リスク回避のサボタージュ――資本と国家の利益のために人々が殺される

1 何が起きているのか―人を犠牲にして制度を守る?

世界中にあっという間に拡がった新型コロナウィルスによって、大都市から人の姿が消えた。外出や集会自粛への同調圧力は非常に強く、多くの社会運動の側の多くは、世界規模で、好むと好まざるとにかかわらず、この同調圧力を受け入れざるをえないところに追い込まれている。しかも、社会運動の側は、感染の拡がりを阻止するために、積極的に貢献する意思をもって、対処してもいるから、「同調圧力」という表現に含意されているある種の権力への従属といったニュアンスで語るべきではないのかもしれない。政権であれ野党であれ、誰もがとりうる選択肢はただひとつしかないように思われている。
 
しかし、本当に必要なことが、感染の拡大を阻止して重症者を出さないようにすることであるならば、政府と企業が全力を尽して、人々が感染しているのかどうかを早期に発見する体制をとるべきだろう。にもかかわらず、いまだに院内感染が後を断たない。夜遊びに出るなとか、クラブは閉鎖だという脅しともいえる圧力があるなかで、ここ数日の状況では、最も深刻な集団感染は医療施設で起きている。なぜなのだろうか。不顕性の感染者が多数存在するなかで、こうした感染者が医療機関や福祉施設、学校などの関係者のなかにいないかどうかの検査がされていないからではないか。いったいどれだけの人たちが検査を受けているのだろうか。むしろリスクを抱えた人たちと関わる可能性の高い人たちの多くが未だに検査されない状態にあるのではないか。
 
日本の政府や専門家は、検査を重症者となりうるような発症が疑われる人たちに限定しようとしている。これは早期発見による感染拡大のリスクを減らすという常識に反する。多くの軽症者や不顕性の人々がおり、こうした人々が陰性の人々と接触する機会を極力減らす必要があるにもかかわらず、陰性か陽性かの判断基準となる検査がされない。これでは予防はできないのではないか。
 
物理的に検査が無理だという言い訳は通用しない。日本では検査可能な数のわずか2割しか実施されていないのだ。(NHK3月18日:新型コロナウイルスの検査 世界の検査数は? 日本の現状は?)これは、本気で検査をしようという意思がないことを示している。
 
医療崩壊を起さないために検査をしないという奇妙な理屈がある。医療という制度を守ることの方が感染者を適切に治療することよりも大切なのだとすれば、医療とは医療制度のためにあるのであって患者のためにあるのではない、と言っているに等しい。そして、医療崩壊を防ぐために、感染した人たちは、自宅から出るなという。では、同居している人たちはどうすべきなのか。そのマニュアルはあるのだろうか。医療の知識もない人たちが素人の適当な判断で濃厚接触を繰り返さざるをえないわけで、医療制度のために親密な人々の関係の崩壊はいたしかたないというのだろう。政府も医療産業もそのほかの多くの企業も、本気で人々を守るつもりがあるとは思えない。彼らにとって、まず第一に守るべきものは、既存の制度であって、人ではない、ということがこれほどまでにはっきり示されたことはない。この意味で、今引き起されている事実上のロックダウン体制は、不可抗力としての新型コロナの蔓延によるというよりも、蔓延を阻止するための最大限の努力を政府も医療産業もしてこなかった、権力と利益のためのサボタージュの結果だというしかないと思う。
 
そして、以下で述べるように、経済活動へのマイナスの影響について、政府もメディアも懸念を表明して様々な補償措置などが検討されるが、政治活動、とりわけ議会外の草の根の活動自粛がもたらすマイナスの影響については論じようとはしない。

1.1 二つのシナリオ

中国から欧米へ、更にはインドなどアジア諸国やアフリカ、ラテンアメリカへと都市封鎖が拡がっている。(注)この現状から今後起きうる更なる惨劇は、二つのシナリオのいずれを選択しても避けられないと論じられているようにみえる。
(注)Johns Hopkins University,Corona Virus Resource Center, https://coronavirus.jhu.edu/map.html

 

  • ロックダウンが経済活動の停滞を招き、経済恐慌といっても過言ではないような事態を招く。破綻した経済は、膨大な数の経済的に困窮した人口をもたらし、困窮を原因とした生存の危機にみまわれる人々が生じる。経済の破綻と貧困の蔓延は、コロナウィルス感染の予防や治療に必要な医療システムの崩壊をまねき、結果として感染の拡大を食いとめられなくなり、ロックダウンの強化・拡大へと向い、上記の悪循環に陥る。

  • ロックダウンを緩和して、経済の停滞を回避し、経済活動を維持する場合、人々の活動が活発化し、接触も増える。検査体制が万全でないなかで、感染の拡大は避けられない。経済活動を維持した結果としての感染の拡大は、「医療崩壊」を招き、都市封鎖などの強力な地域隔離を選択せざるをえなくなるが、経済の維持のためには、再びリックダウンを緩和せざるをえなくなり、上記の悪循環を招く。

上に書いたことは、実は、私たち一人一人にもあてはまる。「自主隔離」で仕事にも行かず自宅を出ないとすれば、収入の道を断たれ、家賃も払えず、食料の調達もままならず、生存の危機に陥る可能性が高くなる。自主隔離は、近親者への感染が避けられない。軽症ならばそれもよし、というのが政府や医療専門家の見解のようにもみえる。全く孤立して生きることはできないから、こうした困窮のなかで万が一感染すれば、リスクはより多きなものになる。他方で、検査もされないまま仕事を続ければ、混雑する電車で通勤し、人と接触せざるをえないことになり、感染のリスクは高まるとともに、自分もまた他人に感染させるリスク源になる。検査も治療もままならない状態になっても食うために働くというリスクを選択せざるをえない。

1.2 知る権利 v.s. 不合理な同調圧力

自分が感染者なのかどうかをほとんどの人は知りえる環境にない。感染しているのか、していないのかで、私たちのとるべき「正しい」態度は変るが、知るための道を政府によって意図的に断たれている今、「正しい」選択そのものを選べない状態にある。陽性であるのか、陰性であるのかを知っている場合にのみ、正しい行動とは何なのかが確定できる。態度選択の前提となる情報が得られないなかで、行政や資本の指示に同調することを半ば強制される。この極めて不合理な状況を私たちは受け入れさせられている。
 
私が感染者であるかどうかを知る権利がある。この権利は、私のみならず私に関わる人々の生存の権利と密接に関係する。
 
この知る権利を主張することがいかに非現実的に感じられるとしても、この主張なしには、合理的な判断を下すことができない。合理的な判断が下せなければ、不安感情が増長し、人々は不合理な感情に支配されることになる。不安感情は、自分ではどうすることもできない未だ到来していない脅威と感じる何ものかを想起することによって喚起される。人びとの行動を新たな立法で取り締まるために政府が用いる手法は、人びとの不安感情を権力の利益のために利用する方法である。権力にとっては、この不合理な人々の同調心理を欲しているといってもいい状況が生まれている。
 
こうして、人々の行動を決定する重要な要因のひとつは、社会心理的な傾向かもしれない。「上」からの指示に容易に従い同調しやすい傾向の人なのかどうか。現在の政権を支持しているのかどうか。医療への信頼があるかどうか。そしてそれぞれの人々がもつ社会関係、つまり家族などの親密な集団、職場や学校、地域などの人間関係が権力や支配的な秩序との関係において「ポジティブ」なのか「ネガティブ」なのかといった半ばイデオロギーや信念に関わる要因が、それぞれの人々の行動を左右するかもしれない。
 
不安感情を権力に利用させない方法は、私たちが自分の身体の状態を知ることにある。陽性なのか陰性なのかを知ることは、知る権利を通じて不合理な権力による私たちの心理への介入を阻止するための前提条件でもある。

1.3 一律の封鎖:テロとの戦争下での大量監視が世界規模で拡大する

感染の有無の拘わらず、全体として人との距離をとる、閉鎖空間で多数が集まらないことを事実上強制され、自粛要請に応じなかった場合のリスクは自己責任とされる。集会や人とのコミュニケーションは政治活動の基本であり、民主主義を支える社会の合意形成の基本である。医療の専門家の意見を引き合いに出して、基本的人権としての自由の権利を制約せざるをえない事態にあると政府や国際機関は強調する。しかし、この制約の根拠となる事実の把握を政府(地方政府を含めて)は怠っている。「怠っている」という意味は、感染の拡大が虚偽であるとか、見通しが意図的に誇張されているとかという意味ではない。感染していない者に対しても感染している者とみなして、社会活動の全面的な自粛や強制的なロックダウンの措置をとることが正当化されているといういことだ。これが世界的な傾向になっているが、これは果して唯一の選択肢なのか、ということである。
 
対テロ戦争以降、人々をテロリストである可能性があるとみなして一律に監視する大量監視の技術が導入されてきた。こうした監視社会化のなかで開発されてきた監視と管理の技術に支えられて、今回の世界規模でのロックダウンや外出禁止があると思う。SNSやネットの存在を軽視すべきではない。人々の心理や感情を操作する技術の高度化は目覚しく、その副作用として、フェイクニュースが人々の不安と相互敵意を煽ってもいる。感染の有無を調査する技術があるにも拘わらず、これを駆使せずに、すべての人々を感染者とみなして事実上の隔離や自由の剥奪を実施するやりかたは、決してコロナウィルスが最初だというわけではない。

1.4 政治活動の自由の崩壊

ロックダウンやこれに準ずる強い自粛要請は、政治活動の自粛の要請でもある。集会やデモなど集団による活動が事実上不可能になるか、場合によっては違法とされる。結果として、政治的自由に基づく反政府運動が果してきた政権や支配的な資本の暴走に対する歯止めの役割は後退せざるをえなくなる。
 
〈運動〉の自粛圧力が高まる一方で、政権中枢への権力の集中と企業活動への政府のバックアップ強化との間の不均衡は、確実に〈運動〉への逆風となってあらわれるだろう。自分自身が感染しているのかどうか確かめる術すらないなかで、〈運動〉を継続させることによって、時には感染の拡大を招くこともありうる。こうした場合、政府や権力者たちはメディアも動員して〈運動〉への批判を強めるだろう。しかし。その一方で、経済活動など企業の活動のなかで拡がる感染についてはやむをえないものとして容認したり理解ある態度を示す。こうした態度は、大衆の心情にもみられる。諸々の社会活動を「不要不急」の活動であるとみなされる。地域の運動は、あたかもどうでもいい私的な趣味以下の評価しか受けていないようにも思う。こうして、人々の社会的な活動や政治に関わる活動は、企業や行政の活動に比べて著しく軽視され、企業と行政はかぎりなく正常に近い活動を維持するために、それ以外の活動を抑制しようという態度が、社会の多数の人々の合意となりつつある。
 
少なくとも政治的自由が形式的にであれ保障された国では、この反体制反政府運動が無視できない政治的な勢力として存在することによって、権力を握る支配者たちに対して、法の支配を受け入れさせてきたし、支配者もまた法の名のおいて自らの権力の正統性を維持しようという面倒な努力をしてきた。政治的な自由が抑圧されると、このタガが外れる事態が生まれる。しかも、新型インフルエンザ特措法の改正に際して国会の野党がとった態度に端的に示されているように、この自由の抑圧は権力者の側だけでなく左右の「野党」の側からも持ち出される。

1.5 権威主義の増長

現在の事態は、世界規模で、民衆自らが、これを空前の危機として実感し、この危機に対応することができるのは、現実に権力を握る者たち、つまり立法でも司法でもなく行政権力による迅速な行動を通じた危機回避だという感情から、既存の政権への期待が高まる。討議による法の制定を通じた政策の策定といった時間のかかる民主主義的なプロセスよりも、権力の集中と強いリーダーシップへの期待が上回る。世界規模で高揚してきた右翼ポピュリズムは、民主主義よりも権威主義と排外主義(封鎖)を待望する傾向が顕著だ。この傾向がコロナウィルスの危機で更に目に見えないかたちで浸透しているようにみえる。強いリーダーシップを端的に示す態度とは、法を超える力の行使にある。緊急事態を理由に、法の支配を否定する態度を待望する傾向が大衆のなかにもある。我々(つまり特定の国民や民族)を救い、害を齎す者たち(大抵は外部の他者)を排除せよ、という要求になる。大衆自らが危機に対応できない民主主義を見捨てる。しかし、危機に対応できないのは、民主主義なのではなく、資本と国家が社会を支配する現在のシステムそのものにあるのだが…。
 
わたしたちが考えなければならないのは、危機のなかで、社会運動、市民運動、労働運動、人権活動など様々な既存の体制に対して異議申し立てを行なう広義の意味での政治活動の自由をどのように維持すべきなのか、である。規模の大小に関係なく、政府や権力に抗う〈運動〉を人生のなかの重要な活動と位置づけて生きている人々にとって、自粛の同調圧力は〈運動〉を半ば放棄することを強いられることでもある。
 
そして、同時に重要なのは、この生存の危機のなかで、富も権力ももたない私たちが、あたかも国家や資本の指導者であるかのような役割演技をして、日本経済のが破綻を危惧したり、といった「お国」の危惧を内面化してしまうという罠を回避することだとも思う。

2 生存を保障できない資本主義

2.1 なぜ悉皆調査が不可能なのか

新型コロナウィルスのワクチンはまだ開発されていない。不顕性の感染者が多数いることも知られており、こうした感染者からの感染の拡大があることもほぼ確実と思われる。陰性か陽性かの検査は可能になっているから、理論的には、すべての人口を検査し、陽性者を陰性者と接触できないような環境を構築することができれば感染の拡大は阻止できる。しかし、こうした方法を数千万、数億という国家の人口全体に適用することは不可能であるとみなされているように思う。こうしたなかで、私たちが問う必要があるのは、なぜ不可能なのか、である。この不可能の原因はどこにあるのか。これを可能にする社会とはどのような社会なのか、である。今の社会が不可能ならば、今の社会をリセットして、私たちの生存の権利を保障できる社会を構築する以外にない。
 
自粛も同調もせず〈運動〉を継続させるが、同時に、感染症の蔓延に手を貸さず、むしろ感染症とも闘うことに繋げるにはどうしたらよいのか。この問いに答えるためには、

 

  • 集会の自粛、あるいは集会場の閉鎖のなかで、〈運動〉の討議や合意形成やどのようにして確保できるのか。
  • 憲法が保障する基本的人権、とくに自由の権利は危機のなかでどのようにして確保できるのか。
  • 〈運動〉が事実上閉塞状態に置かれるとき、社会的な矛盾はどのような形で露呈するのか。
  • 危機に対峙できる〈運動〉の再構築をどのようにすべきなのか。

といった一連の問いと向き合わなければならない。

3 感染症の政治学

3.1 中立性?

この現在実感される危機は、戦争ではなく、医学的な現象とみなされているから、それ自体政治的経済的あるいは社会的な原因を伴わないものだと理解されている。この伝染病の危機は、政治的には中立な危機のようにみえる。従って、政治的な立場やイデオロギーを超越して、人類が一丸となって取り組むべき外部の敵とみなされている。
 
私はこうした政治的中立の観点をとらない。新型コロナウィルスはそれ自体が政治的な疫病であり、この世界規模での感染拡大は、現在のグローバル資本主義の矛盾と限界と不可分なものである。ここでいう政治的な疫病の意味は、政治が感染源を意図的に生み出したということではなく、社会を統治するメカニズムが感染を阻止する上での最適の選択肢をとることができず、結果として感染の拡大を招く危険性がある、という意味である。資本主義が私たちに与える選択肢は、自らの身体の健康を市場を通じて医療サービスを買うことで維持するか、政府の医療政策・制度に委ねるかの二者択一しかない。この二つとも、私たちの身体がどうなのか、どうすべきなのかについての知る権利を生得の権利としては保障しない。医学の免許を持たない私たちは知識すら奪われ、市場と政府を通さない相互扶助の可能性はわずかしか残されていない。
そもそもの感染症それ自体は医学的な出来事だが、これに対処するための医療に関わる技術を医療体制のなかで運用する全体のメカニズムは医学に還元することはできない。政府の財政、法制度、医療関連産業などが全体としてどのように機能するのかに依存する。米国の医療産業のなかでの議論はこうした社会システムの動向を極めて率直なかたちで表わしてる。(ブログの記事参照:大手製薬会社はコロナウイルスから利益を上げる準備をしている銀行が医療企業に、コロナウイルスの重要な医薬品、医療用品の価格引き上げ圧力をかけている)

3.2 作られた医療崩壊

医療関連産業が市場経済に委ねられている結果として、私たちの健康や生命が私たちの所得と連動するようになってしまった。端的にいえば金銭的な豊かさと健康との間に不可分な比例関係が構築され、これが当たり前として通用するようになった。他方で、医療が資本の論理で機能することを強いられる結果として、最大限利潤を追及する動機によって投資が決定される。製薬会社がワクチンを開発するかどうかを決定するための最大の条件は、開発・商品化が利益にみあうかどうか、にある。社会的な危機が深化しワクチンへの需要が高まり、更に毎年繰り返し発生すると予想されるのであれば、商品化は進むだろう。市場の需給メカニズムに委ねられれば確実に価格は上昇し、特許制度や産業の寡占化は更に価格を押し上げる。世界規模の所得格差のなかで医薬品産業がいかに人命を利潤のために犠牲にしてきたか、これまでの経緯を踏まえれば、明かだろう。開発競争と市場への医薬品の供給を支えているのは人権や社会的責任ではなく資本の利潤でである。他方で、政府が医療に対して十分な財政措置を試みるかどうかは、権力の再生産過程に関わる。
 
感染の拡がりに対応しきれない医療体制は、その崩壊を危惧して必要な検査体制を抑制しているようにみえる。既存の医療体制を防衛するために、人命を犠牲にすることもやむおえないかのように論じられる。他方で、「隔離」の必要が主張され、外出することは国によっては厳しい処罰を課されさえするようになっている。隔離あるいは外出禁止を具体的なデータもなしにトップダウンで命じる政権は中国であれ欧州の民主主義を標榜する国であれ、いずれの国でも起きている。客観的で信頼できるデータがないのは、検査体制が整わないからだが、検査体制が整わないのは、検査すれば感染者の実態が表に出て、隔離せざるをえなくなり、これに医療体制が追いつかない医療崩壊が起きることが想定されるからだという。こうしてわたしたちは、医療を崩壊させないために、感染しているのかどうかの検査もされずに、放置され、陽性の不安を抱えつつ、検査されていない人々との接触の不安を抱えながら暮す。この状態を所与として、権力は、人々が相互に接触しないように隔離することが正当化される。

3.3 本来すべきことがなぜできないのか

本来なら、次のようにすべきだろう。

  • 全ての人々を検査し、陽性者を確認する。
  • 陽性者が他の人に感染させない措置を家族などに委ねず、陰性の者が通常の生活を送れるようにする。
  • 陽性者への治療を実施する。
  • 市場経済に委ねないで治療に必要なワクチンや医薬品の開発を行なう。

問題は、なぜこうしたことができないのかである。資本主義は、社会の人口がその生存に必要とするモノを市場を通じて供給するシステムに依存する。モノには社会的に必要な側面が何割かは含まれているが、これを供給する資本は社会的義務に基いてではなく、私的な利潤動機によって行動(投資)を選択する。ファストフードに含まれる添加物や健康被要因と人間の生理的な栄養摂取とが不可分な形で商品として供給されるように、モノの社会性は資本の私的な動機によって大きく歪められる。だから、社会性とは資本主義における社会性であって、決して普遍的ではない。社会性は資本なしには実現できないという特性をもたざるをえない。だから、経済活動にとって不都合な要因を市場から排除し、これを家族や親密な人間関係に委ねようとする。

 
他方で、政府は権力を最大化する動機によって行動を選択する。政府は近代社会であれば、国民国家として、民主主義による統治の正統性が担保される。権力の最大化もこの全体の権力構造の特異性に規定される。社会の人口は、国民としての人口を意味するが、この国民(このカテゴリーに含まれない人口を暗に排除する概念でもある)の生存に必要とされる社会的(国民的)な規範は、統治機構を通じて公的な正統性と強制力を獲得する。資本が利潤を最大化するように、権力は政治的な価値の最大化を目指す。
 
市場における資本利潤の最大化と政府の権力価値の最大化が、最適な生存のための手段と結果をもたらすということは証明されていない。マルクスは生産の社会的性格と所有の〈私的〉性格のあいだに資本主義の本質的な矛盾の一面をみたが、この指摘は資本主義の問題の半面であって、残るもうひとつの問題は、政治的権力に関わる。統治の社会的性格とその行使の〈私的〉性格とでも言いうるような矛盾がここにはある。(注)本来移譲することなどできない諸個人の権利を他者に移譲・委任して統治権力が占有される構造(権力から排除される構造)だ。結果として生存の権利は、資本と国家の私的な利害を迂回してのみ、その限りにおいて保障されるにすぎない。コロナウィルス対策が最適な方法で実施できないのは、経済と政治の資本主義的な矛盾の構造に直面するほどにその危機が大きくなってしまったからだ。
 
(注)ここでいう「私的」という概念は、誤解を招きやすいがああえて用いることにした。 物理的に不可能、あるいは非現実的と思われる事態が起きたときに、私たちは、対応することが不可能な困難な事態であるとみなしがちだ。しかし、本当に対応できない事態なのかどうかという問題は、社会構造との相関関係のなかで規定されることだということを忘れがちだ。近代資本主義の社会・空間の構造が、生存を支えるインフラとしての機能を超えた人口を都市に集中させている。都市への集中は、社会インフラを「節約」し、人口を効率的に管理する上で分散的な小規模コミュニティを基盤にした社会よりも効果があることは見落されがちだ。
 
今起きていることは、資本主義が構造的に抱えてきた生存の権利を保障できないシステムとしての限界が露呈されたということでもある。しかし注意しなければならないのは、こうした資本主義の限界の露呈は、資本主義の崩壊とか破綻といったシステムの終焉を招くことはないだろうということでもある。システムはいかに危機にあり機能不全に陥っていても、このシステムにとってかわる新しいシステムが登場しない限り延命しつづける。

3.4 諸権利相互の衝突:自由と生存の権利関係

資本主義は民衆の生存の権利よりも資本と国家の再生産を優先させようとする。資本と国家の再生産という迂回路を通してしか民衆の生存を維持できない。言い換えれば、民衆を国民的な<労働力>として再生産することを通じて資本と国家の再生産が実現され、この両者の実現を通じて副次的に「人間」の生存が確保される。
 
近代国民国家は、その政治的支配の正統性の前提に、近代的個人の人間としての権利の保障を掲げる。この権利には、自由、平等、生存、財産など様々な権利が列記され、あたかもこれらの諸権利が相互に両立するかのような言説によって、これら諸権利が実際には深刻な二律背反にあることを覆い隠す。戦争であれ伝染病であれ、資本と国家を危機に追い込む現象が顕著になるとき、これら諸権利相互の間には資本と国家の利害を体現した優先順位が設定されていることが露骨に示される。新型コロナの危機では、政府は、権力の再生産の観点から「国民」の「生存の保障」という言説を通じて、実際には民衆の自由の権利を抑制する。まともな検査もせずに、すべての人口を十把一絡げにして隔離し、国民の属さない人々を国外に追放することを、あたかもやむをえないかのように主張して緊急事態を正当化する。
 
生存の権利が危機的になるとき、権力が率先してこのような意味での「生存」の権利の擁護者を僭称して、唯一の生存の守護者であることを強調する。同時に、大衆のなかから、メディアの論評も含めて、危機に対処できる強いリーダーシップを求める声が高まる。民衆もメディアも法の支配の原則をかなぐりすてて、法にとらわれない強いリーダーによる支配、つまり権威による支配を待望する。こうした要求は、政権政党(国政であれ地方政府であれ)だけでなく、民主主義を標榜する野党からも右翼的な権威主義的な野党からも共通して上る。こうした挙国一致の雰囲気に支えられた社会は、人権を保障する自由と平等の実質をもつ社会となることはまずありえない。
 
議会制であれ直接民主主義であれ、あるいは草の根の合意形成の様々なスタイルであれ、人々が自由闊達な意思表示と意見交換を通じて、権力や支配に対して抵抗の行動をとり、あるいは権力を転覆させる力(暴力とは限らない)を集団として発揮することによって、資本であれ国家であれ、現に存在する権力の構造は流動化し動的な転換の可能性をもつことになる。こうした政治的な自由の空間は、社会が戦争や危機にあるときにこそ、その意味は大きい。
 
資本主義は民衆の生存も自由も保障しないシステムである。そうであるとすれば、このシステムをどのようにして解体するのか、という課題を担うことは左翼としての必要条件であることは言うまでもない。しかし、危機の時代に、生存の権利を資本と国家が保障するように要求する立場は、資本主義を解体しようとする意思に基く要求とどのように整合するのだろうか。既存の権力が危機の前で立ち往生しているとき、危機に対する資本主義的な救済に手を貸すような立場を私たちはとる必要はない。この危機のただなかにあって、私たちは、資本主義が生存の権利と自由の権利を保障するとのできないシステムであることを身をもって経験するなかで、この二つの権利と更に平等の権利を加えた諸権利を総体として実現することが可能な社会システムへの転換を模索すべきである。こうした社会の大転換は、既存の経済システム(資本と市場によるシステム)と政治システム(国家による統治システム)を与件とするのではなく、これらから相対的に自立したシステムの構築を自覚的に目指しうるような構想力を必要とする。
 
前にも述べたように、危機は資本主義の崩壊を招くことはない。危機のなかで、危機が深刻であればあるほど資本主義は、危機への耐性を身につけて回復の軌道を構築するにちがいない。これに対して資本主義という時代を歴史的な過去へと葬り去れるのは、システムが危機にあろうと繁栄を謳歌していようと、そのいずれにあっても、自由・平等・生存を保障できないシステムから決別して、資本と国家の境界を意識的に超えるところで形成される歴史上これまで存在したことのない新しい社会へと向うことを可能にする集団的で民衆的な潜勢力のみだ。

戦争で他国の人を不条理に殺すことを厭わない国々が、自国の領土で人々が死ぬことを恐れ、政治的な権利を棚上げする。

生存の権利に国境はない。コロナに怯えるなら軍隊もなくせ。人を殺す政治をやめよ。

(付記:この原稿は、3月27日の大阪、28日の京都で行なった講演の原稿の一部です)

大手製薬会社はコロナウイルスから利益を上げる準備をしている

以下の記事の飜訳です。

出典: Big Pharma Prepares to Profit From the Coronavirus
Sharon Lerner
March 14 2020, 3:46 a.m.
https://theintercept.com/2020/03/13/big-pharma-drug-pricing-coronavirus-profits/

大手製薬会社はコロナウイルスから利益を上げる準備をしている
シャロン・ラーナー

2020年3月14日

新型コロナウイルスが世界中に病気、死、そして大惨事を広めているため、経済の実害は免れない。しかし、世界的大流行の混乱の中で、1つの業界だけは生き残るだけでなく、かなりの利益を上げている。

「製薬会社はCovid-19を一生に一度のビジネスチャンスだと考えている」と、「Pharma:Greed、Lies、and the Poisoning of America(注1) 」の著者であるGerald Posnerは述べている。もちろん、世界に医薬品は必要だ。特に、新型コロナウイルスの大流行には、治療とワクチン、そして米国では検査が必要だ。数十の企業が今、これらを作るために競争している。

「全員がこのレースに参加している」とPosnerは語る。世界的な危機は「売上と利益の面で業界にとって大ヒットになる可能性がある」と述べ、「パンデミックが悪化すればするほど、最終的な利益は高くなる」と付け加えた。

医薬品で金を稼ぐ能力は、他国のような基本的な価格管理のない米国ではすでに非常に大きなもので、世界の他のどこよりも製薬会社による製品の価格設定の自由度が高くなっている。(注2) 現在の危機の間に、ロビイストの働きかけによって、パンデミックからの利益を最大化する83億ドルのコロナウイルス支出パッケージが先週議会を通過したことで、製薬メーカーは通常よりもさらに余裕があるといえよう。

当初、一部の議員は、連邦政府が公的資金を利用して開発した新型コロナウイルスのワクチンや治療による製薬会社の利益を制限しようとした。2月に、イリノイ州Jan Schakowsky下院議員その他の下院議員は 、トランプに「米国の納税者のドルで開発されたワクチンまたは治療は、アクセス可能で利用可能で手頃な価格を保証すべきだ」と訴えた。(注3)「製薬会社が価格を設定し、流通を決定する権限を与えられ、健康上の優先事項よりも利益を上げることを優先する場合」、こうした目標は達成できないだろうと述べた。

コロナウイルスの資金調達交渉がなされていたとき、3月2日、Schakowskyは保健・福祉局長官の Alex Azarに、「会社が希望する価格を請求でき、ワクチン開発費を負担した人々に売り戻すやり方で、価格設定やアクセス条件なしで排他的ライセンスを通じて、ワクチンを製造販売する権利が、独占的に製薬会社に引き渡されることは受け入れがたい」と再び書簡を書いた。(注4)

しかし、多くの共和党員は、研究と革新を抑制することを理由に、法案を業界の利益を制限するように手直しすることに反対した。そして、トランプ政権に加わる前に大手製薬会社Eli Lilly のトップ・ロビイストで米国事業の責任者を務めていたAzar(注5)は、Schakowskyの懸念を共有うると請け合いながらも、法案では、納税者のドルで開発したワクチンや薬に対して製薬会社が潜在的に法外な価格を設定することを可能にした。(注6)

支援パッケージの最終案では、薬品メーカーの知的財産権を制限する文言が省略されただけでなく、連邦政府は、以前の草案にあった公的資金で開発された治療法またはワクチンの価格が高すぎると懸念される場合何らかの措置を講じることができるとする文言が除外された。

「ロビイストたちは、知的財産条項を削除できたので、製薬会社にとっては勲章もの。パンデミックの間に彼らにこうした権力を持たせるのは言語道断だ。」とPosnerは語る。

実際、公共投資から利益を得ることも製薬業界にとっては通常のビジネスなのだ。Posnerの計算によると、1930年代以来、国立衛生研究所が約9000億ドルを研究に投入し、製薬会社がブランド薬の特許を取得していた。2010年から2016年の間に食品医薬品局によって承認されたすべての薬は、NIHを通じて税金で賄われた科学研究が関係していた。アドボカシーグループのPatients for Affordable Drugs(注7) によれば、納税者は研究に1,000億ドル以上を費やしてきた。

公的資金で開発され、民間企業の大きな収入源となった薬の中に、HIV薬AZTとノバルティスが現在475,000ドル(注8) で販売している癌治療Kymriahがある。

ポズナーは彼の本で、民間企業が公的資金で生産された薬から法外な利益を上げている別の例を指摘している。C型肝炎の治療に使用される抗ウイルス薬であるsofosbuvirは、国立衛生研究所から資金提供を受けた研究から生まれた。この薬は現在、Gilead Sciencesが所有しており、1錠あたり1,000ドルである。これは、C型肝炎の多くの人々が負担できる金額を超えている。Gilead Sciencesは、最初の3年間にこの薬から440億ドルを獲得した。

「これらの薬の利益の一部をNIHの公的研究に還元することは素晴らしいことではないか?」 とPosnerは問う。

しかし、利益は製薬会社の経営者の莫大なボーナス(注9) や消費者への薬の積極的なマーケティングに使われた。これらは、医薬品部門の収益性をさらに高めるためにも利用されている。Axiosの計算 (注10)によると、製薬会社は米国での医療総利益の63%を稼いでいる。これは、ロビー活動の成功にその一因がある。2019年、製薬業界はロビー活動に2億9500万ドル(注11)を費やした。これは米国の他のどのセクターよりもはるかに多く、これに次ぐエレクトロニクス、製造、および機器セクターのほぼ2倍であり、石油とガスの2倍をはるかに超える額をロビー活動に費やした。業界は、民主党と共和党双方の議員に対する選挙キャンペーンにも惜しみ無い寄付をしている。民主党の予備選挙を通じて、ジョー・バイデンは医療(注12)および製薬業界(注13)からの寄付受け取り額で群を抜いている。(注14)

大手製薬会社の支出は、業界を現在のパンデミックに対してうまい位置づけをしている。株式市場はトランプ政権の危機対応のまずさに反応して急落したが、新型SARS-CoV-2ウイルス関連ワクチンその他の製品に取り組む20社以上の企業の大部分がこの株価下落を免れている。2週間前にコロナウイルスワクチンの新しい候補薬の臨床試験への参加者を募集し始めたバイオテクノロジー企業Modernaの株価は、この間に急騰した。

株式市場のが大暴落した木曜日、Eli Lillyの株も、同社が新型コロナウイルスの治療法を開発に参入を検討することを発表した後、急騰した。(注15)また、潜在的な治療法にも取り組んでいるGilead Sciencesも繁栄を謳歌している。(注16) Gilead Sciencesの株価(注17) は、エボラを治療するための抗ウイルス薬のremdesivirがCovid-19の患者に投与されたというニュースのあとからすでに上昇している。今日、ウォールストリート・ジャーナルがクルーズ船で感染した少数の乗客に薬が効果をもたらしたと報じた後で、価格はさらに上昇した。

Johnson&Johnson、DiaSorin Molecular、QIAGENなどのいくつかの企業は、パンデミックに関連する取り組みのために保健福祉省から資金を受け取っていることを明らかにしたが、Eli LillyとGilead Sciencesがこのウィルスに関して政府の金を利用しているかどうかは不明だ。現在までに、HHSは補助金を受けとっている企業ののリストを公表していない。また、 ロイター(注18) によると 、トランプ政権はコロナウイルスに関する議論を機密扱いとし、機密取扱者の人物調査を受けていないスタッフをウイルスに関する議論から除外するよう保健当局に指示した。

Eli LillyとGileadの元トップロビイストは、現在ホワイトハウスのコロナウイルス・タスクフォース(注19) に参加している。AzarはEli Lillyの米国事業部長を務め、会社のロビー活動を行い、現在はthe Domestic Policy Councilのディレクターを務めるJoe GroganがGilead Sciencesのトップロビイストである。

原注
1 https://www.simonandschuster.com/books/Pharma/Gerald-Posner/9781501151897

2 https://theintercept.com/2019/12/09/brexit-american-trade-deal-boris-johnson/

3 https://schakowsky.house.gov/media/press-releases/house-democrats-demand-fair-drug-pricing-taxpayer-funded-coronavirus-vaccine-or

4 https://schakowsky.house.gov/sites/schakowsky.house.gov/files/20200302_Congresswoman%20Schakowsky%20Letter%20to%20Secretary%20Azar-page-001%20%28002%29.jpg

5 https://theintercept.com/2020/02/29/cronyism-and-conflicts-of-interest-in-trumps-coronavirus-task-force/

6 https://schakowsky.house.gov/sites/schakowsky.house.gov/files/20200228%20Azar%20re%20Coronavirus%20Vaccine%20Affordability%20Exchange%20at%20EC%20HE%20Hearing-page-001.jpg

7 https://www.patientsforaffordabledrugs.org/2019/07/23/nam-comments/

8 https://nucleusbiologics.com/resources/kymriah-vs-yescarta/

9 https://www.axios.com/health-care-ceo-pay-compensation-stock-2018-0ed2a8aa-250e-48f1-a47a-849b8ca83e24.html

10 https://www.axios.com/pharma-health-care-economy-q3-profits-53b950b2-5515-4d79-b1f5-7067bf3652d1.html

11 https://www.statista.com/statistics/257364/top-lobbying-industries-in-the-us/

12 https://theintercept.com/2019/10/25/joe-biden-super-pac/

13 https://theintercept.com/2019/11/07/joe-biden-fundraiser-sidley-austin/

14 https://www.opensecrets.org/news/2019/07/20dems-are-taking-money-healthcare/

15 https://www.bloomberg.com/news/articles/2020-03-12/eli-lilly-is-said-to-join-race-to-develop-coronavirus-treatment

16 https://www.investors.com/news/technology/stocks-to-watch-gilead-sciences-sees-relative-strength-rating-rise-to-92/

17 https://www.investors.com/news/technology/stocks-to-watch-gilead-sciences-sees-relative-strength-rating-rise-to-92/

18 https://www.reuters.com/article/us-health-coronavirus-secrecy-exclusive/exclusive-white-house-told-federal-health-agency-to-classify-coronavirus-deliberations-sources-idUSKBN20Y2LM
(訳注 新型コロナ対策会議、「機密扱い」巡るロイター報道に米当局者が反論 https://jp.reuters.com/article/usa-ronavirus-secrecy-idJPKBN2100PO)

19 https://theintercept.com/2020/02/29/cronyism-and-conflicts-of-interest-in-trumps-coronavirus-task-force/

銀行が医療企業に、コロナウイルスの重要な医薬品、医療用品の価格引き上げ圧力をかけている

以下の記事の飜訳です。あまりいい訳ではありませんが。

出典:Banks Pressure Health Care Firms to Raise Prices on Critical Drugs, Medical Supplies for Coronavirus
Lee Fang
March 20 2020, 4:03 a.m.
https://theintercept.com/2020/03/19/coronavirus-vaccine-medical-supplies-price-gouging/

銀行が医療企業に、コロナウイルスの重要な医薬品、医療用品の価格引き上げ圧力をかけている

イ・ファン

2020年3月19日午後7時3分

ここ数週間、投資銀行家は、危機から利益を得る方法を検討して、治験薬を開発している製薬会社や医療供給会社を含む新型コロナウイルスと最前線で闘う医療企業に圧力をかけている。

メディアは主に、今不足している医療用品や衛生用品の市場を利用して、マスク(注1)や手指消毒剤(注2)を買いだめして、より高い価格で転売する個人に焦点を当てている。しかし、医療業界の最も大きな意見は、医療企業に投資する銀行家や投資家同様、パンデミックへの緊急支出から数十億ドルの利益を得ることに固執している。

過去数週間にわたり、投資銀行は、薬価引き上げの機会について、投資家との電話や医療カンファレンスで率直な態度をとってきた。場合によっては、銀行家は医療の幹部から激しい非難を受けた。あるいは、幹部はオピオイド危機に対する世論の圧力を避けるためにCovid-19に注意を逸らしているんだというような冗談を言っていた。

Covid-19の症状を治療する最も有望な薬剤であるremdesivirを製造している会社Gilead Sciencesは、投資家の圧力に直面している会社のひとつだ。

remdesivirは、デング熱、西ナイルウイルス、ジカ熱、MERSおよびSARSの治療薬として開発された抗ウイルス薬だ。世界保健機関は、「コロナウイルスの治療に真に有効性があると考えられる現時点で唯一の薬剤」、これがremdesivirだと述べている。

この薬は、連邦政府の国立衛生研究所の助成金(注3)を得てアラバマ大学と共同で開発されたが、カリフォルニアに本拠を置く大手製薬会社であるGilead Scienceが特許を取得している。同社は、過去に価格設定について厳しい批判に晒されてきた。かつて、C型肝炎治療薬の1年間の供給に対して84,000ドル(注4)を請求した。これも政府の研究支援で開発(注5)されたものだ。Remdesivirは、25億ドルの一時的な利益を生み出すと推定(注6)されている。

今月初めの投資家のカンファレンスで、投資銀行Cowen&Co.の社長Phil Nadeauは、Gilead Science社が「Remdesivirの商業戦略」を計画していたのか、それとも「Remdesivirからビジネスを生み出す」ことができるかどうかについて、Gilead Scienceの幹部に質問(注7)した。

Gileadの執行副社長であるJohanna Mercierは、同社は現在、パンデミックの解決策を見つけるために最善を尽くし、製品を寄付し、「リスクをとりながら製造し、能力向上」を行っていると述べた。彼女は、同社は現在、主にremdesivirへの「患者アクセス」と「政府アクセス」に焦点を当てていると語った。

Mercierは、「これが季節性疾患になるとか、備蓄が必要になれば商機になるかもしれないが、それはずっと後のことだろう」と付け加えた。(注8)

Barclays Investment Bankの社長、Steven Valiquetteは先週、N95マスク、人工呼吸器、医薬品のヘルスケア販売業者であるCardinal Healthの幹部に、同社がさまざまな供給品の価格を引き上げるのかどうかについて質問を浴びせかけた。

Valiquetteは、さまざまな製品の潜在的な価格上昇について繰り返し問いただしている。彼は、「価格の面」で「品不足のリスクの一部を相殺する」ことができるかどうかを尋ねた。

Cardinal Healthの最高経営責任者であるMichael Kaufmannは、「これまでのところ、コロナウイルスに関連する重大な価格上昇はまだ見られていない」と述べた。Kaufmannによると、Cardinal Healthは価格決定を行う際にさまざまな要因を検討し、「当社は常に最低コストを獲得できるように積極的に闘う」と付け加えた。

「利益全体の基盤に関するかぎり、すべての種類で純益が一貫したものになるように、品不足の可能性を相殺するように価格引き上げはできるのか?」とValiquetteは問いかけている。

Kaufmanは、価格決定は、一部の医薬品販売に関して柔軟性が高いとはいえ、プロバイダーとの契約に依存すると答えた。「コスト面を変更することで、若干の調整を行うことができる」と彼は述べた。

電話会議でのこの議論は、3月10日のthe Barclays Global Healthcare Conferenceで行われたものだ。ある時点で、Valiquetteは、コロナウイルスに関する「ポジティブな面」は、オピオイド関連訴訟へのCardinal Healthに対する「質問がこれまでより少なくなる」かもしれないという「良い兆候だ」があることだと冗談めかして語った。

Cardinal Healthは、中毒性の高い鎮痛剤を数百万も警告を無視して蔓延させて非難されているいわゆる鎮痛剤過剰投与(ピルミル)と呼ばれる薬局を経営する企業の1つだ。Kaufmannは、和解のための交渉が進行中だと指摘している。

翌日 、バークレイズグローバルヘルスケアコンファレンスで手術用ガウン、N95マスク、およびその他の医療機器の調達と製造を行うヘルスケアロジスティクス企業、Owens&Minorがプレゼンテーションを行なった。(注9)
音声データ

Covid-19危機を引用して、Valiquetteは同社に「需要の多い製品の一部で価格を引き上げることができるか」と尋ねた。その後、Valiquetteは「おそらく政治的な動きはないが」とクスクス笑いをしながら付け加えたが、価格引き上げを検討するかどうかについては「考えてみたい」というふうに会社側から言われている。

こうした質問を、Owens & Minorの最高経営責任者であるEdward Pesickaは厳しく非難した。「このような危機のさ中に、私たちの使命は真の顧客にサービスを提供することである。また、誠実さの観点から価格契約を締結している。従って、私たちはこれを利用して、客を「殺到」させて、価格を吊り上げ、短期的な利益を得るようなことはしない」と述べている。

複数の州でのオピオイド訴訟の被告でもあるCardinal Healthに同様の製品を供給するもうひつとの医療供給会社、AmerisourceBergenは、バークレイズのイベントでValiquetteから同様の質問に晒された。

AmerisourceBergenの社長兼最高経営責任者であるSteve Collisは、彼の会社が、医薬品の価格を制限するための政治的要求を押し返す取り組みに積極的に関与していると述べた。

Collisは、最近、「コロナウイルスのワクチン」の開発に関与する他の製薬会社との夕食会に出席した。薬価への介入が制限されるなかで事業を行っている米国企業は、専門家の間で批判を浴びてきた業界リーダーの1つであることを思い出していた。つまり、製薬業界への規制がないことが収益性の低いと見られるウイルス治療への投資を差し控えさせているという批判だ。Covid-19のワクチンを開発している大手企業は、ドイツ、中国、日本に拠点を置いている。これらの国は、製薬業界への政府の影響力が強い国でもある。

Collisによると、AmerisourceBergenは「DCの主要な利害関係者と極めて積極的に活動しており、われわれの優先事項は、薬価に関する合理的かつ責任ある議論に焦点を当て、政策変更のインパクトについて政策立案者を教育すること」だという。

カンファレンスの会話の後半で、ValiquetteはAmerisourceBergenにオピオイド訴訟について尋ねている。この訴訟は、さまざまな医薬品および医薬品販売代理人の被告らにとって最大1500億ドルの費用がかかる可能性がある。オピオイド訴訟の対象企業の1つPurdue Pharmaは、訴訟の脅威に対応するためにすでに破産保護(訳注)を追及している。

「多くを語ることはできない」とCollisは答えた。しかし彼は、会社が、示談交渉にパンデミック危機への対応における会社の重要な役割を利用していることをほのめかした。「この危機、コロナウイルス危機は、われわれが、きわめて財務体質が強力な会社であること、そしてわれわれのビジネスに投資しわれわれのビジネスと顧客との関係を成長させ続ける上で強力なキャッシュフローを持つことがいかに重要であるかということを何度も強調してきた」とCollisは語った。

コロナウイルスがオピオイド危機に関与している企業に利益をもたらすのではないかという希望は、すでに何らかの形で実現している。ニューヨーク州検事総長のLetitia Jamesは先週、3月20日に始まる予定のCardinal HealthやAmerisourceBergenを含むオピオイド企業や流通業者に対する訴訟がコロナウイルスの懸念から延期されると発表した。

市場の圧力により 、大規模な医療企業は、研究開発ではなく株の買い戻しやロビー活動に数十億ドルを費やすようになった。この件について、Barclaysはコメントを拒否し、Cowen&Co.はコメントの求めに応じなかった。

コロナウイルスの予期せぬ副作用は、営利目的の医療経営者たちに潜在的なリスクをもたらす可能性がある。スペイン(注10)では、政府が Covid-19患者の治療の需要を管理するために、民間の病院を含む民間医療提供者への管理を掌握した。

しかし、米国の製薬業界は大きな政治的影響力をもっている。保健福祉省長官Alex Azarは、大手製薬会社Eli Lillyの米国法人の社長を務め、医薬品ロビー団体であるthe Biotechnology Innovation Organizationの役員を務めていた。

先月の議会公聴会で、AzarはCovid-19のワクチンまたは治療は手頃な価格に設定すべきだという考えを拒否した。「手頃な価格にできるように努力したいとは思うが、投資する民間セクターが必要なので、価格をコントロールできない」「優先事項は、ワクチンと治療薬を入手することである。価格管理はできない」と述べた。

ワクチンその他の薬物治療研究に対する財政支援を提供するために、3月上旬に、最初の83億ドルのコロナウイルス支出法案が可決された。これには、政府が手頃な価格をめぐる懸念よりもむしろ危機に対処するすることの大切さを表明して、新薬導入の遅れを防ぐ規定を含まれていた。報道によれば、立法文案は業界ロビイストによって作られたものだ。

The Interceptが以前報じたように(注11) 、現在、ドナルド・トランプのコロナウイルス・タスクフォースに就任しているホワイトハウスの主要な国内政策アドバイザーであるJoe Groganは、Gilead Sciencesのロビイストを務めていた人物だ。

「市場からのプレッシャーにもかかわらず、企業のCEOはかなりの裁量権を持っている。この場合、価格の調整に非常に注意する必要があり、評判を落すだけではすまない問題に直面するだろう」と公益監視機関、Public CitizenのRobert Weissmanは、The Interceptとのインタビューで語った。

「彼らの不利益を防ぐとともに、彼らの独占に対するより構造的な制限を押し進めて当局が前に進むといった反動があるかもしれない」と、Weissmanは言う。

Weissmanのグループは、ミシガン州選出の民主党下院議員Andy Levin議員が政府に防衛生産法を発動してヘルスケア用品の国内製造を拡大するよう呼びかける活動を支持している。

他にも価格の上昇を防ぐために政府がとることができる手段があるとWeissmanは付け加えた。

「Gileadの製品は特許や独占で保護されているが、製品に政府が投資しているのだから、製品に対して政府は大きな発言権をもっている」として次のようにWeissmanは言う。

「政府は、資金提供を支援した製品のジェネリック医薬品競争を行うとか、非独占的ライセンスを防止するといった特別な権限を持っている」とWeissmanは言う。「政府の補助金と関係のない製品であっても、政府自身が買収したり購入するためにジェネリック医薬品競争のライセンス供与を強制することができる。」

製薬会社は、一過性の可能性となれば治療の利益が限られているため、ワクチン開発を回避することがよくある。テストキット会社その他の医療用品会社は、国内生産、特に短期の利用のために工場全体の規模を拡大する市場インセンティブをほとんど持っていない。だから、LevinとWeissmanは、政府は必要な医薬品とジェネリック医薬品の生産を直接管理すべきだと主張している。

先週の金曜日、Levin議員は換気装置、N95人工呼吸器、その他の不足に直面している重要な物資の生産を政府が担うよう求めた民主党下院議員たちが署名した書簡を配布した。

以前には考えられなかった方針が採用された。トランプは、危機の間に必要な物資を生産するよう民間企業に強制できる防衛生産法の発動を発表し、水曜日に承認された。特にこの法律は、大統領が緊急時に使用される重要な商品の価格上限を設定することを許可している。

原注
1 https://www.buzzfeednews.com/article/christopherm51/ukraine-coronavirus-robbery-masks

2 https://www.fox2detroit.com/news/brothers-who-stockpiled-nearly-18000-bottles-of-hand-sanitizer-donate-stash

3 https://www.uab.edu/news/health/item/11082-investigational-compound-remdesivir-developed-by-uab-and-nih-researchers-being-used-for-treatment-of-novel-coronavirus

4 https://theweek.com/articles/831637/why-government-allowing-drug-research-monopolized-profit

5 https://www.brookings.edu/opinions/publicly-funded-inequality/

6 https://www.aljazeera.com/ajimpact/gilead-stock-surges-comments-coronavirus-drug-200224194452522.html

7 http://wsw.com/webcast/cowen57/gild/index.aspx

8 https://soundcloud.com/the-intercept/cardinal-health-at-barclays

9 https://event.webcasts.com/viewer/event.jsp?ei=1290273&tp_key=22cb849886

10 https://www.businessinsider.com/coronavirus-spain-nationalises-private-hospitals-emergency-covid-19-lockdown-2020-3

11 https://theintercept.com/2020/03/13/big-pharma-drug-pricing-coronavirus-profits/

訳注 破産保護:米連邦破産法第11条、再建型倒産処理手続を内容とするもので、債務者自らが債務整理案を作成できることから、日本でいうところの民事再生法に相当します。また、チャプター11を適用した企業では、全ての債権回収や訴訟が一旦停止され、事業を継続しながら、過去の「負の遺産」を法律によって強制的に断ち切り、存続価値のある企業を目指して経営再建に専念できることから、比較的短期間での再建が可能と言われています。https://www.ifinance.ne.jp/glossary/global/glo089.html)

危惧すること:コロナウィルス問題と私たちの政治的な権利について

2月27日にいくつかのメーリングリストに「危惧すること」と題して投稿した文章を再掲しますが、もはや状況が追い越した感あるので、最初に補足の文章を載せ、その後ろに27日の文章を掲載します。27日の投稿にある米国のインフルの数字は日刊ゲンダイからとったものですが、CDCのデータではこれより少なく、死者は2万人、感染者は3400万人としており、25000人の根拠がわかっていないのに使ってしまってます。こういうのは好ましくない使い方で反省です。なお、米国の実態は調査されていないのでわからないし、そもそも検査キットが米国では足りないと米副大統領が語っているニュースをBBCで見ましたが、これは実態が正確に把握できていないということでもあります。ですから、日本と同じザル状態なので今後拡がるかも知れません。

インフルエンザもまともに押えられない米国CDCは日本のメディアがいうほど効果的な組織ではないと思います。5日の米国のDemocracy Nowの番組では、最大の問題は、米国の公的保険制度の不備にあること、貧困層が保護されないこと、貧困層ほどテレワークなどというシャレた仕事ができないサービス業についていることなどを指摘しています。

安倍が韓国と中国からの渡航を事実上禁止にしました。他方で、外国が日本人の渡航を制限すると逆ギレする。これは露骨なレイシズムであり自民族中心主義です。こうした事態を感染の問題ではなく、政治あるいは「地政学」(嫌いなことばだが)としてみる必要があるでしょう。こうした見方もメディアの報道では少ないし、そもそも私たちの間でも議論ができていないと思います。つまり、政治は政治の観点で感染症を観ているのであって、私たちの生存権の権利を保障しなければならないという義務に基づいて行動の選択をとっているわけではない、ということです。政治家や権力者の言葉は、権力の再生産にとって利益になるのかどうかという観点を踏まえて解釈する必要があると思います。

他方で、コロナがかなり経済に打撃になっているので、人々が騒ぐほど怖くはないということを強調する傾向もあります。たとえば、BBCは昨日の放送で、致死率は1パーセントでインフルエンザの10倍あるが、家で安静にしていれば多くの人は治るということを強調していました。 政治状況に応じて判断は変動し、専門家の言説が利用される、ということでしょう。

今にいたるまで、緊急事態を先取りして自治体ベースで進んでいる公共施設の閉館を表現の自由や民主主義の問題との関わりで論じる人が少ないと思います。人々が異論を唱えたり主張するために議論する空間が規制される現状を、人々の側が「仕方がない」で受け入れてしまう。緊急事態の立法化を目論む安倍は言語道断ですが、むしろこれを先取りしている自治体や自粛だけして代替策を模索することを断念しているように見える市民運動などの運動側にも問題があると思います。集会の場所が借りれないとすれば、これは憲法に保障された権利の制約だということを深刻に受けとめるべきですし、自粛は、この権利を自ら(仕方なく)放棄するという重い決断なのだということですから、代替案を工夫すべきだと思います。こうした草の根からの自粛状況にむしろ安倍政権への権力集中が支えられてしまっているということを冷静に分析することが必要でしょう。だから、感染のリスクがあっても集会はすべき、なのか。私は必ずしもそうは思いません。高齢者も多いので、決意と気合に依存するのも限界があるでしょうし、決意主義の弊害を経験してきた世代としては、こうした態度には躊躇も感じます。それぞれの判断が大切で判断の根拠を示すことも大切です。メディアや政権の判断を鵜呑みにしていないということを示す必要があります。そして、いかなる判断を下そうとも、代替案は用意して権利が縮小されない工夫は必要です。

企業はしたたかで、客が来なくて売り上げが減るなら損失をカバーするための代替策を探します。運動は金による損得ではないのでボーっとしてしまいがちですが、自由や権利の「損得」を冷静に判断して、代替策を工夫することがとても大事な時期に来ていると思います。いずれにせよ、コロナ問題を医者や「専門家」に任せるべきではないと思う。この問題についての政治の判断からメディアやマーケットの動向まで、状況は優れて政治的かつ資本主義的な損得に依存しているのだということを忘れないようにしたいと思います。

最近のできごとでいえば、80年代、90年代のHIV-AIDSをめぐるパニックは先進国がこうした感染という問題のなかで偏見や差別がどのように露呈するかを反省する上でとても参考になる時代であり、同時に、この偏見や差別と闘った貴重な運動の時代だと思います。

コンテイジョンという映画があることを富山の友達が教えてくれました。これは、かなりよくできた感染パニック映画。 開発されたウィルスワクチンを最初に誰が使うのかという微妙な問題と倫理との相克も描かれています。

もうひとつ、こうした事態のなかで想起されていいハズの国連用語があります。それは「人間の安全保障」です。このことばは外務省のホームページにもある公的な概念ですが、これに注目する言説もほとんどありません。人間の安全保障human securutyではなく民衆の安全保障people’s securityとすべきだという議論が沖縄の反基地運動のなかから提起され、国家の安全保障では民衆を守ることはできないということが議論されてきた経緯もあります。(小倉の文章)こうした議論もまた想起されるべきでしょう。

以上思いつきも含め補足でした。以下当初いくつかのメーリングリストに投稿したもの です。

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小倉です。煮えきらない投稿です。

コロナで緊急事態的な状況になっています。この新型コロナウィルスのリスクの客観的な評価がなかなかできません。そもそもクルーズ船が唯一の感染源とはいえないようなケースも発見されており、中国武漢が発祥の地だという推測も本当にそうなのか、確証が薄れているように思います。

中国政府にとって武漢での流行は、香港の反政府運動を押さえこむ上で格好の材料に使え、実際に香港の運動は大きく後退したし、トランプにしても中国経済を弱体化できる道具として新型コロナは事実を隠蔽するよりも事実を誇張する方が政治的な利得が大きいともえいます。 逆に日本政府は事実を把握しない、できる検査をしないことで統計データの暗数(あんすう、wikiとかに解説あり)を操作して実態を過少に評価してオリパラ開催に固執することの方に利益がある。トランプにしてもすでにインフルエンザで25000人も死者を出す大流行を隠蔽しつつコロナに注目が集まる方が都合がいいし、大集会を繰り返す大統領選挙では集会自粛は誰も言い出したくない。株価は下ってますが、テレワークのIT企業はかなりのビジネスチャンスと思っている。監視システムの拡大も避けられないでしょう。

状況は医学や疫学の問題だけでなく政治的な意向を反映しているので、客観的にどのように判断するのが正しい予防やリスク回避なのかさっぱりわかりません。こうなると不安だけが先行して自粛の同調圧力が強まり、運動もまた失速します。予防とリスク回避が何より大切という場合、過剰な萎縮ではないこと、政府やメディアの宣伝に同調しているのではないこと、政府のデマとは無関係の独自の判断だというための客観的な判断基準にもとづいていること、とはいえないようにも思います。逆に、こうしたことがあってもがんばって集会やデモをやるぞ!という決意先行は、威勢はいいけれど、リスク判断を決意によって代替できるわけではないから、理論的な説得力はない。 今回は新型コロナウィルスですが戦争状態の危機になると同種の状況が生まれるのかもしれません。

今後のことで危惧するのは、

(1)集会などが次々に中止になる。主催者判断の自粛だけでなく、公共施設が貸さない、という判断になる可能性もあります。国会の議員会館の院内集会の中止もありえないことではないでしょう。憲法に保障された集会の自由を奪われるわけです。

(2)国会は通常国会の会期中ですし自治体の議会も開かれていると思います。様々な法案の審議中ですが、無観客試合みたいな感じで一方的にヤバい法案が次々に通過する可能性がある。裁判所も傍聴制限を強化するかもしれない。裁判公開の原則が崩れます。とくに、非常事態の官邸への権力集中を容認するような法案とかが、コロナを口実に作られるかもしれず、たぶん野党も同調するでしょう。

(3)国会すら機能停止になるとすれば、あるいは国会審議の時間的な余裕がないという理由で執行機関の内閣に権力が集中し、行政が暴走する。例外状態を口実に超法規的なことをやりかねない。

娯楽関連のイベント中止は、確かにコロナの流行状態をみると仕方ないかなあと思いつつ、他方で、オリパラとの関連では、福島の放射能汚染の隠蔽の現実を踏まえると、実はもっと深刻に捉えるべきなのかとも思い、そうであるなら集会などの自粛もありなのかとも思います。いずれにせよ集会などの実施、中止の判断の政治的な性格をきちんと把握する必要があると思います。医学と疫学だけに委ねられない。確信をもって判断できませんが、こうした自粛の先に政治的な意思決定や民主主義を支える仕組みそのものがもっている権力を抑制しえない限界が露呈するように思います。

こういう事態で、天皇が何を言うのか、沈黙したままでいられるのか、ということも注目ですが、ぼくが注目したいのは天皇ではなくて、天皇の言動を受け止める「国民」の側の受け止め方の方です。これが天皇制を支える基盤だと思うのです。

ちなみにわたしの関連では29日に集会を開きます。これは予定通りの開催です。 監視社会に対抗する プライバシーの権利運動 ―韓国からの報告― http://www.jca.apc.org/jca-net/node/68

第9回:死刑廃止映画週間『フォンターナ広場』トーク

2月18日、死刑廃止映画週間に上映されたイタリア映画『フォンターナ広場』(日本語公式サイト)の上映後のトークイベントで話をしました。下記の動画の下にあるブログの文章はトークの記録ではありません。トークでは映画を観た方たち向けに話したのですが、ブログの読者は映画を観ているとは限らないので、話しきれなかったことなどを書くとともに、トークでは紹介できなかった音楽についても以下で紹介しました。

「フォンターナ広場」とは、1969年12月12日にミラノのフォンターナ広場に面したイタリア農業銀行で起きた爆弾テロ事件を指しています。16人の命を奪い、100人が負傷する大惨事になります。当初、この事件をアナキストたちの犯行だとして大量の活動家が検挙されます。この検挙者のなかに、後に取り調べ中に警察の建物から飛び降りて「自殺」するジュゼッペ・ピネリもいました。映画で描かれているように、この自殺は警察による組織的な殺害によることはほぼ間違いのないものです。この映画にはいわゆる死刑は登場しませんが、このピネリの「死」は、権力による非合法の処刑と解釈することができるという意味で、死刑を権力による殺人と定義する観点からすれば、これもまた一種の死刑に違いないと思います。死刑制度を考える上で、こうした法制度を超えるところで行使される権力による処刑の問題は死刑廃止運動においても視野にいれておくべき課題だと思います。

この「フォンタナ広場」の事件をアナキストの犯行としたことに対して、アナキスト(様々なグループがありますから複数形です)だけでなく議会外左翼のLitta Continuaなどは当初から政府が関与する陰謀とみて、フォンタナ広場は国家による虐殺だと主張します。「国家の虐殺」は抗議のデモで繰り返し叫ばれるスローガンになります。この映画でも描かていますが、次第にフォンタナの事件は、アナキストの犯行ではなく、国家権力を後ろ盾とした極右が関わる犯行であるとする間接的な証拠などが出てきます。しかし、アナキストを事件直前に広場まで運んだと証言したタクシーの運転手や捜査にあたっていた検察官などが次々に謎の死をとげます。そして今世紀まで続いた長い裁判は二転三転して、結局のところ事件の責任を問われる者もなく、真相はうやむやなままになります。関係者もアナキスト、警察、諜報機関や軍、政権の政治家、極右など複雑で、しかもスパイもいたりするので、人間関係の理解が難しいかもしれませんが、かなり忠実に事実の即しつつ権力犯罪としてのフォンタナ広場の背景を描いていると思います。

映画というメディアの限界として、出来事を描くことができても、それぞれの登場人物が抱いている思想的な背景を深く掘り下げるところまではいきません。上映後のトークで私は、なぜ爆弾テロのような暴力を極右や権力が使おうとしたのか、その背景についても話しをしました。事件は半世紀も前ですが、60年代末から70年代にかけて、爆弾テロ事件が多発するなかでフォンタナ広場の事件は、この時代を象徴するものとなりました。68年、69年という時代は、ヨーロッパでは新左翼の出発点をなす時代ですが、同時に、新左翼に対抗する極右が新たな装いをもって登場する時代でもありました。冷戦期の70年代に、戦後のイタリアの政治を二分してきた保守とイタリア共産党から構成される不安定な権力構造の外側に、アウトノミアと呼ばれる議会外左翼によるユニークな運動が拡がりをみせました。アントニオ・ネグリはこのアウトノミア運動の思想的な担い手の一人だったわけです。イタリアでは左翼、アナキズトの広範な運動を押え込むために、左翼を暴力的で危険な存在であると印象づけるための様々な陰謀が繰り替えされました。こうした陰謀に極右の暴力が利用されたのです。左翼やアナキストによる暴力も存在したので、全てが陰謀であるとはいえない状況にありました。こうして実際に多くの人々を犠牲にしながらテロの脅威によって社会の危機が演出されました。フォンタナ広場の事件は、その事件の勃発だけでなく、その後の捜査や司法の判断など一連の権力の動向全体を通じて、保守・反共政府の権力基盤を強化する非常事態の政治的な演出の象徴的な事件といえます。

私は、政治的な暴力には、人の命を奪う政治的な意思なしには行うことはできないと考えています。イタリアにおける政治的暴力は、20世紀初頭のファシズムにそのひとつの源流をみることができます。ドイツのナチズムがユダヤ人ホロコーストという国家犯罪によって厳しい拒絶に直面したのと比べて、イタリアのファイシズムは戦後もある種の寛容さをもって容認されてきたように思います。しかもムッソリーニのファシズムすら妥協の産物(とりわけローマカトリックとの妥協)だとみなして批判してきたユリウス・エヴォラのような神秘主義と伝統主義に基く思想を含めて、戦後も反共のイデオロギーとして延命したともいえる側面があります。思想的な背景は描ききれていないところは物足りないのですが、この映画はかなり事実を忠実に再現しようとしていると思います。この意味で必見と思います。(DVDでも発売されています)

トークでも言及しましたが、12月にはフォンタナ広場での権力による爆弾の虐殺とピネリ殺害の抗議行動が行なわれており、2019年12月の集会の模様。

ピネリの虐殺はBallata dell’anarchico Pinelli(La Ballata di Pinelli)という歌となって歌いつがれてきました。様々なのミュージシャンが歌ってきました。

Montelopo

Joe Fallisi

KZOUK,コルシカのロックバンドのライブ。18世紀のコルシカ革命(独立運動)のシンボル、ムーア人の旗が見える。

以下はMontelupoのバージョン。動画の下に歌詞があります。

La Ballata di Pinelli

Quella sera a Milano era caldo
Ma che caldo che caldo faceva
Brigadiere apra un po’ la finestra
una spinta e Pinelli va giù

“Commissario gliel’ho già detto
Le ripeto che sono innocente
Anarchia non vuol dire bombe
Ma uguaglianza nella libertà.”

“Poche storie confessa Pinelli
Il tuo amico Valpreda ha parlato
è l’autore di questo attentato
Ed complice certo sei tu”

“Impossibile” — grida Pinelli —
“Un compagno non può averlo fatto
e l’autore di questo attentato
fra i padroni bisogna cercare

“stai attento indiziato Pinelli”
questa stanza è già piena di fumo
se insisti apriam la finestra
Quattro piani son duri da far.”

C’è una bara e tremila compagni
stringevamo le nostre bandiere
quella sera l’abbiamo giurato
non finisce di certo cosi

e tu Guida e tu Calabresi
se un compagno è stato ammazzato
per coprire una strage di stato
la vendetta più dura sarà

quella sera a Milano era caldo
Ma che caldo che caldo faceva
brigadiere apra un pò la finestra
Una spinta e Pinelli vaggiù.