接触者追跡とプライバシーの権利―監視社会の新たな脅威

目次

1 はじめに 感染経路追跡とプライバシーの権利

COVID-19パンデミック第二波となっている現在、政府(国であれ自治体であれ)と資本の対応に一貫性がみられなくなっいる。しかし、そうしたなでも、誰もがほぼ間違いなく「正しい」対処とみなしているのが、陽性とされた人の濃厚接触者を特定し追跡することだ。これが感染拡大を防止するイロハとみなされている。しかし、わたしはこの政策には疑問がある。この考え方は、人々が濃厚接触者が誰なのかを、正直に保健所当局に告白するという前提にたっている。この考え方は、濃厚接触者を網羅的に把握できなかったばあい、つまり漏れが少しでも生じれば、代替的な防止策がとれないで破綻するということだ。実際最近の動向は、感染経路が追えないケースが増えていることを危惧する報道が多くなった。

濃厚接触者追跡というモデルは、現実の人間をあたかも実験室のモルモットであるかのように扱う現実性に欠けた人間モデルであると同時に、上述のように、濃厚接触者を告白しなかった場合、当該の人物はあたかも犯罪者であるかのように指弾されかねないというもうひとつの問題がある。そもそも誰が濃厚接触者であったのかを保健当局が判断するには、感染したと思われる時期に本人がとった行動や接触した人を網羅的に全て列挙して、そのなかから濃厚接触とみられる人物をリストアップすることになる。

私たちの日常生活の経験からみても思い当たることだが、すべての人間関係をつつみかくさず、公的機関に告白できる人はどれだけいるのだろうか。人間関係の隠蔽は政治家たちの習性であり、またそれ自体が政治の戦術でもある。労働者が雇用主に内密で労働組合に労働問題を相談する、DVの被害者が加害者に知られないよう支援組織と接触するといった人権に関わる問題から、ごく私的で他人に知られたくない性的な関係に至るまで、多様で様々な人間関係がある。

プライバシーの権利は、個人の生活における自由の基本をなす。他人に詮索されたり覗かれたりせずに自由に行動できる権利としてのプライバシーの権利は、同時に、自分に関する情報を自分がコントロールできる権利(本ブログ「ロックダウンと規制解除―残るも地獄、去るも地獄の資本主義:権利としての身体へ」参照)と表裏一体である。このプライバシーの権利は、感染経路を追跡するために自分の行動や親密な人間関係を告白するように道徳的にも強制するような感染症パンデミックの状況では極めて脆弱になる。公共の福祉のために、個人のプライバシーの権利は制約さるのはいたしかたないという社会の合意がありそうにも思う。

しかし、そうだとしても、またプライバシーの権利などという権利を公言することがないとしても、他人に秘匿される親密な人間関係はなくなることはない。感染経路追跡という戦略は、プライバシーの権利を軽視しているだけでなく、そもそもの人間関係に関する基本的な理解が間違っている。この間違いは、人間の行動を実験室のモルモットの行動から類推するとかコンピュータで解析可能なシミュレーションのモデルに無理矢理押し込めるといった専門家にとっての都合に基くものだ。

プライバシーの権利と感染防止を両立させることは不可能なのか。そうではない。後述するように、匿名で網羅的に検査し、陽性となった者が、自らの判断で医療機関で治療を受けられるような広範で大規模な医療体制をとればよいだけである。私が陽性になっても、誰から感染させられた可能性があるのかを告白しなくてもよいのは、網羅的に皆が検査しているからである。必要なことは感染経路ではなく、感染者の治療であり、感染させないような対処をとることである。このためには莫大な人的物的なコストがかかるが、生存の権利を保障するために国家がなすべき責任の観点からすれば、このコストは先進国であれば国家財政で対処可能であり、途上国を支援する余裕も十分にある。

プライバシーの権利と感性拡大阻止の両立を妨げているのは、三つの要因による。ひとつは、集団免疫への願望が地下水脈のようにこの国の政権のなかに存在しつづけているのではないか、ということ。第二に、GO TOキャンペーンは国土交通省所管であり、国土交通省は感染症対策に責任を負わない役所であるように、各省庁は自らの利権を最優先に行動し、政府の予算措置も既存の利権を保持したまま、追加予算措置として臨時に感染症対策を計上するにすぎない。結果として、国家予算は不必要に膨張し、感染症が拡大したとしてもその責任を負う必要がない官僚制の巧妙な責任回避のシステムができあがっている。第三に、市場経済もまた、COVID-19がビジネスチャンスであれば投資するという態度が基本であり、生存の経済よりも資本の収益を最優先し、この危機を競争力の弱い資本の淘汰の格好のチャンスとみていること、である。この結果として、すべての犠牲は、社会の最も脆弱な人々に押しつけられることになる。

こうした全体状況をみたとき、感染経路追跡は深刻なプライバシーの権利の弱体化を招くだけでなく、その結果として、予防しえたはずの感染症の蔓延による健康と生存の権利が脅かされ、労働者の権利、女性やこども、性的マイノリティの権利、知る権利、集会・結社の自由、通信の秘密などなど広範な私たちの権利をも侵害されることになる。

繰り返すが、感染経路の追跡や、濃厚接触者確認のアプリは不要である。むしろ網羅的な検査を無料・匿名で実施する体制をとるべきである。この点を踏まえて、以下では、より立ち入って感染症問題と監視社会について述べてみたい。

2 これまでの監視システムが全体としてグレードアップしている

エドワード・スノーデンらが告発したグローバルな監視システム1が私たちの日常生活のなかに浸透していることを人々が実感するきっかけになったのが、SNSへの監視だった。SNSが社会運動で大規模に利用されたのは、アラブの春からだと言われている。このアラブの春の集会やデモを監視するために、アラブ諸国は欧米の監視テクノロジーを導入した。2当時ですら諜報機関は、携帯電話のシステムを用いてデモ参加者に対する大量監視を独自のシステムによって実現していたことが知られている。

また対テロ戦争のなかで、「サイバー空間」もまた「戦場」とみなされるようになってきた。ドローンによる爆撃からハッキングなどのサイバー攻撃までネットにアクセスしているあらゆるコンピュータ機器が「武器」に変容しうるようになる。こうした環境のなかに私たちのコミュニケーション空間が置かれることになった。

他方で、民間情報通信関連企業はユーザーに無料サービスを提供しつつ、ユーザー情報を求める企業には膨大なデータを提供することによって収益をあげる仕組みを構築してきた。3現代の監視社会は、ビッグデータの存在が前提になっている。トランプが勝利した前回の米国大統領選挙では、選挙コンサルタント企業、英国のケンブリッジアナリティカが独自の選挙対策ツールを提供する一方で、グーグル、フェイスブック、ツイッターなどが膨大なデータの収集と宣伝・広告の手段を提供した。米国民一人につき6000の個人データが収集・解析されて、ターゲット広告の手法を使って主に浮動票となる有権者の投票行動に影響を与えるような手法が用いられた。4

よく知られているように、個々のデータが匿名であっても複数のデータを組み合わせることによって個人を特定することは難しくない。たぶん、ビッグデータをもとにした高度な投票行動分析では、投票そのものが匿名であっても、個人の投票行動はもはや秘匿できないとみた方がいいかもしれない。

また情報通信企業は、上記のような状況の変化のなかで情報セキュリティ企業としての性格を強め、社会インフラとしての情報通信システムを、言論表現の自由やプライバシーの権利といった人々の権利のためのインフラとみなす以前に、なによりも国家の安全保障の基盤とみなす観点をもつとともに、企業収益にとって国家の治安や安全保障関連予算が不可欠な構成部分を占めるようになってきた。経済の根幹に情報通信関連産業が陣取り、人々のコミュニケーション環境に決定的な影響を行使できる地位を獲得した。政府の官僚機構のデータ処理がこうした外部の情報通信関連産業の技術に依存しなければ成り立たない構造ができあがっている。長期の不況のなかでもサイバーセキュリティ市場は例外的に一貫して成長しつづけている。5官民の癒着構造は、国家が公的資金と公的機関の個人情報を提供し、民間が膨大なビッグデータとインフラや解析テクノロジーを提供するという構造をとっており、この一体化の構造はかつての公共投資による癒着の構造よりもより深いものになっている。6

国家の統治機構への民間企業の関与の境界線は限り無く曖昧になっており、福祉や社会保障、市民生活の利便性、仕事の効率性、行動の自由度や安全性の向上など、一般にポジティブな事柄がおしなべて「監視」システムなしには成り立たなくなっている。個々人の私生活のミクロな局面からグローバルな監視システムがシームレスにひとつながりの構造をもち、これらを幾つかの政治的経済的軍事的な主導権をもつ政府と多国籍企業が、技術の仕様やノウハウを掌握する体制ができている。しかも、この構造は米国、欧州、中国など現代世界の支配的な秩序の主導権を握ろうとしている諸国が相互に、それぞれの傘下にある巨大企業を巻き込んで対立、競争、妥協、調整の力学を構成している。私たちのコミュニケーションの権利が、これほどまでに世界の権力秩序と密接に関わる構造に組み込まれたことは今だかつてないことだ。

言うまでもなく、コミュニケーションの自由は民主主義の前提をなす。この前提となる自由を私たちは自分達の日常的な技術と知識によって自律的にコントロールできていない。コンピュータの仕組みは複雑すぎ、そのメカニズムを理解できる人はごく少数の技術者に限られるだけでなく、知的財産権や高額なネットワーク機器も私たちの手にはない。エンドユーザのコンピュータ環境はマイクロソフト、アップルが独占し、スマートホンではGoogleとアップルが独占している。ネットはといえば唯一、インターネットがあるだけで他の選択肢は皆無だ。自由なコミュニケーション環境はインフラのレベルからエンドユーザーに至るまで極めて脆弱だ。ヘイトスピーチを押し止めるための民主主義的な可能性が見えづらくなり、国家の法的強制力への依存が高まるなかで、その国家はといえば、欧米ともに極右のレイシストの影響が強まっている。こうした環境のなかで、医療・保健衛生という生存権と密接にかかわる分野を舞台に監視社会化のあらたな機会が登場してきている。

IT=AI技術を用いた感染対策は、技術をそのままにして、別の目的に転用可能であるという意味で、潜在的に網羅的な監視、とくに治安監視や権力を支えるための道具となりうる危険性を兼ね備えたものになる。感染症を生存権に関わる問題だとすると、プライバシーの権利を犠牲にしても優先すべき問題だという理解は合意を得やすいかもしれない。しかし、生存権を保障するための手だてが、冒頭に述べたように、プライバシーの権利を制約するような方法しかとれないのかどうかということへの検討が十分に議論されずに、IT=AIによる監視ありきで政策が展開されてきた印象は否めない。私たちは自由なき生存が欲しいわけではないし、差別や抑圧に加担する自由が欲しいわけでもない。

3 コロナ感染防止を名目とした網羅的監視

感染拡大が最も早く深刻だった中国は、いちはやくAIとGPSを組合せた監視システムを稼動させた。「街中に設置された監視カメラと顔認証技術の情報に加えて、携帯電話の通話・位置情報、ライドシェアなど各種サービスの利用記録といったビッグデータを企業から収集し、個人の詳細な行動履歴を把握することが可能となっている。」と日本のメディアが報じたのが2月初旬だ。7 中国のコロナ封じ込め対策の報道のなかで中国の監視社会の高度化が繰り返し報じられるようになった。8

国内の治安監視システムの転用は中国にかぎらない。イスラエルは3月に治安機関と保健省が新型コロナ対策に乗りだし、対テロ対策を転用する方策を打ち出した。「感染者の携帯電話の通信情報やクレジットカードの利用記録などから位置を追跡。過去2週間にその感染者と接触した可能性がある人に自主隔離を求めるメッセージを送る仕組9 んだという。これに対しては、イスラエル最高裁に人権団体が提訴し、最高裁は立法措置が必要との判決を出した。10

3月初旬に韓国はスマホのGPS機能を用いた感染者の行動追跡アプリを利用開始した。MIT Technology reviewは次のように報じている。
「韓国行政安全部が開発したこのアプリは、自宅待機を命じられた市民に、担当職員に連絡して健康状態を報告させるためのものだ。さらに、GPSを使用して自宅待機中の市民の位置情報を追跡し、隔離エリアから離れていないことを確認できる。」11 4月になるとスマホではなくリストバンドにGPSを組み込むシステムへと「進化」した。12

日本は、2月25日に出された「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」13にもとづいた政策がとられるが、IT監視技術の利用には言及していない。「国内での流行状況等を把握するためのサーベイランスの仕組みを整備する」という抽象的な文言があるだけだ。3月28日になると新たに「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」14が出され、先の基本方針からこの対処方針が上位の位置を占めるようになる。ここでは情報収集への言及が多くなる。新型インフルエンザ等対策有識者会議に基本的対処方針等諮問委員会が設置されて、その第1回会合は3月27日。15この会合ですでに対処方針案が示されていることから、専門家の会議は実質的な機能を果しておらず、官僚の方針をオーソライズする役割を担った。専門家の責任は重大だ。

この対処方針をふまえて、監視型の政策を正当化した最大の要因は、4月1日に出された新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」16にある以下の文言だろう。

「(3)ICTの利活用について
〇 感染を収束に向かわせているアジア諸国のなかには、携帯端末の位置情報を中心にパーソナルデータを積極的に活用した取組が進んでいる。感染拡大が懸念される日本においても、プライバシーの保護や個人情報保護法制などの観点を踏まえつつ、感染拡大が予測される地域でのクラスター(患者集団)発生を早期に探知する用途等に限定したパーソナルデータの活用も一つの選択肢となりうる。ただし、当該テーマについては、様々な意見・懸念が想定されるため、結論ありきではない形で、一般市民や専門家などを巻き込んだ議論を早急に開始すべきである。
〇 また、感染者の集団が発生している地域の把握や、行政による感染拡大防止のための施策の推進、保健所等の業務効率化の観点、並びに、市民の感染予防の意識の向上を通じた行動変容へのきっかけとして、アプリ等を用いた健康管理等を積極的に推進すべきである。」

3月19日に出された提言17にはこうした情報コミュニケーションテクノロジー(ICT)への言及がなかったから、10日ほどの間で急速に方針の転換が生じたことになる。しかもこの10日ほどの間に専門家会議は持ち回り会議が1回開催されただけであり、ここでも官僚主導の方針を専門家がオーソライズする仕掛けになっている。

専門家会議5月1日の提言18では「ICT 活用による濃厚接触者の探知と健康観察(濃厚接触者追跡アプリなど)の早期導入」「ICT活用によるコンタクトトレーシングの早期実現」という文言が登場する。5月29日の提言19では「接触確認アプリや SNS 等の技術の活用を含め、効率的な感染対策や感染状況等の把握を行う仕組みを政府として早期に導入する。」とより具体的になる。

このように、日本もまた大筋では諸外国の感染者追跡をビッグデータやAIなどを駆使するシステム構築に必死になるのだが、こうした方向性を医療の専門家で占める専門家会議が具体的な内容も含めて提案できたかというと疑問だ。

上述したように、厚生労働省は3月28日に「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」を公表するが、ほぼ同じ時期に総務省は3月31日に「新型コロナウィルス感染症の感染拡大防止に資する統計データ等の提供に係る要請」20を出す。要請の具体的内容は次のようなものだ。

「プラットフォーム事業者・移動通信事業者等が保有する、地域での人流把握やクラスター早期発見等の感染拡大防止に資するデータ(例:ユーザーの移動やサービス利用履歴を統計的に集計・解析したデータ)を活用することにより、
・ 外出自粛要請等の社会的距離確保施策の実効性の検証
・ クラスター対策として実施した施策の実効性の検証
・ 今後実施するクラスター対策の精度の向上
等が可能となり、感染拡大防止策のより効果的な実施に繋がると期待されます。そこで、政府では、今般、プラットフォーム事業者・移動通信事業者等に対して、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止に資するデータの政府への提供を要請することとしました。」

プラットフォーム事業者とは、ネットショッピング、SNS、検索サイトなどを指す。21 提供が要請されているデータは「法令上の個人情報には該当しない統計情報等のデータに限る」としている。

政府は「新型コロナウイルス感染症対策テックチーム Anti-Covid-19 Tech Teamキックオフ会議」を設置し、4月6日に第1回の会合を開く。22チーム長西村康稔 新型コロナウイルス感染症対策担当大臣 竹本直一 情報通信技術(IT)政策担当大臣 北村誠吾 規制改革担当大臣の3名。民間企業からはヤフー、グーグル、マイクロソフト、LINE、楽天、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクなどが参加するなど厚労省の専門家会議とは全くメンバーが異なる。肝心の保健医療関係者は誰も参加していない。

感染症対策テックチームは、その構成メンバーからみても当然だが、当初から感染者の追跡を行うアプリケーションの開発に強い関心をもち、シンガポールで開発されたトレース・トゥギャザーの利用が念頭に置かれた。23 オーストラリア政府も同種の追跡アプリの開発に乗り出すなど、各国でスマホを利用した感染経路追跡アプリが次々に導入される傾向が一気に拡がる。

4月以降、デジタルプラットフォーム企業と政府の連携は急展開する。

先鞭を切ったのはLlINEかもしれない。3月30日に厚生労働省とLINEは「新型コロナウイルス感染症のクラスター対策に資する情報提供に関する協定」を締結する。24

そして4月6日には上述した感染症対策テックチームを開催する。ここでの議論は

「提供を受けるデータは、スマホを持つ利用者の位置情報や、多く検索された言葉の履歴などを想定している。特定の場所にどの年代の人が集まるかなどの傾向をつかむことができ、事後の検証で集団感染が起きた地域を特定しやすくなり、感染予防に役立てることができるという。」25

などと報じられた。

4月13日、ヤフーは厚生労働省とクラスター対策に資する情報提供に関する協定を締結。26 この協定には次のような箇所がある。

「同意が得られた利用者の位置情報や検索内容を集計して分析し、感染が増えている可能性の高さを地域ごとに数値で示す。国は感染者集団(クラスター)の早期発見や対策を決める際の参考にする。」
「同社は過去にクラスターが発生した場所やイベントのデータなどから、「感染者が行う傾向が高いとみられる検索や購買行動」を分析。その行動の増減を地域別に数値化し、「クラスター発生が疑われるエリア」として国に提供する。個人が特定されないよう、分析エリアは最小500メートル四方とし、人口が少ない地域などは除外する。」

ヤフーは、4月21日には47都道府県の人の移動データを公開し、

「データは同社のアプリで位置情報の提供に同意している利用者のデータなどを集計して推定している。前年同時期を100として、自治体内から出た人と入ってきた人の増減について、1月以降のデータを日ごとに示す。4月3日から東京23区限定で公開していたデータの対象を、全国に広げた。」27

と報じられている。

4月22日、KDDIは全国の自治体に位置情報ツール無償提供を発表。28

「「KDDIロケーションアナライザー」。同社の携帯電話サービス「au」で個別に同意を得たスマホ利用者の位置情報と性別や年齢層を分析できるツールだ。最小10メートル単位、最短2分ごとに位置情報を収集し、道路ごとの通行量や店舗への来訪者数などを細かく分析できるという。」

4月30日、ソフトバンク株式会社の子会社で、位置情報を活用したビッグデータ事業を手掛ける株式会社Agoopが厚労省と情報提供の協定締結。29

「新型コロナウイルス感染症のクラスター対策に資する情報提供等に関する協定」を厚生労働省と締結
Agoopの流動人口データは、許諾していただいた方のみのスマホのアプリ(例:位置情報を活用する複数のアプリ)から位置情報を取得し、プライバシーを十分に保護することを重視して統計処理を行い匿名化された、個人情報を含まないものです。」

こうした動きのなかで、複数の接触確認アプリが自治体で独自に採用される動きも拡がった。30

他方、GAFAと呼ばれる米国多国籍企業も監視テクノロジーのプラットフォームを急速に整備はじめる。

4月4日、Googleは、世界141ヶ国で「人々が訪れる場所をいくつかのカテゴリ(小売店と娯楽施設、食料品店と薬局、公園、公共交通機関、職場、住居など)に分類し、人々の地理的な移動状況を時間の経過とともに図示」する「COVID-19(新型コロナウイルス感染症): コミュニティ モビリティ レポート」を開始すると発表。31 4月10日、AppleとGoogleはコロナ濃厚接触をスマホで通知できるシステムの共同開発を発表。日本でも展開することが表明された。32 5月初旬にはサンプルコードが公開される。33 この発表は、欧米のプライバシー団体から批判の声があがり、大きな議論になる。

5月にはいり、このGoogle/Apple連合の接触アプリを厚労省が採用すると表明する。しかし、Google/Appleは、接触アプリのプラットフォームを提供するだけで実際のアプル開発を行うわけではない。

接触者追跡アプリの開発は、いくつもの問題を抱えた。発注する厚労省など政府側と、これをビジネスチャンスとみたであろう大手IT企業、しかもGAFAと日本の企業の間の思惑も複雑に絡みあいそうだということは感染症対策テックチームの顔ぶれからも推測されたが、現実に進行した事態はもっとやっかいだった。

厚労省の接触確認アプリ(COCOA)34は6月下旬から使用開始されているが、アプリの不具合が見つかったことをきっかけにして開発体制そのものへの批判が拡がった。ITの専門ニュースサイトには次のような報道が流れた。

「厚生労働省が6月19日に配信を始めた、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)陽性者に濃厚接触した可能性を通知するスマートフォンアプリ「新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA)」の不具合や開発体制を巡って、ネット上で議論が巻き起こっている。アプリのベースになったオープンソースプロジェクト「COVID-19Radar」の中心的人物である廣瀬一海さんは自身のTwitterアカウントで、「この件でコミュニティーはメンタル共に破綻した」として、次のリリースで開発から離れ、委託会社などに託したい考えを示した。」35

コンピュータのソフトウェアやアプリケーションの開発は、自動車などモノの開発とは異なるところがある。そのひとつが、上記の記事にある「オープンソース」である。モノの開発は企業ごとに、企業秘密のベールのなかで行なわれるのが一般的だがソフトやアプリは、こうした企業独自の開発もあれば、全ての開発情報を一般に公開して、誰もが開発に参加できる体制をとって行なわれる場合もある。後者のような体制で開発されたソフトウェアをオープンソースソフトウェア(OSS)と呼ぶ。接触確認アプリCOVID-19Radarの開発は、厚労省のトップダウンで実施されたわけでもなければ、大手IT企業が自社の開発チームを組織して取り組んだものでもなく、ソフトウェア開発者が個人として始めたプロジェクトがベースとなって出発した。

COVID-19Radarの開発では、プログラムを公開してプライバシーなどへの危惧について、第三者が確認できるようになっていた。しかし、appleとgoogleが共同して提供するアプリ開発のプラットフォームについては、各国とも厚労省が管理する前提で一ヶ国につきアプリ開発はひとつに限定されるという条件がつけられた。Cocoaとして実際にスマホアプリとして公開されているものは、オープンソースとして開発されてきたCovid-19Raderをベースにしつつも別ものになる。ITmediaは次のように報じている。

「そもそも、COVID-19Radarは厚労省の開発するCOCOAそのものではなく、日本マイクロソフトの社員である廣瀬さんが個人開発で始めたプロジェクトだ。コード・フォー・ジャパンのプロジェクトも並行して進む中、それぞれが採用を前向きに検討していた米Appleと米Googleの共通通信規格が「1国1アプリ」「保健当局の開発」に限られることが分かり、厚労省が主導することに決定。これに伴い、厚労省は開発をパーソル&プロセステクノロジー(東京都江東区)に委託。同社は日本マイクロソフトとFIXER(東京都港区)に再委託したという。この過程で、OSSであるCOVID-19RadarがCOCOAのベースになることが決まった。」36

厚労省の委託先のパーソルは、2017年までテンプという名前で知られた会社の後身だ。かつてテンプの時代に、厚労省の再就職支援事業のなかで、企業のリストラをサポートする違法すれすれの極秘のプログラムを作成し大問題となった会社の系列にあたる。37

オープンソースによる開発ではなくなったために、アプリのプログラムの透明性は後退したように思う。大手企業と政府、厚労省やIT関連の省庁の利害を視野にシステム開発の力学を分析することなしには監視社会を支えるインフラの実態は解明できない。

一般に、プライバシー情報の保護が論じられる場合、二つの異なる問題が混同されたり、あえて曖昧にされる場合があることに注意しておく必要がある。接触確認アプリのプライバシー情報でいうと、陽性者となった人と濃厚接触した人との間で、相互に個人情報を把握することができないような仕組みがあれば、プライバイーの保護がなされているというのは間違いではないガ、コレダケガぷらいばしー問題の全てではない。接触確認アプリCocoaの場合も、厚労省はこの点に焦点をあてる一方で、Cocoaがもっているプライバイー上のもうひとつの問題をあえて表に出さないようにしている。Cocoaのプライバシーに関する宣伝文句は以下のようだ。

「接触確認アプリは、本人の同意を前提に、スマートフォンの近接通信機能(ブルートゥース)を利用して、互いに分からないようプライバシーを確保して、新型コロナウイルス感染症の陽性者と接触した可能性について通知を受けることができます。」38

図の出典

「新型コロナウイルス接触確認アプリについて」
厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部
内閣官房新型コロナウイルス感染症対策テックチーム事務局

ここで語られていないのは、個人情報を厚労省がどの程度把握できるのか、という政府による個人情報把握だ。上図にあるように、Cocoaのシステムは、通知サーバーと濃厚接触者の関係で完結しない仕組みになっていて、新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム(HER-SYS)と連動する。このHER-SYSは陽性者やPCR検査を受けた人たちの個人情報を取得する。「基本情報」だけでも以下のものが取得される。

「個人基本情報 受付年月日、姓名(漢字)、姓名(フリガナ)、生年月日、年代、性別、国籍、住所、管轄保健所、連絡先電話番号、メールアドレス、職業、勤務先/学校情報、緊急連絡先、濃厚接触者の場合は契機となった感染者の方のID福祉部門との連携の要否 障害/生活保護/保育者確保/介護者確保/その他(自由記載同居者情報 高齢者、基礎疾患のある者、免疫抑制状態である者、妊娠中の者、医療従事者」39

これ以外に検査、診断情報、措置等の情報もあり膨大だ。しかもこうした個人情報については「法令に基づく第三者への提供であるため、本人同意は各個人情報保護法令上不要とされています」とあり、いったん提供された情報を、いつ誰と共有しているのかを個人の側では把握する権利をもたず、追跡もできない。Cocoaは現在まだ試行版という位置づけらしく、HER-SYSとの連携はとれていないようだが、正式のリリースでは連携される。橋本厚労副大臣はインタビューで「正式版ではHER-SYSと連携させることを目指したい。あまりだらだら時間をかけずに、接触確認アプリの正式版を出したい」と明言しているのだ。40

多分次のステップは、この接触確認アプリがスマホのOSに組み込まれることによって、ユーザーがインストールしなくても動作するような方向をとるのではと思う。Androidのスマホを買うとgoogleの地図機能が最初からインストールされているような仕組みだ。どこの国も接触確認アプリの普及は低く、実効性がない。普及率を上げる効果的な方法は最初から組み込み、しかも機能をデフォルトで「オン」に設定することだろう。こうして監視のテクノロジーはますます人々が自覚することのないバックグラウンドで機能するようになる。スマホの感染アラートで感染を知り、医療機関に出むくことが日常になれば、これは「便利で当たり前」ということになる。これがあたらしい日常であり「withコロナ」が意味することだ。

しかもこのHER-SYSの開発を手がけたのもCocoaの発注先と同じパーソルだから、接触確認アプリとHER-SYSの連携は最初から意図されていたとみてよいと思う。

この支援システムを含む全体象は図2のようになる。支援システムのデータについては「関係者間で必要な情報を共有」とあり、厚労省、都道府県などいくつか例示されている。
こうしたアプリとHER-SYSの連携が行なわれ、省庁間での共有が進むと危惧されるのが治安管理への転用だ。この例示にはないのだが、すでに警察庁もまた感染者情報の提供を要請していることがわかっている。しかも本人の同意なしでの提供を求めている。41

図の出典:「新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム(HER-SYS*)について」
厚生労働省のウエッブより

いったんこのようなシステムが構築されると、個人情報の共有範囲は歯止めなく拡がる。しかも、こうしたシステムは、中国やイスラエルのように諜報機関の従来のシステムの保健医療への転用が可能であったように、その逆もまた真なり、なのだ。福祉国家が高度な監視国家になっているように、人々の人権や福祉のために導入されたシステムは治安監視のシステムとなりやすい。Cocoaのように人々が誰と接触したのかを把握できるシステムは、いくらでも応用がきく。

集団的な密集状態は、集会やデモなど政治的な権利行使の現場でも起きる。これらの場所で感染が発生したり、その恐れがあるとみなされたりした場合、保健所だけでなく公安警察もまた、感染を口実に介入する可能性がある。

厚労省は、補正予算で「感染拡大防止システムの拡充・運用等」として13億円を計上し、「新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止に資するシステムを整備するため、感染者等の情報を把握・管理するシステム(HER-SYS)の機能拡充を行うとともに、保健所等におけるシステム運用を支援する」とともに「ビッグデータを活用し、各地域における感染の拡大防止に資する情報や感染発生動向等の情報をわかりやすく整理して提供する。」ともしている。

4 感染者追跡は必須か。

感染者接触確認アプリの開発が個人ベースで有志によるボランティアのプロジェクトとして始められたCOVID-19Radarであったということは、開発者の感染症対策についての理解がどのようなものであったのかを端的に示している。感染症対策として、感染者を特定し、この感染者の濃厚接触者を把握し、感染経路を明かにし、保健所がこうしたデータを集約して、医療機関と感染者の仲介をすることが唯一の解決策であるということが2月以来繰り返し政府からも感染症の専門家からも主張されてきた。アプリ開発者もまたほぼ同じ認識に立ってアプリのコンセプトを構築したと思う。アプリ開発者はプライバシーに配慮した匿名性を前提とする感染確認のシステムであるべきだという正しい理解を示していたと思うが、HER-SYSとの連携によるプライバイー上の問題を回避することはできないから、自分の開発の外で起きている問題をも配慮して接触確認アプリのプログラムを組むことはほぼ不可能だろうと思う。ここで問われるのは、プログラムの開発者の技術力ではなく自分が開発しているプログラムの社会的政治的な文脈を理解する社会認識力なのだ。このアプリは本当に意味のあるものなのか、権利侵害に加担しないかを見極める力だ。感染者がいれば接触者や感染経路を追跡するということ、ビッグデータやAIを駆使することが唯一の対策なのかどうか、である。

他方で政府は、保健医療の全体のシステムと接触者確認アプリの双方を統一して把握できる立場にあり、政府は、感染者とその濃厚接触者が相互に個人情報にアクセスできないようにするとしても、政府が個人情報にアクセスする必要があることは大前提でシステムを構築しようとする。

個人を追跡して監視するアプリ開発や政府のシステム開発はにはひとつの前提がある。それは、匿名性を保障しての網羅的な感染検査体制をとらないという前提である。もし定期的に網羅的に検査する体制がとられれば、検査は匿名であってよく、誰もが陽性か陰性かを確認でき、陽性者は自ら医療機関にアクセスすればよいだけである。網羅的検査への反対論では、こうした体制には膨大な資金と人的な資源が必要であって、現行の医療体制では対応できないと主張されまたかも医療体制は「定数」であって拡大させる余地がないものという前提にたった議論が繰り返し主張されてきた。網羅的な検査を前提に必要となるであろう医療体制の拡充を行なうような予算措置をとろうとしないのであって、予算がないわけではない。42こうした体制がとれらるのであれば、濃厚接触者であろうが、そうでなかろうが、みなが検査できるので、感染経路特定のための余計な個人情報の収集といった作業は不要になる。感染に関する個人情報は本人と本人が受診する医療機関に限定される。

このように、感染症対策で必要なことは、感染しているかどうかを私たち一人一人が確認できる検査体制があり、この体制によって私たちが受診できるだけの医療のキャパシティを構築することである。しかし、こうした体制は、政府にとっても情報産業にとってもメリットになることはなにもない。政府は、一貫して保健所や公衆衛生体制の縮小政策をとり、東京都も都立病院の民営化を進めている。こうした政策からすると予算の拡大はそもそも念頭にない。情報産業も個人情報を把握できる機会が極めて限定されるような政策を嫌う。

他方で私たちにとっては、自分の身体の健康についての知る権利が確保されつつプライバシー情報の拡散が阻止でき、治療へのアクセスが確保されるとともに、日常生活のなかで感染リスクを最小化できるという意味で、最も好ましい。

インターネットの普及とともに到来した監視社会は、ジョージ・オーウェルが描いたような中央政府の巨大な監視システムが人々の日常生活を網羅的に見張るといったわかりやすいモデルではない。こうした意味での監視社会の側面が拡大していることは事実だが、より厄介で深刻なのは、一人一人が自分たちの日常生活のなかから能動的に監視されることを期待するような状況が作られてきたという点だろう。たとえば交通機関で利用されるスイカなどのプリペイドカードは、支払いの面倒がなく便利だ。ネットの主流をなすようになったLineやFacebookなどのSNSは無料で使える便利なコミュニケーションツールである。こうした便利さを巧みに利用して普及してきたもののほとんどは、便利さや無料でのサービスの対価として、自分の個人情報や生活上の行動や交際の履歴などを企業に把握されることになる。しかし、プライバシーが把握されるという実感に乏しく、覗かれることに伴う不快感はほぼ皆無に近い。

監視社会化を招くもうひとつの要因に不安感情の利用がある。テロへの脅威という日本ではほぼフィクションに近い言説を警察が繰り返すことによって、本来なら裁判所の令状が必要な所持品や身体検査、監視カメラや金属探知機などの監視装置の蔓延が容認されてきた。新型コロナの深刻な蔓延は、こうした不安感情を利用した監視システムがこれまでにない規模で一気に拡大してしまった。

生存権や基本的人権の保障こそが政府がなすべき最優先の課題であるという建前からすれば、網羅的な検査と、これに対応する医療体制をとることは必須である。資本主義の政府や経済はこうした体制がとれない限界を抱えていることも事実で、そうであるなら、制度を根底から再構築することが必須だということでもある。私たちが必要としているのは、既存の制度を与件とすることではなく、基本的人権の保障を最優先にすることが可能な統治機構と経済なのである。この本質的な問題をコロナという今ここにある危機のなかで、将来の社会のありかたとしてきちんと見据えられるかどうかが反体制運動に課せられた課題だと思う。

Footnotes:

1

小笠原みどり『スノーデン、ファイル徹底検証』、毎日新聞出版、2019、同「新型コロナ感染者の接触者追跡データ 本当に欲しがっているのは誰?」https://globe.asahi.com/article/13370568

2

ゼイナップ トゥフェックチー『ツイッターと催涙ガス ネット時代の政治運動における強さと脆さ』、中林敦子訳、Pヴァイン、2018。

3

電子フロンティア財団『マジックミラーの裏側で:企業監視テクノロジーの詳細』http://www.jca.apc.org/jca-net/node/64

4

ブリタニー・カイザー『告発』、染田屋茂他訳、ハーパーコリンズ・ジャパン、2020年。映画『グレートハック』(NETFLIX)もカイザーに焦点をあてたドキュメンタリー、参照。

5

JETRO「拡大するサイバーセキュリティー市場」https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2018/1fb2ecd606c590e5.html 日本ネットワークセキュリティ協会「2019年度 国内情報セキュリティ市場調査報告書」https://www.jnsa.org/result/surv_mrk/2020/index.html

6

2016年には官民データ活用推進基本法が成立している。http://iot-jp.com/iotsummary/iottech/bigdataanalysistool/官民データ活用推進基本法/.html 17年に設置された統合イノベーション戦略推進会議が昨年包括的なレポートを公表している。「AI戦略 2019」https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tougou-innovation/pdf/aisenryaku2019.pdf このレポートには、医療関連も含まれているが、新型インフルエンザ、SARS、MERSなど感染症問題が注目された後に出されているのだが感染症への関心はほとんどみられない。

8

(朝日、中国、ビッグデータが感染者追う 「まるで指名手配犯」、https://www.asahi.com/articles/ASN2G6SBGN2FUHBI039.html?iref=pc_rellink_03)

9

(日経4月28日、オンライン、https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58585660Y0A420C2FF1000/)

10

(上記記事)

15

新型インフルエンザ等対策有識者会議基本的対処方針等諮問委員会(第1回) https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/shimon1.pdf

21

公正取引委員会はプラットフォーム事業者を次のように定義している。「「デジタル・プラットフォーム」とは,情報通信技術やデータを活用して第三者にオンラインのサービスの「場」を提供し,そこに異なる複数の利用者層が存在する多面市場を形成し,いわゆる間接ネットワーク効果が働くという特徴を有するものをいう。」例示として「オンライン・ショッピング・モール,インターネット・オークション,オンライン・フリーマーケット,アプリケーション・マーケット,検索サービス,コンテンツ(映像,動画,音楽,電子書籍等)配信サービス,予約サービス,シェアリングエコノミー・プラットフォーム,ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS),動画共有サービス,電子決済サービス等」(「デジタル・プラットフォーム事業者と個人情報等を提供する消費者との取引における優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の考え方」https://www.jftc.go.jp/dk/guideline/unyoukijun/dpfgl.html)

22

新型コロナウイルス感染症対策テックチーム Anti-Covid-19 Tech Teamキックオフ会議 開催 https://cio.go.jp/techteam_kickoff

23

日経3月20日。シンガポール、コロナ感染をアプリで追跡、政府開発
【シンガポール=谷繭子】シンガポール政府は20日、新型コロナウイルスの感染経路を追跡するためのスマホ用のアプリを開発、無料配布を始めた。近距離無線通信「ブルートゥース」を使い、至近距離にいた人を感知、記録する。感染者と接触した人を追跡して隔離することで、感染の広がりを早期に抑える狙いだ。

このアプリは「トレース・トゥギャザー(一緒に追跡)」。アプリをダウンロードした人同士が近くにいると、互いに認識し、電話番号を暗号化したデータをスマホ内に記録する。新たな感染者が発覚したら、その人のスマホ内のデータを政府の追跡チームが解析、濃厚接触した人を洗い出す。」(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57056430Q0A320C2FF8000/)

24

「厚生労働省とLINEは「新型コロナウイルス感染症のクラスター対策に資する情報提供に関する協定」を締結しました」 https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_10575.html

29

<東日本エリア>新型コロナウイルス拡散における人流変化の解析
2020/01/01〜 2020/07/15
https://corporate-web.agoop.net/pdf/covid-19/agoop_analysis_coronavirus.pdf

30

https://moduleapps.com/mobile-marketing/18413app/
北海道 北海道コロナ通知システム
青森県八戸市 はちのへwithコロナあんしん行動サービス
宮城県 みやぎお知らせコロナアプリ(MICA)
東京都 東京版新型コロナ見守りサービス
神奈川県 LINEコロナお知らせシステム
千葉県千葉市 千葉市コロナ追跡サービス
大阪府 大阪コロナ追跡システム
京都府京都市 京都市新型コロナあんしん追跡サービス
沖縄県 (準備中)

32

濃厚接触の可能性を通知するシステム: 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大抑止に取り組む公衆衛生機関をテクノロジーで支援する
https://www.google.com/covid19/exposurenotifications/
AppleとGoogle、新型コロナウイルス対策として、濃厚接触の可能性を検出する技術で協力
https://www.apple.com/jp/newsroom/2020/04/apple-and-google-partner-on-covid-19-contact-tracing-technology/

37

社員を末期患者扱い 人材大手が作成“クビ切り手引き”の仰天 日刊ゲンダイdigital https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/17602

38

厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部、内閣官房新型コロナウイルス感染症対策テックチーム事務局「新型コロナウイルス接触確認アプリについて」(6月19日)
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000641655.pdf

39

5月22日、厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部「新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム(HER-SYS)の導入について」 https://www.mhlw.go.jp/content/000633013.pdf

40

接触確認アプリ公開はなぜ遅れた?コロナのIT対策を率いる橋本厚労副大臣を直撃、日経XTEC 6月19日 https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/04199/

41

照会書や本人の同意なしに警察へ感染者情報を 警察庁の依頼で厚労省が自治体や保健所に通知 「人権侵害では?」との反発も
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-police

42

イギリス・新型コロナ感染者治療のために、元オリンピック会場を仮設病院として活用へ https://www.huffingtonpost.jp/entry/london-excel-center-become-coronavirus-hospital_jp_5e8198e6c5b66149226a4df1

Author: 小倉利丸

Created: 2020-07-26 日 22:18

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ロックダウンと規制解除―残るも地獄、去るも地獄の資本主義:権利としての身体へ

Table of Contents

7月7日(火)19時から20時30分ころまで
会議室のURLはATTACのメーリングリストと音声ファイルの設置してある下記で告知。
https://archive.org/details/20200707-attac-kouza

オンライン会議ではjitsi-meetを使います。
参加に必要な器材
パソコンかスマホでカメラとマイクが使えるもの
ブラウザ
Chrome,Chromium,Brave,Firefox,Microsoft Edge(最新バージョン),Operaなど
カメラもマイクもない場合でもチャットでの参加が可能です。
オンラインでの参加や設定の方法は当日ご説明します。
下記にマニュアルがあります。
https://pilot.jca.apc.org/nextcloud/index.php/s/QMPfEBrXmtCRqB4
スマホ
https://pilot.jca.apc.org/nextcloud/index.php/s/ir7BAabQ6YbQi9S

問い合わせ
070-5553-5495
小倉

1 はじめに

今日のテーマは、なぜ市場も政府も新型コロナ、COVID-19パンデミックに十分に対応できずに、感染の拡大を阻止できないのか、という問題を、政策レベルの問題ではなく、資本主義のメカニズムとの関係で捉えかえしてみることに主眼を置く。

資本主義の基軸をなす二つの制度、市場と国民国家は、人々の健康や生命と生存基盤を犠牲にして、制度の自己防衛を優先させている。市場も政府も、建前では人々の人権や生存を保障するものと自認し、また理屈の上でも、これが可能な制度であるということが主張されてきたが、現実はそうはなっていない。制度が人々を犠牲にして延命せざるをえない現実から資本主義という制度の矛盾と問題を考えてみたい。このことは、COVID-19のような世界規模の危機の解決を資本主義に委ねるべきではないということ、そして、これはCOVD-19に限ったことではなく、気候変動であれグローバルな不平等や搾取による貧困と紛争であれ、共通した危機の本質にも関連する問題である。

2 ロックダウンと経済優先政策に共通する不安の政治学

新型コロナ、COVID-19パンデミックの事態は、この一ヶ月でかなりその様相が変化してきた。緊急事態宣言による外出自粛の状況では、徹底した自主隔離が宣伝されてたきたが、6月以降はむしろ自粛への圧力よりも感染拡大させない形での「経済」再開を模索する力が強まり、人々もまた仕事であれ娯楽であれ、外出しはじめている。収入や雇用への不安が払拭されず、「経済」への不安が感染症不安を上回りはじめている。政府は、緊急事態がもたらした経済的な損害に対する保障、とりわけ貧困層への保障をあえて迅速には展開してこなかったような印象がある。世論が経済の破綻への批判を強め、感染リスクを相対的に低下させるように誘導し、人々が健康よりも経済を優先させる政策への転換を後押しする時期を見極めようとしてきたとも思える対応だ。

たとえば、3月に国会が審議していた次年度予算にCOVID-19関連予算を組み込まなかったことに端的に示された。予算配分の抜本的な再編成、たとえば防衛費や開発型の公共投資などを切りすてて保健医療サービスに振り向けるとか、文科省の管轄になる医療系の大学や研究機関が厚労省管轄の医療制度との連携をとるような省庁を横断する取り組みはなされなかった。制度は既存の利権を優先させた。既得権をそのままにして新たにCOVID-19の対策を臨時のものとして措置したために、補正予算が32兆円(一般会計予算は102兆円)と膨大に膨れあがった。

もうひとつはオリンピックだ。オリンピックはスポーツイベントである前に巨大な市場経済活性化のための国家イベントとしての性格が大きい。オリンピックの延期前と延期後で政府、東京都のCovid-19への対応は明かに変化した。オリンピックとその経済効果を優先させて、感染を隠蔽あるいは放置する作戦が当初とられた。メディアも政府も、オリンピックを延期あるいは中止にしたときの経済的損失に強い関心を寄せ、感染問題は、このオリンピック経済の従属変数としての扱いがされた。つまり、オリンピックの開催にとって最適な政策をとることが優先され、検査体制を整えず、感染実態を隠蔽する作戦をとったのが、3月までの対応の基本姿勢だ。リスクの順位でいえば、オリンピック延期や中止が最大の経済的リスクとみなされたのだ。オリンピックの延期が決まった後も、オリンピックをめぐる経済は政府と資本にとっての最大の関心事であり続けていることに変りはない。将来の感染症パンデミックをみすえて、必要な措置をとるための財源をオリンピックの中止とオリンピック用に開発されたインフラの医療への転用で早急に対処しようとする選択肢は、政治家にも官僚にもない。オリンピックは、資本主義が、人々の健康への権利よりも経済を優先させ、経済が人々の健康の権利を最大化するようには機能しないものなのだ、ということを端的に具体的に示す実例でもある。今後の講座でのテーマになるので、今日は立ち入らないが、こうした経済優先の資本主義は、経済がナショナリズムと連動しているために、より一層強固になる。オリンピックへの国家の関与の深さは、ナショナリズムのメガイベントだからであり、国民統合の祝祭として格好の舞台だからだ。経済はそれ自身がナショナリズムのイデオロギー装置という側面をもっているということを理解することが重要であり、これは市場経済が供給する商品の使用価値のイデオロギー的性格と不可分である。消費とナショナリズムの問題はいずれテーマとして扱いたいと思う。

オリンピックの延期が決まった3月24日のすぐ後、4月7日に緊急事態宣言が出される。この段階でのリスクでは感染防止が優位にたつ。しかし、最小の経済的コストで最大の感染防止対策をとることが目指され、結果として、コストのかからない外出自粛の事実上の強制が世界中で当然の措置として蔓延した。この段階で資本は、平常の活動を抑制せざるをえなくなるが、このコストを人件費の削減によって労働者に転嫁した。日本全体の安全を最優先すべきだというナショナリズムによって、人々は耐乏と禁欲を選択させられることになった。政府と資本は、COVID-19が社会の政治経済システムに深刻な影響を与えはじめているという認識から、人ではなく制度を防衛することがこの時期の最大の関心になる。つまり、医療崩壊が関心の中心を占め、この崩壊を防ぐために、多くの人々が自らの命を犠牲にする状況が先進国ですら起きた。この状況は、この段階で、国家も資本も、その資源を効果的に感染対策の医療関連のサービスやインフラ、人材の確保へと転換することができなかったことを示している。

(横道)中国は武漢を完全に封鎖し、厳しい外出禁止措置をとり、感染を封じこめたとされている。他方で、経済活動を優先させているブラジルは感染拡大が収束しない。単純に比較すれば、緊急事態に際しては中国のような措置の方が効果があるといえそうだ。しかし、こうした比較は感染症と政治・経済の全体を単純化した比較にしかなっていない。どちらの国も、権力が最大の関心をもったのが、人々の生存の権利だったのだろうか。いずれの場合も既存の権力基盤の維持にとって最適な選択肢をとった結果だった。それが、中国の場合は、感染症という個別の課題では一定の効果を発揮したが、感染症を抑制することが人々の人権や自由の保障にはならず、権力の正統性維持に寄与したにすぎない。ブラジルの場合は、自由の概観は、主として資本の自由に還元できるものであって、その限りで人々の自由があり、同時に感染も拡大した。ブラジルは極右政権の正統性にこの欺瞞的な資本の自由が利用された。COVID-19を生きる人々は、それのみで生きているわけではない。一個の人格として多様な基本的な権利行使の主体として生きている。生存の権利を自由と平等を含む人々の基本的人権の保障を最優先とするような国はまだ地上のどこにも存在しない。だからこそ、これが目指すべき一つの社会の目標にもなる。

市場は、社会が必要とする財サービスの過不足ない供給を実現する上でこれ以上最適な制度はないというのが経済の専門家の前提にあるが、マスクや医療現場の防護に必要な資器材の不足は解消せず、命を賭けた治療が続いた。民間の医療関係資本は、COVID-19がビジネスになるのかどうかを静観し、一過性の流行病ではないと見極めがついた頃からワクチンの開発などに取り組みはじめた。

所得や収入の道を断たれた人々が、感染リスクよりも経済再開への要求を強めるような誘導のなかで、人々の経済を優先させるようなニーズがあたかも自発的な意思に基くかのような環境が構築されることによって、感染のリスクも経済的なリスクも、いずれのリスクに晒されても、これは制度に責任はなく、人々の自由な選択の結果だという言い逃れができる枠組が構築されてきた。こうした枠組の前提にあるのは、保健医療サービスや失業保障などに振り向けられる財源はこれ以上はない、雇用を維持できるような余裕は資本にはない、という戦略的に人々の理解を誤らせるような前提に基いている。政府には財政の再分配の余地があり、資本によって編成されている経済的技術的な基盤には、人々の生存を支えるだけの余地はあるはずだが、資本の利潤動機がこれを有効に活用することを妨げている。

2.1 不安感情

ここで鍵を握ったのが不安感情の存在だ。

不安感情は合理的な根拠に基づかず、恐怖とは異なって、対象があいまいで、感情を誘発させる原因を除去できる近い将来の見通しが見極められないなど、確定的というよりも確率的な脅威に関する情報によって生み出される。不安は未だ到来しない未来に属し、今現在よりも近い将来より悪い状況になるかもしれないという漠然とした推測に基づくもので、直接の経験に基くとはいえない要素に大きく影響される。この不安感情をコントロールすることによって大衆の意識や感情に介入しようとするのは、権力者の常套手段である。たとえば、テロの脅威をめぐる政府の言説は、その典型だろう。脅威の事実がなくても人々は不安感情を構築する。他方で、原発事故による放射能汚染のリスクは、テロの脅威とは逆に、過少評価されて不安を風評被害と呼んで根拠のない感情だとして否定する。このように不安感情は権力や権威あるメディアによって大きく左右され、人々は冷静な判断を下すためのオープンな情報環境を奪われる。もともと日本語という国境で閉じられたナショナルな言語環境では、不安感情が権力の言説によって醸成されやすい。不安感情を抱いた人々は、不安感情を払拭してくれるような情報に依存するようにもなる。強いリーダーシップや集団的なアイデンティティへの過剰な依存が起きる一方で、流言蜚語に陥りやすくもなり、不安感情を社会的なマイノリティへと向けるといった感情の転移が差別と暴力を助長する。

COVID-19をめぐる今年2月以降の日本の状況は、この不安を権力が巧妙にコントロールしようとしてきたといえる。当初、感染拡大と高い死亡率、治療薬がなくワクチンもない病気であるなどから、コロナへの不安感情は、人々の言論表現の自由の根幹にかかわる集会・デモの自由や異議申し立ての権利侵害の可能性、民主主義を支える討議環境への深刻な影響について真剣に議論する時間的な余裕すらなく、あっという間にロックダウンが民主主義を標榜するヨーロッパ諸国で受け入れられてしまった。不安感情は、人々の行動抑制と外出自粛、そしてロックダウンの合意形成を支える感情となった。そして今、この同じ不安感情は経済にシフトし、COVID-19の感染を軽視する傾向が次第に顕著になってきている。

このロックダウンから経済への転換の節目は、中国の感染拡大の収束と経済再開の時期と重なる。欧米にとっての最強の競争相手、中国が経済を再開させる一方で、自国経済を封鎖状態に置くことはグローバル資本主義の主導権を中国に奪われることを意味するから、何がなんでも経済の再開が至上命題となる。完全な感染拡大の抑止はできなくとも、ロックダウン解除がすすみ、米国、ブラジル、インドのように、感染拡大していても経済を優先させる政策をとりつづけるなど、不安感情を経済不安によって相殺する動きが目立つことになる。

日本においても、COVID-19の問題は、保健医療問題から経済の問題へと焦点がシフトしてきた。経済再生担当大臣が発言権を握っているようにもみえ、医学の専門家に加えて経済の専門家が政策決定に影響を与えるようになってきた。政府はスマホを使った濃厚接触者追跡アプリの導入によって、経済を再開させつつ感染リスクを抑制する対策をとろうとしている。本来なら、網羅的検査で実現可能なことをせずに人的物的投資をケチる一方で、AIによる人々の行動監視システムを導入することでIT企業の監視ビジネスに政府の金を投資し、個人情報を収集する新たな機会を政府が獲得するという一石二鳥の作戦にうってでている。あたかもこうした高度な情報収集技術だけが感染拡大を防止できるかのような印象操作がまかり通っている。

たぶん将来の落とし所は、これまで資本主義が繰り返してきたリスクの日常化による不安の解消と人々へのリスクの転嫁である。高度成長の公害、自動車の普及に伴う交通事故死傷者の増加。原発事故に伴う放射能汚染などから、戦争に伴う犠牲まで、社会が生み出すリスクと不安にいつのまにか人々は慣れ、人々は、権力や資本がもたらした、あってはならない健康に生きる権利への侵害とは考えず、日常的な「死」としてこれを受け入れてしまう。こうなることによって、制度の矛盾は制度の破綻にならずに温存される。今年の暮には、多くの人々が「コロナ」への感染を日常の出来事のひとつとして不幸な当たり籤とみなしてやり過すことになるのではないか。毎日何百人か何千人かが感染し、そのうちの何割かが重症化するとしても、こうしたリスクは経済を維持し成長させていくという社会の利益とのバランスでいえば、許容できるリスクだという共通理解が形成されることになるのだろうと思う。

不安感情は、怒りとともに、人々が異議申し立てに立ち上がるときのひとつのきっかけになる。しかし、こうした感情によりかかって運動が組織されると、不安感情をめぐる政治の力学のなかで、不安が払拭されてしまうや、運動の基盤が切り崩されてしまう。私たちは、感情を尊重しつつも、問題をもうすこし感覚ではとらえることが難しい制度の全体に目を向けておく必要がある。資本主義にCOVID-19の危機は解決できない、という今回のテーマはそのための手掛かりを皆で考えることにもなる。

2.2 知る権利としての検査

COVID-19の感染の有無は検査で判断できる。したがって、検査し、陽性の場合は隔離することで感染の拡大を抑えることができる。これが感染症の基本的な対策であり、この対策を実現できるように市場と政府がその制度を調整できるかどうか、が問われる。これは私たち一人一人からすれば、自分の健康状態を自分が判断するうえで必要な検査や情報にアクセスする権利は、生存権として保障されなければならない、ということを意味している。言い換えれば、検査を受ける権利とは、自己の身体についての「知る権利」である。ところが、日本政府は、この自己の身体についての知る権利の行使を妨げてきたのだ。検査を基本的人権としての知る権利だという認識が確立せず、結果として検査の問題は人権の問題としては議論されないままになってもいる。

一般に「知る権利」についての議論は、政府や資本が所有する私に関する情報へのアクセスの権利であったり、民主主義的な意思決定の前提となる討議に不可欠な情報へのアクセスの権利というレベルで議論されてきた。この知る権利は、「知る」ことを通じて、私が情報を発信する主体となることが前提されている。知ることは同時に語ることでもあり、この二つの不可分の権利はコミュニケーションの権利を構成するから、私の自由に関わる権利でもある。しかし、同時に「知る」ということのなかには私について知るというより根源的な問いも含まれるべきだろう。身体的健康状態はこの私について知る権利のなかでも最も基本的なものに属するといっていい。

医療の現場でもインフォームドコンセントのように自分の病状を知る権利や、投与される薬物についての情報を知る権利は制度的な枠組があるが、今回のような感染の有無を知る権利という問題はきちんとした議論になっていない。もし健康に関する基本的な人権として、知る権利に含まれるという社会的合意があらかじめ存在していれば、検査をめぐってこれほどの混乱は起きなかっただろう。検査が権利であるという意識が人々に支配的であれば、政府と資本は義務を果すために従来とは異なる財政支出や市場へのモノの供給を展開することを強いられることになる。

3 市場は本質的に不平等な制度である

より一般的にいえば、基本的人権を市場経済はどのように保障できるのか、という問題がここでは問われることになっているという問題でもある。商品には価格が設定されるから、権利行使を市場に委ねてしまうと、価格の制約によって権利行使を妨げられる場合がでてくる。権利は金で買うものではないにもかかわらず、権利の実現を市場に委ねることを認めてしまえば、権利は貧富の差を反映してしまい、平等な権利の享受にはならなくなる。途上国では特許で保護された高額の医薬品にアクセスできない貧困層が膨大に存在するように、市場は権利よりも利益を優先する。市場は権利とは本質的に矛盾するのだ。平等な社会を目指すことは、市場の不平等とは両立しない。他方で、資本主義では、政府が平等な権利行使を保障する唯一の統治機構になるが、この場合、政府が市場の利害と対立して基本的人権に関わる権利を擁護できるかどうかは確定的ではない。政府は基本的人権の保障に不可欠な財源を資本の活動、つまり経済成長なるものに依存しているからだ。平等を実現するために不平等である以外にない市場の成長を前提にしなければならない、これが資本主義の矛盾であり、同時に資本主義の欺瞞でもある。

健康は人権の基本であり、自分が自分なりの価値観によって健康であるかどうかを判断する上で必要な手段にアクセスできなければならない。感染症の場合、健康の問題は、自分一人の問題ではなく、周囲の人々との関係と不可分の問題になる。健康の権利は、自分ひとりだけでなく、他者の権利と相反しない形で実現することが求められる。こうした健康の権利を社会は保障する責任があり、この責任を負う第一の組織が政府であり、経済を介して健康な身体の日常的な再生産を担う資本もまたこの義務を負うべき存在である。

今あらためて問うべきことは、なぜ身体への権利が資本主義では確立しないのか、いったい私の身体は誰のものなのか、なぜ私が管理できないのか、資本と国家は私の身体についてどのような経済的政治的な権力関係にあるのか、という一連の問いである。今日は、この問いへの答えを考える上で不可欠な問題でもある<労働力>としての身体の担い手である労働者について、とくに、社会が危機にあるとき、資本と国家は<労働力>をどのように扱うことによって危機を回避するのかを考えてみたい。労働市場という特異な市場を通じて<労働力>を売らなければ生存の基盤を確保できない不安定な環境に人口の大半が依存するのが資本主義です。資本主義が危機のなかで資本と国家の延命のためにいかなる犠牲を強い、逆に人々がこの犠牲に抗して抵抗する主体となるとはどのようなことなのでしょうか。

3.1 市場経済による二つの危機への対応

COVID-19に伴う「経済」の問題は、市場経済内部の経済危機と同列には論じられない資本主義に固有の問題を浮き彫りにした。この点を述べる前に、そもそも資本主義はどのようにして危機に対応してきたのか、典型的な危機への対応のメカニズムを説明したいと思う。

危機に対する市場経済のメカニズムには二つの方法がある。ひとつは、市場経済のメカニズムの内部で市場の自己調整機能によって回復を実現する方法、もうひとつは、政府(国家)の権力、とりわけ法的強制力という市場にはない力の行使を通じて市場の危機を救済する方法だ。後者は、中央銀行による金融政策と連動した公共投資のような国家財政による景気刺激や失業対策などの社会保障に至るまで多岐にわたる。一般に資本主義的危機はこの二つの組み合わせを通じて、景気の回復と経済成長(DGPがその最も象徴的な数値となる)によって、経済の規模の拡大を実現できれば危機からの脱出とみなされる。成長に伴う利潤率上昇と税収増加、失業率の低下を実現することが目指される。この目標は至上命令であり、目標に至るシナリオが複数あるとしても、資本主義的な回復=成長軌道への回復を必然的な未来とする立場が放棄されることはない。言い換えれば、危機を契機に、経済の規模を縮小させて社会の経済を安定させるという方向はとれないのだ。

COVID-19の危機に対してもまた、この二つの対応で処理しようとするシナリオに沿って資本と国家の行動の基本線が描かれてきた。しかし、これまでの危機と大きく異なるのは、<労働力>をめぐる制御不能の事態の深刻さにある。

資本主義では人口の基本的な構成は、労働市場で商品となる<労働力>を中心に編成される。典型的な景気変動(循環)を<労働力>の動向に沿って考えてみよう。好況期とは市場の商品需要が旺盛で需要が供給を上回るために、価格も上昇する。生産も流通も拡大し、労働市場でも<労働力>需要(求人)が増加し、賃金も上昇する。好況期に資本は拡大する市場を獲得しようとする競争を展開する。この時期は、労働者の要求が通りやすい時期でもあり、労働争議も労働者に有利になりうる客観的な状況にある。好況から景気が下降へと転じる場合(その理由は様々あり、今ここでは立ち入らない)、需要が減少し、価格も低下して市場が収縮し、利潤率が低下し、時には資金繰りも困難になる。この時期は生き残りをかけた競争になる。不況で商品が売れないので、市場を確保するには、価格引下げ競争で生き残ろうとする。資金力のある資本はコスト削減が可能な機械化による生産性の向上の合理化投資が進み、労働者の解雇が広がる。一方で、より効率的な生産と流通の技術を導入することによる合理化投資、他方で、リスクとコストの原因になる<労働力>を排除する。市場の競争を通じて生産性の低い資本が淘汰される。失業と貧困の圧力のなかで、資本は、資本への自発的従属を受け入れる<労働力>を調達する。労働者の資本へのイデオロギー統合の重要な時期になる。景気循環は、資本が<労働力>需給を調整しつつ労働者による資本への抵抗を抑圧して資本に再度統合する一連のプロセスでもある。

この景気循環のモデルは、好況から不況へ、この転換期に深刻な経済的な危機=恐慌を伴い、社会的政治的な不安定が表面化する可能性を含んでいる。そのために政府の政治的な権力、労働運動や政治活動の弾圧と温情主義的な福祉や社会保障などの財政的な力が労働者を国民的な<労働力>へと統合するナショナリズムの力が強まることにもなる。こうして政府は、この危機から好況期への転換を補完することになる。

この不況から好況への上昇転換のなかで、失業人口が再度吸収されることになるが、資本主義的な技術革新は、<労働力>あたりの生産性を高めることになるので、同じ数の<労働力>が前の好況期よりもより多くを生産することになり、より大きな規模の市場を必要とする。これが資本主義が景気循環を繰り返しながら、常に経済を拡大せざるをえない理由である。

この資本主義的な景気循環の過程は、将来の見通しのなかに<労働力>のコントロールという条件が必須のものとして組み込まれている。つまり、労働市場への<労働力>の吸収によって生産と流通を拡大させ資本の利潤を確保しつつ、<労働力>の排出=失業率の上昇のなかで、生産性の高い技術革新と<労働力>の資本のもとへの従属を実現しようとする。資本と政府の思惑は、労働者の生存にとって資本と国家が不可欠な役割を担い、失業を解消して好景気を実現する主役としての地位に資本と政府を据えて、これらへの依存を生み出し、資本と政府からの経済の自立という選択肢を排除する。階級構造は確固として存在するにもかかわらず、<労働力>はこの階級に沿った意識ではなく、国民意識によって再編成される。

COVID-19がもたらした急激な景気後退は、不況期の需要の縮小と現象面では類似した結果をもたらした。需要の縮小は、感染症拡大を防止するために人と人との接触や移動が強制的に制限された結果として、市場の購買に繋る回路を断たれ、潜在的な需要が顕在化できなくなった感染拡大とロックダウンがグローバルなサプライチェーンを寸断し、需給の著しい不均衡が突然生み出された。市場が本来果すはずと期待された需給調整のメカニズムも作用できないままになった。資本の生き残りをかけた競争は、労働者の解雇と合理化(今回は、ICTテクノロジーの導入が顕著となる)を促した。その結果として、生き残りをかけた資本間の競争がグローバルにもローカルにも展開されることになる。

しかし、通常の景気後退とは異って、こうした市場内部の調整によって回復への見通しを見出すことができない。消費生活に大きな比重を占める都市空間の大衆的な消費スタイルが感染のリスクに晒された結果として、回復の道を見出せなくなった。国境を越える移動もまた、リスクを回避するために制限され続けている。他方で、COVID-19の感染を抑制し、ワクチンや治療薬の普及による根本的な予防と治療への見通しがたたない。合理化投資と劣位の資本の淘汰による不況からの脱出という経済成長のための唯一のシナリオだけでは、これらに対処することができない。

3.2 COVID-19による危機に内在する資本主義に共通する制度の限界

根本的な対策のない感染症の問題は、感染症の問題として表出した資本主義における<労働力>制御の不可能性に関わる問題として捉えることが必要だ。

資本主義における<労働力>の制御という構造的なメカニズムの観点からするとCOVID-19も労働者の組織的な抵抗も、ともに、資本の意図に沿うように<労働力>を調整できないという点では同じなのだ。資本にとっては、<労働力>を思い通りに制御できない環境が、労働市場で資本のニーズに応じた<労働力>の調達が困難、あるいは不可能な事態として現象する。これが、純粋に、<労働力>の供給不足からくる賃金高騰の場合もあれば、労使間の闘争の社会的拡大による資本の支配を受け入れない労働者の増加として現象する場合もあれば、今回のように、感染症パンデミックに伴う資本の活動の停止として現象する場合もある。これらはいずれも、資本にとっては<労働力>がもたらす解決困難な事態になる。資本にとっては、「もし、労働者ではなくて機械を充当していたらこんな困難には直面しなかったハズだ」という仮定が常に頭をよぎり、危機を回避するときの次善の選択肢は<労働力>の機械への置き換えとなる。社会のなかで<労働力>になる人間を一人増やすには、20年かかる。しかし、機械であれば、需要に応じた生産の増加に20年もかからないし、資本家に抵抗したり権利を主張することもなく、なによりも感染症に罹患することもない。機械は資本にとって常に<労働力>よりリスクが小さく、しかも効率的なのだ。

<労働力>をめぐる矛盾は、既存の資本蓄積様式(生産や流通の物的設備、資金、人的組織の構成)をそのままにしては解決できない。<労働力>が資本に対して絶対的に不足する場合、省力化技術は、20年かかる<労働力>の追加調達を可能にする方法となる。<労働力>の追加調達の方法は、移民や資本の国外への移転などでも実現可能だが、労使間の闘争や感染症パンデミックのような事態は、市場経済の自己調整機能に委ねることでは実現できない。

労働者の闘争と感染症パンデミックはともに、資本の<労働力>支配の限界を示しているとしても、労働者の意思という観点からみるとこの二つの状況は全く異なるのではないか。この違いは、労働者の闘争は、資本を明確に搾取する者として闘う相手とみなすのに対して、感染症は、資本に原因があるのではなく、ウイルスに原因があり、資本家であれ保守的な政治家であれ、イデオロギーや立場の違いを越えて共通に克服しなければならない人間の健康の危機として立ち現れる。医学が対象とする「病い」は、生理学的にみれば、純粋に生物としての身体機能の不具合とみなされがちだ。この観点からすると、「病い」は、罹患した「個人」が抱えた個人的な問題であって、個人的に解決されるべきものということになる。しかし、感染をもたらした社会環境を視野に入れれば、問題は「個人」に還元できないことは明かだ。「病い」に直面した個人がどのような状況に置かれるのかをみると、資本にとって、<労働力>としての人間がどのようなものとして扱われているのかがよくわかる。

感染症の疑いのある労働者や、その可能性のある労働者を資本は<労働力>としては価値のないものとして、切り捨てることが可能だ。<労働力>を排除することによって資本は自らの感染被害を回避するとともに、コストを切り下げて資本としての延命を図る。その一方で、資本は縮小する市場のなかでの生き残りを賭けた競争で優位にたとうとする。縮小した市場を復活させようとする資本のインセンティブは、感染症の拡大を危惧してロックダウンする政策を批判し、経済がもたない、失業者が増えれば感染症ではなく貧困によって命が奪われるという新自由主義者たちの声なき声を形成し、これがロックダウン反対のキャンペーンの展開となる場合が米国やブラジルでは露骨に表れ、イギリスや日本ではより巧妙に同じ路線が敷かれるようになる。(補足2)

感染症は資本主義の制度的な矛盾とは無関係な自然現象としてのウィルスの蔓延によるものだという言説は間違いだ。この言説が隠蔽しているのは、感染症を予防し、阻止して治療へと結び付けるために利用できる社会的な資源を、時には国境を越えて相互に融通しあう仕組みを資本主義の市場も政府も実現できず、むしろ資本と国家の制度を防衛することを優先させて、人々の生存をそのための犠牲にするという構図である。市場は資本の利潤を最大化する動機によって動くのであって、人々の生存のために利益を犠牲にすることがその使命なわけではない。国家は、権力の自己目的化に人々の生存を従属させることは、戦争への動員から死刑制度まで、国家の本質となっている。こうした資本と国家の本質を踏まえることが大切である。彼らが何を言うかではなくて、彼らがやれるはずのことを彼らの経済的政治的な利益のために回避する可能性があることを見逃さないことが大切だ。社会的な危機に対する人とモノの最適な再配置を資本主義の制度的前提によって阻害されているということを理解する必要がある。

職場、移動、買い物、娯楽、そして様々な社会活動、これらが一体となって人々の日常がある。この日常のなかで人の身体が<労働力>の消費と再生産という経済の構造に組み込まれるとともに、政治的主体として統治機構の構造を構成する。感染症であれその他の病いであれ、罹患、治療、治癒の過程は保健医療サービスの仕組みに依存する。感染の拡大は、個人の問題ではなく社会の構造のなかで行動する社会的個人の問題であり、社会の責任という観点が必要になる。これを個人の私的な行動に還元して、行動の履歴を追跡し、私的な人間関係を把握する方法の背景には、当該個人の私的な行動が、社会に対して害として表われるとみなす感染者への否定的な眼差しがひそんでいる。感染者から「社会」(実は資本と国家だが)を防衛するという意図には感染そのものと感染者という人間とを明確に区別しうるような理解の枠組を構築しようとする人権の基本的な観点を欠いている。政府や資本は、自らの利益のためになすべきことを放置し、彼らが負うべき責任を個人の生存のリスクや個人の私的な行動に負わせ、結果として感染した個人を社会のリスクとして事実上排除するか、感染していな者たちを<労働力>として動員しつつ、感染のリスクに人々を晒すことへの責任を負わないというのは、どちらに転んでも、資本と国家の自己防衛でしかないのです。

4 おわりに:オルタナティブの回路を閉ざさないために

緊急事態宣言の解除から経済再開への転換は、資本がもはや運動の停止に耐えられなくなった証拠でもある。人々のリクスへの不安と経済的な困窮による不安がここでは両天秤にかけられている。感染リスクに対して経済的困窮のリスクが相対的に高まることによって、人々のリスクと安全の主観的な閾値がリスクを許容する方向に移動しはじめているが、これを誘導したのが資本と政府の「経済」という脅し文句だ。感染リスクを最小化するために必要な自主的な隔離に伴う経済的な損失を補うに十分な経済的な保障をせず、自営業者や中小零細企業を盾にして経済再開の圧力をかけてきた資本と、この資本と運命共同体でもある政権とは、隔離政策がめざしたパンデミックの完全な収束あるいは「アンダーコントロール」状態の失敗から「with コロナ」へと方針を転換して、人々にコロナのリスクを受けいれさせうるような感情へと誘導しつつある。

経済的な危機は労働者の貧困と生存の危機をもたらすから、労働者は生存に必要な所得を獲得せざるをえず、資本のいいなりになる選択をさせることで資本の労働者への支配を強化するわけだが、労働者が資本への依存を拒否して別の生存手段を獲得できてしまった場合、この資本による制御は有効性を削がれる。労働者が団結して資本と対峙したり、失業と貧困による生存の危機に対して、資本に依存しない自立を可能にするオルタナティブな経済基盤を準備することによって、この資本の目論見を挫くことが可能になる。この民衆の自立に対して、政府もまた資本を支える方向で、民衆の自立を阻止します。政府は財政支出を通じて、失業や貧困への補償を約束したり、公共投資によって雇用の削減を抑制し、景気を刺激するといった政策をとることによって、オルタナティブへの回路を塞ごうとする。政府は労働者を資本の支配の下に再度統合するための政治的な役割を担う。人口の大半は、こうして労働市場で<労働力>を供給するシステムに縛られ続けることになる。この資本と国家の利益を、国民国家の体制は「国民」が全体として一致協力して、感染防止の生活規範に従うことを正当化し、この全体への同調だけが唯一のパンデミック対策であると主張します。民衆の「夢」を実現性のない妄想の類として否定するわけですが、こうした全体を一体のものとするシステムの傾向は現代における全体主義といっても差し支えないものだ。

わたしたちは、こうした全体への同調の背後に、資本主義を支える市場と国家の限界と民衆への犠牲の転嫁のメカニズムがあることを理解することが必要だ。


(補足2)ロックダウンや緊急事態では、医療崩壊を防ぐために、人々の接触を最小化することが必要だという理屈で外出自粛や禁止措置がとられた。これは資本ではなく国家の利害である。保健・医療が公的制度によって維持されていることから、政府の利害はこの制度の維持のために、人々を自主隔離して親密な人間関係のなかでの感染を正当化した。この段階では、あたかも保健医療のインフラは定数であり与件であって、一切の政府の資源の再配分はしないという態度が露骨だ。コロナ以前の既定の路線は、保健医療体制の市場経済への統合と公的財政支出の削減にあり、この既定の路線が根本から見直されることはない。

(補足)この規模の拡大は、これまでの資本主義の200年の歴史のなかでは、常に、国外の旧植民地など非西欧世界の統合として実現してきた。この傾向は1980年代以降、内包的拡大と呼べるような新たな市場拡大を伴うようになる。これがいわゆる新自由主義である。これまで政府の非市場経済部門とされてきた領域、人口の福祉・社会保障・教育や電気、水道、通信、公共交通といった生活基盤といった生存権や人権に密接に関わる領域が市場経済に開放されるようになる。資本の側からするとこうした人口の人権・生存権分野が新たな利潤創出の市場に統合されることによって市場の拡大が実現することになった。これに加えて、社会主義ブロックの解体はグローバルな資本主義の地理的な前提条件を可能にし、これが新たなフロンティアとなると同時に、中国やロシアがこれまでにない資本主義の手強い競争相手として登場することになる。

Date: 2020/7/7

Author: 小倉利丸

Created: 2020-07-02 木 15:16

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ATTAC首都圏連続講座(小倉)第2回のおしらせ(音源アップ、7月7日オンライン)

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