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終わりにしよう天皇制 11/25集会へ!

投稿日: コメントするカテゴリー: 主宰者からのお知らせ

終わりにしよう天皇制 11/25集会へ!

終わりにしよう天皇制2018 11・25大集会&デモ → download

講演:栗原康さん(アナキズム研究)
芝居:野戦の月(予定)

コント、歌、アピールなど予定!

日時:2018年11月25日(日)午後1時15分開場/1時30分開始 ※集会後デモ
会場:千駄ヶ谷区民会館2階集会室
主催:終わりにしよう天皇制!「代替り」に反対するネットワーク

天皇の自己申告で始まった「代替り」も、いよいよ佳境に入りつつある。2019年4月30日明仁退位、翌5月1日メーデーに堂々の新天皇徳仁即位。秋には即位礼、大嘗祭。奉祝賛美の雨あられ、「お人柄」報道の大洪水。

腐っている。もう全面的に腐っている。忖度とおべんちゃらの腐敗臭があたりに充満している。もう耐え難い。耐え難きは耐えられない!

だから私たちは、「終わりにしよう天皇制!『代替り』反対ネットワーク」を結成し、来年11月までの集中的な闘いを挑む。

昨年大好評だった「終わりにしよう天皇制大集会デモ」を11月25日に開催し、これをネットワークの活動のスタートとしたい。

 天皇制に反対する皆さん、「代替り」プロセスに異議ある皆さん、よく分からんけど変だと思う皆さん!来たれ11・25集会デモに!
超総力結集でよろしくお願いします!

チラシ(jpgファイル)

第1回「プロ市民」人権賞受賞者発表

投稿日: コメントするカテゴリー: 主宰者からのお知らせ

第1回 「プロ市民」人権賞

社会運動をガンバルあなたへ

第1回「プロ市民」人権賞受賞者発表

お待たせしました☆彡☆彡☆彡
栄えある第1回「プロ市民」人権賞受賞は……

 「プロ市民」人権賞には、25件の応募があり、選考の結果、大分県中津市を中心に、半世紀に渡って活動を継続している「草の根の会」に決まりました。
「草の根の会」の始まりは、1969年当時、多くの公害が明らかになる中での巨大開発「新総合計画」の一環として進められた周防灘開発と、豊前市議会の大型火力発電所の誘致反対闘争でした。この中心メンバーとして故松下竜一さんの存在は余りにも大きいものでした。建設阻止を掲げた環境権裁判を本人訴訟で闘い、「アハハ、敗けた敗けた」の言葉に象徴される如く、敗訴はしたものの、「環境権」という言葉は、今現在、憲法改正論議の中で課題になるほど社会に定着してきました。また、環境問題、反戦、反核、反原発、教育、「障害者」問題、人権、死刑制度、甲山えん罪事件、反天皇制、九電株主運動、東アジア反日武装戦線などを当事者が寄稿する形でテーマを拡げながら、32年間以上に渡り、第380号まで続いた「草の根通信」を編集し続け、全国の読者をまさに草の根的に紡いできた功績は決して忘れることはできません。

 松下さんの意志を受け継ぐ「草の根の会」の代表格にある梶原得三郞さんは、私たちのインタビューに対し「松下さんの存在抜きには、草の根の会は語れない」と語る。梶原さんのこの謙虚さが、松下さんを支え続けてきたものであろうし、生活圏もほぼ同じの「草の根の会」の人たちが、生活の様々な場面で何かにつけて寄り合う、悩みも喜びを伝えあう、思いやる役割も果たしています。「全国につながりながら、地域で生きていく」あり方に多くの力が詰まっているように思えます。

 「草の根の会」の活動としては、渡辺ひろ子さんが、毎月2の日に継続している築城基地前座り込み行動は、今年の10月2日で353回目を迎えます。また、毎年行われる日出生台米軍演習反対闘争、中津市主催の「平和の鐘」イベントの継続、ピースサイクルの受け入れ、そして新たに始まった毎月3日のスタンディング、19日の行橋反戦集会とデモ行進等々、その取り組みは、枚挙の暇がありません。

 私たちは、松下氏亡き後も、10数年に渡り存在し続け、かつ闘い続けている今の「草の根の会」は、「闘いの磁場」として素晴らしい、そして互いに褒め合うにたるものとして、「プロ市民」人権賞の名にふさわしいと考えます。

「プロ市民」人権賞イメージビデオ

第1回 プロ市民人権賞 授賞式

受賞者との交流を深めます。ぜひご参加ください。軽食付き!出しもの付き!

日 時 :2018年12月15日(土)13:30
場 所 :バー  / スウィング&ソウル  福岡市中央区警固2ー13-21 パインビル警固B1F
参加費:無料(差し入れ大歓迎!)

連絡先 :団体名 「プロ市民」人権賞 委員会

担 当: いのうえ

電話 092-751-0666

メール puroshiminr@gmail.com

刺青あるいはタトゥと身体表現の自由

投稿日: コメントするカテゴリー: 文化表現の自由、検閲批判

刺青あるいはタトゥと表現の身体表現の自由

1. はじめに

20181114日、大阪高等裁判所が画期的な判決を出した。これまで繰り返し警察が刺青師あるいあタトゥアーティストに対して医師法違反で摘発を繰り返し、一審大阪地裁は、医師法違反の適用を合法として刺青師側の主張を退けて有罪とした。この一審判決に対して、控訴審は判決理由の最後に結論として、次のように述べた。

「被告人の本件所為は医師法17条で禁止される医業に該当するとは認められないのであり、被告人に対する本件公訴事実については罪とならないことになるから、刑訴法336条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとして、主文[原判決を破棄する。被告人は無罪]のとおり判決する」

刑事裁判は、裁判所が憲法で保障されている基本的人権の剥奪に関わる。命を奪う(死刑)、自由を奪う(禁固刑や懲役刑)、財産を奪う(罰金刑)といった刑罰は濫用されてはならないという基本原則からすれば、医療行為を対象として制定された医師法を、医療とは全く異なる刺青あるいはタトゥに適用することは、法の濫用だと思うが、これまでそれが警察から裁判所まで常識として通用してこなかった。この従来の司法の横暴からみたとき、今回の判決は画期的といえる。

また、医師法を刺青あるいはタトゥに適用することが間違っていることを、その歴史的経緯にさかのぼって論じた上で次のように述べている。

「入れ墨(タトゥ)は、皮膚の真皮に色素を注入するという身体に侵襲を伴うものであるが、その歴史や現代社会における位置づけに照すと、装飾的ないし象徴的な要素や美術的な意義があり、また、社会的な風俗という実態があって、それが医療を目的とする行為ではないこと、そして、医療と何らかの関連を有する行為であるとはおよそ考えられてこなかったことは、いずれも明らかというべきである。彫り師やタトゥー施術業は、医師とは全く独立して存在してきたし、現在においても存在しており、また、社会通念に照らし、入れ墨(タトゥー)の施術が医師によって行われるものというのは、常識的にも考え難いことでもあるといわざるを得ない」

また、職業として彫師あるいはタトゥアーティストに医師免許を課すことについても次のように否定した。

他方で、被告側が無罪の主張の根拠として提起した彫師あるいはタトゥアーティストの表現の自由に関しては、「これらの点を検討するまでもなく、上記のとおり、タトゥー施術業は、医師法にいう医業に該当しないという前記解釈適用が妥当である」と述べるにとどまり、立ち入った判断を示さなかった。

しかし、そもそも、なぜ警察は繰り返し医師法違反での検挙を繰り返し、また、一審も追認してきたのか。「タトゥに医師法?おかしくない?」というまっとうな常識が通用しない背景は何だったのか。この背景に切り込まないと、表現の自由を確保する確実な基盤を獲得することもできないと思う。私は、この法の濫用を許してきた背景に明かな刺青あるいはタトゥへの根拠のない偏見があると思う。この偏見がどのようにして構築されてきたのか、それに対して、表現の自由の主張が刺青あるいはタトゥの自由を保障するためにはどのような観点が必要なのかについては、更に検討すべきことと思う。

以下の文章は、一審判決後に、被告弁護団から求められて書いたものについて、一部控訴審判決を踏まえて修正したものである。


本稿では、刺青あるいはタトゥと呼ばれる表現行為を医師法に違反するとする一審判決および検察側論告は、憲法が保障する表現の自由に反するものであることを明かにする。一般に皮膚を傷つけて色素を皮下に埋め込む行為に与えられた名称は、刺青やタトゥのほかに、彫り物、入れ墨、文身、刺文など日本語だけでも多くあり、それぞれに固有の意味や文化的な背景をもつ。本稿では、便宜上、これら全体を指す場合には「刺青あるいはタトゥ」と表記し、施術する者を「刺青師あるいはタトゥーアーティスト」と呼ぶことにする。刺青とタトゥを併記するのは、施術者の自己アイデンティに着目した場合、自分の行為を「刺青」であってタトゥではないと認識する人がいたり、「彫師」あるいは「刺青師」と呼ばれるよりもタトゥアーティストとかタトゥアなど欧米由来の名称にアイデンティティを持つ者もおり、両者の関係をどちらかの言葉で代表さでることが困難だからである。本稿では、刺青には日本の伝統的な「和彫り」の系譜をもつものを念頭の置1、タトゥという表現では、欧米由来のサブカルチャから世界各地にみられる伝統社会由来ものを念頭に置く。2

両者は施術の側面からも、歴史的な相互の影響関係からも多くの共通性をもちながらも、表現の自由の観点から論じる場合には無視すべきでない違いがある。つまり、刺青とタトゥには、後述するように、身体観あるいは身体が纏う皮膚がもつ社会的文化的な意味づけに違いがある。そしてこの違いは、刺青師あるいはタトゥアーティストによる表現への関わり方、表現を支える知識や文化的な理解の違い、更には刺青やタトゥをとりまく社会・文化が身体に対してもっている関心や問題意識を反映しており、表現の自由を論じる場合には重要な観点になる。

日本では、和彫りの伝統が継承されるなかで「刺青」という言葉が用いられてきたと同時に、戦後、主に1980年代以降に欧米由来の文化的な表現としてのタトゥ(トライバルタトゥといった非西欧世界由来のスタイルもまた欧米経由で輸入されたのでこれに含まれる)が大衆文化の一翼を担うようになる。このように歴史的な経緯からみても両者の言葉の由来は異なる。例えば、柔道もレスリングも格闘技として一括りにすることもできるが、だからといってその歴史的文化的な背景や意味もまた同じものとはいえないから、レスリングも柔道と呼んでさしつかえないということにはなるまい。あるいは、髪を覆うスタイルに用いる布を「スカーフ」と呼ぶのか「ヒジャブ」と呼ぶのかはどうでもよい問題とはいえないし、「ヒジャブ」を偏見の眼で見る非イスラム圏のレイシズムは「布」をいくら凝視してもその意味は理解できない。スタイルをめぐる文化的な文脈を理解することなしにはスタイルが示す表現とその自由の権利問題を正しく扱うことはできない。同じことは刺青あるいはタトゥにもいえるのである。それぞれに固有の名称が与えられて文化として受容されてきたことには、それなりの背景があることに留意する必要がある。言い換えれば、身体を針で傷つけて色素を沈着させる技法は、技法としての共通性に還元できない差異があり、この差異の意義を評価することが、表現の自由を論じる上で不可欠な観点だということである。

付言すれば、アイヌの「パシュ」や琉球や奄美の「針突」など日本の支配的な文化のなかで消滅を強いられた少数民族の身体表現は、他の伝統社会の身体表現と同様に「タトゥ」としてとりあえず分類できるものとしておきたい。(本稿ではこうした分類の詳細は論じない)

以上の前置きをした上で、刺青師あるいはタトゥアーティストの表現の自由について以下の三つの観点から論じる。

  • 刺青あるいはタトゥには社会の偏見がつきまとってきた。医師法違反での摘発にも論告や判決にもこうした偏見が背景としてあると思われる。そこでまず身体をめぐる偏見と表現の自由の観点について一般論を述べる。
  • 本稿では、表現の本質を損うことなく判決でいう「保健衛生上の危険」を回避できる別の表現手法があるのかどうかを検討し、身体の皮膚に「彫る」という技法は必須であって、こうした手法を伴わない代替技法とは本質的に異なる表現であることを主張する。
  • 本稿では、刺青あるいはタトゥの表現行為は医師の外科手術等の施術とは本質的に異なるものであって、外形的な施術の行為だけを切り離して、その事象によってその行為の意味を判断することはできないことを主張する。

結論として、刺青師あるいはタトゥアーティストの行為は、医師によってはなしえない文化的な表現行為なのであって、施術の場面に還元すべきではなく、文化的な文脈のなかで評価されるべき固有の熟練技能あるいは芸術表現であることを主張する。

2. 身体における自然と文化――身体は医学の領域を越える

2.1. ファッションと身体

身体表現は多様である。皮膚を傷つけることではないにしても、毛髪を切り取ったり、化粧をほどこしたりする場合のように、時にはみだしなみとか礼儀作法として、身体のありかたに対して一定のスタイルを社会が規範として要求することは、どの時代、どの文化にもみられる。あるいは、いわゆる「ボディペインティング」のように絵の具等で装飾をほどこすことも伝統社会の習俗からサッカーのサポーターなどスポーツ文化のなかにおいてもみられるし、ハロウィーンのように商業化された「祭り」のなかでファッションとして受容されるケースもある。

こうした皮膚そのものに装飾を施す文化あるいは身体そのものに変化を加える行為は、皮膚を隠す衣服のファッションと結びついており、皮膚を直接の表現の対象とすることと衣服とは相互不可分な表現の一体性をもって理解されてきた。19世紀西洋のコルセットは身体の骨格そのものを強制的に変形させる衣服であるし、近代以前の日本では女性の鉄漿は身分と関係し、着物にも一定のドレスコードが存在した。刺青についても、江戸期には鳶や駕籠舁きなど肌を露出する職業との相関関係がある一方、刺青を衣服の下に敢えて隠すことが文化的な表現としての意味をもつ傾向があった。刺青をあえて隠すことに価値を置く文化は現代まで継承されているが、その理由は、当事者の理解に即しても様々であり(忌避される表現だからという側面もあれば、逆に「美しいもの」を誇示する自己顕示を好ましくないとする価値観の側面もある)、誇示するものとしての欧米のタトゥとは一線を画すところがある。

このように皮膚が露出する箇所と衣服で覆われる箇所全体によって人の身体表現が構成され、しかもその表現は、人が、一方で自立した個人として自己の身体に向き合うばあいの「私にとっての好ましい身体表現」というレベルと、社会的な存在である以上、帰属する社会集団(国家や民族のような大きな集団から地域社会、職場、学校から家族のような親密な集団まで複数に帰属する)のなかで、他者が評価する私の身体表現への価値や評価のレベルとがあり、この双方を個人が引き受けることになる。

2.2. 支配的な身体表現と少数者の身体表現

どの時代にあっても身体表現は、社会の階層や階級、宗教的な信条などを反映するが、そこには必ず、支配的で多数の人々が肯定的に受容したり道徳的な規範として支持する身体表現と、その周縁に無視できないものとして多数者の表現から逸脱する少数者の身体表現という二重構造がある。近代社会においても、学校文化やマスメディア、商業化・都市化された消費文化のライフスタイルを前提とした支配的な社会規範に支えられた身体表現と、その周縁にあって様々な少数者が構築する様々なサブカルチャとしての身体表現とが重層的に存在している。重要なことは、近代社会における基本的人権としての表現の自由の意義は、この支配的な規範に対して、多様な少数者によるサブカルチャを排斥せず、文化的な表現の多様性として尊重するところに社会そのものの価値を置くというところにある。

このことは、刺青あるいはタトゥを纏う場合も留意すべきことである。近代社会では、一般に刺青あるいはタトゥの表現は、上記の図式でいえば周縁に属するものである。そのために、支配的な文化的価値判断からは貶められる位置にある。他者と異なる皮膚の表象が差異をもたらすだけでなく、差別をももたらす。仕事などで刺青あるいはタトゥを露出することがはばかられるとか、公衆浴場やプール・海水浴場などへの入場が禁じられるとか、就職で差別されるといったことが、「差別」とは意識されず、むしろ公序良俗に反することであるかのようにみなされる。刺青師あるいはタトゥアーティストもまたその職業の故に差別される。自らの意志で身体に装飾をほどこす行為は他人に危害を与えるものではないにも関わらず、偏見はなくならない。表現の自由の理念からすれば、個人の自由意志に基く表現だからこそ尊重され権利として保護されなければならないはずである。

2.3. 自然科学=合理主義の身体観と文化的な身体

近代における身体理解を支配してきたのは、自然科学による身体観と「美」についての文化的な規範が一体となったものだ。自然科学的な認識では、身体を他の自然現象同様科学的合理的に理解しうるものとみなす価値観に立つ。身体は、それ自体が「自然」であり、「自然」であるものはそれ自体で合理的であるとする近代自然科学の見方は、身体を人為的に加工する行為を忌避する価値観の底流を形成した。近代社会は「美しさ」を理解する場合にすら合理的的な根拠を与えようとしてきた。日本の近代化も近代合理主義と自然科学的な身体観を進歩と受け止め、江戸や大阪など近世都市の大衆文化のなかに根付いていた刺青の文化をあたかも野蛮なものであるかのようにして排斥して、道徳的に排斥し、違法とすらすることで、近代的な価値規範を強制しようとしてきた。

しかし、合理主義が支配的な近代にあっても、身体は「自然」な生物体としての存在に還元できないのであって、社会的な表現の「場」なのである。医療は、身体を生物学や生理学などが対象とする「肉体」とみたてて、その疾患に対処することを目的とするが、人間の身体はこうした生物学的な身体には還元できない。そして、この生物学的な身体という観点から排除されるところに、文化的な身体と呼びうる身体があるが、これは医学の側からは理解することができない身体である。3

身体の表面を覆う皮膚は、この生理学的な身体と文化的な身体の境界をなすものであり、文化のなかの人間にとって皮膚に体現される外部や他者に対する表明と医学生理学のなかの人間にとっての皮膚に体現される病いとしての現象が相互にし共鳴たり干渉したり拮抗する「場」が皮膚である。刺青やタトゥと呼ばれるような表現は、医学生理学など自然科学が対象とする身体からは見えない文化的な身体の側に属する表現である。皮膚を傷つける行為を文化的な身体表現の側からみたとき、そこには、多様な表現の「場」を見出すことができる。刺青あるいはタトゥだけでなく、前述したように近代スポーツや身体芸術もあり、伝統社会にはピアシングや鉤で身体を吊す行為、皮下への埋め込み、焼印、身体を変形させる行為(纏足やコルセットは有名だろう)、身体の一部を切除する行為(割礼や性器切除など)がある。これらが広範な社会に見出されることは、人類学や民族学の研究が明らかにしてきたことでもある。こうした行為の一部は、近代社会のなかでも、近代社会の価値体系や文化構造のなかに転用されたりしながら受容されてもきた。4

支配的な身体表現の規範は、身体表現の社会的歴史的な規定性を隠蔽して「自然なもの」として普遍化するイデオロギーを構築しようとする。支配者たちにとって好ましいとされる身体のありかたや身体表現が、それこそが神が与えたものとか親から授かったものなど様々な道徳的な意味づけをされ、礼儀作法などとして身体表現の規範が制度化される。こうして構築された支配的な身体表現から逸脱する身体表現は、不道徳であるとして排斥されたり、野蛮なもの奇妙なものとして見世物にされたり、時には自然に背く病的な兆候とすらみなされて「病い」としてカテゴリ分けされたりもする。しかし他方で、近代社会は、支配的な文化構造を中核にもちながらその周縁部にある少数者の表現の存在をかろうじて許容する規範を維持してきた。近代社会が伝統社会から自らを種別化する自己アイデンティティの重要な核に「自由」の価値観が据えられた。表現の自由の権利は、こうした多数者による少数者の表現への排除感情や差別感情を退けて、少数者の身体表現の存在意義を少数者のアイデンティティにとって必須のものとして保障する役割を担う。こうした自由の権利が保障されない社会を自由な社会ということはできない。

2.4. 合理主義身体観の破綻

そもそも文化的な表現の「場」としての身体(およびファッション)のスタイルを合理主義や自然科学の理解に還元することに、当の西洋世界すら成功しなかった。19世紀近代化の時代にますます人間の身体――とりわけ女性の身体はコルセットやハイヒールで絞めつけられるようになる――は人工的な加工の対象とされ、ファッションも合理主義とは無縁な装飾を競う流行現象となったことからも明かであるし、医学的な身体に還元できない人間の側面が精神医学の発達をもたらしたのも19世紀だった。19世紀から20世紀にかけて、芸術の世界が印象派を生み出したように、科学的な世界観とは異質な表現の可能性が西洋の芸術のひとつの潮流として登場する。日本の浮世絵などの表現に注目があつまったのもこの時代である。そして、日本の刺青もまた西洋によって「発見」され高く評価されることになる。明治期の刺青師は、刺青が違法とされながらも、その身体文化の固有のスタイルを世界に伝承する発信者となった。5この西洋による日本の刺青の「発見」なしには和彫りは生き残れなかったかもしれない。

文化のグローバルな伝播のなかで、世界各地に残された伝統的な身体表現の多様性が人類学や民族学のなかで再評価されるのもこの近代という時代がもつ両義性と不可分だった。一方での植民地主義を内在させた異文化への好奇心と他方での近代合理主義への批判的なパラダイムとしての非西欧文化への関心、この二つがないまぜになりながら周縁部にある表現は、支配的な表現による排除と闘いながら自己のアイデンティティを確立してきたのである。こうした表現文化の構造は刺青あるいはタトゥという周縁に位置する身体表現の文化にも十分にあてはまるるものである。刺青は、その始まりから、近代社会にとって不合理な身体の象徴であり、その不合理性を意志によって選びとるという理性的な人間においてはあるべきではない行いを象徴していた。しかし、いかに周縁化され、あるいは偏見の眼に晒されてもタゥや刺青はサブカルチャとして生き延びたことに示されているように、そもそも合理的な身体などというものは近代の支配的なイデオロギーが構築したフィクションにすぎないものだった。この観点からすると、医師法を適用して刺青あるいはタトゥを文化的に根絶やしにしようとする発想の根源には――裁判においては考慮しえないことかもしれないが――合理主義的な身体から逸脱することを許さない権力の意志を感じないわけにはいかない。

2.5. 1980年代以降の身体表現の転換と刺青=タトゥカルチャー

身体を合理主義と自然科学の眼に縛る近代の価値観は、1980年代頃から明らかな揺らぎをみせはじめる。身体表現は多様性を再度獲得しはじめる。1980年代以降の欧米でのタトゥをはじめとする身体表現の新たな流行は、身体表現を通じて、自己のアイデンティティを確立しようとするマイノリティのサブカルチャにとって不可欠なスタイルとなる。こうして、欧米ではタトゥアーティストはサブカルチャの表現の担い手となり、文字通りの意味でのアーティストとしての創造性を担うことになった。

1980年代以降、近代世界の身体観が反省される時代になって、非西欧世界の表現のひとつとしての刺青と刺青師の存在もまた確立された身体表現の分野として評価が定まり、タトゥアーティストたちは、異文化のタトゥのスタイルを相互に取り入れるなかで新たな文化表現の世界を創造してきた。「和彫り」のスタイルもまた西欧のタトゥ文化の基盤をなす固有の身体表現の文脈のなかに組み入れられるようになっている。他方で日本のタトゥアーティストも、伝統的な和彫りだけでなく、世界各地のタトゥ文化との交流のかなで、グローバルなサブカルチャとしてのタトゥ文化の一翼を担うようになっている。

そしてまた、刺青やタトゥのどの基本文献をみても、和彫りのスタイルは、――既にほぼ消滅してしまったアイヌや沖縄・奄美のタトゥとともに――基本的な身体装飾の表現の重要なスタイルとして参照されるようになっている。国際的なタトゥコンベンションが毎年様々な国で数多く開催されているが、日本から招待される刺青師も少くないし、マシンによらない手彫りの施術を継承しながら高度な表現を維持している和彫りの評価は高い。

2.6. 医師法適用がもたらす表現の自由への侵害

こうして刺青あるいはタトゥの表現は、少数者の表現であり、サブカルチャとしての位置に変りはないものの、確固として確立された表現分野として、この分野に固有の熟練と創造性をもった制作者が担う構造が確立してきた。こうした文化的な背景と世界的な広がりに対して、これを一審判決のように医師法で禁止し、医師免許を持つ者にのみ刺青あるいはタトゥの施術を認めるということになれば、これまでの日本の刺青師やタトゥアーティストが築いてきた文化の多様性と質を権力が法の力を借りて奪うことになる。

ハワード・ベッカーが指摘しているように6、表現文化のなかの表現の担い手は、個々人によって担われるだけでなく、コミュニティとしての集団的によっても支えられている。刺青師やタトゥアーティスト、かれらへの依頼者たち、デザインや絵画、音楽や映画などの文化との交流など、多様なアーティスト相互のコミュニケーションのなかで作品が生み出され、表現の創造/想像力が維持される。医師法による規制は、表現文化の文脈を断ち切り、刺青師やタトゥアーティストを犯罪者扱いし、依頼者もまた犯罪的な行為の加担者というレッテルを貼られることによって、刺青あるいはタトゥのコミュニティ全体を他の身体表現のみならず広範囲の文化的な表現のコミュニティから排除することになる。このような刺青あるいはタトゥの犯罪化は、この身体表現そのものを萎縮させる。一審判決は依頼者の表現の自由を認める一方で刺青師あるいはタトゥアーティストの行為を医師法違反としたが、依頼者の表現の自由は刺青師あるいはタトゥアーティストの表現行為に全面的に依存しており、後者が依頼者の身体を彫る自由なしには依頼者の自由もありえない相即不離の関係にある。

控訴審判決は、医師法違反を退け、刺青師を無罪とした。この限りでは、医師法違反のリスクは法的な根拠を失ったが、だからといって社会の偏見が払拭できたわけではない。とりわけ、控訴審判決が刺青師の表現の自由(クライアントの表現の自由と表裏一体だ)に関しては立ち入った言及をしていない。そもそも警察が繰り返し刺青師やタトゥアーティストを検挙してきた(多くは裁判で争うことなく罰金の支払いで決着を強いられてきた)経緯は、警察が事実上体現している社会の偏見の問題がある。言い換えれば、偏見が医師法違反という本来あってはならない法解釈の恣意的な適用を許してきたのではないか。この意味で、控訴審判決があえて言及するまでもないとして省略した表現の自由をめぐる問題は、法が社会常識に内在する偏見を排除できるかどうかに関わっており、警察・検察の偏見に基く法執行という問題は残されたままである。

3. 代替表現はありえない

3.1. 代替表現をめぐる基本問題――痛みと永続性

タトゥシールと呼ばれるようなシールを貼ることによっても、外見上は刺青やタトゥと同等の効果をあげることが可能だと主張されることがある。もし、ほぼ完璧にこうした手法が刺青あるいはタトゥの効果を代替できるのであれば、あえて皮膚に針を刺して傷をつけ色素を入れるといった行為は不要になるだろう。しかし、以下の点で、こうした代替的な手法によっては刺青あるいはタトゥの効果を実現できないのであって、皮膚に針を刺して色素を入れる行為は必須の条件である。

刺青あるいはタトゥは、皮膚を針等で傷つけて墨などの色素を注入する行為であり、生涯にわたってこの痕跡は保持されると同時に、出血や痛みを伴う。この痕跡の継続性と痛みこそが刺青あるいはタトゥがもつ他にはない本質的な性格の一部をなす。これらを纏おうと意図する者たちは、この永続性と痛みと向き合うなかで、刺青あるいはタトゥを入れる覚悟をすることになる。刺青師あるいはタトゥアーティストもまたこの性質を前提として「彫る」という行為の意味を担うことになる。刺青あるいはタトゥに関わる人々が共通して構築する意味の場のなかには、この「永続性」と「痛み」という要素が不可欠なものとして存在し、それこそが刺青あるいはタトゥに固有の表現文化を価値あるいは意義を与えてもいるのである。

3.2. 生涯保持される表現

刺青の彫師あるいはタトゥアーティストは、画家やデザイナーによる表現や、あるいは版画家のような「彫る」ことによる表現分野のアーティストと決定的に異なる固有の存在であるのは、身体に永久に残される「傷痕」をひとつの芸術作品とする点にある。この点は、彫師あるいはタトゥアーティストにとっても依頼者にとっても最も重要なこととして自覚されることのひとつである。だから、皮膚に傷痕としての痕跡を残さないペインティグやシールは刺青あるいはタトゥとは本質的に異なる表現である。

たとえば、中野長四郎(初代彫長)は、その著書のなかで次のように述べている。

「刺青を彫る」と一口に言っても、それは一度彫ったら「永久」にその人の肌に残るものだから、良くも悪くも、その人の人生を左右することは間違いない。刺青を彫っただけで、その人は適当に行きるわけにはいかなくなる。そうなると同じ人生を「良く生きるか」、「悪く生きるか」の問題になる。その人生の岐路をどう決めるかによって、「良い人生」か「悪い人生」かに分かれる。道は一つしかない。

刺青を彫る場合その岐路に立っていることを十分に考え、それでも彫ると、決心がついた人は、刺青を彫って「良い人生」に向ってほしいものである。7

これは、彫られる側の心構えを述べたものであるが、人の個性がその人の容姿と切り離すことができないことからもわかるように、刺青あるいはタトゥを纏うことは、これを個性とすることを自らの意志で定め、自らの人格の一部となることを引き受けるということを意味している。後に述べるように、こうした皮膚の表象としての刺青あるいはタトゥを、物語を纏う(和彫りの典型)のか、記憶を纏う(欧米のタトゥは自己の記憶を、伝統社会は共同体の記憶を纏う)のか、という本質的な違いがある。前述したように、人間の身体は先天的なもので不変のものだという身体=自然とする見方が近代社会の支配的な身体観だとすると、刺青あるいはタトゥはむしろ、身体を人工的に(社会的あるいは個人的に)変容させることが可能な存在だとする価値観を前提としている。その上で、後天的かつ目的意識的に加えられた変更を生涯持ち続けるという意味において、人の後天的なパーソナリティの一部を構成して持続的に機能することになる。こうした機能は、医療行為による身体の疾患に対する外科的な施術にはない特徴である。

彫師あるいはタトゥアーティストは、この意味で、依頼者の社会的文化的なアイデンティティ構築にとって不可欠な個性を創造する共同作業者ともなる。だから、依頼者にとって刺青を彫る人がだれであってもいいというものではない。ましてや皮膚を傷つけるということのみをもって医療行為とみなす価値判断とは全く接点のないことである。長野は次のようにも述べている。

彫師に会ったときの心得。まず彫師になった動機を聞いておきたい。次にその人に刺青があるかも確かめる。人間の肌に生命があるように、人肌というものは生きるものである。生きた身体に彫るのだから、自分の肌に試してみねばらないと思う。自分が痛い所は他人も痛い。それを知ってはじめて、他人の肌に絵を刻み込まなければならない。8

絵画や音楽に深い感銘を受けるとき、人はこうした作品を生み出した当の人物に対しても興味・関心を抱くものだ。その関心は、世間一般でいう技巧の巧拙に還元できるものではない。表現者がたどってきた人生そのものが表現行為に滲み出る言葉にしえない固有の何かであって、それが作品の個性となる。こうしたことは医師の行為には必要のないことであって、医師にもっぱら要求される資質は、正確で的確な診断と医療措置による病いの治療であり、傷痕の個性が目的にされることもなければ評価されることもない。

3.3. 皮膚を針等で傷つけ、痛みを伴う表現の自由とは

刺青あるいはタトゥは当然痛みを伴う。「痛み」を伴うことがいわゆる文化的な表現、芸術的な表現であるはずがないという先入観があるように思う。しかし、スポーツ文化では、格闘技だけでなくラグビーやサッカーなどの球技といった身体をぶつけあうものに限らず、肉体を極限まで酷使する身体技芸はおしなべて強度の痛みを伴う身体文化である。また、伝統文化においても、身体を痛みに晒す表現は広範囲に見い出される。例えばクラシックバレエにおける足先への過度な負担による痛みはその典型である。

宗教文化では、痛みを伴う修行が様々な宗教に見出される。たとえば、修験道や仏教などで日本でも有名な素足で火の上を歩く「火渡り」や冬の寒い時期に敢えて滝に打たれたり海に入るといった身体の酷使は、様々な宗教でみられるものだ。伝統社会が宗教儀礼の一環としてタトゥをとりいれている社会も少なくない。

芸術的な表現では、パフォーミングアートと呼ばれる身体芸術の分野では、身体を傷つける行為を芸術的な表現とするものがあり、伝統文化やアルカイックな社会の儀礼を近代社会の文脈に転用する「プリミティビズム」と呼ばれる一連の表現では、伝統社会の宗教儀礼や通過儀礼の形式を再現する行為もみられる。タトゥ、ピアシングや鉤で身体を吊す行為など様々な行為が、身体表現として行なわれてきており、パフォーミングアートの世界ではこうした身体を傷つける行為は確立したジャンルとさえなり、美術館、ギャラリーあるいは大学の講義などでも扱われるまでになっている。

また、大衆文化や大衆芸能の世界では、身体の痛みを伴う「芸」の例が多数ある。サーカスでも火渡りが行なわれるが、剣を呑む、針の上に横たわる、頭で固いレンガや瓦などを割る、あるいは日本の伝統芸かもしれないが、金魚を胃袋に入れて釣り針で釣るといった大道芸のような芸当もある。そして、傷や出血を伴うSMプレイや緊縛もまた痛みを伴うことなくしては成り立たないものだ。

このように痛みを伴う身体表現は、スポーツ、宗教、古典芸術から現代芸術、大衆文化まで広範に見いだされる。また、痛みを伴なう行為には、賞賛されたり教育制度のなかに取り入れられるものから、大衆の娯楽や趣味の類するもの、更には一般には「アブノーマル」とか「異常」などとの偏見に晒されるものまで、その評価もまた多様である。そしてその多くが、医師免許を持たない者たちによる行為であり、時には学校教育のなかで未成年にすら推奨される行為となってもいる。刺青やタトゥもまた上記のような痛みの文化のなかに含まれ、しかも、こうした広範な痛みを伴う表現における最も歴史も古く、人類の広範囲にわたる社会・文化に見出すことのできる表現だということを忘れてはならない。このように痛みを伴う身体行為全体を見渡したとき、とくに刺青あるいはタトゥを槍玉に挙げて医師法違反の行為とすることは明らかな法の濫用というしかない。

痛みは、医学において脳に神経伝達経路によって伝えられる特殊な刺激として捉えられるような、身体生理学的な理解に還元できるものではない。ディヴィド・B・モリスは次のように「痛み」について述べている。

私たちは単に私的な一個人としてだけではなく、文化あるいは下位文化の一員としても痛みを体験している。つまり私たちは、現在の自分を取り巻いているイメージによって形成され強化された様式に従って、痛みを体験しているのである。家族・友人・地域社会が、その行動と価値観において私たちの体験を形成する痛みの主たるイメージを与える。(中略)強調すべき点は広告から純粋芸術まで、痛みの表現における文化的変遷が、相互に影響しあいしばしば促進しあって、私たちの個人的体験にも重大な変化をもたらしているということである。9

刺青師あるいはタトゥアーティストにとって、痛みは、皮膚に「彫る」という行為が不可避的に与える感覚であるということ以上に、その痛みを伴う経験を依頼者が自らの意思で引き受けることとの関係のなかでその意味が構築されるものだという点が重要だろう。刺青やタトゥーについて最もよく語られるのも痛み体験なのである。依頼者に痛みへの自覚を与えることは刺青師やタトゥアーティストにとって重要なコミュニケーションの条件となる。痛みは刺青あるいはタトゥの経験そのものであり、彫られた後の皮膚の傷痕によって描かれた作品と不可分な経験である。彫られる側にとっては自らの痛みを相手に委ねることであり、彫る側にとっては、この委ねられた痛みを前提として、イメージされた「絵」を現実のものにする。イメージの対象化の第一歩に痛みが位置することになる。モリスが言うように、痛みの体験は、生理学的なメカニズムに還元できない。彫師やタトゥーアーティストはこのような文化的な文脈のなかで個人の体験に重要な意味を与えるという役割りを担う。歯痛や骨折の痛みに耐えることはある意味では無駄な労苦だから麻酔によって痛みを緩和してしまうが、刺青やタトゥを彫ることから痛みを引き去ることはできないし、すべきでもないのであって、ここに痛みに対する肯定的な価値意識がある。ここにおいてもまた、医療行為とは本質的な違いが見出せる。

3.4. 傷痕の意味

痛みの問題は、傷痕をめぐる考え方にも関わる。彫師やタトゥーアーティストは傷それ自体が自己目的であり表現の核心にあるから、傷が依頼者のアイデンティティの一部となることの「意味」に配慮することになる。とりわけまずなによりも、刺青やタトゥを入れるよう依頼した当事者のイメージのなかで、人生の物語として構築されるものだという文脈のなかで傷痕はその意味を担い、配慮されるものとなる。この点で傷痕が刺青あるいはタトゥにおける本質となる。逆に医師にとって外科手術を行なったときに生じる手術跡は消し去ることができればそれが最上であるといったネガティブなものでしかない。医師にとっての痕への配慮は、隠すことの配慮でしかない。美容整形であっても、その手術の痕跡を悟られないように隠す技術が要求される。整形していることがあからさまであることは美容整形においてはマイナスにしかなるまい。従って、医師にとって傷痕は無意味なもの、手術の痕跡に過ぎず医師としての行為の本質ではない。あるいは消滅して自然な身体と区別のつかないものになることにこそその意味があるという点からすれば、傷痕の意味は完全にネガティブなものでしかない。しかし刺青やタトゥあるいはインプラントやピアシングのような様々な「ボディアート」や「身体変工」と呼ばれる表現行為は、医療における傷痕認識とは真逆だ。これらの表現では傷こそが残すべき価値のある個性なのである。傷が隠されることなく身体の表面に表出することこそが最も大切なことである。

刺青師あるいはタトゥアーティストは、傷痕に意味の全てを込める行為主体である。その傷と意味の関係は、美容整形を含めて医師とは全くそのベクトルが逆なのである。刺青師あるいはタトゥアーティストにとっても依頼者にとっても、傷痕の意味は、医療行為には見出せない刺青あるいはタトゥの本質なのだ。

4. 刺青師あるいはタトゥアーティストにとっての表現の自由とは

4.1. 歴史的背景

身体を針などでで傷つけて文字や文様、絵などを彫る行為は人類史全般にみられる行為だが、これが「アート」としての文脈で評価されるようになるのは、日本では18世紀末以降であり、欧米においても19世紀以降のことだ。10欧米では船乗りや兵士たちがタトゥを入れる習慣があったが、19世紀末には王侯貴族らが日本の刺青文化に触れてこぞって刺青を入れるようになる。11

身体への刺青は、歴史的にも考古学的な対象となる時代から、そしてまた、地理的にも人類学や民族学が対象とするようなアルカイックな社会において、歴史的にも地理的にもほぼ地球全体を覆う規模で見出される表現である。従って刺青あるいはタトゥの意味やその社会において果す機能、価値、評価なども極めて多様であって、一つではない。しかし、どの時代、どの文化においても共通していえることが一つある。それは、刺青あるいはタトゥの施術が医師によって行なわれるべきものとみなされる文化はない、ということである。皮膚を傷つける行為であり、保健衛生上のリスクのある行為であることはどの時代、どの文化でも知られていることであるにもかかわらず、これを怪我などで生じる傷を治療する行為と同等の行為とみなす文化はないということである。

刺青あるいはタトゥは、伝統社会においては宗教儀礼や共同体の通過儀礼、あるいはジェンダーアイデンティティに関わる儀礼などと位置づけられて、支配的身体表現の位置を占める場合が多いが、市場経済や世俗的な文化が浸透した社会では、刺青やタトゥはある場合にはこうした共同体の規範文化から離れて様々な意味作用をもつようになり、その社会との関わりもひとつではない。その結果として、刺青師あるいはタトゥアーティストの社会における位置や評価も多様である。

このようにタトゥは、地球上の様々な文化を横断して歴史的にも古くから見出せる身体表現であるが、これが近代以降、社会の支配的な身体表現からは排除されて周縁化される。これは、医学や保健衛生の観点から生じたことではなく、西欧のキリスト教文化が非西欧世界の世界観や共同体の伝統を忌み嫌って排斥したことによる。その結果ラテンアメリカで広範に見られたタトゥの伝統はほぼ消滅することになった。ポリネシアなど南太平洋の場合、キリスト教徒によるタトゥ排斥はラテンアメリカほど過酷ではなかったが、後に占領支配することになった日本がタトゥを厳しく排斥したとされている。12日本がアイヌや琉球の刺青文化を嫌い排斥したこともよく知られているが13、こうした日本の刺青排斥もまた、保健衛生の観点からではなく、西洋の価値観と儒教文化の価値観を至上のものとする近代国家のイデオロギーによる大衆文化への蔑視と異文化の排斥による画一的な支配的文化への同化という意図によるものであった。こうした支配的な文化価値が刺青を排除する一方で。前述したように西欧の貴族など上流階級の一部に刺青への強い関心が持続した理由は何か、別途検討すべき興味深い問題である。19世紀近代は、支配的な価値観が合理主義であるが、その裏面にオリエンタリズムやロマン主義を同伴しており、この複合的な近代の文化的な価値の構造を視野に入れる必要がありそうだが、これは私の能力を超える課題だ。

4.2. タトゥとアインデンティティポリティクス

こうした支配的な文化による周縁的な文化への蔑視と排斥や差別の感情は、西欧にもみられ、植民地主義が異文化を排斥し同化する一方で、この他者の文化を野蛮で珍しいものとして見世物にするといったことが20世紀初頭の頃までは見出すことができた。しかし、文化人類学や民族学などの研究の発展と多様な文化やライフスタイルを思想信条の自由、信教の自由、言論表現の自由として基本的な人権とする理解が拡がるにつれて、非西欧世界の身体表現の再評価がなされるようになるのが、20世紀後半から現代に至る大きな流れといえよう。

西洋においては船乗りや兵士のタトゥには死亡したときの身元の確認の意味が込められていたとも言われているが、とくに1980年代以降、ライフスタイルの多様性を重視する価値観が大衆文化のなかにも浸透し、非西欧世界の身体表現を「modern primitives」などとして再発見、再評価する動きが、サブカルチャのなかに一定の影響力をもつようになる。たとえばパンクロックの文化は、主流のファッションでは「汚い」とか「異様」などとして退けてきたモヒカンなどの個性的なヘアスタイルや奇抜なメイク、ピアス代りの安全ピンを自己のアンデンティティを表現する重要な手段として肯定する文化をサブカルチャのなかに構築した。また、1980年代以降のサブカルチャでは、タトゥは、ピアシングなどの他の身体変工body modificationと一体のものとして括られることも多い。現在の欧米のタトゥ文化の源流にはこうした80年代のサブカルチャ全体が与えた支配的な文化的価値への挑戦との接点がある。この点は日本の刺青文化とは異なる身体文化の背景をなしているだけでなく、文化的な多様性が歴史的に変容するなかで、タトゥという身体表現の意味作用それ自体もまた変容してきた。

この点は、女性の身体表象文化とタトゥとの関わりの変容のなかに端的に表われている。欧米では、女性のタトゥは、ワンポイントの「可愛いもの」としてわずかに容認される雰囲気が支配的であったなかで、全身をタトゥで覆う「ハードタトゥ」を選択する女性たちが登場する。19世紀以来の女性のタトゥの歴史のなかでハードタトゥの女性は極めて少数で、見世物とされてきたような歴史があるなかで、80年代以降のアイデンティティの多様化とフェミニズムの価値観の定着以降、女性のハードタトゥは女性の「美しさ」のステレオタイプを否定して、自己のアイデンティティを確立する重要な手段として一部のフェミニストたちによって積極的に受け入れられるようになる。こうしたタトゥの文化的な文脈における変化の一翼を担ってきたのは、女性のタトゥアーティストたちだった。ハードタトゥを選択する女性達は、女性で人たちと価値観を共有できるアーティストを選びたいという強い欲求があるからだ。ゲイ、レズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー、クィアといった性的マイノリティの人々もまた、他者との差異の表現の手段としてタトゥやピアシングなどの身体変工を積極的に取り入れるようにもなる。こうしたマイノリティの人々にとっても、アーティストは重要なコミュニティのメンバーであって、価値観を共有できない人たちに自分の一生を左右する身体の刻印を委ねることを快しとするものではない。

現代において、タトゥなどの身体表現は一方で大衆化して流行現象のようにまでなっているが、同時に、上述のように、一部の人たちにとっては、自己のアイデンティティにとって不可欠な表現手段となっており、そうであればあるほど、タトゥアーティストたちとの価値観の共有は必須の前提条件となる。

4.3. 刺青=物語る身体

表現のありかたとして19世紀以降の近代刺青あるいはタトゥに限ってみても、欧米と日本ではその表現の意味に大きな違いがある。江戸期に始まる全身に刺青をほどこすいわゆる「和彫り」と呼ばれる刺青は、統一された物語を彫ることに価値があるとされ、西洋のように様々な絵柄や文字が雑然と配置されるようなタトゥは高く評価されない。他方で、西洋では、タトゥはその人の人生の記憶の象徴としての意味合いが強く、一見すると不統一な様々な図像を「私」という身体の主体に表象された記憶によって統一されることによって、他者とは異なる自己のアイデンティティの証しとするという意味合いが強い。

和彫りの伝統に果す刺青師の役割りが、欧米のタトゥのそれと異なるのは、彫られる「絵」をめぐる物語の違いとして示すことができるだろう。明治期の刺青師のなかでも最も著名な一人、彫宇之について、玉林晴朗は次のように述べている。

彫宇之は文身の図の中の人物を知る事に勤めた。同じ豪傑を彫るにしても其の人の生ひ立ちなり性格なりに依って顔の相も変って来る訳である。老若貧富正邪それぞれの別を表はす事はなかなか用意でないが其の点に彫宇之は苦心した。其の為彫宇之は常に芝居を見、講談を聴き、文身の人物に就いて其の由来を知る事に意を傾け、又芝居で其の人物が見得をきったるする時其の形をよく見て文身に応用した。即ちこれ等は写実に留意したもので文身の人物がいきいきとして居るやうに彫らうと努力したのであった。14

こうした和彫りの刺青師の努力は、現在にも生きており、伝統的な絵柄として知られている水滸伝などの作中人物の物語や浮世絵師たちの作品への造詣の深さなしにはこれを具体的な絵にすることはできないものだ。彫られる者にとってもなぜこの絵を彫るのかという動機の形成に彫師の知識は不可欠なものである。

名古屋の彫師、彫鐘は次のように述べている。

彫師といってもキャンバスはあくまでも客のからだだ。好き勝手に彫れるわけではない。客からお題が与えられ、客が指定したその場所に彫る。ときにはおまかせもあるが、それでも全身好き勝手にとはいかない。おまかせの場合、客の好みがわからなくて絵が描けなくなることもある。だから、おまかせも困る。

客をよく観察している。知らず知らず彫る相手の気質、好みを少しでも知ろうとしている。それもこれも相手が求めているものに少しでも近づきたいという彫師の習性みたいなものだ。15

ここでイメージされている「お題」とか客の「好み」とは、刺青の彫り物として伝統的にとりあげられる物語の素材が念頭に置かれている。ここには刺青師と依頼者との間で共有される「物語」の伝統がある。こうした伝統は、刺青のコミュニティが継承してきた独特のものであって、こうした表現の世界を医学が引き受けることはできまい。

また、横浜の三代目彫よしのこととして前述の斎藤は次のように書いている。

刺青を見て、いい悪いというが、耐えて仕上げた人間の評価を先にしたい。上手い下手はそのあと、相手の価値観を尊重しないと。個人的な人間の評価につながってくる。(中略)

時間、お金、痛み、完成度、全部相手のものですよ。彫師が求めたいもの、お客様が求めたいもののあいだに、ギャップがあって当然本当の完成度を求めたらきりがない。要は自己満足の押し売りをしたくない。もしそんなことをしたらお客様に迷惑がかかる。デザイン、色、ボカシ、それぞれが完璧、それがすべて揃っての完成度。(中略)

本来筋一本にもむだな線はない。線一本が意味をもっている。意味のある線を引くためには勉強しなければ。絵画の世界にむだな線はない、勉強しなければだめだ。16

松田修も次のように述べている。

刺青とは、もちろん被刺体(私の造語である)そのものの意志から、出発せざるをえない。構図は、当初においては被刺体に従属していた。しかし、それは作業の進行とともに物化して、ついには被刺体を圧倒してしまう。原構図が完結したとき、その絶対性はみせかけにすぎない。(中略)

刺青とは、絵と生命の双方にまたがった、曖昧な、それゆえにもっとも確実な存在なのである。(中略)

素材としての肉身が、キャンバス化し、幻影化、非実体化することは断じてさけねばならない。存在としての肉身の上に、今一つ重ねられた存在の確実さこそが、刺青なのである。その根源にひそむ素材としての肉身への、自虐的フェティシズムを忘れることは、まったく不当である。17

刺青のプロセスは、刺青師と依頼者との間のコミュニケーションのプロセスでもある。こうした和彫りの刺青師の言葉や施術に向かう姿勢の基本は、依頼者がどのような物語を求めているのかを、依頼者との共同作業のなかで確定しながら、依頼者がイメージとして抱いている物語の登場人物や情景を具体的な「絵」として提示して、それを皮膚に彫り込む。この全体のプロセスは、身体を一つの物語に象徴される絵のキャンバスとすることを前提として、依頼者とコミュニケーションをとる。例えば水滸伝の魯智深を彫るというとき、魯智深をめぐる物語は刺青師にも依頼者にも共有する「物語」としてあらかじめ共有されるが、「魯智深」をめぐってその場で構築される共有される「物語」が、メタレベルの物語として生み出され、それが刺青師のイメージから依頼者の身体へと具体的な「形」となって可視化される場全体のプロセスがまさに刺青師と依頼者の相互行為としての刺青なのである。「彫師が求めたいもの、お客様が求めたいもののあいだに、ギャップがあって当然」という言葉は、刺青の本質を突いている。このギャップは人間が人間と向かい合うときに必ず生みだされる「イメージ」のギャップだが、このギャップを自覚しつつ双方が最適とみなす作品を皮膚に刻印することが刺青師の仕事なのであって、皮膚を傷つけて色素を埋め込む行為という表現によっ語りうるものではない。こうした依頼者との相互行為があるからこそ刺青師の刺青師としての主体性と個性が生きるのである。

4.4. タトゥ=記憶する身体

これに対して、欧米のタトゥの場合、このような物語を纏うような伝統のなかで展開されてきたものとはいえない。その時々において依頼者にとって人生の記憶として肌に記録しておきたい象徴的な「絵」こそがタトゥなのであって、その意味は和彫りがもつような物語によって決定される審級をもたない。ベバリー・イェン・トンプソンは「タトゥは人生の旅を可視化するもの」と述べ、身体に刻まれたある種の日記ともいえるし、節目となる出来事を記録したものともいえるという。「ブログを書いたり、スクラップブックを作ったり、編み物したり刺繍したりする人がいますね。こうしたことを私は自分の身体に纏うんです。」というヘビー・タトゥイストの言葉を紹介している。18

タトゥアーティストに彫ってもらうとしても、身体に纏われた様々な人生のシンボリックな記憶の断片を繋ぐ物語を語りうる主体は依頼者の側にある。とりわけ80年代、90年代以降、欧米社会でタトゥがサブカルチャとしての評価を獲得しはじめた時代は、同時にLGBTなど性的マイノリィが自己のアイデンティティを取り戻す表現のひとつとして身体表現に新たな可能性を見出そうとした時代でもあり、パフォーマンスアートも含めて身体変工全体に高い関心が集る時代でもあった。トンプソンは「女性の身体が規範的な美の理念のなかで解釈される」ためにタトゥはマージナルな表現にとどまるにもかかわらず「自己をめぐる表現、パフォーマンス、政治、原理の観点として理解されるべきもの」であり、自己がタトゥを纏うことによって「美の規範によるプレッシャーや『正しい』女らしさの役割りを拒否」したり、「modern primitives」と呼ばれるような伝統社会における身体の使用や表現を用いて、「現代社会の諸問題から身体と自己を救済する方法」を見出そうとする流れの一環として位置づけられている。19

紙に絵を描くように、人の身体に文字や図像を彫ることはできない。全く同じデザインであったとしても、対象が紙なのか人の皮膚なのかは本質的な違いがある。その違いは、いわゆる医学的あるいは保健衛生上の違いといった事柄ではなく、アーティストが作品を制作する上で避けられない作品の主題そのものに関わる。

4.5. 医師法適用は表現の自由を支える構造そのものの破壊である

タトゥアーティストにとって、作品は彫られる身体と不可分である。日本の伝統的な彫師であれ、タトゥーアーティストであれ、彫る者は、彫られる者との関係のなかでしか作品を完結させることができない。その作品は、固有名詞をもった特定の人物が生涯纏うことになるものであり、額装されて壁に飾られた絵画のように、取り替えがきくものではない。日本の刺青で「額彫り」という言葉があるように、身体それ自体がある種の「額」となる。画家がキャンバスに向うとき、そこには画家一人の世界があるのみだが、タトゥのばあいは、必ず、そこには他者が介在する。そしてその他者を介して彫る者は自らをアーティストとして成り立たせることになる。何をどこに彫るのかという選択は、この関係のなかでしか決めることができない。タトゥアーティストの表現は、この意味で、彫られる対象とのコミュニケーション抜きには成り立たない。このコミュニケーションには、二つの側面がある。ひとつは、文字通りの「言葉」の世界であり、もうひとつは、身体がタトゥーアーティストの手によって無数の針によって色素を刺し込まれるという身体の行為を介しての世界である。水滸伝や聖書の物語の世界から日本のアニメのキャラクターまで、身体に纏われる図像は意味を伴うわけだが、その意味は、アーティストと依頼者とのコミュニケーションのなかである着地点が見い出される。それなくしては、作品は生まれようがないのだ。

ハワード・ベッカーは『アート・ワールド』20のなかでアートは個人のアーティストが生み出すというよりも「共同作業やものごとの段取りの相互に関連した知識によって組織化されたネットワークがアート作品を生み出す」と述べているように、作品を生み出すアーティストは、その「アート」を構成している世界なしにはありえないのである。刺青あるいはタトゥも同様である。彫る主体、彫られる主体、彫られる「絵」とそれが指し示す「意味」これらが織り成す刺青あるいはタトゥの作業の「場」の構造は、医療の「場」とは明らかに異なる。更に、こうした当事者が構成する関係の枠組を支える表現世界全体の構図のなかに刺青あるいはタトゥが存在するのであって、こうした刺青あるいはタトゥの表現世界を支える構造なしにはその表現もまた維持できない。だからこそ、文化の文脈を理解できる刺青師あるいはタトゥーアーティストでなければそもそも「彫る」ことの意味を構築することはできないのである。そしてこの意味の世界があって具体的な皮膚を傷つけて色素を埋め込むという施術が位置づくのである。刺青あるいはタトゥの表現の自由を支えているのは、刺青あるいはタトゥが歴史的文化的に構築してきた表現の構造なのだから、この構造を分断して医療のような別の構造のなかに組み込むこと自体が、表現の自由を破壊することになる。

医療行為は、「病い」を前提とした健康の回復を目的とし、あくまで医師が施術の主導権を全面的に握り、患者は医師にとって施術の客体にすぎない。美容整形であってもそうだ。美容整形の基本は、施術する側もされる側も、その双方が社会の支配的な「美しさ」の規範を前提として、痛みを必須の要件としない(むしろ麻酔などによって無痛であることが好まれる)。刺青やタトゥの表現は、他者からの差異のなかで自己のアイデンティティを確立しようとする方向をもつとすれば、美容整形はこれとは真逆に、社会の多数者がもつ「美的な存在」へと自己を同化させようとする同調効果としての表現であって、この両者には本質的な違いがある。この意味でも医師に刺青やタトゥの施術を委ねることはできない。

刺青やタトゥは、これとは全く異なり、刺青師やタトゥーアーティストの職人として、あるいはアーティストとしての主体は常に依頼者を介して、依頼者との相互行為のなかでしか実現できない特有のものである。三代目彫よしが「線一本が意味をもっている」と言うとき、その意味は、彫師がこの線に対して与える意味であるが、同時に、その意味を依頼者もまた依頼者なりに意味あるものとして解釈する。この彫る者と彫られる者がお互いに抱く「意味」の共感や交歓のなかに刺青やタトゥがひとつの表現として立ち上るある種のアウラが創造されるのだと思う。

5. おわりに

社会の大半の人々がその価値観として当然のこととして是認するような表現は、敢えて憲法が権利としてその自由を保障する必要もなく、自然のこととしてこうした表現の自由は享受しうるものである。むしろ、多くの人々にとっては、様々な理由で許容しがたいか価値観や道徳観に反すると感じられるような表現を、憲法は保障すべきこととしているのである。多数者が許容できない少数者の表現の自由を権利として保障することこそが、表現の自由の本質に関わることがらである。とりわけ、本件のように、自己の身体に対して自己の自由意志に基いて改変すること(身体変工body modificationと呼ばれる)は、他者の権利や思想信条を侵害することによって自己の表現の自由を保持しようという場合に問題となる自由の権利のトレードオフが生じているわけでもない。

刺青文化に造詣が深く、多くの刺青小説を書いた劇作家、飯沢匡は次のように書いている。

私が刺青小説を書いているのは、日本の文明のゆがみというか刺青なんていう個人の趣味に過ぎないものにも国家権力の圧力が加わったままになっている野蛮さが腹立たしいのである。日本人は一方では刺青を愛好し、いや熱愛し(その証拠は刺青映画が毎週量産され、大流行し圧倒的に支持されていることで判る)その一方では道徳家ぶって否定して刺青者を嫌悪し遠ざているのである。21

飯沢のこの文章が書かれて半世紀近くになろうとしているが、本件裁判に端的に象徴されているように、権力が個人の趣味に公然と介入するこの国の悪しき伝統が未だに大手をふっていることに私は暗澹たる思いを抱かざるをえない。刺青あるいはタトゥは誰に迷惑をかけるものでもない。自身の身体を表現するために選択された手段のひとつに過ぎない。

戦前の刺青禁止の時代においては、官憲の摘発にさらされながら生き抜き、刺青の文化を支え、戦後は現代に至るまで、戦前の道徳的な偏見を払拭しえない人々の目にさらされながらも、その表現を発展させてきた刺青師やタトゥーアーティストの努力は並々ならぬものがあったと思う。憲法に「保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」(12)とあるように、自由と権利は「不断の努力」を前提とするが、刺青師やタトゥアーティストはその仕事そのものにおいて日常的にこの不断の努力を遂行してきたともいえるのである。

本稿で述べたように、刺青あるいはタトゥは、皮膚を傷つけることによってのみ可能な固有の表現であって、他の表現で代替できるものでもなく、医師によって可能な表現でもなく、刺青師あるいはタトゥアーティストによって行なわれる以外にないものである。身体を傷つけることや苦痛を伴う行為がおしなべて人権に反するわけではなく、むしろ自らの身体をそのように用いる自由があることを、とりわけ刺青やタトゥのように長い施術の伝統をもつ分野においては常識として確立してきた。また身体を傷つける文化的な表現行為は、刺青に限らず多様かつ広範囲に見出されるものであるにもかかわらず、こうした表現行為のなかから刺青をとりわけ危険で医師による施術以外は認められないかのように主張することには合理的な根拠はない。一審判決の本質は、刺青あるいはタトゥに対する偏見や誤った道徳的な価値判断に基くものであって、戦後の憲法による表現の自由の権利を巧妙に回避する手段として医師法を利用したものであって、法の濫用であるだけでなく、刺青師あるいはタトゥアーティストの表現の自由を侵害することは明かである。

1「和彫り」と総称される刺青の表現スタイルを日本独自の伝統とすべきかどうかについては検討すべき課題である。一般に支配的な文化は、国境の内側と外側、あるいは支配的な民族の文化の内と外といった境界を引くが、周縁にある文化、あるいはサブカルチャはこうしたカテゴリーの境界を越境する特性がある。江戸の刺青で最大の人気を誇ったのは中国の古典に題材をとった水滸伝(あるいはその翻案)だったことに端的に示されているように、江戸期に始まるとされる和彫りの文化に中国古来の民衆説話の影響をみないわけにはいかない。そもそも近世の江戸や大阪の大衆文化は「日本文化」といった虚構と無縁な表現の場があったというべきだろう。同様に、現代では多くの世界各地の先住民族のタトゥのスタイルが文化的な文脈を越えて拡がりをみせるだけでなく、日本のアニメがタトゥの表現として欧米の人々に好まれるといった現象にみられるような、大衆文化の越境性もあり、国境を越え、文化の文脈を越えて身体表現として新たな意味を纏うようになっている点にサブカルチャとしての刺青あるいはタトゥの意義を見出すべきだろう。

2なお、一般に「入れ墨」と総称されることもあるが、この言葉は、江戸期に罪人に刑罰として施されたものであり、江戸期以来、刺青師も依頼者もともに意図して「入れ墨」と呼ぶことを忌避する傾向がある。本稿でもこのような言語の由来を考慮して「入れ墨」という用語は原則として用いない。

3しかし他方で、西欧近代は、私的な領域を個人の自由に委ねて、公的な領域から区別する個人主義に基く自由の観念も形成してきた。この観点からすると、自己の身体の自由は、個人の領域でもあり、どのように身体を「使用」するのかについての意思決定は個人に委ねられるべきであるということにもなる。欧米社会の大衆文化がタトゥについて日本と比べてより寛容なのは、個人主義に基づく自由の領域としての身体意識が社会的な合意として形成されてきたからだろう。この側面は、プライバシーの権利意識が日本では脆弱であることとも深く関係するといえる。合理的な身体は、自然科学の一分野としての近代医学を発達させたが、同時に、個人主義に基く自由を根源的に支えるものとしての身体は、合理性に還元できない個人のアイデンティティの表出の場として文化的な表象を担うというある種の「非合理性」を不可分な本質として有するものでもあった。日本の場合、こうした個人主義に基く自由の領域が明確なかたちで確立されずに、自己の身体すら家族や地域社会、そして国家に帰属するかのような価値観が支配的であり続け、このことがタトゥを道徳的に忌避しようとする感情を支えてきたのではないだろうか。

4人類学、民族学による刺青、タトゥ研究は膨大なものがあるが、本稿を執筆する際に以下の文献を参照した。山本芳美、『イレズミの世界』、河出書房新社、2005、吉岡郁夫『いれずみ(文身)の人類学』、雄山閣、1996、礫川全次編著『刺青の民俗学』、批評社、199780年代以降の欧米におけるbody modificationについては以下を参照した。V.Vale ed., Modern Primitives, 20th anniversary edition, Re/Search Publication, 2010, Mike Featherstone, Body Modification, Sage, 2000, Victoria Pitts, In The Flesh, Palgrave, 2003.

5小山勝『日本の刺青と英国王室』藤原書店、2010、参照。

6Howard S. Becker, Art Worlds, University of California Press, 2008, p.iv.

7中野長四郎『刺青の真実』、彩流社、2002134ページ。

8同上、136ページ。

9ディヴィッド・B・モリス『痛みの文化史』渡邊勉、鈴木牧彦訳、紀伊國屋書店、342ページ。

10以下を参照。玉林晴雄『文身百姿』文川堂書房、1936、恵文堂、復刻版、1987Maarten Hesselt van Dinter, The World of Tatto, an illustrated history, KIT Publishers, 2005, Ateeve Gilbert, Tatto; A Souce Book, Juno Books, 2000

11小山勝『日本の刺青と英国王室』(藤原書店、2010)参照。

12Maarten Hesselt van Dinter, The World Tatoo, An Illustrated History, KIT Publishers, 2005, pp.10-11.

13前掲、吉岡『いれずみ(文身)の人類学』、山本『イレズミの世界』参照。

14前掲、玉林、『文身百姿』249-5ページ。

15斎藤卓志『刺青墨譜』、春風社、247-8ページ。

16同上、255ページ。

17松田修『日本刺青論』青弓社、1989120ページ。

18Beverly Yuen Thompson, Covered In Ink, Tatoos, Women, and the Politics of the Body, New York University Press, 2015,p.37.

19Victoria L. Pitts, ln The Flesh, the cultural politics of body modification, Palgrave, 2003, p.3.

20Howard S. Becker, Art Worlds, University of California Press, 2008, p.iv.

21飯沢匡「マゾ楽園への入場券」『飯沢匡刺青小説集』、立風書房、197268ページ。

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憎悪の美学――天皇=平和言説の根源にあるもの

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天皇制廃止をめぐる問題の最大の課題は、天皇が戦後憲法擁護の象徴的な存在とみなされて、戦後日本の「平和」言説=イデオロギーの震源地のひとつをなしてきた点にある。好戦的で抑圧的な暴君を批判するのは容易い。しかし、伝統主義者や極右の戦後憲法批判者もまたシニフィアンとしての「平和」という記号を共有しているために、そもそもの「平和」の意味の本質的な違いが棚上げにされて、天皇が語る平和と、この平和を政治の文脈のなかで利用する政権の言う「平和」と、私たちが語る「平和」が、平和運動の担い手たちの間ですら混同されて、あたかも、私たちの「平和」の言説が天皇をはじめとする伝統主義者たちにも共有されたかのように誤信する雰囲気が広がっているように思う。言葉の定義は、政治的な事がらであって、多くの場合、定義の主導権は支配者たちが握る。こうした言語の政治において、「平和」という政治言語をめぐる政治もまたひとつの重要な闘いの場である。

そしてまた、昨今の人種差別主義の露骨な言動が、じつはその対極にあるかにみえる平和という記号を味方につけた象徴天皇制と表裏一体であるという問題を見据えておく必要がある。戦後憲法の平和主義を象徴する9条とこれを体現するかの如くに表明される天皇の「お言葉」の意味することと人種差別と排外主義の過激な言動は表裏一体である。だから、小池東京都知事がオリンピックを口実に掲げはじめたヘイトスピーチ規制をはじめとする「人権」の取り込みが「おもてなし」という欺瞞が、「日本文化」と手をたずさえて登場している事態を、あたかもレイシズムとは対極にあるかのように誤解する雰囲気もまた万延してしまっている。「おもてなし」は日本の伝統文化を肯定し、これを受け入れる外国人だけに開かれており、そこには、暗黙のうちに、文化的な多様性を通じた伝統の解体こそが、新しい文化的な人口構成に基づく社会へのに移行とって避けるべきではない創造的な過程であることが、根本から否定されている。伝統は美しいに違いなく、天皇もまた平和を愛してやまないはずだというフィクションを私はフェイクとは呼ばない。むしろこうした心情は、フィクションの力によるものであって、科学や合理的な理性の領域の外にあって人間を支配するものだ。嘘だという糾弾は必要ではあっても十分な説得力をもたない。フィクションとしての芸術に感動する人間の感性が、戦争であれ天皇制であれ、あるいは諸々の社会的な諸矛盾であれ、社会をめぐる現実を主題に据えるフィクションの領域において、支配的な心情によって支配されているということそれ自体が抱えている問題に向き合うことが必要なのだと思う。多くの人々は、なぜ平和を愛する天皇を否定するのか、なぜ歓待の美徳の伝統をもつこの国を敵視するのか、という感情をあわせもっていることは間違いないように思う。フィクションの力を味方にした感情は、天皇の平和主義も歓待の美徳も欺瞞であり虚妄に過ぎないという者達に対して、平和主義も歓待の感情もかなぐり捨てて敵意をむきだしにする。極右のテロリスムは多くの場合、耽美的な伝統世界と残酷な敵への憎悪の仕打ちを表裏のものとしている。こうして再び憎悪の言説が還流し、また、平和と歓待の言説もまた還流し、この二つが合流するところでこの国は、次の戦争を用意するに十分な「国民」の感情が再生産される。この現代の問題は、実は近代日本が一貫して抱えてきたジキルとハイドの物語でもある。このやや錯綜した問題をここでは幸徳秋水と保田輿重郎を取り上げて考えてみたい。

*国民的帝国主義の愛国心批判――幸徳秋水のばあい

幸徳秋水の『帝国主義』は、まさに二十世紀の始めの年、1901年(明治34年)に出版された。先駆的な作品として言及されることはあっても、レーニンの『帝国主義』ほどにその内容への評価に言及されることは少ない。しかし、幸徳の帝国主義論は、その構成からみて、レーニンよりも包括的だ。帝国主義を愛国心と軍国主義の双方を視野に入れて論じた。幸徳は帝国主義をペストになぞらえ、愛国心はペストの病原菌であり軍国主義はペストの伝染を媒介するものだとした。幸徳とレーニンの帝国主義論の大きな違いは、幸徳が議論の出発点に「愛国心」を据えたところにある。レーニンはもっぱら列強による植民地再分割という資本蓄積の世界的な構造に着目したのに対して、幸徳は、イデオロギーの構造に着目した。近代の帝国主義を憲法、議会、政党政治の統治機構のもとでの「国民帝国主義」と呼び、古代ローマの帝国主義と明確に区別した。近代国民国家が、立憲君主制であれ共和制であれ、「国民」の帝国主義を問題視した。ここには自由民権運動もまた帝国主義のイデオロギーを排することができていないという強い危機意識をみてとることができる。

幸徳の『帝国主義』の結論を先取りして述べてしまったが、本書の冒頭は、帝国主義が西欧の流行となり燎原の火のごとくに世界中を席巻しており、「世界は皆な其膝下に慴伏し、之を賛美し崇拝し捧持せざるなし」(全集、第三巻、114ページ)と述べることから始められている。この帝国主義に浮かれる人々の様を述べた後に、次のように帝国主義の「劣情悪徳」を述べる。

「然れども若し不幸にして、帝国主義の勃興流行する所以の者は、科学的智識に非ずして迷信也、文明的道義に非ずして狂熱也、自由、正義、博愛、平等に非ずして、圧制、邪曲、頑陋、争闘なりしとせよ。而して仮に是等の劣情悪徳が、精神的に物質的に、世界万邦を支配すること如此にして止ますとせよ、其害毒の流る所、深く寒心すべきに非ずや」(115-6ページ)

幸徳にとっての最大の問題は、上に引用したように、なぜ人々が感情的に帝国主義の迷信、圧制、邪曲等々に同調してしまうのか、なぜ科学や文明的道義としての自由、平等などの価値が退けられてしまうのか、にあった。明治期の富国強兵を支えたのは近代西欧の科学的知識であったことは間違いないにしても、科学や合理主義では人々を「国家」に収斂するアイデンティティへと構成することができないことも明かだ。普遍的であるが故に、知や科学は日本という普遍的とは到底言えない特殊な国民国家に人々の価値観を収斂させることはできないからだ。ここに愛国心を必須の条件とする近代国家の非合理性があり、近代資本主義の確立期とされる十九世紀が同時に国民国家のイデオロギー装置の完成期ともなって建国の神話がどの国においても重要な国民統合のイデオロギーとして再構成された理由がある。当時の文脈のなかでは、国家に収斂するイデオロギー(愛国心_は、階級闘争への対抗と植民地領有の正当化を含んでいた。日本という近代国家が国家イデオロギーとしての天皇制を必要としたことは、この普遍的な世界観に対する特殊な国民国家のアイデンティティ構築の必要という近代世界に共通する統治の側面でいえば、日本に固有の問題ではなく、近代資本主義国家に共通する「国家」それ自体に内在する非合理的な「国民」という主体意識の構造に由来するものだ。

幸徳にとって帝国主義とは、単なる経済的な植民地主義では済まされないものであり、「所謂愛国心を経となし、所謂軍国主義(ミリタリズム)を緯となして、以て織り成せるの政策」であると捉えている。井戸に落ちた子どもが自分の子であれ他人の子であれ助けようとするを心情を例に、こうした「シムパシー、惻隠の念、慈善の心」が「遠近親疎を問はざる」のに対して愛国心はもっぱら自国(民)への惻隠・慈善の心でしかないと指摘する。(117ページ)たとえば、当時米国の統治下にあったフィリピンの独立運動を支持するような米国人がいたとき、この米国人は愛国心なき者として非難されるように、正義、自由、平等といった価値が愛国心と対立するとき、これらの価値は愛国心の前に容易に捨て去られ、愛国心に反するあらゆる事柄を不正義、不自由、不平等とみなすことにすらなる。愛国心は自国の領土や自国民を愛するのみで「他国を愛せずして唯た自国を愛する者は、他人を愛せずして唯た自家一身を愛する者也。浮華なる名誉を愛する也、利益の壟断を愛する也。」(118ページ)だから「国民」が抱く愛国心は、迷信、熱狂、劣情悪徳となる。今流にいえば、他者への歓待をなしえず排除と敵意を醸成するのが愛国心だというわけだ。

幸徳は、「愛国心は又故郷を愛するの心に似たり」と述べ、愛国心は愛郷心と類似の心情だという。人が故郷を想起するのは、異郷にあって、その文化になじめず、「知己の志を談するなく、父母妻子の憂を慰するなくして、人は故園を思ふこと切也」というある種の疎外の感情であり、挫折を味わい、人情の冷さを経験するときに、「人は少年青春の愉快を想起して旧知の故園を慕ふこと切也」(119ページ)という望郷の悲哀に陥る。こうした感情は「故郷の愛すべく尊ふべきが為めに思念するよりは、寧ろ唯た他郷の忌むべく嫌うべきが為め」(同上)であって、故郷に愛すべきなにものかがあるが故に愛するのではなく、「他郷に対する憎悪」が愛郷心を駆り立てるに過ぎない。このようにして喚起される故園(故郷)への感情は疎外に対するカタルシスとして機能することが必要であって、そのためには、故郷についての記憶や経験は、現在の苦境を相殺しうるだけの理想的な姿へと作り変えようとする意識操作が作用する。現実の故郷は、多くの人々にとって、地方の農村であり、貧困と背中あわせの因習に縛られた世界でもあったはずだ。しかし愛郷心はこうした現実に基づくのではなく、他郷を忌み嫌うに値する故郷へのロマンを創造する。

愛国心は、こうした感情が故郷ではなく国家へと転移したものであって、その心理は同一の構造をもつ。国民国家を構成する近代資本主義の生産関係が国家に収斂する国民意識のイデオロギーとして愛国心を形成するといった筋書はここにはない。むしろ、生活世界に内在する疎外とカタルシスは自らが帰属する故郷や国家を理想化する感情を生成するという筋書のなかに、幸徳は国民帝国主義の意識を位置付けようとした。大衆が抱く故郷に繋ぎとめられた記憶が愛国心へと転移するとき、日本のファシズム――戦前の日本を「ファシズム」と規定できるかどうかという議論についての私の見解を留保した上で、暫定的に「ファシズム」という言葉をあえて使う――は、一方で農村を理想化する農本主義、他方での「満州」を理想化する王道楽土の感情という二つの焦点をもつ楕円を描くことになった。侵略の基盤をなした戦前の国民帝国主義が、一方で、愛郷主義というアナキズムをも包摂する反中央の思想を、他方で欧米帝国主義からのアジアの解放という転倒したマルクス主義を包摂するアジア主義という異教をも呑み込みえたのには理由があるのだ。コミュナリズムやパガニズムを底流にもつ近代西欧のロマン主義がファシズムやナチズムとして浮上して現代までその息の根を止められることなく延命してきた構図を踏まえると、天皇制が日本に固有であるだけでなく帝国主義が一般に持つイデオロギー構造の特殊日本的な現れであることがよくわかる。この愛国心が支える愛郷心の構造もまた、近代資本主義の不合理なロマン主義に共通する構造をもっているといえる。この天皇制と世界規模で存在する諸々の反近代の流れとの構造的な同質性に内在している暴力と非人間的な欲望を視野に入れなければ、資本主義批判は完結しない。

愛郷心、あるいは「望郷の念」は逆境の者ばかりでなく順境の者にも同様の問題をもたらす。自らの私利私欲、立身出世のために故郷を利用するものに過ぎないのだが、本人も地域の人々もこの虚栄心こをが故郷への愛そのものだとみなす。

「得意の人の故郷を思慕するは、其心事更に卑しむべき有り。彼等は即ち郷里の父老知人に向って其得意を示さんと欲するのみ。郷里に対する同情惻隠に非ずして、一身の虚栄也、虚誇也、競争心也。」「曰く大学を我地方に置かん、鉄道を我地に敷かん、是れ猶ほ可なり。甚しきは即ち曰く、総務委員を我が県より出さん、大臣を我州より出さん。彼等は一身の利益若くば虚栄を外にして、真に其郷里に対する同情滋慇の念に因て然る有るか」(119ページ)

愛国心を問題視する人々も、地域やコミュニティへの「愛」の心情を許容しがちだ。しかし、幸徳はこうした心情にこそが愛国心が巣喰うことを見抜いている。中央政府や「国家」への抵抗の拠点として、地域やコミュニティに基盤をもつ草の根運動への期待が語られることがある。「国家」=愛国心と「地域」や「コミュニティ」への愛情を対置させて、抵抗の草の根の根拠地として生活圏の基盤となるコミュニティ(地域)に期待を抱く。しかし、実際は、コミュニティを基盤とする草の根の住民運動もまた、多くの場合、既存の中央政府を支持する住民たちとの対立を経験する。近代化による地域開発(ダム、工場誘致から観光開発まで)や人的交流(郷土出身の代議士や中央政府官僚を典型モデルとする立身出世の物語)は近代的な豊かさのイデオロギーを再生産する格好の資源であり続けてきた。他方で、近代化の失敗――開発に伴う公害、貧困、環境破壊、巨大資本によるコミュニティ経済の解体など――は、こうした現状を受け入れ過去を懐しむ望郷へと心情を動員し、現実の政治・経済への矛盾の覚醒を抑制する基盤ともなる。当時の文脈でいえば、地方各地を席巻した自由民権運動のラディカリズムは、必ずしも侵略主義とは対立せず、むしろ民権派もまた帝国主義に加担した。幸徳はこうした経緯を念頭に置いていたに違いない。

人々のコミュニティへの心情の共同性が強固であればあるほど、よそ者の入り込む余地は少くなり、ライフスタイルであれ文化であれ、エスニシティやジェンダー上のマイノリティであれ、左翼であることの思想的なマイノリティであれ、あれやこれやのマイノリティは狭いコミュニティのなかでは窒息させられかねない。コミュニティが生成する愛郷心は、何世代も地元に住み続けてきた人々と移住してきた「余所者」との間に溝を生み出し、余所者は、他郷への憎悪のターゲットとなる。「余所者」もまた彼ら自身の望郷の感情から今住む場所への疎外感を悲嘆や諦念と結びつけて、抵抗や怒りの感情を抑制するように促される。余所者は、中央政府や大資本の手先ででもない限り、コミュニティの価値観や伝統に同化することを強いられる。多くのコミュニティでは、資本の巨大開発をコミュニティの活性化とむすびつけて歓迎する一方で、新に参入する異なる文化的な背景を持つ人々、とりわけ非西欧世界からの移住労働者たちへの排斥の感情は根強い。コミュニティは、その出身者や親族などの帰郷を歓迎するだろうし、外国人一般を嫌っているわけではなく、観光客として一時的に滞在する者たちには「おもてなし」などという言葉で歓迎のポーズをとる。幸徳が巧みに言い当てたように、望郷の観念のなかにある敗北感が立身出世への挫折の裏返しでしかなく、コミュニティの繁栄もまた経済的な利益や権力との太い繋りへの欲望でしかなく、文字通りの意味での、コミュニティを構成する人々への「愛」などではない。いやむしろ「愛」という観念こそが本質的に利己的で排他的な独占欲を正当化するための美名だと捉えるべきなのではないか。

幸徳が批判した郷土愛を引き算してなお残る郷土愛とは何なのだろうか。幸徳は、「愛」という観念ではなく、平民自治であれ労働者共有の社会であり正義博愛の心による愛国心を抑えつけることだという。つまり近代が国民国家と資本の両輪によって構成される限り、利他的で非自己愛的なコミュニティに根差す「愛」の感情などは存在しえないということだ。しかし、愛国心を正義とみなす転倒した感情がコミュニティから国家へと重層的に共有される。幸徳はこうして、感情を再生産する基盤を感情に還元するのではなく、貴族専制の社会、陸海軍人の国家、資本家横暴の社会という制度の変革の問題として位置付ける。愛国心を形成する政治的経済的な土台の問題はまさにイデオロギー装置の土台の問題である。勿論幸徳にイデオロギー装置論などないのだが、この問題は私たちが引き受けるべき課題である。

故郷への失望を国家が救い、国家への失望を故郷が救うというこのもたれあいの構図のなかに巧妙に囲い込まれることによって、失望は愛へと巧みに誘導されて、非現実的な郷土愛や愛国心を唯一不可欠な感情の拠り所とする仕組みができあがる。

憎悪の感情は、他郷の者や外国人に向けられるだけでなく、自国民の批判者たちにも向けられる。幸徳は次のようにいくつか具体的な事例を列挙している。

「想起す、故森田思軒氏が一文を草して、黄海の所謂霊鷹は霊に非ずと説くや、天下皆な彼を責るに国賊を以てしたりき、久米邦武氏が神道は祭天の古俗也と論ずるや、其教授職を免ざられたりき、西園寺侯が所謂世界主義的教育を行はんとするや、其文相の地位を殆うくしたりき、内村鑑三氏が勅語の礼拝を拒むや、其教授の職を免ぜられたりき、尾崎行雄氏が共和の二字を口にするや、其大臣の職を免ぜられたりき。彼等皆な大不敬を以て罵られき、非愛国者を以て罪せられき。」

ここに挙げられている例はいずれも、具体的な行為ではなく、政治家の言論が近代国家日本のイデオロギーの核に据えた広義の意味での天皇制イデオロギーがもたらす世界観、歴史観、国家体制への異論や逸脱に対する国家レベルから民衆レベルに至る様々な制裁、つまりコミュニティがその生活圏から発する排除の感情に深く根差している。

「国民の愛国心は、一旦其好む所に忤ふや、人の口を箝する也、人の肘を掣する也、人の思想をすらも束縛する也、人の信仰にすらも干渉する也、歴史の論評をも禁じ得る也、聖書の講究をも妨げ得る也、総ての科学をも碎破することを得る也。文明の道義は之を耻辱とす。而も愛国心は之を以て栄誉し巧妙とする也」(125ページ)

自国民を愛国心の同調感情へと強制し、これに抗う者たちを厳しく処罰あるいは排除する行為は、同時に、外部の敵に対するより残酷な心情を生むことになる。幸徳は、日清戦争における日本人の愛国心の残虐な心情に言及している。

「日本人の愛国心は、征清の役に至りて其発越涌を極むる振古曾て有らざりき。彼等が清人を侮蔑し嫉視し憎悪する、言の形容すべきなし、白髪の翁媼より三尺の嬰孩に至るまで、殆ど清国四億の生霊を殺し殲して後甘心せんとするの慨ありき。虚心にして想ひ見よ、寧ろ狂に類せずや、寧ろ餓虎の心に似たらずや、然り野獣に類せずや」(136ページ)

愛国心は敵国人を「侮蔑し嫉視し憎悪」すること「清国四億の生霊を殺し殲して後甘心せんとするの慨」といった非常に厳しい言葉を重ねている。明治国家がその体裁を整え始めてまだ日も浅い時期であっても、戦争が契機となって愛国心が過剰な敵意を急激に拡大させた時代の流れを幸徳は非常に深い危機感をもって受けとめていた。

幸徳はこの愛国心が日本ばかりでなく、西欧諸国にも共通してみられる心情であることを指摘している。「政治を以て愛国心の犠牲となし、教育を以て愛国心の犠牲となし、商工業を以て愛国心の犠牲となさんと努むる者は、是れ文明の賊、進歩の敵、而して世界人類の罪人」(141ページ)であると断罪し、「故に我は断ず、文明世界の正義人道は、決して愛国心の跋扈を許す可からず、必ずや之を刈除し尽さざる可からずと。而も如何せん、此卑しむべき愛国心は、今や発して軍国主義(ミリタリズム)となり、帝国主義となって、全世界を流行するを。」(142ページ)

日本の愛国心は日本に固有のものではなく、むしろグローバルな資本主義が国民国家として侵略を正当化する心情の構造として生成され、これが軍国主義、帝国主義へと至り世界中の流行となっているとした。先にも述べたように、この意識が存在を規定するかのような転倒した唯物論は、むしろ人工的な明治国民国家の設計においてはふさわしい分析方法だったといえる。近代日本の帝国主義の物質的土台は、その誇大妄想としかいえないような愛国心を規定するようなものではなかった。先にも述べたように物質的土台を構成する合理主義は国家という観念に収斂しないからだ。この安普請の帝国主義を壮大な「大日本帝国」の伽藍のように観念するために創作された愛国心が、むしろ富国強兵と植民地侵略の「夢」を現実のものとする潜勢力となったともいえる。この意味でも、人々は近代日本を、合理主義と非合理主義の不可分一体となった感情から構成されたものとして受け取り、この意味で、常に、現実を合理的に直視するのではなく、現実をある種の夢物語を通して理解する非合理性に一面では囚われ続けてきた。「満州」は資源や過剰人口のはけ口であることを一面では理解したが、同時に、こうした理解を越えた意味も付与され、この種のロマン主義は今に至るまで「満州」の言説につきまとい、このことによって、日本の侵略が全面的には否定・反省されずに、東亜協同体や大東亜共栄圏だの五族共和だの八紘一宇だのといった言説を免罪してきたのではないか。

資本蓄積の必要という経済的土台が国民国家のイデオロギー的な上部構造を規定するという定式とは逆に、近代国家「日本」の観念をもって国民統合の要とすることを先行させて上からの愛国心の構築によって資本蓄積に必要な<労働力>の国民的な統合を実現しようという後発資本主義の帝国主義的な設計図、つまり「国民的帝国主義」が帝国主義の核心にある。この意味で、愛国心は、資本の問題であるだけでなく、むしろ国民としての<労働力>の問題なのだ。資本の生産関係は、ナショナルな存在であり、そのアイデンティティの核をなすのは、階級意識を「国民」に還元する愛国心という心情ぬきには維持することはできない。マルクスの『資本論』に決定的に欠落しているこの「国民」と「階級」というアイデンティティの相克のなかでしか<労働力>は再生産しえないという問題に光を当てる契機を、幸徳の帝国主義論は内包していた。幸徳は直感的にこのことを見抜いていたし、この直感が働いたのは、彼がマルクス主義の教条から距離を置くことができる時代のなかで思想形成できたからだと思う。

しかし、同時に、よく知られているように、こうした国主義批判から幸徳ははっきりと明治天皇を免責した。

「[明治天皇は]戦争を好まずして平和を重んじ給ふ、圧制を好まずして自由を重んじ給ふ、一国の為めに野蛮なる虚栄を喜ばずして、世界の為めに文明の福利希ひ給う。決して今の所謂愛国主義者、帝国主義者に在らせられさるに似たり。」(135ページ)

幸徳のこの天皇免責は、唐突に前後の文脈と無関係に挿入されているようにもみえ、しかも愛国心や軍国主義の要をなす天皇が平和と自由を重んじ圧制を好まないなどということがありえるだろうか。この戦争を厳しく批判した幸徳が、なぜ宣戦布告の詔勅を下した天皇を平和主義者であるかのように敢えて述べる必要があったのだろうか。あまりにも奇妙である。愛国心がもたらす戦争と抑圧に対する激しい糾弾の間に挟まって、論旨の一貫性を削ぐ。先に引用したように、西園寺、尾崎、内村が被った弾圧は、天皇制国家の歴史観、価値観に抵触するが故に起こされた出来事であったにもかかわらず、明治天皇が平和と自由を重んじるとは一体どのような根拠をもって主張できることなのか。どのように理解すれば、愛郷心=愛国心の凶暴な心情と明治天皇の「平和を重んじ給ふ、圧制を好まずして自由を重んじ」るという心情が共存しうるのか。

幸徳は資本家たちだけでなく、軍部と貴族たちへの批判を口にしている。貴族制と天皇制の不可分一体とする見方は、天皇制を半封建制の体現とする理解とむすびつくが、事柄はそれはほど単純ではない。貴族制に代表される身分制度が国民の平等に反することから貴族制を廃止するとしても、そのことと天皇あるいは皇帝を廃止することとは同じことにはならない。戦後憲法は、象徴天皇制と民主主義あるいは国民の平等という相反する条件を同時に成り立たせるひとつの方法を提示したが、これは新奇なことではなく19世紀のドイツにおいても、1848年革命後の共和主義のひとつの考え方として、貴族制を廃止しつつ王制を残し、一君万民の体制をとることを主張する流れがあった。こうした潮流は19世紀の地下水脈として生き残り、それが具体的な姿をとったのが、ナチスの体制だったと言えないこともないのだ。【注】

【注】ここで私が念頭に置いているのは、リヒャルト・ワグナーである。以下参照。「共和主義の運動は王権に対していかなる関係にたつか」、北村義男訳『芸術と革命』、岩波文庫所収】

幸徳の天皇観が内包している問題、実は、今現在私達が経験しているヘイトスピーチと天皇明仁の「平和主義」という装いの共存という事態に重なりあう問題でもある。ヘイトスピーチはヘイトの裏側に、幸徳が批判してやまない愛郷心=愛国心の核心をなす「愛」を抱いてもいる。この「愛」は、エロティシズムとは無縁な崇高とか美とか永遠な存在といった何ものかを想起させるような否定しがたい心情とこれを表象あるいは象徴する事物や事柄をもっぱら日本や」郷土」にのみ繋ぎ留める感情の総称である。だから、この「愛」は同時に「憎悪」の別名でもあり、幸徳は、この憎悪を中心に「愛」の問題を指摘した。以下、逆に、まさに崇高な美や普遍性を内在させた伝統や文化としての「愛」、誰もが否定しがたいと感じる感情の肯定的な側面をとりこむ天皇制の象徴的な作用と文化的な包摂の問題に目を向けてみたい。

*ホロコーストの正当化――保田輿重郎のイロニー

ここで、ファナティックな愛国主義者の出番となる。日本浪漫派の中心人物として戦時期に日本人の愛国心をひたすら鼓舞し続けてきた保田与重郎は、日中戦争の翌年「満州」を半年あまり旅し、それを『蒙疆』として一冊にした。その冒頭、日本を出発する旅の門出に、戦死将校の遺族たちと出会う。「一人の年稚い子供と赤子をつれた若い落ち着いた未亡人である。泣き叫ぶ児をほとんどあやしもせず、あきらめたやうに手を拱いてゐるさまが、情景から切なく思はれた。」(『保田輿重郎全集』16巻、講談社、18ページ)この切なさから保田はこの感情を次のような世界観のなかに位置付ける。

「私らは、今日本が敢然として世紀の世界史を劃し、われらの民族の歴史を変革する大事業を行ってゐる北方に旅しようとしてゐるのである。しかもその私のゆくみちは、新しい世界文化の最初の交通路とならうとするみちである。わが大和民族が世界の異国と異民族に対して始めて示す浪漫的日本が、まず拓く交通路をゆくのである。今は軍隊を送る道であるが、やがてはそれは世界の交通路となり、世界文化の一大変革の拠点ともなる幹線である。その旅につく朝の門出に、そのみちを拓くために身を曠野にすてた人々の親しい肉親や、相愛の妻子と同じ客車にのることは、少なからず私の歌心をかりたてるほど、あはれなことであった。陋巷の雑念の虜となってゐた私にも、年ごろにない清浄の歌心に似たものを味ひ得た所以である。」(19ページ)

保田が兵士遺族に感じた切なさは、庶民が戦争体験のなかで被害者として(加害者としての感情を獲得することはそれ相当の時代認識が必要だろうが)抱く素朴な悲嘆とは全く交差することのない「歌心」に収斂するような「あはれ」である。この保田の感情は、「浪漫的日本」という異様な形容にその全てが凝縮している。彼の中国の風景や人々への眼差しには「支那人」への憎悪と侮蔑の感情が露骨だ。北京は「泥でできた聚落と、あの醜悪な男たちの風景」として語られ、紫禁城の美しさに感動しながらも「泥の家と埃の町は、季候のゆゑか、住民の汚さと混じて、異様であった」(77ページ)と書く。「支那人は希望と理想をなくしても地にはって生きうる種族である」(71ページ)という。よく理解できないままに「舞台も演劇も劣ったものと思はれた」とか「私は何もわからぬなりに滑稽に思へた」といったように理解への努力放棄を正当化する。そしてこうも言う。「我々は東洋平和のために優秀な支那を殲滅せねばならない、しかしこの悲劇は、支那人の歴史の思想の誤謬に原因する。間違ったものは滅さねばらなない。さうしてそれを悲しむ一面で、我らのさらに優秀な正当な精神の戦死を一そう悲しまねばならない。支那軍の一人々々は国民でなく英雄ではかったのだ。我々の一兵はみな国民であり英雄である」(109〜110ページ)こうした殲滅を正当化する過剰な暴力の言説の文脈には常に自国民や若い兵士への賛美と賞賛がついてまわる。

「さういう大陸へ、我々は抜群に優秀な若者を夥しく送ってゐるのである。大君の命のまにゝ征くことが、我らの国では理想と目的である。大陸への征旅―今世紀に日本が行った大遠征は各個に於ては犠牲と捨身に生きる無償の美しい壮挙であった。」(69〜70ページ)

同時に保田は戦争ルポルタージュを嫌いリアリズムを嫌う。「わが戦争文学は事件と経過と政治と経済を忘れたときの詩に成立する」(80ページ)ともいい、「詩があるか美があるかそれが問題である」「今日浪漫的な世紀を初めて経験した日本は、一切の悲観を蹴って飛躍する。たとへ征服や侵略を手段としても、なほそれは正しく美しいのである」(80ページ)と言う。こうして侵略の尖兵でもある「若い兵士」を徹底して称揚し「一切の古い教養を誤謬とし、教育も、知識も、考へ方も、感じ方もすべて変革する」「精神的に未曾有の変革」(154ページ)のなかにある日本、「古い疑似知識文化人の抹殺を行為した日本の今日の若い精神が、何故支那の同一物を抹殺してはならないのだらうか」(154ページ)と言う。

保田の文章は、その心情の在処において、さしずめヘイトスピーチの原型だろうと思う。ここにあるのは、戦争を美化するレトリックが、あからさまな「支那人」に対する憎悪とその対極に置かれて日本のラディカルな変革の主体の位置にまつりあげられた侵略地にいる若い兵士たちの弁証法という構図のなかで展開され、戦争は詩と美の問題に還元される。植民地人民の居場所はおろかリアリズムのなかで戦争を政治や経済の文脈のなかで見ようとするジャーナリズムや知識人たちの居場所もことごとく奪われる。

抹殺と殲滅を正当化するこの主張を支えているのが詩と美としての戦争であり、無条件の「若い精神」へのオマージュである。保田のこうした文章は、典型的な自己陶酔に基づくサディズムの「美学」による現実世界の再解釈に他ならないのだが、戦地や植民地にいる若い兵士たちは、この保田の言う「抹殺」や「殲滅」によって自らの暴力を精神的に正当化あるいは美化する罠に陥ったことが果してないといえるか。あるいは、こうした文章を読む読者たちが戦争の無定見な暴力を正当化する理由をこの保田の文章のなかに見出そうとしたことはなかったといえるのだろうか。しかし、私たちにとっての最大の課題は、彼の過剰な暴力を表出させた文章それ自体ではなく、限りない崇高と美のなかに、彼のいう詩的な世界として表現された「日本」にある。こうした「浪漫的」に構成された虚構の美学が神話や伝統と結びついて正当化される世界は、政治における戦争責任や人道上の責任の問いを巧みに回避して、生き延びることになる。

*橋川文三の保田批判

橋川文三は『増補・日本浪漫派批判序説』(未来社、1965)のなかで保田輿重郎(と小林秀雄)の反(非)政治的思想が「もっとも政治的に有効な作用を及ぼしえたこのと意味」(93ページ)を問うている。政治に背を向けることがむしろ政治的な効果ももたらすという問題は、戦後の象徴天皇制の非政治性がもたらしてきた政治的効果を考える上で重要なだけでなく、天皇や皇室の言説の問題を超えて、戦後日本の文化、芸術、学問などと呼ばれる分野における非政治性が内包してきた政治的効果の問題として重要な論点である。一般に、政治的な言説が政治的な表現のなかでストレートに表出する場合よりも、その表現においては一切の政治性も見い出せないにもかかわらず、美や伝統的文化といった分野を自陣に囲い込むことによって、こうした非政治的な言説が実は極めて深度のある政治的な効果をもたらすという逆説が、現在の日本のナショナリズムを検討する上で避け通れない課題であり続けてきた。だから、この半世紀も前の議論が妙に気がかりなのだ。とりあわけ保田に代表される日本浪漫派が戦時期に、強度な愛国心を鼓舞しつつも、それがいわゆる皇道主義右翼のようなスタイルをとることのない「イロニー」のレトリックによってなしえたことを、ヘイトスピーチと「おもてなし」が共存するこの時代に想起しておくことは大切なことだと思う。

特に、通説では、戦後の象徴天皇制は、非政治的であることが制度的に強制され、従って政治的な機能を果しえない存在に押しとどめられているのであって、戦前の神格化は回避され民主主義が確立されてきたとする。ところが、この天皇の非政治性は、美とか伝統を――広義の意味での文化の価値――非政治的な領域に押し込めることによって、この美と伝統を仕切る制度ともなってきた。しかし、こうした枠組では、戦争を詩と美の問題として正当化しようとする保田のような立場への抑止力にはならない。むしろ、戦後は、非政治的な表象としての詩や美を通じて、戦争の主体――つまりは「国民」であり、その象徴である天皇だが――を崇高な存在に押し上げ、正当化しうる可能性を常に残してきたとはいえないだろうか。ここでいう詩も美も、あるいは文化や芸術一般も、徹頭徹尾戦争とも政治ともあるいは社会とも関わりのない、まさに純粋な文化・芸術の装いをもったものであり、だからこすむしろ戦争への感情を支える効果を担う。日本文化を美や伝統の文脈のなかで崇高なものとして評価することは、同時に、日本文化の周辺にあって日本文化と対立・競合する諸々の文化を「日本文化」と対等な崇高な地位から退けること、排除することを暗に含んでいるが、そんなことはおくびにも出さない。これは事柄の社会性や政治性とは直接関わることを回避した上で成り立つ価値序列(イデオロギー)の問題である。戦後の象徴天皇制は、この意味での「日本文化」における美や崇高の制度の中心をなし、非政治的な位置をとることを通じて、ナショナリズムを非政治的な領域に無限大で拡げる制度的な役割を担ってきた。ヘイトスピーチの根源にあるのは、まさにこのような「日本」をめぐる詩的な美学や神話と伝統に色どられた非政治的な世界である。

文化や文化的価値は、ナショナリズムやファシズムを支える心情を構築する上で最も重要な役割りを非政治性の領域にで果してきたし、これは今でも変りはない。文化的な価値の優劣の中心をなしてきた「美」的な価値は、歴史をナショナリズムのフィルターによってカテゴライズして配置することで成り立つ「伝統」を過去と未来の双方への視線に接合させることによって、社会集団のなかに感性的な優越性に普遍的な根拠を与え、他者を見下す価値意識を差別とも蔑視とも感じない感性を形成する。そして最も重要なことは、こうした文化や美的な価値は、人々の感性に作用するだけでなく、それが内包している愛国主義や排外主義を露骨な憎悪として表出させることなしに、その効果を発揮することができるという点だ。これが、自由、平等、民主主義といった近代の政治的価値観と共存しつつも、これらの政治的価値をしっかりとナショナリズムの鋳型に嵌め込むことができる理由でもある。こうして美や伝統は、自由、平等、民主主義といった権利と規範の原則を迂回して、不自由、不平等、独裁を正当化する手段とされる。

橋川はこうした保田のスタンスを次のように総括している。

「政治的現実の形成は、それが形成されおわった瞬間に、そのまま永遠の過去として、歴史として美化されることになる。人間はいかなる鬱憤・怨恨をそれに対して抱懐しようとも、竟にその『昨日』に対して一指も染めるとはできない、そこでは、『永遠に昨日なるもの、われらをひきゆく』という断念が人生論の核心をなすことになる。こうして、絶対に変更することのできない現実―歴史―美の一体化観念が、耽美的現実主義の聖三位一体を形成する。保田や小林が『戦争イデオローグ』としてもっとも成功することができたのは、戦争という政治的極限形態の過酷さに対して、日本の伝統思想のうち、唯一つ、上述の意味での「美意識」のみがこれを耐え忍ぶことを可能ならしめたからである。いかなる現実もそれが「昨日」となり「思い出」となる時は美しい。保田は伝統的美意識へのアピールによって、『十五年戦争』の現実を『昨日』として、『歴史』として生きることを訓えたのであり、それらが永遠に崩壊することのない『美』の規範によって支えられていることを、自信を以って解釈してみせたのである。いわば、人間にとってもっとも耐えがたい時代を生きるもののために、あたかも殉教者の力に類推しうるものとして、現実と歴史を成立せしめる根源的実在としての『美』を説いたわけである。かれの『国粋主義』が、『ウルトラ・ナショナリズム』というよりも、むしろ『耽美的パトリオティズム』と呼ぶにふさわしいのは、そのためである。」(99〜100ページ)

政治を変更不可能な過去としての歴史に、歴史を伝統に等値する。今現在の政治権力の最大の関心事は、現に今ある権力を絶対に変更することができないものであることとして民衆に受け入れさせることだ。現実の変更不可能性がありうるとすると、それは、現実が必然の産物であって、それ以外の選択肢はない、という感情に人々が捉えられていると同時に、こうした意味での現実は、それが必然であればあるほど、その見掛けがどうあれ、好ましいものであり、否定しがたいこととして感覚的に受容しうるものでなければならないだろう。現実を必然的なものとして受け入れる歴史的な態度は、伝統という観念を今ある現実に重ねあわせる態度になる。もし、そうであるなら、人々の肯定的な感情を動員するための条件として、この伝統が「美的」なものに媒介されるとき、伝統は肯定され、伝統に支えられた現実の権力もまた肯定される条件が生み出されることになる。

腐敗した権力は、いかに腐敗していようとも、いかに抑圧的であろうとも、そうした現実の権力そのものを人々は、上述の意味での伝統や美的意識の文脈のなかで見ようとしているし、また、腐敗した権力者たちも、この権力者を支持するメディアもまた、伝統と美的意識が作り出すを虚像を現実の権力の背後に見ることによって、腐敗した権力を許容することになっているのではないだろうか。

現にある権力は確かに腐敗しており、人々を抑圧する横暴な力を揮っている。他方で、日本という国は本来、美しい自然と伝統を連綿ともってきたという認識があるとすると、この美しい国の伝統が腐敗した権力を生み出すこと自体が矛盾でしかないことになる。この矛盾を解決する道筋は二つある。ひとつは、そもそもの美と伝統の国という観念そのものの欺瞞と擬制に気づいて、この欺瞞と擬制こそが腐敗した権力のひとつの源泉であると見ぬいて、これを拒否すること。もうひとつは、この美と伝統の国の観念を肯定し、この観念を参照枠として腐敗した権力に対する伝統主義的な革新――ナチズムの時代であれば保守革命と言うかもしれない――に挑戦するという態度である。後者がいわゆる愛国主義とか右翼が保守主義とる選択肢だ。伝統と美をめぐる膨大な資源を動員して、本来あるはずの「日本」のユートピアを語ろうとする。これに対して前者は、原則的な左翼がとる立場だが、この立場は固有の困難を抱える。それは、否定や破壊が、伝統と美意識をも根底から覆すだけの力を持ちえることができるかどうかという目先の課題だけでなく、右翼が引き合いに出す伝統も美意識といった既存の資源ではなく、全くのゼロから権力の正統性を支えうる統治の正統性を体現する集団的な意識の枠組を構築しなければならないという困難である。

橋川は次のように述べている。

「わが国の精神風土において、「美」がいかにも不思議な、むしろ_越権的_な役割りをさえ果してきたことは、少しく日本の思想史の内面に眼をそそぐならば誰しも明かにみてとることができる事実である。日本人の生活と思想において、あたかも西欧社会における神の観念のように、普遍的に包括するものが「美」にほかならなかったということができよう。」(93〜4ページ)

西欧社会において果して美が越権的な役割をもたなかったかといえば、そうではないだろう。やはり、19世紀の理性を補完する位置にしっかりと「美」は非合理性を近代の枠組、とりわけ感性的なイデオロギーを「近代」すなわち、資本主義と国家の枠組に還元する役割を担ってきたのではないかと思う。西欧におけるロマン主義はその中心のひとつであったと思う。日本の特殊性があるとすれば、日本には西欧近代とは異なる美と伝統の文脈があるために、その表象においては全く異なる様相をとりながらも、美と伝統のイデオロギー構造は同じ機能を担ってきたということと、西欧的な美の価値規範を日本の伝統とされるそれに接合する固有の工夫が必要になったということである。たとえば、音楽や美術の分野では洋楽や洋画の導入は同時に、大衆的な美意識の秩序の再構成をともないつつ、美や文化の領域をナショナリズムの感情として構築することが必要であった。

橋川は、「政治の基本的カテゴリイとしての『支配と服従』関係(権力関係)において、その正統性原理が美意識の位相においてあらわれる傾向を示す」「われわれは、ある社会のある時代が生み出した芸術的遺品をとおして、とくにそれが支配者層のプレスティージを表現する意味を含んだものである場合、そこから権力支配の特徴的な関係を推定することもできるのである」(95ページ)という。芸術的遺品がまずあり、この遺品を介して支配層の特権性が表現されるというが、むしろ、逆に、支配層の特権性を表現するような日常生活の物の造形や表象が芸術的な遺品として認定され、美と伝統を構成するのではないか。あるいは、日常生活における(現代でいう民芸)民衆の生活における物質的な構成を伝統や美の解釈の枠組の中に組込むことによって、人々の日常生活が支配と服従の権力関係と不可分一体のものとして再解釈され、人々の生活内部に潜在する抵抗や逸脱の潜勢力を削ぎ、全てを今ある権力関係の正統性のために動員される。この日常生活と不可分の美のイデオロギーが構成されるときに、天皇制は一木一草に宿ることが可能になる。橋川はこれを「正統性原理の美意識化」つまり「政治が政治として意識せられる以前に、政治の作用が日常的な生活意識の次元で、その美意識の内容として受けとられることがとくに問題となる」(95ページ)のだと述べた。

政治は、日常生活意識のなかで、日常生活と不可分なものとして構成されている日本の美意識の内容として受けとられることによって効果を発揮する。これは奇妙に聞こえるかもしれないが、政治は祝祭の空間を演出することによってしか、その権力という抽象的な力の現実態を表出させることができない。儀礼は欠かすころができず、儀礼によって政治の汚辱に満ちたスキャンダルや暴力は見逃される。この儀礼の効果を日本の場合は天皇が引き受ける。日常生活のなかに浸透する政治的大きな出来事、たとえば、戦争といった出来事が、日常生活の美意識の枠組のなかで再解釈されることによって、戦争という悲劇が、政治的な悲劇にはならずに、むしろ政治的な美意識において肯定的な価値を持ちうるような特殊な回路が成り立つということだろう。戦争で死ぬことが犬死にではなく、「英霊」として祀られるということや犠牲者への慰霊のイベントが「美」として演出されることを通じて(靖国神社が桜の美によって象徴化されるように)、事柄の悲劇の責任問題を問うべき政治の領域を美的な価値が支配してしまう。こうして政治は美を味方につけることによって、崇高な価値を纏う一方で、戦争であれ災害であれ、悲劇は美的な賛美を可能にするいわゆる芸術の領域で再解釈される。

*愛国のイデオロギーとしての「自然」

橋川はこうした一連のプロセスを政治意識の美意識への還元と指摘した。ただし、この政治意識と美意識は直接接合するわけではなく、これを媒介する位置に「自然」の観念、とりわけ国学の自然観があったとする。

「『神州不滅』の理念は戦争体制を根本的に可能ならしめた思想にほかならなかったが、その場合においても、『神州』はどこまでも感性的自然としての日本国土を意味したのであり、Civitate Deiに含まれる超越的・被岸的意味は全く脱落していた。いわば、日本列島の実在性が疑われない限り、日本政治もまた実在的であるという非政治的次元でのみ、それは有効な政治原理として機能したのである」(97ページ)

「神州不滅」という物語によって、戦後日本は、「国土」の開発と工業化、農村の解体を戦前以上に一挙に展開し、ほぼ日本の農林水産業を壊滅的な状態に追いやり、地方の自然はもっぱら都市を支える資源と廃棄物の処理場になった。この延長線上に原発やダムの建設のような反自然の極致とでもいえる破壊が正当化された。こうした開発を主導したのは欧米の近代化にひたすら追従する中央政府の官僚と大企業だというのではなく、まさに、田中角栄に象徴されるような地方に基盤を持つ保守主義者たちだった。そして、こうした一連の自然破壊の開発をもまた「自然」と矛盾することのない事態として解釈する枠組が、この国の政治の文脈のなかでの「自然」意識が与えてきた。「美しい日本の自然」という決まり文句と「近代化・工業化による地域の発展」とが矛盾することのないものとして受け止められてきた。このような事態は、空襲や広島・長崎の原爆から幾度かの自然災害、そして福島原発事故の経験を経た現在においてもなお、矛盾することのない「美」として政治的な正統性を支えているようにみえる。

明らかに私たちが対決しなければならない現在の事態は、政治的な次元にとどまるのであれば、敵の核心を衝くことにはならないということを自覚することだろう。むしろ核心は、非政治的な領域にあって自然意識と美意識を現にある「日本」という国家に媒介する構造そのものである。そして、この構造を支えるところに、戦後の象徴天皇制のまさに象徴としての作用、表面は文化と非政治的な「美」の現れとして、裏面には政治を美意識に媒介するイデオロギー装置としての作用がある。

政治的意識と美意識を媒介する自然を橋川は「非政治的自然としてあらわれることによって、はじめから抵抗の対象たりえない本質として考えられた」(98ページ)と述べている。問題は抵抗の対象たりえない、という把握がもたらした抵抗の不在である。

「その場合、人間の政治的諸関係はむしろ自然関係として表象される。近代日本の文学史のいわゆる自然主義の「自然」が、ヨーロッパ的自然概念と異質の意識を前提していることはしばしば指摘されるが、そこでも自然は人間完成の即自的状況の意味であらわれ、いわば人間的欲望(主情主義)の展開として考えられている。すべてこのような自然概念の支配する精神風土において政治状態はそのまま自然状態と同一視されることになる。人間の欲望的自然の展開形態として考えられた政治は、いわゆる『欲望のナショナリズム』の表現にほかならないものであり、その帰一する究極の価値的イメージが、一種のコスモロギッシュな理念としての『天壌無窮』にほかならなかった」(98ページ)

橋川が主題としている日本浪漫派や近代日本文学にとって、自然をめぐる問題は、都市と農村という近代資本主義が抱えた本源的な対立における「農村」に関わる実体であったり、農本主義が立脚する「農」に象徴される――都市や工業と対立する――自然だったろう。しかし、こうした意味での農村経験が個人的にも世代を越えた時間軸においても希薄になっている現在、自然はまさに、イメージとして再生産された自然でしかないものになっている。しかしだからこそ、より一層その自然をめぐる意識操作の可能性の幅も広がっている。自然とは意識された自然だが、その自然は、バーチャルな自然から観光化された田舎の風景に至るまで、人工的な再構成物として、橋川が指摘した欲望のナショナリズムを支える構造を維持している事態は近代を一貫している。

こうして日本の政治、自然、美の関係はカール・シュミットがいう政治的ロマン主義と本質的に異なるものになるという。「政治の表象は人間の美的関心の領域に移行する傾きを示す」(98〜99ページ)として保田と小林を念頭に次のように述べている。

「まず、政治的現実の把握において、両者に共通するある態度が注目される。それは、政治を『伝統』もしくは『歴史』のうちに解消する態度である。そして、小林や保田において、『歴史』は『伝統』と同一化せられ、それらは、いずれもまた『美』意識の等価とみられたのであう。(中略)。保田においてもまた、「歴史」の追及と「美の擁護」とは同じ意味をもっていた。端的にいうならば、郷土大和の風土と伝承に対する耽美的愛着の同心円的拡大がかれの「歴史意識」にほかならなかったのであり、その場合の『歴史』とは、カール・マンハイムのいわゆる『同空間者』(Raumgenossen)の意識を内容とするものにほかならなかった。そこではもっとも人為的な『政治』の介入する余地はなかったのである。

このような精神構造において、ある政治的現実の形成は、それが形成されおわった瞬間に、そのまま永遠の過去として、_歴史として_美化されることになる。人間はいかなる鬱憤・怨恨をそれに対して抱懐しようとも、竟にその『昨日』に対して一指も染めるとはできない、そこでは、『永遠に昨日なるもの、われらをひきゆく』という断念が人生論の核心をなすことになる。こうして、_絶対に_変更することのできない現実―歴史―美の一体化観念が、耽美的現実主義の聖三位一体を形成する。保田や小林が『戦争イデオローグ』としてもっとも成功することができたのは、戦争という政治的極限形態の過酷さに対して、日本の伝統思想のうち、唯一つ、上述の意味での「美意識」のみがこれを耐え忍ぶことを可能ならしめたからである。いかなる現実もそれが「昨日」となり「思い出」となる時は美しい。保田は伝統的美意識へのアピールによって、『十五年戦争』の現実を『昨日』として、『歴史』として生きることを訓えたのであり、それらが永遠に崩壊することのない『美』の規範によって支えられていることを、自信を以って解釈してみせたのである。いわば、人間にとってもっとも耐えがたい時代を生きるもののために、あたかも殉教者の力に類推しうるものとして、現実と歴史を成立せしめる根源的実在としての『美』を説いたわけである。かれの『国粋主義』が、『ウルトラ・ナショナリズム』というよりも、むしろ『耽美的パトリオティズム』と呼ぶにふさわしいのは、そのためである。」(99〜100ページ)

*反近代としての絶対平和主義――戦後の保田輿重郎

自己愛と他者への憎悪を表裏一体のものとして戦時期のアジテーターをつとめた保田は、戦後の早い時期(まだ占領期)に『絶対平和論』(『全集』二五巻)を出す。保田の戦後の転身は、戦前戦中から戦後へと生きながらえた知識人の思想的転身のひとつの典型に過ぎない。ありふれた知識人の風景である。保田は多くを語ったが故にその変節が露出したのだが、沈黙を選択した処世術に長けた者達が心中に抱えていた価値観の転換の内実は、保田と変るところはないと思う。戦争の崇高さを「平和」の文脈のなかで実践した昭和天皇も、保田とほとんど同じ転換の軌跡を辿ったに違いないと思う。

保田は戦後も保守主義を捨てたわけでもないし愛国者であることをやめたわけでもなく、一九世紀近代西欧の価値観を嫌い、左翼を嫌い続けた。だが『絶対平和論』のなかで、新憲法、とりわけ憲法9条を肯定してみせる。

「今日の日本は、戦争をせぬ、武備をもたぬと宣言したのです。そのいきさつはどうでもよいのです。これは一つの事実です。軍需重工業と近代生活の進歩と繁栄とは、不可分のものです。この点で日本は自らも近代生活に限定を加へたのです。」(18ページ)
「この宣言は単に日本がしたものでなく、世界中の理想をもつと考へる人々が集ってした共同宣言だと考へんばなりません。さらにそれに連合国軍が加っています。彼らも必ず信義というものを解する人々でせう。」(19ページ)
「日本の中立を持すことは、日本の国と民族の将来を守る自衛と考へられるのです。」(19ページ)

右派が執拗に批判する憲法制定の「いきさつ」には全く関心を寄せず、連合軍は信義に厚にに違いなく、だからこれを受け入れるべきだという。自衛権についての考え方は更にユニークだ。自衛権を人文上の権利であって軍事的な行為ではないとして次のように述べる。ある意味で、「人間安全保障」に近い考え方かもしれない。

「軍備をもたない現在の日本の自衛権の現し方は、我々が戦争に介入せぬ生活を国全体の計画として立て、一切の戦争介入の危険を勇気を以て拒絶する以外にない筈です」
「この意味で治安のための警察力を拡大し、時によっては国際法上の自衛権の発動に役立てようなどと考えることは、極めて危険な考へ方です。それは大義名分を紊した一個の妄想にすぎないのです」(21ページ)

その一方で保田は、新憲法の「基本思想」では九条は守れないとも言う。なぜなら「新憲法のいふ文化とその生活は、十九世紀的な生活を基礎としたもの」であるからだという。私もまた近代国民国家の統治機構をとる限り非武装を実現することの矛盾をこれまでも指摘し、平和は近代国民国家を基盤とする近代資本主義を前提にしては解決しないと主張してきた。この限りで保田の上の主張とほぼ重なる。しかし、彼がなぜこのような主張を展開したのかというところになると私とは真逆の方向へ向う。彼は「最も重要なこと」として次のように言う。

「[平和主義によって]遠い祖先からうけついできた、倫理をもつ国と民を、その倫理の道に於て永遠に光輝あるものとして守ることが出来るといふことです。我々の云ふ絶対平和生活は、平和を守らうといふ必要から考へた思想ではなく、日本の神々の代から、日本の道として伝へてきた道なのです。」(23ページ)

私はこの文章を読んだとき、近代の歴代天皇がいう「平和」のイロニーを理解したように感じた。天皇が公然とは語ることはしないまま、その日常の祭祀や公務を通じて実践してきた行為の意味は、保田が上で指摘する「遠い祖先からうけついできた、倫理をもつ国と民を、その倫理の道に於て永遠に光輝あるものとして守ること」なのではないだろうか。天皇は、儀礼的な行為や文化への関与のなかでこれを体現してきたとは言えないだろうか。天皇は、汚辱にみちた国家を「美学」、崇高な対象へと転換する浄化装置であることによって、想像上の理想モデルとしての「日本」を現実の日本に重ね合わせて正当化するイデオロギー装置となるる。だから幸徳が述べたように、この崇高な価値に裏付けられた愛国心が、同時に、強度の敵意を醸成する、幸徳が免責した天皇はやはり免責すべきではなかったのだ。

ヘイトスピーチの根源には、暴力とは真逆の、「日本」をめぐる文化や伝統、美や詩的な世界といった人文主義的な「崇高」を構成する世界がある。この世界では、平和や人権といった権利概念は武器にはならない。これを異化し解体するにはどうしたらいいのか、という課題を担わなければならない。

保田が観念する詩的で美的な日本などどこにも存在しないし、天皇が平和の言説で意図している日本もまたどこにもあったためしはないが、彼らはそれを、あたかも将来実現しうるに違いないものとして示唆することによって、人々は生きる今現在の「日本」をこの仮想の将来へと至る道程にあるものだという錯覚に陥いる。幸徳が指摘したように、今現在の社会をどのように将来へと延長してみせたとしてもそこには平和や正義を体現する社会などは現われない。保田の絶対平和主義は虚構の域をでることは絶対にない。私たちが暮す社会は、搾取と差別をその根源に据えた近代資本主義「日本」の矛盾に満ちた社会を見てみないからだ。幸徳が夢とした平民自治の社会、労働者共有の社会は今ここにある「日本」の延長上にはなく、道は新たに創られねばならない。

(『季刊ピープルズプラン』81号掲載論文に加筆しました)

11月16-17日連続トークイベント(札幌)「日常にひそむ”洗脳”に気づくための二日間

投稿日: コメントするカテゴリー: オリンピックナショナリズム天皇制批判主宰者からのお知らせ監視社会

下記のようなイベントで話します。札幌やお近くの方はぜひいらしてください。

「社会主義にとってフェミニズムとは何か」
・日時:11 月 16 日(金)19 時~21 時
4階ギャラリー (札幌市中央区北1西13)
・参加費:予約 1000 円(当日 1200 円) ・参加費:投げ銭 予約不要
・会場:ギャラリー茶門 (札幌市東区北9東7-1
・ご予約・お問合せ:TEl:011-711-1910
※終了後懇親会(料金別途)
共催:ギャラリー茶門/nabi action japan


「小倉利丸さんに
おたずねします」
・日時:11 月 17 日(土)13~14 時
・会場:札幌市教育文化会館
4階ギャラリー (札幌市中央区北1西13)
・参加費:投げ銭 予約不要
※用意した札の中から参加者が選んだ
テーマについてお話いただきます

主催:what’s


「“祝祭”イベント の 危険性―天皇代替わり・オリンピックは
何を変えるか 」
・日時:11 月 17 日(土)15 時~17 時
・会場:札幌市教育文化会館4階ギャラリー
(札幌市中央区北1西13 地下鉄西11丁目駅徒歩 5 分)
・参加費:予約1000円 当日1200円
・ご予約・お問合せ:TEl:011-252-6752
共催:NPO法人さっぽろ自由学校「遊」
/プライバシーアクション・札幌

違憲の天皇「代替わり」儀式に NO の声を! 即位・大嘗祭違憲訴訟原告になって下さい 裁判を支えて下さい

投稿日: 2件のコメントカテゴリー: ナショナリズム天皇制批判主宰者からのお知らせ声明、アピールなど

下記のような裁判が提訴されます。私もこの裁判の呼びかけ人として裁判に参加します。


違憲の天皇「代替わり」儀式に NO の声を!

即位・大嘗祭違憲訴訟原告になって下さい
裁判を支えて下さい

❖ 来年、2019 年 4 月 30 日に天皇が生前退位し、5 月 1 日に皇太子が新天皇として即位することになっています。この日、「三種の神器」などの受け渡しの儀式がなされ、新天皇が「三権の長」に対して即位を宣言する儀式が行なわれます。また秋には、10 月 22 日に「高御座」に立って内外に即位を宣言する儀式とパレードと宴会が行なわれます。また、11 月 14 日から 15 日にかけて、天皇の「霊」を受け継ぐ「皇室祭祀の儀式「大嘗祭」が行なわれます。これらはすべて「国事行為」または「皇室行事」として、国の予算を投じておこなわれるものです。

❖ 天皇の「代替わり儀式」は、これに付随してたくさんなされますが、私たちは、一連の儀式が、憲法の「政教分離原則」「主権在民原則」からみて、多くの問題をはらんでおり、これに対する税金の支出は明らかな違憲の行為であると考え、国を相手どり、一連の儀式に対する税金の支出に対する差し止め請求と、違憲確認を求める訴訟を、東京地裁にたいしておこすことを決意しました。

❖ 私たちは、全国の皆さんに、ぜひこの裁判に、原告として、あるいは支援者として加わって下さるよう、呼びかけます。

★ここからダウンロードできます→委任状のダウンロード

原告になるには

❖ この訴訟は、日本全国どこにお住まいの方でも原告になれます。被告は、「国」です。原告になるには、この用紙についている代理人弁護士への委任状を、提出する必要があります。

❖ 委任状については、以下の点にご注意下さい。
・委任状に、日付・住所・お名前をご記入ください。
・押印場所はお名前の後ろと欄外捨て印(「印」とある場所)の 2 か所です。捨て印がないと無効になります。また、シャチハタ印は不可です。
・本訴訟は「納税者訴訟」です。原告が納税者であることの証明が必要です。納税を証明する書類を、委任状の裏の枠内に、必ず貼付して下さい。なおこの書類は、源泉徴収票などに限らず、買い物の際に発行されるような、消費税額が明記されたレシート類で構いません。

❖ 以上記載したものを、下記の住所までお送り下さい。
第1次締め切りは、2018年11月30日(金)です。

〒 105-0003
東京都港区西新橋 1-9-8 南佐久間ビル 2F
むさん法律事務所気付
即大違憲訴訟の会(準備会)

❖ 原告になっていただける方は、訴訟費用として、年間会費として 3,000 円(1 口)をご入金下さい。(支援会員も会費同額で募集します)
郵便振替口座 00120-3-293255 即位・大嘗祭違憲訴訟の会

即位・大嘗祭違憲訴訟の会(準備会) e-mail:sokudai@mail.zhizhi.net

(即位大嘗祭違憲訴訟のウェッブから)

11月13日:第三回『絶望のユートピア』 (桂書房) を枕に 社会を変える夢を見るための連続講座 (第2期) テーマ:「社会主義にとってフェミニズムとは何であったのか 」

投稿日: コメントするカテゴリー: 主宰者からのお知らせ資本主義批判

第三回『絶望のユートピア』 (桂書房) を枕に 社会を変える夢を見るための連続講座 (第2期)
テーマ:「社会主義にとってフェミニズムとは何であったのか 」

日時:11月13日、19時から

会場:ATTAC Japan (首都圏)
千代田区神田淡路町 1-21-7 静和ビル 1 階 A

地下鉄「小川町」B3出口。連合会館の裏手です。

地図

参加費:500円。テキストや本をお持ちでなくても構いません。連続講座ですが、1回完結なので初めての方でも参加できます。

 


戦間期のファシズムの時代を経験していない戦後生れの世代が、日本であれ欧米であれナショナリズムの熱気を帯びて、差別と排外主義を肯定する価値観に大きく傾きつつあります。同じことは、20世紀後半に、植民地からの解放や独裁から民主化への闘いを経験してきた第三世界でも同様の流れが急速に拡がりをみせているように見えます。他方で、民衆の運動が暗黙の前提として、自由と平等を実現する社会として社会主義の理念を掲げることは、必ずしも当然の共通理解にはならなくなりました。資本主義批判の常識とされてきた階級や搾取といった概念そのものも、社会運動の日常言語として語られることが少なくなったように思われます。他方で、ジェンダーやエスニシティあるいは環境といった課題が、社会問題にとって必須になり、資本主義が抱える矛盾への理解が労働者階級の解放という枠組みを越えてより幅広いものになってきたことも事実です。しかし、だからといって、資本主義批判を支える基本的な社会認識が大きく革新されたり、社会主義の理念に新たな可能性が開けてきたということでもありません。むしろ問題が多様になり、解決されるべき課題が錯綜するなかで、個別の課題に個別に取り組むことで精一杯という状況が続いているようにもみえます。

今回の講座では、初心に帰って、まだ社会主義が思想としても成熟していなかった時代も含めて、社会主義者たちが直面していると考えた課題を再度洗い出し、どのような「答え」を模索しようとしてきたのかを考えてみようと思います。そのための手掛かりとして、「性と家族」というテーマを関心の中心に据えてみます。マルスクに先だつ社会主義の思想は、労働者階級(あるいはプロレタリアート)の搾取からの解放にあると同時に、その初期の時代から人々の労働だけでなく家族や性の問題、とりわけ女性への抑圧に関心が寄せられていました。社会主義者の多くは、男性でしたから、女性が直面している問題の当事者ではありません。このことも含めて、社会主義の思想が限界をもっていたに違いありません。このことも含めて、社会主義が構想する自由と平等とはどのようなものであるべきなのか、それはどのような意味で、資本主義では不可能なことなのかを、考えてみたいと思います。ジェンダーに基づく差別(それだけでなく様々な差別と排除にも通じますが)がたとえ民主主義を標榜し人権を普遍的な価値とみなす社会にあっても、なぜ現在世界中でみられるような後退現象を生み出しているのか、なぜ差別を正当化するような不合理な宗教的な信条が廃れるどころかむしろ若者も含めて復活する傾向にあるのか、こうした現在私たちが抱えている問題に答えを出せるような社会主義の可能性への道を探ることも議論してみたいと思います。

テキストには『絶望のユートピア』所収の「社会主義にとってフェミニズムとは何であったのか」を用います。さらに、当日は、この論文では言及していない女性で労働運動にも深く関わったフローラ・トリスタンを紹介します。彼女が書いた『ロンドン散策――イギリスの貴族階級とプロレタリア』(1840)はエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』(1845)に先立つ著作です。この二人の著作を比較することで、プロレタリアあるいは労働者階級への視点の差異から何を学ぶべきかを考えてみたいと思います。

テキスト(PDFでもダウンロードできます)

社会主義にとってフェミニズムとは何であったのか

書評 アライ=ヒロユキ『検閲という空気――自由を奪うNG社会』(社会評論社)

投稿日: コメントするカテゴリー: 文化書評、映画評、音楽評など表現の自由、検閲批判

書評 アライ=ヒロユキ『検閲という空気――自由を奪うNG社会』(社会評論社)

本書は、その副題に「自由を奪うNG社会」とあるように、「NG」を連発するようになっている日本の現状を具体的な事例で紹介しつつ、その底流にある不寛容がいったい何に由来しているのか、そしてこれに対して、私たちの側からどのような対抗が可能なのかを論じており、挑戦的な仕事だ。本書で取り上げられた事例は非常に広範囲で、地域社会の日常生活、美術などの文化表現、マスメディアなど表現される場所も多様だ。「NG」が出される対象も、保育所の騒音問題、原発事故と放射能汚染の実態の隠蔽、侵略戦争の歴史認識の封殺、日の丸・君が代の強制、横行する右翼のヘイトスピーチやフェイクニュース、大学の学問の自由の危機、アニメやマンガなどのオタク文化まで事例も多岐にわたっている。

著者は検閲という言葉も使うが、むしろ「NG」というややあいまいだが、日常用語として使われるダメ出しがもたらす、自由を抑え込む雰囲気の蔓延に着目する。私のこの書評では、最後の数章で論じられている理論的な総括を中心に、私なりの問題意識に引き寄せて書いてみたい。

「NG」社会と60年代世代

本論に入る前に一言。ビートルズ世代とか全共闘世代とかベトナム反戦運動世代とか68年世代とか団塊の世代とか様々な呼び名で呼ばれる、60年代に「自由」を謳歌したと自慢する世代が、大学解体を叫びつつもその大半が大学を卒業し、大手企業や官僚となって日本の政治と経済を担う(牛耳る)世代となり、あの、いまいましい80年代の反動の時代を準備し、90年代以降のポスト冷戦時代からダラダラと続く数々の戦争に加担しつつ、今現在の不自由な時代を生み出してきた張本人たちとなった。「自由」を謳歌した世代が、世代のエートスとしての「自由」を恐れ、「自由」を抑え込む世代として、その後の日本を作ってきた。彼らの子どもの世代は、親の世代が敷いたレールを更に右へ右へと継承した。

戦後日本が抱えた問題を世代論に還元したくはないし、還元することは間違っているとも思うが、60年代の世代がなぜ、自分たちが体験したであろう自由をその後自らの手で扼殺し続けてきたのか、という世代の共通感覚の問題は軽くはないと思う。なにも大袈裟なことを言っているわけではない。新宿駅西口が広場から通路になり、未だに広場として奪還されていないとか、街頭でステッカーを貼る自由が奪われたままだとかといった、ちょっとした不自由に苛立っていると言いたいだけだ。

自由への検閲=NG:事実の真偽問題とアーティストの想像力

「表現の自由」の問題の根源にはそもそも自由とは何なのか、という私の手に負えないやっかいな問いがある。アライが挙げている事例を私なりに大別させてもらうと、二つに分けられるように思う。

ひとつは、出来事の事実を表現することをめぐる「NG」、たとえば、「慰安婦」について、強制連行や日本軍の関与が否定されたり、福島原発事故に伴う放射能汚染被害の事実が風評と呼ばれてあたかも虚偽であるかのように批判されるなど、事実を根拠として批判する言論や表現が規制される傾向が強まっている。これは、客観的な事実を表明する自由に対する抑圧といえる。いわゆる右派の意図的なフェイクニュースや歴史修正主義(アウシュビッツや南京の虐殺はなかったという類の主張)は、彼らのいう別の「客観的な事実」とか「科学的な知見」などを対置して、事実による立証の有効性を相殺しようとする。こうして事実についての客観的な証拠が相対化されて、行政などを判断停止状態に追いこみ、なおかつ恫喝や脅迫ともいえる圧力を加えることによって、会場利用の許可を出させないような状態が作られてきた。

アライが示した多くの事例を読むと、憲法で思想信条や信教の自由が明文で権利とされているにもかかわらず、むしろこれらの分野への公共施設側の締め付けが厳しい。思想信条や宗教的な信仰は元来多様であり、お互いに時には対立する場合があるのは当然である。しかし、こうした対立を混乱とか迷惑としてしか捉えず、多様性がもたらす摩擦を尊重した公共施設の表現の場を設定する観点がないのだ。むしろ、「NG」の空気は、多様性や差異を「日本」や「日本人」をめぐる有無を言わせない肯定的な価値観のなかに収斂させる環境を下から作り出し、公的な場が画一的な一色になることこそが好ましい秩序だとされている。

「NG」を支える空気は、国家や民族の犯罪を隠蔽するだけではなく、こうした行為を正当化しようとする考え方や運動が非常に根深い。たぶん、科学や客観的な事実、あるいは理性的合理的な理論は、このような欺瞞に立ち向かう武器としては十分ではない。人間は、たとえ科学者であってさえも、非合理な世界を生きているからだ。この非合理性は、文化であり、その表現であり、また、人々の日常生活の細部を規定するモノと人の関係を形づくる観念そのものだ。合理的な世界が、数式によって解明されるような物理的な自然に収斂するとすれば、文化的な世界は、そうはならない。多様な形式へと拡散し、ひとつにはならずに併存する。こうした非合理性を科学者もまた受け入れなければ一日たりとも生きられない。歴史修正主義者たちは、彼らの主張するオルタナティブな事実といった「客観性」を、この非合理性が支配する領域によってあらかじめ規定された土台の上に打ち立てようとする。崇高な日本民族が理由もなく虐殺などするはずがない、という大前提から全てが再解釈される。

もうひとつは、事実の客観的な表現ではなくて、事がらそれ自体は現実世界の諸問題(憲法9条とか原発とか天皇制とか)だが、それをアーティストの想像力を介して固有の表現とする場合だ。ほとんどのアートや文学などの表現がこれにあたる。その表現の手法とその主題選択や主題について、アーティストが描く「非合理」的でもあり現実には実在しない世界が争点になる場合だ。客観的事実そのものよりも、アーティスト自身の世界観や価値観が「公序良俗」「猥褻」などといった評価基準によって判断されて排除されるという問題である。学術研究としての天皇制批判は許容されても、それが文学(たとえば深沢七郎の「風流夢譚」とか)や美術(たとえば大浦信行の「遠近を抱えて」)となると、規制の力が厳しくなるのはなぜなのか、という問題でもある。言い換えれば、事実をめぐる是非よりも、アーティストが主観的な心情を交えて構築している彼/彼女の世界に、より敏感に反応して検閲の力が働くのはなぜなのか、という問題である。検閲する側は、事実や真実を学術のような体裁で真面目に論じるよりも、虚構や想像力に基づくが、同時に「真実」についての表現となっているアートの方がより人々の感情に訴えかけ、価値観や世界観に影響しやすいことを知っているのだと思う。上述したような非合理性と合理的あるいは理性的な現実認識との関わりという問題が、ここでもまた、重要な課題になると思う。

「NG」は事実とフィクションを相互に巧妙に絡ませる。問題は、客観的な真実をめぐる是非にとどまらず、真実を否定するパッションを生み出す虚構の力(伝統とか神話とか文化的な美の観念とか)をいかにして削ぐか、そしてまた、虚構の力が逆に、真実や事実に味方する場合もあり、後者のような非合理性の自由を確保し、それをさらに狭義の意味でのアートのカテゴリーから解放していかにして世界の創造へと繋げるか、にある。

このような「自由」を抑制する「NG」の枠組について、これらを批判して、その抑制(検閲)の解除を実現することは、自由の権利を回復する上で必要なことだ。しかし、問題はかなりやっかいで、戦後主流だったリベラルな自由が社会の多数によって支持されている時代ではない、ということを前提にしなければならない。右翼のヘイトスピーチが横行し、フェイクが容易に流布し、官製フェイクが世界中であたりまえになり、かつては極右とかと表現されて極端な側にあったものが、気がつけば世の中のメインストリームに陣取り、もはや彼らは極端な存在ではなく、むしろ普通の存在になってしまった。これは世界的な現象だ。トランプ現象はその一部であり、欧州の極右の台頭、ロシア、トルコ、インド、フィリピン、中国など権威主義的な政権が有力国を席巻している。その結果として、極右はもはや極右ではなくメインストリームになった、ということが反ファシズム運動でも繰り返し危惧をもって指摘されてきた。むしろナショナリズムを批判したり、いわゆるリベラルであったりする方が極端な側に追いやられてしまっている事態を前提にして、「自由」の復権という問題を考えなければならない。

他者と被害者を装うマジョリティ

アライが取り上げている「NG」のなかの一つの典型的なケースが、人種差別主義や排外主義の問題だ。この問題の核心にあるのは、支配者や多数派が「被害者」を装うという欺瞞が正統性を獲得してしまっているというところにあると思う。

社会のなかの多数派や、時には政府すらもが、自らをあたかも被害者であるかのような立場を演じる場面は、欧米諸国などで、主流の地位にのぼりつめつつある極右現象にも共通している。一見民主的で平等にすらみえる西欧の政治・社会制度も、実際には、長年にわたる移民・難民やLGBTなど様々なマイノリティを不平等と差別の構造に押しこめる歴史のなかで構築されてきた。しかし、徐々にマイノリティの権利を保障する制度改革が進むにつれて、既得権を削りとられるマジョリティたちが権利侵害の感情に囚われ、こうした実感に基いて逆襲する流れが、現在の潮流を形成しているように見える。こうした権利の平等化(多文化主義などとも呼ばれたが)の時期は、新自由主義グローバリゼーションの時代と重なる。新興国の急速な経済的追い上げもあって、欧米資本主義を支えてきた伝統的な工業が駆逐され、白人労働者階級の失業と貧困の原因が移民に転嫁されて敵意の対象となり、白人至上主義やレイシズムが勢いを回復した。彼らは既存の保守政党が新自由主義を支持していること、労働組合も既成左翼また無力であることを体験してきたから、既存の政治全般に敵意をもち、おのずと極右に同調する傾向が強くなる。欧州のヘイトスピーチに対する法的規制は近年ほとんど効果をあげられなくなっている。人種差別が露骨な移民・難民排斥を政権自体が積極的に政策として打ち出している国が軒並であるから、もはやヘイトスピーチではなくヘイトポリシーが正統性を獲得してしまったようにすら見える。

このような平等に向けた権利の再配分過程の軋轢は、日本の場合、国内の問題としては在日をターゲットにしたマイノリティに対して発動され、そしてそれは、同じ構図をとりながら、対外的には周辺諸国、韓国、北朝鮮、中国への敵意として表われている。もともと日本の場合は、入管政策が極端な移民・難民排除の自民族中心主義をとり、歴代政府は率先してヘイトポリシーを実践してきた。こうした体制が人種差別主義だとはほとんどの人々は考えていない。観光客へは「おもてなし」の体裁を取り繕うが、移民・難民は「おもてなし」の対象にはならないという線引きに、レイシズムが隠されていることの自覚はもちろんない。

アライも指摘しているが、レイシズムの背景には、上の述べたように、経済的な構造変動がある。日本に即して戦後を視野に入れてみた場合、どうなっているのだろか。戦後の敗戦から復興して高度成長を遂げ――朝鮮戦争とベトナム戦争を儲けのチャンスにしたのだが――アジア唯一の先進国とか米国に次ぐ世界第二の経済大国だとかで愛国心を満たしてきた時代が70年代に入って終る。バブル以降の長い停滞が今に続くが、この間に、中国に追い抜かれ、韓国などアジアの新興諸国とほとんど優劣のつかない位置にまでランクダウンする。経済帝国主義による愛国心が満たされなくなった長い停滞の時代と、ヘイトスピーチの登場とはほぼ時期が重なる。競争力をつけてきた周辺諸国へのルサンチマンは、日本人が不当に差別されているかのような被害感情を煽り、民族的な敵意の感情を生み、これを冷静にクールダウンさせる歴史認識や社会観を政府が率先して否定するなかで、敵意が日本国内に住む在日朝鮮人や中国人など、主に非白人系の人々に向けらてきた。自分達は朝鮮人や中国人たちが不当に特権を享受し、自分たちがこの国の正当な権利を享受できていないとする被害者意識を背景に、「在日特権」といった虚構が作り出されて敵意の観念が再生産されてきた。そして、更に、領土・領海問題にみられるように、東アジア諸国に対して、経済で負けた分を今度は警察力や軍事力の誇示でカバーしようとする最悪の感情が支配的になってきた。個々の表現の自由を抑圧しようとする行政や地域住民の心理と行動の背景にある構造をこのように説明できるとすれば、こうした構造は、その現れ方は様々であっても、ほぼ欧米諸国にも共通した傾向をもっている。白人至上主義者たちが移民やユダヤ人(「セム族」は白人ではないという観念がある)などに抱くルサンチマンの心理とほぼ共通しており、私たちが直面している問題は、日本の固有性に還元できない現代世界が抱えている一般的な大問題でもある。

再定義される「自由」

「自由」の意味内容は、いつの時代であっても、権力者によって定義されてきた。その定義が、時代の推移のなかで、権力者にとって都合のよいように再定義され始めているのが現在の状況のように思える。誰のための自由なのか、という問いに、「万人のための自由」という答えは正解にはならなくなっている。こうした答えでは、表現の場を支配する力を持つ者たちの不寛容、差別、特権、歴史の事実に嘘や神話を持ち込むことなど、こうした事がらの自由を保障し、レイシズムに正当性の根拠を与える一方で、私たちはその残り滓のような不自由を無理矢理「自由」の名の下に甘受させるダブルスピークの罠に嵌ることになるからだ。リベラルな憲法学者や人権活動家たちなどが定義する「自由」が主役の座を追われて、自由民主党という党名に象徴されるような「自由」が自由の定義の主導権を握りはじめていると言えるかもしれない。

排除の自由、ヘイトの自由が横行するなかで、嘘やデマはいけないことだ、という倫理観がある種の転倒した状態で、私たちに襲いかかってきている。アライが指摘しているように、トランプ米大統領の発言の7割近くはウソといわれ、こうした事態が「ポスト真実」とか「オルタナ・ファクト」と呼ばれる。しかしこうした嘘吐きたちの側からすれば、私たちこそが嘘吐きでありフェイクニュースを流す連中だということになる。日本の文脈のなかでいえば、福島原発事故による放射能汚染の被害を訴えることを風評被害と呼んで押さえ込む「空気」が支配的になっているのは、その端的な現われだろう。伝統的なマスメディアとSNSなどのネットの情報の間にかなりの乖離があるとき、人々は錯綜した情報の洪水に戸惑うが、そんなときに、影響力を発揮するのは、顔見知りの人達の間のクチコミということになる。ところがSNS自身がクチコミの道具だから、SNSの発信力の強い身近な人達の言動に人々が左右されやすくもなる。マスメディアは私たちにとっても、決して公正とはいえない営利企業か国策メディアといったところなのだが、それすらも右翼は左翼というレッテルを貼って攻撃する。このようにして、極右がメインストリームになり、時には権力の座すら獲得してしまう今、彼らが「自由」の定義を規定する主導権を握ろうとしている。

こうした時代をアライは「ポスト真実」の時代と呼ぶわけだが、アライが引用しているオックスフォード辞典によれば、ポスト真実とは「世論形成において、感情や個人的信条のほうが客観的事実より影響力のあるような状況」(212ページ)と定義されるという。確かに一面ではこのようにすっきりと主観と客観の間に線引きが可能な場合もあるだろう。しかしまた、感情や個人的心情が客観的事実と常に対立するとは限らず、逆に事実を裏付ける場合もあり。この定義のように単純ではない。

当事者の人々の感情のこもった体験に基く証言もまた客観的事実だ。「慰安婦」の女性たちや戦争の被害者体験も重要な客観的事実を構成する。逆に、客観的事実が嘘に加担することもある。事実は解釈を必要とし、この解釈如何によって、同じ事実が真逆の意味を担うことがいくらでも可能だからだ。「慰安婦」の強制性や南京大虐殺、ナチのホロコーストなどを否定するひとたちは、事実あるいはデータらしきものとこれらを解釈する自分たちに都合のよい学説や科学的知見を動員して、ある種の体系を構築し、ここから別の「事実」を導き出そうとする。客観的事実であれ主観的な感情であれ、何が真実の位置を占めるのかを決定するメカニズムと力学のなかで、常に支配的な権力が事実についての解釈の主導権を握って、真実を構築してきた。イラクの大量破壊兵器や福島原発事故が「アンダーコントール」であるということが真実となるのは、支配者たちが、感情も客観的な事実も都合のよいかたちで動員して嘘を真実として通用させる力を持つからだ。

更にやっかいな問題は、意図的に嘘を流布することは不正義あるいは倫理に反する振る舞いだという道徳律が、権力者たちにも、いわゆるネトウヨと呼ばれるような人達にも通用しないという点だ。彼らにとって、嘘か本当かは二の次であって、彼らの関心は、彼らが心情的に自らを同一化させようとする「日本人」といったある種のナショナリズムを崇高なもの、不可謬なものとしてロマンチックに称揚することに唯一無二の価値を置くことにあるように見える。この想像上の「日本人」や「日本」を現実あるいは事実そのものとして受けとめて、ここから歴史を再解釈し、これを毀損するものは、一切容認しないという態度だ。

多分こうした態度には二つのベクトルがあり、ひとつは、敵意による防衛であって、在特会や右翼などによるヘイトスピーチがその典型だろう。この流れのなかに、露骨な様々な「NG」が含まれる。もうひとつは、そして最もやっかいで重要なのは、文化や芸術を味方につけて、決して敵を攻撃することなく日本の文化や伝統を美や崇高、神話や自然といった事がらと結びつけてひたすら肯定しまくる態度だ。美の観念がここでは重要な鍵を握る。こうした美と崇高の観念を「日本」という想像上の観念の根拠に据えて、歴史を超越した永遠性の証しとすること、これは、近代日本が戦前であれ現代であれ、公然と称揚してきたナショナリズムや愛国心を支える感情ではなかっただろうか。こうした虚構――肯定すべき固有の価値を体現する「日本文化」――に基く自己肯定や自民族への共感をヘイトスピーチと呼んだり人種差別主義と呼ぶことには困難が伴なう。だから野放しになり、こうした感情がレイシズムや「NG」を正当化する集団的な感情を生み出す。

ヘイトスピーチ批判や人種差別主義批判の限界がここにある。しかし、他方で、伝統や自民族中心主義の文化がレイシズムと切り離せないとしても、その破壊が自由の回復を意味するとは限らない。破壊が向う方向はひとつではないからだ。イタリアの未来派が先鋭的な伝統破壊の運動であり、また同時に、暴力の行使も厭わない過激なファシズムの同伴者でもあったことを忘れてはならない。

/不快あるいは感覚的判断

ポスト真実の時代にあって、私たちは、感情か客観的な事実か、という二者択一ではなくて、嘘が真実になり、真実を語る者たちの言葉が嘘としてしか受け取られなくなるという逆転のなかにいる。だから、彼らの嘘を覆すための新たな依って立つべき方法と戦略を練り直さなければならないのだが、これは私にとっては未踏の課題だ。

アライは、「理性的なものは失なわれ、感覚的な判断が強く占めるようにな」り、また「判断の指標に快/不快が重要な位置を占めてくる」ような時代になると、容易に、「日本軍の罪悪は不快を、日本軍の大義は快をもたらす」(214ページ)といった感情が支配的になると指摘している。なぜ理性的なものが失なわれてしまったのか、という根本問題はさておくとして、この快/不快というい判断基準をめぐる問題は、私自身にとっても、30年前に富山県立近代美術館における「遠近を抱えて」(大浦信行作)の非公開・売却処分問題の核心にある問題でもあった。アライが本書で指摘する多くの事例をみると、その大半が多かれ少かれ「不快」といった感情に依拠した判断が背後にあって、それが別のよりクールな制度言語(条例や法など)に翻訳されているケースのように思う。「日本軍の罪悪は不快を、日本軍の大義は快をもたらす」という価値判断が公共空間を捻れさせるというアライの指摘は、日本軍を日本とか日本人に入れ替えればより一般的な構図にもあてはまり、更に、どこの国であっても、自国のナショナリズムをめぐる快/不快の構図が内包する共通の問題でもある。

多くの検閲事件や右翼などによる攻撃に対して反撃する側の基本的なスタンスは、真偽を客観的に争うことや憲法などの法が保障する表現の自由といった理性的合理的な規範に依拠することにほぼ限定されており、こうした合理性の言説が機能しない感情的な同調と排除の心理を軽視するきらいがある。アライが感情あるいは「感覚的判断」に踏み込んだことは、検閲や表現の自由を議論する上で、重要な観点であって、この分野を法合理性で仕切ろうとする従来の議論に一石を投じる試みだと思う。

彼がここで下敷にしているのはカントの判断力批判の議論、とりわけ感情的判断と趣味判断の区別である。カントの美学論についての議論(そしてまたハンナ・アレントの解釈)から、他者の視点を内在させる趣味判断とは異なって感情的判断は「感覚という個人にの根ざす思考過程」であるために、他者の眼差しを受け入れないことを指摘する。こうした感情的判断が美学だけでなく時事問題、社会的事件の理解をも支配するようになり、「趣味判断」のような他者の視点がないために、異なることは当り前でなくなり、不快を覚えるようになる。不快は理性で本来抑えられるが、感覚的判断が優勢の場合は、排除、差別、別紙に結びつきやすい」(215216ページ)と述べている。

感覚的判断は私的領域に留めておくべきなのに、これが異なる他者たちと共有する公共空間をも侵食することによって、「個人の枠に止まる感情、それに根ざした思考は伝達可能性を持たず、社会の公共性はよく機能しなくなる」(216ページ)。他方で、人間は関係の産物でもあるという観点からすると、感覚的判断を私的な領域に留めることが果してどのようにして可能なのか、という問題は避けられないようにみえる。そもそも感覚的判断と趣味判断は当事者の人間によって自覚しうる区別とはいいがたいであろう。しかも、美は果してポスト真実の時代に抗して事実や客観性に味方するといえるのかどうかも問われることになると思う。カントもヘーゲルも美の哲学的な理論化に執着したのは、そもそも美的な感情が近代の哲学にとって難問だったからだろう。その難問の原因は、たぶん、シラーを借りれば「美は対象の論理的性格を克服したときに。まさにその最高の輝きをもって現われる」(「カリアス書簡」、シラー『美学論集』、石原達二訳、冨山房)というように、論理を、したがって理性をも超越するからではないだろうか。こうした美を道徳と関わらせるべきかどうかが次に問われることになる。美を一切の理性による拘束から解放して自らの味方につけてきたのがロマン派だとすれば、そして、そのロマン派の政治的な体現がナチスの美学であったり、日本浪漫派による戦争の美学化であったりしたとすれば、感覚的判断が趣味判断に浸透し、趣味判断を乗っ取るという事態を想定する必要がありそうだ。

アライは感覚的判断が公共空間を侵食すると、快/不快の満足度といった数値による判断が優勢になって、「多数派の満足度は施策を行う上での大義名分になり、少数派を圧迫する傾向を生みかねない」(216ページ)と述べているのは、支配的な集団の感覚的判断が趣味判断に侵食したことを意味しているのではないか。またアライは、平和を理解する理性と他者を攻撃する感情の乖離や、世界への真剣な問いを回避して衝動に支配されて複数性を失う大衆への深い危惧を表明している。アライは、一人一人の差異は、諍いを生むよりは違いに基づく共有する部分を分け合う知恵を働かせるが、画一性が逆に不和と諍いをもたらし、違いは憎しみになると言う。こうした傾向に抗って、「画一性を前提とする愛国心や絆とは本質的に異なる共約を深め、あるいは広げること。ここに公共性の本来の意義がある」(218ページ)と言う。しかし本書の最後の箇所で、「地域社会の発展に重宝がられるソーシャルの活動も欠陥がある」「ソーシャルなるものはしばしば政治性という間違いにもとづく形相を伸長に省いて実施される」(251ページ)とも指摘している。つまりコミュニティにおける公共性それ自体が、ポスト真実を標榜する人々によって主導権を握られつつあり、だからこそ自由をめぐる重要な闘争の場になっているということだろう。

こうした現状の困難を認識しつつも、アライが期待を寄せるのは、コミュニティの活動に根を下した形で、お互いの意見を交流しあう対話が、自由で開かれたものとして保障されるとき、人々は、相互の学びあいから自己変容を可能にする営みを生みだすという点だ。地域の活動の拠点となるような公民館の活動に、その可能性をみているのかもしれない。しかし同時に、私は、公的機関や制度に依存せず、また営利目的の民間資本にも依拠しない、文字通りの自立的な場所の創造もまた自由の具体的な場の実践として注目してもいいとも思う。スクウォッターのような運動が野宿者運動以外にはほとんど見出せない日本では、その可能性は多くないのが現実だが、なぜ協同組合運動や労働運動がこうした自由な場所づくりに無関心なのだろうかとも思う。

有害と自由

アライは、事実と客観性を肯定し、不合理な感情に異論を呈するという、どちらかといえば生真面目な態度を基調としている印象が強いのだが、いい意味でこれを裏切るような含蓄のある言い回しで本書を締め括っている。

「NGの駆逐のために必要なこと。それは、数々の不正や不条理に対し、勇気をもって有害なものを投げつけること。言葉や表現、あるいは行動が含む有害なものを許容すること。そこから冷静に対話のための手段を探り、向き合うこと。

社会に自由という複数性の条件をもたらすにはどうしたらいいか。まずは言葉と表現という有害なものの尊重から始まる」(251ページ)

アニメやサブカルチャーに深い関心を寄せてきたアライが、あえて「有害」という言葉をここで登場させた含蓄は深い。ここで彼が「有害」と呼ぶものは、社会の支配的な価値観や権力者の観点からみて「有害」なものであり、「有害」なものに正義と条理を担わせようとしていることは明かだ。ここで彼が正義や真理、あるいは事実や客観性といった言葉を選ばなかったことは大切な問題を提起していると思う。「有害」という概念に含まれるいささか、不道徳な内容や表現形式こそが真理や事実が表出する上で欠くことのできない表現のスタイルだ、ということを示唆しているからだ。しかし「有害」という文言についてアライは立ち入った議論を本書ではしていない。今後是非この点が展開されるのを期待したいと思う。

このアライの一節を読んだとき、活動家でありジャーナリストでもあった青年時代のマルクスが、検閲と闘って書いた最初期の論文のひとつ「プロイセンの最新の検閲訓令にたいする見解」(1842年、以下翻訳は大月書店版『マルクス=エンゲルス全集』第一巻による)を思い出した。マルクスは徹底した検閲反対論者であり、自由の擁護者だった。

当時のプロイセンの検閲訓令のなかに「文筆活動にたいするすべての不当な強制を明白に否認し、公正で健全な言論発表の価値と必要をみとめ」るという文言がある。「公正で健全な言論」は検閲の対象外とするというこの文言に、マルクスは猛然と噛みついた。「検閲によって妨げられるべきではない真理の研究は、まじめで謙譲なものにかぎると詳細に性格づけられて」おり、「内容の外部にある何ものかについての限定」が「研究を真理から離れさせ、未知の第三者にたいして気をつかうよう命じる」(56ページ)のは何ごとか、と批判した。要するに、「公正で健全な言論」では真理を語れない、というのだ。

「もし謙譲であることが研究の性格を形づくるとするなら、それは、非真理よりも真理のほうを恐れはばかる証拠である。こうした謙譲は、われわれが前進する一歩ごとにわれわれの意気を粗相させる鎮静剤である。それは研究の結果を見いだすのを恐れる不安であり、真理に対する予防薬である」(6ページ)

感情に任せて怒りをぶちまけるような表現を鎮静させて真理から遠ざける効果を発揮するのが真面目な研究なるものだという。彼は、真理を不真面目やユーモアと結びつけ、他方で、画一的なスタイルにもとづく「自由」を自由の敵対者として否定する。こうしてマルクスは、不真面目極まりない小説『トリストラム・シャンディ』(ローレンス・スターン作、岩波文庫に邦訳あり)を味方につける。(残念なことに、その後現在に至るまで、多くの真面目なマルクス主義者たちはこの文章を無視するという不真面目な態度を貫いてきた。)

「さらにまた、真面目さとは心の貧困をかくすためにする肉体の欺瞞動作であるとトリストラム・シャンディは定義したが、君たちのいう真面目さがその意味ではなく、即物的な真面目を意味するとすれば、その全命令は無効となる。なぜなら、笑うべきものを笑うべく取扱うときには、私の取扱い方は真面目なのであり、精神のもっとも真面目な無遠慮さは、無遠慮さにたいして謙譲であることだからである」(7ページ、引用に際して一部表記を変更した)

真面目さは心の貧困を隠蔽する欺瞞だという。検閲が強いる公序良俗は、まさにこの欺瞞そのものであって、笑いものにして当然の対象を笑うべきものとして不真面目に表現するという真面目な態度を排除するものであって、ここには自由はありえないというのだ。マルクスはトリストラム・シャンディの「まじめ」の定義こそが正しい定義だとしたのだが、確かにシャンディの定義は、私たちの日常生活において、私たちが真面目を装うときの心理を的確に表現している。

アライが「有害」と呼ぶものは、マルクスが公序良俗の範疇を拒否して、不真面目の側に立つことこそが自由なのだと主張したこととほぼ重なるのではないかと思う。

さてそうだとすれば、私たちは、中立を装ったり、右でも左でもないといった真面目な態度をとることはできない。明確な思想的な立場をとることがなければ、誰に嘲笑の笑いを投げつけてやったらいいのかを判断できないだろう。

ではどのような立場が有害、あるいは不条理に抗う不真面目な表現なのだろうか。多分、言いうることは、ひとつ。私たちは、権力者たちへの有害で不真面目極まりない言論や表現の権利を一歩たりとも譲らないが、いかなる表現であれマイノリティや権力によって虐げられている権力なき人々に対して有害で不真面目な表現を投げつけることは許さない、というある種の道徳律である。誤解を恐れずに言えば、私たちは、ヘイトスピーチ一般を否定しない。権力者たちに対する私たちのヘイトスピーチ、彼らの有害な振舞いにみあう有害な言説を投げつける権利は留保する。笑うべき権力者に対して笑いをぶつける権利は留保する。権力者たちにとって有害とみなされる表現は、彼らにとって公序良俗を逸脱した表現であることは間違いない。この意味での公序良俗に与する理由はない。

正しい言論や表現、あるいは正義や真理に基く言論や表現は、道徳にかなう品行方正な様式を伴うに違いないという発想では、権力の公序良俗を口実とした検閲には立ち向かえない。学術的な天皇制批判は許容されながら、「朕はたらふく食っている、汝臣民らは飢えて死ね」という戦後直後のメーデープラカードから60年代の「風流夢譚」のような滑稽小説への弾圧やテロまで、戦後早い時期の検閲や右翼の暴力を支えた真面目を強いる風潮は、今なお続いている。不道徳で下品で、支配的な倫理・道徳からすれば「有害」な表現が真理や理性にとって最も的確な表現の様式、つまり政治的に正しい表現であるということはいくらでもありうる。本書にその多くの示唆に富む試みの記録がある。


付記

本書で扱われている検閲(NG)の対象となった事例は、私も知らない事件もあり非常に参考になっただけでなく、公共空間にここまで浸透してきているのか思わざるをえないほど事例の多様性に驚くばかりだ。とはいえ、ここで扱われていないものの私にとっては重要だと思われるものもある。一つは、20115月福岡で行なわれたサウンドデモへの警察の介入事件。これはその後本人訴訟で提訴されサウンドデモ側が勝訴した事件があった。もうひとつは、風営法によるクラブ規制問題。これも大阪のクラブ・オーナーが提訴して勝訴したが、その後も警察によるクラブ摘発が続いている。そして、現在裁判が続いているタトゥーの彫師を医師法違反で摘発した事件がある。アーティストの表現の自由を医師法で縛ることの是非が問われ一審で彫師側が敗訴し、現在控訴審というかなり大変な裁判が進行中だ。アライの事例取材は、当事者へのインタビューも数多く含まれる重要な仕事だ。こうした仕事をする美術ジャーナリストが少ない日本では貴重な存在だ。同時に、日本中ではびこっている様々な隠されたNGを掘り起こす作業もまた集団の作業として必要だと思う。

 *アライ=ヒロユキ『検閲という空気―自由を奪うNG社会』,

          四六判262ページ,社会表論社,¥2,200➕

初出:『あいだ』242号

映画『山谷 やられたら やりかえせ』10月27日 plan-B 定期上映会

投稿日: コメントするカテゴリー: 主宰者からのお知らせ

「山谷」制作上映委員会のウエッブから転載します。

10月27日 plan-B 定期上映会yama_top

天皇制ナショナリズムとグローバル化する極右=排外主義〉と抗うために!
講演 / 小倉利丸(現代資本主義論)

この映画が作られてから30数年。資本と国家はどう変わっただろうか?
使い捨て自由な〈労働力市場〉として形成されてきた釜ヶ崎や山谷などの《寄せ場》は、「支配権」をめぐる闘いから、生存を維持する闘いを経て、ジェントリフィケーション(都市「再開発」)攻撃の下で「なきもの」にされようとしている。もともと 《寄せ場》は「なきもの」とされてきており、必要なのは〈労働力〉であって〈人間〉ではなかった。その存在が社会的に「認知」されたのは唯一《暴動》によってで あった。それも治安問題と差別の対象としてで、そこで多くの労働者が「野たれ死に」していることは隠されてきた。なぜか? その存在そのものが資本主義の矛盾の集積場であるからだ。そしてそこでの《反乱》は資本主義批判そのものであったからに他ならない。
「そもそも今の社会の仕組みを批判すること自体が非現実的であり、現にあるシステムを受け入れざるを得ないのではないか」という、現にある社会への消極的肯定、あるいは 未来を展望できない閉塞感を利用して、安倍政権は、2020年 をメルクマールとして「歴史の転換をはかる」と「維新」を気取っている。改憲策動、天皇交換からオリンピックへと、ナショナリズムを煽って「総動員体制」をはかり、再度の「国民統合」の強化を狙っている。その後に来るものは何か? 近年の欧米をみても「トランプ現象」が起き、「移民排斥」勢力が勢いを増し、〈右からの現状打破〉が跋扈してきている。
こうした状況をどう読み解くのか、そのイデオロギー的背景は何かーーこれらについて小倉利丸さんをお招きし、提起していただく中から、共に《カウンター》を模索していきたい。是非ご参加を! 《絶望のユートピア》を語り合いましょう!

●映画『山谷 やられたら やりかえせ』
ドキュメンタリー/16㎜/カラー/1時間50分

上映後19時頃から<ミニトーク>

2018年10月27日(土) 4:30pm 開場 5:00pm 上映
予約 ●1000円 当日●1200円

会場 plan-B 中野区弥生町4-26-20-B1 (入り口は中野通り沿い) 地下鉄・丸ノ内線 中野富士見町 徒歩5分

予約・問い合わせ 「山谷」制作上映委員会  044-422-8079 090-3530-6113
サイト内「予約・お問合せ」


映画について(「山谷」制作上映委員会のウエッブより)

映画では腹は膨れないが敵への憎悪をかきたてることはできる    -佐藤満夫
  カメラは常に民衆の前で解体されていく   これが本当のドキュメントだと思う   -山岡強一

この映画の冒頭では、次のような字幕が、山谷地区の遠景を背景にして映し出されます。
「1983年11月3日 日本国粋会金町一家西戸組が日の丸を掲げ山谷争議団に対し 武装襲撃をかけた。 以来、一年余に及び闘いが繰り広げられた」

日雇労働者の街山谷の労働者を、日の丸の下で一元的に支配・管理しようとする右翼暴力団の試みでした。「山谷越冬闘争を支援する有志の会」に所属してい た佐藤満夫監督は、1984年12月に文字通り山谷のど真中にカメラを据えて、山谷労働者の姿を正面から撮影するドキュメンタリー映画制作の作業に取りかかります。ところが、映画がクランクインしてまだ1か月もたたない1984年12月22日早朝、佐藤満夫監督は、日本国粋会金町一家西戸組組員の凶刃に斃 れます。冒頭の字幕に続いて、映画に登場するのが、山谷の路上に倒れた、微かにまだ息のある佐藤満夫監督自身の姿でした。映画の物語を組み立てる当の監督が映画の冒頭から倒れている。これは、通例、物語の終了を意味します。しかし、この映画では、むしろ物語の始まりとなっています。

佐藤満夫監督の断ち切られたフィルムが残されました。翌年1985年2月3日におこなわれた『佐藤満夫さん虐殺弾劾! 右翼テロ一掃! 山谷と全国を結ぶ人民葬』で、佐藤満夫監督が殺されてから一年の間に映画を完成することが、参集した人々の前で約束されました。ここに断ち切られたフィルムを繋れまし た。「カメラは常に民衆の前で解体されていく-これが本当のドキュメントだと思う」とは、山岡強一監督が、この映画の上映運動に託した言葉です。山岡強一 監督は、山谷で始まって山谷で終わる強固な円環を打ち破る中味は何かという問いかけを上映運動に託し、この試みは現在なお継続しています。

ナショナリズム、天皇制、オリンピック――「歓待」のレイシズム

投稿日: コメントするカテゴリー: オリンピックナショナリズム天皇制批判


●ナショナリズムと文化

オリンピックと代替り、この二つの国策としてのメガイベントの共通項として、ナショナリズムと文化の二つを抽出できると思う。ナショナリズムとは、国民主義、民族主義、国家主義という三つの要素が絡みあったものとして日本語に訳しにくいものだ。しかし、同時にこれら三つの側面を含むナショナリズムであるからこそ、この言葉が近代国民国家の問題を的確に論じる上で有効な概念にもなるのだと思う。1

他方で、文化とは、合理的な説明を超越して、人々の感情や価値観、世界観などに意味を与えるものを指している。科学や理屈とは異なる人々が当然のこととして前提して理解したり感じたりする枠組である。人々が漠然とイメージしている「日本の伝統」とか「日本人」とかといった観念を具体的に支えている個々の事がらや出来事は、文化の重要な側面である。以下で述べるような祝祭イベントとの関係でいえば、文化のなかでも「美学」的な要素、「美」的な感情の問題が重要になる。

●ネガティブな出来事とポジティブな出来事

異例で大規模な「国家的」と呼ぶことができる出来事には二つの真逆なベクトルをもったものがある。一つは、戦争や大災害のようなネガティブな出来事である。多くの人々にとって、これらは「死」の直接の経験であったり、不安や恐怖をリアルに感じることのできる出来事で、「悲劇」と呼べるものだ。政府は、悲劇を「国民的」な団結を通じて克服することを目指し、もしこれに失敗すれば、政府自体の正統性の危機、あるいは権力の解体につながる可能性のある出来事でもある。2
もう一つは、今回の代替りやオリンピックのようなポジティブな出来事だ。祝祭と呼べるものだ。祝祭イベントを通じて、国家の明い未来への想像力を喚起して、今ある国家の正統性を更に強固なものとする出来事になる。3祝祭イベントで動員される感情のなかで最も強い感情が「歓喜」である。この歓喜の感情を通じて、人々が一体となっていることを実感できる雰囲気が社会の様々なレベルで醸成され、歓喜を実現した今ここにある世界を肯定する感情を生み出し、それが最終的に国家へと収斂する。

オリンピックや代替りは大多数の人々にとっては悲劇よりは祝祭であることが期待されているものといえる。少なくとも、政府や資本は、これらを祝祭のイベントとして演出することを前提とした計画をたてている。悲劇と祝祭がともに国家的なイベントであったとしても、その性格は異なり、私たちのアプローチも同じにはならないと思う。

私たちにとって、オリンピックも代替りもむしろ悲劇でしかないし、大災害でしかない。だからといって、戦争に反対したり大災害への政府の対応を批判するといった、悲劇的な出来事に対する私たちの運動がとる戦略や状況分析が、ポジティブなメガイベントに通用するわけではない。

戦争や大災害で、人々の多くは不安や恐怖の感情に囚われ、いちはやくこうした事態が「解決」されることを望み、そのためにできることに協力しようとする気持ちを通じて、人々の間の団結や政府への態度が決まる。この場合には、私たちは、こうした悲劇の原因がどこにあるのか、どのように行動することが不安や恐怖から自由になることなのかを提起し、政府への批判を展開することによって、多くの人々の理解や共感を獲得できるかもしれない。同時に、私たちもまた、多くの人々の経験や経験に根差した主張から多くのことを学ぶ必要がある。一見すると主観的で個別的とみえる様々な体験も、この個別的な体験を人々の共有可能な共通体験へと集約することによって、悲劇を克服するために民衆が共有する世界観や理念が生まれる。悲劇からの克服を既存の権力は、戦争に勝利すること、その結果として悲劇はポジティブなメガイベントへと転化し、人々を歓喜の感情によって統合し、権力の正統性を維持しようとする。大災害の場合、復興を人々の努力のたまものであり、それを国家が全面的に支援してきたといった物語を作りあげることによって、復興とはほど遠い「現実」を隠蔽し、救済されない被害者たちを不可視な存在へと追いやる。他方で、反政府運動の側、社会変革の運動は、その当初から、出来事の悲劇を大衆的な感情において共有しうる条件が与えられている。既存の権力こそが悲劇の元凶にあることを説得する可能性が与えられている。

ポジティブなメガイベントに対して反対する運動が抱えるそもそもの問題は、多くの人々と私たちの間で、共感や感情のレベルでの共通項がないという点にある。ほとんどの人々は、生前退位と即位、オリンピックに関して、これらが自分たちの生死に関わる悲劇だとは考えておらず、むしろ祝祭への期待をもって、肯定的な感情を抱く傾向にある。私たちが人々にこうした感情の根拠や理由に対して疑問を投げ、論理的あるいは学術的なスタイルで代替りやオリンピックの悲劇を主張しても、彼らの多くは多分、こうした正論には耳を貸さないかもしれない。祝祭への期待を挫くという課題は、権力者の祝祭を越える祝祭を私たちが準備できるならいざ知らず4悲劇のなかで権力への異議申し立てを組織することにはない難問がある。
祝祭イベントのもうひとつの側面は悲劇の祝祭化である。戦争をめぐるプロパガンダや軍事パレード、戦争をめぐる慰霊の儀礼などが典型だろう。今回のオリンピックでいえば、福島の隠蔽効果であり、代替りでいえば、天皇の戦争責任、植民地支配の責任の隠蔽効果である。これらはいずれも、悲劇を「美的(あるいは崇高)」な事がらに置き換えて人々の感性を操作する効果がある。5

●グローバリゼーションとナショナリズム

2020オリンピックが64年のオリンピックと大きく違うの背景には、世界規模での時代状況の違いがある。60年代は、冷戦を背景とした国民国家の時代であり、国民国家が国際関係における主権を代表した。国民国家を超越する主体はなく、国際機関は国民国家の代表から構成される時代だった。国民国家としての主権を獲得することが、植民地解放闘争の当然の目標であり、国民国家としての自立が世界規模で、主に第三世界における最重要課題だった。こうした時代のなかで、オリンピックは、一方で都市を主催者としつつも、事実上国民国家によるナショナリズムの祭典となった。

64年を回顧して、その時代にオリンピックが果した役割を想起しながらナショナリズムや動員の問題を再考する場合、この植民地からの解放と国民国家の形成という時代背景を抜きにすることはできない。戦時期やナチスのオリンピックにはなかった時代の特徴がここにある。2020年のオリンピックにはこうした意味での国民国家への熱い肯定はない。6

オリンピックは20世紀を通じて、西側近代化を象徴するイベントとして、その開催が国家威信を体現し、1960年代までは植民地主義との摩擦のなかで先進国の国際イベントとして第三世界からは批判的にみられてきた。その後、第三世界での開催は、その国が一流の先進国の仲間入りを果した証しであると主催国は宣伝し、国民もこの評価共有するようになる。国民国家とナショナリズムのためのメガインベントという地位づけが70年代に確立したともいえるかもしれない。しかし、80年代以降、グローバリゼーションの進展のなかで、ネオリベラリズムと西欧型のライフスタイルのグローバルスタンダード化が、逆に、反グローバリゼーション運動によって逆襲されるなかで、西側近代化への魅力が相対的に低下する。ポスト冷戦以降、長い対テロ戦争のなかで西欧モデルの国民国家への魅力は明かに低下し、それに伴ってオリンピックの国家イベントとしての価値も低下してきた。

他方で、オリンピックがメガイベントとしての魅力を維持するために、益々スペクタクル化への要求が高まり、サーカスの様相を呈するようになる。多国籍企業の影響力が増大し、オリンピックは、ますますスポンサー企業の影響を受け、スポンサー企業がIOCや主催国の意思決定に介入するようになった。国家と資本の妥協なしにはメガイベントは開催できなくなった。このイベントで人々が「熱く」なるのは、国別競技による勝敗のゲームというところにあって、これは資本には真似のできない人々の感情動員の要素ということになる。大衆的な一体性を「国民」というアイデンティティ集団に収斂させるグローバルなナショナルイベントのナショナリズムの演出は、その核心に「国家」の象徴作用を必須の条件とし、これは資本の機能を越える。しかも、いかなる資本もこうしたナショナルイベント以上の規模で人々を動員できるようなビジネスモデルとしての近代資本主義の祝祭モデルはまだ開発されていない。

しかし、こうした「国民」的な歓喜の集合は、徐々にほころびもみせている。それは、ひとつには、国民的なアイデンティティから逸脱する人々が増えてきこと。様々な分離独立志向、移民や難民などだ。もうひとつは、そもそもオリンピックが当初から本質的にもってきた男女のカテゴリーや、健常者と障害者のカテゴリーそのものが、多様性への関心のなかで、揺らいできたことだ。第三に、費用対効果が疑わしくなったことだ。とりわけ、オリンピックによるナショナリズムの祝祭効果は低下を続けてきたようにみえる。ナショナリズムの再生産にとって必要なもっと安上りな手法がでてきた。例えば、インターネットを通じた、感情の動員である。SNSをビジネスにする多国籍企業がこのナショナリズムの動員を支えている。

グローバリゼーションとマスメディアの終焉=インターネットの主流化という環境のなかで、都市空間に依存する莫大な資金を要するメガイベントがどのような変容を遂げるのか、あるいは消滅するのかはまだわからない。しかしオリンピックを支えてきた20世紀の枠組、国民国家を基盤とするナショナリズムのメガイベントという前提が、グローバリゼーション、長びく戦争、国民国家や西欧的な価値の相対的な機能不全とメディア環境の劇的な変化という外的な環境と適応できなくなっているということは明かなようにみえる。

●グローバルな文化と国民国家の特異性の文化

近代資本主義は、一方で、グローバルな競争を可能にするグローバルなルールを構築することによって国際関係の秩序を形成してきたが、他方で、国民国家としての特異性を構築することによって他との差異のなかで、「国民」としてのアイデンティティを再生産してきた。オリンピックと代替りは、この二つの側面を端的に象徴する出来事である。

オリンピックはグローバルなルールを前提にして競争するから、グローバルな文化、人々が他者や他の社会を評価する価値判断の基準、価値観の基準が共通のものとして形成されているという側面を最も端的に示すイベントである。その基準を支える価値観の基本は、スピードと正確性であり、これらは、機械化=工業化によって社会の進歩を判断してきた近代資本主義が人々を評価する「普遍的」なものと一致する。このスピードと正確性を極端に、超人的なレベルにまで鍛えるという異常な身体訓練を競うのが、オリンピックをはじめとするスポーツ競技である。

もうひとつのグローバルな価値判断は、「力」、つまり暴力の優劣である。価値観や文化の優劣を力の優劣に置き換えて評価する近代世界の価値観が、格闘技スポーツに反映されている。スピード、正確性、力といった要素を身体の優位性として抽出し、これをその個人の人格的人間的な優秀性だけでなく、こうしたアスリートを排出した「国民」あるいは「人種」や「民族」の優秀性を象徴するものとみなす。こうした価値観に合理的な根拠があるわけではなく、またこれを人間の能力の普遍的な判断基準とすることに特段の合理性があるわけでもない。だからこそ「スポーツ文化」ハ、いでおろぎー装置として、こうした身体のありかたに価値を付与して、共通の価値観として人々の集合的な共感の構造を再生産する。

こうしたスポーツ文化を支えるグローバルなアスリートを再生産するには、そのトレーニングから最終的にエンターテインメントとして大くの集客と歓喜の感情を形成するためのインフラが必要になる。国家と資本の投資は、こうしたアスリートをナショナリズムと利潤の枠組のなかに回収する。

代替りは、こうしたグローバルなルールに基く文化とは逆に、他国と共通性のない国民国家「日本」に固有のスタイルとして演出される。どのような国民国家も、一方で近代国民国家としての建国の理念を持ちながら、他方で近代以前の時代に淵源する文化や価値観の正当な継承者であることによって、近代という特定の時代を超越して存在しうる(つまり永遠性)を獲得しようとする。こうした役割をキリスト教やイスラム教といった宗教的な伝統が引き受ける。7

近代日本は、近代国民国家としての「世界性」と「特異性」を表裏一体のものとしてきた。このいずれを欠いても近代国民国家としての一体性は維持できない。しかし、普遍的な構造と特異な構造という二重構造は常に矛盾を抱えこむことになる。その矛盾は、国家の歴史と神話(創生の神話か歴史の事実か)と、工業化が基盤とする科学と超越的な存在(検証可能性と神の存在)をめぐって、常に妥協の弁証法に苦しめられることになる。天皇制は、神話や非科学的な神観念を土台とした国民国家としての固有性に依存する。神話を科学や歴史的な史実を根拠に否定することは容易だが、人々が神話を明確に記憶から消しさることはなく、むしろ習俗として日常生活のなかに定着しているのは何故なのかを説明したことにはならない。神の存在は証明されたことはないが、多くの科学者たちは、この根拠のはっきりしない存在を信仰しているという事実があり、こうした近代的な個人はむしろ普通にどこにでもいる人々である。

問題は二つある。ひとつは、近代天皇制への人々の不合理な肯定は、天皇制への合理的科学的な批判では覆せないということである。神話や神話に基く儀礼的な行為が体現する象徴作用を否定するとはどのようなことなのか、である。8

天皇制を支える儀礼は、オカルトといっていい性質をもち、外部の人達にとって、この日本の儀礼は奇怪なbizarreな文化でしかないと思う。この世界を「日本人」というアイデンティティを直感的にもつ人々が共有している。天皇制は日本ではカルトとはみなされていない。そのことがむしろ問われるべき問題だろう。

●私たちの課題――ナショナリズムを否定するとは?

戦争や災害といったネガティブな出来事を否定することは、さほど難しくない。最低限でも原状への復帰を構想できるからだ。しかしポジテイィブな出来事の否定はそうはいかない。オリンピックや代替りの背景をなすナショナリズムや文化を否定することなしに、これらのオジティブとみなされている出来事がもたらす問題は解決しない。

では、ナショナリズム(国民、民族、国家という虚構によって構成される価値観や情動)を否定するとはどのようなことか。日本人であることを否定することとはどのようにすれば可能であり、それはどのような状態を人間関係や社会関係において必要とすることになるのか。この問いは多分一歩一歩の試行錯誤の積み重ねでしか、答えはでないかもしれないが、答えがありうるということの確証を得ることが必要なことだ。実践的な課題とは別に、思想的理論的な見通しとして、日本人を否定することの根源をなす条件は明確にすることが必要だろう。多分、国民国家としての「日本」や「日本国民」の解体だろうが、それがどのような新たな統治機構を構築することに結びつくのかが重要であって、もうひとつの国民国家しか構想できないのであれば、ナショナリズムを払拭することにはならない。

しかし、同時に、ナショナリズムの民族的な側面は単に国民国家の否定では対処できないものでもある。擬制であったとしても「日本人」という民族性への多くの人々の確信を覆すこと、これが虚構でしかないことを、学問や科学の世界のことではなくて、日常生活のレベルで実現することとはどのようなことなのだろうか。民族の廃絶という課題は、支配的な民族にも少数民族にも同じように当て嵌めて論じることができるのか。「無民族」世界を目指すという課題は、ほとんど真剣に議論されてきていないが、天皇制を否定することと擬制としての日本人という民族性の否定をひとつの主題として運動化するとすれば、この課題は避けて通ることはできないだろう。

これは明かに「文化革命」の課題である。しかし、どのような文化の革命が自由や解放をもたらすことになるのだろうか。文化の革命を政治革命とともに、ある一つの理想に基く普遍的な理念によって導くのであれば、画一性しか生まれず、人々が有する多様性や特異性は入り込む余地はなくなるかもしれない。多様性や特異性に基づきながらも、集団としての共通した価値観も持ち、しかもこの多様性と共通性をレトリックで総合するような誤魔化し――これは多分にファシズムを引き寄せやすい――ではない、世界はありうるのか。こうした課題に答えることなしに「文化革命」はありえない。

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●参考1

オリンピック、独立国以外の参加地域(国)

https://www.joc.or.jp/games/olympic/code/index.html

プエルトリコ(米国)

米領サモア

バージン諸島(西側 米国)

バージン諸島(東側 イギリス)

アルーバ(オランダ)

バミューダ(英国)

ケイマン諸島(英国)

クック諸島(ニュージランドと連合制)

香港(JOCのリストにはない)

マカオ(パラリンピックのみ)

キプロス キプロス共和国と北キプロス・トルコ共和国で「分断」

台湾(チャイニーズタイペイとして参加)

旧英国植民地で現在英連邦加盟国のなかには、国家元首を英国王とする立憲君主制国家がいくつもある。

ミクロネシア連邦

ツバル

セントビンセント・グレナディーン

アンティグア・バーブーダ

ベリーズ

セントクリストファー・ネイビス

セントルシア

パプアニューギニア

ソロモン諸島

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●参考2

事例:プエルトリコの場合

1543年のスペインによる植民地化以降現在まで「独立」を果していない。

1898年から1900年まで自治政府樹立。

1900年に米国領に。

1917年に米国市民権が付与される。オリンピックの独自選手団は禁じられた。

近年は財政破綻が深刻。

2017年、ハリケーン・マリアで大被害。連邦議会や大統領選挙権がないため、トランプが冷淡な対応をしてきた。

1958年にIOC承認

1900年以降、プエルトリコは米国との関係で二重のアイデンティティを構築してきた。一方で、米国の市民としての意識があり、他方で文化や政治における自治意識がある。1900年当時のプエルトリコのリベラル派はスペインの植民地主義からの解放を求めつつも、完全な独立ではなく地域自治を追求した。これが1898から1900までの自治政府の動きを支えた。プエルトリコは多くの米軍基地を抱えてきた。ルーズベルトロード海軍基地は海外の米軍基地として最大規模のものだが、2003年に閉鎖。それ以前に反基地運動によってビスケス島基地も閉鎖された。

1948年。USオリンピック委員会はプエルトリコを米国のオリンピック組織に統合することを提案するが、これを拒否。この時期、ハワイとアラスカはこの提案を受けいれて組織が統合される。IOCで独立したポジションを獲得することを、他のラテンアメリカ諸国やIOCも支持する。

プエルトリコは、米国の文化的な価値の一部を受け入れてきた。消費文化、スポーツ、キリスト教(プロテスタント)などであり、「Army and Navy YMCA」(陸軍、海軍、YMCA)と俗に呼ばれるように、軍隊の進駐と同時にキリスト教文化の進出による文化的アイデンティティの解体が問題とされてきた。しかし他方で、言語はスペイン語系であり、ラテンアメリカとの共通性が大きい。この意味で、米国による文化的な統合はうまくいっていない。

プエルトリコの独立とその象徴としてのオリンピックへの独立代表を送り出すという問題は、プエルトリコの選手が星条旗のもとで米国選手団として参加するのか、オリンピックで掲げたり、選手が身につける「旗」が星条旗なのかプエルトリコの旗なのかという問題に象徴された。これは1960年代の植民地独立運動のなかで重要な意味をもった問題でもある。

プエルトリコは米国のスポーツにとって重要な「資源」でもある。野球やバスケットなどで有力な選手を排出する地域でもあったからだ。この意味でスポーツを通じての米国の文化帝国主義にとって重要な位置を占めていた。

Antonio Sotomayor、The Sovereign Colony: Olympic Sport, National Identity, and International Politics in Puerto Rico、Univ of Nebraska Pr、2018

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●参考3

北京オリンピックと香港

2008年、5月、聖火が香港を通過する。

6時間かけて25キロ、120人がリレーして香港文化センター、ビクトリア港などを通る。有名な観光地、ビジネスの中心街、中国返還を象徴する政治的な施設などを通る。香港からマカオへ。

2008年3月 チベットでの暴動(1959年のチベット暴動の49周年)とその弾圧

2008年4月 四川大地震。

北京オリンピックは中国にとって西側近代化のステージに到達したことの証明とみなされた。聖火は、このような確認を世界規模で各国に納得させる道具でもあった。2008年の聖火は、130日をかけて6大陸を横断する大規模なもので、オリンピック史上最長のリレーでもあった。国内のリレーは国内の調和を印象づける作用を世界に示す機能を期待された。台湾はこのリレーを拒否した。香港とマカオは、これらの地域が中国に統合され、この統合が植民地統治時代よりもうまくいっていることを世界に示す効果を期待されて、聖火リレーの最初の場所として選ばれた。

聖火は5月4日から中国本土に入った。1919年の54運動(抗日運動)の記念日の89周年である。1世紀前には失敗した西欧近代化を今成し遂げつつあることの象徴として。

香港の中国返還は1997年7月。一国二制度の開始。

5月2日、香港のChief Executive Mr. Donald Tsangは北京オリンピックのスローガン「一つの世界、一つの夢」を繰り返した。

聖火ランナーのリストにすいて、北京の組織委員会は120人のうち12人をノミネートした。これに地元のthe Sports Federation and Hong Kong Olympic Committeeの影響も加えると影響はさらに大きくなる。

聖火の行進は、香港の開発状況を反映した。これはMr. Timothy Fok, the Sports Federation and Hong Kong Olympic Committee Presidentが決定した。聖火ランナーはこの社会の縮図が示されている。120名のうち前現アスリートは42名のみ。残りはビジネス、政治家やNGO、エンターテインメント業界のメンバーなど。ビジネス界では、開発業者大手のShun Tak Holdings、Cheung Kong, Sun Hung Kei and Hendersonなどだ。こうしてアスリートは後景に退いた。聖火ランナーからは貧困層の人々も排除された。(サンフランシスコでは、78名のうちエッセイの入選者32名が選ばれた。)社会が分断されていることを隠蔽するセレモニーとなった。リレーの最初と最後に香港のメダリストが走った。誰が走るのかという選考をめぐる、北京との確執がある。

Wing-Shing Tang, “The 2008 Olympic Torch Relay in Hong Kong: A Clash of Governmentalities,” Human Geography 2018/1/1

1アダム・スミスの有名なWealth of Nationsは「諸国民の富」とも「国富論」とも訳されるように、nationは国民とも国家ともとれる言葉である。

2悲劇あるいはネガティブな出来事とは、ナオミ・クラインの災害資本主義から借りてきたものだが、内容は同じではない。

3祝祭イベントという表現は、ボイコフの「祝賀イベント」から借りたものであるが、内容は同じではない。一般に、権力の脆弱な「場所」は、「境界」にあるといわれている。国境は地理的な空間のなかで権力の及ぶ範囲が終点となる場所として、その外部と接するわけだが、王位継承であれ次期の政権を選択する選挙であれ、権力が時間的な終点に至り、次の権力への移行となる時間は、権力の空白時間となる。天皇は、戦後憲法では、伝統的な政治学でいえば国家権力の象徴でしかなく、権力の主体ではないということになるが、天皇は「日本」という国家を象徴する政治的な機能を担っており、明らかに統治機構の不可欠な一部をなす。天皇の死=象徴の死は、それ自体が、国家を象徴する存在の終わりを意味し、象徴の不在となる。死に続く即位は、象徴の終りと再生の一連の儀式を通じて、新たな象徴とそれが体現する国家がそれまでの国家からの正当な後継者であることを表明するための手続きになる。代替りには、「死」が関わるために、ある種の悲劇であり、「悲しみ」を排除することができない。これに対して、生前退位は、この「悲しみ」という要素が悲劇的なニュアンスを帯びることなく抑制され、即位に関わる「歓喜」の感情が支配的となる。

4こうした毒をもって毒を制する類いになりかねない作戦は、ファシスト的な「革命」の誘惑に引きよせられる危険性がある。

5小倉「憎悪の美学」『季刊ピープルズプラン』81号参照。

6この時代の参考事例として、プエルトリコのケースを参照。また、長野オリンピックが1998年、札幌が1972年である。これらの冬季オリンピックとの時代背景の比較も重要である。札幌は、ベトナム反戦運動やいわゆる68年の反乱とのかかわりで注目すべきだろう。長野オリンピックはバブル崩壊後の停滞期に追い討ちをかけたアジア通貨危機という20世紀最後の経済危機のなかで行なわれた。

7ただし、キリスト教もまた、近代を生み出した直接的な条件とみなされる場合がある。とりわけユダヤ教との結び付きを否定して、キリスト教以前の異教の時代やギリシア文明といった紀元前の時代にヨーロッパ社会の正統性を求める考え方が極右にはある。こうした考え方が、純粋な白人中心主義を正当化する主張には色濃い。

8やや安直なたとえでいえば、「陽が昇る」とか「陽が沈む」といった地動説的な表現や実感をどのようにしたら科学的な理解に合わせて表現し、なおかつそれを「実感」できるようになるか、という問題と似ている。


ピープルズプラン研究所主催の連続講座〈「平成」代替りの政治を問う〉第7回 「 東京オリンピックと「生前退位」―ナショナリズム大イベントがねらうもの」の発言資料として配布したものです。