(Drop Site News)ガザ市のパレスチナ人、行き場なくイスラエルの残忍な追放キャンペーンに直面
(訳者前書き)前回の投稿でガザ市に留まることを決意したジャーナリストの記事を紹介した。今回もガ北部に留まるジャーナリストの記事を紹介する。「留まる」と書いたが、正確には留まらざるをえない、ということだ。何度も南部に避難しては北部に戻ることを繰り返さざるをえない人々について報じている。日本のメディアは非常に安直に「避難」を報じている。しかし、この記事には、容易なことではない様々な事情について具体的に書かれている。避難するためには相当な資金が必要だ。移動の費用だけでなく南部の過密な場所を借りるためには法外な賃貸料が必要になる。そしてイスラエルによる攻撃も頻繁に起きる。この記事には北部で避難してテントで暮す人たちの最近の映像も掲載されている。(映像は、本文中にリンクのあるオリジナルのサイトでごらんください。)
この記事の著者アブデル・アデル・サバハは、ジャーナリストで映像作家。9月9日にもDrop Site Newsにラシャ・アブ・ジャラルとの共著で「The Frontline of Israel’s Ethnic Cleansing Campaign: Report from Gaza City」の記事を投稿している。こちらの記事はまだ私は訳していない。(どこかで誰かが訳しているかもしれない)
この記事が掲載されたDrop Site Newsは、公式サイトの説明では、ライアン・グリム、ジェレミー・スケイヒル、ナウシッカ・レンナーによって2024年に設立されたばかりの新興の調査報道を中心としたニュースサイトだ。スケイヒルの著書は翻訳がある。(『ブラックウォーター 世界最強の傭兵企業』、『アメリカの卑劣な戦争 無人機と特殊作戦部隊の暗躍』)(としまる)
ガザ市のパレスチナ人、行き場なくイスラエルの残忍な追放キャンペーンに直面
「ここは海のほとり、最後の避難場所だ。ここに留まることを許されるべきだ」
2025年9月12日

ガザ市——かつて歴史的パレスチナ最大の都市であったガザ市のパレスチナ人たちは、イスラエル軍による民族浄化軍事行動の全面的な打撃に直面している。行き場はない。
水曜日、イスラエル軍はガザ市への攻撃強化を誇示し、報道官は数十機のイスラエル軍機が市内の高層ビルやインフラを含む360以上の目標を攻撃したと発表した。報道官は「第一波ではダラジ地区とトゥファ地区を重点的に攻撃した…第二波と第三波ではダラジ、トゥファ、フルカーン地区への大規模攻撃を実施した」とXに投稿した。「今後数日間、軍は攻撃のペースを速め…作戦の次の段階に備える」と述べた。住宅やインフラに加え、密集したテントキャンプも破壊された。
イスラエル軍が先月ガザ市制圧作戦を開始して以来、同地域の各地区に複数回の避難命令を発令し、月曜には約100万人のパレスチナ人が住む全市に対する大規模な退去命令に至った。
多くの人々は単純に避難できない。ガザ市の複数の避難民がDrop Site Newsに語ったところでは、南への逃避は高額な移動費(最大4000シェケル=約1200ドル)、南部過密地域の収容スペース不足、そしていわゆる「人道区域」を含むガザ全域でのイスラエル攻撃からの安全確保が不可能であるため不可能だという。
「イスラエル軍が家を破壊しました。私たちは行く先もどうしたらいいのかもわかりませんでした。一度は避難しましたが戻り、また避難しては戻って、今ここにいます。これまでに20回も移動しましたが、もう行き場がありません」と語るのは、ガザ市北東部のアルザルカ地区から海岸線へ避難したイッサだ。砂浜には彼の背後に、マットレスや鍋、その他の所持品を積んだロバの荷車が停まっていた。「ここが最終目的地です。海辺です。ここに留まることが許されるべきです。一体どこへ行けというのか?」と彼はDrop Siteに語り、続けて「南へ行くには3000シェケル(約9万円)が必要です」と付け加えた。「テントはどこで手に入れるんだ?テントなんてない…安全な場所なんてない——ここにも、どこにも…今は北部に避難しています。ここにも南部にも安全はありません」
(動画はオリジナルサイトでごらんください)ガザ市で避難生活を送るパレスチナ人。2025年9月8日。(アブデル・カデル・サバ撮影)
占領下のパレスチナ地域における国連人道支援チームは、ガザでは現在100万人近くが「安全かつ実行可能な選択肢を全く持たない」状態にあるとして、次のように述べた。
「私たちが目撃しているのはガザ市における危険な事態の悪化だ。イスラエル軍は作戦を強化し、全員に南への移動を命じている。これは同市及び周辺地域で飢饉が確認されてからわずか2週間後のことだ」と彼らは水曜日の声明で述べた。「イスラエル当局は南部の一地域を一方的に『人道的区域』と宣言したが、そこに強制移動させられた人々の安全を確保する実効的な措置は取られていない。提供されるサービスの規模も量も、既にそこにいる人々を支えるのに十分ではなく、ましてや新たに到着する人々を支えるには程遠い。ほぼ100万人が今や安全で実行可能な選択肢を全く持たない状態だ——北部も南部も安全を提供できていない。ガザ北部を離れるには、移動と安全な通行に法外な費用がかかる。ほとんどの家族には到底払えない金額だ。北部を離れるということは、通行困難な道路を進むことを意味する。野外か過密状態の避難所で寝る場所を探すことを意味する。食料・水・医療・住居を確保し、尊厳ある安全な衛生環境なく生きるための苦闘が続くことを意味する。ガザの生存者たちは疲れ果てている」[訳注1]
月曜日の避難命令には、ガザ北部全域の地図が添付されていた。そこには西を指す三本の矢印と、南を指す大きな矢印が描かれていた——イスラエルの民族浄化キャンペーンを視覚化したものだ。しかし海岸線と隣接する道路がテントや仮設シェルターの群れと化した今、家族たちはたとえ南へ避難したくても、そのための場所を全く見つけられない。

ガザ市の移動を追跡する人道支援団体連合「Site Management Cluster(サイト管理クラスター)[訳注2]」によれば、約5万人のパレスチナ人がガザ市内で避難を余儀なくされ、同数程度が南部に逃れている。一方、Times of Israelによれば、イスラエル軍はガザ市から避難した人数を20万人と、はるかに高い見積もりを出している。
ガザ市の避難民家族数組がDrop Siteに語ったところでは、彼らは確かに南部に逃れたものの、避難場所が見つからなかったり、テントを張るためのわずかな土地に家賃を払わされたりしたため、北部に戻らざるを得なかったという。
「南部に行っても場所がなかった。お金が必要だと言われ続けたが、私たちにはなかった。そこに行くだけでも3,000~4,000シェケル(約10万円~13万円)必要だ。土地も無料じゃなかった。1平方メートルあたり10シェケルだ。そんな金もなかった」とフェリヤル・アルダダは語った。「ハーン・ユーニスから追い出されました。場所がない、居場所がないと言われました」と彼女は付け加え、「5日間も日差しの中、食料も水もなく過ごしました。砂埃と暑さで息もできませんでした」と訴えた。
アル・ダダは海岸道路沿いの布製タープと木杭で組んだ仮設シェルター前に立っていた。「道路の近くに身を隠そうとしています。少しでもプライバシーを確保するために。娘は負傷していて、私と息子、夫の3人です。住むための小さな場所を私たちは作りました。全部道端で集めたものです」


フェリヤル・アル・ダダ(左)とマゼン・アル・ダマ(右)はともにガザ市沿岸部に避難した。2025年9月8日。(アブデル・カデル・サバフ撮影動画のスクリーンショット)
近くではマゼン・アル・ダマが、避難所とするための細い木枠に布を打ち付けていた。「私たちは南へ向かいました。私たちはアル・カララ[ハーン・ユーニス北部の町]に行きましたが、場所がなくて追い出され、ディール・アル・バラハに移動するよう再度指示されました。しかし、そこでは銃撃や砲撃があったため、とどまることはできませんでした」とアル・ダマはDrop Siteに語った。彼は北のアル・トゥッファ地区にある自宅に戻ったが、イスラエルが避難命令を出したため、先週再び避難を余儀なくされた。
「行き先もわからずに出るしかなかった」と彼は言う。「正直、南に行くのは誰にとっても良くない。金の無駄だ。自分の土地に留まる方がましだ」と付け加えた。「どこにいようと、ガザ全体が危険です。彼らが『安全』と言う地域も危険です。デイル・アルバラも危険です。ガザ全体が危険なのです。安全な地域なんてない。 彼らは3、4日前にビラを投下しました。 私たちが南へ向かったのはそのためですが、場所が見つからず、その代わりにここに来たのです。」
月曜日の動画声明で、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はガザ市の全パレスチナ人に対し公然と脅迫した。「ガザの住民に告げる。この機会を利用して言う。よく聞け。おまえたちは警告を受けた。今すぐ立ち去れ」。この発言は、2023年10月、戦争開始からわずか1週間でイスラエルがガザ北部全域に発した集団避難命令後の発言を想起させる。当時もネタニヤフは「今すぐ立ち去れ」と宣言していた。
Amnesty International中東・北アフリカ地域ディレクター、ヘバ・モラエフは声明で次のように述べた。「イスラエル軍が月曜朝に発令したガザ市住民の集団避難命令は残酷で違法であり、イスラエルがパレスチナ人に強いているジェノサイドの状況をさらに悪化させるものだ」「ガザ市に住む数十万人のパレスチナ人は、ほぼ2年間にわたり、飢えに苦しみ、仮設キャンプに詰め込まれたり、過密状態の建物に避難したりしながら、容赦ない爆撃に耐えてきた。今回発令された命令は、2023年10月13日にガザ北部全域に対して発令された集団避難命令の、壊滅的で非人道的な再現である。」[訳注3]

イスラエルの攻撃が続く中、ガザ市のパレスチナ人はますます狭い場所に追い詰められている。
名前を明かさなかったパレスチナ人男性がDrop Siteに次のように語った。「私たちは車に荷物を積み、南のハーン・ユーニスへ向かいました。移動費だけで2800~3000シェケルかかりました。ハーン・ユーニスのマワシに到着して滞在しましたが、激しい砲撃がありました。テントさえも砲撃されたのです。私たちはハーン・ユーニスから逃れ、デイル・アルバラへ向かいました。到着すると、そこも危険地帯——依然として恐ろしい場所だと分かりました」「たとえ(南部で)住む場所を公共用地であれ私有地であれ見つけたとしても、誰かが来てこう言うのです。『1平方メートルごとに料金を払え』と。料金は1平方メートルあたり10シェケルです。4メートル四方――16平方メートル――のテントを張るなら月200~300シェケルかかる」と彼は語った。「私たちは南部を離れ、ガザ市に戻るしかありませんでした。」
彼は更に次のように言う。「見ての通り、私たちは防水シートを張り、毛布を集めて引き裂き、それを使っています。カーテンや木材は路上で拾って生活しています」と彼は語った。その傍らでは、埃まみれの子どもたちが立っていた。「私たちは浜辺で暮らしています。 彼らは私たちがここ、浜辺にいることを知っています。 この子が何をしたというのか― 私たちは、この子が一度も見たこともないものを奪われているのです」
シャリフ・アブデル・クドゥースとジャワ・アフマドが本記事に協力した。
ゲスト投稿 アブデル・カデル・サバ ガザ北部在住のジャーナリスト兼映像作家
出典:https://www.dropsitenews.com/p/gaza-city-israeli-displacement-south-palestinians-nowhere-to-go-cost
[訳注1]UNOCHA “With no safe place left in Gaza, UN and NGOs demand ceasefire and protection from forced displacement” https://www.ochaopt.org/content/no-safe-place-left-gaza-un-and-ngos-demand-ceasefire-and-protection-forced-displacement
[訳注2]2025年9月3日付のレポートがここにある。https://www.cccmcluster.org/sites/default/files/2025-09/250903_statement_SMC_opt_en.pdf このレポートには以下の記載がある。
「8月7日に発表されたガザ市における軍事作戦の強化は、避難民キャンプにいる人々、特にガザ北部から以前に避難させられた多くの人々に、恐ろしい人道的影響をもたらしている。多くの世帯は、特に高齢者や障害者にとって、移動費用の高さや困難さ、そして移動先となる安全な場所の不足から、移動することができない。パレスチナ人はまた、戻れなくなる恐れや繰り返される避難による疲労から、移動をためらっている。
数十万人を南部に移動させる行為は、国際法上「強制移送」に該当する可能性がある。」