サイバー戦争放棄の観点から安保・防衛3文書の「サイバー」を批判する(3)――自由の権利を侵害する「認知領域」と「情報戦」



Table of Contents

1. 「敵」は誰なのか?――権力に抗う者を「敵」とみなす体制

国家安全保障戦略で「武力攻撃の前から偽情報の拡散等を通じた情報戦が展開される」と述べていることが意味しているのは、「偽情報」とは国家安全保障の観点からみて障害になる情報のことであって、情報の真偽が直接の課題ではない、ということだ。言い換えれば、国家安全保障の観点からみて好ましい情報が真の情報であり、逆に阻害要因となる情報が偽の情報だ、ということだ。1 しかし、戦争などの深刻な事態のなかで、このような自国に都合のよい偽の解釈が果してまかり通るものなのだろうか。新たに制定された国家安全保障戦略には、日本の国家にとって都合のよい「偽情報」の拡散の戦略が内包されている。それは偽を真と強弁して言いくるめるような稚拙な手法ではない。

「偽情報」問題は、情報の真偽全体を国家が安全保障の観点から管理、統制することなしには対処できない。これまでの国家安全保障に関わる情報の問題では、真情報であるにもかかわらず、政府にとっては隠蔽しておきたかった真実に該当する場合は、これを「偽情報」であるというキャンペーンを展開して人々に誤解を広めるという手法がみられた。あるいは、隠蔽しておきたい情報を暴露したメディアやジャーナリストを処罰することで、メディアを萎縮させ、真情報の拡散を抑制する場合もある。

情報の真偽問題は、どのような情報を公開するのか、どのように誰が国家安全保障に関わる情報を管理するのか、情報の管理・拡散を通じて人々の行動や感情、考え方にどのような影響を与えようと意図しているのか、という国家による情報全般への管理問題と不可分である。私たちは、真偽いずれの情報についても、私たちが最後の受け手であり情報の真偽を判断する主体であり、同時に、発信の主体でもある。何度も強調するが、マスメディアの時代にはない情報拡散の力を私たち一人一人が有しているのが現代のネット社会と呼ばれる時代だ。だから、私たち一人一人が国家安全保障にとっての情報統制の主要なターゲットになる。これは、自国政府と「敵国」双方が私たち一人一人をターゲットにしている、ということを意味している。

しかも、政府は、国家安全保障に経済安全保障を明確に組み込む姿勢を示したことによって、経済活動全般が、この情報統制の構造のなかに組み込まれるものになっている。現代の資本主義経済の基軸産業は情報通信関連産業であり、私たちの日常生活や思想信条など市民的な自由の権利を支える社会基盤を担う産業である。こうした産業は、戦争遂行を可能にする「国民」の意思を形成する基盤でもある。鉄や石炭・石油、兵器製造産業といった旧来型の軍需産業にはない特徴だ。

2. セキュリティ・クリアランス――身元調査が当たり前になる?

現行の秘密保護法には「適正評価制度」があり、 国家公務員、地方公務員、警察官などの行政機関の職員、特定秘密を扱う民間企業の従業員などに対して行政機関の長による身元調査が義務づけられている。国家安全保障戦略では、こうした制度が特定秘密という枠を大幅に越えて一般化される危険性がある。これがセキュリティ・クリアエアンス制度だ。

国家安全保障戦略には、たとえば次のような記述がある。

経済安全保障分野における新たなセキュリティ・クリアランス制度の創設の検討に関する議論等も踏まえつつ、情報保全のため の体制の更なる強化を図る。 また、偽情報等の拡散を含め、認知領域における情報戦への対応能 力を強化する。その観点から、外国による偽情報等に関する情報の集 約・分析、対外発信の強化、政府外の機関との連携の強化等のための 新たな体制を政府内に整備する。さらに、戦略的コミュニケーション を関係省庁の連携を図った形で積極的に実施する。 そして、地理空間情報の安全保障面での悪用を防ぐための官民の実 効的な措置の検討を速やかに行う。p.24

ここにはセキュリティ・クリアランス制度とか認知領域といった耳慣れない言葉が登場する。以下、これらを検討しながらその狙いと問題点をみてみよう。

セキュリティ・クリアランス制度は、2023年2月22日の経済安全保障推進会議資料 では次のように説明されている。

「国家における情報保全措置の一環として、①政府が保有する安全保障上重要な情報を指定することを前提に、②当該情報にアクセスする必要がある者(政府職員及び必要に応じ民間の者)に対して政府による調査を実施し、当該者の信頼性を確認した上でアクセス権を付与する制度。③特別の情報管理ルールを定め、当該情報を漏洩した場合には厳罰を科すことが通例。

私は、ここでの文言は政府内や企業による情報の活用を推進する一方で「情報保全」を理由に、私たちのような市民一般に対しては情報公開を制限することが意図されているものだと解釈する。経済安全保障という文言のなかにはこうした情報統制が組み込まれているのだ。

セキュリティ・クリアランス制度の目的は情報保全のための体制強化にある。つまり国家安全保障関連については情報公開や「知る権利」を利用して政府に対して批判的な立場から情報にアクセスしようとする者たちを排除する一方で、政府にとって必要とみとめられる情報を政府と民間双方で効果的に活用できるような人的組織の統制枠組である。特別の情報管理ルールを定めることで内部告発などへの厳罰化も明記されている。その上で当該情報にアクセスする必要がある者の身元調査の徹底が図られる。

セキュリティ・クリアランス制度はこの国家安全保障戦略ではじめて登場したわけではない。2017年5月24日、自由民主党IT戦略匿名委員会「デジタル・ニッポン2017」2 のなかですでに言及されている。ここでは、現代の国家安全保障の重要な領域が「サイバー」としての情報であることから、ターゲットは「情報」をめぐる戦略の構築を、民間と同盟国を巻き込んだ枠組として構想しようとしている。これが数年を経てほぼ国家安全保障戦略にも反映されている。「デジタル・ニッポン2017」では次のように述べられていた。

SCが無いために日本の民間企業がサイバー攻撃情報を他国と共有できず、研究開発で利用できる情報量に格差が生まれ、安全という品質でSC保有国に負けてしまう可能性が高まる。
“サイバー攻撃情報の量”を増やすには、米国やEU各国か らサイバー攻撃情報を共有してもらう必要があるが、セキュ リティクリアランス制度(SC)がなければシェアされない攻撃 情報も存在
日本にはCSが無いが、米国とEUでは民間人でもCS保有 者がおり、民間企業が政府の機密情報を製品開発に活用 することが可能
このままではSCが無いために研究開発に利用できるサイバ ー攻撃情報の量で米国とEUに大差をつけられ、安全という 品質で日本が負けてしまう可能性が高まる。

自民党提言ではサイバー攻撃情報を共有する上でSCは必須としている。また、昨年8月のNHKの報道3では、高市経済安全保障担当大臣が先端技術に関わる研究者の身元調査の厳格化を示したと報じられている。コンピュータのソフトウェア開発などから認知領域(後述)の研究など、安全保障分野の研究の裾野は人文社会科学も含む広範囲にわたる。そのほとんどが、研究者の世界への関心や問題意識と切り離して考えることはできない。高市のような発想が研究の現場に持ち込まれることになれば、国策に沿わないか批判的な研究者が研究機関や大学などで採用されることは今以上に難しくなることは容易に予想される。4

3. 認知-ナラティブ領域

冒頭に引用した国家安全保障戦略の文章では、SCにつづいて「認知領域における情報戦」という理解しづらい文言が登場する。認知領域については、国家安全保障戦略に先立って、既に昨年8月にサンケイが「宇宙、サイバー、電磁波に新たに「認知領域」を加え、これらの戦力を組み合わせた「領域横断作戦能力」の構築を目指す方針を固めた」と報じていた。

では、この認知領域とは何なのか。最近の軍事・安全保障の議論では、従来の軍事・安全保障が対象としてきた物理領域、サイバーと呼ばれる情報通信領域とともに、より人間の感情や意識など心理的な側面を独立したカテゴリーとして取り上げて認知領域と呼んで重視するようになっているということがしばしば指摘されている。5 認知領域が主要に関心をもつのは、人々の行動の背後にある感情や心理であり、これらがSNSなどを通じて共有されたり拡散されることによって国家の安全保障に重大な影響を与える、とされる。したがって、こうした人々の行動の動機を形成する感情や価値観にいかに対処するのか、といった観点が関心の中心をなす。AIなどビッグデータを駆使して人々が何を考え、どう行動するかを予測するために不可欠な人間の認知に焦点を当てる心理学的なアプローチである。

認知領域では、「敵」の偽情報によって騙される人間を、この騙しからいかにして防御するのかという問題が焦点化される。しかし、国家安全保障戦略は、この偽情報と呼ばれる事態を一般論としては否定しないのが大きな特徴だ。言い換えれば、偽情報にも情報戦では使い道がある、という観点をとる。つまり、いかにして自国の国益にかなうような偽情報を発信して「敵」を欺き、自国民の士気を高めるかに関心がある、といってもいい。

こうした観点から認知領域をみたとき、より積極的に人々の感情や価値観、世界観を構築する戦略的なアプローチが必要になる。ここで国家安全保障戦略では明示的に言及されていないが、一部の軍事安全保障の研究者の間では議論されている「ナラティブ」という概念に注目しておく必要がある。

たとえば、防衛研究所の長沼加寿巳は次のように述べている

「安全保障や防衛は、究極的に、パワーや影響力の行使を通じた国益(国民の生命・身体・財産と自国の領土・領海・領空)の保護である。この過程において、抑止や強制に代表される様々な行動を通じて、対象に具体的行動や認識を強いることによって、自国への脅威の波及を阻止する。そこで、どのような方法で対象を動かすか、また、動かされるかという基本的な作用に注意を払う必要が生まれることとなる。すなわち、他者を操作するという観点から、ナラティブ、感情や時間について、考察を加える必要がある」

そして「現在、サイバー分野の関心も高まっているものの、これはあくまで物理領域と仮想領域を意識したものであり、(中略)『ナラティブを巡る戦い』や認知領域における戦いについては、十分な関心が向けられているとは言い難い」と指摘している。そして「英国防省の統合ドクトリン最新版でも、我のナラティブが対象オーディエンスに訴えかけ、かつ対抗者のナラティブを減じるために必要なものとして、アリストテレスの『弁論術』における三要素、信頼(ethos)、感情(pathos)及び論理(logos)を取り上げている」とも指摘する。こうした観点から2021 年 1 月 6 日、米議会議事堂での暴動に注目する。つまり「暴動参加者の言動に、ナラティブ、感情のほか、ノスタルジアのような過去・現在・未来を結ぶ時間性に関する特徴が見られたことから、これらの観点に基づき、認知領域における戦い」として位置づけようというのだ。6 ここで注目すべきなのは、アリストテレスの弁論術が肯定的に参照されている点だ。アリストテレスの弁論術は、真実あるいは事実を実証するための「弁論」を擁護するものではないものとして理解されてきた。たとえば、オンライン版の世界大百科の「弁論術」の項目では「アリストテレスは、真実を探求する哲学的言論とは異なる大衆相手の実践的言論の技術の領分において、真実らしさの実効性に理論的照明をあてた」と説明されている。7 つまりここで目指されているのは大衆を相手にいかにして「真実らしさ」をもったメッセージを国家安全保障の戦略として構築するのか、なのである。

ここで繰り返し登場する「ナラティブ」について、長沼は、外務省幹部が新型コロナに関連してナラティブの概念を持ち出した議論8を参照するかたちで次のように説明している。

ナラティブは、ある事象や課題について読み手や聞き手の認識に働きかけ行動を変える力を持つとい う。また、ある目的のために、異なる価値観や利害を抱える対象の同意を求め、説得を試みるべく創作される ものである。ナラティブが主観の押し付けや情緒の垂れ流しではなく、あくまでも共通の言語空間において通 じる論理で構築されていなければ、多くの人の認識に訴え行動を変えるのは難しいと指摘する。(「安全保障や防衛におけるナラティブ」)

上にあるように、ナラティブの領域は事実だけではなく「創作」を含む領域であることが重要な意味をもっている。ナラティブはもともと人文科学の領域、とくに文学における物語の分析から派生してきた学問領域だといってよく、決して反動的あるいは右翼的な系譜をもっているものではない。しかし、これが現代の軍事安全保障で注目されているという事態そのものに、現代の「戦争」の特徴がある。日本では防衛研究所の何人かの研究者が特に関心をもっているようだが、その文献をみると行動主義的な心理学9よりも認知心理学に関心をもち、中国やイギリスの安全保障や軍の動向になかにある同様の傾向への関心がもたれていることがわかる。

4. 国策としての「物語」の構築

このナラティブという概念を情報における真偽との関係でいうと、確実に言えることは、自国の歴史認識における科学的客観的な歴史記述によって「偽」とされることがらであっても、それを「偽」ではなく、その社会の伝統や神話などのフィクションに組み込まれた「物語」として肯定し、この意味でのナラティブを防衛するための対抗的な情報の発信を戦略的に重視する観点が軸になる。近代の日本でいえば、一方に西欧近代が持ち込んだ科学の世界がありながら、他方ではとうてい客観的科学的な検証には耐えられないが「神話」としての肯定的な価値をもつものとしての記紀神話によって国家の起源を定め、天皇を現人神とする「物語」を国策として構築し、このナラティブを防衛するための言論空間への国家の統制が行なわれた。これが日本における戦争を支える認知領域とナラティブの実例だろう。冷戦期になれば、このナラティブと安全保障の関係は、大衆文化などの領域に組み込まれて不分明になる。

こうした認知-ナラティブが、サイバー領域を前提として個人の情報発信というミクロなコミュニケーションを意識的に取り込んで再構築する必要がでてきたのが、現代の戦争における認知-ナラティブの問題だといえる。10

上の引用にあるように、文字であれ映像であれ、何らかのメッセージが読み手や聞き手の認識に働きかけて行動を変える力を持つことに、国家安全保障の観点から関心が持たれていることがわかる。言い換えれば、「物語」の構築――もっと言えば現代における「神話」の構築――を通じて人々の感情や価値観に働きかけ、これを国家に収斂するような意思へと導くことができるのではないか、という関心だ。

国家安全保障戦略では認知領域には言及されていてもナラティブには言及されていない。その理由は、この概念が偽情報の肯定という一般にはなかなか受け入れがたい情報戦における(反政府的な国内の人々を含む)敵への攻撃の手段であり、同時に自国の民衆を「国民」として統合する極めて毒性の強い性格をもつからだろう。こうなると明確に憲法の自由権を侵害することになる。だが、安全保障の領域を離れて、一般論としてみても、ナラティブなき認知領域は想定することができない。人間はフィクションを真実であるかのようにして敢えて受け入れるというフェティシュな存在でもあるからだ。

だから、この認知-ナラティブが国家安全保障の領域で持ち出されたきには、これを真偽の軸による判断は脱構築され、偽のなかにも「物語」として肯定すべきものがあり、これが人々の社会集団(国家)の感情的同一化や共有されるナショナルな世界観にとって不可欠だという枠組に位置づけられてしまう。

以上のように、国家安全保障において認知領域に関心が集まるのは、SNSのような個人を主体とした発信は、政治的な力を形成する集団心理を支えるような真偽ないまぜになった「物語」を構成する基盤だからであり、物理領域としての軍事行動に影響を与えるからである。つまり、「情報戦」では、一方で反政府的な感情や「ナラティブ」を抑制しつつ、他方で政府を支える感情や「ナラテイブ」の構築を目指すことになる。

国家安全保障戦略では、上に引用したように「認知領域における情報戦」に「偽情報等の拡散」を含めている。この「戦」では、外国による偽情報等に関する情報の集約・分析、対外発信の強化、政府外の機関との連携の強化等」とともに「戦略的コミュニケーションを関係省庁の連携を図った形で積極的に実施する」という極めて曖昧な文言が追加されている。偽情報を含む認知領域を念頭に、関係省庁が連携を図ることで組み立てられる「戦略的コミュニケーション」とは、「敵」の偽情報への対抗としての日本政府による組織的な対抗的な情報発信――より率直にいえば戦略的に、ある種の「偽情報」の発信――を含意しているが、これをナラティブ=物語(神話)として構築できなければ偽情報という否定的なレッテルしか貼られないことになる。ナラティブとは新たな国家の「神話」の戦略的構築を意味している。国家安全保障がこれほどまでにイデオロギー領域に踏み込むのはめずらしい。

5. 国家安全保障による認知-ナラティブが私たちの自由権を侵害する

認知-ナラティブ領域とは私たちの内心の自由、あるいは思想信条の自由の領域に他ならないから、これが国家安全保障に包摂されるということは、私たちの市民的自由の権利と密接に関わることは言うまでもなかろう。しかし、従来のような検閲や言論弾圧はここでは権力の手法としては前面には登場しないだろう。認知領域における権力作用は、むしろ、私たちの知覚の外部――わたしはこれを非知覚過程と呼ぶ――で私たちの感情や社会を文脈化し物語として構築する内発的だと主観的には感じているに違いない領域に作用する。政府やマスメディアが報じるある種の「偽情報」を真実の情報とみなして受容されることによって構築される出来事についての物語は、当然真実による物語とは別のものになる。しかし、ここで問題の核心にあるのは真偽ではなく「物語」である。本来であれば客観的な事実についての判断を論じるべき問題に対して、真偽を超越した「物語」が挿入されることによって、真偽が棚上げにされ、真偽を問うことなく人々が集団として行動することが可能だ、というところに政府が「情報戦」の戦場を構えはじめている、ということでもある。

問題は、騙す、騙される、ということではなく、出来事への主観的な感情、ときには好き嫌いの感情の醸成をいかにして国家安全保障の戦略のなかに位置づけ、そして国家がこれを利用できるようにするか、という問題にもなる。ここでは二重の「戦線」が構築される。一方では、文字通りの「敵」に対する「情報戦」として敵の認知領域での情報拡散を攪乱したり遮断し、敵国の人々への「偽情報」の拡散を狙う。もうひとつの戦場は、国内の「敵」への対処になる。ここでは、国内の反政府運動などの情報発信を「偽情報」などのレッテルを貼ることによってその信用を失墜させつつ、政府の政策を支持する情報発信を、個人レベルでの発信にまで立ち入るかたちで誘導するような仕掛けを構築することになる。ここで反政府運動が発信する真実や客観的な情報を打ち消す上で、ナラティブつまり「物語」あるいは「神話」が重要な役割を担うことになる。マスメディアが唯一の情報操作の手段にはならなくなった現代では、ターゲットは一人一人の個人であり、その個人が自発的に自由に考え、判断し、行動し、醸成した感情が、結果として国家の意思を支持する方向へと促されるような内面の構築である。この内面は客観的に事実だけでは構成されていない。私たちは何らかの「物語」の世界をもっているからだ。

こうした認知-ナラティブの領域(イデオロギー領域)に関わるサイバー領域のやっかいな事態を具体例で示そう。Twitter(2020年8月6日)は、「政府の特定の公式代表、国家と連携するメディア団体、それらの団体に関連する個人がコントロールするアカウント」にラベルを追加する方針を発表した。ウクライナ戦争時のポリシーとして、Twitterは「信頼性の高い、信頼できる情報を高める 」という意向を表明し,ロシア政府系アカウントへの規制を実施し、「ツイートあたりのエンゲージメントが約25%減少した」「それらのツイートとエンゲージしたアカウント数が49%減少した 」と述べている。11他方で、米国政府から直接間接に資金援助されているなど密接な関係にあるメディアについては、「国家と連携している」メディアであっても特別な措置がとられていない。一般に、ロシア政府系メディアは偽情報を流しているとみなされているので、こうした措置への大きな批判は起きていない。

どのソーシャルメディアも投稿のルールがあり、違反したアカウントを凍結したり廃止する権限をもっている。一般に偽情報を流していたりいわゆるテロリストのアカウントへの監視は注目されるが、その多くは米国と有志連合を組んでいる諸国に敵対する国や組織に対するものが目立つ。あたかも米国側はこうした偽情報やテロリズムの加担するような行動をSNS上では行なっていないような印象をもつ。しかし、実際には、そうとはいえない。Twitterは米国の企業であり、米国の法律に縛られ、企業のナショナルアイデンティティも米国にあることは明かだろう。実際、上記のケースとは別に、Twitterが米国国防総省と協力して、国防総省の情報操作用のアカウントに便宜を図ってきたことが昨年になって明かになった。12

前にも述べたように、国家安全保障戦略における「敵」とは政府に対して異議申し立てをする私たちのことでもある、ということを指摘したが、まさに、認知-ナラティブ領域は、その典型的な「戦場」だといってもいい。

情報を最終的に受けとる主体は「私たち」、つまり国家からみた「国民」である。この「私たち」が敵の偽情報を「真」とみなす間違いを犯さないように誘導すること、自国の政府の情報を「真」とみなすような確信を内面化すること、これがハイブリッド戦の勝敗を意味する。こうしたナショナリズムへと収斂するような「国民」感情が醸成される領域が認知領域だといっていい。こうした国家の意思を支持する大衆心理が形成され、これが誰の目にも明かになることによって、いよいよ武力攻撃そのものを開始できるだけの心理的な準備が整うことになる。

Footnotes:

1

上記以外で偽情報に言及されている箇所は下記である。

国 際社会では、インド太平洋地域を中心に、歴史的なパワーバランスの変化が 生じている。また、我が国周辺では、核・ミサイル戦力を含む軍備増強が急 速に進展し、力による一方的な現状変更の圧力が高まっている。そして、領 域をめぐるグレーゾーン事態、民間の重要インフラ等への国境を越えたサイ バー攻撃、偽情報の拡散等を通じた情報戦等が恒常的に生起し、有事と平時 の境目はますます曖昧になってきている。さらに、国家安全保障の対象は、 経済、技術等、これまで非軍事的とされてきた分野にまで拡大し、軍事と非 軍事の分野の境目も曖昧になっている。p.4
経済安全保障分野における新たなセキュリティ・クリアラ ンス制度の創設の検討に関する議論等も踏まえつつ、情報保全のため の体制の更なる強化を図る。 また、偽情報等の拡散を含め、認知領域における情報戦への対応能 力を強化する。その観点から、外国による偽情報等に関する情報の集 約・分析、対外発信の強化、政府外の機関との連携の強化等のための 新たな体制を政府内に整備する。さらに、戦略的コミュニケーション を関係省庁の連携を図った形で積極的に実施する。 そして、地理空間情報の安全保障面での悪用を防ぐための官民の実 効的な措置の検討を速やかに行う。p.24

2

https://web.archive.org/web/20210321123355/https://www.hirataku.com/wp-content/uploads/2017/05/%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%9D%E3%83%B320171.pdf

3

経済安保相 “セキュリティークリアランス制度 検証早急に”
2022年8月29日 15時33分
高市経済安全保障担当大臣は、経済安全保障の強化に向けて、先端技術の流出を防ぐため重要な情報を取り扱う研究者などの信頼性を確認する「セキュリティークリアランス」と呼ばれる制度について、具体的な制度設計に向けた検証を急ぐ考えを示しました。
「セキュリティークリアランス」は先端技術の流出を防ぐため重要な情報を取り扱う研究者などの信頼性を事前に確認する制度で、経済安全保障の強化に向け経済界などから導入を求める声が出ています。 高市経済安全保障担当大臣は29日、報道各社のインタビューの中で「今後、確実に検討しなければならない課題だと思っている。機微な情報や重要な技術に接する方々については、しっかり信頼性を確保しなければ、日本で民生技術として研究してきたものが他国の先進的な兵器に使われる可能性もある」と述べました。
また「制度をしっかりと法制上位置づけることは重要だと思っている。ただ、個人情報に対する調査を含むものになるので、まずは実際に制度の活用が必要とされる具体的な事例の把握や検証を早急に行っていきたい」として、今後の具体的な制度設計に向けた検証を急ぐ考えを示しました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220829/k10013792891000.html

4

下記の文書にも言及がある。 「経済安全保障推進法の審議・今後の課題等について」内閣官房 経済安全保障法制準備室 2022年7月25日 https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/keizai_anzen_hosyohousei/r4_dai1/siryou3.pdf

5

山口信治、八塚正晃、門間理良「認知領域とグレーゾーン事態の掌握を目指す中国」防衛研究所、2023。http://www.nids.mod.go.jp/publication/chinareport/pdf/china_report_JP_web_2023_A01.pdf 長沼加寿巳「認知領域における戦い:物語(ナラティブ)、感情、時間性」NIDS コメンタリー第 163 号、第 163 号 2021 年 3 月 14 日。http://www.nids.mod.go.jp/publication/commentary/pdf/commentary163.pdf 飯田将史「中国が目指す認知領域における戦いの姿」NIDS コメンタリー第 177 号 2021 年 6 月 29 日 http://www.nids.mod.go.jp/publication/commentary/pdf/commentary177.pdf 諸永 大「認知戦への対応における『歴史の教訓』研究の可能性」 http://www.nids.mod.go.jp/publication/commentary/pdf/commentary251.pdf 長沼加寿巳「安全保障や防衛におけるナラティブ」 NIDS コメンタリー第 155 号 http://www.nids.mod.go.jp/publication/commentary/pdf/commentary155.pdf

6

人間が有する感情の観点からは、被害者状態、ノスタルジアや集合的ナルシシズムが、集団行動にも影 響を及ぼす。特に、国家主体、テロリストや過激主義集団が、これらをナラティブに組み込んでいる場 合には、その作用や目的について強い警戒感をもって接する必要がある。
時間性に関しては、防衛分野において、我の時間を稼ぐと同時に彼の時間を奪うこと、彼の意思決定や 情勢認識への間断ない干渉、戦略的な遅滞行動に伴い生起する時間的・空間的な「摩擦」の相手への指 向といった観点から、焦点を当てることが必要である。
将来戦においては、物理領域と仮想領域を繋ぐ、宇宙・サイバー・電磁波という分野が重視されている。 これに加えて、仮想領域と認知領域を繋ぐアプローチ、すなわち、認知領域における戦いについても、 適切な対処が不可欠である。(「認知領域における戦い:物語(ナラティブ)、感情、時間性」の要旨から引用)

7

プラトンの批判を受け継ぎながら、在来の弁論術の業績を幅広く吸収してこれを技術として完成したのがアリストテレスの『弁論術』である。彼は弁論術を「それぞれの対象に関して可能な説得手段を観察する能力」と定義して、〔1〕立証、〔2〕配列、〔3〕措辞の3部門をたてる。要 (かなめ) となるのは〔1〕の立証であり、そこに(1)弁論家の性格(エートス)、(2)聴衆の感情(パトス)、(3)言論そのものの論理(ロゴス)が含まれる。(3)にはさらに、弁論術的帰納とよばれる「例」と、弁論術的推論とよばれる「エンテューメーマ」があり、蓋然 (がいぜん) 的ないし常識的命題を前提に用いる(したがって、しばしば前提部分が省略される)不完全な三段論法であるエンテューメーマがとくに最有力の立証手段として重視される。すなわちアリストテレスは、真実を探求する哲学的言論とは異なる大衆相手の実践的言論の技術の領分において、真実らしさの実効性に理論的照明をあてたのである。 [尼ヶ﨑紀久子]

8

安部憲明「新型コロナ感染症と世界貿易 OECD のナラティブと当面の国際協調に関する 11 の着眼点」、フラッシュ 461、国際貿 易投資研究所、2020 年 5 月 14 日 [http://www.iti.or.jp/flash461.htm]。

9

コンピュータ科学は行動主義を捨てることができない、と私は考えている。現在起きている国家安全保障の枠組は、行動主義の決定的な難点でもある人間の心理、つまり行動の前提になる動機や感情への関心の欠如を、認知心理学が補完することで、人間を機械として把えることから、機械を超越するものとしての人間をも国家の意思に従属させるためのより高度な研究へと転換してきた、ということだと思う。これは私たちにとっては更に逃げ場を奪われる深刻な事態でもある。

10

これまで第四の権力とも称されてきたマスメディアが影響力を保持してきた一つの理由は、政府機関以外 では、このようなナラティブを構成する機能をほぼ独占してきたことに由来する。今日、情報通信技術が飛躍 的進展し、SNS ツールが広く情報ネットワークと個人をつなぐ結節点(ノード)や境界面(ファセット)を 構成した以上、文字通り、中間媒体物としてのメディアによるこの独占状態は、早晩、縮小を余儀なくされる だろう。長沼「「認知領域における戦い:物語(ナラティブ)、感情、時間性」http://www.nids.mod.go.jp/publication/commentary/pdf/commentary163.pdf

11

12

(Intercept) Twitterが国防総省の秘密オンラインプロパガンダキャンペーンを支援していたことが判明

Author: 小倉利丸

Created: 2023-02-26 日 11:18

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