内田樹の天皇制擁護論批判――明仁の退位表明をめぐって――

目次

  • 1. はじめに
  • 2. 象徴的行為
    • 2.1. 象徴的行為の再定義?
    • 2.2. 代替わりの一連の儀礼と象徴としての機能は一体なのか
  • 3. 憲法の天皇条項と「霊的存在」
    • 3.1. 条文そのもの
    • 3.2. 「霊的」存在の肯定
  • 4. 「國軆」による国民統合と民主主義的な多様性のあいだの矛盾の弁証法的統一?
    • 4.1. 統合と民主主義
    • 4.2. 退位とシャーマン
  • 5. 合理的・科学的批判の限界への挑戦へ

1 はじめに

明仁が生前退位を公的に表明したときの発言については、様々な論者が見解を表明してきた。以下では内田樹の天皇制擁護論を取り上げて、私なりの意見を述べておく。内田の発言は、明仁が生前退位を表明した「おことば」についての独自の解釈を示しながら、かつては天皇制に懐疑的であった彼がなぜ天皇主義者に転向したのかを述べており、現代のリベラリストの天皇制擁護論の特徴を示している。彼の擁護論の特徴は、リベラルであることや安倍政権への否定的な評価に立ちながら、むしろそうであるが故に象徴天皇制を積極的に肯定するという観点を、論理を超越したある種の宗教性に依拠して論じている点にある。以下で引用している文章は「私が天皇主義者になったわけ」(『私の天皇論』、月刊日本2019年1月増刊号、2018年12月 所収)に掲載されたインタビューである。

2 象徴的行為

2.1 象徴的行為の再定義?

内田は、明仁が「象徴的行為」という言葉を用いたことに注目する。

象徴天皇にはそのために果すべき「象徴的行為」があるという新しい天皇制解釈に踏み込んだ。その象徴的行為とは「鎮魂」と「慰藉」です。

象徴的行為の中心をなすのが、鎮魂と慰藉だとし、憲法7条の国事行為「儀式を行うこと」を鎮魂と慰藉を行うこととして解釈する。

憲法第七条には、天皇の国事行為として、法律の公布、国会の招集、大臣や大使の認証、外国大使公使の接受などが列挙されており、最後に「儀式を行うこと」とあります。陛下はこの「儀式」が何であるかについての新しい解釈を示されたのです。それは宮中で行う宗教的な儀礼のことに限定されず、ひろく死者を悼み、苦しむ者のかたわらに寄り沿うことである、と。

ここで問題になるのは天皇にとっての「儀式」とは何なのか、「ひろく死者を悼み、苦しむ者のかたわらに寄り沿う」とはどのような意味をもち、それはどのような儀式的な行為を伴うものなのか、である。内田は7条の「儀式」を厳格に非宗教的な行事として解釈するのではなく、天皇という名称が本来もっている宗教性を内包するものだという「新しい解釈」を天皇が示したことを評価する。憲法でいう「儀式」=象徴的行為は従来、非宗教的な行事としての儀式であると解釈されきた。明仁が儀式に込めている象徴天皇としての内面の意思がどのようなものなのかは、この儀式を解釈する側に委ねられている。内田は、「儀式」に宗教性を読みとることを肯定した。内田は、あたかも明仁が「新しい天皇制解釈」を表明したかのように述べているが、実は、解釈の主体は内田にある。行為や言葉といったメッセージは、発信者と受信者双方がそれぞれにメッセージの意味を解釈しあうことの繰り返しを通じて、その行為の社会的な意味が形成される。天皇の国事行為としての「儀式」を宗教性のないものと解釈するのはメッセージの受け手の側であり、従来、憲法で定められた天皇の象徴としての行為は宗教性を持つべきではないとされ、だから実際の天皇の象徴行為も宗教性がないと解釈されてきたが、この解釈の枠組を否定し、天皇の象徴行為に宗教性を認め、これを積極的に意味ある行為として肯定した。この解釈の転換は、天皇の「おことば」が引き金になったとしても、この「おことば」を受信した側に、しかもリベラルな知識人の側に起きたということが重要なのである。意味を生成する場がある種の転換をみせたことを意味しており、天皇の象徴行為の宗教性が、たとえ憲法を逸脱しているとしても、肯定すべきとする主張が、解釈の通説になる兆候がある。同時に重要なことは、内田のような解釈は、天皇をめぐって、国事行為とこれには含まれない宗教儀礼という二分法がそもそも成り立たないことを指摘しているということだ。明仁は間接的にこのことを示唆し、内田は明示的にこの二分法を退けた。こうなると、そもそも象徴天皇制のもとで憲法20条が成り立つのかが疑問視されるということになる。

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

従来の通説では、憲法に定める象徴としての行為者としての天皇は、国の統治機関の一部だから宗教的活動はできない、だから、憲法7条の「儀式」も宗教儀式を含まないし含むことはできない、という解釈であろう。戦後、天皇の神道儀礼と国家との関係が繰り返し問題視されてきたのは、この憲法の縛りと天皇がそもそも天皇という命名の由来でもある神道と不可分な存在であることとの間に、憲法に内在する論理整合性をとることが必ずしも容易ではないという点にあった。神道儀礼が含意されるような儀式は、事実上これまでも天皇儀礼として排除されてはこなかったのだが、一見すると非宗教的とみなされる国事行為もまた、天皇に即せば、宗教的な意味を伴わないような行為はありえないことは自明である。「天皇」と命名された者の行為である以上、宗教性は払拭しえないからだ。政教分離を徹底させるのであれば、そもそも国家の象徴に「天皇」を位置づけること自体が矛盾なのだ。「天皇」という記号は、その意味内容が二重化されている。天皇からすれば、彼の象徴的行為は宗教的な行為と不可分だ。神道儀礼はこれが顕在的に示される場面だとすれば、正月や国体などの旅先での「おことば」から憲法に定められた国事行為は、宗教性を世俗的な装いの下に潜在させつつ維持されており、意味内容は受け手の側には世俗的なものとして解釈されているにすぎない。この意味の二重性は、従来であれば世俗的な意味内容が意味のヘゲモニーを握ってきたが、明仁の「おことば」はこのヘゲモニーを宗教性の側にシフトさせるものだった。このことを内田は敏感に読み取ったといえる。天皇を国家と国民統合の象徴としてしまえば天皇が出席する祝典、儀式はおしなべて宗教行為となり、国による宗教的活動となることが避けられない。つまり、憲法の象徴天皇の規定そのものが20条と矛盾する。護憲という立場は、この矛盾を、天皇の国事行為を非宗教的な行為であるハズだと「解釈」してやり過してきた。20条をとるか1条から8条をとるかは、二者択一である。だから「護憲」という立場は、現行憲法の象徴天皇制をめぐる内的な論理矛盾を糊塗してきたとはいえないだろうか。

このことは明仁の次の発言に露出している。

即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごしてきました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

2.2 代替わりの一連の儀礼と象徴としての機能は一体なのか

明仁から徳仁への代替わりの儀礼は、いわゆる国事行為であるのかそれとも皇室の宗教儀礼であるのかという議論に収斂させることのできない一体としての構造をもっている。そもそも憲法に定められた国家と「国民」統合の象徴は、「天皇」と呼称されることで宗教性と世襲性とが不可分な存在となる必然がありながら、他方で世俗的な統治機構を表向き標榜する国家の象徴でもあるという矛盾をもっている。この矛盾は、天皇の側からすると、神道祭祀と「日本」の伝統を継承し、その「祈り」の内実をシャーマンとして遂行する以外にない(そうでなければ自らの信仰を否定することになる)ものとして、この矛盾の辻褄を合わせる。他方で、世俗権力の体裁をとる統治機構の側は、逆に、天皇の神道信仰やシャーマンとしての鎮魂を隠蔽して世俗的で憲法に定められた国事行為の主体でしかない存在であるかのように装おうことを通じて、この矛盾の辻褄あわせをする。「国民」は、といえば、この二つの欺瞞の構造のなかで、自らの立ち位置を定める自由を持つにすぎない。

明仁は天皇なき日本は平和を保証できないということを、彼の祈りの現実的な効果として確信しているとすれば、内田は、こうした確信を「国民」の側から、下から支えるような心情を吐露することによって、平和構築の不可欠な存在としての天皇を確信する。いずれも、日本が天皇と「国民」が相互に依存しあいながら、この構図を再生産する以外の選択肢を否定する。

こうしてみると日本国憲法は、世俗的な装いをとりながら、国民が一体のものであって、この一体性が国民そのものによってではなく天皇によって表象される以外にないところで、その正統性のイデオロギー的な基盤を確保するという構造をもっていることがわかる。

3 憲法の天皇条項と「霊的存在」

3.1 条文そのもの

憲法の象徴天皇条項はかなり論理的に矛盾した構造をもっている。

  • 1条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」主権者の総意に基く国民統合を象徴する存在が「天皇」と呼ばれるのか、それとも、あらかじめ天皇と呼ばれた存在がおり、この存在をもって国民統合の象徴とし、国民の総意に基いたものとみなす、ということなのかで、天皇という存在の憲法上の規定が真逆になる。法の支配[1]が前提にあり、憲法を国家の統治規範とするのであれば、まず最初に、国民統合の象徴の意味する実質を国民が総意によって確認する手続があり、この手続きを経た存在が「象徴」となるはずだろう。しかし、この象徴が、まず最初に「天皇」という戦前の憲法由来の、更には神話に基く「日本」の伝統的な信仰と統治の主体を意味する内容と結びつけられる場合には、主権者の討議と総意の確認の手続きは、事実上排除されることになる。

日本国民の総意を確認する手続きを経て日本国民を統合する象徴となるものとは一体何なのか、という問題は、国家の正統性を支える重要な主題である。この場合、「日本国民統合」とは何のことなのか、なぜ「統合」という文言が必要なのかという問題は、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて」という前後の文脈との関連でいえば、「日本国の象徴」というだけでは足りずに、「日本国民」をこれに加え、更に「統合」という文言をも加えていることからすれば、民主主義が前提とする国民内部の相互に相対立する思想信条などを超越した国民としての一体性を表現したものともいえる。このような一体性を承認することを憲法が要請しているということは、日本という国家が階級、ジェンダー、エスニシティ、世代から宗教や思想の多様性による分断と矛盾を内包している社会であるということを否定するものだ。あるいは、こうした分断や矛盾があるとしても、これを「国民」として天皇に象徴されるものとして「統合」することを憲法が要請している。こうした国家観は、それ自体が擬制であり欺瞞ですらある。

  • 2条 「第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」

象徴が世襲であることは、「天皇」を伝統的な皇室として与件とする立場に立っており、国民の総意に基くとする1条の解釈からは導かれない。世襲であれば必ず総意が成り立つというのは論理的な構造をもっていない。2条は世襲であることを定めることによって事実上1条の「総意」の手続きもまた否定し、世襲がこれらにとってかわりうる手続きであることを宣言している。民主主義的な手続きを経て王政を選択するということはありうるが、こうした選択肢も「天皇」に関しては否定されている。「論理的ではない」とか「不合理な独断」といった批判は可能だが、有効ではない。「世襲」を正当化しているのは、憲法や法に内在する論理ではないために、論理的な批判をそもそも受けつけない。次元が異なるのだ。この論理や近代の法合理性とは異なる世界を「天皇」という概念そのものが内包している。

  • 4条「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」

天皇は、国事行為しか行なえないことを明文化している。国事行為の内容は7条に具体的に定められている。天皇が国事行為のみしか行なうことができないとすれば、天皇は一切の神道宗教儀礼を行うこともできない。宗教儀礼を行うのであれば、そのときには天皇という名前を用いることはできないはずである。しかし、天皇という言葉の由来が神道にあり、しかも神道の教義抜きには天皇とは何者なのかも定義できないのだから、そもそも4条を徹底するとすれば、天皇を主語に置くこと自体に根本的な矛盾がある。

天皇は実際には、国事行為以外の行為も行う「人間」であり神道の祭祀としての「伝統」の担い手でもある。一般に、人間が何らかの職務を担うとき、職務を指し示す言葉によって、職務にある者としての限定を付し、同じ人間であっても職務にない(プライベートとか言われるが)場合は、その職務の名称を避ける。これは、職務とその役割内容とが一体のものとしてあり、この職務に人間が時間と場所を限定して関与するということを念頭に置いている。ところが天皇という職務とその存在全体の関係はこういうふうにはなっていない。天皇の存在理由は、神道の宗教的な定義から導かれており、それ自体が宗教的な意味を帯びている。こうした存在を与件として国家の象徴機能がその一部をなすものとして組み込まれているといった方がよいようなありかたをしている。

天皇が一方で宗教的な主体であり、他方で憲法の規範に従属する国民統合の象徴的主体であるという二重性は、本質的に矛盾する。この矛盾は、神を否定して、神の座に国家という世俗的でありながら超越的で普遍的な価値の体現者を僭称する事実上の「神」を据えることで折り合いをつけてきたわけだが、どのような近代国民国家も世俗性の背後に何らかの宗教性をまとうことを否定することができていない。国家の観念を支える世俗的で合理的な普遍性としての価値や規範は、常に何らかの宗教的な「神」によって自らの存在理由を補完しなければ自己維持することができてこなかった。これは合理的な判断や推論から逸脱する人間の情動や無意識の世界が未だに「神」から解放されていないことを示している。この問題が最も端的に示されるのが「文化」の領域であるにもかかわらず、20世紀の左翼革命は「文化」の革命に失敗したために、人間の「神」からの解放にも敗北した。

3.2 「霊的」存在の肯定

内田は鎮魂と慰藉を象徴天皇制の再定義の核心に据えたのが明仁だと述べたわけだが、「鎮魂」について更に立ち入って次のように述べている。

どのような共同体にもそれを基礎づける霊的な物語があります。近代国家も例外ではありません。どの国も、その国が存在することの必然性と歴史的意味を語る「物語」を必要としている。天皇は伝統的に「シャーマン」としての機能を担ってきた。その本質的機能は今も変わりません。「日本国民統合の象徴」という言葉が意味しているのはそのことです。

霊的な物語は国家にとって必須であるとし、この物語の担い手がシャーマンでもある天皇であって、国民統合の象徴とはこのことを意味しているのだという。たぶん天皇が「祈り」を捧げるという行為が象徴的な行為であり、この行為をもって国民統合が体現されているのだが、この祈りという行為が霊的な物語によって裏付けられるのであり、世俗的で無宗教の行為としての「祈り」ではない、というのが内田の解釈であろう。わたしは、内田とは逆に、だからこそこうした「祈り」を否定しなければならないと思うわけだが、明仁に限らず、天皇の「祈り」とはどのような内実をもつものなのか、がここでは最も重要なことになる。たぶん、これまで天皇の宮中祭祀などの明らかな宗教儀礼を別にすれば、国事行為としての儀礼であれ慰霊の旅であれ、彼の「祈り」が宗教性をもつものではないという解釈は、内田にいわせれば間違っているということになる。

内田は、鎮魂が問題になることから、ここでの「物語」の中心をなすのが死者への慰霊ということになる。死者の鎮魂慰霊が国家という枠組によって規定されるべきことから、国民統合としての鎮魂慰霊の「象徴的行為」の目的はあくまでも国民の「霊的統合」だという。どこの国でもこうした霊的統合の物語があり、日本には日本の霊的統合の物語があるのは当然だともいう。

恨みを抱えて死んだ同報の慰霊を十分に果さなければ「何か悪いこと」が置きるということは世界のどの国でも、人々は実感しています。死者の切迫とは「これでは死者が浮かばれない」という焦燥のことです。そして、この感覚が現に外交や内政に強い影響を及ぼしている。「成仏できない死者たち」が現実の政治過程に強い影響を及ぼしているという・では、実は古代も現代も変わらない。その意味では私たちは今もまだ「シャーマニズムの時代」と地続きなのです。

内田は、次のように解釈している。

天皇の第一義的な役割が祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願すること、これは古代から変りません。陛下はその伝統に則った上でさらに一歩を進め、象徴天皇の本務は死者たちの鎮魂と苦しむ者の慰藉であるという「新解釈」を付け加えられた。これを明言したのは天皇制史上初めてのことです。現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。

内田は、憲法が天皇の機能として規定する国民統合としての象徴を「祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願すること」に繋げ、これを古代からの一貫した天皇の役割であるとするのだが、ここには日本という国家が世俗的な国家であることの余地はほとんど残されないような印象すら与えかねない言いまわしである。古代には「国民」など存在しなかったという揶揄は別にしても、この内田の立ち位置は、天皇の側にあり、自らをもっぱら天皇の振舞いに同期させることにのみ関心を持っていることが端的に示されている。

民衆の側からすれば、天皇の鎮魂や慰藉などという振舞と自らの心情との同期の構造はこれまで次のように想定されてきたと思う。天皇が祈りのなかで描く世界を日本の多くの知識人やメディアは、天皇の眼差しを内面化して理解し、咀嚼して、これを人々に伝える役割を担う。こうして民衆の世界は天皇の世界によって上書きされ、民衆の記憶もまた消去され、天皇の伝統が民衆の伝統を乗っ取る。こうして「国民統合」という観念が実体を伴うかのようにして民衆にも受動的に、しかしまた自発的に受容されてしまう。しかし古代から現代まで継承されているらしいシャーマンとしての天皇による鎮魂と慰藉の「祈り」があるとしても、その内実は闇の中であり、うかがい知ることができない。このような仮説はそもそも荒唐無稽だとして否定することもできるが、荒唐無稽なことがある種の力を発揮するとき、それは「オカルト」と呼ばれて少なくない人々の情動を支配する。代替わりの儀式をめぐる知識人や報道の内容を振り返ると、私は天皇制というカルトがこの国の大半の人々の情動を支配していることを軽視できないと思う。

4 「國軆」による国民統合と民主主義的な多様性のあいだの矛盾の弁証法的統一?

4.1 統合と民主主義

「日本国民統合」という表現は、国民としての一体性を強く印象づける表現である。国民である以上「一体」であるべきであるとい前提がある。しかも、この一体性は、憲法の後の条文にある基本的人権における自由に関する権利と矛盾する。多様な価値観や思想、信条などを国民が有するとすれば、一体性は存在しえない。一体性あるいは統合と呼ばれるような画一的な国家のありかたがなくても統治機構としての機能を果すことができるように設計されているのが民主主義による統治機構なはずだ。

内田はこの統合と民主主義の間にある矛盾に着目して次にように述べている。

天皇制と立憲デモクラシーという「氷炭相容れざるもの」が拮抗しつつ共存している。でも、考えてみたら、日本列島では、卑弥呼の時代のメヒコ制から、摂関政治、征夷大将軍による幕府政治に至るまで、祭祀にかかわる天皇と軍事にかかわる世俗権力者という「二つの焦点」を持つ楕円形の統治システムが続いてきたわけです。この二つの原理が拮抗し、葛藤している間は、システムは比較的安定的で風通しのよい状態にあり、拮抗関係が崩れて、一方が他方を併呑すると、社会が硬直化し、息苦しくなり、ついにはシステムクラッシュに至る。(中略)

だから今は、昔みたいに「立憲デモクラシーと天皇制は原理的に両立しない」と言う人には、「両立しがたい二つの原理が併存している国の方が住みやすいのだ」と言いたい。(中略)

「國軆」というのは、この二つの中心の間で推力と斥力が働き合い、微妙なバランスを保つプロセスそのもののことだと私は理解しています。「國軆」というものを単一の政治原理のことでもないし、単一の政体のことでもない、一種の均衡状態、運動家庭として理解したい。祭祀的原理と軍事的・政治的原理が拮抗し合い、葛藤し合い、干渉し合い、決して単一の政治香料として教条化したり、制度として惰性化しないこと、それこそが日本の伝統的な「国柄」でしょう。

内田が解釈してみせた明仁の象徴天皇の基本的な性格を鎮魂と慰藉にあるとする見方は、かなりのところまで正しい解釈だと思う。明仁が言外に留保して明言しなかったシャーマンとしての役割に踏み込んだ見解を示す一方で、これを復古主義的で反民主主義的な方向に還元することなく、民主主義との矛盾を内包することを社会の安定にとって不可欠な国家への国民統合の構造であるとするある種の弁証法的な理解は、現にある近代国家日本を、政権や目前に実際に存在する諸々の深刻な諸問題を棚上げして、これらを超越して絶対的に肯定すべき観念として、その必要性を強調してみせた。日本はなにはともあれ肯定される以外に選択肢をもたない絶対的な存在となる。[2]

内田は、「國軆」という観念を持ち出してきて、古代から現代まで一貫する「日本」の歴史的な連続的一体性を肯定する。この肯定を「物語」に基くものであって、史実に基づく必要性を認めない。明仁が「伝統」という文言で言わんとしたこともほぼ同義とみていいだろう。内田は、鎮魂と慰藉という象徴天皇の本質が現実の日本の社会の安定や平和に実際に寄与するものとはみておらず、むしろある種の日本人としてのアイデンティティの拠り所といった意味合いで述べている。明仁はそうではない。この点で内田と明仁との間には本質的に、天皇の象徴的行為の在り方の理解が食い違っている。明仁は次のように述べている。

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

4.2 退位とシャーマン

明仁は「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろう」と述べて国事行為と象徴行為の縮小に反対し、また摂政を置く可能性に言及しつつ、これを否定した。その理由は上の二段落目の最初に端的に述べられている。「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます」というのだ。この条はいったいどのように解釈すべきなのだろうか。つまり天皇が病などで危機にあることと社会の停滞や国民の暮しへの悪影響との間に関連があり、この関連は「これまでも見られた」というのだ。私には一体どのような関連があるのかにわかに理解できないが、明仁の観念のなかでは、天皇の象徴行為は、単なる「儀礼」ではなく、その行為が日本の発展や国民の生活に実際の効果をもたらしているという理解がある。これは驚くべき発言であって、社会の発展や平和は主権者である「国民」の主体的な行為などではなく、天皇の健康と相関するというわけだ。

シャーマンとしての実効性を確信して明仁は、その能力の衰えを恐れて代替わりを決意した。明仁にとっての健康問題というのは、国事行為ではなく(それなら摂政に委ねてもよいものだろう)、この国事行為と並んで天皇が果すべきシャーマンとしての役割と関わるものだ。

たぶん、こうしたシャーマンとしての祈りとむすびつけることは曲解であると思われるかもしれない。通説は、かつての裕仁の死去に至る騒動がもたらした影響をオリンピックなどのメガイベントを控えている現状とを重ね合わせての発言だという解釈だろう。しかし、果してそれだけだろうか。明仁は次のように述べている。

天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

日本全国を旅することを象徴的行為と位置づけているが、これは憲法に定められた国事行為になない。いわゆる慰霊の旅などと称されて海外も含めた「戦没者」を慰霊する旅は、国事行為ではない。とすれば、当然のこととして憲法に定められた象徴としての行為でもない。しかし、これを明仁は象徴的行為として、憲法の象徴天皇の機能を拡大して解釈した。この解釈の前提にあるのは、実際に裕仁の時代から行われてきた「旅」を象徴天皇のあたり前の行為として位置づけてきた事実の積み重ねである。

もしそうであるとすれば、「国民を思い、国民のために祈るという務め」として述べられている「祈る」とは何なのかもはっきりする。これは憲法が規定している世俗的でいかなる宗教性からも切り離された行事としての「祈り」のパフォーマンスではない。ローマ法王が世界中を旅して祈るときに、誰も彼が世俗的な祈りを捧げるとは思わないし、実際の祈りのありかたもローマ・カトリックの祈りであることが明瞭なものとして表現される。しかし天皇の「祈り」は、憲法の政教分離の建前のなかで、意味の二重性の構造をもつ。慰霊の旅などは「国事行為」として解釈改憲されるなかで、その祈りとしての表象は世俗的であたりさわりのない非宗教的な体裁をとるが、だからといって明仁の祈りが世俗的な祈りであるとみなすことは、そもそも「天皇」という象徴が負っている歴史的な経緯からみて無理な解釈なのだ。その文言がどうあれ、彼はその内面いおいて神道祭祀として、シャーマンとして祈る以外に祈りようがないはずであって、だからこそ天皇という象徴は二重の意味を担うことになる。

5 合理的・科学的批判の限界への挑戦へ

代替わり儀礼に限らず、天皇や皇室に関わる神道儀礼はほとんどの「国民」にとっては理解しえないばかりでなく、そもそも理解することそれ自体もまた求められていない。しかし、「国民」としての一体性を天皇によって表象されることを確認の手続きもなく「総意」としてあらかじめ与えられることに、ほとんどの「国民」は異議を唱えていない。

たぶん、合理主義的に統治機構を理解しようとする考え方からすると、天皇をめぐる宗教儀礼や信仰に関わる領域は、理解不能か科学的根拠のない神話的世界を、あたかも事実のように見做す荒唐無稽な欺瞞でしかないとして検討の俎上にも乗せないで却下されるか、歴史修正主義のレッテルを貼って歴史的事実や合理的な判断によってその不合理性を退けるというだけのことになる。こうした理解は、学術的でもあり、科学的でもある一方で、宗教的な信仰や神話の世界を肯定したり不合理な世界を受け入れる人間の心情や心理を軽視することになる。合理的で科学的な理解を獲得すれば天皇制の信仰に関わる不合理な世界は消滅するのだろうか。たぶんそんなことはないと思う。なぜなら、人間はその本質において非合理的な要素を抱えているからだ。

他方で、宗教的な信仰の世界、天皇の信仰の世界を内田のように慰霊と慰藉として掬いあげたり、明仁のように「伝統」として非合理的な世界の継承を肯定する場合、彼らは、現実の世界が抱えている深刻な問題を、この世界を構成している構造的な矛盾の問題――資本主義が抱える矛盾と言い換えてもよい――として理解することができていない。人々が抱える深刻な問題は、崇高な「国民」としての一体性の観念や連綿と続くと観念される「國軆」「伝統」によって解決可能であるに違いないという願望によって宙吊りにされてしまう。いやむしろ、現実が直面している諸問題への解決の鍵は「伝統」への回帰あるいは、伝統を想起することのなかにあるということが含意されてもいる。

世俗的な世界観と宗教的なそれとの対立は近代世界に共通してみられる。しかし一般に、大衆は宗教的な世界理解を妨げられることはなく、むしろ宗教的な信仰を支える教義に接近することを宗教者は積極的に試みる。世俗的で合理的な世界と宗教的で神話的な世界とは、可視化可能な対立を構成する。しかし、日本の場合は、戦前であれ戦後であれ、神道の教義は大衆化することはなく、国家神道として強制的に教育のなかに導入された場合であっても、それは信仰としては浅いものでしかなかった。普遍性を装うことに失敗したために、合理的な世界を説得することができず、「民族」の観念を超越した普遍性をついに獲得できずに世界宗教にはなりえなかった。

天皇制廃止を主張したマルスク主義者は、資本主義が階級社会として、社会内部に非和解的な対立の構造を持つことから、国家への国民の統合という観念は、階級意識に対する敵対イデオロギーだという理解を鮮明にもっていた時期があった。アナキストは、国家を権力支配の装置とみなして民衆に敵対するものと理解したから、天皇制は権力支配の制度であって、権力の廃棄=国家の廃棄=天皇制廃棄は民衆の権力からの自由にとって不可欠な条件だとみていた。いずれであれ、「国民」という一体化した社会集団は、資本主義(あるいは20世紀の社会主義)が国民国家としての自己の存在理由を正当化するために構築した社会意識でしかない。ここに憲法の限界もある。憲法は、現にある社会が抱える構造的な矛盾や敵対的な構造(階級、ジェンダー、エスニシティ、るいは自然と人間など)を積極的に肯定しない。むしろ国家の統治機構は、いかなる矛盾や対立があろうとも、それらが「国家」の統治機構を支える方向である種の合意が形成されうるし、形成されなればならないということを前提にしている。この意味で国家とその構成員である「国民」という観念は、近代世界が抱える諸々の対立と矛盾を抑え込む最終的な審級をなしている。多くの西欧諸国は、この最終的な国家の構成員のアイデンティティの収斂点に、人類の普遍的な価値を置くことによって、この収斂が普遍的に承認されざるをえないような体裁をとっている。日本は、その構成員の「国民」としてのアイデンティティを一義的に普遍的な価値には置いていない。恒久平和と国民主権、隷属からの自由といった普遍的な価値が象徴としての「天皇」とリンクさせられることによって、近代国家としての普遍と特殊を構成する特異な構造をもっている。

この特異な構造のなかで、憲法の枠組は、「日本」が抱える近代資本主義としての矛盾や問題をこの構造を解体する方向で模索する道を閉す制度として機能している。近代国家の秩序の枠組は否定しえない至上の価値を有するものであり、憲法前文が主張する普遍的な価値の実現の条件として象徴天皇制を置くことによって、普遍的価値の特殊「日本」的な表れに正統性を与えようとしてきた。繰り返すが、こうした近代国民国家の憲法の枠組は、社会的な矛盾の止揚を社会の構造を変えることによって矛盾そのものを廃棄するという弁証法の罠の外に出る選択肢を認めないのだ。[3]

近代日本は、近代国民国家としての「世界性」と「特異性」を表裏一体のものとしてきた。このいずれを欠いても近代国民国家としての一体性は維持できない。しかし、普遍的な構造と特異な構造という二重構造は常に矛盾を抱えこむことになる。その矛盾は、国家の歴史と神話(創生の神話か歴史の事実か)と、工業化が基盤とする科学と超越的な存在(検証可能性と神の存在)をめぐって、常に妥協の弁証法に苦しめられることになる。天皇制は、神話や非科学的な神観念を土台とした国民国家としての固有性に依存する。神話を科学や歴史的な史実を根拠に否定することは容易だが、人々が神話を明確に記憶から消しさることはなく、むしろ習俗として日常生活のなかに定着しているのは何故なのかを説明したことにはならない。神の存在は証明されたことはないが、多くの科学者たちは、この根拠のはっきりしない存在を信仰しているという事実があり、こうした近代的な個人はむしろ普通にどこにでもいる人々である。

近代天皇制への人々の不合理な肯定は、天皇制への合理的科学的な批判では覆せないということである。神話や神話に基く儀礼的な行為が体現する象徴作用を否定するとはどのようなことなのか、である。

天皇制を支える儀礼は、オカルトといっていい性質をもち、外部の人達にとって、この日本の儀礼は奇怪なbizarreな文化でしかないと思う。この世界を「日本人」というアイデンティティを直感的にもつ人々が共有している。天皇制は日本ではカルトとはみなされていない。そのことがむしろ問われるべき問題だろう。

注:

1

「法の支配」という表現は、法が支配するのであって、人が支配するのではない、というニュアンスをもっているが、「法」はそれ自体として社会の規範や秩序を物質化できるわけではない。「法」は書かれた文章から構成されるが、「法」が法を書いたのではない。書かれた文章である以上、誰かが書き、誰かが解釈し、誰かが「法」を実体化するような社会の構築物や人々の「理解」を生み出す。「法の支配」の背後にはこうした意味での「人間」がいるわけだが、この人間によって形成される社会は具体的な固有名詞をもった人間の集合であるという意味でいえば、具体的であるが、法は常に抽象的な概念によって文章化される。抽象的な法を具体的な個人に適用する過程を「法」それ自体が支配することはできない。現実に私たちが抑圧を経験するのは、「法の支配」のバックグラウンドで機能する力をもつ特定の人間(たち)の振舞いである。この意味で「法の支配」はそのままで民主主義を保証しない。

2

しかし私はむしろ、日本という観念の相対化なしに、民衆の自由はありえないと考えている。日本に限らず、国民国家が自らを普遍的あるいは歴史的に太古の昔にまでさかのぼりうるか、あるいは普遍的な価値によって基礎づけられるかして、歴史を超越する存在として正当化しようとする一般的な傾向を容認してしまえば、近代世界が陥った戦争と他者支配の歴史を肯定せざるをえなくなる。伝統主義をひっさげながら近代を超克しようとする発想を根底から否定して、将来社会の可能性の一切を伝統と近代からの明確な決別として描くことなしには、抑圧からの解放はありえない。

3

上であたかも合理性と非合理性が対立するかのような図式で述べたが、実際にはこの両者はさほど仲が悪いわけではない。この両者が馴れ合う場がある。それが学術を含む文化と呼ばれる領域だ。文学は神話と、哲学は宗教とそれぞれ踵を接しているだけでなく、政治や法学は国家という観念を前提にするし、経済学ですら「日本経済」というカテゴリーを無反省に用いる。

文化・伝統のレイシズム

1 生前退位「お言葉」のレイシズム

何度も議論され、批判もされてきた明仁の生前退位表明だが、あえてもういちど下記の文言をとりあげてみたい。

即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごしてきました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

明仁が「国事行為を行うと共に」と述べていることに注目したい。彼は天皇に国事行為以外に天皇の重要な役割があることを明言した。そのあとに「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索」と続ける。憲法では象徴天皇の国事行為は、内閣が責任をもって助言して行なわれる国事行為であるはずだ。しかし、明仁はそのようなものとして天皇の象徴的行為を考えていない。憲法の枠に縛られた国事行為の外にも、天皇が主体となる象徴的行為があることを明言した。これは、象徴としての天皇の行為は、憲法によって制約しえない領域を含み、憲法の外部にあって憲法を超越する、とも解釈できる言い回しだ。戦後民主主義を体現する天皇であるかのように解釈されてきたが、少なくとも、晩年の彼は天皇の象徴的行為の憲法超越性を自覚していたのではないか。ここでいう憲法を超越するといっても、それは、政治的な権力が法を超越するという意味ではなく文化や伝統に内在する象徴権力の超越性を含意させている。

「伝統の継承者」を天皇に与えられた役割だと述べているところは見逃せない。天皇が想定している聞き手はもっぱら日本国民であると同時に、その圧倒的多数を占める(構築されたものとしての)エスニック集団としての「日本人」である。「日本文化」に属さない「文化」や「伝統」は天皇にとって「守り続ける責任」を有さない。そして、「日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし」という皇室を主語とする表現は、日本文化総体を念頭に置きつつ、その中心に皇室の文化を据えた表現だ。ここには文化のヒエラルキーも含意されている。しかも、こうした伝統の継承者として「いきいきとして社会に内在」することを使命にするという。社会に内在した皇室は、当然のこととして、日本の文化や日本に固有の価値を伝統としつつ日本社会にこれを内在化させることを通じて「継承」を実現する主体になる。主権在民の理念はここにはない。ここに戦後憲法の本音が透けてみえる。

天皇が日本国民統合の象徴でありながら、同時に「伝統の継承者」でもあるということは、日本が天皇や皇室の伝統を共有する単一民族から構成されているという虚構を肯定した排除の言説、あるいは日本文化を最上位に置いて諸々の文化をその下位に位置づける差別の言説でもある。これを国民統合の象徴の役割としての天皇が担うということは、統治機構のあり方として、差別や排除が構造化されることを意味している。天皇が「伝統」を口にするということは、国民統合をいわゆる「日本文化」を共有する「民族」や社会集団に限定し、それ以外の社会集団の存在を排除するか差別するという構図を統治機構のなかに持ち込むことを意味している。「伝統の継承者」とは、異なる文化の排除の表明であって、レイシズムの言説なのだ。

この戦後の皇室の発言や振舞いに体現されている文化や伝統をめぐるレイシズムは、戦前戦後を通じて憲法が国民統合を、そもそも法によって規制することのできない特異な宗教的な主体である天皇の象徴機能を与えた結果である。この意味で問題の根源は、戦前であれ戦後であれ憲法そのものにある。

2 徳仁のばあい

現在の天皇、徳仁も皇太子時代に「伝統」や「文化」を次のように用いている。

京都府は、我が国の政治や文化の中心地として、千年を超える歴史を有し、海を越えて渡来する文化を取り入れながら、日本文化の基本を形成してきた「こころのふるさと」と言える地域です。また、長い歴史を通じて、常に時代の変化に対応し、今なお、伝統文化の中心であるとともに、新しい文化を創造し続けています。(中略) 京都では、「こころを整える~文化発心」という大変奥深いテーマを掲げて取り組んでこられました。日本文化と日本人の精神性を見直し、次の世代に継承するため、大切にしたい日本の「こころ」のメッセージを募集し発信するなど、多彩な取組が進められていると伺っています。(2011年国民文化祭、京都:宮内庁ウエッブより)

「海を越えて渡来する文化を取り入れながら」という文言は、文化的な多様性を肯定するかのようにみせながら、むしろ「日本文化」が様々な文化を同化させてきた優位的な位置にあることを評価している。上にあるように何度も「こころ」という言葉を使い「日本人の精神性」という表現すら用いている。皇室が「日本人の精神性」に言及したことはほとんどない。宮内庁のウエッブでみるかぎりこの一箇所だけだ。「物」を介した文化から人間の感性や心情に直接関わる文化領域へと踏み込んでいる。この言葉から戦前の「日本精神」を連想するのは過剰反応と思う一方で、かといって全く無関係と言いきれるかどうかは、この言葉が受け手によってどのように解釈されるのかによるだろう。今の日本には「日本精神」を許容する危うさがあるように思えてならない。

あるいは次のような徳仁の「伝統」という言葉の使い方にもレイシズムが隠されている。

現在の世界の水問題は、大変厳しい状況にあります。その解決は、世界の喫緊の課題であり、国際社会が一致し て、強固な連携を図りつつ、ことに当たることの重要さは今更言うまでもありません。しかし、その解決策は、その地方、その河川流域ごとに異なるはずです。その地域の先人達が、場合によっては数千年の歴史をかけて、営々として築きあげてきた流れにそって構築されるべきものでありましょう。それぞれの地域の歴史の流れと伝統が尊重されなければ、本当に地域に役立つものとはならないはずです。(第4回世界水フォ-ラム全体会合基調講演:宮内庁ウエッブより)

ここでは、ある地域に数千年の単位で生活してきた人々による「伝統」に注目している。言いかえれば、その地域に新たに居住するようになった人々を言外に伝統から逸脱する人々であり、 水問題の解決の主体になりえないかのような印象を人々に与えている。天皇や皇室が繰り返し口にする「お言葉」は、ほとんどの「日本人」にとって違和感のない、むしろ退屈ですらある「常識」の類いであることが多い。しかし、こうした日本の「伝統」や「文化」の言説がレイシズムを支える大衆意識の基層を構成してきた。

3 グローバル化する極右と天皇制

冷戦終結以降、世界規模で目立つ政治的な動きは、民衆の反グローバリゼーション運動が明確なオルタナティブを社会主義として掲げなくなるなかで、新自由主義グローバリゼーションを左翼とはある意味で真逆のベクトルで批判する極右の台頭である。明らかに左翼の衰退の隙をついて極右が政治的影響力を強めてきているのだ。

極右は、経済のグローバリゼーションを「マクドナルド化」にみられるような画一的な消費文化、格差、貧困、移民の流入によるコミュニティ固有の価値の破壊として批判し、テロリズムや法制度を通じた移民排斥を実現しようとする。人々は自分が生まれ育った場所で、その場所の文化や伝統を重んじながら暮すことが最も幸福なありかただとし、市場経済競争よりも、文化や伝統に依拠した民族的アイデンティティの再構築を通じたコミュニティの再建を主張する。近代科学技術を環境破壊の元凶とみなして伝統文化のなかに解決を探そうとする。リベラリズムと民主主義を敵視し、家父長制家族制や権威主義を肯定する。米国の福音主義がある一方で、ヨーロッパの極右の一部には近代世界に加担したキリスト教を否定し、キリスト以前へのヨーロッパの古層への回帰、ヨーロッパの原型を北欧やアラブ、インドなど非西欧文化や宗教に求める異教主義的な傾向もある。

「文化」が伝統主義や極右の政治運動と結びついて運動の駆動力として復興しつつあるとき、日本では、裕仁から明仁への代替わりが重なった。グローバルな極右の台頭のなかで、象徴天皇制が世界各地の資本主義延命の文化運動とシンクロしはじめていることに注目したい。天皇制の構造は、見掛けと違って日本に固有とはいえない側面がある。神話や伝統への回帰を武器にするレイシズムと闘う世界の運動と日本の反天皇制運動とが共通の課題を見出すことは難しくなくなっている。むしろ連帯の可能性が拡がっている。このことは、伝統主義と闘う左翼の運動にとって大きな希望だと思う。

出典:『反天皇制運動Alert』44号