(noazureforapartheid.com)私たちはイスラエルのジェノサイド機械の歯車にはならない:労働者インティファーダの呼びかけ

(訳者まえがき)ここに訳出したのは、マイクロソフト社によるガザのジェノサイドへの共犯を内部告発してきたテック労働者や支援する労働者たちの運動No Azure for Apartheidのサイトに掲載された宣言文だ。日付けはないが、ジェノサイドから22ヶ月という文言があること、そしてここで「解放区」と呼ばれている場所が設置されたのが、2025年8月19日とVerge誌が報じている(日本語訳)ので、今年の8月頃に書かれたものだろう。大学キャンパスの野営キャンプに倣って設置された「解放区」だが、即座にマイクロスフフト社と警察による弾圧が始まる。8月19日、20日、8月26日と連日のように、抗議に参加したマイクロソフトの労働者たちが次々に解雇され、28日には、開放区の抗議行動に参加したユダヤ人労働者が解雇されている。同時に多くの逮捕者も出す。Arab DAily Newsは次のように報じている。「これらの一連の措置には、8月26日の座り込みに参加したアンナ・ハトルとリキ・ファメリの解雇、8月19日と20日の解放区キャンプに参加したニスリーン・ジャラダットとジュリアス・シャンの解雇が含まれる。ジョー・ロペスはMicrosoft Build 2025基調講演での抗議活動、イブティハル・アブサドヴァニヤ・アグラワルは4月4日のMicrosoft創立50周年記念イベントでの抗議活動、そしてホッサム・ナスルとアブド・モハメッドは昨年10月24日のパレスチナ殉教者追悼集会と募金活動が理由で解雇されている。」以下の声明は、まだこうした弾圧が始まる前に出されたものだろう。この声明はジェノサイド加担企業で働く労働者の共犯性を自問するとともに、労働者への呼びかけだけではなく、マイクロソフト社のサービスの消費者でもある私たち一人一人への厳しい問いかけでもある。マイクロソフト社のジェノサイド加担が、これほどまでに明白であるのに、それでもなお、マイクロソフトのソフトウェアを今まで通り使い続けることでいいのかどうか、とりわけ反戦平和運動が運動の文化のなかでマイクロソフトのサービスを許容する文化をそのままにしていいのか、という厳しい問いかけでもある。なお、この運動の8月の経緯については、Real Change News8月25日のGuy Oronの記事(英語)が詳しいと思う。(としまる)


私たちはイスラエルのジェノサイド機械の歯車にはならない:労働者インティファーダの呼びかけ

解放区より

私たちマイクロソフトの労働者、元労働者、良心あるコミュニティメンバーは、殉教したパレスチナの子どもたちの広場(旧Microsoft東キャンパス広場)の敷地内に解放区を設立する。パレスチナにおける22ヶ月に及ぶジェノサイドをマイクロソフトが積極的に支えていることに対し、この一歩を踏み出すことを選択した。解放区は絶望と極度の緊急性から生まれた。解放区は、嘆き悲しむパレスチナの母たちへの哀悼と、パレスチナのバラバラにされた赤ん坊を目の当たりにしたことから生まれた。解放区は、パレスチナの人々の豊かな人間性への徹底的な愛から生まれた。

今日、私たちはガザからの行動要請に応え、Microsoftのテクノロジーによって支えられたこのジェノサイドを終わらせるために、動員し、対峙し、エスカレートしてゆく。

今日、私たちは、パレスチナ人を非人間化し大量殺戮を可能にするシステムへの加担を拒否する。このジェノサイドへの共犯を拒否する。ジェノサイドを前にしていつもの日常を受け入れることを拒否する。

今日、私たちは反乱を選ぶ。立ち上がることを選ぶ。不服従を選ぶ。そしてパレスチナの全土が解放されるまで、インティファーダの火を掲げ続けることを選ぶ。

今日、私たちはその職と移民の身分と生計と肉体を危険に晒す。パレスチナ人の血の海を止めるには、まさにこの緊急な対処が必要だからだ。世界で最も多くの証拠が残されている初のAI支援によるジェノサイドを、私たちの労働が支えている以上、沈黙を続ける余裕など一秒たりともない。

私たちの労働は、政治的ではなくテクノロジーは中立だ、とよく言われる。しかしMicrosoftは1991年以来、自らのテクノロジーをイスラエル軍、刑務所システム、警察、大学、学校(違法占領下の入植地を含む)に組み込み、アパルトヘイト経済の一翼を担うという積極的な選択をしてきた。これは政治的に選びとられたものだ。現状において、Microsoftのテクノロジーはパレスチナ人が毎日行う何百万もの通話やテキストメッセージの記録を収集・保存する、イスラエルの大量監視兵器を支えている。これも政治的に選びとられたものだ。毎時間、Microsoftが支えるこの大量監視兵器は、パレスチナ人を脅迫し、拘束し、事後的に殺害するのを正当化する目的で私たちは使用する。これもまた政治的に選びとられたものだ。過去22か月間、毎日、Microsoftが支えるこの大量監視兵器は、ガザ地区のパレスチナ人に対する爆撃と虐殺を容易にするために私たちは使用する。これもまた政治的に選びとられたものだ。

端的に言えば、Microsoftとその幹部は、私たちの労働力を搾取し、数百万のパレスチナ人を脅かし、拉致し、虐殺し、傷つけるイスラエルのジェノサイド機械を支えるテクノロジー基盤として自らの地位を固めたのだ。その見返りとして、同じ幹部たちは、パレスチナ人の自己決定権と生存そのものを脅かし続けている、イスラエルの入植者による植民地化プロジェクト——ジェノサイド、アパルトヘイト、追放、民族浄化、戦争——を支え維持することで、数億ドルを稼いだ。

解放区を確立するにあたり、私たちは職場を解放し、労働を取り戻す。パレスチナにおけるジェノサイド及びその他の人類に対する犯罪に加担しうる一切の労働を拒否し、Microsoftに対し以下を要求する:

  1. イスラエルとの関係を断て
  2. ジェノサイドと強制飢餓の終結を要求せよ
  3. パレスチナ人への賠償金を支払え
  4. 労働者への差別を終わらせろ

解放区を確立するにあたり、私たちは学生インティファーダに啓発され、良心ある全ての労働者に労働者インティファーダへの参加を呼びかける。これはパレスチナ人へのジェノサイドを支えるために自らの労働力が搾取されることを拒否する労働者による革命的蜂起である。77年に及ぶ占領と、現代のホロコーストを22ヶ月以上も目の当たりにしてきた私たちは、もはや空虚な言葉に懇願するのをやめ、代わりに私たちが生活している機関や組織に対し、イスラエルの飢餓と爆撃によるジェノサイド作戦を支える役割を終えるよう強く要求する。

ガザよ、私たちはあなたたちの呼びかけに応える

ガザとパレスチナ全土の人々へ 私たちは、あなたたちのことを見守り、その声を聞き、共に悲しみ、あなたたちのために怒り、反乱を起こす。そして今なお続くイスラエルの飢餓・爆撃・追放というジェノサイド作戦に反対し、無条件の完全な連帯をもって立ち向かう。この世界で道を見失いがちな時代に、あなたたちは私たちに道徳的指針を与え、勇気を示してくれた。私たちはあなた方の家族、友人、愛する者たちの死を悼む。これからの日々、週、月、年、そして数十年にわたり、彼らの生を記憶し、その記憶を尊び、殉教者たちが尊厳と自由の中で今も生き続けられたであろう世界のために闘うために誓う。

「彼らは私を千回殺した

それでも私は生きてみずからの尊厳を創り出すために、何度でも生き延びる」

私は死なない、死なない、私はパレスチナの子どもだ」

タラ・アル・ダナフ(12歳、パレスチナ人詩人、ガザ地区アル・シャティ難民キャンプ出身)

解放区にある殉教したパレスチナの子どもの広場から、飢えと恐怖と苦痛の中で命を奪われたパレスチナの全ての子ども殉教者たちを悼み、称える。私たちヤキーン・ハマドを称える。11歳で殉教した援助活動家でありジャーナリストだ。私たちジャマル・カファルナを称える。飢えにより殺害され、わずか5ヶ月で殉教した。私たちマスク・アル・イフランジを称える。7歳で最年長の姉であり、才能ある芸術家だった。私たちカッサム・アル・ハッジを称える。サッカーに情熱を燃やし、医者を目指す優秀な学生だった。私たちはリタ・アル=ジャニーナを称える。水不足の中、家族にタヤムム(イスラム礼拝前の乾式浄め)を教え、10歳で殉教した。私たちはヒンド・ラジャブを称える。赤新月社に何時間も電話で懇願した後、5歳で335発の銃弾により殺害された。私たちは、10回も避難を強いられた末、7歳で家族と共に爆風に吹き飛ばされた悲劇の主人公シドラ・ハッスナを称える。私たちは、出生証明書すら発行される前に空爆で母親と共に殺害された生後三日の双子、アイセルとアッサー・アブ・アルクムサンを悼む。私たちは数えきれないほどのパレスチナの子ども殉教者たちを称える。Microsoftやその他のジェノサイドで利潤を上げる企業が提供する兵器や武器で殺害された者たちだ。アッラーが汝らの殉教を受け入れ、天国(ジャナト・アル・フィルドゥース)の最高位で美しい鳥として天を舞うことを願う。

私たちは、継続するジェノサイドに終止符を打ち、過去22ヶ月そして77年間にわたり違法かつ正当化不能な形で剥奪されてきた食糧・水・住居・医療・教育・自己決定権・正義へのあなたの権利を完全回復させるため、あなたたちの行動要請に応える。今日の私たちの努力が、即座にイスラエルの強制飢餓キャンペーンを終わらせたりガザ包囲を解除したりしないことは承知している。しかし私たちの行動が、マイクロソフトが製造したような米国製の物理的・テクノロジー兵器の流れを強制的に終わらせ、それらがあなた方を虐殺するために使われることを阻止することで、いかなる形であれ、あなた方の苦しみを和らげ、パレスチナの解放に貢献することを願っている。

解放区の必要性

この行動は、Microsoftが支えるジェノサイドに反対する22ヶ月にわたる闘いの結晶である。22ヶ月間、Microsoftはジェノサイドを可能にし、加速させ、利益を得ながら、その非道で違法なジェノサイド利得ビジネス慣行に異議を唱えた労働者を繰り返し黙らせ、報復してきた。証拠はもはや圧倒的であり、妨害は絶え間なく続いている。そして労働者の圧力は臨界点に達している。それでもMicrosoftとその幹部は労働者の要求に耳を貸そうとせず、必死のPR声明や見せかけの調査の陰に隠れ続けている。

私たちにとって以下のことは明らかである。Microsoftの「道徳的企業」という主張は見せかけに過ぎない。 なぜなら彼らは正しいことをしているからではなく、クラウドやAIという技術兵器を通じてアパルトヘイトを直接支援し、ジェノサイドを推進し、ガザにおける飢餓キャンペーンを助長するために、私たちの労働力を搾取し続けるために方針を変えないのだ。彼らが占領とジェノサイドの経済から撤退するという場合があるとすれば、それは、撤退しないことが自社の利益を損なう時だけである。

だからこそ今日、私たちパレスチナに連帯する労働者たちは、職場で物理的直接行動を起こし、継続するジェノサイドによる利潤の連鎖に終止符を打つという労働者の長い伝統に加わる。世界中の港湾労働者がイスラエル向け武器輸送を拒否し、学術関連の労働者が学生インティファーダに連帯して数週間にわたりストライキを続け、イスラエル虐殺軍に兵器を供給する工場を封鎖する行動を起こした労働者たちに、私たち勇気づけられている。解放区から、私たちは彼らの足跡を辿り、ガザのパレスチナの人々に対するイスラエルの違法なアパルトヘイト体制と継続的なジェノサイドに最も深く関与するテクノロジー企業に対し、行動をエスカレートさせてゆく。そうすることで、私たちは職場を解放し、Microsoftのジェノサイドによる利潤の爪から労働を取り戻す。そして、パレスチナの人々とその国家を消滅させるという目標に私企業がかかわる構造を打ち砕く革命的な労働者主導の勢力を生み出す。

イスラエルによるジェノサイド機械のテクノロジー基盤

34年間にわたり、Microsoftはイスラエル開発センター、イスラエルのサイバーセキュリティ・監視スタートアップ企業の買収、そしてイスラエル軍・刑務所・政府・兵器メーカーとの継続的な契約と深い提携を通じて、アパルトヘイトとジェノサイドの経済に深く根を下ろしてきた。この深い関係は、イスラエル軍へのクラウド技術とAIデジタル兵器の販売を通じて、Microsoftをイスラエルにおけるジェノサイド機械のテクノロジー上の基盤として確たるものにした。

現状において、Microsoftのテクノロジーはガザ地区とヨルダン川西岸地区のパレスチナ人が毎日行う何百万もの携帯電話通話とテキストメッセージの記録を収集・保存するイスラエルの大量監視兵器を支えている。端的に言えば、Microsoftは爆撃、拷問、飢餓を通じて何百万ものパレスチナ人を脅迫し、拉致し、虐殺し、傷つけることを可能にし加速させる兵器を構築したのだ。イスラエルの入植者植民地主義プロジェクトを支える企業機構の一員となる選択肢を前に、マイクロソフトとその幹部はパレスチナの人々とその権利を犠牲にして自らの懐を肥やす道を選んだのだ。

マイクロソフトの労働者よ、私たちの労働を取り戻そう

マイクロソフトの同僚たちへ、私たちこそがこのテクノロジーを構築し、この企業を動かしている者なのだ。ごく少数の経営陣が、私たちの労働力を戦争犯罪がもたらす利潤目的で搾取している。今この瞬間も、私たちの労働はアパルトヘイトを直接支え、クラウドやAIという技術兵器によるジェノサイドを推進し、ガザにおける飢餓作戦を助長している。利潤より人々を優先させるのは究極において、私たちの責任である。しかしそれを実現するには、声を上げてこの非道で違法な共犯関係を今すぐ拒絶し、労働の力[権力]を取り戻さねばならない。

経営陣は私たちをジェノサイドの共犯者に仕立て上げた。彼らは私たちの目の前で嘘をつき、危害はないと主張し、子どもを虐殺するために労働力を搾取した。経営陣は戦争犯罪者と握手を交わし、世界で最もよく知られた初のAI支援型ジェノサイドを可能にするテクノロジーを、それと知りながら提供し、その後も私たちを欺き続けた。彼らの厚かましい言い訳では、パレスチナの人々の名前すら口にできなかった。まさに彼らが虐殺と抹殺を助長している人々であるにもかかわらずだ。

虐殺という犯罪に加担することを受け入れる必要はない。このシステムの一部である必要はない。従う必要はない。ガザの行動要請に応えるために私たちと一緒に立ち上がろう。Microsoftが支えるジェノサイドの犠牲となった無数のパレスチナ人の命を称えるために私たちと共に行動しよう。私たちの労働が、爆撃・拷問・飢餓による数百万パレスチナ人の虐殺を助長することを拒むために、私たちと共に立ち上がろう。大量解雇で私たちの生活を不安定化させつつ巨額の利益を生み出し、AI用データセンター建設で環境破壊を加速させ、最終的にはイスラエル軍・米軍・ICE・パランティアといった組織に労働力を売り渡すことで私たちを搾取し続ける経営陣と対峙するために、私たちと共に闘おう。

  • レドモンド及びシアトル大都市圏の労働者よ、解放区で私たちと共に現場に立ち、日常業務を拒否し、職場をイスラエルのジェノサイド機械への組み込みから解放しよう.
  • 世界中の労働者よ、どこにいてもMicrosoftへの抵抗をエスカレートさせ、『労働者インティファーダ』の呼びかけに応えよう!声を上げ、職場を離れ、抗議し、ストライキを行い、パレスチナ人ジェノサイドを支える労働力の搾取を拒否することを明確に示そう。

声を上げた結果の代償を考える前に、声を上げないことによる代償を問おう。沈黙の代償を自問しよう。刻一刻と、Microsoftのテクノロジーを用いてイスラエルのジェノサイド機械は、ガザのパレスチナ人を飢えさせ爆撃している。 私たちが行動しないでいる毎秒ごとに、イスラエルは私たちの労働力を利用し、西岸地区でパレスチナ人を追放する民族浄化とアパルトヘイトの継続的キャンペーンを遂行している。この緊急の事態に対処しなければならない。今すぐ、Microsoftが支えるこのジェノサイドに終止符を打たせよう!

良心ある全ての人々よ、Microsoftの共犯関係を終わらせるために私たちと共に立ち上がれ

パレスチナと連帯する全ての人々へ、Microsoftのような共犯企業がイスラエルとの一切の関係を断つ時、パレスチナにおけるジェノサイドと占領は終焉を余儀なくされる。Microsoftは世界で2番目に価値のある企業であり、イスラエルの犯罪に最も深く関与するテクノロジー企業だ。Microsoftをシオニスト国家から切り離すことは、単なる一企業のイスラエルからの撤退をはるかに超える。それは民間企業がイスラエルのジェノサイド・占領・アパルトヘイト経済と絡み合う構造が崩壊するドミノの始まりを意味する。

私たちは、皆さんの声を私たちの声とひとつにし、マイクロソフトに対し直接圧力をかけ、イスラエルのジェノサイドとアパルトヘイトへの企業の共犯を終わらせるよう呼びかける。

レドモンドやシアトル近郊にお住まいの方は、解放区での現地行動に参加してほしい。労働者と地域住民が結束し、私たちが暮らすこの地で進行するマイクロソフトのジェノサイド利益追求型ビジネス慣行を終わらせるために。

もしマイクロソフト本社近くに居住していない場合でも、恐れることはない。マイクロソフトの拠点は世界中に広がり、私たちの革命運動も拡大している。地域社会を動員し、現地で対峙し、抗議行動をエスカレートさせ、行動を起こそう。

  • マイクロソフト本社近隣に居住していなくても心配はいらない。Microsoftの拠点は世界中に広がっており、私たちの革命的運動も拡大中だ。最寄りのMicrosoft拠点で、イスラエルのジェノサイド機械に対してMicrosoftが果たす積極的役割に抗議するため、地域社会を動員し、対峙し、エスカレートさせ、地元で行動を起こそう。
  • さらに、製品ボイコットや株式からの機関投資撤退を通じて企業の収益基盤を直接標的とし、マイクロソフトに圧力をかけよ う。

現地での動員から財務的撤退、法的追及に至るまで、私たちはマイクロソフトとその幹部への圧力を高めるためにあらゆる手段を用いなければならない。

良心ある労働者よ、労働者インティファーダに参加しよう

世界中の良心ある労働者へ、イスラエルの入植者植民地主義プロジェクトは、数多くのジェノサイドで利益を得る企業群によって支えられている。これらの企業は、違法な占領、アパルトヘイト、ジェノサイドというイスラエル経済から利益を得るために、私たちの労働力を搾取しているのだ。国連パレスチナ地域人権状況特別報告者の報じられている報告にあるように、「占領とアパルトヘイトが終結し賠償が行われるまで、イスラエルとの企業関係は停止されねばならない」。占領とジェノサイドのシステムに加担せずにイスラエル経済と関わる方法など存在しない。

これらの企業がジェノサイドを助長し利潤を得続ける限り、従来通りのビジネスや 通常の労働を容認してはならない。私たちは今この緊急の局面において、ジェノサイドから労働力を完全に切り離し、アパルトヘイトとジェノサイドの経済を助長し利益を得てきた全ての企業と対峙しなければならない。腐敗した経営陣は私たちの労働力を利潤のために搾取して利益を得てきたが、彼らこそが私たちと私たちの労働力に依存していることを忘れてはならない。

ガザは私たち全員に、このジェノサイドを終わらせるための行動を呼びかけている。今こそ全ての労働者がこの呼びかけに応える時だ。ジェノサイドを助長する行為を止めるために、私たちは自身が属する企業や組織に対して立ち上がり、「労働者インティファーダ」に参加しよう。

  • 職場に対し、イスラエルやMicrosoftとのあらゆる関係を含む、ジェノサイドに加担する全ての提携関係を断ち切り、投資を引き揚げるよう要求する運動に参加しよう。
  • 同僚や地域住民を動員し、日常業務を阻止し、ストライキや抗議行動を組織することで、行動をエスカレートさせよう。
  • パレスチナにおけるジェノサイドやその他の人類に対する犯罪に加担しうる業務を一切拒否しよう。

世界は長きにわたり、ガザにおけるジェノサイドの継続を許してきた。今こそ、あらゆる場所で労働者が立ち上がり、イスラエルの占領とジェノサイドの経済へのあらゆる関与を終わらせる時だ。

Microsoftの幹部たちよ、私たちは要求を満たすまでここに留まる

サティア・ナデラ、ブラッド・スミス、テレサ・ハットソン、ムスタファ・スレイマン、ジェイ・パリク、スコット・ガスリー、そして全Microsoftの幹部たちよ、何十万人ものパレスチナ人の血があなたたちの手に付いている。あなたたち自身の労働者2000人以上、良心ある人々数万人、そして最終的には何百万ものパレスチナ人の要求に応え、イスラエルとの非道徳的で違法な提携を解消し、ジェノサイドの経済における役割を終える時がとっくに到来している。

誤解すべきでない。Microsoftが占領とジェノサイドの経済に、いかなる形であれ関与し続ける限り、私たちは行動を続ける! 私たちは、殺人者であるシオニスト政権との取引を継続することについて、高い代償を払わせる。予告あり、なしを問わず、あらゆる場所で、あらゆる瞬間に、エスカレートし、対峙し、混乱を引き起こすために登場する。私たちの声が封じられても、無視できない方法で発言する道を見つける。私たちの運動は止まらない。休むこともない。圧力をかけ続け、エスカレートし続ける。要求が完全に満たされるまで、解放区に居座り続ける!

  1. イスラエルとの関係を断て:マイクロソフトに対し、占領・アパルトヘイト・ジェノサイドというイスラエル経済からの完全かつ恒久的な撤退を要求する。
    • 全てのイスラエル関連団体への販売・契約・取引・サービスを終了し、既存のマイクロソフト製品へのアクセス権を全て剥奪せよ。
    • Microsoftのイスラエル事務所とデータセンターを全て閉鎖し、イスラエル軍に従軍した者の雇用を終了せよ。
  2. ジェノサイドと強制飢餓の終結を求める。私たちはマイクロソフトが世界的な影響力を用いて以下を要求することを求める:
    • ガザへの支援に対するイスラエルの封鎖を解除し、この支援をUNRWA及びパレスチナ人コミュニティが支援しパレスチナ人が主導する配布団体が管理すること。
    • ガザにおけるジェノサイドの終結、及びイスラエル軍と民間人のガザ及び占領下パレスチナ全域からの撤退。
    • 他の企業や政府にも同様の要求を呼びかけること。
  3. パレスチナ人への賠償金の支払い。私たちはMicrosoftに対し、占領とジェノサイドへの積極的関与に対する賠償金をパレスチナの人々に支払うよう要求する。賠償金の形態はパレスチナ人が決定し、賠償金の計画と実施の全段階にパレスチナ人が関与しなければならない。マイクロソフトは、パレスチナの人々に与えた危害を認め、再発防止を保証しなければならない。
  4. 労働者への差別を終わらせよ。私たちはマイクロソフトが、パレスチナ人、アラブ人、ムスリム、そしてパレスチナ支持の労働者に対する差別を終わらせることを要求する:
    • 解放区を含むパレスチナ支援活動に関わった労働者への恩赦を与えること。
    • パレスチナ支援活動への報復として解雇された労働者に対する全ての懲戒処分を取り消し、復職させること。
    • パレスチナ政策提言活動に関わる全労働者を職場での危害や嫌がらせから保護すること。
    • UNRWA USAを従業員寄付ポータルに復帰させること。

撤退の準備が整ったなら、私たちも話し合う用意がある。解放区に交渉の席は用意されている。ジェノサイドとアパルトヘイトの経済におけるMicrosoftの役割に終止符を打つ覚悟ができた時は、negotiations@noazureforapartheid.comまで連絡を。

今こそ投資を撤退し、ジェノサイドとアパルトヘイトの経済への関与を断つ時だ。責任を問われる時が来れば、どんな言い訳もあなたを免罪することはない。国際刑事裁判所や各国の司法機関の前で、国際犯罪の実行やその犯罪収益の洗浄への関与を、偽りの調査で免れることはできない。

解決策はただ一つ:インティファーダ、革命

解放区の設立にあたり、私たちはその愛すべき殉教ジャーナリスト、アナス・アル・シャリフの遺言の最後の言葉を思い起こす。

「私は、あなた方にこうするよう求める。制約に沈黙させられるな、国境に足止めされるな。国と人々 の解放へと向かう架け橋となれ。そうすれば、尊厳と自由の光が、私たちの奪われた故郷に輝くのだ。」

今日、私たちは闘争への揺るぎない決意を再確認する。規制に沈黙させられることも、国境に足止めされることもない。パレスチナとその人々への解放へ向けた架け橋となるのだ!

今日、私たちはイスラエルのジェノサイド機械の歯車となることを拒否する。ガザの同胞に対するジェノサイドと強制的な飢餓を、自らの労働で可能にさせられることを拒否する。Microsoftのジェノサイド利潤に加担することを拒否する。

今日、私たち労働者は労働者インティファーダを呼びかける。民間企業がパレスチナの人々とその国家を抹殺する目的と結びついた構造を壊そうという闘いだ。

今日、私たちは世界中の良心ある全ての人々に呼びかける。労働者の声に連帯し、Microsoftに対し動員し、対峙し、闘いをエスカレートさせよう。イスラエルのジェノサイドとアパルトヘイトへの共犯を終わらせるために。

今日、私たちはマイクロソフトの同僚労働者及び良心ある全ての労働者に呼びかける。私たちと共にもう一度労働を取り戻し、職場を解放しよう。

解放区より、今日私たちが蒔いた革命の種が、私たちの生涯のうちに解放されたパレスチナをもたらすことを願う。

労働者インティファーダに参加しよう

解放区よ、永遠なれ

殉教者に栄光あれ

パレスチナ解放

https://noazureforapartheid.com/worker-intifada

(Drop Site News)ガザ市のパレスチナ人、行き場なくイスラエルの残忍な追放キャンペーンに直面

(訳者前書き)前回の投稿でガザ市に留まることを決意したジャーナリストの記事を紹介した。今回もガ北部に留まるジャーナリストの記事を紹介する。「留まる」と書いたが、正確には留まらざるをえない、ということだ。何度も南部に避難しては北部に戻ることを繰り返さざるをえない人々について報じている。日本のメディアは非常に安直に「避難」を報じている。しかし、この記事には、容易なことではない様々な事情について具体的に書かれている。避難するためには相当な資金が必要だ。移動の費用だけでなく南部の過密な場所を借りるためには法外な賃貸料が必要になる。そしてイスラエルによる攻撃も頻繁に起きる。この記事には北部で避難してテントで暮す人たちの最近の映像も掲載されている。(映像は、本文中にリンクのあるオリジナルのサイトでごらんください。)

この記事の著者アブデル・アデル・サバハは、ジャーナリストで映像作家。9月9日にもDrop Site Newsにラシャ・アブ・ジャラルとの共著で「The Frontline of Israel’s Ethnic Cleansing Campaign: Report from Gaza City」の記事を投稿している。こちらの記事はまだ私は訳していない。(どこかで誰かが訳しているかもしれない)

この記事が掲載されたDrop Site Newsは、公式サイトの説明では、ライアン・グリム、ジェレミー・スケイヒル、ナウシッカ・レンナーによって2024年に設立されたばかりの新興の調査報道を中心としたニュースサイトだ。スケイヒルの著書は翻訳がある。(『ブラックウォーター 世界最強の傭兵企業』、『アメリカの卑劣な戦争 無人機と特殊作戦部隊の暗躍』)(としまる)


ガザ市のパレスチナ人、行き場なくイスラエルの残忍な追放キャンペーンに直面

「ここは海のほとり、最後の避難場所だ。ここに留まることを許されるべきだ」

アブデル・カデル・サバハ

2025年9月12日

ガザ市沿岸部に追いやられたパレスチナ人家族。2025年9月8日。(アブデル・カデル・サバハ撮影動画のスクリーンショット)

ガザ市——かつて歴史的パレスチナ最大の都市であったガザ市のパレスチナ人たちは、イスラエル軍による民族浄化軍事行動の全面的な打撃に直面している。行き場はない。

水曜日、イスラエル軍はガザ市への攻撃強化を誇示し、報道官は数十機のイスラエル軍機が市内の高層ビルやインフラを含む360以上の目標を攻撃したと発表した。報道官は「第一波ではダラジ地区とトゥファ地区を重点的に攻撃した…第二波と第三波ではダラジ、トゥファ、フルカーン地区への大規模攻撃を実施した」とXに投稿した。「今後数日間、軍は攻撃のペースを速め…作戦の次の段階に備える」と述べた。住宅やインフラに加え、密集したテントキャンプも破壊された。

イスラエル軍が先月ガザ市制圧作戦を開始して以来、同地域の各地区に複数回の避難命令を発令し、月曜には約100万人のパレスチナ人が住む全市に対する大規模な退去命令に至った。

多くの人々は単純に避難できない。ガザ市の複数の避難民がDrop Site Newsに語ったところでは、南への逃避は高額な移動費(最大4000シェケル=約1200ドル)、南部過密地域の収容スペース不足、そしていわゆる「人道区域」を含むガザ全域でのイスラエル攻撃からの安全確保が不可能であるため不可能だという。

「イスラエル軍が家を破壊しました。私たちは行く先もどうしたらいいのかもわかりませんでした。一度は避難しましたが戻り、また避難しては戻って、今ここにいます。これまでに20回も移動しましたが、もう行き場がありません」と語るのは、ガザ市北東部のアルザルカ地区から海岸線へ避難したイッサだ。砂浜には彼の背後に、マットレスや鍋、その他の所持品を積んだロバの荷車が停まっていた。「ここが最終目的地です。海辺です。ここに留まることが許されるべきです。一体どこへ行けというのか?」と彼はDrop Siteに語り、続けて「南へ行くには3000シェケル(約9万円)が必要です」と付け加えた。「テントはどこで手に入れるんだ?テントなんてない…安全な場所なんてない——ここにも、どこにも…今は北部に避難しています。ここにも南部にも安全はありません」

(動画はオリジナルサイトでごらんください)ガザ市で避難生活を送るパレスチナ人。2025年9月8日。(アブデル・カデル・サバ撮影)

占領下のパレスチナ地域における国連人道支援チームは、ガザでは現在100万人近くが「安全かつ実行可能な選択肢を全く持たない」状態にあるとして、次のように述べた。

「私たちが目撃しているのはガザ市における危険な事態の悪化だ。イスラエル軍は作戦を強化し、全員に南への移動を命じている。これは同市及び周辺地域で飢饉が確認されてからわずか2週間後のことだ」と彼らは水曜日の声明で述べた。「イスラエル当局は南部の一地域を一方的に『人道的区域』と宣言したが、そこに強制移動させられた人々の安全を確保する実効的な措置は取られていない。提供されるサービスの規模も量も、既にそこにいる人々を支えるのに十分ではなく、ましてや新たに到着する人々を支えるには程遠い。ほぼ100万人が今や安全で実行可能な選択肢を全く持たない状態だ——北部も南部も安全を提供できていない。ガザ北部を離れるには、移動と安全な通行に法外な費用がかかる。ほとんどの家族には到底払えない金額だ。北部を離れるということは、通行困難な道路を進むことを意味する。野外か過密状態の避難所で寝る場所を探すことを意味する。食料・水・医療・住居を確保し、尊厳ある安全な衛生環境なく生きるための苦闘が続くことを意味する。ガザの生存者たちは疲れ果てている」[訳注1]

月曜日の避難命令には、ガザ北部全域の地図が添付されていた。そこには西を指す三本の矢印と、南を指す大きな矢印が描かれていた——イスラエルの民族浄化キャンペーンを視覚化したものだ。しかし海岸線と隣接する道路がテントや仮設シェルターの群れと化した今、家族たちはたとえ南へ避難したくても、そのための場所を全く見つけられない。

ガザ市全域及び周辺地域に対するイスラエル軍の避難命令。2025年9月10日。出典:X.

ガザ市の移動を追跡する人道支援団体連合「Site Management Cluster(サイト管理クラスター)[訳注2]」によれば、約5万人のパレスチナ人がガザ市内で避難を余儀なくされ、同数程度が南部に逃れている。一方、Times of Israelによれば、イスラエル軍はガザ市から避難した人数を20万人と、はるかに高い見積もりを出している。

ガザ市の避難民家族数組がDrop Siteに語ったところでは、彼らは確かに南部に逃れたものの、避難場所が見つからなかったり、テントを張るためのわずかな土地に家賃を払わされたりしたため、北部に戻らざるを得なかったという。

「南部に行っても場所がなかった。お金が必要だと言われ続けたが、私たちにはなかった。そこに行くだけでも3,000~4,000シェケル(約10万円~13万円)必要だ。土地も無料じゃなかった。1平方メートルあたり10シェケルだ。そんな金もなかった」とフェリヤル・アルダダは語った。「ハーン・ユーニスから追い出されました。場所がない、居場所がないと言われました」と彼女は付け加え、「5日間も日差しの中、食料も水もなく過ごしました。砂埃と暑さで息もできませんでした」と訴えた。

アル・ダダは海岸道路沿いの布製タープと木杭で組んだ仮設シェルター前に立っていた。「道路の近くに身を隠そうとしています。少しでもプライバシーを確保するために。娘は負傷していて、私と息子、夫の3人です。住むための小さな場所を私たちは作りました。全部道端で集めたものです」

フェリヤル・アル・ダダ(左)とマゼン・アル・ダマ(右)はともにガザ市沿岸部に避難した。2025年9月8日。(アブデル・カデル・サバフ撮影動画のスクリーンショット)

近くではマゼン・アル・ダマが、避難所とするための細い木枠に布を打ち付けていた。「私たちは南へ向かいました。私たちはアル・カララ[ハーン・ユーニス北部の町]に行きましたが、場所がなくて追い出され、ディール・アル・バラハに移動するよう再度指示されました。しかし、そこでは銃撃や砲撃があったため、とどまることはできませんでした」とアル・ダマはDrop Siteに語った。彼は北のアル・トゥッファ地区にある自宅に戻ったが、イスラエルが避難命令を出したため、先週再び避難を余儀なくされた。

「行き先もわからずに出るしかなかった」と彼は言う。「正直、南に行くのは誰にとっても良くない。金の無駄だ。自分の土地に留まる方がましだ」と付け加えた。「どこにいようと、ガザ全体が危険です。彼らが『安全』と言う地域も危険です。デイル・アルバラも危険です。ガザ全体が危険なのです。安全な地域なんてない。 彼らは3、4日前にビラを投下しました。 私たちが南へ向かったのはそのためですが、場所が見つからず、その代わりにここに来たのです。」

月曜日の動画声明で、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はガザ市の全パレスチナ人に対し公然と脅迫した。「ガザの住民に告げる。この機会を利用して言う。よく聞け。おまえたちは警告を受けた。今すぐ立ち去れ」。この発言は、2023年10月、戦争開始からわずか1週間でイスラエルがガザ北部全域に発した集団避難命令後の発言を想起させる。当時もネタニヤフは「今すぐ立ち去れ」と宣言していた。

Amnesty International中東・北アフリカ地域ディレクター、ヘバ・モラエフは声明で次のように述べた。「イスラエル軍が月曜朝に発令したガザ市住民の集団避難命令は残酷で違法であり、イスラエルがパレスチナ人に強いているジェノサイドの状況をさらに悪化させるものだ」「ガザ市に住む数十万人のパレスチナ人は、ほぼ2年間にわたり、飢えに苦しみ、仮設キャンプに詰め込まれたり、過密状態の建物に避難したりしながら、容赦ない爆撃に耐えてきた。今回発令された命令は、2023年10月13日にガザ北部全域に対して発令された集団避難命令の、壊滅的で非人道的な再現である。」[訳注3]

家族と共にガザ市沿岸部に避難したパレスチナ人男性。2025年9月8日。(アブデル・カデル・サバフ撮影動画のスクリーンショット)

イスラエルの攻撃が続く中、ガザ市のパレスチナ人はますます狭い場所に追い詰められている。

名前を明かさなかったパレスチナ人男性がDrop Siteに次のように語った。「私たちは車に荷物を積み、南のハーン・ユーニスへ向かいました。移動費だけで2800~3000シェケルかかりました。ハーン・ユーニスのマワシに到着して滞在しましたが、激しい砲撃がありました。テントさえも砲撃されたのです。私たちはハーン・ユーニスから逃れ、デイル・アルバラへ向かいました。到着すると、そこも危険地帯——依然として恐ろしい場所だと分かりました」「たとえ(南部で)住む場所を公共用地であれ私有地であれ見つけたとしても、誰かが来てこう言うのです。『1平方メートルごとに料金を払え』と。料金は1平方メートルあたり10シェケルです。4メートル四方――16平方メートル――のテントを張るなら月200~300シェケルかかる」と彼は語った。「私たちは南部を離れ、ガザ市に戻るしかありませんでした。」

彼は更に次のように言う。「見ての通り、私たちは防水シートを張り、毛布を集めて引き裂き、それを使っています。カーテンや木材は路上で拾って生活しています」と彼は語った。その傍らでは、埃まみれの子どもたちが立っていた。「私たちは浜辺で暮らしています。 彼らは私たちがここ、浜辺にいることを知っています。 この子が何をしたというのか― 私たちは、この子が一度も見たこともないものを奪われているのです」

シャリフ・アブデル・クドゥースとジャワ・アフマドが本記事に協力した。

ゲスト投稿 アブデル・カデル・サバ ガザ北部在住のジャーナリスト兼映像作家

出典:https://www.dropsitenews.com/p/gaza-city-israeli-displacement-south-palestinians-nowhere-to-go-cost

[訳注1]UNOCHA “With no safe place left in Gaza, UN and NGOs demand ceasefire and protection from forced displacement” https://www.ochaopt.org/content/no-safe-place-left-gaza-un-and-ngos-demand-ceasefire-and-protection-forced-displacement

[訳注2]2025年9月3日付のレポートがここにある。https://www.cccmcluster.org/sites/default/files/2025-09/250903_statement_SMC_opt_en.pdf このレポートには以下の記載がある。

「8月7日に発表されたガザ市における軍事作戦の強化は、避難民キャンプにいる人々、特にガザ北部から以前に避難させられた多くの人々に、恐ろしい人道的影響をもたらしている。多くの世帯は、特に高齢者や障害者にとって、移動費用の高さや困難さ、そして移動先となる安全な場所の不足から、移動することができない。パレスチナ人はまた、戻れなくなる恐れや繰り返される避難による疲労から、移動をためらっている。
数十万人を南部に移動させる行為は、国際法上「強制移送」に該当する可能性がある。」

[訳注3] https://www.amnesty.org/en/latest/news/2025/09/israel-opt-israels-mass-displacement-order-for-the-entirety-of-gaza-city-is-unlawful-and-inhumane/

(+972magazine)私はガザ市にいる。荷物はまとめたが、家を出ることは拒否する。

(訳者まえがき)ガザにイスラエル軍の地上部隊が本格的に侵攻し、北部の住民を強制的に排除しはじめたことが報じられている。日々報道で映し出されるガザの光景から、私たちは、北部やガザ市に住みつづける人たちが今でも多くいることをつい忘れていまいがちだ。しかし。まだ住み続けている人たちが確実にいる。なぜなのか、安全な所などないとはいえ、まだ南部の方が相対的に安全ではないのか。以下に訳出したのは、+972magazineに掲載された記事で、筆者は今でも北部のガザ市に住む。この記事には、未だに住み続ける人たちの思いの深さが、そのコミュニティや家族、隣人たちやその場所への深い愛着――この愛着にはナクバの記憶が欠かせないものとして受け継がれている――とともに、読む者の胸に迫ってくる。生き延びてほしいと思う。ただそれだけの言葉しかかけらないとはいえ、生き延びてほしいと思う。ぜひお読みください。(としまる)


私はガザ市にいる。荷物はまとめたが、家を出ることは拒否する

イスラエルによる私の街への壊滅的な攻撃により、何千人もの人々が「安全」を求めて避難を余儀なくされている。しかし、そんな「安全」は存在しないことはわかっている。避難の代償として、私たちは永遠に家を失うことになる。

アーメド・アーメド 2025年9月9日

ガザ市から避難したパレスチナ人が、2025年9月8日にガザ中心部に到着。(アリ・ハッサン/Flash90)

イスラエルの安全保障閣僚会議が、ベンジャミン・ネタニヤフ首相のガザ市管理計画を承認してから1か月が経過した。この作戦は、後にイスラエル・カッツ国防相が「ギデオンの戦車II(Gideon’s Chariots II)と命名した。

イスラエルがまだ完全に破壊してはいない都市の一部に今でも住んでいる私たちは、この発表は恐怖で私たちを立ち退かせるための心理戦の一部に過ぎないと思った。イスラエルは、ガザ市の大部分をすでに瓦礫と化しているので、再びガザ市を侵略することはないだろうと思った。ハマースが停戦と人質解放の合意に達するために大きな譲歩をしたとの報道を受けて、ドナルド・トランプ米大統領がおそらく介入するだろうと思った。

その希望は、イスラエル軍が、ガザ地区南部のいわゆる「安全地帯」に避難するよう命じる避難指示書を投下し始めたことで打ち砕かれた。地上侵略はほぼ即座に始まった。まず、私が生まれ育ったアル・サブラ地区、そして次に、私の親戚や友人の多くが住む、近くのザイトゥーン地区で。今朝、イスラエル軍は、この都市の民間人に対する脅威をエスカレートさせ、残っている私たち全員に避難を要求した。

8月13日以降、イスラエル軍は私たちの街に壊滅的な空爆、砲撃、ドローン攻撃の波状攻撃を行なった。アル・サブラとザイトゥーンが最も大きな被害を受けた。街区全体が消滅した。数千人が避難した。さらに数千人が爆撃と頭上を絶え間なく飛び交うドローンの音に封じ込められ、身動きが取れない。遺体が路上に横たわり、救急隊も到着できない。

夜になると、イスラエル軍の爆発物搭載ロボットが街を徘徊し、毎日約300戸の住宅を破壊している。夜明け前に爆発が起き、その衝撃が私の周りの地面を揺らす。眠っていても恐怖で飛び起き、その後何時間も頭がズキズキする。

イスラエルが「テロリストの高層ビル」と呼ぶ高層住宅タワーへの爆撃は、イスラエルによる最新の民族浄化キャンペーンに新たな恐怖の次元を加えた。このキャンペーンの最初の標的の一つがムシュターハ・タワーだった。ガザ市西部にあり、仮設テントに囲まれた12階建ての住宅ビルだ。イスラエル軍は、避難命令が出されてから数時間後にこのビルを空爆し、ハマースが軍事目的でこのビルを利用していたと証拠もなく主張した。

2025年9月5日、イスラエル軍の空爆を受けたガザ市の西部のこの塔から煙が立ち上っている。(Ali Hassan/Flash90)

その後、さらにいくつかの高層ビルが破壊された。その中には、私のいる自宅の窓から見える15階建てのランドマークであるスーシ・タワーも含まれている。私は毎日、このビルの前を通っていた。その住民たちは、自宅が破壊される前に、わずか20分間で所持品を集めるよう指示された。

タワーが崩壊したとき、私たちのアパートは粉塵と瓦礫でいっぱいになった。家族と私たちは、愛する地域と、突然、家も食べ物も未来も失って路上に放り出された何十もの家族たちの死を悼み、泣きながら咳き込んだ。

これを書いている今、自宅からわずか数キロ離れたところで、イスラエル軍の戦車やブルドーザーの轟音が聞こえる。この地域では、これまでの侵略では避難を拒否していた多くの人々を含め、すでに何百もの家族が恐怖から逃げ出している。

このジェノサイドで既に殺された数十人の友人や親戚、隣人のことを思うと、これから何人失うのか、誰の顔を最後に見るのか、そして自分自身が生き延びられるのかと不安になる。これが最後になるかもしれないと知りつつ隣人が去っていくのを見送っている。彼らは道中で殺されるかもしれない。あるいは自分自身が殺されるかもしれない。

運良く、今のところ私は死傷を免れている。生存を維持するために適応することを学んだ。素早く移動し、壁に寄り添い、クアッドコプターに発見されないよう木陰を歩く。常に両手を空けて脅威ではないことを示すが、イスラエルの犠牲者の多くにとって、それすら十分ではなかった。来た道を引き返すことは決してしない。狙撃手の標的になりにくくするため、ジグザグに歩くことも多い。いつでも地面に伏せる準備をしている。

私の最大の恐怖は、ミサイルが私の体を粉々にして、誰にも見分けがつかないほどになること、あるいは、誰も私のところへ助けに来られず、私の体は野良動物に食われることになることだ。爆撃される建物の近くを通りかかるかもしれないという恐怖から、家を出ることを恐れている。たとえ病院にたどり着けたとしても、私を救うことができる医療制度はもはや残っていないことを私は知っている。

ガザ市から避難したパレスチナ人が、2025年9月8日にガザ中心部に到着。(Ali Hassan/Flash90)

それにもかかわらず、私は家族に、ここを離れないと伝えた。イスラエルの主張とは裏腹に、私たちにとって安全な場所などどこにもない。ガザ市全体を破壊したら、イスラエルは南へと進軍し、現在私たちに避難するよう指示している「人道支援ゾーン」そのものを攻撃するだろう。

断ち切ることのできない絆

アル・サブラとザイトゥーンは、ガザ市でも最も古く、最も人口が多い地区である。1948年のナクバ(大惨事)のずっと前から、家族たちが緊密なコミュニティを形成して暮らしてきた。多くの住民は、両親から家や小規模な事業を受け継いでいる。街角にあるパン屋、大工の工房、仕立て屋、そして漬物作りやオリーブの搾油といった伝統的な商売である。

戦争前、私は狭い路地を歩きながら、いつも細部に心を打たれた。家々がぎっしりと寄り添い、一つの塊のように見える様子。午後に玄関先に座り、お茶を手に、通りすがりの人に祈りと祝福を送る祖父母たち。路地に響き渡る子どもの笑い声。台所の窓から漂うムサッハンやマクルーバの香り。この地域の人々はもてなしの心で知られ、見知らぬ人にも温かく迎え入れ、時には通りすがりの短い会話の後で昼食に招くこともあった。

2023年11月、イスラエルが初めて我が家の地域を侵略すると脅かした時、家族は避難を拒んだ。ガザの他の家族と同じ疑問を抱いたのだ。どこへ逃げればいいのか?安全な場所などあるのか?

だが戦車が自宅から100メートルまで迫り、周囲を無差別に砲撃し始めた時、私たちは苦渋の決断を下した。三つの集団に分かれ、ガザ市の親戚宅へ散らばるのだ。もし何人かが殺されても、他の者が生き残れるかもしれないという望みを抱いて。私は父と共に、ガザ市東部アル・サハーバにある叔母の家へ向かった。約2キロ離れたその家で、私たちはほぼ一ヶ月を過ごした。

毎日、家を確認しに戻るリスクは危険だとお互いに警告した。それでも、強制的に避難させられた多くの人々と同じように、私たちは引き寄せられるように自宅へと近づいていった。イスラエル軍の狙撃兵やクアッドコプターに追い返される直前まで、可能な限り自宅に近づこうとしたのだ。

出かけるたびに、戻れないかもしれないと分かっていた。撃たれるかもしれない、死ぬかもしれない、あるいは血を流したまま路上で誰にも助けられずに放置されるかもしれない。それでも私は行った――家の中で一瞬でも過ごせる可能性、一杯のコーヒー、馴染み深い家具に触れること、あるいはベッドに横たわる一瞬のためだけに。

2025年9月1日、ガザ市北部シェイク・ラドワン地区で、テントと瓦礫の中に荷物を運ぶパレスチナ人。(オマル・エル・カッタ)

家路は悲しみの道となった。訪れるたびに記憶に新たな傷が刻まれた。かつてこの地区の特色だった建物の廃墟、木々が並んでいた木陰の路地は今や瓦礫そのものとなっていた。近所の人が殺された通りを自転車で走ると、地面にはまだ血痕が残っていた。子どもの笑い声は、ドローンの絶え間ない耳をつんざくような唸りや砲弾の轟音に取って代わられていた。かつて温もりと安らぎを与えてくれた見慣れた顔は、恐怖で青ざめていた。

ある日、自転車で近所を走っていると、突然後ろからクアッドコプターのプロペラ音が聞こえた。数秒間、私は凍りついた。地面に伏せるべきか?無防備な民間人だと示すために手を上げるべきか?すぐにその場から逃げ出すことに決めた。たとえ脅威がどれほど小さくとも、殺されない保証など決してないのだ。

路上に一人、私はペダルを漕いだ。ドローンの弾丸が颯爽と通り過ぎる中、必死にスピードを上げた。二度とこんなリスクは冒さないと心に誓った。その事件の後、私は体調を崩し二日間ベッドに伏した。だが三日目の朝、私は回復した。イスラエル軍がようやく私たちの地域から撤退し、私たちが無事に家に戻れた時、それは溺れた後に息を吸い込むような感覚だった。

パレスチナ人にとって、家との絆は壁や石だけじゃない。それは私たちの存在そのものなのだ。祖母シャリーファはよく話してくれた。1948年のナクバでヤッファから逃げざるを得なかったことを。祖父は家の鍵を持ち歩き、数日で戻れると信じていた。死ぬ前にその鍵を彼女に託した。

しかし、彼らは二度と家に戻ることはなかった。その家は永遠に失われたが、彼らはその事実を受け入れることができなかった。

今日のガザでは、私たちの多くが、祖父母の世代よりもさらに壊滅的な、新たなナクバを経験していると感じている。しかし、1948年とは異なり、今日のパレスチナ人は、「一時的な」避難と提示されたものが、ほとんどの場合、恒久的なものになることを理解している。だからこそ、私たちの多くは、自宅が砲撃にさらされているにもかかわらず、立ち去ることを拒否しているのだ。

ガザ市から逃亡したパレスチナ人が、2025年9月8日にガザ中心部に到着。(アリ・ハッサン/Flash90)

スプーン、プラスチックのコップ、空の皿

2024年4月、イスラエルがラファ境界検問所を閉鎖するわずか数週間前に、父は、栄養失調と必要な薬が手に入らないことで健康状態が悪化していた母とともに、エジプトへ避難することができた。それ以来、父は24時間体制でガザからのニュースを追い続け、私たちへの心配が身体的に深く表れている。

彼は、WhatsApp のビデオ通話(接続が許す限り)では恐怖を隠そうとするが、特にアル・サブラでの空爆の報道の後、私たちがまだ生きていることを確認するために電話をかけてくるたびに、その声の震えにその恐怖が明らかに表れている。先週末のビデオ通話で、父は「この 2 週間で 7 キロも体重が減った」と私に話した。

私は「絶対に逃げない」と言い張ったが、彼はいつでも逃げられる準備をしろと強く促した。走りやすいゆったりした服を着ること、寝床のすぐそばに靴を置くこと、誰かが起きていて他の者が休むこと。可能なら子ども――私の甥や姪たち――に食べきれないほどの食事を与えるよう言った。それが数日の間の最後の食事になるかもしれないからだ。

逃げる時はいくつかの集団に分かれ、距離を保ち、生存確率を高めるため別々の道を進むべきだと彼は言った。子どもを先に行かせ、負傷者がいれば大人が運ぶ。必要な物だけを持ち、何があっても走り続けること。

だが今回は違うと、私たちは分かっている。イスラエル軍がガザ市で行っている作戦は、これまで以上に暴力的で破壊的だ。もはや特定区域への爆撃ではなく、ラファジャバリア、ベイト・ハヌーンでそうだったように、何もかもを跡形もなく消し去ろうとしている。

姉たちと私たちは最小限の必需品を小さなバッグに詰めた。まだ夏の終わりだが、冬服と小さな毛布も入れた。これから何が手に入るか分からないからだ。私たちはスプーン、プラスチックのコップ、空の皿――失えば代えがたい品々を詰めた。身分証明書、パスポート、そして万一死傷した場合に備え、個人情報や連絡先を記した小さな紙片も詰めた。

2025年9月1日、ガザ市北部シェイク・ラドワン地区。テントと瓦礫の中で持ち物を運ぶパレスチナ人。(オマル・エル・カッタ)

家の中を見渡す。私を形づくってくれた本——ジョージ・オーウェルの『1984年』や『動物農場』——が並ぶ書斎、長年かけて選んだ服、勉強し今も書き続けている机。マットレス、ドア、床をちらりと見る。そして手にした小さなバッグを凝視する。このバッグに人生の全て、家ごと収められればと願う。

追放とは単なる移動ではない。それは地獄の一種だ。身体は一箇所に留まり、魂は別の場所に囚われる。

安全を求めて南へ避難した多くの人々を知っている。しかし彼らが見つけたのは、避難所も寝る場所も、イスラエルの攻撃から身を守る手段もなかった。だから彼らは、殺されるリスクが常に付きまとうにもかかわらず、北部の自宅に戻った。南部に住む者で何とか小さなワンルームを借りられる者も、その家賃は想像を絶するほど高く、時には支払える金額の数百倍にもなる。

イスラエル政府は南部には「安全地帯」と人道支援があると主張する。だが私たちを待っているのはさらなる屈辱と剥奪と破壊だけだ。北部と同様、目的は私たちの完全な殲滅にあるようだ。

祖母は1948年から死ぬまで家の鍵を所持していた。私には鍵はない、ただバッグがあるだけだ。そして思う――子どもたちは祖母が鍵を携えたように、このバッグを携えるのだろうか?

アフメド・アフメドはガザ市出身のジャーナリストの仮名である。報復を恐れ匿名を希望した。

出典:https://www.972mag.com/ガザ市-bombing-displacement-evacuation