学術会議について
私には学術会議をめぐる非常に辛い思い出があります。
学術会議は2008年に文部科学省から、大学教育の分野別質保証の在り方について審議するように依頼を受け「すべての学生が身に付けることを目指すべき基本的な素養」を学問分野別に定めた「大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準」を作成しました。いわば大学版の学習指導要領のようなものです。下記にその一覧があります
https://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/daigakuhosyo/daigakuhosyo.html
経済学の参照基準は https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-h140829.pdf
私は経済学を教えていましたが、この参照基準の「経済学」の内容は、定義も含めて全く賛成できません。なぜなら、経済学の参照基準はいわゆる主流派の経済学を唯一のパラダイムとして採用しており、わたしのようなマルクス経済学を基礎に、更にそこからも異質な要素を加味したような経済(学)批判としての経済学などは全く考慮される余地のないものとして否定されているからです。これは、私ひとりのことではなく、多様な学説が並立していることを完全に無視した内容で、これを読んで当時唖然となった研究者は決して少くないはずです。実際、当時いくつかの経済学の学会が異論を表明しました(付記1参照)
もしこうした参照基準に基づいてカリキュラムが作成され教員人事が行なわれた場合、非主流派の経済学は大学の教育で正当なポストすら得られないことになります。マージナルな領域は完全に排除され多様性は奪われます。
この参照基準を私が受け入れるということは、私が30年間大学で行なってきた教育を自ら否定することになります。この参照基準を読んだとき、私の教育者としての存在理由を否定されたと感じましたし、危機感を強く持ちました。にもかかわらず、私は、この危機感をやりすごしてしまいました。その理由の一つに、私にとっての学術会議の存在意義がほとんど「ゼロ」に等しかったこと、少なくとも私が在職中には参照基準が公然と教育のカリキュラムや人事に影響するようなことにはならなかったことがあったといえそうですが、今このような文章を書いていることからしても、いずれも言い訳がましい理由でしかないでしょう。もっと何かできたのではないか、という反省と自己批判がありはするものの、では、今何か行動する積りになれるか、といえば、そうとも言えない。
参照基準の策定に関して学術会議は、意見聴取をしていますが、大学の教授会など教育を担う組織にたいして公式に意見聴取などの手続きをとったのかどうかも疑問です。また、様々な異論を受け入れて参照基準の内容を抜本的に修正することもなかったと思います。当時わたしは学部の管理職をしていましたが、学術会議から何らかの問い合わせなどは一度もなかったと記憶しています。(このあたりの事実関係の経緯は私の記憶違いがあるかもしれません)勿論、参照基準の内容を修正すればそれでよい、という問題ではありません。
この分野別参照基準は文科省からの審議依頼です。教育・学問研究の内容に関して、文科省が関与する手段に学術会議が加担したのは、憲法に定められた学問の自由に抵触する行為だと私は判断しますが、学術会議はこの文科省の審議依頼を受け入れたのです。(文科省は巧妙に学術会議法を利用しているともいえます。)繰り返しますが文科省の依頼の意図は「すべての学生が身に付けることを目指すべき基本的な素養」を分野別に示した基準を作成することです。このような参照基準を一部の研究者が決めることがあっていいはずがありませんし、このようなことは決して可能ではないはずです。学術会議はなぜこれを拒否しなかったのでしょうか。
こうした参照基準を文科省が「悪用」する余地はいくらでもあります。定員削減の嵐の時代でしたし、文科省による学部への介入が非常にシビアな時代でした。もし文科省が「参照基準に沿った採用と教育をするように」とでも言いはじめるのではないかととても不安におもったことを覚えています。文科省の思惑は、むしろ、学術会議に参照基準を作成させ、大学が自主規制の手段として、この参照基準に沿った教育と人事を行なうように仕向けることを通じて、批判的な学問としての非主流派の経済学を脇に追いやるか排除するような効果をもたらすことだろうと思います。経済学の分野は、こうした文科省の思惑と学術会議側の利害が一致してしまった分野ですが、そうではない分野もあったのだろうと思います。邪推とみられるかもしれませんが、こうした参照基準のような活動が任命拒否ともどこかで繋がっているようにも感じられてなりません。
参照基準と関連する質保証委員会は現在もあるようです。国の事実上の外郭団体のような体制がもっている極めて危ない側面だと思います。もちろん法人化後の大学を経験している者にとって、独立しても問題は変わらないことも承知しています。どちらの場合であれ、学術会議が学問研究の自由と自立の砦にはなりえることはないでしょう。
以上のようなことがあるため、学術会議問題に関心を寄せている多くの市民の皆さんに、学術会議が進めてきた分野別参照基準の問題にも目を向け。その撤回と大学教育の分野別質保証委員会を廃止の必要性にも関心をもっていただければと思います。(ただし、参照基準の撤回や質保証委員会廃止のために、私にできることは、今ここでこうした意見を表明することが精一杯のところです。)
付記1
参照基準の作成当時、経済学に関係する学会などが出した見解は現在でも読むことができます。
経済学分野の参照基準(原案)に対する意見表明
経済教育学会理事会
https://ecoedu.jp/sansyoukijun-jsee.pdf
経済学分野の教育参照基準第二次修正案についての意見書
経済理論学会幹事会
https://www.jspe.gr.jp/%E5%AD%A6%E4%BC%9A%E5%A3%B0%E6%98%8E%E7%AD%89/%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6%E5%88%86%E9%87%8E%E3%81%AE%E6%95%99%E8%82%B2%E5%8F%82%E7%85%A7%E5%9F%BA%E6%BA%96%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%BF%AE%E6%AD%A3%E6%A1%88%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%84%8F%E8%A6%8B%E6%9B%B8
基礎経済科学研究所常任理事会
基礎経済科学研究所
http://www.shokunoshigen.jp/docs/reference-standard/siryou6.pdf
日本フェミニスト経済学会2012-2013年度幹事会
https://jaffe.fem.jp/opinion
参照基準に反対の声多数 経済学教育の画一化を懸念(京都大学新聞)
2013.12.16
https://www.kyoto-up.org/archives/1956
私自身が個人として意見を提出したことはありません。これらの意見が汲み取られたとはおもえませんし、たとえ汲み取られたとしても、それで研究者、教育者個人の学問の自由が確保されるものとも思いません。そもそも文科省の下請けのような仕事を受けるべきではなく、参照基準そのものを撤回すべき、という私のような主張はあまりないかもしれません。なお、私はこれらの学会には所属していません。
付記2
私自身が経済学としてどのような講義を行なってきたのかについては、下記に講義ノートが掲載されているので参考にしてください。
https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/lecture_u-toyama/