日本学術会議は擁護すべき組織ではない、と思う。社会的不平等のなかでの自由は欺瞞である。

日本学術会議の会員選考で菅が任命拒否したことから、安倍政権に反対してきた市民運動や野党が105名全員の選任を求めて抗議運動が起こっている。菅が任命拒否の理由を言わず、その不透明さから、学問の自由を守れという主張もともなって、いつのまにかに日本学術会議が学問の自由の砦であるかのような間違った印象をもつ人たちが増えたと思う。以下に書くことは珍しく私の経験を踏まえた話になる。

学術会議による大学教育の品質保証制度づくり

私が日本学術会議を意識したのは、2008年に文科省高等教育局が学術会議に対して大学教育の分野別質保証の在り方について審議依頼し、学術会議はこれを受けてたぶん10年以上かけて質保証なるものを審議してきた頃だ。学術会議は大学教育の分野別質保証委員会を設置して、大学教育の科目別に教育の質を確保するためにどのような教育を行うべきかという「基準」作りを開始した。大学の教育もモノ同様、品質管理の対象になったわけだ。

その後、各分野ごとに「大学教育の分野別質保証のための 教育課程編成上の参照基準」なるものが作成される。私は経済学の教育に携わってきたから経済学の教育課程編成上の参照基準に注目せざるをえないかったが、この参照基準を読んで、絶望的な気分になったことを今でもよく覚えている。この参照基準に書かれている経済学の定義から教育内容まで、私が基本的に考えてきたことと一致するところはほぼない。私はかなり異質な「経済学」の教育者だったという自覚があるので、特殊私個人がこの参照基準から逸脱しているというのならまだしも、この参照基準は経済学の重要ないくつかの流れを排除していることは経済学の事情をある程度理解できている者にははっきりわかる。つまりマルスク経済学や諸々の批判的経済学の基本的な経済に対するスタンスはほぼ排除されている。この排除は偶然ではない。意図的に排除したと思う。なぜなら、経済学分野の専門家が文科省の意向を汲んで作成した基準だから、学説の動向を知らないことは絶対にありえないからだ。つまり、確信犯として資本主義に批判的なスタンスの学説を排除したというのが私の判断だった。学術会議とはこうしたことをやる組織なのだという確信をもった。

学術会議の参照基準は学問の自由を奪った―経済学の場合

参照基準がいかに間違っているか、ひとつだけ例を示す。参照基準の冒頭で経済学の定義が以下のように書かれている。

「経済学は、社会における経済活動の在り方を研究する学問であり、人々の幸福の達成に必要な物資(モノ)や労働(サービス)の利用及びその権利の配分における個人や社会の活動を分析するとともに、幸福の意味やそれを実現するための制度的仕組みを検討し、望ましい政策的対応の在り方を考える学問領域である。」

私は「物資(モノ)」とは書かない。商品と書く。「労働(サービス)」とも書かない。労働力あるいは<労働力>と書く。幸福実現の制度的枠組みなどということは、批判的な言及はしても、これを肯定的な課題とはしない。政策的対応も論じない。政治家ではないからだ。論じるとすれば政策対応なるものへの批判は論じるだろう。わたしたがネガティブなのは資本主義の経済システムでは幸福は実現できないという確信があり、政策対応で問題が片付くような問題が資本主義の経済の問題なのではない、からだ。上のような定義では学問なのか霞が関の官僚の仕事なのかさっぱりわからない。このような教育をわたしはしてきたことはないし、するつもりもない。

物資なのか商品なのか、労働なのか<労働力>なのか、これは単なる言葉の言い換えの問題ではなく、定義が異なるのだ。「物資」と「商品」は同じではない。労働と労働力も同じではなく、更に労働力と<労働力>も異なる概念だ。概念の違いは、社会認識の違いだけでなく、理論の内容の違いをもたらす。「物資」は市場経済(商品経済)という特殊な経済システムのなかでのみ商品という社会的性格を帯びる。商品も「物資」も見た目は同じだが、社会制度の前提が異なることによって、機能・性質が異なるのだ。この違いが非常に重要だ。というのは「物資」の価値と商品の価値は、同じ「価値」という言葉を使っても内容が異なることになるからだが、この本質的に重要な観点を、参照基準の定義はすべて無視した。物資と商品、この二つを同じものとみなすことは、市場経済とそれ以外の「物資」を商品としない経済との間の差異を無視するだけでなく、市場経済を唯一の経済、つまり人類はそこから逃れることのできない経済とみなす最初の一歩になる。資本主義を肯定するというイデオロギーに無自覚な経済学の主流の価値観をこの参照基準の定義はあからさまに示している。

労働と労働力の概念の違いについてはどうか。この二つの違いは、資本の利潤の根拠を説明する場合の基本をなすというのがマルクスの経済学批判としての経済学が主張した考え方だ。この考え方を否定する学派は、労働力と労働を区別しない。(なお<労働力>という括弧付きの労働力は、私のオリジナルなので、この概念を今あれこれ説明しない) 支配的経済学は、この二つの混同をそのままにすることによって、資本の利潤の根拠を企業家の努力とか市場価格の変動とか、いずれにせよ人々が資本の支配下で労働するという問題と切り離す理論を構築してきた。これが生存を二の次にする資本主義を正当化する経済学のスタンスであって、このスタンスを鵜呑みにするメディアが感染対策か経済か、という二者択一を当然のようにして持ち出すことを正当化してしまったのだ。批判的な経済学は、生存を犠牲にする経済をきちんと批判する観点を出すことが可能なのに、こうした経済などはそもそも想定外ということになる。

人々の幸福の達成が経済学の重要な意義であるという観点は、市場経済が人々の幸福を実現できるという前提を置いた議論だが、「幸福」が経済の目的になっているのが現代の市場経済、つまり資本主義なんだろうか。私は、資本主義経済(参照基準では、この歴史的なシステムとしての資本主義という用語ですらたった2回だけ、おずおずと仕方なしに用いているにすぎない)の基本を資本による最大限利潤を追求することに動機づけられたシステムとして位置付け、資本主義的な幸福を市場経済の商品と貨幣の物神性=イデオロギー作用とみなすので、幸福を真に受ける「定義」はとうてい受け入れがたい。つまり社会運動の活動家にとっては常識になっている利潤ありきの資本主義は経済学では幸福実現となるわけだ。

参照基準への異論は、様々な学会から出された。経済理論学会のサイトにあるだけでも12の学会が意見書や要望書を出し、シンポジウムも開催された。私はそもそも学会に所属していないので、こうした動きの外野にしかいなかったが、はっきりと自覚したことは、この参照基準が将来大学の教育カリキュラムを縛るある種の「学習指導要領」のような効果を発揮する危険性がありうるのではないか、ということと、大学の人事もまたこの参照基準を念頭に置くことになりかねず、多様で広範な研究分野や学説が排除される方向で作用するだろう、ということは現場で人事を担当することもあった身としては切実に実感した。経済学の参照基準に比べて歴史学の参照基準は相対的に「マシ」であるが、それでもひどい代物だと思う。日本史には近現代史がすっぽり抜けているから、植民地支配や戦争責任、「慰安婦」問題や強制連行などの歴史修正主義者たちとの争点になっている重要なテーマは何ひとつ言及されていない。これで「マシ」な方だと言わざるをえないわけだが、菅政権はそれですら満足していないということのメッセージが今回の任命拒否の「意味」だと思う。

身分制度と差別選別の教育・研究システムのどこにも自由はない

学術会議の任命拒否は、参照基準のような作業の先にある学術会議を利用した教育と研究への管理強化だろう。学習指導要領のようなものを文科省はトップダウンで作成するのではなく、国の組織でもある学術会議を使って作らせようというねらいがあことはほぼ間違いないと思う。

本来多様な教育をひとつの物差しで枠に嵌めようという参照基準=大学の学習指導要領は、結果として、大学や研究の自由を奪うことになると思う。そもそも参照基準など不要である。これを必要としているのは、教育の標準化によって管理しやすい研究教育環境を作りたいという文科省の利権だけであり、なぜ学術会議はこうしたすべきではない作業を引き受けたかというと、学術会議が法で定められた国の機関だからだ。学術会議はこうした大学の教育と研究の砦なのではなく、文科省の指示によって大学の画一的な教育管理の手先になっている、というのが私の学術会議理解だ。少なくとも学問研究の自由のために、このような組織は不要だ。学術会議は今回のこの騒動をきっかけに。将来必ずやより一層教育の統制のための組織となることは間違いなく、それは菅が任命拒否したからそうなったのではなく、参照基準を作成するなどという言語道断なことをやった今世紀に入って以降(少くとも私が経験した範囲では)そうなのだ。

たとえば「原子力総合シンポジウム」、これでも学術会議は擁護すべき?

学術会議は反動的な組織なのでもなければ左翼の手先でもないが、しかし、全体としていえば、政府の学術研究動向を反映しており、それは分野によってはかなりはっきりしている。一つだけ例を挙げる。たとえば原子力関連の学術研究では、この9月に公開シンポジウム「原子力総合シンポジウム2020」 を開催してた。その内容を報じた原子力産業新聞の記事 を読めば一目瞭然だが、原発推進派の学会と学術会議がタイアップを組んで温暖化と持続可能な社会を看板にして原発推進の陣形を構築しようとする学会の姿がよくわかる。反原発運動のなかでも学術会議任命問題で任命しろという主張があるようだが、果してそれでいいのか、と思う。むしろ 原子力関連学会がいまだに原子力を否定できていないこと、そして平和利用を口実に原発肯定だけでなく、原発否定の世論に関して「子供の頃から広島原爆の写真を見て、理屈なしに視覚情報で出てくるイメージが不安を巻き起こしていると思う」(前掲、原子力産業新聞記事)などという発言を平気でするような学者まで登場する。反原発運動にとっても学術会議はむしろ運動に敵対する存在でしかないのではないか、と思う。

平等のない教育・学術の世界に自由はない

学術会議のなかには、このように、学会や学術研究が国策と産業界の利権を媒介する有力な「装置」となっている側面があり、そうであるなら、今回の任命105名について、市民運動や社会運動の立場からみて本当に105名がふさわしいのかという評価があってもいいはずだが、なぜか、こうしたことには踏みこまない。学問研究の世界に市民が口出しせずに、専門家信仰が強くなっていることの表れではないか。市民運動の勉強会が相互の学びあいよりも、学者や研究者、弁護士などの専門家を呼んで勉強すという悪弊がはびこっているとはいえないだろうか。

学問の自由は制度に支えられてしか実現できない。だから制度が自由を保証するだけの実質を備えているかどうかが重要な要件になる。そもそも学術の世界がその基盤にしている資本主義の教育システムは、教育研究の自由とは何の関係もない差別と選別の制度だということを、市民運動や労働運動はかたときも忘れてはならないと思う。

教育の制度のなかで、成績評価を点数でつけることは当たり前であり、試験制度で選別することも当たり前、教員が絶大な権力をもって数値で生徒、学生を評価し、序列をつける。この選別と差別を前提に、労働市場に<労働力>として学生たちが投入される。学歴社会の再生産の構造だ。高等教育はこの差別と選別の制度の頂点にあって、さらに大学は助教、准教授、教授という身分制度を研究者としての業績などで正当化する仕組みになっている。公害を告発した宇井純や京大原子炉実験所の反原発4人組の人たちは優れた業績にもかかわらず助手(助教)のままだったように、プロモートと研究へのスタンスや問題意識は切り離すことのできない権力構造のなかにある。こうした身分制度は、研究費や研究環境にも影響する。日本の研究環境にとって科学研究費はその最大のアメとムチになっているが、研究費を有利に獲得しようと思えば国の政策の動向を無視できないという分野は自然系だけでなく人文社会系でもある傾向だろう。そして理系をはじめ多くの分野では、教員の任期制が導入されることによって、更に研究が国や企業から大学の方針によって左右しやすくなっている。深刻なのは、常勤の研究者・教員にはカウントされない非常勤の教員が膨大な数存在して大学の教育を支えていることだ。優れた研究をしながら、その分野や研究のスタンスによってポストを得ることがむずかしいところにいる人を何人も知っている。非常に狭い雇用の枠をめぐって競争を強いられるが、身分制度と学閥や人脈の構造が存在する以上、採用の基準が客観性をもつことは難しいから、志を曲げて研究分野を変更することもありうる。学閥や人脈といった旧態依然とした人間関係に依存した環境があるだけでなく、研究分野によって、あきらかな差別があると思う。これで学問の自由などありえるはずがない。

私も大学で仕事をしてきたので、自己批判なしには書けないことだが、私は試験の評価をせざるをえないことを30年間ずっと違和感をもつことしかできなかったが、だからといってこうした制度と正面から対決することもしてこなかった。入試で1点、2点の差で不合格になる受験生の存在がいることに辛い気持ちを感じても、この制度を問うこともしてこなかった。しかしこうした制度は明かに学問や研究の自由、つまり、自分が学びたい環境へのアクセスの権利を阻んでいるし、学ぶことや研究することについての学ぶ者自身による自己判断や、教える者との相互の平等な関係を一貫して阻害している。点数や単位といった数字のために教員は働くべきではないにもかかわらず、この数値が教育を支配するという転倒した構造が生まれている。学ぶことにとって本来であれば、試験も学位も不要であり、身分制度も不要だ。教える者と教えられる者という関係も常に入れ替え可能な平等な関係のかなでしか自由は存在しない。

学術会議問題とは、任命の是非の問題ではなく、学術会議に体現されているような学問の自由を看板に掲げた教育と研究の構造的な差別と選別、イデオロギーの構造を想起するきっかけにすべき問題なのだ。

学術会議の任命拒否問題で菅に反対するかつての68年世代と出会うことがよくある。そうした世代の人たちにぜひ思い出してほしい。あの時代、大学は解体の対象だったのではないか?大学解体は間違ったスローガンだっかのだろうか?大学に残った私のような(その意味では転向した者というしかないのだが)者ではない道を歩んだあの世代の市民たちが、あの時代に問われた大学と教育が何だったのかをもう一度思い出して欲しいと思う。社会的平等のないところに自由はない。社会的不平等のなかでの自由は欺瞞だということを。

EFFによる米国保健社会福祉省(HHS)の新たなCOVID-19監視システムへの意見書

米国保健社会福祉省(HHS)はCOVID-19を利用して広範囲にわたる個人情報収集システムを立ち上げています。これに対して、EFFが以下のような意見書を提出しています。訳したのは序文だけで、これには詳細なバックグラウンドについての説明がついていますが、これは訳せていません。日本でもHER-SYSが稼動しており、私は問題が多いのではつ推測しています。EFFの以下の文書は日本でも参考になると思います。
(参考)
EFFのCOVID-19監視社会問題のページ
No to Expanded HHS Surveillance of COVID-19 Patients
https://www.eff.org/deeplinks/2020/08/no-expanded-hhs-surveillance-covid-19-patients

意見書のページ
https://www.eff.org/files/2020/08/17/2020-08-17_-_eff_comments_re_hhs_regs_re_covid_data.pdf

Electronic Frontier FoundationによるSYSTEM OF RECORDS NOTICES 09-90-2001, 09-90-2002に関する見解

Document No: 2020-15380
85 Fed. Reg. 43243 (July 16, 2020)
85 Fed. Reg. 43859 (July 20, 2020)

Electronic Frontier Foundation(EFF)は、政府による疾病監視とCOVID-19に対処するための個人情報の処理に関する2つの記録システム通知(SORN)に応じて、米国保健社会福祉省(HHS)に次のコメントを提出する。通知番号09-90-2002(2020年7月16日)、通知番号09-90-2001(2020年7月20日)を参照

EFFは、メンバーによって支援されている非営利公益団体であり、デジタル時代のプライバシー、市民的自由、イノベーションの保護に取り組んでいる。1990年に設立されたEFFは、デジタル時代の法律の適用をめぐる訴訟および広範な政策論議の両方において、数万人の有料メンバーと一般市民の利益を代表している。EFFは、技術の進歩により政府による監視が強化されている時期におけるプライバシー保護に特に関心をもち、新たな技術が社会に普及するにつれてプライバシーをサポートし、個人の自律を保護するよう政府と裁判所に積極的に働きかけ、異議を申し立ている。

序論
2つの提案された新たなHHSのSystems of Recordsは、すべてのアメリカ人のデータプライバシーに重大な脅威をもたらす。これらは、連邦政府があらゆる種類の個人情報を収集、利用、共有する方法を大幅に拡大し、説明責任、透明性、プライバシーに関するプライバシー法が定めている厳格な義務に明らかに違反している。一般に5 U.S.C.§552aを参照。SORNは、収集されたデータのカテゴリ、データソース、および提案されたデータの日常的な使用法の説明が極めてあいまいである。(注1)したがって、SORNは、どのようなデータが収集されるのか、そのデータがどのように 使用され、誰と共有されるのかをアメリカ人に説明できていない。

(注1)2002年9月90日のSORN、「COVID-19 Insights Collaboration Records」は記録システムであると述べているが、「HHSは、 データベースを研究やその他の公衆衛生活動に使用するときは、個人識別子で記録を取得する計画はない」としている。HHSはデータベースを作成および保守しつつ個人識別で記録を取得するであろうということを前提すれば、HHSが個人IDで記録を取得できる限り、プライバシー法の権利を適用する必要がある。

疑いなく、進行中のCOVID-19危機は、政府の対応が必要であり、そのためには、病気の蔓延に関する確実なデータが必要だ。しかし、HHSは、米国疾病管理予防センター(CDC)が長年運営している連邦政府の既存の疫学データシステムがこの課題に対応していないということを明らかにしていない。SORNで提案されている次のHHSデータ処理は、プライバシーに大きな負担をかけるが、実際の公衆衛生保護には必要でもなければ釣り合いのとれたものともいえない。

・新たなデータ収集。SORNを使用して、身体的心理学的病歴、薬物・アルコール摂取、食事、雇用などに関する個人情報を収集できる。収集データには、「地理空間記録」も含まれる。多くの研究で示さているように、これでは匿名化は不可能である。データは、陽性者だけでなく、家族、陰性者、そしておそらくまったく検査していない人々についても収集される。データは、連邦政府、州政府、地方自治体、その請負業者、ヘルスケア業界、患者の家族など、数え切れないほどさまざまな資料から収集される。
・新しいデータ共有。 SORNを使用すると、これらの膨大なデータを、これまで以上の連邦政府機関、不特定の外部請負業者、さらには「学生ボランティア」と共有できる。この新たに追加されたデータ共有できる連邦機関は、請負業者とデータ共有が許される。この共有に患者の同意は必要ない。
・新たなデータ利用。SORNは、合衆国政府が「関心」を持つ場合はいつでも訴訟itigation「その他の手続き」でを通じてこのデータの利用を許可する(このような利用は現在は、HHSが訴訟の被告の場合にのみ許可されている)。
・新たなデータ保持。SORNは、「重要な歴史的および/または研究的価値」のあるデータの永続的な保持を許可する(現在は保持は4年に制限されている)。

したがって、EFFはHHSがこれら2つのSORNを撤回することを要求する。これらはプライバシー法を厳格に遂行する義務に違反し、公衆衛生上の利益となることも示されずにプライバシーに対する新たな脅威を生み出す。HHSが事案ごとに特定の種類の新たなデータ処理が公衆衛生を前進させ、プライバシー法を順守し、市民的自由に過度の負担をかけないことを示すことができない限り、COVID-19に対処するために、CDCがこれまで公衆衛生の危機に対処するために処理しなかった個人情報をHHSが収集、利用、共有、または保持すべきではなない。

家賃ストライキ!!

Crimethinc.の家賃ストライキのビデオに日本語の字幕付きが登場しました。私のブログでもCrimethinc.からの記事の飜訳を掲載したことがあります。(たとえばこれとか)

リスク回避のサボタージュ――資本と国家の利益のために人々が殺される

1 何が起きているのか―人を犠牲にして制度を守る?

世界中にあっという間に拡がった新型コロナウィルスによって、大都市から人の姿が消えた。外出や集会自粛への同調圧力は非常に強く、多くの社会運動の側の多くは、世界規模で、好むと好まざるとにかかわらず、この同調圧力を受け入れざるをえないところに追い込まれている。しかも、社会運動の側は、感染の拡がりを阻止するために、積極的に貢献する意思をもって、対処してもいるから、「同調圧力」という表現に含意されているある種の権力への従属といったニュアンスで語るべきではないのかもしれない。政権であれ野党であれ、誰もがとりうる選択肢はただひとつしかないように思われている。
 
しかし、本当に必要なことが、感染の拡大を阻止して重症者を出さないようにすることであるならば、政府と企業が全力を尽して、人々が感染しているのかどうかを早期に発見する体制をとるべきだろう。にもかかわらず、いまだに院内感染が後を断たない。夜遊びに出るなとか、クラブは閉鎖だという脅しともいえる圧力があるなかで、ここ数日の状況では、最も深刻な集団感染は医療施設で起きている。なぜなのだろうか。不顕性の感染者が多数存在するなかで、こうした感染者が医療機関や福祉施設、学校などの関係者のなかにいないかどうかの検査がされていないからではないか。いったいどれだけの人たちが検査を受けているのだろうか。むしろリスクを抱えた人たちと関わる可能性の高い人たちの多くが未だに検査されない状態にあるのではないか。
 
日本の政府や専門家は、検査を重症者となりうるような発症が疑われる人たちに限定しようとしている。これは早期発見による感染拡大のリスクを減らすという常識に反する。多くの軽症者や不顕性の人々がおり、こうした人々が陰性の人々と接触する機会を極力減らす必要があるにもかかわらず、陰性か陽性かの判断基準となる検査がされない。これでは予防はできないのではないか。
 
物理的に検査が無理だという言い訳は通用しない。日本では検査可能な数のわずか2割しか実施されていないのだ。(NHK3月18日:新型コロナウイルスの検査 世界の検査数は? 日本の現状は?)これは、本気で検査をしようという意思がないことを示している。
 
医療崩壊を起さないために検査をしないという奇妙な理屈がある。医療という制度を守ることの方が感染者を適切に治療することよりも大切なのだとすれば、医療とは医療制度のためにあるのであって患者のためにあるのではない、と言っているに等しい。そして、医療崩壊を防ぐために、感染した人たちは、自宅から出るなという。では、同居している人たちはどうすべきなのか。そのマニュアルはあるのだろうか。医療の知識もない人たちが素人の適当な判断で濃厚接触を繰り返さざるをえないわけで、医療制度のために親密な人々の関係の崩壊はいたしかたないというのだろう。政府も医療産業もそのほかの多くの企業も、本気で人々を守るつもりがあるとは思えない。彼らにとって、まず第一に守るべきものは、既存の制度であって、人ではない、ということがこれほどまでにはっきり示されたことはない。この意味で、今引き起されている事実上のロックダウン体制は、不可抗力としての新型コロナの蔓延によるというよりも、蔓延を阻止するための最大限の努力を政府も医療産業もしてこなかった、権力と利益のためのサボタージュの結果だというしかないと思う。
 
そして、以下で述べるように、経済活動へのマイナスの影響について、政府もメディアも懸念を表明して様々な補償措置などが検討されるが、政治活動、とりわけ議会外の草の根の活動自粛がもたらすマイナスの影響については論じようとはしない。

1.1 二つのシナリオ

中国から欧米へ、更にはインドなどアジア諸国やアフリカ、ラテンアメリカへと都市封鎖が拡がっている。(注)この現状から今後起きうる更なる惨劇は、二つのシナリオのいずれを選択しても避けられないと論じられているようにみえる。
(注)Johns Hopkins University,Corona Virus Resource Center, https://coronavirus.jhu.edu/map.html

 

  • ロックダウンが経済活動の停滞を招き、経済恐慌といっても過言ではないような事態を招く。破綻した経済は、膨大な数の経済的に困窮した人口をもたらし、困窮を原因とした生存の危機にみまわれる人々が生じる。経済の破綻と貧困の蔓延は、コロナウィルス感染の予防や治療に必要な医療システムの崩壊をまねき、結果として感染の拡大を食いとめられなくなり、ロックダウンの強化・拡大へと向い、上記の悪循環に陥る。

  • ロックダウンを緩和して、経済の停滞を回避し、経済活動を維持する場合、人々の活動が活発化し、接触も増える。検査体制が万全でないなかで、感染の拡大は避けられない。経済活動を維持した結果としての感染の拡大は、「医療崩壊」を招き、都市封鎖などの強力な地域隔離を選択せざるをえなくなるが、経済の維持のためには、再びリックダウンを緩和せざるをえなくなり、上記の悪循環を招く。

上に書いたことは、実は、私たち一人一人にもあてはまる。「自主隔離」で仕事にも行かず自宅を出ないとすれば、収入の道を断たれ、家賃も払えず、食料の調達もままならず、生存の危機に陥る可能性が高くなる。自主隔離は、近親者への感染が避けられない。軽症ならばそれもよし、というのが政府や医療専門家の見解のようにもみえる。全く孤立して生きることはできないから、こうした困窮のなかで万が一感染すれば、リスクはより多きなものになる。他方で、検査もされないまま仕事を続ければ、混雑する電車で通勤し、人と接触せざるをえないことになり、感染のリスクは高まるとともに、自分もまた他人に感染させるリスク源になる。検査も治療もままならない状態になっても食うために働くというリスクを選択せざるをえない。

1.2 知る権利 v.s. 不合理な同調圧力

自分が感染者なのかどうかをほとんどの人は知りえる環境にない。感染しているのか、していないのかで、私たちのとるべき「正しい」態度は変るが、知るための道を政府によって意図的に断たれている今、「正しい」選択そのものを選べない状態にある。陽性であるのか、陰性であるのかを知っている場合にのみ、正しい行動とは何なのかが確定できる。態度選択の前提となる情報が得られないなかで、行政や資本の指示に同調することを半ば強制される。この極めて不合理な状況を私たちは受け入れさせられている。
 
私が感染者であるかどうかを知る権利がある。この権利は、私のみならず私に関わる人々の生存の権利と密接に関係する。
 
この知る権利を主張することがいかに非現実的に感じられるとしても、この主張なしには、合理的な判断を下すことができない。合理的な判断が下せなければ、不安感情が増長し、人々は不合理な感情に支配されることになる。不安感情は、自分ではどうすることもできない未だ到来していない脅威と感じる何ものかを想起することによって喚起される。人びとの行動を新たな立法で取り締まるために政府が用いる手法は、人びとの不安感情を権力の利益のために利用する方法である。権力にとっては、この不合理な人々の同調心理を欲しているといってもいい状況が生まれている。
 
こうして、人々の行動を決定する重要な要因のひとつは、社会心理的な傾向かもしれない。「上」からの指示に容易に従い同調しやすい傾向の人なのかどうか。現在の政権を支持しているのかどうか。医療への信頼があるかどうか。そしてそれぞれの人々がもつ社会関係、つまり家族などの親密な集団、職場や学校、地域などの人間関係が権力や支配的な秩序との関係において「ポジティブ」なのか「ネガティブ」なのかといった半ばイデオロギーや信念に関わる要因が、それぞれの人々の行動を左右するかもしれない。
 
不安感情を権力に利用させない方法は、私たちが自分の身体の状態を知ることにある。陽性なのか陰性なのかを知ることは、知る権利を通じて不合理な権力による私たちの心理への介入を阻止するための前提条件でもある。

1.3 一律の封鎖:テロとの戦争下での大量監視が世界規模で拡大する

感染の有無の拘わらず、全体として人との距離をとる、閉鎖空間で多数が集まらないことを事実上強制され、自粛要請に応じなかった場合のリスクは自己責任とされる。集会や人とのコミュニケーションは政治活動の基本であり、民主主義を支える社会の合意形成の基本である。医療の専門家の意見を引き合いに出して、基本的人権としての自由の権利を制約せざるをえない事態にあると政府や国際機関は強調する。しかし、この制約の根拠となる事実の把握を政府(地方政府を含めて)は怠っている。「怠っている」という意味は、感染の拡大が虚偽であるとか、見通しが意図的に誇張されているとかという意味ではない。感染していない者に対しても感染している者とみなして、社会活動の全面的な自粛や強制的なロックダウンの措置をとることが正当化されているといういことだ。これが世界的な傾向になっているが、これは果して唯一の選択肢なのか、ということである。
 
対テロ戦争以降、人々をテロリストである可能性があるとみなして一律に監視する大量監視の技術が導入されてきた。こうした監視社会化のなかで開発されてきた監視と管理の技術に支えられて、今回の世界規模でのロックダウンや外出禁止があると思う。SNSやネットの存在を軽視すべきではない。人々の心理や感情を操作する技術の高度化は目覚しく、その副作用として、フェイクニュースが人々の不安と相互敵意を煽ってもいる。感染の有無を調査する技術があるにも拘わらず、これを駆使せずに、すべての人々を感染者とみなして事実上の隔離や自由の剥奪を実施するやりかたは、決してコロナウィルスが最初だというわけではない。

1.4 政治活動の自由の崩壊

ロックダウンやこれに準ずる強い自粛要請は、政治活動の自粛の要請でもある。集会やデモなど集団による活動が事実上不可能になるか、場合によっては違法とされる。結果として、政治的自由に基づく反政府運動が果してきた政権や支配的な資本の暴走に対する歯止めの役割は後退せざるをえなくなる。
 
〈運動〉の自粛圧力が高まる一方で、政権中枢への権力の集中と企業活動への政府のバックアップ強化との間の不均衡は、確実に〈運動〉への逆風となってあらわれるだろう。自分自身が感染しているのかどうか確かめる術すらないなかで、〈運動〉を継続させることによって、時には感染の拡大を招くこともありうる。こうした場合、政府や権力者たちはメディアも動員して〈運動〉への批判を強めるだろう。しかし。その一方で、経済活動など企業の活動のなかで拡がる感染についてはやむをえないものとして容認したり理解ある態度を示す。こうした態度は、大衆の心情にもみられる。諸々の社会活動を「不要不急」の活動であるとみなされる。地域の運動は、あたかもどうでもいい私的な趣味以下の評価しか受けていないようにも思う。こうして、人々の社会的な活動や政治に関わる活動は、企業や行政の活動に比べて著しく軽視され、企業と行政はかぎりなく正常に近い活動を維持するために、それ以外の活動を抑制しようという態度が、社会の多数の人々の合意となりつつある。
 
少なくとも政治的自由が形式的にであれ保障された国では、この反体制反政府運動が無視できない政治的な勢力として存在することによって、権力を握る支配者たちに対して、法の支配を受け入れさせてきたし、支配者もまた法の名のおいて自らの権力の正統性を維持しようという面倒な努力をしてきた。政治的な自由が抑圧されると、このタガが外れる事態が生まれる。しかも、新型インフルエンザ特措法の改正に際して国会の野党がとった態度に端的に示されているように、この自由の抑圧は権力者の側だけでなく左右の「野党」の側からも持ち出される。

1.5 権威主義の増長

現在の事態は、世界規模で、民衆自らが、これを空前の危機として実感し、この危機に対応することができるのは、現実に権力を握る者たち、つまり立法でも司法でもなく行政権力による迅速な行動を通じた危機回避だという感情から、既存の政権への期待が高まる。討議による法の制定を通じた政策の策定といった時間のかかる民主主義的なプロセスよりも、権力の集中と強いリーダーシップへの期待が上回る。世界規模で高揚してきた右翼ポピュリズムは、民主主義よりも権威主義と排外主義(封鎖)を待望する傾向が顕著だ。この傾向がコロナウィルスの危機で更に目に見えないかたちで浸透しているようにみえる。強いリーダーシップを端的に示す態度とは、法を超える力の行使にある。緊急事態を理由に、法の支配を否定する態度を待望する傾向が大衆のなかにもある。我々(つまり特定の国民や民族)を救い、害を齎す者たち(大抵は外部の他者)を排除せよ、という要求になる。大衆自らが危機に対応できない民主主義を見捨てる。しかし、危機に対応できないのは、民主主義なのではなく、資本と国家が社会を支配する現在のシステムそのものにあるのだが…。
 
わたしたちが考えなければならないのは、危機のなかで、社会運動、市民運動、労働運動、人権活動など様々な既存の体制に対して異議申し立てを行なう広義の意味での政治活動の自由をどのように維持すべきなのか、である。規模の大小に関係なく、政府や権力に抗う〈運動〉を人生のなかの重要な活動と位置づけて生きている人々にとって、自粛の同調圧力は〈運動〉を半ば放棄することを強いられることでもある。
 
そして、同時に重要なのは、この生存の危機のなかで、富も権力ももたない私たちが、あたかも国家や資本の指導者であるかのような役割演技をして、日本経済のが破綻を危惧したり、といった「お国」の危惧を内面化してしまうという罠を回避することだとも思う。

2 生存を保障できない資本主義

2.1 なぜ悉皆調査が不可能なのか

新型コロナウィルスのワクチンはまだ開発されていない。不顕性の感染者が多数いることも知られており、こうした感染者からの感染の拡大があることもほぼ確実と思われる。陰性か陽性かの検査は可能になっているから、理論的には、すべての人口を検査し、陽性者を陰性者と接触できないような環境を構築することができれば感染の拡大は阻止できる。しかし、こうした方法を数千万、数億という国家の人口全体に適用することは不可能であるとみなされているように思う。こうしたなかで、私たちが問う必要があるのは、なぜ不可能なのか、である。この不可能の原因はどこにあるのか。これを可能にする社会とはどのような社会なのか、である。今の社会が不可能ならば、今の社会をリセットして、私たちの生存の権利を保障できる社会を構築する以外にない。
 
自粛も同調もせず〈運動〉を継続させるが、同時に、感染症の蔓延に手を貸さず、むしろ感染症とも闘うことに繋げるにはどうしたらよいのか。この問いに答えるためには、

 

  • 集会の自粛、あるいは集会場の閉鎖のなかで、〈運動〉の討議や合意形成やどのようにして確保できるのか。
  • 憲法が保障する基本的人権、とくに自由の権利は危機のなかでどのようにして確保できるのか。
  • 〈運動〉が事実上閉塞状態に置かれるとき、社会的な矛盾はどのような形で露呈するのか。
  • 危機に対峙できる〈運動〉の再構築をどのようにすべきなのか。

といった一連の問いと向き合わなければならない。

3 感染症の政治学

3.1 中立性?

この現在実感される危機は、戦争ではなく、医学的な現象とみなされているから、それ自体政治的経済的あるいは社会的な原因を伴わないものだと理解されている。この伝染病の危機は、政治的には中立な危機のようにみえる。従って、政治的な立場やイデオロギーを超越して、人類が一丸となって取り組むべき外部の敵とみなされている。
 
私はこうした政治的中立の観点をとらない。新型コロナウィルスはそれ自体が政治的な疫病であり、この世界規模での感染拡大は、現在のグローバル資本主義の矛盾と限界と不可分なものである。ここでいう政治的な疫病の意味は、政治が感染源を意図的に生み出したということではなく、社会を統治するメカニズムが感染を阻止する上での最適の選択肢をとることができず、結果として感染の拡大を招く危険性がある、という意味である。資本主義が私たちに与える選択肢は、自らの身体の健康を市場を通じて医療サービスを買うことで維持するか、政府の医療政策・制度に委ねるかの二者択一しかない。この二つとも、私たちの身体がどうなのか、どうすべきなのかについての知る権利を生得の権利としては保障しない。医学の免許を持たない私たちは知識すら奪われ、市場と政府を通さない相互扶助の可能性はわずかしか残されていない。
そもそもの感染症それ自体は医学的な出来事だが、これに対処するための医療に関わる技術を医療体制のなかで運用する全体のメカニズムは医学に還元することはできない。政府の財政、法制度、医療関連産業などが全体としてどのように機能するのかに依存する。米国の医療産業のなかでの議論はこうした社会システムの動向を極めて率直なかたちで表わしてる。(ブログの記事参照:大手製薬会社はコロナウイルスから利益を上げる準備をしている銀行が医療企業に、コロナウイルスの重要な医薬品、医療用品の価格引き上げ圧力をかけている)

3.2 作られた医療崩壊

医療関連産業が市場経済に委ねられている結果として、私たちの健康や生命が私たちの所得と連動するようになってしまった。端的にいえば金銭的な豊かさと健康との間に不可分な比例関係が構築され、これが当たり前として通用するようになった。他方で、医療が資本の論理で機能することを強いられる結果として、最大限利潤を追及する動機によって投資が決定される。製薬会社がワクチンを開発するかどうかを決定するための最大の条件は、開発・商品化が利益にみあうかどうか、にある。社会的な危機が深化しワクチンへの需要が高まり、更に毎年繰り返し発生すると予想されるのであれば、商品化は進むだろう。市場の需給メカニズムに委ねられれば確実に価格は上昇し、特許制度や産業の寡占化は更に価格を押し上げる。世界規模の所得格差のなかで医薬品産業がいかに人命を利潤のために犠牲にしてきたか、これまでの経緯を踏まえれば、明かだろう。開発競争と市場への医薬品の供給を支えているのは人権や社会的責任ではなく資本の利潤でである。他方で、政府が医療に対して十分な財政措置を試みるかどうかは、権力の再生産過程に関わる。
 
感染の拡がりに対応しきれない医療体制は、その崩壊を危惧して必要な検査体制を抑制しているようにみえる。既存の医療体制を防衛するために、人命を犠牲にすることもやむおえないかのように論じられる。他方で、「隔離」の必要が主張され、外出することは国によっては厳しい処罰を課されさえするようになっている。隔離あるいは外出禁止を具体的なデータもなしにトップダウンで命じる政権は中国であれ欧州の民主主義を標榜する国であれ、いずれの国でも起きている。客観的で信頼できるデータがないのは、検査体制が整わないからだが、検査体制が整わないのは、検査すれば感染者の実態が表に出て、隔離せざるをえなくなり、これに医療体制が追いつかない医療崩壊が起きることが想定されるからだという。こうしてわたしたちは、医療を崩壊させないために、感染しているのかどうかの検査もされずに、放置され、陽性の不安を抱えつつ、検査されていない人々との接触の不安を抱えながら暮す。この状態を所与として、権力は、人々が相互に接触しないように隔離することが正当化される。

3.3 本来すべきことがなぜできないのか

本来なら、次のようにすべきだろう。

  • 全ての人々を検査し、陽性者を確認する。
  • 陽性者が他の人に感染させない措置を家族などに委ねず、陰性の者が通常の生活を送れるようにする。
  • 陽性者への治療を実施する。
  • 市場経済に委ねないで治療に必要なワクチンや医薬品の開発を行なう。

問題は、なぜこうしたことができないのかである。資本主義は、社会の人口がその生存に必要とするモノを市場を通じて供給するシステムに依存する。モノには社会的に必要な側面が何割かは含まれているが、これを供給する資本は社会的義務に基いてではなく、私的な利潤動機によって行動(投資)を選択する。ファストフードに含まれる添加物や健康被要因と人間の生理的な栄養摂取とが不可分な形で商品として供給されるように、モノの社会性は資本の私的な動機によって大きく歪められる。だから、社会性とは資本主義における社会性であって、決して普遍的ではない。社会性は資本なしには実現できないという特性をもたざるをえない。だから、経済活動にとって不都合な要因を市場から排除し、これを家族や親密な人間関係に委ねようとする。

 
他方で、政府は権力を最大化する動機によって行動を選択する。政府は近代社会であれば、国民国家として、民主主義による統治の正統性が担保される。権力の最大化もこの全体の権力構造の特異性に規定される。社会の人口は、国民としての人口を意味するが、この国民(このカテゴリーに含まれない人口を暗に排除する概念でもある)の生存に必要とされる社会的(国民的)な規範は、統治機構を通じて公的な正統性と強制力を獲得する。資本が利潤を最大化するように、権力は政治的な価値の最大化を目指す。
 
市場における資本利潤の最大化と政府の権力価値の最大化が、最適な生存のための手段と結果をもたらすということは証明されていない。マルクスは生産の社会的性格と所有の〈私的〉性格のあいだに資本主義の本質的な矛盾の一面をみたが、この指摘は資本主義の問題の半面であって、残るもうひとつの問題は、政治的権力に関わる。統治の社会的性格とその行使の〈私的〉性格とでも言いうるような矛盾がここにはある。(注)本来移譲することなどできない諸個人の権利を他者に移譲・委任して統治権力が占有される構造(権力から排除される構造)だ。結果として生存の権利は、資本と国家の私的な利害を迂回してのみ、その限りにおいて保障されるにすぎない。コロナウィルス対策が最適な方法で実施できないのは、経済と政治の資本主義的な矛盾の構造に直面するほどにその危機が大きくなってしまったからだ。
 
(注)ここでいう「私的」という概念は、誤解を招きやすいがああえて用いることにした。 物理的に不可能、あるいは非現実的と思われる事態が起きたときに、私たちは、対応することが不可能な困難な事態であるとみなしがちだ。しかし、本当に対応できない事態なのかどうかという問題は、社会構造との相関関係のなかで規定されることだということを忘れがちだ。近代資本主義の社会・空間の構造が、生存を支えるインフラとしての機能を超えた人口を都市に集中させている。都市への集中は、社会インフラを「節約」し、人口を効率的に管理する上で分散的な小規模コミュニティを基盤にした社会よりも効果があることは見落されがちだ。
 
今起きていることは、資本主義が構造的に抱えてきた生存の権利を保障できないシステムとしての限界が露呈されたということでもある。しかし注意しなければならないのは、こうした資本主義の限界の露呈は、資本主義の崩壊とか破綻といったシステムの終焉を招くことはないだろうということでもある。システムはいかに危機にあり機能不全に陥っていても、このシステムにとってかわる新しいシステムが登場しない限り延命しつづける。

3.4 諸権利相互の衝突:自由と生存の権利関係

資本主義は民衆の生存の権利よりも資本と国家の再生産を優先させようとする。資本と国家の再生産という迂回路を通してしか民衆の生存を維持できない。言い換えれば、民衆を国民的な<労働力>として再生産することを通じて資本と国家の再生産が実現され、この両者の実現を通じて副次的に「人間」の生存が確保される。
 
近代国民国家は、その政治的支配の正統性の前提に、近代的個人の人間としての権利の保障を掲げる。この権利には、自由、平等、生存、財産など様々な権利が列記され、あたかもこれらの諸権利が相互に両立するかのような言説によって、これら諸権利が実際には深刻な二律背反にあることを覆い隠す。戦争であれ伝染病であれ、資本と国家を危機に追い込む現象が顕著になるとき、これら諸権利相互の間には資本と国家の利害を体現した優先順位が設定されていることが露骨に示される。新型コロナの危機では、政府は、権力の再生産の観点から「国民」の「生存の保障」という言説を通じて、実際には民衆の自由の権利を抑制する。まともな検査もせずに、すべての人口を十把一絡げにして隔離し、国民の属さない人々を国外に追放することを、あたかもやむをえないかのように主張して緊急事態を正当化する。
 
生存の権利が危機的になるとき、権力が率先してこのような意味での「生存」の権利の擁護者を僭称して、唯一の生存の守護者であることを強調する。同時に、大衆のなかから、メディアの論評も含めて、危機に対処できる強いリーダーシップを求める声が高まる。民衆もメディアも法の支配の原則をかなぐりすてて、法にとらわれない強いリーダーによる支配、つまり権威による支配を待望する。こうした要求は、政権政党(国政であれ地方政府であれ)だけでなく、民主主義を標榜する野党からも右翼的な権威主義的な野党からも共通して上る。こうした挙国一致の雰囲気に支えられた社会は、人権を保障する自由と平等の実質をもつ社会となることはまずありえない。
 
議会制であれ直接民主主義であれ、あるいは草の根の合意形成の様々なスタイルであれ、人々が自由闊達な意思表示と意見交換を通じて、権力や支配に対して抵抗の行動をとり、あるいは権力を転覆させる力(暴力とは限らない)を集団として発揮することによって、資本であれ国家であれ、現に存在する権力の構造は流動化し動的な転換の可能性をもつことになる。こうした政治的な自由の空間は、社会が戦争や危機にあるときにこそ、その意味は大きい。
 
資本主義は民衆の生存も自由も保障しないシステムである。そうであるとすれば、このシステムをどのようにして解体するのか、という課題を担うことは左翼としての必要条件であることは言うまでもない。しかし、危機の時代に、生存の権利を資本と国家が保障するように要求する立場は、資本主義を解体しようとする意思に基く要求とどのように整合するのだろうか。既存の権力が危機の前で立ち往生しているとき、危機に対する資本主義的な救済に手を貸すような立場を私たちはとる必要はない。この危機のただなかにあって、私たちは、資本主義が生存の権利と自由の権利を保障するとのできないシステムであることを身をもって経験するなかで、この二つの権利と更に平等の権利を加えた諸権利を総体として実現することが可能な社会システムへの転換を模索すべきである。こうした社会の大転換は、既存の経済システム(資本と市場によるシステム)と政治システム(国家による統治システム)を与件とするのではなく、これらから相対的に自立したシステムの構築を自覚的に目指しうるような構想力を必要とする。
 
前にも述べたように、危機は資本主義の崩壊を招くことはない。危機のなかで、危機が深刻であればあるほど資本主義は、危機への耐性を身につけて回復の軌道を構築するにちがいない。これに対して資本主義という時代を歴史的な過去へと葬り去れるのは、システムが危機にあろうと繁栄を謳歌していようと、そのいずれにあっても、自由・平等・生存を保障できないシステムから決別して、資本と国家の境界を意識的に超えるところで形成される歴史上これまで存在したことのない新しい社会へと向うことを可能にする集団的で民衆的な潜勢力のみだ。

戦争で他国の人を不条理に殺すことを厭わない国々が、自国の領土で人々が死ぬことを恐れ、政治的な権利を棚上げする。

生存の権利に国境はない。コロナに怯えるなら軍隊もなくせ。人を殺す政治をやめよ。

(付記:この原稿は、3月27日の大阪、28日の京都で行なった講演の原稿の一部です)

大手製薬会社はコロナウイルスから利益を上げる準備をしている

以下の記事の飜訳です。

出典: Big Pharma Prepares to Profit From the Coronavirus
Sharon Lerner
March 14 2020, 3:46 a.m.
https://theintercept.com/2020/03/13/big-pharma-drug-pricing-coronavirus-profits/

大手製薬会社はコロナウイルスから利益を上げる準備をしている
シャロン・ラーナー

2020年3月14日

新型コロナウイルスが世界中に病気、死、そして大惨事を広めているため、経済の実害は免れない。しかし、世界的大流行の混乱の中で、1つの業界だけは生き残るだけでなく、かなりの利益を上げている。

「製薬会社はCovid-19を一生に一度のビジネスチャンスだと考えている」と、「Pharma:Greed、Lies、and the Poisoning of America(注1) 」の著者であるGerald Posnerは述べている。もちろん、世界に医薬品は必要だ。特に、新型コロナウイルスの大流行には、治療とワクチン、そして米国では検査が必要だ。数十の企業が今、これらを作るために競争している。

「全員がこのレースに参加している」とPosnerは語る。世界的な危機は「売上と利益の面で業界にとって大ヒットになる可能性がある」と述べ、「パンデミックが悪化すればするほど、最終的な利益は高くなる」と付け加えた。

医薬品で金を稼ぐ能力は、他国のような基本的な価格管理のない米国ではすでに非常に大きなもので、世界の他のどこよりも製薬会社による製品の価格設定の自由度が高くなっている。(注2) 現在の危機の間に、ロビイストの働きかけによって、パンデミックからの利益を最大化する83億ドルのコロナウイルス支出パッケージが先週議会を通過したことで、製薬メーカーは通常よりもさらに余裕があるといえよう。

当初、一部の議員は、連邦政府が公的資金を利用して開発した新型コロナウイルスのワクチンや治療による製薬会社の利益を制限しようとした。2月に、イリノイ州Jan Schakowsky下院議員その他の下院議員は 、トランプに「米国の納税者のドルで開発されたワクチンまたは治療は、アクセス可能で利用可能で手頃な価格を保証すべきだ」と訴えた。(注3)「製薬会社が価格を設定し、流通を決定する権限を与えられ、健康上の優先事項よりも利益を上げることを優先する場合」、こうした目標は達成できないだろうと述べた。

コロナウイルスの資金調達交渉がなされていたとき、3月2日、Schakowskyは保健・福祉局長官の Alex Azarに、「会社が希望する価格を請求でき、ワクチン開発費を負担した人々に売り戻すやり方で、価格設定やアクセス条件なしで排他的ライセンスを通じて、ワクチンを製造販売する権利が、独占的に製薬会社に引き渡されることは受け入れがたい」と再び書簡を書いた。(注4)

しかし、多くの共和党員は、研究と革新を抑制することを理由に、法案を業界の利益を制限するように手直しすることに反対した。そして、トランプ政権に加わる前に大手製薬会社Eli Lilly のトップ・ロビイストで米国事業の責任者を務めていたAzar(注5)は、Schakowskyの懸念を共有うると請け合いながらも、法案では、納税者のドルで開発したワクチンや薬に対して製薬会社が潜在的に法外な価格を設定することを可能にした。(注6)

支援パッケージの最終案では、薬品メーカーの知的財産権を制限する文言が省略されただけでなく、連邦政府は、以前の草案にあった公的資金で開発された治療法またはワクチンの価格が高すぎると懸念される場合何らかの措置を講じることができるとする文言が除外された。

「ロビイストたちは、知的財産条項を削除できたので、製薬会社にとっては勲章もの。パンデミックの間に彼らにこうした権力を持たせるのは言語道断だ。」とPosnerは語る。

実際、公共投資から利益を得ることも製薬業界にとっては通常のビジネスなのだ。Posnerの計算によると、1930年代以来、国立衛生研究所が約9000億ドルを研究に投入し、製薬会社がブランド薬の特許を取得していた。2010年から2016年の間に食品医薬品局によって承認されたすべての薬は、NIHを通じて税金で賄われた科学研究が関係していた。アドボカシーグループのPatients for Affordable Drugs(注7) によれば、納税者は研究に1,000億ドル以上を費やしてきた。

公的資金で開発され、民間企業の大きな収入源となった薬の中に、HIV薬AZTとノバルティスが現在475,000ドル(注8) で販売している癌治療Kymriahがある。

ポズナーは彼の本で、民間企業が公的資金で生産された薬から法外な利益を上げている別の例を指摘している。C型肝炎の治療に使用される抗ウイルス薬であるsofosbuvirは、国立衛生研究所から資金提供を受けた研究から生まれた。この薬は現在、Gilead Sciencesが所有しており、1錠あたり1,000ドルである。これは、C型肝炎の多くの人々が負担できる金額を超えている。Gilead Sciencesは、最初の3年間にこの薬から440億ドルを獲得した。

「これらの薬の利益の一部をNIHの公的研究に還元することは素晴らしいことではないか?」 とPosnerは問う。

しかし、利益は製薬会社の経営者の莫大なボーナス(注9) や消費者への薬の積極的なマーケティングに使われた。これらは、医薬品部門の収益性をさらに高めるためにも利用されている。Axiosの計算 (注10)によると、製薬会社は米国での医療総利益の63%を稼いでいる。これは、ロビー活動の成功にその一因がある。2019年、製薬業界はロビー活動に2億9500万ドル(注11)を費やした。これは米国の他のどのセクターよりもはるかに多く、これに次ぐエレクトロニクス、製造、および機器セクターのほぼ2倍であり、石油とガスの2倍をはるかに超える額をロビー活動に費やした。業界は、民主党と共和党双方の議員に対する選挙キャンペーンにも惜しみ無い寄付をしている。民主党の予備選挙を通じて、ジョー・バイデンは医療(注12)および製薬業界(注13)からの寄付受け取り額で群を抜いている。(注14)

大手製薬会社の支出は、業界を現在のパンデミックに対してうまい位置づけをしている。株式市場はトランプ政権の危機対応のまずさに反応して急落したが、新型SARS-CoV-2ウイルス関連ワクチンその他の製品に取り組む20社以上の企業の大部分がこの株価下落を免れている。2週間前にコロナウイルスワクチンの新しい候補薬の臨床試験への参加者を募集し始めたバイオテクノロジー企業Modernaの株価は、この間に急騰した。

株式市場のが大暴落した木曜日、Eli Lillyの株も、同社が新型コロナウイルスの治療法を開発に参入を検討することを発表した後、急騰した。(注15)また、潜在的な治療法にも取り組んでいるGilead Sciencesも繁栄を謳歌している。(注16) Gilead Sciencesの株価(注17) は、エボラを治療するための抗ウイルス薬のremdesivirがCovid-19の患者に投与されたというニュースのあとからすでに上昇している。今日、ウォールストリート・ジャーナルがクルーズ船で感染した少数の乗客に薬が効果をもたらしたと報じた後で、価格はさらに上昇した。

Johnson&Johnson、DiaSorin Molecular、QIAGENなどのいくつかの企業は、パンデミックに関連する取り組みのために保健福祉省から資金を受け取っていることを明らかにしたが、Eli LillyとGilead Sciencesがこのウィルスに関して政府の金を利用しているかどうかは不明だ。現在までに、HHSは補助金を受けとっている企業ののリストを公表していない。また、 ロイター(注18) によると 、トランプ政権はコロナウイルスに関する議論を機密扱いとし、機密取扱者の人物調査を受けていないスタッフをウイルスに関する議論から除外するよう保健当局に指示した。

Eli LillyとGileadの元トップロビイストは、現在ホワイトハウスのコロナウイルス・タスクフォース(注19) に参加している。AzarはEli Lillyの米国事業部長を務め、会社のロビー活動を行い、現在はthe Domestic Policy Councilのディレクターを務めるJoe GroganがGilead Sciencesのトップロビイストである。

原注
1 https://www.simonandschuster.com/books/Pharma/Gerald-Posner/9781501151897

2 https://theintercept.com/2019/12/09/brexit-american-trade-deal-boris-johnson/

3 https://schakowsky.house.gov/media/press-releases/house-democrats-demand-fair-drug-pricing-taxpayer-funded-coronavirus-vaccine-or

4 https://schakowsky.house.gov/sites/schakowsky.house.gov/files/20200302_Congresswoman%20Schakowsky%20Letter%20to%20Secretary%20Azar-page-001%20%28002%29.jpg

5 https://theintercept.com/2020/02/29/cronyism-and-conflicts-of-interest-in-trumps-coronavirus-task-force/

6 https://schakowsky.house.gov/sites/schakowsky.house.gov/files/20200228%20Azar%20re%20Coronavirus%20Vaccine%20Affordability%20Exchange%20at%20EC%20HE%20Hearing-page-001.jpg

7 https://www.patientsforaffordabledrugs.org/2019/07/23/nam-comments/

8 https://nucleusbiologics.com/resources/kymriah-vs-yescarta/

9 https://www.axios.com/health-care-ceo-pay-compensation-stock-2018-0ed2a8aa-250e-48f1-a47a-849b8ca83e24.html

10 https://www.axios.com/pharma-health-care-economy-q3-profits-53b950b2-5515-4d79-b1f5-7067bf3652d1.html

11 https://www.statista.com/statistics/257364/top-lobbying-industries-in-the-us/

12 https://theintercept.com/2019/10/25/joe-biden-super-pac/

13 https://theintercept.com/2019/11/07/joe-biden-fundraiser-sidley-austin/

14 https://www.opensecrets.org/news/2019/07/20dems-are-taking-money-healthcare/

15 https://www.bloomberg.com/news/articles/2020-03-12/eli-lilly-is-said-to-join-race-to-develop-coronavirus-treatment

16 https://www.investors.com/news/technology/stocks-to-watch-gilead-sciences-sees-relative-strength-rating-rise-to-92/

17 https://www.investors.com/news/technology/stocks-to-watch-gilead-sciences-sees-relative-strength-rating-rise-to-92/

18 https://www.reuters.com/article/us-health-coronavirus-secrecy-exclusive/exclusive-white-house-told-federal-health-agency-to-classify-coronavirus-deliberations-sources-idUSKBN20Y2LM
(訳注 新型コロナ対策会議、「機密扱い」巡るロイター報道に米当局者が反論 https://jp.reuters.com/article/usa-ronavirus-secrecy-idJPKBN2100PO)

19 https://theintercept.com/2020/02/29/cronyism-and-conflicts-of-interest-in-trumps-coronavirus-task-force/

表現の不自由展はなぜ中止されたのか

以下の「メモ」は2019年12月28日に開催された人権と報道連絡会の集会で配布したものに若干の修正を加えた。なお、「表現の不自由展再開が抱えた問題」も参照していただきたい。このメモでは簡単にしか言及されていない事にも触れている。また以下で批判の対象にしているのは、あいちトリエンナーレ検討委員会「表現の不自由展・その後」に関する調査報告書(案)」(2019年12月18日)のなかの「全体的所見」である。報告書には各委員の個別の見解なども示されているが、これについては言及していない。この報告書については津田大介による反論が公開されている。また、表現の不自由展実行委員会による意見も検討委員会のサイトに掲載されている。

Table of Contents

  • 1. なぜ展示は中止せざるをえなかったのか
    • 1.1. 構造的な背景
    • 1.2. 電凸から中止に至る経緯のなかで誰がサボったのか
    • 1.3. 推測される中止の構図
  • 2. 反知性主義
    • 2.1. インターネットとSNS
    • 2.2. 作品の意図とは
    • 2.3. 展示中止による偏見の蔓延
    • 2.4. ネット発信禁止は間違った方針だった
    • 2.5. 無視されたネット署名と公開を求める諸々の運動
    • 2.6. 検討委員会の反知性主義
  • 3. 不自由展の展示そのものへの検討委員会による悪意ある批判
    • 3.1. 業務委託はトリエンナーレ側が強いた条件だった
    • 3.2. 作品選定の責任を逃れたかったトリエンナーレ
    • 3.3. 企画断念も提言する報告書
  • 4. 資料

1 なぜ展示は中止せざるをえなかったのか

1.1 構造的な背景

不自由展の中止は、直接にはファックスによる脅迫や電凸と呼ばれる電話による嫌がらせ、誹謗中傷に対応しきれなかったというところにあることは「事実」だが、これは事実の一つの側面でしかない。

そもそも、不自由展に対して、トリエンナーレ側は、キュレーターも事務局も肯定的ではなかったと私は理解している。不自由展の意義について彼らはほぼ次にように考えていたと思われる。

  • キュレーターたちは、不自由展の作品群がトリエンナーレという国際展にふさわしいアート作品の水準にあるとは考えてなかったと思う。だから、展示に対しては消極的であり、協力しない姿勢をみせていた。
  • 事務局は、そもそも政治的社会的な内容をもち、かつ他の公立美術館などで展示できなかった作品という、それだけでリスクの大きな作品をあえて展示する「意味」を理解していたとは思えない。
  • 個人の心情(信条)として、不自由展の作品群が提起している内容に多かれ少なかれ違和感や異論をもつ者たちがいたことは事実である。
  • 出展作家たちのなかにも、作品評価という観点で、アートとしての質に疑問を抱く人たちがいたと思われる。評価できない作品だから積極的に支持するモチベーションも持てない、というわけだ。
  • 警察の対応もまた消極的なものだった。既に春の段階で、右翼対策でトリエンナーレ事務局は警察と打ち合わせを行なっている。警察側は展示内容を示されて、内容に難色を示した。県との打ち合わせで警察側は「作品内容を見る限り、天皇への不敬や慰安婦問題など、保守系団体を刺激する作品数の割合が高くバランスを欠いているように感じる。趣旨を説明したとしても、偏りがあるとなかなか理解されないような気がする。新天皇即位というタイミングや最近の日韓関係から保守系団体は、過敏に反応する可能性が高い。」と展示内容に踏み込んだコメントをしてきた。「不敬」という文言は警察が言ったのか、打ち合わせのメモを作成した県職員の言葉かわからないが、いずれにせよ公務員から「不敬」という文言が出るような環境があるという事実は重い。警察としては、こうした展示が右翼の抗議を招いたとしても自業自得と考えたかもしれず、積極的な右翼対策をとる積りがなく、トリエンナーレ側あるいは不自由展側に対処の責任を負わせたがっているような印象がある。

1.2 電凸から中止に至る経緯のなかで誰がサボったのか

右翼の攻撃は当初から予想されていたが、適切な対処を怠ったのはトリエンナーレ事務局である。不自由展を不快に思っていた事務局は、トリエンナーレを成功させつつ、不自由展だけをピンポイントで中止に追いやることを黙認したように思う。この「黙認」は意識的な行為というよりも、心理的なありかたとして、中止になってもやむおえないような状況を全力で阻止する努力を回避したつまり不作為による効果を狙ったということである。

8月始めに、右翼の攻撃の際に、不自由展実行委員会は以下のような質問をした。

  • なぜ電話対応を未熟な若い職員に委ねるのか。経験のある職員に対応させるべきだ。(答:職員の増員はできない)
  • なぜ人員や機材に対して予算を増額しないのか。(答:予算はない)
  • 県知事がトップにあるイベントでなぜ人も金も出せないのか。(出せない理由についての説明はない)

明かに右翼の妨害に対して可能な対処をする積りがない回答しか返ってこなかった。この結果として、現場の職員を疲弊させ、この疲弊を口実に展示を中止にした。つまり展示中止を正当化しうるような状況を作り出すことが暗黙のうちに組織の無意識な動機として形成されたといえる。

トリエンナーレ側も津田大介芸術監督も、京都アニメーション事件を引き合いに、中止は、ガソリンを撒くというファックスの脅迫が最大の原因となったと述べている。しかし、この経緯も不自然だ。

  • ファックスの脅迫があってから警察へに被害届けが出されるまでかなりの時間がかかっている。82日にファクスによる脅迫があり、被害届は6日になってやっと出される。展示中止は3日だから、中止の後にアリバイのようにして被害届が出された。脅迫メールへの被害届けは、更に遅く、14日である。
  • なぜ被害届が直ちに出されなかったのか。津田は「警察が受けとらなかった」と証言しているが、これは間違いか虚偽の回答だろう。国家公安委員会規則「犯罪捜査規範」第61条で定められているように、被害届の受理は警察の義務だからだ。1
  • 津田は、私たちに、ファックスであるにもかかわらず発信場所の特定ができない、と警察が言っていると伝えてきた。警察はそもそも捜査する意思がなかったあらわれなのだが、津田は、これを逆手にとって、自分の会社のスタッフがファックスの発信元をつきとめたと自慢した。津田は警察が捜査を怠ったことを怒るべきだったのだ。

1.3 推測される中止の構図

中止を電凸や脅迫に還元することはできない。もっと多くのベクトルが作用していたと思われる。

  • 通常ありうる右翼による会場への暴力的な介入はなかった。若干の口頭での嫌がらせのような言動はあったが組織的ではなかった。明かにトリエンナーレの会場を混乱させる組織的な意図をもった攻撃も皆無だった。
  • 同様に、美術館の事務局や館長室などに押しかけるなどの行動も目立ったものはなかった。
  • 周囲で街宣車が動員されて騒然となることもなかった。街宣車は僅かな数が来ていたし、路上での拡声器によるアジテーションなどはあっても、極めて限られたものだった。

私の推測にすぎないが、反対派の行動はかなりの抑制とある種の「統制」がとれていて、電凸やネットの嫌がらせも、見た目は不特定多数の自発的な行動のように見えるが、こうした行動が統制のきかないレベルにまで拡大していない。この点でSNSの拡散効果は実は思ったほど大きなものではなかったと思う。勿論、「統制」といっても、特定の組織がその構成員に対して行なうようなネット以前の大衆社会におけるような意味でのそれではない。現代の「指導者なき運動」のなかで発揮される「統制」である。

上述したように、反対行動は、トリエンナーレ本体を潰すことは意図しておらず、不自由展だけを切り離して中止に追いこむというピンポイントの攻撃を仕掛けてきたように思う。このように不自由展を中止に追い込みたいが、トリエンナーレの失敗は望まない人たちとは誰なのか。「誰」かは特定はできないが、この問題の多様な利害関係者の構図から「誰」を推測することは可能かもしれない。展示中止から再開へと動く全体の力関係はこれらが相互に関わりあうなかでのことであって、これらのクターの基本的な性格が展示再開から現在に至るまで本質的に変化していないので、将来同じような検閲が起きる可能性は否定できない。

  • 愛知県庁の官僚たち。知事は任期が負われば退任である。定年まで県庁職員として仕事し出世も目指す職員の行動の動機は知事とは同じではない。彼らはトリエンナーレの成功を望む主要な構成要素だ。しかし、不自由展の成功を望むかどうかはなんともいえない。労働組合が一貫して沈黙したことの「意味」は大きい。
  • 県庁内の派閥。どのような組織にも主流派と反主流派がいる。愛知県庁のなかにも大村派と反大村派あるいは河村市長支持派がいてもおかしくない。
  • 政治家たち。議会の自民党や保守派の議員は不自由展には反対だがトリエンナーレの成功は望んでいるだろう。
  • スポンサー企業。同様に、不自由展には反対だがトリエンナーレを文化支援の看板として利用するメリットは考えているだろう。スポンサー企業への嫌がらせや脅迫もあったと聞くが、これに対して企業側がどのような態度をとったのか、あるいは不自由展に対してトリエンナーレ側にどのような態度をとったのか、私には情報がない。
  • 名古屋市の河村市長とその流れを組むであろう人々。河村市長は明確な歴史修正主義者であり、そのスタンドプレイとメディアへの露出は、ネトウヨなどを刺激するアクターでもあった。右翼や大阪維新なども含まれる。
  • 宮内庁。天皇が絡む事件には必ず大きな関心を寄せる。大浦の「遠近を抱えて」が1986年に富山県立近代美術館で非公開となった折にも宮内庁に富山県は職員を覇権して状況を説明している。
  • 中央政府。直接間接の影響を行使したと推測できる。とくに少女像については展示を阻止する意向を愛知県に伝えていても不思議ではない。
  • キュレーターチーム。 不自由展のような問題作品を抱え込む覚悟はないし、作品の芸術的評価も低い。彼らの多くは、津田芸術監督との関係がよくなかった。その原因はいくつかありそうだ。ひとつは、キュレーターチームが推薦したアーティストを津田が認めず、津田はキュレーターチームとは別に独自にアーティストの選定を行なったようだ。表現の不自由展もその一つ。
  • 芸術監督。 あまりに大村知事を信頼しすぎ、官僚制度がどのように検閲の構造を生み出すのかについての理解がなかった。結果として、知事に裏切られることになる。(経緯は「資料」参照)
  • 検討委員会。アートの権威を代弁する者達。表現の不自由展を素人の展示だと軽蔑し、実行委員会の排除を企てる。展示中止を憲法違反ではないとみなす憲法学者も含まれる。表現の自由よりもアートの権威と利権に固執したと捉えられても致し方ないだろう。
  • 本展出展作家たち。立場は様々。検閲という事態に直面しつつ、不自由展の意義を認める者、認めない者、様々。ただしごく例外を除いて、ボイコットによる抗議という行動や裁判による解決に、日本国内からの出展者たちは否定的だった。
  • 不自由展出展作家たち。検閲に反対であるという点では、一致していたと思うが、それぞれの思いで出品したので、実はその思いや不自由展実行委員会の判断への評価も一つではない。
  • 鑑賞の権利を訴える市民たち。
  • アーティストやアートに関わる関係者たち。
  • 既存のマスメディア
  • ネットのメディア

2 反知性主義

検討委員会の報告書では、「拡大するネット環境によって社会の二極化や分断の進行が露わになるとともに、いわゆる「反知性主義」の存在が可視化された」と述べ、こうした動向への対応が今後必要になるとして、以下のように述べている。

拡大するネット環境によって社会の二極化や分断の進行が露わになるとともに、いわ ゆる「反知性主義」の存在が可視化されたのではないか。
あいちトリエンナーレが発足した当時とは比べものにならないほどにインターネッ トとSNSが普及した。これによって、目的が明確な「展示」を一般の人々から隔離する ことが不可能となったと言えよう。即ち、来場者が写真を投稿することで作品が企画者 の意図とは切り離されて注目を集める結果を招いた(いうなれば「美術館の壁が崩壊」 する結果)。こうした個人の解釈によるSNS投稿は、さらに作品の意図とは無関係な、 美術に関心のない人々を巻き込み、彼ら個人の思想・心情を訴えるために利用され、い わゆる「炎上」を招くことにつながったと言えよう。振り返ってみると、このような事 態が国際芸術展を舞台に起きたのは、はからずも、日本社会の分断と格差が進行した結 果とも言え、その可視化につながったと言える。このような社会の変容に鑑み、展示の 企画内容や展示手法については今後とも留意すべきである。

報告書のいう「反知性主義」とは誰を指すのかはっきりしない。通説といっていいホーフスタッターの定義(彼は定義すること自体の有効性に疑義も唱えているが)では「知的な生き方およびそれを代表するとされる人々にたいする憤りと疑惑である。そしてそのような生き方の価値をつねに極小化しようとする傾向である」としている。2検討委員会は、不自由展を中止に追いやった電凸の攻撃などに加担した人たちを「反知性主義」が可視化されたものとみなしていることは、ホーフスタッターの定義にも合うし、文脈上間違いない。しかし、不自由展実行委員会も検証委員会からすると、反知性主義の側に分類されているのではないかという疑いを拭えない。「知性主義」の側に不自由展実行委員会や芸術監督の津田大介をも加えているのかどうかははっきりしないからだ。一連の経緯や私自身が検討委員会の座長から直接聞いた発言などからすると、検討委員会は不自由展実行委員会もまたある種の反知性主義の属するものとみなしていたと私は判断している。というのも、不自由展実行委員会に対して、再開にあたって不自由展実行委員会を露骨に排除することも選択肢の一つとして提案するという侮辱的な振舞いを平気で行なったりしているからだ。言い換えると、不自由展実行委員会は作品を展示する側に立つ資格のないアートの門外漢であって、アーティストとしての主体になる資格のない者達だという偏見は検証委員会側にはかなり明確にあったと思う。同時に、偏見を抱く人々に共通する特徴だが、ほとんど不自由展実行委員会のメンバーが何者であるのか、これまでどのような活動をしてきた者たちなのかを知りたいとも思わなかっただろうとも思う。実はこの偏見は、不自由展実行委員会が選定した作家や作品への偏見にまで拡張されていたかもしれないとも思う。彼らの作品への無理解は再開に至る準備過程で露呈する。

2.1 インターネットとSNS

反知性主義が可視化された原因をインターネットとSNSの普及にあるとしている報告書の理解には大いに疑問がある。報告書では、「目的が明確な「展示」を一般の人々から隔離することが不可能となった」と述べているところに彼らの立ち位置が示されている。「隔離」という非常に強い排除の言葉がここで述べられていることに私は強い違和感がある。しかも「一般の人々」という言葉もまたここで使われているから、前後の文脈からすれば、インターネットやSNSを使う「一般の人々」から展示を隔離する必要があることになるが、それではいったい何のための、誰のための展示だというのだろうか。知性主義に基くごく限られたアートの貴族階級にのみ開かれた「展示」ということだろうか。日本の美術館文化のなかで天皇や皇族が観覧する悪しき伝統があることを踏まえれば、こうした人たちのための隔離されたアートであることが理想的な美術館のモデルなのだろう。

2.2 作品の意図とは

報告書では「来場者が写真を投稿することで作品が企画者の意図とは切り離されて注目を集める結果を招いた」と述べている。企画者の意図とは切り離された注目が集る現象を「美術館の壁が崩壊」したとも表現している。しかし、こうした把握は事態の本質を誤解している。

たしかに悪意をもって写真をSNSなどに投稿する者たちがいた。こうしたいわゆるネトウヨなどと呼ばれる人たちもまた、企画者の意図を彼らなりに否定的に解釈している。たとえば少女像であれば、これが韓国における「従軍慰安婦」を象徴する「像」であって日本政府や日本人の戦争責任を不当に問うものであるといったある種の理解(私とは正反対の理解)が彼らにもある。その上で、攻撃者たちは、性奴隷と呼ばれるような強制労働はなかったといった歴史修正主義やナショナリズムの感情を抱き、これが感情的な憎悪の表現となって表出する。

戦後日本の現代アートはその出発点から、作品をその意図とは切り離して脱政治化して「美」の「術」として解釈する権威たちに支配されてきた。その典型が滝口修造によるシュールレアリズムやダダの紹介だろう。海外のアートが内在させている政治性や社会性を美術館は、その解釈の権威という壁によってフィルターにかけて、政治性や社会性を脱色させることで制度として維持されてきた。その結果として図書館のように政治的な資料を提供できない制度になった。これもまた作品の意図に反するものだが、権威による解釈となれば、これこそが作品の正しい解釈だということになる。こうして戦後のアートは脱政治化を正当化されてきた。だから不自由展で展示されるような検閲が横行し、その大半が政治的な作品になってしまったのだ。

美術館を支えてきたメディア環境は美術館の権威を維持・再生産する上で好都合なものだった。アートに関する発信者たちは、アートの権威をまとった者たちだけであり、鑑賞者たち一人一人は発信する力をそもそも持ちえなかった。また、アートの権威者やマスメディアは戦争責任や天皇制に関して向きあうべき諸問題を忌避してきただけでなく、むしろある面では積極的に歴史修正主義や天皇を賛美する言説を生み出すことに加担してきた側面がある。たとえば、敬語報道であり、美術館を訪問する皇室報道であり、皇室由来の「文化財」であり、「日本文化」という虚構の物語構築などなど。こうしたメディア環境を通じて大衆的な「歴史観」や天皇イメージが構築されてきた。インターネットやそのSNSが露出させたのは、伝統的なメディア環境が戦前戦後を通じて一貫して構築してきた自民族中心主義と、その裏返しとしての異民族に対する優越意識と異民族への嫌悪の感情である。もう一度書くが、美術館がこうした自民族中心主義に隠されたレイシズムにアートの権威をまといながら加担してきた歴史があるのではないか。検討委員会はこうした自らの身を切るようなアートへの自己批判がない。このことへの反省なしに、一方的にインターネットとそのSNSを敵視する姿勢を私は断固として容認できない。

私自身は1990年代のインターネットがまだ商用化される前からのインターネットユーザであり、90年代以降は関わりへの濃淡はありながらネットにおける表現の自由と反検閲運動に関わってきた。この関わりは現在も続いている。こうしたなかで、あたかもインターネットとSNSを目の敵にする検討委員会の姿勢のなかに、「一般の人々」が作品に対して自由な意見や感想を持つことそれ自体を否定する姿勢をみるし、むしろ一般の人々の口封じをしようとやっきになっているとしか思えない没落しつつある権威主義者の狼狽ぶりを見る思いだ。「素人は口出しするな」「企画意図をねじ曲げる理解するな」というだけでなく「正しい」作品の見方を教えられるのは自分達だけだという奢りがある。しかしこうした脅しはもはや通用しないだろう。

私は、ネット上に溢れたようにみえた不自由展への誹謗中傷といえるような言説も含めて、現在の日本の「一般の人々」が自分なりに「解釈」した作品の意味を端的に示しているものだと思う。ネトウヨの作品解釈を私は肯定しないが、だからといって、学校教師のように私の解釈が唯一「正しい」としてネトウヨの解釈に落第点をつけるような無意味な態度をとろうとは思わない。美術の権威者たちは、こうした作品解釈の妥当性を唯一自分達が握ることの必要性を感じており、こうした解釈の権威なくして彼らの権威もないからなのだが、このような態度は、後に述べるように、不自由展の作品をめぐっては見事に破綻してしまった。不自由展をめぐって問われているのは、まさに政治的であること、社会的であることをアートから排除してきた権威たちのアート理解そのものの妥当性なのだと思う。

誤解を恐れずにあえて言えば、検討委員会メンバーのなかには、歴史認識や天皇をめぐる表現については、ネトウヨの感情的な表現には同調しないとしても、不自由展実行委員会よりもむしろネトウヨがとったスタンスに近い価値観をもっている者がいると私は推測している。同じことは、愛知県の行政組織のなかにもいるし、トリエンナーレのキュレーターやアーティストのなかにもいるはずだ。天皇制を支持する世論は8割を越え、歴史認識における「慰安婦」や強制連行をはじめとする植民地支配や戦争犯罪を否定する価値観をもつ「日本人」が圧倒的多数を占めている現実からすれば不思議なことではない。ネトウヨの誹謗中傷は、こうした大衆的な心理が表出したのだということを検討委員会も認めているのだが、その根源にある差別や偏見に美術館や文化行政もまた加担してきた歴史については一切自覚なく、もっぱらインターネットとSNSを槍玉にあげたわけだ。

こうしたネットやSNSへの嫌悪は、報告書の次の箇所にも示されている。

今回の展示に対する抗議が起こり、その内容を検証するうちに明らかになってきた のは、「公共」「表現の自由」という言葉の意味と内容の解釈において社会共通の理解 が希薄である、あるいは、失われつつあるということであった。先述したSNSの普及に よって、今までは意見を述べる機会を持たなかった人たちが一斉に声を上げるように なった。また、匿名の電凸もその反映と言えよう。今後、安全に国際芸術展を企画・運 営していくためには、あいちトリエンナーレの枠組みを越え、改めて「表現の自由」の 定義、「公共」とは何かについて議論し、かつ啓蒙していく必要があろう。

ここでの「啓蒙」とは、そもそもネットで匿名で発信するような人々は無知蒙昧な輩であるという偏見があり、「公共」や「表現の自由」を美術館の権威は自らの解釈によって型に嵌めようとしている。そもそも公共とか表現の自由は、この国の美術館でどれほど真剣に議論されてきただろうか。あるいは美術館が文字通りの意味での「公共」や「表現の自由」の側にたって、検閲や規制に反対してきたことがどれほどあっただろうか。付言すれば私は「公共」という概念を肯定的に用いることはしないし、すべきだとも思わない。天皇制が廃止され、国民国家もまた消滅したあかつきには、民衆の相互扶助の空間として「公共」と呼びうる実体が登場するかもしれないが、現在の制度を前提とした「公共」は擬制でしかないからだ。表現の不自由展は、美術館自身が果たしえてこなかった表現の自由の現実を展示を通じて明らかにしようとするものだった。この展示の趣旨を報告書は意図的に無視しているだけでなく、こうした表現の不自由展が提起した問いは、検討委員会のメンバーがその権威ともなっている美術館のあり方への批判なのであって、このことを理解しようとはしていない。3

2.3 展示中止による偏見の蔓延

検討委員会は上に引用したように、「個人の解釈によるSNS投稿は、さらに作品の意図とは無関係な、 美術に関心のない人々を巻き込み、彼ら個人の思想・心情を訴えるために利用され、いわゆる「炎上」を招くことにつながった」という理解をしている。ネットをめぐる俗説をそのまま踏襲するのだが、「炎上」は作品の意図に反対あるいは嫌悪を感じた人々の行動であり、意図と無関係では決してない。むしろ作品の意図を「理解」するが故に「炎上」を選択している場合があることを深刻に受け止めるべきなのだ。この場合の意図とは、作品を観たとか、作品の解説を読んだとか、「専門家」のレクチャーを受けたとかといったこととは関わりがなく、キーワードとしての「慰安婦」「天皇」が日本国内のナショナリズムの心情からみて受け入れ難いものであることからきている。反応しているのは作品ではなく、そのタイトルであっり、伝聞での「内容」である。勿論こうした反応をする人々の一部は、実際に作品を見ることで理解を変えることはあるから、作品を見ることは大切であり、この「見る」機会のなかには、ネットを通じての作品の図像や解説も含まれる。もし展示中止になり、作品に直接触れることができない場合、こうした人々が考え方を変える機会を奪うことにもなる。

私はネット上の誹謗中傷や電凸を行なった人々のほとんどが実際に作品を見ていないと確信している。作品を見る必要も感じていないと思う。すでに、彼らのなかに構築されている「慰安婦」「天皇」といった記号の意味内容と作品の意味内容とが敵対的であることが確認できればいいのだ。史実としての「慰安婦」とされた人々の現実とか天皇が犯した犯罪の事実といった問題に、文字通りの意味での事実を知ろうとする意欲が結びつくことはない。偏見研究の古典的な著作、G.W.オルポート『偏見の心理』4で彼は「偏見とは、実際の経験より以前に、あるいは実際の経験に基かないで、ある人とか物事に対してもつ好きとか嫌いとかという感情である」と述べている。重要なことは、誹謗中傷が作品を実際に経験する前に発生するか、あるいは経験に基づかないで発生している、理性ではなく感情に由来する事柄だということだ。とすれば、解決に向かうかどうか不確定とはいえ、経験の機会を与えることは偏見を払拭する上で重要な条件になる。

偏見を実現するために、偏見に基づく行為にはいくつかの段階があるとオルポートは述べている。口頭だけの「ひぼう」、嫌いな集団のメンバーを避けるような行動をとること、更に能動的になると差別的な行動をとるようになる。オルポートは次のように述べている。

差別。ここでは、偏見をもった人は、一種の能動性のある好ましくない区別をしている。その人は、当の相手の集団メンバーすべてを、ある種の職業、住居、政治的権利、教育とかレクリエーションの機械、協会、病院、その他いくつかの社会的特権からしめ出そうとしている。隔離とは、制度化された形での差別であり、法律とか共通の慣習によって強制される。」

更に偏見がひどくなると、身体的な攻撃や集団虐殺のような悲惨に事態へと進展するわけだ。上記の引用には美術館が含まれていないのだが、言うまでもなく美術館も含まれてよい。偏見に基づいて美術館から排除しようとしたのがネトウヨたちの行動だ。これに対してトリエンナーレのキュレーターたちや主催者側実行委員会は、知事も含めて、様々なレベルで無視や消極的関与、あるいは「しめ出し」を試みようとしてきた。彼らもまた偏見を抱く者たちだったということだと思う。

わかりやすい例が大村知事の少女像に対する反応だ。彼は少女像がどのような作品であるのかを理解する前に、その排除を明確に意図して津田に指示している。憲法21条を踏まえた合理的な判断を下すとすれば、排除を示唆するといった行動はとれるはずがない。むしろ作品を撤去しようとする右翼らの行動を抑制するための努力をすべきだった。反応としてはわかりにくいが――というのもその言動が公表されていないからだが――トリエンナーレのキュレーターたちもまた不自由展の作品をアートの専門家の水準で知る以前に、否定的な見解を抱いたに違いない。「知る」ことが切実に必要だと判断されたなら、不自由展実行委員会に対してコンタクトをとる努力をしたはずだが、一切そうした行動はとらなかったからだ。

偏見のわかりやすい例が電凸やネトウヨの誹謗中傷であるとすると、検討委員会もトリエンナーレ主催者側も、多かれ少なかれ「偏見」に囚われていたと見ること必要だと思う。誹謗中傷はヘイトスピーチとして道義的にも、時には法的にも容認しえないもととなるが、そうではない場合、制度のルールや社会の多数が暗黙のうちに支持を与えるような価値観を隠れ蓑にした巧妙な排除の力の方が、実は表現の自由や検閲という問題では深刻な事態を引き起す。

2.4 ネット発信禁止は間違った方針だった

検討委員会だけでなく、津田も大村知事もネットでの発信を規制することを肯定してきた。私は反対だったし、不自由展実行委員会も反対だった。反対の理由は、みな同じだったとは思わない。少なくとも、私はネットの表現の自由の運動に関わってきた者として、自ら自主規制を容認することは、自分の運動を自己否定するに等しい態度ということになる。この点で、不自由展の当初からSNSへの写真投稿禁止という張り紙を認め、私の名前もそこに表示されたことをそのままにしてきたことは、自己批判すべきことだと思っている。とても悔しい思いではあったが、もしこれを認めなければ展示はできないという津田の踏み絵の前に屈せざるをえなかった。

これに対してChim↑PomSNS投稿を認める張り紙をし、これに触発されてSNS投稿OKとするアーティストたちが出てきた。私はこうした動きを不自由展実行委員会として黙認すべきだと述べたが、むしろ電凸の攻撃材料になるので、絶対認められないという意見が強く、結果としてこのアーティストたちの張り紙を撤去するということをやるハメになった。

津田はジャーナリストであるだけでなく、ネオローグというネット関連の会社も経営する。この意味で、たぶん、不自由展実行委員会よりもずっとネット事情には詳しいのだが、その彼が最初からネトウヨへの対抗を回避していたと思う。「自分はFacebook日本法人とも付き合いがあるから、いざとなればネトウヨの攻撃は止められる」といったことを彼は口にしていたが、私にはにわかに信じがたい発言だと感じた。インターネットやSNSでどのような対抗的なメッセージを構築するかという私たちの側による情報発信が、観覧者のSNS発信禁止というルールによって削がれたと思う。ネトウヨはこのような規制を無視して発信を続けたが、良識的でルールを守らねばと思った不自由展実行委員会や展覧会に賛同してくれた人たちの発信の意欲や運動の広がりを削いでしまった。不自由展実行委員会が情報の統制をしすぎているとも感じた。ネットにおける人々の言論表現の自由を私たち自身が(いかなる理由であれ)抑制しようとしたのだ、ということと、こうした抑制がいかに言論表現の自由に対する重要な影響をもつものなのかということについて不自由展実行委員会内部ではきちんと議論できていなかったと思う。ネトウヨ対策として仕方ない、ということが共有されてしまったのだが、私が、本来であれば果さなければならなかったのは、こうした分野での問題提起だったと思う。しかし、かなり厳しい状況のなかで、ネットやSNSによる情報発信の戦略を提案しきれなかったことは反省してもし足りない思いがある。

2.5 無視されたネット署名と公開を求める諸々の運動

報告書は次にように「国内外の芸術家と市民の広範な連帯が実現し、芸術祭の新たな局面が示された」と評価している。

今回の展示の中止をめぐって社会全体の分断や対立が浮き彫りにされた一方で、芸術 家と市民の間に柔軟な対話や協働の機会が広がっていったことにも注目すべきである。 たとえば参加作家によるReFreedomAichiの活動は、スペース運営、参加型企画、署名、 コールセンター開設等へと展開した。また、そうした芸術家たちと連帯する、一部市民 やトリエンナーレボランティアの存在も確認できた。これは2010年以来のあいちトリエ ンナーレの経験の蓄積の賜物とも言えよう。また、展示再開に至ったプロセスにおいて、 こうした芸術家と市民の支えが作用したとも推測できる。危機を介しての芸術祭の成熟 (広範な連帯)を得たことは、今回の果実とも言えよう。

ここには、ネット署名運動も愛知県内の市民運動も裁判の闘いも登場しない。

ネットやSNSがネトウヨに席巻されているかの脅迫観念が誤りであることはすぐにわかることになる。それは、ネットにおけるchange.orgで開始された再開を求める署名運動だ。この運動は、ネットが個人にいかに大きな情報発信の力を与えたかを端的に示した格好の例といえる。トリエンナーレとは関わりのない一人のアーテイストが止むに止まれぬ気持で、始めたたったひとりのアクションだった。それがあっという間に2万を越える署名を集めた。他方で、ネトウヨもまた署名運動を始めるが、集めた署名はこの数に遠く及ばないものだった。徐々にネットでの情報発信の雰囲気が誹謗中傷からむしろ再開を求める雰囲気へと変化しつつあるような実感が私にはあった。現在もネット検索で「慰安婦」のキーワードで検索してもネトウヨのサイトが上位を独占するような状況にはない。

こうした変化は、いくつかの主要マスメディアが展示中止に対して批判的な論評を出し、こうした傾向に「一般の人々」もまたその理解に変化をもたらしたのかもしれない。偏見でしかみてこなかった主題に対して、ネットは、多様な考え方や議論の素材になるデータを(嘘も含めて)提供するものなのだ。

報告書の関心は、トリエンナーレに出品した作家たちの行動にある一方で、それ以外のアーティストや市民の動きにはほとんど関心を示さない。あるいは、そうした人々の行動をあえて無視することであたかも展示再開が、もっぱらトリエンナーレに関わったアーティストとキュレータたちによる努力であるかのような物語が構築された。これは全くの虚偽ではないが、極めて偏った状況認識だと思う。

先に言及したようにchange.orgの署名運動への言及はないのだが、それだけでなく再開を求める愛知県民の会の活動への言及も一切ない。県民の会は展示中止以降連日美術館前でスタンディングの抗議を続けてきた愛知県内の様々な市民運動などのネットーワク組織だ。この県民の会の活動こそが地元で唯一、市民による抗議として可視化されたアクションだった。

なぜ報告書はなぜもっぱらReFreedom Aichiを取り上げたのか。推測の域を出ないが、たぶん、検討委員会やトリエンナーレ側のキュレーターや事務局との人間関係がここには影響しているように思う。評価のスタンスは公平とはいえず、中立客観的でもない。アートの鑑賞者の側にあって公開を求める運動を担った「一般の人々」への偏見がここでも検討委員会にあるからだと思う。ネトウヨとは対極な立場にあって最も粘り強い闘いを挑んできた県民の会もまた検討委員会にとっては啓蒙すべき蒙昧な人たち、「美術に関心のない人々」としかみていない。どうせ彼らはある種の政治的な動機で「運動」をしているだけの者たちだ、という偏見である。

報告書は、反知性主義がそもそもインターネット普及以前から大衆のなかには存在していることを前提しているのだが、この不可視の反知性主義を不可視なままにしておけず、つまり「臭いものに蓋」をしたままに――むしろ「パンドラの箱」と言う方が適切かもしれない――しておくことができなくなった、これがネットの時代なのだと述べている。従来の美術館ならばこんなことは起きなかった。なぜなら反知性主義の人々は、発信力がないか、そもそもアートなどに関心はない(ハズ)だからだ、というわけだろう。アートは知性主義者の占有物というスノッブな意見が公的な文書にあからさまに登場する時代錯誤には驚かざるをえない。

また、公開を実現したもうひとつの重要な動きとして、不自由展実行委員会が起こした名古屋地裁への展示再開の仮処分についても調査報告書は全く触れていない。裁判を通じて、再開せざるをえない状況を認識して愛知県は、それまで渋っていた予算などを手当することまでやった。こうした対応や再開へ向けての具体的な動きを確実なものとして愛知県やトリエンナーレが受け入れたのは、仮処分の申し立てという法的手段なしにはありえなかったと思う。5

仮処分といった法的手段を県側は非常に嫌がっていたと思う。津田大介は、仮処分申し立ての直前に、直接不自由展実行委員会に仮処分申し立てをしないように、弁護士同伴でなかば恫喝といっていいような迫り方をしたことがあった。仮処分申し立てなどの「裁判」を権利行使のための重要な手段だという理解よりも、むしろこうした手段を忌避したいという意思の方が津田には強かったと思う。しかし、再開に必要な権力関係を客観的にみたとき、裁判所による命令を獲得できるかどうかが重要な柱のひとつになることは間違いなかった。裁判所が再開の判断を下すことができるかどうかは、形式的な法律上の問題だけでなく、再開を求める世論や関係者の意欲が重要だから、アーティストや市民の運動は必須である。仮処分の申し立てに対する県側の態度は、裁判所の対応や不自由展実行委員会側の書面を見てのことだと思うが、たぶん、「勝てない」という判断をある時点から抱いたのだろうと思う。実が仮処分の申し立てに関する裁判の資料はまだ公開されていないから、どのように裁判を闘って和解を導いたのか、という大切なプロセスが検証に付されていない。運動の側の情報公開がまだ十分ではないので、今後きちんとした評価を得ることが必要だと思う。

裁判は最終的に和解ということで裁判所の判断を待たずに再開を前提にその条件を交渉することになった。その結果、様々な妥協を迫られてしまい、展覧会当初と同じ条件での再開は果せなかった。ある種の監視体制のなかでの展示再開であり、抽選という手法により、人数が制限され、身分証明などの確認もあり、監視社会反対運動をしてきた私としては、こうした再開に抗することができなかったことも大きな反省材料だ。人数制限については県民の会が大村知事に撤回を申し入れている。しかし人数制限は、裁判を通じた和解条項にもあり、不自由展実行委員会もまた容認した再開条件のひとつであったという意味でいえば、このような制限がもたらした自由な鑑賞への制約の責任は不自由展実行委員会も負わなければならないことだと思う。

こうした裁判の経緯がありながら、それを無視して報告書は、展示中止を次のように正当化した。

不自由展は不自由展実行委員会との協議を経て開催3日を経て中止された。なお、これ は脅迫や電凸等の差し迫った危険のもとの判断でありやむを得ないものであって、表現の 自由(憲法第21)の不当な制限には当たらない。

展示中止は、憲法に違反しないというのだ。もしそうなら、なぜ愛知県は再開で不自由展実行委員会と合意したのか。なぜ仮処分申し立てで最後まで展示中止の正当性を争わなかったのか。裁判所が原告側に有利な判断を下すことははっきりしていたと思うし、そのことは県も理解していたのだ。契約などの形式的な手続きも憲法上の権利についても不自由展実行委員会側に有利な材料しかなかった。にもかかわらず、検討委員会は、裁判所の決定が出されずに和解となったことをいいことに、「表現の 自由(憲法第21)の不当な制限には当たらない」と言い放ったのだ。たぶん、これが今後の日本の美術館による検閲のスタンダードになるだろう。

しかし先に述べたように、「は脅迫や電凸等の差し迫った危険」は文字通りの「危険」とは呼べないものであり、防ぐことができない「危険」があたかも現実であるかのように振る舞うこと、つまり、美術館、警察、行政による不作為は明かであって、こうした不作為を前提として検閲を正当化するテクニックが今後流行る危険性を十分に警戒しなければならない。

2.6 検討委員会の反知性主義

検討委員会は美術に関心のない一般の人々を「反知性主義」として軽蔑した。しかし、検討委員会やトリエンナーレの主催者たちは、美術あるいはメガイベントとしての(ビジネスチャンス)としての美術にしか関心がなく、ここには政治も社会への関心がない。この意味で検討委員会こそが反知性主義そのものだと思う。

そもそも検討委員会は、不自由展実行委員会を単に検閲に反対する芸術に無関心な活動家だと高を括っていたフシがある。というのも、展示再開に向けて、検討委員会座長は、不自由展実行委員会が退いて展示をトリエンナーレのキュレーターに任せることを提案してきたときに、私は「この人はアートの世界で起きている検閲の社会的な背景がそもそも理解できていないのだな」と思った。展示された多くの作品はいずれも一筋縄ではいかない社会的歴史的な背景を負っている。裁判の資料だけでも膨大である。更に、「慰安婦」であれ強制連行された徴用工であれ、これらを理解することを数日でこなして、来場者にレクチャーするなど不可能なことだ。裁判や検閲反対運動でアーティストたちとの人間関係を築くのにも相当の年月を要してきたケースもある。このことにキュレイータや検討委員会が気づいたのはあまりにも遅く、このこと事態が、そもそも不自由展の作品が抱えてきた歴史的背景を知らなかった証拠でもある。

検討委員会もまた、ネトウヨとは別の意味で反知性主義の典型である。制度やアカデミズムによって守られた権威を知性と誤解し、アートは全て理解しえているという自信の揺らぎが、実際に作品とその文脈を突き付けられたときに、雪崩のようにして彼らを襲ったのかもしれない。とうていレクチャーも啓蒙もできるはずがないことの自覚が余りにも遅くぎる。こうして再開後は、予定されていた来場者へのレクチャーはなく、必要な説明や準備は不自由展実行委員に委ねざるをえなくなった。

3 不自由展の展示そのものへの検討委員会による悪意ある批判

報告書では「不自由展の企画と展示の妥当性」という項目を立てて、展示そのものが多くの問題をもっていたと指摘している。報告書による不自由展への批判の大半は受け入れがたいものだ。事実認識が違うところもあり、本来ならばトリエンナーレ事務局が負うべき責任を津田大介や不自由展実行委員会に負わせているところもある。

以下は、この批判のうち、限られた論点だけを扱うことにする。

3.1 業務委託はトリエンナーレ側が強いた条件だった

あまり面白そうではない議論なのだが、「業務委託」という契約の罠の問題がある。これは検閲がひとつの制度として構造化される場合のある種の典型でもある大切な問題だ。

報告書は以下にように述べている。

「展示された作品の過半が実は2015年の「不自由展」に出されなかったものだった。 それにも関わらず芸術監督は不自由展実行委員会に「展覧会内展覧会」の形式で展覧会の開催を業務委託したが、他の方式を事前に検討しなかった。」

今回の不自由展は、過去に東京で開催された不自由展の出品作品だけではなく、それ以外の検閲された作品も展示するというコンセプトだった。この点は、津田とも共有されており、「それにも関わらず」という表現は間違っている。「展覧会内展覧会」について、「他の方式を事前に検討しなかった」という批判は完全に的外れである。業務委託方式は、不自由展も津田も本意ではなかった。本来ならトリエンナーレが各出品作家と直接契約すべきだということを何度も不自由展実行委員会は主張してきたが、この要望は退けられてきた。各出品作家とトリエンナーレが直接契約することを嫌ったのは、トリエンナーレの事務局かキュレイータか、あるいは知事サイドか、私にはわからないが、いずれにせよ、不自由展はこのような面倒かつ無責任な契約は望んではいなかったにもかかわらず、こうなったのは、主催者側が業務委託を望んだからだ。

報告書では以下のようにも書いている。

芸術監督は、例えば担当のキュレーターを指名し、作家と個別に交渉し、自ら展覧会を作り上げる等の正攻法をとりえた。しかし、キュレーター会議での承認が遅れ、また不自由展の実行委員会は想像以上に頑なであり、交渉に多大な時間を要し、不自由展実行委員会に妥協して、結果的に業務委託方式をとった。

検討委員会は、狡猾だと思う。「担当のキュレーターを指名し、作家と個別に交渉し、自ら展覧会を作り上げる等の正攻法」をとったら、そもそも不自由展は不可能になったことがわかっていてこう書いている。担当キュレーターが指名できなかったのは、キュレーターが不自由展を評価していなかったからだ。再開されるまで、キュレーターたちは顔すらみせたことがなかった。再開に向けた準備が始まる頃になって、掌を返したかのようにフレンドリーになった。私も表面上はニコニコせざるをえないが、非常に不快な思いだった。なぜ彼らはこんなに心変わりできるんだろうか?

なぜ、トリエンナーレ側は、直接契約を嫌がったのか。理由は簡単なことだ。作品選定の主体になりたくなかったからだ。しかし、表現の自由の「勲章」は欲しかったからだ。

3.2 作品選定の責任を逃れたかったトリエンナーレ

過去に検閲にあい、しかも「慰安婦」とか「天皇」といった主題の作品をトリエンナーレが主催者として招待したということになれば、これらの作品の価値観を肯定することになるとトリエンナーレ側は考えたに違いない。言い換えれば、公的機関が主催する文化イベントが体現する価値観は、公的機関の「思想信条」に合致するものであるべきだ、という大前提が疑われることなく存在している、ということなのだ。更に、内容はともあれ、トリエンナーレがこれらの作品を国際展の作品にふさわしい芸術的価値のある作品と評価したことになってしまう。一般に、政治的な作品の検閲で用いられる常套手段は、芸術的な価値による評価を理由にした排除だ。表現の内容には言及せずに、技法や表現方法などの評価に絞って作品の不適格を正当化する。実は背後に作品が意図する政治的な主題への嫌悪や偏見、あるいは自身の政治的スタンスとの違いなどがあると推測されるのだが、こうしたことは口外されない。今回も、展示作品について、それが「アート」として評価できないという声が、非公式にたびたび聞かれた。

他方で、トリエンナーレ側が作品選定に一切関与せず、不自由展実行委員会にこれを委ねれば、作品を選定した責任は実行委員会にあることになり、「慰安婦」「天皇」などで生じるかもしれない問題の「元凶」にならないですむ。事実はどうだったのか。実行委員会の会議の大半は六本木にある津田の会社で行なっていた。これは津田の仕事上の都合に合わせてそうしてきた。津田も実行委員も対等に選定で意見を言ってきた。出品候補の選択については、全員の合意がとれないものは外す、ということで作業を進めた。この「全員」のなかには津田も入る。たとえば、会田誠の作品は津田が推薦したが全員の合意が得られず、展示しないことになった。大浦の新作ビデオ作品(天皇の写真が燃やされているとかで注目された作品)については、小倉が新作であることから、難色を示したが、協議の上、展示することになった。Chim↑Pomとのコンタクトの担当は津田である。だから、作品選定の事実上の責任は津田にもあるハズだが、形式上は津田は作品選定には関与していない形になっている。津田は一貫して、自分が深く関与していることを隠したがっていたと思う。芸術総監督としては、それがいいともいえるが、逆に選定の責任を負うということなら、前に出るということがあってもいいと思う。彼は形式的には作品選定に関わらないが、実質的には影響力を行使できる立場は確保したいと思ったのだろう。

こうした形になった理由は、トリエンナーレの主催者が自らの意思で少女像や「遠近を抱えて」など諸々の検閲作品を招待したということになれば、ありうるトラブルの責任を被らなければならず、それを避けたい、という意図に基くとしか解釈できない。津田の曖昧な立場も彼個人が望んだのではなく、トリエンナーレ主催者の意思のあらわれなのだと思う。

(補足説明)一般に、展覧会でアーティストに出品依頼する場合、作品を指定して依頼することもあれば、作家に制作を依頼する場合もあるので、今回は後者に類する形をとったということだから、作品の内容がわからないまま作家に依頼することがあっても問題はない。

こうして、トリエンナーレは最初からとばっちりを受けたくないという後ろ向きの姿勢で、できるかぎり起きうるトラブルの責任を不自由展実行委員会と津田に負わせるつもりだったことは間違いないと思う。しかも、こうした姿勢は管理運営上、あるいは県の政治的な立場だとすると、キュレーターたちは「トリエンナーレに出品すべきアートとして評価できない」という芸術的な価値観によって、いわば不自由展に対して消極的姿勢であることを自己正当化していたのかもしれない。

3.3 企画断念も提言する報告書

検討委員会報告書では企画そのものをそもそも断念すべきとも示唆している。

不自由展の実行委員会は、写真撮影の禁止と少女像をパネル展示に代える等の提案を早くから拒絶。その段階から芸術監督は混乱を回避するため企画を断念、あるいはキュレーターチームの協力を得て他の方法での実施を検討すべきだった。

検討委員会は少女像の何がどう問題なのか、という肝心な論点には言及しない。これは敢えて踏み込まないということだが、それにもあかかわらず「混乱を回避するため企画を断念」という選択肢が示されている。

不自由展が少女像をパネル展示にすることを拒否したのはその通りだ。なぜなら、パネルにする理由が明確には示されたことがなかったからだ。津田は「パネル展示にできませんか。」と知事サイドの意向を何度か伝えてきたことがあるが、その理由を明確に語ったことはない。最初から少女像への誹謗中傷や「慰安婦」問題に対する歴史的な事実認識を否定したがる人々に同調する感覚がなければ、こうした曖昧な提案をするはずがない。事は単純なことだ。いわゆる「慰安婦はいなかった」とするような主張が間違っているなら、間違った立場に立つべきではない。「少女像」問題は、政府が率先して歴史修正主義と戦争責任の否定によって感情的なナショナリズムを煽る元凶となっているなかでの問題だ。だから検閲されてきたわけで、こうした流れに抗うことが企画趣旨だ。しかし検討委員会の報告書は一貫して、不自由展実行委員会のかたくなさを批判する。かたくななのではない。説得力のある提案や妥協案が出されたことが一度もない。しかも、いつも津田がメッセンジャーとなっており、少女像を展示すべきでないと考えている人物が自ら不自由展実行委員会と話し合う意思を見せたこともない。この件に関する一連の経緯は「資料」を参照してください。

4 資料

大村知事は河村市長との対比で、表現の自由の守護者の態度をとっているが、そうではない。以下、津田から不自由展実行委員へのメールの一部を掲載します。

Subject: [unfreedom-AT2019:00050] 23(火)18:30〜弊社にてお願いできますでしょうか
From: TSUDA Daisuke
Date: Sun, 21 Apr 2019 12:46:35 +0900
X-Mailer: Becky! ver. 2.74.02 [ja]

お世話になります。津田です。

皆様の予定を拝見して、一番ご都合が良さそうなのが
23
(火)18:30
でした。弊社までお越しいただければ幸いです。

岩崎さんには申し訳ないのですが、後ほどご報告させていただく(&正式な事務
局との折衝はGW明けになる)ということでご勘弁いただければ幸いです。

そして、小倉さんのご指摘、ご懸念もよくわかります。今回のトリエンナーレ、
ざっくりとしたガバナンス的、上に挙げていくプロセスとしては、

実行委員長(大村知事)

愛知県県民文化部長←ここまでが県庁

愛知芸術文化センター長

愛知県美術館長←ここまで施設担当

トリエンナーレ推進室長

芸術監督(津田)

というツリーになっています。こないだ県民文化部長がこの企画に対して懸念を
持っているということで、話に行ってきました。この方は2013のときの推進室長
でトリエンナーレに関わったことでアート好きになり、こちらがやろうとしてい
ることへの理解もある方です。先日話した限りでは、理解も大きいし、やること
の意義もわかっているが立場上、「はいそうですか」とすんなり言えない、とい
う苦しい感じがにじみ出ていましたね。ただ、「発表している以上、企画を今か
らやめるというのは現実的ではないので、美術館の現場とコミュニケーションを
取りながら慎重に進めてくれ」ということは言われました。僕は現場とコミュニ
ケーションを取りながら慎重に進め(る体をつくれ)れば、それ以上の干渉をこ
の人から受けることはないと思いました。

芸術文化センター長については、推進室長から聞いたオフレコの話ですが今回の
この企画、面白いと思ってくださってるようです。とはいえ、個人的には面白い
と思うけど、大変そうだし、オフィシャルにそれを言えるかというと微妙な立場
のようです。

割と現実的な問題、壁として立ちはだかりそうなのが愛知県美術館長です。
鷹野隆大さんのときに警察と戦った村田館長は現在異動しており、南さんという
方が館長になっています。この方がかなりコンサバな方で、政治的ではないほか
の作家の展示プランに安全性が疑問がある(ほとんど実際にはないのですが)と
施設使用を拒否したりして揉めています。彼はこの企画の中身をまだ知らないの
で彼が知ったときに介入してくる可能性は非常に高いと思っています。

企画そのものに上からOK出ていても、トリエンナーレは愛知県美術館をレンタル
するという立場なので、この館長が首を縦に振らないと場所を使えない可能性が
出てきます。そうなったらそうなったで別のギャラリーなど借りて、この経緯を
「表現の不自由展」としてやればいいな、とも思いますが、別の大変さは生じる
でしょうね……。

まとめると企画に好意的、あるいは理解があるのは
大村知事、県民文化部長、芸術文化センター長、トリエンナーレ推進室長
で、彼はやり方を工夫すれば説得可能と思います。一番の難関は愛知県美術館長
と理解していただければと思います。

Subject: [unfreedom-AT2019:00048] Re: 【重要】状況が変わりました&ミーティング日程伺い
From: Toshimaru Ogura
Date: Thu, 18 Apr 2019 01:08:43 +0900 (JST)
X-Mailer: Mew version 6.8 on Emacs 25.2

小倉です。おつかれさま。返事が遅くなりました。
日程ですが、2223日は大丈夫です。参加できます。26日は、午前中なら
OK
ということでしょうか?15時からならSkype?それとも全日skypeになる
のでしょうか。できれば津田さんが実際におられた方がよいと思いますが。

>
> あいちトリエンナーレ2019の出展企画としてやる以上、各作品、各作家に関する
>
責任は負わざるを得ず、形式的であっても、芸術監督である僕と、実行委員長で
>
ある大村知事の「承認」を経たものが展示されている、という形式は崩せない
>
ようです。

以下は、実務的なことは何も書いてないので、読み飛ばして構いません。

実行委員長の承認というのは、私にはちょっと解せません。もちろん、行
政サイドにたてば、そうしたいという意向になると思います。もしかして、
美術館や博物館のキュレーションとは何なのか、ということがわかってい
ないのかもしれません。お役人は美術館の展示を行政の行事としかみれな
い場合があるので。美術館とは何なのか、そこでの表現の自由を行政はど
のように考えるのか、といったことがほとんど官僚組織では議論できない
かもしれません。

たとえば、活字メディアで編集部が経営や会社のトップと編集会議ってや
るのかなあ、と思います。むしろ編集権の独立がジャーナリズでは大切で
はないかと。同様に、図書館でも、図書の選定に、公立であれば市長や知
事が介入するべきではないと思いますし、介入しないと思う。(今のご時
世だからわかりませんが)

あるいは大学でも、教員の教育や研究について、経営側のトップが介入す
ることは学問研究の自由への侵害になりうるから、そうならないようなと
りあえずの仕掛けをつくると思います。

こうしたシステムも崩れつつありますが、だからこそ表現の自由の危機に
なってもいると思います。

つまり、一般に管理運営に責任をもつ者たちの発想や利害関係と、表現の
現場との間にはそもそも緊張関係があるわけですが、そのことを承知した
上で、現場に任せることなしには、表現の自由はありえないと思います。
どんな人格者や人柄がよくても、社会的な役割の拘束から自由にはなかな
かなれないと思います。

美術館や博物館も、他の表現の媒体などと同様に、表現の施設ですが、な
ぜか、施設の管理者が、キュレーションに干渉することがあたりまえのよ
うになっていることに、これまでも危惧してきました。この悪しき伝統が
あるなかで津田さんはかなり大変な仕事をされていると思います。

美術館の使命は、作品を通して、鑑賞者たちが、それまであたりまえと思っ
ていた常識や価値観を問い直すきっかけを与えること、つまり、考えても
らうことだと思います。わたしたちは、「考える」ための素材を提供する
わけですから、この素材の提供と「考える」こととは不可分なことで、こ
こに美術館の使命とは無関係なバイアスが入るのであれば、そもそもの枠
組みが成り立ちません。行政は往々にして、「中立性」を口にしますが、
美術館の使命は、むしろ美とか芸術の中立性とか非政治性とか、社会と無
関係な普遍的な美とか、そういったありがちな常識に対して、そんな生や
さしいものではないよ、ということを問題提起する施設であるべきだ、と
いうことが随分議論されてきたのではないかと思います。

こうしたことは、レーガン政権時代の1980年代に米国でかなり議論された
ことだったと思います。ジェンダー、セクシュアリティ、エスニシティ、
階級といった課題をアートが正面から取り上げ、これを支える公的資金
(NEA
とか)が保守派の攻撃に晒されて、とんでもなく大変な時代のなかで、
アートの表現の幅を広げてきたのは、女性や非白人のマイノリティのアー
ティストたちだったのではと思います。レーガン政権の締め付けとたたか
うなかで、Heresiesのような刺激的なフェミニストのアーティストのメディ
アが登場したり、Deep Dish TV(90年代ですが)のようなオルタナティブTV
がでてきたことを考えると、闘うことのなかでアーティストたちもまた鍛
えられたのかもしれません。(私はそんな度胸があるかわかりませんが)

鑑賞者たちが様々な価値観をもって美術館に来るように、展示をする主体
としてのキュレイターは価値中立的でありうるはずがなく、一定の価値観
を前提に、問いかけることを、作品の展示というある種の編集作業で行な
うのだろうと思います。編集である以上、その自立性はとても大切だと思
うのです。この点を管理運営側にきちんと理解してもらうことが大切だと
思います。

長くなりすいません。こんなことを考えました。小倉

===============================
From: TSUDA Daisuke
Date: Fri, 14 Jun 2019 00:51:04 +0900
X-Mailer: Becky! ver. 2.74.02 [ja]

津田です。

先ほど岡本さんには電話で話したのですが館長、芸文センター長、県民文化部長
と「表現の不自由展・その後」の企画を通していった最後に大村県知事がいるわ
けですが、先日ついに知事にトリエンナーレ推進室から知事にレクをしたそうで
す。

結論から言うと大村知事は

・「表現の不自由展・その後」の企画趣旨は面白いと思っており、やる意義も
大きい企画と評価している

・他方で「慰安婦像」の作品については、右翼を刺激することは間違いなく、
街宣車がやってくるだろうと。街宣車が来ると、せっかくの祝祭的なイベントの
雰囲気が壊されてしまう懸念がある

・街宣車だけでなく、会場で暴れる右翼が出てきてお客さんにリスクが生じる
事態はなるべく避けたい

・表現の自由は大事な権利であるし、展覧会の意義もわかる。基本的に自分と
県はトリエンナーレについて「金は出すが口は出さない」というスタンス。
内容に介入したいわけではないが、一方でイベントの最終責任者としては、
安全を確保しなければならない

・慰安婦像が展示拒否されたことを問題提起するのは構わない。だが、無用な
トラブルを避けるためにも実物は置かずに資料展示だけにしてもらえるとありが
たい

・また、トラブルを避けるという意味では、写真撮影を自由にするのもやめて
もらえるとありがたい

ということでした。委員5人と僕が最初に話し合ったときに僕が示したスタンス
と非常に近いですね。一方僕はここまで来た以上、慰安婦像は実物を展示する
べきであると思っています。しかし、県としてもこのままGOするのは難しい
という状況です。実は来週20日の夜、大村知事から会食に誘われてまして、
おそらくそのときに、この話をすることになると思います。

ですので、委員の皆様には19日までに委員会としての統一見解を決めていただき、
僕に教えていただければ。

大村知事の話はあくまで「お願い」ベースなので、このまま強行突破しようと
思えばできると思います。しかし、その場合僕らが抱えるリスクもかなり甚大に
なるとも思いますし、嫌韓感情がかつてないほど高まっているいま、2015年以上
に、暴力や悪意にさらされる可能性は高まってると感じます。それを踏まえて、
委員会(と芸術監督である僕)が取り得る選択肢は下記の6つかなと思います。

����いま決めている方針でそのまま最後まで突っ走る

����2つの慰安婦像はそのまま会場に展示するが「表現の不自由展・その後」エリ
アの撮影を禁止する

����慰安婦像をミニチュアだけにする

����6/29の発表会をやめ、会期が始まるまで一切誰のどの作品が出展するのか内容
を発表することをやめる(ウェブサイトもつくらない)

����2つの慰安婦像の展示を資料展示にする

����「表現の不自由展・その後」を中止する

先に僕の考えを述べておくと、����がいいのではと思います。表現の不自由をテー
マにしているのに、なぜ写真を撮影できないのだ、それこそが検閲じゃないかと
いう批判も出てくるでしょうが、これについては、冷静に議論すべきセンシティ
ブな題材だからこそ、ネットの情報で表面だけを舐めるのではなく、「現物」を
見て議論してもらう必要があるため、撮影禁止にした、という「理由」を説明
できると思います。表現の自由と人命という難しい天秤にかけられた状態で、
リスクを減らすためにやむを得ない措置として行った、という言い方もできる
でしょう。

判治室長は「なにか知事に対して“おみやげ”がほしい」と言いました。
慰安婦像を展示することが委員会にとって譲れないラインなのだとしても、
何らかの「妥協」を示した方が建設的な方向に向かうと思います。

「おみやげ」として、展示エリアを「撮影禁止」とし、警備は十分強化するから
展示内容はそのまま行かせてほしい、という方向で皆さんの合意が取れれば、
それで大村知事と直接交渉しようと思います。こちらも妥協する姿勢を見せたの
だから、向こうにも妥協してもらう、ということですね。

19日まではまだ日にちがあります。直接全員会って議論というのは無理でしょう
から、MLでぜひ議論していただければ幸いです。

=================
Subject: [unfreedom-AT2019:00118] 知事説得できました
From: TSUDA Daisuke
Date: Fri, 21 Jun 2019 07:20:24 +0900
X-Mailer: Becky! ver. 2.74.02 [ja]

お世話になります。津田です。

昨日、18時から知事と会食が始まり当初は2時間の予定だったのですが、大幅に
時間が延び、23時過ぎまで話していました。

結論から言いますと、このままの企画で進めることにOKをもらえました。
「俺はトリエンナーレについては金は出すが口は出さない」ということを
10
回以上しゃべっていたので、大丈夫だろうと。企画趣旨と、写真を撮影OK
することの意味についてもご理解いただけたと思います。また、告知を前日に
変更したことも説得の材料になりました。

口を出したり、何かをやめさせるということはしないが、街宣車が来てイベント
(オープニング当初はコスプレサミットと重なっています)とバッティングする
こと、展示場所の混乱だけ懸念されていました。これについては随時対応を行い、
状況を報告するということを伝えました。

晴れて実行委員長のOKも出たので、展示を実現するという点では大きく前進した
と思います。契約書を変更してこちらの責任を限定する件も非公式ですが事務局
とは調整していて、大筋受けてもらえそうです。

保険内容が気になるのは理解できますが、ヤマトの保険で大きく問題になるよう
なことはないと思います。発送の業務もあるので、できれば週明けまで引っ張ら
ず今日決着を付けたいと思うのですがいかがでしょうか>岡本さん

==================
Subject: [unfreedom-AT2019:00139] 【緊急】県民文化局長から呼び出しを食らいました
From: TSUDA Daisuke
Date: Sat, 06 Jul 2019 15:48:59 +0900
X-Mailer: Becky! ver. 2.74.02 [ja]

津田です。

昨日午後、名古屋にいたところ急遽愛知県県民文化局長から呼び出しを食らいま
した。

長いミーティングだったので要点を言いますと、知事的には「少女像は街宣車を
呼び込むし、撮影自由だとどんなトラブルに発展するかわからないので何とかし
てほしい」という意向があり、それを文化局長的には解決しないといけない、
という意向を伝えられました(本件、直接の担当者でもある岡本さんには急ぎ
内容は共有してあります)。

こないだの会談で「金は出すが口は出さない」を10回以上聞き、かつこの話も
出た際に懸念事項は理解したので、十分留意して進めるという話をして、合意が
取れたと思っていたのですが、局長的には「あれは酒席のことだから」と。

ここにきてのちゃぶ台返しは困ったな、というのが正直なところなのですが、
会談そのものでは結論は出せず、以下のようなことを伝え、知事にも共有して
もらうことになりました。

「中止がやむを得ないのであれば、誰がどう言ったかを展示することになりま
す。検閲をしたという事実が提示されますが、それは知事もご了解いただける話
なのでしょうか」

「僕も立場上、それに対するステートメントを出すことになる」

「少女像がここ日本においては人々の感情を煽る、非常に厄介で政治的なモチーフ
だという認識は自分にもあるし、県をあげてのお祭りにトラブルを持ち込まれる
ことに対して管理者として懸念を持つ気持ちはわかるが、同時に表現の自由は人
権や民主主義にとって大変重要な概念でもある。間に立って調整するよう努める
が、僕と委員会にも譲れない一線はあるのでそこは理解してくれ」

知事と県側の要求としては細かくあるのですが、主に2つの点に集約されます

①少女像の展示はやめてくれ

②「表現の不自由展・その後」展示スペースの撮影を禁止にしてくれ

①については、委員会としてそれが飲めないことは僕も重々承知しています。展
覧会の根幹のコンセプトに関わることでしょうから。これが認められないのなら
ば、展覧会そのものは中止にして、スペースはがらんどうにして、展示中止になっ
た経緯を全部壁に書くということをするしかないでしょうね。

②については、少女像を展示した上で事務局の要望を汲むやり方として、前回の
ミーティングでフォトスポットを2カ所指定する、という落とし所を提案させて
いただきました。ただ、これについて昨日岡本さんとも話したのですが、県は
SNS
に投稿して炎上されることを恐れているので、「フォトスポット指定」では
なく、「展示空間の撮影は自由だが、SNS投稿は禁止」という妥協案が考えられ
るのではないか、と思いました。そもそも少女像は一緒に撮影することまで込み
での作品ですし、撮影までは個人の権利(私的複製)として奪うことはできない
が、それをSNSに投稿するのは作家の権利侵害(著作権侵害・送信可能化権)に
なるので禁止するというのは、法的にも整合性は取れると思います。もちろん、
実質的には炎上対策であり、ほかはOKなのにここだけなぜ、という指摘は入る
かもしれませんが、「現場に来て実物を見て、その上で議論してもらいたい」と
いう展覧会のコンセプトと、SNS投稿禁止はなじむのではないかと思います。

なので、これらを踏まえて、県や知事とどう交渉するのか、5人の間で方針を
示していただければ幸いです。

僕としては「像は展示して、撮影もOK、ただしSNS投稿は禁止する旨を(委員会
名義ではなく愛知県の)ステートメントして出す」(トラブルなく展示が行われ
るようなら、会期途中でのそのステートメント撤去も込みで考える)ということ
が現状のプランを実現しつつ、向こうにも譲歩の姿勢を示す最適解かな、と思っ
ています。

いずれにせよ、開幕まで時間がないため、決裂した場合の準備と、譲歩するライ
ンをどこに置くのかということは早く決めたいです。急かすようで申し訳ありま
せんが、この週末に方向性を示していただければ幸いです。

==========================
Subject: [unfreedom-AT2019:00159] 【重要&緊急】知事から要望(宿題)が2つ来ました
From: TSUDA Daisuke
Date: Fri, 12 Jul 2019 03:02:05 +0900
X-Mailer: Becky! ver. 2.74.02 [ja]

お世話になります。津田です。

今日、トリエンナーレ推進室の判治室長と朝日主幹が知事レクに行き、表現の不
自由展・その後について話をしてきました。

大村知事としては、下記の2点について対応することを2人への「宿題」とした
そうです。

①SNS投稿禁止を大きく表示し、それを委員会との合意事項にする
知事としては、写真撮影OKは認める代わりにSNS投稿は禁止にし、表現の不自由
展・その後の入口にある「ごあいさつ」のパネルの横に「同じ大きさ」で、
SNS
投稿を禁止する旨のパネルを用意し、そのパネルにあいちトリエンナーレ実
行委員会と、僕、表現の不自由展実行委員会の三者を「連名」で表示することを
求めたそうです。知事としては、このSNS投稿のパネルに実行委員会や県の名前
だけが出ると、県が自らの事情で投稿を制限したように見えるため、それを嫌っ
た――三者が合意して、このSNS投稿方針を定めたように見せたいということな
のでしょう(実際に県だけがそれを求めているわけですが……)。判治さんと朝
日さんに、表現の不自由展実行委員会も連名することは強く求めたそうなので、
注意書きパネルからクレジットをなくす、という選択肢は採れなさそうです。

②投稿禁止の旨があっても写真をSNSに投稿するユーザーが出てきたときの対策
禁止の旨があってもSNSに上げるユーザーは出てくるので、それが出てきたとき
にすみやかに投稿の削除依頼を行える環境をつくってほしいとのことでした。
これは僕がツイッタージャパンやFacebookLINEなどに直接の知り合いがいるの
で、そこに話を通して事務局とつなぐ、という形をつくろうと思います。
これについては僕マターで何とかします。

僕としては、このことをポジティブに捉えています。この2つをクリアすれば
展示がGOできる、と思ったからです。委員会の皆さんは、SNS投稿を禁止する
パネルに連名で名前を連ねたくない(そもそもそれを希望していない)という
思いはあるでしょうが、少なくとも僕はディレクターとしてここに自分の名前が
載ることは問題ないと考えています。表現の自由を守りたいという思いも強くあ
りますが、同時にトラブルやけが人なくトリエンナーレを終えなければいけない
という責任を背負っているからです。このパネルをつくるのは、ほとんど県職員
や知事の顔を立てるという作業だと思いますが、これによって余計なトラブルを
回避できる可能性が高まるでしょうし、このことで本来行いたかった展示を行え
るのであれば、この方向性で進めたいと思っています。

添付ファイルは、あいさつパネルと横に置くパネルのイメージです。文面は、
中村さんが普段使っているものを多少アレンジして僕が適当につくりました。
デザインがあまりにもできてない(SNS投稿禁止ではなく、SNSへの写真投稿禁止
にしないといけません)といった部分もあるので、公式デザイナーにきちんと
デザインされたパネルを作ってもらおうと思ってます。

アライさんが当初少女像をどうするかの議論をしていたときに、「少女像をあえ
て置かないことで、不在を意識させるという展示が、美術ではできる」といった
趣旨のお話をされていたかと思いますが、このSNS投稿禁止も同様の問題提起が
できるのではないかと思います。あくまで写真のSNS投稿禁止であって、言及す
るツイートに関しては禁止していないというのもポイントかと思います。写真だ
けがツイートできない、ということで、この問題を巡る複雑さを来場者に体感し
てもらい、その問題提起をトークイベントで議論すればいいのではないかと思い
ます。ぶっちゃけ、この知事や県上層部とのやりとりは、会期終了近くにやるイ
ベントで全部暴露すればいいと思っています。

それを踏まえて委員会の皆さんにお伺いしたいのは下記2点です。

●SNS写真投稿禁止パネルにあいちトリエンナーレ実行委員会と僕と連名で
表現の不自由展実行委員会を連名で記載していいか(その場合、委員会だけにす
るか、5人の個人名も載せるか? 左のごあいさつパネルに個人名書かれてるから
委員会だけでいい気もします)

●上記パネルに委員会の名前を載せる場合の文面は添付のものでいいか?

実はあまり時間がありません。判治さん朝日さんは来週火曜日にパネル案を知事
に持っていかなければならないそうで今週末には結論を出していただきたいです。

表現の不自由展実行委員会が来場者に「表現の不自由」を強いることは受け入れ
がたいと思われる人もいるかもしれませんが、写真撮影は禁止していませんし、
写真を含まないツイートの発信(批評)は禁止していません。通常公立美術館で
は成立し得なくなっている慰安婦像や慰安婦の写真などの展示の実現という貴重
な機会と、委員会としての理念を天秤にかける形になってしまうことは申し訳な
いと思いますが、それでもなんとかここまでこぎつけたという思いもあります。
ぜひ前者を選んでいただき、物事を前に進めたいと思っています。

というか、これが無理ということになると、僕は上を説得するための材料がほぼ
なくなるなと……。

もちろん、煮え湯を飲んでいただいて、またあとでちゃぶ台返しがあるなんてこ
とも可能性としてはあるでしょうし、これで確実に大丈夫です!と言えないこと
が僕としても辛いのですが、もしここから先、ひどいことになったらすべてメディ
アで話す、という方向でやればいいんじゃないのかな、と。

OKの場合、デザイナーにパネルの発注(パネル上部のピクトグラム新たにつくっ
てもらうこと)もしなければならないため、できれば13日(土)くらいまでに結
論を出してもらえると大変ありがたいです。

Footnotes:

1

61条第1項 警察官は、犯罪による被害の届出をする者があつたときは、その届出に係る事件が管轄区域の事件であるかどうかを問わず、これを受理しなければならない。
2
前項の届出が口頭によるものであるときは、被害届(別記様式第六号)に記入を求め又は警察官が代書するものとする。この場合において、参考人供述調書を作成したときは、被害届の作成を省略することができる。

2

リチャード・ホーフスタッター『アメリカの反知性主義』田村哲夫訳、みすず書房。

3

インターネットやSNSがもたらした重要な意義は、誰もが情報発信の主体になれるということだ。メディアの特権は揺らぎ、政府の一方的な広報もまた相対化される。右翼がネットに対して強い影響力をもっているのは事実だが、これは左翼がネットにおける情報発信の戦略を効果的に展開できなかったからだ。その理由は、伝統的な左翼もまたネットのもつ個人の情報発信の力に対して、その意義を理解しそこねた結果だと思う。運動論や組織論を根底から再構築すべき問題だと理解できずにきたのだが、これは日本の場合、左翼反政府運動が世代交代に失敗したこととも関わる問題だろう。

4

原谷達夫、野村昭訳、培風館、1968

5

津田やアーティストたちも含めて「裁判沙汰」を嫌っていたと思う。津田は私に対して、裁判を取り下げるように圧力をかけてきたことがある。詳細は拙稿「表現の不自由展再開が抱えて問題」『季刊ピープルズプラン』86号参照。

Date: 2019/12/28

Author: 小倉利丸

Created: 2019-12-28 00:11

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G20批判

Table of Contents

  • 1 はじめに
    • 1.1 G20とは何なのか―外務省の解説
    • 1.2 変質しつつあるG20
  • 2 G20と国際関係 経済の政治学
    • 2.1 ポスト冷戦の資本主義が抱え込んだ危機
    • 2.2 グローバル資本主義の基軸変動によるG20の変質
    • 2.3 G20大阪の議題
  • 3 G20の何が「問題」なのか
    • 3.1 市場と制度の相克
    • 3.2 資本に法制定権力がないという問題
    • 3.3 市場のルールの覇権の揺らぎ
  • 4 G7、G20と対抗する民衆運動
    • 4.1 オルタ/反グローバリゼーションをめぐる運動
      • 4.1.1 運動の多様性と限界
      • 4.1.2 伝統主義というオルタナティブ
    • 4.2 植民地からの独立、ケインズ主義、新自由主義、どれも不平等を解決してこなかった。
      • 4.2.1 現代にも続く「本源的蓄積」過程
      • 4.2.2 グローバルな格差は解決できていない
    • 4.3 メガイベントとしてのG20
  • 5 移民をめぐって
    • 5.1 民衆という主体の不在
    • 5.2 〈労働力〉とはナショナルなものとして構築され、資本は越境する〈労働力〉の流れを生む
    • 5.3 文化的同化
  • 6 情報通信インフラの国際標準をめぐるヘゲモニーと私達の「自由」の権利
    • 6.1 収斂技術としてのコンピュータテクノロジー
    • 6.2 自由の社会的基盤としてのコミュニケーション環境
  • 7 「テロ対策」名目の治安監視と超法規的な 市民的自由の剥奪―それでも闘う民衆たち
    • 7.1 異常な規模の治安対策予算
    • 7.2 トロントの場合
    • 7.3 治安監視の国際ネットワーク:スノーデンファイル
  • 8 おわりに:シンボリックな外交儀礼とナショナリズムだとしても、だからこそ…
  • 9 (補遺)簡単な年表

1 はじめに

1.1 G20とは何なのか―外務省の解説

外務省のウエッブでは次のように説明している。 https://www.mofa.go.jp/mofaj/ecm/ec/page25_001040.html

リーマン・ショック(2008年19月)を契機に発生した経済・金融危機に対処するため、2008年11月、主要先進国・新興国の首脳が参画するフォーラムとして、従来のG20財務大臣・中央銀行総裁会議を首脳級に格上げし、ワシントンDCで第1回サミットが開催。以降、2010年まではほぼ半年毎に、2011年以降は年1回開催。

参加国は、G7(仏,米,英,独,日,伊,加,欧州連合(EU)のほかに、アルゼンチン、豪、ブラジル、中、印、インドネシア、メキシコ、韓、露、サウジアラビア、南アフリカ、トルコ(アルファベット順) メンバー国以外に招待国や国際機関などが参加

その特徴として、

G20サミットは,加盟国のGDPが世界の約8割以上を占めるなど、「国際経済協調の第一のフォーラム」(Premier Forum for International Economic Cooperation:2009年9月のピッツバーグ・サミットで合意・定例化)として、経済分野において大きな影響力を有している。

1.2 変質しつつあるG20

G20の当初の主要課題は、グローバルな金融危機が体制的な危機へと転化することを阻止することだった。グローバル資本主義のヘゲモニーをG7中心として、G20にその影響力を拡大しつつ、途上国を含むグローバルな政治経済秩序を維持することが目論まれた。

米国をはじめとして各国政府も大企業も、リーマンショックを招いた企業や金融制度の責任をとるどころか、むしろ政府は、破綻に瀕した金融資本や金融システム救済のために莫大な公的資金を投入する一方で、緊縮財政政策を採用ことによって、人々の生存権を支えてきた福祉、社会保障、教育などの公的サービス1を削減する方向をとり、更に公共サービス部門を益々市場に統合することで資本の投資機会を拡大してきた。こうした方向をG20は、非公式な国際的な枠組みで合意しつつ、この外圧を利用して国内の政策を強行した。その結果として、資本蓄積の基盤を貧困層の切り捨てが進んだ。

しかし、経済の欧米諸国による影響力は相対的に低下し、中国を中心とする新たな世界秩序が形成されつつあるなかで、G20の性格も変質する。グローバル資本主義の基軸が欧米中心に構築されてきた「西欧近代」という枠組みからずれ、経済的な下部構造は資本主義ではあっても、その統治機構や意思決定、文化的な社会的な規範や価値観は、欧米のそれとは異なるだけでなく、欧米が構築してlきた規範とは異なる規範が対置されるようになる。

この構図がG20の当初のものだとすると、その後の世界情勢は狭義の意味でのグローバル資本主義の土台(下部構造)の維持というレベルでは収拾できない状況をまねいた。それが、アラブの春からオキュパイ運動への流れとともに急速に台頭してきたイスラーム原理主義と欧米極右の「主流」化である。日本の安倍政権はこの傾向を先取りする政権でもあった。

2 G20と国際関係 経済の政治学

2.1 ポスト冷戦の資本主義が抱え込んだ危機

G20の設立そのものが、グローバル資本主義の脆弱性を端的に物語っていた。G7/8は、ベトナム戦争の敗北と石油危機、第三世界における社会主義国家の伸長といった事態のなかで、戦後国際経済秩序の主導権を先進国が維持するための枠組だった。ここでは、資本主義的な自由主義を表向きの共通の価値観に据えて、社会主義と国連の経済ガバナンスを抑えこむ役割を担った。

G7/8とIMF、世銀、WTOは、ポスト冷戦のなかで、社会主義ブロックが崩壊したにもかかわらず、世界規模の反対運動にみまわれつづけた。20世紀の権威主義的な社会主義(あるいは社会主義と呼ぶべきかどうかの論争があることからすれば、何と呼ぶべきか)とは一線を画した民衆運動の草の根のなかで、既存の支配的な経済秩序へのオルタナティブへの模索は続いた。

リーマン・ショックは、1929年の世界大恐慌や1970年代の二度の石油危機などの大きな危機にはない特徴があった。かつての危機は、社会主義という対抗的な勢力が無視できない力を発揮していた時代であったのに対して、リーマン・ショックは、社会主義の敗北=資本主義の勝利という公式イデオロギーのもとで起き。しかも、G7/8の枠組みでは収拾できないようなグローバルな金融システムの構造を抱えていたことを示していた。

第二に、G7/8とダボス会議を車の両輪として、IMF、世銀、WTOといった国際経済機関による国際経済秩序の主導権を維持して、国連による公的なグローバルガバナンスを抑えこむという構造が、十分機能しなくなったことも示していた。この意味でG20の存在が注目されること自体が、欧米(+日本)を基軸とする戦後のグローバル資本主義の危機を体現している。

経済や金融の問題は、財やサービスの生産や貿易、あるいは通貨や金融商品の取引などから各国の財政まで、幅広いが、こうした問題を扱う主流の経済学や政治学が脇に追い遣っているのが、社会(地域コミュニティから国民国家の枠組み、そしてグローバルな「社会」まで)を構成しているのは人間なのだ、という当たり前の事実である。常に関心の中心にあるのは、産業資本による生産であり、金融市場のマネーゲームであり、政府の債務と財政問題であり、政府間関係としてのみ論じられる国際関係である。<労働力>としての人間も社会保障や公共サービスも、彼等にとっては節約すべきコストでしかない。

国際政治や外交が対象にする課題では、一般に、「アクター」とみなされるのは、国家を代表するとされる人格、「首脳」とか大臣や高級官僚たちである。また、経済においても、「市場」があたかも一個の人格であるかのようにみなされ、「市場」を体現する「アクター」もまた、大企業、あるいは多国籍企業の経営者たちである。

国家、市場、資本といった制度の人格的な表現としての「首脳」や「経営者」たちは、言うまでもなく、民衆の利害を代表するものではない。国際政治や国際経済の理論的な枠組そのものが、実は、民主主義や民衆を意思決定の主体とするような理論になっておらず、こうした権威主義的な理論を前提にして、政治や経済の政策が正当化されている。

2.2 グローバル資本主義の基軸変動によるG20の変質

上述のように、G20は、経済金融危機への対応から始まったが、むしろ現状は、グローバル資本主義の基軸国が欧米から中国をはじめとする新興国へとシフトし、戦後の国際経済覇権を支えてきたゲームのルールが揺らぎはじめているなかで、その役割は大きく変質した。

変質は幾つかの複合的な要因からなる。たとえば、

  • 中国など非欧米諸国の台頭
  • 新自由主義政策の結果としての国内外の格差拡大が国境を越える出稼ぎ労働者や移民を大量に排出(東ヨーロッパ、南ヨードッパから西ヨーロッパへ、中南米から北米へ)
  • 情報コミュニケーションテクノロジーが「成長」を牽引する位置に
  • 気候変動の深刻化
  • 中東やアフリカなどでの戦争と、その結果としての大量の難民
  • 宗教原理主義とナショナリズム(自国第一主義)に基づくポピュリズムの台頭(極右の主流化)
  • 社会主義ブロックを後ろ盾にしない、反権威主義的な広い意味での左翼大衆運動(階級+ジェンダー+エスニシティ+エコロジー+対抗文化)

こうした課題をG20という枠組みの会合によって効果的に「処理」できるとは思えない。日本政府はG20を「国際経済協調の第一のフォーラム」と評価するが、実態は、むしろ世界のGDPの8割を占める諸国が相互に合従連衡を繰り返して覇権を争奪する場になっており、協調どころかむしろ政治的経済的な不安定から更に危機的な敵対関係へと転換しかねない危うい場所になっている。

2.3 G20大阪の議題

日本政府にとってG20の大阪会合とは何なのか。今通常国会で外務省大臣官房審議官、塚田玉樹政府参考人は以下のように答弁している。

六月のG20大阪サミットにおきましては、主催国として、世界経済の持続的な成長に向けたリーダーシップを発揮していきたいというふうに考えております。

貿易におきましては、グローバル化によるさまざまな不安や不満、こういったものに向き合いまして、公正なルールを打ち立てるということで自由貿易を推進していく所存でございます。また、データガバナンス、電子商取引に焦点を当てる大阪トラックの開始を提案しまして、WTO改革に新風を吹き込みたいというふうに考えてございます。

また、それ以外でも、女性のエンパワーメントですとか、あるいはジェンダーの平等、気候変動、海洋プラスチックごみ対策、質の高いインフラ投資、国際保健、こういったテーマを取り上げまして、国際社会における取組をリードしていきたいというふうに考えております。(衆議院外務委員会 外務委員会 2019年、04月12日 )

また、麻生財務大臣は次のように多国籍企業への課税強化を強調している。

BEPSと称するベーシック・エロージョン・プロフィット・シフティング、略してBEPSと略すんですけれども、まあ早い話が課税限度額の低いところに法人格を移す、個人の居住地域を移した形にする等々、いろいろ手口はあるんですけれども、そういったものによってかなりなものが起きているのではないか。

(略)GAFAとよく言われる話がその最たるものなのかもしれませんが、これに限らずほかにもいろいろありますので、そういったものに関してはきちんとすべきだと。六年前に日本が主張してこれは始まって、今まで約丸六年ぐらい掛かったことになりますけれども、おかげさまで、少なくとも来週からIMF等々でこの話を、もう一回OECDも含めてこの話をワシントンでする形になって少し形が見えてきて、今、ヨーロッパ方式、アメリカ方式、いろいろ各国出してきましたので、それまではもう俺たちは関係ないという感じで逃げていたのが全部出してきましたので、一応そういったものになりましたので、六月の、そうですね、G20の財務大臣・中央銀行総裁会議をやらせていただきますけど、そのときまでにはかなりのものができ上がるというところまで行かせたいと思っております

こうした議題への解決を、G20に期待することは、二つの意味で間違っている。

ひとつは、これらの議題は、各国の国内政治上のプロパガンダであって、その実効性を担保するものは、ないに等しい。第二に、首脳たちの非公式の話し合いによって「解決」するという国際政治のスタイルは、意思決定のプロセスのどこにも民主主義は存在しない。だから、あたかも「市民社会」へのアウトリーチを演出するために、民間団体などをG20のプロセスに包摂しようとしている。しかし、どの団体であっても、公正な代表としての権限が与えられうるものではない。政府がそうした「代表」にお墨付きを与えるのであれば、もはや「市民社会」は政府や市場から自立した第3の対抗勢力にはなりえないだろう。

3 G20の何が「問題」なのか

3.1 市場と制度の相克

上述した意味とは別の意味で、G20あるいはG7/8といった非公式の首脳会合については、その影響力が果して政府やメディアが宣伝するほど大きなものかどうか、グローバル資本主義を肯定する立場からも疑問視する考え方がありうる。たとえば、

  • もし、世界経済の主要な動向が、市場経済によって規定され、市場経済が越境的で国家をしのぐ経済力を駆使する多国籍企業によって支配されているとすれば、首脳が集まって会議することで市場経済の動向が左右されるようなことがどうして起きるのか。むしろ毎年冬にスイスのダボスで開催される多国籍企業と各国の主要政治家たちが集まる世界経済フォーラムの方が経済への影響力が大きいのではないか。
  • 国連のような公式の各国代表による公式の討議や条約法条約で定められたような国際法上の正統性を有するルールの制定の枠組をもたない非公式の会合にすぎず、むしろ条約や協定の締結を目的とした公式の外交交渉などの方が重要なのではないか。

グローバルな市場経済の複雑な利害とメカニズムを公式であれ非公式であれ国際的な会合という仕組みがコントロールできるとみなすことは、通常の「経済学」の教科書では説明されていないことだ。むしろ市場が国家や国際機関では手に負えないある種の「自律性」があり、これが資本主義のやっかいな側面であって、リーマンショックもまた、こうした市場の制御不可能性から国際的な経済危機が起きたのは事実だ。国家は「資本の国家」でもありながら、資本を制御しきれないというの資本主義の矛盾をG7/8やG20が解決できるわけがない、というのはその通りである。

3.2 資本に法制定権力がないという問題

だからといって政府の役割を過小評価すべきではない。グローバル資本主義が国家を越えた多国籍資本の強い影響下にあるとしても、多国籍資本にできないことが二つある。

ひとつは、資本そのものには法制定の権力がない、ということだ。そもそも資本が「企業」あるいは「法人」としての法的正当性を獲得できるのは、法人格を定めた法制度に依存する。また、各国の国内法の制定と政府間の国際法の秩序は、議会や政府の専権事項である。IMF、世銀、WTOであれ国連であれ正式の構成員は政府代表であって、多国籍企業のトップが議決権を持つことはできていない。市場経済が国際的な市場として機能する上で必要なルールは未だに資本の専権とはなっていない。各国の市場を外国の資本に開放するかどうか、関税や非関税障壁、税制など資本の利潤に直接関わる事項の多くが自国あるいは覇権を握る先進国など有力国の法制定と法執行のプロセスに縛られる。もうひとつは、「人口」の管理である。あるいは、〈労働力〉の管理といってもいい。この問題は後に「移民問題」の箇所で言及する。

非公式会合は、民主的な意思決定の体裁を維持しながら、この決定プロセスをメタレベルで規定することによって、民主主義のプロセスそのものを既存の統治機構が骨抜きにする上で効果を上げてきた。非公式会合による事実上の合意形成を踏まえて、国内法や制度の整備あるいは国際法の枠組の主導権を維持しようとする。非公式会合の議論のプロセスは透明性を欠き、各国とも自国にとって都合のよい内容を国内世論形成に利用する。こうした情報操作の手法は、オリンピックなどの国際スポーツが自国選手の活躍ばかりを報じることによって、そもそもの競技全体のイメージを歪め、ナショナリズムを喚起することに加担する結果を招いている手法とほぼ変わるところがない。

3.3 市場のルールの覇権の揺らぎ

G20は、こうした状況のなかで、当初は、金融危機への対応の必要から、後には、中国やロシアなどとの対抗と牽制の駆け引きの必要から、非西欧世界の「大国」、地域の有力国を巻き込むことによって、これら諸国を欧米が戦後築いてきたグローバル資本主義のルールの枠内に抑え込むことを目論むという一面があったように思う。しかし、逆に、G20は、新興国が従来のゲームのルールを覆して新たなルールを欧米諸国に要求する場にもなりうることもはっきりしてきた。これまで、欧米が戦後構築してきたルールを前提に市場の秩序と競争が展開されてきたが、ここにきてむしろ新興国自身がルールメーカーになろうとしており、その結果としてルールの揺らぎが顕著になってきた。しかも、トランプ政権の自国第一主義もまた、ルールの恣意的な変更を厭わないという態度をとることによって、そもそもの「ルール」への信頼性が更に揺らいでいる。この意味で、日本政府が宣伝するようなG20の「協調」は存在していないばかりか、覇権の構造がG20内部で深刻な亀裂を生み出してさえいる。

このルールの揺らぎが最も端的かつ明瞭な形で表出してきたのが、Huaweiをめぐる情報通信技術の分野だろう。これは、単なるスマホの市場の争奪という問題ではない。次世代情報網の基盤となる5Gをめぐる情報通信の社会インフラというフロンティア市場の争奪であり、同時に、この同じ情報通信インフラが、「サイバー戦争」の戦場でもあるとみなされるなかで、現状では政府間国際組織が主導権を握れていないインターネットのガバナンスに影響しうる問題にもなっている。2

4 G7、G20と対抗する民衆運動

社会主義圏の拡大が続く70年代に、グローバルな資本主義経済秩序の再構築を目指したのがG7/8だった。G7サミットは「G7サミットでは、その時々の国際情勢が反映された課題について、自由、民主主義、人権などの基本的価値を共有するG7首脳が一つのテーブルを囲みながら、自由闊達な意見交換を通じてコンセンサスを形成し、物事を決定」3と説明されてきた。一切の国内の民主主義的あるいは法的な意思決定の手続に関わりなく首脳間の討議で合意形成するシステムである。G7/8は、冷戦期に、ベトナム戦争の敗北と石油危機によって米国の覇権の構造が揺らぐなかでの西側資本主義のグローバルは覇権再構築を国連の枠組に対抗して目指した。IMF、世銀、GATT(後のWTO)というブレトンウッズ体制とサミット、ダボス会議によって築かれた冷戦期のグローバル資本主義のゲームのルールは、国内的には、公共部門の民営化にる市場経済の拡大、冷戦後の旧社会主義圏の資本主義世界市場統合のなかで維持される。この戦後のグローバル資本主義のゲームのルールそのものが、内部から危機にみまわれる。アジア通貨危機やリーマンショックは、資本の競争原理に支配された規制なき市場がいかに制御しがたいものであり、危機に際して政府は資本の延命を優先していかに民衆に犠牲を強いる存在であるかが明かになった。

4.1 オルタ/反グローバリゼーションをめぐる運動

4.1.1 運動の多様性と限界

オルタ/反グローバリゼーションの運動は、周辺部の民衆運動として、多様な姿をとって80年代から登場してきた。90年代以降、こうした運動が(組織的イデオロギー的な繋がりがあるわけではないが)、先進国の大衆運動へと拡大してきた。もはや社会主義はブロックとしては存在しない。冷戦に勝利したかにみえる資本主義が歴史の最終的な勝者であるかのようにしきりに自画自賛してきた支配層やイデオローグたちにとって、反グローバリゼーション運動は理解を越えた。当時、世界の政治と経済を動かアクターは三つあると言われた。ひとつは、従来からの主権国家。もうひとつは、主権国家の経済力を凌駕しさえする多国籍企業、そして三番目に様々な民衆運動である。国際NGOから草の根のコミュニティの運動まで、女性、移民、労働運動、環境など課題も様々、ラディカルな民主主義、マルクス主義、アナキズムなど思想背景も様々である。世界社会フォーラムやグローバルレジスタンスの運動など、国際的な連帯は、反戦運動からコミュニティの環境・反開発、先住民運動など多様な運動をゆるやかにネットワークする上で貴重な役割を担った。

しかし、こうした運動の限界もあった。それは、新自由主義グローバリゼーションへの批判ではあっても、資本主義グローバリゼーションへの批判が共通の了解事項にはなりえなかったのではないか、という点であり、資本主義に代替する社会が何なのかを、社会主義といった概念で共有できなかったということである。資本主義を否定する明確な方向性をもつイデオロギーのなかで、たぶん、最も有力なのは様々な傾向をもつマルクス主義とアナキズムだが、このそれぞれの内部でも相互においても、「次」を見通すための建設的な議論が積み重ねられてきたとはいえない。

このことは、リーマンショックや緊縮財政といった危機に際して、多くの運動は、この危機をグローバル資本主義の衰退への引き金として、衰退を加速化させる戦略を見出せなかった。新自由主義批判のなかで、国家はあたかも中立の存在であるかのようにみなされることがあった。資本の国家であるにも関わらず。福祉や社会保障、公共サービスを資本のための〈労働力〉や家族政策への思惑から切り離し、資本主義としては成り立ちようのない要求へとは転換できなかったのではないか。資本主義への態度が運動のなかでは、かなりの温度差があったし、今もあると思う。資本主義でもよいのか?「よい」のなら、なぜ?資本主義ではダメだというなら、どうであればいいのか。この凡庸だが、しかし根源的な問いでもある。

正解がひとつではないにしても、資本と国家を廃棄するとして、また、20世紀型の社会主義や既存の社会主義を標榜する体制を範例とはしないとして、経済において、資本に何が代替すべきなのか、政治において国家に何が代替すべきなのか、自由、平等、民主主義はどのような内実をもつものでなければならず、その内実を実現できる制度とはどのようなものであるべきなのか、こうした一連の問いに応じうる運動が模索段階に留まってきた。(思想家や理論家の議論はともかくとして)

4.1.2 伝統主義というオルタナティブ

反グローバリゼーション運動が新自由主義グローバリゼーションへのオルタナティブを既成の社会主義ではない「何か」への模索のなかで、決定的な答えを出しあぐねているなかで、アジア諸国の権威主義や独裁、イスラーム世界の非世俗的な国民国家など、多様なオルタナティブは、近代が否定してきた近代以前の諸々の「伝統」への回帰を通じたアイデンティティの再構築を企図し、ある種の民衆運動がこうした傾向を支えて表出してきたようにみえる。諸々の伝統主義への回帰を内包した運動だ。4イラン革命(1979年)は、イスラム復古の民衆運動であった。他方で、80年代のレーガン・サッチャーの新自由主義は、イデオロギー政策の場面では「自由主義」とは真逆の時代となる。人工妊娠中絶、同性愛への弾圧、移民や少数民族排斥は、復古的な家族イデオロギーを強化する傾向を顕著にもち、AIDS被害の蔓延を同性愛への格好の攻撃の手段として用いた。キリスト教原理主義がリベラリズムを攻撃し、言論表現の自由がマッカーシズム以来最大の危機を迎えた。これ以降、現在に至る極右の運動のひとつの源流がこの時代にあるといってもいい。5

先進国でも途上国でも、ポスト冷戦後、こうした諸々の宗教原理主義、復古主義、伝統主義が、新自由主義グローバリゼーションによって犠牲となってきた貧困層から中間層を組織化する流れを形成しはじめ、これがもうひとつの反グローバリゼーション運動とも呼びうる潮流となる。

サミットのありかた自身が「自由、民主主義、人権などの基本的価値」を裏切る存在である。首脳たちの密室での合意のどこに自由、民主主義、人権があるというのか。この欺瞞が当初から批判されてきた。言い換えれば、先進国は、その掲げている理念とは裏腹に、自由も民主主義も人権も不在なのだ。とりわけ国際関係において、これらの国々にとっての「外国」への政治や軍事などの力の行使に関しては。一国一票の国連の「民主主義」すら疎んじて、国連のガバナンスに縛られることを嫌う態度が如実にあらわれているのがG7/8だった。同様に、「国民」という枠組によって国内の人口を分断し、移民を常に国内の治安に観点から「問題」視し、排除か同化的統合のための口実を探し続けてきた。

欧米の民主主義や自由主義、あるいは平等に代表されるような普遍的な人権の理念は、これら諸国内部から、形骸化してきた。かつての植民地宗主国は一貫して植民地支配と侵略の犯罪から目をそむけ、近代の普遍的な価値を享受できるのは、自国の「国民」の、もっぱら異性愛者である白人男性にそに優先権が与えられてきたにもかかわらず、あたかも万人が享受できるかのような見せ掛けを作り、その理念故に、差別と排除の実態が隠蔽された。日本の場合、高邁な理念を掲げて、現実を隠蔽するという近代国民国家のイデオロギー作用は、戦後憲法によってその枠組みが与えられてきた。

非西欧世界の民衆にとって、欧米先進国は、歴史的には植民地支配者であって、植民地解放の「敵」でありながら、欧米の「豊かさ」、価値観やライフスタイルへの憧憬も共存してきた。しかし、独立と近代化は、欧米資本主義であれ20世紀の国民国家を基盤とする社会主義であれ、その理念と現実との間には多くの矛盾があり、とりわけ、経済成長=豊かさは一握りの国々にしかその「席」は与えられず、必然的に貧困の「席」しか割り当てられない諸国が存在するような構造が維持されてきた。国際政治と国家を主体とする軍事安全保障は、植民地体制とは異なる国際的な政治的軍事的な支配と従属の重層的な構造を維持してきた。世界規模の資本による搾取と先進国による政治的な覇権の構造にとって、独立国家か植民地であるかの違いは見掛けほど大きくはないことが明かになった。それが20世紀後半以降の世界である。

4.2 植民地からの独立、ケインズ主義、新自由主義、どれも不平等を解決してこなかった。

4.2.1 現代にも続く「本源的蓄積」過程

国連の人間開発報告書のデータを概観してみると、GDPが高い国と低い国との格差は歴然としている。6その差が縮まっていることを強調して、貿易や投資の自由化を擁護する主張は、全体の構造的な格差を解決最も有効なシステムが資本主義的な自由主義であるという「答え」の正しさを証明しているわけではない。

経済的な貧困を貨幣で評価することは必ずしも正しい評価とはなりえないが、他方で、市場経済が浸透する過程で、自律的な非市場経済の構造に依存してきた社会が解体されて、人々の生存の基礎構造が破壊されることによって、経済を支えてきた共有の構造と、労働市場に依存しない労働=生産組織もまた破壊され、人々は、労働市場で〈労働力〉を売り、生活必需品の調達を市場に依存するようになる。このよく知られた資本の本源的蓄積とマルクスが呼んだ資本主義成立期のプロセスは過去の歴史的な出来事ではなく、むしろ現在においても、日々進行しているものだ。

資本にとっての〈労働力〉は、国家にとっての国民であり、国家権力の正統性を支える人的な基盤をなす。独裁であれ民主国家であれ、王制であれ共和制であれ、「国民」による支持は必須であり、同時に、この「国民」が〈労働力〉として資本によって統合されて市場経済的な意味での「価値」を資本にもたらす存在になることが経済的な基盤にとっての最低限の条件となる。

この構造は、先進国の側からの眺望と低開発国の側からの眺望とでは全く異る風景を描くことになるが、それだけではなく、それぞれの国のなかで、人々が帰属する所得階層、性別、年齢、エスニックグループ、宗教グループなどによっても大きな違いがある。所得の低い女性は、同じ階層の男性とは同じライフコースを歩むことはできないだろう。貧困層の幼い子どもは、自分が大人になるまで生きられるかどうかの確率について、富裕層の子どもとは全く異なる運命にみまわれる。

4.2.2 グローバルな格差は解決できていない

グーバルな貧困問題が国際的な課題になったきっかけのひとつが、国連の人間開発報告1999年で示された19世紀以来の長期的な格差の拡大だった。(巻末の図「Widening gaps between rich and poor since the early 19th century, United Nation, Human Development Report 1999,参照) 1820年から1990年代にかけて、その国別構成が変化しつつも、最貧国は一貫して貧しいままであり、富裕国は、一貫して豊かになり続けてきた。この傾向は、G20や国連などが提唱する持続可能な経済成長や格差の解消という掛け声にもかかわらず構造的には変化がない。GDPの指標や国別の統計なので、こうした数値では表面化しない深刻な格差や貧困があることを留意したとしても、この格差は異常な状態である。同様に、19世紀以降、工業化のなかで、以上な増大をみせているのがCO2の排出である。(巻末の図「化石燃料等からのCO2排出量と大気中のCO2濃度の変化」7、CDIAC, Global Fossil-Fuel Carbon Emissions, 参照)

そもそも、一方に500ドル足らずのGDPの国があり、他方で3万ドルから5万ドルあるいはそれ以上のGDPとなる国がある原因が、それぞれの国に暮す人々の経済活動に関わる「能力」とか「資質」に基づくとはとうてい考えられないだろう。とすれば、問題はこうした格差を数世紀にわたって再生産してきた構造的に問題があるとみるべきである。とりわけ20世紀以降の格差の拡大が顕著であるようにみえる。

一般に、新自由主義グローバリゼーションに反対するという主張を打ち出す場合、「新自由主義」という限定をつける理由は、1980年代のレーガン=サッチャー(そして中曽根)の時代以降の規制緩和や民営化、市場経済原理主義と呼ばれる時代が問題の元凶にあるという見方になりがちだ。しかし、明かに言えることは、グローバルな格差や貧困の問題は、もっと長期的だということである。新自由主義よりもケインズ主義や福祉国家の政策への評価が高かった時代であれ、多くの植民地が独立を果した時代であれ、格差と貧困のグローバルな構造は大きな変動をこうむらなかった。

言い換えれば、保護貿易や福祉国家やケインズ主義といった「大きな政府」も公共部門を民営化し自由貿易を採用しようと、どちらであれ、最貧国の地位を割り当てられる国が存在し、世界の富を独占する国が生み出されてきた。

なぜ、このした構造が数世紀も続いてきたのか。数世紀という長い歴史的な尺度のなかで、一貫して見い出せる構造があるとすれば、それは、国民国家と資本主義市場経済の構造以外にはない。現在のグローバルな資本主義がもたらしている深刻な問題の解決のためには、これらを前提にした部分的な改革は意味をもたない。解体のための挑戦として20世紀最大の実験が社会主義だったわけだが、社会主義は、国民国家の問題を棚上げにした。近代国民国家の枠組みを(当初は国家廃絶のために戦略的に、後にはむしろ権力の正統性の基盤として)受けいれた。統制経済が戦争を総力戦として遂行するための基盤を提供したという観点からみたとき、ナチスやイタリアのファシズム、日本の総動員体制とニューディールの間に本質的な違いはない。

一人当りGDP(ドル) 2015年(国連人間開発計画2016年版)
最貧国
Central African Republic 562
Burundi 693
Congo (Democratic Republic of the) 737
Liberia 787
Niger 897

最富裕国 日本 35,804(19425)
韓国 34,387
中国 13,400
インドネシア 10,385
インド 5,730
オーストラリア 43,655
米国 52,549(21558)
カナダ
メキシコ
英国 38,658
ドイツ 44,053(19351)
フランス 37,306
イタリア 33,587
ブラジル 14,455
アルゼンチン
サウジアラビア 50,284
南アフリカ 12,390
トルコ 18,959
ロシア 23,895
— カタール 135,322
ルクセンブルク 93,553
シンガポール 80,192
ブルネイ 66,647

人は、出身地、性別、民族は選択できない。こうした格差は、構造的人為的に生み出されてきた歴史的な構築物である。これは少なくとも、近代資本主義にその原因の主要な部分があることは間違いない。このとうてい容認できない格差は、単なる所得再配分とか金融所得課税といった分配によって解決できるだろうか。「持続可能な成長」は、持続可能な資本にとっての成長でしかない。そうではなく、むしろ持続可能な資本主義の衰退のプログラムとして構想しなければならない。伝統主義を排して、資本と近代国家を安楽死させる戦略と制度設計が必要なのだ。「衰退」を目的意識的に追求することは、政治的な革命のプログラムに還元できない。衰退を肯定的な価値としてポジティブに構想することは、資本主義的な「豊かさ」を内面化している大衆にとって容易なことではない。短期的な「文化革命」は成功しない。数世紀の長い革命を構想する必要がある。

4.3 メガイベントとしてのG20

G20は、同床異夢の不安定な覇権争奪の場であり、誰も決定的な主導権をとることはできず、いくつかの課題となる分野で、相互の牽制あるいは妥協を通じて、自国の国益を最大化するための努力を繰り返す不毛な会議である。犠牲になるのは世界中の民衆たちである。

しかし、プロパガンダとしての国際会議の効果は無視できない。特に、日本の場合、G20を開催する地域の自治体とメディアが一体となった国際イベントを盛り上げるプロパガンダによって、G20を、その実態とはかけはなれた国威発揚のためのイベントに仕立てることによって、ナショナリズムを刺激する効果をもつことになる。

国際イベントはどこの国のメディアも自国中心の視点から情報を発信する。先にも伸べたように、オリンピックなどの国際的なスポーツ競技が自国の選手や自国が得意とする競技を中心に報道されることによって、あたかも自国の選手が国際競技大会の主役であるかのような印象が演出される。同じことは政治や外交の国際会議にもあてはまる。特に日本の場合、日本語環境が国境とほぼ重なり、大半の日本の民衆は、自国の報道や政府の発表を他国のそれと比較しながら評価できる言語環境にない。日本の民衆はメディアや権力の情報操作に左右されやすい。

国際イベントはある種の儀礼的な行為、国家の権威や威厳を端的に象徴する場でもある。儀礼や儀式は、差異や矛盾を棚上げした国民統合を演出する仕掛けであって、それ自体が、多様な異論や異議申し立て、言論表現の自由を前提として成り立つ民主主義的な政治空間の本質とは相容れない。国際イベントに必須ともいえる場の威厳は、あらゆる混乱が排除された整然とした秩序を生み出すための権力作用を伴う。これが治安維持や治安弾圧を正当化してしまうことになる。

G7/8や国際機関の会合が大衆的な反グローバリセーションの抗議行動によって「混乱」に直面してきた90年代から2000年代初めの状況は、私たち(あるいは反政府運動の側)からすれば、民主主義の正当な表現行為であるが、このような異議申し立てそのものが、主催国内部の分断を可視化することになる。

従って、こうした儀礼的な効果という観点からすると、G20が、その内実として、空疎で実質的な国際政治や外交の意思決定において効果をもちえず、矛盾を糊塗するだけのものであったとしても、そのこととは別に、既存の権力基盤を固め、対抗的な勢力を統合と排除のゲームのなかで抑え込むという国内政治に及ぼす効果は、決して軽視することはできない。

5 移民をめぐって

5.1 民衆という主体の不在

G20の議題でも明らかだが、「人」が議題にのぼるのは、あくまで国益の従属変数としての「人」でしかない。大阪のG20の主要議題のひとつとされている女性の問題も、女性を国民的〈労働力〉として活用することに主要な関心がある。最大の課題は、国民的〈労働力〉の周辺部に形成されている移民や難民の問題だ。G20の首脳たちにとって、移民、難民問題は国家安全保障の問題でしかなく、国際政治のなかでの国益に関わる問題でしかない。

G20の舞台上の登場人物であれ、政治や経済の専門家たちの言説であれ、マスメディアの報道であれ、その構図のなかで明らかに登場人物として欠けているのは、75億人の民衆である。民衆を主体とした国際政治や経済、あるいは社会、文化を理解する視点ではなく、国家や資本(市場)を主要なアクターとしてしか世界を見ないことが当たり前のようになってしまっている。しかし、問題は、この75億の民衆が不可視の存在として、あるいは、事実上の意思決定の場から排除されていることに怒りの声を上げるよりも、むしろこうした指導者たちの振舞いを黙認するか、ありおはより積極的に支持する者たちが、その多くを占めているということである。残念なことに、民衆の多数者は、また、支配者を支える多数者であるか、あるいは黙従を選択せざるをえないか、あるいは無関心であるか、であり、可視化された権力に抗う民衆の姿は、常に相対的に少数である。

支配的多数者は、諸々のマイノリティを抑圧することによって、既存の資本と国家の権力の再生産構築してきたた。多様な民衆が抱える、自分たちの生存とアイデンティティに関わる問題は、既存の資本と国家のシステムを前提にして解決できるものではない、という感情が世界規模で拡がってきたのは、冷戦末期から新自由主義グローバリゼーションと呼ばれる時代、あるいは、湾岸戦争以降のテロとの戦争の時代であった。私達からすれば、この時代は、オルタ/反グローバリゼーション運動としての世界規模の社会運動の時代として位置付けたい誘惑に駆られるし、私もこれまでそのようにたびたび述べてきた。しかし、無視できない数の民衆は、私達とは別の方向へと向う。反グローバリセーションであり反新自由主義であるとしても、彼等が依拠するのは諸々の伝統への回帰という「オルタナティブ」だった。その力をあなどったために、日本では、安倍が、世界に先駆けて極右政権を樹立してしまった。その後の世界規模での多様な極右、伝統回帰、宗教原理主義、不寛容な排外主義に状況が今に至る。8

5.2 〈労働力〉とはナショナルなものとして構築され、資本は越境する〈労働力〉の流れを生む

資本主義は人間を<労働力>商品として労働市場で調達する仕組みのなかでしか「人間」を理解できない。このことの問題性をマルクスは搾取として批判したが、マルクスが見落したのは、人間には性別があり、<労働力>再生産は家族によって担われるというジェンダーと家父長制の問題、そしてもうひとつが、<労働力>は、無国籍なのではなく、常にナショナルなアイデンティティとの関係のなかで再生産される、という<労働力>のナショナリズム問題である。

国内の労働市場のように、物やサービス、資金の移動がグローバル資本主義の構造のなかで、とりわけ資本にとって困難なのは、〈労働力〉の制御である。経済学が扱う労働市場の〈労働力〉には国籍がない。(性別も民族もない)。しかし現実の〈労働力〉の担い手は国籍によってその移動を厳しく制約されている。言いかえれば〈労働力〉は国民的〈労働力〉なのである。膨大な移民は、この枠組を逸脱する流れである。これを資金の流れのように市場に還元したり、金融工学のようなコンピュータのプログラムで処理することはできない。ここに資本にとっても国家にとっても困難な課題があるからこそ、情報処理の技術は人への「監視」技術の開発へと向う。

近代国家では、〈労働力〉の理念モデルは「国民」としてのアイデンティティ形成と表裏一体のものとされてきた。これが様々なレイシズムを生み出す背景をなしてきた。「国民」としてのアイデンティティ形成を資本が直接担えるわではないが、階級意識を抑制して国民意識に統合することが資本に同調する労働者を形成する上で有効である限りにおいて、「国民」的〈労働力〉は資本の利害と一致するというに過ぎない。移民や難民を「国民」へと同化させるメカニズムそのものは国家が担う領域と大きく重なり、資本の領域には収まらない。国境を越える人口移動の動因を多国籍企業は様々な策略で生み出すが、国境を越えて人口を量的にも質的にもコントロールする裁量権も与えられていない。9

以下にあるように、ほとんどの先進国の人口に占める移民の割合は10%台である。これに対して、日本の移民の人口比は極端に低い。この低さは、ひとえに、入管政策によるものであり、自民族中心主義の政策をとってきた結果である。

人口比率(国連、人間開発報告書2016)
日本 1.6
韓国 2.6
中国 0.1
インドネシア 0.1
インド 0.4
オーストラリア 28.2
米国 14.5
カナダ 21.8
メキシコ 0.9
英国 13.2
ドイツ 14.9
フランス 12.1
イタリア 9.7
ブラジル 0.3
アルゼンチン 4.8
サウジアラビア 32.3
南アフリカ 5.8
トルコ 3.8
ロシア 8.1

国境を越える移民たちの動向は、人間開発指数の高い国(総じて所得が高い先進国)への貧困地域から移動する傾向がはっきりしている。こうした構造的な格差は、グローバル資本主義が生み出した経済的な搾取、政治的な覇権主義、そして軍事的な破壊行為の結果である。現代の不安定な構造の背景にあるのは、単純な多国籍資本の権益に還元することができない。むしろこうした多国籍資本が、その利益の源泉としてきた社会進歩や人々が理想とするライフスタイルを実現するための財やサービスの提供そのものにある。言い換えれば、「貨幣的な価値」だけではなく、この価値を実現するために資本が市場を通じて提供する人々の日常生活のための―つまり〈労働力〉再生産のための―生活の「質」そのものが、人々を物質的肉体的なだけでなく、精神的にも心理的にも、そして文化的な貧困に追いやってきた。

5.3 文化的同化

排外主義と差別の問題は、ヘイトクライムやヘイトスピーチの問題だけではなく、むしろ自民族文化に対する同化を暗黙のうちに強要するような同調圧力によって生み出される心理作用への対抗的な取り組みが必要であり、あからさまな誹謗中傷とは逆に、ポジティブな言説のなかに内包されたレイシズムであるために、固有の困難な課題でもある。あからさまな差別的な言動や暴力に多くの「日本人」が積極的に同調することは想像しづらい。逆に、日本の伝統文化や生活習慣の肯定的に評価されてきた側面を移民や外国人たちが受け入れずに、出身国・地域の言語や文化を持ち込む場合に生まれる日常的な些細にみえる摩擦が生み出す感情的な齟齬こそがヘイトスピーチといった突出した暴力の温床になる。

運動の側も含めて、多様な言語や文化を背景としてもっている人々との共同の行動の経験が持てている人達は多くはないと思う。異なる文化の人々と接することは、自分たちが当たり前と思っていた(運動や活動家も含む)文化の常識を相対化することになる。彼等が日本の文化やライフスタイルに同化することだけが求められるなかで、運動の側が私達のライフスタイルや文化を変えるための工夫をもつことが必要だろうと思う。

安倍政権は、移民受け入れ政策へと大きく転換した。この政策転換は、安価な〈労働力〉の調達政策として、研修生制度への批判をかわしつつ、労働市場の供給圧力を高めることによって、人件費を抑えこみたいという資本の論理が働いていることは間違いない。では、こうした政権の思惑があるから移民の日本への入国に反対すべきなのか。この政策だけを見るのであれば反対する以外にないが、しかし、他方で、私達がまず何よりも第一に考えなければならないのは、移動の主体は、日本政府でもなければ私達でもなく、日本で働く意思をもつ移動する人々である。彼等の意思が最大限尊重される必要がある。この点で、「日本の労働環境は過酷で差別もひどいよ」といった忠告は余計なお世話である。長い移民受け入れの歴史をもつ欧米であっても、数世代にわたる移民の経験があっても差別は解消されていない。しかし、そうであっても移動する人々がいるのだ。逆に、門戸を閉ざす日本の入管政策は、移民排除を掲げる欧米の極右にとっての理想モデルとすら言われている。彼等の国境を越えて来たいという意思を歓迎することが第一である。彼等の意思は、彼等を安価に搾取しようとする資本の意思とはそもそもの「労働」への向き合い方が違う。また、日本政府のように〈労働力〉でありさえすればいい、というのでもない。

6 情報通信インフラの国際標準をめぐるヘゲモニーと私達の「自由」の権利

6.1 収斂技術としてのコンピュータテクノロジー

コンピュータ技術は私生活から軍事技術まで広範囲に及ぶ様々な技術を支える技術の位置を占めている。生物の基本的な構造は分子生物学や遺伝子工学のコンピュータで解析可能と信じられている。工場では機械を制御するシステムになり、事務所では経理や人事の管理に用いられ、学校では生徒の個人情報から成績の管理に用いられる一方で、情報リテラシーやプログラミングの教材になる。人々のコミュニケーションは、不特定多数を相手に双方向の通信が可能になる。エネルギー革命といわれた産業革命やオートメーション技術の発明もこれほどまでに広範囲に、人々の日常生活から世界規模のシステムまで、分子レベルから宇宙規模までを包含して世界の理解を規定するような技術はなかった。

この技術の基礎を築いてきた欧米の科学技術は欧米を基軸とする国民国家と資本主義の制度的な前提なしにはありえなかった。しかし、今、グローバルな資本主義の基軸が非欧米世界へと移転するなかで、コンピュータ技術は欧米の覇権を支える技術ではなく、逆に欧米の覇権を脅かす技術になりつつある。

欧米のICT技術に支えられてきた資本主義と国家は深刻な難問が最も端的に表われているのが、Huaweiへの米国の苛立ちである。その背景にあるのが、Huawaiが構築してきた5Gネットワークの主導権である。既に、私達にはお馴染の話だが、スノーデンやWikiLeaksなどが暴露してきた欧米先進諸国による情報通信の監視や盗聴、そしてFacebookがトランプ政権の選挙に協力してきた英国のCambledge Analyticaを通じて米国の有権者動向分析のための膨大な情報を提供してきた問題など、ネットワークの世界は同時に、諜報活動や情報収拾活動の重要な基盤になっている。さらに、5Gになれば、このネットワーク同時に社会インフラを支えるコンピュータシステムと密接に統合され、いわゆる「サイバー攻撃」のリスクが高まるとも言われている。

6.2 自由の社会的基盤としてのコミュニケーション環境

コミュニケーションは私達の基本的人権の核でもある言論表現の自由、思想信条・信教の自由を支えるものだ。このコミュニケーションの権利が資本と国家の利害に私生活プライバシーのレベルから統合される事態が生まれている。その結果として、資本と国家の利益が私達の自由の権利を抑圧することが正当化される傾向が生まれている。

しかも、こうした抑圧は、鎖に繋がれた苦痛のような実感を伴うことなく、人々の一見すると自由な動きそのものを規制しコントロールするようになっている。指紋認証、顔認証、行動分析から将来の犯罪予測まで、コンピュータは広範囲の監視と規制の警察や軍隊の技術としてIT産業を支えるようになっている。米中でHuaweiを槍玉に上げて起きていることは、コンピュータ技術とコミュニケーション技術の主導権の転換を象徴している。

7 「テロ対策」名目の治安監視と超法規的な 市民的自由の剥奪―それでも闘う民衆たち

7.1 異常な規模の治安対策予算

テロなどの警備対策予算は約333億円。前年度予算から207億円の増加。代替わり関連は38億円に対してG20警備関連予算が120億円。警備費用は異常という他ない膨大な金額である。G20開催国は、いずれも膨大な警備費用と反対運動をはじめとしてテロ対策のために、 市民的自由を公然と制約し警察力を強化し、監視社会としてのインフラを構築する。その結果として、こうした警察-監視の体制が構造化される。

G20の会合は、これまでのオルタ/反グローバリゼーション運動が活発な国でも大規模な大衆運動が展開されてきた。たとえば、2010年トロントのG20では、史上最大の警備費用を投じ、警察の過剰警備によって反対運動参加者700名が逮捕される事態になった。警察の弾圧は無差別に近いもので、その後警察の行動については多くの批判的な検証が行なわれた。

7.2 トロントの場合

トロントの反g20運動が大きな高揚を実現できたのは、リーマンショック以降のG20諸国がおしなべ公的資金を金融機関救済に投じる一方で、緊縮財政と新自由主義政策をとったことへの強い異議申し立ての問題だけではなかった。むしろ、こうした狭義の経済問題に連動する形で起きてきた、多くの社会問題に対して、コミュニティの活動家からグローバルなNGOまで、いわゆる市民運動からマルクス主義左翼、アナキストまで、非暴力のストリートフェスティバルといった趣きからブラックブロックによる多国籍企業店舗への攻撃まで、アーティストや先住民運動まで、移民の権利から性的マイノリティの権利運動までが参加したことによる。

トロントのG20反対闘争は10日ほど続いた。

  • 2010年19日、20日(日)ピープルズ・サミット。労働組合や環境運動団体、NGOなどが主催。カナダ-EU自由防疫協定から先住民運動かで100以上のワークショップなどを開催。
  • 21日(月) 南オンタリオの反貧困運動が主に組織た抗議行動。数百名のデモ。数名逮捕。旗を持っていたとか、デモの規制地域にある自分の職場に入ったことなどが理由。
  • 22日 ジェンダーやクィアの権利のデモ。ダウンタウンでは同性愛嫌悪に対抗した「キス・イン」。
  • 23日 環境や気候変動を中心としたこの時点まででの最大規模のデモ。音楽、ダンス、ドラム、フェイスペイントなどの陽気なデモ。
  • 24日 Indigenous netwoark Defenders of the Landが組織した先住民の権利デモ。前日のデモ参加者を上まわる。
  • 25日 「わたしたちのコミュニティのための正義を」を掲げコミュニティの運動を中心としたデモ。移民の市民権や主権の問題から福祉切り捨てまで。最後はブロックパーティが路上で行なわれ終夜の「テント村」が出現。

ほぼ毎日1万から4万人のデモ

  • 26日(土) 「People’s First」をかかげて、組合やNGOがデモを組織。ブラックブロックを含む反資本主義、反植民地主義を掲げるデモの一部が警戒区域へと向う。銀行、スターバックスなどの多国籍企業の店舗が破壊される。この日以降、警察による報復攻撃が始まり、非暴力デモに対しても弾圧が始まる。
  • 27日 警察も暴力が顕著になる。ほとんどの市の主要な活動家たちが逮捕され、路上の抗議行動参加者の疑いがあるというだけで拘束。
  • 28日 逮捕された人達との連帯デモ。釈放された人達も再び路上へ。
  • 25日から27日だけで700名が逮捕される。10

こうしたカナダでの弾圧は例外ではない。むしろ毎年のG20の開催に伴って、どこの国でも同様の弾圧が繰り返されてきた。G20は、グローバル資本主義を中枢で担う諸国が、その「価値観」や利害を異にしながらも、国内の反政府運動を弾圧するための格好の口実であるという点では利害の一致をみている。G20にとってこうした国内治安弾圧は、副次的な意義しかないのだが、現実政治のなかでは、むしろこの治安弾圧が主要な獲得目標になっているとみてもよいくらいなのだ。

7.3 治安監視の国際ネットワーク:スノーデンファイル

トロントのG20会合について、カナダの公共放送が興味深い記事を配信した。11

https://jp.reuters.com/article/l4n0jd1iv-nsa-tronto-idJPTYE9AR04E20131128

NSAがトロントG20で諜報活動、カナダ政府は黙認=報道 [トロント 28日 ロイター] -カナダの公共放送CBCは27日、2010年にトロントで行われた20カ国・地域(G20)首脳会議の際、米国家安全保障局(NSA)が諜報活動を行うことをカナダ政府が認めていたと伝えた。

これはCBCが、NSAの元契約職員エドワード・スノーデン容疑者が持ち出した機密文書を引用する形で伝えたもの。それによると文書は、オタワの米国大使館が諜報活動の司令部となり、オバマ米大統領など各国首脳が相次いで会談する中、6日間にわたりスパイ活動が行われていたことを示しているという。

ロイターはこの文書を確認しておらず、報道の内容を確認することはできない。

また報道によるとNSAのメモには、この作戦は「カナダのパートナー」と緊密に連携して行われたとする記載があり、カナダ当局が米国の諜報活動を黙認していたと伝えている。

報道は具体的な諜報活動の対象については明らかにしていない。

カナダのハーパー首相の報道官はCBCの報道についてコメントを拒否した。

ここで言及されているスノーデンの暴露した機密文書には、アルカイダなどの国外のテロリズムの他に次のような記述がある。

「情報機関は、課題別の過激派がサミットに登場するとみている。こうした過激派は、これまでのサミットでも破壊行為を行なってきた。同様の破壊的活動がトロントのG20の期間中に集中する可能性がある」12

報道にあるスパイ活動には、G20に反対する運動へのスパイ活動も含まれていることが上の文書からも明かである。治安監視問題は、国内の警察問題ではなく、G20参加諸国の情報機関も関与する問題になっている。同盟国が相互に相手国の情報収集するだけでなく、開催国の国内治安問題いも関心を示す。オルタ/反グローバリゼーション運動が国境を越えるとともに監視のネットワークもまた国際化していることが如実にあらわれている。

8 おわりに:シンボリックな外交儀礼とナショナリズムだとしても、だからこそ…

G20で議長国が、リーダシップを発揮して、何らかの政治的な合意をとりつけることは、容易ではないし、たとえ合意があっても、ほとんど実効性のない空手形の類いに終るであろうことは明白だ。そうであればあるほど、G20の性格は、実質的な政治や外交の交渉の場というよりも、このメガイベントをまさにイベントとして演出することによってもたらされるある種の祝祭効果のようなものが期待されるようになる。

国家が内包する人々の意思は多様であり、支配的な制度の意思やイデオロギーに還元するとはできない。儀礼や祝祭を権力が演出するとき、これらに冷水を浴せるような民衆の怒りや嘲笑は、儀礼や祝祭が隠蔽しようとする空疎な内実を白日のもとに晒すことになる。権力者が恐れるのは、彼等の側には、現在のグローバルな資本主義が抱えている、制度そのものの内在的な矛盾を解決する道筋を見出せていないばかりか、逆に、制度内部で、権力者達がお互いに啀み合い、敵対せざるをえないようなヘゲモニーの交代に直面しているからだ。私達にとって、トランプや安倍を肯定しないからといって、G20のどの国が主導権をとろうとも、歓迎することも「敵の敵は味方」といった安直な王様選びのゲームには加担しない。

外交や国際関係は、コミュニティをベースにした直接民主主義が成り立ちにくい分野だ。なぜなら、利害関係者が国境を越え、国家によって分断されるからだ。多国籍資本の投資であれ、政府による開発援助であれ、あるいは軍事的な介入であれ、当事者の主体となるべき民衆の側は分断されたまま、「首脳」を名乗る者たちが、あたかも主権者の代表であるかのようにして、物事を決めていく。ネットワークがグローバル化したからといって、人々のコミュニケーションが言語の壁を越えるのは容易ではない。そして、こうした越境する連帯を阻害しているのは、G20のような首脳たちであるだけでなく、そもそもの国民国家が国益のために築いている「壁」、現代の関所ともいうべき国境である。もし民主主義を語るのであれば、その最低限の条件は、国境を越えた民主主義でなければならない、ということである。一方の当事者だけで物事を決めるべきではないからだ。とすると、そもそも、国民国家が国別に定めた憲法のような法の支配の体制もまた相対化されざるをえない。G7が傲慢に宣言した共有された自由や民主主義の価値を私達は共有するつもりはない。概念を再定義する力、ことばを取り戻すことを、言語の壁を越え、文化を横断して実現するにはどうしたらいいのだろうか。権力者のいう自由や民主主義にはうんざりだ。デモをする自由も異議申し立ての自由もろくに与えないこの国の主権者たちはその責任を自らとる必要がある。しかし、それが一国の内部に留まるなら、グローバル資本主義には立ち向かえないが、同時に、私達の日常生活は、ほとんどコミュニティや地域を越えることもない。しかし100年後、1000年後を夢見ることはできる。こうした意味での想像力を鍛えることだ。

私達が目指すのは、資本主義衰退であって、繁栄ではない。ひとつの国家が、文明が、没落し滅びることに期待を寄せ、無上の喜びを見出すためには、どのような夢を見たらいいのだろうか。

9 (補遺)簡単な年表

2009年 ティーパーティ運動始まる
2010〜15 ギリシア危機。15年、チプラス政権誕生
2010〜12年 アラブの春。この民衆運動はほとんど全てのアラブ中東諸国に波及
2011年〜12年 オキュパイ運動
2011年 シリア反政府運動から内戦へ
2011年 リビア内戦
2013〜14年 ウクライナ、ユードマイダンの反政府運動
2014年 イスラム国宣言
2014年 クリミア独立宣言
2014年 スコットランド独立投票(否決)
2014年 米国と有志連合、シリア空爆開始
2014年 スペイン、カタルーニャ独立投票
2014年 香港雨傘運動
2014年 台湾ひまわり運動(国会など占拠)
2015年〜 ヨーロッパへの難民の急増(世界の難民は2100万人:UHCR)
2016年 英国、EU離脱国民投票(可決)
2017年 トランプ政権成立
2019年 ブラジル、ボルソナーロ極右政権誕生

歴史は繰り返さないが、こうした歴史の教訓を念頭に置くことは、極右の台頭とグローバル資本主義の揺らぎに時代にあって、決して無意味なこととはいえないだろう。

Footnotes:

1 公共サービスとしての教育や社会保障、社会福祉のイデオロギー上の目的は、人間としての最低限の文化的な生活の保障といった憲法上の要請によるものとされている。しかし、資本主義システムの構造的な機能との関係でいえば、資本による賃金コスト抑制のために政府がそのコストを肩代わりすること、賃金はあくまで〈労働力〉の価格でしかなく、人々が生涯にわたって生存できるだけの所得とは関わりがない。貧困は、資本による直接的な搾取の他に、生存を保障できない労働市場の構造にもその原因があり、資本主義経済のこの矛盾を政治的に(財政によって)解決することによって、階級闘争を抑制し、生存を国家に依存する従属の構造(ここには、心理的な従属を含む)を生み出す。資本主義国家における社会保障や社会福祉は労働者階級あるいは民衆が資本と国家から自立した生存の構造を自律的に生み出すような運動を抑制して、生存を国家に統合するという性質をもつ。社会保障、福祉はこの意味で、手放しで肯定できるものではない。

2 インターネットのガバナンス組織は、ICANNである。米国に本社を置く非営利民企業。インターネットの技術仕様や資源(IPアドレス)などや、ルートサーバの管理などの中心的な課題がICANNの理事会で決定される。

3 外務省ウェッブ https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/summit/ko_2000/faq/index.html

4 欧米近代の相対的な後退のなかで登場てしきた「極右」と呼ばれる様々な反近代=伝統主義の運動は、今回が始めてのことではない。20世紀初頭、第一次世界大戦による惨劇は、「西洋の没落」(シュペングラー)の最初の出来事だった。西欧近代の諸国は、価値観を共有しながらも、総力戦によってお互いに膨大な数の殺し合いを繰り広げた。その後、この戦争を帝国主義として再定義し、西欧近代を支えた資本主義を否定する社会主義運動が大衆的な高揚のなかで受容されるなかで、資本主義近代でもなく社会主義・共産主義でもない第三の道が伝統主義として呼び出された時代でもあった。同時に、ロシア革命からイタリア、ドイツへと拡がった革命のなかから、ファシズムが登場する。ファシズムは、高度な科学技術と生産力と近代以前に遡る民族主義や伝統主義によって、国家の正統性を再定義しようとする運動でもあった。ここで鍵を握ったのは、労働者、農民を、その家族とともに、国家に統合するためのイデオロギーの創造だった。

5 近代資本主義体制は、経済的価値増殖を自己目的とする資本、権力あるいは政治的な「価値増殖」を自己目的とする国家という二つの側面をもつ。経済的政治的な「価値増殖」に帰結する構造はひとつではない。しかし、この構造にとって、資本にとっては〈労働力〉が、国家にとっては国民が、社会的な人間のアイデンティティの核をなすものとして要求される。しかし、この二つの構造にとって必須でありながら、そのいずれのメカニズムにも完全に包摂していていないもうひとつのサブシステムがある。それが、親族組織(あるいは家族)である。家族は、〈労働力〉再生産の基礎をなす。国民として、また〈労働力〉として訓育するための国家の組織、教育制度は、家族による子どもの養育を前提とした組織である。失業者、高齢者などの非〈労働力〉人口を生活の基盤として支えるのは家族(単身の場合も含む)である。家族は、資本や国家に超越した普遍的な親族組織なのではない。むしろ逆である。〈労働力〉市場と国家の人口政策が家族の構造を規定する。資本主義は、体制として世代の再生産を資本と国家の組織内部で自己完結的に実現できない。家族はこの意味で必須の前提になる。資本主義が中心的に要請する世代の再生産の役割が家族に振り分けられる結果として、家族イデオロギーもまた世代の再生産を中心に構築される。世代の再生産と関わらない家族は周辺化され差別化される。

6 GDPは問題の多い指標である。しかも一国単位のデータは国内の格差を明示しないという問題もある。しかし、長期的な傾向がどのようであるのかを概観することがここでの目的である。

7 この図は電力各社のウエッブにも掲載されている。原発を正当化するためのデータとして用いられるようだが、むしろ注目すべきなのは、工業化がいかにイエネルギー過剰消費の構造をもっているか、である。 https://www.eneichi.com/useful/2192/

8 イスラム教徒が少数のミャンマーでは仏教徒が多数者として加害者になる。イスラム教徒が多数のパキスタンとヒンズー教徒が多数のインドとでは、同じ宗教に属する人達の加害と被害の構図は異るが、マイノリティへの抑圧という構造は共通する。言うまでもなく、日本の多数とは天皇信仰を持つ者たちである。民主主義は多数決原理に還元できないといわれながら、現実の政策や法制度は多数決原理による民主主義によって正当化されることを考えると、民衆内部の多数と少数の複雑な構図がもたらす問題は無視できない。

9 人口の質的コントロールとは、イデオロギー装置による「国民」としての形成を指す。「国民」という枠組を人口のカテゴリーとして構築するということは、国境内部の人口の周辺に国民とは定義されない人口を抱えていることを意味している。

10 ここでの時系列の出来事は、以下による。Tom Malleson and David Wachsmuth eds., Whose Streets?, Between the Line, Toronto,2011.

11 下記も参照。 http://metronews.ca/news/canada/868200/u-s-spied-on-g20-summit-in-toronto-and-canada-knew-about-it-cbc/

12 TOP SECRET // SI / TK // REL TO USA AUS CAN GBR NZL https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3965/snowden/snowden6.pdf

国連人間開発報告書。19世紀以来貧富の格差は拡大しつづけた。新自由主義だけが貧富の差を拡大させたわけではない。

19世紀から20世紀にかけてのCO2排出量は異常な増加を示している

Date: 2019-05-16 22:12:00 JST

Author: 小倉利丸 (ogr@nsknet.or.jp)

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出典:https://www.alt-movements.org/no-g20/blog/index.php/g20hihan/

反資本主義の再定義―台頭するグローバル極右を見据えて

本稿は「1968年―89年―そして世界と日本の現在を考える:分断の時代を越える2.2シンポ」のために準備された草稿である。

1 メインストリーム化する「極右」―左派、リベラルの政権そのものが激減している

ここ10年のグローバルな政治状況のなかで繰り返し指摘されるようになった特徴的な出来事は、様々な意味合いを背景とした「極右の主流化」あるいは「宗教的な救済」の復活である。これらはいずれも、上からの運動であるだけでなく、むしろ民衆によって下から支えられている側面があり、これが「ポピュリズム」として指摘されるようになった。

左翼の大衆運動もまた大衆運動である限りポピュリズムの側面をもつ。しかし、文字通りの意味でのポピュリズムでは無原則な大衆迎合主義が優先されて、イデオロギーや原則的な価値観へのこだわりは希薄だ。大衆が支持する主張がまず第一であって、それに対して後付けとして様々な政治や思想や信仰が付随するのだが、見た目はあたかもある種の確信的な世界観によって裏打ちされているかのような装いをとる場合もあれば、無原則に左右の政治組織との連携をも厭わないところもある。たとえば、イタリアの五つ星運動は移民の排斥とヘイトスピーチを厭わない運動だが(長年UNHCRで活動してきた中道左派の女性国会議員で下院議長だったラウラ・ボルデドリーニへの五つ星運動や北部同盟からのレイプ脅迫事件1などはその一例だろう)、左派がこうしたポピュリズム組織とある種の連携を組む兆候が見られるようにもなっている。

しかし、もしそうだとすると大衆な反政府運動のうねりは、いったいどのようにしてひとつの政治的な力といえるほどのものに成長するのだろうか。自然発生性を信じるとしても、なぜ大衆はそのような主張をもって(他の主張ではなく)可視的な大量現象として登場するのか、は説明されるべきだろう。大衆の心情を愚かで騙されやすいと決めつけることも、逆に大衆だから正しいに違いないという判断を前提することも、たぶん問題があると思うが、では、どのようなスタンスをとるべきものなのだろうか。2

今グローバルに起きている事態の特徴は、左派の政策の基本のうち、貧困やネオリベラルグローバリゼーションといった問題への対処を右翼が横取りして、これに移民・難民排斥と伝統的なコミュニティや文化の擁護をセットにした主張を展開することによって、下層労働者階級への影響力を確保してきたことかもしれない。貧困と反グローバリズムを共通項として、左右が協調する土台が形成され、この土台の上で、右翼が主導権をとる、という構図といっていいかもしれない。こうした構図の背景には、中東やアフリカで長引く「対テロ戦争」や内戦―その原因は欧米諸国が作り出してきたものだ―で生存の危機に瀕した人々が大量の難民として移動しているということと、19世紀、20世紀と決定的に違う状況として、欧米諸国がもはやグローバル資本主義の中枢を独占できず、中国をはじめとする新興国が政治的経済的な覇権の一端を担うようになったといことだろう。20世紀初頭に第一次世界大戦が未曾有の総力戦からロシア革命の到来によって西洋の没落がファシズムを引き寄せたように、21世紀初頭は、グローバル資本主義を生み出した近代が、その価値観やイデオロギーを含めて終末の危機を迎えていることを反映している。この危機は、欧米型資本主義の危機ではあるが資本主義そのものの危機ではないし、西欧の共通する世界観に基く帝国主義による世界市場の分割という古典的帝国主義への回帰でもない。欧米資本主義の経済が文化やイデオロギーあうるいは非物質的な意識や感情の生産様式へと転換しているなかで、社会の物質的な基礎を担う新興国との間の複雑で重層的な世界市場の再構築が、イデオロギー領域を巻き込んだヘゲモニー構造を変容させている。イスラームもヒンドゥーも周辺ではないし、諸々の非キリスト教的な文化的価値が平行して、「西欧」を包囲する。世界の民衆はもはや西欧を通して世界を解釈することに特権的な地位を認めなくなっている。このなかには西欧出自のオルタナティブとしての左翼思想も含まれる。とりわけマルクス主義が。

目をラテンアメリカに転じてみても、状況は深刻だ。ブラジルなどで典型的に見られるような左派政権の腐敗への民衆の失望を利用して一気に政権をとるという構図は、ワイマールからナチズムへの転換を彷彿とさせる。ベネズエラもまた経済の破綻という失政への怒りを右派が(米国を後ろ盾として)組織して政権を獲得する勢いだ。そして、ラテンアメリカは第二次世界大戦後、独裁政権が支配していた国々が多いだけでなく、またナチスの残党の逃亡先として、ネオナチの生息地でもあった。こうした歴史の亡霊が蘇えるつつあるようにすら見える。

極右の特徴を単なるヘイトスピーカーだとみなすことはできない。マージナルで少数の異端派からメインストリームへと成長するにつれてらは、その戦闘的な暴力部隊を抱え込みながら、その中核的な部分は、権力が射程距離に入る―つまり選挙での議席、首長や大統領職などの確保の可能性―につれて、戦術的に「穏健」になる。警察などの治安組織を掌中に収めれば、弾圧は強化されるだろう。とりわけ、自民族の伝統や文化をアイデンティティの核に据えて大衆の支持を得ようとするにつれて彼らの言動は、一方で過剰なロマン主義を、他方で、限り無い憎悪を表裏一体のものとして表現するようになるだろう。ここでは文化的なアイデンティティが主要な戦場へと格上げされる。

もし大衆とはプロレタリアートあるいは労働者階級や農民階級を意味し、階級としての存在がその意識を規定するという素朴な階級意識論を信じるとすれば、あらゆる大衆的な叛乱は階級闘争として擁護すべきものだということになる。しかし、移民や難民の排斥感情が多数を占めるようになっている中で、多数者の感情をそのまま肯定することはできない。同じことは、宗教的な信条や家族などの伝統的な価値についてもいえる。

かつて、第一インターナショナルの方針をめぐって、マルクスとバクーニンが争ったとき、バクーニンは組織の方針をマルクスの掲げる原則に従わせようとするマルクス一派に我慢ならないと批判した。たしかにある唯一の「原則」とか「綱領」などと呼ばれるものに数百万の労働者大衆が承認を与えるという構図は異様だと思う。しかし、他方でバクーニンは、労働者大衆の多数の結集のためには、自らの主張を禁欲すべき場合もあるとして、彼の重要な主張のひとつ「無神論」を第一インターの原則に持ち込むことを自ら禁欲した。無神論など持ち出せば労働者たちの多数派としての団結は望めないと判断したのだ。私はこのバクーニンの判断には現実主義的な妥協の必要としては理解できても、それが果して好ましい判断だといえるかどうか、躊躇する。というのも、近代国家の正統性問題は合理主義の仮面を被ったキリスト教の文化と価値観の問題と不可分であって、政治的権力の廃棄にとって「神」の問題を後景に退けることが妥当かどうか。日本の現状でいえば、天皇制に反対する大衆は圧倒的少数だからこの主張を原則から外すという判断と似て、運動の本質に関わる場合が多い。他方で、異論を排斥する主張は、運動内部の有意義な議論を封殺する危険性がある。資本の廃絶と権力の廃絶という二つの課題が、ひとつのものとして融合されなかった悲劇がその後現在に至るまで左翼の多様な潮流や思想の隘路をなしてきたようにも思う。

そもそも大衆とは誰か、プロレタリアートとは誰か、労働者階級とは誰か。私は誰か他人がこうした集団に帰属するだけの資格があるかどうかを判断することはできないが、私自身について言えば、明らかにこうした集団の中にいる者だといえる資格はないように感じている。

単純な善悪で割り切る粗雑な階級社会の議論は、多くの重要な主題を無視している。ジェンダーやエスニシティといった問題はとりわけ重要な課題になっている。なぜなら、近代世界は自由と平等をジェンダーやエスニシティという条件に対して適用しようとする意志をほとんどもってこなかったからだ。19世紀の階級闘争が―この時代がマルクスのコミュニズムとバクーニンやプルードンのアナキズムの出発点をなすが―ジェンダーや植民地主義と不可分な問題としての非西欧社会の解放を主題とすることはほとんどなかった。こうした限界のなかで、近代における反資本主義の理論的な枠組もまた形成されてしまった。

階級闘争の長い歴史は、同時に階級的な妥協と調整のメカニズムを資本主義自身が開発する歴史でもあった。その帰結が、普通選挙権に基づく大衆民主主義と社会保障など国家による労働者階級の「国民」としての庇護というシステムだった。

2 民衆叛乱そのものの変質

1990年代以降、急速に世界規模で拡大した反グローバリゼーション運動は、それまでの20世紀を通じて展開されてきた民衆運動とはいくつかの点で根本的な違いがあったと思う。

2.1 六つの特徴

第一に、善かれ悪しかれ、20世紀の大衆的な左翼の運動は、ソ連や中国といった「現存」する社会主義を支持するか否かにかかわらず、社会主義あるいは共産主義の理念を共有していた。この理念の共有は90年代以降の大衆運動には存在しない。

第二に、90年代以降の大衆運動は、二つの流れが微妙な対抗関係をもちながら併存してきた。ひとつは、1994年1月1日に「蜂起」を起こしたメキシコのサパティスタたちの運動とこの運動に連携してきたグローバルな反資本主義の抵抗運動。もうひとつは、1999年のWTOシアトル閣僚会議を破綻に導いたことで注目されるようになった反グローバリゼーションの運動。後者の運動のなかから、その後2001年に世界社会フォーラムが形成されることになる。

第三に、社会運動の課題の拡散がみられ、反開発、反レイシズム、反セクシズムといった課題が、むしろ運動を特徴づけるようになった。民主主義や反戦といった課題は「階級」という主題よりもむしろ「人権」という主題により親和性をもって理解されるようになった。

第四に、近代社会を支えてきた国民国家と市場経済がその理念においても揺らぐ一方で、これらに代わるシステムが未だに理論的にすら提起されないなかで、民衆の運動は、試行錯誤しつつ既存の政治的経済的な権力への「反」を掲げてきた。左翼の主流をなしてきた新左翼を含む伝統的な社会主義や共産主義組織の影響力が相対的に低下し、多様な左翼性を体現する不定形な運動が台頭し、アナキズムへの関心が相対的に高まる。だが同時に、左翼と右翼を分ける境界の曖昧化も進む。

第五に、既存の支配的なシステムへの異議申し立てが、伝統主義(近代以前への回帰)や新たな宗教的な価値の再発見(諸々の宗教原理主義)という選択肢を無視できないところにまで押し上げてきた。

第六に、最も新しい傾向として、インターネットというコミュニケーションインフラが大衆的な意識形成の基盤としてマスメディアを越え、国境を越える力をもつようになった。マスメディアを基盤とするナショナリズムという伝統的な「国民統合」の構造は脆弱になる一方で、SNSのような新たなコミュニケーション空間が人々の意識形成に不可欠の手段となる。

冷戦の崩壊によって、資本主義が歴史の勝者であるという支配層の公式見解を覆す広範で多様な左派の運動が、第三世界から資本主義中枢まで、存在することを示すものだった。しかし他方で、こうした運動のサイクルから明らかに外れた重要な地域があった。少なくとも、日本はこのサイクルから明確に外れており、大衆運動としての高揚を実現できないまま現在に至っている。なぜグローバルな大衆運動のサイクルに日本の運動が同期できないでいるのか、このことは解明されるべき重要な問題だろう。

2.2 同期する日本の大衆意識

こうした特徴をもちながら、現在起きていることは、大衆運動の基軸が多かれ少なかれ、極右と総称できる勢力の影響を受けて「高揚」する局面が顕著になっており、こうした極右の台頭というこれまでになかった大衆運動の傾向に、日本は、その政権の動向も含めて同期する傾向を強くもっているようにみえる。極右政権の誕生という点では欧米諸国よりも一歩先んじているところもあり、草の根や下からの「運動」という段階から既に上からの動員が可能な制度化の段階に入っているといった方がいいだろう。

かつてBRICSと呼ばれた新興諸国のなかで反グローバリゼーション運動のサイクルに含まれていたのはブラジルだけである。ブラジルの反グローバリゼーション運動がルラ政権の基盤のひとつをなしたといってもいいのだが、そのブラジルもある種の「クーデタ」によって極右政権にとってかわった。そして、ラテンアメリカの反米政権が次々に苦境に立たされ、かつてチャベスが率い、そのチャベスを継承してきた現政権が経済の破綻のなかで崩壊の危機にある。中国、ロシア、南アフリカは大衆運動の政治的な力はほとんどなく、インドは世界社会フォーラムを何度か開催できる力量をもっていたが、現在はヒンドゥ原理主義政権になった。そして東欧もまた、ポスト社会主義から極右の台頭、移民排斥の急先鋒へと転換している。東アジアでは香港、台湾は2014年に雨傘運動、ひまわり運動など大衆的な反政府運動が高揚したが、こうした運動が国境を越えて地域全体の運動の高揚へと繋る回路が非常に狭くなっている。

2.3 運動が抱える限界

左翼のグーバルな大衆運動がなぜ凋落してしまったのか。これまで、日本の左翼運動は、自らの停滞をかろうじて耐えるなかで、将来への希望を国外の様々な左翼の社会運動の高揚になかに見出してきた。アラブの春、ウォールストリートのオキュパイ運動、ギリシアの反ネオリベラリズム運動などは、注目されたが、その運動の帰結を「勝利」と呼んでいいのかどうか。世俗的独裁に抵抗する宗教原理主義がアラブの春のなかにはあった。金融資本への異議申し立てのなかには、ユダヤ人差別による陰謀史観による排斥感情が見られた。ギリシアのシリザは政権を右派との連立として獲得した。そしてウクライナのマイダンの運動はよりはっきりとナオナチに連なる勢力が運動を主導したし、英国のブレクジットもまた極右が世論を主導した。

こうした事態になる前、反グローバリゼーションの運動が高揚した時期を象徴する二つの運動を振返ってみたい。

  • サパティスタ
    サパティスタの運動は、そのスタイルと主張が従来の武装闘争組織や反政府運動組織にはないある種の左翼ポストモダニズトとでも表現したらいいのか、斬新なものだった。組織の平等性をジェンダーや家父長制といったラテンアメリカの強固な文化的価値観を明確に否定するなかで再構築し、権力を求めず「市民社会」と民主主義を尊重する態度は、運動の理念と目標の設定において明らかにひとつの地平を切り開いたといえる。しかし、こうしたユニークな運動がサパティスタを固有で唯一の存在にしてしまい、それが他の地域にも共有できる運動としての拡がりを獲得できなかった。サパティスタはどこにでもいる筈のものだが、現実には第二、第三のサパティスタの運動がアジアやヨーロッパなど異なる地域で生まれてはいない。
  • 世界社会フォーラム
    他方で、世界社会フォーラムはポスト冷戦を踏まえて社会主義を主張することを控えて、「もうひとつの世界は可能だ」という漠然としたスローガンを掲げて広範な民衆運動の参加を促した。イラク反戦の国際的な統一行動など、いくつかの国際的な運動の組織化にとっての重要な場所となったことは確かだろう。実際の世界社会フォーラムには毎年数万から十万に近い数の人々が集まる。中国の法輪功の人たちや、イランの親ホメイニ派の人たちなど、モロッコの西サハラ問題では政府寄りのNGOが参加したりもする。明確な左翼から穏健な市民社会ベースのNGOまで、多様である反面、彼ら一人一人がイメージする「もうひとつの世界」は何度会合が開かれても曖昧なままだ。サミール・アミンなどこの曖昧さに苛立った人達が、新たなインターナショナルの創設を提起したが、ほとんど具体的な成果をみていない。世界社会フォーラムは毎年、第三世界での開催だった。その後隔年開催となり、開催されない年には地域ごとのフォーラムを開催するようになる。これまでブラジル、マリ、インド、パキスタン、ヴエネズエラ、ケニア、セネガル、チュニジアなどで開催されてきたが、多分、徐々に数万規模のフォーラムを主催できる国は少なくなり、2016年にはモントリオールで開催されるなど開催地が第三世界に確保できなくなってきた。世界社会フォーラムの最大の問題は、フォーラムの中心的な課題が新自由主義グローバリゼーションに関連する経済や環境、ジェンダーの問題であったりするために、「対テロ戦争」の中心的な課題でもある宗教や諸々の「原理主義」問題を扱えていないということだ。私の経験に過ぎないが、世界社会フォーラムが極右や宗教原理主義といった問題への関心を持つことはそもそも困難だったのではと感じている。というのも、アフリカやパキスタンなどで開催するときにはイスラーム復興運動の問題を正面から議論することが可能だったかどうか、あるいはインドでヒンズー原理主義の問題を議論するような余地があったかどうか。
  • 運動の混迷?
    しかし、政治的な権力が世俗的であれば問題が解決するというわけでもない。その典型がエジプトの「民主化」運動だった。世俗政権がイスラム同胞団への強権的な弾圧を長年続けてきたことから、民主化運動は、こうした弾圧への抵抗運動という側面をもったから、純粋な世俗的な民主化運動とはいえないものを含んでいた。トルコもまた、世俗主義が政治権力の基本的なスタンスだが、国内の反体制派や民主化運動への弾圧は、同時に反体制派としての宗教弾圧をも含んでいた。もうひとつ象徴的な出来事を経験したことがある。それは、第三世界の左翼運動に影響力のあるサミール・アミンが、生前、反米のひとつの可能性として、ロシアのプーチン政権への期待を寄せていたのではないかと思わせる態度をとったことがあった。他方で、伝統的な宗教原理主義のなかで抑圧されてきた人々にとって、西側の民主主義の体制を獲得することは当面の課題として重視されていたともいえる。2004年以降続いたウクライナのマイダンと呼ばれるいわゆる民主化運動には、ウクライナのナショナリズムとネオナチが合流してロシアと対抗するという構図もあり、一概に「民主化」という言葉で代表できるような性質のものとはいえなかった。極右の影響力は、数の問題ではなく、相対的に少数であっても組織化されて強固な運動として登場し、伝統的なナショナリズムの感情を煽ることで影響力を行使した。ウクライナの極右の主張は「ウクライナファースト」「ウクライナに栄光を」といったネオナチのスローガンのウクライナ版でもあった。3

3 黄色いベスト運動

3.1 なぜ旗が立たない?

黄色いベスト運動が左派から注目と支持を得ていることは周知のところだろう。この運動が登場したときに私は率直に言ってある種の違和感を感じた。第一に、メディアが流す動画や画像には、赤旗も黒旗もない。そして平和運動からLGBTQの運動でも用いられるレインボーの旗もない。画像からの印象でしかないが、フランス国旗が目立ち、労組やエコロジストの旗もない。移民たちの姿が目立たない。組織である必要はないが、色に象徴される多様性がない。そして主張の柱がガソリン税増税反対だという。ちょうどポーランドでのCOPの会議を控えた時期で気候変動が重要な議題となっている最中のことだ。これに対してエコロジストたちは、的確な批判もしなかったし、かといって既存のエネルギーに依存する経済の構造に縛られている地方の問題に深い関心があるのかもわからなかった。(これらは多分に日本語のメディアの報道だからかもしれない)

こうしたやや「偏見」かもしれないような疑念を抱いた背景には、この間、私が注目してきたのが、極右大衆運動や文化運動の拡がりだったからだ。こうした大衆的な街頭での「暴動」のなかに移民たちの姿がめっきり影をひそめてしまったようにみえ、また、移民や難民を支援してきた組織の動向も目立たない。実際に黄色いベスト運動が提起したと言われているいくつかの要求項目のなかには、明確な移民排斥の主張すらある。4

3.2 右翼の対応

ルペンの国民連合は、そのホームページで炭素税引き上げ反対の署名運動などのキャンペーンを張っている。国民連合はグローバリゼーションが農村部を見捨てている点を批判し、農業や農村をフランスのナショナズムの再興の拠点に据えようとしている。地方にとって必需品でもある自動車、農家や中小零細企業にとってガソリンなどの燃料のコストは重要な課題であることを捉えた巧みな運動構築である。国民連合だけでなく、それ以外の極右の諸組織が、前面には登場していないが、たぶん運動の重要な主導権を握っているのではないかと思う。また、米国の極右ニュースサイト「BREITBART」は「パリ抗議」の特別ページを立ち上げて報道している。5

気候変動の深刻な問題への対処として、炭素税の引き上げを打ち出した政府に、エコロジストの運動の観点からどのような反対が可能だろうか。たとえば、フランスの緑の党は、炭素税引き上げに反対するが、その観点は、炭素税の19%しか脱炭素化政策に利用されない点を指摘して、この増税がCO2排出削減に寄与しないと批判している。

トルコのエルドアンは、このデモに対するフランス政府の弾圧を非難して民主主義として失格だと指摘した。ドナルド・トランプは、パリ協定が破綻したと主張する一方でフランス全土の抗議デモがその証左であるかのように賞賛するツイッターを呟いた。6デモ参加者が環境を口実にする増税に反対していることに好意的なコメントを出した。そしてロシアのプーチンはマクロンの新自由主義政策の失敗の証拠だと論評した。7

黄色いベスト運動にはフランスの伝統的な極右の運動、アクション・フランセーズが介入したり、欧州の極右もまたこの運動に注目している。たとえば、イタリアのネオファシスト組織CasaPoundはこの運動に参加した。8

ロシアの政府寄りの論調は、この黄色いベスト運動をグルジア(ジョージア)、ウクライナ、アラブの春同様米国が後ろ盾となった運動だという評価を下し、こうした動きがロシア国内に波及しないような方策をとる。しかし、ロシアのヨーロッパ向けの西欧言語の放送では、逆に黄色いベスト運動を、マクロンの自由主義への反対運動だと述べて肯定的な論調になる。そして、ロシアによる黄色いベスト運動への介入の有無が一時期イギリスをまきこんで話題になる。9
また、黄色いベスト運動の「記念写真」としてウクライナからの分離を求めるドネツク人民共和国の旗を掲げた写真を口実に、ウクライナ政府はロシアが黄色いベスト運動に介入しているというある種の陰謀論まがいの宣伝をはじめた。10

ロシア政府の運動への干渉の有無は不明だが、小規模な極右団体や個人の黄色いベスト運動への参加が確認されている。多くの場合、こうした国外の極右はフランス国内の極右の団体などと連携して運動に参加している。つまりフランス国内の極右が国外の極右の運動を呼び込み、黄色いベスト運動を極右の国際運動にしようとする動きが確実に存在した。なかでも注目すべきなのは、ロシアの極右の知識人で、「ユーラシア主義」のイデオローグでもあるアレキサンダー・ドゥギンの発言だろう。

「マクロンはロスチャイルド、ソロス、大金融、文化左翼、政治的正しさ、経済、右翼グローバリゼーション、フランスとヨーロッパのアイデンティティ嫌い、ベルナール・アンリ・レヴィ、もっと移民を、もっと同性婚を、もっと物価上昇を、中産階級の破壊、グローバル政府、コスモポリタニズムだ。あなたがこれらを好きなら、パリに来るんじゃない、黄色いベスト運動に参加すべきじゃない。しかし、ひょっとしてそうではないなら、ぜひ我々と共に参加すよう。今日、世界は分断されている。あなたたちは、イエロー・ベストかグローバルなマクロンの(奴隷)か、そのどちらかだ。フランス万歳!フランス人民万歳!独裁を倒せ…」

3.3 ATTACと緑の対応

ATTACフランスもマクロン政権は炭素税増税は、エネルギー支出が家計に占める割合の高い低所得層を直撃する一方で、増税分はほとんど脱炭素化には使われず、安価でクリーンな地方の公共交通サービスは閉鎖されて高速道路の建設など金融と経済のグローバル化に加担するものだと批判した。11

緑の党もATTACも増税=まやかし論である。これに対して、フランスのアナキスト連盟リヨンは、この黄色いベスト運動が右翼の特徴をもつことを承知の上で、この運動に参加することを表明した。このサイトの記事によると、もともと黄色いベスト運動は、自動車の速度制限に反対してスピード違反を検知するレーダーやガソリン税に反対する極右に近いグループから生まれたという。彼等の運動には、システムへの懐疑よりも実践的で直感的な怒りの信条が基盤となったもので、地方のフランス、「周辺部フランス」「忘れられたフランス」「農村の現実」といった概念で語られるような地域を基盤とするものだという。彼等の多くは確信的自覚的なレイシストではないが国民戦線(現在の国民連合)に投票してきた人々でもあるという。世界を席巻している極右(ロシア、ハンガリー米国、英国、イタリア、ブラジルなど)に共通しているのは「文化的なヘゲモニー」への関心である、とも分析している。アナキスト連盟リヨンは、極右のレトリックと馴れ合ってでもこうした運動に介入して主導権をとるというリスクを冒すべきだと主張する。12 総じて、黄色いベスト運動は、左翼が運動の戦術上の必要から介入を余儀なくされている側面が強く、本来の反資本主義の主張の枠組が極右の反ネオリベラリズムや反グローバリゼーションの主張に吸収されてしまい、行動としてもブラックブロックのスタイルを横取りされて、明確に思想的実践的な左翼性が見出せないところに追い込まれているように見える。

やや立ち入って、左翼からの二つのコメントを紹介したい。

3.4 アントニオ・ネグリのコメント

彼の持論でもあるマルチチュードへの期待を重ね合わせて、全体のトーンは何とかこの運動への肯定的な評価を試みようとする意図がベースにありつつ、今後どうなるかについては、「我々は待たなければならないし、何が起きるか見てみよう」というやや引いた論評だ。13興味深いのは、不定形の運動がこのまま進むことが左派にとってはあまりよい結果にならないと見ているところがある点だろう。「マルチュチードがある種の組織へと転換しないとすると、この種のマルチチュードは政治システムによって中立化し、機能不全になる。同じことだが、こうなれば、右翼に還元されるか、左翼に還元される。マルチュチードが機能するのは、その独立性にある。」とも言う。ネグリがここでマルチチュードにとっての組織として述べているのは、党を指すのではなく、資本に新しい空間をしぶしぶ認めさせて「資本の政府」に重くのしかかる存在になることである。「対抗的な権力」となること、マルチチュードが権力を掌握できないとしても、ある種の二重権力状態をもたらすことを期待しているようにも思う。しかし、右翼にも左翼にも還元されないというスタンスは、この間の極右の運動との関わりでいうといわゆる「第三の道」の主張とどこか共通するところがないかどうか、あるいはこの点を自覚して意図的に、非伝統的左翼による左からの「第三の道」を示唆しているのか、興味深いともいえる発言だ。

3.5 Crimethinc「進行中の分裂への貢献」の分析

もうひとつは、先にも紹介した、Crimethincのサイトに掲載されたContribution à la rupture en cours、英訳ではContribution to the Rupture in Progress、「進行中の分裂への貢献」とでも訳せるタイトルの運動への分析がある。l14この文章の著者はDes agents destitués du Parti Imaginaire、架空の党から却下されたエージェント。どこかシチュアシオニスト風な趣きがある。

この分析では、黄色いベストには三つの傾向があると分類している。ひとつは、本音では、将来の選挙にこの運動を利用しようと考えている潮流。スペインのポデモス、イタリアの五つ星運動、米国のティーパーティ運動など既存の政治に満足しないが、代議制を通じての変革を指向する方向でこの運動を利用しようとするポピュリストの流れに近い。国民投票による解決の模索はこの流れかもしれない。

二番目は、運動の政府との直接交渉を公然と要求する傾向。これに議会の与野党や組合も反応を示している。交渉の正統性を確保するには、黄色いベスト運動が対政府交渉を委任する代表を選出しなければならない。これは運動の水平性や非中心性という性質を反故にすることでもある。とはいえ、税制、エコロジー、不平等その他の争点となる課題を立法のプロセスに乗せようとする傾向で第三週に有力になった。組合や正統性のある代表なしに、政府との合意形成をどうするのかはっきりせず、結局は、政府による時間引き伸ばし作戦に屈してしまう可能性がある。

三番目が12月始めの週末にみられた運動のなかの反対勢力、あるいは最もラデイカルな傾向でマクロンの無条件即時退陣の要求。これは、警察の弾圧にもかかわらず、首都の富裕層居住区までデモが及んだことで、力を得た流れでもある。

この分析で興味深いのは、この三つの潮流のどれにも極右あるいは右翼が存在すること、また、上の三つの流れのどれになってもアイデンティティ主義や権威主義に傾く危険性がみられるし、主導権争いで左翼が勝利しても、反動や反革命の危険があることに注意を喚起している点だ。

後述するように、ネオリベラリズムとグローバリゼーションへの批判は左翼の専売特許ではない、ということをはっきりと確認する必要がある。これらは、新しい右翼の潮流もまた共有している。黄色いベスト運動のマクロン退陣は左右に共通するスローガンになるので、それ自体では左右の識別基準にはならない。先にも指摘したように、黄色いベスト運動には左翼を特徴づける運動の主張が希薄なのだ。

たぶん、新自由主義、市場経済、貧困、エコロジー、多国籍企業、消費主義、多文化主義、ローカルコミュニティ主義(あるいは地域分権)などのキーワードによる現状への批判では、左右の判別はつかない。そして右でも左でもない、という言説(第三の道とか第三の立場などとも言われたりする)はほとんどが右翼が自らの立場を隠して登場するときのスタイルになっている。

この点を若干補足しよう。多文化主義を右翼が主張するときは、異民族の絶滅要求ではなく、多文化を容認しつつ明確な棲み分けを強調し、移民を本国に送り返すことで地理的に分離して共存するという方向をとる。(今回の黄色いベストの要求項目にこの傾向がはっきりと出ている)エコロジーはその土地に伝統的に根づいた人々と自然との関係を優先させるナチュラリズムをとると、外来者を排除する思想を受け入れやすくしてしまう。これは地域分権主義にも言える。人々の生存は一面ではコミュニティとの繋りなしにはありえないのだが、このローカルコミュニティは同質的な伝統文化を共有する人々によって最もよくその合意形成が機能するとみなす。だから異質な文化を持ち込む移民を排斥することがこうした観点から正当化されてしまう。いわゆる消費主義は米国の多国籍企業が持ち込んだグローバル文化であって、ヨーロッパの伝統を破壊するものだから、否定される。こうした主張は半ばマルクス主義の資本主義批判の理論を援用することも厭わない。(後に紹介するド・ベノワはその代表格だろう)貧困問題もまた、移民の安価な労働力を導入しようとする資本の利益優先主義によるものだというトランプの主張と共通する考え方をとる。移民の出身国で彼らもまた「豊かさ」を享受できるようなシステムを構築すべきだ、そうすれば移民が自分たちの文化やコミュニティのアイデンティティを破壊するような事態は生じないという理屈になる。

彼らと左派の明確な分水嶺があるとすれば、ゾーニングや分離なしの移民の受け入れ、ジェンダーの平等、明確な無神論の立場(異教主義は反キリスト教極右が好む立場)、伝統文化の拒否といったところかもしれない。これらは、抽象的な理念としては掲げることは容易だが、それを理論化し、実践に結びつけるための運動全体の制度設計はほとんど未知の世界になる。しかし、こうした領域に挑戦することなしには、反資本主義の再定義も不可能である。経済の領域は、よっぽど徹底した資本主義批判の線を明確にしない限り、極右との違いは明確にならない可能性がある。

そもそも、ファシズムもナチズムも左翼の運動がナショナリズムに回収されて登場した側面があり、左翼だから大丈夫ということは全くない、というのが歴史の教訓だろう。だから、逆に、黄色いベスト運動だけでなく、最近の諸々の民衆の運動や市民運動から得るべき教訓は、大衆運動のネガティブな側面を見ることなのではないかと思う。

3.6 何が左右で共有されているのか

黄色いベスト運動に共有されているのは、マクロン政権への異論や反発と炭素税増税反対だけでなく、現状のフランスが直面している課題の根源に、左右どちらであれ、長年政権が採用してきた基本方針、グローバリセーション(あるいは新自由主義グローバリゼーション)への懐疑である。農村部や低所得層が増税とグローバリセーションの最大の犠牲者であるという点でも認識は共有されている。極右にとって、グローバリゼーションがもたらした農業の破壊や失業に対するオルタナティブは、国家による保護主義の復活であり、ナショナリズムの価値観の再興という過去の経験への回帰が、大衆を動員する上で最も効果的なスタンスになる。

黄色いベスト運動は、様々に解釈されてきた。「暴動」があたかも自然発生的に起きたかのように報じられ、政府も「首謀者」を把握することに苦慮しているかの報道がなされている。私の見方は違う。たぶん、語義矛盾だが、意図的に自然発生性が「組織」されたと思う。そして、組織が見えない状況もまた意識的に生み出されてきたものだと思う。というのは、90年代以降、極右の運動は、左翼の反グローバリゼーション運動の戦術から多くを横取りして自らの戦術へと組み入れてきたからだ。ブラックブロックのような街頭闘争戦術(黒のコスチュームを着たファシストたち―もともとファシストは黒シャツがシンボルだった―、そしてゲリラや地下組織のノウハウを導入した「リーダーなき組織」の構築、更には、資本主義批判では、マルクスからグラムシまでマルクス主義を借用し、ポストモダンの思想では、ボードリヤールからシチュアシオニストまでをちゃっかり利用する。そうかと思えば、エコロジーが「在来種」主義や太古のヨーロッパ神話と融合して移民排斥やセクシズムを「伝統」や「自然」の衣裳で包み込まれて利用される。こうした傾向を、インターネットのSNSなどのネットワークは、怒りや苛立ちといった感情を動員するような言説の空間として人々を煽る道具になってしまい、冷静に多様な見解を収集して自律的に意思決定する個人の主体性を奪う方向で利用されている。

4 極右の世界観―従来のネオリベラリズムとの本質的な違い

右翼のナショナリズムと保護主義への回帰はそもそも19世紀から20世紀にかけての近代合理主義に対する否定として、また20世紀の反社会主義のイデオロギーと冷戦期の反共政策のなかで構築されてきたものだった。

これに対して、左翼が反グローバリゼーションという場合、犠牲となる貧困層や地方をグローバル資本主義の軛から解放する社会構想は、破綻した20世紀型の社会主義や福祉国家を持ち出すことでは片付かず、現実的ではないという意味も含めて、私たちにとっては全く魅力に欠ける。20世紀の社会主義の最大の問題は、近代資本主義を継承した進歩の観念と粛清に端的に示された自由の問題だ。前者は経済とテクノロジーの、後者は政治とイデオロギーの問題であり、これら全体が人々のコミュニケーションと合意形成の場の構造によって規定されており、このいずれについても、先例を反面教師にすることはできても、その伝統の継承は選択肢にはならない。この点が、伝統を美化して継承しようとする右翼の戦略と非対称的ともいえる。だが、同時に、このことは、よほどの想像力/創造力を駆使することなしには、獲得できないという、大きなハンディを左翼は負っている。

大衆民主主義を基盤とした代議制民主主義の制度を前提するとすれば、ポピュリズムに迎合することなしには権力を掌握できないが、そうであるとすれば、左翼の原則を踏みはずさない一線を引きつつ、かつ、大衆的な支持を運動としてどのようにして創造できるのか、が問われることになってしまう。しかし、既存の代議制民主主義が反資本主義をその内部から生み出すことがありえるとは想像できない。逆に、代議制民主主義や既存の憲法の枠組からファシズムや軍事独裁政権が正統性を獲得することはよくある。多かれ少なかれ、資本主義と近代国民国家を前提として、その制度的な土台の上でのオルタナティブを企図することになる。私にとって、こうした選択肢が、近代資本主義が歴史的に形成してきた根源的な問題を解決する魅力あるものには見えない。この点で、左翼にとっては、過去への回帰という手段をもつ極右に対抗できるだけの未来への展望を支える理念を構築できているのかどうかが問われることになる。伝統への回帰に抗い、むしろ明確にこうした復古主義を拒否する基盤が、狭義の意味での経済的な資本主義批判だけでは明かに弱い。極右は左翼のこの弱い環を的確に突いているように思う。言い換えれば、反グローバリゼーションとしての反資本主義の民衆的な基盤を、経済決定論の狭い枠から広げて、ナショナリズムに回収されないアイデンティティの文化的な政治の課題として構築する方法論がまだ未成熟なのだ。

黄色いベスト運動だけでなく、最近の大衆運動で、目立つ「暴動」のスタイルには1990年代まで繰り返されてきた「暴動」にはない特徴があるように思う。今世紀にはいってから、民衆の運動が高揚するとき、「左右」の軸で運動を評価することが難しい局面が増えているように思うからだ。アラブの春といわれたエジプトのタハリール広場占拠のなかには、世俗的な社会運動からムスリム同胞団などの組織までが共存した。ウクライナのマイダンと呼ばれた反ヤヌコヴィッチ政権運動のなかには明かなネオナチの組織から民主化を求めるリベラルまでが存在した。ギリシアは急進左派と右翼の独立ギリシアが連立を組む。ウォール街占拠運動もまた、左派がヘゲモニーを握るなかで、右翼の介入(主導権を握る試み)が繰り返し指摘されてきた。右翼の反ユダヤ主義は伝統的に多国籍金融資本をユダヤの陰謀とみなす観点をとるからだ。そして、ブレクジットもまた、英国で極右が主導権を握って成功した事例に入れていいだろう。エコロジストの運動もまたいわゆる「エコファシズム」の問題を抱えてきた。つまり、近代工業化以前の社会への憧憬を背景とする「自然」回帰としてのエコロジーが、排外主義とセクシズムを内包するという問題だ。日本でも原発反対運動のなかには、原発に反対するのに右翼とか左翼といった立場を超えた連携が必要だという主張がある。環境からグローバル化まで、その矛盾の山積に対する答えとして、ナショナリズムが(あるいは宗教的な世界観が)急速に力を得てしまっている。「黄色いベスト」運動はこの意味でいって、目新しいこととはいえない一方で、街頭闘争として表出した反政府運動の主導権をこれだけ公然と極右に握られる事態が民主主義の牙城でもあるフランスで起きたことは、深刻なことと受けとめなければならないと思う。

以下では、極右の世界観、あるいは近代資本主義批判について二人の人物をとりあげて批判しておきたい。一人は、一時期トランプ政権にも参画したスティーブ・バノン。もうひとりは、左翼の思想を右翼の文脈に転用してきたフランスのアラン・ド・ブノワである。

4.1 スティーブ・バノンの場合

バノンは、彼の貢献がなければトランプは大統領にはなれなかったとすら言われている影の立役者である。「バノンはトランプに世界観を授けていた。理路整然として、内容も首尾一貫した世界観だ」これがアメリカ第一主義のナショナリズムと移民排斥の主張を生み出した。15

バノンは、伝統主義的なカトリックの家に生れ、海軍で勤務後にハーバードビジネススクールを卒業して1985年から5年間、ゴールドマンサックスでM&A部門に勤務。1990年退社し、投資顧問会社をビバリーヒルズにバノン&カンパニーを設立する。また、日本の商社経由で1億ドルの融資を受けて映画制作会社を設立する。ハリウッドでは多くの企業合併や買収などにたずさわりつつ、映画制作に投資家として関わる。また、香港を拠点にコンピュータゲーム業界にも進出する。その後自身も映画制作そのものに携わるようになる。最初の作品が、the Face of Evil Reagan’s War in Word and Deed。スターリンの粛清からはじまる映画この映画でレーガンが賞賛される。保守派のLiberty Film Festivalで評価される。この映画祭で、バノンはブライトバートと知り合い、後にバノンは極右のニュースサイト『ブライトバートニュース』で仕事をするようになり、2012年に執行役員になる。オバマ政権下では、ティーパーティ運動のサラ・ペイリンを主題としたドキュメンタリーを制作する。『国境戦争』(2006)ではメキシコ国境の移民を扱い、『祖国のための戦い』(2010)、そして『ジェネレーション・ゼロ』(2010)では金融システム批判を題材とした。この映画で彼は、古巣である金融資本を批判するようになる。「1990年代後半、政府、メディア、アカデミズムなど多くの機関の権力は左派によって奪い取られた。こうした立場や権力の座を通じ、彼等は制度を分断し、ついには資本主義体制を崩壊させる戦略を実行することができた」(『ジェネレーション・ゼロ』)という。

このように、バノンは、米国のエンターテインメント産業とネットニュース業界の両方に足掛かりをもち、しかも金融業界の内幕や米軍とのコネクションもちつつ、保守本流をも嫌う一匹狼としてトランプを大統領へと押し上げるための土台を築いた。

  • バノンとトランプ
    移民政策でトランプが排外主義のスタンスを明確にするきっかけになったのが、オバマ政権による2013年の移民法改正法案問題だった。(いわゆる「不法滞在」の移民1100万人に市民権を与えるなど)。トランプはこの年3月の保守政治活動評議会(CPAC)のスピーチで「われわれはアメリカをふたたび強い国にしなくてはならない。アメリカをふたたび偉大な国にしなくてはならないのだ。」と今でも繰り返される主張を展開し、1100万人に市民権を与えれば皆民主党に投票すると危機感を煽った。2014年には、国境州では「まるで門戸開放政策を認めたかのように、この国にひたすら人間が流れこんでいる。彼らには、医療を提供し、教育を施せち、ありとあらゆるものを提供してしかるべきだと思われている。」と批判した。そして2015年には国境に壁を作ると公言することになる。こうした極端な主張を公言するトランプを泡沫ではなく主流に押し上げる上で、バノンが果した役割がいくつかある。ひとつは、ネットの右翼をブライトバードニュースにとりこんだこと。これができたのは、ネットゲーム世界でのバノンの経験が生かされた。ネットの世界では、オルタナティブ右翼(オルタナ右翼、alt-right)が4chanや8chanなどの掲示板で急速に広がりをみせていた時期で、ゲーマーのなかのレイシストやセクシスト好みの記事を積極的に掲載し、ブライトバードニュースサイトに若いネトウヨを引き寄せた。(その実務を担ったのがゲイのテクノリジーブロガー、マイロ・ヤノブルスだと言われている)もうひとつは、最大の大統領候補のライバル、ヒラリー・クリントンを徹底的に攻撃する戦術を展開したことだ。単なる誹謗中傷だけでなく、クリントン財団の金の疑惑を調査報道で暴露する手法を使った。これは、ブライトバートの編集者でもあるピーター・シュヴァイツァーが『クリントン・キャッシュ』として出版し、バノンの映画制作会社によってドキュメンタリー映画にもなる。本書は際物というよりも主流の民主党寄りメディアでも同意せざるをえない内容をもっていたと言われており、この本がヒラリーの人気凋落に果した影響は大きいと言われている。
  • バノンの世界観
    バノンの世界観は、単純なアメリカ・ナショナリズムではない。もっとやっかいなものだ。ジョシュア・グーリンは、カトリシズムの影響もありバノンは社会を歴史的に見ようとし、「文化もむしばむ俗世界のリベラリズムには激しく反発した」という。しかし、単純なキリスト教原理主義ではない。彼はカトリック内の宗教改革やキリスト教神秘主義、東洋の形而上学、禅などに関心をもつが、最も大きな影響を受けたのが、20世紀初頭のフランスの伝統主義哲学者でカトリックからイスラム神秘主義者になった、ルネ・ゲノンだという。グリーンは次のようにゲノンについて説明する。

    「ゲノンは”根源的な”伝統主義学派の思想家であるとともに、ある種の古代宗教の理念を新報した。そうした原初の宗教―ヒンドゥ教ベーダンタ学派。スーフィズム(イスラム教神秘主義哲学)、中世カトリシズム―は、共通する霊的真実をたたえた宝庫で、西洋世界で世俗的な近代主義が台頭するとともに一掃された人類最古の霊的真実を明かにするとゲノンは考えた」

    この奇矯とも見える主張は、日本の文脈に置き換えればある種の「近代の超克」としての伝統の再発見である。このゲノンの主張を継承した20世紀はじめの最も重要な伝統主義哲学者がユリウス・エボラだ。グリーンはエボラを「イタリア知識人で伝統主義学派の面汚し」と書いている。なぜならエボラはイタリアファシズムのムッソリーニ以上にラディカルな立場をとったからだ。(そして、ムッソリーニ以上に戦後の極右の思想家として影響力を維持しつづけた)

    「君主主義者にして人種主義者のエボラは、両大戦間のヨーロッパの政治をカリ・ユガによる堕落に求め、社会的な変革を駆り立てようと具体的な一歩を踏み出した。(略)1938年にはベニート・ムッソリーニと関係を結ぶと、エボラの思想はファシストが唱える人種論の理論的な裏付けをなす。のちにムッソリーニへの興味を失うものの、ゲノンの思想はナチス政権のドイツで広く受け入れられていく。

    バノンは、ゲノンの『世界の終末:現代世界の危機』(1927、邦訳は平河出版)やエボラの『現代世界への反乱』(1934)に書かれた西洋文明の崩壊と超越的存在の喪失といった共通のテーマを通じ、伝統主義学派に対する興味を募らせた。この思想の精神的側面にもバノンは大いに魅了され、ゲノンが1925年に書いた『ベーダンタによる人間とその生成』については「人生を一変させた発見」と語っている。

    バノンのこうした世界観を荒唐無稽として冷笑してすますわけにはいかないところに私達はいる。なぜなら、同じように荒唐無稽な靖国の世界観を抱く政治家たちを政府や権力の中枢にもち、しかも憲法にまで「天皇」という日本の伝統主義の世界を持ち込んでいるからだ。

    グローバリゼーションは、こうした伝統主義の非合理的な世界観の亡霊を復活させた。以下で紹介するベノワも含めて、彼らがグローバル資本主義に対して対置する政治の主要な課題は、西欧のアイデンティティの復権であり、西欧に固有の文化的な価値の復興である。これはイスラームであれヒンドゥーであれ仏教、神道であれ、今起きているレイシズムやセクシズムを正当化し、個人主義に基づく自由と平等を否定する世界規模で生じている反動現象の根源に関わる問題である。

    右翼による資本主義経済批判は、資本主義=近代が基本に据えた物質主義(唯物論)と進歩史観(近代以前の世界の否定)に基いている点を批判のひとつの軸に据える。

4.2 アラン・ド・ベノワの場合

アラン・ド・ベノワ(Alain de Benoist 1943〜)戦後フランスの極右のイデオローグの一人。68年に「新右翼」を標榜して登場する。

彼の著作は経済、文化、ポストモンダンの思想から東洋思想まで幅広い。『底なしの破局の縁で:差し迫った金融システムの破綻』ではリーマンショックの分析から反資本主義を主張した。

資本は、利潤を追求するなかで「資本は徐々に、生産から、投機へと転換し、生産的な投資の機会を提供しなくなる」と説明する。

「今、我々が実際に直面しているのは新しい種類の三つの危機なのである。つまり、資本主義システムの危機、自由主義グローバリゼーションの危機、アメリカのヘゲモニーの危機である。」

「資本主義の永遠の問題は市場の問題である。本源的に、資本主義は、人々から購買力を徐々に奪いつつ、人々により多くのものを売ろうとする。一方で労働から得られた所得の不利益を増大して資本の利潤を得ることを賞賛するが、他方で、最終的には、利潤が上昇し続けるために消費が増大しなければならないことが必然的だということも理解する。賃金を引き下げることは消費を縮小することになる。資本主義のフォーディズムの局面では、人々が生産されたものを消費する手段を欠いていれば、無限に生産を増加させるという目的を維持することはできないことが自覚される。賃金は、消費を支えるという目的だけのために上昇してきた。この局面が今終わろうとしているが、これは「栄光の30年間」の頂点であった。フレデリック・ロルドン(訳注:『私たちの“感情”と“欲望”は、いかに資本主義に偽造されているか?――新自由主義社会における〈感情の構造〉』『なぜ私たちは、喜んで“資本主義の奴隷”になるのか?』いずれも作品社)が「賃金の下方圧力の資本主義」と呼んだものにおいて、消費を支え維持するための賃金上昇というフォーディストの論理は今や廃れた。この場面では、我々は資本主義の主要な形態に回帰する。ここでは、資本と賃金稼得者の収入の分配はゼロサムゲームとみなされ、一方が勝利すれば他方は敗北することになる。」

ベノワは金融危機から三つの教訓を引き出す。

第一に、「リベラル」のテーゼが否定されたということ。個人による利己的な振舞いが全体の利益になるという考え方が否定された。個々人や企業の最大限利潤を追求する行動とそてに必要な規制緩和(レーガンやサッチャー時代以来)は少数の富裕層と大多数の貧困化をまねいた。

第二に、需給の市場による自然な均衡の達成という考え方が成り立たないということ。市場は自律的に均衡を達成できず、危機に陥った大企業を救済するために、結果として国家による支えを必要とする。「金融の世界は自己規制できず、回復するための能力は大半、公的資金の注入に頼る」ことになる。

第三に、資本主義が循環性を有するとされながら、その予測ができたためしがない。経済学は科学だというが、そうであるなら、リスクを合理的な手法で処理し、永続的な成長を達成することを可能にできなければならないが、そうはなっていない。

そして、主流派の経済学(ブルジョワ経済学)を以下のように批判する。

「主流の経済学は危機を予見することもできていないし、危機を解決する手段の確認でも成功していないのはなぜなのか。それは、人間を、言うべきことが多くあるのに、Homo oeconomicusに還元してしまうからだ。社会的なリアリティは、数学の等式によっては理解できない。人間は、常に自分が所有するものを最大化しようとする合理的な存在でもなければ、単なる生産者や消費者でもないからだ。この事実を考慮すれば、不可避的に相互に絡みあう人間的社会的事実からかけはなれた「純粋な経済的客体」を単独でとりだすことは不可能である。新古典派経済学によれば、人間は数字に還元でき、彼の行動は予測できる。現在の危機は、この「透明性」の主張がまちがっていることを証明している。現実には、歴史は予測不可能である。」

量化され経済的合理性に人間を還元する経済学へのこうした批判は、マルスク主義とは言わないまでも左派の批判的な経済学に共通するある種のヒューマニズムと基本的に変わらない立場をとる。

資本主義の永遠性を前提とする経済学の理論を批判して次のように言う。

「存在する全てのものは、その存在をもたらしたことがらによって死ぬというのが事実である。疎外をもたらすあらゆるシステムにも同じことがいえる。つまり、システムに生命を与えるものやシステムが所与の時間に自らを存続させることを可能にすることが、また、その消滅の条件を生み出すということである。資本主義は永遠であるというのが支配的な信念であるが、真実は信用の悪魔と利潤のみの政治イデオロギーは、試みがそのキャリアを永続化させようとしても、究極にはその宿命を避けることはできない、ということである」

このベノワの主張は歴史的な限界をもつものとしての資本主義を明言するが、その先の社会についての構想を伝統への回帰とするところが左翼と明確に異なる。

4.3 移民、資本にとっての予備軍

1973年に当時のフランス大統領、ポンピドウは、大企業のボスたちの要求を容れて、移民の水門を開けた。その理由は、「フランス労働者の賃金の下方圧力を強め、抵抗の情熱を軽減し、加えて、労働運動の団結を破壊するために、安価で階級意識やあらゆる社会闘争の伝統を奪われた御しやすい労働力からの利益を望んだからである。

40年たっても何も変っていない。また、フランスは19世紀以来、移民労働力に依存しつづけてきたことを説明する。戦後は、マグレブからの移民が増える。

ベノワは、戦後のフランスの移民政策を振り返るなかで、日本に言及する。

「労働力不足がある部門で起きるとき、二つのうちのどちらかが生じる。ひとつは、賃金が上昇する。もうひとつは外国人労働力が増加する。」とフラシス・オーラン・バルサは説明する。一般に、フランス雇用者全国評議会(CNPF)が、1988年以降はこれを受け継いだフランス企業運動(Medef)が選択したのが二番目の主張だった。これは短期的な利潤への欲望を身をもって示す選択であり、これによって、生産装置の改善や産業の諸問題でのイノベーションは鈍化した。同時に、実際に、日本の例は、自生種の雇用に有利になるように、日本の西洋の競争相手の多数に先がけて技術革新をおこなうことをこの国に可能にした。

移民は、まず最初から雇用主の現象である。これは今日でもそうである。より多くの移民を求めるのは大企業である。この移民は、資本主義の精神によって、国境を廃止する傾向をもつ。「社会的な投げ売りの論理に従って、「低コスト」の労働市場が惨めでいまわしい違法移民を間に合わせのために形成される。あたかも大企業と極左が手組んだかのように、大企業は彼等の目からみて高価すぎる福祉国家を廃止するために、極左は国民国家をあまりにも古くさいものとして破壊するために」とバルサは言う。これは、共産党とCGTが―これらはラディカルにそれ以来方針を変えてきたが―1981年まで国境を開くというリベラルの原理に反対して、労働者階級の利益を防衛するという名目で闘ってきた理由がこれだ。」

ベノワは、純粋な資本の論理からすれば、移民が資本に利益をもたらすことを否定しない。しかし、彼は、リベラル派のフィリップ・ネモ(レヴィナスとの対話が翻訳されている)を引用しながら、「社会学的な問題」を看過すべきではないと強調する。また専門機関の経済分析評議会(CAE)のレポートを引きながら、労働力不足は伝統的に移民労働力を正当化するときに持ち出される論理だが、失業の時代にこれは妥当しないと批判していることを紹介する。労働力不足の部門は賃金が低すぎることがその原因だというレポートの主張を肯定的に紹介する。

ベノワは、移民現象は資本主義のグローバル化がもたらした現象であるということから、グローバル化を批判するのであれば、国境を開き移民を受け入れるということも否定しなければならないという立場をとる。言い換えれば、資本主義のグローバル化を批判しつつ移民受け入れを肯定するのは首尾一貫しない、という主張だ。

ベノワの議論の全体像を分析する余裕もなければその能力も今の私にはない。しかし、ひとつ言えることは、彼の反普遍主義、あるいは近代合理主義批判を通じて、これらに対置されるより好ましい将来社会が、固有の集団に基く相互に通約しえない文化的なアイデンティティをもつようなところで具体性をもたせようとしている点だ。こうした具体性の根拠を彼はキリスト以前に遡る西欧の伝統的な価値を求める。

マルスクは、市場経済=商品経済の批判の一つの観点に、貨幣的な価値に象徴される抽象化された関係への批判を置いた。商品の価値がその使用価値を支配する関係はその典型であり、モノの使用価値が商品化による価値の支配から解放されるということが、市場経済からの解放のひとつの観点だった。しかし、この議論は、使用価値がいったいどのような意味を内包しているのか、という観点を重視することがなかった。ベノワのような議論を前にして、私たちは、更にマルクスが問わなかった課題、そもそも「使用価値」とはどのようなものであるべきなのか、あるいは、どのようにあるべきではないのか、という問題を考えなければならないところに来ている。モノに固有の意味を与えるのは、人間集団の側である。それが資本によって組織されていないとしても、この人間集団がどのようであるかによって、モノの意味は、時には人々の相互関係に内在する排除と包摂の機能を果す。豚肉は食用としての使用価値があるのかという問題は市場の価格や価値に還元できないだけでなく、文化的な包摂と排除の意味を伴うことは容易に理解されるだろう。これはモノをめぐる生態学や食品添加物などがもたらす医学上の影響といった問題とは違うレベルのことだ。ベノワのような右翼は、こうしたモノのカテゴリーを伝統の価値に沿って再構成することを通じてコミュニティのアイデンティティを確保しようとする。では、左翼にとって、モノの具体性の意味はどのように構築されるべきなのだろうか?このようなことは問われてきただろうか。

5 反資本主義の課題とは何か―極右の台頭に抗するために

極右の主張の特徴を列挙すると

  • 反グローバリズム→コミュニティを基盤に据えた社会システム
  • 反中央集権→コミュニティのアイデンティティ重視
  • 反貧困→自民族中心の「平等」。排除に基づく「平等」
  • 議会制民主主義への懐疑→直接民主主義、政治的な特権層の否定
  • 進歩史観の否定と「近代」の超克→西欧文明の危機
  • 「伝統」の再発見→危機への対抗軸としての自民族の伝統の再発見
  • 在来種主義(ナチュラリズム)としてのエコロジー→「伝統」の敵対者としての移民、難民
  • 白人至上主義と家父長制的なジェンダー意識→家族と性役割の規範を「伝統」に求める
  • レトリックとしての「反資本主義」→リベラリズムの理念(自由と平等)の否定=「伝統」に基づく権威主義の復興
  • ユダヤ=キリスト教への批判としての「異教主義」あるいは「神秘主義」
  • マルクス主義思想の横取り→資本主義批判(貧困と資本の搾取)を摂取しつつスターリニズムを生み出した20世紀の社会主義、共産主義とその源泉の拒否

イデオロギー的な背景は複雑だ。しかし、多くの極右思想がおおむね共有しているのは、次のような傾向だと思われる。

  • シュペングラー『西洋の没落』への高い評価
  • 反啓蒙主義。ニーチェやドイツロマン派(たとえばワーグナーのような反近代主義
  • ルネ・ゲノンなどの神秘主義
  • ヒンドゥー主義など東洋の宗教や神秘主義
  • オットー・シュトラッサーなどナチス左派(ヒトラーに粛清された国家社会主義者たち)
  • 歴史修正主義(ホロコースト否定論、ユダヤ陰謀論)
  • ユーラシア主義(アレクサンダー・ドゥギン)

これらはどれをとっても重い課題である。以下では、ごく一言づついくつかの論点についてコメントするにとどめたい。

5.1 敵を個人の人格に還元すべきではない

安倍であれトランプであれ、運動がターゲットにしやすいのは、独裁、権威主義、極右、宗教原理主義を代表する個人になりがちだ。しかし、こうした個人をターゲットにする運動が、当該の問題とされる個人を誰か別のより好ましい人物に置き換えさえすれば問題が解決されるかのような対応に陥る危険性がある。とりあえず安倍よりマシな自民党の誰か、あるいは望むべくは野党が政権をとってくれればマシになるハズ、という期待だ。

歴史の教訓は、残念なことに、こうした期待が常に裏切られてきた、というものではないだろうか。ごく短い期間、社民党の村山政権の時代、自衛隊を合憲として容認したのではなかったか。当然のことだが、システムそのものが構造的に抱えている問題は、システムそのものを解体しない限り解決はされない。それを個人の問題に置き換えることはできないし、よりマシと思われる誰かが政権についたとしても解決されない。

5.2 資本主義の構造とその抵抗主体

どの社会システムも構造的な矛盾を抱え、この矛盾のなかで、抵抗の主体が構築される。抵抗の主体をシステムの側は、システム内部の矛盾として回収してシステムを再構築する。社会システムは歴史的な構造だから、こうした一連の抵抗の弁証法が機能できなくなると、構造そのものが解体に向う。

資本主義という歴史的な時代を形成してきた社会システムは二つのサブシステムを統合して成立してきた。

ひとつは、資本による市場経済的な価値増殖のシステム。もうひとつが、国家による政治的な権力の自己増殖システム。前者は、経済的価値を担い、後者は国家という幻想的な共同体に収斂する非経済的な価値の担い手となる。経済的な価値は、近代社会では市場経済が支配的であることによって、市場の貨幣的な価値の評価によって一元的に把握可能な側面がある。この側面に着目して、資本の価値増殖がもたらす矛盾を、賃労働者に対するの搾取として明かにしたのがマルクスの資本主義批判だ。しかし、この批判は、資本主義総体の批判というよりも、資本主義のシステムに果す資本の機能が労働者にもたらす深刻な経済的な抑圧という側面に限定されている。だから、貧困の問題、経済的な平等がこの領域では、重要な関心となる。この批判は資本主義批判の核心の一部をなすが、その全てではない。

5.3 マルクスの資本主義批判=資本批判の限界

マルクスもエンゲルスも国家が果す権威主義的な権力効果を過少評価した。資本の手から生産手段を奪い返した労働者階級が、その生産物を平等に分配するために国家の装置を利用するとしても、それは生産物の分配のための道具にすぎず、それ自体に権威も支配も生じないとみなした可能性が高い。しかし実際は、国家はこうした平等な分配装置であるだけでなく、民衆を統合する装置ともなった。たぶんプロレタリア独裁は資本主義的な資本の独裁よりもより平等でありうる可能性をもつが、そうなるかどうかは国家の統治機構が官僚であれ労働者の評議会であれ、意思決定過程そのものの平等という政治的な平等の問題をクリアできなければならない。20世紀の社会主義の「実験」は、国民国家の装置を利用した経済的平等あるいは資本の廃棄=社会主義という路線は、当初想定されたような労働者の解放には結びつかなかったということだろう。

5.4 アナキズムによる国家の否定の限界

他方で、権力の自己増殖システムは、近代国家批判として、アナキズムが主要に関心を寄せてきた領域だといえる。人間が集団を組む場合に、いかなるレベルであれ、集団の「統治」という問題を避けることはできない。権力は、権力の自己維持のために自立的な運動を展開する。それが官僚機構であれ評議会であれ、それ自体には権力の再生産を規制するメカニズムが必然だとはいえない。つまり、権力を―近代であれば国家を―廃棄する内在的な駆動力は意識的な制度設計がなされない限り、不在である。問題は、不在であるこの権力の自己維持機能が軽視されて、理性とか階級的な進歩とか、時には神なども持ち出して、権力の正当性を維持しようとする。他方で、この統治の問題は、人間にとっての平等とともに最も重要な権利としての自由と相反関係にある。同時に、近代市場経済は、個人の自由を近代以前の社会との比較において格段に拡げたことは事実だ。とりわけ、「貨幣」の匿名性は経済的な自由を支える中核をなしてきた。この意味で、市場経済は「自由」の土台をなす側面がある。この側面が強調されると、国家の権威主義的な介入や国家権力による自由への干渉を否定する手段として、市場経済の自由を最大限に拡張することを肯定する資本主義的アナキズムの主張が登場することにもなる。

5.5 物質性と身体性と不可分な文化とイデオロギーこそが資本主義の「土台」をなしている

資本主義が物の生産を通じて〈労働力〉の再生産と統治機構=権力の再生産を維持するという回り道をとってきた20世紀前半から、それ以降、この過程を維持しつつ、主要なシステムの維持を、社会を構成する人間そのものを資本主義の意識として直接生産する過程へと転換してきた。その結果が、コミュニケーションを資本と国家が包摂する情報資本主義をもたらした。

人間は、象徴作用を伴うモノによって世界を生きている。その端的な現れが言語としての「ことば」だが、それだけでなく身体言語のように非言語的なコミュニケーションから、合理的な理性によっては把握できない非合理的な世界―神の観念とか「夢」や「無意識」の世界、あるいは諸々の神秘的と言われる経験まで―である。どのような社会の支配的なシステムもこうした人間の非合理的な側面を包摂する。その枠組を「文化」と呼ぶわけだが、これを資本と権力の再生産の外部に与件として措定せざるをえないところから近代資本主義は始まった。これは人間を全面的に支配することができないシステムの弱点を意味していたが、それを20世紀の資本主義は包摂するようになる。その端的な現れが、19世紀から20世紀にかけて急速に開発されてきた精神医学、心理学といった領域の権力作用である。

同時に人々の労働は、物を対象とする労働から人を対象としてコミュニケーションを介して人々を制御する労働が中心をなすようになる。資本と国家の意識を内面化することが人々の〈労働力〉としての最低限の条件となる。反資本主義とは、経済的な搾取からの解放ではまったく不十分になったのだといえる。反資本主義の課題は、資本と国家に従属する労働化されたコミュニエーションからの解放である。しかし、この課題は、コミュニケーションが「言語」と不可分であるために、「言語」の解放という問題を含まざるをえない。言いかえれば、こうした過程を経ることなしに、右翼が武器とする伝統や文化を武装解除することはできない。この課題に失敗した20世紀の社会主義がほとんど国家社会主義となった教訓は、むしろ私たちにとって、次の時代の重要な基礎を与えてくれるにちがいない。とはいえその犠牲は余りにも大きく、その犠牲の責任を、少なくとも、マルクス主義に多かれ少なかれ依存してきたという自覚がある私は、ある意味で負いつづけなければならないと感じている。

Footnotes:

1 “I faced threats for being ‘outspoken'” https://www.bbc.co.uk/programmes/p06zdypy

2 こうした問いを発する私にとって、あたかも大衆は私の外部にあるかのようだ。そしてまた、大衆と呼ばれて十把一絡げにされる集団の存在を、その集団を構成する一人一人の存在への敬意もなしに扱うような方法がいいとは思えない。こうした違和感を感じながら書いている。

3 Ukraine’s Fractures. An interview with Volodymyr Ishchenko for New Left Review. http://www.criticatac.ro/lefteast/ukraines-fractures-nlr-interview-with-ishchenko/ ヨーロッパから東欧、旧ソ連圏にかけての極右のロシアへの評価は「反ロシア」として括ることはできない。ロシアの極右はヨーロッパの極右と連携する側面もあり、更に、ロシアの極右は、反ソというわけでもなく、むしろスターリンへの評価が高い場合もあり、「国家社会主義」を主張する場合は自由主義よりも社会主義を肯定する側面もある。

4 黄色いベストたちの要求
http://attaction.seesaa.net/article/463103573.html
以下のうち●印は、注目すべき論点 ▼は小倉のコメント
フランスの代議士諸君、我々は諸君に人民の指令をお知らせする。これらを法制化せよ。

  1. ホームレスをゼロ名にせよ、いますぐ!
  2. 所得税をもっと累進的に(段階の区分を増やせ)。
  3. SMIC〔全産業一律スライド制最低賃金〕を手取り1300ユーロに。
  4. 村落部と都心部の小規模商店への優遇策(小型商店の息の根を止める大型ショッピング・ゾーン〔ハイパーマーケットなど〕を大都市周辺部に作るのを中止)。+ 都心部に無料の駐車場を。
  5. 住宅断熱の大計画を(家庭に節約/省エネを促すことでエコロジーに寄与)。
  6. 〔税金・社会保険料を〕でかい者(マクドナルド、グーグル、アマゾン、カルフールなど)はでかく、小さな者(職人、超小企業・小企業)は小さく払うべし。
  7. (職人と個人事業主も含めた)すべての人に同一の社会保障制度。RSI〔自営業者社会福祉制度〕の廃止。
  8. 年金制度は連帯型とすべし。つまり社会全体で支えるべし〔マクロンの提案する〕ポイント式年金はNG)。
  9. 燃料増税の中止。
  10. 1200ユーロ未満の年金はNG。
  11. 〔地方議員も含めた〕あらゆる公選議員に、中央値レベルの給与を得る権利を。公選議員の交通費は監視下に置かれ、正当な根拠があれば払い出される。〔給与所得者の福祉の一部である〕レストラン利用券とヴァカンス補助券を受ける権利も付与。
  12. すべてのフランス人の給与と年金・社会給付は物価スライド式とすべし。
  13. フランス産業の保護:〔国内産業を空洞化させる、工場をはじめとする〕事業所の国外への移転の禁止。我々の産業を保護することは、我々のノウ・ハウと雇用を保護することである。
  14. ●〔東欧等からの〕越境出向労働の中止。フランス国内で働く人が同じ給与を同じ権利を享受できないのはおかしい。フランス国内で働くことを許可された人はみなフランス市民と同等であるべきであり、その〔外国の〕雇用主はフランスの雇用主と同レベルの社会保険料を納めるべし。▼東欧からの移民を排除するためのレトリック。東欧本国の労働条件がフランス国内と同一になれば、フランスへの移民が減る、という理屈は一見すると否定できないが、ここでの要求の目的は、移民の排斥にあり、移民排斥の手段として机上の空論が持ち出されているにすぎない。
  15. 雇用の安定の促進:大企業による有期雇用をもっと抑えよ。我々が望んでいるのは無期雇用の拡大だ。
  16. CICE〔競争力・雇用促進タックスクレジット〕の廃止。この資金〔年200億ユーロ〕は、(電気自動車と違って本当にエコロジー的な)水素自動車の国内産業を興すのに回す。
  17. 緊縮政策の中止。〔政府の国内外の〕不当と認定された債務の利払いを中止し、債務の返済に充当するカネは、貧困層・相対的貧困層から奪うのではなく、脱税されている800億ユーロを取り立てる。
  18. ●強いられた移民の発生原因への対処。▼右翼は、移民は移動を強いられているとみることがある。つまり、人間はそもそも、自分が生まれ育った土地で暮すことが最適な生存条件だという前提にたつ。移民の発生原因は紛争や貧困にあるが、要求(14)同様、ここでの要求の目的は移民の排除。社会的な流動性が高まるような経済や安全保障の環境を否定し、地域の安定を閉鎖社会としてイメージする。右翼のなかには、こうした考え方から、国外での積極的な武力行使に反対し、こうした世界規模での不安定な環境を生み出すグローバル化にも反対する。その理由は、伝統的な社会(コミュニティ)の安定、つまり伝統的な集団のアイデンティティを重視するので、異質な文化がコミュニティに入りこむことを嫌う。この考え方は、日本の江戸期の鎖国が生み出した平和が、明治期以降の帝国主義的な侵略へと転換したときに、異質な他者の排除という精神性と文化を下支えする結果になったことと比較して考えてみることもできる。異質なものを排除し、同質性に基く平和は、本来の意味での平和とは何の関係もない擬制の平和だが、こうした平和がむしろ戦後日本の「平和」の基本理念になってしまったともいえる。
  19. ●難民庇護申請者をきちんと待遇すること。我々には彼らに住まい、安全、食べ物、それに未成年者には教育を提供する義務がある。難民庇護申請の結果を待つ場となる受け入れ施設が、世界の多くの国々に開設されるよう、国連と協働せよ。▼フランスを念頭に置いているようでそうなっていないところが「ミソ」かもしれない。難民申請の適正化と難民施設をフランス国外に設置すべきだ、そうすれば、フランスまで難民はやって来ない、というのが本音ではないか。
  20. ●難民庇護申請を却下された者を出身国に送還すること。▼トランプのメキシコ国境政策とほぼ同じ主張。
  21. ●実質のある〔移民〕統合政策を実施すること。フランスに暮らすことはフランス人になることを意味する(修了証書を伴うフランス語・フランス史・公民教育の講座)。▼多様な文化を受け入れるのではなく、フランスの文化に同化することが移民としての受け入れの大前提。
  22. 最高賃金を15000ユーロに設定。
  23. 失業者のために雇用を創出すること。
  24. 障がい者手当の引き上げ。
  25. 家賃の上限設定 + 低家賃住宅(特に学生やワーキング・プアを対象に)。
  26. フランスが保有する財産(ダムや空港など)の売却禁止。
  27. ●司法、警察、憲兵隊、軍に充分な手立て〔予算・設備・人員〕の配分を。治安部隊の時間外労働に対し、残業代を支払うか代替休暇を付与すること。
  28. ●自動車専用道路で徴収された料金は全額、国内の自動車専用道路・一般道路の保守と道路交通の安全のために使うべき。
  29. 民営化後に値上がりしたガスと電気を再公営化し、料金を充分に引き下げることを我々は望む。
  30. ローカル鉄道路線、郵便局、学校、幼稚園の閉鎖の即時中止。
  31. 高齢者にゆったりした暮らしを。〔劣悪介護施設など〕高齢者を金儲けのタネにするのを禁止。シルバー世代の金づる化はもうおしまい、シルバー世代のゆったり時代の始まりだ。
  32. 幼稚園から高校3年まで、1クラスの人数は最大25人に。
  33. 精神科に充分な手立て〔予算・設備・人員〕の配分を。
  34. 人民投票の規定を憲法に盛り込むべし。わかりやすく、使いやすいウェブサイトを設けて、独立機関に監督させ、そこで人々が法案を出せるようにすること。支持の署名が70万筆に達した法案は、国民議会で審議・補完・修正すべし。国民議会はそれを(70万筆達成のちょうど1年後に)全フランス人の投票にかけるよう義務づけられるべし。
  35. 大統領の任期は〔国民議会の任期と同じ現行の5年から〕7年に戻す。(以前は〔大統領選の直後ではなく例えば〕大統領選から2年後に行われていた国政選挙により、大統領の政策を評価するかしないかの意思表示ができた。それが人民の声を聞き届かせる方法の一つになっていた。)
  36. 年金受給は60歳で開始。肉体を酷使する職種に従事した人(石積み作業員や食肉解体作業員など)の場合の受給権発生は55歳に。
  37. 6歳の子どもは独りにしておけないから、扶助制度PAJEMPLOI〔保育支援者雇用手当〕は子どもが〔現行の6歳ではなく〕10歳になるまで継続。
  38. 商品の鉄道輸送への優遇策を。
  39. 〔2019年1月1日から施行の〕源泉徴収の廃止。
  40. 大統領経験者への終身年金の廃止
  41. クレジット払いに関わる税金の事業者による肩代わりの禁止。
  42. 船舶燃料、航空燃料への課税。

このリストは網羅的なものではないが、早期に実現されるはずの人民投票制度の創設という形で引き続き、人民の意思は聞き取られ、実行に移されることになるだろう。
代議士諸君、我々の声を国民議会に届けよ。
人民の意思に従え。
この指令を実行せしめよ。
黄色いベストたち

5 https://www.breitbart.com/tag/yellow-jackets/

6 トランプのツイッター https://twitter.com/realDonaldTrump/status/1071382401954267136

7 French Yellow Vests, the Far Right, and the “Russian connection”http://www.tango-noir.com/2018/12/12/french-yellow-vests-the-far-right-and-the-russian-connection/

8 CasaPoundは2003年に、ローマで生まれたネオファシスト組織。ローマの公共施設の住宅占拠運動から出発している。反移民、伝統的な家族の尊重(LGBTQん権利否定)だが、他方でゲバラやチャベスの闘争を支持する。政治的な立場は左右を越えた「第三の立場」と呼ばれるものになる。https://en.wikipedia.org/wiki/CasaPound

9 ロシアの政府寄りの報道機関の日本語版、スプートニク日本の記事「BBC、仏抗議運動への「露による干渉」証明を職員らに要求」 https://jp.sputniknews.com/incidents/201812165715886/ 「露外務省 BBCが仏抗議行動での「ロシアの痕跡」模索に躍起と痛烈批判」https://jp.sputniknews.com/politics/201812175717904/

10 前掲、French Yellow Vests, the Far Right, and the “Russian connection。

11 11月13日、ウエッブ https://france.attac.org/

12 http://etincelle-noire.blogspot.com/

13 フランス語
http://www.euronomade.info/?p=11351
英語
https://www.versobooks.com/blogs/4158-french-insurrection

14 フランス語は
https://lundi.am/Contribution-a-la-rupture-en-cours
英語は
https://crimethinc.com/2018/12/07/contribution-to-the-rupture-in-progress-a-translation-from-france-on-the-yellow-vest-movement

15 この項目は、ジョシュア・グリーン『バノン、悪魔の取引』(秋山勝訳、草思社)を参考にした。

Date: 2019/2/2

Author: 小倉利丸

Org version 7.6 with Emacs version 25

共謀罪と「道義刑法」の亡霊

以前、述べたように、共謀罪は、現行刑法の基本的な枠組みを根底から覆し、自民党改憲草案に対応した国家による犯罪と刑罰の体制を構築する試みの一環として位置づけなければならないから、問題は、憲法を含むこの国の統治の基本を根底から覆す可能性をもつものだ。

戦後憲法は戦前の憲法と比べて基本的人権の保障を大幅に拡張したことが最大の特徴の一つだと言われてきた。憲法は前文で「わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保」することを宣言し、第三章はまず個人の自由を権利として保障することをとりわけ強調した戦後憲法の理念は、国家権力が個人の自由に干渉・介入してはならないということを戦前の憲法との大きな差異として打ち出したことを意味した。戦後の憲法が大幅な人権保障を国家に命ずるものであるなら、同時に刑法の基本的な考え方も根本から改訂されなければならないように思う、現実にはそうはならなかった。

刑法には、戦前と戦後を通底するこの国の近代国民国家としての権力とイデオロギー、あるいは秩序と支配における一貫した国家観を読み取ることができる。明治期に成立した刑法は、現在まで、資本主義的な国民国家としての一貫性を保つために、明文をもっていかなる行為が「罪」であり、国家はどのような刑罰権を行使できるのかを示す機能を担い続けており、その基本的な枠組は、戦前と戦後の間で変更はない。共謀罪に限らず、刑法に関わる立法問題ではこの刑法の来歴を念頭に置く必要があるように思うので、以下はこの点についてのメモである。

●権利の剥奪としての刑罰

自由の権利は、民主主義を標榜する近代国民国家に共通する建前の権利として重視されてきた。したがって、国家による刑罰は、国家の強制力をもって個人の自由に例外的に干渉し抑圧することを合法とする異例の権力行使だということになる。人権は奪うことのできない人間の生得の権利ともされるが、犯罪者に対してはこの権利を奪ってもよいという意味においても例外的な措置である。犯罪と刑罰の権力を国家に付与するのは、人間としての扱いに区別を設けることを正当化する抜け道にもなっている。

一方で普遍的な人権を、他方で国家による権利剥奪を、ともに法の名の下に正当化するのは、憲法が抱える大きな矛盾だ。日本国憲法でいえば、10条から29条までの権利条項と「法律の定める手続」があれば権利は剥奪できるとする31条との間には本質的な矛盾がある。この矛盾を問題化することが必要であり、このことは刑事司法の制度、刑法と刑事訴訟法のそもそもの正統性を問い直すということである。言い換えれば、近代国民国家の体制は、その理念通りに、人権の普遍性を体現する統治機構なのだろうか。刑罰は人権を剥奪するに足るほどの普遍的な暴力なのだということはこれまで証明されたことがあっただろうか。

犯罪を新たに追加する立法は、どのような場合であれ、これまで犯罪とされていなかった行為を犯罪化する。共謀罪の場合は、彼/彼女の行為ではなく意思を新たに犯罪とし、この意思に対して刑罰が課され、自由を剥奪され苦痛を与えられることを意味する。共謀罪で有罪とされて投獄される場合、彼/彼女に与えられる刑罰の意味は何なのだろうか、いかなる効果を期待して刑罰を課すのだろうか。共謀を犯罪化するという問題は、共謀罪に対する刑罰とは何を意味するものなのかをも問うという問題であることを忘れてはならない。

●戦前を継受する戦後刑法思想?──小野清一郎の道義と刑法

現在の刑法は、大逆罪や不敬罪などいわゆる「皇室への罪」を除いて、基本的に戦前のままに残された。言い換えれば、戦後民主主義は、国家による刑事司法が基本的人権を侵害する危険性について、刑法に立ち返って検証することを怠った。いや怠るどころか、戦後の刑法改正の動きをみると、むしろ戦前回帰を意図した流れが一貫して大きな影響力を持ち続けてきた。それはなぜなのだろうか。

刑法が外形的な行為だけでなく内面の意思を犯罪化し、道徳と一体化する傾向を最もはっきりと示したのは戦時期だ。たとえば日本法理研究会で刑法に関わり道義的刑法を主唱した小野清一郎もその一人ではないか。彼は、戦時期に、基本的人権の国家による侵害を積極的に肯定し、その学問的な裏付けを与えようとした刑法学者たちのひとりである。小野は戦後、公職追放が解かれた後に、東京第一弁護士会会長、法務省の特別顧問などを歴任した。そして戦時中の「刑法改正仮案」を引き継ぐものとして構想された戦後の刑法改正において刑法改正準備会会長も務め、学界でも法曹界でも大きな影響力を持ち続けた人物である。彼が戦前戦中に書いた論文などは、ファナティックな国体思想に関する著述を除いて、戦後も基本的な学術文献として評価され再版されてきた。【注1】

小野は、戦時期の国体思想を前提とした刑法思想の再構築を積極的に主導したが、その主要な場となったのが日本法理研究会であり、彼はその創立当初からの中心メンバーだった。この研究会の綱領は以下の通り。

「一、国体の本紀に則り、日本法の伝統理念を探求すると共に近代法理念の醇化を図り、以て日本法理の闡明並びにおの具現に寄与せんことを期す。
二、皇国の国是を体し、国防国家体制の一環としての法律体制の確立を図り、以て大東亜秩序の建設を推進し、魅延いて世界法律文化の展開に貢献すんことを期す。
三、法の道義性を審にして、日本法の本領を発揚し、以て法道一如の実を挙げんことを期す。」(日本法理研究会日本法理叢書第16輯より引用。(以下の【注2】参照)

小野は、この日本法理研究会の叢書の一冊として『日本法学の樹立──日本法理の自覚を提唱す』を出す。この中で小野は、「従来の法学は、或はフランス法学、或はドイツ法学であり、其の日本への移植受容が主であった」【注2】と批判し、「日本国家、日本民族の歴史的発展の中に内在するところの道理」として、自然法思想を否定する「日本法理」を提唱する。法と道徳についてはこれを分離し「法というものには外部的強制的軌範として僅かに手段的価値しか認めないのが普通の考え方」とした上で、従来の主張にたいして、「法と道徳とは共に道義の実現形態である。法は国家に於て実現されるが、しかしその法は道義に基くものであり、法そのものが道義なのである。法は道に基き、道はやがて法と為る。道義の国家的実現が即ち法である」とした。日本では法と道徳を一体のものとする長い伝統があり、この考え方は聖徳太子の「憲法17条」にまで遡る点を強調し、明治に西洋の実証主義的な法の概念が入ったために、憲法17条を法ではなく道徳と考えるようになったとし、こうした西洋流の法から道徳を排除する考え方を弊害とみて、道徳と法の一体化の回復を主張した。日本法理は「生きた国家の事理である、民族の生活に即した道義である。この故に民族的に規定されてをると考えざるを得ない」「正しい、正しくないという道義の意識は、我が民族精神の中に自ら内含されて居るのであって、その自覚を明らかにすることが、やがて日本法理を自覚する所以なのである」【注3】というのである。

小野は、日本法理の根本には「国体」があるとし、穂積八束と筧克彦と上杉愼吉らの国体についての憲法の議論を紹介しながら、明治維新を国体の自覚とし、国体と政体を区別して政体の変化に対して国体の普遍性を主張し、政体としての憲法を論じるべきではないとして上杉、筧らの議論を支持して次のように述べた。

「上杉愼吉博士が、飽くまでも国体論的立場に於て憲法学を構想されたことは、周知の通りである。上杉博士は国体の淵源を論じ、また国体の精華を論じて「日本国家こそは最高の具体的本質であると規定し、日本は神ながら一心同体の国柄であると言われていることを指摘しなければならない。天皇の御統治は皇祖天照大神と一体不二の立場に於てい給うのえあり而してそれが肇国の事実に淵源し、肇国の事実と離れざるものであることを筧博士は特に強調してをられるのである。」【注4】

この観点から大審院が憲法を引用して、治安維持法裁判で示した「国体」の定義、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ル」は十分ではないとする。大審院の解釈は形式的に過ぎず「国体の本義に徹したとは言い難い」のであって、天皇統治が「神ながらの御統治であるということに、最も大切な意味がある」とし「「かくの如くして、日本民族が天皇の御統治の下に於て一体と為り、国家的生命を道義的に展開して行くところに国体法理がある。」【注5】

しかし、「神ながらの統治」とは何なのかは、「日本国体の真髄」「日本民族の純正なる宗教的体験に於て自覚した、絶対的なるもの」「皇祖天照大神の和魂(にぎみたま)を本とする御稜威」「大御心の現われ」などと言い換えられているに過ぎず具体性はなく、実際の刑法典がどのように根本的な変更を被ることになるのかも曖昧なままで、1944年に全面改訂されたという『刑法講義』では、西洋の刑法学説を概説した後で、こうした刑法体系の内在的な批判というよりも、とってつけたように道義的刑法と刑罰が論じられている。

「日本刑法は日本国家的道義を根本とするものであり、天皇の御稜威の下に国民生活の道義的・法律的秩序を完うし、億兆の和を実現するものであらねばならぬと考える。犯罪はその国家的道義秩序に対する忍ぶべからざる侵害であり、刑罰はかかる行為を否定し、抑制せんがための権威的・権力的行動である。其は応報として犯人に苦痛を与えるものであるが、しかしそれによって国民一般をして客観的道義観念を意識せしむると同時に、亦特に犯人をして道義の厳粛性を知らしむるものである。(中略)其れは単なる犯罪予防の功利的手段ではない。勿論其は人倫的文化秩序の最小限度の要請としての保安を無視すべきではない。応報と予防とは日本刑法において二律背反ではなく、和の協同体的道義において止揚せらるべきものである。」【注6】

●道義刑法と戦後

小野はが戦後も戦時期の道義的刑法の主張を撤回も反省もしていないという発言を繰り返している。中山研一は小野の戦後について「戦前の到達点が戦後どのような変化をうけたのか必ずしも明かではない」としつつ「刑法教科書の戦後新訂版にも日本法理の自覚がそのまま援用され、日本的な国家的道義とそれにもとづく日本的刑事政策の推進が主張されているところからみると、むしろ基本思想に目立った変化はなかったといってもよい」と述べた。【注7】また、中山は次のようにも指摘している。

「(小野は)敗戦によって、日本社会が思想的、世界観的に今までの国家主義、全体主義的なものの優越から民主主義、自由主義、結局個人主義的なものの優越へち推移しつつあるとし、新憲法の制定実施が法のあらゆる領域において深刻な変化を必然的ならしめていることは認められている。しかし同時に、それにもかかわらず、歴史にはどんな飛躍があってもやはり連続したものであり、明治以来の、遠くは大宝養老以来の法律文化の意義は失なわえれてはならないとし、歴史的、文化的な実体的論理は、新憲法という一つの立法によって決定されてしまうようなものではないと結論づけられているのである」【注8】

白羽祐三はもっと端的に小野の言葉を引きながら戦時期との連続性について言及している。白羽が引用した小野の発言は以下のようだ。

「私を『侵略的』国家主義者と断定した公職追放の辞令には甚しく不満であった。私は未だかつて『侵略』を主張したことはない。国家主義者──ナショナリストという意味で、──であっても、それは日本民族の生存と文化とを強調する『文化的』国家主義である」(「三十年前の八月十五日と私」『法学セミナー』242号、1975年。
「『法律時報』の昭和19年1月号‐4月号の巻頭論文として私の『大東亜法秩序の基本構造』という論文が掲載されている。これは紛れもない事実である。そして、それが敗戦直後、マッカーサー総司令官の命令に基づく公職追放審査委員会によって、私が一切の公職からの追放を決定される主要要因となったのである。この論文は、切迫した当時の状況の下において書いたものであり、日本をはじめ、中華民国、当時の満州、フィリピン、タイ、ビルマなどの諸国代表(インド代表の立会)によって調印された『大東亜共同宣言』を根拠とする法理論なのであるから、私は当時も今も、国内法上、また国際法上、方法的な理論の発表であったと確信している」(「人間は永遠に危機的存在である」』法律時報『50巻13号、1978年)【注9】

小野のこのファナティックとすらいえる道義的刑法は、その極端な天皇主義イデオロギーの露出がとりわけ批判の対象になってきた面もあるが、むしろこうした特殊な国家観を抽象して国家、犯罪、刑罰の相互関係と行為主体となる「人間」をどのような関係で捉えているのかという観点から読みなおすことが彼の戦前戦後の継続性認識を理解する上で重要なことのように思う。

彼の基本的な刑法認識は、犯罪構成要件を違法性の類型化と道義的責任の類型化の双方を含むとする独創的な見解にあると評価されてきたが、こうした主張は1920年代に遡る。【注10】1932年の『刑法講義』第三章「行為者の道義的責任」では、犯罪の成立には、構成要件を満たす事実と行為の違法性だけでは「充分ではない」として「更に其の行為に付き行為者に道義的責任ある場合に於いてのみ之を罰すべきである」と述べ、道義的責任とは「反道徳的なる行為に付き其の行為者に対し道義的社会倫理的非難を帰することを得べきことを謂う」【注11】とした。違法性の判断は行為に対するものだが、「道義的責任はの判断は違法なる行為を行為者の人格に関係せしめて行為者自体を批判するもの」だとし、刑法によってこの道義的責任を問うことが必須だとした。そして、これを以下の二点に整理している。

「一 行為者が一般に刑法の維持せんとする文化的規範を意識し、其の意識に従って行動を制するの精神的能力を有すること。換言すれば是非を弁別し及び其の弁別に従って行為するの能力を有すること。此は謂ゆる責任能力の問題である。
二 当該行為を為すに際し其の行為の違法性即ち反文化性又は反規範性を現に意識したるか又は少なくとも之を意識し得べきかりし、従ってまた其の意識に因り当該行為を為さざることを得べかりしものなること。此は責任形式としての故意及び過失の問題である。」【注12】

敗戦直前に刊行された全訂版では基本的な考え方は維持された上でより一層「道義的軌範」への強調がなされるように修正されている。ここで小野が想定している「反道徳的なる行為」「社会倫理」「文化的規範」などという文言によって保護すべきとされているのは、その時代の国家が体現する支配的な道徳、倫理、文化であるであろうことは想像に難くない。

●刑法と道徳の一体化

しかし他方で、この道義という概念を明示的に天皇主義イデオロギーに固定させることをしていないというところが、小野のような道義刑法が戦後もある種の刑法イデオロギーとして延命できた重要な要素である。道義という概念は、ある種の記号作用としてその時代に応じて意味内容を変容させつつ、刑法と道徳の一体性の構造的一貫性を維持してきた。しかも彼の道義的刑法の前提となる法=道徳一体性の議論は、一方で東洋的な法の伝統をふまえつつも、他方でモンテスキューの『法の精神』のキリスト教の神観念を前提とした自然法と実定法の構造と通底するところがあるように思う。だからこそ近代刑法のパラダイムからの切断の苦悩なしに、戦時期は天皇主義の国体思想に、戦後は戦後憲法と民主主義のイデオロギーに自在に横滑りすることが可能だったのかもしれない。

一般に、既存の国家秩序を支える理念を肯定した上で、犯罪をこの国家理念からの逸脱、違反であると位置づけて、刑罰は犯人を再度国家秩序の理念を受容し、この理念に沿って思考し行動する人間に改造することにその使命があるとみる。ここでいう国家が西洋の民主主義国家なのか、ナチス国家なのか、それとも国体の本義を掲げる戦前の天皇主義国家なのかといった個別具体的な国家形態を捨象して国家一般に還元された抽象的な法と刑罰の議論が、権威主義的で抑圧的な国家を正当化する理論としての役割を担ってしまう。これは日本の問題ではなく、近代の思想や学問が一般的に抱えてきた問題でもある。

小野にとって刑罰は、この目的を達成するための手段であり、その手段は厳罰による応報であってもよいし思想教育であってもよく、その手段は、国家秩序と国家理念を達成する上で最適な方法を選択すればよいというものだ。近代刑法の基本的なスタンスとの根本的な相違は、国家権力の行使を法によって抑制する法の支配を絶対的なものとはせず、国家は法制定と執行の主体となりうるだけの至高性を備えているものであるということが前提されているという点かもしれない。ここでいう国家は、具体的な刑事司法の現場であれば裁判官であり警察点・検察などの法執行機関ということになり、こうした諸機関に幅広く裁量権を与えることを肯定することになる。国家は疑うべき対象ではないから、国家に内面も含めて従属することが人々の自由と幸福であるということにもなる。権力者からすればこうした刑法の柔軟な解釈を容認して国家の権威を肯定する価値観を背景とした刑法学が有力な学説として、また実務の世界でも有力な勢力になることを歓迎しないはずはない。

戦後70年の経緯を見ると、国家権力の刑罰権に懐疑的な立場をとるリベラルな刑法学は徐々に排除され、ほぼ一貫して厳罰化の道を歩んできた。こうした厳罰化は米国の厳罰化の歴史などとは異なって、戦時期の刑法イデオロギーが戦後刑法においても地下水脈のように継受されて、とりわけ法務官僚や検察官僚などのイデオロギーの基盤を構築してきたのではないか。【注13】小野に限らず戦時期に国策に与した法学者の大半は、自らの刑法学説を当時の国家イデオロギー(国体イデオロギー)に適用することを意図したに過ぎず、彼らが文字通り、自らの生き方として国体イデオロギーを受容したわけではなかったのではないか。だから、戦後体制に大きな葛藤なしに自らの理論を適応させることができたともいえそうだ。

この観点かたみたとき、最大の問題は、こうした刑法学者の戦争責任、戦後責任の問題が理論史・思想史としても未解決なままであるというだけでなく、未解決となった原因のひとつに、理由や根拠は曖昧なままに、いかなる国家体制であれ「日本」という国家に帰依するかのように寄り添うことを当然とする感情が法学者や社会科学の研究者や実務家の意識を支配しつづけているということにある。これは、国家を疑うということ、その懐疑の帰結としての現にある国家の否定やオルタナティブの統治の可能性を構想するという想像/創造力を放棄してしまうというところに行きつく問題でもある。(この問題はこれ以上ここで言及する余裕はないので別の機会に譲りたい)

●国家の刑罰権を疑う視点

上に例示した戦前からの犯罪と刑罰の基本構造の継続性は、二つの意味をもっている。一つは、戦前の犯罪と刑罰についての価値観が戦後にもまた継続しうる戦前と戦後を繋ぐ共通の土台が成文法の形式によって保持されており、このことを暗黙のうちに学界も実務の世界も共有したということだ。とりわけ、刑事司法の現場がこうした価値観を維持していることによって、現実に国家の暴力によって刑罰を課されてきた人々がいるということが、観念や理論を越えた現実の問題である。共通の土台とは、権威主義的な国家観とナショナリズムである。戦前・戦中の権威主義的な国家主義は、戦後においては、あからさまな天皇主義という分りやすい目印が排除されて基本的人権の尊重が謳い文句となったために、軽視されたが、法の秩序とは、国家の秩序であり、これが自由──つまり支配的な文化やライフスタイルや思想信条からの逸脱の自由──を排除することへの抵抗を極端に弱体化させ、事あるごとに、戦後の(不十分極まりない)自由ですら、これを脆弱化させて権威主義的な「文化」(道義といってもいいが)への回帰を促す力として作用してきた。

もうひとつは、憲法の改正やGHQ主導の戦後改革(労働改革や土地制度の改革など)に刑法は含まれなかった理由に関わる。天皇主義のファナティックなイデオロギーの側面を別にすれば、従来の刑法の枠組は占領軍もまた受け入れ可能なものだったということを意味している。この枠組とは、犯罪と刑罰を行為当事者の個人の問題に還元してその責任を個人に対してのみ問い、個人を処罰することに収斂するものだ。既存の社会秩序がいかに問題の多いものであろうとも、処罰の制度が法的に適正な手続によって制定されたものでれば、この制度がもたらす諸矛盾が個人の生存権や基本的人権を損うものであったとしても、制度は保護され個人の逸脱行為を犯罪化する。既存の秩序を維持することがこの秩序から逸脱する行為よりも保護されるべきものとみなされる。これが公序良俗とか公共の福祉の意味である。

言い換えれば、1907年に制定された刑法は、近代民主主義国家に共通する犯罪と刑罰の枠組として通用するものだとされつつ、他方でこの国のナショナリズムの秩序を再生産する価値観を保護する手段として効果的であると見なされたから現在まで延命できたのである。個人主義であるか集団主義あるいは国家主義であるかに関りなく、西欧の支配的な犯罪と刑罰の枠組みは、資本主義社会と国民国家の統治機構を肯定するだけでなく、この社会が抱える社会的な矛盾が犯罪現象として表出するという考え方を否定する。また、現にある国家による刑罰権、あるいは犯罪に対して精神的肉体的な苦痛を与える行為とそのための制度としての監獄を肯定するという点では、民主主義国家であれ独裁国家であれ、共通する犯罪と刑罰への態度が見いだされる。

●オルタナティブ社会にとって犯罪と刑罰とは

実は、この問題は、更に、資本主義批判における主要な理論と思想でもあるマルクス主義に基づく法思想(とりわけソ連や正統派のマルクス主義法学)においても、資本主義批判に階級社会や搾取の観点を導入しながら、犯罪と刑罰についての国家による権利剥奪と苦痛としての刑罰の問題に無関心であるという点ではほぼ共通したスタンスをとってきた。【注14】経済理論における生産力主義に匹敵する法理論における国家の刑罰権と暴力行使の肯定という問題がここには浮び上る。旧ソ連東欧に広範に設置された強制収容所問題は軽視すべきではない。こうして日本では、既成左翼の法学者も含めて、監獄の廃止、あるいは国家による刑罰の廃止が社会運動としてほとんど重要な潮流をなすことのないまま現在に至っているとみるのは厳しすぎるだろうか。これは、人種差別、貧困層への差別と社会的排除、囚人労働の搾取、ジェンダーと暴力といった問題への強い関心を背景に、欧米諸国におけるラディカルな刑事司法批判が60年代の新左翼運動のなかから登場し、ラディカル犯罪学とか、批判的犯罪学などといった流れがアカデミズムや社会運動のなかで一定の力を持ってきたことと対照的ともいえるかもしれない。

共謀罪だけでなく刑法・刑事訴訟法の改悪問題一般に言えることとして、こうした法改正に対抗する私たちのオルタナティブの視点を持つことが不可欠だ。共謀罪は犯罪あるいはテロリズムの未然防止を口実に、行為以前の意思の犯罪化であるが、こうした発想を政府や法曹界や学会の一部が支持するのに対して、意思の犯罪化を否定し既遂処罰の原則を主張するだけでなく、現在の刑事司法の制度がなぜ意思の犯罪化すら構想しなければならなくなったのか、なぜテロリズムを有効に阻止する手段を欠き、グローバルな不安定が持続するのか。あるいは、越境組織犯罪防止条約が対象とする薬物、銃器や人身売買がなぜなくならないのか、といった現在の社会が抱えている構造的な問題に目を向ける必要がある。そして、同時に、こうした「犯罪」と呼ばれる行為が、刑罰の厳罰化や警察などの捜査権限の拡大(あるいはグローバル化)によってもなくならないとすれば、それはこうした刑事司法の手法だけでなく、この社会がもたらす貧困や武力紛争、あるいは敵意や憎悪といった構造的な要因の解決に目を向けなければならないだろう。

共謀罪は、ここ数ヶ月が勝負という目前の大問題である。共謀罪に反対することは、現状を肯定することを意味するのではなく、国家による意思の処罰の合法化を拒否することを通じて、そもそも国家による犯罪と刑罰そのものを問うことえなければならないと思う。だから、共謀罪の廃案で勝利なのではなく、共謀罪を産み落した現在の刑法そのものを根底から再検討するという課題が残される。共謀罪がなくとも憂鬱な今の体制が続く。共謀罪の問題を理解するための射程は、目前の課題に縛られて戦術的に効果のある批判に収斂してしまうと、共謀罪の背景をなすこの国が明治期から一貫して保持してきた犯罪と刑罰の権力構造そのものを覆す観点がないがしろにされてしまう。そうなってしまうと、オルタナティブの社会を目指すなかで、犯罪と刑罰の問題にどのように向き合うのかという問題が軽視されることになる。現状を肯定して共謀罪に反対する運動にどんな魅力があるというのだろうか?現状を肯定することはとうていできず、だから更に現状を悪化させる共謀罪にも反対するとすれば、どのような社会であるべきなのか、あるべき社会では、犯罪と刑罰はどうあるべきなのかが重要な課題になる。現状の監獄や刑罰の制度を廃止することはオルタナティブ社会の必須の前提だとわたしは考えるが、こうした合意は、暗黙の内にはあっても、「共謀罪はいらない」ということを踏まえつつ、権力が犯罪を処罰することの本質を問いなおす視点は忘れていはならないと思う。【注15】


注1 小野の主要著作は、有斐閣からオンデマンド出版で入手できる。戦時期刑法学者の学説と戦後の動向については、中山研一『刑法の基本思想』、増補版、成文堂、2003年、同『佐伯・小野博士の「日本法理」の研究』、成文堂、2011年、白羽祐三『「日本法理研究会」の分析──法と道徳の一体化』、日本比較法研究所、1998参照。戦前・戦後の刑法思想についての批判的な歴史分析については、内田博文『刑法学における歴史研究の意義と方法』、九州大学出版会、1997年、同『刑法と戦争』、みすず書房、2015年参照。

注2 小野清一郎『日本法学の樹立──日本法理の自覚を提唱す』日本法理叢書第16輯 日本法理研究会、1942年、2ページ。なお戦時期の小野の主要論文は『日本法理の自覚的展開』、有斐閣、1942年に収録されている。

注3 同上、20-21ページ。

注4 同上、33ページ。

注5 同上、36ページ。

注6 小野清一郎『全訂刑法講義』、有斐閣、18-19ページ。

注7 中山研一、前掲『増補版、刑法の基本思想』、57ページ。

注8 同上、59ページ。

注9 白羽祐三、前掲『「日本法理研究会」の分析──法と道徳の一体化』、1-2ページ。

注10 松宮孝明「構成要件論/構成要件要素論」、伊東研祐、松宮孝明編『リーディングス刑法』、法律文化社、2016年、参照。

注11 小野清一郎『刑法講義(全)』、有斐閣、1932年、125-6ページ。

注12 同上、130ページ。

注13 厳罰化がグローバルな現象であることから、その原因について国際的な刑事司法制度や世論の動向を比較調査する研究がある。たとえば、日本犯罪社会学会編(責任編集、浜井浩一責任編集)『グローバル化する厳罰化とポピュズム』、現代人文社、参照。本書が対象とする「刑罰のポピュリズム」論は、新自由主義と刑罰の問題にも関心をもつものとして興味深いが、本稿で取り上げたような日本の刑法が有する戦前戦中の国家主義イデオロギーが戦後の刑罰観や厳罰化に与えた影響という視点が刑罰ポピュリズム論には必ずしも充分ではないように思う。なお国家の刑罰権については、宮本弘典『国家刑罰権正統化の歴史と地平』、編集工房朔、2009年参照。

注14 欧米の新左翼運動や公民権運動などに由来するラディカル犯罪学や批判的犯罪学のなかのマルクス主義犯罪学はむしろ刑罰や監獄の廃止を主張してきたという点で東側や日本の正統派マルクス主義法学とはパラダイムが異なる。たとえば、Ian Taylor, Paul Walton and Jock Young, The New Criminology, 40th anniversary edition, Routledge, 2013のIntroduction to 40th anniversary edition を参照。

注15 犯罪と刑罰をめぐる法の問題をオルタナティブを構想する社会運動は十分な討議に付してこなかった。何を犯罪とするのか、刑罰とはどうあるべきか、という問題がオルタナティブの問題としても軽視された。世俗的な左翼にとって、犯罪とは何なのか、刑罰とは何なのかという問題は、悲劇的な粛清を繰り返した革命運動の経験を総括する上でも避けて通れない大問題である。また、宗教原理主義者たちによる「処刑」やテロリズムを肯定するイデオロギーに対して軍事的な報復ではない向きあい方を論じるということがなければ、テロ対策と不安感情を扇動する既存の支配システムへのラディカルな異議申し立ての思想へとは展開されていかないだろう。遠い将来を見据えて、オルタナティブの社会を構想するとして、資本主義的な刑法がそのまま継受されていいはずがなく、そうであれば、どのように切断し何をオルタナティブとして創造することが、実質としての自由と平等を保障することになるのか。国家の刑罰権をそもそも認めるのか。立法とはどのようであるべきなのか。このように考えると憲法による統治の限界も射程に入れた法のグランドデザインの再設計というおおきな宿題に向き合うことになる。共謀罪批判はこうしたところにまで射程距離を延ばせなければならないと思う。