帝国の逆襲——ポストモダンミズムのなかの天皇制

ポストモダンといわれる時代のなかで、天皇制批判を問題にするとき、戦時中の「近代の超克」と「世界史の哲学」への批判は避けては通れない課題であることは繰り返し指摘されてきた。ポストモダンの言説が単なる西欧近代の価値観や生活様式にたいする批判にとどまるならば、この国には都合のよいことに——もちろん支配的イデオロギーにとって都合がよいということだが——いくらでもそのかわりになる「ポストモダン」が見いだせるのである。この様にして見いだされたポストモダンが容易に無批判的に「日本的なるもの」の受容、「日本的なるものの西欧に対する優位」にむすびつき、「天皇制」という文化的なヘゲモニーの様式にいともやすやすと抱きかかえられてしまうことは明らかなように思われる。とりわけ東西の「冷戦体制の終罵」のなかで、日米間の経済摩擦とジャパンバッシングが日本のナショナリズムを刺激しつつある現状ではこのことは決して楽観できるものではない。

しかも、「歴史は繰り返さない」ということが真理とすれば、余計に不気味なのである。かつての「近代の超克」も「世界史の哲学」もともに、教条的な天皇主義イデオロギーによって最終的には駆逐され、また、敗戦によってこれら一切の戦争協力の体制的イデオロギーは闇に葬られた。占領軍と日本の支配層による「国体護持」という支配戦略のなかで、これらは不問に付されることで「批判されたこと」になった。長い戦後の「繁栄」の後に、近代が再び批判の狙上にのせられたとき、不問に付されたままのかつてのイデオロギーが象徴天皇制と情報資本主義という新たな物質的・イデオロギー的土台を得て再登場しつつあるように見える。この敗者復活戦、あるいは「帝国の逆襲」をわたしたちは侮るべきではないと思う。なぜ、侮れないのか。

このことを考えるために「近代の超克」の議論も含めて、現在の「ポストモダン」状況の中の象徴天皇制の在り方に焦点をあててみたい。その際、まず確認しておきたいのは、当時と現在とでは「ポストモダン」といっても基本的に幾つかの点で相違があるということである。第一に、当時は欧米と日本は交戦国同士であったということ。これに対して、現在の欧米と日本は同盟国であり、現在の「ポストモダン」は欧米の知識人のなかからの自己批判として提起されたものであり、そこには近代の生みだした「大きな物語」への拒否という姿勢がみられる。これが、日本におけるポストモダン状況にも多かれ少なかれ反映していることは認めねばならない。従って、現在の「ポストモダニズム」は大きく二極分解する傾向をもっている。一つは、大きな物語の否定であり、他方では後に述べるように西欧近代の超克としてのもう一つの大きな物語「日本」への回帰である。しかしまた、前者もまた、ある意味で言えば「日本」的な伝統と切断されていない。それは、この大きな物語の拒否が「私小説」に連なるからである。第二に、天皇の位置である。当時の現人神と現在の「人間」であることを前提とした「象徴」としての天皇という違い。この相違も後に述べるように両者の文化的・イデオロギー的同一性に比べれば大きくないが、政治的・権力的な相違はきちんと押さえておく必要があろう。そして、最後に、当時は古典的帝国主義の時代として植民地を有し、国内には大量の農村人口を抱えつつ重化学工業化しつつあったのに対して、現代では人口の大半は都市部に集中し、産業構造も情報・サービスを中心とするいわゆる「ポストエ業化」社会である。この現在の産業構造は、当時に比べればイデオロギーの商品化がより可能な時代でもあるといえる。

では、当時との共通性は何か。それは、当時も現在も「日本」という物語を軸に「ポストモダン」が展開しているということである。そして、また、現代においても「日本の優位性」とは何か、「日本の固有性」とは何かの模索がなされる状況にあるという点でも極めて共通した問題意識に捕われているといえる。これは資本の国際化が必然的に引き寄せた問題意識である。国際競争力に打ち勝った日本の多国籍資本は、諸外国の資本との競争の勝利を「日本の優位性」のせいにしようとする。日本の資本の勝利は、同時に日本の文化的勝利でもある、ということが繰り返し強調されるのである。日本的経営への実情を無視した礼賛や日本的な労使関係の強引な導入などはその典型である。ここでもかつての欧米資本が、資本の浸透と同時にキリスト教と西欧型の文化を持ち込んだのと全く同様の文化的な侵略がみられるのである。ここには「日本の優越性」「日本の普遍性」を求める資本の欲求がかなり明瞭に示される。他方、容易に国境を越えられず、国家によって囲い込まざるを得ない「国民」は、外国人労働者の大量流入やジャパン・バッシングのなかであらたな「日本人のアイデンティティ」探しの欲求にとらわれる可能性を生みだす。こうした時代には、国家が外国人に対する「日本人の固有性」をテコに「国民」としての統合を促すことは容易に想像できる事態である。ここでも他者との区別/差別を根拠づけられる「日本」という物語が求められることになる。

では、ここで求められている「日本的なるもの」とは何なのだろうか。一般にこの「何」に当たるものは、究極的には「象徴天皇制」あるいは単に「天皇制」以外になく、だからこそ現在天皇制強化が策動されている、というのが(左翼の)通説だろう。私は、この通説を否定しない。しかし、この通説の限界は、「では強化されようとしている天皇制の内実、本質とは何か」という問いにたいして納得の行く解答が必ずしも提示できていないところにある。では、解答はなにか。正解は「解答なし」なのである。天皇制の内実は存在しないのである。西谷啓治が「近代の超克」のなかで「無の哲学」と言い、ロラン・バルトが「空虚な中心」と述べたこと、あるいは柄谷行人が「ゼロ記号」と規定したことはその限りでは決して誤りではないのだが、決定的に私と彼らが違うのは(これらの論者をいっしょくたにするつもりはもうとうないことを付言する)、この「内実、本質なし」こそが、人口に贈灸しているような「ソフトで、異質なもの、多様なものを包摂する——場合によっては「母心」のようであり、また場合によっては「お父さん」のようでもある——天皇制支配をもたらしているのではなく、それこそがハードな支配の根拠をなすのである。「空虚な中心」とか「ゼロ記号」といえば聞こえがいいが、要するに無内容、カラッポということであって、だからこそ「日本の優位性」や「日本の固有性」が繰り返しやかましく問われれば問われるほどこの「無内容」はあたかもなんらかの内容があるかのように装われねばならず、この無内容という本質は隠蔽されねばならなくなるのだ。

では、この「無内容」の隠蔽はどのようになされるのか。ここで天皇制によりそって伝統的に形成されてきた「日本」的支配の様式が出現する。即ち「型による支配」であり、「型の強制」である。たとえば、新学習指導要領で日の丸、君が代の強制がなされるという場合、この事態の本質は実質に先行した型による支配にある。「日の丸とは何か、君が代とは何か」という問いはこの型のあとからついてくる。あるいは最後までついてこなくてもよいのだ。意味がわからなくとも、同一の型に集約できる身体性が形成されさえすればよいのである。これは、「日本」や「日本人」という物語にとらわれる限り避けられない支配の様式である。そもそも「日本」とか「日本人」には近代的な起源についての理念の歴史が存在しない。このことは、欧米の社会が近代資本主義とともに「近代国家」を「形成」し、そこには、よかれあしかれ革命や建国の理念が近代の理念として歴史的な事実として刻まれているという近代のレゾン・デートルとは根本的に違っている。近代西欧社会が有する近代の理念や規範に対応するものが「日本」には存在しないのだ。「近代」社会に属しながら近代を迎えるに当たっての理念を持たず、日常意識としては「日本」という国家があたかも前近代から連綿と継続してきたかのように実感することが私達を「日本人」とするアイデンティティとしての実感であって、ここには実感以外の根拠は存在しない。明治維新を「王政復古」として位置づけようとすることは理念上可能であっても、これを近代の近代たる所以において理念的に意味づけることはほとんど不可能なことであろう。しかし、事実において近代が進行したことは否定できない。ここに、理念なき近代という悲劇が存在するといってよい。

 ところで、天皇制の本質が「無内容」という内実とそれを取り囲む「型」にあると言う場合、象徴天皇制についてこのことはどのようなことを意味するのか。一般に、欧米であれば、象徴は何らかの意味内容を持つ実体に対する「意味するもの」としての表象である。十字架が意味を持つのは、キリスト教の信仰や教義によってである。だから、「意味されるもの」の内実こそが「意味するもの」を本質的に支えているという関係が「象徴」とその「意味」との間には成り立っていなければならず、この「意味されるもの」が否定されたり、破綻したりした場合には「意味するもの」としての象徴は単なる十文字に括り付けられた板切れになってしまうのである。戦後の憲法で、天皇が「日本国民統合の象徴」とされたという場合、この一般論からいえば、この天皇という象徴によって「意味されるもの」についての共同の合意が存在しなければならないはずである。つまり、「天皇は何を象徴しているのか?」ということに対して、明確な説明がなされねばならないはずなのである。しかし、ここで「意味されるもの」とは「日本人」であり、さらに「日本人とは何か」という問いに対しては「天皇によって象徴的に統合される存在」としか答えようがないのであり、自家撞着に陥らざるを得ないのである。この自家撞着から離脱し、象徴という機能を維持しているのは、西欧的な象徴作用ではなく、「意味されるもの」を包囲する「型」による同一化なのである。天皇はもともと無内容なのだから、なにものかの象徴であることはできないのだ。だからこそ「型」が、入れ物が必要なのである。この空っぽだからこそ入れ物がないと何が何だかわけがわからなくなるというところに天皇制の本質が在るということは戦前も戦後もそんなに変わってはいない。それは、「近代の超克」でも「世界史の哲学」でも必死になって「日本的なるもの」を探しつつ誰も探せないにもかかわらずおしなべて彼らは一つの「型」を共有しているところに如実に表われている。つまり、天皇制とは、「型」の共有のための装置であり、「意味」共有を土台とする西欧型の社会統合の装置とは基本的に違うのである。「意味」の共有に基づかないということは、一方で感覚的な一体感や「なにはともあれ一緒」という理屈抜きの共同性が優位を占めることを意味するのだが、「型」が有効な統合の装置となるのはむしろ一体感の存在しない場においてであり、こうした場を「型」は維持する仕掛けとして機能するのである。

象徴天皇制は、「型」によってしか維持しえないがゆえに、型から外れる者たちにたいする抑圧は極めてハードになる。外国人への差別、天皇制の型を破るさかしまな笑いや批判は絶対に許されず、皇室敬語が「開かれた皇室」の展開とともにマスメディアで用いられるようになる。不合理と知りつつ、元号表記を強制する、といった「型」の先行こそが天皇制なのである。つまり、こうした現象の背後に天皇制の何らかの「実体」があるのではなく、こうした現象そのものが天皇制なのだ。そして、さらにポストモダンはこうした「型」に様々な意味を付与するイデオロギーに物質的な基礎——情報・メディア産業——を与え始めた。それは、決して空っぽな中身を埋めるものではないとしても中身が埋まっているように見せ掛ける手品には事欠かないということになるであろう。

あきらかにこうした現在の天皇制の状況のなかで、無関心という対応は、天皇制にとって両義的な意味を持つ。無関心は、心情的な一体感からは距離をとるから、ファナティックな天皇制的な統合の歯止めにはなっている。しかし、この無関心という在り方は、「型」の同一性に容易に回収され、このことによってむしろ天皇制を支える有力な要素ともなるのである。この意味で言うと、無関心という大衆の在り方はもっとも効果的なのである。しかしまた、現在の「日本」の状況は、多くの大衆に「日本的なるもの」を自覚化させざるを得ない諸条件に取り囲まれてしまっている。ここで、大きな物語としての「日本的なるもの」をあえて持ち出さねばならなくなっているところに象徴天皇制のある種のアポリァがある。これは、逆に天皇制を廃棄するうえでのまたとない機会でもあることになる。

出典:『新日本文学』500号1990年冬号