コロナウィルス

匿名・無料の検査を希望者に―自分の体調を知ることは基本的な生存権だ

連日メディアは感染の急激な増加をトップニュースで伝えている。このニュースやワイドショーで大抵話題になるのが、感染者をめぐる濃厚接触者など、関係すると思われる人たちとの関わりだ。家系図や相関図のような人脈図が表示されて、誰から誰にいつ感染してたのかが説明される。そして感染源を特定することが感染予防にとって最大の対策になるとも言われる。感染したのだから、誰か他人から感染したことは事実だ。この感染源を追えば、他の感染した人の発見につながるかもしれないともいう。だから感染経路が特定できないケースが増えると感染爆発につながるとも言われ、最近の東京ではこうした感染経路が不明のケースが増えていることが危惧されている。

私は、多分に天邪鬼なのかもしれないが、こうした報道や専門家の主張に違和感を覚えていた。前から何度も主張してきたが、必要なことは感染源や感染経路を特定することよりも、誰であれ必要と思う人たちが自分が感染しているのかどうかを検査してもらえる権利が確保されることが何よりも大切であり、それがベストの対策だと思っている。自分が感染しているかどうかを自分が知るということが何よりも必要なのだ。自分の身体の状態を知ることによって、自分が感染させないこともできるし、陰性であれば、自由に行動することもできる。だから誰でも検査できる体制を構築することは、私たちの権利に関わる問題なのだ。こうした原則をたてずに、検査を絞るべきではない。

しかし、現状では検査は、冒頭で書いたような感染経路とか感染源特定の調査と連動する危険性がある。こうなると私生活に行政が干渉することにもなり、ITとビッグデータの時代では容易に高度な監視国家に繋りかねない。検査がプライバシーを侵害する監視強化の正当化につながりかねない。だから、私のいう検査とは、感染経路の特定を伴わないあくまでも匿名の検査であるべきだ、というものだ。そして同時に、無料にすべきだ。

●エイズの無料・匿名検査から学ぶべきことがあると思う

HIVエイズの検査は保健所などで無料でしかも匿名での検査が受けられる。感染症であるにもかかわらず感染経路とか感染源の特定にやっきになることはない。こうした現在の体制に至るにはHIVエイズをめぐる人権運動の歴史もあってのことだと思う。無料で匿名の検査が実現していることで、検査を受けようとする人は増える。HIVエイズの検査の経験が教えてくれているのは、感染源を特定したり人間関係を詮索することが感染拡大を防ぐ唯一かつ最も有効な手段だ、などということはいえないということだ。

新型コロナウィルスは性感染症ではないから、さほどプライバシー侵害とはならないのでは、というのは間違いだ。プライバシーの権利は、他人に知られない権利であり、他人が私のプライバシーがどのようなものなのかを決めるべきではない。「濃厚接触」のなかには言うまでもなく性交渉やこれに準ずるような関係が含まれることが(意図してだろうか?)軽視されている。他人に知られたくない性交渉というケースでなくても他人に知られたくない「濃厚接触」になりうるような関係をもつ場合もありうる。コロナの場合は性交渉に限定されないから、プライバシーに関わる他人に知られたくない環境のなかで感染の可能性は増えるだろう。だからプライバシーの権利が深く関わることを軽視すべきではないし、こうした環境を見逃さないためには、匿名で無料の検査が可能になることが必要だと思う。

●「国家ファースト」が自由を抑圧し政治的異議申し立ての回路を断ち切ろうとしている

家を出るなとか社会的距離を保てなどという政府の主張は、一見すると私たちの健康を危惧する態度のようにみえながら、よくよく彼らの発言の意図をみると、私たちへの危惧ではなくて、政治的経済的危機が権力の危機をまねくことを恐れてか、あるいは国難だとか、国家存亡の折だからといった「国家ファースト」の愛国主義で人の自由を縛ろうとしているようにしか思えない。

家を出るな、他人との距離をとれ、医療崩壊を防げ、というもっともに聞こえる「要請」あるいはスローガン(プロパガンダか)は、陰性の者に対しても無条件に適用されている。政府は、人々が陰性なのか陽性なのかを網羅的に検査するための手間とコストに投資するのではなくて、人口全体を監視下に置いて外出禁止にする方が安上がりだと判断しているにちがいない。そもそもやる気があるとは思えない。辺野古の米軍基地やオスプレイを買う金やオリンピックのための資金の支出に比べてなんと私たちの命はないがしろにされていることか、と思う。

●自宅療養マニュアルと医療機関向けマニュアルでは私たちの権利は守れない

しかも、軽症者や無症状者は自宅か宿泊施設での隔離になるという。医療の知識もない家族や友人たちはどう接触したらいいのか。国立感染症研究所が4月2日に「新型コロナウイルス感染症、自宅療養時の健康・感染管理」を出しているが、同居者や関係者への検査には全く言及していない。個室が確保できない場合で同居者がいても自宅療養となることが想定されている。マスクも、政府配給の布マスクは推奨されておらず、サージカルマスクを推奨し医療用マスク着用には言及されていない。そもそもサージカルマスク自体が入手できないのだ。しかも家族や友人は無検査状態のままだ。

このマニュアルを読んで、私はこの通りに実施できる環境もないし、対処に全く自信がもてないと感じた。自宅療養は、たしかに医療は崩壊を免れるかもしれないが、医療機関の外での感染が放置される。親密な人間関係のなかでの感染は止をえないとして見捨てられるのだろう。人々の親密空間は解体しかねない。

伝統的に、国家や資本が危機になると、失業であれ高齢者の介護であれ、その負担は私的な人間関係に押しつけられてきた。恐慌や戦争になると必ず制度の崩壊を阻止するために私的な人間関係が利用される。今回はこうしたケースの典型ともなっている。

では、医療制度はそれなりに守られているのか、といえばそうでもなさそうだ。医療や福祉の関係者は検査を受けていない人たちが多くいると思う。彼らは定期的に検査を受ける権利がある。ところがそうではないようだ。厚生労働省のウエッブ「新型コロナウイルスに関するQ&A(医療機関・検査機関の方向け)」には次のようなことが書かれている。

問13 医療機関や検査機関で新型コロナウイルス感染症患者に診療を行った後、PCR検査を行ってもらえますか?

適切に感染防護具を着用して診療した場合には、感染する可能性が低いと考えられるため、一律のPCR検査は行いません。原則として無症状の方へPCR検査は実施していませんが、諸事情により実施を希望される方は、個別に保健所に相談してください。 診療後に発熱や呼吸器症状などが出現した場合は、管轄の保健所に相談してください。

これが医療関係者への対応である。唖然とする内容だ。患者に接触するのは診察する医師だけだという前提にたっている。患者と接触する可能性がある人たちは看護師や受付などの事務職員もいる。こうした人たちが感染するリスクがある。無症状の感染者である可能性もある。ダイヤモンド・プリンセスの感染拡大も乗客よりも行動範囲が広かった乗務員の人たちへの検査が疎かにされたことが問題にされたはずだし、常識で考えてもわかる問題だ。誰が誰に感染させたかなどを詮索するヒマがあれば、こうしたマニュアルなど無視して、一人でも多くの医療関係者の検査と防護の徹底を図るべきだ。これこそが医療崩壊を防ぐことになると思う。

医療関係者への対応がこのように杜撰である以上、一般の市民がよりなおざりにされ、症状が重くなって始めて検査や隔離が行なわれるという体制になるのは目にみえたことだ。こうした現状のなかで網羅的な外出禁止を出すというのは、新自由主義と対テロ戦争のなかで習い性となった命を犠牲にして財政支出効率化(医療福祉のサボタージュ)と権力の法を超越した行使への飽くなき欲望がここでも露骨になっていると思う。そして愛国心がこうした制度を支える精神性として強化される。国難だからこそ耐えるべきという大合唱だ。

●自分の健康状態を知ることは権利である

前にも書いたが、自分の健康状態を知ることは、私の身体に対する私の権利であって、政府や企業が私の健康を、<労働力>や国民としてのアイデンティティといった彼らの利害に即して管理したり監視する対象であるべきではない。政府や企業の保健医療に対するサービスは、温情や施し、あるいは彼らの権利なのではなく、私たちの権利を具体的に実現するために必要な彼らの義務として行なわれるべきものだ。

もし私がコロナウィルスの検査で陽性だったとき、私は、ここ数週間接してきた人たちに私の体調について知らせて、彼らにも検査をするように促すことが必要になる。そして、自分の生活をどのように処し、感染させないためにどのように暮すべきかを私は決めなければならない。こうした一連の私が陽性になったときにすべき基本的な心構えは、HIVエイズ陽性の判断がでたときにすべきことが参考になるかもしれないと思う。

ところが、コロナウィルスの検査とその結果については全てを政府が管理したがっているようにみえる。彼らは、私たちの日常生活の人間関係を知り、この人間関係に介入して検査をさせたり、隔離したりといった一連の指図をしたがっているようにみえる。こうしたことは本当は余計なことだ。全ては私がやればいいことだし、私が出来ない事情を抱えているときには、私が信頼する人たちの助けを借りることでよい。それもできずどうにもならない場合(自主隔離するための場所がないとか、生活ができないとか)に最後の支援の手として行政が当該のプライバシーを制約して介入することもありうるが、これは行政が決めることではなく私たちが決めるべきことだ。

●ビッグデータを使った調査は感染防止にならず、監視社会化をまねき私たちの身体への権利を奪うものだ

繰り返すが、必要なことは、検査を希望する者が匿名で無料の検査ができるようにすること、陽性の場合にすべき対処を行政が代行せず、当事者が対処し当事者に行政サービスの利用についての決定権を委ねることだ。感染させたかもしれない人をいちばんよく知っているのは本人なのだ。

他方で、最近の政府とIT業界の流行は、ビッブデータを用いた感染状況の監視だ。匿名処理を約束してLineなどを通じたアンケートが網羅的に実施されている。Yahooも政府の個人情報提供を約束している。しかしクラスターが発生した場所がこうした調査でわかったとしても、誰が感染しているのかを特定しないと感染の防止にならないという理屈が必ず主張され、結果として、匿名でのアンケートという前提は崩れ、通信事業者などが取得している個人情報の政府などへの提供へと結びついてくことは間違いない。こうしたビッグデータをいくら駆使しても検査の体制が準備できていなければ解決にならないし、情報公開されても、不安が煽られ身体への権利は奪われて、結果として網羅的に自宅に留まること、外出の事実上禁止に近い心理的な圧力を加えられることになる。

今回のコロナをめぐる世界各国の政府の対応は根本的に間違っていると思う。医療関係者や福祉関係者などリスクに晒されている人々への検査もまともに実施されず、防護のための器材も不足したままだ。その一方で自宅療養時には使い物にならないマスクを全世帯(ここにも家父長制がちいてまわる!)に配るというパフォーマンスでお茶を濁している。そんな金があるなら、希望する人たち(そして全ての人たち)に検査を匿名・無料で実施すべきだ、と思う。