小池都知事の朝鮮人虐殺犠牲者追悼メッセージ取りやめに抗議します

以下、レイバーネットから転載します。


小池都知事の朝鮮人虐殺犠牲者追悼メッセージ取りやめに抗議します

・賛同人
小沢信男 (作家)
加藤直樹 (ノンフィクション作家)
香山リカ (精神科医)
斎藤美奈子 (文芸評論家)
坂手洋二 (劇作家・演出家)
島田虎之介 (漫画家)
島田雅彦 (作家)
鈴木 耕 (一般社団法人マガジン9代表理事)
田中正敬 (専修大学文学部教授、歴史学)
永井 愛 (劇作家・演出家)
中川五郎 (フォーク歌手)
中川 敬 (ミュージシャン/ソウル・フラワー・ユニオン)
中沢けい (作家)
中島京子 (作家)
平井 玄 (路地裏批評家)
平野啓一郎 (小説家)
平松洋子 (エッセイスト)
星野智幸 (作家)
森まゆみ (作家・編集者)
山本唯人 (東京大空襲・戦災資料センター主任研究員)
吉野 寿 (ミュージシャン/eastern youth)
(以上、アイウエオ順、敬称略)

私たちは、9月1日に行なわれた朝鮮人虐殺犠牲者追悼式典に対しての追悼メッセージ送付を取りやめた小池百合子都知事の決定に、抗議します。多民族都市・東京の多様性を豊かさとして育んでいく上で、関東大震災時の朝鮮人虐殺という「負の原点」を忘れず、民族差別によって非業の死を遂げた人々を悼むことは重要な意義をもっていると考えます。

1923年9月1日に発生した関東大震災では、都市火災の拡大によって10万5000人の人々が亡くなりました。その直後、「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を入れた」といった流言が広まり、関東一円で朝鮮人や、朝鮮人に間違えられた多くの人々が虐殺されました。

このとき、内務省や警察が流言を拡散してしまったことが事態を悪化させたこと、一部では軍人や警官自らが虐殺に手を染めたことは、内閣府中央防災会議がまとめた「1923関東大震災報告第2編」でも指摘されています。

東京に住む人々が隣人である朝鮮人たちの生命を奪い、それに行政が加担したのです。歴代の都知事が、横網町公園の朝鮮人犠牲者追悼碑の前で行われる虐殺犠牲者追悼式典に追悼のメッセージを送ってきたのは、「二度と繰り返さない」という東京都の決意を示すものでした。またそれは、1973年の追悼碑建立の際に当時の都知事はもとより東京都議会の各会派が賛同した経緯をふまえたものでもあったはずです。碑の建立と毎年の追悼式に参加してきた人びとの思いは決して軽くはありません。

ところが小池都知事は今年、メッセージ送付を取りやめました。私たちは、この誤った判断が、むしろ「逆のメッセージ」として機能することを恐れます。史実を隠ぺいし歪曲しようとする動きに、東京都がお墨付きを与えてしまうのではないか。それは追悼碑そのものの撤去まで進むのではないか。差別による暴力を容認することで、災害時の民族差別的流言の拡散に再びつながってしまうのではないか —。メッセージ取りやめが、そうした方向へのGOサインになってしまうことを、私たちは恐れています。

東京は、すべての国の人々に開かれた都市です。さまざまなルーツをもった人々が出会い、交わる街です。その出会いが、この街に次々と新しい魅力を生み出してきました。多様性は面倒や厄介ではなく豊かさだと、私たちは考えます。街を歩くたびに聴こえてくる様々な国の言葉は、東京の「恐ろしさ」を示すものではなく、豊かさの証拠であることを、私たちは知っています。

東京の多様性をさらに豊かさへと育てていくためには、民族をはじめとする差別が特定のマイノリティー集団に向けられる現実を克服していく必要があります。民族差別が暴力として爆発した94年前の朝鮮人虐殺を記憶し、追悼し、教訓を学ぶことは、そのための努力の重要な一部であると、私たちは考えます。それは、多民族都市・東京のいわば「負の原点」なのです。

私たちは小池都知事に訴えます。来年9月には虐殺犠牲者への追悼メッセージをあらためて発出してください。虐殺の史実を教育や展示から排除するような方向に、これ以上進まないでください。

そして、いま東京に生きている、あるいは東京に縁をもつ人々にも訴えます。94年前に不当に生命を奪われた隣人たちを悼み、それを繰り返さないという思いを手放さないでください。虐殺の史実を隠ぺいし捻じ曲げる動きを許さず、未来の世代に教訓として伝えていくべきだと、行政に、都議や区議に、声を届けてください。そのことが、多様性が豊かさとして発揮される東京をつくっていく上で重要な意義を持つと、私たちは考えます。

2017年9月15日
声明とりまとめ/加藤直樹
声明についての連絡先/seimei1923@gmail.com


【この声明のPDFファイル ダウンロード】

出典:レイバーネット

(転載)9.11経産省前歩道デモ逮捕抗議声明

以下、経産省前テントひろばの抗議声明を転載します。

ブログ内の関連記事

麻生邸「リアリティツアー」弾圧国賠意見書


(転送します。重複送信をお許し願います。拡散を歓迎します。)

警視庁丸の内警察署長 殿
抗 議 声 明
2017年9月13日
経産省前テントひろば

1 私たち「経産省前テントひろば」は、2011年9月からテント設置6年が経過する9月11日夕刻、経産省本館前で抗議集会を開いた。私たちは集会に先立って、経産大臣に宛てた抗議声明を提出し、昨年8月の脱原発を求める3張りのテントの違法撤去に抗議し、政府の原発推進政策等に抗議を申し入れた。
この日の経産省本館前には300名以上の人びとが集まって午後6時から2時間半にわたって集会を続けた。その集会終了の直前に、経産省敷地外周歩道約1キロメートルを一周するウォーキング抗議が行われた。

2 上記ウォーキング抗議には集会参加者のうち約150名が参加し、他の人びとは本館前に残って集会が続行された。ウォーキングの参加者は、歩道上で口々に経産省への抗議の意思表示を行い、また経産省別館前では多くの人々が資源エネルギー庁のエネルギー政策に対する抗議の意思表明を行った後、再び経産省本館前へ戻る歩道を進んだ。
こうしたウォーキング抗議の参加者の一人だったF氏が、歩道を歩いている時に突然に5、6名の私服警察官に歩道上で包囲されて車道に押し出され、「無届けデモ」の指揮を行ったとの口実で、東京都公安条例違反の容疑で逮捕された。

3 しかし、そもそも上記のような歩道でのウォーキング抗議を「無届けデモ」と捉えること自体、民衆の歩道上での表現行為を不当に規制し弾圧するもので許されないことである。しかも今回、丸の内警察はF氏の身元を充分承知しつつ「無届けデモ」とか、その「指揮」者と事実を捏造して東京都公安条例違反容疑で逮捕し身柄拘束した。
このような捏造の事実を踏まえれば、今回の事件が丸の内警察によるF氏への不当な狙い撃ち逮捕だったことを十分に示している。
また、こうした丸の内警察による「事件」捏造は、経産省前テントひろばの6年を超す運動の持続を恐れ、いまだに原発推進政策にしがみつく政府・自民党の意向を忖度した警察権力の違法行為そのものにほかならない。

4 今回のF氏への弾圧事件は、全国各地に広がった脱原発集会への参加者による継続した抗議活動が歩道上での通行の妨害なしに合法的に行われはじめたことに対する違法な予防的な弾圧である。また、市民の自発的抗議活動及びその行動への参加者を「デモ」及び「指揮者」と決めつけてF氏を不当に逮捕した行為は、「警視庁が原発関連の集会・デモで参加者を逮捕したのは初めて」(東京新聞2017年9月12日夕刊【但し、この記事で「集会・デモ」と記述されていることは不正確である】)とされる程に、違法な弾圧と言わざるを得ない。

5 私たちは、今回の不当逮捕に東京都公安条例が適用されたことは、同条例の民衆の表現行為に対する不当制約性・弾圧法規性が明白に露呈されたものである。この悪法に強く抵抗し、同条例の廃絶を要求する。
私たち経産省前テントひろばは、今回の丸の内警察署の弾圧行為に断固抗議するとともに、F氏の身柄を即刻に解放することを強く求めるものである。
以 上

共謀罪とグローバル化する刑事司法──対テロ戦争と対峙する社会運動の課題──

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共謀罪とグローバル化する刑事司法
──対テロ戦争と対峙する社会運動の課題──

★お話し 小倉利丸さん(批評家)

★日時 2017年9月21日(木)午後6時半〜
★会場 文京区男女平等センター(本郷三丁目下車徒歩5分)

アクセス | 文京区男女平等センター
https://www.bunkyo-danjo.jp/access.aspx

★参加費 500円
★主催 ATTAC Japan(首都圏)

日本は米国の同盟国としてまぎれもなく対テロ戦争の当事国です。戦場は、ネット空間も含めて地理的な限定がなく、軍事諜報機関は国の内外を問わずをスパイし、警察は軍隊さながらの装備で国境を越えて活動し、軍隊は自国の民衆に銃口を向ける存在になっています。そして、IT産業は、グローバル資本主義の基幹産業であるとともに、こうした対テロ戦争を支える軍
事産業になっています。

共謀罪は治安維持法の再来と言われる一方で、このような全く新しい戦争の時代、グローバル資本主義の時代に人々のコミュニケーションを犯罪化するものとして導入されました。本集会では、この新たな戦争とグローバル化の時代に焦点をあてて、対テロ戦争と対峙する社会運動の課題を考えます。

小倉さんには10月から新著『絶望のユートピア』を使った連続講座をお願い
しています。
9月21日の集会は「絶望」から「ユートピア」に向けたスタートラインです。

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誰が〈表現の自由〉を殺すのか ニコンサロン「慰安婦」写真展中止事件と裁判判決から考える

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ニコンサロン「慰安婦」写真展中止事件から5年。写真家・安世鴻さんが世界的カメラメーカーのニコンを訴えていた裁判で東京地方裁判所は、2015年12月、勝訴判決を言い渡しました。3年のわたる裁判闘争の過程では、ニコンが抗議を恐れて中止決定に至った具体的経過や、ネット上の抗議行動が「表現の自由」に与えた影響などが明らかになりました。
「慰安婦」問題、表現の自由、企業の社会的責任、「炎上」と「自粛」、排外主義……日本社会が直面するさまざまな課題について、この事件と裁判はきわめて大きな教訓を示しています。
事件・裁判の経過を記録し、判決の意義を多角的に論じた2冊の本『誰が〈表現の自由〉を殺しかのか』、『《自粛社会》をのりこえる』が同時に出版されることになりました。
この機会に、事件と裁判を振り返りながら、安倍第2次政権以降、増え続ける「表現の自由」への侵害、「自粛」にどう抗うのか、みなさんと一緒に考えたいと思います。ぜひご参加ください

2017年9月9日(土)14:30~17:30(開場14:00)
在日本韓国YMCA地下1階 スペースY
参加費:1,000円(学生・非正規500円)

<シンポジウム> 全体司会:岡本有佳(編集者)
◆コーディネーター:李春熙(弁護士)
◆パネラー:
東澤靖 (弁護士/明治学院大学教授)●「表現の自由」を実現する企業の責任
池田恵理子(女たちの戦争と平和資料館(wam)館長)●「慰安婦」の記憶を巡る闘い
小倉利丸(富山県立近代美術館検閲訴訟元原告)●検閲と沈黙に抗うために
◇特別発言:安世鴻(写真家/ニコン事件裁判元原告)
*目でみる<表現の不自由>スライド上映
◆ 問合せ:jjteninfo@gmail.com
○主催:教えてニコンさん! ニコン「慰安婦」写真展中止事件裁判支援の会&実行委員
○協賛:御茶の水書房

【近刊案内】——-当日会場では特別価格で販売します!
『誰が〈表現の自由〉を殺すのか
——ニコンサロン「慰安婦」写真展中止事件裁判の記録』
安世鴻、李春熙、岡本有佳 責任編集 2017年9月刊
A5判280頁予 カラー8頁 御茶の水書房

岩波ブックレット973
『《自粛社会》をのりこえる
——「慰安婦」写真展中止事件と「表現の自由」』
安世鴻・李春熙・岡本有佳編
A5判80頁 本体620円

ーーーー関連企画ーーーー
安世鴻 最新写真展開催決定!
======================
重重:消せない痕跡Ⅱ写真展
―アジアの日本軍性奴隷被害女性たち
======================
■9/30(土)〜10/9(月・祝)12:00〜19:00 会期中無休
■セッションハウス 2階ガーデン(東京・神楽坂)
■入場無料■平日:作家によるギャラリートーク(無料)
■9/31,10/7,8:トークイベント(有料)あり。
写真展賛同カンパのお願い:郵便振替00830-5-136108、
加入者名:重重プロジェクト
問合せ:ianfu@juju-project.net


当日配布のエッセイです。

検閲と沈黙に抗うために

小倉利丸

安世鴻の元「慰安婦」被害者たちのポートレイトが検閲され黙殺されたのは、日本の企業のギャラリーで、日本人が選考委員をつとめ、日本で開催されたという条件抜きには一切の説明ができない。だから問題は「日本」という検閲の装置なのだと思う。

写真史に必須の検閲の歴史

写真の歴史と検閲は切り離せない。にもかかわらず、日本の写真史が検閲の問題に注目して多くのページを割くことはあまりない。戦前戦中の写真検閲についても、どこかしら「仕方のないこと」とし、『FRONTO』や『NIPPON』などのグラフ誌のデザインの斬新さに関心を向け、写真家の戦争への加担や責任はあいまいにされる。伊奈信男、木村伊兵衛、土門拳など戦時中に戦争報道に深く関与した人々がそのまま戦後日本の写真界の中核を構成してきたことが果してどれほど批判的に検証されてきただろうか。しかも、日本統治下の台湾や朝鮮でどのような検閲がなされたのかに関心を寄せる写真史や回想録の類いは少ない。

このことに私は、崔仁辰『韓国写真史 1631─1945』を読んで気づかされた。崔は日帝統治下の韓国の写真検閲に多くのページを割き、検閲の背景や検閲に抵抗する写真家やジャーナリストにも言及する。崔が韓国についての述べたことが、台湾や旧「満州」など日本の植民地支配、軍事侵略の国・地域についても徹底した検証が必要だと思う。検閲を支えた日本の自民族中心主義とナショナリズムは、その相貌は変わりはしたものの、地続きで、今現在まで生きている。安世鴻の作品展中止の出来事はその端的な表れともいえる。

「日本民族の運命」と「抵抗のリアリズム」の間

戦後の写真表現のなかで、広島・長崎の被ばく体験や原爆被害の記録への写真界の関心に、戦後ヒューマニズムの原点と同時にその限界もまた端的に見い出せる。戦争の被害者としての日本人の視点から構築された平和の表象を表現する出発点に原爆体験があった。この被害への関心から表現者がどこに向うのか、何を自らの悲劇に見出すのか。戦争被害への関心から、日本の戦争責任、植民地支配、戦争犯罪など加害の問題へと視野を拡げ、表現者が戦後日本の支配的な歴史観、価値観を相対化するところに行きつくとは限らない。安世鴻の作品への検閲に、日本の写真界は沈黙することで黙認した。ここに戦後日本の平和意識の限界があると思う。

土門拳は戦後13年たって初めて広島に取材で出向く。これがきっかけで、彼の代表作であり、ドキュメンタリーの傑作ともいわれる『ヒロシマ』が生まれる。彼は、今もなお被爆者が生きることそれ自体と闘う現実に直面し、広島の風化を強い危機感をもって作品にした。

「しかしぼくは、広島へ行って、驚いた。これはいけない、と狼狽した。ぼくなどは「ヒロシマ」を忘れていたというよりは、実ははじめから何も知ってはいなかったのだ。13年後の今日もなお『ヒロシマ』は生きていた。焼夷弾で焼きはらわれた日本の都市という都市が復興したというのに、そして広島の市街も旧に立ちまさって復興したというのに、人間の肉体に刻印された魔性の爪跡は消えずに残っていた。」(『ヒロシマ』)

「広島・長崎の被爆者は、ぼくたち一般国民の、いわば不運な『身がわり』だったのである。ぼくたち一般国民こそ、今、この不幸な犠牲者に対して温かい理解といたわりを報いることによって『連帯感』を実証すべき責任があるはずである」(同上)

土門のこのヒューマニズムは、戦後のドキュメンタリー写真家たちにほぼ共通した理解の根幹をなしてきたものだろう。しかし、土門のヒューマニズムが果してどこまで普遍的な意識に支えられたものといえるのか。

194111月、総動員体制のなかで、写真界も組織の再編統合が進み、内閣情報局主導で「日本報道写真協会」が生まれる。土門は協会の常務理事に就任する。そして、128日の開戦後に開かれた総会で「カメラを銃としペンとする我々の職能に相共に挺身し、以て大東亜共栄圏確立の大理想達成に殉ぜん」という総会宣言を朗読した。(白山眞理『<報道写真>と戦争』から引用)土門は「カメラを持った憂国の志士」として「報道写真家としての技能を国家へ奉仕せしめんとする」(多川精一『焼け跡のグラフィズム 『FRONT』から『週刊サンニュース』へ』)と述べた。

『ヒロシマ』は土門が、戦後民主主義国家を前提とした「憂国の志士」として取り組んだ作品だったのではないかと思う。68年に「報道写真家としては、今日ただ今の社会的現実に取組むのも、奈良や京都の古典文化や伝統に取組むのも、日本民族の怒り、悲しみ、喜び、大きくいえば民族の運命にかかわる接点を追求する点で、ぼくには同じことに思える」(「デモ取材と古寺巡礼」)と述べたことにこれは端的に現われている。ヒロシマは彼にとって「民族の運命」を感じさせたのである。

彼は結局のところ、ヒロシマの被爆体験を日本人というナショナルな枠組のなかでの共通の被害体験として捉え、「不幸な犠牲者」への「連帯感」を感じる以上のところには行きつくことができなかった。戦争における加害を発見できなかった。それが「日本人」に共感をもって迎えられた原因だと思う。これは土門だけではなかった。大江健三郎もまた「土門拳の『ヒロシマ』が真に日本人の名において、現代日本人の名においてなされた1958年の日本の現実の記録であるとともに戦争の記録である」など「日本人」に繰返し言及しながら、同時に「生きて原爆と戦っている人間を描きだす」「徹底して人間的であり芸術の本質に正面からたちむかう」というように、「日本人」を「人間」に等置した。(大江健三郎「土門拳のヒロシマ』」私はこうした観点に強い違和感を感じざるをえない。

しかし同時に、土門は戦後まもなくの頃「戦争犠牲者から目をそむけている写真家」は「非人間的な背信行為者」(「フォトジェニックということ──或る傷兵の写真について──」)だと厳しく批判した。そして、「絶対非演出」としてのリアリズム写真は「現実をより正しい方向へ振り向けようという抵抗の写真的な発言としてある」(「リアリズム写真とサロン・ピクチュア」)とも語った。

ある意味では、安世鴻は土門の抵抗のリアリズムの正統な継承者であり、安世鴻の展示中止に関与したニコンサロンの関係者たちは、土門の「日本民族の運命」に加担することで非人間的な背信行為者となることを選んだのだ。

引用・参考文献(安世鴻関係の文献を除く)

伊奈信男『伊奈信男写真論集 写真に帰れ』、ニコンサロンブックス、2005

白山眞理 『<報道写真>と戦争19301960』吉川弘文館、2014

白山眞理、小原真史 『戦争と平和─<報道写真>が伝えたかった日本』、平凡社、2015

白山眞理、堀宣雄編『名取洋之介と日本工房』、展覧会図録、毎日新聞社、2006

多川精一『焼け跡のグラフィズム 『FRONT』から『週刊サンニュース』へ』 平凡社新書、2005

崔仁辰『韓国写真史 1631─1945』犬伏雄一監訳、青弓社、2015

土門拳『ヒロシマ』、研文社、1958、『土門拳全集第十巻 ヒロシマ』、小学館、1985

土門拳『写真作法』、ダヴィッド社、1976

土門拳「フォトジェニックということ──或る傷兵の写真について──」、『写真作法』所収。

土門拳「リアリズム写真とサロン・ピクチュア」、『写真作法』所収。

土門拳「デモ取材と古寺巡礼」、『死ぬことと生きること』、築地書館、1974

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