警察法改悪―まだ論じられていない大切な課題について

警察法改悪―まだ論じられていない大切な課題についていくつか簡単に述べておきたい。

衆議院をあっという間に通過してしまった警察法改悪法案だが、たぶんこのままでられば、参議院の審議もほとんど実質的な内容を伴うことなく、成立してしまいそうだ。

今回の警察法改悪とサイバー警察局新設は突然降って湧いたような話ではなく、昨年夏前にはすでに基本的は方向性については警察庁が公表し、マスメディアも報じていた。私たちの取り組みはとても遅く、昨年秋くらいから議論になりはじめたに過ぎず、この遅れの責任は反監視運動として真摯に反省しなければならないと感じている。自分たちの運動の問題を棚に上げた勝手な言い分になるが、従来の刑事司法の改悪に関わる立法問題―たとえば盗聴法や共謀罪が想起される―では、いち早く法曹界や学会の関係団体が批判や抗議声明を出したが、今回は様変りだ。弁護士会は日弁連も都道府県弁護士会も警察法改悪については一言も公式見解すら出していない。研究者や弁護士などのグループでも反対声明が出はじめたのは法案が上程されて審議に入ってからだ。しかも、国民民主党も立憲民主党もこの法案に賛成した。共産党も衆議院内閣委員会での審議直前にやっと反対をかろうじて決定した。明かに、なぜか皆腰が引けているのだ。

通信の秘密、表現の自由、結社の自由について

警察法改悪の問題で見落されているのは、憲法が定めている私たちの言論表現の自由や結社の自由、そして通信の秘密を国家が侵すことへの厳格な禁止との関係だ。これらは言うまでもなく、文字通りの権利としてはもはや私たちにものにはなっておらず、捜査機関が大幅な権限を既に握ってきたことは繰り返すまでもない。

ただし、今回のサイバー局新設の問題は、従来と質的に異なって、捜査機関が憲法で保障さている言論表現の領域を専門に捜査対象とする組織を新設するということ、つまり、真っ向から憲法21条を否定することを目的とした組織を創ろうというものだ、という点にある。法案では「サイバー事案」として捜査対象となる領域を次のように規定している。

「サイバーセキュリティ(サイバーセキュリティ基本法(平成二十六年法律第百四号)第二条に規定するサイバーセキュリティをいう。)が害されることその他情報技術を用いた不正な行為により生ずる個人の生命、身体及び財産並びに公共の安全と秩序を害し、又は害するおそれのある事案(以下この号及び第二十五条第一号において「サイバー事案」という。)のうち次のいずれかに該当するもの(第十六号及び第六十一条の三において「重大サイバー事案」という。)
(1) 次に掲げる事務又は事業の実施に重大な支障が生じ、又は生ずるおそれのある事案
(i) 国又は地方公共団体の重要な情報の管理又は重要な情報システムの運用に関する事務
(ii)国民生活及び経済活動の基盤であつて、その機能が停止し、又は低下した場合に国民生活又は経済活動に多大な影響を及ぼすおそれが生ずるものに関する事業
(2) 高度な技術的手法が用いられる事案その他のその対処に高度な技術を要する事案
(3) 国外に所在する者であつてサイバー事案を生じさせる不正な活動を行うものが関与する事案」
https://www.gov-base.info/2022/02/22/148741

つまり「国又は地方公共団体の重要な情報の管理又は重要な情報システム」と「国民生活及び経済活動の基盤」などでサイバーセキュリティが関係する分野である。高度な技術的な対処や海外を含む事案が更に対象になる。サイバーセキュリティ基本法2条では次にようにサイバーセキュリティを定義している。

「「サイバーセキュリティ」とは、電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式(以下この条において「電磁的方式」という。)により記録され、又は発信され、伝送され、若しくは受信される情報の漏えい、滅失又は毀損の防止その他の当該情報の安全管理のために必要な措置並びに情報システム及び情報通信ネットワークの安全性及び信頼性の確保のために必要な措置(情報通信ネットワーク又は電磁的方式で作られた記録に係る記録媒体(以下「電磁的記録媒体」という。)を通じた電子計算機に対する不正な活動による被害の防止のために必要な措置を含む。)が講じられ、その状態が適切に維持管理されていることをいう。」
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=426AC1000000104

コンピュータ上のデータやネット上のデータの全てがサイバーセキュリティの対象ということになる。スマホやパソコンだけでなく、Suicaとか家庭のスマートメーター、ケーブルテレビなどあらゆる日常生活必需品がサイバー警察局の捜査領域になりうる。いったん警察の捜査対象になるとどうなるか。たとえば、交通取り締まりでは、ドライバーを常にスピード違反や飲酒運転の疑いの眼をもって監視することが「交通安全」の名目で当然視されてているように、私たちの日常のコミュニケーションを犯罪の可能性がありうるものとして警察が常時監視することになる。道路のNシステムが24時間稼動するように、ネットのコミュニケーションも24時間監視されることになるのだ。

ところで、憲法21条を念のために、引用しておこう。

「第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」

21条は、22条のように「公共の福祉に反しない限り」という限定がないところがこの条文の特徴であり重要な点だ。集会、結社、言論など一切の表現の自由のなかには公共の福祉に抵触する表現があってもよいという含意がある。この含意は、公共の福祉が時には「国益」や多数者の利益や利害、あるいは支配的な道徳や倫理と読み替えられて解釈されることによって、反政府的な言論や多数者のそれとは相容れない少数者の道徳や倫理を統制することを正当化しえない歯止めとなっている。

日に日に反政府的な言動や、ナショナリズムを否定する言論への攻撃や規制が厳しくなるなかで、この「公共の福祉」という限定のない21条は重要な意味をもっている。ところがそうであっても、この領域を犯罪捜査の対象として専門に取り締る警察組織が設置されてしまえば、事実上「公共の福祉」という枠のなかに私たちの言論表現の自由が押え込まれることになる。

ネットを念頭に21条を表現すると以下のようになる。

「ネットにおける集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。ネットの検閲は、これをしてはならない。ネットの通信の秘密は、これを侵してはならない。」

予測と行動変容を促す技術との一体化

同時に、捜査機関が私たちのコミュニケーションを網羅的に監視するためには、「検閲」を伴わないわけにはいかないだろう。しかし、かつてのように、集会に警察官が臨席したり、出版物が「×」印の伏せ字を強いられるといったいかにもみっともない不自由な強権発動はやらずに、もっと巧妙になる。ひとつは、公権力による検閲ではなく、民間による自主規制に委ね、民間団体を背後から指導するというやりかただ。映画、音楽、放送や新聞がすでにこうした自主規制によって国家の検閲を回避しつつ実態として公権力の検閲の代弁者となってきたが、この伝統的なやりかたが、インターネットのプラットフォーム企業にまで拡大されるということだ。

もうひとつは、予測と行動変容を促すというより巧妙な方法だ。ビッグデータとAIの時代に政府もIT企業もこぞって研究・開発を進めているのが、この分野だ。膨大な個人データプロファイルし、人々の行動を予測するだけでなく、人々の行動変容を促すような情報操作を官民総がかりで取り組もうとしている。人々は自発的な意思によって、誰に強制されることなく、政権を支持するようなメンタリティが構築される。このような世界はSF映画が先取りしてきたが、むしろ現実がフクションを越えはじめている。

警察領域では、こうした予測と行動変容が行政警察機能の拡大と予防的な取り締まりの歯止めのない拡大としてあらわれることになる。サイバー警察局はこうした方向をもった警察による捜査の実働部隊として全国規模で私たちのコミュニケーションを捜査=監視対象とすることになる。

長官官房による情報の一元管理

国会では全く議論されていないもうひとつの重大な問題が、これまで独立した「局」だった情報通信局が廃止され、その機能の多くが警察庁長官官房に移されることになる点だ。デジタル鑑識などの分野はたぶんサイバー警察局に移されるだろうが、それ以外の警察の情報システムやデータ管理などは長官官房に移され、ここで都道府県警察が保有している個人データなどと合わせて統合的に管理されることになるのではないかと推測している。これまでも都道府県警が保有している個人データの全国的な共有システムが存在したが、これが更に高度化されて、文字通リの意味でのビッグデータとして機能しうることになる。そして、これだけではなく、重要なことは、この長官官房の情報システムが内閣官房のサイバセキュリティーセンターを介して他の省庁や、更には省庁と連携する民間企業との間のデータとも少なくとも構造上は連携可能になるだろうということだ。マイナンバーはもちろん枢要な位置を占めるだろう。

ここで重要なことはサイバー警察局が捜査対象とする官民の重要インフラについては、すでに14分野が指定され、「セプター」(下図参照)と呼ばれる組織を通じて省庁との間で連携がとられる構造ができあがっていることだ。この構造に警察庁長官官房が介入することによって、一気に警察の影響力が大きくなることは間違いない。

この意味でいうと、サイバー警察局は、コミュニケーション領域を捜査する実働部隊あるいは「手足」であり、長官官房は都道府県警からサイバー警察局までを網羅する情報ネットワーク神経系を統合する「頭脳」部分をなし、この両者が一体となって21条領域を骨抜きにする構造として理解する必要がある。

自民党改憲草案との関係

上記のような見立ては決して反監視運動の我田引水的な誇大妄想あるいは被害妄想なわけではない。それは自民党改憲草案の21条改正案をみればはっきりわかると思う。改憲草案は下記のようになっている。

「第二十一条集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
3検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。」
https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/news/policy/130250_1.pdf

この改憲草案を踏まえると、捜査機関が「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」を行なっているかどうかを捜査することや、公共の秩序を害することを「目的として結社をする」可能性を捜査することが当然のこととされるだろうし、捜査機関はわたしたちのコミュニケーションを監視し予防的な措置をとることになるだろう。この改憲草案の文言を念頭に、警察法の改悪=サイバー警察局の設置の含意を解釈しなければならない。言うまでもなく、警察法改悪は改憲を先取りし、改憲によって実現可能な捜査機関の体制を準備するものだ。

サイバー攻撃は私たちの自由の権利を制約する理由にならない

最後に、「サイバー攻撃」の脅威との関係について私の考え方を述べておきたい。国会審議では、与野党揃って「サイバー攻撃」を天下国家の一大事だと口をそろえてその脅威に立ち向かうべきだと主張している。私もサイバー攻撃という事実があり、それが時には私たちの私生活に深刻な事態を招くこともありうることは理解している。しかし、だからといって、捜査機関にフリーハンドで捜査権限を委ねたり、私たちの21条の権利を制限することを認めるような権限を捜査機関に与えることには反対だ。捜査機関の捜査は21条の権利をわずかたりとも制約するものであってはならない。サイバーセキュリティに関しては私たちが権力に依存することなく対処しうる余地がまだまだあるし、そうした試みは世界中の権力による干渉を拒否する民衆のサイバーセキュリティの活動家たちが創意工夫してもいる。

権力にフリーハンドを与えるべきではなく、捜査機関は私たちの自由の権利を侵害しない範囲で捜査すべきなのだ。この点は一歩たりとも譲れない一線だ。すでに私たちの自由は警察によって大幅に削りとられてしまっている。しかもレイシストたちが「自由」という理念そのものを横取りし、まさに政権政党もまた自由と民主主義の名ももとに、私たちの自由を土足で踏みにじってきた。私たちの自由とは、あくまで社会的平等の基盤の上に築かれた自由の実現、つまり自由の再定義のための実践であり、そのためには既存の体制が擁護しようとする「公共の福祉」とは確実に相容れない実践でもあるのだ。

あくまでも反対を

警察法改悪を容認する野党は、この改憲草案への道を容認することになる。また、警察法改悪の問題に沈黙することは、言論表現の自由や通信の秘密の権利が侵害されかねない警察制度の大幅な改変を黙認していることにならないか。本来なら反対していいはずの野党が賛成した今回の事態は、もはや議会野党が与党の補完物にしかなっていないことを示しているのではないかと危惧する。他方で、警察法改革に反対する団体賛同署名は、短期間であるにもかかわらず3月5日時点で140を越える賛同がきている。とても小さな声だが、しかしこのような草の根からの異議申し立ては、議会政党が次第に翼賛化しつつあるなかで重要な力だと思う。

(Truthout)戦争はウクライナの左翼に暴力についての難しい決断を迫っている

以下は、the Truthoutに掲載された記事の翻訳です。ウクライナの左翼は、以下の記事で象徴的に紹介されているように、ウクライナに残るという決断をしたばあいの二つの選択肢、つまり、徹底して非暴力不服従を選択するのか、それとも武器をとるのか、の二つの選択肢の間で決断を迫られている。ウクライナの文脈のなかで、この二つの選択肢がどのような意味をもつのかは下記の記事にあるように、容易な問題ではない。これまでも武力行使を否定してきたウクライナ平和主義運動は国内の極右に狙われ続け、他方でロシア軍に対する武装闘争を選択したイリヤらはアナキストでありながら腐敗した政府の国軍との連携を余儀なくされる。

さて、私の関心はむしろこの戦争への日本国内の論調が、反戦運動も含めて、ナショナリズムの罠を回避しきれていないことへの危惧にある。日本のなかのロシアの侵略戦争への反対という正しい主張が、侵略に対して自衛のための戦争は必要であり、だから自衛力としての自衛隊もまた必要なのだという間違った考え方を正当化しかねないのではないか。人々のナショナリズムの感情が軍事力の行使を正当化する心情として形成されてしまうのではないか、という危惧だ。ウクライナの国や「民族」を防衛すべきとするウクライナイ・ナショナリズムの感情形成への回路があることを反映して、ウクライナの現状を学校で教える日本の教師たちが、「だから、日本もまた、国土を守るために自衛隊が必要であり、私たちも侵略者と闘う覚悟が必要だ」といった感情を子どもたちに与えかねないし、大人も地域の人々も同じようなナショナリズムへの同調という心情の共同体を容易に形成してしまうのではないか。もちろん政権や政治家たちも、この戦争事態を格好のナショナリズムと自衛隊肯定から自衛力としても武力行使の肯定へ、つまり9条改憲の正当化へと繋ごうとすることは目にみえている。

改憲反対という人達のなかで、どれだけの人達が自衛のための戦争もすべきではない、戦争という選択肢は侵略されようともとるべき手段ではない、ということを主張できているだろうか。

(3月6日追記) ユーリイ・シェリアジェンコは、Democracy Nowに何度か登場しています。

https://www.democracynow.org/2022/3/1/ukrainian_pacifist_movement_russia_missile_strike

https://www.democracynow.org/2022/2/16/yurii_sheliazhenko_russian_invasion_ukraine



投稿者
マイク・ルートヴィヒ、トゥルースアウト
発行
2022年3月5日

ロシアが2月24日にウクライナに侵攻して以来、キエフにあるユーリイ・シェリアジェンコYurii Sheliazhenkoさんの5階建ての家に毎日サイレンと爆発音が響いている。シェリアジェンコは「ウクライナ平和主義運動the Ukrainian Pacifist Movement」の事務局長であり、戦争状態にあるこの国で、孤立しながらも断固として平和を求める声を上げている。彼は、武器を持つことを拒否し、ロシア軍の進攻をかわすために隣人と一緒に火炎瓶を作ることを拒否し、「多くのヘイト」を経験してきた。そのロシア軍は、ウクライナ防衛を決意した民間人と戦闘員の厳しい抵抗に直面している。

シェリアジェンコは、ウクライナの活動家を支援するために米国の人々ができることについて電子メールで尋ねられたとき、「まず、平和への暴力的な手段はない、という真実を伝えることだ」と答えた。

キエフ近郊のどこかでは、「イリヤ」とその仲間たちがロシア軍に対抗して武器を取り、戦闘訓練をしている。暴力が激化しているため身元を隠さなければならないイリヤは、隣国の政治的抑圧から逃れ、ロシアの侵攻に抵抗することを決意した無政府主義者である。ウクライナや世界中のアナキスト、民主社会主義者、反ファシストなどの左翼の仲間とともに、イリヤはウクライナ軍の下である程度の自治権をもって自主的な民兵のように活動する「領土防衛territorial defense」部隊のひとつに参加した。抵抗委員会と呼ばれるグループによれば、共済グループや文民的任務を持つボランティアの水平同盟からの支援を受け、反権力者たちは領土防衛機構の中に独自の「国際分遣隊」を持ち、物資のための資金を調達しているとのことである。

「敵が自分を攻撃しているとき、反戦平和主義の立場をとることは極めて困難です。というのも、自分自身を守る必要があるからです」と、イリヤはTruthoutのインタビューで語っている。

シェリアジェンコとイリヤの異なる道は、ウクライナの活動家や進歩的な社会運動が直面している困難でしばしば極めて限定的な選択肢を物語っている。注目すべきは、彼らの政治における暴力の役割に関する異なる見解が、両活動家に、互いに敵対するのではなく、むしろ補完し合うような積極的な闘争を行わせている点である。

イリヤと彼の同志たちは、彼が「明らかに多くの欠点と腐ったシステムをもっている」と言うウクライナ国家について、何の幻想も抱いていない。しかし、ウクライナ、ロシア、東ウクライナの親ロシア分離主義者は2014年以来、低レベルの戦争を行っており、他の多くの左派と同様に、プーチン流の残忍な権威主義を押し付けかねない「ロシア帝国主義の侵略」が現時点での最大の共通の脅威だとイリヤは考えている。ウクライナは民主主義が十分に機能しているとは言えないが、反権威主義の活動家たちは、ロシアの介入とそれに伴う信じられないほど抑圧的な政治状況によって、この国の問題が解決されることはないと語っている。ロシアでは現在、デモ隊が警察の残忍な弾圧に逆らい、長い実刑判決の危険を冒して戦争に抗議している。

「ロシアでは広範な反戦運動が起こっており、私はそれを断固として歓迎します。しかし、私が推測する限り、ここではほとんどの進歩的、社会的、左翼的、自由主義的な運動は、現在ロシアの侵略に反対しており、それは必ずしもウクライナ国家と連帯することを意味していません」とイリヤは言った。

シェリアジェンコは、これまでに何百、何千もの民間人の命を奪った致命的な戦争について、双方の右翼バショナリストを非難している。シェリアジェンコと仲間の平和活動家は、街頭でネオナチに襲われる前に、ウクライナの極右ウェブサイトによって、ロシアに支援された分離主義者との戦争に反対する裏切り者として個人情報をネットに晒されたり「ブラックリスト」入りされたりした。しかし、ウクライナで親ロシア派大統領を退陣させた2014年のマイダン蜂起以降、ファシスト集団や極右ウルトラナショナリストが台頭したことは、プーチンが主張するような流血のロシア侵攻の言い訳にはならないとしている。

「現在の危機には、すべての陣営で不品行が行われてきた長い歴史があり、「我々天使は好き勝手できる」、「彼ら悪魔はその醜さに苦しむべきだ」といった態度をさらに取れば、核の終末も例外とはならないさらなるエスカレーションにつながります。真実は双方の沈静化と平和交渉の助けとなるべきです。とシェリアジェンコは述べてる。

多くの民間人がウクライナ軍に志願しているが、戦争が2週目に入ると、ロシア軍と戦う以外にも活動家にはやることがたくさんある。イリヤによると、「市民ボランティア」は暴力から逃れる家族を助け、世界中のメディア関係者に語りかけ、レジスタンス戦士の家族を支援し、寄付や物資を集め、前線から戻った人たちをケアしているという。労働組合は現在、資源を整理し、戦争で荒廃した東ウクライナから西側やポーランドなどの近隣諸国に逃れる難民を支援している。

ボランティアには様々な政治的背景があるが、イリヤのようなアナキストにとって、抵抗活動に参加することは、現在および戦後の政治や社会発展に影響を与える急進派の力を高めるための手段である。相互扶助と自律的な抵抗を行う草の根の「自己組織」もまた、生き残りの手段としてあちこちで生まれている。

「はっきりさせておくと、私たちの部隊の全員がアナキストを自認しているわけではありません。それよりも重要なのは、多くの人々が自発的に組織して、互いに助け合い、近所や町や村を守り、占領軍に火炎瓶で立ち向かうことです」とイリヤは言う。

一方、シェリアジェンコと散在する平和活動家たちは、非暴力による市民的不服従を含む戦術で、強制的な徴兵制に反対し続けている。シェリアジェンコによると、18歳から60歳までの男性は「移動の自由を禁じられ」、軍関係者の許可がなければホテルの部屋を借りることさえできないという。

シェリアジェンコは、官僚的なお役所仕事と兵役以外の選択肢への差別があり、宗教家でさえ良心的兵役拒否を妨害していると述べた。米国の活動家は、人種、性別、年齢に関係なく、すべての民間人を紛争地域から避難させるよう呼びかけ、紛争をエスカレートさせるような武器をウクライナに持ち込まない援助団体に寄付をすべきだと、彼女は付け加えた。米国主導のNATO連合はすでに軍に多くの武器を供給しており、ウクライナのNATO加盟の可能性が戦争の大きな口実となった。

「平和文化の未発達、創造的な市民や責任ある有権者よりもむしろ従順な徴兵を養成する軍国主義教育は、ウクライナ、ロシア、ポストソビエトのすべての国に共通する問題です」「平和文化の発展と市民としての平和教育への投資なくして、真の平和は達成されないだろう」ととシェリアジェンコは語った。

出典:https://truthout.org/articles/war-is-forcing-ukrainian-leftists-to-make-difficult-decisions-about-violence