ウクライナはなぜ11の「親ロシア」政党を停止したのか?(ソツヤルニ・ルークによる声明も加えて)

(訳者前書き)以下は、LINKS, Internasional Journal of Socialist Renewalに掲載された記事の翻訳です。イシチェンコの文章は、この他「ロシアのウクライナ侵攻は、ロシアの政治秩序を不安定にしかねない」を訳してある。

戦時下には、平時には許されていた基本的人権が国家緊急事態を口実に制限されるようになるのは、民主主義を標榜する国においても一般的にみられる。特に政権に批判的な団体や個人を敵国の同調者などというレッテルを貼って排除・弾圧することに世論も容易に同意を与えてしまうために、戦争に便乗した権力の集中と人権への抑圧が進み、これが戦後の権威主義や独裁へと繋がることがある。こうした事態はロシアだけでなくウクライナでも起きている。

ウクライナの国内政治のなかで、とくにマイダン以降、左翼の運動がどのように扱われてきたのかについて、下記のエッセイでその概略がわかる。戦時にあって、労働者の権利や生存の権利はどう扱われているのか、政府への異論や反対運動を組織する余地は与えられているのか。こうした観点から戦争を見ることなく。ゼレンスキーを中心としたウクライナを一枚岩に還元していいのだろうか。私はロシアの侵略行為に正当性の欠片すら見出すことはできない。ウクライナの国内政治や統治機構が抱えてきた矛盾についても、戦争を理由に、この矛盾への批判を棚上げする理由を見出すこともできない。

2015年にウクライナでは2015年に「脱共産化」法が成立しており、左翼運動は周辺化されざるをえない制度的な条件があった。日本でも類似の偏見があるが、多様な共産主義(コミュニズム)、社会主義をかつてのソ連や中国など社会主義諸国と同一視することによって、左翼の反資本主義運動全体をありもしない画一的な存在に還元して切り捨てる政治統制の手法は、自由と民主主義を標榜する諸国が共通して持ち出すイデモロギー的な自己防衛だ。アナキズムも含めた反資本主義の無視できない有力な運動や思想の潮流が一貫して20世紀の社会主義諸国に対して厳しい批判を提起しつつ、資本主義にも与しない、という明確な立場をとってきたことを支配者たちは知っているハズにもかかわらずだ。イシチェンコの下記のエッセイの立場は、ゼレンスキー政権による左翼政党の活動停止措置は、親ロシア活動が原因ではなく、むしろ現在の戦争が終結した後のウクライナの統治機構における権力を確実に左翼を排除したある種の権威主義的な構造へと転換しようとする意図に基くものだととみているように思う。(小倉利丸 2022/3/27加筆)


ウクライナはなぜ11の「親ロシア」政党を停止したのか?(ソツヤルニ・ルークによる声明も加えて)。

ヴォロディミル・イシチェンコ著

2022年3月21日 – Links International Journal of Socialist Renewal reposted from Al Jazeera

週末、Volodymyr Zelenskyy大統領の政府は、「ロシアとのつながり」の疑いを理由に、ウクライナの11政党を活動停止処分にした。停止された政党の大半は小規模で、中には全く重要でないものもあったが、そのうちの一つである野党「生活のためのプラットフォーム」は最近の選挙で2位になり、現在450議席あるウクライナ議会で44議席を占めている。

これらの政党がウクライナの多くの人々から「親ロシア派」と認識されていることは事実である。しかし、現在の同国において「親露」が何を意味するのかを理解することが重要だ。

2014年以前のウクライナ政治には、欧州・大西洋圏の国際機関よりもロシア主導の国際機関との緊密な統合、あるいはウクライナがロシアやベラルーシと連邦国家になることを求める大きな陣営があった。しかし、ユーロマイダン革命やクリミア、ドンバスにおけるロシアの敵対的行動により、親ロシア派はウクライナ政治において周縁化された。同時に、親ロシア派というレッテルが誇張されるようになり、ウクライナの中立を求める者を指す言葉として使われるようになった。また、主権主義、国家開発主義、反欧米、非自由主義、ポピュリスト、左翼、その他多くの言説を貶め、黙らせるために使われ始めたのである。

このように多種多様な意見や立場が一つのレッテルの下にまとめられ、非難されるようになったのは、主に、2014年以来ウクライナの政治領域を支配してきた親欧米、新自由主義、ナショナリズトの言説を批判し、これらに疑問を投げかけるものに対してであり、ウクライナ社会の政治の多様性を実際に反映しているわけではなかった。

しかし、ウクライナで「親ロシア」の烙印を押され、最近ゼレンスキー政権によって停止処分を受けた政党や政治家は、ロシアとの関係は極めて様々だ。ある者はロシアのソフトパワーへの取り組みと関係があるかもしれないが–こうした関係が適切に調査・証明されることはほとんどないが–、他の者たちは実際には彼ら自身がロシアの制裁下にある。

ウクライナの「親ロシア」政党の多くは、何よりもまず「自己中心的な党」であり、ウクライナに独自の利益と収入源を有している。彼らは南東部に集中するロシア語を話す少数派のウクライナ人の現実的な不満を利用しようとしている。これらの政党は大衆の大きな支持を得ている。例えば、最近活動停止にされた3つの政党は2019年の議会選挙に参加し、合わせて約270万票(18.3%)を獲得し、ロシアの侵攻前に行われた最新の世論調査では、これらの政党は合わせて約16~20%の得票率を記録している。

ゼレンスキーの停止リストに載っていた他の政党は、左翼的な志向を持っていた。社会党や進歩社会党など、1990年から2000年代にかけてウクライナの政治で重要な役割を果たした政党もあるが、今ではすっかり周辺に追いやられている。実際、現在あるいは当面の間、ウクライナではその名前に「左翼」や「社会主義」を冠して一般投票のかなりの得票を確保できる政党は存在しない。ウクライナはすでに2015年に「脱共産化」法に基づいて国内のすべての共産主義政党を停止しており、ベニス委員会the Venice Commission[欧州評議会の憲法問題に関する独立諮問組織:訳注]から強く批判された。 今回の停止処分は、必ずしもウクライナの政治圏から左派を消したいという動機からではないかもしれないが、そうしたアジェンダに寄与していることは確かである。

皮肉なことに、これらの政党の活動停止はウクライナの安全保障にとって全く無意味である。確かに、「進歩的社会主義者」のように、停止された政党の中には長年にわたって強く純粋な親ロシア派であったものもある。しかし、ウクライナで実際的な影響力を持つこれらの政党の指導者や後援者は、実質的にすべてロシアの侵攻を非難し、現在はウクライナの防衛に貢献しているのである。

さらに、政党活動の停止が、これらの政党の党員や指導者によるウクライナ国家に対する何らかの行動の抑止にどのように役立つかは明らかでない。ウクライナの政党組織は、政治・活動家集団としては通常非常に弱く。おそらく、例外として、ウクライナで最も人気のある政治ブロガーの一人が設立した活動停止中の政党に含まれるシャリイ党があるが、現在は人道的活動に注力している。侵略の最中に、クレムリンと直接、あるいはそのプロパガンダ網を通じてロシアと協力しようと考えている人たちは、党組織の外でこうしたことを行うだろう。党の公式口座を通じてロシアの資金を動かそうとする理由もないだろう。

このことは、ウクライナ政府が左翼政党や野党を停止するという決定を下したのは、ウクライナの戦争時の安全保障上の必要性とはほとんど関係がなく、ユーロマイダン以降のウクライナ政治の分極化とウクライナ人のアイデンティティの再定義が、この国における許容可能な言論の境界を超えたさまざまな反対意見に大きく関係していることを示唆している。また、ロシア侵攻のはるか以前から始まったゼレンスキーの政治権力強化の試みとも関係がある。

実際、政党の活動停止という決定は、あるパターンに従っている。昨年以来、政府は定期的に野党メディアと一部の野党指導者に制裁を加えてきたが、不正行為の説得力のある証拠を国民に示すことはなかった。

例えば1年前、政府はプーチンの個人的友人であるヴィクトル・メドベチュクを制裁した。世論調査で、彼の政党がゼレンスキーの「人民のしもべ」党よりも国民の支持を得て、将来の選挙で彼を追い抜く可能性があるとされ始めた直後であった。当時、メドベチュクと彼のテレビ局に対する制裁は、在ウクライナ米国大使館からも支持されていた。この制裁は、プーチンに「ウクライナでロシア寄りの政治家が選挙で勝つことは許されない」と思わせ、戦争の準備を始めさせた要因の一つではないか、と複数のアナリストはその後推測している。

現在、メドベチュク氏は自宅軟禁を逃れ、ウクライナ当局から身を隠している。野党「生活のためのプラットフォーム」は彼を党首からはずし、ロシアの侵攻を非難し、ウクライナを守る軍に参加するよう党員に呼びかけている。

ロシアの侵攻の中で「親露派」政党の活動停止を安全保障上の必要性と分類するのは簡単だが、この動きはこうした広い文脈で分析・理解されるべきものであろう。また、野党、政治家、メディアに対する政府の制裁体制は、以前からウクライナ国内で広く批判を集めていることも指摘しておく必要がある。この制裁は、ウクライナの安全保障・防衛会議に出席している一部のグループが、真剣な議論もなく、怪しげな法的根拠に基づいて、腐敗した利益を追求するために計画し、実施したものだと考える人が国内には多いのである。

このため、戦争が終われば当事者たちの活動停止が解除されると期待する根拠は乏しい。法務省はおそらく法的措置をとり、政党を永久に禁止するだろう。

しかし、それでは戦争への努力も現政権の政治的野望も実現できない。それどころか、一部のウクライナ人をロシアとの協力に向かわせることになりかねない。

実際、これまでのところ、占領地における侵略者との協力は最小限にとどまっている。国民が親ロシア派の政党や政治家に大挙して賛同する気配はない。また、ロシアがウクライナに傀儡政権を樹立することになれば、まず間違いなくこれらの政党に接近するだろうが、彼らの政治幹部の多くはその申し出を断るだろう–彼らは自分の資本、財産、西側での利益を危険にさらしたくないのだから。これらの「親露」政党の支持を受けて当選した地方指導者の中には、すでに侵略軍に協力するつもりはないと明言している者もいる。

しかし、これらの政党が停止された後に、彼らの地方組織や議会のメンバー、および彼らの積極的な支持者が占領地においてロシア軍に協力する傾向が強まるかもしれない。実際、ウクライナに政治的な未来がなく、むしろ迫害に直面していると確信すれば、ロシアに目を向け始めるかもしれない。そうなれば、大衆が「裏切り者」を探して処罰し始め、ウクライナの「ナチズム」問題についてのロシアのプロパガンダが強化され、暴力が助長される可能性がある。すでにウクライナでは、野党や左翼のブロガーや活動家の捜索や逮捕に関する報道が憂慮されるほど増えている。

今日、ウクライナは存亡の危機に直面している。ウクライナ政府は、今回の停波のような、ウクライナ大衆の一部を疎外し、指導者の意図を疑わせるような動きは、国を強くするどころか弱くし、敵に仕えるだけだということを理解する必要がある。

Volodymyr Ishchenko ベルリン自由大学東欧研究所研究員。研究テーマは、抗議行動と社会運動、革命、急進的な右派・左派政治、ナショナリズム、市民社会。現在、書籍The Maidan Uprising: Mobilization, Radicalization, and Revolution in Ukraine, 2013-2014[マイダン蜂起、ウクライナにおける動員、急進化、革命2013-2014年]の共同原稿を執筆中。

ウクライナの一部政党の一時的な「禁止」についての声明

21/03/2022
Категорія: 英語, 日 本語
✖️最近、国家防衛安全保障会議が、多数のウクライナの政党の活動を一時的に停止することを決定した。このリストには、主要な野党と、名前に「進歩的」「左翼」「社会主義」という言葉が使われているあまり知られていない政党の両方が含まれている。ウクライナのVolodymyr Zelensky大統領は、これらの政党を「ロシアと関係がある」と非難したが、その主張には適法な根拠がなかった。

私たちは、これらの政党の少なくとも一部のメンバー、特にその指導者が、ロシアとつながっていることをはっきりと認識しており、とりわけ彼らのリーダーシップは、

*ロシアの排外主義的野心の危険性を軽視し、クレムリンと直接協力しない場合であっても、侵略を正当化することになる。

*政府の新自由主義的な政策によって引き起こされた民衆の不満を、「西側」が「スラブ文明」を破壊するという戯画的なイメージとの戦いに向けて誤導していた。

*外国人恐怖症、反ユダヤ主義、同性愛嫌悪、憎悪を広めた。

左翼的なフレーズを使い、そのフレーズを乗っ取った人々は、現実には寡頭制のコンセンサスに奉仕しているに過ぎない。

とはいえ、前述の組織やその個々のメンバーのロシア帝国主義者との協力の可能性は、調査されるべきだし、彼らは法廷で裁かれなければならない。人民的抵抗の妨害に関与した具体的な人物は、その行動に対して個々の責任を負わなければならない。我々は、民主的自由の重要性と象徴性を認識し、無差別な党員禁止は今日の闘争にふさわしくないと考えている。

我々はすでに、政府が戦争という状況を悪用してウクライナの労働者の労働権を攻撃しようとしたことを見てきた。そして今、その行動は政治的・市民的自由を制限することを目的としている。我々はこれを支持することはできない。

さらに、進歩的なアジェンダを自動的にクレムリンと結びつけることによって、左翼や社会運動一般に汚名を着せようとするあらゆる試みに警告を発したい。左翼や組合の活動家は今日、軍隊や領土防衛のメンバーとして、装備や食料、医薬品の提供、難民や国内避難民の避難や宿泊に携わるボランティアとして、国際連帯を築き、対外債務の帳消し、ロシア国家の資産の差し押さえ、オフショアリングの容認の停止を要求する団体として、侵略者と戦っている。

私たちは、すでに支持を表明し、ウクライナの自衛権を認め、自国政府に具体的な措置を講じるよう圧力をかけ続けている世界中の数多くの左翼運動に感謝する。

ウクライナの人々は、常に人々から経済的価値を搾取し海外に蓄えるために人々を利用する資本家ではなく、今日計り知れない苦難に耐えており、より公平な明日を手に入れる権利がある。社会主義は、我々の社会により多くの正義をもたらし、共通の目的を追求する最良の方法である。それこそが、我々ソシアルニ・ルークの主張するところなのだ!

出典:http://links.org.au/why-did-ukraine-suspend-11-pro-russia-parties-sotsyalnyi-rukh

下訳にDeepLを用いました。

ウクライナの労働運動や左翼運動のサイト(リンク集)

以下は、ウクライナ連帯キャンペーンのサイトに掲載されているウクライナの労働運動や左翼運動のサイトへのリンク集です。各運動体の考え方や思想的歴史的なバックグラウンドについては、みなさんで直接確認してみてください。ウクライナ語、ロシア語や英語など外国語のサイトですが、機械翻訳DeepLを使って日本語に訳すことである程度は内容を把握できると思います。(翻訳の精度は完璧ではありません)

Ukrainian Trade Unions

KVPU – The Confederation of Free Trade Unions

FPSU – Federation of Trade Unions of Ukraine

NGPU Independent Union of Miners of Ukraine

Regional Organisations of NGPU

Trade Union of the Coal Industry of Ukraine

Trade Union Labour Solidarity

Independent Trade Union Defence of Labour

Independent Media Trade Union of UkraineAll-Ukrainian Union of Finance Workers

Independent Trade Unions of the Energy Sector

Ukrainian Left Organisations

Left-Opposition (リンク切れ、weyback machineで過去のサイトを見る)

Spilne/Commons Journal

Assembly for Social Revolution

Vpered on-line journal

Bulletin of the Left-Opposition

Autonomous Workers Union

National-Communist Front

Strike, Solidarity Portal

Independent Student Union Direct Action

Ukraine: Activist Perspective (after Maidan)

Socialist Party of Ukraine

Research and Analysis

Centre for Social Research

Kharkiv human rights protection group

Amnesty International Ukraine

Observer Ukraine

LeftEast – platform where our common struggles and political commitments come together

Debatte: Journal of Contemporary Central and Eastern Europe

Journal of Ukrainian Studies

Labour Focus on Eastern Europe

Russian Left

Russian Socialist Movement

Praxis Centre Moscow

Solidarity

Irish Ukrainian Solidarity Group

Global Labour Institute

Press and Media

Krytyka, Journal of Critical Thinking

Glavred

Ukrainian Pravda

Community TV

Spilno TV

Ukraine Today

Ukraine and its History

ISN Ukraine Crisis Reader – sources

EuroMaidan Research Forum

BRAMA – History of Ukraine Chronologically Synchronized Tables

Ukrainian Socialists in Canada, 1900-1918

A Memoir of Auschwitz and Birkenau Roman Rosdolsky

Engels and the `Nonhistoric’ Peoples: the National Question in the Revolution of 1848, Roman Rosdolsky

The Dialectics of the Ukrainian Revolution – Introduction to Borotbism by Ivan Maistrenko

Borotbism: A Chapter in the History of the Ukrainian Revolution by Ivan Maistrenko

Internationalism or Russification?: A study in the Soviet nationalities problem, by Ivan Dzyuba

On the Current Situation in the Ukraine by Serhii Mazlakh and Vasyl’ Shakhrai

Ukrainian Marxists and Russian Imperialism 1918-1923: Prelude to the Present in Eastern Europe’s Ireland

Ukrainian National Communism in International Context Olena Palko

A Bolshevik Party with a National Face Being Ukrainian among Communists by Olena Palko

Canadian Institute of Ukrainian Studies

Internet Encyclopedia of Ukraine

Ukraine-related information on the Internet

ロシア:「戦争に反対する社会主義者」連合のマニフェスト


以下は、LEFTEASTに掲載されたロシアの戦争に反対する社会主義者連合の宣言です。英語からの重訳なので、訳文の後ろにロシア語原文を掲載しておきます。(小倉利丸)


2022年3月17日
LeftEast編集部注:ロシアの非公式グループ「戦争に反対する社会主義者」のマニフェストの原文(以下も同様)を英語版で転載します。

この勢力は、平和と安定の約束を基盤にしつつも、結局は国を戦争と経済的破局に導いた。

歴史上の他の戦争と同様、現在の戦争も皆を賛成派と反対派に二分している。クレムリンのプロパガンダは、国民全体が権力の周りに結集したと私たちに信じ込ませようとしている。そして、惨めな祖先、親欧米のリベラル派と外敵の傭兵が平和のために戦っている。まったくもって、どうしようもない嘘だ。今回、クレムリンの長老たちは少数派であった。ほとんどのロシア人は、ロシア当局をまだ信頼している人々の間でさえ、民族紛争的な戦争を望んでいない。彼らは、プロパガンダによって描かれた世界が崩壊するのを見ないように、目をつぶっている。彼らは、今起きていることは戦争ではなく、とりわけ攻撃的なものでもなく、ウクライナの人々を「解放」するための「特別作戦」であると、まだ願っているのである。残酷な爆撃や都市への砲撃の悲惨な映像は、すぐにこれらの神話を破壊するだろう。そして、プーチンの最も忠実な有権者たちでさえ、「こんな不当な戦争に同意した覚えはない!」と言うだろう。

しかし、すでに今、全国で数千万人の人々が、プーチン政権のやっていることに恐怖と嫌悪感を抱いている。こうした人々は、さまざまな信条を持った人たちだ。そのほとんどは、プロパガンダが主張するようなリベラル派ではまったくない。その中には、左翼、社会主義者、共産主義者がたくさんいる。そしてもちろん、これらの人々、つまりわが国民の大多数は、わが母国に対する誠実な愛国者である。

私たちは、この戦争に反対する人々は偽善者であると嘘を言われてきた。彼らは戦争に反対しているのではなく、西側諸国を支持しているだけなのだと。それは嘘だ。私たちは、米国とその帝国主義政策の支持者であったことは一度もない。ウクライナ軍がドネツクやルガンスクを砲撃したとき、私たちは黙っていなかった。プーチンとその仲間たちの命令でハリコフ、キエフ、オデッサが空爆されているいまも、黙ってはいない。

戦争に反対して闘う理由はたくさんある。社会正義、平等、自由を支持する私たちにとって、そのうちのいくつかは特に重要である。

  • 不公平な、征服のための戦争である。ロシア国家にとって、兵士を殺し殺さなければならないような脅威は存在しなかったし、現在も存在しない。今日、彼らは「誰も解放しない」のだ。人民の運動を支援することもない。ただ、ロシアに対する権力を永遠に維持することを夢見る一握りの億万長者の命令で、正規軍がウクライナの平和な都市を破壊しているに過ぎない。
  • この戦争は、我々の民衆に数え切れないほどの災いをもたらす。ウクライナ人もロシア人も、そのために血の犠牲を払っている。しかし、遠く離れた後方でも、貧困、インフレ、失業はすべての人に影響を与えている。そのツケは、オリガルヒや役人ではなく、貧しい教師、労働者、年金生活者、失業者が払うことになる。私たちの多くは、子どもたちに食べさせるものがなくなるだろう。
  • この戦争によって、ウクライナは廃墟と化し、ロシアは一つの大きな監獄と化すだろう。反対派のメディアはすでに閉鎖されている。ビラや無害なピケ、ソーシャルネットワークへの投稿であってさえ、人々は刑務所に入れられる。まもなくロシア人は、刑務所か軍隊の登録・入隊所のどちらかを選ぶしかなくなるだろう。戦争は、生きている世代がまだ見たことのない独裁政治をもたらす。
  • この戦争は、わが国に対するあらゆるリスクと脅威を著しく増大させる。一週間前にはロシアに同調していたウクライナ人でさえ、今では我が軍と戦うために民兵に入隊しているのだ。プーチンは、その侵略によって、ウクライナのナショナリストの犯罪や、アメリカやNATOのタカ派の陰謀をすべて無効にしてしまった。プーチンは、新たなミサイルや軍事基地が国境の周囲にほぼ確実に出現することを彼らに許してしまった。
  • 最後に、平和のための闘いは、すべてのロシア人の愛国的義務である。私たちは、歴史上最も恐ろしい戦争の記憶の保持者であるからだけではない。しかし、この戦争はロシアの完全性と存在そのものを脅かしているからでもある。

プーチンは、自分の運命をわが国の運命と緊密に結びつけようとしている。もし彼の思い通りになれば、彼の敗北は必然であり、国家全体の敗北となるだろう。そして、戦後のドイツのような運命が本当に待っていることになる。占領、領土分割、集団的罪悪感のカルト化である。

これらの災厄を防ぐ方法はただ一つである。戦争は、私たち自身によって、つまりロシアの男性と女性によって止められなければならない。この国は私たちのものであり、宮殿やヨットを持つ一握りの狂気の老人たちのものではない。取り戻すときが来たのだ。我々の敵は、キエフやオデッサではなく、モスクワにいる。彼らをそこから追い出す時が来たのだ。戦争はロシアではない。戦争はプーチンとその政権である。したがって、我々、ロシアの社会主義者、共産主義者は、この犯罪的な戦争に反対している。ロシアを救うために、プーチンを止めたいのだ。

介入するな!

独裁は許さない!

貧困はいらない!

下訳にDeepLを用いました。

Манифест коалиции «Социалисты против войны»

March 03, 2022

Эта власть держалась на обещаниях мира и стабильности, а в итоге привела страну к войне и экономической катастрофе. 

Как и любая другая война в истории, нынешняя делит всех на две партии: за и против. Кремлевская пропаганда пытается убедить нас, что вся нация сплотилась вокруг власти. А за мир борются жалкие отщепенцы, прозападные либералы и наемники внешнего врага. Это полностью несостоятельная ложь. На этот раз кремлевские старцы оказались в меньшинстве. Братоубийственной войны не хочет большинство россиян, даже среди тех, кто все еще доверяет российской власти. Они изо всех сил закрывают глаза, чтобы не видеть, как разваливается мир, нарисованный пропагандистами. Они еще надеются, что происходящее не война, тем более не агрессивная, а «специальная операция», призванная «освободить» украинский народ. Страшные кадры жестоких бомбежек и обстрелов городов скоро уничтожат эти мифы. И тогда даже самые верные избиратели Путина скажут: мы не давали вам согласия на эту несправедливую войну!

Но уже сейчас по всей стране десятки миллионов людей испытывают ужас и отвращение от того, что делает путинская администрация. Это люди разных убеждений. Большинство из них вовсе никакие не либералы, как утверждают пропагандисты. Среди них очень много людей левых, социалистических или коммунистических взглядов. И разумеется, эти люди – большинство нашего народа – искренние патриоты нашей Родины. 

Нам врут, что противники этой войны – лицемеры. Что они выступают не против войны, а лишь в поддержку Запада. Это – ложь. Мы никогда не были сторонниками США и их империалистической политики. Когда украинские войска обстреливали Донецк и Луганск, мы – не молчали. Не будем молчать и сейчас, когда Харьков, Киев и Одессу бомбят по приказу Путина и его камарильи.

Существует очень много причин бороться против войны. Для нас, сторонников социальной справедливости, равенства и свободы, несколько из них особенно важны.

– Это несправедливая, захватническая война. Не существовало и не существует такой угрозы российскому государству, ради которой нужно было отправлять наших солдат убивать и умирать. Сегодня они никого не «освобождают». Не помогают никакому народному движению. Просто регулярная армия разносит в щепки мирные украинские города по приказу горстки миллиардеров, мечтающих сохранить свою власть над Россией навеки.

– Эта война ведет к неисчислимым бедствиям для наших народов. И украинцы, и русские дорого платят за нее своей кровью. Но даже далеко в тылу нищета, инфляция, безработица коснется каждого. Платить по счетам будут не олигархи и чиновники, а нищие учителя, рабочие, пенсионеры и безработные. Многим из нас будет нечем кормить детей. 

– Эта война превратит Украину в руины, а Россию в одну большую тюрьму. Оппозиционные СМИ уже закрыты. За листовки, безобидные пикеты, даже за посты в социальных сетях людей бросают за решетку. Скоро у россиян останется только один выбор: между тюрьмой и военкоматом. Война несет с собой такую диктатуру, которой живущие поколения еще не видели.

– Эта война в разы увеличивает все риски и угрозы для нашей страны. Даже те украинцы, которые еще неделю назад симпатизировали России, теперь записываются в ополчение, чтобы сражаться с нашими войсками. Своей агрессией Путин обнулил все преступления украинских националистов, все интриги американских и натовских ястребов. Путин дал им в руки такие аргументы, что по периметру наших границ почти наверняка появятся новые ракеты и военные базы. 

– Наконец, борьба за мир – это патриотический долг каждого россиянина. Не только потому, что мы – хранители памяти о самой страшной войне в истории. Но и потому, что эта война угрожает целостности и самому существованию России. 

Путин пытается намертво связать свою собственную судьбу с судьбой нашей страны. Если ему это удастся, то его неизбежное поражение станет поражением всей нации. И тогда нас действительно может ждать судьба послевоенной Германии: оккупация, территориальный раздел, культ коллективной вины.

Есть только один способ предотвратить эти катастрофы. Войну должны прекратить мы сами – мужчины и женщины России. Эта страна принадлежит нам, а не горстке обезумевших стариков с дворцами и яхтами. Пора вернуть ее себе. Наши враги не в Киеве и Одессе, а в Москве. Пора выгнать их оттуда. Война – это не Россия. Война – это Путин и его режим. Поэтому мы, российские социалисты и коммунисты против этой преступной войны. Мы хотим остановить ее, чтобы спасти Россию. 

Нет интервенции!

Нет диктатуре!

Нет нищете!

Коалиция «Социалисты против войны»

ウクライナの戦争と新帝国主義に反対する。虐げられた人々との連帯の手紙

(訳者前書き)以下は、東欧の批判的左翼による優れた論評を掲載してきたLEFTEASTに掲載された論文の翻訳。著者のキルンは、ヨーロッパ世界が突然ウクライナ難民への門戸を開放する政策をとったことの背景にある「ヨーロッパ」と非ヨーロッパの間に引かれている構造的な排除に内在する戦争の問題を的確に指摘している。ヨーロッパが繰り返し引き起こしてきた戦争がもたらした難民には門戸を閉ざしているにもかかわらず、なぜウクライナはそうではないのか。ヨーロッパのレイシズムがここには伏在しているという。同時に、左翼が、ナショナリズムの罠に陥ることなく、国境や民族を越えて資本主義批判の原則を立てうるかどうかが試されているとも言う。ロシアにも米英EUにも与しない国際的な連帯を、ウクライナの問題としてだけではなく、欧米もロシアも仕掛けてきたグローバルサウスにおける戦争の問題を視野に入れて新たな階級闘争の理論化が必要だとも指摘している。私がこれまで読んできた論文のなかで共感できるところの多いもののひとつだ。(小倉利丸)


ガル・キルン著
投稿日
2022年3月10日

ウクライナの国旗の色で書かれた落書き。「ピース・ラブ」 [Photo Credit: Loco Steve, Flickr].

COVID-19の大流行による長い冬が終わり、初めて垣間見える春の訪れのなかで、新たな流血が目撃されるようになっている。ロシアによるウクライナへの侵攻と戦争が1週間以上続き、国際関係の断絶を否定できない時期が続いていることを私たちは目の当たりにした。地上、サイバースペース、国際空間において、信じられないほど速いスピードで事態が動いている。ウクライナへの侵攻は、NATOや米国政府によって数カ月前から予告されていたにもかかわらず、あらゆる戦争がそうであるように、多くの人々を驚かせた。キプロスや旧ユーゴスラビアでの戦争を除けば、ヨーロッパが戦争を経験したのは1945年以降初めてだと言う人さえいる。より広い視野に立てば、今週は、少数の超大国だけが小国や人々の将来を決定するという、一見すると過去の冷戦―熱戦の帝国主義的パラダイムへの回帰と呼ぶこともできる。このパラダイムは、冷戦のみならず、第一次世界大戦前のヨーロッパの大帝国間のグローバルな競争の時代にも明らかであった。冷戦だけでなく、第一次世界大戦前のヨーロッパ大帝国の世界的な競争時代にも見られたパラダイムである。例えば、プーチンはしばしば新しいヒトラーとして描かれ、彼自身もウクライナ政府を「ナチス化」だと描いている。どちらの同一視も誤りではあるが、1939年と第二次世界大戦の始まりとの類推が強まっていることを示している。むしろ、1914年の第一次世界大戦の勃発の方が、歴史的なアナロジーとしてふさわしい。しかし、戦争が地域的に収まったとしても、1991年以降の旧ユーゴスラビアにおける紛争や、過去20年間のポストソビエトの文脈でロシアの政治・軍事機構が行った一連の戦争を連想させるようになるかもしれない。この戦争は、ロシア的ミールの文明空間としてドゥーギンの新ファシズムの思想を体現している。おそらく、ようやく死につつある歴史的イメージはヨーロッパだけでなく、南半球の一部でも「解放」/「英雄」国家としてのロシアのイメージである。

批判的で唯物論的な分析を主張するならば、歴史を心理学的に分析し、ある人格(ここではプーチン)を病理学的に分析するという、メディアを通じてしばしば繰り返される言葉の綾には反対せざるを得ない。プーチンのイデオロギー装置は、少なくとも外交政策においては、アメリカによる世界支配に反対するという、ますます説得力のない反帝国主義のスタンスを必死になって主張してきたことは注目に値する。シリアは、主要超大国の最初の大きなにらみ合い、つまり代理戦争となった。それ以外ではISILに対する共通の戦いで結束しているにもかかわらず、である。この現在のロシアの「反帝国主義」姿勢は、第二次世界大戦中のソ連に遡り、反植民地闘争によって部分的に担われつつ長いこと議論の的になってきたイデオロギーに基づくものだ。 ソ連は、ファシズムに対する現実的で血なまぐさい闘いに基づいて、自らを国際的な反ファシスト闘争の象徴として宣伝することができた。この遺産は、戦後ヨーロッパの公式の記憶の礎となっていた。しかし、反ファシズムは、反全体主義のイデオロギーと、EUの特殊な記憶政治に取って代わられることになった。反全体主義とは、主に(新たな)ナショナリズムと反共産主義に基づくもので、ロシア(「旧ソ連」)が第一の敵となり、ファシズムの過去はホロコーストの追憶に還元されることになった。この記憶の転換は、今日も西側諸国における反ロシアの立場に影響を与え続けている。

ウクライナ戦争によって、反帝国主義・反ファシスト闘争の継承者として自らを提示するロシアのイデオロギー的な遮蔽(ドネツク地方でこれに言及することは偶然ではない)は、ついに枯れ果てた(願わくば、あまりにも長い間「反西洋」または「反米」の外観をロマンティックに描いてきた左翼も、願わくはそうであってほしい)。はっきりさせておきたいのは、プーチンはいかなる約束も、「より良い世界」のイメージさえも提供していないことである。ロシアでは、間違いなく、反ファシズム、左翼、民主的な反対派をすでに押しつぶし、もし許されるなら、ロシアの外でも同じことをするだろうということだ。左翼の新たな課題の一つは、「愚か者たちの反帝国主義」と呼ばれてきたもので今やついに息切れしてしまったアメリカの覇権主義に反対する権威主義的指導者たちに対する古い左翼のロマン主義を振り払うことである。

今日、私たちはどこに希望の光を指し示すことができるのか、また指し示すべきなのだろうか。この論文のタイトルが示すように、私たちの希望はウクライナやロシア、そしてそれ以外の国々の抑圧された人々に託されるべきものだ。つまり、ロシアや他の場所での戦争に反対する意志と希望を持っている人々、今日ウクライナで命をかけて戦う人々、自分自身を守る人々、戦場から逃げてくる人々との連帯ネットワークを組織するボランティア、そして戦争によるエスニシティの武器化にもかかわらず、社会変革と平和のプロジェクトに深く献身しているすべての人々である。

しかし、このような希望を明確にするためには、この特別な戦争を始めたのが誰であるかを明確にする必要がある。私は、この批判的な左翼の立場が、地政学的にアメリカの覇権主義に加担する新しいヨーロッパに関する主流のリベラルと保守のコンセンサスに吸収される必要はないと主張したい(『New Left Review』のWolfgang Streeckの論文を参照されたい)。左翼は、迫り来る環境と社会の破局がますます顕著になる世界において、反戦の遺産とその将来の地平を省みる必要がある。このような風潮は、デフォルトで恐怖と不安を中心に動員される。恐怖、不安、絶望は、人間の自然な反応や原動力ではなく、数十年にわたる新自由主義的改革と2年間のパンデミックの後、大きく不安定化した社会構造が有する徴候だ。この絶望の高まりが、ディストピアの地平線、戦争への明確で短絡的な道筋を提供している。今や、世界中の多くの人々にとって、大規模な世界大戦が(あらゆる)紛争に対するあたりまえの答えであるようにさえ思えてきた。NATOとEUの加盟国が最近発表したヨーロッパの再軍事化には、戦争のラッパが強く鳴り響いている。ドイツの現政権は、2022年に1000億ユーロ(ロシアの3倍)というこれまでで最も野心的な軍事予算を提案し、この点で先導的な役割を担っている。このように軍需産業と軍に現金を投入することで、ドイツは今後数年間、軍事的攻勢をかける勢力に変貌していくだろう。そして、より多くの武器への要求が、石油産業や軍需産業の大喝采を招きつつも、軍事化は、より大きな安定をもたらすことも戦争を防ぐことも決してないというかつての常識を拭い去っている。

では、今日および将来の寡頭政治的、地政学的戦争にどう対処すればよいのだろうか。手短に言えば、ロシア軍がこの戦争を直ちに停止し、いわゆる超大国がひとつのテーブルに着いて、ウクライナの将来について議論することである。その一方で、より長い回答の一部ではあるが、非軍事化の未来のための立場を明確にすることがこれまで以上に必要である。これは、人種やネーションの線引きではなく、むしろ階級的認識と反帝国主義であり、今再び非同盟である。全世界の指導者、特にEUの軍国主義の高まりを応援するのではなく、非軍国主義化と軍拡競争の終結を応援すべきなのは確かであろう。この戦争と将来の戦争の終結を考えるには、平和のパラダイムを理論的、政治的に考え直す必要がある。バリバールがかつて書いたように、西洋の政治哲学全体が戦争によって深く刻み込まれてきたとすれば、これを平和のパラダイムへと方向転換するときが来たのである。軍事ブロックや超大国を超えた積極的中立の政治を推進し、非同盟運動や反帝国主義闘争の遺産を再考することが、今すぐできる具体的な措置であろう。

最後に、公然と人種差別的、民族主義的な政策を押し付けることによって状況を武器化し、ヨーロッパの現実にとって危険が高まっている2つの警告のサインを指摘することによって、結論としたい。この2つの警告は、「白い」西欧文明空間を優先させ、ある生命が他の生命よりも重要であると繰り返す道徳の二重基準を呼び起こす二つの憂慮すべき傾向を示している。

第一に、EUが単純に、突然、難民を受け入れているのを見るのは悲劇的である。公然と保守的な政治家たちは、この変化を「自然なこと」として受け入れ、現在のウクライナからの難民は同じ「文化的」「文明的」な場所から来ているのだと述べる。しかし、ウクライナ以外の場所から来た難民は全く異なる扱いを被りつづけている。シェンゲンの国境では、武装した沿岸警備隊、有刺鉄線、警棒、拷問などで出迎え、また、2022年以前、一部のヨーロッパ政府は、公然と参戦した地域(特にアフガニスタン)からの人々に対して、反難民・反移民の風潮があったことは注目すべきだ。神聖なEUにやってくる人々は、疑わしい、我々の文化に対する潜在的な脅威とみなされ、ある人々にはイスラム過激派やテロリストとさえ映った。反移民、反難民の政策やレトリックは、EUをはるかに過激で保守的な空間にし、ヨーロッパ内から難民がやってきたらヨーロッパのオルバンやヤンシャがみなあっという間に難民推進派になり、国境を開放し、戦争で荒廃したインフラに資金を提供することを認めたのだ。言うまでもなく、連帯は、自分たちの「Blut und Boden」文明分化にとってより都合のよい、ある「タイプ」の難民だけに留保されるものではない。だから、現場でも議会でも、左翼にとっては、今こそ難民や移民をもっと受け入れるアプローチを推し進め、イエメンやソマリア、アフガニスタン、シリアからの人々にも、今ウクライナからの人々に与えられているのと同じ援助を与え、そこでも戦争を止めるために同じだけの労力を発揮する時なのである。

第二に、今回の制裁は、ロシアの産業界や一部のオリガルヒまで対象として、急ピッチで実施されたことである。しかし、私たちは公然と検閲する時代に入り、敵との関連や遺産からあらゆる空間を浄化/純化することを目的とするキャンセルカルチャー2.0に突入している。しかし、この敵がどのように定義されているかは重要な問題である。パスポートを理由に誰かを排除することを目的とした制裁がさらに強化されれば、これは悪影響を及ぼし、おそらく我々の社会の軍事化と不安定化を長引かせることになるのは周知の事実である。戦争を止めるというよりも、このようなキャンセルや制裁は現在、プーチンの権威主義を強化し、「ロシア」の統一と自己破壊に手を貸し、それまで暗黙あるいは公然と彼を批判してきた人々の多くにマイナスの影響を及ぼす。「私たちの側」「私たちに反対する側」の人たちの間のどこで線を引くのか(一部の文化施設では、チャイコフスキーやドストエフスキーなど、ロシアの芸術家の演劇やコンサートをレパートリーから外すことさえしている)。これは、ファシスト思想家カール・シュミットが精緻に描いた、友/敵の人種的論理である。私たちは、すべての寡頭政治家、そして「自由世界」のすべての指導者に対しても、階級意識と反帝国の立場を実践しつつ彼らの戦争と占領に反対して階級の次元で染めあげるような基準を課す準備ができているのだろうか。彼らの戦争犯罪のリスト増えつづけ、終わりがない。今こそ、上述したような平等な倫理を課すのか、それとも単に、このヘゲモン/帝国権力に沿って従っていくのかを決める時ではないか。後者の場合、将来の戦争の再生産は間違いなく起きる。前者の場合、私たちは非軍事化の地平に基づく世界のビジョンを明示するチャンスを得る。

ロシア当局が主導するこの恐ろしい戦争とそれがもたらすであろう影響に照らして、怒り、不安、恐怖、さらには絶望を感じるのは普通のことだ。同時に、批判的な左翼は、道徳的で人種化された自由主義者や保守主義者のコンセンサスに基づいてヨーロッパを統一しようとする安易な努力と歩調を合わせるべきではない。戦争はしばしばイデオロギー的言説をヘゲモニー化し、右傾化させる。厳密な国家/人種化された枠組みの強化にこの領域を委ねることには意味がない。私たちは、抑圧された人々との連帯に参加し、反戦キャンペーンを組織し、国旗を越えて互いに支え合う方法を見出す必要がある。未来の平和のために本当に組織化するためには、非軍事化をエコロジーや社会正義の問題と結びつけることが必要なのだ。

リュブリャナ大学の研究員で、ユーゴスラビア崩壊後の移行期に関する研究プロジェクトを主導。また、国際研究グループPartisan Resistances(グルノーブル大学)の一員でもあり、スロベニアでは左派(Levica)党員である。

下訳にDeepLを用いました。

戦争とアナキスト:ウクライナにおける反権威主義の視点


(訳者まえがき)この論文は、アナキストのサイトCrimethIncに掲載された論文。2014年以降のウクライナの民衆運動をアナキストの観点から分析している。商業メディアや国主導のメディアはどこの国であれ、戦争を常に国家と国家の武力行使として捉え、国のなかに存在する多様な異論を無視する。国家の視線は、いつのまにか多様なはずの大衆を「国民」という心情に統合し、自らを国家と同一化して「戦争」を論じるような言論空間を作り出す。ウクライナも例外ではないが、以下の文章にあるように、ウクライナはひとつではない。西側の支配者たちにとって好都合なウクライナ、ロシアの支配者にとって好都合な別のウクライナがあり、それらがメディアを席巻しているが、そのどちらでもないウクライナがある。このどちらでもないウクライナは、まさに、ウクライナという国家と社会システムが抱えてきた矛盾の歴史を体現しており、それ自体が闘争の構造をなしている。スターリン主義とナチズムによる弾圧、そして資本主義化のなかで旧ソ連、東欧圏の反体制運動は、三重の弾圧を経験してきた。この意味でアナキズムが反体制運動に占める格別の位置があると思う。ウクライナのアナキストたちが直面した思想的な試練は、明かな侵略者を前にして、この侵略者とどう対峙するかという問いは、無傷では答えられない問いであることが以下の文章からもわかる。戦うとすれば、ウクライナの腐敗した政府や極右の武装集団との連携は避けられない。他方で、戦わないという選択は、侵略を肯定することであり権力の増殖を許すことでもあり、それ自体もまた権力の否定への道を自ら閉すことになる。彼らが直面した選択肢の問題は、言うまでもなく私たちの選択の問題でもある。日本にいる私自身に即していえば、常備軍を持つことを否定し、武力による解決を放棄しているハズのこの国で、国家間の武力行使の問題に武力をもってこの国の「軍隊」と肩を並べて、この国が「敵」と呼ぶ相手に銃口を向けるという選択肢は。私には「ない」。だからといってウクライナで抵抗する人々にも同じ選択肢をとるべきだということは言えない。私たちが抱えてきた「戦後」の課題、つまり国家を武装解除することを大前提とした社会構築という課題は、私たちの課題であって、彼らとの共通の課題だということはできないからだ。

なお、この論文に対してアナキストの間で批判もある。Fighter Anarchistは、全体として分析に高い評価を与えつつも、いくつかの論点で異論を提起している。ウクライナの社会構造への分析がないこと、たとえば「マイダン後のヴェルホヴナ議会は、ロシア語の使用を制限することを目的とした法案No.5670-dによって、「ロシア世界」の代表者に切り札を与えてしまった」こと、クリミアが新自由主義政策のなかで貧困問題を抱えてきたことなどを指摘している。アナキスト運動が与えた影響の評価にも異論が述べられている。こうした異論があることをCrimethInc自身が紹介していることは議論をオープンに受けいれる姿勢として好感がもてる。(小倉利丸)

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この記事は、ウクライナの社会運動参加者が、過去9年間にそこで繰り広げられた困難な出来事をどのように見ているかという文脈を与えるために、ウクライナのアナキストによって書かれたものである。私たちは、世界中の人々にとって、彼らが以下に述べる出来事と、それらの展開がもたらす疑問と取り組むことが重要であると信じている。この文章は、私たちがこれまでに発表したウクライナロシアの他の視点との関連で読まれるべきものだ。


この文章は、ウクライナのアクティブな反権威主義活動家数名によって構成された。我々は一つの組織を代表しているわけではないが、この文章を書きつつ起こりうる戦争に備えるために集まったのである。

私たちの他に、文章に書かれている出来事の参加者、私たちの主張の正確さをチェックしたジャーナリスト、ロシア、ベラルーシ、ヨーロッパのアナーキストなど10人以上によってこの文章は編集された。できるだけ客観的な文章を書くために、多くの修正や説明や論点の明確化をおこなった。

戦争が勃発した場合、反権威主義運動が生き残れるかどうかはわからないが、私たちはそうなるように努力する。とりあえず、この文章は、私たちが蓄積してきた経験をネット上に残すための試みである。


現在、世界ではロシアとウクライナの戦争の可能性が盛んに議論されている。まずロシアとウクライナの戦争は、2014年から続いていることを明らかにしておく必要がある。

しかし、その前に。

キエフのマイダン抗議運動

2013年、ウクライナでは、当時のヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領がEUとの協定に署名しないことに不満を持つ学生デモ隊に対するベルクトBerkut(警察の特殊部隊)の暴行をきっかけに、大規模な抗議活動が始まった。この暴行事件は、社会の多くの層に行動を喚起するものとなった。ヤヌコビッチ大統領が一線を越えたことは、誰の目にも明らかだった。この抗議運動は、最終的に大統領の逃亡につながった。

ウクライナでは、これらの出来事は “尊厳の革命 “と呼ばれている。ロシア政府は、ナチスのクーデター、アメリカ国務省のプロジェクトなどと表現している。デモ参加者自体は、シンボルを掲げた極右活動家、ヨーロッパの価値観やヨーロッパ統合について語るリベラルな指導者、政府に反対して出かけた普通のウクライナ人、少数の左翼など、雑多な人々であった。デモ参加者の間では反オリガルヒ的な感情が支配的であり、ヤヌコヴィッチがその任期中に側近とともに大企業を独占しようとしたため、それを快く思わないオリガルヒがデモに資金を提供した。つまり、他のオリガルヒにとっては、今回のデモは自分たちのビジネスを守るチャンスだったのである。また、中堅・中小企業の代表の多くは、ヤヌコビッチ一派が彼らに金を要求して自由に商売をすることを許さなかったために、抗議行動に参加した。一般市民は、警察の著しい腐敗や恣意的な行為に不満を抱いていた。親ロシア派の政治家であることを理由にヤヌコビッチに反対していたナショナリストたちが、再び幅をきかせるようになった。ベラルーシやロシアの国外居住者は、ヤヌコヴィッチがベラルーシやロシアの独裁者アレクサンドル・ルカシェンコやウラジミール・プーチンの友人であると認識して抗議行動に参加した。

マイダン集会のビデオをご覧になった方は、非常に暴力的であることに気づいたかもしれない。デモ隊は引き揚げる場所がないため、最後まで闘うしかなかった。ベルクトはスタングレネード[音や光で一時的に混乱させることで戦闘不可能にする装備]にスクリューナットを巻いていて、爆発した後に破片が目に入ったりして、負傷者が続出した。終盤、治安部隊は軍事兵器を使用し、106人のデモ隊を殺害した。

これに対し、デモ隊はDIYで手榴弾や爆発物を作り、マイダンに銃器を持ち込んだ。ちょっとした分業体制で火炎瓶が製造された。

2014年のマイダン抗議デモでは、当局は傭兵(titushkas)を使い、彼らに武器を与え、調整し、組織的な忠誠勢力として使おうとした。彼らとの棍棒やハンマー、ナイフを使った戦いがあった。

マイダンは「EUとNATOが操作したもお」であるという意見に反して、欧州統合支持者は平和的な抗議行動を呼びかけ、戦闘的な抗議者たちを手先だと揶揄していた。EUと米国は、政府ビルの占拠を批判した。もちろん、「親欧米」の勢力や組織も抗議行動に参加したが、彼らが抗議行動全体をコントロールしたわけではない。極右を含むさまざまな政治勢力が積極的に運動に介入し、自分たちのアジェンダを指示しようとした。彼らはすぐにとるべきスタンスを確認し、最初の戦闘分遣隊を作り、皆に参加を呼びかけ、訓練と指導を行った結果として、組織的な勢力になった。

しかし、どの勢力も絶対的な支配力を持つことはなかった。主な傾向は、腐敗し不人気なヤヌコビッチ政権に向けられた自然発生的な抗議動員であったということだ。おそらくマイダンは、数ある “盗まれた革命 “のひとつに分類できるだろう。何万人もの一般市民の犠牲と努力は、権力と経済を支配する道を歩む一握りの政治家によって簒奪されたのである。

2014年の抗議活動におけるアナーキストの役割

ウクライナのアナキストには長い歴史があるにもかかわらず、スターリンの時代には、アナキストと何らかの形でつながった者はみな弾圧され、運動は消滅し、結果として革命的経験の伝達も途絶えてしまった。1980年代に歴史家たちの努力によって運動は回復し始め、2000年代にはサブカルチャーや反ファシズムの発展によって大きな盛り上がりを見せた。しかし、2014年当時、それはまだ深刻な歴史的課題に対応できる状態ではなかった。

デモが始まる前、アナーキストは個人の活動家であったり、小さなグループに散らばっていたりしていた。運動が組織化され、革命的であるべきだと主張する者はほとんどいなかった。このような出来事に備えていたよく知られている組織としては、マフノ・アナルコ・シンジカリスト革命同盟(RCAS of Makhno)があったが、暴動の始まりに、参加者が新しい状況に対する戦略を立てられなかったため、解散してしまった。

マイダンの出来事は、特殊部隊が家に押し入り、決定的な行動をとらなければならないのに、自分の武器はパンクの歌詞、菜食主義、100年前の本、せいぜい街頭での反ファシズムや地域の社会紛争に参加した経験だけ、といった状況のようなものだった。その結果、人々は何が起こっているのかを理解しようとするなかで、多くの混乱が生じた。

当時は、状況に対する統一的なビジョンを形成することは不可能だった。多くのアナーキストたちが、ナチスとバリケードの同じ側に立つことを望まず、抗議行動を支持しない判断をしたのは、極右勢力の存在による。このことは、デモに参加することを決めた人たちをファシズムと非難する人たちもいて、運動に多くの論争をもたらした。

デモに参加したアナーキストたちは、警察の蛮行やヤヌコビッチ自身や彼の親ロシア的な立場に対して不満を抱いていた。しかし、彼らは本質的にアウトサイダーの範疇にあったため、デモに大きな影響を与えることはできなかった。

結局、アナーキストたちはマイダン革命に個人または小グループで、主にボランティア/非軍事的な取り組みに参加した。しばらくして、彼らは協力して自分たちの「百人組」(60〜100人の戦闘グループ)を作ることにした。しかし、分遣隊detachment の登録(マイダンでは必須の手続き)の際、多勢に無勢のアナキストたちは、武器を持った極右の参加者たちによって排除された。アナキストたちは存続し続けはしたものの、もはや大規模な組織的集団を作ろうとはしなかった。

マイダンで殺された者の中には、皮肉にもその死後にウクライナの英雄とされたアナーキスト、セルゲイ・ケムスキーがいた。彼は、治安部隊との対立が激しくなった局面で、狙撃手に撃たれたのである。抗議デモの最中、セルゲイは「聞こえるか、マイダン」と題する抗議文を出し、その中で、直接民主主義と社会変革を強調しながら、革命を発展させる可能な方法を論じている。この文章は、こちらで英語版をご覧いただけます。

アナーキスト部隊の集結。

戦争の始まり:クリミア併合

ロシアとの武力衝突は、8年前の2014年2月26日から27日の夜、クリミア議会議事堂と閣僚理事会が正体不明の武装集団に占拠されたことから始まった。彼らはロシアの武器、制服、装備を使っていたが、ロシア軍のシンボルは持っていなかった。プーチンはこの作戦にロシア軍が参加した事実を認めなかったが、後にドキュメンタリー宣伝映画「クリミア:祖国への道」の中で自ら認めている。

2014年3月9日、クリミアでウクライナ軍部隊を阻止する記章のない制服を着た武装した男たち。

ここで、ヤヌコビッチの時代、ウクライナ軍の状態が劣悪だったことを理解する必要がある。クリミアで22万人のロシア正規軍が活動していることを知っていながら、ウクライナ臨時政府はあえてそれに立ち向かおうとはしなかった。

占領後、多くの住民が今日まで続く弾圧に直面した。弾圧された人々の中に私たちの同志もまた含まれている。最も有名なケースをいくつか簡単に振り返ることができる。アナキストのアレクサンドル・コルチェンコは、民主化運動家のオレグ・センソフとともに逮捕され、2014年5月16日にロシアに移送されたが、5年後、囚人交換の結果、釈放された。アナキストのアレクセイ・シェスタコビッチは拷問を受け、頭にビニール袋を被せられて窒息状態にされ、殴られ、報復の脅しを受けたが、何とか逃亡した。アナキストのエフゲニー・カラカシェフは2018年にVkontakte(ソーシャルネットワーク)への再投稿で逮捕され、現在も拘束されている。

囚人交換後のアナキストのアレクサンドル・コルチェンコ。

偽情報(ディスインフォメーション)

ロシア国境に近いロシア語圏の都市では、親ロシア派の集会が開催された。参加者はNATOや過激なナショナリスト、ロシア語圏の人々を標的にした弾圧を恐れていた。ソ連崩壊後、ウクライナ、ロシア、ベラルーシの多くの家庭には家族の絆があったが、マイダンの出来事は個人的な関係に深刻な裂け目を生じさせることになった。キエフの外にいてロシアのテレビを見ていた人たちは、キエフがナチスに占領され、そこでロシア語を話す人たちが粛清されていると思い込んでいた。

ロシアは、次のようなメッセージングでプロパガンダを展開した。「キエフからドネツクにナチスがやってきて、ロシア語圏の住民を粛清しようとしている(キエフもロシア語圏の都市のひとつだが)。偽情報の言説では、プロパガンダ担当者は極右の写真を使い、あらゆる種類のフェイクニュースを流した。戦争行為で最も悪名高いでっちあげび次にようなものがある。戦車にくくりつけられて道路を引きずられたとされる3歳の男の子の磔刑というものだ。ロシアでは、この話は連邦政府のチャンネルで放送され、インターネット上で広まった。

ロシアのチャンネルによるフェイクニュース。3歳児の処刑とはりつけを見たという女性がその様子を語る。

2014年、私たちの意見では、偽情報は武力紛争を発生させる上で重要な役割を果たた。ドネツクとルガンスクの一部の住民は、自分たちが殺されることを恐れ、武器を取り、プーチンの軍隊を呼び寄せた。

ウクライナ東部の武力紛争

「戦争の引き金が引かれた」、ロシア連邦保安庁(FSB、KGBの後継組織)の大佐であるイゴール・ガーキンの言葉だ。ロシア帝国主義の支持者であるガーキンは、親ロシア派の抗議を過激化させることを決意した。彼はロシア人の武装集団と国境を越え、スラビャンスクの内務省の建物を占拠して武器を手に入れた。(2014年4月12日)親ロシア派の治安部隊はガーキンと合流するようになった。ガーキンの武装集団に関する情報が明らかになると、ウクライナは反テロ作戦を発表した。

軍隊の能力が低いことをがわかると、ウクライナ社会の一部は、国家主権を守ろうと決意し、大規模な志願運動を組織した。ある程度軍事的能力のある者が教官となり、あるいは義勇軍の大隊を結成した。また、人道的なボランティアとして正規軍や義勇軍に参加する人々もいた。彼らは、武器、食料、弾薬、燃料、輸送、民間車のレンタルなどのために資金を調達した。義勇大隊の参加者は、しばしば国軍の兵士よりも優れた武装と装備を持っていた。これらの分遣隊は、かなりのレベルの連帯と自己組織化を示し、実際に領土防衛という国家機能を代替し、(当時は装備が貧弱だった)軍隊が敵にうまく対抗できるようにしたのである。

親ロシア派が支配する地域は急速に縮小し始めた。そこにロシア正規軍が介入してきた。

時系列で3つのポイントを挙げることができる。

1.ウクライナ軍は、武器やボランティア、軍事専門家がロシアからやってくることを認識した。そこで、2014年7月12日、ウクライナ・ロシア国境での作戦を開始した。しかし、軍事行軍中にウクライナ軍はロシアの大砲の攻撃を受け、作戦は失敗に終わった。武装勢力は大きな損失を被った。
2.ウクライナ軍はドネツクを占領しようとした。進軍中、イロヴァイスク付近でロシア正規軍に包囲された。義勇軍の大隊に所属していた私たちの知人も捕虜になった。彼らはロシア軍を目の当たりにしたのだ。3カ月後、捕虜交換で帰国することができた。
3.ウクライナ軍は、大きな鉄道の分岐点があるデバルツェフ市を制圧した。これにより、ドネツクとルガンスクを結ぶ直通道路は寸断された。長期停戦に向けたポロシェンカ(当時のウクライナ大統領)とプーチンの交渉の前夜、ロシア軍の支援を受けた部隊によりウクライナ陣地が攻撃された。ウクライナ軍は再び包囲され、大きな損害を被った。

2014年、イロヴァイスクで行動を行う義勇軍の戦闘員たち。

当面は(2022年2月現在)、停戦と条件付きの「平和と静寂」の秩序に合意し、一貫して違反があるものの維持されている。毎月数人が死亡している。

ロシアは、正規のロシア軍の存在と、ウクライナ当局が管理していない地域への武器の供給を否定している。捕虜になったロシア軍は、訓練のために警戒態勢を敷き、目的地に到着して初めて、自分たちがウクライナの戦争の真っ只中にいることに気づいたと主張している。国境を越える前に、彼らはクリミアで同僚たちがしたように、ロシア軍のシンボルを取り除いた。ロシアでジャーナリストたちが戦死した兵士の墓地を見つけたが、墓石に刻まれた碑文には2014年としか書かれておらず、彼らの死に関する情報はすべて不明だ。

未承認共和国の支持者たち

マイダンの反対派の思想的基盤も多様であった。主な統一思想は、警察への暴力への不満と、キエフでの暴動への反対であった。ロシアの文化的な物語や映画、音楽で育った人たちは、ロシア語の破壊を恐れていた。ソ連の支持者や第二次世界大戦の勝利の賛美者たちは、ウクライナはロシアと同盟を結ぶべきだと考え、過激なナショナリストの台頭を不満に思っていた。ロシア帝国の支持者たちは、マイダンの抗議行動をロシア帝国の領土に対する脅威と受け止めた。これらの同盟国の考えは、ソ連とロシア帝国の国旗、そして第二次世界大戦の勝利のシンボルであるセント・ジョージ・リボンを示すこの写真で説明することができるだろう。彼らを権威主義的な保守派、旧秩序の支持者として描くことができる。

ソ連、ロシア帝国、そして第二次世界大戦の勝利のシンボルであるセント・ジョージ・リボンの国旗。

親ロシア派は、ロシアに同調する警察、企業家、政治家、軍人、フェイクニュースに怯える一般市民、ロシア愛国主義者や各種君主主義者など様々な極右思想をもつ個人、親ロシア帝国主義者、タスクフォースグループ「ルシッチRusich」、PMC(民間軍事会社)グループ「ワグナーWagner」、悪名高いネオナチのアレクセイ・ミルチャコフAlexei Milchakov、最近亡くなった、排外主義のロシアナショナリストのメディアプロジェクト「スプートニクとポグロム」の創設者のエゴール・プロスビルニンEgor Prosvirnin、その他多くの人たちで構成されていた。タスクフォースグループ「ルシッチRusich」、PMC(民間軍事会社)グループ「ワグナーWagner」、悪名高いネオナチのアレクセイ・ミルチャコフAlexei Milchakov、最近亡くなった、排外主義のロシアナショナリズロのメディアプロジェクト「スプートニックとポグロム」の創設者のエゴール・プロスビルニンEgor Prosvirnin、その他多くの人たちが含まれている。また、ソ連と第二次世界大戦の勝利を称える権威主義的な左翼もいた。

ウクライナにおける極右勢力の台頭

説明したように、右翼は戦闘部隊を組織し、ベルクトと物理的に対決する準備を整えることで、マイダンの間に共感を得ることに成功した。彼らは武力を持つことで、独立性を維持し、他の者たちは、彼らを考慮に入れることを余儀なくされた。彼らが鉤十字、狼の鉤、ケルト十字、SSのロゴといったあからさまなファシズムのシンボルを使用していたにもかかわらず、ヤヌコヴィッチ政権の勢力と戦う必要性から、多くのウクライナ人が彼らとの協力を呼びかけ、彼らの信用を落とすことは困難だった。

マイダン後、右翼は親ロシア勢力の集会を積極的に弾圧した。軍事作戦が始まると、彼らは義勇軍を結成し始めた。最も有名なのは「アゾフ」大隊だ。当初は70人の戦闘員で構成されていたが、今では装甲車、大砲、戦車中隊、そしてNATOの基準に沿った軍学校の独立プロジェクトを持つ800人の連隊になっている。アゾフ大隊は、ウクライナ軍で最も戦闘力の高い部隊の一つである。このほか、ウクライナ義勇軍「右派セクターRight Sector」部隊やウクライナ・ナショナリスト組織the Organization of Ukrainian Nationalistsなどのファシスト軍団もあったが、あまり広く知られてはいない。

その結果、ウクライナの右翼はロシアのメディアで悪評を買った。しかし、ウクライナの多くの人々は、ロシアで嫌われているものをウクライナの闘争のシンボルだと考えていた。例えば、ロシアでは主にナチスの協力者として知られるナショナリスト、ステパン・バンデラStepan Banderaの名前は、デモ参加者が嘲笑の対象として積極的に使用した。また、ネットでユダヤ教・メソニック陰謀論の支持者に挑発的なメッセージを送るために、ユダヤ教・バンデラ派Judeo-Banderansを名乗る者もいた。

やがて、このような荒らしが極右の活動を活発化させるようになった。右翼は公然とナチスのシンボルを身につけ、マイダンの一般支持者は自分たちはロシアの赤ん坊を食べるバンデラ主義者だと主張し、そのような趣旨の情報をネットで拡散した。極右が主流派になり、テレビ番組や他の企業メディアのプラットフォームに招かれ、そこで愛国者、ナショナリズトとして紹介された。マイダンのリベラルな支持者たちは、ナチスはロシアのメディアが作り出したデマだと信じて、彼らの味方をした。2014年から2016年にかけては、ナチスであろうと、アナキストであろうと、組織犯罪シンジケートの幹部であろうと、公約を何一つ実行しない政治家であろうと、戦う覚悟のある者は誰でも受け入れられたのである。

鉤十字とNATO旗を持つ極右の戦闘員たち。アゾフ大隊はNATOに対して否定的な態度をとっている。現在、米国はアゾフに武器を譲渡していない。

極右台頭の理由は、危機的状況においてよりよく組織化され、他の反乱軍に効果的な戦闘方法を提案することができたからである。ベラルーシでもアナキストが同様のことを提供し、大衆の共感を得ることができたが、ウクライナでの極右のような大きな規模にはならなかった。

停戦が始まり、過激な戦闘員の必要性が低下した2017年までに、SBU(ウクライナ治安局)と州政府は「反システム」あるいは右翼運動の展開方法について独自の視点を持つオレクサンドル・ムジチコ、オレグ・ムジチル、ヤロスラフ・バビッチなどを投獄したり無力化したりして、右翼運動を引き込んだ。

現在も右翼は大きな運動ではあるが、その人気は小さいといってよく、指導者も保安庁や警察、政治家と関係があり、本当に独立した政治勢力とは言い難い。民主主義陣営では、極右の問題についての議論が頻繁に行われるようになり、人々は懸念を黙って否定するのではなく、自分たちが扱っているシンボルや組織について理解を深めている。

戦時中のアナキストと反ファシストの活動

軍事作戦の開始とともに、親ウクライナ派といわゆるDNR/LNR(「ドネツク人民共和国」「ルハンスク人民共和国」)支持派に分かれるようになった。

戦争の最初の数カ月間、パンク・シーンには「戦争にノーと言え」という感情が広がっていたが、それは長くは続かなかった。親ウクライナ派と親ロシア派を分析してみよう。

親ウクライナ派

大規模な組織がなかったため、最初のアナキストと反ファシストの志願者は、個人としての戦士、軍医、ボランティアとして個々に戦場に赴いた。彼らは自分たちの部隊を作ろうとしたが、知識も資源も不足していたため、この試みは失敗に終わった。中には、アゾフ大隊やOUN(ウクライナ・ナショナリスト組織)に参加する者もいた。理由はありふれたもので、最もアクセスしやすい部隊に入隊したのだ。その結果、右翼的な政治に転向する者もいた。

[編集部注:これらの出来事の詳細は分からないし、著者たちが全面的に戦争の渦中にいる間は確認することも難しいが、ファシストが組織する民兵に参加した反ファシストあるいは「アナキスト」とされる者は、そもそも本当のアナキストではなかったのは明らかであるが、私たちは、このパラグラフをそのまま維持する。それは、批判的であること、そして出来事の渦中にいる人々の声を中心に据えることが重要であると考えるからである。それについての私たち[CrimethInc]の考えは、ここで読むことができる] 。

デスナの右翼セクターの基地で訓練を受ける反ファシストたち。この写真には、武力紛争に参加したモスクワの反ファシスト2人が含まれていることに注目したい。

戦闘に参加しなかった人たちは、東部で負傷した人たちのリハビリや、前線近くにある幼稚園に防空壕を建設するための資金集めを行った。また、ハリコフには「自治Autonomy」という名のスクワットがあり、アナーキストの社会文化センターとして開放されていた。当時、彼らは難民の救済に力を注いでいた。彼らは住宅と恒久的な本当に自由な市場を提供し、新しく到着した人たちの相談に乗り、資源を案内し、教育活動も行いました。さらに、センターは理論的な議論の場となった。残念ながら、2018年、このプロジェクトは消滅した。

これらの行動はすべて、特定の人たちやグループの個人的な取り組みであり、一つの戦略の枠組みの中で起きたものではない。

この時期の最も重要な現象のひとつは、かつて大規模だった過激なナショナリスト組織「Autonomnyi Opir」(自治的抵抗)ダッた。彼らは2012年に左傾化し始め、2014年にはメンバー個人が “アナキスト “と自称するほど左傾化していた。彼らは自分たちのナショナリズムを「自由」のための闘争とし、サパティスタ運動とクルド人をロールモデルとして、ロシアのナショナリズムに対抗するものとしている。ウクライナ社会の他のプロジェクトと比較して、彼らは最も親密な同盟者と見なされたので、アナキストたちのなかには彼らに協力する者たちもいたが、また別の者たちはこの協力や組織自体を批判した。AOのメンバーはまた、志願大隊に積極的に参加し、軍人の間で「反帝国主義」の思想を発展させようとした。また、女性の戦争参加の権利も擁護し、女性隊員も戦闘に参加した。AOは戦闘員や医師を養成する訓練所を支援し、軍隊に志願し、リヴィウでは難民を収容する社会センター「シタデルCitadel」を組織した。

2014年、モスクワ。ロシアの侵略に反対して行進するアナキストたち。

親ロシア派

現代のロシア帝国主義は、ロシアがソ連の後継者であるという認識に基づいている。これは、政治体制においてではなく、領土においてである。プーチン政権は、第二次世界大戦におけるソ連の勝利を、ナチズムに対する思想的な勝利ではなく、ロシアの強さを示すヨーロッパに対する勝利とみなしている。ロシアやロシアが支配力を及ぼしている諸国では、人々が情報にアクセスすることが少ないため、プーチンのプロパガンダマシンは複雑な政治的概念をわざわざ作り出すこともない。そのシナリオは、基本的に次のようなものだ。アメリカとヨーロッパは強いソ連を恐れていた、ロシアはソ連の後継者であり、旧ソ連の全領土はロシアである、ロシアの戦車は[第二次大戦で]ベルリンに入った、だから同じことは「もう一度できる」、ここで誰が一番強いかをNATOに見せつける、ヨーロッパが「腐っている」のは、そこでゲイと移民がすべて手におえないからだ。

2014年、2015年にロシアで大人気だったステッカー。碑文には “We can do it again. “とある。

左翼の間で親ロシアの立場を維持するイデオロギー基盤は、ソ連と第二次世界大戦での勝利の遺産としてだ。ロシアは、キエフの政府がナチスとその軍に掌握されたと主張しているので、マイダンの反対派は自分たちを反ファシズム、反キエフ政権の闘士だと表現したのである。このブランド戦略は、権威主義的な左派-たとえばウクライナの「ボロトバBorotba」組織など-に共感を呼んだ。2014年の最も重要な出来事の際、彼らはまず革命に忠誠的な立場をとり、その後、親ロシア的な立場をとった。オデッサでは、2014年5月2日、彼らの活動家数名が街頭暴動で殺害された。また、ドネツク州やルガンスク州の戦闘にもこのグループが参加し、そこで死亡した者もいる。

“ボロトバ “は、自分たちの動機をファシズムと戦いたいからだと説明した。彼らはヨーロッパの左翼に、”ドネツク人民共和国 “と “ルハンスク人民共和国 “に連帯するよう促した。ウラジスラフ・スルコフVladislav Surkov(プーチンの政治戦略家)の電子メールがハッキングされて、ボロトバのメンバーがスルコフから資金提供を受け、スルコフの部下に監督されていたことが明らかにされた。

ロシアの権威主義的な共産主義者が離脱した共和国を受け入れたのも、同様の理由からである。

マイダンの極右支持者の存在も、非政治的な反ファシストたちに “DNR “や “LNR “を支持する動機を与えた。ここでも、彼らの一部はドネツク州やルガンスク州での戦闘に参加し、そこで命を落とした者もいた。

ウクライナの反ファシストの中には、「非政治的 」な反ファシスト、つまり 「祖父たちがそれと戦ったから」ファシズムに対して否定的な態度をとるというサブカルチャーに属する人たちがいた。彼らのファシズムに対する理解は抽象的で、彼ら自身、政治的に支離滅裂で、性差別主義で同性愛嫌悪でロシアへの愛国者、などということがよくあった。

いわゆる共和国を支持するという考えは、ヨーロッパの左翼の間で広く支持されるようになった。イタリアのロックバンド「バンダ・バソッティBanda Bassotti」やドイツの政党「ディ・リンケDie Linke」がその代表的な支持者である。バンダ・バソッティは資金集めのほか、「ノボロシアNovorossia」にも遠征した。欧州議会の一員であるディ・リンケは、あらゆる方法で親ロシア派のシナリオを支持し、親ロシア派過激派とのビデオ会議を手配し、クリミアや未承認共和国へも足を運んだ。ディ・リンケの若手メンバーやローザ・ルクセンブルク財団(ディ・リンケ党財団)は、こうした立場は参加者全員が共有しているわけではなく、サハラ・ワーゲンクネヒトSahra Wagenknechtやセヴィム・ダーデレンSevim Dağdelenといった党の最も著名なメンバーが流布させていると主張している。

2014年、ドネツクでのバンダ・バソッティ。

親ロシアの立場は、アナキストの間で人気を得ることはなかった。個人の発言では、アナキストのシンボルのタトゥーを入れたアメリカ出身の総合格闘技選手、ジェフ・モンソンJeff Monsonの立場が最も目立っていた。彼は以前は自分をアナキストだと思っていたが、ロシアでは公然と与党「統一ロシア」のために働き、ロシア下院の代議士を務めている。

親ロシア「左派」陣営を要約すると、ロシア特務機関の仕事と思想的無能力の結末が見えてくる。クリミア占領後、ロシア連邦保安庁の職員が地元の反ファシストやアナキストに接触し、活動の継続を許可するが、今後はクリミアがロシアの一部であるべきだという考えを扇動に盛り込むようにと話を持ちかけた。ウクライナには、反ファシストを標榜しながらも、本質的には親ロシア的な立場を表明する小規模な情報・活動グループがあり、ロシアのために活動しているのではないかと疑う人も少なくない。ウクライナではその影響力は小さいが、メンバーは “内部告発者 “としてロシアのプロパガンダに奉仕している。

また、ロシア大使館やイリヤ・キヴァIlya Kivaのような親ロシア派の国会議員から「協力」の申し出があることもある。彼らは、アゾフ大隊のようなナチスへの否定的な態度を利用しようとし、立場を変えれば金を出すといった提案する。今のところ、リタ・ボンダールRita Bondarだけがこのような方法で金を受け取ったことを公然と認めている。彼女はかつて左翼やアナキズムのメディアに書いていたが、金の必要性から、ロシアの扇動家ドミトリー・キゼレフDmitry Kiselevに属するメディアのプラットフォームにペンネームで書いたりした。

ロシア自身、アナキズム運動の排除と、反ファシズムのサブカルチャーからアナキズトを追い出す権威主義的共産主義者の台頭を目の当たりにしている。最近で最も示唆的なのは、2021年に “ソ連兵 “を追悼する反ファシスト大会が開催されたことだ。


ロシアとの本格的な戦争の危機はあるのか?アナーキストの立場

10年前、ヨーロッパで本格的な戦争が起こるという考えは、狂気の沙汰に思えた。21世紀の世俗的なヨーロッパ諸国は、「ヒューマニズム」を誇示し、彼らの犯罪を隠そうとしてきた。軍事行動を起こすにしても、ヨーロッパから遠く離れた場所で行う。しかし、ロシアといえば、クリミア占領とその後の偽の住民投票、ドンバス戦争、MH17便の墜落事故などを目撃している。ウクライナは、国の建物だけでなく、学校や幼稚園の中まで、ハッカー攻撃や爆破予告を常に経験している。

2020年のベラルーシでは、ルカシェンカが投票率80%という結果で選挙の勝利を宣言した。ベラルーシでの蜂起は、ベラルーシのプロパガンダ担当者のストライキにまで発展した。しかし、ロシア連邦保安庁の飛行機の到着後、状況は一変し、ベラルーシ政府は抗議デモを暴力的に制圧することに成功した。

カザフスタンでも同様のシナリオが展開されたが、そこではCSTO(集団安全保障条約機構)協力の一環として、ロシア、ベラルーシ、アルメニア、キルギスの正規軍が体制を支援し反乱鎮圧のために投入された。

ロシアの特務機関は、EUとの国境で紛争を起こすため、シリアからベラルーシに難民を引き入れた。また、ロシア連邦保安庁の中に、すでにおなじみの化学兵器 “ノビチョク “を使って政治的暗殺を行うグループがあったことも明らかになった。スクリパリ一家やナヴァルヌイ以外にも、ロシア国内の政治家を殺害している。プーチン政権は、あらゆる非難に対して、「我々はやってない、おまえたちは嘘をついている」と言う。一方、プーチン自身は半年前に 「ロシア人とウクライナ人は一つの国家であり、共にあるべきだ 」と主張する文章を書いている。ウラジスラフ・スルコフ Vladislav Surkov(ロシアの国家政策を構築する政治戦略家で、いわゆるDNRやLNRの傀儡政権とつながっている)は、「帝国は拡大されなければならない、さもなければ滅びる 」と宣言する文章を発表している。過去2年間、ロシア、ベラルーシ、カザフスタンでは、抗議運動は残酷に弾圧され、独立系メディアや反対派メディアは破壊されている。ロシアの活動については、こちらで詳しく紹介しているので読むことをお勧めします。

総合的に判断して、本格的な戦争が起こる可能性は高く、昨年よりも今年の方がやや高い。しかし、鋭いアナリストでさえ、いつ戦争が始まるかを正確に予測することは不可能であろう。ロシアで革命が起これば、この地域の緊張は緩和されるかもしれないが、先に書いたように、ロシアでの抗議運動は封じ込められている。

ウクライナ、ベラルーシ、ロシアのアナキストたちは、ほとんどがウクライナの独立を直接または暗黙のうちに支持している。なぜなら、国家的ヒステリー、腐敗、多くのナチスがいるとしても、ロシアやその支配下にある国々に比べれば、ウクライナは自由の島のように見えるからである。大統領の交代制、名目以上の権力を持つ議会、平和的な集会の権利など、ポストソビエト地域特有の現象が残っており、社会からの注目度も加味して、裁判所が公言通りに機能することもある。これがロシアの状況より望ましいと言うのは、何も新しいことを言っているわけではない。バクーニンが書いたように、「最も不完全な共和国は、最も賢明な君主制よりも千倍も優れていると固く信じている」のである。

ウクライナ国内には多くの問題があるが、これらの問題はロシアの介入なしに解決する可能性の方が高い。

万が一、ロシア軍が侵攻してきた場合、戦う価値があるのだろうか?私たちは、その答えは「イエス」だと考えている。ウクライナのアナキストが現時点で考えている選択肢は、ウクライナ軍への入隊、領土防衛への従事、党派活動、ボランティア活動などだ。

ウクライナは今、ロシア帝国主義との闘いの最前線にある。ロシアは、ヨーロッパの民主主義を破壊する長期的な計画を持っている。私たちは、ヨーロッパにおけるこの危険性にまだほとんど注意が払われていないことを知っている。しかし、著名な政治家、極右組織、権威主義的共産主義者の発言を時系列で追っていけば、ヨーロッパにはすでに大規模なスパイ網が存在することに気づくだろう。たとえば、退任後にロシアの石油会社の役職に就く高官もいる(ゲルハルト・シュレーダーGerhard Schröder、フランソワ・フィヨンFrançois Fillon)。

私たちは、「戦争にノーと言おう」とか「帝国の戦争」というスローガンは、効果がなく、ポピュリスト的だと考えている。アナキスト運動はこのプロセスに何の影響も及ぼさないので、そのような声明は全く何の影響も与えない。

私たちの立場は、逃げ出したくない、人質になりたくない、戦わずして殺されたくないという事実に基づいている。アフガニスタンを見れば、「戦争反対」の意味がわかる。タリバンが進出すると、人々は一斉に逃げ出し、空港の混乱で死に、残った人々は粛清される。これはクリミアで起こっていることを描いてもおり、ウクライナの他の地域でロシアが侵攻した後に何が起こるかが想像できる。

2021年、アフガニスタン。タリバンから逃れるためにNATOの飛行機に乗り込もうとする人々。

NATOに対する態度については、この文章の執筆者は2つの立場に分かれている。この状況に対して、肯定的なアプローチをとる者もいる。ウクライナが自力でロシアに対抗できないことは明らかである。大規模なボランティア活動を考慮しても、近代的な技術や武器が必要である。NATOは別として、ウクライナにはそれを助けてくれる同盟国がない。

ここで、シリアのクルディスタンの話を思い出すことができる。現地の人々は、ISISに対抗するためにNATOに協力することを余儀なくされた。NATOからの支援は、西側諸国が新たな利益を得たり、プーチン大統領と妥協点を見出したりすれば、あっという間に消えてしまうことを私たちはよく理解している。現在でも、クルド自治区the Self-Administrationは、代替案がほとんどないことを理解しており、アサド政権に協力せざるを得ない。

ロシアの侵攻の可能性があると、ウクライナの民衆はモスクワとの戦いにおいて、ソーシャルメディア上ではなく、現実の世界で味方を探さざるを得なくなる。アナキストは、プーチン政権の侵略に効果的に対応するための十分な資源をウクライナや他の地域に持っていない。したがって、NATOからの支援を受け入れることを考えなければならない。

もう一つの立場は、この執筆グループの他のメンバーも支持していることだが、NATOもEUも、ウクライナでの影響力を強めることで、現在の「野生の資本主義」の体制を固め、社会革命の可能性をさらに低くしてしまうというものだ。NATOのリーダーであるアメリカを旗艦とするグローバル資本主義のシステムにおいて、ウクライナは、安価な労働力と資源の供給者という、謙虚な辺境という位置づけにある。したがって、ウクライナ社会は、あらゆる帝国主義からの独立の必要性を認識することが重要だ。国の防衛力という文脈では、NATOの技術や正規軍への支援の重要性ではなく、草の根ゲリラ抵抗向う社会の潜在力に重点を置くべきだ。

私たちは、この戦争を主にプーチンとその支配下にある政権に対するものと考えている。独裁者のもとで暮らしたくないというありふれた動機に加え、この地域で最も活動的で独立心が強く、反抗的なウクライナ社会に可能性を見出している。過去30年にわたる人々の長い抵抗の歴史が、その確かな証拠だ。したがって、ウクライナ社会は、あらゆる帝国主義からの独立の必要性を認識することが重要である。国の防衛力という文脈では、NATOの技術や正規軍への支援の重要性ではなく、草の根ゲリラ抵抗の社会の潜在力に重点を置くべきである。

私たちは、この戦争を主にプーチンとその支配下にある政権に対するものと考えている。独裁者のもとで暮らしたくないというありふれた動機に加え、この地域で最も活動的で独立心が強く、反抗的なウクライナ社会に可能性を見出しているのである。過去30年にわたる人々の長い抵抗の歴史が、その確かな証拠だ。このことは、直接民主制の概念がここに肥沃な土壌を持つという希望を私たちに与えてくれる。

ウクライナにおけるアナキストの現状と新たな課題

マイダンと戦争中のアウトサイダーという立場は、運動における士気低下効果があった。ロシアのプロパガンダが 「反ファシズム 」という言葉を独占したため、アウトリーチが阻害された。親ロシア派過激派の中にソ連のシンボルがあったため、「共産主義」という言葉に対する態度は極めて否定的で、「アナルココミュニズム」という組み合わせさえ否定的に受け止められた。親ウクライナの極右勢力に反対するという宣言は、一般庶民の目にはアナキストに疑いの影を投げかけた。ウルトラ右翼は、集会などでシンボルを掲げなければアナキストや反ファシストを攻撃しないという暗黙の了解があった。右翼は多くの武器を手にしていた。この状況はフラストレーションのようなものを生み出し、警察がうまく機能していないため、結果を出さずに誰かが簡単に殺される可能性があった。例えば、2015年には親ロシア派の活動家であるオレス・ブジナOles Buzinaが殺された。

こうしたことが、アナーキストたちがより真剣に問題に取り組むよう促した。

2016年から過激な地下活動が発展し始め、過激な行動に関するニュースが出始めた。火炎瓶だけに限定された旧来のものとは対照的に、武器の買い方や武器貯蔵庫の設置方法を説明する過激なアナキストの資料が登場した。

アナキストの世界では、合法的な武器を持つことが許容されるようになった。銃器を使用するアナキストの訓練キャンプのビデオが出回るようになった。

こうした変化の反響は、ロシアやベラルーシにも及んだ。ロシアでは、FSBが合法的な武器を持ち、エアソフトを練習していたアナキスト・グループのネットワークを一掃した。逮捕者は、テロ行為を自白させるために電気拷問を受け、6年から18年の刑に処された。ベラルーシでは、2020年の抗議デモの際、「黒旗」という名のアナキストの反乱グループが、ベラルーシとウクライナの国境を越えようとして拘束されたことがある。彼らは銃と手榴弾を持っていた。Igor Olinevichの証言によると、彼はキエフで武器を購入したとのことだ。

アナキストの反乱集団 “黒旗”

アナキストの経済的課題についての時代遅れのアプローチも変わった。以前は大多数が「被抑圧者に近い」低賃金の仕事に就いていたとすれば、今は多くの人が高給の仕事、多くはIT部門に就こうとしている。

街頭の反ファシスト団体も活動を再開し、ナチスの襲撃に際して報復行動をとっている。アンティファの戦士たちによる「No Surrender」という名の模擬戦闘競技を開催したり、キエフのアンティファ集団の誕生を描いたドキュメンタリー「Hoods」(英語字幕あり)をリリースしたりと、さまざまな活動を行っている。。

ウクライナにおける反ファシズムは重要な戦線である。なぜなら、地元の多数の極右活動家に加えて、ロシアから多くの悪名高いナチス(セルゲイ・コロトキフSergei Korotkikhやアレクセイ・レフキンAlexei Levkinなど)、ヨーロッパから(デニス「ホワイトレックス」カプースチンDenis “White Rex” Kapustinなど)、さらにはアメリカから(ロバート・ランドRobert Rando)移住してきたのである。アナキストたちは、極右の活動を調査してきた。

様々な種類の活動家グループ(古典的アナキスト、クィア・アナキスト、アナルコ・フェミニスト、フード・ノット・ボムズ、エコ・イニシアチブなど)や、小さな情報プラットフォームが存在する。最近では、テレグラムの@uantifaに、英語での出版物を複製した政治的な反ファシスト資料が登場した。

現在、グループ間の緊張関係は徐々に滑らかになりつつあり、最近では共同行動や社会的紛争への共同参加も多く見られるようになった。中でも、ベラルーシのアナーキスト、アレクセイ・ボレンコフAleksey Bolenkov の国外追放に反対するキャンペーン(彼はウクライナの特殊部隊との裁判に勝ち、ウクライナに残ることができた)や、キエフのある地区(ポディルPodil)を警察の襲撃や極右の攻撃から守ることなどは大きな出来事だった。

私たちはまだ社会全体にほとんど影響を及ぼしていない。これは、組織やアナキストの構造の必要性という考えそのものが、長い間無視されたり否定されたりしてきたことが大きな原因だ。(ネストル・マフノも回顧録の中で、アナーキストの敗北後、この欠点を訴えている)。アナーキストのグループは、SBU[ウクライナ治安維持局]や極右勢力によって、あっという間に破滅させられてしまった。

今、私たちは停滞を脱し、発展しつつあり、それゆえ、新たな弾圧やSBUによる運動の支配を狙う新たな試みが予想される。

現段階では、私たちの役割は、民主主義陣営の中で最もラディカルなアプローチと見解にあると言える。リベラル派が、警察や極右による攻撃があった場合に警察に苦情を申し立てることを好むとすれば、アナーキストは、同様の問題に苦しむ他のグループと協力し、攻撃される可能性がある場合には、施設やイベントの防衛に乗り出すことを提案する。

アナキストは今、共通の関心に基づき、社会の中で草の根的な横のつながりを作り、コミュニティが自衛を含む自分たちの必要に対応できるようにしようとしている。これは、組織や代表者、あるいは警察を中心に団結することが提案されることの多い、ウクライナの一般的な政治的実践とは大きく異なるものである。組織や代表者はしばしば賄賂を受け取り、その周りに集まった人々は騙されたままである。例えば、警察はLGBTのイベントを擁護しても、その活動家が警察の横暴に反対する暴動に参加すれば警察は怒るだろう。実は、だからこそ、私たちのアイデアに可能性があるのだが、戦争が起きてしまえば、また再び武力紛争に参加できる能力が主題になってしまうだろう。

出典:https://ja.crimethinc.com/2022/02/15/war-and-anarchists-anti-authoritarian-perspectives-in-ukraine

下訳にDeepLを用いました。

戦争とプロパガンダ

以下は、Realmediaに掲載された記事の翻訳です。

March 15, 2022

戦争では、真実が最初の犠牲となる。現代ではありがたいことに、YouTube、Twitter、Facebookなどの巨大企業は、たとえその真実が後に間違いであることが判明したとしても、私たちが受け取る情報が真実であることの保証を高めてきた。

私たちのテレビは、国家公認のロシア・トゥデイが見られないことを伝え、スプートニクとともに、Twitter、YouTube、Meta、その他のプラットフォームから削除されたことを伝えている。

YouTubeは、そのシステムが「人々を信頼できるニュースソースにつなぐ」と言うが、その中には国家公認のBBCも含まれている。BBCは、イラクが大量破壊兵器で西側を攻撃する可能性があると言い、アフガニスタンを侵略しなければならず、リビアがバイアグラで住民をレイプしようとしていると報じたことを覚えているだろうか。すべてが嘘だった。

企業の検閲の津波の中で、前例のない犠牲者がこの戦争で出ている。


長年問題なく過ごしてきたグローバル・ツリー・ピクチャーズGlobal Tree Picturesは、突然、オリバー・ストーンの映画「Ukraine On Fire」を「グラフィックコンテンツポリシーに違反したため」YouTubeから削除される事態に見舞われた。

これを受けて、イゴール・ロパトノクIgor Lopatonok監督は著作権者として、Vimeoのリンクから自由に映画をダウンロードする権利を与え、どこに投稿してもよいと発表したが、このリンクも検閲されたようで、現在は機能していない。この映画は、YouTubeのさまざまなアカウントで再投稿されて見ることができ、2014年のウクライナのクーデターに関するいくつかの隠された真実をタイムリーに思い出させてくれるものである。

YouTubeの親会社はGoogleで、その信頼と安全担当ディレクターは、ベン・レンダBen Rendaだが、NATOで戦略プランナーおよび情報マネージャーとして雇われていた人物だ。


アメリカ国民は、イラク国民が砲撃されたように、砲撃されたのです。それは私たちに対する戦争であり、嘘と偽情報と歴史の省略の戦争だった。湾岸戦争が向こうで行われている間に、そういう圧倒的で壊滅的な戦争がここアメリカで行われたのです。- ハワード・ジン

リー・キャンプ – 写真 Real Media


コメディアンで活動家のリー・キャンプ(2019年にReal Mediaがインタビュー)は、過去8年間、風刺番組「Redacted Tonight」を毎週発表し、反帝国主義のニュースをコメディータッチで満載して配信していた。RT Americaが米国の制裁で閉鎖されたとき、彼は巻き添えとでもいうべき形でそこでの仕事を失った。しかし、金曜日、8年間にわたる強烈なインデペンデントな風刺は削除され、彼のチャンネルはYouTubeによって警告なしに閉鎖された。

リー・キャンプの作品の一部は、今のところまだYouTubeで見ることができる。一見の価値ありだ。

キャンペーンを展開中の調査ジャーナリスト、アビー・マーティンAbby Martinは、2012年から2015年までRTアメリカで「Breaking The Set」番組を運営し、その間、ウクライナでのロシアの軍事行動を極めて公然と非難した。その後、彼女はインタビューとドキュメンタリー番組「The Empire Files」を立ち上げ、2018年にアメリカの制裁まで、ベネズエラを拠点とするTeleSurで放送されていた。次にこれは、YouTubeとVimeoでインデペンデントな支援者が資金を提供してシリーズ化された。

彼女のパワフルなドキュメンタリー『Gaza Fights For Freedom』は現在も配信されているが、土曜日に彼女は、キャンプのそれと同様、彼女の作品全体が万能のYouTubeによって予告なしに削除されたことを発表した。


ロイターは、欧米のハイテク検閲の背後にある別の議題を暴露し、Metaプラットフォームが独自のルールを中止し、数十億のFacebookとInstaのユーザーがウクライナのネオナチ・アゾフ大隊を賞賛し(通常は危険な個人と組織に関するポリシーに抵触するので禁止される)、ロシア軍、リーダー、そして市民に対する暴力的脅迫を「その文脈がロシアのウクライナ侵攻にあることが明らかな場合」には許可するという異例の措置を取ったことを明らかにした

Metaの社長であるNick Cleggは、言論の自由を守っているという理由で同社の立場を擁護しているが、これは例外的な状況であることを率直に認めている。明らかに、この言論の自由は、最近の禁止されたユーザーや投稿の嵐には適用されていない。

検閲とプロパガンダは常に戦争の一部であったが、最近の出来事は、一握りの超富裕層のエリートが、我々が見たり共有したりできる情報に口を出すことをより容易なものにしている巨大なハイテク企業の力を露骨に示している。


「現在を支配するものは過去を支配し、過去を支配するものは未来を支配する」 – ジョージ・オーウェル

活動家ラッパーのLowkeyによると、TikTokのヨーロッパ・中東・アフリカ担当ライブストリーム・ポリシー・マネージャーのGreg Andersonは、NATOの「心理作戦」に携わっていたとのことだが、この記事を出稿する時点でこれを独自に確認することはできていない。

調査ジャーナリスト、エイサ・ウィンスタンリーAsa Winstanleは先週、ウクライナのナチスに関するツイートを削除することに同意するまで、自身のツイッターアカウントを停止させられた。彼が投稿したナチスのシンボルをつけたウクライナの女性戦士の画像は、AIによるファクトチェック企業「Logically」によって異議が唱えられたようだが、特に国際女性デーにウクライナ政府のアカウント2つが同じ画像を投稿しているように、彼らは何等きちんとした調査を行なっていない。Logicallyは問い合わせに回答していない。Asaは、このような組織がネット上の自由な発言を阻止する力を持つべきかどうかと問うている。


欧米のメディアは、ウクライナへの侵攻をノンストップで報道し、破壊、難民の殺到、そして非常に多くの悲劇的な個々の人間の物語を紹介している。メディアは、これは私たちの戦争であり、私たちはウクライナと共に立ち向かわなければならないと報じている。

英国が支援するイエメンでのサウジの戦争(Amnestyによれば、約25万人が殺され、1600万人が飢餓に直面している)と比較対照してみてほしい。サウジアラビアに対する厳しい制裁と、いたるところでのメディア報道によって、何百万人もの人々が救われたかもしれないことを想像してほしい。

また、実際に我々の戦争であったアフガニスタンでの報道と比べてみてほしい。ここでも25万人が殺されている。人口の98%が十分な食料を持たず、飢餓に陥っており、300万人の罪のない子供たちが栄養失調に苦しんでいる。


安全保障条約を求めるロシアのこれまでの平和的アプローチを西側諸国が考慮することを拒否していることについて、どれほどの分析、言及があっただろうか。あるいは、ロシアの現在の要求がどのようなものであるのかさえも。ある時点で、私たちは世界大戦と核兵器による全滅の可能性へとエスカレートするか、さもなくば合意に達しなければならない。どうすればそれが実現できるのか、ある程度の見当をつけておくのが合理的ではないだろうか。

最後に、もし欧米のメディアがウクライナの報道のように気候変動に関する報道をしていたらと想像してみよう。相互確証破壊mutually-assured destructionを回避し、平和的解決に至る方法を見つけることができたとしても、我々は緊急かつ根本的に生活様式を再構築し、有限の惑星における無限の経済成長神話を終わらせ、化石燃料の燃焼を止める必要がある。さもなければ、ウクライナは、私たちの周りでほとんど無視されながら展開されている大災害に比べれば、脇役に終わりかねない。

今月初め、アントニオ・グテーレス(国連事務総長)が警告したように、「人類の半分は今、危険地帯に住んでいる」のである。

(The New Fascism Syllabus)純粋な暴力の非合理的な核心へ。ネオ・ユーラシア主義とクレムリンのウクライナ戦争の収束をめぐって


(訳者前書き)以下はThe New Fascism Syllabusに掲載された論文の翻訳である。著者のひとり、アレクサンダー・リード・ロスは、西側左翼運動のなかに気づかれない形で浸透しつつある極右の思想や運動について詳細に論じたAgainst Fascist Creep のなかで、米国からヨーロッパ、ロシアに至る地域を包括する網羅的な現代の極右の動向を批判的に分析した。以下の論文でも彼のこれまでの仕事が踏まえられており、とくに、プーチンの思想的な後ろ盾ともなってきたアキサンダー・ドゥーギンについての記述は、プーチンのウクライナ戦略を支える世界観を理解する上で参考になる。ドゥーギンがほとんど日本では知られていないこともあって、その反米反グローバリズムに基くヨーロッパとアジアを架橋する「ユーラシアニズム」は見過ごされがちだが、現代の極右思想の無視できない一部をなしている。(ユーラシアニズムについてはチャールズ・クローヴァー『ユーラシアニズム』越智道雄訳、NHK出版が参考になる)

ウクライナとの戦争でロシアがしきりに口にするウクライナの現政権=ネオナチとみなす言説は、日本ではほとんどまともには受けとられていないが、以前にこのブログでも紹介したように、ウクライナの政権や軍部あるいは武装民兵のなかにはネオナチや極右の流れに属する者たちがいる。しかし同時に、ロシアの政権の側にもドゥーギンに代表されるれっきとして極右の影響があり、いずれの側にも現代のファシズムの一端を担う存在が少からぬ影響力をもっていることを軽視しない方がいいと思う。権力者たちの暴力を支える思想や哲学あるいは歴史的な系譜などは、戦争の暴力によって一方的に犠牲になる民衆にとってはいずれにせよ人道に対する犯罪を正当化する欺瞞でしかないのだが、同時に、また、その民衆のなかの少なからぬ人々もまたこのイデオロギーのいずれかを内面化して戦争に加担することを選択してしまうことも無視できない。これはフェイクニュースといった次元の問題よりも深刻だ。世界観やイデオロギーが西欧近代を支えた資本主義的な自由と民主主義を中心とするヘゲモニー構造に最初に亀裂を入れたのが、イスラーム原理主義による西欧近代の価値観の否定だったとすると、トランプ現象やブレクジット、EU内部の極右の台頭を経てプーチンの帝国の野望を列ぬく世界観の軸は、左翼を相対的に周辺に追いやる一方で、伝統主義や反啓蒙主義に基く排外主義の正当化とナショナリズムの再構築が主流の政治意識になるという最悪の方向に傾いてきた。日本の文脈でいえば例の「近代の超克」による西欧リベラリズムとマルクス主義を串刺しにして否定しようとするかつての日本主義イデオロギーとほぼ同質のイデオロギーが世界中を席巻しはじめているという風にみてもいい。フェイクニュースはこうした構図の氷山の一角にすぎない。

プーチンを理性を欠いた狂気の独裁者だとみなすのは簡単だが、現実はもっと錯綜しており、思想のレベルでいえば、かつて日本が陥った「近代の超克」とか欧米帝国主義に対するアジア人民の解放戦争とかといった戯言を本気で信じた知識人たちのことを想起すればわかるように、戦争がもたらす狂気をある種の「思想」へと昇華してイデオロギーとして構成する力をあなどってはいけない。私が言いたいのは、分りやすいドゥーギンのユーラシアニズムの欺瞞のことだけではなく、これらをも包含する近代国民国家=近代資本主義の罠のことを言っている。多くのファシズム運動が何らかの左翼のイデオロギー/運動のなかから生み出されてきたことを真摯に反省することが左翼にとって今ほど必要な時はないだろうと思うからだ。多くの反戦運動が、目前の深刻な生命の危機をもたらしているロシアの侵略を厳しく批判しつつも、単純な反ロシア、親ウクライナ(EU+NATO)という構図をとっていないことが救いだ。(小倉利丸)


2022年3月4日 アレクサンダー・リード・ロス、シェーン・バーリー

ナチス軍が3万3000人以上のユダヤ人を虐殺したキエフの渓谷のバビ・ヤール記念館でロシア軍が弾薬を爆破すると同時に、ロシアは「反ファシスト」会議を開催すると発表した。プーチン大統領は、中国、インド、サウジアラビアなどロシアが提携を望む国々を招待し、ウクライナを極右勢力に支配されている国として、その蔑視を図ったのである。プーチンは、ロシアがウクライナを「脱ナチス化」していると主張することで、同国を体制転換の場に位置づけ、その行為を進歩的な博愛として表現している。反ファシズムをアピールすることで、ロシア指導部は第二次世界大戦中にソビエトが東部戦線でナチスを破ったという歴史を利用し、他方でグローバルは紛争を引き起こすことにおける極右の役割について、すでに混乱ししばしば恐怖を感じている人々の会話に歪みをもたらしている。

2月26日、New Fascism Syllabusは、ポツダム大学ライプニッツ現代史センター「共産主義と社会」部門の共同ディレクター、ユリアネ・フュルストJuliane Fürstの「On Ukraine, Putin, and the Realities and Rhetoric of War[ウクライナ、プーチン、そして戦争の現実とレトリックについて]」を公開した。これは、現在ロシアのプーチン大統領が用いている「ファシズム」のレトリックについての研究に対して重要な貢献をするものだ。フュルストは、ドイツで育った経験を振り返り、ソ連がドイツ人とナチズムの関係を「ファシズム」という広いカテゴリーに置き換えたことにやや安堵したと述べ、「そのカテゴリーは悪い意味で、柔軟で包括的だった」と説明している。特に西部ウクライナ人にとっては、ソ連の抑圧を否定したことで、「ファシズムとナチの占領からのソ連の解放という物語に反したニュアンスや個人の回想の余地がない(スターリンが作り、ブレジネフが強化した)ソ連の公式な物語に対する」ナショナリスト的な反応に彼らをさらすことになった。

このような反ソナショナリズムは、ウクライナだけでなくソビエト共和国中のボヘミアンの間で、一種のカウンターカルチャーとなった。モスクワでは、ユージンスキー・サークルYuzhinsky circleと呼ばれるナチスの象徴を好む秘教主義的で伝統主義グループが、ファシズムの祝典のために集まっていた。ユージンスキー・サークルの超国家主義的なコミットメントは本物だが、本気とはいえない反啓蒙主義も蔓延していた。フュルストが指摘するように、「ファシズムは、そのダークな性格と不気味な歴史が滲み出た挑発という漠然とした概念の暗号に劣化してきた」という。しかし、この転換によって、反ファシズムも、特定のイデオロギーを否定するのではなく劣化に、つまり敵の汚染と感染に関する問題になってきた。こうして、プーチンは「脱ナチス化」を通じて、スターリン主義の脱ナチス化―汚染された人々をすべて粛清するキャンペーン―の含意を展開する。フュルストの言葉では、「自分の国家で暮らすというウクライナ人の現実のみならず、プーチンのロシア人像とは別の民衆としての概念そのもの」を変えるためにである。

プーチンの脱ナチス化は、脱ウクライナ化を意味する。プーチンによれば、ウクライナには歴史がなく、「現代のウクライナは、ボルシェビキ、共産主義のロシアによって…歴史的にロシアの土地であるものを分離、切断するというロシアに対して極めて厳しい方法で完全に作られた」ものでだ。2月21日の1時間に及ぶ拷問のような演説で、プーチンはウクライナを「(ロシアの)歴史、文化、精神空間の不可分の一部…親族、血縁、家族の絆で結ばれた人々」と表現している。プーチンは、「極めて過酷」といった感情的な言葉に訴え、ドンバスは「実際にウクライナにむりやり押し込まれた」という彼の主張は、最終的にソ連が準自治共和国に権限を委譲したことが、ウクライナの究極の崩壊につながったと主張しうるような歴史的なフィクションの背景を構成している。

ウクライナの独立について、プーチンは好戦的に「脱共産化を望むか?そうだ、それがまさにお似合いだ。しかし、なぜそれを途中でやめるのか?ウクライナにとって本当の脱共産化が何を意味するのか、我々は示す用意がある」という。つまり、脱共産化とは、ウクライナに与えられた自治権の遺産を、たとえわずかであっても断ち切り、2月24日の演説で彼が「歴史的故郷」としたロシア帝国空間への究極の再同化を意味するのは明らかである。

「脱共産化」という言葉の意味をただちに理解したのは、ファシズム化したソ連のカウンターカルチャーの第一人者で、ユージンスキー・サークルの元メンバー、アレクサンドル・ドゥーギンだった。「大統領は脱共産化について語った。ロシアには1世紀以上の歴史があり、そして、明かにリベラルでもコミュニストでもない新たなイデオロギーの担い手なのだということを言いたかったにすぎないと思う。私たちは帝国の人民である。われわれロシア人は過去ではなく、未来に目を向けているのだ」と応答した。

そして、ウクライナに関するドゥーギンの初期の著作は、プーチンの最近の主張と非常に近いものがある。「ウクライナという国家には地政学的な意味がない」と、ドゥギンは1997年に出版した痛烈な非難に満ちた本『地政学の基礎』で書いている。「文化的な重要性も普遍的な意義もなく、地理的な独自性も民族的な排他性もない」。もちろん、歴史的、哲学的、文化的、その他の口実でウクライナの生存権を否定して行動することは、それ自体が大量殺戮行為である。ドゥーギンにとって、ウクライナ西部の3つの地域だけは―1つの西ウクライナ連邦としてまとめられたボリニア、ガリシア、トランスカルパチア―、大ロシアから切り離すことは可能だが、非NATOに加盟しないという但し書きが伴う。

しかし、こうした共通点にもかかわらず、プーチンの言う「脱ナチス化」、とりわけ反ファシズムは、ドゥーギンにとって特に厄介なものに映ったようだ。ドゥ=ギンが最も大きな影響を受けた一人であるファシスト地政学者のジャン=フランソワ・ティリアールJean-François Thiriartは、ウクライナの超民族主義者ステパン・バンデラStepan Banderaを支持し、ソ連の国境を1939年のモロトフ・リベントロップ条約以前の境界線(つまり、ドゥーギンが考える大ロシアと仮想の西ウクライナ連邦という区分)に押し戻そうと考えた。ドゥーギンが影響を受けたもう一人のベルギー人レキシスト[注:Rexist、ベルギーの戦前のカトリック系極右]、レオン・デグレルLeon Degrelleは、バンデラ軍と協力してウクライナで残忍な武装親衛隊とともにソビエトと戦った自身の経験を賞賛して一冊の本にまとめている。

ドゥギンもクレムリンも、「ナチズム」や「ファシズム」というレッテルを使って、リベラルな反対派を躊躇なく杓子定規に批判する。FSB[ロシア連邦保安庁、ロシアの治安機関]のセルゲイ・ナリシキンSergey Naryshkinは最近、西側がロシアに科した制裁を非難し、それが「『寛容な』リベラル・ファシスト状況」の現だと主張している。ナリシキンが展開した「リベラル・ファシズム」のなかの「キャンセル文化」の一部としての制裁という考え方は、元Foxニュースのパーソナリティ、ジョナ・ゴールドバーグを念頭に置いている。ファシズムの根はリベラルなイデオロギーにあるという彼のテーゼは、この分野の専門家によって完全に否定されているものだ。同時に、ゴールドバーグよりもはるかに本物のファシズムの伝統に精通しているドゥギンが、このような定義の誤りを犯すとは想像しがたい。

3月4日にフェイスブックにドゥギンが、ウクライナ人はアメリカ由来の「ひどいナチス・リベラルのプロパガンダ」に振り回されていると投稿した見解は、ナリシキンと比較・対照できるものだ。ドゥギンは、2004-5年のオレンジ革命と2013-4年のマイダン抗議行動でモスクワに友好的な強権者ヴィクトル・ヤヌコーヴィチを追放するのに貢献したウクライナの自由主義運動を、自由主義とナチズムの合成物であると見なしている。ここでドゥギンは、親欧米(つまりリベラル)の立場を支持するナショナリズト的感情を打ち砕く目的でウクライナを征服するというクレムリンに再び近づいた。

しかし、ウクライナの左翼タラス・ビロウズTaras Bilousが指摘するように、ウクライナではナショナリズムの感情が高揚することもあるが、世代や家族間の争い、社会経済的対立、国の政治的地理的条件に関わる思想的複雑さもまた然りなのである。極右勢力は、世界のあらゆる軍隊でそうであるように軍隊内では存在感を示しているが、大きな政治的権力をウクライナで獲得することができなかった。こうした複雑で多次元的な亀裂を考慮すれば、ドゥギンの立場はおそらくナリシキンの立場よりもさらに説得力がないままであろう。

複数の政治的立場の存在は、その国が指導者原理を志向するシンクレティックなイデオロギー―それはまさにドゥーギンの世界理解の全体主義的枠組みだが―に支配されないとすれば、シームレスな異種混合を示すものにはならない。ウクライナにおけるファシズムの政治的役割を誇張することはさておくとして、ウクライナがナチ・リベラルの国であるという主張は、イギリスが複数政党制民主主義ではなく「愛国的代替労働の国Patriotic Alternative-Labour country」であるという考えと類ていることになるだろう。ナリシキンのリベラル・ファシズムに対する視点が米国の極右の感性に訴えかけるのに対し、ドゥーギンの「ナチ・リベラル」の理解は、彼自身の単純化された世界観の枠内に限定されたものでしかない。残念ながら、彼はこの特徴をクレムリンと共有しているようだ。

現実的なレベルでは、ウクライナの「脱ナチス化」という偽善は、2014年以来、侵略はファシスト、正教会の超国家主義者、そしてドゥギン自身の自称 “ネオ・ユーラシア主義” のネットワークのプロジェクトであったという事実に見出すことができる。当初から、ウクライナに対する侵略は、ドゥギンの後援者であるロシアの「正教会のオリガルヒ」、コンスタンティン・マロフェーエフKonstantin Malofeevによって銀行融資されていた。最初の数年間は、マロフェーエフの仲間のアレクサンダー・ボロダイAlexander Borodaiとイゴール・ガーキンIgor Girkin(マロフェーエフの警備主任になる前にボスニアのジェノサイドに参加した超国家主義者)が現場での活動を主導していた。ギルキンとドゥーギンは、ロシアの反体制派アンドレイ・ピオトコフスキーAndrey Piontkovskyによる辛辣な記事の中で、ロシアの「本物の高邁なヒトラー主義者、真のアーリア人」の一人としてリストアップされている。

オルト・ライトやヨーロッパのファシスト的な「アイデンティティ主義」運動の中で影響力のある人物ドゥギンのイデオロギーは、伝統的なナチズムよりも幾分混交的で複雑である。彼は、現代世界とそれが象徴すると考えているリベラリズムの完全な破壊を確信している。この世界の激変は、彼が 「政治的兵士 」と呼ぶ戦士-司祭に支配されるカースト制度によって識別される家父長制の血と土の共同体の再生へと導くものだ。ドゥーギンは、モスクワがダブリンからウラジオストクまで広がるユーラシア帝国を支配し、イスタンブールがコンスタンティノープル(または「ツァルグラード」)へと回帰することを望んでいる。ドゥギンにとって、ウクライナ侵攻はこの「スラブ大レコンキスタ」の最初のステップに過ぎない。

もちろん、「コンスタンティノープルの再征服」は、ドゥーギンの広範な地理的目的の中の王冠の宝石としての役割を果たすに過ぎない。8月の反ファシスト会議に招待された国々には、現在、極右の強者ナレンドラ・モディが率いるインドがいる。彼のヒンドゥーナショナリズムは、インドのイスラム教徒に対する「最終解決」を唱えたヴァヤック・サヴァルカルVayak Savarkarなどのヒトラー崇拝に由来する。ロシアはまた、新疆ウイグル自治区で多数占めイスラム教徒を大虐殺したにもかかわらず、ナショナリズムを強めている中国の政権をあえて参加させた。

ドゥーギンにとって、この2カ国はロシア、イランとともに「ユーラシア大陸の大国」を構成しているのである。上海の復旦大学中国研究所の上級研究員であるドゥーギンは、中国は国家ボルシェビズムに似た「国家共産主義」路線をとっていると考えており、これを「左翼反ヒトラー国家社会主義」と呼び、自身の「第四政治理論」の「第二のバリエーション」として新ユーラシア主義と結びつけている。つまり、モディのヒンドゥトヴァがヒトラーに共感する超国家主義的な立場をとっていることには疑いようがないが、ドゥーギンは、中国がナチズムの一系統に連なる思想を守り、このこと自体が彼自身の伝統主義に不可欠であると考えているのである。まさに反ファシスト会議なのだ!

一般的な意味で、ドゥーギンの新ユーラシア主義思想は、ファシズム研究者のロジャー・グリフィンが「霊的再生超国家主義palingenetic ultranationalism」と呼ぶ、神話的国家の精神的かつ暴力的な復活を求めるモデルとほぼ合致している。ドゥーギンはプーチンのロシア排外主義と新帝国の下での「大ロシア」への願望を共有しており、それによってファシズムと共産主義の対立を乗り越えたと主張している。そのため、例えばInfowarsにゲスト出演する際、ドゥギンはある意味では「反ファシズム」を主張しながら、他の文脈、例えば『第四政治理論』では、ファシズムと共産主義に必須の「共通根」のようなものとして(つまり、国家社会主義のより至高のバージョンとして)自らの思想を宣伝する、という逆説的な行動をとっているのである。

反ファシズムを「ナチ・リベラリズム」の否定へと改竄することは、形勢逆転のためのシニカルな戦術を表わしている。この戦術は他の場所でも使われている。例えば、ドゥギンの親しい同志であるセルゲイ・グラジエフSergei Glazyevは、イスラエルがウクライナでロシア人をユダヤ人に置き換えようとしていると主張した後、プーチンによってユーラシア統合の顧問の役割を解任されるのだが、こうした人達によるロシア語を話すウクライナ人を「大量虐殺」から守るといった主張でも使われているのだ。このように、ロシアのウクライナ復権論は、「大規模入れ替え理論」の形をとっている。つまり、民族的国民を外国のコスモポリタンに入れ替えるというディープ・ステートの陰謀が、過激さのレベルに応じて、大量のエスニック、人種、宗教的マイノリティの国外追放、さらなる周辺化、あるいはただ絶滅させるのみという口実になる。

同様のレトリックの反転において、ドゥーギンは「反帝国主義」の推進力を利用して、「グローバリズム」に対抗する「伝統主義インターナショナル」を召集し、左派の周辺部分を引き寄せようとしている。彼は、帝国の時代への回帰を唱えながらも、グローバリズムを西洋の「制海権」に内在するとみなしている。ドゥギンは最近、「ロスチャイルド、ソロス、シュワブ、ビル・ゲイツ、ザッカーバーグ」のリベラリズムと切り離されたヨーロッパの基準をロシアが担うと主張した。モスクワの帝国を軸に、海洋パートナーシップや諸権力は、神を破壊する近代主義的な傾向とともに、屈服させられるだろう。-その実現には、少なからぬ残虐性が必要であるような純粋のファンタジーの上に成り立っている妙技

-その実現には、少なからぬ残虐性が必要であるような純粋のファンタジーの上に成り立っている妙技

プーチンは過去に新ユーラシア主義的な思想への沈潜と、より伝統的な熱狂的ロシア愛国主義との間で揺れ動いていたようだが、侵略によってロシアの西側との金融関係が断たれたことで、ロシアはヨーロッパから遠く離れ、この巨体は経済崩壊をインドと中国という地域パートナーに頼って乗り切ろうとしているのである。このような立場から、ドーゥギンが精神的使命と考えること、すなわち近代を抹殺するであろう「大西洋主義者」に対する本質的に保守的なユーラシア戦争においては、ロシアは西洋に対する反発を強めるしかない。ドゥーギンの意味不明な世界では、これは「真の西洋」(すなわちユーラシア)の位置から西洋に引き返し、破壊することを意味する。「ロシアが(西側から)早く完全に切り離されれば切り離されるほど、ロシアは自らのルーツに戻るだろう…つまり、本当の西洋と共通のルーツに…そしてヨーロッパは西洋と手を切る必要があるし、アメリカでさえ、グローバリズムを拒否する人たちに従う必要があるのだ」。西洋を救済するためにこれを破壊する-あまりにもよく知られた無力な運動である。

近代西洋を戦闘的かつ完全に否定し、プーチンの反ファシズムという欺瞞に満ちた主張を利用して反ファシズムそのものに泥を塗ろうとする極右の努力をよそに、西側極右もまた超国家主義政治を世界の舞台へと引き上げる「希望の光」としてのロシアの役割を長らく受け入れてきた。プーチンのウクライナ戦争を最も熱心に支持した一人であるロシア帝国運動the Russian Imperial Movementは、ヨーロッパの極右メンバーを養成する準軍事キャンプを運営しており、アメリカからのファシスト・テロリストはこの国の右翼的政治生活に避難場所を見出そうとしている。マリーヌ・ルペンからマテオ・サルヴィーニに至る政治家たちはプーチンのEU懐疑モデルのラディカル右翼政治を受け入れ、世界支配を目指す彼の努力に付き合ってきた。そして、ドゥーギンの国際的な同志たちは、彼の非自由主義的な立場の故に、今度はイランの神権主義者たちに受け入れられている。

アメリカでは、共和党議員との関係を築いてきた白人民族主義者のニック・フエンテスNick Fuentesがアメリカン・ファースト政治行動会議American First Political Action Conferenceを通じて、プーチンを自分のブランドの政治を再定位するリーダーとして歓迎している。2月25日に開催されたAFPACの会議で、フエンテスは「ロシアに拍手を」と呼びかけ、「プーチン!プーチン! 」の掛け声が飛び交った。

米国では、ロシアのウクライナ攻撃を歓迎するのはファシストの端くれだけのように見えるかもしれないが、AFPACの影響力は議会にも及んでいる。ウェンディ・ロジャーズ下院議員は、自身もAFPACに参加しており、極右民兵組織「オース・キーパーズthe Oath Keepers」のメンバーである。ユダヤ系ウクライナ人の大統領について、「ゼレンスキーはソロスとクリントンのグローバル主義者の傀儡だ」と述べ、ロシアを人民の真の代表、ウクライナを富裕層が支配する人工国家とする反ユダヤ的陰謀物語に同調している。マージョリー・テイラー・グリーンMarjorie Taylor Green下院議員も、親ロシア派の祝賀と喝采の中、AFPACで演説を行った。

ドゥーギンのネオ・ユーラシア主義とクレムリンのウクライナに対するイデオロギーの押しつけ、そしてそれが築きつつある同盟国との間の収束点の現実を考えると、反ファシズムのレトリックを用いることは何を意味しているのだろうか。米国のメディアの言説でよく見られるように、この言葉はブギーマンとして、あるいは政治的美徳の表れとして歪曲されてしまう。現実には、ロシアのファシズムは、君主主義者、正統派神権主義者、変人の地政学者に満ちており、常に危ういものであった。1941年にナチスに侵略されたこの国は、全体としてまとまりがあるというよりも、ファシズムのように見え、話し、歩きながら、自らをより高みにある至高の形とみなす熱狂的な超国家主義のシンクレティズムを展開してきた。右翼伝統主義の教祖ユリウス・エヴォラJulius Evolaが「スーパーファシズム」、あるいは学者ウンベルト・エコの言う「ウルファシスム」がそれである。

私たちは、純粋な暴力における不合理な核心として、反ヨーロッパ、反帝国主義的帝国、反ファシズム的ファシズム、反ナショナリストのウルトラナショナリズム、そしてネーションの存在の抹殺と民間人への砲撃を伴うジェノサイドに対する防衛策をみることができる。ロシアは主権を行使するために、理性に頼ることなく、粗野な強制力、パワーポリティクスに頼りつつ、一方の極にある米帝国へのオルタナティブを提起する。米国の敵として自らを押し出すことで、新たな友好国を獲得しようとするのである。ロシアのナショナリズムは、協調から離れて二元的で非自由主義的な対立へと地政学を再調整するのを手助けしつつ、極右運動の前衛の一部としての役割りを担っている。そして、この現実は、反ファシズムのアピールに揺り動かされる人々には、ほとんど何の意味ももっていない。プーチンとドゥーギンは、逆説を呼び込むことによって、極右の実際の役割について混乱している人々の機嫌を取り、アメリカ、ウクライナ、欧州連合の批判者を、ロシアの攻撃に対する支持的または中立的な立場に引き込むことを望んでいるのである。それゆえ、ウクライナにおける帝国主義との闘いは、そこだけでなく、あらゆる場所での自由と平等のための闘いというレベルで普遍化されなければならない。

このことを理解するためには、反ファシズムにとって重要な「三者の闘い」という分析的枠組みが役に立つ。ロシアは、欧米諸国への挑戦として行動しているにもかかわらず、欧米列強の改革を目指す人々の友人ではない。むしろ、極右の造反者的な役割は、様々なイデオロギー的な支持者たちをこの紛争以上に危険な連合体に結びつける能力を持っている。反ファシズムの歴史的役割は、本質化されたアイデンティティと権威主義的統制に訴えることによって民主的価値を損なおうとする造反者的極右運動から身を守ることだった。しかし、反ファシズムは、政治でもイデオロギーでもなく、エートス、つまり、プーチンが破壊したい戦後世界のバックボーンとして機能する道徳的要請なのである。この点で、プーチン自身が全体主義的支配とネオ・ユーラシアの拡大に向けて「ファシスト的転回」をしてきたかどうかについての議論は続くだろうが、彼の反ファシズムの主張は議論の余地なくまやかしなのである。

Alexander Reid Ross ポートランド州立大学地理学講師、フリーランス・ジャーナリスト。

Shane Burleyはフリーランスのジャーナリストで、The Baffler, The Independent, Jacobin, Truthout, In These Times, Commune, Alternet, and Waging Nonviolenceに記事を書いている。
出典:http://newfascismsyllabus.com/contributions/into-the-irrational-core-of-pure-violence-on-the-convergence-of-neo-eurasianism-and-the-kremlins-war-in-ukraine/

ウクライナ経由ナショナリズムと愛国心をそれとなく煽るマスメディア

8日の夜7時過ぎのNHK「クローズアップ現代」は、ウクライナに残っている人達の深刻な事態を、現地の人達と繋いで報道していたのだが、同時に、ウクライナの外にいるウクライナ出身の人々の様子も取材しており、戦争が否応なく喚起させる庶民への理不尽な暴力を映像を通じて、私たちの感情を動員する番組になっていた。ロシア国内やロシア軍兵士への取材はない。敵のロシア軍の人間たちは砲弾や戦車といった暴力によって象徴される抽象的な存在としてしか実感できない。「こちら」の側には生身の人間が、敵はプーチンか、さもなくばプーチンの手先でしかない非人間的な機械か鉄の塊。こうして私たちの感情は、ウクライナの側に同化するような構図になる。どちらの側にも殺されるべきではない人間が同じようにいることが感じられないのだ。

NHKが取材対象とした人達、とりわけ若い男性たちには共通した傾向がある。それは、ロシア軍に侵略された国を救うために戦うことを(やむなく)決意した若者や、戦うために帰国する若者の姿だ。他方で、意識的に戦うという選択をしない若者(男性)や戦いたくないという気持ちをもって逃げてきた若者は存在しないかのようだ。ウクライナの若者たちは皆武器をとって戦うことを選択しているかのように描かれ、結果として臆病であることが言外にネガティブな態度であるかのような印象が与えられる。そして、戦場に向う自分の息子や夫を涙で送る家族たちが情緒的に描かれる。こうした映像はこの番組に限ったことではなく、ほとんどすべてのニュースや情報番組(ワイドショー)がとる戦争のステレオタイプだ。この構図のなかで、この番組をみた視聴者の心理は、臆病であることを率直に表明することそれ自体を心理的抑えられてしまうような作用が働くのではないか。

そして、こうしたスタンスに重ねあわせられるようにして、日本政府のウクライナ支援の言説が受けとめられるのだろう。日本政府は防衛装備である防弾チョッキを人道支援名目で送るというが、これらが軍事目的で利用される可能性は否定できない。学校でもウクライナ情勢が授業で取り上げられているとも報じられている。一見すると戦争の悲惨さ子どもたちに伝える平和教育のようにも印象づけられるが、果してどうなのか。

マスメディアの報道や政府、政治家たちの言動の前提になっている感情には、侵略者に対して武力によって自国の領土を防衛する軍や市民たちの行動を暗黙のうちに支持するスタンスが大前提になっていると感じる。侵略者に対して、ウクライナにおける自衛のための武力行使を肯定する立場は、誰もが、このウクライナの問題を日本に置き換えて考えるとき、やはり日本もまた自衛のための武力行使は必要であり、だから自衛隊もまた必要だ、という理屈に誘導されてしまうのは目にみえている。しかもこれが「理屈」だけでなく、感情的にもまた国家のために戦うことを正義と感じる情動、つまり愛国心とかナショナリズムを喚起してしまう。ウクライナ国旗やその色をモチーフにした戦争反対は、戦争がナショナリズムや国家に収斂する感情の動員を必須の条件としており、国旗はその象徴的な作用を果しているというシンボリックな効果に対して十分な防御ができていないように思う。国家や宗教的な絶対者に収斂するような一切のシンボルを排することこそが平和への道だからだ。

日本のメディア環境は、国家のために人命を犠牲にすることを肯定する感情が、人々を支配するように促す危険な傾向をかなり濃厚に内包していると思うのだ。やっかいなのは、こうした感情は、常に、非力な庶民を犠牲にする侵略者を撃退して、家族や地域を守るためのいたしかたない戦いという感情を内包させつつこれを国家の防衛に収斂させていく、という仕掛けをともなっているという点だ。私は、国家という観念は、人ひとりの命の重さと比べたら、比べものにならないくらい無意味な観念だと考えるから、国家間紛争などジャンケンで決着つければいいような問題だ、と前にも書いた。しかも正義と暴力の間には、力の強い者が正義であるという一般論が成り立つような相関関係はないことも明らかだ。

日本政府や改憲を見すえている自民党や右翼は、ウクライナを経由して自衛のための武力行使を支えるナショナリズムや愛国心の喚起の絶好のチャンスとみて、自衛隊合憲論をとるリベラルや野党を巻き込み、また世論に根強い9条改憲反対の雰囲気を切り崩そうとするに違いない。私たちが問われているのは、侵略されても自衛権の行使はしない、という選択を支える思想を鍛えることにある。この思想の基盤にあるのは、人間の命を賭けででも守るに値する国家など存在したためしはない、ということをいかにして説得力をもって主張できるか、にある。非武装中立とか自衛隊違憲といった主張すら稀になってしまったこの時代に、再度国家を疑うことから議論を始める必要がある。

(付記)上のエッセイには重大な問うべき問いの回避がある。一切の暴力を否定することは、可能なのか、人類史のなかで、解放のための暴力の歴史を一切否定するのか?というこれまでも繰り返し論じられてきた問いに一言も答えていないし、上のエッセイではこの問いへの答えとしてはまったく不十分だ。今、ウクライナで起きていることと、そこから日本で起きつつある国家の自衛権への肯定感情を批判するという目的を越えて、より普遍的な問いとしての暴力の問題は、別途検討すべき課題だと思っている。国家や普遍的な力(神とか民族とか性にまつわる優劣の序列)に収斂する暴力を認めるつもりはないが、暴力をめぐるそうではない在り方をも完全に否定することが可能かどうかはまだ私のなかでは留保が必要な領域である。

警察法改悪―まだ論じられていない大切な課題について

警察法改悪―まだ論じられていない大切な課題についていくつか簡単に述べておきたい。

衆議院をあっという間に通過してしまった警察法改悪法案だが、たぶんこのままでられば、参議院の審議もほとんど実質的な内容を伴うことなく、成立してしまいそうだ。

今回の警察法改悪とサイバー警察局新設は突然降って湧いたような話ではなく、昨年夏前にはすでに基本的は方向性については警察庁が公表し、マスメディアも報じていた。私たちの取り組みはとても遅く、昨年秋くらいから議論になりはじめたに過ぎず、この遅れの責任は反監視運動として真摯に反省しなければならないと感じている。自分たちの運動の問題を棚に上げた勝手な言い分になるが、従来の刑事司法の改悪に関わる立法問題―たとえば盗聴法や共謀罪が想起される―では、いち早く法曹界や学会の関係団体が批判や抗議声明を出したが、今回は様変りだ。弁護士会は日弁連も都道府県弁護士会も警察法改悪については一言も公式見解すら出していない。研究者や弁護士などのグループでも反対声明が出はじめたのは法案が上程されて審議に入ってからだ。しかも、国民民主党も立憲民主党もこの法案に賛成した。共産党も衆議院内閣委員会での審議直前にやっと反対をかろうじて決定した。明かに、なぜか皆腰が引けているのだ。

通信の秘密、表現の自由、結社の自由について

警察法改悪の問題で見落されているのは、憲法が定めている私たちの言論表現の自由や結社の自由、そして通信の秘密を国家が侵すことへの厳格な禁止との関係だ。これらは言うまでもなく、文字通りの権利としてはもはや私たちにものにはなっておらず、捜査機関が大幅な権限を既に握ってきたことは繰り返すまでもない。

ただし、今回のサイバー局新設の問題は、従来と質的に異なって、捜査機関が憲法で保障さている言論表現の領域を専門に捜査対象とする組織を新設するということ、つまり、真っ向から憲法21条を否定することを目的とした組織を創ろうというものだ、という点にある。法案では「サイバー事案」として捜査対象となる領域を次のように規定している。

「サイバーセキュリティ(サイバーセキュリティ基本法(平成二十六年法律第百四号)第二条に規定するサイバーセキュリティをいう。)が害されることその他情報技術を用いた不正な行為により生ずる個人の生命、身体及び財産並びに公共の安全と秩序を害し、又は害するおそれのある事案(以下この号及び第二十五条第一号において「サイバー事案」という。)のうち次のいずれかに該当するもの(第十六号及び第六十一条の三において「重大サイバー事案」という。)
(1) 次に掲げる事務又は事業の実施に重大な支障が生じ、又は生ずるおそれのある事案
(i) 国又は地方公共団体の重要な情報の管理又は重要な情報システムの運用に関する事務
(ii)国民生活及び経済活動の基盤であつて、その機能が停止し、又は低下した場合に国民生活又は経済活動に多大な影響を及ぼすおそれが生ずるものに関する事業
(2) 高度な技術的手法が用いられる事案その他のその対処に高度な技術を要する事案
(3) 国外に所在する者であつてサイバー事案を生じさせる不正な活動を行うものが関与する事案」
https://www.gov-base.info/2022/02/22/148741

つまり「国又は地方公共団体の重要な情報の管理又は重要な情報システム」と「国民生活及び経済活動の基盤」などでサイバーセキュリティが関係する分野である。高度な技術的な対処や海外を含む事案が更に対象になる。サイバーセキュリティ基本法2条では次にようにサイバーセキュリティを定義している。

「「サイバーセキュリティ」とは、電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式(以下この条において「電磁的方式」という。)により記録され、又は発信され、伝送され、若しくは受信される情報の漏えい、滅失又は毀損の防止その他の当該情報の安全管理のために必要な措置並びに情報システム及び情報通信ネットワークの安全性及び信頼性の確保のために必要な措置(情報通信ネットワーク又は電磁的方式で作られた記録に係る記録媒体(以下「電磁的記録媒体」という。)を通じた電子計算機に対する不正な活動による被害の防止のために必要な措置を含む。)が講じられ、その状態が適切に維持管理されていることをいう。」
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=426AC1000000104

コンピュータ上のデータやネット上のデータの全てがサイバーセキュリティの対象ということになる。スマホやパソコンだけでなく、Suicaとか家庭のスマートメーター、ケーブルテレビなどあらゆる日常生活必需品がサイバー警察局の捜査領域になりうる。いったん警察の捜査対象になるとどうなるか。たとえば、交通取り締まりでは、ドライバーを常にスピード違反や飲酒運転の疑いの眼をもって監視することが「交通安全」の名目で当然視されてているように、私たちの日常のコミュニケーションを犯罪の可能性がありうるものとして警察が常時監視することになる。道路のNシステムが24時間稼動するように、ネットのコミュニケーションも24時間監視されることになるのだ。

ところで、憲法21条を念のために、引用しておこう。

「第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」

21条は、22条のように「公共の福祉に反しない限り」という限定がないところがこの条文の特徴であり重要な点だ。集会、結社、言論など一切の表現の自由のなかには公共の福祉に抵触する表現があってもよいという含意がある。この含意は、公共の福祉が時には「国益」や多数者の利益や利害、あるいは支配的な道徳や倫理と読み替えられて解釈されることによって、反政府的な言論や多数者のそれとは相容れない少数者の道徳や倫理を統制することを正当化しえない歯止めとなっている。

日に日に反政府的な言動や、ナショナリズムを否定する言論への攻撃や規制が厳しくなるなかで、この「公共の福祉」という限定のない21条は重要な意味をもっている。ところがそうであっても、この領域を犯罪捜査の対象として専門に取り締る警察組織が設置されてしまえば、事実上「公共の福祉」という枠のなかに私たちの言論表現の自由が押え込まれることになる。

ネットを念頭に21条を表現すると以下のようになる。

「ネットにおける集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。ネットの検閲は、これをしてはならない。ネットの通信の秘密は、これを侵してはならない。」

予測と行動変容を促す技術との一体化

同時に、捜査機関が私たちのコミュニケーションを網羅的に監視するためには、「検閲」を伴わないわけにはいかないだろう。しかし、かつてのように、集会に警察官が臨席したり、出版物が「×」印の伏せ字を強いられるといったいかにもみっともない不自由な強権発動はやらずに、もっと巧妙になる。ひとつは、公権力による検閲ではなく、民間による自主規制に委ね、民間団体を背後から指導するというやりかただ。映画、音楽、放送や新聞がすでにこうした自主規制によって国家の検閲を回避しつつ実態として公権力の検閲の代弁者となってきたが、この伝統的なやりかたが、インターネットのプラットフォーム企業にまで拡大されるということだ。

もうひとつは、予測と行動変容を促すというより巧妙な方法だ。ビッグデータとAIの時代に政府もIT企業もこぞって研究・開発を進めているのが、この分野だ。膨大な個人データプロファイルし、人々の行動を予測するだけでなく、人々の行動変容を促すような情報操作を官民総がかりで取り組もうとしている。人々は自発的な意思によって、誰に強制されることなく、政権を支持するようなメンタリティが構築される。このような世界はSF映画が先取りしてきたが、むしろ現実がフクションを越えはじめている。

警察領域では、こうした予測と行動変容が行政警察機能の拡大と予防的な取り締まりの歯止めのない拡大としてあらわれることになる。サイバー警察局はこうした方向をもった警察による捜査の実働部隊として全国規模で私たちのコミュニケーションを捜査=監視対象とすることになる。

長官官房による情報の一元管理

国会では全く議論されていないもうひとつの重大な問題が、これまで独立した「局」だった情報通信局が廃止され、その機能の多くが警察庁長官官房に移されることになる点だ。デジタル鑑識などの分野はたぶんサイバー警察局に移されるだろうが、それ以外の警察の情報システムやデータ管理などは長官官房に移され、ここで都道府県警察が保有している個人データなどと合わせて統合的に管理されることになるのではないかと推測している。これまでも都道府県警が保有している個人データの全国的な共有システムが存在したが、これが更に高度化されて、文字通リの意味でのビッグデータとして機能しうることになる。そして、これだけではなく、重要なことは、この長官官房の情報システムが内閣官房のサイバセキュリティーセンターを介して他の省庁や、更には省庁と連携する民間企業との間のデータとも少なくとも構造上は連携可能になるだろうということだ。マイナンバーはもちろん枢要な位置を占めるだろう。

ここで重要なことはサイバー警察局が捜査対象とする官民の重要インフラについては、すでに14分野が指定され、「セプター」(下図参照)と呼ばれる組織を通じて省庁との間で連携がとられる構造ができあがっていることだ。この構造に警察庁長官官房が介入することによって、一気に警察の影響力が大きくなることは間違いない。

この意味でいうと、サイバー警察局は、コミュニケーション領域を捜査する実働部隊あるいは「手足」であり、長官官房は都道府県警からサイバー警察局までを網羅する情報ネットワーク神経系を統合する「頭脳」部分をなし、この両者が一体となって21条領域を骨抜きにする構造として理解する必要がある。

自民党改憲草案との関係

上記のような見立ては決して反監視運動の我田引水的な誇大妄想あるいは被害妄想なわけではない。それは自民党改憲草案の21条改正案をみればはっきりわかると思う。改憲草案は下記のようになっている。

「第二十一条集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
3検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。」
https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/news/policy/130250_1.pdf

この改憲草案を踏まえると、捜査機関が「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」を行なっているかどうかを捜査することや、公共の秩序を害することを「目的として結社をする」可能性を捜査することが当然のこととされるだろうし、捜査機関はわたしたちのコミュニケーションを監視し予防的な措置をとることになるだろう。この改憲草案の文言を念頭に、警察法の改悪=サイバー警察局の設置の含意を解釈しなければならない。言うまでもなく、警察法改悪は改憲を先取りし、改憲によって実現可能な捜査機関の体制を準備するものだ。

サイバー攻撃は私たちの自由の権利を制約する理由にならない

最後に、「サイバー攻撃」の脅威との関係について私の考え方を述べておきたい。国会審議では、与野党揃って「サイバー攻撃」を天下国家の一大事だと口をそろえてその脅威に立ち向かうべきだと主張している。私もサイバー攻撃という事実があり、それが時には私たちの私生活に深刻な事態を招くこともありうることは理解している。しかし、だからといって、捜査機関にフリーハンドで捜査権限を委ねたり、私たちの21条の権利を制限することを認めるような権限を捜査機関に与えることには反対だ。捜査機関の捜査は21条の権利をわずかたりとも制約するものであってはならない。サイバーセキュリティに関しては私たちが権力に依存することなく対処しうる余地がまだまだあるし、そうした試みは世界中の権力による干渉を拒否する民衆のサイバーセキュリティの活動家たちが創意工夫してもいる。

権力にフリーハンドを与えるべきではなく、捜査機関は私たちの自由の権利を侵害しない範囲で捜査すべきなのだ。この点は一歩たりとも譲れない一線だ。すでに私たちの自由は警察によって大幅に削りとられてしまっている。しかもレイシストたちが「自由」という理念そのものを横取りし、まさに政権政党もまた自由と民主主義の名ももとに、私たちの自由を土足で踏みにじってきた。私たちの自由とは、あくまで社会的平等の基盤の上に築かれた自由の実現、つまり自由の再定義のための実践であり、そのためには既存の体制が擁護しようとする「公共の福祉」とは確実に相容れない実践でもあるのだ。

あくまでも反対を

警察法改悪を容認する野党は、この改憲草案への道を容認することになる。また、警察法改悪の問題に沈黙することは、言論表現の自由や通信の秘密の権利が侵害されかねない警察制度の大幅な改変を黙認していることにならないか。本来なら反対していいはずの野党が賛成した今回の事態は、もはや議会野党が与党の補完物にしかなっていないことを示しているのではないかと危惧する。他方で、警察法改革に反対する団体賛同署名は、短期間であるにもかかわらず3月5日時点で140を越える賛同がきている。とても小さな声だが、しかしこのような草の根からの異議申し立ては、議会政党が次第に翼賛化しつつあるなかで重要な力だと思う。

(Truthout)戦争はウクライナの左翼に暴力についての難しい決断を迫っている

以下は、the Truthoutに掲載された記事の翻訳です。ウクライナの左翼は、以下の記事で象徴的に紹介されているように、ウクライナに残るという決断をしたばあいの二つの選択肢、つまり、徹底して非暴力不服従を選択するのか、それとも武器をとるのか、の二つの選択肢の間で決断を迫られている。ウクライナの文脈のなかで、この二つの選択肢がどのような意味をもつのかは下記の記事にあるように、容易な問題ではない。これまでも武力行使を否定してきたウクライナ平和主義運動は国内の極右に狙われ続け、他方でロシア軍に対する武装闘争を選択したイリヤらはアナキストでありながら腐敗した政府の国軍との連携を余儀なくされる。

さて、私の関心はむしろこの戦争への日本国内の論調が、反戦運動も含めて、ナショナリズムの罠を回避しきれていないことへの危惧にある。日本のなかのロシアの侵略戦争への反対という正しい主張が、侵略に対して自衛のための戦争は必要であり、だから自衛力としての自衛隊もまた必要なのだという間違った考え方を正当化しかねないのではないか。人々のナショナリズムの感情が軍事力の行使を正当化する心情として形成されてしまうのではないか、という危惧だ。ウクライナの国や「民族」を防衛すべきとするウクライナイ・ナショナリズムの感情形成への回路があることを反映して、ウクライナの現状を学校で教える日本の教師たちが、「だから、日本もまた、国土を守るために自衛隊が必要であり、私たちも侵略者と闘う覚悟が必要だ」といった感情を子どもたちに与えかねないし、大人も地域の人々も同じようなナショナリズムへの同調という心情の共同体を容易に形成してしまうのではないか。もちろん政権や政治家たちも、この戦争事態を格好のナショナリズムと自衛隊肯定から自衛力としても武力行使の肯定へ、つまり9条改憲の正当化へと繋ごうとすることは目にみえている。

改憲反対という人達のなかで、どれだけの人達が自衛のための戦争もすべきではない、戦争という選択肢は侵略されようともとるべき手段ではない、ということを主張できているだろうか。

(3月6日追記) ユーリイ・シェリアジェンコは、Democracy Nowに何度か登場しています。

https://www.democracynow.org/2022/3/1/ukrainian_pacifist_movement_russia_missile_strike

https://www.democracynow.org/2022/2/16/yurii_sheliazhenko_russian_invasion_ukraine



投稿者
マイク・ルートヴィヒ、トゥルースアウト
発行
2022年3月5日

ロシアが2月24日にウクライナに侵攻して以来、キエフにあるユーリイ・シェリアジェンコYurii Sheliazhenkoさんの5階建ての家に毎日サイレンと爆発音が響いている。シェリアジェンコは「ウクライナ平和主義運動the Ukrainian Pacifist Movement」の事務局長であり、戦争状態にあるこの国で、孤立しながらも断固として平和を求める声を上げている。彼は、武器を持つことを拒否し、ロシア軍の進攻をかわすために隣人と一緒に火炎瓶を作ることを拒否し、「多くのヘイト」を経験してきた。そのロシア軍は、ウクライナ防衛を決意した民間人と戦闘員の厳しい抵抗に直面している。

シェリアジェンコは、ウクライナの活動家を支援するために米国の人々ができることについて電子メールで尋ねられたとき、「まず、平和への暴力的な手段はない、という真実を伝えることだ」と答えた。

キエフ近郊のどこかでは、「イリヤ」とその仲間たちがロシア軍に対抗して武器を取り、戦闘訓練をしている。暴力が激化しているため身元を隠さなければならないイリヤは、隣国の政治的抑圧から逃れ、ロシアの侵攻に抵抗することを決意した無政府主義者である。ウクライナや世界中のアナキスト、民主社会主義者、反ファシストなどの左翼の仲間とともに、イリヤはウクライナ軍の下である程度の自治権をもって自主的な民兵のように活動する「領土防衛territorial defense」部隊のひとつに参加した。抵抗委員会と呼ばれるグループによれば、共済グループや文民的任務を持つボランティアの水平同盟からの支援を受け、反権力者たちは領土防衛機構の中に独自の「国際分遣隊」を持ち、物資のための資金を調達しているとのことである。

「敵が自分を攻撃しているとき、反戦平和主義の立場をとることは極めて困難です。というのも、自分自身を守る必要があるからです」と、イリヤはTruthoutのインタビューで語っている。

シェリアジェンコとイリヤの異なる道は、ウクライナの活動家や進歩的な社会運動が直面している困難でしばしば極めて限定的な選択肢を物語っている。注目すべきは、彼らの政治における暴力の役割に関する異なる見解が、両活動家に、互いに敵対するのではなく、むしろ補完し合うような積極的な闘争を行わせている点である。

イリヤと彼の同志たちは、彼が「明らかに多くの欠点と腐ったシステムをもっている」と言うウクライナ国家について、何の幻想も抱いていない。しかし、ウクライナ、ロシア、東ウクライナの親ロシア分離主義者は2014年以来、低レベルの戦争を行っており、他の多くの左派と同様に、プーチン流の残忍な権威主義を押し付けかねない「ロシア帝国主義の侵略」が現時点での最大の共通の脅威だとイリヤは考えている。ウクライナは民主主義が十分に機能しているとは言えないが、反権威主義の活動家たちは、ロシアの介入とそれに伴う信じられないほど抑圧的な政治状況によって、この国の問題が解決されることはないと語っている。ロシアでは現在、デモ隊が警察の残忍な弾圧に逆らい、長い実刑判決の危険を冒して戦争に抗議している。

「ロシアでは広範な反戦運動が起こっており、私はそれを断固として歓迎します。しかし、私が推測する限り、ここではほとんどの進歩的、社会的、左翼的、自由主義的な運動は、現在ロシアの侵略に反対しており、それは必ずしもウクライナ国家と連帯することを意味していません」とイリヤは言った。

シェリアジェンコは、これまでに何百、何千もの民間人の命を奪った致命的な戦争について、双方の右翼バショナリストを非難している。シェリアジェンコと仲間の平和活動家は、街頭でネオナチに襲われる前に、ウクライナの極右ウェブサイトによって、ロシアに支援された分離主義者との戦争に反対する裏切り者として個人情報をネットに晒されたり「ブラックリスト」入りされたりした。しかし、ウクライナで親ロシア派大統領を退陣させた2014年のマイダン蜂起以降、ファシスト集団や極右ウルトラナショナリストが台頭したことは、プーチンが主張するような流血のロシア侵攻の言い訳にはならないとしている。

「現在の危機には、すべての陣営で不品行が行われてきた長い歴史があり、「我々天使は好き勝手できる」、「彼ら悪魔はその醜さに苦しむべきだ」といった態度をさらに取れば、核の終末も例外とはならないさらなるエスカレーションにつながります。真実は双方の沈静化と平和交渉の助けとなるべきです。とシェリアジェンコは述べてる。

多くの民間人がウクライナ軍に志願しているが、戦争が2週目に入ると、ロシア軍と戦う以外にも活動家にはやることがたくさんある。イリヤによると、「市民ボランティア」は暴力から逃れる家族を助け、世界中のメディア関係者に語りかけ、レジスタンス戦士の家族を支援し、寄付や物資を集め、前線から戻った人たちをケアしているという。労働組合は現在、資源を整理し、戦争で荒廃した東ウクライナから西側やポーランドなどの近隣諸国に逃れる難民を支援している。

ボランティアには様々な政治的背景があるが、イリヤのようなアナキストにとって、抵抗活動に参加することは、現在および戦後の政治や社会発展に影響を与える急進派の力を高めるための手段である。相互扶助と自律的な抵抗を行う草の根の「自己組織」もまた、生き残りの手段としてあちこちで生まれている。

「はっきりさせておくと、私たちの部隊の全員がアナキストを自認しているわけではありません。それよりも重要なのは、多くの人々が自発的に組織して、互いに助け合い、近所や町や村を守り、占領軍に火炎瓶で立ち向かうことです」とイリヤは言う。

一方、シェリアジェンコと散在する平和活動家たちは、非暴力による市民的不服従を含む戦術で、強制的な徴兵制に反対し続けている。シェリアジェンコによると、18歳から60歳までの男性は「移動の自由を禁じられ」、軍関係者の許可がなければホテルの部屋を借りることさえできないという。

シェリアジェンコは、官僚的なお役所仕事と兵役以外の選択肢への差別があり、宗教家でさえ良心的兵役拒否を妨害していると述べた。米国の活動家は、人種、性別、年齢に関係なく、すべての民間人を紛争地域から避難させるよう呼びかけ、紛争をエスカレートさせるような武器をウクライナに持ち込まない援助団体に寄付をすべきだと、彼女は付け加えた。米国主導のNATO連合はすでに軍に多くの武器を供給しており、ウクライナのNATO加盟の可能性が戦争の大きな口実となった。

「平和文化の未発達、創造的な市民や責任ある有権者よりもむしろ従順な徴兵を養成する軍国主義教育は、ウクライナ、ロシア、ポストソビエトのすべての国に共通する問題です」「平和文化の発展と市民としての平和教育への投資なくして、真の平和は達成されないだろう」ととシェリアジェンコは語った。

出典:https://truthout.org/articles/war-is-forcing-ukrainian-leftists-to-make-difficult-decisions-about-violence