憲法とナショナリズム――近代国民国家が抱える構造への批判
1 はじめに――近代150年の断絶と継続 1.1 一貫性の構造 「明治150年」が端的に象徴している時間の観念は、近代を天皇の即位と死の循環によって表象する元号という「暦」の尺度のなかで規定しようとするイデオロギー的な時間の観念である。 日本の近代を明治元年に出発点を求めることが妥当かどうかという問題を脇に置くとして、直ちに日本の近代をのっぺらとした150年という時間のなかで、ある種の一貫性をもった統治機構として位置づけようとすることは、1945年を重要な分水嶺とする認識――これは戦後憲法の理念を肯定し、旧憲法を否定する歴史認識と不可分だろう――と明らかに衝突する。 たぶん政治学者や歴史学者であれば、戦前と戦後という重要な分水嶺を軽視した150年の連続性を端的に象徴する「明治150年」には強い違和感を感じるに違いない。私もまた、こうした違和感を共有するが、しかし、支配者がこの戦前と戦後の分水嶺をあたかも無視するかのようにして喧伝する「明治150年」を単なるイデオロギーの問題、つまり物質的な基礎を伴わない空論の類いだとして退けることも間違っていると思う。 現在の日本の状況を判断するときに […]