ロシア・フェミニスト反戦レジスタンスレポート

(訳者前書き)これまでもロシア国内の反戦運動を何度か紹介してきた。以下は、やや前になるが5月1日づけでフェミニスト反戦レジスタンスが出した活動報告の訳。私はロシア語ができないので機械翻訳(DeepL、Ligvanex)を用いている。不正確なところがありうることをご了承いただきたい。以下のレポートにあるように、直接的な行動だけでなく、調査、研究なども精力的にこなし、更に海外の運動との連携も活発だ。東アジアでは韓国との交流が報告されている。

以下のレポートは最近起きた極右ネオナチの軍事組織ワグネルの謀反などの事件以前に書かれているので、こうした最近の事態についてはまた別途紹介いたいと思う。私見だが、反戦運動の観点からいうと、プーチンもワグネルに共通しているのは、戦争遂行を前提としての権力争いだということだ。戦争を押し止める運動との接点はない。(小倉利丸)


フェミニスト反戦レジスタンスレポート
5月1日
FASレポート(28.03.23-27.04.23)

ロシア内外の活動家たちは、反戦活動、被害者支援活動、反戦プロパガンダの普及、公共キャンペーンの立ち上げなどを日々続けている。

FASには多くの活動家グループやプロジェクションをするチームや細胞があり、私たちはこの分散化と独立性を大切にしている。私たちは皆、フェミニスト反戦レジスタンスであり、私たちの仕事は目に見える重要なものである。FASの一員になる方法は、こちらで知ることができる。

以下は、2023年4月に私たちが行った活動である:

  1.     FASの心理部門は、動員の影響を受けた人々や、このテーマで行動している反戦活動家のためのサポートグループを定期的に開催している。このグループはプロの心理学者が指導している。1ヵ月で3つのグループを開催した。
  2.     一つは戦時下の復活祭、もう一つはロシアにおける家族と国家の関係、そして三つ目は春の徴兵制と電子召集令状に関する法律である。この号には、人権活動家とともに編集した「徴兵逃れ」のためのマニュアルが掲載されている。
  3.     私たちの活動家の一人が、抵抗と占領博物館で、トゥールーズにおけるロシアの反戦フェミニズム活動に関するレポートを読んだ。そのレポートは、プーチンの独裁政権に抵抗することを余儀なくされ、多大なリスクに直面しているロシアの反戦活動家たちによる生の演説で構成されていた。また、FASから博物館のコレクションに展示品が移された。それは「ザブゴール工作員」と刻まれた被り物で、私たちはウクライナや市民のイニシアチブを支援するチャリティーイベントで販売している。レポートには、活動家_女性たちによる発言が添えられている。
  4.     私たちはまず、ジェンダー研究の第一歩を踏み出したい人のためのストリーム・ディスカッション「私はジェンダー研究をしたい」シリーズを立ち上げ、実施した。海外出願について、大学院の選択肢について、若い研究者の不安について–4つのディスカッションがあった。活動家たちは、コースの付録として、ジェンダー研究入門に関する文献リストをまとめた。
  5.     現代の女性の政治戦略に関するオンライン講義シリーズを開始した。講義は女性のジェンダー研究者が担当する。講義の告知や講義へのリンクは、オープンで匿名のエレメント・スペースに掲載している。このスペースに入る方法については、こちらで読むことができる。
  6.     私たちのコーディネーターであり、新聞『Zhenshaya pravda』の編集者でもあるリリヤ・ヴェジェヴァトヴァが、DPDマヤークと「フェミニストと反戦のサミズダット-歴史と現代性」と題したオンラインミーティングを開催した。
  7.     「気前のいい火曜日」の習慣の一環として、私たちはトビリシ、ベルリン、チュメンで、人道支援のための資金集めや、ウクライナから強制移住させられた親子が交流するためのイベントやワークショップの開催などのボランティア活動を支援した。また今月は、戦争反対を訴え、迫害下に置かれることになった人々を支援する人権プロジェクト「連帯ゾーン」を支援した。私たちのボランティア部門は、ロシアに強制送還されたウクライナ人女性たちを支援し、人道支援物資の運搬、医薬品の引き渡し、プヴルでの宿泊先や被後見人のための法的支援先のアドバイスなどを行った。
  8.     第一弁護団の弁護士とともに、FASの「外国人工作員」事件と、私たちの活動家ダリア・セレンコの「外国人工作員」事件に対する控訴を準備している。
  9.     ビデオシリーズ「暴力の帝国」を完成させた。脱植民地運動家や活動家とともに、カルムイク語とタタール語のロシア帝国主義に関するビデオを発表した。
  10.     反戦の姿勢のために苦しんだロシア人女性たちについての私たちの展覧会は、パリの新しい場所に移った。展覧会とその最新情報はこちら

FASメディア

私たちはフェミニスト反戦メディアとしての仕事を続けている。今月は、活動家たちが他のリソースや活動家などと協力して、多くの重要な記事を書いたり制作したりした:

  •     人権活動家スヴェトラーナ・ガヌシュキナとの “ウクライナ人がロシアでどのように生きるか “についてのインタビュー
  •     サーシャ・タラヴェラがグラスナヤに寄稿したコラム「フェミニズムはロシアで禁止されるのか?
  •     ロシアのパルチザンへのインタビュー
  •     「軍隊の信用を失墜させた」「(同級生の糾弾について)テロを正当化した」という刑事事件の被告で、自宅軟禁から逃れたオレシャ・クリヴツォワへのインタビュー
  •     フランスの年金改革反対運動についてのレポート
  •     カザフのフェミニストアクティビスト、ジャナール・セケルバエワへのインタビュー
  •     「戦争の道具としての文化:文化的『統合』」についての論文研究

FAS細胞

FASタリン

タリン支部はブックウォークを開催し、本の交換や討論を行った。残った本はエストニアのVao Refugee Centerの図書館に寄贈される。

4月8日には、タリンのロシア大使館前で「戦争を忘れるな」「戦争は近い」というスローガンを掲げた反戦集会を開催した。

4月29日には、政治犯とAlexei Navalnyを支援する集会に参加した。

FASブラジル

ラブロフの南米訪問に関連し、ロシア領事館前で抗議活動を行った。

リオデジャネイロではロシア領事館前でデモを組織し、ブラジリアとサンパウロでは@slavaukraine_br@RussiansAgainstTheWar_Br抗議行動に参加した。
FASドイツ

ロシアの政治犯に手紙を送る夕べが22日、デュッセルドルフで開催された。

FAS韓国

ソウルのロシア大使館前で毎週反戦集会を開催した。ソウルのロシア大使館近くで、ブチ虐殺の犠牲者に捧げる写真展を3時間にわたって開催した。9つの大きなスタンドの中には、ロマン・ガヴリリュクとその弟セルゲイ・ドゥクリー、イリーナ・フィルキナ、ジャンナ・カメネワ、マリア・イルチュク、アンナ&タミラ・ミシェンコの個人的な物語が展示された。

多くの人々が足を止め、物語を読み、参加者に話しかけた。

FASチェコ共和国

4月15日、Hnutí pro životによる中絶禁止に反対する集会に参加した。

FASオックスフォード

バフムート、オデッサ、ザポロジエ、ケルソンへの人道支援のための寄付を集める募金活動「Crochet for Ukraine」を開始した(この支援は、英国のフェミニスト・ボランティア団体「Sunflower Sisters」によって組織されている)。寄付金と引き換えに、編み物ワークショップに参加し、ひまわりの編み方を学んだり、編み物の図案や既製品を購入することができる。

私たちは、ウクライナの難民女性がどのように人身売買に直面しているかについて、リサーチを行い、文章を書いた。

https://t.me/femagainstwar/8729

(LeftEast:alameda)ロシアの資本主義は政治的であり、標準的である: 収奪と社会的再生産について

(訳者前書き)この論文は、先に訳したヴォロディミル・イシチェンコとともに同じ論文集(以下のLeftEastの編集部注参照)に収録されたもの。イシチェンコの論文同様、戦争それ自体ではなく、戦争を可能にしているロシア国家による労働力政策あるいは社会政策に焦点を当てている。大方の西側の論調が、左翼であれ右翼であれ、ロシアを資本主義における異例な体制とみなし、だから侵略戦争を引き起こしたのであり、まともな資本主義国家であれば侵略戦争など引き起すはずかがないということ言外に暗示することによって、自らの正義と正統性を強調しようとしてきた。

この論文の著者、リュプチェンコはむしろロシア資本主義を「ノーマル」な資本主義であることをむしろ強調してみせた。イシチェンコがプーチンは狂人だとか、プーチンが独断でやっている戦争だといった観点を厳しく批判したように、リュプチェンコもまた、戦争への動員を可能にしている社会システムを社会的再生産、とりわけ出生奨励主義との関連で論じている点は、日本の労働力政策や社会政策と戦争の歴史をみたときに、いくつもの共通点があるのではないか、ということに気づかされる。増山道康は、「日本の社会保障制度の大部分が準戦時ないし戦時下にかけて戦争計画の一 環として立案実施」され、日本の戦後にまで受け継がれる社会政策の基調が形成された指摘しているように、戦争は労働力再生産過程を国家の統治機構に実質的に包摂する重要な契機となってきた。戦時期日本の女性政策については、加納実紀代の「銃後史ノート」をはじめとして多くの女性史研究者の仕事の蓄積があり、こうした日本の戦争体制と現在のロシアの労働力再生産政策を時代も場所も異なるなかで、安易は比較や類推は避けるべきだろうが、他方で、日本資本主義の資本主義としての異質性と同質性をめぐる戦前からある長い論争を知る者にとって、家族と資本主義、排外主義的なナショナリズムと高度な産業政策のなかに垣間みえる日本資本主義をめぐる論点をもまた、見る思いがする。

日本もロシアも、いずれも資本主義の基本的な構造は共通したものがあり、だからこそ、家父長制とナショナリズムが戦争を支える構造にも共通した性格があるということを見落すべきではないとも思う。特に、日本は少子高齢化のなかで人口政策が大きく転換させられようとしているだけでなく、移民・難民への排除政策、LGBTQへの差別的な扱いもまたロシアとの共通性として意識せざれるをえないと思う。そして同時に日本もまた戦争を見据えた軍事安全保障の質的転換を、伴っていることを念頭に置く必要がある。ロシアを資本主義の例外として、西側資本主義を免罪しようという西側のイデオロギーに足を掬われないようにするためにも、リュブチェンコの論文を通じて、このロシアの構造もまた、資本主義に普遍的な搾取と抑圧の共通性の特殊ロシア的な表出であって、むしろ日本を含む西欧の資本主義にも明確に存在している同様の問題への重要な示唆であることを見落さないようにしたいと思う。

短い論文にあらゆる課題を求めるべきではないが、これまで現代ロシアをめぐって繰り返し議論されてきたことのひとつに、いわゆるファシズムとの関係という問題があり、またロシア正教のイデオロギーの役割もまた注目されてきた、こうしたイデオロギーの領域が「ヘテロナショナリズム」と密接に関わるのではないかとも思う。同時に、ロシアでの事態に対してウクライナはどうなのか、ポストソ連としてのウクライナに対しても新しい分析枠組が可能になるようにも思う。(小倉利丸)


ロシアの資本主義は政治的であり、標準的である: 収奪と社会的再生産について

オレーナ・リュブチェンコ Olena Lyubchenko
投稿日
2023年5月22日

LeftEast編集部注: このミニシリーズでは、Alameda InstituteのDossier、The War in Ukraine and the Question of Internationalismに掲載された2つのエッセイを再掲する。参考までに目次を掲載する。

2006年、社会学者の故サイモン・クラークSimon Clarkeは、その著書『ロシアにおける資本主義の発展The Development of Capitalism in Russia』の中で、以下のように述べた。「資本主義の新興形態を国家の理念モデルと異質な遺産の統合として分析する主意主義的で二元的なアプローチは、国家社会主義から資本主義経済への移行というダイナミックの土着の根と真の基盤を特定できず、変革のプロセスを歴史的に発展する社会の現実として把握できていない(…)。 全体主義に関するリベラルな理論家たちは、ソビエト国家が、リベラルな批判の結果ではなく、それ自身の矛盾の重さによって崩壊したとき、完全に意表を突かれたのである」

2006年にクラークが警告した、ロシア資本主義を「理想的なモデルと[西欧資本主義とは:訳者]異質な遺産」のハイブリッドという観点から特徴づける傾向は、現時点でも蘇ってきている。 ロシアのウクライナ戦争が始まって1年余り、この戦争に関するほとんどの分析は、その原因の根底にある物質的利益を理解することを差し置いて、政治的あるいはイデオロギー的説明を強調する傾向がある。

ロシア政権の帝国主義、権威主義、腐敗、家父長制が、西側の自由民主主義、私的所有関係、普遍的人権、主権原則への譲れないコミットメントと並列される。

特にウクライナ侵略後のプーチン政権は、グローバル資本主義の「標準」かつ健全な機能とは一線を画し、時には例外的な存在として提示されている。その理由は、ロシアの資本主義への移行が特殊であったためであり、これは、ロシア帝国主義を動かしている政治的イデオロギー的な利害とともに非合理的なハイブリッド資本主義や混合資本主義が生まれた結果だという。このため、多くの人が、現在のロシアの体制が資本の利益にまったく貢献していないのではないかという疑問さえ抱いている。ロシアの政治的イデオロギー的な派閥に焦点を当てることは、ロシアをグローバル資本主義の外部に位置づけるという危険を冒すこととなり、ヨハネ福音書の非物質主義の教え――「世からのものではないのにいかにして世にあるのか」[ヨハネの福音書,17-15:訳注]――を彷彿とさせることになる。

政治的・観念的な説明をする者と物質的・経済的な説明をする者との間の二極化した議論を乗り越えるために、ヴォロディミル・イシチェンコVolodymyr Ishchenkoは「侵略の政治的・観念的根拠が(ロシアの)支配階級の利益を反映している」ことを強調している。彼は、プーチンの単純な支配への不合理な執着や国益の代わりに、ソ連崩壊以来、ロシアの支配階級――「政治的資本家」――の形成と再生産は、公職を私的な富のための手段へと変えることと密接に結びついてきたと論じている。したがって、このような蓄積の構造は、一部は国家の収奪のまさにその源泉となったソ連崩壊時の本源的蓄積の過程に端を発し、レント率を維持するための領土拡大に依存するものである。

イシェンコの分析は、ロシアの例外性やグローバル資本主義の外部に立つという二項対立的な考え方を再現することなく、クラークの言う「自国の矛盾の重さ」に向かって、政治と経済の関係を捉えるものである。ポスト・ソビエトの変革というレンズを通して、ロシアの支配階級の政治的・経済的利益のつながりを解明することを求めるイシェンコの呼びかけに応えて、私たちはさらに2つのポイントを提示する。

第一に、私は、「ロシア資本主義」とウクライナ侵略を説明するのににハイブリド性や混合性を用いることに対して釘をさす。ここでは、経済学的なマルクス主義の先入観にとらわれることなく、ロシアの特殊性、すなわち(地政)政治の優位性を独自の観点から説明しなければならないというイリヤ・マトヴェーエフIlya Matveevの呼びかけに対して、批判的な回答を行うものである。そのためには、資本主義とは何か、そのグローバルな展開、「自由民主主義」世界とポスト・ソビエト・ロシアとの相互関係などを再検討する必要があると思うのである。

自由民主主義国家からの逸脱とみなされるものに「混合資本主義」の概念を適用することは、資本主義的生産様式からその政治的・社会的内容を空疎なものにするリスクをはらんでいる。それは「合理的」な資本主義と「非合理的」な資本主義を並列させ、資本主義の人種的、ジェンダー的、環境的暴力からの解放という神話を再生産している。この問題に対処するため、私は社会的再生産理論(SRT)と本源的的蓄積に関する文献を活用し、資本主義における生産と社会的再生産の間の不可欠な関係を実証する。これらの洞察は、抑圧と収奪がハイブリッドなケースに限定されず、むしろ資本主義全般の作用に不可欠であることを明らかにする。

次に、このような資本主義の理解を用いて、1990年代を本源的蓄積の時代とするイシェンコの分析に基づき、生産と社会的再生産の関係の再構築を中心に、ロシアのケースにおいて資本主義がどのように具体化されているかを追跡していく。プーチン政権の現在のヘテロナショナリズム的な思想的・政治的特徴、軍国主義化、ウクライナ戦争は、しばしば資本主義からのロシアの逸脱の証拠として挙げられるが、実際には新自由主義的な蓄積体制の特徴であることを主張する。

具体的には、社会的再生産の金融化と、プーチンのもとで剥奪的な出産奨励主義的社会ポリシーによって推進されているロシア国家の軍国主義化との密接な関連性を検討する。出産奨励主義的な社会政策による労働者階級世帯の負債に基づく包摂は、兵役のための標的徴集のメカニズムとして機能しているのである。

ロシアの事例において、資本主義の収奪、抑圧、搾取の絡み合った力学を解明する作業は、単なる記述的な作業ではない。それは、資本主義が一般的にどのように作動しているかについての私たちの理解を深めるものである。この課題を念頭に置かなければ、グローバル資本主義の産物としてのプーチン政権の本質を理解できないだけでなく、プーチン政権に対する政治的対抗のための有効な戦略を考案することもできないだろう。

ハイブリッドとは

ロシア経済はしばしばハイブリッドと評され、縁故主義、管理主義、依存主義、愛国主義、権威主義、泥棒政治的kleptocraticといったレッテルを貼られて、ポスト産業化のリベラル民主主義の「通常の」資本主義との違いが強調される。これらの様々な限定詞は、戦後の近代化論者が約束した「資本主義=イコール=民主主義」の方程式に、何らかの間違いがあることを意味している。

このことは、アスランド・アンダースAslund Andersの近著『Russia’s Crony Capitalism: The Path from Market Economy to Kleptocracy (2019)』のような堅実な主流派の論考でも、今や広く確認されている。本書は、1990年代の移行が、2000年代半ばに始まるプーチンの国家主義・権威主義への転換と現在のロシアの拡張主義への土台を築いたとしている。国内外での政治的支配を求めるロシア政権のほとんど形而上学的な渇望は、不合理であるだけでなく、例外的でもある。

21世紀には、いかなる国も隣国を侵略してはならない!この感覚は、ロシアがウクライナに侵略した約1週間後の2022年3月に、米国司法省がロシア資本に対する米国の制裁を実施するためのタスクフォースを立ち上げ、「クレプトキャプチャーKleptoCapture」と名付けたほど常識化している。アメリカの進歩主義者たちが、アメリカ人を含むすべてのオリガルヒの富を差し押さえ、人々に再分配しようと呼びかけたが、CNNが宣言したように、答えは出なかった: 「ロシアのオリガルヒは、他の億万長者とは違うのだ」このようにして、ロシアの資本主義は、「普通の資本主義」と比べて本質的に腐敗し、異質なものとして描かれているのである。

批判的な研究者がハイブリッドや混合体制という言葉を使うとき、彼らはまさしく、ロシアと自由民主主義資本主義国家との違いを説明したかったのだ。

政治的・個人的な国家との密接な結びつきを特徴とするロシアの略奪資本主義を、(通常は西洋の)自由民主資本主義国家の合理的とされる私的所有関係と対比することによって、私たちは、抑圧と収奪を排除した資本主義という考え方を再現し、「経済外」暴力が歴史的瞬間や特に遅れた地域だけに関連付けられるという危険な考え方に陥っている。

ロシアを含む、あらゆる歴史的・具体的現われにおいて、それらが資本主義システムの不可欠な要素であることを示すためには、私たちは、これまでとは違って、SRTと原始的蓄積に関する文献が提供する資本主義のより包括的な定義を利用すべきなのだ。

ハイブリッドの枠組みは、2つの別個のタイプの蓄積の存在を前提としている。すなわち、危機にさらされるとはいえ、「自由」な労働者と最大限の「ソフト」な規制に基づく高度な経済搾取と、「経済外」暴力と政治的「介入」に基づくより古風な形態の蓄積である。

しかし、本源的蓄積に対するマルクスの批判は、資本主義が「クリーン」で「非政治的」な形態で実現できるというロマンチックな仮定に疑問を投げかけている。政治理論家・歴史家のエレン・メイキシンズ・ウッドEllen Meiksins Woodが書いているように、「マルクスにとって、資本主義生産の究極の秘密は政治的なものである」実際、マルクス主義フェミニストが示したように、資本と「自由」な労働(生存手段からの自由)との間の契約という法的形態の下での生産的で確立された蓄積は、法律や公共政策に定式化され、それによって国内外で国家によって促進された、社会再生産領域における暴力的な収奪を常に伴っていた。

資本の蓄積は、労働力の再生産を目的とした労働者の身体とセクシュアリティの規制と規律を通じて、家庭と共同体における再生産労働の継続的な従属を必要とし、これは「伝統的」異性愛規範の家族構造の形をとりがちである。

ティティ・バタチャリヤTithi Bhattacharyaの言葉を借りれば、理論としての社会的再生産の意義は、ジェンダー、セクシュアリティ、人種に関連する社会的抑圧が、しばしば「分析の周縁に追いやられたり、より深く、より重要な経済プロセスの添え物として理解されたり」するが、実際には「構造的に資本主義生産と関係し、それゆえに、それによって形成される」ことを示すことである。ブラジルの歴史家ヴァージニア・フォンテスVirginia Fontesが指摘するように、経済外暴力は危機の際の資本蓄積の稀な瞬間だというのは西洋の思い込みである。実際、資本主義がグローバルであるならば、収奪は歴史の特定の瞬間や資本主義的蓄積のレジームの「外側」だけに蔓延するものではない。

つまり、ソビエト連邦後のロシアが、福祉国家モデルから新自由主義へと、西欧の資本主義国家と同様の軌跡をたどることができたという考えには、2つの理由から欠陥があるのである。第一の理由は、資本主義のクリーンなイメージは神話だということ。第二の理由は、グローバル資本主義の中心部と周縁部は、同じグローバル資本主義システムの相互依存的な部分だということ。ソビエト連邦の変容という特殊なストーリーは、資本主義の本質に光を投げかけているのである。

標準的な資本主義

ソビエト政治経済の廃墟から生まれた今日のロシアにおける資本主義国家の形成と、1980年代後半に危機に陥ったグローバル資本主義への統合の力学については、これまで多くのことが書かれてきた。

現代のロシア資本主義には、この時期における生産と社会的再生産の関係の再構築という、重要でありながら見過ごされてきた側面がある。これは、資本主義以前/非資本主義のコモンズの民営化ではなく、(再)生産手段の国家所有の再構成であった。

乱暴に言えば、ケインズ的な福祉国家と比較して、ソ連における剰余の充当と再分配の中央集権的システムは、(再)生産を国家/軍事機構の物質的必要性への従属に基づいていたのである。サイモン・クラークSimon Clarkeとトニー・ウッドTony Woodが示すように、これは深刻な矛盾によって特徴づけられている。国家は、そのコントロール下にある企業から抽出される物質的剰余を最大化することを目指し、一方、企業は、コストまたは彼らが自由に使える国家資源を最大化し、その潜在生産性を隠そうとするものだった。

これは、(不十分ではあったが)社会的市民権の基本的保障である育児、余暇、住宅などが、ソ連企業を通じて果たされたためであり、言い換えれば、生産計画を達成するだけでなく、企業はその労働力の再生産に責任を負っていたためでもあった。重要なのは、賃金はソ連の労働者を再生産するために必要な価値の一部にすぎず、公共サービス、脱/非商品化社会財は、家庭における無償の社会的再生産労働を(不十分ながらも)補助し、地域社会はケインズ主義の福祉国家よりも大きな程度で別の領域を形成していたということである。

1990年代の変革期には、疎外され、力を奪われた労働者とソ連の企業経営者との間の階級関係や、より強固な制度的国家インフラが、ソビエト後のロシア経済に大きな打撃を与えた「ショック療法」の実施を容易にした。

国有企業と公共圏は私的な収入源に変容し、ソ連の国家機関、法的資源、装置は資本蓄積のためのインフラストラクチャー的基盤を形成した。例えば、1992年の民営化によって、企業は国家補助金を失い、事業に専念するために住宅などの社会的再生機能を切り離すことを要求された。

イシェンコが述べているように、ソ連官僚による国家の盗用は、資源の盗用以上の意味があったとするスティーブン・ソルニックの指摘は正しい。社会的再生産の再構築という点で、それは社会的崩壊を意味した。経済的な不安は、出生時の平均寿命の劇的な低下と未熟児の増加を招いた。コスコムスタットによると、1990年代前半のロシアのGDPの落ち込みは、大恐慌時のアメリカのGDPの落ち込みよりも60%も激しいものだった。

2000年代に入ると、1998年以降の石油の利潤による景気回復のおかげで、年金、医療、福利厚生といった国家の義務を果たす能力がいくらか回復してきた。これは、1990年代の明確な新自由主義的経済政策との決別を示すものであった。プーチンのもとで「インサイダー」や「政治的資本家」が強化され、ロシアにおける国家と資本の境界はますます曖昧になった。

社会政策研究では、1990年代のショック療法の混乱に対応して、国家介入主義や出産奨励主義が政権の中心的な特徴になったことが示されている。Anna Tarasenko、Linda Cook、Ilya Matveev、Anastasia Novkunskayaなどの研究者は、福祉給付の収益化、国家支出の減少、サービス提供における官民パートナーシップの確立、その他の緊縮政策が、異性愛家族を中心とした伝統的価値の法的制度化と一致することを示した。

ロシア国家のハイブリッドな性質(新自由主義的規制と国家主義的介入主義)が、いかにウクライナ戦争への道を導いたかを強調する語り方は、現実を断片的に(そして誤解を招くように)説明するものである。国家のイデオロギー的・政治的特徴が、資本主義的蓄積の外部の目的のために発揮さ れていると解されて、ナショナリズム、家父長制、人種差別、同性愛嫌悪などが、階級とは別の抑圧体制と して考えられているところに問題がある。

むしろ、介入主義的な出産省奨励主義的な社会政策の実行が、ウクライナ戦争による国家の軍事化や新自由主義資本主義の維持など、プーチン政権の計画の鍵を握っていると私は主張する。

プーチンのロシアにおける社会政策と市民権

イシュチェンコの言うレントの論理に従えば、ロシアでは、出産奨励主義的な社会政策を通じて国家が奨励する負債ベースの金銭的な包摂に付随する市民権の再構成を私たちは目の当たりにしているということになる。このような形の剥奪は、ソビエト時代の母子保護の言説を援用したポスト・ソビエトの新自由主義的社会政策の延長線上にあるものである。これは、国家が福祉の提供に責任を持ち、公共部門を拡大維持するべきだという考えが残っていることを物語っている。

マタニティ・キャピタル給付金(2007年)[文末の訳注参照]は、最近母親となった受給者を対象とし、主に住宅ローンの頭金に使われる出産奨励主義的な銀行のクーポン券であり、最近のマザー・ヒロイン[母親英雄wiki:訳注]勲章(2022年)は、ウクライナに徴兵された若者が死んでいることを背景に導入されたものであり、兵士に与えられる低利の戦争貸付金(2022年)まである。

ロシアの社会給付制度は、公共部門の継続的な貧困化、労働の不安定化、子どもの貧困、ジェンダー化された暴力に対抗して、金融と社会政策の融合を反映している。しかし、新自由主義的な民営化の継続的なプロセス以上に、プーチン時代の出生奨励主義的な社会政策は、直接国家によって提供される社会的なサービスの提供形態とは対照的に、(特にロシアの銀行と建設会社にとって)利益のために金融資本の回路を通して供給される複雑なメカニズムとなっており、公共財や労働者階級の家計を収奪している。

普遍的な福祉の提供や社会的な市民権が国家を巻き込むことで財政負担を強いのとは違って、負債に基づくインクルージョンは、住宅などの基本的なニーズを満たすための融資への依存を常態化し、ロシアの市民権に付随する個人、しばしば母親を対象としたサービスの提供を通じて社会改良の感覚を作り出した。2000年代半ば以降、子どもの貧困化、多子世帯や母子・祖母世帯の困窮にあわせて、とりわけ住宅ローンを中心とした家計債務の急増が顕著になった。

国家は、ロシアの住宅危機の解決策として、マタニティ・キャピタルと兵士のための戦争住宅ローンプログラムの両方を推進している。貧困地域をターゲットにした広告では、夫や兄弟、息子の祖国への奉仕に感謝し、より安い住宅ローンを確保する機会を得たロシアの家族が笑顔で登場する。実際、こうしたプログラムは、労働者階級の人々をリクルートする仕組みとして機能している。兵役は、よりどころのない世帯が自己再生産する機会を提供するものだからである。

このように、社会的再生産はますます民営化され、その責任は、一種の母性の軍国主義化を通じて女性に取り込まれている。家族は、文字通り、ロシア国家の軍事化を支える金融的な蓄積の直接的な場となっている。

「ロシアの伝統的家族」モデルの制度化は、LGBTQ+の人々や移民労働者の犯罪化、福祉規定、完全な市民権からの排除に基づくものである。フェミニスト理論家ジェニファー・サッチランドJennifer Suchlandの「ヘテロナショナリズム」という用語は、新自由主義的な蓄積体制を支える、出産奨励主義、保護主義、表向きの開発主義的な方向性の国家言説に具現されるロシアナショナリズムの構築を説明するのに役立つ。

複数のインタビューの中で、国会のロシア子どもと家族に関する委員会の責任者であるエレーナ・ミズーリナ Elena Mizulinaのような当局者は、大家族を持つというロシアの伝統的な価値観を、内外の敵に対する国家の維持と明確に結びつけている。中央アジア諸国からの労働移民は、犯罪、公衆衛生リスク、麻薬密売の元凶として描かれることが多い。妊娠中の未登録の[移民の]女性がロシアの公的医療を利用することへの不安の表明や、モスクワの国庫補助の公立プレスクール/幼稚園における未登録の移民の子どもに関する懸念に示されるように、移民への人種差別的取り締まりが生産と社会再生の両方の領域で行われている。

マタニティ・キャピタルMaternity Capital給付金の初年度である2008年3月26日に、プーチン率いる統一ロシアが「家族、愛、貞節[忠節、Fidelity]の日」という祝日を導入したのは偶然ではないだろう。

また、ロシア軍がウクライナ南部と東部の鉱物資源の豊富な土地で採掘と土地収奪に従事している間に、ロシア国家は、未成年者の間での「ゲイプロパガンダ」の拡散の禁止に関する2013年の法律をすべての年齢層に拡大して適用する法律を可決したことも偶然の一致とは言えない。労働者や社会主義者の組織者がロシアで投獄されたのが偶然ではないように。

ロシアの異質性やハイブリッド性についての西洋の描写に反して、サッチランドSuchlandが説明するように、「政治的同性愛嫌悪とヘテロナショナリズムは、ロシアにおける非自由主義の単なる尺度ではなく、ヨーロッパ中心主義と対立するものではなくヨーロッパに絡め取られたポストソ連の帝国プロジェクトの症状である」。

しかし、政治的なものが経済的なものでもあるとすれば、ロシアのヘテロナショナリズムがヨーロッパ中心主義と絡んでいることは、グローバル資本主義と絡んでいることをも意味している。

ロシアの資本主義は政治的であり、それを生み出したグローバル資本主義そのものと同じ様に[資本主義における]標準的なものである。

Olena Lyubchenko トロントのヨーク大学で政治学の博士号候補者であり、ブルックリン社会研究所のassociate faculty membeである。政治経済学のマルクス主義的批判に基づき、社会的再生産、本源的蓄積、グローバルな文脈におけるソビエト連邦の形成と変容に焦点を当てて研究・教育を行っている。ソビエト連邦後のロシアとウクライナにおける新自由主義の再構築、社会的再生産の金融化、人種差別化と市民権、入植者植民地時代のカナダにおける労働関係の規制についても執筆している。LeftEastとMidnight Sun Magazineの編集者である。また、アラメダのアフィリエイターでもある。

出典:https://lefteast.org/russian-capitalism-is-both-political-and-normal-on-expropriation-and-social-reproduction/

訳注:マタニティ・キャピタルについてはロシア社会基金に以下の説明がある。

Maternity (family) capitalは、2007年から2021年までの間に第2子または第3子以上の子どもが誕生または養子縁組したロシアの家庭に対する国家支援の方法であり、第2子の誕生(養子縁組)においてこれらの権利は付与されないことを条件としている。

2020年1月1日以降、出産(家族)資本は466,617ルーブルとなる。

以下のことを知っておくとよい:

マタニティ(ファミリー)キャピタルを受け取る権利は、一度しか与えられない;
マタニティ(ファミリー)キャピタルは、政府による年次指数化[物価スライド]の対象となっており、その額が変わっても証明書を交換する必要はない;
第2子、第3子以上の出産(養子縁組)後、PFRからマタニティ(ファミリー)キャピタル証明書を請求できる期間は無期限である;
マタニティキャピタル(の一部)の使用申請は、第2子、第3子以上の出産(養子縁組)後3年経過すれば、いつでも可能である。出産資金を住宅ローンの初期費用、住宅ローンの元金や利息の支払いに充てる場合、出産(養子縁組)により証明書を受け取る権利を得た子どもの出産または養子縁組後いつでも利用できる;
マタニティ(ファミリー)キャピタルは、所得税が免除される;
証明書は、所有者が死亡した場合、所有者が出産または養子縁組によってマタニティ・キャピタルを受け取る権利を得た子どもに関する親権を剥奪された場合、所有者が人に対する犯罪として定義される自分の子ども(子ども)に対する故意の犯罪を実行し、マタニティ・キャピタルの権利を与えた子どもの養子縁組が終了した場合、またはマタニティ・キャピタルが完全に使われた場合に無効となるものとする;
マタニティ・キャピタルは、銀行振込としてのみ受け取ることができる。これらの資金の現金化は違法である。現金化に同意したマタニティ・キャピタル証明書の所有者は、犯罪を犯し、公的資金の不正使用の共犯者として認識される可能性がある。

マタニティ(ファミリー)キャピタルは、以下のことに使うことができる:

生活環境の改善
    住居を取得する;
    建築業者のサービスを利用して個人住宅を建設または改修する;
    建築請負業者のサービスを利用しない個人住宅の建設または改修;
    個人住宅の建設または改修のために発生した支出に対する補償;
    住宅の取得または建設のための、住宅ローンを含むクレジット(ローン)の初期支払い;
    住宅ローンを含む住宅の取得または建設のための債権(ローン)の元本債務および利息の支払い;
    建設共同資金調達契約に基づく支払い;
    証明書所有者またはその配偶者が住宅、住宅建設、住宅貯蓄協同組合の組合員である場合の、入会金および/または出資金の支払い。
子どもの教育
    国が認定した教育プログラムに対する支払い;
    教育機関における子ども(子ども)の宿泊施設または世話のための支払い;
    教育機関が提供する研修期間中の寮での宿泊費および公共料金の支払い。
母親の基金付き年金

障害のある子どもの社会的適応と統合のため

(LeftEast:alameda)ロシアの戦争の背景にある階級摩擦

(訳者前書き)ロシア・ウクライナ戦争について日本でも多くの議論があり、私も比較的多くのことを書いているが、主に私の関心は、暴力という手段をめぐる問題に集中してきた。日本の改憲状況のなかで、反戦平和運動が専守防衛や自衛のための武力行使を曖昧に肯定するという欺瞞的な立ち位置へとじりじりと後退してきたことへの危機感があるからだ。他方で、戦争をより広い文脈のなかに位置づけることによって、戦争それ自体というよりも、戦争を選択した体制そのものの構造的な矛盾といったもうひとつの大きな問題に視野を拡げてはこなかった。しかし、戦争を遂行する社会システムや政治体制が抱えている諸矛盾を理解すること、つまりは、既存の体制を与件として平和を構想することができるのかどうか、という根本的な戦争と平和をめぐる体制認識を問うことになり、平和を理解する上で欠かせないことでもある。私は資本主義に戦争を廃棄する可能性を見出すことができないが故に、資本主義の廃棄が平和の不可欠な前提をなすと考えるが、なぜそうなのか、という問題に明確な答えを与えることが私にとっても避けられない宿題になる。以下に訳出したヴォロディミル・イシチェンコの主張は、この観点からも重要な問題提起となっている。なおイシチェンコについては、以前にも訳出紹介したものが二点、このブログ掲載されている。

ロシアの戦争を「プーチンの戦争」とみなすような歴史認識は、時代劇の大河ドラマのような時の支配者によって社会の事象を代表させる典型的な英雄主義史観が横行しているなかで、イシチェンコは、「プーチンは権力欲の強い狂人でもなければ、イデオロギーの狂信者でもない(中略)し、狂人でもない。ウクライナ戦争を起こすことで、彼はロシアの支配階級の合理的な集団利益を守っている」とし、左翼の批判的な分析も「帝国主義」の概念装置の安直な適用に陥りがちで、この戦争を特徴づけている特異性とともに、戦争を引き寄せる資本主義に共通する性質を明かにすることからは程遠いものになりがちである点にも警鐘をならしている。イシチェンコは下記の論文の冒頭で、こうした認識を退けるためのオルタナティブなパラダイムとして、ハンガリーの社会学者イヴァン・セレーニが提唱する政治的資本主義という概念を援用して、ポスト・ソヴィエトのロシアを特徴づける階級構造を描き出そうとしている。彼は「技術革新や特に安い労働力に根ざした優位性を持つ資本家とは異なり、国家からの選択的利益を主な競争力とする資本家階級の一部を、政治的資本家と呼ぶ」と定義している。そしてこの概念に当て嵌まるもうひとつの国家として中国を挙げている。この政治的資本主義とロシアの経済学者ルスラン・ザラソフが提唱する「インサイダー・レント」という概念を用いて、イシチェンコはポスト・ソビエトのロシアに固有の階級構造を明かにしようとする。これらの概念は、ポスト・ソ連あるいは社会主義から資本主義へと転換した社会にとって、いわゆる社会主義の体制が構築してきた労働力再生産や経済組織の構造の資本主義的な継承の特殊性を把握する上で重要な位置を与えられている。このことは、日本が近代化するなかで国家主導の富国強兵政策をとり経済組織を国家の統制に置く戦時総動員体制から戦後の西側資本主義への統合の過程でのいわゆる「経済の民主化」や労動改革などを経つつも、戦前からの構造的な一貫性をも維持してきた経緯と照らしても、興味深いものがある。資本主義と20世紀の社会主義を包含する近代性という概念が、純粋な近代の理念モデルからは排除されている非(前)近代的な要素の不可分性というこの概念の外延をも包摂しなければ、近代性そのものの本質もまた把握しえない、ということに気づかされる。20世紀初頭の資本主義ロシアから革命を経たスターリン体制下のロシア、そしてポスト・ソ連としてのロシアは、私たち日本の近代史とは余りにもかけはなれた歴史的経験にあるように感じるが、西欧に対して後進的な位置にありながら近代化を目指すなかで獲得されてきた支配の構造には、思いのほか多くの共通点を見出すこともできそうに思う。

戦争へと向う構図は単純ではないことは、イシチェンコの分析に登場するアクターと歴史的な背景から浮き彫りにされる単純明快とは言い難い階級闘争の姿からも理解できる。しかし、この論文のタイトルが階級闘争ではなく階級摩擦class conflictとなっていることには重要な含意がある。イシチェンコはロシアだけでなくウクライナにも注目しつつ、西側からのアプローチを軍事や多国籍資本だけでなく、いわゆる「市民社会」(つまり実現不可能あクリーンな資本主義のアクターを代表するわけだが)の回路を通じた西側への統合がもたらす支配階級内部の軋轢に着目する。この市民社会の回路は極めて重要なイデオロギー作用をロシアやウクライナだけでなく、私たちの社会にももたらしている。つまり「市民社会」は、資本主義を理想化するイデオロギー効果を伴っており、これが権力を善導すればよい資本主義が実現するという幻想の担い手になってしまっている。少なくとも、この点では未だ闘争といいうるような階級の構成が登場していないということを示唆しつつも、ラディカルな変革の可能性をも指摘するところでこの論文は終っている。

この論文が、単刀直入にウクライナへの侵略へと向ったロシアの政治権力の意思決定を分析するという方法をとっていないので、なぜ、これがロシアの戦争の「背景」なのかを理解するのは容易ではないかもしれない。戦争を軍が武力行使い動員される事態としてだけ捉えるのではなく、むしろ戦争を可能にし、かつこれを必然ともする戦争する国家の権力構造全体を理解しようとすれば、イシチェンコのようなアプローチには意義があると思う。

イシチェンコが援用する「国家からの選択的利益を主な競争力とする資本家階級の一部を、政治的資本家と呼ぶ」という捉え方は、マルクスの唯物史観の定式でもある土台と上部構造の伝統的な理解を覆して、国家の統治機構を資本=土台の不可欠な蓄積構造のなかに組み込む事態を指すとすれば、私もまた同様の考え方をしてきたので、関心が重なるところがある。中国も視野に入れた政治的資本主義は、その前身をなす20世紀の国民国家社会主義が政治権力による経済統制のモデルとしての経験を継承することで可能になったものともいえるが、他方で、私のように、統治機構の社会基盤となっている情報通信インフラを資本に依存する構造に着目する場合は、産業構造の転換もまた視野に入れるべき問題だということになる。そして、この情報通信の分野が、同時に現代的な軍事産業のひとつの軸をもなしつつあるということにも着目する必要がある。イシチェンコの論文にはこうした観点への言及がないが、政治的資本主義、あるいはインサイダー・レントといった概念を私のような問題意識を持つ者にとっても、検討する価値のある捉え方だと感じた。(小倉利丸)


ヴォロディミル・イシチェンコ Volodymyr Ishchenko
投稿日

2023年5月23日

LeftEast編集部からのお知らせ: このミニシリーズでは、Alameda InstituteのDossier、The War in Ukraine and the Question of Internationalismに掲載された2つのエッセイを再掲する。参考までに目次を掲載する。

今年初めにロシア軍がウクライナに侵略して以来、政治的なスペクトルを問わず、アナリストたちは何が、あるいは誰が、我々をここまで導いたのかを正確に特定することに苦心してきた。「ロシア」、「ウクライナ」、「西側」、「グローバル・サウス」といった用語が、あたかも統一された政治主体を示すかのように飛び交っている。左派であっても、ウラジーミル・プーチン、ヴォロディミル・ゼレンスキー、ジョー・バイデン、その他の世界の指導者の「安全保障上の懸念」「自決」「文明的選択」「主権」「帝国主義」「反帝国主義」に関する発言は、しばしば額面どおりに受け取られる。

特に、戦争開始におけるロシア、より正確にはロシアの支配集団の利益をめぐる議論は、疑問の多い極端へと偏りがちである。多くの人は、プーチンの言うことを文字通り受け取り、NATOの拡張への脅迫観念や、ウクライナ人とロシア人が「一つの人々」を構成するという主張が、ロシアの国益を代表しているか、ロシア社会全体が共有しているかを疑問視することさえしない。他方で、彼の発言は大嘘であり、ウクライナにおける彼の「真の」目標とは全く関係のない戦略的コミュニケーションであるとしてはねつける意見も多い。これらの立場はいずれも、クレムリンの動機を明らかにするのではなく、むしろ謎めいたものにするものである。ロシアのイデオロギーに関する今日の議論は、175年前に若き日のカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって書かれた『ドイツ・イデオロギー』の時代に戻ったかのように感じることが多い。

ある人は、ロシア社会で支配的なイデオロギーが、社会的・政治的秩序を正しく表していると考える。また、「王様は裸だ」と宣言するだけで、イデオロギーの自由な泡に穴を開けることができると考える人もいる。しかし、現実の世界はもっと複雑である。「プーチンが何を求めているのか」を理解する鍵は、彼の演説や論文から、観察者の先入観に合った不明瞭なフレーズを選び出すことではなく、むしろ、彼が代表する社会階級の物質的利益、政治組織、イデオロギー的正統性を構造的に決定する分析を実施することである。

以下では、ロシアの文脈に即して、そのような分析の基本的な要素をいくつか挙げてみる。だからといって、この紛争における西側やウクライナの支配階級の利害に関する同様の分析が無関係であったり不適切であったりするわけではないが、私がロシアに焦点を当てたのは、一部には現実的な理由からであり、またこの問題が現在最も議論を呼んでいるからであり、さらにまたロシアの支配階級がこの戦争の第一責任を負っているからでもある。彼らの物質的利益を理解することで、支配者の主張を額面通りに受け取る薄っぺらい説明から、戦争が1991年のソ連崩壊によって開かれた経済的・政治的空白にいかに根ざしているかという、より首尾一貫した図式へと向かうことができる。

名前に何があるのか?

この戦争において、クレムリンの利益を理論化するために、多くの人が帝国主義という概念を参照している。もちろん、あらゆる分析的パズルに、利用可能なすべてのツールを使ってアプローチすることは重要である。しかし、それと同じくらい重要なのは、それらを適切に使用することである。

この問題は、帝国主義という概念が、ポスト・ソビエトの状況に適用される際に、実質的に何の発展も遂げていないことである。ウラジーミル・レーニンも、他の古典的なマルクス主義者も、ソビエト社会主義の崩壊によって出現した根本的に新しい状況を想像することはできなかっただろう。彼らの世代は、資本主義の拡張と近代化の帝国主義を分析していた。これとは対照的に、ポスト・ソビエトの状況は、縮小、脱近代化、周辺化という永続的な危機にある。

だからといって、今日のロシア帝国主義の分析が無意味だというわけではないが、それを実りあるものにするためには、かなり多くの概念的な宿題が必要である。20世紀の教科書的な定義を参照しながら、現代のロシアが帝国主義国家であるかどうかを議論することは、学問的な価値しかない。説明概念としての「帝国主義」は、「ロシアは弱い隣国を攻撃したから帝国主義だ」「ロシアは帝国主義だから弱い隣国を攻撃した」など、非歴史的かつ同語反復的な記述的ラベル貼りに変わってしまう。

ロシアの金融資本の拡張主義を見ずに(グローバル化したロシア経済とロシアの「オリガルヒ」の欧米資産に対する制裁の影響を考慮して)、新市場の征服(ウクライナでは、自国のオリガルヒの海外資金を除き、事実上いかなる外国直接投資(FDI)も誘致できなかった)、戦略資源のコントロール(ウクライナ国内にどんな鉱脈があるとしても、ロシアにはそれを吸収する産業の拡大か少なくともより進んだ経済国にそれを売る可能性が必要だが、それは――驚くべきことに!――欧米の制裁によって厳しく制限されている)、あるいはロシアの侵略の背後にあるその他の従来の帝国主義的な原因について、一部のアナリストは、この戦争は「政治」または「文化」帝国主義の自律的合理性を持っているかもしれないと主張している。

これは結局のところ、折衷的な説明である。私たちの仕事は、侵略の政治的・思想的根拠が支配階級の利益をどのように反映しているかを説明することにある。そうでなければ、必然的に、力のための力、あるいはイデオロギーの狂信という無骨な理論に行き着くことになる。さらに、これは、ロシアの支配層は、ロシアの偉大さを取り戻すという「歴史的使命」に取りつかれた権力欲の強い狂信的なナショナリズムの人質になってしまったか、あるいは、客観的に利益に反する政策に導かれてつまりプーチンのNATOの脅威に関する考えやウクライナの国家としての否定を共有するという極端な虚偽意識にさいなまれているということを意味することになるだろう。

私は、これは間違っていると思う。プーチンは権力欲の強い狂人でもなければ、イデオロギーの狂信者でもない(この種の政治はポストソ連の空間全体では周辺的でしかない)し、狂人でもない。ウクライナ戦争を起こすことで、彼はロシアの支配階級の合理的な集団的利益を守っているのである。集団的な階級の利益は、その階級の代表者個人の利益と部分的にしか重ならず、あるいは矛盾することも珍しくはない。それでは、実際にロシアを支配しているのはどのような階級であり、その集団的利益は何なのだろうか。

ロシアとそれを越えた政治的資本主義

ロシアを支配する階級は何かと問われれば、左派の人々の多くは、ほとんど本能的に「資本家」と答えるだろう。ポストソビエトの平均的な市民は、彼らを泥棒、ペテン師、マフィアと呼ぶかもしれない。少し高尚な回答としては、「オリガルヒ」であろう。このような回答を、誤った意識の反映と断じることは簡単である。しかし、より生産的な分析の道は、なぜポスト・ソビエト市民が「オリガルヒ」という言葉が意味する窃盗や私企業と国家の緊密な相互依存関係を強調するのかを考えることであろう。

現代の帝国主義の議論と同様に、ポスト・ソビエトの条件の特殊性を真剣に考える必要がある。歴史的に見ると、ここでの「本源的蓄積」は、ソ連の国家と経済が遠心的に崩壊していく過程で起こったものである。政治学者のスティーブン・ソルニックSteven Solnickは、このプロセスを「国家を盗む」と呼んだ。

新しい支配階級のメンバーは、国有財産を民営化するか(多くの場合、1ドル=1円で)、形式的に公的な団体から私的な手に利益を吸い上げる機会を豊富に与えられた。彼らは、国家公務員との非公式な関係や、しばしば意識的に設計された法律の抜け穴を利用して、大規模な脱税や資本逃避を行い、短期的な視野で素早く利益を得るために敵対的な企業買収を実行したのである。

ロシアの経済学者ルスラン・ザラソフ Ruslan Dzarasovは、このような慣行を「インサイダー・レント」というコンセプトで捉え、権力者との関係に依存する企業の財務フローをコントロールすることで、インサイダーが引き出す収入のレント的性質を強調した。このような慣行は、確かに世界の他の地域でも見られるが、国家社会主義の遠心的崩壊とそれに続くパトロン制に基づく政治経済的再統合から始まったポストソ連の変革の性質上、ロシアの支配階級の形成と再生産におけるその役割ははるかに重要である。

ハンガリーの社会学者イヴァン・セレーニIván Szelényiのような他の著名な思想家は、同様の現象を「政治的資本主義」と表現している。マックス・ウェーバーに倣って、政治的資本主義は、私的な富を蓄積するために政治的地位を利用することを特徴としている。私は、技術革新や特に安い労働力に根ざした優位性を持つ資本家とは異なり、国家からの選択的利益を主な競争力とする資本家階級の一部を、政治的資本家と呼ぶことにしたい。

政治資本家は、ポスト・ソビエト諸国に限ったことではないが、歴史的に国家が経済の支配的役割を果たし、巨大な資本を蓄積し、現在は私的搾取のために開放されている分野でこそ、繁栄することが可能である。

政治資本主義の存在を認識することは、クレムリンが「主権」や「勢力圏」について語るとき、時代遅れのコンセプトへの不合理な執着からそうしているのではない理由を理解するために極めて重要である。同時に、このようなレトリックは、必ずしもロシアの国益を明示するものではなく、ロシアの政治資本家の階級的利益を直接反映するものである。

国家の選択的利益が彼らの富の蓄積の基礎となるのであれば、これらの資本家は、彼らが独占的なコントロールを行使する領域、つまり資本家階級の他のいかなる部分とも共有されないコントロールを囲い込む以外に選択肢はない。

このような「領域を示す」ことへの関心は、異なるタイプの資本家には共有されないか、少なくともそれほど重要ではない。マルクス主義理論における長年の論争は、Göran Therbornの言葉を借りれば、「支配階級が支配するときに実際に何をするのか」という疑問が中心であった。その謎は、資本主義国家のブルジョアジーは、通常、国家を直接には運営しないということであった。国家官僚は通常、資本家階級から実質的な自律性を享受しているが、資本家的蓄積に有利なルールを確立し、実施することによって資本家階級に奉仕する。対照的に、政治資本家は、一般的なルールではなく、政治的意思決定者に対するより厳密なコントロールを要求する。あるいは、自ら政治的地位を占め、私的な富を得るために政治的地位を利用する。

古典的な企業家資本主義のアイコンの多くは、国家補助金、優遇税制、あるいはさまざまな保護主義的措置の恩恵を受けていた。しかし、政治資本家とは異なり、彼らの市場での生存と拡大が、特定の役職にある特定の個人、特定の政党、特定の政治体制に依存することはほとんどなかった。多国籍資本は、その本社が所在する国民国家に依存することなく存続することができたし、今後も存続するだろう。ピーター・ティールのようなシリコンバレーの大物が後押しする、国民国家から独立した浮遊起業家都市であるシーステージング・プロジェクトseasteading project[海上に自治都市を建設するという構想l]が思い出される。政治資本家は、外部からの干渉を受けずにインサイダー・レントを得ることができる少なくともいくつかの領域がなければ、グローバルな競争の中で生き残ることはできない。

ポスト・ソビエトの周縁部における階級闘争

政治資本主義が長期的に持続可能かどうかについては、まだ未解決の疑問が残る。結局のところ、政治資本主義者の間で再分配するために、国家はどこからか資源を奪う必要がある。ブランコ・ミラノヴィッチが指摘するように、政治的資本主義にとって汚職は、たとえ効果的でテクノクラート的で自律的な官僚機構が運営する場合であっても、固有の問題である。

政治的資本主義の最も成功した事例である中国とは異なり、ソ連共産党の組織は崩壊し、個人の後援ネットワークに基づく政権に取って代わられ、自由民主主義の形式的なファサードを自分たちに有利なように曲げた。このことは、経済の近代化と専門化の衝動にしばしば逆行する仕事であった。

乱暴に言えば、人はいつまでも同じところで盗みを働くことはできない。利潤率を維持するためには、資本投資や労働搾取の強化によって別の資本主義モデルに転換するか、インサイダー・レントを抽出するためのより多くの源泉を得るために拡大する必要がある。

しかし、再投資も労働搾取も、ポストソビエトの政治的資本主義では構造的な障害に直面している。一方では、ビジネスモデル、さらには財産の所有権が基本的に特定の権力者に依存している場合、多くの人々が長期的な投資に取り組むことを躊躇する。一般に、利益を海外口座に移す方が好都合であることが判明している。

一方、ソ連崩壊後の労働力は、都市化され、教育を受け、決して安くはなかった。この地域の比較的低い賃金は、ソビエト連邦が遺産として残した広範な物質的インフラと福祉制度があったからこそ可能だったのである。この遺産は国家に大きな負担を強いているが、主要な有権者グループの支持を損なうことなく放棄することはそう簡単ではない。

プーチンのようなボナパルティズムの指導者や他のポストソ連の独裁者は、1990年代を特徴付けた政治資本家同士の対立を終わらせようと、政治的資本主義の基盤を変えることなく、一部のエリート層の利益を均衡させ、他の層を抑圧することによって、万人対万人の戦争を緩和させた。

強欲な拡張が内部的な限界に直面し始めると、ロシアのエリートは、抽出のプールを増やすことによってレント率を維持するために、外部への委託を試みた。それゆえ、ユーラシア経済同盟のようなロシア主導の統合プロジェクトを強化することになった。しかし、このプロジェクトは2つの障害に直面した。ひとつは、比較的マイナーな存在である地元の政治資本家たちである。たとえばウクライナでは、彼らはロシアの安価なエネルギーに関心を寄せていたが、同時に自国の領土内でインサイダーのレントを得るための主権的権利にも関心を寄せていた。彼らは、崩壊したソビエト国家のウクライナ地域の領有権を正当化するために反ロシアナショナリズムを利用することはできたが、明確な国家開発プロジェクトを展開することはできなかった。

ウクライナ第2代大統領レオニード・クチマLeonid Kuchmaの有名な本『ウクライナはロシアではない』のタイトルは、この問題をよく表している。

ウクライナがロシアでないなら、いったい何なのか。

ロシア以外のポストソビエトの政治的資本家たちは、ヘゲモニーの危機を克服することに至るところで失敗したため、彼らの支配は脆弱になり、最近ベラルーシやカザフスタンで見られるように、結局はロシアの支援に依存することになった。

ポスト・ソビエト空間における多国籍資本と職業的中産階級の同盟は、政治的には親欧米のNGO化した市民社会によって代表され、劣化し崩壊した国家社会主義の廃墟で一体何を育てるべきかという疑問に、より説得力のある答えを与え、ロシア主導のポスト・ソビエト統合により大きな障害となった。これが、ウクライナ侵略に結実することになるポストソビエト空間における主要な政治的対立を構成している。

プーチンをはじめとするソビエト連邦の指導者たちが実施したボナパルティズム的安定化は、職業的中産階級の成長を促進した。その一部は、官僚や戦略的な国営企業で働くなどして、制度の恩恵を共有していた。しかし、その大部分は政治的資本主義から排除されていた。

彼らの収入、キャリア、政治的影響力の発展の主な機会は、西側との政治的、経済的、文化的なつながりが強まるという見通しのなかにあった。同時に、彼らは西洋のソフトパワーの先兵でもあった。EUや米国が主導する機関への統合は、彼らにとって、「適切な」資本主義と「文明世界」の両方に参加するという、偽りの近代化プロジェクトであった。これは、ソビエト後のエリートや制度、そして、1990年代の惨事の後、少なくともある程度の安定を保つことにこだわった「後進的」な平民大衆に染み付いた社会主義時代の精神性との決別を必然的に意味する。

ほとんどのウクライナ人にとって、これは自衛のための戦争である。このことを認識した上で、彼らの利益と彼らの代弁すると主張する人々との間のギャップについても忘れてはならない。

このプロジェクトの根深いエリート主義的性格が、歴史的な反ロシアナショナリズムに後押しされたとしてもポスト・ソビエトのどの国でも真の意味でヘゲモニーになることはなかった理由である。現在であっても、ロシアの侵攻に対抗するために動員された[ロシアに対する]ネガティブな連合は、ウクライナ人が何らかの特定のポジティブな議題で団結しているということを意味してはいない。同時に、このことは、グローバル・サウスが、グローバル・パワーを目指す者(ロシア)や、帝国主義を廃止するのではなく、より成功した帝国主義と結びつこうとして西側諸国への統合を目指す者(ウクライナ)と連帯するよう求められたときに、懐疑的な中立性を示している理由を説明するのに役立つ。

ロシアの侵略に道を開いた西洋の役割についての議論は、通常、NATOのロシアに対する威嚇的な姿勢に焦点が当てられている。しかし、政治的資本主義という現象を考慮に入れると、ロシアの根本的な転換なしでのロシアの西欧への統合が、決してうまくいくことはなかっただろう理由がわかる。ポスト・ソビエトの政治的資本家からその主な競争力であるポスト・ソビエト諸国から与えられる選択的利益を奪うことで階級としての彼らをなきものにしようと明確に目論む西側主導の制度には、彼らを統合するような方策はなかったのである。

ポスト・ソビエトの空間に対する西側機関のビジョンのなかでいわゆる「反腐敗」アジェンダは、最も重要ではないにしても、不可欠な部分であり、この地域の親西側中産階級によって広く共有されてきた。このアジェンダの成功は、政治的資本家にとっては彼らの政治的・経済的な終焉を意味する。

公の場では、クレムリンは戦争を、ロシアの主権国家としての存続をかけた戦いだと見せようとしている。しかし、最も重要な利害関係は、ロシアの支配階級とその政治的資本主義モデルの存続である。世界秩序の「多極化」的な再編が、しばらくの間は、この問題の解決となるだろう。これが、クレムリンが彼らの特殊な階級プロジェクトをグローバル・サウスのエリートたち売り込もうとする理由であり、クレムリンは「文明を代表する」という主張に基づいて自分たちの主権の「影響圏」を手に入れようとするだろう。

ポスト・ソビエトのボナパルティズムの危機

ポスト・ソビエトの政治資本家、職業的中産階級、多国籍資本の矛盾した利害が、最終的に現在の戦争をもたらすような政治的対立を構造化した。しかし、政治的資本家の政治組織の危機は、彼らに対する脅威を深刻化させた。

プーチンやベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコのようなボナパルティズム政権は、受動的で脱政治的な支持に依存し、ソ連崩壊後の惨事を克服することで正統性を得ているのであって、支配階級の政治ヘゲモニーを確保するような積極的同意からではない。このような個人主義的な権威主義的支配は、後継者の問題があるが故に根本的に脆弱である。権力の継承には明確なルールや伝統がなく、新しい指導者が遵守すべき明確なイデオロギーもなく、新しい指導者を社会化しうるような政党や運動もない。後継者は、エリート内部の対立が危険な水準にまでエスカレートし、下からの反乱の方が成功する可能性が高いという脆弱な場になっている。

2014年のウクライナにおけるユーロマイダン革命だけでなく、アルメニア革命、キルギスの第三革命、ベラルーシの2020年蜂起の失敗、そして直近ではカザフスタンの蜂起など、近年、ロシアの周辺部でこうした蜂起が加速している。最後の2つのケースでは、ロシアの支援が現地政権の存続に不可欠であることが証明された。

ロシア国内では、2011年と2012年に開催された「公正な選挙のために」集会や、Alexei Navalnyに触発されたその後の動きは、重要な意味を持つものとはいえなかった。侵略の前夜、労働不安は高まり、世論調査ではプーチンへの信頼は低下し、引退を望む人々が増えていた。注目すべきは、回答者が若いほどプーチンへの反発が強かったことである。

ポスト・ソビエトのいわゆるマイダン革命は、いずれも階級としてのポスト・ソビエト後の政治的資本家それ自体に対する脅威となるものではなかった。彼らは同じ階級の権力者の一部を入れ替えただけであり、したがって、そもそも反動であった政治的代表の危機を激化させただけである。だからこそ、この種の抗議運動がこれほどまでに頻繁に起こっているのである。

マイダン革命は、政治学者マーク・ベイシンガーMark Beissingerが呼んだように、典型的な現代都市の市民革命である。彼は豊富な統計資料から、過去の社会革命とは異なり、都市市民革命は権威主義的支配を一時的に弱め、中流市民社会に力を与えるにすぎないことを示している。それは、より強固で平等な政治秩序や、永続的な民主主義の変化をもたらすものではない。

典型的な例として、ポスト・ソビエト諸国では、マイダン革命は、多国籍資本からの圧力(直接的にも親欧米NGOを通じて間接的にも)に対して国家を弱体化させ、地元の政治的資本家を脆弱にしただけであった。例えば、ウクライナでは、ユーロマイダン革命後、一連の「反腐敗」機関が、IMF、G7、市民社会によって徹底的に推進されてきた。

彼らは、この8年間、腐敗の重大な事例を提示することはできなかった。しかし、外国人や反腐敗活動家による主要な国営企業や裁判制度の監督機能を制度化し、国内の政治的資本家がインサイダー・レントを得る機会を奪っている。ロシアの政治的資本家には、かつて強大だったウクライナのオリガルヒが抱える問題に神経を尖らせるのに十分な理由があるといえるだろう。

支配階級の統合がもたらす意図せざる結果

ウクライナ侵略のタイミングと、プーチンの迅速かつ容易な勝利という誤算を説明するのに役立つ要因はいくつかある。例えば、極超音速兵器におけるロシアの一時的優位、ヨーロッパのロシアエネルギーへの依存、ウクライナ国内のいわゆる親ロシア派の反対派の弾圧、ドンバスでの戦争の後の2015年ミンスク合意の停滞、またはウクライナにおけるロシアの諜報活動の失敗である。

ここでは、侵略の背後にある階級的対立、すなわち、一方ではレントの割合を維持するための領域拡大に関心を持つ政治的資本家と、他方での政治的資本主義から排除された専門職中間層と連携する多国籍資本との間の対立を、非常に大まかに説明しようと思う。

マルクス主義的な帝国主義の概念は、戦争の背後にある物質的利益を特定することができれば、現在の戦争に有意義に適用することができる。同時に、この紛争は、単なるロシア帝国主義以上のものである。現在ウクライナで戦車、大砲、ロケット弾によって解決されようとしている紛争は、ベラルーシやロシア内部で警察の警棒によって抑圧してきたのと同じ紛争である。

ポスト・ソビエトのヘゲモニー危機――支配階級が持続的な政治的、道徳的、知的リーダーシップを発揮できない無能さ――の激化が、エスカレートする暴力の根本原因である。

ロシアの支配層は多様である。その一部は、欧米の制裁の結果、大きな損失を被っている。しかし、ロシアの体制は支配層から部分的に自立しているため、個々の代表者やグループの損失とは無関係に、長期的な集団的利益を追求することができる。同時に、ロシア周辺部の類似の政権の危機は、ロシア支配層全体に対する存立危機事態を悪化させている。

ロシアの政治的資本家のうち、より主権主義的な分派は、より買弁的な分派に対して優位に立っているが、後者でさえも、政権の崩壊によって、彼ら全員が敗北することをおそらく理解しているだろう。

クレムリンは戦争を開始することで、世界秩序の「多極化」再編を最終目標に、当面の脅威を軽減しようと目論んだ。ブランコ・ミラノヴィッチBranko Milanovicが示唆するように、戦争は、高い代償を払うことになるにもかかわらず、ロシアの西側との関係弱体化に正当性を与え、同時に、さらに多くのウクライナ領土を併合した後に、それを覆すことを極めて困難にする。

同時に、ロシアの支配的な小集団は、支配者層の政治的組織とイデオロギー的正統性をより高いレベルにまで高めている。ロシアにはすでに、中国のより効果的な政治的資本主義にロールモデルとしての明かなヒントを得つつ、より強固で、イデオロギー的で、動員力のある権威主義的な政治体制への転換の兆候がある。

プーチンにとって、これは本質的に、ロシアのオリガルヒを手なずけることによって2000年代初頭に始めたポスト・ソビエトの統合プロセスのもうひとつの段階である。第一段階における大惨事の防止と「安定」の回復という緩やかな物語に続いて、今の第二段階では、より明確な保守ナショナリズム(海外ではウクライナ人や西欧に、ロシア国内ではコスモポリタンな「裏切り者」に向けられる)が、ソ連崩壊後の思想的危機という状況の中で広く利用できる唯一の思想言語となった。

社会学者ディラン・ジョン・ライリーDylan John Rileyのように、上からのより強力なヘゲモニー政治が、下からのより強い対抗的なヘゲモニー政治の成長を助長する可能性があると主張する著者もいる。もしそうだとすれば、クレムリンのよりイデオロギー的で動員主義的な政治への移行は、ポスト・ソビエトのどの国が経験したよりも大衆層に根ざした、より組織的で意識的な大衆政治的反対運動、ひいては新しい社会革命の波が起こる条件が生まれるかもしれない。

このような展開は、世界のこの地域の社会的・政治的な力のバランスを根本的に変え、約30年前にソビエト連邦が崩壊して以来、この地域を苦しめてきた悪循環に終止符を打つ可能性がある。

Volodymyr Ishchenko ベルリン自由大学東欧研究所の研究員である。抗議行動や社会運動、革命、急進化、右翼・左翼政治、ナショナリズム、市民社会などを研究テーマとしている。ウクライナの現代政治、ユーロマイダン革命、それに続く戦争について広く発表している。『ガーディアン』『アルジャジーラ』『ニューレフトレビュー』『ジャコバン』への寄稿が多い。現在、『The Maidan Uprising: Mobilization, Radicalization, and Revolution in Ukraine, 2013-14』というタイトルの集合的なモノグラフを仕事にしている。VolodymyrはAlamedaのアフィリエイターでもある。