2019年3月19日に開催されたJOC理事会で、竹田恒和の6月の任期終了によって退任することを決めた。フランスの捜査当局が贈賄容疑で捜査していることに対して、竹田は、自身の潔白を1月の記者会見でも主張したが、辞めざるをえないところに追いこまれた。
東京新聞は3月20日の社説で次のように述べた。
「当時の東京五輪・パラリンピックの招致委員会は、約百四十九億円もの費用をかけながらリオデジャネイロに敗れた。そのため二〇年大会の招致では、大手広告代理店が推薦したシンガポールのコンサルタント会社に二億円超を支払って万全を期したが、その一部が票の買収に使われたことが明るみに出た。
贈賄疑惑を追及する仏司法当局が、招致委の理事長を務めていた竹田氏に捜査の目を向けるのは当然といえる。一方の竹田氏はコンサルタント会社に支払ったのは「正当な対価によるもの」としている。ただ、その金がどのように使われるかを知らなかったとしても、会社の素性や背後にいる人物を慎重に調査するべきだった。一六年大会の招致に失敗した焦りがあったのかもしれない。」
オリンピック招致でリオに敗北した総括として、買収作戦を展開したわけだが、これがフランスでは贈賄に当たるとして捜査の対象になる一方で、日本国内では、日本の国内法には違反していないから捜査できないし、問題もないといった主張が目立つ。上に引用した東京新聞の社説も歯切れが悪い。社説では「五輪開催の理念が乏しいまま招致にかじを切った関係者、関係団体すべてが反省するべきことだ」と批判するが、そもそも金で買ったオリンピックなど返上すべきだ、というふうには言えていない。
NHKは全く問題点には言及せず竹田がこれまでオリンピックにどのように寄与してきた人物なのかを紹介するなど、推定無罪の原則を非常に忠実に守る報道に徹している。(もちろん皮肉だが)
日本のメディアの報道では、竹田会長の辞任を残念と感想をもらす。政治家たちも一様に、静観するかノーコメントだ。野党も「フランスで行われている捜査との関係が分からないのでコメントのしようがない」(立民 福山幹事長)、「事情が分からないので、軽々に言えないが、疑念を持たれる対応をとること自体が問題だという思いはする。」(社民 又市党首)といったどこか他人ごとで、自ら真相究明を国会などの場で行う姿勢は皆無だ。オリンピックを敵に回すことは有権者を失うこと、という票の思惑がみてとれる。
事の発端は、2016年5月に英国のガーディアン紙が「東京オリンピック:2020大会に向け130万ユーロを秘密口座に送金」 と題した記事だった。国際陸上競技連盟(IAAF)のラミン・ディアク前会長の息子の関係口座にアフリカの票を買収する目的で金が流れたとみられる。
ガーディアン紙によれば、日本の贈賄疑惑は、世界反ドーピング機関(WADA)の独立委員会が2016年に提出した腐敗関連報告書の記述にあると指摘されていた。この報告書の第二巻の注に次のような記述がある。
「トルコの個人とKDとの間の様々な議論の記録(トランスクリプト)は2020年夏のオリンピックの開催年をめぐる誘致競争に関する議論に言及している。この記録では、トルコはDiamond LeagueかIAAFに200万ドルから500万ドルのスポンサーシップの金を払わなかったのでLDの支持が得られなかった。この記録によると、日本はこの金額を支払った。2020年のオリンピックは東京が招致に成功した。独立委員会はこの問題については、管轄外なので更なる調査をしなかった」(34ページ)
非常に欺瞞的なのは、この報告書に対する2016年12月12日の日本ドーピング委員会(JADA)の見解である。この見解のなかで次のように述べている。
「同報告書において指摘された競技大会、競技種目に関係する組織においては、クリーンなアスリートの擁護と競技大会の健全性の担保のために、速やかに適性な処置を講じることを強く要請します。
当機構は、Institute of National Anti-Doping Organizations (iNADO)との連携により、ロシアのアンチ・ドーピング体制の健全化支援を推進するとともに、2019年ラグビーワールドカップ、2020年オリンピック・パラリンピック競技大会のホスト国のアンチ・ドーピング機関として、競技大会の健全性を担保するために、国内外の関係組織と連携を密に図り、徹底した対策を講じていく所存です。」(オリジナルはリンク切れ。ここで読める。)
JADAは上述した日本の誘致疑惑については一切無視し一言の言及も弁解もしていない。
BBCの報道では、ディアク前会長はすでにロシアのドーピング疑惑に関連して収賄や資金洗浄でフランス当局に2015年に逮捕され、息子のパパ・マサタ・ディアク容疑者もインターポール(国際刑事警察機構)が指名手配していた。(以上上BBC日本語ウエッブ版) そして日本側がコナルタントとして契約したとされるブラックタイディング社はこうした疑惑の中心人物たちと近しい関係にあったことが知られている。ドーピン関連の問題も含めて、こうした一連の経緯のなかで、フランス捜査当局は2016年と2020年両方のオリンピック招致決定経緯についての汚職捜査を行った。
JOCは2016年にいわゆる第三者委員会を設置して、この疑惑についての検証を行い、報告書を出した。 この報告書では一切の疑惑を否定している。つまり、ブラックタイディング社との契約は賄賂のための架空の契約ではないし、この会社もペーパーカンパニーではない。「関係者の供述に加え、その成果等に照らしても、本件契約が架空の契約であったとか、およそ実態のない契約であったと認めるに足る証拠はない」とし、また、日本の刑事法に照らしても贈賄罪は「日本の刑法上、民間人に対して成立する余地がない」し、背任についても構成要件を満たしていないとし、「日本法上、民事上・刑事上のいずれも違法と解される余地はなく、適法であることは論を俟たない」(36ページ)と全面的に「白」の判断を下した。しかしディアクら渦中の人物にも会っておらず、フランスの捜査当局の動向は無視した。
日本国内でも、専門家たちによるこの第三者委員会の報告書への評価は低く、「第三者委員会報告書格付け委員会」は、この報告書の格付けは評価委員8名中2名が不合格にあたる最低ランクのF、残る6名が最下位のD評価としている。
●実は国内法に抵触している
その後の報道でも、JOCの第三者委員会の国内法適法を鵜呑みにして報道してきた。しかし、実は、国内法に抵触しているのだ。それは不正競争防止法である。その18条1項に興味深いことが書かれている。
「何人も、外国公務員等に対し、国際的な商取引に関して営業上の不正の利益を得るために、その外国公務員等に、その職務に関する行為をさせ若しくはさせないこと、又はその地位を利用して他の外国公務員等にその職務に関する行為をさせ若しくはさせないようにあっせんをさせることを目的として、金銭その他の利益を供与し、又はその申込み若しくは約束をしてはならない。」
「外国公務員等」とあるように、この規定は外国公務員に限定されていない。言うまでもなく、疑惑が本当なら、オリンピック誘致で「国際的な商取引に関して営業上の不正の利益を得る」ことを目的にして、金を送ったという理屈は成り立つように思う。
また、竹田は公務員ではないが、オリンピック組織委員会の委員はみなし公務員とみなされて贈収賄罪の対象になる。(Wikiペディアの「みなし公務員」の例示に、オリンピック組織委員会が含まれている)そして、金の渡った先は、コンサルタント会社を介して当時のIOC委員だとされているから、みなし公務員、あるいは下で説明するように「外国公務員」といえる。
経産省は不正競争防止法について次のように説明している。
「不正競争防止法では、OECD(経済協力開発機構)の「国際商取引における外国公務員に対する贈賄の防止に関する条約」を国内的に実施するため、外国公務員贈賄に係る罰則を定めています。」
そして、この「外国公務員贈賄に係る罰則」を次のように説明している。
「国際商取引において自分らの利益を得たり、維持するために、外国公務員に対して直接または第三者を通して、金銭等を渡したり申し出たりすると、犯罪となります」
これは国際商取引における外国公務員に対する贈賄の防止に関する条約第一条を説明したものといえる。条約の条文そのものは以下のようになっている。
「第一条 外国公務員に対する贈賄
1 締約国は、ある者が故意に、国際商取引において商取引又は他の不当な利益を取得し又は維持するために、外国公務員に対し、当該外国公務員が公務の遂行に関して行動し又は行動を差し控えることを目的として、当該外国公務員又は第三者のために金銭上又はその他の不当な利益を直接に又は仲介者を通じて申し出、約束し又は供与することを、自国の法令の下で犯罪とするために必要な措置をとる。
2 締約国は、外国公務員に対する贈賄行為の共犯(教唆、ほう助又は承認を含む。)を犯罪とするために必要な措置をとる。外国公務員に対する贈賄の未遂及び共謀については、自国の公務員に対する贈賄の未遂及び共謀と同一の程度まで、犯罪とする。
3 1及び2に定める犯罪を、以下「外国公務員に対する贈賄」という。
4 この条約の適用上、
a 「外国公務員」とは、外国の立法、行政又は司法に属する職にある者(任命されたか選出されたかを問わない。)、外国のために公的な任務を遂行する者(当該外国の公的機関又は公的な企業のために任務を遂行する者を含む。)及び公的国際機関の職員又はその事務受託者をいう。
b 「外国」には、国から地方までのすべての段階又は区分の政府を含む。
c 「外国公務員が公務の遂行に関して行動し又は行動を差し控える」というときは、当該外国公務員に認められた権限の範囲内であるかないかを問わず、その地位を利用することを含む。」
この条約では「外国公務員」を以下のように定義している。
「「外国公務員」とは、外国の立法、行政又は司法に属する職にある者(任命されたか選出されたかを問わない。)、外国のために公的な任務を遂行する者(当該外国の公的機関又は公的な企業のために任務を遂行する者を含む。)及び公的国際機関の職員又はその事務受託者をいう。」
あきらかにオリンピック組織委員会の委員はこの外国公務員に該当する。
今回の場合は、「第三者を通して」ということになるわけだが、疑惑が事実とすれば、明かに日本が締結した条約と、この条約を踏まえた日本の国内法に抵触するのだ。
更に興味深いのは、この条約には共犯の犯罪化も明記されていることだ。上に引用した条約第一条第二項にあるように、「外国公務員に対する贈賄行為の共犯(教唆、ほう助又は承認を含む。)を犯罪とするために必要な措置をとる。」こと、更に「未遂及び共謀については、自国の公務員に対する贈賄の未遂及び共謀と同一の程度まで、犯罪とする」となっている。とすれば、問題は竹田にとどまることにはならないだろう。JOC、東京都、電通など関連するすべての組織がこの共犯規定に抵触する疑いがあるとはいるはずだ。
更に条約では「締約国は、自国の法的原則に従って、外国公務員に対する贈賄について法人の責任を確立するために必要な措置をとる。 」ともあり、上記の不正競争防止法の条文の「何人も」には法人が含まれると解される。法人の責任ということになると、JOCや誘致した自治体など広範囲の団体の責任が問われることになる。
2020オリンピック招致でなりふり構わぬ招致競争を繰り広げてきた当時を思い浮かべれば、贈賄とみなしうるような対応をとった可能性を否定できない。だからこそ、というべきかもしれないが、この問題を、森友や加計問題のように追及されると、その広がりは権力の中枢に及ぶ危険性がありうるという危機感が権力者たちの側にあってもおかしくない。メディアも野党の政治家もオリンピックそのものと誘致過程での不正を切り離し、更に、誘致の不正は日本の国内法には抵触しないという理屈で、その真相追及には及び腰になる、という不正隠蔽のスパイラルが働いているようにみえる。竹田の退任は、国と東京都、JOCそして電通などが共謀した権力犯罪全体が明るみに出ないような予防措置だと判断できる。
外国の関係者にリベートを渡して不正競争防止法違反に問われたケースはいくつかある。ベトナムなどへのODAで、日本の民間会社社長や法人そのものが外国公務員への贈賄で起訴されたケースは注目された。(「現地関係者が繰り返し賄賂要求 ODA汚職初公判、被告ら起訴内容認める」) この事件を受けてJICAは不正腐敗防止強化を打ち出したりした。
オリンピックにはナショナリズムの特別な感情が絡みつき、スポーツそのものを神聖視する価値観もあって、誘致の過程での不正、開発最優先で住民を追い出す、人権を無視した監視や治安政策を推進するなどといった政府、自治体の対応が、ことごとく甘く見逃されてきた。この見逃しの構図に、電通などの巨大な情報資本がメディア支配の力を発揮して報道を抑えていると思われる。ましてや誘致に必要な票を買うくらいのことは、そうでもしなければ誘致できないのであれば、仕方がない、あるいは、そうした金でしか動かない国がある(といった事実上のレイシズムを逆用した居直り)などという大衆感覚が巧みに煽られてもいるように感じる。
誘致の犯罪にきちんとしたケジメをつける唯一の方法はオリンピックの返上である。オリンピックを名目とした権力犯罪が野放しである構図は、野宿者排除、監視社会化、テロ対策名目の治安強化、日の丸・君が代の強制など日常生活のあらゆる面を覆っている。これらせすべてに日本の大企業とメディアが加担する構図ができあがっている。誘致をめぐる犯罪もまたこうした隠蔽の構図と日本の大衆意識のなかにある「オリンピックのためなら仕方がない」「あるいは金を積んででも誘致しろ」といった暗黙の共犯者意識があり、これが権力の腐敗を下から支えている。