都民ファーストの検査強制条例は、集会参加者監視条例だ

投稿日: カテゴリー: 未分類

都民ファーストのCOVID-19検査を拒否すると罰金、という条例案がニュースになっていますが、この条例案はいくつも問題があります。

条例案東京都新型コロナウイルス感染症対策強化に関する特別措置条例(案)https://drive.google.com/file/d/1rvxv7ToxZsNIxU6Ym3VX0HfLoDMmHzXM/view

8条2項は以下のようになっています。

「新型コロナウイルス感染症の陽性者が利用した施設を管理する者又は当該施設を使して催物を開催する者(以下「施設管理者等」という。) 及び公共交通事業者等(地域公共交通の活性化及び再生に関する法律(平成十九年法律第五十九号)第二条第二項に規定する公共交通事業者等をいう。)は、新型コロナウイルス感染症を他の人に感染させることを防止するため、保健所から要請があったときは、その施設管理者等及び公共交通事業者等の雇用者その他のその業務に従事した者に対して PCR 検査等に協力するよう促すとともに、新型コロナウイルス感染症の感染可能期間に当該陽性者から感染したおそれのある者及び感染が起きたおそれのある場所を報告する等、感染症法第十五条の調査に協力しなければならない。」

とくに問題なのは、私たちが集会場を借りた場合、公共であれ民間であれ、上記の条文では「施設を使用して催物を開催する者」となり、保健所から要請があればPDR検査だけでなく当該陽性者から感染したおそれのある者の報告をすることが義務付けられます。つまり、集会参加者の名簿を提出することが義務づけられる、ということになります。このことは、運動団体が管理する会議室にも適用されるので、こうした条例に違反して参加者の名簿を作成していないとか、提出しないなどを口実とした弾圧もありえると思います。

このような措置は必要ないと思う。たとえば、当該集会で感染者がでた場合、感染者が集会主催者に報告して、主催者がそれぞれの方法で集会参加者に注意喚起し、PCR検査や自主隔離など必要な判断をとればいいだけで、行政に報告する必要はないでしょう。集会参加者の個人情報を主催者が取得していなくても注意喚起の方法はいくらでもあるはず。

保健所に提出された個人情報がどのように扱われるのかは不明です。とくに警察が保健所のデータへのアクセスを求めていることも報じられており、将来的にルールが変更されて警察などとのデータ共有がなされる危険性はあります。また、集会の趣旨によっては、政府などの様々な部署が、Covid-19とは無関係に集会参加者に関心をもってアクセスをしようという動機をもつこともありえます。このような方法をとらなければ感染拡大が阻止できないならいざしらず、私たちの相互の連帯で集会参加者の健康を防衛することをきちんと追求することで対処できると思うので、この点の議論が必要と思います。

また

(サーベイランス)第五条 知事は、東京都の区域内において、新型コロナウイルス感染症の発生状況に関する調査その他新型コロナウイルス感染症対策に必要な調査を行い、調査によって得られた情報について、特に多くの陽性者が確認されている地域、多数の者が利用する施設又は当該施設を使用して開催される催物等における陽性者の発生状況及びその原因等の分析を行い、特別措置法第二十四条に基づく措置その他の新型コロナウイルス感染症のまん延を防止する措置を講じなければならない。

という条文は、現代のサーベイランスがビッグデータの収集とAIによる解析という技術による点を十分認識して読まれるべきだと思います。従来の紙ベースやしょぼいExcelの表計算とかのレベルでは全然ないことを踏まえておく必要があると思います。

そもそも、政府とかと関係なく私たちの自立した感染症判断と医療へのアクセスの回路が断たれて、何がなんでも政府や行政に依存させようという仕組みじたいがおかしいと思う。こうした監視の体制は、パンデミックが収束しても必ず生き残りますから、結果としては私たちの権利が奪われることになる。

(いくつかのメーリングリストに投稿したものを転載しました)

日本学術会議は擁護すべき組織ではない、と思う。社会的不平等のなかでの自由は欺瞞である。

投稿日: カテゴリー: 文化未分類表現の自由、検閲批判

日本学術会議の会員選考で菅が任命拒否したことから、安倍政権に反対してきた市民運動や野党が105名全員の選任を求めて抗議運動が起こっている。菅が任命拒否の理由を言わず、その不透明さから、学問の自由を守れという主張もともなって、いつのまにかに日本学術会議が学問の自由の砦であるかのような間違った印象をもつ人たちが増えたと思う。以下に書くことは珍しく私の経験を踏まえた話になる。

学術会議による大学教育の品質保証制度づくり

私が日本学術会議を意識したのは、2008年に文科省高等教育局が学術会議に対して大学教育の分野別質保証の在り方について審議依頼し、学術会議はこれを受けてたぶん10年以上かけて質保証なるものを審議してきた頃だ。学術会議は大学教育の分野別質保証委員会を設置して、大学教育の科目別に教育の質を確保するためにどのような教育を行うべきかという「基準」作りを開始した。大学の教育もモノ同様、品質管理の対象になったわけだ。

その後、各分野ごとに「大学教育の分野別質保証のための 教育課程編成上の参照基準」なるものが作成される。私は経済学の教育に携わってきたから経済学の教育課程編成上の参照基準に注目せざるをえないかったが、この参照基準を読んで、絶望的な気分になったことを今でもよく覚えている。この参照基準に書かれている経済学の定義から教育内容まで、私が基本的に考えてきたことと一致するところはほぼない。私はかなり異質な「経済学」の教育者だったという自覚があるので、特殊私個人がこの参照基準から逸脱しているというのならまだしも、この参照基準は経済学の重要ないくつかの流れを排除していることは経済学の事情をある程度理解できている者にははっきりわかる。つまりマルスク経済学や諸々の批判的経済学の基本的な経済に対するスタンスはほぼ排除されている。この排除は偶然ではない。意図的に排除したと思う。なぜなら、経済学分野の専門家が文科省の意向を汲んで作成した基準だから、学説の動向を知らないことは絶対にありえないからだ。つまり、確信犯として資本主義に批判的なスタンスの学説を排除したというのが私の判断だった。学術会議とはこうしたことをやる組織なのだという確信をもった。

学術会議の参照基準は学問の自由を奪った―経済学の場合

参照基準がいかに間違っているか、ひとつだけ例を示す。参照基準の冒頭で経済学の定義が以下のように書かれている。

「経済学は、社会における経済活動の在り方を研究する学問であり、人々の幸福の達成に必要な物資(モノ)や労働(サービス)の利用及びその権利の配分における個人や社会の活動を分析するとともに、幸福の意味やそれを実現するための制度的仕組みを検討し、望ましい政策的対応の在り方を考える学問領域である。」

私は「物資(モノ)」とは書かない。商品と書く。「労働(サービス)」とも書かない。労働力あるいは<労働力>と書く。幸福実現の制度的枠組みなどということは、批判的な言及はしても、これを肯定的な課題とはしない。政策的対応も論じない。政治家ではないからだ。論じるとすれば政策対応なるものへの批判は論じるだろう。わたしたがネガティブなのは資本主義の経済システムでは幸福は実現できないという確信があり、政策対応で問題が片付くような問題が資本主義の経済の問題なのではない、からだ。上のような定義では学問なのか霞が関の官僚の仕事なのかさっぱりわからない。このような教育をわたしはしてきたことはないし、するつもりもない。

物資なのか商品なのか、労働なのか<労働力>なのか、これは単なる言葉の言い換えの問題ではなく、定義が異なるのだ。「物資」と「商品」は同じではない。労働と労働力も同じではなく、更に労働力と<労働力>も異なる概念だ。概念の違いは、社会認識の違いだけでなく、理論の内容の違いをもたらす。「物資」は市場経済(商品経済)という特殊な経済システムのなかでのみ商品という社会的性格を帯びる。商品も「物資」も見た目は同じだが、社会制度の前提が異なることによって、機能・性質が異なるのだ。この違いが非常に重要だ。というのは「物資」の価値と商品の価値は、同じ「価値」という言葉を使っても内容が異なることになるからだが、この本質的に重要な観点を、参照基準の定義はすべて無視した。物資と商品、この二つを同じものとみなすことは、市場経済とそれ以外の「物資」を商品としない経済との間の差異を無視するだけでなく、市場経済を唯一の経済、つまり人類はそこから逃れることのできない経済とみなす最初の一歩になる。資本主義を肯定するというイデオロギーに無自覚な経済学の主流の価値観をこの参照基準の定義はあからさまに示している。

労働と労働力の概念の違いについてはどうか。この二つの違いは、資本の利潤の根拠を説明する場合の基本をなすというのがマルクスの経済学批判としての経済学が主張した考え方だ。この考え方を否定する学派は、労働力と労働を区別しない。(なお<労働力>という括弧付きの労働力は、私のオリジナルなので、この概念を今あれこれ説明しない) 支配的経済学は、この二つの混同をそのままにすることによって、資本の利潤の根拠を企業家の努力とか市場価格の変動とか、いずれにせよ人々が資本の支配下で労働するという問題と切り離す理論を構築してきた。これが生存を二の次にする資本主義を正当化する経済学のスタンスであって、このスタンスを鵜呑みにするメディアが感染対策か経済か、という二者択一を当然のようにして持ち出すことを正当化してしまったのだ。批判的な経済学は、生存を犠牲にする経済をきちんと批判する観点を出すことが可能なのに、こうした経済などはそもそも想定外ということになる。

人々の幸福の達成が経済学の重要な意義であるという観点は、市場経済が人々の幸福を実現できるという前提を置いた議論だが、「幸福」が経済の目的になっているのが現代の市場経済、つまり資本主義なんだろうか。私は、資本主義経済(参照基準では、この歴史的なシステムとしての資本主義という用語ですらたった2回だけ、おずおずと仕方なしに用いているにすぎない)の基本を資本による最大限利潤を追求することに動機づけられたシステムとして位置付け、資本主義的な幸福を市場経済の商品と貨幣の物神性=イデオロギー作用とみなすので、幸福を真に受ける「定義」はとうてい受け入れがたい。つまり社会運動の活動家にとっては常識になっている利潤ありきの資本主義は経済学では幸福実現となるわけだ。

参照基準への異論は、様々な学会から出された。経済理論学会のサイトにあるだけでも12の学会が意見書や要望書を出し、シンポジウムも開催された。私はそもそも学会に所属していないので、こうした動きの外野にしかいなかったが、はっきりと自覚したことは、この参照基準が将来大学の教育カリキュラムを縛るある種の「学習指導要領」のような効果を発揮する危険性がありうるのではないか、ということと、大学の人事もまたこの参照基準を念頭に置くことになりかねず、多様で広範な研究分野や学説が排除される方向で作用するだろう、ということは現場で人事を担当することもあった身としては切実に実感した。経済学の参照基準に比べて歴史学の参照基準は相対的に「マシ」であるが、それでもひどい代物だと思う。日本史には近現代史がすっぽり抜けているから、植民地支配や戦争責任、「慰安婦」問題や強制連行などの歴史修正主義者たちとの争点になっている重要なテーマは何ひとつ言及されていない。これで「マシ」な方だと言わざるをえないわけだが、菅政権はそれですら満足していないということのメッセージが今回の任命拒否の「意味」だと思う。

身分制度と差別選別の教育・研究システムのどこにも自由はない

学術会議の任命拒否は、参照基準のような作業の先にある学術会議を利用した教育と研究への管理強化だろう。学習指導要領のようなものを文科省はトップダウンで作成するのではなく、国の組織でもある学術会議を使って作らせようというねらいがあことはほぼ間違いないと思う。

本来多様な教育をひとつの物差しで枠に嵌めようという参照基準=大学の学習指導要領は、結果として、大学や研究の自由を奪うことになると思う。そもそも参照基準など不要である。これを必要としているのは、教育の標準化によって管理しやすい研究教育環境を作りたいという文科省の利権だけであり、なぜ学術会議はこうしたすべきではない作業を引き受けたかというと、学術会議が法で定められた国の機関だからだ。学術会議はこうした大学の教育と研究の砦なのではなく、文科省の指示によって大学の画一的な教育管理の手先になっている、というのが私の学術会議理解だ。少なくとも学問研究の自由のために、このような組織は不要だ。学術会議は今回のこの騒動をきっかけに。将来必ずやより一層教育の統制のための組織となることは間違いなく、それは菅が任命拒否したからそうなったのではなく、参照基準を作成するなどという言語道断なことをやった今世紀に入って以降(少くとも私が経験した範囲では)そうなのだ。

たとえば「原子力総合シンポジウム」、これでも学術会議は擁護すべき?

学術会議は反動的な組織なのでもなければ左翼の手先でもないが、しかし、全体としていえば、政府の学術研究動向を反映しており、それは分野によってはかなりはっきりしている。一つだけ例を挙げる。たとえば原子力関連の学術研究では、この9月に公開シンポジウム「原子力総合シンポジウム2020」 を開催してた。その内容を報じた原子力産業新聞の記事 を読めば一目瞭然だが、原発推進派の学会と学術会議がタイアップを組んで温暖化と持続可能な社会を看板にして原発推進の陣形を構築しようとする学会の姿がよくわかる。反原発運動のなかでも学術会議任命問題で任命しろという主張があるようだが、果してそれでいいのか、と思う。むしろ 原子力関連学会がいまだに原子力を否定できていないこと、そして平和利用を口実に原発肯定だけでなく、原発否定の世論に関して「子供の頃から広島原爆の写真を見て、理屈なしに視覚情報で出てくるイメージが不安を巻き起こしていると思う」(前掲、原子力産業新聞記事)などという発言を平気でするような学者まで登場する。反原発運動にとっても学術会議はむしろ運動に敵対する存在でしかないのではないか、と思う。

平等のない教育・学術の世界に自由はない

学術会議のなかには、このように、学会や学術研究が国策と産業界の利権を媒介する有力な「装置」となっている側面があり、そうであるなら、今回の任命105名について、市民運動や社会運動の立場からみて本当に105名がふさわしいのかという評価があってもいいはずだが、なぜか、こうしたことには踏みこまない。学問研究の世界に市民が口出しせずに、専門家信仰が強くなっていることの表れではないか。市民運動の勉強会が相互の学びあいよりも、学者や研究者、弁護士などの専門家を呼んで勉強すという悪弊がはびこっているとはいえないだろうか。

学問の自由は制度に支えられてしか実現できない。だから制度が自由を保証するだけの実質を備えているかどうかが重要な要件になる。そもそも学術の世界がその基盤にしている資本主義の教育システムは、教育研究の自由とは何の関係もない差別と選別の制度だということを、市民運動や労働運動はかたときも忘れてはならないと思う。

教育の制度のなかで、成績評価を点数でつけることは当たり前であり、試験制度で選別することも当たり前、教員が絶大な権力をもって数値で生徒、学生を評価し、序列をつける。この選別と差別を前提に、労働市場に<労働力>として学生たちが投入される。学歴社会の再生産の構造だ。高等教育はこの差別と選別の制度の頂点にあって、さらに大学は助教、准教授、教授という身分制度を研究者としての業績などで正当化する仕組みになっている。公害を告発した宇井純や京大原子炉実験所の反原発4人組の人たちは優れた業績にもかかわらず助手(助教)のままだったように、プロモートと研究へのスタンスや問題意識は切り離すことのできない権力構造のなかにある。こうした身分制度は、研究費や研究環境にも影響する。日本の研究環境にとって科学研究費はその最大のアメとムチになっているが、研究費を有利に獲得しようと思えば国の政策の動向を無視できないという分野は自然系だけでなく人文社会系でもある傾向だろう。そして理系をはじめ多くの分野では、教員の任期制が導入されることによって、更に研究が国や企業から大学の方針によって左右しやすくなっている。深刻なのは、常勤の研究者・教員にはカウントされない非常勤の教員が膨大な数存在して大学の教育を支えていることだ。優れた研究をしながら、その分野や研究のスタンスによってポストを得ることがむずかしいところにいる人を何人も知っている。非常に狭い雇用の枠をめぐって競争を強いられるが、身分制度と学閥や人脈の構造が存在する以上、採用の基準が客観性をもつことは難しいから、志を曲げて研究分野を変更することもありうる。学閥や人脈といった旧態依然とした人間関係に依存した環境があるだけでなく、研究分野によって、あきらかな差別があると思う。これで学問の自由などありえるはずがない。

私も大学で仕事をしてきたので、自己批判なしには書けないことだが、私は試験の評価をせざるをえないことを30年間ずっと違和感をもつことしかできなかったが、だからといってこうした制度と正面から対決することもしてこなかった。入試で1点、2点の差で不合格になる受験生の存在がいることに辛い気持ちを感じても、この制度を問うこともしてこなかった。しかしこうした制度は明かに学問や研究の自由、つまり、自分が学びたい環境へのアクセスの権利を阻んでいるし、学ぶことや研究することについての学ぶ者自身による自己判断や、教える者との相互の平等な関係を一貫して阻害している。点数や単位といった数字のために教員は働くべきではないにもかかわらず、この数値が教育を支配するという転倒した構造が生まれている。学ぶことにとって本来であれば、試験も学位も不要であり、身分制度も不要だ。教える者と教えられる者という関係も常に入れ替え可能な平等な関係のかなでしか自由は存在しない。

学術会議問題とは、任命の是非の問題ではなく、学術会議に体現されているような学問の自由を看板に掲げた教育と研究の構造的な差別と選別、イデオロギーの構造を想起するきっかけにすべき問題なのだ。

学術会議の任命拒否問題で菅に反対するかつての68年世代と出会うことがよくある。そうした世代の人たちにぜひ思い出してほしい。あの時代、大学は解体の対象だったのではないか?大学解体は間違ったスローガンだっかのだろうか?大学に残った私のような(その意味では転向した者というしかないのだが)者ではない道を歩んだあの世代の市民たちが、あの時代に問われた大学と教育が何だったのかをもう一度思い出して欲しいと思う。社会的平等のないところに自由はない。社会的不平等のなかでの自由は欺瞞だということを。

侵略的で秘密裏に労働者を追跡する「ボスウェア」の内幕

投稿日: カテゴリー: コロナウィルス監視社会

以下の文章は、米国の電子フロンティア財団のブログ記事の飜訳です。(反監視情報から転載)

(訳者まえがき) オンラインでの労働に従事する労働者が増えており、企業による労働者監視が職場(工場やオフィス)からプライベート空間にまで野放図に拡がりをみせている。そして労務管理のための様々なツールがIT企業から売り出されており活況を呈している。日本語で読める記事も多くあり、たとえば「テレワーク 監視」などのキーワードで検索してみると、在宅勤務監視の行き過ぎへの危惧を指摘する記事がいくつかヒットする。(検索はlGoogleを使わないように。DuckDuckGoとかで)

しかし、もうすでに日常になってしまい忘れられているのは、オフィスや工場以外で働く労働者への監視はずいぶん前から機械化されてきていたということだ。営業や配送の労働者はGPSや携帯で監視され、店舗で働く労働者は監視カメラで監視されてきた。こうしたシステムがプライベートな空間に一挙に拡大するきっかけをCOVID-19がつくってしまった。

下記のブログではいったいどの程度の監視が可能になっているのかを具体的な製品に言及しながら述べている。あるていどITの技術を知っている人にとっては想定内だろうが、あまり詳しくない人たちにとってはまさにSFのような世界かもしれない。プライベートな空間であってももはやプライバシーはないに等しいだけのことが可能になっている。失業率が高くなるなかで、こうした監視に抗うことも難しくなっているが、この記事の最後で著者たちは、プライバシーの権利など労働者の基本的な権利を放棄して仕事を維持するのか、さもなくば権利をとるか、という選択は選択の名に値しないと述べている。そのとおりだ。しかし、今世界的な規模でおきているのは、まさに場所と時間の制約もなく資本が労働者を常時監視して支配下の置くことができるだけの技術を握ってしまったということだ。こうした状況では、伝統的な労働運動の枠組では対抗できないだろう。運動の側が労働運動、消費者運動、学生運動、農民運動、環境運動、女性解放運動、マイノリティの権利運動などの分業を超えて、あらゆる属性にある人々を統合的に監視して資本に従属させる(従属や強制の自覚を奪いつつ)構造と対峙できる新しい運動のパラダイムが必要になっていると思う。(小倉利丸)


侵略的で秘密裏に労働者を追跡する「ボスウェア」の内幕

ベンネット・サイファーズ、カレン・グルロ 2020年6月30日

COVID-19は何百万人もの人々に在宅で仕事をさせているが、労働者を追跡するためのソフトウェアを提供する企業が、全国の雇用者に自社製品を売り込むために急増している。

サービスは比較的無害に聞こえることが多い。一部のベンダーは「自動時間追跡」や「職場分析」ソフトウェアと名乗っている。また、データ侵害や知的財産権の盗難を懸念する企業に向けて売り込んでいる業者もある。これらのツールを総称して「ボスウェア」と呼ぶことにしよう。ボスウェアは雇用主を支援することを目的としているが、クリックやキーストロークをすべて記録したり、訴訟のために密かに情報を収集したり、従業員を管理するために必要かつ適切な範囲をはるかに超えたスパイ機能を使用したりすることで、労働者のプライバシーやセキュリティを危険にさらす。

これは許されることではない。家庭がオフィスになっても、家庭であることに変わりはない。労働者は、仕事のために、不用意な監視の対象になったり、自宅で精査されることにプレッシャーを感じたりしてならない。

どうすべきか?

ボスウェアは通常、コンピュータやスマートフォンにとどまり、そのデバイス上で起こるすべてのデータにアクセスする権限を持つ。ほとんどのボスウェアは、多かれ少なかれ、ユーザーの行動をすべて収集する。私たちは、これらのツールがどのように機能するのかを知るために、マーケティング資料、デモンストレーション、カスタマーレビューを調べた。個々のモニタリングの種類が多すぎてここでは紹介しきれないが、これらの製品の監視方法を一般的なカテゴリに分解してみる。

最も広く、最も一般的なタイプの監視は、”アクティビティ監視 “だ。これには通常、労働者がどのアプリケーションやウェブサイトを使用しているかのログが含まれる。これには、誰に件名やその他のメタデータを含めてメッセージを送ったかや、ソーシャルメディアへの投稿が含まれている場合もある。ほとんどのボスウェアはキーボードやマウスからの入力レベルも記録する。例えば、多くのツールでは、ユーザーがどれだけタイプしてどれだけクリックしたかを分単位で表示し、それを生産性の代理として使用する。生産性モニタリングソフトウェアは、これらのデータをすべてシンプルなチャートやグラフに集約して、管理者に労働者が何をしているかを高レベルで把握させることを試みる。

私たちが調べたどの製品も、各労働者のデバイスのスクリーンショットを頻繁に撮影する機能を備えており、中にはスクリーンのライブ映像を直接提供しているものもある。この生の画像データは多くの場合、タイムラインに配列されているため、上司は労働者の一日をさかのぼって、任意の時点で何をしていたかを確認することができる。いくつかの製品はキーロガーとしても機能し、未送信の電子メールやプライベートパスワードを含む、労働者が行ったすべてのキーストロークを記録する。中には、管理者がユーザーのデスクトップを遠隔操作できるものもある。これらの製品は通常、仕事に関連した活動と個人アカウントの資格情報、銀行データあるいは医療情報を区別しない。

ボスウェアの中には、さらに進んで、従業員のデバイス周辺の物理的な世界にまで到達するものもある。モバイルデバイス用のソフトウェアを提供している企業は、ほとんどの場合、GPSデータを使用した位置追跡機能を搭載している。StaffCop EnterpriseとCleverControlの少なくとも2つのサービスでは、雇用主が従業員のデバイス上でWebカメラやマイクをこっそり起動させることができる。

ボスウェアを導入する方法は大きく分けて 2 つある。労働者から見えるアプリとして(そしておそらくは労働者がコントロールできるアプリとして)導入する方法と、労働者からは見えない秘密のバックグラウンドプロセスとして導入する方法の 2 つだ。私たちが調査したほとんどの企業では、どちらの方法でも雇用主がソフトウェアをインストールできるようになっている。

目に見えるモニタリング

時には、労働者は自分を監視しているソフトウェアを見ることができる。彼らはしばしば 「クロッキングイン (出勤)」と 「クロッキングアウト(退勤) 」としてフレーム化された監視をオンまたはオフにするオプションを持つ可能性がある。もちろん、労働者が監視をオフにしたという事実は雇用者にも見える。例えば、Time Doctorでは、労働者は作業セッションから特定のスクリーンショットを削除するオプションを与えられるかもしれない。しかし、スクリーンショットを削除すると、関連する作業時間も削除されるため、労働者は監視されている間の時間だけが評価される。

労働者は、自分について収集された情報の一部または全部へのアクセス権を与えられる可能性がある。WorkSmartを開発したCrossover社は、その製品をコンピュータ作業用のフィットネス・トラッカーに例えている。そのインターフェイスでは、労働者は自分の活動に関してシステムが導いた結論をグラフやチャートの配列で見ることができる。

ボスウェア会社によって、労働者に透明性を提供するレベルが異なる。中には、上司が持っている情報のすべて、あるいは大部分にアクセスできるようにしている会社もある。また、Teramindのように、スイッチを入れてデータを収集していることを示しながらも、収集しているすべての情報を明らかにしない企業もある。どちらの場合も、雇用主への具体的な要求やソフトウェア自体の精査がなければ、正確にはどのようなデータが収集されているのかが不明瞭になることがしばしば起きる。

見えないモニタリング

目に見える監視ソフトウェアを開発している企業の大半は、監視している人から身を隠そうとする製品も製造している。Teramind、Time Doctor、StaffCopなどは、可能な限り検出と削除を困難にするように設計されたボスウェアを作っている。技術的なレベルでは、これらの製品はストーカーウェアと区別がつかない。実際、一部の企業では、従業員のウイルス対策ソフトが監視ソフトの活動を検出してブロックしないように、製品をインストールする前にウイルス対策ソフトを特別に設定するように雇用主に要求している

(キャプション)TimeDoctorのサインアップの流れからのスクリーンショットで、雇用主は目に見える監視と目に見えない監視を選択できる。

この種のソフトウェアは、労働者の監視という特定の目的のために販売されている。しかし、これらの製品のほとんどは、実際には単なる汎用的な監視ツールである。StaffCopは家庭での子供のインターネット使用を監視するために特別に設計された製品のバージョンを提供しており、ActivTrakのソフトウェアは子供の活動を監視するために親や学校関係者が使用することもできると述べている。いくつかのソフトウェアのカスタマーレビューは、多くの顧客が実際にオフィスの外でこれらのツールを使用していることを示している。

目に見えないモニタリングを提供するほとんどの企業は、雇用主が所有するデバイスにのみ使用することを推奨している。しかし、多くの企業は、リモートや「サイレント」インストールのような機能も提供しており、従業員のデバイスがオフィスの外にある間に、従業員の知らないうちに監視ソフトウェアを従業員のコンピュータにロードすることができる。これは、多くの雇用主は、彼らが配布するコンピュータの管理者権限を持っているために行なえることである。しかし、一部の労働者にとっては、使用している会社のラップトップが唯一のコンピュータであるため、会社の監視が仕事以外の行動についても常に存在することになる。雇用主、学校関係者、親密なパートナーがこのソフトウェアを悪用する可能性は大いにある。そして被害者は、自分がそのような監視の対象になっていることを知らないかもしれない。

下の表は、一部のボスウェアベンダーが提供している監視・制御機能を示している。これは包括的なリストではなく、業界全体を代表するものではないかもしない。業界ガイドで紹介されている企業や、検索結果から情報を公開しているマーケティング資料を持っている企業に注目した。

表. ボスウェア製品の一般的な監視機能

行動モニター
(apps, websites)
スクリーンショット
スクリーン録画
キーロッギング カメラ、マイクをONに 労働者から秘匿
ActivTrak(*1) 確認 確認 確認
CleverControl 確認 確認 確認 確認(1,2) 確認
DeskTime 確認 確認 確認
Hubstaff 確認 確認
Interguard 確認 確認 確認 確認
StaffCop 確認 確認 確認 確認(1,2) 確認
Teramind(*2) 確認 確認 確認 確認
TimeDoctor 確認 確認 確認
Work Examiner 確認 確認 確認 確認
WorkPuls 確認 確認 確認 確認
各社のマーケティング資料をもとに、いくつかの労働者モニタリング製品の特徴を紹介。調査した10社のうち9社が、労働者が知らなくてもデータを収集できる「サイレント」または「インビジブル」なモニタリングソフトを提供していた。

*1 日本の代理店あり。 https://www.syscomusa.com/08-17-2020/6932/

*2 日本の販売代理店あり。https://www.jtc-i.co.jp/product/teramind/teramind.html


ボスウェアの普及率は?

労働者監視ビジネスは新しいものではなく、世界的なパンデミックが発生する前にすでにかなりの規模になっていた。ボスウェアがどの程度普及しているかを評価するのは難しいが、COVID-19の影響で労働者が在宅勤務を余儀なくされていることから、はるかに普及していることは間違いない。InterGuardを所有するAwareness Technologiesは、発生からわずか数週間で顧客ベースで300%以上増加したと主張している。私たちが調査したベンダーの多くは、企業への売り込みでCOVID-19を悪用している。

世界の大企業の中にも、ボスウェアを利用しているところがある。Hubstaffの顧客には、Instacart、Groupon、Ringなどがいる。Time Doctorは83,000人のユーザーを抱えており、その顧客にはAllstate、Ericsson、Verizon、Re/Maxなどが含まれる。ActivTrakは、アリゾナ州立大学、エモリー大学、デンバーとマリブの都市を含む6,500以上の組織で使用されている。StaffCopやTeramindのような企業は、顧客に関する情報を開示していないが、ヘルスケア、銀行、ファッション、製造業、コールセンターなどの業界の顧客にサービスを提供していると主張している。モニタリング・ソフトウェアのカスタマー・レビューには、これらのツールがどのように使用されているかのより多くの例が記載されています。

はっきりさせておこう:このソフトウェアは、雇用主が労働者の個人的なメッセージを、労働者の知識や同意なしに読むことができるように特別に設計されている。どんな手段を使っても、これは不必要で非倫理的だ。

雇用主自身がこのことを宣伝する傾向がないため、どれだけの組織が目に見えないモニタリングの使用を選択しているのかはわからない。さらに、目に見えないソフトウェアの多くは明かに検出を回避するように設計されているため、労働者自身が知ることができる信頼できる方法がない。労働者の中には、特定の種類の監視を許可する契約を結んでいる者もいれば、ある種類の監視を防ぐ契約を結んでいる者もいる。しかし、多くの労働者にとっては、自分が監視されているかどうかを知ることは不可能と思われる。監視の可能性を懸念する労働者は、雇用主が提供するデバイスが自分を追跡していると考えるのが最も安全かもしれない

データは何に使われるのか?

ボスウェアのベンダーは、さまざまな用途で製品を販売している。最も一般的なものとしては、時間の追跡、生産性の追跡、データ保護法への準拠、知的財産窃盗防止などがある。例えば、機密データを扱う企業では、会社のコンピュータからデータが漏洩したり盗まれたりしないよう法的義務が課せられている。オフサイトの労働者にとっては、一定レベルのオンデバイス監視が必要になるかもしれない。しかし、雇用主は、そのようなセキュリティ目的の監視が必要であり、適切であり、解決しようとしている問題に特化したものであることを示すことができない限り、そのような監視を行うべきではあない。

残念ながら、多くの使用事例では、雇用者が労働者に対して過度の権力を行使していることが明らかになっている。おそらく私たちが調査した製品の中で最も大きなクラスの製品は、「生産性モニタリング」や時間の追跡機能を強化するために設計されたものである。一部の企業では、これらのツールを管理者と労働者の両方に恩恵をもたらす可能性があるとしている。労働者の一日の一秒一秒の情報を収集することは、上司にとって良いだけでなく、労働者にとっても有益であると彼らは主張する。Work ExaminerやStaffCopのような他のベンダーは、スタッフを信頼しない管理者に直接販売している。これらの企業はしばしば、自社製品から導き出された業績評価基準にレイオフやボーナスを結びつけることを推奨している。

マーケティング資料は、Work Examinerのホームページ(https://www.workexaminer.com/)から引用した。

一部の企業は、懲罰的なツールとして、または潜在的な労働裁判の証拠収集方法として製品を販売している。InterGuardは、そのソフトウェアを「ひそかにリモートでインストールできるので、不正行為の疑いのある者に警告を与えることなく、秘密裏に調査を行い、証拠を収集することができます」と宣伝している。この証拠は、「不当解雇訴訟 」と闘うために使用することができる。言い換えれば、InterGuardは、不当な扱いに対する労働者の法的手段を排除するために、天文学的な量の非公開で秘密裏に収集された情報を使用者に提供することができるということだ。

これらの使用例のどれも、上で説明したような問題にあてはまらない使用例であっても、ボスウェアが通常収集する情報量を正当化するものではない。また、監視が行われている事実を隠すことを正当化するものは何もない。

ほとんどの製品は定期的にスクリーンショットを撮影しているが、どのスクリーンショットを共有とするかを従業員が選択できる製品はほとんどない。つまり、医療、銀行、その他の個人情報の機密性の高い情報が、仕事のEメールやソーシャルメディアのスクリーンショットと一緒にキャプチャされてしまう。キーロガーを含む製品はさらに侵略的であり、多くの場合、労働者の個人アカウントのパスワードをキャプチャすることになる。

Work Examinerのキーロガー機能の説明では、特にプライベートパスワードをキャプチャする機能を強調している。

Work Examinerのキーロギング機能についての説明では、特にプライベートパスワードをキャプチャする能力を強調している。

残念ながら、過剰な情報収集はしばしば偶然のことではなく、製品の機能そのものなのだ。Work Examinerは、その製品がプライベートパスワードをキャプチャする能力を具体的に宣伝している。別の会社Teramind社は、メールクライアントに入力されたすべての情報を(その情報が後に削除された場合もふくめて)報告する。また、いくつかの製品では、ソーシャルメディア上のプライベートメッセージから文字列を解析して、雇用主が労働者の個人的な会話の最も親密な詳細を知ることができるようにしている。

はっきりさせておこう:こうしたソフトウェアは、雇用主が労働者の知らないところや同意なしに、労働者のプライベートメッセージを読み取ることができるように特別に設計されている。どのような見方をしたとしても、これは不必要で非倫理的なものだ。

あなたにできることは何か?

現在の米国の法律では、雇用主が所有するデバイスに監視ソフトウェアをインストールする自由度が高すぎる。さらに、労働者が自分のデバイスにソフトウェアを強制的にインストールすることを防ぐことがほとんどできない(監視が勤務時間外には無効にされれうる限りは)。州によって、雇用者ができることとできないことについて異なるルールがある。しかし、労働者は、侵入的な監視ソフトウェアに対する法的手段を制限されてきた。

これは変えることができるし、変えなければならない。州や国の立法府が消費者データのプライバシーに関する法律を採用し続ける中で、雇用者に対する労働者の保護も確立しなければならない。その手始めとして

・雇用者が所有するデバイスであっても、労働者の監視は必要かつ適切であるべきである。
・ツールは、収集する情報を最小限に抑え、プライベートメッセージやパスワードなどの個人データを吸い上げないようにすべきである。
・労働者は、管理者が収集している内容を正確に知る権利を持つべきである。
・そして、労働者にはプライベートに行動する権利が必要であり、これにより、労働者はこれらの法定のプライバシー保護に違反した雇用者を訴えることができる。

一方で、自分が監視対象になっていることを知り、このことで安心できるためには、雇用主との話し合いを行う必要がある。ボスウェアを導入している企業は、その目的が何であるかを考え、より侵入しにくい方法でその目的を達成しようとしなければならない。ボスウェアは多くの場合、誤った種類の生産性を誘発する。例えば、本を読んだり考えたりするために一時仕事の手を休める代わりに、数分おきにマウスを動かしたりタイプしたりすることを強制する。継続的監視は、創造性を阻害し、信頼を失い、燃え尽き症候群の原因となる。雇用主がデータセキュリティに懸念を抱いている場合は、実際の脅威に特化し、プロセスに巻き込まれる個人データを最小限に抑えるツールを検討すべきである。

多くの労働者は気軽に発言できなかったり、雇用主が秘密裏に自分を監視しているのではないかと疑ったりすることがある。労働者が監視の範囲を自覚していない場合、ウェブ履歴からプライベートメッセージ、パスワードに至るまで、あらゆるものを業務用デバイスが収集している可能性があることを考慮する必要がある。可能であれば、個人的なことに業務用デバイスを使用することは避けるべきだ。また、労働者が個人用デバイスに監視ソフトウェアをインストールするように求められた場合、個人情報をより簡単に隔離できるように、業務専用とは別のデバイスを使用するように雇用主に求めることができるかもしれない。

最後に、労働者は、記録的な失業者数となっている時代に雇用を維持する懸念から、監視されていることを話したくないと思うかもしれない。侵襲的で過剰な監視か、さもなくば失業か、という選択は、文字通りの意味での選択とはいえない。

COVID-19は私たち全員に新たなストレスを与えており、私たちの働き方も根本的に変えてしまいそうだ。しかし、私たちはそれによって、より広範な監視の新時代を切り開いてはならない。私たちはこれまで以上にデバイスを通して生活している。そのため、私たちのデジタルライフを政府やテクノロジー企業、雇用主に対して公開しない権利を持つことが、これまで以上に重要になっている。

出典:https://www.eff.org/deeplinks/2020/06/inside-invasive-secretive-bossware-tracking-workers

付記:下訳にhttps://www.deepl.com/translatorを用いました。

イタリア、反ロックダウン抗議運動の複雑な事情

投稿日: カテゴリー: コロナウィルス民衆的自由の権利資本主義批判

イタリア、反ロックダウン抗議運動のなかの複雑な事情
2020年11月3日

イタリア当局は反ロックダウン抗議デモでの暴力を「周辺的的要素」だと非難してきたが、現場の現実は違っていた。

著者
サルヴァトーレ・プリンツィ

私が見たものに驚きはない。何度も何度も何度も言っていることだが、生活保護支援制度のない再度のロックダウンは時限爆弾のようなものだ。

—アルフォンソ・デ・ヴィート、ナポリ活動家
Dinamo Pressのためのサラ・ゲインズワースのインタビュー

ここ数週間、ナポリの人々は、コロナウイルス拡散を阻止するためにナポリ政府が提案した公衆衛生上の制限に抗議している。症例数が比較的少なかった夏の数ヶ月間の後、イタリアではCOVID-19が増加しており、政府は自治体と共に、カフェ、バー、映画館、ジムなどの商業施設を閉鎖し始めている。

過去の閉鎖では、収入の大きな損失を補うために、しばしばわずかな福祉給付金が支払われていたが、今は政府はほとんど何も提供していない。ナポリを州都とするカンパニア州のような貧しい地域では、これが多くの不満の原因となっている。観光に依存した地域経済に壊滅的な打撃を与えた夏の旅行の封鎖後、人々は金銭的な支援を要求するために立ち上がっている。

デモは、催涙ガスや激しい殴打などの暴力が飛びかい、デモ参加者が法執行機関と衝突する過激で反乱的な性格を帯びている。近年、イタリアをはじめとするヨーロッパの他の多くの大衆運動と同様に、デモのイデオロギー的構成は特異なものではなく、また識別しやすいものでもない。

ナポリを拠点とする組織者による以下のレポートは、10月23日の反ロックダウン暴動と抗議デモを分析したものである。この翻訳は、イタリア国外の読者や同志に状況を紹介するために、注釈を加えた。

—ジュリア・スバフィGiulia Sbaffi とアンドレアス・ペトロシアンツAndreas Petrossiants


ナポリの街からの報告
私は金曜日の夜にそこにいた。

まず最初に、ソーシャルメディア上でのコメントはいつも誤解されたり、文脈を外されたりするもので、ナポリの状況(社会的にも公衆衛生の観点からも)は本当に複雑で脆弱なものなので、コメントをしたくありませんでした。しかし、この街で何が起こったのか、そして何が起こり続けているのかについて、受け入れがたい誤ったコメントを読むにつけ、一般的ないくつかの質問に答えることで、何が起こったのかをどこにいる人にも理解できるようにしたいと思うようになりました。簡単そうですが、答えは実は非常に複雑です。

ここ数週間で何が起こったのですか?

ナポリでは、他の場所と同様に、地域行政は、経済的な補償を提供することなく、公衆衛生上の理由から、商業活動を停止する可能性があると発表し、脅しをかけました。そのため、小規模な小売業者、特にカフェやレストラン、ピザ屋を経営している人たちが街頭に繰り出しました。このような状況は持続不可能であり、また耐えられないので、彼らは組織化を開始し、こうした措置の撤回を主張したり、代わりに、ナポリの膨大な数の労働者、貧困者、無給者、未登録滞在者、経済的に不安定な人々に対応できる福祉支援システムの導入を主張したのです。

なぜ暴動が起きているのですか?

抗議が暴力的になった理由はいくつかあります。第一に、ここ数ヶ月間に、人々は完全に貯金を使い果たしてしまいました。彼らは飢えていて、燃え尽きています。COVID-19の危機が始まった時、イタリア北部のベルガモで棺が山積みになっていた時、国中の多くの人がウイルスを恐れました。しかし今では、夏の間の比較的少い数になって、COVID-19は「ただのインフルエンザ 」であるかのような錯覚に陥っている人もいます。

3月、政府はいくつかの社会保障福祉措置を導入しました。しかし今では、その資金は尽きたというか、労働者から産業界や金融界に金が流れ込んでいます。具体的にはナポリでは、地方行政が9月の地方選挙を前に資金を投入しましたが、今は何も国民に提供されていません。

また、ナポリではここ数年、独立した労働者のグループが当局と暴力的に対立する傾向を示してきたことにも注目すべきです。これにはいくつかの要因が関係しています。第一に、ほとんどの独立労働者は、社会経済的に不利な背景を持つ出身者であり、広大なアンダー・コモンズを構成しています。彼らの多くは、以前の経済危機ですでに限られた社会的流動性を失っていました。

第二に、多くの人々はインフォーマルな経済で働いています。一方、給与所得者は、管理体制と組合が彼らの組織化を妨げていることで長年窒息してきました。イタリアでは、特にナポリでは、支配的とまではいかないまでも、インフォーマル労働の文化が依然として優勢です。

警察との衝突の責任はカモッラ・マフィアthe Camorra mafiaにあるのか、それともナポリ人は商業メディアが報じるような「後進国の人々」にすぎないのでしょうか?

もちろん、そのどちらでもありません。全国メディアは最悪の陰謀論者のように振る舞い、複雑で重層的な社会力学を単純化しすぎています。カモッラは、現在の危機から利益を得ている民間医療サービスのシステムに入り込んでいるし、地方行政から新たな契約を得る建設部門や人々をさらに負債に陥らせるモグリの貸金業者としての役割も果しています。

ナポリでは、独立した労働者がこれまで以上に借金に巻き込まれやすくなっています。ナポリの社会サービスは乏しく非効率的であり、人々は制度をほとんど信用しておらず、労働組織や労働組合は弱く、社会経済的な圧力は高い。最後に、ルンペンプロレタリアート(周辺部の人々、知恵を絞って生きている人々)と中産階級(生産手段を所有し、ある程度の社会的流動性にアクセスできる人々)の間には、交換と接近したダイナミックが存在します。これは、その社会的ルーツを維持しつつある種の紛争に向かうような傾向のある流動的で動的なものです。

抗議は正当化されうるものですか?

もちろんです。地方行政はこの状況に対して全責任を負わなければなりません。はっきりさせておきましょう。「中産階級」といえば、家族を維持するためにこの危機の費用を負担できない小規模小売業者や、労働者に合法的な契約を結ばせずに労働者から搾取し、毎晩何千ユーロも何千ユーロも稼いでいる悪徳企業家のことを指すのです。しかし、街頭には、未登録の移民労働者や家族経営の企業家、生活状況に辟易しているマージナルな人々もいました。

これらのグループのほとんどは抗議する権利を持っています。過去8ヶ月間、地方と国の行政は、この予測されたCOVID-19の第二波から人々を守るために、リスクを防ぐために何もしてこなかったのです。今、彼らは福祉支援を提供する計画もなく、再び事業を停止しようとしている。失業者、フレックス・ワーカー、非正規雇用者には、残された選択肢はないのです。飢えに苦しむか、カモッラの言いなりになるかのどちらかです。

暴力は?正当化できるのですか?

路上で闘う人々の間には内部で闘争があります。大きな小売業者や政治指導者など、失うものがある人たちは、もちろん暴動には反対で、交渉をしたり、警察を賞賛したり、過激な行為を糾弾したりしています。そして、労働者階級のフーリガンは、警察との暴力的な対決になる傾向があります。

このような拮抗関係の混合が金曜日の夜に爆発し、デモはすでに2つの対立に分裂していましたが、さらに分裂は大きくなってしまった。

しかし、ポイントは暴力を犯罪化したり、誰が正しくて誰が間違っているかを特定することではありません。暴力に頼ることに何の意味があるのか?誰がそれを調整したのか?暴力は誰に向けられたのか?金曜日の夜に起こったことは、その世界に属する人々だけが理解できる抗議の形をとっていることは明らかであり、絶望の叫びであり、他の大衆的な階級の人々がデモ隊の「暴力」に不満を表明したことで、逆効果を生み出しています。

極右も参加していたのでは?

極右政党のフォルツァ・ヌオーヴァForza Nuovaは参加したいと宣言していましたが、街頭にファシストの姿は見られませんでした。シンパは参加していたかもしれませんが、存在感や政治的内容面でのインパクトはありませんでした。フォルツァ・ヌーヴァは注目を集めていますが、私は彼らがナポリでは無意味な存在でしかないと信じています。このような根拠のない疑惑に反応して彼らの存在を知らしめるようなことは、私たち―そしてメディア―の愚かな間違いです。私たちは、デモ隊と地元の意思決定者との間で仲介者として行動しようとしている中道右派に近い人物にもっと関心を持つべきです。

これもまた、治安維持的な左翼とラディカルな左翼の間のうんざりな議論の一例に過ぎない?

抗議者に汚名を着せ、その参加者を非難する「穏健な」左翼と、暴動を称賛し、暴動に参加した人々を称賛するより戦闘的な左翼との間で、古くからのうんざりする議論がソーシャルネットワーク上で噴出しています。私たちはこの二面性、現実を表していない安直な政治分析にうんざりしています。

穏健な左翼は、行動を起こす前でさえ、世界や経済状況について違いを示そうとすらしていない。対立や集団的な組織化の余地のない運動の中にいることは難しいというのが真実です。

残された選択肢は、暴動を起こすか、覇権を握っている人々と交渉するかの2つしかないように見えます。小売店は交渉を目指します。路上の人々は、もちろん交渉には興味がない。

これは、このパンデミックとそれへの対応が切り開いたことです。私たちは、私たちの力を結集し、自律的に組織し、大衆運動を構築するために、緊縮財政、監視、治安体制に反対して立ち上がることに関心を持つすべての人々と一緒に、お互いに防衛しあわなければなりません。

ナポリは私たちにプラットフォームを与えてくれます。金曜日の朝、ワールプールWhirlpool 工場の労働者たちが、医療労働者、家族、教師とともに街頭に登場しました。私たちは今、一連のデモを目の前にしています。私たちは、地元の行政が住民やフードデリバリー労働者に与えた不当な罰金に抗議し、Confindustria(イタリアの産業連盟)にも抗議し、そして物流・娯楽産業の労働者と連帯します。

10月23日のナポリでの衝突に抗議するデモ隊。写真提供:ジュリアーナ・フロリオ

後記:ファシストに居場所はない

10月23日のナポリでの出来事に続いて、フィレンツェ、ローマ、ミラノ、トリノ、カターニアなど、国中で衝突が勃発し、抗議者たちは「我々は労働者であり、犯罪者ではない」「我々を閉じ込めるならば、その代償を払え」というプラカードを掲げる。イタリア全土の広場では、さまざまなグループが動員され、社会主義者、共産主義者、無政府主義者、ファシスト、COVID-19懐疑論者、そしておそらく最も多くのグループでまだラディカルにはなっていないか「政治化」されていない労働者や失業者などが注目をあびる戦場となっている。

この多様性のために、ファシストや政治家はメディアで自らの正統性を主張できるようになった。一週間前、ローマでは2つの広場がファシストに占拠されたが、彼らは門限を破ったために警察に排除された。ファシストが追い出された後、一部の左翼ラディカルは、より多様なデモ隊の構成を可能にするために、これらの広場を奪回した。イタリアでは、広場は、私的な領域と公的な領域が出会う都市空間として、市民生活の中で重要な役割を果たしていることを理解しなければならない。

我々は特定の戦術を提唱しているわけではない。「平和的」であるかどうかにかかわらず、戦術はデモ参加者自身によってその行動の瞬間に決定されなければならない。しかし、不安定な労働者の再構成と再服従化が街頭で行われているときに、いかなる空間においてもファシストに正当性を与えないことが極めて重要である。

イタリアで数週間に及ぶ強引で不釣り合いな外出禁止令に続いて、更に全国的なロックダウンが準備されているとき、私たちは、最初の暴動の夜からのこの報告を翻訳し、広めることが重要だと感じた。私たちは、このレポートがイタリアや他の場所で繰り広げられている複雑な状況についての議論の開始となることを願っている。

出典:The complexity of Italy’s anti-lockdown protests

November 3, 2020

https://roarmag.org/essays/italy-anti-lockdown-protests/

(下訳にwww.deepl.com を用いました)

ZOOMによる検閲(米国の大学で起きていること)

投稿日: カテゴリー: 監視社会表現の自由、検閲批判

米国でZOOMからFB、Yotubeまで関与しての検閲が起きています。以下、訳しました。 日本では報じられていない?バズフィードの記事もありますが、日本語版にはないと思う。大学の学問の自由とかこの国でも話題ですが、検閲は政権からだけ来るのではなく、IT関連の民間企業からも来るということを如実に示した例といえます。ZOOMは大学に喰い込んでいますから、大学のイベントへの検閲を民間の企業が行なえてしまうという問題が米国では議論になっているということですけれども、これだけではなく、大学の外で、私たちが活動するときも、しっかりZOOMやプラットーム企業に監視されつつ、彼らのルールに反すればシャットダウンされ金を貢ぐか個人情報を渡しているという事態は今後ますます深刻になると思います。

以下タイトルのみ。本文はリンク先をごらんください。

https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/zoomfacebookyoutube20200923/

Zoom、サンフランシスコ州立大学でのパレスチナ人ハイジャック犯ライラ・ハーリドの講演をシャットダウン―FacebookやYouTubeも介入

By James Vincent 2020年9月24日午前6時01分EDT

https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/zoomcensorship20201023/

ズーム “検閲” 議論するイベントをズームが削除

ジェーン・リットビネンコ BuzzFeedニュースレポーター 投稿日:2020年10月24日 19時01分(米国東部標準時)

小笠原みどり講演会 10月11日(日)午前11時〜午後1時

投稿日: カテゴリー: 主宰者からのお知らせ監視社会集会、デモなど
横浜会場は予約制、ストリーミングのURLも変更の可能性あるので、下記の最新情報を確認していただくようお願いします。

http://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/20201011shiminren/

集会概要

ライブ配信はこちらへ https://youtu.be/3q0ghsDedA0

10月11日(日)午前11時〜13時:小笠原みどりさん講演会(オンライン)
「新型コロナと監視社会」

●横浜会場にご来場の場合は予約をお願いします。(予約方法は下記をごらんください)(十分予約可能です 9/28日現在)

講演について(小笠原みどりさんからのメッセージ)

菅内閣は「デジタル庁」の設置を目玉にしていますが、デジタル化は監視と切っても切れない関係にあります。デジタル化の方向を間違えれば、私たちは暮らしをのぞかれ、政府と企業はますます秘密を蓄えていく、力の格差と不平等が増していきます。スノーデンが暴露した世界監視システムに日本政府が深く関与していることを思い出しながら、コロナ下で大規模な実験の機会を得た新しい監視技術が政治、経済、そして国際関係にどんな影響を与えるのかを考えます。

小笠原みどりさんのプロフィール

ジャーナリスト、社会学者。
横浜市生まれ。朝日新聞記者(1994−2004年)として盗聴法、住民基本台帳ネットワーク、監視カメラなど、個人情報を巡る調査報道を開始。2005年にフルブライト・ジャーナリスト奨学金により米スタンフォード大学でデジタル監視技術を研究。2016年、米国家安全保障局による世界監視システムを告発したエドワード・スノーデンに日本人ジャーナリストとして初のインタビュー。18年、カナダ・クイーンズ大学で近代日本の国民識別システムについての論文により社会学博士号を取得。現在オタワ大学特別研究員、21年よりビクトリア大学教員(ブリティッシュ・コロンビア州)。著書に『スノーデン、監視社会の恐怖を語る』『スノーデン・ファイル徹底検証』(共に毎日新聞出版)など。朝日新聞GLOBE+で「データと監視と私」を連載中。

主催者からのご挨拶

世界規模での新型コロナ・パンデミックのなかで、各国の政府は感染拡大を抑えるための方策として、感染者接触確認や感染経路特定などを理由にして、スマホのアプリなどを利用して人々の行動や人間関係などを広範囲に、把握しはじめています。同時に、人々が密集しがちな都市部では、従来以上の高精度の監視カメラの設置も進んでいます。

感染防止を名目とした個人情報の収集や行動などの把握に対して、世界各国の監視社会に反対して活動している団体や研究者などから、多くの疑問が提起されています。収集されている膨大な量の個人情報は、感染防止に必要なデータを大幅に上回っているのではないか、また、こうした個人情報が目的外に使用される危険性はないのか、そもそもスマホアプリのような手法が最善の予防策なのか、など、疑問は多岐にわたります。

これまで監視社会に反対する活動をしてきた市民連絡会は、昨年に引き続き、カナダ在住の監視研究の第一人者、小笠原みどりさんをお招きして、新型コロナ・パンデミックのなかで進行するこれまでにはみられなかった新たな監視社会の問題について、お話をいただくことになりました。海外で既に提起されている監視社会の深刻な問題などを含めて、コロナ対策を口実とした監視社会化を許さないために必要な、政府や監視テクノロジー企業とははっきりと異なる私たちなりの観点を、この集会を機会にみなさんと作り挙げていきたいと思います。


今回は、横浜会場とオンラインの平行開催になります。

■日時 10月11日(日)午前11時から13時
(小笠原さんのお住まいのカナダとの時差の関係でこの時間帯になります)
■横浜会場:かながわ県民センター301号室
アクセス:JR・私鉄「横浜駅」西口・きた西口を出て、徒歩およそ5分   http://www.pref.kanagawa.jp/docs/u3x/cnt/f5681/access.html
コロナ対策に基く定員(50名)までの入場となります。

参加ご希望の方は、以下のメールアドレスにお申し込みください。(十分予約可能です 9/28日現在)
申込み数の情況はウエッブで随時お知らせします。
samusunk@protonmail.com
参加費:500円

■オンライン視聴の方法
Youtubeの市民連チャネルに上記の時間にアクセスしてください。
https://youtu.be/3q0ghsDedA0
オンラインでの視聴については無料。予約や参加人数制限はありません。

*オンラインでの視聴については、予約や参加人数制限はなく、無料です。
  カンパは歓迎しますので、よろしくお願いします。
  ●振込先:郵便振替口座番号: 00120-1-90490
       加入者名:盗聴法に反対する市民連絡会

■主催:盗聴法に反対する市民連絡会
■賛同団体:JCA-NET/共謀罪NO!実行委員会/共通番号いらないネット

■問い合わせ
070-5553-5495 小倉
hantocho-shiminren@tuta.io

10月6日 ATTAC首都圏連続講座:「経済」の呪縛からの解放――コロナ・パンデミックのなかのパラレルワールド

投稿日: カテゴリー: 主宰者からのお知らせ資本主義批判

名古屋市文化振興事業団宛の抗議文

投稿日: カテゴリー: 主宰者からのお知らせ文化表現の自由、検閲批判

名古屋市文化振興事業団が日本第一党愛知県本部主催のイベント、あいちトリカエナハーレ2020「表現の自由展・その後」に会場を貸与した件で、以下のような抗議文を提出しました。


抗議文

名古屋市文化振興事業団

理事長 杉山勝 様

役員の皆様

評議員の皆様

事業運営委員会の皆様

(上記の皆様に回覧をお願いします。もし回覧できないようでしたらご一報ください)

小倉利丸

元表現の不自由展実行委員

2020921

2020926日と27日に、名古屋市民ギャラリー栄において『あいちトリカエナハーレ2020「表現の自由展・その後」』という催しが日本第一党愛知県本部主催で開催されることを知りました。私は、日本第一党が主催するこのイベントに、地方自治体が会場を貸与することは、人種差別主義を黙認(あるいは助長)し、歴史の偽造に加担することに他ならず容認できません。よって、抗議するものです。

私は、昨年、あいちトリエンナーレの招待作家として出展した「表現の不自由展・その後」の当時の実行委員のひとりとして、出品作家たちとともに、深刻なヘイトスピーチの嵐を被った当事者です。今回の催しの開催について、名古屋市民文化事業団の会場貸与の決定に失望せざるをえません。

特に危惧するのは、主催者が、移民と外国人の排斥を主張し、いわゆる「従軍慰安婦」問題をはじめとする日本の戦争犯罪・戦争責任を「自虐史観」として否定することを明確に政策に掲げる日本第一党だという点です。このイベントが結果として人種差別主義を助長することになるのは明らかと考えます。

日本第一党とその党首の桜井誠については、米国のヘイトスピーチに取り組む有力な人権団体のひとつ、Southern Poverty Law Centerがその活動を危惧しており、2019年に公表したレポートでは日本第一党を特集し、その米国の人種差別団体との連携に注視しています。言うまでもなく、米国の人種差別は深刻であり、これに日本第一党が加担する構図があるのです。() 日本第一党の人種差別主義の問題は、名古屋や日本だけではなく、国際的にもマイノリティの人権をめぐる問題となっているということでもあります。国外の人権団体からもヘイトスピーチ団体として認知されつつある日本第一党の行動を軽視すべきではありません。

()Southern Poverty Law Center(SPLC), Intelligence Report, lissue166, 2019 Sprng, p.27-30 https://www.splcenter.org/sites/default/files/intelligence_report_166.pdf 以下も参照。SPLC, White nationalist conference in Tennessee will feature old-school racists and a few new international guests https://www.splcenter.org/hatewatch/2018/06/14/white-nationalist-conference-tennessee-will-feature-old-school-racists-and-few-new

2016年に制定された「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(以下ヘイトスピーチ規制法と呼ぶ)は国の法律ですが、その第四条で「地方公共団体は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組に関し、国との適切な役割分担を踏まえて、当該地域の実情に応じた施策を講ずるよう努めるものとする」、また第七条では「当該地域の実情に応じ、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消の必要性について、住民に周知し、その理解を深めることを目的とする広報その他の啓発活動を実施するとともに、そのために必要な取組を行うよう努める」として、自治体によるヘイトスピーチに対する取り組みを定めています。また、付帯決議(参議院)では、日本国憲法とともに人種差別撤廃条約を尊重し、ヘイトスピーチによって地域に「深刻な亀裂を生じさせている地方公共団体」に対しては特段に、その解消への努力のための「施策を着実に実施」することを求めています。

ヘイトスピーチ規制法が制定されたとき、名古屋市はホームページで「この法律は、不当な差別的言動、いわゆる『ヘイトスピーチ』は許されないことを宣言し、人権教育と人権啓発などを通じて、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを扇動する不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進することとしています。」(1)と紹介し、更に今年3月には「なごや人権施策基本方針」(2)を策定し、そのなかでヘイトスピーチは許されないこと、また「差別的な言動(ヘイトスピーチ)の解消に向けた教育・啓発活動に取り組むとともに、現状把握を継続的に行」うことを「施策の基本的方向」(3)として約束しています。

また「基本方針」に添付された世論調査においても、ヘイトスピーチは「許されないことで、絶対にやめるべき」と「よくないことだと思う」と回答した市民が合せて75%になります。また外国人の人権問題についてもヘイトスピーチを挙げた割合は項目全体でも第二位と高く、ヘイトスピーチの問題は、名古屋市においても、一般の市民感情からみてもかなり深刻なものと受けとめられているといえます。(4)地域における差別と偏見は最重要課題になっているといえるのではないでしょうか。

(1)http://www.city.nagoya.jp/sportsshimin/page/0000091086.html

(注2) http://www.city.nagoya.jp/sportsshimin/cmsfiles/contents/0000127/127395/zennbunn.pdf

(3)なごや人権施策基本方針 p.28

(4)同上、p.71以降参照。

繰り返しますが、日本第一党は、ヘイトスピーチを繰り返してきた桜井誠が党首の政治団体で、その主張、とくに移民や外国人政策は、移民や外国人の排斥を公然と主張するものであり、また日本の植民地侵略の歴史認識を「自虐史観」と蔑視しています。その主張や過去の経緯からすれば、日本第一党がヘイトスピーチ規制法の趣旨にも名古屋市の人権施策基本方針にも抵触する行動をとるであろうことは明らかです。国際的にも問題となっているレイシストたちの行動は、一般に、自分たちの主張に同調しない者たちに対してはヘイトスピーチや時には暴力によって威嚇し、他方で、あたかも正当な市民運動や政治活動であるかのような装いもとって人種差別主義を市民に根付かせようとすることが常套手段になっています。暴力的なヘイトスピーチと一見すると穏健に見える『あいちトリカエナハーレ2020「表現の自由展・その後」』のような活動とは表裏一体であること、このことを踏まえて、行政や文化施設は、不当な差別的言動の解消に向けた取組に積極的な行動をとるべきだと考えます。

ヘイトスピーチ規制法に関しては、集会やイべントの施設利用について、憲法が禁じている検閲との兼ね合いが常に議論されてきました。日本第一党などは、表現の自由を主張してイベント開催を正当化しようとしていますが、彼らを含むレイシストやヘイトスピーチに加担してきた者たちが私たちの「表現の不自由展・その後」に対して昨年やったことは、表現の自由を踏みにじる行為だったということを私は忘れることができません。主催者である日本第一党のこれまでの主張と行動からみて、『あいちトリカエナハーレ2020「表現の自由展・その後」』なるイベントが明らかにヘイトスピーチといえる効果をもたらし、結果として地域のマイノリティの人々への偏見を助長しかねないことになるのは容易に推測しうることだと考えます。つまり名古屋市自身がそのホームページで対処すべき事態しして明記した「本邦外出身者を地域社会から排除することを扇動する不当な差別的言動」となる可能性を秘めたものだということです。

憲法では、検閲を禁じると同時に、人権の尊重を最重要とも位置づけており、民族や出自などへの差別を偏見として認めていません。彼らの偏見に満ちた「表現の自由」には正当性はなく、地域で暮す多くのマイノリティの人権と自由が脅かされることになるのです。日本第一党のイベントは、マイノリティ当事者にとっては耐えがたいことであるということを、名古屋市と名古屋市文化振興事業団は自覚すべきです。私は名古屋市民ではありませんが、日本国籍をもつ者としても、このような人権侵害とヘイトスピーチに加担する名古屋市の決定を黙って見過すことはできません。

ヘイトスピーチには言論表現における威嚇、脅迫や罵詈雑言など暴力的な言葉だけではなく、事実を歪め、偏見を助長するような表現を通じて、人々が日本に住むマイノリティの人々の価値観や文化あるいはその存在そのものを否定したり、日本人のそれよりも劣るものとみなす言説もまたヘイトスピーチに含まれます。文化行政がこうした隠されたヘイトスピーチに対抗することなくして、多様な文化との共生を地域で実現することはできません。差別と偏見によって深刻な被害を被らないようにマイノリティの人権を確立し、人間としての平等を実現することもできません。もし、名古屋市が、『あいちトリカエナハーレ2020「表現の自由展・その後」』を容認するのであれば、その結果は、とりかえしのつかない差別と偏見、偽造された歴史認識の助長を招くことになるでしょう。これは、事実上、公権力による人権侵害の黙認であって、その責任は極めて重いと言わざるをえません。名古屋市及び名古屋市文化振興財団にとって今必要なことは、明確に排除と差別の言動を認めないためにとりうるできうる限りの行動をとることです。

世界社会フォーラム:オープンスペースから行動のスペースへと転換を求める動き

投稿日: カテゴリー: 資本主義批判

以下は、今年8月11日に出され、Critical Legal Thinking掲載の「世界社会フォーラう第2宣言」という文書と、その後、30日にhttps://www.foranewwsf.orgに出された「新しい世界社会フォーラムに向けて:世界を変えるために世界社会フォーラムを変える-オープンスペースから行動のスペースへ」の二つの文書の英語からの仮訳。

(簡単な前置き:飜訳した文書はこの下にあります)

WSFは今年で20年になる。また、WSFをめぐる議論を紹介する目的で私が武藤一羊らとジャイ・セン他『世界社会フォーラム・帝国への挑戦』(作品社、2005)を訳したのももう15年も前になる。この本は今でもWSFをめぐって創設者や関係者たちがどのような議論をしていたのかを知る上で重要な文章を多く収録していると思う。しかし、最近の大きく変貌する世界の状況のなかで、世界社会フォーラムは、グローバルに展開されている多様な社会運動にほとんど関与できていない。たぶんアラブの春やオキュパイ運動などへの影響力はほとんどなかったし、この傾向は今に至るまで変っていない。WSFに何度か参加し、会議なども主催してきた者として、正直に言って、ここ数年、世界社会フォーラムへのわたし自身の関心もかなり薄れてきていた。とはいえ、福島原発事故後に、日本での核をテーマとした世界社会フォーラムのテーマ別会合(ここにアーカイブがある)を是非開催すべきだと強く私たちの背中を押してくれたのも、ブラジルのWSFの創設者のひとりチコ・ウィタケルだった。

第2宣言は今年8月11日に出されたものだが、その後、月末には新たなサイトに別の文書が掲載された。これが以下の二番目の文書である。趣旨はほぼ同じだが、後で出された文書は「宣言」とは呼ばれておらず、また、提起されているWSFの課題の中心が、組織やガバナンスの民主化を重視しつつ行動のスペースへと転換することに置かれているようの思う。すでにこの二番目の文書への賛同署名が開始されており、ベルナール・カッセン、ヴバンダナ・シヴァ、イグナシオ・ラモネ、スーザン・ジョージらが署名している。(9月3日現在)

この問題提起はWSFにとっては非常に重要だと思う。以下の宣言などとはやや観点は異なるが、私は、現在のWSFの抱えている問題は、ふたつあると思う。ひとつには、「もうひとつの世界」をめぐる思想的な課題。これはとりわけアラブの春、オキュパイ運動以降現在まで運動の課題を受け止めきれていない背景にある問題でもある。マルクス主義とアナキズム、20世紀社会主義の総括などから宗教や伝統的な価値やライフスタイルとオルタナティブの将来世界の構想まで、重大であって以下の宣言などで列挙された課題を通り一遍に済ませられないと思う。もうひとつは、組織の民主化(とくに意思決定機関の国際評議会そのものがいかなる意味においても形式民主主義の体裁すら整えてこなかったという問題は大きいと思う。この点については別に書きたい。


世界社会フォーラムのための第2宣言?オープンスペースから行動のためのスペースへ

2020年8月11日

2021年に20周年を迎える世界社会フォーラム(WSF)は単なるオープンスペースなのか、それとも(そうあるべきなら)行動のためのスペースでもあるべきなのか?この問題はWSF国際評議会で長年議論されてきたたが、これまで結論を出せていない。

私たち、Frei Betto, Atilio Borón, Bernard Cassen, Adolfo Perez Esquivel, Federico Mayor, Riccardo Petrella, Ignacio Ramonet, Emir Sader, Boaventura Santos, Roberto Savio, Aminata Traoréは、WSFポルトアレグレ宣言の署名者である。その時以来、私たちは素晴らしい友人を失ってきた(Samir Amin, Eduardo Galeano, Samuel Ruiz Garcia, Francois Houtart, Josè Saramago, Immanuel Wallertsein)。私たちは彼らと多くを共有してきた。私たちは彼らが今何を思っているのか、はっきりと理解できる。私たち、まだ生きている者たちは、運動を鼓舞し反省を加えるためのもう1つの要素を提起するために、このメッセージをWSFに送ることにした。私たちのイニシアチブの精神は、ノーベル平和賞のAdolfo Perez Esquivelが起草したイニシアチブの参加のメッセージによく表現されている。「WSFの希望と強さを復活させるイニシアチブに感謝したい。しばらくの間、私たちの時代の課題に立ち向かうために、思考と行動の多様性を私たちのアイデンティティとする道を再び見い出すために、私たちは似たようなことを考えてきた。親愛なる兄弟、私は署名に参加し、暖かくあなたがたを抱きしめたい」

ポルトアレグレWSFでは、2005年に、私たちのなかの幾人かが「ポルトアレグレ宣言」を立ち上げ、グローバルな舞台において、WSFが脇に追いやられつつあることに懸念を表明した。私たちは宣言を行うことがフォーラムのルールに反することはわかっていたが、これは、国際政治に対してポルトアレグレでの豊かな討議に貢献する方法だと感じた。翌年も同様に「バマコの呼びかけBamako Call」が出された。これらの呼びかけはいずれも反響がなかった。

15年後、私たちの懸念は極めて現実的になったことが示された。フォーラムは2001年にブラジルのグループの寛大で先見の明のある活動と、ルラ大統領時代に彼らが受けた支援で始まった。進歩的な国際化がWSFをすべての大陸に拡げた。新自由主義の覇権に異議を唱えて社会運動や批判的な知識人が経験や考え方を交流させるためのスペースを開くというアイデアは、革命的なものだった。これは世界に大きな影響を与えた。WSFは米国によるイラク戦争の脅威に対抗して、世界規模での大規模な戦争を拒否するデモを呼びかけルことで、その大きな可能性を示した。しかし、こうした取り組みは継続されなかった。

残念ながら、ほぼ20年後の現在、WSFはそのルールや慣例を変更しようとはしていない。オープンスペースのアイデアは、グローバルな政治的アクターとしての外の世界との相互作用を妨げられ、フォーラムを限界的なプレーヤーに追いやってしまった。もはや評価の基準にはなっていない。近年、少なくとも3つの大きな運動が世界中で数百万人を動員している。気候変動との闘い、ジェンダーの平等、人種差別との闘いだ。WSFは、世界的な集団的なアクターとしては完全に関与できていない。しかし、全体的なビジョンから(非セクト的な方法で)新自由主義と闘うというWSF創設の理念は、その強さも有効性も失われてはいない。同様に、植民地主義と家父長制に対するWSFの闘い、そして自然とコモンズの尊重の提唱にも、このことは当てはまる。

行動が必要である。世界は変化してきた。今日、私たちは40年にわたる新自由主義的資本主義の壊滅的な結果に直面しているだけでなく、金融市場に支配され、地球上の人間の生命を不可能にしうる急速な気候変動に脅かされている。レイシズムと差別とともに、大量の貧困と不平等の拡大が私たちの社会を分断している。

抵抗も高まっている。2019年には、世界中の多くの主要都市で、主に若者からの運動が圧倒的な規模で急増している。彼らは古い世界が死にかかってることがわかっており、すべての男性と女性は平等であり、自然を守り、社会のニーズに応じる経済をもつもうひとつの公正で平和な世界の構築うぃ熱望している。彼らは多くのオルタナティブを準備していルが、草の根の経験に基づいて、将来の行動を推し進めうる共通のグローバルなナラティブを創造するために、共に集まることができるスペースがない。進歩的な活動家や学者は、細分化されているために、この闘いにに負けるだけでなく、戦争に負けるリスクに直面している。

COVID-19は、これとは別の危機だが、初めて全ての人が、程度の差はあれ、同時に影響を受けるものになっている。世界は、私たち全員が相互依存する村になった。私たちは、実際に、共にに行動しなければならないということが、これまで以上に明確になっている。世界社会フォーラムは、これらの運動に対して発言し、オルタナティブをグローバルな文脈のなかに位置づけ、これらの新しい対話と実践がひとつにまとまっていくのを助けるために、依然として大きな可能性を秘めている。このために、WSFの創設以来参加し、ポルトアレグレとバマコの宣言に署名した私たちは、「新たな世界社会フォーラム」を提起したい。私たちは多元的な世界的危機に直面している。地域、国、グーバルのレベルの必要な区別を網羅しつつ、地域、国、グーバルなレベルでの行動が必要になっている。WSFは、行動を促す理念的なフレームワークである。こがこのイニシアチブのすべてである。


新しい世界社会フォーラムに向けて:世界を変えるために世界社会フォーラムを変える-「オープンスペース」から「アクションスペース」へ

出典:https://www.foranewwsf.org

2020年8月30日、 Francine Mestrumによる 投稿

世界社会フォーラムは2021年に20周年を迎える!ファシリテート・グループは現在、メキシコシティにおける新たなフォーラムを組織する可能性について検討している。コロナ危機の進捗状況如何にすべてがかかっている。

2001年以降、ポルトアレグレで第1回のWSFが開催されて以降、世界が大きく変化してきたことは誰もが承知している。当時、フォーラムの創設者たちは、ゲームのルールを確定し、フォーラムが、コンフリクトの場所にならずに共存と収斂の場となるように原則憲章Charter of Principlesを起草することに成功した。「オープンスペース」のルールは最近、独断的に解釈され、ひとつの例外をのぞいて、グローバルな政治的主体としてフォーラムが現在の歴史において重要な役割を果すようには寄与できていない。

この行き詰まりから抜け出し、フォーラムの名のもとに政治的な声をもって語ろうとする、さまざまなイニシアチブが過去にもあった。2003年2月15日のフォーラムは主導したイラク戦争反対の大規模なデモを想起してほしい。WSFの幾人かの「歴史的」参加者は、機能不全に陥ったコンセンサスを打破しようとした「ポルトアレグレ宣言」に署名した。今、「オープンスペース」から「行動のためのスペース」への変化を求めるもうひとつのアピールへの署名が始まっている。これは、グローバルな政治綱領を作るのではなく、外の世界との相互に活動するためのものだ。 Frei Betto、AtilioBorón、Bernard Cassen、Adolfo Perez Esquivel、Federico Mayor、Riccardo Petrella、Ignacio Ramonet、Emir Sader、Boaventura Santos、Roberto Savio、AminataTraoréがこの最初のメッセージの署名者である。

このイニシアチブは、これまで非常に多様であり続け、将来もそうであるであろう集団に政治的立場を押しつけることではない。しかし、現在、世界は生態系崩壊の危機、ソシテファシズム、金融資本主義の支配、レイシズム、家父長制の出現にともなう深刻な危機にあり、若者、女性、その他の抑圧された民衆が再び正義と持続可能な生態学的政策を要求して路上に登場しているときに、フォーラムが登場しないでいるわけにはいかない。内省的であることをやめて、世界と対話し行動することは道徳的、政治的義務である。

このメッセージの署名者が、世界を変えるためにWSFを変えたいとのはこのためである。フォーラム、その構造、およびガバナンスを民主化することが急務であると考えている。論理と歴史が、オープンで参加型の議論の結果としての変化を要求しているのだ。オープンなスペースから行動のスペースへと移行しうるガバナンスを導入することが重要である。したがって、私たちは、国際評議会が世界中で活動している新たな社会勢力を統合し、原則憲章を21世紀の新たな時代に適応しうるような、つまり、地域的およびテーマ別のフォーラムに場所を与え、国際行動の日を組織し、WSFをグローバルな政治的主体とする道筋を討議できるように、原則憲章を見据えることができる、より代表性のある組織体を形成することを試みたい。これは容易な道ではなく、世界と対話可能な効果的な組織体を創出するために、私たち全員の開放性と意志が必要になる。ガバナンスを強化し、WSFを民主化する多くの可能性がある。こうしたことが表に出されて民主的に議論できるようになることをを私たちは大いに望みたい。

この集団的な反省に参加するようあなたがたに呼びかけます。これが、私たちが切望し、必要としている「他の世界other world」を具体化するために貢献できる緊急課題です。

同意する場合は、このアピールに署名してください。
https://www.foranewwsf.org/tell-us/

EFFによる米国保健社会福祉省(HHS)の新たなCOVID-19監視システムへの意見書

投稿日: カテゴリー: 未分類

米国保健社会福祉省(HHS)はCOVID-19を利用して広範囲にわたる個人情報収集システムを立ち上げています。これに対して、EFFが以下のような意見書を提出しています。訳したのは序文だけで、これには詳細なバックグラウンドについての説明がついていますが、これは訳せていません。日本でもHER-SYSが稼動しており、私は問題が多いのではつ推測しています。EFFの以下の文書は日本でも参考になると思います。
(参考)
EFFのCOVID-19監視社会問題のページ
No to Expanded HHS Surveillance of COVID-19 Patients
https://www.eff.org/deeplinks/2020/08/no-expanded-hhs-surveillance-covid-19-patients

意見書のページ
https://www.eff.org/files/2020/08/17/2020-08-17_-_eff_comments_re_hhs_regs_re_covid_data.pdf

Electronic Frontier FoundationによるSYSTEM OF RECORDS NOTICES 09-90-2001, 09-90-2002に関する見解

Document No: 2020-15380
85 Fed. Reg. 43243 (July 16, 2020)
85 Fed. Reg. 43859 (July 20, 2020)

Electronic Frontier Foundation(EFF)は、政府による疾病監視とCOVID-19に対処するための個人情報の処理に関する2つの記録システム通知(SORN)に応じて、米国保健社会福祉省(HHS)に次のコメントを提出する。通知番号09-90-2002(2020年7月16日)、通知番号09-90-2001(2020年7月20日)を参照

EFFは、メンバーによって支援されている非営利公益団体であり、デジタル時代のプライバシー、市民的自由、イノベーションの保護に取り組んでいる。1990年に設立されたEFFは、デジタル時代の法律の適用をめぐる訴訟および広範な政策論議の両方において、数万人の有料メンバーと一般市民の利益を代表している。EFFは、技術の進歩により政府による監視が強化されている時期におけるプライバシー保護に特に関心をもち、新たな技術が社会に普及するにつれてプライバシーをサポートし、個人の自律を保護するよう政府と裁判所に積極的に働きかけ、異議を申し立ている。

序論
2つの提案された新たなHHSのSystems of Recordsは、すべてのアメリカ人のデータプライバシーに重大な脅威をもたらす。これらは、連邦政府があらゆる種類の個人情報を収集、利用、共有する方法を大幅に拡大し、説明責任、透明性、プライバシーに関するプライバシー法が定めている厳格な義務に明らかに違反している。一般に5 U.S.C.§552aを参照。SORNは、収集されたデータのカテゴリ、データソース、および提案されたデータの日常的な使用法の説明が極めてあいまいである。(注1)したがって、SORNは、どのようなデータが収集されるのか、そのデータがどのように 使用され、誰と共有されるのかをアメリカ人に説明できていない。

(注1)2002年9月90日のSORN、「COVID-19 Insights Collaboration Records」は記録システムであると述べているが、「HHSは、 データベースを研究やその他の公衆衛生活動に使用するときは、個人識別子で記録を取得する計画はない」としている。HHSはデータベースを作成および保守しつつ個人識別で記録を取得するであろうということを前提すれば、HHSが個人IDで記録を取得できる限り、プライバシー法の権利を適用する必要がある。

疑いなく、進行中のCOVID-19危機は、政府の対応が必要であり、そのためには、病気の蔓延に関する確実なデータが必要だ。しかし、HHSは、米国疾病管理予防センター(CDC)が長年運営している連邦政府の既存の疫学データシステムがこの課題に対応していないということを明らかにしていない。SORNで提案されている次のHHSデータ処理は、プライバシーに大きな負担をかけるが、実際の公衆衛生保護には必要でもなければ釣り合いのとれたものともいえない。

・新たなデータ収集。SORNを使用して、身体的心理学的病歴、薬物・アルコール摂取、食事、雇用などに関する個人情報を収集できる。収集データには、「地理空間記録」も含まれる。多くの研究で示さているように、これでは匿名化は不可能である。データは、陽性者だけでなく、家族、陰性者、そしておそらくまったく検査していない人々についても収集される。データは、連邦政府、州政府、地方自治体、その請負業者、ヘルスケア業界、患者の家族など、数え切れないほどさまざまな資料から収集される。
・新しいデータ共有。 SORNを使用すると、これらの膨大なデータを、これまで以上の連邦政府機関、不特定の外部請負業者、さらには「学生ボランティア」と共有できる。この新たに追加されたデータ共有できる連邦機関は、請負業者とデータ共有が許される。この共有に患者の同意は必要ない。
・新たなデータ利用。SORNは、合衆国政府が「関心」を持つ場合はいつでも訴訟itigation「その他の手続き」でを通じてこのデータの利用を許可する(このような利用は現在は、HHSが訴訟の被告の場合にのみ許可されている)。
・新たなデータ保持。SORNは、「重要な歴史的および/または研究的価値」のあるデータの永続的な保持を許可する(現在は保持は4年に制限されている)。

したがって、EFFはHHSがこれら2つのSORNを撤回することを要求する。これらはプライバシー法を厳格に遂行する義務に違反し、公衆衛生上の利益となることも示されずにプライバシーに対する新たな脅威を生み出す。HHSが事案ごとに特定の種類の新たなデータ処理が公衆衛生を前進させ、プライバシー法を順守し、市民的自由に過度の負担をかけないことを示すことができない限り、COVID-19に対処するために、CDCがこれまで公衆衛生の危機に対処するために処理しなかった個人情報をHHSが収集、利用、共有、または保持すべきではなない。