表現の不自由展はなぜ中止されたのか

以下の「メモ」は2019年12月28日に開催された人権と報道連絡会の集会で配布したものに若干の修正を加えた。なお、「表現の不自由展再開が抱えた問題」も参照していただきたい。このメモでは簡単にしか言及されていない事にも触れている。また以下で批判の対象にしているのは、あいちトリエンナーレ検討委員会「表現の不自由展・その後」に関する調査報告書(案)」(2019年12月18日)のなかの「全体的所見」である。報告書には各委員の個別の見解なども示されているが、これについては言及していない。この報告書については津田大介による反論が公開されている。また、表現の不自由展実行委員会による意見も検討委員会のサイトに掲載されている。

Table of Contents

  • 1. なぜ展示は中止せざるをえなかったのか
    • 1.1. 構造的な背景
    • 1.2. 電凸から中止に至る経緯のなかで誰がサボったのか
    • 1.3. 推測される中止の構図
  • 2. 反知性主義
    • 2.1. インターネットとSNS
    • 2.2. 作品の意図とは
    • 2.3. 展示中止による偏見の蔓延
    • 2.4. ネット発信禁止は間違った方針だった
    • 2.5. 無視されたネット署名と公開を求める諸々の運動
    • 2.6. 検討委員会の反知性主義
  • 3. 不自由展の展示そのものへの検討委員会による悪意ある批判
    • 3.1. 業務委託はトリエンナーレ側が強いた条件だった
    • 3.2. 作品選定の責任を逃れたかったトリエンナーレ
    • 3.3. 企画断念も提言する報告書
  • 4. 資料

1 なぜ展示は中止せざるをえなかったのか

1.1 構造的な背景

不自由展の中止は、直接にはファックスによる脅迫や電凸と呼ばれる電話による嫌がらせ、誹謗中傷に対応しきれなかったというところにあることは「事実」だが、これは事実の一つの側面でしかない。

そもそも、不自由展に対して、トリエンナーレ側は、キュレーターも事務局も肯定的ではなかったと私は理解している。不自由展の意義について彼らはほぼ次にように考えていたと思われる。

  • キュレーターたちは、不自由展の作品群がトリエンナーレという国際展にふさわしいアート作品の水準にあるとは考えてなかったと思う。だから、展示に対しては消極的であり、協力しない姿勢をみせていた。
  • 事務局は、そもそも政治的社会的な内容をもち、かつ他の公立美術館などで展示できなかった作品という、それだけでリスクの大きな作品をあえて展示する「意味」を理解していたとは思えない。
  • 個人の心情(信条)として、不自由展の作品群が提起している内容に多かれ少なかれ違和感や異論をもつ者たちがいたことは事実である。
  • 出展作家たちのなかにも、作品評価という観点で、アートとしての質に疑問を抱く人たちがいたと思われる。評価できない作品だから積極的に支持するモチベーションも持てない、というわけだ。
  • 警察の対応もまた消極的なものだった。既に春の段階で、右翼対策でトリエンナーレ事務局は警察と打ち合わせを行なっている。警察側は展示内容を示されて、内容に難色を示した。県との打ち合わせで警察側は「作品内容を見る限り、天皇への不敬や慰安婦問題など、保守系団体を刺激する作品数の割合が高くバランスを欠いているように感じる。趣旨を説明したとしても、偏りがあるとなかなか理解されないような気がする。新天皇即位というタイミングや最近の日韓関係から保守系団体は、過敏に反応する可能性が高い。」と展示内容に踏み込んだコメントをしてきた。「不敬」という文言は警察が言ったのか、打ち合わせのメモを作成した県職員の言葉かわからないが、いずれにせよ公務員から「不敬」という文言が出るような環境があるという事実は重い。警察としては、こうした展示が右翼の抗議を招いたとしても自業自得と考えたかもしれず、積極的な右翼対策をとる積りがなく、トリエンナーレ側あるいは不自由展側に対処の責任を負わせたがっているような印象がある。

1.2 電凸から中止に至る経緯のなかで誰がサボったのか

右翼の攻撃は当初から予想されていたが、適切な対処を怠ったのはトリエンナーレ事務局である。不自由展を不快に思っていた事務局は、トリエンナーレを成功させつつ、不自由展だけをピンポイントで中止に追いやることを黙認したように思う。この「黙認」は意識的な行為というよりも、心理的なありかたとして、中止になってもやむおえないような状況を全力で阻止する努力を回避したつまり不作為による効果を狙ったということである。

8月始めに、右翼の攻撃の際に、不自由展実行委員会は以下のような質問をした。

  • なぜ電話対応を未熟な若い職員に委ねるのか。経験のある職員に対応させるべきだ。(答:職員の増員はできない)
  • なぜ人員や機材に対して予算を増額しないのか。(答:予算はない)
  • 県知事がトップにあるイベントでなぜ人も金も出せないのか。(出せない理由についての説明はない)

明かに右翼の妨害に対して可能な対処をする積りがない回答しか返ってこなかった。この結果として、現場の職員を疲弊させ、この疲弊を口実に展示を中止にした。つまり展示中止を正当化しうるような状況を作り出すことが暗黙のうちに組織の無意識な動機として形成されたといえる。

トリエンナーレ側も津田大介芸術監督も、京都アニメーション事件を引き合いに、中止は、ガソリンを撒くというファックスの脅迫が最大の原因となったと述べている。しかし、この経緯も不自然だ。

  • ファックスの脅迫があってから警察へに被害届けが出されるまでかなりの時間がかかっている。82日にファクスによる脅迫があり、被害届は6日になってやっと出される。展示中止は3日だから、中止の後にアリバイのようにして被害届が出された。脅迫メールへの被害届けは、更に遅く、14日である。
  • なぜ被害届が直ちに出されなかったのか。津田は「警察が受けとらなかった」と証言しているが、これは間違いか虚偽の回答だろう。国家公安委員会規則「犯罪捜査規範」第61条で定められているように、被害届の受理は警察の義務だからだ。1
  • 津田は、私たちに、ファックスであるにもかかわらず発信場所の特定ができない、と警察が言っていると伝えてきた。警察はそもそも捜査する意思がなかったあらわれなのだが、津田は、これを逆手にとって、自分の会社のスタッフがファックスの発信元をつきとめたと自慢した。津田は警察が捜査を怠ったことを怒るべきだったのだ。

1.3 推測される中止の構図

中止を電凸や脅迫に還元することはできない。もっと多くのベクトルが作用していたと思われる。

  • 通常ありうる右翼による会場への暴力的な介入はなかった。若干の口頭での嫌がらせのような言動はあったが組織的ではなかった。明かにトリエンナーレの会場を混乱させる組織的な意図をもった攻撃も皆無だった。
  • 同様に、美術館の事務局や館長室などに押しかけるなどの行動も目立ったものはなかった。
  • 周囲で街宣車が動員されて騒然となることもなかった。街宣車は僅かな数が来ていたし、路上での拡声器によるアジテーションなどはあっても、極めて限られたものだった。

私の推測にすぎないが、反対派の行動はかなりの抑制とある種の「統制」がとれていて、電凸やネットの嫌がらせも、見た目は不特定多数の自発的な行動のように見えるが、こうした行動が統制のきかないレベルにまで拡大していない。この点でSNSの拡散効果は実は思ったほど大きなものではなかったと思う。勿論、「統制」といっても、特定の組織がその構成員に対して行なうようなネット以前の大衆社会におけるような意味でのそれではない。現代の「指導者なき運動」のなかで発揮される「統制」である。

上述したように、反対行動は、トリエンナーレ本体を潰すことは意図しておらず、不自由展だけを切り離して中止に追いこむというピンポイントの攻撃を仕掛けてきたように思う。このように不自由展を中止に追い込みたいが、トリエンナーレの失敗は望まない人たちとは誰なのか。「誰」かは特定はできないが、この問題の多様な利害関係者の構図から「誰」を推測することは可能かもしれない。展示中止から再開へと動く全体の力関係はこれらが相互に関わりあうなかでのことであって、これらのクターの基本的な性格が展示再開から現在に至るまで本質的に変化していないので、将来同じような検閲が起きる可能性は否定できない。

  • 愛知県庁の官僚たち。知事は任期が負われば退任である。定年まで県庁職員として仕事し出世も目指す職員の行動の動機は知事とは同じではない。彼らはトリエンナーレの成功を望む主要な構成要素だ。しかし、不自由展の成功を望むかどうかはなんともいえない。労働組合が一貫して沈黙したことの「意味」は大きい。
  • 県庁内の派閥。どのような組織にも主流派と反主流派がいる。愛知県庁のなかにも大村派と反大村派あるいは河村市長支持派がいてもおかしくない。
  • 政治家たち。議会の自民党や保守派の議員は不自由展には反対だがトリエンナーレの成功は望んでいるだろう。
  • スポンサー企業。同様に、不自由展には反対だがトリエンナーレを文化支援の看板として利用するメリットは考えているだろう。スポンサー企業への嫌がらせや脅迫もあったと聞くが、これに対して企業側がどのような態度をとったのか、あるいは不自由展に対してトリエンナーレ側にどのような態度をとったのか、私には情報がない。
  • 名古屋市の河村市長とその流れを組むであろう人々。河村市長は明確な歴史修正主義者であり、そのスタンドプレイとメディアへの露出は、ネトウヨなどを刺激するアクターでもあった。右翼や大阪維新なども含まれる。
  • 宮内庁。天皇が絡む事件には必ず大きな関心を寄せる。大浦の「遠近を抱えて」が1986年に富山県立近代美術館で非公開となった折にも宮内庁に富山県は職員を覇権して状況を説明している。
  • 中央政府。直接間接の影響を行使したと推測できる。とくに少女像については展示を阻止する意向を愛知県に伝えていても不思議ではない。
  • キュレーターチーム。 不自由展のような問題作品を抱え込む覚悟はないし、作品の芸術的評価も低い。彼らの多くは、津田芸術監督との関係がよくなかった。その原因はいくつかありそうだ。ひとつは、キュレーターチームが推薦したアーティストを津田が認めず、津田はキュレーターチームとは別に独自にアーティストの選定を行なったようだ。表現の不自由展もその一つ。
  • 芸術監督。 あまりに大村知事を信頼しすぎ、官僚制度がどのように検閲の構造を生み出すのかについての理解がなかった。結果として、知事に裏切られることになる。(経緯は「資料」参照)
  • 検討委員会。アートの権威を代弁する者達。表現の不自由展を素人の展示だと軽蔑し、実行委員会の排除を企てる。展示中止を憲法違反ではないとみなす憲法学者も含まれる。表現の自由よりもアートの権威と利権に固執したと捉えられても致し方ないだろう。
  • 本展出展作家たち。立場は様々。検閲という事態に直面しつつ、不自由展の意義を認める者、認めない者、様々。ただしごく例外を除いて、ボイコットによる抗議という行動や裁判による解決に、日本国内からの出展者たちは否定的だった。
  • 不自由展出展作家たち。検閲に反対であるという点では、一致していたと思うが、それぞれの思いで出品したので、実はその思いや不自由展実行委員会の判断への評価も一つではない。
  • 鑑賞の権利を訴える市民たち。
  • アーティストやアートに関わる関係者たち。
  • 既存のマスメディア
  • ネットのメディア

2 反知性主義

検討委員会の報告書では、「拡大するネット環境によって社会の二極化や分断の進行が露わになるとともに、いわゆる「反知性主義」の存在が可視化された」と述べ、こうした動向への対応が今後必要になるとして、以下のように述べている。

拡大するネット環境によって社会の二極化や分断の進行が露わになるとともに、いわ ゆる「反知性主義」の存在が可視化されたのではないか。
あいちトリエンナーレが発足した当時とは比べものにならないほどにインターネッ トとSNSが普及した。これによって、目的が明確な「展示」を一般の人々から隔離する ことが不可能となったと言えよう。即ち、来場者が写真を投稿することで作品が企画者 の意図とは切り離されて注目を集める結果を招いた(いうなれば「美術館の壁が崩壊」 する結果)。こうした個人の解釈によるSNS投稿は、さらに作品の意図とは無関係な、 美術に関心のない人々を巻き込み、彼ら個人の思想・心情を訴えるために利用され、い わゆる「炎上」を招くことにつながったと言えよう。振り返ってみると、このような事 態が国際芸術展を舞台に起きたのは、はからずも、日本社会の分断と格差が進行した結 果とも言え、その可視化につながったと言える。このような社会の変容に鑑み、展示の 企画内容や展示手法については今後とも留意すべきである。

報告書のいう「反知性主義」とは誰を指すのかはっきりしない。通説といっていいホーフスタッターの定義(彼は定義すること自体の有効性に疑義も唱えているが)では「知的な生き方およびそれを代表するとされる人々にたいする憤りと疑惑である。そしてそのような生き方の価値をつねに極小化しようとする傾向である」としている。2検討委員会は、不自由展を中止に追いやった電凸の攻撃などに加担した人たちを「反知性主義」が可視化されたものとみなしていることは、ホーフスタッターの定義にも合うし、文脈上間違いない。しかし、不自由展実行委員会も検証委員会からすると、反知性主義の側に分類されているのではないかという疑いを拭えない。「知性主義」の側に不自由展実行委員会や芸術監督の津田大介をも加えているのかどうかははっきりしないからだ。一連の経緯や私自身が検討委員会の座長から直接聞いた発言などからすると、検討委員会は不自由展実行委員会もまたある種の反知性主義の属するものとみなしていたと私は判断している。というのも、不自由展実行委員会に対して、再開にあたって不自由展実行委員会を露骨に排除することも選択肢の一つとして提案するという侮辱的な振舞いを平気で行なったりしているからだ。言い換えると、不自由展実行委員会は作品を展示する側に立つ資格のないアートの門外漢であって、アーティストとしての主体になる資格のない者達だという偏見は検証委員会側にはかなり明確にあったと思う。同時に、偏見を抱く人々に共通する特徴だが、ほとんど不自由展実行委員会のメンバーが何者であるのか、これまでどのような活動をしてきた者たちなのかを知りたいとも思わなかっただろうとも思う。実はこの偏見は、不自由展実行委員会が選定した作家や作品への偏見にまで拡張されていたかもしれないとも思う。彼らの作品への無理解は再開に至る準備過程で露呈する。

2.1 インターネットとSNS

反知性主義が可視化された原因をインターネットとSNSの普及にあるとしている報告書の理解には大いに疑問がある。報告書では、「目的が明確な「展示」を一般の人々から隔離することが不可能となった」と述べているところに彼らの立ち位置が示されている。「隔離」という非常に強い排除の言葉がここで述べられていることに私は強い違和感がある。しかも「一般の人々」という言葉もまたここで使われているから、前後の文脈からすれば、インターネットやSNSを使う「一般の人々」から展示を隔離する必要があることになるが、それではいったい何のための、誰のための展示だというのだろうか。知性主義に基くごく限られたアートの貴族階級にのみ開かれた「展示」ということだろうか。日本の美術館文化のなかで天皇や皇族が観覧する悪しき伝統があることを踏まえれば、こうした人たちのための隔離されたアートであることが理想的な美術館のモデルなのだろう。

2.2 作品の意図とは

報告書では「来場者が写真を投稿することで作品が企画者の意図とは切り離されて注目を集める結果を招いた」と述べている。企画者の意図とは切り離された注目が集る現象を「美術館の壁が崩壊」したとも表現している。しかし、こうした把握は事態の本質を誤解している。

たしかに悪意をもって写真をSNSなどに投稿する者たちがいた。こうしたいわゆるネトウヨなどと呼ばれる人たちもまた、企画者の意図を彼らなりに否定的に解釈している。たとえば少女像であれば、これが韓国における「従軍慰安婦」を象徴する「像」であって日本政府や日本人の戦争責任を不当に問うものであるといったある種の理解(私とは正反対の理解)が彼らにもある。その上で、攻撃者たちは、性奴隷と呼ばれるような強制労働はなかったといった歴史修正主義やナショナリズムの感情を抱き、これが感情的な憎悪の表現となって表出する。

戦後日本の現代アートはその出発点から、作品をその意図とは切り離して脱政治化して「美」の「術」として解釈する権威たちに支配されてきた。その典型が滝口修造によるシュールレアリズムやダダの紹介だろう。海外のアートが内在させている政治性や社会性を美術館は、その解釈の権威という壁によってフィルターにかけて、政治性や社会性を脱色させることで制度として維持されてきた。その結果として図書館のように政治的な資料を提供できない制度になった。これもまた作品の意図に反するものだが、権威による解釈となれば、これこそが作品の正しい解釈だということになる。こうして戦後のアートは脱政治化を正当化されてきた。だから不自由展で展示されるような検閲が横行し、その大半が政治的な作品になってしまったのだ。

美術館を支えてきたメディア環境は美術館の権威を維持・再生産する上で好都合なものだった。アートに関する発信者たちは、アートの権威をまとった者たちだけであり、鑑賞者たち一人一人は発信する力をそもそも持ちえなかった。また、アートの権威者やマスメディアは戦争責任や天皇制に関して向きあうべき諸問題を忌避してきただけでなく、むしろある面では積極的に歴史修正主義や天皇を賛美する言説を生み出すことに加担してきた側面がある。たとえば、敬語報道であり、美術館を訪問する皇室報道であり、皇室由来の「文化財」であり、「日本文化」という虚構の物語構築などなど。こうしたメディア環境を通じて大衆的な「歴史観」や天皇イメージが構築されてきた。インターネットやそのSNSが露出させたのは、伝統的なメディア環境が戦前戦後を通じて一貫して構築してきた自民族中心主義と、その裏返しとしての異民族に対する優越意識と異民族への嫌悪の感情である。もう一度書くが、美術館がこうした自民族中心主義に隠されたレイシズムにアートの権威をまといながら加担してきた歴史があるのではないか。検討委員会はこうした自らの身を切るようなアートへの自己批判がない。このことへの反省なしに、一方的にインターネットとそのSNSを敵視する姿勢を私は断固として容認できない。

私自身は1990年代のインターネットがまだ商用化される前からのインターネットユーザであり、90年代以降は関わりへの濃淡はありながらネットにおける表現の自由と反検閲運動に関わってきた。この関わりは現在も続いている。こうしたなかで、あたかもインターネットとSNSを目の敵にする検討委員会の姿勢のなかに、「一般の人々」が作品に対して自由な意見や感想を持つことそれ自体を否定する姿勢をみるし、むしろ一般の人々の口封じをしようとやっきになっているとしか思えない没落しつつある権威主義者の狼狽ぶりを見る思いだ。「素人は口出しするな」「企画意図をねじ曲げる理解するな」というだけでなく「正しい」作品の見方を教えられるのは自分達だけだという奢りがある。しかしこうした脅しはもはや通用しないだろう。

私は、ネット上に溢れたようにみえた不自由展への誹謗中傷といえるような言説も含めて、現在の日本の「一般の人々」が自分なりに「解釈」した作品の意味を端的に示しているものだと思う。ネトウヨの作品解釈を私は肯定しないが、だからといって、学校教師のように私の解釈が唯一「正しい」としてネトウヨの解釈に落第点をつけるような無意味な態度をとろうとは思わない。美術の権威者たちは、こうした作品解釈の妥当性を唯一自分達が握ることの必要性を感じており、こうした解釈の権威なくして彼らの権威もないからなのだが、このような態度は、後に述べるように、不自由展の作品をめぐっては見事に破綻してしまった。不自由展をめぐって問われているのは、まさに政治的であること、社会的であることをアートから排除してきた権威たちのアート理解そのものの妥当性なのだと思う。

誤解を恐れずにあえて言えば、検討委員会メンバーのなかには、歴史認識や天皇をめぐる表現については、ネトウヨの感情的な表現には同調しないとしても、不自由展実行委員会よりもむしろネトウヨがとったスタンスに近い価値観をもっている者がいると私は推測している。同じことは、愛知県の行政組織のなかにもいるし、トリエンナーレのキュレーターやアーティストのなかにもいるはずだ。天皇制を支持する世論は8割を越え、歴史認識における「慰安婦」や強制連行をはじめとする植民地支配や戦争犯罪を否定する価値観をもつ「日本人」が圧倒的多数を占めている現実からすれば不思議なことではない。ネトウヨの誹謗中傷は、こうした大衆的な心理が表出したのだということを検討委員会も認めているのだが、その根源にある差別や偏見に美術館や文化行政もまた加担してきた歴史については一切自覚なく、もっぱらインターネットとSNSを槍玉にあげたわけだ。

こうしたネットやSNSへの嫌悪は、報告書の次の箇所にも示されている。

今回の展示に対する抗議が起こり、その内容を検証するうちに明らかになってきた のは、「公共」「表現の自由」という言葉の意味と内容の解釈において社会共通の理解 が希薄である、あるいは、失われつつあるということであった。先述したSNSの普及に よって、今までは意見を述べる機会を持たなかった人たちが一斉に声を上げるように なった。また、匿名の電凸もその反映と言えよう。今後、安全に国際芸術展を企画・運 営していくためには、あいちトリエンナーレの枠組みを越え、改めて「表現の自由」の 定義、「公共」とは何かについて議論し、かつ啓蒙していく必要があろう。

ここでの「啓蒙」とは、そもそもネットで匿名で発信するような人々は無知蒙昧な輩であるという偏見があり、「公共」や「表現の自由」を美術館の権威は自らの解釈によって型に嵌めようとしている。そもそも公共とか表現の自由は、この国の美術館でどれほど真剣に議論されてきただろうか。あるいは美術館が文字通りの意味での「公共」や「表現の自由」の側にたって、検閲や規制に反対してきたことがどれほどあっただろうか。付言すれば私は「公共」という概念を肯定的に用いることはしないし、すべきだとも思わない。天皇制が廃止され、国民国家もまた消滅したあかつきには、民衆の相互扶助の空間として「公共」と呼びうる実体が登場するかもしれないが、現在の制度を前提とした「公共」は擬制でしかないからだ。表現の不自由展は、美術館自身が果たしえてこなかった表現の自由の現実を展示を通じて明らかにしようとするものだった。この展示の趣旨を報告書は意図的に無視しているだけでなく、こうした表現の不自由展が提起した問いは、検討委員会のメンバーがその権威ともなっている美術館のあり方への批判なのであって、このことを理解しようとはしていない。3

2.3 展示中止による偏見の蔓延

検討委員会は上に引用したように、「個人の解釈によるSNS投稿は、さらに作品の意図とは無関係な、 美術に関心のない人々を巻き込み、彼ら個人の思想・心情を訴えるために利用され、いわゆる「炎上」を招くことにつながった」という理解をしている。ネットをめぐる俗説をそのまま踏襲するのだが、「炎上」は作品の意図に反対あるいは嫌悪を感じた人々の行動であり、意図と無関係では決してない。むしろ作品の意図を「理解」するが故に「炎上」を選択している場合があることを深刻に受け止めるべきなのだ。この場合の意図とは、作品を観たとか、作品の解説を読んだとか、「専門家」のレクチャーを受けたとかといったこととは関わりがなく、キーワードとしての「慰安婦」「天皇」が日本国内のナショナリズムの心情からみて受け入れ難いものであることからきている。反応しているのは作品ではなく、そのタイトルであっり、伝聞での「内容」である。勿論こうした反応をする人々の一部は、実際に作品を見ることで理解を変えることはあるから、作品を見ることは大切であり、この「見る」機会のなかには、ネットを通じての作品の図像や解説も含まれる。もし展示中止になり、作品に直接触れることができない場合、こうした人々が考え方を変える機会を奪うことにもなる。

私はネット上の誹謗中傷や電凸を行なった人々のほとんどが実際に作品を見ていないと確信している。作品を見る必要も感じていないと思う。すでに、彼らのなかに構築されている「慰安婦」「天皇」といった記号の意味内容と作品の意味内容とが敵対的であることが確認できればいいのだ。史実としての「慰安婦」とされた人々の現実とか天皇が犯した犯罪の事実といった問題に、文字通りの意味での事実を知ろうとする意欲が結びつくことはない。偏見研究の古典的な著作、G.W.オルポート『偏見の心理』4で彼は「偏見とは、実際の経験より以前に、あるいは実際の経験に基かないで、ある人とか物事に対してもつ好きとか嫌いとかという感情である」と述べている。重要なことは、誹謗中傷が作品を実際に経験する前に発生するか、あるいは経験に基づかないで発生している、理性ではなく感情に由来する事柄だということだ。とすれば、解決に向かうかどうか不確定とはいえ、経験の機会を与えることは偏見を払拭する上で重要な条件になる。

偏見を実現するために、偏見に基づく行為にはいくつかの段階があるとオルポートは述べている。口頭だけの「ひぼう」、嫌いな集団のメンバーを避けるような行動をとること、更に能動的になると差別的な行動をとるようになる。オルポートは次のように述べている。

差別。ここでは、偏見をもった人は、一種の能動性のある好ましくない区別をしている。その人は、当の相手の集団メンバーすべてを、ある種の職業、住居、政治的権利、教育とかレクリエーションの機械、協会、病院、その他いくつかの社会的特権からしめ出そうとしている。隔離とは、制度化された形での差別であり、法律とか共通の慣習によって強制される。」

更に偏見がひどくなると、身体的な攻撃や集団虐殺のような悲惨に事態へと進展するわけだ。上記の引用には美術館が含まれていないのだが、言うまでもなく美術館も含まれてよい。偏見に基づいて美術館から排除しようとしたのがネトウヨたちの行動だ。これに対してトリエンナーレのキュレーターたちや主催者側実行委員会は、知事も含めて、様々なレベルで無視や消極的関与、あるいは「しめ出し」を試みようとしてきた。彼らもまた偏見を抱く者たちだったということだと思う。

わかりやすい例が大村知事の少女像に対する反応だ。彼は少女像がどのような作品であるのかを理解する前に、その排除を明確に意図して津田に指示している。憲法21条を踏まえた合理的な判断を下すとすれば、排除を示唆するといった行動はとれるはずがない。むしろ作品を撤去しようとする右翼らの行動を抑制するための努力をすべきだった。反応としてはわかりにくいが――というのもその言動が公表されていないからだが――トリエンナーレのキュレーターたちもまた不自由展の作品をアートの専門家の水準で知る以前に、否定的な見解を抱いたに違いない。「知る」ことが切実に必要だと判断されたなら、不自由展実行委員会に対してコンタクトをとる努力をしたはずだが、一切そうした行動はとらなかったからだ。

偏見のわかりやすい例が電凸やネトウヨの誹謗中傷であるとすると、検討委員会もトリエンナーレ主催者側も、多かれ少なかれ「偏見」に囚われていたと見ること必要だと思う。誹謗中傷はヘイトスピーチとして道義的にも、時には法的にも容認しえないもととなるが、そうではない場合、制度のルールや社会の多数が暗黙のうちに支持を与えるような価値観を隠れ蓑にした巧妙な排除の力の方が、実は表現の自由や検閲という問題では深刻な事態を引き起す。

2.4 ネット発信禁止は間違った方針だった

検討委員会だけでなく、津田も大村知事もネットでの発信を規制することを肯定してきた。私は反対だったし、不自由展実行委員会も反対だった。反対の理由は、みな同じだったとは思わない。少なくとも、私はネットの表現の自由の運動に関わってきた者として、自ら自主規制を容認することは、自分の運動を自己否定するに等しい態度ということになる。この点で、不自由展の当初からSNSへの写真投稿禁止という張り紙を認め、私の名前もそこに表示されたことをそのままにしてきたことは、自己批判すべきことだと思っている。とても悔しい思いではあったが、もしこれを認めなければ展示はできないという津田の踏み絵の前に屈せざるをえなかった。

これに対してChim↑PomSNS投稿を認める張り紙をし、これに触発されてSNS投稿OKとするアーティストたちが出てきた。私はこうした動きを不自由展実行委員会として黙認すべきだと述べたが、むしろ電凸の攻撃材料になるので、絶対認められないという意見が強く、結果としてこのアーティストたちの張り紙を撤去するということをやるハメになった。

津田はジャーナリストであるだけでなく、ネオローグというネット関連の会社も経営する。この意味で、たぶん、不自由展実行委員会よりもずっとネット事情には詳しいのだが、その彼が最初からネトウヨへの対抗を回避していたと思う。「自分はFacebook日本法人とも付き合いがあるから、いざとなればネトウヨの攻撃は止められる」といったことを彼は口にしていたが、私にはにわかに信じがたい発言だと感じた。インターネットやSNSでどのような対抗的なメッセージを構築するかという私たちの側による情報発信が、観覧者のSNS発信禁止というルールによって削がれたと思う。ネトウヨはこのような規制を無視して発信を続けたが、良識的でルールを守らねばと思った不自由展実行委員会や展覧会に賛同してくれた人たちの発信の意欲や運動の広がりを削いでしまった。不自由展実行委員会が情報の統制をしすぎているとも感じた。ネットにおける人々の言論表現の自由を私たち自身が(いかなる理由であれ)抑制しようとしたのだ、ということと、こうした抑制がいかに言論表現の自由に対する重要な影響をもつものなのかということについて不自由展実行委員会内部ではきちんと議論できていなかったと思う。ネトウヨ対策として仕方ない、ということが共有されてしまったのだが、私が、本来であれば果さなければならなかったのは、こうした分野での問題提起だったと思う。しかし、かなり厳しい状況のなかで、ネットやSNSによる情報発信の戦略を提案しきれなかったことは反省してもし足りない思いがある。

2.5 無視されたネット署名と公開を求める諸々の運動

報告書は次にように「国内外の芸術家と市民の広範な連帯が実現し、芸術祭の新たな局面が示された」と評価している。

今回の展示の中止をめぐって社会全体の分断や対立が浮き彫りにされた一方で、芸術 家と市民の間に柔軟な対話や協働の機会が広がっていったことにも注目すべきである。 たとえば参加作家によるReFreedomAichiの活動は、スペース運営、参加型企画、署名、 コールセンター開設等へと展開した。また、そうした芸術家たちと連帯する、一部市民 やトリエンナーレボランティアの存在も確認できた。これは2010年以来のあいちトリエ ンナーレの経験の蓄積の賜物とも言えよう。また、展示再開に至ったプロセスにおいて、 こうした芸術家と市民の支えが作用したとも推測できる。危機を介しての芸術祭の成熟 (広範な連帯)を得たことは、今回の果実とも言えよう。

ここには、ネット署名運動も愛知県内の市民運動も裁判の闘いも登場しない。

ネットやSNSがネトウヨに席巻されているかの脅迫観念が誤りであることはすぐにわかることになる。それは、ネットにおけるchange.orgで開始された再開を求める署名運動だ。この運動は、ネットが個人にいかに大きな情報発信の力を与えたかを端的に示した格好の例といえる。トリエンナーレとは関わりのない一人のアーテイストが止むに止まれぬ気持で、始めたたったひとりのアクションだった。それがあっという間に2万を越える署名を集めた。他方で、ネトウヨもまた署名運動を始めるが、集めた署名はこの数に遠く及ばないものだった。徐々にネットでの情報発信の雰囲気が誹謗中傷からむしろ再開を求める雰囲気へと変化しつつあるような実感が私にはあった。現在もネット検索で「慰安婦」のキーワードで検索してもネトウヨのサイトが上位を独占するような状況にはない。

こうした変化は、いくつかの主要マスメディアが展示中止に対して批判的な論評を出し、こうした傾向に「一般の人々」もまたその理解に変化をもたらしたのかもしれない。偏見でしかみてこなかった主題に対して、ネットは、多様な考え方や議論の素材になるデータを(嘘も含めて)提供するものなのだ。

報告書の関心は、トリエンナーレに出品した作家たちの行動にある一方で、それ以外のアーティストや市民の動きにはほとんど関心を示さない。あるいは、そうした人々の行動をあえて無視することであたかも展示再開が、もっぱらトリエンナーレに関わったアーティストとキュレータたちによる努力であるかのような物語が構築された。これは全くの虚偽ではないが、極めて偏った状況認識だと思う。

先に言及したようにchange.orgの署名運動への言及はないのだが、それだけでなく再開を求める愛知県民の会の活動への言及も一切ない。県民の会は展示中止以降連日美術館前でスタンディングの抗議を続けてきた愛知県内の様々な市民運動などのネットーワク組織だ。この県民の会の活動こそが地元で唯一、市民による抗議として可視化されたアクションだった。

なぜ報告書はなぜもっぱらReFreedom Aichiを取り上げたのか。推測の域を出ないが、たぶん、検討委員会やトリエンナーレ側のキュレーターや事務局との人間関係がここには影響しているように思う。評価のスタンスは公平とはいえず、中立客観的でもない。アートの鑑賞者の側にあって公開を求める運動を担った「一般の人々」への偏見がここでも検討委員会にあるからだと思う。ネトウヨとは対極な立場にあって最も粘り強い闘いを挑んできた県民の会もまた検討委員会にとっては啓蒙すべき蒙昧な人たち、「美術に関心のない人々」としかみていない。どうせ彼らはある種の政治的な動機で「運動」をしているだけの者たちだ、という偏見である。

報告書は、反知性主義がそもそもインターネット普及以前から大衆のなかには存在していることを前提しているのだが、この不可視の反知性主義を不可視なままにしておけず、つまり「臭いものに蓋」をしたままに――むしろ「パンドラの箱」と言う方が適切かもしれない――しておくことができなくなった、これがネットの時代なのだと述べている。従来の美術館ならばこんなことは起きなかった。なぜなら反知性主義の人々は、発信力がないか、そもそもアートなどに関心はない(ハズ)だからだ、というわけだろう。アートは知性主義者の占有物というスノッブな意見が公的な文書にあからさまに登場する時代錯誤には驚かざるをえない。

また、公開を実現したもうひとつの重要な動きとして、不自由展実行委員会が起こした名古屋地裁への展示再開の仮処分についても調査報告書は全く触れていない。裁判を通じて、再開せざるをえない状況を認識して愛知県は、それまで渋っていた予算などを手当することまでやった。こうした対応や再開へ向けての具体的な動きを確実なものとして愛知県やトリエンナーレが受け入れたのは、仮処分の申し立てという法的手段なしにはありえなかったと思う。5

仮処分といった法的手段を県側は非常に嫌がっていたと思う。津田大介は、仮処分申し立ての直前に、直接不自由展実行委員会に仮処分申し立てをしないように、弁護士同伴でなかば恫喝といっていいような迫り方をしたことがあった。仮処分申し立てなどの「裁判」を権利行使のための重要な手段だという理解よりも、むしろこうした手段を忌避したいという意思の方が津田には強かったと思う。しかし、再開に必要な権力関係を客観的にみたとき、裁判所による命令を獲得できるかどうかが重要な柱のひとつになることは間違いなかった。裁判所が再開の判断を下すことができるかどうかは、形式的な法律上の問題だけでなく、再開を求める世論や関係者の意欲が重要だから、アーティストや市民の運動は必須である。仮処分の申し立てに対する県側の態度は、裁判所の対応や不自由展実行委員会側の書面を見てのことだと思うが、たぶん、「勝てない」という判断をある時点から抱いたのだろうと思う。実が仮処分の申し立てに関する裁判の資料はまだ公開されていないから、どのように裁判を闘って和解を導いたのか、という大切なプロセスが検証に付されていない。運動の側の情報公開がまだ十分ではないので、今後きちんとした評価を得ることが必要だと思う。

裁判は最終的に和解ということで裁判所の判断を待たずに再開を前提にその条件を交渉することになった。その結果、様々な妥協を迫られてしまい、展覧会当初と同じ条件での再開は果せなかった。ある種の監視体制のなかでの展示再開であり、抽選という手法により、人数が制限され、身分証明などの確認もあり、監視社会反対運動をしてきた私としては、こうした再開に抗することができなかったことも大きな反省材料だ。人数制限については県民の会が大村知事に撤回を申し入れている。しかし人数制限は、裁判を通じた和解条項にもあり、不自由展実行委員会もまた容認した再開条件のひとつであったという意味でいえば、このような制限がもたらした自由な鑑賞への制約の責任は不自由展実行委員会も負わなければならないことだと思う。

こうした裁判の経緯がありながら、それを無視して報告書は、展示中止を次のように正当化した。

不自由展は不自由展実行委員会との協議を経て開催3日を経て中止された。なお、これ は脅迫や電凸等の差し迫った危険のもとの判断でありやむを得ないものであって、表現の 自由(憲法第21)の不当な制限には当たらない。

展示中止は、憲法に違反しないというのだ。もしそうなら、なぜ愛知県は再開で不自由展実行委員会と合意したのか。なぜ仮処分申し立てで最後まで展示中止の正当性を争わなかったのか。裁判所が原告側に有利な判断を下すことははっきりしていたと思うし、そのことは県も理解していたのだ。契約などの形式的な手続きも憲法上の権利についても不自由展実行委員会側に有利な材料しかなかった。にもかかわらず、検討委員会は、裁判所の決定が出されずに和解となったことをいいことに、「表現の 自由(憲法第21)の不当な制限には当たらない」と言い放ったのだ。たぶん、これが今後の日本の美術館による検閲のスタンダードになるだろう。

しかし先に述べたように、「は脅迫や電凸等の差し迫った危険」は文字通りの「危険」とは呼べないものであり、防ぐことができない「危険」があたかも現実であるかのように振る舞うこと、つまり、美術館、警察、行政による不作為は明かであって、こうした不作為を前提として検閲を正当化するテクニックが今後流行る危険性を十分に警戒しなければならない。

2.6 検討委員会の反知性主義

検討委員会は美術に関心のない一般の人々を「反知性主義」として軽蔑した。しかし、検討委員会やトリエンナーレの主催者たちは、美術あるいはメガイベントとしての(ビジネスチャンス)としての美術にしか関心がなく、ここには政治も社会への関心がない。この意味で検討委員会こそが反知性主義そのものだと思う。

そもそも検討委員会は、不自由展実行委員会を単に検閲に反対する芸術に無関心な活動家だと高を括っていたフシがある。というのも、展示再開に向けて、検討委員会座長は、不自由展実行委員会が退いて展示をトリエンナーレのキュレーターに任せることを提案してきたときに、私は「この人はアートの世界で起きている検閲の社会的な背景がそもそも理解できていないのだな」と思った。展示された多くの作品はいずれも一筋縄ではいかない社会的歴史的な背景を負っている。裁判の資料だけでも膨大である。更に、「慰安婦」であれ強制連行された徴用工であれ、これらを理解することを数日でこなして、来場者にレクチャーするなど不可能なことだ。裁判や検閲反対運動でアーティストたちとの人間関係を築くのにも相当の年月を要してきたケースもある。このことにキュレイータや検討委員会が気づいたのはあまりにも遅く、このこと事態が、そもそも不自由展の作品が抱えてきた歴史的背景を知らなかった証拠でもある。

検討委員会もまた、ネトウヨとは別の意味で反知性主義の典型である。制度やアカデミズムによって守られた権威を知性と誤解し、アートは全て理解しえているという自信の揺らぎが、実際に作品とその文脈を突き付けられたときに、雪崩のようにして彼らを襲ったのかもしれない。とうていレクチャーも啓蒙もできるはずがないことの自覚が余りにも遅くぎる。こうして再開後は、予定されていた来場者へのレクチャーはなく、必要な説明や準備は不自由展実行委員に委ねざるをえなくなった。

3 不自由展の展示そのものへの検討委員会による悪意ある批判

報告書では「不自由展の企画と展示の妥当性」という項目を立てて、展示そのものが多くの問題をもっていたと指摘している。報告書による不自由展への批判の大半は受け入れがたいものだ。事実認識が違うところもあり、本来ならばトリエンナーレ事務局が負うべき責任を津田大介や不自由展実行委員会に負わせているところもある。

以下は、この批判のうち、限られた論点だけを扱うことにする。

3.1 業務委託はトリエンナーレ側が強いた条件だった

あまり面白そうではない議論なのだが、「業務委託」という契約の罠の問題がある。これは検閲がひとつの制度として構造化される場合のある種の典型でもある大切な問題だ。

報告書は以下にように述べている。

「展示された作品の過半が実は2015年の「不自由展」に出されなかったものだった。 それにも関わらず芸術監督は不自由展実行委員会に「展覧会内展覧会」の形式で展覧会の開催を業務委託したが、他の方式を事前に検討しなかった。」

今回の不自由展は、過去に東京で開催された不自由展の出品作品だけではなく、それ以外の検閲された作品も展示するというコンセプトだった。この点は、津田とも共有されており、「それにも関わらず」という表現は間違っている。「展覧会内展覧会」について、「他の方式を事前に検討しなかった」という批判は完全に的外れである。業務委託方式は、不自由展も津田も本意ではなかった。本来ならトリエンナーレが各出品作家と直接契約すべきだということを何度も不自由展実行委員会は主張してきたが、この要望は退けられてきた。各出品作家とトリエンナーレが直接契約することを嫌ったのは、トリエンナーレの事務局かキュレイータか、あるいは知事サイドか、私にはわからないが、いずれにせよ、不自由展はこのような面倒かつ無責任な契約は望んではいなかったにもかかわらず、こうなったのは、主催者側が業務委託を望んだからだ。

報告書では以下のようにも書いている。

芸術監督は、例えば担当のキュレーターを指名し、作家と個別に交渉し、自ら展覧会を作り上げる等の正攻法をとりえた。しかし、キュレーター会議での承認が遅れ、また不自由展の実行委員会は想像以上に頑なであり、交渉に多大な時間を要し、不自由展実行委員会に妥協して、結果的に業務委託方式をとった。

検討委員会は、狡猾だと思う。「担当のキュレーターを指名し、作家と個別に交渉し、自ら展覧会を作り上げる等の正攻法」をとったら、そもそも不自由展は不可能になったことがわかっていてこう書いている。担当キュレーターが指名できなかったのは、キュレーターが不自由展を評価していなかったからだ。再開されるまで、キュレーターたちは顔すらみせたことがなかった。再開に向けた準備が始まる頃になって、掌を返したかのようにフレンドリーになった。私も表面上はニコニコせざるをえないが、非常に不快な思いだった。なぜ彼らはこんなに心変わりできるんだろうか?

なぜ、トリエンナーレ側は、直接契約を嫌がったのか。理由は簡単なことだ。作品選定の主体になりたくなかったからだ。しかし、表現の自由の「勲章」は欲しかったからだ。

3.2 作品選定の責任を逃れたかったトリエンナーレ

過去に検閲にあい、しかも「慰安婦」とか「天皇」といった主題の作品をトリエンナーレが主催者として招待したということになれば、これらの作品の価値観を肯定することになるとトリエンナーレ側は考えたに違いない。言い換えれば、公的機関が主催する文化イベントが体現する価値観は、公的機関の「思想信条」に合致するものであるべきだ、という大前提が疑われることなく存在している、ということなのだ。更に、内容はともあれ、トリエンナーレがこれらの作品を国際展の作品にふさわしい芸術的価値のある作品と評価したことになってしまう。一般に、政治的な作品の検閲で用いられる常套手段は、芸術的な価値による評価を理由にした排除だ。表現の内容には言及せずに、技法や表現方法などの評価に絞って作品の不適格を正当化する。実は背後に作品が意図する政治的な主題への嫌悪や偏見、あるいは自身の政治的スタンスとの違いなどがあると推測されるのだが、こうしたことは口外されない。今回も、展示作品について、それが「アート」として評価できないという声が、非公式にたびたび聞かれた。

他方で、トリエンナーレ側が作品選定に一切関与せず、不自由展実行委員会にこれを委ねれば、作品を選定した責任は実行委員会にあることになり、「慰安婦」「天皇」などで生じるかもしれない問題の「元凶」にならないですむ。事実はどうだったのか。実行委員会の会議の大半は六本木にある津田の会社で行なっていた。これは津田の仕事上の都合に合わせてそうしてきた。津田も実行委員も対等に選定で意見を言ってきた。出品候補の選択については、全員の合意がとれないものは外す、ということで作業を進めた。この「全員」のなかには津田も入る。たとえば、会田誠の作品は津田が推薦したが全員の合意が得られず、展示しないことになった。大浦の新作ビデオ作品(天皇の写真が燃やされているとかで注目された作品)については、小倉が新作であることから、難色を示したが、協議の上、展示することになった。Chim↑Pomとのコンタクトの担当は津田である。だから、作品選定の事実上の責任は津田にもあるハズだが、形式上は津田は作品選定には関与していない形になっている。津田は一貫して、自分が深く関与していることを隠したがっていたと思う。芸術総監督としては、それがいいともいえるが、逆に選定の責任を負うということなら、前に出るということがあってもいいと思う。彼は形式的には作品選定に関わらないが、実質的には影響力を行使できる立場は確保したいと思ったのだろう。

こうした形になった理由は、トリエンナーレの主催者が自らの意思で少女像や「遠近を抱えて」など諸々の検閲作品を招待したということになれば、ありうるトラブルの責任を被らなければならず、それを避けたい、という意図に基くとしか解釈できない。津田の曖昧な立場も彼個人が望んだのではなく、トリエンナーレ主催者の意思のあらわれなのだと思う。

(補足説明)一般に、展覧会でアーティストに出品依頼する場合、作品を指定して依頼することもあれば、作家に制作を依頼する場合もあるので、今回は後者に類する形をとったということだから、作品の内容がわからないまま作家に依頼することがあっても問題はない。

こうして、トリエンナーレは最初からとばっちりを受けたくないという後ろ向きの姿勢で、できるかぎり起きうるトラブルの責任を不自由展実行委員会と津田に負わせるつもりだったことは間違いないと思う。しかも、こうした姿勢は管理運営上、あるいは県の政治的な立場だとすると、キュレーターたちは「トリエンナーレに出品すべきアートとして評価できない」という芸術的な価値観によって、いわば不自由展に対して消極的姿勢であることを自己正当化していたのかもしれない。

3.3 企画断念も提言する報告書

検討委員会報告書では企画そのものをそもそも断念すべきとも示唆している。

不自由展の実行委員会は、写真撮影の禁止と少女像をパネル展示に代える等の提案を早くから拒絶。その段階から芸術監督は混乱を回避するため企画を断念、あるいはキュレーターチームの協力を得て他の方法での実施を検討すべきだった。

検討委員会は少女像の何がどう問題なのか、という肝心な論点には言及しない。これは敢えて踏み込まないということだが、それにもあかかわらず「混乱を回避するため企画を断念」という選択肢が示されている。

不自由展が少女像をパネル展示にすることを拒否したのはその通りだ。なぜなら、パネルにする理由が明確には示されたことがなかったからだ。津田は「パネル展示にできませんか。」と知事サイドの意向を何度か伝えてきたことがあるが、その理由を明確に語ったことはない。最初から少女像への誹謗中傷や「慰安婦」問題に対する歴史的な事実認識を否定したがる人々に同調する感覚がなければ、こうした曖昧な提案をするはずがない。事は単純なことだ。いわゆる「慰安婦はいなかった」とするような主張が間違っているなら、間違った立場に立つべきではない。「少女像」問題は、政府が率先して歴史修正主義と戦争責任の否定によって感情的なナショナリズムを煽る元凶となっているなかでの問題だ。だから検閲されてきたわけで、こうした流れに抗うことが企画趣旨だ。しかし検討委員会の報告書は一貫して、不自由展実行委員会のかたくなさを批判する。かたくななのではない。説得力のある提案や妥協案が出されたことが一度もない。しかも、いつも津田がメッセンジャーとなっており、少女像を展示すべきでないと考えている人物が自ら不自由展実行委員会と話し合う意思を見せたこともない。この件に関する一連の経緯は「資料」を参照してください。

4 資料

大村知事は河村市長との対比で、表現の自由の守護者の態度をとっているが、そうではない。以下、津田から不自由展実行委員へのメールの一部を掲載します。

Subject: [unfreedom-AT2019:00050] 23(火)18:30〜弊社にてお願いできますでしょうか
From: TSUDA Daisuke
Date: Sun, 21 Apr 2019 12:46:35 +0900
X-Mailer: Becky! ver. 2.74.02 [ja]

お世話になります。津田です。

皆様の予定を拝見して、一番ご都合が良さそうなのが
23
(火)18:30
でした。弊社までお越しいただければ幸いです。

岩崎さんには申し訳ないのですが、後ほどご報告させていただく(&正式な事務
局との折衝はGW明けになる)ということでご勘弁いただければ幸いです。

そして、小倉さんのご指摘、ご懸念もよくわかります。今回のトリエンナーレ、
ざっくりとしたガバナンス的、上に挙げていくプロセスとしては、

実行委員長(大村知事)

愛知県県民文化部長←ここまでが県庁

愛知芸術文化センター長

愛知県美術館長←ここまで施設担当

トリエンナーレ推進室長

芸術監督(津田)

というツリーになっています。こないだ県民文化部長がこの企画に対して懸念を
持っているということで、話に行ってきました。この方は2013のときの推進室長
でトリエンナーレに関わったことでアート好きになり、こちらがやろうとしてい
ることへの理解もある方です。先日話した限りでは、理解も大きいし、やること
の意義もわかっているが立場上、「はいそうですか」とすんなり言えない、とい
う苦しい感じがにじみ出ていましたね。ただ、「発表している以上、企画を今か
らやめるというのは現実的ではないので、美術館の現場とコミュニケーションを
取りながら慎重に進めてくれ」ということは言われました。僕は現場とコミュニ
ケーションを取りながら慎重に進め(る体をつくれ)れば、それ以上の干渉をこ
の人から受けることはないと思いました。

芸術文化センター長については、推進室長から聞いたオフレコの話ですが今回の
この企画、面白いと思ってくださってるようです。とはいえ、個人的には面白い
と思うけど、大変そうだし、オフィシャルにそれを言えるかというと微妙な立場
のようです。

割と現実的な問題、壁として立ちはだかりそうなのが愛知県美術館長です。
鷹野隆大さんのときに警察と戦った村田館長は現在異動しており、南さんという
方が館長になっています。この方がかなりコンサバな方で、政治的ではないほか
の作家の展示プランに安全性が疑問がある(ほとんど実際にはないのですが)と
施設使用を拒否したりして揉めています。彼はこの企画の中身をまだ知らないの
で彼が知ったときに介入してくる可能性は非常に高いと思っています。

企画そのものに上からOK出ていても、トリエンナーレは愛知県美術館をレンタル
するという立場なので、この館長が首を縦に振らないと場所を使えない可能性が
出てきます。そうなったらそうなったで別のギャラリーなど借りて、この経緯を
「表現の不自由展」としてやればいいな、とも思いますが、別の大変さは生じる
でしょうね……。

まとめると企画に好意的、あるいは理解があるのは
大村知事、県民文化部長、芸術文化センター長、トリエンナーレ推進室長
で、彼はやり方を工夫すれば説得可能と思います。一番の難関は愛知県美術館長
と理解していただければと思います。

Subject: [unfreedom-AT2019:00048] Re: 【重要】状況が変わりました&ミーティング日程伺い
From: Toshimaru Ogura
Date: Thu, 18 Apr 2019 01:08:43 +0900 (JST)
X-Mailer: Mew version 6.8 on Emacs 25.2

小倉です。おつかれさま。返事が遅くなりました。
日程ですが、2223日は大丈夫です。参加できます。26日は、午前中なら
OK
ということでしょうか?15時からならSkype?それとも全日skypeになる
のでしょうか。できれば津田さんが実際におられた方がよいと思いますが。

>
> あいちトリエンナーレ2019の出展企画としてやる以上、各作品、各作家に関する
>
責任は負わざるを得ず、形式的であっても、芸術監督である僕と、実行委員長で
>
ある大村知事の「承認」を経たものが展示されている、という形式は崩せない
>
ようです。

以下は、実務的なことは何も書いてないので、読み飛ばして構いません。

実行委員長の承認というのは、私にはちょっと解せません。もちろん、行
政サイドにたてば、そうしたいという意向になると思います。もしかして、
美術館や博物館のキュレーションとは何なのか、ということがわかってい
ないのかもしれません。お役人は美術館の展示を行政の行事としかみれな
い場合があるので。美術館とは何なのか、そこでの表現の自由を行政はど
のように考えるのか、といったことがほとんど官僚組織では議論できない
かもしれません。

たとえば、活字メディアで編集部が経営や会社のトップと編集会議ってや
るのかなあ、と思います。むしろ編集権の独立がジャーナリズでは大切で
はないかと。同様に、図書館でも、図書の選定に、公立であれば市長や知
事が介入するべきではないと思いますし、介入しないと思う。(今のご時
世だからわかりませんが)

あるいは大学でも、教員の教育や研究について、経営側のトップが介入す
ることは学問研究の自由への侵害になりうるから、そうならないようなと
りあえずの仕掛けをつくると思います。

こうしたシステムも崩れつつありますが、だからこそ表現の自由の危機に
なってもいると思います。

つまり、一般に管理運営に責任をもつ者たちの発想や利害関係と、表現の
現場との間にはそもそも緊張関係があるわけですが、そのことを承知した
上で、現場に任せることなしには、表現の自由はありえないと思います。
どんな人格者や人柄がよくても、社会的な役割の拘束から自由にはなかな
かなれないと思います。

美術館や博物館も、他の表現の媒体などと同様に、表現の施設ですが、な
ぜか、施設の管理者が、キュレーションに干渉することがあたりまえのよ
うになっていることに、これまでも危惧してきました。この悪しき伝統が
あるなかで津田さんはかなり大変な仕事をされていると思います。

美術館の使命は、作品を通して、鑑賞者たちが、それまであたりまえと思っ
ていた常識や価値観を問い直すきっかけを与えること、つまり、考えても
らうことだと思います。わたしたちは、「考える」ための素材を提供する
わけですから、この素材の提供と「考える」こととは不可分なことで、こ
こに美術館の使命とは無関係なバイアスが入るのであれば、そもそもの枠
組みが成り立ちません。行政は往々にして、「中立性」を口にしますが、
美術館の使命は、むしろ美とか芸術の中立性とか非政治性とか、社会と無
関係な普遍的な美とか、そういったありがちな常識に対して、そんな生や
さしいものではないよ、ということを問題提起する施設であるべきだ、と
いうことが随分議論されてきたのではないかと思います。

こうしたことは、レーガン政権時代の1980年代に米国でかなり議論された
ことだったと思います。ジェンダー、セクシュアリティ、エスニシティ、
階級といった課題をアートが正面から取り上げ、これを支える公的資金
(NEA
とか)が保守派の攻撃に晒されて、とんでもなく大変な時代のなかで、
アートの表現の幅を広げてきたのは、女性や非白人のマイノリティのアー
ティストたちだったのではと思います。レーガン政権の締め付けとたたか
うなかで、Heresiesのような刺激的なフェミニストのアーティストのメディ
アが登場したり、Deep Dish TV(90年代ですが)のようなオルタナティブTV
がでてきたことを考えると、闘うことのなかでアーティストたちもまた鍛
えられたのかもしれません。(私はそんな度胸があるかわかりませんが)

鑑賞者たちが様々な価値観をもって美術館に来るように、展示をする主体
としてのキュレイターは価値中立的でありうるはずがなく、一定の価値観
を前提に、問いかけることを、作品の展示というある種の編集作業で行な
うのだろうと思います。編集である以上、その自立性はとても大切だと思
うのです。この点を管理運営側にきちんと理解してもらうことが大切だと
思います。

長くなりすいません。こんなことを考えました。小倉

===============================
From: TSUDA Daisuke
Date: Fri, 14 Jun 2019 00:51:04 +0900
X-Mailer: Becky! ver. 2.74.02 [ja]

津田です。

先ほど岡本さんには電話で話したのですが館長、芸文センター長、県民文化部長
と「表現の不自由展・その後」の企画を通していった最後に大村県知事がいるわ
けですが、先日ついに知事にトリエンナーレ推進室から知事にレクをしたそうで
す。

結論から言うと大村知事は

・「表現の不自由展・その後」の企画趣旨は面白いと思っており、やる意義も
大きい企画と評価している

・他方で「慰安婦像」の作品については、右翼を刺激することは間違いなく、
街宣車がやってくるだろうと。街宣車が来ると、せっかくの祝祭的なイベントの
雰囲気が壊されてしまう懸念がある

・街宣車だけでなく、会場で暴れる右翼が出てきてお客さんにリスクが生じる
事態はなるべく避けたい

・表現の自由は大事な権利であるし、展覧会の意義もわかる。基本的に自分と
県はトリエンナーレについて「金は出すが口は出さない」というスタンス。
内容に介入したいわけではないが、一方でイベントの最終責任者としては、
安全を確保しなければならない

・慰安婦像が展示拒否されたことを問題提起するのは構わない。だが、無用な
トラブルを避けるためにも実物は置かずに資料展示だけにしてもらえるとありが
たい

・また、トラブルを避けるという意味では、写真撮影を自由にするのもやめて
もらえるとありがたい

ということでした。委員5人と僕が最初に話し合ったときに僕が示したスタンス
と非常に近いですね。一方僕はここまで来た以上、慰安婦像は実物を展示する
べきであると思っています。しかし、県としてもこのままGOするのは難しい
という状況です。実は来週20日の夜、大村知事から会食に誘われてまして、
おそらくそのときに、この話をすることになると思います。

ですので、委員の皆様には19日までに委員会としての統一見解を決めていただき、
僕に教えていただければ。

大村知事の話はあくまで「お願い」ベースなので、このまま強行突破しようと
思えばできると思います。しかし、その場合僕らが抱えるリスクもかなり甚大に
なるとも思いますし、嫌韓感情がかつてないほど高まっているいま、2015年以上
に、暴力や悪意にさらされる可能性は高まってると感じます。それを踏まえて、
委員会(と芸術監督である僕)が取り得る選択肢は下記の6つかなと思います。

����いま決めている方針でそのまま最後まで突っ走る

����2つの慰安婦像はそのまま会場に展示するが「表現の不自由展・その後」エリ
アの撮影を禁止する

����慰安婦像をミニチュアだけにする

����6/29の発表会をやめ、会期が始まるまで一切誰のどの作品が出展するのか内容
を発表することをやめる(ウェブサイトもつくらない)

����2つの慰安婦像の展示を資料展示にする

����「表現の不自由展・その後」を中止する

先に僕の考えを述べておくと、����がいいのではと思います。表現の不自由をテー
マにしているのに、なぜ写真を撮影できないのだ、それこそが検閲じゃないかと
いう批判も出てくるでしょうが、これについては、冷静に議論すべきセンシティ
ブな題材だからこそ、ネットの情報で表面だけを舐めるのではなく、「現物」を
見て議論してもらう必要があるため、撮影禁止にした、という「理由」を説明
できると思います。表現の自由と人命という難しい天秤にかけられた状態で、
リスクを減らすためにやむを得ない措置として行った、という言い方もできる
でしょう。

判治室長は「なにか知事に対して“おみやげ”がほしい」と言いました。
慰安婦像を展示することが委員会にとって譲れないラインなのだとしても、
何らかの「妥協」を示した方が建設的な方向に向かうと思います。

「おみやげ」として、展示エリアを「撮影禁止」とし、警備は十分強化するから
展示内容はそのまま行かせてほしい、という方向で皆さんの合意が取れれば、
それで大村知事と直接交渉しようと思います。こちらも妥協する姿勢を見せたの
だから、向こうにも妥協してもらう、ということですね。

19日まではまだ日にちがあります。直接全員会って議論というのは無理でしょう
から、MLでぜひ議論していただければ幸いです。

=================
Subject: [unfreedom-AT2019:00118] 知事説得できました
From: TSUDA Daisuke
Date: Fri, 21 Jun 2019 07:20:24 +0900
X-Mailer: Becky! ver. 2.74.02 [ja]

お世話になります。津田です。

昨日、18時から知事と会食が始まり当初は2時間の予定だったのですが、大幅に
時間が延び、23時過ぎまで話していました。

結論から言いますと、このままの企画で進めることにOKをもらえました。
「俺はトリエンナーレについては金は出すが口は出さない」ということを
10
回以上しゃべっていたので、大丈夫だろうと。企画趣旨と、写真を撮影OK
することの意味についてもご理解いただけたと思います。また、告知を前日に
変更したことも説得の材料になりました。

口を出したり、何かをやめさせるということはしないが、街宣車が来てイベント
(オープニング当初はコスプレサミットと重なっています)とバッティングする
こと、展示場所の混乱だけ懸念されていました。これについては随時対応を行い、
状況を報告するということを伝えました。

晴れて実行委員長のOKも出たので、展示を実現するという点では大きく前進した
と思います。契約書を変更してこちらの責任を限定する件も非公式ですが事務局
とは調整していて、大筋受けてもらえそうです。

保険内容が気になるのは理解できますが、ヤマトの保険で大きく問題になるよう
なことはないと思います。発送の業務もあるので、できれば週明けまで引っ張ら
ず今日決着を付けたいと思うのですがいかがでしょうか>岡本さん

==================
Subject: [unfreedom-AT2019:00139] 【緊急】県民文化局長から呼び出しを食らいました
From: TSUDA Daisuke
Date: Sat, 06 Jul 2019 15:48:59 +0900
X-Mailer: Becky! ver. 2.74.02 [ja]

津田です。

昨日午後、名古屋にいたところ急遽愛知県県民文化局長から呼び出しを食らいま
した。

長いミーティングだったので要点を言いますと、知事的には「少女像は街宣車を
呼び込むし、撮影自由だとどんなトラブルに発展するかわからないので何とかし
てほしい」という意向があり、それを文化局長的には解決しないといけない、
という意向を伝えられました(本件、直接の担当者でもある岡本さんには急ぎ
内容は共有してあります)。

こないだの会談で「金は出すが口は出さない」を10回以上聞き、かつこの話も
出た際に懸念事項は理解したので、十分留意して進めるという話をして、合意が
取れたと思っていたのですが、局長的には「あれは酒席のことだから」と。

ここにきてのちゃぶ台返しは困ったな、というのが正直なところなのですが、
会談そのものでは結論は出せず、以下のようなことを伝え、知事にも共有して
もらうことになりました。

「中止がやむを得ないのであれば、誰がどう言ったかを展示することになりま
す。検閲をしたという事実が提示されますが、それは知事もご了解いただける話
なのでしょうか」

「僕も立場上、それに対するステートメントを出すことになる」

「少女像がここ日本においては人々の感情を煽る、非常に厄介で政治的なモチーフ
だという認識は自分にもあるし、県をあげてのお祭りにトラブルを持ち込まれる
ことに対して管理者として懸念を持つ気持ちはわかるが、同時に表現の自由は人
権や民主主義にとって大変重要な概念でもある。間に立って調整するよう努める
が、僕と委員会にも譲れない一線はあるのでそこは理解してくれ」

知事と県側の要求としては細かくあるのですが、主に2つの点に集約されます

①少女像の展示はやめてくれ

②「表現の不自由展・その後」展示スペースの撮影を禁止にしてくれ

①については、委員会としてそれが飲めないことは僕も重々承知しています。展
覧会の根幹のコンセプトに関わることでしょうから。これが認められないのなら
ば、展覧会そのものは中止にして、スペースはがらんどうにして、展示中止になっ
た経緯を全部壁に書くということをするしかないでしょうね。

②については、少女像を展示した上で事務局の要望を汲むやり方として、前回の
ミーティングでフォトスポットを2カ所指定する、という落とし所を提案させて
いただきました。ただ、これについて昨日岡本さんとも話したのですが、県は
SNS
に投稿して炎上されることを恐れているので、「フォトスポット指定」では
なく、「展示空間の撮影は自由だが、SNS投稿は禁止」という妥協案が考えられ
るのではないか、と思いました。そもそも少女像は一緒に撮影することまで込み
での作品ですし、撮影までは個人の権利(私的複製)として奪うことはできない
が、それをSNSに投稿するのは作家の権利侵害(著作権侵害・送信可能化権)に
なるので禁止するというのは、法的にも整合性は取れると思います。もちろん、
実質的には炎上対策であり、ほかはOKなのにここだけなぜ、という指摘は入る
かもしれませんが、「現場に来て実物を見て、その上で議論してもらいたい」と
いう展覧会のコンセプトと、SNS投稿禁止はなじむのではないかと思います。

なので、これらを踏まえて、県や知事とどう交渉するのか、5人の間で方針を
示していただければ幸いです。

僕としては「像は展示して、撮影もOK、ただしSNS投稿は禁止する旨を(委員会
名義ではなく愛知県の)ステートメントして出す」(トラブルなく展示が行われ
るようなら、会期途中でのそのステートメント撤去も込みで考える)ということ
が現状のプランを実現しつつ、向こうにも譲歩の姿勢を示す最適解かな、と思っ
ています。

いずれにせよ、開幕まで時間がないため、決裂した場合の準備と、譲歩するライ
ンをどこに置くのかということは早く決めたいです。急かすようで申し訳ありま
せんが、この週末に方向性を示していただければ幸いです。

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Subject: [unfreedom-AT2019:00159] 【重要&緊急】知事から要望(宿題)が2つ来ました
From: TSUDA Daisuke
Date: Fri, 12 Jul 2019 03:02:05 +0900
X-Mailer: Becky! ver. 2.74.02 [ja]

お世話になります。津田です。

今日、トリエンナーレ推進室の判治室長と朝日主幹が知事レクに行き、表現の不
自由展・その後について話をしてきました。

大村知事としては、下記の2点について対応することを2人への「宿題」とした
そうです。

①SNS投稿禁止を大きく表示し、それを委員会との合意事項にする
知事としては、写真撮影OKは認める代わりにSNS投稿は禁止にし、表現の不自由
展・その後の入口にある「ごあいさつ」のパネルの横に「同じ大きさ」で、
SNS
投稿を禁止する旨のパネルを用意し、そのパネルにあいちトリエンナーレ実
行委員会と、僕、表現の不自由展実行委員会の三者を「連名」で表示することを
求めたそうです。知事としては、このSNS投稿のパネルに実行委員会や県の名前
だけが出ると、県が自らの事情で投稿を制限したように見えるため、それを嫌っ
た――三者が合意して、このSNS投稿方針を定めたように見せたいということな
のでしょう(実際に県だけがそれを求めているわけですが……)。判治さんと朝
日さんに、表現の不自由展実行委員会も連名することは強く求めたそうなので、
注意書きパネルからクレジットをなくす、という選択肢は採れなさそうです。

②投稿禁止の旨があっても写真をSNSに投稿するユーザーが出てきたときの対策
禁止の旨があってもSNSに上げるユーザーは出てくるので、それが出てきたとき
にすみやかに投稿の削除依頼を行える環境をつくってほしいとのことでした。
これは僕がツイッタージャパンやFacebookLINEなどに直接の知り合いがいるの
で、そこに話を通して事務局とつなぐ、という形をつくろうと思います。
これについては僕マターで何とかします。

僕としては、このことをポジティブに捉えています。この2つをクリアすれば
展示がGOできる、と思ったからです。委員会の皆さんは、SNS投稿を禁止する
パネルに連名で名前を連ねたくない(そもそもそれを希望していない)という
思いはあるでしょうが、少なくとも僕はディレクターとしてここに自分の名前が
載ることは問題ないと考えています。表現の自由を守りたいという思いも強くあ
りますが、同時にトラブルやけが人なくトリエンナーレを終えなければいけない
という責任を背負っているからです。このパネルをつくるのは、ほとんど県職員
や知事の顔を立てるという作業だと思いますが、これによって余計なトラブルを
回避できる可能性が高まるでしょうし、このことで本来行いたかった展示を行え
るのであれば、この方向性で進めたいと思っています。

添付ファイルは、あいさつパネルと横に置くパネルのイメージです。文面は、
中村さんが普段使っているものを多少アレンジして僕が適当につくりました。
デザインがあまりにもできてない(SNS投稿禁止ではなく、SNSへの写真投稿禁止
にしないといけません)といった部分もあるので、公式デザイナーにきちんと
デザインされたパネルを作ってもらおうと思ってます。

アライさんが当初少女像をどうするかの議論をしていたときに、「少女像をあえ
て置かないことで、不在を意識させるという展示が、美術ではできる」といった
趣旨のお話をされていたかと思いますが、このSNS投稿禁止も同様の問題提起が
できるのではないかと思います。あくまで写真のSNS投稿禁止であって、言及す
るツイートに関しては禁止していないというのもポイントかと思います。写真だ
けがツイートできない、ということで、この問題を巡る複雑さを来場者に体感し
てもらい、その問題提起をトークイベントで議論すればいいのではないかと思い
ます。ぶっちゃけ、この知事や県上層部とのやりとりは、会期終了近くにやるイ
ベントで全部暴露すればいいと思っています。

それを踏まえて委員会の皆さんにお伺いしたいのは下記2点です。

●SNS写真投稿禁止パネルにあいちトリエンナーレ実行委員会と僕と連名で
表現の不自由展実行委員会を連名で記載していいか(その場合、委員会だけにす
るか、5人の個人名も載せるか? 左のごあいさつパネルに個人名書かれてるから
委員会だけでいい気もします)

●上記パネルに委員会の名前を載せる場合の文面は添付のものでいいか?

実はあまり時間がありません。判治さん朝日さんは来週火曜日にパネル案を知事
に持っていかなければならないそうで今週末には結論を出していただきたいです。

表現の不自由展実行委員会が来場者に「表現の不自由」を強いることは受け入れ
がたいと思われる人もいるかもしれませんが、写真撮影は禁止していませんし、
写真を含まないツイートの発信(批評)は禁止していません。通常公立美術館で
は成立し得なくなっている慰安婦像や慰安婦の写真などの展示の実現という貴重
な機会と、委員会としての理念を天秤にかける形になってしまうことは申し訳な
いと思いますが、それでもなんとかここまでこぎつけたという思いもあります。
ぜひ前者を選んでいただき、物事を前に進めたいと思っています。

というか、これが無理ということになると、僕は上を説得するための材料がほぼ
なくなるなと……。

もちろん、煮え湯を飲んでいただいて、またあとでちゃぶ台返しがあるなんてこ
とも可能性としてはあるでしょうし、これで確実に大丈夫です!と言えないこと
が僕としても辛いのですが、もしここから先、ひどいことになったらすべてメディ
アで話す、という方向でやればいいんじゃないのかな、と。

OKの場合、デザイナーにパネルの発注(パネル上部のピクトグラム新たにつくっ
てもらうこと)もしなければならないため、できれば13日(土)くらいまでに結
論を出してもらえると大変ありがたいです。

Footnotes:

1

61条第1項 警察官は、犯罪による被害の届出をする者があつたときは、その届出に係る事件が管轄区域の事件であるかどうかを問わず、これを受理しなければならない。
2
前項の届出が口頭によるものであるときは、被害届(別記様式第六号)に記入を求め又は警察官が代書するものとする。この場合において、参考人供述調書を作成したときは、被害届の作成を省略することができる。

2

リチャード・ホーフスタッター『アメリカの反知性主義』田村哲夫訳、みすず書房。

3

インターネットやSNSがもたらした重要な意義は、誰もが情報発信の主体になれるということだ。メディアの特権は揺らぎ、政府の一方的な広報もまた相対化される。右翼がネットに対して強い影響力をもっているのは事実だが、これは左翼がネットにおける情報発信の戦略を効果的に展開できなかったからだ。その理由は、伝統的な左翼もまたネットのもつ個人の情報発信の力に対して、その意義を理解しそこねた結果だと思う。運動論や組織論を根底から再構築すべき問題だと理解できずにきたのだが、これは日本の場合、左翼反政府運動が世代交代に失敗したこととも関わる問題だろう。

4

原谷達夫、野村昭訳、培風館、1968

5

津田やアーティストたちも含めて「裁判沙汰」を嫌っていたと思う。津田は私に対して、裁判を取り下げるように圧力をかけてきたことがある。詳細は拙稿「表現の不自由展再開が抱えて問題」『季刊ピープルズプラン』86号参照。

Date: 2019/12/28

Author: 小倉利丸

Created: 2019-12-28 00:11

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表現の不自由展再開が抱えた問題

* はじめに

名古屋市で201981日から1014日まで開催されたあいちトリエンナーレ2019に出品された」表現の不自由展・その後」(以下、不自由展と呼ぶ)が開催三日にして展示中止とされ、約2ヶ月間の展示再開をめぐる攻防を経て、ようやく再開にこぎつけたのが108日だった。

展示中止をもたらした脅迫や抗議の電話などは「平和の少女像」(キム・ソギョン、キム・ウンソン作)と「遠近を抱えてPartII(大浦信行作)に集中した。政治家たちの発言も中止に影響した。菅官房長官は「補助金決定にあたっては、事実関係を確認、精査して適切に対応したい。」と述べ、河村たかし名古屋市長も「表現の自由は、憲法第21条に書いてあるが、絶対的に何をやってもいいという自由じゃありません。表現の自由は一定の制約がある」「市民の血税でこれをやるのはいかん。人に誤解を与える」などの批判を繰り返した。また、展示中止後には、あいちトリエンナーレに助成金を支出している文化庁が助成金を支出しないことを決定し、更に助成金支出のガイドラインの見直しまで行なわれ、この過程で文化庁の助成金審査などに携わってきた委員が複数名抗議の辞任をするに至った。

実際の展覧会は、開会からの三日間、展示会場に右翼などの抗議による混乱はなく、むしろ鑑賞希望者が殺到し、連日展示場の外は長蛇の列となった。脅迫などの行為はもっぱら電話やメールで、実際に来場した人達は賛否を問わず、冷静に鑑賞したのが実態であった。周辺の街宣車もほとんど見かけなかった。

展示中止後、展示再開を求める様々な運動が展開された。不自由展実行委員会は繰り返し抗議声明などを発表してきた。加えて、トリエンナーレに出品している海外作家12組が展示をボイコットした。トリエンナーレ出品作家88名も抗議声明を出し、独自の抗議の意思表示や討論の場の設定を試みるなど、抗議がトリエンナーレの展覧会に参加しているアーティスト全体に波及し、また日本国内からの出品者のなからもボイコットの意思表示をする者が登場するようになった。また、美術・芸術団体、メディア団体、弁護士会や人権団体なども相次いで抗議声明などを出し、地元の市民も「表現の不自由展 その後」の再開をもとめる愛知県民の会を結成し、集会やデモ、連日展覧会場前での抗議のスタンディングなどで再開要求の意思表示を続けた。トリエンナーレ側にとってこうした広範な抗議の拡がりは想定外の事態だったと思う。

不自由展実行委員会は、9月下旬に名古屋地方裁判所に展示再開を求める仮処分を申し立てる。裁判所で主催者の愛知県側と不自由展実行委員会側との協議が重ねられ、再開のための和解で合意し、108日から約2ヶ月ぶりに再開される。展示中止への抗議の拡がりなしには仮処分から和解へという道筋は実現しなかったと思うが、他方で、法的手段なしに再開ができたかといえば、それはほぼ不可能だったとも思う。行政が一旦決定した事柄を覆すに足りるだけの条件は、やはり法的な力による以外にないというのがこれまでの行政のあり方だからだ。

* 展示再開でも表現の自由は一歩後退してしまった

再開が決まったとはいえ、具体的な再開の条件の交渉は難航した。最終的に、トリエンナーレ側と不自由展実行委員会との間で再開の条件として8項目が約束された。入場を定員制で入れ替え制とし、入場者は抽選で決めること、荷物を預け、金属探知機を使うこと、入室前に、SNS投稿禁止の同意書へのサインと身分証明書を提示することなど、展覧会の再開の条件は極めて厳しいものになった。トリエンナーレ側との妥協なしには再開は難しいことは、現実の力関係から覚悟せざるをえないこととはいえ、妥協が結果として当初の目標であった原状での再開という条件から後退したものであったこと、結果として、表現の自由の基本的な理念を損なう再開となった点については、私も実行委員のひとりとして深く反省しなければならないと感じている。

また、再開の条件での合意によって、あたかも不自由展実行委員がこの合意に納得したと解釈されて報じられたり、再開を手放しで喜ぶような光景を目にすることにも私個人としては強い違和感があった。不自由展実行委員会としては、再開のための条件が表現の自由や原状での再開という原則から外れるものであるということを明確なメッセージとして出し、合意したものの納得をしたわけではないことを主張することは必須なのだが、妥協による合意と原則との間にある溝を埋めることは容易なことではない。現実が原則をなしくずしに後退させたりねじ曲げることが、検閲の過程では常に起きる。そして、不自由展実行委員も合意しているのだから、これは検閲ではない、という体裁が整えられ、検閲した側があたかも表現の自由を侵害していないかのように振る舞ったりすることにもなる。実際に、トリエンナーレの閉会日に、津田総監督は、全ての展示が再開されたことを喜び、あたかも表現の自由の勝利であるかのように振る舞った。

検閲とは、鑑賞者を鑑賞対象から切り離してアクセスできない環境を作ることだ。これまでも起きてきた検閲と自主規制や妥協の構図が今回もまた繰り返されたともいえる。高度な監視社会では、こうした切り離しとともに、誰が鑑賞したのかという個人情報もまた容易に把握されてしまう。私は、反監視やプライバシー問題に取り組んできた者として、こうした監視下での作品へのアクセスという環境を認めざるをえなかったことは、私自身の責任として深く反省しなればならないと思っている。では、自由な鑑賞を許してもなお、右翼の攻撃を回避できたのか。この問いへの答えはイエスでもありノーでもある。今回実際に実現した再開を求める多くの人々の闘いの経験を踏まえれば、再開を求める運動が、アーティストなど当事者と鑑賞を求める人々との間の大衆的な連携を構築できさえすれば、右翼側の抗議をはねのけることも不可能ではないという実感がむしろ私には強い。

展示中止から再開に至る経緯も含めて、手放しで再開を検閲に対する表現の自由の勝利とは言えない問題が残されたのだが、以下いくつか指摘しておきたい。

* 電凸は防げなかったのか?

展示中止の直接の原因は、電話による脅迫が多数寄せられたことにある、というのが大村愛知県知事や津田芸術総監督の見解だった。不自由展実行委員会は81日、2日深夜に津田総監督やトリエンナーレ事務局と電凸対策の会議をやってきた。抗議・脅迫などへの対策は数ヶ月前から検討されてきたにもかかわらず、ほとんど何も対策がとられていないことが判明する。小手先の対応に終始し、抜本的な対策を講じようとはしなかった。クレーム対応に長けた職員は配置されておらず、トリエンナーレの実行委員長でもある知事サイドも動いていない。不自由展側は、初日の動向をみて、人員、資金、設備に関してきちんとした対処をするように要求したが、いずれについては拒否された。現場の職員が疲弊するのを組織の上部は知りながら放置したのだ。こうして「表現の自由などと言いながら現場で精神的に追いつめられる自分たちの人権はどうしてくれる」といった怨嗟の声すら聞こえてくるようになる。不自由展実行委員から「電話線を抜け」「電話を切れ」という要求にも難色を示した。中止の原因となった放火脅迫についても、捜査機関に被害届けなどの手続きがなされたのは展覧会が中止された後、数日たってからのことである。津田は、警察が被害届を受理しなかったというが、これはありえない。国家公安委員会規則「犯罪捜査規範」第61条で定められているように、被害届の受理は警察の義務だからだ。被害届は展示中止が決まった後にようやく出されたのは「謎」というしかない。

ところがこの電凸問題は、9月頃になるとなぜか影をひそめてしまう。むしろ不自由展の展示のあり方への批判が強くなってくるという奇妙な現象が起きる。他方で、右翼が攻撃したり政府が反対するような展示作品そのものが、問題の原因を作ったかのような逆立ちした論調が散見されるような事態も起きたと思う。そもそもこうした展覧会を公立美術館で開催しようと企画すること自体が間違いだというのだ。こうした意見が後述する検証委員会でも示唆されるようになる。

* 大村知事は表現の自由の擁護者だったか

大村知事の折りに触れての発言は、名古屋市の河村市長による「少女像」や「遠近を抱えてPartII」へのあからさまな内容に踏み込んだ誹謗中傷ともいえる発言とは好対照をなし、表現の自由の擁護者として振る舞ったこともあり、大村への期待は高かった。津田もまた右翼の攻撃の被害者として同情も集めた。その大村が唯一展示を渋ったのが「少女像」だった。大村あるいは県の上層部やトリエンナーレ側は、4月段階から幾度となく、津田を介して不自由展実行委員会に対して、「少女像」そのものの展示を断念するように打診してきた。大村も津田も、展示自粛要請の理由を一切明らかにしたことはなかった。開会後の攻撃の主要なターゲットももっぱら「少女像」であり、安世鴻の元「慰安婦」のポートレート写真も白川昌生の朝鮮人強制連行の慰霊碑をモチーフとした作品も、ターゲットにはならなかった。

県知事サイドによるかねてからの「少女像」撤去の意向は、開会後に「少女像」をピンポイントに攻撃する電凸などの一連の行動をあたかも予測していたかのような態度だ。不自由展に展示された作品はかつて検閲された作品ばかりで、検閲の背景として、右翼などの攻撃に晒されたことがあったものが多くあるにもかかわらず、もっぱら「少女像」がターゲットになった。大浦の作品への攻撃は、ネットに投稿された動画をきっかけに二日目に急増する。

推測の域は出ないが、今当時を振り返ってみると、「少女像」攻撃の一連の流れは、この間の日本政府による海外の「少女像」撤去要請の態度と一脈相通じるところがあるように思えてならない。政府は、在外公館前に設置されることが「公館の威厳の侵害等に関わる問題」(参議院、質問趣意書への答弁、180回、提出者佐藤正久、答弁者野田佳彦)とする態度をとり、2017年には釜山の日本領事館前に「慰安婦像」が設置された対抗措置として、総領事の一時帰国や経済関連の協議の中断や延期など過剰ともいえる拒否反応を示した。保守派にとって「公」とは天皇が国民統合の象徴とされる国家を意味するから、「公立美術館」もまたこの意味での国家に帰属する文化施設であるべきだという考え方が根強い。政府が「少女像」の展示の事実を知った時期がいつかは不明だが、多くの場合、自治体が国の政策に関わると思われる事態に関して、中央政府の意向を敢えて無視することはありえない。今回の場合、天皇の肖像写真も絡むので宮内庁も無関係とはいえないと思う。愛知県が中央政府に忖度したのか、あるいは忖度以上の綿密な協議があったのか、あるいは非公式のルートで水面下で電凸を煽るような何らかの画策があったのか、事実を知りようがないが、私は、展示の計画段階から開会後の抗議・脅迫の動きまでの流れをみると、ある種の一貫性を感じざるをえない。だからこそ不自由展の少女像撤去が知事側の譲れない線だったのだろう。これに応じない場合は、トリエンナーレ全体に影響しない形で不自由展だけを潰すことを企図したのではないか。電凸がリーダーなきネトウヨの自然発生的な「運動」だったとはいちがいにはいえないかもれない。

メディアでもネットでも、大村知事や津田芸術監督は展覧会を中止せざるをえなかった被害者であり、表現の自由の守護者であるかのようにすら報じられもした。たしかに河村名古屋市長を批判して、右翼の攻撃にも晒されてきたわけだがら、表現の自由を守ることを公言してきた二人に守護者の側面がないとは言わないが、しかし、他方で、水面下で、非公式に、不自由展実行委員会に直接間接に接触する場合には、「少女像」撤去を要求する別の顔があったことも忘れるべきではないと思っている。

* 検証委員会による介入

愛知県は、展示中止後、一週間もたたない89日に「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」を設置する。この委員会はいわゆる外部の有識者から構成され、知事がオブザーバーで参加した。当初検証委員会は不自由展の展示に直接介入するものではないとされたが、実際の検証委員会の行動は、展示内容に踏み込んだもので事実上の主導権を握る存在になったように感じた。公式の文書などには出てこないが、検証委員会の山梨座長らは、数度にわたり、非公式に不自由展実行委員会との接触を求め、展示の方法などについて介入するようになった。こうした接触のなかで、山梨座長は、展示の稚拙さなども指摘しながら、不自由展の実行委員に対して、再開の条件として、不自由展実行委員会は退き、展示についての全てをトリエンナーレのキュレーターチームに委ねるという選択肢すら提示してきた。検証委員会は一貫して、不自由展実行委員会を独立した表現主体としては認めようとはしなかったのだ。

しかし、現実には、不自由展実行委員なしには、展示作品の作家たちとのコンタクト、作品をめぐる背景説明など鑑賞者に提供すべき基礎的な情報すらなしえなかったことは後に明かになる。検証委員会もトリエンナーレのキュレーターチームも短期間で膨大な検閲事件を理解し把握することなどできなかったからだ。検閲をめぐる経緯は、どの作品も一様ではなく、個々の作品に関する長い裁判の経緯や複雑な社会的背景を、検証委員会もキュレイータチームもかなりあなどっていたと思う。不自由展実行委員を、公共施設が展示を禁じたことに怒って検閲だと騒ぎ、検閲反対と叫んでいるだけのアートに無知な左翼くらいに思っていたに違いない。たぶん、こうした偏見は多かれ少なかれ、本展のアーティストやキュレーターチームにもみられるように感じていたが、個々の作品が背負ってきた非公開や拒否の歴史を知るにつけて、容易ならざる問題であるという自覚が生まれるなかで、偏見もまた払拭されるようになったと思う。

再開に際して、トリエンナーレ側は、検証委員会の示唆を踏まえて、鑑賞者に対する事前の「教育」をほどこそうということも企図していた。実際にはこの「教育」プログラムは実現しなかった。だからその具体的なプランはわからないのだが、賛否両論ある作品について、賛成の考え方、反対の考え方を両論併記するような形で提示することなども考えていたのかもしれない。「少女像」であれば、日本政府がしきりに持ち出すウィーン条約や日本政府の言い分を説明し、他方で、韓国政府の言い分も説明し、更には市民運動などの議論も紹介し、作家の制作意図を説明するすることで「中立」の立場を確保しようとするのが「教育」だというのであるとして、このようなことが短時間に実施できるはずはない。大浦の作品については更にやっかいだろう。本人は天皇を侮辱する意図はなかったと言うし、憲法や法令にはもはや不敬罪はなく、裁判の資料だけでも膨大になる。そもそも検閲された理由を客観的、中立の立場で「教育」的にレクチャすることなどできるのだろうか。作家はそれぞれの思想信条に基いて作品を制作するから、中立な作品などありえない。作品が政治性をもつことは個人が政治的な存在としての属性をもつ以上回避すべきでも否定すべきでもない。事前に作品についての「教育」ができると思い込んでいたこと自体が、アートと検閲の問題の奥深さを専門家たちが全く理解していなかったということに他ならない。結果として「教育」プログラムが実施されなかったことは不幸中の幸いといえた。

* 仮処分申し立て撤回の圧力

再開を求めての仮処分申し立てのギリギリの期限が近付いた9月中旬に、津田芸術総監督が不自由展実行委員と非公式に会いたいという申し出があった。この席に予告もなしに、津田の会社の顧問弁護士を同席させて、仮処分撤回の要請が強い口調で何度も語られた。同席した弁護士は、仮処分を申し立てれば確実に県はこの申し立てに対して和解などには応じず、結果として展示再開は不可能になる、仮処分申し立ては展示中止の継続にしか繋がらないということを再三強調し、仮処分申し立てが敗北に終ることは法律の専門家からみれば常識だといったことを述べて、不自由展実行委員会にかなり強い圧力をかけてきた。また、仮処分を申し立てるなら事前に申し立ての内容を教えるようにとも要求してきた。仮処分申し立てについては、一部のアーティストからも危惧を伝えられた。裁判の権利は憲法で保障された権利であるにも関わらず、「裁判沙汰」というネガティブな印象があるからか、あるいは津田サイドからのある種の印象操作があってのことか不明だが、法的措置をとることへの強い抵抗が、一部のアーティストにはあると感じたことがあった。

不自由展実行委員側はこの要求を拒否した。これは津田ひとりのスタンドプレイではないだろう。裁判所による再開の命令がでてしまうと、再開せざるをえないだけでなく、再開の条件についてもトリエンナーレ側がイニシアチブをとれなくなることを畏れたのかもしれない。

* 象徴天皇制と文化支配との闘いへ

不自由展の展示、中止決定、そして再開という過程のなかで、何度もトリエンナーレ側の裏切りを経験してきた。

今回の不自由展の展示中止に関して、特徴的にあらわれたことのひとつは、「少女像」の問題については、多くのマスメディアが写真や映像を映しながら報じたのに対して、「遠近を抱えてPartII」は、問題となった場面はまず報じられず、この作品のもとになった版画作品「遠近を抱えて」もまた、一部例外はあるが、ほとんどの図版の掲載すらなされなかった。ある大手メディアの記者は図版の掲載は「上から止められている」と漏らしたが、こうした自主規制が展示中止から再開後まで一貫していた。トリエンナーエレ側のメディア規制も異常といえた。会場での報道機関の取材が禁止され、ネットでの投稿や配信も厳しい規制が敷かれた。全体としていえば、再開展示するが、可能な限り作品や関連資料へのアクセスを規制して「見せない」ことを画策したと言っても過言ではないと思う。再開しつつ、いかに「見せないか」に最大の努力を払ったようにすら見える。

大浦の作品は、本人の作品のモチーフへの言及によれば、必ずしも天皇や天皇制批判を意図したものではない。このような作家の発言などを捉えて、多くのメディアの論調は、天皇制を批判することを意図した作品ではないにも関わらず検閲されたということを問題視するスタンスが支配的で、天皇や天皇制を批判する表現そのものの自由を保障すべきだという観点を前面に押し出した主張は目立つものとはいえなかった。

そもそも今回問題になった「従軍慰安婦」は90年代から知られるようになっているが、当時と比べて、現在の方がずっと自由な議論の余地は狭くなっている。天皇をめぐる表現も戦後様々なされており、常に検閲にさらされてきた。この流れを受けて、明かに言論表現の自由は、明仁天皇の時代に大きく後退しているのだ。

私は今回の問題に直面して、とりわけ戦後の象徴天皇制が、政治的な権力を奪われた反面、文化的イデオロギー的な作用を構築する装置としては、戦前戦中以上に巧妙なものとなってきたと感じている。美術や芸術の世界からスポーツや学術の世界まで広義の意味での文化に戦後象徴天皇制が果してきた役割は大きい。象徴天皇制の文化的な力は、ヘイトスピーチのような憎悪の表現と表裏一体をなしながら、むしろ人々があたりまえのように肯定し受容する「日本文化」に潜むレイシズムとは自覚されないレイシズムや排外主義的なナショナリズムを再生産してきた。経済の情報化、文化資本の巨大化のなかで、観光と国際的なメガイベント、学術研究のグーバルな競争が新たなイデオロギー装置の不可欠な一翼を担うようになり、象徴天皇制の非政治的な政治性がこうした現代の資本と国家の構造にますます不可欠な役割を担うようになっている。あいちトリエンナーレもこの枠組を出るものとはいえない。歴史認識や天皇をはじめとして、権力がアートの権威者たちとの密かな共謀のもとで構築してきた表現の自由から排除された領域を、再度自由の側に取り戻す闘いにアーティストや鑑賞者たちが真剣に向き合うことができるかどうかが問われている。

(おぐらとしまる 元表現の不自由展実行委員)

出典:季刊ピープルズプラン 86号