戦争法(安保法制)下の共謀罪 -なぜ、いま、「テロ等組織犯罪準備罪」なのかー

以下は、10月30日に富山市で開催された集会に提出した講演資料に若干加筆したものです。

1.共謀罪の概要

朝日新聞の報道(このブログの最後に転載)をもとに、新共謀罪法案の要点をまとめると下記の5点になる。

(1)「組織的犯罪集団に係る実行準備行為を伴う犯罪遂行の計画罪」
条文にはテロという文言はないが通称として「テロ等組織犯罪準備罪」を用いる。

(2)対象となる犯罪は、「4年以上の懲役・禁錮の罪」。罪種は600を超える。

(3)対象は「組織的犯罪集団」。「組織的犯罪集団」の認定は捜査当局が個別に行う。

(4)犯罪の「遂行を2人以上で計画した者」を処罰。計画をした誰かが、「犯罪の実行のための資金又は物品の取得その他の準備行為が行われたとき」という要件が必要。

(5)法案提出の理由
・越境組織犯罪条約(国際組織犯罪条約)
「国境を越える犯罪を防ぐため、00年に国連総会で採択された「国際組織犯罪防止条約」がある。日本も署名し、国会は03年に承認したが、条約を締結するには共謀罪を含む国内法の整備が必要。」
・オリンピック警備
「 念頭にあるのは、4年後の東京五輪・パラリンピックだ。政権幹部の一人は「テロを防ぐためなら国民の理解を得られる。目の前に東京五輪を控えているのに、何もやらないわけにはいかない」とチャンスとみる。」

2.新共謀罪法案の問題点(日弁連)

上記のような新共謀罪について、日弁連は会長声明で以下のような批判を展開した。(声明はこのブログの最後に資料として掲載)

そもそもの大前提として、刑事法の基本は既、遂の行為を処罰するものであり、共謀罪はこの「刑事法体系の基本原則に矛盾し、基本的人権の保障と深刻な対立を引き起こすおそれが高い」とした。つまり、「話し合う」こと(実行そのものではなく、共謀や計画すること)は、言論・表現の自由という基本的人権によって保障されるものであって、これを実行行為と同等に扱って犯罪とするのは、基本的人権の侵害であると批判したのである。その上で、個々の論点について以下のように批判した。

対象となる犯罪がかつての共謀罪法案を大幅に上回るということ。2007年自由民主党小委員会案では、対象犯罪を約140から約200にまで絞り込んでいたが、提出予定新法案では、600以上の犯罪を対象に。また、民主党2006年修正案では、犯罪の予備行為だけでなく対象犯罪の越境性(国境を越えて実行される性格)を要件としたが、提出予定新法案は、越境性を要件としていない。

犯罪の「遂行を2人以上で計画した者」を処罰とし、旧共謀罪よりも要件を厳格にしているような印象を与えているが、「『計画』とはやはり『犯罪の合意』にほかならず、共謀を処罰するという法案の法的性質は何ら変わっていない。」ということ。また、「『組織的犯罪集団』を明確に定義することは困難」であり、「『準備行為』についても、例えばATMからの預金引き出しなど、予備罪・準備罪における予備・準備行為より前の段階の危険性の乏しい行為を幅広く含み得るものであり、その適用範囲が十分に限定されたと見ることはできない」と批判した。

越境組織犯罪条約(国際組織犯罪条約の批准にとって共謀罪は必須の国内法であるという旧共謀罪当時から政府が繰り返してきた主張について、日弁連は、条約は、経済的な組織犯罪を対象とするものであり、テロ対策とは本来無関係であると批判した。

こうした日弁連の批判は当然のことであり、私は特にこの批判につけ加えることはない。以下では、こうした法案の条文に即した共謀罪法案の批判とは視点を変えて、法執行の現状や司法の構造的な問題、そして民衆による抵抗権や民衆的な自由の観点から、法案がもたらすであろう問題に絞って、共謀罪の制定は絶対に許すべきではないことを述べておきたい。

3.捜査機関の捜査、逮捕・勾留の大幅な拡大

以下では日弁連の批判とは別の観点から、新共謀罪法案の問題について述べておく。

共謀罪が成立するとした場合、従来犯罪ではなかった多くの行為が犯罪とみなされることになる。とりわけ注目しなければならないのは、あらかじめ警察などが、実行行為がない段階から、複数人が刑法に抵触するかもしれない行為を相談していることを察知して監視するということができなければ、検挙に繋らないという点である。つまり警察などは、かなり早い段階から捜査(内偵)を実施することになるし、こうした活動を「共謀罪の疑い」とか「共謀罪犯罪を未然に防止するため」などとして公然と予算や人員の配置などの措置をとることができるようになる、ということである。たとえば、交通事故を未然に防ぐために安全運転のキャンペーンをやる。空き巣や盗難を防ぐための戸締りキャンペーンをやる。こうした「安全・安心」のキャンペーンに町内会などが動員される。現在でも「テロ犯罪を未然に防ぐため」と称したキャンペーンが展開されているが、こうしたことが共謀罪という従来は犯罪ではなかった行為(言論)を犯罪とすることで、どのようなことになるのだろうか。

原発反対運動で共謀罪が適用される?(ひとつの想定)
たとえば、原発の再稼動反対集会があったと仮定しよう。この集会で「再稼動を断固として阻止しょう!」という発言に皆が拍手喝采する。どうすれば再稼動を阻止できるか、可能な行動であれ「夢」のような不可能に近い話しであれ、あれこれの議論が自由になされるかもしれない。集会の最後に、「再稼動を阻止する闘いを貫く」という集会決議文が採択される。集会決議などは、実現可能かどうかは別にして、威勢のいい元気な内容になることもよくあることだ。

こうした「阻止」の主張を皆が集会で議論することは果して共謀だろうか?この集会を主催した団体は「組織的犯罪集団」だろうか?あるいは、この集会が「阻止」を決議したということは、この集会そのものが「犯罪の実行のための資金又は物品の取得その他の準備行為」といえるのだろうか。たぶん、この段階ではまだ「共謀」が成り立っているのかいないのか不明瞭に違いない。しかし、警察は、この集会で主張された原発再稼動「阻止」を文字通りその言葉通りに実行される可能性があり、これはれっきとした「テロ」だと判断したらどうなるだろうか?どのような行為が「テロ」なのかは警察が自由に判断できる。警察は、実際に「阻止」の行動をとるために計画を具体的に立て、必要な資金や物品などを調達するかもしれず、そうなれば共謀という立派はな犯罪になると考えて行動するだろう。共謀罪で検挙できるようなことになるかならないかを事前に判断するために、警察は捜査や監視の活動に着手することになるだろう。もし警察が、何らの具体的な行動もなされていない段階であっても、集会を監視し、将来実力で「再稼動阻止の行動に出る可能性がありうる」とみなし、この阻止行動の内容には、傷害罪とか逮捕・監禁罪とか建造物等損壊とか電子計算機損壊等業務妨害などいずれも懲役4年以上になりうる犯罪が含まれるかもしれないと判断するかもしれない。こうした可能性が少しでもあれば、警察は、実際に共謀罪での検挙を視野に入れて本格的に捜査することになるかもしれない。

こうして警察は、この集会の主催団体や参加者たちを監視して、共謀するかどうかを常時見張ることになる。「共謀」はコミュニケーションだから、会話や通信を見張り、共謀の「証拠」をつかまなければならない。共謀罪の捜査の基本は、人びとの行動を見張り、人間関係を把握し、相互の会話や通信の内容を把握して、検挙に必要な情報を収集するということだ。コミュニケーションを見張る有力な方法は盗聴捜査だろう。2裁判所に盗聴捜査の令状を請求することになるが、警察は例の集会の決議文を証拠として、共謀罪の容疑があるので盗聴捜査をしたいと裁判所に令状の発付を申請することになる。裁判所は、共謀罪を前提に、共謀罪がなかった時にはできなかった監視の捜査を認めることになるかもしれないし、本人の知らないうちに携帯のGPS機能を警察が利用する3、潜入捜査を行なうなどに着手するかもしれない。いずれにせよ、共謀罪で検挙するには、ターゲットになっている人びと(つまり私たちだが)に悟られてはならないから、秘密裡に監視することになる。

そして、ある日突然、この集会の主催者や集会参加者が何ひとつ具体的な実行行為もないのに、共謀罪で検挙されることになる。逮捕するためには逮捕状を裁判所に請求する必要がある。警察は私たちの通信の記録や会話の記録を提出して、共謀罪の「容疑がある」ということで逮捕状を請求できる。これまでは犯罪ではなかったから、単なる「相談」だけでは逮捕できなかったわけだが、共謀が犯罪となったために、裁判所は、共謀罪の容疑の可能性があれば逮捕状を発付する。マスコミは警察発表を鵜呑みにして、「原発テロ」などと報じるかもしれない。

逮捕された私たちは、話し合ったりメールでやりとりした記録を示されて、共謀の事実を白状するように迫られるかもしれない。原発のシステムをハッキングするとか、敷地に侵入して制御室を占拠するとか、所長を捕まえて吊るし上げようとか、….確かに話し合いはしたが、皆酒飲んで、Lineとか使って気炎を吐いていただけだと言っても、酒を飲んでの上でのヨタ話ということを証明するものは何もないし、実行するつもりはなかったということを証明できるものも何もない。唯一、話し合った威勢のいい内容だけが明確な「証拠」として残っている。

警察は23日私たちを勾留して取調べたが、その後、「起訴猶予」として釈放してしまう。裁判になれば、警察の捜査や逮捕が正当だったのかどうか、共謀罪の解釈や適用が妥当だったかどうかを裁判で争うこともできるのだが、起訴されることがなければ、警察の権力行使の妥当性はあいまいなままにされる。こうして、警察は、司法による判断を巧みに回避しながら、逮捕の特権をフルに利用して勾留と尋問を繰り返し、自らの裁量で法を解釈・適用し続けることが可能になる。

実は警察の思惑は、共謀罪の摘発そのものにあるのではなく、共謀罪を巧みに利用して、原発に反対する運動を弾圧しようとしたのかもしれない。共謀罪が成立したお陰で、警察はこれまでやれなかったような段階からターゲットを監視できるようになり、逮捕・勾留の権力とマスコミへの情報操作をフルに駆使して、運動を弾圧する道具として共謀罪を利用できるようになる。

あるいは、実際に実行行為のための作戦会議を行ない、そのための具体的な準備をしていたとしよう。こうした具体的な実行行為に必要な資材などの準備には加わらなかったとしても、この団体にカンパしたり、こうした実行行為のためにアイディアを提案したり、行動の意義づけを与えるような立場でアドバイスしたりした者たちもまた、共謀罪の容疑に問われる可能性がある。したがって、多かれ少なかれ「違法行為」を含むと疑われる何らかの具体的な行動を想起させるような発言したり、ネットで意見を述べるなどした者もまた、共謀罪の対象になりうる。どの範囲までを共謀罪の対象にするのかは、警察などの裁量ということになる。長期の勾留と過酷な取調べをし、マスコミが逮捕のキャンペーンを展開するが、裁判せずに「釈放」というこれまでの警察の弾圧手法が、共謀罪によってかなり広範囲に適用可能になる。

こうして、私たちは、どのような場合に共謀罪が適用されるかわからないから、逮捕・勾留を恐れて、カンパをしなくなり、発言や主張を抑制してしまうかもしれない。真面目な言論の自由だけでなく、冗談すら言えなくなり、活動を支える資金すら絶たれるかもしれない。

今のところ上に述べた共謀罪が成立した社会の物語はフィクションだが、警察が恣意的な法解釈によって正当な市民の運動や労動運動を弾圧する事例は今現在でも日常茶飯事で起きていることだ。この事態がより頻繁に容易に引き起されるようになる、これが共謀罪が成立した社会の姿だということである。

4.国会審議が全てではない

新共謀罪法案は通常国会に上程予定だという。法案反対運動は、戦術的にいえば国会の多数派でもある与党をどのように巻き込みつつ、法案の成立を断念させるかというところにあるが、現実の国会における与野党の駆け引きのなかで、廃案にすべき法案が、修正の上可決成立してしまう場合が少くない。共謀罪の危険性は、法の条文上の歯止めと思われる文言では阻止できない。法を実際に執行する警察などによる基本的人権侵害行為を合法的に許す手段になるところに最大の問題がある。廃案以外の選択肢はない法案である。しかし、こうした「法案」をめぐる国会での攻防では、上で述べたような法を巧妙に利用した警察などによる監視や捜査権限の合法的「濫用」がもたらす民衆的な自由の権利に対する深刻な抑圧と侵害を視野に入れた反対運動にはなりにくいという側面がある。というのも、法案の審議では、警察などの捜査機関は権力の濫用はしないという大前提を置いて議論されるからだ。未だ成立していない法律をどのように警察が行使するのかを議論するとしても、それは事実に沿った議論にはならず「想定問答」の域を出ないものにしかならない。

しかし、警察などが権力を最大限濫用しつつ反政府運動などを弾圧してきた(そして今もしている)事実は、運動の担い手たちによって繰返し指摘されてきた事実だが、この事実に切り込むことが国会の審議では極めて不十分である。したがって、反対運動にとって重要なことは、国会審議における法案の「条文」をめぐる解釈や「条文」の意味をめぐる議論を越えて、実際に、法を執行する権力(警察など)がとってきた権力の濫用そのものを問うことが必要であり、権力の濫用を完全に封じ込めるような根本的な警察や司法の制度変革の運動をどのように展開できるかが鍵となる。これは、戦前の治安立法が警察に与えた強大な権限への反省をふまえて、国会の議論ではなく、実際に民衆的な自由の行使としての様々な運動の場面で、自分達の言論・表現の自由を防衛するようなスタンスを、自分達の運動の現場で確立することだろうと思う。

5.最大の課題は、正義のためにやむをえず法を逸脱することをどのように考えるのか、にある。

法案反対運動のなかでは、往々にして、運動の側は常に憲法が保障する言論・表現の自由の権利に守られており、違法な行為は一切行なっていないのに、権力が法を濫用して不当な弾圧をしかけてくる、という前提がとられる。しかし、現在の状況は、こうした遵法精神を前提とするだけで運動が正当化されるという狭い世界に運動を閉じこめていいのかどうかが問われている。いやむしろ現実の運動は、警察や政府にとっては「違法」、わたしたちにとっては正当な権利行使、としてその判断・評価が別れる広範囲の「グレーゾーン」のなかで、民衆の抵抗権の確立のために戦ってきたのではないだろうか。

例えば、エドワード・スノーデンによる米国の国家機密の意図的な漏洩や、ジュリアン・アサンジやウィキリークスなどによる組織的な国家機密の開示運動は、いずれも違法行為である可能性が高い。彼らとその支援者の活動は、新共謀罪の適用もありうるような行為といえるかもしれない。彼らは敢て法を犯してでも、実現されるべき正義があると考えて行動し、この行動に賛同し支援する人びとが世界中にいるのだ。私たちは、彼らが違法な行為を行なったからという理由で、その行為を否定したり、法の範囲内で行動すべきだ、と主張すべきだろうか?私はそうは思わない。むしろ彼らの「違法」な行為によって、隠蔽されてきた国家の犯罪といってもいい行動が明かになったのではないだろうか。

例えば、2014年に台湾では、中国との間の自由貿易協定に反対して学生たちが国会を長期にわたって占拠するひまわり運動が起きた。ほぼ同じ頃、香港でも行政長官選挙などの民主化を要求して長期にわたって街頭を占拠する雨傘運動が起きた。それ以前に、米国の格差と金融資本の支配に反対して2011年にウォール街占拠運動が起きた。2010年から12年にかけて、チュニジア、エジプトなどからアラブに拡がった「アラブの春」と呼ばれる広場占拠と反政府デモが続発し、これらがギリシアにも波及してこれまでには全く想像できなかった左派「シリザ」が政権をとった。スペインでもウクライナでも反政府運動は、多かれ少なかれ「違法」な行為を内包しており、それが警察の介入を正当化してきたが、しかし、私は、こうした警察の介入を法と秩序を維持する上で正しく、法を逸脱した反政府運動が間違っているということにはならないと考えている。むしろ、法を執行する権力が、同時に合法・違法の判断を下す権限を独占し、法を口実に、民衆的な自由の権利を「犯罪化」しようとすることが世界中で起き、こうした法を隠れ蓑に民衆の権利を「犯罪化」するやりかたへの大きな抵抗運動が起きているということではないだろうか。

そして、日本も例外ではない。沖縄の辺野古や高江での米軍基地建設反対運動では多くの逮捕者を出している。阻止のための実力行使も行なわれている。私は、そのような行為を「言論」による闘いに限定すべきだとして否定すべきだとは思わない。あるいは、福島原発事故直後から5年にわたって経産省の敷地の一角を占拠してきた経産省テント広場は、政府や警察にすれば違法行為である。彼らの解釈によって違法とされたからといって、それを私たちもまた受け入れなければならないのだろうか?むしろ経産省前テントを強制的に撤去した政府の実力行使こそが言論・表現の自由を侵害する行為だと私は考える。

ここで想起したい古い事件が二つある。ひとつは、1930年代に起きたいわゆる「ゾルゲ・スパイ団事件」である。主犯格とされたリヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実は、治安維持法、国防保安法などの罪に問われ、1941年に死刑判決を受けて処刑される。ゾルゲも尾崎も確信犯として「スパイ」を行なったことが明かになっており、権力のでっちあげ事件ではない。国家機密を敵に提供したのだから犯罪者として処罰されても仕方がないというべきなのか、それともたとえ犯罪とされることであっても、自らの思想や良心に沿って正義を貫くことが必要であって、彼らの行為にこそ正義があり、法には正義がない、と判断すべきなのか。私は後者の立場をとりたい。この観点からすると、スノーデンの事件はまさに現代のゾルゲ事件ともいえるものだ。ゾルゲグループはソ連に情報を提供したわけだが、スノーデンはどこか特定の国ではなく、グローバルな民衆の世界に情報を提供したという違いがあるだけで、ともに、国家による平和を毀損しようとする犯罪に立ち向かおうとしたことでは同じ質のものであったといえる。むしろ今の私たちにはゾルゲや尾崎、あるいはスノーデンに該当するような人物が不在であることの方が大きな痛手だとはいえないだろうか?

古い事件の二つ目は、1911年、明治天皇暗殺計画容疑で幸徳秋水ら12名が処刑された大逆事件である。この事件は、「明治天皇暗殺計画」であって、実行行為はない。幸徳はいわばイデオローグとして、暗殺に共謀したことが罪に問われたものだ。この事件は、現代の共謀罪が指し示す未来がどのようなことになるのかを示唆するものともいえる。まさに「話し合う」ことが罪になった典型的な事件である。幸徳の有名な『帝国主義論』では明治天皇を平和な君主として持ち上げたが、後に「日本政府が恐るるは、経済問題ではなく、非軍備、非君主主義に関する思想の伝播」であって、こうした思想は「自然に青年の頭脳を支配する」と考えるようになっていた。そして「爆弾のとぶと見てし初夢は 千代田の松の雪折れの首」というざれ歌も詠むが、これが警視庁のスパイによって察知されて「幸徳伝次郎不穏ノ作歌」として注視される。死刑判決を受けた後に獄中で書き続けて処刑後に出版された『基督抹殺論』では、キリストに仮託して天皇制の虚構を暴こうとしたと思われる議論を展開した。彼は実際には明治天皇暗殺計画には途中から関わりをもたなくなったにもかかわらず、弁明も転向もせずに処刑された。

歴史は繰り返さない。しかし、権力は過去の教訓や経験の蓄積から多くのことを学び、現状において利用可能な手法を再生したり復活させようとする。この権力の構造的な記憶装置をあなどることはできない。新共謀罪法案はこの典型的な例ではないかと思う。これに対して、反政府運動の側は、歴史の過ちを引き合いに出すだけでは十分ではないだろう。むしろ、歴史を踏まえつつ、民衆的自由を実現できる社会を新たに創造することを視野に入れた運動を生み出すことがなければならないと思う。


(参考資料)

(参考)憲法と特定秘密の保護に関する法律
(1)憲法
第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。(略)

第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

第二十三条  学問の自由は、これを保障する。

(2)特定秘密の保護に関する法律
第二十三条
特定秘密の取扱いの業務に従事する者がその業務により知得した特定秘密を漏らしたときは、十年以下の懲役に処し、又は情状により十年以下の懲役及び千万円以下の罰金に処する。特定秘密の取扱いの業務に従事しなくなった後においても、同様とする。

第二十四条
外国の利益若しくは自己の不正の利益を図り、又は我が国の安全若しくは国民の生命若しくは身体を害すべき用途に供する目的で、人を欺き、人に暴行を加え、若しくは人を脅迫する行為により、又は財物の窃取若しくは損壊、施設への侵入、有線電気通信の傍受、不正アクセス行為(不正アクセス行為の禁止等に関する法律(平成十一年法律第百二十八号)第二条第四項に規定する不正アクセス行為をいう。)その他の特定秘密を保有する者の管理を害する行為により、特定秘密を取得した者は、十年以下の懲役に処し、又は情状により十年以下の懲役及び千万円以下の罰金に処する。

第二十五条
第二十三条第一項又は前条第一項に規定する行為の遂行を共謀し、教唆し、又は煽動した者は、五年以下の懲役に処する。


尾崎秀実「上申書」より抜粋

近年の日本政治に対する私の中心の憤懣は、日本の政治指導者が世界の赴きつつある情勢にはっきりした認識を持たず、日本を駆って徒らに危険なる冒険政策に驀進せしめつつあるということでありました。満州事変以来は軍部がひたすら政治的指導権を握らんとしつつあるものと考え、政治家は無能にしてこの情勢を制御する識見と能力を欠くものと難じたのであります。軍部の目指すところは、対外政策においては、独逸との緊密なる提携であり、その当然の帰結として、ソ連、または英米との戦争を惹起せんとするものであると信じ、日本を駆って破局的世界戦争に投ずるものであると痛憤したのであります。

かくのごととくして私の国際主義は新らしい現実的基礎を得たのであります。すなわち、日本の現在の政策の帰結は悲しむべき破綻以外にはないであろう。しかしこの破局から日本を新たに立ち上がらしめるものは、日本のプロレタリアートがソ連および、支那のプロレタリアートとがっちり手を組むことであると、そのように考えたのであるました。(略)

私は左翼的実践活動い入ってから、すでに約十年に及んでおり、ことに近年は、私の行動が国家の緊急的態勢に照応するごとく、次々につくられた国防保安法以下の厳重なる諸法規に抵触するものであることを知っておりました。事件の発覚がいかに重大な結果を私一身、一家はもとより種々の関係者に及ぼすべきかについて常に考えぬではありませんでした。(略)ただ私自身の根本思想はかつて一貫して不変であり、かつ現実の世界状勢の推移は、ますます私たちの思想の正しさを証明するものだとの信念を強める一方であったため、以上のごとき不安、苦痛、恐怖に打克って勇気を鼓して私の左翼的実践活動の直接任務たる諜報活動に従事し続けたのでありました。
(岩波現代文庫版)


幸徳秋水 法廷陳述

たとえば、政府がひじょうな圧制をし、そのために多数の同志が、言論・集会・出版の自由を失なえるはもちろん、生活の方法すらもうばわれる、とか、あるいは富豪が横暴をきわめたる結果、窮民の飢凍・悲惨の状見るにしのびざるとか、いうがごときにさいして、しかも、とうてい合法・平和の手段をもって、これに処するの途なきのとき、もしくは途なきがごとく感ずるのときにおいて、感情熱烈なる青年が、暗殺や暴動に出るのです。これは彼らにとっては、ほとんど正当防衛ともいうべきです。(神崎清『実録 幸徳秋水』)


エドワード・スノーデン

国家相対主義を旨とすること、すなわち(私が暮らす)社会の問題から、私たちがいかなる権威も責任も持たぬ遠い海外の悪へと視線を転じることもできないのか、と私を中傷する向きも多いことでしょう。でも、市民権というのは他国を正さんとするまえに、まず自分たちの政府を監視する責務を帯びているものです。私たちは今ここで、そうした監視を限られた範囲でしか認めようとしないばかりか、罪を犯しても説明責任を果たそうとしない政府を放任しています。社会から爪弾きにされた若者が軽微な違反を犯し、世界最大の監獄制度の中で耐えがたい結果に苛まれようと、私たちは社会全体として見て見ぬふりを決め込んでいます。その一方で、巨万の富を有するわが国で最も強大な電気通信プロバイダー企業が故意に数千万件の重罪を犯そうと、議会はわが国の第一法を通してしまうのです。民事であれ、刑事であれ、どこまでもさかのぼれる免責特権を企業エリートたる友人たちに与える法律を。そうした犯罪は史上最長の刑に値するはずなのに。

こうした企業は、わが国でトップクラスの弁護士たちをスタッフとして抱えています。そして今なお自らが招いた結果に対する責任のかけらさえ問われていない。では、権力構造の最上層に位置する高官、具体的に例えれば副大統領が、こうした犯罪企業に自ら指示を出している疑いで捜査線上に浮んだらどうなるでしょうか。捜査は中止すべきだということになれば、その捜査結果はSTLW(ステラーウィンド)と呼ばれる”例外的制限情報”の区画に機密中の機密として分類されます。そして、権力を濫用するこうした人物の責任を問うのは国益に反する、われわれは”振り返ることなく、まえを向いて進まねばならない”という原則のもと、それ以上の捜査はいっさい不可能となるのです。(略)

私は自分の行動によって、自分が苦しみを味わわざるをえないことを理解しています。これらの情報を公開することが、私の人生の終焉を意味していることも。しかし、愛するこの世界を支配している国家の秘密法、不適切な看過、抗えないほど強力な行政権といったものが、たっった一瞬であれ白日の下にさらされるのであれば、それで満足です。あなたが賛同してくれるなら、オープンソースのコミュニティに参加し、マスメディアの自由闊達な精神の保持とインターネットの自由のために戦ってください。私は政府の最も暗い一角で働いてきました。彼らが恐れるのは光です。

(グレン・グリーンウォルド『暴露』)


いわゆる共謀罪法案の国会への提出に反対する会長声明

今般、政府は、2003年から2005年にかけて3回に渡り国会に提出し、当連合会や野党の強い反対で廃案となった共謀罪創設規定を含む法案について、「共謀罪」を「テロ等組織犯罪準備罪」と名称を改めて取りまとめ、今臨時国会に提出することを検討している旨報じられている。

政府が新たに提出する予定とされる法案(以下「提出予定新法案」という。)は、国連越境組織犯罪防止条約(以下「条約」という。)締結のための国内法整備として立案されたものであるが、その中では、「組織犯罪集団に係る実行準備行為を伴う犯罪遂行の計画罪」を新設し、その略称を「テロ等組織犯罪準備罪」とした。また、2003年の政府原案において、適用対象を単に「団体」としていたものを「組織的犯罪集団」とし、また、その定義について、「目的が4年以上の懲役・禁錮の罪を実行することにある団体」とした。さらに、犯罪の「遂行を2人以上で計画した者」を処罰することとし、その処罰に当たっては、計画をした誰かが、「犯罪の実行のための資金又は物品の取得その他の準備行為が行われたとき」という要件を付した。

しかし、「計画」とはやはり「犯罪の合意」にほかならず、共謀を処罰するという法案の法的性質は何ら変わっていない。また、「組織的犯罪集団」を明確に定義することは困難であり、「準備行為」についても、例えばATМからの預金引き出しなど、予備罪・準備罪における予備・準備行為より前の段階の危険性の乏しい行為を幅広く含み得るものであり、その適用範囲が十分に限定されたと見ることはできない。さらに、共謀罪の対象犯罪については、2007年にまとめられた自由民主党の小委員会案では、対象犯罪を約140から約200にまで絞り込んでいたが、提出予定新法案では、政府原案と同様に600以上の犯罪を対象に「テロ等組織犯罪準備罪」を作ることとしている。

他方で、民主党が2006年に提案し、一度は与党も了解した修正案では、犯罪の予備行為を要件としただけではなく、対象犯罪の越境性(国境を越えて実行される性格)を要件としていたところ、提出予定新法案は、越境性を要件としていない。条約上、越境性を要件とすることができるかどうかは当連合会と政府の間に意見の相違があるが、条約はそもそも越境組織犯罪を抑止することを目的としたものであり、共謀罪の対象犯罪を限定するためにも、越境性の要件を除外したものは認められるべきではない。

当連合会は、いわゆる第三次与党修正案について、我が国の刑事法体系の基本原則に矛盾し、基本的人権の保障と深刻な対立を引き起こすおそれが高く、共謀罪導入の根拠とされている、条約の締結のために、この導入は不可欠とは言えず、新たな立法を要するものではないことを明らかにした(2006年9月14日付け「共謀罪新設に関する意見書」)。また、条約は、経済的な組織犯罪を対象とするものであり、テロ対策とは本来無関係である。

そして、以上に見たとおり、提出予定新法案は、組織的犯罪集団の性格を定義し、準備行為を処罰の要件としたことによっても、処罰範囲は十分に限定されたものになっておらず、その他の問題点も是正されていない。

よって、当連合会は、提出予定新法案の国会への提出に反対する。

2016年(平成28年)8月31日

日本弁護士連合会
会長 中本 和洋


朝日新聞の報道

「共謀罪」新設案、問題点は 適用「組織的犯罪集団」に 当局の解釈で対象拡大も

2016年8月26日05時00分

安倍政権が捜査当局の悲願だった「共謀罪」について、大勝した参院選直後を狙って衣替えし、4度目の挑戦となる法案提出をめざすことになった。「組織犯罪」や「テロ」という名称を使うことで、東京五輪を控えたテロ対策のための法案であることを強調する構えだが、問題点は数多い。▼1面参照

「共謀罪というおどろおどろしい名前が悪いから、『概念がどんどん拡大する』『人権問題だ』と批判された。長い名前に変え、テロリストを捕まえるための法律であることを明確にする」

政権幹部は名称を「組織的犯罪集団に係る実行準備行為を伴う犯罪遂行の計画罪」(テロ等組織犯罪準備罪)に変える狙いを語る。適用範囲が限定されることを嫌い、条文には「テロ」という言葉を使わないが、通称名の冒頭に付けてアピールする方針だ。

テロ対策というイメージを強調する一方、法案の中身についても、共謀罪に関する過去の国会審議で浴びた批判をかわすよう修正した。

まず、適用対象を変えた。

共謀罪の条文案では「団体」とだけしか記されていなかった。このため野党は「健全な会社、労組、市民団体も対象になる」と批判。2006年の通常国会では、当時の民主党の主張を採り入れ、与党は「組織的な犯罪集団」と修正したが、廃案となった経緯がある。

今回は「4年以上の懲役・禁錮の罪を実行すること」を目的とする「組織的犯罪集団」とした。普通の会社員や労組は適用の対象にならないようになっ たと政権側は強調する。しかし、「組織的犯罪集団」の認定は捜査当局が個別に行うため、解釈によって対象が拡大する可能性は残る。

■要件に「準備行為」を追加 何が該当、基準は不明確

犯罪として成立する構成要件についても、今回の政府案は、犯罪を実行する「準備行為」が行われていることを付け加えた。

共謀罪では、犯罪の「遂行を共謀」しただけで罰せられる可能性があった。これに対して、「会社員が居酒屋で『上司を殺そう』と意気投合しただけで適用される」「目配せや相づちだけでも共謀と見なされる恐れがある」と批判が続出。与野党ともに犯罪の予備的な行為がなければ、罰するべきではないと訴えた。

今回の案では、この批判をかわすため、「犯罪の実行のための資金または物品の取得」という代表的な事例を条文に盛り込み、「準備行為」が行われていることを構成要件に加えた。これで、共謀、つまり話し合いや合意だけでは処罰されないようになったと政権は訴える構えだ。

暴力団組員らが振り込め詐欺を計画しても、すぐに翻意すれば処罰されない。一方で、テロ組織の構成員らが化学物質を使ったテロを計画して化学物質を調達したり、暴力団組員らが対立する組長を拳銃で射殺しようと拳銃の購入資金を用意したりしたケースは適用対象となる。

ただ、準備行為を定めた条文には「その他」という文言がある。事実上、何が該当するのか明確な基準はないも同然で、その解釈は捜査当局の判断に委ねられる。「準備行為」と、現行の刑法にある予備罪や準備罪の違いが分かりにくいとの指摘も出そうだ。

■対象の罪種、600超か

対象となる罪については、共謀罪の対象とした「4年以上の懲役・禁錮」を据え置き、罪種は600を超えるとみられる。

過去の国会審議で民主は、「5年を超える懲役・禁錮」で国際的な犯罪に限定して、約300に絞り込むよう主張。自民党法務部会の小委員会も07年、「対象犯罪の多さが国民に誤解や不安を与えている」として、「テロ」「薬物犯罪」など5類型に分け、計140前後に絞り込む修正案の骨子をまとめた。しかし今回の政府案は、いずれの案も盛り込まれていない。

■東京五輪のテロ対策、前面 過去3回、批判強く廃案

共謀罪を新設する議論が始まった背景には、国境を越える犯罪を防ぐため、00年に国連総会で採択された「国際組織犯罪防止条約」がある。日本も署名し、国会は03年に承認したが、条約を締結するには共謀罪を含む国内法の整備が必要。

小泉政権が03、04、05年と3回、共謀罪を新設する組織的犯罪処罰法改正案を国会に提出したが、批判が強く、いずれも衆院解散で廃案になり、条約は締結できていない。今年6月時点で、187カ国が締結。G8で締結していないのは日本だけだ。

ではなぜ今、安倍政権は名称を変え、中身も変えてまで、法案成立を狙うのか。

念頭にあるのは、4年後の東京五輪・パラリンピックだ。政権幹部の一人は「テロを防ぐためなら国民の理解を得られる。目の前に東京五輪を控えているのに、何もやらないわけにはいかない」とチャンスとみる。

過去に共謀罪法案が廃案となった時に比べ、現在は世界的にテロの脅威が格段に高まり、日本人も巻き込まれるケースが増えている。五輪を控え、テロへの不安が身近になるなかで、国民の理解を得られやすいとの思惑もあるようだ。

ただ、7月の参院選で自民党は公約で共謀罪には直接触れていない。「治安・テロ対策」として「国内の法制のあり方について検討を不断に進め」と記しているだけで、野党などからの批判は免れない。

衆参で単独過半数を確保し、内閣支持率が高水準を維持しているからこそ、「体力がある今のうちに一気に成立させるしかない」(自民党幹部)との算段が働いているのは間違いない。

9月に召集予定の臨時国会は、今年度の第2次補正予算案に加え、環太平洋経済連携協定(TPP)承認案、時間ではなく成果で賃金を払う労働基準法改正案など重要法案を多く抱えている。憲法改正や天皇陛下の生前退位をめぐる皇室典範改正論議も注目される。

このため国会の審議状況によっては、臨時国会で法案を継続審議とし、来年の通常国会以降で成立させるという見方もある。(久木良太)

■対象、制限的になるか疑問

日本弁護士連合会共謀罪法案対策本部副本部長の海渡雄一弁護士の話 共謀罪を新設する理由として、テロ対策のために国際組織犯罪防止条約を締結する必要があるとしているが、もともとこの条約はマフィアなどの犯罪集団の取り締まりが目的であり、テロ対策が目的ではない。条約締結は反対しないが、現在の日本の法制度を前提にすることでも対応は可能だ。

新たに提出される法案では適用対象の団体を限定するとされているが、本当に制限的な定義になるか疑問だ。また、組織犯罪とは関係のない罪も多く、600を超える罪が対象となる必要があるとは認めがたい。法案には反対だ。


内務事務官、緒方信一「防諜」、『警察協会雑誌』1940年6月号
「近代戦の特質は所謂国家総力戦たる点に在る。即ち戦の勝敗を終局的に決定するものは単に 武力でなく、国家の政治体制、経済的実力、又は国民思想の動向等国家総力の充実如何に存する。従って近代戦に於ては武力戦と並行し或は之に先行して外交戦、経済戦、思想戦が熾烈に展開されるのである。(略)斯る新しき形態の戦に於ては、諜報・謀略・宣伝等所謂秘密戦 の価値が極めて重要になって来るのである」

「諜報」の定義
「近代戦の特質は所謂国家総力戦たる点に在る。即ち戦の勝敗を終局的に決定するものは単に 武力でなく、国家の政治体制、経済的実力、又は国民思想の動向等国家総力の充実如何に存する。従って近代戦に於ては武力戦と並行し或は之に先行して外交戦、経済戦、思想戦が熾烈に展開されるのである。(略)斯る新しき形態の戦に於ては、諜報・謀略・宣伝等所謂秘密戦 の価値が極めて重要になって来るのである」

三つの「合法手段」
第一に、マスメディアの利用。「相手国に於て発行される新聞紙、雑誌其他の出版物を可及的多数蒐集して詳細熟読し、之を科学的組織的に分類又は集積して正確なる資料を得る方法」である。しかも、マスメディアのなかでも比較的検閲の目を逸れやすい地方紙誌の利用が諜報活動上有効だとみている。
第二に、観光、学術、観察等の名目で文書を照会したり合法的に調査する方法。「主として工場、港湾、交通、気象、各種資源、各種統計等に関する情報の収集に利用されることが多い」という。
第三に、「社交戦術」。「相手国の政界、財界の知名人士との接触面を広くし、努めて之等人士と会談の機会を作り、其の会談の間に種々のヒントを得て正確なる情報を掴まんとする」。
緒方は合法手段による諜報に対しては、「法令を適用して権力的に取締りを執行することは困難な場合が多く、又一面一般国民の側に於ては不知不識の間に之に利用せられ、乗ぜられる危険も少からず存する」と述べて、既存の防諜立法である軍機保護法、軍用資源秘密保護法等の軍事関連に限定された法令の不十分性を主張し、後に成立する国防保安法の必要性を強調した。
緒方はこの論文の最後に、警察組織や警察官はこうした「諜報」「防諜」活動にとって必ずしも有効な組織とはいえないと指摘している。警察は強制力を伴う取締りの組織でもあるために、「動もすると国民の側からすれば取締を受ける立場に立ち、之が為に正しい民情を警察官に対しては殊更に隠蔽することもなしとしない」と指摘し、従って「官にも非ず、民にも非ざる立場に立って深く民情の把握上通の任に当るべき者の必要」を強調することになる。ここに大政翼賛会、壮年団、翼賛政治会の意義があると緒方はみる。翼賛組織の構成員は彼らの職業や人間関係によってヨリ徴細な情報の提供者であると同時にまた、こうした「世間」の関係による〃偏り“もま た有するが故に、警察官吏はこの情報を「真に国家的の立場に立って判断し観察」「是正」するものと位置づけられている。


内閣情報局『週報』1941年5月14日号 国防保安法の制定をふまえた「防諜週間」へむけた防諜特集
「一般にスパイといえば、映画や小説に出て来るような、種々の方法で人を篭絡して秘密を盗み出す、或いは金庫をあけて重要書類を盗み出す影のような男、またはマタ・ハリのような女と思われているようである。こういうものもいるにはいるだろうが、しかし現在、日本はこういう諜者は余りいない。日本ではそんな危険なことをしなくても、白昼堂々と大手を振って仕事ができるからである」
「スパイの正体」とは「外国の合法的な組織の網」である。例えば外国系の銀行、会社、商店、教会、学校、社交団体などであり、「これらの中に恐るべきスパイの網があることを銘記すべき」だ。

「仮りにそれを非常に重要な秘密兵器の設計図としよう。これに『軍極秘』の判を捺して金庫の中に蔵っておけば、先づ誰にも盗めないわけだが、金庫の中に蔵って置くだけでは紙屑同様のものに過ぎない。全体の設計図は金庫の中にあっても、部分々々の図面は必要な方面に配布され、部分品は職工の手によって作られている筈である。すなわち軍極秘の書類の内容は、金庫の外に出ているわけである。金庫の中の物をとるのは難しいが、外へ出ているものを、ひとつつひとつは断片的なものでも、沢山集めれば金庫の中の本尊がわかるのである」

「この組織の網がいかに広く、いかに濃密に張りめぐらされているかは、例えば会社が全国に百ヶ所以上の支店、出張所などを持っているとする。一つの出張所から更に百の特約店を出しているとすると、全国に一万以上の第一段の網があるわけである。この特約店等に出入する人々を第二段の網とし、更にこれらの人に接触する人の数を考えてみると、とても想像できない程の多数に上り、これだけの網があれば全国のことは何でも集まるわけである。」

「例えばどこそこの誰が応召した、という話は、個々の事実としては大した価値はなさそうに見えるが、『どこの誰がどの師団に応召した』という話を日本全国からたくさん集めると、今日本ではどの師団とどの師団、計何ヶ師団を動員しているということが直ぐわかる。(略)即ちある土地での見聞では、局部的で大した価値のないことでも、広く日本全国に網を拡げている合法的な組織の網にひっかかり、そこで整理されると重大な情報となるのである。スパイは、何でもない話、断片的では決して法規にはひっかからない話を広い範囲から集め、整理して、重要な秘密事項を察知しているのだということを、国民はよく認識して、おしゃべりに注意していただきたい。でないと、スパイの片棒をかついだという結果になるのである。」

「次に防諜と法規の関係であるが、防諜は法律の禁止を守っただけでは、絶対に出来ないことを、明確に認識していただきたい。防諜に関する法律としては、軍機保護法、軍用資源秘密保護法、それに今度の国防保安法、その他要塞地帯法、軍港要港規則、陸軍輸送港域軍事取締法いろいろある。しかし法律というものは、最後の線だけを押えたものであって、法律でいけないということだけを守っていればいいかというと、それでは防諜は絶対に不可能である。
例えば軍機保護法で、東京横浜附近では、地上二十メートル以上の高所からは、許可なく写真をとってはならないことになっている。では二十メートル以下なら鉄橋をとろうと駅を撮ろうと差支えないことになるが、法律に触れていないというのでこんなものをどしどし出していると、とんでもないことになることは、前にあげた〔重慶の〕海鷲の鉄橋爆撃の例でおわかりのことと思う。従ってここに、官憲の行政指導が必要となってくる。法規にはなくても、防諜上必要と認める措置はどしどしとってゆかなくては、本当の防諜はできない」

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