アメリカ大統領選挙から議会制民主主義の限界を考える

アメリカ大統領選挙から議会制民主主義の限界を考える

1 選挙の分析

1.1 ヒスパニックの動向(デモクラシーナウ)

1.1.1 ラテン系 有権者の投票が急増した

Juan Gonzalez1は、今回の大統領選挙の最大の特徴としてヒスパニック(ラテン系)の有権者の投票が急増し、ラテン系有権者3200万人のうち2600万人が投票に行ったことを指摘している。これまで、ラテン系有権者の投票率は5割を切っていたが今回は、史上はじめて50パーセントを上回り、64パーセントになる。2016年の選挙よりも800万人も多い。地域別でもラテン系の投票者の急増はまざましく、投票総数のうち「カリフォルニアとニューヨークです ラテン系の票の割合は息をのむようなものでした カリフォルニア77% ニューヨーク72%」を占めている。ニュージャージー、コネチカット、マサチューセッツ、コロラドもこうした傾向にあり、有権者の人口構成の変化をふまえると共和党が勝利する可能性はないかもしれない。

1.1.2 投票増加のエスニック・グループ別変化

人種別の投票数の増加では、前回の大統領選挙と比較してラテン系に次いでアフリカ系アメリカ人20%増、アジア系アメリカ人は16%増、白人は6%弱の増加だった。米国の世論調査はこうした動向を正確に反映しておらず、共和党支持者が多いキューバ系アメリカ人に偏る反面英語を話さない有権者が過小評価される傾向があり、これが実際の選挙予測との食い違いを生んでいる。

1.1.3 ラテン系有権者の危機感

COVID-19の感染被害は、人種によって不平等にあらわれていることが知られている。医療アクセスや職業上濃厚接触が避けられない仕事に就いていたりといった問題がある。これに加えて、トランプによるあからさまな中南米出身者への偏見(非正規移民を犯罪者集団と決めつけてメキシコ国境に壁を設置するような政策と言動)への危機感や、人工妊娠中絶を違法化しようとする動きへの危惧もあった。ゴザレスは「一つ確かなことは、民主党も共和党も、今後はラテン系の有権者を過小評価したり、無視したりすることはないということです。これは、待望の投票の民主化として広く祝われるべきものである。」と述べている。

ゴンザレスはラテン系のエスニックグループは、生物学的な人種ではなく、むしろ米国社会の差別のなかで自分たちを支配的な社会に対して守ろうとして生まれてきたものだという。

「米国におけるラテン系アメリカ人のアイデンティティは、支配的な社会が他者を定義し分類する必要があったことと、敵対的な社会で生き延びるために団結を余儀なくされたこと、その子どもたちが徐々に交りあいながら新しい社会構造「アメリカのラテン系アメリカ人」を作り上げた。疎外されたグループそのものによって、地に足をつけて有機的に作られた社会的な構造です。」

後に述べるように、今回の大統領選挙は米国がいかに大衆意識の右翼化、とりわけ白人(支配的なエスニックグループ)の右翼化が深刻な状態にあるのかを如実に示していたが、こうした傾向は、トランプの敗北では終りにはならないと警告している。

「白人女性の55%を含む58%の白人アメリカ人がなぜドナルド・トランプに投票したのか?米国が世界で最も強力な帝国主義国家としての地位を固め、国内の経済格差が拡大する中、右翼運動は国内でのみ成長しており、トランプの敗北がその成長を止めることはないだろう。進歩的多数派を構築する鍵は、より多くの若いラテン系住民を投票に動員し続け、有色人種の人々、組織化された労働者、およびそれらの同盟者によって右翼候補支持を抑えこむことだ。」

ここで表題に「左翼」としたが、左翼は多様でひとつではない。ひじょうに漠然とした定義だが、人種、性別、国籍などによる差別を否定し、社会的な平等のために社会の伝統や現状の政治、経済、法制度や文化変革することを厭わない立場と考えておく。政治的権力の否定(国家の否定)を重視するアナキズムから資本の支配の否定を重視するマルクス主義まで考え方は多様であり、また、具体的な政治過程についても、体制内改良の可能性を重視する立場から一切の既存の制度に頼らない立場まで、また闘争の手段を平和的な手段に限定するのか武装闘争を肯定するのかでも立場はまちまちだ。そして、一般に「社会主義」とか「共産主義」と同義とみなされる場合もある現存の社会主義を標榜する国家、中国、キューバなどや20世紀のソ連、東欧のかつての「社会主義」を標榜した国々を「社会主義」として認める立場もあれば、これらを「社会主義」の名に値しないとして否定する立場もある。冒頭に述べたように、こうした多様性がありながら人種、性別、国籍などによる差別を否定し、社会的な平等を目指すという点では共通しているといえる。

ちなみに右翼もまたその考え方は多様だが、共通していえることは、社会的平等を否定し、伝統的な価値を最も重視する立場は共通している。ただし「伝統」の内容は多様であって、宗教的な伝統だけをとっても、西欧社会だけをみてもキリスト教の伝統もあればキリスト以前の多神教の文化(ギリシア、ローマや北欧)まであり、ひとつではない。

1.2 アナキスト(Crimethinc)

Between Electoral Politics and Civil War
Anarchists Confront the 2020 Election2

1.2.1 代表制民主主義の否定と選挙への態度

一般にアナキストは民主主義を直接民主主義であるべきで代表制をとることに批判的な場合が多いので選挙には消極的だ。米国のアナキスト系のサイトCrimethincは、今回の大統領選挙では、アナキストたちも無関心ではいられなかったという。

「アナーキストが選挙の結果を心配するのは当然のことである。警察、刑務所、国境、その他の抑圧を廃止するために戦い続ける中で、選挙での勝利であれ、その他の手段であれ、どの政権が権力を握るかは、私たちがどのような課題に直面するかを決定づけるからだ」

1.2.2 ラディカルな要求の改良主義的なとりこみ

他方で、選挙に全てを委ねることの問題も指摘している。たとえば、BLMの運動のなかから提起されてきた警察の廃止というラディカルな要求の問題がある。警察による殺人も含む暴力は米国の人種差別が制度化、構造化されていることから生まれている。BLMでは、警察の介入を排除してコミュニティを自衛する動きが活発化した。これに対してトランプは、警察の強化から軍の動員まで目論むなどBLMや右翼の暴力と対決してきた諸々の反ファシスト運動、一般にAntifaと呼ばれるが、固有名詞でもなければ特定の組織を指すことばでもない運動をとくに名指しして摘発を主張した。大統領選挙でバイデン陣営は、トランプの治安維持と人種差別主義的な警察擁護に対して、警察の廃止ではなく、警察への財政支出のありかたを改革するという対案を提案することによって、警察をめぐる原則論を退けてしまう。「改革派は、この大胆な提案を薄め、ロビー活動によって警察の『資金繰りを切り崩す』という提案にすり替えたのである。当然のことながら、闘争を政党政治と政府の手続きの領域に還元してしまった結果、警察の財政出動すら理想的に思えてしまう。」

1.2.3 警察と極右の暴力の問題

警察や極右の暴力がエスカレートするなかで、ある種の「内戦civil war」が一部の活動家のなかで現実味を帯びて議論されるようになる。

「極右勢力が内戦を叫んでいる理由は複雑だ。草の根レベルでは、一線級の人種差別主義者たちは、文化戦争と人口動態の変化で自分たちが負け組になっていると感じている。一部の人種差別主義者は、公然とした敵対行為を先延ばしにすればするほど、自分たちの立場が悪くなると結論づけているようだ。彼らが過激化するにつれ、ドナルド・トランプやタッカー・カールソンのような民主主義者は、彼らの忠誠心を繋ぎとめるために、彼らとともに過激化せざるをえなくなる。」

選挙運動やBLMのデモがを広がりをみせるなかで、極右が銃を公然と携帯して威嚇するスタイルが拡がると同時に、極右や警察の暴力への自衛手段として、武器を携行するアンティファやコミュニティの活動家も登場する。著者は、「極右が内戦を求めているのであれば、私たちはこのパラダイムを特に疑うべきである」と述べる。しかし、問題は一筋縄ではいかない。暴力を否定して、選挙運動に集中すると、選挙という制度を前提にして選挙で多数をとれるような政策に絞って主張を展開することになるから、警察の廃止などというラディカルな主張はできなくなる。右翼が危機感から武力闘争へと傾斜するなかで、これに武力で呼応することになれば、右翼が前提している武装闘争=内戦の罠にはまることになる。[デモでの銃の拡散は、右翼の武装闘争と土俵を共有していることを反映している」

Crimethincの著者は、武装闘争と選挙運動という二極化に対して「常在的な拒否と反乱」を提起する。

「武器の奪い合いで個々の派閥が互いに戦う内戦の代わりに、私たちは水平的かつ分散的に反乱を広め、権力の制度とそれを支える忠誠心と対峙し、忠誠心を不安定化させることを目指す。このプロセスの第一段階は、いかなる法律、多数派、指導者が私たちの服従を当然のこととする考えを否定することである。第二のステップは、武力だけで目的が達成可能だというロマン主義を捨てることである。第三のステップは、既存の秩序を永続させるような私たちの役割を拒否することである。」

そして、「バイデン大統領の下では、不満を持つ極右からの攻撃が増えるだろう」という見通しのもと、バイデン政権について二つの点を指摘している。

「もしバイデンが大統領職を確保することに成功したら、私たちは直ちに彼と対決することに軸足を移し、彼の政権がどのようにしてトランプのアジェンダを実行し続けているかを示さなければならない。」

こうして彼らも前述したゴンザレスの場合同様、バイデン政権が誕生することで現在の深刻な極右の台頭や警察の暴力の問題が解決するとは考えていない。

Crimethincの著者は、社会全体の変革をどのように見通すのかという観点よりも、小規模なコミュニティの活動の原則に焦点をあてて上のような六つの原則を立てているように思う。こうした問題提起のスタンスはアナキストらしいもので、後述するように、マルクス主義に近い立場の社会主義者の場合は、より大きな体制全体の変革のプログラムへの関心が中心になる。

1.3 コメント(選挙制度と二大政党の限界)

言うまでもなく、アナキストたちが選挙に幻想をもったわけではなく、誰が権力者となるかで権力の抑圧装置としての機能に変化がありうるからだ。他方で、選挙が政治の全てではないのであり、「選挙政治は、人々に、自分の夢を追求するのではなく、2つの悪のうちのどちらか少ない方を支持するように圧力をかけ、それらの夢をますます手の届かないところに押しやってしまう」ことを指摘している。

選挙=議会制民主主義を原則として擁護する立場のばあい、選挙で選ばれた権力に対して抵抗する権利はどのようにして、あるいはどのような手段であれば正当化されるのか、という問題は真剣に議論されることの少ない問題かもしれない。次の選挙で勝利するための選挙運動であれば、選挙による民主主義の手続きの枠内の行動になる。代議制民主主義だけが政治の選択肢であるという考え方は、選挙以外の方法で権力を倒すという選択肢の正当性を否定することになる。しかし、そうであるなら、民衆の思想信条の自由、言論表現の自由によって保障されている直接行動の権利は、議会制民主主義の手続きに収斂するような範囲でしか認められないということになりかねない。言うまでもなく、いわゆる民主主義を標榜する国であっても、大衆の「反乱」ともよべる街頭闘争は重要な政治的な効果をもち、権力に影響を及ぼす。投票行動に還元できない行動の可能性を最大限保障することは、政治的な合意形成のひとつのありかたとしての議会制民主主義の結果とも連動する。

二大政党制は、つねに、この二つの政党のうちのよりマシな方を選択することによって、マシではない方が権力につくことを阻止するという方向で、人々の政治への関わりが誘導されてしまう。このどちらによっても実現できない課題は放置されることになる。これに対して、議会制に還元できない大衆運動はその多様性において少数者の意思表示のあり方として必須の条件をなす。

1.4 Anti Capitalism Resistance

以下は、Anti Capitalism Resistanceのサイトに掲載されたPhil Hearse「選挙後の忍びよるファシズム」という記事の紹介である。3

1.4.1 「忍びよるファシズム」の定義

欧米では、極右の台頭から、主流の政治の携行が右傾化するなかで、あからさまなファアシズムというよりも、人々の警戒をかいくぐるように、密かにファシズム的な傾向が政治や社会に浸透しはじめていることへの警戒が強くなっている。

「忍び寄るファシズム理論は、極右が権力に向かって前進するために使っている人種差別的、外国人恐怖症的、反移民的な波に直接対抗する緊急の必要性を左翼や大衆運動に警告するものであり、アメリカでトランプを選出し、イギリスでBrexitを確保するために使われたメカニズムである。本当の危険は、私たちが傍観し、すべては「普通」に戻るという極端な楽観論を採用していることにある。」

トランプが敗北し、バイデンが大統領になれば、これまでの異常な政治が終りを告げ、やっと正常になる、という安堵感がありとすれば、こうした感覚そのものがもたらす気の緩みを著者は警戒する。今回の大統領選挙については、トランプが敗北したことよりも、敗北しても彼が7000万票を獲得し、その支持者たちの熱狂が冷めない現状や、警察内部に強い支持者が存在することを重視する。

「もしトランプ氏がホワイトハウスから引き剥がされた場合、トランプ主義とアメリカの極右は敗北して政治の舞台から追放されることにはとうていならない。7,000万人の有権者は、トランプにとって計り知れない潜在的な基盤である。今後数週間から数ヶ月の間に、トランプが支持者の大規模な集会で演説し、さらなる闘争に備えているのを目にするかもしれない。トランプ主義は、さらに言えば、共和党をいまだにしっかりと握っている。(中略)共和党議会の人々は、トランプと決別する可能性は低いだろう、なぜなら、彼の忠実な大衆基盤は、共和党議員らがトランプから決別すれば、彼らの政治声明を終わらせることができるからだ。」

プラウドボーイズや武装した民兵の大規模な動員といった現象は明かにファシズムといってよいもので、「たとえ彼らが卍ではなく星条旗を敬礼していたとしても」ファシズムとみなすべきだというだ。こうした勢力は、地域の警察の大きな支持を得ておる、その数は何万人にもなる。「彼らはトランプの大衆基盤の重要な一部なのだ」と警戒する。

トランプの支持者は、均質で完成されたファシスト集団ではない。しかし、彼らの多く、何百万人もの人々は、明らかに(ブルジョア)民主主義を弾圧し、それを独裁的な権威主義政権に置き換えることを支持するだろう。」

1.4.2 なぜ居座るのか

大統領選挙でのトランプの敗北がほぼ明かであるにもかかわらず、トランプは執拗にホワイトハウスに居座っており、これを権力への執着とみなす見方もあるが、著者はむしろ、7000万に及ぶ得票という大衆的な基盤に着目すべきだという。

「トランプがホワイトハウスを離れることを拒否したのは、現段階ではおそらく、土壇場でクーデターを起こそうとしているのではなく、選挙が「盗まれた」という感覚をかきたてることで、トランプ主義者の大衆基盤を構築し、固めようとしていることを示しているのではないだろうか。」

一般に議会政治では、投票行動で敗北した側に投票した有権者は、多かれ少なかれ、その結果を受け入れつつ、次の選挙のために政権批判の運動へと軸足を移すが、今回の選挙ではこうした傾向に加えて、選挙の結果を受け入れないトランプ支持の有権者の数があまりにも膨大に存在し、こうした大衆の支持を固めることを目的にして居座りという戦術をとっているのではないか、というのだ。もしそうだとすると、この戦術は、トランプの政権続投という結果をもたらさないとしても、7000万票をとりこむことで国家の分断を回避しようとすれば、バイデン政権は右傾化せざるをえないことになる。

著者はその一例として人工妊娠中絶の問題をとりあげて次のように述べている。

「極右は、バイデンを妨害し、中絶が禁止されている州をバックアップするために、最高裁と上院のその可能性の高いコントロールの制御を使用して、事実上ロー対ウェイド判例(中絶を合憲とした最高裁判決)を破棄するだろう。バイデンはカトリック教徒であり、彼がこれに反対するかどうかはっきりしない。オバマケア(そのすべての制限を持つ)もまた、四面楚歌になる可能性がある。」

バイデンの民主党が形の上では政権にありながら、その実質が「リベラル」とはいいがたい右傾化した政策へと引き寄せられかねない危険性がある。こうした事態がまさに忍びよるファシズムと呼びうるものということができるかもしれない。

Anti Capitalist Resistanceの別の記事もトランプの大量得票を問題視する。4今回の選挙は、民主党の勝利とはいいがたく、投票率はほぼ互角ともいえるもので、投票率がかなり高(約67%)ために、今回は2016年よりも多くのアメリカ人がトランプに投票したことにもなっていることに注目する。そして、このエッセイで次のような疑問を投げかける。

「トランプは、無能者、ナルシスト、連続嘘つきであるという事実。彼はその「人民の男」の行為があからさまなフェイクのダサい億万長者のビジネスマンであるという事実。彼は人種差別主義者、性差別主義者、いじめっ子、女性への虐待者であるという事実。彼が公然と偏見と暴力と他者への侮蔑を扇動し、殺人警官とファシストの民兵を容認しているという事実、23万人のアメリカ人(集計された数字)が彼の否定と過失のおかげでコロナウイルスで死亡したという事実。にもかかわらず、7000万人弱のアメリカ人が彼に投票した。」

私もこの疑問を共有する。一般に、トランプの見えすいた嘘、白人貧困層の境遇に共感などもっていない彼のライフスタイルなど一目瞭然の現実を無視できない数の有権者が、それでもトランプに投票したのかは、きちんとした分析が必要だ。7000万の米国の有権者を、極端に非常識な愚か者だと判断することはできない。たぶん日常生活では常識をもった行動をしているはずの多くの人々の何かがある種の信じがたい投票行動をとったとすればその理由を合理的に解明しなければならない。このエッセイではそこまで立ち入ってはいないが、トランプへの投票で米国の伝統的なリベラリズムや議会制民主主義への大衆的な懐疑がはっきりしたという。

「トランプは日常的にリベラルな議会制民主主義の手続きやプロトコルに違反している。彼はこれを平然とやっているだけでなく、彼の中核的な支持者は積極的にこれを支持し、多くのアメリカ人が消極的に支持を与えている。」

「もしトランプが選挙に負けてホワイトハウスを去ることになれば、ワシントンに潜伏するのではなく、彼の基盤を動員してバイデン政権を包囲し、BLMや他のラディカルな抗議者に立ち向かう可能性がある。

2024年に78歳で大統領候補になるのはあまり信憑性がなく、共和党のボスたちは動き出したいのかもしれない。有権者の忠誠心は圧倒的にトランプにあって共和党にはない。トランプは、1920年代や1930年代のファシズムに非常によく似た、暴力的で人種差別的な大衆運動のリーダーになる可能性がある。この再動員されたトランプの基盤は、中絶、福祉の権利、公民権法制、エスニックマイノリティやLBGT+コミュニティに反対する新たなキャンペーンに活力を与える部隊としても利用される可能性がある。」

1.4.3 現代のファシズムの三つの原因

このエッセイで著者たちは現代のファシズムの特徴を三点指摘する。ひとつは新自由主義による福祉のコンセンサスの解体である。

「戦後の「福祉」コンセンサス–経済成長、完全雇用、強力な労働組合、生活水準の向上、住宅、教育、健康、年金、福利厚生に対する高水準の公的支出に基づく–の崩壊が、合意に基づくブルジョア支配の基盤を大きく破壊したことである。伝統的産業の衰退、恒久的な失業率の低下、停滞した賃金、腐敗した公共サービス、横行する企業権力、そして異常なレベルにある社会的不平等は、制度の正統性の危機を生み出した。ファシズムとは、社会的な怒りが支配階級に向けられないようにするために、スケープゴートに向ける反動的な政治力の組織化である。

いわゆる新自由主義政策と伝統産業の衰退がもたらした不平等の拡大のなかで、大衆的な怒りをなぜ社会的平等を要求する左翼が受け止められず、ファシズムともいえる傾向に屈することになったのかが左翼にとっても重要な宿題になる。

第二に、大衆的な抵抗や異議申し立てを暴力的抑えこむ弾圧体制である。

危機の影響は、社会と政治を二極化させることである。下からの闘争が爆発的に起こる危険性が残っている。このなかでファシズムは、積極的に反革命的な勢力となり、武装した活動家の中核は、意義を唱える者たちに対する警察の弾圧を直接支援し、受動的な反動的大衆は、抵抗する人々への国家暴力のエスカレートに屈服することになる。こうしたことは、今年の夏のアメリカのBLM抗議行動で明らかになった。

この指摘は、前述したように暴力の問題である。警察と極右が連携してつくりだされる抵抗する大衆への暴力だけでなく、この暴力を容認する「受動的な反動的大衆」の存在がこれを支えてしまう。「ファシズムは、積極的に反革命的な勢力」と述べられているが、BLMが革命と呼びうるような社会体制全体を転覆するような勢力となりうるかどうかははっきりしていないし、運動の参加者の意識も「革命」と呼びうるものとはなっていないのではないか。

三番目に指摘されているのが産軍複合体と多国籍企業支配体制の強化である。

第三に、過剰蓄積と過少消費の長期的危機に悩まされている世界資本主義システムの中で、軍産安全保障複合体がますます重要な一翼を担うようになりつつある。軍隊、警察、刑務所、国境、警備員、電子スパイ、データ収集などへの国家支出が増大し大規模化しているということは、システムの中心にある巨大な多国籍企業に有利な契約がなされていることを意味する。」

ここで記述されていることは、その限りではその通りと思うが、このような多国籍企業と軍の融合は、米国では一貫してとられてきた体制であり新自由主義に固有なわけではなく、むしろ20世紀の米国資本主義を通じてみられる。この産軍複合体とファシズムと呼びうるような右翼大衆運動の構造との結びつきについてはより立ち入った検討が必要だと思う。本稿の課題からそれるので一言だけ付言するが、現代のファシズムは、「サイバ=ファシズム」とでも命名できるようなネットの言説の社会化のメカニズム抜きには論じられないと私は考えており、この意味でいえば、IT関連の資本と国策が連動して大衆的なコミュニケーション空間をファシズムと呼びうるような性格のものにする基盤となっていると思う。

1.4.4 分断される労働者階級

左翼の観点からすると、社会的平等の実現にとって、階級的な不平等の問題は最重要の解決されるべき問題とみなす考え方が19世紀からの伝統だ。にもかかわらず、労働者階級の分断がますます顕著になり、階級としての団結も、団結の先に見通せなければならない平等な社会の構想が後退してしまっている。

「労働者階級の組織は、40年間の新自由主義的な衰退によってすでに劣化している。労働組合の組合員数は劇的に減少し、先進資本主義世界の多くの地域では、労働者階級の組織は事実上存在せず、ストライキ率は、特にイギリスでは底をついている。組織化された、闘争的で、階級意識の高い労働者運動である「自己のための階級」のこの急激な衰退は、労働者階級の内部にファシストの前進のための巨大な空間を作り出した。労働者階級は分裂し、ナショナリスト、人種差別主義者、外国人嫌いの勢力–第二波ファシズム–の大衆基盤は、より重く労働者階級的なものになっている。」

現代のファシズムは原子化され、疎外され、それゆえにナショナリズム、人種差別、性差別、暴力、権威主義の極右政治に開放されている労働者階級を通って「染み出す」ファシズム」であるとみる。「戦後すぐの安定した、高給取りの、組合化された仕事から追い出された、年配の、白人、男性労働者階級に訴えている」ということになるが、こうした階層だけでなく若年の白人労働者階級のトランプ支持も無視できないと思う。というのも、大統領選挙で大きな影響を与えたのは、高齢者のアクセスが多い伝統的なマスメディアだけでなくSNSの影響が無視できないからだ。

このエッセイでは、最後に「私たちは、現実を直視しながら、人類と地球の危機は、革命的な組織の危機なのだと言う。だからこそ私たちは、国際主義、エコ社会主義、民主主義、下からの闘い、被抑圧者との連帯に基づいた新しい革命的組織を構築するプロジェクトに身を投じてきたのだ。」と締め括るが、先に紹介したアナキズムの主張と比較するとマクロの社会変革に関心の中心があるという点で、視点の違いがはっきりしているが、しかし、この紋切り型の宣言は正論だから否定はできないが、かといって魅力的とはいえない。

1.5 コメント(階級、エスニシティ、ジェンダー、環境…をめぐる課題)

トランプに無視できない数の白人労働者階級が投票したであろうことはほぼ間違いない。これはヒスパニック系労働者の投票行動と明かな違いになっている。このような結果は、新自由主義がもたらしたものかもしれないが、しかし、もしそうであるなら、より新自由主義による犠牲を強いられたはずのヒスパニックの票がトランプに流れていない理由が説明できない。レイシズムの観点がこれに加わると、階級かエスニシティか、という別の問題群の重要性が浮上し、更にこれにジェンダーの観点が加わると、更に階級闘争の位置づけのありかたへの再検討の必要がはっきりする。新自由主義だけでなく、社会運動のなかで最も長い伝統をもつ労働運動が新しい資本の搾取の構造に対応した運動を構築できなかったという運動の側の主体のありかたへの反省が必要なのではないかと思う。とすれば、「国際主義、エコ社会主義、民主主義、下からの闘い、被抑圧者との連帯に基づいた新しい革命的組織を構築するプロジェクト」がこれまでどうであり、今後どうあるべきかというある種の総括の視点も必要になると思う。

前述したアナキストの分析では、ここで論じられているような資本主義全体の経済や社会構造への批判や組織のあり方についての視点が重視されていない。このことはコミュニティを基盤にする小規模分散型の抵抗運動を重視するのか、それともより組織された全国的(国際的)な運動を指向するのか、という運動の考え方の違いがでてきている。労働者が労働現場で組織され地域での連携を模索することと、これを全国的に繋ぐ上で必要になる最低限の合意形成の方法は、運動のなかの「民主主義」のありかたと関わる問題でもある。この古くからある問題を、ネットやSNSの時代にどのように再構成できるか、はかなり重要な課題になってきていると思う。

2 バイデン政権への左派からの抗議行動が開始されている

すでに、バイデン政権がほぼ確実になっている今、バイデンの政権移行に対して、かなり深刻な危惧を抱きはじめ、行動にでている。とくにバイデンの移行チームのメンバーや次期政権の主要閣僚候補として名前が挙がっている人たちへの批判が噴出している。

2.1 サンダースの支援者たち

選挙運動でサンダースを支援してきた民主党左派とその支持者たちにとってバイデンのお評判は悪かった。(だからバイデンではなくサンダースを支援したわけだが)RootsAction.orgの代表、ノーマン・ソロモンは、サンダースの支持者たちが、バイデンが民主党の正式な大統領候補になった後に、バイデンに投票するための作戦を意識的に展開してきた。5前回の選挙でヒラリー・クリントンを忌避し左派に影響されてトランプが当選した苦い過去があったからだろう。

「私が代表を務めている組織、RootsAction.orgは選挙戦の間、バーニー・サンダースを支援し、バイデンが数十年にわたって企業の強欲、人種的不正、軍産複合体に仕えてきたことを示す文書を広く配布した。

しかし、トランプかバイデンかという選択は痛いほど現実味を帯びている。魔法のような思考は文学的な価値を持っているが、政治の世界では、二項対立の選択肢が出てきたときに現実から逃避するのは妄想であり、危険だ。選挙結果が他人に与える影響よりも、投票に関する有権者の感情に焦点を当てた一種の自己陶酔に陥ることがあまりにも多い。

ノーム・チョムスキーは「バイデンが好きかどうかは関係ない、それはあなたの個人的な感情だ、誰もそんなことは気にしていない」「彼らが気にしているのは、世界がどうなるかということだ。我々はトランプを排除し、バイデンに圧力をかけ続けなければならない。」と最近のビデオで語っている。」

RootsActionのジェフ・コーエンが立ち上げたプロジェクト「Vote Trump Out 」では、「2段階のキャンペーン 」を展開した。「まず、トランプを追い出すこと。そして初日からバイデンに挑戦する…スイング州に住む「左翼の有権者」を説得するのは簡単で、彼らが躊躇しつつもバイデンに投票するように説得するには、我々がステップ2について真剣に取り組んでいることを知ってもらえれば容易なことだ。」

左派はトランプを政権から追い出し、バイデンを政権につかせることを選択しつつ、バイデンに対しもきちんとした抗議運動を展開することを約束することで左派の支持者を動かそうとした。RootsActionが組織したVote Trump Outのキャンペーンでは次のよに呼びかけている。6

「初日からバイデンに抗議

ドナルド・トランプは、真実、良識、私たちの地球に、そして働く人々に戦争をしかけてています。私たちが危惧することからすれば、2020年にホワイトハウスから彼を追い出さなければなりません。

進歩派、左翼として、ジョー・バイデンとの意見の相違を縮めるつもりはありません。スイング州で民主党の候補者を支持することが、トランプを倒す唯一の手段です。そして、私たちにはトランプを倒す道義的責任があります。

もしバイデンが勝てば、私たちはその大統領初日から彼の前に立ちはだかり、人種的、経済的、環境的正義を前進させるような構造改革を要求することになるでしょう。その前にすべきことははっきりしています。今年の11月は、スイング州で#VoteTrumpOutで投票しなければなりません。」

2.2 移行チームのメンバーの問題

バイデンが当確になって以降、政権移行の具体的な準備が進んでいる。しかし、バイデンが組織した政権移行チームのメンバーや閣僚候補に対して、既に多くの批判が出されている。上述したrootsactionのサイトに「バイデンの移行チームには戦争利得者、政権周辺のタカ派、企業コンサルタントがいる」という記事が掲載されている。7

この記事では、「企業コンサルタント、戦争利権者、国家安全保障のタカ派など、目を見張るほどの数の企業コンサルタントが、ジョー・バイデン次期大統領によって、彼の政権のアジェンダを設定する機関の審査チームに任命された。」として移行チーム一人一人の経歴を紹介している。以下、その一部だけを紹介する。

  • リサ・ソーヤー。彼女は2014年から2015年まで国家安全保障会議でNATOと欧州戦略担当ディレクターを務め、ウォール街のJPMorgan Chaseでは外交政策アドバイザーを務めた。ソーヤーは、Center for a New American Securityの「米国の強制的な経済政策の将来に関するタスクフォース」の一員であり、米帝国への屈服を拒否した国を不安定化させるために使われる可能性のある経済戦争の会議に参加。「ソーヤーは、米国政府はロシアの「侵略」を抑止するのに十分なことをしていないと考えており、欧州の米軍は2012年のレベルに戻るべきであり、ウクライナへの攻撃的な武器の輸出は増加すべと考えている。」
  • リンダ・トーマス・グリーンフィールド。米国務次官補(アフリカ問題担当)。バイデン・ハリス国務省チームのリーダーに任命。「彼女は、リビアでの戦争を推し進め、イラク侵攻を支持し、ルワンダの大量虐殺を可能にした国連の平和維持要員の解任決定に関与したスーザン・ライス元米国家安全保障顧問の揺るぎない味方」
  • トーマス・グリーンフィールド。 「マデリン・オルブライト元国務長官が会長を務める世界的なコンサルティング会社、オルブライト・ストーンブリッジ・グループの一員として、防衛産業のためのロビー活動」
  • ダナ・ストロール。国務省のグループに参加し、「新保守派のワシントン近東政策研究所(WINEP)のフェロー」「ストロールは2019年に上院民主党からシリア研究グループに参加し、シリアでの米国の汚い戦争の次の段階を構想するために参加した。提言には、米国が 「政治的結果に影響を与える 」ための梃子を与えるために、「シリアの資源が豊富な部分 」である同国の3分の1の軍事占領の維持が含まれていた。」
  • ファルーク・ミタ。オバマ政権の元国防総省職員。国防総省移行チームに任命。「イスラエルロビーとのつながりを育んできたイスラム系アメリカ人のPAC(Public Affairs Committee)であるEmgage( https://emgagepac.org 訳注)の役員を務めており、パレスチナ連帯の支持者から怒りの非難を浴びている。」

このリストはもっと続くのだが、彼らのかなりの部分が、オバマ政権時に米国政府で働いていた。特に外交政策について、バイデン政権が進歩的な方向をとると信じてきた人々にとっては落胆せざるをえない人選になっているという。

また、In These Tomes(古くからある左派系の新聞)にサラ・ラザレが「次期大統領は武器会社が資金提供するタカ派的なシンクタンクから引き抜いている。」(2020年11月11日)という記事のなかで次のように述べている。8

「国防総省の機関審査チームを構成する23人のうち、8人、つまり3分の1強が、兵器産業から直接金を受け取るか、兵器産業の一部でもある組織、シンクタンク、または企業での「最近の雇用」にリストアップされている」という。これらの企業には、レイセオン、ノースロップ・グラマン、ゼネラル・ダイナミクス、ロッキード・マーチンが含まれる。」

バイデンになってもやはり米国が構造的に有している政府と軍需産業の癒着は維持されたままだ。

なかでも、国務長官候補、アントニー・ブリンケンと国防長官候補、ミケーレ・フローノイへの批判は厳しい。バイデン次期政権の国務長官候補とされるアントニー・ブリンケンは、米国の戦争遂行に深く加担し、また武器輸出にも関わってきた軍国主義者であると批判されている。9 更に、国防長官候補のミケーレ・フローノイについては、CodePink, Our Revolution, Progressive Democrats of America, RootsAction.org, World Beyond Warなど運動体から連名で、11月30日に国防長官就任反対声明が出されている。10この声明では「私たちは、ジョー・バイデン次期大統領と米国の上院議員に、好戦的な軍事政策を擁護してきた歴史にとらわれず、兵器産業との金銭的な結びつきがない国防長官を選ぶよう強く求める。ミシェル・フローノイはこれらの資格を満たしておらず、国防長官としては不適任である。」として、具体的にこれまでいかに好戦的な外交に加担し、また兵器請負会社ブーズ・アレン・ハミルトンBooz Allen Hamiltonの取締役を務めるなど民間軍需関連企業で働いてきたのかを指摘して次のように結論づけている。

アメリカ国民は、兵器産業に縛られず、軍拡競争を終わらせることを約束する国防長官を必要としている。ミシェル・フローノイは国防総省の責任者になるべきではないし、他の者でもその資格を満たしていない者はなってはならない。私たちは彼女が指名されることに反対する。そして、私たちは、すべての上院議員が彼女が承認されないよう要求する多数の有権者からの声を屆けることができる大規模な全国的な草の根キャンペーンを開始する準備ができている。

ちなみにフローノイは東アジア外交について、今年6月にForeign Affairs11に「アジアの戦争を防ぐには―アメリカの抑止力の衰退が中国の誤算リスクを高める」と述べ、東アジアでの米軍の存在感を増す必要性を強調している。しかもこの米国の軍事力は、従来の軍に加えてサイバー領域での存在感の構築が強調されており、こうなると一般市民も利用するネットワーク全体が軍事化と安全保障の枠組で監視される危険性を招くよせることになる。

「全体的な作戦原則は「基地ではなく場所」に基づくべきである。内輪の範囲内では、中国の計画を複雑にするために、軍は潜水艦や無人の水中ビークル、遠征用航空部隊、緊迫した一時的な基地の間を移動できる機動性の高い海兵隊や陸軍部隊など、より小型で機敏な部隊パッケージにますます依存すべきである。また、安全保障協力に対してより戦略的なアプローチを取ることも不可欠であり、米国の同盟国やパートナーが抑止力に何を貢献できるかを評価し、それぞれのために複数年の安全保障協力計画を策定することも必要である。」

基地ではなく場所、という文言は一見すると辺野古に象徴されるような米軍基地建設に消極的にみえるが、実は逆であって、地域全体を軍事安全保障のシステムに組み込むこと、空間的な軍の自由で機動的な展開をより強化すべきだ、と主張するものだ。バイデン政権は、トランプ政権とは異なって平和主義ではないかとの根拠のない期待を抱くべきではない。

3 暫定的なまとめ

国民国家の選挙制度が、多くの外国籍の住民たちを排除していること、一国の政治に利害をもつ世界の多くの人々に選挙への参加の権利がないこと、制度そのものが多くの不公正や不平等を内包しているであろうことはこれまでも指摘さてきた大問題だが、ここでは、これらについては言及する余裕がない。また、米国の選挙が、共和党と民主党という二者択一の選択肢しかなく、文字通りの意味での左翼の政治勢力が、議会内左翼としてすら存在する余地がない、という極めて偏った政治体制であることもこれまで何度も指摘されてきているのでここでは言及しない。

上記のことを別にして、最大の問題は、トランプが敗北したことを喜べるような状況ではない、ということだろう。その理由はいくつかある。

  • 総得票の半数近い票を獲得し、前回よりも多くの支持を集めたこと。
  • 事実による主張が有権者にとって候補者選択の評価にならなかったこと。よく言われるように「ポスト真実」などと呼ばれる事態が実際の政治過程に大きな影響を与えたこと。
  • 労働者階級の分断が鮮明に示され、「階級」に基く闘争を基本に据えてきた伝統的な左翼や労働運動がこうした状況をどのように総括するかが問われているということ。

これらの原因がどこにあるのかを解明することが重要な課題になる。

上の「理由」だけでなく更に根本的に議論すべき問題がある。

果して選挙による民主主義は、最適な結果を生むシステムなのだろうか。民主主義を支える法の支配の根幹をなす憲法は、本当に民衆の権利を保障するものといえるのか、という問いが更に必要になる。この制度が正義や公正な権力を生み出す上で、最適な方法だという前提で政治と権力について議論してよいのかどうか、が改めて問われている。この問いは、米国に限らず、どこの国の代議制民主主義についてもいえる問題ではないか。日本の場合も、安倍政権への左翼や市民運動からの長年にわたる批判がありながら、政権は長期維持され、左翼の主張が多数を占めるような影響力を持ちえないままだ。大衆は間違った選択をすると安易に言うことは、大衆蔑視になるか左翼の権威主義になりかねない。たぶん、「ポスト真実」の時代に、なぜこうした時代になってしまったのか、なぜ真実よりも人々がフェイクを支持するのかを、正しさの視線からだけで判断するという方法そのものが妥当性を欠いているのだと思う。

どこの国にもある種のナショナルな「神話」がある。米国の「神話」はエスニックマイノリィが重層的な人口を構成するなかで、複数の神話が相互に干渉しあって摩擦を起こしているようにも思う。日本の場合、戦前の現人神神話の時代に、ほとんどの「日本人」がこのフェイクを「信じ」て自らの命を捨て、多くのアジアの民衆の命を奪ったという出来事を単に、真実と虚偽という二分法に頼っては理解できないだろう。同様のことはナチスのユダヤ人ホロコーストを正当化する過程についてもいえる。いずれも膨大な数の虚偽のテキストと言説が生む出された。今からみれば荒唐無稽な世界観や偏見を圧倒的に多くの人々が正義の証と「信じ」て受け入れたのだ。近代科学や合理主義が支配的な社会においてこうしたことが起きた歴史をほぼどこの国ももっている。この点を踏まえるとトランプのアメリカで表出した「ポスト真実」は新奇な現象ではなく、たぶん近代社会が合理主義の裏側で一貫して維持してきた神話の構造に由来するとみるべきではないか。この神話を再生産する根源にあるのは、様々なナショナルなアイデンティティであるとすれば、これは資本主義にとって本質的なことといわなければならない。

そうだとすれば、民主主義的な合意形成が科学や真実に味方するとは限らないということも明かではないだろうか。とはいえ、この時代になってなぜあらためてこうした「神話」が政治的な力をもってしまったのか。そのひとつの原因は、インターネットの普及によって一人一人が不合理な心情(信条)を不特定多数に発信することが可能になった結果として、これまではごく私的な領域でしか流通していなかった荒唐無稽な陰謀論のたぐいが流布する基盤を与えられたのかもしれない。とすれば、なぜ無視できない数の人々がこうした陰謀を信じるのか、という問題に立ち戻ることになる。米国でいえば、建国の神話や聖書の言説などの「神話」がその土壌を形成してきたのかもしれない。

こうなると私たちにとっての政治的な言説の場が再度「正しさ」をとりもどすには、こうした一連のフェイクを生み出す社会的な基盤との闘いなしには、実現できないということになりそうだ。

上述の点を踏まえて、再度代議制民主主義の問題を考えてみると、選挙そのもののプロセスが文字通りの意味での政治的言説の内実を伴う討議の空間を構築することなど全くできていないことに思いあたる。政治学の教科書や、議会政党が選挙と民主主義に与えている理念と、実際の選挙で起きている事態とはほとんど何の接点もない。選挙運動は、有権者に投票所に行かせて投票用紙に候補者の名前や政党の名前を書かせるためのテクニカルなプロセスであり、主要な関心は政治ではなく政治家の名前、政党の名前である。しかも政治家の名前が政治の内実を指し示す記号になっているならいざしらず、それもない空虚な記号である。この問題は実は極めて深刻な議会制民主主義の腐敗を示している。これに対して理想論を掲げることはほとんど意味をなさない。なぜなら、「名前」で投票するというシステムそのものが民主主義の実質を壊死させる原因になっているからだ。なぜ名前なのか、名前に政治の実体などないことになぜ気づかないのか。選挙で名前を書くという行為そのものがもつ空虚な行為が、逆に「ポスト真実」のような真実でないにしても意味が充溢した言説へ人々が魅かれる原因を作っているとはいえないだろうか。

Author: 小倉利丸

Created: 2020-12-07 月 18:16

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ワクチンナショナリズム?希望という名の不治の病

以下は、Vijay Prashad、”Vaccine Nationalism? An Incurable Disease Called Hope”の飜訳です。カナダの社会主義左翼のサイト、The Bulletに掲載されたもの。特に注目しなければならないのは、ワクチンの貧困地域への供給に不可欠な知的財産権の放棄を、日本政府を含む先進諸国が反対し、ワクチンを独占しようとしていることだ。日本のメディアも日本の人口に対してどれだけのワクチンが確保できるかにしか関心をもたない報道を繰り返し、ワクチン開発競争で特許が設定されることがあたかも技術の優秀性の証であるかのようにしかみなしていない。オリンピックを目標にワクチンの世界規模での普及を望むかのようなポーズをとりながら、実際に日本政府はじめ先進国政府がやっていることは、自国民優先の自民族中心主義という隠されたレイシズムだ。この問題は日本に住む者として、深刻に受けとめなければならないと思う。あわせてこのエッセイの最後に言及されているパレスチナの深刻な状況も見逃せない。(小倉利丸:訳者)

(追記)ワクチン・ナショナリズムについては日本でも報道がいくつかあります。(12月11日)

Harvard Business: Reviewワクチン・ナショナリズムの危険な落とし穴(6月22日)

時事通信:【地球コラム】「ワクチンナショナリズム」の醜悪(8月30日)

NHK:「世界に広がる『ワクチン・ナショナリズム』」(時論公論)(9月9日)


ワクチンナショナリズム?希望という名の不治の病

2020年12月4日 – ビジェイ・プラシャッド

世界の負債総額は現在、2019年から15兆ドル増加し、277兆ドルという天文学的な水準に達しています。この金額は世界の国内総生産の365%に相当する。債務負担は、コロナウイルスのデフォルトが始まっている最貧国で最も高く、ザンビアのデフォルトは最も最近のものだ。G20 債務サービス停止イニシアチブ(G20 Debt Service Suspension Initiative)や国際通貨基金(IMF)の COVID-19 金融支援・債務救済イニシアチブ(COVID-19 Financial Assistance and Debt Relief initiative)など、債務サービスの支払いを停止するための様々なプログラムや、様々な援助プログラムは、全く不十分だ。G20 のパッケージは、多くの民間および多国間金融機関を協定に参加させることができなかったため、債務支払いの 1.66%しかカバーできていない。

債務負担は、特にコロナウイルスの不況下では、債務を返済する能力がない国にとっては壊滅的なだけである。先月、UNCTAD のステファニー・ブランケンバーグは、トリコンチネンタル社会研究所に対 して、「最も脆弱な開発途上国における債務の帳消しは避けられず、誰もがこれを認識して いるが、問題はこれがどのような条件で実現するかだ」と語った。

IMF は、金利が一般的に低いため、各国に借金をするように促している。しかし、このことはもう一つの重要な問題を引き起こしている。パンデミックの影響の違いが示しているのは、十分な装備をもった保健労働者の数を含め、堅牢な公衆衛生システムを持つ国の方が、公衆衛生システムを使いつくした国よりも感染の連鎖をうまく断ち切ることができたということである。このことは政治的に広く認識されている事実であるため、各国は新しい資金のうち、より多くの資金を公衆衛生システムの再構築に費やすべきである。しかし、これは現実にはこうしたことは起こっていない。

ワクチンナショナリズム?

現在、ファイザーとモデナの2つのm-RNAワクチン、ガムレヤのスプートニクVとシノバックのコロナバックを含む、様々な企業や国からワクチンの候補が出てきていることは、歓迎すべきニュースだ。これらのワクチンや他のワクチン候補からの報告は、ポジティブな結果を示しており、COVID-19に対する何らかのワクチンがすぐにできるのではないかと期待されている。科学者たちは、民間の製薬会社の主張に注意を払っている。その中には、ワクチンが感染を防ぐかどうか、死亡率を防ぐかどうか、感染を防ぐかどうか、そして最後に、どのくらいの期間保護されるのかなどの疑問が含まれている

ワクチンナショナリズム」がワクチンの開発をめぐる希望を蝕んでいるのを見るのは落胆させられる。世界人口の13%を占める富裕国は、すでに34億本の潜在的ワクチンを確保しており、それ以外の国は24億本のワクチンを事前に発注している。人口7億人の最貧国は、ワクチンの契約を結んでいない。これらの国々は、世界保健機関(WHO)、ワクチンアライアンス(GAVI)、疫病対策イノベーション連合(CEPI)の協力のもとに開発されたコバックスワクチンに依存している。コバックス社は約5億回分のワクチンを確保する契約を結んでおり、これは2億5000万人分のワクチンを接種するのに十分な量であり、最貧国の人口の約20%をカバーすることになる。対照的に、米国は単独で人口の230%をカバーするのに十分な量のワクチンを購入する契約を結んでおり、最終的には18億ドーズ(世界の短期的な供給量の約4分の1)を管理することができる。

インドと南アフリカは、COVID-19の予防、封じ込め、治療に関連した知的財産権の放棄について、世界貿易機関(WTO)に合理的な提案をしている。これは、知的財産権の貿易関連側面に関する協定(TRIPS)の停止を意味する。貧困国のほとんどは、パンデミックの間、医薬品や医療製品への公平で手頃な価格のアクセスを主張しており、WHOはそのTRIPS評議会でこの提案を支持してきた。この提案は、米国、英国、日本、ブラジルによって反対されている。彼らは、パンデミック期間中の知的財産権の停止はイノベーションを抑制するという幻想的な議論をしている。実際には、数社の大手ワクチンメーカー(ファイザー、メルク、グラクソ・スミスクライン、サノフィ)がワクチンの開発を独占しており、その多くは公的補助金を使って製造されている(例えば、モデルナはワクチンの開発に24億8000万ドルの公的資金を受け取っている)。医薬品のような分野でのイノベーションは、公的資金で行われることが多いが、民間企業が所有していることが多い。

5月14日、140人の世界の指導者たちは、すべての試験、治療、ワクチンを特許フリーとし、ワクチンを貧しい国にコストをかけずに公平に分配することを要求する公約に署名した。中国を含む数カ国がこの取り組みに参加している。この考え方は、1つまたは複数のワクチンの処方を公開サイトにアップロードすることで、政府は公共部門の製薬会社にワクチンを無料または手頃な価格で配布するように指示することができ、または民間部門の企業がワクチンを製造し、手頃な価格で提供することができる。生産を多様化する必要があるのは、世界中にワクチンを輸送するのに十分な冷凍配送能力がないからだ。過去50年間、IMFは各国に公共部門を民営化し、一握りの多国籍製薬会社に頼るように押し付けてきたため、公共部門の製薬能力の問題は非常に切迫したものとなっている。この文書に署名した各国政府の首脳は、この傾向を逆転させ、公的部門の医薬品生産ラインを再構築する時が来たと述べている。

このままでは、2022年末までに世界人口の3分の2がワクチンを手に入れることはできないだろう。

人民のワクチン?

「ワクチンナショナリズム」と「人民のワクチン」の間の争いは、借金や人間開発の広大な領域をめぐる北と南の戦いを反映している。貴重な資源は、ウイルスの感染の連鎖を断ち切るための検査、追跡、隔離のために使われなければならない。それらは、何十億人もの人々に2回分の注射をする必要があるであろう医療専門家の訓練を含む公衆衛生インフラの構築のために使われなければならない。また、収入支援食糧供給、家父長的暴力の影のパンデミックに対する社会的保護など、人々の当面の救済のために使われる必要がある。

ワクチンについてヨゲシュ・ジェインやプラビル・プルカヤスタのような医師や科学者と話をしていると、マフムード・ダーウィッシュが2002年にパレスチナを訪問した際に、ウォール・ソウィンカ、ホセ・サラマーゴ、ブレイテン・ブレイテンバッハなどの作家のために企画した、希望についてのこのような瞑想で彼らを迎えたことが思い出された。

「私たちは不治の病にかかっている。解放と独立の希望。私たちが英雄でも犠牲者でもない普通の生活への希望。子供たちが無事に学校に行けるように。妊婦が病院で生きた赤ちゃんを産み、軍の検問所の前で死んだ子どもを産むのではなく、生きた赤ちゃんを産むことを希望します。」

11月29日は、パレスチナ人と連帯する国際デーだ。私たちトリコンチネンタル社会研究所は、解放を求めるパレスチナの人々の闘争への愛と連帯を確認する。私たちは、Khitam Saafin(パレスチナ女性委員会連合の会長)とKhalida Jarrar(パレスチナ解放人民戦線のリーダー)を含む、すべてのパレスチナ人政治犯の解放を求める要求を記録に残したい。イスラエルがパレスチナ人を投獄している刑務所では、COVID-19の壊滅的な発生が確認されている。

Human Rights Israelの医師たちは、ランセットに「占領されたパレスチナの領土でCOVID-19を戦う」という短いメモを書いた。彼らは、献身的なパレスチナの医療従事者の努力を、「パレスチナの医療システムが直面している特異な制限によって妨げられている 」と記述している。これには、東エルサレム、ガザ、西岸の分離、「イスラエルが課している制限」、そしてパレスチナ人全体の投獄ともいえる状態が含まれる。西岸と東エルサレムの300万人のパレスチナ人は、人工呼吸器付きの集中治療ベッドが87床しかない(ガザの200万人のパレスチナ人はもっと少ない)のに、イスラエルはパレスチナ人に水と電気の危機を強制しているのだ。

状況は悲惨である。闘争と希望は、その解毒剤だ。

この記事はThe Tricontinentalのウェブサイトに最初に掲載された。

Vijay Prashadはインドの歴史家、編集者、ジャーナリスト。 Red Star Over the Third World(LeftWord、2017年)の著者であり、 LeftWord Booksの編集長。最新刊はエヴォ・モラレス・アイマが序文を寄稿しているWashington Bulletsがある。

https://socialistproject.ca/2020/12/vaccine-nationalism-incurable-disease-called-hope/

付記:下訳にhttps://www.deepl.com/translatorを使いました。

学術会議と憲法あるいは学問の自由について

以前このブログに書いた学術会議への批判に対して、いくつか批判をいただいた。批判のひとつひとつについて逐一答えるというよりも、前回のブログで書けなかったことを書くことで、たぶん私の答えになると思う。

(1)学術会議と憲法の学問の自由について

菅による学術会議のメンバー任命拒否が、憲法の学問の自由の侵害だという主張がある。しかし、まず学術会議という組織は憲法の学問の自由とどのような関係にあるのかをみるべきだろう。学術会議は、憲法の学問の自由の権利を擁護し、この自由の枠組みに対する政府による介入から学問の自由を防衛するような役割を担うものとなっているのだろうか。

そもそも学問の自由とは何か、について憲法では最小限のことしか語っていない。この最小限の規定しかされていないことが実は自由にとって本質的に重要な意味をもつ。学問の自由は憲法23条に独立した条文として掲げられている。

第23条 学問の自由は、これを保障する。

いわゆる「国民の権利」の諸条文、12条、13条、22条、29条はいずれも「公共の福祉に反しない限り」など「公共」の制約が明記されているが、23条は19条、20条、21条とともに、この限定がない。「国民の権利」に関する条文は、意図的に「公共」という制約を課した条文と、この制約を課していない条文とにはっきり分れている。

23条に「公共の福祉に反しない限り」といった制約がないということを積極的な意義としてとらえる必要がある。このシンプルな条文のシンプルさは非常に重要だ。憲法学者や政治学者の議論は別にして、この国の為政者たちが「公共」を国益と同義とする現実は特殊なことではなく資本主義社会の権力のあり方一般にみいだされる傾向である。この国益=「公共」の支配的な用法を前提にして言えば、学問の自由や21条の集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由が、「公共」という制約のない条文になっているという意味は、国益=「公共」に反することがあってもよい、ということが積極的に含意されているとみなければならないだろう。そうでなければ、そもそも「公共」という文言を意図的に外した意義が失なわれる。とすれば、問題は、どのように「公共」から逸脱すべきなのかということになるが、言うまでもなく、国家が規定する「公共」に反しつつも、そのほかの憲法が保障する自由の権利と抵触すべきではなく、より積極的に言えば、これら自由の権利を拡張するような性質のものとして、学問の自由は権利として保障されるべきだ、ということでなければならないだろう。ヘイトスピーチやレイシストが言論の自由などをもちだしたり、あるいは学問の自由を口実に軍事安全保障や自由を抑圧する監視技術の研究を行う自由の主張は、自由の本来の意味には含まれない。個人としての尊重と、人種、信条、性別、社会的身分又は門地、政治的、経済的又は社会的関係において、差別を肯定しない社会的平等としての自由のための学問の自由であって、だからこそ、自由と深く関わる領域で制度や組織を置くことは自由の防衛になるとは必ずしもいえないのであって、むしろ、個々の研究者が組織や制度に依存することなく、政府が支配的なイデオロギーとして掲げる「公共」に抗う権利を行使できることこそが学問の自由にとって重要な意味をもつものだと言わなければならない。

同時に、自由という概念と、憲法すらそのなかに含まれる統治の規範や制度は、どのようなものであれ自由を制約する、ということも忘れられがちだ。絶対自由というものがありうるとすれば、一切の制度や規範が存在しない状態でなければ可能とはいえないが、こうした意味での絶対自由は、人間が社会を構成せざるをえない以上、少なくとも私の想像できる範囲では、実現不可能だ。制度や規範は人間の集団にとって不可避である。しかし、そうだとして、自由との関係でいえることがあるとすると、最大限の自由を確保するためには、規範や制度は少い方がいい、ということになる。資本主義社会では、新自由主義を規制緩和だから規範や制度を削減する「自由主義」的な発想だと見なすが、これは間違っている。新自由主義は国家の制度を市場の制度に置き換える立場であって、制度や規範の縛りが「減る」わけではなく、国家の代りに市場が人々の自由を縛る、自由を縛る縛り方が変るだけのことだ。

さて学術会議だが、学術会議もひとつの制度であり、上の原則を当てはめれば、存在するより存在しない方が自由の幅は拡がる、ということになる。しかし、本当に存在しない方が自由の幅を拡げることになるのだろうか?このことを検証するためには、学術会議のルールと学術会議がやってきたことを検証しなければならないだろう。学術会議が権利として憲法が保障する自由の権利を拡げる役割を果してきたのだろうか。前に書いたように、少なくとも、私自身の利害に関することでいえば、学術会議は、私の教育と学問の自由とはあいいれない立場をとった「大学教育の分野別質保証のための 教育課程編成上の参照基準」(以下参照基準と書く)を文科省に提出したという点だけでも、私個人にとっては学問の自由を制約する組織だと言わざるをえない。

(2) 学術会議は学者の「国会」ではない

私が参照基準問題を重視するのは、単に、私個人の問題というわけではないことは前にも書いたが、そこに書かなかったことを補足したい。参照基準が決定されて文科省に提出されるプロセスそのものに問題があったと思うのだ。参照基準は全ての大学教育に利害関係のある人々に関わる問題である。にもかかわらず、私の知る限りでは、参照基準の決定にこうした利害関係者の合意をとるという手続きがとられたことはない。

大学教育の利害関係者とは、大学で教育を担当する常勤、非常勤を問わず、すべての教員、研究者、職員を意味するだけでなく、あえてネオリベラリスト風に言えば「教育サービス」の受益者でもある学生もまた重要な利害関係者であることは言うまでもない。大学教育のカリキュラムはこうした人々全てに関わる問題であるにも関わらず、圧倒的多数の教員と全ての学生がこの参照基準の議論に関与しておらず、合意形成の枠組のなかにもいなかった。

「朝日新聞」10月1日では

「日本学術会議は、人文・社会科学や生命科学、理工など国内約87万人の科学者を代表し、科学政策について政府に提言したり、科学の啓発活動をしたりするために1949年に設立された。「学者の国会」とも言われる。」

というふうに学術会議の性格を規定している。NHK10月2日の報道も「「学者の国会」日本学術会議 6人の任命求め総理宛に文書提出へ」という見出しだ。しかし、学術会議を国会にたとえることが妥当なような選考方法は、法律にも下位の規則などでにも規定されていない。朝日は87万人というが、このなかには誰が含まれているのか、どのようにして代表を民主的に選考していうのか、といったことを理解して書かれた記事なのか。後に再度言及するが、代表選考にふさわしい選出方法にはなっていないと思う。このように書くと、学術会議を政権の思いのままにしたい菅政権や学術会議批判を繰り返す右派メディアやネトウヨの思う壺だと思う人たちもいるだろうが、わたしはそうは思わない。彼らは文字通りの意味での利害関係者全体による合意形成の民主主義など欲していないからだ。しかし、他方で、文字通りの民主的な手続きをとれば政権に批判的で民主的な研究者が選ばれるとも思わない。大学全体が保守化して企業や政府とのパートナーシップを積極的に受けいれる体質が強くなっているなかで、むしろ逆になる可能性のほうが高いが、そうした政権や保守派に有利な状況であっても官僚のコントロールが難しい民主主義を政権は好まないと思う。こうした問題も含めて、学術会議が文字通りの意味で学問の自由、市民運動や左派の目指す社会の実現に寄与するような団体であるのかどうかという評価を棚上げにして、任命拒否の一点に焦点を絞る運動方針を市民運動の方針とはしてとってほしくないと思う。むしろ、産官学一体化に学術、研究を包摂するための装置となってきた学術会議への批判的な評価をきちんと出すべきだと思う。学術会議の一部には私にとっても共感できる研究もあることを承知している。しかし、こうした「リベラル」な研究が学術会議という枠組みのなかに位置づけられることによって、逆に学術会議がリベラルを装うイデオロギー装置(文化のヘゲモニー装置と言う方が妥当かもしれない)として機能してしまい、リベラルを巻き込みながら、保守的あるいは政権寄りの学術研究政策の正統性を支えてしまうことになっているとも思う。「リベラル」な研究が学術会議のなかになければ実現できないわけでもなく、市民向けの社会教育ができないわけでもない。

常勤の教員ですら、学術会議のガバナンスの民主主義的な関与が不明確と私は思うが、そうであれば非常勤の教員はますます学術会議への関与の回路は閉ざされている。そして学生については学術会議はおろか今に至るまで大学の教育に対して「教育サービス」の受益者としての権利(消費者の権利といってもいい)すら獲得しえていない。教育の基盤を支える職員なしに教育と研究ができるわけもない。大学教育の直接の利害関係者の参加ができていない反面、菅政権が学術会議を批判するときには、民間研究機関などの研究者の参加を促すことが主眼であって、ガバナンスの民主主義的な意思決定には後ろ向きだ。

上述したように、ガバナンスが民主的になろうが、政府からの独立性が担保されようが、自由の本質からすれば、学術会議という組織の存在は自由を狭めるものでしかない。どのように合意形成が民主的に制定されようと、独立の装いのもとで、実際には一人の研究者、教育者としての自由を制約するような活動をせざるをえない限りは、学術会議は自由を制約する組織でしかない、とみなさざるをえない。

(3) 学術会議の独立はどのような選択肢をとっても不可能であり、かつ個々の研究者にとっては不必要でしかない

学術会議法3条に「日本学術会議は、独立して左の職務を行う」とあり、これが学術会議の独立性を法的に定めたものとして、政府の介入を不当あるいは違法とする根拠とみなされているように思う。しかし、個々の研究者、教育者の独立性を権利として保障するものにはなっていない。4条では、政府の諮問、5条では政府への勧告が定められており、これらの条文が「独立」の意味を制約している。独立しつつも政府との関係のなかで仕事をする機関という位置づけになっているのだ。

実は、そもそも学術会議法の前文が問題である。前文は次のようになっている。

「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される。」

いいことが書かれていると誤解されそうな文言だが、「科学が文化国家の基礎である」などという文言は受け入れがたい。私の研究も教育も「文化国家の基礎」としての科学という枠組みのなかにはないし、そうあるべきとも思わない。この前文では、科学は、もっぱら文化国家の正統性のために奉仕することが想定されており、このこと自体が、個々の教育者、研究者の自由を縛るものであり、民衆のための科学という観点が皆無だと思う。また、「わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献」するなどという文言は、歴史的にみても、口当たりのよい内実の伴わない文言だとは理解されずに国策に従属する研究者を排出するための口実につかわれてきた、と思う。資本主義の日本が平和復興や人類社会の福祉に貢献できる体制だという前提を置くこと自体に疑問を持つことが学問の自由の基本だと私は思う。前文のような口当たりよく聞こえがいいが国家を中心に据える文言が、個々の研究者、教育者の自由を縛り、国益に従属させるものになってきた思う。

「平和」を否定するのか、と言われそうだが、平和という言葉ほど平和から遠い言葉はないとつくづく思う。「平和維持軍」のような平和と軍がひとつの熟語のなかに共存していたり、核の平和利用としての原発の容認(これが学術会議の伝統的なスタンスだ)とか、人道的介入という名の武力行使とか、現実の戦争や軍事安全保障がいかに平和を乱用してきたか、ということは経験済みではないかと思うのだ。研究者がまず疑問に付すべきなのは、このような紋切り型の「平和」とか「文化」とか「国家」を科学によって正当化しうるかのような言説そのものである。国家が科学によって基礎づけられたことなどあったためしがない。同様に文化も科学によって基礎づけられることなどありえない。国家も文化も、そして「文化国家」なる奇妙な概念も、いずれもが多かれ少なかれイデオロギー装置なしにはその正統性を維持・再生産できないということを考えれば明らかなように、「科学」は不合理で科学的に説明しえない権力の正統性をあたかも論理的に説明しうるかのように偽装するために利用され、その結果として、研究者も教育も国策に利用されてきたし、今もそうだ。このような前文に学術会議がどれほど規定されているのかはまた別の問題であるにしても、こうした理念そのものが学問の自由を縛るものだと思う。

そして前文にある「科学者の総意の下に」という文言が、たぶん今回の任命騒動でも問題にされるべきことだと思う。「総意」の確認手続きがどのように担保されているのか、私には理解できない。参照基準のように教育の内容にまで踏み込むのであれば、その利害当事者をきちんと合意形成に含めるべきだろうし、総意というのであれば、内閣総理大臣の任命以前に科学者の総意を確認する手続きをとるようなルールが存在しなければならないと思う。市民運動は、「総意」に含意されている内実をきちんと原則に沿って確認することから政権の対応を批判してほしいと思う。「総意」問題は組織のガバナンスと民主主義にとっての死活問題で、このことは市民運動が組織の意思決定の民主主義をどれだけ重要な問題とみなしているかの試金石だと思う。ここで右翼や政権に足を掬われることを危惧して沈黙してはいけないと思う。

現行の学術会議が政府機関と位置づけられていることへの批判として、文字通りの独立機関にすべきだ、という意見がある。たとえば東京新聞12月4日は井上科学技術担当大臣の発言を報じている。

「井上信治科学技術担当相は4日の記者会見で、日本学術会議について国からの切り離しを求めたことについて「各国のナショナルアカデミーが独立した形をとっており参考にしてほしい」と述べ、海外の事例を参考に会議側に検討を要望したことを明かした。一方で「日本のナショナルアカデミーとしての機能を維持したい」との会議側の要請については「私も賛成だ」とし、その機能を維持した上で切り離しを模索するよう求めたとも話した。」

私はいかなる意味での独立、切り離し論にも反対だ。いわば民営化のような措置だが、学術会議が民間機関化すれば必ず、学術会議は映倫のような自主規制組織になり、なおかつ国の機関ではないために、人々の権利の及ばない組織になる。独立化によって、ますます一般市民であれ利害関係者であれ、民主主義的なコントロールの及ばないブラックボックスとなるから、容認できない。他方で、現状のような国の機関という位置付けであれば、政府の直接の影響を免れることはほぼ絶望的だと思う。いずれであっても、政府は、教育と研究を支配するための文化的なヘゲモニー装置として学術会議に対する権力作用を維持できるだろう。

自由のためには制度は少ない方がよく、代替の制度も不要だという自由の原則からすれば、学術会議はなくした方がよく、それ以外の選択肢は思いつかない。その結果として大方の研究者や学生が不便であったり自由を侵害されることにはならない。そもそも圧倒的多数の研究者や学生にとっては意思決定に参加できる回路が存在しないのだから。

(4) 学術会議の提言と現実の間の乖離

日本学術会議の意義として引き合いに出されるもののひとつに2017年に出された「軍事的安全保障研究に関する声明」がある。たった1ページの簡素なものだ。冒頭で

「日本学術会議が 1949 年に創設され、1950 年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を、また 1967 年には同じ文言を含む「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を発した背景には、科学者コミュニティの戦争協力への反省と、再び同様の事態が生じることへの懸念があった。近年、再び学術と軍事が接近しつつある中、われわれは、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究、すなわち、軍事的な手段による国家の安全保障にかかわる研究が、学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にあることをここに確認し、上記2つの声明を継承する。」

と宣言し、より具体的には防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」への危惧が表明されている。

「防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」(2015 年度発足)では、将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ、外部の専門家でなく同庁内部の職員が研究中の進捗管理を行うなど、政府による研究への介入が著しく、問題が多い。学術の健全な発展という見地から、むしろ必要なのは、科学者の研究の自主性・自律性、研究成果の公開性が尊重される民生分野の研究資金の一層の充実である。」

この学術会議の声明は実際には効果を発揮していないと思う。防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」に対しては今年度120件もの応募があり、21件が採択されている。この制度は「防衛技術にも応用可能な先進的な民生技術、いわゆるデュアル・ユース技術を積極的に活用することが重要」として設置されたものだ。研究の採択審査にも多くの研究者が参加しており、採択された研究がどのような軍事技術への転用が可能なのか部外者には非常にわかりにくい。

学術会議はこの宣言のフォローアップ報告『「軍事的安全保障研究に関する声明」への研究機関・学協会の対応と論点』を今年8月に公表するが、上述のように、実際に応募されているケースがあり、この防衛装備庁の採択審査に協力している研究者が多数いるにもかかわらず、こうした研究に応募した研究者、研究機関に対する有効な歯止めのアクションはとれていないように感じる。学術会議は、宣言の一定程度の効果を評価しているが、果してそういえるのか、120件もの応募が実際にあったことを過少評価していないだろうか。こうした学術会議の動向は学術会議の限界でもあると思う。

学術会議は、高邁な理想を提言に盛り込みつつ実際には、その理想を実現できないどころが実現する積りがあったんだろうか、というケースもある。以下は、もはや「時効」かもしれないような半世紀も昔の話だ。

学術会議には「勧告」という制度がある。ここ10年一度も勧告は出されていない。勧告とは「科学的な事柄について、政府に対して実現を強く勧めるものです」と説明されている。 提言などよりもより強い主張ということだろう。

1969年5月10日に「大学問題について(勧告)」が出される。そのなかに「学生の権利の確認について」という項目があり、「学生に対しては、憲法、教育基本法の保障された権利を認め、さらに大学における学生の地位にかんがみ、一定の方式で大学の運営に参加させるべきである」と明記されている。また「大学問題についての中間報告草案(抜すい)」では、更に踏み込んで「学生は、教職員とともにそれぞれ固有の権利と義務をもって大学を構成するものであり、大学の自治に参加すべきものであろう」と書かれている。学術会議は学生運動の暴力の表面的な現象に拘泥している面もあり、その背景をなしている教育の問題を捉えそこねているところもあるが、この勧告では学生を単なる受け身の存在とはみなさず学問、研究の主体の一翼を担うべきものとした。この点を学術会議もこの国の研究者たちもすっかり忘れてしまっている。そして私も今回、このような出来事がなければ把握できなかったことでもある。現代の大学がいかにおおきく後退してしまっているかを改めて実感させられる。学術会議はこうした勧告を出しながら、それをほぼ完全に反故にしたといえるのではないか。大学の教員の大半がこうした学生、職員の管理運営への参加に否定的だったということだろうし(私自身も学生の大学運営への参加を積極的に主張してこなかった)、このスタンスを学術会議もまた受け入れてきたとしか解釈のしようがない。市民運動が問題にすべきなのは、こうした大学をはじめとする高等教育と学者の「国会」を標榜する学術会議の実態が学問の自由をはじめとする自由の権利に値する制度なのかどうかでなければならないと思う。大学の管理運営問題では、教授会の自治への関心は強いのだが、非常勤の教員や学生、職員も含めた教育、研究に関わる全ての人々の平等な参加の可能性についての議論はほとんどされてきていない。国立大学では人事権は教授会から奪われ、大学経営に外部の理事が参加するが、地域社会の多様性はほとんど反映されず、もっぱら企業、財界の有力者ばかりが経営に影響力を行使できるような制度になってしまっている。半世紀前の問われた問題は、こうした文脈のなかで、社会的平等を基礎とした自由の問題として想起されてよいと思う。

他方で学術会議が着実に成果をあげ、積極的に取り組んでいるように思えるものもある。たとえば以前言及したように、安倍政権が目玉のひとつとして打ち出したSociety5.0には繰り返し肯定的な言及がなされている文書が複数あり、また、市民運動のなかでは重要な課題となっているマイナンバーなどのプライバシー侵害の技術についても批判よりも推進の立場が目立つ。原発についても容認の立場が目立つ。どのようにみても市民運動の方向性とは対立する政権や財界の路線を踏襲するスタンスの提言について、不問に付すべきではないと思う。それぞれの運動の課題との関連のなかで厳しく評価すべきだ。任命拒否反対、全員を任命せよという運動の方針では、とりあえず問題を棚上げにすることになってしまうのでは、と危惧する。本当にこれでいいのだろうか、と思う。

学術・研究の分野は、総じて保守的で政権を支える流れが支配的な存在になっていることを見落してはならない。学問・研究の自由は、こうした支配的な流れに抗して、右翼レイシストの自由の概念の簒奪に抗して、憲法が保障した基本的人権を実現するための自由の領域でなければならないが、こうした立場は明らかに少数になりつつあり、周辺に追いやられざるをえない存在だ。自由を希求するが故に、常勤のポストを得られない多くの研究者がいる。学生も院生も将来の就職を人質にとられて自由な研究ができないだけでなく、そもそもの基本的な意思決定の権利を大学や研究組織のなかで保障されていない。学術会議にこうした原則的な自由の擁護者を期待できない。たとえ全員が任命されようとこれまでの学術会議が果してきた文科省や政府の政策を補完する役割が覆されることなど到底ありえないと思う。

学術会議に市民運動は、それぞれの目指す運動の課題の実現との関連で期待することが本当にできるのか、あるいはそうすべきなのか。反戦運動や反基地運動などの平和運動、反原発運動、反監視運動などのスタンスの原則からきちんと批判しないといけないのではないか。批判することで市民運動が失うものなど何もないはずだ。市民運動は、教育や学問の問題でも原則を見失わないでほしいと切に願う。

12月2日:ATTAC首都圏連続講座ご案内:選挙と議会制民主主義?―米大統領選挙から考えたいこと

タイ民主化運動の再来

以下に訳出したのは、Jacobinに掲載されたGiles Ji Ungapakorn, The Return of Thailand’s Democracy Movement, 11月26日、です。タイの新たな民主化運動について、タイ王政の位置づけも含めて社会的背景も含めた分析として貴重な示唆を与えてくれる。不敬罪がありタイ王室への批判がこれほどまでに広範な民衆運動になるとは予想できなかったが、王室批判を現国王の資質に還元することはできず、王室を重要なイデオロギー装置として利用してきた伝統派と近代派による資本主義的支配の構造を理解することが重要だと思う。(小倉利丸)


タイ民主化運動の再来

タイのバンコクで火曜日、サイアム商業銀行の本部の外で三本指の敬礼をする抗議者たち。(Sirachai Arunrugstichai / Getty Images)

ギレス・ジ・ウンガコーン
タイの保守的な軍事政権は、弾圧と不正な政治システムによって権力を握っている。しかし今年は、若い活動家を中心とした民主化運動からの前例のない挑戦に直面している。

タイの抗議者は今、香港からチリ、ナイジェリアからレバノン、ベラルーシからアメリカまで、世界のさまざまな地域で不正や権威主義に反対して立ち上がる若い反乱軍の仲間入りをしている。8月以降、若者主導の大規模な親民主化抗議デモがタイの軍事政権を揺るがし、国の君主制をあえて批判してきた。

2006年に選出された政府に対する軍事クーデターの記念日である9月19日には、バンコクの群衆は10万人以上に膨れ上がった。また、1970年代の軍事独裁政権に対する大規模な反乱が起きてから47周年を迎えた10月14日にも、同様の数のデモ隊が集まり、独裁者であるプラユット・チャノチャ氏の辞任を求めて政府庁舎まで行進した。彼らはまた、新しい憲法と君主制の改革も要求した。

10月に抗議する群衆の間を駆け抜けるとき、女王は民主化推進派の3本指の敬礼で迎えられた(中指のジェスチャーもいくつかあった)。群衆は彼女に向かって「私の税金だ!」と叫んだ。11月には、抗議者たちは王室の護送車に背を向け、再び3本指の敬礼をした。

タイ政府はデモを禁止する非常事態権限を発動し、警察は2度にわたり水鉄砲を使用したが、抗議行動は続いている。警察が刺激剤を含んだ水をデモ参加者に散布した際には、怒りを煽ってデモ参加者を膨らませただけだった。

抗議運動の分岐点

過去に非武装デモを撃墜するために軍隊が出動したことがあるが、これまでのところ軍政府の反応は穏やかである。それでも、多くの有力な活動家が逮捕され、中には複数の裁判沙汰に直面している者もいる。運動の反応は「誰もがリーダーだ」と宣言しているため、有力な活動家は抗議活動を続けてきた。

しかし、プラユットPrayutとその一味は簡単にはいかない。2014年のクーデター以来、彼らは権力を維持するために、新しい憲法の作成、元老院の任命、20年間の「国家戦略」の策定、昨年の選挙の修正などの対策を講じてきた。

プラユットはすでに血まみれになっている。2010年、軍の総司令官を務めていた時、彼と当時の軍任政府は非武装の親民主派レッドシャツへの銃撃を命じた。タイ軍は、近隣諸国に避難している反体制派に対しても殺害を行ってきた。

王立衛兵の制服を着たプラユット、2011年。(ウィキメディア・コモンズ)
運動は岐路に立っている。何度も何度もフラッシュモブを組織することは、抗議者を疲弊させる危険性があり、そのような行動は、勝利のために必要な条件である国を統治不能にするのに十分ではない。政権が政党の協力を得て、運動を粗雑な妥協に追い込もうとしているという不吉な兆候がある。

この策略の目的は、国会手続きを通じて憲法の一部を改正することにあるだろう。政府はまた、教育条件について一部の中等教育学校の生徒と会談を行うことで、抗議者を分裂しようとしている。

抗議の解剖学

2017年3月21日、タイのバンコクでプラユットと一緒にいるフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領。(WIkimedia Commons)

抗議者は学生と労働者で構成されており、主に若い活動家のグループによって組織されており、当初は「自由民衆Free People」という組織を名乗っていた。彼らは現在、絶対王政を打倒することに成功した1932年の革命を主導した運動にちなんで「人民党People’s Party」と名乗る連合を結成している。この運動では、若い女性が主役となっている。

この運動が10年前の「赤シャツ運動」と異なるのは、活動家が政党から独立していることである。実際、主流の野党はこの運動に追いつくことができず、人々が到着し始めるとすぐにデモ会場に到着する移動式のミートボール売りとは異なる。

中等学校の生徒たちはこの運動の重要な部分を占めており、始業前の義務的な国旗掲揚式では三本指敬礼の抗議行動を行っている。彼らは教師に反抗し、反論している。

ある時には、学校の生徒たちのグループがクラスを離れて教育省の前で抗議をしたことがあった。大臣が生徒に声をかけようとすると、「独裁者の手先だ!」と罵声を浴びせて追い出された。ある集会では小学生が発言したという報告もある。

3本指の敬礼は映画「ハンガー・ゲーム」シリーズから借りたもので、2014年の反クーデター抗議デモの際に軍事独裁政権への反対のシンボルとなった。タイのデモは常に象徴主義に満ちている。10年前の大規模なプロ民主化動員の主催者はレッドシャツと呼ばれ、軍の王室派支持者は黄色のシャツを着ていた。

これらの中産階級の反動主義者たちは、後になって色の違うシャツを着て、自分たちが無党派であることを装おうとした。彼らの反対派はすぐに彼らを、色とりどりの麺のデザートにちなんで「サリムSalim」と呼んだ。「サリム」という言葉は、民主化賛成派が保守派の敵を表現するために広く使われる蔑称になった。

新世代

学生たちは、2014年の軍事クーデター以来、散発的に行われてきた民主化への抗議デモを盛り上げ、拡大させることに成功してきた。彼らは、タイ社会、特に教育制度において定着した保守主義にうんざりしている。

国の経済はCOVID-19のパンデミックのために混乱しており、タイの若者は将来に希望を持てる理由をほとんど見出せていない。彼らはこのような怒りと不満の感情を多くの成人人口と共有している:半数以上が2019年に軍事政党に反対票を投じた。バンコク大学が実施した最近の世論調査によると、40%以上の人が家計を維持するのに苦労していることが分かった。

世代間の違いは、過去に残忍な軍事弾圧を経験した年配の活動家に共通する恐怖感を若者が感じていないことである。他の大規模な抗議活動と同様に、運動の要求は拡大している。LGBTや中絶権の活動家が参加しているほか、イスラム教徒のマレー系地域であるパタニで自決を求める運動をしている活動家も参加している。2010年に軍隊が彼らの運動を残忍に弾圧して以来、年配の民主化運動家であるレッドシャツの活動家も初めて参加している。

若者たちは、過去に残忍な軍の弾圧を経験した年配の活動家たちに共通する恐怖感を感じていない。
若者運動が明確な組織構造を持たずに指導力を委譲することを重視していることは、長所であると同時に短所でもある。一方では、主要な活動家が定期的に逮捕されているにもかかわらず、抗議活動の継続を可能にしている。他方では、選挙で選ばれた活動家ではない主要な活動家のグループによって戦略が実際に決定されており、幅広い運動の中で顔を合わせて議論する機会があまりないということを意味している。

タイ政治危機の起源

現在の危機の根源は、選挙で選ばれた実業家から政治家に転身したタクシン・シナワット政権に対する2006年のクーデターに至る出来事にある。多くの解説者は、タクシンと王党の支配階級の対立を「古い封建的な秩序」が「現代の資本主義階級」に反撃していると説明しようとしているが、これは実際のところ、対立の本質ではない。

2008年8月13日、ロンドンに逃亡し、法廷に出廷しなかったタクシン・シナワットの逮捕状。

タクシンも保守派の敵対者も王党派である。保守派は封建主義者ではなく、むしろ権威主義的な新自由主義者と見るべきである。王政の考えを支持するということは、彼らはタイ最大の資本主義企業の一つを支持しているということでもある。

現在の軍事政権は、これらの保守派の中で最も強力な派閥である。彼らは資本の利益のために権力を掌握するために武力を行使し、その過程で個人的に豊かになっている。タイ軍はまた、大規模な銀行や様々なメディアを所有し、独自の企業ネットワークを持っている。

タクシンはITビジネスからスタートし、タイ有数の携帯電話や通信ネットワークのオーナーになった大金持ちの資本家だ。しかし、タクシンは在任中に、国の近代化のために、国レベルで自由市場政策と草の根的なケインズ主義をミックスしたような政策を使うことを覚悟していた。彼はこれを「デュアルトラック」アプローチと呼んだ。2001年の政権発足当初は、アジア金融危機からの脱出に成功したことから、エリート層のあらゆる層から支持を得ていたが、保守派は次第にタクシンに反発していった。

保守派は、大規模なインフラ整備や貧困層に利益をもたらす政策を含む大規模な近代化プログラムの結果、自分たちの特権を失うことを恐れて、次第にタクシンに反発していった。タクシンの政治マシンであるタイ・ラク・タイThai Rak Thaiは、このような政策によって有権者の心を掴んだのである。タクシン政権は、タイ初の国民皆保険制度を導入し、農村地域に雇用創出基金を設立し、農民のための債務救済を行った。

タクシンへの強い支持は、保守派の反対派を怖がらせた。保守派は2006年に軍事クーデターを起こした。

タクシン後

タクシンは社会主義者ではなかった。また、公理にかなった民主主義者でも人権擁護者でもなかった。彼のビジョンは近代化されたタイ社会で、国家と大企業が国民の大多数を経済発展に取り込むことができ、シンガポールのような国からインスピレーションを得ることができるようにするこだった。2008年以降、彼は無期限の亡命生活を強いられており、大規模な反乱を支持するつもりはない。

タクシンの棄権と、野党の新党「ムーブ・フォワード党Move Forward Party 」の大衆運動の構築を拒否したことで生じた指導者の空白は、現在の抗議への動員が主流の政治を超えた動きをしている理由を説明している。プラユット政権に反対する運動は、現在、タクシンの政治組織から完全に独立しており、平等、自由、社会正義を熱望している。

2017年3月21日、タイのバンコクでプラユットと一緒にいるフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領。(WIkimedia Commons)

2006年のクーデター以来、タイ軍が主導権を握ってきたが、2011年から2014年にかけてタクシンの妹インラックが政権を樹立した。2010年の赤シャツ民主化運動に対する激しい弾圧の後、2011年の自由選挙で赤シャツ支持の政権が誕生し、インラックがタイ初の女性首相に就任した。軍部と保守派の司法部は、インラック政権を繰り返し弱体化させ、2014年にはついにプラユットのクーデターによって政権を転覆した。

プラユットが政権を掌握した後、最終的に2019年に選挙が行われたが、反民主主義的なルールと軍によって作成された反動的な憲法の下で行われた。プラユット自身が率いる親軍派のパラン・プラチャラート党 Palang Pracharat partyは人気投票で4分の1以下の票を獲得したが、軍が任命した上院は、プラユットを首相に据えて再び政権に復帰させることに貢献した。軍部が手なずけた法廷が、2つの野党を解散させた。いわゆる国家人権委員会でさえも、軍人と警察官で埋め尽くされている。

衰退する王政

タイの人々は、2016年に父プミポンの死後、父プミポンの後を継いだ新国王、ワチラロンコンの行動に辟易している。このチンピラでかなり頭の悪い君主に対する怒りが、今、表に出てきている。人々は国王批判や説明責任から国王を守る法律に怒りを感じている。

海外での生活を認めるよう憲法を改正したワチラロンコーンは、ドイツのハーレムで過ごすことが多く、その女性の扱いも不人気の大きな原因の一つである。ワチラロンコンは、王政に関連するすべての富を彼の個人的な中央集権的管理下に置くために、別の憲法改正を推進した。

タイ王室、1966年。右端にワキロンコンがいる。(ウィキメディア・コモンズ)

タイの君主制の改革要求は、君主制の影響力と特権を削減すべきだとの広範な感情を反映している。時が経つにつれ、より多くの人々が共和制という考えに魅力を感じるようになった。タイの人々が数十年ぶりに、厳罰的な法律に反抗して公の場で国王を批判する自信を持つようになったのだ。

強力な軍部は伝統的に、権威主義的な支配を正当化するための道具として、弱体の王政を利用してきた。タイの多くの活動家は、タイには絶対的な君主がいると誤解している。実際には、1932年以降、君主制はそれ自体ほとんど力を持っていない。その機能は、軍と保守派が喜んで使う道具として機能しているだけである。

君主制に対する国民の批判は歓迎すべきことだが、君主制を弱体化させ、タイが共和制になる日を早めるのに役立つだろうが、軍事独裁政権が民主主義と民衆の権力にとっての主な敵であることに変わりはない。

支配的なファサード

1932 年に打倒された絶対君主制は、1870 年代に封建制を終わらせたタイの革命から生まれた資本主義君主制であった。絶対君主制は不安定なものであることが証明され、1932年の革命とタイの資本家階級の支配下での立憲君主制の確立につながった。

何十年もの間、タイのエリートたちは保守的な王室主義者のネットワークを通じてタイを支配し、国王を万能の神としてイメージさせてきた(「ネットワーク君主制」という言葉はダンカン・マッカーゴDuncan McCargoに由来するが、彼の分析は君主の実際の力を誇張していると私は思う)。しかし、前の国王プミポンは常に弱く、「個性」がなく、その力は虚構であった。

タイのエリートたちは、プミポンの無意味で不透明な演説をまるで聖典のように再現していたが、保守的な支配層が自分たちの利益のために解釈するまでは、その言葉にはほとんど意味がなかった。息子は、まとまった文章を書くのが難しいことが多く、国王と丁寧な会話をしなければならなかった外国の外交官にとっては苦労の種となっている。

タイのエリートの中で本当に重要なのは、軍隊、高官、ビジネスリーダーである。彼らは地上にひれ伏し、テレビで国王に敬意を表しながら、このファサードの裏で本当の権力を行使し、自分たちを豊かにしている。これは、国民を欺くために演じられたイデオロギー劇なのである。現代世界では、君主制がイデオロギー的な役割を果たして現状を強化している。タイも例外ではない。

タイは冷戦時代、米国と親密な同盟関係にあったが、米国がベトナムから撤退して以来、タイ国家はこの同盟関係から徐々に遠ざかっている。今日、タイ政府は、この地域の2つの主要な帝国主義大国との関係のバランスを取ろうとしている。中国と米国である。タイ軍はしばしば中国のサプライヤーからハードウェアを購入している。

ワシントンは、オバマ政権下でもトランプ政権下でも、タイ政府への厳しい批判には消極的である。米タイ合同軍事演習は、軍事政権時代を通じて継続している。抗議運動の背後にアメリカがいるに違いないという陰謀論は根拠がなく、部外者が糸を引くことなく普通の人々が組織化することなどできない、という侮辱的な意味合いを含んでいる。

ミッシングリンク

近い将来には2つの可能性がある。抗議運動がストライキのようなより強力で過激な行動を組織するために前進するか、そうでなければ勢いが失われるかのどちらかである。抗議活動に対する世論の支持の度合いを考えると、活動家たちが今、運動に力を加えるような職場停止の構築を試みることが重要である。

タイの労働組合活動家の多くは、政治的な方法で闘うことを望んでいる。主に民間企業の職場を拠点とするこれらのラディカル派は、軍とイエローシャツに反対している。ここ数カ月、彼らは個人としても労働組合グループとしても、若者が主導する民主化推進デモを支援するために登場している。

自動車組立、自動車部品、電気機械工場が集積する東海岸では、「東部関係労働者グループthe Eastern Relations of Labor Group」と名乗る、階級性の高い労働組合組織が、政権に反対する集会を組織している。バンコクの北に位置するサラブリーの繊維労働者も集会を開いている。しかし、これらの戦闘的勢力の影響力は依然として限定的であり、ストライキについての話し合いが行われる可能性があるとの情報は得られていない。

タイの労働者階級には、自動車や繊維産業の工場労働者のほかに、国のオフィスや銀行、大学で働くホワイトカラー労働者、運輸労働者、タイの病院で働く人々が含まれている。政権に対抗するストライキ行動を起こすためには、若者の活動家が労働者の戦闘的なグループと連携し、職場を訪問して独裁体制から脱却する方法を議論する必要がある。

1970年代からの教訓、そして10年前の敗北した赤シャツ抗議行動からの教訓は、この点で明確である。1980年代のタイ共産主義運動の衰退以来、タイの政治生活において重要な存在感を欠いてきたタイの左翼団体の弱さは、この課題を達成することを困難にするだろう。しかし、新世代の戦闘的なグループがこの道に沿って必要な一歩を踏み出してくれることを期待するしかない。

著者について
Giles Ji Ungpakornはイギリスに亡命中のタイの社会主義者。彼はブログでタイの政治について、uglytruththailand.wordpress.comで書いている。

https://jacobinmag.com/2020/11/thailand-protests-democracy-prayut

付記:下訳にhttps://www.deepl.com/translatorを使いました。

アマゾンに対する国際的な抗議行動

以下は、The Verge11月27日の記事、International coalition of activists launches protest against Amazonを訳したものです。

なおこの国際抗議運動は日本語のサイトもあります。https://makeamazonpay.com/ja/


By Loren Grush, The Verge.
2020年11月27日|RESIST!


上の写真。インドのハイデラバードにあるAmazonのキャンパスに投影された「Make Amazon Pay」のロゴ。Make Amazon Payキャンペーン。

5大陸でデモが計画されている。
気候変動活動家とアマゾンの倉庫労働者からなる国際的なグループが、「Make Amazon Pay」と呼ばれるオンラインキャンペーンを開始し、テック企業であるアマゾンに対し、従業員により良い労働条件を提供し、拡大する二酸化炭素排出量を削減するよう呼びかけています。ニューヨーク・タイムズ紙が、シアトルを拠点とするアマゾンが今年、世界的な労働力を拡大して雇用を拡大していると報じたことを受けて、抗議の声が上がっている。

「Covid-19の大流行の間、アマゾンは一兆ドル規模の企業となり、CEOのジェフ・ベゾスは史上初の2000億ドルの個人資産を築いた人物となった」とキャンペーンはウェブサイト上で述べている。「一方で、アマゾンの倉庫で働く労働者は、エッセンシャルワーカーとしての命を危険にさらし、公正な賃金を得る権利のために声を上げれば、脅しや脅迫に直面した。」

ブラックフライデーに開始されたこのキャンペーンは、アマゾンの倉庫で働く労働者の賃金引き上げ、有給病休の延長、労働者が組合を組織できるようにすることを含む、アマゾンに対する要求のリストを提供している。キャンペーンはまた、アマゾンに対し、「2030年までにゼロエミッションを約束する」こと、そして「人種差別的な警察や移民局とのパートナーシップを終わらせる」こと、そして「経済活動が本当に行われている国に税金を全額支払う」ことによって社会に還元することを求めている。

キャンペーンには、プログレッシブ・インターナショナル、アマゾン・ワーカーズ・インターナショナル、350.org、グリーンピースなど、さまざまな国際的なパートナーがリストアップされている。また、同団体は世界各国でのデモを計画している。プログレッシブ・インターナショナルのコミュニケーション・ディレクター、ジェームズ・シュナイダーは、「今日は5大陸でストライキ、抗議、様々なアクションを行うグローバルな行動日です」とThe Vergeに語った。

#AmazonはCOVID19を通じて利益を倍増させたが、パンデミック中にキャンセルされた完成品の注文に対して、バングラデシュのサプライヤーへの支払いはまだ行われていない。
✊衣料品労働者は#MakeAmazonPayで立ちあがっています。
👊 今すぐアマゾンのサプライチェーン労働者全員のための公正な賃金&団結権を! @Industriall_gu pic.twitter.com/Z7hEQZPkJ3

– ナズマアクター (@NazmaAkter73) 2020年11月27日

最初のデモはオーストラリアのシドニーでのストライキで始まったと彼は言う。フィリピン、バングラデシュ、インド、ドイツ、ポーランド、スペイン、ルクセンブルグ、フランス、ギリシャ、イギリス、アメリカなどでも、いくつかの行動(個人的なものとオンラインでのもの)が計画されている。主催者は、ロンドン、ベルリン、ハイデラバードのAmazonビルに「Make Amazon Pay」のスローガンをプロジェクターで投影した。キャンペーンのウェブサイトには#MakeAmazonPayのハッシュタグが掲載されており、この取り組みを支持する人は、サイト上で 「ジェフ・ベゾスに直接伝える 」という請願書に署名することができる。

「私たちは、これらの一般的な要求に署名し、Amazon労働者のためのストライキ資金への寄付を要請しています。」「ということで、今日はキャンペーンの始まりに過ぎません。私たちは、この日の行動に続くさらなるストライキや抗議行動を可能にするために、ストライキ基金を構築することを目指しています。」とシュナイダーは言う。

Make Amazon payキャンペーンは、アマゾン飛躍の1年を終わらせる。パンデミックは、アマゾンのオンラインショッピングサービスに対する需要の増加を生み出し、同社は2020年に労働力を大幅に拡大することを余儀なくされた。ニューヨーク・タイムズ紙によると、アマゾンは1月から10月の間に42万7,300人の従業員を追加した後、現在、世界中で120万人以上の従業員を雇用している。

パンデミックが発生した当初、アマゾンの労働者たちは、同社にCOVID-19を真剣に受け止めてもらおうと抗議行動を行った。10月、アマゾンは第一線で働く労働者のうち19,816人がウイルスに感染したことを明らかにした。感謝祭の日、アマゾンは従業員にホリデーボーナスを支給すると発表し、フルタイムの従業員には300ドル、パートタイムの従業員には150ドルが支給された。

アマゾンは、COVID-19への対応2040年の気候変動に関する公約、基本給と従業員の福利厚生を繰り返すことで、この活動家キャンペーンに対応した。「事実に関心のある方は、当社の全体的な給与と福利厚生、およびこの危機管理のスピードを、全国の他の小売業者や主要な雇用主と比較することをお勧めします 」と、アマゾンの広報担当者であるリサ・レヴァンドウスキーは、The Vergeへのメールのステートメントの中で書いている。

「このパンデミックは、アマゾンがいかに労働者、社会、そして私たちの地球よりも利益を優先しているかを露呈させた」「アマゾンはあまりにも儲けすぎ、ほとんど還元していない。今こそアマゾンに支払いをさせる時だ。」と同連合はウェブサイト上で述べている。

下訳にhttps://www.deepl.com/translatorを使いました。

都民ファーストの検査強制条例は、集会参加者監視条例だ

都民ファーストのCOVID-19検査を拒否すると罰金、という条例案がニュースになっていますが、この条例案はいくつも問題があります。

条例案東京都新型コロナウイルス感染症対策強化に関する特別措置条例(案)https://drive.google.com/file/d/1rvxv7ToxZsNIxU6Ym3VX0HfLoDMmHzXM/view

8条2項は以下のようになっています。

「新型コロナウイルス感染症の陽性者が利用した施設を管理する者又は当該施設を使して催物を開催する者(以下「施設管理者等」という。) 及び公共交通事業者等(地域公共交通の活性化及び再生に関する法律(平成十九年法律第五十九号)第二条第二項に規定する公共交通事業者等をいう。)は、新型コロナウイルス感染症を他の人に感染させることを防止するため、保健所から要請があったときは、その施設管理者等及び公共交通事業者等の雇用者その他のその業務に従事した者に対して PCR 検査等に協力するよう促すとともに、新型コロナウイルス感染症の感染可能期間に当該陽性者から感染したおそれのある者及び感染が起きたおそれのある場所を報告する等、感染症法第十五条の調査に協力しなければならない。」

とくに問題なのは、私たちが集会場を借りた場合、公共であれ民間であれ、上記の条文では「施設を使用して催物を開催する者」となり、保健所から要請があればPDR検査だけでなく当該陽性者から感染したおそれのある者の報告をすることが義務付けられます。つまり、集会参加者の名簿を提出することが義務づけられる、ということになります。このことは、運動団体が管理する会議室にも適用されるので、こうした条例に違反して参加者の名簿を作成していないとか、提出しないなどを口実とした弾圧もありえると思います。

このような措置は必要ないと思う。たとえば、当該集会で感染者がでた場合、感染者が集会主催者に報告して、主催者がそれぞれの方法で集会参加者に注意喚起し、PCR検査や自主隔離など必要な判断をとればいいだけで、行政に報告する必要はないでしょう。集会参加者の個人情報を主催者が取得していなくても注意喚起の方法はいくらでもあるはず。

保健所に提出された個人情報がどのように扱われるのかは不明です。とくに警察が保健所のデータへのアクセスを求めていることも報じられており、将来的にルールが変更されて警察などとのデータ共有がなされる危険性はあります。また、集会の趣旨によっては、政府などの様々な部署が、Covid-19とは無関係に集会参加者に関心をもってアクセスをしようという動機をもつこともありえます。このような方法をとらなければ感染拡大が阻止できないならいざしらず、私たちの相互の連帯で集会参加者の健康を防衛することをきちんと追求することで対処できると思うので、この点の議論が必要と思います。

また

(サーベイランス)第五条 知事は、東京都の区域内において、新型コロナウイルス感染症の発生状況に関する調査その他新型コロナウイルス感染症対策に必要な調査を行い、調査によって得られた情報について、特に多くの陽性者が確認されている地域、多数の者が利用する施設又は当該施設を使用して開催される催物等における陽性者の発生状況及びその原因等の分析を行い、特別措置法第二十四条に基づく措置その他の新型コロナウイルス感染症のまん延を防止する措置を講じなければならない。

という条文は、現代のサーベイランスがビッグデータの収集とAIによる解析という技術による点を十分認識して読まれるべきだと思います。従来の紙ベースやしょぼいExcelの表計算とかのレベルでは全然ないことを踏まえておく必要があると思います。

そもそも、政府とかと関係なく私たちの自立した感染症判断と医療へのアクセスの回路が断たれて、何がなんでも政府や行政に依存させようという仕組みじたいがおかしいと思う。こうした監視の体制は、パンデミックが収束しても必ず生き残りますから、結果としては私たちの権利が奪われることになる。

(いくつかのメーリングリストに投稿したものを転載しました)

日本学術会議は擁護すべき組織ではない、と思う。社会的不平等のなかでの自由は欺瞞である。

日本学術会議の会員選考で菅が任命拒否したことから、安倍政権に反対してきた市民運動や野党が105名全員の選任を求めて抗議運動が起こっている。菅が任命拒否の理由を言わず、その不透明さから、学問の自由を守れという主張もともなって、いつのまにかに日本学術会議が学問の自由の砦であるかのような間違った印象をもつ人たちが増えたと思う。以下に書くことは珍しく私の経験を踏まえた話になる。

学術会議による大学教育の品質保証制度づくり

私が日本学術会議を意識したのは、2008年に文科省高等教育局が学術会議に対して大学教育の分野別質保証の在り方について審議依頼し、学術会議はこれを受けてたぶん10年以上かけて質保証なるものを審議してきた頃だ。学術会議は大学教育の分野別質保証委員会を設置して、大学教育の科目別に教育の質を確保するためにどのような教育を行うべきかという「基準」作りを開始した。大学の教育もモノ同様、品質管理の対象になったわけだ。

その後、各分野ごとに「大学教育の分野別質保証のための 教育課程編成上の参照基準」なるものが作成される。私は経済学の教育に携わってきたから経済学の教育課程編成上の参照基準に注目せざるをえないかったが、この参照基準を読んで、絶望的な気分になったことを今でもよく覚えている。この参照基準に書かれている経済学の定義から教育内容まで、私が基本的に考えてきたことと一致するところはほぼない。私はかなり異質な「経済学」の教育者だったという自覚があるので、特殊私個人がこの参照基準から逸脱しているというのならまだしも、この参照基準は経済学の重要ないくつかの流れを排除していることは経済学の事情をある程度理解できている者にははっきりわかる。つまりマルスク経済学や諸々の批判的経済学の基本的な経済に対するスタンスはほぼ排除されている。この排除は偶然ではない。意図的に排除したと思う。なぜなら、経済学分野の専門家が文科省の意向を汲んで作成した基準だから、学説の動向を知らないことは絶対にありえないからだ。つまり、確信犯として資本主義に批判的なスタンスの学説を排除したというのが私の判断だった。学術会議とはこうしたことをやる組織なのだという確信をもった。

学術会議の参照基準は学問の自由を奪った―経済学の場合

参照基準がいかに間違っているか、ひとつだけ例を示す。参照基準の冒頭で経済学の定義が以下のように書かれている。

「経済学は、社会における経済活動の在り方を研究する学問であり、人々の幸福の達成に必要な物資(モノ)や労働(サービス)の利用及びその権利の配分における個人や社会の活動を分析するとともに、幸福の意味やそれを実現するための制度的仕組みを検討し、望ましい政策的対応の在り方を考える学問領域である。」

私は「物資(モノ)」とは書かない。商品と書く。「労働(サービス)」とも書かない。労働力あるいは<労働力>と書く。幸福実現の制度的枠組みなどということは、批判的な言及はしても、これを肯定的な課題とはしない。政策的対応も論じない。政治家ではないからだ。論じるとすれば政策対応なるものへの批判は論じるだろう。わたしたがネガティブなのは資本主義の経済システムでは幸福は実現できないという確信があり、政策対応で問題が片付くような問題が資本主義の経済の問題なのではない、からだ。上のような定義では学問なのか霞が関の官僚の仕事なのかさっぱりわからない。このような教育をわたしはしてきたことはないし、するつもりもない。

物資なのか商品なのか、労働なのか<労働力>なのか、これは単なる言葉の言い換えの問題ではなく、定義が異なるのだ。「物資」と「商品」は同じではない。労働と労働力も同じではなく、更に労働力と<労働力>も異なる概念だ。概念の違いは、社会認識の違いだけでなく、理論の内容の違いをもたらす。「物資」は市場経済(商品経済)という特殊な経済システムのなかでのみ商品という社会的性格を帯びる。商品も「物資」も見た目は同じだが、社会制度の前提が異なることによって、機能・性質が異なるのだ。この違いが非常に重要だ。というのは「物資」の価値と商品の価値は、同じ「価値」という言葉を使っても内容が異なることになるからだが、この本質的に重要な観点を、参照基準の定義はすべて無視した。物資と商品、この二つを同じものとみなすことは、市場経済とそれ以外の「物資」を商品としない経済との間の差異を無視するだけでなく、市場経済を唯一の経済、つまり人類はそこから逃れることのできない経済とみなす最初の一歩になる。資本主義を肯定するというイデオロギーに無自覚な経済学の主流の価値観をこの参照基準の定義はあからさまに示している。

労働と労働力の概念の違いについてはどうか。この二つの違いは、資本の利潤の根拠を説明する場合の基本をなすというのがマルクスの経済学批判としての経済学が主張した考え方だ。この考え方を否定する学派は、労働力と労働を区別しない。(なお<労働力>という括弧付きの労働力は、私のオリジナルなので、この概念を今あれこれ説明しない) 支配的経済学は、この二つの混同をそのままにすることによって、資本の利潤の根拠を企業家の努力とか市場価格の変動とか、いずれにせよ人々が資本の支配下で労働するという問題と切り離す理論を構築してきた。これが生存を二の次にする資本主義を正当化する経済学のスタンスであって、このスタンスを鵜呑みにするメディアが感染対策か経済か、という二者択一を当然のようにして持ち出すことを正当化してしまったのだ。批判的な経済学は、生存を犠牲にする経済をきちんと批判する観点を出すことが可能なのに、こうした経済などはそもそも想定外ということになる。

人々の幸福の達成が経済学の重要な意義であるという観点は、市場経済が人々の幸福を実現できるという前提を置いた議論だが、「幸福」が経済の目的になっているのが現代の市場経済、つまり資本主義なんだろうか。私は、資本主義経済(参照基準では、この歴史的なシステムとしての資本主義という用語ですらたった2回だけ、おずおずと仕方なしに用いているにすぎない)の基本を資本による最大限利潤を追求することに動機づけられたシステムとして位置付け、資本主義的な幸福を市場経済の商品と貨幣の物神性=イデオロギー作用とみなすので、幸福を真に受ける「定義」はとうてい受け入れがたい。つまり社会運動の活動家にとっては常識になっている利潤ありきの資本主義は経済学では幸福実現となるわけだ。

参照基準への異論は、様々な学会から出された。経済理論学会のサイトにあるだけでも12の学会が意見書や要望書を出し、シンポジウムも開催された。私はそもそも学会に所属していないので、こうした動きの外野にしかいなかったが、はっきりと自覚したことは、この参照基準が将来大学の教育カリキュラムを縛るある種の「学習指導要領」のような効果を発揮する危険性がありうるのではないか、ということと、大学の人事もまたこの参照基準を念頭に置くことになりかねず、多様で広範な研究分野や学説が排除される方向で作用するだろう、ということは現場で人事を担当することもあった身としては切実に実感した。経済学の参照基準に比べて歴史学の参照基準は相対的に「マシ」であるが、それでもひどい代物だと思う。日本史には近現代史がすっぽり抜けているから、植民地支配や戦争責任、「慰安婦」問題や強制連行などの歴史修正主義者たちとの争点になっている重要なテーマは何ひとつ言及されていない。これで「マシ」な方だと言わざるをえないわけだが、菅政権はそれですら満足していないということのメッセージが今回の任命拒否の「意味」だと思う。

身分制度と差別選別の教育・研究システムのどこにも自由はない

学術会議の任命拒否は、参照基準のような作業の先にある学術会議を利用した教育と研究への管理強化だろう。学習指導要領のようなものを文科省はトップダウンで作成するのではなく、国の組織でもある学術会議を使って作らせようというねらいがあことはほぼ間違いないと思う。

本来多様な教育をひとつの物差しで枠に嵌めようという参照基準=大学の学習指導要領は、結果として、大学や研究の自由を奪うことになると思う。そもそも参照基準など不要である。これを必要としているのは、教育の標準化によって管理しやすい研究教育環境を作りたいという文科省の利権だけであり、なぜ学術会議はこうしたすべきではない作業を引き受けたかというと、学術会議が法で定められた国の機関だからだ。学術会議はこうした大学の教育と研究の砦なのではなく、文科省の指示によって大学の画一的な教育管理の手先になっている、というのが私の学術会議理解だ。少なくとも学問研究の自由のために、このような組織は不要だ。学術会議は今回のこの騒動をきっかけに。将来必ずやより一層教育の統制のための組織となることは間違いなく、それは菅が任命拒否したからそうなったのではなく、参照基準を作成するなどという言語道断なことをやった今世紀に入って以降(少くとも私が経験した範囲では)そうなのだ。

たとえば「原子力総合シンポジウム」、これでも学術会議は擁護すべき?

学術会議は反動的な組織なのでもなければ左翼の手先でもないが、しかし、全体としていえば、政府の学術研究動向を反映しており、それは分野によってはかなりはっきりしている。一つだけ例を挙げる。たとえば原子力関連の学術研究では、この9月に公開シンポジウム「原子力総合シンポジウム2020」 を開催してた。その内容を報じた原子力産業新聞の記事 を読めば一目瞭然だが、原発推進派の学会と学術会議がタイアップを組んで温暖化と持続可能な社会を看板にして原発推進の陣形を構築しようとする学会の姿がよくわかる。反原発運動のなかでも学術会議任命問題で任命しろという主張があるようだが、果してそれでいいのか、と思う。むしろ 原子力関連学会がいまだに原子力を否定できていないこと、そして平和利用を口実に原発肯定だけでなく、原発否定の世論に関して「子供の頃から広島原爆の写真を見て、理屈なしに視覚情報で出てくるイメージが不安を巻き起こしていると思う」(前掲、原子力産業新聞記事)などという発言を平気でするような学者まで登場する。反原発運動にとっても学術会議はむしろ運動に敵対する存在でしかないのではないか、と思う。

平等のない教育・学術の世界に自由はない

学術会議のなかには、このように、学会や学術研究が国策と産業界の利権を媒介する有力な「装置」となっている側面があり、そうであるなら、今回の任命105名について、市民運動や社会運動の立場からみて本当に105名がふさわしいのかという評価があってもいいはずだが、なぜか、こうしたことには踏みこまない。学問研究の世界に市民が口出しせずに、専門家信仰が強くなっていることの表れではないか。市民運動の勉強会が相互の学びあいよりも、学者や研究者、弁護士などの専門家を呼んで勉強すという悪弊がはびこっているとはいえないだろうか。

学問の自由は制度に支えられてしか実現できない。だから制度が自由を保証するだけの実質を備えているかどうかが重要な要件になる。そもそも学術の世界がその基盤にしている資本主義の教育システムは、教育研究の自由とは何の関係もない差別と選別の制度だということを、市民運動や労働運動はかたときも忘れてはならないと思う。

教育の制度のなかで、成績評価を点数でつけることは当たり前であり、試験制度で選別することも当たり前、教員が絶大な権力をもって数値で生徒、学生を評価し、序列をつける。この選別と差別を前提に、労働市場に<労働力>として学生たちが投入される。学歴社会の再生産の構造だ。高等教育はこの差別と選別の制度の頂点にあって、さらに大学は助教、准教授、教授という身分制度を研究者としての業績などで正当化する仕組みになっている。公害を告発した宇井純や京大原子炉実験所の反原発4人組の人たちは優れた業績にもかかわらず助手(助教)のままだったように、プロモートと研究へのスタンスや問題意識は切り離すことのできない権力構造のなかにある。こうした身分制度は、研究費や研究環境にも影響する。日本の研究環境にとって科学研究費はその最大のアメとムチになっているが、研究費を有利に獲得しようと思えば国の政策の動向を無視できないという分野は自然系だけでなく人文社会系でもある傾向だろう。そして理系をはじめ多くの分野では、教員の任期制が導入されることによって、更に研究が国や企業から大学の方針によって左右しやすくなっている。深刻なのは、常勤の研究者・教員にはカウントされない非常勤の教員が膨大な数存在して大学の教育を支えていることだ。優れた研究をしながら、その分野や研究のスタンスによってポストを得ることがむずかしいところにいる人を何人も知っている。非常に狭い雇用の枠をめぐって競争を強いられるが、身分制度と学閥や人脈の構造が存在する以上、採用の基準が客観性をもつことは難しいから、志を曲げて研究分野を変更することもありうる。学閥や人脈といった旧態依然とした人間関係に依存した環境があるだけでなく、研究分野によって、あきらかな差別があると思う。これで学問の自由などありえるはずがない。

私も大学で仕事をしてきたので、自己批判なしには書けないことだが、私は試験の評価をせざるをえないことを30年間ずっと違和感をもつことしかできなかったが、だからといってこうした制度と正面から対決することもしてこなかった。入試で1点、2点の差で不合格になる受験生の存在がいることに辛い気持ちを感じても、この制度を問うこともしてこなかった。しかしこうした制度は明かに学問や研究の自由、つまり、自分が学びたい環境へのアクセスの権利を阻んでいるし、学ぶことや研究することについての学ぶ者自身による自己判断や、教える者との相互の平等な関係を一貫して阻害している。点数や単位といった数字のために教員は働くべきではないにもかかわらず、この数値が教育を支配するという転倒した構造が生まれている。学ぶことにとって本来であれば、試験も学位も不要であり、身分制度も不要だ。教える者と教えられる者という関係も常に入れ替え可能な平等な関係のかなでしか自由は存在しない。

学術会議問題とは、任命の是非の問題ではなく、学術会議に体現されているような学問の自由を看板に掲げた教育と研究の構造的な差別と選別、イデオロギーの構造を想起するきっかけにすべき問題なのだ。

学術会議の任命拒否問題で菅に反対するかつての68年世代と出会うことがよくある。そうした世代の人たちにぜひ思い出してほしい。あの時代、大学は解体の対象だったのではないか?大学解体は間違ったスローガンだっかのだろうか?大学に残った私のような(その意味では転向した者というしかないのだが)者ではない道を歩んだあの世代の市民たちが、あの時代に問われた大学と教育が何だったのかをもう一度思い出して欲しいと思う。社会的平等のないところに自由はない。社会的不平等のなかでの自由は欺瞞だということを。

侵略的で秘密裏に労働者を追跡する「ボスウェア」の内幕

以下の文章は、米国の電子フロンティア財団のブログ記事の飜訳です。(反監視情報から転載)

(訳者まえがき) オンラインでの労働に従事する労働者が増えており、企業による労働者監視が職場(工場やオフィス)からプライベート空間にまで野放図に拡がりをみせている。そして労務管理のための様々なツールがIT企業から売り出されており活況を呈している。日本語で読める記事も多くあり、たとえば「テレワーク 監視」などのキーワードで検索してみると、在宅勤務監視の行き過ぎへの危惧を指摘する記事がいくつかヒットする。(検索はlGoogleを使わないように。DuckDuckGoとかで)

しかし、もうすでに日常になってしまい忘れられているのは、オフィスや工場以外で働く労働者への監視はずいぶん前から機械化されてきていたということだ。営業や配送の労働者はGPSや携帯で監視され、店舗で働く労働者は監視カメラで監視されてきた。こうしたシステムがプライベートな空間に一挙に拡大するきっかけをCOVID-19がつくってしまった。

下記のブログではいったいどの程度の監視が可能になっているのかを具体的な製品に言及しながら述べている。あるていどITの技術を知っている人にとっては想定内だろうが、あまり詳しくない人たちにとってはまさにSFのような世界かもしれない。プライベートな空間であってももはやプライバシーはないに等しいだけのことが可能になっている。失業率が高くなるなかで、こうした監視に抗うことも難しくなっているが、この記事の最後で著者たちは、プライバシーの権利など労働者の基本的な権利を放棄して仕事を維持するのか、さもなくば権利をとるか、という選択は選択の名に値しないと述べている。そのとおりだ。しかし、今世界的な規模でおきているのは、まさに場所と時間の制約もなく資本が労働者を常時監視して支配下の置くことができるだけの技術を握ってしまったということだ。こうした状況では、伝統的な労働運動の枠組では対抗できないだろう。運動の側が労働運動、消費者運動、学生運動、農民運動、環境運動、女性解放運動、マイノリティの権利運動などの分業を超えて、あらゆる属性にある人々を統合的に監視して資本に従属させる(従属や強制の自覚を奪いつつ)構造と対峙できる新しい運動のパラダイムが必要になっていると思う。(小倉利丸)


侵略的で秘密裏に労働者を追跡する「ボスウェア」の内幕

ベンネット・サイファーズ、カレン・グルロ 2020年6月30日

COVID-19は何百万人もの人々に在宅で仕事をさせているが、労働者を追跡するためのソフトウェアを提供する企業が、全国の雇用者に自社製品を売り込むために急増している。

サービスは比較的無害に聞こえることが多い。一部のベンダーは「自動時間追跡」や「職場分析」ソフトウェアと名乗っている。また、データ侵害や知的財産権の盗難を懸念する企業に向けて売り込んでいる業者もある。これらのツールを総称して「ボスウェア」と呼ぶことにしよう。ボスウェアは雇用主を支援することを目的としているが、クリックやキーストロークをすべて記録したり、訴訟のために密かに情報を収集したり、従業員を管理するために必要かつ適切な範囲をはるかに超えたスパイ機能を使用したりすることで、労働者のプライバシーやセキュリティを危険にさらす。

これは許されることではない。家庭がオフィスになっても、家庭であることに変わりはない。労働者は、仕事のために、不用意な監視の対象になったり、自宅で精査されることにプレッシャーを感じたりしてならない。

どうすべきか?

ボスウェアは通常、コンピュータやスマートフォンにとどまり、そのデバイス上で起こるすべてのデータにアクセスする権限を持つ。ほとんどのボスウェアは、多かれ少なかれ、ユーザーの行動をすべて収集する。私たちは、これらのツールがどのように機能するのかを知るために、マーケティング資料、デモンストレーション、カスタマーレビューを調べた。個々のモニタリングの種類が多すぎてここでは紹介しきれないが、これらの製品の監視方法を一般的なカテゴリに分解してみる。

最も広く、最も一般的なタイプの監視は、”アクティビティ監視 “だ。これには通常、労働者がどのアプリケーションやウェブサイトを使用しているかのログが含まれる。これには、誰に件名やその他のメタデータを含めてメッセージを送ったかや、ソーシャルメディアへの投稿が含まれている場合もある。ほとんどのボスウェアはキーボードやマウスからの入力レベルも記録する。例えば、多くのツールでは、ユーザーがどれだけタイプしてどれだけクリックしたかを分単位で表示し、それを生産性の代理として使用する。生産性モニタリングソフトウェアは、これらのデータをすべてシンプルなチャートやグラフに集約して、管理者に労働者が何をしているかを高レベルで把握させることを試みる。

私たちが調べたどの製品も、各労働者のデバイスのスクリーンショットを頻繁に撮影する機能を備えており、中にはスクリーンのライブ映像を直接提供しているものもある。この生の画像データは多くの場合、タイムラインに配列されているため、上司は労働者の一日をさかのぼって、任意の時点で何をしていたかを確認することができる。いくつかの製品はキーロガーとしても機能し、未送信の電子メールやプライベートパスワードを含む、労働者が行ったすべてのキーストロークを記録する。中には、管理者がユーザーのデスクトップを遠隔操作できるものもある。これらの製品は通常、仕事に関連した活動と個人アカウントの資格情報、銀行データあるいは医療情報を区別しない。

ボスウェアの中には、さらに進んで、従業員のデバイス周辺の物理的な世界にまで到達するものもある。モバイルデバイス用のソフトウェアを提供している企業は、ほとんどの場合、GPSデータを使用した位置追跡機能を搭載している。StaffCop EnterpriseとCleverControlの少なくとも2つのサービスでは、雇用主が従業員のデバイス上でWebカメラやマイクをこっそり起動させることができる。

ボスウェアを導入する方法は大きく分けて 2 つある。労働者から見えるアプリとして(そしておそらくは労働者がコントロールできるアプリとして)導入する方法と、労働者からは見えない秘密のバックグラウンドプロセスとして導入する方法の 2 つだ。私たちが調査したほとんどの企業では、どちらの方法でも雇用主がソフトウェアをインストールできるようになっている。

目に見えるモニタリング

時には、労働者は自分を監視しているソフトウェアを見ることができる。彼らはしばしば 「クロッキングイン (出勤)」と 「クロッキングアウト(退勤) 」としてフレーム化された監視をオンまたはオフにするオプションを持つ可能性がある。もちろん、労働者が監視をオフにしたという事実は雇用者にも見える。例えば、Time Doctorでは、労働者は作業セッションから特定のスクリーンショットを削除するオプションを与えられるかもしれない。しかし、スクリーンショットを削除すると、関連する作業時間も削除されるため、労働者は監視されている間の時間だけが評価される。

労働者は、自分について収集された情報の一部または全部へのアクセス権を与えられる可能性がある。WorkSmartを開発したCrossover社は、その製品をコンピュータ作業用のフィットネス・トラッカーに例えている。そのインターフェイスでは、労働者は自分の活動に関してシステムが導いた結論をグラフやチャートの配列で見ることができる。

ボスウェア会社によって、労働者に透明性を提供するレベルが異なる。中には、上司が持っている情報のすべて、あるいは大部分にアクセスできるようにしている会社もある。また、Teramindのように、スイッチを入れてデータを収集していることを示しながらも、収集しているすべての情報を明らかにしない企業もある。どちらの場合も、雇用主への具体的な要求やソフトウェア自体の精査がなければ、正確にはどのようなデータが収集されているのかが不明瞭になることがしばしば起きる。

見えないモニタリング

目に見える監視ソフトウェアを開発している企業の大半は、監視している人から身を隠そうとする製品も製造している。Teramind、Time Doctor、StaffCopなどは、可能な限り検出と削除を困難にするように設計されたボスウェアを作っている。技術的なレベルでは、これらの製品はストーカーウェアと区別がつかない。実際、一部の企業では、従業員のウイルス対策ソフトが監視ソフトの活動を検出してブロックしないように、製品をインストールする前にウイルス対策ソフトを特別に設定するように雇用主に要求している

(キャプション)TimeDoctorのサインアップの流れからのスクリーンショットで、雇用主は目に見える監視と目に見えない監視を選択できる。

この種のソフトウェアは、労働者の監視という特定の目的のために販売されている。しかし、これらの製品のほとんどは、実際には単なる汎用的な監視ツールである。StaffCopは家庭での子供のインターネット使用を監視するために特別に設計された製品のバージョンを提供しており、ActivTrakのソフトウェアは子供の活動を監視するために親や学校関係者が使用することもできると述べている。いくつかのソフトウェアのカスタマーレビューは、多くの顧客が実際にオフィスの外でこれらのツールを使用していることを示している。

目に見えないモニタリングを提供するほとんどの企業は、雇用主が所有するデバイスにのみ使用することを推奨している。しかし、多くの企業は、リモートや「サイレント」インストールのような機能も提供しており、従業員のデバイスがオフィスの外にある間に、従業員の知らないうちに監視ソフトウェアを従業員のコンピュータにロードすることができる。これは、多くの雇用主は、彼らが配布するコンピュータの管理者権限を持っているために行なえることである。しかし、一部の労働者にとっては、使用している会社のラップトップが唯一のコンピュータであるため、会社の監視が仕事以外の行動についても常に存在することになる。雇用主、学校関係者、親密なパートナーがこのソフトウェアを悪用する可能性は大いにある。そして被害者は、自分がそのような監視の対象になっていることを知らないかもしれない。

下の表は、一部のボスウェアベンダーが提供している監視・制御機能を示している。これは包括的なリストではなく、業界全体を代表するものではないかもしない。業界ガイドで紹介されている企業や、検索結果から情報を公開しているマーケティング資料を持っている企業に注目した。

表. ボスウェア製品の一般的な監視機能

行動モニター
(apps, websites)
スクリーンショット
スクリーン録画
キーロッギング カメラ、マイクをONに 労働者から秘匿
ActivTrak(*1) 確認 確認 確認
CleverControl 確認 確認 確認 確認(1,2) 確認
DeskTime 確認 確認 確認
Hubstaff 確認 確認
Interguard 確認 確認 確認 確認
StaffCop 確認 確認 確認 確認(1,2) 確認
Teramind(*2) 確認 確認 確認 確認
TimeDoctor 確認 確認 確認
Work Examiner 確認 確認 確認 確認
WorkPuls 確認 確認 確認 確認
各社のマーケティング資料をもとに、いくつかの労働者モニタリング製品の特徴を紹介。調査した10社のうち9社が、労働者が知らなくてもデータを収集できる「サイレント」または「インビジブル」なモニタリングソフトを提供していた。

*1 日本の代理店あり。 https://www.syscomusa.com/08-17-2020/6932/

*2 日本の販売代理店あり。https://www.jtc-i.co.jp/product/teramind/teramind.html


ボスウェアの普及率は?

労働者監視ビジネスは新しいものではなく、世界的なパンデミックが発生する前にすでにかなりの規模になっていた。ボスウェアがどの程度普及しているかを評価するのは難しいが、COVID-19の影響で労働者が在宅勤務を余儀なくされていることから、はるかに普及していることは間違いない。InterGuardを所有するAwareness Technologiesは、発生からわずか数週間で顧客ベースで300%以上増加したと主張している。私たちが調査したベンダーの多くは、企業への売り込みでCOVID-19を悪用している。

世界の大企業の中にも、ボスウェアを利用しているところがある。Hubstaffの顧客には、Instacart、Groupon、Ringなどがいる。Time Doctorは83,000人のユーザーを抱えており、その顧客にはAllstate、Ericsson、Verizon、Re/Maxなどが含まれる。ActivTrakは、アリゾナ州立大学、エモリー大学、デンバーとマリブの都市を含む6,500以上の組織で使用されている。StaffCopやTeramindのような企業は、顧客に関する情報を開示していないが、ヘルスケア、銀行、ファッション、製造業、コールセンターなどの業界の顧客にサービスを提供していると主張している。モニタリング・ソフトウェアのカスタマー・レビューには、これらのツールがどのように使用されているかのより多くの例が記載されています。

はっきりさせておこう:このソフトウェアは、雇用主が労働者の個人的なメッセージを、労働者の知識や同意なしに読むことができるように特別に設計されている。どんな手段を使っても、これは不必要で非倫理的だ。

雇用主自身がこのことを宣伝する傾向がないため、どれだけの組織が目に見えないモニタリングの使用を選択しているのかはわからない。さらに、目に見えないソフトウェアの多くは明かに検出を回避するように設計されているため、労働者自身が知ることができる信頼できる方法がない。労働者の中には、特定の種類の監視を許可する契約を結んでいる者もいれば、ある種類の監視を防ぐ契約を結んでいる者もいる。しかし、多くの労働者にとっては、自分が監視されているかどうかを知ることは不可能と思われる。監視の可能性を懸念する労働者は、雇用主が提供するデバイスが自分を追跡していると考えるのが最も安全かもしれない

データは何に使われるのか?

ボスウェアのベンダーは、さまざまな用途で製品を販売している。最も一般的なものとしては、時間の追跡、生産性の追跡、データ保護法への準拠、知的財産窃盗防止などがある。例えば、機密データを扱う企業では、会社のコンピュータからデータが漏洩したり盗まれたりしないよう法的義務が課せられている。オフサイトの労働者にとっては、一定レベルのオンデバイス監視が必要になるかもしれない。しかし、雇用主は、そのようなセキュリティ目的の監視が必要であり、適切であり、解決しようとしている問題に特化したものであることを示すことができない限り、そのような監視を行うべきではあない。

残念ながら、多くの使用事例では、雇用者が労働者に対して過度の権力を行使していることが明らかになっている。おそらく私たちが調査した製品の中で最も大きなクラスの製品は、「生産性モニタリング」や時間の追跡機能を強化するために設計されたものである。一部の企業では、これらのツールを管理者と労働者の両方に恩恵をもたらす可能性があるとしている。労働者の一日の一秒一秒の情報を収集することは、上司にとって良いだけでなく、労働者にとっても有益であると彼らは主張する。Work ExaminerやStaffCopのような他のベンダーは、スタッフを信頼しない管理者に直接販売している。これらの企業はしばしば、自社製品から導き出された業績評価基準にレイオフやボーナスを結びつけることを推奨している。

マーケティング資料は、Work Examinerのホームページ(https://www.workexaminer.com/)から引用した。

一部の企業は、懲罰的なツールとして、または潜在的な労働裁判の証拠収集方法として製品を販売している。InterGuardは、そのソフトウェアを「ひそかにリモートでインストールできるので、不正行為の疑いのある者に警告を与えることなく、秘密裏に調査を行い、証拠を収集することができます」と宣伝している。この証拠は、「不当解雇訴訟 」と闘うために使用することができる。言い換えれば、InterGuardは、不当な扱いに対する労働者の法的手段を排除するために、天文学的な量の非公開で秘密裏に収集された情報を使用者に提供することができるということだ。

これらの使用例のどれも、上で説明したような問題にあてはまらない使用例であっても、ボスウェアが通常収集する情報量を正当化するものではない。また、監視が行われている事実を隠すことを正当化するものは何もない。

ほとんどの製品は定期的にスクリーンショットを撮影しているが、どのスクリーンショットを共有とするかを従業員が選択できる製品はほとんどない。つまり、医療、銀行、その他の個人情報の機密性の高い情報が、仕事のEメールやソーシャルメディアのスクリーンショットと一緒にキャプチャされてしまう。キーロガーを含む製品はさらに侵略的であり、多くの場合、労働者の個人アカウントのパスワードをキャプチャすることになる。

Work Examinerのキーロガー機能の説明では、特にプライベートパスワードをキャプチャする機能を強調している。

Work Examinerのキーロギング機能についての説明では、特にプライベートパスワードをキャプチャする能力を強調している。

残念ながら、過剰な情報収集はしばしば偶然のことではなく、製品の機能そのものなのだ。Work Examinerは、その製品がプライベートパスワードをキャプチャする能力を具体的に宣伝している。別の会社Teramind社は、メールクライアントに入力されたすべての情報を(その情報が後に削除された場合もふくめて)報告する。また、いくつかの製品では、ソーシャルメディア上のプライベートメッセージから文字列を解析して、雇用主が労働者の個人的な会話の最も親密な詳細を知ることができるようにしている。

はっきりさせておこう:こうしたソフトウェアは、雇用主が労働者の知らないところや同意なしに、労働者のプライベートメッセージを読み取ることができるように特別に設計されている。どのような見方をしたとしても、これは不必要で非倫理的なものだ。

あなたにできることは何か?

現在の米国の法律では、雇用主が所有するデバイスに監視ソフトウェアをインストールする自由度が高すぎる。さらに、労働者が自分のデバイスにソフトウェアを強制的にインストールすることを防ぐことがほとんどできない(監視が勤務時間外には無効にされれうる限りは)。州によって、雇用者ができることとできないことについて異なるルールがある。しかし、労働者は、侵入的な監視ソフトウェアに対する法的手段を制限されてきた。

これは変えることができるし、変えなければならない。州や国の立法府が消費者データのプライバシーに関する法律を採用し続ける中で、雇用者に対する労働者の保護も確立しなければならない。その手始めとして

・雇用者が所有するデバイスであっても、労働者の監視は必要かつ適切であるべきである。
・ツールは、収集する情報を最小限に抑え、プライベートメッセージやパスワードなどの個人データを吸い上げないようにすべきである。
・労働者は、管理者が収集している内容を正確に知る権利を持つべきである。
・そして、労働者にはプライベートに行動する権利が必要であり、これにより、労働者はこれらの法定のプライバシー保護に違反した雇用者を訴えることができる。

一方で、自分が監視対象になっていることを知り、このことで安心できるためには、雇用主との話し合いを行う必要がある。ボスウェアを導入している企業は、その目的が何であるかを考え、より侵入しにくい方法でその目的を達成しようとしなければならない。ボスウェアは多くの場合、誤った種類の生産性を誘発する。例えば、本を読んだり考えたりするために一時仕事の手を休める代わりに、数分おきにマウスを動かしたりタイプしたりすることを強制する。継続的監視は、創造性を阻害し、信頼を失い、燃え尽き症候群の原因となる。雇用主がデータセキュリティに懸念を抱いている場合は、実際の脅威に特化し、プロセスに巻き込まれる個人データを最小限に抑えるツールを検討すべきである。

多くの労働者は気軽に発言できなかったり、雇用主が秘密裏に自分を監視しているのではないかと疑ったりすることがある。労働者が監視の範囲を自覚していない場合、ウェブ履歴からプライベートメッセージ、パスワードに至るまで、あらゆるものを業務用デバイスが収集している可能性があることを考慮する必要がある。可能であれば、個人的なことに業務用デバイスを使用することは避けるべきだ。また、労働者が個人用デバイスに監視ソフトウェアをインストールするように求められた場合、個人情報をより簡単に隔離できるように、業務専用とは別のデバイスを使用するように雇用主に求めることができるかもしれない。

最後に、労働者は、記録的な失業者数となっている時代に雇用を維持する懸念から、監視されていることを話したくないと思うかもしれない。侵襲的で過剰な監視か、さもなくば失業か、という選択は、文字通りの意味での選択とはいえない。

COVID-19は私たち全員に新たなストレスを与えており、私たちの働き方も根本的に変えてしまいそうだ。しかし、私たちはそれによって、より広範な監視の新時代を切り開いてはならない。私たちはこれまで以上にデバイスを通して生活している。そのため、私たちのデジタルライフを政府やテクノロジー企業、雇用主に対して公開しない権利を持つことが、これまで以上に重要になっている。

出典:https://www.eff.org/deeplinks/2020/06/inside-invasive-secretive-bossware-tracking-workers

付記:下訳にhttps://www.deepl.com/translatorを用いました。

イタリア、反ロックダウン抗議運動の複雑な事情

イタリア、反ロックダウン抗議運動のなかの複雑な事情
2020年11月3日

イタリア当局は反ロックダウン抗議デモでの暴力を「周辺的的要素」だと非難してきたが、現場の現実は違っていた。

著者
サルヴァトーレ・プリンツィ

私が見たものに驚きはない。何度も何度も何度も言っていることだが、生活保護支援制度のない再度のロックダウンは時限爆弾のようなものだ。

—アルフォンソ・デ・ヴィート、ナポリ活動家
Dinamo Pressのためのサラ・ゲインズワースのインタビュー

ここ数週間、ナポリの人々は、コロナウイルス拡散を阻止するためにナポリ政府が提案した公衆衛生上の制限に抗議している。症例数が比較的少なかった夏の数ヶ月間の後、イタリアではCOVID-19が増加しており、政府は自治体と共に、カフェ、バー、映画館、ジムなどの商業施設を閉鎖し始めている。

過去の閉鎖では、収入の大きな損失を補うために、しばしばわずかな福祉給付金が支払われていたが、今は政府はほとんど何も提供していない。ナポリを州都とするカンパニア州のような貧しい地域では、これが多くの不満の原因となっている。観光に依存した地域経済に壊滅的な打撃を与えた夏の旅行の封鎖後、人々は金銭的な支援を要求するために立ち上がっている。

デモは、催涙ガスや激しい殴打などの暴力が飛びかい、デモ参加者が法執行機関と衝突する過激で反乱的な性格を帯びている。近年、イタリアをはじめとするヨーロッパの他の多くの大衆運動と同様に、デモのイデオロギー的構成は特異なものではなく、また識別しやすいものでもない。

ナポリを拠点とする組織者による以下のレポートは、10月23日の反ロックダウン暴動と抗議デモを分析したものである。この翻訳は、イタリア国外の読者や同志に状況を紹介するために、注釈を加えた。

—ジュリア・スバフィGiulia Sbaffi とアンドレアス・ペトロシアンツAndreas Petrossiants


ナポリの街からの報告
私は金曜日の夜にそこにいた。

まず最初に、ソーシャルメディア上でのコメントはいつも誤解されたり、文脈を外されたりするもので、ナポリの状況(社会的にも公衆衛生の観点からも)は本当に複雑で脆弱なものなので、コメントをしたくありませんでした。しかし、この街で何が起こったのか、そして何が起こり続けているのかについて、受け入れがたい誤ったコメントを読むにつけ、一般的ないくつかの質問に答えることで、何が起こったのかをどこにいる人にも理解できるようにしたいと思うようになりました。簡単そうですが、答えは実は非常に複雑です。

ここ数週間で何が起こったのですか?

ナポリでは、他の場所と同様に、地域行政は、経済的な補償を提供することなく、公衆衛生上の理由から、商業活動を停止する可能性があると発表し、脅しをかけました。そのため、小規模な小売業者、特にカフェやレストラン、ピザ屋を経営している人たちが街頭に繰り出しました。このような状況は持続不可能であり、また耐えられないので、彼らは組織化を開始し、こうした措置の撤回を主張したり、代わりに、ナポリの膨大な数の労働者、貧困者、無給者、未登録滞在者、経済的に不安定な人々に対応できる福祉支援システムの導入を主張したのです。

なぜ暴動が起きているのですか?

抗議が暴力的になった理由はいくつかあります。第一に、ここ数ヶ月間に、人々は完全に貯金を使い果たしてしまいました。彼らは飢えていて、燃え尽きています。COVID-19の危機が始まった時、イタリア北部のベルガモで棺が山積みになっていた時、国中の多くの人がウイルスを恐れました。しかし今では、夏の間の比較的少い数になって、COVID-19は「ただのインフルエンザ 」であるかのような錯覚に陥っている人もいます。

3月、政府はいくつかの社会保障福祉措置を導入しました。しかし今では、その資金は尽きたというか、労働者から産業界や金融界に金が流れ込んでいます。具体的にはナポリでは、地方行政が9月の地方選挙を前に資金を投入しましたが、今は何も国民に提供されていません。

また、ナポリではここ数年、独立した労働者のグループが当局と暴力的に対立する傾向を示してきたことにも注目すべきです。これにはいくつかの要因が関係しています。第一に、ほとんどの独立労働者は、社会経済的に不利な背景を持つ出身者であり、広大なアンダー・コモンズを構成しています。彼らの多くは、以前の経済危機ですでに限られた社会的流動性を失っていました。

第二に、多くの人々はインフォーマルな経済で働いています。一方、給与所得者は、管理体制と組合が彼らの組織化を妨げていることで長年窒息してきました。イタリアでは、特にナポリでは、支配的とまではいかないまでも、インフォーマル労働の文化が依然として優勢です。

警察との衝突の責任はカモッラ・マフィアthe Camorra mafiaにあるのか、それともナポリ人は商業メディアが報じるような「後進国の人々」にすぎないのでしょうか?

もちろん、そのどちらでもありません。全国メディアは最悪の陰謀論者のように振る舞い、複雑で重層的な社会力学を単純化しすぎています。カモッラは、現在の危機から利益を得ている民間医療サービスのシステムに入り込んでいるし、地方行政から新たな契約を得る建設部門や人々をさらに負債に陥らせるモグリの貸金業者としての役割も果しています。

ナポリでは、独立した労働者がこれまで以上に借金に巻き込まれやすくなっています。ナポリの社会サービスは乏しく非効率的であり、人々は制度をほとんど信用しておらず、労働組織や労働組合は弱く、社会経済的な圧力は高い。最後に、ルンペンプロレタリアート(周辺部の人々、知恵を絞って生きている人々)と中産階級(生産手段を所有し、ある程度の社会的流動性にアクセスできる人々)の間には、交換と接近したダイナミックが存在します。これは、その社会的ルーツを維持しつつある種の紛争に向かうような傾向のある流動的で動的なものです。

抗議は正当化されうるものですか?

もちろんです。地方行政はこの状況に対して全責任を負わなければなりません。はっきりさせておきましょう。「中産階級」といえば、家族を維持するためにこの危機の費用を負担できない小規模小売業者や、労働者に合法的な契約を結ばせずに労働者から搾取し、毎晩何千ユーロも何千ユーロも稼いでいる悪徳企業家のことを指すのです。しかし、街頭には、未登録の移民労働者や家族経営の企業家、生活状況に辟易しているマージナルな人々もいました。

これらのグループのほとんどは抗議する権利を持っています。過去8ヶ月間、地方と国の行政は、この予測されたCOVID-19の第二波から人々を守るために、リスクを防ぐために何もしてこなかったのです。今、彼らは福祉支援を提供する計画もなく、再び事業を停止しようとしている。失業者、フレックス・ワーカー、非正規雇用者には、残された選択肢はないのです。飢えに苦しむか、カモッラの言いなりになるかのどちらかです。

暴力は?正当化できるのですか?

路上で闘う人々の間には内部で闘争があります。大きな小売業者や政治指導者など、失うものがある人たちは、もちろん暴動には反対で、交渉をしたり、警察を賞賛したり、過激な行為を糾弾したりしています。そして、労働者階級のフーリガンは、警察との暴力的な対決になる傾向があります。

このような拮抗関係の混合が金曜日の夜に爆発し、デモはすでに2つの対立に分裂していましたが、さらに分裂は大きくなってしまった。

しかし、ポイントは暴力を犯罪化したり、誰が正しくて誰が間違っているかを特定することではありません。暴力に頼ることに何の意味があるのか?誰がそれを調整したのか?暴力は誰に向けられたのか?金曜日の夜に起こったことは、その世界に属する人々だけが理解できる抗議の形をとっていることは明らかであり、絶望の叫びであり、他の大衆的な階級の人々がデモ隊の「暴力」に不満を表明したことで、逆効果を生み出しています。

極右も参加していたのでは?

極右政党のフォルツァ・ヌオーヴァForza Nuovaは参加したいと宣言していましたが、街頭にファシストの姿は見られませんでした。シンパは参加していたかもしれませんが、存在感や政治的内容面でのインパクトはありませんでした。フォルツァ・ヌーヴァは注目を集めていますが、私は彼らがナポリでは無意味な存在でしかないと信じています。このような根拠のない疑惑に反応して彼らの存在を知らしめるようなことは、私たち―そしてメディア―の愚かな間違いです。私たちは、デモ隊と地元の意思決定者との間で仲介者として行動しようとしている中道右派に近い人物にもっと関心を持つべきです。

これもまた、治安維持的な左翼とラディカルな左翼の間のうんざりな議論の一例に過ぎない?

抗議者に汚名を着せ、その参加者を非難する「穏健な」左翼と、暴動を称賛し、暴動に参加した人々を称賛するより戦闘的な左翼との間で、古くからのうんざりする議論がソーシャルネットワーク上で噴出しています。私たちはこの二面性、現実を表していない安直な政治分析にうんざりしています。

穏健な左翼は、行動を起こす前でさえ、世界や経済状況について違いを示そうとすらしていない。対立や集団的な組織化の余地のない運動の中にいることは難しいというのが真実です。

残された選択肢は、暴動を起こすか、覇権を握っている人々と交渉するかの2つしかないように見えます。小売店は交渉を目指します。路上の人々は、もちろん交渉には興味がない。

これは、このパンデミックとそれへの対応が切り開いたことです。私たちは、私たちの力を結集し、自律的に組織し、大衆運動を構築するために、緊縮財政、監視、治安体制に反対して立ち上がることに関心を持つすべての人々と一緒に、お互いに防衛しあわなければなりません。

ナポリは私たちにプラットフォームを与えてくれます。金曜日の朝、ワールプールWhirlpool 工場の労働者たちが、医療労働者、家族、教師とともに街頭に登場しました。私たちは今、一連のデモを目の前にしています。私たちは、地元の行政が住民やフードデリバリー労働者に与えた不当な罰金に抗議し、Confindustria(イタリアの産業連盟)にも抗議し、そして物流・娯楽産業の労働者と連帯します。

10月23日のナポリでの衝突に抗議するデモ隊。写真提供:ジュリアーナ・フロリオ

後記:ファシストに居場所はない

10月23日のナポリでの出来事に続いて、フィレンツェ、ローマ、ミラノ、トリノ、カターニアなど、国中で衝突が勃発し、抗議者たちは「我々は労働者であり、犯罪者ではない」「我々を閉じ込めるならば、その代償を払え」というプラカードを掲げる。イタリア全土の広場では、さまざまなグループが動員され、社会主義者、共産主義者、無政府主義者、ファシスト、COVID-19懐疑論者、そしておそらく最も多くのグループでまだラディカルにはなっていないか「政治化」されていない労働者や失業者などが注目をあびる戦場となっている。

この多様性のために、ファシストや政治家はメディアで自らの正統性を主張できるようになった。一週間前、ローマでは2つの広場がファシストに占拠されたが、彼らは門限を破ったために警察に排除された。ファシストが追い出された後、一部の左翼ラディカルは、より多様なデモ隊の構成を可能にするために、これらの広場を奪回した。イタリアでは、広場は、私的な領域と公的な領域が出会う都市空間として、市民生活の中で重要な役割を果たしていることを理解しなければならない。

我々は特定の戦術を提唱しているわけではない。「平和的」であるかどうかにかかわらず、戦術はデモ参加者自身によってその行動の瞬間に決定されなければならない。しかし、不安定な労働者の再構成と再服従化が街頭で行われているときに、いかなる空間においてもファシストに正当性を与えないことが極めて重要である。

イタリアで数週間に及ぶ強引で不釣り合いな外出禁止令に続いて、更に全国的なロックダウンが準備されているとき、私たちは、最初の暴動の夜からのこの報告を翻訳し、広めることが重要だと感じた。私たちは、このレポートがイタリアや他の場所で繰り広げられている複雑な状況についての議論の開始となることを願っている。

出典:The complexity of Italy’s anti-lockdown protests

November 3, 2020

https://roarmag.org/essays/italy-anti-lockdown-protests/

(下訳にwww.deepl.com を用いました)

ZOOMによる検閲(米国の大学で起きていること)

米国でZOOMからFB、Yotubeまで関与しての検閲が起きています。以下、訳しました。 日本では報じられていない?バズフィードの記事もありますが、日本語版にはないと思う。大学の学問の自由とかこの国でも話題ですが、検閲は政権からだけ来るのではなく、IT関連の民間企業からも来るということを如実に示した例といえます。ZOOMは大学に喰い込んでいますから、大学のイベントへの検閲を民間の企業が行なえてしまうという問題が米国では議論になっているということですけれども、これだけではなく、大学の外で、私たちが活動するときも、しっかりZOOMやプラットーム企業に監視されつつ、彼らのルールに反すればシャットダウンされ金を貢ぐか個人情報を渡しているという事態は今後ますます深刻になると思います。

以下タイトルのみ。本文はリンク先をごらんください。

https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/zoomfacebookyoutube20200923/

Zoom、サンフランシスコ州立大学でのパレスチナ人ハイジャック犯ライラ・ハーリドの講演をシャットダウン―FacebookやYouTubeも介入

By James Vincent 2020年9月24日午前6時01分EDT

https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/hankanshi-info/knowledge-base/zoomcensorship20201023/

ズーム “検閲” 議論するイベントをズームが削除

ジェーン・リットビネンコ BuzzFeedニュースレポーター 投稿日:2020年10月24日 19時01分(米国東部標準時)

小笠原みどり講演会 10月11日(日)午前11時〜午後1時

横浜会場は予約制、ストリーミングのURLも変更の可能性あるので、下記の最新情報を確認していただくようお願いします。

https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/20201011shiminren/

集会概要

ライブ配信はこちらへ https://youtu.be/3q0ghsDedA0

10月11日(日)午前11時〜13時:小笠原みどりさん講演会(オンライン)
「新型コロナと監視社会」

●横浜会場にご来場の場合は予約をお願いします。(予約方法は下記をごらんください)(十分予約可能です 9/28日現在)

講演について(小笠原みどりさんからのメッセージ)

菅内閣は「デジタル庁」の設置を目玉にしていますが、デジタル化は監視と切っても切れない関係にあります。デジタル化の方向を間違えれば、私たちは暮らしをのぞかれ、政府と企業はますます秘密を蓄えていく、力の格差と不平等が増していきます。スノーデンが暴露した世界監視システムに日本政府が深く関与していることを思い出しながら、コロナ下で大規模な実験の機会を得た新しい監視技術が政治、経済、そして国際関係にどんな影響を与えるのかを考えます。

小笠原みどりさんのプロフィール

ジャーナリスト、社会学者。
横浜市生まれ。朝日新聞記者(1994−2004年)として盗聴法、住民基本台帳ネットワーク、監視カメラなど、個人情報を巡る調査報道を開始。2005年にフルブライト・ジャーナリスト奨学金により米スタンフォード大学でデジタル監視技術を研究。2016年、米国家安全保障局による世界監視システムを告発したエドワード・スノーデンに日本人ジャーナリストとして初のインタビュー。18年、カナダ・クイーンズ大学で近代日本の国民識別システムについての論文により社会学博士号を取得。現在オタワ大学特別研究員、21年よりビクトリア大学教員(ブリティッシュ・コロンビア州)。著書に『スノーデン、監視社会の恐怖を語る』『スノーデン・ファイル徹底検証』(共に毎日新聞出版)など。朝日新聞GLOBE+で「データと監視と私」を連載中。

主催者からのご挨拶

世界規模での新型コロナ・パンデミックのなかで、各国の政府は感染拡大を抑えるための方策として、感染者接触確認や感染経路特定などを理由にして、スマホのアプリなどを利用して人々の行動や人間関係などを広範囲に、把握しはじめています。同時に、人々が密集しがちな都市部では、従来以上の高精度の監視カメラの設置も進んでいます。

感染防止を名目とした個人情報の収集や行動などの把握に対して、世界各国の監視社会に反対して活動している団体や研究者などから、多くの疑問が提起されています。収集されている膨大な量の個人情報は、感染防止に必要なデータを大幅に上回っているのではないか、また、こうした個人情報が目的外に使用される危険性はないのか、そもそもスマホアプリのような手法が最善の予防策なのか、など、疑問は多岐にわたります。

これまで監視社会に反対する活動をしてきた市民連絡会は、昨年に引き続き、カナダ在住の監視研究の第一人者、小笠原みどりさんをお招きして、新型コロナ・パンデミックのなかで進行するこれまでにはみられなかった新たな監視社会の問題について、お話をいただくことになりました。海外で既に提起されている監視社会の深刻な問題などを含めて、コロナ対策を口実とした監視社会化を許さないために必要な、政府や監視テクノロジー企業とははっきりと異なる私たちなりの観点を、この集会を機会にみなさんと作り挙げていきたいと思います。


今回は、横浜会場とオンラインの平行開催になります。

■日時 10月11日(日)午前11時から13時
(小笠原さんのお住まいのカナダとの時差の関係でこの時間帯になります)
■横浜会場:かながわ県民センター301号室
アクセス:JR・私鉄「横浜駅」西口・きた西口を出て、徒歩およそ5分   http://www.pref.kanagawa.jp/docs/u3x/cnt/f5681/access.html
コロナ対策に基く定員(50名)までの入場となります。

参加ご希望の方は、以下のメールアドレスにお申し込みください。(十分予約可能です 9/28日現在)
申込み数の情況はウエッブで随時お知らせします。
samusunk@protonmail.com
参加費:500円

■オンライン視聴の方法
Youtubeの市民連チャネルに上記の時間にアクセスしてください。
https://youtu.be/3q0ghsDedA0
オンラインでの視聴については無料。予約や参加人数制限はありません。

*オンラインでの視聴については、予約や参加人数制限はなく、無料です。
  カンパは歓迎しますので、よろしくお願いします。
  ●振込先:郵便振替口座番号: 00120-1-90490
       加入者名:盗聴法に反対する市民連絡会

■主催:盗聴法に反対する市民連絡会
■賛同団体:JCA-NET/共謀罪NO!実行委員会/共通番号いらないネット

■問い合わせ
070-5553-5495 小倉
hantocho-shiminren@tuta.io

10月6日 ATTAC首都圏連続講座:「経済」の呪縛からの解放――コロナ・パンデミックのなかのパラレルワールド

名古屋市文化振興事業団宛の抗議文

名古屋市文化振興事業団が日本第一党愛知県本部主催のイベント、あいちトリカエナハーレ2020「表現の自由展・その後」に会場を貸与した件で、以下のような抗議文を提出しました。


抗議文

名古屋市文化振興事業団

理事長 杉山勝 様

役員の皆様

評議員の皆様

事業運営委員会の皆様

(上記の皆様に回覧をお願いします。もし回覧できないようでしたらご一報ください)

小倉利丸

元表現の不自由展実行委員

2020921

2020926日と27日に、名古屋市民ギャラリー栄において『あいちトリカエナハーレ2020「表現の自由展・その後」』という催しが日本第一党愛知県本部主催で開催されることを知りました。私は、日本第一党が主催するこのイベントに、地方自治体が会場を貸与することは、人種差別主義を黙認(あるいは助長)し、歴史の偽造に加担することに他ならず容認できません。よって、抗議するものです。

私は、昨年、あいちトリエンナーレの招待作家として出展した「表現の不自由展・その後」の当時の実行委員のひとりとして、出品作家たちとともに、深刻なヘイトスピーチの嵐を被った当事者です。今回の催しの開催について、名古屋市民文化事業団の会場貸与の決定に失望せざるをえません。

特に危惧するのは、主催者が、移民と外国人の排斥を主張し、いわゆる「従軍慰安婦」問題をはじめとする日本の戦争犯罪・戦争責任を「自虐史観」として否定することを明確に政策に掲げる日本第一党だという点です。このイベントが結果として人種差別主義を助長することになるのは明らかと考えます。

日本第一党とその党首の桜井誠については、米国のヘイトスピーチに取り組む有力な人権団体のひとつ、Southern Poverty Law Centerがその活動を危惧しており、2019年に公表したレポートでは日本第一党を特集し、その米国の人種差別団体との連携に注視しています。言うまでもなく、米国の人種差別は深刻であり、これに日本第一党が加担する構図があるのです。() 日本第一党の人種差別主義の問題は、名古屋や日本だけではなく、国際的にもマイノリティの人権をめぐる問題となっているということでもあります。国外の人権団体からもヘイトスピーチ団体として認知されつつある日本第一党の行動を軽視すべきではありません。

()Southern Poverty Law Center(SPLC), Intelligence Report, lissue166, 2019 Sprng, p.27-30 https://www.splcenter.org/sites/default/files/intelligence_report_166.pdf 以下も参照。SPLC, White nationalist conference in Tennessee will feature old-school racists and a few new international guests https://www.splcenter.org/hatewatch/2018/06/14/white-nationalist-conference-tennessee-will-feature-old-school-racists-and-few-new

2016年に制定された「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(以下ヘイトスピーチ規制法と呼ぶ)は国の法律ですが、その第四条で「地方公共団体は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組に関し、国との適切な役割分担を踏まえて、当該地域の実情に応じた施策を講ずるよう努めるものとする」、また第七条では「当該地域の実情に応じ、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消の必要性について、住民に周知し、その理解を深めることを目的とする広報その他の啓発活動を実施するとともに、そのために必要な取組を行うよう努める」として、自治体によるヘイトスピーチに対する取り組みを定めています。また、付帯決議(参議院)では、日本国憲法とともに人種差別撤廃条約を尊重し、ヘイトスピーチによって地域に「深刻な亀裂を生じさせている地方公共団体」に対しては特段に、その解消への努力のための「施策を着実に実施」することを求めています。

ヘイトスピーチ規制法が制定されたとき、名古屋市はホームページで「この法律は、不当な差別的言動、いわゆる『ヘイトスピーチ』は許されないことを宣言し、人権教育と人権啓発などを通じて、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを扇動する不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進することとしています。」(1)と紹介し、更に今年3月には「なごや人権施策基本方針」(2)を策定し、そのなかでヘイトスピーチは許されないこと、また「差別的な言動(ヘイトスピーチ)の解消に向けた教育・啓発活動に取り組むとともに、現状把握を継続的に行」うことを「施策の基本的方向」(3)として約束しています。

また「基本方針」に添付された世論調査においても、ヘイトスピーチは「許されないことで、絶対にやめるべき」と「よくないことだと思う」と回答した市民が合せて75%になります。また外国人の人権問題についてもヘイトスピーチを挙げた割合は項目全体でも第二位と高く、ヘイトスピーチの問題は、名古屋市においても、一般の市民感情からみてもかなり深刻なものと受けとめられているといえます。(4)地域における差別と偏見は最重要課題になっているといえるのではないでしょうか。

(1)http://www.city.nagoya.jp/sportsshimin/page/0000091086.html

(注2) http://www.city.nagoya.jp/sportsshimin/cmsfiles/contents/0000127/127395/zennbunn.pdf

(3)なごや人権施策基本方針 p.28

(4)同上、p.71以降参照。

繰り返しますが、日本第一党は、ヘイトスピーチを繰り返してきた桜井誠が党首の政治団体で、その主張、とくに移民や外国人政策は、移民や外国人の排斥を公然と主張するものであり、また日本の植民地侵略の歴史認識を「自虐史観」と蔑視しています。その主張や過去の経緯からすれば、日本第一党がヘイトスピーチ規制法の趣旨にも名古屋市の人権施策基本方針にも抵触する行動をとるであろうことは明らかです。国際的にも問題となっているレイシストたちの行動は、一般に、自分たちの主張に同調しない者たちに対してはヘイトスピーチや時には暴力によって威嚇し、他方で、あたかも正当な市民運動や政治活動であるかのような装いもとって人種差別主義を市民に根付かせようとすることが常套手段になっています。暴力的なヘイトスピーチと一見すると穏健に見える『あいちトリカエナハーレ2020「表現の自由展・その後」』のような活動とは表裏一体であること、このことを踏まえて、行政や文化施設は、不当な差別的言動の解消に向けた取組に積極的な行動をとるべきだと考えます。

ヘイトスピーチ規制法に関しては、集会やイべントの施設利用について、憲法が禁じている検閲との兼ね合いが常に議論されてきました。日本第一党などは、表現の自由を主張してイベント開催を正当化しようとしていますが、彼らを含むレイシストやヘイトスピーチに加担してきた者たちが私たちの「表現の不自由展・その後」に対して昨年やったことは、表現の自由を踏みにじる行為だったということを私は忘れることができません。主催者である日本第一党のこれまでの主張と行動からみて、『あいちトリカエナハーレ2020「表現の自由展・その後」』なるイベントが明らかにヘイトスピーチといえる効果をもたらし、結果として地域のマイノリティの人々への偏見を助長しかねないことになるのは容易に推測しうることだと考えます。つまり名古屋市自身がそのホームページで対処すべき事態しして明記した「本邦外出身者を地域社会から排除することを扇動する不当な差別的言動」となる可能性を秘めたものだということです。

憲法では、検閲を禁じると同時に、人権の尊重を最重要とも位置づけており、民族や出自などへの差別を偏見として認めていません。彼らの偏見に満ちた「表現の自由」には正当性はなく、地域で暮す多くのマイノリティの人権と自由が脅かされることになるのです。日本第一党のイベントは、マイノリティ当事者にとっては耐えがたいことであるということを、名古屋市と名古屋市文化振興事業団は自覚すべきです。私は名古屋市民ではありませんが、日本国籍をもつ者としても、このような人権侵害とヘイトスピーチに加担する名古屋市の決定を黙って見過すことはできません。

ヘイトスピーチには言論表現における威嚇、脅迫や罵詈雑言など暴力的な言葉だけではなく、事実を歪め、偏見を助長するような表現を通じて、人々が日本に住むマイノリティの人々の価値観や文化あるいはその存在そのものを否定したり、日本人のそれよりも劣るものとみなす言説もまたヘイトスピーチに含まれます。文化行政がこうした隠されたヘイトスピーチに対抗することなくして、多様な文化との共生を地域で実現することはできません。差別と偏見によって深刻な被害を被らないようにマイノリティの人権を確立し、人間としての平等を実現することもできません。もし、名古屋市が、『あいちトリカエナハーレ2020「表現の自由展・その後」』を容認するのであれば、その結果は、とりかえしのつかない差別と偏見、偽造された歴史認識の助長を招くことになるでしょう。これは、事実上、公権力による人権侵害の黙認であって、その責任は極めて重いと言わざるをえません。名古屋市及び名古屋市文化振興財団にとって今必要なことは、明確に排除と差別の言動を認めないためにとりうるできうる限りの行動をとることです。

世界社会フォーラム:オープンスペースから行動のスペースへと転換を求める動き

以下は、今年8月11日に出され、Critical Legal Thinking掲載の「世界社会フォーラう第2宣言」という文書と、その後、30日にhttps://www.foranewwsf.orgに出された「新しい世界社会フォーラムに向けて:世界を変えるために世界社会フォーラムを変える-オープンスペースから行動のスペースへ」の二つの文書の英語からの仮訳。

(簡単な前置き:飜訳した文書はこの下にあります)

WSFは今年で20年になる。また、WSFをめぐる議論を紹介する目的で私が武藤一羊らとジャイ・セン他『世界社会フォーラム・帝国への挑戦』(作品社、2005)を訳したのももう15年も前になる。この本は今でもWSFをめぐって創設者や関係者たちがどのような議論をしていたのかを知る上で重要な文章を多く収録していると思う。しかし、最近の大きく変貌する世界の状況のなかで、世界社会フォーラムは、グローバルに展開されている多様な社会運動にほとんど関与できていない。たぶんアラブの春やオキュパイ運動などへの影響力はほとんどなかったし、この傾向は今に至るまで変っていない。WSFに何度か参加し、会議なども主催してきた者として、正直に言って、ここ数年、世界社会フォーラムへのわたし自身の関心もかなり薄れてきていた。とはいえ、福島原発事故後に、日本での核をテーマとした世界社会フォーラムのテーマ別会合(ここにアーカイブがある)を是非開催すべきだと強く私たちの背中を押してくれたのも、ブラジルのWSFの創設者のひとりチコ・ウィタケルだった。

第2宣言は今年8月11日に出されたものだが、その後、月末には新たなサイトに別の文書が掲載された。これが以下の二番目の文書である。趣旨はほぼ同じだが、後で出された文書は「宣言」とは呼ばれておらず、また、提起されているWSFの課題の中心が、組織やガバナンスの民主化を重視しつつ行動のスペースへと転換することに置かれているようの思う。すでにこの二番目の文書への賛同署名が開始されており、ベルナール・カッセン、ヴバンダナ・シヴァ、イグナシオ・ラモネ、スーザン・ジョージらが署名している。(9月3日現在)

この問題提起はWSFにとっては非常に重要だと思う。以下の宣言などとはやや観点は異なるが、私は、現在のWSFの抱えている問題は、ふたつあると思う。ひとつには、「もうひとつの世界」をめぐる思想的な課題。これはとりわけアラブの春、オキュパイ運動以降現在まで運動の課題を受け止めきれていない背景にある問題でもある。マルクス主義とアナキズム、20世紀社会主義の総括などから宗教や伝統的な価値やライフスタイルとオルタナティブの将来世界の構想まで、重大であって以下の宣言などで列挙された課題を通り一遍に済ませられないと思う。もうひとつは、組織の民主化(とくに意思決定機関の国際評議会そのものがいかなる意味においても形式民主主義の体裁すら整えてこなかったという問題は大きいと思う。この点については別に書きたい。


世界社会フォーラムのための第2宣言?オープンスペースから行動のためのスペースへ

2020年8月11日

2021年に20周年を迎える世界社会フォーラム(WSF)は単なるオープンスペースなのか、それとも(そうあるべきなら)行動のためのスペースでもあるべきなのか?この問題はWSF国際評議会で長年議論されてきたたが、これまで結論を出せていない。

私たち、Frei Betto, Atilio Borón, Bernard Cassen, Adolfo Perez Esquivel, Federico Mayor, Riccardo Petrella, Ignacio Ramonet, Emir Sader, Boaventura Santos, Roberto Savio, Aminata Traoréは、WSFポルトアレグレ宣言の署名者である。その時以来、私たちは素晴らしい友人を失ってきた(Samir Amin, Eduardo Galeano, Samuel Ruiz Garcia, Francois Houtart, Josè Saramago, Immanuel Wallertsein)。私たちは彼らと多くを共有してきた。私たちは彼らが今何を思っているのか、はっきりと理解できる。私たち、まだ生きている者たちは、運動を鼓舞し反省を加えるためのもう1つの要素を提起するために、このメッセージをWSFに送ることにした。私たちのイニシアチブの精神は、ノーベル平和賞のAdolfo Perez Esquivelが起草したイニシアチブの参加のメッセージによく表現されている。「WSFの希望と強さを復活させるイニシアチブに感謝したい。しばらくの間、私たちの時代の課題に立ち向かうために、思考と行動の多様性を私たちのアイデンティティとする道を再び見い出すために、私たちは似たようなことを考えてきた。親愛なる兄弟、私は署名に参加し、暖かくあなたがたを抱きしめたい」

ポルトアレグレWSFでは、2005年に、私たちのなかの幾人かが「ポルトアレグレ宣言」を立ち上げ、グローバルな舞台において、WSFが脇に追いやられつつあることに懸念を表明した。私たちは宣言を行うことがフォーラムのルールに反することはわかっていたが、これは、国際政治に対してポルトアレグレでの豊かな討議に貢献する方法だと感じた。翌年も同様に「バマコの呼びかけBamako Call」が出された。これらの呼びかけはいずれも反響がなかった。

15年後、私たちの懸念は極めて現実的になったことが示された。フォーラムは2001年にブラジルのグループの寛大で先見の明のある活動と、ルラ大統領時代に彼らが受けた支援で始まった。進歩的な国際化がWSFをすべての大陸に拡げた。新自由主義の覇権に異議を唱えて社会運動や批判的な知識人が経験や考え方を交流させるためのスペースを開くというアイデアは、革命的なものだった。これは世界に大きな影響を与えた。WSFは米国によるイラク戦争の脅威に対抗して、世界規模での大規模な戦争を拒否するデモを呼びかけルことで、その大きな可能性を示した。しかし、こうした取り組みは継続されなかった。

残念ながら、ほぼ20年後の現在、WSFはそのルールや慣例を変更しようとはしていない。オープンスペースのアイデアは、グローバルな政治的アクターとしての外の世界との相互作用を妨げられ、フォーラムを限界的なプレーヤーに追いやってしまった。もはや評価の基準にはなっていない。近年、少なくとも3つの大きな運動が世界中で数百万人を動員している。気候変動との闘い、ジェンダーの平等、人種差別との闘いだ。WSFは、世界的な集団的なアクターとしては完全に関与できていない。しかし、全体的なビジョンから(非セクト的な方法で)新自由主義と闘うというWSF創設の理念は、その強さも有効性も失われてはいない。同様に、植民地主義と家父長制に対するWSFの闘い、そして自然とコモンズの尊重の提唱にも、このことは当てはまる。

行動が必要である。世界は変化してきた。今日、私たちは40年にわたる新自由主義的資本主義の壊滅的な結果に直面しているだけでなく、金融市場に支配され、地球上の人間の生命を不可能にしうる急速な気候変動に脅かされている。レイシズムと差別とともに、大量の貧困と不平等の拡大が私たちの社会を分断している。

抵抗も高まっている。2019年には、世界中の多くの主要都市で、主に若者からの運動が圧倒的な規模で急増している。彼らは古い世界が死にかかってることがわかっており、すべての男性と女性は平等であり、自然を守り、社会のニーズに応じる経済をもつもうひとつの公正で平和な世界の構築うぃ熱望している。彼らは多くのオルタナティブを準備していルが、草の根の経験に基づいて、将来の行動を推し進めうる共通のグローバルなナラティブを創造するために、共に集まることができるスペースがない。進歩的な活動家や学者は、細分化されているために、この闘いにに負けるだけでなく、戦争に負けるリスクに直面している。

COVID-19は、これとは別の危機だが、初めて全ての人が、程度の差はあれ、同時に影響を受けるものになっている。世界は、私たち全員が相互依存する村になった。私たちは、実際に、共にに行動しなければならないということが、これまで以上に明確になっている。世界社会フォーラムは、これらの運動に対して発言し、オルタナティブをグローバルな文脈のなかに位置づけ、これらの新しい対話と実践がひとつにまとまっていくのを助けるために、依然として大きな可能性を秘めている。このために、WSFの創設以来参加し、ポルトアレグレとバマコの宣言に署名した私たちは、「新たな世界社会フォーラム」を提起したい。私たちは多元的な世界的危機に直面している。地域、国、グーバルのレベルの必要な区別を網羅しつつ、地域、国、グーバルなレベルでの行動が必要になっている。WSFは、行動を促す理念的なフレームワークである。こがこのイニシアチブのすべてである。


新しい世界社会フォーラムに向けて:世界を変えるために世界社会フォーラムを変える-「オープンスペース」から「アクションスペース」へ

出典:https://www.foranewwsf.org

2020年8月30日、 Francine Mestrumによる 投稿

世界社会フォーラムは2021年に20周年を迎える!ファシリテート・グループは現在、メキシコシティにおける新たなフォーラムを組織する可能性について検討している。コロナ危機の進捗状況如何にすべてがかかっている。

2001年以降、ポルトアレグレで第1回のWSFが開催されて以降、世界が大きく変化してきたことは誰もが承知している。当時、フォーラムの創設者たちは、ゲームのルールを確定し、フォーラムが、コンフリクトの場所にならずに共存と収斂の場となるように原則憲章Charter of Principlesを起草することに成功した。「オープンスペース」のルールは最近、独断的に解釈され、ひとつの例外をのぞいて、グローバルな政治的主体としてフォーラムが現在の歴史において重要な役割を果すようには寄与できていない。

この行き詰まりから抜け出し、フォーラムの名のもとに政治的な声をもって語ろうとする、さまざまなイニシアチブが過去にもあった。2003年2月15日のフォーラムは主導したイラク戦争反対の大規模なデモを想起してほしい。WSFの幾人かの「歴史的」参加者は、機能不全に陥ったコンセンサスを打破しようとした「ポルトアレグレ宣言」に署名した。今、「オープンスペース」から「行動のためのスペース」への変化を求めるもうひとつのアピールへの署名が始まっている。これは、グローバルな政治綱領を作るのではなく、外の世界との相互に活動するためのものだ。 Frei Betto、AtilioBorón、Bernard Cassen、Adolfo Perez Esquivel、Federico Mayor、Riccardo Petrella、Ignacio Ramonet、Emir Sader、Boaventura Santos、Roberto Savio、AminataTraoréがこの最初のメッセージの署名者である。

このイニシアチブは、これまで非常に多様であり続け、将来もそうであるであろう集団に政治的立場を押しつけることではない。しかし、現在、世界は生態系崩壊の危機、ソシテファシズム、金融資本主義の支配、レイシズム、家父長制の出現にともなう深刻な危機にあり、若者、女性、その他の抑圧された民衆が再び正義と持続可能な生態学的政策を要求して路上に登場しているときに、フォーラムが登場しないでいるわけにはいかない。内省的であることをやめて、世界と対話し行動することは道徳的、政治的義務である。

このメッセージの署名者が、世界を変えるためにWSFを変えたいとのはこのためである。フォーラム、その構造、およびガバナンスを民主化することが急務であると考えている。論理と歴史が、オープンで参加型の議論の結果としての変化を要求しているのだ。オープンなスペースから行動のスペースへと移行しうるガバナンスを導入することが重要である。したがって、私たちは、国際評議会が世界中で活動している新たな社会勢力を統合し、原則憲章を21世紀の新たな時代に適応しうるような、つまり、地域的およびテーマ別のフォーラムに場所を与え、国際行動の日を組織し、WSFをグローバルな政治的主体とする道筋を討議できるように、原則憲章を見据えることができる、より代表性のある組織体を形成することを試みたい。これは容易な道ではなく、世界と対話可能な効果的な組織体を創出するために、私たち全員の開放性と意志が必要になる。ガバナンスを強化し、WSFを民主化する多くの可能性がある。こうしたことが表に出されて民主的に議論できるようになることをを私たちは大いに望みたい。

この集団的な反省に参加するようあなたがたに呼びかけます。これが、私たちが切望し、必要としている「他の世界other world」を具体化するために貢献できる緊急課題です。

同意する場合は、このアピールに署名してください。
https://www.foranewwsf.org/tell-us/

EFFによる米国保健社会福祉省(HHS)の新たなCOVID-19監視システムへの意見書

米国保健社会福祉省(HHS)はCOVID-19を利用して広範囲にわたる個人情報収集システムを立ち上げています。これに対して、EFFが以下のような意見書を提出しています。訳したのは序文だけで、これには詳細なバックグラウンドについての説明がついていますが、これは訳せていません。日本でもHER-SYSが稼動しており、私は問題が多いのではつ推測しています。EFFの以下の文書は日本でも参考になると思います。
(参考)
EFFのCOVID-19監視社会問題のページ
No to Expanded HHS Surveillance of COVID-19 Patients
https://www.eff.org/deeplinks/2020/08/no-expanded-hhs-surveillance-covid-19-patients

意見書のページ
https://www.eff.org/files/2020/08/17/2020-08-17_-_eff_comments_re_hhs_regs_re_covid_data.pdf

Electronic Frontier FoundationによるSYSTEM OF RECORDS NOTICES 09-90-2001, 09-90-2002に関する見解

Document No: 2020-15380
85 Fed. Reg. 43243 (July 16, 2020)
85 Fed. Reg. 43859 (July 20, 2020)

Electronic Frontier Foundation(EFF)は、政府による疾病監視とCOVID-19に対処するための個人情報の処理に関する2つの記録システム通知(SORN)に応じて、米国保健社会福祉省(HHS)に次のコメントを提出する。通知番号09-90-2002(2020年7月16日)、通知番号09-90-2001(2020年7月20日)を参照

EFFは、メンバーによって支援されている非営利公益団体であり、デジタル時代のプライバシー、市民的自由、イノベーションの保護に取り組んでいる。1990年に設立されたEFFは、デジタル時代の法律の適用をめぐる訴訟および広範な政策論議の両方において、数万人の有料メンバーと一般市民の利益を代表している。EFFは、技術の進歩により政府による監視が強化されている時期におけるプライバシー保護に特に関心をもち、新たな技術が社会に普及するにつれてプライバシーをサポートし、個人の自律を保護するよう政府と裁判所に積極的に働きかけ、異議を申し立ている。

序論
2つの提案された新たなHHSのSystems of Recordsは、すべてのアメリカ人のデータプライバシーに重大な脅威をもたらす。これらは、連邦政府があらゆる種類の個人情報を収集、利用、共有する方法を大幅に拡大し、説明責任、透明性、プライバシーに関するプライバシー法が定めている厳格な義務に明らかに違反している。一般に5 U.S.C.§552aを参照。SORNは、収集されたデータのカテゴリ、データソース、および提案されたデータの日常的な使用法の説明が極めてあいまいである。(注1)したがって、SORNは、どのようなデータが収集されるのか、そのデータがどのように 使用され、誰と共有されるのかをアメリカ人に説明できていない。

(注1)2002年9月90日のSORN、「COVID-19 Insights Collaboration Records」は記録システムであると述べているが、「HHSは、 データベースを研究やその他の公衆衛生活動に使用するときは、個人識別子で記録を取得する計画はない」としている。HHSはデータベースを作成および保守しつつ個人識別で記録を取得するであろうということを前提すれば、HHSが個人IDで記録を取得できる限り、プライバシー法の権利を適用する必要がある。

疑いなく、進行中のCOVID-19危機は、政府の対応が必要であり、そのためには、病気の蔓延に関する確実なデータが必要だ。しかし、HHSは、米国疾病管理予防センター(CDC)が長年運営している連邦政府の既存の疫学データシステムがこの課題に対応していないということを明らかにしていない。SORNで提案されている次のHHSデータ処理は、プライバシーに大きな負担をかけるが、実際の公衆衛生保護には必要でもなければ釣り合いのとれたものともいえない。

・新たなデータ収集。SORNを使用して、身体的心理学的病歴、薬物・アルコール摂取、食事、雇用などに関する個人情報を収集できる。収集データには、「地理空間記録」も含まれる。多くの研究で示さているように、これでは匿名化は不可能である。データは、陽性者だけでなく、家族、陰性者、そしておそらくまったく検査していない人々についても収集される。データは、連邦政府、州政府、地方自治体、その請負業者、ヘルスケア業界、患者の家族など、数え切れないほどさまざまな資料から収集される。
・新しいデータ共有。 SORNを使用すると、これらの膨大なデータを、これまで以上の連邦政府機関、不特定の外部請負業者、さらには「学生ボランティア」と共有できる。この新たに追加されたデータ共有できる連邦機関は、請負業者とデータ共有が許される。この共有に患者の同意は必要ない。
・新たなデータ利用。SORNは、合衆国政府が「関心」を持つ場合はいつでも訴訟itigation「その他の手続き」でを通じてこのデータの利用を許可する(このような利用は現在は、HHSが訴訟の被告の場合にのみ許可されている)。
・新たなデータ保持。SORNは、「重要な歴史的および/または研究的価値」のあるデータの永続的な保持を許可する(現在は保持は4年に制限されている)。

したがって、EFFはHHSがこれら2つのSORNを撤回することを要求する。これらはプライバシー法を厳格に遂行する義務に違反し、公衆衛生上の利益となることも示されずにプライバシーに対する新たな脅威を生み出す。HHSが事案ごとに特定の種類の新たなデータ処理が公衆衛生を前進させ、プライバシー法を順守し、市民的自由に過度の負担をかけないことを示すことができない限り、COVID-19に対処するために、CDCがこれまで公衆衛生の危機に対処するために処理しなかった個人情報をHHSが収集、利用、共有、または保持すべきではなない。

CrimethInc:アナキズム関連をFacebookが禁止に―来るべきデジタル検閲

BLMが収束せず、大統領選挙が近づくなかトランプはますます横暴になっていますが、これにすりよるFacebookはもっと罪深いと思います。以下、CrimethIncの記事を訳しました。

アナキズム関連をFacebookが禁止に
来るべきデジタル検閲

Facebookは、アナキストおよび反ファシストのネット発信プロジェクト(原注)の中でも、彼らがcrimethinc.comおよびitsgoingdown.orgに関連すると考える(注)複数のFacebookページを削除した。
(原注)同じ口実で本日禁止された他のFacebookアカウントのなかには、ミュージシャンのMC Sole、Truthoutの作家Chris Steel、およびヨーロッパのニュースソースであるEnough is Enoughがある。

(注)https://twitter.com/nickmartin/status/1296175961260482560

彼らは、公式には「暴力を支持している」ことを口実にしている。この禁止措置は暴力を止めることとは無関係であり、社会運動とこれを報道するネット発信を抑えつけることがすべてだ。

(注)

ドナルド・トランプは、米国における警察の後をたたない暴力に対する全国規模の抗議の波に対して、一連のソーシャルメディアの投稿で、アナキストと反ファシストを非難し、数か月にわたって取り締まりを要求してきた。10年前、Facebookの代表は、エジプトでの民衆蜂起に果した彼らの役割を誇示していた。現在、積極的に社会運動を論じるネット発信を禁止する彼らの決定が示しているのは、ネットに登場を許される唯一の形態のアクティビスムとは、現在の当局に確実に利益をもたらす役割を果たすことが望まれているというこだ。

https://twitter.com/nickmartin/status/1296175961260482560
(訳注)8月20日、Nick Martinのツィッターのページ。(ここで、Facebookが禁止したサイトに言及されている)

暴力の定義は中立ではない。現在Facebookによる暴力の定義は、警察が年間1000人を殺害し数百万人を強制退去、誘拐、投獄することは合法だというものだ。攻撃者が政府を代表している限り、民間人を爆撃することは合法であり、白人至上主義者が群衆を襲撃するのを阻止したり、警察が撃った催涙ガス弾を警察に投げ返したりするのは「暴力」だとするものだ。体制や白人至上主義暴力からコミュニティを防衛しようとする人々の声を抑圧するのは、暴力を行使する者たちが制度的権力を保持している限り暴力行使を当然だとする意図的な決定だ。

現在の政権を明示的に支持する極右の民間武装勢力militiaとアナキストや反ファシストを一括りにするのは、問題を混乱させる戦略的な動きだ。これは、ウィリアム・バー(司法長官)が自称ファシストと反ファシストの両方を標的とする「反政府過激派」を標的にした司法省のタスクフォースを設置した際に行ったのと同じやり口だ。司法省の場合、極右の攻撃に対してコミュニティ防衛の最前線にいる人々を取り締まる人員や金を要求する口実として極右や民間武装勢力の攻撃を指摘しえた。バーと他のトランプ政権のメンバーは、ブラック・ライブズ・マターの活動家に対しても同様のことを行おうとし、BLMとネオナチスや白人ナショナリストを「人種的動機をもった過激派」として関連付けた。

シャーロッツビルでの「Unite the Right」の動員の最中に、自称ファシストがHeather Heyerを殺害(2017年8月)した後、ソーシャルメディアからファシストや白人至上主義者を排除せよという大きな草の根の圧力が発生した。現在、当時とは真逆にこの圧力は、抗議運動が国家の暴力と抑圧に関する全国的な対話を創出する上で不可欠な時期に、国家機構のトップから来ている。これは、シャーロッツビルのファシストに反対して結集した人々の見解を発表したWebサイトに対する権力からの反撃である。これが数週間の街頭闘争に直面してトランプが連邦の軍をオレゴン州ポートランドに動員した直後で、極右のスポークスパーソンが上院での証言で具体的にcrimethinc.comとitsgoingdown.orgに言及した数日後のことなのは偶然とはいえない。

極右のグループが引き続きFacebookを利用して組織し、COVID-19に関する危険な誤った情報を広めるなかで、Facebookはトランプ政権の合図を優先して反対意見を抑えている。間違いなく、これが問題にならないのであれば、将来はもっとひどいことになる。政府が社会運動を報道するネット発信を取り締まるノが当たり前になればなるほど、こうした検閲は社会のあらゆる部門に浸透し、政府が考え、想像するような事態を具体化するようになる。

この問題についてあなたが危惧するのであれば、このニュースを広く共有できるようあらゆる手段を駆使してほしい。Facebookがあなたに対して何が責任ある言論なのかを決定すべきではない。共に連帯するなかで、私たちは、より良い世界を作り出すことができる。こうした世界は、善意ある誰もが、ファシスト、政府、10億ドル規模の企業が脅したり沈黙させたりすることを恐れる必要のない世界だ。

「CrimethInc、それは、真に自由な社会の詩人や知識人たちだ。アナキストの発信に共通のテーマがあるとすれば、それは組織的暴力やシステムの暴力の脅威が存在せず、また、決してこのような状況が起き得ない社会を夢見ることだ。ここでは、棍棒、銃、爆弾を持つ男のグループが、他の人々を脅すようなことはない。これは正統性のある政治的立場というだけではなく、社会にとって必須であり、本質的かつ必要なものだ。私たちは平和で思いやりのある世界を夢見ることさえ禁じられている、と特に若者たちに語らざるをえないことほど、暴力的なことはない。」
-デビット・グレイバー、:ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス人類学教授、『債務』の著者、Facebook禁止のニュースに応答して。

反ファシストネオフォーク宣言

以下、転載します。

反ファシストネオフォーク宣言

解説:欧米のポピュラー音楽シーンが特に1980年代以降、極右、ネオナチなどによる若者のリクルートの重要な武器になってきたことが知られている。最も有名なのが、スキンヘッズによるOi!と呼ばれる音楽ジャンルだろうが、これに限らず、ロックからポップス、アバンギャルドに至る広範な音楽シーンに極右が介入してきた。なかでもネオフォークと呼ばれるジャンルは、極右の影響を非常に強く受けてきたジャンルとみなされている。実際に音楽の形式は、西欧の様々な非キリスト教的な伝統文化をも包摂しつつヨーロッパの白人文化の優位性をアグレッシブで暴力的なスキンヘッズなどとは逆にロマン主義的な傾向を強くもちながら感情を動員しており、嫌悪よりも情緒的な同調を得やすい音楽形式だ。私は、ヘイトが前面に出される音楽よりも、ネオフォークのような音楽の方が、人々をファシズムの心情に動員する上ではより効果的で厄介な存在だと感じてきた。ネオフォークのジャンルで活動するバンドやファンが皆極右だというわけではない。しかし、非政治的なネオフォークのバンドが無自覚に極右のネオフォークのバンドとコラボレーションしたりする状況や、極右が音楽シーンを主導することによって、若者たちの社会意識に白人至上主義が、非楽人への嫌悪ではなくて、白人ヨーロッパ文化の優位性というロマン主義によって醸成されうる可能性がある。ネオフォークのエンサイクロペディアのような本に、Andreas Diesel, Dieter Gerten, Looking for Eirope, The History of Neofolk, Index Verlag, 2013があるが、この本のなかでは、ネオフォークの源流には、単なる伝統主義的な復古主義があるのではなく、たとえばスロビング・グリッスルのようなノイズ・インダストリアルの源流でもあるバンドの影響もあることがわかかる。ネオフォークの政治的なイデオローグともいえるDeath In Juneは、まさにその典型的な位置を占めていたといえそうだ。Death In Juneとそのアルバムを多くリリースしているSoleilmoonは、米国の人種差別主義と闘うSouthern Poverty Law Centerから名指しで批判されてもきた。そもそもの出自はハイブリッドでありつつ、しかし事実上、白人至上主義という枠組が暗黙の共通項になってきたのがネオフォークの主流のように見なされがちだったかもしれない。ロックには左翼的な反体制の伝統がありつつ、極右ポピュリズムの台頭のなかでSkrewdriverのような極右バンドが登場したのとはわけが違う。ネオフォークにはそもそも左翼というスタンスを明確にしたシーンがほとんど目立たなかったように思う。フォークが60年代のベトナム反戦運動のなかで左翼の文化の一翼を担っていたのに、である。こうしたなかで、ネオフォークシーンから意識的に反ファシストネオフォークを掲げる運動が登場した。昨年のことだろうか。以下は、A BLAZE ANSUZ: ANTIFASCIST NEOFOLK: A BLOG RAISING UP ANTIFASCIST NEOFOLK BANDS FROM AROUND THE WORLD.に掲載された反ファシストネオフォーク宣言の訳である。シーンの状況がある程度わかると思う。しかし、以下の宣言には具体的な反ファシストネオークのバンドなどは登場しない。このサイトではバンドとのインタビューがかなり多く掲載されている。(daRarevo records)

https://antifascistneofolk.com/
またSpotifyで関連するバンドの音源が紹介されている。

https://open.spotify.com/user/blackcatfilmsltd/playlist/74snxst77irk3jahKNMupq?si=BMri_Nw7R-WeC2hQ_HkKQQ

反ファシストネオフォーク宣言

2019年7月29日

これは、反ファシストネオフォーク音楽コミュニティの人々と一緒に議論され、この新しい音楽トレンドが何なのか、その意図とビジョンを構築することを目的に、いくつかの点について書いたものだ。これは決して私個人の宣言でもなければ固定的なものでもない。この新たな地平に何があり得るかについての考え方だ。

1 ファシズムはネオフォークやその他の芸術形式を主張できるものではないし、このジャンルの発展の歴史は、ファシズムに当然の権利を与えもしない。ファシズムは、ロマン主義、ユートピア的理想主義、そして新しい世界を構築するための革命的精神への衝動を改竄するものだ。ファシズムはそれらのインパルスを保持するのではなく破壊するが、反ファシストネオフォークはこの精神を取り戻そうとするものだ。

2 ネオフォークは、複雑な過去を再考することに基づいて構築されたロマンチックな芸術形式だ。ファシストは、みずからのイデオロギーを、神秘的な過去の復古的なウルトラナショナリズムのビジョン、つまり、暴徒のナショナリズムの精神的情緒的モチベーションを創造してきたビジョンを物神化してこの音楽に埋め込んできた。反ファシストネオフォークは、異教、生態学的持続可能性、植民地の抑圧への抵抗をインスピレーションとして、芸術と文化の歴史を批判的に検討し、再考する。将来の私たちのビジョンを伝えることのできる記憶としてこうした考え方に立ち返りつつヒエラルキーと白人至上主義に反対する闘いを継続するために過去を見据える。美しい側面を維持しつつ、問題のある歴史を現実的に見て、抑圧の歴史を無視することを拒否し、代わりに、公正で公平な未来のビジョンに役立つ歴史的記憶を作りたいと考えている。

3 左翼は、それ自身の自覚的なロマンチックな芸術形式、つまり、正義、平等、自由に基づいて築かれた新たな世界の可能性を構想するに値するものだ。そのため、科学的あるいは法的思考だけでは革命運動を起こすことはできず、夢見る空間が必要だと考える。他の芸術運動と同様に、反ファシズムと革命的ネオフォークは、世界に変化をもたらし、白人至上主義に反対して団結して運動に情熱、ファンタジー、精神を注ぎ込こんで、意識的にこうした空間を構築する。

4 ネオフォークは、過去の世代の美学を現代の形に鋳直し、こうすることで、無数のフォークアートの形式から独特で現代的な感性を構築することを可能にする。フォークの伝統の継続は、キリスト教化と戦う異教の精神的音楽的伝統から、植民地の強制的な同化に対抗する先住民の言語を維持するための闘いや祖先の記憶を奪われた地域社会におけるアフリカの歴史の再生に至るまで、植民地主義に対する文化的闘争形態でもある。ネオフォークは、この闘争を、アイデンティティ主義のナショナリズムの反動的形態としてではなく、支配に抵抗し、その美しい多様性を維持する有機的な文化の上に展開する。

5 反ファシストネオフォークは、同時に国際的でコスモポリタンであり、文化的多様性の豊かさを維持するのにナショナリズムが必要だという考えを拒否する。ネオフォークはヨーロッパでのフォークミュージックの伝統の復活と見なされることが多いが、反ファシストネオフォークは必然的にこのヨーロッパ中心の視点を捨て、さまざまな伝統を利用する世界中のアーティストとつながりをもたらすることが必要だ。私たちは部族主義(トライバリズム)に反対し、これに替えて多様性、連帯、相互扶助を提起する。

6 反ファシストネオフォークは、政治的に動機付けられたネオフォークバンドのサブジャンルではなく、確立されつつある新たなスタンダードだ。ネオフォークには、ファシストのアーティストがこのシーンを政治組織化につながるメタポリティクスを構築する場として発展させてきた歴史があり、非政治的なバンドの間でも共犯の文化があった。反ファシストネオフォークのアーティストとファンは、許容できる新たな判断基準を確立しつつある。これは、この種の受動的なスタンスを許容せず、いかなる形であれ白人至上主義のプラットフォームを拒否する倫理的枠組みを実現してきている。

7 反ファシストネオフォークは組織化戦略であり、ファシストが意図的なサブカルチャーを構築しようとしている「闘争の場」として、ネオフォークを見ている。白人至上主義者とファシストはいかなる社会的文化的空間に対する正当な権利も持っていない。このことはネオフォークにもいえることである。このまま放置しておくと、新しい世界を切望している音楽ファンにファシストがネオドークを通じてアクセスできてしまい、ネオフォークがこうした若者をファシストにリクルートするための格好の道具にされてしまう。これに対して、私たちは、ネオフォークを闘争の場と見なす。反ファシストミュージシャンとファンは、この音楽のフレームワークを利用して、ファシストをこの音楽シーンから追い出し、彼らの存在を拒否する。音楽会場、レコードレーベル、出版物、そしてネオフォークが存在するすべてのエリアは、この闘争の場となり、音楽コミュニティの正当なメンバーである反ファシストネオフォークファンは、ファシストアーティストや運動とのいかなる共謀をも追い出す。まさにOi、ストリートパンク、ブラックメタル、その他の音楽のムーブメントで極右がこれらを囲い込もうとしたのと同様に、ネオフォークには闘うだけの価値があり、あらゆる機会に彼らを追い出すであろうと信じている。

8 反ファシストネオフォークは、ミュージシャンとレーベルの連合を構築し、極右のトレンドに逆行するシーンの構築に貢献する。反ファシストネオフォークのコミュニティを意識的に構築することで、ミュージシャンにとってポジティブな選択肢が生まれ、極右がネオフォークに押し付けようとしたイデオロギー上の覇権を破ることができる。(反ファシストネオフォークという)カウンターカルチャーが利用可能になる前は、極右はシーンの条件を設定して、バンドを強制的に適合させるか、活動できなくさせることができた。ネオフォークにおけるファシストの存在の現実を直視しつつ、オルタナティブは可能であり利用できることを示す対抗的なナラティブが今ここにはある。

9 私たちは反ファシストネオフォークのコミュニティの到来を信じている。反ファシストネオフォークのバンドは世界中に存在しているなかで、私たちは、これまで有機的に形成されてきたこのシーンを意図的に構築しつつある。ファンやミュージシャンとしてどのような音楽シーンを求めるのかを決定することで、そのビジョンを世界に投影する。私たちは反ファシズムと革命的なネオフォークシーンの存在を望み、それが自然に登場するのを待つのではなく、反ファシストネオフォークと名付けて構築することを開始した。

10 反ファシストネオフォークは、真の目標への途上に過ぎない。ネオフォークにおけるファシストの存在を排除し、平等主義と反人種差別に価値観を移すことだ。将来のネオフォークのビジョンでは、私たちの反ファシストネオフォークを他のネオフォークと区別する理由がなくなり、いつまでたってもネオフォークのなかのサブカルチャーであろうとは思っていない。私たちこそがネオフォークの全てを継承する者になるつもりだ。

出典:The Antifascist Neofolk Manifesto
https://antifascistneofolk.com/2019/07/29/the-antifascist-neofolk-manifesto/

パンデミックでも株式市場は最高値の米国―多国籍企業に儲けさせない文化闘争へ

メディアがいろいろ報じてるが、米国のS&P500が最高値をつけて注目されている。ニューヨークタイムスは米国の株式市場がbear market(弱気市場)からbull market(強気市場)へ転換しているかもとも報じている。

出典:https://www.nytimes.com/live/2020/08/18/business/stock-market-today-coronavirus#sp-500-hits-a-record-as-traders-look-past-economic-devastation

タイムス紙は、3月頃にはかなり落ち込んだがその後V字回復。連邦準備制度が3兆ドルを金融市場に投入していることや政府のコロナ対策支出が背景にあるとみている。アジアも株が上げている。まあ、日本も似たりよったりの政府の戦略なので、日本の株価も下らない。庶民は大打撃なのに。

この証券市場の動向でやはり注目したいのがハイテク株。いわゆるGAFAの株価。米国の巨大IT企業は、パンデミックでも一貫して株価上昇で、その上昇もこの1年でみると倍以上上げているところもあり、3月に一度落ち込んでもそのあとの回復が異常だ。あきらかにテレワークとオンラインへの依存のステージがワンランク上ったと思う。

GAFAであれIT企業の大半は私たちのコミュニケーションの権利のインフラを牛耳る企業。個人情報は、21世紀の石油といわれるように、こうした巨大企業の収益の基盤になっている。パソコンやスマホ、そしてネット環境はコミュニケーションの道具だが、この道具は同時にコミュニケーションの権利に不可欠な前提条件でもありつつ多国籍IT資本による個人情報=原油採掘場になっている。

資本主義グローバリゼーションの問題として論じられてきた第三世界の資源の問題、労働の問題、ポスト植民地支配の問題は、現在も重要な問題として存在しつづけているが、同時にこれに加えて、世界中の人口ひとりひとりがもっている個人情報が資本の利益を生む資源になっていること。この資源を採掘するメカニズムがコンピュータによるネットワークになる。わたしたちが日常的に使うパソコンやスマホ、スイカなどのカードから家にあるデジタル家電の類が収集する情報が、パンデミックや人々の失業と健康のリスクを格好のデータとして収集して利益に変えている。

この意味で、データ(個人情報)は、コミュニケーション領域を市場に統合した現代の資本主義にとってのフロンティアになっている。サイバーススペースにおける本源的蓄積といってもいい。この現代の大油田としての個人情報のなかから更にコロナパンデミックは新たな油田を開発するきっかけを与えた。これは上述したようなテレワークだけではない。感染予防、感染経路追跡などを口実とした政府による監視強化に伴う、政府全体の人々への監視インフラそのものがグレードアップしたということがある。

米国ではこれまで米国疾病対策センター(CDC)が管理していた個人情報追跡権限を保健社会福祉省が横取りして、HHSプロテクトなるものを立ち上げて新たな記録システムSORNを開始するようだ。SORNは心身の健康履歴、薬物およびアルコール使用、食事、雇用などの個人情報のほかに位置情報にあたるものも収集され、形式的には匿名であっても実質的には匿名化は不可能だとみられている。(注)日本でもHER-SYSが稼動しているが、こうした新たな情報インフラに政府の資金が投入されることになる。

(注)No to Expanded HHS Surveillance of COVID-19 Patients
https://www.eff.org/deeplinks/2020/08/no-expanded-hhs-surveillance-covid-19-patients

この文章の最後にGAFAとかの株価データにリンクを貼った。この大変な時期に、昨年の倍以上に株価高騰しているAmazonで買い物し、Googleで検索したりメールして会議して、Facebookで拡散する…これでいいはずはないと思うが、便利に屈している活動家たちが世界中にたくさんいる。どうしてもそうせざるをえないサービスもあるから絶対拒否はできないとしても、この生存の危機の時代に株価が高騰するような多国籍企業のサービスを見直すことが運動になっていない。しかし、できることはいろいろあるはずと思う。

GAFAをはじめとするグローバルなIT企業が個人情報という「富」で高収益を上げているのは、私たちひとりひとりが日常的に使うコミュニケーションのツールと、このコミュニケーションの環境を変えられない私たちのコミュニケーションの文化にもその責任がある。自戒を込めて、とりわけ左翼の活動家の責任は大きいと思う。このパンデミックのなかで、市民運動であれ労働運動であれ、敵は自分たちのコミュニケーションのツールそのもののなかにいる、というやっかいな事態を深刻に捉える必要がある。活動家がそのコミュニケーションの「武器」見直すことが、民衆のコミュニケーションの文化やライフスタイルを変えるきっかけになると思う。それ以外にライフスタイルにオルタナティブが生まれる余地はないと思う。この意味で、どのような手段で、どのようなネットのプラットームに依存して情報を提供するのかは、重要なコミュニケーション文化の闘いでもあると思う。

alphabet(Google)
https://stocks.finance.yahoo.co.jp/us/chart/GOOG?ct=z&t=1y
apple
https://stocks.finance.yahoo.co.jp/us/chart/AAPL?ct=z&t=1y
facebook
https://stocks.finance.yahoo.co.jp/us/chart/FB?ct=z&t=1y
amazon
https://stocks.finance.yahoo.co.jp/us/chart/AMZN?ct=z&t=1y
microsoft
https://stocks.finance.yahoo.co.jp/us/detail/MSFT?d=1y

接触者追跡とプライバシーの権利―監視社会の新たな脅威

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1 はじめに 感染経路追跡とプライバシーの権利

COVID-19パンデミック第二波となっている現在、政府(国であれ自治体であれ)と資本の対応に一貫性がみられなくなっいる。しかし、そうしたなでも、誰もがほぼ間違いなく「正しい」対処とみなしているのが、陽性とされた人の濃厚接触者を特定し追跡することだ。これが感染拡大を防止するイロハとみなされている。しかし、わたしはこの政策には疑問がある。この考え方は、人々が濃厚接触者が誰なのかを、正直に保健所当局に告白するという前提にたっている。この考え方は、濃厚接触者を網羅的に把握できなかったばあ、つまり漏れが少しでも生じれば、代替的な防止策がとれないで破綻するということ。実際最近の動向は、感染経路が追えないケースが増えていることを危惧する報道が多くなった。

濃厚接触者追跡というモデルは、現実の人間をあたかも実験室のモルモットであるかのように扱う現実性に欠けた人間モデルであると同時に、上述のように、濃厚接触者を告白しなかった場合、当該の人物はあたかも犯罪者であるかのように指弾されかねないというもうひとつの問題がある。そもそも誰が濃厚接触者であったのかを保健当局が判断するには、感染したと思われる時期に本人がとった行動や接触した人を網羅的に全て列挙して、そのなかから濃厚接触とみられる人物をリストアップすることになる。

私たちの日常生活の経験からみても思い当たることだが、すべての人間関係をつつみかくさず、公的機関に告白できる人はどれだけいるのだろうか。人間関係の隠蔽は政治家たちの習性であり、またそれ自体が政治の戦術でもある。労働者が雇用主に内密で労働組合に労働問題を相談する、DVの被害者が加害者に知られないよう支援組織と接触するといった人権に関わる問題から、ごく私的で他人に知られたくない性的な関係に至るまで、多様で様々な人間関係がある。

プライバシーの権利は、個人の生活における自由の基本をなす。他人に詮索されたり覗かれたりせずに自由に行動できる権利としてのプライバシーの権利は、同時に、自分に関する情報を自分がコントロールできる権利(本ブログ「ロックダウンと規制解除―残るも地獄、去るも地獄の資本主義:権利としての身体へ」参照)と表裏一体である。このプライバシーの権利は、感染経路を追跡するために自分の行動や親密な人間関係を告白するように道徳的にも強制するような感染症パンデミックの状況では極めて脆弱になる。公共の福祉のために、個人のプライバシーの権利は制約さるのはいたしかたないという社会の合意がありそうにも思う。

しかし、そうだとしても、またプライバシーの権利などという権利を公言することがないとしても、他人に秘匿される親密な人間関係はなくなることはない。感染経路追跡という戦略は、プライバシーの権利を軽視しているだけでなく、そもそもの人間関係に関する基本的な理解が間違っている。この間違いは、人間の行動を実験室のモルモットの行動から類推するとかコンピュータで解析可能なシミュレーションのモデルにむ無理矢理押し込めるといった専門家にとっての都合に基くものだ。

プライバシーの権利と感染防止を両立させることは不可能なのか。そうではない。後述するように、匿名で網羅的に検査し、陽性となった者が、自らの判断で医療機関で治療を受けられるような広範で大規模な医療体制をとればよいだけである。私が陽性になっても、誰から感染させられた可能性があるのかを告白しなくてもよいのは、網羅的に皆が検査しているからである。必要なことは感染経路ではなく、感染者の治療であり、感染させないような対処をとることである。このためには莫大な人的物的なコストがかかるが、生存の権利を保障するために国家がなすべき責任の観点からすれば、このコストは先進国であれば国家財政で対処可能であり、途上国を支援する余裕も十分にある。

プライバシーの権利と感性拡大阻止の両立を妨げているのは、三つの要因による。ひとつは、集団免疫への願望が地下水脈のようにこの国の政権のなかに存在しつづけているのではないか、ということ。第二に、GO TOキャンペーンは国土交通省であり、国土交通省は感染症対策に責任を負わない役所であるように、各省庁は自らの利権を最優先に行動し、政府の予算措置も既存の利権を保持したまま、追加予算措置として臨時に感染症対策を計上するにすぎない。結果として、国家予算は不必要に膨張し、感染症が拡大したとしてもその責任を負う必要がない官僚制の巧妙な責任回避のシステムができあがっている。第三に、市場経済もまた、COVID-19がビジネスチャンスであれば投資するという態度が基本であり、生存の経済よりも資本の収益を最優先し、この危機を競争力の弱い資本の淘汰の格好のチャンスとみていること、である。この結果として、すべての犠牲は、社会の最も脆弱な人々に押しつけられることになる。

こうした全体状況をみたとき、感染経路追跡は深刻なプライバシーの権利の弱体化を招くだけでなく、その結果として、予防しえたはずの感染症の蔓延による健康と生存の権利が脅かされ、労働者の権利、女性やこども、性的マイノリティの権利、知る権利、集会・結社の自由、通信の秘密などなど広範な私たちの権利をも侵害されることになる。

繰り返すが、感染経路の追跡や、濃厚接触者確認のアプリは不要である。むしろ網羅的な検査を無料・匿名で実施する体制をとるべきである。この点を踏まえて、以下では、より立ち入って感染症問題と監視社会について述べてみたい。

2 これまでの監視システムが全体としてグレードアップしている

エドワード・スノーデンらが告発したグローバルな監視システム1が私たちの日常生活のなかに浸透していることを人々が実感するきっかけになったのが、SNSへの監視だった。SNSが社会運動で大規模に利用されたのは、アラブの春からだと言われている。このアラブの春の集会やデモを監視するために、アラブ諸国は欧米の監視テクノロジーを導入した。2当時ですら諜報機関は、携帯電話のシステムを用いてデモ参加者に対する大量監視を独自のシステムによって実現していたことが知られている。

また対テロ戦争のなかで、「サイバー空間」もまた「戦場」とみなされるようになってきた。ドローンによる爆撃からハッキングなどのサイバー攻撃までネットにアクセスしているあらゆるコンピュータ機器が「武器」変容しうるようになる。こうした環境のなかに私たちのコミュニケーション空間が置かれることになった。

他方で、民間情報通信関連企業はユーザーに無料サービスを提供しつつ、他方でユーザー情報を求める企業には膨大なデータを提供することによって収益をあげる仕組みを構築してきた。3現代の監視社会は、ビッグデータの存在が前提になっている。トランプが勝利した前回の米国大統領選挙では、選挙コンサルタント企業、英国のケンブリッジアナリティカが独自の選挙対策ツールを提供する一方で、グーグル、フェイスブック、ツイッターなどが膨大なデータの収集と宣伝・広告の手段を提供した。米国民一人につき6000の個人データが収集・解析されて、ターゲット広告の手法を使って主に浮動票となる有権者の投票行動に影響を与えるような手法が用いられた。4

よく知られているように、個々のデータが匿名であっても複数のデータを組み合わせることによって個人を特定することは難しくない。たぶん、ビッグデータをもとにした高度な投票行動分析では、投票そのものが匿名であっても、個人の投票行動はもはや秘匿できないとみた方がいいかもしれない。

また情報通信企業は、上記のような状況の変化のなかで情報セキュリティ企業としての性格を強め、社会インフラとしての情報通信システムを、言論表現の自由やプライバシーの権利といった人々の権利のためのインフラとみなす以前に、なによりも国家の安全保障の基盤とみなす観点をもつとともに、企業収益にとって国家の治安や安全保障関連予算が不可欠な構成部分を占めるようになってきた。経済の根幹に情報通信関連産業が陣取り、人々のコミュニケーション環境に決定的な影響を行使できる地位を獲得した。政府の官僚機構のデータ処理がこうした外部の情報通信関連産業の技術に依存しなければ成り立たない構造ができあがっている。長期の不況のなかでもサイバーセキュリティ市場は例外的に一貫して成長しつづけている。5官民の癒着構造は、国家が公的資金と公的機関の個人情報を提供し、民間が膨大なビッグデータとインフラや解析テクノロジーを提供するという構造をとっており、この一体化の構造はかつての公共投資による癒着の構造よりもより深いものになっている。6

国家の統治機構への民間企業の関与の境界線は限り無く曖昧になっており、福祉や社会保障、市民生活の利便性、仕事の効率性、行動の自由度や安全性の向上など、一般にポジティブな事柄がおしなべて「監視」システムなしには成り立たなくなっている。個々人の私生活のミクロな局面からグローバルな監視システムがシームレスにひとつながりの構造をもち、これらを幾つかの政治的経済的軍事的な主導権をもつ政府と多国籍企業が、技術の仕様やノウハウを掌握する体制ができている。しかも、この構造は米国、欧州、中国など現代世界の支配的な秩序の主導権を握ろうとしている諸国が相互に、それぞれの傘下にある巨大企業を巻き込んで対立、競争、妥協、調整の力学を構成している。私たちのコミュニケーションの権利が、これほどまでに世界の権力秩序と密接に関わる構造に組み込まれたことは今だかつてないことだ。

言うまでもなく、コミュニケーションの自由は民主主義の前提をなす。この前提となる自由を私たちは自分達の日常的な技術と知識によって自律的にコントロールできていない。コンピュータの仕組みは複雑すぎ、そのメカニズムを理解できる人はごく少数の技術者に限られるだけでなく、知的財産権や高額なネットワーク機器も私たちの手にはない。エンドユーザのコンピュータ環境はマイクロソフト、アップルが独占し、スマートホンではGoogleとアップルが独占している。ネットはといえば唯一、インターネットがあるだけで他の選択肢は皆無だ。自由なコミュニケーション環境はインフラのレベルからエンドユーザーに至るまで極めて脆弱だ。ヘイトスピーチを押し止めるための民主主義的な可能性が見えづらくなり、国家の法的強制力への依存が高まるなかで、その国家はといえば、欧米ともに極右のレイシストの影響が強まっている。こうした環境のなかで、医療・保健衛生という生存権と密接にかかわる分野を舞台に監視社会化のあらたな機会が登場してきている。

IT=AI技術を用いた感染対策は、技術をそのままにして、別の目的に転用可能であるという意味で、潜在的に網羅的な監視、とくに治安監視や権力を支えるための道具となりうる危険性を兼ね備えたものになる。感染症を生存権に関わる問題だとすると、プライバシーの権利を犠牲にしても優先すべき問題だという理解は合意を得やすいかもしれない。しかし、生存権を保障するための手だてが、冒頭に述べたように、プライバシーの権利を制約するような方法しかとれないのかどうかということへの検討が十分に議論されずに、IT=AIによる監視ありきで政策が展開されてきた印象は否めない。私たちは自由なき生存が欲しいわけではないし、差別や抑圧に加担する自由が欲しいわけでもない。

3 コロナ感染防止を名目とした網羅的監視

感染拡大が最も早く深刻だった中国は、いちはやくAIとGPSを組合せた監視システムを稼動させた。「街中に設置された監視カメラと顔認証技術の情報に加えて、携帯電話の通話・位置情報、ライドシェアなど各種サービスの利用記録といったビッグデータを企業から収集し、個人の詳細な行動履歴を把握することが可能となっている。」と日本のメディアが報じたのが2月初旬だ。7 中国のコロナ封じ込め対策の報道のなかで中国の監視社会の高度化が繰り返し報じられるようになった。8

国内の治安監視システムの転用は中国にかぎらない。イスラエルは3月に治安機関と保健省が新型コロナ対策に乗りだし、対テロ対策を転用する方策を打ち出した。「感染者の携帯電話の通信情報やクレジットカードの利用記録などから位置を追跡。過去2週間にその感染者と接触した可能性がある人に自主隔離を求めるメッセージを送る仕組9 んだという。これに対しては、イスラエル最高裁に人権団体が提訴し、最高裁は立法措置が必要との判決を出した。10

3月初旬に韓国はスマホのGPS機能を用いた感染者の行動追跡アプリを利用開始した。MIT Technology reviewは次のように報じている。
「韓国行政安全部が開発したこのアプリは、自宅待機を命じられた市民に、担当職員に連絡して健康状態を報告させるためのものだ。さらに、GPSを使用して自宅待機中の市民の位置情報を追跡し、隔離エリアから離れていないことを確認できる。」11 4月になるとスマホではなくリストバンドにGPSを組み込むシステムへと「進化」した。12

日本は、2月25日に出された「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」13にもとづいた政策がとられるが、IT監視技術の利用には言及していない。「国内での流行状況等を把握するためのサーベイランスの仕組みを整備する」という抽象的な文言があるだけだ。3月28日になると新たに「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」14が出され、先の基本方針からこの対処方針が上位の位置を占めるようになる。ここでは情報収集への言及が多くなる。新型インフルエンザ等対策有識者会議に基本的対処方針等諮問委員会が設置されて、その第1回会合は3月27日。15この会合ですでに対処方針案が示されていることから、専門家の会議は実質的な機能を果しておらず、官僚の方針をオーソライズする役割を担った。専門家の責任は重大だ。

この対処方針をふまえて、監視型の政策を正当化した最大の要因は、4月1日に出された新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」16にある以下の文言だろう。

「(3)ICTの利活用について
〇 感染を収束に向かわせているアジア諸国のなかには、携帯端末の位置情報を中心にパ
10
ーソナルデータを積極的に活用した取組が進んでいる。感染拡大が懸念される日本にお
いても、プライバシーの保護や個人情報保護法制などの観点を踏まえつつ、感染拡大が
予測される地域でのクラスター(患者集団)発生を早期に探知する用途等に限定したパ
ーソナルデータの活用も一つの選択肢となりうる。ただし、当該テーマについては、
様々な意見・懸念が想定されるため、結論ありきではない形で、一般市民や専門家など
を巻き込んだ議論を早急に開始すべきである。
〇 また、感染者の集団が発生している地域の把握や、行政による感染拡大防止のための
施策の推進、保健所等の業務効率化の観点、並びに、市民の感染予防の意識の向上を通
じた行動変容へのきっかけとして、アプリ等を用いた健康管理等を積極的に推進すべき
である。」

3月19日に出された提言17にはこうした情報コミュニケーションテクノロジー(ICT)への言及がなかったから、10日ほどの間で急速に方針の転換が生じたことになる。しかもこの10日ほどの間に専門家会議は持ち回り会議が1回開催されただけであり、ここでも官僚主導の方針を専門家がオーソライズする仕掛けになっている。

専門家会議5月1日の提言18では「ICT 活用による濃厚接触者の探知と健康観察(濃厚接触者追跡アプリなど)の早期導入」「ICT活用によるコンタクトトレーシングの早期実現」という文言が登場する。5月29日の提言19では「接触確認アプリや SNS 等の技術の活用を含め、効率的な感染対策や感染状況等の把握を行う仕組みを政府として早期に導入する。」とより具体的になる。

このように、日本もまた大筋では諸外国の感染者追跡をビッグデータやAIなどを駆使するシステム構築に必死になるのだが、こうした方向性を医療の専門家で占める専門家会議が具体的な内容も含めて提案できたかというと疑問だ。

上述したように、厚生労働省は3月28日に「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」を公表するが、ほぼ同じ時期に総務省は3月31日に「新型コロナウィルス感染症の感染拡大防止に資する統計データ等の提供に係る要請」20を出す。要請の具体的内容は次のようなものだ。

「プラットフォーム事業者・移動通信事業者等が保有する、地域での人流把握やクラスター早期発見等の感染拡大防止に資するデータ(例:ユーザーの移動やサービス利用履歴を統計的に集計・解析したデータ)を活用することにより、
・ 外出自粛要請等の社会的距離確保施策の実効性の検証
・ クラスター対策として実施した施策の実効性の検証
・ 今後実施するクラスター対策の精度の向上
等が可能となり、感染拡大防止策のより効果的な実施に繋がると期待されます。そこで、政府では、今般、プラットフォーム事業者・移動通信事業者等に対して、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止に資するデータの政府への提供を要請することとしました。」

プラットフォーム事業者とは、ネットショッピング、SNS、検索サイトなどを指す。21 提供が要請されているデータは「法令上の個人情報には該当しない統計情報等のデータに限る」としている。

政府は「新型コロナウイルス感染症対策テックチーム Anti-Covid-19 Tech Teamキックオフ会議」を設置し、4月6日に第1回の会合を開く。22チーム長西村康稔 新型コロナウイルス感染症対策担当大臣 竹本直一 情報通信技術(IT)政策担当大臣 北村誠吾 規制改革担当大臣の3名。民間企業からはヤフー、グーグル、マイクロソフト、LINE、楽天、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクなどが参加するなど厚労省の専門家会議とは全くメンバーが異なる。肝心の保健医療関係者は誰も参加していない。

感染症対策テックチームは、その構成メンバーからみても当然だが、当初から感染者の追跡を行うアプリケーションの開発に強い関心をもち、シンガポールで開発されたトレース・トゥギャザーの利用が念頭に置かれた。23 オーストラリア政府も同種の追跡アプリの開発に乗り出すなど、各国でスマホを利用した感染経路追跡アプリが次々に導入される傾向が一気に拡がる。

4月以降、デジタルプラットフォーム企業と政府の連携は急展開する。

先鞭を切ったのはLlINEかもしれない。3月30日に厚生労働省とLINEは「新型コロナウイルス感染症のクラスター対策に資する情報提供に関する協定」を締結する。24

そして4月6日には上述した感染症対策テックチームを開催する。ここでの議論は

「提供を受けるデータは、スマホを持つ利用者の位置情報や、多く検索された言葉の履歴などを想定している。特定の場所にどの年代の人が集まるかなどの傾向をつかむことができ、事後の検証で集団感染が起きた地域を特定しやすくなり、感染予防に役立てることができるという。」25

などと報じられた。

4月13日、ヤフーは厚生労働省とクラスター対策に資する情報提供に関する協定を締結。26 この協定には次のような箇所がある。

「同意が得られた利用者の位置情報や検索内容を集計して分析し、感染が増えている可能性の高さを地域ごとに数値で示す。国は感染者集団(クラスター)の早期発見や対策を決める際の参考にする。」
「同社は過去にクラスターが発生した場所やイベントのデータなどから、「感染者が行う傾向が高いとみられる検索や購買行動」を分析。その行動の増減を地域別に数値化し、「クラスター発生が疑われるエリア」として国に提供する。個人が特定されないよう、分析エリアは最小500メートル四方とし、人口が少ない地域などは除外する。」

ヤフーは、4月21日には47都道府県の人の移動データを公開し、

「データは同社のアプリで位置情報の提供に同意している利用者のデータなどを集計して推定している。前年同時期を100として、自治体内から出た人と入ってきた人の増減について、1月以降のデータを日ごとに示す。4月3日から東京23区限定で公開していたデータの対象を、全国に広げた。」27

と報じられている。

4月22日、KDDIは全国の自治体に位置情報ツール無償提供を発表。28

「「KDDIロケーションアナライザー」。同社の携帯電話サービス「au」で個別に同意を得たスマホ利用者の位置情報と性別や年齢層を分析できるツールだ。最小10メートル単位、最短2分ごとに位置情報を収集し、道路ごとの通行量や店舗への来訪者数などを細かく分析できるという。」

4月30日、ソフトバンク株式会社の子会社で、位置情報を活用したビッグデータ事業を手掛ける株式会社Agoopが厚労省と情報提供の協定締結。29

「新型コロナウイルス感染症のクラスター対策に資する情報提供等に関する協定」を厚生労働省と締結

Agoopの流動人口データは、許諾していただいた方のみのスマホのアプリ(例:位置情報を活用する複数のアプリ)から位置情報を取得し、プライバシーを十分に保護することを重視して統計処理を行い匿名化された、個人情報を含まないものです。」

こうした動きのなかで、複数の接触確認アプリが自治体で独自に採用される動きも拡がった。30

他方、GAFAと呼ばれる米国多国籍企業も監視テクノロジーのプラットフォームを急速に整備はじめる。

4月4日、Googleは、世界141ヶ国で「人々が訪れる場所をいくつかのカテゴリ(小売店と娯楽施設、食料品店と薬局、公園、公共交通機関、職場、住居など)に分類し、人々の地理的な移動状況を時間の経過とともに図示」する「COVID-19(新型コロナウイルス感染症): コミュニティ モビリティ レポート」を開始すると発表。31 4月10日、AppleとGoogleはコロナ濃厚接触をスマホで通知できるシステムの共同開発を発表。日本でも展開することが表明された。32 5月初旬にはサンプルコードが公開される。33 この発表は、欧米のプライバシー団体から批判の声があがり、大きな議論になる。

5月にはいり、このGoogle/Apple連合の接触アプリを厚労省が採用すると表明する。しかし、Google/Appleは、接触アプリのプラットフォームを提供するだけで実際のアプル開発を行うわけではない。

接触者追跡アプリの開発は、いくつもの問題を抱えた。発注する厚労省など政府側と、これをビジネスチャンスとみたであろう大手IT企業、しかもGAFAと日本の企業の間の思惑も複雑に絡みあいそうだということは感染症対策テックチームの顔ぶれからも推測されたが、現実に進行した事態はもっとやっかいだった。

厚労省の接触確認アプリ(COCOA)34は6月下旬から使用開始されているが、アプリの不具合が見つかったことをきっかけにして開発体制そのものへの批判が拡がった。ITの専門ニュースサイトには次のような報道が流れた。

「厚生労働省が6月19日に配信を始めた、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)陽性者に濃厚接触した可能性を通知するスマートフォンアプリ「新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA)」の不具合や開発体制を巡って、ネット上で議論が巻き起こっている。アプリのベースになったオープンソースプロジェクト「COVID-19Radar」の中心的人物である廣瀬一海さんは自身のTwitterアカウントで、「この件でコミュニティーはメンタル共に破綻した」として、次のリリースで開発から離れ、委託会社などに託したい考えを示した。」35

コンピュータのソフトウェアやアプリケーションの開発は、自動車などモノの開発とは異なるところがある。そのひとつが、上記の記事にある「オープンソース」である。モノの開発は企業ごとに、企業秘密のベールのなかで行なわれるのが一般的だがソフトやアプリは、こうした企業独自の開発もあれば、全ての開発情報を一般に公開して、誰もが開発に参加できる体制をとって行なわれる場合もある。後者のような体制で開発されたソフトウェアをオープンソースソフトウェア(OSS)と呼ぶ。接触確認アプリCOVID-19Radarの開発は、厚労省のトップダウンで実施されたわけでもなければ、大手IT企業が自社の開発チームを組織して取り組んだものでもなく、ソフトウェア開発者が個人として始めたプロジェクトがベースとなって出発した。

COVID-19Radarの開発では、プログラムを公開してプライバシーなどへの危惧について、第三者が確認できるようになっていた。しかし、appleとgoogleが共同して提供するアプリ開発のプラットフォームについては、各国とも厚労省が管理する前提で一ヶ国につきアプリ開発はひとつに限定されるという条件がつけられた。Cocoaとして実際にスマホアプリとして公開されているものは、オープンソースとして開発されてきたCovid-19Raderをベースにしつつも別ものになる。ITmediaは次のように報じている。

「そもそも、COVID-19Radarは厚労省の開発するCOCOAそのものではなく、日本マイクロソフトの社員である廣瀬さんが個人開発で始めたプロジェクトだ。コード・フォー・ジャパンのプロジェクトも並行して進む中、それぞれが採用を前向きに検討していた米Appleと米Googleの共通通信規格が「1国1アプリ」「保健当局の開発」に限られることが分かり、厚労省が主導することに決定。これに伴い、厚労省は開発をパーソル&プロセステクノロジー(東京都江東区)に委託。同社は日本マイクロソフトとFIXER(東京都港区)に再委託したという。この過程で、OSSであるCOVID-19RadarがCOCOAのベースになることが決まった。」36

厚労省の委託先のパーソルは、2017年までテンプという名前で知られた会社の後身だ。かつてテンプの時代に、厚労省の再就職支援事業のなかで、企業のリストラをサポートする違法すれすれの極秘のプログラムを作成し大問題となった会社の系列にあたる。37

オープンソースによる開発ではなくなったために、アプリのプログラムの透明性は後退したように思う。大手企業と政府、厚労省やIT関連の省庁の利害を視野にシステム開発の力学を分析することなしには監視社会を支えるインフラの実態は解明できない。

一般に、プライバシー情報の保護が論じられる場合、二つの異なる問題が混同されたり、あえて曖昧にされる場合があることに注意しておく必要がある。接触確認アプリのプライバシー情報でいうと、陽性者となった人と濃厚接触した人との間で、相互に個人情報を把握することができないような仕組みがあれば、プライバイーの保護がなされているというのは間違いではないガ、コレダケガぷらいばしー問題の全てではない。接触確認アプリCocoaの場合も、厚労省はこの点に焦点をあてる一方で、Cocoaがもっているプライバイー上のもうひとつの問題をあえて表に出さないようにしている。Cocoaのプライバシーに関する宣伝文句は以下のようだ。

「接触確認アプリは、本人の同意を前提に、スマートフォンの近接通信機能(ブルートゥース)を利用して、互いに分からないようプライバシーを確保して、新型コロナウイルス感染症の陽性者と接触した可能性について通知を受けることができます。」38

図の出典

「新型コロナウイルス接触確認アプリについて」
厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部
内閣官房新型コロナウイルス感染症対策テックチーム事務局

ここで語られていないのは、個人情報を厚労省がどの程度把握できるのか、という政府による個人情報把握だ。上図にあるように、Cocoaのシステムは、通知サーバーと濃厚接触者の関係で完結しない仕組みになっていて、新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム(HER-SYS)と連動する。このHER-SYSは陽性者やPCR検査を受けた人たちの個人情報を取得する。「基本情報」だけでも以下のものが取得される。

「個人基本情報 受付年月日、姓名(漢字)、姓名(フリガナ)、生年月日、年代、性別、国籍、住所、管轄保健所、連絡先電話番号、メールアドレス、職業、勤務先/学校情報、
緊急連絡先、濃厚接触者の場合は契機となった感染者の方のID
福祉部門との連携の要否 障害/生活保護/保育者確保/介護者確保/その他(自由記載同居者情報 高齢者、基礎疾患のある者、免疫抑制状態である者、妊娠中の者、医療従事者」39

これ以外に検査、診断情報、措置等の情報もあり膨大だ。しかもこうした個人情報については「法令に基づく第三者への提供であるため、本人同意は各個人情報保護法令上不要とされています」とあり、いったん提供された情報を、いつ誰と共有しているのかを個人の側では把握する権利をもたず、追跡もできない。Cocoaは現在まだ試行版という位置づけらしく、HER-SYSとの連携はとれていないようだが、正式のリリースでは連携される。橋本厚労副大臣はインタビューで「正式版ではHER-SYSと連携させることを目指したい。あまりだらだら時間をかけずに、接触確認アプリの正式版を出したい」と明言しているのだ。40

多分次のステップは、この接触確認アプリがスマホのOSに組み込まれることによって、ユーザーがインストールしなくても動作するような方向をとるのではと思う。Androidのスマホを買うとgoogleの地図機能が最初からインストールされているような仕組みだ。どこの国も接触確認アプリの普及は低く、実効性がない。普及率を上げる効果的な方法は最初から組み込み、しかも機能をデフォルトで「オン」に設定することだろう。こうして監視のテクノロジーはますます人々が自覚することのないバックグラウンドで機能するようになる。スマホの感染アラートで感染を知り、医療機関に出むくことが日常になれば、これは「便利で当たり前」ということになる。これがあたらしい日常であり「withコロナ」が意味することだ。

しかもこのHER-SYSの開発を手がけたのもCocoaの発注先と同じパーソルだから、接触確認アプリとHER-SYSの連携は最初から意図されていたとみてよいと思う。

この支援システムを含む全体象は図2のようになる。支援システムのデータについては「関係者間で必要な情報を共有」とあり、厚労省、都道府県などいくつか例示されている。
こうしたアプリとHER-SYSの連携が行なわれ、省庁間での共有が進むと危惧されるのが治安管理への転用だ。この例示にはないのだが、すでに警察庁もまた感染者情報の提供を要請していることがわかっている。しかも本人の同意なしでの提供を求めている。41

図の出典:「新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム(HER-SYS*)について」
厚生労働省のウエッブより

いったんこのようなシステムが構築されると、個人情報の共有範囲は歯止めなく拡がる。しかも、こうしたシステムは、中国やイスラエルのように諜報機関の従来のシステムの保健医療への転用が可能であったように、その逆もまた真なり、なのだ。福祉国家が高度な監視国家になっているように、人々の人権や福祉のために導入されたシステムは治安監視のシステムとなりやすい。Cocoaのように人々が誰と接触したのかを把握できるシステムは、いくらでも応用がきく。

集団的な密集状態は、集会やデモなど政治的な権利行使の現場でも起きる。これらの場所で感染が発生したり、その恐れがあるとみなされたりした場合、保健所だけでなく公安警察もまた、感染を口実に介入する可能性がある。

厚労省は、補正予算で「感染拡大防止システムの拡充・運用等」として13億円を計上し、「新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止に資するシステムを整備するため、感染者等の情報を把握・管理するシステム(HER-SYS)の機能拡充を行うとともに、保健所等におけるシステム運用を支援する」とともに「ビッグデータを活用し、各地域における感染の拡大防止に資する情報や感染発生動向等の情報をわかりやすく整理して提供する。」ともしている。

4 感染者追跡は必須か。

感染者接触確認アプリの開発が個人ベースで有志によるボランティアのプロジェクトとして始められたCOVID-19Radarであったということは、開発者の感染症対策についての理解がどのようなものであったのかを端的に示している。感染症対策として、感染者を特定し、この感染者の濃厚接触者を把握し、感染経路を明かにし、保健所がこうしたデータを集約して、医療機関と感染者の仲介をすることが唯一の解決策であるということが2月以来繰り返し政府からも感染症の専門家からも主張されてきた。アプリ開発者もまたほぼ同じ認識に立ってアプリのコンセプトを構築したと思う。アプリ開発者はプライバシーに配慮した匿名性を前提とする感染確認のシステムであるべきだという正しい理解を示していたと思うが、HER-SYSとの連携によるプライバイー上の問題を回避することはできないから、自分の開発の外で起きている問題をも配慮して接触確認アプリのプログラムを組むことはほぼ不可能だろうと思う。ここで問われるのは、プログラムの開発者の技術力ではなく自分が開発しているプログラムの社会的政治的な文脈を理解する社会認識力なのだ。このアプリは本当に意味のあるものなのか、権利侵害に加担しないかを見極める力だ。感染者がいれば接触者や感染経路を追跡するということ、ビッグデータやAIを駆使することが唯一の対策なのかどうか、である。

他方で政府は、保健医療の全体のシステムと接触者確認アプリの双方を統一して把握できる立場にあり、政府は、感染者とその濃厚接触者が相互に個人情報にアクセスできないようにするとしても、政府が個人情報にアクセスする必要があることは大前提でシステムを構築しようとする。

個人を追跡して監視するアプリ開発や政府のシステム開発はにはひとつの前提がある。それは、匿名性を保障しての網羅的な感染検査体制をとらないという前提である。もし定期的に網羅的に検査する体制がとられれば、検査は匿名であってよく、誰もが陽性か陰性かを確認でき、陽性者は自ら医療機関にアクセスすればよいだけである。網羅的検査への反対論では、こうした体制には膨大な資金と人的な資源が必要であって、現行の医療体制では対応できないと主張されまたかも医療体制は「定数」であって拡大させる余地がないものという前提にたった議論が繰り返し主張されてきた。網羅的な検査を前提に必要となるであろう医療体制の拡充を行なうような予算措置をとろうとしないのであって、予算がないわけではない。42こうした体制がとれらるのであれば、濃厚接触者であろうが、そうでなかろうが、みなが検査できるので、感染経路特定のための余計な個人情報の収集といった作業は不要になる。感染に関する個人情報は本人と本人が受診する医療機関に限定される。

このように、感染症対策で必要なことは、感染しているかどうかを私たち一人一人が確認できる検査体制があり、この体制によって私たちが受診できるだけの医療のキャパシティを構築することである。しかし、こうした体制は、政府にとっても情報産業にとってもメリットになることはなにもない。政府は、一貫して保健所や公衆衛生体制の縮小政策をとり、東京都も都立病院の民営化を進めている。こうした政策からすると予算の拡大はそもそも念頭にない。情報産業も個人情報を把握できる機会が極めて限定されるような政策を嫌う。

他方で私たちにとっては、自分の身体の健康についての知る権利が確保されつつプライバシー情報の拡散が阻止でき、治療へのアクセスが確保されるとともに、日常生活のなかで感染リスクを最小化できるという意味で、最も好ましい。

インターネットの普及とともに到来した監視社会は、ジョージ・オーウェルが描いたような中央政府の巨大な監視システムが人々の日常生活を網羅的に見張るといったわかりやすいモデルではない。こうした意味での監視社会の側面が拡大していることは事実だが、より厄介で深刻なのは、一人一人が自分たちの日常生活のなかから能動的に監視されることを期待するような状況が作られてきたという点だろう。たとえば交通機関で利用されるスイカなどのプリペイドカードは、支払いの面倒がなく便利だ。ネットの主流をなすようになったLineやFacebookなどのSNSは無料で使える便利なコミュニケーションツールである。こうした便利さを巧みに利用して普及してきたもののほとんどは、便利さや無料でのサービスの対価として、自分の個人情報や生活上の行動や交際の履歴などを企業に把握されることになる。しかし、プライバシーが把握されるという実感に乏しく、覗かれることに伴う不快感はほぼ皆無に近い。

監視社会化を招くもうひとつの要因に不安感情の利用がある。テロへの脅威という日本ではほぼフィクションに近い言説を警察が繰り返すことによって、本来なら裁判所の令状が必要な所持品や身体検査、監視カメラや金属探知機などの監視装置の蔓延が容認されてきた。新型コロナの深刻な蔓延は、こうした不安感情を利用した監視システムがこれまでにない規模で一気に拡大してしまった。

生存権や基本的人権の保障こそが政府がなすべき最優先の課題であるという建前からすれば、網羅的な検査と、これに対応する医療体制をとることは必須である。資本主義の政府や経済はこうした体制がとれない限界を抱えていることも事実で、そうであるなら、制度を根底から再構築することが必須だということでもある。私たちが必要としているのは、既存の制度を与件とすることではなく、基本的人権の保障を最優先にすることが可能な統治機構と経済なのである。この本質的な問題をコロナという今ここにある危機のなかで、将来の社会のありかたとしてきちんと見据えられるかどうかが反体制運動に課せられた課題だと思う。

Footnotes:

1

小笠原みどり『スノーデン、ファイル徹底検証』、毎日新聞出版、2019、同「新型コロナ感染者の接触者追跡データ 本当に欲しがっているのは誰?」https://globe.asahi.com/article/13370568

2

ゼイナップ トゥフェックチー『ツイッターと催涙ガス ネット時代の政治運動における強さと脆さ』、中林敦子訳、Pヴァイン、2018。

3

電子フロンティア財団『マジックミラーの裏側で:企業監視テクノロジーの詳細』http://www.jca.apc.org/jca-net/node/64

4

ブリタニー・カイザー『告発』、染田屋茂他訳、ハーパーコリンズ・ジャパン、2020年。映画『グレートハック』(NETFLIX)もカイザーに焦点をあてたドキュメンタリー、参照。

5

JETRO「拡大するサイバーセキュリティー市場」https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2018/1fb2ecd606c590e5.html 日本ネットワークセキュリティ協会「2019年度 国内情報セキュリティ市場調査報告書」https://www.jnsa.org/result/surv_mrk/2020/index.html

6

2016年には官民データ活用推進基本法が成立している。http://iot-jp.com/iotsummary/iottech/bigdataanalysistool/官民データ活用推進基本法/.html 17年に設置された統合イノベーション戦略推進会議が昨年包括的なレポートを公表している。「AI戦略 2019」https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tougou-innovation/pdf/aisenryaku2019.pdf このレポートには、医療関連も含まれているが、新型インフルエンザ、SARS、MERSなど感染症問題が注目された後に出されているのだが感染症への関心はほとんどみられない。

8

(朝日、中国、ビッグデータが感染者追う 「まるで指名手配犯」、https://www.asahi.com/articles/ASN2G6SBGN2FUHBI039.html?iref=pc_rellink_03)

9

(日経4月28日、オンライン、https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58585660Y0A420C2FF1000/)

10

(上記記事)

15

新型インフルエンザ等対策有識者会議基本的対処方針等諮問委員会(第1回) https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/shimon1.pdf

21

公正取引委員会はプラットフォーム事業者を次のように定義している。「「デジタル・プラットフォーム」とは,情報通信技術やデータを活用して第三者にオンラインのサービスの「場」を提供し,そこに異なる複数の利用者層が存在する多面市場を形成し,いわゆる間接ネットワーク効果が働くという特徴を有するものをいう。」例示として「オンライン・ショッピング・モール,インターネット・オークション,オンライン・フリーマーケット,アプリケーション・マーケット,検索サービス,コンテンツ(映像,動画,音楽,電子書籍等)配信サービス,予約サービス,シェアリングエコノミー・プラットフォーム,ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS),動画共有サービス,電子決済サービス等」(「デジタル・プラットフォーム事業者と個人情報等を提供する消費者との取引における優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の考え方」https://www.jftc.go.jp/dk/guideline/unyoukijun/dpfgl.html)

22

新型コロナウイルス感染症対策テックチーム Anti-Covid-19 Tech Teamキックオフ会議 開催 https://cio.go.jp/techteam_kickoff

23

日経3月20日。シンガポール、コロナ感染をアプリで追跡、政府開発
【シンガポール=谷繭子】シンガポール政府は20日、新型コロナウイルスの感染経路を追跡するためのスマホ用のアプリを開発、無料配布を始めた。近距離無線通信「ブルートゥース」を使い、至近距離にいた人を感知、記録する。感染者と接触した人を追跡して隔離することで、感染の広がりを早期に抑える狙いだ。

このアプリは「トレース・トゥギャザー(一緒に追跡)」。アプリをダウンロードした人同士が近くにいると、互いに認識し、電話番号を暗号化したデータをスマホ内に記録する。新たな感染者が発覚したら、その人のスマホ内のデータを政府の追跡チームが解析、濃厚接触した人を洗い出す。」(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57056430Q0A320C2FF8000/)

24

「厚生労働省とLINEは「新型コロナウイルス感染症のクラスター対策に資する情報提供に関する協定」を締結しました」 https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_10575.html

29

<東日本エリア>新型コロナウイルス拡散における人流変化の解析
2020/01/01〜 2020/07/15
https://corporate-web.agoop.net/pdf/covid-19/agoop_analysis_coronavirus.pdf

30

https://moduleapps.com/mobile-marketing/18413app/
北海道 北海道コロナ通知システム
青森県八戸市 はちのへwithコロナあんしん行動サービス
宮城県 みやぎお知らせコロナアプリ(MICA)
東京都 東京版新型コロナ見守りサービス
神奈川県 LINEコロナお知らせシステム
千葉県千葉市 千葉市コロナ追跡サービス
大阪府 大阪コロナ追跡システム
京都府京都市 京都市新型コロナあんしん追跡サービス
沖縄県 (準備中)

32

濃厚接触の可能性を通知するシステム: 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大抑止に取り組む公衆衛生機関をテクノロジーで支援する
https://www.google.com/covid19/exposurenotifications/
AppleとGoogle、新型コロナウイルス対策として、濃厚接触の可能性を検出する技術で協力
https://www.apple.com/jp/newsroom/2020/04/apple-and-google-partner-on-covid-19-contact-tracing-technology/

37

社員を末期患者扱い 人材大手が作成“クビ切り手引き”の仰天 日刊ゲンダイdigital https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/17602

38

厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部、内閣官房新型コロナウイルス感染症対策テックチーム事務局「新型コロナウイルス接触確認アプリについて」(6月19日)
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000641655.pdf

39

5月22日、厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部「新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム(HER-SYS)の導入について」 https://www.mhlw.go.jp/content/000633013.pdf

40

接触確認アプリ公開はなぜ遅れた?コロナのIT対策を率いる橋本厚労副大臣を直撃、日経XTEC 6月19日 https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/04199/

41

照会書や本人の同意なしに警察へ感染者情報を 警察庁の依頼で厚労省が自治体や保健所に通知 「人権侵害では?」との反発も
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-police

42

イギリス・新型コロナ感染者治療のために、元オリンピック会場を仮設病院として活用へ https://www.huffingtonpost.jp/entry/london-excel-center-become-coronavirus-hospital_jp_5e8198e6c5b66149226a4df1

Author: 小倉利丸

Created: 2020-07-26 日 22:18

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