制されるようになる。
こうした出身国への帰還策は、難民問題の解決であるとみなすことがはたしてできるのだろうか。日本企業に限ってみても、ベトナムへの投資は九〇年代に入ってからのものが大半である。ベトナムを市場とし、また現地で〈労働力〉となる人々を雇用する企業や、こうした企業活動によって経済開発を押し進めようとする側にとって難民とは、貴重な「人的資源」であると同時に国内労働力市場の供給圧力源でもあるのであって、容易に国外流出をみとめてよいものではないだろう。ベトナムの政治的な意味が転換し、国際市場に統合されつつある以上、「人的資源」の確保が第一の課題となる。これに政治体制の民主化の傾向が国際機関の強制——カンボジアのPKO、湾岸戦争などに典型的な「民主化」の外からの強制——によってもちこまれれば、さしあたり難民を生み出す客観的な条件は解決されるようにみえる。難民とみなされた人々は今度は国内に滞留する大量の過剰人口、失業者というカテゴリーを与えられる。これは、問題の解決ではなく資本主義的なシステムへの統合の完成を意味するに過ぎない。
人口の国外流出の阻止が経済開発と接合するというケースばかりではなく、むしろより深刻な内戦状態の継続の中に押し止められるケースもある。旧ユーゴからの難民の場合一九九五年現在で約七○万人がヨーロッパ圏、主としてドイツに滞在している。ドイツはこれ以外に、八八年から九三年にかけて旧ソ連、ポーランド、ルーマニアなどの一四○万人のドイツ系住民の入国を許可している。こうした近隣諸国からの人口流入にたいして、ネオ・ナチによる排斥運動が激化したことなどを理由にドイツ憲法が改正されて新たな庇護希望者を阻止しはじめた。こうして、九四年には、ポーランド、チェコ、オーストリアからのドイツ入国希望者のうち三万七〇〇〇人が拒否され、さらに一五〇〇〇人がドイツ国境で捕らえられ送還された。(同上白書、一九五ページ)
白書は、こうした難民締めだしの傾向が先進諸国の共通の政策となりつつあることについて、次のように批判している。
「近年では、多くの国が難民問題にうんざりし、大量の避難民を無制限に受け入れる用意はないと公言してはばからなくなってきた。これまでにもたびたび、アフガニスタン、アゼルバイジャン、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ブルンジ、カンボジア、イラクなど、紛争で被害をうけた国々から庇護希望者に対して、近隣諸国が保護を与えるのを拒んで国境を閉鎖したり、閉め出しを表明している。先進工業国の政府は、庇護国に向かう庇護希望者を阻んだり、ビザ資格を厳しくしたり、搭乗前の乗客チェックを導入して、出身国や中継国にまでその入国管理権をおよぼすといった方法で、同じ対応をより巧妙なやり方でしようとする傾向にある」(五〇ページ)
この比較的率直な批判にもかかわらず、白書の立場は必ずしも明確ではない。なぜならば、ベトナムのケースでもみられたように、UNHCRは出身国への自主帰還と出身国の責任の明確化——難民発生の予防措置——を新たな方針として打ち出すことを肯定しているからである。こうした新たな方針が、一方で右のような批判にあるような問題を抱え、同時に強制送還されたり、国境で入国を拒否された人々が、正当な人権も保障されずに、難民庇護の政策も意図ももたない諸国を流浪するという、特に旧東ヨーロッパにみられる現象を引き起こしていることを自覚しながらも、結果的には先進諸国の締め出し政策を正当化する理屈をつけようとしてるという点は否めない。
このように、難民は政治的に形成されるものであり、かなりの部分がその庇護国であると同時に資本主義世界システムの中心国でもある欧米諸国の国内政策と対外政策によって形成されるものであることは明らかである。難民出身国が世界市場に統合可能であれば、〈労働力〉としての帰還政策をとる。庇護国の国内労働市場のうち、とりわけ下層労働者の市場の需給関係が逼迫していれば、新たなく労働力〉を受け入れようとする。中心国の労働市場が弛緩して、失業率が高くなれば外部からの追加〈労働力〉の調達にはブレーキがかかり、難民流入が阻止される。
難民問題が、人権問題として捉えられてきたのも、普遍的な人間の権利保障に対する確固たる価値判断に基づいているわけではない。国際的な人権擁護団体やNGOによる運動の意義を否定するつもりはないが、これらの組織の要求を受け入れる政府側の裁量を左右する要素は、そうしたナイーブな権利問題ではなく、〈難民〉というカテゴリーを国際政治のヘゲモニー構造で掛け金として利用できるというクールな政治的な計算があることを忘れてはならないだろう。〈難民〉は、〈労働力〉でもあり、また、難民を生み出した国やその周辺諸国の政治的不安定の象徴として、こうした国際的な不安定を生み出す諸国への介入を正当化しうる象徴的な現象として利用できるものなのである。
白書が国連の平和維持活動について多くのページを割いているのも、こうした自主帰還と難民発生地域への難民の囲い込みという資本主義中心国の利害とおおきく絡んでいる。つまり、紛争を国際的な軍事力で押さえ込み、政治的軍事的な安定を強制的に創出するという作業を通じて、紛争地域を世界市場に接合するという戦略である。戦場は市場にはならない。求められているのは、資本にとっての、市場のための平和でしかない。
こうしてみると、国民国家の枠組みは二極分解しつつあることがわかる。一方で、中心部資本主義諸国は、EUなどの広域権力構造の創出も含めて、非ヨーロッパ圏に対して、域内の権力構造をますます強固に打ち固めて、外部からの干渉、とりわけ大衆的な人口移動による干渉と摩擦を徹底して排除しようとしているということである。これは、モダニズムの国民国家の枠組みのある種の脱構築ではあっても、解体とは言いがたい。これに対して、UNHCRやPKFなどの国際組織、あるいは多国籍軍などによって主権を制約される第三世界の諸国が増えている。UNHCRは、難民発生地域の国家にたいして、内政干渉はしないという方針を長年とってきた。つまり、難民発生の原因は問わない、発生した難民に対処するという方針だった。白書はこうした方針を転換して、明確に主権への干渉を行わざるをえないことを示唆している。合衆国のいわゆる「人権外交」もふくめ、国家の枠組みは中心部諸国によって掘り崩されつつあるといっていい。しかしまたこうした地域の国家は、国内難民によっても逆の方向から推し進められることを軽視してはならないだろう。
難民は、自国政府や国際的な政治環境などによって翻弄される存在であるだけではない。難民という現象で現れる彼らの移動には、幾つかの重要な彼ら自身によるメッセージが含まれている。たとえば、ドイッヘの入国を拒否された数十万の難民は、チェコ、ポーランド、スロバキアなどに滞在しているとみられているが、彼らはこれらの諸国で難民としての地位申請をほとんど出していない。彼らの大半は明確に西ヨーロッパを目指している。この行動を西ヨーロッパの資本主義中心諸国はいままで崩壊した社会主義の証明として大々的に宣伝してきた。しかし、社会主義の崩壊とともに、資本主義のサブシステムにますます強固に組み込まれたこれら周辺、準周辺地域が難民にとって定住の地とはみなされないのはなぜか。なぜ西ヨーロッパを目指すのか。それは、どのような動機によるのか、宗教的あるいは民族的な動機か。いやそうではないだろう。彼らの多くが目指しているのは、消費生活のアイデンティティなのではないだろうか。それを中心国の政府やメディアは「経済難民」といったレッテルによって人権侵害を被る難民と区別してさもしいカネ目当てのいかがわしい人々であるといった印象を与えようとしている。しかしこれは、人権という概念には自由権と平等権、そして貧困から解放された生活の権利が含まれているという中心国の「常識」を「難民」などあらたに流入してくる人々に適用することを極力排除しようとすることを正当化するなんら合理的な根拠にはなっていない。先にも述べたように、中心諸国が抱え込んでいる生活様式は、世界規模のマスメディアと多国籍資本による広告によってあまねく情報として共有されている「実現されるべき標準的な生活様式」になっている。しかし、これらの世界標準の生活様式にアクセスする新たな移民、難民達は、支配的な生活をかれらなりの方法で組み替えてしまう。その主体的な文化の脱構築こそが、西欧の支配的な文化にとって大きな脅威なのだ。コークとマクドナルド、衛星放送のテレビと自家用車…これらへのアクセスが最も容易な地域へと人々が移動することに対して、中心諸国に住む私たちにはこれを拒否できる権利は何一つないだけでなく、それらに新たな文化的な意味を与える権利を彼らから奪う権利を誰も持ちはしない。
資本主義の世界システムが構造的な転換を経験しているとしても、しかし他方で、地球規模での人、モノ、カネを動かしているシステムの基本が「資本主義」であるという点から見た場合、やはりそこには、資本主義としての基本的な構造の再生産がみいだされなければならない。資本主義の基本的な構造は、資本の価値増殖である。価値増殖は、剰余を資本とよばれる組織体が取得するシステムである。剰余は、様々な場面で人間の諸活動が生み出す「自己にとっての必要を越える部分」の総称である。この意味で、剰余形成は、人間の基本的な能力といっていい。むしろ人間が社会を形成する際の前提条件である。どのような原始的な社会であっても、この剰余形成能力を土台として社会システムが形成されている。社会システムの差異を生み出しているのは、この剰余の処分がどのようになされ、剰余に対して各社会がどのような意味を与えているのか、剰余の処理のシステムがどのようになっているのかにかかっている。
たとえば、食事を作るときに、自分が食べる分以上の料理を作れば、この余りは「剰余」である。この余りの部分は、一見無駄のようにみえるが、この自分にとっての余りを必要とする他者がいる場合には、自分にとっての剰余はこの他者にとっての必要ということになる。社会全体のシステムはもっと複雑である。料理を繰り返し作るためには、その原材料や調理器具が必要であり、また料理を生産する人が日常生活を維持するためには食事以外に様々な衣食住の「必要」を満たさねばならない。
資本主義のシステムは右のような複雑な「必要」の条件を満たしつつ、資本が主として剰余の配分にあずかるシステムである。ところが、資本は、投資と利潤の取得という市場システムの世界でその剰余の取得を実現してゆくから、剰余を貨幣に転換するシステムが必要である。これを可能にしているのが、剰余形成能力を有する人間の能力を〈労働力〉として商品化するシステムである。〈労働力〉は、商品を生産するというだけでなく、モノに商品としての社会的な性格を与える媒体でもあるのだ。
中心部と周辺部、あるいはその両者の中間に準周辺部とよびうる中間領域を想定してもかまわないが、この世界システムが基本的に有する機能は、剰余の周辺から中心への吸収システムである。この剰余の吸収、移転を可能にしているのは、一方で、周辺部における必要と剰余の配分システムが、市場経済のシステムに接合されたときに、単一の市場経済システムに接合されるのではなく、複合的で階層化された市場経済システムに組み込まれるからなのである。
人間が形成できる剰余には、技術的な条件にそれほど差がなければ何十倍もの差はつかない。たとえば、同じ調理器具を用いて同じ時間に作り出せる料理の量は、周辺部資本主義諸国であれ先進国であれ大差はない。しかし、これが市場経済に接合され、その剰余が貨幣評価されると、剰余評価は何十倍もの差異を形成する。このことを可能にしているのは、国際的には相互に密接不可分な構造を構成しながらも、国民国家の枠をさしあたりの境界とする市場経済が、異なる価格体系を持つ複数の市場を維持しているからである。この国民経済の相互関係は、必要と剰余の配分システムにおいて、国際的なヒエラルキーを構成している。あるいは、先進諸国の国内通貨に換算された賃金水準のヒエラルキーとして構成されているとみてもいい。たとえば、A国通貨で評価されたB、C国の賃金水準が、A国を一〇〇として次のようであったとする。(単純な例なので複雑な条件を無視している)
A国 一〇〇
B国 七〇
C国 四〇
A国の国内であれば剰余に算入できなかった部分が、B国では三〇、C国では六〇も剰余として算入可能になる。この追加的な剰余は、もし、A、B、Cの各国の消費者の実質的な消費生活水準が同等で、なおかつ各国通貨がA国通貨で評価されたときに、全て一〇〇となる場合には起こりえない差異である。この構造的な市場のヒエラルキーがあるために、特別な剰余を中心国の市場に保証することになる。
この点を説明する仮説として、ウォーラーステインによる資本主義理解が手がかりになるかもしれない。彼は、資本主義とは資本による最大限の剰余取得のシステムであるという観点から、世界資本主義システムを単一の剰余生産と移転のシステムとみる。周辺部資本主義は、伝統的な共同体社会を残存させることによって、生活の必要をこれら共同体による非市場経済的な部分にまかなわせることによって、〈労働力〉の価値を低下させて最大限に剰余を取得するシステムを構築するという。逆に、中心部の労働者は、生活の全てを市場経済に依存するために、〈労働力〉の価値が上昇し、剰余取得の条件は必ずしもよくない。周辺部の剰余は中心部へ吸収され、中心部の労使によって再分配される。日本でも、農村部に立地した工場が、兼業農家の低賃金〈労働力〉や女性の若年〈労働力〉やパート労働を利用するという資本のビヘイビァが見られる一方で、〈労働力〉の都市への移動がみられた。このように、国内であれ国家間であれ、剰余の移転の構造を背景として、労働者がより高い〈労働力〉を実現しようとして移動する〈労働力〉の売り手に普遍的な対応があるのだ。
人口移動と剰余搾取の拒否
これは、より大きな剰余の搾取を拒否する人々の当然の行動である。農村部から都市部へ、あるいは高賃金の地域へと移動する人々の行動は、ある種の賃上げ行動である。国境を越えようとする難民の行動は、剰余と必要の分配率——マルクスの言う剰余価値率——をめぐる捨て身の闘いでもあるのだ。これに対して、国境を閉ざして吸収した剰余を域内で分配する国民国家のシステムは、あきらかにこうした難民や国境をこえる人口に敵対する階級的な利害と結びついている。
資本の剰余の形成とは、他方で、〈労働力〉に配当される必要の形成と対をなす。しかし、この「必要」の部分は、賃金と一致しない。賃金は〈労働力〉の必要を支えるために市場で調達される消費財の購入ファンドにすぎない。むしろ「必要」の実態は、この消費財を含めて、人々が営む日常生活や資本との雇用関係の外部で形成される労働の部分に依存している。農村部のように、自給自足的な経済システムが残存していたり、都市部でも血縁関係やコミュニティ、あるいは宗教組織による相互扶助関係が存在するところでは、生活に必要なサービスや財の調達の一部、あるいは教育や福祉などのサービスの一部をこれらの部分に依存させて、賃金コストを引き下げ、「必要」への配当を引き下げる。必要の部分を市場経済の外部に排除することによって、剰余を確保しようとするわけだ。この意味で、実は資本主義経済のシステムは、常に非市場経済的な労働関係をその外部に抱えながら、それを市場に接合することが不可欠の条件となる。
剰余への配分のシステムは、構造的なものであって、個々の労働者単位でこの問題を捉えることはできない。マルクスの表現をかりれば、個別の労働が個別に生み出す剰余と必要の問題ではなく、結合労働による剰余と必要の構造的な創出の問題である。しかし、これは、資本に即して見た場合であり、これに対して、労働者の側の対応は、多様である。労働者とは、単に搾取され、抑圧され、一つの「階級」に集約できる共通の経済的な利害をもった社会集団としての階級ではない。中心部の賃金労働者と周辺部の賃金労働者、男性の労働者と女性の労働者、支配的な民族の労働者と少数民族の労働者など、その多様な組み合わせによって、その利害も対立する。中心部諸国の男性労働者の一部は、レーニンが「労働貴族」と述べたような周辺部から移転してきた剰余の再配分の一部を賃金として配当されているといえるかもしれない。こうした人々は、地理的ないみでの周辺だけでなくジェンダーやエスニシティにおける周辺——すなわち、女性や少数民族——からも剰余の再配分を受け取っている可能性がある.
難民流出地域など、不安定地域にたいして、ベトナムや中国に典型的なように、世界市場への接合・統合を促し、西側多国籍資本の投資を拡大し、資本主義としてのインフラ整備を進めることは、右にみた難民締めだしに象徴される国際的な〈労働力〉移動の阻止と表裏の関係にある。市場経済化と外国資本の受け入れ、流出国内での「人的資源」の再活用の 見返りとして、中心部諸国は政治的安定を促す国際的な援助を与える。中国のように人権侵害問題が必ずしも解決していないばあいでも、開放政策をとる限りは人権問題は後景に退く。これは、合衆国が中南米に対して繰り返し採用してきた政策だった。
国境を越える資本は国家を超えるわけではない
ウォーラーステインが資本主義世界システムという概念を提起したとき、二つの重要な問題を指摘していた。一つは、このシステムの基本が剰余形成システム=資本蓄積の構造であるということと、それが中心、準周辺、周辺という三層構造を通じて、中心部資本主義が剰余を吸収するシステムであるということである。これらの点については、既に私が述べた議論とも重なるし、異論はない。また、〈労働力〉の商品化を非常に狭く定義して、賃金所得のみで生活を維持している中心部資本主義の都市部労働者を想定するのではなく、貨幣的な所得を生活維持に不可欠とするあらゆる種類の人々を含むべきであるということについても、基本的に異論はない。しかし、ウォーラーステインは、国家を越える資本の側面を、国家と資本の対立的な局面として捉える傾向がつよい。彼は、経済と国家組織の間の矛盾を、「経済は何よりも〈世界〉構造であるが、政治活動は、何よりもまず、経済の領域より狭い領域をもつ国家構造体の内部で、またそれを通じて行われる。」(『資本主義世界経済』第二巻、日南田静境監訳、名古屋大学出版会、一五二ページ)と指摘している。経済は世界規模で展開されるにもかかわらず、国家は特定の領域に限定されているという地理的な両者の活動領域の差に注目しているのだが、これはあまりにも自然空間としての地理空間に捕らわれすぎた理解である。
「国家機構は、資本主義の初期以来世界市場の機能に干渉してきた。さらに国家は、他の国家との相互関係の中で自己を形成し自己を軍事化し、こうして剰余価値の分け前を自己に導入してきた。その結果、あらゆる国家構造体は時とともに絶対的にはますます強くなった。——もっとも中核と周辺地域の相対的な差は不変または拡大されさえしたのだが。この国家機構の着実な拡張は、時に官僚制化と呼ばれ時に国家資本主義の興隆と呼ばれるものである。しかしながら、国家機構がこうなっても、いかに強力な国家の国境であろうとそこを乗り越え、そして生産の社会的優位をふたたび政治秩序のうちに取り込もうとする根源的な政治作用に対して、あくまでもそれに抗する世界経済を維持してゆく構造的な力をもつ経済と、国家組織との間の矛盾の本質は、変わらない。つまり、資本主義はさらに生きのびるのだ」(同上、一五四ぺージ)
国家は、剰余価値の分け前を自己の領域内に呼び込むという点では資本の利害と一致する。資本がこの国家の国境をこえて国際化するという側面をウォーラーステインは、国家とは矛盾する資本の側面と捉える傾向がある。しかし、むしろこうした国境をこえる資本は、国家が地理的な領域に縛られるのに対して、むしろそうした国家的な束縛を解除して、国家の領域内部へと剰余を誘い込む回路を形成するものであって、両者の間には矛盾はない。むしろ資本は、福祉や社会保障、経済的なインフラストラクチャー、教育サービスや住民管理そして警察や軍隊などの物理的権力と司法などの法的権力によって支えられなければならない。
これは、国境を越えた資本が現地政府に要求する条件でもある。この意味で、資本は国境を越えはするが、国家の機能領域を吸収したり、それを超えた存在になりうるわけではない。市場での経済活動の前提になる政治権力は不可欠なのである。こうした資本にとって問題なのは、こうした政治的な権力として国民国家の枠組みが右に見たように様々にゆらぎ、自らが生み出した消費社会の神話が大衆的な消費者のアイデンティティとなって、人口の移動と「より豊かな生活」を要求する大衆的な運動を生み出してしまったということである。こうしたエネルギーは、国境の内部に押し止められようとも、あるいはそこから越境する流れとなろうとも、どちらにせよ、政党や政治勢力、あるいはコーポラティズムに統合されるさまざまな組織では囲い込めない新たなカオスである。実は、「難民」に象徴させたこうした存在は、文字通りの「難民」ばかりでなく多様な姿で都市の消費社会のとりわけ下層部分の大衆の意識下に潜んでいるといえるかもしれない。それは、ほんのちょっとした経済的社会的な条件の変化によって大衆的な意識へと噴出するかもしれない。このようにして自覚化された意識は決してそれ自体が革命的なわけではない。強固なナショナリズムは排外主義に回収されることもありえる両刃の剣である。しかし、また、それは、いかなる民族的ルーツにも解消できない多文化主義そのものに基づく新たな文化的な価値の形成を促す可能性も秘めている。そうした新たな価値の基盤を準備したのが多国籍資本の消費財とサービス、情報であった。しかし他方で、それらによる文化のグローバル化が進めば進むほど、むしろ逆にこの国際標準からずれる自分自身の日常生活や文化的価値もまた自覚化されるようになる。このグローバルな文化価値と地域文化やエスニシティとしての固有性の二つの極を中心とする多様な楕円のなかに、二一世紀の資本主義とその変革をになう大衆的な主体の形成のための貴重な示唆を見出す作業が私たちには残されていると思うのである。
出典:『インパクション』96号、1996年