グローバル化する慰霊と闘う対抗文化 —911以後の米国大衆文化のオルタナティブ—

グローバル化する慰霊と闘う対抗文化
—911以後の米国大衆文化のオルタナティブ—

小倉利丸

911以降の米国が、ワールドトレードセンターの犠牲者の追悼を報復へとつなげて、反テロ戦争を正当化する一連の流れを組み立てる際に、人々の感情的な同一性を動員する手段として追悼儀礼が不可欠であったことは容易に理解できる。儀礼は、画一的な形式的な振る舞いに人々を縛るために、逆に画一性を嫌い、人々のなかに多様性を見出そうとする考え方とは対立する。この対立を儀礼を利用する権力は、「本音はどうあれ、形だけでも同調して欲しい」という説得を行うことによって、あたかも内面の自由を保障する代りに、外形的な強制における妥協を要求するという作戦をとる。「本当はだれも本気で愛国心なんかもっているわけではない」と自分に言い聞かせて歌いたくもない国歌を歌うなどという場合にこうした内面と外形の使い分けが生じることになる。

しかし、追悼から報復へという米国の一連の流れは、もっと複雑なものだ。追悼儀礼も報復戦争のための戦意高揚のためのイベントも、ブッシュが演壇で拳を振り上げ、マスメディアがこぞって愛国モードのニュースを垂れ流せば自ずから大衆の挙国一致的な振る舞いが自動的な出現するというようなことは決してありえない。むしろ、こうした一連の儀礼が有効に機能するには、大衆による情動の自発的な同調(と感じられるような状態)が不可欠である。

米国が大衆消費社会を経てある種のポストモダンの多様性を基礎にした資本主義社会であるとすれば、儀礼による大衆動員の構造も、上からの強制的な儀礼への動員とは異なる変化を遂げていて当然である。それはおおよそ次のようなものになる。

(1)市場経済の成熟は、人々の欲望の構造を大きく変えた。貨幣的な欲望に慣された人々は、自分がマスメディアや都市空間の広告や人々のライフスタイルによって様々に刺激され、欲望を積極的に動員することに慣れている。他方で、企業は、人々の消費欲望をそそのかし、「買う気」を起させるためのノウハウを一世紀以上にわたって蓄積してきた。
(2)経済のサービス化、情報化は、人々の欲望を「物」に向かわせるだけでなく、人々の価値観や文化的なアイデンティティを市場のビジネスチャンスと結び付ける。文化は限りなく多様であった方がいい。なぜならば、その方がより多くのニーズを生み出せるからだ。
(3)ポストモダニズムは大きな物語の終焉を主張したが、このことは、大きな物語を巧妙に覆い隠す格好の隠れ蓑となった。ワールドトレードセンタ-のテロは、その犠牲者の家族のパーソナルな物語に置き換えられ、このパーソナルな悲劇に国家がよりそう態度をとることによって、報復戦争を正当化した。

これから私が述べることは、この国家的な儀礼と報復戦争への動員をそそのかす非国家的な条件についての話である。特に、大衆の強い影響力をもつ文化の領域で、どのように追悼儀礼をささえる背景的な情動の形成がなされたのかを概観してみよう。とくにここで注目するのは、ポピュラー音楽の主流がビジネスの面でも、アーティストの面でもどのように911以降に対処したのかを簡単に紹介し、最後に、ポピュラー音楽のなかでの反戦運動の流れをいくつか紹介する。

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911がポピュラー音楽の世界に与えた最大の問題は、ビジネスへの深刻な打撃だった。よく知られているように、航空会社が大幅に就航便数卯を減らし、多くの人が集まる場所のセキュリティが強化されるなかでは、大規模なツアーを予定通り行うことは物理的に難しかった。しかし、こうした客観的な事情だけではなく、音楽が人々の娯楽や楽しみと結び付き、日々の辛い仕事や日常からのつかの間の解放の手段であるとすれば、同時多発テロがもたらした悲劇の前で、音楽の快楽にふけるだけの余裕をもつことができる聴衆も多くはなかく、同時に、アーティストもまたステージをつとめるだけの意欲を削がれた。こうして、テロ直後、多くのコンサートが中止、または延期に追い込まれた。

当時の業界紙『ビルボード』を読むと非常に興味深いのだが、業界の関心は、テロの悲劇にひたるような情緒的なことではなく、もっとクールな資本の論理に属する議論だった。エンターテインメント産業が悲劇の中で生き延びることがいかにして可能かが大きな関心事であった。

音楽産業はこの危機を次のような戦略で事実上乗りきろうとしたように見える。

第一に、コンサートのキャンセル等に伴う、損害は保険会社の保険で補填する。しかし、保険が適用されるのは、テロによる被害までであって、その後具体的な被害もなくアーティストが自発的にコンサートを中止したり延期した場合の損害は保険会社は補償しない。さらに、このテロが戦争であるということになるとこれもまた保険の適用外である。これらの条件を考慮した上で、損失を保険で穴埋めできる最大限の努力をする。

第二に、追悼と報復を新たなビジネスチャンスと位置づける。追悼のためのチャリティコンサート、音楽業界によるテロ被害者や赤十字などへの募金などを通じて、音楽のコンテキストを、娯楽のための手段から追悼のための手段に転換する。こうすることによって、音楽を楽しむことを後ろめたく感じるかも知れない音楽ファンの道徳的な規制を和らげて、コンサートを楽しむことが同時に追悼でもあるという仕掛けを作り出す。

第三に、過去の音楽資源を、愛国的な挙国一致体制のなかで利用する。音楽ファンの好みは、非常に幅が広く、しかも階級、ジェンダー、エスニシティ、年齢などによって好まれる音楽のジャンルは大きくことなる。言い換えればこれらを追悼と報復へと人々を動員するための資源として位置づけなおすことが可能であれば、それだけ多様な人々を動員できる可能性をもつことになる。音楽産業にとって、人々を動員するということは、コンサートのチケットやCDの売り上げを意味するが、国家にとってはこれが同時に愛国心のそそのかしを意味する。市場では消費者が財布から自らの意思で、金を出さない限り、動員は実現されないから、国家による上からの動員とは異なる条件が必要になる。いやむしろ市場経済は、下からの動員を形成する社会的な条件と言った方がいいだろう。

上に述べた二番目と三番目についてはもう少し具体的な事例を示した方がわかりやすいだろう。

大手レコード産業による寄付。
ヴィヴェンディ・ユニバーサル。9月11日基金に500万ドル。
AOLタイム・ワーナー、米国赤十字など6団体に計500万ドル。
ウォルト・ディズニィ、生存者救済基金などに500万ドル。
米国ソニー、米国赤十字などに300万ドル。
バーテルマン、警察と消防に各100万ドル。
EMI、救援活動に100万ドル。

全米ラジオネットワークのクリア・チャンネルが主宰する世界規模の救済基金に、バックストリート・ボーイズ、ジョン・メレンキャンプ、シャーディ、ジャネット・ジャクソンらが各々1万ドルを寄付。ブリットニー・スピアーズがツアーコンサートのチケット売り上げ一枚につき一ドルを寄付。マドンナは、ツアー最終公演の収益を同時多発テロの犠牲者と家族に寄付。ホイットニー・ヒューストンは、シングルCD「The Star-Spangled Banner」の収益を寄付。ハードロック系のバンドも、たとえば、ゴッドスマックは、ニューヨークでのコンサート会場でのグッズの売り上げを寄付。また彼らのコンサートでは公演前に会場の観客が黙祷を捧げ、国歌を歌った。(『R&R』2001年9月21日号)

こうしたミュージシャンの行為は、そのファンの同調を得やすい。多くのファンをかかえるミュージシャンの寄付行為は、寄付という金銭の効果よりも、これを通じた、ファンの感情を追悼と報復へと動員するための媒介として機能することを意味している。

さらに、レコード会社各社は、追悼のための特別編集のCDを次々にリリースした。

ソニーの『GOD BLESS AMERICA』には、ボブディランの「風に吹かれて」やピート・シーガーの「This Land is Your Land」がセリーヌ・ディオンの「GodBless America」やLee Greenwoodの「God Bless the U.S.A」とともに、収録されている。また、キャピトルレコードの『United Ww Stand』には、ジョン・レノンの「Imagine」やウディ・ガスリィの「This Land is Your Land」がやはりLee Greenwood の「God Bless the U.S.A.」とともに収録されている。ビートルズの楽曲やかつては反戦運動のなかで歌われた歌が、湾岸戦争などで歌われたグリーンウッドの曲とともに収録されるなど、音楽の意味は大きく変えられた。911の一ヶ月後にニューヨークで開かれたコンサートでも、ポール・マッカートニーが「Let it be」や「Yesterday」を歌った。

また、ヒットチャートにも異変がみられた。Lee Greenwoodの上記の「GodBless the U.S.A.」がヒットチャートの上位につけ、Whitney Houston の”TheStar-Spangled Banner”といった湾岸戦争当時に作られた歌が再び人気を呼び、再発売され、また、映画の『パールハーバー』で主題曲を歌ったFaith Hillの”There will come a day”もまた人気を呼ぶなど、ヒット曲の動向が戦争と深くかかわった動きを見せた。他方で、こうした、戦意高揚とは逆に、ある種の追悼的な気分を促すことに寄与したのがエンヤだった。彼女の”Fallen Embers”(A Day Without Rain収録)9月16日にABCが放映した911のモンタージュ映像のバックで繰り返し利用され、また全体として低調だったレコードの売り上げの中で、堅調な売れ行きを見せた。「テロリズムによる心的外傷に対する音楽による癒しの効果」が論じられるなど、戦意高揚から癒しまで、音楽産業は抜け目なく、人々の感情をビジネスに動員したのである。

しかし、こうした動向だけが音楽の世界を席巻したわけではなかった。911直後から明確に反戦を掲げた潮流がはっきりと登場し、米国国内の反戦運動に若者が参加する上で無視できない影響力をもった。大きく分けて、このようなグループはパンク系とヒップホップからジャズに至る幅広いブラック・ミュージックの世界で大きな力をもってきた。パンクに関しては、老舗とも言えるパンクロックの雑誌『マキシマム・ロックンロール』が毎号反戦運動の情報を大量に記事として掲載するようになる。ナオミ・クライン、ハワード・ジンなどのエッセイの転載なども含め、アフガン情勢、反テロ戦争に対する運動情報やバックグラウンドとなる基本的な情報はこれだけでも十分なほどだ。もう一つの雑誌『パンク・プラネット』も同様に、反戦運動の情報や活動家へのインタビューを積極的に誌面で提供した。

ブラック・ミュージックのなかでも左翼的なスタンスをもつラップ、ヒップホップのアーティストたちが精力的な反戦運動を繰り広げている。ソウル・ウィリアムズらによる「Not In Our Name」のプロジェクトは、集会やウエッブでの音楽の配信も含めて、かなりの広がりを見せている。

たしかに、音楽のなかのいわゆる[プロテストソング」とよばれるような潮流がベトナム戦争当時を知る世代にとっては非常に見えにくくなっており、しかもベトナム戦争世代のミュージシャンが今回の反テロ戦争ではむしろ戦争に加担したりあるいは政治的な発言を控えるなど、沈黙しがちであるようにも見える。しかし、MTVや大手の音楽産業とは異なる音楽シーンのなかでは確実に追悼と報復に同調する動きに抗うかなりの数のアーティストが存在する。911以降の反戦運動を支えているのは、米国の反グローバル化運動であることは間違いない。パンク系の音楽文化のコミュニティに属するどちらかといえばアナキスト的な心情を持つ若者の多くは、同時に反グローバル化運動のなかで、多国籍企業が強いる消費生活様式に異議申し立てをしてきた層と重なる。911はこの層を、生活や環境、あるいは経済的な貧困の問題などを軍事的な抑圧の問題とリンクさせて捉えるきっかけを与えた。資本のグローバル化が軍事のグローバル化と不可分なものとして運動の視野に入ってきた。

支配的な文化やメディアは追悼と報復に大衆を動員することに成功しているように見えるが、しかし、この成功は決して十分な合意を生み出しきれていない。欲望をそそのかす資本の戦略のなかで、このそそのかしに乗らない無視できない層を生み出しても来たからだ。テロの犠牲者の名を報復戦争に利用する情緒的な脅しには屈しないという主張が反戦運動のなかで大きな位置を占めているように、支配的な価値ばかりか、支配的な感情をも拒否する強靭な対抗的な運動の主体がすでに登場しているのである。

Don Henley
“New York Minute”
Actual Miles: Henley’s Greatest Hits

Collective Soul
“the world I know”
7even Year Itch – Greatest Hits 1994-2001

Enya
“Fallen Embers”
A Day Without Rain
9・16 ABCモンタージュ映像で使用

Live
“Overcome”
album V
VH1 で35回以上モンタージュ映像とともに放映

Aaron Copland
“Fanfare..” “Simple Gifts”
Apparachian Spring
ハリウッドの追悼セレモニーでの演奏曲
ハリウッド・ボウル・オーケストラ

以上
Melinda Newman, Billboard, Sept 29. 2001

リズム&ブルース財団 10・4第12回パイオニア賞の授賞式延期

Lee Greenwood
“God Bless the USA”
American Patriot,
イラク戦争の時に唄われた。 911後のアルバムチャート8位に。BB29/01

Whitney Houston
“The Star-Spangled Banner”
1991年の湾岸戦争

911以後の目だった曲目
Faith Hill
パールハーバーの主題曲を唄った人
“There will come a day”, There will be.

Brooks & Dunn – Steers And Stripes
“Only in America”

Enya
“Only Time”

Enrique Iglesias
“Hero”

U2
“Struck in a Moment You Can’t Get Out Of”

Enrique Iglesias – Escape
“Hero” 1999

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The Godsmack
hard rock

9・15 NH Manchesterのライブでは、開始前に、聴衆が黙祷し、国歌斉唱でコ
ンサートが開始。収益金は寄付された。R&R Spt21. 2001

ラジオ局による放送禁止について
Clear Channelというラジオ局のネットワークが傘下のラジオ局に150曲に
およぶ禁止リストを流した。その中には、クイーンのAnother One Bites the
Dustやボブ・ディランのKnockin’ on Heaven’s Doorもある。
このれをClear Channelは否定。

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反戦運動側
Steve Earle – Jerusalem
カントリーシンガー
「このアルバムをリリースした後、私はアメリカに住めないだろう」である。
大御所カントリー・シンガー、スティーヴ・アールの新作は新聞やテレビ、ネッ
トを賑わしたあの曲が収録されているのである。あの曲とは、アメリカ人でり
ながら、アルカイダ兵のジョン・ウォーカー氏に共感を示すという趣旨がうた
われた”ジョン・ウォーカーのブルース”のこと。アメリカ中から非難の声を浴
びせられているこの曲だが…。

http://www.freespeech.org/fsitv/html/topics_october62002.shtml
10/3
New York クーパーユニオン 1000名を集めて行われたイベント

Not In Our Name
http://www.notinourname.net/pledge_xlations/PledgeInJapanese.html

初出:『運動経験』2002年