(LeftEast)時機を失した思想。革命とウクライナに関するノート


(訳者前書き) ここに訳出したのは、ウクライナ出身のコミュニスト、アンドリューがLeftEastに寄せたエッセイである。彼は、ウクライナ東部ハルキウ出身で、ハルキウの大半の家庭同様、ロシア語を家族のなかでは話す環境で育ったと、別のインタビューで語っている。ハルキウの住民の大半はロシア語話者だが、だからといってロシア支持だということではないとも語っている。

彼のこのエッセイを読んで、そのスタンスは、私とかなり近いと感じたので、訳そうと思った。私のブログで「いかなる理由があろうとも武器をとらない」と書いたときに、念頭にあったのは、左翼のなかでの、ロシアの侵略に対して武装抵抗することの必要性を主張する議論への違和感があったからだ。現実にウクライナでロシア軍に対して左翼が武装抵抗を選択したとすれば、効果的に遂行するためには、ウクライナ軍やNATOからの軍事支援を否定することは極めて困難だろうと私は判断したが、それだけでなく、日本国内の反応がとても気になった。ウクライナが侵略される状況を目の当たりにして、護憲平和主義を主張してきた人々のなかにかなりの動揺があり、自衛隊や自衛のための武力は容認するが先制攻撃には反対といった、ほとんど無意味な平和主義がむしろ主流を占めてしまったことへの危機感が強かった。これまで私はいわゆる平和主義を主張したことはなかったし、武装抵抗の意義をむしろ肯定する考えを書いてきたこともあったが、今、私は武器を革命の手段として用いることは間違っているとはっきり主張するようになった。アンドリューが武装闘争一般を否定しているのかどうかは不明だが、ウクライナの戦争についてははっきりと、武力は選択肢にならないと主張している。

アンドリューはウクライナで戦争に加担することが、ナショナリズムの構築に加担することにしかならず、それが国民国家の形成を過渡期としてコミュニズムへと至るといった、一昔前の社会主義革命の教科書のような筋書はありえないということをはっきりと断言している。私もそう思う。戦争は、むしろナショナリズムを構築する主要な契機となることは、日本近代の歴史をみれは明らかだと思う。実際には、ナショナリズムが戦争を媒介に作り上げられるにもかかわらず、権力者は、あたかもナショナリズムが戦争前から、いわば「自然」なものとして存在していたかのような虚構をメディア、アカデミズム、教育などを通じて浸透させる。今ウクライナで目撃しているのはこうした事態ではないかと思う。

マルクス主義のなかでは、一国主義か国際主義internationalismかという問題のたてかたが便宜的になされることがあるが、これでは、internationalismがnationalismを基礎とした間ナショナリズム、inter-nationalismとしての国際主義にしかならず、ナショナリズムを払拭できない。植民地からの解放=国民国家の形成という20世紀の解放の道程は、歴史的意義を認めるとしても、それが、最適な解放への道にはならずに、グローバルな国民国家のヘゲモニー構造に組み込まれ、かつ、武力紛争など生存の危機を常に被る結果になった、というのが20世紀の歴史的教訓であって、国民国家が平和や平等な統治機構のモデルにならないことは、この数世紀の人類史が証明してきたことだ。かといって、コスモポリタニズムは、えてして人々が暮すミクロな社会圏の多様性を無視することになりかねない。アンドリューは、最小の抵抗を重視している。これは重要なことであり、人々が一人であれ少数であれ、「党」や全国的な組織に依存することなく抵抗の主体になりうる潜勢力の具体的な姿でもある。

「戦争のない国」といった語義矛盾――戦争を予定しない国家は存在しない――に気づかない護憲の主張が日本では余りにも多すぎると感じてきた。アンドリューはウクライナのナショナリズムを軽視すべきではないと警告している。この警告は、対岸の問題ではない。先ごろ捕虜交換で釈放されたアゾフ大隊のメンバーは、ウクライナで賞賛されているだけではなく、これまでアゾフを極右人種差別主義とみなしてきたニューヨークタイムズがアゾフ大隊を賛美するかのような記事を掲載するまでになってしまった。極右が英雄となる事態は、もちろん、ロシアでも起きてきたことであって、このウクライナの戦争は、どちらが勝っても負けても、戦士は英雄とされ、戦争に抵抗した人々は過酷な弾圧や精神的物質的な制裁を課されることは目にみえている。

彼は、自分の問題提起がなかなか受けいれられないかもしれないという予感をもって書いているように思える。ウクライナでは公的な政治の世界に左翼が占めうる余地が極めて小さい。逆に、そうだからこそ、現実主義的な妥協を批判する余地があるともいえる。彼は左翼のなかにある曖昧な態度を「柔軟剤」にたとえ、ロシアあるいはNATOに寛容になりがちな左翼を批判し、原則的な視点を提起する。逆に、日本のように、革新政党が国会に議席をもち、憲法幻想が強固な国では、ナショナリズムを払拭することはかなり難しい。しかし、だからこそ、戦争を、ナショナリズムを否定する視点から原則を曲げないで見据える議論をすることが、日本ではより重要だと思う。この点で「国家を防衛することを拒否することから出発してのみ、戦争そのものを止めうる唯一の力を練り上げることができる」と彼が主張している点はとても大切な観点になる。

翻訳に際して、いつも迷うのだが、nationやnationalismを、可能な限りカタカナで表記したが、nation-stateは「国民国家」と訳した。nationが国家なのか国民なのか民族なのか、文脈だけでははっきりしないし、nationalismも国民主義、民族主義、国家主義のいずれかに限定することも好ましくないと思い、カナカナ表記あるいは言語を括弧で補った。また。左翼を大文字で表記している場合があり、これも場合によっては原語を補った。また、表題の「時機を失した思想」は、原語ではuntimely thoughtである。untimelyには、時代を先取りするといったニュアンスもる。(小倉利丸)


写真提供:Dominik Kiss(Unsplash.comより)

アンドリュー
投稿日
2022年9月18日
andrewはウクライナ出身のコミュニストで、Endnotes第一部第二部第三部参照)およびTous Dehorsに掲載された「ウクライナからの手紙」の著者である。この記事は、9月10日にWoodbine NYCで行われたプレゼンテーションに基づくものです。


戦争や危機は、正常な状態を一時停止させ、資本主義を支える苦しみと脆さの両方を想起させることで、常に革命家たちの希望をかき立ててきた。

過去の世代の重荷を取り除き、ナショナリズムの神話の力に気付くことは、私たちの時代の革命的可能性を実現するための第一歩となるだろう。エネルギー危機がもたらした長い景気後退下にある私たちの立場から、避けられない欲求不満の反乱を予期して、この歴史の謎をどのように解くことができるかを考えてみることにする。

この危機の分析を試みるには、まず、一定程度問題の枠組みを明確にする必要がある。つまり、答えることが時間の無駄になるような問題と、逆に答えることが生産的であるような問題があるのには理由があるのだ。戦争やナショナリズムに関する古いマルクス主義的な議論の周りをぐるぐる回るのではなく、それらを現在の文脈のなかで把え、過去のコミュニスト運動の失敗の余波の中で私たちの政治的景観を位置づけることによって、もっとうまく対処できるのではないか。今日、あらゆる闘争が旧来の労働者運動のレガシーとは対立しているが、コミュニストの夢の敗北が具体的に体現されたものとしてのソビエト後の空間は、これらの問題に正面から向き合うことを余儀なくさせている。探求の形式を正当化するなかで、私たちは必然的に歴史的内容とコミュニスト戦略の問題に触れることになる。

何よりもまず、「左翼Left」の統一された応答を何とかして作り出そうとする話し合いは、そもそもの出だしが間違っている。こうした地政学の平面で行動することを選ぶ代わりに、私たちの時代の意識的な革命家の弱点を認識することができれば、今日の革命の展望を問い直すことができるだろう。自然発生的な行動の重要性を理解すれば、前衛主義的な幻想を捨て去ることができるだろう。歴史的な反乱を見れば、断絶を生み出す出来事の予測不可能性と、既存の組織の「キャッチアップ」の役割が分かるはずだ。この予測不可能性は、完全な悲観主義だと誤解されてはならない。もし私たちがニヒリズムを政治的手法として採択するとすれれば、暴力の革命的潜在力を予測する方法はないとはいえ、神話の支配の循環に私たちを連れ戻すにすぎないであろう暴力を認識する簡単な方法はある、ということを見ることになろう。つまりこれは、地政学的な運命の川を操作することだけを目論むナショナリストの戦争への動員の試みと失敗に終わる暴力だということだ。法と国家に具現化された神話を自然なものとする力に反対することは、それらを歴史化しようとするコミュニストの試みであるばかりでなく、それらを排除しようとするコミュニストの意図でもある。

ウクライナ戦争をめぐる議論では、私たちが合理的な議論を考え出すことができれば直ちにあらゆる問題を解決するかのような聴衆をイメージして、政治的任務を「説得」と見なすことがあまりにも頻繁にみられるが、これは革命的プロセスの誤認を意味している。革命的な教育は、説得ではなく、アナーキーの諸勢力に味方することによって生まれる。革命的な切断は、急速に変化する条件や新たなつながりの構築を含むだけでなく、事前に予測することが不可能な新たな解決策を生み出すことも必要になる。 私たちをコミュニストにするのは、新たな革命的な組織形態の発明へと向かう開放性であって、旗やスローガンではない。そして、何らかの行動が革命的であるのは、れが他の手段への拡がりをみせ、それらに結びつくことによって解放に向かう場合だけである。

私たちは、革命の自発性と新しさの重要性を認識することによって、労働者の運動――悲しいことに、最近あまりにも多くの話し合いが泥沼化しているのだが――の神話から決別することができるかもしれない。その分裂の歴史的「教訓」を認識することは、民族自決の誤りを認識することを意味するだろう。この歴史認識は、政治的あるいはアカデミックな前衛というよそよそしい環境の中で獲得されるものではなく、私たちの惑星を覆う果てしのないこの世界の観念を具体化するガラクタの山に直面して、活気をなくした大衆運動の限界として感じられるべきものである。願わくば、この寄稿が、日常の暗闇の中で、解放への可能な道を探し出すのに役立つことを願っている。

戦争に対する私たちの立場を確立するにあたっては、国家に関するほとんどの考え方が、広範なコミュニストの伝統に由来していることを理解しなければならないだろう。レーニンと当時の社会民主主義の伝統では、政治のナショナルな形態は、その内実――産業[工業]経済――を「後進国」から「完全な先進国」へと引き上げることを可能にするというだけの理由で正当化された。今では、産業近代化はもはや革命的な地平にはなく、経済と政治はそれほど明確に分かれているようには見えないないことは、繰り返すまでもないことだと思う。何百万人もの人々が貧困と失業に陥り、残された産業基盤は、まず脱工業化によって、そして今度は戦争によって粉々にされた。ウクライナにおける資本主義の復興は、宇宙規模の搾取を伴うことになる。ウクライナ政府は、難民への援助を最小限にとどめ、住宅計画を一切実施せず、「不要不急」の予算支出を削減し、来るべき冬に「誰もが自己責任で」と警告するという道筋を嬉々として示してきた。国家の中に左翼的な政治が存在しないのだから、なおさらである。閉鎖された国境のために、国境越しに壊された何百万もの家族がいるのだが、ヨーロッパの植民地主義の犠牲者には与えられなかった優しさによって受け入れられている。自由化された難民定住制度の優しさによってもまた、彼らはジェンダー化された非正規労働の中に投げ込まれている。

ナショナルな自己決定[民族自決]を理由にウクライナ国家とNATOブロックへの降伏を正当化することは、あなたが現代の左翼Leftの影響力と、国民国家の枠内での解放政治の可能性を過大評価していることを意味するだけではない。それはまた、あなたが、愛国者たちを脱愛国化outpatriotすることを試みつつ、この存在論的なナ ショナリティの世界をよりよくマネジメントしようと夢想していることも意味している。南半球の至るところで生活費の高騰に抵抗しているプロレタリアが、ウクライナのために危機を乗り切れ、と言われるとき、防衛主義者defencistの主張は完全な思い込みの域に達している。階級的な共同作業はウクライナを越えて広がることが期待されており、「諸制度を貫く長征」はNATOにまで達するようになった。

枠組みの問題をクリアした上で、合理的な分析を行うには、「柔軟剤」を断つことが必要になる。つまり、多くの左翼出版物Leftist publicationsがこの状況の現実に直面することを避けるために用いる様々な言い訳という柔軟剤に切り込むことが必要だろう。

まず第一に、大惨事の規模を明確にするために、国際法上のニュアンスをすべて取り払い、ロシアがウクライナで大虐殺を行っているということ、このカタストロフィをきちんと記録に留めることだ。無差別の砲撃、しばしば単に民間インフラに向けられたもの、国外追放、拷問、処刑、エスニックグループ全体をナチスと結びつけて破壊しないまでも再教育の対象としている、といったことだ。現代の戦争の残虐性と破壊性の規模を理解することは、より多くの兵器が問題を解決してくれるなどという幻想を抱かないということだ。私は、ロシアのナショナリスト的な拡張の目的と手段が、すべての人にとって明確であることを願うばかりである。ロシアとベラルーシのパルチザンの行動は、その高い評価があるので、あえて正当化するような議論も必要ないから、ここでは「西側」の反戦戦略に焦点を当てたいと思う。

左翼の立場を水で薄めて、難しい選択に直面しないようにする第二の「柔軟剤」、つまり、米国、欧州連合、英国のこの戦争への関与を「間接的」に過ぎないという建前も捨てなければならないだろう。今日、ウクライナは基本的な予算と産業のニーズを欧米に依存し、「支援」のもろさを思い知らされつつ武器の輸送はほとんど「ジャストインタイム」のスケジュールで行われている。ウクライナ政府は、独自に交渉する能力がないことを何度も示し、今ではほとんど毎週、攻撃、標的、戦術がアメリカのいずれかのエージェンシーによって選択されていることを誇らしげに報告している。終わりのない戦争を支えるナショナルなアウタルキー[国家的自給自足]という幻想を抱いて延命するウクライナ国内で拡大するナショナリスト運動が、戦争推進派の西側諸派の影響力の強さと張り合っているにすぎない。

私たちは、このナショナリストの運動の神話にもっと注意を払うべきである。極右少数派がウクライナの左翼組織を完全に窒息させ、現在の秩序を脅かすような公然の取り組みを不可能にしていることに加え、主流の愛国主義も存在するのである。この10年間、ウクライナの国家建設[nation-bilding]はある種の激しさを増している。この激化は、政府のトップダウン戦略によるものではない(実際、ウクライナの大統領、閣僚、議員の多くは、もっと別の環境を望んでいる)。注意深く調べれば、権力関係のネットワークの拡がりの図式が浮かび上がってくるだろう。このネットワークは、必ずしも制度に付随しているわけではなく、学校や大学、街の広場や街頭行進、雑誌の論壇や若者のサブカルチャーなど、地域ごとに展開されることによって構成されている。このような調査を行うことは、ナショナリズムへの高い評価を真剣に受け止め、ナショナリズムの中で行動するのではなく、これを弱体化させる方法を模索することなのだ。

成長するNGOセクターによって作り上げられたユーロマイダン運動のリベラルな気取りを受け入れるのではなく、また、単に人気の世論調査を理由にその正統性を否定するのではなく、ナショナリズム運動の背後にある真の大衆的な結集を理解する必要がある。地域的な要因や出来事を単独で捉えた場合の相対的な影響の小ささを無視しなければ、私たちは、ナショナリストの主体性subjectivitiesを構築する上で互いに強めあう様々なプロセスのネットワークを理解することができるだろう。この主体化のプロセスは、完全な非政治化と同時に起こる。つまり、ウクライナでファシストやアナーキストであることは、今やフーリガンであること、サッカーの過激論者[football ultra]であることにほかならないのだ。この一見「ポスト・ポリティカル」な風景の背後に、右翼への大規模なシフトが隠されている。

この右翼へのシフトの表れの一つが、ナショナリスト的な歴史的記憶の構築であり、それは常に、ある種のナショナリスト的な未来の構築を伴っている。バンデラという英雄的シンボルの創造におけるウクライナ・ファシズムへの賞賛、高貴なコサックを原ウクライナ人とするロマン主義化、1917年の革命を永久に変ることのないウクライナに対するクーデターであり占領であると表現するような変化、ホロドモールを大衆的な革命後の産業国家の矛盾の表れではなく、ロシア人によるウクライナ人に対する大量虐殺というイメージが定着したことは、存在論的に無垢で高潔な ウクライナ人を創造するという戦略の一部として見た場合にすべて納得がいく。常にロシア人や国内の裏切り者に脅かされているだけでなく、常に西側に裏切られそうになっている危険な存在としてのウクライナ人だ。私たちにとってより重要なのは、歴史の終着点としての国民国家を仮定し、いかなる反乱も裏切り者であると貶める、つまり遺伝的にロシア的であると貶めるのが、反乱に対抗する見方なのだという点である。この神話が、春に前線と隣接する地域で行われた略奪防止の弾圧を促進し、公共生活のあらゆる領域で反逆者狩りを煽り続けている。

革命的敗北主義の課題は、ナショナリストの神話を実践的に弱体化させ、戦争と平和の二項対立を超越することである。つまり、コミュニスト運動だけが、拡大し続ける帝国戦争の敵となり、もう一つのナショナリストの動員によってではなく、まさに帝国戦争の存在条件を弱体化させることによって、帝国戦争に抵抗できるのだ。私たちは、いかなる抵抗も折り悪く非愛国的だと呼ぶのではなく、非常事態の中で不満が爆発することに期待しなければならない。しかし、アナーキーの党をコミュニストと主張するのは早計である。戦争は、神話的暴力の最大の動機であって、私たちは、現代のポグロムと普遍化するコミューンを区別できなければならない。

革命的敗北主義は、受動的プロジェクトの対極にある。つまり、国家を防衛することを拒否することから出発してのみ、戦争そのものを止めうる唯一の力を練り上げることができるのである。戦争に勝ち目がないと主張するとき、私たちは、反撃の不可能性を主張しているのではなく、通常戦の手段による解放の不可能性を主張しているのである。軍隊に参加する左翼は、徴兵制とファシストの海でばらばらになるだけでなく、その誇り高き宣言とともに、目前の問題を解決する正当な手段として軍隊と地政学的外交を支持することに手を貸すことになる。戦争の「理由」を探ろうと試みるなかで、それでもなお「自然な」ナショナリティ[nationalities]の前提に基づいて作戦行動をすることは言い訳にはならない。なぜならば、植民地主義やファシズムは、指導者を排除したり国を占領したりすることで防げるものではなく、それらが育くまれる労働、ジェンダー、人種の世界の基盤を焼き払うことで防げるということを、私たちは完全に自覚しているからだ。

これらの解明を経て、私たちが国家とナショナリズムに対する最も小さな反乱の兆候を探し、戦争の経済的影響がますます広がるなかで、国境をも越えてその伝染と拡散の可能性を理解しようとしなければならないのか、その理由が明確になる。( 必要な ) 外交的解決の可能性について議論するのは刺激的かもしれないが、アメリカの帝国戦争機械の諸派、ロシアの大量虐殺のナショナリスト運動、ウクライナ政府またはファシスト大隊、これらのなかに、私には選択できる味方はいない。金融化された軍事複合体の力の大きさと、それに関わる激昂した愛国主義的な人々の存在は、私たちがこれとは別の次元での可能性を探さなければならないということを意味している。よりマシな「左翼Left」政党に期待するのではなく、ウクライナ国内外において、個人や集団による盗みや徴兵忌避、脱走、社会の雰囲気のなかにあるあらゆる愛国的デタラメと逆らう攻撃などを促し活用することを模索すべきである。 現状維持は破局の継続であり、より良い国民国家は革命への過渡期としては機能し得ないことを認識しつつ、私たちは、直ちに約束を履行するための探求に乗り出さなければならない。この探求は困難であり、失望をもたらすことを覚悟しなければならないが、これは必要なことなのである。

(LeftEast)「戦争前に持っていた市民的、政治的、社会的権利を損なうことなく回復することが最低限の課題です」Serhii Guzへのインタビュー

(訳者前書き) 以下は、LEFTEASTに掲載されたインタビューの翻訳です。「正義の戦争」を遂行する政府は、あらゆる意味で正義の体現者であると誤解されがちです。しかし、戦争は、「正義の戦争」の側にも深刻な権利の後退をもたらすことは、これまでも知られていました。現実に起きていることは、「正義の戦争」に勝利するためには、戦争を遂行する上で最適な統治を実践しなければならない、ということです。そしてこの最適な統治は、民主主義よりも権威主義であったり、異論を排除し、権利を制限する体制をとるだろうということです。軍事作戦が優先され、民主主義や政府への批判、基本的人権の保障が後退することは、むしろこれまでの歴史でも繰り返されてきましたが、まさにウクライナでも同じことが起きています。ウクライナでは、戒厳令によって労働運動や左翼あるいは野党の組織が解体に追い込まれていますが、Guzさんは、これは、戦争前から歴代政権が目論んできたことであり、戦争がこの目論見に口実を与えたと指摘しています。また、控え目な表現ですが、「正義の戦争」を戦うウクライナの政府が労働運動や野党を弾圧している事態に対して、「米国や欧州の政治的パートナーの責任も大きい」と指摘しています。欧米諸国ではありえないような強権的な弾圧への、関心が薄いことへの批判であると同時に、こうした労働運動や左翼運動への支援の呼びかけだと私は解釈しました。ウクライナが戦争を契機に、再び権威主義へと回帰するとしたら、それはプーチンに責任があるといえるとしても、全ての責任をプーチンに負わせることに彼は反対します。なぜなら、この戦争以前からウクライナの政権に内在している、いわゆる労働運動への新自由主義的な敵対という土壌があったからです。インタビューの最後で、戦争へと突入してしまった社会が、戦争以前の権利水準を回復することすらいかに困難であるかを語っています。私もそう思います。私たちは、この話を、まさに日本のこととして受け止めなければならないと思います。(小倉利丸)

Mvs.gov.ua

ウクライナのジャーナリストであり労働組合活動家であるSerhii Guzへのインタビュー

Serhii Guz
2022年10月4日

LeftEast: 自己紹介をお願いします。

私は52歳で、27年間、ジャーナリストと編集者として活動してきました。私は公的な活動に積極的に関わっています。ウクライナ独立メディア労働組合the Independent Media Trade Union of Ukraine(2002年から2012年まで)の創設者の一人であり、代表を務めました。また、ジャーナリズム倫理委員会the Commission on Journalism Ethicsのメンバー(2003年から現在まで、委員会の最も古いメンバーの一人)でもあります。また、1998年からは、故郷のカメンスコエで環境保護団体「自然の声Voice of Nature」の設立に携わり、積極的に参加しています。

LE:戦争前の労働条件はどうだったのでしょうか?ウクライナの労働組合はどのようなものだったのでしょうか?

労働条件の悪さも労働組合への攻撃も、戦争のずっと以前から現実のものとなっていました。本当の災難は、ソ連が崩壊し、ウクライナが市場経済に移行した直後に起こりました。何千もの企業が閉鎖され、その他の企業も給与を期限通りに支払わず、物々交換や 不正な取引が盛んに行われました。当時、労働条件は崩壊し、安全衛生基準も満たされなくなり、社会保障も段階的に縮小されていきました。

2000年代に入って経済が回復してくると、企業に必要な資源が供給されるようになり、労働条件の状況も改善されるかと思われました。しかし、まさにその時、組合–旧ソ連の組合と新たな独立した自由な組合の両方–を貶めるキャンペーンが始まりました。

こうしたことへの闘いは、成功の程度の差こそあれ、2019年頃まで続き、「国民の僕」と呼ばれる政党が政権を握ると、労働組合や労働権に対する攻撃は急激に強まった。その理由は、与党とその政権が、露骨な自由主義的な改革路線に踏み出したからだと考えられます。

しかし、この改革を完全に実行に移すことができたのは、ウクライナで戦争が始まり、戒厳令によってストライキや集団抗議行動が禁止されたときでした。労働組合は、このような状況下で自分たちを守ることができなかったのです。

LE:戦争は状況をどのように変えたのでしょうか?具体的には、労働法・労働慣行の改革は今どうなっているのでしょうか?戦争中や戦争後の労働者にどのような影響を与えるのでしょうか?労働組合はそれに応えてきましたか?

この状況を利用して、政府は労働者の権利と組合活動の両方を大幅に制限する法律をいくつか成立させました。例えば、現在、労働者は組合の同意なしに解雇さ れる可能性がありますが、これは戦争前なら違法だったでしょう。また、使用者は一方的に労働契約を打ち切り、労働条件を変更する権利を与えられ、団体交渉協定の効力も大幅に制限さ れました。要するに、ウクライナ市民の労働権に関する社会的利益は、すべて新しい規範によって奪われてしまったのです。

大規模な抗議行動を避けるために、議会は、戒厳令の期間中、最も酷いノルマに規制をかけることに合意しました。しかし、騙されてはいけません。これらの法案は、ロシアの本格的な侵攻のずっと前に起草されたものなのです。そして、何十年も続くことを想定して起草されたものでした。だから、政府と企業経営者は、どんな口実であれ、これらの変更、特に労働組合の権利と労働協約の効力を制限する変更を全て維持しようとするであろうことを、私は信じて疑いません。

私は、現在の戦時中の圧力の下で、労働組合がこれに対して何かできるという幻想を抱いていません。戒厳令が終わるまでに、組合員の大部分とその活動を維持することができれば、それは奇跡と言えるでしょう。これまでのところ、組合はこうした新自由主義的な改革に対して目に見える抵抗はしていません。そして、既存のものは危機的状況にあるように思われます。おそらく、これらは新しい労働組合組織と労働組合の闘争方法に取って代わられるでしょう。これは間違いないでしょう。

LE:ここ数カ月、ウクライナのメディア界で何が起きているのか、教えてください。戦争前と戦争中のジャーナリストの役割は何だったのでしょうか?ジャーナリズムの組合は、ジャーナリストや報道をどのように助け、または阻んでいるのでしょうか?

私たちはまた、メディア領域で深刻な危機を経験しています。経済的にだけでなく、職業的にも、そしておそらくイデオロギー的にも。

「民主的」なジャーナリズムは、プロパガンダ、検閲、自己検閲、あるいは中途半端な真実といった概念とは相容れないという神話が、私たちの目の前で崩れ去りつつあります。戦争は、これらの現象がすべて、”愛国心 “という高貴な口実のもとに、私たちのジャーナリズムに急速に復活しつつあることを示しています。

正直に言うと、今日のウクライナのメディアは、戦争が起きていることと、メディア市場の状況が急速に悪化していることの両方によって、民主的な基準に従って機能することができなくなっているのです。広告市場は崩壊し、地方では事実上消滅しています。購読者数は減少しています。新聞社は閉鎖され、地方のテレビ局も閉鎖されています。真に独立したメディアはますます少なくなり、残っているメディアはほとんどが欧米の財団からの助成金で支えられています。そして、このことがまた彼らの活動にも影響を及ぼしています。

しかし、ウクライナのメディアを支援するどころか、政府はジャーナリストに対する国家統制を強化しようとしているのです。国会はすでに「メディアに関する」法律案の第一読会を開き、ウクライナのすべてのメディアを一国の規制当局に服従させることを議決しています。独裁・権威主義的な支配をしていたクチマやヤヌコビッチの時代にも、このようなことは起こりませんでした。

今、ウクライナでこの法律に反対しているのは、全ウクライナジャーナリスト組合the National Union of Journalists of Ukraineだけです。その結果、私たちは、極めて困難な戦争状況に置かれている何百何千ものジャーナリストを助けることと、自国政府のこのような立法措置と闘うことの間で板挟みにあっているのです。

LE:野党はどうなっているのでしょうか?

政府に反対する政党として残っているのは、オリガルヒで前大統領のペトロ・ポロシェンコの欧州連帯党だけです。また、ポロシェンコと同盟を結ぶことの多い、急進的な右翼民族主義政党も存在します。その他の中道・左翼の野党はすべて見事に敗北してしまっています。

つい先日も、国会で非常に大きな派閥を持っていた「野党プラットフォーム-生活のために!Opposition Platform – For Life!」党を禁止する判決が下されたのは注目に値します。そして同じ日、ウクライナのメディアは、この裁判所の判事がロシアのパスポートを持っていたというスキャンダラスな調査結果を発表しました。破棄院がこれまでの裁判所の判決に疑問を呈さず、同党の禁止決定を支持したのは驚くべきことではありません。しかし、彼らが何の罪を犯しているのか、社会的にはまだ謎だらけです。私たちは、同党が敵国ロシアの利益のために行動したのだと根拠もなく信じるほかありません。

同様に、最も古いウクライナ社会党もその一つに含まれるそのほとんどが左翼政党である何十もの政党についても、同様の理由で解散したことについてもまた根拠もなく信じる以外にありません。

LE: ウクライナがこの戦争のような存亡の危機にあるとき、戦争の支持者の多くは、当局の行動を批判しないことを選びます。しかし、あなたはそのようなときでも沈黙を拒否しています。それがプーチンを助けることにならないのでしょうか。

それは私のような多くの人にとって現在最も重要な大問題で、同じような非難をたくさん耳にします。

しかし、私は他の市民と同じようにウクライナを愛しています。そしてもちろん、プーチン側の、正当化できないこの途方もない侵略行為にショックを受けています。

友人や各国のジャーナリスト、労働組合活動家たちと、この件について何度も話し合いました。もちろん、ウクライナはこの戦争で支援を必要としており、特に人道的な支援を必要としています。

しかし、同じように、その民主的機関、つまり報道機関、政党や公的機関、人権、議会主義、その他多くが支援を必要としているのです。しかし、「支援」とはお金だけではありませんね。今ある問題について正直に話し、ウクライナですでに達成された民主主義の成果を損なわないような状況の打開策を集団で模索することでもあります。

もし私たちが問題から目をそらし、その問題について沈黙を守れば、問題はどんどん大きくなり、私たちの社会を内側からさらに蝕んでいくでしょう。だからこそ、職業的義務に徹したジャーナリストの誠実な活動が、今、とても重要なのだと思います。

LE:あなたは、戦争の過程で、ウクライナ政府だけでなく、ウクライナ社会が民主的でなくなったという、より大きな指摘もされていますね。これは戦時下の必然的な結果であり、プーチンが正面から非難されるべきことではないのでしょうか。このような事態がウクライナ社会にもたらす長期的な影響について、あなたはどのようにお考えですか?戦争前はどの程度民主的だったのでしょうか。

これは既存の「若い民主主義国」のパラドックスで、常に何らかの口実を設けて民主的な制度を後退さ せようとしているのです。例えば、経済危機のため、パンデミックのため、今度は戦争のため、そしてその口実はウクライナの経済を回復させる必要性があるからというものです。政府は、”最も民主的な改革 “のために一時権威主義的になるという口実を待ちかまえているように、私には時々思えるのです。

そして、今、ウクライナで民主主義の逆転現象が深まっているのは、もちろんプーチンと彼がウクライナに対して放った侵略行為が直接の原因です。以前、彼がベラルーシや他のいくつかのポストソビエト共和国の反民主主義的な流れを支持したように。

しかし、すべての責任をプーチンやロシアだけに転嫁するのは大きな間違いです。何よりもまず、自分たちの過ちに目を向けるべきです。その中には、いわゆる「革命的ご都合主義」がありがありました。これは、国が民主主義の原則からの逸脱を最も必要とするときに、この逸脱をその都度正当化するものでした。

そして今日、ウクライナ社会は、ウクライナの民主主義の最大の後退を、いとも簡単に受け入れてしまっており、与党はこれを戦争によって正当化しているのです。

このすべてが、特に戦争が何年も長引けば、ウクライナ社会にとって非常に悪い結末を迎える可能性があります。ウクライナ人は、社会を統治する権威主義的なスタイルで生活することに慣れるだけでしょう。まさに今これこそが戒厳令によって、この国が統治されるやり方なのです。そして、非常に多くの政治家や役人が、このような統治スタイルと別れたくないと思っているのは本当なのです。

だからこそ、この戦争が私たちの社会を内側から壊し、ロシアやベラルーシのような権威主義的な政権に変えてしまうことを許してはならないのです。

LE: 戦争中に市民権を制限することが正当化されるとお考えですか?ロシア連邦保安庁の諜報員(現地で多くの活動をしていることは間違いない)がウクライナのメディアや政治家をリクルートしたことはないのでしょうか?

いかなる告発も法廷で立証されなければならないし、いかなる権利の制限も正当なものでなければならず、社会への悪影響を防ぐためにまさに必要なものでなければなりません。人権宣言やウクライナ憲法にはそう書かれています。しかし、実際には、多くの派手な告発が証拠なしに行われ、裁判も秘密裏に行われ、社会は客観的な情報を奪われているのが現状です。

このような状況では、自分の本当の敵だけでなく、政敵をも簡単に告発することができます。このようなことは、見苦しいだけでなく、将来的にも非常に悪い影響を与えます。結局のところ、社会は、政治家を逮捕して投獄したり、政党を禁止したりするのに証拠など必要なく、声高に告発するだけで十分だという事実に慣れっこになってしまうのです。

残念ながら、米国や欧州の政治的パートナーの責任も大きいと思います。例えば、アメリカやドイツの政党が、公の裁判を受けることなく、シークレットサービスの文書だけを根拠に解散させられるというのは、私には想像しがたいことです。民主主義国家ではありえないことです。では、なぜウクライナではそれが可能なのでしょうか。政党が解散させられ、政治家が逮捕された根拠を、法執行当局が公表できないのはなぜでしょうか。

民主主義そのものの根幹を揺るがすこのような決定の透明性と公表がなければ、ウクライナの民主主義の成果すべてが破壊されることになります。そして、今日、人々が、「私たちは何のために戦っているのか」という問いを投げかけ始めたことは、決して無駄なことではありません。

LE:ウクライナの労働者と労働条件の未来はどうなっているのでしょうか?

この質問は最も難しいものです。というのも、現在の状況では、あえて未来を予測しようとする人はほとんどいないからです。私は、戦場ではウクライナ軍が勝利し、交渉の席で戦争が終わると信じています。しかし、その場合、ウクライナの市民社会、ウクライナの労働組合、そして一般的に民主的な市民が、どの程度まで自分たちの利益を宣言できるかにすべてがかかっています。最低限の課題は、戦争前に持っていた市民的、政治的、社会的権利を、損失なくすべて回復することです。しかし、主に労働権や社会権の領域で損失が生じると思います。ウクライナが次の社会実験の格好の場になる可能性は非常に高く、私はそれを見たくはないのですが。

戦争に勝ったとしても、非常に困難な未来が待っている、このことを私は信じて疑いません。

LE:あなたにとっての未来とは何でしょうか?

私の将来は、ジャーナリズムの世界です。この分野でも、戦争の影響とこの職業のグローバルな変化により、多くの困難が待ち受けていることでしょう。

LE: 私たちに何かアドバイスはありますか?

私はイギリスの友人たちに、自分たちの国が平和であることに感謝するべきだと言いました。平和であれば、交渉も、改革も、自分の権利を守ることも、将来の計画も、すべて可能になるのです。平和は民主主義の基礎であることは、いまや疑う余地もありません。

ですから、グローバルな意味での私たちの努力は、平和を実現し、真に公正な社会を構築することでなければなりません。

そして、軍拡競争に反対しなければなりません。なぜなら、今日のロシアのような軍国主義国家は、自分たちより弱いと考える相手に対して簡単に戦争を始めることができるからです。そして、もし私たちが軍縮の考えを放棄すれば、弱い国は医療や教育ではなく、兵器にますます多くの資金を費やさざるを得なくなるのです。例えば、ウクライナは来年、予算の50%を軍隊に使い、年金や医療・教育などの社会事業には30%しか使わない予定です。なぜこのようなことが起こるのかは理解していますが、戦争で貴重な資源を浪費していることも理解する必要があります。

ですから、私は平和と軍縮、民主主義と社会正義のために活動しているのです。

Serhiy Guz ウクライナのジャーナリストで、同国のジャーナリズム労働組合運動の創始者の一人である。2004年から2008年までウクライナの独立メディア組合を率い、現在はウクライナのメディアの自主規制機関であるジャーナリスト倫理委員会の委員を務めている。また、NGO団体「ボイス・オブ・ネイチャー」の評議員も務めている。

連載:意味と搾取第4章を公開しました。

青弓社のサイトで連載している「意味と搾取」の第4章 「パラマーケットと非知覚過程の弁証法――資本主義的コミュニケーション批判」が公開されました。以下、これまでの連載の目次と、4章冒頭のみ掲載します。全文は青弓社のサイトでお読みください。

目次
序章 資本主義批判のアップデートのために
第1章 拡張される搾取――土台と上部構造の融合
第2章 監視と制御――行動と意識をめぐる計算合理性とそこからの逸脱
第3章 コンピューターをめぐる同一化と恋着
第4章 パラマーケットと非知覚過程の弁証法――資本主義的コミュニケーション批判

[第4章構成]
4-1 資本主義批判の枠組みの組み替え
   ・上部構造への資本の介入
   ・監視資本主義
   ・資本主義と機械
   ・支配的構造の歴史的変容
4-2 予測と制御:意味生成過程
   ・使用価値とパーソナリティ――〈労働力〉再生産過程と意味使用価値
   ・買い手にとっての意味使用価値
   ・パラマーケットの変容
   ・選択の自由と操作的言語
4-3 空間の解体
   ・プライバシーと空間
   ・空間の配置とパラマーケット
   ・資本主義における自己同一性
4-4 非知覚過程
   ・モノの回路とコミュニーションの回路
   ・資本に有機的に組み込まれたパラマーケット
   ・ユーザー追跡技術
   ・監視システムとしてのパラマーケット
   ・ユーザー追跡技術への批判と抵抗
   ・政府による非知覚過程の利用
4-5 コミュニケーション労働と非知覚過程
   ・コミュニケーション労働の実質的包摂へ
   ・コミュニケーション労働とデータ化する「私」
   ・コンピューターと身体性
4-6 フェティシュな人工知能
   ・フィードバックの副作用
   ・恋着と同一化の対象としての人工知能
4-7 官僚制と法の支配の終焉
   ・政治過程にコンピューターが介在するとはどのようなことか
   ・では現行の法の支配のほうがマシなのか
   ・個人の意思と集団の意思
4-8 ナショナリズムの再生産構造
   ・ナショナルアイデンティティ
   ・パラマーケットとナショナリズム

4-1 資本主義批判の枠組みの組み替え

 本稿全体の冒頭で、マルクスの資本主義認識に立ち返りながら、現代資本主義の基本構造を、土台―上部構造の定式に対する資本主義的な応答としての、上部構造の土台化、土台の上部構造化について述べた。つまり、政治権力と資本の意思決定構造が相似形をとるようになる、ということだ。マルクスの資本循環図式を形式的に当てはめて表現すると、以下のようにも言うことができる。権力の生産過程は、統治機構の物質的条件(権力の生産手段)と官僚、議員、裁判官などの人的な資源によって、構造への「従属」という政治的生産物が生産される。これを「国民」やこのカテゴリーから排除された人々が「消費」することを通じて、「従属」が再生産される。
 資本が介入する伝統的な回路は、ケインズ主義の公共投資と土木建設資本の関係のようなインフラ投資の時代から新自由主義の公共サービスを民間資本に開放する時代へと展開してきた。この前提には、公共サービスを生存権の保障のための国家の義務として理解することから、財政負担を伴う「費用」とみなして採算を優先させるような国家の側の義務理解の根本的な転換があり、その結果として、公共サービスが資本に利潤をもたらすことが可能な領域に組み込まれることになった。一般に、この過程は民営化とか小さな政府と解釈されてきたが、私は、逆に、権力の生産過程が資本の生産過程と融合しはじめたのであって、小さな政府ではなく、政府機能が市場経済に有機的に結合しながら、市場そのものが政治化する契機となったとみたほうがいいと考えている。政府は小さくなったのではなく、民主主義的な統制の外部で大きくなったのだ。従来の公共投資では、資本は、政治的生産手段を担うこと(道路や港湾、都市開発など)を通じて政治過程と外的・形式的に接合していたにすぎなかった。いま起きていることは、官僚制など権力の生産過程を担う人的な組織の資本との内的・実質的接合である。伝統的な近代の権力の人的組織が担ってきたのは、意思決定と、その前提にあるコミュニケーションや情報の管理である。さらには、法の「生産」とこれを適用することができる力である。コンピューター・テクノロジー/コミュニケーション(CTC)が支配的技術となる時代には、デジタル庁のように、この過程がデジタル・トランスフォーメーション(DX)として展開されることになる。

以下、全文は青弓社のサイトへ。