もう一年近く前になるが、ケニアのナイロビで開催された世界社会フォーラム(WSF)で、タイのフォーカス・オン・ザ・グローバルサウスがちょっと珍しいイベントをやった。フォーカスといえば、反グローバリズム運動で長年経済や安全保障の問題に取り組んできた有力な団体として有名なのだが、このフォーカスが、WSFでやったいくつかのワークショップのひとつに、アジアにおけるオープンソースの問題を議論するワークショップを主催したのだ。このワークショップには、アタック・フランスからも参加があり、反グローバリズム運動を担ってきた活動家たちが、これまでもターゲットにしてきた多国籍企業(マクドナルド、ナイキ、トヨタ、スターバックス、コカコーラ、モンサントなどなど)からようやくコンピュータ関連産業に目を向け始めた。
このワークショップでは、自由に配布、コピーできるパソコンの基本ソフト(OS)でごg弓冒の名前で知られているリナックス系のOSを参加者みんなに配り、どうやってマィクロソフト支配と闘うか、この闘いが新自由主義との闘いとどのように密接に関わるかを議論した。反グローバリズム運動のなかでもこれまで以上に自分たちのメディア環境における多国籍企業支配との闘いが自覚されるようになってきていると思い、ちょっとした感動的な場面でもあった。
活動家も含めて、いまほとんどの人たちがマィクロソフト社のOS、ウィンドウズを使っているか、アップル社のマックを使っている。これらはいずれも著作権で保護されたソフトウェアだ。ちなみに、ウィンドウズの著作権許諾規定を読むと、かなり驚かされるだろう。高い金を払って買ったのに、自分の「所有物」とはとうてい思えないことが書かれている。OSのプログラムを解読してはいけないし、転売もできない(だから中古パソコンショップにはウィンドウズの中古製品は販売されていない)し、コピーしてもいけない。プログラムに不具合があっても自分で修正してはならず、マイクロソフトが配布する修正プログラムを使わなければいけない。プログラムを自分好みに書き換えるなどは当然ご法度であり、書き換えたプログラムを配布することもできない。結局マイクロソフトのOSを買ったというけれども、実際に買ったのはこのOSを不具合があっても元のまま使用させられるという限定された使用権だけなのだ。このような限定された使用権だけを、しかも大抵はバグがあって何度も修正ソフトをダウンロードしなければならず、OSをアップグレードすれば、それにあわせて周辺ソフトもアップグレードしなければならず、その度にいくばくかの金をむしりとられるというとんでもない◯◯商法といった名前をつけてもいいような金儲けの仕組みにはめられることになる。
最近は著作権法の監視が厳しくなり、企業や学校では違法コピーなどに非常に神経質になっている。先日、わたしの職場では、全員のパソコンのインストール済ソフトの一覧とオリジナルのディスクなどの管理状況を検査するという大がかりな調査が行われ、わたしの場合は、直接職場の知的財産管理部門から担当者が来て、パソコンにインストールされているソフトが報告通りかどうかをチェックしていった。わたしのパソコンはリナックスで、インストールされているソフトもすべてオープンソースのものばかりで、かれらは、つまらなさそうだったが、内緒でコピーしたソフトがみつかって削除を余儀なくされたひとたちも少なからずいたようだ。なぜ、これほどまでに神経質になるかというと、マイクロソフト社は「違法コピー」にたいして高額の請求を出すからだ。
私たちがアジアの町を歩けば、露天で当たり前のようにして「違法コピー」の映画、音楽そしてパソコンのOSも売られているのを目にする。ウィンドウズのヴィスタもすでにコピー商品が出回っているとぼくの友人が教えてくれた。アジアで「違法コピー」が大衆文化となっているのは、情報や文化を商品にするような資本主義の市場システムがそもそもの民衆のハビトゥスと抵触するからだけでなく、自然な市場のメカニズムからすれば、著作権で保護された価格が極端に高すぎるのだ。パソコンはOSがなければただの資源破壊の元凶になるゴミでしかないが、正規のOSを入手できる人たちは地球上では限られている。その限られたひとたちが、インターネットを駆使してコミュニケーションの世界で主導権を握る。この一連の構造の物資的な土台のところに、OSの著作権設定がある。マィクロソフトのビルゲイッはこうして巨万の富を得、そのごくごくわずかを、貧困問題や環境問題のNGOなどに寄付をして、このコミュニケーションのインフラを支える差別の構造による儲けの仕組みをごまかしてきた。
WSFでのオープンソースの試みは、こうした流れを活動家達に知ってもらういい機会だった。著作権問題で第三世界の活動家は、HIV/AIDSの治療薬問題や種子の知的財産権の問題、あるいはWTOのサービス貿易の問題などを通じて敏感に反応する。こうしたこれまで繰り返し議論されてきた問題に加えて、活動家にとっては身近なコミュニケーションの道具が多国籍企業の支配にあることの問題に気づくのはそれほど難しくない。むしろ、HIV/AIDSの治療薬や種子などで議論されてきた問題も、マイクロソフト社の著作権問題も、根本にあるのは知識を多国籍企業が商品として独占し、それによって巨額の富を得ると同時に、民衆の生命をそのために犠牲にし、知的な共有財産をことごとく根絶やしにする、資本主義の残酷な側面だ。
他方で、欧米の活動家たちは、反テロ戦争のなかで「サイバーテロ」を口実とした監視強化で、政府とIT業界がプライバシー権を損なう方向に向かうことを危倶している。OSやその他のパソコンのソフトを自分たちがきちんとチェックできることが必要になっており、そのためには、ソフトのプログラムを自分たちがチェックし、必要な防衛手段をとれるようにしなければならない。ところが、マイクロソフトの0Sの著作権設定はそうしたユーザの権利をすべて奪ってしまう。政府とマィクロソフト社が結託して、OSにユーザを監視するプログラムを組み込むことはできないことではないのだ。
これまでも、多国籍企業に対する抗議として、ボイコット運動が繰り返されてきた。マクドナルドやスターバックスは使わないという人はけつこう多いし、コカコーラやペットポトルの水は飲まない、ナイキのスポーツウェアは着ないという人も少なくない。NHKの受信料も支払っていないひとはたくさんいる。これらには代替商品があり、取り組みやすいボイコット運動ではある。ところがウィンドウズのボイコットは容易ではないといわれてきた。なぜなら代替する商品が事実上マックしかないからだ。このことがウィンドウズやマィクロソフトが多国籍企業として過剰な利益をあげ、中産階級以上の階級を中心とするグローバルなコミュニケーションのネットワークを生み生み出して、事実上貧困届をコミュニケーションから排除するという地球規模の反民主主義に加担してきた最大の企業であるにもかかわらず、お目こぼしにあずかれた理由でもある。
しかし先に紹介したように、リナックス系のOSが非常に使い安くなってきた。メール、ウエップ、文章作成、表計算、プレゼンなど通常の実務では使い勝手はとてもよくなっている。リナックスなどオープンソース系のソフトは、コピーすること、プログラムを解析することだけでなく、プログラムを書き換えることなどもすべて認めるだけでなく、こうして作成されたあらたなプログラムにマイクロソフトのような著作権の設定をすること自体が認められていない。基本的に知識の共有を妨げるルールは持ち込めない(ただし、価格を設定することは否定されていない)。こうしたオープンソースは実はインターネットのサーバ関連のソフトでは非常によく使われてきた(インターネットの文化的背景もかかわるのだが)が、個人ユーザにとっては技術的に難解だとして敬遠されてきた。この環境が大きく変わってきたから世界社会フォーラムでも普通のユーザ活動家にリナックスヘの乗換えという代替的なOSを提起することでマィクロソフトのボイコットを促すことが可能になってきたともいえる。
パソコンのOSが多国籍企業に支配されているというのは、もっとも身近なグローバリゼーション現象だ。みなさんに、ウィンドウズをすぐにゴミ箱に入れろとはいわないが、こうした現状をふまえたITのオルタナティプな環境づくりで何が可能かを検討できる時代になっている。「わたしたちの団体ではマイクロソフトのOSは使っていません」とか「IT環境はすべてオープンソースで整備しています」というのは、反グローバリズム運動のなかでは魅力的なことだと思う。 ちなみに、わたしはリナックスを使い始めて一○年近くになるが、いまだにコンピュータはわからない。パソコンは買ったその日にハードディスクを初期化してウィンドウズとおさらばする(もったいないという人もいるが)。不便なこともたくさんあるが、その不便さの最大の理由がパソコンのハードウェアメーカーがウィンドウズ向けに製品を作るために起きることが大半だ。このことをみてもわかるが市場の八割を独占しているマイクロソフトはハードのメーカーも支配しているのだ。こうしてそれ以外の代替的なOSが排除される結果を生む。世界中にいるリナックスやオープンソースのプログラマーたちは、こうした市場の排除と日々闘ってもいる。その結果数年前にはとても難しかったノートパソコンでも使えるようにまでなったし、ウィンドウズ用のソフトも実は使えたりする。こうなるとウィンドウズはほとんどいらないのだ。わたしの実感では数万の金を出してウィンドウズを買うなんて信じられない。パンジージャンプをやるほどの覚悟はいらない。必要なデータをバックアップして、ちょっとした冒険をするつもりでリナックスに乗り換えてみよう。
出典:『インパクション』160号、2007年