リスク回避のサボタージュ――資本と国家の利益のために人々が殺される
1 何が起きているのか―人を犠牲にして制度を守る?
1.1 二つのシナリオ
(注)Johns Hopkins University,Corona Virus Resource Center, https://coronavirus.jhu.edu/map.html
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ロックダウンが経済活動の停滞を招き、経済恐慌といっても過言ではないような事態を招く。破綻した経済は、膨大な数の経済的に困窮した人口をもたらし、困窮を原因とした生存の危機にみまわれる人々が生じる。経済の破綻と貧困の蔓延は、コロナウィルス感染の予防や治療に必要な医療システムの崩壊をまねき、結果として感染の拡大を食いとめられなくなり、ロックダウンの強化・拡大へと向い、上記の悪循環に陥る。
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ロックダウンを緩和して、経済の停滞を回避し、経済活動を維持する場合、人々の活動が活発化し、接触も増える。検査体制が万全でないなかで、感染の拡大は避けられない。経済活動を維持した結果としての感染の拡大は、「医療崩壊」を招き、都市封鎖などの強力な地域隔離を選択せざるをえなくなるが、経済の維持のためには、再びリックダウンを緩和せざるをえなくなり、上記の悪循環を招く。
上に書いたことは、実は、私たち一人一人にもあてはまる。「自主隔離」で仕事にも行かず自宅を出ないとすれば、収入の道を断たれ、家賃も払えず、食料の調達もままならず、生存の危機に陥る可能性が高くなる。自主隔離は、近親者への感染が避けられない。軽症ならばそれもよし、というのが政府や医療専門家の見解のようにもみえる。全く孤立して生きることはできないから、こうした困窮のなかで万が一感染すれば、リスクはより多きなものになる。他方で、検査もされないまま仕事を続ければ、混雑する電車で通勤し、人と接触せざるをえないことになり、感染のリスクは高まるとともに、自分もまた他人に感染させるリスク源になる。検査も治療もままならない状態になっても食うために働くというリスクを選択せざるをえない。
1.2 知る権利 v.s. 不合理な同調圧力
1.3 一律の封鎖:テロとの戦争下での大量監視が世界規模で拡大する
1.4 政治活動の自由の崩壊
1.5 権威主義の増長
2 生存を保障できない資本主義
2.1 なぜ悉皆調査が不可能なのか
- 集会の自粛、あるいは集会場の閉鎖のなかで、〈運動〉の討議や合意形成やどのようにして確保できるのか。
- 憲法が保障する基本的人権、とくに自由の権利は危機のなかでどのようにして確保できるのか。
- 〈運動〉が事実上閉塞状態に置かれるとき、社会的な矛盾はどのような形で露呈するのか。
- 危機に対峙できる〈運動〉の再構築をどのようにすべきなのか。
といった一連の問いと向き合わなければならない。
3 感染症の政治学
3.1 中立性?
3.2 作られた医療崩壊
3.3 本来すべきことがなぜできないのか
本来なら、次のようにすべきだろう。
- 全ての人々を検査し、陽性者を確認する。
- 陽性者が他の人に感染させない措置を家族などに委ねず、陰性の者が通常の生活を送れるようにする。
- 陽性者への治療を実施する。
- 市場経済に委ねないで治療に必要なワクチンや医薬品の開発を行なう。
問題は、なぜこうしたことができないのかである。資本主義は、社会の人口がその生存に必要とするモノを市場を通じて供給するシステムに依存する。モノには社会的に必要な側面が何割かは含まれているが、これを供給する資本は社会的義務に基いてではなく、私的な利潤動機によって行動(投資)を選択する。ファストフードに含まれる添加物や健康被要因と人間の生理的な栄養摂取とが不可分な形で商品として供給されるように、モノの社会性は資本の私的な動機によって大きく歪められる。だから、社会性とは資本主義における社会性であって、決して普遍的ではない。社会性は資本なしには実現できないという特性をもたざるをえない。だから、経済活動にとって不都合な要因を市場から排除し、これを家族や親密な人間関係に委ねようとする。
3.4 諸権利相互の衝突:自由と生存の権利関係
戦争で他国の人を不条理に殺すことを厭わない国々が、自国の領土で人々が死ぬことを恐れ、政治的な権利を棚上げする。
生存の権利に国境はない。コロナに怯えるなら軍隊もなくせ。人を殺す政治をやめよ。
(付記:この原稿は、3月27日の大阪、28日の京都で行なった講演の原稿の一部です)