CrimethInc:アナキズム関連をFacebookが禁止に―来るべきデジタル検閲

BLMが収束せず、大統領選挙が近づくなかトランプはますます横暴になっていますが、これにすりよるFacebookはもっと罪深いと思います。以下、CrimethIncの記事を訳しました。

アナキズム関連をFacebookが禁止に
来るべきデジタル検閲

Facebookは、アナキストおよび反ファシストのネット発信プロジェクト(原注)の中でも、彼らがcrimethinc.comおよびitsgoingdown.orgに関連すると考える(注)複数のFacebookページを削除した。
(原注)同じ口実で本日禁止された他のFacebookアカウントのなかには、ミュージシャンのMC Sole、Truthoutの作家Chris Steel、およびヨーロッパのニュースソースであるEnough is Enoughがある。

(注)https://twitter.com/nickmartin/status/1296175961260482560

彼らは、公式には「暴力を支持している」ことを口実にしている。この禁止措置は暴力を止めることとは無関係であり、社会運動とこれを報道するネット発信を抑えつけることがすべてだ。

(注)

ドナルド・トランプは、米国における警察の後をたたない暴力に対する全国規模の抗議の波に対して、一連のソーシャルメディアの投稿で、アナキストと反ファシストを非難し、数か月にわたって取り締まりを要求してきた。10年前、Facebookの代表は、エジプトでの民衆蜂起に果した彼らの役割を誇示していた。現在、積極的に社会運動を論じるネット発信を禁止する彼らの決定が示しているのは、ネットに登場を許される唯一の形態のアクティビスムとは、現在の当局に確実に利益をもたらす役割を果たすことが望まれているというこだ。

https://twitter.com/nickmartin/status/1296175961260482560
(訳注)8月20日、Nick Martinのツィッターのページ。(ここで、Facebookが禁止したサイトに言及されている)

暴力の定義は中立ではない。現在Facebookによる暴力の定義は、警察が年間1000人を殺害し数百万人を強制退去、誘拐、投獄することは合法だというものだ。攻撃者が政府を代表している限り、民間人を爆撃することは合法であり、白人至上主義者が群衆を襲撃するのを阻止したり、警察が撃った催涙ガス弾を警察に投げ返したりするのは「暴力」だとするものだ。体制や白人至上主義暴力からコミュニティを防衛しようとする人々の声を抑圧するのは、暴力を行使する者たちが制度的権力を保持している限り暴力行使を当然だとする意図的な決定だ。

現在の政権を明示的に支持する極右の民間武装勢力militiaとアナキストや反ファシストを一括りにするのは、問題を混乱させる戦略的な動きだ。これは、ウィリアム・バー(司法長官)が自称ファシストと反ファシストの両方を標的とする「反政府過激派」を標的にした司法省のタスクフォースを設置した際に行ったのと同じやり口だ。司法省の場合、極右の攻撃に対してコミュニティ防衛の最前線にいる人々を取り締まる人員や金を要求する口実として極右や民間武装勢力の攻撃を指摘しえた。バーと他のトランプ政権のメンバーは、ブラック・ライブズ・マターの活動家に対しても同様のことを行おうとし、BLMとネオナチスや白人ナショナリストを「人種的動機をもった過激派」として関連付けた。

シャーロッツビルでの「Unite the Right」の動員の最中に、自称ファシストがHeather Heyerを殺害(2017年8月)した後、ソーシャルメディアからファシストや白人至上主義者を排除せよという大きな草の根の圧力が発生した。現在、当時とは真逆にこの圧力は、抗議運動が国家の暴力と抑圧に関する全国的な対話を創出する上で不可欠な時期に、国家機構のトップから来ている。これは、シャーロッツビルのファシストに反対して結集した人々の見解を発表したWebサイトに対する権力からの反撃である。これが数週間の街頭闘争に直面してトランプが連邦の軍をオレゴン州ポートランドに動員した直後で、極右のスポークスパーソンが上院での証言で具体的にcrimethinc.comとitsgoingdown.orgに言及した数日後のことなのは偶然とはいえない。

極右のグループが引き続きFacebookを利用して組織し、COVID-19に関する危険な誤った情報を広めるなかで、Facebookはトランプ政権の合図を優先して反対意見を抑えている。間違いなく、これが問題にならないのであれば、将来はもっとひどいことになる。政府が社会運動を報道するネット発信を取り締まるノが当たり前になればなるほど、こうした検閲は社会のあらゆる部門に浸透し、政府が考え、想像するような事態を具体化するようになる。

この問題についてあなたが危惧するのであれば、このニュースを広く共有できるようあらゆる手段を駆使してほしい。Facebookがあなたに対して何が責任ある言論なのかを決定すべきではない。共に連帯するなかで、私たちは、より良い世界を作り出すことができる。こうした世界は、善意ある誰もが、ファシスト、政府、10億ドル規模の企業が脅したり沈黙させたりすることを恐れる必要のない世界だ。

「CrimethInc、それは、真に自由な社会の詩人や知識人たちだ。アナキストの発信に共通のテーマがあるとすれば、それは組織的暴力やシステムの暴力の脅威が存在せず、また、決してこのような状況が起き得ない社会を夢見ることだ。ここでは、棍棒、銃、爆弾を持つ男のグループが、他の人々を脅すようなことはない。これは正統性のある政治的立場というだけではなく、社会にとって必須であり、本質的かつ必要なものだ。私たちは平和で思いやりのある世界を夢見ることさえ禁じられている、と特に若者たちに語らざるをえないことほど、暴力的なことはない。」
-デビット・グレイバー、:ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス人類学教授、『債務』の著者、Facebook禁止のニュースに応答して。

反ファシストネオフォーク宣言

以下、転載します。

反ファシストネオフォーク宣言

解説:欧米のポピュラー音楽シーンが特に1980年代以降、極右、ネオナチなどによる若者のリクルートの重要な武器になってきたことが知られている。最も有名なのが、スキンヘッズによるOi!と呼ばれる音楽ジャンルだろうが、これに限らず、ロックからポップス、アバンギャルドに至る広範な音楽シーンに極右が介入してきた。なかでもネオフォークと呼ばれるジャンルは、極右の影響を非常に強く受けてきたジャンルとみなされている。実際に音楽の形式は、西欧の様々な非キリスト教的な伝統文化をも包摂しつつヨーロッパの白人文化の優位性をアグレッシブで暴力的なスキンヘッズなどとは逆にロマン主義的な傾向を強くもちながら感情を動員しており、嫌悪よりも情緒的な同調を得やすい音楽形式だ。私は、ヘイトが前面に出される音楽よりも、ネオフォークのような音楽の方が、人々をファシズムの心情に動員する上ではより効果的で厄介な存在だと感じてきた。ネオフォークのジャンルで活動するバンドやファンが皆極右だというわけではない。しかし、非政治的なネオフォークのバンドが無自覚に極右のネオフォークのバンドとコラボレーションしたりする状況や、極右が音楽シーンを主導することによって、若者たちの社会意識に白人至上主義が、非楽人への嫌悪ではなくて、白人ヨーロッパ文化の優位性というロマン主義によって醸成されうる可能性がある。ネオフォークのエンサイクロペディアのような本に、Andreas Diesel, Dieter Gerten, Looking for Eirope, The History of Neofolk, Index Verlag, 2013があるが、この本のなかでは、ネオフォークの源流には、単なる伝統主義的な復古主義があるのではなく、たとえばスロビング・グリッスルのようなノイズ・インダストリアルの源流でもあるバンドの影響もあることがわかかる。ネオフォークの政治的なイデオローグともいえるDeath In Juneは、まさにその典型的な位置を占めていたといえそうだ。Death In Juneとそのアルバムを多くリリースしているSoleilmoonは、米国の人種差別主義と闘うSouthern Poverty Law Centerから名指しで批判されてもきた。そもそもの出自はハイブリッドでありつつ、しかし事実上、白人至上主義という枠組が暗黙の共通項になってきたのがネオフォークの主流のように見なされがちだったかもしれない。ロックには左翼的な反体制の伝統がありつつ、極右ポピュリズムの台頭のなかでSkrewdriverのような極右バンドが登場したのとはわけが違う。ネオフォークにはそもそも左翼というスタンスを明確にしたシーンがほとんど目立たなかったように思う。フォークが60年代のベトナム反戦運動のなかで左翼の文化の一翼を担っていたのに、である。こうしたなかで、ネオフォークシーンから意識的に反ファシストネオフォークを掲げる運動が登場した。昨年のことだろうか。以下は、A BLAZE ANSUZ: ANTIFASCIST NEOFOLK: A BLOG RAISING UP ANTIFASCIST NEOFOLK BANDS FROM AROUND THE WORLD.に掲載された反ファシストネオフォーク宣言の訳である。シーンの状況がある程度わかると思う。しかし、以下の宣言には具体的な反ファシストネオークのバンドなどは登場しない。このサイトではバンドとのインタビューがかなり多く掲載されている。(daRarevo records)

https://antifascistneofolk.com/
またSpotifyで関連するバンドの音源が紹介されている。

https://open.spotify.com/user/blackcatfilmsltd/playlist/74snxst77irk3jahKNMupq?si=BMri_Nw7R-WeC2hQ_HkKQQ

反ファシストネオフォーク宣言

2019年7月29日

これは、反ファシストネオフォーク音楽コミュニティの人々と一緒に議論され、この新しい音楽トレンドが何なのか、その意図とビジョンを構築することを目的に、いくつかの点について書いたものだ。これは決して私個人の宣言でもなければ固定的なものでもない。この新たな地平に何があり得るかについての考え方だ。

1 ファシズムはネオフォークやその他の芸術形式を主張できるものではないし、このジャンルの発展の歴史は、ファシズムに当然の権利を与えもしない。ファシズムは、ロマン主義、ユートピア的理想主義、そして新しい世界を構築するための革命的精神への衝動を改竄するものだ。ファシズムはそれらのインパルスを保持するのではなく破壊するが、反ファシストネオフォークはこの精神を取り戻そうとするものだ。

2 ネオフォークは、複雑な過去を再考することに基づいて構築されたロマンチックな芸術形式だ。ファシストは、みずからのイデオロギーを、神秘的な過去の復古的なウルトラナショナリズムのビジョン、つまり、暴徒のナショナリズムの精神的情緒的モチベーションを創造してきたビジョンを物神化してこの音楽に埋め込んできた。反ファシストネオフォークは、異教、生態学的持続可能性、植民地の抑圧への抵抗をインスピレーションとして、芸術と文化の歴史を批判的に検討し、再考する。将来の私たちのビジョンを伝えることのできる記憶としてこうした考え方に立ち返りつつヒエラルキーと白人至上主義に反対する闘いを継続するために過去を見据える。美しい側面を維持しつつ、問題のある歴史を現実的に見て、抑圧の歴史を無視することを拒否し、代わりに、公正で公平な未来のビジョンに役立つ歴史的記憶を作りたいと考えている。

3 左翼は、それ自身の自覚的なロマンチックな芸術形式、つまり、正義、平等、自由に基づいて築かれた新たな世界の可能性を構想するに値するものだ。そのため、科学的あるいは法的思考だけでは革命運動を起こすことはできず、夢見る空間が必要だと考える。他の芸術運動と同様に、反ファシズムと革命的ネオフォークは、世界に変化をもたらし、白人至上主義に反対して団結して運動に情熱、ファンタジー、精神を注ぎ込こんで、意識的にこうした空間を構築する。

4 ネオフォークは、過去の世代の美学を現代の形に鋳直し、こうすることで、無数のフォークアートの形式から独特で現代的な感性を構築することを可能にする。フォークの伝統の継続は、キリスト教化と戦う異教の精神的音楽的伝統から、植民地の強制的な同化に対抗する先住民の言語を維持するための闘いや祖先の記憶を奪われた地域社会におけるアフリカの歴史の再生に至るまで、植民地主義に対する文化的闘争形態でもある。ネオフォークは、この闘争を、アイデンティティ主義のナショナリズムの反動的形態としてではなく、支配に抵抗し、その美しい多様性を維持する有機的な文化の上に展開する。

5 反ファシストネオフォークは、同時に国際的でコスモポリタンであり、文化的多様性の豊かさを維持するのにナショナリズムが必要だという考えを拒否する。ネオフォークはヨーロッパでのフォークミュージックの伝統の復活と見なされることが多いが、反ファシストネオフォークは必然的にこのヨーロッパ中心の視点を捨て、さまざまな伝統を利用する世界中のアーティストとつながりをもたらすることが必要だ。私たちは部族主義(トライバリズム)に反対し、これに替えて多様性、連帯、相互扶助を提起する。

6 反ファシストネオフォークは、政治的に動機付けられたネオフォークバンドのサブジャンルではなく、確立されつつある新たなスタンダードだ。ネオフォークには、ファシストのアーティストがこのシーンを政治組織化につながるメタポリティクスを構築する場として発展させてきた歴史があり、非政治的なバンドの間でも共犯の文化があった。反ファシストネオフォークのアーティストとファンは、許容できる新たな判断基準を確立しつつある。これは、この種の受動的なスタンスを許容せず、いかなる形であれ白人至上主義のプラットフォームを拒否する倫理的枠組みを実現してきている。

7 反ファシストネオフォークは組織化戦略であり、ファシストが意図的なサブカルチャーを構築しようとしている「闘争の場」として、ネオフォークを見ている。白人至上主義者とファシストはいかなる社会的文化的空間に対する正当な権利も持っていない。このことはネオフォークにもいえることである。このまま放置しておくと、新しい世界を切望している音楽ファンにファシストがネオドークを通じてアクセスできてしまい、ネオフォークがこうした若者をファシストにリクルートするための格好の道具にされてしまう。これに対して、私たちは、ネオフォークを闘争の場と見なす。反ファシストミュージシャンとファンは、この音楽のフレームワークを利用して、ファシストをこの音楽シーンから追い出し、彼らの存在を拒否する。音楽会場、レコードレーベル、出版物、そしてネオフォークが存在するすべてのエリアは、この闘争の場となり、音楽コミュニティの正当なメンバーである反ファシストネオフォークファンは、ファシストアーティストや運動とのいかなる共謀をも追い出す。まさにOi、ストリートパンク、ブラックメタル、その他の音楽のムーブメントで極右がこれらを囲い込もうとしたのと同様に、ネオフォークには闘うだけの価値があり、あらゆる機会に彼らを追い出すであろうと信じている。

8 反ファシストネオフォークは、ミュージシャンとレーベルの連合を構築し、極右のトレンドに逆行するシーンの構築に貢献する。反ファシストネオフォークのコミュニティを意識的に構築することで、ミュージシャンにとってポジティブな選択肢が生まれ、極右がネオフォークに押し付けようとしたイデオロギー上の覇権を破ることができる。(反ファシストネオフォークという)カウンターカルチャーが利用可能になる前は、極右はシーンの条件を設定して、バンドを強制的に適合させるか、活動できなくさせることができた。ネオフォークにおけるファシストの存在の現実を直視しつつ、オルタナティブは可能であり利用できることを示す対抗的なナラティブが今ここにはある。

9 私たちは反ファシストネオフォークのコミュニティの到来を信じている。反ファシストネオフォークのバンドは世界中に存在しているなかで、私たちは、これまで有機的に形成されてきたこのシーンを意図的に構築しつつある。ファンやミュージシャンとしてどのような音楽シーンを求めるのかを決定することで、そのビジョンを世界に投影する。私たちは反ファシズムと革命的なネオフォークシーンの存在を望み、それが自然に登場するのを待つのではなく、反ファシストネオフォークと名付けて構築することを開始した。

10 反ファシストネオフォークは、真の目標への途上に過ぎない。ネオフォークにおけるファシストの存在を排除し、平等主義と反人種差別に価値観を移すことだ。将来のネオフォークのビジョンでは、私たちの反ファシストネオフォークを他のネオフォークと区別する理由がなくなり、いつまでたってもネオフォークのなかのサブカルチャーであろうとは思っていない。私たちこそがネオフォークの全てを継承する者になるつもりだ。

出典:The Antifascist Neofolk Manifesto
https://antifascistneofolk.com/2019/07/29/the-antifascist-neofolk-manifesto/

パンデミックでも株式市場は最高値の米国―多国籍企業に儲けさせない文化闘争へ

メディアがいろいろ報じてるが、米国のS&P500が最高値をつけて注目されている。ニューヨークタイムスは米国の株式市場がbear market(弱気市場)からbull market(強気市場)へ転換しているかもとも報じている。

出典:https://www.nytimes.com/live/2020/08/18/business/stock-market-today-coronavirus#sp-500-hits-a-record-as-traders-look-past-economic-devastation

タイムス紙は、3月頃にはかなり落ち込んだがその後V字回復。連邦準備制度が3兆ドルを金融市場に投入していることや政府のコロナ対策支出が背景にあるとみている。アジアも株が上げている。まあ、日本も似たりよったりの政府の戦略なので、日本の株価も下らない。庶民は大打撃なのに。

この証券市場の動向でやはり注目したいのがハイテク株。いわゆるGAFAの株価。米国の巨大IT企業は、パンデミックでも一貫して株価上昇で、その上昇もこの1年でみると倍以上上げているところもあり、3月に一度落ち込んでもそのあとの回復が異常だ。あきらかにテレワークとオンラインへの依存のステージがワンランク上ったと思う。

GAFAであれIT企業の大半は私たちのコミュニケーションの権利のインフラを牛耳る企業。個人情報は、21世紀の石油といわれるように、こうした巨大企業の収益の基盤になっている。パソコンやスマホ、そしてネット環境はコミュニケーションの道具だが、この道具は同時にコミュニケーションの権利に不可欠な前提条件でもありつつ多国籍IT資本による個人情報=原油採掘場になっている。

資本主義グローバリゼーションの問題として論じられてきた第三世界の資源の問題、労働の問題、ポスト植民地支配の問題は、現在も重要な問題として存在しつづけているが、同時にこれに加えて、世界中の人口ひとりひとりがもっている個人情報が資本の利益を生む資源になっていること。この資源を採掘するメカニズムがコンピュータによるネットワークになる。わたしたちが日常的に使うパソコンやスマホ、スイカなどのカードから家にあるデジタル家電の類が収集する情報が、パンデミックや人々の失業と健康のリスクを格好のデータとして収集して利益に変えている。

この意味で、データ(個人情報)は、コミュニケーション領域を市場に統合した現代の資本主義にとってのフロンティアになっている。サイバーススペースにおける本源的蓄積といってもいい。この現代の大油田としての個人情報のなかから更にコロナパンデミックは新たな油田を開発するきっかけを与えた。これは上述したようなテレワークだけではない。感染予防、感染経路追跡などを口実とした政府による監視強化に伴う、政府全体の人々への監視インフラそのものがグレードアップしたということがある。

米国ではこれまで米国疾病対策センター(CDC)が管理していた個人情報追跡権限を保健社会福祉省が横取りして、HHSプロテクトなるものを立ち上げて新たな記録システムSORNを開始するようだ。SORNは心身の健康履歴、薬物およびアルコール使用、食事、雇用などの個人情報のほかに位置情報にあたるものも収集され、形式的には匿名であっても実質的には匿名化は不可能だとみられている。(注)日本でもHER-SYSが稼動しているが、こうした新たな情報インフラに政府の資金が投入されることになる。

(注)No to Expanded HHS Surveillance of COVID-19 Patients
https://www.eff.org/deeplinks/2020/08/no-expanded-hhs-surveillance-covid-19-patients

この文章の最後にGAFAとかの株価データにリンクを貼った。この大変な時期に、昨年の倍以上に株価高騰しているAmazonで買い物し、Googleで検索したりメールして会議して、Facebookで拡散する…これでいいはずはないと思うが、便利に屈している活動家たちが世界中にたくさんいる。どうしてもそうせざるをえないサービスもあるから絶対拒否はできないとしても、この生存の危機の時代に株価が高騰するような多国籍企業のサービスを見直すことが運動になっていない。しかし、できることはいろいろあるはずと思う。

GAFAをはじめとするグローバルなIT企業が個人情報という「富」で高収益を上げているのは、私たちひとりひとりが日常的に使うコミュニケーションのツールと、このコミュニケーションの環境を変えられない私たちのコミュニケーションの文化にもその責任がある。自戒を込めて、とりわけ左翼の活動家の責任は大きいと思う。このパンデミックのなかで、市民運動であれ労働運動であれ、敵は自分たちのコミュニケーションのツールそのもののなかにいる、というやっかいな事態を深刻に捉える必要がある。活動家がそのコミュニケーションの「武器」見直すことが、民衆のコミュニケーションの文化やライフスタイルを変えるきっかけになると思う。それ以外にライフスタイルにオルタナティブが生まれる余地はないと思う。この意味で、どのような手段で、どのようなネットのプラットームに依存して情報を提供するのかは、重要なコミュニケーション文化の闘いでもあると思う。

alphabet(Google)
https://stocks.finance.yahoo.co.jp/us/chart/GOOG?ct=z&t=1y
apple
https://stocks.finance.yahoo.co.jp/us/chart/AAPL?ct=z&t=1y
facebook
https://stocks.finance.yahoo.co.jp/us/chart/FB?ct=z&t=1y
amazon
https://stocks.finance.yahoo.co.jp/us/chart/AMZN?ct=z&t=1y
microsoft
https://stocks.finance.yahoo.co.jp/us/detail/MSFT?d=1y

接触者追跡とプライバシーの権利―監視社会の新たな脅威

目次

1 はじめに 感染経路追跡とプライバシーの権利

COVID-19パンデミック第二波となっている現在、政府(国であれ自治体であれ)と資本の対応に一貫性がみられなくなっいる。しかし、そうしたなでも、誰もがほぼ間違いなく「正しい」対処とみなしているのが、陽性とされた人の濃厚接触者を特定し追跡することだ。これが感染拡大を防止するイロハとみなされている。しかし、わたしはこの政策には疑問がある。この考え方は、人々が濃厚接触者が誰なのかを、正直に保健所当局に告白するという前提にたっている。この考え方は、濃厚接触者を網羅的に把握できなかったばあい、つまり漏れが少しでも生じれば、代替的な防止策がとれないで破綻するということだ。実際最近の動向は、感染経路が追えないケースが増えていることを危惧する報道が多くなった。

濃厚接触者追跡というモデルは、現実の人間をあたかも実験室のモルモットであるかのように扱う現実性に欠けた人間モデルであると同時に、上述のように、濃厚接触者を告白しなかった場合、当該の人物はあたかも犯罪者であるかのように指弾されかねないというもうひとつの問題がある。そもそも誰が濃厚接触者であったのかを保健当局が判断するには、感染したと思われる時期に本人がとった行動や接触した人を網羅的に全て列挙して、そのなかから濃厚接触とみられる人物をリストアップすることになる。

私たちの日常生活の経験からみても思い当たることだが、すべての人間関係をつつみかくさず、公的機関に告白できる人はどれだけいるのだろうか。人間関係の隠蔽は政治家たちの習性であり、またそれ自体が政治の戦術でもある。労働者が雇用主に内密で労働組合に労働問題を相談する、DVの被害者が加害者に知られないよう支援組織と接触するといった人権に関わる問題から、ごく私的で他人に知られたくない性的な関係に至るまで、多様で様々な人間関係がある。

プライバシーの権利は、個人の生活における自由の基本をなす。他人に詮索されたり覗かれたりせずに自由に行動できる権利としてのプライバシーの権利は、同時に、自分に関する情報を自分がコントロールできる権利(本ブログ「ロックダウンと規制解除―残るも地獄、去るも地獄の資本主義:権利としての身体へ」参照)と表裏一体である。このプライバシーの権利は、感染経路を追跡するために自分の行動や親密な人間関係を告白するように道徳的にも強制するような感染症パンデミックの状況では極めて脆弱になる。公共の福祉のために、個人のプライバシーの権利は制約さるのはいたしかたないという社会の合意がありそうにも思う。

しかし、そうだとしても、またプライバシーの権利などという権利を公言することがないとしても、他人に秘匿される親密な人間関係はなくなることはない。感染経路追跡という戦略は、プライバシーの権利を軽視しているだけでなく、そもそもの人間関係に関する基本的な理解が間違っている。この間違いは、人間の行動を実験室のモルモットの行動から類推するとかコンピュータで解析可能なシミュレーションのモデルに無理矢理押し込めるといった専門家にとっての都合に基くものだ。

プライバシーの権利と感染防止を両立させることは不可能なのか。そうではない。後述するように、匿名で網羅的に検査し、陽性となった者が、自らの判断で医療機関で治療を受けられるような広範で大規模な医療体制をとればよいだけである。私が陽性になっても、誰から感染させられた可能性があるのかを告白しなくてもよいのは、網羅的に皆が検査しているからである。必要なことは感染経路ではなく、感染者の治療であり、感染させないような対処をとることである。このためには莫大な人的物的なコストがかかるが、生存の権利を保障するために国家がなすべき責任の観点からすれば、このコストは先進国であれば国家財政で対処可能であり、途上国を支援する余裕も十分にある。

プライバシーの権利と感性拡大阻止の両立を妨げているのは、三つの要因による。ひとつは、集団免疫への願望が地下水脈のようにこの国の政権のなかに存在しつづけているのではないか、ということ。第二に、GO TOキャンペーンは国土交通省所管であり、国土交通省は感染症対策に責任を負わない役所であるように、各省庁は自らの利権を最優先に行動し、政府の予算措置も既存の利権を保持したまま、追加予算措置として臨時に感染症対策を計上するにすぎない。結果として、国家予算は不必要に膨張し、感染症が拡大したとしてもその責任を負う必要がない官僚制の巧妙な責任回避のシステムができあがっている。第三に、市場経済もまた、COVID-19がビジネスチャンスであれば投資するという態度が基本であり、生存の経済よりも資本の収益を最優先し、この危機を競争力の弱い資本の淘汰の格好のチャンスとみていること、である。この結果として、すべての犠牲は、社会の最も脆弱な人々に押しつけられることになる。

こうした全体状況をみたとき、感染経路追跡は深刻なプライバシーの権利の弱体化を招くだけでなく、その結果として、予防しえたはずの感染症の蔓延による健康と生存の権利が脅かされ、労働者の権利、女性やこども、性的マイノリティの権利、知る権利、集会・結社の自由、通信の秘密などなど広範な私たちの権利をも侵害されることになる。

繰り返すが、感染経路の追跡や、濃厚接触者確認のアプリは不要である。むしろ網羅的な検査を無料・匿名で実施する体制をとるべきである。この点を踏まえて、以下では、より立ち入って感染症問題と監視社会について述べてみたい。

2 これまでの監視システムが全体としてグレードアップしている

エドワード・スノーデンらが告発したグローバルな監視システム1が私たちの日常生活のなかに浸透していることを人々が実感するきっかけになったのが、SNSへの監視だった。SNSが社会運動で大規模に利用されたのは、アラブの春からだと言われている。このアラブの春の集会やデモを監視するために、アラブ諸国は欧米の監視テクノロジーを導入した。2当時ですら諜報機関は、携帯電話のシステムを用いてデモ参加者に対する大量監視を独自のシステムによって実現していたことが知られている。

また対テロ戦争のなかで、「サイバー空間」もまた「戦場」とみなされるようになってきた。ドローンによる爆撃からハッキングなどのサイバー攻撃までネットにアクセスしているあらゆるコンピュータ機器が「武器」に変容しうるようになる。こうした環境のなかに私たちのコミュニケーション空間が置かれることになった。

他方で、民間情報通信関連企業はユーザーに無料サービスを提供しつつ、ユーザー情報を求める企業には膨大なデータを提供することによって収益をあげる仕組みを構築してきた。3現代の監視社会は、ビッグデータの存在が前提になっている。トランプが勝利した前回の米国大統領選挙では、選挙コンサルタント企業、英国のケンブリッジアナリティカが独自の選挙対策ツールを提供する一方で、グーグル、フェイスブック、ツイッターなどが膨大なデータの収集と宣伝・広告の手段を提供した。米国民一人につき6000の個人データが収集・解析されて、ターゲット広告の手法を使って主に浮動票となる有権者の投票行動に影響を与えるような手法が用いられた。4

よく知られているように、個々のデータが匿名であっても複数のデータを組み合わせることによって個人を特定することは難しくない。たぶん、ビッグデータをもとにした高度な投票行動分析では、投票そのものが匿名であっても、個人の投票行動はもはや秘匿できないとみた方がいいかもしれない。

また情報通信企業は、上記のような状況の変化のなかで情報セキュリティ企業としての性格を強め、社会インフラとしての情報通信システムを、言論表現の自由やプライバシーの権利といった人々の権利のためのインフラとみなす以前に、なによりも国家の安全保障の基盤とみなす観点をもつとともに、企業収益にとって国家の治安や安全保障関連予算が不可欠な構成部分を占めるようになってきた。経済の根幹に情報通信関連産業が陣取り、人々のコミュニケーション環境に決定的な影響を行使できる地位を獲得した。政府の官僚機構のデータ処理がこうした外部の情報通信関連産業の技術に依存しなければ成り立たない構造ができあがっている。長期の不況のなかでもサイバーセキュリティ市場は例外的に一貫して成長しつづけている。5官民の癒着構造は、国家が公的資金と公的機関の個人情報を提供し、民間が膨大なビッグデータとインフラや解析テクノロジーを提供するという構造をとっており、この一体化の構造はかつての公共投資による癒着の構造よりもより深いものになっている。6

国家の統治機構への民間企業の関与の境界線は限り無く曖昧になっており、福祉や社会保障、市民生活の利便性、仕事の効率性、行動の自由度や安全性の向上など、一般にポジティブな事柄がおしなべて「監視」システムなしには成り立たなくなっている。個々人の私生活のミクロな局面からグローバルな監視システムがシームレスにひとつながりの構造をもち、これらを幾つかの政治的経済的軍事的な主導権をもつ政府と多国籍企業が、技術の仕様やノウハウを掌握する体制ができている。しかも、この構造は米国、欧州、中国など現代世界の支配的な秩序の主導権を握ろうとしている諸国が相互に、それぞれの傘下にある巨大企業を巻き込んで対立、競争、妥協、調整の力学を構成している。私たちのコミュニケーションの権利が、これほどまでに世界の権力秩序と密接に関わる構造に組み込まれたことは今だかつてないことだ。

言うまでもなく、コミュニケーションの自由は民主主義の前提をなす。この前提となる自由を私たちは自分達の日常的な技術と知識によって自律的にコントロールできていない。コンピュータの仕組みは複雑すぎ、そのメカニズムを理解できる人はごく少数の技術者に限られるだけでなく、知的財産権や高額なネットワーク機器も私たちの手にはない。エンドユーザのコンピュータ環境はマイクロソフト、アップルが独占し、スマートホンではGoogleとアップルが独占している。ネットはといえば唯一、インターネットがあるだけで他の選択肢は皆無だ。自由なコミュニケーション環境はインフラのレベルからエンドユーザーに至るまで極めて脆弱だ。ヘイトスピーチを押し止めるための民主主義的な可能性が見えづらくなり、国家の法的強制力への依存が高まるなかで、その国家はといえば、欧米ともに極右のレイシストの影響が強まっている。こうした環境のなかで、医療・保健衛生という生存権と密接にかかわる分野を舞台に監視社会化のあらたな機会が登場してきている。

IT=AI技術を用いた感染対策は、技術をそのままにして、別の目的に転用可能であるという意味で、潜在的に網羅的な監視、とくに治安監視や権力を支えるための道具となりうる危険性を兼ね備えたものになる。感染症を生存権に関わる問題だとすると、プライバシーの権利を犠牲にしても優先すべき問題だという理解は合意を得やすいかもしれない。しかし、生存権を保障するための手だてが、冒頭に述べたように、プライバシーの権利を制約するような方法しかとれないのかどうかということへの検討が十分に議論されずに、IT=AIによる監視ありきで政策が展開されてきた印象は否めない。私たちは自由なき生存が欲しいわけではないし、差別や抑圧に加担する自由が欲しいわけでもない。

3 コロナ感染防止を名目とした網羅的監視

感染拡大が最も早く深刻だった中国は、いちはやくAIとGPSを組合せた監視システムを稼動させた。「街中に設置された監視カメラと顔認証技術の情報に加えて、携帯電話の通話・位置情報、ライドシェアなど各種サービスの利用記録といったビッグデータを企業から収集し、個人の詳細な行動履歴を把握することが可能となっている。」と日本のメディアが報じたのが2月初旬だ。7 中国のコロナ封じ込め対策の報道のなかで中国の監視社会の高度化が繰り返し報じられるようになった。8

国内の治安監視システムの転用は中国にかぎらない。イスラエルは3月に治安機関と保健省が新型コロナ対策に乗りだし、対テロ対策を転用する方策を打ち出した。「感染者の携帯電話の通信情報やクレジットカードの利用記録などから位置を追跡。過去2週間にその感染者と接触した可能性がある人に自主隔離を求めるメッセージを送る仕組9 んだという。これに対しては、イスラエル最高裁に人権団体が提訴し、最高裁は立法措置が必要との判決を出した。10

3月初旬に韓国はスマホのGPS機能を用いた感染者の行動追跡アプリを利用開始した。MIT Technology reviewは次のように報じている。
「韓国行政安全部が開発したこのアプリは、自宅待機を命じられた市民に、担当職員に連絡して健康状態を報告させるためのものだ。さらに、GPSを使用して自宅待機中の市民の位置情報を追跡し、隔離エリアから離れていないことを確認できる。」11 4月になるとスマホではなくリストバンドにGPSを組み込むシステムへと「進化」した。12

日本は、2月25日に出された「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」13にもとづいた政策がとられるが、IT監視技術の利用には言及していない。「国内での流行状況等を把握するためのサーベイランスの仕組みを整備する」という抽象的な文言があるだけだ。3月28日になると新たに「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」14が出され、先の基本方針からこの対処方針が上位の位置を占めるようになる。ここでは情報収集への言及が多くなる。新型インフルエンザ等対策有識者会議に基本的対処方針等諮問委員会が設置されて、その第1回会合は3月27日。15この会合ですでに対処方針案が示されていることから、専門家の会議は実質的な機能を果しておらず、官僚の方針をオーソライズする役割を担った。専門家の責任は重大だ。

この対処方針をふまえて、監視型の政策を正当化した最大の要因は、4月1日に出された新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」16にある以下の文言だろう。

「(3)ICTの利活用について
〇 感染を収束に向かわせているアジア諸国のなかには、携帯端末の位置情報を中心にパーソナルデータを積極的に活用した取組が進んでいる。感染拡大が懸念される日本においても、プライバシーの保護や個人情報保護法制などの観点を踏まえつつ、感染拡大が予測される地域でのクラスター(患者集団)発生を早期に探知する用途等に限定したパーソナルデータの活用も一つの選択肢となりうる。ただし、当該テーマについては、様々な意見・懸念が想定されるため、結論ありきではない形で、一般市民や専門家などを巻き込んだ議論を早急に開始すべきである。
〇 また、感染者の集団が発生している地域の把握や、行政による感染拡大防止のための施策の推進、保健所等の業務効率化の観点、並びに、市民の感染予防の意識の向上を通じた行動変容へのきっかけとして、アプリ等を用いた健康管理等を積極的に推進すべきである。」

3月19日に出された提言17にはこうした情報コミュニケーションテクノロジー(ICT)への言及がなかったから、10日ほどの間で急速に方針の転換が生じたことになる。しかもこの10日ほどの間に専門家会議は持ち回り会議が1回開催されただけであり、ここでも官僚主導の方針を専門家がオーソライズする仕掛けになっている。

専門家会議5月1日の提言18では「ICT 活用による濃厚接触者の探知と健康観察(濃厚接触者追跡アプリなど)の早期導入」「ICT活用によるコンタクトトレーシングの早期実現」という文言が登場する。5月29日の提言19では「接触確認アプリや SNS 等の技術の活用を含め、効率的な感染対策や感染状況等の把握を行う仕組みを政府として早期に導入する。」とより具体的になる。

このように、日本もまた大筋では諸外国の感染者追跡をビッグデータやAIなどを駆使するシステム構築に必死になるのだが、こうした方向性を医療の専門家で占める専門家会議が具体的な内容も含めて提案できたかというと疑問だ。

上述したように、厚生労働省は3月28日に「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」を公表するが、ほぼ同じ時期に総務省は3月31日に「新型コロナウィルス感染症の感染拡大防止に資する統計データ等の提供に係る要請」20を出す。要請の具体的内容は次のようなものだ。

「プラットフォーム事業者・移動通信事業者等が保有する、地域での人流把握やクラスター早期発見等の感染拡大防止に資するデータ(例:ユーザーの移動やサービス利用履歴を統計的に集計・解析したデータ)を活用することにより、
・ 外出自粛要請等の社会的距離確保施策の実効性の検証
・ クラスター対策として実施した施策の実効性の検証
・ 今後実施するクラスター対策の精度の向上
等が可能となり、感染拡大防止策のより効果的な実施に繋がると期待されます。そこで、政府では、今般、プラットフォーム事業者・移動通信事業者等に対して、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止に資するデータの政府への提供を要請することとしました。」

プラットフォーム事業者とは、ネットショッピング、SNS、検索サイトなどを指す。21 提供が要請されているデータは「法令上の個人情報には該当しない統計情報等のデータに限る」としている。

政府は「新型コロナウイルス感染症対策テックチーム Anti-Covid-19 Tech Teamキックオフ会議」を設置し、4月6日に第1回の会合を開く。22チーム長西村康稔 新型コロナウイルス感染症対策担当大臣 竹本直一 情報通信技術(IT)政策担当大臣 北村誠吾 規制改革担当大臣の3名。民間企業からはヤフー、グーグル、マイクロソフト、LINE、楽天、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクなどが参加するなど厚労省の専門家会議とは全くメンバーが異なる。肝心の保健医療関係者は誰も参加していない。

感染症対策テックチームは、その構成メンバーからみても当然だが、当初から感染者の追跡を行うアプリケーションの開発に強い関心をもち、シンガポールで開発されたトレース・トゥギャザーの利用が念頭に置かれた。23 オーストラリア政府も同種の追跡アプリの開発に乗り出すなど、各国でスマホを利用した感染経路追跡アプリが次々に導入される傾向が一気に拡がる。

4月以降、デジタルプラットフォーム企業と政府の連携は急展開する。

先鞭を切ったのはLlINEかもしれない。3月30日に厚生労働省とLINEは「新型コロナウイルス感染症のクラスター対策に資する情報提供に関する協定」を締結する。24

そして4月6日には上述した感染症対策テックチームを開催する。ここでの議論は

「提供を受けるデータは、スマホを持つ利用者の位置情報や、多く検索された言葉の履歴などを想定している。特定の場所にどの年代の人が集まるかなどの傾向をつかむことができ、事後の検証で集団感染が起きた地域を特定しやすくなり、感染予防に役立てることができるという。」25

などと報じられた。

4月13日、ヤフーは厚生労働省とクラスター対策に資する情報提供に関する協定を締結。26 この協定には次のような箇所がある。

「同意が得られた利用者の位置情報や検索内容を集計して分析し、感染が増えている可能性の高さを地域ごとに数値で示す。国は感染者集団(クラスター)の早期発見や対策を決める際の参考にする。」
「同社は過去にクラスターが発生した場所やイベントのデータなどから、「感染者が行う傾向が高いとみられる検索や購買行動」を分析。その行動の増減を地域別に数値化し、「クラスター発生が疑われるエリア」として国に提供する。個人が特定されないよう、分析エリアは最小500メートル四方とし、人口が少ない地域などは除外する。」

ヤフーは、4月21日には47都道府県の人の移動データを公開し、

「データは同社のアプリで位置情報の提供に同意している利用者のデータなどを集計して推定している。前年同時期を100として、自治体内から出た人と入ってきた人の増減について、1月以降のデータを日ごとに示す。4月3日から東京23区限定で公開していたデータの対象を、全国に広げた。」27

と報じられている。

4月22日、KDDIは全国の自治体に位置情報ツール無償提供を発表。28

「「KDDIロケーションアナライザー」。同社の携帯電話サービス「au」で個別に同意を得たスマホ利用者の位置情報と性別や年齢層を分析できるツールだ。最小10メートル単位、最短2分ごとに位置情報を収集し、道路ごとの通行量や店舗への来訪者数などを細かく分析できるという。」

4月30日、ソフトバンク株式会社の子会社で、位置情報を活用したビッグデータ事業を手掛ける株式会社Agoopが厚労省と情報提供の協定締結。29

「新型コロナウイルス感染症のクラスター対策に資する情報提供等に関する協定」を厚生労働省と締結
Agoopの流動人口データは、許諾していただいた方のみのスマホのアプリ(例:位置情報を活用する複数のアプリ)から位置情報を取得し、プライバシーを十分に保護することを重視して統計処理を行い匿名化された、個人情報を含まないものです。」

こうした動きのなかで、複数の接触確認アプリが自治体で独自に採用される動きも拡がった。30

他方、GAFAと呼ばれる米国多国籍企業も監視テクノロジーのプラットフォームを急速に整備はじめる。

4月4日、Googleは、世界141ヶ国で「人々が訪れる場所をいくつかのカテゴリ(小売店と娯楽施設、食料品店と薬局、公園、公共交通機関、職場、住居など)に分類し、人々の地理的な移動状況を時間の経過とともに図示」する「COVID-19(新型コロナウイルス感染症): コミュニティ モビリティ レポート」を開始すると発表。31 4月10日、AppleとGoogleはコロナ濃厚接触をスマホで通知できるシステムの共同開発を発表。日本でも展開することが表明された。32 5月初旬にはサンプルコードが公開される。33 この発表は、欧米のプライバシー団体から批判の声があがり、大きな議論になる。

5月にはいり、このGoogle/Apple連合の接触アプリを厚労省が採用すると表明する。しかし、Google/Appleは、接触アプリのプラットフォームを提供するだけで実際のアプル開発を行うわけではない。

接触者追跡アプリの開発は、いくつもの問題を抱えた。発注する厚労省など政府側と、これをビジネスチャンスとみたであろう大手IT企業、しかもGAFAと日本の企業の間の思惑も複雑に絡みあいそうだということは感染症対策テックチームの顔ぶれからも推測されたが、現実に進行した事態はもっとやっかいだった。

厚労省の接触確認アプリ(COCOA)34は6月下旬から使用開始されているが、アプリの不具合が見つかったことをきっかけにして開発体制そのものへの批判が拡がった。ITの専門ニュースサイトには次のような報道が流れた。

「厚生労働省が6月19日に配信を始めた、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)陽性者に濃厚接触した可能性を通知するスマートフォンアプリ「新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA)」の不具合や開発体制を巡って、ネット上で議論が巻き起こっている。アプリのベースになったオープンソースプロジェクト「COVID-19Radar」の中心的人物である廣瀬一海さんは自身のTwitterアカウントで、「この件でコミュニティーはメンタル共に破綻した」として、次のリリースで開発から離れ、委託会社などに託したい考えを示した。」35

コンピュータのソフトウェアやアプリケーションの開発は、自動車などモノの開発とは異なるところがある。そのひとつが、上記の記事にある「オープンソース」である。モノの開発は企業ごとに、企業秘密のベールのなかで行なわれるのが一般的だがソフトやアプリは、こうした企業独自の開発もあれば、全ての開発情報を一般に公開して、誰もが開発に参加できる体制をとって行なわれる場合もある。後者のような体制で開発されたソフトウェアをオープンソースソフトウェア(OSS)と呼ぶ。接触確認アプリCOVID-19Radarの開発は、厚労省のトップダウンで実施されたわけでもなければ、大手IT企業が自社の開発チームを組織して取り組んだものでもなく、ソフトウェア開発者が個人として始めたプロジェクトがベースとなって出発した。

COVID-19Radarの開発では、プログラムを公開してプライバシーなどへの危惧について、第三者が確認できるようになっていた。しかし、appleとgoogleが共同して提供するアプリ開発のプラットフォームについては、各国とも厚労省が管理する前提で一ヶ国につきアプリ開発はひとつに限定されるという条件がつけられた。Cocoaとして実際にスマホアプリとして公開されているものは、オープンソースとして開発されてきたCovid-19Raderをベースにしつつも別ものになる。ITmediaは次のように報じている。

「そもそも、COVID-19Radarは厚労省の開発するCOCOAそのものではなく、日本マイクロソフトの社員である廣瀬さんが個人開発で始めたプロジェクトだ。コード・フォー・ジャパンのプロジェクトも並行して進む中、それぞれが採用を前向きに検討していた米Appleと米Googleの共通通信規格が「1国1アプリ」「保健当局の開発」に限られることが分かり、厚労省が主導することに決定。これに伴い、厚労省は開発をパーソル&プロセステクノロジー(東京都江東区)に委託。同社は日本マイクロソフトとFIXER(東京都港区)に再委託したという。この過程で、OSSであるCOVID-19RadarがCOCOAのベースになることが決まった。」36

厚労省の委託先のパーソルは、2017年までテンプという名前で知られた会社の後身だ。かつてテンプの時代に、厚労省の再就職支援事業のなかで、企業のリストラをサポートする違法すれすれの極秘のプログラムを作成し大問題となった会社の系列にあたる。37

オープンソースによる開発ではなくなったために、アプリのプログラムの透明性は後退したように思う。大手企業と政府、厚労省やIT関連の省庁の利害を視野にシステム開発の力学を分析することなしには監視社会を支えるインフラの実態は解明できない。

一般に、プライバシー情報の保護が論じられる場合、二つの異なる問題が混同されたり、あえて曖昧にされる場合があることに注意しておく必要がある。接触確認アプリのプライバシー情報でいうと、陽性者となった人と濃厚接触した人との間で、相互に個人情報を把握することができないような仕組みがあれば、プライバイーの保護がなされているというのは間違いではないガ、コレダケガぷらいばしー問題の全てではない。接触確認アプリCocoaの場合も、厚労省はこの点に焦点をあてる一方で、Cocoaがもっているプライバイー上のもうひとつの問題をあえて表に出さないようにしている。Cocoaのプライバシーに関する宣伝文句は以下のようだ。

「接触確認アプリは、本人の同意を前提に、スマートフォンの近接通信機能(ブルートゥース)を利用して、互いに分からないようプライバシーを確保して、新型コロナウイルス感染症の陽性者と接触した可能性について通知を受けることができます。」38

図の出典

「新型コロナウイルス接触確認アプリについて」
厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部
内閣官房新型コロナウイルス感染症対策テックチーム事務局

ここで語られていないのは、個人情報を厚労省がどの程度把握できるのか、という政府による個人情報把握だ。上図にあるように、Cocoaのシステムは、通知サーバーと濃厚接触者の関係で完結しない仕組みになっていて、新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム(HER-SYS)と連動する。このHER-SYSは陽性者やPCR検査を受けた人たちの個人情報を取得する。「基本情報」だけでも以下のものが取得される。

「個人基本情報 受付年月日、姓名(漢字)、姓名(フリガナ)、生年月日、年代、性別、国籍、住所、管轄保健所、連絡先電話番号、メールアドレス、職業、勤務先/学校情報、緊急連絡先、濃厚接触者の場合は契機となった感染者の方のID福祉部門との連携の要否 障害/生活保護/保育者確保/介護者確保/その他(自由記載同居者情報 高齢者、基礎疾患のある者、免疫抑制状態である者、妊娠中の者、医療従事者」39

これ以外に検査、診断情報、措置等の情報もあり膨大だ。しかもこうした個人情報については「法令に基づく第三者への提供であるため、本人同意は各個人情報保護法令上不要とされています」とあり、いったん提供された情報を、いつ誰と共有しているのかを個人の側では把握する権利をもたず、追跡もできない。Cocoaは現在まだ試行版という位置づけらしく、HER-SYSとの連携はとれていないようだが、正式のリリースでは連携される。橋本厚労副大臣はインタビューで「正式版ではHER-SYSと連携させることを目指したい。あまりだらだら時間をかけずに、接触確認アプリの正式版を出したい」と明言しているのだ。40

多分次のステップは、この接触確認アプリがスマホのOSに組み込まれることによって、ユーザーがインストールしなくても動作するような方向をとるのではと思う。Androidのスマホを買うとgoogleの地図機能が最初からインストールされているような仕組みだ。どこの国も接触確認アプリの普及は低く、実効性がない。普及率を上げる効果的な方法は最初から組み込み、しかも機能をデフォルトで「オン」に設定することだろう。こうして監視のテクノロジーはますます人々が自覚することのないバックグラウンドで機能するようになる。スマホの感染アラートで感染を知り、医療機関に出むくことが日常になれば、これは「便利で当たり前」ということになる。これがあたらしい日常であり「withコロナ」が意味することだ。

しかもこのHER-SYSの開発を手がけたのもCocoaの発注先と同じパーソルだから、接触確認アプリとHER-SYSの連携は最初から意図されていたとみてよいと思う。

この支援システムを含む全体象は図2のようになる。支援システムのデータについては「関係者間で必要な情報を共有」とあり、厚労省、都道府県などいくつか例示されている。
こうしたアプリとHER-SYSの連携が行なわれ、省庁間での共有が進むと危惧されるのが治安管理への転用だ。この例示にはないのだが、すでに警察庁もまた感染者情報の提供を要請していることがわかっている。しかも本人の同意なしでの提供を求めている。41

図の出典:「新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム(HER-SYS*)について」
厚生労働省のウエッブより

いったんこのようなシステムが構築されると、個人情報の共有範囲は歯止めなく拡がる。しかも、こうしたシステムは、中国やイスラエルのように諜報機関の従来のシステムの保健医療への転用が可能であったように、その逆もまた真なり、なのだ。福祉国家が高度な監視国家になっているように、人々の人権や福祉のために導入されたシステムは治安監視のシステムとなりやすい。Cocoaのように人々が誰と接触したのかを把握できるシステムは、いくらでも応用がきく。

集団的な密集状態は、集会やデモなど政治的な権利行使の現場でも起きる。これらの場所で感染が発生したり、その恐れがあるとみなされたりした場合、保健所だけでなく公安警察もまた、感染を口実に介入する可能性がある。

厚労省は、補正予算で「感染拡大防止システムの拡充・運用等」として13億円を計上し、「新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止に資するシステムを整備するため、感染者等の情報を把握・管理するシステム(HER-SYS)の機能拡充を行うとともに、保健所等におけるシステム運用を支援する」とともに「ビッグデータを活用し、各地域における感染の拡大防止に資する情報や感染発生動向等の情報をわかりやすく整理して提供する。」ともしている。

4 感染者追跡は必須か。

感染者接触確認アプリの開発が個人ベースで有志によるボランティアのプロジェクトとして始められたCOVID-19Radarであったということは、開発者の感染症対策についての理解がどのようなものであったのかを端的に示している。感染症対策として、感染者を特定し、この感染者の濃厚接触者を把握し、感染経路を明かにし、保健所がこうしたデータを集約して、医療機関と感染者の仲介をすることが唯一の解決策であるということが2月以来繰り返し政府からも感染症の専門家からも主張されてきた。アプリ開発者もまたほぼ同じ認識に立ってアプリのコンセプトを構築したと思う。アプリ開発者はプライバシーに配慮した匿名性を前提とする感染確認のシステムであるべきだという正しい理解を示していたと思うが、HER-SYSとの連携によるプライバイー上の問題を回避することはできないから、自分の開発の外で起きている問題をも配慮して接触確認アプリのプログラムを組むことはほぼ不可能だろうと思う。ここで問われるのは、プログラムの開発者の技術力ではなく自分が開発しているプログラムの社会的政治的な文脈を理解する社会認識力なのだ。このアプリは本当に意味のあるものなのか、権利侵害に加担しないかを見極める力だ。感染者がいれば接触者や感染経路を追跡するということ、ビッグデータやAIを駆使することが唯一の対策なのかどうか、である。

他方で政府は、保健医療の全体のシステムと接触者確認アプリの双方を統一して把握できる立場にあり、政府は、感染者とその濃厚接触者が相互に個人情報にアクセスできないようにするとしても、政府が個人情報にアクセスする必要があることは大前提でシステムを構築しようとする。

個人を追跡して監視するアプリ開発や政府のシステム開発はにはひとつの前提がある。それは、匿名性を保障しての網羅的な感染検査体制をとらないという前提である。もし定期的に網羅的に検査する体制がとられれば、検査は匿名であってよく、誰もが陽性か陰性かを確認でき、陽性者は自ら医療機関にアクセスすればよいだけである。網羅的検査への反対論では、こうした体制には膨大な資金と人的な資源が必要であって、現行の医療体制では対応できないと主張されまたかも医療体制は「定数」であって拡大させる余地がないものという前提にたった議論が繰り返し主張されてきた。網羅的な検査を前提に必要となるであろう医療体制の拡充を行なうような予算措置をとろうとしないのであって、予算がないわけではない。42こうした体制がとれらるのであれば、濃厚接触者であろうが、そうでなかろうが、みなが検査できるので、感染経路特定のための余計な個人情報の収集といった作業は不要になる。感染に関する個人情報は本人と本人が受診する医療機関に限定される。

このように、感染症対策で必要なことは、感染しているかどうかを私たち一人一人が確認できる検査体制があり、この体制によって私たちが受診できるだけの医療のキャパシティを構築することである。しかし、こうした体制は、政府にとっても情報産業にとってもメリットになることはなにもない。政府は、一貫して保健所や公衆衛生体制の縮小政策をとり、東京都も都立病院の民営化を進めている。こうした政策からすると予算の拡大はそもそも念頭にない。情報産業も個人情報を把握できる機会が極めて限定されるような政策を嫌う。

他方で私たちにとっては、自分の身体の健康についての知る権利が確保されつつプライバシー情報の拡散が阻止でき、治療へのアクセスが確保されるとともに、日常生活のなかで感染リスクを最小化できるという意味で、最も好ましい。

インターネットの普及とともに到来した監視社会は、ジョージ・オーウェルが描いたような中央政府の巨大な監視システムが人々の日常生活を網羅的に見張るといったわかりやすいモデルではない。こうした意味での監視社会の側面が拡大していることは事実だが、より厄介で深刻なのは、一人一人が自分たちの日常生活のなかから能動的に監視されることを期待するような状況が作られてきたという点だろう。たとえば交通機関で利用されるスイカなどのプリペイドカードは、支払いの面倒がなく便利だ。ネットの主流をなすようになったLineやFacebookなどのSNSは無料で使える便利なコミュニケーションツールである。こうした便利さを巧みに利用して普及してきたもののほとんどは、便利さや無料でのサービスの対価として、自分の個人情報や生活上の行動や交際の履歴などを企業に把握されることになる。しかし、プライバシーが把握されるという実感に乏しく、覗かれることに伴う不快感はほぼ皆無に近い。

監視社会化を招くもうひとつの要因に不安感情の利用がある。テロへの脅威という日本ではほぼフィクションに近い言説を警察が繰り返すことによって、本来なら裁判所の令状が必要な所持品や身体検査、監視カメラや金属探知機などの監視装置の蔓延が容認されてきた。新型コロナの深刻な蔓延は、こうした不安感情を利用した監視システムがこれまでにない規模で一気に拡大してしまった。

生存権や基本的人権の保障こそが政府がなすべき最優先の課題であるという建前からすれば、網羅的な検査と、これに対応する医療体制をとることは必須である。資本主義の政府や経済はこうした体制がとれない限界を抱えていることも事実で、そうであるなら、制度を根底から再構築することが必須だということでもある。私たちが必要としているのは、既存の制度を与件とすることではなく、基本的人権の保障を最優先にすることが可能な統治機構と経済なのである。この本質的な問題をコロナという今ここにある危機のなかで、将来の社会のありかたとしてきちんと見据えられるかどうかが反体制運動に課せられた課題だと思う。

Footnotes:

1

小笠原みどり『スノーデン、ファイル徹底検証』、毎日新聞出版、2019、同「新型コロナ感染者の接触者追跡データ 本当に欲しがっているのは誰?」https://globe.asahi.com/article/13370568

2

ゼイナップ トゥフェックチー『ツイッターと催涙ガス ネット時代の政治運動における強さと脆さ』、中林敦子訳、Pヴァイン、2018。

3

電子フロンティア財団『マジックミラーの裏側で:企業監視テクノロジーの詳細』http://www.jca.apc.org/jca-net/node/64

4

ブリタニー・カイザー『告発』、染田屋茂他訳、ハーパーコリンズ・ジャパン、2020年。映画『グレートハック』(NETFLIX)もカイザーに焦点をあてたドキュメンタリー、参照。

5

JETRO「拡大するサイバーセキュリティー市場」https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2018/1fb2ecd606c590e5.html 日本ネットワークセキュリティ協会「2019年度 国内情報セキュリティ市場調査報告書」https://www.jnsa.org/result/surv_mrk/2020/index.html

6

2016年には官民データ活用推進基本法が成立している。http://iot-jp.com/iotsummary/iottech/bigdataanalysistool/官民データ活用推進基本法/.html 17年に設置された統合イノベーション戦略推進会議が昨年包括的なレポートを公表している。「AI戦略 2019」https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tougou-innovation/pdf/aisenryaku2019.pdf このレポートには、医療関連も含まれているが、新型インフルエンザ、SARS、MERSなど感染症問題が注目された後に出されているのだが感染症への関心はほとんどみられない。

8

(朝日、中国、ビッグデータが感染者追う 「まるで指名手配犯」、https://www.asahi.com/articles/ASN2G6SBGN2FUHBI039.html?iref=pc_rellink_03)

9

(日経4月28日、オンライン、https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58585660Y0A420C2FF1000/)

10

(上記記事)

15

新型インフルエンザ等対策有識者会議基本的対処方針等諮問委員会(第1回) https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/shimon1.pdf

21

公正取引委員会はプラットフォーム事業者を次のように定義している。「「デジタル・プラットフォーム」とは,情報通信技術やデータを活用して第三者にオンラインのサービスの「場」を提供し,そこに異なる複数の利用者層が存在する多面市場を形成し,いわゆる間接ネットワーク効果が働くという特徴を有するものをいう。」例示として「オンライン・ショッピング・モール,インターネット・オークション,オンライン・フリーマーケット,アプリケーション・マーケット,検索サービス,コンテンツ(映像,動画,音楽,電子書籍等)配信サービス,予約サービス,シェアリングエコノミー・プラットフォーム,ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS),動画共有サービス,電子決済サービス等」(「デジタル・プラットフォーム事業者と個人情報等を提供する消費者との取引における優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の考え方」https://www.jftc.go.jp/dk/guideline/unyoukijun/dpfgl.html)

22

新型コロナウイルス感染症対策テックチーム Anti-Covid-19 Tech Teamキックオフ会議 開催 https://cio.go.jp/techteam_kickoff

23

日経3月20日。シンガポール、コロナ感染をアプリで追跡、政府開発
【シンガポール=谷繭子】シンガポール政府は20日、新型コロナウイルスの感染経路を追跡するためのスマホ用のアプリを開発、無料配布を始めた。近距離無線通信「ブルートゥース」を使い、至近距離にいた人を感知、記録する。感染者と接触した人を追跡して隔離することで、感染の広がりを早期に抑える狙いだ。

このアプリは「トレース・トゥギャザー(一緒に追跡)」。アプリをダウンロードした人同士が近くにいると、互いに認識し、電話番号を暗号化したデータをスマホ内に記録する。新たな感染者が発覚したら、その人のスマホ内のデータを政府の追跡チームが解析、濃厚接触した人を洗い出す。」(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57056430Q0A320C2FF8000/)

24

「厚生労働省とLINEは「新型コロナウイルス感染症のクラスター対策に資する情報提供に関する協定」を締結しました」 https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_10575.html

29

<東日本エリア>新型コロナウイルス拡散における人流変化の解析
2020/01/01〜 2020/07/15
https://corporate-web.agoop.net/pdf/covid-19/agoop_analysis_coronavirus.pdf

30

https://moduleapps.com/mobile-marketing/18413app/
北海道 北海道コロナ通知システム
青森県八戸市 はちのへwithコロナあんしん行動サービス
宮城県 みやぎお知らせコロナアプリ(MICA)
東京都 東京版新型コロナ見守りサービス
神奈川県 LINEコロナお知らせシステム
千葉県千葉市 千葉市コロナ追跡サービス
大阪府 大阪コロナ追跡システム
京都府京都市 京都市新型コロナあんしん追跡サービス
沖縄県 (準備中)

32

濃厚接触の可能性を通知するシステム: 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大抑止に取り組む公衆衛生機関をテクノロジーで支援する
https://www.google.com/covid19/exposurenotifications/
AppleとGoogle、新型コロナウイルス対策として、濃厚接触の可能性を検出する技術で協力
https://www.apple.com/jp/newsroom/2020/04/apple-and-google-partner-on-covid-19-contact-tracing-technology/

37

社員を末期患者扱い 人材大手が作成“クビ切り手引き”の仰天 日刊ゲンダイdigital https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/17602

38

厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部、内閣官房新型コロナウイルス感染症対策テックチーム事務局「新型コロナウイルス接触確認アプリについて」(6月19日)
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000641655.pdf

39

5月22日、厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部「新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム(HER-SYS)の導入について」 https://www.mhlw.go.jp/content/000633013.pdf

40

接触確認アプリ公開はなぜ遅れた?コロナのIT対策を率いる橋本厚労副大臣を直撃、日経XTEC 6月19日 https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/04199/

41

照会書や本人の同意なしに警察へ感染者情報を 警察庁の依頼で厚労省が自治体や保健所に通知 「人権侵害では?」との反発も
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-police

42

イギリス・新型コロナ感染者治療のために、元オリンピック会場を仮設病院として活用へ https://www.huffingtonpost.jp/entry/london-excel-center-become-coronavirus-hospital_jp_5e8198e6c5b66149226a4df1

Author: 小倉利丸

Created: 2020-07-26 日 22:18

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ロックダウンと規制解除―残るも地獄、去るも地獄の資本主義:権利としての身体へ

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7月7日(火)19時から20時30分ころまで
会議室のURLはATTACのメーリングリストと音声ファイルの設置してある下記で告知。
https://archive.org/details/20200707-attac-kouza

オンライン会議ではjitsi-meetを使います。
参加に必要な器材
パソコンかスマホでカメラとマイクが使えるもの
ブラウザ
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1 はじめに

今日のテーマは、なぜ市場も政府も新型コロナ、COVID-19パンデミックに十分に対応できずに、感染の拡大を阻止できないのか、という問題を、政策レベルの問題ではなく、資本主義のメカニズムとの関係で捉えかえしてみることに主眼を置く。

資本主義の基軸をなす二つの制度、市場と国民国家は、人々の健康や生命と生存基盤を犠牲にして、制度の自己防衛を優先させている。市場も政府も、建前では人々の人権や生存を保障するものと自認し、また理屈の上でも、これが可能な制度であるということが主張されてきたが、現実はそうはなっていない。制度が人々を犠牲にして延命せざるをえない現実から資本主義という制度の矛盾と問題を考えてみたい。このことは、COVID-19のような世界規模の危機の解決を資本主義に委ねるべきではないということ、そして、これはCOVD-19に限ったことではなく、気候変動であれグローバルな不平等や搾取による貧困と紛争であれ、共通した危機の本質にも関連する問題である。

2 ロックダウンと経済優先政策に共通する不安の政治学

新型コロナ、COVID-19パンデミックの事態は、この一ヶ月でかなりその様相が変化してきた。緊急事態宣言による外出自粛の状況では、徹底した自主隔離が宣伝されてたきたが、6月以降はむしろ自粛への圧力よりも感染拡大させない形での「経済」再開を模索する力が強まり、人々もまた仕事であれ娯楽であれ、外出しはじめている。収入や雇用への不安が払拭されず、「経済」への不安が感染症不安を上回りはじめている。政府は、緊急事態がもたらした経済的な損害に対する保障、とりわけ貧困層への保障をあえて迅速には展開してこなかったような印象がある。世論が経済の破綻への批判を強め、感染リスクを相対的に低下させるように誘導し、人々が健康よりも経済を優先させる政策への転換を後押しする時期を見極めようとしてきたとも思える対応だ。

たとえば、3月に国会が審議していた次年度予算にCOVID-19関連予算を組み込まなかったことに端的に示された。予算配分の抜本的な再編成、たとえば防衛費や開発型の公共投資などを切りすてて保健医療サービスに振り向けるとか、文科省の管轄になる医療系の大学や研究機関が厚労省管轄の医療制度との連携をとるような省庁を横断する取り組みはなされなかった。制度は既存の利権を優先させた。既得権をそのままにして新たにCOVID-19の対策を臨時のものとして措置したために、補正予算が32兆円(一般会計予算は102兆円)と膨大に膨れあがった。

もうひとつはオリンピックだ。オリンピックはスポーツイベントである前に巨大な市場経済活性化のための国家イベントとしての性格が大きい。オリンピックの延期前と延期後で政府、東京都のCovid-19への対応は明かに変化した。オリンピックとその経済効果を優先させて、感染を隠蔽あるいは放置する作戦が当初とられた。メディアも政府も、オリンピックを延期あるいは中止にしたときの経済的損失に強い関心を寄せ、感染問題は、このオリンピック経済の従属変数としての扱いがされた。つまり、オリンピックの開催にとって最適な政策をとることが優先され、検査体制を整えず、感染実態を隠蔽する作戦をとったのが、3月までの対応の基本姿勢だ。リスクの順位でいえば、オリンピック延期や中止が最大の経済的リスクとみなされたのだ。オリンピックの延期が決まった後も、オリンピックをめぐる経済は政府と資本にとっての最大の関心事であり続けていることに変りはない。将来の感染症パンデミックをみすえて、必要な措置をとるための財源をオリンピックの中止とオリンピック用に開発されたインフラの医療への転用で早急に対処しようとする選択肢は、政治家にも官僚にもない。オリンピックは、資本主義が、人々の健康への権利よりも経済を優先させ、経済が人々の健康の権利を最大化するようには機能しないものなのだ、ということを端的に具体的に示す実例でもある。今後の講座でのテーマになるので、今日は立ち入らないが、こうした経済優先の資本主義は、経済がナショナリズムと連動しているために、より一層強固になる。オリンピックへの国家の関与の深さは、ナショナリズムのメガイベントだからであり、国民統合の祝祭として格好の舞台だからだ。経済はそれ自身がナショナリズムのイデオロギー装置という側面をもっているということを理解することが重要であり、これは市場経済が供給する商品の使用価値のイデオロギー的性格と不可分である。消費とナショナリズムの問題はいずれテーマとして扱いたいと思う。

オリンピックの延期が決まった3月24日のすぐ後、4月7日に緊急事態宣言が出される。この段階でのリスクでは感染防止が優位にたつ。しかし、最小の経済的コストで最大の感染防止対策をとることが目指され、結果として、コストのかからない外出自粛の事実上の強制が世界中で当然の措置として蔓延した。この段階で資本は、平常の活動を抑制せざるをえなくなるが、このコストを人件費の削減によって労働者に転嫁した。日本全体の安全を最優先すべきだというナショナリズムによって、人々は耐乏と禁欲を選択させられることになった。政府と資本は、COVID-19が社会の政治経済システムに深刻な影響を与えはじめているという認識から、人ではなく制度を防衛することがこの時期の最大の関心になる。つまり、医療崩壊が関心の中心を占め、この崩壊を防ぐために、多くの人々が自らの命を犠牲にする状況が先進国ですら起きた。この状況は、この段階で、国家も資本も、その資源を効果的に感染対策の医療関連のサービスやインフラ、人材の確保へと転換することができなかったことを示している。

(横道)中国は武漢を完全に封鎖し、厳しい外出禁止措置をとり、感染を封じこめたとされている。他方で、経済活動を優先させているブラジルは感染拡大が収束しない。単純に比較すれば、緊急事態に際しては中国のような措置の方が効果があるといえそうだ。しかし、こうした比較は感染症と政治・経済の全体を単純化した比較にしかなっていない。どちらの国も、権力が最大の関心をもったのが、人々の生存の権利だったのだろうか。いずれの場合も既存の権力基盤の維持にとって最適な選択肢をとった結果だった。それが、中国の場合は、感染症という個別の課題では一定の効果を発揮したが、感染症を抑制することが人々の人権や自由の保障にはならず、権力の正統性維持に寄与したにすぎない。ブラジルの場合は、自由の概観は、主として資本の自由に還元できるものであって、その限りで人々の自由があり、同時に感染も拡大した。ブラジルは極右政権の正統性にこの欺瞞的な資本の自由が利用された。COVID-19を生きる人々は、それのみで生きているわけではない。一個の人格として多様な基本的な権利行使の主体として生きている。生存の権利を自由と平等を含む人々の基本的人権の保障を最優先とするような国はまだ地上のどこにも存在しない。だからこそ、これが目指すべき一つの社会の目標にもなる。

市場は、社会が必要とする財サービスの過不足ない供給を実現する上でこれ以上最適な制度はないというのが経済の専門家の前提にあるが、マスクや医療現場の防護に必要な資器材の不足は解消せず、命を賭けた治療が続いた。民間の医療関係資本は、COVID-19がビジネスになるのかどうかを静観し、一過性の流行病ではないと見極めがついた頃からワクチンの開発などに取り組みはじめた。

所得や収入の道を断たれた人々が、感染リスクよりも経済再開への要求を強めるような誘導のなかで、人々の経済を優先させるようなニーズがあたかも自発的な意思に基くかのような環境が構築されることによって、感染のリスクも経済的なリスクも、いずれのリスクに晒されても、これは制度に責任はなく、人々の自由な選択の結果だという言い逃れができる枠組が構築されてきた。こうした枠組の前提にあるのは、保健医療サービスや失業保障などに振り向けられる財源はこれ以上はない、雇用を維持できるような余裕は資本にはない、という戦略的に人々の理解を誤らせるような前提に基いている。政府には財政の再分配の余地があり、資本によって編成されている経済的技術的な基盤には、人々の生存を支えるだけの余地はあるはずだが、資本の利潤動機がこれを有効に活用することを妨げている。

2.1 不安感情

ここで鍵を握ったのが不安感情の存在だ。

不安感情は合理的な根拠に基づかず、恐怖とは異なって、対象があいまいで、感情を誘発させる原因を除去できる近い将来の見通しが見極められないなど、確定的というよりも確率的な脅威に関する情報によって生み出される。不安は未だ到来しない未来に属し、今現在よりも近い将来より悪い状況になるかもしれないという漠然とした推測に基づくもので、直接の経験に基くとはいえない要素に大きく影響される。この不安感情をコントロールすることによって大衆の意識や感情に介入しようとするのは、権力者の常套手段である。たとえば、テロの脅威をめぐる政府の言説は、その典型だろう。脅威の事実がなくても人々は不安感情を構築する。他方で、原発事故による放射能汚染のリスクは、テロの脅威とは逆に、過少評価されて不安を風評被害と呼んで根拠のない感情だとして否定する。このように不安感情は権力や権威あるメディアによって大きく左右され、人々は冷静な判断を下すためのオープンな情報環境を奪われる。もともと日本語という国境で閉じられたナショナルな言語環境では、不安感情が権力の言説によって醸成されやすい。不安感情を抱いた人々は、不安感情を払拭してくれるような情報に依存するようにもなる。強いリーダーシップや集団的なアイデンティティへの過剰な依存が起きる一方で、流言蜚語に陥りやすくもなり、不安感情を社会的なマイノリティへと向けるといった感情の転移が差別と暴力を助長する。

COVID-19をめぐる今年2月以降の日本の状況は、この不安を権力が巧妙にコントロールしようとしてきたといえる。当初、感染拡大と高い死亡率、治療薬がなくワクチンもない病気であるなどから、コロナへの不安感情は、人々の言論表現の自由の根幹にかかわる集会・デモの自由や異議申し立ての権利侵害の可能性、民主主義を支える討議環境への深刻な影響について真剣に議論する時間的な余裕すらなく、あっという間にロックダウンが民主主義を標榜するヨーロッパ諸国で受け入れられてしまった。不安感情は、人々の行動抑制と外出自粛、そしてロックダウンの合意形成を支える感情となった。そして今、この同じ不安感情は経済にシフトし、COVID-19の感染を軽視する傾向が次第に顕著になってきている。

このロックダウンから経済への転換の節目は、中国の感染拡大の収束と経済再開の時期と重なる。欧米にとっての最強の競争相手、中国が経済を再開させる一方で、自国経済を封鎖状態に置くことはグローバル資本主義の主導権を中国に奪われることを意味するから、何がなんでも経済の再開が至上命題となる。完全な感染拡大の抑止はできなくとも、ロックダウン解除がすすみ、米国、ブラジル、インドのように、感染拡大していても経済を優先させる政策をとりつづけるなど、不安感情を経済不安によって相殺する動きが目立つことになる。

日本においても、COVID-19の問題は、保健医療問題から経済の問題へと焦点がシフトしてきた。経済再生担当大臣が発言権を握っているようにもみえ、医学の専門家に加えて経済の専門家が政策決定に影響を与えるようになってきた。政府はスマホを使った濃厚接触者追跡アプリの導入によって、経済を再開させつつ感染リスクを抑制する対策をとろうとしている。本来なら、網羅的検査で実現可能なことをせずに人的物的投資をケチる一方で、AIによる人々の行動監視システムを導入することでIT企業の監視ビジネスに政府の金を投資し、個人情報を収集する新たな機会を政府が獲得するという一石二鳥の作戦にうってでている。あたかもこうした高度な情報収集技術だけが感染拡大を防止できるかのような印象操作がまかり通っている。

たぶん将来の落とし所は、これまで資本主義が繰り返してきたリスクの日常化による不安の解消と人々へのリスクの転嫁である。高度成長の公害、自動車の普及に伴う交通事故死傷者の増加。原発事故に伴う放射能汚染などから、戦争に伴う犠牲まで、社会が生み出すリスクと不安にいつのまにか人々は慣れ、人々は、権力や資本がもたらした、あってはならない健康に生きる権利への侵害とは考えず、日常的な「死」としてこれを受け入れてしまう。こうなることによって、制度の矛盾は制度の破綻にならずに温存される。今年の暮には、多くの人々が「コロナ」への感染を日常の出来事のひとつとして不幸な当たり籤とみなしてやり過すことになるのではないか。毎日何百人か何千人かが感染し、そのうちの何割かが重症化するとしても、こうしたリスクは経済を維持し成長させていくという社会の利益とのバランスでいえば、許容できるリスクだという共通理解が形成されることになるのだろうと思う。

不安感情は、怒りとともに、人々が異議申し立てに立ち上がるときのひとつのきっかけになる。しかし、こうした感情によりかかって運動が組織されると、不安感情をめぐる政治の力学のなかで、不安が払拭されてしまうや、運動の基盤が切り崩されてしまう。私たちは、感情を尊重しつつも、問題をもうすこし感覚ではとらえることが難しい制度の全体に目を向けておく必要がある。資本主義にCOVID-19の危機は解決できない、という今回のテーマはそのための手掛かりを皆で考えることにもなる。

2.2 知る権利としての検査

COVID-19の感染の有無は検査で判断できる。したがって、検査し、陽性の場合は隔離することで感染の拡大を抑えることができる。これが感染症の基本的な対策であり、この対策を実現できるように市場と政府がその制度を調整できるかどうか、が問われる。これは私たち一人一人からすれば、自分の健康状態を自分が判断するうえで必要な検査や情報にアクセスする権利は、生存権として保障されなければならない、ということを意味している。言い換えれば、検査を受ける権利とは、自己の身体についての「知る権利」である。ところが、日本政府は、この自己の身体についての知る権利の行使を妨げてきたのだ。検査を基本的人権としての知る権利だという認識が確立せず、結果として検査の問題は人権の問題としては議論されないままになってもいる。

一般に「知る権利」についての議論は、政府や資本が所有する私に関する情報へのアクセスの権利であったり、民主主義的な意思決定の前提となる討議に不可欠な情報へのアクセスの権利というレベルで議論されてきた。この知る権利は、「知る」ことを通じて、私が情報を発信する主体となることが前提されている。知ることは同時に語ることでもあり、この二つの不可分の権利はコミュニケーションの権利を構成するから、私の自由に関わる権利でもある。しかし、同時に「知る」ということのなかには私について知るというより根源的な問いも含まれるべきだろう。身体的健康状態はこの私について知る権利のなかでも最も基本的なものに属するといっていい。

医療の現場でもインフォームドコンセントのように自分の病状を知る権利や、投与される薬物についての情報を知る権利は制度的な枠組があるが、今回のような感染の有無を知る権利という問題はきちんとした議論になっていない。もし健康に関する基本的な人権として、知る権利に含まれるという社会的合意があらかじめ存在していれば、検査をめぐってこれほどの混乱は起きなかっただろう。検査が権利であるという意識が人々に支配的であれば、政府と資本は義務を果すために従来とは異なる財政支出や市場へのモノの供給を展開することを強いられることになる。

3 市場は本質的に不平等な制度である

より一般的にいえば、基本的人権を市場経済はどのように保障できるのか、という問題がここでは問われることになっているという問題でもある。商品には価格が設定されるから、権利行使を市場に委ねてしまうと、価格の制約によって権利行使を妨げられる場合がでてくる。権利は金で買うものではないにもかかわらず、権利の実現を市場に委ねることを認めてしまえば、権利は貧富の差を反映してしまい、平等な権利の享受にはならなくなる。途上国では特許で保護された高額の医薬品にアクセスできない貧困層が膨大に存在するように、市場は権利よりも利益を優先する。市場は権利とは本質的に矛盾するのだ。平等な社会を目指すことは、市場の不平等とは両立しない。他方で、資本主義では、政府が平等な権利行使を保障する唯一の統治機構になるが、この場合、政府が市場の利害と対立して基本的人権に関わる権利を擁護できるかどうかは確定的ではない。政府は基本的人権の保障に不可欠な財源を資本の活動、つまり経済成長なるものに依存しているからだ。平等を実現するために不平等である以外にない市場の成長を前提にしなければならない、これが資本主義の矛盾であり、同時に資本主義の欺瞞でもある。

健康は人権の基本であり、自分が自分なりの価値観によって健康であるかどうかを判断する上で必要な手段にアクセスできなければならない。感染症の場合、健康の問題は、自分一人の問題ではなく、周囲の人々との関係と不可分の問題になる。健康の権利は、自分ひとりだけでなく、他者の権利と相反しない形で実現することが求められる。こうした健康の権利を社会は保障する責任があり、この責任を負う第一の組織が政府であり、経済を介して健康な身体の日常的な再生産を担う資本もまたこの義務を負うべき存在である。

今あらためて問うべきことは、なぜ身体への権利が資本主義では確立しないのか、いったい私の身体は誰のものなのか、なぜ私が管理できないのか、資本と国家は私の身体についてどのような経済的政治的な権力関係にあるのか、という一連の問いである。今日は、この問いへの答えを考える上で不可欠な問題でもある<労働力>としての身体の担い手である労働者について、とくに、社会が危機にあるとき、資本と国家は<労働力>をどのように扱うことによって危機を回避するのかを考えてみたい。労働市場という特異な市場を通じて<労働力>を売らなければ生存の基盤を確保できない不安定な環境に人口の大半が依存するのが資本主義です。資本主義が危機のなかで資本と国家の延命のためにいかなる犠牲を強い、逆に人々がこの犠牲に抗して抵抗する主体となるとはどのようなことなのでしょうか。

3.1 市場経済による二つの危機への対応

COVID-19に伴う「経済」の問題は、市場経済内部の経済危機と同列には論じられない資本主義に固有の問題を浮き彫りにした。この点を述べる前に、そもそも資本主義はどのようにして危機に対応してきたのか、典型的な危機への対応のメカニズムを説明したいと思う。

危機に対する市場経済のメカニズムには二つの方法がある。ひとつは、市場経済のメカニズムの内部で市場の自己調整機能によって回復を実現する方法、もうひとつは、政府(国家)の権力、とりわけ法的強制力という市場にはない力の行使を通じて市場の危機を救済する方法だ。後者は、中央銀行による金融政策と連動した公共投資のような国家財政による景気刺激や失業対策などの社会保障に至るまで多岐にわたる。一般に資本主義的危機はこの二つの組み合わせを通じて、景気の回復と経済成長(DGPがその最も象徴的な数値となる)によって、経済の規模の拡大を実現できれば危機からの脱出とみなされる。成長に伴う利潤率上昇と税収増加、失業率の低下を実現することが目指される。この目標は至上命令であり、目標に至るシナリオが複数あるとしても、資本主義的な回復=成長軌道への回復を必然的な未来とする立場が放棄されることはない。言い換えれば、危機を契機に、経済の規模を縮小させて社会の経済を安定させるという方向はとれないのだ。

COVID-19の危機に対してもまた、この二つの対応で処理しようとするシナリオに沿って資本と国家の行動の基本線が描かれてきた。しかし、これまでの危機と大きく異なるのは、<労働力>をめぐる制御不能の事態の深刻さにある。

資本主義では人口の基本的な構成は、労働市場で商品となる<労働力>を中心に編成される。典型的な景気変動(循環)を<労働力>の動向に沿って考えてみよう。好況期とは市場の商品需要が旺盛で需要が供給を上回るために、価格も上昇する。生産も流通も拡大し、労働市場でも<労働力>需要(求人)が増加し、賃金も上昇する。好況期に資本は拡大する市場を獲得しようとする競争を展開する。この時期は、労働者の要求が通りやすい時期でもあり、労働争議も労働者に有利になりうる客観的な状況にある。好況から景気が下降へと転じる場合(その理由は様々あり、今ここでは立ち入らない)、需要が減少し、価格も低下して市場が収縮し、利潤率が低下し、時には資金繰りも困難になる。この時期は生き残りをかけた競争になる。不況で商品が売れないので、市場を確保するには、価格引下げ競争で生き残ろうとする。資金力のある資本はコスト削減が可能な機械化による生産性の向上の合理化投資が進み、労働者の解雇が広がる。一方で、より効率的な生産と流通の技術を導入することによる合理化投資、他方で、リスクとコストの原因になる<労働力>を排除する。市場の競争を通じて生産性の低い資本が淘汰される。失業と貧困の圧力のなかで、資本は、資本への自発的従属を受け入れる<労働力>を調達する。労働者の資本へのイデオロギー統合の重要な時期になる。景気循環は、資本が<労働力>需給を調整しつつ労働者による資本への抵抗を抑圧して資本に再度統合する一連のプロセスでもある。

この景気循環のモデルは、好況から不況へ、この転換期に深刻な経済的な危機=恐慌を伴い、社会的政治的な不安定が表面化する可能性を含んでいる。そのために政府の政治的な権力、労働運動や政治活動の弾圧と温情主義的な福祉や社会保障などの財政的な力が労働者を国民的な<労働力>へと統合するナショナリズムの力が強まることにもなる。こうして政府は、この危機から好況期への転換を補完することになる。

この不況から好況への上昇転換のなかで、失業人口が再度吸収されることになるが、資本主義的な技術革新は、<労働力>あたりの生産性を高めることになるので、同じ数の<労働力>が前の好況期よりもより多くを生産することになり、より大きな規模の市場を必要とする。これが資本主義が景気循環を繰り返しながら、常に経済を拡大せざるをえない理由である。

この資本主義的な景気循環の過程は、将来の見通しのなかに<労働力>のコントロールという条件が必須のものとして組み込まれている。つまり、労働市場への<労働力>の吸収によって生産と流通を拡大させ資本の利潤を確保しつつ、<労働力>の排出=失業率の上昇のなかで、生産性の高い技術革新と<労働力>の資本のもとへの従属を実現しようとする。資本と政府の思惑は、労働者の生存にとって資本と国家が不可欠な役割を担い、失業を解消して好景気を実現する主役としての地位に資本と政府を据えて、これらへの依存を生み出し、資本と政府からの経済の自立という選択肢を排除する。階級構造は確固として存在するにもかかわらず、<労働力>はこの階級に沿った意識ではなく、国民意識によって再編成される。

COVID-19がもたらした急激な景気後退は、不況期の需要の縮小と現象面では類似した結果をもたらした。需要の縮小は、感染症拡大を防止するために人と人との接触や移動が強制的に制限された結果として、市場の購買に繋る回路を断たれ、潜在的な需要が顕在化できなくなった感染拡大とロックダウンがグローバルなサプライチェーンを寸断し、需給の著しい不均衡が突然生み出された。市場が本来果すはずと期待された需給調整のメカニズムも作用できないままになった。資本の生き残りをかけた競争は、労働者の解雇と合理化(今回は、ICTテクノロジーの導入が顕著となる)を促した。その結果として、生き残りをかけた資本間の競争がグローバルにもローカルにも展開されることになる。

しかし、通常の景気後退とは異って、こうした市場内部の調整によって回復への見通しを見出すことができない。消費生活に大きな比重を占める都市空間の大衆的な消費スタイルが感染のリスクに晒された結果として、回復の道を見出せなくなった。国境を越える移動もまた、リスクを回避するために制限され続けている。他方で、COVID-19の感染を抑制し、ワクチンや治療薬の普及による根本的な予防と治療への見通しがたたない。合理化投資と劣位の資本の淘汰による不況からの脱出という経済成長のための唯一のシナリオだけでは、これらに対処することができない。

3.2 COVID-19による危機に内在する資本主義に共通する制度の限界

根本的な対策のない感染症の問題は、感染症の問題として表出した資本主義における<労働力>制御の不可能性に関わる問題として捉えることが必要だ。

資本主義における<労働力>の制御という構造的なメカニズムの観点からするとCOVID-19も労働者の組織的な抵抗も、ともに、資本の意図に沿うように<労働力>を調整できないという点では同じなのだ。資本にとっては、<労働力>を思い通りに制御できない環境が、労働市場で資本のニーズに応じた<労働力>の調達が困難、あるいは不可能な事態として現象する。これが、純粋に、<労働力>の供給不足からくる賃金高騰の場合もあれば、労使間の闘争の社会的拡大による資本の支配を受け入れない労働者の増加として現象する場合もあれば、今回のように、感染症パンデミックに伴う資本の活動の停止として現象する場合もある。これらはいずれも、資本にとっては<労働力>がもたらす解決困難な事態になる。資本にとっては、「もし、労働者ではなくて機械を充当していたらこんな困難には直面しなかったハズだ」という仮定が常に頭をよぎり、危機を回避するときの次善の選択肢は<労働力>の機械への置き換えとなる。社会のなかで<労働力>になる人間を一人増やすには、20年かかる。しかし、機械であれば、需要に応じた生産の増加に20年もかからないし、資本家に抵抗したり権利を主張することもなく、なによりも感染症に罹患することもない。機械は資本にとって常に<労働力>よりリスクが小さく、しかも効率的なのだ。

<労働力>をめぐる矛盾は、既存の資本蓄積様式(生産や流通の物的設備、資金、人的組織の構成)をそのままにしては解決できない。<労働力>が資本に対して絶対的に不足する場合、省力化技術は、20年かかる<労働力>の追加調達を可能にする方法となる。<労働力>の追加調達の方法は、移民や資本の国外への移転などでも実現可能だが、労使間の闘争や感染症パンデミックのような事態は、市場経済の自己調整機能に委ねることでは実現できない。

労働者の闘争と感染症パンデミックはともに、資本の<労働力>支配の限界を示しているとしても、労働者の意思という観点からみるとこの二つの状況は全く異なるのではないか。この違いは、労働者の闘争は、資本を明確に搾取する者として闘う相手とみなすのに対して、感染症は、資本に原因があるのではなく、ウイルスに原因があり、資本家であれ保守的な政治家であれ、イデオロギーや立場の違いを越えて共通に克服しなければならない人間の健康の危機として立ち現れる。医学が対象とする「病い」は、生理学的にみれば、純粋に生物としての身体機能の不具合とみなされがちだ。この観点からすると、「病い」は、罹患した「個人」が抱えた個人的な問題であって、個人的に解決されるべきものということになる。しかし、感染をもたらした社会環境を視野に入れれば、問題は「個人」に還元できないことは明かだ。「病い」に直面した個人がどのような状況に置かれるのかをみると、資本にとって、<労働力>としての人間がどのようなものとして扱われているのかがよくわかる。

感染症の疑いのある労働者や、その可能性のある労働者を資本は<労働力>としては価値のないものとして、切り捨てることが可能だ。<労働力>を排除することによって資本は自らの感染被害を回避するとともに、コストを切り下げて資本としての延命を図る。その一方で、資本は縮小する市場のなかでの生き残りを賭けた競争で優位にたとうとする。縮小した市場を復活させようとする資本のインセンティブは、感染症の拡大を危惧してロックダウンする政策を批判し、経済がもたない、失業者が増えれば感染症ではなく貧困によって命が奪われるという新自由主義者たちの声なき声を形成し、これがロックダウン反対のキャンペーンの展開となる場合が米国やブラジルでは露骨に表れ、イギリスや日本ではより巧妙に同じ路線が敷かれるようになる。(補足2)

感染症は資本主義の制度的な矛盾とは無関係な自然現象としてのウィルスの蔓延によるものだという言説は間違いだ。この言説が隠蔽しているのは、感染症を予防し、阻止して治療へと結び付けるために利用できる社会的な資源を、時には国境を越えて相互に融通しあう仕組みを資本主義の市場も政府も実現できず、むしろ資本と国家の制度を防衛することを優先させて、人々の生存をそのための犠牲にするという構図である。市場は資本の利潤を最大化する動機によって動くのであって、人々の生存のために利益を犠牲にすることがその使命なわけではない。国家は、権力の自己目的化に人々の生存を従属させることは、戦争への動員から死刑制度まで、国家の本質となっている。こうした資本と国家の本質を踏まえることが大切である。彼らが何を言うかではなくて、彼らがやれるはずのことを彼らの経済的政治的な利益のために回避する可能性があることを見逃さないことが大切だ。社会的な危機に対する人とモノの最適な再配置を資本主義の制度的前提によって阻害されているということを理解する必要がある。

職場、移動、買い物、娯楽、そして様々な社会活動、これらが一体となって人々の日常がある。この日常のなかで人の身体が<労働力>の消費と再生産という経済の構造に組み込まれるとともに、政治的主体として統治機構の構造を構成する。感染症であれその他の病いであれ、罹患、治療、治癒の過程は保健医療サービスの仕組みに依存する。感染の拡大は、個人の問題ではなく社会の構造のなかで行動する社会的個人の問題であり、社会の責任という観点が必要になる。これを個人の私的な行動に還元して、行動の履歴を追跡し、私的な人間関係を把握する方法の背景には、当該個人の私的な行動が、社会に対して害として表われるとみなす感染者への否定的な眼差しがひそんでいる。感染者から「社会」(実は資本と国家だが)を防衛するという意図には感染そのものと感染者という人間とを明確に区別しうるような理解の枠組を構築しようとする人権の基本的な観点を欠いている。政府や資本は、自らの利益のためになすべきことを放置し、彼らが負うべき責任を個人の生存のリスクや個人の私的な行動に負わせ、結果として感染した個人を社会のリスクとして事実上排除するか、感染していな者たちを<労働力>として動員しつつ、感染のリスクに人々を晒すことへの責任を負わないというのは、どちらに転んでも、資本と国家の自己防衛でしかないのです。

4 おわりに:オルタナティブの回路を閉ざさないために

緊急事態宣言の解除から経済再開への転換は、資本がもはや運動の停止に耐えられなくなった証拠でもある。人々のリクスへの不安と経済的な困窮による不安がここでは両天秤にかけられている。感染リスクに対して経済的困窮のリスクが相対的に高まることによって、人々のリスクと安全の主観的な閾値がリスクを許容する方向に移動しはじめているが、これを誘導したのが資本と政府の「経済」という脅し文句だ。感染リスクを最小化するために必要な自主的な隔離に伴う経済的な損失を補うに十分な経済的な保障をせず、自営業者や中小零細企業を盾にして経済再開の圧力をかけてきた資本と、この資本と運命共同体でもある政権とは、隔離政策がめざしたパンデミックの完全な収束あるいは「アンダーコントロール」状態の失敗から「with コロナ」へと方針を転換して、人々にコロナのリスクを受けいれさせうるような感情へと誘導しつつある。

経済的な危機は労働者の貧困と生存の危機をもたらすから、労働者は生存に必要な所得を獲得せざるをえず、資本のいいなりになる選択をさせることで資本の労働者への支配を強化するわけだが、労働者が資本への依存を拒否して別の生存手段を獲得できてしまった場合、この資本による制御は有効性を削がれる。労働者が団結して資本と対峙したり、失業と貧困による生存の危機に対して、資本に依存しない自立を可能にするオルタナティブな経済基盤を準備することによって、この資本の目論見を挫くことが可能になる。この民衆の自立に対して、政府もまた資本を支える方向で、民衆の自立を阻止します。政府は財政支出を通じて、失業や貧困への補償を約束したり、公共投資によって雇用の削減を抑制し、景気を刺激するといった政策をとることによって、オルタナティブへの回路を塞ごうとする。政府は労働者を資本の支配の下に再度統合するための政治的な役割を担う。人口の大半は、こうして労働市場で<労働力>を供給するシステムに縛られ続けることになる。この資本と国家の利益を、国民国家の体制は「国民」が全体として一致協力して、感染防止の生活規範に従うことを正当化し、この全体への同調だけが唯一のパンデミック対策であると主張します。民衆の「夢」を実現性のない妄想の類として否定するわけですが、こうした全体を一体のものとするシステムの傾向は現代における全体主義といっても差し支えないものだ。

わたしたちは、こうした全体への同調の背後に、資本主義を支える市場と国家の限界と民衆への犠牲の転嫁のメカニズムがあることを理解することが必要だ。


(補足2)ロックダウンや緊急事態では、医療崩壊を防ぐために、人々の接触を最小化することが必要だという理屈で外出自粛や禁止措置がとられた。これは資本ではなく国家の利害である。保健・医療が公的制度によって維持されていることから、政府の利害はこの制度の維持のために、人々を自主隔離して親密な人間関係のなかでの感染を正当化した。この段階では、あたかも保健医療のインフラは定数であり与件であって、一切の政府の資源の再配分はしないという態度が露骨だ。コロナ以前の既定の路線は、保健医療体制の市場経済への統合と公的財政支出の削減にあり、この既定の路線が根本から見直されることはない。

(補足)この規模の拡大は、これまでの資本主義の200年の歴史のなかでは、常に、国外の旧植民地など非西欧世界の統合として実現してきた。この傾向は1980年代以降、内包的拡大と呼べるような新たな市場拡大を伴うようになる。これがいわゆる新自由主義である。これまで政府の非市場経済部門とされてきた領域、人口の福祉・社会保障・教育や電気、水道、通信、公共交通といった生活基盤といった生存権や人権に密接に関わる領域が市場経済に開放されるようになる。資本の側からするとこうした人口の人権・生存権分野が新たな利潤創出の市場に統合されることによって市場の拡大が実現することになった。これに加えて、社会主義ブロックの解体はグローバルな資本主義の地理的な前提条件を可能にし、これが新たなフロンティアとなると同時に、中国やロシアがこれまでにない資本主義の手強い競争相手として登場することになる。

Date: 2020/7/7

Author: 小倉利丸

Created: 2020-07-02 木 15:16

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ATTAC首都圏連続講座(小倉)第2回のおしらせ(音源アップ、7月7日オンライン)

テレワークやオンラインのイベントが花盛りですが、下記の講座はちょっと趣向が違っています。基本はかなりレトロなネットの仕組みを基本にしています。

あらかじめ講座での話はネットに音源としてアップして誰でも聞けるようにしてあります。資料も必要であればメールで送付します。オンラインのライブは、この講座の話をふまえた質疑や議論だけに絞って実施します。ただし、Zoomとかオンランの会議のほとんどが「顔出し」ですが、この講座では原則カメラは「オフ」です。一般に会議の主目的は、参加者の顔をまじまじと眺めることではないので、ほとんどの会議では「顔」は不要なはずなのに、なぜか映像を使う会議が主流になるのは、なぜなのか、これ自体が興味深いテーマではあります。表情がわからないとニュアンスが伝わりにくいことは事実なので、発言する時だけカメラを「オン」にしてもよいことにします。

また、カメラもマイクもないパソコンユーザーでもチャットで参加できるようにします。 これは、NHKのラジオ講座とか通信講座がやってきたことをネットの仕組みに移しただけですが、同時に、何でも映像優先の時代に、むしろラジオ的な声の力を再評価してみたいと思うのです。気になったらご参加ください。とはいえ、使うオンライン会議の仕組みはjitxi-meetですから、オンラインが不具合でうまくいかないこともあるかもしれません。最善を尽す予定です。小倉

無料ユーザには端末間暗号化を使わせない。捜査機関との協力を明言したZoom

(2020/6/17追記が最後にあります)

米国の暗号研究者、ブルース・シュナイアーのブログから。シュナイアーは私が信頼する研究者の一人。飜訳も2000年代はじめから何冊もあります。

彼はZoomのプライバシーとセクキュリティのずさんさを批判してきたが、同時に必至になって対処するZoomの動向についてもある意味で好意的な面もあり、冷静に技術としてのZoomが人々のセキュリティ(国家のセキュリティとは真逆だと思う)とプライバシーとの関連で評価してきたと思います。私のように暗号技術の素人は、リスクがあれば使わないという選択肢をとることで自衛するわけですが、彼は専門家だから単純な選択はできないでしょう。

Zoomは有料でなければ端末間暗号化を使えず、警察への協力もする。米国での話ですが、もちろん日本のZoomも右へならえでしょう。しかし、今日の東京新聞でも市民運動の「テレワーク」というと当然のようにZoomが登場。共謀罪や盗聴法があり、警察への任意捜査が横行しているなかで端末間暗号化がなされないオンライン会議など使うべきではないと思います。下記のブログにあるように海外の反応ははっきりしています。警察に協力するようなコミュニケーション企業とは縁を切る、ということです。Black Lives Matterは実社会だけでなく、オンラインを監視する警察の場合でも同じことがありえるのです。日本も同様です。

とりわけシュナイアーも皆心配しているのはターゲットになるのは、政府に抗議している活動家やジャーナリスト。捜査機関も政府も多くの人たちが端末間暗号化を使うようになることを危惧しているとすれば、私たちはむしろこうしたツールをきちんと選択して使う必要があります。

AmazonといいZoomといい、警察や政府への協力がこれほどまでに横行しているなかで、私たちはコミュニケーションのツールをどう選択するのかを真剣に議論すべきで、便利が選択肢に入れてはいけないと思います。不便こそが知恵を生み出すもとだと思います。小倉利丸

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Zoomのユーザーセキュリティは、有料か無料かで異なる
ブルース・シュナイアー
https://www.schneier.com/crypto-gram/archives/2020/0615.html#cg15

[2020.06.04]

ズームは非常に順調に対処してきていたが、今はこうなっている。

「企業のクライアントは、現在開発中のZoomの端末間暗号化サービスにアクセスできるようになり、これは第三者の通信解読を不可能にするが、無料ユーザーはこのレベルのプライバシーを享受できない。

ユアン氏(ZoomのCEO)は、電話で、『確かに、無料のユーザーにはこのサービスを提供しようとは思っていません。私たちは、一部の人々がZoomを悪用する場合に備えて、FBIや法執行機関と協力したいと考えています』と述べた。」(注)
(注)
https://www.bloomberg.com/news/articles/2020-06-02/zoom-transforms-hype-into-huge-jump-in-sales-customers

これはばかげている。テロリスト/ドラッグキングピン/マネーロンダラーの隠れ家のシーンを想像してみてほしい。「すいません、ボス。悪巧みをFBIから保護するための強力な暗号化を利用できたかもしれないんです。(Zoomの有料化に必要な)20ドル(注)の余裕がありません。」このZoomの決
定は、抗議の活動家と反体制派、人権活動家とジャーナリストにのみ影響を及ぼす。

(注)https://zoom.us/pricing 日本の場合は月2000円から。

ダメージコントロールの活動をしているアドバイザーのアレックス・スタモスAlex Stamosは次のように言う。

「ニコ(Nico Grant、Bloombergのテクノロジー記者)、無料通話は暗号化されないと言っているのは間違っています。これは、さまざまの危害の間のバランスを取る行為が本当に難しいことがわかっている。詳細はこちら:

Zoomの現在の端末間暗号化計画に関するいくつかの事実は、エンタープライズ会議製品の製品要件といくつかの適法な安全性の問題によって複雑化している。端末間暗号化の設計はここから入手できる:
https://github.com/zoom/zoom-e2e-whitepaper/blob/master/zoom_e2e.pdf

私はこのZoomのドキュメントを読んだが、端末間暗号化が有料の顧客にのみ利用可能な理由は説明されていない。また、スタモスは「暗号化された」と言ったのであって「端末間で暗号化されている」とは言っていないことに注意すべきだ。彼はこの違いを知っているはずだ。

とにかく、人々は彼の発言に腹を立てている。(注1)そして昨日、ユアンは事情を明確にしようとした。(注2)

(注1)https://twitter.com/JagAttorney/status/1268051005087744000?ref_src=twsrc%5Etfw
Zoomが警察と協力するために端末間暗号化を制限していることへの批判をめぐるツィッターの投稿。Joel Alan Gaffneyは、自身の法律事務所のzoomのアカウントを削除した。

(注2)https://www.bloomberg.com/news/articles/2020-06-03/zoom-s-pledge-to-work-with-law-enforcement-spurs-online-blowback

「ユアンは水曜日の週1回のウェビナーでユーザーの懸念を和らげようと努め、同社は虐待がZoomのプラットフォームを通じて時々放映される子供やヘイト犯罪の被害者など脆弱なグループのために『正しいことをする』よう努めていると述べた。

『私たちは、身元を確認できるユーザーに端末間暗号化を提供し、これにより脆弱なグループへの被害を制限するつもりだ』として次のようにユアンは語った。

「Zoomは会議のコンテンツを監視しないことを明確にしたい。Zoomの従業員や法執行機関などの参加者が他の人に知られることなく会議に参加できるようなバックドアはありません。これについては変更はされません。」

特に、彼が無料のプラットフォームのユーザーに端末間暗号化を提供するとは言わなかったことに注意すべきだ。端末間暗号化を利用できるのは「私たちが身元を確認できるユーザー」だけであり、これはZoomにクレジットカード番号を提供するユーザーを意味すると思われる。

ZoomのTwitterフィードも同様に以下のよにいやいやながら言い逃れをした。(注)

(注)
https://twitter.com/zoom_us/status/1268300307810770945?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Etweet

「今日のTwitterでは、暗号化に関していくつかの誤解が見られます。事実を示したい。
Zoomは、子どもの性的虐待などの状況を除き、法執行機関に情報を提供しません。
Zoomは、会議のコンテンツを事前に監視しません。
Zoomには、Zoomや他の人が参加者に見えなくても会議に参加できるバックドアはありません。
Zoomのすべてのユーザーに対して、AES 256 GCM暗号化が有効になっています(無料、有料)。」

これらの事実は、「誤解」とは何の関係もない。「誤解」に関係するのは端末間暗号化に関するものであり、Zoomの表明では、その最後の文からわかるように、非常に明確に端末間暗号化は除外されている。(訳注)企業コミュニケーションは明確で一貫している。

(訳注)AES 256とは、共通鍵暗号アルゴリズム。GCMはブロック暗号の暗号利用モードの一つであり、認証付き暗号の一つ。(Wikipediaより) シュナイアーによるZoomのセキュリティとプライバシーについてのブログ記事も参照。
Security and Privacy Implications of Zoom
https://www.schneier.com/blog/archives/2020/04/security_and_pr_1.html

さあ、ズーム。Zoomはとてもうまく問題に対処してきた。(注)もちろん、有料の顧客にはプレミアム機能を提供する必要があるが、それらのプレミアム機能にセキュリティとプライバシーを含めるべきではない。こうした機能は誰でも利用できるようにすべきだ。

(注)Securing Internet Videoconferencing Apps: Zoom and Others https://www.schneier.com/blog/archives/2020/04/secure_internet.html

そして、これは現在の状況のなかでは、抗議者に対して警察に味方にする一種の愚かなことだ。

私は、CEOにメールした。返信があれば報告する。しかし今のところ、無料バージョンのZoomは端末間暗号化をサポートしないと想定することになる。

追記(6/4):別の記事はここ(注)。
(注) LILY HAY NEWMAN Zoom’s End-to-End Encryption Will Be for
Paying Customers Only
https://www.wired.com/story/zoom-end-to-end-encryption-paid-accounts/

これは技術的にも政治的にも複雑な問題だということを理解している。(ただし、Jitsi(注1)はこれを行っている。)そして、多くの人々が端末間暗号化とリンクの暗号化を混同している。(注2) (私の読者はそれよりも洗練されている傾向があるが。)「端末間暗号化は、検証できる有料の顧客にのみ提供されるというが、「悪い目的」の人々が有料アカウントを使うだろうという証拠は多くあり、暗号化自体が広く利用可能である場合には危険があるというふうに、危険についての議論が展開していくことを危惧している。そして、私は、子どもの搾取の可能性が多数の安全を否定する正当な理由になるという考えには同意しない。

(注1) https://jitsi.org/blog/e2ee/
Jitsi-meetの端末間暗号化。訳注:現在はChromeのユーザーにのみ対応。もちろん無料。Jitsは厳密な意味での端末間暗号化にはならず、Jitsiを設置しているサーバーで一度復号され再度暗号化されて配信される。だから、セキュリティに万全を期すには、素性のはっきりした信頼できるサーバーを使うか、自分でJitsiのサーバーを立てることが必要になる。自分でサーバー立てる場合でも月1000円程度の個人ユースのレンタルサーバーでも設置可能。Linuxサーバーの初歩的な知識は必要。

(注2) https://twitter.com/TaylorOgan/status/1268276860380680194

この問題について、マシュー・グリーンのTwitterからの抜粋(注):

端末間暗号化が多くの人々の手にわたるには「危険」すぎるという前例がつくられてしまうと、この魔神がボトルから出てしまう。また、アメリカの企業がプライベートなコミュニケーションは政治的にリスクが高いため導入できないということを認めると、これを元に戻すのは困難になる。

(注)https://twitter.com/matthew_d_green/status/1268133304605323266

Signal(注)から:

誰もが無料で使用できる、端末間暗号化のグループビデオ通話機能の開発に協力してみませんか?私たちのキャリアページを拡大している。

(注)https://signal.org/workworkwork/
Signalは端末間暗号化を提供しているチャットアプリ。グループでのチャットはできるが、ビデオは一対一のみ。現在グループでのビデオ通話を開発中で協力者を募っている。

追記

署名運動があります。下記です。どうしてもZoomを使わざるをえないなら端末間暗号化は不可欠なので署名をぜひ。

Tell Zoom to protect all users from police surveillance, hackers, and cyber-criminals
https://actionnetwork.org/petitions/tell-zoom-to-keep-people-safe/?link_id=2&can_id=68ec6ad0f302009b8a3cb08967aa6ae6&source=email-zoom-wants-to-share-calls-with-police-4&email_referrer=email_830545&email_subject=zoom-wants-to-share-calls-with-police

Zoomが天安門関連集会を中国政府の要求で閉鎖

以下、いくつかのメーリングリストに投稿した文章を転載します。

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日本のメディアでどのくらい報道されているかわかりませんが、6月11日にZoomは以下にあるような声明を出しました。5月から6月にかけて開催された4つの天安門事件関連のZoom会議に対して、中国政府が開催の中止と主催者のアカウントの削除を要求し、これにZoomが応じたという問題についての声明です。私はこの声明に納得できません。

Zoomは、今後、各国の政府が集会を中止するよな要求を出した場合に、その国から参加することができないように設計変更することを約束しています。これはIPアドレスの国別割り当てなどで制御するのであれば比較的容易と思います。このIPアドレスの割り当てによる規制を回避するとすれば、たとえばTorブラウザなどを利用することになりますが、Torが利用しているIPも全て使用できないようにする、更にはVPNも使わせないといった処置に進展しかねないと思います。

国内法に即して参加の可否を判断するという措置をZoomは、各国の国内法を遵守するものであるとし、違法ではない国の参加者の参加を妨げるものではないということから、正当化しようとしています。しかし、今回の場合、中国本土、香港、そして各国の参加者が国境を越えて議論できる場になることが重要なのであって、中国本土から参加できないのであれば、他の国の参加者の参加の自由があっても、これを集会の自由とは言わないでしょう。ちなみに。私は今回の4つのZoom会議がどのような傾向をもって天安門の事件に取り組んでいるグループが主催しているのかは全く把握できていません。反中国親トランプの勢力かもしれないわけですが、このことは事柄の本質とは関係ないと思っています。米中の大国のいずれにも異議を申し立てる運動がこうした国境を越えた連帯が作れていないのなら、それは私たちの反省材料でしかないからです。

今後、中国に限らず、日本であれどこであれ、国内法に違反すると政府や警察など行政権力がZoomに申し立てした場合、Zoomはこれを受け入れるということです。会議を中止されたりアカウントを廃止された場合の異議申し立ての手続きについては以下の声明でも一切言及されていません。これまでも捜査当局の任意の捜査に協力することを当然としてきた日本のIT業界のありかたや、共謀罪のある日本では、Zoom日本法人がいったいどのような措置をとるのか、楽観できないと思います。

しかも、Zoomは、将来の訴訟に備えて、政府側の言い分に従って、会議を中止したり、アカウントを剥奪することが妥当であることを証明するために、会議参加者のアカウントやプロファイル、会議のコンテンツなど「証拠」になるものを収集する可能性もありえます。

Zoomがこうした対応をとらざるをえなくなったのは、会議室の内容や主催者のアカウントを管理しているからです。会議室の内容、参加者について一切の情報を取得しないか、暗号化されていて内容を把握できない環境をインフラを提供する側が構築していた場合、こうした権力の介入に対してはより強い立場をとることができます。この意味でJitsi-meetのような主催者も参加者も管理しないで暗号化する会議室のシステムは人権を守る上で重要になります。

Zoomのもうひとつの弱点は、Zoomが中国を無視できないグローバルビジネスモデルを基盤にしているからです。そしてAPは、Zoomの本社は米国だが研究開発の拠点は中国にあると報じている。
https://apnews.com/2ba80f30ecaf5aa37852164c3d149514

こうした言論弾圧が起きるたびに、日本の右翼や右派メディアは欣喜雀躍してレイシスト的な中国叩きをします。しかし、問題の本質は、どこの国であれ、国境を越えたオンライン会議が自国の国益に反することはないのか、誰が参加しているのかを監視しようとする動機を十分にもっており、対処の手段を権威主義的な手法をとるのか、より巧妙な民主主義や法の支配の仮面をかぶって実行するかの違いがあるにすぎません。

天安門事件については、中国の軍が関与した弁解の余地のない虐殺行為であって中国政府を擁護できる余地は一切ないと考えています。歴史上、ドイツもイタリアもファシズムの主張は「社会主義」を巧妙に転用してきた経緯があり、日本の戦前の植民地支配の正当化もまた欧米帝国主義からアジアを解放するという欺瞞に転向マルクス主義者が加担した歴史をもっています。私は左翼のはしくれですから、さまざまな反共主義者や右翼がこうした事件をひきあいに出してコミュニズムや反資本主義の考え方を否定しようとするスタンスとも一切の共通した理解をもっていません。だからこそ、左翼にとって自由と文化の問題は最大の課題だと思っています。経済的平等については多くの議論の蓄積がありますが、自由という課題はまだ十分な議論ができているとは思えません。ネットのコミュニケーションの権利と自由もまた同様に議論半ばと思います。

オンライン会議でZoomを使わざるをえない事情がありうることを理解はしますが、この会社が人々の言論表現の自由よりも当局の判断を優先させる会社だということを理解した上で、参加している国外に人たちのリスクも考慮して使うべきでしょう。しかし、可能であれば、Zoomのようなビジネスモデルに頼らない環境を作りたいと思います。

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6月11日Zoomの声明(前書きを除いた全文)

Improving Our Policies as We Continue to Enable Global Collaboration


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主な事実
5月から6月上旬にかけて、会議の詳細を含めてソーシャルメディアで公開された4つの6月4日を記念するZoomの集会について、中国政府から通知うを受けた。中国政府はこの活動が中国では違法であることを通知し、Zoom に会議とホストアカウントの停止を要求してきた。

われわれは、中国政府にユーザー情報や会議コンテンツを提供することはしていない。誰かがひそかに会議に参加できるようなバックドアもない。

中国当局は我々が会議中止の行動を起こすように要求した会議の1つについては、中国本土からの参加者がいなかったため、会議を邪魔するようなことはしない選択をした。

4つの会議のうち2つについては、米国に本拠を置くZoomチームが会議の進行中に会議のメタデータ(IPアドレスなど)を確認し、中国本土のかなりの数の参加者がいることをを確認した。

4番目の会議では、中国政府は6月4日の記念イベントを参照する会議へのソーシャルメディアの招待を示し、会議を中止するよう要求した。中国当局はまた、このアカウントに基づく以前の会議が違法であると見なしていることを私たちに通知した。米国を拠点とするZoomチームは、この以前の会議に中国本土からの参加者が出席していることを確認した。

現在、Zoomには、特定の参加者を会議から削除したり、特定の国の参加者を会議に参加させたりする機能はない。そのため、4つの会議のうち3つを中止し、3つの会議に関連するホストアカウントを一時停止または廃止することを決定した。

我々が期待に沿えなかった理由

我々は、現地の法律を遵守するのに必要な行動をとるよう努めている。我々の対応は、中国本土以外のユーザーに影響を与えてはならない。我々は2つの間違いをした:

我々は、香港特別行政区にあるアカウントをひとつ、米国にあるホストアカウント二つを一時停止または廃止にした。我々はこれら3つのホストアカウントを復活させた。

国ごとに参加者をブロックするのではなく、会議を閉鎖した。現在、国ごとに参加者をブロックする機能はない。この必要性は予想できたといえる。大きな反響があったかもしれないが、会議を継続させることもできた。

我々が取っている行動

今後、Zoomは中国政府からの要求が中国本土以外の人に影響を与えないようにする。

Zoomは、地理に基づいて参加者レベルで削除またはブロックできるようにする技術を今後数日間で開発する。これにより、我々のプラットフォームでの活動が国内で違法であると判断した場合に、地域の当局の要求に応じることができる。ただし、その活動が許されている国の参加者の議論を保護することも可能にする。

我々は、要求の種類に応じて、当社のグローバルポリシーを改善する。2020年6月30日までに公開される透明性レポートの一部として、このポリシーの概要を説明する。

ビジネス、教育、ヘルスケア、およびその他の専門的な取り組みのために人々をつなぐことに加えて、このグローバルなパンデミックにあって、Zoomは世界中の人々がつながるために選択されるプラットフォームになった。Zoomは、我々がグローバルに果たしている役割を誇りに思っており、コミュニティが集まり、組織し、共同作業し、祝うためにアイデアと会話をオープンに交換することを完全にサポートする。

「表現の不自由展・その後」を理由とした大村知事へのリコール運動反対!6.13街頭宣伝in栄

昨年の表現の不自由展への検閲問題はまだ解決からほど遠い。名古屋では、表現の不自由展・その後の企画を認め、いったん中止されたあと再開を決定した大村知事に対して右翼側からのリコール運動なるものが始まっている。これに対して、あいちトリエンナーレの会期中連日美術館前でスタンディングの抗議を担ってきた愛知の人たちが、この理不尽なリコールへの抗議のアクションをはじめている。
ミネアポリスで起きたジョージ・フロイドさん殺害をきっかけに、警察の暴力の歴史的な背景をなす植民地主義への批判的な関心が非常に高まっている。そうしたなかで、日本の右翼は、日本の植民地支配を正当化するだけでなく、露骨なレイシズムの主張を繰り返している。このリコール運動も、リコールの主張とともに、市民にレイシズムを拡散する手段としてこの運動を利用しようとしており、民主主義の制度を逆手にとって基本的人権を扼殺しようとするものだと言わざるをえない。
以下、「表現の不自由展・その後」をつなげる愛知の会からの呼びかけを転載します。
★★「表現の不自由展・その後」を理由とした大村知事へのリコール運動反対!6.13街頭宣伝in栄(6月13日(土)午前11時~12時@栄三越久屋大通り角) ★★
・「表現の不自由展・その後」を理由とした大村知事へのリコール運動反対!
・河村たかし名古屋市長はあいトリ2019分担金を支払え!
・私たちは歴史改ざん主義に反対します!
呼びかけ文
 6月2日高須克弥氏らは「表現の不自由展・その後」の開催と再開をおもな理由とした大村知事へのリコール運動を開始すると記者会見しました。私たちはこの大村知事へのリコール運動が、実際は「表現の自由」と「歴史の事実」に対する攻撃であると考えます。
 記者会見で高須克弥氏は「批判は自由」と言いつつ「表現の不自由展・その後」で展示された作品の存在そのものを「許せない」と批判しています。そして「公金を使っての展示が許せない」と主張しています。公金を使って展示することこそ、「表現の自由」を行政が遵守することになることを高須氏は否定しているのです。「表現の自由」の否定に他なりません。
 また、このリコール運動は河村たかし名古屋市長と密接に連携しながら進められています。高須克弥氏は以前、第二次世界大戦におけるユダヤ人大虐殺(いわゆるホロコースト)を否定し、未だ訂正も謝罪もしていません。河村たかし名古屋市長は南京大虐殺否定発言、旧日本軍性奴隷制度問題否定発言を行い、未だ訂正も謝罪もしていません。
 両者に共通しているのは歴史改ざん主義であり、この歴史改ざん主義がこの愛知の地で今、メディアの注目を浴びつつ大村知事へのリコール運動を契機に大々的に展開されようとしています。それはまさに昨年「表現の不自由展・その後」へ向けられた脅迫と圧力の本質だったと思います。あのような悲惨で恐ろしいことを再び許しては絶対にいけません。
 ぜひ 6.13街頭宣伝in栄にご参加ください。ともに声を挙げつながっていきましょう!
日時:6月13日(土)11時~12時
場所:栄三越久屋大通り角
主催:「表現の不自由展・その後」をつなげる愛知の会
連絡先:TEL080-2041-3968(専用) Email resumetheexhibition@gmail.com

集団免疫とロックダウン解除!?―愛国主義の犠牲にはならない!!

新型コロナウィルスのパンデミック化は、ナショナリズムの本質がいったいどのようなものなのかを示している。

日本政府は人々を犠牲にして「国難」を乗り切る集団免疫路線をとっていると思わざるをえない

日本の検査数の少なさをどう判断するか―低コスト高リスクの集団免疫路線としか思えない。文字通りの野放しではなく、調整しつつ感染を拡大させるという綱渡りをしようとしているのではないか。この2週間ほどは引き締めへと向っているようにみえる一方で、政府は網羅的な検査へと転換しようとはしていないことの意味を見過すことはできない。

なぜ検査しないのか?自分の身体がどのような状態にあるのかを知りたい(これは私たちの権利である)というときに、知るために必要な検査を拒否する権限がなぜ保健所にあるのか。日本政府がとっている対応は、口では感染拡大防止を強調して、そのための外出自粛をなかば道徳的に脅かしながら、実際の対応は、感染拡大を事実上容認しているとしか思えない。その理由は

  • 最も感染リスクの高い医療関係者(医師、看護師、技師やヘルパーの労働者だけでなく事務職員も含む)への検査が実施されていない。
  • 福祉関連の施設の関係者への検査が実施されていない。
  • 学校など教育機関の関係者への検査が実施されていない。
  • 基礎疾患をもつ人たちへの検査が実施されていない。
  • 社会的なインフラや物流など人々の生存に関わる仕事を担う人たちの検査が実施されていない。
  • 感染者で軽症あるいは無症状の人の自宅で同居する人たちへの検査が(症状が出ない場合)実施されていない。
  • 症状のない感染者が多く存在していることを知りながら、こうした人たちの存在を把握するための検査をせず、よっぽど深刻な事態にならないと検査されない。

などなど、枚挙にいとまがない。無症状の人たちが多く存在し、こうした人たちからも感染することが知られながら、症状が出ていないことを理由に検査はされない。自宅軟禁状態を強いるメッセージが繰り返し出されるのだが、検査もされず、網羅的に自宅に閉じこめられることになる。本来なら、検査で陰性なら外出してもいいし自由にしていいはずだ。この自由を与えようとはしない。

結果として、検査されない人たちが自宅で3密状態になり、「家庭内感染」が増え、DVや家庭内の人間的なトラブルも深刻化している。やっと最近こうした問題に注目が集まってきたが、理屈からいえば、予測しえたことだ。

なぜ、検査せずに放置しているのか。考えられる理由は二つだ。

ひとつは、コストである。網羅的な検査に必要な投資を抑えたいという意図があるように思う。全員に行なえるだけの検査キットや検査装置、人員がいないという言い訳、あるいは医療崩壊の危機で世論を半ば脅すような宣伝は、責任逃れでしかない。前に書いたように、こうした検査の必要が新型インフルエンザのときに既に指摘さていた。そうであるのに、保健所を統合・削減し、パンデミック対策をサボった厚労省と政府の責任である。明らかに権力がまねきよせた「権力災害」である。政府はあたかも新型コロナ・パンデミックが天災であるかのように、あるいは中国がもたらした「外来種」被害であるかのようにふるまう。こうした振舞いは、検査体制に必要なモノとヒトを確保するポースだけをとり、本当にすべき政府の投資をサボる格好の隠れ蓑になる。

もうひとつの理由は、政府関係者は絶対に口に出しては認めないが、集団免疫を獲得することでパンデミックを収束させるという作戦(あえて意識して軍事用語を用いる)をとっているのではないかという疑念だ。この作戦はとても安上りだ。人々をどんどん感染させ、症状がでなかったり、軽症の場合は放置する。かれらは、働きながら、周囲に感染者を広げつつ、自分の身体を犠牲にして免疫を獲得する。政府はコストもかけずにパンデミック収束の手掛かりを握ることになる。ワクチン開発をまたずに、大半が免疫をもつことができると妄想しているのではないか。他方で、重症者はとりあえず隔離して治療するが生命を犠牲にする人がでる。政府は、これは集団免疫を獲得するためのいたしかたない犠牲だと考えているのではないか。医療関係者がクラスターで大量に感染し、一時的に病院を閉鎖してもその後再開したときには、免疫をもった多くの医療関係者が働くことになる。こうなれば効率的に感染を恐れずに治療ができるとでも考えているのではないか。この作戦ならワクチンの開発をまたずに、抗体をもつ者を増やすことができる。これなら来年のオリンピックに間に合う…とか考えているのかもしれない。またもやオリンピックの犠牲になるのか。私たちは御国のために自分の健康や生命を捧げるつもりは金輪際ない。他方で私たちが要求するのは、政府は私たち、国籍を問わず、この国で暮す人々の生存の権利を保障する義務があるということだ。集団免疫を目論んで権力が不作為に及ぶなどとんでもない!!!!しかし右派はこの集団免疫が大好きなようだ。橋下徹は3月初めに「元気な人はみんな感染してもいい」「元気な人たちが感染して抗体を持てば、集団免疫を持って落ち着く」と語ったことが報じられている舛添要一も「ワクチンや特効薬が開発されないかぎり、緩やかに感染を拡大させて集団免疫を獲得するという戦略も間違いではない」と容認する。国家が個人に優先する愛国主義者は、個人の犠牲など意に介さないのだろう。

集団免疫を密かに狙うという発想は、表に出てこないが、専門家も含めて肯定されているに違いない。ワクチンの発想もある種のコントロールされた集団免疫の発想の延長線にある。集団免疫獲得のために、人口の一部を敢えて犠牲にすること、そのためには検査をしないという戦術がとれらている。こうでも考えなければ、なぜ感染リスクの高い場所での検査が行なわれないのか、その理由が飲み込めない。網羅的な検査をやっている慶應病院は稀有なケースになるのでニュースになるわけだ。国難のために犠牲になってくれ、といういわば特攻隊を彷彿とさせる権力者の生命観だ。こうするためには検査しないことが必要になる。検査すれば法制度上、隔離が必要になる。集団免疫を獲得させるには、早期の発見と隔離をしてしまうと、集団免疫ができない。だから感染者を巧妙に放置しつつコントロールしようとしている。この集団免疫作戦で犠牲になるのは、人との接触が多い職業や、自宅の環境が狭小であり個室隔離などできない人たちなどになる。ここには階級や差別の格差が如実に反映されることになるのではないか。

保健医療の市場経済化や切り捨てのこの四半世紀の歴史のなかで、コストをかけない、制度がそもそも脆弱になっているという背景と一体となって集団免疫方針を密かに遂行してきたのが日本政府のやりかたではないか。権力者にとって私たちの身体は統計上の数字でしかなく、「国難」を乗り切るための捨て駒にすぎない。そう思わざるをえない。

自由も平等も民主主義もどこかに消えた

象徴的な出来事は、民主主義の政治体制を標榜してきた欧米諸国の対応のなかに端的に示された。ヨーロッパとくにイタリアで最初に感染者の拡大とパンデミックの危機が確認されたとき、他のEU諸国はほとんど支援の手を差し延べたようには見えない。EUが足並みを揃えはじめたのはごく最近のことにすぎない。スペイン、フランスなど他のEU諸国に広がりをみせたときも、なぜか国境を超えるウィルスの拡大に対して、EUとしての統一した措置はとられず、常に前面に登場してきたのは、国境を閉鎖する、自国民だけのための防護策、さらには政府が率先してマスクを奪い合うなど各国の政府のナショナリスティックな国民保護の政策だ。ドイツは新型コロナウィルスの対策で「優等生」として評価が高いが、逆に、EUという枠組でみたとき、ドイツと他のEU諸国の間の協調性のなさが目立った。EUという国家連合の統治機構が実際には、人々の生存権の最も基盤をなす保健医療や福祉といった分野では、ほとんど実効性ある機能を果しうるような制度をもてていないことを露呈した。

EU域内の相互の協力が希薄だっただけではなく、EU市民ではない難民の状況は深刻化し、各国の国民の保護が最優先された。ロックダウンのなかで、経済的に苦境に追い込まれる人々や感染率の高い人々の階層に、社会の階級的格差やエスニックグループ相互の力関係が如実に反映した。

同じことはこの東アジアにおいても顕著だった。中国、韓国、日本、台湾、極東ロシアの間にはディスコミュニケーションしかなく、安倍政権の露骨な韓国、中国への嫌悪感が目立つ。

同様に、米国もまた、露骨な自国民中心主義を掲げて国境を超えた人の移動、とりわけ移民の流入を大幅に制限した。トランプは繰り返しこのパンデミックの元凶が中国にあり、敢えて「中国ウィルス」という表現を使った。(麻生もまた「武漢ウィルス」を連発し、中国政府が抗議した)またフランスのマクロン大統領は3月の外出禁止令に際して「われわれは戦争状態にある」「直面しているのは他の国や軍ではない。敵はすぐそこにいる。敵は見えないが、前進している」(ロイター)と述べた。この戦争状態のたとえはその後、各国で一般化した。災厄は常に外部から来るのであって、善良な国民はその犠牲者であるか、外敵と闘う勇敢な戦士なのだ、といった雰囲気をともなって、戦争になぞらえた感情の動員が目立つ。露骨な愛国主義的プロパガンダに利用するのか、それとも婉曲な言いまわしを用いるのかの違いはあってもどこの国もナショナリズムを最大限に動員するようになってきた。

災厄が外部から来るなら、外部との接触を遮断する必要がある。外部は、当初国境だった。検疫によって、国籍による選別を行ない、自国民を保護し外国籍の人たちを排除する。こうした態勢がどこの国でもとられた。次に、国内の各地域ごとの人の移動が規制され、感染拡大地域を封鎖した。こうして感染が拡大していない地域にとって感染拡大している地域は潜在的な「敵」扱いされることになる。地域を越えて移動する者たちは、医学的な検証もなしに、監視され、ウィルスを拡散するリスクをもたらす者と疑われることになった。

他方でロックダウウンや都市の外出禁止などの措置がとられた国や地域では、人々が「自宅」に軟禁(この言葉は使われないが)されることになった。人々は、コミュニティや身近な人間関係のなかに、「敵」と「味方」の境界線を引くようになる。感染者とその家族や親密な関係にある人たちは、周囲から「隔離」されるだけでなく、周囲から災厄をもたらす疫病神であるかのように忌避されるようになる。「敵」とみなされるからだ。本来なら、厄介で死に至るかもしれない病を抱えた人たちをお互いに支えあう努力をすべきコミュニティの人々が、感染者を追い出すことでコミュニティの安全を守ろうする。この相互排除の連鎖は、人々を分断しながら権力の集中をもたらし、警察と軍隊が都市を制圧する構図をもたらした。他者への配慮と人権意識の高い人々の自制の受け入れを権力は巧みに利用してもいる。

国境封鎖―地域封鎖―都市封鎖―コミュニティ封鎖―家族封鎖という一連の流れが、国民を守れとか国難を強調するナショナリズムの構造のなかで循環している。

しかし、実は、事はそう単純ではない。外出禁止やロックダウンに抗議する運動が各国で起きている。フランスでは外出禁止に抗議する大規模なデモがパリで行なわれた。インドでは移民労働者による大規模な抗議が4月15日に起きている。ブラジルはじめラテンアメリカでも規模の大小、組織化のありかたは様々だが抗議の運動が起きている。誰がどのような政治的な意識をもって抗議を組織したおか、あるいは自然発生的であったとしても彼らの行動の政治性をみきわめることはとても大切だ。そしてまた、とても分りにくい。私たちの仲間なのか?

米国では急速な感染拡大とともに失業も拡大した。失業率は30パーセント、3000万人が失業保険を申請している。こうした中で、仕事への復帰とロックダウン解除を要求する抗議のデモがメディアでも報じられるようになっている。ロックダウンへの抗議の主体が誰なのかがわかりにくい。しかし、極右のニュースサイト、ブライトバードやフォックスニュースと左派メディアデモクラシーナウの報道を比べてみると背景がわかる。「ブライトバード」は「ロックダウン・プロテスト」という特設コーナーを設けて積極的に反ロックダウンの抗議デモを報じ、フォックスニュースも4月17日にケンタッキー州、メリーランド州、ミシガン州、オハイオ州、テキサス州、ウィスコンシン州で起きた反ロックダウンの統一抗議行動を大きく報じている。デモクラシーナウは20日に「右翼ロックダウウン抗議の全国行動」と報じ、この動きが右翼によるものだということを明示した。彼らの発想は、日本の右派と非常に似ている。ところが、日本のディアはこうした動きが右翼による抗議行動であることをはっきりとは示していない。映像で見るかぎり、星条旗が目立ち参加者も白人が中心に印象を受ける。ブライトバードもフォックスニュースモトランプ政権に強い影響力をもつ。こうした右派の反ロックダウンをトランプはツイッターで容認し、早々とロックダウン解除を宣言した。あきらかに右派の行動と共同歩調をとったものだ。こうした連携は、トランプ政権が繰り返してきた動員の仕組みであって自然発生的ではない。こうした一連の動きが秋の大統領選挙をにらんだ極右ポピュリズムの戦略の一環だと理解すべきだろう。こうした背景を抜きにして、しかもかなり規模が大きいかのような誤解を招く報道は、日本における経済の早期再開を模索する資本の思惑(スポンサーの思惑)と無関係なのだろうか。

こうしてみると、右翼は、ある種の戒厳令のなかで、敢えて反ロックダウンを掲げて失業と自宅軟禁でフラストレーションを溜めている人々の感情に焦点を当てつつストリートの主導権を握ろうとしているともいえる。この動きは、マッチョな愛国主義だ。私たちは、政府の言いなりになって自宅に軟禁されたくないが、だからといって、マッチョな連中のように感染なんか怖くねえ!と中指を立てるような虚勢を張るようなマネをしたくはない。

日本の運動状況がどうなっていくのか。集団免疫を画策する政府は、他方で、集会の場所を閉鎖し、デモも自粛させ、長年の文化とメディア運動の脆弱ななかでネットの空間に容易には移行できない左翼や反政府運動は、試行錯誤を繰り返す試練の時を経験している。緊急事態がもたらすナショナリズムと排外主義、相互扶助とは真逆の相互不審を募らせて権力への服従心理を刺激するパンデミックの構造と闘う工夫を、どのように生み出せるのか。現状は明らかに制度の危機だ。しかし、だからといってそれが反政府運動にとっての好機には絶対にならない。むしろ「国民」的な同調圧力のなかで、窒息しかねないところに追い込まれているようにみえる。街頭に出ることに躊躇する人々と、どのように連帯の回路を維持拡大できるか、この課題は運動の将来を左右する重要なものになっていると思う。(24日深夜加筆)

資本主義が招き寄せる循環性パンデミック

私たちが現在直面している新型コロナウィルスの問題は、資本主義における循環性パンデミックとして捉える必要がある。

資本主義下のパンデミックは特殊歴史的な現象だ

新型コロナの蔓延は、資本主義システムの限界がどこにあるのかを端的に、しかも残酷な形で、先進国内部で暮す人々に突き付けた。感染症の蔓延は人類社会にとって未知の出来事ではない。資本主義の歴史のなかでも繰り返されており、再現性がある事象でもある。パンデミックのたびに、1918年のスペイン風邪大流行、新型インフルエンザなどが想起されたりするのだが、しかし、常に、事態が深刻化した後で、忘れられたかにみえた歴史的な経験が忘却の闇から呼び戻されるにすぎず、経験が生かされることはないし、医療の進歩なるものがこの災厄を解決することもない。また再び近い将来、別のパンデミックが到来しても驚くことではない。

この現象を疫病と人類史全体のなかに混ぜ込むような没歴史的な括り方をするべきではない。資本主義には固有のパンデミックを招来するメカニズムがある。資本主義である以上、繰り返されざるをえない歴史的に特殊な事態なのだと捉えておく必要がある。なぜなら、資本主義が私たちの生存の権利を保障できないシステムであることのなかで起きているからだ。

私は繰り返し、感染症検査を無料・匿名で網羅的に実施すべきだ、なぜなら私の身体がどのような状態にあるのかを知る権利があるからであり、それ以外にパンデミックを回避する方法はない、ということを指摘してきた。しかし、現実にはこうした網羅的な検査体制はとられていない。保健所の検査に後ろ向きの姿勢も批判されてきた。検査体制を妨げている原因は、この国がたどり、各国もまた同じ傾向をたどってきた保健医療システムのリストラにある。生存権の抑圧と保健医療の危機管理=治安管理への組み込みの結果が現在のパンデミックをもたらした。

今起きていることは既に予見されていたのに回避できなかった

下のスライドのデータを見てほしい。

新型コロナ以前の最も最近のパンデミックは、2009年の新型インフルエンザだとされている。当時厚生労働省保健局は「地域保健対策検討会」を設置した。その第1回会議で「保健所、市町村、都道府県の現状と課題」という文書が配付された。このなかで保健所が抱えている様々な問題点が「現場からの意見」として提出されていた。そこでの指摘が上に引用したスライドである。今から10年前の厚労省の会議で指摘されていたことだ。ここでの指摘が改善されず、今に至っている。なぜだろうか?

また、上記の検討会の資料「最近の健康危機管理事案に関する問題」2010年のなかで、「新型インフルエンザ(A/H1N1)対策総括会議報告書」の指摘していることとして以下のように言及されている。

「国立感染症研究所、保健所、地方衛生研究所も含めたサーベイランス体制を強化すべきである。とりわけ、地方衛生研究所のPCR体制など、昨年の実績を公開した上で、強化を図るか、民間を活用するのか検討するとともに、地方衛生研究所の法的位置づけについて検討が必要である」

現在私たちが直面している検査がされない事態は、実は新型インフルエンザの当時から周知の事実だったのだ。この指摘は、検査体制を支えるインフラが政府か民間か、という二者択一しかありえないという資本主義の基本的な矛盾を示している。特に、政府が緊縮財政を実施して医療をはじめとする社会保障や福祉などの分野を切り捨てる一方で、民間もまた最大限利潤を追求するという資本の欲望のままに人々の生存権に配慮することなく人々の命と健康を犠牲に資本の延命をはかろうとする場合、政府も民間もともに、人々の生存権をないがしろにしてしまう。上の報告書にあるように、公的機関の強化も図れず、民間も活用できないという事態がずっと続いてきたのだ。政府は検査体制を自前で準備せず、民間もまた高収益が見込めないから受け身になり、人口の生存に見合う医療サービスが政府も民間も保障できない構造が生まれる。民間に依存すれば市場の価格原理で、必ずサービスを受けられない貧困層が犠牲になり、政府は財政を生存に不可欠なサービスよりも国家安全保障に振り向ける方針を改めない。パンデミックにおいて起きうるであろう医療崩壊は、こうした構図が生み出すものであって、あたかも自然災害のようにして生まれたりするわけではない。しかも、医療崩壊を阻止するために犠牲になるのは、感染した人たちであって、医療という制度が犠牲になるとみるべきではない。こうした自体はシステムに予定されていたことであり、既に予想されながら、これが放置されてきた。

他方で、新型インフルエンザをきっかけに成立したのが「新型インフルエンザ等特別措置法」(2012年)だった。「緊急事態措置」だけは法として成立し、具体的なパンデミック対応防止に必要な地域医療や保健サービスの改善にはほとんど取り組まれてこなかった。このことが今回の新型コロナの事態のなかで立証されたといえる。危機を放置・拡大し、緊急事態発令を通じて権力の集中を実現し、検査もとくにしないで、網羅的に人々を自宅に軟禁して「家庭内」感染を誘発する。この強権発動を危機後も維持して、この例外状態を通常の状態としてしまうことによって法の支配をなしくずしにする結果を、権力者たちは無意識に欲望する。これは資本主義という制度に内在する権力欲望だ。

こうした事態を引き起こした原因が地域保健医療体制の大幅な解体・再編にあったことはこれまでも指摘されてきた。その核心のひとつがそれまでの保健所法を改正して成立した1994年(羽田内閣、鳩山邦夫厚生大臣)の地域保健法である。この法律によって保健所の統廃合が一気に進む。1996年の保健所数845から翌年97年には706に激減する。98年に663、1999年に641と毎年減り続ける。(下図 上は厚生労働省ウエッブ、下は全国保健所長会ウエッブ)

保健所の削減を実施したのは、橋本内閣であり、当時の厚生大臣が小泉純一郎だ。社会民主党も当時の格外協力政党だった。80年代後半、中曽根政権下での国鉄民営化から2000年代の小泉政権による郵政民営化へと至る新自由主義改革が、自民党保守だけでなく野党も巻き込んで起きていた時期だ。新型インフルエンザが問題化した時期も一貫して保健所は減少しつづけ、現在もこの保健所削減の流れは止まっていない。2018年には469まで減少している。

保健医療体制と治安管理

また、感染症対策はある種の治安管理の対象として理解されるようになっている。(保健医療における危機管理の歴史的な経緯は「健康危機管理」小史参照)保健所の削減と同時に、厚労省は1997年に「厚生省健康危機管理基本指針」を策定し、健康危機管理対策室を設置する。(現在の「指針」はここ)厚労省のいう危機管理とは「医薬品、食中毒、感染症、飲料水その他何らかの原因により生じる国民の生命、健康の安全を脅かす事態に対して行われる健康被害の発生予防、拡大防止、治療等に関する業務のうち、厚生労働省の所管に属するもの」を指すのだが、実際に危機管理を主に所掌する審議会の部会の議論は、もっぱら治安管理に重点を置いた議論になっている。他の部門との重複を避けたためというのがその理由とされているが、危機管理という概念が本来もっている意味が事実上国家安全保障に回収されてしまっている。

この指針に基づいて策定された「感染症健康危機管理実施要領」では、緊急時対応を行う事象と判断された場合「内閣情報調査室」への通報が、厚生労働省健康危機管理調整会議の開催や職員の現地派遣よりも先に挙げられている。なぜ内調なのだろうか。先の「小史」の説明では2000年前後の一連の地域保健政策の転換のなかで「保健所は、危機管理の拠点として位置づけられました。保健所は平素から地域の保健医療の管理機関として、情報収集や関係機関・関係団体と調整を行うこと、また地方衛生研究所は健康危機管理に際し、科学的かつ技術的側面からの支援を行うこと、平時からの調査及び研究の充実による知見の集積、並びに研修の実施をおこなう」というようにその性格が変化したという。この変化と深く関わるように思う。

2000年代にはいって、感染症対策のなかに生物化学兵器などによるテロ対策が重要な位置を占めはじめた。1997年に厚生省健康危機管理調整会議が設置され、厚生科学審議会に健康危機管理部会が設置される。設置目的は「テロも含む国民の生命、安全を脅かす事態である健康危機の発生時に、緊急の対応について知見を得ることを目的として「健康危機管理部会」を設置する」とあり、第1回の会議に提出された緊急事態への対応のチャートは以下のようになっている。

健康危機管理部会は昨年暮れも開催され、機能している。他方で、2010年には更に「厚生労働省における健康危機管理施策について」として下図のようなチャートが公表されている。しかし、厚生労働省の健康危機管理調整会議が省内全体の調整組織として位置付けられながらその動きはほとんど見えない。下図の「健康危機管理対策室」は現在では「健康危機・災害対策室」と改組されているようで、その役割について以下のような説明がある。

「自然災害、感染症パンデミック、テロリズムなど、人々の健康を脅かす危機に十分備え、いざという時に対応することが私たちの部署の任務です。危機を早期に探知するため、平時より国内の関係機関、部局等から健康被害が懸念される事案の情報の収集体制を整え、それらの情報の関係部局間での共有を図っています。実際に健康被害が発生した場合には、適切な公衆衛生対応や、救護・搬送を速やかに関係省庁・部局が連携して行える体制を整え、訓練もしておく必要があり、そのための総合的な調整を行っています。」(大臣官房厚生科学課健康危機管理・災害対策室 室長補佐谷村 忠幸)

少なくとも厚生労働省のサイトを概観して検索した限りではこの対策室が何をやっているのか把握できなかった。上の説明をみても、情報収集を主にした厚労省内部のある主の情報組織であって、とうていパンデミックに対処することができるような組織とは思えない。

私はこの上のチャートをみながら現在の新型コロナ・パンデミックにこの図式のなかの組織がどのように機能しているのかうまく理解できなかった。そもそもこの複雑怪奇に錯綜する矢印の流れのなかで、感染症にかかった一人ひとりの命や健康が救われるメカニズムがどのよう機能するのか皆目見当がつかない。理解できるのは、情報の収集が主目的なようだ、ということだけである。健康危険情報を網羅的に地方組織などから収集してそれを中央政府が把握して分析し、国家安全保障には何かの役には立つのかもしれないが、人々の命や健康に対処するような情報の流れとは思えない。情報公開や知る権利を保障する情報のフローが全くない。

90年代の橋本政権以降の、新自由主義的な構造改革は、一方で、民営化を推し進め、保健医療を市場経済に包摂する一方で、テロ対策など国家安全保障の枠組に組み入れて、地域の人々の最もセンシティブな医療情報を安全保障情報として扱うことのできる制度的な再構築を図ったともいえる。

こうして、90年代以降、人々に日常生活に深く関わる感染症よりもテロ対策が優先され、感染症の最大の脅威があたかもバイオテロであるかのような一連の対応がとられ、健康危機管理部会もテロ対策を繰り返し議題にあげてきた。2014年以降は化学兵器テロを、更に近年はオリンピック・パラリンピックを睨んでテロ対策の研究に資金を投入し研究チームを作ってきた。(下図、第12回厚生科学審議会健康危機管理部会資料)

危機管理のなかでもテロ対策を焦点をあてる一連の厚労省のポリシーは、保健医療の基本が国益を優先させ、国家のための保健医療の危機管理にしかなっていないことを如実に示している。上のスライドにあるように、東京オリンピック・パラリンピックに向けた厚労省の大規模イベント検討体制の関心の的はテロ関連の事案だという印象が強い。厚労省の危機管理の定義は幅広いものであったはずが、ここではテロ対策を中心にした記述になっている。感染症発生動向調査も「生物剤を用いたテロ」といった記述しかない。

パンデミックは自然の疫病ではなく、政府と資本のシステムが招いたものだ

政権にとって、危機とは私たちの生存の危機ではなく、権力の危機を意味している。危機を招来する「敵」がシステムを毀損しかねない感染者たちとその予備軍、つまり私たちだ。今回の新型コロナに対して内調(内閣情報集約センター)がどのような行動をとっているのかほとんど情報がでてこない。同時に、急速なIT技術の高度化と監視社会化のなかで、スマホやIoT情報から人々の行動を監視・把握するための技術開発が急速に進んでいる。そして5Gのインフラ整備がこれに便乗する。パンデミックの危機管理にIT産業は新たな市場を見出し、政府はこの技術の開発・導入を財政と法制度で後押しし、人々を常時監視できる体制の確率に格好の口実を獲得した。検査体制が進まないこととは何とも対照的な事態だ。人間関係の追跡技術は、パンデミックが収束しても継続的に維持され大きな需要があると資本は予測しているのだ。パンデミック後の私たちの自由も平等も生存の権利もおしなべて大幅な抑制を強いられる状況になってしまった。

新型コロナ・パンデミックは、自然がもたらしたものでも「外来」の疫病でもない。これまでの経緯を振り返れば明かなように、この社会の政治、経済、法のあらゆる制度の本質とその矛盾が引き寄せた危機である。先進国は資本主義の最も富が集中し豊かさを享受してきた地域であるはずだが、そうであっても、人々の生存権を保障できるような制度を実現できていない。新自由主義的な資本主義の制度は、政府機能を市場によって代替させるものだが、戦争、経済恐慌、「自然災害」(そのほとんどが人類社会にその元凶がある)であれ、今回のようなパンデミックであれ、危機は市場と政府を横断して生み出されるのが一般的だ。市場は政府が担ってきた保健や医療システムを代替するインセンティブをもつとはいえず(儲かる仕組みがなければ投資しない)、政府は財政の基盤を生存の保障ではなく権力の維持・拡大の動機にもとめるために、そのいずれも十分に機能できない。新自由主義は市場に比重を置いており、ケインズ主義や福祉国家は政府に比重があるが、そのどちらであれ上述の政府と資本のジレンマからは逃れられない。近代資本主義は、その制度が掲げた基本的人権の理念を制度が自ら裏切らなければ制度そのものが維持できないという矛盾をかかえており、ここに危機の本質がある。私たちが求めなければならないのは、生存の権利を平等に保障できるシステムであり、これは近代社会の政府と資本の構造では実現できないのだ。

この危機は、今にはじまったものではない。この危機は、歴史的にみても繰り返され、また世界規模で広がりをみせている。資本主義である限り再現性があるということだ。パンデミックが繰り返し出現するのは、保健医療の制度的な基盤が、社会のなかで最も権利を抑圧されて平等の理念から最も遠いところで生きざるをえない人々をないがしろにする仕組みになっているからだ。<労働力>商品化に依存する生活形態が支配的な社会では、誰もが失業のリスクを負う。失業は労働市場の存在を認める限り、必須の条件だ。制度が不可避的に必要とする失業者や非正規あるいは移民労働者など不安定雇用層は制度を支える必須の存在でありながら生存の権利を最も保障されない人々である。この階層が、リスクを回避するどころか、逆にリスクを過剰に負わされもする。この仕組みはパンデミックでも繰り返される。問題は根本的に解決されるのではなく、一時的に人口のマージナルな層を犠牲にしつつパンデミック後の「成長」に焦点をあてて資本相互の生き残りの競争が展開される。

パンデミックを阻止できない構造が資本主義にはある。資本主義のシステムではこうした生存の危機に対処できず繰り返されざるをえない循環性をもつ。この構造を見誤ると、パンデミック後を資本主義のシステムがパンデミックを克服したかのような幻想にとらわれてしまう。一時の栄華を享受したあとに、また再びのパンデミックが襲い、システムの支配層は政府であれ資本であれ、社会の周辺部を犠牲にして延命する。危機はそれ自体で体制の崩壊を招かない。資本主義に解決を委ねない民衆の行動だけが、この循環性のパンデミックを解決する唯一の道だ。

誰も教えてくれない自宅の社会的距離!?

メディアは3密を避けろ!の大合唱だ。厚労省は次のような「協力おねがい」をしてきており、メディアもこぞってこの線に沿った報道を展開し、これが外出の自粛と自宅退避となって緊急避難へとつながってきた。

どうやってプライベート空間で3密を実現できるというんだろうか!?

わからないのは、この三つのうち「密閉空間」と「間近で会話や発声をする密接場面」を実現する上で、なぜ厚労省は(あるいは世界中の専門家や政治家は)、「自宅」という空間がベスト(あるいはベター)というのだろうか?という疑問だ。一人一部屋の裕福な家に住む人たちならば家のなかでお互いにバラバラに暮すことも可能だろう。食事も時間差にし、寝室も別、もちろんセックスなんてとんでもない!ということになる。

しかしこれでも問題は解決しない。乳幼児を抱えている場合、乳幼児とは密接な接触や会話は必須になる。まさか2メートル離れていたら食事もおむつの処理も風呂も何ひとつできない。放置しろ、というわけではあるまい。たぶん厚労省や専門家たち、メディアもこうした問題を何も考えていないのではないか?親がこうした子どもに感染させるリスクが大きいはずなのに。同じことは、ほとんど外出しない高齢者と同居している人たちが抱える不安にもあてはまる。たぶん3密という政策には、暗黙のうちに「家庭内で3密ができなくても構わない、家庭内感染は容認せざるをえない、家庭から外に感染が拡がらなければ、それで社会が救われるなら、家庭は犠牲にしてもいい」という発想がある。家庭という表現は好きではないのでプライベートな空間と言い換えてきたが、いずれにせよ自分たちにとって親密な人たちの間から、壊れていく、ということになる。

ウイスルの感染は、その環境がオフィス、店舗、交通機関などに関係なく、所与の環境に対しては同じように感染の効果を発揮するから、プライベートな空間にいれば安心だというためには、ある条件が前提になっていなければならない。それは、皆が陰性であるという条件である。この条件であれば、親密な空間は安全な空間になる。陰性である「私」は、感染させるリスクがない分人との濃厚な接触をしないように外出したっていいはずだ。図書館に本を借りにいく。散歩する。ジョギングする。そして定期的に検査を受ければいい。

もし検査もされずにプライベートな空間に留まるように命じられるのであれば、感染のリスクを避けるためには、親密な関係にある人たちが間近にいながら、接触せず、会話や発声をしない、ということが守られなければならない。しかし、厚労省やメディアの宣伝などの印象からすると、プライベートな空間で3密を厳格に遵守することはどうも求められてはいないように思う。陰性であれ陽性であれ、プライベートな空間に留まれ、というムチャクチャな指示に聞こえる。

外出を自粛し自宅でテレワークをすることによって結果としてプライベートな空間の人口密度は高くなる。私たちの大半は、完全に自宅にいるわけにはいかない。仕事に出ざるをえない人もいるし、私のように、社会運動の必要で外出する必要がある場合もある。自分が陰性かどうか知りえない。不顕性の感染者である危険性がある。だから定期的な検査で陰性を確認できる体制が欲しいと思う。

プライベートな空間に押し込めて感染拡大を阻止できるかのような発想は、プライベートな空間と人間関係がどのようであるかに深く依存する。贅沢な家で冷え冷えとした家族関係にあるテレビドラマのブルジョワ家庭風の環境ならいざしらず、貧困であればあるほど住環境は劣悪で、狭いところに多くの人たちが暮らし、お互いの接触や会話も密接になるのは自然なことだ。しかも、検査も受けられずに。医療へのアクセスは経済的にも困難である場合が多い。

こうした環境のなかでの3密がどうなるか。この問題がやっと最近になって米国ではっきりと見えてきた。(注1)貧困層、黒人やヒスパニックの人口の感染率が白人より高くなっている。海外渡航者の感染が多いという場合はクルーズ船や飛行機で旅行できるくらいの所得や職業の人たちが中心になるが、初期にそうした人たちがたとえ多かったとしても、あっという間に、感染が貧困層に拡がった。都市封鎖や外出禁止、失業によって自宅待機させられるなどの皺寄せは貧困層にくる。3密のなかで相互に貧困層のなかでの感染が拡大する。これは中国でも早い時期から指摘されていた(注2)

(注1)コロナ流行で露呈、米国の深刻な経済格差 AFP 4/7

(注2) しかし、中国でも事情は似ていた。「新型肺炎の最大の犠牲者は中国の貧困層」ニューズウィーク1/25

3密と自宅退避はある程度経済的に余裕のある人々の私生活を念頭に置いた隔離政策でしかない。ワンルームで複数で暮す人々は濃厚接触を避けられず、お互いの間での感染を防ぐ手だてがない。このことが政府の政策でも専門家会議でもマスメディアでもほとんど無視されている。彼らの階層や私生活が政策や価値観に反映しているとすれば、なんと想像力の乏しい者たちなのか、と思う。3密で救済されるのは住環境が恵まれた中産階級以上と大企業、そして緊急事態を介して権力の集中を実現しつつある政権の政治家や官僚だけだ。

解決策は一つしかない。検査をせよ!である。匿名で無料の検査をすべきだ。これなくして3密政策は、プライベートな空間を国家のために犠牲にする政策にしかならない。検査が進まない日本の状況は厚労省のある種の利権、あるいは海外の検査キットなどの導入を快く思わないナショナリズムが作用しているようにも感じる。(注)

(注)「新型コロナウイルス、検査体制の拡充が後手に回った裏事情」(2020.02.28 17:00) 久保田文(日経バイオテクオンライン)参照

新型コロナを口実とした政府によるプライバシー侵害への警鐘(EPICnews)

米国のプライバシー団体、電子プライバシー情報センター(EPIC)が、コロナに関連して政府が通信大手の協力を求めて個人情報を収集しようとしている傾向に対して、情報公開を求めるなど具体的な行動にではじめています。問題は
・政府が個人情報を収集する場合の法的正当性が担保されているのかわからない。
・収集されるデータの内容、その解析に用いられる技術の適法性などもわからない。
・情報収集に際してのプライバシー保護に関するガイドラインなどが明かでない
などです。
また、WHOの専門家からもコロナに関連して個人情報収集の傾向にプライバシー侵害や人権侵害につながる危険性が指摘されているということも報じられています。

私は、検査を匿名ですべきこと、感染源や感染経路特定の犯人探しは意味がないこと、個人が自分の身体の健康状態を知る権利を国に預けるのではなく、自分の意思で行なえるようにすることなどを主張してきましたが、おおむねEPICのニュースの報道姿勢もこうした方向だと思います。

日本ではGPSの情報を大手通信事業者が政府などに提供して監視・追跡することがコロナ対策として有効かつ必須であるかのように宣伝されています。本当にそうなんだろうか?ということを改めて考えてみる必要があると思います。

以下メール配信のニュース[EPIC NEWS] EPIC Alert 27.06から一部関連箇所を訳しました。
EPIC
https://epic.org/
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EPIC、コロナウイルス追跡のための携帯電話の位置データの使用に関する記録を開示請求

EPICは、情報公開法の要求を科学技術政策局(OSTP)と司法省に、公衆衛生監視に携帯電話の位置データを使用するホワイトハウスの計画に関する情報の開示請求を行なった。

ニュース報道によると、ホワイトハウスは、アメリカの電話顧客の位置データを取得して使用するために、Facebook、Apple、Googleを含む大手テクノロジー企業の支援を求めている。現時点では、米国のプログラムが合法かどうか、データがどのように使用されるかは不明である。

OSTPへの要求のなかで、EPICは「コロナウイルスに関連する携帯電話の位置データの収集に関するすべてのポリシー、提案、およびガイダンスドキュメント」と「コロナウイルスに関連した携帯電話の位置データの収集に関連して、プライバシーに含まれるものとそうでないものとの境界線(しきい値)の評価およびプライバシー影響評価」を請求した。

EPICの司法省への請求では、GPSおよび携帯電話の位置データの収集と使用に関する法的分析を求めている。「司法省は、提案された活動の合法性、特に国家危機の際の政府当局の権限拡大の提案について大統領に助言する重要な役割を果たしている」とEPICは説明した。「司法省が携帯電話のデータを使用して公衆衛生の危機に対処することを検討する場合、まずその使用が合法であるかどうかを検討し、その分析を一般に公開する必要がある」とEPICは付け加えた。

EPICはブッシュ政権の時代に、後に議会によって無効にされた令状なしの盗聴プログラムに関する法的メモに対してEIA対DOJのFOIA訴訟を起こしたことがある。

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世界保健機関がデータ保護を表明

世界保健機関の主任顧問であるマイケル・ライアン博士は、最近コロナウイルスへの対応においてプライバシーとデータ保護の必要性を強調した。「私たちは個人データの保護とデータへの侵害の問題を非常に真剣に受け止めている」と述べた。

ライアン博士は、WHOが「私たちが関わっているすべてのイニシアチブは、良好な公衆衛生情報の発展を目指しており、法律に基づくプライバシーと保護の個人の権利を決して妨害することのないように取り組んでいる。公衆衛生の場合、監視と監視社会に関して論じる場合、個人情報の収集、個人の動向はコミュニティの同意、多くの場合は個人自身の同意を得て行われなければならない、ということが重要だ」と述べている。

これまでの、ライアン博士は新型コロナウイルスに対処するための新製品のための「途方もない量の」イノベーションと情熱に言及しつつ、「個人情報や個人の行動追跡に関する情報を収集する場合、常に慎重なデータ保護と人権原則に配慮しなければならない」と警告してきた。

国連の人権専門家とヨーロッパのプライバシー当局は、新型コロナウイルスを封じ込めるためにプライバシーを保護するよう各国政府に要請した。ユヴァル・ノア・ハラリは最近、「プライバシーと健康の両方を享受可能とし、また享受すべきだ。私たちは、網羅的な監視体制を構築するのではなく、市民に権限を与えることによって、自分の健康を保護し、コロナウイルスの蔓延を止めることができる。」と書いている。(注3)

家賃ストライキ!!

Crimethinc.の家賃ストライキのビデオに日本語の字幕付きが登場しました。私のブログでもCrimethinc.からの記事の飜訳を掲載したことがあります。(たとえばこれとか)

匿名・無料の検査を希望者に―自分の体調を知ることは基本的な生存権だ

連日メディアは感染の急激な増加をトップニュースで伝えている。このニュースやワイドショーで大抵話題になるのが、感染者をめぐる濃厚接触者など、関係すると思われる人たちとの関わりだ。家系図や相関図のような人脈図が表示されて、誰から誰にいつ感染してたのかが説明される。そして感染源を特定することが感染予防にとって最大の対策になるとも言われる。感染したのだから、誰か他人から感染したことは事実だ。この感染源を追えば、他の感染した人の発見につながるかもしれないともいう。だから感染経路が特定できないケースが増えると感染爆発につながるとも言われ、最近の東京ではこうした感染経路が不明のケースが増えていることが危惧されている。

私は、多分に天邪鬼なのかもしれないが、こうした報道や専門家の主張に違和感を覚えていた。前から何度も主張してきたが、必要なことは感染源や感染経路を特定することよりも、誰であれ必要と思う人たちが自分が感染しているのかどうかを検査してもらえる権利が確保されることが何よりも大切であり、それがベストの対策だと思っている。自分が感染しているかどうかを自分が知るということが何よりも必要なのだ。自分の身体の状態を知ることによって、自分が感染させないこともできるし、陰性であれば、自由に行動することもできる。だから誰でも検査できる体制を構築することは、私たちの権利に関わる問題なのだ。こうした原則をたてずに、検査を絞るべきではない。

しかし、現状では検査は、冒頭で書いたような感染経路とか感染源特定の調査と連動する危険性がある。こうなると私生活に行政が干渉することにもなり、ITとビッグデータの時代では容易に高度な監視国家に繋りかねない。検査がプライバシーを侵害する監視強化の正当化につながりかねない。だから、私のいう検査とは、感染経路の特定を伴わないあくまでも匿名の検査であるべきだ、というものだ。そして同時に、無料にすべきだ。

●エイズの無料・匿名検査から学ぶべきことがあると思う

HIVエイズの検査は保健所などで無料でしかも匿名での検査が受けられる。感染症であるにもかかわらず感染経路とか感染源の特定にやっきになることはない。こうした現在の体制に至るにはHIVエイズをめぐる人権運動の歴史もあってのことだと思う。無料で匿名の検査が実現していることで、検査を受けようとする人は増える。HIVエイズの検査の経験が教えてくれているのは、感染源を特定したり人間関係を詮索することが感染拡大を防ぐ唯一かつ最も有効な手段だ、などということはいえないということだ。

新型コロナウィルスは性感染症ではないから、さほどプライバシー侵害とはならないのでは、というのは間違いだ。プライバシーの権利は、他人に知られない権利であり、他人が私のプライバシーがどのようなものなのかを決めるべきではない。「濃厚接触」のなかには言うまでもなく性交渉やこれに準ずるような関係が含まれることが(意図してだろうか?)軽視されている。他人に知られたくない性交渉というケースでなくても他人に知られたくない「濃厚接触」になりうるような関係をもつ場合もありうる。コロナの場合は性交渉に限定されないから、プライバシーに関わる他人に知られたくない環境のなかで感染の可能性は増えるだろう。だからプライバシーの権利が深く関わることを軽視すべきではないし、こうした環境を見逃さないためには、匿名で無料の検査が可能になることが必要だと思う。

●「国家ファースト」が自由を抑圧し政治的異議申し立ての回路を断ち切ろうとしている

家を出るなとか社会的距離を保てなどという政府の主張は、一見すると私たちの健康を危惧する態度のようにみえながら、よくよく彼らの発言の意図をみると、私たちへの危惧ではなくて、政治的経済的危機が権力の危機をまねくことを恐れてか、あるいは国難だとか、国家存亡の折だからといった「国家ファースト」の愛国主義で人の自由を縛ろうとしているようにしか思えない。

家を出るな、他人との距離をとれ、医療崩壊を防げ、というもっともに聞こえる「要請」あるいはスローガン(プロパガンダか)は、陰性の者に対しても無条件に適用されている。政府は、人々が陰性なのか陽性なのかを網羅的に検査するための手間とコストに投資するのではなくて、人口全体を監視下に置いて外出禁止にする方が安上がりだと判断しているにちがいない。そもそもやる気があるとは思えない。辺野古の米軍基地やオスプレイを買う金やオリンピックのための資金の支出に比べてなんと私たちの命はないがしろにされていることか、と思う。

●自宅療養マニュアルと医療機関向けマニュアルでは私たちの権利は守れない

しかも、軽症者や無症状者は自宅か宿泊施設での隔離になるという。医療の知識もない家族や友人たちはどう接触したらいいのか。国立感染症研究所が4月2日に「新型コロナウイルス感染症、自宅療養時の健康・感染管理」を出しているが、同居者や関係者への検査には全く言及していない。個室が確保できない場合で同居者がいても自宅療養となることが想定されている。マスクも、政府配給の布マスクは推奨されておらず、サージカルマスクを推奨し医療用マスク着用には言及されていない。そもそもサージカルマスク自体が入手できないのだ。しかも家族や友人は無検査状態のままだ。

このマニュアルを読んで、私はこの通りに実施できる環境もないし、対処に全く自信がもてないと感じた。自宅療養は、たしかに医療は崩壊を免れるかもしれないが、医療機関の外での感染が放置される。親密な人間関係のなかでの感染は止をえないとして見捨てられるのだろう。人々の親密空間は解体しかねない。

伝統的に、国家や資本が危機になると、失業であれ高齢者の介護であれ、その負担は私的な人間関係に押しつけられてきた。恐慌や戦争になると必ず制度の崩壊を阻止するために私的な人間関係が利用される。今回はこうしたケースの典型ともなっている。

では、医療制度はそれなりに守られているのか、といえばそうでもなさそうだ。医療や福祉の関係者は検査を受けていない人たちが多くいると思う。彼らは定期的に検査を受ける権利がある。ところがそうではないようだ。厚生労働省のウエッブ「新型コロナウイルスに関するQ&A(医療機関・検査機関の方向け)」には次のようなことが書かれている。

問13 医療機関や検査機関で新型コロナウイルス感染症患者に診療を行った後、PCR検査を行ってもらえますか?

適切に感染防護具を着用して診療した場合には、感染する可能性が低いと考えられるため、一律のPCR検査は行いません。原則として無症状の方へPCR検査は実施していませんが、諸事情により実施を希望される方は、個別に保健所に相談してください。 診療後に発熱や呼吸器症状などが出現した場合は、管轄の保健所に相談してください。

これが医療関係者への対応である。唖然とする内容だ。患者に接触するのは診察する医師だけだという前提にたっている。患者と接触する可能性がある人たちは看護師や受付などの事務職員もいる。こうした人たちが感染するリスクがある。無症状の感染者である可能性もある。ダイヤモンド・プリンセスの感染拡大も乗客よりも行動範囲が広かった乗務員の人たちへの検査が疎かにされたことが問題にされたはずだし、常識で考えてもわかる問題だ。誰が誰に感染させたかなどを詮索するヒマがあれば、こうしたマニュアルなど無視して、一人でも多くの医療関係者の検査と防護の徹底を図るべきだ。これこそが医療崩壊を防ぐことになると思う。

医療関係者への対応がこのように杜撰である以上、一般の市民がよりなおざりにされ、症状が重くなって始めて検査や隔離が行なわれるという体制になるのは目にみえたことだ。こうした現状のなかで網羅的な外出禁止を出すというのは、新自由主義と対テロ戦争のなかで習い性となった命を犠牲にして財政支出効率化(医療福祉のサボタージュ)と権力の法を超越した行使への飽くなき欲望がここでも露骨になっていると思う。そして愛国心がこうした制度を支える精神性として強化される。国難だからこそ耐えるべきという大合唱だ。

●自分の健康状態を知ることは権利である

前にも書いたが、自分の健康状態を知ることは、私の身体に対する私の権利であって、政府や企業が私の健康を、<労働力>や国民としてのアイデンティティといった彼らの利害に即して管理したり監視する対象であるべきではない。政府や企業の保健医療に対するサービスは、温情や施し、あるいは彼らの権利なのではなく、私たちの権利を具体的に実現するために必要な彼らの義務として行なわれるべきものだ。

もし私がコロナウィルスの検査で陽性だったとき、私は、ここ数週間接してきた人たちに私の体調について知らせて、彼らにも検査をするように促すことが必要になる。そして、自分の生活をどのように処し、感染させないためにどのように暮すべきかを私は決めなければならない。こうした一連の私が陽性になったときにすべき基本的な心構えは、HIVエイズ陽性の判断がでたときにすべきことが参考になるかもしれないと思う。

ところが、コロナウィルスの検査とその結果については全てを政府が管理したがっているようにみえる。彼らは、私たちの日常生活の人間関係を知り、この人間関係に介入して検査をさせたり、隔離したりといった一連の指図をしたがっているようにみえる。こうしたことは本当は余計なことだ。全ては私がやればいいことだし、私が出来ない事情を抱えているときには、私が信頼する人たちの助けを借りることでよい。それもできずどうにもならない場合(自主隔離するための場所がないとか、生活ができないとか)に最後の支援の手として行政が当該のプライバシーを制約して介入することもありうるが、これは行政が決めることではなく私たちが決めるべきことだ。

●ビッグデータを使った調査は感染防止にならず、監視社会化をまねき私たちの身体への権利を奪うものだ

繰り返すが、必要なことは、検査を希望する者が匿名で無料の検査ができるようにすること、陽性の場合にすべき対処を行政が代行せず、当事者が対処し当事者に行政サービスの利用についての決定権を委ねることだ。感染させたかもしれない人をいちばんよく知っているのは本人なのだ。

他方で、最近の政府とIT業界の流行は、ビッブデータを用いた感染状況の監視だ。匿名処理を約束してLineなどを通じたアンケートが網羅的に実施されている。Yahooも政府の個人情報提供を約束している。しかしクラスターが発生した場所がこうした調査でわかったとしても、誰が感染しているのかを特定しないと感染の防止にならないという理屈が必ず主張され、結果として、匿名でのアンケートという前提は崩れ、通信事業者などが取得している個人情報の政府などへの提供へと結びついてくことは間違いない。こうしたビッグデータをいくら駆使しても検査の体制が準備できていなければ解決にならないし、情報公開されても、不安が煽られ身体への権利は奪われて、結果として網羅的に自宅に留まること、外出の事実上禁止に近い心理的な圧力を加えられることになる。

今回のコロナをめぐる世界各国の政府の対応は根本的に間違っていると思う。医療関係者や福祉関係者などリスクに晒されている人々への検査もまともに実施されず、防護のための器材も不足したままだ。その一方で自宅療養時には使い物にならないマスクを全世帯(ここにも家父長制がちいてまわる!)に配るというパフォーマンスでお茶を濁している。そんな金があるなら、希望する人たち(そして全ての人たち)に検査を匿名・無料で実施すべきだ、と思う。

パンデミック時にストライキする方法

米国の労働者たちが隔離と社会的距離の強制のなかで工夫しながら争議を展開しているようです。たとえば、ごく一部ですが、

GEの労働者、人工呼吸器の製造を求めて争議を展開している(いた?)

General Electric Workers Launch Protest, Demand to Make Ventilators

スーパーマーケットのWhole Foodsの労働者たちが、アマゾンの子会社が安全策を怠ったことに抗議してストライキ

Whole Foods Employees Are Staging a Nationwide ‘Sick-Out’

Instacartという会社があります。携帯アプリでスーパーの買い物を代行しれもらうサービスで、労働者は非正規のギグワーカーと呼ばれる人たち。(ググワーカーとしてはウーバーエーツの配達の仕事がイメージしやすいかも)彼らが、コロナ安全対策をとらない会社に対してストライキ

Instacart’s Gig Workers Are Planning a Massive, Nationwide Strike

他方で、アマゾン・ニューヨークは労働者の安全を求めてスライキを行なった労働者を解雇するといった労働運動への弾圧も表面化しています。

Amazon fires New York worker who led strike over coronavirus concerns

労働者の生産管理への兆候もみられそうだし、相互扶助、ギグエコノミーのなかでの分断を超える労働運動の構築など様々な工夫が登場しつつあるように思います。

なお日本語ではレイバーネットのサイトでレイバーノーツからの飜訳が読めます。

新型コロナウィルスからの防護を求めて職場放棄

以下は、
by Aaron Gordon, Lauren Kaori Gurley, Edward Ongweso Jr, and Jordan Pearson “Coronavirus Is a Labor Crisis, and a General Strike Might Be Next”

のレポートの最後の部分だけ訳しました。

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パンデミック時にストライキする方法

Covid-19は、大衆行動の既存の壁を一層高めることになった。労働者が安全に一斉に通りに繰り出すのは難しいが、この大衆的な力はまた、労働者が自身の手に問題解決の力を取り戻し、労働条件を根本から改善するように促す力にもなっている。

カリフォルニア大学ヘイスティングス校の法学部准教授ヴィーナ・デュバルは、「最も効果的なストライキは、これまでもモノと人の流れに不可欠な人々によるものだった」「現在最も重要で、商品を切実に必要とする人への輸送を担当している人々は、結局のところギグエコノミーワーカー(訳注1)、つまり配達ドライバーと買い物代行の労働者、さらに食品を生産する人々です。」と述べている。

デュバルはアプリベースの労働者(訳注2)によるストライキを、1934年に港湾ドックで労働者が起こしたロングショアマンストライキと比較しているが、このドックでのストライキは、サプライチェーンに影響を及ぼし、市内への商品流入が完全に停止した。こうして彼らは最終的に主要な譲歩を勝ち取った。

「私は、これが非常に効果的だったことを考えると、組合に組織された食料品店の労働者が扱わない商品の取り扱いを拒否する[アプリベースの]食料品買い物代行の労働者がいる状況では、34年の闘争のような状況が再び起こると想像できます。」「より良い条件を求めて労働者がストを打っている非組合化されたアマゾン倉庫で梱包された商品の配送を、ドライバーが拒否している。この種のサプライチェーンの減速または閉鎖は、これらの産業の組合化とより良い労働条件につながる可能性があります」と彼女は付け加えた。

パンデミックの最中に不可欠でありかつ搾取もされる労働者は、すでにまさにこうした行動をとり始めているが、それでも新旧の問題に取り組む必要がでてくるだろう。ストライキ資金は不足しているが、デュバルは、回避可能な策として、相互扶助ネットワークの存在を指摘した。

社会的距離をとる必要があるパンデミック時のストライキ行動は、通常時とはやや異なる見え方が必要だ。月曜日に、ゼネラル・エレクトリックの労働者は、6フィート離れてスタンディングしたり行進する一方で、会社に未使用の製造能力を人工呼吸器の生産に変換するよう要求する行動を見せた。

この行動のオーガナイザーたちは、ソーシャルメディアグループやTelegramやSignalのような暗号化されたメッセージングアプリが、職場や都市全体の労働者を結びつける上で重要な役割を果たしており、多くの労働者が自宅に閉じ込められたり雇用主からの監視が強化されているているときに、大衆的な行動を組織化する上で重要な役割を果たしていると語った。

社会的距離を必要としない行動の場合、選択肢は無数にある。主要な生産施設、ピーク需要時、または全国での職場放棄、作業停止、ストライキが検討できる。

パンデミックの最中であっても、UberやLyftの配車サービスドライバーがアパート団地、近隣、公共の場所に駐車してキャラバンを組織し、なぜストライキが起きているのか、その詳細や支援の方法を説明するプラカードや資料を準備するといったことは想像に難くない。同じことが、Instacart(訳注3)のドライバーにも当てはまる。かれらもキャラバンを結成し、通行人に知らせ、この期間中も営業している食料品店やレストランの外で理解の向上を求めることができるだろう。

ゼネストに向けた動きは、一部の労働者を満足させるだけの刺激策や連邦の失業保険とも取り組む必要がある。

「彼らの怒りと動揺は、組織化や組織された運動への加入を促すほどの絶望を感じるまでにはならずに落ち着くかもしれない」とDubalは言う。「しかし、人々が州政府または連邦政府から何かを手に入れるまでには非常に長い時間がかかり、それまでに、多くの動揺、怒り、絶望があるでしょう。持続的な運動を生み出すのに十分な時間があるかもしれない。」とデュバルは述べている。

何年もの間、ゼネストの考えは非現実的だとして一部では嘲笑されてきた。ほんの数週間の間に、このあざけりは期待へと変った。ストライキは、この国の歴史のなかでも、また地球上の他のあらゆるところで起きてきたことだ。ストライキが再び生まれる可能性がある。

訳注1:インターネットを通じて単発の仕事を受注する働き方や、それによって成り立つ経済形態 https://www.ifinance.ne.jp/glossary/global/glo240.html 「ギグ・エコノミー、「新たな貧困の種」を生み出しつつあるその実態:調査結果」https://wired.jp/2017/04/04/gig-economy-jobs-benefits-dangers/ )
訳注2:スマホのアプリを介して仕事を受注して働く労働者。ウーバーの配達の労働者など。
訳注3:食料品の即日配達サービスを運営する米国の企業。消費者はウェブアプリケーションを通じて様々な小売業者が販売する食料品を選び、個人のショッパーによって配達される。(wikipedia) DoorDashはレストランの料理配達サービス。ソフトバンクが560億円を投資して日本でも話題になった。https://forbesjapan.com/articles/detail/20331

米国全国弁護士会:緊急事態下での私たちの弾圧されない権利

以下に訳したのは、米国のThe National Lawyers Guild(NLG)が出した緊急事態下における警察や国家による弾圧に対抗するためのマニュアルの前書き部分です。この団体は1930年代に設立されたいわゆる進歩派の弁護士集団で、日弁連のような職能団体ではありません。

本文の前に、PMPressというアナキスト系出版社のウエッブに掲載されているNLDの文書についての短い紹介をまず最初に紹介し、その後ろにNLGのガイドの冒頭だけを掲載します。全体で30ページほどのパンフですが本文は訳していません。目次だけは訳しました。目次をみるだけでも、私たちが緊急事態に備えてすべきことを考えて対処する上でも参考になると思います。

■PMPressに掲載されている紹介文

Know Your Rights During COVID-19 from the NLG


COVID-19に対応して、多くの公衆衛生および国家安全保障対策が提案され、全国的に実施されています。私たちは地域社会と医療制度を保護することが必要ですが、国家による権威主義的で暴力的な傾向には抵抗しなければなりません。死刑廃止論者、反資本主義、反帝国主義の組織として、The National Lawyers Guildは、憲法上の市民的自由の枠組みは、資本主義を支持することを目的とし一貫性に欠ける深刻な欠陥があることを認識しています。歴史的に、緊急事態、強制隔離、および門限は、政治的市民的自由に対する国家支配を拡大するためにしばしば利用されてきました。緊急時の権限は、運動、表現の自由、抗議、および疎外されたコミュニティをしばしば犯罪化します。それでも、自分自身を守りし、警察の強化に抵抗するためにどのような権利があるのかを知ることは重要です。

私たちは、警察や医療監視を拡大することなく、より安全なコミュニティを構築し、COVID-19に対応できると信じています。 Pooja Gehi、Gabriel Arkles、Che Johnson-Long、およびEjeris Dixonが作成し、NLGおよびVision Change Winがサポートして作成されたこのガイドを読み共有してください。

■ガイド本文の冒頭だけ
https://docs.google.com/document/d/1tTWDHkbOtYPNalsN3lEi5yUjZI9qMdhL2IAM_S8bVqE/edit#
COVID-19(コロナウイルス)のなかでの弾圧されない権利
最終更新日:2020年3月27日

COVID-19のパンデミックは、コミュニティとヘルスケアシステムへのウイルスの影響を減らす公衆衛生対策を必要としますが、私たちは権威主義的で暴力的な傾向を危惧しこれに抵抗する必要があります。

歴史的にみて、緊急事態、強制検疫、および門限は、政治的市民的自由に対する国家の支配を拡大するためにしばしば利用されてきました。緊急時の権限は、行動、表現の自由、抗議、抑圧にさらされたコミュニティ、たとえば、黒人、先住民族、クイアやトランスジェンダー、低所得者や無収入の人々、移民、投獄されたり施設に収容されている人々、障害者、性産業の人々、その他多くのコミュニティが犯罪化されることがしばしばみられます。

私たちは、警察や医療監視を拡大することなく、より安全なコミュニティを構築し、COVID-19に対応できると信じています。私たちは、すでに制限されている権利と自由を更に剥奪したり、社会的不平等を悪化させたりするせず、この緊急事態においてコミュニティと社会の安全を確保できると信じています。私たちは恐れを知っています。私たちは自分たちが脆弱であることを知っています。また、私たちは自分たちを、そして私たちのコミュニティを、また将来の世代を国家による侵入から守らなければなりません。今こそ、現状維持に対して、望ましい永続的な変革を生み出すことに取り組むべき時です。このガイドを作成することは、このビジョンへの一歩であると信じています。

公衆衛生上の指令、「家にとどまること」、「屋内に避難すること」、および「社会的距離を保つこと」を義務づける法律が急展開していることに注意してください。私たちは、このガイドを2020年4月6日から毎週月曜日に更新することを考えていますが、おそらくそれでも間違いや、古くなるものがあるでしょう。このガイドを正確かつ最新の状態に保つために皆さんの協力を歓迎します!

このドキュメントを読みやすくするための修正、追加、または推奨事項がある場合は、メールでお問い合わせください。COVID19KYR@ gmail.com

このドキュメントに各地域固有の更新情報、法執行機関の違法行為、あるいは変更などの地域に固有の情報を追加する場合は、ここ(https://docs.google.com/document/d/1pdPgHFVHgrMNqoo6xtJKESzBxH62akH-9TRbiwlnc8Q/edit?usp=sharing)をクリックして、公開されている共有ドキュメントにアクセスしてください。

この文書は、犯罪、軍事化、その他国家権力に焦点を当てています。今回は経済的権利の(これも重要ですが)トピックには焦点を当てていません。

このガイドはコミュニティメンバー向けのリソースであり、法的な助言を構成するものではないことに注意してください。

このガイドには以下が含まれます:
・緊急事態とは何か?
・緊急事態における国家警備隊の役割は何か?
・「屋内退避」しなかったことを理由に逮捕されてもよいのか?
・隔離とは何か?
・自分が隔離または屋内退避している間に、どのようにて逮捕された人を支援できるか?
・旅行禁止や国境閉鎖の場合の私の権利は何か?
・移民の拘留やICE(移民税関捜査局)の強制捜査はCOVID19によってどのような影響を受けるか?
・戒厳令とは何か? どのような権利があるか?
・私の権利や組織活動で何が変わったか?
・資料を知りたい!

リスク回避のサボタージュ――資本と国家の利益のために人々が殺される

1 何が起きているのか―人を犠牲にして制度を守る?

世界中にあっという間に拡がった新型コロナウィルスによって、大都市から人の姿が消えた。外出や集会自粛への同調圧力は非常に強く、多くの社会運動の側の多くは、世界規模で、好むと好まざるとにかかわらず、この同調圧力を受け入れざるをえないところに追い込まれている。しかも、社会運動の側は、感染の拡がりを阻止するために、積極的に貢献する意思をもって、対処してもいるから、「同調圧力」という表現に含意されているある種の権力への従属といったニュアンスで語るべきではないのかもしれない。政権であれ野党であれ、誰もがとりうる選択肢はただひとつしかないように思われている。
 
しかし、本当に必要なことが、感染の拡大を阻止して重症者を出さないようにすることであるならば、政府と企業が全力を尽して、人々が感染しているのかどうかを早期に発見する体制をとるべきだろう。にもかかわらず、いまだに院内感染が後を断たない。夜遊びに出るなとか、クラブは閉鎖だという脅しともいえる圧力があるなかで、ここ数日の状況では、最も深刻な集団感染は医療施設で起きている。なぜなのだろうか。不顕性の感染者が多数存在するなかで、こうした感染者が医療機関や福祉施設、学校などの関係者のなかにいないかどうかの検査がされていないからではないか。いったいどれだけの人たちが検査を受けているのだろうか。むしろリスクを抱えた人たちと関わる可能性の高い人たちの多くが未だに検査されない状態にあるのではないか。
 
日本の政府や専門家は、検査を重症者となりうるような発症が疑われる人たちに限定しようとしている。これは早期発見による感染拡大のリスクを減らすという常識に反する。多くの軽症者や不顕性の人々がおり、こうした人々が陰性の人々と接触する機会を極力減らす必要があるにもかかわらず、陰性か陽性かの判断基準となる検査がされない。これでは予防はできないのではないか。
 
物理的に検査が無理だという言い訳は通用しない。日本では検査可能な数のわずか2割しか実施されていないのだ。(NHK3月18日:新型コロナウイルスの検査 世界の検査数は? 日本の現状は?)これは、本気で検査をしようという意思がないことを示している。
 
医療崩壊を起さないために検査をしないという奇妙な理屈がある。医療という制度を守ることの方が感染者を適切に治療することよりも大切なのだとすれば、医療とは医療制度のためにあるのであって患者のためにあるのではない、と言っているに等しい。そして、医療崩壊を防ぐために、感染した人たちは、自宅から出るなという。では、同居している人たちはどうすべきなのか。そのマニュアルはあるのだろうか。医療の知識もない人たちが素人の適当な判断で濃厚接触を繰り返さざるをえないわけで、医療制度のために親密な人々の関係の崩壊はいたしかたないというのだろう。政府も医療産業もそのほかの多くの企業も、本気で人々を守るつもりがあるとは思えない。彼らにとって、まず第一に守るべきものは、既存の制度であって、人ではない、ということがこれほどまでにはっきり示されたことはない。この意味で、今引き起されている事実上のロックダウン体制は、不可抗力としての新型コロナの蔓延によるというよりも、蔓延を阻止するための最大限の努力を政府も医療産業もしてこなかった、権力と利益のためのサボタージュの結果だというしかないと思う。
 
そして、以下で述べるように、経済活動へのマイナスの影響について、政府もメディアも懸念を表明して様々な補償措置などが検討されるが、政治活動、とりわけ議会外の草の根の活動自粛がもたらすマイナスの影響については論じようとはしない。

1.1 二つのシナリオ

中国から欧米へ、更にはインドなどアジア諸国やアフリカ、ラテンアメリカへと都市封鎖が拡がっている。(注)この現状から今後起きうる更なる惨劇は、二つのシナリオのいずれを選択しても避けられないと論じられているようにみえる。
(注)Johns Hopkins University,Corona Virus Resource Center, https://coronavirus.jhu.edu/map.html

 

  • ロックダウンが経済活動の停滞を招き、経済恐慌といっても過言ではないような事態を招く。破綻した経済は、膨大な数の経済的に困窮した人口をもたらし、困窮を原因とした生存の危機にみまわれる人々が生じる。経済の破綻と貧困の蔓延は、コロナウィルス感染の予防や治療に必要な医療システムの崩壊をまねき、結果として感染の拡大を食いとめられなくなり、ロックダウンの強化・拡大へと向い、上記の悪循環に陥る。

  • ロックダウンを緩和して、経済の停滞を回避し、経済活動を維持する場合、人々の活動が活発化し、接触も増える。検査体制が万全でないなかで、感染の拡大は避けられない。経済活動を維持した結果としての感染の拡大は、「医療崩壊」を招き、都市封鎖などの強力な地域隔離を選択せざるをえなくなるが、経済の維持のためには、再びリックダウンを緩和せざるをえなくなり、上記の悪循環を招く。

上に書いたことは、実は、私たち一人一人にもあてはまる。「自主隔離」で仕事にも行かず自宅を出ないとすれば、収入の道を断たれ、家賃も払えず、食料の調達もままならず、生存の危機に陥る可能性が高くなる。自主隔離は、近親者への感染が避けられない。軽症ならばそれもよし、というのが政府や医療専門家の見解のようにもみえる。全く孤立して生きることはできないから、こうした困窮のなかで万が一感染すれば、リスクはより多きなものになる。他方で、検査もされないまま仕事を続ければ、混雑する電車で通勤し、人と接触せざるをえないことになり、感染のリスクは高まるとともに、自分もまた他人に感染させるリスク源になる。検査も治療もままならない状態になっても食うために働くというリスクを選択せざるをえない。

1.2 知る権利 v.s. 不合理な同調圧力

自分が感染者なのかどうかをほとんどの人は知りえる環境にない。感染しているのか、していないのかで、私たちのとるべき「正しい」態度は変るが、知るための道を政府によって意図的に断たれている今、「正しい」選択そのものを選べない状態にある。陽性であるのか、陰性であるのかを知っている場合にのみ、正しい行動とは何なのかが確定できる。態度選択の前提となる情報が得られないなかで、行政や資本の指示に同調することを半ば強制される。この極めて不合理な状況を私たちは受け入れさせられている。
 
私が感染者であるかどうかを知る権利がある。この権利は、私のみならず私に関わる人々の生存の権利と密接に関係する。
 
この知る権利を主張することがいかに非現実的に感じられるとしても、この主張なしには、合理的な判断を下すことができない。合理的な判断が下せなければ、不安感情が増長し、人々は不合理な感情に支配されることになる。不安感情は、自分ではどうすることもできない未だ到来していない脅威と感じる何ものかを想起することによって喚起される。人びとの行動を新たな立法で取り締まるために政府が用いる手法は、人びとの不安感情を権力の利益のために利用する方法である。権力にとっては、この不合理な人々の同調心理を欲しているといってもいい状況が生まれている。
 
こうして、人々の行動を決定する重要な要因のひとつは、社会心理的な傾向かもしれない。「上」からの指示に容易に従い同調しやすい傾向の人なのかどうか。現在の政権を支持しているのかどうか。医療への信頼があるかどうか。そしてそれぞれの人々がもつ社会関係、つまり家族などの親密な集団、職場や学校、地域などの人間関係が権力や支配的な秩序との関係において「ポジティブ」なのか「ネガティブ」なのかといった半ばイデオロギーや信念に関わる要因が、それぞれの人々の行動を左右するかもしれない。
 
不安感情を権力に利用させない方法は、私たちが自分の身体の状態を知ることにある。陽性なのか陰性なのかを知ることは、知る権利を通じて不合理な権力による私たちの心理への介入を阻止するための前提条件でもある。

1.3 一律の封鎖:テロとの戦争下での大量監視が世界規模で拡大する

感染の有無の拘わらず、全体として人との距離をとる、閉鎖空間で多数が集まらないことを事実上強制され、自粛要請に応じなかった場合のリスクは自己責任とされる。集会や人とのコミュニケーションは政治活動の基本であり、民主主義を支える社会の合意形成の基本である。医療の専門家の意見を引き合いに出して、基本的人権としての自由の権利を制約せざるをえない事態にあると政府や国際機関は強調する。しかし、この制約の根拠となる事実の把握を政府(地方政府を含めて)は怠っている。「怠っている」という意味は、感染の拡大が虚偽であるとか、見通しが意図的に誇張されているとかという意味ではない。感染していない者に対しても感染している者とみなして、社会活動の全面的な自粛や強制的なロックダウンの措置をとることが正当化されているといういことだ。これが世界的な傾向になっているが、これは果して唯一の選択肢なのか、ということである。
 
対テロ戦争以降、人々をテロリストである可能性があるとみなして一律に監視する大量監視の技術が導入されてきた。こうした監視社会化のなかで開発されてきた監視と管理の技術に支えられて、今回の世界規模でのロックダウンや外出禁止があると思う。SNSやネットの存在を軽視すべきではない。人々の心理や感情を操作する技術の高度化は目覚しく、その副作用として、フェイクニュースが人々の不安と相互敵意を煽ってもいる。感染の有無を調査する技術があるにも拘わらず、これを駆使せずに、すべての人々を感染者とみなして事実上の隔離や自由の剥奪を実施するやりかたは、決してコロナウィルスが最初だというわけではない。

1.4 政治活動の自由の崩壊

ロックダウンやこれに準ずる強い自粛要請は、政治活動の自粛の要請でもある。集会やデモなど集団による活動が事実上不可能になるか、場合によっては違法とされる。結果として、政治的自由に基づく反政府運動が果してきた政権や支配的な資本の暴走に対する歯止めの役割は後退せざるをえなくなる。
 
〈運動〉の自粛圧力が高まる一方で、政権中枢への権力の集中と企業活動への政府のバックアップ強化との間の不均衡は、確実に〈運動〉への逆風となってあらわれるだろう。自分自身が感染しているのかどうか確かめる術すらないなかで、〈運動〉を継続させることによって、時には感染の拡大を招くこともありうる。こうした場合、政府や権力者たちはメディアも動員して〈運動〉への批判を強めるだろう。しかし。その一方で、経済活動など企業の活動のなかで拡がる感染についてはやむをえないものとして容認したり理解ある態度を示す。こうした態度は、大衆の心情にもみられる。諸々の社会活動を「不要不急」の活動であるとみなされる。地域の運動は、あたかもどうでもいい私的な趣味以下の評価しか受けていないようにも思う。こうして、人々の社会的な活動や政治に関わる活動は、企業や行政の活動に比べて著しく軽視され、企業と行政はかぎりなく正常に近い活動を維持するために、それ以外の活動を抑制しようという態度が、社会の多数の人々の合意となりつつある。
 
少なくとも政治的自由が形式的にであれ保障された国では、この反体制反政府運動が無視できない政治的な勢力として存在することによって、権力を握る支配者たちに対して、法の支配を受け入れさせてきたし、支配者もまた法の名のおいて自らの権力の正統性を維持しようという面倒な努力をしてきた。政治的な自由が抑圧されると、このタガが外れる事態が生まれる。しかも、新型インフルエンザ特措法の改正に際して国会の野党がとった態度に端的に示されているように、この自由の抑圧は権力者の側だけでなく左右の「野党」の側からも持ち出される。

1.5 権威主義の増長

現在の事態は、世界規模で、民衆自らが、これを空前の危機として実感し、この危機に対応することができるのは、現実に権力を握る者たち、つまり立法でも司法でもなく行政権力による迅速な行動を通じた危機回避だという感情から、既存の政権への期待が高まる。討議による法の制定を通じた政策の策定といった時間のかかる民主主義的なプロセスよりも、権力の集中と強いリーダーシップへの期待が上回る。世界規模で高揚してきた右翼ポピュリズムは、民主主義よりも権威主義と排外主義(封鎖)を待望する傾向が顕著だ。この傾向がコロナウィルスの危機で更に目に見えないかたちで浸透しているようにみえる。強いリーダーシップを端的に示す態度とは、法を超える力の行使にある。緊急事態を理由に、法の支配を否定する態度を待望する傾向が大衆のなかにもある。我々(つまり特定の国民や民族)を救い、害を齎す者たち(大抵は外部の他者)を排除せよ、という要求になる。大衆自らが危機に対応できない民主主義を見捨てる。しかし、危機に対応できないのは、民主主義なのではなく、資本と国家が社会を支配する現在のシステムそのものにあるのだが…。
 
わたしたちが考えなければならないのは、危機のなかで、社会運動、市民運動、労働運動、人権活動など様々な既存の体制に対して異議申し立てを行なう広義の意味での政治活動の自由をどのように維持すべきなのか、である。規模の大小に関係なく、政府や権力に抗う〈運動〉を人生のなかの重要な活動と位置づけて生きている人々にとって、自粛の同調圧力は〈運動〉を半ば放棄することを強いられることでもある。
 
そして、同時に重要なのは、この生存の危機のなかで、富も権力ももたない私たちが、あたかも国家や資本の指導者であるかのような役割演技をして、日本経済のが破綻を危惧したり、といった「お国」の危惧を内面化してしまうという罠を回避することだとも思う。

2 生存を保障できない資本主義

2.1 なぜ悉皆調査が不可能なのか

新型コロナウィルスのワクチンはまだ開発されていない。不顕性の感染者が多数いることも知られており、こうした感染者からの感染の拡大があることもほぼ確実と思われる。陰性か陽性かの検査は可能になっているから、理論的には、すべての人口を検査し、陽性者を陰性者と接触できないような環境を構築することができれば感染の拡大は阻止できる。しかし、こうした方法を数千万、数億という国家の人口全体に適用することは不可能であるとみなされているように思う。こうしたなかで、私たちが問う必要があるのは、なぜ不可能なのか、である。この不可能の原因はどこにあるのか。これを可能にする社会とはどのような社会なのか、である。今の社会が不可能ならば、今の社会をリセットして、私たちの生存の権利を保障できる社会を構築する以外にない。
 
自粛も同調もせず〈運動〉を継続させるが、同時に、感染症の蔓延に手を貸さず、むしろ感染症とも闘うことに繋げるにはどうしたらよいのか。この問いに答えるためには、

 

  • 集会の自粛、あるいは集会場の閉鎖のなかで、〈運動〉の討議や合意形成やどのようにして確保できるのか。
  • 憲法が保障する基本的人権、とくに自由の権利は危機のなかでどのようにして確保できるのか。
  • 〈運動〉が事実上閉塞状態に置かれるとき、社会的な矛盾はどのような形で露呈するのか。
  • 危機に対峙できる〈運動〉の再構築をどのようにすべきなのか。

といった一連の問いと向き合わなければならない。

3 感染症の政治学

3.1 中立性?

この現在実感される危機は、戦争ではなく、医学的な現象とみなされているから、それ自体政治的経済的あるいは社会的な原因を伴わないものだと理解されている。この伝染病の危機は、政治的には中立な危機のようにみえる。従って、政治的な立場やイデオロギーを超越して、人類が一丸となって取り組むべき外部の敵とみなされている。
 
私はこうした政治的中立の観点をとらない。新型コロナウィルスはそれ自体が政治的な疫病であり、この世界規模での感染拡大は、現在のグローバル資本主義の矛盾と限界と不可分なものである。ここでいう政治的な疫病の意味は、政治が感染源を意図的に生み出したということではなく、社会を統治するメカニズムが感染を阻止する上での最適の選択肢をとることができず、結果として感染の拡大を招く危険性がある、という意味である。資本主義が私たちに与える選択肢は、自らの身体の健康を市場を通じて医療サービスを買うことで維持するか、政府の医療政策・制度に委ねるかの二者択一しかない。この二つとも、私たちの身体がどうなのか、どうすべきなのかについての知る権利を生得の権利としては保障しない。医学の免許を持たない私たちは知識すら奪われ、市場と政府を通さない相互扶助の可能性はわずかしか残されていない。
そもそもの感染症それ自体は医学的な出来事だが、これに対処するための医療に関わる技術を医療体制のなかで運用する全体のメカニズムは医学に還元することはできない。政府の財政、法制度、医療関連産業などが全体としてどのように機能するのかに依存する。米国の医療産業のなかでの議論はこうした社会システムの動向を極めて率直なかたちで表わしてる。(ブログの記事参照:大手製薬会社はコロナウイルスから利益を上げる準備をしている銀行が医療企業に、コロナウイルスの重要な医薬品、医療用品の価格引き上げ圧力をかけている)

3.2 作られた医療崩壊

医療関連産業が市場経済に委ねられている結果として、私たちの健康や生命が私たちの所得と連動するようになってしまった。端的にいえば金銭的な豊かさと健康との間に不可分な比例関係が構築され、これが当たり前として通用するようになった。他方で、医療が資本の論理で機能することを強いられる結果として、最大限利潤を追及する動機によって投資が決定される。製薬会社がワクチンを開発するかどうかを決定するための最大の条件は、開発・商品化が利益にみあうかどうか、にある。社会的な危機が深化しワクチンへの需要が高まり、更に毎年繰り返し発生すると予想されるのであれば、商品化は進むだろう。市場の需給メカニズムに委ねられれば確実に価格は上昇し、特許制度や産業の寡占化は更に価格を押し上げる。世界規模の所得格差のなかで医薬品産業がいかに人命を利潤のために犠牲にしてきたか、これまでの経緯を踏まえれば、明かだろう。開発競争と市場への医薬品の供給を支えているのは人権や社会的責任ではなく資本の利潤でである。他方で、政府が医療に対して十分な財政措置を試みるかどうかは、権力の再生産過程に関わる。
 
感染の拡がりに対応しきれない医療体制は、その崩壊を危惧して必要な検査体制を抑制しているようにみえる。既存の医療体制を防衛するために、人命を犠牲にすることもやむおえないかのように論じられる。他方で、「隔離」の必要が主張され、外出することは国によっては厳しい処罰を課されさえするようになっている。隔離あるいは外出禁止を具体的なデータもなしにトップダウンで命じる政権は中国であれ欧州の民主主義を標榜する国であれ、いずれの国でも起きている。客観的で信頼できるデータがないのは、検査体制が整わないからだが、検査体制が整わないのは、検査すれば感染者の実態が表に出て、隔離せざるをえなくなり、これに医療体制が追いつかない医療崩壊が起きることが想定されるからだという。こうしてわたしたちは、医療を崩壊させないために、感染しているのかどうかの検査もされずに、放置され、陽性の不安を抱えつつ、検査されていない人々との接触の不安を抱えながら暮す。この状態を所与として、権力は、人々が相互に接触しないように隔離することが正当化される。

3.3 本来すべきことがなぜできないのか

本来なら、次のようにすべきだろう。

  • 全ての人々を検査し、陽性者を確認する。
  • 陽性者が他の人に感染させない措置を家族などに委ねず、陰性の者が通常の生活を送れるようにする。
  • 陽性者への治療を実施する。
  • 市場経済に委ねないで治療に必要なワクチンや医薬品の開発を行なう。

問題は、なぜこうしたことができないのかである。資本主義は、社会の人口がその生存に必要とするモノを市場を通じて供給するシステムに依存する。モノには社会的に必要な側面が何割かは含まれているが、これを供給する資本は社会的義務に基いてではなく、私的な利潤動機によって行動(投資)を選択する。ファストフードに含まれる添加物や健康被要因と人間の生理的な栄養摂取とが不可分な形で商品として供給されるように、モノの社会性は資本の私的な動機によって大きく歪められる。だから、社会性とは資本主義における社会性であって、決して普遍的ではない。社会性は資本なしには実現できないという特性をもたざるをえない。だから、経済活動にとって不都合な要因を市場から排除し、これを家族や親密な人間関係に委ねようとする。

 
他方で、政府は権力を最大化する動機によって行動を選択する。政府は近代社会であれば、国民国家として、民主主義による統治の正統性が担保される。権力の最大化もこの全体の権力構造の特異性に規定される。社会の人口は、国民としての人口を意味するが、この国民(このカテゴリーに含まれない人口を暗に排除する概念でもある)の生存に必要とされる社会的(国民的)な規範は、統治機構を通じて公的な正統性と強制力を獲得する。資本が利潤を最大化するように、権力は政治的な価値の最大化を目指す。
 
市場における資本利潤の最大化と政府の権力価値の最大化が、最適な生存のための手段と結果をもたらすということは証明されていない。マルクスは生産の社会的性格と所有の〈私的〉性格のあいだに資本主義の本質的な矛盾の一面をみたが、この指摘は資本主義の問題の半面であって、残るもうひとつの問題は、政治的権力に関わる。統治の社会的性格とその行使の〈私的〉性格とでも言いうるような矛盾がここにはある。(注)本来移譲することなどできない諸個人の権利を他者に移譲・委任して統治権力が占有される構造(権力から排除される構造)だ。結果として生存の権利は、資本と国家の私的な利害を迂回してのみ、その限りにおいて保障されるにすぎない。コロナウィルス対策が最適な方法で実施できないのは、経済と政治の資本主義的な矛盾の構造に直面するほどにその危機が大きくなってしまったからだ。
 
(注)ここでいう「私的」という概念は、誤解を招きやすいがああえて用いることにした。 物理的に不可能、あるいは非現実的と思われる事態が起きたときに、私たちは、対応することが不可能な困難な事態であるとみなしがちだ。しかし、本当に対応できない事態なのかどうかという問題は、社会構造との相関関係のなかで規定されることだということを忘れがちだ。近代資本主義の社会・空間の構造が、生存を支えるインフラとしての機能を超えた人口を都市に集中させている。都市への集中は、社会インフラを「節約」し、人口を効率的に管理する上で分散的な小規模コミュニティを基盤にした社会よりも効果があることは見落されがちだ。
 
今起きていることは、資本主義が構造的に抱えてきた生存の権利を保障できないシステムとしての限界が露呈されたということでもある。しかし注意しなければならないのは、こうした資本主義の限界の露呈は、資本主義の崩壊とか破綻といったシステムの終焉を招くことはないだろうということでもある。システムはいかに危機にあり機能不全に陥っていても、このシステムにとってかわる新しいシステムが登場しない限り延命しつづける。

3.4 諸権利相互の衝突:自由と生存の権利関係

資本主義は民衆の生存の権利よりも資本と国家の再生産を優先させようとする。資本と国家の再生産という迂回路を通してしか民衆の生存を維持できない。言い換えれば、民衆を国民的な<労働力>として再生産することを通じて資本と国家の再生産が実現され、この両者の実現を通じて副次的に「人間」の生存が確保される。
 
近代国民国家は、その政治的支配の正統性の前提に、近代的個人の人間としての権利の保障を掲げる。この権利には、自由、平等、生存、財産など様々な権利が列記され、あたかもこれらの諸権利が相互に両立するかのような言説によって、これら諸権利が実際には深刻な二律背反にあることを覆い隠す。戦争であれ伝染病であれ、資本と国家を危機に追い込む現象が顕著になるとき、これら諸権利相互の間には資本と国家の利害を体現した優先順位が設定されていることが露骨に示される。新型コロナの危機では、政府は、権力の再生産の観点から「国民」の「生存の保障」という言説を通じて、実際には民衆の自由の権利を抑制する。まともな検査もせずに、すべての人口を十把一絡げにして隔離し、国民の属さない人々を国外に追放することを、あたかもやむをえないかのように主張して緊急事態を正当化する。
 
生存の権利が危機的になるとき、権力が率先してこのような意味での「生存」の権利の擁護者を僭称して、唯一の生存の守護者であることを強調する。同時に、大衆のなかから、メディアの論評も含めて、危機に対処できる強いリーダーシップを求める声が高まる。民衆もメディアも法の支配の原則をかなぐりすてて、法にとらわれない強いリーダーによる支配、つまり権威による支配を待望する。こうした要求は、政権政党(国政であれ地方政府であれ)だけでなく、民主主義を標榜する野党からも右翼的な権威主義的な野党からも共通して上る。こうした挙国一致の雰囲気に支えられた社会は、人権を保障する自由と平等の実質をもつ社会となることはまずありえない。
 
議会制であれ直接民主主義であれ、あるいは草の根の合意形成の様々なスタイルであれ、人々が自由闊達な意思表示と意見交換を通じて、権力や支配に対して抵抗の行動をとり、あるいは権力を転覆させる力(暴力とは限らない)を集団として発揮することによって、資本であれ国家であれ、現に存在する権力の構造は流動化し動的な転換の可能性をもつことになる。こうした政治的な自由の空間は、社会が戦争や危機にあるときにこそ、その意味は大きい。
 
資本主義は民衆の生存も自由も保障しないシステムである。そうであるとすれば、このシステムをどのようにして解体するのか、という課題を担うことは左翼としての必要条件であることは言うまでもない。しかし、危機の時代に、生存の権利を資本と国家が保障するように要求する立場は、資本主義を解体しようとする意思に基く要求とどのように整合するのだろうか。既存の権力が危機の前で立ち往生しているとき、危機に対する資本主義的な救済に手を貸すような立場を私たちはとる必要はない。この危機のただなかにあって、私たちは、資本主義が生存の権利と自由の権利を保障するとのできないシステムであることを身をもって経験するなかで、この二つの権利と更に平等の権利を加えた諸権利を総体として実現することが可能な社会システムへの転換を模索すべきである。こうした社会の大転換は、既存の経済システム(資本と市場によるシステム)と政治システム(国家による統治システム)を与件とするのではなく、これらから相対的に自立したシステムの構築を自覚的に目指しうるような構想力を必要とする。
 
前にも述べたように、危機は資本主義の崩壊を招くことはない。危機のなかで、危機が深刻であればあるほど資本主義は、危機への耐性を身につけて回復の軌道を構築するにちがいない。これに対して資本主義という時代を歴史的な過去へと葬り去れるのは、システムが危機にあろうと繁栄を謳歌していようと、そのいずれにあっても、自由・平等・生存を保障できないシステムから決別して、資本と国家の境界を意識的に超えるところで形成される歴史上これまで存在したことのない新しい社会へと向うことを可能にする集団的で民衆的な潜勢力のみだ。

戦争で他国の人を不条理に殺すことを厭わない国々が、自国の領土で人々が死ぬことを恐れ、政治的な権利を棚上げする。

生存の権利に国境はない。コロナに怯えるなら軍隊もなくせ。人を殺す政治をやめよ。

(付記:この原稿は、3月27日の大阪、28日の京都で行なった講演の原稿の一部です)

大手製薬会社はコロナウイルスから利益を上げる準備をしている

以下の記事の飜訳です。

出典: Big Pharma Prepares to Profit From the Coronavirus
Sharon Lerner
March 14 2020, 3:46 a.m.
https://theintercept.com/2020/03/13/big-pharma-drug-pricing-coronavirus-profits/

大手製薬会社はコロナウイルスから利益を上げる準備をしている
シャロン・ラーナー

2020年3月14日

新型コロナウイルスが世界中に病気、死、そして大惨事を広めているため、経済の実害は免れない。しかし、世界的大流行の混乱の中で、1つの業界だけは生き残るだけでなく、かなりの利益を上げている。

「製薬会社はCovid-19を一生に一度のビジネスチャンスだと考えている」と、「Pharma:Greed、Lies、and the Poisoning of America(注1) 」の著者であるGerald Posnerは述べている。もちろん、世界に医薬品は必要だ。特に、新型コロナウイルスの大流行には、治療とワクチン、そして米国では検査が必要だ。数十の企業が今、これらを作るために競争している。

「全員がこのレースに参加している」とPosnerは語る。世界的な危機は「売上と利益の面で業界にとって大ヒットになる可能性がある」と述べ、「パンデミックが悪化すればするほど、最終的な利益は高くなる」と付け加えた。

医薬品で金を稼ぐ能力は、他国のような基本的な価格管理のない米国ではすでに非常に大きなもので、世界の他のどこよりも製薬会社による製品の価格設定の自由度が高くなっている。(注2) 現在の危機の間に、ロビイストの働きかけによって、パンデミックからの利益を最大化する83億ドルのコロナウイルス支出パッケージが先週議会を通過したことで、製薬メーカーは通常よりもさらに余裕があるといえよう。

当初、一部の議員は、連邦政府が公的資金を利用して開発した新型コロナウイルスのワクチンや治療による製薬会社の利益を制限しようとした。2月に、イリノイ州Jan Schakowsky下院議員その他の下院議員は 、トランプに「米国の納税者のドルで開発されたワクチンまたは治療は、アクセス可能で利用可能で手頃な価格を保証すべきだ」と訴えた。(注3)「製薬会社が価格を設定し、流通を決定する権限を与えられ、健康上の優先事項よりも利益を上げることを優先する場合」、こうした目標は達成できないだろうと述べた。

コロナウイルスの資金調達交渉がなされていたとき、3月2日、Schakowskyは保健・福祉局長官の Alex Azarに、「会社が希望する価格を請求でき、ワクチン開発費を負担した人々に売り戻すやり方で、価格設定やアクセス条件なしで排他的ライセンスを通じて、ワクチンを製造販売する権利が、独占的に製薬会社に引き渡されることは受け入れがたい」と再び書簡を書いた。(注4)

しかし、多くの共和党員は、研究と革新を抑制することを理由に、法案を業界の利益を制限するように手直しすることに反対した。そして、トランプ政権に加わる前に大手製薬会社Eli Lilly のトップ・ロビイストで米国事業の責任者を務めていたAzar(注5)は、Schakowskyの懸念を共有うると請け合いながらも、法案では、納税者のドルで開発したワクチンや薬に対して製薬会社が潜在的に法外な価格を設定することを可能にした。(注6)

支援パッケージの最終案では、薬品メーカーの知的財産権を制限する文言が省略されただけでなく、連邦政府は、以前の草案にあった公的資金で開発された治療法またはワクチンの価格が高すぎると懸念される場合何らかの措置を講じることができるとする文言が除外された。

「ロビイストたちは、知的財産条項を削除できたので、製薬会社にとっては勲章もの。パンデミックの間に彼らにこうした権力を持たせるのは言語道断だ。」とPosnerは語る。

実際、公共投資から利益を得ることも製薬業界にとっては通常のビジネスなのだ。Posnerの計算によると、1930年代以来、国立衛生研究所が約9000億ドルを研究に投入し、製薬会社がブランド薬の特許を取得していた。2010年から2016年の間に食品医薬品局によって承認されたすべての薬は、NIHを通じて税金で賄われた科学研究が関係していた。アドボカシーグループのPatients for Affordable Drugs(注7) によれば、納税者は研究に1,000億ドル以上を費やしてきた。

公的資金で開発され、民間企業の大きな収入源となった薬の中に、HIV薬AZTとノバルティスが現在475,000ドル(注8) で販売している癌治療Kymriahがある。

ポズナーは彼の本で、民間企業が公的資金で生産された薬から法外な利益を上げている別の例を指摘している。C型肝炎の治療に使用される抗ウイルス薬であるsofosbuvirは、国立衛生研究所から資金提供を受けた研究から生まれた。この薬は現在、Gilead Sciencesが所有しており、1錠あたり1,000ドルである。これは、C型肝炎の多くの人々が負担できる金額を超えている。Gilead Sciencesは、最初の3年間にこの薬から440億ドルを獲得した。

「これらの薬の利益の一部をNIHの公的研究に還元することは素晴らしいことではないか?」 とPosnerは問う。

しかし、利益は製薬会社の経営者の莫大なボーナス(注9) や消費者への薬の積極的なマーケティングに使われた。これらは、医薬品部門の収益性をさらに高めるためにも利用されている。Axiosの計算 (注10)によると、製薬会社は米国での医療総利益の63%を稼いでいる。これは、ロビー活動の成功にその一因がある。2019年、製薬業界はロビー活動に2億9500万ドル(注11)を費やした。これは米国の他のどのセクターよりもはるかに多く、これに次ぐエレクトロニクス、製造、および機器セクターのほぼ2倍であり、石油とガスの2倍をはるかに超える額をロビー活動に費やした。業界は、民主党と共和党双方の議員に対する選挙キャンペーンにも惜しみ無い寄付をしている。民主党の予備選挙を通じて、ジョー・バイデンは医療(注12)および製薬業界(注13)からの寄付受け取り額で群を抜いている。(注14)

大手製薬会社の支出は、業界を現在のパンデミックに対してうまい位置づけをしている。株式市場はトランプ政権の危機対応のまずさに反応して急落したが、新型SARS-CoV-2ウイルス関連ワクチンその他の製品に取り組む20社以上の企業の大部分がこの株価下落を免れている。2週間前にコロナウイルスワクチンの新しい候補薬の臨床試験への参加者を募集し始めたバイオテクノロジー企業Modernaの株価は、この間に急騰した。

株式市場のが大暴落した木曜日、Eli Lillyの株も、同社が新型コロナウイルスの治療法を開発に参入を検討することを発表した後、急騰した。(注15)また、潜在的な治療法にも取り組んでいるGilead Sciencesも繁栄を謳歌している。(注16) Gilead Sciencesの株価(注17) は、エボラを治療するための抗ウイルス薬のremdesivirがCovid-19の患者に投与されたというニュースのあとからすでに上昇している。今日、ウォールストリート・ジャーナルがクルーズ船で感染した少数の乗客に薬が効果をもたらしたと報じた後で、価格はさらに上昇した。

Johnson&Johnson、DiaSorin Molecular、QIAGENなどのいくつかの企業は、パンデミックに関連する取り組みのために保健福祉省から資金を受け取っていることを明らかにしたが、Eli LillyとGilead Sciencesがこのウィルスに関して政府の金を利用しているかどうかは不明だ。現在までに、HHSは補助金を受けとっている企業ののリストを公表していない。また、 ロイター(注18) によると 、トランプ政権はコロナウイルスに関する議論を機密扱いとし、機密取扱者の人物調査を受けていないスタッフをウイルスに関する議論から除外するよう保健当局に指示した。

Eli LillyとGileadの元トップロビイストは、現在ホワイトハウスのコロナウイルス・タスクフォース(注19) に参加している。AzarはEli Lillyの米国事業部長を務め、会社のロビー活動を行い、現在はthe Domestic Policy Councilのディレクターを務めるJoe GroganがGilead Sciencesのトップロビイストである。

原注
1 https://www.simonandschuster.com/books/Pharma/Gerald-Posner/9781501151897

2 https://theintercept.com/2019/12/09/brexit-american-trade-deal-boris-johnson/

3 https://schakowsky.house.gov/media/press-releases/house-democrats-demand-fair-drug-pricing-taxpayer-funded-coronavirus-vaccine-or

4 https://schakowsky.house.gov/sites/schakowsky.house.gov/files/20200302_Congresswoman%20Schakowsky%20Letter%20to%20Secretary%20Azar-page-001%20%28002%29.jpg

5 https://theintercept.com/2020/02/29/cronyism-and-conflicts-of-interest-in-trumps-coronavirus-task-force/

6 https://schakowsky.house.gov/sites/schakowsky.house.gov/files/20200228%20Azar%20re%20Coronavirus%20Vaccine%20Affordability%20Exchange%20at%20EC%20HE%20Hearing-page-001.jpg

7 https://www.patientsforaffordabledrugs.org/2019/07/23/nam-comments/

8 https://nucleusbiologics.com/resources/kymriah-vs-yescarta/

9 https://www.axios.com/health-care-ceo-pay-compensation-stock-2018-0ed2a8aa-250e-48f1-a47a-849b8ca83e24.html

10 https://www.axios.com/pharma-health-care-economy-q3-profits-53b950b2-5515-4d79-b1f5-7067bf3652d1.html

11 https://www.statista.com/statistics/257364/top-lobbying-industries-in-the-us/

12 https://theintercept.com/2019/10/25/joe-biden-super-pac/

13 https://theintercept.com/2019/11/07/joe-biden-fundraiser-sidley-austin/

14 https://www.opensecrets.org/news/2019/07/20dems-are-taking-money-healthcare/

15 https://www.bloomberg.com/news/articles/2020-03-12/eli-lilly-is-said-to-join-race-to-develop-coronavirus-treatment

16 https://www.investors.com/news/technology/stocks-to-watch-gilead-sciences-sees-relative-strength-rating-rise-to-92/

17 https://www.investors.com/news/technology/stocks-to-watch-gilead-sciences-sees-relative-strength-rating-rise-to-92/

18 https://www.reuters.com/article/us-health-coronavirus-secrecy-exclusive/exclusive-white-house-told-federal-health-agency-to-classify-coronavirus-deliberations-sources-idUSKBN20Y2LM
(訳注 新型コロナ対策会議、「機密扱い」巡るロイター報道に米当局者が反論 https://jp.reuters.com/article/usa-ronavirus-secrecy-idJPKBN2100PO)

19 https://theintercept.com/2020/02/29/cronyism-and-conflicts-of-interest-in-trumps-coronavirus-task-force/

銀行が医療企業に、コロナウイルスの重要な医薬品、医療用品の価格引き上げ圧力をかけている

以下の記事の飜訳です。あまりいい訳ではありませんが。

出典:Banks Pressure Health Care Firms to Raise Prices on Critical Drugs, Medical Supplies for Coronavirus
Lee Fang
March 20 2020, 4:03 a.m.
https://theintercept.com/2020/03/19/coronavirus-vaccine-medical-supplies-price-gouging/

銀行が医療企業に、コロナウイルスの重要な医薬品、医療用品の価格引き上げ圧力をかけている

イ・ファン

2020年3月19日午後7時3分

ここ数週間、投資銀行家は、危機から利益を得る方法を検討して、治験薬を開発している製薬会社や医療供給会社を含む新型コロナウイルスと最前線で闘う医療企業に圧力をかけている。

メディアは主に、今不足している医療用品や衛生用品の市場を利用して、マスク(注1)や手指消毒剤(注2)を買いだめして、より高い価格で転売する個人に焦点を当てている。しかし、医療業界の最も大きな意見は、医療企業に投資する銀行家や投資家同様、パンデミックへの緊急支出から数十億ドルの利益を得ることに固執している。

過去数週間にわたり、投資銀行は、薬価引き上げの機会について、投資家との電話や医療カンファレンスで率直な態度をとってきた。場合によっては、銀行家は医療の幹部から激しい非難を受けた。あるいは、幹部はオピオイド危機に対する世論の圧力を避けるためにCovid-19に注意を逸らしているんだというような冗談を言っていた。

Covid-19の症状を治療する最も有望な薬剤であるremdesivirを製造している会社Gilead Sciencesは、投資家の圧力に直面している会社のひとつだ。

remdesivirは、デング熱、西ナイルウイルス、ジカ熱、MERSおよびSARSの治療薬として開発された抗ウイルス薬だ。世界保健機関は、「コロナウイルスの治療に真に有効性があると考えられる現時点で唯一の薬剤」、これがremdesivirだと述べている。

この薬は、連邦政府の国立衛生研究所の助成金(注3)を得てアラバマ大学と共同で開発されたが、カリフォルニアに本拠を置く大手製薬会社であるGilead Scienceが特許を取得している。同社は、過去に価格設定について厳しい批判に晒されてきた。かつて、C型肝炎治療薬の1年間の供給に対して84,000ドル(注4)を請求した。これも政府の研究支援で開発(注5)されたものだ。Remdesivirは、25億ドルの一時的な利益を生み出すと推定(注6)されている。

今月初めの投資家のカンファレンスで、投資銀行Cowen&Co.の社長Phil Nadeauは、Gilead Science社が「Remdesivirの商業戦略」を計画していたのか、それとも「Remdesivirからビジネスを生み出す」ことができるかどうかについて、Gilead Scienceの幹部に質問(注7)した。

Gileadの執行副社長であるJohanna Mercierは、同社は現在、パンデミックの解決策を見つけるために最善を尽くし、製品を寄付し、「リスクをとりながら製造し、能力向上」を行っていると述べた。彼女は、同社は現在、主にremdesivirへの「患者アクセス」と「政府アクセス」に焦点を当てていると語った。

Mercierは、「これが季節性疾患になるとか、備蓄が必要になれば商機になるかもしれないが、それはずっと後のことだろう」と付け加えた。(注8)

Barclays Investment Bankの社長、Steven Valiquetteは先週、N95マスク、人工呼吸器、医薬品のヘルスケア販売業者であるCardinal Healthの幹部に、同社がさまざまな供給品の価格を引き上げるのかどうかについて質問を浴びせかけた。

Valiquetteは、さまざまな製品の潜在的な価格上昇について繰り返し問いただしている。彼は、「価格の面」で「品不足のリスクの一部を相殺する」ことができるかどうかを尋ねた。

Cardinal Healthの最高経営責任者であるMichael Kaufmannは、「これまでのところ、コロナウイルスに関連する重大な価格上昇はまだ見られていない」と述べた。Kaufmannによると、Cardinal Healthは価格決定を行う際にさまざまな要因を検討し、「当社は常に最低コストを獲得できるように積極的に闘う」と付け加えた。

「利益全体の基盤に関するかぎり、すべての種類で純益が一貫したものになるように、品不足の可能性を相殺するように価格引き上げはできるのか?」とValiquetteは問いかけている。

Kaufmanは、価格決定は、一部の医薬品販売に関して柔軟性が高いとはいえ、プロバイダーとの契約に依存すると答えた。「コスト面を変更することで、若干の調整を行うことができる」と彼は述べた。

電話会議でのこの議論は、3月10日のthe Barclays Global Healthcare Conferenceで行われたものだ。ある時点で、Valiquetteは、コロナウイルスに関する「ポジティブな面」は、オピオイド関連訴訟へのCardinal Healthに対する「質問がこれまでより少なくなる」かもしれないという「良い兆候だ」があることだと冗談めかして語った。

Cardinal Healthは、中毒性の高い鎮痛剤を数百万も警告を無視して蔓延させて非難されているいわゆる鎮痛剤過剰投与(ピルミル)と呼ばれる薬局を経営する企業の1つだ。Kaufmannは、和解のための交渉が進行中だと指摘している。

翌日 、バークレイズグローバルヘルスケアコンファレンスで手術用ガウン、N95マスク、およびその他の医療機器の調達と製造を行うヘルスケアロジスティクス企業、Owens&Minorがプレゼンテーションを行なった。(注9)
音声データ

Covid-19危機を引用して、Valiquetteは同社に「需要の多い製品の一部で価格を引き上げることができるか」と尋ねた。その後、Valiquetteは「おそらく政治的な動きはないが」とクスクス笑いをしながら付け加えたが、価格引き上げを検討するかどうかについては「考えてみたい」というふうに会社側から言われている。

こうした質問を、Owens & Minorの最高経営責任者であるEdward Pesickaは厳しく非難した。「このような危機のさ中に、私たちの使命は真の顧客にサービスを提供することである。また、誠実さの観点から価格契約を締結している。従って、私たちはこれを利用して、客を「殺到」させて、価格を吊り上げ、短期的な利益を得るようなことはしない」と述べている。

複数の州でのオピオイド訴訟の被告でもあるCardinal Healthに同様の製品を供給するもうひつとの医療供給会社、AmerisourceBergenは、バークレイズのイベントでValiquetteから同様の質問に晒された。

AmerisourceBergenの社長兼最高経営責任者であるSteve Collisは、彼の会社が、医薬品の価格を制限するための政治的要求を押し返す取り組みに積極的に関与していると述べた。

Collisは、最近、「コロナウイルスのワクチン」の開発に関与する他の製薬会社との夕食会に出席した。薬価への介入が制限されるなかで事業を行っている米国企業は、専門家の間で批判を浴びてきた業界リーダーの1つであることを思い出していた。つまり、製薬業界への規制がないことが収益性の低いと見られるウイルス治療への投資を差し控えさせているという批判だ。Covid-19のワクチンを開発している大手企業は、ドイツ、中国、日本に拠点を置いている。これらの国は、製薬業界への政府の影響力が強い国でもある。

Collisによると、AmerisourceBergenは「DCの主要な利害関係者と極めて積極的に活動しており、われわれの優先事項は、薬価に関する合理的かつ責任ある議論に焦点を当て、政策変更のインパクトについて政策立案者を教育すること」だという。

カンファレンスの会話の後半で、ValiquetteはAmerisourceBergenにオピオイド訴訟について尋ねている。この訴訟は、さまざまな医薬品および医薬品販売代理人の被告らにとって最大1500億ドルの費用がかかる可能性がある。オピオイド訴訟の対象企業の1つPurdue Pharmaは、訴訟の脅威に対応するためにすでに破産保護(訳注)を追及している。

「多くを語ることはできない」とCollisは答えた。しかし彼は、会社が、示談交渉にパンデミック危機への対応における会社の重要な役割を利用していることをほのめかした。「この危機、コロナウイルス危機は、われわれが、きわめて財務体質が強力な会社であること、そしてわれわれのビジネスに投資しわれわれのビジネスと顧客との関係を成長させ続ける上で強力なキャッシュフローを持つことがいかに重要であるかということを何度も強調してきた」とCollisは語った。

コロナウイルスがオピオイド危機に関与している企業に利益をもたらすのではないかという希望は、すでに何らかの形で実現している。ニューヨーク州検事総長のLetitia Jamesは先週、3月20日に始まる予定のCardinal HealthやAmerisourceBergenを含むオピオイド企業や流通業者に対する訴訟がコロナウイルスの懸念から延期されると発表した。

市場の圧力により 、大規模な医療企業は、研究開発ではなく株の買い戻しやロビー活動に数十億ドルを費やすようになった。この件について、Barclaysはコメントを拒否し、Cowen&Co.はコメントの求めに応じなかった。

コロナウイルスの予期せぬ副作用は、営利目的の医療経営者たちに潜在的なリスクをもたらす可能性がある。スペイン(注10)では、政府が Covid-19患者の治療の需要を管理するために、民間の病院を含む民間医療提供者への管理を掌握した。

しかし、米国の製薬業界は大きな政治的影響力をもっている。保健福祉省長官Alex Azarは、大手製薬会社Eli Lillyの米国法人の社長を務め、医薬品ロビー団体であるthe Biotechnology Innovation Organizationの役員を務めていた。

先月の議会公聴会で、AzarはCovid-19のワクチンまたは治療は手頃な価格に設定すべきだという考えを拒否した。「手頃な価格にできるように努力したいとは思うが、投資する民間セクターが必要なので、価格をコントロールできない」「優先事項は、ワクチンと治療薬を入手することである。価格管理はできない」と述べた。

ワクチンその他の薬物治療研究に対する財政支援を提供するために、3月上旬に、最初の83億ドルのコロナウイルス支出法案が可決された。これには、政府が手頃な価格をめぐる懸念よりもむしろ危機に対処するすることの大切さを表明して、新薬導入の遅れを防ぐ規定を含まれていた。報道によれば、立法文案は業界ロビイストによって作られたものだ。

The Interceptが以前報じたように(注11) 、現在、ドナルド・トランプのコロナウイルス・タスクフォースに就任しているホワイトハウスの主要な国内政策アドバイザーであるJoe Groganは、Gilead Sciencesのロビイストを務めていた人物だ。

「市場からのプレッシャーにもかかわらず、企業のCEOはかなりの裁量権を持っている。この場合、価格の調整に非常に注意する必要があり、評判を落すだけではすまない問題に直面するだろう」と公益監視機関、Public CitizenのRobert Weissmanは、The Interceptとのインタビューで語った。

「彼らの不利益を防ぐとともに、彼らの独占に対するより構造的な制限を押し進めて当局が前に進むといった反動があるかもしれない」と、Weissmanは言う。

Weissmanのグループは、ミシガン州選出の民主党下院議員Andy Levin議員が政府に防衛生産法を発動してヘルスケア用品の国内製造を拡大するよう呼びかける活動を支持している。

他にも価格の上昇を防ぐために政府がとることができる手段があるとWeissmanは付け加えた。

「Gileadの製品は特許や独占で保護されているが、製品に政府が投資しているのだから、製品に対して政府は大きな発言権をもっている」として次のようにWeissmanは言う。

「政府は、資金提供を支援した製品のジェネリック医薬品競争を行うとか、非独占的ライセンスを防止するといった特別な権限を持っている」とWeissmanは言う。「政府の補助金と関係のない製品であっても、政府自身が買収したり購入するためにジェネリック医薬品競争のライセンス供与を強制することができる。」

製薬会社は、一過性の可能性となれば治療の利益が限られているため、ワクチン開発を回避することがよくある。テストキット会社その他の医療用品会社は、国内生産、特に短期の利用のために工場全体の規模を拡大する市場インセンティブをほとんど持っていない。だから、LevinとWeissmanは、政府は必要な医薬品とジェネリック医薬品の生産を直接管理すべきだと主張している。

先週の金曜日、Levin議員は換気装置、N95人工呼吸器、その他の不足に直面している重要な物資の生産を政府が担うよう求めた民主党下院議員たちが署名した書簡を配布した。

以前には考えられなかった方針が採用された。トランプは、危機の間に必要な物資を生産するよう民間企業に強制できる防衛生産法の発動を発表し、水曜日に承認された。特にこの法律は、大統領が緊急時に使用される重要な商品の価格上限を設定することを許可している。

原注
1 https://www.buzzfeednews.com/article/christopherm51/ukraine-coronavirus-robbery-masks

2 https://www.fox2detroit.com/news/brothers-who-stockpiled-nearly-18000-bottles-of-hand-sanitizer-donate-stash

3 https://www.uab.edu/news/health/item/11082-investigational-compound-remdesivir-developed-by-uab-and-nih-researchers-being-used-for-treatment-of-novel-coronavirus

4 https://theweek.com/articles/831637/why-government-allowing-drug-research-monopolized-profit

5 https://www.brookings.edu/opinions/publicly-funded-inequality/

6 https://www.aljazeera.com/ajimpact/gilead-stock-surges-comments-coronavirus-drug-200224194452522.html

7 http://wsw.com/webcast/cowen57/gild/index.aspx

8 https://soundcloud.com/the-intercept/cardinal-health-at-barclays

9 https://event.webcasts.com/viewer/event.jsp?ei=1290273&tp_key=22cb849886

10 https://www.businessinsider.com/coronavirus-spain-nationalises-private-hospitals-emergency-covid-19-lockdown-2020-3

11 https://theintercept.com/2020/03/13/big-pharma-drug-pricing-coronavirus-profits/

訳注 破産保護:米連邦破産法第11条、再建型倒産処理手続を内容とするもので、債務者自らが債務整理案を作成できることから、日本でいうところの民事再生法に相当します。また、チャプター11を適用した企業では、全ての債権回収や訴訟が一旦停止され、事業を継続しながら、過去の「負の遺産」を法律によって強制的に断ち切り、存続価値のある企業を目指して経営再建に専念できることから、比較的短期間での再建が可能と言われています。https://www.ifinance.ne.jp/glossary/global/glo089.html)