ウクライナの平和運動+ユーリイ・シェリアジェンコへのインタビュー

(前書き)下記に訳出したのは、ウクライナ平和主義者運動の声明とこの運動を中心的に担ってきたユーリイ・シェリアジェンコのインタビューです。この声明については、日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会が4月に日本語訳を公開しています。以下の訳は、小倉によるものです。ウクライナはロシアからの侵略に対して武装抵抗としての自衛のための戦争を展開している。武力行使の正当性はウクライナ側にあるというのが世界でも日本でも圧倒的多数の人々の共通理解だろう。他方で、そうであっても、武力行使によって侵略者と戦うという選択肢をとらないとする人達がいる。それが下記のウクライナ平和主義者運動など、ウクライナのなかの少数派の主張になると思う。日本のなかでの自衛隊をはじめとして原則として軍隊に否定的な立場をとる論者であっても、ウクライナにおけるロシア侵略に対する武力による抵抗を積極的に肯定する意見をもつ人達も少くない。私は、侵略されても、なお武力による自衛権行使という手段をとることには否定的だ。なぜそういなのか、では、どうすべきなのか、といった問題は別途論じたいとは思う。(小倉利丸)


ウクライナ平和主義者運動の声明

2022年4月17日、ウクライナの平和主義者たちは、この運動の事務局長であるYurii Sheliazhenkoのインタビューとともに、ここに再掲された声明を採択した。

ウクライナ平和主義者運動は、ロシアとウクライナの間で紛争の平和的解決のための架け橋が双方で盛んに焼き払われ、何らかの主権的野心を達成するために流血を無期限に続ける意図が示されていることを深刻に懸念している。

私たちは、ロシアの侵略がエスカレートする前にドンバスでロシアとウクライナの戦闘員がミンスク合意で想定された停戦を互いに違反したことを改めて非難し、致命的なエスカレーションと数千人の死者をもたらした2022年2月24日のロシアのウクライナ侵略の決断を非難する。

私たちは、公式のプロパガンダによって過激で不倶戴天の敵意が強化され、法律に盛り込まれた、紛争当事者にナチスに匹敵する敵や戦争犯罪者という相互のラベル貼りを非難する。私たちは、法律は戦争を煽るものではなく、平和を築くものであるべきだと信じている。また、歴史は、戦争を続けるための言い訳ではなく、人々がいかにして平和な生活に戻ることができるかの例を示すべきであると考えている。私たちは、犯罪に対する説明責任は、特に大量虐殺のような最も重大な犯罪においては、独立した有能な司法機関によって、公平かつ公正な調査の結果、法の正当な手続きによって確立されなければならないと主張する。私たちは、軍事的残虐行為の悲劇的な結果が、憎悪を煽り新たな残虐行為を正当化するために利用されてはならないことを強調する。それどころか、このような悲劇は闘志を冷まし、戦争を終わらせる最も無血の方法を粘り強く模索することを後押しするものであるべきだ。

私たちは、双方の軍事行動や、民間人に危害を加える敵対行為を非難する。私たちは、すべての銃撃を停止し、すべての側が殺された人々の記憶を尊重し、十分な悲しみの後に、冷静かつ誠実に和平交渉に取り組むべきであると主張する。

私たちは、交渉によって達成できない場合、軍事的手段によって一定の目標を達成しようとするロシア側の発言を非難する。

私たちは、和平交渉の継続は戦場での最良の交渉ポジションを勝ち取ることにかかっているというウクライナ側の発言を非難する。

私たちは、和平交渉中の両陣営の停戦に対する消極的な姿勢を非難する。

私たちは、ロシアとウクライナの平和な人々の意思に反して、民間人に兵役の実施、軍事任務の遂行、軍への支援を強制する慣行を非難する。私たちは、このような慣行は、特に敵対行為中に、国際人道法における軍人と民間人の区別の原則に著しく違反するものであると主張する。兵役に対する良心的兵役拒否の権利を軽視するいかなるものも容認することはできない。

私たちは、軍事衝突をさらにエスカレートさせるようなウクライナの武装過激派にロシアとNATO諸国が提供するあらゆる軍事支援を非難する。

私たちは、ウクライナと世界中の平和を愛するすべての人々に、いかなる状況においても平和を愛する人々であり続け、他の人々が平和を愛する人々となるのを助け、平和で非暴力的な生き方に関する知識を収集し広め、平和を愛する人々を結びつける真実を伝え、暴力なしで悪と不正に抵抗し、必要で有益、不可避、そして正当な戦争に関する神話を否定していくよう呼びかける。私たちは、平和計画が軍国主義者の憎悪や攻撃の対象にならないようにするために、今、何か特別な行動をとることを求めてはいませんが、世界中の平和主義者が、最高の夢を実際に実現するための良い想像力と経験を持っていることを確信しています。私たちの行動は、恐怖心ではなく、平和で幸せな未来への希望によって導かれるべきなのです。私たちの平和のための仕事によって、夢がもたらす未来をより身近なものにしましょう。

戦争は人類に対する犯罪です。したがって、私たちはいかなる戦争も支持せず、戦争のすべての原因を取り除くために努力することを決意します。”

ユーリイ・シェリアジェンコへのインタビュー

●ウクライナ平和主義運動事務局長、ユーリイ・シェリアジェンコ博士にインタビューしました。
あなたは、急進的で原則的な非暴力の道を選びました。しかし、ある人々は、これは立派な態度だが、侵略者を前にすると、もう通用しない、と言います。あなたは彼らにどう答えるのですか?

私たちの立場は「急進的」ではなく、合理的であり、あらゆる実際的な意味合いにおいて議論や 再考の余地があります。しかし、伝統的な言葉を使えば、確かに一貫性のある平和主義なのです。私は、一貫した平和主義が「うまくいかない」ということには同意できません。それどころか、それは非常に効果的ですが、実際、どんな戦争の努力に対してもほとんど役に立ちません。一貫した平和主義は、軍事戦略に従属させることはできませんし、軍国主義者の戦いに操られ、戦争の道具にされることもありません。それは、何が起こっているのかを理解することに基づくものだからです。この戦争は、あらゆる面で攻撃者の戦いであり、その犠牲者は、暴力的行為者によって分割統治された平和を愛する人々、強制と欺瞞によって意に反して戦争に引きずり込まれ、戦争のプロパガンダによって騙され、大砲の餌にされ、戦争機械の資金調達のために収奪されている人々なのです。一貫した平和主義は、平和を愛する人々が戦争機械による抑圧から自らを解放し、非暴力で平和への人間の権利、そして普遍的な平和と非暴力の文化の他のすべての価値と成果を支持することを助けます。

非暴力は望ましい結果をもたらすな生き方であり、常にそうあるべきもので、単なる戦術のようなものではありません。たとえば、今私たちは人間だが、明日には獣に襲われるから獣になるべきだと考える人がいるとすれば、それは馬鹿げています……。

●とはいえ、ウクライナの同胞の多くは、武力抵抗を決意しています。それは、彼ら自身の決断の権利であると思いませんか?

戦争への全面的な参加は、メディアが伝えるところですが、それは軍国主義者の希望的観測の反映であり、彼らは自分自身と全世界を欺くためにこのような絵を描くために多くの努力を払っています。実際、最近の評価社会学グループRating sociological groupの世論調査では、回答者の約80%が何らかの形でウクライナの防衛に携わっているが、軍や領土防衛に従事して武装抵抗したのはわずか6%で、ほとんどの人は物質的あるいは情報的に軍を「支持」するだけであることが分かっています。それが本当の意味での支持かどうかは疑問です。最近、ニューヨーク・タイムズ紙は、キエフの若い写真家の話を紹介しました。彼は戦争が近づくと「強烈な愛国主義者になり、オンラインではちょっとしたいじめをする」ようになりましたが、その後、憲法や人権法をきちんと守らずに軍事動員を行うためにほとんどすべての男性が国境警備隊によって強制的にウクライナにとどまることを強制されていることに対して違法行為を犯して国境を越えるために密輸業者に金を払ったことで、友人たちを驚かせたそうです。そして、ロンドンから「暴力は私の武器ではない」と書いていたのです。4月21日のOCHA人道的影響状況報告書によると、510万人が国境を越えたのを含め、約1280万人が戦争から逃れたといいます。

クリプシス[動物生態学の用語で、外敵から身を守るために環境に溶け込んで見つかりにくくすること]は、逃げたり死んだふりと並んで、自然界で見られる最も単純な対捕食者適応・行動様式です。そして、環境平和は、すべての自然現象が真に矛盾しない存在であり、政治的・経済的平和、暴力のない生命のダイナミズムを発展させるための実存的基盤です。ウクライナやロシア、その他のポストソビエト諸国では、西側諸国とは異なり、平和文化が非常に未発達で原始的であり、支配的な軍国主義独裁者が多くの反対意見を残酷に封じ込めるために、平和愛好家の多くがこのような単純な決断に頼っているのです。ですから、プーチンやゼレンスキーの戦争への支持を人々が公然と大衆的に示すとき、それを本物と見なすことはできません。人々が見知らぬ人やジャーナリストや世論調査員と話すとき、そしてプライベートで考えていることを言うときでさえ、それはある種の二重思考で、平和を愛する反対意見は忠誠心のある言葉の層の下に隠される可能性があるのです。第一次世界大戦中、兵士が銃撃戦でわざと失敗したり、塹壕の真ん中で「敵」とクリスマスを祝ったりしているのを見て、司令官は人々が戦争プロパガンダの実存しない敵の話を信じていないことを悟ったのです。

また、私は暴力や戦争を支持する民主的な選択の概念を2つの理由から否定します。第一に、戦争のプロパガンダと「軍事的愛国主義教育」の影響下での誤った知識を持った無教育な選択は、それを尊重できるほど自由な選択ではありません。第二に、私は軍国主義と民主主義が両立するとは思っていない(だからこそ、私にとってウクライナはロシアの犠牲者ではなく、ウクライナとロシアの平和を愛する人々は、ソ連後の軍国主義的温情主義政府の犠牲者なのです)。多数決を強制するための少数派(個人も含む)に対する大多数の暴力が「民主的」だとは思わないのです。真の民主主義とは、公共の問題に関する誠実で批判的な議論への日常的普遍的関与であり、意思決定への普遍的参加です。民主的な意思決定は、多数派に支持され、少数派(一個人を含む)や自然を傷つけないほど慎重であるという意味で合意的でなければならず、反対する人々の黙認を不可能にし、彼らを害し、「人々」から排除するならば、それは民主的決定とはいえないのです。 これらの理由から、私は「正義の戦争を行い、平和主義者を罰するという民主的決定」を受け入れることができません。それは定義上民主的であるはずがなく、誰かがそれを民主的だと思っても、そのような「民主主義」に価値や正義があるのかは疑わしいのです。

●このような最近の動きにもかかわらず、ウクライナには非暴力の長い伝統があることを私は知りました。

これは事実です。ウクライナには平和や非暴力に関する出版物がたくさんありますし、私自身も「ウクライナの平和な歴史」という短編映画を作りましたし、ウクライナや世界の平和の歴史に関する本も書きたいと思っています。しかし、私が心配しているのは、非暴力が変革や進歩のためというよりも、抵抗のために使われることが多いということです。ウクライナでは、非暴力のふりをした反ロシアヘイトキャンペーン(市民運動「Vidsich」)が行われていましたが(現在も行われています)、今では公然と軍国主義に転じ、軍隊を支持するよう呼びかけています。プーチンが「民間人、特に女性や子どもは軍隊の前に人間の盾となる」と悪名高い発言をした2014年のクリミアとドンバスにおける親ロシア派の暴力的権力奪取の際には、非暴力的行動が戦争の道具にされたのです。

●西側の市民社会は、どのようにウクライナの平和主義者を支援できると思いますか?

このような状況で平和の大義をどのように支援するかは、3つの方法があります。まず、私たちは真実を伝えるべきです。平和への暴力的な道はないこと、現在の危機には双方の側に不品行の長い歴史があり、自分たちは天使であり望むことは何でもでき、彼らは悪魔であり、その醜さのために苦しむべきだというような態度を取れば、核の黙示録も排除せずにさらなるエスカレーションを招くでしょう。真実を伝えることは、すべての側にとって冷静さと平和交渉の助けになるはずです。真実と愛が東西を一つにするのです。真実は一般にその矛盾しない性質から人々を団結させますが、嘘は自分自身や常識を矛盾させ、私たちを分裂させ支配しようとします。

平和の大義に貢献する第二の方法:貧しい人々、戦争の犠牲者、難民や避難民、良心的兵役拒否者を支援することです。性別、人種、年齢、あらゆる保護されるべき理由によって差別されることなく、都市部の戦場からすべての民間人を避難させるようにすること。国連機関や、赤十字のような人々を援助する組織、または現場で働くボランティアに寄付すること。小さな慈善団体はたくさんあり、人気のあるプラットフォームでオンラインの地元のソーシャルネットワーキンググループを見つけることができますが、それらのほとんどは武装勢力に協力しているので、彼らの活動をチェックして、武器やさらなる流血とエスカレーションのために寄付していないことを確認するよう注意して下さい。

第三に、最後になりますが、人々には平和教育が必要です。恐怖と憎しみを克服し、非暴力による解決策を受け入れるための希望が必要です。平和文化の未発達、創造的な市民や責任ある有権者ではなく、むしろ従順な徴兵制を生み出す軍国主義教育は、ウクライナ、ロシア、ソ連崩壊後のすべての国に共通する問題です。平和文化の発展や市民としての平和教育への投資なくして、真の平和は達成されません。

●今後の展望をお聞かせください。

タラントのアウグスト・リギ高校のイタリア人学生数人が、戦争のない未来を願う手紙をくれました。それに対して私はこう書きました。「戦争のない未来に対するあなたの希望が好きだし、共感します。戦争のない未来に対するあなたの希望は、私も気に入っているし、共感します。それは、世界中の人々が、何世代にもわたって、計画し、築き上げてきたものなのです。よくある間違いは、言うまでもなく、Win-Winではなくて、Winになろうとすることです。人類の将来の非暴力的な生き方は、暴力を用いない、あるいは暴力を限界まで抑えた社会経済的・生態学的正義の達成と人類の発展に関する平和文化、知識、実践に基づくものであるべきです。平和と非暴力の進歩的な文化は、次第に暴力と戦争の古風な文化に取って代わるでしょう。兵役への良心的拒否は、そのような未来を実現するための方法の一つです。

私は、世界中のすべての人々が権力に真実を告げ、銃撃をやめて対話を始めるよう要求し、必要な人々を助け、平和文化と非暴力的市民としての教育に投資することで、軍隊も国境もないより良い世界を共に築くことができることを望みます。真実と愛が大きな力となり、東洋と西洋を包含する世界です。

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Yurii Sheliazhenko, Ph.D. (Law), LL.M., B. Math, Master of Mediation and Conflict Management, KROK University (Kyiv) の講師兼研究員である。さらに、良心的兵役拒否欧州事務局(ベルギー・ブリュッセル)理事、ワールド・ビヨンド・ウォー(米国・バージニア州シャーロッツビル)理事、ウクライナ平和主義運動事務局長を務める。

インタビューは、オーストリア・クラーゲンフルト大学(AAU)名誉教授で、AAUの平和研究・平和教育センターの創設者で前所長のウェルナー・ウィンターシュタイナーが担当した。

出典:https://wri-irg.org/en/story/2022/ukrainian-pacifists-war-crime-against-humanity

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