11月13日:第三回『絶望のユートピア』 (桂書房) を枕に 社会を変える夢を見るための連続講座 (第2期) テーマ:「社会主義にとってフェミニズムとは何であったのか 」
第三回『絶望のユートピア』 (桂書房) を枕に 社会を変える夢を見るための連続講座 (第2期)
テーマ:「社会主義にとってフェミニズムとは何であったのか 」
日時:11月13日、19時から
会場:ATTAC Japan (首都圏)
千代田区神田淡路町 1-21-7 静和ビル 1 階 A
地下鉄「小川町」B3出口。連合会館の裏手です。
参加費:500円。テキストや本をお持ちでなくても構いません。連続講座ですが、1回完結なので初めての方でも参加できます。
戦間期のファシズムの時代を経験していない戦後生れの世代が、日本であれ欧米であれナショナリズムの熱気を帯びて、差別と排外主義を肯定する価値観に大きく傾きつつあります。同じことは、20世紀後半に、植民地からの解放や独裁から民主化への闘いを経験してきた第三世界でも同様の流れが急速に拡がりをみせているように見えます。他方で、民衆の運動が暗黙の前提として、自由と平等を実現する社会として社会主義の理念を掲げることは、必ずしも当然の共通理解にはならなくなりました。資本主義批判の常識とされてきた階級や搾取といった概念そのものも、社会運動の日常言語として語られることが少なくなったように思われます。他方で、ジェンダーやエスニシティあるいは環境といった課題が、社会問題にとって必須になり、資本主義が抱える矛盾への理解が労働者階級の解放という枠組みを越えてより幅広いものになってきたことも事実です。しかし、だからといって、資本主義批判を支える基本的な社会認識が大きく革新されたり、社会主義の理念に新たな可能性が開けてきたということでもありません。むしろ問題が多様になり、解決されるべき課題が錯綜するなかで、個別の課題に個別に取り組むことで精一杯という状況が続いているようにもみえます。
今回の講座では、初心に帰って、まだ社会主義が思想としても成熟していなかった時代も含めて、社会主義者たちが直面していると考えた課題を再度洗い出し、どのような「答え」を模索しようとしてきたのかを考えてみようと思います。そのための手掛かりとして、「性と家族」というテーマを関心の中心に据えてみます。マルスクに先だつ社会主義の思想は、労働者階級(あるいはプロレタリアート)の搾取からの解放にあると同時に、その初期の時代から人々の労働だけでなく家族や性の問題、とりわけ女性への抑圧に関心が寄せられていました。社会主義者の多くは、男性でしたから、女性が直面している問題の当事者ではありません。このことも含めて、社会主義の思想が限界をもっていたに違いありません。このことも含めて、社会主義が構想する自由と平等とはどのようなものであるべきなのか、それはどのような意味で、資本主義では不可能なことなのかを、考えてみたいと思います。ジェンダーに基づく差別(それだけでなく様々な差別と排除にも通じますが)がたとえ民主主義を標榜し人権を普遍的な価値とみなす社会にあっても、なぜ現在世界中でみられるような後退現象を生み出しているのか、なぜ差別を正当化するような不合理な宗教的な信条が廃れるどころかむしろ若者も含めて復活する傾向にあるのか、こうした現在私たちが抱えている問題に答えを出せるような社会主義の可能性への道を探ることも議論してみたいと思います。
テキストには『絶望のユートピア』所収の「社会主義にとってフェミニズムとは何であったのか」を用います。さらに、当日は、この論文では言及していない女性で労働運動にも深く関わったフローラ・トリスタンを紹介します。彼女が書いた『ロンドン散策――イギリスの貴族階級とプロレタリア』(1840)はエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』(1845)に先立つ著作です。この二人の著作を比較することで、プロレタリアあるいは労働者階級への視点の差異から何を学ぶべきかを考えてみたいと思います。
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