主宰者からのお知らせ資本主義批判

(日程変更のお知らせ)2月5日に変更:5回小倉利丸著『絶望のユートピア』 (桂書房) を枕に 社会を変える夢を見るための連続講座

ATTACの『絶望のユートピア』 (桂書房) を枕に 社会を変える夢を見るための連続講座の日程を申し訳ありませんが、下記のように変更させていただきます。予定を組んでいただいていたかもしれません。ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません。ご参加いただけるようであればよろしくお願いします。

なお本はお持ちでなくても構いません。また、当日購入される方は後払い、分割払いでお渡しします。

当日の参考資料「労働概念の再検討:労働の廃絶論をめぐって」 (下記のリンクからダウンロードしてください)
http://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/wp-content/uploads/2019/02/roudouhaizetu.pdf

新規の日程
2月5日(火)19時から
場所 ATTAC首都圏事務所
千代田区神田淡路町 1-21-7 静和ビル 1 階 A
地下鉄「小川町」B3出口。連合会館の裏手です。
https://www.mapion.co.jp/m2/35.69575861,139.76569319,16
事前に読んでくる必要はありません。1 話完結の 5 回連続。途中参加・途中欠席可。参加費は 500 円

テーマ:「労働概念の再検討」
資本主義批判のなかで「労働」批判は重要な柱です。伝統的な考え方では、主に資本による労働者の搾取を「剰余労働」、つまり利潤の源泉になる労働に焦点をあてて批判してきました。しかし、この考え方では、そもそも労働者が働くということの意味や、「具体的有用労働」と呼ばれる使用価値を形成する労働そのものに内包されている問題を正面から扱うことができませんでした。実は、人びとが自分の<労働力>を資本に売って生活することの最大の問題は、労働時間全体が資本の意志に従属せざるをえないということ自体にあります。働くことを倫理や道徳によって称揚する一方で、働くことの根源的な意味を資本主義が人びとに納得させたことは一度もありません。

しかも、伝統的な資本主義の製造業や農業の世界と違って、現代では、圧倒的に多くの人びとは、人間を相手に労働をしています。営業の仕事であれ、事務職であれ、医師や看護師であれ、教師であれ、あるいは家事労働であれ、労働の対象は人間(店の客、会社の同僚、患者、生徒、妻た夫や子ども)です。労働者は、資本の意志を内面化させながら、人の欲望や知識や感性をコントロールすることを労働にています。こうした社会は、かつての階級闘争のモデルのような物づくりの労働者の連帯の戦略では対応できない問題を抱えます。コミュニケーションが労働になった世界は、人びとの世界観や価値観からイデオロギーに至るまでを労働によって再生産する社会になります。

同時に、伝統的な資本主義の世界同様、人びとは分裂して相互に内的な関連性をもつことができない断片した時間を日々横断しながら過します。私的な生活空間と職場との間には有機的な繋がりは一切ありません。職場の仕事は「私」の人生や生活にとって賃金とリンクする以外に意味をもつものではありません。夫婦も親子も、異る生活時間をばらばらに過しながら「家族」という幻想を共有するような意識を構築します。ほとんど全ての人びとは、この支離滅裂な時間を「当たり前」のようにして暮せる精神性を資本主義は再生産するのです。この奇妙で異常な日常こそが「正常」とみなされる社会が資本主義であり、その核心部分に労働という「意味」を剥奪された行為が居座っています。

19世紀の資本主義は、それまで精神医学という新な領域を「病い」としてカテゴリー化し、更に心理学も発達するようになります。資本主義がメンタルな領域に固有の問題を抱えてきたことの表れですが、こうした問題を、資本主義批判=労働批判の文脈で議論することはあまり注目されてきませんでした。しかし、上述したように、合理的な一貫性のない日常の分断された時間がもたらす人びとの意識への深刻な傷の問題は、資本が組織化する労働に人びとが動員される構図と不可分なものといえます。

そしてまた、この分断された日常の不合理性は、ナショナリズムの基盤をもなすといえます。資本主義の合理的な世界がもたらした不統一な日常のなかで、そしてまた市場経済が強いる相互の競争のなかで、人びとが相互の共感を生み出すものとして、一体感を構築する仕掛けとして国民国家のイデオロギーが機能します。労働者は「国民」として再生産されるという構造は、教育から社会福祉まで一貫した前提をなします。こうして人びとは、支離滅裂で無意味な労働と私生活の時間を「国家」や「国民」の神話で埋めあわせられるような仕掛けが用意されます。労働の無意味さと国家の神話作用は、資本主義の表裏一体のものです。この意味で、階級闘争は、国家を越えることなしには、国民的階級闘争、つまりあの忌しい国家社会主義に収斂する危険性を孕むことになります。

当日はこうしたお話をすこしして、皆さんとの議論に時間をなるべくとりたいと思います。よろしくお願いします。

小倉利丸

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