プロプライエタリ社会をハックする

――芸術・文科系のハッキング術

ネットのややこしい「技術」なんか知ったこっちゃない、便利ならとりあえずいいか…というアクティビストのための、それって、結構ヤバいんじゃないかということを巡るレクチャー&トーク

スピーカー:小倉利丸(『絶望のユートピア』著者)
プレゼンター:上岡誠二(芸術活動家)

日 時:2017年7月16日(日)19:00~21:00/18:30 Open
場 所:素人の乱12号店|自由芸術大学
杉並区高円寺北3-8-12 フデノビル2F 奥の部屋
資料代:500円+投げ銭(ワンドリンクオーダー)

共謀罪は、警察であれ政府機関であれ企業であれ、あらゆる諸組織がまず何よりも私たちの〈コミュニケーション〉を監視し、情報を収集・分析・分類する活動を前提として、私たちの〈コミュニケーション〉を犯罪化するものだ。とすれば、私たちは、〈コミュニケーション〉の非犯罪化を要求しなければならないだけでなく、彼らの監視・収集・分類の目論見から私たちの〈コミュニケーション〉の権利を防衛する技術を身につけなければならない。のっぴきならない戦争の時代に、彼らが仕掛けた〈コミュニケーション〉の戦場を生き延びるために…

今回のレクチャーでは〈ネット〉時代のコミュニケーションの権利闘争を振り返りながら、現実に進行する社会の〈プロプライエタリ〉化のリスクから、私たちの権利を防衛するために何が必要なのかを探ります。

社会のプロプライエタリ化:社会の更新に必要な情報や情報の入手を秘密化し、権力を肥大させることによって、コミュニケーションを監視し、個人情報を盗み、不公正を可能とする技術や法律による支配化。
※今話題になっている、国家戦略特区の一連の問題は社会のプロプライエタリ化の特徴を現わしています。その決定に至るプロセス(ソースコード)を隠蔽し、告発者のプライバシーを侵害(マルウェア)し、その情報(ビッグデータ)を悪用して不公正を生み出しています。共謀罪法案が成立すれば、そのような社会が常態化していくでしょう。
参考:「プロプライエタリなソフトウェアはしばしばマルウェアである

ブッとばせ!共謀罪 7・10集会

ブッとばせ!共謀罪 7・10集会

反戦・反改憲のうねりを創りだそう!   7・10集会
□日時:7月10日 18時15分開場~21時
□場所:文京区民センター2A会議室
■問題提起:共謀罪新設攻撃をはね返し、
どのような運動を構想するか?
小倉利丸さん(富山大学元教員)
□交通:都営地下鉄春日駅1分、メトロ後楽園駅5分
□資料代:500円

安倍政権は共謀罪を新設して、沖縄をはじめとする反
戦運動を弾圧し、反改憲の声を封じ込め、2020年東
京オリンピック」前にも改憲を実現しようとしています。
こうした動きに対して、治安法・弾圧をはね返し、反
戦・反改憲の闘いをいかに創りだしていくのか。今春の
共同した闘いを踏まえ、小倉利丸さんの問題提起を受けて
大いに討論したいと思っています。ぜひご参加ください。

主催  戦争・治安・改憲NO!総行動実行委員会
[実行委呼びかけ団体]破防法・組対法に反対する共同行動、共謀罪反対!国際共同署名運動、救援連絡センター、集団的自衛権法制化阻止・安倍倒せ!反戦実行委員会、戦争に協力しない!させない!練馬アクション、心神喪失者等医療観察法(予防拘禁法)を許すな!ネットワーク、立川自衛隊監視テント村、都教委包囲首都圏ネットワーク(ob)《連絡先》東京都港区新橋2‐8‐16石田ビル5F 救援連絡センター気付 破防法・組対法に反対する共同行動 03-3591-1301/東京都港区西新橋1-21-8 9条改憲阻止の会気付 03-6206-1101 090-6481-6713(松平)

越境し共謀するアーティストたち(戦前編)

──エロシェンコと宮城与徳

スピーカー:小倉利丸(『絶望のユートピア』著者)

日 時:2017年7月1日(土)19:00~21:00/18:30 Open
場 所:素人の乱12号店|自由芸術大学
杉並区高円寺北3丁目8-12 フデノビル2F 奥の部屋
資料代:500円+投げ銭(ワンドリンクオーダー)

戦前から戦中の時代は今の日本よりも逼塞した暗い時代だったのだろうか。アクティビストたちは常時特高警察に監視され、集会もデモもままならない時 代だったが、そのなかで、思いの他したたかに権力に抗った者たちも多くいる。そうした人々のなかから、二人のアーティスト、ワシリー・エロシェンコ (1890年~1952年)と宮城与徳(1903年~1943年)に焦点を当てます。二人とも、周辺に生まれ(エロシェンコはウクライナ、宮城は沖縄)国 境を越えて移動しつつ、共謀の抵抗線を意図せざる結果として描いた人たちです。彼らの生き方とアーティストの表現について考えながら、過酷な時代ですら私 たちの今の時代を凌駕する、国家に抗する行動がありえたことを再認識しつつ、私たちにはまだまだ多くの共謀の可能性があるのだ、という勇気と展望を彼らの 生き方と表現から掴みたいと思います。

ワシリー・エロシェンコ:1890年~1952年 ロシア帝国領(現在ウクライナ)クルスク県生れ。幼くして盲目となり、楽師として生計をたてる。10代からエスペラトを学び、ロンドンでクロポトキンと出 会い、20代で日本語を学び、25歳で来日。2年間滞在。その後アジアを放浪し30歳で再来日。1921年、日本社会主義同盟大会に参加して逮捕、国外追 放。中国を経由してソ連に帰国。彼はシベリアや極東、アジアなど辺境をこよなく愛した。日本滞在中は多くの社会主義者やアナキストと交流し、音楽を演奏し 多くの文章を残す。彼の作品の大半は魯迅が中国語に訳した。(高杉一郎編『エロシェンコ全集』みすず書房など)

宮城与徳:1903年~1943年 沖縄県名護村生れ。16歳で渡米。沖縄出身の移民たちによる「黎明会」結成。宮城がサンディエゴ官立美術学校の学生、21歳のときに排日移民排斥を目的と した新移民法制定される。宮城は日本の無産者運動や、バクーニン、クロポトキンなどに触発されつつ作品を制作する。26歳、プロレタリア芸術研究会創設に 参加。29歳、米共産党南ロサンゼルス地区大会が官憲に弾圧され多くの沖縄出身者とともに逮捕される。30歳、ソルゲスパイ団として来日。以来38歳で検 挙されるまで日本で「スパイ」として活動。40歳、獄中で未決のまま病死。(野本一平『宮城与徳、移民青年画家の光と影』沖縄タイムス社など)

「英国のテロ: 首相は何を知っていたのか? 」ジョン・ピルジャー

以下に訳出したのは、Counter Punch に掲載されたジョン・ピルジャーによるマンチェスターの「自爆テロ」についてのエッセイである。日本では、共謀罪がテロ対策を口実に国会でも成立の瀬戸際という危うい状況にあることを念頭に訳したものだ。

ピルジャーは、マンチェスターの事件を対テロ戦争が引き起した帰結であるとはっきりと指摘している。特に、英国がリビアに対して行なった軍事介入における戦争犯罪(多数の民間人が破砕爆弾やクラスター爆弾の犠牲になった)と、カダフィを排除するためにイスラム主義者たちを利用してきた軍や諜報機関を批判する。英国のみならず米国やフランスも含めて、かつての植民地諸国を支配・従属しつづけようとする野望のために、西欧「帝国」の国益のためにイスラム主義者を使い捨ててきた歴史を視野に入れなければ「テロ」の問題は答えを見出せない。

日本も含めて、西側諸国は、みずからの歴史的な植民地支配とポスト植民地主義(新自由主義的な支配)に内在する国家の暴力や犯罪を一切反省することなく、こうした自らの犯罪を棚上げして「正義」の側に、彼らが「テロ」と呼ぶ対象を「悪」の側に分類する単純な善悪の構図に大衆の心情を動員する。かつての植民地地域を現在に至るまで支配・従属させつづけようとする野望と、米国のような新たな帝国の野望をアフリカに抱く諸国との複雑な利害を背景にしながらも、「テロ」については、その表面的な現象だけを歴史的文脈から切り離して取り出し、あたかも理解しえない非人道的な行為であるかのように決めつけて報復と厳罰化を正当化しようとしてきた。日本も含めて西欧諸国は、そもそも「テロ」を理解することを拒否し、「テロ」に関連すると彼らが考える社会集団を網羅的に監視して敵視し、排除し、基本的人権を剥奪し、ときには国外に追い出し、同時に、彼らの母国には軍事介入して内戦を助長する。

「テロ」には歴史的社会的な文脈がある。しかし、「テロ」を理解することは、この文脈に触れることになる。このことは、同時に、国家が隠蔽してきた権力犯罪、彼らがとってきた、「テロ」に帰結せざるを得ないほどのその何倍、何十倍にもなる殺戮と支配の歴史を明みに出すことになる。だから、「テロ」は理解ではなく無条件に「悪」のレッテルを貼って、根絶やしにしたいのだ。こうした経緯はピルジャーのこの短かいエッセイからも十分読みとれると思う。

同様に私たちは、共謀罪の立法事実として政府が持ち出す「テロ」をめぐる言説を、日本の植民地支配の時代から対テロ戦争における米国の侵略への加担に至るこの国の国家犯罪との関わり抜きには理解すべきではない。日本がテロの脅威に晒されるのであれば、それはテロリストと名指された「敵」の理不尽で理解を超えた「悪」の問題だと片付けるのではなく、テロを誘き寄せることになった(なるであろう)この国の不合理で理不尽な対外政策や覇権主義、排外主義という、この国の犯罪にも目を向けなければいけない。こうした国家犯罪や「経済進出」や「援助」なる言葉でごまかされてきた資本の犯罪が隠蔽され正当化されるだけでなく、さらに、対テロ戦争の泥沼に今以上に足を踏み入れることこそが、「テロ」を招き寄せる根源にある。

日本はかつての植民地支配や戦争責任はおろか、イラク戦争以降の戦争への加担と責任すら明確に自覚せず、きちんとした検証すら行なっていない。こうした日本の国家犯罪を文字通り放免する構造を共謀罪はより一層強化するものとして導入されることになる。戦前も含めた歴代の支配者たちの犯罪を見逃してきた責任は、この国の主権者にある。近代日本の侵略を国家犯罪としてきちんと処理し、対テロ戦争から撤退すること、日米同盟から離脱し、自衛隊を派兵せず解体すること、文字通りの意味での「非武装中立」という戦後反戦平和運動の基本原則に立ち返ることが、「テロ」対策の唯一の選択肢だろう。しかしこうした原則的な議論が国会の場ではもはやほとんど聞かれなくなっている。

ピルジャーのこの短かいエッセイは、日本のわたしたちがこの国の「テロ対策」や対テロ戦争について何を考えるべきかを示唆してくれると思う。


(2017年6月6日改訂:誤訳、不適切訳をご指摘いただいた皆さんに感謝します。読みやすくなったと思います。)
英国のテロ: 首相は何を知っていたのか?
ジョン・ピルジャー
2017年5月31日

英国総選挙で語られていないのはこのことだ。マンチェスターの惨劇──ジハディストによって22人の若者が殺害されたわけだが──の原因は、英国外交政策の秘密を守るために明かにされないままだ。

決定的な疑問──なぜ国家保安機関、MI5はマンチェスターのテロリストの「利用価値」を擁護し続けているのか、そして、なぜ政府は公衆のまっただなかにある脅威を警告しなかったのか──は、「内部監査」の約束なるものによってはぐらかされて、答えられないままである。

自爆攻撃の容疑者、サルマン・アベディは、過激主義のグループ、the Libyan Islamic Fighting Groupのメンバーであり、このグループはマンエスターで成長拡大し、20年以上にわたってMI5によって利用されてきた。

LIFGは、リビアで「強硬なイスラム国家」を目指すアルカイダに触発されたグローバルなイスラム主義過激主義運動に属するテロリスト組織として、英国では法的な保護の埒外に置かれてきた。

「動かぬ証拠」は、テレサ・メイが国家安全保障相であったときに、LIFGのジハディストがヨーロッパ中を自由に旅行できて、最初は、リイビヤのムアンマル・カダフィを排除する闘争に、次にシリアのアルカイダと関係するグループに参加するといった、「闘い」に従事するよう仕向けられていたということだ。

昨年、FBIは、アベディを「テロリスト監視リスト」に載せ、MI5に彼のグループが英国の「政治ターゲット」を探していると警告をしたと報じられている。なぜ彼は拘束されず、彼の周辺のネットワークは計画を阻止されずに5月22日の惨劇を起すことになったのか。

こうした疑問が湧くのも、5月22日の攻撃に引き続く単独犯という説がFBIのリークによって葬られたからだ。結果として、このリークによるパニック状態の激しい憤りは、ロンドンからワシントンとドナルド・トランプの弁解に向けられた。

マンチェスターの残虐行為は、英国外交政策が、過激なイスラムとの打算による同盟──とくに、ワッハーブ派あるいはサラフィズムとして知られる者たちであり、その主要な保護者であり資金提供者は、英国最大の武器輸出国、サウジアラビアである──であることを暴露するというやっかいな問題をもたらした。

こうした帝国の密接な関係は第二次世界大戦と初期のエジプトのムスリム同胞団の時代にまで遡る。英国の政策の目的は、汎アラブ主義の阻止であった。近代世俗国家として発展しつつあるアラブ諸国が西側帝国から自立して自らの資源への支配を確保しようとするのを阻止することにあった。強欲なイスラエルの建国には、この西側帝国の目論見を促進する意図があった。汎アラブ主義は以来押し潰され、今では西側の目標は、分割統治となった。

『Middle East Eye』によれば、2011年にマンチェスターのLIFGは「マンチェスターボーイズ」として知られていた。執念深くカダフィに反対していた彼らは、リスクの高い存在とみなされ、メンバーは、多くの部族対立のなかでまとまりをもってきたリビアで反カダフィのデモが起きたときには、内務省の統制命令下──自宅監禁──にあった。

突然、彼らへの統制命令が解除された。「私は外出を許され、何の尋問もなかった」とあるLIFGのメンバーは語っている。MI5は彼らにパスポ-トを返し、ヒースローの対テロ警察は、彼らを飛行機に搭乗させてよいと言われた。

アフリカ最大の石油埋蔵量を支配するカダフィ政権の転覆は、長年にわたってワシントンとロンドンが計画してきたものだ。フランスの諜報機関によれば、1990年代にLIFGは、英国諜報機関の後ろ盾を得て、何度かカダフィ暗殺を企てた。2001年3月に、フランス、英国、米国は「人道的介入」のチャンスを得てリビアを攻撃する。彼らは、国連の「民間人保護」決議に乗じて、NATO軍として参加した。

昨年9月、下院外交問題特別委員会の調査は、当時のデヴィッド・キャメロン首相は一連の「誤った仮定」にたってカダフィに対する戦争に(英国を)引き込み、「北フリカのイスラム国の勃興を招いた」と結論した。下院委員会は、リビアでキャメロンがやってきたことを「最低のショーだ」といったバラク・オバマの表現を「的確」として引用した。

事実、オバマは、好戦的な国務長官、ヒラリー・クリントンにせきたてられたこの「最低のショー」の主役であり、メディアは、カダフィが自国民に対する「ジェノサイド」を計画していると糾弾した。「我々は知っている…もし我々があと1日待てば、(ノースカロライナ州の)シャーロットほどの規模のベンガジは大量殺戮を被り、これが地域全体に拡がり、世界の良心にとっての汚点となるだろう」

この大量殺戮の物語は、リビアの政府勢力に追いつめられたサラフィストの民兵がでっちあげたものだった。彼らはロイターに「ルワンダで我々が目撃したような大虐殺がありうるかもしれない」と語った。下院委員会は「カダフィがベンガジでの民間人の大量殺戮を命じたかもしれないという仮定は、入手可能な証拠からは証明されなかった」と報じている。

英国、フランスそして米国は効果的に、近代国家リビアを破壊した。NATOは、自身の記録によれば、延べ9700回出撃し、その三分の一以上が民間人をターゲットにしたものだった。そのなかには破砕爆弾(fragmentation bomb)や劣化ウラン弾を搭載したミサイルが含まれる。

ミスラータやスルテの諸都市は絨毯爆撃を受けた。ユニセフは、なかでも10歳以下の子どもたちが多く殺されていると報じている。

イスラム国を「生み出し」ただけでなく──ISISはすでに2003年にブレアとブッシュ政権が侵攻したあとでイラクの崩壊のなかで根づいていた──、この本質的な中世主義者は、拠点として北アフリカ全体を確保している。その攻撃は、ヨーロッパへの難民流出に拍車をかけた。

キャメロンはトリポリで「解放者」として賞賛された。あるいは彼はそのようにイメージされた。群衆は彼を歓迎したが、そのなかには、密かに送りこまれ、英国の特殊部隊で訓練され、そしてイスラム国に触発された「マンチェスターボーイズ」のような者たちもいた。

米国と英国にとってカダフィの真の犯罪は、彼の因習を打破する独立と米帝国の柱たるオイルダラーを廃棄しようという計画にあった。彼は金に裏打ちされたアフリカ共通通貨を引き受け、全アフリカ銀行を設立し、貴重な資源を持つ貧困国の経済連合を促進することを大胆にも計画していた。こうしたことが実現できたかどうかは別にしても、こうした考え方そのものが、アフリカに介入し、軍事「パートナーシップ」という賄賂を渡してアフリカ諸国政府と組もうとしていた米国にとっては許しがたいことであった。

堕ちた独裁者は、命からがら逃亡する。英国空軍機が彼の車列を攻撃しシルテの瓦礫のなかで彼は、報道では「反逆者」とされるファナティックな人物によってナイフで陵辱された。

300億ドルのリビアの兵器廠の武器は略奪され、「反逆者」たちは南進し、町や村でテロ行為を行なった。砂漠を越えてマリのサブサハラ地域へ、彼らはこの国の脆弱な安定性を破壊した。かねてから熱心だったフランスは、かつての植民地に「アルカイダと闘うために」、あるいは自らがその誕生に加担した脅威と闘うために、空軍と地上部隊を送った。

2011年10月14日に、オバマ大統領はウガンダ内戦に参戦するために特殊部隊を送るとアナウンスした。続く数ヶ月、米国の戦闘部隊が南スーダン、コンゴ、中央アフリカ共和国に派兵された。リビアが確保されるにともなって、米国のアフリカ大陸への侵略が進行しているのだが、ほとんど報じられることもない。

ロンドンでは、世界最大の武器見本市のひとつが英国政府によって計画された。会場の宣伝文句は「リビアでのデモンストレーション効果」だった。ロンドン商工会議所は「中東:英国防衛・安全保障企業の巨大市場」という内覧会を開いた。主催はスコットランド銀行。リビアの民間人をターゲットとして広範囲に用いられたクラスター爆弾の主要な投資家だ。銀行の武器関連の宣伝文句には「英国防衛・安全保障企業にとってのまたとないチャンス」の賛辞がある。

先月テレサ・メイ首相はサウジ・アラビアを訪問し、英国の武器を20億ポンド以上も売り込んできた。サウジ・アラビアは英国からの武器でイエメンを攻撃してきた。リヤドの指令室を拠点に、英国の軍事アドバイザーが空爆を支援している。この爆撃で10000人以上の民間人が殺されているのだ。そして今はっきりと飢餓の兆候がみられている。イエメンの子どもたちは予防可能な病気で命を落しているとユニセフは述べている。

5月22日のマンチェスターの惨劇は、こうした遠い場所で、その多くが英国が支援して起こされている無慈悲な国家暴力の結果である。この遠い国での被害者の命と名前はほとんど私たちにはわかっていない。

ちょうど2005年7月7日に起きたロンドン地下鉄爆破の時と同じように、こうした真実に耳を傾けるような努力が必要だ。時折一般の人たちのなかで沈黙を破る人がいる。陳腐な常套句を並べたてているCNNのカメラクルーとレポーターの前に歩み寄ったイーストロンドンの住民は「イラクだ!我々がイラクを侵略したんだ、それでどうなると思ってたんだ、言ってごらん」と詰め寄った。

私が参加した大きなメディアの会議では、重要なゲストの多くは、彼らがプロフェッショナルとして、思いきって公然とは言えないことの代償であるかのように「イラク」と「ブレア」を口にした。

しかし、彼がイラクに侵略する前に、ブレアは統合情報委員会から「イラクへのなんらかの軍事行動の結果として、アルカイダからの脅威が増加する。…他のイスラム主義のテロリストのグループや個人からの世界規模での脅威が顕著に増加するだろう」と警告されていた。

ブレアが、彼やジョージ.W.ブッシュの血まみれの「最低のショー」の暴力を英国に痛感させたように、テレサ・メイに支えられて、キャメロンのリビア犯罪は、その後の流血事件や、特に5月22日のマンチェスターアリーナの事件でさらに劣悪な様相がはっきりしてきた。

単独犯説が再浮上しても驚くにはあたらない。サルマン・アベディは一人で行動した。彼はただのゴロツキで、それ以上ではなかった。昨週米国によってリークされた広範なネットワークは消滅した。しかし疑問は残されたままだ。

なぜアベディは自由にヨーロッパからリビアへ移動し、彼が関与した恐るべき犯罪のたった数日前にマンチェスターに戻ることができたのか。テレサ・メイは、FBIが政治的なターゲットへの攻撃を英国で計画しているイスラムの細胞の一部として彼を追跡しているとMI5から言われていたのだろうか。

現在の選挙キャンペーンで、労働党党首、ジェレミー・コービンが「敗北した対テロ戦争」に慎重に言及した。彼は分っているように、これは対テロ戦争ではなく、征服と服従を求める戦争なのだ。パレスチナ、アフガニズタン、イラク、リビア、シリア。イランが次のターゲットだと言われている。もうとつのマンチェスターが起きる前に、誰がこのことを指摘する勇気を持つのだろうか?

「記憶と美術館:彫刻とモニュメントをめぐって」についての幾つかの異論

昨日(2017年5月16日)、東京芸大で美術家の白川昌生を招いて公開講義が行なわれた。テーマは「記憶と美術館:彫刻とモニュメントをめぐって」。司会を毛利嘉孝がつとめた。ウエッブの案内には以下のような趣旨が記載されている。

「今日、記憶はどのように継承されているのでしょうか。そもそも集合的記憶は誰のものであり、誰によってつくられ、誰によって維持されているのでしょうか。美術館や芸術作品は、しばしば集合的な記憶を継承する重要な装置として機能してきました。白川昌生氏がこの数年取り組んできた歴史的記念碑をモチーフとした巨大な「彫刻」作品のシリーズは、こうした問いに対して正面から取り組んだプロジェクトです。今回は、美術作家であると同時に美術批評家としても活躍している白川昌生氏をゲスト講師に迎え、彫刻とモニュメントの問題を中心に、記憶と美術館について議論します。」

言うまでもなく、群馬県立近代美術館で起きた白川作品撤去を踏まえての講義だ。趣旨にあるように、美術館が集合的記憶の装置であるとすれば、この装置が発動した検閲の意味は何であり、それに作家はどのような抗いが可能なのか、あるいは可能にすべきなのか、それが抽象的な意味での講義のテーマであり、具体的には、朝鮮人強制連行の記憶を美術館は集合的記憶の装置としてどのように受けとめることに失敗したのか、言い換えれば、権力の記憶の装置は強制連行の記憶をどのようにコントロールしようとしているのか、が講義のテーマとなるべきものだろう。

教室は超満員で、廊下まで聴講者があふれた。私は、これほど多くの聴衆が詰めかけるとは思っていなかったので、アート関係者の大きな関心に心強い思いを抱いたのだが、以下で述べるように、むしろ、この「講義」における白川の話には納得できない部分が残ったし、聴衆の反応や関心も私には違和感のあるものが多かった。

白川は、この「講義」で、この間一連のシリーズとして制作してきたモニュメントをモチーフとした彫刻の制作意図について話した上で、今回の群馬で展示しようとして拒否された作品についても説明した。私は、地元群馬で訴訟にまで発展した朝鮮人強制連行の慰霊碑のためにこれまで県立公園の土地が貸与されてきたが、土地貸与の更新にあたって、これを拒否するとう県の決定への彼なりの「異議申し立て」を意図した作品であると解釈した。彼は「異議申し立て」という強い表現はしなかったが、慰霊碑が歴史的な記憶の物質化であるとすれば、その事実上の撤去圧力は、この記憶を権力が意図的に消し去ろうとする記憶の抹殺であり書き換えでもある。この事態に、白川の作品はテンポラリーであるとはいえ、美術館という空間にもうひとつの慰霊碑を建立することによって、権力による記憶の抹殺に抗う表現だったといえる。

しかも、群馬の事件の背景にあるのは、地元県議会でも絶大な影響をもつ日本会議にも繋る自民党など保守系県議会議員らの歴史認識では、強制連行を事実としても認めず、虚偽として葬り去ろうという。歴史の隠蔽ではなく歴史の改竄がむしろ大手を振っているわで、問題は極めて深刻だ。こうした群馬県の動きは、「慰安婦」への軍や政府の関与はなかったとする最近の安倍政権のスタンスとも連動している。私かかつて暮した富山でも、不二越による朝鮮人強制連行や伏木海運の中国人強制連行、あるいは黒部ダム建設での朝鮮人労働者の徴用などが未だに地域の歴史の記憶として共有されていないように、日本中で起きている歴史の記憶を改竄と隠蔽によって修正しようとする大きな流れの一環だと思う。これは大袈裟に思われるかもしれないが、地方自治体の文化・教育行政が日の丸・君が代から「教育勅語」あるいは原発に関わる放射線教育に至るまで、中央政府の意向を汲む仕組みのなかに組み込まれており、文化行政としての美術館行政も、官僚の制度や保守的な議会による監視のなかでは、こうした全体の流れと無関係とはいえない。公立美術館は、地方の文化行政の目玉であるだけでなく、文化を通じたナショナリズムや愛国心の発揚のための装置であることを当然のこととして前提しているのではないか。素晴しい地元のアートや文化的な伝統という物語が日本の優れた伝統文化や現代美術に繋げられ、いずれにせよ「日本の」という形容詞が必須であって、この形容詞にそぐわない表現を排除する暗黙の力はかなりのものではないかと思う。

白川が作品撤去するまでの経緯がどのようであったかも説明があった。そもそもの作品のコンセプトについては、かなり前に美術館に提示し、担当の学芸員からも了解をとっていた。しかし、事件は開会前日に起きた。すでに、作品を設置し終えた開会前日に、複数の県の関係者が会場を訪れた。それが誰であるかは述べられなかったが、その場で、作品についてかなり厳しい批判がなされたようだ。(現場にいあわせた作品展示準備をしていた他の作家たちが目撃してるという)その後、前日夜に学芸員から「大変なことになった、作品の撤去となるだろうが、最終的には館長が決定する。館長を交じえた会議が夜開かれる。」との連絡があったという。館長は東京在住らしく、わざわざこの件のために夜群馬に来るという。そして、夜館長から電話があり、作品撤去ということになったので、撤去して欲しいとの要請があり、白川は、特に異論を言うこともなく撤去に応じたという。県が作品撤去を要請した表向きの理由は、慰霊碑については係争中なので、この問題を扱う作品を展示することはできない、ということだった。白川は、館長が作家を擁護しようとしないのだし、館長に決定権があるのだから、これ以上モメても仕方のないこと、と考えたようだ。こうして直前に撤去された。

白川は、この問題でモメるようなことになると、館長と自分の間に立つ学芸員に迷惑がかかるのではと危惧したとも述べている。学芸員の弱い立場については、司会の毛利も同意見で、学芸員の権利確立が必要だと強調していた。この件がマスコミに報じられたのは、白川さんが作品の写真も含めてメディアに提供したからで、これくらいのことはしても、学芸員などに迷惑はかからないだろうと思ったとのことだった。また、白川は、他でもいくらでも展示できるし、展示場所もあるので、群馬県立美術館で展示できなくてもさほど問題はないとも述べた。

とくに録音をとっているわけでもないので、自分の記憶で書いているので誤解や不正解なところがあるかもしれないし、他にも様々な話がされたが今は割愛する。この白川の「講義」を聴いて幾つか納得のできないことがあったので以下率直に書いておきたい。

一つは、なぜあっさり「仕方ない」として撤去要請を受けてしまったのか、だ。「講義」での話では、直接館長と会って話をしたということではないようだ。それで「納得」できるものだろうか?なぜ館長と会うこともしなかったのか。なぜ館長を説得して翻意を促さなかったのか。館長が元々作品の展示に否定的だったとは思えず、県の政治的な意図に同調したように思う。そうだとすれば、少なくとも一度はきちんと話し合うことが作家の権利行使としても重要な段取りだったのではないか。白川が館長と直接話し合うことは、間に入る学芸員の弱い立場を配慮するなら、学芸員を介さずに、館長との直接の話し合いは是非とも必要なことだったのではないか。白川は作品展示の権限は館長にあるから自分は何も言えないかのように説明していたが、私はそうは思わない。すでに展示についての契約がなさており、展示の権利は作家側にあるハズだからだ。にもかかわらず、かなりあっさりと、作家の権利行使をむしろ差し控えて、作品の撤去に応じているような印象があった。あえて「講義」では重たい話にしたくなかったのかもしれないが、「軽い」感じで何の葛藤もないような話しぶりだった。葛藤がなかったハズはないと思う。むしろその葛藤を語ってほしかった。しかし、もし、あっさりと作品撤去に応じるほどの「軽い」作品であるというのであるならば、そもそもこの作品のモチーフ──記憶の争点でもある──となっている朝鮮人強制連行の問題への彼の問題意識そのものも「軽い」ものでしかなかった、ということになりかねないのではないか。それは彼の本意ではないと思う。だからこそ館長に会うこともなく撤去に応じたその真意がわからない。言うまでもないことだが、館長の対応は、大問題で、なぜ作家に会うこともなく電話一本で作品撤去を伝えるといった暴挙ができたのだろうか。その程度の人なのだろう。学芸員経験がある美術の専門家でもあるにもかかわらず、である。

二つめは、白川は、作品撤去は、鑑賞者がこの作品に接することの意味や、作品のモチーフとなった朝鮮人強制連行の慰霊碑をめぐる裁判との関わりでは考えていないように思った。一般に、作家が作品を撤去せざるをえない事態になったとき、彼/彼女が考えなければならないのは、撤去の結果として、この作品を見ることができなくなる鑑賞者に対するある種の責任問題だ。責任というのはやや重い表現なので適切ではないかもしれないが、作品を制作するという行為が他者の目に触れることを前提とした行為である以上、他者の目を引き受けることが作品制作の前提にある。この問題を法的な文脈で表現すれば「検閲」の問題となる。撤去を作家個人の意思に還元することは、この作品をめぐる文脈を強引に切断して、作品を作家の「所有」に帰す発想ではないだろうか?こうなると鑑賞者はどうでもいい存在にしかならない。鑑賞者、美術館、作家の間にはある種のヒエラルキーがあり、だからこそ、偉い(?)作家と権威ある美術館をありがたがる単なる鑑賞者(啓蒙の対象、あるいは単なるビジネスチャンス)という構造ができてしまう。これに美術批評家という解釈装置を加えてもいい。もちろん鑑賞者と作家の間をメディアとしての美術館が媒介するが、美術館がこのメディアとしての立場を検閲の装置として機能しようとするとき、作家は鑑賞者との関係のなかで作品についての責任を問われることになるとはいえないだろうか。だから、作品撤去は、美術館にとっても作家にとっても、鑑賞者の鑑賞の権利問題を含む問題なのだ。もし図書館で同じことが起きたら図書館の利用者のアクセスの権利が真剣に議論されただろうが、なぜか美術館ではそうした議論が希薄だ。この点を含めて、作家の葛藤がありうると思う。

三つめとして、更に、より政治的な文脈でこの問題を考えたとき、表向きのストーリーは、白川が、美術館という県の施設に展示する予定だった朝鮮人強制連行の慰霊碑を自らの意思で撤去した、ということになるから、現在係争中の慰霊碑についても、白川の措置と同様に、慰霊碑を建立した団体は、自発的に県の敷地から慰霊碑を撤去するのが当然というふうに、県にとって都合のよいようにこの問題を利用される危険性がある。しかも、撤去の理由があいまいなままであるから、「朝鮮人強制連行はなかった」ことを事実上認めた結果だ、などというデマが流布することだってありえると思う。裁判で慰霊碑の継続(そのための公園借地の継続)を主張する市民たちにとって、白川さんの自発的な作品撤去はむしろマイナスの効果ではないか、県にとっては慰霊碑の自発的撤去という前例を獲得したというプラスの効果として働くことも危惧される。

四つめとして、「講義」の質疑や毛利さんの発言のなかでもあったことだが、作品を展示するための「方便」として、強制連行の慰霊碑であることを明記したタイトルや関連するデータなどをすべて撤去すれば、一般の鑑賞者には何をモチーフにした作品かわからない。こうした妥協案もありえたのではないか、といったことも言われた。白川もいくつか妥協案を提示したという。私は、いったいなぜそのような「妥協案」があたりまえのように発言として出てくるのか理解に苦しんだ。こうした妥協案は強制連行の事実を隠蔽することに加担することにならないだろうかと危惧するからだ。強制連行を歴史的な事実から抹殺しようとする県などの動きへのある種の異議申し立ての表現としてある以上、そのモチーフを曖昧にした展示にどのような意味があるというのだろうか。作品の「かたち」はそのモチーフよりも大切だという、作品の「見た目」とそのモチーフとを分離して捉えうるという悪しき美術主義がまだあるのだろう。モチーフを優先させると「主題によりかかっている」と批判されたりするが、このように批判されるのは、決って主題が政治や社会に関わる場合であって、花鳥風月なら問題にされないように、アートの政治嫌いが未だに日本のアートの世界には根強い。しかし、主題によりかからない作品などありはしない。問題は、日本では、政治や社会を主題とすることが、アートの世界ではそれ以外の表現に比べて極端に暗黙の検閲に晒されてきたという歴史があり──その背景には、戦後の象徴天皇制が文化天皇制でもあって、文化勲章などの褒章制度がこれを支えてきた──、この歴史と十分に闘うことのなかったこの国のアートと文化がアーティストの価値観をも支配してきたというだけのことだろう。

昨日の「講義」では、問題が朝鮮人強制連行という主題を担っているからこそ起きたことで、この近代日本の植民地主義と差別の問題を消し去ろうとする支配的な権力の意思にアーティストがどのように抗いうるのか、ということがもっと議論されるべきだったと思うが、実は、こうした主題に即した集合的な記憶と美術の問題には十分な関心を引き寄せることにはならず、むしろ、こうしたテーマは回避されてしまったようにすら思った。この主題こそが検閲を引き起した根源にあるのに、である。そのなかで、慰霊碑の裁判に何度も傍聴してきたという若い在日の大学院生の発言が、この問題を正面に据えた意見を述べていて印象深かった。

この問題は、群馬だけではなく各地、起きている問題がたまたま露出したに過ぎない。そもそも作家側が制作したいが自主規制してしまうかもしれない場合も含めて、水面下で起きている「検閲」とすら自覚されない忖度の連鎖がますます強固になっているようにおもう。こうした中で作家の孤軍奮闘は孤立と孤独に追いやるだけだから、上で白川の「講義」への異論を述べたとはいえ、それは、彼個人への批判というよりも、むしろ、彼が抱えたに違いない葛藤を「軽さ」や「笑い」でやりすごす以外にないような状況に私は強い苛立ちを覚える。私たちが、可能なところで可能な声を上げることが必要であって、作家を孤立させてはいけないという思いがあってのことでもある。その意味では昨日の「講義」は、その内容に私は必ずしも満足してはいないが、無意味だったとは思わない。(敬称略)

共通番号いらないネット 学習討論会 「共通番号制度はなぜ反監視の観点から語られないのか」

いま国会では共謀罪が審議され、私たちも全力でその成立を阻止すべく様々な行動に参加しています。

安倍政権は戦後なしえなかった監視立法を成立させてきました。番号法、秘密保護法、盗聴法の拡大、そして共謀罪というラインナップです。2020年の東京五輪の年をテロ対策を大義名分にして市民監視体制の完成が目指されているのではないでしょうか。

しかし、反監視の観点からの取り組みを語る際に、多くの場合、番号法は抜け落ちます。なぜなのでしょうか?番号問題を語る際に利便性、効率性、プライバシー、などの多様な論点の中に反監視という論点が後景化してしまうからなのか。

今回は、反監視としての番号問題はなぜ秘密保護法や共謀罪
などと同等に脅威として論じられないのか、という問題について徹底
討論したいと思います。是非ともご参加ください。

日時:5月17日(水) 18:30~
会場:渋谷区立千駄ヶ谷区民会館 第1会議室
交通:JR 原宿駅 徒歩10分
東京メトロ千代田線・副都心線 明治神宮前駅 徒歩8分
東京メトロ副都心線 北参道駅 徒歩8分

問題提起者
小倉利丸(情報資本主義論)
原田富弘(共通番号いらないネット)
宮崎俊郎(共通番号いらないネット)

カンニングをなくすために「共謀罪」は役に立つか?──不正受験防止法の物語──

個人情報保護条例を活かす会のニュースに書いた原稿を転載します。ちょっと奇妙な内容なのですが、執筆の場を与えてくださった会に感謝します。


共謀罪に私は反対ですが、賛成論では、自然災害での防災、感染症での予防と同様に、犯罪も防犯対策として共謀罪は必要では、という主張があります。以下では、このような共謀罪賛成論への反論として書きました。

犯罪のない社会はありません。もしあるとすれば、刑務所の独房でしょう
か。24時間監視され隔離された環境なら犯罪はないでしょう。しかし独房のような社会を望む人はいないでしょう。安全安心なのに。逆に、日常的に犯罪が頻発し、無視できない多くの人達が犯罪に手を染める社会の場合、犯罪を犯す個人の責任よりも、社会や政治に犯罪の原因があると考えるでしょう。

もう少し身近なたとえ話で考えてみましょう。学校ではカンニングは重大なルール違反です。カンニング防止のために、国の法律で不正受験防止法を制定したとします。カンニングの共謀も違法とし、違反者は退学処分だけでなく懲役刑を課します。警察官が試験監督を行ない、警察がカンニングの共謀を探るために、学生を常時監視する制度を導入するとします。これで、カンニングは防げたとしても、教育効果としては疑問で、ごく少数の不正行為を理由に、全学生を監視し刑罰まで与えるのは人権侵害で受け入れられない対策でしょう。

少数ではなく大多数がカンニングする場合はどうでしょうか。この場合、
カンニングは、学生個人の責任というよりも、試験や授業のあり方に問題があり、その結果として、真面目に勉強するよりもカンニングが横行すると考えるべきでしょう。問題の原因を、学生個人に押し付ける厳罰化では解決できない事態だといえます。

実は、カンニングに対して厳罰化することなく、完全にカンニングをなくす解決策が二つあります。ひとつは、カンニングを「合法化」して試験の解答について相談していいことにする、という解決策です。もうひとつは、試験制度そのものを廃止し、試験なしの教育を工夫するという解決策です。いずれも、教育とは何か、何のために学ぶのかなど本質的な問題を議論しないと具体化できないので、既存の制度に固執する人達は、理想論だとか即効性がないなどと反論して抵抗するでしょう。

上で述べたことは、共謀罪を念頭に一般論としてまとめると、以下のようになります。
・犯罪のない社会が幸福な社会で人権侵害のない社会だというわけではない。
・犯罪に対して厳罰で臨めばよいというわではない。
・犯罪の原因について、社会制度の問題を問わないのは正しくない。
・犯罪や刑罰とは何かという問題も含めて、根本に遡って再検討するととが必要だ。

相談することすら犯罪にする共謀罪という犯罪の厳罰化は、効果がないばかりか、「犯罪」への私たちの根本的な問いをも妨げます。カンニングはなぜ「犯罪」なのか、教育とは何なのかを考えるのと同じレベルで、共謀罪の問題についても私たちは考える必要がありす。

貧困のためにやむにやまれず犯罪を犯すなどの場合、貧困をなくすことが犯罪をなくす効果的な対策でしょう。耐え難い世の中を生きるために薬物に頼らざるをえないなら、苦痛な社会の仕組みを変えることが対策になるでしょう。権力や富のために汚職・腐敗に手を染める者がいるならば、権力や富が独占されずに平等に配分される社会を目指すことが対策になるはずです。DVや性犯罪も、加害者個人のパーソナリティに責任を負わせて刑罰を与えても効果は限られ、家父長制的な家族制度や企業制度を変えることが解決の唯一の方法です。逆に厳罰主義は、力に頼る問答無用の態度を正当化し、理屈よりも暴力が正義を支配することを意味します。社会矛盾に目を向けない解決は、社会を不安定にし、人々の信頼関係をぜい弱にするだけです。これは既存の権力者たちを利することになり、目先の「安全安心」のために独房の安全安心を求めるのと変わりありません。確かに深刻な犯罪がありますが、共謀罪は、警察や政府にはその解決能力がないということの表れなのです。

(初出:個人情報保護条例を活かす会、No16)

群馬県立近代美術館の検閲への抗議と要請

抗議と要請

群馬県立近代美術館による白川昌生さんの作品「群馬朝鮮人強制連行追悼碑」を撤去させた措置は、憲法が禁じる検閲にあたり、認められません。強く抗議するとともに、作品の速やかな展示の復活を求めます。


抗議の理由を以下書く。

上毛新聞は以下のように報じている。

上毛新聞 4/23(日) 6:00配信(yahooニュースより)

群馬県立近代美術館(高崎市綿貫町)で22日始まった企画展「群馬の美術2017」で、県立公園群馬の森(同所)にある朝鮮人労働者の追悼碑を模した作品について、同館が開催直前に展示を取りやめたことが分かった。県は碑の設置許可の更新を巡って市民団体と係争中で、同館は「どちらか一方に偏るような展示は適当でないと判断した」と説明。作者で、県立女子大講師で美術家の白川昌生(よしお)さん(69)=前橋市=は「碑を巡る状況を問題提起したかった」としている。

以下、この報道などを基に、三点にわたってわたしの群馬県立近代美術館への批判と抗議の意図を述べる。(作品の写真はここにある)

(1)憲法が禁じている検閲であり、その主題が朝鮮人強制連行の追悼碑であることが問題の重大さを示している。

憲法21条は権力による検閲を無条件で禁じている。【注1】今回の美術館の決定はこの憲法に反することは言うまでもない。作家の同意を得たとしても、作家の自由意思によるものではなく、半ば強制であり、選択の余地のないなかで強いられたものだということは明らかだと思う。

今回の事件は、朝鮮人強制連行の追悼碑をモチーフとしたものであるが、追悼碑の設置許可をめぐる係争も含めて、県の態度が朝鮮人強制連行という主題への明かな忌避と、ある種の歴史修正主義への偏りがあることで生起した問題だという点が深刻だ。そもそもの追悼碑設置更新の不許可という係争問題も、政治的な思想信条の自由を認めない近年の行政全般に蔓延している検閲と共通した態度だ。【注2】このような県の態度は、安倍政権の歴史修正主義の流れを、地方議会の保守派議員の影響も含めて、地方の行政レベルで受けとめたものであって、事件は一地方で起きたものだが、問題の本質は日本全体が抱え込んでしまった狭歪で偏見に満ちたナショナリズムへの同調圧力と無関係ではない。あるいは、安倍政権が、韓国政府に対して要求する「慰安婦少女像」の撤去という韓国の国内法も表現の自由の権利をも蹂躙する未だに植民地宗主国の体質が抜けない傲慢な態度とも、その主題からみても、決して無関係とはいえない。私たちがこの国の戦前・戦中の権力犯罪(民間であれ政府や軍であれ)を直視して、その歴史を批判的に総括することを権力が強引に拒絶しようとしている、その具体的な表現が、この群馬の検閲にも示されたのだと思う。

憲法の表現の自由や検閲の禁止は、この国の支配的な価値観や為政者によるイデオロギーに対する異論や異議申し立てに対しては、とりわけその表現を十分に尊重すべきだという意味をもつものとして解釈されなければならない。(地方であれ中央であれ)政府の政策や価値観への異論の表現は、場合によっては、世論の多くの支持を得られれば、政権の危機に繋る可能性もあるわけで、そうであればこそ権力はこうした異論を封じ込めようとするが、憲法はこうした権力による異論封じを、検閲の禁止、表現の自由によって、あえて明確に禁じているのだ。こうした異論を最大限保障することなしには、民主主義も自由もありえず、政権の民主主義的な交代もありえないからだ。表現の自由とはこの意味で常に権力との緊張関係を内包するものだ。この緊張関係の上に美術という表現もまた成り立つ権利があり、作家はこうした緊張関係を表現の糧にすることを当然のこととする文化の担い手でもある。この意味でも作品は展示されるべきだ。

(2)「係争中」という県側の理由は、展示しない決定の根拠にはならない。

係争中を理由に行政が住民らに不誠実な対応をとることはよくあることだが、同時に、こうした対応が、住民らの要求を門前払いするための行政の口実に過ぎないことも皆了解している。今回もその手の不誠実の証しがこの「係争中」なる言い訳である。

そもそも「係争中」とされているのは県立公園群馬の森にある朝鮮人労働者の追悼碑をめぐるものであり、白川の今回の作品の展示の是非が係争の対象になっているわけではない。したがって、白川の作品が追悼碑を主題していることは、作品展示拒否の合理的な根拠にはならない。このような理屈が通用してしまうと、県の公共施設を借りて追悼碑に関する県の態度に反対する集会を開くことも「一方に偏るような」催しとして禁じてよいということになり、この問題を報じた新聞など図書館などで収蔵されている文献なども県の意向に沿う内容のものしか公開しないとか購入しないということにもつながる発想であって、絶対に容認できない。美術だけが特別に厳しく表現の規制がなされるべき理由はなく、他の表現物同様、作家の価値観や思想信条を最大限自由に表現すること、とりわけ県など公権力のイデオロギーに反するものであればあるだけ尊重されて作品を展示するのが筋だろう。

美術館の「どちらか一方に偏るような展示は適当でないと判断した」という対応は、この言葉とは裏腹に、明らかに追悼碑の設置許可の是非に関して県を擁護する立場による判断である。白川の作品は、この追悼碑問題を作品のモチーフとして選択した段階で、明らかに、追悼碑の設置更新を支持する立場をとったものであると私は解釈するからだ。他方で追悼碑を排除しようとする県の意図は、追悼碑の存在が朝鮮人強制連行の記憶の継承となることを嫌い、記憶から消し去り、この意味で歴史を巧妙に改竄しようとするものだ。だから、本来の追悼碑以外に、新たに白川が作品として「追悼碑」を想起させる作品を制作したことは、県による記憶抹殺への作家の表現としての抗議に他ならないと私は解釈する。そして、実は、県の作品解釈も私の解釈と、立場は真逆であるが、ほぼ同じだろうと思う。だからこそ、県は、排除の必要を感じたに違いないし、わたしはこれに抗議して展示すべきだと主張するのだ。

県の今回の決定は典型的な官僚の自己保身だともいえる。県は、一方で係争中の追悼碑については設置許可を更新しない、つまり追悼碑は認めないとしながら、他方で同じ県の施設である近代美術館では追悼碑を想起させる作品の展示を許可するとすれば、県の行政としての一貫性が問われるかもしれないという官僚にありがちな自己保身の対応をとったのかもしれない。

こうした対応から私たちは、美術館にとって、そもそも作家の作品とはいったい何のための、誰のものなのか、誰がその作品の意味や評価を下すのか、という美術や表現における本質的な問題と深く関わる問題を露出させている。美術館にとって、そこで展示される作品は、県のイデオロギーの許容範囲内にあるべきだ、あるいは県のイデオロギーを体現するべき作品であるか、県のイデオロギーを強化し鼓舞する作品であるべきだ、という立場をとっているということを如実に示したともいえる。多様性も少数の異論も群馬にはなく、あるのは県が公認した価値観のみである、ということを今回の措置は示している。だから、こうした価値観に作家は不本意でも同調を強いられることになる。そうでなければ、美術館は作家には開かれないからだ。私は敢えて「イデオロギー」などという大仰な言葉を使ったのは、地方の美術館や博物館などの文化施設が往々にしてローカルなナショナリズムを宣伝する機関になりさがっており、地域が抱えている問題や矛盾や争点を討議したり表現する場としては捉えられていないことが多いからだ。そうであるが故に、今回のような問題が起きたとき、これを地方の些細な出来事として見逃してはいけないのだ。

(3)作家の対応がどうあれ、作品がどうあれ、鑑賞者は抗議すべきだ

今回の美術館の作家への態度は権威主義的で、美術館が、作家にとって極めて貴重な作品を発表する場であり、作家や作品の選定なども含めて、表現における権力であるということへの自己認識がなく、むしろこの権力の上に胡座をかいていると思う。モダニズムの擬制とはいえ、作家の自立性などという建前すら美術館は顧慮していない。

逆に、こうした美術館の権力の前で、美術館はターゲットとなる作家を孤独の罠にはめる。作品と作家と美術館という関係のなかだけで問題を処理しようとする。こうして作家は一人で権力である美術館と対峙しなければならないような立場に追い詰められる。他方で、作家は地域で暮し、地域の人間関係や地域の美術関係者(そのなかには美術館の学芸員なども含まれるだろう)との良好な関係を築くなかで構築される地域の表現の場があってこそ自らの表現を可能にするしかない存在である。作家の社会的な存在とは地域社会の権力構造と無関係ではありえないのだ。にもかかわらず作家が作品を制作するとき、その行為は孤独であり誰かが彼/彼女を承認したり後ろ盾となってその判断を裏書きするような者がいるわけではない。作品の全ては、作家個人に帰責する。これは美術館を含む官僚制による意思決定がもつ責任の構造とは全く異なるものだ。だからこそ個人の思想信条の自由を最大限に保障するものとしての表現の自由は、それが美術館であれ図書館であれ公共施設であれ、具体的に表現として多くの人々と接点をもてる制度や空間が、こうした表現者一人一人の自由に責任を持ち、官僚制度が無責任に強いるであろう支配的なイデオロギーの強制に抗う自立した機関となることが、非常に重要な課題となるのだ。この課題に日本の美術館はおしなべて挑戦できてこなかったし、アカデミズムも法学もこうした美術や芸術や文化の自由と制度の問題に深い関心を寄せてはきていないように思う。図書館には「図書館の自由に関する宣言」(日本図書館協会)があるが、これに類するものすら美術館にはない。【注3】

往々にして、鑑賞者たちは、こうした検閲問題に対して、美術館と作家の間の問題であり、自分たちは当事者ではないと思い込みがちだ。これは間違っていると思う。私たちは、鑑賞の権利を侵害された明らかな当事者である。この当事者としての権利を行使するかどうか、鑑賞の権利を主張して声を上げるかどうかが鑑賞しようという意思をもつ一人一人が問われる問題でもある。

作品の責任は作家が負うが、このことと、作品を評価し、批評し、作品がいかにして美術館で扱われているのか(解釈されているのか)を問題にする権利は、作家に帰属するのではなく、私たち鑑賞者全てに帰属する権利である。鑑賞する権利は、作家ではなく鑑賞する私たち一人一人にある。今回の美術館の決定は明らかに私たちの鑑賞する権利を侵害している。だからこそ作家の当初の意思を尊重して展示すべきだと要求するのだ。

作家がどういう態度なのかとか作品の質がどうなのかとかということは、私たち、鑑賞者の権利侵害とは無関係なことだ。作家は自発的に作品を撤去したのではなく、撤去への合意を強制されたことは100パーセント明かなことだと私は確信している。この結果に作家がある種の諦めの気持ちを抱こうと断固として闘おうと、どちらも私にとっては、直接のかかわりのあることではない。私は当該作品の作家ではないからだ。しかし私の鑑賞者としての権利を侵害されたということだけは確実なことなのである。

この意味で、私は、ささやかながら上記のような抗議と要請の文章を美術館に送る。こんな文章のひとつやふたつ、美術館には痛くも痒くもないだろうが、しかし美術館で作品を見るということは、美術館の壁に並べられた作品を眺めながら、同時に、その壁の背後にある制度に関わるということであり、この美術館に展示されていない多くの作品の運命を思うことでもある。選別は差別や排除である、ということは、今回のような事件が起きることで明瞭に示されるのだが、このことを、美術館という制度によって構築された「美術」の擬制と虚構が露出したものだと鑑賞する私たちが得心することが、必要なのだと思う。

もし皆さんがほんの数分の時間を割く余裕があるなら、どのような表現でもよい、美術館の決定への抗議を声として出してほしいと思う。

群馬県立近代美術館:群馬県高崎市綿貫町992-1 群馬の森公園内
TEL:027-346-5560 / FAX:027-346-4064

【注1】第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

【注2】「碑は、戦時中に動員・徴用され、建設現場などで働いて死亡した朝鮮人らを追悼する目的で、市民団体が2004年、県立公園内に建立。県は14年、碑の前で開かれた追悼集会の発言が「政治的」で設置許可条件に違反したとして許可更新を不許可とした。市民団体が処分取り消しを求める行政訴訟を起こしている。」(朝日新聞デジタル 2017年04月23日 05時03分、ハフィントンポストから再引用)

【注3】福住廉「見る権利」、Artwords(アートワード)参照。

テロの脅威を煽る国連テロ対策委員会事務局上級法務官

共謀罪賛成派の国連テロ対策委員会事務局上級法務官の高須司江の主張が毎日に掲載されていた。国連サイドの専門家の発言として、共謀罪審議でも与党側におおいに利用されるのではないかと思うので以下私の批判を書いておく。越境組織犯罪防止条約は共謀罪なしで批准できるという日弁連はどう反論するのか。反論はしないとだろう。今更批准反対とはいえないだろうが。

高須は、共謀罪の成立は越境組織犯罪防止条約締結の前提でもあり「条約は、各国が協力してテロを含めた組織犯罪を未然に防止するためのもので、ほとんどの国連加盟国(187の国・地域)が締結しており未締結は日本などごくわずかだ。」という。国連国連テロ対策委員会に所属しているという立場からの発言なので、それなりに影響力ももちそうな発言だ。

しかし、187ヶ国も締結していて、本当にテロに効果があるなら今頃世界中からテロはなくなっていないとおかしい。むしろテロ対策としての効果は証明されてないし、人身売買、銃器取引、薬物などをめぐる国際組織犯罪の防止にも役に立ったとはとうてい思えないことは前にも指摘した通りだ。フランスやイギリス、ドイツ、チュニジアなどで起きたテロをどう解釈するのだろうか。むしろ人身売買業者摘を口実に難民の受け入れ阻止に使われるなど非人道的な取締りの正当化になりかねないと思うので、私はこの条約には大いに疑問があり反対だ。

テロ対策で本当に必要なのは、植民地主義の歴史的な反省のなさも含め、欧米列強の国家によるテロが事態を悪化させているという問題だ。ブッシュやオバマはドローンによる暗殺指示を何度か出し、ロシアやトルコの国家テロは有名だ。フランスもアフリカでは非常に野蛮な行為を繰り返してきた。(注)こうした国家犯罪としてのテロを取り締ることへの関心がほとんどないことが大問題だと思う。私の偏見かもしれないが、そもそも共謀罪の専門家である刑法学者などの世界では、国家犯罪の専門家はごく少数ではないか。犯罪学の教科書に国家犯罪、権力犯罪という項目は目立たないようにも思う。こうした環境がテロリズム問題への関心を狭めてしまっているようにも思う。

(注)チョムスキーやナオミ・クラインの著書などはよく知られているが、それ以外に下記が参考になる。フランソワ=グザヴィエ・ヴェルシャヴ『フランサフリック』緑風出版、ジョン・パーキンス『エコノミック・ヒットマン』、東洋経済新報社とか参照

高須は国連のテロ対策専門家として、検事から国連に出向しているので身分は法務省にあるのだろう。日本政府は、国連側としても共謀罪の成立が条約締結の前提であるということを主張する上で、高須のような立場の人材は有益だと判断していると思う。条約の締結には共謀罪が必須だという見解を国連の専門家の肩書きで発言しているので、条約批准は共謀罪なしでも可能だと主張してきた日弁連は徹底して反論すべきだろう。

また、高須は「多くの国は共謀罪を持つ。法整備なしでは、他国での処罰を逃れてテロリストが日本に逃げ込んでくる可能性がある」とも主張している。現実を無視した信じられない発言だ。もし高須の言う通りなら、とっくにテロリストは日本に逃げ込んでいるハズだ。こうした不安を煽る風評を拡散するような人が国連のテロ対策部門にいて日本の国益を看板にしょっていると思うと非常に恐しい。こうした人と条約事務局のUNODCもそのお仲間だというのが私の主観的な判断だ。こうした条約の背景事情も含めて、条約締結に反対なのだが、率直に条約反対が言えない雰囲気が日弁連や学界にはありそうで、残念でならない。

また、テロを煽る高須の発言には、いくつかの権力効果がある。高須の発言はとくにユニークなものではなく政府見解そのままなので、以下のことは同時に政府与党のテロの脅威を煽る言説にもあてはまる。

高須はオリンピックについては以下のように発言している。

「日本にはテロ組織がほぼ存在していないとみられ、国民は危機感があまりないかもしれない。しかし、テロリストの目的は注目を浴びることであり、2020年の東京五輪・パラリンピックは格好の対象だ。これに対応するにはテロ等準備罪などを新設し、犯罪実行着手前の早い段階で検挙できるようにすることが重要だ。」

今現在の危険がなくても、テロの危険があるという煽りは、日本におけるテロの危険レベルを引き上げる効果を政府が率先して実行するということを側面から支えてしまう。つまり、テロが現実化するような危険レベルまで国際的な緊張関係を刺激するような外交・安全保障政策を打ち出すことを容易にする効果を持ってしまう。テロの危険を煽るのは、テロを挑発するような軍事安全保障政策をとるということを公言しているようなものだ、ということだ。安倍政権は朝鮮半島の危機を鎮静化するよりも煽っていること(これに韓国のリベラル派のメディアは非常に危惧している)、ますます米国に同伴して戦争に加担すればテロの危険度は上る。そうなればオリンピックが狙われる可能性も高まるかもしれないが、それは安倍政権の外交・安全保障政策に原因があっての結果だということを見過すことになる。歓喜のイベントとしてのオリンピックの影で、日本の安全保障政策も戦争に前のめりになって、テロを呼びこむようなレベルまで進んでいくのではと危惧する。

高須のような議論の場合、テロが起きたとしたら「予測していたようにテロの脅威が現実のものとなった」と評価し、テロがなければ「テロ対策の取締りの効果があった」と自慢することになり、どちらにしてもテロの脅威を煽ることで政権への支持を維持するということに、起きた(起きなかった)事態を利用することになる。

こうして国際関係の複雑な事情が無視されてしまう。テロの問題は、政治・経済・文化をめぐる大きな国際関係のなかで捉えるべきことで、軍事安全保障や刑事司法政策はほとんど効果を上げることができないのは、対テロ戦争の出口が見えないことからもはっきりしている。しかし、刑事司法の専門家は、自分の専門性のなかでしか解決を考えないから、厳罰主義の取締りや立法化のことしか念頭にない。今の日本の動向は、いずれ米国のようにテロリストに対する拷問(特殊尋問手法と呼んで拷問とは呼ばない)も合法化しかねない。自分たちの専門性の限界を客観的に見ることができないのは、原子力村の原子力工学などの専門家が原発廃止を主張できないのと同じ問題であり、結果として取り返しのつかない悲劇を招き寄せてしまう。

この記事の最後で高須は次のように言っている。

「プライバシー侵害や捜査機関による乱用に対する懸念の払拭(ふっしょく)は重要だが、テロが五輪会場で起きた場合、多数の人が被害に遭うこととのバランスの問題だ。」

非常に興味深い発言だ。オリンピックで「多数の人が被害に遭う」ことへの関心はなく、さらに野宿者や追い出しをくらう住民など少数の人達の被害には尚更関心はない。そして、共謀罪によるプライバシー侵害を防止するとか捜査機関による乱用を禁ずるといったことには一切言及せず、プライバシーの侵害や捜査機関の乱用があっても懸念されない仕組みを工夫すべきだということを主張している。高須の論理に従えば、共謀罪は必須の立法で、それが人権侵害となっても、オリンピックのテロ被害とのバランスでいえば受忍すべきだということだが、「受忍」といった我慢や苦痛の感情を「払拭」したいのだと思う。。従来ならば「プライバシーの侵害や捜査機関の乱用」とされた警察の行為をプライバシー侵害とは呼ばないとか捜査機関の乱用にはあたらないということで合法化することを意味しているのだろう。言い方はソフトだが、極めて保守的な異論排除型の典型的な権力者に同調する発想だと思う。高須には、共謀罪によって権利侵害は現実のものとなるが、このことへの危惧はなく、想定に過ぎないテロの脅威への不安を煽る姿勢は、それ自体がバランスを欠いている。

4月16日(日)揺れ動く世界をどうとらえるか

戦争に協力しない!させない!練馬アクション講演会
日時 4月16日(日)
場所 練馬区役所  19階1902会議室 (〒176-8501 練馬区豊玉北六丁目12番1号  西武池袋線・西武有楽町線 練馬駅西口から徒歩5分; 都営地下鉄大江戸線 練馬駅から徒歩7分)
午後3時 記念講演会
揺れ動く世界をどうとらえるか
講師:小倉利丸さん

トランプ政権の誕生で、世界情勢が大きく動こうとしています。イギリスのEU離脱や排外主義の台頭。内戦が続くシリア、強権化が進むトルコなど、混迷が続く中東情勢。それらに加えてのトランプ政権の誕生で、今後、どのような世界が到来するのか、予断を許さない状況が生まれています。

 特に、トランプ政権の対中強硬姿勢は、東アジア世界を一気に不安定化させかねません。

 そうした中で、安倍政権は、あの手この手で改憲を進めようとしています。沖縄米軍新基地建設の強行に加え、宮古・石垣などに自衛隊配備しようとしています。首都圏でも、横田にオスプレイを伴った米空軍特殊部隊が配備されたり、木更津に米軍および自衛隊のオスプレイ整備拠点が置かれたりと、米軍・自衛隊の再編が進められようとしています。

 練馬でも、陸上自衛隊朝霞駐屯地に、現代版の陸軍参謀本部=総隊司令部が設置されようとしています。

 南スーダンPKO派兵部隊への駆け付け警護任務追加など、自衛官に殺し・殺される任務を強いる動きも着々と進められています。また安倍政権は、「東京オリンピック」を理由とした「テロ対処態勢」の構築を理由に、共謀罪を新設しようとしています。

 このような状況に向き合う反戦運動を、どのように作り出すのか。グローバル化がもたらした世界の矛盾、反グローバリゼーションの運動の両方に詳しく、監視社会化にも警鐘を鳴らしてこられた小倉利丸さんに記念講演をしていだき、大いに論議をしていきたいと思っています。是非、ご参加ください。

連絡先 090-5208-5803(池田)

転向の強要としての共謀罪に対する刑罰制度

●治安維持法と思想犯保護観察法

刑法は、1907年に制定されたものが、一部改正されながら現在まで基本的な枠組をそのまま維持している。戦前・戦中の刑法がいまだに現役なのだ。治安維持法も戦時中の軍事関連の刑事法も現行刑法の土台の上に構築されてきたものだ。だから、戦前の治安立法を回顧するのは、今現在の刑法のありかたと直結していることを忘れるべきではないだろう。

かつて改正治安維持法の時代に、当時の有力な刑法学者でもあった牧野英一は、治安維持法を大正後期の社会運動の高揚がもたらした「思想的悪化」への対抗手段として必要な法律としながらも「その性質は専ら威嚇的のもの」であり「違反事件に対する捜査の手続は、刑事訴訟法というものの現に存しているかを疑わしめるものであったとさえされている」(『改正刑法仮案とナチス刑法』有斐閣、1941年)と特高警察などの捜査を批判した。また牧野は、治安維持法は「国家が自己の保全に焦燥を感ぜねばならぬ限り刑政は威嚇を出で得ないこと、これは刑法の沿革のすでに事を明かにしているところである」とも述べて、統治機構の脆弱化を示唆した。

しかし他方で牧野は、「威嚇主義にもかかはらず刑の執行猶予を除外しなかった」と評価もする。牧野は、起訴猶予や執行猶予によって収監されなかった者たちを対象とした思想犯保護観察法を評価するのである。威嚇的刑法としての治安維持法と更生・社会統合法制の思想犯保護観察法を表裏のもの、「厳父慈母」の如きものであり、刑罰は「国民を自己のものとして包容するの力」なのだと主張した。

この思想犯保護観察法は、未成年への保護観察制度を成年に拡大したものと位置付けられつつ、戦前の思想犯取締りの流れを受けた制度だ。威嚇的刑法としての治安維持法と対をなし、「新に保護観察制度を採用し、保護観察所を設け、保護観察審査会を置き、以て、思想犯人の更に罪を犯すの危険を防止する為めその思想及び行動を観察して、これを保護することによって共産主義運動を防遏し、延いては、曾ての思想犯人をして国家有用の材たらしめんとする」(森山武市郎『思想犯保護観察法解説』、松華堂、1943年)というものでだ。特に共産主義運動の活動家をターゲットにその転向を促すだけでなく、彼らをも国策のために人的資源へと転用できるようにするための制度・組織的な実施のための法的な枠組だった。

こうしてみると、戦時期の日本における反政府運動の壊滅的な状況をもたらしたのは、治安維持法だけではなく、むしろそれよりもより広範に適用されたであろう思想犯保護観察法のような統合と包摂の制度があったからでなないだろうか。監獄に収監する自由刑による苦痛という懲罰ではなく、社会生活を送らせながら、日常的な監視を通じて、地域社会や家族も動員して思想転向を促すもので、直接の効果は、治安維持法違反者に対するものだが、その影響範囲は、むしろこうした対象者だけでなく、社会全般を巻き込んで、転向を社会的に当然のこととする精神風土とでも言うしかない環境を生み出したのではないだろうか。この意味で思想犯保護観察法は、治安維持法とは別の意味で極めて問題の大きい法制度だ。最大の問題は、もし思想犯保護観察法による転向政策がなければ維持された思想信条を前提にしたとき、思想信条の自由とは、抽象的に本人が自発的に思想を放棄したといった個人の自由意思の問題に還元することはできず、個人の思想信条の自由は、彼/彼女が置かれている国家のイデオロギー装置を含む会的文化的な文脈のなかでしか評価できない、ということだ。つまり、諸個人の自由な意思によって選択された違法行為=犯罪のなかには、国家や社会の諸矛盾への異議や抵抗が含まれる場合があり、犯罪に対する処罰がこうした政治的な抵抗の意思の弾圧として作用するように制度化されているという側面があることを見逃すことはできない。

身体的な苦痛を与える自由刑ではないこうした更生保護の制度に含まれる思想信条の自由への抑圧に対する批判は、共謀罪を目前にしている現代における「自由」の問題を考える上で、重要な観点だろう。

共謀罪の問題は、厳罰主義の延長線にあるものだが、同時に上に述べたような刑罰と対応した更生の政策が思想の転向を組織的に展開する制度として要請されることになるだろうということをも念頭に置かなければならない。

犯罪と刑罰は表裏一体の関係にある。刑法では、罪の重さに応じて刑罰が定められている。では、共謀罪で有罪となった場合、その刑罰の意味はいったいどのようなことになるのだろうか。以下では、主に、反政府運動の活動家が共謀罪で有罪となり懲役や禁固となった場合や執行猶予となったり仮釈放とされた場合を想定して、こうした政治犯としての共謀罪犯の刑罰が、現行の行刑制度や更生保護制度を前提としても、転向の強要と思想信条の侵害とならざるをえないという点を明かにする。共謀罪に反対する理由として従来あまり注目されてこなかった論点かもしれないが、「話し合うことが罪になる」ということが「罪の償いは思想転向の強要である」ということをも十分に念頭に置いておく必要がある。

●政治的共謀犯にとっての「改善更生」とは何なのか?

共謀罪は意思を犯罪化するものだが、そうだとすると、共謀という罪に対して刑罰はいかなる効果を受刑者にもたらすことを国家は意図して行なうことになるのか。

受刑者などの処遇については「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」に定めがあり、その三十条で以下のように規定されている。

「改善更生の意欲の喚起及び社会生活に適応する能力の育成を図ることを旨として行うものとする」

共謀罪での受刑を前提としたとき、「自覚に訴え、改善更生の意欲の喚起及び社会生活に適応する能力の育成」とは何を意味するのだろうか。実行行為の既遂犯の場合は、行為に及ばないように改善更生することだが、共謀罪のように意思が犯罪化された場合は、「意思」の「改善更生」、あるいは社会生活への適応が求められることになる。社会運動や反政府運動のような基本的人権に基く抵抗の意思が共謀罪として犯罪化された場合、処罰の目的は、こうした政府に対する抵抗や異議申し立ての意思を放棄することが「改善更生」であり「社会生活に適応する能力」ということになる。これは、監獄での身体的な自由の剥奪に加えて、精神的な自由をも奪うことを目的として刑罰が課されるということになる。

禁固や懲役の刑であっても仮釈放によってとりあえずの「自由」を回復する場合もあるが、仮釈放は完全な自由を意味しない。刑法28条で「懲役又は禁錮に処せられた者に改悛の状があるときは、有期刑についてはその刑期の三分の一を、無期刑については十年を経過した後、行政官庁の処分によって仮に釈放することができる。 」とあり、仮釈放の条件については「犯罪をした者及び非行のある少年に対する社会内における処遇に関する規則」で次のように定められている。

28条「懲役又は禁錮の刑の執行のため刑事施設又は少年院に収容されている者について、悔悟の情及び改善更生の意欲があり、再び犯罪をするおそれがなく、かつ、保護観察に付することが改善更生のために相当であると認めるときにするものとする。ただし、社会の感情がこれを是認すると認められないときは、この限りでない。 」

ここでも「改悛の状」「悔悟の情」「改善更生の意欲」「再び犯罪をするおそれがな」といったことが仮釈放の条件であり、なおかつ「社会の感情」が仮釈放を是認しないと思われる場合は仮釈放は適用されないともしている。共謀罪の受刑者の場合は、その意思そのものが「罪」なのだから、この意思を棄てること、つまり、政治犯の場合であれば、思想信条の転向がなければ仮釈放はありえないということを意味することになる。つまり、仮釈放を「餌」に思想転向を強要するということだ。「テロリスト」というレッテルを貼られた受刑者は、たとえ転向したとしても「社会の感情」(いったい誰がこのような「感情」を客観的に判断できるのだろうか)を口実に仮釈放はありえないとされるのではないかと思われる。

●政治的共謀犯に対する更生保護法の効果とは?

更に、実刑ではなく執行猶予になった場合は更生保護法が適用される。(仮釈放者に対しても適用される)この法律の目的は以下のように定められている。

1条「この法律は、犯罪をした者及び非行のある少年に対し、社会内において適切な処遇を行うことにより、再び犯罪をすることを防ぎ、又はその非行をなくし、これらの者が善良な社会の一員として自立し、改善更生することを助けるとともに、恩赦の適正な運用を図るほか、犯罪予防の活動の促進等を行い、もって、社会を保護し、個人及び公共の福祉を増進することを目的とする。 」

ここでもまた再犯防止、改善更生と「社会を保護し、個人及び公共の福祉を増進することを目的」とするとある。対象者は保護観察官などの指導監督下に置かれる。

更生保護法の第50条には「保護観察対象者」の遵守すべき事項が以下のように細かく規定されている。

「第五十条  保護観察対象者は、次に掲げる事項(以下「一般遵守事項」という。)を遵守しなければならない。
一  再び犯罪をすることがないよう、又は非行をなくすよう健全な生活態度を保持すること。
二  次に掲げる事項を守り、保護観察官及び保護司による指導監督を誠実に受けること。
イ 保護観察官又は保護司の呼出し又は訪問を受けたときは、これに応じ、面接を受けること。
ロ 保護観察官又は保護司から、労働又は通学の状況、収入又は支出の状況、家庭環境、交友関係その他の生活の実態を示す事実であって指導監督を行うため把握すべきものを明らかにするよう求められたときは、これに応じ、その事実を申告し、又はこれに関する資料を提示すること。
三  保護観察に付されたときは、速やかに、住居を定め、その地を管轄する保護観察所の長にその届出をすること(第三十九条第三項(第四十二条において準用する場合を含む。次号において同じ。)又は第七十八条の二第一項の規定により住居を特定された場合及び次条第二項第五号の規定により宿泊すべき特定の場所を定められた場合を除く。)。
四  前号の届出に係る住居(第三十九条第三項又は第七十八条の二第一項の規定により住居を特定された場合には当該住居、次号の転居の許可を受けた場合には当該許可に係る住居)に居住すること(次条第二項第五号の規定により宿泊すべき特定の場所を定められた場合を除く。)。
五  転居又は七日以上の旅行をするときは、あらかじめ、保護観察所の長の許可を受けること。」

政治犯としての共謀罪によって執行猶予などになった場合、「健全な生活態度を保持すること」とは、彼/彼女が関ってきた運動や組織の集会・結社への参加だけでなく、同様の集会・結社への参加や関りそのものが「健全な生活態度」に反するとみなされ、思想信条の自由を制限されることになるのではないか。また、保護観察官らが「労働又は通学の状況、収入又は支出の状況、家庭環境、交友関係その他の生活の実態」を報告しなければならないという場合、こうした事項は明かにプライバシー権の侵害と思われるのだが、それだけでなく、こうした報告を通じて、執行猶予や仮釈放で出所した人々の行動を監視し、反政府運動の動向を把握する手段として利用されることになりはしないだろうか。

また、更生保護法第51条では「特別遵守事項」が次のように定められている。以下の遵守事項に反した場合は執行猶予の取消もありうる厳しいものだ。

「保護観察対象者は、一般遵守事項のほか、遵守すべき特別の事項(以下「特別遵守事項」という。)が定められたときは、これを遵守しなければならない。
2  特別遵守事項は、(略)次に掲げる事項について、保護観察対象者の改善更生のために特に必要と認められる範囲内において、具体的に定めるものとする。
一  犯罪性のある者との交際、いかがわしい場所への出入り、遊興による浪費、過度の飲酒その他の犯罪又は非行に結び付くおそれのある特定の行動をしてはならないこと。
二  労働に従事すること、通学することその他の再び犯罪をすることがなく又は非行のない健全な生活態度を保持するために必要と認められる特定の行動を実行し、又は継続すること。
三  七日未満の旅行、離職、身分関係の異動その他の指導監督を行うため事前に把握しておくことが特に重要と認められる生活上又は身分上の特定の事項について、緊急の場合を除き、あらかじめ、保護観察官又は保護司に申告すること。
四  医学、心理学、教育学、社会学その他の専門的知識に基づく特定の犯罪的傾向を改善するための体系化された手順による処遇として法務大臣が定めるものを受けること。
五  法務大臣が指定する施設、保護観察対象者を監護すべき者の居宅その他の改善更生のために適当と認められる特定の場所であって、宿泊の用に供されるものに一定の期間宿泊して指導監督を受けること。
六  善良な社会の一員としての意識の涵養及び規範意識の向上に資する地域社会の利益の増進に寄与する社会的活動を一定の時間行うこと。
七  その他指導監督を行うため特に必要な事項 」

こうした遵守事項を、政治活動で共謀罪に問われた場合を念頭にイメージするとどうなるだろうか。2項の一にある「犯罪性のある者との交際」とか「犯罪又は非行に結び付くおそれのある特定の行動」における「犯罪」には共謀という犯罪も含まれるから、共謀罪に問われたりその恐れがあると保護観察官らが主観的に判断した集団や団体での活動や行動も禁じられるから、集会やデモなどへの参加や関与が全体として禁じられることになるのではないか。

●転向強要メカニズムとしての監獄・更生保護制度

このように、共謀罪の成立によって従来の監獄関連の法律や更生保護法などは、その性質を一変させざるをえないだろう。とくに政治的社会的な運動への適用は、国家がその組織をあげて転向の促す制度として機能することになるのではないか。たとえ執行猶予や仮釈放となったとしても、保護観察官や保護司の監視のもとで、家族や地域、職場の人間関係を巻き込んで本人の転向を促す包囲網が構築されるだろう。共謀罪による転向の強要は、単に国家によるトップダウンによるだけでなく、下からの転向強要の制度が構築されることになるだろう。こうした構造はすでに、未成年の非行や犯罪、あるいは薬物犯罪などの対象者に対して行なわれてきた手法だが、こうした刑事事件の加害者の保護観察でも従来の親密な人間関係を、犯罪者仲間といったレッテル貼りで断ち切られて、精神的な苦痛を甘受しながら、不本意な人生を生きざるをえず、もっぱら犯罪の責任問題を加害者個人に還元して社会統合を強制するという問題があるが、こうした問題が思想信条の世界でも繰り返されることになる。反政府運動であれ政治活動や社会運動、労働運動であれ地域の住民や市民の運動であれ、既存の社会制度に問題や矛盾があるからこそ人々が異議申し立ての抗議の声を上げ、時には直接行動をも決意するのであって、犯罪をその個人の行為に還元することはできないが、共謀罪は、逆に全ての責任を個人の意思に還元して、その意思そのものを放棄させ、人間関係を絶つことを強いるものだ。受刑制度も保護観察制度もこうした社会的な文脈を無視し、民主主義社会が内包する制度変革のための民衆的権利を肯定することなく、逆にこれを既存の社会的な価値観に統合するように抑え込む。

共謀罪の成立によって、確信犯としての政治犯の「更生」や社会への再統合が具体的に問題になるとすれば、かつてオウム真理教の信者たちに対してなされたような棄教の強要と同様のことが、より広範囲にひとつの制度的な取り組みとして実施されるようになるのではないだろうか。

これは明らかに憲法の思想信条の自由に抵触するが、「改善更生」の法律や制度はこれを自発的な意思による転向として言いのがれることになると思う。こうした状況が一般化すると、そもそもの反政府運動そのものが窒息させられてしまう。共謀罪反対の論点としてこの点は、これまで余り重視されてこなかった論点かもしれない。

共謀罪反対運動のなかで、改めて戦前の治安維持法への注目が集ってきた。共謀罪は治安維持法の再来ではないかという危惧である。私もこうした危惧を共有するが、実は治安維持法にだけが問題なのではなく、思想犯保護観察法がその対をなす法制度としてあったことを視野に入れて、共謀罪の問題から、現在の監獄や更生保護の制度が基本的人権としての自由権を奪い、あるいは敢えて語義矛盾の表現を使えば、自発的転向の強要の制度として、その性格も一変させるのではないか。共謀罪がもたらす権利侵害の範囲は、想像を越えて大きなものだということを確認しつつ共謀罪断固廃案を主張したい。

特定秘密保護法のテロリズム定義と共謀罪

共謀罪法案にはテロの定義はない。しかし、特定秘密保護法 12条2の一に定義があり、これがドローン規制法にも継承されている。これら先行する法律におけるテロリズムの定義には容認しがたい大問題がある。

●特定秘密取扱者とテロリスト調査

これらの法律ではテロリズムは以下のように定義されている。

「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう」

この定義は、特定秘密を扱う者の適正評価の対象となる者の身上調査に関する事項を定めた第12条2項のなかにあり、適正評価対象者の「テロリズムとの関係に関する事項」として「評価」すべきこととされている。つまり、この条文でいう「テロリズム」の活動そのものではなく、こうした活動との関係が調査対象となるので、当然のこととして「政治上その他の主義主張」それ自体にこの条文でいうテロリズムの傾向があるかどうかが調査の対象になると思われる。秘密保護法の審議当時も、取扱者の適正評価規定への強い反対はあったのだが、このテロリズムの定義そのものが秘密法反対運動のなかでもさほど注目されてこなかったようにも思う。

この秘密法でのテロリズムの定義では、「政治上その他の主義主張に基づき」と思想信条を差別して、行為ではなく内面の意思の犯罪化を正当化する傾向をはっきりと示している。この点は、憲法の19条から21条までの自由権が、無条件で──その内容が「暴力」や「テロリズム」と称される内容に及ぶとしても──言論、表現、集会、結社、通信の自由を保障していることからすると明かな逸脱である。ただし憲法12条、13条で権利行使は「公共の福祉に反しない限り」と釘をさされているから、19条から21条までの規定も公共の福祉や立法での制約がありうると解釈するのが政府側の言い分かもしれない。しかし、22条では「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」とあり、「公共の福祉」を明記している条文であることとの対比でいえば、明文での「公共の福祉」という制約を定めていない19条から21条は、具体的な行為に至らない範囲での事柄については、「公共の福祉」という制約を課すべきものではなく、自由の権利が優先されると解釈すべきだ。実際にも、武力や暴力による既存の権力の転覆を主張する思想や信条を表明する言論活動の自由がある。出版であれ結社であれ、こうした主張に基くというだけで制限されたり禁止されることはない。これは、そもそも内心の自由が前提にあり、これを集団のレベルであっても犯罪化すべきではないという大前提に基いてのことだ。

しかし、特定秘密保護法のテロリズムの定義が特定秘密取扱者の身上調査として実際に適用されるという場合、職員や社員が政治上の主義主張として「テロリズム」の定義に該当するような考え方を持っていたり集団や団体に所属しているというだけで、実際の行動がなくとも、事実上テロリスト扱いされて差別され、不利益を被ることになる。採用人事や昇進人事で、将来の特定秘密取扱者となりうることを想定した身上調査として、こうした思想信条に介入することが正当化され、プライバシー権の侵害がまかり通ることにもなる。

● ほぼ全ての反政府運動の「テロリズム」扱いへ──他人に不安を与える目的で、物を破壊する活動だけでテロになる!?──

更に、特定秘密保護法の文言でいうテロリズムの定義を仔細に検討するともっと重要な論点が浮かび上がる。この定義は、「国家に自らの政治上の主義主張を強要して恐怖を与える目的で人を殺傷し重要な施設を破壊する活動」というレベルで解釈することもできるが、逆に、「政治上その他の主義主張に基づいて、他人に不安を与える目的で、物を破壊する活動」という風にも解釈できるのだ。後者のような場合は、かなり広範囲な活動が含まれてしまい、非暴力直接行動としてのピケティングや団体交渉、ストライキなど様々な行動が、可罰的とはいいがたい「違法行為」がテロリズムあるいはその恐れがあるというだけで微罪での検挙の口実を与え、基本的人権としての自由の権利をテロリズムの名のもとに制約することになる。実行行為でなくても、その恐れがあるというだけで、捜査対象にされるであろうし、場合によっては逮捕・拘留や強制捜査もありうるだろう。

すでに特定秘密保護法のテロリズムの定義にはこれだけの大問題があるのだが、これが文字通り意思の犯罪化である共謀罪法案のテロリズムの定義にも転用されたらいったいどうなるだろうか。とりわけ、上で述べたように、「政治上その他の主義主張に基づいて、他人に不安を与える目的で、物を破壊する活動」がテロリズムだと解釈された場合、共謀罪はこのような活動の前提となる意思を処罰することを念頭にその犯罪構成要件が構築されることになる。そうなれば、主義主張そのものの犯罪化を招く恐れが十分にあり、その結果として、憲法19条から21条に定められている自由の権利は、行為だけでなくその内面の思想や価値観にまで介入して犯罪化されることになる。

共謀罪にテロの定義が条文に盛り込まれなくても、実際の法の適用では、既存の法律の定義を転用される恐れは大いにあるのではないだろうか。たぶん政府は、テロリズムの定義が争点となれば確実に、思想信条の自由との関連が問われることを予見して、あえて定義を示さず、共謀罪が成立した場合には特定秘密保護法など先行する法律にある定義を準用して、「政治上その他の主義主張」をターゲットとした取り締まりへと向うつもりなのではないだろうか。

共謀罪は、盗聴法に続いて、あってはならない憲法の解釈改憲であり、自民党の改憲の先取りでもある。妥協や政治的な取引きは論外であり、廃案しかない。

生前退位論議から天皇制廃止への道筋を考える

3月2日に衆参両院の正副議長が各党派代表者の会議を開催し生前退位の合意をとりつけ、生前退位否定の選択肢がまず消えた。生前退位について有識者会議や政党間でも議論は三分されており、そもその生前退位を認めるべきではないという主張が極右派の立場で、共産党や社民党は、象徴天皇制の是非問題を棚上げにして天皇制存続を前提に皇室典範の改正で対処すべきだとの見解であり、与党の特別法対応はその中間に位置するといえる。(井田敦彦「天皇の退位をめぐる主な議論『調査と情報』943号、国立国会図書館、20172月)今後は、天皇の意向を汲み、生前退位を前提として、憲法、皇室典範などの法解釈問題も含めて、生前退位を合法化する法的な手続き論に焦点が絞られたということになる。

生前退位をめぐる議論は、天皇制の持続可能性を確保するための最適な統治機構の再設計問題でしかない。天皇制に反対する立場からすると、退位をめぐるこの間の問題は、メディアも議会もアカデミズムも法曹界も、そもそも天皇制の是非という課題を最初から問題設定の前提から排除することを自明の理として、天皇制ありきの議論に何らの疑問も抱いていない点に最大の問題がある。これは、将来の社会構想を大胆かつ想像/創造的に構築する意欲そのものの衰退をも意味しており、極めて深刻な思想的な枯渇状況にある。

戦争法反対運動のなかでしきりに口にされるようになった「立憲主義」の議論のなかでも、立憲主義が立憲君主制と両立するのかという根本問題には関心が寄せられていない。天皇廃位から廃止へという選択肢の不在を象徴しているのが、議会内左翼の生前退位問題への認識である。共産党は、210日に国会内で天皇退位問題について検討会を開催し、小池晃書記局長が「天皇の退位については、政治の責任で真剣な対応が必要だ。一人の人がどんなに高齢になっても仕事を続けなければならないという今のあり方を、個人の尊厳という憲法の根本精神に照らして見直すべきだ」と述べた(『赤旗』201734日)。また、社民党は215日に「見解」を発表し、その中で「人間が人間として有する天賦人権は、天皇『個人』に対しても、当然保障されるはずである。しかし、天皇という地位やその地位が世襲であるとされていることによって様々な人権が制約され、天皇『個人』に過度の負担が一生負わされているが、『退位の自由』がない限り、これを正当化することはできない。憲法の基本原則の制約は必要最小限にすべきであって、天皇の人権という観点から、退位を認めるべきである。」と述べている。いずれも戦後憲法の基本理念である個人としての人権に照らして退位への態度を表明したものだ。象徴天皇制が憲法の基本的人権の理念に抵触することを軽視し、象徴天皇制は旧憲法の天皇制に比べればまだマシで政治的な実権を担わない天皇にさしたる問題を見い出していないからではないか。

憲法前文と天皇条項の矛盾

憲法前文は「国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くもの」と宣言するが、この人類普遍の原理からどのような論理で象徴天皇制が導き出されるのかを憲法は全く明示できていない。自民党改憲草案はこの齟齬を自覚し、前文を全面書き換えて天皇条項に整合性の軸を据えたといえる。

そもそも憲法には天皇とは何者なのかの定義すらなく、天皇を唐突に持ち出す論理構造上の亀裂があり、これは、天皇が日本においては自然法の実体と位置づけられているからだと解釈する以外にない。そうだとすれば、天皇条項は、前文の普遍原理(もうひとつの自然法)と両立することは絶対にありえないはずなのだ。しかも象徴が意味する具体的なことがらは国事行為とされるが、この国事行為が国民統合の意味内容を満たすものとはとうてい思えない。国民統合の意味内容に見合う役割を天皇に与えるとすると限りなく戦前の天皇に近い存在にならざるをえない。そうなれば、普遍的な人権原理とますます離反することになる。

この矛盾を抑え込む理屈として、憲法は、天皇の地位を前文の普遍原理ではなく「国民の総意」に根拠を持つという例外規定を設けてこれを正当化した。憲法には「総意」の定義がないこと、憲法制定時に裕仁の天皇としての地位について「国民の総意」によって確認されていないし明仁の場合も同様であることは、これまでも問題視されてきた。総意確認の手続きがとられないのは、「国民」であれば例外なく天皇の地位を認めるのは当然のことだという前提があるからだろう。この天皇当然視が天皇を自然法の枠に含める発想にもなるが、これは、憲法が国民の総意によって天皇の地位を確認すべきだということを要求しているという解釈とは真逆に、国民であるならば当然天皇制を承認すべきであるという「国民」への天皇制肯定を自明のこととして強制する根拠として用いられる危険性のある文言でもある。このことは、特に、外国籍の人たちが日本国籍をとり「国民」となることを選択するときに、天皇制を承認する「国民の総意」に含まれる一人となることを強要する根拠として転用されうるもので、自民党改憲草案などはこうした解釈を持ち込んでいるといえる。

世襲と「総意」の矛盾

「国民の総意」は、天皇の象徴としての「地位」に対するものであって、2条の世襲制との関係は明確ではない。むしろ世襲と「国民の総意」による根拠づけとの間には矛盾があって必ずしも両立するとはいえない。常識でいえば、天皇の地位についた者がその地位にふさわしいかどうかを「国民の総意」によってその都度確認することを憲法は求めていると解釈すべきだろう。そうでなければ、初代が国民の総意で即位したとして、そのあと自動的に世襲で継承され、永遠に「国民の総意」の確認は不要だということになる。これでは天皇の地位が「国民の総意」に基くことが確認されたとはとうて言えない。戦後の象徴天皇制は、国民の総意による確認を当初から怠ったままなので論外の違憲状態である。そもそも君主制だからといって世襲が必須なわけではなく、総意が得られなければ世襲されないうことになり、2条の世襲規定と反することになるが、2条は大統領制のように立候補による選挙という制度ではなく、皇位継承の候補者を世襲原則とするという規定だと解釈すべきで、このことも踏まえて、天皇の代替わりの都度国民の総意を確認する手続きをとるのが筋だ。

総意を確認する法制度を置くということは、逆に総意に基づく廃位の可能性を排除できないことも意味する。廃位の可能性が手続的に明確になるということは、天皇制の廃止、即ち1条から8条を削除する改憲を正当化する一つの道筋をつけることになる。天皇条項の廃止は、憲法前文の普遍原理には一切抵触しないので改憲の範囲内だ。護憲派は、退位問題が議論されるなかでも、皇位継承に関して憲法が要請している「国民の総意」による確認問題すら持ち出していない。これで「護憲」とはとうてい呼べないだろう。私たちが天皇制を廃止するという場合、この国に暮す人々(国籍は問わない)の総意として天皇制を選択しないということの合意をとるということであり、その具体的な道筋のひとつとして、「国民の総意」問題は議論されてよい問題だと思う。(注:廃位とは「強要して君主をその位から去らせること」『大辞泉』の意味で用いている)

「国民」概念と普遍的人権の理念との矛盾

象徴天皇制が憲法の人権規定と整合しないという議論はこれまでも繰り返されてきたが、大方の議論は、女性天皇論議に端的に示されているように、象徴天皇制の存続を前提として、いかにして人権条項と整合させられるかが中心の課題とみなされてきた。憲法の人権概念が素直に適用された統治機構であるならば、例外となる天皇のような存在を認めないとするのが筋が通っているハズだ。大方のリベラルな憲法学者も含めて、このことは承知の上で、現行憲法に規定されている天皇条項を憲法体系のなかで辻褄を合わせようとする。この無理が無理だとは思われなくなる思考が、合理的な思考を旨とすべきアカデミズムや立法府の政治家たちの無意識を支配するようになる。

この不合理性の問題は日本だけでなく立憲君主制を採用するどこの国にもあてはまる矛盾だという面からすると、問題の根は深く、近代国民国家そのものの統治体制の本質に、合理性を超越した統合の要素を要求せざるを得ないものが内在しているとみるべきかもしれない。近代国民国家は、「国民主権」と基本的人権を「人類普遍の原理」とすることによって、普遍的な価値を「国民」という限定された人間のカテゴリーにのみ認めるという差別と排除を正当化する構造をもっている。「国民」を英語版憲法に忠実に人民と訳したとしても国民あるいは人民の定義を国籍法に委ねるわけだから、国籍の有無によって普遍的な人権を享受できる者とそうでない者を峻別するということになる。天皇は聖別されて、ある種の特権を例外的に与えられるとすると、天皇以外の国籍を与えられない人たちは、この国に暮しながら「人類普遍の原理」の適用外として憲法の保障の埒外に置かれることになる。人類普遍の原理は人類であれば誰であれ平等に適用されるべきであるにもかかわらず国籍によって明確な差別が持ち込まれる。近代の「人類普遍の原理」は、同時に差別と排除に支えられてもいること、この意味である種の欺瞞を免れず、これがまた西欧近代への懐疑に基づく「日本固有の文化」というもうひとつの欺瞞を生み出してきた歴史にむしろ注目すべき時だろう。

こうした文脈のなかで、「国民」のカテゴリーから除される人たちの存在によって、国民国家の主体(主権者=国民)の側に自負心が生み出され、人類の普遍的な価値を享受することを許された者が共通して抱く感情が生成される。この感情がナショナリズムである。立憲君主制の場合、この「国民」に与えられた普遍的な価値が君主を媒介として一体性(統合)を獲得するような仕組みになっている。象徴天皇制が戦後憲法の理念と抵触する重大問題だという認識が定着しなかった理由も、この国民国家のレトリックの罠にあるのかもしれない。歴史的一体性のイデオロギー機能を天皇の象徴機能に見出すのは間違いだとする憲法解釈が通説となって、象徴の政治=文化的機能を軽視した楽観論が支配し、その結果、天皇制の根拠や是非を問わずに、そこに有ることそれ自体を「自然」な存在として前提する支配層の発想を許してしまった。このような、ぜ天皇制が必要なのかという根本問題を問わない思考方法が生前退位問題でも如実に現われたといえる。この意味で国民国家という枠組それ自体が、本質的に抱える問題性の特殊日本的な現われが天皇制なのだといえる。

人類普遍の原理が国の数だけあるということ自体が近代国民国家の普遍主義の矛盾である。にもかかわらず、逆に国民国家を普遍的な原理の体現者だという奇妙な感情を全ての国の「国民」がそれぞれ別々に抱き、これが作用して、至高の原理を標榜する国家が相互に殺戮を繰り返してきたのが近代の歴史だ。この意味で憲法そのものには深刻な非人間性が内在している。この意味で国民国家も憲法も統治の原理として肯定的に前提すべきではなく、統治の制度設計を土台から再構想する想像/創造力こそが問われている。すくなくとも日本の近代の歴史の教訓とはこのようなものであるべきだろうと思う。生前退位の議論を再度この水準で論じ直し天皇制廃止を国民国家の廃棄という卓袱台返しに繋げないと、新しい社会への希望は生み出せないと思う。(『反天皇制運動Alert』9号、2017年3月から一部修正の上転載)

4月8日(土)五輪災害と共謀罪

オリンピック災害おことわリンク連続講座(第1回)

講師 小倉利丸さん

・4月8日(土)18:00〜21:00
・会場 文京区民センター2A
・資料代 500円

いったん廃案になった共謀罪が今国会成立の危機にあります。安倍首相は、共謀罪の成立なしにはオリンピックも開けないと強調し、共謀罪成立に異常な 意欲を表明しています。共謀罪は、話し合いを犯罪化し、会議や集会、通信などを監視して取り締まりを可能にする法律です。政府はテロ対策を口実に、共謀罪 をオリンピック反対などの運動の抑え込みに利用しようとしています。

私たちは、オリンピックを政治が人為的にもたらす災害であると捉えて、反対してきました。私たちのアクションだけでなく、沖縄の反基地運動、反原発 運動など様々な異議申し立ての運動は、憲法が権利としてわたしたちに与えている言論・表現の自由、思想信条の自由に基づいた運動です。共謀罪はこうした運 動を、思想信条のレベルで根こそぎにし、政府批判そのものを犯罪化する法案となる危険性があり、反対運動も急速に拡がりつつあります。

おことわりリンク第一回講座は、この現状を踏まえ、オリンピックと共謀罪をテーマに、講師に小倉利丸さんを招いて開催します。オリンピックの様々な問題とも関連させつつ、共謀罪の問題点を、オリンピックも共謀罪もいらないという視点から話をしていただきます。

◆ 今後の予定

第二回目は「神宮再開発の現場を歩いて考える」(5月27日13:00〜、案内人はアツミマサズミさん)です。事前にお申し込みください。

以降の講座は、障害者差別を助長するパラリンピック(北村小夜さん、7月上旬)、オリンピックはスポーツをダメにする!?(10月)、ナショナルイベントと東京五輪(12月)、3・11と東京五輪(3月)を予定しています。

◆ 東京オリンピックおことわリンク
http://www.2020okotowa.link/
info(a)2020okotowa.link

共謀罪と「道義刑法」の亡霊

以前、述べたように、共謀罪は、現行刑法の基本的な枠組みを根底から覆し、自民党改憲草案に対応した国家による犯罪と刑罰の体制を構築する試みの一環として位置づけなければならないから、問題は、憲法を含むこの国の統治の基本を根底から覆す可能性をもつものだ。

戦後憲法は戦前の憲法と比べて基本的人権の保障を大幅に拡張したことが最大の特徴の一つだと言われてきた。憲法は前文で「わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保」することを宣言し、第三章はまず個人の自由を権利として保障することをとりわけ強調した戦後憲法の理念は、国家権力が個人の自由に干渉・介入してはならないということを戦前の憲法との大きな差異として打ち出したことを意味した。戦後の憲法が大幅な人権保障を国家に命ずるものであるなら、同時に刑法の基本的な考え方も根本から改訂されなければならないように思う、現実にはそうはならなかった。

刑法には、戦前と戦後を通底するこの国の近代国民国家としての権力とイデオロギー、あるいは秩序と支配における一貫した国家観を読み取ることができる。明治期に成立した刑法は、現在まで、資本主義的な国民国家としての一貫性を保つために、明文をもっていかなる行為が「罪」であり、国家はどのような刑罰権を行使できるのかを示す機能を担い続けており、その基本的な枠組は、戦前と戦後の間で変更はない。共謀罪に限らず、刑法に関わる立法問題ではこの刑法の来歴を念頭に置く必要があるように思うので、以下はこの点についてのメモである。

●権利の剥奪としての刑罰

自由の権利は、民主主義を標榜する近代国民国家に共通する建前の権利として重視されてきた。したがって、国家による刑罰は、国家の強制力をもって個人の自由に例外的に干渉し抑圧することを合法とする異例の権力行使だということになる。人権は奪うことのできない人間の生得の権利ともされるが、犯罪者に対してはこの権利を奪ってもよいという意味においても例外的な措置である。犯罪と刑罰の権力を国家に付与するのは、人間としての扱いに区別を設けることを正当化する抜け道にもなっている。

一方で普遍的な人権を、他方で国家による権利剥奪を、ともに法の名の下に正当化するのは、憲法が抱える大きな矛盾だ。日本国憲法でいえば、10条から29条までの権利条項と「法律の定める手続」があれば権利は剥奪できるとする31条との間には本質的な矛盾がある。この矛盾を問題化することが必要であり、このことは刑事司法の制度、刑法と刑事訴訟法のそもそもの正統性を問い直すということである。言い換えれば、近代国民国家の体制は、その理念通りに、人権の普遍性を体現する統治機構なのだろうか。刑罰は人権を剥奪するに足るほどの普遍的な暴力なのだということはこれまで証明されたことがあっただろうか。

犯罪を新たに追加する立法は、どのような場合であれ、これまで犯罪とされていなかった行為を犯罪化する。共謀罪の場合は、彼/彼女の行為ではなく意思を新たに犯罪とし、この意思に対して刑罰が課され、自由を剥奪され苦痛を与えられることを意味する。共謀罪で有罪とされて投獄される場合、彼/彼女に与えられる刑罰の意味は何なのだろうか、いかなる効果を期待して刑罰を課すのだろうか。共謀を犯罪化するという問題は、共謀罪に対する刑罰とは何を意味するものなのかをも問うという問題であることを忘れてはならない。

●戦前を継受する戦後刑法思想?──小野清一郎の道義と刑法

現在の刑法は、大逆罪や不敬罪などいわゆる「皇室への罪」を除いて、基本的に戦前のままに残された。言い換えれば、戦後民主主義は、国家による刑事司法が基本的人権を侵害する危険性について、刑法に立ち返って検証することを怠った。いや怠るどころか、戦後の刑法改正の動きをみると、むしろ戦前回帰を意図した流れが一貫して大きな影響力を持ち続けてきた。それはなぜなのだろうか。

刑法が外形的な行為だけでなく内面の意思を犯罪化し、道徳と一体化する傾向を最もはっきりと示したのは戦時期だ。たとえば日本法理研究会で刑法に関わり道義的刑法を主唱した小野清一郎もその一人ではないか。彼は、戦時期に、基本的人権の国家による侵害を積極的に肯定し、その学問的な裏付けを与えようとした刑法学者たちのひとりである。小野は戦後、公職追放が解かれた後に、東京第一弁護士会会長、法務省の特別顧問などを歴任した。そして戦時中の「刑法改正仮案」を引き継ぐものとして構想された戦後の刑法改正において刑法改正準備会会長も務め、学界でも法曹界でも大きな影響力を持ち続けた人物である。彼が戦前戦中に書いた論文などは、ファナティックな国体思想に関する著述を除いて、戦後も基本的な学術文献として評価され再版されてきた。【注1】

小野は、戦時期の国体思想を前提とした刑法思想の再構築を積極的に主導したが、その主要な場となったのが日本法理研究会であり、彼はその創立当初からの中心メンバーだった。この研究会の綱領は以下の通り。

「一、国体の本紀に則り、日本法の伝統理念を探求すると共に近代法理念の醇化を図り、以て日本法理の闡明並びにおの具現に寄与せんことを期す。
二、皇国の国是を体し、国防国家体制の一環としての法律体制の確立を図り、以て大東亜秩序の建設を推進し、魅延いて世界法律文化の展開に貢献すんことを期す。
三、法の道義性を審にして、日本法の本領を発揚し、以て法道一如の実を挙げんことを期す。」(日本法理研究会日本法理叢書第16輯より引用。(以下の【注2】参照)

小野は、この日本法理研究会の叢書の一冊として『日本法学の樹立──日本法理の自覚を提唱す』を出す。この中で小野は、「従来の法学は、或はフランス法学、或はドイツ法学であり、其の日本への移植受容が主であった」【注2】と批判し、「日本国家、日本民族の歴史的発展の中に内在するところの道理」として、自然法思想を否定する「日本法理」を提唱する。法と道徳についてはこれを分離し「法というものには外部的強制的軌範として僅かに手段的価値しか認めないのが普通の考え方」とした上で、従来の主張にたいして、「法と道徳とは共に道義の実現形態である。法は国家に於て実現されるが、しかしその法は道義に基くものであり、法そのものが道義なのである。法は道に基き、道はやがて法と為る。道義の国家的実現が即ち法である」とした。日本では法と道徳を一体のものとする長い伝統があり、この考え方は聖徳太子の「憲法17条」にまで遡る点を強調し、明治に西洋の実証主義的な法の概念が入ったために、憲法17条を法ではなく道徳と考えるようになったとし、こうした西洋流の法から道徳を排除する考え方を弊害とみて、道徳と法の一体化の回復を主張した。日本法理は「生きた国家の事理である、民族の生活に即した道義である。この故に民族的に規定されてをると考えざるを得ない」「正しい、正しくないという道義の意識は、我が民族精神の中に自ら内含されて居るのであって、その自覚を明らかにすることが、やがて日本法理を自覚する所以なのである」【注3】というのである。

小野は、日本法理の根本には「国体」があるとし、穂積八束と筧克彦と上杉愼吉らの国体についての憲法の議論を紹介しながら、明治維新を国体の自覚とし、国体と政体を区別して政体の変化に対して国体の普遍性を主張し、政体としての憲法を論じるべきではないとして上杉、筧らの議論を支持して次のように述べた。

「上杉愼吉博士が、飽くまでも国体論的立場に於て憲法学を構想されたことは、周知の通りである。上杉博士は国体の淵源を論じ、また国体の精華を論じて「日本国家こそは最高の具体的本質であると規定し、日本は神ながら一心同体の国柄であると言われていることを指摘しなければならない。天皇の御統治は皇祖天照大神と一体不二の立場に於てい給うのえあり而してそれが肇国の事実に淵源し、肇国の事実と離れざるものであることを筧博士は特に強調してをられるのである。」【注4】

この観点から大審院が憲法を引用して、治安維持法裁判で示した「国体」の定義、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ル」は十分ではないとする。大審院の解釈は形式的に過ぎず「国体の本義に徹したとは言い難い」のであって、天皇統治が「神ながらの御統治であるということに、最も大切な意味がある」とし「「かくの如くして、日本民族が天皇の御統治の下に於て一体と為り、国家的生命を道義的に展開して行くところに国体法理がある。」【注5】

しかし、「神ながらの統治」とは何なのかは、「日本国体の真髄」「日本民族の純正なる宗教的体験に於て自覚した、絶対的なるもの」「皇祖天照大神の和魂(にぎみたま)を本とする御稜威」「大御心の現われ」などと言い換えられているに過ぎず具体性はなく、実際の刑法典がどのように根本的な変更を被ることになるのかも曖昧なままで、1944年に全面改訂されたという『刑法講義』では、西洋の刑法学説を概説した後で、こうした刑法体系の内在的な批判というよりも、とってつけたように道義的刑法と刑罰が論じられている。

「日本刑法は日本国家的道義を根本とするものであり、天皇の御稜威の下に国民生活の道義的・法律的秩序を完うし、億兆の和を実現するものであらねばならぬと考える。犯罪はその国家的道義秩序に対する忍ぶべからざる侵害であり、刑罰はかかる行為を否定し、抑制せんがための権威的・権力的行動である。其は応報として犯人に苦痛を与えるものであるが、しかしそれによって国民一般をして客観的道義観念を意識せしむると同時に、亦特に犯人をして道義の厳粛性を知らしむるものである。(中略)其れは単なる犯罪予防の功利的手段ではない。勿論其は人倫的文化秩序の最小限度の要請としての保安を無視すべきではない。応報と予防とは日本刑法において二律背反ではなく、和の協同体的道義において止揚せらるべきものである。」【注6】

●道義刑法と戦後

小野はが戦後も戦時期の道義的刑法の主張を撤回も反省もしていないという発言を繰り返している。中山研一は小野の戦後について「戦前の到達点が戦後どのような変化をうけたのか必ずしも明かではない」としつつ「刑法教科書の戦後新訂版にも日本法理の自覚がそのまま援用され、日本的な国家的道義とそれにもとづく日本的刑事政策の推進が主張されているところからみると、むしろ基本思想に目立った変化はなかったといってもよい」と述べた。【注7】また、中山は次のようにも指摘している。

「(小野は)敗戦によって、日本社会が思想的、世界観的に今までの国家主義、全体主義的なものの優越から民主主義、自由主義、結局個人主義的なものの優越へち推移しつつあるとし、新憲法の制定実施が法のあらゆる領域において深刻な変化を必然的ならしめていることは認められている。しかし同時に、それにもかかわらず、歴史にはどんな飛躍があってもやはり連続したものであり、明治以来の、遠くは大宝養老以来の法律文化の意義は失なわえれてはならないとし、歴史的、文化的な実体的論理は、新憲法という一つの立法によって決定されてしまうようなものではないと結論づけられているのである」【注8】

白羽祐三はもっと端的に小野の言葉を引きながら戦時期との連続性について言及している。白羽が引用した小野の発言は以下のようだ。

「私を『侵略的』国家主義者と断定した公職追放の辞令には甚しく不満であった。私は未だかつて『侵略』を主張したことはない。国家主義者──ナショナリストという意味で、──であっても、それは日本民族の生存と文化とを強調する『文化的』国家主義である」(「三十年前の八月十五日と私」『法学セミナー』242号、1975年。
「『法律時報』の昭和19年1月号‐4月号の巻頭論文として私の『大東亜法秩序の基本構造』という論文が掲載されている。これは紛れもない事実である。そして、それが敗戦直後、マッカーサー総司令官の命令に基づく公職追放審査委員会によって、私が一切の公職からの追放を決定される主要要因となったのである。この論文は、切迫した当時の状況の下において書いたものであり、日本をはじめ、中華民国、当時の満州、フィリピン、タイ、ビルマなどの諸国代表(インド代表の立会)によって調印された『大東亜共同宣言』を根拠とする法理論なのであるから、私は当時も今も、国内法上、また国際法上、方法的な理論の発表であったと確信している」(「人間は永遠に危機的存在である」』法律時報『50巻13号、1978年)【注9】

小野のこのファナティックとすらいえる道義的刑法は、その極端な天皇主義イデオロギーの露出がとりわけ批判の対象になってきた面もあるが、むしろこうした特殊な国家観を抽象して国家、犯罪、刑罰の相互関係と行為主体となる「人間」をどのような関係で捉えているのかという観点から読みなおすことが彼の戦前戦後の継続性認識を理解する上で重要なことのように思う。

彼の基本的な刑法認識は、犯罪構成要件を違法性の類型化と道義的責任の類型化の双方を含むとする独創的な見解にあると評価されてきたが、こうした主張は1920年代に遡る。【注10】1932年の『刑法講義』第三章「行為者の道義的責任」では、犯罪の成立には、構成要件を満たす事実と行為の違法性だけでは「充分ではない」として「更に其の行為に付き行為者に道義的責任ある場合に於いてのみ之を罰すべきである」と述べ、道義的責任とは「反道徳的なる行為に付き其の行為者に対し道義的社会倫理的非難を帰することを得べきことを謂う」【注11】とした。違法性の判断は行為に対するものだが、「道義的責任はの判断は違法なる行為を行為者の人格に関係せしめて行為者自体を批判するもの」だとし、刑法によってこの道義的責任を問うことが必須だとした。そして、これを以下の二点に整理している。

「一 行為者が一般に刑法の維持せんとする文化的規範を意識し、其の意識に従って行動を制するの精神的能力を有すること。換言すれば是非を弁別し及び其の弁別に従って行為するの能力を有すること。此は謂ゆる責任能力の問題である。
二 当該行為を為すに際し其の行為の違法性即ち反文化性又は反規範性を現に意識したるか又は少なくとも之を意識し得べきかりし、従ってまた其の意識に因り当該行為を為さざることを得べかりしものなること。此は責任形式としての故意及び過失の問題である。」【注12】

敗戦直前に刊行された全訂版では基本的な考え方は維持された上でより一層「道義的軌範」への強調がなされるように修正されている。ここで小野が想定している「反道徳的なる行為」「社会倫理」「文化的規範」などという文言によって保護すべきとされているのは、その時代の国家が体現する支配的な道徳、倫理、文化であるであろうことは想像に難くない。

●刑法と道徳の一体化

しかし他方で、この道義という概念を明示的に天皇主義イデオロギーに固定させることをしていないというところが、小野のような道義刑法が戦後もある種の刑法イデオロギーとして延命できた重要な要素である。道義という概念は、ある種の記号作用としてその時代に応じて意味内容を変容させつつ、刑法と道徳の一体性の構造的一貫性を維持してきた。しかも彼の道義的刑法の前提となる法=道徳一体性の議論は、一方で東洋的な法の伝統をふまえつつも、他方でモンテスキューの『法の精神』のキリスト教の神観念を前提とした自然法と実定法の構造と通底するところがあるように思う。だからこそ近代刑法のパラダイムからの切断の苦悩なしに、戦時期は天皇主義の国体思想に、戦後は戦後憲法と民主主義のイデオロギーに自在に横滑りすることが可能だったのかもしれない。

一般に、既存の国家秩序を支える理念を肯定した上で、犯罪をこの国家理念からの逸脱、違反であると位置づけて、刑罰は犯人を再度国家秩序の理念を受容し、この理念に沿って思考し行動する人間に改造することにその使命があるとみる。ここでいう国家が西洋の民主主義国家なのか、ナチス国家なのか、それとも国体の本義を掲げる戦前の天皇主義国家なのかといった個別具体的な国家形態を捨象して国家一般に還元された抽象的な法と刑罰の議論が、権威主義的で抑圧的な国家を正当化する理論としての役割を担ってしまう。これは日本の問題ではなく、近代の思想や学問が一般的に抱えてきた問題でもある。

小野にとって刑罰は、この目的を達成するための手段であり、その手段は厳罰による応報であってもよいし思想教育であってもよく、その手段は、国家秩序と国家理念を達成する上で最適な方法を選択すればよいというものだ。近代刑法の基本的なスタンスとの根本的な相違は、国家権力の行使を法によって抑制する法の支配を絶対的なものとはせず、国家は法制定と執行の主体となりうるだけの至高性を備えているものであるということが前提されているという点かもしれない。ここでいう国家は、具体的な刑事司法の現場であれば裁判官であり警察点・検察などの法執行機関ということになり、こうした諸機関に幅広く裁量権を与えることを肯定することになる。国家は疑うべき対象ではないから、国家に内面も含めて従属することが人々の自由と幸福であるということにもなる。権力者からすればこうした刑法の柔軟な解釈を容認して国家の権威を肯定する価値観を背景とした刑法学が有力な学説として、また実務の世界でも有力な勢力になることを歓迎しないはずはない。

戦後70年の経緯を見ると、国家権力の刑罰権に懐疑的な立場をとるリベラルな刑法学は徐々に排除され、ほぼ一貫して厳罰化の道を歩んできた。こうした厳罰化は米国の厳罰化の歴史などとは異なって、戦時期の刑法イデオロギーが戦後刑法においても地下水脈のように継受されて、とりわけ法務官僚や検察官僚などのイデオロギーの基盤を構築してきたのではないか。【注13】小野に限らず戦時期に国策に与した法学者の大半は、自らの刑法学説を当時の国家イデオロギー(国体イデオロギー)に適用することを意図したに過ぎず、彼らが文字通り、自らの生き方として国体イデオロギーを受容したわけではなかったのではないか。だから、戦後体制に大きな葛藤なしに自らの理論を適応させることができたともいえそうだ。

この観点かたみたとき、最大の問題は、こうした刑法学者の戦争責任、戦後責任の問題が理論史・思想史としても未解決なままであるというだけでなく、未解決となった原因のひとつに、理由や根拠は曖昧なままに、いかなる国家体制であれ「日本」という国家に帰依するかのように寄り添うことを当然とする感情が法学者や社会科学の研究者や実務家の意識を支配しつづけているということにある。これは、国家を疑うということ、その懐疑の帰結としての現にある国家の否定やオルタナティブの統治の可能性を構想するという想像/創造力を放棄してしまうというところに行きつく問題でもある。(この問題はこれ以上ここで言及する余裕はないので別の機会に譲りたい)

●国家の刑罰権を疑う視点

上に例示した戦前からの犯罪と刑罰の基本構造の継続性は、二つの意味をもっている。一つは、戦前の犯罪と刑罰についての価値観が戦後にもまた継続しうる戦前と戦後を繋ぐ共通の土台が成文法の形式によって保持されており、このことを暗黙のうちに学界も実務の世界も共有したということだ。とりわけ、刑事司法の現場がこうした価値観を維持していることによって、現実に国家の暴力によって刑罰を課されてきた人々がいるということが、観念や理論を越えた現実の問題である。共通の土台とは、権威主義的な国家観とナショナリズムである。戦前・戦中の権威主義的な国家主義は、戦後においては、あからさまな天皇主義という分りやすい目印が排除されて基本的人権の尊重が謳い文句となったために、軽視されたが、法の秩序とは、国家の秩序であり、これが自由──つまり支配的な文化やライフスタイルや思想信条からの逸脱の自由──を排除することへの抵抗を極端に弱体化させ、事あるごとに、戦後の(不十分極まりない)自由ですら、これを脆弱化させて権威主義的な「文化」(道義といってもいいが)への回帰を促す力として作用してきた。

もうひとつは、憲法の改正やGHQ主導の戦後改革(労働改革や土地制度の改革など)に刑法は含まれなかった理由に関わる。天皇主義のファナティックなイデオロギーの側面を別にすれば、従来の刑法の枠組は占領軍もまた受け入れ可能なものだったということを意味している。この枠組とは、犯罪と刑罰を行為当事者の個人の問題に還元してその責任を個人に対してのみ問い、個人を処罰することに収斂するものだ。既存の社会秩序がいかに問題の多いものであろうとも、処罰の制度が法的に適正な手続によって制定されたものでれば、この制度がもたらす諸矛盾が個人の生存権や基本的人権を損うものであったとしても、制度は保護され個人の逸脱行為を犯罪化する。既存の秩序を維持することがこの秩序から逸脱する行為よりも保護されるべきものとみなされる。これが公序良俗とか公共の福祉の意味である。

言い換えれば、1907年に制定された刑法は、近代民主主義国家に共通する犯罪と刑罰の枠組として通用するものだとされつつ、他方でこの国のナショナリズムの秩序を再生産する価値観を保護する手段として効果的であると見なされたから現在まで延命できたのである。個人主義であるか集団主義あるいは国家主義であるかに関りなく、西欧の支配的な犯罪と刑罰の枠組みは、資本主義社会と国民国家の統治機構を肯定するだけでなく、この社会が抱える社会的な矛盾が犯罪現象として表出するという考え方を否定する。また、現にある国家による刑罰権、あるいは犯罪に対して精神的肉体的な苦痛を与える行為とそのための制度としての監獄を肯定するという点では、民主主義国家であれ独裁国家であれ、共通する犯罪と刑罰への態度が見いだされる。

●オルタナティブ社会にとって犯罪と刑罰とは

実は、この問題は、更に、資本主義批判における主要な理論と思想でもあるマルクス主義に基づく法思想(とりわけソ連や正統派のマルクス主義法学)においても、資本主義批判に階級社会や搾取の観点を導入しながら、犯罪と刑罰についての国家による権利剥奪と苦痛としての刑罰の問題に無関心であるという点ではほぼ共通したスタンスをとってきた。【注14】経済理論における生産力主義に匹敵する法理論における国家の刑罰権と暴力行使の肯定という問題がここには浮び上る。旧ソ連東欧に広範に設置された強制収容所問題は軽視すべきではない。こうして日本では、既成左翼の法学者も含めて、監獄の廃止、あるいは国家による刑罰の廃止が社会運動としてほとんど重要な潮流をなすことのないまま現在に至っているとみるのは厳しすぎるだろうか。これは、人種差別、貧困層への差別と社会的排除、囚人労働の搾取、ジェンダーと暴力といった問題への強い関心を背景に、欧米諸国におけるラディカルな刑事司法批判が60年代の新左翼運動のなかから登場し、ラディカル犯罪学とか、批判的犯罪学などといった流れがアカデミズムや社会運動のなかで一定の力を持ってきたことと対照的ともいえるかもしれない。

共謀罪だけでなく刑法・刑事訴訟法の改悪問題一般に言えることとして、こうした法改正に対抗する私たちのオルタナティブの視点を持つことが不可欠だ。共謀罪は犯罪あるいはテロリズムの未然防止を口実に、行為以前の意思の犯罪化であるが、こうした発想を政府や法曹界や学会の一部が支持するのに対して、意思の犯罪化を否定し既遂処罰の原則を主張するだけでなく、現在の刑事司法の制度がなぜ意思の犯罪化すら構想しなければならなくなったのか、なぜテロリズムを有効に阻止する手段を欠き、グローバルな不安定が持続するのか。あるいは、越境組織犯罪防止条約が対象とする薬物、銃器や人身売買がなぜなくならないのか、といった現在の社会が抱えている構造的な問題に目を向ける必要がある。そして、同時に、こうした「犯罪」と呼ばれる行為が、刑罰の厳罰化や警察などの捜査権限の拡大(あるいはグローバル化)によってもなくならないとすれば、それはこうした刑事司法の手法だけでなく、この社会がもたらす貧困や武力紛争、あるいは敵意や憎悪といった構造的な要因の解決に目を向けなければならないだろう。

共謀罪は、ここ数ヶ月が勝負という目前の大問題である。共謀罪に反対することは、現状を肯定することを意味するのではなく、国家による意思の処罰の合法化を拒否することを通じて、そもそも国家による犯罪と刑罰そのものを問うことえなければならないと思う。だから、共謀罪の廃案で勝利なのではなく、共謀罪を産み落した現在の刑法そのものを根底から再検討するという課題が残される。共謀罪がなくとも憂鬱な今の体制が続く。共謀罪の問題を理解するための射程は、目前の課題に縛られて戦術的に効果のある批判に収斂してしまうと、共謀罪の背景をなすこの国が明治期から一貫して保持してきた犯罪と刑罰の権力構造そのものを覆す観点がないがしろにされてしまう。そうなってしまうと、オルタナティブの社会を目指すなかで、犯罪と刑罰の問題にどのように向き合うのかという問題が軽視されることになる。現状を肯定して共謀罪に反対する運動にどんな魅力があるというのだろうか?現状を肯定することはとうていできず、だから更に現状を悪化させる共謀罪にも反対するとすれば、どのような社会であるべきなのか、あるべき社会では、犯罪と刑罰はどうあるべきなのかが重要な課題になる。現状の監獄や刑罰の制度を廃止することはオルタナティブ社会の必須の前提だとわたしは考えるが、こうした合意は、暗黙の内にはあっても、「共謀罪はいらない」ということを踏まえつつ、権力が犯罪を処罰することの本質を問いなおす視点は忘れていはならないと思う。【注15】


注1 小野の主要著作は、有斐閣からオンデマンド出版で入手できる。戦時期刑法学者の学説と戦後の動向については、中山研一『刑法の基本思想』、増補版、成文堂、2003年、同『佐伯・小野博士の「日本法理」の研究』、成文堂、2011年、白羽祐三『「日本法理研究会」の分析──法と道徳の一体化』、日本比較法研究所、1998参照。戦前・戦後の刑法思想についての批判的な歴史分析については、内田博文『刑法学における歴史研究の意義と方法』、九州大学出版会、1997年、同『刑法と戦争』、みすず書房、2015年参照。

注2 小野清一郎『日本法学の樹立──日本法理の自覚を提唱す』日本法理叢書第16輯 日本法理研究会、1942年、2ページ。なお戦時期の小野の主要論文は『日本法理の自覚的展開』、有斐閣、1942年に収録されている。

注3 同上、20-21ページ。

注4 同上、33ページ。

注5 同上、36ページ。

注6 小野清一郎『全訂刑法講義』、有斐閣、18-19ページ。

注7 中山研一、前掲『増補版、刑法の基本思想』、57ページ。

注8 同上、59ページ。

注9 白羽祐三、前掲『「日本法理研究会」の分析──法と道徳の一体化』、1-2ページ。

注10 松宮孝明「構成要件論/構成要件要素論」、伊東研祐、松宮孝明編『リーディングス刑法』、法律文化社、2016年、参照。

注11 小野清一郎『刑法講義(全)』、有斐閣、1932年、125-6ページ。

注12 同上、130ページ。

注13 厳罰化がグローバルな現象であることから、その原因について国際的な刑事司法制度や世論の動向を比較調査する研究がある。たとえば、日本犯罪社会学会編(責任編集、浜井浩一責任編集)『グローバル化する厳罰化とポピュズム』、現代人文社、参照。本書が対象とする「刑罰のポピュリズム」論は、新自由主義と刑罰の問題にも関心をもつものとして興味深いが、本稿で取り上げたような日本の刑法が有する戦前戦中の国家主義イデオロギーが戦後の刑罰観や厳罰化に与えた影響という視点が刑罰ポピュリズム論には必ずしも充分ではないように思う。なお国家の刑罰権については、宮本弘典『国家刑罰権正統化の歴史と地平』、編集工房朔、2009年参照。

注14 欧米の新左翼運動や公民権運動などに由来するラディカル犯罪学や批判的犯罪学のなかのマルクス主義犯罪学はむしろ刑罰や監獄の廃止を主張してきたという点で東側や日本の正統派マルクス主義法学とはパラダイムが異なる。たとえば、Ian Taylor, Paul Walton and Jock Young, The New Criminology, 40th anniversary edition, Routledge, 2013のIntroduction to 40th anniversary edition を参照。

注15 犯罪と刑罰をめぐる法の問題をオルタナティブを構想する社会運動は十分な討議に付してこなかった。何を犯罪とするのか、刑罰とはどうあるべきか、という問題がオルタナティブの問題としても軽視された。世俗的な左翼にとって、犯罪とは何なのか、刑罰とは何なのかという問題は、悲劇的な粛清を繰り返した革命運動の経験を総括する上でも避けて通れない大問題である。また、宗教原理主義者たちによる「処刑」やテロリズムを肯定するイデオロギーに対して軍事的な報復ではない向きあい方を論じるということがなければ、テロ対策と不安感情を扇動する既存の支配システムへのラディカルな異議申し立ての思想へとは展開されていかないだろう。遠い将来を見据えて、オルタナティブの社会を構想するとして、資本主義的な刑法がそのまま継受されていいはずがなく、そうであれば、どのように切断し何をオルタナティブとして創造することが、実質としての自由と平等を保障することになるのか。国家の刑罰権をそもそも認めるのか。立法とはどのようであるべきなのか。このように考えると憲法による統治の限界も射程に入れた法のグランドデザインの再設計というおおきな宿題に向き合うことになる。共謀罪批判はこうしたところにまで射程距離を延ばせなければならないと思う。

第二回自由大学「あらゆるアートは共謀/狂暴である」

反政府プロパガンダを共謀する!

国会で上程が予定されている共謀罪(政府は「テロ等準備罪」と言う)は、600以上の違法行為を対象に、相談や目配せだけで(実際にやろうとやるま いと)犯罪にするというとんでもない法案だ。この法案はアーティストにとってもかなりヤバい!共謀罪は文化弾圧でもあり、ストリートの自由を圧殺し、対抗 文化を根絶やしにする。だからこそ、今あえて、共謀罪に反対するアクションを共謀し、戦時極右政権の下での反政府プロパガンダを共謀しなければならないの ではないか!?

スピーカー:小倉利丸(『絶望のユートピア』著者) 共謀罪批判のアウトラインとアート・文化運動との関りについて話します。

日 時:2017年4月1日(土)19:00~21:00/18:30 Open
場 所:素人の乱12号店|自由芸術大学
杉並区高円寺北3丁目8-12 フデノビル2F 奥の部屋
資料代:500円+投げ銭(ワンドリンクオーダー)

出典 自由藝術大学

共謀罪も越境組織犯罪防止条約もテロを防止できない

共謀罪の閣議決定後の記者会見で、金田法相と岸田外相は次にように共謀罪の必要に言及した。

金田法務大臣の記者会見発言

「今回の改正は,近年における犯罪の国際化及び組織化の状況に鑑み,テロを含む組織犯罪を未然に防止し,これと戦うための国際協力を可能とする「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」,いわゆるTOC条約を締結するための法整備として行うものです。3年後に迫った東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開催を控えた中,TOC条約の締結のための法整備は重要なものであり,急務であると考えています。」

岸田外務大臣の記者会見発言

「ご指摘のように,本日の閣議で国際組織犯罪防止条約の国内担保法が閣議決定されました。この条約は,既に187か国が締結をしています。こうした条約を我が国も締結し,テロを含む組織犯罪と闘うことは,2019年のラグビーワールドカップ,2020年の東京オリンピック・パラリンピックを控える我が国にとって,重要なことであると考えます。
この条約締結に必要な「テロ等準備罪」を創設することで,テロを含む組織犯罪を未然に防ぐことが可能になるほか,国際協力が促進され,深刻化するテロを含む国際的な組織犯罪に対する取組が強化されることになります。このことは大変大きな意義があると考えております。」

二人ともテロと闘うためには国際組織犯罪防止条約(以下、日弁連の呼称に倣って越境組織犯罪防止条約と呼ぶ)の締結が不可欠で、そのために共謀罪が必要であるという従来からの主張が繰り返されている。しかし、条約と共謀罪がテロ防止にとって不可欠という政府の主張を立証できる証拠はいったいどこにあるのだろうか?フランスはじめEU諸国で起きてきたテロは、条約と共謀罪があっても防げなかったのではないか?

政府の言い分では、「すべての重大な犯罪の共謀を犯罪とすること」を条件としているとされるこの条約を締結している国は187ヶ国にのぼる。 二人の大臣が言ったことを敷衍すれば、187ヶ国、つまり世界のほとんど全ての国では「すべての重大な犯罪の共謀を犯罪」としているということだから、世界中至る所で話し合うだけで犯罪者とされて逮捕され、その結果として、条約締結国、187ヶ国ではテロが防止されているはずだ。他方で、共謀罪のない日本は、世界でも最もテロの脅威に晒されている危険な国だといことになる。そうでなければ立法趣旨と理屈が合わないだろう。

しかし、世界の現実は政府の立法趣旨とは全く逆であることは誰もが認めるところで、テロ防止効果はみられないのではないか。現実の世界で起きていることを踏まえれば、共謀罪でテロ防止効果があると日本政府が本気で信じているとは思えない。このことからしても、政府が公式に発言している共謀罪の立法の趣旨は政府の本音ではないことは明らかだ。越境組織犯罪防止条約と共謀罪がテロを防止できると繰り返す政府の主張は、ある種のフェイクニュースの類いと言うしかない。

BBCは、ロンドンのウェストミンター国会議事堂付近で起きた自動車テロの報道にほとんど全ての時間を費やしてる。テレサ・メイ首相は英国議会は「民主主義、自由、人権、法の支配という我々の価値を代表している」として、テロがこうした英国の価値観への挑戦だと批判した。テロが起きるたびに欧米の(そして日本の)政府首脳らが繰り返すこの自己讃美の言説を、私は納得して聞いたことがない。むしろ非常に不愉快な気分になる。英国が誇る民主主義や自由はまた同時に、英国の植民地主義と表裏一体だったのではないか?イラク戦争以降の対テロ戦争は、英国の民主主義、自由、人権にもとづいて広汎なイスラーム圏を武力紛争という民主主義も自由も人権も奪うような環境に追いこんだのではないか。民主主義、自由、人権を口にしながら、実際にはそのいずれもが奪われる。どうしてこのような欺瞞を繰り返す「先進国」の価値観に、こうした欧米500年の欺瞞に心情的にも共感できるだろうか。米国もフランスも有志連合の諸国だけでなく全ての対テロ戦争に加担している自称「自由と民主主義」の国に共通する欺瞞の言説が、むしろ敵意と憎悪を再生産しているのではないか。

言うまでもなく、日本が戦前戦中に繰り返してきたこともこれと同質であったし、戦後もまた日本の侵略と戦争責任への反省がないという意味でいえば、欧米先進国と同罪である。欧米帝国主義批判と民族解放戦争としての大東亜戦争なる言説とは裏腹に、日本の行為は明かな侵略であり虐殺であった。一方に口当たりのよい普遍的な理念を掲げ、この普遍的な理念を口実に、他方で残虐の限りを尽しながらこの暴力を正当化してきた。それが近代という時代の精神の本質ではないか。

テロ対策に厳罰主義や警察による捜査権限の拡大が役にたたないのは、この欺瞞を正当化するための国家による暴力の行使でしかないからだ。今問われているのは、価値観を裏切ることを平然と繰り返す権力の偽善そのものである。主権者たちもまた、こうした政府の偽善と腐敗を民主主義という舞台装置によって下支えしているのではないか。

既遂処罰原則を揺がす共謀罪と監視社会に対抗する視点とは

ついに共謀罪法案が閣議決定された。法案の条文についての逐条批判は私の役割ではないので、これまで書いてきた批判の流れのなかで、いくつか述べる。

私は悲観論者なので反対運動にとって元気になるようなことは書けない。むしろ危惧すべきことばかりを書いてしまうのだが、やはり率直に私が感じている危惧を書いておく必要があると思う。

共謀罪の反対世論はようやく徐々に拡がり始め、たぶん現状は賛否拮抗というところだろう。国会の動向は私には何ともいえないが(政局を論じるのは苦手だ)、不安材料がいくつかある。ひとつは、法律の専門家たちの動向だ。少なくとも共謀罪のような行為以前の意思を犯罪化するような発想を、少なからぬ刑事法の専門家たち、たとえば、法務省刑事局の立法担当者や国会の法曹資格をもつ与党議員たち、学界や法曹界の実務家が肯定しているのではないかという疑問だ。「暴力団」(これは警察用語なので中立的な用語ではない。当事者に即せば「やくざ組織」ということか)の被害者対策の弁護士らを中心に130名の弁護士が、越境組織犯罪防止条約の締結のために共謀罪成立の必要を提言したと報じられている。(弁護士ドットコム)他方で刑事法研究者中心に「共謀罪法案の提出に反対する刑事法研究者の声明」も出され、160名余りが署名していることがメディアでも報道され注目された。 160名という数は一見すると多いようにみえるが実はそうではない。日本刑法学会の会員は1200人であることを前提とすると、160名という数はかなり少ない。また立憲デモクラシーの会も反対声明を出しているが、刑法を中心とする専門家たちの反対の声はまだまだ非常に小さい。

もうひとつの危惧は、越境組織犯罪防止条約は共謀罪新設なしでも締結できるという反対の論拠が共謀罪を阻止する上で決定打にはなりえないのではないか、ということだ。以前私は、日弁連の主張とは違って、越境組織犯罪防止条約は必要ないと述べた。外務省によればすでに187ヶ国が締結しているから、これはむしろ締結しない方がおかしいと思いがちだが、この条約の目的である薬物、銃器、人身売買がこの条約によって目にみえて減少しているとはとうてい思えない。こうした問題の根源にあるのは貧困や武力紛争であり、単なる犯罪組織だけでなく、武器・軍事産業や多国籍資本あるいは国家の軍事安全保障政策もからんでおり、これらのアクターを念頭に置いた解決こそが必要であって、警察力や政府に委ねて解決できる問題ではないからだ。今この点はさて措くとして、条約締結は日弁連が主張するように、共謀罪新設なしで締結するという可能性があるということを政府が受け入れてしまったら共謀罪は成立しないのだろうか。条約の締結と共謀罪とを切り離して、共謀罪を成立させることも可能なのではないか、ということである。こうなったときに、既存の法律での条約への対応を口実に刑法の解釈が柔軟化してしまい、厳格性を欠くようになるという副作用もありうるのではないか。これは刑法の拡大解釈を許すことにならないか。この点を踏まえたら、越境組織犯罪防止条約の締結などは考えないことの方が好ましい。もうひとつの危惧は、条約締結の条件に拘泥せずに、対象犯罪も絞りこみ、テロ対策に特化して共謀罪を新設するということになったときに、現在反対を主張している専門家やメディアなどの対応はどうなるのか、である。テロ対策は不要だということを主張できる勇気あるメディアや学界などはどれほどあるか、かなり動揺するのではないか。

刑法は憲法が保障している例外的に人権を国家の暴力によって制約し国家に刑罰権を与える極めて毒性の強い法規範なのだということを再確認する必要がある。だからこそ既遂処罰の原則を再確認することが必須なのだ。日弁連も意見書 において「現行刑法は, 犯罪行為の結果発生に至った 「既遂」 の処罰を原則」としている点を第一の反対理由に挙げている点は非常に重要だが、刑法学者の声明ではこの点への言及が十分とはいえないところが気にかかる。刑法の原則がどこにあるのか、根本のところでもしかしたらかなり本質的な見解の相違もありそうに思う。

共謀罪をもたらす根底にある犯罪と刑罰の思想には、この原則を逸脱して「安全安心」の観点を肯定する発想があり、これが歯止めのない監視社会を生むのだという点を再確認する必要がある。共謀罪反対の世論を構築するためには、迂遠な話なのだが、大衆意識のなかにかなり根付いてしまった「安全安心」イデオロギーを覆すことが、共謀罪反対運動や反監視運動の最大の課題である。この観点から犯罪と刑罰の問題を再検証し、既存の刑法そのものも根本から再検討して刑法におけるオルタナティブとは何なのかをきちんと議論しなければならないとすれば、既存の刑法でいいなどとはとうてい言えない。

以前にも書いたように(これ とかあれ)、共謀罪は、一九〇七年に成立した現行刑法の基本的な枠組みを根底から覆し、自民党改憲草案に対応した国家による犯罪と刑罰の体制を構築する試みの一環である。問題の本質は、犯罪と刑罰の基本的な認識の変質にある。国家権力による強制的な自由剥奪と刑罰権を制定した刑法が一世紀以上も前に制定されたものを基本とし、戦後の憲法制定によっても全面改正されないまま現在に至っていること自体が、改憲に深い関心を寄せてきた運動のなかではさほど関心を呼ばすに見逃されてきたのかのか、その理由は別途問題にすべきだが、政権側は、戦後憲法の枠組を前提として解釈されてきた刑法の解釈枠組を変えるだけでは満足せず、その条文そのものをも根底から変更したがっている。戦前由来の刑法ですら今の自民党政権は納得しないということだ。

私は、刑法には、戦前と戦後を通底するこの国の近代国民国家としての権力とイデオロギー、あるいは秩序と支配における一貫した構造を読み取ることができると考えている。憲法を基準にすると戦前と戦後の切断が強調されるが、刑法の場合は逆にその連続性がはっきりする。言い換えれば、この国は、明治期から現在まで資本主義的な国民国家としての一貫性を保ち、この一貫性を安定的に維持するために、刑法は明文をもって何が「罪」であり、国家はどのような刑罰権を行使できるのかを示す機能を担い続けており、その基本的な理解の枠組に、戦前と戦後の間に本質的な変更はないということである。

刑法を旧憲法の枠組を前提に解釈する場合でも、実はかなり大きな振れ幅があったのではないか。大正デモクラシー期までの天皇機関説(天皇主権や天皇不可侵とは矛盾しない)を通説とする国家観に基づく犯罪と刑罰の法規範の時代から、治安維持法、国家総動員法と「国体の本義」を前提にした憲法「改釈」に基づいて刑法も「改釈」される時代へ、とりわけ法と道徳を区別する西欧流の理解から法=道徳とする日本個有の「法理」あるいは「道義的刑法」の主張が支配的となる時代へと大きな変化があったと思う。

いわゆる大正デモクラシーの時期までとそれ以降の間には、同じ刑法であっても大きな振れ幅があり、このことと総動員体制や治安維持法などの戦争立法と密接な関係があった。その上でなお、刑法は戦後憲法下でも生き残り、戦前の総括や反省は不十分なまま戦後憲法を前提として刑法解釈を再構築する横滑りを司法も学会も構築してきたように見える。だから、旧憲法時代の刑法の理念ともいえる総則解釈や条文解釈、あるいは実務上前例となる判例も、戦前のそれが戦後に全面的に否定されたわけではなく、その多くは戦後も継承されてきた。

憲法によって基本的人権の保障の幅は明らかに根本的な違いを見せたが、このことは刑法にどのように影響したのだろうか。旧憲法では「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス」(20条)とあり、自由の権利は「法律ノ範囲内ニ於テ」しか認められなかったが、戦後憲法はこの「法律ノ範囲内ニ於テ」を削除して無条件に自由の権利を保障し、検閲も禁じた。この差は、何を犯罪とするのかだけでなく、刑罰のありかたにも本質的な影響を与えるはずのものであるにもかかわらず、犯罪や刑罰はどのような政治体制のもとであれ、どのような憲法の下であれ、基本的に同じ性質のものだという、先入観が大衆意識には根強いように思う。こうした大衆の犯罪と刑罰についての意識を専門家も共有しているとはいえないだろうか。本来ならば、自由の権利をはじめとする基本的人権保障の幅が拡がったということは、逆に、国家による人権制約の幅は抑制されなければならず、そのことが刑法において明示的に示されなければならないはずだ。これは単に刑法73条から76条の大逆罪、不敬罪を削除すれば満たされるという問題ではなく、一般的な刑事犯罪をどのように認識しどのように対処するのかという犯罪と刑罰全般の哲学に関わるハズのものだ。とりわけ反政府運動など政治活動の犯罪化については、戦前の制定法による出版の検閲や集会規制がない分、目に見えない検閲が横行しはじめている。(公共施設の集会規制、ビラ貼りや街頭情宣規制、資本と国益優先で労働基本権を形骸化させるなど)そうであれば共謀罪などとうてい想定外の更にその外の非常識極まりない発想だと考えられてもいいくらいのことではないか。

戦前から現在まで一世紀以上にわたって大きな振れ幅をもつ現行刑法ですら自民党は満足していないのは、明かに改憲を睨みながら、戦前でいえば道義的刑法と類似するような法と道徳の一体化を願望しているからだろう。共謀罪の深層にある権力の無意識には、戦後も清算されなかった国家の価値観に「国民」をその内面から一体化させたがる欲望があり、安倍政権はこうした欲望をある意味では露出させたに過ぎないともいえる。しかし、いつの時代であれ権力者は「国民」を百パーセント自らの意思に従わせたいと願望するものだとして、何がこうした発想を具体化しうると信じる力を与えることになっているのだろうか。

戦前の道義的刑法やあるいは意思を犯罪かしようとする傾向との相同性には注目すべきだが、単純な戦前回帰が共謀罪の本質なのではない。端的にいえば、これまで不可能と信じられてきた、人間の内面を規制し抑制する技術を前提とした思想信条や意思そのものの犯罪化が、可能になってきたということでもある。こうしたことが可能になったと権力者たちが信じるようになったのは、20世紀に急速に発達した、犯罪心理学や犯罪精神医学、コンピュータサイエンスによる生体情報レベルでの個人認証技術や行動や認知に関する科学、そして膨大なコミュニケーションの記録を保管し解析し予測のシミュレーションを行なう技術、時には個人情報を密かに収集することが技術的にも制度的にも可能になったといったことがあるだろうと思う。こうした情報処理技術に支えられて、刑事司法領域では科学捜査やプロファイリングが飛躍的に発達し、サイバーセキュリティとテロリスム対策が警察と軍の双方を融合させ、更には警察のグローバル化を促す領域となった。情報コミュニケーションテクノロジーが刑事政策だけでなく刑事手続から更には刑法そのものにも影響を及ぼし始めているということではないか。それが共謀罪を下支ええする背景にあるのではないか。こうした傾向にはある種の「神話」やありえない技術への都市伝説も含めて大衆文化の関心を誘い、こうしたことも含めて政策決定者や政治家たちは、人間の行動を予測可能なものとすることを前提として法を見直すことが可能であると考えはじめている。ICT産業もまた政府による監視や統制テクノロジーを重要なビジネスチャンスとみて、開発投資を促進させている。政治家も一般の人々の関心も、既遂の犯罪や社会的な「混乱」ではなく、将来予測に基づく予防に引きよせられている。これが端的な合言葉として「安全安心」で表現されていることだ。プログラムに合わせて人間の行動を外面的に制御するのではなくて、フィードバック機構を組み込みながら人間の心理や内面を予測して制御し、自発的にプログラムに適合的な行動をとるような人間を生み出すとともに、こうした適応が困難なパーソナリティを発見しあらかじめ予防措置をとろうとする。

予測の技術が制度化され法的な正当性を付与されるということは、国家が水晶玉の前に座って私たちの未来を予見する魔法使いになるということだ。「おまえは明日3丁目のコンビニに強盗に入るはずだ」といったことを宣言する権限を与えることを意味する。「そんなはずはない」と主張しても、彼らには膨大な私のプロファイリングデータがあり、そこから科学的に導かれた確率に基く予測こそが私の私自身の未来であって、私の自己認識などよりも一般的に信用性があるということになる。私がどのように抗弁しようと、私は明日のコンビニ強盗の犯人にされるというわけだ。共謀罪とはこうしたSFまがいの世界が大真面目に導入される世界を予兆するものだといっていい。

刑法は、国家の刑罰権と基本的人権を強制的に放棄させる力を国家に付与する。つまり、人間は生まれながらにして自由で平等な存在であるという近代の価値観を、国家に限って例外的に否定する力を与えることを正当化する巧妙な仕組みでもある。言い換えれば、国家が自由と平等を否定する独占的な枠組を人為的に構築し、制度として固定化することを正当なこととして認める仕組みである。

自由とは選択の自由のことだという通俗的な自由の定義を前提したとして、いわゆる近代民主主義国家では、この選択の自由の範囲と選択の判断を、当事者(私やあなた)の道徳や理性、あるいは当事者が帰属意識をもつ社会集団の慣習などに委ねずに、制定法に基づく司法の解釈にその是非の判断基準を委ねることになる。【注1】国家が制定法に基づいて、ある人間が選択しようと意思したある行為が「違法」であると判断すれば、その個人の行為の選択肢からこの行為は強制的に排除される。あえてこの行為を選択すれば、犯罪者とされて、身体の自由や財産を奪われ(懲役刑や罰金刑など)、刑罰という苦痛を強いられる。これは国家による人権の一部の合法的な侵害である。こうして、このように自由を剥奪される者は、そうではない者と平等に自由を享受できない。

刑法は、行為が明文による犯罪類型に該当しなければ犯罪とされないための枠組であって、内心を直接問題にするものではなかった。一般にリベラルな社会であれば(これが近代民主主義国家のモデルだろう)、内心の問題は、道徳や倫理の問題であるとされてきた。道徳として人を殺すことはあってはならないと考えようが、刑法で犯罪とされているから処罰の苦痛を受けたくないという理由から人殺しはしないと考えようが、社会としては殺人が起きなければよい、というのがこれまでの犯罪と刑罰の考え方だった。これは内面を客観的に判断し推測することができないかったからで、哲学的な意義はその後づけでしかないように思う。先に述べたように、共謀罪の発想は、内面や心理を予測する技術の発達とともに、国家が内面をコントロールすることに関心を持ちはじめたことを意味しており、こうした関心と現在の予測技術の水準を前提したとき、従来のような内面に関与せずに結果の違法性を問題にするか、あるいは既遂であればその行為を促した動機や意思といったレベルで内面を問題にするというレベルでは満足しななっているということでもある。【注2】共謀罪のように「話す」ことを共謀として犯罪化するということは、「話す」前提にある話し手の観念にある行為への意思や意欲そのものを権力が監視するということに繋がる。そのような意思を持たないように予防することが権力にとっては、「安全安心」の条件であり、そうした技術を構築しなければならないという要請があると感じるのだ。

本来、上で述べたような内心の問題は道徳の領域だった。道徳は意思に内面化されることによって、そもそもの選択肢の範囲を内在的に規定するから、国家による外在的な強制としての法とは同じことではない。その行為が違法であるかどうかの認識なしに、道徳によってそうした行為を自由な選択肢からあらかじめ排除することはありうる。これは、当事者の主観に即せば、自由意思に反するとはみなすことは難しいだろう。しかし他方で、道徳的には選択肢として妥当する行為が違法とされる場合はどうか。こうした行為の妥当性は、法治国家であれば国家の法が優先し、当該個人の道徳は行為の正当性を根拠づけることにはならない。しかし一般論として言えば、道徳による行為の選択の幅と法が合法あるいは適法とする行為の選択の幅が一致するものとみなすか、反道徳的であっても違法あるいは犯罪ではないとして、合法の範囲が道徳の範囲よりも広く設定されることで、自由をめぐる道徳と法の齟齬が深刻な対立を引き起こさずに解決されることになる。つまり不道徳であっても合法な領域を残すことが既存の秩序維持にとっては有効な選択なのである。これが、理屈の上では、法治国家の統治の安定性を支える構造をなす。だから、法による犯罪と刑罰の規定は、最小限度に留め、法的な強制によらない道徳的あるいは慣習的な内面的な行為規範の形成によって社会の秩序を維持することが望ましいということになる。

道徳としてここで述べたことは価値観とかイデオロギーあるいは信仰といった人々の行為選択における確信形成をなす場合として言い換えることができる。確信的な行為が合法の範囲を越える場合、これは国家が独占する犯罪と刑罰に対する確信犯の問題として、最もやっかいな問題になる。なぜなら如何なる苦痛や応報も矯正や教育も確信犯には効果がないからだ。そして、一般に、政治運動の犯罪化は、確信犯の問題となる。出来心や過失の犯罪ではないからだ。そして厳罰化の傾向が強化されればされるほど、こうした確信犯の問題を抱え込むことになり、犯罪の抑止効果が期待される刑罰が効果をもたないというジレンマに陥いる。厳罰化と確信犯の増加は、権力基盤が脆弱になっていることを端的に示すものともなる。つまり価値観や道徳的な自発的同調に失敗していることの表れだからである。共謀罪は、この観点からみると、既存の統治機構の正統性が見かけほど磐石ではないことを現わしていることになる。内面や意思を犯罪化しなければ秩序が保てないということはかなり深刻な支配の揺らぎなのである。

この正統性の危機と表裏一体となって、監視技術と行動予測や心理分析などの「高度化」によって、価値観や道徳といった内面に国家が介入・制御することが可能な世界が登場しているということだ。しかしそうだとすると、私たちにとっての問題は二つある。ひとつは、こうした国家による内面の制御に対抗するためには、私たちが自己の内面の自立性(オートノミー)を獲得するだけではなく、より積極的にこうした国家が欲する内面とは根本的に抵触あるいは切断する私たちに個有の内面世界をいかに構築するかという問題である。彼らが望まない私たちの内面における「もうひとつの世界」が具体的な現実の支配を覆す動機や意思として徴表されるような回路をも構築できなければならないということでもある。

もうひとつは、国家が私たちの内面により「科学的」に干渉して、消極的に犯罪を犯さないパーソナリティというだけでなく、積極的に国家利益に合致するような道徳や倫理規範を持ち込もうとするという場合、超越的に「オルタナティブ」を主張するだでななくて、この日本の国家イデオロギーを批判することが必要になる。このときの核心をなすのは、政治的なイデオロギーというよりも文化的なイデオロギーだろうと思う。刑法における文化的なイデオロギー問題は、法解釈の背景をなす一つの重大な問題であり(法と文化が最もよく議論された時代は、戦時期であったことを想起すべきだ)、この問題をぬきに共謀罪の深層を抉ることはできないだろうと思う。

今回はここまでにするが、最後に述べたオルタナティブへの課題は、法におけるオルタナティブの問題全体にも関わる。言い換えれば、憲法や人権のオルタナティブも含めて、法、道徳、統治規範のオルタナティブの議論は、経済のオルタナティブや文化のオルタナティブの議論に比べて反政府運動のなかでは十分ではない。この問題を疎かにすると、20世紀「社会主義」が自己正当化した暴力(粛清た弾圧)の問題にかぎらず、暴力をめぐる問題を看過しかねないとも思う。コミュニズムであれアナキズムであれ法の問題を真剣に考える上で共謀罪にどう対峙するかは重要な実践的かつ理論的な課題だと思う。

【注1】社会契約なき裸のままの人間集団が軋轢と対立のみしか生まない野蛮な状態であるという仮定は、歴史的にも根拠がないが、また、社会契約を国家による法制定権力の根拠とすることにも飛躍がある。社会契約が国家を要請するという発想は、国家を正当化するために社会契約をある種の口実として利用したに過ぎない

【注2】刑法の旧派と新派の対立とか、結果無価値論と行為無価値論の対立といった議論は19世紀から20世紀に至る犯罪と刑罰の関心が、徐々に行為者の行為からその意思へと展開していったことの表れのように思う。身体的な刑罰から、過酷な肉体刑が後退し、矯正や教育としての刑罰が台頭したこともこれに関連するだろう。このことを内面の監視へとつなげて関心をもったのがミシェル・フーコーだったことはよく知られているが、日本の場合、刑法の伝統が主にドイツ刑法であっこともあり、フーコーの議論が無条件に妥当するといえるかは留保も必要だと思う。

自民党改憲草案と共謀罪──反政府運動の非犯罪化のために

前の投稿で改憲問題に簡単に言及したが、ここではやや詳しく私見を述べておきたい。

共謀罪法案の国会審議が本誌発行の時点でどのように進展しているのか、現在の執筆段階(三月一九日)からは見通しがたてにくい。二〇〇三年以降幾度となく上程‐廃案を繰り返してきたことからもわかるように、「共謀」の犯罪化は刑法の根底を覆す深刻な問題をはらんでおり、専門家の間ですら合意がとられていない。(注1)廃案を繰り返してきた法案を執拗に再上程する与党側の対応は尋常とはいえず、表向きの立法の必要性(越境組織犯罪防止条約の批准)に必要な前提となる国内法整備とは別の思惑がるのではないかと判断せざるをえない。誤解を恐れずに言えば、共謀罪への強いこだわりは、安倍政権がしきりに口にするようになったテロ対策ですらないと思う。それよりももっと根源的なところでの制度の転換が意図されているのではないか。それは一言で言えば、自民党が目論む改憲(二〇一二年「改憲草案」)を先取りした刑事法制全体の転換を意図したものではないかということである。自民党改憲草案(注2)では、憲法二一条の表現の自由条項「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する」に新たに次のような第二項を追加している。

「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」

現行憲法二一条を前提にすれば、犯罪組織(この意味は後述するが法案では「組織的犯罪集団」とされるようだが定義は不明)や「公序良俗」に反する組織であっても、集会、結社、言論、出版など「一切の表現の自由」が保障される。この条項と一三条の生命・自由・幸福追求の権利における「公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政上で、最大の尊重を必要とする」という条項を合せて考慮したとき、現行憲法では、犯罪組織の場合であっても幸福追求等の権利はあり、「公共の福祉」に反する場合は、「最大限の尊重」は必要とはされないが、場合によっては立法その他の国政上でのある種の「尊重」の対象になる場合もあるということである。改憲草案の場合は、そもそも「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」を目的とする結社は憲法上も存在を許されない。(注3)言い換えれば、改憲草案では「公益及び公の秩序」に反する結社を憲法によって禁じることになるので、下位の法律によってどのような組織が違憲なのかを具体的に定める必要がでてくる。共謀罪はこの結社禁止の重要な布石となりうる。

上で「犯罪組織」と述べたが、戦後憲法と刑法の枠組には、不敬罪や治安維持法などといった政治犯罪の条項がないから、政治犯であっても一般の刑法の犯罪が適用されて一般刑事犯として摘発される。しかし捜査機関側は、一般刑事事件と反政府運動に対する捜査を組織としては明確に区別し、後者をもっぱら対象とする警備公安警察を置き、既遂の犯罪を原則とする刑事警察とは異なって恒常的な監視と予防的な拘束を行なうし、起訴前の逮捕・取調べの処遇も、接見や釈放の条件では一般刑事犯とは著しい不利益差別がある。もちろん政治犯は正義の確信犯であると特権化して、一般刑事犯の人権をないがしろにすることはあってはならない。むしろ反政府運動にとっても、あるいは一般的に市民運動にあっても、一般刑事事件の犯罪や被疑者・犯人とされた人達の人権とどのように向き合うかは重要な課題である。上で言及した「犯罪組織」には、やくざの組織も反政府運動の組織もテロリスト集団も、あるいは路上で微罪を犯す非行や不良青少年グループ(かつて愚連隊という言い方もあった)なども、その集団の形態や趣旨を問わず刑法で犯罪と規定される行為に多かれ少なかれ関与すると警察などが判断するであろう組織全般が念頭に置かれている。

反政府運動は、その規模や目的の大小はあるにしても、現在の支配的な制度への異議申し立て運動である。これを権力者たちの側からみれば、法によって保護されるべき「公益」や「公の秩序」として解釈される既得権益(例えば、米軍基地の建設や大規模開発などから個々の企業による労働者の搾取の制度まで)を覆す行為や組織であって、それ自体を犯罪化し権力による人権の強制的な制限(侵害)を行なうことは、公序良俗であれ公益や公の秩序であれ、その言い回しは様々だが、正当だとみなされることになる。これは政治活動の犯罪化だが、現行憲法では、たとえ捜査機関や政府が「犯罪組織」のレッテルを貼ったとしても、憲法上の結社の自由によってその存在そのものは保障され(注4)、その自由追求の権利は最大限の尊重はされないとしても否定はされない。また、政治的な目的意識性をもたない刑事犯罪目的の組織や集団であるからといって、国家はその構成員に対して人権の剥奪を恣意的に行使することが許されるわけではない。

犯罪者にも人間としての権利があり、この権利を敢えて強制的に剥奪することを定めたのが刑法であるということは、刑法に関わる立法問題を論じる場合の大前提になる。しかも、人間のどのような行為を犯罪として刑罰の対象にしなければならないのかを人類史全体を通じて普遍的なものとして定義することはできない。時代によっても文化や価値観、世界観によってもその定義は異なる。また、この犯罪と刑罰の規定を国家が独占しなければならない理由についても普遍妥当なものだというわけではない。この意味で犯罪と刑罰の普遍的な定義はない。このことは、どのような社会歴史認識を持つのか、どのように既存の犯罪と刑罰の制度を評価しているのかという、私たちが暮す社会への私たち自身の評価と切り離すことのできない問題である。

現にある社会が抑圧的であって、憲法が宣言している自由や平等の権利にすら違反していると考えて、権利を獲得するために現にある制度を打破することが不可欠だと考え、行動を起すことを考えてみよう。行動の内容は、言論である場合もあれば、路上で意思表示する場合もあれば、既存の政治的な意思決定の仕組みを利用する(選挙や議会の立法機能)場合もあるだろう。表現は多様であって、「自由」なものとして実践される権利がある。言論・表現・結社の自由をほぼ無条件に保障する現行憲法は、政治的な行動や表現をもっぱら議会制民主主義の狭い枠に収めるべきではなく(そうならば選挙権と被選挙権の権利さえあればいいということになる)、議会に収斂しない思想と行動の自由こそが必須だという立場をとっている。このことは憲法それ自身を否定する行動や言論をも保障する。社会の変化は、既存の制度を前提とする改良である場合もあれば、根底から統治機構を再構築する革命となる場合もあるし、その地理的範囲も、既存の国家の領域に限定される場合もあれば、分離独立となる場合もあれば、複数の国家の領域にまたがる場合もある。憲法が抽象的に(あるいは理念として)保障しているこうした革命の権利は、抽象的な権利でしかなく、具体的には、既存の社会秩序や政治体制の安定を優先させるために、下位の法律によって犯罪化されるが、そうであっても常に、自由の権利の限界をめぐって争いがありうるし、争うことなしには自由の権利も獲得できないという、積極的な意味で自己矛盾をはらんでいるのが基本的人権を保障する法の枠組だ。だから、自由の権利に関わる場合は、特にどのような行為が犯罪化されるのかという範囲をあらかじめ決めることはできず、政治と司法をまきこむ合意と妥協と原則をめぐる行為の解釈=政治学の世界に関わる。(注5)

つまり、共謀罪がもたらすであろう効果が、自民党が構想する改憲後のこの国の憲法体制を踏まえたとき、越境組織犯罪防止条約やテロ対策などの範囲を大きく越えるだろうということは疑問の余地がないということだ。共謀罪反対運動が持たなければならない反対の射程は、改憲後の事態をどのくらい考慮に入れているのか、私には鮮明には見えてこない。日弁連の反対声明でもこの点には言及がない。安倍は共謀罪なしではオリンピックは開催できないと繰り返しているが、本音は共謀罪なしの改憲はありえない、ということではないだろうか。共謀罪も改憲草案もその起草の主体は同じ自民党であるから、この両方を睨んで、共謀罪を解釈することは、私たちの自由の権利、とりわけ反政府運動にとっての抵抗権の非犯罪化にとっては不可欠な観点だ。


(注1)法案は、二〇〇三年第一五六回通常国会で最初に審議入りし、その後二〇〇五年の第一六三回特別国会に再上程されるが継続審議の扱い、第一五九、一六四国会においても廃案、第一六五回臨時国会、第一七〇回臨時国会でも継続審議扱いとなる。二〇〇九年七月、衆議院解散で審議未了廃案。

(注2)https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/130250_1.pdf

(注3)この改憲草案の二一条は、現行憲法一三条で生命、自由、幸福追及の権利について「公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政上で、最大の尊重を必要とする」とあったのを「公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政上で、最大限に尊重されなければならない」と平仄を合わせる形になっている。

(注4)例外として破壊活動防止法があり、その違憲性が議論の対象になってきた)

(注5)この国ではデモする場合に事前の届出が必要であり、車道の全車線を自由に利用する権利はほぼ認められないが、韓国ではソウル都心部の路上を全面占拠しての反政府運動があたりまえのようにして行なわれる。同じような光景は香港でも台湾でもみられるし、むしろ日本のような不自由は例外的に抑圧的だ。

共謀罪は改憲の先取りである

共謀罪批判の議論で不十分なのは改憲との関わりだろうと思う。

現行刑法は明治刑法が維持され、その成立は1907年である。第一章の大逆罪や不敬罪などの「皇室ニ對スル罪」が削除され、治安維持法、国防保安法なども廃止されたが、刑法の基本的な発想はそのまま残っており、内乱罪など国家への犯罪が刑法冒頭を占める構造は、最大の犯罪行為を国家に対する犯罪とする発想を示している。

しかも、戦時期に刑法学者が果した戦争責任問題への追及は曖昧なままだ。天皇主義イデオロギーを前提とした戦前・戦中の刑法学者(国体の本義に基づく日本固有の法学の確立を目指した「日本法理研究会」がその代表格か)が戦後も有力者としてそのまま残った。たとえば、小野清一郎は、法に「日本の道義」を持ち込み、天皇主義的な国家主義法学を唱道して西欧由来の法制度を批判したが、彼は戦時中の立場を戦後も公然と肯定しつつ、東京第一弁護士会会長、法務省顧問、70年代の刑法改正の中心的な役割をも担った。刑法学者の戦争責任問題への批判は、中山研一や白羽祐三(民法学者だが)など少数に限られ、法曹界総体の反省のスタンスは曖昧なままではないか。だから、憲法と違って、刑法は戦前と戦後の連続性は強く、学説も判例も戦前・戦中の議論が継承される。明治刑法は実務でも今に生きているのだ。

だから、刑法は戦後憲法に制約されてはいるものの、事あるごとに戦前回帰が顔を出す。70年代の刑法改正は、戦時期に未完成だった「刑法改正仮案」を継承して保安処分や国家機密漏洩罪などを新設することを目論んだが、実現しなかった。そして盗聴法から医療観察法まで2000年前後の司法改革は、ともにこの傾向を顕著に示してきた。厳罰化と犯罪化の拡大、罪刑法定主義の形骸化、そして対テロ戦争のなかで「安全安心」があらゆる政策に浸透して、世論も予防として犯罪取締を肯定し、既存の秩序を維持する警察の捜査を歓迎する風潮、そして安倍政権になって露骨になってきた排外主義の感情がそのまま治安監視の体制を支えるようになってきた。

共謀罪はこうした傾向を踏まえてその問題を捉えなければいけない。そもそも共謀罪が登場したときに、改憲派の自民党は共謀罪を支える思想信条の犯罪化、戦時中の言い回しでいえば「道義的刑法」の構築という危険な傾向を内包させたと言える。共謀罪が改憲と結び付く回路を明確に理解する問題意識を持つことが大切だと思う。改憲にも共謀罪にも共通するのは、法の道徳化であり、国家に収斂する個人の位置づけ(近代西欧流の個人主義の否定)である。共謀罪は刑法という領域で展開されている改憲の具体的な先取りであることを見落してはならないと思う。