(LeftEast)時機を失した思想。革命とウクライナに関するノート


(訳者前書き) ここに訳出したのは、ウクライナ出身のコミュニスト、アンドリューがLeftEastに寄せたエッセイである。彼は、ウクライナ東部ハルキウ出身で、ハルキウの大半の家庭同様、ロシア語を家族のなかでは話す環境で育ったと、別のインタビューで語っている。ハルキウの住民の大半はロシア語話者だが、だからといってロシア支持だということではないとも語っている。

彼のこのエッセイを読んで、そのスタンスは、私とかなり近いと感じたので、訳そうと思った。私のブログで「いかなる理由があろうとも武器をとらない」と書いたときに、念頭にあったのは、左翼のなかでの、ロシアの侵略に対して武装抵抗することの必要性を主張する議論への違和感があったからだ。現実にウクライナでロシア軍に対して左翼が武装抵抗を選択したとすれば、効果的に遂行するためには、ウクライナ軍やNATOからの軍事支援を否定することは極めて困難だろうと私は判断したが、それだけでなく、日本国内の反応がとても気になった。ウクライナが侵略される状況を目の当たりにして、護憲平和主義を主張してきた人々のなかにかなりの動揺があり、自衛隊や自衛のための武力は容認するが先制攻撃には反対といった、ほとんど無意味な平和主義がむしろ主流を占めてしまったことへの危機感が強かった。これまで私はいわゆる平和主義を主張したことはなかったし、武装抵抗の意義をむしろ肯定する考えを書いてきたこともあったが、今、私は武器を革命の手段として用いることは間違っているとはっきり主張するようになった。アンドリューが武装闘争一般を否定しているのかどうかは不明だが、ウクライナの戦争についてははっきりと、武力は選択肢にならないと主張している。

アンドリューはウクライナで戦争に加担することが、ナショナリズムの構築に加担することにしかならず、それが国民国家の形成を過渡期としてコミュニズムへと至るといった、一昔前の社会主義革命の教科書のような筋書はありえないということをはっきりと断言している。私もそう思う。戦争は、むしろナショナリズムを構築する主要な契機となることは、日本近代の歴史をみれは明らかだと思う。実際には、ナショナリズムが戦争を媒介に作り上げられるにもかかわらず、権力者は、あたかもナショナリズムが戦争前から、いわば「自然」なものとして存在していたかのような虚構をメディア、アカデミズム、教育などを通じて浸透させる。今ウクライナで目撃しているのはこうした事態ではないかと思う。

マルクス主義のなかでは、一国主義か国際主義internationalismかという問題のたてかたが便宜的になされることがあるが、これでは、internationalismがnationalismを基礎とした間ナショナリズム、inter-nationalismとしての国際主義にしかならず、ナショナリズムを払拭できない。植民地からの解放=国民国家の形成という20世紀の解放の道程は、歴史的意義を認めるとしても、それが、最適な解放への道にはならずに、グローバルな国民国家のヘゲモニー構造に組み込まれ、かつ、武力紛争など生存の危機を常に被る結果になった、というのが20世紀の歴史的教訓であって、国民国家が平和や平等な統治機構のモデルにならないことは、この数世紀の人類史が証明してきたことだ。かといって、コスモポリタニズムは、えてして人々が暮すミクロな社会圏の多様性を無視することになりかねない。アンドリューは、最小の抵抗を重視している。これは重要なことであり、人々が一人であれ少数であれ、「党」や全国的な組織に依存することなく抵抗の主体になりうる潜勢力の具体的な姿でもある。

「戦争のない国」といった語義矛盾――戦争を予定しない国家は存在しない――に気づかない護憲の主張が日本では余りにも多すぎると感じてきた。アンドリューはウクライナのナショナリズムを軽視すべきではないと警告している。この警告は、対岸の問題ではない。先ごろ捕虜交換で釈放されたアゾフ大隊のメンバーは、ウクライナで賞賛されているだけではなく、これまでアゾフを極右人種差別主義とみなしてきたニューヨークタイムズがアゾフ大隊を賛美するかのような記事を掲載するまでになってしまった。極右が英雄となる事態は、もちろん、ロシアでも起きてきたことであって、このウクライナの戦争は、どちらが勝っても負けても、戦士は英雄とされ、戦争に抵抗した人々は過酷な弾圧や精神的物質的な制裁を課されることは目にみえている。

彼は、自分の問題提起がなかなか受けいれられないかもしれないという予感をもって書いているように思える。ウクライナでは公的な政治の世界に左翼が占めうる余地が極めて小さい。逆に、そうだからこそ、現実主義的な妥協を批判する余地があるともいえる。彼は左翼のなかにある曖昧な態度を「柔軟剤」にたとえ、ロシアあるいはNATOに寛容になりがちな左翼を批判し、原則的な視点を提起する。逆に、日本のように、革新政党が国会に議席をもち、憲法幻想が強固な国では、ナショナリズムを払拭することはかなり難しい。しかし、だからこそ、戦争を、ナショナリズムを否定する視点から原則を曲げないで見据える議論をすることが、日本ではより重要だと思う。この点で「国家を防衛することを拒否することから出発してのみ、戦争そのものを止めうる唯一の力を練り上げることができる」と彼が主張している点はとても大切な観点になる。

翻訳に際して、いつも迷うのだが、nationやnationalismを、可能な限りカタカナで表記したが、nation-stateは「国民国家」と訳した。nationが国家なのか国民なのか民族なのか、文脈だけでははっきりしないし、nationalismも国民主義、民族主義、国家主義のいずれかに限定することも好ましくないと思い、カナカナ表記あるいは言語を括弧で補った。また。左翼を大文字で表記している場合があり、これも場合によっては原語を補った。また、表題の「時機を失した思想」は、原語ではuntimely thoughtである。untimelyには、時代を先取りするといったニュアンスもる。(小倉利丸)


写真提供:Dominik Kiss(Unsplash.comより)

アンドリュー
投稿日
2022年9月18日
andrewはウクライナ出身のコミュニストで、Endnotes第一部第二部第三部参照)およびTous Dehorsに掲載された「ウクライナからの手紙」の著者である。この記事は、9月10日にWoodbine NYCで行われたプレゼンテーションに基づくものです。


戦争や危機は、正常な状態を一時停止させ、資本主義を支える苦しみと脆さの両方を想起させることで、常に革命家たちの希望をかき立ててきた。

過去の世代の重荷を取り除き、ナショナリズムの神話の力に気付くことは、私たちの時代の革命的可能性を実現するための第一歩となるだろう。エネルギー危機がもたらした長い景気後退下にある私たちの立場から、避けられない欲求不満の反乱を予期して、この歴史の謎をどのように解くことができるかを考えてみることにする。

この危機の分析を試みるには、まず、一定程度問題の枠組みを明確にする必要がある。つまり、答えることが時間の無駄になるような問題と、逆に答えることが生産的であるような問題があるのには理由があるのだ。戦争やナショナリズムに関する古いマルクス主義的な議論の周りをぐるぐる回るのではなく、それらを現在の文脈のなかで把え、過去のコミュニスト運動の失敗の余波の中で私たちの政治的景観を位置づけることによって、もっとうまく対処できるのではないか。今日、あらゆる闘争が旧来の労働者運動のレガシーとは対立しているが、コミュニストの夢の敗北が具体的に体現されたものとしてのソビエト後の空間は、これらの問題に正面から向き合うことを余儀なくさせている。探求の形式を正当化するなかで、私たちは必然的に歴史的内容とコミュニスト戦略の問題に触れることになる。

何よりもまず、「左翼Left」の統一された応答を何とかして作り出そうとする話し合いは、そもそもの出だしが間違っている。こうした地政学の平面で行動することを選ぶ代わりに、私たちの時代の意識的な革命家の弱点を認識することができれば、今日の革命の展望を問い直すことができるだろう。自然発生的な行動の重要性を理解すれば、前衛主義的な幻想を捨て去ることができるだろう。歴史的な反乱を見れば、断絶を生み出す出来事の予測不可能性と、既存の組織の「キャッチアップ」の役割が分かるはずだ。この予測不可能性は、完全な悲観主義だと誤解されてはならない。もし私たちがニヒリズムを政治的手法として採択するとすれれば、暴力の革命的潜在力を予測する方法はないとはいえ、神話の支配の循環に私たちを連れ戻すにすぎないであろう暴力を認識する簡単な方法はある、ということを見ることになろう。つまりこれは、地政学的な運命の川を操作することだけを目論むナショナリストの戦争への動員の試みと失敗に終わる暴力だということだ。法と国家に具現化された神話を自然なものとする力に反対することは、それらを歴史化しようとするコミュニストの試みであるばかりでなく、それらを排除しようとするコミュニストの意図でもある。

ウクライナ戦争をめぐる議論では、私たちが合理的な議論を考え出すことができれば直ちにあらゆる問題を解決するかのような聴衆をイメージして、政治的任務を「説得」と見なすことがあまりにも頻繁にみられるが、これは革命的プロセスの誤認を意味している。革命的な教育は、説得ではなく、アナーキーの諸勢力に味方することによって生まれる。革命的な切断は、急速に変化する条件や新たなつながりの構築を含むだけでなく、事前に予測することが不可能な新たな解決策を生み出すことも必要になる。 私たちをコミュニストにするのは、新たな革命的な組織形態の発明へと向かう開放性であって、旗やスローガンではない。そして、何らかの行動が革命的であるのは、れが他の手段への拡がりをみせ、それらに結びつくことによって解放に向かう場合だけである。

私たちは、革命の自発性と新しさの重要性を認識することによって、労働者の運動――悲しいことに、最近あまりにも多くの話し合いが泥沼化しているのだが――の神話から決別することができるかもしれない。その分裂の歴史的「教訓」を認識することは、民族自決の誤りを認識することを意味するだろう。この歴史認識は、政治的あるいはアカデミックな前衛というよそよそしい環境の中で獲得されるものではなく、私たちの惑星を覆う果てしのないこの世界の観念を具体化するガラクタの山に直面して、活気をなくした大衆運動の限界として感じられるべきものである。願わくば、この寄稿が、日常の暗闇の中で、解放への可能な道を探し出すのに役立つことを願っている。

戦争に対する私たちの立場を確立するにあたっては、国家に関するほとんどの考え方が、広範なコミュニストの伝統に由来していることを理解しなければならないだろう。レーニンと当時の社会民主主義の伝統では、政治のナショナルな形態は、その内実――産業[工業]経済――を「後進国」から「完全な先進国」へと引き上げることを可能にするというだけの理由で正当化された。今では、産業近代化はもはや革命的な地平にはなく、経済と政治はそれほど明確に分かれているようには見えないないことは、繰り返すまでもないことだと思う。何百万人もの人々が貧困と失業に陥り、残された産業基盤は、まず脱工業化によって、そして今度は戦争によって粉々にされた。ウクライナにおける資本主義の復興は、宇宙規模の搾取を伴うことになる。ウクライナ政府は、難民への援助を最小限にとどめ、住宅計画を一切実施せず、「不要不急」の予算支出を削減し、来るべき冬に「誰もが自己責任で」と警告するという道筋を嬉々として示してきた。国家の中に左翼的な政治が存在しないのだから、なおさらである。閉鎖された国境のために、国境越しに壊された何百万もの家族がいるのだが、ヨーロッパの植民地主義の犠牲者には与えられなかった優しさによって受け入れられている。自由化された難民定住制度の優しさによってもまた、彼らはジェンダー化された非正規労働の中に投げ込まれている。

ナショナルな自己決定[民族自決]を理由にウクライナ国家とNATOブロックへの降伏を正当化することは、あなたが現代の左翼Leftの影響力と、国民国家の枠内での解放政治の可能性を過大評価していることを意味するだけではない。それはまた、あなたが、愛国者たちを脱愛国化outpatriotすることを試みつつ、この存在論的なナ ショナリティの世界をよりよくマネジメントしようと夢想していることも意味している。南半球の至るところで生活費の高騰に抵抗しているプロレタリアが、ウクライナのために危機を乗り切れ、と言われるとき、防衛主義者defencistの主張は完全な思い込みの域に達している。階級的な共同作業はウクライナを越えて広がることが期待されており、「諸制度を貫く長征」はNATOにまで達するようになった。

枠組みの問題をクリアした上で、合理的な分析を行うには、「柔軟剤」を断つことが必要になる。つまり、多くの左翼出版物Leftist publicationsがこの状況の現実に直面することを避けるために用いる様々な言い訳という柔軟剤に切り込むことが必要だろう。

まず第一に、大惨事の規模を明確にするために、国際法上のニュアンスをすべて取り払い、ロシアがウクライナで大虐殺を行っているということ、このカタストロフィをきちんと記録に留めることだ。無差別の砲撃、しばしば単に民間インフラに向けられたもの、国外追放、拷問、処刑、エスニックグループ全体をナチスと結びつけて破壊しないまでも再教育の対象としている、といったことだ。現代の戦争の残虐性と破壊性の規模を理解することは、より多くの兵器が問題を解決してくれるなどという幻想を抱かないということだ。私は、ロシアのナショナリスト的な拡張の目的と手段が、すべての人にとって明確であることを願うばかりである。ロシアとベラルーシのパルチザンの行動は、その高い評価があるので、あえて正当化するような議論も必要ないから、ここでは「西側」の反戦戦略に焦点を当てたいと思う。

左翼の立場を水で薄めて、難しい選択に直面しないようにする第二の「柔軟剤」、つまり、米国、欧州連合、英国のこの戦争への関与を「間接的」に過ぎないという建前も捨てなければならないだろう。今日、ウクライナは基本的な予算と産業のニーズを欧米に依存し、「支援」のもろさを思い知らされつつ武器の輸送はほとんど「ジャストインタイム」のスケジュールで行われている。ウクライナ政府は、独自に交渉する能力がないことを何度も示し、今ではほとんど毎週、攻撃、標的、戦術がアメリカのいずれかのエージェンシーによって選択されていることを誇らしげに報告している。終わりのない戦争を支えるナショナルなアウタルキー[国家的自給自足]という幻想を抱いて延命するウクライナ国内で拡大するナショナリスト運動が、戦争推進派の西側諸派の影響力の強さと張り合っているにすぎない。

私たちは、このナショナリストの運動の神話にもっと注意を払うべきである。極右少数派がウクライナの左翼組織を完全に窒息させ、現在の秩序を脅かすような公然の取り組みを不可能にしていることに加え、主流の愛国主義も存在するのである。この10年間、ウクライナの国家建設[nation-bilding]はある種の激しさを増している。この激化は、政府のトップダウン戦略によるものではない(実際、ウクライナの大統領、閣僚、議員の多くは、もっと別の環境を望んでいる)。注意深く調べれば、権力関係のネットワークの拡がりの図式が浮かび上がってくるだろう。このネットワークは、必ずしも制度に付随しているわけではなく、学校や大学、街の広場や街頭行進、雑誌の論壇や若者のサブカルチャーなど、地域ごとに展開されることによって構成されている。このような調査を行うことは、ナショナリズムへの高い評価を真剣に受け止め、ナショナリズムの中で行動するのではなく、これを弱体化させる方法を模索することなのだ。

成長するNGOセクターによって作り上げられたユーロマイダン運動のリベラルな気取りを受け入れるのではなく、また、単に人気の世論調査を理由にその正統性を否定するのではなく、ナショナリズム運動の背後にある真の大衆的な結集を理解する必要がある。地域的な要因や出来事を単独で捉えた場合の相対的な影響の小ささを無視しなければ、私たちは、ナショナリストの主体性subjectivitiesを構築する上で互いに強めあう様々なプロセスのネットワークを理解することができるだろう。この主体化のプロセスは、完全な非政治化と同時に起こる。つまり、ウクライナでファシストやアナーキストであることは、今やフーリガンであること、サッカーの過激論者[football ultra]であることにほかならないのだ。この一見「ポスト・ポリティカル」な風景の背後に、右翼への大規模なシフトが隠されている。

この右翼へのシフトの表れの一つが、ナショナリスト的な歴史的記憶の構築であり、それは常に、ある種のナショナリスト的な未来の構築を伴っている。バンデラという英雄的シンボルの創造におけるウクライナ・ファシズムへの賞賛、高貴なコサックを原ウクライナ人とするロマン主義化、1917年の革命を永久に変ることのないウクライナに対するクーデターであり占領であると表現するような変化、ホロドモールを大衆的な革命後の産業国家の矛盾の表れではなく、ロシア人によるウクライナ人に対する大量虐殺というイメージが定着したことは、存在論的に無垢で高潔な ウクライナ人を創造するという戦略の一部として見た場合にすべて納得がいく。常にロシア人や国内の裏切り者に脅かされているだけでなく、常に西側に裏切られそうになっている危険な存在としてのウクライナ人だ。私たちにとってより重要なのは、歴史の終着点としての国民国家を仮定し、いかなる反乱も裏切り者であると貶める、つまり遺伝的にロシア的であると貶めるのが、反乱に対抗する見方なのだという点である。この神話が、春に前線と隣接する地域で行われた略奪防止の弾圧を促進し、公共生活のあらゆる領域で反逆者狩りを煽り続けている。

革命的敗北主義の課題は、ナショナリストの神話を実践的に弱体化させ、戦争と平和の二項対立を超越することである。つまり、コミュニスト運動だけが、拡大し続ける帝国戦争の敵となり、もう一つのナショナリストの動員によってではなく、まさに帝国戦争の存在条件を弱体化させることによって、帝国戦争に抵抗できるのだ。私たちは、いかなる抵抗も折り悪く非愛国的だと呼ぶのではなく、非常事態の中で不満が爆発することに期待しなければならない。しかし、アナーキーの党をコミュニストと主張するのは早計である。戦争は、神話的暴力の最大の動機であって、私たちは、現代のポグロムと普遍化するコミューンを区別できなければならない。

革命的敗北主義は、受動的プロジェクトの対極にある。つまり、国家を防衛することを拒否することから出発してのみ、戦争そのものを止めうる唯一の力を練り上げることができるのである。戦争に勝ち目がないと主張するとき、私たちは、反撃の不可能性を主張しているのではなく、通常戦の手段による解放の不可能性を主張しているのである。軍隊に参加する左翼は、徴兵制とファシストの海でばらばらになるだけでなく、その誇り高き宣言とともに、目前の問題を解決する正当な手段として軍隊と地政学的外交を支持することに手を貸すことになる。戦争の「理由」を探ろうと試みるなかで、それでもなお「自然な」ナショナリティ[nationalities]の前提に基づいて作戦行動をすることは言い訳にはならない。なぜならば、植民地主義やファシズムは、指導者を排除したり国を占領したりすることで防げるものではなく、それらが育くまれる労働、ジェンダー、人種の世界の基盤を焼き払うことで防げるということを、私たちは完全に自覚しているからだ。

これらの解明を経て、私たちが国家とナショナリズムに対する最も小さな反乱の兆候を探し、戦争の経済的影響がますます広がるなかで、国境をも越えてその伝染と拡散の可能性を理解しようとしなければならないのか、その理由が明確になる。( 必要な ) 外交的解決の可能性について議論するのは刺激的かもしれないが、アメリカの帝国戦争機械の諸派、ロシアの大量虐殺のナショナリスト運動、ウクライナ政府またはファシスト大隊、これらのなかに、私には選択できる味方はいない。金融化された軍事複合体の力の大きさと、それに関わる激昂した愛国主義的な人々の存在は、私たちがこれとは別の次元での可能性を探さなければならないということを意味している。よりマシな「左翼Left」政党に期待するのではなく、ウクライナ国内外において、個人や集団による盗みや徴兵忌避、脱走、社会の雰囲気のなかにあるあらゆる愛国的デタラメと逆らう攻撃などを促し活用することを模索すべきである。 現状維持は破局の継続であり、より良い国民国家は革命への過渡期としては機能し得ないことを認識しつつ、私たちは、直ちに約束を履行するための探求に乗り出さなければならない。この探求は困難であり、失望をもたらすことを覚悟しなければならないが、これは必要なことなのである。

(LeftEast)「戦争前に持っていた市民的、政治的、社会的権利を損なうことなく回復することが最低限の課題です」Serhii Guzへのインタビュー

(訳者前書き) 以下は、LEFTEASTに掲載されたインタビューの翻訳です。「正義の戦争」を遂行する政府は、あらゆる意味で正義の体現者であると誤解されがちです。しかし、戦争は、「正義の戦争」の側にも深刻な権利の後退をもたらすことは、これまでも知られていました。現実に起きていることは、「正義の戦争」に勝利するためには、戦争を遂行する上で最適な統治を実践しなければならない、ということです。そしてこの最適な統治は、民主主義よりも権威主義であったり、異論を排除し、権利を制限する体制をとるだろうということです。軍事作戦が優先され、民主主義や政府への批判、基本的人権の保障が後退することは、むしろこれまでの歴史でも繰り返されてきましたが、まさにウクライナでも同じことが起きています。ウクライナでは、戒厳令によって労働運動や左翼あるいは野党の組織が解体に追い込まれていますが、Guzさんは、これは、戦争前から歴代政権が目論んできたことであり、戦争がこの目論見に口実を与えたと指摘しています。また、控え目な表現ですが、「正義の戦争」を戦うウクライナの政府が労働運動や野党を弾圧している事態に対して、「米国や欧州の政治的パートナーの責任も大きい」と指摘しています。欧米諸国ではありえないような強権的な弾圧への、関心が薄いことへの批判であると同時に、こうした労働運動や左翼運動への支援の呼びかけだと私は解釈しました。ウクライナが戦争を契機に、再び権威主義へと回帰するとしたら、それはプーチンに責任があるといえるとしても、全ての責任をプーチンに負わせることに彼は反対します。なぜなら、この戦争以前からウクライナの政権に内在している、いわゆる労働運動への新自由主義的な敵対という土壌があったからです。インタビューの最後で、戦争へと突入してしまった社会が、戦争以前の権利水準を回復することすらいかに困難であるかを語っています。私もそう思います。私たちは、この話を、まさに日本のこととして受け止めなければならないと思います。(小倉利丸)

Mvs.gov.ua

ウクライナのジャーナリストであり労働組合活動家であるSerhii Guzへのインタビュー

Serhii Guz
2022年10月4日

LeftEast: 自己紹介をお願いします。

私は52歳で、27年間、ジャーナリストと編集者として活動してきました。私は公的な活動に積極的に関わっています。ウクライナ独立メディア労働組合the Independent Media Trade Union of Ukraine(2002年から2012年まで)の創設者の一人であり、代表を務めました。また、ジャーナリズム倫理委員会the Commission on Journalism Ethicsのメンバー(2003年から現在まで、委員会の最も古いメンバーの一人)でもあります。また、1998年からは、故郷のカメンスコエで環境保護団体「自然の声Voice of Nature」の設立に携わり、積極的に参加しています。

LE:戦争前の労働条件はどうだったのでしょうか?ウクライナの労働組合はどのようなものだったのでしょうか?

労働条件の悪さも労働組合への攻撃も、戦争のずっと以前から現実のものとなっていました。本当の災難は、ソ連が崩壊し、ウクライナが市場経済に移行した直後に起こりました。何千もの企業が閉鎖され、その他の企業も給与を期限通りに支払わず、物々交換や 不正な取引が盛んに行われました。当時、労働条件は崩壊し、安全衛生基準も満たされなくなり、社会保障も段階的に縮小されていきました。

2000年代に入って経済が回復してくると、企業に必要な資源が供給されるようになり、労働条件の状況も改善されるかと思われました。しかし、まさにその時、組合–旧ソ連の組合と新たな独立した自由な組合の両方–を貶めるキャンペーンが始まりました。

こうしたことへの闘いは、成功の程度の差こそあれ、2019年頃まで続き、「国民の僕」と呼ばれる政党が政権を握ると、労働組合や労働権に対する攻撃は急激に強まった。その理由は、与党とその政権が、露骨な自由主義的な改革路線に踏み出したからだと考えられます。

しかし、この改革を完全に実行に移すことができたのは、ウクライナで戦争が始まり、戒厳令によってストライキや集団抗議行動が禁止されたときでした。労働組合は、このような状況下で自分たちを守ることができなかったのです。

LE:戦争は状況をどのように変えたのでしょうか?具体的には、労働法・労働慣行の改革は今どうなっているのでしょうか?戦争中や戦争後の労働者にどのような影響を与えるのでしょうか?労働組合はそれに応えてきましたか?

この状況を利用して、政府は労働者の権利と組合活動の両方を大幅に制限する法律をいくつか成立させました。例えば、現在、労働者は組合の同意なしに解雇さ れる可能性がありますが、これは戦争前なら違法だったでしょう。また、使用者は一方的に労働契約を打ち切り、労働条件を変更する権利を与えられ、団体交渉協定の効力も大幅に制限さ れました。要するに、ウクライナ市民の労働権に関する社会的利益は、すべて新しい規範によって奪われてしまったのです。

大規模な抗議行動を避けるために、議会は、戒厳令の期間中、最も酷いノルマに規制をかけることに合意しました。しかし、騙されてはいけません。これらの法案は、ロシアの本格的な侵攻のずっと前に起草されたものなのです。そして、何十年も続くことを想定して起草されたものでした。だから、政府と企業経営者は、どんな口実であれ、これらの変更、特に労働組合の権利と労働協約の効力を制限する変更を全て維持しようとするであろうことを、私は信じて疑いません。

私は、現在の戦時中の圧力の下で、労働組合がこれに対して何かできるという幻想を抱いていません。戒厳令が終わるまでに、組合員の大部分とその活動を維持することができれば、それは奇跡と言えるでしょう。これまでのところ、組合はこうした新自由主義的な改革に対して目に見える抵抗はしていません。そして、既存のものは危機的状況にあるように思われます。おそらく、これらは新しい労働組合組織と労働組合の闘争方法に取って代わられるでしょう。これは間違いないでしょう。

LE:ここ数カ月、ウクライナのメディア界で何が起きているのか、教えてください。戦争前と戦争中のジャーナリストの役割は何だったのでしょうか?ジャーナリズムの組合は、ジャーナリストや報道をどのように助け、または阻んでいるのでしょうか?

私たちはまた、メディア領域で深刻な危機を経験しています。経済的にだけでなく、職業的にも、そしておそらくイデオロギー的にも。

「民主的」なジャーナリズムは、プロパガンダ、検閲、自己検閲、あるいは中途半端な真実といった概念とは相容れないという神話が、私たちの目の前で崩れ去りつつあります。戦争は、これらの現象がすべて、”愛国心 “という高貴な口実のもとに、私たちのジャーナリズムに急速に復活しつつあることを示しています。

正直に言うと、今日のウクライナのメディアは、戦争が起きていることと、メディア市場の状況が急速に悪化していることの両方によって、民主的な基準に従って機能することができなくなっているのです。広告市場は崩壊し、地方では事実上消滅しています。購読者数は減少しています。新聞社は閉鎖され、地方のテレビ局も閉鎖されています。真に独立したメディアはますます少なくなり、残っているメディアはほとんどが欧米の財団からの助成金で支えられています。そして、このことがまた彼らの活動にも影響を及ぼしています。

しかし、ウクライナのメディアを支援するどころか、政府はジャーナリストに対する国家統制を強化しようとしているのです。国会はすでに「メディアに関する」法律案の第一読会を開き、ウクライナのすべてのメディアを一国の規制当局に服従させることを議決しています。独裁・権威主義的な支配をしていたクチマやヤヌコビッチの時代にも、このようなことは起こりませんでした。

今、ウクライナでこの法律に反対しているのは、全ウクライナジャーナリスト組合the National Union of Journalists of Ukraineだけです。その結果、私たちは、極めて困難な戦争状況に置かれている何百何千ものジャーナリストを助けることと、自国政府のこのような立法措置と闘うことの間で板挟みにあっているのです。

LE:野党はどうなっているのでしょうか?

政府に反対する政党として残っているのは、オリガルヒで前大統領のペトロ・ポロシェンコの欧州連帯党だけです。また、ポロシェンコと同盟を結ぶことの多い、急進的な右翼民族主義政党も存在します。その他の中道・左翼の野党はすべて見事に敗北してしまっています。

つい先日も、国会で非常に大きな派閥を持っていた「野党プラットフォーム-生活のために!Opposition Platform – For Life!」党を禁止する判決が下されたのは注目に値します。そして同じ日、ウクライナのメディアは、この裁判所の判事がロシアのパスポートを持っていたというスキャンダラスな調査結果を発表しました。破棄院がこれまでの裁判所の判決に疑問を呈さず、同党の禁止決定を支持したのは驚くべきことではありません。しかし、彼らが何の罪を犯しているのか、社会的にはまだ謎だらけです。私たちは、同党が敵国ロシアの利益のために行動したのだと根拠もなく信じるほかありません。

同様に、最も古いウクライナ社会党もその一つに含まれるそのほとんどが左翼政党である何十もの政党についても、同様の理由で解散したことについてもまた根拠もなく信じる以外にありません。

LE: ウクライナがこの戦争のような存亡の危機にあるとき、戦争の支持者の多くは、当局の行動を批判しないことを選びます。しかし、あなたはそのようなときでも沈黙を拒否しています。それがプーチンを助けることにならないのでしょうか。

それは私のような多くの人にとって現在最も重要な大問題で、同じような非難をたくさん耳にします。

しかし、私は他の市民と同じようにウクライナを愛しています。そしてもちろん、プーチン側の、正当化できないこの途方もない侵略行為にショックを受けています。

友人や各国のジャーナリスト、労働組合活動家たちと、この件について何度も話し合いました。もちろん、ウクライナはこの戦争で支援を必要としており、特に人道的な支援を必要としています。

しかし、同じように、その民主的機関、つまり報道機関、政党や公的機関、人権、議会主義、その他多くが支援を必要としているのです。しかし、「支援」とはお金だけではありませんね。今ある問題について正直に話し、ウクライナですでに達成された民主主義の成果を損なわないような状況の打開策を集団で模索することでもあります。

もし私たちが問題から目をそらし、その問題について沈黙を守れば、問題はどんどん大きくなり、私たちの社会を内側からさらに蝕んでいくでしょう。だからこそ、職業的義務に徹したジャーナリストの誠実な活動が、今、とても重要なのだと思います。

LE:あなたは、戦争の過程で、ウクライナ政府だけでなく、ウクライナ社会が民主的でなくなったという、より大きな指摘もされていますね。これは戦時下の必然的な結果であり、プーチンが正面から非難されるべきことではないのでしょうか。このような事態がウクライナ社会にもたらす長期的な影響について、あなたはどのようにお考えですか?戦争前はどの程度民主的だったのでしょうか。

これは既存の「若い民主主義国」のパラドックスで、常に何らかの口実を設けて民主的な制度を後退さ せようとしているのです。例えば、経済危機のため、パンデミックのため、今度は戦争のため、そしてその口実はウクライナの経済を回復させる必要性があるからというものです。政府は、”最も民主的な改革 “のために一時権威主義的になるという口実を待ちかまえているように、私には時々思えるのです。

そして、今、ウクライナで民主主義の逆転現象が深まっているのは、もちろんプーチンと彼がウクライナに対して放った侵略行為が直接の原因です。以前、彼がベラルーシや他のいくつかのポストソビエト共和国の反民主主義的な流れを支持したように。

しかし、すべての責任をプーチンやロシアだけに転嫁するのは大きな間違いです。何よりもまず、自分たちの過ちに目を向けるべきです。その中には、いわゆる「革命的ご都合主義」がありがありました。これは、国が民主主義の原則からの逸脱を最も必要とするときに、この逸脱をその都度正当化するものでした。

そして今日、ウクライナ社会は、ウクライナの民主主義の最大の後退を、いとも簡単に受け入れてしまっており、与党はこれを戦争によって正当化しているのです。

このすべてが、特に戦争が何年も長引けば、ウクライナ社会にとって非常に悪い結末を迎える可能性があります。ウクライナ人は、社会を統治する権威主義的なスタイルで生活することに慣れるだけでしょう。まさに今これこそが戒厳令によって、この国が統治されるやり方なのです。そして、非常に多くの政治家や役人が、このような統治スタイルと別れたくないと思っているのは本当なのです。

だからこそ、この戦争が私たちの社会を内側から壊し、ロシアやベラルーシのような権威主義的な政権に変えてしまうことを許してはならないのです。

LE: 戦争中に市民権を制限することが正当化されるとお考えですか?ロシア連邦保安庁の諜報員(現地で多くの活動をしていることは間違いない)がウクライナのメディアや政治家をリクルートしたことはないのでしょうか?

いかなる告発も法廷で立証されなければならないし、いかなる権利の制限も正当なものでなければならず、社会への悪影響を防ぐためにまさに必要なものでなければなりません。人権宣言やウクライナ憲法にはそう書かれています。しかし、実際には、多くの派手な告発が証拠なしに行われ、裁判も秘密裏に行われ、社会は客観的な情報を奪われているのが現状です。

このような状況では、自分の本当の敵だけでなく、政敵をも簡単に告発することができます。このようなことは、見苦しいだけでなく、将来的にも非常に悪い影響を与えます。結局のところ、社会は、政治家を逮捕して投獄したり、政党を禁止したりするのに証拠など必要なく、声高に告発するだけで十分だという事実に慣れっこになってしまうのです。

残念ながら、米国や欧州の政治的パートナーの責任も大きいと思います。例えば、アメリカやドイツの政党が、公の裁判を受けることなく、シークレットサービスの文書だけを根拠に解散させられるというのは、私には想像しがたいことです。民主主義国家ではありえないことです。では、なぜウクライナではそれが可能なのでしょうか。政党が解散させられ、政治家が逮捕された根拠を、法執行当局が公表できないのはなぜでしょうか。

民主主義そのものの根幹を揺るがすこのような決定の透明性と公表がなければ、ウクライナの民主主義の成果すべてが破壊されることになります。そして、今日、人々が、「私たちは何のために戦っているのか」という問いを投げかけ始めたことは、決して無駄なことではありません。

LE:ウクライナの労働者と労働条件の未来はどうなっているのでしょうか?

この質問は最も難しいものです。というのも、現在の状況では、あえて未来を予測しようとする人はほとんどいないからです。私は、戦場ではウクライナ軍が勝利し、交渉の席で戦争が終わると信じています。しかし、その場合、ウクライナの市民社会、ウクライナの労働組合、そして一般的に民主的な市民が、どの程度まで自分たちの利益を宣言できるかにすべてがかかっています。最低限の課題は、戦争前に持っていた市民的、政治的、社会的権利を、損失なくすべて回復することです。しかし、主に労働権や社会権の領域で損失が生じると思います。ウクライナが次の社会実験の格好の場になる可能性は非常に高く、私はそれを見たくはないのですが。

戦争に勝ったとしても、非常に困難な未来が待っている、このことを私は信じて疑いません。

LE:あなたにとっての未来とは何でしょうか?

私の将来は、ジャーナリズムの世界です。この分野でも、戦争の影響とこの職業のグローバルな変化により、多くの困難が待ち受けていることでしょう。

LE: 私たちに何かアドバイスはありますか?

私はイギリスの友人たちに、自分たちの国が平和であることに感謝するべきだと言いました。平和であれば、交渉も、改革も、自分の権利を守ることも、将来の計画も、すべて可能になるのです。平和は民主主義の基礎であることは、いまや疑う余地もありません。

ですから、グローバルな意味での私たちの努力は、平和を実現し、真に公正な社会を構築することでなければなりません。

そして、軍拡競争に反対しなければなりません。なぜなら、今日のロシアのような軍国主義国家は、自分たちより弱いと考える相手に対して簡単に戦争を始めることができるからです。そして、もし私たちが軍縮の考えを放棄すれば、弱い国は医療や教育ではなく、兵器にますます多くの資金を費やさざるを得なくなるのです。例えば、ウクライナは来年、予算の50%を軍隊に使い、年金や医療・教育などの社会事業には30%しか使わない予定です。なぜこのようなことが起こるのかは理解していますが、戦争で貴重な資源を浪費していることも理解する必要があります。

ですから、私は平和と軍縮、民主主義と社会正義のために活動しているのです。

Serhiy Guz ウクライナのジャーナリストで、同国のジャーナリズム労働組合運動の創始者の一人である。2004年から2008年までウクライナの独立メディア組合を率い、現在はウクライナのメディアの自主規制機関であるジャーナリスト倫理委員会の委員を務めている。また、NGO団体「ボイス・オブ・ネイチャー」の評議員も務めている。

連載:意味と搾取第4章を公開しました。

青弓社のサイトで連載している「意味と搾取」の第4章 「パラマーケットと非知覚過程の弁証法――資本主義的コミュニケーション批判」が公開されました。以下、これまでの連載の目次と、4章冒頭のみ掲載します。全文は青弓社のサイトでお読みください。

目次
序章 資本主義批判のアップデートのために
第1章 拡張される搾取――土台と上部構造の融合
第2章 監視と制御――行動と意識をめぐる計算合理性とそこからの逸脱
第3章 コンピューターをめぐる同一化と恋着
第4章 パラマーケットと非知覚過程の弁証法――資本主義的コミュニケーション批判

[第4章構成]
4-1 資本主義批判の枠組みの組み替え
   ・上部構造への資本の介入
   ・監視資本主義
   ・資本主義と機械
   ・支配的構造の歴史的変容
4-2 予測と制御:意味生成過程
   ・使用価値とパーソナリティ――〈労働力〉再生産過程と意味使用価値
   ・買い手にとっての意味使用価値
   ・パラマーケットの変容
   ・選択の自由と操作的言語
4-3 空間の解体
   ・プライバシーと空間
   ・空間の配置とパラマーケット
   ・資本主義における自己同一性
4-4 非知覚過程
   ・モノの回路とコミュニーションの回路
   ・資本に有機的に組み込まれたパラマーケット
   ・ユーザー追跡技術
   ・監視システムとしてのパラマーケット
   ・ユーザー追跡技術への批判と抵抗
   ・政府による非知覚過程の利用
4-5 コミュニケーション労働と非知覚過程
   ・コミュニケーション労働の実質的包摂へ
   ・コミュニケーション労働とデータ化する「私」
   ・コンピューターと身体性
4-6 フェティシュな人工知能
   ・フィードバックの副作用
   ・恋着と同一化の対象としての人工知能
4-7 官僚制と法の支配の終焉
   ・政治過程にコンピューターが介在するとはどのようなことか
   ・では現行の法の支配のほうがマシなのか
   ・個人の意思と集団の意思
4-8 ナショナリズムの再生産構造
   ・ナショナルアイデンティティ
   ・パラマーケットとナショナリズム

4-1 資本主義批判の枠組みの組み替え

 本稿全体の冒頭で、マルクスの資本主義認識に立ち返りながら、現代資本主義の基本構造を、土台―上部構造の定式に対する資本主義的な応答としての、上部構造の土台化、土台の上部構造化について述べた。つまり、政治権力と資本の意思決定構造が相似形をとるようになる、ということだ。マルクスの資本循環図式を形式的に当てはめて表現すると、以下のようにも言うことができる。権力の生産過程は、統治機構の物質的条件(権力の生産手段)と官僚、議員、裁判官などの人的な資源によって、構造への「従属」という政治的生産物が生産される。これを「国民」やこのカテゴリーから排除された人々が「消費」することを通じて、「従属」が再生産される。
 資本が介入する伝統的な回路は、ケインズ主義の公共投資と土木建設資本の関係のようなインフラ投資の時代から新自由主義の公共サービスを民間資本に開放する時代へと展開してきた。この前提には、公共サービスを生存権の保障のための国家の義務として理解することから、財政負担を伴う「費用」とみなして採算を優先させるような国家の側の義務理解の根本的な転換があり、その結果として、公共サービスが資本に利潤をもたらすことが可能な領域に組み込まれることになった。一般に、この過程は民営化とか小さな政府と解釈されてきたが、私は、逆に、権力の生産過程が資本の生産過程と融合しはじめたのであって、小さな政府ではなく、政府機能が市場経済に有機的に結合しながら、市場そのものが政治化する契機となったとみたほうがいいと考えている。政府は小さくなったのではなく、民主主義的な統制の外部で大きくなったのだ。従来の公共投資では、資本は、政治的生産手段を担うこと(道路や港湾、都市開発など)を通じて政治過程と外的・形式的に接合していたにすぎなかった。いま起きていることは、官僚制など権力の生産過程を担う人的な組織の資本との内的・実質的接合である。伝統的な近代の権力の人的組織が担ってきたのは、意思決定と、その前提にあるコミュニケーションや情報の管理である。さらには、法の「生産」とこれを適用することができる力である。コンピューター・テクノロジー/コミュニケーション(CTC)が支配的技術となる時代には、デジタル庁のように、この過程がデジタル・トランスフォーメーション(DX)として展開されることになる。

以下、全文は青弓社のサイトへ。

東部ウクライナの余計な人たち

(訳者まえがき) ここに訳出したのは、ウクライナ出身のアーティスト、Anatoli UlyanovのLeft Eastに掲載されたエッセイである。タイトルにある余計な人たちThe Superfluous Peopleとは、ロシア語話者でロシアに何らかの出自や関わりがある人達のことだ。ウクライナの政府にとって大切なのは、領土であり、こうしたロシア語話者の人達を本音では排除したいのではないかと、彼自身の経験を踏まえて判断している。もちろんロシアにとっても余計者であり、せいぜいでウクライナとの戦争で消費される戦力としてしか考えられていない。

ウリヤノフは、2004年のオレンジ革命以後、ウクライナの不寛容なナショナリズムとLGBTQコミュニティへの迫害を批判してきたアーティストで、ウクライナではゲイともみなされてきた。ウリヤノフのようなアイデンティティをもつ人達は、ウクライナでもロシアでも居場所を見出すのは容易ではない。ごく簡単にウリヤノフの経歴について紹介する。

2003年、アナトリ・ウリヤノフとナターシャ・マシャロワ(Natasha Masharova)は「プロザ」というウェブサイトを立ち上げ、とくに2004年のオレンジ革命以後、外国人嫌いで保守的なナショナリストのイデオロギーが世論を支配し、政府機関に根付いているのを見て、反ナショナリズムの主張を展開すると同時に、エロティックアート、同性愛の汚名に挑戦するエッセイなど、LGBTQ+ コミュニティを支援する仕事も発表し始めた。

2008年に「ウクライナの伝統的価値」を守るための検閲を任務とする政府機関「道徳委員会」の設置に反対する活動を開始する。この委員会のメンバーであるダニロ・ヤネフスキーは、「奴隷に言論の自由は必要ない」「口を閉じて座っている必要がある」のであり「検閲の実施に賛成する」と発言するなど、表現の自由に深刻な危機をもたらした。ウリヤノフへの繰り返しの暴力や脅迫に対して警察は何の手立てもとらず、道徳委員会設立の立役者の一人でもあったキーウ市長もまた事件を軽視する態度をとった。右翼・ナショナリストの反感を買い、暴力を振われたり脅されたりしてきた。繰り返される暴力と迫害のために、2011年、ウリヤノフとマシャロワは2009年4月にウクライナを出国し米国に渡り、亡命を申請する。ウリヤノフは、反ナショナリズムの政治信条やゲイ・コミュニティの一員であるとの判断から、過去の迫害や将来の迫害に対する十分な恐怖が証明されるため「難民」として認定され、2018年、人権団体などの支援を得て、米国への亡命を果し、現在米国在住。(以上は、アナトリのブログ記事「REFUGEE PROFILE OF ANATOLI ULYANOV」を参考にした)

ウリヤノフは、米国において、トランプ政権下で、労働者階級の中で生活した経験から、その見解はラディカルなものになってきたという。当初はナショナリズムに反対し、多様性と人権を尊重する立場――「ピンク・ソーシャリズムと呼んでいる――だったが、今では、傷つき赤い血を流すなかで、反帝国主義、反人種主義の赤い社会主義へと向かっている、という。(Left Eastのインタビュー)

私は、日本のメディアが「ウクライナ人」「ロシア人」といった呼称を何らの前提もなしに、用いるとき、国籍の概念としてこれらが用いられているとしたとしても、どれほどの多様性を自覚して用いられているのか疑問に思うことが度々あった。とくに東部ウクライナのロシア語話者や、親族などがロシアに出自をもつ人達もおり、また、ロマやユダヤ人、そして最近は、非西欧世界からの移住者や労働者も生活している。ロシアも同様で、極東ロシアは極めて多様性の大きい少数民族地域でもあるが、大抵は、ロシア=ヨーロッパロシアとみなしていると思う。同時に、ジェンダー・アイデンティティも多様であり、宗教の信条もそうだ。こうした多様性を前提とした社会が戦争に巻き込まれるとき、こうした多様性への寛容よりも効率的な戦争遂行のための人口管理が優先するために、自由は抑圧されることになる。

ウリヤノフは、この戦争で東部のロシア語話者の人達がいったいどのような処遇を受けるのか、という問題を自身の亡命を余儀なくされた経験を踏まえてかなり悲観的に書いている。西側メディアはウクライナのロシア語系住民や、ロシアの多く暮すウクライナ系住民の問題をとりあげることはほとんどない。ロシア語系住民にとって、戦争後の世界は、どちらが勝利しようと良い未来ではない。ウリヤノフは、彼らに残された選択肢は、より悪くない方を選ぶことしかできないのではないか、と述べている。そして、この見通しがまちがっていれば、そこにはまだより良い未来への可能性があるかもしれない、というやや自嘲的な文言で締め括っている。(小倉利丸)

東ウクライナの余計な人たち

Anatoli Ulyanov 著
2022年9月10日
あなた自身のことを、爆撃を受けた東ウクライナの都市で、解放されるのを待っているロシア語を話す人だと想像してみてほしい。その「解放者」のうちの何人かは、まずあなたのクローゼットをチェックして、Zブランドの間に合わせの砲兵として動員できる若者を探すだろう。別の解放者たちは、あなたを「vatnik」(ホモ・ソビエチス[ロシア人の蔑称])以外の何者でもないと見なしているのは明らかだ。あとは、あなたがどちらのナイフで解放されたいかだけだ。被害者の善のナイフか、それとも侵略者の悪のナイフか?

Emmanuil Evzerikhin, Stalingrad (1943)

ウクライナの国家安全保障・防衛会議事務局長のアレクセイ・ダニロフの話を聞いていると、「ドンバスの再統合」については誰も特に関心がないことがわかる。重要なのは領土であり、できれば「余計な」人口を排除することだ。民衆という存在は概して厄介なものだ。皆、それぞれの考え方やアイデンティティを持っていて、違いやニュアンスもある。それをどうにかして一つにまとめ、代表させる必要がある。皆これを面倒くさがる。

もし、あなたが占領地の住民と対話したいのなら、あなた方は「我々と共通言語を見出す必要があるのはあなた方であって、その逆ではない」などとは言わないだろうし、おばあさんがZトラックからの人道支援物資を食べたからといって反逆罪だと非難することもないだろう。あなたは、その破壊が政治的な復讐(脱共産化)というよりもむしろ社会的な排除を意味する程にまで、誰かのママやパパのアイデンティティの一部でもあるソ連のシンボル――もはやイデオロギー的なものではなく、社会的、文化的なものなのだが――に泥を塗るようなことはしないだろう。侵略者であるロシア人ですら、ケルソンの学校にウクライナ語を入れようと考えたのは、広報が重要だからだ。他方、ウクライナ側は、プロパガンダのレベルでも、寛容さや包容性のイメージを伝えることができない状態だ。

あなたが、侵略国の市民に政権に対して立ち上がることを期待するなら、たまたま生まれた場所が悪かったという理由で、彼らのビザを取り上げてプーチンの檻に閉じ込めるような要求はしないものだ。あなたは、例外なく全員が「そういう人たちだ」とは言わないし、文化の架け橋を焼いたり、ブルガーコフの額石を削ったり、腹立ちまぎれに自分を犠牲にしたりもしない……。

ロシアは侵略者だ。これは明らかなことだ。はっきりしないのは、この「余計な」ウクライナ人を、彼らの居場所を見つける努力しない国に引き寄せるのは何なのかということだ。それは、ロシアの恐ろしさ以外にない。ロシアはもっとひどい国だろう。もっと悪くなるのと悪くなるのと、どっちがいいんだ?悪い方がいいに決まっている。それが、与えられた選択肢のすべてだ。

「ここが嫌か?じゃあ、消せろ」。 そうか、ありがとう。少なくとも、あなたが育ち、かつて愛し、夢見た世界から離れることは許されている。彼らは、信頼できる市民でその空白を埋めることだろう。もちろん、あなたが徴兵年齢の男性でなければ、の話だ。徴兵年齢なら、あなたはどこへも逃げ出せない。

ウクライナの勝利を願っている。しかし、私は明るい未来について、無条件な楽観主義を抱いてはいない。

今はロシアの侵略と外敵の存在によって社会の一体性が確保されている。戦争が終わると同時に、内部矛盾が先鋭化するだろう。

戦争は世界共通の議論になる。戦争は、経済におけるあらゆる問題、抑圧、独断を正当化するために役に立つだろう。被害者は常に正しい。被害者はすべてを許され、何の責任も負わない。

ロシアが地球上から消えることはないので、ロシアに近いこと、侵略の記憶があるために、常に戦争の準備をすることが可能となり、必要でさえある。こうして戦争は、大いなる理由Great Reason、問いであり答えであり、統一して事を起こす力、国家の理念、私たちの運命そのものになる。一方、主要な外敵が手の届かないところにいるときには、手の届くところにいる内なる “敵 “に対処することになる。

あなた自身のこの部分の拒絶の一部としてソビエトのすべては消し去られるだろう。それは恥ずべきものとなり、抑圧され、文化の貧困化と結びつき、包摂性の低下、許容できるアイデンティティの範囲の縮小をもたらすだろう。ここで誰が罪を犯しているのか?ロシアだ。しかし、だからといって、「余計な」市民がそれで楽になるわけでもない。

多くの人々が有力な風向きに従うか、あるいは「祖母はロシア化されたのだから、自分は人前では自制しよう[ロシア語を話さずにウクライナ語を話す。原文は、人前で自分をレイプする]」というロジックに従うにつれて、私たちは「侵略者の言語」を拒否するというグロテスクなパフォーマンスを数多く目にすることになるだろう。

ウクライナでの戦争を生き延びたウクライナ人は、ベルリンでの戦争を生き延びた人たちよりもより多くの権利があると当然感じるだろうが、リヴィウやキーウの人たちは、戦争を最も身近に体験した国内避難民や占領地の住民にはこの論理を適用しないだろう。なぜなら、「私たち」と共通言語を見出さなければならないのは「彼ら」だからだ。

「余計な」市民の権利を守ろうとする訴えは、何か疑わしいもの、偽物、クレムリンの支援を受けたもの、そして作為的で非現実的、あるいは危険なものと見なされることになる。ウクライナ国家があまりにも長い間容認してきたもの、現在の戦争につながったもの、今こそこれらにきっぱりと対処する時なのだ。

私は、この「余計な」ウクライナ市民に、何も良いことはないだろうと思っている。せいぜい「愛国的基準」で黙々と同意を履行する二重生活のようなものになるだけだ。自分の国でよそ者であること。新しい抑圧は、古い抑圧によって正当化され、それらを継続的で、果てしなく、一見、正当なものにしてしまう。

未来は迫り来る靴音のようにも聞こえる。それでもまだ、希望はある。とりわけ、私が間違っていれば。

Anatoli Ulyanovは、ウクライナ出身でロサンゼルス在住のジャーナリスト、ビジュアルアーティスト、ドキュメンタリー作家である。彼のブログ、Facebook、Twitter、Instagram、Telegramで連絡を取ることができる。写真:Natasha Masharova。

出典:https://lefteast.org/the-superfluous-people-of-eastern-ukraine/

(OVD-Info)反戦弾圧のまとめ。戦争の半年間

(訳者まえがき)以下に訳出したのは、ロシアのOVD-infoが8月に公表した、ロシア国内の反戦運動への弾圧状況についてのレポート。レポートは6月以降毎月定期的に出されている。6月のレポートでは、反戦運動での拘束者数が16,309だったが、8月に16,437となっているように、拘束者の数はそれほど延びていない。このレポートでも触れられているように、圧倒的に多くの拘束が開戦直後に集中しているからだが、こうした事態をふまえて、日本のメディアなどでも、ロシアでの反戦運動がほとんどみられないかのように報じられることがあるが、逆に、弾圧が強化されて抗議運動がより一層困難になっているともいえる反面、抗議行動の側のねばり強い抵抗によって拘束をまぬがれつつ抗議を展開しているケースも少くない。このことは、反戦運動関連のロシアのTelegramの情報発信は、現在も活発だ。(たとえば、フェミニスト反戦レジスタンスストップ・ザ・ワゴンなど)また、アーティストのコンサートの中止が何件が報告されているが、大衆文化における反戦の雰囲気が根強くあることも示している。戦争を阻止する力は、外交だとしても、戦争当事国の民衆による戦争拒否の運動がなければ、政府は戦争を断念することはなく、戦争は止まらないと思う。この意味で、ウクライナとロシアの戦争を拒否する民衆の運動に注目していきたい。なお、インターネットの遮断やバイオメトリクスによる監視カメラの問題は別途紹介したい。今回紹介した以外のOVD-infoのレポートのリストが最後に紹介されています。(小倉利丸)

半年前、ロシアはウクライナへの軍事侵攻を開始した。ウクライナで民間人を殺害することに加え、ロシア国家は国内でも弾圧を続けている。ロシアにおける反戦姿勢の人々への弾圧について、主なデータをまとめて報告する。

集会の自由の制限

反戦デモに関連した拘束は少なくとも16,437件にのぼると言われている。この数は、街頭での拘束に加え、ソーシャルネットワークでの反戦投稿による拘束138件、反戦シンボルによる拘束118件、反戦デモ後の拘束62件を含んでいる。

この数字は2022年8月17日時点のものである。

算出方法についてここで詳しく説明をしている。


さらに、集会や集会後の拘束に加えて、当局が顔認識システムを使った「予防的」拘束も行われている。このシステムは8月22日の国旗記念日にも使用され、モスクワでは少なくとも33人が拘束された(他の都市でのこうした拘束については知らされていない)。

OVD-Infoは、このデータと未確認情報に基づき、反戦デモにおける弁護士と人権擁護者の迫害について、国連特別手続機関に文書submissionを送付した。また、平和的な集会で拘束されたクライアントに面会しようとした際、警察署で殴打されたアレクセイ・カルーギン弁護士に関する状況についても文書を送付した。

人権擁護者への迫害について国連から問われたロシアは、カルーギンがすべての責任を負うと主張し、言われているような問題はないと主張した。反戦活動家への迫害についての疑問は無視されたが、OVD-Infoが「外国のエージェント」であることに2ページが割かれ、このプロジェクトのウェブサイトはブロックされた。

立法レベルでの弾圧

2022年8月は、ロシア国会議員の休日のためか、新規立法はなかった。ウクライナ戦争が始まって以来、国会議員たちは合計で16の新しい抑圧的な法律や既存の文書の改正を採択した。

訳注:上図はオリジナルのスクリーンショットです。オリジナルデーターは表計算シートになっており、より詳細なデータが表示できます。データは、https://airtable.com/shr5LibdcC0yK4zSm/tblb1uvcX0EoITrgI でアクセスできます。

刑事事件

訳注:オリジナルの地図データのスクリーンショットです。オリジナルの地図では、各行政地域ごとに事件の件数が表示されるようになっています。ここにアクセスしてください。

OVD-Infoは、データを検証する機会を得るために、クリミアにおけるロシア当局の弾圧に関するデータを収集している。

182日間の戦争の間に、224人が反戦の刑事事件の容疑者または有罪者となった。

今月、OVD-Infoの弁護士は、新たに5件の刑事事件で被告人の弁護を開始した。Alexey Onoshkin、Ilya Gantsevsky、Marina Ovsyannikova、Andrei Pavlov、Sergei Veselovの5名だ。OVD-Infoの弁護士は、合計で22件の反戦刑事事件を抱えている。

8月24日の朝、エカテリンブルクの前市長Yevgeny Roizmanに対する、ロシア連邦刑法第280条第3項(軍隊の「信用失墜」に関するもの)の冒頭部分に基づく刑事事件が判明した。

行政事件

出典 メディアゾナ
更新日:2022.8.23

Code of Administrative Offences第20.3.3条の事件数による上位5地域。
モスクワ-517件。
サンクトペテルブルク-229件。
クラスノダールクライ-179件。
スベルドロフスク州…107件。
クリミア共和国…107
出典 メディアゾナ

私たちは、公然と戦争に反対する人々を超法規的に迫害した少なくとも7つの事例を知っている。たとえば、鮮やかな緑色を浴びせられ、襲われ、ドアに葬式の花輪をかけられ、郵便受けに脅迫状を入れられ、非難に関する事件に着手しなかったとして法務省や内務省から解雇され、警察は「Ukronaziがここに住んでいる」と書いた荒らしを捜索しないなどである。

「外国の諜報員」「好ましくない組織」。

8月は法務省の職員が休暇に入ったようで、「外国人エージェント」の登録に新しい人や組織は現れなかった。しかし、この月、検察庁は「ジャーナリスト労働組合」に対し、外国エージェンシー法の要件を満たしていないとして組織の清算を要求し、裁判所はラジオ・リバティの外国エージェント表示がないことによる罰金未払いによる会社破産手続を開始した。

8月23日、法務省はサンクトペテルブルクのGolosのコーディネーターであるPolina Kostylevaを「外国人エージェント」の登録から抹消した。これは同省のホームページに記載されている。

反戦弾圧に関する7月のまとめ」が発表されて以来、「The Ukrainian Canadian Congress」「The Macdonald-Laurier Institute」「Ukrainian National Federation Canada」という組織が「望ましくない組織」のリストに掲載されるようになった。このリストには、現時点で65件が掲載されている。

さらに、現時点では、検察庁はすでに、調査プロジェクト「The Insider」の19番目のドメインを禁止情報の登録対象に加えている。

独立メディアに対するブロッキング、検閲、圧力

Roskomsvobodaによると、約7000のサイトが「軍事検閲」によってブロックされたとのことだ。Igor Krasnov検事総長によると、ウクライナとの戦争が始まって以来、13万8000のインターネットリソースがブロックされ、削除されている。

今月、3つのメディアが「ロシア軍の信用を落とした」として罰金を科された(「ジャーナリスト・メディア労働組合Journalists’ and Media Workers’ Union」、「新物語-新聞(Novaya rasskaz-gazeta)」、2回目となる「夕刊Vedomosti(Vechernie Vedomosti)」。

8月には、アーティストYulia TsvetkovaMirror(Zerkalo)のVKページ、およびOVD-Infoがブロックされた。VKページのブロック理由は、「ロシア連邦軍が行った特別軍事作戦、その形態、軍事作戦の実施方法、また、民間インフラ施設への攻撃、ウクライナの民間人やロシア連邦軍の隊員の中に多数の犠牲者が出たこと、総動員に関する情報など、信頼性のない社会的重要情報を含む情報資料」であったという。

ルホヴィツキー地方裁判所も、OVD-Infoのウェブサイトのブロックを解除することを却下した。

この1ヶ月間、検事総長は、抑圧されたイスラム教徒を擁護する人権活動家Svetlana Gannushkinaが参加した記者会見と、様々なメディア、例えば「Culture of Dignity」、「Tell Gordeeva」、「Rain」等への彼女のコメントを登録対象に加えている。TJは、ホームページのブロッキング後、訪問者が著しく減少したため、閉鎖を発表した。

少なくとも5つのコンサートや反戦の立場を表明する人々のイベントが検閲された。当局はAloeVeraAsya KazantsevaKrovostokDoraAnacondazの公演を妨害した。

OVD-Infoのレポートとデータへのリンク。

出典:https://data.ovdinfo.org/summary-anti-war-repressions-six-months-war#2

ルスラン・コツァバに対するすべての起訴を取り下げよ

(訳者前書き) ルスラン・コツァバRuslan Kotsabaは2014年の「マイダン革命」後の最初の政治犯だとも言われ、アムネスティも「良心の囚人」としているジャーナリストだ。2015年1月23日、ルスラン・コツァバは、Youtubeでポロジェンコ大統領による東部内戦に関して、戒厳令と軍の動員を批判した。

「戒厳令 のもとで動員の宣言が出されていることは知っている。今、内戦に突入して東部に住む同胞を殺すくらいなら、刑務所に入ったほうがましだ。徴兵制に異論を唱えるな、私はこの恫喝戦争に参加しない」

その数週間後、彼は逮捕され、「反逆罪」と「ウクライナ軍の正当な活動の妨害」の罪で起訴され、16カ月間の公判前勾留の後、裁判所は彼に3年半の懲役を言い渡したが、控訴審で無罪になる。しかし、その後何度も起訴されてきた。そして現在も裁判が継続されており、以下に訳出したのは7月にEBCO、IFOR、WRI、Connection e.V.が出した共同声明である。(これらの団体のアクセス先などは最後に記載されている)裁判の最新の状況は、下記のアップデートの箇所にあるように9月4日に開かれたようだが、その内容は私には不明だ。

戦争状態にあるウクライナで、しかも、侵略された側の国にあって、戦争への動員を拒否し、兵役を拒否することは容易なことではない。コツァバの逮捕に関しては、2015年当時から、ウクライナのウクライナ独立メディア労働組合が抗議声明を出すなど、政府による言論弾圧を批判する声があった。コツァバのジャーナリストの評価としては、この独立系労働組合の声明でも手厳しく、ロシアのプロパンガンダに事実上加担したのではないかとし、また、徴兵制無視の呼びかけにも反対している。たとえばハルキウの人権保護グループのように、「私たちの多くは、コツァバの意見に強く反対し、ジャーナリズムではなくプロパガンダに従事するメディア[ロシア政府系メディアを指す:引用者注]との協力に反感を抱いている」と率直な批判を表明している。しかしそれでも、彼の言論活動を12年から15年の禁固刑を伴う国家反逆罪で告発することは妥当ではない、としている。このようなウクライナ国内の団体の態度をみると、戦争状態にある政府が、いかに逸脱した権力を行使し、反戦の声を重罪によって押し潰そうとしているのかが逆にはっきりしてくる。事実を正確に把握すること自体が困難だが、ウクライナ国内で軍事行動に反対することが、ロシアを利する行為とみなされて、過剰な弾圧の対象になりうるだろうし、逆に、ロシアはこうしたウクライナ国内の反軍運動や平和運動を自らの軍事的利益のために利用しうるとみなすだろう。ロシアでもウクライナでも戦争を拒否するという選択肢が権利として保障されなくなっている。コツァバのスタンスで重要なことは、戦争は拒否されるべきであり、人を殺すという選択はとるべきではない、という一点であり、この主張は、兵士となることを拒否する権利であり、軍隊に協力しない権利であると思うから、戦争当時国の戦争を支持する人達にはまず受け入れがたいことになる。だから弾圧の力が働くのだと思う。

ウクライナでは、正義の戦争に国民が一致団結して軍に協力しているかの印象があるが、実際はそうではない。2019年9月、キエフの軍事委員会は、徴兵忌避者34,930件を警察に報告し、警察がこうした人達の摘発に乗り出しているという報告がある。国連ウクライナ人権監視団は、2019年5月から8月にかけて、個人を逮捕する権利のない軍事委員会の代表者が徴兵者を恣意的に、路上などで強引に埒する事例を11件記録するなど、22年2月24日以前のウクライナにおける東部「内戦」(ロシアの介入をどうみるかで、内戦と呼べるかどうか判断が難しいので括弧つきにする)以降のウクライナ国内の人権状況は深刻だったと思う。しかも、良心的兵役拒否は極めて限定的にしか認められておらず、軍人や予備役には認められない。そのために、軍部隊の無断放棄や脱走、自殺なども頻発している。ロシアでも同様のことがいえる。いずでの側でも、戦時体制の下では、必要最低限の権利行使の枠組は、良心的兵役拒否しかないとしえるなかで、この権利行使そのものの主張が犯罪火化されている。ロシアの侵略に対して正義を掲げるウクライナは、正義を体現しうるような基本的人権を尊重した戦争行為で応じることは極めて難しい。正義が戦争という手段をとること自体が正義を裏切らざるをえないということだ。だからこそ私は、戦争の当事国にあって、戦争を拒否する立場をとる人達を支持したいと思う。(小倉利丸)

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EBCO、IFOR、WRI、Connection e.V.による共同プレスリリース。

2022年7月18日

ウクライナでは、ウクライナ人ジャーナリスト、平和主義者、良心的兵役拒否者であるはRuslan Kotsabaに対する裁判が2022年7月19日(火)に行われるが、これは単に彼が平和主義的見解を公に表明したという理由によるものである。

国際和解の友(IFOR)、戦争抵抗者インターナショナル(WRI)、良心的兵役拒否欧州事務局(EBCO)、コネクションe.V.(ドイツ)は、彼のケースは明らかに政治的動機による迫害で、市民的及び政治的権利に関する国際規約の18、19条、欧州人権条約の9、10条の下で保証される表現の自由、思想・良心・宗教の自由の権利を侵しているとみなしている。

各団体はRuslan Kotsabaへの連帯を表明し、ウクライナ平和主義者運動の活動家を含むウクライナの全ての平和主義者が自由に意見を表明し、非暴力活動を継続できるように保護するようウクライナ当局に要請する。

各団体はまた、ロシアのウクライナ侵攻に対する強い非難を想起し、兵士が戦闘行為に参加しないよう、またすべての新兵が兵役を拒否するよう呼びかける。

ウクライナ政府は、良心的兵役拒否の権利を保護し、欧州基準および国際基準、とりわけ欧州人権裁判所の定める基準を完全に遵守すべきである。

ウクライナは欧州評議会のメンバーであり、欧州人権条約を引き続き尊重する必要がある。ウクライナはEU加盟候補国であるため、EU条約で定義された人権と、良心的兵役拒否の権利を含むEU司法裁判所の判決を尊重することが必要である。

共同声明英文PDF

連絡先:

UPDATE

ルスラン・コタバの次回の審問は、2022年9月4日に予定されています。

前回の公聴会の前に収録されたビデオメッセージをご覧ください。[英語字幕付き]

詳細はこちらで確認ください。

行動を起こそう

国際的な連帯は非常に重要です。

例えば、以下のようなことが可能です。

  • ウクライナ大使館の前でメッセージを掲げ、写真や文章を公開する。
  • ルスラン・コタバを支援するために、あなたの国の政治家に働きかけてください。
  • あなたの国のメディアと協力して、ルスランのケースを報道してください。
  • 公開されたアピール文またはあなた自身のメモを、ウクライナ検事総長Andriy Kostin氏に送ってください。
    Riznytska St, 13/15
    Kyiv 01011
    Ukraine
  • ソーシャルメディアで共有し、ハッシュタグ#ConscientiousObjection #FreedomExpression(表現の自由)を使用する。

https://www.ifor.org/news/2022/7/19/ifor-joins-international-press-release-on-the-case-of-pacifist-journalist-ruslan-kotsaba

ロシアとウクライナ国内の反戦運動から―戦争で戦争を止めるべきではない

以下は、『市民の意見』2022年8月に寄稿した原稿に典拠のリンクと若干の加筆をしたものです。

1 危機的な日本の「平和主義」

2月24日に始まったロシアのウクライナ侵略からすでに半年になる。国会の与野党を含めて、おおかたの保守・右翼や保守メディアは、9条改憲反対の人々をターゲットに、覇権主義的な中国の動きを示唆しつつ「もし日本がウクライナのように侵略されたらどうするのか」と詰め寄っている。この詰問には、「ウクライナの人々は断固として武器をとって抵抗している」という自衛のための武力行使と、おびただしい非戦闘員の犠牲が強調される。非道なロシア軍、非力な市民、この市民を守るウクライナ軍という構図のなかに、国際紛争の解決の道は武力による決着以外にはないかのようだ。果してそうなのだろうか。

反戦平和運動のなかで、「侵略に対して武力による抵抗や反撃を選択しない」と断固とした態度で応える人達の声が確実に小さくなっているように感じている。ウクライナへのロシアの軍事侵略をきかけに、反戦平和運動のなかでも、自衛隊を完全に否定して文字通りの意味での非武装を主張する人達は、いったいどれだけいるのか。国会野党でこうした主張をする政党はもはや存在しない。立憲民主党は「自衛隊と日米安全保障条約を前提とした我が国の防衛体制というものを考えている政党」を明言しており、共産党は原則として「自衛隊=違憲」論の立場だが「自衛隊=合憲」の立場もとることを否定しておらず、社会民主党も「自衛のための「必要最小限度」の防衛力」を肯定している。自衛隊の争点は、自衛隊そのものの是非ではなく、自衛権行使の枠内での自衛隊の存在を容認しつつも、「自衛」の限度を越えて自衛隊を強化しようとする自民党の軍拡路線に焦点を絞って反対をするという現実路線が反戦平和運動の主流になっている。かつて自衛隊の海外派兵に反対する運動の一部に海外派兵されない自衛隊なら容認するような雰囲気があったように思う。そして今、海外派兵のタガはとっく外れている。敵基地攻撃能力をもたないなら、武力を保有することは容認するところまで野党の9条護憲の内実は後退してしまっているのではないか。紛争解決の手段としての武力行使をいったん認めてしまえば、暴力が正義を体現することになるのは必定であり、歯止めのない軍拡へと向うことは自明だ。

挑発的な想定問答、「もし日本がウクライナのように侵略されたら…」が繰り返されるなかで、これまで9条改憲反対を主張してきた政治家から学者や知識人、平和運動の活動家までがうろたえたり、言葉を濁すことがあれば、そのこと自体が、9条は理念としては大切だが現実はそうはいかないかもしれない…という戸惑いのメッセージになる。ウクライナの悲劇とロシアの暴挙を目の当たりにして、なんとかウクライナの人々を救わなければならないという切実な思いに駆られるとき、武力による反撃は致し方ないのでは、NATOなどの軍事支援も否定できないのでは、それがウクライナの人々の思いであり、最適な戦争終結への道だという方向に考え方が変わることはおおいにありうる。そうなると漠然と「平和」を指向しているリベラル寄りの世論は、現実主義的な発想に屈し、確実に9条改憲に流れるだろう。

しかし、「もし日本がウクライナのように侵略されたら…」という世間に蔓延している問いは、9条改憲や自衛隊の更なる強化に肯定的な側が、みずからの主張を正当化するために、9条改憲に反対の人達に無理難題を突きつけて「改憲もやむなし」ということをしぶしぶ認めさせるための方策のひとつになっている。こうした問いの対して私たちがとるべき「答え」はひとつだ。つまり、明確に武力による威嚇も武力の行使も紛争解決手段として選択すべきではないし、陸海空軍だけでなくいかなる戦力も保持すべきではないから、国家の交戦権も自衛権も否定する、と断固として答えなければならない。「あなたの最愛の家族が目の前で殺されたり虐待されても、あなたは武器をもって反撃しないのか」などという問いに対しても明確に「NO」と答えることだ。このような想定問答に応じる必要はない、とい態度もありうる。たぶん、反戦平和運動の担い手たちも含めて、この詰問を実は内心に抱えており、その答えを必要としていると思う。だからこそ「答え」を用意することは必要だと思う。同時に、戦争や武力行使をめぐる問題は、現実政治や国際情勢に対して、どのような原則的な考え方を示すのか、という問題でもある。すなわち、問題解決の手段として暴力を行使することは、いかなる意味で正当化できるのか。武力行使とは、敵とみなした人間を殺す行為を国家が公然と承認し、更には「国民」を――最近は外国人の傭兵すら動員されている――殺す行為の主体とすることだから、国家の名における殺人をはいかなり理由によって正当化しうるのか、という問いに答えることが必要になる。

2 圧倒的多数は戦わないことを選択している

ウクライナの圧倒的多数の民衆は武器をもって戦うという選択よりも、可能であれば戦闘地域から避難する、避難できなければ地下など爆撃から身を守れそうな場所に隠れることを選択している。国外避難ができない兵役年齢の男性のなかには、違法に国境を越えて国外に逃れる人もいる。こうした避難する人達が、なぜ武力による抵抗を選択しないのか、この行動を積極的に意味づけをすることが必要だ。そうしないと、こうした避難者の命を救うためにこそ軍が存在し、軍による敵への抵抗があってこそ避難もまた可能になっているのだ、というレトリックがまかり通ることになる。私たちは、彼らの行動から武力行使は紛争解決の手段にならないから「避難」という選択をしているのだ、ということを教訓として学ぶことが必要だ。

ウクライナの平和運動の中心的な担い手のひとり、ユーリイ・シェリアジェンコは、社会学者の世論調査では、実際に武装抵抗に従事している人達は全体の6%しかおらず、多くの人達は非軍事的な協力に関わっているが、それも積極的な意思に基づくかどうか疑問だと以下のように指摘している。

「戦争への全面的な参加は、メディアが伝えるところですが、それは軍国主義者の希望的観測の反映であり、彼らは自分自身と全世界を欺くためにこのような絵を描くために多くの努力を払っています。実際、最近の評価社会学グループRating sociological groupの世論調査では、回答者の約80%が何らかの形でウクライナの防衛に携わっているが、軍や領土防衛に従事して武装抵抗したのはわずか6%で、ほとんどの人は物質的あるいは情報的に軍を「支持」するだけであることが分かっています。それが本当の意味での支持かどうかは疑問です。」

3 ウクライナの戦争動員と「大きなイスラエル」

ウクライナは2014年にクリミアをロシアによって併合され、また東部における様々な反キエフ中央政府の動き(高度な自治の要求、ウクライナからの独立、ロシアへの併合など)がロシアの介入のなかで現在に至るまで長期の戦争状態になってきた。

ロシアの侵略によって、今や正義の軍隊であるかのようにみなされているウクライナ軍は必ずしも評判のよい組織ではなく、2014年以降ロシアの介入も含めて国内に深刻な武力紛争を抱えながら、徴兵制への反対が世論の8割を占めている。武力行使を選択するよりは別の解決を望む声が大きい。だから、クライナ政府はいわゆる義勇軍を各国の大使館を使って募集することまでやってきた。日本でもウクライナ大使館は以下のような募集を2月27日にツイッターに掲載し3月2日に削除している。

「ゼレンスキー大統領は27日、ボランティアとしてウクライナ兵と共にロシア軍に対して戦いたい格国[原文のママ:引用者]の方々へ、新しく設置されるウクライナ領土防衛部隊外国人軍団への動員を呼びかけた。お問い合わせは在日ウクライナ大使館まで。」

ウクライナでは、徴兵制が2012年に停止された後に2014年に再導入される。ウクライナでは徴兵に備えて、子どもへの軍事訓練が今回の戦争以前から行なわれてきた。18歳の徴兵年齢に先だって、徴兵制に備えた軍事的愛国心教育が学校のカリキュラムの必須項目となっている。この教育には野外訓練や射撃訓練が含まれ、極右団体は、子どもたちの軍事サマーキャンプ開催の予算を政府から獲得している。

ウクライナは徴兵制がある一方で良心的兵役拒否の制度によって兵役免除が可能な建前があるが、これが機能していない。非宗教的信念を持つ人には適用されず、兵役への代替服務も懲罰的または差別的だと批判されてきた。

ゼレンスキーは、4月初旬に「我々は間違いなく、独自の顔を持つ『大きなイスラエル』になる。あらゆる施設、スーパーマーケット、映画館に軍隊や 国家警備隊の隊員がいても驚くことはないだろう。今後10年間は、安全保障の問題が最優先課題になる」と述べた。このことはとくに中東のアラブ地域では衝撃をもって受けとめられた。イスラエルにとってのアラブ系住民への監視のシステムは、ウクライナにとってのロシア系住民の監視のシステムに転用できそうだ。実際にウクライナは欧米諸国では禁じられている高度な顔認証の監視技術を導入するなど、すでに軍事監視社会への道を進みつつある。

3.1 ウクライナ平和主義者運動の声明

2019年に設立されたウクライナの平和主義者運動が4月に声明を出し、そのなかで、ロシアとウクライナ双方が真剣に停戦の努力をしていないことを厳しく批判している。

「私たちは、双方の軍事行動や、民間人に危害を加える敵対行為を非難する。私たちは、すべての銃撃を停止し、すべての側が殺された人々の記憶を尊重し、十分な悲しみの後に、冷静かつ誠実に和平交渉に取り組むべきであると主張する。

私たちは、交渉によって達成できない場合、軍事的手段によって一定の目標を達成しようとするロシア側の発言を非難する。

私たちは、和平交渉の継続は戦場での最良の交渉ポジションを勝ち取ることにかかっているというウクライナ側の発言を非難する。

私たちは、和平交渉中の両陣営の停戦に対する消極的な姿勢を非難する。」

そして、ロシアもウクライナも人々の意思に反して、兵役や軍への支持を事実上強制しするような慣行は「国際人道法における軍人と民間人の区別の原則に著しく違反するもの」だと批判するとともに、ロシアとNATOによる武装過激派への軍事支援を批判している。

3.2 戦争の性格:ファシズムの戦争

この戦争は、ロシア側にもウクライナ側にも無視できない極右や排外主義的な愛国主義による影響がある。ウクライナに関していうと、最近やっと注目されるようになったネオナチを思想的背景にもつアゾフ大隊の問題は、その軍や政府への影響について、評価が分かれている。日本や西側のメディアは極力その影響を過少評価しようとしており、ロシア政府や政府系メディアは誇張することによって、「軍事作戦」の正当化を図ろうとしている。選挙結果をみる限りウクライナの極右の影響力は無視できるほどの大きさしかないが、東部の戦闘にとってアゾフ大隊の影響力は無視できない。アゾフ大隊は民生部門から政府機関に至る様々な関連団体を含むアゾフ運動のなかの軍事部門ともいうべきこのだ。Centuriaのような軍の幹部候補生のグループもあり、社会に浸透すればするほど、主流の政治システムとの見分けがつかなくなることは多くの欧米諸国における極右の主流化と共通した現象かもしれない。

他方でロシアの場合は、プーチンの最も有力な後ろ盾がロシア正教であり、有力者たちがこぞってウクライナへの侵略やウクライナのロシアへの併合を主張しており、これがロシアからのウクライナの正教会の離反(ウクライナ正教の成立)を招いたが、こうした人口の多数が信仰する宗教が絡むことを考えたとき、この戦争を単純にプーチンの狂気とか独裁には還元しない方がいいと思う。そしてロシアのウクライナ東部での戦闘の主要な担い手もまた、ロシアの極右武装集団であり、これにロシア政府もまた大きく依存している。たとえば、カトリック系のウエッブサイトLa Croix Internationalの記事によれば、ロシア正教会のキリル総主教は、ロシアのテレビ説教で、ウクライナの戦争を「神から与えられた神聖ロシアの統一」の破壊を目論む悪の力に対する終末的な戦いとし、ロシア、ウクライナ、ベラルーシが共通の精神的、国家的遺産を共有し、一つの民族として団結することを「神の真理」だと強調したという。戦争を擁護するこうした主張がロシア正教の最重要人物から出されているように、この戦争はプーチンの戦争に矮小化できない宗教的背景もある。

4 ロシアの反戦運動と弾圧

ロシアの政治犯の救援を行なっているODVinfoの報告書(別の記事「(ОВД-NEWS)ロシアの反戦、反軍レポート」など)によると戦争が始まって数週間の間に、ジャーナリスト、弁護士、医師、科学者、芸術家、作家など、さまざまなコミュニティの代表者がロシア軍の行動への反対を表明する公開書簡が何十通も送られており、ソーシャルネットワークには、戦争を非難する数千の記事が掲載され、反戦集会はロシア全土で開催された。また、ウクライナの住民を支援する団体への寄付が増え、ウクライナで被災した市民への個人寄付も大幅に増加したという。

戦争から2週間あまりの間だけでも、反戦デモでは、未成年者、弁護士、ジャーナリストを含む1万4千人以上が拘束され、活動家、人権活動家、ジャーナリストのアパートの捜索も相次いだ。そして、集会やデモといった集団行動はことごとく抑圧されるようになる。連邦のコミュニケーション・情報・マスコミ監督庁(Roskomnadzor (RKN))は、軍の公式記録を用いることを義務化し、違反した場合には、罰金が課され、更にサイトのブロックも可能になった。また非政府系メディアも次々に閉鎖されはじめ、Twitter、Facebook、TikTok、Google、Youtubeなどが相次いで規制されている。

こうした大規模な弾圧にもかかわらず、抗議行動は様々な創意工夫のなかでロシア全土で展開されている。集団行動が困難ななかで、一人でポスターやプラカードをもって抗議の意志表示をする一人ピケが次々登場した。たった一人のアクションでもネットで拡散されることでの影響力は大きい。街頭のグラフィティの数も多く、こうしたアクションのノウハウがSNSで拡散された。日本ではあまりお目にかかれないユニークな抗議の手法もある。花壇の植え込みの園芸用ラベルに反戦のメッセージ書いたり、店の商品に値札に模した反戦メッージを貼ったり、紙幣に反戦のメッセージを書くなどだ。封鎖をまぬがれたTelegramが、重要な情報発信の手段になっている。たとえば、フェミニスト反戦レジスタンスや上述したODVinfoなどが活発に抗議行動を写真や動画入りで発信しつづけている。

日本のメディアがロシア国内の動向で注目したのが5月9日のロシアの戦勝記念日だった。もっぱらロシア国内がプーチンとロシア軍賛美一色の記念パレードになったかのような報道があふれた。しかし、実際には、ロシア全土で様々な抗議のアクションが展開された。戦勝記念パレードにまぎれて戦争反対のプラカードを掲げるなど、多くの抗議があった。

また、人権団体や弁護士による兵役拒否者への組織的な支援運動も重要な抗議行動の一翼を担っている。どのようにしたら徴兵を忌避できるのかについての具体的な対処法が書かれたマニュアルも配布されている。ウクライナ同様、兵役拒否は極めて難しく、建前上は良心的兵役拒否が可能なはずだが、現実には厳しい規制があり、兵役拒否者に対する様々な制裁が課されている。

こうした合法的な抗議以外に、もっと大胆な行動もみられるようになっている。ロシア軍の軍需物資を運ぶ鉄道への組織的な妨害が、ロシアとベラルーシで頻発している。「ストップ・ワゴン」のウエッブページでは、戦争を阻止するために物資補給を断つ手段として鉄道への妨害があると述べている。このウエッブには、「妨害」に関するノウハウや情報が掲載され、そのSNSでは、脱線や線路の爆破のような目立つ行動はサボタージュの5〜10%程度に過ぎ、多様な妨害がある述べている。また、ロシア軍の兵士募集の施設が度々放火されている。人々は、ロシアの閉塞した状況に直面するなかで、19世紀のナロードニキの運動を想起しはじめている、ともいわれている。

特徴的なことは、ロシア国内の反戦運動で重要な役割を果たしているのが女性たちの運動だ。とくにフェミニスト反戦レジスタンスの活動は重要な意味をもっていると思う。このグループが戦争から100日目に、ロシアを「ファシズムの兆候のある国」だとして声明を出している。この声明の一部を引用しよう。(前文の日本語訳はこちら)

声明:戦争の100日-私たちの反戦抵抗の100日(抄)

「戦争の100日、戦争犯罪の100日、フェミニストの反戦抵抗の100日。あなたと私は、この100日間で戦争を止めることはできなかった。しかし、さまざまな時代や空間の反戦運動の歴史を研究すれば、反戦運動そのものが戦争を終わらせるわけではないことがわかる。では、なぜ私たちはこのようなことをするのか、なぜ街頭に出るのか、なぜ強権政治の中で新しい抗議戦略を考案するのか、なぜできる限りの人々を守るのか、なぜ手の届く被害者を助けるのか。

おそらく、すべてのロシア人反戦派は、この「なぜ」に対してさまざまな反応を示すだろう。ある者は道徳的義務として、ある者は自分たちの例が誰かに伝染すると信じて、ある者は子どもたちに自分は黙っていなかったと伝えることが重要で、他の者は失った声と失った主体性を回復するための方法として、この方法をとる。しかし、反戦運動は政治的にも考えなければならない。民主主義制度が解体され、政治が抹殺され、選択肢も選挙もなく、独裁がエスカレートしているこの国で、私たちロシア全土の反戦運動が草の根の主要な政治勢力にならなければならないのである。しかし、私たち反戦運動は、 党派的で目立たない抵抗のインフラを構築し、言語を変え、文化を変え、政治スペクトルの態度を変えつつある。私たちは、一般的な反プーチン急進派の重要なプラットフォームになることができる。私たちはすでに、全国に活動家と直接行動のネットワークを織り交ぜながら、そうなりつつあるのだ。(後略)」

彼らは、反戦運動を高齢者の市民たちにも拡げる努力をしている。そのためにSNSやインターネットでの発信だけでなく、ロシア政府系メディアにしか接する機会のない人達に対して、積極的に紙媒体の新聞を発行して配布するなどにも力を入れている。

5 おわりに―民衆が戦争を終らせる

戦争状態にある地域に暮す人々を、たとえば「ロシア人」「ウクライナ人」というように一括りにしてとらえることを私は避けたいと思う。いずれの国も多民族国家であり、様々な文化的背景をもつだけでなく、エスニシティ、ジェンダーから思想信条まで多様である。そのなかで私は、戦争を拒否する人達、つまり人を殺すことによって自らが殺されないことを選択しない人達の生き方は、いずれの国にあっても過酷であって、臆病者や反愛国者のレッテルを貼られてコミュニティから排除・迫害され、投獄や暴力にすら晒されながらも、その意志を守り通そうとする人達を支持したいと思っている。こうした態度を選択する人々の生き方や権力との対峙のなかに、必ず日本における殺さない選択をする場合に学ぶべきものがあるに違いないからだ。

ウクライナの戦争は、これまでになかった深刻な影響を私たちに残すかもしれない。ひとつは、この戦争の結果がどうなろうとも、戦争を鼓舞するウクライナ側とロシア側の極右にとっては更に大衆的な支持を獲得するチャンスになった、という点だ。いずれの国においても、極右に共通する暴力的な排外主義、家父長主義、差別主義がナショナリズムや愛国主義によって免罪され、更に、ウクライナや西側の極右にとっては、「正義」の担い手にすらなり、西側諸国の建前の人権尊重を退けて、政治の基本的な枠組を地政学的な軍事安全保障優先へと導くことになる。ロシアに関しても、日本国内の印象はアテにならず、G20の参加諸国の対応をみても欧米諸国が多数を占めることができなくなっており、まさに「正義」が二分した状態だ。この戦争をきっかけにして、グローバルに極右がメインストリームに浸透し、多くの人々が自覚しないままにメインストリームが極右化することになるのではと危惧する。

制度的には、戦争の終結は、外交交渉や政府の決断など、国家権力の意思決定に委ねられるし、歴史の正史では、そのように扱われる。しかし、民衆の行動も考え方も国家の態度によっては代表しえない多様なものだ。日本のばあい、民衆の戦争協力は決して積極的ではないが、公然と拒否するほどの力をもつには至っていない。リムパックのような大規模軍事演習で周辺諸国の脅威を煽りつつ、日本や米国の挑発については沈黙することによって、潜在的な厭戦気分を政府は必死になって繰り返し払拭しようと試みている。

私たちは、民衆のなかにある多様な言葉にならない戦争に背を向ける感情や態度が直面している不安や危機をそのままにしていていはいけない。戦争に背を向けること、いかなる軍事的な危機にあっても武力による解決は間違いであることを、情緒に訴えるだけではなく、明確な理論的な言葉にしなければならない。それなくしてナショナリズムや愛国主義といった戦争のイデオロギーを無化することはできない、と思う。国家に武力を行使させないためには、国家に武力を保持させないことが大前提だ。自衛隊も米軍も廃止以外の選択肢はない、ということを、戦争を目前としているからこそ言い切ることが必要だ。あいまいな「自衛力」の容認のような態度をとるべきではない。この意味で、戦争の渦中にある国で暮す人々がいかに戦争に背を向けようとしているのか、そこから一切の武力を否定する反戦平和運動の原則を再構築することが、日本の反戦平和運動では必要になっていると思う。

いかなる理由があろうとも武器をとらない

私たちはいかなる理由があろうとも武器をとらない、という強い決意がなければ、日本の戦争は阻止できない。私たちは権力者でもなければメディアに影響のある有力な発言力をもつ者でもないし、SNSのインフルエンサーでもない。私たちが武器をとらないと宣言しても、それは孤立する以外にない事態になりうることでもある。しかし、まだそこまでは追いつめられてはいない。とはいえ、ロシアによるウクライナ侵略とその後今に至るまで継続している戦争をめぐる報道や情報に接するなかで、武力攻撃を受けるのではないかという目前の不安感情が喚起されて、「こうした事態を回避するためには自衛力の行使もやむをえないのではないか」という感情をもつ人達は、増えているように思う。

自衛のための武力行使を明確に否定すること

護憲や平和憲法擁護の議論の最大公約数になりつつある立ち位置は、自衛力の保有を是認しつつ、この自衛力が実際に行使されないように、外交手段などによって平和の維持に努力すべきであって、政権与党や右翼のように、率先して戦争に前のめりになることには反対だ、というあたりにあるように思う。戦争に前のめりになる具体的な政治的対応が自民党の改憲であるとして批判する場合でも、自民党や右翼との対峙の基軸が、「自衛」の暴力を肯定するか、巧妙に回避するのであれば、武力あるいは暴力の行使が意味する本質的な課題について、日本の支配的な権力や右翼の主張を支える「自衛」の問題に太刀打ちできずに、ずるずると国際関係の現実主義の罠に嵌ることになりかねない。そもそも政府がいう「自衛」=自己防衛の「自」とは彼ら自身の権力のことであって、これを人々が「自分たち」の「自」だと誤解させるようなレトリックがある。彼らは、民衆の命を犠牲にして彼らの「自衛」を図る。

これに対して、いかなる理由があろうとも武器はとらない、という立場は、自衛のための武力行使を明確に否定することが主張の要をなし、同時に、敵がいかに残虐な侵略者であっても、彼らに対して武力によっては対峙しない、という覚悟をもつということでもある。その上で非暴力不服従の戦略と考え方を確立することが重要になる。

もうすこし身近な言い方をすれば、私は人殺しはしたくないしできない、だからといって自分の安全のために誰かに私のかわりに人殺しをしてもらうというようなことも考えたくない、ということだ。戦争について「殺されたくない」という言い回しがあるが、これでは決定的に不十分だ。なぜなら殺されたくないから、自衛のために殺すことは許容される余地を残すからだ。むしろ殺さないことが重要なのだ。この極めて素朴な日常生活感覚が社会関係の基礎にあるからこそ、社会は殺し合いを問題解決の選択肢とすることについては、ある種のタブーとして封印する。ところがこの封印の例外に、国家による暴力の独占があり、これが法の支配のもとで正統性を獲得してきたのが近代国民国家だ。今問わなければならないのは、この国家による例外的な暴力をそのままにはできないということだ

戦争状態のなかで(あるいは目前に到来しそうだという不安のなかで)、人殺しはしたくないとかできないといった感覚は、あっという間に覆される。だから常備軍ではなく徴兵によって短期間の訓練だけで戦場に派兵される人達も「兵力」になりうる。同様に、平和運動の理念もまた、目前の脅威にさらされた(ように感じられる)場合、容易に、平和を維持するために平和を脅かす敵を物理的に屈服させなければ不安でならない、これこそが平和を維持する唯一の手段だというように、安倍が主張した「積極的平和主義」のような戦争を平和と言いくるめるようなレトリックに容易に足をすくわれてしまう。この不安感情のなかで、人々はナショナリズムの感情によって統合され、この人工的に構築されたナショナリズムが、あたかも、何百年のこの国で続いてきたかのような物語を次々に生み出すことになる。祖国のないはずの労働者階級に祖国ができ、社会主義もまたナショナルな社会主義に、つまりナショナル・ソーシャリズムに変質することになる。

平和を徹底させるためには、こうした罠を可能な限り回避しないといけない。そのためにはいかなる場合・理由であれ、武器は持たない、殺されても殺すことはしない、という強い決意が必要になる。これは易しいことではない。武器をもたないという選択は臆病者の選択だが、臆病ではとうていやってられないタフな選択なのだ。しかも、この選択は、いわゆる「敵」の脅威だけでなく、味方からの精神的肉体的な抑圧や孤立、戦争体制をとる自国政府による弾圧をも被るから、二重の暴力に晒される。多くの兵役拒否者や脱走兵たちは、この二重の迫害を生きる覚悟をもつことになる。だからこそ、戦争当事国において武器を持たないこと、殺さないことを選択し、なおかつ戦争に抗って闘うことをあきらめない人々との連帯は、彼らを孤立させないためにも、とても大切なことでもある。

正義について

私が、武器をもたないという選択をすべきだと主張する大前提には、暴力は正義を体現することはできない、という認識があるからでもある。私が正義を確信したとすれば、正義のための暴力は許容されるのではないか、という疑問があるかもしれない。しかし私が確信した正義は本当に正義だといえるのかどうかを、「戦時」や戦争の危機が目前に迫ったコミュニケーション状況のなかで、客観的に判断することはほとんど不可能だ。戦争は、自国民や兵士が命を捨てる覚悟なしには、遂行できないから、極めて強度な国民統合の機能が働かなければならない。軍事行動による犠牲は避けられない以上、社会が総体として軍の行動を支持するような合意を獲得できるように政府は動く。伝統的なメディアもSNSも、あるいは社会的影響力のある知識人やインフルエンサーもこぞって戦争を肯定するような動きが形成され、ごく一部に、例外的な事象として戦争反対の主張が存在するという構図が描けなければ戦争はできない。こうした状況のなかで、「正義」は戦争の正当化のための戦略的イデオロギー操作としての言説の網のなかで、「正義」の意味をめぐるヘゲモニー構造が形成され、結果として、国家の軍事行動を正当化する言説に「正義」の意味内容が与えられ、この正義を根拠に正義の実現のための手段として暴力が正当化されることになる。マージナルな反戦集団が発する「正義」はむしろ「不正義」のレッテルを貼られ、リベラルな知識人の議論はアカデミズムの象牙の塔のなかでのみその自由を与えられるに過ぎず、社会的な影響力が削がれる。だから、こうした状況のなかで、反戦運動が、客観的な情勢分析から「正義」を判断することは極めて困難な作業になる。

正義は言葉を介してしか証明しえないものだが、戦争状態にあるとき、言葉もまた戦争をめぐるレトリック、欺瞞、嘘、陰謀など様々な戦略的イデオロギー的な影響を受けて武器化される。正義の証明として暴力が正当化されるようにみえるとき、そもそもの正義が偽装された正義ではないか、と疑うべきだろう。しかし、その疑いすらも多くの人々の脳裏にはもはや浮かばないかもしれない。だから、原則の確認が必要になる。力の強さと正義とは比例しないだけでなく、両者の間にいかなる因果関係もないのであって、正義を暴力の優劣によって証明することはできない―これはDVを想起すれば、それだけで十分納得できる論理のはずだ―という単純だが否定しえない論理を踏まえさえすれば、戦争を正当化する正義の欺瞞を見誤ることはない。

私たちはいかなる理由があろうとも武器をとらないという原則は、国家の自衛権を明確に否定することを意味している。軍事的脅威と不安を煽る政府や世論に対して、反戦平和運動は、この明確な立ち位置を確実なものにする必要がある。だから、自衛隊も米軍も容認する反戦平和運動は、その本来の意義を逸脱していると思う。これは決意の問題ではなく、現代世界を構成している権力や国家をラディカルに否定するための世界観、価値観、思想的な立場の問題でもあると思う。

意味と搾取 第三章を公開しました

青弓社のオンラインサイトで連載中の「意味と搾取」の第三章が公開されました。コンピューターによる人間行動の制御技術は、人間集団がコンピューター以前に有していた社会制御の仕組みと本質的に異なるものですが、社会の支配的な仕組みでは、社会を構成する人々の行動を予測して既存の社会秩序に沿って行動を制御するために、コンピューターのデータ処理技術が利用可能であるという「科学的」な理解が社会の合意を得ています。しかし、本当にそうなのかどうか、監視社会を支えるテクノロジーの背景をなす思想に立ち戻って問題を洗い直すことが必要になります。本章では、コンピューターの人間集団制御と集団心理として論じられてきたこれまでの考え方を突き合わせながら、コンピューター・テクノロジー/コミュニケーション(CTC)としての監視社会が目指す事態の核心に何があり、この支配的な構造のどこに矛盾と限界があるのかを概観しています。鍵を握るのは、人間の行動を舞台裏で支えている「無意識」の領域にあります。「無意識」は実証科学によっては証明しえない事態です。ちょうどマルクスの搾取の理論が実証的な経済学では把握できない(だから搾取理論は間違いだと断定されますが)のと同様です。コンピューターによる人間の行動の解析と制御は、無意識を想定にない意識についての枠組に基づくものです。同時にコンピューターが対象とする人間は、とりあえず子どもから大人へと生育するなかで社会関係を形成するような「人間」ではなく、ビッグデータの集積としての人間になります。AIであれロボットであれ、コンピューターが構築する人間観は、人間が自分や他者を認識する仕組みと共通性はほとんどありません。問題は、にもかかわらず、人間の側にコンピューターによる判断をあたかも人間の判断と遜色ないか、あるいはそれ以上に信頼性のあるものだと誤認するのは、なぜなのか、というところにあると思います。

目次は以下です。
序章 資本主義批判のアップデートのために
第1章 拡張される搾取――土台と上部構造の融合
第2章 監視と制御――行動と意識をめぐる計算合理性とそこからの逸脱
第3章 コンピューターをめぐる同一化と恋着

[第3章構成]
3-1 コンピューターと無意識の位置
   ・行動主義の陥穽
   ・コンピューターの人間行動理解
   ・集団認識
3-2 集団心理
   ・「集団心理学と自我分析」
   ・同一化と恋着
   ・教会と軍隊
   ・支配的構造と集団心理
3-3 集団心理と無意識――監視社会の基層へ
   ・「集合的無意識」
   ・ネクロフィリアとしての資本主義
   ・ライヒのマルクス主義とフロイト主義の結合
3-4 資本主義的非合理性
   ・近代における非合理性の位置
   ・資本の無意識の欲動
   ・プライバシーと家父長制―集団心理を支えるもの
   ・コンピューター・テクノロジー/コミュニケーションと集合意識形成

即位・大嘗祭違憲訴訟原告団、同弁護団は安倍晋三の「国葬」に断固反対する(即位・大嘗祭違憲訴訟原告団、弁護団)

即位・大嘗祭違憲訴訟原告団と弁護団が下記のような声明を出しました。私も原告ですから、ブログに転載しお知らせします。多くの反対の意思表示やアクションが展開されている一方で、メディアが報じる映像などをみると、多くの人達が弔問や献花に訪れている様子を目にすることがあり、またFNNは、国葬決定の是非についての世論調査の結果を次のように報じている。

「18・19歳を含めた20代は、「よかった」67.3%、「よくなかった」31.4%。30代は、62.7%、30.3%。40代は、52.5%、46.7%。50代は、44.4%、51.7%。60代は、44.4%、54.2%。70歳以上は、39.1%、57.0%。(「よかった」「よくなかった」は、いずれも「どちらかと言えば」を含む)

年齢の若い人ほど「よかった」と答える人が多く、年齢の高い人ほど「よくなかった」と答える人が多い傾向が見て取れる。」

世代別で若い世代で賛成とする割合が大きい。こうした傾向は他の世論調査でも同様の結果になっている(熊本日々新聞日経) 国葬に限らず儀礼行為は、ナショナリズムの動向をみる上で必須の重要な対象でもあって、一般に年配の方が保守的だという定式からすると、奇異にみえるかもしれないが、最近の選挙でも保守政党への若者の支持が大きいことが話題になっている(NHK朝日)から、構造的な人口全体に関わる国家意識の遷移に関わる問題としてとらえる必要があるかもしれない。

たかが葬式という見方もあるが、国家が巨費を投じて儀礼を遂行する表向きの理由とは別に、統治の構造にとって不可欠な国民統合のイデオロギー作用としての儀礼という側面が有している効果のなかには、論理や理念を超越した感情を国家や組織に向けて同調させる機能がある。だから、大嘗祭のようなたかが「儀礼」にたいしても、見過すことができないこととして異議申し立てをしている。

戦争や軍隊への動員に典型的なように、人々が国家という抽象的で観念的な存在に、みずからの命すら賭けようとする感情が醸成されるにはそれなりのメカニズムがある。このメカニズムにおいて、具体的かつ情緒的な同調意識を形成する上で、シンボリックな視覚効果と人々の例外を許さない秩序への従属を演出できる儀礼的な空間は不可欠な役割を果している。こうした情動の動員は、大きな権力の問題というよりも、身近な権力関係のなかで、繰り返し機能することによって、人々は、行為における合理的な判断よりも感情や同調欲求を優先させることをある種の習い性として身につける。学校で制服が強制され、入学式、卒業式で日の丸・君が代を斉唱することが強制され、しかもこうした規律に対する違反に過剰な懲罰が課せられることが当たり前のようにして通用している。強制と書いたが、実際には多くの若者たちは、強制とは感じず、当然であるだけでなく率先して集団への同一化を選択する。こうした日常生活に対して若者たちが、異議申し立てをすることも少しづつ目にするようにはなっているが、ひとつの運動となるほどまでには至っていないように思う。

世代の上の人達が国葬に比較的批判的なことはそれ自体として歓迎したいが、だからといって、こうした世代がナショナリズムへの心情においても若者よりも醒めていると即断することはできないとも思う。この点については、もっと考えなければならない様々な要因があると思う。(まえがき終り)


内閣総理大臣 岸田文雄様

安倍晋三の「国葬」に断固反対する

即位・大嘗祭違憲訴訟原告団

即位・大嘗祭違憲訴訟弁護団

 7月22日、岸田文雄首相は安倍晋三元首相の「国葬」(国葬儀)を行なうと閣議決定した。

 即位・大嘗祭違憲訴訟原告団、同弁護団は安倍晋三の「国葬」に断固反対する。

 そもそも「国葬」なる概念は、政教分離などを考慮して日本国憲法施行の1947年に失効した「国葬令」によって「皇族」および「国家ニ偉功アル者」が死亡したときに「特旨ニ依リ」天皇が「賜フ」ものであった。なぜ、この勅令が失効しなければならなかったかは考えるまでもなく、日本国憲法の趣旨に反するものであったからである。それを内閣府設置法(第四条第3項三十三「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)。」)などによって復活させることはできない。

 そもそも国が、特定の個人を、公費を使って葬儀を挙行するということは、国によって記念し顕彰されるべき死の序列化・価値化を意味するものであり、決して許されない。私たちは、日本国憲法に反して国費を使って行なわれた即位・大嘗祭の違憲性を政教分離などの視点から争っている。同様に安倍晋三の「国葬」(国葬儀)も許すことはできない。

 日本国憲法の下で、「国葬」として行なわれたのは、1952年の明仁の立太子礼の際に「臣茂」と記して激しい批判をあびた吉田茂の葬儀が1967年に行なわれて以来だという。まさに安倍も教育基本法改悪、戦争法制定、国会開催要求に対する不当不開催等々、日本国憲法の趣旨に逆らう諸行為を重ねており、吉田並みの日本国憲法に逆らう者である。日本国憲法に逆らう者が「国葬」とされるというならば、それは正に「国葬」を行なう首相(吉田の際の佐藤栄作、安倍の際の岸田)が日本国憲法に反していることに他ならない。また、安倍は森友学園、加計学園、桜を見る会、河井選挙買収、黒川弘務検事長問題などさまざまな未解決の疑惑にかかわる中心人物で、日本の国政を辱めた人物であり、カルトの広告塔・庇護者であって、それがその死の原因でもあった。いまなお政府はじめ多くの領域にそのカルトが巣食っている中で、彼らが推進する「国葬」など言語同断である。自民党による安倍政権美化と疑惑隠蔽対策と言わざるを得ない。「国葬」によって多くの人々とともに私たちが訴えてきた安倍政治への批判が国による顕彰にすり替えられるといった許し難い事態が懸念される。

 繰り返す、即位・大嘗祭違憲訴訟原告団、同弁護団は安倍晋三の「国葬」に断固反対する。

リムパックに反対する二つの記事:リムパックとアメリカの対中戦争に対するフェミニストの反論/リムパック2022にノー、アロハ’Āinaと真の安全保障にイエス

(訳者前書き)世界最大規模の26ヶ国の海軍がハワイなどで実施しているリムパックに、日本の海上自衛隊も日本の米軍も参加しており、あからさまな太平洋地域での軍事的な挑発行為となっている。にもかかわらず、日本のメディアの報道はほとんどないに等しい。

以下、二つの記事を訳した。最初の記事は、Foreign Policy in Focus (FPIF)に掲載されたもの。FPIF1996年に設立された平和、正義、環境保護、そして経済的、政治的、社会的権利へのコミットメントに関して外交的解決、グローバルな協力、そして草の根の参加の視点から活動しているシンクタンクである。二番目の記事は、ハワイに拠点をおくWomen’s Voices Women Speakのブログの記事。ハワイの先住民が置かれている基地問題についてより具体的な指摘と行動提起などが書かれている。すでに終ったイベントもあるが、これから参加できるオンラインのイベントもある。すでに二つの記事を投稿している(これこれ)が、Cancel Rimpac 2022の署名運動はまだ継続中だ。是非署名を。

下記のメッセージにあるように、戦争の問題を気候変動や環境への深刻な破壊活動であること、米軍基地が先住民の土地や文化の収奪の上に成り立っていること、複合的な人権侵害を引き起こすことなどが提起されている。伝統的な平和運動のパラダイムと比べて、より包括的で体制そのものの転換への指向がはっきりしていると思う。また、ウクライナの戦争の真っ最中であることから、日本の平和運動が自衛隊の武力行使を容認しかねない危うい主張がみられるようになったのとは対照的に、ウクライナの戦争があろうがなかろうが、軍隊そのものを否定する意志が明確だ。しかも下記の団体はいずれも米国を拠点としているから、自国の軍隊や基地そのものを拒否する運動にもなっている。(小倉利丸)

(参考)日本のマスコミ報道

日経 多国間軍事演習「リムパック」開始 台湾は不参加

時事 海上自衛隊、リムパック演習に「いずも」派遣 陸自部隊も参加

読売 「史上最大」と中国が警戒、リムパックに日本は「いずも」派遣…台湾招待は見送り

神奈川 海自護衛艦いずも、横須賀出港 リムパック参加へ

リムパックとアメリカの対中戦争に対するフェミニストの反論

ハワイから沖縄まで、アジア太平洋地域の女性リーダーたちは、大国間競争に代わる選択肢を提案する。

クリスティーン・アーン|2022年6月28日号
6月29日から8月4日まで、米国は26カ国を率いて、ハワイと南カリフォルニア周辺で「リムパック」(RIMPAC)と呼ばれる大規模で連携した軍事演習を行う予定だ。世界最大規模の国際海上演習で、日本、インド、オーストラリア、韓国、フィリピンなどから、約25,000人の軍人、38隻の軍艦、4隻の潜水艦、170機以上の航空機が参加する予定だ。過去最大規模となる今年のリムパックは、米国の国防予算が膨れ上がり、「インド太平洋」における米国の軍事的プレゼンスを高めることが求められていることを背景にしており、すべて中国を封じ込めることが目的である。

しかし、アジア太平洋における軍事化の進展が、特に最前線の地域社会や海洋生態系に及ぼす非常に現実的な影響については、見過ごされがちだ。例えば、昨年のリムパック戦争では、オーストラリアの駆逐艦がサンディエゴでナガスクジラの親子を死亡させた。生物多様性センターのクリステン・モンセルは、「こうした軍事演習は、爆発やソナー、船の衝突によって、クジラやイルカなどの海洋哺乳類に大打撃を与える可能性があります」と語る

米国のパワーにまつわる攻撃的な言葉は、民主主義対権威主義(中国、ロシア、北朝鮮、イランなど)という誤った二元論を生み出し、緊張と軍事化、そして新たな戦争の可能性を増大させる。このような限定的な考え方は、気候変動やパンデミックなど、我々の存在を脅かす重要な問題に対する協力の機会を失わせ、一方で、健康、教育、住宅といった真の安全対策に利用できる資源を減少させる。

このため、今後数週間、フェミニスト平和イニシアチブ(Grassroots Global Justice Alliance、MADRE、Women Cross DMZの共同プロジェクト)は、Foreign Policy in Focusと協力して、この超軍国主義が彼らのコミュニティに与える影響について、太平洋とアジアのフェミニスト平和構築者と専門家の声を拡大し、米国と中国間の大国の競争に代わるものを提供しようとするものである。

米海軍のジェット燃料貯蔵によってオアフ島の帯水層が汚染されているハワイや、米軍の演習によってチャモロ人の先祖代々の土地が冒涜されているグアハン(グアム)の活動家から声を聞くことができる。沖縄の辺野古では、活動家たちが珊瑚礁と絶滅危惧種のジュゴンを守るために米海兵隊と闘い、韓国の済州島では、村人たちが中国に対して力をプロジェクションするために米軍の駆逐艦が停泊する海軍基地建設を阻止するために闘ってきた。

これらのコミュニティは一体となって、軍事化された安全保障に代わる、真の人間の安全保障を求めるオルタナティブな未来を訴えている。

米国の対中緊張を高めるもの

バイデン政権は3月、米国にとって中国はロシア、北朝鮮、イランに次ぐ安全保障上の最大の課題であると断言した

バイデン政権のアジア担当官カート・キャンベルによれば、米国がアジアでプレゼンスを維持する目的は、「シャツを売り、魂を救い、自由な思想を広める」ことだという。これは主に外交官、宣教師、ビジネスマンによって達成されてきたが、常に軍事力の脅威によって支えられてきた。

米国と中国の経済は非常に密接に絡み合っているため、潜在的な戦争はどちらの国にとっても利益にはならない。しかし、中国の台頭の脅威は、米国の軍産複合体にとって好材料でもある。パンデミックと20年に及ぶ「テロとの戦い」の失敗によるアフガニスタンからの撤退は、米国の外交政策に変化を求める貴重な機会となった。

党派を超えて米国のエリートの対中観を形成しているのは、トランプ政権の元国防省高官であるエルブリッジ・A・コルビーである。2021年に出版された『否定の戦略』(原題:Strategy of Denial: American Defense in an Age of Great Power Conflict)においてコルビーは、日本、韓国から台湾海峡を経てフィリピンに至る「防衛境界線」を提唱している。コルビーにとって、中国との平和を達成するには、「断固とした焦点を絞った行動と、この地域の国家に核兵器を与える可能性を含め、中国との戦争の明確な可能性を受け入れることが必要」なのである。コルビーは、力による平和は、「我々の繁栄と生活水準の低下の一因となる市場へのアクセスの減少 」を防ぐために必要だと言う。この地域、ひいては世界を支配する中国に対抗するために、米国はただでさえ殺傷力の高い軍事力に大規模な投資と近代化を行い、インド太平洋地域における同盟関係を強化しなければならないとコルビーは主張する。

中国がもたらす真の脅威は、コルビー の父親であるJonathan Colbyがシニアアドバイザー兼マネージングディレクターを務める非公開投資会社、Carlyle Groupのような米国の多国籍企業の収益にあるのだという。歴史家のLaurence Shoupによると、「アジアはCarlyleにとって非常に重要な市場であり、200億ドルの資産を持ち、多くは台湾に拠点を置いている」。2016年のBusiness History誌の調査によると、 Carlyleは中国最大の建設機械メーカーであるXugongを4億4000万ドルで買収する際に中国からの規制のハードルに直面し、台湾のAdvanced Semiconductor Engineeringの買収にも失敗していることがわかった。その結果、カーライルは、バイアウトを成功させるためには、より有利な国内制度の枠組みが必要であるとの結論に達した。「カーライルのような金融資本家たちは、制約なく企業を売買し、それぞれの企業の資源や労働者を利用して利潤のために好きなことができるようになりたいと考えている」と、Shoupは書いている。しかし、「中国はそのような無制限のアクセスを許さず、コルビー家のような新自由主義思想家が好む自由な資本主義に対して道を閉ざしている。」。

軍事的優位性を重視した結果、米国はロシアと中国に対してNATOとヨーロッパの同盟国を動員している。英国は14年ぶりに米軍の核兵器を貯蔵することになり、韓国は保守派の新大統領の下、半島への米軍の核資産の返還を求め、日本は今春、国会で2027年までの米軍駐留経費86億ドルを最終決定し、二国間同盟が深化していることを反映している。

しかし、このような軍事化の拡大は、インド太平洋における中国との危険な衝突の可能性を高めるだけである。中国を取り囲む290の米軍基地とリムパックのような挑発的な米軍演習は「中国のセキュリティ上の脅威を高め、中国政府が自国の軍事費と活動を高めることで対応するよう促す」とアメリカン大学の人類学者David Vineは言う。

大国間競争へのフェミニストの対抗策

これ以上悲惨な戦争を防ぐために、フェミニスト平和構想は、米国の外交政策を軍事優先のアプローチから、真の人間の安全保障を優先させるアプローチに転換することを目指している。そのためには、米国の戦争や軍国主義によって最も影響を受ける人々の声を中心に据えることによって、外交政策を形成するプロセスを民主化することが必要である。

フェミニズムは、米国の外交政策を再構築するための強力な枠組みを提供する。例えば、支配、競争、攻撃といった伝統的な男性的特質が、繁栄、相互扶助、協力といった女性的特質にしばしば取って代わられていることを思い出してみてほしい。そうではなく、すべての人々と地球の幸福に基づいたポリシーが優先されるとしたら、どうだろうか。

気候変動、パンデミック、貧困など、私たちの生存にとって最も緊急な脅威に対処するには、現在、連邦政府の裁量支出の半分以上を占める国防総省の予算を削減する必要がある。その代わりに、ヘッドスタート[米国連邦政府の育児支援施策]、低所得大学生のためのペル・グラント、女性・乳児・子どものための食糧援助(WIC)、その他集団的福利を増進するあらゆるプログラムへ回すことができるはずである。Cost of War Projectによれば、「米国防総省は世界最大の石油消費機関であり、その結果、世界最大の温室効果ガス排出機関の一つである」ため、これは特に緊急の課題である。

米国内外の黒人、褐色、先住民族のコミュニティは、米国の軍国主義による暴力の矢面に立たされることが最も多い。米軍は、契約金、教育の機会、世界旅行を約束して貧しい有色のコミュニティを大量に勧誘する。その一方で、兵士が戦争から帰還したときに家族が受けるトラウマは言うまでもなく、精神疾患、薬物乱用、ホームレス、PTSD、高い自殺率など、退役軍人の生活への巻き添え被害を隠す。これらのコミュニティは、サンゴ礁、森林、農地、聖地の破壊や米軍基地周辺での性的搾取や暴力など、米軍基地がいかに戦争前に米軍国主義の暴力が現れる場所であるかを直接目撃している。

私たちは皆、帝国の犠牲者でありアクセサリーなの だ。だからこそ、この横行する軍国主義を終わらせるために、海や国境を越えてつながなければならない。バイデン政権が中国の台頭に立ち向かうために積極的なポリシーを追求する現在、私たちの未来を脅かす時代遅れの安全保障の定義に異議を唱えることは、これまで以上に急務となっている。
https://fpif.org/the-feminist-response-to-rimpac-and-the-u-s-war-against-china/

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リムパック2022にノー、アロハ’Āinaと真の安全保障にイエス

2022年6月29日から8月4日まで、ハワイと米国西海岸沖で環太平洋演習(リムパック)が行われる。 軍によると、この戦争演習は「各国の軍隊の相互運用性と異文化協力を促進し、世界中の戦争の効率を高めることを目的としている」しかし、それが生態系の破壊、植民地暴力、銃崇拝を引き起こすことは分かっている。 これに対抗するため、ハワイの平和と正義の擁護者たちは、問題を横断する教育や異文化間の組織化を通じて、脱軍事化を支持するよう一般市民に呼びかけている。

リムパックの演習では、参加国から何万人もの軍人、艦船、潜水艦、航空機がハワイの海域にやってきて、「敵」に対する戦争計画をテストする。リムパック2022に参加する国は、以下の通り。オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、コロンビア、デンマーク、エクアドル、フランス、ドイツ、インド、インドネシア、イスラエル、日本、マレーシア、メキシコ、オランダ、ニュージーランド、ペルー、韓国、フィリピン共和国、シンガポール、スリランカ、タイ、トンガ、イギリス、アメリカです。

リムパックの船舶沈没、ミサイル実験、魚雷発射は、島の生態系を破壊し、海の生き物の幸福を妨げてきた。

このような軍人の集まりは、有害な男らしさ、性的人身売買、地元の人々に対する暴力を助長する。

リムパックは、米国、中国、ロシア、北朝鮮間の緊張の高まりを緩和するために、中止されなければならない。戦争への「備え」よりも、地球規模の気候危機、Covid-19の世界的大流行、米国における銃乱射の流行に立ち向かう「備え」が必要である。終わりのない戦争という失敗した外交政策は、将来の世代を破産させ、難民の危機に拍車をかけ、米国を笑いものにするものだ。

リムパックは、先住民の自決権を侵害する、ハワイの土地の継続的な軍事占領によって可能になった。また、Red Hill/Kapūkakīの危機に関して私たちが受けてきた虐待と嘘を考えると、リムパックを進めることは言語道断である。

2021年11月以来、ハワイの人々は、ホノルルの帯水層からわずか100フィートの高さにある80年前の海軍地下ジェット燃料タンクの漏出によって、軍人の家族や民間人の飲料水が汚染されたことに憤慨してきた。 コミュニティの強い圧力により、ハワイ州はついに米海軍にタンクを遮断し、燃料汚染を浄化するよう命じ、2022年3月7日に国防長官がこれに同意した。現在も水質汚染は続いており、軍の家族は家に戻ることを拒んでいる。燃料の流出は帯水層を越えて拡大し続け、島の水供給全体を危険にさらしている。

米軍の土地と水に対する無謀な扱いに影響を受けているのは、レッドヒルだけではない。たった1ドルで米軍は現在ハワイ州の土地を65年間リースしている。これらは、ポハクロア訓練場、ポアモホ訓練場、マクア軍事保留地、カフク訓練場である。 これらのリース契約は2029年に終了するが、陸軍はこれらのリース契約を更新することを目指している。不発弾、砲弾、化学物質がこれらの訓練場を汚染しており、除去されていない。 ハワイ州は、ポハクロアの保護が不十分であるとして提訴されている。市民は、文化目的でマクアバレー訓練場にアクセスすることを求めて米軍を提訴し、勝利した。現在および将来の土地への損害を阻止するため、これらのリースは更新されるべきではない

リムパックは、銃暴力が米国を苦しめる中で発展してきた。軍事兵器の研究開発への政府の投資は、古い武器や余剰武器がオンラインや銃器店で売られ、地元の警察署や他国の国軍に受け継がれることを意味する。 進歩的な連邦銃改革を阻止し続ける全米ライフル協会のロビイストたちは、武器の供給者として、また世界規模の戦争を推進する者として、リムパックと手を組んでいる。

リムパックは、多くの国の参加を必要とするプロセスであることに注意することが重要である。 リムパックは演習である。つまり、武器取引と戦争遂行に向けて、文化や国境を越えて活動するよう、各国は仕込まれている。真の安全保障のためのプログラム(教育、医療、気候変動への備え)に資金を提供するのではなく、大量破壊兵器に貴重な資源を費やすことになるのである。

ハワイ先住民が米海軍のカホオラウェ爆撃を阻止するために立ち上がって以来、ハワイの土地を軍事化から守るために、民衆を鼓舞する非軍事化運動が生まれた。カナカ・マオリの女性たちはこの運動の先頭に立ち、占領の廃止と非軍事化を結びつけている。

ハワイの平和と正義の組織は、リムパックの制度的暴力に対抗するために、人々に私たちの能力を発揮するよう呼びかけている。

この夏、安全保障としての軍事化を脱し、真の安全保障を推進するために、あらゆる年齢や文化のコミュニティーがオンラインや対面式で集う機会がある。

私たちは、軍隊が米国占領下のハワイと米国経済の主要な経済産業であることを認識している。 私たちは、多くの危害を引き起こす軍産複合体から労働力を取り戻すために、私たちの歴史から学ぶことができる。これは自由の学校スタイルの公教育、芸術キャンペーン、ゼネスト、環境保護裁判、文学作品の出版、風刺、そしてグリーン経済への移行を支持する進歩的な政治家を選ぶことなどで可能になるはずだ。

私たちの目標は、リムパックに参加する兵士を含むすべての人に働きかけることだ。軍隊のメンバーの多くは、強引なやり方によって労働者階級のコミュニティからリクルートされる。兵士たちは、家庭内暴力レイプ自殺といった複合的な被害を含む、仲間内での虐待を経験している。私たちは、軍隊が私たちの土地や海、そして自分自身をどのように傷つけているかを理解するために、すべての人々にこれらのイベントへの参加を呼びかける。帝国が作り出す偽りの自己中心的な見方を受け入れるのではなく、互いに関わり合いながら組織化することが必要だ。ぜひご参加ください。

一般向けイベント

ハワイ平和と正義、平和のための退役軍人、女性の声、女性の声が参加する太平洋平和ネットワークは、リムパックとその参加方法について地域と世界のコミュニティを教育するために一連のイベントを開催する予定。

あなたができる最初の行動は、リムパックの中止を求める国際請願書に署名することです。

6月12日(日)午後3時から5時、カイルアのアイカヒ・ショッピングセンター(25 Kaneohe Bay Dr, Kailua, HI 96734)で行われるCANCEL RIMPACの署名に参加する。

6月25日(土)午後1時~3時(日本時間)、ハワイ、グアハン、アラスカからの番組を含むワールドワイド・ピースウェーブに参加しませんか? 国際平和ビューローとワールド・ビヨンド・ウォー、そして地元ハワイではピース・アンド・ジャスティスが主催する24時間世界一周ピースウェーブへの参加登録はこちらでどうぞ。

8月4日(木)-5日(金)2022年9時 – Hawai’i Peace and Justice, Koʻa Futures and Veterans For Peace は、ホノルルの East-West Center や Pacific Forum を含む兵器メーカーや軍事戦略・政策団体が太平洋地域での更なる戦争を引き起こすための会議「インド太平洋海事交流会」でハワイコンベンションセンター前でのアクションを実施する予定。https://www.facebook.com/hawaiipeaceandjustice/ にてご確認ください。

Sierra Club of Hawaiʻi は、一連の zoom conversation を開催予定。

2022年6月17日(金)午後12時-1時30分 / 午後3時-4時30分 (PT) / 午後5時-6時30分 (CT) / 午後6時-7時30分 (ET) / 午後1時-2時30分 (AKDT) キャンプ・レジュン、アラスカ、フリントの水保護団体が、水を守るためにそれぞれのコミュニティが取った草の根主導のアプローチについて話す予定。登録はこちらから。

2022年7月1日(金)時間未定 – 主催者は太平洋を越えて、水の不公正に拍車をかけている社会的・人種的不平等について話し合う。詳細はこちらでご確認ください。

Women’s Voices Women Speakは2つのコミュニティイベントを開催予定。

2022年7月3日(日)午後3時(場所未定)-クムとハワイの主権活動家ハウナニケイ・トラスクの一周忌に彼女の遺志を称える。国際連帯、非軍事化、非核化という彼女のフェミニズムのビジョンについて話し合う。詳しくは、キム(Kcompoc@gmail.com)までご連絡ください。

2022年7月31日(日)11-17時、トーマス・スクエア・パーク – Women’s Voices Women Speakは、ハワイ王国の祝日、毎年恒例のLā Hoʻihoʻi Eaに私たちのテントを設置する予定。Wisdom Circlesとのコラボレーションによる新しい「本物のセキュリティブランケット」とワイを称える集団のファブリックアートを見に、ぜひお越しください。このテントでは、年齢、性別、文化に関係なく、ハワイの独立と本物の安全保障について考え、それを祝うアート制作に参加することができます。申し込みは不要。

また、カネオヘのパパハナ・クアオラで毎年開催される、ハワイ語のための詩とアートの祭典「Nā Hua Ea」にもご注目ください。日程は未定です。

https://wvws808.blogspot.com/2022/06/no-to-rimpac-2022-yes-to-aloha-aina-and.html

マイケル・クェット:デジタル植民地主義の深刻な脅威

(訳者前書き)以下は、トランスナショナル・インスティチュートのサイトに掲載された論文の翻訳。グローバルな情報資本主義をグローバルサウスの視点から批判した論文として、示唆に富む。この論文は全体の前半部分である。デジタル植民地主義という観点は、日本がデジタル政策の一環としてIT産業のグローバルな展開に力を入れていることも踏まえて忘れてならない観点だ。とくに監視技術と連動した生体認証やAIの技術については、国連のSDGsの政策を巧妙にとりこみながらグローバルサウスの政府への売り込みが進んでいる。また、この論文の教育の章で論じられているように、学齢期から成人までの長期を追跡するシステムの構築や、子どものことから慣れ親しんだ大手IT企業のOSやソフトウェアに拘束されるコミュニケーションスキルの形成は日本のギガスクール構想とも重なる論点だ。同時に、この国のデジタルのプラットフォームが営利目的の資本に支配され、オープンソースやフリーソフトウェアが周辺に追いやられている現状のなかで、日本の活動家たちが、マイクロソフトやAppleのOSを使うことやGAFAのサービスを使うことの意味に無自覚であることについても、この論文では「果たしてそれでいいのか」という問いを投げかけるものになっている。同時に、オープンソースへの関心をもって四苦八苦しながら自分のPC環境を資本や政府の支配から切り離そうとして試行錯誤している活動家たちにとっては、パーソナルな挑戦がどのようにグローバルな資本主義との闘いと連動してるのかを見通す上で、勇気づけられる内容にもなっている。

他方で、先進国にいる私たちから隠されがちなサプライチェーン全体の多国籍企業による支配と表裏一体をなすグローバルサウスにおける搾取(労働力と環境)の問題は、IT産業が主導する現代にあっても古典的な植民地主義、帝国主義の時代と本質は変わっていない。この問題は、国連のような国際組織が取り組む貧困や開発のパラダイムでは解決できないだろう。他方で、この論文ではごくわずかしか言及されていないが、デジタルテクノロジー、とりわけブロックチェーンなどの技術を用いた自律的なコミュニティーの金融への挑戦など、日本ではほとんど議論されていないオルタナティブな社会システム(デジタル社会主義とも言われている)についても興味深い示唆がある。(小倉利丸)

マイケル・クェット

イラスト:Zoran Svilar

2021年3月4日

このエッセイは、TNIがROAR誌と共同で企画した「テクノロジー、権力、解放に関するデジタルの未来」シリーズの一部である。
過去数十年の間に、米国に拠点を置く多国籍「ビッグテック」企業は何兆ドルもの資金を集め、グローバルサウスのビジネスや労働からソーシャルメディアやエンターテインメントに至るまで、すべてをコントロールする過剰な権力を手に入れた。デジタル植民地主義は、いまや世界を飲み込んでいる。

2020年、億万長者たちは山賊のように儲けた。ジェフ・ベゾスの個人保有資産は1130億ドルから1840億ドルに急増した。イーロン・マスクは、純資産が270億ドルから1850億ドル超に上昇し、一時的にベゾスを追い越した。

「ビッグ・テック」企業を率いるブルジョワジーにとって、人生は素晴らしいものだ。

しかし、これらの企業が国内市場で支配力を拡大していることは多くの批判的分析の対象になっているが、その世界的な広がりは、特にアメリカ帝国の有力な知識人たちによって、ほとんど議論されることのない事実である。

実際、ひとたびその仕組みと数字を調べれば、ビッグ・テックがグローバルに展開されているだけでなく、根本的に植民地主義的な性格を持ち、米国に支配されていることが明らかになる。この現象は、“デジタル植民地主義 “と呼ばれている。

私たちは今、デジタル植民地主義が、前世紀における古典的な植民地主義のように、南半球にとって重大かつ広範囲な脅威となるリスクを抱える世界に生きている。格差の急激な拡大、国家と企業による監視の台頭、高度な警察・軍事テクノロジーは、この新しい世界秩序がもたらす結果のほんの一例に過ぎない。この現象は新しいと思う人もいるかもしれないが、過去数十年の間に、世界の現状に定着してしまったのである。相当強力な反権力運動がなければ、状況はもっと悪くなるだろう。

FairCoinと、商品や ServiceをFairCoin建てで提供するオンラインのFairMarketを提供するために、Commons Bankが設立された。この暗号通貨をコントロールすることで、Faircoopは、資本や国家の搾取的な支配の外で生計を立てようとする自営業者に法律や銀行サービスを提供するFreedomCoopのようなコモンズ中心の反資本主義のイニシアチブに資金を提供することができる。

上記の事例は一見バラバラに見えるかもしれないが、市場ベースの価格設定に内在する評価を再考する方法として、しばしば「ブロックチェーン」と呼ばれる「暗号台帳テクノロジー」を利用するという点で共通している。ブロックチェーンは、資本主義的でない新しい価値の測定と追求の方法を提供することで、資本主義に代わる経済の道を追求する能力を約束する。そのための社会的・政治的な力があるとして、そのような試みはどのようなものだろうか。

デジタル植民地主義とは何か?

デジタル植民地主義とは、デジタルテクノロジーを使って他国や他領土を政治的、経済的、社会的に支配することである。

古典的な植民地主義では、ヨーロッパ人は外国の土地を占領し入植し、軍事要塞、海港、鉄道などのインフラを設置し、経済浸透と軍事征服のために砲艦を配備し、重機械を建設し、原料を採掘するために労働力を利用し、労働者を監視するためのパノプティカルな構造物を建設し、高度な経済開発に必要なエンジニア(例えば、鉱物抽出のための化学者)を動員し、さらに、植民地支配のためにデジタル技術を利用した。製造工程に必要な先住民の知識を奪い、原料を母国に輸送して工業製品を生産し、安価な工業製品で南半球の市場を弱体化させ、不平等な世界分業の中で南半球の人々と国の従属関係を維持し、市場と外交と軍事支配を拡大し、利潤と略奪を図った。

言い換えれば、植民地主義は領土とインフラの所有とコントロール、労働力、知識、商品の獲得、そして国家権力の行使に依存していたのである。

このプロセスは何世紀にもわたって発展し、新しいテクノロジーが開発されるたびに追加されていった。19世紀後半には、大英帝国のために海底ケーブルによる電信通信が可能になった。また、情報の記録、保存、整理に関する新しい技術は、フィリピン征服の際にアメリカ軍の諜報機関によって初めて利用された。

今日、Eduardo Galeanoの言う南半球の「Open Vines」は、海を横断する「Digital Vines」であり、主に米国に拠点を置く一握りの企業が所有しコントロールするハイテクエコシステムを繋いでいる。光ファイバーケーブルの中には、GoogleやFacebookが所有またはリースしているものがあり、データの抽出と独占を進めている。今日の重工業は、AmazonやMicrosoftが支配するクラウドサーバーファームであり、ビッグデータの保存、プール、処理に使用され、米帝国の軍事基地のように拡大している。エンジニアは、25万ドル以上の高給取りのエリート・プログラマーからなる企業軍団である。搾取される労働者は、コンゴやラテンアメリカで鉱物を採取する有色人種、中国やアフリカで人工知能データにコメントを付ける安価な労働力、そしてソーシャルメディアのプラットフォームから有害なコンテンツを排除した後にPTSDに苦しむアジアの労働者たちである。プラットフォームと(NSAのような)スパイセンターはパノプティコンであり、データは人工知能ベースのサービスのために処理される原材料である。

より広義には、デジタル植民地主義は不平等な分業を定着させるものであり、支配勢力はデジタルインフラや知識の所有権、計算手段のコントロールを利用して、南半球を永久に従属させる状況に置いてきた。この不平等な分業が発展してきたのである。経済的には、製造業は 価値体系の下位に追いやられ、ハイテク企業が主導権を握る高度なハイテ ク経済に取って代わられた。

デジタル植民地主義の構造

デジタル植民地主義は、ソフトウェア、ハードウェア、ネットワーク接続といった、コンピューティングの手段を形成するデジタル世界の「もの」の支配に根ざしている。

これには、ゲートキーパーとして機能するプラットフォーム、仲介業者によって抽出されたデータ、業界標準のほか、”知的財産 “や “デジタル・インテリジェンス “の私的所有権も含まれる。デジタル植民地主義は、労働搾取、政策取り込み、経済計画から、情報サービス、支配階級の覇権、プロパガンダまで、従来の資本主義や権威主義的統治の手段と高度に統合されるようになった。

まずソフトウェアに目を向けると、かつてプログラマたちによって自由かつ広く共有されていたコードが、次第に私有化され、著作権の対象となるようになった過程を目の当たりにすることができる。1970年代から80年代にかけて、アメリカ議会はソフトウェアの著作権を強化し始めた。これに対して、「フリー&オープンソースソフトウェア」(FOSS)ライセンスという形で、ソフトウェアの使用、研究、変更、共有の権利をユーザーに与えるという流れが生まれた。これは、企業のコントロールや利潤のために利用されることのない「デジタル・コモンズ」を創出するもので、「南半球」の国々にとって本質的な利益をもたらすものだった。しかし、自由ソフトウェア運動が南半球に広がると、企業の反発を招いた。Microsoftはペルー政府がMicrosoftのプロプライエタリなソフトウェアから脱却しようとしたとき、ペルーを非難した。また、アフリカ政府が政府の省庁や学校でGNU/Linux FOSSオペレーティングシステムを使うのを妨害しようとした。

ソフトウェアの私有化と並行して、インターネットはFacebookやGoogleのような仲介サービス業者の手に急速に一元化された。重要なのは、クラウドサービスへの移行が、FOSSライセンスがユーザに与えていた自由を無効にしてしまったことだ。なぜなら、そのソフトウェアは大企業のコンピュータで実行さ れるものだからだ。企業のクラウドは、人々から自分のコンピュータをコントロールする能力を奪ってしまう。クラウドサービスは、ペタバイト単位の情報を企業に提供し、企業はそのデータを使って人工知能システムを訓練する。AIはビッグデータを使って「学習」する。例えば、フォントや形が異なる「A」という文字を認識するためには、何百万枚もの写真が必要だ。人間に適用した場合、人々のプライベートな生活の機微な情報は、巨大企業が絶え間なく抽出しようとする非常に貴重な資源となる。

南半球では、大多数の人が低レベルのフィーチャーフォンやスマートフォンを使っており、データ量に余裕がないのが実情だ。その結果、何百万人もの人々がFacebookのようなプラットフォームを「インターネット」として実感し、彼らに関するデータは外国の帝国主義者によって消費される。

ビッグデータの “フィードバック効果 “は、状況をさらに悪化させる。より多くの、より良質なデータを持つ者は、最高の人工知能サービスを作ることができ、それはより多くのユーザーを引き付け、サービスをより良くするためにさらに多くのデータを提供し、といった具合になるのだ。古典的な植民地主義のように、データは帝国主義勢力の原材料として取り込まれ、帝国主義勢力はデータを加工してサービスを生産し、グローバルな大衆に還元することで、彼らの支配をさらに強め、他のすべての人々を従属的な状況に置く。

Cecilia Rikapは、近刊の『Capitalism, Power and Innovation: Intellectual Monopoly Capitalism Uncovered』の中で、次のように述べている。米国のハイテク大手がいかに知的独占に基づく市場支配力を持ち、超過利潤(rent)を引き出し、労働力を搾取するために、下位企業の複雑な商品連鎖を支配しているかを示している。これにより、彼らはグローバルなバリューチェーンを計画・組織化するための「ノウハウ」と「人材」を蓄積し、知識を私有化し、ナレッジコモンズや公的研究成果を収奪する能力を手に入れた。

例えば、AppleはスマートフォンのIPとブランドから収益を引き出し、商品連鎖に沿った生産を調整している。台湾のFoxconnが運営する製造工場で携帯電話を組み立てる人々、コンゴでバッテリーのために採掘される鉱物、プロセッサを供給するチップメーカーなど、下位の生産者はすべてAppleの要求と気まぐれに服従することになる。

つまり、テクノロジー大手は、商品連鎖の中でビジネス関係をコントロールし、その知識、蓄積された資本、中核的な機能部品の支配から利益を得ているのである。そのため、彼らは製品を大量生産する比較的大きな企業に対しても、下請けとして値切ったり、切り捨てたりすることができる。大学も共犯者である。帝国主義中核国の最も権威ある大学は、学術生産空間において最も支配的な主体である。一方、周辺部や半周辺部の最も脆弱な大学は、最も搾取されており、研究開発のための資金、研究成果を特許化する知識や能力、自分たちの仕事が収奪されたときに反撃する資源がないことが多いのである。

教育の植民地化

デジタルの植民地化がどのように行われるかの一例が、教育分野にある。

南アフリカの教育テクノロジーに関する私の博士論文で詳しく述べたように、Microsoft、Google、Pearson、IBMなどの巨大なテック企業は、南半球全体の教育システムでその勢力を拡大している。Microsoftにとって、これは何も新しいことではない。上に述べたように、Microsoftはアフリカの政府を脅迫して、学校も含めてフリーソフトウェアをMicrosoft Windowsに置き換えさせようとした。

南アフリカでは、Microsoftは教師トレーナーの軍隊を現地に置き、教育システムでMicrosoftソフトウェアをどう使うかについて教師を訓練している。また、ヴェンダ大学などの大学にWindowsタブレットとMicrosoftのソフトウェアを提供し、そのパートナーシップを大々的に宣伝している。最近では、携帯電話会社のVodacom(英国の多国籍企業Vodafoneが過半数を所有)と提携し、南アフリカの学習者にデジタル教育を提供するようになった。

Microsoftは、南アフリカの9つの州教育局のうち少なくとも5つで契約しているトップサプライヤーであるが、Googleも市場シェアを獲得しようとしている。南アフリカの新興企業CloudEdと提携し、州政府との初のGoogle契約締結を目指している。

Michael and Susan Dell Foundationも参入し、州政府にData Driven District (DDD)プラットフォームを提供する。DDDソフトウェアは、成績、出席率、「社会問題」など、教師や生徒を追跡・監視するデータを収集するよう設計されている。学校は収集したデータをリアルタイムではなく毎週アップロードするが、最終的な目標は、官僚的な管理と「縦断的データ分析」(同じグループの個人について収集したデータを長期にわたって分析すること)のために、生徒の行動や成績をリアルタイムで監視することである。

南アフリカ政府は基礎教育省(DBE)のクラウドも拡大しており、最終的には侵襲的なテクノクラート的監視に利用される可能性がある。MicrosoftはDBEに対し、「ユーザーのライフサイクルに渡って」データを収集することを提案し、Microsoft Office 365のアカウントを保持している人は、学校から始まり、成人するまで、政府が教育と雇用の関連性などに関する長期的な分析を行えるようにすることを提案した。

ビッグテックによるデジタル植民地主義は、南半球の教育システム全体に急速に広がっている。ブラジルから執筆したGiselle Ferreiraとその共著者は、「ブラジルで起きていることと、南アフリカの事例(そしておそらく『グローバルサウス』の他の国々)に関するKwet(2019)の分析との類似は顕著である」と述べている。特に、GAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)企業が恵まれない学生にテクノロジーを惜しみなく提供するとき、データは平然と抽出され、その後、地域の特異性を重要視しないような方法で扱われる、と述べている。

学校は、ビッグテックにとって、デジタル市場のコントロールを拡大するための絶好の場所になりつつある。南半球の貧しい人々は、政府や企業が無償でデバイスを提供してくれることを当てにしていることが多く、どのソフトウェアを使うかを他人に決めてもらわなければならない。市場シェアを獲得するために、フィーチャーフォン以外の技術にほとんどアクセスできないような子どもたちに提供されるデバイスに、大企業のソフトウェアをあらかじめ搭載しておく以上に効果的な方法はないだろう。これは、将来のソフトウェア開発者を取り込むという利点もある。彼らは、何年も彼らのソフトウェアを使い、そのインタフェースや機能に慣れた後で、( フリーソフトウェアに基づく人々の技術ソリューションではなく) Googleや Microsoftを好むようになるかもしれない。

労働力の搾取

デジタル植民地主義は、南半球の国々がデジタルテクノロジーのための重要なインプットを提供するために、下働きとしてひどく搾取されている点にも表れている。コンゴ民主共和国は、自動車、スマートフォン、コンピューターに使用されるバッテリーに不可欠な鉱物であるコバルトを世界の70%以上供給していることは、以前から指摘されている。現在、民主共和国の14家族が、Apple、Tesla、Alphabet、Dell、Microsoftを、コバルト採掘産業における児童労働の恩恵にあずかっているとして提訴している。また、鉱物の採掘過程そのものが、労働者の健康周囲の環境に悪影響を及ぼすことも少なくない。

リチウムは、チリ、アルゼンチン、ボリビア、オーストラリアが主な埋蔵国だ。中南米各国の労働者の賃金は、裕福な国の基準からすると低く、特に彼らが耐えている労働条件を考えると、その差は歴然としている。データの入手可能性は様々だが、チリでは鉱山に雇用される人々の月給は約1430ドルから3000ドルの間であるのに対し、アルゼンチンでは月給は300ドルから1800ドルと低くなることもある。2016年、ボリビアでは鉱山労働者の月給の最低額が250ドルに引き上げられた。一方、オーストラリアの鉱山労働者の月給は約9,000ドルで、年間20万ドルに達することもある。

南半球の国々は、ハイテク企業にとって安価な労働力を豊富に提供する場所でもある。人工知能データのアノテーション、コールセンターの労働者、Facebookなどのソーシャルメディア大手のコンテンツモデレーターなどだ。コンテンツモデレーターは、ソーシャルメディアのフィードから、血なまぐさいものや性的なものなど、不快なコンテンツを削除する仕事であり、しばしば精神的なダメージを受ける。しかし、インドのような国では、コンテンツモデレーターの年収はわずか3,500ドルであり、しかもそれは1,400ドルから引き上げられた後の金額である。

デジタル帝国は中国か米国か?

欧米では、米国と中国が世界のテクノロジー覇権をめぐって争う「新冷戦」について、さまざまな議論が交わされている。しかし、技術のエコシステムをよく見てみると、世界経済では米国企業が圧倒的に優勢であることがわかる。

中国は数十年にわたる高成長を経て、世界のGDPの約17%を生み出し、2028年までに米国を追い抜くと予測されており、米国帝国は衰退しつつあるという主張(以前は日本の台頭とともに流行した物語)に一役買っている。中国経済を購買力平価で測ると、すでに米国を上回っている。しかし、経済学者のSean Starrsは、国家を「テーブルの上のビリヤードの玉のように相互作用する」自己完結した単位として扱うのは誤りであると指摘する。現実には、アメリカの経済支配力は「低下したのではなく、グローバル化した」のだとStarrsは主張する。このことは、特にビッグ・テックを見たときによくわかる。

第二次世界大戦後、企業の生産活動は国境を越えた生産ネットワークに広がっていった。例えば、1990年代には、Appleのような企業が電子機器の製造を米国から中国や台湾にアウトソーシングし始め、Foxconnのような企業が雇用する搾取工場労働者を利用するようになった。米国の多国籍ハイテク企業は、例えば、Ciscoのような高性能ルータースイッチのIPを設計する一方で、製造能力を南半球のハードウェアメーカーにアウトソーシングすることがよくある。

Starrsは、Forbes Global 2000のランキングによる世界の上位2000社の上場企業を25のセクター別に整理し、米国の多国籍企業が圧倒的に多いことを示した。2013年現在、上位25部門のうち18部門で利潤シェアの面で優位に立っている。彼の近著『American Power Globalized:Rethinking National Power in the Age of Globalization』でStarrsは、米国が支配的な力を維持していることを示している。ITソフトウェア&サービスでは、米国の利益シェアが76%であるのに対し、中国は10%、テクノロジーハードウェア&機器では、米国が63%に対し中国は6%、エレクトロニクスでは、それぞれ43%と10%である。韓国、日本、台湾などの他の国も、これらの分野では中国より優れていることが多い。

したがって、よく言われるように、世界のハイテク覇権争いにおいて米国と中国を対等の競争相手として描くことは、非常に誤解を招くことになる。例えば、2019年の国連の「デジタル経済報告書には、次のように書かれている。「デジタル経済の地理は、米国と中国の2カ国に高度に集中している」。しかし、この報告書はStarrsのような著者が指摘した要因を無視しているだけでなく、中国のハイテク産業のほとんどが中国国内を支配しており、5G(Huawei)、CCTVカメラ(Hikvision、Dahua)、ソーシャルメディア(TikTok)などのいくつかの主要製品やサービスだけが、海外でも大きな市場シェアを持っているという事実も説明していないのである。中国も一部の外国ハイテク企業に多額の投資をしているが、これも外国投資のシェアがはるかに大きい米国の支配を真に脅かすとは言い難い。

現実には、米国が最高のハイテク帝国である。米国と中国以外の国では、米国は検索エンジン(Google)、ウェブブラウザ(Google Chrome、Apple Safari)、スマートフォンとタブレットのオペレーティングシステム(Google Android、Apple iOS)、デスクトップとラップトップのオペレーティングシステム(Microsoft Windows、macOS)、オフィスソフトウェア(Microsoft Office、Google G Suite、Apple iWork)、のカテゴリーでリードしています。クラウドインフラとサービス(Amazon、Microsoft、Google、IBM)、SNSプラットフォーム(Facebook、Twitter)、交通機関(Uber、Lyft)、ビジネスネットワーク(Microsoft LinkedIn)、ストリーミングエンターテイメント(Google YouTube、Netflix、Hulu)、オンライン広告(Google、Facebook)など、さまざまな分野でリードしている。

つまり、個人であれ企業であれ、コンピュータを使っているのであれば、米国企業が最も恩恵を受けているということだ。彼らはデジタルのエコシステムを所有しているのだ。

政治的支配と暴力の手段

米国のハイテク企業の経済力は、政治的・社会的領域における影響力と密接に関係している。他の産業と同様、ハイテク企業の幹部と米国政府の間には回転ドアがあり、ハイテク企業や企業連合は、自分たちの特定の利益、そしてデジタル資本主義全般に有利な政策を求めて、規制当局に多大なロビー活動を展開している。

一方、政府や法執行機関は、ハイテク企業とパートナーシップを結び、自分たちの汚い仕事をさせる。2013年、Edward Snowdenは、Microsoft、Yahoo、Google、Facebook、PalTalk、YouTube、Skype、AOL、AppleのすべてがPRISMプログラムを通じて国家安全保障局と情報を共有していることを明らかにした。その後、さらに多くの暴露があり、企業が保存し、インターネット上で送信されたデータが、国家によって利用されるために、政府の巨大なデータベースに吸い上げられることを世界中が知ることになった。中東からアフリカラテンアメリカに至るまで、南半球の国々がNSAの監視対象になっている。

警察と軍はハイテク企業とも協力している。ハイテク企業は、南の国々を含め、監視製品・サービスの提供者として喜んで小切手を切っている。たとえば、Microsoftは、あまり知られていないPublic Safety and Justice部門を通じて、Microsoftのクラウドインフラ上で技術を運用する「法執行」向け監視ベンダーと幅広いパートナーシップのエコシステムを構築している。これには、ブラジルとシンガポールの警察が購入した「Microsoft Aware」と呼ばれる街全体の指揮統制用監視プラットフォームや、南アフリカのケープタウンとダーバンで展開されている顔認識カメラ付き警察車両ソリューションが含まれる。

また、Microsoftは刑務所産業にも深く関わっている。少年の「犯罪者」から公判前、保護観察、刑務所、そして出所して仮釈放されるまでの矯正の一連の流れをカバーする様々な刑務所向けソフトウェア・ソリューションを提供している。アフリカでは、Netopia Solutionsという会社と提携し、「脱走管理」や「囚人分析」を含むPMS(Prison Management Software)プラットフォームを提供している。

NetopiaのPrison Management Solutionが具体的にどこに展開されているかは不明だが、Microsoftは、”Netopiaはモロッコの(Microsoftパートナー/ベンダー)であり、北・中央アフリカの政府サービスをデジタルに変革することに深くフォーカスしている “と述べている。モロッコは反体制派を残虐に扱い、囚人を拷問した実績があり、米国は最近、国際法に反して西サハラの併合を認めている。

フランシス・ガルトン卿がインドと南アフリカで行った指紋押捺の先駆的な仕事から、アメリカがフィリピンを平定するために生体情報と統計・データ管理の技術革新を組み合わせ、最初の近代的監視装置を形成したことまで、帝国権力は何世紀にもわたって、まず外国人を対象に住民を警察・管理するテクノロジーをテストしてきた。歴史家のAlfred McCoyが示したように、フィリピンで展開された監視テクノロジーの数々は、最終的に米国に持ち帰られ、国内の反体制派に対して使われることにつながるモデルの実験場となったのである。Microsoftとそのパートナーのハイテク監視プロジェクトは、アフリカ人が引き続き、収容所実験の実験台として機能し続けることを示唆している。

結論

デジタルテクノロジーと情報は、あらゆる場所の政治、経済、社会生活において中心的な役割を担っている。アメリカ帝国プロジェクトの一環として、アメリカの多国籍企業は、知的財産、デジタル・インテリジェンス、計算手段の所有とコントロールを通じて、南半球での植民地主義を再構築している。コンピュータが実行する中核的なインフラ、産業、機能のほとんどは、アメリカの国境を越えた企業の私有財産であり、彼らはアメリカ国外において圧倒的な支配力を誇っている。Microsoftや Appleなどの最大手企業は、知的独占企業として世界のサプライチェーンを支配している。

不平等な交換と分業が行われ、周辺部での依存関係が強化される一方で、大量の移民と世界の貧困が永続化する。

富裕国とその企業は、知識を共有し、テクノロジーを移転し、世界の繁栄を共有するための構成要素を平等な条件で提供する代わりに、自らの優位性を守り、安価な労働力と超過利潤のために南を揺さぶることを目指している。デジタル・エコシステムの中核的な構成要素を独占し、学校や技能訓練プログラムに自社の技術を押し込み、南の企業や国家のエリートと提携することで、ビッグテックは新興国市場を取り込んでいる。警察や刑務所に提供される監視サービスからさえ、彼らは利潤のために利益を得るだろう。

しかし、集中した権力の力に対しては、常に反撃する人々が存在する。南半球におけるビッグテックへの抵抗は、アパルトヘイト下の南アフリカでビジネスを展開するIBMや Hewlett Packardなどに対する国際的な抗議の時代まで遡る長い歴史がある。2000年代初頭、デジタル植民地主義に抵抗する手段として、南半球の国々は自由ソフトウェアとグローバルコモンズを一時期受け入れた。そのような取り組みの多くはその後衰退したとのだが。ここ数年、デジタル植民地主義に対抗する新しい動きが出てきている。

この図式の中では、もっと多くのことが起こっている。資本主義が生み出した生態系の危機は、地球上の生命を永久に破壊する恐れが急速に高まっており、デジタル経済の解決策は、環境正義やより広範な平等のための闘いと相互に関係する必要がある。

デジタル植民地主義を一掃するためには、資本主義や権威主義、アメリカ帝国、そしてその知的支援者と対決しようとする草の根運動と関連して、根本原因や主要なアクターに挑戦する異なる概念的枠組みが必要である。

著者について
ロードス大学で社会学の博士号を取得。イェール大学ロースクール情報社会プロジェクトの客員研究員でもある。Digital colonialism: US empire and the new imperialism in the Global Southの著者。また、VICE News、The Intercept、The New York Times、Al Jazeera、Counterpunchで記事を執筆している。

このエッセイは、TNIのFuture Labのseries on Technology, Power and Emancipationの一部であり、ROAR誌と共同で企画されたものである。

他のエッセイは以下の通り。 The Intelligent Corporation: Data and the digital economy および  Blockchains: Building blocks of a post-capitalist future?

(ロシア:paper)「グラフィティーは、街のすべての人々に世も末ではない、という希望をもたらす」―ストリートアートが反戦デモの主要なツールになった理由


(訳者前書き)下記はサンクトペテルブルグのPaper誌から、反戦運動とストリートアートについての論評を訳したものです。大人数の集会やデモが厳しく規制されるなかで、反戦運動は街頭での意思表示を多様な手法を用いて展開してきた。路上の意思表示は、グラフィティと総称されるようなものばかりではなく、以前に私のブログでも紹介した商品の値札に反戦のメッセージを貼りつけたりする創意工夫がある。取り締まりの強化のなかで、グラフィティは、どこの国でも、時間をかけた作品を路上で制作することが困難になると、ステンシルや広告塔を利用したポスターなど短時間で完成できる手法へと切り替わるが、ロシアでも同じことがいえるようだ。さらに、反戦運動のなかで、これまでグラフィティやアウトリートアートの経験のなかった人達が参加するようになっている。このことが表現の幅や奥行を生み出してもいる。いつも思うのだが、こうした路上の抵抗を、日本でどこまで実現できるだろうか。下記の記事の最後の方で、ロシアのアート界が、国家予算に依存しつづけてきたこと、また文化を政治から切り離す伝統があることが、戦争反対や政治的な表現にアーティストが萎縮する背景にあると指摘されている。日本と非常に似ていると思う。しかし、そうしたなかで、ストリートアートがしたたかに大きな力を発揮していることはアートの政治的社会的な力の重要な有り様だと思う。グラフィティへの過剰な取り締まりだけでなく、政治的な意思表示の手段として路上を活用する運動文化が廃れてしまったようにみえるなかで、運動の文化がどうしたら想像力を回復できるか。この点でも、従来の集会やデモによる表現が、厳しい弾圧のなかで、ある種の仲間内のバブルの中でかろうじて延命しうるだけになっているなかで、バブルを破り外部の多くの人達との接点を形成する重要な役割を担っていることが指摘されている。こうした観点も重要な指摘だと思う。戦争に加担してきたこの国にあって、私たちにつきつけられた深刻な宿題だろう。なお翻訳は、ロシア語からの機械翻訳(DeepLとLingvanex)によりながら修正を加えましたが、ロシア語が堪能ではないので誤訳などありえます。文末の原文サイトを是非参照してください。(小倉利丸)


ウクライナ戦争の勃発により、ロシアでは公的な対話の場が大きく狭まった。2月下旬、サンクトペテルブルクなどでほぼ毎日行われていた抗議デモは、いつも以上に暴力的に警察によって鎮圧された。全国で行われた抗議行動では、最初の2週間で1万2千人以上が拘束された。

同時に、ロシアの各都市の路上には、反戦を訴える文章、ステッカー、反戦画、ポスターなどが登場し始めた。様々な形のストリートアートが、反戦現象として最も注目されるようになった。

“Paper “は、ストリート・ステートメントの作者たちに、彼らが誰に訴え、どのように迫害から身を守っているのかを聞き、ストリートアートの専門家に、サンクトペテルブルクの現代のストリートアートの抗議の規模を評価してもらった。

サンクトペテルブルク市民が一斉に壁に書き始めた理由

「正確に見積もるのは難しいが、数百のサインと数百枚の紙製のビラを作った」と語るのは、路上で反戦メッセージを残しているサンクトペテルブルクの映画評論家、アレクセイ(安全上の理由から登場人物の名前はすべて変えている-“Paper “の注)だ。2月24日以来、彼は時々夜中に散歩するようになった。なぜなら、声を上げ、感情を発散したいという思いが強くなったからだ–従来のやり方は危険なだけでなく、効果もない。プロパガンダを信じたり、何も起こらないふりをしたりする人たちには届かない。

ペテルブルグの人たちは、「周りの人がみんな同じように考えていると確信すれば、自分も同じように考えるようになる」と考えています。だからこそ、アレクセイにとっては、人々が何が起こっているのかを気づかせるものに出くわすことが重要なのだ、と。

通訳のアナスタシアも、ロシアで安全に抗議する方法は他にないと考えている。彼女は以前、集会に行ったことがあるが、その都度、参加者は減り、ロスグヴァルディア(国家警察)が増えた。

アナスタシアは空いた時間に、友人と一緒に紙と両面テープで作った自作のステッカーを街中に貼った。配管や 壁、配電盤のブースなどに貼った。最初は事実を書いていたが、サーシャ・スコチレンカの事件以来、「[当局が言うところの]フェイクを広める」のではなく、「わが軍の信用を落とす」「反戦スローガンを書く」ことにした。

この女性は、こうした声明が戦争を常態化させないように闘い、人々が戦争に慣れないようにし、また同じ考えを持つ人々を支援すると信じている。すべてのタグ、ステッカー、緑のリボンは、反対者が本当にたくさんいること、すべてが失われたわけではないことを思い出させるのである。

ナスティアと口論になったり、彼女とその友人を拘束しようとしたりした人はいない。おそらく、彼らが注意深かったからだろう。今はロシアを離れてしまったが、最後の瞬間まで、監視カメラに追われないか不安な日々を送っていた。

また、サンクトペテルブルク在住のドミトリは、改装後のカフェに30〜40缶のペンキが残っており、反戦の姿勢を伝えるには路上での落書きが効果的だと考えたという。セントジョージのリボンとZの文字が入った広告バナーと同じくらい、多くの人に見てもらえると考えている。そこで、彼は個人のアカウントに缶の写真を投稿し、「何をすべきか分かっているよね」と書き込んだ。数日で塗装が剥がされた。

エンジニアのヴァシリイさんは、いてもたってもいられなくなり、15枚ほどステッカーを貼ったそうだ。彼の考えでは、戦争反対の表明は少なくとも誰か一人に影響を与え、その一人が他の誰かに影響を与えることになる、という。ステッカーは、すぐに貼ったり剥がしたりできる便利で安全なものだという。彼は怖がったが、それは警官ではなく、戦争を支持する「70%のロシア人」に対してだった。彼は「親ロシア派の通行人にやられる」ことを心配したのだ。

写真:ドミトリー・ピリキン ドミトリー・ピリキン(ストリートアート研究所研究員)

ストリートアートは社会や政治にどのような影響を与えることができるのか。

ストリートアートは社会や政治にどのような影響を与えることができるのか↓。
ストリートアーティスト、パフォーマンスアーティスト、ストリートアート研究家のAnton Polskyは、「芸術は常に革命と手を取り合ってきました」とPaperに語っている。

芸術の歴史には、芸術を通じて政治や社会に影響を与えようとした人々が数多く存在する。左翼系のアーティストは、「Reclaim the Streets」や「Provo」など、都市をテーマにしたプロジェクトを行ってきた。

1960年代、Provoはアムステルダムの有力な芸術家集団で、オランダの生活様式や両親のブルジョア的価値観に反対していた、とAnton Polskyは言う。例えば、アムステルダムのモータリゼーションを糾弾し、その代替案として、文字通りサイクリングを考案した。誰でも使える白い自転車を何百台も街中に配置したのだ。さらに、いわゆるホワイトプランと呼ばれるものをいくつも打ち出した。Anton Polskyによれば、Provoはユーモアと皮肉を駆使し、従来の政治闘争(fatuous and categorical)とは一線を画していたという。

また、1980年代のポーランドでは、ヴロツワフを中心に、Provoに触発された「オレンジ・オルタナティブ」という強力な芸術運動があったと、Anton Polskyは語る。この運動はポーランドの共産主義体制に抗議するもので、彼らの行動は皮肉と不条理に基づくものであった。美術史家によれば、彼らは、混乱、挑発、演技によって当局と闘うことが可能であることを示したという。

サンクトペテルブルク市民が壁に書き込んだこと

ツアーガイドのニコライ・ステクロトゥールは、戦争が始まって以来、珍しい反戦の碑文を集めている。今では100枚以上持っているという。「戦争が始まって間もない頃は、目についた碑文をすべて記録しようとしたが、すぐにそれは不可能だと悟った」。

ニコライによると、「No to War」「Peace to Peace」「pacifik」というサインや 緑のリボンなどがよく書かれているのだという。珍しいところでは、「悪に負けるな」「戦争ではなく、愛を育め」といった言葉がある。

巷のアートハンターは、戦争が始まってから「壁に書かれた文字」の数は大幅に増えたが、その質は失われていないと言う。

ストリートアート研究所の研究員で美術史家のドミトリー・ピリキン氏は、戦争が始まってから300枚以上の写真を集めたという。Nikolayのコレクションには、「Fuck the War」、「Peace」という簡潔なものから、「Leningrad Not ziguet」「Silence is a Crime」「Man to Man」「We are Russian, God knows what with us」「Denacify your head」「The Hague is waiting」「Strength in Newtons, brother」という独創的なものまである。

このような反戦芸術の寿命はさまざまである。アートグループ「Yav」のメンバーであるAnastasia Vladychkinaは、Bohamaiaに、彼らの最新の作品は2時間以内しか設置されていないと語った。ストリートアーティストのVlada MVは、反戦作品の平均展示期間は1日だという。

Dmitry Pilikinは、反戦ストリートアートが廃棄されるまでの時間は、その場所(見える場所か見えない場所か)、そして建物の所有者や法的責任者によって異なると指摘している。Nicholas Steklotourは、反戦芸術はストリートアートと同じくらい長持ちすると言う、それは2日続くかもしれないし、2週間続くかもしれない。最も重要なのは、ペイントされた1つの文字に対して、1つか2つの新しいものが登場することです。

研究者と芸術家の意見が一致したのは、戦争支持の看板よりも反戦の看板の方がはるかに多いということだ。Nikolai Steklotourは、Ligovsky Prospekt周辺をツアーで案内し、参加者に数を数えてもらうことを提案した。”戦争賛成 “のサイン6枚(Z、”We don’t abandon our own “とロシア色のハートとその中にZをステンシルしたもの)と “反戦 “のサイン34枚を発見した。

アートグループ「Java」のリーダー、Anastasia Vladychkinaは、3月には大統領と「Z」の文字のステンシルがたくさんあったが、通常は通行人によってすぐに修正され、さらに細部を追加して「Za shitty」などのフレーズにされていたと指摘した。

Nikolay Steklotourによると、反戦の抗議は、形も内容も多様であることがその特徴であるという。しかし、戦争賛成派は「党が命令したかのように、みな同じ」という。

国家には、街頭で「アジェンダを奪い取る」という任務はない、とDmitry Pilikinは結論づける。テレビに頭を突っ込んで座っている人にはこれ以上の刺激は必要ないが、それ以外の人には「静寂のモード」が必要だ。

写真:Nikolai Steklotour

ロシアでは、店頭の値札を取り替えたとして、すでに数件の刑事事件が発生し、数名が罰金刑に処されている。すべて4月の出来事である。

サンクトペテルブルグのSasha SkochilenkoとスモレンスクのVladimir Zavyalovは、軍のフェイクに関する犯罪条項で起訴された。

また、ニジニ・ノヴゴロド出身の学生について、ロシア軍の信用失墜に関する条項で2件の告発が行われた。法執行機関によると、彼女はSPARとPyatyorochkaで値札を貼り替えて、そこに「ウクライナでの我々の軍事行動のために、週単位のインフレは1998年以来最高となった。ストップ・ザ・ウォー」 書いた。

また、サンクトペテルブルクではAndrei Makedonovが拘束された。事前の情報によると、店内の値札を「戦争反対」と書き換えたという。Makedonovの消息については、これ以上の情報はない。

ストリートアートへの抗議に国家はどう反応するか

グラフィティの作者は、この種の抗議を安全だと考えるのは間違っている」と述べた。壁に描かれた文言に対する刑事事件の統計はまだないが、The Paperは、反戦ストリートアートをめぐって2月末から少なくとも20件が提起されたという記述を見つけた。

サンクトペテルブルクには、少なくとも8件ある。ある家の正面に「ウクライナに栄光あれ!」と書かれたことについて、政治的憎悪による破壊行為で告発されたイェゴル・カザネツ。サンクトペテルブルク在住のセルゲイ・ワシリーフは、「ウクライナに栄光あれ!」と書いたため、同条項により公判前勾留施設に送致された。また、捜査当局によると、ポレシャエフスキー公園で「ソビエト時代」の碑文を描いた43歳のエンジニアや、反戦の碑文を描いた男性もいる。

また、サンクトペテルブルク在住のドミトリー・カフは、ソ連戦士の記念碑に「戦争反対!」「プーチンはファシスト!」と書き入れたため、政治的憎悪のための埋葬地の乱用に関する条項で拘留されることになった。

捜査当局によると、2人の男が、軍事歴史砲兵博物館の榴弾砲2基のパネルカバーを黄色と青色に塗り替えたという。そのうちの1人は3月19日に破壊行為の容疑で拘束された。二人目の容疑者の身元は判明していない。

サンクトペテルブルクでは、少なくとも5人が反戦落書きをしたとして、「当局の信用を失墜させた」という行政犯罪で罰金を科された。Anna Zivはバス停に落書きした罪で、Sergei Davydovはゴミ箱に落書きした罪で、それぞれ3万ルーブルの罰金を課された。Demian Bespokoyewは、自分のコートに文字を書いたとして45,000ルーブルの罰金を課された。

Sergei Malinovskyは家の壁に反戦のメッセージを投影し、教師のEkaterina Vasilyevaはバックパックに貼った紙テープに「No to War #silentpicket」と書き、罰金を課された。また、サンクトペテルブルクの住人は、鞄に「No to War」と書いたことで「軍隊の信用を失墜させた」罪で起訴された。

その他、ペテルスブルグの人々はどのように抗議しているのか

「戦争反対」のような最も一般的なスローガンは、これまで路上で何かを書いたことがない人たちによってつくられる。美術史家のドミトリー・ピリキンは、これは抵抗と自分の意見を明確にしたいという欲求の結果である可能性が高い、と言う。

グラフィティに加えて、ステッカーやストリートアート、ゲリラ・アート(原注)に似た「サイレント・ピケ」などの行為も行っていると、ストリートアートの研究者であるアントン・ポルスキーは指摘する。

(原注) グラフィティだけでなく、ステッカーやストリートアート、そしてゲリラ的な行為に近い「サイレント・ピケ」などの創造的な行為も行われていると、同じくストリートアート研究者のAnton Polskyは言う。

Dmitry Pilikinは、商店の値札を反戦のメッセージに置き換えるというアイデアは、芸術的な介入として成功したと考えている。(原注)もう一つの例として、 Pilikinは、街中のカラーポスターの文字を、反戦に関する問いかけで「愛の貴婦人」の電話番号を置き換えたことを挙げている。

(原注)ロシアでは、店頭の値札を取り替えたとして、すでに数件の刑事事件が発生し、数名が罰金刑に処されている。すべて4月の出来事である。 サンクトペテルブルグのSasha SkochilenkoとスモレンスクのVladimir Zavyalovは、軍のフェイクに関する犯罪条項で起訴された。 また、ニジニ・ノヴゴロド出身の学生について、ロシア軍の信用失墜に関する条項で2件の告発が行われた。法執行機関によると、彼女はSPARとPyatyorochkaで値札を貼り替えて、そこに「ウクライナでの我々の軍事行動のために、週単位のインフレは1998年以来最高となった。ストップ・ザ・ウォー」 書いた。 また、サンクトペテルブルクではAndrei Makedonovが拘束された。事前の情報によると、店内の値札を「戦争反対」と書き換えたという。Makedonovの消息については、これ以上の情報はない。

さらにピリキンは、有名なストリート・グループだけでなく、匿名の個人による作家のプロジェクトもあると言う。例えば、「Yavi」の仕事、ピスカレフスキー墓地でのアクショングループ「Dead」、都市景観に組み込まれたプラカード付き置物「Little Picket」、市役所近くのZhenya Isayevaの反戦パフォーマンスなどである。

ストリート・アーティストが市民運動と関わるようになった経緯

Anton Polskyによれば、戦争が始まると、ストリートアーティストはより活発に活動するようになった。彼らはチャットを組織して参加について話し合い、すぐに政治的なストリートアートの力強い波が押し寄せた。ある者は「戦争反対」と書き、またある者は正面からの攻撃を避けて独自の作品を制作した。

ドミトリー・ピリキンは、ポルスキーと同意見でない。彼によれば、意識的で面白い仕事が少ないのは、アーティストが恐れているからだ、というのだ。以前はストリートアーティストが市民や警察から最悪の場合「厄介者」と見なされていたとすれば、今日ではその活動は犯罪行為になっている。

Paper誌は4人のストリート・アーティストに話を聞いた。彼らは皆、ストリート・アートが常に世界の出来事に対応する手段であったことを強調している。アーティストのLesha Burstonは、集会や ピケが不可能な状況に対応するため、「Picket」という一連の作品を制作した。この作品は、反戦を訴えるプラカードを持った男性を描いている。

もう一人のアーティスト、Vladaは、最初の反戦の作品はあわただしく生まれたという。「戦争が始まって4日目、そろそろ戦争が終わるかなと思っていました。」 Vladaは人型のキャラクターを描き、そこに “戦争””権力””KV””ロシア””私たち “など、彼女にとって重要な言葉を並べている。

Vladaは、弾圧に備え移住の準備を進めているという。彼女やPaper誌の取材に応じた他のアーティストたちは、自由と安全について危惧しており、彼らは自分のソーシャルネットワークで作品をオープンに公開しており、見つけるのは難しくないだろうと語っている。Lesha Burstonは、「picket」シリーズの2作目がまさにこのことをテーマにしていると指摘し、「ただ疲れていて、どこかに座って休みたいのに、座るのが怖くて、もう疲れきっているような状態です」と語った。

ストリートアーティストのFILIPP FI2Kは、作品を作る前にいろいろな人に相談したそうだが、法律的には問題ないという結論に至ったそうだ。彼は、2匹の犬がウサギを追いかけている様子を描いたが、そのウサギには平和の象徴である「パシフィコ」が付いている。FILIPP FI2Kは、鑑賞者にすべての思考を委ねるため作品の説明文は書かず、タイトルだけを書いたという。「平和を希求して」(In Pursuit of Peace)と題し、「犬が何であるか、何のために走っているのか、犬が世界に追いついたらどんな結果になるのか 」を自分自身で考えてもらうためだ。

他のアーティストと同様、FILIPP FI2Kは通行人の注目を浴びないように気を配った。事前にステンシルを用意し、最後の最後にウサギにピースサインを書き込むなど、最後の瞬間まで作品に反戦の意味はなかったというわけだ。他のアーティストも同様の手法を使っており、例えばLyosha Burstonは、まず白紙のプラカードを手にした男性を描き、その後に反戦のメッセージを描いている。バーストンは、あえてモノクロの色を選び、全工程を20分以内で終わらせるようにしている。

Vladaは普段、通行人やパトロールに注意を払うため、友人を連れて行く。彼女の最初の作品「No to War」は約2時間かかり、この間、パトロール隊や国家警察の車が何台も通りかかり、そのほとんどが速度を落としたが、アーティストを「脅かす」ことに成功すると去っていったという。Vladaは、ブラダの説明によると、最初は作品の中の言葉を認識するのが難しく、文字が読みにくかったり、一番最後に「No」という言葉が出てきたりしたと説明している。

また、アートグループ「Yav」のAnastasia Vladychkina氏も、さらなるセキュリティ対策について語った。彼らは、壁に貼って作品を完成させることはできないと考えて、ほとんど「広告塔」「メディアアート」に切り替えている。だから、今は広告塔にバナーを貼る。何もない側、つまり物件を損なわないように、広告を覆わないように貼る。路上での作業は10分から15分程度で終わる。

Yaviはポスターのトラブルもあった。以前から取引のあった印刷所を何軒も訪ねたが、どこも言論の自由をテーマにした作品の印刷を断ってきた。しかし、最終的にアーティストたちが見つけたのは、「何を印刷してもいい」という店だった。

どのアーティストも、「正面からぶつからなければ」ストリートで活動するチャンスはまだあると信じている。

なぜストリートアートが抗議の主な手段になっているのか?

今回調査したアーティストや専門家のほぼ全員が、Paper誌に対して以下のように回答している。

「人がデモに出れば、すぐに拘束される。壁に書かれた文字と違って、誰もデモを見る時間ほとんどない」とYaviaのAnastasia Vladychkinaは言う。FILIPP FI2Kは、ペンキ缶を手に取り、手で「戦争反対«Нет Войне»」と書くのに5秒かかると付け加える。1つの缶で50〜100の文字が書けるという。ペンキ缶1つあれば、絵の具の使い方を知らなくても、1人で「街全体を塗る」ことができる、というのが彼の意見だ。

研究者のAnton Polskyは、ロシアでは抗議や集会がうまくいっていないと考えており、その理由は2つあるという。一つ目の理由は、集会がばらばらになってしまい、同じ志を持つ人たちの出会いの場となって政治的行動を起こす余裕がないことである。二つ目の理由はいわゆるバブル効果で、集会などでは同じ立場の人が集まるのに対し、外の人には自分から出向いていって、安全なコミュニケーションの形を探さなければならないからだ。ストリートアートは、外に出る実践によって、バブルから抜け出し、何らかのメッセージを創造的に伝えることができるのだ。

「サンクトペテルブルクは荒廃した街だ」Polskyは、「このような場所は、しばしば自己組織的で抵抗のためのストリートアートを創造する肥沃な土壌となる」と語る。

ストリートアートは、組織に縛られることなく、誰もが参加できるものだ。劇場も音楽堂もギャラリーも、直接間接に国家に依存しているため、これほど大規模に、あるいは声高に戦争に反応することはなかった。

演劇評論家でブロガーのViktor Vilisovは、ロシアの芸術界は「国家や準国家の資金と密接に結びついている」ため、反対意見があっても公に発言することを恐れている–立場がどうであれ、職を失うことになりかねない、と説明する。この評論家によると、劇場や現代アートセンターのディレクターは、施設を潰さないように守らなければならないという立場に立つことが多いので、誰もが黙っているか、「ぼそぼそ」と発言しているのだという。

ロシアでは、「芸術」が政治に関与する習慣がないとYaviaのAnastasia Vladychkinaは補足する。アーティストは、愛や死、哲学的抽象概念など、永遠の価値観を扱うべきだと考えられているのだ。

Anton Polskyは、2008年の経済危機の時のように、今こそストリートアートが花開く可能性があると信じている。当時はアートマーケットの売り上げが激減し、ストリートアートが政治化された時代だった。しかし、当時は堂々と壁に絵を描くことができたが、今は15年以下の懲役に処せられるという決定的な違いがある。

出典:https://press.paper-paper.uno/nadpisi-nesut-nadezhdu-chto-ne-vse-lyudi/

(ОВД-NEWS)ロシアの反戦、反軍レポート

以下は、OVD-infoによるロシア国内の反戦運動への弾圧状況のレポートの英語版からの翻訳です。戦争開始にあわせて、ロシア政府は新たな弾圧立法を成立させただけでなく、刑法の様々な条文を駆使して弾圧を強化してきた。ロシアを「プーチン独裁」などとして西側から切り離して特別な国家であるかのようにみなす傾向がなきにしもあらずだが、ロシア政府の対応は、どこの国でもありえる弾圧手法といえるものでもあり、いわゆる「民主主義国家」とも共通する権力の弾圧手法がいくつもある。むしろ私が注目するのは、政府の強権的な弾圧にもかかわらず、4ヶ月たってもなお全国で草の根の反戦運動が展開され、同時に弾圧への支援運動もまたひるむことなく継続していることだ。国家権力がいかに「権威主義」であろうともむしろ民衆の抵抗運動のなかに民主主義的な異議申し立てや抵抗の原理が生きているように思い、私は励まされる思いだ。こうした民衆運動の力づよさは、今回の戦争で突然生み出されてきたわけではない。むしろプーチン政権下にあって、実はヨーロッパロシアから極東ロシアに至るまで、広範な草の根の反政府運動が存在してきたからだと思う。たとえば、反戦運動が繰り広げてきた街頭のパフォーマンスには、ロシア正教に公然と叛旗を翻したプッシーライオットのような存在なくしてはありえなかっただろうとも思う。戦争は当事者の国家や利害関係をもつ諸国など権力者によってしか収束へと向うことができないようにみえるが、実際には、むしろ当事国の人々によってしか戦争を止めることはできないのではないか。そして、そうした国々の人々に対して私たちが実際にできる支援は微力でしかなくとも、支援の意思表示を示すこともまた大切なことであり、同時に、日本が戦争を煽りかねない対応をとっていることにも同時に、明確な拒否の意思表示をすることが大切だと思う。なお、翻訳に際しては、ロシアの刑法など法制度に精通していないので、誤訳もありえるかもしれません。文末の原文へのリンクで確認してください。(小倉利丸)



2022年6月
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掲載日:2022年7月5日

記事中に記載されているデータは、2022年6月23日時点のものです。

Текст на русском (Текст)

ウクライナでの戦争は4カ月も続いている。この間、ロシア国家は隣国を暴力的に破壊し、自国民に対する弾圧行為も行ってきた。以下は、ロシアで反戦の立場をとる人々に対する抑圧的な行動に関する主要なデータである。

集会の自由の制限

戦争開始以来、拘束がなかったのは1日のみ

反戦デモに関連して、少なくとも16,309人が拘束されたことが確認されている。抗議行動での拘束に加え、当局は顔認識システムを利用した「予防的」拘束も行っている。5月と6月には、発表された抗議行動に先立ち、少なくとも75人が逮捕された。弁護人がデモ参加者の相談に乗るために警察署への立ち入ることを拒否されたケースは82件にのぼる。

反戦活動家が拘束された市町村は207に上る

刑事事件

人々を追い詰めるために、政府はロシア刑法の様々な条文を利用している。

  • 第318条第1項(当局の代表者に対する暴力の行使)。
  • 第213条(フーリガニズム)。
  • 第214条(破壊行為)。
  • 第244条第1項b号(死者の遺体及びその埋葬場所に対する侵害)。
  • 第 243 条第 4 項第2部b号(軍事用埋葬地の破壊又は損傷)。
  • 第167条第2項(故意の破壊又は相当な損害の発生を伴う損壊)。
  • 第329条(ロシア連邦の国章またはロシア連邦の国旗に対する侵害)。
  • 第212条 第1項第1号(集団暴動の組織)。
  • 第207条第3項第1部(ロシアの軍隊の使用に関する信頼できる報告を装って、故意に誤解を招く情報を公に流布すること)、別名「偽物に関する条文」。
  • 第280条第3項(ロシア軍の信用を繰り返し失墜させること)。

「反戦事件」の被告人の38%が、新たに採用された条文で起訴されている。(下図一番目の円グラフ)

「反戦事件」の被告人のうち、107人が他の条文に変更[訴因変更か]されている。(下図二番目の円グラフ)

ロシア刑法第207条第3項の規定に基づき法的手続が開始された場合(下図三番目の折れ線グラフ)

ロシア刑法第280条第3項の規定に基づき法的手続が開始された場合(下図四番目の折れ線グラフ)

行政事件

ロシア連邦行政刑法第20.3.3条「ロシア軍の信用失墜について」は2022年3月に施行された。現在、同条に関連する2,457件の事例が判明している。1,781人が行政手続きの対象となった。160件の行政資料が裁判所から警察署に返却された。同条に関連する平均的な罰則は35,562ルーブルである。

第20.3.3条に関連するケースの数をカウントするために、5つの情報源を使用する。OVD-Infoのデータ(個人に関するもの、つまり特定の事件に関連するもの)、裁判所のウェブサイトの第一審事件記録、「Pravosudie」(司法国家自動化システム)情報ポータルの第一審事件(個人)に関する情報、裁判所およびロシアMIA(内務省)のプレスリリースである。

上図出典:OVD-Info  Get the data  Created with Datawrapper

外国人エージェント
「外国代理人」に関する法律が採択されてからの10年間で、464人の個人、法人、未登録の団体が外国代理人として宣告された。2022年6月、ロシア連邦司法省は、6人(アレクセイ・ピヴォヴァーロフ、オレグ・カシン、ミハイル・ソコロフ、ユリア・ツヴェトコワ、イリーナ・ダニロヴィッチ、ニコライ・ペトロフ、エフゲニー・チチヴァルキン)と1団体(拷問防止委員会)を外国のエージェントであると認定している。

独立系メディアへの妨害と圧力

戦争が始まって以来、マスメディア、その他のメディア、ブログなど、少なくとも25の独立した情報チャンネルが遮断され、26が閉鎖され、さらに12が戦争を報道することを拒否している。6月1日以降、Roskomnadzor(連邦通信・情報技術・マスメディア監督局)は、ロシア国内の13の情報チャンネルと海外の19の情報チャンネルをブロックしている。

Links to OVD-Info’s reports and data:

OVD-Infoのレポートやデータへのリンクです。
レポート「No to war: ロシア当局は反戦デモをどのように弾圧しているのか?」

ガイド「反戦運動への訴追」。

レポート「政治的検閲の手段としてのインターネット・ブロック」。

外国人エージェント法に関するプロジェクト「Inoteka」

報告書「当局はデモ参加者に対してカメラと顔認識をどのように使用しているか」。

https://data.ovdinfo.org/anti-military-events-report#6

連載「意味と搾取」ご案内

青弓社のオンラインサイト「青い弓」で表記のタイトルで連載を開始しています。無料でお読みいただけます。現在、第二章まで掲載済みです。 人工知能の時代における監視社会に対する原理的な批判を意図しています。

表題の意味と搾取に含意されているのは、マルクスの搾取理論(剰余価値に収斂する価値理論)を搾取の特殊理論として位置づけ直し、搾取の一般理論の構築を目指すものです。つまり、搾取と呼ばれる事態は、マルクスが想定した剰余労働の剰余価値という事態を越えて労働(家事労働のようないわゆるシャドウワークも含む)総体から人間の行為や「(無意識を含む)意識」全体を覆う人間にとっての意味の資本主義的な「剥奪と再意味化」とでもいうべき事態と関わるものだという観点に基くものです。監視社会と呼ばれる事態がなぜもたらされてきたのかという問題は、資本主義が究極に目指しているのが、経済的搾取を越えて、この社会に暮す人々の意識と存在の文字通りの意味での「資本主義化」であり、完全な操作可能な対象としての人間という不可能な悪夢にあるという問題と関わります。そしてこの問題は、マルクスが十分に分析することなく脇に置いた商品の使用価値への注目を必要とするものでもあります。使用価値が人間(労働者であり消費者でもある存在)の行為の意味を再構築するだけでなく、それ自体がアルゴリズムの構造に組み込みうるかのようなテクノロジーの開発が突出してきた事態と関わります。20世紀資本主義はマルクスの資本主義批判への資本主義的な応答だと私は考えています。そのことを、土台の上部構造化、上部構造の土台化という唯物史観の資本主義的な脱構築と、コンピュータ化がもたらしたこれまで人類が経験してこなかった「非知覚過程」の構造化を通じた搾取の構造化として構想しています。更に、こうした資本主義的な包摂を支える科学への批判とともに、この包摂を超える観点を模索することを企図してこの連載を書きはじめました。ネットで読むには長すぎるかもしれませんが、ぜひお読みください。

序章 資本主義批判のアップデートのために

0−1 あえて罠に陥るべきか…

0−2 連載の構成

第1章 拡張される搾取――土台と上部構造の融合

1-1 機械と〈労働力〉――合理性の限界

機械が支配した時代

道具、機械、歴史認識

資本の秘技

1-2 身体性の搾取をめぐるコンテクスト

知識・技術・身体性の搾取

経済的価値をめぐる資本主義のパラレルワールド

非合理性と近代の科学技術

1-3 融合する土台と上部構造――支配的構造の転換

構造的矛盾の資本主義的止揚

資本主義の支配的構造

第2章 監視と制御――行動と意識をめぐる計算合理性とそこからの逸脱

2-1 デホマク

ビッグデータ前史

IBMと網羅的監視

制御の構成――社会有機体の細胞としての人間=データ

法を超越する権力

2-2 行動主義と監視社会のイデオロギー

意識の否定――J・B・ワトソン

支配的な価値観を与件とした学問の科学性

道具的理性――資本主義的理論と実践の統一

行為と動機――行動主義と刑罰


三章以下は7月以降に公開されます。

(米国「フェミニスト反戦レジスタンス」)ロシア反ナショナリストの日

(訳者まえがき)6月12日は、ソ連の崩壊後にロシアが独立した記念日とされている。この日に、フェミニスト反戦レジスタンスの米国のグループが以下のような声明を出しています。この声明のなかで、ロシアが多民族国家であること、異性愛を強いる家父長制国家であること、これがロシアのナショナリズムを支えていることを厳しく批判しています。(小倉利丸)


ロシア反ナショナリストの日

この日、私たち米国の「フェミニスト反戦レジスタンス」のグループは、国民国家という考え方と、軍国主義、植民地主義、異性愛家父長制による権力の行使に異議を唱えたい。ロシアはいわゆる「多民族国家」であり、ロシア人はいまだに最も特権的なエスニック・グループとみなされているが、その深く染み付いた植民地的遺産は、今日のロシア・ウクライナ戦争に激しく現れていることを認識しなければならない。

6月12日、ロシアのナショナリズムを祝う日に、私たちはロシアの領土に190以上の民族がそれぞれの言語と文化を持って暮らしていることを強調したい。

ロシア帝国、ソビエト連邦、そして今日のロシアの植民地政治は、シベリア(16-17世紀)やコーカサス(19世紀)の人々の直接的な植民地化、ロシア人自身を含む複数のエスニックグループの奴隷化 ( surfdom )、ロシアと世界の様々な地域、例えば最近のものではチェチェン、シリア、グルジア、ウクライナでの戦争への関与など複雑な歴史を持っている。

ロシアの植民地主義の1つは、ロシア帝国、ソビエト連邦(1920年以降、現地の言語が普及した時期を除く)、そしてポストソビエト連邦による「ロシア化」、すなわち言語・文化的帝国主義であった。

例えば、1863年、当時のロシア帝国内務省長官ペトル・ヴァルイェフは、ウクライナ人の自決を阻止するため、ウクライナ語による宗教・教育関係のあらゆる文献の出版を禁止する通達を出した。この決定は、キエフ検閲委員会の代表者(ラゾフ)が「ウクライナ語(小ロシア語)には固有のものはなく、今もありえない、一般の人々が使う彼らの方言はロシア語と同じで、ポーランドの影響により損なわれただけだ」と述べた手紙などに基づいていた。後のエムス・ウカズ(1876年)は、ウクライナ語によるほとんどの文学の出版を禁止し、歴史文書や美辞麗句にはロシア語の正書法を押し付けた。これらの措置により、ウクライナの民族文学と文化の発展は何十年にもわたって制限された。同様のロシア化政策は、アゼリ語、ベラルーシ語、フィンランド語、ラトビア語、リトアニア語、ポーランド語、ルーマニア語、ウラル語族を話す人々の言語に対しても行われた。

ロシア支配のもう一つの形態は軍国主義である。国防・陸軍の年間予算は608億ドル近くあり、これはロシアの全予算支出のほぼ4分の1を占めている。軍国主義はまた、日常文化に大きく刻み込まれ、祖国防衛の日/マールデー(2月23日)や戦勝記念日(5月9日)などの祝日を通じて促進されている。これらの祝日には、軍国主義的なシンボル、男性らしさを連想させる物や贈り物、そして軍事パレードが行われる。

ロシアの植民地主義や軍国主義は、異性愛家父長制(女性やLGBTIQ+の人々の従属と占有に基づく政治体制)とも関連している。それは、家族(そして広く祖国)の「擁護者」とみなされる強い家父長的男性と、従順で性的に魅力的で世話好きの女性から成るロシアの家族のいわゆる「伝統的価値」の促進を通して発揮される。2018年にロシアで殺された女性の3分の2近く(61%)がパートナーや親族の被害者であるという人権活動家による証拠にもかかわらず、2017年にDVが非犯罪化(刑法から「近親者の殴打」という文言の削除)され、現在のロシアでは男性が女性の親族を殴ったり殺害することさえ自由になってしまっている。

もう一つ宣言されている「ロシアの伝統的価値」は、国家の言説のなかで、反ロシア的親西欧的価値とされる同性愛への嫌悪だ。同性愛嫌悪は、いわゆる「ゲイプロパガンダ」法(2013年7月2日に発足した連邦法第6条21項)により、「完全な法的責任を負う年齢以下の若者の非伝統的性関係の促進」に対する責任を定めることによって国家が推進している。多くの国がLGBTIQ+プライド月間を祝う今日、18歳以上の「ゲイのプロパガンダ」に対する重い罰金を規定する法案が国会に提出された。

こうしたプロパガンダの努力とは対照的に、ロシアでは多くのLGBTIQ+の人々が、私たちが代表を務めるフェミニスト反戦抵抗のグループを含め、このウクライナ侵略の時代に反戦抵抗の堅いネットワークを形成している。クィアの人々は、現在進行中の事件のずっと前から、全体的に敵対的な環境の中で連帯し、互いに配慮し、支援する方法を学んできた。そのため、彼らは効果的に平和主義的行動を組織し、ボランティアとして働き、ソーシャルネットワークのプロファイルを利用して反戦の議題を推進する最初の人々であった。彼らはまた、ますます抑圧的になる国家組織に直面して最も脆弱であり、それは、ユリア・ツヴェトコワYulia TsvetkovaのようなフェミニストやLGBTIQ+の活動家が起訴され、また現在「外国工作員」とされていることにも表れている。

ロシアの未来に対する私たちの願いは、ナショナリズム、植民地主義、言語と経済の帝国主義、異性愛家父長制の深く根付いた伝統が崩壊することだ。今日私たちが知っているようなロシア国家の崩壊とともに、私たちは、ナショナリズムス的な考えや権力崇拝、軍事兵器や国家暴力、保守的な家族政治、女性やLGBTIQ+グループを抑圧する法律が消滅するのを目撃することになるだろう。

https://docs.google.com/document/d/1cNXe8QoMBu1_V1qZVGOeRDIKusbjxJ33fp-IU8or7K8/mobilebasic

(Commondreams)過去最大規模の米海軍の太平洋戦争演習は、平和と海洋生物の両方への脅威だ―アジア太平洋における軍事態勢は、核戦争と人類滅亡の危険性をもはらんでいる。

以下は、Commondreamsの記事の翻訳です。この記事で紹介されているリムパック中止を求める署名(請願書)はここにあります。(日本語の記事はここ)


2020年8月21日、環太平洋演習(RIMPAC)中のハワイ沖で集団航海中の多国籍海軍の艦船と潜水艦が編隊を組んで蒸気を出す。(写真:Flickr/Coast Guard News/cc)

過去最大規模の米海軍の太平洋戦争演習は、平和と海洋生物の両方への脅威だ アジア太平洋における軍事態勢は、核戦争と人類滅亡の危険性をもはらんでいる。

アン・ライト

2022年6月20日

世界が残忍なロシア・ウクライナ紛争に注目している一方で、地球の裏側の太平洋では、中国や北朝鮮に対する米国やNATOの競争・対立がますます軍事的な様相を呈してきている。 北朝鮮、中国、ロシア、米国など、この地域のどの国が国家安全保障上の問題を認識した場合でも、軍事的に対応することは、地球上のすべての人々にとって悲惨な事態を招くことになる。 ハワイ州ホノルルに本部を置く米軍のインド太平洋司令部は、2022年6月29日から8月4日まで、ハワイ海域で26カ国38隻、4隻の潜水艦、170機の航空機、25000人の軍人が海軍の戦争演習を行う「リムパック」(RimPAC 2022)軍事戦争ゲームを実施する予定である。 さらに、9カ国の地上部隊が水陸両用でハワイ島に上陸する。

リムパックに反対する市民の声

リムパック参加26カ国の市民の多くは、リムパック戦争ゲームへの自国の参加に同意しておらず、地域にとって挑発的で危険なものであるとしている。

太平洋平和ネットワークThe Pacific Peace Networkは、国韓、済州島、韓国、沖縄、日本、フィリピン、北マリアナ諸島、アオテアロア(ニュージーランド)、オーストラリア、ハワイ、米国など太平洋の国・島々のメンバーで、海軍の艦隊を “危険、挑発、破壊的 “として、リムパックの中止を要求している。

リムパックの中止を求める同ネットワークの請願書は、「リムパックは、太平洋地域の生態系破壊と気候危機の悪化に劇的に加担する」と述べている。リムパックの戦力は、退役した船をミサイルで爆破し、ザトウクジラ、イルカ、ハワイモンクアザラシなどの海洋哺乳類を危険にさらし、船からの汚染物質で海を汚染する。陸軍は地上攻撃を行い、アオウミガメが繁殖する浜辺を荒らすだろう」。

請願書は、「人類が食糧や水など生命維持に必要な要素の不足に苦しんでいるときに、戦争行為に多額の資金を費やすことを拒否する。人間の安全保障は軍事的な戦争訓練に基づくものではなく、地球とそこに住む人々への配慮に基づくものです”。

太平洋地域の他の市民団体も、リムパックの中止を求める声を上げている。

ハワイに拠点を置くWomen’s Voices, Women Speakはリムパックに関する声明で、「リムパックは生態系の破壊、植民地暴力、銃崇拝を引き起こす。 リムパックの艦船沈没、ミサイル実験、魚雷発射は、島の生態系を破壊し、海の生き物の幸福を妨げている。このような軍隊の招集は、有害な男らしさ、性的人身売買、地域住民に対する暴力を助長する」と宣言している。

ハワイで唯一の州紙であるホノルル・スター・アドバタイザーに掲載された2022年6月14日の意見書では、フィリピンの人権のためのハワイ委員会の3人の地元活動家が、「私たちは、米国が主導する戦争に反対してハワイ州の人々とひとつになっているが、バリカタン(米比の地上戦演習)とリムパックがそのための準備作業なのだ。このように、私たちの政府はハワイの人々とフィリピンの人々を一緒にして、戦争と死と破壊の準備を進めている。

アジア太平洋における軍事的態勢は、核戦争と人類の種の絶滅の可能性をも危うくする。私たちは、気候変動や生物多様性の損失の脅威に対処し、平和、生命、共存を築くために、グローバルな協力に取り組まなければならない。」。

リムパックの中止を求める市民署名には、世界中から個人の署名と組織の賛同が寄せられている。

NATOは太平洋の軍事力になりつつある

2022年リムパックには、オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、コロンビア、デンマーク、エクアドル、フランス、ドイツ、インド、インドネシア、イスラエル、日本、マレーシア、メキシコ、オランダ、ニュージーランド、ペルー、韓国、フィリピン共和国、シンガポール、スリランカ、タイ、トンガ、英国、米国の軍隊が参加している。

リムパック参加国の40%はNATOに加盟しているか、NATOとの結びつきがある。リムパック参加26カ国のうち、カナダ、デンマーク、フランス、ドイツ、英国、米国の6カ国は北アトランティック条約機構(NATO)に加盟しており、他の4カ国はオーストラリア、日本、韓国、ニュージーランドというNATOのアジア太平洋地域の「パートナー」である。

ヨーロッパ全域、特にロシアとの国境でのNATO軍の演習と、ウクライナのNATO加盟の可能性に関する米国の終わりのない議論(ドアは決して閉じられていない)は、ロシア政府がウクライナへの戦争を正当化するために用いた2つの大きなレッドラインであった。

太平洋地域では、NATO軍の進駐が中国や北朝鮮との緊張を大きく高めている。

軍事行動により絶滅の危機に瀕する海洋哺乳類 軍事作戦は、実践でも戦争でも、人間にとって危険であり、海洋哺乳類にとっても危険である。ロシアとウクライナの戦争は、最新の例である。この戦争で、黒海の海岸で何頭ものイルカが死んでいることが判明した。

研究者は、黒海でイルカが死んでいるのは、ロシアの軍艦が大量に存在し、それに対するウクライナの反応がイルカのコミュニケーションパターンを混乱させているためではないかと指摘している。 「船の激しい騒音と低周波ソナー」が、イルカの主なコミュニケーション手段を妨害しているのだ。破壊的な水中音は、彼らが大きな漁網の中や黒海の海岸の周りで道を失ってしまうかのどちらかかもしれない。

英国ガーディアン紙の報道によると、研究者は、約20隻のロシア海軍の艦船と継続的な軍事活動によって引き起こされた黒海北部の騒音汚染の高まりが、イルカをトルコとブルガリアの海岸に南下させたかもしれないと考えているとのことだ。

トルコ海洋研究財団(TÜDAV)は最近、同国西部の黒海沿岸で80頭以上のイルカの死骸が発見されたと発表しており、例年に比べて「異常な増加」であるとしている。 黒海で最近撮影されたビデオには、80頭のイルカの死骸の一部が記録されている。

過去にいくつかの研究で、軍事用ソナーが海洋生物に危害を加えることが確認されており、多くの軍隊が野生生物を保護するために緩和策を採択している。 米軍の戦争演習では、ソナーや爆弾によってクジラやイルカが殺されている

2000年3月、米海軍は、高強度ソナーシステムの使用により、高強度ソナーを使用した米海軍艦船が通過した直後に、16頭のツチクジラとミンククジラがバハマの海岸に打ち上げられたことを認めている。このうち6頭が死亡し、解剖の結果、耳の中や脳から出血しているのが確認された。

10頭のクジラが海に押し戻されたが、ツチクジラの目撃情報が減少していることから、この地域で仕事をしている研究者は、さらに多くのクジラが死亡した可能性があるとみている。

海軍と全米海洋漁業局(NMFS)は一連の調査を開始し、その中間報告の概要は、出血は高強度ソナーから発生する音波が原因であると結論づけた。

ハワイ海域には、ロシア海軍の黒海における軍艦(20隻)の約2倍(38隻)が到着しており、リムパックの戦争演習がイルカ、クジラ、魚類に与える危険な影響は相当なものになると思われる。

リムパック戦争演習は、対話の代わりに軍事的対立を増大させる

リムパックの軍事戦争演習が太平洋地域の国際関係に及ぼす影響もまた、意図的であろうとなかろうと、この地域を対話ではなく、ますます激化する軍事対立に巻き込む危険な結果をもたらす可能性がある。

ウクライナの恐ろしい人命の損失と都市、農場、インフラの破壊を見れば、事故であれ故意であれ、ある事件がアジアで軍事的反応を引き起こした場合に何が起こるかを想像することができるだろう。

アジアの主要都市、北京、上海、香港、ソウル、東京、平壌、モスクワは、米国とNATOの弾道ミサイルによって狙われ、破壊されるかもしれない。

米国では、ホノルル、ハガートナグアム、ワシントンDC、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴ、シアトル、ヒューストンが、中国、ロシア、北朝鮮からのミサイルの標的となり破壊される可能性がある。

ヨーロッパの都市(ロンドン、パリ、ローマ、マドリッド、アムステルダム)は、損害を受けたり、破壊されたりする可能性がある。

平和のための戦争はもうしない

北朝鮮、中国、ロシア、米国など、この地域のどの国も、国家安全保障上の問題に対して軍事的な反応を示すと、地球上の人々にとって悲惨なことになる。 私たち市民は、政府が安全保障問題を解決するために、対話ではなく、対立を続けることを許してはならない。世界中の人々の命が危険にさらされている。戦争でお金や政治的地位を得る人たちを勝たせ、「平和」のためにまた恐ろしい戦争を始めさせてはならない。

著者について

アン・ライトは、29年間米国陸軍/陸軍予備軍に所属し、大佐として退役した退役軍人であり、元米国外交官で、イラク戦争に反対して2003年3月に辞職した人物です。 ニカラグア、グレナダ、ソマリア、ウズベキスタン、キルギスタン、シエラレオネ、ミクロネシア、モンゴルで勤務した。 2001年12月には、アフガニスタンのカブールにある米国大使館を再開させた小さなチームの一員でした。 共著に「Dissent: Voices of Conscience 」がある。

出典:https://www.commondreams.org/views/2022/06/20/largest-ever-us-naval-war-drills-pacific-threat-both-peace-and-marine-life

CANCEL RIMPAC 2022の署名運動

以下は、CANCEL RIMPAC 2022の署名運動サイトの翻訳です。このサイトでは、3000人を目指して署名運動が展開されています。以下にあるように、各国の反戦平和運動団体の連携となっていますが、日本からの参加はみられません。RIMPACは海軍による大規模な演習で2年に一回開催されていますが、現在のウクライナの情勢や中国との緊張関係のなかで、今年のRIMPACのもつ政治的な意味はこれまでになくリスクの大きなものとなりえるでしょう。以下の署名運動の趣旨のなかで、特徴的なことは、戦争や軍隊の行動を太平洋の環境問題とくに海洋生物い与える深刻な影響を強く意識いており、演習は私たち人間には「ごっこ」であってもそこに生きる者たちにとっては文字通りの破壊行為になります。(小倉)

以下の要請に賛同する場合下記から署名ができます。3000名を目標にしていて22日午前、現在2400名弱です。

https://diy.rootsaction.org/petitions/cancel-largest-naval-war-maneuvers-dangerous-rimpac-2022

また、アーティストたちによる抗議の表現の場が下記に設定されています。作品も公募中。

https://www.youngsolwarapacific.com/cancel-rimpac-exhibition.html

―――

宛先 参加 26 カ国の国会議員各位

世界最大かつ最も危険な海戦演習であるリンパック2022を中止してください。

請願書本文

リムパックを中止し、太平洋に平和地帯を築くことを求める請願書

パシフィックピースネットワークとその連携団体は、危険で挑発的かつ破壊的な環太平洋合同演習(リムパック)の中止と、非武装の環太平洋平和地帯を求める市民の働きかけを強化することを訴えます。

世界最大の海軍の戦争演習であるリムパック海軍戦争演習は、2022年6月29日から8月4日まで、ハワイと米国西海岸沖で行われる予定である。リムパック2022では、26カ国から25,000人以上の兵士、38隻の艦船、170機の航空機、4隻の潜水艦が、”敵軍 “と交戦する戦争シミュレーションの訓練を行う予定だ。

リムパックは、ハワイ、オーストラリア、グアハン、その他の太平洋諸国における米軍の能力拡張と相まって、米中間の武力衝突の可能性を高めており、意図的であれ偶然であれ、アジア、太平洋、世界の人々にとって思いもよらない結果をもたらす可能性がある。

ぜひこの呼びかけにご賛同いただきたい。パシフィック・ピース・ネットワークはこの請願書を共有し、リムパックの中止を各参加国の国会議員に呼びかけます。

なぜ重要なのか?

リムパックは、太平洋地域の生態系の破壊と気候危機の悪化に劇的に加担するものだ。リムパックの戦力は、退役した船をミサイルで爆破し、ザトウクジラ、イルカ、ハワイモンクアザラシなどの海洋哺乳類を危険にさらし、船からの汚染物質で海を汚染する。陸軍は地上攻撃を行い、アオウミガメが繁殖するためにやってくる浜辺を荒らすだろう。

私たちは、人類が食糧や水など生命維持に必要な要素の不足に苦しんでいるときに、戦争行為に多額の資金を費やすことを拒否する。人間の安全保障は、軍事的な戦争訓練に基づくものではなく、地球とそこに住む人々への配慮に基づくものである。

2022年リムパックには、オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、コロンビア、デンマーク、エクアドル、フランス、ドイツ、インド、インドネシア、イスラエル、日本、マレーシア、メキシコ、オランダ、ニュージーランド、ペルー、韓国、フィリピン、シンガポール、スリランカ、タイ、トンガ、英国、米国の軍隊が 参加する。

リムパック参加26カ国のうち、カナダ、コロンビア、デンマーク、フランス、ドイツ、イタリア、イギリス、アメリカの8カ国は北大西洋条約機構(NATO)のメンバーであり、オーストラリア、日本、韓国、ニュージーランドの4カ国はNATOのアジア太平洋地域の「パートナー」である。これは、リムパック参加国の45%がNATOとの結びつきがあることを意味し、NATOが太平洋の軍事力になりつつあることを示している。

現在、太平洋平和ネットワークのメンバーは、国韓、済州島、韓国、沖縄、日本、フィリピン、北マリアナ諸島、アオテアロア(ニュージーランド)、オーストラリア、ハワイ、米国など太平洋上の国・地域から集まっている。

賛同者

ハワイ

Hawai’i Peace and Justice

Veterans For Peace, Chapter 113-Hawai’i

Women’s Voices Women Speak

Oahu Water Protectors, Hawai’i

World Can’t Wait Hawai`i

Students and Faculty for Justice at the University of Hawai’i)

350 Hawaii

Our Revolution Hawaii

Hawai’i Committee for Human Rights in the Philippines

Malu ‘Aina Center For Non-violent Education & Action, Big Island, Hawai’i

フィリピン

Asia Europe Peoples Forum

Philippine Initiative on Critical and Global Issues

Peace Women Partners. Inc. Philippines

Philippine Women Network for Peace & Security

STOP the War Coalition Philippines

米国

Campaign for Peace, Disarmament and Common Security

CODEPINK: Women For Peace

Environmentalists Against War

Veterans For Peace, Phil Berrigan Memorial Chapter, Baltimore, Maryland

Veterans For Peace, San Diego chapter

Roots Action

オーストラリア

Independent and Peaceful Australia Network (IPAN)

Just Peace Queensland

太平洋地域

Youngsolwara Pacific

Prutehi Litekyan: Save Ritidian

Youngsolawara Pacific

Our Common Wealth 670

韓国

Inter-Island Solidarity for Peace of the Sea Jeju Committee

Gangjeong Peace Network

Association of Gangjeong Villagers Against the Jeju Navy Base,

Gangjeong International Team

People Making Jeju a Demilitarized Peace Island

Seongsan Committee against the Jeju 2nd Airport Project

Catholic Climate Justice Action

Center for Deliberative Democracy and Environment

Jeju branch of Service Industry Labor Union

St. Francis Peace Center Foundation

The Frontiers

Columban Justice and Peace

Jeju Green PartyGangjeong Catholic Mission Center

インターナショナル

International Peace Bureau

World Beyond War

Pacific Peace Network

No to NATO

Global Network Against Weapons and Nuclear Power in Space

キャンセル・リムパックに参加する方法

リムパックの危険性を訴えるアート、グラフィック、詩、歌をバーチャル展覧会「CANCEL RIMPAC-ONLINE EXHIBIT」に送ってください。-ビジュアルアート、詩、聖歌、音楽のパフォーマンスを公募しています。

音楽のパフォーマンスを募集しています。

画像、映像、文章を、氏名、年齢、タイトル、メディアを明記の上、koafuturesvirtualsubmit@gmail.com

までメールでお送りください。

提出期限 2022年6月30日

美しいウェブサイトをご覧ください。

https://www.youngsolwarapacific.com/cancel-rimpac-exhibition.html

資料

オーストラリアの最大の貿易相手国である中国に対する300億ドルの「防衛」政策に関するスプーフィング

https://youtube.com/watch?v=MTCqXlDjx18%3Fstart%3D6%26wmode%3Dopaque%26feature%3Doembed%26start%3D6

「リムパックのない世界」についての共同詩 ハワイ、アオテアロア、グアハンのオセアニア先住民の詩人13人が集まり、リムパックの中止と、生命、呼吸、主権である「ea」の回復を求める詩を書き、記録しました。

https://youtube.com/watch?v=UGmMOiLXBoI%3Fstart%3D11%26wmode%3Dopaque%26feature%3Doembed%26start%3D11

CANCEL RIMPAC声明 by Women’s Voices, Women Speak:

https://wvws808.blogspot.com/2022/06/no-to-rimpac-2022-yes-to-aloha-aina-and.html?m=1

スターアドバタイザー:リムパック、マルコス、そして中国との戦争

セイジ・ヤマダ、リチャード・ロスキラー、アルセリータ・イマサ著

2022年6月15日

13分ビデオ:軍事による環境破壊 by Koohan Paik

https://youtube.com/watch?v=QZa89k0c5yU%3Fwmode%3Dopaque%26feature%3Doembed

https://www.stripes.com/branches/navy/2022-06-10/north-korea-rimpac-missile-launches-6295074.html

北朝鮮、米国主導の大規模なリムパック海軍演習にソウルが参加することを非難

デイヴィッド・チェ、2022年6月10日

https://www.hindustantimes.com/india-news/rimpac-to-showcase-maritime-might-china-to-launch-third-aircraft-carrier-101654492239237.html

リムパックで海洋力をアピール、中国は3隻目の空母を就航へ 2022年6月14日

PH 海軍、リムパック’22 に派遣、2022/06/13

SL 海軍海兵隊、世界最大の海事演習リムパックに参加、2022/06/13

この請願はどのように送付されるのか

リムパックに参加する各国の団体が、直接、または記者会見やプレスリリースを通じて、各国の国会議員に嘆願書を届けます。

出典:https://diy.rootsaction.org/petitions/cancel-largest-naval-war-maneuvers-dangerous-rimpac-2022

(EBCO)ウクライナにおける兵役拒否の制度と兵役拒否者への不当な処遇

EBCOによるウクライナに関するカントリーレポートの最新版が公開されています。以下の記事はそれ以前の古い記事になります。最新版の飜訳への入れ替えを予定しています。いましばらくお待ちください。(2024/1/8)

(訳者前書き)以下は、ヨーロッパ良心的兵役拒否委員会のサイトに掲載されているウクライナにおける徴兵制度と徴兵に伴う人権侵害いついてのレポートである。このレポートは、2022年2月のウクライナへのロシアの侵略以前に作成されたものなので、現在の戦争の状況についての直接の言及はない。しかし、戦争以前にウクライナの徴兵制度と良心的兵役拒否の実態を理解する上での基礎的な情報である。この資料からもわかるように、ウクライナの若者たちの徴兵忌避傾向は無視できない影響があり、それ故に、ウクライナ政府は強引な徴兵政策をとり、人権侵害が繰り返されてきた。同時に、ウクライナ東部の分離主義者の支配地域においてもロシア側による徴兵強制が深刻な人権侵害を引き起こしていることも報告されている。今回の戦争前のウクライナの徴兵制をめぐる人権侵害については、国連や欧米諸国も危惧していたことがわかるが、今回の戦争によって全ての危惧は忘れさられたかのようになり、ウクライナの若者たちが侵略者と命を賭けて戦うことを当然のことのようにみなして賞賛して戦う若者の背中を押すかのような論調が支配的かもしれない。民衆はひとつではない。侵略者を目前にしても戦わないことを選択する者たちの選択の権利は、戦争が正義を纏っていればいるほど尊重されるべき態度だと思う。日本でいえば非国民と言われても武器をとらず、日の丸を振って出征兵士を送るなどという愚行を拒否することが容易ならざることだったことを想起すれば、ウクライナで非戦を貫くことは実は極めたタフな行為であり、その行為を支える思想性は強靭でなければ支えられないものでもあると思う。(小倉利丸)

以下はヨーロッパ良心的兵役拒否委員会のサイトから。なお、ウクライナの法制度には精通していないので、用語などで不正確なところがあるかもしれません。オリジナルのドキュメントでご確認ください。


徴兵制あり2014年に再導入(それ以前は2012年に停止)
良心的兵役拒否1991ウクライナ法「非軍事的兵役に関する法律」で初めて承認
兵役18ヶ月高等教育を受けた男性の場合、12ヶ月
兵役民間で勤務27ヶ月高等教育を受けた男性の場合、18ヶ月
ミニマム徴兵18ヶ月18-19歳で準自発的に召集、20-27歳で強制召集。
ミニマム任意加入17ヶ月兵学校は18歳未満。士官候補生は17歳
詳細https://ebco-beoc.org/ukraine EBCOの年次報告書2021年に関する質問状
に対する国防省の回答(2022年1月12日の電子メール)、EBCOの年次報
告書2021年に関する質問状に対するウクライナ国会人権担当委員事務局
の回答(2022年1月27日の電子メール)などを含む。

2020年5月~7月の春季軍事徴兵(COVID-19のため1ヶ月延期)で16,460人、2020年10月~12月の秋季軍事徴兵で13,570人の徴兵が行われた。つまり、2020年に強制的に兵役に送られた若者の総数は30,030人であり、2019年の徴兵(33,952人)の88,5%に相当する。ウクライナ国防省の情報によると、2020年には18ヶ月の任期を終えた4,166人の徴兵者と12ヶ月の任期を終えた300人の徴兵者が兵役から解放された。

地方行政機関がウクライナ平和主義者運動に提供した情報によると、2020年には約1,538人の良心的兵役拒否者が代替勤務を行い、その95%近くが27ヶ月の任期で勤務しているとのことである。例年、代替勤務の申請の約20%が手続きの遅れを理由に、約2%が宗教的信条の証明(教会員証など)がないことを理由に、そして約1%が代替勤務を管理する地方行政機関に申請者が出頭しないことを理由に拒否されている。こうした機関は通常、軍事司令部の将校を含み、ほとんどが公務員で構成されているが、中には軍の予備役がいることもある。

代替勤務は、1999年の政令で定められた10の宗派の宗教団体に所属する宗教的拒否権者のみが利用できる。良心的兵役拒否を訴える軍人には、その拒否を認めてもらう法的手段がなく、兵役からの任意離脱は通常不可能である。これは、本人の意思に反して軍に移送された徴用工にも当てはまる。

ウクライナに蔓延する汚職は、多くの若者にとって兵役を回避するほぼ唯一の方法として今も利用されている。多くの警察の報道発表によると、2020年には、徴兵忌避者から500ドルから2700ドルの賄賂を受け取ったとして、軍事委員会の役員や軍医が数十人逮捕された。また、2020年5月には、クメルヌィツキー州行政機関の対テロ作戦、統合部隊作戦、代替勤務の参加者の職業適応部門の責任者が、遅れて提出された代替勤務の申請を遡って登録し、申請を確実に許可するために1000ドルの賄賂、キャンディ1箱、コーヒーを強要した罪で逮捕された。

2020年、キエフとジトーミル州で徴兵軍人の自殺が3件、メディアで報道された。心理療法士のミハイロ・マティアシュは、Dzerkalo Tyzhnia紙の記事の中で、東ウクライナの武力紛争に参加した契約・徴用軍人の調査で自殺傾向が高いことが明らかになったと報告した。この主張は何度か公に異議を唱えられたが、ウクライナ国防省はいまだに徴用軍はドンバス紛争に参加しないとしているため、この専門家の発言は特に興味深いといえるだろう。

ウクライナ刑法335~337条、407~409条により、2020年1~11月に兵役忌避者に対する3361件の刑事手続が登録され、その中には自傷行為による18件が含まれている。同様の罪で、2019年には190人の徴兵忌避者と脱走兵が収監され、117人が逮捕され、24人が規律の大隊に拘束され、380人が裁判所から罰金を課された。

2020年 ウクライナのジャーナリスト、平和主義者、良心的兵役拒否者のルスラン・コツァバRuslan Kotsabaは、2015年に東ウクライナの武力紛争への動員のボイコットを呼びかけるビデオブログを公開したため、イワノ・フランクフスク州のコロミヤ市地裁で再び裁判にかけられた。反戦思想の表明のため、反逆罪と軍事作戦の妨害の罪に問われている。コツァバは524日間拘留され、2016年に正式に無罪となった。彼の現在の再度の裁判は、政治的動機に基づく起訴と司法に対する極右の圧力の結果である。検察官は、彼に財産の没収を伴う13年の禁固刑を宣告するよう裁判所に求めているが、これは明らかに公平性を欠く処罰である。EBCOはKotsabaに対する刑事訴追の即時かつ無条件の終結を求めた。[1] また、War Resisters’ International, Aseistakieltäytyjäliitto, Connection e.V., DFG-VK などがRuslan Kotsabaへの連帯を表明した。

2020年7月、修士課程の学生Igor DrozdとGeorgy Veshapidzeは、高等教育を受けるための徴兵延期権があったにもかかわらず、本人の意思に反してキエフのデスニアスキー地区軍事委員会から軍の部隊に移送され、不法に拘束された。彼らの話はメディアで取り上げられ、ウクライナ国会人権委員会(UPCHR)のアシスタントが軍事委員会を調査し、この他にも20歳未満の非自発的な徴兵などの違反があることが判明した。少年たちは釈放された。

2020年8月、UPCHR事務局は、Telegramのbotが個人情報を無断で使用して、軍を放棄した6907人の軍人のリストを公開したことを報告した。

ウクライナのいくつかの地域で、徴兵のコロナウイルス検査が導入された。2020年12月16日、ウクライナ軍医療部隊司令部は、ウクライナ軍で3,186人がSARS-CoV-2コロナウイルスによる急性呼吸器疾患COVID-19を発症し、12月31日には、1,937人の軍人が発症し、大流行期間中に、合計38人が死亡、12,026人が回復と報告した。

2020年4月8日、ウクライナ平和主義者運動のCOVID-19流行時の徴兵制中止の請願に回答したUPCHRの軍人保護問題担当のオレ・チュイコは、同委員が軍人の間のCOVID-19の蔓延防止について問い合わせをしたと伝えている。また、彼は、2019年に委員が徴兵者とその親族から50件以上の苦情を受け、軍事委員会の将校による100件以上の人権侵害について説明し、委員は侵害を止め、将来的に防止するために必要な措置を講じたことを伝えた。

エホバの証人のヨーロッパ協会は,2019年の国連人権委員会への提出書類の中で,ドニプロペトロフスク地方国家管理局が,これまでエホバの証人の代替的な市民奉仕の申請をすべて却下してきたと報告している。これは,代替的な市民奉仕の申請は大統領令が定める徴兵開始2カ月前までに行わなければならないことが法で定められているのに,近年は通常徴兵2カ月前より後に発行されているために申請が間に合わないことによる。[2] 2020年、政令は徴兵の3ヶ月前に発行された。ドニプロペトロフスク地方国家管理局がウクライナ平和主義運動に提供した統計によると,2015年から2020年にかけて68人の良心的兵役拒否者が代替奉仕活動を認められ,そのうち50人がエホバの証人だった。30の申請が拒否され,そのうち6件は時期尚早,4件は信仰心の純粋さを証明する証拠がない,10件は代替奉仕活動の仕事を忌避していたため,である。

2020年3月16日、EBCOのフリードヘルム・シュナイダー会長は、欧州評議会加盟国による義務と約束の遵守に関する委員会-監視委員会(Dzhema GrozdanovaとAlfred Heer)に対し、準備中の報告書草案について書簡を送付した。「ウクライナによる義務と公約の遵守」、また「欧州における良心的兵役拒否に関するEBCO年次報告書2019」を添付する。

2020年10月1日、人権理事会第45回定例会第31回会合で、国際和解の友(IFOR)は、現在のウクライナの良心的兵役拒否の権利の侵害について懸念を表明し、代替サービスの不釣り合いな長さと軍籍を持っていない人の雇用へのアクセスの欠如を確認し、国の領土保全のために憲法に明記されている義務は、良心的拒否に対する国際的に保護される権利に優先しないことを強調した。思想、良心、宗教の自由は、武力紛争の状況にかかわらず、無視できない権利であり、引き続き適用される。IFORはウクライナに対し、兵役に対する良心的兵役拒否の権利の完全実施を新たな人権行動計画に盛り込むよう促した。

また、2020年12月18日の人権理事会でIFORは、ウクライナの代替勤務は懲罰的で差別的な性格を持ち、ほとんどアクセスできないとの声明を発表し、リブネ州ホシュチャライオンで代替勤務の制限的な法的規制に適した雇用がないため代替勤務を開始できないペンテコステ派の良心的兵役拒否者24人の状況にも言及した。IFORは、国会が人権を侵害する法案3553を第一読会で採択し、2015年にウクライナ東部での武力紛争のための軍事動員に反対を表明した平和主義者ルスラン・コツァバの裁判を継続することに懸念を表明した。

ウクライナ大統領ヴォロディミル・ゼレンスキーが提案した法案3553「兵役遂行と軍籍登録のいくつかの側面の改善に関するウクライナの複数の立法措置の改正について」は、国会で第1読会が開かれ、採択さ れた。

以下のような雇用のための軍登録の義務化が含まれる。

●強制的な兵役登録や兵役に違反した場合の罰則をより曖昧にし、高額な罰金(現在の50~100倍に引き上げ)、TCRSSの罰金賦課権を強化した。

●行政違反者の逮捕とTCRSSへの強制的な移送。これは、警察や軍事委員会役員による街頭での徴兵狩りという現在の非公式な慣行の合法化とも考えられ、特に国連ウクライナ人権監視団によって報告された徴兵の恣意的な拘束である[3]。

●軍事登録、軍事訓練集会、「特別期間中の」徴兵(2014年のロシアのウクライナ侵略開始後に宣言)の忌避に対する刑事罰は、高額の罰金から最大5年の懲役までであり、強制集会や動員・徴兵から忌避した予備兵の処罰に焦点が当てられており、これは男性住民のさらなる強制的な軍隊化を意味しかねない。徴兵者は義務軍役期間を終えた後は予備兵として数えられるため、40%が軍役のための契約を結ぶように説得されているとされる。

●良心的兵役拒否者の兵役解除後の強制的な「軍籍」登録(今のところ、単なる「登録」と呼ばれている)。

●最高司令官であるウクライナ大統領が、予備役兵士を「特別期間」として最長6ヶ月間の強制兵役に動員する権限。

●国民の個人情報を本人の同意なしに徴兵者、軍事義務の対象者、予備兵の国家統一登録簿に含めることができる。特に、データは国家統一人口登録簿から自動的に移される(つまり、17歳以上のすべての男性人口を徴兵目的の軍事登録簿に自動的に含めることができる)。

●学生は「特別期間」に徴兵される可能性がある(現在は猶予の権利がある)。

●良心的兵役拒否者の公共サービスへのアクセスにおける差別。公職に就くすべての候補者に対する「兵役に対する態度の特別調査」と公共サービスでの求職に対する軍人IDの提出の要求によって導入された。

ウクライナのヴェルホヴナ・ラダ(国会)の中心的な学術専門家集団は、法案3553の採択は市民の権利と自由に悪影響を与える可能性があると警告した。

ウクライナ平和主義者運動による法案3553の撤回要求は拒否され、大統領府から国防省に宛てた公開書簡[4]は、法案を採択するために書かれたものであった。ヴェルホヴナ議会の国防委員会は、ウクライナ平和主義者運動の法案3553に対する異議申し立て要請を拒否した。

2013年の国連人権委員会は、義務的兵役に対する良心的兵役拒否の権利を良心に基づく非宗教的信念を持つ人に拡大する措置がとられていないようだと懸念を表明したが、ウクライナ平和運動と国際和解の会の、兵役に対する良心的拒否の人権の保護をウクライナの国家人権戦略および2021年から2023年の行動計画に含む提案も拒否された。また、代替服務の取り決めは、拒否を正当化する信念(良心に基づく宗教的または非宗教的な信念)の性質による差別なしにすべての良心的兵役拒否者が利用できるべきであり、兵役と比較して性質や期間において懲罰的または差別的であってはならないと強調している。[5] 2020年10月23日、UPCHRの外務代表ナタリア・フェドロヴィッチは、代替勤務に関する人権委員会のウクライナへの勧告は実現されておらず、委員はウクライナ憲法35条に従い、「代替(非軍事)勤務に関する」ウクライナ法を徹底的に更新・改善すべきと考えていると公式文書で述べている。

2020年12月25日、ゼレンスキー大統領はFocus誌のインタビューで、ロシアとの大きな戦争が起こった場合、総動員を計画しており、男女とも現役の軍隊に徴兵されると述べた。セルヒイ・クリボノス少将は、ゼレンスキーの計画は非現実的だと批判し、人々は戦いたくないと強調し、「徴兵の軍務はほとんどの場合、奴隷的だ」と述べた。この発言後すぐに、ゼレンスキーはクリボノスをウクライナ国家安全・防衛評議会の副書記のポストから解任している。

2019年に行われた3e! News Telegramチャンネル(1370人の有権者の87%が徴兵制に反対)、2020年キエフKRTテレビ電話世論調査(578人の参加者の91%がウクライナの兵役は任意とすることに同意)で、ウクライナでは徴兵制が非常に不人気であることが明らかになった。しかし、2020年7月17日の国会でアンドリー・タラン国防大臣は、ウクライナの徴兵制は当面継続されると述べ、前任のアンドリー・ザホロドニクによる徴兵制中止の可能性に関する発言を否定している。

2020年11月には、ウクライナ国家緊急事態局の職員を徴兵の対象から除外する法律が採択された。

ウクライナ領土の不法占拠が続く中、2020年、ロシア軍はジュネーブ条約第4条51項と国連総会決議に違反してクリミア住民3,000人の徴兵を発表した。欧州連合はこの徴兵の試みを非難し、ロシアに対してクリミア半島における人権と国際法のすべての侵害を停止するよう求めている。[6] 占領が始まって以来、ロシア連邦はすでに11回の徴兵キャンペーンを行い、その間に約25,000人がロシア軍に不法に徴兵された。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、刑事徴兵忌避事件に関するクリミアの裁判所の判決数十件を精査し、2017年から2019年の間に71件の刑事徴兵忌避事件と63件の有罪判決を確認した。すべての事件と判決が公開されているわけではないので、その本当の数はもっと多い可能性が高い。ほとんどの場合、被告人は5,000~60,000ルーブル(77~1,000ドル)の罰金を科された。[7]

ロシア占領下のクリミアでは、良心的兵役拒否者は国有企業の代替公務員として軍事委員会に申請することができるが、軍は彼らの信仰の「信憑性」を認めるか否かについて完全な裁量権を持つ。拒否は裁判所に訴えることができるが、勝算はほとんどない。良心的兵役拒否者は、手続き上の障害や宗教的、政治的、その他の理由による差別的な扱いを受けるなど、その拒否を認めるための厳しい障害に直面している。例えば,エホバの証人がロシアで禁止されていることから,バフチサライの軍事委員会が,エホバの証人に代替勤務を求めるために信仰を変えるよう要求したことが明らかにさ れた。クリミア人権グループの専門家アレクサンダー・セドフは,2020年にラジオ・リバティで,軍事委員会が代替勤務の申請を妨げ,自宅から非常に離れた他の地域での勤務や仮住まいの不衛生な状況など,耐え難い懲罰的条件に対する不満を犯罪として扱い,そうした不満を代替勤務からの逃亡として刑事罰で処罰すると述べた。

政府がコントロールできないウクライナ東部のドンバス地域では、ロシアが支援する分離主義勢力「ドネツク人民共和国」(DPR、推定兵力2万人)と「ルハンスク人民共和国」(LPR、推定兵力1万4000人)が、17歳の男性全員に軍登録を行い、軍隊やキャンプでの10日間の野外訓練を含む強制軍事行動に招集し、回避者は罰せられる制度を実施している。2020 年 9 月、DPR のデニス・プシリン党首は、具体的な詳細を伴わないまま、将来的な徴兵制を発表した。メディアは、LPRの軍事委員会が2021年にロシア軍への徴兵を組織し、特にこの地域の人々に大量に発行されたロシアのパスポートを持つ18歳以上の男性を対象にすると伝えている。ドンバスの分離主義軍とロシア職業軍への徴兵制導入の発表では、兵役に対する良心的兵役拒否の人権が尊重されるかどうかについては触れられていない。

[1] Brussels 8-12-2020 – OPEN LETTER to Court – EBCOはRuslan Kotsabaに対するすべての告発の取り下げを要求している。利用可能な場所: https://ebco-beoc.org/node/478

[2] 欧州エホバの証人協会、国連人権委員会への提出文書、ウクライナ、2019/09/23。利用可能なサイト: https://tbinternet.ohchr.org/Treaties/CCPR/Shared%20Documents/UKR/INT_CCPR_ICO_UKR_36874_E.pdf

[3] 人権理事会文書 A/HRC/42/CRP.7 “Report on the human rights situation in Ukraine 16 May to 15 August 2019”, 24th September 2019, para. 6, 49. 利用可能なサイト: https://www.ohchr.org/Documents/Countries/UA/ReportUkraine16May-15Aug2019_EN.pdf

[4] ウクライナ平和主義運動による声明。ゼレンスキーの軍事独裁に関する法案№3553は撤回されるべきである。利用可能なサイト: https://wri-irg.org/en/story/2020/statement-ukrainian-pacifist-movement-bill-no-3553-zelenskys-military-dictatorship

[5] 人権委員会、2013年8月22日のウクライナの第7回定期報告書(CCPR/C/UKR/CO/7)に対する最終見解、para. 19. 利用可能なサイト: https://undocs.org/CCPR/C/UKR/CO/7

[6] 占領地クリミアにおける違法な徴兵に関する EU 声明(2020 年 4 月 13 日)。利用可能なサイト: https://wri-irg.org/en/story/2020/eu-statement-illegal-conscription-occupied-crimea

[7] ヒューマン・ライツ・ウォッチ、「クリミア。徴兵制は国際法に違反する」。利用可能なサイト: https://www.hrw.org/news/2019/11/01/crimea-conscription-violates-international-law

出典:https://ebco-beoc.org/ukraine

(フェミニスト反戦レジスタンス)戦争の100日-私たちの反戦レジスタンスの100日

6月4日にロシアのフェミニスト反戦レジスタンスは以下の声明を出した。Telegramに投稿されたメッセージの機械翻訳(DeepL)を基にしたものです。わたしはロシア語を理解できないので、語彙やニュアンスでのまちがいがありえます。Telegram https://t.me/femagainstwar/1384 6月4日100 дней войны — 100 дней нашего антивоенного сопротивленияの原文を確認してください。


戦争の100日-私たちの反戦抵抗の100日

占領という帝国戦争は、毎日、ウクライナの女性とウクライナ人の命を奪っている。今起きていることは、将来、全世界がジェノサイドと呼び、この時代のロシアは、ファシズムのすべての兆候を持つ国家として研究されるだろう。

戦争の100日、戦争犯罪の100日、フェミニストの反戦抵抗の100日。あなたと私は、この100日間で戦争を止めることはできなかった。しかし、さまざまな時代や空間の反戦運動の歴史を研究すれば、反戦運動そのものが戦争を終わらせるわけではないことがわかる。では、なぜ私たちはこのようなことをするのか、なぜ街頭に出るのか、なぜ強権政治の中で新しい抗議戦略を考案するのか、なぜできる限りの人々を守るのか、なぜ手の届く被害者を助けるのか。

おそらく、すべてのロシア人反戦派は、この「なぜ」に対してさまざまな反応を示すだろう。ある者は道徳的義務として、ある者は自分たちの例が誰かに伝染すると信じて、ある者は子どもたちに自分は黙っていなかったと伝えることが重要で、他の者は失った声と失った主体性を回復するための方法として、この方法をとる。しかし、反戦運動は政治的にも考えなければならない。民主主義制度が解体され、政治が抹殺され、選択肢も選挙もなく、独裁がエスカレートしているこの国で、私たちロシア全土の反戦運動が草の根の主要な政治勢力にならなければならないのである。しかし、私たち反戦運動は、 党派的で目立たない抵抗のインフラを構築し、言語を変え、文化を変え、政治スペクトルの態度を変えつつある。私たちは、一般的な反プーチン急進派の重要なプラットフォームになることができる。私たちはすでに、全国に活動家と直接行動のネットワークを織り交ぜながら、そうなりつつあるのだ。

私たちはこの100日間で、戦争を止めることはできなかった。しかし、私たちは、強制的に排除されたウクライナ人がロシア連邦を去るのを助け、立場を理由に解雇されたロシア人への支援活動を行い、路上での大衆行動や単独行動、反戦宣伝活動や メール送付を行い、毎日膨大な宣伝活動をしている。私たちには、財政的・物質的資源がほとんどなく、国家がすべてを握っているが、それにもかかわらず、ロシアの反戦の声は世界中で聞かれ、抵抗、破壊工作、ストライキ、行動、党派の新しい形態が日々現れているのである。人々は、刑務所や拷問、そして少数派であるという感覚にもかかわらず、戦争に反対する行動をとり続けている。

私たちは、自分たちが少数派であるかどうかはわからない。戦争と独裁の条件下では、明確な社会学を持つことはできない。プーチンとそのプロパガンダは、私たちが少数派であると考えることを強く望んでいる。しかし、どんな抗議活動も、どんな人権運動も、どんな反戦運動も、いわゆる少数派から始まり、そして今も始まっている。私たちには、巨大で非常に重要な仕事を続ける力があり、ロシアの全都市に反戦の網を張り続ける力があり、ロシア連邦の情報封鎖を突破する共同戦略を考案する力がある。今、反戦運動にとって最も重要なことは、戦争の影響を直接受けているロシア人たちの活動と結びつけることである。引退した市民、戦死した兵士の母親や父親、戦争で医療を受けられなくなった人たち。このような人々を国家に委ねてはいけない。そうすれば、彼らは黙ってしまうだろう。彼らが声を上げるためのプラットフォームを作ろう。社会のバブルに閉じこもっていてはいけない。

戦争の100日、恐怖の100日、抵抗の100日。この悪夢がいつまで続くかわからないが、あきらめないでほしい。活動家になり、同じ志を持つ人を探し、反対運動をし、困っている人を助け、政治犯に手紙を書こう。今、予審拘置所や 刑務所にいる人たちは、彼らがそこにいる理由があることを知っておく必要がある。