即位・大嘗祭違憲訴訟原告団、同弁護団は安倍晋三の「国葬」に断固反対する(即位・大嘗祭違憲訴訟原告団、弁護団)

即位・大嘗祭違憲訴訟原告団と弁護団が下記のような声明を出しました。私も原告ですから、ブログに転載しお知らせします。多くの反対の意思表示やアクションが展開されている一方で、メディアが報じる映像などをみると、多くの人達が弔問や献花に訪れている様子を目にすることがあり、またFNNは、国葬決定の是非についての世論調査の結果を次のように報じている。

「18・19歳を含めた20代は、「よかった」67.3%、「よくなかった」31.4%。30代は、62.7%、30.3%。40代は、52.5%、46.7%。50代は、44.4%、51.7%。60代は、44.4%、54.2%。70歳以上は、39.1%、57.0%。(「よかった」「よくなかった」は、いずれも「どちらかと言えば」を含む)

年齢の若い人ほど「よかった」と答える人が多く、年齢の高い人ほど「よくなかった」と答える人が多い傾向が見て取れる。」

世代別で若い世代で賛成とする割合が大きい。こうした傾向は他の世論調査でも同様の結果になっている(熊本日々新聞日経) 国葬に限らず儀礼行為は、ナショナリズムの動向をみる上で必須の重要な対象でもあって、一般に年配の方が保守的だという定式からすると、奇異にみえるかもしれないが、最近の選挙でも保守政党への若者の支持が大きいことが話題になっている(NHK朝日)から、構造的な人口全体に関わる国家意識の遷移に関わる問題としてとらえる必要があるかもしれない。

たかが葬式という見方もあるが、国家が巨費を投じて儀礼を遂行する表向きの理由とは別に、統治の構造にとって不可欠な国民統合のイデオロギー作用としての儀礼という側面が有している効果のなかには、論理や理念を超越した感情を国家や組織に向けて同調させる機能がある。だから、大嘗祭のようなたかが「儀礼」にたいしても、見過すことができないこととして異議申し立てをしている。

戦争や軍隊への動員に典型的なように、人々が国家という抽象的で観念的な存在に、みずからの命すら賭けようとする感情が醸成されるにはそれなりのメカニズムがある。このメカニズムにおいて、具体的かつ情緒的な同調意識を形成する上で、シンボリックな視覚効果と人々の例外を許さない秩序への従属を演出できる儀礼的な空間は不可欠な役割を果している。こうした情動の動員は、大きな権力の問題というよりも、身近な権力関係のなかで、繰り返し機能することによって、人々は、行為における合理的な判断よりも感情や同調欲求を優先させることをある種の習い性として身につける。学校で制服が強制され、入学式、卒業式で日の丸・君が代を斉唱することが強制され、しかもこうした規律に対する違反に過剰な懲罰が課せられることが当たり前のようにして通用している。強制と書いたが、実際には多くの若者たちは、強制とは感じず、当然であるだけでなく率先して集団への同一化を選択する。こうした日常生活に対して若者たちが、異議申し立てをすることも少しづつ目にするようにはなっているが、ひとつの運動となるほどまでには至っていないように思う。

世代の上の人達が国葬に比較的批判的なことはそれ自体として歓迎したいが、だからといって、こうした世代がナショナリズムへの心情においても若者よりも醒めていると即断することはできないとも思う。この点については、もっと考えなければならない様々な要因があると思う。(まえがき終り)


内閣総理大臣 岸田文雄様

安倍晋三の「国葬」に断固反対する

即位・大嘗祭違憲訴訟原告団

即位・大嘗祭違憲訴訟弁護団

 7月22日、岸田文雄首相は安倍晋三元首相の「国葬」(国葬儀)を行なうと閣議決定した。

 即位・大嘗祭違憲訴訟原告団、同弁護団は安倍晋三の「国葬」に断固反対する。

 そもそも「国葬」なる概念は、政教分離などを考慮して日本国憲法施行の1947年に失効した「国葬令」によって「皇族」および「国家ニ偉功アル者」が死亡したときに「特旨ニ依リ」天皇が「賜フ」ものであった。なぜ、この勅令が失効しなければならなかったかは考えるまでもなく、日本国憲法の趣旨に反するものであったからである。それを内閣府設置法(第四条第3項三十三「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)。」)などによって復活させることはできない。

 そもそも国が、特定の個人を、公費を使って葬儀を挙行するということは、国によって記念し顕彰されるべき死の序列化・価値化を意味するものであり、決して許されない。私たちは、日本国憲法に反して国費を使って行なわれた即位・大嘗祭の違憲性を政教分離などの視点から争っている。同様に安倍晋三の「国葬」(国葬儀)も許すことはできない。

 日本国憲法の下で、「国葬」として行なわれたのは、1952年の明仁の立太子礼の際に「臣茂」と記して激しい批判をあびた吉田茂の葬儀が1967年に行なわれて以来だという。まさに安倍も教育基本法改悪、戦争法制定、国会開催要求に対する不当不開催等々、日本国憲法の趣旨に逆らう諸行為を重ねており、吉田並みの日本国憲法に逆らう者である。日本国憲法に逆らう者が「国葬」とされるというならば、それは正に「国葬」を行なう首相(吉田の際の佐藤栄作、安倍の際の岸田)が日本国憲法に反していることに他ならない。また、安倍は森友学園、加計学園、桜を見る会、河井選挙買収、黒川弘務検事長問題などさまざまな未解決の疑惑にかかわる中心人物で、日本の国政を辱めた人物であり、カルトの広告塔・庇護者であって、それがその死の原因でもあった。いまなお政府はじめ多くの領域にそのカルトが巣食っている中で、彼らが推進する「国葬」など言語同断である。自民党による安倍政権美化と疑惑隠蔽対策と言わざるを得ない。「国葬」によって多くの人々とともに私たちが訴えてきた安倍政治への批判が国による顕彰にすり替えられるといった許し難い事態が懸念される。

 繰り返す、即位・大嘗祭違憲訴訟原告団、同弁護団は安倍晋三の「国葬」に断固反対する。